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2007年4月

2007年4月30日 (月)

ポルノ冊子を読むことが政治活動?・・・

 あれほど『領収書添付』に反対していた自民党が、その方向に方針を転換するというニュ-スは、この腐敗政党でも一片の良心は残っていたように見えるが、その実は選挙対策だというから呆れてしまう。
 例の農水大臣の松岡某が、いまだに使途を明らかにできない政治資金団体の事務所費経理処理に党内からも批判がでて『このままでは参議院選挙が戦えない』という声に押されたからで、決して自主的に方針転化をしたわけではなさそう・・・。
 さらに、与党である『庶民の味方を標榜する宗教政党』も『領収書添付』は当然という態度を鮮明にし、自民党に申し入れしたとのことで、ついに『人件費をのぞく5万円以上の経常経費支出(事務所費、光熱水費、備品消耗品費)』に領収書のコピー添付を義務付ける方針を固めたというから、国民の疑惑に応えるなんて気持ちは一片もなさそうだ。
 それでも党内の領収書添付などを義務づけられたら、誤魔化すのに手間隙がかかると考える輩が多いらしく『政治活動の自由確保』という理由で反対の声が強いという。
 どうも自民党の国会議員たちの仕事は、首相のいうことに『はい』と従うことで数合わせし議案を国会で通過させることと、飲んでもいない高額の水を毎日飲んでいるように見せかけて事務所経費を誤魔化し私腹を肥やすことだけらしい。
 なるほどこれでは、著名度があるタレントでも二世でも務まるはずである。国民もこのあたり少しは賢くならなければないのだろうが、戦後の教育システムと巧妙なマスコミ操作で『公』という概念をすっかり忘れさせられて、『公的なモラル』より『私的な享楽』を求める姿勢刷り込まれてしまっては、タレントに票を入れることが当然になってしまったから困ったものだ。
 話を基に戻すが、この問題の突端は松岡というインチキ大臣の疑惑であるが、去年あたりから地方自治体の議員の政治活動のための資金の使途に疑惑が持ち上がり、多くの地方議会が『領収書添付』の方針、国民が少しはこの問題に目を向けるようになったからだろう。
 確か、去年のことだと記憶しているが、目黒区の宗教政党の議員たちが沖縄の知事選挙の応援に駆けつけたらしく、そのため政治活動という名目で『沖縄県のタクシ-』の領収書を添付したことが明らかになり、この議員たちは全員雲隠れ・・・という前代未聞の事件が起きた。
 また、品川区の自民党議員はポルノ雑誌やエロビデオを購入した領収書を添付していたことがバレて顰蹙をかったというが、この連中は政治なんてことはすべて自分の都合で誤魔化すことだとしか認識がないようだ。
 先日の地方議会の選挙で、この連中は当選したのだろうか。もし当選していたとしたら目黒区や品川区、あるいはこれに類する誤魔化しをやっていて明らかになった議員たちの地盤である地域住民には、松岡某を批判する資格もないことになるのではないだろうか。
 この夏の参議院選挙では、このあたりをよく調べて候補者に一票を投じたいと思うが、民主党も議員や二世ばかり集める体たらくではあまり期待できそうもない。
 それにしても、『プライバシー保護』などと理由にもならない理由で領収書添付に頑強に反対していた東京都知事を父親に持つ幹事長代理先生も、先日の参院2補選で、無党派層に対する与党候補の浸透不足が深刻であると説得されて首を立てに振ったらしい。
 恐らく、そっと『領収書添付なんて、どうでも誤魔化しできますよ。何でしたら白紙の領収書を発行する会社をつくりますよ・・・』なんてささやかれたのではないだろうか。
 夏の参議院選挙が終わったら、この問題もすっかり忘れ去られることは確実。たった一つの方法は(民主党が政権を握ったからと言って代わりばえはしないだろうが)、とりあえず自民と宗教政党の現政権とは違う政権に変えることだろう。
 でも、難しいかな・・・・。(田舎親父)

2007年4月29日 (日)

火遊びを止めさせる前に・・・

 一昨日、東京の繁華街の店舗兼マンションの一階から出荷するという火事があった。この店舗は日用品量販店で、出火場所は連休を当て込んで仕入れて並べていた『花火』売り場だったとのこと。
 情報によれば『小学校低学年』の児童が、その場を去った直後に出火したというから、この児童がいたずら半分に、近くにあったライタ-で花火に日をつけたことは容易に想像ができる。実際に、子どもがライタ-で遊んでいる姿を目撃、店員が注意していたというから、ほぼこの想像は間違いなさそうだ。
 またまた『子どもの火遊び』をなんとしてでも禁止しなければならないと大騒ぎになることは明らかだろうが、言葉で『火遊び禁止』と言っても、『火遊び』をしたことのない子どもにとってどれぐらい効果があるか疑問であることは確か・・・。
 私の年代であれば、落ち葉の季節になると登下校の道端で『たき火』が日常的な風景であった。そのたき火を囲んで『火遊び』も当然の成り行き。棒のさきに日をつけて遊ぶことも日常茶飯事であったが、行き過ぎた遊びになると、たき火の番人のおじさんやおばさんからこっぴどく怒鳴られたものである。
 こんな日常体験から『火遊び』は楽しいものであるが、危険だということも同時に知ったのだ。しかし、たき火が私たちの生活の中から消えてしまった。火をつけるにも『マッチ』を使っていた時には、マッチをすってそのさきに火をおきる瞬間に知らずしらず『敬虔な気持ち』になったものであるが、現代の子どもたちにとっては火をおこすという経験が全くない。
 当然、火が恐ろしいということなど、言葉の上でしか理解できないものとなり、目の前に火をおこせる安易な道具である『ライタ-』があれば、触って見たくなるのは当たり前だろう。
 売り物である『ライタ-』をいたずらしている子どもたちを見た店員が、本当に『火の恐ろしさ』を知って注意したのであれば、子どもにもその気持ちが何らかの形で伝わっただろうが、多分店員はそこまでの配慮はなかっただろう。恐らく『危ないから触っちゃだめ』と怒鳴ったに違いない。
 叱られるとますますやりたくなるのはいつの時代でも子どもの心理。言葉では『危ない』ことを理解できても、その子にとってはワンタッチで火が起こるライタ-は最高の興味の対象。花火の面白かった場面が目に浮かびこすってみたというところか・・・。
 子どもにとって、それほど大量の花火が積まれているなんて考えられないはず。ちょっと楽しむつもりで一本の花火に火をつけたところ、瞬間的に火が回ったのでびっくりして逃げ出したという筋書では・・・。
 行きずりの子どもがこんな店で遊ぶとは思えないからこの子どもはいわば店の常連、多分間もなく補導されるだろう。子どもを一人でそんな場に行かせた親の無責任さは当然責められなければならないが、花火を無造作に積んでいた『量販店』の責任が最も大きいのではないだろうか。
 このマンションは地上14階、その一階部分が日常品の量販店が入っていたというが、この形態は都会ではよく見かける。マンションの住民はまさか階下の店に大量の火薬(花火)が積まれていたとは思いも寄らなかったに違いない。
 幸いに死者がなかったらしいが、物的損害は莫大。被害者たちは賠償・賠償と大騒ぎするだろうが、今回の火事は、都市の防災を考える上では大変貴重な出来事。量販店は自分の責任を認めるとしても、住民に対しては『貴重な体験費』として、行政はある程度考えるぐらいの度量が必要ではないだろうか。
 子どもの親の責任は当然果たさなければならないだろうが、なにより大事なことは、『火の起こし方』も知らない、現在のあまりにもひどいリアル体験の少なさを見直すこととではないだろうか。
 金儲け優先の考え方を改めて、程々の生活を求める姿勢が必要では・・・。(田舎親父)

2007年4月28日 (土)

食料を快適を得るために売り渡してはならない

 二酸化炭素の排出量を押さえられるということで、ここ数年、毎日のようにバイオエタノ-ルの話題が世界各地から伝えられている。
 先頭を切って走っているのが、驚くほどの経済成長を見せているブラジルで、政府が先頭にたって、地球環境に優しい上に経済的にも大きなメリットがあるということで多いに奨励し、大量のサトウキビを生産、それを原料にエタノ-ルを作っているという。

 先日もテレビの特集で、ブラジルのバイオメタノ-ルの話題を取り上げていたが、アマゾンの熱帯雨林を伐採してサトウキビを作る面積を飛躍的に増やしており、年間(月間だったかもしれない)に四国の面積以上の熱帯雨林が消失しているというから、環境に優しいというのは『金儲け主義者』のたわごとだということは明らか。
 バイオエタノールは原料となる植物が生育過程で大気中の二酸化炭素を吸収することから、地球温暖化の防止に役立つというが、アマゾンの深い原生林が吸収する二酸化炭素の料に比べたら比較にならないだろう。
 その森林をどんどん伐採してまでサトウキビ畑を作っているのは、例えサトウキビが二酸化炭素を吸収、バイオエタノ-ルをガソリンに混ぜることによってもたらされる二酸化炭素の排出量を少し押さえられるとしても、これは一時しのぎの政策で、気がついていたら国土が砂漠化している・・・。笑えない笑い話である。
 こんなことは浅学の私でさえ気がつくことだが、世界の科学者たちは、そしてブラジルはじめ関係各国の政治家たちは本当にこんなことが正しいと信じているのだろうか。
 豊かな国を標榜し石油の消費が最も多いアメリカは、世界の二酸化炭素の排出量を規制する動きに反対して石油の消費を続けているが、自国の石油はなるべく温存したいというエゴがこの国の政策。
 中東からの輸入が今まで通りとはいかなくなったのだろうが、ブッシュ大統領の肝入りでバイオエタノ-ル政策が俄に注目されるようになりその生産が増加し続けているらしい。
 アメリカはサトウキビではなくトウモロコシと大豆からエタノ-ルを作るシステム、当然家畜の飼料(人間の食料)になるこれらの作物の価格は高騰するのは経済の自然の理屈、間違いなく人々の生活に直接響いてくることは、これまた浅学の私でもわかること。
 トウモロコシや大豆は『遺伝子組み換え』という難題を持っているが、エタノ-ルを得るための原料にするならば収穫量さえ上がれば良いということで、遺伝子組み替えなど序の口、どんな肥料や農薬を使っても問題にならない。
 こんなとうモロコシや大豆を食べなければならない国民は悲劇であるが、アメリカに穀物を頼っている我が国はさらに不幸・・・。
 安全な食料の確保を第一次に考えなければならない農水省は、このあたりを考えてアメリカに苦言を呈さなければならないはずなのに、金儲け主義の権化が大臣をしているのだからそれは無理。『環境に優しい』という言葉を利用して環境省と一緒にバイオエタノ-ルを積極的な導入を目指しているというから困ったものである。
 アメリカがくしゃみをすれば風邪をひくと言われる我が国のこと、農村ではチャンス到来とばかり、休耕地を利用してトオモロコシの生産を増やせとか、転換作物として大豆をつくれとやかましいようだ。そして実際にその動きは農村を襲っている。
 このブ-ムの到来は予想以上に速く、バイオエタノールを混ぜた『バイオガソリン』の試験販売が昨日27日、首都圏50カ所のガソリンスタンドで始まったというニュ-スが報じられた。関係者は、3年後には全国で販売できる体制をつくると息巻いているらしい。
 今回、販売されるのはバイオエタノールを数%混合させたバイオガソリンと呼ばれるもので、実際には1リットルあたり10円程度のコスト高なのだが、販売価格はレギュラ-ガソリンと同じにして、増額分は国と石油業界が折半で負担するという。
 恐らく『環境に優しい』ことが大好きな国民のこと、このバイオガソリンはブ-ムになる要素を持っているが、ただでも少ない食料である穀物を、快適さと便利さを追求する手段として消費するのは自然と人間の生きる摂理に反していると思うのだが・・・。(田舎親父)

2007年4月27日 (金)

困った大将の話をふたつ・・・

 組織の困った『大将』の話を二つ。
 その一。先日起きた三重県中部を震源とした強い地震で、震度5弱を記録した伊賀市の今岡という市長がその日に災害対策本部が設置されたにもかかわらず、近隣の自治体で親睦のためと称したゴルフ大会にプレ-を続け、終日登庁しなかったというから、この市長は自分の立場をまったく理解していないらしい。
 取材を受けた際、この市長は自分が災害対策本部長だということを忘れていたようで、ゴルフ大会は交流を深める定例イベントで、『半公務』のようなものだとのたまったというから呆れてしまう。
 その場をごまかすために『今考えると軽率だった。伊賀市の幹部職員が1人抜け、さらに自分が抜けると、近隣の自治体の人たちに迷惑がかかると思った』と言っているとのことだが今更どう弁解しようとも無駄だろう。
 このゴルフ大会には、伊賀氏の市会議員も多数参加していたというから、伊賀市の行政は、住民のことなどより自分たちの娯楽の方が大事という風潮があるようだ。
 幸い被害は軽微だったからよかったが、つい最近起こった能登沖地震を考えれば、日本全国どこで大地震が起こってもおかしくない現状。行政のトップはいつもそれなりの意識を持っていなければいけないのは常識だと思うのだが・・・。
 そのために立候補し土下座まがいのお願いを繰り返して『市長』に当選させてもらったはずなのに、この国の議員と称する輩は一人の例外もなく(ごく一部の人をのぞいて)『当選確実』一報が入り、『万歳・万歳・・・』と大騒ぎをした瞬間に全てを忘れてしまうらしい。
 当選したらこちらのもの。うまく2期8年威張っていれば、1億円の退職金が懐に入るのだから土下座などなんのその。こんな輩が多いのだから、この国のモラルが低下するのは仕方ないのかも・・・。
 その二。アメリカ産牛肉の輸入問題で、農水省のトップの松岡とかいう大臣がわざわざアメリカに出かけて『米食肉処理施設の査察』ということで、実質的な輸入解禁に踏み切ったという。
 アメリカの食肉処理施設を査察することを条件に、現在行っている(ほんとに行っているのか疑問だが)港などでの全箱検査を終了し、生後20カ月以下に限るとした現在の輸入条件を撤回するというが、裏で牛丼産業を代表する『金さえ儲かれば何でもするぞ』という経営者のニヤついている顔が見え隠れしている。
 この松岡という農水省の大臣は、この時代水道水など飲む人がいない公言し、自分の健康のためには普段から一本数千円もする『特別製の水』を飲んでいると帳簿をごまかして報告しているらしいから、口にするのは絶対安全な高級国産霜降りの牛肉だろうことは想像に難くない。だったらアメリカ産の牛肉のどこが危ないのさえ理解できない・・・?。
 アメリカの消費者組合の声明をネットで知ったが、それには『日本の全箱検査という姿勢こそ国民の健康を守る手段』とある。アメリカ人でさえ自国の牛肉が危険だということを認識しているのである。
 金儲けが最優先される現在の風潮、自分の懐を潤すならば何でもありという松岡という農水省の大臣はアメリカの食肉業者からよほど美味しい話をささやかれたようだ。
 伊賀市の市長や農水省の大臣、こんな輩を大将としているのだから、世の中よくなるはずがないと悲嘆にくれているのは私だけなのだろうか・・・。(田舎親父)

2007年4月26日 (木)

どっちもどっちの文科と京都

 またまた文部科学省が『ネット活用などパソコンを使って教科指導できる教員』の実態を調べる、馬鹿馬鹿しい調査を行ったらしい。
 こんななんの意味もない(実態からかけ離れた)調査をすること自体は文部科学省のお家芸で仕方ないが、こんな馬鹿な調査に対して、何とか受けをよくしたいと思ったのか、調査の目的の先取りをした京都の教育委員会は『100%を達成した前年実績を踏まえて回答するよう指示する文書を教員に配っていた』ということが明らかになったというから、京都の教育関係者はよほど文部科学省に気に入られたいらしい。
 『教員の情報コミュニケーション技術活用指導力等の状況』と称するこの調査は文部科学省が全国の公立小中高校などを対象に今年3月現在で調べたという。国は10年度までに全教員が情報技術を活用して指導できることを目指しており、調査はその一環だとのことであるが、この役所の連中は、単にアンケ-トだけでその教員の情報技術などを判断できると考えていることに驚くしかない。
 記事によると、このアンケ-ト調査は小学校と中学高校向けの2種類で『資料集めにインターネットなどを活用する』『生徒がインターネットなどを安全に使えるよう指導する』など18問、その質問に答える形式で『(1)ほとんどできない』から『(4)わりにできる』までの4段階が用意されているとのことである。
 96年度から同種の調査をしているというが、情報教育の担当校長だった私はこんな調査を見たことがないので、少なくとも数年前までは、行われていたとしてもごく一部の学校が対象だったのではないだろうか。
 去年までは今年のような四択ではなく、『できる・できない』の二択形式の一昨年の調査で、京都市は政令指定市で唯一100%を達成していたというから笑ってしまう。
 新聞社が入手した京都市教委の『内部資料』によると、各教員に配った調査の注意事項で『昨年(05年)度、コンピュータ等を使って教科指導等ができる教員100%を 達成しています。そのことを考慮いただいたうえで、各設問にお答えください』と指示しているというから、校長職にはあらかじめ『できる』と答えさせろという命令。こんな調査は時間と金の無駄遣い以外に何者でもない。
 それでも、反発している校長がいたのか、それとも校長自身が全くコンピュ-タに興味がなかったのか、集計後の3月下旬には、18問の平均が『(2)あまりできない』未満だった教員のいると回答を出した学校があったようだから、ある意味市教委の意図する命令系統が順調に機能していなかったようだ。
 そのような学校に対しては、もう一度『内部資料を読み直せ』という意図での『入力内容の確認』文書を送り、再回答を求めたという。このあたりのから(あまりにも馬鹿馬鹿しい調査に憤慨した誰かが)新聞社に情報を流したのではないだろうか。
 記事を面白おかしくする手法だろうが、正直に『あまりできない』と答えた男性教諭は、教頭から「訂正できないか」と言われ、 誤入力扱いにして回答を書き直し、別の40代の小学校男性教諭は『実態はともかく、(できる)と答えなければならない雰囲気で違和感を覚えた』と話すと記事にある。
 この記事に対して、文科省の担当者は『各教員に特定の配慮を求めるなんて聞いたことがない。京都市教委の指示の趣旨がよくわからない』と言い、市教委側は『文科省の趣旨に沿ったアンケート結果を求めるためには必要な指示だった。違和感があるかどうかは個人の受け止め方の問題だ』と説明しているらしいが、まさに猿芝居そのもの・・・。
 教員や専門家からは『実態をゆがめる恐れがある』と、市教委の対応を疑問視する声が出ているらしいが、恐れがあるどころか、まさに実態をゆがめているのは明らか。
 こんなアホな連中が教育委員かを牛耳っている京都の教育。『統計や報告』は当てにならないと考えても差し支えなさそう。これではまじめに教育に情熱を捧げる先生たちが気の毒としか表現のしようがない。(田舎親父)

2007年4月25日 (水)

『情』を選択しなかった市民の良識だが・・・

 今どき信じられない話だが、長崎市の市長が拳銃で撃たれ死亡というニュ-スは全国を震撼させた。
 犯人は暴力団の組員で、長崎市の行政組織にいろいろと無理難題を吹きかけて、対応が悪いと逆恨みの結果の犯行だというが、背後には何かドロドロとしたものが潜んでいるような気がしてならない。
 城尾という男が犯行に及ぶ前に、テレビ局に『犯行予告』と思われるような手紙などを送りつけていたようだが、何故か警察や市当局には通報せず事件が起こった後で発表するなど首を傾げたくなるような対応が気になる。
 テレビ局のニュ-ス番組キャスタ-は、届いたのは犯行後だったと苦しい言い訳をしているが、特種を狙ったマスコミのエゴだったのではないだろうか。すぐに警察に通報していれば、ひょっとして身辺護衛に力を入れていたかもしれない。場合によったら犯行を防げたかもしれないと思うと、何かやりきれない思いが残る。
 折しも長崎市は市長選挙の真っ最中、大本命の現市長が凶弾に倒れるという前代未聞の大事件は、当選は確実とのんびり構えていた自民党政権にとって、立候補している後の候補者が無所属と共産党の推薦を受けているのでこのままでは大変なことになると大慌て。
 こともあろうに防衛庁長官(大臣だった・・・)が起こるとすぐさま『非常に容体を気にしている』としながら『万一のことを考えると、今の法律の欠陥が如実に出る。本人が亡くなった場合は、補充 の立候補届出はいつでもできるよう法律は手当てすべきだ』との発言は、市長の命より自分たちの権力の維持が大切と捉えられても仕方ない。
 こんな場合は遺族の誰かが立候補するのが今までの筋書き。その筋書き通り『娘婿』という新聞記者が立候補声明。『やっぱり』である。これでこの候補者の当選は間違いないと思っていたら、締め切りのわずか1時間前に市の現職の課長も立候補の届け出を出したとのこと予想もできない展開になったようだ。
 当選後の談話では市長の娘婿が後継として出馬したことに『市長は世襲制ではない。肉親の情は分かるが、自治の担い手は別問題。リーダーは市民が選ぶべきだ』という思いが強く『世襲に危機感を感じたのが出馬の動機の一つ』とも語っていたことは納得できる。
 これでは既成の政党は応援したくてもできなくなり静観するしかない。自民党の幹部たちは勝った方に乗っかれば良いと一安心。例の長官などは『これで共産党候補の当選がなくなった』と大喜びしたのではないだろうか。
 『情』か『経験』どちらを選ぶか注目されていたが、市民は突然現れたでん物よりも身近で市政を担当していた課長を選択。これは長崎市民の良識と拍手を送りたいが、投票率が55%とはいただけない。もう少し危機感を持ってほしいものである。
 もっとも、あれほど騒がれていた都知事の選挙率も同じようなもの。私の住む横浜市などではもっと低いのだから悲しくなってしまう。どうやらこの国の民衆は、歴代政権の巧みな工作とマスコミの操作によって徹底的に『みざる・きかざる・いわざる』の三猿のようにされてしまったようだ。
 長崎市では前市長が90年市役所前で右翼団体幹部に銃撃され重傷を負うという事件があった。二代続けて市長が撃たれるという自体は異常も異常。全国に長崎は恐ろしい町で背後に暴力を容認する風潮があるのでは、という印象を与えてしまった。
 新市長の役割は、この悪印象を取り除き、真に平和を愛する市民が安心して生活できる街づくりが第一の課題になる。新市長の手腕を期待してやまない。(田舎親父)

2007年4月24日 (火)

犬山市の態度に大拍手・・・

 ちょっと古くなるが、頭脳休暇前にあった話題の一つに、今年から実施を決めた全国一斉学力テストに反対して京田辺市の小学生(保護者)9人が『テスト差し止め』を求めて仮処分を京都地裁に申し立てたというニュ-スがある。
 申し立て理由の『民間企業が関与し生活や学習状況についての調査が行われるのはプライバシー権などを侵害』とある。プライバシ-権云々はともかく、わざわざ民間の企業にテストを委託する理由が見当たらないことは確かである。
 現在はテストというとその点数だけを問題にして、点数だけで能力の優劣を決めつけている傾向があるが、本来テストの大きな意味の一つには、この子はどこでどんな勘違いをしているのかを見極めることである。その意味で、古くは教師が問題を作り、そのテストを真剣に採点することによって、指導に役立てのことが当たり前だったはず。
 現在の学校ではもう『化石化』している話なのかもしれないが、単に○か×だけでなく、△なんて印がみられたものも、考え方はあっているのに計算が違っているなどという子どもに、意欲を高めさせるための有効な手段として、教員の裁量で可能だったのである。
 私は学力テスト自体が無駄なことだと思っているが、今回の全国一斉の学力テストについては、本来子どもの持つ能力はそれぞれ異質なものであって、簡単にははかりきれないはずなのに、考え方の過程など全く無視した結果だけの○×で採点し、それを学力と称するやり方、こんな子どもたちを馬鹿にしたことが許されて良いわけはないと憤慨している。
 しかも、学校で行いながらすべて処理は大手の塾企業に任せるという。どんな方法で行うかは知らないが、採点をすべてコンピュ-タで採点するだろうことは想像に難くない。当然、処理に簡単な方法がとられることは間違いない。
 いかに凄い機能を持つコンピュ-タといえど、いい加減な書き方の数字は認識できたとしても、子どもの書く文章や本人の思い込みで間違った漢字を使ったなどを正しく認識するとは思えない。となると、問題に対していくつかの答えを示しておいて、その中から正しいと思われる番号(記号)を選ぶ、いわゆる『択一』という手法が多くの問題に取り入れられるのではないだろうか。
 択一式をすべて否定するわけではないが、この方式だと、全く理解できていない子どもが(単に当てもの的な発想で)すべて一番上の答えを選択したとしても、ある程度の能力があると判定される。場合によっては、真剣に考えて答えを選んだ子ども以上の点数が上がることも、数字的には否定できない。
 今回の『学力テスト』の実施は保護者の6割強が賛成しているという。また教育関係者の間には『全国的な位置を知ることは教育改善につながる』『成績の良い学校の取り組みは、他校の参考にもなる』などという声があるというが、本当にこんな○×のテストで子どもの『学力?』が計れると思っているのだろうか。何でも横一線の考え方が悲しくなる。
 また結果は教育委員会や学校そして保護者には通知し、教育的配慮からマスコミ発表はしないというが、その日のうちに嗅ぎつけて面白おかしく脚色するのはマスコミのお家芸すぐに『あの学校は・・・』という噂が流れることは間違いない。
 すると、またまた過激な点数だけの『学力?争い』が勃発し、ますます子どもたちを取り巻く環境ががんじがらめになってしまうことは明らか。困ったものである。
 話を戻すが、保護者や弁護団が言い分は『調査自体に反対ではないが、市教委も学校も一切説明せず、質問にもまともに応じない』というらしいが、これでは『俺たちの言い分を聞いてくれないから、法的手段に訴えた』ということ、親のエゴそのもので、私の考えとは大分かけ離れている。
 その点『学力は全国一律のテストで評価できない』として不参加を表明愛知県の犬山市の態度に大拍手・・・。(田舎親父)

2007年4月23日 (月)

大阪市役所には同和という魔物が・・・

  大阪市役所という役所は実にまか不思議な行政組織である。
 約4万5000人職員がいるらしい。人数も凄い数だが、驚くことにその中の400人以上が学歴が大卒や短大卒なのに『高校卒』と偽り、 受験資格が高卒以下に限定されている職種で採用されていたというから、これは単に偶然だとは思えない。
 尼崎だったか神戸だったか、同じように大学卒業なのに高校卒業として就職していた学校職員を『学歴詐称』ということで『諭旨免職』にした事件があった。
 そのことで私は、選挙で候補者がハクを付けるために高校卒の学歴を、大学卒業やあるいは中退、場合によっては海外の大学に留学経験などは記載する『学歴詐称』とば質が違うのではと述べたが、今回のここまで大量の『学歴詐称?』があるとなると、これは裏で誰かが蠢いているのではと考えざるを得なくなってしまう。
 市によると、これまでに、ごみ処理業務で約3000人のうち約200人、学校の給食調理員や管理作業員で約2300人のうち100人以上、公園管理や下水処理などの担当職員にも虚偽申告が判明しているという。
 今回問題になった職員は『どうしても公務員になりたかった』などと話しているというが、中学・高校卒の学歴で公務員になりたいと思っている人はもっといるはず、このような人を差し置いて『学歴詐称?』の人物が採用されているのは、誰が考えてもおかしな話で裏には『同和政策』の影が見え隠れしている。
 歴史的に長い間差別されていた人々を救済するという意味での『同和対策事業』に反対するわけではないが『同和対策』というと何でも『同和の関係者のいうことを丸飲み』することのような傾向があるのが、以前から気になっていた。
 以前顔見知りの小学校の教頭職が、運動会だったか学校行事の反省会で、差別用語を発したことが『部落何とか・・・』という組織に関係していた教員が、幹部に話したことから『何とか査問会』に呼ばれて徹底的に糾弾されたという事件を知っている。
 酒の席でついつい口が滑ったのだろうが、仲間うちの会合での話が同和組織にまで漏れるなどは考えなかったようだ。この教頭は退職に追い込まれたそうだが、改めて思うと果たして退職しなければならないほどの失言があったのだろうかと思ってしまう。
 時は『部落何とか・・・』という組織の力はものすごく、東京都の教育委員会サイドもその圧力に屈していたことを考えると、より同和組織の力が強い大阪市の行政の内部では、これ以上のことが日常茶飯事的に行われていたのではないだろうか。
 そして、市職員の採用に際しても同和組織の言い分を丸飲み、人事担当管理職も学歴の問題も知っていて知らぬふりをして採用していたのではないだろうか。そうでない限りこのような大量の『学歴詐称?』者が出るわけがない。
 神戸や尼崎では学歴詐称者?を諭旨退職という厳しい処分にしたことで、問題が大きくなり大阪市でも調べざるをえなくなり、結局は大量の学歴詐称?者の採用が明らかになったらしい。
 大阪市ではこうした職員が業務を支障なくこなしているうえ『これだけで 安定した生活を奪うのは厳しすぎる』として停職1か月の懲戒処分にとどめる方針というから、まさに『片手落ち(この言葉が差別用語だと言われているが、私はここまで神経質に差別用語そのものを拡大解釈する必要はないと思っているので使うことにするが)』。まるで神戸や尼崎の対象者が日頃の勤務態度が悪かったからだという印象を残してしまう。
 大阪市の対応は致し方ない部分もあるだろうが、『同和政策』はよほどしっかりした方針で、しかも幹部たちの考え方が絶対にぶれない一枚岩となった姿勢で望まなければ、本質的な解決は難しいのでは・・・。(田舎親父)

2007年4月22日 (日)

売国行為が政治屋の仕事とは・・・

頭脳休息のためしばらくさぼっていた。

少し古くなるが、先週の日曜日の朝刊に『グリーンピア南紀、再生頓挫 業者は構想示し放置』という五段抜きの大見出しが目についた。

 グリ-ピアといえば、『国民の保養のため』という大義名分を立てて、天下りした輩が巨額の年金資金を我が物顔で勝手に流用・投入して作った大型保養施設であることは数年前に話題になったが、その後忘れられている。

『グリ-ピア南紀』は、小泉改革(改革という名でただ同然)で払い下げられた全国13ケ所の一つだったと記憶している。

どういう経緯でこの跡地(利権)が中国の企業にわたったのかはよく分からないが、記事によると、中国企業を紹介したのが小泉内閣の閣僚、地元選出の当時経済産業大臣だったというから、裏ではまたまた金絡みのドロドロした田舎芝居が展開されたに違いない。

新聞報道によると『クリ-ピア南紀』は、公的年金を122億円つぎ込んで建てられたとあるが、実際にはもっと巨額の金額がつぎ込まれたはず・・・。

そのリゾ-ト施設が放漫経営がたたったらしく赤字が累積して03年に閉鎖、跡地を所有する地元の自治体は再建の道を探っていたという。どれぐらいの計画案が出たのかはわからないが、このときに二階とか三階とかいう政治屋が『俺に任せろ』としゃしゃり出て友人だという蒋某という中国人に再建を委託するようにもっていったらしい。

この男が提出した再建事業計画案では、跡地に総事業費57億円で『健康と癒やしの里』なる施設をつくる壮大な構想で、06年には温泉を掘削してホテルをリニューアルオープン、今年のはじめから『超高級宿泊施設』10棟の建設を始め、開業3年で200人の雇用を生み出す、としていたという。

しかし実際には計画だけで何一つ実行されていないという。地元の関係者が蒋某かに問い合わせたら『この規模では採算が見込めない』との返事。朝日新聞の取材にも同じような返事だというから、これははじめからホテルなど建てる意志がなかったと判断して差し支えないだろう。

蒋某と勝浦町とが、地元出身の二階とかいう政治屋立ち会いのもとで取り交わした契約は、2015年にはこの跡地を無償で業者に譲渡されるという異例の内容。これは明らかに最初から跡地をこの中国人に『差し上げますよ』と言っていると同じである。

こんな『売国的行為』と言ってもよい馬鹿な話があるとは考えられない。日本の庶民が汗を流して働き老後のために蓄えた資金を、ただで中国人にやってしまうなど誰が信じるだろうか。

ところがどうやらこの話は本当らし。当時から批判する町会議員もいたらしいが、この町の行政は、二階という大物政治屋に牛耳られているらしく、町長が『蒋さんという方は、二階先生のお友達。香港では大物の実業家だから心配ない』とでも言って、町民を騙したようだ。

とんでもない話ではあるが、同じようなことは全国の自治体で起こっているのではないだろうか。利権や金を懐にするのは、ある意味政治のイヤらしい部分。議員という肩書を持っている連中は、時には関係しなければならないこともあるだろうが、外国に資本を与えることに私腹を肥やすだけは許せない。

先日の『笑点』という番組で、無責任な者という題に応えて『賄賂を貰う政治家』と誰かが言っていた。なるほど・・・。さらに、もっと無責任な者はと返されると『その輩に一票を投じる国民』と答えていたが、言い得て妙である。

今日の地方の統一選挙後半の投票の結果が楽しみ・・・。でも、なにも変わらないような気もする。(田舎親父)

2007年4月15日 (日)

いつか来た道を忘れたくないのだが・・・

13日の金曜日とくれば、キリスト教の世界では不吉の日として知られている。

その日に(わざわざ合わせて?)この国の将来を左右する『国民投票法案』が衆議院本会議で可決されたが、この成立までの過程を考えると、安倍お坊っちゃま首相と取り巻きたちは、よほど現行憲法、特に憲法第9条の『戦争の放棄』という文面が気に入らないらしい。

『国民投票』という言葉の持つ響きは心地よいものがある。この心地よい響きは、『国民投票』というシステムは、重要な国策は主権者である国民が一人一人の意志でイエス・ノ-を決められるというイメ-ジを持っているからだろうが、それがすべて幻想であることは、過去を振り返ればわかること。

私も以前は、何故こんな重要法案を与野党の駆け引きだけで決めてしまうことに危惧を持ち、ぜひ『国民投票』を実施して国民一人一人に聞くべきだと思っていた。

しかし、自分たちの代表を選ぶ選挙にさえ、半数の人間が行かない現実で『国民投票』を行い、その過半数で国策を決めるというやり方は、一部の人間に国の進むべき道を託してしまいかねない危険性があるとの考えを強くしている。

典型的な例が、前回の衆議院選挙での『郵政民営化』の是非を問われた問題である。当時、どうしてもこの法案を通さなければならなかった事情が首相サイドにあったらしく、このままでは参議院を通過できないと考えた小泉内閣は、衆議院を解散し『郵政民営化』のみを問う形で選挙を行った。

国民に『郵政民営化』の是非を問うだけの衆議院選挙は、これこそまさに『国民投票』ではなかっただろうか。

しかもその時彼のとった方法は、与党の議員でも『郵政民営化』に反対するものは除名という独裁者的な決断で自民党を追い、しかも選挙区には話題性のある?タレント的な人物を探し出して、いわゆる『刺客』として対立候補に擁立した。(ホリエモンもその一人だったことも忘れている人が多いようだが)

この手法が、強いものが大好きな国民感情を高揚させて、圧倒的な勝利をもたらしたことを忘れてはならない。しかも彼は、この『郵政民営化を問う国民投票』に勝利すると、さっさと政界の表舞台から姿を消してしまった。

このことがまたまた、潔いと国民に大受けして、『問題を分かりやすく提示し、それを判断させてくれる』ことが政治には必要という考え方を植えつけてしまったらしい。しかも、彼に再度首相になってほしいという声が大きいというから凄い手法である。

先日の都知事選挙でも同じこと、民主党の情けなさから勝てる候補者を擁立できなかったことが大きいことは否定しないが、あれほど問題発言と公私混同とも思える強引なやり方を批判していた都民が、彼の持つ強さに憧れたこととオリンピック誘致の是非に対して『夢を持とう』という甘い言葉に惹かれたからではなかっただろうか。

『郵政民営化という国民投票』で、自民党と宗教政党にこの国の未来を託してしまった結果が、今回の憲法第9条を『戦争の放棄』を変えるためだけの『国民投票』につながってしまったといえるのではないだろうか。

憲法は第96条で、衆議院と参議院の総議員の3分の2以上の賛成で改正案を発議し、国会で可決されたその改正案を国民投票にかけて過半数の賛成を得ることによって憲法を改定できるとある。

人間か作ったものであるから、日本国憲法が絶対的でかつ永久に改定する必要がないとは思わないが、憲法第9条を変えるという案件に対して、投票した人の過半数を国民の総意とするのは危険である。

マスコミによって徹底的に便利で快適な生活が『是』で、刹那的な快楽を求める生き方に慣らされてしまった現在、『国民投票』などどうでもよいこと、投票なんて面倒だと思う人が多いはず、投票率が50%もおぼつかない・・。

せめて最低投票率ぐらい決めておかないと、国民の20%程度の賛成で憲法9条が変わってしまうことにもなりかねない。もっとも、そのあたりは自民党と宗教性との幹部たちは折り込み済み、対応策はとっているだろうが・・・。

ともあれ、間違いなく『もと来た道』に迷い込む要素が一つ増えたことだけは事実。それを阻止できる方法はたった一つ。今度の参議院選挙で与野党逆転しかないのだが、今の民主党のやり方では無理のようだ。(田舎親父)

2007年4月14日 (土)

学校がサラ金?・・・ 

学校給食費滞納問題で、悪質な滞納者に対して法的な手段をとることで話題を集めた宇都宮市教育委員会が、今年度から新たに市立小中学校93校に通う児童・生徒の保護者全員に『給食費納入確約書』の提出を求めることを決め、書類の配布を始めたというニュ-スに驚いた。

市教育委員会としては、このまま滞納し卒業させてしまえば、結果的に『子どもに食い逃げ』を許してしまう、それは面子にかかわるという気持ちはわからないでもないが、もう少し方法があるのではないかと、考えさせられる。

しかも、支払いが滞った場合に備えて連帯保証人も求め、捺印までさせるというから、まさにサラ金と同じシステム。圧倒的多数の良心的な保護者にとっては、一握りの不心得者がいるために、自分たちまで疑われる始末。これでは『きちんと払っているのに保証人まで必要なのか』などとの苦情も当たり前だろう。

宇都宮市では昨年の月以降は、悪質な滞納者に対して簡裁への支払い督促の申し立てなどを行った結果、滞納者はかなり減少したというが、それでも500人ほど金額にして2500万円ほどあるという。

これは凄い数字である。中には生活苦からどうしても支払えない人がいるかもしれないが、ほとんどが『義務教育なのだから』とか『頼んだわけではない』など自分勝手な理由を付けて抵抗している輩たちだろう。

何度も言っていることであるが、子どもに食事与えるのは親としての最低の義務。学校給食の是非は別にして、少なくとも昼は学校で食べさせてもらっているのだから、その対価を支払うのは人の道として当然だと思うが、その道理すらわきまえない一部の親たちにとっては、『給食費納入確約書』など何の役にもたたないのではないだろうか。

この『確約書』を全員から集めるのも大変だろう。この役割はまたまた学校に押しつけることは間違いなさそう。またまたこのご時世では『お前の親はまだ出していないから早く出せ』なんて言えない担任は気の重い仕事が増え、ストレスは増える一方・・・。

さらに、教育委員会は市立小中学校全80校の校長らを集めて『給食費滞納』のためだけに対策会議を開き、各校に滞納対策本部を設置するよう要請したというから、宇都宮では給食費の取り立てが教育委員会の最重要課題になっている感じすらしてくる。

さらにさらに、この対策本部は滞納者がいない学校でも設置が必須で、しかも校長を本部長、副校長を副本部長とし、月1回程度『会議を開いて現状を把握する』ように求めているというから恐ろしい話である。

現在の校長には、教育委員会に面と向かってもの申す強者はまずいないだろうから、お達し通り『給食費の集金』が重要な校務と位置づけられ、この『対策本部』が立ち上げられるのは間違いない。校長の嘆き顔が目に浮かぶ。

それでも要領のよい校長ならば、適当な報告で済ませてしまい、教員に負担がかからないようにするかもしれないが、これはごく少数。間違いなく多くの学校では、学習の進め方や子どもの指導など、本来の教育とは全くかかわりのない『金の取り立て』を能率的かつ効率的に行うかを話し合う・・・。しかもそれが、最重要会議?となることは間違いなさそう。

どうやら宇都宮市の学校はサラ金と同じレベルに成り果てたようだ。

給食費の滞納問題は全国の教育委員会が頭を悩ましており、宇都宮に続いて法的な手段に訴えた自治体の教育委員会もあると聞く。多分、訴えられるとなると滞納者は減少するだろうが、その訴訟に至るまでの人件費や事務費を考えると、果たして効果的かどうか疑わしい。

価値観が多様化した現在、『義務教育だから無償が当然』と本気で思っている輩も少なくないだろう。そういう連中を支援するグル-プもいるだろう。また、価値観云々はともかく払わなくても済むのならというせこい考えをする奴らもいるはずだから、滞納者ゼロにするのは不可能なこと。

いよいよ学校給食を、廃止を含めて考え直す時がきたのではないだろうか。(田舎親父)

2007年4月13日 (金)

幸い軽傷ですんだが・・・

一昨日、岐阜県大垣市の小学校の校庭で『ワーワーロープ』という遊具の木製支柱が折れ、遊んでいた子どもたちが怪我をするというニュ-ス。幸い、全員軽傷ですんだようだが、今どき学校の遊具の不具合で怪我をするなんて、あまり聞かない事故である。

この『ワーワーロープ』という遊具は、高さ4m程度の支柱を10m程度離して立てて、その支柱に3本のロ-プを平行に固定して、児童たちがつかまったり横歩きをしたりして楽しむ仕組みらしい。

テレビでもこの事故は放映されたようだが私は見ていないので、残念ながら想像するしか方法がないのだが、いくらピンと張ったとしても10mとはかなり距離、しがみついているロ-プも大きく揺れるに違いないから、横歩きするのは相当高度なバランス感覚が必要ではないだろうか。

校庭が柔らかい土だから作れる遊具だろうが、これは子どもたちに人気があるのではないだろうか。休み時間ともなると、この遊具には大勢の児童が殺到するに違いない・・・。なかなか面白い素敵な遊具のようだ。

ただ、一度に大勢の子どもたちがぶら下がるとなると、2本の支柱には大きな負荷がかかるだろうから、よほどの厳重な管理が必要。

大垣市よくぞこのよう遊具を学校に設置していたものである。

岐阜県警は、業務上過失傷害の疑いで学校や点検業者らから事情を聞くとともに、事故原因を調べているというが、調べるまでもないだろう。誰の目にも支柱が腐って折れたとしか考えられないから明らかに点検ミス。これは大きな責任問題になりそうだ。

最近の学校は、子どもたちが喜ぶことを最優先にしている雰囲気が主流を占めているため、どうしても危機管理の意識が甘くなり事故が起こらないと改善できないきらいがあるような気がしてならない。

恐らく、今頃学校や教育委員会は大騒ぎ、児童の気持ちより『危険防止』ということが優先されて(責任をとりたくないのが本心だろうが)、この人気のあるだろうと思われる遊具類が近隣の学校や公園から姿を消すのにさほどの時間はかからないだろう。

いつのころか学校に盛んに設置されるようになり、全国の多くの小学校では、ここはフィ-ルドアスレチックかと見間違うほどの、工夫された遊具が並んでいたものであるが、事故が発生すると必ず訴訟になり、そのほとんどが自治体や学校の管理責任が問われるとなると『遊具などなくしてしまえ』という声が強くなり、遊具の種類と数は減少していると聞く。

特に首都圏ではその傾向が強く、今回のような管理内の事故があるたびにその種類は少なくなり、一昔までなら必ず見かけられた『ブランコ』や『滑り台』なども発見するのさえ難しくなっている。

学校に追随しているとは思いたくないが、最近は公園でも事故処理が面倒という行政の姿勢が反映されているらしく『事故を起こさないために』という発想から、かなり窮屈な構造のものを見かけるようになった。それどころか、公園の定番遊具である『シ-ソ-』や『ブランコ』を撤去してしまった公園も多いようだ。

そのこと自体に異議をはさむものではないが、公園と名がつく場所での『○○禁止』という規則があまりにも多いのが気になるのは私だけだろうか。

住宅密集地にあるミニ公園は、若いお母さんたちの『公園デビュ-』の大切な場、野球やサッカ-は迷惑そのもので禁止はやむ得ないだろうが、ある程度の規模を持ちしかも広場があるような公園では、せめてキャッチボ-ルや柔らかい球を使っての野球ゴッコなど子どもたちが工夫して自由に遊べるような配慮を願いたいものである。

何となくまとまらない文章になってしまったが、公園にしても校庭にしても、遊具など何もない、ただの原っぱが最高という思いが抜けない私には、結局こんな言い回しなってしまう。(田舎親父)

2007年4月12日 (木)

買う男が馬鹿なのか、それとも・・・

 『援助交際狩り』略して『援交狩り』という言葉があるらしい。最近はあまり聞かれなくなったが、一時、ほろ酔い気分の中年男性を集団で脅して金品を巻き上げる『親爺狩り』という行為が流行ったが、悲しい現象である。

『援交狩り』にしても『親爺狩り』にしても人間、それも抵抗できないような弱い立場や弱みを持つ中年・熟年の男性を集団で恐喝し金品を奪い取る犯罪行為を、『竹の子狩り』や『イチゴ狩り』と同じように、ごく普通の遊び(むしろ面白がって使っている)のごとく扱うマスコミに、激しい憤りを感じるのは私だけではないと思うがいかがだろう。

私に言わせれば、マスコミがこのような情報を面白おかしく報道すると、罪悪感すらなくした輩が、次々と類似犯が類似犯を呼ぶという現象が加速。今や『援交狩り』が流行語どころか『流行犯罪』にすらなってしまっているらしい。

先日、『援交』と称して、ツーショットダイヤルで誘い出された男性会社員が襲われた事件があり、福岡県警がそのグル-プ6人を逮捕したという報道があった。

記事によると、この6人は仲間の15歳の少女二人をおとりにしてツーショットダイヤルで誘い出した男性から金を奪う『援交狩り』を計画。1月末の未明、北九州市の28歳の男性をおびき出して、乗用車の窓ガラスを金属製の棒でたたき割るなどして現金を奪おうとした疑いだという。

この少年たちが、今年の2月に山口県小野田港沖で水死体で見つかって男性を襲撃したことを自供し始めているという。福岡と山口の県警が現在裏付けをとっているようだが、殺害された男性の携帯には少年たちとの会話記録が残っていたことや、直前に仲間の少女がこの男性と会っていたというから、男性がこの連中に殴り殺されて、海に投げ込まれたのはほぼ間違いないだろう。

これとは別に、警視庁が『援交狩り』と称して出会い系サイトの利用者から現金を脅し取ったとして、東京都内の私立高校3年生の男子生徒ら少年4人と少女2人を逮捕したというニュ-スが流れている。
 高校生たちは容疑を認め『援助交際を申し込むような30-40代の男は金を持っており、オヤジ狩りより効率的だと思った。被害届も出さないと思った』と話しているというが、彼らとしては『援助交際』などは当たり前。しかも世間的には犯罪。犯罪者である中年の男から金を巻き上げることは対して悪くないという理屈か・・・。

この種の事件は、一昔までは『美人局』と呼ばれ、時代小説や金融小説では定番の犯罪だったのだが、いつの間にか名前を代えてマスコミの絶好の餌食になっている自体、明日は我が身と世の男性諸氏は気持ちを引き締める必要がありそうだ。

『美人局』ではないが『援助交際』が発端の次のような事件もある。

 静岡市内の47歳の会社員男性が中学2年生の女子生徒と一回4万円という値段で援助交際という名の売春回春行為を続けていたが、当然の結果として妊娠に至ったという。ここまではよくある話だが、この少女が男を『警察に言う』と恐喝、要求されるまま350万円払ったという事件となると恐ろしい。

わずか15歳の少女が大の大人を手玉に取ったこの事件は、『援助交際』という名の売買春がまかり通り、いかに馬鹿な中年・熟年の男たちが少女たちに接近したがっているかを如実に物語っている。
 『買う馬鹿な男が悪いのか、売るアホ少女が悪いのか』いろいろと議論されているが、買って逮捕された馬鹿な大人の男たちの年齢を見ると、大体は30代から50代。自分が買ったアホな少女の親の年代であるのも特徴の一つ。

我が子も目の前の少女のように『援助交際』をしているのではないかと思うと、とてもそんな行為はできないだろうに、このあたりにも大人のモラルの低下を感じる。

お茶の間という言葉は死語になってしまったようだか、四六時中タレントの馬鹿笑いが主体の番組が平気で作られ垂れ流されている現状では(小遣い欲しさに自ら援交相手を探す少女の続発も当然)モラルの低下など話題にすらならないと嘆いている私が時代おくれなのだろうか・・・。(田舎親父)

2007年4月11日 (水)

もう少し謙虚になりたいもの・・・

予想されたことではあるが、一夜明けたとたん選挙戦中とは打って変わった石原都知事の強気の発言は、圧勝した余裕手かそれとも彼のもつ本来の傲慢さ・・・?。

『一部メディアの執ようなバッシングがあったが、都民の良識がこういう結果をもたらしてくれた』との言葉を聞いて、後は押して知るべきとスイッチを切ったが、翌日の新聞で『神戸の地震の時なんかは(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2千人余計に亡くなった』という部分は奢り意外なにものでもないだろう。

さらに、都の防災訓練に自衛隊や在日米軍の参加を実現させたことを自画自賛し、『来年は航空母艦を持って来いと言ってやった』と胸を張ったとあった。恐らく記者の誰かが、との防災体制についての質問に、ついつい日頃から持っている『米軍なんて部下として使えばよいのだ・・・』という自論に当選の昂りが拍車をかけて言わした言葉だろう。

早速、翌日に兵庫県の井戸事は『いいかげんな議論はしていただきたくない。誠に失礼だ』と不快感を示したという記事が新聞に掲載された。

その記事によると、井戸知事は『阪神大震災の問題は、明け方の突発的な上下動が激しい地震で、多くの犠牲者が圧死だった。公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要だった』と認識を示した上で、『自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと。関東大震災に対する備えとして、一番の防災責任者となる東京の知事がそのような認識を持たれているのだとすると、いささか心配』と発言したという。

兵庫県知事としては、阪神大震災はすでに過去の話であって『自衛隊の出動が早ければ2千人もの人の命が助かった』という(一躍改めてマスコミの寵児となった石原都知事の)発言は、遺族や県民に当時の兵庫県知事や神戸市長が判断ミスをしたのでは、と思われては大変。これは何がなんでも止めなければ大変なことになると、反論は当たり前だろう。

石原都知事の発言で、当時の記憶を呼び起こしてみたが、確かに、自衛隊は緊急出動体制を整えていたのに要請がなかったので出動できなかったという事実があったことを思い出した。当時疑問に感じたが、あまりにもひどい災害に対して、責任論は後という雰囲気が支配的になり、私の中でもいつの間にかウヤムヤになってしまっていたようだ。

出動した自衛隊の活動はめざましく、何故早く出動させなかったという声に、首長の要請がなくても近くの自衛隊の最高責任者の判断で緊急出動すべきだったのでは、という議論が高まったような記憶もよみがえってきた。

そのような議論の中で、自衛隊の指揮官にそこまでの権限を持たすのはいかがなものかという声が大きかったことで、出動のシステムに変更なしとなったはず。

その意味では、石原都知事の指摘は間違いないようだが、タイミング的に悪すぎる。まるで当時の知事を無能扱い、『俺ならあんな馬鹿なことはしない』という態度は、やはり兵庫県民の気持ちを逆撫でし、なによりも遺族の人たちに失礼だと思える。

自衛隊が出動したら2千人の命が助かったかどうかは、個人的な見解で、今更具体的な根拠を示す方法はないだろう。

しかもやがて確実にやってくる『東京大地震』が阪神大地震同様、上下動の激しい地震であれば大田区や品川区、あるいは江東区や江戸川区のような地盤の弱い地域での倒壊家屋は阪神大地震を遥かにしのぐ数になるだろう。自衛隊の緊急出動でどれぐらい被害を押さえられるかもはっきりしない。また、時をおかずに緊急出動ができたとしたら、それは阪神大地震の教訓があったことも忘れてはならない。

地震の救援に航空母艦が出動というのも、スト-リ-としては面白いが、あまりにも唐突過ぎて、私には現実性がないように思える。

単に首長の判断ミスを取り上げては、自分の手柄を吹聴するのではなく、都民が安心して暮らせる具体的な防災対策を練って示してほしいものである。(田舎親父)

2007年4月10日 (火)

能登沖地震の記憶が遠くなる

 能登半島地震からすでに半月、報道は日々小さくなっているのは視聴率稼ぎがなによりのマスコミにとっては当然かもしれないが、時々報道される話題が暗いものばかりではやりきれない。

中に、いまだに避難生活を余儀なくされている人は約430人もいて、地震のショックや長期化する避難生活のストレスから、不眠や頭痛を訴えている人たちのために、県の精神保険福祉協会(こんな組織もあることを初めて知ったが)という団体が『こころのケア救護所』を立ち上げて、県内外の医師や看護師のチームが避難所を訪れ、カウンセリングや投薬治療の窓口を設けたというニュ-スにほっとする。

避難から1~3週間が最も不安定な時期だということで『心のケアは予防的には今が一番重要な時期。悩みや不安があったら相談してほしい』と呼びかけているそうだが、『あったら相談』という表現はあまりにも形式的、悩みや不安を抱えてない避難者などいるわけがないことは当たり前と思ってしまう。

 避難生活をしている人たちにとっては、医師が親身になって健康に気づかってくれるのは心強いに違いないが、このような精神的な支援以上に必要なことは、自分で自由に動き回れる広いスペ-スを与えることではないだろうか。

その意味でも、一日も早い国の支援を望みたいものである。

ところで、この震災のどさくさに紛れて不届き者が横行しているという話題にもあきれるというか情けなくなってくる。

地震や大水などの後には、使えなくなった家電や家具などの『震災ゴミ』が大量に出るが、この処置が大きな問題。

輪島市には全国から、ごみ処理のための回収車が派遣されて大活躍しているとのことであるが、『震災ごみ』専用収集場に、壊れた壁板や砕けたブロック塀などに紛れて、被害とは直接関係なさそうな古タイヤやドラム缶を捨てる輩がいるというから困ったものである。
 もう一つの暗い話題が、倒壊したり傾いたりして放置されているかおくや蔵の中に入って、いわゆる『お宝』と言われる品物が盗まれる被害が後をたたないというもの。地元の人たちは警戒を強めているらしいが、善意のボランティアの人たちも多く出入りしている現場ではその見分けが難しいだろう。

『火事場泥棒』という言葉があるところから、この種の犯罪は昔からあったようだが、最近は重機などを駆使することも多くなった分、大がかりにしかも悪質になっているような気がする。

夜陰に乗じて、大型トラックで収穫前の野菜や果物でも持ち去る輩が横行する時代、被災した地区の人たちだけの努力では到底防ぎきれるものではない。このあたりも避難されている人たちの不安の一因になっているのではないだろうか。

設置できる場所があるかどうかは別にして、一軒に一つぐらいの数の大型のコンテナを並べて、家具などを収納できるようにならないだろうか。

そのぐらいの予算は、農水大臣あたりが高価な特別の水を普通の水道水を使うことによっていくらでもひねり出せるはずだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2007年4月 9日 (月)

大変な選択をしたのでは・・・

 やはり都民の選択はオリンピック誘致だったのか・・・。

 昨日行われた統一地方選挙の前半部の主役の都知事選の投票結果が、開票直後の午後8時過ぎには早々と『石原慎太郎 当選確実』とのテロップが流れ、選挙期間中とは打って変わっての強気の記者会見に驚きを通り越してあきれてしまう。

 明日から、すでに貯蓄をしたと公表している1000億円をつかって誘致作戦がはじまるだろうが、『オリンピック誘致』に賛成した都民には、もはや石原知事の言動に対して批判できまい。

 今まで以上の豪華海外視察は多くなるだろう。余人に代えがたい『息子や知り合い』を海外に派遣することなど朝飯前。議会での質問に対しても、あるいは都民の誰かが弾劾の署名活動などに立ち上がっても『私はオリンピック誘致のためにやっているのですよ。このぐらいのことでガタガタ言われる筋合いはない・・・』と、ばかりどこ吹く風。こんな風景が近い将来、随所で見られるに違いない。

これまでの8年間の石原都政は、ある意味分かりやすかった。国に対しても臆することなく主張する姿に共鳴する都民も多かったことは確かであるが、公私混同の議会運営や物議をかもしだす発言などに批判が集まり、選挙前は相当接戦になるのではと思ったものである。

ところが結果は、接戦どころか圧勝。せっかくのチャンスに民主党は対立候補すら擁立できず、結局は一度断られた浅野候補を応援する始末だから当然かもしれないが、これでは勝てるわけはない。

しかも、浅野候補は最初から『オリンピック誘致反対』といわず、いわば都民の動向を見極める姿勢だったことはいただけない。著名な建築家で、石原知事のブレ-ンの一人だと言われていた黒川候補が『ガス抜き効果のための立候補』だという見方はあるものの、この一点にかけて立候補を決意したのと大違い。浅野候補は、都民の姿勢がオリンピックより現実の生活改善の声が優勢と見て、やっと『自分は反対』と言い出す始末。

小泉総理が指揮し、圧倒的な勝利をえた前回の衆議院選挙は『郵政民営化に賛成か反対か』という一点のイエス・ノ-を問う作戦が、自主自立の精神が確立できていない日本人の心理をうまくついた結果であることは周知のこと。

慎太郎さんの『オリンピックは都民の夢。実現に向けて一緒に走ろうよ・・・』という呼びかけは、まさに日本人の心理をくすぐった表現。なるほど上手いものである。マスコミもオリンピック誘致の話題で視聴率が稼げると踏んで煽りたてていては、曖昧な態度の浅野候補が票を集められなかったのは当たり前だろう。

選挙戦が中盤を迎え、不利を認識した浅野候補が『オリンピック誘致反対』を打ち出したが時すでに遅し、一度立候補の要請を断った民主党に応援をお願いしたのも、都民からみたらわかりにくい構図になってしまったのではないだろうか。

民主党の管さんが選挙戦の終盤になって、浅野候補を持ち上げて応援している姿がテレビで流れるようになったが、いつも同じ赤いラフな服装とそしてスマイルを浮かべた演説に対して『この人本当にこの候補者を応援しているのだろうか』あるいは『管さんの本心はオリンピック誘致に賛成では・・・』と思った人も多かったのではないだろうか。

ともあれ、最初からオリンピック誘致反対を全面に出せなかった浅野陣営は完敗。そして誘致に批判的な人が過半数のひとも含めて、『誘致する』とはっきり宣言している石原候補を圧勝させたのは事実。都民は大変な選択をしたものである。(田舎親父)

2007年4月 8日 (日)

異常気象に思う

 3月に入ってからは低めの気温が続いたので、桜の季節は例年より数日早い程度に落ち着いたが、今年の1月.2月は驚くほど暖かい日が続き、この調子でいくと花見は2週間も前倒しになるとマスコミは大騒ぎしたのはついこのあいだのこと・・・。

 私自身でも、2月に青森を旅した時の『ほんとに今雪国にきているのだろうか』と思うような風景が広がっていた。

春のような暖かい日差しの中、弘前の70歳になるタクシ-の運転手が『こんな暖かい冬は生まれて初めての経験、この分では花見が一月ぐらい早まりそう。桜見物の観光客の出会いが心配・・・』と嘆いたが、その後あまり暖冬と騒がなくなったところを見ると、やはり少し早めで落ち着くようなので、運転手の心配は杞憂だったようだ。

 何度も引用している言葉に、3月下旬の小学校の卒業式の呼びかけの冒頭の言葉は『桜の蕾が膨らみ・・・』がある。実際には、何輪かの花がチラホラなのだが、最近は開花は当たり前、入学式までもつのかという心配が普通になってしまった。

私の思い違いかもしれないが、東京・横浜の梅の花の最盛期は2月中旬から3月半ば、それが終わるころ、コブシもハクモクレンの白い花が咲き続いて桜の季節を迎えるのが例年のパタ-ン。桜の満開期に合わせて春爛漫、百花繚乱がスタ-トすることは変わらないが(桜に合わせているわけではないだろうが)全ての花も急いで開花しているように思えてならない。

 夏の暑さもここ数年異常で、猛暑どころか酷暑という表現が当たり前。地球温暖化という言葉のもつ意味を実感する。

 時間軸を長くして見れば、地球の気温変化は高い低いの連続、波状カ-ブを描いているのだから、温暖化など騒ぐに当たらないという学者も存在するが、人間の奢りというかあまりにもエネルギ-を消費する生活が進んでいることから、気象変化は地球温暖化が大きく関係していることは間違いない。

 この温暖化の危機にヨ-ロッパの国々を中心に、何とか温暖化を防ぐ工夫をしようとする考え方が生まれ、この動きが広がっている。最近は温暖化を防ぐ知恵を出し合う国際会議も盛んに行われるようになってきた。

 つい最近、ブリュッセルで開かれた国連の『気候変動に関する政府間パネル』では、世界中の気象学者が集まって討議し、人間の活動による温暖化の進行に伴い、人間や生物への影響が深刻化してくると警告を出したというニュ-スか流れた。

その警告の中身は、現在の状況が進めば、間違いなく近い将来世界各地で慢性的な水不足が進むという。特に中緯度地域や乾燥熱帯地域の多くで、今世紀半ばまでに飲用水や生活用水の1~3割が減少するとの指摘は不気味である。
 また、今世紀末には地球の平均気温が最大で6・4度上昇するとの報告書を公表し、平均気温が4度以上上昇すると40%以上の生物が絶滅する恐れがあることにも言及しているが、事実だとしたら(最近の異常気象を見ると事実だと思わざるをえないが)背筋が寒くなる。

さらに、2080年代には海面の上昇により、沿岸にある湿地の約3割が消失する恐れがあると警告しているが、昨日の朝日新聞の夕刊が映像で紹介しているように、実際に太平洋上の島々が水没している事実から、この警告は真実性が高い。

先日のソロモン諸島の大地震はさらにその速度を進めるのではないだろうか。

ここまでの事実を示して、温暖化を防ぐ努力を呼びかけているのにかかわらず、それぞれの国の事情があるにせよ、産油国や経済発展が著しい国では、エネルギ-の消費を押さえると自国の不利になると、共同声明の文言の合意に苦しんでいるという。

また、どんな問題にでも『俺さまが大将・・・』とばかり首をつっこむのが趣味?のアメリカが、この問題では自国の利益が優先しなければ国内が治まらないのか、京都議定書に調印すら渋っているというから困ったものである。

そんなアメリカに追随するだけが、この国の政府だという事実がなにより悲しい。(田舎親父)

2007年4月 7日 (土)

塾を金儲けの種にする輩

 子どもたちに危害はなかったのが幸い、この種の事件を起こす犯人に共通するのは、子どもに対して異常な興味を示す性格で、何度も同じことを繰り返す傾向にあるのが特徴。恐らく自分より明らかに弱い子どもならば、言うことを聞かせられると思っているのだろうが、こんな男が塾にもぐり込んでいると思うと恐ろしくなる。

横浜市の塾講師の男が『自分が教えている小学6年の男児と女児の2人を約8時間半にわたり車で連れ回したとして逮捕』というニュ-スを新聞の片隅で見つけた。

今回逮捕された杉山某という24歳の男も、学校教育ボランティアをしていた昨年10月、小学生の兄弟を約20時間連れ回したとして逮捕され、未成年者誘拐罪で執行猶予付きの有罪判決を受けていたというから、まさにこの男は典型的な性癖の持ち主である。

その男が、判決後たった2ケ月で塾の講師に採用されているのは驚きだが、この塾は県内に160もの教室をもつ大手の学習塾、慢性的な講師不足に陥っており、応募した希望者をろくに調べもせずに採用したという筋書きだろう。

以前は近くの公立中学校にそのまま入学するのが当たり前だったのが、最近の私立指向の風潮の中、中学校から私立に進学するのが大流行り。同じ行くのなら有名中学へという思いから、小学校の3.4年生のころから塾通いがはじまる。

これは商売になるという目先の利いた連中は、塾に目をつけて金儲けができるシステムを作り、塾講師には教員免許が要らないので教え方のマニュアルを作り、時給1500円程度のアルバイトとして雇い人件費を押さえる。それが合理的な経営とばかり、形だけの面接をして採用して、チエ-ン店化して教室の数を増やしていく。

塾の講師の中には将来正式な教員にあることを夢見て、真剣に教えている人たちも少なくない。むしろ圧倒的多数がまじめに勉強を教えて、テストの点数を上げる努力をしているだろうと思うが、中には今回の事件を起こした杉山某なる男のような性癖をもつ人間が紛れ込む余地はかなりある。

塾の経営者は『迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません』と謝罪しているようだが、採用に至った経緯について、講師募集の広告を見て現れた犯人を『(過去の事件について)知らなかったし、調べようもなかった。面接時も感じが良く、小学校の先生になりたいということで信頼した』という、きわめて無責任な言い訳に呆れる。

確かに過去を隠されていたら、上辺の印象で騙されることもあるだろうが、少なくとも子どもたちと直に接触する塾の経営者ならば、その人物をきちんと見極める責任があるはずで、指導者も付けずにすぐ教室で授業を担当させていた事実は、まさに金儲けのための安易な方法と言ってよい。ここにも社会のシステムの大きな綻びを感じる。

今回は、神奈川から愛知までを車で連れ回っただけですんだが、一昨年だったか京都の宇治の塾では講師をしている同社大学の学生が6年生の女児を包丁で殺害するという事件があった。この犯人も過去に同じような事件を起こしたにもかかわらず塾講師として採用されていたことは忘れてはならない。

こんな話題を見ると、塾に対して何ら対抗策がない教育行政の無力が情けない。情けないどころか、教育委員会が教員の研修に塾の教師を講師に招くなんてことがまかり通っていること自体、教育行政力など存在すらしなくなっているようだ。

塾などが必要ない社会がほしいものであるが、文部科学省はおろか教育委員会はじめ学校までもが塾を認知し、マスコミがこぞって親に対して塾通いを煽るようなキャンペ-ンでは、私の願いなどは夢のまた夢・・・。

現代の教育の後輩に、涙さえ出なくなってしまった。(田舎親父)

 

2007年4月 6日 (金)

目の前で命の誕生

 こうして文書をつくっているすぐそばで、新しい命が次々と誕生している。ごま粒より小さい灰色をした卵が黒く変わり、そこから1mmにも満たない細い黒い糸のような生き物がにょろにょろと這い出てくる。

蟻によく似ている『毛蚕』と呼ばれる蚕の幼生である。

唐突な書き出しだが、去年育てていた蚕が繭を作り、その繭を食い破ってでてきた蛾が産みつけた卵が、約一年の眠りから覚めて動き始めている。その瞬間は感動的ですらあり、ついつい見とれて時を忘れてしまう。

ここ数年、蚕の飼育が毎年春から夏にかけて私の恒例行事。卵から孵った蚕が脱皮を繰り返して大きくなり繭をつくるまで約一月、毎日桑の葉を与える必要があるが、命を育てる喜びは何事にも代えがたい。

蚕がつくってくれた繭を使って『シルクロ-ション』や『香り繭』などを作り、配り歩いているのだが、去年いくつかの繭をそのまま放置しておいたところ繭を食い破って蚕蛾が誕生、その蛾が卵を産みつけた。

(食い破る、なんて表現したが、繭の中の蛹には『歯』などない。正確には口から特殊な液を吐き出して繭を溶かして出てくるらしい。この液お成分などは現代の科学でもわからないようだ・・・)

 しばらくするとその卵から新しい命が誕生し、一月後にまたまた繭をプレゼントをいただくわけだが、さらにその繭から誕生した蚕蛾が産みつけた卵は、不思議なこと来年の春まで永い眠りにつく。

1月2月の以上と思える今年の暖かさで、本来ならば自然界で桑の葉が芽吹く頃まで眠りについているはずの卵に動きがあったのは、奇しくも『啓蟄』の頃だった。部屋の片隅にほったらかしてあった、紙に産みつけられた卵から数匹の毛蚕が誕生しているではないか。

このまま放っておくとたちまち死んでしまう。かといって餌になる蚕の葉はまだ芽生えていない。大急ぎで卵が産みつけられた紙を丸めて冷蔵庫に入れる。今年は、暖冬に加えてコンピュ-タに向かう時間が多くなり恒常的に温度が上がっていたのだろう。その温度変化を敏感に捉えて発生する命の仕組みに感動する。

それから約一月、数日前に例年より1週間ほど早く桑が芽吹いていることを発見。早速冷蔵庫から取り出した卵から、命が誕生し続けているわけであるが、子どもたちに(子どもたちより親たちにといった方がよいのかもしれないが・・・)見せたいものである。

たった一月の世話で、ごま粒のような卵から孵った毛蚕が、桑の葉だけを食べて成長しやがて真っ白い蚕になり、ある日口から1500mもの糸を吐き出して繭をつくる。

これほど素晴らしい教材をつかって『命の教育プログラム』を展開すればよいのに(一応小学校3年の理科の教科書に掲載しているが)現代の学校ではほとんど取り上げないのが不思議といえばこんな不思議なことはない。

聞くところによれば、卵が入手できないとか学校には桑の樹がないとのことであるが、最近の教師たちはどこに目をつけているのだろう。東京の真ん中『日比谷公園』でさえ桑の樹の実生が芽生えていて、公園の管理者たちは邪魔者扱いしていることを知ってほしいものである。

ペットを飼うことがブ-ムになっている。ワンチャンたちは決して服など着せてほしいと思っていないだろうに、派手な服を着せて自慢げに散歩させている人たちを見ると、思わず『馬鹿じゃなかろか』と思ってしまうのは果たして私だけ・・・。

ペットを飼うことで癒されるのかもしれないが、子どもたちまでもこんなくだらない風潮に馴染んでいる現代社会は病んでいるとしか表現できない。

目の前の小さな命の誕生の瞬間を目にして幸せを実感しているが、この満ち足りた気持ちを分け与えて上げたくなる。(田舎親父)

2007年4月 5日 (木)

こんな理不尽な話が・・・

昨日に続いて地震の話題。能登半島沖地震が被災され、避難生活を余儀なくされている方々のほとんどが65歳以上のお年寄り。

この方たちは普段は一人で家事全般はもとより、自分の仕事を切り盛りしていたはずなのに、体育館などでの避難生活となると、やることはすべて奪われ、身体を横にするスペ-スすらないほど狭い場所で、同じ姿勢で過ごすことを強いられている。

普段は、自分たちだけではとても使い切れないほどの広い家に住み、誰に気づかうことなく生活していた人々が、日本中の誰一人予想すらしなかった地震という災害が襲い、その広さも何の役に立たず追い出されてしまう。

理不尽といえばこれほど理不尽なことはない。無宗教主義で人為的に作られた神の存在など否定している私であるが(心の隅でと天地創造の絶対神の存在を何となく信じているのだろうが)何故、これほど弱いものいじめばかりするのだろうと、ついつい宗教的な論理観を持ち出したくなる。

豪雪の山間地、玄界灘に浮かぶ小島、そして今回の日本海に突き出した半島の突端、いずれも現代の繁栄から見放されたように、若者はどんどん都会へ吸収され子どもたちの数は減るばかり、残されるのはその土地で生まれ育った高齢者ばかり・・・。

この国のシステムに大きな綻びがあるのではないだろうか。

これらの大地震で被災された人々のお世話をする職員やボランティアの方は、何とかお年寄りを労ろうという気持ちで、かいがいしく動き回り、かゆいところに手が届くほど、行き届いたサ-ビスをしている姿が、災害時の避難生活がはじまると恒例行事のように連日テレビで紹介される。

お年寄りたちは口々に『ありがたいこと・・・』と手を合わせている。身体を動かすのもままならない不自由な避難生活。中越地震の避難生活では、今までは狭い飛行機だけのことだと思っていたエコノミ-症候群という血の循環が悪くなって亡くなる人がでたことから、同じ姿勢にさせないこともボランティアの方の大事な心得となり、狭い場所でも身体を動かせる体操を工夫している。

ボランティアの人の心からお年寄りの身体のことを思い、介護しながら一緒に身体を動かしている姿は素晴らしいことだろうと思うが、こんな映像を見るたびに『本当にこれでよいの・・・』という疑問が浮かんでくる。

確かに、家屋をなくした高齢者の方たちは気力がなえて、何もやりたくない気持ちに陥ることは理解できる。職員やボランティアの人々は善意で、被災者の皆さん一人一人の顔色を見て、何が必要なのか読み取る努力をしている姿は美しい。

が、そうすればそうするほど同じ姿勢を強いることになり、エコノミ-症候群が怖いということになり、狭い場所での体操を強いることになる。お年寄りの立場としては、世話になっている手前、体操をしなければ悪いという気持ちにもなるだろう。

そのなシ-ンのお年寄りの顔からは『本当はこんな体操なんかしないで、自分で身体を動かしたい』という思いを読み取っているのは私だけだろうか・・・。

避難している人々の世話を、財政的にも貧しい地方の自治体の、しかも数少ない職員と善意のボランティアの人たちだけに任していては、エコノミ-症候群だけではなく気持ちそのものがエコノミ-となり、気力のなえから心の病気が蔓延するのでは・・・。

今政治家と呼ばれたいのなら、明日にでも、仮設の住宅を建設し『後何日の辛抱』という言葉だと思うのだが・・・。悲しいことに、大臣はじめ政府関係者は私腹を肥やすことには熱心なのに、避難などは他人事のような素振りが情けない。

一刻も早く、自由に身体が動かせて、一人で身の回りのことができる環境の提供を望みたい。(田舎親父)

2007年4月 4日 (水)

都知事候補の良識を問いたい

2年前の中越地震も、昨年の玄海島地震も、もっとも確率が低い地域の一つに数えられていたが、確率的にほとんど起こらないだろうと言われていた今回の能登半島での大地震に衝撃を受けた人も多いのではないだろうか。

立て続けに、地震の危険はないと言われていた地域に起こった事実は、全国どこにでも起こる可能性があることを裏付けているのにも関わらず、いまだに東海地震一辺倒の対策しかない政府にも呆れる。地震を専門にしている学者たちも、一部が南海地震や東南海地震と一緒になって起こる可能性を示唆しているが、基本的には東海地震だけの想定している人がほとんどと言っても過言ではない現状も情けない。
 さらに、首都圏はじめ都市部を想定した報道を回避しているマスコミの無責任な姿勢を憂えると同時に、地震に慣れてしまったのか、あるいは他人事のように思えるのか、世間一般に何かシラ-としている雰囲気が流れているのも恐ろしい。

今回の能登沖地震でも発生した直後は、その悲惨な現状を競って放映するものの、映像そのものが、自分たちとかけ離れた社会の出来事のように思えるようなアングル、破壊のひどい現場の映像を繰り返し流している姿勢に、人間性が感じられないような気がしてならない。

地震発生からすでに10日過ぎた現在、お義理的に避難生活を強いられている人々の様子は紹介しているものの、人口密集地の都市部で起こる可能性など全くないような雰囲気、これっぽっちも地震の対策などに対する番組は見当たらないのはどうしてだろうか。

玄界島や能登沖程度の規模の地震が、もし首都圏を襲ったら、その惨状は想像を絶するものがあるだろうに・・・。

今回の地震は3月の日曜日の午前9時過ぎという、寝ている人はほとんどない上に、活発に活動する前という時間帯が幸いして、亡くなった方が一人という奇跡的に少ない被害で済んだが、都市部での地震ではこんなもので済むわけがない。

しかも関東大震災以来大きな地震がない。素人でもこんなことは奇跡に近いことだと理解できるのに『危機感を持っている人たちの方がおかしい』というような風潮がなによりも恐ろしく思えてならない。

ところで、今東京と神奈川の知事選挙の真っ最中、私の周りでは市会議員と県会議員も同日の投票とのことで、連日マイクでがなりたてる声がうるさくてたまらない。それも、まともなことを言っているのなら聞く耳はあるのだが、ただただ『○○にお願いします』などと名前の連呼だけ。へそ曲がりの私など、こんな奴らには絶対投票などしたくないと思ってしまう。

市会議員や県会議員の候補たちはそんな悠長なことを言っていては、選挙に勝てない、ただひたすら名前を売ることが先決だと思う気持ちはわからないでもないが、知事候補が同じ意識では少し情けない。

私は現職時代、機会あるごとに口を酸っぱくして『今、この瞬間地震が起こる可能性がある』と語りかけていたが、知事職を担当しようと思う候補者は、特にこのことを認識して、来るべき時の心構えを都民・県民に語るとともに安全性を高めるために全力を上げるべきだと思っている。
 特に東京の場合、争点がオリンピック。そのために1000億を用意することが是か非などとが論戦の中心らしいが、一度地震が起こった場合を考えたら馬鹿馬鹿しいことだと思うのだが、都民はどう思っているのだろう。

選挙には負のイメ-ジを想像させることはタブ-なのかもしれないが、地震に対する施策を公約に上げている候補がいない。都知事の候補者たちも、都民に不安を与えたら選挙にマイナスになると思っているのに違いないが、しっかりとした考えを都民に示すべきではないだろうか。(田舎親父)

2007年4月 3日 (火)

借金が832兆円・・・

 少し話は古くなるが、先月財務省が『国の借金』が、昨年末で832兆円超になったという発表にはびっくりした。

 832兆とは凄い数字。大口径の望遠鏡で見える星の数より多い、まさにこれこそ天文学的だと笑ってすませるものではない。あまりにも数値がべらぼうなので、その実感は薄いが、国民一人当たりで計算したら、なんと652万円になるというから、100万円の札束さえ見たことがないという私のような貧乏人にとっては想像もできない話である。

 国民一人当たりという計算の出し方は、832兆円を生まれたての赤ちゃんから寝たきりの病人まで含めての国民総人口で割った数であり、これはできるだけ数値を少なくするための常套手段。

実際に自分で働いて少しでも借金を返せるあてにできる人口ではないから、実質的な労働人口が負担する借金は、軽く1000万円を突破することは確実だろう。

 今年度予算では、国債の発行総額を昨年より21兆円超減らし、約144兆円に押さえたと自慢げに発表しているが、借金残高は増え続け、昨年1年で約19兆円増えているというから恐ろしい。

しかも驚いたことに、9月から12月までの3ケ月の間に約4兆4千億円も増えているという。たった3ケ月に4兆円以上も国の借金が増えているというのに、政府はじめ役人たちはその歯止めをかける手だてをしないどころか、一片の危機感すら持っていないような態度が気になる。

自分の私腹を肥やす輩が大臣なのだから当たり前なのかもしれないが、自分の財布の中身は気になるが、国の財政なのは無関心な政治家(屋)や官僚ばかり・・・では、もはやこの国の財政的には破綻状態。果たして未来があるのだろうかと嘆きたくなる。

最近、個人向けの国債が盛んに宣伝されているが、一般の国民に国債を買うほどのゆとりがあるはずがない。多くの国債は銀行や郵貯・年金・生保などという機関投資家によって買われて、それでアメリカ国債をかっていると何かの本で読んだことがある。

私は経済に関してズブの素人で、仕組みなどはよく理解できないももの、著者の理論的な構成力や前後のつながりから判断して、この説には説得力があると思っている。

この著者はアメリカの経済を支えるために国債か使われていることに警告しているが、『アメリカがくしゃみをしたら日本が風邪を引く』と言われているのも、そこまでアメリカ国債を引き受けていたら当然だと思ってしまう。

借金には利子がかかる。金利が上がると現金を預けている人や機関にとっては元金が増えるのだから歓迎することだろうが、借金をしている者にとっては、そのままにしておいたら借金が増えるのだから、これは大変である。

832兆円にどれほどの利子がかかるのか計算したことはないが、恐らく利率が0.1%上がるだけで利子は数百億?という驚くべき数字になるのでは・・・。先日、政府が必死になって日銀の金利値上げ政策に反対したのも、こんな背景もあったのだろう。

それにしても、この国の借金は異常である。政治家と自称している者は、少なくとも私腹を肥やそうとする卑しい考え方を捨て、国の借金を少しでも減らそうとする努力をしてほしいものである。

国民も一人一人が政治家たちの行動を監視し、地位を利用して豪華に遊び回っているとしか映らない輩にだけは投票しないようにしたいものである。(田舎親父)

2007年4月 2日 (月)

忍び寄る黒い影・・・

 文部科学省は高校生が使う『地理歴史・公民』の教科書の太平洋戦争末期の沖縄戦の集団自決を扱った記述に対して『実態について誤解するおそれのある表現』と意見が付いた結果、『日本軍に集団自決を強制された人もいた』という表現が『集団自決に追い込まれた人々もいた』と改められたという。

これでは沖縄の住民は自主的に自決したような表現になってしまう。心理的に極限状態に追い込まれていただろうと想像できる住民たちであっても、誰一人疑問を投げかけることなく自ら進んで、しかも集団で『死』を選ぶとは思えない。

元日本兵の多くは『アメリカ兵は鬼畜であり、何をされるかわからない。生き恥をさらすより死んだ方がましだ・・・』と盲信して、住民に自決を迫った者もいたはず。それが彼らの正義、心からの叫びたったのかもしれない。

元日本軍の兵士たちには戦争の本当の状況などわかるはずがない。当然アメリカ兵の実態など知るよしもなく、上官から日常的に刷り込まれた『鬼畜米英』という感情を住民たちにぶつけたのだろう。

住民たちからすれば、いわば恐怖心を煽られ集団催眠の状況下、一握りの元日本軍兵士の言葉がそのまま軍司令部の命令のように聞こえたことは想像に難くない。

事実、生き残った沖縄戦を10歳の時体験した住民は、日本軍から手りゅう弾を渡され『米軍に捕まったら体のあちこちを切り刻んでじわじわ殺される』と聞かされたと証言している。さらに別の家族が手りゅう弾で自決するのも見たという。

日本軍が『集団自決』を命令したかどうかははっきりしなくても、日本軍兵士が手りゅう弾を渡して自決を迫ったことは、沖縄戦直後にアメリカ兵が住民から聞き取った調書にはっきりと書いてあるとのこと。

当時の状況では住民の立場であれば、日本軍の責任者の正式命令と一兵士の発言は同じとして捉えてしまうことは当然。歴史的事実として軍部による強制だったことは明らかではないだろうか。
 文科省は『以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた』と説明しているらしいが、どうもその資料や証言というのが、元軍人が『自決するように命令したと思われるのは嫌だ』という訴えらしい。

元軍人の気持ちもわからないでもない。訴えた元軍人は決して『強制』しなかっただろうが、歴史的な資料から強制した元軍人がいたことも事実。ならば、この元軍人の裁判が決着するまでは、少なくとも教科書の書き換えは待つのが、行政として正しい判断だと思うのだが・・・。

 子どもたちにとって教科書はバイブル。小学校などでは、教科書を詳細に解説し発問の仕方まで書いてある『指導書』が教師にとってのマニュアルになっているのだから、教師にとっても教科書に書かれている内容に疑問をはさむ余地はない。

その意味で、記述に誤りがないかどうか判断する基準が必要であることは否定しない。ただその判断基準が曖昧であり、時の政治に動かされるようになっては大変なことになってしまう。

 検定に合格しなければ教科書として採用できない仕組みであるから、教科書会社の殺生与奪の権利は文部科学省に握られているといっても過言ではない。意見がつくと渋々でも書き改めなければ合格しないのだから、教科書会社もつらいところだろう。

 その意味で今回突然検定意見がつき、教科書が書き直されたという事実に対して、私には忍び寄る目に見えない黒い影を感じるのだが・・・。(田舎親父)

2007年4月 1日 (日)

究極のダイエット食品

 毎年思うことであるが、新しい年を迎えたと思ってから今日4月1日までの、1月から3月までの3ケ月が過ぎる速さには驚いてしまう。

特に今年は異常な暖冬だと騒がれ、『桜の開花』が極端に早いという報道に、3月になったらすぐ『お花見』という雰囲気だったので(実際には寒の戻りがあってやや早めとなったが)その思いは例年以上だったような気がする。

先日、体の不調を感じたら、まずは一度、自動車と同様、体内の『オイル交換』してみては!?という面白い見出しの記事を見つけた。

何でも南米ペルーでのみ栽培される星形植物『サッチャインチ』から搾油されるスーパー食用オイル『Rico PremiumOil(リコ プレミアムオイル)』というのが身体に良いと、健康志向が強い欧州の主婦層に注目されているという。

 サチャインチとは聞き慣れない名前である。早速調べてみたら、なるほど星型植物と言われるように、その実が星型をしているトウダイグサ科の蔓性植物であった。アマゾン地帯が原産の種に各種脂肪分が豊富に含まれているとのことである。

インカ帝国以前の人々が生活した遺跡から出土する土器にも描写されており、現地の人たちは『インカのピーナッツ』と親しまれて種から油を絞ったり、ナッツのようにして食用にしている習慣を持っているらしい。この種子の持つ素晴らしい価値を先祖の人たちが発見し、代々伝えられてきたのだろう。

最近の研究で、青魚や植物性の脂肪には血液をさらさにする、EPAやDHAと呼ばれる脂肪酸があること、そしてこれらが『オメガ3』と呼ばれ、この仲間の脂肪酸は細胞が正しく機能するためには不可欠なものであることが証明されたという。さらに、脳の機能とも関連しており、不足するとイライラしたり、集中力が欠如するらしい。

『オメガ3脂肪酸』を摂取していると、血流が改善されて心臓疾患のリスクが軽減、血中の中性脂肪の減少、アトピー性皮膚炎や喘息、慢性関節リウマチ、腸の炎症などにも効果があることが認められるというから、我が国でもテレビのワイドショ-で取り上げることは間違いない。

すると、ゴマ、オリーブ、コーン、ベニバナオイルなどと健康志向で売り出している植物系油脂はたちまちお払い箱、テレビが神様の主婦層は『サッチャインチ』という名前のはいった製品に飛びつくのは目に見えている。

 恐らく金儲け亡者がうろうろする我が国では、この種の製品が出回るだろう。これは早速ス-パ-の売り場をチェックしてみる価値がありそうだ。

 それはともかく、私が注目している日本のどこにでもある『桑の樹』はこれから芽吹く季節を迎える。この桑の葉には驚くほどのパワ-が秘められていることが証明されて、最近は『桑茶』が徐々に広まっていると聞く。

先日も本屋で引地學という人が監修している『桑の葉パワ-で毎日爽快』という本を見つけた。その中身をすべて信じるわけでではないが、かなり納得するものがある。

昨年考案した『Kuwaffee』は好評だし、一月ほど前に考案した『クワッコ De スリム』という桑の葉の粉を寒天で固めた代物は試食してもらった方(10人ほど)すべて、数日で『便秘』が解消、というが嬉しい連絡もたらされたのも『桑の葉パワ-』の実証の一つだろう。(田舎親父)

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