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2007年5月

2007年5月31日 (木)

今更土曜日に授業とは笑わせる・・・

 またまた、政府の主導で設置された『教育再生会議』が馬鹿な決定をしたという。
 もともとこの『教育再生会議』という首相の思い入れの諮問機関らしきものは、必要性そのものを疑問視する声が発足した時点でかなりあったが、マスコミ操作によってあたかも大活躍しているかのように伝えられ、次々とわけのわからない方針を発表していおり、今回追い打ちをかけるごとく『土曜日に授業』を決定したという。
 学校週五日制が議論し始められた今から40年も以前、当時の教職員組合言い出したと記録にあるそうだが、執行部はともかく、学校現場では『土曜日が休みになったらいいね』といった程度の願望だった。
 それが、空前の景気が続いたことによって労働運動、特に労働運動が盛んだった役所など公共企業の労働運動を押さえる意味からだろう(建前はILO批准とかなんとか理屈ついているらしいが、土曜日役所が休みになったのは20年ほど前だったような気がする。
 県費と市町村費の職種が混在する学校現場では、職種によって土曜日が休みとなり、人間関係も含め勤務のあり方など雰囲気がかなりぎくしゃくした教育後がある。しばらくして第二土曜日が休みになり続いて第四土曜日と(いわゆる)隔週土曜日が休みという変則事態が数年間続いた。
 背景には労働運動とは全く関係ない、詰め込み教育の弊害がうたわれて『ゆとりの時間』なる奇妙奇天烈な施策があったことも関係していたのは周知のことである。
 この間の数年間は、学校の授業時数など根本的な教育指針となる『学習指導要領』の変更は一切されず、『ゆとりの時間があるから何とかなるだろう』とか『現場は喜ぶだろう』という程度で決められたもので、学校現場から望んだものではなく、むしろこの変則的な施策が大混乱をもたらしたことは、私は何度も述べてきた。
 そんなものはお構いなく、土曜日休みという施策に平行して『総合的な学習の時間』の設置が義務づけられ、続いて大幅な指導内容の削減を伴った指導要領の改定がなされて土曜日が完全に休みになったのは5年前。学習内容を極端に減らしたのだから、当然学力を知識量とする考え方では、学力の低下は折り込み済みだったはず・・・。
 土曜日が休みになったとたんに『学力低下論』が吹き出して、そのために教育改革だとお膝元の文部科学省までもが大騒ぎ。いつものことながらその圧力はすべて学校現場にしわ寄せとなり、学力向上の学校間の競争が必要とばかり、学区域など無くしてしまうなど乱暴な施策が大流行。
 さらに、これからは国際間競争が不可欠、小学校から『英語教育』が必要だという風潮が広まり、全国津々浦々不良外人の獲得合戦が日常茶飯事となり、彼らを大金をつかって雇い英語でのチ-チッパッパが大流行となっているのが現状。
 そしてはたまた挙げ句の果ては、学力そのものを根本的に見直した結果に創設した『総合的な学習』が諸悪の根源だと言い出す始末に開いた口がふさがらない。
 そんな根本的なことを放置して、授業時数さえ確保すれば学力が向上するはずだから、土曜日を無くしてしまえという結論とは、一体何のために全国から識者といわれる輩が集まっているのか理解に苦しむ。
 世界の多くの国々はすでに土曜日休みは当たり前、授業日数が日本よりはるかに少ない国が学力テストの結果が良いとなると、これは学力というより教育そのものの考え方やシステムのあり方が問われているのだと思うのだが・・・。
 もう一つ教育再生会議が決めたのが、道徳に代わる『徳育』を従来の教科とは異なる『新たな教科』として導入するというが、『徳育』という教科を作り、週一時間担任が子ども達に話したら世の中がよくなると本気で思っているとしたら、この『教育再生会議』のメンバ-こそ、学力が著しく劣っているのではと言わざるを得ない。
 このことはいずれ話題にするが、こんな輩がこの国の教育を語り方向を決めるやり方が続けば、モラルの向上など望めないことは確実である。(田舎親父)

2007年5月30日 (水)

本当に自殺?遺書って本物なのだろうか・・・

 一昨日、ネットから『松岡農水相自殺』というニュ-スが目に入る。一瞬驚いたが、次にきた思いは『なるほど、こんな手があったのか。可哀相だが、ある意味自業自得仕方ないか・・・』と、何となく納得。
 亡くなったら『仏』という考え方があって、一般的には死んだ人を悪く言わないのが建前になっているらしいが、この大臣は評判があまりにも悪すぎて『どんな形でも、やめてよかった』との声があっても同情する風潮はないようだ。
 私も、死者を鞭打つ気持ちはサラサラないが、例の事務所の光熱費を誤魔化しておきながら、現行法では誤魔化しても説明する必要がない、とうそぶいている態度を許せないので、あえて『この男とかこの輩』という言い方で呼ぶことを変える気持ちはない。
 光熱費の誤魔化しを平然と『合法的に処理している』と言い張っていた男が、簡単に自殺などするだろうか。最近、検察庁特捜部の手入れを受けた農水省所管の『緑資源機構』の官製談合事件、その捜査の手が自分の身辺近くまで伸びて、このままでは『親分』が危ないと自ら命を絶ったとも考えられないことはないが、それでもこの男がそんなに簡単に往生するとは思えない。
 議員宿舎の自分の部屋で鍵をかけて首をつっての自殺だというから、(飼ってもいない犬用の紐とバジャマ姿というのが引っかかるが)誰かに強引に首を締められてその後つるされたという推理小説の世界の話ではなさそうだ。
 だとすると、誰かから『お前は死ぬしかなさそうだ』とか『このままでは、親分が追い詰められて立場がなくなる』とか言われ、自殺に追い込まれたのでは・・・。
 もっとうがった見方であるが、最近テレビで写されたこの男の顔は、どう見ても病気としか思えない。お面を被っているごとく表情が全くなかったことから、何か強烈な『薬』を飲んでいたのではないかとも疑えないこともない。
 最近、効能は抜群だが副作用の恐れがある抗鬱剤が出回っているということを聞いたことがある。この薬品を常用すると自分が自分でなくなり、他人に精神をコントロ-ルされることもあり得るらしい。ちょっと考え過ぎかと思うが・・・。
 10日ほど前、地元熊本でこの男と関係の深い人間が自殺をしているというのも不可解といえばこんな不可解なことはない。裏情報では自殺した男は、地元の秘書で『あの男の周辺を洗ってみろ。松岡という男のボロが次々に出てくるはず』とも噂されたほどの人間だという。
 さらに、この男が自殺した翌朝『緑資源機構』の前身の森林開発公団理事だった男が自宅マンションから飛び下り自殺している。今回の官制談合の陰の主役だと言われた男で、東京地検特捜部が任意で事情を聴き逮捕が確実だとされていたという。
 ここまで自殺者が続くと、ひょっとして、死者に鞭打たないという感情を逆手にとった巧妙な仕組みがかくされているのかもしれない。
 ともあれ、こんな男を大臣に任命し、しかも何の説明責任もしない男を『有能だ』とか『合法的だ』と詭弁を弄してまで弁護してきた首相の責任は免れないだろう。首相と農水相は一蓮托生、首相の異常とも思える庇い方は、辞めさせたら自分が危ないからだと思っていた多くの国民にとっても自殺というシナリオは思いつかなかった。
 遺書が6通も残されていたという。(何時書いたのか、本当にこの男が書いたものなのかさえ疑わしいので、官邸周辺の発表は俄に信じられないが・・・)本物だとしたら、その中の一通ぐらいは、身内や親しい人間には恨み節が書かれているはずだと思うのだが・・・。
 この遺書がすべて公表されたら、背後の仕組みなどが解明されるのだろうが、そんなことは間違っても期待できない。
 多分この男の関係者(親分を含めて)は『死んだ人に失礼だから,諸問題を追及すべきではない』と言い出すだろう。誰が言い出すかをよくみていたら、背後の仕組みがぼんやりでも見えてくるのではないだろうか。
 野党も変な同情や自分に返ってくることを恐れることなく、本気で追求する気持ちを持ってほしいものである。(田舎親父)

2007年5月29日 (火)

自殺した大臣のことを話題にしたかったのだが・・・

 昨日、松岡農林水産大臣が自殺したというニュ-スに、早速その話題をと思って書き始めたが、ある程度まとまったところで親指シフトの機能が誤作動、せっかくの文章が保存できなくなってしまった。しばらくしてサイド挑戦したが、またまたダウン。
 すっかりまとめる気力を失ったので、この意気地ない大臣のことはまたの機会に回すことにして、今日は別の話題を・・・。
 また海や川での事故の季節がやってきた。毎年のように繰り返されるこれらの水難事故のほとんどが『酔っぱらって川に入った』とか『準備体操もなしに海に飛び込んで心臓マヒ・・・』という無謀さが原因であることに、何となく腹立たしさを感じる人も多いのではないだろうか。
 その度に、地元の警察や救助隊、あるいは消防団の人たちは大迷惑の大変な騒ぎ。マスコミにとって『視聴率稼ぎの最高の話題』とばかり、タレントまがいのキャスタ-を派遣して、遺族はじめ関係者にトンチンカンなインタビュ-をして顰蹙を受けるのがこの国の恒例行事になった感すらする。
 数日前に流れた、遠州灘の海岸で波にさらわれて、重大の女性二人が死亡したニュ-スもそのたぐいでないだろうか。
 報道によると、中の6人で車で浜松市の海岸に遊びにきていたようで、当初は波打ち際で遊んでいたが、その後、5人が水着を着て手をつないで海に入って『沖に向かって歩いているうちに波にさらわれた』という。
 この表現が気になる。死亡事故となるととたんに亡くなった人に対しては同情的に記述するのがマスコミの常。(あたりは遊泳禁止になっていたとのことだから遠浅の海岸ではなく複雑な海底だったのでは)怖いものしらずではしゃいで駆け出していたところ、深みに足をとられたところに大波が襲い沖に持っていかれた、というところでは・・・。
 時期的に遊泳の季節ではないので、地元の救助隊の人たちも『まさか泳ぐとは』と思っていない。当然常時的な監視の目がなかったのだろう、1時間後に沖合20~30mのところで浮いているところを救助され病院に運ばれたが死亡したという。
 亡くなった若者や家族の人には気の毒だが、もう少し思慮があれば絶対に起こらない事故、単純には同情する気が起こらない。マスコミも変な遠慮などしないで『馬鹿な行動が死に至る』ぐらいの書き方はすべきでは・・・。それが世間に対しての警鐘になるのではないだろうか。
 若者(馬鹿者)や酔っぱらいの中高年の無謀さからくる事故はさておき、子どもの水難事故は不可解なことが多く、最近の子どもを狙う変質者の多さに、単純な事故でも事件性があるのではと疑ってしまう。
 先日、高知県で4歳の女児が自宅近くの川で死亡したという記事が報じられた。母親が見つけて病院に運んだが間もなく死亡が確認されたという。
 警察では、女児は自宅近くで一人で遊んでいたが、姿が見えなくなっていることから、母親が目を離したすきに川に落ち水死したとみているが、幼児が目を離したすきのわずかの時間で歩いて行けるほど近くに、川幅が4m・深さが90cmもの川があったのだろうか、という疑問が残る。
 この報道が正しいとしたら、(私はいつも言っていることであるが)日曜日の昼下がりに幼児が一人で遊ばなければならない事情があったにせよ、幼児を一人で遊ばしている母親を含めた家人の不注意さこそ責められるべきではないだろうか・・・。
 詳しいことは失念してしまったが、数日前にも4歳の男児が自宅近くの川で死亡したという事故が報じられた。事件性がないとの見方だとしたら確実に親の不注意と思ったものだが、その種の報道は事件性がないと続報がないのが常・・・。私も含めて世間はすっかり忘れ去ってしまっている。
 このような子どもの水死事故の後日談で、子どもから目を離した親としての責任はそのままに、『危険な川を放置していた国や自治体の責任』という訴訟が新聞を賑わすことが多く、危険だから柵をして近寄れないようにしてしまえという流れになる場合がほとんど。
 少し飛躍するが、そんな考え方が、現在の教育の荒廃をもたらした要因の一つだと捉えているのだが・・・。(田舎親父)

2007年5月28日 (月)

高野連の猿芝居に笑ってしまう・・・

 プロ野球の西武球団の裏金問題が明らかになり、早大野球部に所属していた選手が高校在学中から多額の金銭を受けていたことに、表面上驚愕の表情を浮かべた高野連のお偉方の大慌てしていた映像が思い出される。
 甲子園に出てくる野球名門の高校では野球留学が当たり前、特待生扱いをされていることは誰もが知っていた事実なのにもかかわらず、高野連のお偉方(不思議に会長と参事の二人しか表面に現れない)が、『始めて知った』と発言して世間から失笑をかったのは、つい一月ほど前・・・。
 世間の目を繕うがための発言ながら、振り上げた拳の下ろし所に困って、火種になった専大北上高校を『除名』にするとの姿勢を打ち出し、続いて『特待生はけしからん』ということで、傘下の高校に調査を命じた。
 その結果は新聞テレビでも報じられているが、最終的に『特待生』扱いをしていた高校は376校だと発表。高校野球ではかなり強いと言われていた県では『0』というから、中には、これ以上の騒ぎになるまいと見込んで適当な報告でお茶を濁した高校もあったようで、この調査結果は俄に信じられない。
 結果を報告した高校側は、以後『特待生制度は廃止します』と高野連には絶対服従の姿勢を示して一軒落着?という筋書きが、『貧しい少年を切り捨てる高野連』などとマスコミの大攻勢で流れがおかしくなる。
 ここぞとばかり、最近陰の薄い(就任直後は張り切っていた)文部科学大臣も『野球が続けられるようにしてほしい』などと世間受けする発言で高野連を牽制したものだから、二人のお偉方は『特待生』という言葉は使わずに『経済的に困っている子弟には奨学制度は許可』という言葉に変化、しかもその判断は学校に一任となったのには笑ってしまった。
 これで治まったのかなと思っていた矢先、除名を避けるために野球部を解散した火種の専大北上高校を再加盟承認という報道には驚いた。
 あれほど強い姿勢であった高野連のお偉方の『再加盟が早すぎるのではという考え方もあるが、学校側が一丸となって復帰に取り組んでいる印象を受けた。また選手諸君のプレーする機会を奪いたくない』という発言を聞くと、どうやらこのことは事件発覚と同時に仕組まれていた脚本通りだったのではと疑ってしまう。
 高校野球が国民的な行事となっている現在では、甲子園で優勝でもしたらそれこそ大騒動。優勝監督は翌日の全国の新聞紙面にはデカデカとその(監督としての)手腕を讃える記事が踊る。子ども達も故郷に帰ると大歓迎の嵐、パレ-ドなどでもてはやされる。
 優勝できなくても、甲子園に出場できたことでも大殊勲。学校の名前があがり生徒獲得にはこれ以上の宣伝はないと、地方での狂騒ぶりはお馴染みである。
 数年前、長崎の佐世保の県立の清峰高校が全国制覇をなし遂げたことは記憶に新しい。全くの無名高校が、あれよあれよと思う間もなく勝ち進み、その清々しさが全国のファンの心をつかんだものである。
 優勝で学校の知名度が上がり、最寄りの駅が『清峰高校前』と変わるほど人気生徒が集まりやすい環境が生まれ、野球部員も増えて活気がでているようだが『寮費免除』などの特別待遇は全くないという。
 それでも、毎年のように強豪高校を打ち負かして出場もしくはそれに近い成績を上げているのは、選手を育てるという監督の手腕と選手達のやる気ではないだろうか。
 この学校のように指導者が選手を獲得することではなく、育てることに重点を置く学校がもっと増えてくれば、高野連のお偉方の姿勢もそれなりに穏やかになるのだろうが、目先の名声を求める輩が監督やコ-チになっている現実では、道は険しそうだ。(田舎親父)

2007年5月27日 (日)

殺人を過失致死にすり替える輩の心は鬼畜以下・・・

 以前にも取り上げたこの事件は一審も二審も、犯行当時少年だったということで無期懲役の判決だったが、最高裁が『刑量が甚だしく不当』という違例の差し戻しを命じたことで注目されている。その裁判が広島高裁ではじまった。
 8年前、山ヂ地検光市で当時18歳だった男が母子を殺害した事件である。誰からみても、この男が自分の欲望のために全く罪のない母子を殺害したことは間違いない事件、なのに何故21人もの弁護士が名前を連ねているということが気になる。
 殺人犯であっても国選の弁護士がつくことは知っている。その数が何人なのか浅学の私にはわからない(知ろうともしたくないのが事実)が多くても数人であろうはずなのに、21人もの専門家が口を揃えて殺人犯を弁護するのは何が目的は・・・。
 21人もの弁護士の費用を犯人側の誰かが支払うのだろうか。犯人の背後には金がうなるほどある人物がいるとはとても思えない。金でないとしたら、集まった理屈は一つしかない。『死刑』は人権に反するから廃止するという主張であろう。
 極論すれば、彼らはこの事件で『死刑』を回避できたら『いかなる事件でも死刑の言い渡しができなくなる』と、手段を選ばず『死刑』という判決だけは出ささないようにが、殺された母子の人権や遺族の人権や感情など、一切おかまいなしの考え方で集まった集団だとしか表現できない。
 中には、心の中では『死刑もやむなし』と思っていながらも、万一『死刑』を回避できたら自分の弁護士としての株が上がると考えている輩もいるのではないだろうか。
 その弁護士達が口を揃えて言うのは『強姦されそうになっても抵抗するな』『抵抗するから殺されたのだ』という理屈らしい。犯人が言う『抵抗するから、首を締めたところ死んじゃった』という言いぐさを、そのまま受け取り『殺意はなかった』から『傷害致死』だと主張しているというから呆れる。
 母親が抵抗する様子をみて泣き続けていた一歳にもならない子どもを床に赤子を叩きつけて殺したことに対しても『泣き止ませるために首に紐をチョウチョ結びにしたら、首が絞まって死んだ』と言う言い訳を、これも傷害致死だと口を揃えて弁護する21人もの弁護団の人格はまさに異常、まさに鬼畜の魂。まともな人間では絶対に持てない考え方である。
 当日テレビで妻を殺された夫が『怒りを通り越して失笑した』と発言していたが、こんな弁護士達に対して、憤りで胸が張り裂けそうになり『失笑』という言葉が口から出たのではなかろうか。
 弁護団は、当初は反省の気持ちが見えなかったが今では心から反省していると、一片の謝罪文を遺族に出したことで、この男が反省していると主張しているらしいが、謝罪文は弁護士から言われて仕方なく書いたと、遊び仲間に言っているというニュ-スさえまことしやかに伝えられている。
 弁護団は『十分更生できる』と言っているが、もしこの男が『死刑』にならず十数年後に社会に出て、再び犯罪を犯した場合、今回集まった弁護士達の中で一人でも何らかの責任をとるのだろうか。そんなことは『絶対に』あるわけがない。
 間違いなく『そんな事件がありましたか』とか『記憶にありません』というのに決まっている。弁護士達が『この男が反省してことを証明します』という念書でも書いて弁護するならいらしらず『少年だったから』とか『反省しているから死刑だけはゆるしてやってよ』というのは無責任極まりないというしか言いようがない。
 『死刑は人権侵害』という弁護士達は、何の非もなく殺された人の人権をどう考えているのだろう。この母子や遺族の人権は踏みにじっても良いのだろうか。死んでしまった人間には人権はないのだろうか。馬鹿な弁護士達に対しての怒りは治まらない。
 遺族の夫の『どんな判決になったとしても、判決後に謝罪の手紙が続けば本当に反省したと思う』という言葉が重い。(田舎親父)

2007年5月26日 (土)

アメリカの植民地にはなりたくないが・・・

 『言うことを聞けば金を恵んでやるが、聞かない奴からは搾り取れ』
 この言い方はどう見ても、テレビで流している下手な時代劇に出てくる悪代官のセリフだとしか思えないのだが、民主主義を売り物にしている『日本』という国の舵取りを任されている?輩が言っているというから驚く。
 以前も取り上げたが、突如としてアメリカが示してきた我が国に駐留している軍隊を再編成するという提案に、その費用をすべて出しますとアメリカに追従したものの、当然のことだが基地問題を抱える自治体は簡単には納得しない。
 そこで考え出された手法が、冒頭の『言うことを聞けば金をやる』という、まさに札束で横っ面を張り倒す方法。政府は法律で決めてしまえばこちらのものとばかり、在日米軍再編を円滑に進めるための『在日米軍再編促進特別措置法』を国会に提出して、強引に可決してしまった。
 米軍施設などを受け入れる市町村に、その協力の度合いに応じ交付金を出して協力を促す『再編交付金』制度を創設するというのがこの法案の内容であるが、いうことを聞かなければ『びた一文』出さないことが合法になるのだから恐ろしい。
 さらに、沖縄の米海兵隊のグアム移転に伴う費用はすべて日本の負担することを明文化し、その負担のため国際協力銀行からの融資や出資が可能となるようにして、あたかも国際的な事業のような印象を与えているから、やり方は無茶苦茶、強引そのものとしか表現できない。
 現在の国会は、衆参両議院とも自民党と宗教政党が数合わせのためだけの理屈を作って数の上では過半数を上回っている。両党の中にも正義派がいるだろうが、親分に反対したら除名という強権のもと、批判さえできないような雰囲気を作っているので、親分とその取り巻きが自分達に都合のよい法案を通す気になったら、そのまま思い通りになってシステムが出来上がっている。
 民主党など野党は反対しているものの、民主党の中にも集団自衛権などについては自民党に同調するものもいるらしいから小沢さんも苦労するところ、党として何がなんでも阻止するという意欲に欠けるきらいがあるように思えてならない。
 厚木基地から米空母艦載機を岩国基地に移すという案に、当時の厚木市長が歓迎という表現をしたことに私は同じ県民として恥ずかしいと表現したが、座間市や大和市など基地周辺の自治体の首長はさすがに大人の対応、厚木市長も以後発言を謹んでいるようだ。
 一方、岩国市が絶対反対するのは当然だが、中には『金に目がくらんだ一団』がいないわけではない。早速、国から新庁舎建設への補助金を打ち切られるなどしたことから市の財政基盤が弱くなり『受入れ派』の勢いも強くなったという。
 移転反対の市民の『庁舎建設費問題などで住民の人間関係もぎくしゃくした。弱者をお金で釣ればうなずくだろうという国の考え方はおかしい』という血も凍る憤りの声を、この政策を進める担当者はどう受け止めているのだろう。
 沖縄の現状はもっと凄いことになっているらしいが、マスコミはほとんどそのことを報じない。先日新聞にちょっと、反対住民を排除するために海上自衛隊が出動したというニュ-スが掲載されたが、その後のそれに関する続報はない。
 事実だとした、自衛隊という軍隊がまさに治安という名目で出動という大問題。政府が言論統制をしているとは思いたくないが、たとえ圧力があったとしても、沖縄の現状をきちんと報道するのがマスコミの使命ではないのだろうか。その意味で、マスコミはすでに『金と権力』に魂のすべてを売り渡したように思えてならない。
 最近我が国を取り巻く情勢を考えたとき『国の防衛』は重要な課題であることは疑いのない事実。その意味で、アメリカ軍の存在は重要で単に『米軍出て行け』という掛け声には賛成するつもりはないが、だからといって100%アメリカに尻尾を振っている日本政府(自民党や宗教政党)のやり方は許せない。
 殺人事件などが日常茶飯事になっていることも、何やら得体のしれない悪魔が日本人総体の魂を徐々に蝕んでいるように思えてならない。(田舎親父)

2007年5月25日 (金)

何か違和感がある終末医療に警察・・・

 先日、和歌山県の病院で、患者の家族の切ない願いを受けて、50代の男性医師が延命措置中の80歳代の患者の『人工呼吸器』を外して死亡させたとして、県警がこの医師を『殺人容疑』で和歌山地検に書類送検したというニュ-スに驚いた。
 人間の終末期医療についてはさまざまな議論があることは知っている。心臓が再び動きだす可能性が全くない停止を『死』と認定することは誰も異論がないが、心臓が機械の働きによってかろうじて動いているが脳がまったく反応していない、いわゆる『脳死』という状態をどう扱うかが問題になっているようだ。
 評論家的な発想で言うと、脳が完全に死んでおり今後生き返る可能性などないのに、延命処置と称して、人工心肺機能をフル稼働して一応『生存していると』いう理屈はどうみても過剰医療だと思えてならない。
 親族や親しい関係者の間では『それでも生きていることには違いない』という意識になるのも心情的に理解できないことはないが、その家族から『かわいそうなので呼吸器を外してほしい』と言われた医師が、延命装置のスイッチを切ったことが『殺人』として送検されるのは、私にはどうしても納得できない。
 警察としては、建前は『尊い生命の問題を、一人の医師が決めるのがけしからん』というのだろうが、やや越権行為のような気がしないでもない。ただ、警察が動くということは、ひょっとして『医師が独断で電源を切った』という訴えがあったのかもしれないが、どちらにしても、最近終末医療のあり方で警察が乗り出すことが多いのが気になる。
 かなり以前のことだが、川崎市で延命装置の電源を切ったことに対して、女性医師が送検起訴された裁判がまだ続いていると記憶している。また、去年だったか、富山県の病院で担当医が延命装置の電源を切ったことで、患者を7人死亡させたという事件もいまだに警察の捜査が続いているらしい。
 警察としては捜査し始めた以上『面子』もあるだろうが、患者に対してある程度責任ある立場の家族から『延命措置不要』の申し出があったということが判明した時点で、これ以上の捜査は打ち切るべきだと思うのだが・・・。
 こんなことを書くとまたまた人権派と称する人々や、実際に延命処置をしている患者の家族の方から批判がくるだろうが、医療とは現在病気で苦しんでいる患者を、さまざまな医療機械や薬品を駆使して、より健康な身体を取り戻すようにするか、あるいは患者に少しでも生きている喜びを感じさせられるようにする処置などではないだろうか。
 その意味で、脳死状態が続き蘇生する可能性限りなく『ゼロ』に近い患者を人工の延命装置という機械をつかって(言葉を選ばす表現するならば)かろうじて肉体を腐敗から免れるようにする措置が、とても医療とは思えない。
 聞くところによると、延命装置を勧める病院も多いらしい。延命装置を動かすのに日々相当の金額が必要とも言われている。病院の維持管理をするための金を稼ぐのに、この延命装置は必要だとか、だからこそ集中治療室に複数の延命装置を設置している病院もあるという話さえもれ伝えられる。いずれもあまり面と向かって聞きたくない話である。
 私的には、自分が生きているという意識がなくなってまで、機械によって肉体的に腐敗を免れるような措置だけは受けたくないと思っており、何らかの形で遺言として残しておきたいたいと思う昨今である。(田舎親父)

2007年5月24日 (木)

アメリカザリガニがはしかの特効薬・・・?

 『はしか』は少年期の病気だという認識を持つ人が多い。私もその一人であり、昔から『はしかに罹るのはできるだけ早い方が良い』とか『大人になってはしかになると回復が遅れたり、生殖能力などに後遺症が残る』などと言われてきたかもしれないが、過去にまわりの大人の発症例にぶつかる機会が少なかったからだろう。
 私もはしかには小学生の頃に罹った。予防接種などなかった時代だったこともあるかもしれないが、当時はからだが弱くすぐ高熱を出して『ひきつけ』をおこしていたものだから、このときの高熱も風邪だと思い家庭薬を飲んで寝ていたようだ。
 こんな場合、小学校に入学する前から母親が結核で寝込んでいたので、熱が出たら半年に一度ぐらいの割りで各家庭を訪れ置いておく『富山の薬屋の薬袋』から熱さましのトンプクを取り出して飲んで寝て汗をかくのが治療法、これが私の身体に合って大体は数日で回復というパタ-ン。家人も心得たものであった。
 ところが、そのときは数日しても熱がひかず、全身に発疹がでてきたのではしかだろうと判明し、さすがに父親も心配したらしく町医者にかかったようだが、そのときはかなり重症に陥っていたようでなかなか回復しなかった記憶がある。
 誰が言い出したのか今まったく思い出せないが、『はしかにはザリガニが特効薬』ということになり、大きなアメリカザリガニを茹でたものを食べさせられたものである。
 多分今思うと回復期に向かっていたのだろうが、不思議なことに翌日には熱が引き何事もなかったように回復したものだから、私は『アメリカザリガニがはしかの特効薬』という思いを刷り込まれてしまい、はしかと聞くはアメリカザリガニを連想してしまう。
 前書きが長くなってしまったが、このところ首都圏の大学生にはしかが大流行しているとのニュ-スに、久しぶりに『アメリカザリガニ』を思い出し、このことを誰かに伝えたくなってしまい今日の話題にしている。
 3月ごろから大学生の感染者が増え、休講する大学も増えているらしい。はしかは一度かかると免疫ができるというから、最近の若者は少年期にはしかに罹ることが少ないようだと、改めて自分の育ったころとの環境の違いを感じている。
 はしかの予防接種は東京オリンピックの頃からはじまったらしいから、(私が受けていなかったのは当然)現在の大学生なら誰もが受けていると思っていたが、副作用などが問題になって絶対に受けなければならないものではないらしい。
 感染している学生の多くは、子どものころに予防接種を受けていない人や、受けても時間がたって免疫が低下した人だという。(免疫がなくなるような、薄い予防接種など意味ないような気もするが・・・)
 多分に今の過保護の親達の多くに、はしかに罹る患者が少なくなり自然感染の機会が激減したことや、マスコミの『はしかの予防接種の副作用で死亡』などというセンセ-ショナルな報道を鵜呑みにして予防接種を嫌う傾向があるようだ。
 はしかは感染力が強いために患者が1人出ると周囲に広がる可能性は高い。とりわけ若者は行動範囲が広いため、ウイルスが広がりやすいことは理解できるが、先日の早稲田大学が都内や埼玉県にある全学部・大学院を休講にするというニュ-スにはびっくりした。
 テレビでは大学の門の前で戸惑う学生達の姿を映しだしていたが、突然校内にも立ち入りが禁止された数万にも及ぶ学生たちは前代未聞のこの処置に、どうしたら良いのかわからず困ってしまうだろう。
 早稲田大学といえば、甲子園で活躍したハンカチ王子こと斉藤選手の活躍などで、六大学野球が盛り上がり、伝統の早慶戦で優勝が決まるということであったが、今回のはしか騒ぎで試合が延期されたという。
 マスコミは多くの学生の戸惑いなどはサラリと報道しているのに対して、こちらの報道には熱心。視聴率が何よりのマスコミにとっては、当然といえば当然だろうが、学生の将来をも左右するはしかの流行より、一野球選手の動向の方が大切だという姿勢は正常とは思えない。
 昨日、NHKの『クロ-ズアップ現代』で、はしかの流行のことを取り上げていた。私がいまだに半分信じている『アメリカザリガニ』はともかく、はしかに対しては我が国の医療は発展途上国とのこと、これはちょっと意外であった。(田舎親父)

2007年5月23日 (水)

移植か伐採かより本当に地下鉄が必要なのかを・・・

  仙台市の表玄関・青葉通のケヤキ並木を移植するか伐採するかの処遇を巡り、杜の都が揺れているとのニュ-ス。
  地下鉄建設のため、223本中50本を撤去する必要があるからそうだが、ご多分にもれず仙台市も財政難で苦しい財政の中から、巨額の移植費用の捻出に議員の多くが反対しているという。
  仙台のシンボルで、戦後復興の象徴でもあるケヤキを移植して守ろうという声が上がるのは当然だろうが、移植のために1億6000万円という金額を聞いては簡単に賛成できない人たちの意見も常識的に当たり前・・・。
  困った市長は、この論争に決着をつけるべく、近く住民アンケートを実施するというが、市長としては伐採した場合の責任追及(環境破壊や予算の執行の両方の)を避けたいために違いないのは誰の目にも明らか、市民こそよい迷惑だろう。
  市側の思惑は『1億6000万円という巨額の費用をかけてまで移植という市民は少ないだろう、だから伐採という意見が多いのでは』と期待?しているのではないだろうか。ところが、ごく普通の市民は市の財政などほとんど興味が無いのが現実、その程度の金額で『杜の都のシンボル』が守れるなら安いものだと考えたらとなると、移植すべきとなるのでは・・・。すると大変。
  市側は市民の声を聞いた以上移植に踏み切らざるを得なくなり、すると当然の結果として他の予算を削らなければならなくなる。福祉など市民生活に大きな影響を受けることは必至。結局は、移植にせよ伐採にせよ造園業者を含めた建設業者だけが大儲け、という図式か・・・。
  私も何度か仙台を訪れたことがあるが、ケヤキ並木は風情がある。この並木は戦後、焼け野原となった目抜き通りを拡幅する際、『杜の都を再建しよう』と当時の市議らが寄付したのが始まりだという。現在では最高樹齢が110年もの巨木があり、今回対象とされる50本にも枝張り18メートルの巨木があるらしい。
  私の勝手な想像であるが、延長距離14kmほどの動物園と流通センタ-を結ぶリニアモ-タ-式の地下鉄のために、はたして『杜の都のシンボル』を無くしてまでも必要と感じている市民が圧倒的多数だとは思えない。(門外漢の無責任な意見かもしれないが)地下鉄をわざわざ作るより、むしろ地上の交通機関の整備や景観整備の方が緊急かつ合理的な方法ではと思えるのだが。
  電柱などを地下に埋めて、景観をすっきりさせることによって、ケヤキ並木の美しさを引き出す。そうすることによって車の通行も安全で快適になるだろう。私には、巨額の資金を投入し、わざわざケヤキの大木の処遇のために無駄な論争をしてまで必要地下鉄を作るより、こちらの方がよほど魅力的な『杜の都』の姿として見えてくるのだが・・・。
  これはどの都市にも言えることであるが、目先の利便性と経済効果?に目がくらみ、歴史的な建造物や景観を簡単に取り壊す傾向がある。そして出来上がったものは、無個性で全国どこにでもある建造物や町の姿・・・。地方の文化や伝統が容赦なく消されてしまい『一体ここはどこ・・・』となってしまうことを嘆いているのは私だけではないだろう。担当者は、もう少し永い目で自分たちの都市つくりを考えてほしいものである。
  それにしても、一本のケヤキの大木を移転するのに320万円とは恐れ入る。伐採するのも60万円かかるらしいが、どちらにしても無駄なことに違いない。
 市長は『アンケート結果に従うというより、市民の意見を聞いて慎重に判断したい』と話しているらしいが、もう一度原点にかえり、移植か伐採かの二者択一より、地下鉄そのものに対して意見を聞く耳は持ってほしいものである。(田舎親父)

2007年5月22日 (火)

秋に連休なんて・・・

 参議院選挙に向けて各政党は、なんとか自党の勢力をのばしたいと必死のようだ。特に自民党などは議席を獲得するなら手段を選ばないとばかり、政治とはまったく縁のないタレントやプロレスの選手を担ぎ出そうと片っ端から声をかけているらしい。
 その誘いにホイホイは乗る輩が多い中、サッカ-の三浦選手のはっきりNoという返事はスポ-ツ選手として久しぶりに気持ちの良い潔さと大拍手。自民党も政党として国民に責任を負うという気持ちがあるのなら、きちんとした政策が自分で打ち出せるような人材を発掘する努力をしてほしいものである。(もともと無いらしいからこれは無理か・・・)
 選挙に勝つためには、今の流行りを敏感に嗅ぎつけなければならないのは当然とばかり、夕張の財政破綻が引き金になって都会と地方との格差がテレビや新聞で大きく取り上げられるようになると、早速地方の農村の活性化を売り物にして票を集めに作戦を展開し始めたようだ。
 今までまったく聞かれなかった『ふるさと納税制度』などはこの典型で、地方出身者が自分のふるさとに地方税の一部を納めるというものらしい。
 財政的に大変苦しい運営を強いられている地方の自治体にとって、都会で生活している人から、たとえほんの少しでも税金をいただけるこのシステムは喉から手が出るほどほしいはず。なるほどうまい手を考えたものであるが、すんなりと手続きが進行するとは思えない。
 都会在住の全員が納税するならいざ知らず、納税には承諾が必要だろう。地方自治体はあの手この手で納税してもらう都会生活者に獲得するために、いろいろとアイデアを出すのだろうが、そのために新たな人材と予算が必要になり、はたして元が取れる補償などないのが現実・・・。
 地方の努力が必要という大義名分で地方交付税を減額したことは決して間違いではないだろうが、どんなに努力してもできない場合は、国が集めた税金を地方に回して、都会在住者に準じる行政サ-ビスを受けられるようにするのが国としての義務だと思うのだが、中央を牛耳っている政治屋さん達の頭には、そんな考えはないらしい。
 むしろ口先だけで票集めをするのが大切とばかり、地方が喜ぶような政策が次々と発表されている。先日の新聞には、新たに『農山村留学1000億円』とか『農村の戸別補償に1兆円』などという活字が並ぶのも、この種に連動しているのに違いない。
 それはともかく、宗教政党が言い出したと言われている『秋に連休』という馬鹿馬鹿しい提案を、何でも票に結びつけたい自民党の幹部たちが本気で検討し始めたという話には笑ってしまう。
 宗教政党の当初の提案は『文化の日』の前後に『体育の日』と『勤労感謝の日』を移し、3連休を創設するというものだったようだが、こんな無茶苦茶な提案を自民党の一部が賛成したというから、こいつらの頭脳構造はいったどうなっているのか頭をかち割って調べたいものである。
 さすがに自民党内の内部に『勤労感謝の日』という古来の『新嘗祭』の日を移動することには反対する声が多く、妥協案として『体育の日』を移動させて二連休にすることで落ち着いたらしいが、すでに、10月10日という東京オリンピックの開会式を記念して決められた日、連休にするためにと勝手に第二月曜日とされてしまっている『体育の日』などは、票のためなら・・・。
 話は飛ぶが、学力低下が叫ばれ学校現場では授業時間数の確保に血眼になっているが、この秋の連休案が通ってしまったら、学校は一体どうなってしまうのか、現場の苦労を思うと背筋がゾッとする。
 宗教政党や自民党の一部の賛成者は、連休になるだけで休みの数は変わらないから子どもたちは喜ぶだろう、と単純に考えるかもしれないが、子どもの学習ペ-スが休みをはさむと大きく変わることなど考えられないようだ。こんな輩がやれ『学力低下』だ『教育改革』だとのたまうものだから、教育界があれるのは当然だろう。
 長期の休みの後しばらくは授業として成立させることすら難しい現実、今年のような大型連休であっても学校はカレンダ-通りの日程、連休の谷間である5月1日などまともな授業などやっている学校などほとんどないことを知るべきである。(田舎親父)

2007年5月21日 (月)

予想通りの展開になってきたかな・・・

 いろいろな意見がある中、熊本市が認可した(いわゆる)『赤ちゃんポスト』が運用をはじめたその日、3歳の男の子が投げ入れられていたというニュ-スに、『やっぱり』という思いをした人は私だけではないだろう。
 病院としても、まさか3歳の子どもが捨てられるとは想定していなかったようで、なんとか内密で処理したかったのだろうが、隠しきれなくなって1週間も過ぎてから発表とはあまり褒められたものではない。
 報道によると、この3歳の男の子は福岡から父親に連れられて来たらしく、対応した職員にニコニコしながら『(父親から)かくれんぼしようと言われた』と話しているという。まさか捨てられるとは思わず『しばらくここに隠れていなさい・・・』と言われて身を縮めていただろう子どもを思うと涙が出る。
 この父親はどんな気持ちでこの子を『赤ちゃんポスト』に置き去りにしたのかは、その心情はよく理解できないが、3歳にもなったら子どもなら自分の名前をはっきり答えるだろうし、父親の名前や住んでいる場所なども言えることなど考えもしなかった?・・・。
 普通の感覚をもった人間ならば、誰が捨てたのかすぐわかってしまうだろうに・・・。それを承知で子どもを置き去りにしたとなると、この父親は病院の姿勢を熟知して、たとえバレ多としても外部には名前がでないだろう、上手くすれば預かってもらえるのではないかという確信犯。子どもは親を選べないと言うがまさにその通り、こんな親の子どもに生まれたこの子が哀れ。
 通報を受けた熊本県警は、男児の健康状態が良好で、安全が確保される病院の施設に置かれたことなどから、男児を手放した父親の行為が『保護責任者遺棄罪』にあたる可能性は低いとしているらしいが(我が子を置き去りにした事実に対して)こんな判断で本当に良いのだろうか。
 その後のニュ-スが流れないので、我が子を置き去りにした父親がどうなったか推定するしかないが、厳重注意程度で済まされたとしたら、我が子を置き去りにする親が続発するような気がしてならない。
 今回は3歳という物心がついた幼児であったことから、親がすぐ判明したようだが、言葉がしゃべれない乳児や、知的障害などで自分がまだ確立できない幼児ならば身元がばれる心配がないと思ってしまう馬鹿な親たちが『たとえバレたとしても赤ちゃんポストに捨てるのは罪にならないようだ・・・』と思ってしまうことが恐ろしい。
 父親が心から反省し、子どもを引き取って育てるならば、メデタシ・メデタシとなるのだが、確信犯だと考えるとそうたやすく反省するとは思えない。ならば、病院で預かるのが良さそうだが、数年過ぎた時点で『親に捨てられた』と理解できたときの子どもの心理を思うと気持ちが暗くなる。
 ともあれ、はじめてしまったこの制度、熊本市と病院は同じような事件が起こらないような対策をきちんと打ち出す責任は逃れられないだろう。(田舎親父)

2007年5月20日 (日)

なかなかやるじゃない『むつ市』・・・

 最近、一部の自治体でも『小中一環教育』が少し話題になりかけているが、先日、青森県むつ市の教育委員会が市内の全小中学校で『小中一貫教育』を実施するため、教育関係者らでつくる検討委員会に基本方針案を諮問した、というニュ-スは注目に値する。
 私は以前からやるのであれば『中高一環ではなく小中一環』が望ましいと主張しているが、ここ数年話題になるのが『中高一貫教育』ということが多かったので、むつ市の姿勢はまずもって歓迎したい。
 学力低下を防ぐために学校間の競争が必要ということが言われるようになり、最近では小学校から学校選択性なる馬鹿馬鹿しい制度が大流行。また、公立の中学校は『いじめ』が多いという風潮が広まり(私立だって同じだということを何故理解できないのかわからないが)猫も杓子も『私立』というアホな流行で中学校から私立という私立指向も強くなっている。
 もっとも何がなんでも土曜日を休みにしてしまった弊害で、公立の学校では授業時数が激減していることは事実、私立の中学校の方がいわゆる『学力』がつくのは当然と考えるのは当たり前だろうが・・・。
 各地の教育委員会は公立人気を取り戻そうと、無理やり『中高一環教育』を進めているが、その目的が教育本来の『豊かな人間づくり』というより『一流大学への合格者の多い学校』と子ども集めのための見え透いたもの。あまり褒められたものではないので、かえって混乱させているのが現実らしい。
 地方交付税の減少で、ほとんどの自治体が財政的に苦しくなり、あらゆる行政サ-ビスが縮小ないしは廃止に追いやられている。先日、NHKでも取り上げていたように、医療や教育などでは都会と地方の格差がどんどん開いている。
 国民は等しくその権利を有する、と日本国憲法にうたわれているように、生活する上での行政サ-ビスに格差があること自体憲法違反だと思うのだが、この国の指導者たちは自分の懐を潤すことしか考えない輩が多いので、票にならない地域のことなどまったく目に入らないらしく、地方がいかに疲弊しようが知ったことではないようだ。
 政権を独占する自民党の中には地方代表がいるはずなのに、その仕組みはやくざの社会と変わらないらしく、上に楯突くと公認がえられず、下手すると『除名』されるので親分の言いなり、自分の出身地方のことを考えることもできないのが現状のようだ。
 話を基に戻すが、教育とはいえ経済を無視することはできないのは当然。教育にかかる費用はそのほとんどが教員の人件費。人件費をなんとかしなければならないのが緊急課題であることは経済音痴である私でも理解できる。
 子どもの数が減っているので、都会であっても小中学校の統廃合が日常的な話題となっているのが現実では、地方の子どもが20人程度以下という小さな学校を廃校にせざるをえないのは仕方ないだろう。
 どんな小さな自治体でも教育委員会を存在させなければならないことと、いかに小さな学校であっても校長や教頭という管理職を置かねばならない今の制度にメスを入れるべきだと以前から主張しているが、経済的な見地からもそろそろ本気になって考える時ではないだろうか。
 その方法だが、例えば現在の小中学校は一旦すべて廃校とし、新たに『小中一環学校』を設立する。数は現在の小学校と同じ数、すると少なくとも中学校の数だけは学校を減らすことができる。しかも各学校の管理職は一人にし、数校に統括する管理職を置くことによって管理職の人数を半減するというのは暴言だろうか。
 今、教育関連法なるものが問題にされているが、教員免許の更新などより、免許そのもののあり方まで踏み込んで議論し、小学校や中学校などの区別なしに優秀な教員(誰が評価するのかが問題だが)を育てるシステムを整備するのが緊急課題だと思うのだが・・・。
 現在の6・3制を根本から改めて、9年間の一環教育を学校に裁量にすれば素晴らしいアイデアが生まれてくるのではないだろうか。
 むつ市が、はたしてここまで考えて市内の小中学校をすべて一貫性にするとしたら、よほどの人物が教育委員会にいるのに違いない。だとしたら一度お目にかかりたいものである。(田舎親父)

2007年5月19日 (土)

いよいよこの国は滅びの道を歩みはじめた・・・

 私は旅に出たらコンピュ-タはじめメディアとは無縁の時間を過ごすようにしている。できればせめてもの間は、完全に情報社会から逃避したいと思っているのだが、時に信じられないような事件が勃発すると、見知らぬ人たちの話からでも事件の様子が伝わってくることがある。
 今回もその例で、母親の生首を持って警察に自首した高校生の事件は、南信州の温泉につかっている時に、周りの人たちが声高に話す噂話から知ったものである。
 当初は信じられなかったが、どうやら事実らしい。以前、このコ-ナ-で親子間では何でもありの事件が発生するだろうと述べたがその通りになってしまったようだ。それにしても、親殺し・子殺しが最近日常茶飯事とはいわないまでも、かなり頻繁に報じられるようになったが、殺害した上に頭部を鋸か何かで切り離して鞄に詰め込んで持ち運ぶなんていうのは前代未聞、この高校生の精神状況はまさに普通ではないようだ。
 一昨日帰宅して、改めてこのニュ-スをネットから取材したが、この猟奇的な犯行の舞台は、鶴ヶ城や白虎隊で知られている静かな地方都市、私も何回か訪れたことがある。
 『母親を殺した』と切断された人間の頭部を持って会津若松署に自首したというが、警察官とはいえ人間の生首など映画やドラマの世界、鞄の中身を見た瞬間卒倒するほどの驚きを示したことは想像に難くない。
 調べでは、この高校生は特に取り乱した様子ではなく、署員に『夜中に寝ている母親を、刃物で殺した』と話したというからその場面を想像するだけでも背筋が寒くなる。
 この少年は中学まで会津若松から20kmほど離れた金山町という新潟県境の山村で育ったが、高校に通うために弟と市内のアパ-トで生活していたというから、家庭環境はかなり恵まれていたようだ。
 金山町の場所を地図で確認したが、会津若松とは只見線でつながっているから通学するのは決して不可能な距離ではないようだ。アパ-トで一緒に生活している弟は別の県立高校に通っているというから、農協の職員という父親と保育士の母親は相当教育熱心でどうしても東京の一流大学にでも入学させたかったのではないだろうか。
 この少年は中学まではきっと成績もよかったのに違いない。我が子の才能を信じて、より学力が上位な高校に通わせることによって将来が開けると思うのは親として当然だが、過疎の町で育った子どもが、突然都会での生活、大勢の同世代の子どもたちとの人間関係で悩むことなどは想定していなかったようだ。
 案の定というか、少年は高校生活にかなり悩んでおり学校を休みがち。しかも精神科に通院中立ったらしいが、(母親としては)何としても立ち直らせたい、立ち直ると信じてアパ-トを訪れ励ましていたに違いない。
 生徒数の少ない過疎の町の中学では秀才でも、都会にでてきたら自分と同じ程度の学力を持つのは当たり前、しかも地方都市とはいえ、都会で育った子どもたちとの考え方の差が生まれ、それが劣等感となることはよく聞く話である。
 頻繁に訪れる母親は、思春期の男の子のこの真情が理解できず、ただただ『頑張るのよ』と声をかけて、身の回りの整理や気持ちを高ぶらせないようにするのが精一杯、少年としてはそんな母親がうるさい存在として精神的に追い詰められたのでは・・・。
 殺害された母親の冥福を祈り、残された弟や一家の人々のこれからを思うと胸が痛むが、何かの些細なことから殺意が生まれ(今までならここでブレ-キがかかるのだが)悪魔の囁きに屈して殺害に及んでしまった少年の犯行は(決して許容できることではないが)現代の狂っているとしか表現のしようがない社会では理解できないことはない。
 恐らく、またまた教育評論家や心理学者たち識者と呼ばれる輩が、さまざまなことを述べて原因追求などと大騒ぎするに違いない。形態が猟奇的だけにテレビをはじめマスコミにとっては絶好の餌食、視聴率さえ稼げれば良いというワイドショ-的な報道が続くだろう。困った傾向である。
 大事なことは、この事件は決して特別ではなく、子どもを持つ親にとって自分の身の回りでも、同様な(いやそれ以上猟奇的な)事態になる可能性もあり得るという危機感を持つことではないだろうか。
 先日も述べたが、この国の国民全員が幼い時から本当に命が大切だと身をもって体験してきたのか、胸に手を当てて考える次期に来たようだ・・・。(田舎親父)

2007年5月18日 (金)

自殺者が年間3万人を超える異常さ・・・

 蚕の先生と一緒に、15日の早朝から車を転がして南信州天竜村や遠山郷に出かけていたので3日間休載したことを陳謝。またまた素晴らしい出会いのあった旅であったが、このことはいずれ紹介することにして今日は・・・。
 先日の新聞に『自殺対策:政府が大綱案策定へ 原因つかみ具体策を』という大きな名見出しが踊っていた。内容は、今後10年間で自殺死亡率の20%減少を目指す具体的な政府の政策を紹介したものらしい。

 一時は毎年1万人以上も超える交通事故死者は6年連続で減少し、昨年は約6500人程度に落ち着いたが、自殺者の数は98年に一挙に増えて3万人の大台へ乗り、その後は決して3万人を下回ることはないという。
 交通事故と違い、自ら命を絶つという意志がある死亡原因が年間3万人を超える国は他にはない。比較するために人口10万人あたりの自殺死亡率という統計があるが、それによると日本の自殺死亡率は、実にアメリカの2倍、イギリスの3倍というから、これ異常という以外表現のしようがない。
 98年に一挙に自殺者が増えた背景には前年度経営破綻した山一証券などの金融不安と景気悪化があるという意見が強く、景気が回復すれば自殺は減ると、景気の回復が最優先課題とされていたが、景気が徐々に回復していると言われている昨今でも一向に自殺者の数が減らないことから、景気が悪化すれば自殺者が増えるというような簡単な構図では語れないようだ。
 何故一つしかない大切な命を簡単に自らの意志で失うのか、まずはこれを解き明かさない限り、自殺者減は望めないと『自殺の実態を明らかにする』調査・研究が必要とマスコミは大騒ぎしているが、自ら死を選択する瞬間の心理を解明することなど可能なのだろうか・・・。
 自分の前途に明るさが見いだせないことは明らかで、生きる喜びを与えて上げることが何より大切だということを識者は語る。そのために、官・民が連携して『仕事上のストレス』や『借金など家計の問題』、青少年も含めた『うつ』など個別に解き放つような支援が必要だというが、これがなかなかやっかいで実際に効果をあげるような対策が見当たらないのが現状らしい。
 政府の関係機関や民間の支援団体が電話相談を開設しているが、相談に訪れる人たちは自殺に躊躇がある人たちで、実際に死に体と思った瞬間に実行に走る衝動的な自殺志願者?にとっては電話をかけること自体、思い当たらないのではないだろうか。
 ここで識者がいう『生きる喜び』って一体何なのだろうと考えてみるが、これがなかなか難しい。
 借金で身動きできない人にとって、当面金銭的な援助をすることによって自殺を思いとどめることができるかもしれないが、そのほとんどが金銭的に常習的な怠惰な性癖を持つ人間らしいから、しばらくするとまた借金を繰り返し、結局は自殺に至る時間を延ばすだけのようにも思えてしまう。
 仕事に対するストレスも同じような場面が多そう。自殺者をなくすもっとも有効な手段は、時間はかかるだろうし現実的でないと批判されるかもしれないが、幼い時からの『命の大切さを身をもって知る体験』しかないのではないだろうか。そのためには豊かな生活体験を実際に経験すること。というのが私の結論。
 現在のように、生まれた瞬間からすべてバ-チャルの環境で育ってしまっては、気がついたら自分で何もできない『自分が何者であるかさえわからない人間』を多く生み、自らの意志がまったくコントロ-ルできないのも当然・・・。
 子育てまで『親学』なんてマニュアルを作って管理ようとしていては、自殺者を少なくするどころか増やしていることに気づかなければ・・・・。(田舎親父)

2007年5月14日 (月)

これって どっちもどっち・・・

 女子中学生を誘拐・監禁した男が現行犯逮捕されたというニュ-スが新聞テレビで報道された。何でも出会い系サイトで知り合った中学3年生の女子生徒と待ち合わせてホテルに連れ込み監禁したというが、これって誘拐に当たるのだろうか。
 事件が起こったのは、先日地震で市のシンボルの亀山城の石垣が崩れたことで全国に知られた亀山市。逮捕されたのは愛知県の39歳の工員だというが、このところ出会い系サイトで知り合ったという少女と関係する事件が多い。
 報道によると、この男は女子生徒の父親の携帯電話に『娘を返してほしければ金を持ってこい』とメ-ルや電話で金の要求を繰り返したという。事実だとしたら明らかに金銭目的の誘拐だといえるが、待ち合わせて車で一緒にホテルに入ったというから『連れ込んで監禁』という表現が果たして正しいかどうか疑わしい。
 女子生徒がすきを見て父親に電話をかけて居場所を告げ、同日午後2時50分ごろ、捜査員がホテルの部屋に踏み込み、一緒にいた下山容疑者を監禁で現行犯逮捕したというが何か違和感がするのは何故なのだろう。
 毎日のように、警察官や教員あるいは自衛隊員やはてまた僧侶までが、18歳未満の少女たちとの淫行が明らかになって逮捕されるという事件が報道されるが、その動機が決まって出会い系サイトで知り合ったという下りがあることが気になる。
 確かに少年保護という見地から、18歳未満と知って如何わしい行為をすることは禁じる法律や条例が定められており、犯した者は厳罰に処せられることになっている。このことに疑義をはさむものではないが、男から強引にさそうというより出会い系のサイトを利用して、引っかかる男を待つ少女の存在が多いのではないだろうか。
 今回逮捕された男は仲間と共謀して金品を強奪する目的で出会い系サイトを利用したようだから厳罰に処されるのは当然だが、待ち合わせてついていった少女には一点の非もなく被害者という報じ方で果たして良いのだろうか。
 こんなこと書くとまた人権擁護大好きの方からお叱りがくるだろうが、今回の事件はともかく、この種の事件で逮捕された男の多くは普段まじめで周りの人は驚いているという記事が多いのも気になる。
 まじめな男たちが、ついつい携帯で好奇心から出会い系サイトにアクセス、まさに待ち構えている少女たちの網に引っ掛かり、まさかと思いながら偽りの幸運を信じて法を侵してしまう、という筋書きが多いのではないだろうか。
 マスコミは警官や教員のこの種の事件が大好きで、大々的に取り上げる傾向がある。逮捕されて本名でデカデカと報じられては身の破滅。せっかく獲得した安定した職業を失うことになる。
 確かに、何とか金儲けをもくろむ邪な大人たちから少年少女を保護することは必要。だからといって未成年と知って淫らな関係になることをすべて法で禁止することによって、少年少女が保護されるかというとそうでもないのではないようで、事実この法を悪用したさまざまな事件が報道されている。
 出会い系サイトという現在の犯罪の温床を許している現実や、よしんばこれらを取り締まれないとしても、誰もが簡単にアクセスできる携帯というメディアを子どもたちに何らの危機感も持たず持たしていることの方が、よほど問題だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2007年5月13日 (日)

親の留守中に・・・


 先週の火曜日の深夜の火事で幼ない子ども二人が焼死するという、またまた子どもが犠牲になる悲しい出来事があった。
 出火したのは東京港区の都営住宅、鉄筋コンクリ-ト9階建ての二階部分。この部屋には母親と4人の子どもが住んでいたというが、出火当時母親は知人と会いにでかけていて留守だったという。
 
母親と4人の子ども、普通に考えると生活するためにこの母親は大変苦労しているだろうことは容易に想像がつく。仕事の関係で人とどうしても会わなくてはならなくなったかもしれない。あるいは仕事そのものにでかけていたのかもしれない。しかし・・・。
 最近の若い親たちにとって午後11時過ぎは深夜とは言わないようだが、少なくとも子どもを育てている責任上、何故こんな時間にでかけなければならないのか理解に苦しむ。私の考え方が古いのかもしれないが、深夜とも思える時間に知人と会うために外出していたというこの母親に対し『何を考えているの・・・』という思いはぬぐい去れない。

 先日も、母親がスキ-だったかどこかに気晴らしにでかけている間に自宅が火事になり、幼い子どもが焼死するという事件が起きた。バチンコがやりたくなって駐車場の車に幼い子どもを置き去りにして、その結果こどもが熱中症で死亡。あるいは子どもを家に残してカラオケ三昧の間に、残された子どものライタ-で火遊びから火事、などこれでも親かと思われる事件事故が後を絶たない。
 報道されるこれらの事件事故の家庭環境が、母子家庭だったりあるいは母親が再婚した家庭だったりするのが多いと感じているのは果たして私だけなのだろうか。
 家庭環境を探るのは趣味ではないが、別の部屋にいて煙をすって病院に運ばれたという若い女性二人の存在や、中学生の長女と小学校5年生の長男が、幼い姉妹をかまわず逃げ出したことも気にならないこともない。
 幼い子どもがいた部屋から出火した可能性が高く、部屋の中からライタ-が数個見つかったとあるから、この二人の姉妹は寂しさからか(あるいは日常的だったか)ライタ-で火遊びをしていたのではないだろうか。ひょっとして好奇心から突発的にライタ-をこすってみたのかもしれないが、いずれにせよ子どもたちの前にライタ-を置き去りにしてでかけた母親の行為は責められるべきだろう。
 例によって翌日のテレビのワイドショ-はこの火事を取り上げ、直後に母親が駆けつけて泣き叫んでいたと、その部分を強調して大騒ぎしていたようだが、もう少し核心をつく報道ができないものかは思ってしまう。
 一番大切なことは、命をなくした幼い子どもたちに報いるためにも、視聴者(特に同じような境遇にある親たち)が、自分の子育てと比べて自らの態度を律することができるような内容にすることだろうと考えるが、いかが・・・。
 それにしても最近各地で火事が多い。しかも火事が発生すると必ずと言って良いほど焼死者が出るのが気になって仕方ない。
 多分に出火と同時に大量のガスが出て、そのガスを吸い込むことによって意識が無くなるので逃げるに逃げられなくなるのが大きな原因だろうが、それだけ建築材料や接着材料に有毒ガスがでやすい物質が含まれているのに違いない。
 このあたりきちんと報道することが大事なのに、この部分になると追求が弱くなる傾向があるのは、化学薬品関係の企業がスポンサ-になっていることが多いからだと考えるのはうがちすぎなのだろうか。
 火事で逃げ後れるのは子どもや高齢者、そして病人。こんなところにまで格差が広がっていることが悲しい。(田舎親父)

2007年5月12日 (土)

干ばつで湖が消える・・・

 5月9日の朝日新聞朝刊に衝撃的な映像が掲載された。
 『湖消えた』という白抜きのタイトルと『干ばつの豪 半世紀前は五輪のボ-ト会場』という見出しで紹介された、現在のウェンドリ-湖とこの湖で行われたメルボルンオリンピックのボ-ト競技で検討している日本チ-ムの姿である。
 おぞましい光景である。本当にこの2枚の写真が、50年という時間の隔たりはあるとはいえ、同じ風景を写したとは到底信じられない。たった半世紀でここまで変わり果てるとは・・・。自然の恐ろしさを改めて感じる。
 朝日新聞に掲載された写真と記事はメルボルンから西に120kmのバララック市にあるウエンドリ-湖の現在と50年前の姿である。この湖はオリッピックの頃には周囲6km、水深2mもあったらしいが、現在は湖底がむき出しひび割れしている無残な姿・・・。
 報道では、オ-ストラリアではここ10年ほど激しい干ばつが続いており、新聞やテレビは、干ばつ問題や節水に関するニュ-スを毎日のように流し続けているという。
 オ-ストラリアやニュ-ジ-ランドは気候変動で降水量が減り続けており、昨年は記録的な干ばつに襲われたとのこと、山火事なども頻発しているようだ。原因として地球温暖化や南極大陸上空のオゾン層の破壊などが言われているようだが、はっきりしたことはわからないとのこと、何となく不安になってくる。
 打ち続く干ばつのために、数日前にも取り上げたか、小麦の収穫が激減し価格が高騰しているというが、収穫量が減っているのだからこれは仕方ない。
 我が国では小麦はほとんどが輸入に頼っており、中でも最大の輸入国がオ-ストラリアである。当然なことだが、輸入した小麦粉を原料にして日本人の好みの製品に作り替えるのが製粉業、その大手の『日清製粉』は2月に24年ぶりの値上げをしたというから、問題は深刻である。
 小麦の輸入価格が上がれば、国内産の小麦も連動して上がるのは需給関係の常識、むしろ上げ幅は輸入物より大きくなるのも理解できる。国内産の小麦を使っている業者はごく少ないだろうと思われるが、お菓子やパンあるいはウドンなどを作っている人々にとってはまさに死活問題である。
 特に今人気の『讃岐うどん』業界は大変である。香川県は県立高校には『さぬきうどん科』なる学科なるものを作って人材を養成を要請しているほど力を入れているので、小麦粉の値上がりは、業界にとっては緊急事態・・・。
 県内の製めん業者が中心になって作っている『さぬきうどん協同組合』では『重油などの高値安定に加えて今回の値上げ。経営努力の限界に来ており、特に製めん業者にとって影響は大きい』と青息吐息の状態だという。工場出荷の製品の値上げは避けられない情勢だが、値上げをすれば900軒もあるという県内のうどん店の中には倒産する店も出てくるのは間違いない。
 困ったことに農水省の担当者は『高騰した翌年は作付けが増え相場が下がるのが普通なのだが、今回は高止まりしている。どうもバイオ燃料の需要で価格が上がるトウモロコシに引っ張られているようだ。今後小麦から転換するところもある』とまるで評論家のような見解。大臣が大臣なら下っぱ役人も似たりよったり。
 バイオエタノ-ル政策を打ち出しているのは環境省とともに農水省。自分で自分の首を締めていることに担当の役人が無神経な発言をしているのだから、国内産の小麦の収穫量を上げることなど望めるわけがない。
 政府・行政に期待できない国民は、ことここに来た以上、ただただオ-ストラリアに恵みの雨が降り続いてくれることを祈るしか方法がないらしい。(田舎親父)

2007年5月11日 (金)

我が子を殺すパチンコ依存症・・・

 パチンコ店駐車場の車内に子供が放置されているのを巡回中の店員が見つけ、熱中症などの事故を防いだケースが昨年度中に全国9道府県で37件、56人に上ることが業界団体の調査でわかったという報道に驚く。
 業界団体の発表だから、多分に手前味噌的なニュアンスがあるだろうが、それにしても最近の親の無責任さが浮き彫りになったニュ-スであるNHK総合「クローズアップ現代」でも取り上げられたが『バチンコ依存症』という病気が存在するらしい。バチンコののめり込み、やめようとしてもやめられないという症状で推定では全国に100万人もいるという。
 パチンコに通うために借金を重ね、家族や仕事を失う人も少なくないというから穏やかでない。現代のようなダイヤルを回すだけのパチンコにあまり興味がない私には、何故そこまでのめり込むのか理解できないがなんでも、大当たりが出て脳が興奮すると『コルチゾール』という沈静物質が分泌されるらしいことが研究でわかったという。
 よくぞここまで研究したものだと感心するが、この『コルチゾ-ル』という物質がやっかいで、興奮が続くと『コルチゾール』の作用が大きくなり少しの刺激では興奮できなくなるらしく、より強い刺激を求める結果パチンコがやめられなく『パチンコ依存症』になってしまう仕組みらしい。
 私が知っている頃のパチンコは玉を一つずつ入れてレバ-を親指ではじく方式と次に出てきた把手も握って回して玉を自動に打ち出す方式、いずれもバネ式なので、座り心地の悪い椅子に長時間座っていると疲労感があり『そろそろやめよう』という気持ちにさせられる代物だったと記憶する。
 ところが最近のパチンコ店は歓楽街に限らず、どこの駅前あるいは町の商店街などにも存在し『庶民の娯楽』が売り物。少しの時間とお金で遊べるというか、気軽に楽しめるということで暇と金を持つ町の年配客や主婦層に食い込むソフト開発に力を入れて、いかにも興味がそそるような趣向をしているらしい。
 当然遊びに必要な操作はダイヤルを少し回すことのみ。単調な動きは反射神経のみを必要とし、前頭葉だけが働くので脳も疲れない。かなりの確率で大当たりにぶつかるらしく、そのときは過剰とも思えるほど派手な演出。その達成感に快楽物質が大量に分泌、それを押さえるための『コルチゾ-ル』も増えるという筋書き。
 『コルチゾ-ル』の分泌を押さえる治療薬はまだ発明されていないので、パチンコ依存症を治療するのにはパチンコをやめるしかないのが現状。しかもアルコール依存症などと違い、身体の変調を自覚できないため一時的に我慢してもすぐに再発してしまうというから困ってしまう。
 この『パチンコ依存症』の親にとって(親ばかりではなく祖父母も最近は増えているらしい)、車の中は襲われる心配がないと勘違いして、なんの罪悪感もなく子どもを置き去りにするのだろうが、炎天下の車の中は大変な高温になり脱水症になり、時には死んでしまう事件が毎年のように報道されている。
 パチンコ業界も良心の呵責からか、親たちがパチンコに夢中になる間に車内に放置された乳幼児の死亡事故が社会問題化したため、『お客様にお願いします』というポスタ-を店内に掲示して注意を喚起するとともに、数年前から駐車場の巡回などに取り組みはじめた結果、店員が見つけた数字が文頭のものだという。
 一時の大当たりの快感が癖になってついついのめり込むのだろうが、結局のところ庶民から金を巻き上げることがねらいのパチンコ業界と、それを巧みに宣伝するマスコミによって知らぬ間に『パチンコ依存症』という病気にさせられていることになる。。
 このことに気づき、パチンコに対して疑問の姿勢を持たない限り、子どもが車中に閉じ込められる事件は後をたたないのではと思うのだが、全国どこに行っても見つけることができ、しかもその数を増やしているパチンコ店を見ると、その可能性は限りなくゼロにちかいのでは・・・と思ってしまう。(田舎親父)

2007年5月10日 (木)

高速道路への投石は明らかに殺人未遂・・・

 大型連休がはじまったばかりの2日の夜、岡山県の山陽自動車道に石や花火が投げ込まれるという事件があった。
 その時刻に上がり線を走行していたトラックや乗用車から、道路管理をする機関に『石に乗り上げた』あるいは『花火が飛んできた』などとの通報が相次いだという。午後8時ごろというからあたりは真っ暗、状況がよく分からない中、運転している人たちは何が何だかわからなかったのではないだろうか。
 時速100km程度の高速で走行している車が石に乗り上げたらどうなるか、想像するだけで恐ろしい。間違いなくハンドルをとられるだろうし瞬間的に急ブレ-キを踏むのは当たり前、衝突や追突事故がでなかったことが奇跡的と言っても良い。
 連絡を受けて警察が調べたところ、約100mにわたり、本線上や路側帯に大小の石数十個やロケット花火など20本が散乱していたという。
 山陽自動車道のこの区間には、一段高い位置に並行して一般道が走っており、何者かが上からフェンス越しに、石や火の付いた花火を投げ込んだ『悪質ないたずら』との発表だが『悪質ないたずら』ですむような生易しいものではない。
 幸いにして死傷者はなく、数台のトラックや乗用車がパンクあるいはディがへこむ程度で済んだようだが、ハンドル操作を誤り側壁や中央分離帯に激突したり、あるいは後続の車が追突したりしたら大惨事につながったことは確実だっただろう。
 神奈川県の大和付近の東名高速を運転中、突然フロントガラスが真っ白になって焦ったことがあると友人から聞いたことがある。そのときは何がおこったのかわからず一瞬ブレ-キをふんだものの、すぐ危ないと気づき路側帯に入り徐々に停車したから無事だったとのことである。
 後でわかったことだが、陸橋から投げ落とされたパチンコ玉のようなものがフロントガラスを直撃したとのこと、フロントガラスはすぐにバラバラに破壊されるのではなく、網目のようなヒビが入る仕組みになっているので目の前が真っ白になったらしい。
 この犯人が逮捕されたかどうかは聞き忘れたが、たまたま左車線を走行していたので、すぐ路側帯に入れたが、追い越し斜線を走っていたら今頃どうなっていたかわからないと話していたが、本当に恐ろしいことである。
 今回の、高速道路に石や花火を投げ込んだ『殺人未遂犯』の犯人を徹底的に探し出し逮捕し、厳罰に処してほしいものである。
 高速道路を管理している機関(旧道路公団としておく)にはご多分にもれず『天下り』の高級官僚がふんぞりかえっているだろうから、エキスポランドではないが『安全管理』には鈍感な体質であることは間違いない。この連中はきっと『安全点検は下っぱがやる仕事。損傷した車の修理などは、当然保険だろう』と我関せずと他人事・・・。
 高い料金をとっている高速道路(超黒字だと聞くが)、旧道路公団は最低限の義務として全国の高速道路を点検し、このような『殺人未遂』事件が起こりそうな場所の洗い出しと『安全走行』のためにあらゆる改善を願いたいものである。
 そんなことを考えている一昨日、同じ山陽道路でマイクロバスが大型トラックに追突されるという事故。報道によると、追突されたバスはガードレールに衝突した後、蛇行しながら横転、一人が死亡、20人以上が大怪我をする大惨事になった。
 現場は片側2車線の直線の緩やかな下り坂だとのことだから、トラックの運転者の単純なミスだろうと思うが、事故が起きた午前9時過ぎという時間帯は運転手が単純ミスを引き起こす確率がもっとも低いのではと疑問も残る。
 ひょっとして、マイクロバスが落ちていた石に乗り上げて運転手が急ブレ-キ、そこに猛スピ-ドの度ラックが追突ということも考えられないこともない。
 結末を知りたいものだが、マスコミはこの事件などすでに忘れていることだろうから、報道されることはないだろう。犠牲者の冥福を祈るばかりである。(田舎親父)

2007年5月 9日 (水)

フランス大統領選挙に学ぶ・・・

 大型連休の最後の日、フランスの大統領選挙の上位の二人による決戦投票があり、右派与党・国民運動連合のサルコジ前内相が左派野党・社会党のロワイヤル元家庭担当相を破って当選というニュ-ス・・・。
 私はフランスという国に対してそれほど関心ない。当然大統領選挙などに興味がないが何となくお高く留まっているように思えるサルコジという男性より、4人の子どもの母親というロワイヤル候補の方が雰囲気を持っていると思っていたのだが、フランス国民は多くの国と同じような選択をしたようだ。
 それはさておき、注目するのは投票率の高さである。なんと投票率が85.5%というから、さすが民主主義が発達したヨ-ロッパの中でも、歴史と伝統を誇るフランスの国民の政治に対する『質の高さ』を見た感じがする。
 我が国では考えられないこの凄い投票率は、どちらが当選したかどうかよりはるかに大きな意義があるのではないだろうか。
 サルコジ候補の投票率が53%というから、彼は少なくともフランス国籍を持つ有権者の45%以上から支持されたことになる。一方ロワイヤル候補の得票率は46%、こちらも国民の約40%が支持していることを実際に示したのであるから、決して完敗とはいえず、サルコジ氏もこれから政権を発揮していく上でロワイヤル氏の影響力を無視できないのではないだろうか。
 それに引き替えて、先日行われた東京都知事選挙の投票率は、約41%で前回を上回ったとマスコミが大騒ぎする始末には、我が国の国民がいかに政治に無関心かを如実に物語っていることを表している。
 都知事を例に出したが、我が国の最高権力者である首相を決める方法は、大統領を直接国民の投票で選出するアメリカやフランスと違い、まず政党推薦の国会議員を選出して、多い方の政党のボスが座るシステム。地方ごとに投票率が違い、極端に低い地方ではわずか30%以下の投票率で選挙は成立し、国会議員が選出される。
 さらに二大政党の争いになっていないので複数の候補者が小選挙区に立候補、実際には住民のほんの10%程度の支持でも当選することもありうる上に、比例代表というわけのわからない制度が導入されているので、民意とはかけ離れた人が当選することも稀ではない。しかも国民は行政とマスコミの白痴化政策によって、著名なことがすべて『是』と刷り込まれているので、およそ政治など関係ないプロレスの選手やタレントが国会議員となるから困ったものである。
 それらを集めた政党が宗教政党と結託して、何でも思い通り・・・。そろそろこの制度の欠陥に気づき、直接民主主義とまではいかなくても、せめて自分で支持する人に確実に一票を投じることの大切さに気づかねばならない時がきたのではないだろうか。
 さらにその後、ロワイヤル候補の支持者がフランス革命の聖地である『バスティ-ユ』の広場では敗北に怒った若者が二晩続けて警官隊と衝突、一部が石畳の石をはがして警官に投げつけ、警官側は群衆に催涙弾を発射し放水、騒然となったというニュ-スが流れた。
 投石などという行為はほめられたものではないが、権力に対して反抗するのはいつの世にも若者たちの情熱と真情の現れ、まったく意思表示もできない我が国の学生や若者と比べてフランスの若者たちの政治に対する意識の高さを示すものと評価したい。
 サルコジ氏は内相時代からデモ隊に対して強権で鎮圧してきた経歴をもつ人らしいが、大統領という最高連力を掌握しフランスの今後の舵取りを担う責任の立場になった以上、若者の要求を武力で押さえつけるだけではなく、その主張に耳を傾ける度量が必要になるのではないだろうか。
 若者たちが警官隊に真正面から抵抗する映像を見て、学生の頃、デモ隊の先頭にたって指揮したことが懐かしく思い出される。(田舎親父)

2007年5月 8日 (火)

やっぱり点検などしていなかった・・・

 大型連休後半のこどもの日に、若者や子どもに人気が高い遊園地のジェットコ-スタ-が脱輪、19歳の女性が鉄製の手すりに激突して死亡するという惨事が発生した。この女性には気の毒な表現かもしれないが、映像を見る限り、よくぞ犠牲者が一人で済んだものだと背筋が寒くなる。
 事故が起きたのは大阪万博の跡地にある『エキスポランド』という遊園地。立った状態で背もたれを固定する『立ち乗りコ-スタ-』と言われる遊具らしい。普通のジェットコ-スタ-には何度が仕方なしに乗った記憶があるが、すべて座って乗る普通の形式、それでもあまり心臓に良いとは思えないので、進んでは乗ろうとは思わない。
 立ったままでのるというからその分スリルが大きくなるのだろうが、絶叫マシ-ンと呼ばれるこれらの乗り物は遊園地の人気遊具、あらゆる趣向で絶叫マニアと呼ばれる人たちに、これでもかこれでもかというほど恐怖感を訴えている。
 人々はわざわざお金を払ってこれらの遊具に乗るのであるが、絶対に安全という概念が先行し、軸が折れたらどうなるのだろうなんて考えることはまさに『絶対に』にないのがごく当たり前、そんなことを考えたら乗れるものではない。
 『絶対安全』が売り物であるが、最近の風潮としてこの『絶対安全』が当てにならないから困ったものである。普段乗っている電車が突然脱線するなんて思わない。エレベ-タ-が扉も閉まらない状態で突然動きだすなんてことも考えられない。お隣の原発から放射能がもれるなんて論外であるが、日常茶飯事になっているから恐ろしい。
 我々の日常生活は、すべて『絶対安全』の保守管理が徹底されていることが前提で、その前提を信じて安心して身を任せているのだが、『保守管理』が放置されていたのでは事故がおこるのは当たり前。
 今回のエキスポランドの場合も、このマシ-ンが導入されて以来、一度も車軸の交換はされていなかったという。車両を支える軸の金属疲労が原因で断裂したとの見方であるが、こんなことは解体して超音波で検査をしていれば防げたはず。
 例によって会社の幹部は、事故後は平謝りと同時に何とか『絶対安全』を実行していたかのような言い訳に終始しているのは見慣れた風景。言い分では、年1回は分解して超音波や磁石を使った解体点検も行っていたというが、嘘を言い繕っているのが一目瞭然。
 案の定というか、警察が押収した点検票などから金属疲労などの点検など実際にはまったく行われていないこと明らかになったというから、亡くなった女性には気の毒だがこれはまさに笑えない笑い話・・・。
 『エキスポランド』という名前からして何となく胡散臭い。裏情報によれば、高級官僚の天下り先を確保するために作られた会社で、大阪万博の跡地を占有し、しかも税的に数々の特典を受けているらしい。
 天下った連中が『絶対安全』を日々心がけ、経営に努力しているのなら文句はないが、日常的な点検すらできていない現状では『事故などおこるわけはない』という安易な気持ちが先立ち、自分の懐さえ潤えばよいという姿勢であることは疑いもない事実。ひょっとして『エキスポランド』的な会社がゴマンとあるのではないだろうか。
 『エキスポランド』のジェットコースターの事故を受け、事故機と同じタイプの遊戯施設がある遊園地などでは、急きょ運転を休止するというのも笑ってしまう。事故原因がわかるまで運転を再会しないというが、こんなのは表向きの言い訳であることは明らか。
 これらの遊園地では、今頃大急ぎで人を集めて『解体点検の』手順のための会議が行われているのではないだろうか。行政機関や政府関係者も天下り先が無くなったら大変とばかり、安全点検を徹底するとのことだが、命が奪われなければ動き出さない体質は毎度お馴染みの茶番劇・・・。
 あまり大きく扱われなかったが、この事故と相前後して福井県の『ワンダーランド』という遊園地で『スペースコースター』という子ども向けの遊具が追突事故を起こしたというニュ-スにヒャッとする。こちらは、事故も小さく誘導員の人為的な単純ミスだったとの発表であるが、関係者はくれぐれも『絶対安全』を心がけてほしいものである。
 それ以前に、人間が作ったものには『絶対安全』などあるわけはないことを肝に命じることであろう。(田舎親父)

2007年5月 7日 (月)

滅びの足音が近づいてくるよう・・・

 バイオエタノ-ルについて先日書いたが、早速その余波が世界(特に我が国)の食糧事情を悪化させ始めたようだ。
 中国やインドなどの人口の多い国々の経済成長や、発展途上国の人口増で食料需要がどんどん増えているうえ、環境問題や資源枯渇などと大騒ぎして人間にとって一番重要な穀物を、贅沢したいためのエネルギ-に振り向ける政策を押し進めているのだから当然としたらこんな当然なことはない。
 食糧の自給率が極端に低い我が国では、その影響をもろに受け始めることは当たり前、本気で対策を考えなければ大変なことになるのは浅学の私でもわかるのに、政治屋さんたちはじめお金儲けしか考えていないその道の達人たちは、まるで遠くのことと知らんふり。
 マスコミも自分たちの職務として、食糧問題を深く取り上げ追求しなければならないのにダンマリを決めつけるどころか、深刻な問題を面白おかしく興味本位でと思われるような報じ方では救いがない。
 アメリカのオレンジ産地のフロリダがハリケ-ン被害から立ち直れず、ブラジルではバイオエタノ-ル製造のためにサトウキビを作るためにオレンジの樹木が切り倒されていると報道されている。そのために我が国が輸入するオレンジの価格が跳ね上がり、オレンジを減量にしている高級飲料が軒並みに値上げされたという。
 オ-ストラリアが昨年大干ばつに襲われて小麦の輸入価格が高騰、そのために 製粉各社は近く小麦粉価格を24年ぶりに引き上げ。間もなくパンやウドンなどの価格もかなり上がることは間違いないなど、身近な食糧の値上げに関する話題がつきない。
 世界の人口のほぼ6分の一を占める中国の人たちの生活水準が上がり、肉類・油脂類・魚介類の消費がここ数年で倍増したという。この傾向は当然ますます拡大することは確実で、今までは食糧輸出国だったのが、すでに穀物に関しては輸入国に転じているとの報道は恐ろしくなってくる。
 特に大豆の輸入は年約3000万トンと世界一だそうだというから驚く。このまま農村部の人たちの食生活が都市部に近づくと、小麦やトオモロコシなどの穀物の輸入は限りなく増え続けるだろう。
 インドやブラジル、ロシアなど人口の多いいわゆるBRICSj言われる国々の人々の生活水準も今後上がり続けるだろう。アジアやアフリカなどの発展途上国の人口増と食生活の変化も今後、世界の食糧需給に影響を及ぼすことは確実な情勢である。
 安いからと言って外国の野菜や果物、魚介類に頼っている我が国の産業構造も、今まで食糧を輸出していた国々が輸出することができなくなってしまっては、買いたくても買えなくなる。今まで通り安価に大量に輸入ができなくなれば根本的な構造改革を迫られるだろう。
 自国の利益の今年か考えないアメリカは、10年後にガソリン消費量を20%削減し、トウモロコシを原料にしたバイオエタノールなどの代替燃料を年約1300億リットル供給する目標を掲げたという。これは昨年のバイオエタノール生産量の7倍というから困ったものだ。アメリカではトウモロコシ価格は高騰し、前年のほぼ2倍以上になったとの報・・・。
 米国のトウモロコシ輸出は世界の約7割を占めることから、価格高騰のあおりは他国にも及んでいる。トウモロコシを主食とするメキシコでは、抗議デモが起きるなど社会問題に発展しているというから深刻である。
 トウモロコシは家畜の飼料として欠かせない。ますます日本の畜産農家を脅かすことは間違いなく、和牛の価格はさらに値上がることは確実、ひょっとして日本では酪農経営は無理ということにもなりかねない。これも、否応なしにアメリカ産牛肉を食べるようにするアメリカの戦術の一つなのだろう。
 日本がアメリカの51番目の州になる日が近いという声が聞こえるが、首相や閣僚のアメリカとの交渉などをみていると、悲しいことながらアメリカ政府はすでにそのつもりで動きだしているようだ。(田舎親父)

2007年5月 6日 (日)

河口湖まで4時間とは・・・

 連休も今日で終わり、昨夜はかなりの雨が降ったようだが、今年はおおむね天気に恵まれたので各地の行楽地は家族連れなどが繰り出し、大混雑だったようだ。
 私も鳴沢村で活動しているNPOの人から、野草の天ぷらを食べさせてという招請があったので、4日の午後の東名経由河口湖行きのバスに市が尾駅から乗り込んだ。最初のうちは渋滞もなく御殿場近くまで快適なドライブ、ところが事故でもあったらしく、足柄のサ-ビスエリア付近でぴたりと動かなくなってしまった。
 そこからが大変。ノロノロの連続で結局河口湖に着いたのは午後4時半、いつもの倍の時間がかかってしまった。東名の事故渋滞は仕方ないとしても、山中湖周辺の道路の混雑は何とかならないものかと考えさせられる。
 そこで観光地の混雑について少し・・・。先日も書いたが、私の散歩コ-スの一つである『横浜ズ-ラシア』近辺もその例にもれず大変な混雑。この動物園は横浜の郊外にあるのだが、東京都の多摩動物園と違って電車の便がないのが難点。
 最寄りの横浜線の中山か相鉄の鶴ケ峰からバスが出ているのだが、便数も少なく平日でも20分程度かかるというから、不便なバスに運賃を払ってまで待つよりも1000円の駐車料金がかかっても、家族で行くならマイカ-と考えるのは仕方ないこと。
 そのため広い駐車場を数カ所つくっているのだが、この駐車場がすべて満車となるのは年に数回あるかないかの状態。通るたびに『無駄なことをしている』と呆れているのだがこの連休中は凄いことになっていた。
 駐車場がすべて満車。普段は通路になっている場所にまで誘導員が出て整理しているから驚いてしまう。そこには『駐車料金前払い1000円』という看板が出ており、徴集しているから、この売り上げだけでも相当な金月になっているのでは・・・。
 当然、空きがないと次の車を誘導することができない。アルバイトだろうと思われる人が車を裁いているのだが、広すぎて互いに連絡できず、運転手に的確な誘導を行えないために、駐車場に入れても空いている場所を探すのに手間取っている車が目立つ。
 時間が経つに連れて、駐車場に入るのを待つ車の列が伸び、引き込み道路はもちろん中原街道という普段でもかなり交通量の多い2車線の道路が、車で埋めつくされることになってしまう。このまま続けば入園できるのは一体いつになるのだろう。
 さらに駐車場を広げる工事を進めているらしいが、いくら駐車場を拡大しても、そこを必要としているのは年に数日。普段はまったく無駄なスペ-ス、たまに県警がパトカ-の運転訓練に使っている程度である。その無駄なスペ-スをつくるために豊かな森林を切り倒しているのは納得できかねる。
 最近、近くに『横浜ララポ-ト』という大型のショッピングモ-ルができたので、さらに混雑が激しくなったのだろうが、何とかこの車の渋滞対策を考えないと、せっかく『動物の立場でつくられた』という素晴らしい理念の動物園も敬遠されるのではないだろうか。
 人を集めなければ経営が成り立たないのは当然だが、気持ちよく迎えられるようにするのがサ-ビスの基本。多摩動物園のように目の前に電車やモノレ-ルの駅があれば車で来るという人も減るに違いない。
 横浜市も来年には地下鉄を中山まで引き込むというが、せめてこの計画を相鉄の鶴ケ峰まで延長するぐらいの構想は持ってほしいものである。(すでに計画中かもしれないが・・・)
 『ズ-ラシア』を話題にしたが、この傾向は大都市近辺の観光地ではどこも同じ、駐車場一つとっても同じような問題がおこっているのではないだろうか。
 連休が大型になればなるほど、人々にとってどこかにでかけなくてはという強迫観念?が出るらしく、地方の観光地も大混雑だったようだ。地方として観光客の来訪は大歓迎だろうが、途中の渋滞を考えると翌年もとは思いたくならないのではないだろうか。
 観光地のあり方と休日の分散化を考えさせられる連休であった。(田舎親父)

2007年5月 4日 (金)

長崎市長選挙の結果だが・・・

 選挙期間中に市長が殺害されるという異常事態の中で行われた長崎市長選挙、大接戦の上で市役所の現職課長が当選したが、市役所には『市長をやめろ』とか『選挙をやり直せ』などという電話が舞い込んでいるらしい。
 背景には、伊藤市長の長女の夫の候補との差がわずか950票余りというきわどさで当選した現市長に対する不満があるように思えてならない。
 落選した二世候補の陣営としたら、現職課長が立候補するとは思いもよらなかったはず・・・。今までの筋書きでは、殺害された場合はもとより病気でなくなったとしても、その人の妻か子ども、あるいは親族が立候補して圧倒的な支持得て当選が当たり前。
 もう10年近くなるのかもしれないが、時の首相の小渕氏な亡くなった後釜に娘が立候補、有力候補がひしめく群馬の選挙区で苦しんでいた父親よりも楽勝した例があるように日本人には『可哀相』が何より重んじる習性というか、『判官贔屓』と言ってもよいような不思議な気持ちが動くようだ。
 娘婿候補陣営も当然そんなことは承知の上で『お涙ちょうだい作戦』を展開。娘さんには喪服を着せて市民の同情を誘ったのだが、そのパフォ-マンスが受け入れられず、明日の長崎に喪服は不吉という市民の感情が少しだけ勝ったらしい。
 場合によっては、喪服を見た市民の中には『伊藤一長』とか『お悔やみ申し上げます』という文字を投票用紙に書く人もあったのではないかと想像している。
 確かに無効票が1万5000票余りという数字は異例である。およそ20万票という投票総数の8%弱というから、無効票を投じた市民の意識の中には娘婿の顔が浮かんでもついつい『伊藤・・・』と書いた人もいるのではと思ってしまう。
 娘婿候補陣営としたら、もしもその票がこちらに数えられたとしたら(伊藤と書いた票は娘婿と読み替えるのは当然という意識があるのかもしれないが)形勢は逆転、娘婿候補の圧勝になっていたと思うのは人情としてわからないでもない。
 娘婿候補陣営の関係者が直接市役所に選挙無効という抗議の電話をしているとは思いたくないが、この話を聞いたおっちょこちょいの輩が変な義侠心を起こして電話しているのではないだろうか。
 しかも長崎市は今回周りの町村を吸収合併した直後、その地域では娘婿候補票が多くかなりの差をつけていたというが、旧長崎市で現職課長が上回っていたのできわどい結果になったらしい。しかも無効票のほとんどが旧長崎市でのことだというから、娘婿候補陣営を応援していた人たちの中には一言文句の一つも言いたくもなるのだろう。
 しかし、選挙期間中に殺害という前代未聞の事件の直後に行われた選挙とはいえ、一応則り選挙管理委員会が管理した選挙。投票用紙に立候補者以外の名前を書いたのは間違いなく無効票で、例え950票余りの差であっても当選した現市長に対して辞任を要求するのは筋違いである。
 一昨日だったか、確かTBSラジオからだったと記憶しているが、男女のパ-ソナリティ-がこの問題を取り上げて話し合っている声が流れてきた。
 運転中立ったから何となく聞いていると、男の方が『無効票が多いのは異常』と言い出し、さらに『やり直しはともかく投票会場で立会人が投票する人に、立候補者以外の名前を書いたら無効ですと徹底して教えたのかどうか疑問・・・』と続けたのには驚いてしまった。ラジオという公共の媒体でこんな馬鹿な発言をする奴がいるものと、危うく運転していることを忘れそうになる。
 ラジオはマスコミ媒体としての影響はテレビよりは少ないかもしれないが、聞いた人の多くは、この男(かなり著名な人だろうが)は今回の長崎市長選挙の結果に対して疑問を持っていると受け止めるのは当然である。
 何より著名人がものを言うと、それが『是』となるこの今日の日本社会、立会人が投票に訪れた一人一人に『何々と書いたら無効だよ』と教えることが当たり前になったら、と思うと背筋が寒くなる。(田舎親父)

2007年5月 3日 (木)

こどもから目を離した悲劇・・・

 大型連休がはじまった先月29日に、佐賀県で歳の女の子がJRの踏み切りに入って、普通電車にはねられて死亡するという事件の報道があった。
 二両編成の電車で乗客が20人というから、ここもご多分に洩れず高齢化が進む過疎の地域のようで、日に数回しか通らない電車に興味を持った子どもが、危険ということも知らずに線路にはいったようだ。
 踏み切り近くには通る人さえいない、運転手もまさか小さな子どもが一人で線路内に立ち入るなんて考えてもいなかったのだろう。人影に気づいて急ブレ-キをかけたが間に合わず、といったところではないだろうか。
 報道によると、この女の子は自宅で洗濯をしていた母親が目を離したすきに1人で外に出たらしい。状況がわからないので何とも言えないが、自宅のすぐ近くに滅多に電車が通らない踏み切りがあったのでは・・・。
 親としては、近くに線路があって踏み切りで警報機が鳴っていたら危険だということを子どもに教えていただろうが、滅多に電車など通らない田舎のこと、子どもにとって危険という意識以上に、大きなおもちゃが目の前を通り過ぎることに好奇心がくすぐられたのではないだろうか。
 女の子の親は、子どもの姿が見えなくなっても恐らく広い屋敷の中を歩いているに違いない、ここには不審者などいないから少しぐらい目を離しても大丈夫、まして踏み切りにまで歩けるなど思っていなかったのでは・・・。
 一歳と報道されているが、一歳になりたてと、二歳の誕生日間近では個人差も加えて相当な開きがあるだろう。たまたま母親が洗濯している時、警報機がなり始め、好奇心を押さえきれずに、親が考えている以上の歩く力を発揮して踏み切りに近づいたのではないだろうかと想像したい。
 最近、親の不注意というか無責任な態度で子どもの命が失われる事件や事故が後をたたない。炎天下に車の中に乳児を置き去りにしてパチンコに熱中、気がつけば熱中症で子どもがぐったり。あるいは子どもたちを家で寝かしつけてカラオケを楽しんでいるうちに自宅から出火、子どもたちが犠牲になる。
 子どもと一緒にゲ-ムセンタ-に遊びに行くのはともかく、子どもよりも親が夢中になってしまい、子どもが不審者と呼ばれる見知らぬ人間に連れ去られたり、最悪の場合殺されたりする事件も多い。
 こんなトンデモない親とこの女の子の母親とを同列にして、子どもから目を離したという事実を責める気持ちは持ちたくない。
 この母親はきっと自分が『目を離したこと』に責任を感じて、一生悔い続けていくのだろう。子どもを育てている世の親は、この母親の気持ちをくみ取って、一瞬でも子どもから目を離すことが惨事につながるということを肝に命じてほしいものである。
 それにしても、私が想像している通りであったとしたら、過疎の地域だからおこったと思われる今回の痛ましい事故、子育ての苦労が伝わってくる。(田舎親父)

2007年5月 2日 (水)

自殺するのにも場所を選ばないと・・・

 以前は『学校安全会』という名称で児童生徒の病気や怪我などに対して医療費などの補償をするシステムがある。いつの間にか独立法人『日本スポ-ツ振興センタ-』に代わっているらしいが、これも文部科学省のお偉方の天下りのご都合なのかもしれない。
 この制度は学校の管理下という条件で対応するものなので、通学途中での事故などにも適用されるのだが、『自殺』に対しては規定されていなかったようだ。
 最近少しその種の話題は少なくなったが『いじめ』が原因で自殺が続出していたにもかかわらず、支払いの規定など見直しがきちんとできていないらしく、昨年10月に福岡県の中学年生の男子生徒が自殺した事件では、遺族が支払いを求めた申請に対して支払らわれない可能性が高いという報道に何となく引っかかる。
 規定の詳細を読んだわけではないが、センター施行令によると、児童生徒が死亡した場合の給付の範囲は『(死亡の)原因である事由が学校の管理下において生じたもので、文部科学省令で定める』となっており、自殺については省令やセンター内規にも言及がないため、センターは校内でのいじめが原因で自殺したケースでも、支給の可否は『自殺現場』によるとの解釈だそうだ。
 私は『いじめ』という言葉をなくさなければならないと何度も言及していることであるが、現実問題として友達関係で悩み自殺する子どもたちの心理は理解できないわけではない。特に自分中心にわがまま放題に育てられた子どもたちは、自分の思い通りにならないとは絶望感を持ち、衝動的に『死』を選択する場合が多いのは事実・・・。
 福岡県の男子生徒の場合は『いじめ』という生易しい問題ではなく、悪ガキどもから日常的に言葉や行動の暴力を振るわれていたことが明らかになっており、しかも担任もそのことに気づきながら放置したという事件。
 通夜の席では、悪ガキどもは柩を開けて悪口雑言を浴びせたと報道されているが、そのこと一つとっても、日常的に暴力を振るわれていたことは容易に想像がつく。論旨とは離れるが、この悪ガキどもが補導されたというニュ-スは流れていないことに憤りを感じる。
 町教委は昨年12月になってやっと『自殺の原因は学校での長期に及ぶからかいや冷やかしの蓄積による精神的苦痛が原因だ』だというきわめて曖昧な表現ながら、『責任』を認めている。にもかかわらず、自殺場所が自宅だから見舞金は支払わないという判断は常識的にみても納得できるものではなさそう。
 それでいて、校内の『いじめが原因』で心の病気になった場合は給付するというから、この男子生徒はまさに『犬死に』。両親の心理は複雑だろう。
 また、昨年になってようやく滝川市や北海道の教育委員会が『いじめが原因』と認めた小6女児が教室で自殺したケースでは、死亡場所が教室だということで、原因はともかくすぐに死亡見舞金が支給されたというから、まさにお役所仕事そのものである。天下りをした連中の硬直した頭脳に呆れてしまう。どうしてこの問題が取り上げられたのか経緯はよく分からないが、ひょっとして過去に学校以外で自殺した子どもたちの場合、見舞金が支払らわれなかったことも多かったのではないだろうか。
 いじめを苦に』自殺そのものの議論はさておき、実際に子どもたちが悩んで自殺を選択した場所だけを問題にして自殺場所が自宅であることを理由に不支給とするのは明らかに変である。
 原因が学校での教育に関連していることは間違いない事実。天下り組織のお偉方は、この組織の仕事は、学校での死亡やけが、病気になった児童生徒とその家族を広く救済することに大きな意義があることを踏まえて柔軟に対応してほしいものである。(田舎親父)

2007年5月 1日 (火)

高野連のお偉方の傲慢さはどこから・・・

 西武の裏金問題が高校野球界を揺るがす困った問題に発展してきた。以前から『野球留学』なんて当たり前だったと思っていたが、大人たち(子ども以下の知恵のない大人だろうが)のエゴが問題を複雑にし始めたようだ。
 大都会では部員が多すぎる上に、球児たちの憧れの甲子園に出場するためには、ト-ナメント形式の地方大会を数多く勝ち抜かねばならない。東京は代表が2校と優遇されているが、その他の府県は出場できる高校はわずか1校、特に神奈川や大阪などは甲子園を目指す高校が200校近くあるのだから、その争いは熾烈である。
 中学で天才だ神童だともてはやされても、人材が集中する都会の学校ではベンチ入りすることすら大変で、途中でリタイアする子どもたちも多いと聞く。
 高校野球が盛り上がる中、甲子園に出場できることは野球少年の夢。それを金儲け大好きな大人たちが指を加えて見逃すはずがない。特に生徒を集めるのに四苦八苦している学校関係者は、生徒集めの最高の宣伝塔として『高校野球』を掲げるのは当然と言えば当然だろう。
 そのためにはなんとしてでも甲子園に出場しなくてはならない。出場するだけで全国に名前が知られる。そして1勝でもしようものなら、たちまち英雄である。単に甲子園に出場できたというだけで、何となく『素晴らしいかっこよい高校』になってしまうのが現在のこの社会、こんなにも効果的な『甲子園』なのである。
 野球が上手い子どもを集めるのには『餌』が必要。魚釣りと同じで『餌』によって大物がかかるのは人間社会も同じで『授業料免除』ぐらいでは引っかからない。現在では餌は『金』に加えて『ベンチ入り』。こんな『餌』を目の前にぶら下げる学校が次々と生まれるのは当たり前だろう。
 親たちも子どもの人数が少ないので比較する能力が劣化して、自分の息子がちょっと上手いと『ひょっとして甲子園も夢でないのでは』なんて考えてしまう。そこに『授業料は当然寮費や必要経費は学校が負担する特待生でいかがですか・・・』と声がかかるものだから、飛びついてしまう。
 こんなことは世の中の常識で、高野連のお偉方も知らないはずはない。それが、たまたま西武の裏金が見つかったことで大騒ぎ、野球憲章なるものを引っ張りだして高校野球をコマ-シャルに利用してはならないと言い出すのだから笑ってしまう。これでは、ひょっとして高野連の幹部が裏で関係していたのではと勘繰りたくもなってくる。
 マスコミも連日『どこそこの高校が違反』とか『何々学校が辞退』など、まるで高野連の方針が『絶対正しい』と思わせるような魔女狩り的な報道を繰り返しているのは、いつものことだが節操がない。
 高野連に正直に申告し、制度を中止すれば当該部員は5月中の対外試合出場を止められるが、夏の大会には出られるらしいから、下手に隠し立てするよりも『お代官さまゴメンナサイ・・・』とばかり、自ら申し出る方が得策。形だけでも『廃止』を決める学校がでるのは仕方ないか・・・。
 私は、金をちらつかせての『野球留学』を好ましいとは思っていないが、学校の特色を出して子どもを集めるのが当然という現在の社会にあっては、まさに『必要悪』だという認識を持っている。
 東大など有名大学に多数の卒業生が進学できる高校にするためには、まず受験競争を熟知した教員を集めなければならない。そのためには莫大な金額と時間が必要だが、野球を強くするためには施設を整え手腕がある監督を招請、そして『野球留学』という『餌』さえあれば良いから進学校にするよりはるかに安い。
 それにしても、高野連のお偉方の『野球は特殊なスポーツであり、アマチュア精神を遵守する必要がある』という尊大な態度と、自分たちが神様のように清らかな精神を持っていると思い上がっている姿勢が気に入らない。(田舎親父)

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