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2007年8月

2007年8月21日 (火)

ネットでお願いすれば卒論まで作ってくれるとは・・・

 大学の卒業論文やリポートの執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、波紋を広げているというニュ-スを見て、いよいよ大学の卒論まで人任せにしてしまう若者(若者だけではないので、むしろ馬鹿者と呼ぶのがふさわしいと思うが)が増えたのかと暗澹たる思いにさせられる。

 インタ-ネットが当たり前に普及した現代の世界では、疑問に思ったことや自分の知りたいことなどのキ-ワ-ドを検索することによって、ほとんどの知識を引き出すことができるので、当然のことながら何か文書を作るとなると(かくゆう私もその一人であるが・・・)『コピー&ペースト』の手法を多用することになる。

 ただ、私の場合はあくまで自論を組み立てるための参考に一部を借用しているのであるが、これだけ安易にあらゆる情報がネットから引き出せるとなると、探し出した論文をそのままコピ-して提出する輩が出てくることは当然と言えばこんな当然なことはない。

 特に、どんな学校でも夏休みとなると宿題を出すのが当たり前になっているが、出された子ども達の多くは迷惑そのもの、夏休みの終わりにさしかかる今の時期では、親に尻を叩かれて宿題処理に追われているのも一つの風物詩になっている。

多分に、誰か手伝ってくれる奴はいないのだろうか・・・とか、ひょっとしてあいつに頼めばなんとかなる・・・という思いで、友人宅に押しかけるのも見慣れた風景になっているようだ。

 このあたりに目をつけた狡賢い奴が『宿題代行』をネットではじめたらしい。それがたちまちのうちに評判になり、利用者が増えているというから、なんでも人任せにしてしまう現代の風潮がそのまま現れている。

 ちなみに『宿題代行業』と打ち込み検索してみた。いろいろなうたい文句を並べたサイトがあるわ・あるわ・・・。『国立大の学生・院生を中心としたチームなので安心の品質』とか『○年で850件の代行実績』、中には『社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい』と(本当かどうかは疑わしいが)なんとなく頼み甲斐のあるような言葉が並ぶ。

 この代行業は日本だけの流行ではく全世界、特に文明国に広がっているというから少し気になる。イギリスでは、3000人超のある意味専門家を雇い入れた業者が、年間2万件もの論文や宿題代行を行っているとのことである。

 大勢の学生から高額な利用料をせしめて、サイトの運営者は高級外車を乗り回して贅沢三昧の生活とのこと。売っているのはカンニングペーパーではなく、参考文献だと主張して取り締まりの網をかいくぐっているらしいから、即時の解決は難しいだろう。

 国家としてこのまま放置すれば教育システムに根本から影響を与えるものだとして、イギリス政府は学校に対策をとることを指導、多くの教師がこの種のサイトのメンバーとなり販売されている宿題と生徒たちが提出したものを見比べているというから、結局は教師の苦労が増えることになるのは日本と同じ。この追跡作業を行う私的組織さえ存在しているというから笑うに笑えない。

 インタ-ネットの検索大手は、代行業者のサイトを掲載しないような措置をとるらしいが、なんでもありのネットの社会では、ほとんど何の役にも立たないのは誰の目にも分かること、やらないよりはましという程度だろう。

 我が国の大学さえ選ばなければ誰でも大学に進学できるシステムもおかしいが、入ってしまえば勉強などどこ吹く風、遊びとバイトで数年間優雅に過ごし、形だけの卒論(卒論さえない大学もある)をネットでお願いして卒業できるシステムが、こんな奴らを次々に生む温床に・・・。

 オリジナルな論文を創ろうとする雰囲気と、提出しなければ卒業させないという確固たる姿勢、そして代行論文を簡単に見破れるほどの能力の高い教授陣の構築が重要だと思うのだが・・・・。(田舎親父)

2007年8月20日 (月)

学ラン姿の応援が戦争イメ-ジ?何か違うのでは・・・

 今甲子園では高校野球の夏の大会が真っ盛り。高野連の運営に何となく胡散臭いものを感じてはいるが若さ溢れるプレ-はなかなか魅力。たかが野球だと思いながらも、時間があればテレビ観戦になっている私と同じような方も多いのではないだろうか。

 特に今年の暑さは異常も異常。先日も書いたが、我が家はク-ラ-のお世話になる期間が少ない環境なのだが、今年の暑さにはさすがにゲンナリ。(ク-ラ-のある部屋は唯一のテレビがある居間なので)ついついテレビを見ながらグウタラ状態・・・。

 昼間のテレビときたらおよそくだらないものばかり、しかもその合間に馬鹿馬鹿しいコマ-シャルがいやというほど目に入ってくる。よくぞまあこんなつまらない番組を作っているものだと呆れてしまうが、そんな番組しか見ない視聴者がいるから存在しているのだろう・・・。

 これがこの国の現状だと思うと悲しくなるが、NHKが全試合中継している高校野球は熱中症一歩手前のグウタラ人間にはもってこいの清涼剤になっている。選手達のプレ-も良いのだが、アルプススタンドの応援風景を見るのも面白い。

 果たしてあんなに賑やかな応援が選手を鼓舞するのかは疑わしいが、華やかな衣裳のチアリ-ダ-や大事な楽器を強すぎる日光から守るためにタオルをかぶせてまで演奏しているブラスバンドの大勢の生徒達の(ある意味強制的に動員されているのではと思ってしまうが、それでも)必死で声を上げ楽器を演奏する姿はなかなか魅力的である。

 さらに、揃いのユニフォ-ムで声をかぎりに応援しているベンチ入れできなかった野球部の選手諸君にはついつい拍手したくなる。

 応援団と言えば、毎年のように黒の学ラン姿で最後尾のスタンドに陣取り馬鹿でかい応援旗を微動すらさせずに持ち続けている映像が紹介されるのだが、今年はその姿がない。同じような出で立ちのリ-ダ-(黒の学ラン・鉢巻き姿)の雄姿?もすっかり画面から消えているのも今年の特徴になっているようだ。

 先日、県大会決勝まで続けてきた『黒のガクラン』と『日の丸の鉢巻き』姿での応援を甲子園では禁止されていたというニュ-スが流れた。『戦争を想起させる学ランは不適切』との投書がきっかけで、県高野連と学校が協議し急遽トレーナー姿での応援に変更したとのことだが、投書一つでビクビクしている学校や県高野連の姿勢になんとなく滑稽なものを見るようで、何かやりきれないものを感じる。

 確かに真夏の甲子園で黒の詰め入りのガクランでたち続けていたり、リ-ダ-として動き回っている姿は暑苦しく感じる人も多いだろう。何より室内でも熱中症にかかりかねない暑さの中、その危険を回避するべきだろうと声も上がるのも仕方ない。しかし、この対応を生徒達にきちんと説明して納得させたのだろうか・・・と疑問が浮かんでくる。

 高野連は甲子園を目指す高校に対して、最終的に出場させるかどうかの、いわば殺生与奪の権限をもっている。

 『学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ・・・』という投書が県教委に届き、例によって県教委は『ことなかれ主義』の方向で鳩首会議。熱中症が心配だから取りやめたら、という方向が決まったようだ。

 高野連とどう協議したかどうかはともかく『やめておいた方がいいのでは』という高野連から通達という形に校長は無条件に従わざるを得なかった。か、あるいは高野連のご機嫌を損ねたら大変とばかり、校長が弱気になって取りやめた・・・というのが裏側の真実ではないだろうか・・・。と私は思っている。

 応援団やチアリーダーたちが『学校側からは戦争をイメージするたからダメだと言われただけ。学ランで汗をかくことで、グラウンドの選手と一体になれたのに・・・』と憤っている言葉に対して、関係する大人達はどのように対応するのだろうか・・・。

 誰かが『夏の甲子園は日の丸に批判的な朝日新聞社主催の大会なのに、球場には高々と日の丸が掲げられている。なのに学ランはいけないとはこれ如何に・・・』と批判しているらしいが、なるほどその通り。

 朝日新聞は、私のような長年読者を納得させる意味でも、何らかのコメントを出すべきでは・・・。(田舎親父)

2007年8月19日 (日)

メタボ侍が討ち死にとは・・・

 先月の14日、三重県伊勢市長が『俺は痩せるぞ』と宣言、同じような症状の市の幹部職員と一緒に『内蔵脂肪斬り』という、一見剣法の流派の『奥の一手 秘伝○○』のような言葉で、肥満体型を持つ自分達を『メタボ侍』と表現するユ-モアは評価したいとこの欄で取り上げた。

 こんな話題はまさに一過性、よほど成果があれば別だが、二度と取り上げることはないだろうと思っていたが、先日この市長と一緒にトレ-ニングに励んでいた『メタボ侍』の一人が、運動中に死亡したという報道にショックを受けた。

 亡くなったのは47歳の課長、毎朝ジョギングでメタボ克服を実践していたらしいが、14日の朝、自宅付近で倒れているところを通行人が発見、救急車が出動したがすでに手遅れだったという。

 死因は急性虚血性心疾患と何やら難しい病名だが、所謂『心臓マヒ』と称している、狭心症や心筋梗塞をまとめたものらしい。心臓に突然思わぬ負荷がかかって心臓の筋肉が機能しなくなったのだろう。

 この課長は身長が175センチ。減量前の体重は82キロ、腹囲100センチだったという。当初は『腹囲10センチ減』を目標に掲げたが、7月中旬に面談した保健師が急激な減量をいさめ、『3カ月で腹囲4センチ減、体重4キロ減』に修正したという。

 他の六人がどのような目標を掲げていたか分からないが、たった半月で目標値を半分以下にしていることからも、この方は保健師の目からみてもかなりの肥満体、普段から日常的に身体を動かすのが苦手だったに違いない。

 それでも必死に減量しなければという思いが強く、最近テレビでよく宣伝されている『ビリ-ズブ-トキャンプ』なるエクササイズのDVDを購入したり、外食をやめて弁当にしたりというから気の毒である。

 新聞報道では市長以外の六人の侍が『殿(市長)ができて、自分ができないと切腹ものだ・・・』と言っていたというから、市長のメタボ解消作戦の展開の見通しが明るく、それに比べて、この六人の方たちはかなり苦労されていた様子。これが相当のプレッシャ-になっていたのではと想像される。

 市長がこんなマニフェストを掲げなければ死ななかったのに・・・という遺族や関係者の声が聞こえるようだ。

 市長としてもしばらくは沈黙せざるを得なくなるだろうし、残った五人の侍諸氏も『次は我が身・・・無理は禁物』と自粛態勢、周りもより厳しい目でこの人たちの行動を見つめるに違いない。

 先日も述べたが、現在ではどの自治体でも医療費が財政を圧迫しており、その対策に頭を痛めているようだが、一番てっとり早くしかも確実に医療費を少なくすることは、住民総体が医療機関や薬局を利用しないことである。
 この市長はこのことに気付いて、率先して自らを健康な身体にすることをマニフェストにしたのだろうが、これは決して間違いだと思わない。ただ、この課長の死は、無理に減量することがいかに危険であることを示す何よりの証明。市長は自分も含めてメタボ撲滅作戦を見直す必要があるようだ。

 もう一度書くが、私も減量に挑戦中。意志の弱い私にはビ-ルを止めることなどまず無理、そこで取り入れているのが『桑の葉』の利用である。

 桑の葉には100g中には、例えばカルシウムが2.7g、亜鉛が2.3gというように、ほとんどあらゆるミネラルやビタミンが他の食品と比べて信じられないほど高い値であることをほとんどの人は知らない。

 あの牧野富太郎博士が『涼血効果』がある、と明言されているように、血をサラサラにする働きもあることは明らか。伊勢市長さんにお教えしたいものである。(田舎親父)

2007年8月18日 (土)

商道徳がここまで乱れてしまっては・・・

 ミ-トボ-ルのような悪質な確信犯は別としても、雪印乳業や不二家の例が示す通り、目先の利益に目が眩んで正味期限を誤魔化し、内部の人間同士のささいな諍いごとからそれが明るみになって、結局は経営が成り立たなくなる・・・。

 私のような素人でも分かり過ぎるほど分かる、この種の不祥事が表面化するパタ-ンであるが、これも金儲け全てに優先する現代社会の現象の一つなのだろうか。

 なのに、またまた北海道を代表するお土産の定番商品『白い恋人』を作っている石屋製菓が同じように賞味期限を一月長く改ざんして出荷していたことがバレ、結果的に全ての商品を引き上げなくてはならなったという報道に、思わず馬鹿だなあと思ってしまう。

 人間の心理からしてやむ得ないのかもしれないが、こんな場合経営者としては、何とか影響を最小限にくい止めようと言い訳を探して、バレた部分だけを何とか言い繕って逃げ道を探す傾向があるらしい。

 ところが、有名会社の不祥事はマスコミにとってはまさに『他人の不幸は蜜の味』とばかり、関係者の間を飛び回って情報を集めることになり、結果的には次々と事実が明らかになっていくという筋書き、アイスクリ-ム類やバ-ムク-ヘンから、大腸菌が検出されたことも明らかになっている。

 その時点で、社長が陣頭にたって『ゴメンナサイ』と釈明し全商品を回収する態度を見せればよかったのかもしれないが、身内の箝口令で何とか乗り切れると思ったのだろう・・・、即時の対応を怠ってしまったようだ。

 そして結局一昨日には、改ざんが10年以上前から行われていたということまで明らかになってしまった。こうなると、何をどう釈明しようとも『言い訳』と受け止められる。マスコミは例によって面白おかしく報じるので、信用はゼロどころか限りなくマイナスに・・・。

 恐らく、ここまで徹底的に叩きのめされては、このまま再生するのは難しいだろう。噂が過ぎ去るのをじっと待ち、不二家と同じように経営者を入れ換えるか、会社名を替えて一から出直すしか方法はないだろうが、スポンサ-的な大企業が応援してくれなければ難しいことも間違いなさそう。

 『白い恋人』関連の商品は、北海道ではどんな観光地でもおみやげ屋の一番目立つ場所に並ぶ人気商品、ネ-ミングは北国のロマンを感じさせる上、包装デザインもなかなかしゃれている。

 私もお土産に何度もいただいたことがあり、口にしているが『名物に美味いもの無し』と言われる割りには、ホワイトチョコレ-トの味わいはかなりいけると評価し、北海道に出かけた折りには無難なお土産として購入したものである。

 この商品の賞味期限は4ケ月とのことだが、『包装技術の進歩で約半年は味も変わらない』という認識が社内では常識になっていたらしく、この意識が、表示の賞味期限が過ぎたことによって返ってきた商品を期限だけ表示し直して再出荷するという行為に対して罪悪感など存在しなかったようだ。

 確かに、現在の保存技術からして賞味期限を過ぎたからといって、すぐ危険なものになるとは思えないが、それならば科学的に賞味期限をきちんと吟味し、あらかじめその期限を決めるのが先決、返品された商品をそのまま流通させるなどは商売人のモラルそのものを否定する行為、自業自得としか言いようがない。

 社長は『これまで挫折がなく、損をしていなかったことが原因。あまりにも残念だ・・・』と述べているというが、返品をそのまま流通させているのだから損失など出るわけはないのは当たり前。

 この社長は、まだ事態の深刻さと商道徳が理解できてないようだ。(田舎親父)

2007年8月17日 (金)

最高気温の更新など嬉しくない・・・

 毎年のように夏が暑くなっているが、今年の暑さは格別。昨日は熊谷は多治見では、何と70数年ぶりで最高気温を塗り替えたというから信じ難い。

 横浜の片田舎のさらに辺鄙な場所にある我が家は、高台にあるためか今までク-ラ-を入れるということは年に数回あるかないかのレベル。ところが、今年は連日35°を越える猛暑に、さすがに毎日のように(午後の数時間とから夕食の時間帯だけではあるが)ク-ラ-のお世話になっている。

 昨日は前夜の飲み過ぎが祟ってか、朝からゲンナリ。一日中ク-ラ-のお世話になってしまい一歩も外に出ず。お蔭で?最高気温更新の日の暑さをかんじなくて済んだのだが・・・。

 ニュ-スや天気予報ではこの猛暑は日本中に広がっており、北海道でも連日35°近いというから、普段暑さになれていない北国の人たちは苦労しているに違いない。

 この暑さを喜んでいるのか、それとも苦しんでいるのかさだかではないが、連日セミの声が異常に大きく聞こえる上、道端で仰向けになって死んでいるアブラゼミの姿がやたらに目につく。

 こんなことを思っていると、西日本地域に多いクマゼミが、光ファイバー通信の家庭用ケーブルに産卵しようとして穴を開け、通信を遮断してしまう被害が多発しているというニュ-スを見つけた。

 このクマゼミの悪戯は以前にも聞いた記憶があるが、今年の被害はかなりのものがあるらしく、NTT西日本では新規契約者から固い皮膜を施した改良型ケーブルを使用して対応しているという。

 クマゼミは直径約1ミリの太さの硬い産卵管を使い、枯れ枝などに穴を開けて産卵する習性がある。私の部屋からでも見つけられる光ファイバーケーブルの家庭用の引き込み線は、かなり太い黒い皮膜のポリエチレン状のもの。

 人間には、とても枝には見えないがクマゼミはこれを枯れ枝と間違えて産卵するというから自然界には不思議が一杯存在する。皮膜に穴が開けられると心線が傷つけられたり、水がしみ込んだりして断線するというトラブルに発展するらしい。
 NTT西日本によると、クマゼミの産卵による同社の事業エリア全体の被害は一昨年、昨年とも約1000件に上るというから、これは想定外の出費につながっているに違いない。

 同社はこの被害を防ぐために、今年から中の心線を樹脂の防護壁で挟む改良型を採用しセミ対策を強化し手いるというが、全てを新しいものに代えるのは難しいだろう。担当者の『今年どれだけ被害が出るかはセミにきいてみないと・・・』との弱気のコメントは正直だが、利用者にとっては心もとない。

 セミの研究家によると、セミの発生は気温の高低などの影響より、一定の周期で増減しているという。科学者にも何故周期があるかわららないようだが『予測では今年は4年に1度のセミの多い年。もし予測が当たれば、私たちの考えが正しいことが裏付けられる』と研究成果が楽しみだとのことである。

 研究はさておき、この猛暑にはク-ラ-という武器で武装できる人間は生き残れるかもしれないが、自然界の多くの生き物にとっては地獄の苦しみ、セミの生態の研究よりも、気候変動のメカニズムを解明して強制力のある解決方法を示す方が先決だと思うのだが。

 もっとも、暑さを逆手にとって金儲けを企む輩が権力を握っているのでは、自然界に優しき解決方法など示すわけはないだろうが・・・・。(田舎親父)

2007年8月16日 (木)

バイオという言葉の一人歩き・・・

 食糧を燃料にするなんて、誰が考えても異常な話なのに、世はバイオ燃料が大流行。広大な森林を切り開いてサトウキビ畑やトウモロコシ畑にしていることに激しい怒りを感じているのは私だけだろうか・・・。

 先進国といわれる経済の発達した国の中で、自給率(カロリ-ベ-ス)で40%を切っている国は日本だけ、この現実を国民が知らない(知らせていない・・・)のも不思議なのに『地球温暖化防止』という言葉が一人歩。この言葉の持つ魔力に日本人全体がしびれてしまっているようだ。

 そのためには何をしても許される風潮を何とか止めないと、気がついたら食べるものもないという悲惨な事態になりかねないのではないだろうか。

 食糧を作るより、金儲けしてどこかで調達すればよいという考え方が、日本の農村を疲弊に追い込んだにもかかわらず、さらに追い打ちをかけるように、政府はまたまた決定的な誤りをくりかえす政策を押し進めようとしている。

 先日、経済産業省は地球温暖化対策につながるバイオ燃料の普及を後押しする新たな優遇税制を、来年度にも導入する方針を明らかにしたというニュ-スは、一見燃料税が軽減されるように思えるが、何としてもバイオ燃料を普及させるための手段であることは明らか・・・。

 ガソリンなどの税率は小売価格の60%、タバコについで第二位らしい。石油を100%外国に依存している現状では、酒類より高い税率も仕方ないとは思わないでもないが、そのことをきちんと国民に知らせているかというとそうではなく、むしろ車社会を押し進めているような風潮を作り上げているのが現状・・・。

 今回発表された案は、ガソリンにバイオ燃料を混ぜた場合バイオ燃料分のガソリン税を免除するというもので、農林水産省や環境省も一緒になって来年度の税制改正要望に盛り込み、本格的に検討される見通しという。

 またまた『地球温暖化防止』という言葉に錦の御旗、黄門さまの印籠のような役割を持たせて、具体的にはバイオ燃料をガソリンに混ぜた場合1リットル当たり約54円のガソリン税、軽油に混ぜた場合は32円の軽油引取税を、それぞれバイオ燃料分について非課税とする方針だそうだ。

 およそ3割も税金が軽減されるのだから、運輸関係の業界はバイオ燃料を積極的に取り入れようと力を入れるに違いない。生き残りをかけての効率優先が現代社会の常識では、仕方ないことかもしれないが、国の政策とする以上全体を見渡したものにしなければ、結果的にますます農村を疲弊させるのではないだろうか。

 ある都市の市バスの試算によると、バイオ燃料分が免税となると年間600万円の経費削減になるという。この数字を多いと見るか少ないと見るかは、考え方によって変わるだろうが、私に言わせると、市バスのような公共交通機関の燃料について非課税にするのが先決。そうすれば住民サ-ビスの質ははるかに高くなるのでは・・・。

 税金を軽減するという『餌』で自らの大切な食糧を燃料に転用させるのではなく、車にあまりにも依存しすぎて現代の生活を、ほんの少しでも改善するような方法を考えるのがエネルギ-を持たない我が国の生き方ではないだろうか。

 もっとも車を製造している会社の社長が、経済界の親分をしているのでは、燃料がないにもかかわらずもっと車を売るために、バイオ燃料という考え方が生まれるのも仕方なさそうだが・・・・困ったものである。(田舎親父)

2007年8月15日 (水)

親分に殉じることが身のため?・・・

 今日は終戦記念日(戦争が一応終結した日という意味では、記念日で良いだろう)。朝から追悼番組が流されている。そのことについて文句をつける気持ちはないが、何かイベント的な構成になっているものが多いのが気になる。

 毎年この日は国会議員、特に閣僚達が靖国神社に参拝することが話題になる。昨年は首相自らが参拝したことが大々的に報じられ、我が国はもとよりアジア各国の政府や世論を巻き込んで内外で議論が沸騰したことは記憶に新しい。

 ところが、今年は早々に全閣僚が終戦記念日の今日参拝しないということを事前に決めていたというから、去年とはまったく様変わり・・・。

 もともとA級の戦争犯罪人を合祀している靖国神社に国会議員(特に閣僚達)が打ち揃って参拝すること事態、戦争責任を曖昧にしてしまう愚行だと思っている私は苦々しい思いでこの種の報道を眺めていた。

 日本人の根本には『死んだら誰も仏さまに・・・』という考え方があることは否定しない。まして、一枚の紙切れで呼び出され、外地に送られて悲惨な戦闘で死亡した多くの犠牲者の遺族の方々の、夫や我が子の魂(曖昧な表現だが・・・)が靖国神社に奉られていると思いたい気持ちも決して理解できないわけではない。

 しかし、人間の尊厳などまったく無視する方法で集め、行く先も知らせず戦地に送ることを決めた当時の指導者達の行為は、誰が考えても『殺人犯罪者』そのものであるのにもかかわらず、それがいつの間にか許されて、合祀されてしまっている現在の靖国神社。

 合祀された過程で議論があったに違いない。指導者達の遺族としては、国を思った行為であって決して自分の利益だけで戦争をしたのではない、と主張していることも容易に想像がつく。

 しかし、結果として多くの人々の命を奪ったことは間違いのない決して許してはいけない事実。

 戦争と殺人事件と一緒にすることは飛躍があるだろうが、殺人事件の加害者と被害者が一緒に葬られることは絶対にない。たとえ魂という、存在そのものが曖昧なものであっても、被害者は絶対に許せない・・・はず。

 そんなことはお構いなく、これまでは首相をはじめ多くの閣僚達は恒例行事のようにこの日参拝していたことはさておき、先の参院選挙に大敗したからといって、毎年参拝していた閣僚達も、こぞって参拝しないというのは、仲間の議員達からも『なんて意気地がないのだ・・・』と呆れられるのも無理はない。

 宗教政党の閣僚の『宗旨が違う・・・』というのはわからないでもない。文科相の『行政の所管大臣として公平を期すため・・・』も生臭い感じはするが理解できる範囲内。だが、毎年高齢のように参拝している閣僚のなかには、外国に逃げるものがでているらしい。 これでは『だらしない。意気地がない』と言われても反論できないだろう。

 なかでも、昨年前首相の靖国神社参拝を積極的に支持してきた女性閣僚は『安倍首相が参拝をこらえていると思うので、閣僚として控える・・・』とコメントしているというからこの御仁は自主性などまったく持ち合わせていないらしい。

 威信などまったくなくしてしまった親分であっても、従っていればひょっとしてまた閣僚ポストが回ってくるかもしれないという打算だろうが、こんな連中が閣僚であるかぎりこの国の未来はないだろう・・・。(田舎親父)

2007年8月14日 (火)

教員が食堂の店員では・・・

 これまた高知に出かける前のことだが、学校もこんなレベルに落ちてしまったのでは、子どもが荒れるのは無理ない話と思わさせるような情けない事件が報道された。

 このところ『食育』が大流語になっている。食べることは生きるための最低条件なので言葉そのものを決して否定する気はないが『○○育』という言葉からくるイメ-ジが学校と重なるらしく、食育=学校給食という考え方をする人が多いのが気になる。

 そんなことが背景にあるらしく、日本中どこでも学校給食に変化を持たせ豪華にすることが大流行。バイキング給食・おかず選択給食・お誕生日給食・縦割り給食・○○特別給食などなどネ-ミングもなかなか賑やかである。

 そんな学校の一つで、ある日の給食で、50代の男性教師が単純な注文ミスを犯したらしい。その日の選択メニューは『うなぎのかば焼き』と『トンカツ』(この自治体は給食費の不払いなどないらしく、メニュ-から受ける印象はかなり高価なもの・・・)。

 教諭は事前にクラス全員に希望をとったが、双方の希望数を取り違えて『トンカツ』を選んだ児童が多かったのに『かば焼き』がたくさん来てしまったという。

 馬鹿な話である。学校の先生は最近食堂の店員も兼任、勉強を教えるより昼飯の注文をとる方が重要になってしまったらしく、朝から注文を取り付けていたというから情けないという以前に、あまりの阿呆らしさに開いた口がふさがらない。

 しかし、まあここまでは最近の学校の様子からよくある話だとしても、報道では、『トンカツ』を希望した児童に『かば焼き』を食べさせたらしいが、最後まで手をつけなかった7人に、自分の財布から100円ずつ渡して『お許し』を願ったというから驚き。まさに食道のアルバイトと同じ感覚ではないか・・・。

 『誰にも言うなよ』と渡していたというが、もらった子どもが誰にも言わないわけはない。恐らく家に帰って『これこれで、先生から100円せしめた?・・・』と大いばりでしゃべっている顔が思い浮かぶ。

 保護者の中の誰かが学校に『変な話では・・・』と連絡したので教師の行動が明らかになり校長は真っ青。何とか新聞種にならないようにと、クラスの全児童宅を回って謝罪し、数日後にはこの学級を対象に保護者会を開いて再び謝ったらしい。

確かに100円を渡してお子さまに『お許し』を願うという教員の態度は情けない。

 50代の男性教師というから、この教師は普段から子どもからなめられている教師に違いない。資質という意味では即刻クビにするべきだろうが、こんな教師がゴマンといるのが現在の学校現場の現実・・・。

 今回の50代の男性教師もこんな教員の一人、ある意味まあ仕方ないだろうと思うが『・・・別のクラスの教諭に相談するなど対処法は他にもあったはず。学校側も教員に対する指導が 足りなかった』という談話は校長として情けない。

 これでは、食堂の店員が注文を間違ったので親爺がでてきて、ひたすら『お許し』ねがう構図と変わりない。

 『食育』の充実と称して、教科以上に力を入れる学校が増える一方『給食は学校が勝手に出すから仕方なく喰ってやっている』とばかり、平然と給食費を払わない親が増えているという。こんな信じられないような現状さえ打開できない。

 『食の確保』や『食事に関する躾』は親の仕事、学校が手を出すべきではない、というのが私の自論。日常的に矛盾が吹き出した学校給食、そろそろ根本的に考え直す時になったのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2007年8月13日 (月)

誰が民生委員かわからないようでは・・・

 仕事で高知に出かけていたので、しばらくさ更新できなかった。

 出かける前日のことであるが、恐ろしい報道に接して一瞬心が凍りついた。

 アパ-トの一室に住む老夫婦、夫である84歳のおじいちゃんが死亡しているのに一歳年下のおばあちゃんは寝ていると思い込んで一週間ほど一緒に暮らしていたという。

 この季節で一週間というと、すでに肉体は腐敗が始まり、部屋の中はかなり強烈な腐臭がただよっていただろうと想像できる。その中で、所謂『認知症』(この病名のつけ方は以前から紛らわしく気になっているが)の妻が平然と暮らしていたというから背筋が寒くなる話である。

 死亡していたおじいちゃんには外傷はなく何らかの原因での病死らしく、室内にいたおばあちゃんは熱中症の症状を訴えていたというから、そこには犯罪の余地はなさそう。

 現在ではアパ-トの隣の部屋に住む人の顔さえわからなくなっている時代、この異変に気付かないのは仕方ないことなのかもしれないが、なにかやりきれない。

いくら人情が無くなったとは言え、ゴミ出しなどで見かける人もいたのではないだろうか。となり近所でなくてもおばあちゃんの行動が少し変だと気付いた人もいたのではないだろうか。

 住民同士の横のつながりが完全に遮断されている都会の日常生活では、老夫婦だけあるいは一人での生活が激増しているという。その人たちが、最低限の安心できる生活が可能なために『民生委員』の存在があるのだろうが、この制度が形だけになりつつあるのではないだろうか。

 どんな経緯で民生委員を選出するか私には良く理解できていないが、民生委員という名前そのものが形骸化し、ある意味名誉職的な意味あいにいるように思えてならない。

 そんな民生委員が、この老夫婦の情報をつかんでいなかったのは当然だろうが、異変に気がついた人が(そんな民生委員であっても)伝えることがごく普通の行動となるような訓練?が必要になるのでは・・・・。

 ところが、誰が民生委員なのさえも知らない人が多いので知らせようがないのも現実。行政サイドや民生委員は自治会の広報などですでに知られていると思い込み、受動的な考え方で、請われたら動くという姿勢に徹している人がほとんど、これでは上手く機能するわけはない。

 個人情報保護という意識が住民連係にとってマイナスの要素になっている現状では行政や民生委員だけを責めることは難しいだろうが、せめて民生委員を引き受けた人は自分の立場を深く認識して、自分から出向いて住民一人一人に顔と名前を覚えてもらう努力は必要ではないだろうか。

 民生委員の役割を互いが認識し、隣近所の高齢者の様子の異変に気付いたらごく普通に連絡することを徹底しておけば、今回のような、一週間も相手が死んだと思わなかったということは防げるのではないだろうか。

 たまたま訪れた知人が発見して驚いて警察に通報してはじめて、おじいちゃんの死亡がわかったのだろうが俄には信じられないような事件である。が、少し冷静に考えてみたら決して他人事ではなく、明日は我が身に降りかかってもおかしくない話・・・。

 我が国の福祉行政の薄っぺらさと国民の意識の低さを思い知らされる事件である。(田舎親父)

2007年8月 9日 (木)

公園で

 今日は長崎の原爆投下『記念日』だが、こういう原爆投下という悲惨な事実があった日を『記念日』と名付けてしまって本当に良いのだろうか・・・と毎年のことながら気になってしかたない。

 広島市同様、長崎市でも『記念式典』が催されるだろうが、セレモニ-が中心のイベントでは、原爆で亡くなった人々の慰霊になるのだろうか。

 セレモニ-で例によって首相はじめ政府や関係組織・団体のお偉方が挨拶するはずだがその内容は原稿の棒読み、うっかり失言したら大変とばかり美辞麗句のオンパレ-ドになることは間違いなさそう。

 核武装が自論である人が、この場では『平和憲法を遵守し・・・』とか『二度と原爆の悲劇をくりかえしてはいけない・・・』とかのたまうのを、炎天下に正装を条件に参列を許された人々は、ただじっと耐えるだけ・・・が実情と言えば失礼だろうか。

 話題は一転するが、私はこのところ毎日のように散策するのがクセになってしまった。一日少しの時間でも歩かないと何だか身体の調子が悪くなるような脅迫概念がどこからか襲ってくるようで落ち着かない。

 歩くコ-スはその日の気分できめることにしているので、時によっては駅まで歩いて来たバスに飛び乗り終点まで行ってから、自宅に戻るということも稀ではではない。あまりにも日差しが強い日は、駅までの途中にある『四季の森公園』の木陰の道を選択して、植物や昆虫などを探しながら、ということもメニュ-の一つになっている。

 最近、その四季の森公園で出会う人たちが、おじいちゃんと孫という組み合わせの多いことに気がついた。

 虫捕りの網と虫かごを持っている。しかもほとんどの場合、虫かごを持つのは孫、虫捕りの網はおじいちゃんという組み合わせが共通。さらに、そのような場合、例外なく孫は『おじいちゃん、あそこにセミがとまっているよ・・・』と指示、おじいちゃんは必死になって網で捕まえようとしているから面白い。

 時に元気よい小さな年齢の子どもが怖いものしらずで斜面を駆け上ろうとすると、おじいちゃんは『危ないからそっちへ行ってはいかんぞ・・・』と注意している姿にぶつかることもよくあるパタ-ン。

 おじいちゃんとしたら、可愛い大事な孫になにかあったら大変だと思う気持ちはわからないでもないが、折角の昆虫採集に連れ出しても、これでは何のためなのかわからないのでは・・・。微笑ましさとともに馬鹿馬鹿しささえ感じてしまう。

 子どもを取り巻く社会情勢が狂いだし、何時変質者と称する気が狂った大人が飛び出すかわからなくなってしまった現代では、人目のある公園とはいえ、子ども放り出すには勇気がいることはわからないでもない。が、このおじいちゃん達は孫を離れた場所から見守るなんてことは考えてもいないようだ。

そう思って見ていると、孫とおじいちゃんの組み合わせは大勢見かけるのだが、全てと言ってよいほど自分達だけの世界、おなじような人同士の話かけはまず見られない。おじいちゃんにとって、孫と一緒にいられるこの時間を誰にも邪魔されたくない雰囲気が漂っていると感じるのは、私が孫を持たないからだろうか。

こんな条件でも公園に出かけられる子どもは幸運、おじいちゃんのいない家庭の子ども達は、近くの公園さえ行くことができないのでは・・・と思いたいが、それとも最近の子ども達は、昆虫は追いかけるよりデパ-トで買うものと思っており、おじいちゃんが行こうというから仕方なく出かけているのかも。

そんなことはあるまいと信じたいが、パタ-ン化したこのような組み合わせを見ると、孫と一緒の公園での虫捕りは、おじいちゃん達のささやかな生きがいなのかもしれない。(田舎親父)

2007年8月 8日 (水)

噛まずに呑み込んだら・・・

 今日は『立秋』、暦の上でははやくも季節は『秋』に入った。これからは残暑というらしいが、残暑どころか暑さは今がピ-ク、むしろこれから本格的な夏がやってくる、といった雰囲気である。

 ところで、最近は少し話題性がなくなってきたようだが、6月末ごろだったか『こんにゃくゼリ-』による窒息事故のニュ-スが相次いだ記憶がある。そのとき話題にしようと思いながら、次々といろんな事、特に政治絡みの馬鹿馬鹿しくも面白い出来事が次々に明らかになったこともあって、ついつい取り上げる機会を失ってしまった。

 私はこのところ健康食品に興味を持っている。コンニャクは基本的にはカロリ-『0』それでいて、食べると結構満腹感があるので、カロリ-制限されている人やダイエットを心がけている人たちには人気がある食品である。

 誰かは知らないが20年ほど前、このコンニャクをお菓子にした切れ者がいる。一口タイプのゼリ-状にしたものが大ヒット、総称して『こんにゃくゼリ-』と呼ばれる関連商品があっと言う間にス-パ-やコンビニの棚に並び、最近は老若男女を問わず人気商品になっているという。

 大半の人は忘れてしまっているだろうが、今年の3月ごろ三重県の学童保育所で、小学1年の男児がおやつとして出された『こんにゃくゼリー』をのどに詰まらせ死亡した事件を記憶している人もいると思う。

 両親が保育所の対応と、喉に詰まらせるような危険な食品を売り出お菓子メ-カ-に対して損害賠償を求めたと訴えを起こしたというニュ-スに、いよいよこれからは餅を喉に詰まらせて窒息しても訴えられる事態になるのかと、少し不安な気持ちにさせられたものである。

 喉を詰まらせて苦しんで亡くなった子どもの無念さは痛いほどよく分かる。子どもをなくした悲しみから、メ-カ-とゼリ-をおやつに与えた保母の過失を責める気持ちも理解できる。が、訴訟となると少し首を傾げたくなるのも確か・・・だからである。

 ゼリ-が喉に詰まる危険性を教えずに子どもに与えたとしたら、学童保育所の責任は問われるべきかもしれない。しかし保母達は、これは普通に市販されているお菓子だから、日常的に口にしているだろうと思ったのではないだろうか。また、もまさか1年生のもなって噛まずに一気に呑み込むなんて思いもしなかったのでは・・・。

 だったら、詰まるような物を作り販売しているメ-カ-が悪いということになりそうだが、飴玉だってそのまま呑み込んだら喉に詰まることは必定。毎年、何人かが窒息死している餅はどうなるのだろう。

 裁判所の判断はまだでないらしいが、金額はともかく、自治体や製造メ-カ-の責任を認定し賠償金の支払いを命じたとしたら、飴玉も餅も売ってはならない、ということになってしまうのでは・・・・と少し気がかり。

 少なくとも飴玉や餅は古くから日本人の食品として作られ食べられてきた。ほんの少しの注意さえすれば、ある意味立ち食いのハンバ-グなどよりは安心で安全だと思う。よく噛んで食べるという食生活の基本を、誰が教えなければならないかというと、それは親だろう・・・と思うのだが。

 もっともコンニャク関連のお菓子類は、柔らかくて噛むことさえ忘れる恐れがあることは確か、このあたりは改善の必要性はあるだろうが・・・。

 今朝の新聞に、ある施設で40代の男性がパンを喉に詰まらせて亡くなったという記事を見つけた。えっと驚いたが、同時に大人でも噛むことを教えられなかったのでは、子どもが『こんにゃくゼリ-』で喉を詰まらせるのは無理がないのかもしれない。

 ひょっとして亡くなった男性の遺族はこの施設に賠償などを求める訴えをおこすのでは・・・。ますます難しい世の中になりそうである。(田舎親父)

2007年8月 7日 (火)

今日からの臨時国会は面白そう・・・

 先日も少し書いた気がするが、自民党が自棄になって言い出し始めた『1円から領収書添付・・・』という案を逆利用したオザワという御仁は角栄時代の自民党の幹事長を経験していただけに、政治の世界での喧嘩のやり方を知っている人だと改めて知り、何となく恐ろしさすら感じ始めている。

 彼達が先の国会に提出した政治資金改正法の民主党案は『1万円以上からは領収書添付義務づけ』という案。この金額ならば多くの国民の同意を得られるだろうし、世間常識からみても妥当な金額だと思っていたのだが、自民党と宗教政党の反対にあって虚しく否決されてしまったことは記憶に新しい。

 結局決まったことは、領収書の添付は『資金管理団体』に限って、しかも『5万円以上』と全くの骨抜きにしてしまった経緯がある。その直後、例のアカギというバンソコウで顔を隠した大臣の不祥事がバレたことが大きく影響して参院選で大敗北。

 あまりにもひどい負け方に危機感を持ったのか、それともよほど腹立たしかったのかはわからないが、幹事長は辞表と一緒に、できもしないし本当にやる気もない『1円案』を言い出して辞める土産を作ったというところか・・・。

世間知らずの私でさえ、1円以上使ったことに全て領収書添付なんてナンセンスと思っているのだから、何とか金を誤魔化そうとしている政治屋サン達が多い自民党内部からは当然反対が沸き起こるのは間違いなく、実際にかなり揉めているようだ。

 それを受けてのオザワ党首の恫喝に、自民党の議員達は震え上がっているのではないだろうか。首相は幹事長案を受けて『1円から・・・』と言っているとの報道もあるが、意地からでた発言で到底本心だとは思えない。

 意地と恫喝の応酬、建前と建前のぶつかり合いになったこの政治資金規制問題、どうなるのか目が離せなくなった。が、今頃舞台裏では両者がこの問題の『落しどころ』を探りあっているというところか。

 今日から臨時国会がはじまるが、参議院で過半数を得た野党は、『1円から領収書』問題を武器としてかまわないから、国民から集めた年金保険料を投資に使うなどしてきたことを禁止する『年金保険料の流用禁止法案』はぜひ通してもらいたいもの・・・。

 さらに、国政調査権を得たのだから、怪しい人物を国会に喚問してほしい。官房長官や法務相なども誤魔化しているようだから、彼らが大臣を首になったら遠慮なく喚問し、徹底的に追求することを期待している。

 小泉総選挙で内閣郵政民営化に反対して追い出された連中が集う政党からは『郵政見直し』の要求もあるようだ。除名扱いで叩き出された恨みから考えると当然であり、実際に民営化からくる新たな問題の発生からも、もう一度あの『郵政民営化』が正しかったかどうかを見直す意味でも議論は必要だろう。

 ともあれ、空気が読めないオボッチャマ首相が辞めない今回の国会は、観客としては最高に面白い舞台になったようだ。(田舎親父)

2007年8月 6日 (月)

詐欺師が牛耳る国になってしまったようだ・・・

 今日は62年前に広島に原爆が落とされた日である。広島では朝から犠牲者を追悼する慰霊祭が行われているが、年々『原爆許すまじ』という雰囲気がなくなり、祭りそのもののイベント要素の色合いが濃くなっているように感じているのは私だけではないはず。

 防衛大臣が不用意に『しかたなかった・・・』と発言したのも、このイベント的ム-ドの中でフト漏らした『本音』に違いない。

 確かに、原爆投下がなければ竹ヤリ作戦があったのでは・・・と思わないでもないが、少なくとも核兵器を根絶すべきという世界人々の願いを知らなければ行けない一国の指導者としては、絶対に口に出しては行けない言葉。

そんな連中ばかりを閣僚に選んだアホバカ大将は、そのことさえ気付かないふりで絶対に辞めないとのたまっているのは、お笑い芸人の下手な演技より笑える。もっとも居座りを一番喜んでいるのは野党の幹部達だろうが・・・。

ところで、先日林野庁の『緑のオ-ナ-制度』が元本割れという、またまた政府の施策のインチキ性が問題になるようなニュ-スが流れた。

報道によると、国有林のスギ、ヒノキの育成に出資して伐採時に配分金を受け取る林野庁の『緑のオーナー(分収育林)制度』が満期を迎えたらしい。個人、団体の契約1万件のうち9割以上が契約時の払込額を下回る『元本割れ』となっているという。

そう言えばかなり以前に、この『緑のオ-ナ-制度』を知ったとき、国もやっと森林の保全を真剣に考え出したのだと評価したことを思い出す。

国が後ろ楯になるのだから、儲けはないだろうが森林の活性化にほんの少し役立てたらいいと思い、この制度に応募しょうと区役所に出かけたが、窓口の職員がまったく対応できなかったのでバカバカしくなって諦めた記憶が蘇ってきた。

確か一口50万円程度だったと思うが、何とか工面できないことがない金額。それでほんの少しは国内産の材木の確保と森林保護に役立つのであればと思っての行動だったが、幸運?なことに役所の横の連携がなかったから被害者にならずに済んだ・・・・。

なんと悲しい話題ではないだろうか。恐らく、役所の対応に問題なく、オ-ナ-になれた人たちは『いやぁ これで日本の森林保護に少しでも役だけてる・・・』と、気分爽快の美味しいビ-ルを飲み干した人も多いのではないだろうか。

多くの人は決してこの制度で大儲けしようとは思っていないはず・・・・。だが、うかう国が補償しているのだから、まさか損失が出るなど想像すらしなかったのではないだろうか。

当時のパンフレットがないので詳しいことはわからないが、数%程度の利息があるようにうたっていたはず。が、ふたを開けたら・・・。

これは詐欺と表現するしかない。林野庁のこの『緑のオ-ナ-制度』は1984年度からはじまったようだが、何故か98年に打ち切りになっている。

下司の勘繰りかもしれないが、はじめてすぐこの施策の失敗がのっぴきならぬ結果になっていたのではないだろうか。しかしすぐ止めてしまっては国民から突き上げられて自分達のクビが危ない。そこで徹底した隠蔽をくりかえし98年まで引っ張ったいうのが真相では・・・。

この制度を思いつき実行した林野庁の幹部達は、今大騒ぎになっている社保庁同様とっくに関係部署に天下り、集めたカネを勝手気ままに流用して私腹を肥やしていたのでは・・・・。

まさか、元金割れで自殺するほど困っている人はいないと思うが、500億もの金が行方不明にした詐欺行為を見過ごしにはできない。マスコミはぜひ国の誤りと責任を徹底的に追求して欲しいものである。(田舎親父)

2007年8月 5日 (日)

低学歴が流行りとは・・・

85

 『横浜 お前もか・・・』

大阪や神戸など関西の市町村の専売特許ばかりだと思っていた学歴詐称の職員が、横浜市に700名も存在することが明らかになったというからびっくりである。

 内部からのちょっとした情報から発覚したようだが、市側はあぶりだすために、大阪市同様『7月中に自己申告した場合は1カ月の停職処分、8月1日以降に発覚した場合は懲戒免職とする』という方針を打ち出して調査した結果、締め切り日の31日までに700人が自己申告したという。

 受験資格が高卒までと限定しているバスの運転手やゴミの収集に携わる約8000人が調査対象だったらしい。そのおよそ1割の700人の職員が学歴を詐称してもぐり込んでいたらいうから、書き出しの『横浜、お前もか・・・』という驚きの表現になってしまった。

 公務員は安定しているから学歴など誤魔化して・・・と思ってもぐり込んだのだろうがちょっと数が多すぎる。恐らく彼らの間に『大学卒業者であっても隠しさえすれば採用される』という情報が流れたり、縁故関係のある輩は『コネを使うが、大卒の枠がないので高卒で行くぞ・・・』なんていう場合もあったのかもしれない。

 うまく誤魔化して職員として勤務していたのだろうが、日常的な会話の中で『お父さん(お母さん)は、○○大学を卒業しているのだよ』という話が出たのだろう。子どもはそれを当たり前に受け止めて、何らかの場でポロリと自慢。子どもからの情報で、高卒の同僚がチクリという図式かな・・・。

 先日も書いたが『学歴詐称』というのは、普通は選挙に立候補したり、本を出版する人間が、所謂『箔』をつけるために有名大学卒業あるいは中退とか、アメリカの何とか大学へ留学などと使うものだが、最近はわざわざ低学歴と詐称することが流行っているらしい。

 この流行りの背景には、最近の大学の数のあまりの多さが原因になっているようだ。卒業しても知識も知恵もつかない、名前さえ聞いたことがないような大学が星の数ほどある我が国の現状は正常とは思えない。

 が、そんな大学にでも入らなければ世間体が悪いという風潮が大勢を占めているのも現実。それだけ、大学卒が日本人として『必須の条件』になってしまっているのかもしれないが、いざ就職する段階でその『必須の条件』が大企業や官庁・役所では何の役にはたたないことが分かり、裏情報やコネネを使って地方の役所にもぐり込むのでは・・・。

 親の見栄というか、何とか大学ぐらい、というあまり意味のない考え方が社会の常識になってしまっている我が国の学歴偏重の教育システムが、そんな名前だけの大学の存在を許しているのだろうが、そろそろ考え直す時期にきているのではないだろうか。

 いっそうのこと学歴など一切なしにして、全て実力だけの社会にすれば、こんな学歴詐称などという馬鹿馬鹿しい事件はなくなるのだろうが、進学することが最終目的のような日本一般の意識状態では、そんな考え方はどこを叩いても出てくるわけはない。

 横浜市は、処分を前にした最終調査を行っているというが、一度に700人を停職にしたら、街中にゴミが溢れることだろうから処分問題はウヤムヤに・・・かな。

 恐らく全国の自治体(特に都市部)も同じような事態がおこっているに違いない。各自治体としても調査し始めるだろうが、それ以前になぜこんな事態が起きたのか、ひょっとして採用に不正がなかったのかなどもきちんと検証して欲しいものである。

 もっとも、教育システムを根本的に改めなければ、解決など無理なことは分かりきった結論ではあるだろうが・・・。(田舎親父)

2007年8月 4日 (土)

突然の大橋の崩落など信じられないが・・・

 1日アメリカ北部ミネソタ州で起こった橋の崩落事故には驚いた。この橋は日本の小学校でも教える、世界を代表する大河ミシシッピ川にかかる交通の大動脈だという。
 建設されて、たった40年しか過ぎていない鋼鉄の大橋が何の前触れもなく崩落するなど俄に信じられなかったが、テレビニュ-スの映像を見るかぎり、まさに突然崩落が始まり一瞬のうちに橋桁が崩れ去ったことがよく分かる。
 数カ月前から改修工事が行われていて、普段は片側4車線の道路がそれぞれ1車線しか通行できなかったことが、事故に巻き込まれる車の数が少なかったことは不幸中の幸いという表現を許してほしい。
 もし、4車線全てが通行可能であったとしたら、事故の発生時刻からして川に転落しただろう車の数はどのぐらいになっていただろう、思っただけでゾッとする。亡くなった方のご冥福を心から祈るとともに、行方不明者も救出と負傷者の方々の心身のケアを期待する。
 一瞬、数年前の阪神淡路大震災時の高速道路の突然崩落が頭をよぎる。あの時は突然襲った大震災、ある意味因果関係がはっきりしているが、今回の事故では原因がはっきりしないのが何となく気にかかる。
 アメリカ政府は早々と『テロとは無関係』という声明を出したようだが、素人考えながら、地震が起こったわけでもないのに、あのような頑丈そうに見える橋が突然崩落するなんて、これはきっと人為的な何らかの作用が働いたのではと疑ってしまう・・・・。
 それにしてもアメリカという国、この種の事故のスケ-ルは桁外れ。数年前、ニュ-ヨ-クのツインタワ-ビルに飛行機がつっこんで、一瞬にして二つの高層ビルそのものが崩落した事故(所謂9.11テロ)の映像は今でも目に焼きついているが、今回の事故もそれに匹敵するのではないだろうか。
 9.11テロをきっかけに、アメリカ政府は『テロ対策』を全面に出した政策を打ち出し、アフガンへそしてイラクへの軍事攻勢を強めたことは記憶に新しい。一部の批判的な勢力から、あまりにもツインタワ-が脆く一瞬のうちに崩落したことから、事故そのものはアメリカ政府の演出ではという疑問がでているらしい。
 そういう思いで9.11の映像を見ると、なるほど飛行機が上層階につっこんだだけで、あれほど見事にビルが崩落するのも不自然といえないことはない。そこに人為的な働きがあったのでは・・・・と何となくそんな感じもしないことはない。
 真相はこれから究明されるだろうが、建設されてたった40年しか経過していない橋が金属疲労で崩壊したという結論を出したとしたら、アメリカの橋梁の建築技術の未熟さが世界の笑い物になってしまうだろう。
 そんな結論を出すわけはないだろうが(世界から笑い物になる覚悟で)原因の一つに金属疲労という結論を出したとしたら、その時、アメリカ国民は日頃通り慣れている道路が崩落したら大変とばかり、全ての道路や橋梁の耐震検査を早急にやるように要求し大騒ぎになるのではないだろうか。
 車を運転している人にとって、目の前の道路が突然なくなるなんて考えもしない。40年前に作られた橋という基準ならば、東名高速道路にかかる橋などが該当するのだろうがまさか、相模川や富士川の鉄橋を走っている時に突然崩落したとしたら・・・なんて考えたらまず正常な心理状態では車には乗れなくなってしまう。
 小説の世界ならともかく、そんなことは『絶対』に起こらないはずだと信じている私には、今回のミネアポリスの橋梁崩落事故は(ひょっとして)人為的な何かが働いていたのではないかという(ほんの少しの)疑いを持ってしまう。
 それこそ小説の世界だと叱られそうだが・・・。(田舎親父)

2007年8月 3日 (金)

1円でも領収書添付ですって・・・

 一昨日になってようやく重い腰を上げたというか、この男が全て悪いとレッテルを張って追放することにより何とか誤魔化そうと企てたのかは疑問だが、疑惑まみれの農水相の首を切ることにした自民党のドタバタは一体ナンジャイナ・・・・。

 テレビのニュ-スで見る限り、赤城という農水相は『自分で決断しました・・・』としきりに自分の意志で辞職したかのように装っているが、官邸に呼ばれて辞職を言い渡されたから仕方なく辞表を『便箋』に書いたというのが真相らしい。

 本当なら、今まで擁護しておきながら今更、辞任を迫ったアベ首相の管理能力のなさをあからさまに国民に示したもので、信頼と人気はとどまることなく落ち続けるのではないだろうか。

 マスコミによると自民党総裁の権力は物凄く強力で、閣僚のクビをすげ替えるぐらいは朝飯前だという。だったら、あれほど無責任な汚らしい醜聞まみれのカネ亡者の赤城という男をもう少し前の段階で切れば、こんな事態にはならなかっただろうに・・・。

 これでは、参院選で一人気を吐いた舛添サンが自分の生き残りのために『トカゲの尻尾きり・・・』と息巻くのは無理ない話。

 この御仁は敗北が決まった直後にも『こんな自分の仲良しだけを集めた学芸会みたいな組閣をして、次から次に閣僚の不祥事を出して、こんなんじゃ選挙なんか負けるに決まっている』とか『バカが社長じゃ会社は潰れまる』と発言しているが、その口で『総理が続投を決められたのなら、その方向で・・・・』とは、何かチグハグさは否定できない。

 ここまで大見得を切るならば、マスコミに影響のある立場を利用して『アンタでは無理だから、お辞めになったら・・・』という姿勢を出してほしいものだが、その言葉を呑み込んでいるのは何故だろう。

 そんな自民党の中のゴタゴタはともかく、自民党の幹事長は『カネに対して疑惑をもたれない』ためと称して、全ての政治団体を対象に『1円以上』の支出について領収書添付を義務づけるという方針を打ち出すとのたまったという。

 幹事長に言わせると『1円以上の領収書を公開すべきだというのが民意の大勢だ・・・』というが、本気でそう思っているのだろうか。本気だとしたら、この御仁の常識は国民からとんでもなくかけ離れたもの・・・といわざるを得ない。

 『1円の支出に領収書をつけろ』なんて言っている国民は一人もいない。松岡とか赤城あるいは塩崎とかという政治屋の、あまりにも多額のカネを誤魔化そうとしている態度に怒っているのであって、領収書が多少不備であっても、正常の政治活動に支出したことさえ理解で良いと思っているはず・・・。

 要は相手を納得させられる説明責任を求めていることであり、こんな初歩的なことを自民党のお歴々は何故理解できないのだろう。(そんなことは折り込みずみ、これも国民を欺くテクニックよ・・・と陰の声が囁く)

 領収書なんて、その気になりさえすれば簡単に作れる。私のような末端の管理職を経験したものでさえ、帳尻を合わせるために近所の店から白紙領収書をもらい千円単位の金額を合わせた経験がある。領収書の添付なんて所詮その程度なもの・・・。

 政治家の最低限の資質として、領収書の有無より『カネを誤魔化そうとしない意識』を持つことだと私は思うのだが・・・。

 幹事長は今回の大敗で責任をとって辞めなければならないことがよほど悔しかったのだろうが、単なる意地でこんなハ-ドルを作っても、誤魔化そうとする輩にはあまり効果がなく、むしろ問題を陰湿化するのではないのではなかろうか。(田舎親父)

2007年8月 2日 (木)

盗ってください?という雰囲気では・・・

 大阪の私立中学校3年の男子生徒が、修学旅行先のテーマパーク『東京ディズニーランド』のキャラクターグッズなどを扱う店で、集団万引をしていたことが報道された。

 5月末のことだという。この種の事件は警察沙汰にならない限り、学校側は極力外部に出さないよう箝口令を引くのが普通であるのに、何故今頃になって明らかになったのは、校内で紛争が勃発、解決済みになっていたこの万引き問題が内部告発とい形で明らかになったという図式?・・・だろう。

 全国に点在するこの種のテ-マパ-クは、入場料はともかくお土産をいかにたくさん買ってもらうかが、経営の鍵を握っている。従って、何とか興味・関心を引くようにギャラクタ-イメ-ジのついたグッズをできるだけ多く、しかも商品を手にとって見られるようにオ-プンな雰囲気で並べる傾向があるようだ。

 利益を上げるためには販売員の数は極力少なくしているのも共通。子ども達からみたら帽子や携帯ストラップ、あるいはバッジやキャラクタ-イメ-ジのついたお菓子などは喉から手が出そうな商品ばかりが明るいとはいえ無人に近いスペ-スに並んでいる。

 特に東京ディズニ-ランドは全国の少年少女にとっては憧れの場所、(表現は悪いが)毎日のように雲霞のごとく集まる、遠足や修学旅行の子ども達の心を奪うために、ある意味子ども心理を十分研究しつくしたと表現しても過言ではないほど『これも・これも・これも・・・』と欲しがる品物のオンパレ-ドである。

 デイズニ-ランド側としても、万引きはある程度計算済みではないだろうか。全国の修学旅行生は大事な金ずる・・・。少額の商品を万引きしたと大騒ぎして、学校側の面子を損ねたら大変だろうから、例え子ども達が黙ってキャラクタ-グッズをポケットに入れた場面を見つけても、後で学校の担当教員に連絡する方法をとっているに違いない。

 今回のケ-スも、連絡を受けた学校側が宿泊先で子ども達を尋問した結果、集団で万引した事実が明らかになったという。

 社会的責任ある立場の大人が自制できないのは論外だとしても、なんでも欲しくなってしまう少年達に、ある意味『黙ってポケットに入れてもわからないよ・・・・』という心理にさせるように並べている経営に、問題を感じるのは果たして私だけだろうか。

 テ-マパ-クの存在を否定するわけではない。ディズニ-ランドのようにある意味子ども達を『夢の世界』に誘う場があってもかまわないと思うが、そこにある『夢』は全て大人が作り出した『虚像』であることを忘れてはならない。

 その『虚像』の場へ自分の子どもを連れて行くかどうかは親の勝手だが、等しく子ども達の成長を願う学校(特に公立の学校)が修学旅行や遠足で連れて行くことこそ問題する必要があるのでは・・・と私は常々考えている。

 今回は私立の中学校だとのこと、校内では『・・・毎年、ディズニーランドが修学旅行の日程に入っているが、来年は中止を含め検討したい』との議論が高まっているらしい。

 たった千円足らずの品物を万引きした大人が、人生を棒にふってしまう事件報道がこのところ後をたたない。万引きは犯罪、社会的制裁を受けるのは当然だから、この人種に同情する気はない・・・。がしかし、社会的に地位がある大人でも思わず黙ってポケットに入れてしまうようなム-ドが売り場に漂っていることは否定できない。

 できればわざわざそんな雰囲気の中に子ども達を連れてくる修学旅行の考え方を代えるチャンス。全国の学校関係者は、この問題を他人事と思わず、教育という意味で修学旅行のあり方、そして何よりも『目的』をしっかり見直してほしいものである。(田舎親父)

2007年8月 1日 (水)

国民にお約束? どこかで聞いたフレ-ズ・・・

 マスコミは歴史的な敗北と大騒ぎしているが、あれほど国民をバカにした金まみれのスキャンダルと不見識な言動ばかりの閣僚のデタラメさと、それに対して注意すらできない首相の態度では与党の大敗も当然といえばこれほど当然といえる。
 議席を37まで落とした自民党と9議席に終わった宗教政党の敗北に終わった今回の参院選挙。(私もその一人であるが)申し分のない結果に、してやったりと思っている人も多いだろう。
 最初から与党不利という情報に、首相は『私をとるのか小沢さんをとるのか・・・』と小泉亜流の二者択一を国民に選択させようとする戦術に切り換え、この言葉が何度もテレビやラジオから流れたので、ほとんどの国民は耳にしたのではないだろうか。
 この二者択一という手法は、勝つことが前提で負ければ責任を自分一人で負うという覚悟が必要なことは小学生でもわかる理論。この捨て身戦法は日本人好みだから、タイミングを見計らって打ち出すと凄い力を発揮する。
 前回の衆議院選挙では、小泉首相は万が一つも負けないだろうが圧勝しなければ潔く消える、という覚悟を持っていたに違いない。その気迫が演説に現れ、刺客というとんでもない方法を生み出した。結果は自民党の地滑り的な大勝利だったことは記憶に新しい。
 今回の結果で即、国民総体が『小沢さん』を選択したとは思いたくはないが、アベ首相に対しては『お前はいらないよ』という意思表示であることは疑いのない事実。なのに、情勢が厳しくなると結果も出ていないうちに『例え負けても責任はとらない』と発言しては、行きがかり上でも『小沢をとる』と思いたくなるのは人の機微というもの・・・ではないだろうか。
 翌日の記者会見の様子がテレビで流れたが、首相の口から『国民とお約束したから責任がある・・・』という言葉が聞き飽きるほど何度も何度も出ることにうんざり。ほとんどの国民は『約束』などしたと思っていないはずなのに、この御仁の(幼稚園児的と言っても差し支えない)感覚と頭脳構造を疑わずにはいられなくなってしまう。
 この『お約束云々・・・』という違和感のある表現、どこかで聞いたことがあると思ったが、何のことはない小学校の教員が子どもたちと会話する時に使うごく普通の言い方であることに気がついた。
 小学校の教員(特に女教員)の言葉――『皆さん、明日は遅れないように集まりましょうね。お約束ですよ。お約束しましたよ』あるいは『皆さん、この学級のお友達は良い人ばかりです。喧嘩などしないとお約束しましょうね。お約束しましたよ』
 アベ総理の言葉――『国民の皆さん、日本は美しい国ですよね。一緒に美しい国をつくりましょうね。お約束ですよ。お約束しましたよ』 まったく同じ言い方である。
 教員は一方的に『お約束しましたよ』と、自分の都合の良いことを『お約束』という言葉で子どもを縛りつけることが常套手段として日常的に使っている。その『お約束』が果たせないときは『ちゃんとお約束したじゃない。なぜ守れないの・・・』と叱責するのも日常茶飯事。子どもと教員意識のずれが生じ、子どもの信頼感が薄れていく・・・。
 どうやらアベという総理には、もう一度小学校の国語の勉強を教える必要がありそうだ。聞くところによると、このオボッチャマは幼い時から家庭教師がつき有名私立への受験勉強をさせられていたらしいが、その家庭教師は言葉の使い方を教えなかったようだ。
 かってに『お約束しました』といわれても迷惑な話。噂によると家庭教師の御仁も自民党の議員らしいので、遅くなってしまったが『アベ君、お約束しましたという言い方はおかしいよ』と教えてあげないと大変なことになりそう・・・。
 早くすっきり辞職するか、あるいは本当に『私をとるか、小沢さんをとるか』という二社選択で国会を解散して、国民と真の約束を結ぶ場を作らないと、永久にアンタの居場所はなくなるよ。といらぬ心配さえしたくなってしまう・・・。(田舎親父)

 

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