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2008年3月

2008年3月31日 (月)

私の推奨するお花見スポット・・・

 昔から『1月行く・2月逃げる・3月去る』と言われているように、一年でもこの期間の時の過ぎる速さが、特に早く感じると言われているが、今年の過ぎ方は一層早く過ぎ去ったと感じている人も多いのではないだろうか。

 私もその一人で、つい先日新しい年を迎えたと思ったのに、気付くと立春。この間例年にない寒さは感じたものの、あっと言う間という表現そのもの。その後は暖かい日差しに恵まれて、例年より早くサクラが開花、雨模様の花冷えの中サクラの名所はお花見客でごったがえしていたようだ。

 私も人並みにサクラは大好き人間だが、あの宴会騒ぎはもう卒業、近年はゆっくりとサクラを愛でるために、有名なサクラの名所は避けて、近場の私なりのお花見スポットを何カ所か開拓して毎日のように出かけている。

 その一つが『恩田川コ-ス』である。鶴見川の支流である恩田川は、町田市を水源として、横浜緑区で鶴見川と合流する比較的短い河川であるが、この流域はまだまだ自然豊かな風景が残り、私の散策コ-スの一つになっている。

 その一部に大木が並ぶサクラ並木があり、例年この季節になると、まさに『川面を覆い尽くす』と表現しても大袈裟ではない『サクラのトンネル』が出現する。

 ここも近頃では、口コミやネットでこのサクラの名所として知られるようになり、人出が多くなっているが、宴会をするほど広い場所がないこともあり、人々は比較的ゆったりとサクラを眺めて散策している。当然、気分的にもゆとりが出ることが嬉しい。

 今日は、日頃の社会に対してのブツブツ批判を忘れて、昨日歩いた、私の推奨するサクラスポットの一つ、『恩田川コ-ス』について紹介することにしてみよう。

 一人で歩く時には、自宅からすべて徒歩であるが、昨日は家内と一緒なので途中までは交通機関を利用する。横浜線の長津田駅の横浜に向かって左側の階段をおりて、線路と直角方向の道を10分ほど歩くと、恩田川にぶつかる。

 そこはまだ横浜緑区、サクラなど全くない。川沿いには砂利道の遊歩道は手入れが行き届いていないので歩き辛いが、田や畑や梨畑が広がる田園風景に気持ちが和む。普段は歩く人も少なく、私のお気に入りの散策コ-スの一つになっている。

 恩田川をしばらく遡ると、町田市に入るが、ある地点で環境が一変する。この川には鶴見川から分かれる上流部の途中から、河川敷と歩道を区切る高さ1m程度の貧弱なネットフェンスが貼ってあるのだが、東京になった場所からは立派なフェンスになる。

 同時に、遊歩道も砂利道から舗装になり、川も両側とも垂直のコンクリ-ト護岸。東京の中心部と同じ、川というより溝と表現した方がよい風景になる。しかも、遊歩道のすぐ側まで民家が迫っているのも都心部と同じ。

 市街化調整区域に指定している横浜側の恩田川沿線は田園風景がずっと続いているので歩いていても解放感があるが、都に入ったとたん家・家・家・・・。こんなに県境で風景が変わる場所も少ないのではないだろうか。

 救いは、そこからサクラ並木が約2キロメ-トル以上続いていることある。田園地帯のサクラ見物という風情が感じられないのが不満だが、サクラの頃には、コンクリ-トの護岸も民家の密集も気にならないほどの『サクラの波』は絶景である。

 近年、人が増えたとはいえ、鎌倉などとは比較にならないので歩くのに苦労することはない。遊歩道の幅も一間ほどとっているので人とぶつかるようなこともない。途中いくつもの橋がかかっている。その橋の真ん中から眺める、川面を覆い尽くすサクラの風景は素晴らしい。

 やがて高瀬橋というところでサクラ並木は終わる。例年ならばそこから反対側に出て、逆コ-スで長津田方面に引き返すのだが、昨日は、バスで町田市外に出て、夕食を楽しみ電車で帰宅というメニュ-を選択した。

 高瀬橋で人々の動きを観察したところ、例年の私と同じ、そこから逆の岸を引き返してもう一度サクラ見物を楽しむ人がほとんどだった。

 この記事を目にされて、横浜沿線にお住まいの方がおられたら、あと数日は楽しめるはず。ぜひご自分で確かめられることを薦めたい。(田舎親父)

2008年3月30日 (日)

今どき大都会の河川敷で土砂崩れとは・・・

 先日報道された、大阪市内の大和川河川敷で小学校を卒業したばかりの子どもが土中に埋まって死亡というニュ-スに、『エッ 今どき大都会の河川敷で土砂崩れなんて・・・』と一瞬耳を疑った。

 記事によると、男の子が埋まっていた穴は深さ約1.8メートルもあり、河川敷から川面までの高さ約10メートルの斜面にもともと掘られていたとのこと。この日、午前中から、弟とスコップでさらに掘って遊んでいたらしい。

 穴はいくつも掘られており、テレビニュ-スではキャスタ-が近所の人にインタビュ-していたが『普段から土砂崩れがおきないか、心配していた』との答えに、どうしてこんな穴がいくつも掘られ放置されていたのか、ますますよくわからなくなった。

 恐らく、橋梁工事の後始末がずさんで、放置されていたのだろうが、大都会の河川敷といえばコンクリ-トでかためているのが普通。赤土丸出しの斜面、それも10メ-トルもの高さとは、さすが大阪と変なところで感心してしまう。

 そんな斜面が実際に存在し、さらに深い穴まで準備されているとなると、当然のことながら、ここは子どもの冒険心をくすぐるような場所。自分たちの秘密基地をつくりたい・・・なんて誰しも思うこと。男の子が大勢集まり、嬉々としてスコップで穴をより深く、複雑に掘っている姿が思い浮かぶ。

 ただ解せないのは、この男の子は弟と二人だけで遊んでいたこと・・・。もし誰かと一緒だったら、例え土砂崩れがあったとしても、決して今回のような惨事にはならなかったと思うと、こどもの危険を察知する力の無さと、一人遊びに近い遊び方が当たり前になった最近の子ども事情が気になるところ。

 大勢で遊んでいれば、近所の大人たちは、その様子を『おお、やっとるわい・・・』微笑ましく見守っていたのだろうが、一人遊びとなる事情が違う。今どきの大人に、こんな時『危ないよ』と注意できる人は少なく、結局は、見て見ぬ振りしていた・・・というところだろう。

 今回のニュ-スで、数年前、鹿児島で近所の大人たちも知らない洞窟で、ロウソクをつけて遊んでいた大勢の子どもの中の何人かが、一酸化炭素中毒で死亡したという事件を思い出した。

 当時私の第一印象は、子どもの中の誰か一人がほんの少しの科学的な知恵を持っていたら、一酸化炭素中毒で死ぬ事はなかったろうに思うと同時に、命を落した事は残念だが、子どもたちの冒険心はまず認めるべきで、助かった子どもたちを責めてほしくないということだったと記憶がある。

 今回の事故(事件)も子どもの冒険心から起こったことには違いなかろうが、ここには冒険遊びは大勢でしなければならない、という基本的な遊び方を知らなかった(教えなかった)ことと、(繰り返すが)最近の子どもに共通している、危険察知能力の決定的な不足が背景にあったことは間違いなさそうだ。

 大都会の河川敷にこんな危険な場所を放置していたことも問題になりそう。住民の中には行政機関に『危険』だと連絡した人がいるかもしれない。いやいたはずだ。しかし、役所の動きは鈍く、上司に連絡しておきます、程度の応対だったことも予想できる。

 そうなると今頃、市役所(区役所)は大騒ぎになっているはず。警察の調べで、土砂崩れが自然発生的に起こったとしたら、放置していた部署の責任問題に発展することは容易に予測できる。

 私にはそんな役所の対応などより、冒険心をくすぐる場所を見つけても、弟と一緒だったとはいえ、自ら身を守るということに対してすっかり鈍感になってしまった子どもの感覚と、基本的には少人数でしか遊べなくなった環境が気になる。

 ガキ大将を中心に、ある意味自分の役割を自覚して、大勢集まりワイワイガヤガヤ云いながら秘密基地を作って遊んだ昔が懐かしい。(田舎親父)

2008年3月29日 (土)

残念 面白いドラマになったのに・・・

 ウ-タンと揶揄されている福田首相、四面楚歌の環境を自ら打ち破る覚悟をしたのかどうかはこの御仁の直接きいて見なければわからないが、27日になって緊急の記者会見を開き『道路特定財源を一般財源とする』という、与党・道路族議員からは到底受け入れられないような提案を発表したのには驚いた。

 が、その時期が来年度から・・・しかも、ガソリン税などの暫定税率は維持となると、この発表の影には、とにかく現状を打開しなければ、という焦り以外何ものでもないような気がしてならない。

 この発表に、早速道路族の親分たちは、『かなり思い切ったことを言っておられるので正直に言ってびっくりした・・・』とか『地元の声を大切にするのは政治の原点だ・・・』と表面上は冷やかに、基本的には『首相の個人的な発言』『やれるならやってみな』という、突き放したような言い方・・・。

 自民党の幹事長まで、『首相の発言は、党内手続きを取ったものではなく政府の考えだ・・・』と述べて、党は反対という立場。これでは首相がいくら国民に約束なんて言ってもその言葉を信じられるわけはない。首相もそのあたりを十分意識して、来年度からという表現をしたのだろう・・・。

 野党も下手といえば下手。この提案を受けて、来年度『骨抜きなどしないで、無条件に一般財政にする』という言質を、与党からとる作戦にでれば、間違いなく自民党が崩壊するだろうに・・・、両院議長の要請を受けて、他の税制措置は2ケ月延長というつなぎ法案に妥協。結局はガソリンの値段を下げるという国民受けねらった姑息な戦術を選んでしまったのは絶好のチャンスを逃してしまったと思えてならない。

 もし・・・という言葉は、政治に限らず意味のないことからもしれないが、もし野党が首相の言葉を受け止めて、議論をはじめたとしたら、マスコミメディアは大騒ぎ。多くの国民も一般財源化を願っているだろうから、これは面白かっただろうに・・・。

 そうなったら間違いなく、自民党内の対立が鮮明になっただろう。道路を作って上手い汁をすってきた道路族の親分たちは、まず大反対。中には法案の骨抜きをねらった動きをする輩も出るだろうが、首相が『骨抜きなし実施』と言った以上、いかに厚顔無恥の輩であっても表向きには言い出せないはず・・・。

 となると、党内は大混乱。道路族の議員たちは親分を先頭に一枚岩の団結・・・?。国交省の官僚たちを味方にして立てこもる。一方、一般財源化に反対すれば次の選挙で当選がおぼつかない議員は、首相をもり立てて、現状打開を計ろうと野党との連立を模索するのではないだろうか。

 今の首相の能力では、とてもではないが解散総選挙ができるわけはない。現状のねじれ国会状態では、決まるものも決まらない。与野党の良識派(というより生き残りをかけて動き回るという表現の方が適切かもしれないが・・・)議員たちは、何とかしなければと右往左往の大騒ぎ。

 自民党が分裂すれば民主党も大混乱から分裂する当たり前。誰かを担いでとにかく暫定政権の誕生・・・・。

 こんな筋書きのドラマが見られたのに残念である。(田舎親父)

2008年3月28日 (金)

世論を気にしては政治なんてはできない・・・?

   『世論調査を気にしては政治なんてできない・・・』一昨日になって、ようやく都議会の予算特別委員会で400億円という途方もない金額を『新東京銀行』に追加出資する議案が可決された後の記者会見で、この言葉が飛び出した。

 不遜だが、議決の前に発するのならともかく、やっと出資が決まってホッとして口から出たところから推察すると、このワンマン知事は気が小さく周りを気にする性格なのに、何とか自分は大物だと思い込ましたくてたまらないタイプなのかもしれない。

 こんな御仁を都民は圧倒的多数で都知事として信任、再選したのだから、都民一人当たり1万円強の負担は仕方ない・・・か?。

 それにしてもお粗末な話である。石原という知事は、富の声はもちろん、識者や金融界の意見などを無視して、1000億という巨額の都費を投じて作り上げたことはつい数年前の話。そのほとんどが利子の付く都債というから、その利子だけでも大変な金額。そのすべてが、あっと言う間に回収不能となっているというから情けない。

 この銀行を立ち上げるにあたって、ワンマン男は、マスコミメディアが貸し渋りを続ける銀行を俎上に乗せて、激しい銀行批判を繰り返した背景に『今の銀行は、やれ担保だ保証人だと、ハ-ドルが高すぎる。これでは優秀で将来性のある中小企業の芽を摘んでしまうことになる』だからこそ『都が優秀な中小企業を応援するのだ』という、一見正論と思える論理を掲げて自分の正しさを訴えていたことは記憶に新しい。

 その意味ではマスコミは知事のお先棒を担いで(一緒になって・・・)都民を騙したと言っても差し支えないだろう。マスコミのチョウチン記事に気をよくした知事は、勇ましく進軍ラッパを吹き鳴らし、この銀行の先行きに不安を感じていた多くの人達の反対の声を押さえ込んだことも確か。

 だから、新銀行設立は知事の思惑とマスコミのいい加減な体質とが上手くかみ合って出来た所産と言ってもよいのでは・・・と思っている。

 頭取はじめ経営陣も知事の息がかかった人物が選ばれたらしいが、その経営陣の人脈につながる企業には甘い審査で巨額を融資、一方、市中銀行に相手にされない資金難の中小企業に対しては、10%以上の高利での融資となると焦げつくのは当たり前。

 たちまちのうちに暗雲がただよいはじめ、次に都民が新銀行の話題に接した時点では800億という累積赤字。市中銀行に『お助け・・・』をお願いしても断わられてしまい、挙げ句の果てが今回の追加出資になったようだ。背景にあるのは、新銀行をこのまま破綻させては、知事としてのメンツでは・・・。

 そのあたりの経過はくどくどと述べる必要はないだろう。圧倒的多数の都民が反対するのでは、都議会の与党である自民党と宗教政党の議員たちは、知事の要請とはいえ、溝に捨てるのはわかりきっているだけに頭を抱えたに違いない。

 追加出資に無条件賛成というと、次回の選挙で落選するおそれがありそう。だからといって知事に反対することは与党として憚れる。知事から睨まれるのも怖い・・・。与党の議員たちは大慌てで会合を繰り返し、対応を協議したのではないだろうか。

 結果として、新しい追加出資は絶対にしない、という謂わば、玉虫色の付帯決議をつけての議決になったという選択でお茶を濁したというところだろう・・・。

 この400億が生きれば問題はないが、金融など全くの素人でも、新銀行の先行きは極めて不安定なことは理解できる。このままだと400億の溝に消える運命にあるような気配。与党の議員たちの心境はオドオドドキドキといったところだろう。

 特に宗教政党の議員たちは、支持母体の宗教信者の多くが善良な都民。しかも比較的貧しい層の人達が多いだけに、万一(どころではない思うのだが・・・)追加出資が溝に消えることになったら、突き上げが大変なことが予想できるだけにヒヤヒヤものだろう。

 この際、巨額には違いないが400億が現実に溝に捨てられた時に、ワンマン知事と、何とか学会という宗教の呪縛から都民が解き放されるのなら、決して高い代償とは思わないが、それにしても都民は大変な方を知事に選んだものである。(田舎親父)

2008年3月27日 (木)

誰でもよかった・・・で殺される時代とは

 一昨日の夜、岡山駅のホ-ムで電車を待っていた38歳の男性が、突然後ろから突き飛ばされて線路に転落。丁度、ホ-ムに入ってきた電車にはねられ死亡するという事件は、いよいよこの国では安全な場所がなくなった、と感じさせる事件である。

 犯人はごく最近高校を卒業した18歳の家出少年。『人を殺せば刑務所に行ける。誰でも良かった』と話しているらしいから、明らかに殺意を持ってホ-ムで獲物を物色していたに違いない。たまたま自分の前に並んでいた得男性をタイミングを見計らって強く押したのだろう。

 県の職員だという男性は38歳。まさに働き盛り、この日も遅くまで職場で残業、職種替えのための引き継ぎ作業を終えて帰宅途中だったというから、できれば座れるようにと思い、最前列で電車を待っていたと思われる。

 きっと疲れていたに違いない。まさか後ろから押されるなんて夢にも思えないので、ホ-ムで今日も一日終わったとぼんやりしていたのではないだろうか。そんな状態で後に並んでいる男から背中を押されたら、一瞬何が起こったのかわからずホ-ムに転落したようだ。訳がわからないまま殺された男性は無念だったに違いない。

 それ以上に無念なのは、奥さんと二人の娘さん、これからの人生は大変だろうと心から同情する。

 通勤で座席確保のために列の先頭に並んでいる時でさえ、後ろに絶えず警戒して、万一背中を押されても線路に転落しないような気合を入れて立っていなければならなくなったとなると、ますますサラリ-マン諸氏はストレスがたまりそう・・・。

 一方、最近の凶悪事件として世間を賑わしているのが、常磐線の荒川沖駅の改札からショッピングモ-ルまでの連絡通路で次々と8人を庖丁とナイフで刺し、一人を死亡させた事件。犯人は、その数日前に自宅付近で72歳の男性を庖丁で首を刺して殺害した金川という男。

 こいつは、犯行を思い立った当初は、家族や自分が卒業した小学校で子どもを殺したかったと供述しているらしい。たまたまその時、家族が留守だったり、小学校には大勢の人がいたから断念、結局は付近をウロウロしている途中で、家からでてきた男性を刺し殺したというからこれは目茶苦茶な話。

 『誰でも良かった。たまたま目が合ったから刺した・・・』と供述は信じがたいが、本当のようだから尚更恐ろしい。『誰でも良かった』という理由で、ナイフや庖丁で襲われてはたまったものではない。

 ただ、72歳の男性殺害事件では警察は早々に犯人を割り出し、全国に指名手配。警察も程なく犯人は逮捕されるだろうと安易に感じていたようで、現れるだろうと予測した駅付近に、私服の警察官を駅改札口近くに大勢出していたのに犯人を見落としたというからこれは警察の大失態。油断があったことは間違いなさそう・・・。

 『誰でも良かった』という犯人の心理を予想できたら、まず何より人々の安全を守るという意味でも、私服ではなく制服の警官を絶たせて警戒にあたり、犯人に行動しにくいような心理状態に追い込むことが必要だったはず。まして私服警官相互の連絡のための無線も持っていなかったとなると、明らかに警察の読み違いだろう。

 この、二つの事件に共通するのが『誰でも良かった』という言葉。人間を殺したいという欲望を押さえきれないとなると、これは人間として存在できない。いや存在してはいけない。先日も書いたが、江戸時代ではこんな事件では、間違いなく『張り付けの上獄門・さらし首』は間違いない。

 当然だと思うが、覚醒剤などに頼らず素面でも誰かを殺して自分も死のう・・・という心理を持っている輩が相当いるらしいことを思うと、この心理そのものを根絶しないかぎり、今回のような事件が起こる可能性は強い。しかし、このような心理を持っている輩を事前に見つける方法は難しい、というより無理。

 二度と『誰でも良かった・・・』という理由を聞くことがないために、大人としての知恵を出し合うことが必要だと思うが、具体的な手だてがないのが悩ましい・・・。(田舎親父)

2008年3月26日 (水)

天下の東大が掟破りでは・・・

 日本の最高学府と言われている東京大学。昔は親からの仕送りもない貧乏な学生が、苦学に苦学を重ねて、その東大を卒業、出世して故郷に錦を飾る・・・という美談?が数多く聞こえてきたものだが、最近は経済的に相当豊かでないと大学受験の必須条件になった感がある進学塾にも通えないとあっては、このような話はとんと聞かれなくなってしまった。

 少子化と大学の乱立によって、各大学は学生集めに苦労していると聞く。東大ぐらいになると何もしないでも学生は集まりそうだが、現実はそうではないらしく、東大生の質も低下しているとのこと。

 危機感を持った大学当局は、来年度から親の年収400万円未満の学生の授業料を免除すると発表。大きな話題になっている。

 人間の成長にはある程度の『貧乏』が必要なことは誰もがよく口にする。その意味ではこの制度は『貧乏人の子弟でも東大に行けるという希望を与える』と評価する声が上がっているというが、現在の受験制度では、前述したように進学塾に通って受験術を得ることが前提になっていることを思うと、その塾費用が出せない貧乏人には、とても手放しでは喜べない話。

 授業料がいらないとなると、同等の経済的条件の家庭なら『東大』を狙いたくなるのは当然、確かに東大の受験生の数は増えるだろうし、結果的に優秀な学生も多くなり、東大の質は上がることは間違いない。

 一方、授業料を免除したくとも経営上できない地方の大学は悲惨になりそうだ。それでなくても、地方に住む十代後半の若者心理は東京への憧れが大きいとあっては、東大集中傾向は増大。ますます地方と中央の地域格差が広がることは明らかだろう。

 私が富士通を退社して横浜国大に入学した当時、入学金が8000円、年間の授業料は12000円だったことを鮮明に覚えている。現在の東大の授業料は年53万5800円というから、何と50倍弱の値上がり。この数値は異常では・・・。

 少子化が進み大学間で優秀な学生の獲得競争が激化するなか、今の国公立大学は独立行政法人となり、財政的に苦しい運営を余儀なくされている現状では、勝ち組みである東大の授業料免除という方針は明らかに禁じ手。もう少し地方の大学のことを考える余裕がほしいもの。

 もっとも日本の最高学府の東大を運営している人々は、謂わば、日本の良識そのものだと思いたいだ、その人達が相手のことなど全く無視、自分たちだけの反映を願っての方針を打ち出すようだから、この国のモラルがどんどん下がるのは当然かもしれない。

 教育は国の根幹などという言葉はいったどこに行ってしまったのだろう。本当に国の発展を願うならば、若い優秀な人材を本気で育成しなければならないことは誰が考えてもわかるはずなのに、授業料の高騰や大学受験そのものを偏差値詰め込みの『学力』を重視している教育システムを改める必要があるのでは・・・と思ってならない。

 さらに、特に地方の発展にはその地方で生まれ育った子どもたちの力が必要なのに、わざわざ東京に向かわせるような風潮を作っているのも許せないところ。

規制緩和とか改革とかいう言葉に酔って、国立大学を行政法人にしてしまった政治の綻びが、大学という最高教育機関においても地方との格差をますます広めていることは明らか。国の行政は政策が誤りだったことを認めて速やかに国立大学に再度改め、授業料は限りなく安くする方針が大事ではないだろうか。

 国交省あたりの無駄遣いを改めるだけで可能だろうし、不透明な防衛費の中のイ-ジス艦一隻減らすことでもできる話。夢の実現に向けて・・・と盛んに宣伝している、およそ一般人には意味のない宇宙開発などをほんの少し縮小することでできることだろうと思っているがいかが・・・。(田舎親父)

2008年3月25日 (火)

また文科省の悪いクセが・・・

 あと一週間で任期が切れる和田中学校の藤原校長は、最後の最後まで話題を提供してくれる。

 私は進学塾が大嫌い、特に金儲けのための塾に対して嫌悪感すら持ち、ある意味存在そのものを否定したいと思っているので、藤原氏の提唱する『夜スペ』なる、塾の講師による有料の指導に対しては苦言を呈しているが、彼の発想の素晴らしさには敬意を表してきたつもりである。

 特に彼の学校運営に不可欠な『地域本部』という組織を立ち上げたことに対しては、その先見性に大いに拍手を送ったものであるが、それが他に広がらないのは彼の考えを理解できない(したくない)現在の教育界の硬直した雰囲気と、地域住民の学校に対する期待とやる気が足りないからではないかと分析している。

 一昨日だったか、朝日新聞の教育面に『地域の力 生徒を育てる』と大々的に取り上げられている記事を読んで、さすが藤原と思わせる彼のユニ-クな企画や運営に、改めてなかなかやるな・・・という思い。

 このコ-ナ-で取り上げられているのが『PTA』のあり方である。PTAそのものを『地域本部』の一部として機能させるというやり方は面白い。ここにも和田中の『地域本部』が成長し、確実にPTAという組織までも包み込存在になったことがうかがえる。

 現在、全国的にPTAの役員の引受手が少なく、年度末の今頃になっても来年度の会長が決まらない、なんていう話をよく聞く。特に都会では価値観が超多様になって、自分の時間を守ることが最優先。PTAの仕事なんかゴメン・・・という考え方が当たり前になっているらしい。

 そのため、やってくれる人がいたら大歓迎。奇特な人だと祭り上げられた結果、かえって混乱している学校もあるということも、時に耳に入る。それだけPTAという組織の目的が曖昧になり、機能しない場合も多くなっているのだろう。

 そのあたりに危機感を持ったのだろうが、藤原氏は(1)PTAは地域本部の一部門の現役保護者部会とする(2)各クラスの保護者から役員を選ぶ仕組みは変えないが、会長は選出せず役職も少なくする(3)区内のPTA役員が集まる会合には今後参加しない、という基本的な方針を打ち出したという。この方針は既にPTAの運営委員会で了承され、あとは総会で承認するだけになっているというから、彼の最後の最後まで学校改革に取り組む姿勢がよく現れている。

 この方針は大賛成である。しかし、彼がこのような方針を打ち出せた背景には、彼自身が作り上げた『学校本部』という組織が、確実に機能し、人材が確実に育っているという自信があったからだろう。

 朝日新聞の記事を読む限り、この組織が、いかに子どもたちの成長に大きく貢献していることがわかるが、はたしてこのような組織が和田中以外にも存在し、和田中と同じような機能を持って動いているのかというと疑問がわいてくる。

 和田中は杉並区立の学校である。残念ながら区立の他の学校が同じような組織を持っているとは聞こえて来ない。他校では、『夜スペ』や『ドテラ』と呼ばれる和田中の生徒のほとんどが参加するようなユニ-クな企画も実践も、うらやましいと思いながらも指を加えるだけ、やりたくてもできないのが現状だろう。

 その意味で、PTAをここまで改革できるのは、間違いなく『和田中地域本部』の存在があるからだと言える。

 そのあたりをどのように評価しているのかはわからないが、文部科学省は新年度から、和田中をモデルに『学校支援地域本部』を全国1800カ所に置く方針を打ち出したといい、既に08年度に50億円超の予算を盛り込んでいるというから驚きである。

 文科省の役人たちは、ひょっとして簡単に和田中のような『地域本部』ができると思っているのだろうか・・・。まさか・・・。これは恐ろしい。

 和田中の『地域本部』は藤原氏という卓越した能力のある人物と本当にやる気のある地域住民の意欲が結集したからこそできたもので、現在の教育システムの中、教育委員会にペコペコしながらやっと校長職を手に入れた連中と、考え方がバラバラな地域に和田中と同じような『地域本部』を作れというのは酷な話・・・。

 各自治体の教育委員会は文科省の方針をそのまま丸飲みするのが体質。ひょっとして全国の学校に『和田中のような-学校本部-を立ち上げろ・・・』という通達・命令が流れるのではないだろうか。いや場合によっては、もう流れているのかもしれないと思うとゾッとする。

 絶対に教育委員会に反抗できない校長たちは、またまた頭を抱えるだろうし、学校現場は大混乱する姿が思い浮かべることはそれほど難しくない。

 教育界というところは、下部組織になるほどガチガチの方針になることは常識。和田中の成功例を参考にした文科省の方針は、都道府県から市町村と下部の教育委員会を経るごとに、細かなことまで決められたマニュアルとして各学校に押しつけられるのは間違いなさそう・・・・。

 藤原氏はこれから『学校本部』立ち上げのために全国的に引っ張りだこになり、各地で藤原式『学校本部立ち上げ論』を展開するだろうか、そのほとんどは理解されないままに形だけを真似する地域や学校が多くなる・・・?。

 来年度以降、『似て非なる』和田中方式の『学校本部』が全国に現れるのでは、との私の心配が杞憂でないことを願いたい。(田舎親父)

2008年3月24日 (月)

ガソリン税を私的な財布にしている輩たち・・・

 この蘭でも何度か取り上げている、国交省の道路特定財源の使い道のデタラメさがますます明らかになっている。

 先日も、この金を使って運営していた『東京みちの情報館』という施設が、隠れるようにして看板を下ろしたと報じられた。なんでも、特定財源を投じた広報活動の『見直しの一環』らしいが、この連中のやりそうなことである。

 この施設は00年に開館し入場無料、模型やパネルなどを使ったPR施設だそうだが、近所に住む人や通り掛かった人は、何の施設だか知らなかったとのことであることからして、およそ道路のPRという業務などに力を入れていなかったようだ。

 年間2万人もの利用客と発表しているが、ほとんどがトイレ利用らしい。はっきり目的を持って入館した人の数と言ったら、反発されそうなので『トイレ利用・・・』なら2万人といっても通用しそうだ・・・との程度では。あまり信用できそうにない。

 運営業務など民間業者と約2800万円で随意契約しており、職員を2名ほど常駐していたらしいが、この職員も国交省関係の受け皿だろう。

 同様の施設の、東北地方整備局の管轄の道路PR施設『みちあむ』も今月11日に閉鎖したというから、国交省の慌てぶりがよく分かる。この施設は昨年、1日当たりの利用者は47人だったというが、これも大部分トイレ目的のような気がする。

 運営は年間3900万円で社団法人『東北建設協会』と随意契約、この協会の役職員350人のうち、79人が国交省の元職員だったという。同じく、閉鎖されたのは近畿地整の『道の相談室』という近畿地方の3つの施設では、利用客は3カ所合わせても1日20件の問い合わせや入場しかなかったというから、そのデタラメさは半端ではない。

 ここでも、運営を業務委託した社団法人『近畿建設協会』という団体は役職員308人のうち、95人を国交省の天下りが占めるというから、呆れてものも言えない。

 同様の施設が各地に存在するらしいが、これらも大急ぎで閉鎖もしくは、一時的に業務をストップしていると言うから、ここはしばらく黙って反省の姿勢を見せて逆風のおさまるのを待っているとしか思えない。

 道路特定財源から事業1件当たり500万円以上の収入を得ている公益法人50団体の半数で、報酬のある常勤役員を国土交通省OBが独占していることが、内部資料から明らかになったという。いかに国交省の役人どもが道路特定財源を私的な財布として勝手気ままに使っていたということがわかる。

 また、道路特定財源から巨額の金が、道路ではなく河川整備に転用されていたことが明らかになったことも明らかになっている。道路以外に使わない・使えないと言い張っているのに・・・である。

 国交省所管の財団法人である『公共用地補償機構』という団体があるらしい。その団体が2000万円を職員旅行に充てていたことや、国交省OBの天下っている『国際建設技術協会』が3冊で1億円もの調査報告書を作成したことも明らかになっている。

 こんなバカな話はない。これも、暫定税率が温存され5兆円を超える特定財源が安定的に入ってくるからだろう。予算化されているのだから、使い切らないと損だという役人根性が、このようなデタラ運用になったのだろうが、よくぞ今までこんなことが続けてきたものだ。

 ここは、民主党など野党が主張するように、まず無条件に暫定税率を廃止するというのがスジ論だろう。政府と自民党道路族議員は5兆円の財源不足は国民生活に迷惑をかけると言うが、本心は自分たちが甘い汁が吸えなくなることは、一連のデタラメ運用が教えている。

 暫定税率廃止という大原則を崩してほしくない。ここ一番、野党の結束に期待する。(田舎親父)

2008年3月23日 (日)

覚醒剤での犯罪が無罪とは・・・

 相変わらず納得のいかない判決が目立つ。このような判決を参考にしてしまうと、陪審員制度で俄裁判官にさせられる民間人が、トイデモ内容の判決を下すのではと心配しているのは私だけだろうか・・・。
 買い物をしようと町に車で出かけた64歳の女性と同乗者に、突然襲いかかり怪我をさせたとして、不法残留の外国籍の男が逮捕させられる事件があったそうだ。この種の報道はよくある話、残念ながら、また不良外人がのさばっているのか・・・程度の認識が現在の我が国の現状だろう。
 しかし、不良外人の裁判で田辺という女性裁判長は覚せい剤取締法と不法残留については懲役2年、執行猶予4年(求刑・懲役10年)を言い渡したが、強盗傷害などについては『覚醒剤による中毒で心神喪失状態にあった』と無罪を言い渡したというのは、どう考えても納得できない。
 こんなことを書くと、またまた人権派と称する皆さんから批判を受けそうだが、こんな男を野放しておく社会では、善良な市民は安心して外を歩けない。
 覚醒剤で罪の意識が曖昧だった、だから『無罪』だなんて、こんなバカな話があってはいけないはずだが・・・。これでは被害者は救われない。たまたま今回は、命が奪われなかっただけで、一歩間違えば殺されてもおかしくないのに・・・である。
 何でも厳罰に処すことには無条件には賛成できないが、少なくとも面識のない怨みも全くない市民に対して、自分の享楽のために襲い、傷つける。場合によったら殺人に至る、このような事件に対しては、如何に理由があろうとも『厳罰』に処すことが必要だと考えている。
 それを『覚醒剤のため意識が朦朧・・・』などを理由として、無罪など絶対に許されたら、ますますこの種の犯罪は増加、殺され損になりかねない。江戸時代ではないが『市中引き回し、死刑・獄門さらし首』程度の厳罰に処すべきではないだろうか 。

  江戸時代の刑法が正しいとは思えないが、犯罪が少なかった理由の一つは、この理不尽な『殺人や強盗』に対して、絶対に許さないという奉行所の姿勢があったはず。
 何を許すか、そして絶対に許してとはならないものは何なのか、この基準が曖昧な現在、こんな判決をのさばらしておけば、同様の犯罪はなくならないどころか、むしろ飛躍的に増加するのではないかと懸念している。
 一方、こんな報道があった。
 何時の頃の犯罪だったかはっきり覚えていないが、東京のど真ん中で、夫を殺害してバラバラにし、ゴミ袋に入れて路上に捨てたという事件があった。当時はその手口が極めて猟奇的だとしてマスコミが大騒ぎしたものである。
 その公判が東京地裁であり、検察側、弁護側の双方が請求した鑑定医2人が同時に出廷し、ともに『被告は事件当時、心神喪失だった』との意見を述べたという。弁護側はともかく、検察側が立件する強い意図があれば、こんな見解を出す医師を選ぶはずがない。
 恐らく取り調べの課程で、妻が追い詰められて精神が攪乱して、後先のことなど考えないで殺害した、ということがはっきりしたのではないだろうか。二人の医師が『夫のDV(ドメスティックバイオレンス)で、妻であった被告は逃げられない心境にあった』との報告から、日常的に夫から暴力を振るわれている妻の姿が思い浮かべることでできる。
 こんな状況では、追い詰められて前後の見境がなくなり、寝ている夫を庖丁で刺し殺したのも何となくわかるような気がする。少なくとも、一緒に生活しているパ-トナ-を殺したくなるのには、それ相当の理由があるだろう・・・。
 この事件も江戸時代では『死刑』は免れないだろうが、その前に、奉行所側の誰かから情状酌量の余地があると言い出すのでは・・・。ひょっとして『遠島』程度になるかもしれない。
 この妻に対して最終的に裁判所がどんな判断を出すのかわからないが、『無罪』はともかくとして、死刑や無期懲役などの『厳罰』判決は出ないのではないだろうか。
 最近の二つの裁判からこんなことを思った。(田舎親父)

2008年3月22日 (土)

少しはオリンピックのことも考えては・・・

 中国は歴史的に素晴らしい文化・文明を生み出しているが、古くから民族の抗争が激しく、権力を握った歴代王朝の皇帝は異民族の侵入を防ぐために苦心苦労。ついには万里の長城なるとんでもない建造物までも作っている。

 その努力の賜物かどうかは何とも言えないが、基本的には一時はモンゴル民族や満州民族の時代はあったものの、漢民族が絶対権力を握る時間が圧倒的に多かったので、漢民族の主義・主張がこの国の歴史を作り上げているようだ。

 漢民族の考え方の根底には、中華思想、所謂すべて中華(漢民族)が中心に世の中が動いているという論理があって、自分たち(時の権力)の行動はすべて正しいという前提が行動基準になっているのは言うまでもない。

 中華思想は絶対権力を握った各王朝だけのものではなく、共産革命で樹立した現在の国家であっても変わらないらしく、自分たちの考えや行動に反対する人間は容赦なく弾圧を加え、徹底的には屈伏させなければ気が済まないのが特徴のようだ。

 現在の中国政権は、樹立後間もない1949年に突如、当時独立王国だったチベットを『封建主義の奴隷生活から民衆を助ける』という名目で、チベットに攻め込み併合し、それ以来中国の一部として今日に至っている。

 当時、チベットは国連に参加していなかったことと、第二次世界大戦の混乱期だったことなどの条件と欧米諸国が強く牽制や講義などを控えたことが重なって、そのまま中国領となっている。

 北京オリンピックを8月に控えているからだろうが、中国政府は今回の紛争は極力内密に終結させたいらしく、大規模なデモ発生と同時に鎮圧に動き、暴動はたいしたことはなく、死傷者も数人規模であると発表している。

 一方、ダライ・ラマの率いる亡命政府は『死者は80人以上』と報じているが、外国メディアをチベットから締め出している共産政府のやり方を見る限り、私にはこちらの方が信じられるように思える。

 欧米諸国は、中国政府に対して『警察や軍隊による暴力的な鎮圧』に対して懸念を表明、場合によったらオリンピックへの影響もあると警告している。これに対して我が国政府の対応は、毎度のことながらダンマリを決め込んでいるのが気になるが、例の毒入りギョウザ事件でも、弱腰の対応しかできない現政権では当然と言えば当然だろう。

 オリンピックは素晴らしい、と思い込まされている我が国の国民には、この事件をオリンピックの負の問題にするなどという考え方は全くできないらしく、誰を選手として送りこむか、あるいはオリンピックで金儲けをする話ばかり・・・。困ったものだ。

 食の安心・安全からも本当にオリンピックなどできるのか、と欧米諸国は心配しているのに(我が国は中国の食が危ないと言うことがわかっていながら)マスコミはこぞってオリンピックのチョウチン記事ばかり、開催を懸念するム-ドは全くない・・・。

 環境的にも北京のスモッグは一時の四日市に匹敵するらしい。そんな中で激しく体を動かし記録への挑戦などすること自体体に良いわけがないのにもかかわらず、派遣する選手の選考に大騒ぎしている。

 大気汚染の影響を恐れて、マラソンの皇帝と言われているエチオピアの、ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が出場しないと宣言しているらしいことを少しは見習いたいものだ。

 大きく話題が変わるが、最近チベットのラサと西寧との間に、物凄い鉄道が開通してテレビなどでよく紹介されている。日本人にも人気でこの鉄道に乗ることが目的のツア-も大流行していると聞く。

 今回の事件が起こる以前まで、私も一度乗ってみたいと思っていたが、どうやらこの鉄道は単に『ラサのポタラ宮』というチベット仏教の聖地という観光資源に目をつけて、観光客の誘致のためではなく、漢民族がこの地を永久支配するということを目的としていることがはっきりと理解できるようになり、これは簡単に出かけてはならないと気持ちを切り換えている。

 チベットには中国の核実験場なども存在するとのこと。中国政府としては絶対に情報が漏れないように、しかも外部に開かれているという印象を持たせるためにこんな凄い鉄道を開通させたのに違いない・・・。(田舎親父)

2008年3月21日 (金)

高齢者から運転免許取り上げ作戦・・・

 高齢者の自動車事故が話題になっている。

 高速道路の逆走など常識的には考えられないが、対面通行が当たり前という前提が頭脳に擦り込まれていると、高速道路の出口の道路さえ、対向車がやけに少ない道路だなあ・・・程度になってしまうのかもしれない。

 新聞やテレビなどで報道されるこの種の話題の主は、高齢者が多いことは確かだが、だからといって、高齢者がすべて同様の行動を起こしているとは考えられない。こんなトンデモ事故は、ごく一部のボケ老人のナセル技である。が、こんな時マスコミは一斉に『高齢者の運転は危険・・・』と騒ぎ出す。

 随分前になるが、高齢者の運転についてのテレビが取り上げていた。認知症(痴呆症の方がわかりやすいと思うのだが、人権云々で使えないそうだ)の人の運転は、かなり危険が伴うということを、認知症の人に実際に運転させて検証させていた。また、高齢者の運転による事故の例も数多く取り上げて、如何に年齢が高くなると反応が鈍くなり、事故を引き起こしやすくなるかを訴えていたことも記憶がある。

 見ていて、確かに高齢者の事故は増えていることは間違いないが、車がなければ生活そのものができない地域では大変だろうな・・・という印象を受け、番組でも、そのことが課題として残ると締めくくっていた。

 昨日だっただろうか、高齢者による交通事故の増加を受け、東京都内の企業や団体が高齢ドライバーに運転免許の自主返納を促す協議会を発足させたとのテレビのニュ-スをみた時、この記憶が蘇った。

 何でも、免許を返納したら『運転経歴証明書』なるものを発行してくれるらしく、それを持参して、デパ-トなどで提示すると、商品割引などの特典が受けられるというが、よくぞまあこんな姑息なことを考えるものだと呆れてしまう。

 特定のデパ-トのたった1割程度の商品割引や、ある信用金庫が0.1%金利を良くすること、あるいは有名レストランの食事割引券程度の特典などで運転免許を手放す人が急増するとは思えないが・・・。

 都心のように交通網が発達したところに住む人達は、どこに出かけるのにも歩けさえすれば可能だろう。いや最近はバリヤフリ-が当たり前になり、電動の車椅子さえあれば、一人で出かけることもできるが、そんなインフラ整備など全くない地方では車が頼り。

 警視庁の『年を重ねると、どうしても運転能力が落ちてしまう。メリットを設けることで、返納が進んでほしい』との願いはわからないではないが、こんな餌程度では運転免許の返納はかなり難しいだろう。

 この種のニュ-スが数多く流れると、『高齢者の運転はすべて危ない』という動きが広まって『高齢者は返納するのは当たり前』という風潮が広がることである。これはかなり危険な考え方で、次には何らかの法的整備がなされて、全国的な規模で高齢者の運転免許の返納が義務化される動きである。

 認知力が落ちた人が運転することは恐ろしいことはよく分かるが、運転しなければ生活できない地方の存在の方が問題。免許の返納より、免許を持たなくても生活できる環境整備の方が大切だと思うのだが・・・。

 地方に限らず、私の住む横浜(横山)の片田舎では、一番近い店まで急坂を上り下りして歩いて10分。ビ-ルなど嗜好品は歩いて買い出しに出かけているが、日常生活に必要なものは車がないと調達できない。こんな場所が至るところにあるはずだ。

 高齢者社会になることは、随分以前から十二分にわかっている事実。車がなければ生活できないようにしておきながら、今頃になって高齢者の運転は危険、という論理は責任転嫁以外何者ではないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年3月20日 (木)

二世議員たちの動きが慌ただしくなりそう・・・

 今年は雨の春分になってしまった。桜の開花予報がどんどん早くなり、東京では23日に開花と発表されたようだ。3月になって急に暖かくなったことが原因らしいが、この予想を歓迎しない人はいないのでは・・・。

 この時期はサクラだけが特に目立つが、百花繚乱と例えられる通り、これからの一月は次々と色とりどりの花が咲き乱れ咲き競う、何となくうきうきとした気分になるが、社会の動きは『円高』だとか、『株安』だとあまり先行きの明るくない話題が多い。

 金融や経済のことは、私がもっとも苦手とする分野なので、評論家や経済学者の人達が言う難しい理屈などあまりよく理解できないが、『円高』が進めば、海外旅行に出かける人達にとってはメリットがあるものの、輸出関連企業にとってはかなりの打撃を受けるぐらいの知識はある。

 そんな私でさえ、株価が急落し日本経済的が大きく混乱しているのにもかかわらず、具体的な政策は何もなく、そのあたりを質問されても、関係閣僚たちは親分(首相)と同じような他人事の答弁を繰り返しているのが気になる。発言のほとんどが官僚たちの作った作文だというから、無能をさらけ出しているようだ。

 この経済的に大変な時期に、日本経済の要だとされる日銀総裁が存在しないというから困ったものである。どうしてもこの男を総裁にしたいと思い込んだ首相の空気の読み違いから、参議院の承認が得られなかったというから情けない。

 首相はじめ関係閣僚の答弁を聞いていて、もしこんな時期に、財務省(旧大蔵省)の天下り(天上がり)人事で、次官経験者を任命したら、まさに官僚の思い通りの舵取りをされて、国民全体の幸福ななどという理念は吹っ飛んでしまうというのが野党の言い分。私でさえ、この理屈は理解できるのに・・・である。

 詳しくはわからないが、総裁の人事に対しては衆議院優先という国会の常識がない。衆議院で承認しても参議院で否決されれば、『ハイそれまで』なのであるらしい。また、総裁の地位は一度承認されると、任期の5年間は誰も罷免できないというから、よほど慎重に決めなければ大変なことになる。

 与党は『政争の具にするな・・・』などは騒いでいるようだが、今まで数の力で強引に決めていたことをすっかり忘れたご都合主義には笑ってしまう。昨年の参院選挙で国民の信託は自民党や宗教政党に『ノ-』をつきつけたのにもかかわらず、政権にしがみついているのだから、責任はすべて与党にある、と言っても差し支えない。

 面白いことは、ウ-タンンと呼ばれる福田首相は、どうしても元財務省次官の武藤という人物を日銀総裁にしたくて仕方ないらしい。一度、承認されなかったのだから、潔く差し替えれば良いものを、固執しているから問題を複雑にしている。否決されて、次に提示したのが、福井総裁・武藤副総裁というから驚くというか呆れてしまう。

 福井総裁を誰もが認めているわけではない。去年だったか村上ファンドと結託して、私欲を肥やすという、この職務にある人が絶対にやってはいけないことをやった人物。本来ならば罷免させたいと思った人が大分部なのに、誰も罷免できない特殊な制度でかろうじてその職にとどまっている人物を続投させるというから、これは無茶苦茶な発想。

 そして、最後に出したのが、またまた大蔵省次官という肩書のある田波という名前。財務省(旧大蔵省)人事は『ノ-』と民主党や共産・社民党が表明しているのだから国民新党が『イエス』といっても、否決されることは歴然としているのにもかかわらず、改めて出すのだから、わざわざ総裁を空席にしたかったのでは・・・と思ってしまう。

 しかも、噂ではすべて首相の独断人事らしいから、やはり武藤氏や田波氏という財務省の官僚たちの要求をはねのけられなかった裏の事情があったのではないだろうか。

 いよいよ政局が動きそうな気配。議員たち、特に、生まれも育ちも東京でありながら、何故か親の地元から立候補する二世三世の議員連中の動きに慌ただしくなる。サクラに浮かれることなく、本気で日本の舵取りを任せられる人物を選びたいものである。(田舎親父)

2008年3月19日 (水)

(昨日の続き) 平田大一とは何者なの・・・

 10分の休憩を挟んで本日のメインゲストの記念講演が始まる。『平田大一』という方であるが、はじめて耳にする名前だが、沖縄では超有名人らしい。演題が『ほんものの感動が未来をつくる』というのも『本物体験フォ-ラム』にはぴったり。主催者側の意図が良く現れている。これは期待できそうだ。

 冊子にある人物紹介では、1968年沖縄小浜島生まれというから今年40歳、私の息子のような若い人らしい。大学を卒業してすぐ小浜島に戻ったとあるところから、根っからの沖縄大好き人間のようだ。

 小浜島は私も訪問したが、NHKの朝のドラマの『チュラサン』の舞台になった小さな島である。チュラサン関係の建物とサトウキビ畑しかなかったような印象が残っている。そこでこの人は、観光案内と農業をやりながら詩を書いたり、絵画や舞台活動をやってきたという。これは楽しみである。

 壇上には太鼓が置かれマイクが2本、講演という印象にはほど遠く、まるで演奏者を迎えるような雰囲気がある。冊子に紹介されている映像と同じようなスタイルで舞台に登場して、まずは挨拶代わりにということだろうか沖縄の横笛で一曲。曲名は記憶に残っていないが、思わず聞きほれてしまうほど切々とした沖縄を思わせる切々とした音色が会場に響く。

 終わった時、会場から割れんばかりの拍手が沸き起こる。そこからゆっくりとした話し方で自己紹介が始まる。小さな島の宿命である高校がないので中学校を卒業すると石垣島の八重山高校に、そして親戚一同の希望と声援に送られて東京の大学に通ったこと、大学が終わるとすぐ故郷に戻ったのだが、その当時若くして島に戻るのは失敗したという印象があり、親戚から総スカンを喰ってしまった時あたりから、俄然話しに迫力が出てくる。

 いや話しが実に上手い。故郷では『南島詩人』と名乗り詩集を出したところ、島でしか手に入らないこの一冊2000円の詩集が8000冊も売れたという話。何とか人集まらないかと思い、労賃は払わない、宿泊場所と食事は提供するという『キビ刈り援農塾』という企画を出したという。周りの人達からは馬鹿にされたが、募集してみると若い人達が200人もの人達が駆けつけてくれたという話も面白い。

 サトウキビをただ刈るだけの労働は、絶対にやりたくない作業らしい。それなのにその労働をしたいために全国から人が訪れるのだから感謝の気持ちで接したというが、彼の人柄に共感してリピ-タ-になった人も多いのではないだろうか。

 それを毎年繰り返して、今では4000人もやってくるという。素晴らしいアイデアである。昼間はただひたすらにサトウキビ刈り、そして夜は宴会。キビかって宴会の繰り返しだという話には思わず笑ってしまった。

 そこで彼は三線を取り出し、『キビ刈り援農塾』のテ-マソングであり、宴会のはじめに必ず歌うという歌を披露。声量のある歌声に、さすがは沖縄、会場からはお馴染みの口笛が飛び始める。

 このあたりから会場と演者が一つになったように思える。そして、本題の舞台活動の話しに進む。10年前に恩納村だったか教育長から依頼されて、中学校の子どもたちの教育に役立つ何かを閑雅が手ほしいとの依頼がきっかけで、沖縄の勝連町に残る『肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)』という民話をミュ-ジカル仕立の舞踊劇にすることを思いついたという。

 早速、募集したところたったの7人しか集まらなかったので、演出家自らがバスを運転して子どもたちを送り迎えした話など、この時期になると花粉症で目頭が緩くなって涙が出ることが多い私は、聞いていて涙が出てくるのを止められない。隣の人がどう受け取るのか気になるのだが、ハンカチで顔を押さえてしまう。

 録音していたわけではないので、スト-リ-ははっきり覚えていないが、話が進むと、今度は太鼓の演奏で楽しませてくれるが、それも筋書きがあって、太鼓の演奏に必然性をもたしているところが凄い。

 現在、この『肝高の阿麻和利』という舞踊劇は年に20回も公演しており、去年は雅楽家の東儀さんとのコラボも展開。この11月にはハワイ公演まで日程に入っており、子どもたちは連日稽古に汗を流しているというから恐れ入る。

 最近は、この舞台活動は小学生にまで及ぶようになり、中高校生たちが小学生を教えているという。実際に小学性が演じる映像を流して見せたが、なるほど踊りの上手さなどはテレビのへたなタレントより遥かに上手く、感心させられる。

彼は最後に、自分が創作した踊りを演じるのだが、私には彼の考え方や生き方が凝縮した踊りだと受け止める。

 たった70分の持ち時間だったが、これほどまでに完璧な講演は今まで接したことがない。まさに彼のやってきたことが『ほんもの体験』そのもの、事務局が彼を選んだ意図がよく分かった。

 後で知ったことだが、彼は午後2時から始まる講演のために、10時に会場に到着し、リハ-サルを繰り返すとともに、雰囲気を見ながら内容を差し替えていたとのことに驚き、最大限の敬意を表したい。私には、とても真似などできないだろうか、気持ち的には受け止めて、これから参考にしたいと思う。(田舎親父)

(平田大一氏のサイト シマとの対話 http://hiratadaiichi.ti-da.net/ など多数)

2008年3月18日 (火)

第5回 全国ほんもの体験フォ-ラムinおきなわ 見聞記1

 この盛り上がりは何なのだろう・・・。ほとんどの人が手弁当で、こんなに大勢の人が集まるフォ-ラムはそんなに多くないのではないだろうか。

 3月7日から3日間行われたこの『ほんもの体験・・・』と銘打ったイベントは、5年前に自然体験の先駆的自治体である飯田で行われ、その後、和歌山県白浜、新潟県上越、長崎県松浦を経て、今回第5回として沖縄県恩納で開催された。

 私は飯田でドングリの森つくりや大平宿という廃村の古民家を利用した究極の生活体験をさせていた関係で、飯田の人達には大変お世話になっていたこともあり、第1回のフォ-ラムには参加した時も大盛り上がりだったことを思い出す。その後は直接かかわっていなかったが、このフォ-ラムが年々充実していることは噂で知っていた。

 今回、主催者のお一人とお会いし、飲食をともにする機会に今回の沖縄で開催パンフレットをいただいた。

 開いてみると次々と魅力的な内容が掲載している。現在携わっている『地域活性化のための教育プログラムつくり』にとっては大変参考になるはずである。早速『私も参加したい』とお願いして今回の参加が実現した。

 大会7日は幾通りもの『本物体験ツア-』が企画されている。この体験ツア-については、いずれ紹介する機会に回して、今回は8日と9日に行われたフォ-ラムを中心に紹介することにしたい。

 うるま市の石川会館という、およそ800席もあるかなり大きい会場では、昼前から全国各地から集まってきた人達の熱い会話が、あちこちから聞こえてくる。入り口近くのホ-ルには、全国の自治体やNPOなどの『自然体験』関係のパンフレットがずらりと並べられている。

 それぞれが趣向を凝らしたなかなかの力作であるが、すべてをいただくと、それだけで鞄が満杯になってしまうことに気づき、私は特に目がとまって数種のものだけをいただくことにした。

 また、一見して手作りだと思うような品々が並べられているコ-ナ-もある。そこで『もずくの佃煮』と『サトウキビ味噌』というものを見つけた。これは空港や土産店では見られない一品。早速買い求めて鞄の中へ・・・。早くも荷物は増え帰りの荷物が重くなりそうという予感が走る。

 12時半、開会である。演壇には主宰団体の世話人や実行委員長はもとより、沖縄県知事やうるま市長、恩納村長などの自治体の首長の皆さん、国会議員や農水省や国交省の幹部職員などが並び華やかな雰囲気がただよう。

 開会式というのは型通りのセレモニ-なので、だいたいは似たりよったりである。型通り主催者挨拶や来賓祝辞などが続く。ここで時間が押されるのはある意味仕方ないが、司会者の進行が手際良く少しの時間オ-バ-で切り抜ける。

 続いて『体験現場からの取り組み』という事例発表。プログラムでは4件掲載されている。時間は1時間だから一例15分。これは厳しいものがありそうだ。

 まず東村から、東村が取り組んでいる『本物体験』の事例が、東村エコツ-リズム協会会長の比嘉茂正さんから発表される。この方は、自分でも『慣れない上に、最初だから緊張しているので舌がもつれている』と言っておられたように、少し聞き取りにくい感じはうけるものの、プレゼンの映像からは活動の質の高さが良く現れている。環境負荷の課題や地域住民による保全活動など、東村がエコツ-リズムでは先駆的な地域であることがよく理解できる。(東村エコツ-リズム協会http://www.higasi.or.jp/eco.html

 二番目の伊江島という離島での民泊体験の模様を、伊江島民泊部会の知念和幸部長が登壇し語り始める。表現は不適当かもしれないが、この方の風貌はまさに田舎のおじさん。しかし話が抜群に上手い。数多い映像はないものの、朴訥とした語り口が映像とマッチして、この人達がやっている体験活動の様子が実に良く理解できる。『受け入れる民家の数だけ、体験がある』という言葉から、それぞれの民家の並々ならぬ気合を感じる。

 私には、これぞ『本物』と納得する迫力が感じられる。しかも驚いたことに、この方の発表はぴったり15分、よほど場数を踏んでいないとできる技ではない。伊江島の民泊が人気だとのことであるが、そのことが大変よく分かる。

(民泊の様子の映像 http://www3.ocn.ne.jp/~nisisuni/minpaku.html) 

 3番目の恩納村で受入れ農家の主婦だという比嘉静子さんという、オバサンにはビックリさせられてしまった。出てくるや否や、何やらわけのわからない言葉で挨拶し始める。どうやら沖縄弁で歓迎しているらしいことを言っているのだろうが、全く意味不明。改めて沖縄と内地の言葉の差を感じる。

 もっともこの挨拶は1分程度、意味を沖縄訛りの標準語で解説。その後は十分理解できる範囲の話し方で、自分がやっていることを披露。これがまた魅力的である。自ら『シ-チャンネネ(姉)』と名札をつけて、一人一人の子どもたちと真剣に向き合う姿は実にさわやか。『体験とは、感動を分かち合い、生きる喜びをお互いに感じること』という言葉が印象的であった。ただ、時間で少し延長したことが減点だろうか、話し方の上手さと内容の深さは申し分ない。それにしても沖縄の人達の表現力の素晴らしさには舌を巻く。

(比嘉さんの属する女性部 http://www.onnanavi.jp/shoko/hujin/hujin.html

 最後は恩納村で活動を続けている『沖縄体験ニカイカナイ』の代表者の加蘭明宏さん、今回のフォ-ラムの事務局長である。沖縄体験ニカイラナイという組織が沖縄での体験教育旅行の大半を受け入れているという自信がそうさせるのかもしれないが、実に堂々とした風貌と魅力的な話し方、体全体からゆったりとした雰囲気をかもしだしている。

 この方のプレゼンは映像を駆使するのではなく、また実際に自分がやっていることを詳しく述べるのではなく、会場の人達に対して『心から歓迎しています』というイメ-ジそのもの。ギタ-片手の若者や三線の名人を登壇させて沖縄情緒を出して盛り上げ、しかも沖縄の民謡を会場の人と一緒に合唱するなど余裕たっぷりの演出には『まいった』というしかない。その上、押し気味の時間まで調整するのだから、ただものではない。ここまで10分遅れの演出は素晴らしいというしかない。

(沖縄体験ニライカナイhttp://www.niraikanai.co.jp/ )

 続きはまたの機会に・・・。(田舎親父)

2008年3月17日 (月)

またまた携帯絡みの悲劇が・・・

 携帯のメ-ルがからむ事件が続発している中、今度はメ-ルを出した女子中学生が教員から指導を受けた直後に自殺という悲しいニュ-スが流れた。

記事によると秋田の公立中学校の1年生の女子生徒がトイレで首をつっているのを教員らが発見し、119番通報したが、搬送先の病院で間もなく死亡が確認されたという。

 この女子生徒は小学校時代からの仲良しだった友だちと何らかの理由で喧嘩をしたようで、夜遅く(内容は明らかにされていないが)相手にメ-ルを送ったらしい。受け取った女子は父親にそのメ-ルを見せたところ、父親が学校に相談したとのこと。

 よくある話である。昔の父親だったら、出した子どもの家に直接談判するのがごくふつうだったろうに、いつのまにか表面的な諍いは避けるというのがこの国の風潮になり、子どものことは学校に相談するのが最良という考え方が定着したようだ。

 これは決して間違っていないが、仕事が大幅に増えて、一人一人の子どもの行動などに細かく気配りできない教師にとって、これはかなり重い負担となり、さらに教師にゆとりをなくさせている。

 メ-ルの内容だが、最近の子どもたち(大人もだが)の特徴で、相手の感情など気にしないような露骨な言葉が並んでいたのではと思われる。また出した少女はまさか親に見せるとは思っていなかったのではないだろうか。

 教師はこのメ-ルを見て、これは大変なことだと大慌て、親を呼び出して注意をしなければならないと考えたようだ。

 早速生徒を呼んで『何でこんなメ-ルを出したのか、相手の気持ちを考えろ・・・。両親にも伝えてある』程度の言葉で叱責したことは想像に難くない。

 自殺した女子生徒は教員から叱られて、自分がしたことに対して反省はしたのだろうがそれ以上に、親と一緒に呼ばれていることを知って瞬間的に気分が落ち込み、とっさに首をつったといったところだろうと想像するが、どうしてこんなに簡単に命を落とすのだろう・・・ということの方が気にかかる。

 いやその前に、簡単に中学1年生の子どもに携帯を持たせるのだろう。子どもにとって携帯はある意味ステ-タス、買ってほしいとねだる気持ちよく理解できるが、簡単に買い与える現代の親の気持ちが情けない。

 親自身自分が持って便利だからとか、自分の子どもだけ持たせないといじめられるかもしれない、あるいは子どもに嫌われたくないという理由だろうが、携帯のもつ怖さをもっと知り、持たした以上今回のような、自殺の原因になりかねないようなメ-ルのやりとりは当たり前、という気持ちが必要ではないだろうか。

 持たせた結果トラブルになったら学校任せは困ってしまう。ゆとりのない教師にメ-ル絡みのトラブル解決の能力などあるわけはない。結局は今回のように親子面談とか、言葉だけで『相手の気持ちを分かれ・・・』程度となると、こんな事件はこれから続発するに違いない。

 『相手の気持ちを理解しろ』、よく教育界では使われる言葉である。ある意味、教育の最終的な目標といっても過言ではないだろうが、テストの点数がなによりも重要視される現在の教育システムでは、こんな能力を育てられるはずはない。

 『命を大切に・・・』という言葉も大流行だが、使っている大人も本当に命の大切さを知る人は少ないのが現実では、何か虚しさだけが広がっているように感じる。

 話は飛躍するが、『命の尊さ』を教えるために、他の生き物の命をいただいて暮らさねばならないことを思い知る『体験するプログラム』、具体的には『命を失った瞬間食料として存在する動植物』の存在を目の当たりにさせるカリキュラムが必要打というのが私の考え。より具体的に一例を示すとしたら、食料確保のために、学校や家庭で『鶏』を殺して皆で食べることだろうと思っている。

 世の中が便利で経済が豊かになればなるほど、自分で食料を調達する必要がなくなり、他の命を奪って食料にすることなど皆無。そのため、毎日食べている食料は元を正せば他の生き物の『命』であることを考えられなくなってしまっている。

 鶏を殺して食べる、なんてことを言いだしたら、実行する前に周りが大騒ぎ、マスコミの格好の餌食にされることは間違いない。それでも昔は、このような冒険をする教員がいたのだが、最近では、教員の職も奪われかねられないとあっては、そんなことを思う教師は皆無だろう・・・。

 鶏を殺して食料にした経験のある人間は、死ぬということがどういうことなのか体で感じることができる。そして、間違いなく、自分の命を簡単に失うことはしないという事実を知ってほしい。

 このような悲惨な事件を耳にする度に、現在の教育に一番必要なことは『命の教育プログラム』であり、それを学校や家庭で、親と教師と子どもが一体となって実行することだと叫びたい。『命の教育プログラム』については、何度も書いてきたつもりだが、改めて近々述べてみたい。(田舎親父)

2008年3月16日 (日)

通勤電車は戦場?・・・

 車内での痴漢行為については以前にも取り上げたことがあるが、大学生が女と仕組んだ美人局的な痴漢演出が出回るとなると、サラリ-マン諸氏は一体どうしたら良いのか自衛手段すらなくなってしまいそうだ。

 最初に報道されたのは、私が留守していた11日のことだったようだが、昨日になって改めて痴漢だと逮捕された男性の冤罪だということが記事になり、この事件の全貌を知ることになった。

 事件は2月1日午後8時半ごろ、仕事帰りに乗った大阪市営地下鉄の車内で起きたとのこと。天王寺駅手前でブレーキがかかり、この男性が隣に立っていた女と肩が触れた瞬間、女が『触りましたね』と声を上げ、泣きながらしゃがみ込んだという。

 そこへ、乗客をかき分けて甲南大4年、蒔田某が『触りましたよね』と連呼しながら近寄ってきたので、この男性は『やっていない』と自信を持って、自分で降りて駅長室に入ったところ、警察官に現行犯逮捕され警察署に連行されたらしい。

 これはまずい。公安室は被害者である女性の供述が間違いだということは関係なしに、まず被害者の女性の言い分を前提にするものだから,とにかく犯人だとされる男性には過酷な取り調べがあることは想像に難くない。

 警察官は男性の言い分も聞かず、声を荒らげて『やっただろう』と耳を貸さなかったという。警察側から見ると、痴漢事件は女性側からの訴えがあったら、間違いなく訴えられた男の方が悪いという前提で考えがち、まさか女が大学生と口合わせしているとは思わなかったことだろうから、まあ、仕方ないかもしれないが、被害者の男性は気の毒だ。

 翌日も朝から取り調べが続いたという。幸いなことに、警察も取り調べの途中、女と大学生の証言がちがう事に気づき、このままでは送検できないと判断して、夕方になって釈放したようだ。

 それでも完全に容疑が晴れたわけではない。容疑が晴れたのは女が自首した後の2月中旬。女は交際中のこの大学生から『示談金をとろうともちかけられてやった』と供述したというから、現代の大学生は何を考えているのか信じられない。

 警察は『私たちもだまされました』と男性に謝罪したそうだが、当の男性は『男なら誰でも起こり得ること。周囲の信頼がなかったら心が折れていたかもしれない』と振り返り、取り調べに関して『何を言っても信じてもらえなかった。警察は最初にもっと言い分を聞いてほしかった』と話しているとのこと、当然だろう。

 女は自供しているのにもかかわらず、この蒔田という男は『弁護士が来ないと話さない』と供述しているというから、この種の余罪があるのではないだろうか。警察は、近い過去の痴漢事件をもう一度検証する必要があるようだ。

 前述した通り、痴漢犯罪は女性側からの告発があれば成立する性質がある。痴漢行為をする男が多いことは事実だろうが、かなりの数、このような間違いというか冤罪があることも否めない。

 私は、マスコミが最近はウンともスンとも取り上げなくなった例の植草教授の痴漢事件もこの種のものではないかと疑っているが、同じように痴漢の犯人に仕上げられた人も多いのではないだろうか。

 識者は簡単に『まず誤解されないようにすることが重要。電車内ではつり革や手すりをつかみ、両手を挙げるようにしてください』とアドバイスするが、私も現役時代経験しているが、満員電車では吊り革にさえ近づけないのが現実。こんなアドバイスをする人達は通勤など縁のない人ではと思ってしまう。

 女性専用という車両の出現を歓迎したが、できたら男性専用という車両もほしいと思った事も思い出す。

 痴漢冤罪を絶対に受けない方法はない。極端な話、電車に乗らないしかないらしい。近ごろはオヤジ世代を嫌う女子高生が『うざい』という理由だけで、いたずら半分に痴漢騒ぎを起こすケースもあるというから恐ろしい。

 また、『示談金目当て』にありもしない痴漢行為をでっち上げ、痴漢に仕立てあげる女もいるというから、世の男性は電車に乗るのにも戦場に出る気持ちが必要になったようだ。(田舎親父)

2008年3月15日 (土)

天下り官僚の報酬や職員の享楽のために存在する・・・

 道路特定財源の是非が論議されているが、道路特定財源を主な原資とする道路整備特別会計から事業収入を得ている公益法人のトップらが、国交省のOBによって占められ、高額年収を受け取っているというニュ-スにはビックリ仰天である。

 その一覧表が明らかにされたが、これらの公益法人29団体の役員報酬は平均約1700万円で、最高は2000万円超に及ぶらしい。ワ-キングプアの問題で、年収200万円以下の層が1000万人を突破しているなか、なぜ、彼らだけが特別待遇を許しているのか、やはりこの国は役人天国と言われるのも無理はない。

 関連するがつい最近、道路整備特別会計から事業収入を得ている国土交通省所管の財団法人『公共用地補償機構』が職員旅行費をほぼ丸抱えしていた問題が明らかになり、国民の怒りは爆発寸前。

 冬柴という宗教政党からの大臣は『国民の目線に立って襟を正してもらいたい。ガソリンの高値で苦しんでいる人たちに(道路特定財源を)お願いしている中、慙愧に堪えない』というコメントを発しているらしいが、そう思うなら何らかのアクションを起こさなければ意味がないと思うのだが、この男は誰からの命令や許可がない限り勝手なことができないようだ。
 1人当たり8万円もの職員旅行がすべてこの特定財源からのもので、すべて丸抱えだということも驚くが、こいつらには良識というものが全くないのにも呆れる。この連中は我が国が置かれた状況などお構いなし、自分さえ楽しめれば、それでよいと思っているとしか考えられない。世の中乱れるはずである・・・。

 こんな馬鹿馬鹿しい特定財源など廃止すれば良いことは、誰が考えても明らかなのに、ガソリン税などは暫定・暫定で過去30年以上続けて、この財源を確保してきたという。ここまで汚い金の流れが白日の元に晒されても、この予算案を通さなければ地方交付金が出せない、なんてわけのわからない論理を展開している与党の連中は、結局はより多額の上前をピンハネできるこの財源は死守しないと、自分の懐が潤わないからだろう。

 話を戻して、天下り官僚たちの給料であるが、最高額は財団法人『民間都市開発推進機構』の理事長の伴襄某という男らしい。67歳の今日も2000万円以上の報酬を得ているというから驚く。

 この男は、東大法学部を卒業後、建設省に入省。局長や官房長などを歴任し建設事務次官に就任。退官後『都市基盤整備公団総裁』などを経て、3年前から現職らしい。多額の退職金を2度も受け取り、そして現在も2000万円とは、どう考えても国民感情からかけ離れている。

 この団体には国交省OBの役職員は13人もいるという。その連中に全く無駄な金を渡すために、年間約7億円も特定財源から捻出しているというから、まるでこいつらの給料のためにだけ道路特定財源があるようだ。これは見逃せない。

 一覧表は、いろいろな法人などの理事長や幹部たちの年収を示しているが、中に財団法人『日本気象協会』の理事長も国交省のOBで2000万円弱の報酬を受け取っているということを知り驚いた。なるほど気象庁が、例え予報が間違っていても絶対に責任をとらない体質は、こんなところからくるのだと、変な意味で納得してしまう。

 これらの団体の関係者は、このことを指摘されても『高いといわれても。公務員制度改革大綱に基づいた規定で決まっている。理事長は毎日出勤している・・・』と何の疑問も感じないで反論しているというから、これは助けようがない。

 一般常識からかけ離れても『規定』『個人情報』を振りかざせば、国民は納得すると思っているのだったら、この国は滅びるに違いない。

 どう考えても『道路特定財源』の見直しや、ガソリンの価格を維持したいだけの(自分たちの懐に入るからだろうが・・・)暫定措置などまず廃止にして、与野党で国民の生活を守るための法整備を望みたいものだ。

 今朝のニュ-スでは、それでもこの法案を通すために、何やら陰険な操作をはじめたらしいから、いよいよ福田という男の無能と無責任さを感じる。一刻も早く衆議院を解散して国民の信を問うのが筋だと思うが、私利私欲に凝り固まった与党の議員たちには、こんな意見など聞く耳はないようだ。(田舎親父)

2008年3月14日 (金)

今どき信じられない学校崩壊の記事

 福岡というところも賑やかである。その賑やかさも、あまり良い話題でないのもその特徴と言ったら、福岡の関係者は気分を害するとは思うが・・・。

 昨日の毎日新聞に、今どき信じられないような学校崩壊の記事が載っていた。記事によると、学校名はないものの田川郡内の公立中学校とあるから、地元では有名な話かもしれない。

 その中学校は、一部生徒による『授業妨害』が続き、校長と教頭が心労で体調を崩し休職や自宅療養する事態となり、教育管理職不在をまずいということで急遽新しい校長が3月1日付けで発令されたという。

 教頭は昨年末に約1カ月間休養し、2月下旬から現在まで自宅療養中。校長も2月上旬から病欠し、今月1日から休職した。ともに心労で体調を崩したというが、これは凄まじい話である。

 生徒たちは2月末まで約1年間、校内の一室に『隔離?』されていたが、現在は指導が事実上及ばない状態にあり、教育委員会は『混乱のおそれがある』として卒業式の14日、県警に警備の要請を検討しているというから、俄には信じられない。

 これらの生徒は2、3年生の計8人と特定されているという。なのに、何一つ解決の糸口が見つけられないで今日に至ったようだが、私にはとても理解できることではない。廊下の窓や校長室のロッカーを壊すなどの器物損壊や教師への威嚇行為を繰り返しているのに、である・・・。

 この生徒たちは校内を徘徊しては訪れた保護者につばを吐きかけたり、2階渡り廊下から放尿したこともあったというから、この状態が本当ならば、もはや学校ではなく随分昔に良く観た西部劇に出てくる『ならず者の町』といっても差し支えなさそうだ。

 学校側は生徒たちを美術準備室に個別断続的に『隔離?』したとのことだが、この悪ガキどもはテレビゲームや電熱器、ラジカセなどを自宅から持ち込み、喫煙や飲食するなど事実上のたまり場となったため、2月末に準備室は閉鎖されたという記事に、何とだらしのない学校なのかと情けなくなる。

 教師たちは一体何をしているのか、生徒から日常的に侮蔑され時には暴力を受けているらしいが、一人として殴り返すぐらいの毅然とした行動ができないというのも譜に落ちない。一人ぐらいは血の気の多い教員はいるだろうに、それができないというのは、何か後ろで悪意ある意図が隠されているのではないだろうか。

 教師も教師だが、教育委員会はこんな時にも他人事。教育長にいたっては『生徒たちの行動について原因は分からない』と語り、さらに『学校側は生徒らの親に話し合いを求め、生徒が一度は学校や親の注意を聞いても、仲間で群れると再び荒れ出したりするといい、結果的には改善できなかった』とのたまっているというから、何か日本の現在の首相のような無責任さ・・・。

 校長の病欠を受けて、教委は事故防止のため職員6人を連日学校に派遣。一部保護者も週1回、校内のたばこの吸い殻などを拾う活動を始めたとのこと、『オイオイ本当にこれが日本の学校かい・・・』と云いたくなってくる。

 『信頼される公立学校という責務を全うできず、深く反省している。正常化に向けて地域の協力もあおぎ、生徒の生活指導を徹底して、全力で立て直したい』と、無責任教育長は時間稼ぎの一手、卒業式だけ切り抜ければ学校が平穏になると思っているのだろうか。本当に生活指導で建て直せると考えているのなら、この自治体の明日はないだろう。

 こんな生徒に『体罰をしない指導』で挑むことは絶対に無理。生徒たちも気持ちの中には『殴ってでも叱ってほしい・・・』と思っているに違いない。何が原因かはわからないが、どうしても教師ができないとなると、これは犯罪、隠さずに『警察』にお願いするしか方法はないだろうと思うのだが・・・。もっとも、警察の介入は、またまた人権派という人々が騒ぎだすのかもしれないが・・・。

 しかし、明らかに学校の限界を超えている以上、このまま放置しておくと当該の8人の生徒はもとより、教員もほかの生徒も全員が不幸。教育委員会の本気の対応を心から願っている。(田舎親父)

2008年3月13日 (木)

校長室のパソコンから脅迫メ-ルとは・・・

 埼玉の市立高校の校長が教え子だった20歳代の女性に交際を続けるよう脅迫していた事件は馬鹿馬鹿しいというより、このような男を教育委員会は優秀な校長だと評価していたというから情けない。

 市川という男は今回話題になった女性と教頭時代に知り合ったらしいが、女性側から見たら、間違っても『教え子』なんて表現をしてほしくないのではと思ってしまう。たまたま親切に対応されたので、気持ちを許してしまい男女の付き合いとなったのだろうが、こんな男に相談した不幸を後悔しているに違いない。

 56歳にもなって若い女性と遊べると、そのことに夢中になったのだろうが、よくぞ教頭や指導主事として両立していたものだ。教頭や指導主事という立場はほとんど自分の時間がとれないはずなのに、よほど上手く周りの目を誤魔化していたものだと、ある意味感心してしまう。

 既婚者というから、この男の妻や子どもがいるようだが家族としては大迷惑。最近は世間のつきあいが少ないのだろうが、それでも新聞やテレビでフルネ-ムで載った以上、近所では噂になるはず。肩身が狭くなるというか、表も歩けなくなるのではと気の毒に思える。

 もっとも、既婚者というのは表面上だけで、とっくの昔に実質的な家庭など崩壊しているのかもしれないが、それにしても・・・である。

 手口が実に稚拙なことにも驚く。本当そんなアホなことをしたのかと疑いたいぐらいだが、記事を読む限り事実らしい。普通はそこまで執拗にならないと思いたいのだが、よほど偏執狂的な性格だったのだろう。

 校長室のパソコンから100回近くメ-ルで脅迫を繰り返していたらしいが、パソコンには記録が残るという知識そのものさえなかったのも変な話し。校長室のパソコンは自分のもので絶対に押収などされないと思い込んでいたようだ。

 自分のやっていることは正しいと信じていたのだろうが、こんなアホなことが世間で通用すると思い込んでいたとしたら、まさに校長の思い上がりというか世間知らずもよいところというしか表現のしようがない。

 この男はメール送信などは認めているが『事実を書いただけ。脅迫するつもりはなかった』と、犯意を否認しているという。しかし、パソコンやUSBメモリーなどが押収された以上言い逃れは難しそうだ。

 市教委も迷惑なことと頭を抱えているに違いない。この男は県立高校の教頭から県の指導主事を勤めていたというから、県サイドでは優秀な人材、市としたら県から押しつけられたのか、お願いして来ていただいたのかはわからないが、まさに青天の霹靂というか、大変な事態。

 市の教育長は『誠に遺憾であり、許し難い怒りを感じざるを得ない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。事実を把握でき次第、厳正に対処する』と述べているらしいが、大慌てで頭を抱えている姿がよく分かる。
 ただ、逮捕が卒業式の日というのが気になる。もう少し前に逮捕にいたっていたら、卒業証書に市川某という校長名が入っていなかっただろうに・・・。(田舎親父)

2008年3月12日 (水)

安全な自転車?なら3人乗りが可とは・・・

 仕事で沖縄と北海道に出かけていたのでしばらく更新をさぼってしまった。

 このことは後日紹介することにして、今日は自転車の乗り方のル-ルの改正についての話題を少し・・・。

 出かける数日前だったと記憶しているが『自転車の前後に子供を乗せる3人乗りはルール違反だと知っていましたか?』という見出しに、そんなことは先刻承知だがやむを得ず3人乗りをしているのに何だろう・・・と気になり、詳しく読んでみることにする。

 記事によると、警察庁は昨年末、自転車の前かごや荷台の幼児座席に乗せる幼児については『1人まで』と明示すべきだとした有識者懇談会(どんな顔ぶれなのかわからないが、およそ自転車などとは無縁の輩の集合だろうと思うが)の報告書を受け、『交通の方法に関する教則』の自転車に関する内容を30年ぶりに見直すことを決めたという。

 ママたちは危険だとわかっているが、幼い子どもを一人で家においておくわけにはいかないだろうから、仕方なしに前後に子どもを乗せるあのスタイルがあるのに、お役所のバカな男共は、そんなことはお構いなしに『禁止』とは笑止千万・・・。

 案の定というか、当然なことだが、ママさんたちから猛反対。検察庁は大慌て、最近の傾向として女性たちを的に回したら大変とばかり、一転して『3人乗りも合法』という方針に切り換えたというから笑ってしまう。

 それでも、お役所の男ども(自転車での子育ての経験のない、所謂エリ-トと呼ばれる女どもも混じっているのだろうが)は『無条件降伏』はできないとばかり、『安全な自転車』ならば認めるという条件を出してきた。それも『現行の容積を越えない範囲での安全』というから馬鹿馬鹿しい限りでは・・・。

 そして早速、社団法人『自転車協会』などに3人乗り対応の自転車の開発を要請したというから、これでは自転車業界とは、あらかじめ談合済みだったのでは、と思えてならない。

 自転車業界は『待ってました・・・』と、ばかり『安全』という金科玉条のうたい文句のもと、重心の低い自転車だの三輪自転車などを開発するに違いない。そして『安全マ-ク』を貼って売り出すという筋書き・・・。

 価格も相当高価になるはず。安全マ-クのある自転車での3人乗りは合法だが、それ以外は違法となると、否応でも買い求めなければならなくなる。少しでも血の通った役人が責任者なら、今乗っている自転車と『交換』という程度の気配りができるだろうが、庶民の生活とは縁のない輩がやること、こんな配慮は期待できそうもない。

 二輪で走る自転車は、当然なことに安定性は悪く、上手に乗るためにはある程度のテクニックが必要だが、技術の向上は経験がものをいう。特に子どもを抱えたママたちは転んだら子どもの命にかかわるのだから必死。当然なことながら、実に巧みなハンドルさばきで私など足元にも及ばない。

 彼女たちは覚悟を決めて、あるいは違反と知ってでも必要だから3人乗りをしているのだから、自己責任でやっていること、それを法律で何でも縛ろうとするからおかしくなるのではないだろうか。

 安全な自転車の開発には文句は言うまい。ただ、その安全な自転車であっても、転ぶと大変なことは変わりない。要は、乗る人の技術と心構えではないだろうか・・・。(田舎親父)

2008年3月 6日 (木)

レジ袋が年間5.5万トンとは・・・

 『行政と市民団体、スーパーが一体となってレジ袋ゼロを目指すのは全国で初めて』として注目されているらしい。

 昨日、東京都町田市を中心に都内や神奈川県に51店を展開する『三和』という中堅ス-パ-が、市と市民団体との3者で協定を結び、今月半ばから半年間、市内の1店舗でレジ袋の廃止実験に取り組むとのニュ-スを新聞で知った。

 最近は地球温暖化を防ぐエコ生活の推進のためにということで、各地でレジ袋をなくす運動が始まっているらしいが、はたしてどこまで効果があるのかがはっきりせず、疑問に思っている人も少なくない。かくゆう私もその一人である。

 実際、マイ買い物袋を持参しても、生まものなどは水気がこぼれる心配があって、備え付けの薄いビニ-ル袋に入れる人が圧倒的、かえって多くのビニ-ル袋を使うという皮肉な結果になっているのは多くの人が指摘するところ・・・。

 私にとってビニ-ルのレジ袋は、ゴミを捨てたりちょっとした物を入れたりするのに便利なもの、ビ-ル類などの買い物には必ず受け取っているからレジ袋制限や有料の店は、いちいち必要かどうか聞かれるのが面倒なので利用しなくなってしまっている。

 だが、今回の記事の『この店舗は年間5.5トンものレジ袋を使用している』との表現が何か気になり、瞬間的には『えっ本当・・・』というのが正直な気持ち。そんなに使うわけはないだろう・・・と俄に信じられない。それでも気持ちがひっかかったので私なりにこの量(数値)を考えてみた。

 1トンというと千キログラム、グラムで表すと百万グラム。手元にあるチャック付きながらA7版程度の小さなビニ-ル袋100枚入りの目方を計ると何と250グラム。この数字から推察すると、ス-パ-のレジ袋は平均するとどうも1枚あたり1グラム程度はありそうだ。だとすると、5百50万袋という計算。凄い数字だが、最近のス-パ-は恐らく年中無休だろうから、一日あたり約13000枚弱。

 ちょっとした量を買い物すると、レジ袋の3、4枚は当たり前。このス-パ-の一日あたりの顧客数はわからないが、平日でも近くのス-パ-のレジは並んでいることを思うと3000人程度の買い物客があったとしてもおかしくない。

 ひょっとしたら、この数字はまちがいではないのではと思ってしまう。別の新聞記事では、5.5とんではなく3.5トンとある。3.5トンならますます信憑性は高まってきそうだ。

 いやこれは驚いた。遅まきながら、このス-パ-の取り組みはかなりしっかりした理論づけがあって行われているのではいのではと思い始めた。この店は、レジ袋の提供サービスを期間中、一切廃止と徹底するらしいが、前述した生ものなどの包装はどうするつもりなのだろう。一度訪れる価値がありそうだ。

 節減分の一部はマイバッグ持参者にはポイントとして還元するという。今後の客の動きなどが楽しみであるが、このあたりをしっかりしないと、かえってビニ-ル袋が増えるという結果にならないか心配であるが・・・。

 それはともあれ、私の住んでいる横浜の片田舎でさえ、距離的に利用可能なス-パ-が10店舗以上。コンビニを含むと数えきれないほどレジ袋を大量に渡している店がある。これらの店がすべて、包装などを改善してレジ袋ゼロとなると、これは本当に『地球温暖化防止』』とうたっても間違いなさそうだ。

 私もこれからは、レジ袋を廃止した店を見直おし、マイバッグを持ってビ-ル類を買うようにしなければならなくなりそうだ。(田舎親父)

 

 

2008年3月 5日 (水)

高体連のル-ル改正に思う・・・

 一昨日、全国高体連が『年末に京都で行われる高校駅伝において、第一区に外国人留学生を起用できないとするルールを確定』というニュ-スが流れた。

 駅伝が日本人の感性に合うらしく、箱根駅伝はじめテレビでの中継では大いに視聴率を稼いでいるという。高校駅伝もその一つ、歴史はさほどでないが年末の都大路を駆け抜ける高校生たちの躍動感溢れる姿は魅力的で、近年人気が高まっている。

 出場校が高校野球やサッカ-と同じ『都道府県の代表』ということが、さらに関係者を煽っているらしく、何としてでも勝つためには手段を選ばない風潮が蔓延。とにかくスピ-ドとある程度の持久力がある中学生ランナ-を全国から集めることに躍起になっているようだ。

 それは国内留学という名で野球では当たり前になっているが、ランナ-となると日本人よりアフリカの少年の方が優れているのは誰の目にも明らか。ここ数年アフリカから留学生という形で日本に連れてくるのが流行っているようだ。

 ずば抜けたスピ-ドをもつ少年を、全距離のおよそ4分の1に当たる10キロの長丁場の第一区に走らせ勝負を決める戦術が効果的だと知ると、有名駅伝校はこぞってスカウトをアフリカに派遣しての青田刈り。学業は二の次で引っ張ってくる手法に、何となく違和感を覚える人が多くなり、『このままではいけない』という危機感が今回のル-ル改訂になったのだろう。

 野球やサッカ-というスポ-ツは団体競技なので、一人だけずば抜けた選手がいれば必ず勝利できるというものではない。その選手をマ-クできる手段はあるが、駅伝となると一見団体競技のように見えるが、走る場面では一対一の勝負、足が速ければ必ず勝つことは間違いない事実・・・。

 駅伝で名を成す学校のほとんどは、毎年『第一区』にこのアフリカ人の快速ランナ-をエントリ-、最初で大きく差を広げて逃げきる作戦は、見ている人に『ここまでして優勝したいのか』と何となく気持ちを暗くさせていることは間違いなさそう・・・。

 私は国粋主義者ではないし、外国人を排除するべきだとは思わないが、高校生の野球やサッカ-などを含めた全スポ-ツ競技は『勝つためには手段を選ばず』ではなく、当地で育った少年たち集めたチ-ムで戦わせてあげたいと思っている。

 その意味では、アフリカから強引に引っ張ってきた少年を第一区には出せないというル-ルの改正には反対しないが、もう一歩踏み込んで(留学生の獲得競争を防ぐという意味でも)出場資格は『日本国籍』を有する、いや『県内中学の卒業生』というぐらいの『しばり』が必要ではないかと思っている。

 発展途上国の留学生を否定する気はない。どんどん門戸を開放し、日本で勉強したり技術を習得することには大賛成だが、駅伝という人気競技で優勝して高校の名前をあげるための『コマ』として使う狭い根性に嫌悪感をもつ。

 世論が『そんなことは関係ない。勝つためには手段を選ぶ必要なんかない』というならば、今回の高体連の行動はナンセンス。どんどん足の速い少年を大金かけて引っ張るのも良いだろうが、これでは将来がないのは明らか・・・・。

 どうしても高校の名誉のため(生徒集めの手段)に走らせたいのなら、せめて『日本国籍』を取得した上で『日本人』としての参加してほしいと思っているのは、私のつまらない感傷なのだろうか・・・。(田舎親父)

2008年3月 4日 (火)

すべては校長の世間知らずから・・・

 奈良市の公立の全幼小中高校の約6割にあたる64校が『無料だから試して』と業者に勧められて浄水器を設置したところ、この業者が経営難に陥ったため、クレジット会社から月1台1万円前後のリース料の支払い請求を受けているというニュ-スを見つけた。

 報道によると、浄水器設置を勧めていたのは同市内の教材販売業者らしい。恐らくこの業者は長年市内の殆どの学校に出入りし、校長や教員から『便利屋』的な存在となっていたと思われる。

 (この記事を見て)学校に出入りしている、市販テストや教材を扱う教材販売業者となると、その殆どが零細経営であることは常識。その零細業者が、学校に『浄水器』を持ち込むなんて、どこか話がおかしい・・・ということが頭をよぎる。

もし、業者がもちかけたとしたら、ある特別な学校に、サ-ビスなのかそれとも校長との個人的なつながりか、あるいは『ひょっとして学校相手に商売ができるのでは・・・』という下心で見本を設置したところ、子どもはもちろん教員や保護者からの評判が良かった。そのことが他の学校に伝わり『俺の学校にも・・・』とおねだりされて、これは儲けられそうだ、ということで数を増やしたというところか。

 クレジット会社から毎月請求書が送られてくるようになったが、業者が『たいした金額ではないので、気にしないで・・・』とのこと、実際には業者が建て替えていたので、校長らは気にとめていなかったようだ。しかし、この時点でないかおかしいと気付かなければならないのだが、世間知らずの悲しさか、校長達は誰も疑問に思わなかったらしい。

 ところが、今年になって突然、浄水器の製造会社かリ-ス請け負い業者から支払い督促の電話が各校にかかり始めたのに驚き、教材販売業者に問い合わせてみると、倒産するとかしないとかでリ-ス代金の立て替えができなくなっていることがわかったという。

 重複するが、業者としたら(リ-ス代金を建て替えるのは)校長達が教育委員会にかけあってくれ、近い将来買い取ってもらえるのでは、という思惑があったのではないだろうか。ところが、校長らは『この程度のサ-ビスは当たり前』という思いがあったので、そのまま放置していたというのが裏の事情では・・・。

 ある校長は『数十年にわたって出入りしてきた業者。その信用からあまり契約の中身を確認せずに受けてしまった』というコメントから、ここにも公立学校の校長達の世間知らずというか、業者は学校で儲けているのだからという傲慢さがあったことがうかがえる。

 市教委は『浄水器の設置はあくまで各学校長の判断。基本的には市教委として取り組む問題ではない』との立場で、校長を助ける気などないようだ。いつも教育委員会の悪口を言っている私だが、今回はその通りだろう。

 このため校長らは今後、費用を出し合って弁護士を立て、業者側に契約の解約を求めていくとのことだが、今更弁護士を雇って業者と争っても、かえって弁護士の報酬の方が高くつくのではないだろうか。リ-スの契約がどんなものかはわからないが、ここは腹を据えてリ-ス業者と交渉するのが得策だと思うのだが・・・。

 話がこじれたら、自分で買い取ればすむこと。この気構えがあれば業者との交渉などたいしたことはあるまい。

 私はこの事件で、校長達は身を守ることにこれまで以上に慎重になり、民間からの『美味しい話』はともかく、『面白い話』まですべてシャットアウト。それ以前に、壁を今まで以上に高く厚くして民間人を完全に締め出すことになるのではと憂えている。

 ますます学校が閉鎖的になるのでは、と思わせるニュ-スである。(田舎親父)

2008年3月 3日 (月)

『桑茶』の桜江町・・・

 過日、島根県の桜江町を訪問した。

 最近江津市と合併した人口3000人ほどの小さな町である。そこに『桑茶生産協同組合』という有限会社が、ここ10年ほどで荒廃していた桑畑を再生し、桑の葉を『茶』はじめ、さまざまな商品として販売、現在では桑茶だけで年額1億円以上の売り上げているというから素晴らしい。しかも、その事業を推進している人は他県からのIタ-ン組の人だというのも大変興味深い。

 実名掲載の許可をとっていないのでFさんとしておくが、この方は桑には全くの素人だったと語る。江の川の風景が気に入りこの地に永住することを決めてやってきたところ、たまたま町おこしの相談を受けたので一念発起やる気になったという。

 Fさんは早速町をめぐってすっかり野生化した『桑』の大木が、江の川の河川敷一面を覆っている風景を発見。最近の商品開発のキ-ワ-ドは『健康』だと考えていたので、この『桑の葉』を使うことに決めた、淡々と話してくれた。

 旅行業を長く生業にされていた関係で、いろいろな地方を知っていたので『桑の葉』が体に良いということが記憶に残っていたとのことだが、桑の大木を見て瞬間的に『桑茶』を思いつく洞察力には脱帽あるのみ・・・。

 桑の樹の生命力の強いことは良く知られている。特に根はどこまでも深く広く張りめぐらせるので、一度そこで根付くとどんどん成長する。養蚕が盛んだった地域では当然なことに桑がいたるところに植えられている。

 ところが養蚕が廃れると『桑の樹』は邪魔者。他の樹木に植え替えるために伐根(ばっこん=根ごと抜きさること)するのだが、根の一部でも残るとそこから新しい芽が萌芽するという性質も持っている。

 最近では治水が行き届き氾濫などあまり聞くことがなくなったが、一昔前までは河の反乱は日常茶飯事。しかし、氾濫のお蔭で肥沃な土砂が堆積することも良く知られており、養蚕が盛んな土地に限らず、水害の被害が想定される土地には桑を植えたものである。

 『江の川』は別名『中国太郎』といわれているほどの暴れ川。毎年のように繰り返される氾濫にも耐えるためと同時に、養蚕で栄えたこの地では一石二鳥の効果として河川敷に『桑の樹』を植えていたのだろう。

 それがそのまま放置されて野生化し大木となっていたようだ。養蚕には農薬は大敵。桑は農薬を散布する必要がないので、当然、かって桑畑だった河川敷の土壌に農薬はじめ化学薬品の成分が残留していない。Fさんは、このことにも注目して『有機栽培』という認証を得ることを思いつき、野生化した大木を根元から切って再生をさせていった。

 根元から切っても翌年にはどんどん枝を伸ばす桑のこと、見事数年で『放置桑畑』は『優良桑畑』に生まれ変わり、有機栽培の桑の葉を年間2~3回摘み取ることができるようになったという。その『有機桑の葉』をお茶に加工して商品として販売。これが健康志向の世の動きに大ブレ-クしたという筋書き。ご苦労はあっただろうが、そのアイデアと実行力にはただただ頭が下がる。

 昨日このことにも触れたが、これは『森作り』にもヒントになる。ドングリの森を作るのは『夢』を実際に実現する物語として素晴らしいものであるが、桑の森となると、実際には『健康補助食品』に加工できるというメリットがあるのは魅力である。

 しかも(これも昨日述べたが)野菜としての価値があるとなると、『次世代野菜』というネ-ミングで特産品にすることも考えられないことではない。

長々とカ-ボンオフセットから始まり、森を作って二酸化炭素の排出量を押さえるという私の『おとぎ話』はそろそろお終いにしたいと思う。(田舎親父)

2008年3月 2日 (日)

『クワバラ  クワバラ』とは、とんな意味・・・

 さらに私の壮大なホラ話を続けることにしよう。ドングリの樹は木炭の材料として有効活用できる。木炭の需要は年々増加しているというが、現在のような使い方をしていればさほど期待できない。

 しかし、木炭の水の浄化作用の優れている点に注目すれば、利用方法は飛躍的に拡大するはずで、このことを主張している学者や識者は多い。その方々の指導で、現在でも木炭を使った水質浄化装置が作られているが、私はもう少しスケ-ルの大きい利用方法を提案したい。

 全国の多くの自治体は近くを流れる大河を水道水に利用しているが、年々水質が汚染し、その浄化に苦労しているという。東京と神奈川の境を流れる多摩川を例にとって話を進めるが、取水するための堰が数多く見ることができる。

 上流の堰の水はともかく、下流の田園調布付近になると、水は淀み白いあぶくが浮いているのも日常的に見られる光景であり、東京の人達は、時には(非常時)こんな水を濾過して利用しなければならないかと思うと気の毒・・・。

 それらの堰をコンクリ-トから木炭に代えると同時に、その上流・下流の数キロメ-トルすべて木炭で覆い尽くすというアイデアはいかがだろう。木炭の流失を防ぐために強力な金属のネットで固定する(このようなシステムを適当な言葉がないので仮に『木炭ダム』と呼ぶことする)のだが、水はこの木炭の厚い層を通るうちに浄化される。

 我が国は水資源が豊かだと言われているが、今後も保障されているわけではない。技術的、かつ財政的にこのような『木炭ダム』が作ることが可能となれば、水資源の確保という問題は解決できる。

 この全長数キロメ-トルというスケ-ルの『木炭ダム』に必要な木炭を、クヌギなど植樹したドングリの樹から作り出すことは全く無理なことではないだろう。どのような計算になるのかはわからないので数値は出せないが、『木炭ダム』は間違いなく二酸化炭素の排出量を減少させる役割はあることは確実である。

 この『木炭ダム』を上流の田舎でつくり、二酸化炭素の『国内排出権』を商品として下流部の都会とやりとりする。田舎は産業として成り立ち、下流域に住む都会の人々にとっては、安全で美味しい水が確保されるのだから、このシステムは夢のような話ではないだろうか。

 植樹についてもう一つ提言したい。それは、ドングリより価値があるのは『桑の樹』の植栽だと考えていることである。桑は誰もが知っているように『蚕』の食草。だからといって養蚕を復活させようと主張しているわけではない。

 桑の葉の成分を詳しく調べていくと、とんでもないことに気がつく。カルシウムが牛乳の27倍だと言っても信じてもらえないかもしれない。タンパク質も大豆の約半分、他の野菜に比べ、成分的には一桁違う数値を誇っている。

 野菜にはほとんど含まれていない亜鉛も海苔と同じぐらい、ビタミンAにいたっては他の食品の追随を許さないというから驚きである。一般にミネラルと呼ばれる、ナトリウムやリン、マグネシウムやカリウムなどの無機質も信じられないほど高い含有率、しかも、デリキシノジリマイシンという糖を体に吸収しにくくする成分があるというから利用しない手はない。

 蚕が桑の葉だけを食べて、一月で体重が約1万倍にもなる事実から、昔の人達は桑の葉には、信じられないパワ-の存在を知っていたのではないだろうかと思わずにはいられない。しかし、『お蚕さまと』という敬称で呼び親しんでいる蚕は、まさに宝を産み出す神のような存在、お蚕さまが食べる桑の葉を横取りするなんて思いつかなかったのではないかと想像している。

 人々は、決して桑の葉を食べようとは思わなかったことが、ここまで徹底した習慣としてあるのが不思議に思えるが、桑の葉は『お蚕さま』が召し上がるもの、自分たちは絶対に食べてはならないというお触れがあったのではないだろうか。これから調べていくが、ひょっとして『桑を食べると災いがある・・・』なんて言い伝えが残っている地方もあるのではないかとも思っている。

 危険なことから逃げる時に唱える『クワバラ クワバラ・・・』なんて、案外そのあたりきているのかもしれない。従って、実際に食べてみるとこれが実に美味いことを知る人はほとんどいない。私は去年の夏以来、桑の葉を食材とする研究を続けているが、桑の葉の魅力にとりつかれてしまっている。

 桑は4月の芽吹きから10月末の落葉期にいたる長期間、ずっと新芽を次々に出すという性質を持っている。枝先を摘み取ることによってその性質は一層顕著になり、摘み取った枝先には一週間後にはまた摘み取り可能の新しい葉が芽吹いている。別の言葉で表現すると、いくら摘み取っても再生すると言っても過言ではない。

 茹でて庖丁を入れると、モロヘイヤのような粘りがあることを実感する。ほんのり甘さがあり、味はホウレンソウにも匹敵する。二酸化炭素の排出量を減少させながら、食材の一つとして利用する。大げさな言い方になるが、食料自給率を高めていることに間違いない。(田舎親父)

2008年3月 1日 (土)

『天蚕の町』などというネ-ミングはいかが・・・

 話は大きく変わるが、地方の活性化という視点から考えると、文科省と農水省、総務省の三省が昨年6月『子ども農山漁村交流プロジェクト』という構想を立ち上げ、『学ぶ意欲や自立心、思いやりの心、規範意識などを育み、力強い子どもの成長を支える教育活動として、小学校における農山漁村での長期宿泊体験活動を推進する』という基本方針をかかげ、全国2万3千校(1学年120万人を目標)で体 験活動を展開することを目指すことが決定されている。

 ただ、次期指導要領の概略が発表されて、授業時間数が1割ほど増加という案が表面化している段階で、どの時間で自然体験活動や長期宿泊体験活動を位置づけるのかが不透明だということが明らかになっているので、文科省としてどのぐらい気合を入れてこの方針を実践していくかがよく見えないのが気掛かりであるが・・・。

 文科省の態度はさておき、この基本計画に沿って言うと、今後5年間で、①農山漁村における宿泊体験の受入体制を整備、②地域の活力をサポートするための全国推進協議会の整備等を進め、今年度は『①農山漁村での1週間程度の宿泊体験活動をモデル的に実施し、これら活動を通じて、課題への対策、ノウハウの蓄積等を行う、②セミナー等による情報提供等を行い、体験活動の実施に向け、国民各層を通じた気運醸成を図る、③関係機関での情報の共有化等を図り、地域の自立的な活動につなげる』とプロジェクトは動きだしている(ようだ)。

 これは凄いチャンス、自然体験の一つのプログラムに『ドングリの森つくり』をいれれば良い。この構想は、私自身8年も前から実際にやっていることで、そのノウハウは十二分に持っている。その気になりさえすれば、今年からでも実施可能である。

 子どもたちにとっては『ドングリの森』作りは夢である。実際に自分でできるとなると真剣に取り組む。加えて、二酸化炭素の排出量の問題をきちんと教えることによって、環境そのものを教える素晴らしい教材になり、これからの地球環境を考える上で大変有効なカリキュラムになることは間違いない。

 この構想に加えて、地方は『国内排出権』を商品化し、都会や企業とビジネスを行うのだが、都会の子どもたちによる休耕田や耕作放棄の荒れ地にドングリの苗木を植えるということによって、単に『国内排出権』売買ではなく、都会や企業に二酸化炭素そのものを吸収する『ドングリの森』という商品を作り出すのである。

 一本のドングリの樹が吸い込む二酸化炭素の量は、昨日記したように、一人の人間が排出する量に匹敵する。(実際には、人間は激しい活動をしているので、年間3トン程度の二酸化炭素を排出しているらしいが、話を分かりやすくするためにこのような表現をしておく)ドングリの森が面積的に成長するならば、二酸化炭素の吸収量は年々増えつづけることになる。

 2000人の住民の村では2000本のドングリの樹を植えると、自分たちの排出量はそれらのドングリが賄ってくれる。さらに1万本のドングリを植えると、この村は1万人分の『国内排出権』を有することになる。

 これは凄いことで、1ヘクタ-ルに500本程植えることが可能だというから、20ヘクタ-ルの休耕田や荒れ地があれば可能になる。

 子どもたちにこの植樹の意義を指導することは、今必要とされている『環境教育』の分野でも意義がある。しかも宿泊施設も、既存の青少年の家などではなく、農家が引き受けるとなると、農家の収入も増えることにもつながる。

 さらに付加価値をつけることにしよう。ドングリの代表的な樹木のクヌギは『ヤママユガ』という蛾の食草である。この蛾が作る繭から、淡い翡翠色をした『天蚕』と呼ばれる美しい糸がとれることはよく知られている。

 日本ではほとんど作られていない天蚕だが、普通の染料を受け付けにくいという性質があり、そのために衣料品のある部分に織り込むことによって、いっそうの気品と高級感がでると注目されている。この天蚕を使った着物は数百万円で取引されているという。

 天蚕を研究している施設は日本に二つ。愛媛県の西予市と長野県の松本市にあるが、どちら建物が老朽化している。研究員もほんのわずかで細々と運営しているのが現状で、何時閉鎖されてもおかしくない状態である。

 クヌギを植樹して二酸化炭素の排出量を押さえる働きを持たせると供に、産業としてヤママユガを育て、その繭から天蚕を作るというアイデアはいかがだろう。歴史的に見て、天蚕の需要がなくなったから研究施設が縮小されてきたのだろうが、このような技術をこのまま消してしまうのは実に惜しい。

 当初から採算面で合理性があるとは思えないが、『天蚕の町』などというネ-ミングは町おこしの起爆剤になるのではないだろうか。

 私の『おとぎ話』はまだまだ続きそうだ・・・・。(田舎親父)

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