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2008年6月

2008年6月30日 (月)

またまた 利権絡みの発想かな・・・

 最近、私の住む片田舎でも電動車椅子(この表現え良いのか分からないが)を見かける機会が多くなった。

 歩道を走る時は問題は少ないようだが、狭い道をあのスピ-ドでのろのろと走るのだから車を運転している人にとっては迷惑だろうに、怒鳴ったりクラクションを鳴らしたりする光景は不思議なことに見たことはない。

 このことから考えると、多分多くの人たちはこの電動車椅子の存在を完全には認めていないだろうが、まあ仕方がない・・・という気持ちになっていることは確か。同時に、頑張っているなぁ、と少しは応援する気持ちも持っているのではないだろうか。

 散歩の途中この電動車椅子に出会うと、道を譲るのは当然だが、しばらくその動きを観察するようにしている。目が届く範囲でなにかあったら手助けするのが義務のように思うからだろうが、一人で出歩く意思が大切だと確信しているので、実行している人にエ-ルを送りたいからである。

 ほとんどの場合(例外なくと表現しても間違いがないほど)一人で運転している。誰かが遠くから見守っているのかもしれないが、そのような人をめったに見ることはない。片手だけで巧みに操作して多少の坂道も楽々と登って行く姿に、思わず頑張って・・・と声をかけたくなる。

 私の散歩コ-スの一つに『四季の森公園』があり、桜の頃から天気のよい日は毎日のように、老人ホ-ムや介護施設の車が入り口に駐車している。入所しているお年寄りや障害を持っている人の送り迎えのためである。

 お年寄りたちを車で連れてきて、車椅子で公園内をのんびり散策するためであるが、当然のことながら車椅子を押す人がいなければ用をなさない。こんな場面を目にすると、電動車椅子が公園に備えつけられていたら、介護の人の数は少なくても多くの人が楽しい時を過ごせるのに・・・・と思ってしまう。

 前書きが長くなったが、こんなことを書いたのは、先日、国交省が『体の不自由な人の外出を容易にしようと、車いすのまま乗車できて、一般客向けの流し営業にも使えるタクシー車両の開発を始めた・・・』というニュ-スを聞いたからである。

 欧米で導入されている福祉型兼用のタクシー車両を参考に、自動車メーカーと共同で本年度中に試作車を完成させ普及を目指す方針だそうだが、またまたこの役所は税金を湯水のように使うために、新たな利権を考え出したのかと勘繰ってしまった。

 欧米で実用化されたタクシー車両は、車いすで乗り込もうとする際には、後部座席を折り畳んでスペースをつくり、車内から乗降スロープを引き出して固定、車いすで登って入る仕組みらしいが、すでにこんな車は存在しているはず。

 私がでかけたことのある外国の都会はニュヨ-クだけである。かなりゆったりとした日程で街中を歩いたが、こんな『タクシ-』を見たことはない。セントラルパ-クには車椅子を一人で補助輪を回して散策している人はザラに目にしたが。

 国交省の言い方では、障害者や高齢者らからは『車いすのまま乗り降りしやすいタクシーにしてほしい』との要望が高まっているとのことだが、本当にそんな要望が高いのだろうか・・・という疑問も残る。

 時々、車椅子で乗り降りできる車を見ることがある。実にうまくできているが高価なため、購入できるのは富裕層と呼ばれるごく一部の人に限られるらしい。このような車を安価に購入できるようにすることや、このような車を地域の人が互いのために低額で利用できるシステムを整備する方が先決だと思うのだが・・・。

 低価格で購入できた人は、時間があれば困っている人をバス料金程度で送り迎えしてほしい・してもかまわない、となれば考え方は広がるにちがいない。

 国交省の官僚たちは、こんなタクシ-の開発のために『莫大な補助を・・・』と言い出すにちがいないが、出すのは天下り先への『研究開発補助金』であって利用者にではあるまい。福祉の充実なんて言いながら、実際には利権絡みの発想は悲しくもあり哀れで仕方ない。

 デタラメの仕事ぶりと、必要のない施設を作って税金を湯水に使っての贅沢三昧などの無駄を見直し、老人ホ-ムや介護施設に車椅子を配る方が余程福祉国家に近づくだろうと思うのだが、国交省の建物からは『福祉なんてことを考えるのは厚労省で俺たちではない・・・』という声が聞こえそう。

 これ以上の渋滞・混乱が確実なタクシ-をつくり・走らせるなど考える前に、公園などに車椅子を潤沢に配布したりすることが先決。さらに、電動車椅子の価格を下げること、そして安全に走れるような方策をとることが大事では・・・。

 もっとも、役所は高齢者や障害者を一カ所に閉じ込めたいのが本音で、外に一人で出歩いてほしくないので車椅子の配布など考えもしないだろう。電動車椅子にいたっては危険だとマスコミを使って宣伝しているようだから、電動車椅子を増やせという声などは消されるがオチだろう。(田舎親父)

2008年6月29日 (日)

いよいよ200ドルが迫ってきた・・・

 一昨日、7月からのガソリン等の石油製品卸価格について、1リットル当たり8.4円程度引き上げるというニュ-スがあった。政治の道具にされた結果とはいえ、4月の120円台が懐かしく、なにか遠い昔のように思えてくる。

 8.4円という数字だけみればたいしたことはなさそうにみえるが、1リットルという単位からみるとまさに高騰、狂乱と思えるほどき物凄い値上がりである。しかも、たった2ケ月前に比べて5割も値上がりというから、世の中狂っているとしか言いようがない。

 過当競争で経営が苦しいと言われているガソリンスタンドは、当然のごとく小売価格に反映するだろうから、レギュラ-ガソリン1リットル180円を超えることは間違いなさそう。

 私のオンボロファミリ-カ-でも満タンにするには35リットル程度は必要だから、約6000円となる計算。つい最近まで4000円程度ですんでいたのと比べると車を動かすことが恐ろしくなる。

 ニュヨ-クの原油価格が、1バレルあたり100ドルを超えたというニュ-スを聞いてからあまり時は過ぎていないと思っているが、先週末は140ドルを超えたというから驚き・・・。

 原油価格が1バレル=200ドルまで上昇したら、家庭の出費は年間約7万5000円増えるという試算があるらしい。150ドルになったとしても、約4万6000円の負担増になるという。現在140ドル、間もなくこの数字に直面することになる。

 このところ、聞こえてくるのは税金や医療費などの値上げの話ばかりで、労働者の賃上げの話題を聞かない。給料はちっとも上がらないのに、税金や社会保障の負担だけは増え、圧倒的多数の国民は苦しんでいるはず。そこにこのような原油高ショックが加われば、一般庶民の家計は崩壊するのでは・・・と考えるだけで恐ろしい。

 ガソリン価格は220円にも跳ね上がる予測される。私のように車がなくても毎日の生活にさほどの影響がない人間にとってはまだしも、車がなければ生活できない人々にとっては、これは死活問題、暴動がおきてもおかしくない。

 車に乗らないからと言って、この原油価格の高騰の気影響が少ないわけではない。早速東電が電力料金の大幅な値上げ発表している。ガソリンと電力が値上がると、全ての物に波及するのは当然の理。物価は天井知らずの、まさに狂乱物価となることが気掛かり。

 それにしても、こんな事態になってもなにもしない・できない政府の無能ぶりは何なのだろう。ここまで国民に負担を強いておきながら、インド洋では相変わらずアメリカの軍艦に無償で燃料を補給しているのは、よほどアメリカには逆らえない(国民には知らしてはならない)事情があるのだろうと思うと情けない。

 『アメリカがクシャミをすれば日本は風邪をひく』と言われたのは昔の話、今では『ちょいと寒けがする、クシャミがでそうだと・・・』と信号がくると、相手が喜ぶ品々を山と積んでお見舞いに伺う始末、まさに江戸時代の君主と家来の姿そっくり・・・。

 北朝鮮の核兵器を容認してしまう態度にも怒りが込み上げるが、それに追随しかできないウ-タン首相を頂点とする日本の政府には、拉致問題も『俺には関係ない・・・』というところか・・・。

 そして、相変わらず官公庁では『税金は自分の財布』と思っている輩が、勝手気ままに贅沢三昧。毎日のように明らかになる官公庁の馬鹿馬鹿しい実態。せめてこんな無駄をなくすために目に見える方策が必要なのに、これすら野放し垂れ流しでは、もはや政府とはいえない。

 今日は何となくまとまらない(いつもかもしれないが、特に今日は)文章になってしまったようだが、あまりにも政府や与党・中央官公庁のやっていることのデタラメさに、思考回路が狂わされてしまったのかもしれない。(田舎親父)

2008年6月28日 (土)

危険を察知する能力を失くしては・・・

 先日、杉並の小学校で天窓から転落して児童が死亡した事故を受けて、マスコミは類似する事故の報道に躍起になっているようだ。

 その一つが、先月に起きたという青森の五所川原市の市営住宅で屋上の天窓が割れて中学生が怪我をしたという事故。4階建ての建物の屋上に遊びで登って、しかも天窓の上で飛び跳ねていたら、強化とはいえ風雨に晒されて劣化しているプラスチックだって割れるだろう。

 報道によれば、本人たちも屋上に登っては行けないことを知っていたという。知っていて登ったのなら(少年とはいえ)自己責任で、それを管理する市に押しつけるような報じ方が気に入らない。

 こんな事故が起こると、必ず管理責任が問われ、100%自分たちのミスでありながらそれがいつの間にかすり違えられ、施設の管理責任が100%となってしまうのが現代の風潮。何とか歯止めをかけなければ、歩道を歩いていて落ちていた小石につまずいて転んでも市や町の責任だと騒ぎだすおバカちゃんを増やすだけ・・・。

 この事件でも、市は『対策は施していたが、今後は屋上に行けないよう対応を取りたい・・・』とのことだが、今後屋上に行けないような対応をとる、という言い回しが気になる。高い鉄の柵でもつけるのだろうが・・・。

 私も30年以上も前のこと、3階建ての市営住宅に入居していたことがあるが、屋上には普通は登れない構造になっていた。時に子どものなげたボ-ルなどが屋上にいってしまい取れなくなった時などは、頼まれて長い梯子をかけて登った記憶がある。

 『お前が登ってとってこい』と、子どもに登らせた親がいたのかもしれないが、それは親が、自分の子どもなら大丈夫、という判断をしたのだろうと思っている。

転落した中学生たちが『登ってはいけないことはわかっていた』というから、この市営住宅の構造も私が経験した建物と同じような気がする。登るためには何らかの道具が必要になっているちがいない。

 この年代の男の子は誰しも冒険心を燃やすもの。私もこの年ごろの頃は、馬鹿と思われるようなことを平気で競い合ったことが懐かしく思い出す。入ってはいけないと書いてあると、わざわざ入りたくなるのもこの年代の男の子(最近はむしろ女の子?)の特徴だろう。

 当時は、転落して怪我をしたりしても『自分が悪かった』という意識がまず働いたもので、親には内緒ということもかなりあったような気もする。社会通念でやってはいけないことをやってしまったのだから、自分が悪いというのがごく普通の感覚だった。

 ところが最近は、社会通念で『非』であっても『非が非でなくなる』から問題が変な方に走ってしまうからややこしい。社会がスム-ズに動くための最低必要条件である『非は非だ』という、ごく普通の考え方が通用させなければ、ますます変になってしまうことは間違いない。

 今回の天窓から転落したのは市の責任ではなく、社会通念での『非』なることを行った中学生にあるということを、市当局は強く意識し対応しなければ、賠償などという問題に発展することは間違いない。

 さらに屋上に行けないようにするとなると、かなりの工事になるだろう。これでは建設業者だけを喜ばすだけ、賠償金にしても対策工事にせよ、またまた善良な市民の税金が使われることになり、福祉や医療など必要なサ-ビスをなくなると困ってしまう。

 屋上に登ることを厳重に阻止しても問題の根本的な解決にはならない。大事なことは、子どもの(大人も含めて)危険に対する察知力を育成することである。

安全を守るのは自分だという意識が完全にマヒ、安全は他人が守ってくれる・・・という安易な考え方が行き渡ってしまった社会の現状を何とかしたいものだ。(田舎親父)

2008年6月27日 (金)

消費者も少しは賢くならなければ・・・

 一昨日テレビのニュ-スで中国産ウナギを国内の一色産ウナギとして製造していた大阪の『魚秀』という会社の中谷とかいう社長が言い訳をしていたが、その態度に全く反省の色がなかったのが気になる。

 手口が悪質というか、人心の盲点をついた実に簡単な仕組み。愛知県岡崎市一色町と愛知県一色町とは全く違う場所であるということを理解できる人は、地元の人か出身者、あるいは養鰻関係者以外ほとんどないのでは・・・。

 岡崎市の『一色町』にある会社が『一色産ウナギ』と銘打つと、誰もがあの全国一国産ウナギを製造している『一色町』のものだと錯覚するのも無理はない。

 中谷という男は、そこに目をつけたらしく、架空の『一色フ-ズ』という会社を、岡崎市の一色町のこちらも架空の住所にして、あたかも実在しているかのように見せかける悪知恵には感心する。

 それにしても、この会社は年間およそ約1300トン(約1000万匹)のウナギを中国から輸入して、これまでに少なくとも約250トン(約200万匹)もを、都内の商社2社を経由して『神港魚類』という販売会社に納入していたという。

 この『神港魚類』は魚類を扱うことでは有名な『マルハ』の100%子会社、ここから全国のス-パ-などに送られ転倒に並ぶとなると、一般消費者にとっては『マルハ』のお墨付きのように思うのも当然。

 何やら、毒ギョ-ザ事件と同じで、中国で作ったギョ-ザを輸入していた『日本たばこ(JT)の子会社』、それを『生協』と大きな組織の後ろ楯にして流通させていたところが類似している。

 『神港魚類』の社長が記者会見していたが、『消費者に迷惑をかけ申し訳ない』と例のパフォ-マンスを繰り返しながら、担当課長が勝手にやっていたもので、知らなかった・・・ととぼけた答弁。課長が受け取ったという1000万円もの『口止め料』も、課長からの申告でわかったものとのことだが、東京の商社へのマ-ジンや現金での受け渡しなど、報道記事を見る限り会社ぐるみの犯行のように思えて仕方ない。

 悪質で許せないことは当然。この中谷という男を即刻絞首刑、マルハからは数十億円もの賠償金を没収などとすれば、以後の偽装がなくなるのだろうと思ったが、この程度の偽装でこの男を死刑にするならば、口先だけで誤魔化している首相はじめ各大臣、官庁の高級官僚なども死刑に値する。(爆笑)

 それはともかく、ここまで偽装商品ばかりでは、偽装事件に関して消費者がもっとしっかりしなければ・・・と思わないでもない。

 消費者の中国産のウナギが危ないという心理で、国産ウナギが大人気。品薄で価格も『うなぎのぼり』の傾向があるという。なのに、ス-パ-の店頭に『国産ウナギ』と表示した商品が5、6百円程度の価格で山積みされるわけがない。全てなにか『いわくつき』にちがいないと疑ってみたいもの。

 そう思っているところに、大手の外食チェーンが『しゃぶしゃぶ食べ放題』と銘打っている店で、客が手を付けずに残したとみられる牛と豚のスライス肉を別の客に回して食べさせていたことが明らかになったという報道はグッドタイミング。

 安いものにはなにか曰くがあるはず。『吉兆』のような金持ち相手の殿さま商売をしていても、儲けることが必定と『残り物を使う』のが日常になっているのに、客の数を集めて10円20円の儲けを積み重ねている外食店行わないわけがない・・・と考えると、こんな事件は当たり前ではないだろうか。

 安いから・手軽だからといって、安易に外食に走ったり出来合いの料理を求めるのではなく、安心な食材を使って自分で料理することに価値を見つけてほしいもの。

 そうすれば、このような偽装の手口に騙されないだけではなく、偽装しても金儲けができないとなれば、偽装しようとする人間も少なくなるのでは・・・。(田舎親父)

2008年6月26日 (木)

値上げ そしてまた偽装とならないことを・・・

 去年だったと思うが、北海道のお土産としてダントツで人気だった『白い恋人』を製造している『石屋製菓』の社長が、賞味期限偽造や回収した商品を従業員に再利用を指示するなどの悪徳手口がバレて、数カ月の営業停止に追い込まれた事件があった。

 この事件が発端となって、伊勢神宮のお土産として抜群の知名度を得ていた『赤福』が同じような経営者側の儲け主義が原因で、賞味期限の改ざんや回収した餡を再利用して売り出すなど、全国各地の食品に飛び火したことは記憶に新しい。

 その後、数カ月して営業を再会したら、瞬く間に売れ切れとなるほどの大人気だということに驚いた人も少なくない。私もその一人・・・。

 昨年に夏ごろ、北海道に出かけた人から『白い恋人は即完売だったが、何とか一つ入手した・・・』といただいたことがある。味わってみると、かなり美味い。(何度も食べたわけではないが)今までの味とは全く違い、実にまろやかになっている(・・・ような気がする)。しかも、中身の一枚一枚に賞味期限を刻印するほどの気の使いよう・・・。

 一体今までは何だったの、よくぞ不味いものを食わせてくれたものだと、改めて悪徳社長のやり方に怒りをもったが家族も含め、北海道のためにも復活は良かったのではないとの意見に、北海道を代表するブランドとして多くの人が認めるのだったら、まあ・いいかと思ったもの・・・。

 そしてそご後、北海道に出かける機会が多くなり、その都度家族からも『美味しくなった白い恋人があったら買ってきて』と頼まれるものだから、飛行場で探すが全て完売らしく『本日分完了』とのことばかり、改めて人気のほどを感じたものだ。

 ところが今年3月、帯広の駅の売店で(人気が薄いとされるが)大きめの包装を見つけたので知人とともに購入した時、こんなところで見つかるとは思わなかったので、全員の口からそろって出た言葉が『そろそろ人気に陰りがでてきたようだ・・・』である。

 案の定というか、5月になってまた帯広に出かけた時、前回完売だった店にも、大小合わせてどっさりと箱積みされているのに、『(白い恋人)もここまでか・・・』という思いをもったもの。

 しかし違う見方をしたら、出回るようになったのは、人気が落ちただけではなく、製造量そのものを多くしたからかもしれない。この思いは、帯広以外の名所などの売店にも、山積みされていたことから、間違いなさそう。

 先日、この『白い恋人』が値上げ、というニュ-スが流れた。小麦粉やココアバターなどの原材料と包装資材の価格が20%以上上昇し、今後もさらに高騰する見通しになったためとのことだが、この時期に値上げして大丈夫・・・と心配してしまう。

 17%の値上げらしい。会社としたら人気は落ちていない、売れると見込んでの値上げだろうが(私の見た限りでは)ちょっと甘いのではないだろうか。『本日分完了』というレッテルが、何とか購入したいという刺激になり、品物を見たら衝動的に買ってしまうことも多かったのではないだろうか。

 山積みされていたのでは、この購買欲は出なくなるはず。たまには違ったお土産・・・という思いになるのでは。

 製造量を多くした上に大幅な値上げとなると、売れ残り、そして在庫をさばくために偽装の悪循環に陥り、再び・・・となるのが心配。

 『石屋製菓』は今までの儲けで十分すぎるほどの資産を残しているのだろう。経営が苦しいのはわからないでもないが、これまでの悪辣な経営を本気で謝罪する気持ちがあるのなら、簡単に値上げという結論ではなくギリギリまで蓄えている資産を取り崩して消費者に提供するぐらいの気概はもってほしいと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年6月25日 (水)

こんな大事なことを隠す理由は・・・?

 昨日、知人からのメ-ルで中静敬一郎という人が書いている『一筆多論』というのがネットで見られるので読んでみたら・・・との連絡をあった。早速送られてきたアドレス(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080623/plc0806230813003-n1.htm)をクリックそこに書いてある文章を読んでみてビックリ仰天。

 これが本当なら、政府はもちろんマスコミからも徹底的に国民は馬鹿にされたことになるばかりか、ドイツをはじめ全世界から『礼儀知らず・・・』おレッテルが張られることになる。

 『メルケル首相 ありがとう』との見出しの氏の文章は『やはり残念なことだった』という書き出しで始まる。

 4月半ばに、日本郵船の15万トンタンカー『高山』がイエメン・アデン沖の公海上で、海賊船に襲われたというニュ-スは大きく報道されたので記憶にある人も多いだろう。ロケット弾の被爆で船体には傷ついたが自力で脱出したと報道されたはずである。

 ところが、氏の文章によると『40分間追い回され、5発の対戦車ロケット砲を発射された。至近弾により船尾に直径20ミリの穴があき、あわやというそのとき、急行したのはドイツ駆逐艦『エムデン』だった』とある、こんなことどの新聞も書いていない。事件そのものはテレビでも大きくとりあげられたにもかかわらず何一つ知らされていない。

 中静敬一郎という方は産経新聞の論説副委員長だという。新聞社の看板を掲げた人がガセネタで書くとはまず思えないから事実にちがいない。

 念のために、ネットで検索したら『中静の「日本国」を考える』というブログに同じ内容の文章を見つけた。(http://nakashizuk.iza.ne.jp/blog/entry/612356/)そこには自ら論説副委員と明記してある。

 コラムの文章を続けると、『エムデン』が飛ばしたヘリコプターを見るや、海賊船は一目散に逃げ、日本人7人ら乗組員23人は窮地を脱したとある。そしてドイツのメディアは大々的に報じたという。

 推察するに、ドイツでは新聞やテレビが映像も入れて『我が国の軍艦が日本のタンカ-を海賊から救出した・・・』との大々的な記事だろうが、ヨ-ロッパ諸国はもとよりアメリカなどにも配信されたにちがいない。

 知らぬは日本の『一般国民のみ』とは情けないが、知らされていないからこれは仕方ない。が、ウ-タン首相は先日ドイツのメルケル首相と会談したにもかかわらず、この話題に一切触れていないというから、これは一体何なの・・・と驚かざるを得ない。

 こんな大事なことが、いくら防衛省や各庁舎の官僚から馬鹿にされているとはいえ一国の首相に報告されていないわけがない。もしも、ドイツの軍艦の助けがなかったら、タンカ-は奪われていた可能性が高い。だとすると(たとえ挨拶程度でも)少なくとも救助されたお礼は言うのが当たりまえでは・・・。

 ところが、約1時間の日独首脳会談は洞爺湖サミットを前にして、主要課題の気候変動、食糧問題などに費やされ、『海賊事件は話題にならなかった』という。外務省の欧州局が発表しているのだから、少なくともウ-タン氏の口から『ありがとう』という言葉は発せられなかったことは間違いないだろう。

 中静氏の文章は私ごとに凡人に、この小覧でかいつまんで紹介・解説するなどはとてもできないので直接読んでいただきたき内容を確認してほしい。ウ-タン氏が、この程度でお礼など述べる必要がない、と判断したとなるとこれは大問題。

 欧米諸国の国民が(みんな知っている)タンカ-救出事件について、何故お礼の一つも言わないのだろう、と思うのは当然。『日本人はなんて礼儀知らずなの・・・』と思われたら、何も知らされていない善良な国民の立つ瀬がない。

 さらに念を入れて『日本郵船』の公式サイトでこの件について調べたが、時系列に沿ってタンカ-高山が襲撃された様子は詳細に掲載してあるが、ドイツ駆逐艦の姿はない。

 これは恐ろしい・・・・(田舎親父)

2008年6月24日 (火)

今度は飛騨牛・・・

 去年だったと思うが、苫小牧の『ミ-ト・ホ-プ』という食肉会社が、社長命令で、外国産を国産と偽っての販売や賞味期限の大幅書き換えなどの悪質な手口が明らかになり、社長の悪辣ぶりに世間が驚き・怒り、そして呆れたものである。

 その後、この会社は倒産したと聞いているが、あれほど悪質な経営をしてきた社長が私財を吐き出して解雇した社員を助けるわけがない。従業員たちはきっと苦労の毎日を過ごしているのだろうが、倒産(偽装)させた社長は(残念ながら、その後の情報が全くないので断言できないが・・・)左うちわで世間の噂が静まるのをまっているに違いなかろう。

 この事件は内部からの告発で明らかになったが、『国産牛肉と表示されていても本当かどうかわからない』ということを世間に知らしめ、消費者を身構えさせたという意味では意味があったと思っている人も少なくないはず。

 『従業員には賃金を払っているので口出しはさせない。文句を言ってくればクビにすればよい。クビにされたら生活でできないから俺のいうことを聞くのが当たり前。効くのが当たり前。などなど・・・』このような勝手な理屈で、従業員をまるで自分の私物と思い込んでいたり、極端な場合奴隷扱いしている経営者が多いことは、マスコミが取り上げなくても多くの人たちの身の回りにはゴマンとある話だろう。

 ミ-ト・ホ-プの事件は、自分たちがやっていることに対して疑問を持ち、ワンマン経営者に押さえ込まれていた人たちが声を上げる引き金となり、次々に偽装が明らかになったという意味では、私は大きな価値があったと思っている。

 次はどこで起こるかと思っていた矢先、今度は岐阜で発生。やはり食肉業の会社だというから、この業界ではどこでもやっているのかと疑ってみる必要がありそう。

 明らかになったのは『丸明』という食肉卸販売業。愛知産の牛肉を岐阜産の全国的なブランドで知られる『飛騨牛』として販売や、10年以上前から、商品にならないものは挽き肉にしていたというから呆れる。やはり従業員からの告発が原因だったことは、よほど我慢できないようなひどい仕打ちがあったのだろう。

 従業員がクビ覚悟で証言・告発し明らかになったのだから、即立ち入り調査するのが当たり前だろうと思うが、昨日になって始めて立ち入りを実施とは県も農政事務所明も動きが鈍い。

 この社長は地域の食肉業者の組合(協議会)の役員だという。それがお役所の躊躇している理由だとは思いたくないが、遅れれば遅れるほど世間はその癒着を疑うはず、ギリギリのタイミングで行ったのは、単なる偶然なのだろうか。

 ところで、飛騨牛は、岐阜県内で14カ月以上飼育された黒毛和種のうち、畜産農家や食肉業者らでつくる『飛騨牛銘柄推進協議会』という組織の審査などで認定された牛についてのみ表示が認められているらしい。そう言えば『比内地鶏』の偽装もそんな組織があったようだが、ひょっとしてこの社長は組織の幹部をも兼任していた・・・?。

 飛騨牛はブランド価値があり価格的にもかなり高い。安い肉を飛騨牛と称して販売すれば儲けは数倍、この社長の消費者は肉の味などほとんどわからないと見越しての偽証は消費者に対しての裏切りというより消費者を馬鹿にした行為で許せない。もっとも宣伝だけで飛びつく、ただ名前だけで美味いと信じてしまう虚栄心の固まりのような頭脳構造で実際味の違いもわからない消費者も問題だが・・・・。

 この食肉業者が関係している地域の人たちは今までどんな牛肉を食わされていたのかと猜疑心で一杯だろうが、この地域に限らず、悪徳商人に馬鹿にされるような消費者の無知や、名前だけで購入する愚かな行為は反省しなければならないことを、この事件は教えているのでは・・・・。

 悪知恵の働く男のこと、この会社も近々偽装倒産をするはずだろう。そして従業員が露頭に迷う様を『俺に楯突くからこうなるのだ・・・』とばかり、左うちわでほとぼりをさめるのを待つのが目に見えるようだ。

 そうさせないためにも、良識あるメディアに望むのは『従業員たちにスポットを当てた真実の報道』と正義感のある弁護士の登場であるが、期待する方が・・・無理か。(田舎親父)

2008年6月23日 (月)

これはうならせると拍手・・・

 日本一影のうすい県はどこだという見出しに、またまたくだらない・意味のないことに順位を着けることが流行っていると眉をひそめたのは私だけだっただろうか。

 そこまではまあお遊びと許すとして、名指しされた栃木の県議会で、自民党のある有力議員が『栃木』とい漢字が書き難い・読みにくいのが原因だから『とちぎ』と平仮名に改名すれば・・・と正式に議会に提案したという続報にビックリ仰天。

 『栃木』という漢字が読みにくいとは思わないが、漢字を平仮名にして背系の世間の目を集めるというのは姑息も姑息、こんな議員が何年も議会を牛耳っているのだから、雰囲気が沈滞するのも当たり前、アホ議員たちを早く辞めささないと、もっと影が薄くなるのでは・・・と笑ってしまった。

 私は一貫してタレント知事には批判的で、一億総白痴化に繋がると危惧しているが、あのお笑いタレントが知事になった宮崎は一躍注目度が高まったことは誰の目にも明らか。その意味では効果があったことは間違いない。

 栃木もその例に習ってお笑いタレントを知事に担ぎ上げれば、きっと注目度は上がることは間違いない。こちらの方が、注目されればそれで良いという発想で、安易に栃木という漢字を平仮名に代えるよりはまだましでは・・・。

 というものの、何ででも良いから注目されたいなんて考え方はいただけない。幸い、良識的な議員たちが『平仮名案』には反対したというから一安心。お笑いタレントの引っ張り出すのも、栃木の良識ある県民がその選択をしないことを信じている。

 注目させるのは、世間がうなるような施策でなければ・・・。

 そんな中、栃木の県庁所在地の宇都宮市の教育長が、2010年度からすべての市立小中学校で『小中一貫教育』を導入する考えを明らかにしたというニュ-スは、まさにうならせる施策の見本のような話題である。

 義務教育の9年間を、学びの基礎をつくる『基礎期(4年間)』、学びを広げる『活用期(3年間)』、自分らしい学びを深める『発展期(2年間)』に分け、学習指導要領をベースにしながら『6・3制』にとらわれないカリキュラムを策定するという。

 そして、子どもの発達段階に応じた教育を進め(最近あまり話題にならないが、物凄く重要な問題である)いわゆる『中1ギャップ』の解消や学力定着につなげたい、と提案しているようだ。

 『学力の定着』という言葉をどのようにとらえているのかが良く理解できないが、『6・3制』にとらわれないという考え方には大賛成。ぜひ実現して効果を出してほしいものだと心から拍手を送りたい。数年後には『会話科』などという独自教科も盛り込むとのこと、どんな内容かはともかく、独自性を出したい気持ちは評価できる。

 国語と算数で小3から習熟度別授業を展開。小5からは、理科など専門性の高い教科を中心に『教科担任制』を導入し、論理的思考力や表現力を高めていく考えだ、というが小中一貫組織なら十分可能だろう。

 近い将来、必修化される小学校の英語活動は、来年度の全校導入を目指して検討を進めるとあるが、ここまで踏み込むのなら、小学校で無理に英語活動を導入するのではなく、9年間の長いスパンを見通して、例えば9年生の後半に長期間外国での生活や、旅行をさせることも視野に入れてほしいものだ。

 私論だが、小中だけではなく、高校も義務教育とし小中高の一環制にして、スパンを9年間ではなく12年間という考え方を持ち、現在の高3に当たる12年生は、一年間海外で学ぶ生活というカリキュラムはいかがだろう。

 小学校で無理に英語を教えても、ほとんど身につかないのが現状。1年間外国語の中で学べば否応なく語学はもとより考え方も広くなるのでは・・・。(田舎親父)

2008年6月22日 (日)

どうも納得できかねる数字の羅列・・・

 昨日の朝日新聞の朝刊のトップに5段抜きで『校舎1万棟6強で倒壊』とある。そしてその横には『文科省過少調査 耐震化には1兆円』と、何とも納得しがたい数字の羅列。誰がどのような試算をしたのか、そして何故朝日新聞がこの数値を朝刊トップで、しかもセンセ-ショナルに掲載したのか、飛びついたのか・・・と首を傾げる。

 その記事のすぐ下にご親切にも『キ-ワ-ド』と四角く囲ったコ-ナ-がある。そこには、――校舎耐震診断  建築業者が日本建築防災協会の基準に沿って行う簡易な1次診断(1棟20~30万円)、本格的な2次診断(200~300万円)が一般的。文科省は耐震診断を促進するため、技術系職員で対応可能な優先度調査(10~20万円)を考案した。――とある。素人の私にはよく理解できない表現だが、要は文科省の判断で耐震性を測ったということだろう・・・・。これって信用できるのだろうか。

 内容読むと、全国公立小中学校の校舎や体育館12万7千棟の耐震調査の結果、耐震性があるのが約60%で去年よりやや上昇したが、それでも約5万棟が耐震基準を満たしていないか、耐震診断が未実施の状態とのこと。そして、このうち1万棟が震度6強以上の地震で倒壊・崩落する恐れが高いとある。

 この数字を頭から否定する気はない。否定したいにも私には何ら科学的な根拠も資料も持たないからである。だからからといって信用できるかというと、とても信じたくないのが正直な気持ちである。

 学校は未来を担う青少年達が平日の多くの時間過ごすところ、当然だが安全で安心できる空間であることは望ましいことは誰も否定しない。震度6程度の揺れで倒壊するとなると、これは論外ですぐにでも強化を計る必要があるが、これまでの地震で倒壊した例はほとんどないことを考えると、どうもこの数字に不透明なものを感じる。

 関東眼震災で学校が倒壊したかどうかの詳しい資料は持ち合わせていない。しかし、最近各地でおきた震災では、学校が倒壊して児童生徒が圧死や閉じ込められたことはついぞ聞いたことはない。

 阪神淡路の大震災の状態を思い出してほしい。典型的な都市直下型の大災害で、高速道路が倒壊した旬かを全国の多くの人たちがテレビの画面でみていたはず。まるで映画をみているようなシ-ンだった。

 私は、こんな頑丈な建造物か倒壊するのだから、神戸の町の全ての建築物は壊れてしまうのではと思ったものだ。確かに住宅密集地の木造建築は壊滅的な被害を被った。マンションのような高層建築も耐震性が不足していたものは新旧に関係なく被害を受けたが、学校はどうだったろう。

 全壊したものがあっただろうか。否、一部壁にヒビが入った程度でほとんど無傷。多くの被災者の避難施設として使われたことは記憶に新しい。その後、全国各地を襲った大地震でも、学校、特に小中学校が全壊など一例もない。全壊どころか半壊というニュ-スもなく、壁にひびが入ったという程度ではなかっただろうか。

 これも何度も述べているが、小中学校の建物は全国的にほとんど例外なく、たかだか4階までの低層建築。しかも横に長い仕組みになっている。これは地震にもっとも強い構造でこんな建物が倒壊するとなると、その付近一帯の建造物は全て倒壊・崩落しているに違いない。しかも小中学校は例外なく地域の一等地に建てられている上、建築基準は一般以上安全係数を上乗せしているはず。

 今回の岩手・宮城地震でも学校の体育館の天井や内装の壁が崩れたとあるが、建物が崩落したというニュ-スはない。内部が壊れるのは明らかに内装時の設計ミスか手抜き、震度6など想定していないから当然といえば当然で、設計や施行業者と監督官庁の見落としだろうから大騒ぎする必要はない。

 私は、決して学校には耐震化は必要ないというつもりはない。むしろさらに強化する必要は否定しないが、文科省が何故ここまでヒステリックに1兆円なければ子どもの安全が守れないような言い方に疑問を感じる。

 文科省には手抜き工事の事実を見逃した弱みがあるとは思えない。1兆円という天文学的なカネを集めてでも耐震強化しなければ、自分たちの首が守れない・・・・?、これはドラマの世界でもあり得ない。

 とすると、年金や医療制度の財源のために最近現実味を帯びてきた『消費税率引き上げ』議論、引き上げたいための側面攻撃ではと勘繰ってしまう。

 近い将来、誰かが『耐震化をすすめるためにも消費税率をあげる必要がある』などと言いだしたら、私の推論も当たらずとも遠からじ・・・ということになるのだろうが(そんな傾向が顕著になり始めたら)耐震強化という言葉で核心をぼかし、教育を消費税率引き上げ手段に利用する姑息なやり方は許せない。(田舎親父)

2008年6月21日 (土)

相変わらず責任回避の言い訳ばかり・・・

 先日、東京の小学校の校舎屋上にあるドーム状のアクリル製採光用窓(天窓)から6年生の男子児童が転落して死亡するという事故が報じられた。屋上には普段、子ども出入りできないように鍵がかけられていたらしいが、当時は担任がついて算数の授業を行っていたという。

 日本中のほとんどの学校は鉄筋コンクリ-ト造りで屋上があり、しかもその屋上は平坦で広いのが特徴。直線距離で50m以上とれるのも魅力で理科や算数、あるいは体育で利用されることが多い。以前は屋上を校庭と同じように休み時間も子どもたちの遊び場にしていた学校も多かったが、教員の目が行き届かないという管理上のことがあって、現在は普段は施錠して出入りをさせていないようだ。

 続報では、この小学校の場合天窓は5つあり、他の天窓すべてに児童の足跡がついていたとのことだから、子どもたちはかなり頻繁に屋上に出入りして、面白半分でこの天窓に乗って遊んでいたことを裏付けている。

 恐らく屋上で授業をしたことのある多くの教師もそのことは把握していたに違いないが、教師自身が頭から『子どもが乗った程度では絶対に壊れない』と信じていたはずだから、たいして気にならなかったのも無理はない。

 『危ないよ』とか『やめろ・・・』という声かけはしただろうが、だからといって強く注意しなかったのではないだろうか。子どもとしては先生の本気度は敏感にわかるもの、子どもたちにとっては絶対安全なものとの認識になっていたのは当然だろう。

 ところが、乗っているうちに突然壊れてしまい、さらに安全のために張ってある金網入りの強化ガラスをも突き抜けて転落という事故が起こってしまった。

 例によって教育委員会は、教育と校長がそろって頭を下げる最近見飽きた間のびする謝罪のスタイルとお詫びの文章を配布。その中では、謝罪と、二度と繰り反さないようにすると述べているが、構造的な問題に関しての具体的な責任論はない。

 子どもが乗ることなど想定しなかったというが、屋上は子どもたちを絶対に立ち入らせない場所ではない。むしろ授業では欠かせないスペ-スである。さらに建築当時は自由に屋上で遊ばしていたはずなのに、この当たりのことが全く語られていない。

 今回の事故は、子どもが天窓の上でふざけて飛び跳ねていたことは確かだろうが、そんな程度で壊れるようなものを設置していた責任は誰がとるのだろう。学校の管理責任という声が上がるだろうが、こんなことまで学校に押しつけては気の毒。

 天窓破壊で児童生徒が転落という事故は、今年の1月にもあったということが昨日になって明らかに・・・。遡ると地方では過去にも数回あったという。その時、今回のように大騒ぎになっていたのだろうか、少なくとも東京近辺ではあまり問題にされなかったはず・・・。しかし、教育委員会にはその情報が入っていたに違いない。

 担当者は『事故は地方のこと。都内では大丈夫・・・』と思ったかどうか、具体的な点検や安全のための施策はとらなかった。例によって学校に『気をつけない』と一片の通達ですましたのでは(そんな通達さえ出さなかったことも考えられないことではない)と思って間違いない。

 学校建築は時代によって流行りがあり、80年代に建てられた校舎は同じように天窓を取り付けている学校が多いようだ。今回の事故を受けて全国各地の教育委員会では『すわ大変・・・』とばかり大騒ぎして点検、急いで柵など取り付けるのではないだろうか。

 教育委員会の横の連絡というか、児童の事故を共有する体質があったら、最初の事故の時点で全国の学校を再点検して、そして、あらゆる場面を想定して安全性の確保の施策をしていたら、今回の事故はもとより残り6件の事故も防げたはず。その意味でももっと謙虚に受け止め、反省と責任のあり方を議論してほしいもの。

 学校の安全管理に問題がなかったとは言わないが、今後は少なくとも子どもの行動などを十分把握している人間が教育行政に携わらないと(転落はなくなるかもしれないが)今回とは異質の、そして現実では想定していない次の事故は防げないだろう。

 私は何より、この事故でますます学校が萎縮することと教師に対しての管理が徹底することを危惧するとともに、今回の事故に限らず、児童の死亡事件・事故に直接遭遇した担任教師に過度な責任を負わせないことを切に願っている。(田舎親父)

2008年6月20日 (金)

限りなく馬鹿馬鹿しく情けない事件の続発・・・

 いよいよここまできたのか・・・という常識では考えられない事件が続発している。

 子どもに携帯を持たすか持たさないかをめぐって75歳になる親と48歳の長男が口論、親父が息子を選定バサミで殴って大怪我をさせたというから、もうこれは馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうより他はない。

 記事によると、原因が『孫娘に携帯を持たせることの是非』だというから、呆れて開いた口がふさがらない。家庭内のことだから、外からは窺い知れない事情があるのだろうが、現実は中学1年生の孫娘から『携帯が欲しいのでお父さんにお願いして・・・』とおねだりされたのというところか・・・。

 孫のない私には理解できないが、聞くところによると祖父さんたちは孫が可愛くて仕方ないという。自分の子どもの子育ての頃はモ-レツ社員で、暗いうちに出勤し帰宅は深夜、子育ては奥さんに任せっぱなしだったのが、退職後はやることはなし、孫のお願いを効くのが唯一の生きがい・・・なんて話も聞こえてくる。

 この75歳の祖父さんもその一人だった・・・?。失礼な言い方になるが、この年齢の方の大多数は、今議論されている『携帯の危険性』なんて何のことだかわからないそうだから、孫娘がお願いするのだから『ヨッシャ、ヨッシャ・・・』と安請け合い。息子に話を切り出したところ『バカじゃなかろうか・・・』と門前払いをされたという筋書きか。

 息子の方は、父親の立場として『中一ではまだ早い』と思っていたのかもしれない。携帯なんて持たせてはいけないと確信していたのかもしれない。場合によったら、そんなに深く考えることなしに『カネがかかるから・・・』という理由で持たせない、と言ったのかもしれないが、祖父さんとしたらメンツを傷つけられたと逆上したようだ。

 可愛い孫の願いを叶えられなかったら、即刻相手にされなく恐怖が先にたつ。情けなくしかも悲しいことだが考えられないことはない。どうして、剪定ばさみだったのかはよく分からないが、カッとして見境なく振り回した・・・。

 昨日は報じられた、中学2年生の女の子が、同級生の女の子にナイフで刺されるという事件も今までなかったパタ-ン。俄には信じられない。

 記事には、二人はクラスが違うが同じ中学校の同学年、日頃から何らかのトラブルがあったらしく、相手が自宅に帰るのを待ち伏せして果物ナイフで背中を刺したとある。刺し傷が数カ所あるというから、めったやたらにナイフを振り回して相手を刺したようだ。

 どんなトラブルなのか記事にはない。しかし、最近の中学生の事件から推察すると、やはり携帯絡みだろうと言うことだけは間違いなさそうだ。携帯に悪口を書き込んだとかかきこまれたとか・・・携帯の間にして友人の奪い合い、あるいは仲間外れなどが存在したのではではないだろうか。

 この年代にもすでに『携帯命・・』が蔓延しているのかと思うとゾッとするが、人間関係も携帯がなければ成り立たない、そして携帯がトラブルの原因だとすると、今回のような事件は氷山の一角、さらに低年齢化するに違いなさそうだ。

 そんな物騒なものを、物騒だという認識など持たず孫のお願いだからと持たせようとする親父も情けないが、こんなじいさんも日本中にはゴマンといるはず。

 親子3代一緒に住んでいる家庭も多い。素晴らしい環境だと称賛する人が圧倒的だろう。確かに子どもの精神的な成長には良いことは間違いないが、こと携帯を持たせる云々に関しては、この家族のようにトラブルの原因となっている家庭もいるのではないだろうか。

 携帯の持たせ方も問題だが、ナイフや鋏で人を刺すとどうなるかぐらいは分かりそうなものなのに、気持ちを制御できず、即行動に移してしまう。この祖父さんも少女も、どうも『命の存在』なんてことを無視しているようだ。というより命の存在をはなから意識しない生活を送っていたのではないだろうか。

 改めて『命の教育』お大切さを思う。そのことについて近く私論を述べてみたい。(田舎親父)

2008年6月19日 (木)

外来植物の繁殖力には驚くばかり・・・

 このところ散歩をしていると目につくのは、コスモスに似た黄色の花の群落。この傾向は数年前から気付いていたが、今年は一段とこの花は元気がよい。

 太陽に輝いた花びらは風にたなびきまるで黄色の波のように動く様は、都会の喧騒になれている人や、この花を始めて見る人たちにとっては爽快な気分にさせられることは間違いないが、年毎にこの花が『俺の縄張りに踏み込むな・・・』とばかり、勢力を伸ばしている様を見ると、爽やかさというより他の植物たちに『負けるな』と云いたくなる。

 この花を知ったのは十年以上前になる。知り合いの農家を訪問した時、庭の隅で見た見事な黄色の花びらに感動すると同時に一枚も虫食いのない葉の艶に強い生命力を感じたものである。何という名前の花ですかとの私の問いかけに『キンケイソウ』とのこと。さらに漢字で『金鶏草』と書くのだとも教えられた。

 その時は、漢字名までもっているのだから最近中国から入ってきたのだろうと思っていたが、年々この花が目につくようになってくると、どうもこれは中国原産ではなさそう、きっとセイダカアワダチソウなどと同じアメリカ系の花ではないだろうかという思いが強くなっていた。漢字名は誰かが勝手につけたのではないだろうとも・・・。

 そして、年々勢力を伸ばすこの花を見ると、憎々しささえ感じるようになっていたが、先日、この花のことが大きく取り上げられ、やはり問題になっていることを知った。

 正式名は『オオキンケイギク』という北アメリカ原産の植物で、国土交通省が『緑化をすすめる』ためにわざわざ輸入を勧めた花だという。確かに当初私も感動したように、連休前から咲き始め、夏中咲き乱れる黄色の波は魅力で、土手などに植えたくなるのは道理国交省の誰かが飛びついたのだろうと推察している。

 ところが、あまりにも生命力が強すぎて、この花がはびこると在来種が全滅する減少が各地で問題になり、一昨年、『外来生物法(こんな法律もあるのだ・・・)』で、特定外来生物に指定され、今までとは立場が一転、今度は駆除されるべき立場になったという。

 ここまで繁殖してしまうとなかなか駆除できないのが実情の上に、花の少ない時期の黄色の花は貴重でわざわざ駆除するのもかわいそうという声もあるので、関係者は苦慮しているらしい。中にはこの花の繁殖力を知らずに抜いて持ち帰り、庭に植えて自慢する人さえいるのだから、広がるのは当たり前かもしれない・・・。

 鑑賞用で輸入したものが逃げ出した外来植物は多い。ハルジオンやヒメジオン、あるいはクロ-バ-など、ごく身近にたくさんある。輸入を推進した人達が、何故こんな花が美しいと思ったのだろうと疑問符がつくが、鑑賞用として鉢植えや庭に植えることだけを考えて逃げ出すなんて考えなかったに違いない。

 温暖な環境にすっかり慣れてしまった我が国の在来種は、種の間で生活のテリトリ-というか棲み分けがほぼ確実になされている。ところが外来種は厳しい環境で育ったものが多く、そのほとんどは日本のような温暖な気候では生命力がさらに旺盛となり大繁茂するのだから、在来種に勝ち目はない。

 花を輸入する場合、見た目の美しさなどに惑わされて、生命力という視点を無視する場合がよくある。キンケイソウなどはその典型で、人々が気付いた時には在来種は完全に姿を消している場合も珍しくない。

 キンケイソウの話題で思い出すのがケナフという外来種。環境に優しいと言われてかなりになる。中には小学校などで紙漉きの原料として栽培しているとも聞く。逃げ出さないように管理を徹底しているというが、花が美しいのもキンケイソウと共通・・・。

 今のところ厳重な管理がなされて、逃げ出したという事例が内容だが、もしもケナフが逃げ出して繁茂したら、一年で背丈が数メ-トルにも植物の影響は計り知れない。

 綺麗だからと安易に外国の花をもてはやしてばかりいては、和種といわれる楚々とした美しさの野生の花たちは、完全に見られなくなってしまうのではないだろうか・・・という思いを強くする。(田舎親父)

2008年6月18日 (水)

昨日の死刑執行の報道・・・

 昨日、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎という死刑囚の死刑が執行されたというニュ-スにいろいろな人が、それぞれの考えを述べていた。

 この宮崎という男は、20年ほど前に小学校低学年の女子を車に連れ込み郊外の山林で殺害しようとしていたところを、手配中の警察官に取り押さえられたという事件だったと思い出し、確認するためにネットで調べてみた。

 幼い少女を自分の欲望のためにだけに狙ったとんでもない犯罪。当時、世間がパニックなり、犯人に対して日本中の世論が『絶対に許せない・・・』という独特の雰囲気になったことも思い出した。

 宮崎という男は少女に異常に関心を持つ性格で、少女を次々に猟奇的に殺害し、しかも『今田勇子(今だから言うという意味だろうと分析していた人がいたらしいが・・・)』という名で新聞社に、『お葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました・・・』というとんでもないメッセ-ジが届いたという、信じられない行為も報じられていた。

 逮捕から気が遠くなるような時間をかけて死刑が確定したのが数年前。逮捕から結審まで何と17年も費やしていたことになる。例によって、弁護士たちは(それが商売と言ってしまえばそれまでだが・・・)『犯行時に精神が異常な状態になっていたので、責任能力は問えない』という論理で法廷闘争をしていたようだ。

 正常な精神状態で人など殺すことができるわけはない。秋葉原での無差別殺人犯も、計画段階では正常な精神状態だっただろうが、実際にトラックをつっこませた後は錯乱状態に陥り、無差別にナイフを突きたてたのだろうと私は想像している。犯人もそのような供述をしているようだ。

 その意味では、この事件の弁護士たちは『責任がとれる精神状態ではなかった・・・』とかと、おかしな理由をつけて時間をかけられるだけかけて弁護するに違いない。無罪など主張するかもしれないが、こんなことが許される社会に虚しさを感じる。

 宮崎の弁護団は、この最高裁の死刑判決を不当として『再審請求』をしていた矢先の今回の執行だったとかでかなり過激な反応を見せているらしい。また、死刑廃止論者の間では『厳罰主義は凶悪化の一途をたどっている犯罪を防げるか・・・』という議論も盛んになっているという。

 確かに『人を殺せば、死刑になる』というとんでもない理屈を申し立てて、無差別に人を殺そうと思っている輩がはびこっているようだが、警察官から拳銃を向けられたら、即『ゴメンナサ』とホ-ルドアッフするのが普通だというから、こいつらには人の命は『虫けらだが、自分の命はなくせない・・・』という勝手な考え方の持ち主が多いようだ。

 宮崎という男も、命だけは永らえたく思ったのか、『絞首刑は、踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどん底におとしいれられるのであるので人権の軽視になっている・・・』という、わけの分からない理由を言っていたというが、自分の欲望のためなら幼い子どもの命なんか虫けら同様・・・と思っている人間が『人権』なんて言葉をいう資格はない。

 宮崎の弁護士たちは、判決から2年での執行が早すぎるとか、再審請求の最中の執行は許せないとかのたまっているが、死刑判決後は速やかな執行をうたっている憲法に沿った判断だから法務大臣の決断は間違いなかろう。

 死刑を執行しても今回の秋葉原のような無差別な殺人事件の解決にはならない・・・という人も多い。一面間違ってはいないとは思うが、未だに執行していない死刑囚は100人を越えているらしい。そして何時執行できるか分からないという。前任までの法務大臣は、執行サインをする事自体嫌がっていたらしいから、死刑囚は増えつづける傾向があるようだ。

 暴論を承知で言うと、できるだけ速やかに現在の死刑囚全員の死刑執行をすれば『罪のない人を殺害すれば、即死刑にされる・・・』ということが常識となり、宮崎やそれに類する秋葉原の犯人のような『だれでも良いから人は殺したい・・・』という勝手な殺人を抑止する切り札になるのでは、とも思ってしまう。(田舎親父)

2008年6月17日 (火)

将来的にも続けることが前提だが・・・

 迂闊なことだが東海市という地名を知らなかった。東海というから東海道に違いなかろう、だとすると愛知か静岡だろうとの見当はついたものの、名古屋のすぐお隣だったとは思わなかった。関係者の皆さんには大変申し訳ないが、こんな名前の自治体があったのを始めて知った。

 何故こんな書き出しをしたかというと、ネットで『東海市は今年から、市立中2年生の全生徒約1100人を対象に、市が費用を全額負担して沖縄で3泊4日の体験学習を行う』という記事を見つけたからである。

 すでに中学生の第1陣の193人が中部国際空港から出発し、来週までには市内6中学が出発するという。全国の自治体が軒並み財政危機に陥っているということを考えると、何と豪気な振舞いか、と感心してしまう。

 記事によると、東海市は沖縄市と友好都市提携を結んでおり、約20年前から各校代表2人が沖縄市を訪れてきたそうだ。これまで、修学旅行とは別に中学2年生を対象にキャンプ場での林間学習を行ってきたが、沖縄では豊かな自然に接するだけでなく、平和学習や文化体験ができることから、林間学習に代わり、全生徒が沖縄を訪れることにしたという。

 当然なことながら、費用はこれまでより大幅に増え、1人当たり約6万5000円になるが、税収が好調なことから市が費用の総額約7200万円を全額負担するというが、他の自治体の子どもたちにとって何ともうらやましい話である。

 お仕着せの林間学校など意味がないことは以前から指摘してきたことなので、この発想は評価したい。観光が主な産業となっている沖縄でも大歓迎されることは間違いないだろう。この動きが周辺各自治体に波及すれば申し分ない

 私もこの2月、季節外れの沖縄を旅して、ひめゆりの塔や摩文仁の丘などを見学してきた。この時期には出会わないだろうと思っていたが、かなり多くの高校の修学旅行生に出会い、高校生の修学旅行では沖縄がダントツだということを改めて知った。また、普段は賑やかだろうと想像できるような色とりどりの私服の集団が、戦争の爪痕を生々しく残している記念館の展示を、実に真剣に見・聞いている姿が印象的であった。

 あの展示には、人を黙らせ・引きつけるものがあり、『戦争の悲惨さ』を感じさせる力があるのだろう。さらに、珊瑚礁の綺麗な海でしばし過ごすことは、素晴らしい思い出作りとなることは間違いなかろう。多くの中学生たちにとって戦争の悲惨さと、美しい海を残さなければ・・・という意識が知らず知らずに残ることは間違いないだろう。

 その意味で、東海市の英断には大拍手を送りたい。送りたいが(門外漢の私が心配することではないことは十分承知しているが)果たして今後10年、20年とこの無償の体験旅行が可能なのだろう・・・という疑問がどうしてもぬぐい去れない。

 税収が安定しているからできるのに違いないが、社会情勢が極めて不安定な現在にあって、市の幹部たちは果たして『将来的にも続けられる』という絶対的な担保があるのかが気になる。

 市長の交代や税収の伸び悩みを理由にして、数年で見直し・・・なんていうことにならないだろうか。今回の英断の影に、もしも政治的なものが潜んでいるとしたらかえってマイナスになるのではという危惧を覚えるが・・・。(田舎親父)

2008年6月16日 (月)

京都の英断に大拍手・・・

 職員の不祥事が連続していた京都であるが、温暖化対策や環境政策にはなかなか見るべきものがある。過日は『景観条例』なるものをつくり、京都らしい景観を守ることを本気で考え始めたことは、幼いころを京都で過ごした私には喜ばしい・・・。

 京都という土地柄かもしれないが、東京に対しての意識は半端ではない。東京タワ-に対抗して、京都の駅前に京都タワ-なるものが出現したのは昭和の30年代末、当時久しぶりで帰省した列車の窓からこの雄姿?を見た私には、何故・・・?という思いを持ったが、その思いは今も変わらない。これ程京都の景観に相応しくない建物はない・・・と云い切っても間違いないのではないだろうか。

 続いて、京都駅のあの建物はナンジャイ。千年の都と胸を張る京都の人たちがよくぞ建築を許したものだと思ってしまうほど、まさに陸上にそびえ立つ『戦艦』のような建造物はこれまた京都のイメ-ジとはほど遠い。まあ、人には好き嫌いがあるので、京都人が満足しているのなら私が批判するのはお門違いだろうが・・・。

 ところで、京都が地球温暖化対策の一環として、市内にあるコンビニエンスストアに深夜の閉店を求める方針を固めた、というニュ-スには景観条例に続いて、さすが京都と思わせる英断と大拍手

 省エネで温室効果ガスの排出を減らすほか、消灯で夜の町並みの景観を改善する狙いもあるという。来月から業界団体や有識者らによる『市民会議』をつくり、具体案をまとめて来年度にも実施したいとのことだが、ぜひ実現してほしいものである。

 この『市民会議』では、合わせて自動販売機の台数規制も検討するらしいが、京都の町では対面販売が当たり前となり、純粋な京都弁での販売となると国内はもとより世界からの観光客も歓迎するに違いない。

 閉店を求める時間帯は深夜から未明にかけての7、8時間ほどと想定しているそうだが、セブン・イレブンではなく、夜の11時には閉店して、午前7時に開店という、イレブン・セブンが当たり前になれば良いのだが・・・。

 条例による規制も考えるが、まずはコンビニ店側に自粛してもらう方向で調整するとあるが、金儲けしか考えていない業界が簡単に『ウン』と言うわけはなさそう。しかし、京都市内にコンビニが500店超も存在し飽和状態らしいから、市民の意識を背景に上手に話をすすめると、全く不可能なことではないのではと期待を寄せている。

 深夜帯に働く人らにとっては不便になるとの声もあるが、市民全体からみたら一部だろう。むしろ少年・少女たちの悪の温床・たまり場的な要素が大きく、その意味でも深夜に店を閉じる意義があるのは確実だろう。

 『都市部では極めて異例だ。京都で実現できれば、全国に通用するモデル的、先導的な取り組みになる・・・』との市幹部のコメントはまさにその通り、世界遺産京都・日本人の心の故郷という自負でもって、今回の打ち出した方針の実現を望みたい。(田舎親父)

2008年6月15日 (日)

間もなく都市部で『ぐらり』・・・

 昨日午前8時半過ぎ、自室で蚕の世話をしているとき、家内から『今テレビで地震警報があった 東北らしい・・・』と声をかけられた。先日は揺れ始まっているのに地震警報を出したという笑えないミスがあったので、半信半疑で世話を続けていたら、本当に揺れ始めた。

 ただ、これは自宅が震源地から遠く離れていたからで、実際は『震度5強』と予測して緊急地震速報を発表したが、その時には震源地付近は揺れが始まっていたというから、如何に地震の余地が難しいかがよく分かる。というより不可能に近いようだ。

 それはともかく、横浜でも感じたのだからこれは相当大きな地震では、と感じてテレビの前にとんでいき画面を見つめる。震源は岩手県南部の内陸、震源の深さは10キロ、マグニチュ-ドが7.0と出る。これはでかい・・・。

 まさに規模が大きく直下型、とんでもない大災害が起こるのではと身を引き締めて続報を待っていたが、地震では被害が明らかになるまでかなりの時間がかかるのは仕方ない。

 30分程して県や市の防災担当者と電話が繋がったとのことだが、彼らの声にはさほどの緊張感はない。庁舎の窓から見渡しても煙などは見えないとのこと。さらに消防と電話で会話を聞く限り、さほどの被害を把握しているとは思えないような言い方にホッとすると同時に、電話の向こうの人たちは、地方とはいえ都市部のこと、震源地に近い山間部では、これから続々と人的物的被害の報告が入るのだろうと予想していたが、その通りテレビの画面は刻々と被害の拡大を伝えてくる。

 お昼前になって、山の中の道路が100m以上にわたって完全になくなっている映像にはビックリ。マグニチュ-ドが7.0から7.2に変更されたのも納得する。震源地の近くの『駒の湯』の宿泊施設も無残な姿になっているが、周りの様子から見るとよくぞこの建物が1階部分の崩壊ですんだものと思ってしまう。

 当初、同じように内陸の山間部を震源にした二度の中越地震などに比べて倒壊家屋が少ないと思っていたが、少ないのではなく住んでいる人が圧倒的に少ないからだ。もし、この規模の地震が都市部で起こったら、それこそ阪神大地震どころの被害ではすまないだろうと思うと背筋が寒くなる。

 ここ数年世界で地震が続いている。一月前に中国四川省での大地震は死傷者は当局発表で6万人超、行方不明者は数知れず。住宅を失った人たちだけでも数十万人とのことだから、我々には到底信じられない数字、空前絶後という言葉しか思い浮かばない。

 前夜に四川省に何度も行っている人から、あのあたりの地形のことなど聞く機会があった。彼によると、断崖のような場所に家が重なり合うように建っているので、被害の凄さは目の当たりにするようだという。さらに、戸籍のない人たちも相当数存在しているから、人的な実被害はもっと凄い数字になるとも言う。

 いい加減な工事でも担当者が『是』といえば検査に通るお国柄なので、手抜き工事などは日常茶飯事らしいから、学校のような公共性の高い建物が倒れることは当然で、要は今回の震源地のような地形の場所に、重なり合って民家が建てられた上に、手抜き工事が横行しているのだから、被害があのように甚大になっただけだとのこと。さらに被害を大きくした条件に地震が起こることを誰もが頭から考えていなかったことがあげられる。

 幸か不幸か、日本では田舎は過疎化が進み、今回のような地形の場所に住む人が少ないが、その代わり都市部の人口密集は凄まじい。耐震強度が強くなっており、震度7でも大丈夫が売り物の高層マンションが立ち並ぶが、今回のような直下型の規模の大きな地震でも大丈夫かどうかが気になるところ。

 特に耐震強度の偽装が明らかになり、どこまで耐震性があるか分からない建物が多いのが現実。そして、被害にあわれた方には申し訳ない表現だが、まさか自分の足元がぐらりとするなど考えてもいなかったのではないだろうか。都市部に住む人たちがどのぐらい『ぐらり』を予測できているのか怪しいもの・・・。

 関東大震災から間もなく100年。今回の震災地も100余年前の大地震以来だというから、関東の都市部が揺れるのもさほど遠い将来ではないだろう。京都では秀吉の時代以降大地震はない。名古屋近辺も100年以上大きく揺れていないことを考えると、このような都市部が明日にでも大きく揺れないという保証は何一つない。

 『ぐらり』の時の自分の行動に責任が持てるだけの心構えを養う努力をすることを、今回の地震は教えてくれたのでは・・・。(田舎親父)

2008年6月14日 (土)

日雇い派遣が合法とは・・・

 かなり記憶が薄れているが、介護制度をうまく金儲けの材料にして、いろいろと怪しいことを実行してきたコムスンという会社が摘発されたのは最近とはいえないものの、さほど過去の話ではない。

 コムスンの親会社だと言われるグッドウエルというグル-プの悪辣な手口が明らかになって、折口とかいう会長が辞任したということも遠い昔ではない。グッドウィルに対して数カ月の事業停止命令を出したことも記憶に新しい。

 普通の人間なら『ゴメンナサイ』といった以上、まともな手口で会社の再建を考えるのだろうが、どうも最近は『申し訳ありませんでした』と頭を下げるのは一首の儀礼的パフォ-マンスになり、それをしたら社会的に禊ぎがすむと思っている輩が多いようだ。

 あの船場吉兆などがその例で、創業者の娘だとかいうオバサンも涙ながらに『申し訳ありませんでした・・・』と云いながら、裏では相変わらずの悪事の数々、とどのつまりはバレて店をたたむことになったらしいが、ただ黙って退場するタマではなさそう。きっとまた違うところで何かやらかすのに違いなさそう。

 グッドウエルも会長が退陣して、その呪縛が解けたと報道されていたが、後を受けた連中も結局は同じような道を歩いていたようだ。が、派遣というシステムが合法である以上、金儲けのための手口として、人間を『もの』として扱うような考え方が一番簡単で手っとり早いのでは・・・と思ってしまう。

 『派遣』という言葉を聞くと、私は以前経験したことを思い出す。それは学生の頃、友人に誘われて、船の荷揚げのアルバイトをしたことである。その時はある意味面白半分だったが、両親のいなかった私には自分で食いぶちを得なければならなかったことも確かで、カネ目当てだったことも間違いない。

 ある朝、桜木町の駅前でドヤ街の住民たち一緒に立っていた。そこに手配師らしい中年の男がきて、集まった人たちの中で気に入った人間を指さしてトラックに乗れと命じる。指名された人は黙ってトラック乗り込むのである。

 その時私もトラック組となることができ、人々に従って乗り込んだ。着いたところが横浜港(だったと思う)の横の小さな桟橋。今ならコンテナで機械が積み込みなどするのだろうが、その時の仕事は手作業で船に運び込む仕事。足元が不安定だったことはよく覚えている。(中身は一体何だったのだろうと思い出すこともあるが・・・)

 昼飯をどうしたのかは覚えていないが、一日が終わったら、やはりトラックに乗せられて桜木町の駅前に連れられて、そこで今日の手当てもらう仕組み。その時は当時では破格の1万円から某を引かれた額を手にしたことはしっかり記憶にある。

 若かったのだろうが怖いものしらずと興味半分がかさなり、しばらくオジサン達の行動を見ていたら、彼らはすぐに焼酎を片手にバクチを始めたのには驚いた。なぜそうなるのかはよく分からないが、どうやら彼らの日課になっているらしい。そしてほとんどの人たちが今日の稼ぎを巻き上げられて、結局はドヤ街と呼ばれる一角の安宿に戻り、明日また桜木町の駅前に集まる・・・という生活らしい。

 この時の手配師と現在『合法』とされている『派遣事業』とどこが違うのだろうか。当時の手配師は、雇い主から『一人いくら』という約束で請け負い、1万円という価格で人を買ったはず。雇い主との契約の差額が自分の懐に入るのだから、こんなぼろい商売はない。

 雇い主としても、労働させるための諸条件など面倒なことは一切ないのだから、結局は儲けは膨らむ・・・。となると手配師と手を組むのは当然の成り行き。結局は日雇い人足と呼ばれた人の生活は向上しないことになる。時代が進み、社会の安定とともに人々の生活を守るという意味でも労働環境がと整えられてきたのではないだろうか。

 以後数十年、我が国は右肩上がりの経済成長を続けていたが、その景気に陰りが見え出した80年後半に『派遣』というシステムを法律で合法化。手配師が『派遣会社』と名前を変えて、若者を中心とした『安易さを求める心理』や、介護などという新しい職種を利用して、あっと言う間に社会的地位を得てしまった。

 最近、事件の報道があると付帯するように『派遣・・・』という言葉が出てくるように思える。今回の秋葉原の通り魔の犯人も『派遣社員』であり、そのことが引き金となって社会に不満をもっていたと報じられている。

 『派遣』とういシステムに大鉈を振るう時にきたのではないだろうか。(田舎親父)

2008年6月13日 (金)

原油高で学校が週3日休み?・・・

 『原油高が原因で週休日制導入・・・』という見出しをネットで見つけた。

 『えっ、本当・・・』『まさか・・・』と我が目を疑ったが、アメリカでのことと知って一応は一安心。でも、しかし・・・これは決してアメリカでの出来事と見逃して良いニュ-スだとは思えない。

 アメリカのイリノイ州の一部の学区では、9月に始まる新学期から月曜日を休校にし、バス経費を年約6万5000ドル(約700万円)節減する方針を打ち出しているとのことである。ほかの曜日の授業を延長し、教育内容に支障が出ないようにするという案を保護者に示して了解を取り付けているという。

 また、日本人に人気のあるカリフォルニア州では、すでにバス路線を減らしているというから、廃止された路線沿線の子どもたちは遠くの違う集合場所まで歩いていかなければならなくなっているそうだ。

 日本以上に子どもたちが襲われる確率が高いアメリカでは、安全確保という面からも親がそこまで送らなければならない。当然ながらこの路線廃止は保護者には大変な負担を強いられているとも報じられている。

 さらにニューヨーク市で子どもたちの送迎を請け負うバス会社は、3年前の契約時と比べ約70%も上昇した燃料費の負担に耐えかね、同市に遠足などの削減や中止を要請して市側と交渉中だというから、アメリカでのガソリン価格の高騰は教育の分野を直撃しているのが現実らしい。

 日本でもガソリンの高騰が大問題になっているが、圧倒的大多数が都市部やその郊外に住んでいる。その人たちにとってはスク-ルバスでの通学というのは遠いよその世界のように思えるだろうが、地方に行くと様相が全く違う。

 高齢化が進む地方では子どもの数は、都会とは比べものにならないほど急激に減少している。当然のことながら、この児童・生徒数の減少は学校の統廃合を進める結果となり、自治体はそれぞれスク-ルバスを確保して、登下校時には子どもたちの住まいの近くまで送り迎えしているのが現実である。

 大型合平が流行りになって、面積だけはとんでもなく広い自治体ができるが、子どもの数が少ないので、学校は遥か山の向こう・・・というのも大袈裟な話ではない。場合によっては町や村の中に小学校や中学校がそれぞれ一つなんてこともあるのだから、スク-ルバスは必需品でその予算の確保に苦労している。

 ガソリンの価格は去年の今頃は確か100円前後だったと記憶しているが、現在では170円以上が相場。単純計算で7割以上の値上がりの上、諸物価もあがっていることを思えば2倍近くの経費が余分に必要になっている計算。

 苦しい地方自治体の予算を余計に苦しめることは間違いないだろう。場合によったら第二・第三の夕張の出現も現実味を帯びてきた。

 スク-ルバスの路線廃止や週休3日制がアメリカの話と笑って済ませなくなることは必定。国は、これ以上のガソリン価格の高騰をくい止める具体的な方策を示してほしいものである。それが無理ならば、こと教育に関すること、地方に対して真剣にかつ長期的な展望に基づく国の支援を期待してやまない。(田舎親父)。

2008年6月12日 (木)

一箱1000円時代が目の前に・・・

 愛煙家をますます困らせるような話題が流れ始めた。何でもタバコの値段を現在の3倍程度の一箱1000円にするという議論が現実味を帯びだしてきたらしい。

 私は以前から『喫煙が本当に身体に悪く・社会悪だと社会全体が認識して、どうしても禁止したいのなら、いっそうのこと一箱1000円にしたら』という意見を持っているし、この覧でも述べているが、今回の値上げ案は健康面や社会道徳などとはほど遠く、単に税金の上乗せだというから簡単にはこの議論にはついていけない。

 正常な間隔の持ち主にとっては、社保庁や厚労省の馬鹿馬鹿しい誤魔化しに呆れる話題が続発している年金問題。来年度から基礎年金の国庫負担を現行の3分の1から2分の1に引き上げることが決まっているようだ。そして(本当かは疑わしいが)そのために2兆円超の凄まじいカネが必要だという。

 これを消費税の引き上げで賄おうというのが政府や与党の計画・腹積もりらしいが、死に体になっているウ-タン内閣ではそんなパワ-があるわけはない。今消費税の値上げを言いだしたら、流石におとなしい国民でも一大ブ-イング。たちまちのうちに支持率がさらに下がり、内閣は存在さえ否定されかねない。

 そんな現状を助け船を出したのかどうかはわからないが、タバコ1箱を平均1000円に値上げしたら(現在の消費量が維持されると仮定すると)何と、消費税4%に相当する9兆5000億円の税収増が見込まれる、とカネについての計算が抜群の人が言い出したそうだ。

 何とか政権の座にしがみつきたい輩は、仮に消費量が3分の1になっても3兆円の税収増が見込めると、この発想に飛びついたらしい。

 野党は消費税引き上げに猛反対しているが、たばこ増税には理解を示している議員が多いらしく、超党派の『禁煙推進議員連盟』(こんな集団があったのだ・・・)なる集団が元気を出して、本気で『タバコ1箱1000円議連』なるものを発足させるというから、ひょっとして今国会でも決定されかねないとのこと。もっとも昨日になってこの集団の発言がト-ンダウンしているらしいから、また誰かが影でゴソゴソ動き始めたのだろう。

 私には喫煙の習慣がないので外国に出かけても、土産にでもタバコを購入しようという気持ちになったことがないが、欧米諸国では一箱1000円が当たり前らしいと聞くと驚いてしまう。が、これは本当のようだ。

 嫌煙権が徹底している欧米では、これが当然で愛煙家も納得しているというから、禁煙が社会の動きになっている我が国でも、『欧米並の一箱1000円』は妙に説得力があり、反対できなくなる雰囲気が盛り上がるのではないだろうか。

 愛煙家の皆さんは大いに不満に違いないが、基礎年金を賄う切り札ということはともかく、健康被害から守れという動きに押されては、面と向かって反対もできないのが現状とあっては気の毒としか言いようがない。

 この際、禁煙するかそれとも1000円出しても吸うかは意見の分かれるところだろうが、タバコの値段がこんなことに利用されるとは思いもしなかっただろうし、タバコ関連の産業で生業を立てている人たちも固唾を飲んで、今後の動きを見ているに違いない。

 そこで、愛煙家の皆さんに提言だが、この際『カネの捻出』という不純な目的から成立寸前の『一箱1000円』法案に、根本的に反対する意志として、断固禁煙を決意されてはいかがだろう。きっと面白い展開になると思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年6月11日 (水)

自然の摂理に反してまでも・・・

 ク-ルビズという言葉が定着するようになってどのぐらい過ぎるだろう。ク-ルとビジネスという言葉をつっつけて簡略したとのことだが、簡略横文字(カタカナ)の好きな国民性をうまく利用し、マスコミの誘導もあって抵抗なく定着させたようだが、原因はそれだけではないだろう。

 まず、女性軍には直接関係がなかったことが第一。その心理をうまくついて、日本の蒸し暑い夏、男性諸氏はせめてネクタイをはず・・ネクタイをはずせば涼しく感じるだろう・・ク-ラ-の温度設定を少し高めても良いだろう・・これは温暖化対策の切り札・・・というパタ-ンで、オバサマ族には絶対的な人気者の当時の総理が広告塔になって自ら実践。取り巻き連とマスコミがしっかりそれを実践した結果だと私は受け止めている。

 なかなか上手い戦術である。夏場にネクタイなど無用だということに対しては私も大賛成であるが、当時はともかく現在ではその勢いが衰え、社会全体の何割が実践しているかがよくわからないのが実情ではないだろうか。

 テレビの映像をみる限り、政治屋さん達はラフなスタイル。閣議ではおそろいで沖縄の民族衣装を着た閣僚たちが、庶民の苦しみを尻目に何の心配もなさそうな顔でニコニコ笑っている姿がお馴染みになった。地球温暖化を意識してのク-ルビズなら良いのだが、制服まがいの民族衣装?、しかも沖縄というのは政治的なものを感じる。

 アンウンサ-はともかく比較的真面目な番組のキャスタ-たちも、ノ-ネクタイが目立つが、ス-ツとネクタイが定番のビジネスマンの数は決して減ってないような感じを受けるのだが・・・。

 ところで、早ければ来年の夏からサマータイムが導入される可能性が出てきたらしい。支持率が下がってもしぶとく首相の座にしがみついているウ-タン氏が(サミットを視野に入れてのパフォ-マンスだろうが)このサマ-タイムの導入に意欲的だと報じられている。

 北海道の一部では、数年前から実験的に導入して、関係者の大部分が賛成しているという記事もある。そのメリットは『退社後の活動の幅が広がる』『家族と触れ合う時間が増える』との声が大きいという。

 いま議論されているサマ-タイム制度は、毎年3月の最終日曜日に時計の針を1時間進めて、10月の最終日曜日に元に戻すことで時刻を調整する。日の長い夏の時間をできるだけ活用してエネルギー消費を抑える狙いだという。

 例えば3月25日が日曜日だとしたら、26日からは昨日まで午前7時だった時刻が午前6時になることである。前の日まで、午前6時に起床して出勤の準備をしていた人は、この日から午前5時に起きなくてはならないことになる。

 すぐ慣れる・・・という考え方もあるだろうが、それほど簡単なものでもあるまい。夜明けの早い夏場は、カ-テンや雨戸を開けて寝れば何とかなりそうだが、9月中頃になると、夜明けがぐんと遅くなり午前5時に目覚めるのは大変だろうと、サラ-リ-マン諸氏には同情してしまう。

 専門家ではないので何とも言えないが、3月4月は間違いなく睡眠時間が短くなりそうだ。さらに眠りの質も下がってかえって効率が下がることも考えられる。

 社会全体が昼夜の区別がなくなり、どんな地方に行ってもコンビニが24時間営業、夜通し放映しているテレビが当たり前となり、体内時計を調整できない人が増えているのが実情らしい。このような人たちの生活間隔は、サマ-タイムという強制的に体内時計を狂わせることによって、悪くなることはあっても良くなることはないだろう。

 ますます睡眠障害に悩む人の数は増えるとも考えられないことはない。となると、省エネになるという大義名分は吹っ飛んで、実際には病院通いや、場合によっては就業時間の延長やサ-ビス残業の増加など負の連鎖に繋がらないとは言えない。

 欧米ではすでに導入している国が多いというが、緯度の高い位置にあるこれらの諸国は夏と冬とは昼夜の時間の差は我が国より遥かに大きい。だからこそメリットがあるのだろうが・・・。

 自然の摂理に反してまで、しかも体内時計をこれ以上狂わせるサマ-タイムの導入にはさらにつっこんだ議論が必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年6月10日 (火)

医療費削減削減のためなら何でもありの厚労省・・・

 後期高齢者医療制度の拙速な実施が大顰蹙をかっているが、さらに踏み込んだ人生の最後を迎えようとしている人たちに対する終末医療について、おかしな考え方が動き出したようだ。

 厚労省の諮問機関だろうが『終末期医療に関する調査等検討会』というのがあるらしい。この検討会が何を根拠にしたのかはっきりしないが『(看取りについて)自宅を希望している国民が約6割』という結論を出したという。

 この結論に疑問をはさむものではない。私でも、臨終の時見守ってくれる人がいたら『ありがとう』と一言行って永久の眠りに入りたいと思っているぐらいだから、6割というよりそれ以上の人々がそう望んでいるのではないかとさえ思っている。

 ただ、現実を考えると自宅で看取ることは、家族の負担が大きすぎることも確かで、自宅で迎えたいと心の隅では思いながら、それを口に出す人はごくわずか。それほど、この自宅での臨終がいかに難しいかは誰もが理解するところではないだろうか。

 臨終の瞬間に『ありがとう・・・』と言える人はめったにいない。私がこのことを強く願っているのは、書道家の藤原恒子さんが93歳で亡くなる朝、家族に『ありがとう』と言ったということを知ってからであるが、藤原さんのような人は万人に一人、いや百万人に一人といっても過言ではないだろう。

 実際には、体調の不調を訴えたり倒れたりして病院に担ぎ込まれて最後は意識もなく息をひきとるのが普通で、入院して一月ぐらいで亡くなったら『早かったですね・・・』と言われるようで、数ケ月あるいは数年もの入院生活の末、臨終という話もよく聞く。

 入院当初は自宅に早く帰りたい、帰して上げたいと思うのは人情だが、自宅で看病となると家族の負担は半端ではないことがよくわかっているので言い出せない。特に寝たきりやボケて予想できない行動をする肉親の看病は、理解を越える様々な困難が待ち受けていることは、誰でも理解できるだろう。(私は中学生の頃、自宅で結核で寝たきになっていた母親を看取った経験があるが、当時だからできたことで、現在では自信はない)

 話を戻すが、厚労省は検討会の調査結果を元に『患者の意思を尊重した適切な終末期医療を提供する』という理由で、在宅死の割合を2025年までに4割に引き上げるという目標をたてているらしいが、国民の意思を尊重などと言いながら、またまた具体的な方策も示さず、終末医療を家庭の押しつける無責任さに呆れてしまう。

 この方針に神奈川県保険医協会が疑問視して独自に県民意識調査したそうだ。それによると『最期まで自宅を望む』と答えた人が1割程度にすぎず、厚労省の思惑とは大分違う結果だと発表しているが、こちらの方が真実味はありそうだ。

 それでなくても老々介護の問題や、親の介護に疲れて思い余って殺害するという事件が各地で勃発しているのが現実、このままではますますこの種の事件が多くなることは間違いなさそうだが、厚労省は医療費削減が目先になるのだろうが、自宅誘導の方針は変えないという。

 まともな調査もせず、7割までの高齢者の負担が減ると平気で嘘を言って実施を急いだ後期高齢者医療制度の混乱を謙虚に反省して、安楽死(尊厳死)なども含めて、終末期の医療制度を考えてほしいものである。

 現在私のコンセプトは何歳まで生きるという長生きを目標ではなく、『(70歳でも90歳でもかまわないが)臨終の前の日まで、自分の意志で歩ける』である。

本当にそんなことが可能かどうかは別にして、好きなビ-ルを毎日のみながら実現可能な努力だけはしたいと思っているし、実行しているつもりである。(田舎親父)

2008年6月 9日 (月)

『タスポ』関連の事件は予想通り・・・

 この小覧でも何度か取り上げているタバコ自動販売機の成人識別ICカ-ド『タスポ』の笑えない馬鹿馬鹿しい話題が、最近特に目につく。

 親が子どもにタスポを貸す事件が福岡で明らかになったが、これは予想通りというか当然あり得ること、バカ息子が『タスポ』を見せびらかしていたので発覚しただけのことで、全国ではゴマンとあるに違いない。

 記事によると、41歳の母親が15歳の自分の息子に『タスポ』を貸したとして『未成年者喫煙禁止法違反容疑』で書類送検されたという。全国初だということで、大きく取り上げられているのだろうが、当局だって想定の範囲に違いない。

 この少年は、中学3年生だった昨年夏ごろから喫煙しはじめ、母親は当初は吸わないよう注意していたが次第にあきらめ、買い与えることもあったという。カードは夫のたばこの購入用に女性が自分名義で取っていたらしい。

 タスポが夫のタバコ購入用というところもマユツバもので、実際は自分がタバコを吸う習慣があり、息子もそんな家庭環境から喫煙常習となったのではと推察できないことはない。よく聞く話である。今後もこの種の事件は全国で展開するだろうが、マスコミが伝えるかどうか・・・。

 ところが、やはり福岡でタバコの販売業を営む男が、タスポが必要になって売り上げが落ちたことから、自販機に『タスポ』をぶら下げて、誰でもが使えるようにしていたというニュ-スには驚いた。

 なるほど、タスポのような面倒なカ-ドが必要ならば、今まで最大のお得意だった未成年が買えないのだから売り上げは大幅に減少するのは当たり前。何とか未成年者が買える手段ということで、自販機にぶら下げたらしい。

 この男のやっていることは、我々善良な市民からみたら明らかに犯罪行為のようにみえるが法律的に何とも言えないらしい。『タスポ』の導入で売り上げが激減、廃業に追い込まれている人も多いと聞くタバコ販売業の業界にとっては『こんな方法があったのか』と全国の同業者の間に広がるのではないだろうか。

 それを裏付けるように、同じようなことが警察で行われていたという報道には、怒りより以前に思わず吹き出してしまう。

 広島県警の本部でのことだという。『タスポ』が庁舎内の喫煙者で共用できるように、ひもで吊るしていたらしい。『タスポ』は他人への譲渡、貸与が禁止されているはずなのに、そしてそれを取り締まるべき警察が、同じような発想法で自販機にぶら下げているとは、まさに笑えないマンガというところか・・・。

 人間が考えることはたいして変わらないだろうから、同じように『タスポ』を自販機にぶら下げている警察署や役所などあるに違いない。きっと昨日など担当管理職が出勤して取り外している姿が目に浮かぶ。

 以前も述べたが、『タスポ』は未成年の喫煙を防止するためと称して、新たな利権を作るための代物ではじめから効果など期待できないことはわかりきっていたこと。今回の『タスポ』ぶら下げ事件は、これをいみじくも証明したことになるのではないだろうか。

 こんな無理を重ねた無駄なことは即刻やめて、自販機そのものを撤去するべきではないだろうか。対面販売を原則にすれば、ゼロにはならないまでも未成年者の喫煙が少なくなると同時に、大人の喫煙人口も減少するだろうことは間違いないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年6月 8日 (日)

今朝になって敗北宣言が出たが・・・

 3月から繰り広げられた、アメリカ大統領の候補を決める民主党の予備選挙がやっと決着がついたようだ。先日オバマ氏が代議員の過半数を獲得したというニュ-スが大きく報道され、どうやらクリントン女史の敗北が決定したようだ。

 今朝になってやっと敗北宣言の発表の報道にようやく自らの敗北を認めたようだが、ここまで意地を通すというか、意思を貫くクリントンという女性に、好き嫌いは別にして鬼気せまる凄さを感じる。

 マスコミは副大統領に意欲があるとか報じているが、ここまでオバマ氏と死に物狂いの戦いを演じてきた女性が、簡単にその軍門にくだるだろうか・・・。よしんばオバマ氏から副大統領候補を要請されたとしても受けるとはとても思えない。

 もっとも政治の世界は『一寸先は闇』といわれているのは世界各国共通だろうから、裏で二人の陣営が取引して、『オバマ-クリントンという魅力的?なタッグチ-ム』ができる可能性もなくはない。

 今更私のような浅学の門外漢がアメリカ大統領の選出に意見を述べるのはおこがましいが、アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく・・・と言われているほど影響の強い国。私なりに気にならないことはない。

 日本の選挙制度とはかなり異質で、二大政党の代表が大統領の座を争う選挙戦は日本人には想像すら難しいようだ。特に今回は、黒人と女性という大統領候補として始めての対決だけにこんなに最後までもつれたのだろうが、果たしてオバマ氏が大統領になれるのだろうかという疑問が浮かぶ。

 彼の演説をテレビで見ると自信に満ち溢れているように見える。演説も上手そうだ。当初から圧倒的に強いと言われていたクリントン女史に競り勝ったのだから、支持も時の流れとともに膨らんできたに違いない。

 特に気になることは、アメリは多様性の社会だと言われているが、独立以来、ヨ-ロッパから移り住んだ白人たちが先住民族のインディアンを徹底的に虐殺蹂躙して打ち立てた国だということ。白人たちの血には、有色人種に対する優越感が色濃く流れているのは想像に難くない。

 民主主義を建前としている以上、票の軽重は問えない。数的には確かにオバマ氏がクリントン氏を上回ったのは間違いないが、もしクリントン氏でなく白人の男性が相手だったら、オバマ氏は勝利していたのか疑問に思えて仕方ない。

 私としては、現在のブッシュ政権への嫌悪感から民主党の大統領が生まれることを期待しているが、どうもすんなりいかないような気がしてならない。黒人よりも女性の方が良いと思う白人が多いのではないだろうかと思うからである。

 共和党の候補は高齢ながら白人。それもアメリカの強さの背景になっている軍の将校経験者でベトナム戦争の英雄だというマケイン氏。二大政党がしっかり定着しているとはいえ、今回はマケイン氏に投票するという白人民主党支持者が多いのでは・・・。

 オバマ氏には絶対的な勝算はあるのだろうが、白人たちの思いをどこまで受け止めているのかが気になるところ。結果は11月に決まるだろうが、これからしばらくはアメリカ大統領選挙の動向に目が離せられないようだ。(田舎親父)

2008年6月 7日 (土)

一万円札をコピ-するバカ使うバカ・・・

 一万円札をカラ-コピ-機やスキャナ-でパソコンに取り込んで印刷することが流行っているらしい。

 先日は、飲み代がほしくなって妻の財布から1万円札を拝借、代わりにコピ-した偽の1万円札入れておいたところ、この妻が偽札と知らないで使って、夫婦共々捕まるという馬鹿馬鹿しい事件が報道された。

 コピ-した男は昨年から数十枚作っていたと言っているそうだが、余罪はないのだろうか。妻の方も偽札と知らないで使ったというが、これも怪しいもの・・・。

 記事によると、この男は昨年6月ごろ、自宅でカラーコピー機を使い、1万円札10枚を偽造。昨年7月から11月の間、事情を知らない妻に2枚を使わせた疑いだという。

 今頃になってこんな報道があるのも気になるが、透かしがなく粗雑な造りだった偽札を妻は偽札と気付かないまま、ファストフード店や同市内の歯科医院で使用したという記事に、何か胡散臭さを感じ、裏に何か違う事実があるのではと思ってしまう。

 特に2枚を使ったというくだりが気に入らない。1枚目に使った店では店員が見抜けず本物として通用したというなど信じられない。試してみたが、私でもコピ-用紙と一万円札の感触は間違いなくわかるのだから、現金を日常的に扱っている店員が気付かないわけはないだろうに・・・。

 万一、気付かなかったとなると、すでに偽の1万円札の横行が日常茶飯事となっているのではと恐怖すら感じる。

 時を同じくして、スーパーで偽1万円札を使用したとして、女子中学生二人が逮捕されたり、小学生までも同じように使って補導されたというニュ-スは、そのことを裏付けしているのではないだろうか。

 中学生の場合は、『偽札と知っていたが、小遣いが欲しかったので使った』などと話しているというから入手経路が気になる。徹底的に調べて結果報告はぜひほしい。

 この中学生が自分でやったとか、バカ親が作ったものを使ったのならともかく、考えたくないが、背後に何か組織が存在しているとなるとこれは大問題。こんな粗雑な偽札を平気で通用できると考える集団があり、意識的に女の子に実行させているとなると、これも恐ろしい。

 小学生が使ったという方は、一昨日テレビでチラッと見ただけなので何ともいえないが、偽札と知らないで使ったと言っているようだ。この言葉を信じたいが、偽札が身近にあったことは間違いないところ。

 私には、とても親父が日常的にコピ-機で偽札を偽造している家庭なんて考えられないが、何でもアリの社会ではこんな環境だってないとは言い切れない。

 出会い系サイトで事件に巻き込まれる少女を救え・・・なんて大騒ぎしているが、こんな家庭で育ったとなると、こんな少女を救うことは相当難しい命題のように感じてならない。(田舎親父)

2008年6月 6日 (金)

これでは世の中乱れるはず・・・

 中央省庁の役人たちが、世間の常識ではとても考えられない連日タクシ-でのご帰還については以前述べたことがあるが、そのタクシ-では運転手からの接待が当たり前になっていたとの報道に、呆れて開いた口がふさがらない。

 ミスタ-年金で一躍有名になった民主党の長妻議員が全省庁にタクシー利用状況の調査を求めた結果わかったこととして、財務省や金融庁など9省庁の官僚約数百人が深夜にタクシーで帰宅する際、運転手から『サービス』としてビールや、つまみの提供を計約3000回以上も受けていたことがわかったという。

 求められたからといって、官庁側が正直な回答などするわけがないのにもかかわらず、3000回と具体的な数字を明確にあげているところを見ると、何らかの情報があって官庁側が言い逃れできない回数が3000回であって、実態はその数倍・数十倍にあがるのではないだろうか。

 恐らく、その大半(全部だろうが税金から支出されるタクシー券を利用して、個人的なサービスを受けていたはず・・・。まさに税金は『自分の財布』と思っていた(いる)連中がやりそうなことである。

 今朝の朝日新聞には、官庁別の一覧表まで掲載していたが、圧倒的に多かったのは財務省とのこと、タクシーでの帰宅が07年度中に383人で160回にのぼり、そのうち120回もビールなどを提供された職員もいたというが、これとて実際にはこのウン十倍、とても信じられる数字とは思えない。

 記事では、1人が2千円分の図書券を受け取っていたとあるが、これもこの程度で終わっていることなどあるわけはない。深夜でご帰還ともなると、自分の意のままになる運転手を有する会社のタクシ-か、あるいは個人タクシ-との暗黙の専属契約があってもおかしくない。連日、数万円の売り上げがあるとなると、専属の運転手はそれだけで十分な報酬が入ってくることになり、当然のお礼として官僚に対しての接待は欠かせない『営業努力』というところか・・・。

 『国家公務員倫理法』という法律があるらしい。それによると、利害関係者以外から国家公務員が『社会通念上相当と認められる程度を超えて接待や利益供与を受けること』を禁止しているようだが、ビールの提供については『事例ごとに判断するが、現状では何とも言えない』との見解だというから、倫理法の内容を疑う。

 関連した話題であるが、国交省では道路特定財源の無駄遣いが次々と発覚した後、急いで内密で常習者を処分していとの報道があったが、内緒で処分というところがいかにも官庁らしく、隠蔽体質は全く変わらないようだ。処分の内容も大甘、 要は内部で『ばれないようにやろうな・・・』との合意事項程度だろう。

 あれだけ無駄遣いを報道されていたにもかかわらず、このような体質は国交省に限らず改善されていないのも問題。わけのわからない理由でガソリン税を元に戻して価格を値上げした上に、しかるべき対策もとらないものだから天井知らずになっているガソリン価格の高騰に、泣かされている現状など他人事・・・。

 高級官僚の多くが日本の最高学府だとされる東大卒というから困ったもの。こんな輩に唆されて(無駄を省こうともしないで)取りやすいところから集めようとする後期高齢者医療や、即消費税を値上げなど言っている政治屋たち・・・。

 こんな連中が好き勝手なことをやっていては、いつまでたっても弱者が安心して暮らせる社会なんて来るわけはない。今度こそ選挙で示さなければ、と思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年6月 5日 (木)

政府保有米が150万トン・・・

 支持率が20%を切ったと報道されているのに、この御仁は『それも他人事』のようにヨ-ロッパに出かけ、相変わらずの棒読み(演説とは到底思えないが・・・)で官僚が作った作文を読んでいる映像がニュ-スで流れた。

 世界的な食糧価格高騰への対応などを協議する『食糧サミット』での一幕である。勉強不足の私には、この御仁が言う、政府が保有する輸入米30万トン以上の放出や、途上国の食糧増産のために約5000万ドル(約52億円)の緊急追加支援策を表明したという内容にビックリ仰天してしまった。

 7月の北海道洞爺湖サミットでの存在感を示すためのパフォ-マンスだろう。が、5000万ドルという巨額の支援も簡単に『はい どうぞ・・・』という姿勢に問題を感じるが、それ以上に、政府が保有する輸入米という言葉に、農民には減反を強いていながら政府は輸入米を隠し持っていたことに呆れる。

 早速政府保有米というものを調べてみたら、日本はアメリカ政府とウルグアイラウンドと呼ばれる2国間貿易協定を結んでおり、米の輸入を150万トン義務づけられているとのこと。当時は誰が首相だったか記憶がないが、アメリカの圧力に屈した政府や農水省の官僚たちの考え方に今更ながら驚いてしまう。

 1993年に結ばれたというが、当時は私も本業で追いまくられており、しかも今日のように食料危機が問題となっていなかったことから、迂闊なことながら、この条約ことは言葉だけで内容まで詳しく知らずにいたようだ。

 そう言えば、このところ地方に訪れたときビックリするほど立派な建物が見かける。そのことに触れると、関係者の口から『ウルグアイランドで建てた建物ですよ・・・』ということを口にすることが多いが、当時、農民(自治体や農協の幹部向けだろうが)に減反を納得させるために、政府が莫大な金額を地方に投与したに違いない。なるほど、地方はそれで豪華な箱ものを乱立したのはこのような背景があったのかと納得・・・・。

 しかもこの保有米を輸出するためには、輸入国とアメリカから承諾が必要だというから極めておかしな条約である。私の無関心・勉強不足は反省するが、当時この輸入米を国内で消費することに限るという内容まで広く国民に知らせていただろうか・・・という疑問も生じる。

 現在緊急自体になっている世界的な食料危機問題の一端は、穀物をエネルギ-に使うという馬鹿馬鹿しい発想法があることは間違いなく、それを強力に押し進めているのがアメリカであり、諸悪の根源は、謂わばアメリカの『わがまま』そのものと言っても過言ではないはず・・・。

 そのアメリカが、今度はこのウルグアイ・ラウンドでの日米2国間貿易協定で日本に輸入が義務付けられた『150万トンの最低輸入量』枠の米について、国内消費に限定した条件を緩和し、国際市場への売却を容認する方向で検討しているというから、驚きを通り越して何という身勝手さと憤りを覚える。

 東南アジアの米の生産国は時刻の食料問題から、コメの輸出を制限・禁止する方向にあるとのこと、このことがフィリピンでは深刻なコメ不足に陥っていると伝えられている。日本政府も20万トンのコメを輸出することを決めたそうだが、それもアメリカの許可が必要というから、頭を下げてまでアメリカの51番目の州にさせていただいているように思えてしまう。

 なぜこんな約束事が存在するのか理解しがたいが、このことについて後日勉強して改めて述べることにしたい。(田舎親父)

2008年6月 4日 (水)

被災者に届くとは思えない義援金・・・

 軍が実権を掌握した社会は例外なく民衆の生活は悲惨である。ミャンマ-をサイクロンが襲ったのは一月も前のこと、国際社会はすぐ救援に動き始めたが、軍政府は救援チ-ムはもとより、被災した民衆の診察や治療のための医師や看護士など医療チ-ムまでもの入国をかたくなに拒否し、ごく一部が入国しているにすぎないという。

 外国人の入国を厳しく制限しているのは、実態が明らかになることを極端に嫌っているからだろうが、軍隊というのはどこの社会でも秘密主義が当然の組織。なによりも矛盾を指摘されることを嫌う体質があるのは周知のこと、このままではいつまでたっても避難民の生活は向上しないだろう。

 情報はいくら厳重に統制していても少しはもれるものである。中には軍当局は、難民キャンプで被災者を退去させ始め、すでに8カ所の難民キャンプが空っぽになっている、という情報も聞こえてくる。本当だとしたら、心から驚きと怒りを覚える。

 理由は、被災者が支援に依存したままでは従来の生活に戻るのが遅れるというものだというが、これではまるで民衆を奴隷扱いしているという以外言いようがない。軍は住民たちを働かせて、米や野菜を作らせたいのだろうが、海水につかった土地での農耕はすぐさま再開できるわけはない。

 アメリカの外交関係者は『軍が支援受入れを表明してから、C130機で80回も大量の物資を搬送したが、直接被災者に渡すことができない』とのことだが、恐らくこれらの物資は軍政府の隠匿や横流しのため闇に消えているのだろう。

 災害直後からNHKはじめ様々な団体が『義援金』を募集している。途中から四川省の大地震が加わり、両方に分配するとの意図で現在も続けられている。総額は数億以上集まったとの報道があったが、この莫大な義援金の行方も極めて不透明。

 中国のことはさておき、ミャンマ-には義援金を受け入れている銀行は国営銀行のみだという。この銀行も軍が支配しているのではこの義援金が被災者に届くなんて誰も思えない。莫大な義援金全てが、途中の軍幹部の懐に消えていることは間違いないのに被災者はたった一片のパンも受け取れないというニュ-スに涙が流れる。

 義援金を募集している団体も、その事実はとっくに知っているはずなのに、そのような情報は一切流さず、ただ『義援金を受け付けている・・・』だけ、とは納得できるものではない。

 本来ならば被災者を支援するための義援金が、軍幹部の懐だけを潤し、ますます権力を維持・強固にするために利用されているのでは、むしろ義援金などを送ることは意味のないだけでなく、むしろ民衆のためにならないのではないだろうか・・・とさえ思ってしまう。

 随分前に、フィリピンで火山の爆発時で被災した人々を救うためには『直接荷物やお金を運ぶ以外に被災した人々に手渡せない・・・』という方の考え方に賛同し、知人や友人に呼びかけて、いろいろな物資を集めてその方に託した記憶が蘇ってきた。

 今回も、その方法でしか被災者に義援金を手渡すことができないようだが、入国すらおぼつかないのでは打つ手もないのが現状だろう。NHKはじめ義援金を集めている団体はこのあたりどう考えているのだろう。(田舎親父)

2008年6月 3日 (火)

いっそう法律で禁止にしたら・・・

 6月1日から、自動車の後部座席のシートベルト着用が法律で義務づけられ、それに関連するニュ-スが流れている。

 観光バスの場合は乗客が面倒なだけだが、ガイドも着用が義務づけられた結果、補助椅子に座って乗客に後ろ向きでの案内している映像には何か違和感がある。インタビュ-に答えるガイドも『やりにくい・・・』とのコメント、乗客の反応がわからないのだから、さもあり何というところか・・・。

 事故のときシ-トベルトを装着していたか否かが命に係わると言うのが義務化の理屈のようだが、乗合バスや電車の場合に対してはどうするのだろうか。

 飛行機や観光バスは乗客の人数が座席を越えることはあり得ない。ところが路線バスとなると乗客が一定しない。空いている時間帯や路線では、ベルトをするのは可能だろうが、混んでいる車内で、しかも乗客がどこで降車ボタンを押すのかさえわからない状態ではベルトの着脱はかなり困難をもたらすのではないだろうか。

 私が時々利用する路線バスは、一人でも多くの人が座れるようにとの配慮だろうが、座席の間隔はギリギリに設計されている車両が多い。そのため、窓側に座るのを躊躇している人が多く、二人がけの座席ながら一人しか座っていないことも少なくない。

 降りる時(隣の席があいていれば問題がないが)隣の人を立たせなければならないのだから、これは当然といえば当然。私もよほど空いていなければ座ることを躊躇うのは毎度のこと・・・。

 シ-トベルトの着用は安全面が第一。ならば、路線バスは対象外と言うのでは理屈が成り立たない。座席の数以上に乗客を乗せないということであれば納得だが、実際にこんなことは考えられないだろう。

 ここ数年歩くことが当たり前の生活に慣れて、めったに車を使わない(使っても、二人以上乗ることはまずない)生活なので、後部座席のシ-トベルト着用の義務化、という問題に無関係と思っていたが、実際に義務化されてみるといろいろな矛盾が見えてくる。

 家族連れで乗用車を利用して買い物やレジャ-が当たり前の現在、小さい子どもを視界がほとんどない後部座席でシ-トベルトで縛りつけていたら、子どもから不満は必ず出ることは間違いなさそう。結果、子どもを助手席という風景が増えるような気がするが、二人以上の子どもを乗せる場合はどうなるのだろう・・・などと門外漢ながら心配すらしてしまう。

 確か、車の剰員定数を計算する時、子どもの場合は二人で一人分だったはず。近所でも助手席には長男、後部座席には奥さんと子ども二人が定番の家族がある。普通の乗用車は後部座席にはシ-トベルトは2つだけ、このままではいつも違反状態。一体この家族はどうするのだろう。解決策は5つ以上のシ-トベルトがついた座席の車に買い換える・・・しかないようだから経済的にも大変だろう。

 ところで、今子どもたちに携帯を持たせることの議論が高まっている。このところ携帯の出会い系サイトが原因で少年少女が犯罪に巻き込まれることが多く、このサイトに繋がらないようにすることや、いっそう子どもたちに携帯を持たせないという意見があるが、親の無理解とエゴ、そして携帯会社の儲け主義で話が進まないのが現状である。

 健康のために喫煙を禁止するためにタスポを義務化、安全のためにシ-トベルトも義務化をするのだから、もっと大切な、この国の未来を託す子どもたちの心身ともの健やかな成長のため『携帯所持の禁止』は可能だろうに・・・・。(田舎親父)

2008年6月 2日 (月)

こんなことってあるのだろうか・・・

 東京のマンションで若い女性が、行方不明になった事件が報じられたのは4月の中頃だった。彼女は防犯カメラに帰宅した姿が映っているが、外出した事実がないところから、当初からマンション内部の人間による犯罪ではと疑われていた。

 当時、また不思議な事件が発生したものだと思いながら、マスコミがこぞって防犯カメラの死角があることや警察がマンションの住民全ての人と面談、その後部屋を調べた結果マンション内に被害者の影が見当たらないことから、外部の人間による犯行では・・・と報道したものだから、これは長引くかも知れないと思ったものである。

 この事件はしばらくマスコミの絶好の標的になり、連日ワイドショ-などで取り上げられていたが、浮気なマスコミのこと徐々に関連する話題が少なくなり、世間はすっかり忘れかけていた先月末の犯人逮捕とのニュ-ス。

 私も忘れていた一人であるが、旅先で、すぐ近くの部屋に住む男が、帰宅した被害者の女性を襲って自室に連れ込んだ後殺害した容疑で逮捕という報道にビックリ仰天。しかも遺体は切り刻んでトイレに流したり、ゴミと一緒に捨てたという。瞬間『こんなことってあるのだろうか・・・』と耳を疑ってしまった。

 犯人は星島という男。犯行を認めており、手口などもスラスラと述べているらしいが、改めて『実際にこんなことってあるのだろうか・・・』と思えるような手口に、怒りが込み上げてくる。

 こんな男が自分の近くの部屋に存在し、虎視眈々とすきを狙っているなんて想像できるわけはないだろう。防犯カメラで完全に身を守られていると思い込みもあったのだろう、姉と一緒に住んでいるから安心だと思っていたかも知れないが、殺されて切り刻まれて流された女性が哀れ。

 怒りがおさまらない昨日になって、警視庁の捜査本部は、この男の女性を殺害し、遺体を解体してトイレに流したとの供述に基づき、下水道から骨片などを発見したと発表したことはともかく、『殺人と死体損壊・遺棄容疑の解明に向けて捜査が大きく動きだした形だが、立件には徹底した証拠隠滅を覆し、いかに物証を収集できるかがカギとなる。』との記事を見て、『えっ、これでもまだ物的証拠がないの・・・・』と衝撃を受けた。

 確かに現在では、たとえ殺人を犯しても物的証拠がなくて立件できず『無罪』になった事件も良く聞く話であるが、こんなことを許して良いのだろうか。

 記事によると、被害者の部屋から犯人の男の指紋が検出されたことで逮捕にこぎつけたが、殺害などの立証には『物証を積み上げる必要がある』ということで、逮捕前から徹底した捜索に踏み切ったとある。

 男の部屋から血痕を採取し、血液反応を確認した結果、DNA鑑定で被害者のものと一致したという。さらに供述通り、下水から被害者の骨片も発見したというから、証拠は完全ではないのだろうか。

 それでも立件には不十分となっては、一体どこまでの証拠が必要となるのだろうか。

 うがった考えをすると、この男の背後には何か巨大な組織が存在し、その組織が大々的に強力な弁護団を立てることもあるかも知れない。弁護士というのは、そもそも正義が前提で成り立つ仕事だと思っているが、最近はカネのためなら人殺しでも無罪にしてしまう、いやそうすることが弁護士の力だとされる風潮が存在するのでは、巨大組織に雇われた弁護士たちは良心などどこ吹く風、無罪にこぎ着けるため張り切るに違いない。

 裁判にこぎ着けても、途中で供述を翻し、無罪ということもあり得ないでもない。こんなことが許されては何が正義かわからなくなる。

 立件のために警察官の苦労は今後も続くのだろうが、当然莫大な税金が費やされることは間違いない。桁が違うと行ってしまえばそれまでだが、このような税金を、高齢者や障害者が安心して暮らせる制度の充実に回せれば素晴らしい国になるのにと思うのは、私の考えが狭いのだろうか・・・。(田舎親父)

2008年6月 1日 (日)

軍隊を海外に出したい考えが台頭・・・

 中国四川大地震で、救援のために自衛隊機を派遣するという話題を旅先で聞いたが、イラクに派遣したり、イント洋でアメリカ艦船に油の補給など、危険な足音がどんどん近づき、またこの国の将来を誤らせるのではないかと恐怖を覚える。

 中国政府の要請だというが、私の中には本当に中国が自衛隊機の派遣を要請したのだろうかという疑問が消えない。中国人の記憶には日本の軍隊に対して絶対に許せない感情があるはずなのに、実態は軍隊である自衛隊の派遣を、本当に中国政府が要請したとしたら、これは裏に何かあるに違いない。

 識者はいろいろ分析しているが、数日前の段階では日本政府が派遣を決めたことは確かで、週明けにも航空自衛隊小牧基地のC130輸送機2、3機を北京や成都に飛ばし、テントや毛布、医薬品などの救援物資輸送に当たると発表したところをみると、日中両国の政府間で何らかの合意があったのだろう。

 あの強かな中国の共産党政権が、未曽有の大地震とはいえ救援物資の受け入れるために自衛隊機の派遣をお願いなどするだろうか。そんなことはあるまい。いかなる場面でも自国の利益を追求するのが外交の基本。表面上は人道支援要請といいながら政治的意図を持っていても不思議ではない。

 なのに、日本政府は『お安い御用ですよ・・・』とばかり、輸送機の派遣を決めたというから、本当に中国の意図を理解しているのかと疑りたくなる。というより、自衛隊を海外に派遣したい輩が後ろで蠢き、それに政府が盲目的に追随しているのではないかと思えて仕方ない。

 一昨日になって、政府は態度を一変。大地震の被災者に救援物資を輸送するための自衛隊機派遣の見送りを決定したので、私の心の中では一つの危機感はなくなったが、こんな大事なことを簡単にひっくり返すようでは、国際的な信頼が失われるのではないかと、別の意味で心配になってくる。

『マスコミに漏れるのが早すぎた・・・』と、日本の政府関係者は自衛隊機派遣見送りが決まった後、こう苦い表情を浮かべたというニュ-スが流れたが、『折角の派遣の機会をマスコミにつぶされた』という思いが表情を苦くしたのだろう。

 ネットからの情報では、日本のマスコミが『自衛隊機の派遣は間違いない』と確信的な報道が、正式に日中の政府間での発表される前に流れたことで、中国の民衆の『日本軍に対する嫌悪感』がネットを使ってたちまち広がり、受け入れたら大変な混乱を予測したとのことだが、こちらの方は納得できる。

 ある意味これはネットの力だろう。私は、普段からマスコミ批判を繰り返しているが、今回の早すぎる報道は評価することにしたい。(田舎親父)

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