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2008年8月

2008年8月31日 (日)

文科省って塾の手先なの?・・・

 文科省から『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告について』という、奇妙奇天烈なデ-タ-が発表された。

 『学習塾や習い事など、子どもの学校外での学習活動にかかわる最新の実態や意識を把握し、今後の子どもの学習活動の充実に役立てる基礎資料を得ることを目的としたもの』だという注釈がついているが、塾に通っている子どもの数を調べて、どのように学習活動を充実するというのだろう。

 調査対象は全国の公立小中学校の児童生徒と保護者らしいが、一方では学力低下を防ぐ為に授業時数を確保せよ、と命令しておきながら、このような面倒な調査を命じるとは変な話。

 いい加減な数字合わせで済ませる学校もあるだろうが、文科省の命令には忠実な校長になると、『大事な大事な』授業より『ご命令とあれば・・・』と部下教員に丁寧な調査を命じている姿を想像できる。そんな光景を思い浮かべるとついつい笑ってしまう。

 それはともかく内容を見ると、学校外での何らかの学習活動(学習塾、家庭教師、通信添削、習い事など)をしている子どもたちは、小中全体を通じて各学年とも80%前後、複数の活動をしている子どもは小中全体を通じて、中学2~3年を除き40%前後となっているとのことである。

 特に学習塾に限ると、学年が上がるにつれて増加し、中学2年で50%を超え、中学3年では65.2%です。また、家庭教師による指導割合は数字的には低いが学年が上がるにつれて増加しているという。

 さらに具体的な項目として、塾で習う教科については、小学生はどの学年も『算数』『国語』の順に多く、『英語』は小学1年~5年で30%前後だが、小学6年で約5割となっており、中学生では、中学2年まで『英語』『数学』の順に多く、中学3年で『数学』『英語』の順に逆転。また、『国語』『社会』『理科』という強化は、中学2年までは50%未満だが、中学3年になると50%を超えているというデ-タ-。

 細かい数字はともかく、この傾向などはわざわざ文科省の権威を傘に全国規模で行わなくても、誰もが思っていることではないだろうか。恐らく、集計は官僚が天下った『○○財団法人』あたりが受け持つのだろうが、こんな数値を知らせる必要があるのだろうかと首を傾げる。もっとも『○○財団』はいかにも重要な教育調査をしている(仕事をしている)という姿勢が必要なのだろう・・・が。

 調査の結果はさらに続き、『習い事』を小中全体でみると、『水泳』『サッカー』『武道』といった『体育・スポーツ系』や、『ピアノ』『習字』といった、いわゆる『けいこごと』などが多く、男子では『体育・スポーツ系』が、女子では『けいこごと』が多くなるという結果。これも当たり前・・・。

 そしてご丁寧にも、『学習塾の好き・嫌い』で調査しているのには驚き。小学生では『好き』とする子どもの割合は学年が上がるにつれて減少しているが、どの学年も5割以上であり、『嫌い』とする子どもは、どの学年も1割前後。中学生では、『好き』とする子どもは、どの学年も4割台で、『ふつう』は3割以上、『嫌い』は15%前後という。

 ついでに『学校が好き・嫌い』調査まですれば良いのに、と思ってしまう。まあ、そんな項目を入れなくても結果は十分すぎるほど予測できそうだが・・・。

 文科省の本来の仕事は、学校でまじめに学習に取り組んでいさえすれば、特に進学塾に通わなくても高校に入学できる学力程度は身に着けさせることではないだろうか。それをご都合で、施策や制度をクルクルと変更して、進学のためのみではなく普段でも学習塾に通うことが当たり前のような風潮を生み出し、時には公立の学校が『塾の力』を借りている現状を容認しているのは、まさに本末転倒。

 塾に通うことが当たり前、でなければ学力がつかないなんて・・・こんな塾の手先のような役所なら、存在理由がないというのは言い過ぎだろうか・・・。

 学力テストの点数を上げろと校長から命令されているのにもかかわらず、授業時間をさいてまでこんな丁寧な調査をさせられる教員も災難。なるほど、こんな雑用をどんどん押しつけられていては午後8時、9時までの勤務をしなければならない理由がよくわかる。(田舎親父)

 ・・・明日から頭脳休養のため10日程休載・・・

2008年8月30日 (土)

そんなアホなことが・・・

 福岡というところも何かと賑やか。昨日も取り上げたバカな発言を連発しているオオタ農水相も福岡選出。それを『方言』とトンチンカンな表現で擁護して、かろうじて生き残っている弱小政党の党首から『人格疑う・・・』とまで言われた幹事長も福岡が地盤・・・。

 そう言えば、福岡の市職員が飲酒運転で幼い子ども人の命を奪ったことから飲酒運転撲滅の意識が国民に浸透したといわれているのに、それ以後も福岡では飲酒運転で検挙される人間が多いとも聞いている。

 いずれも我々善良な国民から見たら少しピントはずれで理解に苦しむが、理解に苦しむどころか、酸素と二酸化炭素を間違って患者に吸入させていたという『どうしたら、こんなバカなことが起こるの・・・』と俄には信じられないような事故が、福岡の公立病院で起こったというから驚き・・・。

 事故が起きたのは八女茶で有名な福岡県の八女市の公立八女総合病院。この記事を読んで何となく違和感を覚えたのが『公立』という言葉。県立でもなく市立でもない『公立』という表現と、普通はその責任者は『病院長』と表記するだろうに『企業長』となっている部分。どうしても違和感を覚えるのだが、ひょっとして実態は今流行りの『第三セクタ-方式』の病院かもしれない。

 それはともかく、この病院では『酸素』と『二酸化炭素』という文字すら読めない職員が、患者の命を守らねばならない医療行為に携わっていたのだろうか。・・・と怒りというより『何故っ・・・』という疑問が先にたつ。

 病院の発表によると、午前4時ごろ大腸がんのため入院中に危篤状態になった入院中の70代男性患者を手術室に運んだ際、20代の女性看護師が『誤って』持ってきた『二酸化炭素ボンベ』をつなぎ、入り口から手術台までの約20メートルを、『二酸化炭素』を吸入させながら運んだが、周囲の3人のスタッフがミスに気付かなかったという。

 そんなバカなことがあるだろうか。ボンベは同じ形をしていたというが、『酸素』は黒色、『二酸化炭素』は緑色と色分けされていたというから、一見して見分けられるのではないだろうか。『緊急事態で焦って取り違えたのだろう・・・・』という釈明は、全く説得力はない。

 百歩譲って、病院の廊下が暗く『黒』と『緑』の区別がつかなかったというのも頷けないことはないが、その場合でも、少なくとも、少なくとも『ラベル』を確認するのは初歩の初歩、申し訳ないではすませる問題ではないだろう。

 しかも、その日の夕刻、転倒して頭を打ち、搬送されてきた重傷の80代男性患者を手術する際も、誤ってこの『二酸化炭素ボンベ』を取り付け、手術室内の入り口と手術台の間を運んだというから、単なる『医療ミス』と片づけられないのでは・・・。

 二人の男性患者は(当然のことだが)間もなく死亡したという。

 病院側は『二酸化炭素の吸入はごく短時間で、死亡との関係性は薄い』と釈明しているようだが、末期的な症状の患者が、例え短時間でも(完全に外界の空気を吸入できないマスクを着けられて)『二酸化炭素』だけを体内に送りこまれたとしたら、窒息死するのは当たり前ではないだろうか。それを『死亡との関係は薄い』とは納得できない。

 このところ責任者が釈明して頭を下げるシ-ンが毎日のようにテレビで紹介されている。この病院でも、企業長という名称の責任者が『二酸化炭素ボンベに、酸素を送るための流量計を接続できないよう口径を変える・・・』と発言しているが、そんな装置に頼らなければ確実に酸素と二酸化炭素のボンベが見分けられないのだろうか。

 ここにも、何でも『人任せ』・『機械任せ』・『コンピュ-タ任せ』の風潮が蔓延していることに危惧を覚える。

 できれば、素晴らしい(信じられないほどアホらしい)医療行為は『福岡』だけの専売特許として『門外不出』の技術にしておいてくれることを切に願う、というと福岡の人からお叱りを受けるだろう・・・・な。(田舎親父)

2008年8月29日 (金)

またまた農水相の不祥事・・・

 半月程前に農水省大将の『消費者がやかましいから・・・』という、予想通りの本音発言を皮肉ったが、実際には『やかましい・・・』発言にとどまらず、『日本の消費者は潔癖バカだから・・・』と言っていたというから驚く。

 この『やかましい・・・』発言を、同じ九州が地盤の自民党の幹事長が『方言だ』と援護したらしい。それを同じ九州出身の民社党の福島党首に『そんな方言なんてある訳ない。幹事長の人格を疑う・・・』と、関西弁でいうなら『アホカ』と一笑されたというからみっともない。

 『やかましい』はともかく『潔癖バカ・・・』発言を『方言』ではとてもホロ-できないことは明らか、どうもアソウ幹事長はオオタ脳死衣装(農水相の変換ミスだが面白いので使うことに)の発言など聞いていないで、マスコミが『やかましい』発言を取り上げるので、この言葉尻だけ捉えて、すぐに何とかホロ-しなければと思い『方言・・・』なんてトンデモ言葉がでたのに違いない。

 政権政党の幹事長ともなると、大局的な見地から様々な問題に対処しなければならないはずなのに、とにかく仲間を守らなければというガキのような意識で援護したとなると、まさに『人格を疑う・・・』と言い切った福島党首に大拍手。

 それはともかく、このオオタ『脳死衣装』サンは、余程カネに執着力があるようで、実態のない事務所を秘書の自宅に置いて、政治資金なるものの逃げ道を利用して、ガッポリと懐に入れていたことが判明したようだ。

 安倍政権の、松岡・赤城・遠藤という歴代の農水大臣が今回明と同じ事務所問題やカネ絡みで自殺や辞任に追いやられ、政権が吹っ飛んだことは記憶に新しい。

 どこからバレたのかわからないが、またまた同じ構造が明らかになった。このことを質問されるとこの御仁は『まったく問題はない』と引きつった顔で強弁し、辞任の意思を否定しているようだが、いつまでこの強気が持つのかさえ疑わしい。

 さらに、偶然隣に住んでいた経済エコノミストが事務所機能どころか、政治活動など全くしていないことは明らかと証言。場合によっては『国会で証言する』とまで言い切っているらしいから、法に違反していたことは明らか。『全く問題はない』との発言は口先だけの強がりとしか受け止められない。

 松岡大臣の自殺で、次はこの男だと狙われていた当時文科相だった派閥の領袖がその後幹事長、そして現在ものうのうと重要閣僚に座っていることは周知のこと。 これ以上オオタ『脳死衣装』に居すわられては、いつ自分の身に降りかかるかわからないだろう。そうなると内閣は間違いなく吹っ飛ぶだろうから、閣僚たちの共通の思いは、直ぐにでも辞任させたいのが本音・・・かな。

 それにしても、内閣改造を行う時、どうしてこんな簡単な『身体検査(金体質検査)』ができなかったのだろう。これでは首相の『任命責任』を問われるのは当然、臨時国会の冒頭からはじまる野党の攻撃をどう防ぐのか頭を痛めているようだ。

 首相は『農水大臣がそのうち説明するでしょう・・・』と相変わらずの他人事。アングラ情報では首相と大臣の奥方が従姉妹同士だという。こんな私的な関係が大臣任命の要素になっているとは思いたくないが、あまりにも『金体質検査』がずさんなところを見ると、政治屋サンの世界はこの程度かもしれないと思えてくる。

 さすがの幹事長も今回はホロ-のしようがないらしく『政治家がこの種の話を受けた時は、説明責任は政治家個人に問われている。個人事務所の話なんでしょうから、問われている』と突き放しているようだから、オオタ大臣も年貢の納め時ではないだろうか。

 最近の政治にかかわる話を聞いていると、あまりにもレベルの低いことばかり。オオタ脳死衣装はもちろんのこと、フクダ首相も覚悟を決めて、一日も早い衆議院の解散を願いたいものである。(田舎親父)

(追)農水省の政務官の議員も政治団体の事務所を秘書の自宅に置いて、不正にカネをガッポリと懐に入れていたというニュ-スに、これは農水省という役所の体質なのかなと疑ってみたくなる。

2008年8月28日 (木)

何か勘違いしているのでは・・・

 新学習指導要領によって中学校では武道が必修化になるという。最近の子どもたちの行動を憂いて、何とかしたいという気持ちが『武道の精神』を指導すれば、子どもたちに礼儀や作法が身につくと考えたのだろうが、何か思い違いというかピントがずれているのではと首を傾げてしまう。

 文科省としては、教育を司るという自分たちの仕事として、子どもたちに自立の精神を『学校』で育てたいと考えることはわかる。そして精神を鍛えるという意味では武道はある程度効果的だと思えないでもない。

 しかし、武道で肉体や精神を鍛練するためは、教える方も教えられる方も『厳しさ』が何より必要なのではないだろうか。このあたりを指導要領や解説書でどう表現しているのだろう・・・。

 どのスポ-ツでも同じだと思うが、特に武道においては鍛練していく過程で(精神論ではないが)余程しっかりと気持ちをしっかり入れて練習しなければ怪我の原因となることは、素人の私にも理解できる。

 武道を本職に指導する教師は、学生時代からこの『厳しさ』を徹底的に植えつけられているだろう。そして子どもたちに『厳しく』指導していくだろうことは想像に難くない。特にだらだらと練習している生徒を見た時、思わず罵声を浴びせることもあるだろう。場合によったら『正座していろ・・・』などと怒鳴ることも考えられる。ゲンコツの一つもあるのではないだろうか。

 学校では『体罰』の禁止が金科玉条のものとなっている。現在の解釈だと、昔われわれの年代では当たり前だった『廊下に立ってろ・・・』などは、真っ先に体罰として摘発されるとのこと、『正座していろ・・・』などとなると今のバカ親たちにとっては『即教育委員会行き・・・』の絶好の材料になりかねない。

 まして、怪我でもさせたら大騒ぎになることは間違いない。倒れる時に手が出ない子どもたちが大勢いるという中で、倒れることが当たり前な柔道や相撲を教える時、怪我をさせないことなどは必難のこと・・・。

 学校教育の基本は『指導できる教師』が存在することである。中学校で武道を指導するためには『中学校体育科』の免許が必要。免許を習得するために少しはかじったことがあるにしても、学生時代に意欲的に武道を学んだ教師は数的には少ないはず。水泳を中心に資格を得た教師に武道を指導させるのは酷なことぐらいは誰にでも理解できる。

 多分、それは指導法でなんとでも解決できる・・・というのが文科省や教育委員会のお偉方の発想で、現場の大変さが今から予想できる。

 それはともかく、武道を指導するにはまず『施設』からというらしく、文科省は来年度の予算の概算要求に全国の中学の武道場整備費50億円を盛り込む方針を固め、まずは200校程度で施設整備を図り、その後も計画的に校数を増やすという。その上で、地域で指定校を定め、指導者を招くなどの事業にさらに10億円を計上する方針らしいが、またまたゼネコンを喜ばす話しになってきたようだ・・・。

 武道を指導する以上、武道に応じた専用の『武道場』が必要なことは誰も否定しない。体育館の建て替えなどでは、学校から武道場の併設を希望するのが常で、最近建て替えられた体育館などには柔道や剣道が練習できる『道場』を持つ学校もある。が、どれぐらい使われているかは怪しい・・・というのが定説。

 新指導要領では原則、中1と中2で武道とダンスが必修になるという。武道としての種目は、柔道、剣道、相撲から選択するが、地域や学校の実情に応じ、なぎなたや弓道なども認められるらしいが、これは『指導できる教師によって・・・』と読み替えるための表現であることは間違いなさそう。

 弓道の得意な教師を生かすために『弓道場』を作ったが、この教師が数年で転任してしまうと、『弓道場』は宝の持ち腐れとなるのも考えられないことではない。実際に、陶芸を子どもたちに教えたいと高額な『陶芸窯』をつくったものの、転任してしまい邪魔になっている話もよく聞く。極端な場合、『ガス窯』ではつくれないといって『電気釜』を要求したという教師もいたことも・・・。

 全国津々浦々の中学校に専用の『武道場』をつくるなど無駄な考え方を止めて、いっそうのこと、土曜日には近くの『武道場』に通うことを義務づけ(当然公費で)たらいかがだろう。

 学力低下の原因だとされている授業時数も稼げる上に、地方の活性化になると同時に、学校(教育界)から無駄をなくすことになると思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年8月27日 (水)

諸悪の根源は『リサイクル協会』では・・・

 リサイクルを目的で集められた使用済みのペットボトルが、実際には国内でリサイクルされずそのまま中国に輸出されているという。

 私は以前からリサイクルに対しては懐疑的で、ペットボトルなど・作らず・使わずという姿勢を持つべきだと主張しているが、一度便利なものを使ってしまうと元には戻れない人間の性はどうしようもなく、最近は貝になっている状態。

 ペットボトルをリサイクルするのを規制する法律が『容器包装リサイクル法』。これによると、市町村が使用済みペットボトルを分別収集し、『日本容器包装リサイクル協会』に引き渡すとなっている。

 この協会には、使用済みペットボトルを扱うことができる業者を『指定』できるという権限があって、その業者が協会の入札に参加して引き取り、リサイクルするという決まりになっているらしい。

 従来は、市町村から使用済みペットボトルを引き取る入札にあたって、リサイクル業者は『リサイクル協会』から委託料を受け取っていたが、一昨年から法律が変わったらしく、逆に引取料を支払うようになっているという。

 何のためにこんな改訂がされたのかよく理解していないが、この『リサイクル協会』という団体は『財団法人』を名乗っているようなので、厚労省や環境省からの官僚たちが天下っているに違いなかろう。だとすると、法人の見直しなどで補助金が削られたことに対応して、業者からその分の金を『入札料』としてむしりとるという発想も頷けないことはない。

 話を戻すが、ここ数年原油高騰の影響を受けて、中国では原油価格高騰で樹脂の代替材料としての需要が高まっているという。人件費が極端に安いので、原料さえ入手できれば、とんでもなく安価に製品にすることは当たり前・・・。

 そこで目をつけたのが日本のペットボトルのリサイクルシステム。『入札価格』より高く買い取ればいくらでも手に入るだろうと見越したようだ。実際に、指定再処理業者より高く買い取る認定外業者が現れて、少しでもカネにしたい自治体の事情と一致したというところだろう。

 この問題は先日、テレビ東京の『ガイヤの夜明け』でも取り上げ、中国に大量に使用済みペットボトルが流れるものだから、国内で集めることが難しくなり、良心的な会社がどんどん倒産に追い込まれる現状をわかりやすく解説していた。

 興味があって見ていたが、そのなかで紹介されていた『根来産業』の社長の、小学校に回収機を持ち込むアイデアなどには感心。こんな会社ならばリサイクルさせても良いのではと思い、社長の意気込みに思わず敬服・・・。

 ところが放映後間もなく、『根来産業』は負債総額93億円を抱えて、民事再生法の適用を申請したというニュ-スにがっかり。小学校に設置する回収機の開発や設備投資に莫大な費用がかかって、このアイデアが頓挫。同じような事業を展開する他の会社も厳しい状況に追い込まれているという。

 『容器包装リサイクル法』が施行された時は、国内で使用済みペットボトルの再生処理施設は不足気味だったため、政府や自治体は民間の再処理事業者に補助金をバラマキ、設備を整えたのに、やっと分別収集の意識が定着し回収量が増えてきた今日、自治体が独自に売却するとなると、『根来産業』など再処理事業者にとって『はしごを外された』ということになってしまう。

 各自治体が、どのぐらいの価格で中国に売り渡しているかデ-タ-はないが、日本から入手した原料で安価な製品を作り、日本市場に『made in 1China』が溢れている現状はどう考えても納得できるものではない。

 恐らく、中国がこのような安い製品を作れる背景には、単に人件費が安いだけではなく公害をまき散らしている工場環境があるに違いない。日本人が安易に使い捨てるペットボトルが公害の原因だとしたら・・・と考えると気分が悪くなる。

 やはりペットボトルなどは作らず・使わずというリサイクルなど不要な社会を作ることが必要では・・・。せめて私だけでも、便利からといってペットボトルをできるだけ使わないようにしなければという思いを強くする。

 リサイクルの仕組みを調べると、どうやら諸悪の根源は、官僚たちの天下り目的で設立された『リサイクル協会』にあるという結論は、それほど的外れではなさそうだ。(田舎親父

2008年8月26日 (火)

問題をそらせることに汲々な厚労省・・・

 『インタ-ネットネットカフェ』という言葉がマスコミを賑わすようになってどのぐらいの時が過ぎただろう。

 『インタ-ネットが使える喫茶店』という意味に捉えていたが、結構時間規制がないらしく長居が当たり前になり、ついにはここを『ねぐら』にする人たちが現れて、現在では大都市中心にかなりの数の人々が暮らしているという。

 『インタ-ネットカフェ』をよく利用している知人の話しによると、私が知っているドヤ街の安宿などより小奇麗で、自分のスペースが個室に近い形で仕切られてシャワーも完備されているから、そこで暮らすことが十分に可能なのだそうだ。しかも一晩いて1500円程度だというから結構人気が高いらしい。

 誰が言いだしたのか、このような『インタ-ネットカフェ』や『漫画喫茶』という場所にたむろする人たちを一括りにして『ネットカフェ難民』と呼んでいるとのことだが『難民』という言葉に響きに違和感を覚える。

 普通『難民』というと、内戦などの戦乱や飢餓によって、仕方なしに住んでいる場所を捨てて、他国に逃げださなければならなくなった人たちのことだろうに、単に住居がなく『ネットカフェ』や『漫画喫茶』で寝起きし、そこから不定期に仕事に出かける人たちに『難民』という表現は安易過ぎる。

 派遣社員やワ-キングプアなどが社会問題になると、この人たちの存在もクロ-ズアップ、昨年になって厚労省は実態調査に乗り出しその結果を発表した。もっとも実態調査と言っても官僚たちが天下りしている先の財団や法人などに丸投げしたのだろうが・・・。

 それによると、全国のネットカフェや漫画喫茶3246店舗に対して電話をかけて行った結果、推計されるネットカフェ難民の数は5400人だったという。この数の信憑性は、電話をして聞き出したという調査方法だけに、あまりあるとは思えない。むしろ、隠れナントカが横行する現在社会では、実数はもっと多いのではないだろうか。

 このところ失政続きの厚労省は(失地挽回のため?)今頃になってこの調査を基にネットカフェ難民は住居がなく、定職にも就けずにいることで、低収入で不安定な生活を余儀なくされ、これが、就労を一層難しくするという悪循環に陥りやすいとの理由で、彼らの就労を支援するため『公共職業訓練の受講』を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を今年中に創設する方針を固めたという。

 年収150万円以下の受講者は返済が免除されるため、実質的には返済義務のない『給付』にするというが、年収150万円以下で暮らす人々はかなり存在するはず。それら必死に暮らしている人が聞けば、『何故・・・?』と首を傾げるどころか、働く意欲さえなくしてしまうのではないだろうか。

 この制度では、『雇用・能力開発機構(これまた天下り先の御用機関だろうが)』の『技能者育成資金』を活用し、3~6ケ月、座学と企業実習を組み合わせた『日本版デュアルシステム』と呼ばれる訓練を受ける人に対して給付するらしい。

 『日本版デュアルシステム』というものが理解していないので、漠然としたことしか言えないが、訓練中は『住居と就労機会の両方を確保できる』から、多くの『難民』が応募するだろうと見積もっているらしいが、月15万円の魅力で集まった人間が、はたして訓練後にすんなり定職に就くのかは疑問・・・。

 『ネットカフェ難民』と呼ばれる人の中には、就業意欲があるにもかかわらず、チャンスがないだけの人がいることも確かだろう。このような人をきちんと見つけ出し、それなりの支援をすることに反対はしない。が、今までのやり方を見たら、見つけ出すことがおざなりで、カネをバカまくことが目的になっていることが多いのが気がかり。

 本当に必要としている人や、一生懸命働いても年収が200万円にも満たない人々の存在と、低賃金で働かなければならない社会の仕組みを、根本的に洗い直すことの方が大事だと思うのだが、いかがだろう・・・・。(田舎親父)

2008年8月25日 (月)

これでマスコミもしばらく静かになるだろう・・・

 やっとオリンピックが閉幕。全体的には中国の権威主義というか、世界に自分たちの力を見せつけたいという考えが読み取れる演出に、いま一つ感動を覚えなかった人も多いのではないだろうか。

 それでも昨日最後の競技のマラソンは見応えがあった。最後まで見るつもりなどなかったのだが、あまりにも速い展開についつい観てしまった。

 優勝したワンジル選手は、つい最近まで高校駅伝で活躍していたのに、ケニヤの代表になっていたのには驚き。そのワンジルが30km過ぎ、エチオピアのメルガ選手からスペッシャルドリンクをもらったとたん、ギアチェンジの瞬間は『えっ・・・』と思わすほど凄いものがあった。

 ドリンクを取り損なったワンジル選手を見て、メルガ選手が自分のスペッシャルドリンク手渡したのはなかなか珍しく、美しい光景・・・。あげたメルガ選手が、その後すぐ失速したのは皮肉だが、今回の競技の中では一番感動した場面である。

日本の尾形選手のインタビュ-も爽やかで良かったが、この謙虚さは野球の監督にほしいと思ったのは私だけではないのでは・・・。ということで今日はオリンピックの野球の話題を・・・。

 金メダル獲得のための最大の関門の韓国戦を戦ったのは3日前。予選リ-グでも破れているので、かなり気合が入った戦いぶりだったようだが、結果は逆転負け。 ガッカリした人も多いのではないだろうか。そして一昨日は、3位決定戦でもアメリカに逆転負け。結局『金メダル』はおろか『銅メダル』にも手が届かなかった。

 マスコミは『金メダル確実』と煽り、監督も『金色以外のメダルはいらない』と大見得をきり、『俺に任せろ・・・』と自信満々だったのがウソのような幕切れ・・・。

 今回のオリンピックでの野球について、もし監督の思い通りになったらどんな騒ぎになるのだろうと、内心複雑な気持ちが見守っていた人も少なくないはず。かくゆう私もその一人・・・。

 日本人の一人として金メダルはとってほしとは思うが、獲ったら獲ったで、マスコミが監督を『神様』のように持ち上げるのは確実。本人もその気になって、口では『選手がよくやった・・・』などといいながら、本心は『俺に任せて正解だろ・・・』という大きな態度でテレビに出ずっぱりになるのも目に見える。これは歓迎したくない。

 かといって、まるっきりメダルが獲れないとは想像したくない。今や大リ-ガ-に多くの選手を送り出すほどレベルが高くなった日本のプロ野球の、各球団の花形選手だけで構成された、所謂『星野ジャパン』が、大リ-グの選手が一人も出ていないアメリカはじめ巨人軍でダメと言われた選手を4番に据えている韓国、あるいはプロが存在しないキュ-バに破れたりしては、監督の眼鏡にかなって選ばれた選手たちが気の毒というより、日本のプロ野球のレベルが問われてしまう。

 銅メダルを争っての対アメリカ戦は、何としても勝ってほしいもの、との思いで一昨日は『桑の葉のパウダ-造り』をしながらテレビでずっと観戦したが、先発メンバ-をみていやな予感がした。

 新聞予想では先発は和田投手だそうだが、ここ一番の大勝負ならば、監督自らが常々『日本のエ-ス』と言っていた、ダルビッシュ投手でなければ・・・。と思うと同時に、前夜プロの選手として恥ずかしいようなエラ-をした、G・G佐藤をレフトで起用は、監督はこの選手に何か借りでもあるのかと思ってしまう・・・。

 和田投手には気の毒だった。前夜に続いて平凡なフライを落球する信じられないエラ-にすぐ交代させるぐらいの強気の采配を見せてくれるならともかく、そのまま動かないとなると、阿呆らしくて気持ちが切れるのは理解できる。案の定本塁打で同点。この時点で負けが決まったようなものだろう。

 そして次の投手が、監督子飼いのドラゴンズの川上。出てきたとたんドカンとホ-ムランを食らって4点差。これで選手たちはやる気を失ったようだ。前夜も同じ中日で可愛がった岩瀬で負けた反省など全く無しの人情人事・・・と言われても仕方ないのでは。

 選手たちも気の毒だが、オリンピックの錦の御旗に屈伏して、主力選手を持ち去られたら球団の監督はじめ関係者も気の毒・・・。銅メダルさえ捕れなかった監督に批判はもちろんだろうが、猛烈な怨嗟の声が沸き起こるのではないだろうか。

 特に、中日の監督はどんな気持ちでいるのだろう。今年はペナントレ-スでも不調なのに、オリンピックの敗戦の戦犯のようにいわれる両投手をどう迎え、どのように扱うのかが楽しみである。

 私は、今回のオリンピックは実に醒めた目で見つめていた。メダルが何個とれるのなんて問題ではなく、もはや商業的になりすぎたオリンピックそのものを止めるべきではないかと思っている。

 それぞれの競技が『世界選手権』とか『ワ-ルド・カップ』と呼ばれる世界大会が行われている。オリンピックより『ワ-ルド・カップ』の方が価値があるといわれる競技もあるのだから、商業主義になってしまった現代のオリンピックの招致に馬鹿馬鹿しいほどの無駄なカネを使うより、むしろいろいろな国で、それぞれの競技の『世界大会』を開催する方が理に適っているのでは・・・。

 野球の『ノ-メダル』は、メダルを期待していた人々や選手には気の毒だが、少なくとも、都知事のお先棒を担いで『16年東京オリンピック』と大騒ぎする人間が一人減ったことは確か。その意味では良かったのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2008年8月24日 (日)

景観を乱す無粋な看板が増えそう・・・

 日本一の清流で人気の高い四万十川で横浜の高校生が水死したという記事があった。当初はこの高校生の田舎が高知の四万十で夏休みにおじいちゃんの家にでも遊びに来ていた・・・、亡くなったのは気の毒だがよくある話と思っていたが、『研修旅行』という言葉が横にあるのを見て何か違和感を覚えた。

 このところよくつかわれる『研修旅行』という言葉、先日もイタリアの聖ナントカという世界遺産に落書きした女子短大生も確か『研修旅行』となっていたことから、半分遊びの旅行は全て『研修旅行』という言葉で括られるようになったのでは・・・。

 ところが翌日のニュ-スでは『修学旅行』となっている。『研修旅行』と『修学旅行』の違いは気になるが、最近の高校は『修学旅行』も夏休み中にやるらしい。これも流行りの学力向上が必定使命、授業時数の確保なのかもしれないと思うと、せちがらくなったものだと気の毒にさえ思えてくる。

 記事によると、高校2年の男子生徒が四万十川の観光名所の勝間沈下橋から飛び込みおぼれ、病院に運ばれたが間もなく死亡したという。その時は自由時間で、この生徒は同級生3人とともに下着姿になり、高さ約5メートルの橋から水深3メートルの川に飛び込んだ後、姿が見えなくなったとのこと。

 (勝間橋ではないが)四万十川の沈下橋に訪れたことがあるが、この橋は水量が増えたら水中に没するような造り。邪魔になるために欄干が作られていないのが特徴で、始めて車で通った時は、ちょっと気持ちを引き締めた記憶がある。当時は水の季節でなかったので、子どもたちの姿はなかったが、夏場になると、清流で欄干のないこの解放感では、子どもたちの絶好の遊び場になるのでは・・・と漠然と思ったものである。

 実際に地元の子どもたちが遊んでいる風景はみたことはない。が、あの光景を知っていると、飛び込みたくなる心理は理解できないことはない。

 公立高校の『修学旅行』と言うから、引率の教員も相当数存在したはず。この学校の自由時間という概念がどれほどのものかわからないが、まさか水遊びをするのは目に見えている清流のほとりで『午後は勝手に遊べ・・・』といってほったらかしていたわけではないだろう。

 あくまで私の勝手な想像であるが、夏休み中ということもあり授業などから開放されているので、しばしの間清流と遊ぶ時間としたのではないだろうか。教員は近くでのんびりと子どもたちの遊ぶ姿をみていたのでは・・・。橋の上から飛び込むことも『元気があって良い・・・』と思って微笑ましく眺めていたことも考えられる。

 ところが、飛びこんだきり浮かんでこないので(子どもからの通報で始めて危機感を覚えて)慌ててしまい、結局は子どもを死に至らした、というところではないだろうか。

 この事故の続報はまずない。だろうが、今頃、遺族はじめ保護者サイドから猛烈な抗議を受け、場合によったら裁判沙汰になることも予想されるとなると、引率教員に限らず学校全体として辛い日々が続いているのではないだろうか。教育委員会も引率教員や校長の責任追及で大変騒ぎになるのは目に見える。

 社会通念から、それは当然なのかもしれないが、私が指摘したいのは現代の子ども(大人も同じだが)の特徴として、バ-チャルと現実との区別がつかないということである。実際に体験したことがないので『何が安全で何が危険か』が理解できない。

 橋から飛び込んだ子どもたちは、普段から水泳に少し自信があるはず。このあたりに今回の事故の原因が潜んでいるはずなのだが、事故が起きるとそんなことはお構いなく『管理の徹底』であり、場合によったら『行き先の変更』ということになってしまう。

 観光が売り物の四万十川の関係者も、この事故で訪れる学校が少なくなるのは防ぎたいところだろう。来年の春先には『遊泳禁止』とか『ここで水死事故』などという看板が林立しているのではないかと思うと、何か悲しくなってくる。

 清流も沈下橋も地元ではありふれた風景。それがまわりの景色とマッチして素晴らしい景観を作っているのだが、そこにこんな無粋な看板が建てなければならない現代の風潮が悲しくなる。(田舎親父)

2008年8月23日 (土)

安易な発想が気になる厚労省の体質・・・

 9月に実施される大阪府立の5病院の看護師採用試験で、230人の採用枠に対し、応募がわずか10人にとどまっているという。

 公務員指向が顕著になっていると聞いているが、大阪では知事に就任したタレント弁護士さんが『財政再建のために教員や警察官の人数削減』とか『職員の給与カット』など強気の発言。府民も知事を支持しているというから、このあたりも関係しているのではと想像している。しかし、それにしても230人採用のところ10人とは信じがたい。

 受験応募は今月26日が締め切り。大阪のほか、京都、広島、福岡など西日本9都市で試験を予定しているという。このままでは実施を取りやめざるを得ない会場も出てくるようだ。最初から取りやめにしなければ、一人も受験生がいないなんて笑えぬ笑い話になる恐れは確実だろう。そちらの方が無駄遣いになるのでは・・・。

 大阪に限らず、最近医療や福祉に従事する人々、特に看護師や介護師が極端に不足しているということが問題になっている。夜勤などきつい労働条件がネックとなり、若い人たちから嫌われているというが、かっては、卒業文集の将来の夢の欄には『看護婦』と書く女子児童・生徒が多く、謂わば女の子たちにとっては憧れの職業だったはず。なぜこんなにも嫌われるようになったのだろう。

 数年前から『看護婦』が『看護師』と表示されるようになった。ジェンダ-政策の一つとして、『看護』職が女性だけの職業ではなく、男性にも開放するという考え方?らしいがその頃から『看護師』志望の女の子が少なくなってきたように思えてならない。

 医療制度そのものも、『看護師』と言葉を変えたあたりから猫の目のようにめざましく変わり、医師の確保が難しくなり、病院の経営が苦しくなってきたようになったことも多くの人が指摘しているが、素人の私が考えてももう少し医師や看護師の待遇を改善しなければこの傾向は続くのではないだろうか。

 よりよい就業環境を望むのは誰もが同じ。医師や看護師だからと言って『モラル』を前面に出して待遇を低く抑えては彼らの反発は避けられない。

 加えて、最近は手術で患者が死亡すれば必ず問題にされるのが『医療ミス』。遺族側は直ぐに裁判に持ち風潮も、医師が逃げ出す原因になっていることは間違いなさそう。特に、産婦人科医においてはその傾向が強く、全国の産婦人科医師不足は深刻になっていることは昨今の医事裁判で明らか・・・。

 患者が医師を信じられなかったら医療行為は存在できない。確かに一部では悪徳医師の存在は否定できないが、まず『どの場面に対しても一生懸命対処している』と医師を信頼することがでないとなると、いくら医療制度をいじくっても最近の医療問題の解決にはほど遠いのではないだろうか。

 医師の話になってしまったが、患者からみたら看護師と医師は『一心同体』。年金問題でも明らかになったように、厚労省の場当たり的な医療制度の改革が、看護師の人気を下げていることは間違いなさそうだ。

 そんなことを思う時、今月はじめにインドネシアから、現地で看護師の資格を持つインドネシア国籍の若い人たちが『助っ人』として来日したというニュ-ス。またまた厚労省は『なぜこんな安易な方法しか思い浮かばないのか・・・』と呆れてしまう。まさに場当たり行政と批判されても仕方ない。

 このことについては後日私論を展開したいと思うが、人が少ないのならカネの力で外国から引っ張ってくれば良い・・・という論理は、相手国にも失礼だろう。事実、当初はもっと希望者があるだろうと目論んでいたようだが、蓋を開けるとこの人数。

 食料の自給率ではないが、日々おだやかに生きるために最も大切な医療分野を担う人材ぐらいは『自前』で育てなければ、国としての存続さえ難しくなるのではないだろうか。

 『看護師』が、かっての『看護婦』のように子どもたちにとって『輝ける憧れの職業』になるように、抜本的な発想の転換を願ってやまない。(田舎親父)

2008年8月22日 (金)

ベビ-カ-とエスカレ-タ-・・・

 このところエスカレ-タ-の事故報道が目立つ。先日も、東京のビックサイトで4階までの直通のエスカレ-タ-が突然止まって、大勢の人が怪我をする事故を取り上げたが、これは明らかに重量オ-バ-。文明の利器を無条件に信じてしまう現代人心理が産んだ悲劇といっても過言ではない。

 こんな事故が報じられたら、多少は自分の生活を見直したら良いと思うのだが、事故を自分と結びつけられないのが現代人の特徴。報道された事故などは、まさにゲ-ムの中の物語であって、自分の身に降りかかるとは思えないようだ。

 つい先日、横浜市の『シ-サイドライン』という新交通システムの駅の上りエスカレーターで ベビーカーに乗った1歳の女児が負傷する事故が報じられた。

 事故の原因は単純。まさに『文明の利器』の持つ危険性など頭から考えられない、ある意味『自分勝手な親』が、ベビ-ーカーに女児を乗せたままエスカレーターに乗ったため、ステップ段差部分に圧力がかかり、終端付近の安全装置が作動してエスカレーターが緊急停止したためらしい。

 そのために、ベビーカーが傾き、乗っていた女児が右ほおをステップにぶつかり、ほほに軽い怪我をしたという。登りで良かった。下りだとしたら真っ逆さまに転落、場合によっては命に係わる大事故につながったのでは・・・。

 今回の記事には『エスカレーターでのベビーカー使用は禁止されている』という文言があり、それを無視して乗せた親に責任があるとも受け取れる表現が特徴で、その意味ではホッとするが、はたして市当局は毅然とした態度を貫けるか気になるところ・・・。

 最近は、私の住む横浜の片田舎でも、駅やちょっとした建物にはこのエスカレ-タ-が設置してあるので、ついつい利用してしまうが必要以上に注意を呼びかけるエンドレスのアナウンスが耳触りで仕方ない。

 『ステップの真ん中に乗ってベルトをお掴まりください・・・』『お子さまは必ず手をつないで・・・』『エスカレ-タ-近くではふざけないでください・・・』などは許せる範囲としても、『このエスカレ-タ-は駅ホ-ムへの下りエスカレ-タ-です・・・』などとわかりきったことをエンドレスで流されたら、いい加減にしてほしいと思ってしまう。これでは注意が逆効果では・・・。

 しかし、当局としては『責任回避』のための必要悪だと一向に改める気がないようなので、この耳障りなアナウンスは増えることはあっても少なくなることはなさそうだ。

 『ベビ-カ-は危険ですのでお乗せにならないでください・・・』というアナウンスもよく耳にするが、あくまで『お願い』と思っている親たちは平気でベビ-カ-をエスカレ-タ-に乗せている光景を目にすることは珍しくない。

 時に『大丈夫なの・・・』と思うこともあるが、親たちはそんなまわりの視線などお構いなく、堂々として乗せているので注意などできる雰囲気ではない。実際注意している人の姿を見たことはないし、駅員さえを『見て見ぬ振り』では、とてもベビ-カ-のエスカレ-タ-利用などなくなるはずはない。

 ベビ-カ-でのエスカレ-タ-の利用が法的に禁止されているとなると、『・・・お乗せにならないでください・・・』ではなく『法律で禁止されていますので乗せないでください』とか『事故が起こった時の責任は親ですよ・・・』という意味のアナウンスにする必要があるのでは、と思ってしまう。

 便利で快適な子育てを売り物にベビ-カ-が大流行だが、便利なものには使い方を間違うと事故につながる事が多いことは当たり前。ベビ-カ-を製造業者や販売店は『金儲け』だけが目的ではなく、親たちに『法的にエスカレ-タ-に乗せることは禁止されていることを』徹底してほしいものである。

 ところで、この事故がどのように影響しているのかと、先日ある駅のエスカレ-タ-に乗って、注意深くアナウンスを聞いてみたが、以前と全く変わらない。

 他社の事故であっても教訓とすればと思うのだが、やはり『自分のところで起きなければ考えない』体質は変わっていないようだ。

 また近く、どこかでエスカレ-タ-の事故の報道があるのではないだろうか。(田舎親父)

2008年8月21日 (木)

前期高齢者の仲間入りの日に思う・・・

 今日21日は、65回目の誕生日。いよいよ『老人』と呼ばれる年齢になってしまった。と言っても、特に『その思い』があるわけではない。

 現役の最後の年の今頃、まわりから『還暦』だと冷やかされたた時『やっと、間もなくお勤めから開放される・・・』と喜んだ記憶が蘇るが、今回は年齢に対しての感慨など無縁、ただ加齢という事実だけを実感する程度・・・。

 この5年間、実に自由に好きなことをのたまい、そしていろいろな地域を飛び歩いて暮らしてこられたのだから、これは当然かもしれない。

 一昔前なら『今日から市バスの運賃が無料になる・・・』などと束の間の幸せ観を味わえたのかもしれないが(高齢者が増え続けるのがわかっていて、こんなバラマキ人気とりの福祉政策なんて継続することなどは到底無理)数年前から、この特典も70歳からと、5年間も延長されているのだから、『高齢者優遇』と言っても、言葉だけ・・・。

 この調子で高齢者が増えていけば、現在70歳以上の『無料パス』などの特典もいつまで続くかわからない。後5年後にはこれらの受給資格は75歳以上、いわゆる後期高齢者の年齢になるだろう。場合によっては廃止になることも考えられないことはない。

 その場合も、全くの無料ではなく『所得に応じて』とか『年会費を払った人』などに限るということにもなりそうだと思うと、結局は格差を思い知らされるだけ。どう考えてもこの国の高齢者の未来は明るくなさそうだ。

 だからからいうのではないが、最近高齢者が巻き込まれる事件が少なくない。高齢で寝たきりの夫の介護に疲れた妻が、思い余って殺してしまう、ということ(反対の場合も多いが)がよく報道されている。

 悲惨なのは、高齢者の親を殺害する事件。恐らく家族の中にドロドロとした人間関係があるのだろうが、その根源には『年寄りが邪魔』という心理があることは間違いなさそうだ。

 つい最近、このような構図とは少し違っている事件が報道された。元夫の首を絞めて殺害したとして、58歳の元妻が逮捕されたというものだが、58歳というと高齢者にもまだ届かない年齢。多分ピンピンしていただろうことは容易に想像がつく。

 しかも夫婦は駅前のビル持ちらしく、経済的には困っていなかったようだ。夫が糖尿病を患い、左足を切断したことから、自宅ビルの階下で経営していた喫茶店を休業していたという。気になるのは、二人は最近離婚して同居を続けながら介護していたということ。

 『自分も死のうと思ったが死にきれなかった』と供述しているというが、介護を続けるのなら『離婚』などする必要がないはず。離婚しなければならない理由があり、同居もやむ得ず・・・となると、離婚にまつわる何らかの利害が存在するだろう。

 『老人問題』はこれからますます重要になってくるだろう。その意味で、今回の事件の背景などは知りたいと思っているが、このような事件報道は、マスコミにとっては一度報じると『賞味期限』が切れるらしく、余程の場合を除いて続報はない。

 理由も明らかにせず、マスコミによって面白おかしく報じられるとなると、類似する事件を誘発することが多い最近の風潮では、このような『老人介護』に関して不可思議な事件が続発するのではないだろうか。

 核家族が当たり前になってしまった昨今、我が家もご多分に漏れず夫婦二人暮らし。時に、誰かの歌のように『俺より先に死ぬな・・・』と言っては笑っているが、高齢者が巻き込まれる事件の報道に接すると、何となく気になる。

 こんな悲惨な事件を知るたびに、『いつ死んでもかまわないが、せめて死ぬ前の日まで歩きたいもの・・・』という私の生き方に自信を深め、(何度も記しているが)『桑の葉パワ-』や『三七人参』あるいは『冬虫夏草』などの、科学的には解明されていない自然界の『不思議さ』をいっそう研究して、多くの人に『薬いらずの健康』をプレゼントしたいものである・・・。

 なんて思いを、老人の仲間入りした今日、強くする・・・。(田舎親父)

2008年8月20日 (水)

昨日に続いて 小学生の喫煙問題を・・・

 昨日の続きになるが、逆のアンケ-トも存在するようだ。

 これまたどこまで信憑性があるのかどうかわからないが、文部科学省が全国の小中高校生約7万人を対象に行った『喫煙・飲酒意識調査』の結果によると、小学6年生の94%が『喫煙は大いに有害』と回答。

 さらに、前回の調査では小6の15%が『吸いたいと思ったことがある』と回答していたのに対して、今回の調査では8%と、ほぼ半減しているとなっているので、若年層の『たばこ嫌い』が進んでいるとも解釈できる結果だと分析しているらしい。

 この分析は各自治体も同じ傾向で、『喫煙防止』の教育を実施した結果であり、この『喫煙防止教育』の授業を受けた生徒の間に『誘われてもたばこを吸わない』とか『20歳になった時も絶対吸っていない』との声が増えたとい胸を張っているという。

 そして『今回行った教育はモデル校のみを対象にしたものだったので、今年度以降はDVD教材を作成するなどして、モデル校以外にも広く教育を展開していきたい』と言っているから、来年から、またまた学校は本来学校で行う必要のない授業まで引き受けなければならなくなりそうだ・・・。

 中高生はともかく、小学生にまで『禁煙教育』とわけのわからない授業を学校に押しつけている自治体が増えていることを嘆いていると、 記事によると、この取り組みは『石垣市健康福祉センター』と『八重山福祉保健所』という二つの組織が、どこかの大学の教授の指導の下に実施したものだという。市内の小、中、高校生の喫煙者は、この二つの施設で『禁煙教育(禁煙のためのカウンセリング)』を受ければ『ニコチンパッチ』を無料で支給するものらしい。

 沖縄県石垣市は、市内の小、中、高校生の喫煙者に対し、禁煙補助薬の『ニコチンパッチ』を無料で処方する取り組みをはじめたというニュ-スに、いよいよここまで行政や教育委員会が干渉しだしたか、と驚くと同時に恐ろしさを感じる。

 親や教師の付き添いが基本だが、一人で訪れてもプライバシー保護のため学校や家庭には知らせない方針だという。しかし、ひょっとして喫煙習慣に悩む高校生が一人で来所することは考えられないことではないが、小学生が一人で来るとは到底思えない。

 所長は『小学4年生頃から興味本位でタバコを吸ってしまう子供がいるが、若年層はニコチン依存症になりやすいために早めの処置が必要だ』と言っているというから、この所長(大学の教授も)の狙いは小学生への『禁煙教育』にあることは間違いなさそう。

 石垣市では、実際には小学校に『禁煙教育』の実施を強要して、『ニコチンパッチ』の配布までに至っていないようだが、昨日も指摘したように『禁煙教育』が大流行の今日『ニコチンパッチ』なるものが、学校で配られる日も遠くなさそうだ。

 何度も指摘しているが、『道徳教育』や『環境教育』あたりまでは何とか許せても、『消費者教育』とか『キャリア教育』あるいは『税金教育』などと、言葉の下に教育という言葉をつけると、全て教育問題のような聞こえになり、結局は学校で行うことが必要だという風潮に、私は強い危機感を持っている。

 『禁煙』だとか『禁酒』などは100%『家庭の問題』であって、本来は親の責任である我が子の『躾』の問題である。こんなことが話題になるのは、それだけ日本の『家庭』が崩壊しているのだろうが、だからといって、親の責任を放棄させてはならない。

 小学生に『禁煙』をくどくど話すのでなく、予期親たちに『親学(これから必要になるだろう)』を徹底するのが、公共期間の勤めだと思うのだが・・・・。(田舎親父)

2008年8月19日 (火)

小学生の喫煙率・・・?

 このコラムでも何度か取り上げた『タスポ』が、関東でも使うようになったらしく、散歩途中に見かける街中のタバコの自動販売機には『タスボがなければ購入できません』というチラシが貼ってある。

 愛煙家でない私には、自動販売機自体の存在が見苦しいと思っているので、注視することはまずなかったが、コラムの材料にさせていただいた関係で、目についたら時に注意して見ることにしている。

 そこで改めて気付いたことは、(当然のことながら)明るいうちには『タスポ』導入の背景にある『未成年』たちの姿がない。未成年どころか、中年のオジサン達を見ることも少ないように思えてならない。

 あるたばこ販売店でのことだが、自動販売機の前で立ち止まった職人風のオジサンが、店の中に入って行く風景を何度も目撃している。恐らく『タスポ』を持っていないので、銘柄を確認して中で店番しているオバサンとやりとりするのだろうが、それなら自動販売機など必要ないのに・・・と笑ってしまった。

 恐らく深夜ともなるとこの風景はガラッと変わり、バカ親からもらった『タスポ』を手にした高校生あたりが集まって、一枚のカ-ドを回し使い、あっさりとタバコを入手しているのだろうと思うと、まさにイタチゴッコ。

 喜ぶのは自販機を製造するメ-カ-や、レンタルする『日本たばこ』だけ。この役所なのか民間なのかよくわからない『会社組織』はタバコだけではなく、最近は毒ギョ-ザまで手がけているというから、儲けさえあれば何でもありという最近の流行りの先端を走っているようだ。

 きっとまだまだ『タスポ』にまつわる事件(笑い話)は起こるだろうが、それはさておき、小学生の喫煙率が5%を超えるというアンケート結果が『各地』で発表されているという報道に、どんなアンケ-トでこんな結果が出るのだろうかと疑ってしまう。

 またまた『小学生の喫煙率』なんて、奇妙なこと言葉をつくり、人々の心を必要以上に煽るマスコミの世論操作では・・・・とそちらの方が心配になる。

アンケ-ト結果の一例として、兵庫県の阪神北県民局という部署が、つい最近発表した資料によると、小学生の7.2%に喫煙経験があり、そのうち15.8%が入学前に喫煙していたというというから、本当かいな・・・と首を傾げてしまう。

 調査は同県民局内で『喫煙・飲酒防止事業』に協力して、過去2年間に喫煙防止のための授業を行った17の小学校の4~5年生約1200人に対して行ったという。

 その結果『一口でも吸ったことがある』と回答した88人に喫煙の理由を尋ねたところ、『なんとなく・わからない』と回答したのが37人で最も多く、次いで22人が『興味があった』と、もっともらしく具体的に数字をあげている。

 このデ-タ-に対して自信満々の様子だが、わざわざ、タバコの害を強調する『喫煙防止』のための話を聞くという『授業』を受けた直後の子どもたちに『無記名』で、こんな質問をぶつけたら、酔っぱらった親や親戚のオジサンから『面白いから吸ってみろ・・・』と言われたこともが続出することは間違いないだろう。こんなデ-タ-を集計してもあまり意味がないことは、少し冷静に考えたら分かりそうだと思うのだが・・・・。

 もっと凄い例が掲載されている。沖縄本島の北部の8高校の約3500人に対して行われた調査では、男子の約33%、女子は約14%が喫煙経験ありと回答したという。さらにそれらを調査したら、そのうち小学生から喫煙を始めた割合は男子が約37%で、女子が約35%にのぼると、こちらも自信タップリの数値をあげている。

 しかも、この数値を単純にかけ算すると、調査対象全体のうち男子で約12%、女子で約5%が小学生のときに喫煙経験がある、という驚くべき結果だとセンセ-ショナルに発表しているのには驚く。

 同様な調査は全国各地で行われており、その結果から小学生の喫煙率が5%以上と割り出しているが、(繰り返すが)お祭りの時に酔っぱらった親や親戚のオジサンから無理やりすすめられて口にしただけの子どもまで『喫煙者』としてカウントするのはいかがなものだろう・・・。(田舎親父)

2008年8月18日 (月)

これが日本を代表するメディアの本質?・・・

 連日のオリンピック騒ぎにうんざり・・・。テレビでは24時間オリンピックのことばかり。新聞もここ数日は、水泳だ・柔道だ・レスリングだと、金メダルを獲得した選手の顔写真入りの大報道、この国には事件など何も起こっていないかのようなメディアのあり方に違和感を覚える。

 日本人選手の活躍は素晴らしいことには違いないが、『メダル獲得』だけに焦点をあてているらしく、競技がはじまる前から『メダルは確実』とプレッシャ-を与えるのはあまりいただける図ではない。

 ここまで大騒ぎするのは、東京にどうしてもオリンピックを招致したい勢力がそれなりに報道を操作しているのではないか、とさえ思いたくなってくる。

 今年はアテネで懲りたのか、『アホ山』などというギャァギャァ-女子アナを前面には出さないのが救いだが、オリンピック関連を何より優先し、他の番組などゴミのような扱いのNHKの報道姿勢には憤りさえ覚える。

 そんなNHKでも、昨日の女子マラソンは放映権を得られなかったらしく、『日テレ』の放映時間にいつも通りの『日曜討論会』なる番組を放映していたのには笑ってしまった。

 しかも、初めから視聴率競争は絶望と諦めていたようで、いつもなら政界の人気者をずらりと並べているのに、今回は秋葉原の『無差別殺人の原因を追う・・・』とかいうテ-マで各界の論客?が何かブツブツ言っていた。

 このレ-スは金メダル確実と思われていた野口選手が大会直前に断念。陸連の幹部たちも安心していたようで野口選手の断念と想定外、本来ならば(一番活躍する可能性があると思われていた)補欠の森本選手を出場させれば良いのに『もうお前は必要ない』と連絡していたというから、またまた責任のなすり合いから『御家騒動』に発展するのではないだろうか。

 結果は予想通りだったが、今朝はもう『女子マラソンなんかありましたっけ・・・』という態度に豹変。これでは選手(最近はアスリ-トと呼ばなければ返事をしない輩もでているらしいが)たちが気の毒・・・。

 オリンピックの前置きが長くなったが、その騒動に隠れてこっそり行っていたのが万引きやカラ出張、あるいは悪質なセクハラが発覚して懲戒処分(免職ではなく、退職金を払って辞めてもらう依願退職)や勧告や格下げ程度の処分とその後の処置。

 処分?を受けた地方局の局長という相当地位の高い幹部達を、『NHKの専門モニター』にしたり、天下り期間に再就職させていたというから、確か外部から委員を迎えて『経営改善』を行っている(と聞いている)経営委員会という組織の体質そのものを疑いたくなる。

 わざわざ国民に知られたくないので、この人事をこの期間に行ったのだろうが、明らかになったのでは仕方ないと開き直り、担当者は『依願退職して責任を取り、報道で社会的制裁も受けた』とコメントを出しているが、バレ宝仕方ないという姿勢で大甘の『依願退職』をさせていながら『社会的責任を受けた』とは、よくいうものである。

 さらに『知識と見識を発揮してほしいから・・・』とのことだが、罪を犯した人間の『知識と見識』を借りないとやっていけないとは情けない。NHKには次代の人材を育てる気概はすでになくなっているのでは・・・・と思わざるを得ない。

 先日公表された、社会保険庁を廃止して発足する『日本年金機構』という組織には社保庁次代に懲戒処分歴のある職員の一律不採用と閣議決定したという(きっと裏で救済措置があるのだろうと思っているが)のは、一応は国民の目を意識した『それなりのけじめをつけたやり方』なのだろうが、国家公務員より『身内に甘い』NHKの体質が浮き彫りになったようだ。

 わけのわからない言い分で犯罪者を匿うようなやり方を続けていれば、ますます高い視聴料を払いたくない人が多くなるのではないだろうか。(杉)

2008年8月17日 (日)

正直に申告した奴だけが送検とは・・・

 連日、オリンピック オリンピックと大騒ぎ。明らかにしたくないほど莫大な金額を払って放映権を入手したのだろうが、NHKは連日どこかのチャンネルで解説者でも首をひねるような審判の主観で決まってしまうような『柔道』の試合を(すっかり柔道嫌いになった私には)いい加減にしてほしいと思うほど流している。

 開会式の少女が『口パク』だったとか、全世界に向けて発信した映像が、実はコンピュ-タで作られた『バ-チャル』だったとか、なかなか話題は賑やかだが主催者側としては国家の威信をかけた行事『ここまでできるぞ・・・』と、とんでもない演出を考えることは当たり前では・・・。

 むしろ、今では絶対に表に現れなかった内部の事情が、次々に明らかになることの方がおかしいのではないだろうか。単に情報秘匿が難しくなったというだけではなく、この国の体制そのものが揺るぎ出していると言った方が正しいかもしれない。

 ところで、大分の教員採用試験にまつわる汚職事件であるが、『3人の校長・教頭を書類送検・・・』と曖昧で変な方向で終結させようとする報道に、3人だけが贈賄者だとは誰も信じてないのに、3人だけを送検してお終い・・・になりそうな雲行きに危惧を感じてならない。

 この連中は『早めに申告した方が罪が軽くなりそうだ・・・』と思い、『実は私は商品券を教育次長に送りました・・・』と申し出たところだが、警察は待ってましたとばかり公表して、勤め先の学校にまで家宅捜査に入っているのに、受け取った方の教育審議督にはずる休みを決め込まさせているのは何故だろう。

 防衛省汚職でもそうだったが、贈収賄事件の場合は『贈賄側』が糾弾されるのに比べ、美味い汁をすっていた『収賄側』の人間の処分が曖昧になる場合が多いのが気になる。

 先日、贈賄した教頭の心情がネットに掲載されていた。この教頭は何回も試験に落ちて、昇任を諦めていた時に『勉強会においで・・・』と、(恐らく贈賄して昇任した)知り合いの校長から囁かれたという。

 そこで今回の主役である管理職人事を握る参事官の江藤某に紹介され、片手をあげられたという。とっさに『とっさに50万円の意味』だと受け止め、帰宅して直ぐにその金額の商品券を送ったとある。

 よく聞く話である。ワラをもつかむつもりで勉強会に出かけたに違いないこの教頭は、実際に人事を握っている人間に会えた時には、良心なんて吹っ飛ぶだろう。むしろ、これで運が向いてきたと心の中で喝采したのではなかろうか。

 教頭になるのには『商品券を送ることは必要なことなのだ』と固く信じて、50万円でなれるのなら安いものと思い、当たり前の習慣だと信じて行ったと語っている。

 3人の肩を持つつもりはない。今更後悔してもはじまらないが哀れを覚える。カネで地位を買ったと言われても仕方ない行為に対して弾劾されることは当然だが、何故3人だけ・・・という思いが先に立つ。

 この教頭を勉強会に誘った校長や、江藤某を紹介した輩はダンマリを決め込んでいる。誰が考えても間違いなく過去には、江藤某かの前任者に『商品券を送った』だろうに・・・、こちらにはお構いなしでは変な話。法治国家が聞いて呆れる。

 教育委員会としては、これで捜査を打ち切ってほしいと必死に警察に働きかけたに違いないが、このままだと大分は教育界だけでなく警察までが『カネ』で何とかなる社会だと思われるのではないだろうか。(田舎親父)

2008年8月16日 (土)

トップがあの程度では・・・

 『農水相』と打つところを親指キ-の操作を間違ったのだろうが、画面に『脳死衣装』と出てしまったのには思わず笑ってしまった。

 『国民がやかましいから・・・』とのたまい、それを訂正もしない農水相と撤回させられない内閣。まさに『脳死』状態の連中が『死に装束』を纏っている姿になぞえて変換してくれるとは・・・。農水相よりこちらの変換の方が正しいような気がする。さすが『親指キ-ボ-ド君』といとおしくさえ思えてくる。

 こんなバカ大将を抱いているから仕方ないのかもしれないが、国産食料品の購入にポイント制を導入する方向で検討を始めたというニュ-スに『オイオイ正気かい』と、目を見張ってしまう。

 食料自給率向上に向けた消費面での取り組みの一環で、来年度中のサービス?開始を目指し予算要求をするというから、正気も正気、本気で導入するらしい。どうやらこの省の幹部役人たちは、今までの政策の誤りで現在のような哀れな状態になっていることなど全く反省していないらしい。

 ポイントカ-ドは最近はどのス-パ-や量販店でも発行しており、世間知らずの田舎生活をしている私でさえ、2.3枚のカ-ドを持っているくらいだから、殆どの人は家族との共有も含めると、10枚くらい(いやそれ以上か)は持っているのではないだろうか。

 財務省が、このポイント制度が合法かどうかを問題にするばかりではなく、課税対象にするとかしないとかということが話題になった記憶があるが、中央官庁も導入するとあってはこの議論などもうどこかに吹っ飛んだようだ。

 具体的には、国産農産物を使用した食品の購入者に金額に応じてポイントを付与し、ポイントがたまると、買い物での利用、国産農産物との交換、農家民宿での割引などの特典が受けられる仕組みだというが、とらぬタヌキ・・・とはこのことではないだろうか。

 ファミリーレストランなどの外食産業や、弁当・総菜を扱う中食企業、コンビニ、スーパーなど、食品を扱う企業に参加を呼び掛け、実際のサービス運用を担ってもらうというが、ハイエナのように金儲けが大好きなこの業界の連中を乗せるには、余程の美味しい餌が必要なはず。はたして、どんな餌をばらまくのだろう・・・。

 頭の中では、ス-パ-の野菜売り場などで『国産マ-ク』のついた農産物が並んでいる姿がぼんやり見えないことではない。消費者はこの品物をレジに持って行き、何らかの認証を受けてポイントカ-ドに記載してもらうのだろうが、仕入れ先が産地を偽装してしまったら、たちまちのうちにこの計画自体ポシャることになりかねない。

 ス-パ-などは最近は『○○産』と産地を明記しているのが当たり前になっているが、最近の産地偽装は、その表示さえ信じられないほど巧妙になっているのが普通。まして外食産業などの仕入先などは消費者には公表されていないのだから『我が店は国産以外の野菜は使っておりません・・・』という看板を見ても俄に信じる気がおこらない。

 それより以前に『誰が国産品と認証するのか』という新たな大きな利権が発生することは誰が考えても明らか。その利権に群がるハイエナ連中も数あまた・・・。というよりむしろ、利権を作って天下り組織を確保するのが本当の目的ではないかとさえ思ってしまう。

 そんな姑息な手段を考えるより、まず農林水産業に従事人たちの暮らしを支援する施策が先だろう。それよりもっと以前に、都会偏重の政策を改めて、地方に視点をあてた血の通った農水政策をすれば、自給率は高まると思うのは、素人の遠吠えなのだろうか。

 農水省は、国産食料品の消費拡大にポイント制を導入している国は珍しいと自慢し、マスコミもユニークな手法として話題になりそうだなんて報じているらしいが、農業先進国のフランスあたりでは『日本って本当にバカな国なのね』と、サミットに大統領夫人が不参加だったことを、今頃になって大評価しているのでは・・・・。(田舎親父)

2008年8月15日 (金)

ご先祖さまも嘆いているに違いない・・・

 これまでどれぐらい食品の安全・安心の問題関連の事件があったのだろう。つい最近明らかになったものでも、中国製の毒ギョ-ザの情報隠匿・飛騨牛はじめ各地のブランド食品の産地偽造・吉兆はじめ有名店の食品の使い回し・白い恋人や赤福など地域ブランドの賞味期限の誤魔化し・ウナギをはじめとした中国産食材を国産と表示する悪質な偽装などなど、直ぐには出てこないがまだまだあった(現在もある)に違いないだろう。

 そして、『摘発される奴らはやり方が未熟』とうそぶいている悪徳業者も多いはずだろうから、実際には安全で安心、本当に国産品を責任ある会社が作っている食品を探す方が難しいのが現状ではないだろうか。

 そんなことを思っていたら、やはり新しい偽装の手口が摘発されたとの記事に、こんな方法もあるのかと、ある意味感心してしまう。

 記事によると、愛媛の伊方町にある『セトフ-ズ』という食品加工会社が、賞味期限が切れた冷凍牛丼の具をいったん開封してから加熱して、別の袋に詰め替えて、最大で約二年、賞味期限を改ざんして出荷していたという。

 どこかで聞いた名前の町である。地図で調べてみたら、八幡浜から瀬戸内海に細長く突き出した半島の部分、そう言えば数年前に八幡浜との合併問題で話題になった時、原発で潤っているので合併に応じなかった町だと思い出した。

 ネットで調べても『セトフ-ズ』という会社ではヒットしないところを見ると、実際には『何を扱っているのかわからない小さな町工場』だろうが、もし経営者が原発で潤っているとしたら、潤沢な資金で海産物を調理する最新の設備程度を備えているのでは・・・。

 東京の悪知恵の発達した輩が、そんな会社に目をつけて(伊方出身かもしれないが)、実態のない『アイ・ビ-・シ-』という会社を作り、絶対にバレない新手のアイデアだとして『期限切れの冷凍食品を持ち込むから、開封再調理して、こちらの袋に入れて冷凍して送り返してくれ・・・』と話を持ちかけたという筋書きでは・・・。

 恐らく、後ろにはもっと大きな食品を扱う会社組織が存在するはず。『セトフ-ズ』の経営者はそのあたりを十分承知した上で、悪事に加担したに違いなかろう。 『賞味期限などみる習慣がなかった・・・』と、とぼけた言い訳をしているらしいが、そんなことだれが聞いても信じられない。

 それにしても『家庭用の牛丼の具』というのは気になる。マスコミが大きく取り上げるものだから、『吉野屋の牛丼』が有名ブランドになってしまい。著名な評論家でも吉野屋通いを誇りだと言い出す始末・・・。それにあやかってか家庭でも人気があるらしく、冷凍食品ではかなりの売れ行きだと聞いている。

 その牛丼の具がこんな地方の小さな工場で、再加熱して出荷されているなんて消費者としては考えられないに違いない。この事件の影響は決して小さくないだろう。

 健康被害の報告はないというが、真空パックの冷凍となると2年間ぐらいは持つような気もする。偽装された賞味期限を信じて食べていたら、身体もその気になるのかもしれないが、何かが徐々に蓄積されていくような心配は残る。そして結果的には、現在の平均寿命が、数年後には減じるような気がすると言うと飛躍があり過ぎるだろうか。

 こんな業者を許すことはできないが、法律的に自治体に与えられている権限は『指導』だというから、この国の食品行政は一体どうなっているのだろう思ってしまう。

 だだ、政府や農水省の肩を持つわけではないが、日本人は食に対しての安全は生まれつき持っている良識、謂わば『食の安全を脅かさないのは日本人のDNA』という考え方が連綿と貫かれており、最近までこの種の犯罪は想定していなかったのかもしれない。

 時はお盆の真っ最中。先祖の霊はどこかで集まっては『俺たちの頃にはそんなことはなかったぞ・・・』と嘆いているのではないだろうか。せめてそんな先祖の嘆きの声が聞こえる耳は持ちたいものである。(田舎親父)

2008年8月14日 (木)

まともな感覚では農水の大将はつとまらない?・・・

 確かオボッチャマが任命した、トンデモ行動やカネ執着発言で批判されて自殺?したのは確か松岡とかいう人物。その後任に任命され赤城という二世議員は、外国での会議で帰国した時の記者会見に顔面にデカデカのバンソウコウを貼って現れたことでマスコミのかっこうの餌食になり、結局は更迭・・・。

 直ぐに、環境大臣を横滑りで任命したが時すでに遅し・・・の感があり、結局はオボッチャマ政権が吹っ飛んだ原因の一つになったのは記憶に新しい。

 死者を鞭打つわけではないが、松岡という男は前からカネについてはかなり噂のあった人物。当時、何故オボッチャマはこんな男を大臣にしたのだろうと気にはなっていたが、そこは政治屋サン達の世界、いろいろと事情があったようだ。

 それはともかく、今度の内閣改造で農水相に任命されたのが太田という人物。この男も過去に様々な問題言動でマスコミからの注目度は高い。

 数年前だったか、この男が総務相時代に、早大生サークル『スーパーフリー』集団暴行事件について、テレビで『レイプする人はまだ元気があるからいい』と放言したこと大問題になって、あの郵政民営化ゴリ押し選挙で自民党が圧勝したにもかかわらず落選したことは有名・・・。

 横道にそれるが、小選挙区で落選しても比例代表というバカな制度で復活当選したというからわけがわからない。地方議員のように定員が決まっている選挙では、票数が多い上位から何人とわかりやすいが、選挙民からNoときめつけられたにもかかわらず堂々と議員になる制度って一体何なのだろう。完全小選挙区制にするか中選挙区に戻すかした方が余程わかりやすいと思うのだが・・・。

 そしてこの男は、(聞いた感じでは)何となく弱いものに対して温かそうな『人権擁護法案』という、実際には人権擁護団体も猛反対している悪法を先頭になって通そうとしているというから、庶民にとっては危険人物であることは間違いなさそうだ。

 このあたり十分知っていながら農水相に起用したウ-タン首相は、余程人物がいなかったのか、(総務省時代の発言を官房長官として擁護したというから、体質が同じなのかもしれないが)農水省という役所は、このような体質をもった人物がトップの方がスム-ズに動くと判断したのかもしれない。

 どうせまたバカのことを言うだろうと思われていた矢先、案の定(実際に視聴していないので、詳細は新聞記事でしか知らないが)中国製毒ギョーザ中毒事件などの問題のテレビ討論会の席で、安全性の取り組みについて『日本国内では心配しなくていいと思っているが、消費者がやかましいから、さらに徹底していく』と述べたというから驚き。

 『本当にこんなバカなことを言ったの・・・』と信じられなかったが、多くの人が聞いての報道だから間違いない。

 どんなに自惚れた人物(例えばコイズミ前首相)だって、政治屋としての最小限度の謙虚さは持っているだろう。心の隅に『国民はバカだと思う気持ち』を持っているに違いないが、間違ってもこんなバカな言い方はしないはず。

 余程、太田という男は正直な男というか、根っから国民をバカにしているようだ。即刻罷免されるべきだと思うが、相変わらずウ-タン首相は『やかましい』との表現には『あまり適切な言葉ではない』と曖昧な表現で苦言を呈したようだが、本心は俺が言いたいことをよくぞ言ってくれたと褒めているのではないだろうか。

 またまた横道にそれるが、毒ギョ-ザについて中国から外務省に通報があり、首相官邸に連絡した際に、現在北朝鮮と拉致交渉をしている斉木主席代表が『国民には知らせないでほしい』と言ったという報道があるが、本当なら農水相のバカな発言以上にこちらの方が気になる。(田舎親父)

2008年8月13日 (水)

『登校拒否』から『不登校』へ・・・

 本人が、友人関係や教員とのトラブルなどで自分の意志で学校に行かないのが『登校拒否』だったはずなのに、いつの間にか曖昧な態度で何となく学校に行きたくないという意味でつかわれていた『不登校』という言葉で括られてしまっている。
 『登校拒否』という言葉が『不登校』に統一されたのかはっきりとは知らない。が、20年程前だと記憶しているが(それ以前だったかもしれない)『フリ-スク-ル』という学校なのか保育園?なのかよく分からない組織(団体)が台頭してきた時を同じくして、『無理に学校に行かなくてよい』という風潮が蔓延したようである。(誤解のないために補足しておくが、本当に子どものことを考えて真剣にフリ-スク-ルを運営している人も友人の中に存在する)
 以前は学校に行くことが子どもの義務、行かせることは親の義務、という考え方がごく一般的だった。学校に行かないとまわりから白い目で見られるのが常だったが、親の意識の変化というより責任逃れの口実で『嫌なら行かなくてよい』ということになり、特に原因がなくても家で引きこもりが増えてきたようだ。
 そんな子どもたちの対応に学校は大変。担任に対してはっきりと拒否反応するのなら、違った対応があるのだろうが『担任の先生とのトラブルはないが、友だち関係がスッキリしないので行きたくない』と夜とヒルトが逆転して、その時間には布団の中の子どもを毎朝迎えに行くケ-スもよく耳にする。
 校長や教頭が乗り出している場合もあるらしい。『保健室でもよいよ・・・』なんて、なんとか子どものご機嫌をとって学校に引っ張り出している『保健室登校』なんて言葉も生まれている。
  先日文科省は、昨年度に学校を30日以上欠席した『不登校』子どもの数を発表した。それによると、前年度に比べて約2%増の約13万人が該当するという。特に中学校では全生徒に閉める割合が34人に一人というから、クラスで一人は『不登校』や『登校しぶり』が存在することになる。
 これは気になる数字ではあるが、はっきりした理由で登校を拒否している『登校拒否』という言葉を、何となく行きたくないと受け止められる『不登校』に言葉を変えたのは文科省であることを考えると、何のためにこんな調査をしているのだろうと首を傾げてしまう。
 文科省が『不登校』の人数を減らすために、フリ-スク-ルなどに通う子どもを出席扱いにするといい出したのは1992年のこと。
  学校での学習とは質的に違うだろうが、どこかで過ごしてくれていれば、『出席扱い』にして、自分たちの責任をのがれる口実にしたのだろうが、だったら家族と一緒にスキ-や登山に出かけても『出席扱い』にするべきだと思うのだが、私の考え方は飛躍しているだろうか。
 そんなことを思っていると、『不登校となっている高校生を支援するため』と何となくもっともらしい枕をつけて、高校生であっても『フリースクール』に通っている生徒を、『出席扱い』とすることを認める方針を固めたとのこと。またまたこの省庁お家芸の『責任逃れ』が始まったと呆れてしまう。
 『塾』と『フリ-スク-ル』に本質的には違いなかろう。大学進学のための塾に通っても『出席扱い』となると、これは悪用する高校や塾が続出するのでは・・・。ある意味、子ども集めに苦労している高校には朗報かもしれないが・・・。
 高校進学率がほぼ100%となり『事実上の義務教育化』しているから、小中学校に準じる措置だというが、義務教育でない高校は、自らの意思(実際は親の意思や都合だろうが)で入学するはず。『退学の自由』が存在する以上、『登校拒否』や不登校』なんてありえないのではないだろうか。
 曖昧な言葉で『無理に学校に通わなくても良い』という雰囲気をつくりながら、学校に対しては『何としても学校に引っ張り出せ・・・』と命じるような意図で行う、今回のような調査は矛盾するのではないだろうか。
 『先生に叱られたから学校に行きたくない』と子どもが訴えると『そうね、そんな先生は辞めさせなければ・・・』といって、子どもの言い分だけを聞いて教育委員会に乗り込む親も増えているようだ。
 子どもが悪いことをしたら叱るのは教師のつとめ。張り倒して怪我をさせるなんてことは論外だろうが、相手が凶器など持っている場合は取り上げて、拳骨程度は与えなければならない緊急事態だって考えられないことはない。
 教師にもっとゆとりと権限を持たせて、公正な態度で子どもに接すれば、『不登校』なんていい加減な言葉は必要なくなるはず。『不登校』の数の把握より、教師が自信を持って指導できる体制をつくるのが文科省の役目だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年8月12日 (火)

代理出産が社会奉仕とは変な理屈・・・

 代理出産が社会奉仕につながる・・・?。そんな訳はあるまい。

 『代理出産』という言葉を聞いたのは随分昔のことだったような気がする。子どもがほしいのにできない夫婦は大変多いそうで、それを助けるのが私のつとめ・・・と言っていた医師をテレ情報のニュ-スで見たことがある。

 当時は、『医学の進歩はいよいよここまで来ているのか・・・』と漠然と思い、何となく自然の摂理に反しているのではと感じると同時に、母親の愛情を表現する時につかわれる『お腹を痛めた・・・』という言葉も、死語になることを案じたものである。

 さらに、出産時に母体に異常が生じた場合誰が責任をとるのかとか、障害を持った子どもが生まれたら、依頼した夫婦はすんなり引き取るのだろうか・・・などと思い、その他金銭的な問題や、夫婦間にトラブルが起きた時解決が難しくなるのでは・・・という不安も頭をよぎる。

 先日、ネットで『日本人夫婦がインド人女性に代理出産を依頼し7月に生まれた女児が、夫婦の離婚でインドを出国できなくなっていることが分かった・・・』というニュ-スが流れた時、やっぱり起きたかと暗澹たる気持ちになったもの。

 その時の報道によると、依頼したのは日本人の男性医師(45)と女性(41)の夫婦だという。男性の精子と、インド人女性が提供した卵子を体外受精させ、その受精卵を別のインド人女性の子宮に戻し、7月25日に女児が生まれたが、夫婦は誕生前に離婚したというものである。

 『インド人女性の卵子』という表現に違和感をもったものの、手続きをしてから離婚も実際にあり得ないことではない。むしろ最近ならば十分現実性のある話。それにしても無責任な日本人夫婦もいるもの、生まれた子どもの将来はどうなるのだろうと案じるとともに、またまた日本人のモラルを疑われることになると腹立たしくなる。

 最近経済発展がめざましいインドであっても、貧困の度合いは我が国と比べ物にならないという。代理出産は法律で禁止していないことに目をつけて、約30万円程度で貧困層の女性に斡旋する輩が暗躍しているとのこと。その収入は家族の生活費に当てているというから、現在の日本ではちょっと信じられない悲惨な状況である。

 このバカ夫婦をとりあげなければならないと思って、代理出産について調べていた時、昨日の朝日新聞の朝刊にこの問題に関することが掲載されていた。

 ネットの報道とはかなり違いがある。依頼をしたのは、夫婦ではなく40代の独身男性だというから驚く。この男は単に自分の子どもがほしいとの理由で、アメリカで断わられたので、昨年6月にインドを訪れ、代理出産の話をすすめていたというから、記事が正しいとすると、こんなバカな話があって良いわけがない。

 この男は昨年10月に結婚したが、その時にはインド人女性のお腹には生命が宿っていたことになる。何のために結婚したのかわからないが、妻としては許せないだろうし事実を知った時、即離婚を決断したとしても奇怪しくない。

 どうも不可解な話であるが、代理出産を手がけたインド人の女性医師が『代理出産は社会奉仕・・・』と言っていることに違和感を覚える。特に『・・・貧しい代理母のかていにも幸せをもたらす』と言い方が気になる。極端に表現すると、単に『カネのために命のやりとりという行為』を、人間のモラルの問題としても許されるものではない、と思うのは私だけではないと信じたい。

 インドでは現在代理出産が年間約4万件でこの2年で倍増しているらしい。しかも指針としては、独身者でも依頼を禁じていないという。過去に1例あるだけだというが、今回の事件は、今後独身者が依頼するこの動きを誘発するに違いない。

 インドには不思議な魅力を感じていたが、今回の日本人の男のわがままを何の疑念もなく受入れ、出産を手がけたインド人女性医師たちが存在するとなると、見直す必要がありそうな気がする。(田舎親父)

2008年8月11日 (月)

『無駄ゼロ』を目指す会議こそ無駄だろうが・・・

 内閣改造で消費税率を上げるように主張している輩が、大挙して閣僚や党三役に指名されたようだ。この連中は、今しばらくは消費税率アップなんて言い出すと内閣が吹っ飛ぶからおとなしくしているだろうが、そのうち仮面を脱ぐのは間違いなさそう・・・。

 本当に国民の年金や福祉のためにだけに使うという担保があれば、消費税率が10%以上になっても基本的には我慢できるが、昔からこの国の役人たちの『お上意識』は国民のことなど無視、自分たちが潤えばよいという考え方があるので、何に使われるかわかったものではない。

 国民の圧倒的多数は、消費税率をあげるより徹底した無駄の削ぎ落しが先・・・と考えているはず・・・ではないだろうか。

 『案の定』というより『まだ懲りずにやっているのか・・・』と思うような記事を見つけた。17の中央省庁や関係機関が、職員用の娯楽品や運動用品などの購入費として、一昨年度の一年間だけで約3億円を支出していたことが衆議院の調査で分かったらしい。

 記事によると、財務省など3省は職員旅行などにも計約185万円を支出。いずれも『福利厚生』などの名目だったというから、消費税率を上げたら即その分このようないい加減な使い方をされそうな予感がする。

 調査は4月に民主党が要請し、衆院調査局(こんな役所もあったのか・・・)が28の省庁・機関に調査票を発送したとのこと。その報告書が前日衆院決算行政監視委員長あてに提出されたというが、この連中が正直に申請などするはずがないので、隠し通せない部分だけ報告したに違いだろう。となると、実際にはその10倍、いや100倍の使途不明金があっても奇怪しくない。

 秘密主義が徹底している防衛省は、隠し通せるメドが立たない金額として2億円超を申告したようだが、マッサージチェア、ゴルフ用品、釣り用具、ビリヤード用具など、およそ防衛には関係のないものばかり、『職員や隊員の福利厚生、教育、訓練のためだ』という言いぐさだから、怒りを通り越して笑うしかなさそうだ。

 他の省庁も申告した額は防衛省より劣るが、ゴルフだとかスキー旅行、あるいはサクランボ狩りの経費に支出していたというから、実態は似たようなものだろう。

そんなことが明らかになっている時を計ったように、政府の肝入りで『無駄ゼロ』を目的にした『行政支出総点検会議』なる、『無駄な組織』が発足したというから、これはブラックジョ-クという以外表現のしようがなさそうだ。

 しかも、委員には人気にあやかってだろうがタレント知事などを任命しているというから、その本気度もおして知るべし・・・。『無駄ゼロ』政策を加速させる狙いというが、現実は、無駄ゼロどころか逆行状態。逆向きの加速なとしてもらったら大変なことになりそうだ。

 早速このタレント知事サンは『自分の県では民間の目で人件費カット、裏金の洗い出しをした結果、県民の信頼が回復した』と発言したと伝えられているが、前の知事が悪すぎただけだったでは・・・。簡単に信頼が回復したと思われているようでは、この県の未来も明るいとは言い難いものがある。

 もし知事の言うように、県民が『この知事は信頼できる』と思っているとしたら、吉本興業(だったかな・・・?)が見逃すはずがなく、第二・第三のお笑いタレイト知事を送り出すのは間違いなさそうだ。

 それはともかく、約2千という調査対象法人が(何とか誤魔化そうとしている)簡単に情報を出すとは思えないから、この知事が言うように『民間の目』で無駄を指摘できるはずがない。

 9月から10月にかけて省庁ごとに所管法人の事業の必要性や契約のあり方を聴取し、12月に『指摘事項』をまとめる方針を確認した、というから、12月にこれに類するニュ-スが流れることを信じたいが、その前に内閣が吹っ飛ぶのでは・・・。

 かろうじて存続していたとしても、所詮この会議そのものも、人気とりパフォ-マンスだろうから、『無駄ゼロ』の看板のために『無駄な会議』、期待する方が間違い・・・・か。(田舎親父)

2008年8月10日 (日)

何か変な柔道のジャッジ・・・

 北京オリンピックが始まった。NHK総合テレビは朝から晩までオリンピック放送ばかりで、ニュ-ス番組すらほとんどなくしている状態。しかもご丁寧にBSチャンネルまでオリンピック特集番組を放映しているから、放映権をえるために支払った金額の莫大さがよく現れている。

 オリンピックの報道では毎回感じることだが、マスコミはこぞって『金メダルは確実』だとか何々の種目では『メダルは○個』と、とらぬタヌキのなんとか・・・。プレッシャ-ばかり掛ける書きっぷりでは選手たちが気の毒であろう。

 その典型が昨日の重量挙げ競技。オリンピック前にも何度も特別番組を組んで三宅父娘を練習風景など放映し、『親娘でメダルは確実』なんてことを強調。ひょっとして『金メダル』も夢ではないと国民に幻想をあたえていたが、蓋を開けてみるとメダルには遠く届かなかった。

 その結果にマスコミは『メダルは確実』と報じていたことをすっかり忘れたように、今度は『見事6位入賞・・・』と、言葉をすり替えての懲りない報道には苦笑しか出ない。

 続いて行われた柔道競技も同じこと。三宅選手以上に『金メダルは確実』だとか『ママでも金』あるいは『3大会連続金の偉業』などと前宣伝が高かった、谷選手は積極性がないとの判定で減点。それが致命傷となり僅差で敗退。

 こちらも『金メダル間違いなし』と大騒ぎしたことをすっかり忘れたごとく、『5大会連続のメダル獲得は達成』、あるいは『今大会での日本選手のメダル第1号』という表現にすり変わって、判定に対しての指摘などはどこにもない。

 マスコミの対応はさておき、柔道は日本古来の武術。世界へ波及したのは素晴らしいことだと思うが、年々その判定が分かりにくくなっているのでは、と思えてならない。

 アテネオリンピックだったと思うが、篠原選手が決勝戦で相手を完全に投げて、誰の目にも『一本勝ち』とわかる映像に、外国人の審判の判定は『返し技一本』。これにはビックリした。

 あの篠原選手が男泣き、銀メダルの受け取りを拒否したというのもよく分かるが、せめて日本のコ-チや監督は、判定に対して直ちに強く抗議するべきだったと思ったことを鮮明に思い出した。

 3人の審判が一応協議したようだから、主審の意図的なものではないだろうが、すんなり納得できるものではない。

 亡くなった兄が柔道家を目指していたので、柔道には興味がありよくテレビ観戦しているがル-ルが年々変わっているようだ。オリンピックの正式競技となっている以上、世界に共通するル-ル作りは当然だが、『積極性』などというのは主観的な問題。本人は積極的に動いていると思っても、まわりにはそう映らないことはザラにある。

 日本人に乏しいものは『表現力』だとよく言われている。これは体型や顔つきからくるものが大きいのだろうが、昔から気候風土に恵まれた我が国の文化の基本には『穏やか』が基本。しかも、相手を思いやる風習が『是』とされているのだから、外国人から見たら相手を蹴飛ばしても自分を売り込むような『積極性』が足りないと思われるのはやむを得まい。

 谷選手の前に登場した柔道男子60キロ級の平岡選手は一回戦で、この『積極性』が足りないと敗退。出場が決まった彼を『軽量級の星』などと絶賛したマスコミは、敗退した選手の名前すら書くのも嫌なのか、今日の記事には『平岡』という固有名詞は皆無。これがマスコミの常なのだろうが、判定に対しての見解は一切ない。

 『積極性』という主観的な『感情』を競技のジャジの項目に入れられたのでは、柔道では今後もメタルを多く望む方が無理なのでは・・・・。(田舎親父)

2008年8月 9日 (土)

この政府は国民の安全など二の次・三の次らしい・・・

 中国の毒ギ-ザ事件が世間を賑わしたのは今年の1月から月にかけてのこと。オリンピックが連日大騒ぎされているので、日本国内ではすっかり忘れてしまっていた感がするが、今頃になって政府は、中国側から『6月中旬に中毒事件が起きていた』と連絡があったことを明らかにした。

 しかも『しばらく公にしないでくれ』との注文を受けたので、今まで公表を控えていたというから、国際世論はウ-タン内閣を『中国サマのご命令とあれば、国民の命何他いくらでも差し上げます・・・』という態度だと認識するのは間違いなさそう。

 外相も『中国製毒ギョーザ中毒事件』で、日本政府が7月上旬に中国から事実関係を伝えられた後も公表しなかったことについて、『情報提供者が公表しないでほしいと言っている以上、公表しない。捜査のことだからということにも一定の合理性がある』と述べているが、『一定の合理性』とは詭弁も甚だしい。

 そして、曖昧な口調であたかも日本側の主張を中国が認めたかのような言い回しで『日本側が言っていた通りである可能性が大きくなったと判断されるようなことを通報してきた。われわれとしては一定の評価をした』」と、ここでも『一定』の評価とのたまっている。

 何故6月になって中国が『毒ギョ-ザ中毒事件』を通告したのか真相はヤミの中だが、全て破棄したというギョ-ザが何らかのル-トで市場に流れたようだ。そして、中国の国民は『毒は日本で混入した』との中国政府の見解を信じて、食べてしまったというところだろうと想像している。

 案の定、多くの人たちに中毒症状がでてしまい(死亡した人も存在する?)、外国メディアの知るところとなり、このままでは隠し通せないと判断。日本政府に取引を申し出たのではないだろうか・・・。

 取引の内容はわからないが、胡錦濤主席は何としてもサミットで人気挽回(もともと人気などないのだが)をと目論んでいたウ-タン首相の立場を見透かして『日中首脳が仲良くやっている姿を国民に見せないか・・・』と囁いた・・・という構図か。

 日本政府としては徹底的に隠し通せると思っていたようだが、外国メディアが知ってしまったことを隠蔽できにはずがない。仕方なしに『一定の合理性』とか『一定の成果』などという言葉で誤魔化そうとしているようだ。しかも首相自らが言うのではなく外相を通して言わしているのもこの内閣の体質をよく現している。

 今中国はオリンピックを何とか終わらせたいという思いで精一杯。とても『毒ギョ-ザ事件』にかかわる余裕がないので、口先だけで日本側の言い分を聞いたような振りをして、オリンピック終了後、捜査を本格化させる意向を示しているようだが、こんなことまともに信じられるわけはない。

 昨8日はオリンピックの開会式。ウ-タン首相ものこのこと出かけて、胡錦濤主席と会談したはず。新聞には解決を急ぐ決意なんて書いてあるが、国民が一連の事実を知ってしまった以上、この問題を少しは話題にしなければカッコがつかないのではないので少しはこの問題を話題にしただけで、例によって他人事、知らんふりを通すことも考えられないことはない。

 米原子力潜水艦の放射能漏れも予想以上に膨らんでいるよううだから、一体、誰のために政治を行っているのかと呆れてしまう。それでいて『消費者庁』などというわけのわからない官庁をつくるというから、本気で消費者の保護や国民や安全など考えているとは思えない。

 他国への配慮を優先する内閣が存続すること自体おかしく、海外で同様の問題が発覚すれば、一発で内閣が吹っ飛ぶ問題なのに、マスコミもオリンピックの方が重要らしく、この問題に対してはまさに他人事・・・。

 一体どうなっているのだろう。民主党はじめ野党の皆さんの本気の追求を期待するしかないのが情けない。(田舎親父)

2008年8月 8日 (金)

二次・三次下請け会社の作業員が気の毒・・・

 神戸の川で子どもたちが流された事故に続いて、東京で下水道工事中の作業員が瞬間的に増水した濁流に流され犠牲になるという痛ましい事故が報じられた。

 神戸での事故での行方不明者もその後発見というニュ-スは流れない。今回、流されたのは5人、今朝までに4人が遺体で発見されたが残り一人は未だに行方不明という。恐らく濁流は一気に海まで運んだに違いない。

 関係者は気を悪くするだろうが、恐らく生存は望めまい。せめて遺体の収容だけでも急ぎたいものである。それが入札で工事を請けた会社のとれる唯一の鎮魂の手段だと思うのだが、儲け第一主義の会社では、二次・三次下請けの作業員の命より、目先の損害を計算するのが先のようでは、そんな期待はできそうもないことが情けない。

 一昨年から今年にかけて、自宅の前に特別養護老人施設が2棟建設されたので、道路に埋め込む下水道の工事をつぶさに見ることができた。

 本管は直径2mもあろうかと思われるコンクリ-トの管、その一部に枡(四角い連結部分)を設置して建物からの下水管をつなぐ工事などは、なるほど下水管というものはこうなっているのか・・・と感心して眺めていた。

 しかも、建物からの下水管をただ本管に繋げばよいものではないらしく、下水道の点検や補習のためだろうが、その近くにはやはり枡を設置して、道路から直接降りられるマンホ-ル部分を取り付けている。これらの頑丈で太いコンクリ-トの仕組みを見ると、半永久的なものではと思ってしまう。

 今回の事故は従来の下水道の内部にもう一つ小さい管を張り付ける補修工事だという。本管を入れ換えるより、その方が費用的にぐんと安いのでこの工法が主流になっているというが、素人考えでは工事の度に本管が細くなるのでは・・・しかも丸い管ではなく、四角い溝だとのことも何か違和感がある。

 これも以前の経験であるが、都内の田園調布近くを通る環状8号道路の下を通す下水道工事を見学したことがある。そこには直径が5m以上もある太い管を通すために巨大な切り羽が地下を掘り進んでいた風景があった。現場にはエレベ-タ-で降りて、そこからはトロッコに乗って前線に行ったことも思い出す。

 こんな工法は交通量の多い道路では地上の工事が不可能だから、トンネルを掘る最新工法で地下深い場所を掘り進んでいるのだろうが、こんな大きい下水道なら安全係数も上がり補修も容易に違いない。

 雑司ヶ谷のような人口が密集し道幅が狭い場所には、とてもこんな大きな下水道管は埋ってはいないはず、都内の下水道の多くも古い工法で作られた溝型のものだろう。となると、今後も同じような事故はかなりの確率で起きるのではないだろうか。

 工事は『竹中土木』という会社が請けたという。しかし亡くなった人は竹中土木の作業員ではなく、現場監督が第二下請けの作業員、実際に作業をしているのは第三下請けの作業員だというのが気持ち的に引っかかって仕方ない。

 『竹中土木』が都に提出した施工計画書によると、携帯電話サイトなどで気象情報を集めて天候の急変に備え、注意報を伴う雨量の場合には作業を中止する-と規定していたとのことだが、現場の責任者は『注意報を確認していなかった』ようだ。

 当然、責任者が作業員たちに退避を指示した時にはすでに遅し・・・。というより指示そのものを本当に出したのか怪しくなってくる。

 気象情報の収集方法に問題があったことは間違いないところだが、この小覧でも以前から取り上げているように、チャラチャラ姉さんが自信タップリで予報することがイベントになってしまい、実際には外れることが多い現実では現場責任者としても気象庁をいま一つ信じられなかった・・・とも考えられないことはない。

 ともあれ、狭い空間で『工事費用を安く上げるため』にさらに狭くする作業・・・。それも請け負った会社ではなく、下請けに丸投げ。実際に工事をするのはさらに下請けの下請けという構図が、現代の拝金主義の代名詞のような印象はぬぐえない。

 実際に作業員を出していた会社としても『入札』に参加したかったのだろうが、条件が整わなかったのだろうから、単に工事を価格で決める『入札制度』にも問題がありそうな気がしてならない。

 もう一つ、降雨による退避の場合、通常は下水道内に置いた資機材を回収してから地上に上るということになっているといから、二次・三次の下請けでは『資機材の撤去』が第一とたたき込まれて、身の避難より資材確保が優先されていたのではないだろうか。

 都は『雨が降ったら工事は中止』との通達を出したというが、人が死なないと変えられない体質は何とかしたいもの・・・・である。(田舎親父)

2008年8月 7日 (木)

人か集まれば処理も大変・・・

 今日は『立秋』、暦の上では秋が始まるのだが、実際にはまさに『夏本番』。

 昨日は北海道から東北、今日は西日本、明日は関東というように日替わり順番のようにここ数日は天候不順で雷さまが大暴れ。予測不可の豪雨が悲惨な事故を招いている。

 これを地球温暖化の証拠と張り切っている学者サマも多いようだが何でも地球温暖化のせいにしていては良い知恵は出てこない。確かに温暖化もあるだろうが、このところの異常気象は、温暖化だけで説明できるほど規模が小さくないのが気がかり・・・。

 ところで、少し短くなっているらしいが学校は夏休み。海や山など行楽地には家族ずれが押しかけて賑わっている様子がテレビで紹介されている。今年はガソリン価格の高騰で、海外旅行が少なくなっている分、国内の近場が大人気だという。

 特に『富士山』は世界遺産へという動きがあるというので、テレビが大々的に取り扱っているのも影響して、7月1日の山開きから大勢の人が押し寄せているという。

 富士吉田の観光課の調べによると、7月中の登山者数は延べ約9万9000人で、前の年と比べると約3万5000人、約50%も増えたというから驚く。特に『海の日』を中心にした連休などは連日約1万人が訪れたとのこと、まさに頂上はラッシュアワ-の電車なみ・・・。

 これが吉田口だけの数。どうも他の登山口から登った人はカウントしていないようだから、実際に登った人の数はこれにとどまらないようだ。

 ディズニ-ランドや湘南海岸など交通の便がよい行楽地ならば、5万人、10万人という数値は理解できるが、富士登山の場合、五号目まで車で登ったとしても、健脚でも五時間はかかる3776mの山頂へ、これだけの人が群がるのだから、(マスコミが意識的に作り上げたかどうかはさておき)余程の魅力があるに違いない。

 映像を見る限り、とても健脚とは思えない高齢者や子どもたちも大勢混じっている。私は今まで『富士山なんか・・・』と馬鹿にして、この季節に富士登山の経験はないか、恐らく人の波がほとんど切れない行列状態の登山風景、例えは悪いが『前の人のお尻を眺めて・・・』状態なのだろう。

 お尻で思い出したわけではないが、人が集まると問題なのがトイレ事情。交通必便の行楽地には、こんなに必要などと思うほどのトイレが用意されているので(それでも女性は列をなしているのが常)、余程緊急自体が発生しない限り一刻を争う事態には至らないようだ・・・。

 が、富士山は事情が違う。五合目から上の登山道は樹木が全くない。(風当たりが良いので、快適かもしれないが)見通しが良すぎて『ちょいとそこらでキジうちでも・・・』という、少し山をかじった人間が好んで発する言葉を聞こうとしても、発する人すら皆無だろう。

 登山道にはそれなりにトイレが用意されているようだが、水は何よりの貴重品どころか飲み水の確保が精一杯。下水道などに回す余裕があるはずがない。バキュ-ムカ-が適宜登ってきて汲み取りでできれば問題も少なかろうが、それも不可能。となると言葉は汚いが『垂れ流し』なのだろう。実際は夏山シ-ズンが終わると乾燥させて焼却処分していたというから、これも大変な労力・・・。

 そこで考えられたのが『バイオトイレ』だという。『バイオ』というのは今流行りの言葉をつけている通り、おがくずや土などを入れた処理層にし尿を通し、微生物で水と有機物に分解するシステムだろうということは想像できる。

 分解後の有機物は気体として放出され、水分は水洗用の水に循環利用しているというからなかなかの優れものらしい。富士山7合目では、処理層にスギチップを利用しているというから、今年は無理としても来年にはぜひ一度見たいものだと思っている。

 ところが、現在の設置されている個数では、一日1000人分のし尿処理が限度だというから大ピンチ。残りの9000人は、臭い汚いを我慢して従来の垂れ流し方式を使わざるを得ないようだ。

 私は毎年中国雲南省を中心に旅をしているが、この国のトイレ事情は最悪。始めての時などは驚きを通り越してひっくり返ったほどであるが、富士山の垂れ流し方式トイレはこれに近いのではないだろうか。

 世界遺産に登録するためには環境問題を一つずつ解決していく必要がある。放置されているゴミなどの処理も問題があるが、これは量的なことで『カネ』の力でなんとでもなりそう。しかし、トイレ事情は簡単ではない。

 バイオトイレの処理能力を上げることも重要だろうが、山頂近くにトイレが並んで建てられている図は世界遺産には相応しくないだろう。このあたりをどう折り合いをつけるかが課題だろう。

 それ以前に、猫も杓子も『富士登山』という『何でも迎合』という日本人の体質を何とかしなければ・・・と思うのだが。(田舎親父)

2008年8月 6日 (水)

『平和の日』の今日に思う・・・

 『原潜 横須賀入港阻止』デモの先頭に立ったのは数十年も昔のことの懐かしい思い出である。当時は純粋な気持ちで『原潜=戦争』と信じて行動していたが、今でも『原潜』と聞くと、嫌悪感が先に立つ。

 チェルノブイリの事故で、放射能の恐ろしさを世界中の人が知ったはずなのに『平和利用』という美名と、最近はクリ-ンエネルギ-の代名詞のような扱いで各地に原子力発電所の需要が増え、実際に各地で建設されたり、計画されている。

 人間が作るものなので、『完全に安全』な物など存在しないが、便利で快適な生活を維持推進するためにはエネルギ-が不可欠。そのための妥協として原子力発電所が存在するのだが、その安全性については電力会社というより政府の責任において、最大限の情報の公開と安全性の確保は最低限の義務なはずなのだが・・・。

 実態は住民とのトラブルを避けたい一心なのか、知らせることによって不利益が生じるのかは明らかでないが、原発側は何事にも『秘密主義』な感じがしてならない。

 まして軍隊となると『秘密』が原則。日本に限らず世界中どこでも『国防』という言葉には情報を漏らしてはいけない、という意味と同義らしく、イ-ジス官艦や○○型ミサイルあるいは原潜、あるいは原子力空母などと、外観の映像は公開されているものの『安全性』については全くといって良いほど情報はない。

 原子力空母や原子力潜水艦の詳しい構造については知らない。が、少なくともウランなどの核物質を燃料にしてエネルギ-を得ているのだから、ごく小さい規模の『原発』を船内に持っているといっても間違いではなかろう。

 地上の原発は放射能漏れを阻止するために、建設費をかけさえすれば分厚いコンクリ-トで何重にも原子炉を覆い『安全性を限りなく無限大』にすることは可能だろうが、狭い船となるといくら費用をかけても完全に封じ込めることなど無理。まして秘密主義が当たり前の軍隊の艦船では、乗組員でもその詳しい仕組みや『安全性』に対しての確実な情報を持たないのが普通では・・・。

 そんな原潜がごく微量ながら放射性物質を含む水が漏れたことが明らかになった、とアメリカ海軍が発表したというニュ-スが流れた。

 記事によると、『ヒュ-ストン』という名の原潜から漏れた放射性物質の総量は1万8500ベクレル以下で、余程の精密な検査でなければ検出困難だという。海軍当局は7月に行われた定期検査で発覚したが『無視できるレベル』だったが、漏れは3月に佐世保港に寄港した当時から続いているため、協定により日本政府には連絡したとのこと。

 ところがアメリカから放射性物質の漏れの連絡を受けた外務省は、米側からの連絡に対して『問題になるレベルのものではない』として、佐世保市や長崎県には知らせなかったという。これは恐ろしい。

 市が外務省に問い合わせて始めて放射性物質の漏れの説明を受けたというから、外務省という役所は国民の安全など頭から関心がないらしい。それ以上に『アメリカさまのおっしゃるのだから安全に間違いない・・・』という姿勢に、やはり日本はアメリカの51番目の州になり下がったのかと腹立ちさというより情けなさが先に立つ。

 1万8500ベクレムという数値が正しく、危険がなかったのかもしれないが、量の問題ではなかろうに・・・。

 先日、横須賀基地に配備が決まっている原子力空母ジョージ・ワシントンが火災を起こしたと報じられた。アメリカ海軍の説明は『艦内で規律に反した喫煙が原因』とのことで艦長の首をすげ替えたとのことだが、それ以上の説明はない。

 今日は広島の『原爆記念日』。広島では平和を祈る行事が早朝から行われているが、世界で唯一被爆経験を持つ国民の一人として、よその国の人々以上に『核』に敏感でいたいものである。(田舎親父)

2008年8月 5日 (火)

片方を空けているのは自衛本能なのかも・・・

 3日朝のテレビのニュ-スで、首都高でタンクローリーが横転し、流出したガソリンなどに引火して炎上している映像が流れていた。事件発生が午前5時過ぎというから、交通量も少ないはず。

 車両の点検不良も考えられるが、いくら整備不良といっても、ごく普通に走っていて急にエンジンが火を噴くことなど考え難い。多分に運転手が居眠りでもしていてスピ-ドが出すぎた車がカ-ブを曲がり切れず側壁に激突といったところだろう。

 貧乏人の私には運転手に対して、高騰を続けているガソリンをあらた無駄にする行為に『もったいない』と思うと同時に、近隣住人に多大な迷惑をかけたことに対して『もう少し注意して運転しろや・・・』と言いたくなる。

 もっとも運転手にしてみれば、急がなくてはならない事情があったのだろうし、注意したくても『過労』を強いられて体力の限界だった、という事も考えられないことはない。運転手が怪我ですんだということだから、これらのことは今後明らかになるだろうが、こんな事故があると、多くの人が迷惑を被る。

 実際には、近隣の住民は荘重からたたき起こされビックリしたに違いない。とんでもない日曜日だと憤る声が聞こえそうだ。しかも事故直後から首都高中央環状線の一部の通行止めが続き、復旧の見込みが立たないというから経済や流通に及ぼす影響は甚大だろう。 

 おかしなもので、こんな早朝からこんな事故がおこると、不可解な事件や事故が続くのはこのところの流行りになっているらしく、この日の午前『東京ビッグサイト』というイベント会場で突然エスカレーターがストップするという事故が起きた。

 1階から4階まで直接結ぶエスカレ-タ-という。私もかってコンピュ-タ関係の展示会などで、この会場を訪れたことがあるので大体の様子はわかる。このエスカレ-タ-は近隣の駅構内にあるようなものと比べて大違い。吹き抜けの空間を一挙に4階へと延びている。

 そこでは、模型やフィギアの販売のイベントが行われていて、事故の起きたのは開場の直後だったようだ。この日は8月の最初の日曜日とあって、家族連れやファンで満員の盛況、動き始めたエスカレ-タ-には会場に急ぐ人で鈴なり状態だったという。

 その満員のエスカレ-タ-が突然止まり、次の瞬間には逆に動き始めたというから、バランスをくずして転倒する人が多いのは当たり前。怪我人が少しでた程度で犠牲者はなかったとのこと、不幸中の幸と胸を撫で下ろす。

 記事によると、このエスカレ-タ-の一つの段に3人もの人がひしめき合って乗っていたとのことだから、重みを支えきれなくなったのだろう。(昨日になって、4人との報道だが、そんなに乗れるものだろうか・・・)

 エスカレ-タ-に限らず、人間が作る機械にはそれぞれ限界があるのは当然で、今回のように4階までの長距離を途中の支柱などない空間を一直線に結ぶ構造では、許容重量の決め方に問題があったように思える。

 このメ-カ-のエスカレ-タ-は名古屋でも事故を起こしているという。状況がわからないが、上がりエスカレ-タ-とのことだから、やはり人か殺到して、乗せすぎ重量オ-バ-からくる構造的なものだったのではないだろうか。

 最近我が国ではどの地方でも、エスカレ-タ-に乗る時右側(関西では左側)は急ぐ人に空けておくことが、常識的なル-ルとなっているらしい。場内放送では『エスカレ-タ-での走行はお止めください』と繰り返しているが、だいたいどこでも片方は空いているのが普通である。このため駅などでは大混雑になるのだが、1段に3人以上乗るなんてことはまずおこらない。

 案外このル-ルは、重量オ-バ-を見越した人間の『自衛本能』から生まれてきたのではないだろうか・・・。

 ともあれ、繰り返すがエレベ-タ-でもエスカレ-タ-でも人間が作った機械。高齢者や障害をもった人達はともかく、健常者は階段を使って自分の足で登るのが『安全』であることは間違いない。(田舎親父)

2008年8月 4日 (月)

この政党には規範は存在しないらしい・・・

 先日郵政民営化で党を追われ、いつの間にか復党している議員が、来るべき衆議院選挙では『自民党公認』にするというニュ-スに違和感をもったのは私だけなのだろうか。

 あの自民党の圧勝、絶対多数をものにしたのは間違いなくコイズミ前首相の喧嘩作法。国民へ『郵政民営化』の是非を問い、当時、かなりの人数が存在していた党内の反対議員に対しては『除名』をちらつかせて屈伏させたことを覚えている人は多いはず。

 反対議員の一部は新党を立ち上げてコイズミ自民党と決別したことに大拍手したものだが、その後は鳴かず飛ばずで、存在感すら怪しくなっているのにガッカリ・・・。

 『除名』されたら大変と、直ぐに変節した輩は論外だが、一時的に『離党』という手段で嵐の通りすぎるのをひたすら待つ議員も多かったようだ。

 先般の選挙は(コイズミ戦術に騙されたとは言え)刺客が小選挙区もしくは比例区で当選した選挙区において、人々の多くは『郵政民営化賛成』を選び、自民党本部はその地方組織のトップに『刺客たち』を据えたはず。

 ところがいつの間にか『復党』させて、しかも幹部たちのご都合によって、県連のトップに復帰しているというのだから、刺客を選んだ人々の意思など全く無視。選挙民はもっと怒らなくてはならないと思うのだが、これが『やれやれ・・・』だから、情けないというより呆れて、その意識すら疑ってしまう。

 刺客たちもシッポを巻いて、本部のいうなりだから、これも変な話。数年間美味しい汁をすえたのだから、と諦めているのだろうか。

 自民党の幹部たちの頭の中は、すでに『郵政民営化』などは問題意識すらなくなり、次の選挙をどう乗り切るか、だけのミエミエ姿勢。

 刺客と言われた議員たちはもう『お役目ゴメン』らしく、次の選挙には公認しないというから、まさに『使い捨て』にされたと同じ、これはもう義理や人情など全て否定し、ただ選挙に勝てば良い・・・という以外なにものでもないようだ。

 こんなことがまかり通っているのだから、『方法などどうでもよい。人を騙すのも戦術の一つ、要は勝てば良い・・・』という風潮が全体的に広がり、最近のわけのわからない(今までの常識では考えられない)事件が頻発するのではないだろうか。

 ところで、やっとのことで、ウ-タン首相は内閣改造を行った。オボッチャマが逃げ出したので濡れ手に粟状態で手に入れた地位、何とかしばらく美味しい思いをしたい・・・という現れだろうが、この中に、『郵政民営化』に反対して離党していた議員が閣僚や党の重要ポストに就任している。

 これで『国民の目線』だとか『安心実現』だというのだから、この国には真実がなくなってしまったようだ。誰かがいみじくも表したように『世の末千秋楽内閣』であって、今度こそは、国民がまともな選択をしなければ、とんでもないことになる。

 民主党もこんな候補者に負けないような、自民党には負けない、例えば自民党を追い出された刺客を逆に利用するなど、『手段を選ばない』戦術が必要な気すらしないでもないが、それ以上に必要なことは、国会内で徹底的に議論して、解散に追い込むことだろう。

 もっとも、それによって生まれた総選挙という折角のチャンスに、自民党公認の候補者を選ばない、ということが前提であるが・・・。(田舎親父)

2008年8月 3日 (日)

こんなオバチャンを教育委員にしているようでは・・・

 どこまで広がるのかわからないと思わせていた大分の教育汚職問題だが、期待したほど進捗状況は速まらない。教育委員会内部が変な意味でまとまっているようだ。

 カネを受け取ったことが明らかになり、警察から家宅捜査を受けているにもかかわらず富松という男を教育審議監という県の教育界のNo2の役職を続けさせるが解せない。県の教育界の幹部たちの間には『何としても利権だけは守ろうぜ・・・』ということが暗黙の了解事項になっているのではないだろうか。

 こんなことを思っていると、公開された場での発言かどうかは明らかでないが、『教員採用試験の不正に対する内部調査要領』を決めた臨時の県教育委員会で、教育委員の一人が『OBが、さも人ごとのごとくベラベラと事件についてしゃべることが腹立たしい』と言ったというから、やはり・・・な、と呆れてしまう。

 おバカな教育委員がいるものだと、名前を見たら『波多野順代』という漢字の字面からは性別の判断ができない名前。調べてみたら県立高校の校長上がりのオバチャン。つい最近までは教育委員長をしていた人物だとある。

 教育委員なんていう組織はどこの自治体でも『お飾り』であることは周知のこと。その委員長などは順番で4年に一度回ってくる名誉職。なのに、自分がその職についていた時に明らかになったことに対して、ヒステリックになって、ついつい本音がでたというところか・・・。

 さらに、『公務員であったなら守秘義務というのがある。それは辞めた後も生きていると私自身は思っている』に続いて『会社員とかそんな方は、会社の不利益になるようなことをペラペラしゃべることはない』とも発言したというから驚き。

しかし、これらの一連の発言は見逃せない。捜査の段階で、口利きなどへの組織的な関与を認めた元県教委幹部らを念頭に置いていることは間違いなく、『これ以上明らかになると、自分たちのやっていたことがバレる』との危機感と、『私までヤバイことになる』という捜査が身辺に及ばないための防衛・・・。

 このオバチャンは、全く自分の立場が見えていないようだ。『これは内緒だぞ』という悪の約束を『守秘義務』という公務員の職務だと本気で思っていることが恐ろしい。

 多分に、大分の教育界では『口利き』や『お礼の商品券』は当たり前の必要悪(悪という意識はなく、必要なもの)とまかり通っていたのだろう。このオバチャンもそんな仕組みを利用してのし上がってきたのではないだろうか。

 委員会の直後に、このことをある新聞社の記者から指摘されたら『(学校現場に動揺が広がるなど)子供たちの不利益になると困る、という思いがあり、ついついそういう発言になってしまった。退職者が話すことは全くもって当たり前のこと。考えが足りず、大変申し訳ない』と釈明したというから、おバカ加減はよく分かる。

 ここまでの動きを見ていると、こんなおバカなオバチャンが高校の校長をつとめ、しかも名誉職とは言え世間では教育界のトップと見られている『教育委員長』になっていることを見ると、大分の教育界の悪の根は想像以上に深そうである。

警察がどれぐらいのやる気で捜査しているかは窺い知れないが、教育委員が組織をあげて『旧態の維持』を掲げているのでは、真相解明にはまだまだ時間がかかりそうだ。いや根底から帰ることなど不可能ではないかとさえ思ってしまう。

 (法的には難しいだろうが)教育委員会という組織そのものをどうするかを考える時期に来たのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2008年8月 2日 (土)

単に平均寿命が延びても・・・

 首相はじめ自民党の幹部たちは内閣を改造、『安心実現内閣』なんて、一見して嘘とわかるような名前をつけてご機嫌らしいが、すぐに醜聞が吹き出しそうな御仁も入っているようだから仮面が剥がされるのも時間の問題だろう。

 このことについては後日述べるとして、今日は増えつづける老人問題について一言。

 昨日の新聞に『日本人の寿命 過去最高』という見出しが一面で踊っていた。何でも女性の平均寿命が86歳に手が届くところまで延びているとのことだから驚く。男性の場合は79歳強と女性に比べて7歳程短いようだが、それでも80歳が目前。いよいよ男女とも人生80年というのが現実になったという感じ。

 女性が世界一であるのは当然として、こんなことを世界一と三位に落ちたと大騒ぎしたり自慢して良いことなのだろうか・・・と変な気持ちにさせられる。

 平均寿命が延びていることは悪いことではない。最近、老人問題がマスコミを賑わすことが多いが、なかでも問題なのが『痴呆症(認知症というらしい)』、自分の意識とは別の行動をとるのだからやっかいである。その介護のために24時間目を離せないということもよく聞く話。極端な場合、余程寝たきりの方が良いという人まで現れているという。

 つい50年程前までは、70歳まで生きることは稀という意味で『古希』と称し長生きを喜んだものだが、労働の質の変化と医療技術の進歩?で70歳は当たり前になってしまった社会では、当然こんな問題は初めから予測できたことである。

 安易に口にすると、激しい批判の嵐にさらされることは間違いないが、『自分の意識とは別の行動をしたり、あるいは寝たきりでその瞬間を瞬間の連続として時間が付属してくる、謂わば、生命機能だけが動いている人たちが、はたして有意義に生き続けていると言えるだろうか・・・』ということを考えることが多い。

 生きている価値がないので、放置しろ・・・という乱暴な意見もあるだろう。これは、楢山節考のいう『うば捨て』の考え方につながるものだろう。一理ある。が、かといって実行するとなると、とんでもないことになる。

 最近、働き盛りの年代の人たちの間で『鬱』が激増していると言われている。時には自分で解決の道を選べず、自殺に発展することが多いのが社会問題になっている。しかも、自殺者の年代は30~40代が多いのも気にかかる。

 平均寿命とは飽くまで死亡した人の年代をト-タルに平均したもので、若い人が多く死亡すれば、数字が落ちる。今回発表されて数字を裏から眺めて、男性の平均寿命の順位が落ちたのは、3万人を越す自殺者の多くが、まだまだこれからの男性が多いことが原因なのだろうと思ったが、これだけの自殺者を出しているのに0.19歳延びているというから、自殺者をのぞいて計算するともっと延びているようだ。

 私の住む地域でも過去5年間で、私の把握しているだけで、特別老人養護施設が8つも建設され、現在も2つ程建中である。その全部が調整地区という個人の住宅が建てられない畑や雑木林を重機で強引に平坦にしてあっと言う間に建てられたもの。

 その他、介護施設や老人共同生活施設などの数は日毎増えているのが現状。どんな田舎道を歩いていても、出会うのは産業廃棄物の運搬車と老人施設関係のロゴ入りの車ばかりといっても過言でないほどである。

 天気がよい日に公園に出かけると、車椅子に乗せられた老人たちが溢れているのも日常的な風景になってしまった。一昔前は、老人介護は家族の責任だった。社会で考えようという風潮が広まったのは素晴らしいことに違いないが、『老人介護』そのものを『金儲けの材料』になったことを嘆いているのは私だけではないだろう。

 しかも、実際に介護に当たっている人にはその見返りは低く、そのほとんどが謂わば、人間を派遣をしている『会社組織』の一部の人間が吸収していることに憤り感じている。

 『介護保険』などという、善良な国民をうまく騙してカネを巻き上げて、一部のこんな連中の懐が温まるようなシステムにも憤慨しているが、その制度を『自分たちが面倒を見ないから・・・』と、安易に受け入れている風潮が悲しい。

 それだけ現在の我が国には老人には生きにくくなっているようだ。

 『長生きは美徳』と言われたのは昔のこと、今は年金や後期高齢者医療制度、介護保険や痴呆症という、あまり良い話が見当たらない。貧乏人には住みにくい世の中なのに、平均寿命は延びている・・・これは一体何なのだろう。

 60歳で亡くなろうと、100歳まで生き長らえようと、時間的には量の問題。一度は必ず訪れる『死』がある以上、時間的という量のより、生き方という質の問題にしたいものと思っている人も多いのではないだろうか。

 そのために、最近の口癖である『死ぬ前日まで自分の意志で歩いていたい・・・』という考え方が大切に感じる今日このごろである。(田舎親父)

2008年8月 1日 (金)

安全があって始めて『親水』なのだろうが・・・

 先月29日の雷雨にはビックリした。午後になって突然雷が鳴り出したが、その時はまだ『遠いだろう・・・』とタカをくくっていたものの、数分後には突然雷鳴が近づき、大雨が襲ってきた。

 まるで頭の上で雷さまが躍り狂っているような騒ぎ、横浜ではこんなことは珍しい。しばらくすると一旦雨が小降り、いつも通りならこのあたりで幕になるのだが・・・。前日の天気予報では関東地方北部は激しい雷雨と言っていたが、南部には言及していなかったはずなので、つい終わったのだろうと思ってしまった。

 魔が差したというのだろうか、自分で雨雲の様子を確かめようとコンピュ-タを立ち上げて調べていた時、突然の停電。一瞬『ヤバイ・・・』と叫んだが跡の祭。電気はすぐ復旧したが、ネットがアウト。完全に壊れてしまったようだ。

 この経緯は別に述べるとして、再び猛烈な雷鳴と信じられないような大雨がしばらく続いた。この地に30年以上住んでいるが、こんな大雨は経験したことはない。

 このところ災害の度に聞くのが、この土地で生まれた育った人たちが言う『こんなことは生まれて始めて・・・』という言葉。最近の災害の規模の大きさが異常だという以外何ものでもないようだ。

 前日、北陸・近畿地方を襲った雷雨も物凄かったようだ。神戸の都賀川という市街地を流れる川が、10分で水位が1.3メ-トルも上昇し、川で遊んでいた学童保育の小学生ら約十人が相次いで流されるという悲しい事故が報じられた。

 テレビで、作業員が必死に橋桁にしがみついている衝撃的な場面の映像が流れていたが、屈強な作業員の男性でも橋桁にしがみつきかろうじて流れから身を守っているのだから、女性や子どもの力では、一瞬何がおこったのかさえわからなかったのではないだろうか。

 今までの常識では雨で増水することは理解できても、これ程瞬間的に増水するとは考えられない児童たちを引率してきた人たちの指示が遅れたことも考えられるが、作業員さえ予想できなかったのだから、この人たちを責めることはできない。

流された人たちの中の5人が犠牲になったとのこと、亡くなった人々に対して心からご冥福を祈りたい。そして遺族の方の悲嘆は想像を絶するものがあるが、悲しみを乗り越えて生きていかれることを祈念してやまない。

 最近は下水道が完備したことと、水処理技術によって水質が過去とは比べ物にならないほど綺麗になっているので、各地で『親水公園』が大流行。私の散歩コ-スの恩田川でも、上流の町田市街にはこのような施設がかなりの数作られている。

 共通した様式は道路から階段を降りてある程度の広さを確保したテラスと川底を平らにして川遊びができる場所があることだろう。休日などは家族ずれが遊んでいる姿を目にすることが多い。都会にあっては『これも親水』には違いないが、私的には何か違和感があるのも確か・・・。

 映像を見る限り、神戸の『都賀川』も川というより『溝』のような場所に、このような『親水公園』的な場所が連続しているような感じ。都会のオアシスとして、普段は子どもたちが喜んで遊んでいるのだろう。

 このような都会を流れる小川の共通していることは、距離が短いこととコンクリ-トで護岸されていることに加えて、さらに流域には家が密集し、道路はどんなに狭い路地に至るまで完全に舗装されていることである。

 これでは降った雨は一挙に川に流れ込むのは予想できないことではないが、では今回の事故は防げなかったかというと、私は、当局やマスコミが本気になっていれば防げたのではないかと思っている。

 先月だっただろうか、東京の大田区を流れる『呑川』で、同じような増水が起こり、作業員が亡くなるという事故があった。そこは以前の勤務地に近いので『呑川』の状態はほぼ確実に理解できる。

 『呑川』は川というよりとてつもない大きな溝といった表現が相応しい。両側は高さ5mほどき垂直なコンクリ-ト。転落防止が主な目的だろうが、道路と川(溝)との間は、厳重なフェンスで仕切られている。

 今思うと、ここにも流行りの『親水』という概念が存在して、何とか施設を・・・とのことでの作業だったのではないだろうか。

 『親水』という言葉は魅力的である。水に触れることの楽しさと、同時に安全性があるように響きがある。しかし、大雨の規模が大きくなっている今、一歩間違うと今回のような事故はおこることは当然考えられる。むしろ増えるのではないだろうか。

 各地の同じような『親水公園』では、当面は雨が降ると急いで避難する姿が間違いなく見られるだろうが、来年も同じかどうか疑わしい。まして5年後には、今回の記憶がすっかりなくなっているのが常。雨が降ってきても『大したことはないだろう・・・』という気持ちになって、悲劇は繰り替えさえる・・・。

 この事故を教訓に、本当に安全な『親水公園』の考え方を議論する必要があると思うのだが、いかがだろう・・・・。

 本当は『呑川』の事故が起きた段階でこの話題を取り上げるべきだったのだろうが、『作業員の死』と『親水』という言葉とを関連づけられなかったと反省している。(田舎親父)

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