« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月31日 (水)

奇跡的に景気が回復したら・・・

 つい先日『明けましておめでとう』と挨拶したような感じだったのが過ぎてしまえば、あっという間。もう今日は2008年の大晦日を迎えてしまった。

 わずか365日の間にいろいろな事件や出来事などがあった。荒んでいる世情を象徴するかのような、誰でもよかったという不条理な無差別な殺人事件が頻発したのも大きな特徴であった。

 中でも、リ-マンブラザ-ズの破産という誰もが予想できなかった事態を契機に始まったアメリカの金融恐慌が、あっという間に世界に飛び火、自他ともにアメリカの子分を認めている日本経済を瞬く間に直撃。あの世界ブランであるソニ-も大打撃を被るという事態にまでなってしまった。

 世界一の売り上げと最近まで大いばりで吹聴し、マスコミなどにも圧力をかけていたトヨタまでがあっという間に赤字に陥ると大騒ぎ。自動車産業を中心に契約社員など非正規社員の首切りが続く事態にもかかわらず、政府は肝心な政策は全て地方任せとあっては暴動が起きない方が不思議なぐらい・・・。

 そのお蔭で、こんな事態で解散なんか・・・と我が身だけの考え方だけしかできない『アホウ』とまで揶揄されている首相はじめ与党が居直っていられるとなると、経済情勢の不透明さが続く中で始まる明日からの新しい年に明るい材料を探すのも苦労しそうだ。

 今年は、大学生など新入社員の内定取り消しも相次いだ。景気の良い時には無断で内定を蹴飛ばして、条件のよい会社に平気で移る学生に対して何らコメントを発しなかったマスコミは、一転して学生の味方のような姿勢で内的取り消し企業を攻撃しているのは『お涙ちょうだい』が高視聴率につながるからだろう。

 そんな折り、『優秀な人材を求めて、早くも合同で企業説明会』という記事が目にとまった。この説明会は再来年春に大学を卒業する学生を対象に開かれたとのことだが、このような中小企業の説明会は5月ごろに開くのが一般的なので、周囲からは『異例の早さ』と驚きで見られているという。

 就職戦線の不安が深刻化している昨今の情勢を受け、岡谷という地方都市で開かれた帰省学生対象の説明会にもかかわらず、会場には主催者の予想を超える学生ら145人が殺到したというから、学生たちの必死な様子がよく分かる。

 地方の中小の企業にとっては『今回の不況は良い人材を採るチャンス』であることは間違いないが、はたしてこの学生たちの内定を取り決めたとしても、景気が回復しなければ自分の会社の存続すら怪しくなるのでは・・・。人事担当者の内心は複雑に違いない。

 ここ1年程度で、今回の不景気が吹っ飛ぶとは思えないが、万一奇跡的に景気が回復したとしたら、今回内定を得た学生は、このまま地方の中小企業であるこれらの会社に就職するのだろうか。

 景気が回復したら、採用を控えていた大企業がこぞって優秀な人材を探し始めるはず、恐らく今回内定を得た学生にも触手が伸びるに違いない。条件によっては『内定』を学生から無断で取り消すという、逆転現象がおきることも考えられるが、その時マスコミはどのような対応をするのだろう・・・・。

 マスコミの対応はさておき、誰もが安心・安全に生活できる社会になってほしいと願いながら今年を終えることにする。来年もよろしく・・・。(田舎親父)

 お正月3日間お休みします。

2008年12月30日 (火)

安易過ぎるような気がするが・・・

 ここ数日の荒天で、各地の冬山で雪崩や滑落事故の報道が続いている。

 厳冬期の3000m級の山々の写真を見るだけでもその美しさに心ひかれる人は多い。まして実際に冬山に登ってその魅力にとりつかれた人たちは、冬休みは待ちにまった最高のチャンス、多くの人達が目的の山に向かうが、そこは雪と氷の世界、一歩でもル-トを踏み外すと、たちまち数百メ-トル滑落することは明らか、危険とは背中合わせの世界。

 憧れの白銀の世界に飛び込む人たちは数カ月間かけて十分な計画を立て、自分の体力で『絶対に遭難しない』という自信に裏打ちされて行動するのだろうと信じたいが、毎年のように繰り返される遭難事故の報道に、本当に準備は万端だったのだろうかと首を傾げてしまうことも稀ではなくなっている。

 その一つ、北アルプスの岐阜側の抜戸岳で27日雪崩が発生し、静岡山岳会の4人パーティーのうち二人の男性が巻き込まれて行方不明になったとテレビのニュ-スが流れた。

 報道によれば、このパ-ティは27日午前7時ごろ、奥飛騨温泉郷の新穂高温泉から入山。午後3時ごろ、標高1480メートル付近の小池新道入り口付近でテントを設営。遭難した二人が雪崩に巻き込まれたとのことである。

 他の2人によると、現場付近には2.5メートル近くの新雪があったとのこと。2人は日没まで約2時間、雪崩の現場付近を捜索したが発見できず、新穂高温泉に下山。同日午後9時40分ごろ、同県警新穂高登山指導センターに救助を求めたという。

 翌日、20人もの救助隊の人たちが出動して、捜索したが悪天候のため午後には打ち切り、翌日再開されたが救出したというニュ-スは流れていない。今日も捜索は続くのだろうが、状況はかなり厳しいのではないだろうか。

 遭難した二人のうち一人は登山歴20年のベテランで、以前にもこのル-トは経験していたとのことだが、雪崩の危険性は午前中より午後が多いのは常識なのに、午後3時にテントを設営してから翌日のル-ト確認の行動が何か不自然に思えて仕方ない。

 翌28日には北アルプス・西穂高岳で女性が300メ-トル滑落下との報道。同じパーティーの女性が携帯電話で救助を求めたとのことである。この女性は翌日県警のへリによって救助されたというので、これ以上から語る必要はないのだが、吹雪の稜線をザイルも結ばずに歩いていたのかと気にならないことはない。

 北アルプスでの滑落事故は23日にもあった。午前8時ごろやはり西西穂高岳山頂で60歳の男性が登山道から200メートル下の斜面へ滑落したとのこと。県警ヘリで救出されたが、肋骨を骨折する重傷だという。

 この男性は前日上高地から一人で入山したというが、自分の体力を過信していたのではないだろうか。個人差があるので一概にいえないだろうが、60歳といえば老人といってもよい年代、いくら自分では体力に自信があったとしても、一人で入山することが安易過ぎたのではと思えて仕方ない。

 山に入るのは個人の自由であることは認めよう。しかし、ここまで遭難事故が続くと、遭難した時は誰かが助けてくれるだろう、助けるのは救助隊の勤めだ・・・という安易な気持ちがあるのでは・・・。

 このことを裏付けているのは携帯電話の存在。実際に携帯からの救助要請が多く、山にでかける時には携帯は必需品中の必需品になっているというから、何かあったら携帯でSOSというのが流行りになっているように思える。

 救助隊の人たちも大変、救助を求められたら出動するのは当たり前だが、本当はこの方たちは消防隊員と同じで出動しない方が良いのに決まっている。入山者はこの人たちが『退屈』するぐらいの完全な計画で、身の程にあった山に入ってほしいものと願いたい。

 北アルプスだけで、今年になって遭難事件が179件起こっているとのこと。現在もお正月を山で迎えたい人々が続々と入山しているに違いないが、これだけ、遭難事故が続いていると、入山届けの中に『遭難したも助けは要らず』という項目があっても良いのではと思うが、いかがだろう・・・。(田舎親父)

2008年12月29日 (月)

糖尿病患者が激増・・・

 先日、厚労省は昨年の『国民健康・栄養調査結果』を発表うた。それによると『糖尿病』の疑いがある人は全国で推定2210万人に上るとのことにビックリ。

 信じられないような数字だが、いくら悪名高い厚労省でも悪意を持った作為的なデ-タ-は出せないだろうから、ある程度信憑性があると思って差し支えがなさそう。となると国民の5人に一人が糖尿病患者か予備軍ということになる。

 年代別では30歳代6%、40歳代15%、50歳代27%、60歳代35%、70歳38%と、年齢が上がると増える傾向があるようだが、調査を行う時、年代別に分母を同じにしたのかがはっきりしないのが気になるところ。

 単に、4000人を無作為に抜き出したとなると、血液検査をする年代は高齢になるほど高くなるだろうから、実際は若年層でも糖尿の恐れのある人の数はさらに増えるのではないだろうか。

 それは別としても、昨年の調査結果では1870万人だったから、この1年で300万人も増えたことになるというから、物凄い勢いで増えていることになる。

 厚労省の担当部署は『運動不足や食生活の乱れが改善されていないことが原因』と分析しているらしいが、たった1年でこんなに運動不足の人や食生活の乱れた人が増えたとは思えないのだが・・・。

 私は数年前から1日1時間以上歩くことを心がけている。その日によってコ-スはまちまちであるが、歩いている人たちを見かけない日はない。時間的に若い人と出会うことは少ないが、高齢者を中心に歩いている人は確実に増えているのは間違いないところ。

 以前にも書いたが、私自身現役時代から『糖尿予備軍』だと脅かされ、薬を服用していた経験がある。当初は血糖値が120ということで薬をすすめられたが、現在の主治医から血糖値なんてあまり当てにできないと言われて驚いたことがある。

 医師によると血糖値は数日間飲まず食わずしていたら簡単に下がる数値であって、数カ月間の平均が現れるヘモグロビンA1c(HBA1cという項目)を調べなくてはならないとのこと、この数値が5.8までは正常値、6.5以上になると立派な糖尿病で、その間が予備軍ということになるという。従って現在は、血糖値を気にせず、この数値を中心に自分の健康管理をしている。

 糖尿の薬から開放されたのは『桑の葉』だと信じているが『桑の葉』を人に薦めるためにも糖尿病のことを持って知らねばと思い、このところ糖尿病について興味・関心がでてきたようで調べることが面白くなっている。

 飲み過ぎや食べ過ぎ、運動不足が原因していることはどの医師も口を揃えていうことから間違いなさそうだが、これが全ての原因だとしたら、食事療法や運動することによって糖尿病は治るはず、なのに薬に頼っている人が多過ぎるという問題の解決にはならない。

 『糖尿病』とは医学の専門用語で『糖代謝の異常』。薬を飲むと血糖値やHBA1cの値は下がるが、やめれば元に戻ってしまうのも糖尿病の特徴、となると薬そのものでは根本的な解決にはならないようだ。現代の薬は、基本的には食後の血糖値の上昇を防ぐことなど血糖値のコントロールに主眼が置かれているが、糖の代謝異常を改善している訳ではないという。

 最新の学説に『GTFクロムフェリン理論』というものがあるという。『GTF』というのは日本語では『「ブドウ糖耐性因子』と言いらしいが、これが各細胞の中に存在し、インシュリンと細胞を結合させるようにしているとのこと。

 このGTFというものが少ないから糖代謝が異常になっているとのことで、GTFを作れば糖尿が治るという。GTFの主な成分は三価クロム、ビタミン、アミノ酸ということもわかっており、中でも体内に取り込みにくいクロムの不足が原因だと結論づけている。

 詳しいことはよく理解できないが、桑の葉にはクロムを体内に取り込みやすい成分が含まれているとの記述に、やはり私の勘というか『お蚕さま』から『桑の葉』に注目したことはまちがいないと嬉しくなってきた。

 この理論が正しいかどうかは判らない、私の経験から『桑の葉』を食べていると『HBA1c』の値は下がることは間違いなさそうだ・・・。

 来年からは、さらに理論武装して自信を持って、本格的に『桑の葉』を薦めることにしてみよう。(田舎親父)

2008年12月28日 (日)

学力テストの結果公表に大騒ぎ・・・

 秋田の知事が教育委員会の反対を押し切ってまで全国学力テストの市町村別の結果を公表したというニュ-スに、面白いとニャッとした人も多いのではないだろうか。

 全国一斉学力テストそのものをナンセンスと確信している私もその一人であるが、都道府県別の成績を発表したのに学校別はもちろん市町村別にも発表してはならない、という理屈そのものが変な話なので、知事の強行も理解できないこともない。

 過度の競争が混乱を招いたとして、昭和30年代に行われていた学力テストを廃止したが、歴代の文科相はその原因が当時の日教組の反対だと思い込んでいたらしく学力テストの復活を画策していたようだ。

 あまり頻繁に大臣が交代するのもだから、何代前なのか判らなくなっているが、中山というトンデモ発言で国交相が罷免させられ時の記者会見で『私が文科相の時、日教組が強いところは学力が低いことを証明するために学力テストを復活させた・・・』と発言したことはそのような背景があったことを思わせる。

 それでも教育的配慮というか、世論を納得させるための手段として、かつての教訓から過度の競争や序列化を再燃させないように配慮することをはっきり目に見えるような施策として明記したのが、都道府県による市町村別結果の公表をひかえさせるということであるはず。 

 文科省か今回の知事の行動にビックリして、どうして良いのか判らない態度の裏には、まさかこの命令に反して知事が独断で発表するという想定まったく考えていなかったからだろうが、最近は情報公開請求があれば、どこまで見せるのかは別にして公開せざるを得ない事態に陥ることは十分に予想されたこと、オロオロするのはみっともない極み。

 何よりも県別の成績は自ら公表しておきながら、都道府県には市町村別の公開を禁じるというのは、臭いところは全て下っ端にやらせれば・・・というお上意識そのもの。今騒がれている全国民に施してやるという交付金と同じで、一番苦労する配り方は下っ端のお前らが考えろ・・・というやり方とまったく同じ。困ったものである。

 序列をつけると過当な競争が生まれ青少年の心身ともに健全な発達に支障がきたす、といよく言われるが、テストそのものが『序列』をつけるためにあるもので、何を持って学力というかという学力論はさておいたとしても、0点から100点までの必ず序列が着くのは当然の理である。

 その都道府県別の公開で、最下位にランクされた大阪の橋下知事がこの結果にカリカリして教育委員会の尻をたたいて公表させたくなるのも頷けるが、トップだったという秋田の知事が公開したのは、さらに市町村で競争が進んで、来年以降もトップを走りつづけたい思いからの独走だったのではないだろうか。

 知事の『公教育はプライバシーを除いて公開が基本』『有益な情報がごく一部の教育関係者に独占されている』などとする理屈は理解できないわけではないが、突然市町村教育委員かになにも連絡せず公開するのはいかにも乱暴なやり方・・・。 

 市町村教委はこのやり方に反発して、県内の約半数の市町村が来年度からの学力テストに参加について見合わせを含め検討する意向を示したというから、今後の展開が面白くなってきた。めったに教委の肩を持たない私でも今度ばかりは『教委頑張れ。不参加を表明しろよ・・・』と応援したくなる。

 そもそも学力論をきちんと構築せず、しかも全国一斉学力テストが必要なのかどうかさえまともな議論をせずに強行した、制度そのものに無理があったのは明らか、文科省はメンツにこだわらず学校苦慮テストの実施を根底から考え直すべきだろう。

 全員参加としたため、毎年50億円以上にのぼる予算と現場に無茶な負担を強いてまでおこなっているにもかかわらず、公開するとかしないとか、およそトンチンカンなことで現場を混乱させているのは嘆かわしい。

 50億円あれば、度道府県に1億円ずつ配布できる。一律配布すれば県教委によっては違う混乱が生まれることも考えられるが、少なくとも教員や学校施設の充実に回せることは疑いのないところだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年12月27日 (土)

野菜工場が流行りという・・・

 最近、資本力が豊かな民間企業が『百姓』が商売になると判断したらしく、農業分野に資本を投資することが流行りになっているようだ。

といって社員が農民になるわけではない。近代的な建物を建てて、その中でハイテクを駆使して野菜を作るという、謂わば『野菜工場』と呼ばれているものが中心・・・。

 野菜工場』は、建物内で光や温湿度を成長に最適な条件に設定し生産量を大幅に増やせるという。成長スピードが通常の2~4倍にすることもでき、レタスなど政調の早い野菜なら、年20回の収穫が可能とのこと。土壌の代わりに容器に入れた養液を利用する水耕栽培が中心で、農薬も必要ないといいことずくめ・・・らしい。

 政府はこの『野菜工場』の促進に大乗り気で、導入を促進するため農地法の改正などによる特例措置を設ける方針を固めたという記事を見つけた。

それによると、経産省と農水省がタッグを組んで、来年1月に共同で検討チームを立ち上げて3月末をめどに報告書をまとめ、可能な施策から順次実施するという。法改正のほか、植物工場設置を優遇する『構造改革特区』への指定や補助金の創設を検討も視野に入れているらしいから、かなり本気のようだ。

 農地には『農地法』というシバリがあって、農地の賃借・取得にかかわる煩雑な手続きがあるのに加え、『野菜工場』の建設コストがビニールハウスの20倍、光熱費も50倍近くかかることなどが普及の障害になっているのを『野菜工場』に限定した特例措置を導入するという。

 これが実現すれば、約40%に低迷する『食料自給率』の向上につながり、さらに食の安全・安心の確保や地域活性化にもつながると説明している。

 過疎と高齢化で苦しむ地方は、農業の後継者さえ見つけるのに苦労しているのが現実。大手資本が『野菜工場』を作るとなると、喜んで協力するのではないだろうか。自治体も固定資産税などが宅地並みに課税されるとなると、その誘致合戦も激しくなるだろうが、本当に良いことずくめなのだろうか・・・。

 カゴメやキュ-ピ-という大手食品メ-カ-の『野菜工場』はすでに20年程前からあり、最近はダイエ-など大手のス-パ-も最近続々と各地に『野菜工場』を作っているというニュ-スは聞こえてくるが、まだ数的には少ないはず。

 ところが、法規制の緩和と政府からの資金補助があるとなると、『金儲け命』が当たり前になってしまっている昨今の風潮のこと、金儲けにとりつかれた企業が参入することは明らか。その結果、全国各地には巨大な近代建築物が建ち並び農村の風景は一変することは間違いないところ・・・。

 先祖伝来の農地を手放した農民は、一時的には大金が手に入ることは間違いない。賢い人はこのお金を有効に利用するだろうが、中にはいい加減な使い方をして零落していく、よく聞く話である。

 こんなことは農民一人一人が選択することだから、門外漢の私が心配することではないが、『野菜工場』という考え方そのものが消費者である都会の人間の立場に立っていることを見落としては、日本人としての誇りや文化を失うことになりかねない。

 『野菜工場』では均一の商品としての野菜が季節や天候に左右されることなく繰り返し収穫できるだろう。その上、価格も年中ある程度一定することも確かとなると、消費者にとってはありがたいに違いないが、土と共に暮らし美しい文化を育んできた地方の良さは完全になくなってしまうことは確実。

 人間が人間らしく生きることは、まず食べ物に対しての感謝ではないだろうか。『野菜工場』は現在でもほとんど失われてしまった、この食べ物への感謝の気持ちを根底的に奪い取ってしまうものに他ならないのでは・・・。

 その上、農地を壊し広い範囲をコンクリ-トで覆い、莫大なエネルギ-を使うとなると、今盛んに言われている『地球に優しい』という考え方とは明らかに逆行する考え方。

 『野菜工場』という言葉には『人間は何のために生きる』ということを問いかけている意味があるように思えてならない。(田舎親父)

2008年12月26日 (金)

年賀状が47円・・・

 もう投函した人も多いだろうが、私にとって今日あたりになると、いよいよ年賀状を書かねばと慌てて、今年はどんな図案にしようかと悩み出すのがここ数年、年末の恒例になっている。

 ところでこの年賀はがきであるが、メ-ルの普及が影響しているらしく年々需要が少なくなっているとのこと。それにもかかわらず、発行部数はむしろ実質的には増えており、民営の会社員になった郵便局員は売り上げ向上に苦労しているようだ。

 具体的には、今年の当初発表された発行数が39億5000万枚。この数字は去年よりは少ないとのことだが実際に発行したのは41億枚。去年は売れ残りが約3億枚も出たというのに・・・である。何故、余るとわかっているものを増やすのだろう。

 幹部たちは『年賀はがきは全国の郵便局で売り切れなどあってはならず、例年売れ残りを覚悟で余裕をもった枚数を印刷している・・・』と説明しているらしい。そのまま受け取ると極めてもっともな話だが、年賀はがきの売り上げで利益を出そうと下っ端の局員に過酷なノルマを課していると聞くと、ちょっと違うのでは・・・と思ってしまう。

 そんなことを思っている時に『年賀はがきの値崩れ』という見出しを見つけた。読んでみると、過酷なノルマを課せられた『郵便局の社員』の下っ端(一般社員)らが自腹で購入、損を覚悟で金券ショップに持ち込み換金している影響しているというからこれは穏やかではない。

 その内容は、年賀はがきの販売が始まった日に、福岡(またまたこんなことでは真っ先に上がる地名だが)の金券ショップに、1箱4000枚入りの年賀はがきが数箱単位で持ち込まれたという。

 金券ショップの店長は『持ち込んでいるのは、郵便局の社員や関係者だろう』と推測し、1枚42円で買い取っていたとのこと。しかし、例年より換金する枚数が多いため、現在は同35円にまで下げているというから、こんなことが例年続いていたことに驚く・・・。

 ショップの中には当初から買い取り価格を同35円に設定していたり、32円とか26円とかとんでもない安値で買い取る店もあるという。店頭での販売価格は各店とも前年並みの47円前後だが、前年より大量の在庫を抱えており、今後の値下げを検討している店もあるというから、ホントカイ・・・とビックリの行列。

 半分ウソだろうと思って、ネットで調べてみたら、確かに年賀葉書が1枚47円と値がつけられているではないか。これは知らなかった。来年ははじめからネットで購入すれば少し浮くかな・・・なんてことも考えてしまう。

 また、ネットの書き込みには『4000枚の販売目標を課せられたが、一部は自腹で購入した。金券ショプに持ち込んだら1枚30円と言われたのでガックリ。バカバカしいので友人にプレゼントしたら喜ばれた』などいうのもある。この人物は郵便局の社員だという。

 ネットなので真実味は疑わしいが、実際に47円で売買がなされていることを知ってしまうと、この書き込みをまったく架空のもと否定できなくなっていることは確か・・・。

 そう言えば、ここ数日毎日のように歩きを兼ねてホ-ムセンタ-にでかけることが多いが、店頭で郵便局員らしき人たちが、盛んに年賀葉書を売り込んでいる姿が目立つ。

 記事を見つけた翌日、大型ス-パ-や電器量販店数軒に確かめにでかけたら、店の外か内かの違いがあるものの全店に年賀はがきの売り込む局員たちの姿があった。なるほどノルマの話は本当だったと納得する。

 民営だから営利を上げることは必要なのは否定しない。しかし、年賀状の需要が減りつづけているにかかわらず、昨年実績より4億も5億も枚数を増やして、それを売りさばくために局員に過酷なノルマを課しているとは、まるで金融業者や保険業者そのもの。

 ここまで書いて、郵便局会社は金融業や保険業もしているので、当たり前と気づいた次第だが、枕詞に『悪徳』と入れたくなる。

 またまた、何のための民営化か考えさせられてしまった。(田舎親父)

2008年12月25日 (木)

トヨタが赤字に転落とは・・・

 昨夜はクリスマスイブ。いよいよ今年も後残すところ一週間になってしまった。例年ならば、どのチャンネルでもクリスマスで大騒ぎしている場面ばかりで、私のような出不精な人間には観ている方が疲れてしまったが、今年はかなり事情が違ってクリスマスや年末の大騒ぎが少ないように感じる。(ミッチ-二世が自民党に反抗したニュ-スがもっと流れてもよかったのだが、どこかで圧力がかかったか意外と少なかったのが残念だが・・・)

 アメリカ発の不況が予想を越えた速さで全世界を巻き込み、影響が比較的少ないと思われていた我が国の経済をも不況の波に呑み込まれ、圧倒的多数の国民が不況感を味わっている上に、政治への不信が重なり閉塞感が漂っているからに違いない。

 代わって、毎日嫌になるほど聞かされるのが派遣社員の首切り、中小企業の倒産の話題ばかり。マスコミは競って、派遣を切られた社員たちを追いかけて、その悲惨な生活状態を話させることが大流行・・・。

 悲惨な状況は十分理解できるが、ここまで『お涙頂戴』的番組作りは、視聴率稼ぎとはいえもう少し視点を変えた構成が考えられないのかと、ガッカリすることさえ稀ではない。それにしても何とかならないものかと嘆く毎日である。

 昨年だったと記憶しているが、日本企業ではじめて営業利益が2兆円を突破したというニュ-スが流れたトヨタが、実際の儲けに当たる営業損益が従来予想の6000億円の黒字から、1500億円の赤字に転落する、と発表したニュ-スにはビックリした。

 営業利益と営業損益の厳密な違いは私にはよく呑み込めないが、わずか一年足らずで、ト-タルとして儲けが1兆円程度も落ち込むというのだから、余程急速に自動車が売れなくなっているかをよく表している。

 つい最近、販売台数世界一を記録し他派図なのに、先月になって事情が一転。最終利益は5500億円から500億円と信じられないほどの落ち込み数値を発表して下請け企業を震撼させたはずなのに、さらに今回の、大幅な再下方修正に追い込まれるというから、ちょっと信じかねる数字・・・。

 トヨタは1円円高が進むと400億円の利益がすっ飛ぶという。先日このことを話題にした日は1ドルが87円。今日は90円程度まで押し戻しているというから、トヨタの経営者たちはホッと一息というところだろうが、私の夢での数字の82円になってしまったら、さらなる下方修正を余儀なくなることも予想できないこともない。

 これでは、他の自動車製造企業の『派遣社員解雇』という話題が連日報じられているのも頷ける。

 それはさておき、全国には多くの『トヨタ』の城下町が点在するという。トヨタ本社がある『豊田市』は財政が裕福な自治体として有名で、福祉や教育の分野でも他の自治体では考えられないほど充実していることはよく聞く話。

 トヨタ本社がここまで減益に追いやられたら、豊田市に入る予定の税金は相当大幅な額の減収になり、来年度の市の財政計画を根本的に見直す事態になることは確実、担当職員は真っ青になっている姿が見えるようだ。

 豊田市はまだ本社である『本丸』が健在であるので税収はゼロにはならないだろうが、豊田市以外のトヨタ城下町自治体は、出城である工場が落城するのだから悲惨なことになるのは確実、下手すると破綻自治体と認定される恐れさえ出てくるのでは・・・。

 それでも行政の職員はクビとはならないが、工場が閉鎖などになったら、工場に頼る二次三次の下請け、さらに下請けを支える孫請けのなどの零細企業の経営者や従業員はその影響をモロにかぶってしまい、この年末さえやり繰りできなくなるのでは。

 早く根本的な景気対策を打ち出さなければ、ここ数日間に自殺者が激増することにもなりかねないが、政治屋さんたちは現実を本当に自分の責任として認識しているとは思えないのが気がかりである。(田舎親父)

2008年12月24日 (水)

文科省は本当に可能だと思っているのだろうか・・・

 文科省が高校での英語の授業は全て『英語』で行うことが基本と発表したと、背景にすでに英語の授業を教師も生徒も英語のみで行っている、都立国際高校の授業風景を紹介しながらテレビが報じていた。

 女性教師がにこやかな笑顔と流暢な英語で生徒に質問を投げかけ、生徒もとまどいながらも英語で答えている。確かにこんな授業で鍛えられていたら、英語力はつくだろう・・・なんて感心しながら眺めていた。

 『使えない英語』から『使える英語』へ、文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙いだという。文科省かの説明だと『まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ』らしい・・・。

 理屈的には判らないでもない。が、全ての英語を専門としている教師が、国際高校の女性教師のような授業ができるのだろうか・・・となると首を傾げたくなる。

 私は、残念ながら高校の英語の教師と出会ったことがない。しかし、テレビ局から英語の授業の取材を申し入れられたら、校長は躊躇なく会話能力が優れ授業の進め方が上手な教師を選ぶだろうことは知っているので、あの教師は国際高校の中でも抜群の能力を持っているだろうことは間違いないところ。

 高校間の学力格差も考えなければならない。学力以前にまじめな生徒を集めたいと校長はじめ教職員が知恵を出し合って実行したことが裏目に出ることも珍しくない時代、難しい問題である。現実には中学1年生の英語力もない生徒も存在している中で、授業の導入部から英語となると、それだけで拒否反応を起こす生徒もいるのではないだろうか。

 現場の高校教師からは『苦手意識を持った生徒が、ますます英語から離れてしまう可能性がある』と危惧する声があるようだし、大学進学率を売り物にしている高校からは『難関大学の長文問題は行間を読まないと分からない。結局、日本語で説明する必要があるので時間のロスになる』という意見もあるとのこと、もっともなことである。

 大学入試センター試験の英語の配点は、筆記200点に対しリスニングといわれる英語を聞き取る能力は50点、来年度以降も基本的には現在の入試制度は変わらないという。リスニングが全て、というならば現場も変わりようがあるだろうが、今の入試制度が続く限り、授業のやり方を変えることは困難ではないだろうか。

 テレビで紹介された教師は別にしても、高校の英語の教師の間での能力差は相当あるに違いない。事実、翌日の新聞には『授業を全部英語でやるのは正直自信がない。研修をさせられるのでは・・・』と不安だと訴える教師の存在を紹介している。

 この教師が心配しているように、文科省はお得意の『研修で能力をつける・・・』というに違いないが、そんな時間的な余裕を教師が持っていると思っているのだろうか。

 夏休み中に研修すれば良いだろう、という意見もあるだろうか、夏休みが教師にとって謂わば、有給休暇だったのは昔の話になってしまっていることはあまり知られていないようだ。

 実際にはほとんどなくなった自己研修の時間が限りなくゼロに近づき、その上、お上主導のあまり意味がなさそうな研修でしごかれ、点数で評価されるとなるとストレスが溜まるだろう・・・と今から心配になってくる。

 生徒が覚えなければならない英語の単語も大幅に増やすらしい。生徒たちは漢字を覚えるのも苦労しているのに、ますます大変になりそうだ。

 英単語の覚え、難解な英語で書かれた文章の日本語に訳することが大学入試で求めている以上、日本語の理解が前提になるのは当たり前。その意味では、英語の理解より重要なのは、我々日本人が生活していく上では『国語』だろう、と思うのだが・・・。

 恐らくこの問題に対しては様々な意見が出て、意見の分かれるだろうと思うが、文科省のお偉方は一部の学者の意見だけで決めるのではなく、現場をじっくり観て混乱ができるだけ少ないようにしてほしいと願う。(田舎親父)

2008年12月23日 (火)

ひき逃げが増えているようだが・・・

 また大阪でひき逃げ事件が発生。午前2時10分頃、団地が立ち並んでいる付近の道路で倒れている人を通行人が発見したという。倒れていたのは近くに住む75歳の男性で、肋骨を折る重傷だが命には別状ないとのこと。

 自転車に乗っていたら車にはねられたとのこと。はねた車はこの男性を300メ-トルも引きずりそのまま逃走したとある。

 残された血痕や引きずった痕跡などから、はねた車は対向斜線にはみ出しながら逃走したとの記事から、意識的に振り払おうとジグザクに運転していたのか、酒酔い運転ではなかっただろうか。

 酒酔い運転に対して罰則が重くなった。そのことに対しては当然だと思っているが、このところひき逃げが多くなったのは、酒酔いがバレたら・・・という心理が働いていることと無関係ではないだろう。

 現行犯で逮捕されたら、即『酒酔い運転』と認定され、相手が死亡した場合には危険運転として懲役20年という思い刑罰に書せられることもあるが、とにかく逃げて酔いを覚まして自首した場合には、犯行当時の『酒酔い』が証明できず、単に過失致死罪で重くても懲役7年で済むということも背景にあるらしい。

 悪知恵のある奴は、自宅や飲み屋に立ち寄って、改めて酒を飲み、人をはねた時はシラフだったと主張するという。その場合は、何かにぶつかった気がするが人をはねたとは思わなかった・・・と口にするのが共通している。

 変な話である。事故を起こした直後に逮捕されなければ危険運転とみなすことが難しいとなると、防衛本能として『とにかく逃げよう・・・』と思うのも判らないでもない。このあたり、もう少し法的な整備をしなければ、今後もひき逃げ事故は増えることはあっても減ることはないような気がする。

 それはそれとして、午前2時というひき逃げされた時間が気になる。深夜に働いている人も多いだろう。この時刻に帰宅人もいることも否定しないが、75歳と言えば間違いなく老人の部類だろう、しかも無職だというのだから仕事帰りとは考えられない。

 現場近くの航空写真も掲載されていた。映像を見る限り、40年程前に盛んに建設された、所謂『○○団地』と呼ばれる地域だろうと想像される。多分に高齢化が進み、人口は減って、昼間でも寂しいのではないだろうか。

 こんな団地近くの真冬の深夜、外は寒かっただろうに自転車に乗っていたという供述は不自然。(安易な推理かもしれないが)無職の老人が、この時間に自転車に乗る必然性があるとは思えないので、重度の痴呆症のボケ老人の徘徊だったのでは・・・。

 あるいは、惚けてはいなくてもひとり住まいだったら、深夜に気晴らしででかけることもあるかもしれない。また、場合によってはどうしてもでかけなければならない必然があったとも考えられないことはないが・・・。

 通行人が発見、というのも何か気になる。灰色っぽい車が逃走したという目撃情報があるらしいから、いずれ犯人は捕まると思うが、この場合も酒酔いだったかを証明する手だてはなさそう。だとすると、過失致傷罪でたかだか罰金程度・・・かな。

 ひき逃げ事件は許すことはできないが、はたしてこの老人が深夜に自転車をどのように走らせていたのかも気になる。車道ジグザクに走行していたとしたら、あるいは急に車道に飛び出したとしたら・・・酒酔い運転でなくてもぶつかってしまっていたかも知れないと思わないでもない。

 私のような、深夜にでかけることが全くない人間には理解しがたい。が、なにか現在を象徴するような事件であるように思えてならない。(田舎親父)

2008年12月22日 (月)

一日遅れの冬至に思う・・・

 マヤの暦には2012年の12月22日を最後に以後はない、ということと、毎年冬至は12月22日になっていることが多いという思い込みが頭にあって、昨朝お天気キャスタ-から『今日は冬至』と言われて気付く始末。まことに恥ずかしい限りである。
 そこで、今日は改めて『冬至』を題材に・・・。
 冬至を表す言葉に『一陽来復』という、なかなか味のある四文字熟語がある。
 『一陽来復』とは私たちの遠い祖先が、だんだん低くなる太陽の位置と、早くなる夕暮れに不安を抱き、太陽の力の衰えを嘆き太陽の復活を祈念した連綿とした想いを持ち、この日を境に少しずつ日の出の位置が動き、日差しの角度が高くなるという太陽の復活の気配を感じる、情念のこもった熟語だと捉えている。
 信じられないほど長い時の流れの中で、太陽が冬至の日を境に少しずつ日差しを回復させていくことを知った先人たちが、寒さは厳しくなっていくものの、日差しの優しさ温かさを感じるようになり、首を長くして春を待った様子が現れている。
 この言葉がいつの頃から使われるようになったのだろう。
 6月下旬の夏至を境にして、それまで真上近くからぎらぎらとした熱い日差が少しずつ柔らかく傾き加減になり、気温はますます高くなるものの確実に日照時間が短くなる現象に太陽の衰えに気づく人もあっただろうが、涼しくなる実りの秋が終わる頃から、太陽の力の衰えを実感していったのではないだろうか。
 全ての農作業の終わる11月下旬の頃あたりから、やっと安らぎの一時を持てた人々はこのまま太陽の力が衰え、ひょっとして消え去るのではないかと恐怖を感じ、そして復活を祈る行事を行うようになった・・・。
 その頃には、午後5時少し前にはすでに太陽が隠れてしまい、夕闇の帳が降りはじめる。この寂しいような不安な気持ちを、当時中国からもたらされた漢字の熟語をそのまま当てはめたのだろうが、漢字を用いて自分たちで発明したと考える方がロマンはある。
 『一陽来復』の言葉と気持ちは全世界共通らしく、太陽がなくなる恐れ、その復活を祈る気持ちは世界各地で様々な行事として連綿と伝えられている。
 それらは夜を徹して行なうものが多く、クリスマスなどはその代表である。キリスト教の信者の方には申し訳ないが、イエスキリストの誕生日が12月25日である確実な証拠は残っていないのに、そのイブとして12月24日の夜を、光の祭典とした知恵には驚きを通り越して敬意を表したい。
 何かの歴史書で読んだ記憶があるが、3月誕生説の方が信憑性は強いという。それをこの日にしたのは、後年、彼の誕生を太陽の復活に重ねて強烈なイメ-ジとして人々の心に焼き付ける効果を大きくしたのではないかと考えるのはうがちすぎるだろうか。
 日本の各地でも、この時季になると夜祭が盛んに行なわれるようになる。奇祭として知られる埼玉県の『秩父夜祭』などは、少し季節を先取りしているがその代表だろう。夜を徹して神楽などが奉納されるのもこの類だろう。
 長野県の南信濃の遠山に伝わる、寒い煙い眠い祭りとして知られる『霜月祭り』は夜通し踊られる神楽で最近有名になってきているが、これもその源流は同じ。
 どこかの地方で太陽の力が弱くなったこの季節、黄金色に輝くゆずを誰かがお湯に入れ、そのお湯の香に魅せられ入った誰かが、体温の温まる効果を発見し、汗がよくでる働きを知った。どのようにして伝えられてきたのかは判らないが、今日、太陽の復活を祝って、冬至の頃にゆずの実を風呂に入れて楽しむという素晴らしい風習を残してくれた。
 今日では、ゆず湯は体を温めるだけではなく、疲労回復の効果も大きい薬用として、あるいは心がゆったりとほぐれる心理的な効果のある風呂として人気が高い。
 この日『冬至南瓜』といってカボチャ食べると、一年中病気をしないという言い伝えがある。カボチャはビタミンがタップリ入った野菜なので、身体に良いことは確か。
 古の人たちの知恵には驚かされる。(田舎親父)

2008年12月21日 (日)

教科書が分厚くなるようだが・・・

 『教育再生懇談会』という機関があるらしい。オボッチャマ首相が『美しい日本』という変なキャッチフレ-ズを打ち出して、そのために教育の改革を進めるという意図で作った諮問機関である『教育再生会議』の後継とのことのようだ。

 紛らわしい名称をつけるものであるが、この『教育再生懇談会』が、最近になってかなり活発に活動しているようで『児童生徒の携帯は原則禁止』とか『教科書倍増提言』など、なかなか興味深い姿勢を打ち出している。

 携帯に関してはすでに述べているが、やっと大人たちが本気で『携帯の負の部分』に気付いたようで、各地・各方面で様々な取り組みがなされるようになったが、結局は学校に押しつけているのが現状、このことはまた別の機会で取り上げるとして、今日は教科書倍増の話題に触れてみたい。

 今回答申された内容を読むと、ゆとり教育からの路線転換を目指した新学習指導要領が実施されるのに併せ、質・量両面で教科書を格段に充実させるよう求め、教室で授業を受けながら使うことを前提に作られた今の教科書を、1人で読んでも分かる自学自習に適した丁寧な記述に改め、練習問題や文章量を増やすことなどを柱にしているとある。

 面白い提言である。教科書は『検定』があって、指導要領にそぐわない記述があれば全て指導が入る仕組みになっていることは多くの人が知っている。

 このことに関して、小学校の理科の教科書の『電気』の単元で、『エジソン』の伝記を紹介しようとしたら『伝記は不要』と意見がついて結局は削除したことに対して、「理科は『なぜ?』と興味を持たせることが一番大切なのに、先進国に類のない検定で、どの教科書も同じような知識の『詰め込み型』になってしまう」と指摘している学者の意見が紹介されている。もっともな意見である。

 探究心を刺激するために教科書を厚くすべきだとの指摘は、各方面からあったらしく、文科省は先月『教科用図書検定調査審議会』に制度改定原案を示した。従来と大きく変わっている点は、教科書にある程度の自由な記述を認め、学習指導要領の範囲を超えた内容も許容するということらしい。

 もっとも、どの程度の『逸脱』が認められるのかははっきりしないが、今回の答申も同じ方向なので、来年度以降、教科書が分厚くなることは間違いないようだ。

 伝記を掲載することが、『なぜ・・・』という探究心の高揚につながるかどうかは著者や教科書会社の判断だろうが、電気の内容を扱う単元の中で、知識や実験方法などとは別に発見者の『エジソン』をコラム的に掲載することに異論はない。

 が、では『オ-ム』や『ワット』や『ファラディ』もと、科学に貢献した偉人たちを次々に掲載していては、理科教科書なのか偉人伝記なのか判らなくなるという異論が出ることも間違いなさだ。

 教科書は学校教育には欠かせない必需品。子どもにとってはバイブルであり、載せてあることは全て教えられないと変な気持ちになる。教えないとすぐ親から抗議されるとあっては、『アカ本』という教師用教科書がもてはやされるのは、謂わば必要悪。

 より自然に親しませようと、教科書に多くの種類の草花を掲載しては、都市部の子どもたちにとっては、見たこともないのに覚えなければならなくなる恐れもある。これでは理科をますます嫌いにしそうだ。

 答申では、保護者や教員に『教科書に書かれていること必ずしも全部を教える必要ない』との意識改革を要請しており、実生活で知識がどのように役立つかなど、児童、生徒が関心を持ちやすい記述に努めるべきだとの意見も盛り込んだとあるが、簡単に意識改革ができるとは思えそうもない。

 何より、教科書の載せられた項目は教えるものという前提で作っている『市販テスト』業界は、掲載事項が増えれば、問題をつくりやすくなると大喜びすることは間違いところ・・・。

 このあたり、『教育再生懇談会』のお偉方諸氏はいかがお考えなのだろう。(田舎親父)

2008年12月20日 (土)

教委の責任は?・・・

 6月に東京都の小学校の屋上の天窓から転落死するという事故があった。この問題は6月21日にこの小覧でも取り上げたが、子どもの事故は全て担任の責任、という事態にはならないことを願っていたが・・・。
 警視庁は校長と担任の49歳の女性教諭を『業務上過失致死』容疑で書類送検したとの報道に、(予想はしていたが)またこれで教員は萎縮するだろうし、校長はますます管理に徹底するのではと暗い気分になってしまう。
 校長は児童が天窓に乗れば転落の危険性があると認識していたのに、屋上での授業を禁止するなどの措置を取らなかったと判断。担任教諭も天窓に近づかないよう具体的な安全指導をしなかったため、事故が起きたと結論づけたようだが、そんな危険な建造物を学校内に存在させていた行政の責任は?。
 取り調べに対して、校長は『施設の安全管理を怠り、教諭への指導監督も不十分だった』と供述、担任も『児童らへの注意喚起をせず屋上に上げてしまった。監視も怠った』といずれも容疑を認めているというが、本当だろうか。私には、校長や担任が『子どもを死なせてしまった』という自責の念が、この供述になっているような気がしてならない。
 以前の繰り返しになるが、日本中のほとんどの学校は鉄筋コンクリ-ト造りで屋上があり、しかもその屋上は平坦で広い。直線距離で50m以上とれるのも魅力で、特に都市部の小学校では理科や算数、あるいは体育で利用されることが多い。
 子どもの数が多かった時代は、多くの学校では屋上を校庭と同じように休み時間も子どもたちの遊び場として開放していたが、子どもの数の減少に伴い、さらに教員の負担が増えたため、現在は使っていない学校が多くなっている。
 この小学校の場合天窓は5つあり、他の天窓すべてに児童の足跡がついていたとのことだから、子どもたちはかなり頻繁に屋上に出入りして、面白半分でこの天窓に乗って遊んでいたことを裏付けている。子ども達が屋上に出入りしていたことは明らか、恐らく屋上で授業をしたり、遊ばせていた教師が存在したはずだろう。
 教師たちは天窓に乗って遊んでいる子どもを見ていないはずがない。ただ頭から『子どもが乗った程度では絶対に壊れない』と信じていたはずだから、たいして気にならなかったというところではないだろうか。
 ところが事故が起こってしまった。突然壊れてしまい、さらに安全のために張ってある金網入りの強化ガラスをも突き抜けて転落、構造的に欠陥があったとしか言えない事故である。それを校長と担任教諭の『監督不十分』ですませて良いのだろうか。
 区の事故調査委員会が9月にまとめた報告書によると、86年の校舎改築時の校長は、設計業者や区教委から『屋上は児童の活動場所ではない』と説明を受け、屋上は使用しなかった。だが、そのルールは引き継がれず、89年ごろから授業で使うようになったという。その間たった3年・・・。
 昨日の新聞は、設計者は区からの設計依頼は『子どもは絶対に立ち入らない』という確約があったからあのような構造にした、とコメントしていると報じているが、当時の区の担当者が本当にそんな条件で依頼したのであれば、こちらの方が問題ではないだろうか。
 そんなことはあるまい。上に乗ることは想定しないまでも『子どもが立ち入らない』という条件はちょっと考えられない。よしんば区の説明が正しく、当初は『屋上を利用しない』というル-ルが存在したとしても、たった3年足らずで反故になるほど、学校の対応がいい加減だったとは思えない。
 区は、天窓の危機管理の研修を開いていたという。校長もその研修会に参加したことを認めているというが、一般的な危機管理の研修内容の中に一部『天窓』が入っていたのではなかろうか。恐らくこの校長は天窓がない学校に在職していたのだろうから、天窓が危険という認識にならないことは十分想像できる。
 子どもの命がなくなったことは事実。二度とこのような事故が起きないようにしなければならないが、校長や担任教諭を書類送検するという、全て、現場監督と職人というような、謂わば、下っ端の人間に責任をとらせて、それで『一件落着』的終わり方では、またどこかで同じような事故が起こるのは目に見えている。
 何度も繰り返すが、私は何より、この処分でますます校長が教師に対して管理徹底することを危惧するとともに、これ以上教師が萎縮して単なる『ティチィング・マシ-ン』とならないことを切に願っている。(田舎親父)

2008年12月19日 (金)

もっと迅速な対応を望むが・・・

 アメリカの金利が実質的にゼロになったという。当然のことながら、円が高くなることになることぐらいは、経済音痴の私でも判る理屈。昨日には1ドル87円までなってしまったが、今後もこの円高はさらに続くようだ。

 夢の中でのできごとだったのかもしれない。前後のスト-リ-は全く記憶がないが、『1ドル82円』という言葉が私の脳に鮮明にインプットされている。数日前から、このことが何かモヤモヤと頭の隅から離れなくなっているのが、どんどんその数値に近づいている現実に愕然としている。

 ニュ-スの解説では、有名企業の多くは、営業利益を算出する基準の為替相場を1ドル100円程度に設定しているという。円高が進むと、輸出に頼っている企業の利益が少なくなるのは、これも当然で、トヨタは1円円高になると400億円の損失が出るというから物凄い。

 現在87円としても、単純計算でも5000億円超の損失になる計算。もしも私の頭の中にある82円まで円高が進んだら、7000億円以上という天文学的な数字に・・・。

 つい先日、販売台数世界一、なんていうニュ-スに浮かれた元会長が『俺を怒らせたら宣伝費などださないぞ・・・』とテレビ界に毒づいていたが、そんな脅しなども間違っても言えないほどの非常事態、この御仁氏も真っ青になっているのではいだろうか。

 SONYといえば日本が誇る世界に通用する一大ブランド。そのソニ-が世界中で正社員も含めて16000人の人員削減を発表したのも、円高の影響で利益どころか大幅な赤字に落ち込んだというから致し方ないのかもしれない。

 トヨタに対抗する自動車メ-カ-であるホンダも日産も大減産を余儀なくされて、派遣や契約社員を解雇しているという。日産は、ついに非正規社員全員解雇とのことに、このまま円高が進めば、正規社員もリストラせざるを得なくなるような気配・・・。

 契約社員など非正規社員の解雇問題は、毎日のようにマスコミが報じるようになっている。会社の利益が予想より下回り、正規社員にも影響が及ぶとなる判断して、契約社員などを解雇するのは、それが契約である以上、全て会社が悪いとは言えない。

 が、実際に解雇される人たちからみたら大変な問題。たちまちのうちに生活が困難になる人が続出することになる。まして、寮を追い出されるとあっては、何とかしなければならない問題であることは間違いない。

 会社の第一の使命は利潤を得ること。これが前提であるとなると、社員をできるだけ安く雇い、福利厚生費などを抑えることにこしたことはない。しかし、会社と直接雇用契約を結ぶとなると、有能な人材が集まめるためにもある程度の給料と職場環境を整えることも必要。大企業になればなるほど、社員に対する待遇面を整備しなければならなくなるのも当然と言えばこんな当然なことはない。

 ところが、数年前から『効率』追求が叫ばれるようになり、なんでも『数値目標』をかかげることが当たり前になってしまったことも背景になって、政府与党は経済界からの強い要求で、必要な時だけ雇用できる『契約社員制度』を導入、殆どの会社(特に大企業)が、この便利な制度の恩恵を受けるようになってしまった。

 正規社員にとっても『契約社員がこんな待遇で、あんたら以上に働いている』と会社側から言われると賃上げの要求もできにくくなってしまっているようで、実際にここ数年春闘などの要求は限りなくゼロに近い値で妥結しているのが現状。この際、労働者を大事にするという意味でも、根本的に『契約社員制度』を廃止し、安心して働ける職場にしてほしいものである。

 政治屋や経営者達は例外がないほど『100年に一度』とか『未曾有の危機』だと口にしているが、一般庶民からしたらこの輩に『あんたたちが勉強不足で、自分たちの懐具合だけ考えて、策をとってこなかったからでは・・・』という言葉を投げつけたくなる。

 話題が飛躍するが、断崖絶壁が続いている越前海岸の『東尋坊』でここ数か月、派遣社員契約を突然打ち切られる『派遣切り』による生活苦で自殺を考える人が増えているという。そのために、周辺海岸を自主パトロールし、自殺志願者を説得する活動に取り組むNPO法人も忙しくなっているとのことだが、こんなところにまで飛び火しているとは驚いてしまう。

 今、何より必要なことは緊急の雇用対策と経済の刺激策であるが、現政府は何一つ打ち出そうとしていない。先日アッソウ首相の発表した対策は緊急どころか、聞こえの良い数字だけを並べ立てただけの、まさに『絵に描いた餅』では説得力はゼロ。またまた支持率が下がり御家騒動が大きく、さらに広がるのは間違いなさそう・・・。

 むしろ野党が参議院で可決しようとしている緊急雇用対策案に『数の力で・・・』と騒いでいるというから片腹痛い。つい最近まで、全て『数の力で』悪法を強引に成立させてきたことを忘れていること棚にあげて、野党にリ-ドされてはメンツが立たないというのだから呆れてしまう。

 メンツをか全てなぐりすてるのには抵抗があるだろうが、ここは国民の生活を守ることを大前提にして、野党の意見を謙虚に聞いてはいかが・・・。(田舎親父)

2008年12月18日 (木)

煙草が原因とは笑ってしまう・・・

 先日の朝、テレビの画面に『地下鉄南北線が運転見合せ・・・』というテロップが流れた時、また『人身事故か・・・』朝から迷惑な話だと思う程度だったのは、いかにこの種のテロップに慣れているからだろう。

 しかし、しばらくして『待てよ・・・、南北線のホ-ムは防御柵が完備、目黒から先の都内のホ-ムは完全にガラス壁で遮断されており、電車がホ-ムについた時だけ、扉部分が開閉する仕組みになっていることを思い出し、ホ-ムから飛び込めないのに、変な話だと思ったものだ。

 ポイント故障でも起こったのだろうと、それほど気に止めることもなく忘れていたが、一昨日のテレビニュ-スで、南北線と都営三田線の事故は『白金高輪駅』の構内の引き込み線のポイント付近で白煙が上がるトラブルについて、電車乗務員のタバコの吸い殻が原因とみられると、その現場の映像を入れて報じていた。

 ポイント付近の側溝からは多数の吸い殻が見つかり、恒常的な喫煙場所になっていた可能性が高いとのことだという。人身事故でないことは納得したが、煙草が原因とはお粗末な話、きっと運転手たちは油を絞られるだろう・・・と変に同情してしまう。

 翌日の新聞にもこのことが大きく報じられており、都の交通局と東京メトロは大慌てで他の場所を点検したらしい。その結果、ここだけではなく都営とメトロの6線6駅の引き込み線でも吸い殻が見つかったという。

 指定場所以外での喫煙は内規違反で、都とメトロは関係者全員から聞き取りを行い、違反者は厳正に処分する方針するというから、運転手や車掌たちはかなり緊張しているに違いない。

 しかし映像を見る限り、これだけ多くの吸殻が散乱しているからには、煙草を常に吸っている多数の乗務員たちにとってここが隠れた『喫煙場所』だと知っていたに違いない。ここに散らばっている吸殻が開業以来放置されていたものだとは考えられないので、誰かが(定期的かどうかは判らないが)掃除していたはず。中には嫌煙家もいたはずだから、このことは関係部署の中では噂ぐらいにはなっていたに違いなかろう。

 ひょっとして、運転手達の楽しみで、吸殻が電車を止める原因になるなど思ってもいなかったので、上司たちも含めて部署内で暗黙に認知されていたことではなかろうか。ここで喫煙した運転手上がりの管理職も存在しているはず。となると、幹部たちは自分のメンツのために厳正な処分といっているのでは・・・と笑ってしまう。

 今やどこでも『禁煙』が常識になっており、最後まで抵抗していかJR東日本の駅のホ-ムの外れにある喫煙所は来年4月からは全て廃止されるというから、いよいよ愛煙家は吸える場所を求めてアチコチ探し回らねばならなくなってしまうようだ。

 煙草を吸う習慣のない私には、ホ-ムの端の喫煙所で電車が車でのほんの少しの時間を惜しんで、大勢の男女が慌ただしく煙草をとり出して二三度吸って灰皿に投げ込む風景はあまり見たくないものなので、喫煙場所の廃止は歓迎できることであるが、イライラが募る人も多いのではないだろうか。

 構内禁煙も当たり前になっているらしく、我が家の前の老人ホ-ムに勤める人たちも、毎日のように何人かがつるんで、正面入り口の外の道路で煙草を吸っている姿を目にするが、あまりみっとも良い光景ではない。吸殻などきちんと始末しているので見過ごしているが、施設の中に『喫煙室』のようなものを作って上げれば良いのに・・・と思わないでもない。

 いつか書いたが、健康に害があるならば、医療費削減の意味を含めて一箱1000円以上にすれば止める人も出るだろうに、値上げしても増税にならないという『カネ勘定』だけで値上げを見送ったというから困ったものである。

 値上げなどを決める政治屋サン達は(勤務時間中?)堂々と国会内の喫煙場所で煙草を吸えるのに、乗務員たちとなると全面禁煙。悲しいことだが、やはりこの国では、全てが権力のある人間だけのための『決まり』となっているようだ・・・。(田舎親父)

2008年12月17日 (水)

大分県教委は明確な回答を・・・

 この欄でも何回か取り上げた『大分県の教員採用汚職』が明らかになり、今年4月に採用された教員のうち、20名に口利きがあったとして採用取り消された報道に、何と片手落ちのいい加減な処分ですませるものだと、疑問と憤りを掲載したのはつい数ケ月前のこと・・・。
 先月だったか、この事件に関与したことはっきりしている教委幹部への処分を発表したがあきれ返るほどの大甘処分。よくぞこれで恥ずかしくないもの・・・としか言いようがないほど失望。
 報道では関与が明らかにされていないという小矢という教育長(恐らく何らかの圧力で捜査が中断したのだろうが)の減給処分は(現時点では)何とか納得するにしても、NO2である教育審議監の富松という男に対して、賄賂を受け取ったことが明らかと起訴されているにかかわらず『休職』とは、一体何なのだろう。
 さすがにみっともないと思ったのが、それとも世間体を慮ったのかは明らかでないが、教育委員の月額2分の1の報酬自主返納(それもたった3カ月)というから、この連中の面の皮をひん剥いてやりたいもの・・・。
 すぐに話題にしようと思ったが、こんないい加減な処分で納まっては、大分の教育は完全にアウト、きっとこのままでは済むわけがないないと確信。何かの動きがあるだろうと待っていた。
 期待通り、一昨日の朝刊に、採用取り消し処分を受けた本人が、採用をめぐる口利きなど不正の実態解明を求める県民集会で、『身に覚えがない・・・』と実名で発言したことが大きく取り上げられていた。
 この男性は取り消されてからも臨時教員として働いているそうだが、大分大学3年生の時から、元県教委のNO2の教育審議監で大分大学から教授として迎えられた末富という男の勉強会に参加していたという。
 大学側は教員採用のノウハウを知っていることから、学生の就職口を広げ、有利にすすめたいという思惑があって教委の幹部を迎えることは、全国的によく聞く話。末富という男は、この大学の思惑を敏感に感じて(自分の地位を守ることに直結)勉強会を立ち上げたようだ。
 当時から『口利き』が常習化していたのだろう。この勉強会にはいっている受験生の合格率がべらぼうに高かったということから、多分末富某と県教委と結託『口利き』が当たり前、というより口利きがないと合格できないシステムが出来上がっていたに違いない。
 この男の身辺にも捜査が及ぶことを期待していたが、裏取引でもしたのだろう、9月に退職してウヤムヤになっているらしいから、どこかから捜査に圧力がかかったことも考えられる。
 今回、実名で発言した秦青年は、8月末に県教委から呼び出されて、2次試験の面接や模擬授業の得点が改ざんされていたと知らされたとのこと。『だれの口利きか』と食い下がったが、『自分の胸に聞け・・・』との回答だったという。
 ひょっとして自分の知らない間に親や親族の誰か、末富某かに金品を贈ったのかもしれないと確かめたらしいが、該当者はいなかったとようだ。本当かどうかは判らないが、実名で発表したところから、信用できそうに思える。
 この状況では、この青年の名前が『末富口利きのメモ』の中にあったとも考えられるが、そうだとしたら、末富教授としたら口利きがなくてもどうしても教員にしたい青年だったのでは・・・とも想像できる。
 不正を頼んだ覚えもないのに『不正合格者』というレッテルを張られて腹立たしく、しばらくは外に出るのもおっくうだったと言い『私たちはクビになって人生を奪われたのに、県教委幹部は極めて甘い処分で終わっている・・・』との言葉には青年の大人の社会に対する不信感がよく現れている。
 真相は判らない。が、真相を暴くためにも、損害賠償請求訴訟を起こし、法廷で県教委の幹部たちだった連中が現幹部と対決してほしいものである。
 こんな青年達のためにこそ『救う会』が必要なのではないだろうか。(田舎親父)

2008年12月16日 (火)

あの3億円事件を思い出す・・・

 数日前に起きた東京で現金輸送車から現金約6900万円が盗まれる事件の報道があった時、あの『3億円事件』を思い出した人も多いのではないだろうか。

若い年代の人たちには『3億円事件』と言っても『・・・?』だろうが、私と同年配かそれ以上お方には、すぐに『昭和43年に東京府中で起きた、あの事件ね』と通じるほどインパクトがある事件である。

 映画にもなったはずだが、確か当時疑惑をもたれた少年が自殺したと報じられたが、動機もあいまいだったことから犯人だったかは判らずじまい。奪われた金が出てこなかったこともあって、むしろ犯行グル-プに殺害されたのではないかと騒がれた記憶もある。

 犯人は未だに掴まっていない。40年以上前の事件なので、とっくの昔に時効になっているはずだが、真犯人は今頃この事件を知って大笑いしているのではないだろうか。

 前書きが多くなったが、今回の事件は少し変。事件の報道を聞いて、郵便局のATMに現金補充に二人の警備員が同時に現金輸送車から離れるなんてことがあるのだろうかと首を傾げてしまった。

 私のような仙人のような生活をしている者では、時に街に出ると現金輸送車を見る機会は多い。警察官とよく似た制服を着た数人の警備員が警棒をもって(多分そのように仕込まれているのだろうが)まるで私を強盗だというような疑わしい眼でジロジロと見るのが一般的である。

 まわりを見ると、殆どの人が迷惑そうに輸送車を避けて通っているように思えるが、私の知る限り、警備員が車の近く立っていないことはない。

その日の夕刊では地図入りで事件を報じていたが、駅近くの人通りの多い場所である。郵便局近くまで車が入れないのか、一般道路に駐車して警備員が二人で現金を運んでいた50分の間に、車内にあった現金入りのカバンが亡くなっていたという。

 車のキ-を壊したり、窓ガラスを割ったりした痕跡がないというから、一瞬、警備員が車のキ-を閉め忘れたのかと思ったものである。が、まさかそんなドジな警備員がいるはずはないだろう・・・。

 この警備会社によると、日によって巡回ルートや輸送車の駐車場所はその日ごとに異なっているらしく、土曜日だったこの日は郵便局員がいないので、作業は警備員2人で当たっており『輸送車から離れることは問題がない』との規定だという。

 警備員が離れることが問題ではないとしたら、責任は会社になるようだ。あまり聞いたことがない会社なので、補償などでこの警備会社の経営が傾くのでは・・・なんていらぬ心配をしてしまう。

 ともあれ、警備員を疑うわけではないが、会社のシステムに問題があることは間違いなさそう、恐らく、このような内部の事情を知った人物の犯行だろうから、今回は3億円事件のように『持ち逃げ』はないだろう。

 最近はちょっとした工事でも警備員が必要になったらしく、警備員の需要が増えているらしく、毎日のように『警備員募集』という広告が入るが、こんなところまで、警備員の配置事情が影響しているのかもしれない。

 話は飛躍するが、雇用問題が騒がれている。需要が増えれば雇用も増えるはずなので、この問題の改善に少しはつながると期待できるはずだが、『警備員募集』の広告は多くなっても、恐らくその多くは『派遣』かそれに近い待遇となると、雇用改善にはあまり効果は期待できそうでない・・・?。

 面接に行って確かめる価値はあるだろうが、まず書類審査の段階でお断りされるのがオチだろう・・・。(田舎親父)

2008年12月15日 (月)

条例で禁止することではないような気もするが・・・

 数日前だったか、夕刻のテレビのニュ-スで東京の荒川区が、勝手に野生動物に餌を与えたら罰金という条例を全国で初めて制定した、と報じていた。

 例によって意識的にボカしてあるが、早朝道路の真ん中にバケツで餌をバラまく人物とそれをねらって大量のカラスやハトが集まっている場面を映し出していたが、何やら作為的な映像だと感じたのは私だけだろうか。

 その場面を元に、近所の住民から『早朝からカラスやハトの鳴き声がうるさい』『糞で洗濯物も干せな』『ゴミなどを荒らして困る』などというコメントを紹介していた。

 映像を見る限り、このテレビ局は近所の人たちは大変迷惑を被っているようだ、と信じ込み、条例の成立は当然だという前提に立って構成しているように思うが、実際にこんな人物が存在しているのも本当だとなると、そこまで疑るのは私の方が考え過ぎているのかもしれない。

 カラスがゴミを漁れないように、最近ではゴミ集積場はネットで覆われることが当たり前になり、カラスの姿がめっきり少なくなっていると感じているが、映像はともかく、特定の人物が餌を与えているとなると、この近所はカラスにとっては実に住みやすい環境になり、ハトまでも集まるのは当然だろう。

 議会で取り上げるぐらいだから、かなりの苦情が寄せられているようだ。野良猫への餌槍なども議論されたらしい。野良猫へのそれは、以前NHKテレビでも取り上げられたが飼い主のモラルの喪失から放置された猫をこのままにしておくと、可哀相だという意見が多数を占めていた。

 そのままにしておくと、ますます数が増えるので避妊などの処置をして『街ネコ』として飼育するのだ、という意見は説得力があり、それでも餌をやってはならない、という議論に発展しなかったように記憶している。

 それほど、野良猫問題は真剣に議論されているのだろうが、今回の条例の制定にもこの問題が大きく影響したらしく、結局のところ、猫の餌やりに対しては触れないで、カラスなどに餌を与える行為を禁止した条例を可決したようだ。

 前にも取り上げたが、団地の側の公園で野良猫に餌を与えている人たちの姿を何度か目撃したことはある。その殆どが高齢者であることから、あまり良い気持ちにはならないまでも、楽しみを奪うのも気にもなれずそのまま通りすぎている。

 また、近くの田園地帯を流れる恩田川には、いつからともなく鯉が住みつき、橋の上で立ち止まり、川面を見ると体調数十センチもあろうかと思う大鯉が群れをなして、口を開けて餌をねだっている姿がお馴染みになっている。

 時に、給餌する老夫婦に出会うことがある。嬉々としてバンクズを投げ込んでいる姿は微笑ましくも思うが、野生?の鯉に餌を与える行為は生態系からいうと問題であることは間違いない。しかし、だからといって条例で『鯉の餌やりを禁止』となると、賛成するつもりはない。

 ハトが平和の象徴だと言われて久しく、スズメは食べられたことがあってもハトをということはあまり聞かない。ハトも人間を警戒することをしなくなり、神社仏閣はもとより環境が適応すればどこにでも群れるようになっている。

 ところが、その糞害は物凄く、管理者にとっては悩みの種となり、金網をかぶせた建物がごく普通にみられるようになってしまった。これも人々の餌やりの結果に他ならない。

 生き物を可愛がることは間違ったことではないが、人間のエゴが加わらない限り、野生の動物が目に止まる場所で群れることなど絶対にあるわけがない。そのあたりをきちんと啓発する大切だと思うのだが、このことはあまり取り上げられない。

 今回、話題にした条例では、『まわりの人に対しての迷惑』という前提があるので、条例の解釈での争いはないと思うが、そもそも条例で決めなければ、迷惑行為をやめさせられないような社会の仕組みがおかしいのではないだろうか・・・。

 と言って『では、どうするか』という解決策を提言できないのが悩ましいところ。(田舎親父)

2008年12月14日 (日)

幕引きが気になるが・・・

 電車で通勤しなくなって久しい私には、めったにお目にかかれなくなったが、駅前や街頭で『○○ちゃんを救う会』という人々が『難病の○○ちゃんを救うために募金をお願いします』と懸命に訴えている姿は稀に見かけることがあった。
 だいたいは、心臓移植をしなければ助からない難病である。日本では15歳以下の子どもの心臓移植が法律で禁止されているとのことなので、多くの場合はアメリカで移植手術を受けるために渡米して順番を待つということになるようだ。
 私も二人の子どもの親である。難病を抱えながらも何とか生まれてきた子どもの命を救いたい、という両親の気持ちは痛いほど判るつもりである。しかし、外国での移植手術となると信じられないほど莫大な費用がかかるので、多くの場合は諦めてしまうのではないだろうか。
 めったにないことだろうが、中には、両親の友人たちが集まって『募金を呼びかけよう・・・』との声が高まり、『○○ちゃんを救う会』を発足させることがある。今回、横浜で『聡太郎ちゃん救う会』もその一つ。
 このことはロ-カル版で知ってはいたが、募金活動の現場にぶつからなかったの、その後失念してしまっていたが、先日、募金がある程度集まったので、いよいよ聡太郎ちゃんを連れて両親が渡米したとのニュ-スが全国版で報じられた。
 10月初旬からの募金活動には約1億7千万円という莫大な金額が集まったとのこと。わずか2ケ月でこれほどまでの莫大な募金が集まったのは、横浜という土地柄なのだろうか・・・。
 それにしてもこの運動を支えている人たちご苦労は大変だったと敬服してしまうが、視点をかえて見ると、もしも同じような運動を展開しても、地方ではこれほど短期間にここまで集まらないのではないだろうか・・・と疑問を感じるのは私だけだろうか。
 数日後、聡太郎ちゃんが入院先の病院で死亡したとの悲しいニュ-スが大きく報じられた。移植待機リストの最上位に登録されて、順番を待っている途中に容体が急変したそうだ。死因は発表されていないが、幼い命には急な動きに耐えかねられなかったのだろう。
 母親の『心臓機能はぎりぎりの状態でも、最後まで笑顔を見せてくれました。皆さんの応援のおかげで、聡太郎は生き抜くことができました』と感謝の気持ちは素直に受け止めたいが、これからが大変ではないだろうか。
 以前、同じように『○○ちゃんを救う会』を組織して募金活動を行い、今回同様にアメリカの心臓移植手術の順番待ち(手術したのかかもしれない)で亡くなった子どもの父親を、組織の事務局長が殺害しようとしたという事件があったことを思い出す。
 原因は集まった募金の使途だったらしいが、確かにあり得る話である。恐らく今回も相当額が残っているはず。この処理を巡りいろいろと考え方が出るのではないだろうか。
 救う会では、寄せられた募金の会計報告や今後の使途はホームページなどで報告する予定だというが、組織の内部で争いが起こらないように、誰からも疑われないようにしてほしいものである。
 決して『○○ちゃんを救う会』に対して反対する気はない。命を何とか救いたいと願う両親や関係者の気持ちもよく理解できるつもりである。が、はたして募金という人々の善意に縋るという方法には『?』を持ってしまう。
 前述したが、横浜では2ケ月という短期間で集まったが、過疎の町で同じ金額を集めるには1年以上かかることも考えられるだろう。手術が成功してまわりもバンザイで終わったら問題がないが、組織内で殺人未遂事件が起きたように、両親や支援者の間に温度差ができないとも限らない。
 こんなことを考えるのは、命を無くした(実際には本当に無くしてしまった人から取り出した臓器は利用できないらしいが)とはいえ、臓器をとり出して、他の人に移植することに対して『命のやりとり』が許されるのか・・・と倫理的に抵抗感をもっているのかもしれない。
 まして、人々の善意に縋り、しかも外国での移植をとなると・・・・。(田舎親父)

2008年12月13日 (土)

身体には害がなくても精神的には・・・

 以前マンションの屋上に設置してある受水槽の中で、猫だったか鼠だったか記憶は定かではないが、死体が浮いていたという事件が報道されたことがある。当時しばらくの間、屋上の受水槽を見るたびに、ひょっとして何かの死体がはいっているのでは・・・なんて気味悪がったものである。

 この事件では結局、どこからどのようにして動物が紛れ込んだのかは明らかにされなかったが、受水槽に隙間などあったらそこからホコリやゴミが入るだろうし、まして猫などの動物が出入りできる空間などあってはとんでもないことなのに・・・である。

 それまでは、誰がどのぐらいの期間で清掃するのかなど全く気をとめなかったが、事件後は少し気にするようになり、めったにそんな場面に出会うことはないが、たまたま清掃現場にぶつかると、自分には関係ないことながら『しっかり掃除してくれよ・・・』なんて声をかけたくなる気持ちになったことを思い出す。

 そのうち、マンション暮らしとは縁のない私は、ついついこの問題は忘れてしまっていたが先日、こともあろうに(名前はでていないが)三重のショッピングセンターの飲料・食用受水槽に、自殺した40代男性の遺体が約1カ月間浮いていたという報道に、そんなことが実際に起こったのだと、ビックリ仰天。

 その町では大変な騒ぎが続いているというが、当然だろう。遺体が見つかったのは先月末、管理業者が受水槽内を点検した際に発見したという。その後の調べで、11月1日に失踪した男性と判明。隣接する建物の屋上から飛び降り、受水槽に落ちたが死にきれず、水槽内で首を吊ったとのことだが、およそ一月間多くの人が死体の浮いた水を飲んでいたことになる。俄には信じられないことばかり・・・。

 隣接したビルから飛び下りたとまでは理解できるとして、どうして受水槽に落ちるのだろう。余程管理がいい加減な場合を除き、受水槽は厳重に施錠されて中に入ることなどできないのが普通ではないだろうか。それ以前に受水槽のまわりには鉄柵が設けられてまわりに近づくことさえ無理があるように思えてならない。

 自殺志願者は一度失敗するは急激に自殺願望がなくなると聞いたことがある。飛び下りて隣のビルの屋上に落ちることもマヌケた話だが、そこで失敗して改めて受水槽の中に入り込んで自殺するなんて・・・。

 まして、76もの飲食店の入ったショッピングセンタ-の受水槽は立て3m、横12mで深さも3mあったという。この自殺者は泳ぎながら首を吊ったのだろうか、そんなことが可能だとは思えないのだが・・・。

 飲食店を利用した人たちや、周辺住民の不安は完全にはぬぐい切れていないというが当然だろう。誰でも死体が浮いていた水を飲んでいたりしたのだから、例え直接身体に異常が来していなかったとしても、精神的にかなり落ち込むに違いない。

 そこまではともかく、このショッピングセンタ-の管理者は、遺体発見から2日後に客の苦情でいったんは営業停止したものの『水質に異常なし』として再開したというが、保健所は簡単に『異常なし』というお墨付きを出したのだろうか。

 こんな事件に遭遇したことがないので何ともいえないが、管理者はすぐに水を抜いて徹底的に清掃したと考えられる。その後の水質検査なのだろうから『水質基準に適合』はもちろん、『肝炎やHIVウイルスの問題もなかった』のは当たり前では・・・。

 実際にその水を飲んだ人たちはたまらない気持ちでいるに違いない。結果的に、もう安全なことはともかく、客や付近住民の人たちの不安には答えるため、管理者や保健所は、事件の真相と検査の詳細な結果をわかりやすく説明する必要はあると思う。

 76の飲食店の被害は想像以上ではないだろうか。こちらの方の補償も十分考えてほしいものである。(田舎親父)

2008年12月12日 (金)

部活は学校と切り離しては・・・

 小学生が中学に入学する際、子どもたちや保護者の間では、どの『部活』を選ぶかが大きな話題になる。全員入部が前提ではないはずなのに、入らねば何となく形見が狭いような雰囲気になっているからだろう。

 先日、東京都内の公立中学校約640校で行われている部活動のうち、運動部を中心に毎年200部以上が、顧問の教諭の異動など学校側の事情が理由で休部や廃部していることが、都教育委員会の初めての調査でわかった・・・との記事が目に留まった。

 都教委は、生徒の意思にかかわらず、部活動が休廃部に追い込まれていることになることに対して『非常に深刻な事態』と憂慮し、校外指導員の活用など対策の検討に乗り出したというが、今頃になって気付いたわけでもなかろうに。何か、余程深刻な事情になったので騒がざるを得なくなったようだ。

 部活の顧問は、学校にもよるだろうが、各教諭が学生時代の運動歴などをもとに校長にどの部を担当したいか志願して決まるのが普通。体育系の部活では、競技人口が少ないソフトボールや、練習中の事故が心配される柔道部など、文科系では吹奏楽などの部は、指導者のなり手が少なく部活そのものの休部や廃部が多いらしい。

 特に体育系の部活などは、週末の試合の引率などを負担に感じ、顧問を引き受けたがらない教諭が『若手を中心に増えている』ことも、この傾向に拍車をかけているという。

 中には『サッカ-命』のようなサッカ-大好き教員は存在する。その教員にとって、子どもたちの技術の向上がなにより嬉しく、結果がでる対外試合は生きがいとばかり、終末の試合などには進んで引率するのを厭わないだろう。サッカ-に限らず他のスポ-ツでもブラバンでも同じで、子どもたちはもとより保護者もこんな教員の存在をありがたく思い『熱中教師』などともてはやしていた、いや今でももてはやす傾向は続いている。

 都教委の言い方か新聞の書き方だろうが、何だか『若手の教師の意識の問題』のように論理のすり替えがあるような表現が気にならないでもない。

 都教委には部活に熱心な教師は『良い教員』という考え方があり、教員は顧問を受けるのが当然という意識があっただろう(現在もあるに違いない)が、それがここにきて、引き受けたがらない教師が多くなったので慌てて調査を開始したというところでは・・・。

 繰り返して述べていることだが、昔とは比べようがないほど最近の学校は忙しくなっている。特にここ数年は、教師には『ゆとり』がなくなったらしく、休み時間や放課後子どもと一緒に遊んでいる姿などみられない。

 学力の向上が必定命令になり『わかりやすい授業』を求められて、授業に対しての内外からの厳しい眼が光るようになっているという。そのためには週案と称している授業計画がなにより大切と(少し違うのではないかと思うような考え方が大勢を占めて)より詳しく記入することを義務づけられては、週末でもその準備でますます『ゆとり』を失うことも当然だろう。

 そんな教師が、週末部活の引率を拒否したくなるのは当たり前で、若いから嫌がっているのではなく、経験不足が、週案の仕上げはもとより生徒指導により時間をとられてしまい、時間に負われる結果として、顧問を引き受けたくない雰囲気(気持ち的に引き受けるゆとりなさ)になるのではないだろうか。

 さらに、スポ-ツには怪我はつきもの。あって不思議ではないのに、部活内で怪我でもさせたら、学校内外が大変な騒ぎになるのも現在の傾向。このあたりも何とかしないと、今後も顧問を引き受ける教師は減りつづけるのは明らかだろう。

 教師は子どもたちにわかりやすく指導するのは当然だが、その競技や楽器の専門家ではないことが当たり前。授業はすすめられても、子どもの持つと能力を引き出し正しい指導をすることなど、はじめから無理なことだと思う必要がある。

 私は、それほどまでして部活を続けることが重要なら、教員の仕事とは別と考えなければならないと思っている。教員でも専門家ならばそれはそれで別契約すれば良いこと、なんでも教師で間に合わそうという考え方に無理がある。

 予算的に難しいことも十分承知しているが、教員の仕事をきちんと整理し、部活は『教員の本務ではない』という意識を教委が持たない限り、部活の問題点の根本的な解決策はないのではないはずだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2008年12月11日 (木)

この事件のは長引くかも・・・

 5歳の女の子が雨の降る日曜日の真昼に裸で放置されていた、というニュ-スが流れたのは3ケ月ほど前のこと。

 東金という千葉の一地方都市とはいえ街中で人通りが全くない場所ではない。最初は三歳ぐらいと報道されていた記憶があるので、この女の子は小柄だったようだが、いくら小柄だといっても、真っ昼間裸の女の子を抱えて運んだとなると、誰かに目撃されているはずだろうから、犯人はすぐ捕まるだろうと思っていた。

 ところが目撃情報がなかなか報じられない。数日後、女の子が着ていた衣服などもごく近くの駐車場で近くのス-パ-のレジ袋に入れられているのを発見したという報道に、こんな遺留品は恐らくその日のうちに発見されていたはずなのに、わざわざ発表を送らすとは、何か意図があるのでは・・・と警察の捜査に『?』を持ったことを思い出す。

 先日その犯人として、近くの21歳の男が逮捕された。正確には殺人ではなく死体遺棄罪らしいが、状況的にはこの男が自宅マンションで女の子を殺害したことは間違いなさそうだ。

 私は現職時代の職業柄、知的障害をもった子どもたちと接することが多かった。写真を見る限りであるが、この男は軽度のダウン症のようだ。ダウン症の子どもは我慢強くて決して暴力沙汰を起こさないことを経験上知っているので、暴力で自宅にマンションに連れ込んだとは考え難い。

 母親や女の子をよく知る人が口を揃えて『しっかりした性格で、知らない人について行くような子ではない・・・』と言っている。それが実際にはマンションについて行ったことが何とも不可解。

 ひょっとして、女の子にとってこの男は何となくオニイチャンのような存在にみえたのかもしれない。父親の姿が見えないので母子家庭だろう。一人っ子で看護士として働く母親と過ごす時間的満足がなかったら、いつの間にか寂しい気持ちを持つもの同士だけが持つ何かを、この男から感じたとも思えてしまう。そして、フラフラとマンションに上がり込んで、この男のなすことに抵抗できなくなってしまった・・・。

 だとすると、男の言う、女の子が死亡した時の様子を、よく分からない・・・と言っていることが本当かもしれないとも思えないことはない。

警察は、この一点を明らかにするために必死になっているだろうが、動機はともかく死亡した時点での状況が明らかにならないとなると、この裁判は難航しそうだ。場合によったら、起訴すらできなくなるのでは・・・。

 例え、起訴し裁判に持ち込めたとしても、『精神障害』という壁を破って有罪にすることは難しいのではないだろうか。となると、女の子の遺族にとっては許し難きことは当然だが、それ以上に世間と子どもを持つ親からのブ-イグは物凄いものがあるだろう。何よりマスコミの絶好の餌食になることは間違いなさそうだ。

 恐らく警察は事件発生後間もなく、この男を容疑者の一人として捜査をしていたはずに違いない。まわりの人たちも、何となく怪しいとみていたのではないだろうか。ところが知的障害者という言葉に遠慮して、口をふさいでいたのかふさがれていたのか判らないが、マスコミもそのあたり遠慮していたのでは・・・。

 いつもの主張繰り返すようだが、殺害する瞬間は誰もが精神錯乱に陥るもの。それを精神的錯乱という理由で、被害者や家族の人権を踏みにじるような軽微な判決は絶対に許せるものではない。無罪などはもっての外である。

 しかし、元々『精神障害者』だとすると、同じように扱えないことも仕方ないことだとも思える。だからといって、決して許すことはできないが・・・。

いろいろな病名の精神障害者(ある意味誰もが何らかの障害をもっているのかもしれないが)が増えつづけている現在、この事件は『精神障害者』とのつきあい方を考えさせてくれる。

 私もその後の経過を見守りながら、自分の考えもしっかりまとめて見ようと思う。(田舎親父)

2008年12月10日 (水)

高齢者の犯罪が増えているそうだが・・・

 強盗や殺人事件が増えている。新聞やテレビでこの種の事件が報じられない日がなくなったと言って良いほど日常化してしまったようだ。

 世の中に偽造が溢れ、裁判所の書記官まで振り込め詐欺にかかわっているとしたら、何を信じて良いのか判らなくなるのが当たり前。人々の気持ちは荒んで、凶悪犯罪が増えるのは致し方ないだろうが、『犯罪白書』によると、刑法犯は全体としては減少しているという。不思議な現象で俄には信じられないことであるが・・・。

 ところが、この白書によると65歳以上の高齢者による犯罪は急増しているとのこと、これまた意外な報告である。確かに、そう言われて新聞記事を改めて最近の事件の記事を見ていると、交通事故で被害者となるのは当然として、過失傷害や致死罪などで逮捕される容疑者の年齢にも65歳以上が目立つ。

 粗暴犯でも同様で、最近の例では、無職の男が原因は明らかにされていないが、知人女性と口論になってけがをさせたとか、息子と喧嘩して刃物で切りつけたりする事件など、高齢者が関係する事件は増えているという。

 年金や介護保険、福祉の問題で自治体の窓口に言い掛かりに近いクレームを言う高齢者も目立つようになってきたらしい。ロ-カル新聞には、県の相談室で2時間近く質問を続けたり、10年以上前の事案の回答を求めたりするお年寄りがいるという記事を見つけることも稀でなくなった。裁判所から罰金命令を受けたことに腹を立てて職員を脅す事件も起きているというから、高齢者の気持ちに落ち着きがなくなってきていることは確かなようだ。

 私がこの町に住み始めておよそ30年、同年配の人が多く、当初は小学生や中学生のいる家庭が殆どだったが、それぞれが独立して夫婦二人暮らしの家庭が圧倒的、休日には孫を連れた若夫婦が訪れることはあるが、普段はひっそりとしている。もちろん我が家もご多分にもれず二人暮らしである。

 相棒と折り合いが悪くなるとストレスが溜まるのが当たり前、私の場合は互いにやることが多くあって、退屈とはほど遠い生活なので一応文句も言われずに三度の飯にはありつけているので何とかうまくいっているのだろうが、中にはイライラが高じている人もいると聞いている。

 まして独り暮らしで話し相手すら存在しないとなると、寂しさが募るのは当然で、何か不満があっても、その不満をぶつける相手もいないはなるとイライラを募らせ、犯罪に走るのかもしれない。

 いまでは高齢者は分別があって体力が衰えるので犯罪率は低い、と思われていたのだがこの調子で犯罪者が増えると、近い将来には刑務所は老人ばかり・・・なんて笑えない笑い話が広まっているらしい。

 いや近い将来どころでなく、実際に最近の刑務所は急速にその傾向が現れはじめ、刑務所が『老人ホ-ム』のような状態になりつつあると真剣に憂えている関係者も多いというから困ったもの・・・。

 ウソのような話だが、医療や介護を必要とする高齢な受刑者が目立ち、娑婆では満足に医療サービスが受けられず、服役してほっとしている者や、中には服役した方が生活が楽になると、わざわざ万引きなどを繰り返す高齢者がいるというから驚きである。

 福祉の足らないところを刑務所が受け持つなんて変な話であってはならないこと。しかし、高齢者の受刑者が増えるとなると『あってはならないこと』などという言葉はもはや意味がない。

 間もなく団塊の世代が老人の仲間入り、その前にこの問題の根本的な対策を急がねば大変な事になりそうだが・・・現実には打つ手がないようだ。(田舎親父)

2008年12月 9日 (火)

いよいよこの政権は末期状態・・・

 私は麻生首相を、当初『アッソウ首相』と表現していたが、あまりにも漢字の読み間違えが多過ぎるので(しかも中学生程度の)知識の量を重要視する最近の『学力』という概念に批判をこめて『低学力首相』と表現するようになっている。

 ところが先日あるメディアに、『アホウ首相』という表現を見つけた時には、なるほど漫画大好きで漢字もろくに読めない低学力を批判すると同時に、語呂合わせとしたら、なかなか言い得て妙だと感心してしまったが、ここまでメディアにコケにされた首相は過去には一人も存在しなかったのではないだろうか。

 ウ-タン首相が解散もできず政権を投げ出してしまい、総裁選挙の国民無視の大騒ぎはつい最近のこと、自民党の議員や支持者からは『選挙の顔』と期待されて念願の総裁に選ばれたのだろうが、いざ総裁の椅子に座ったとたん『解散なんて、言ったかしら・・・』ととぼけていては、身内から批判されるのは当然、国民からも呆れられるのは仕方ないことだろう。

 それにしても最近のアホウ(失礼、いつも通りアッソウとしておこう)首相は、言うことがデタラメというか思いつくままに発言しているようで、私のような無力な前期高齢者でも呆れることばかりとは情けない。

 しかも、この病気が閣僚や幹部たちにも蔓延してしまったようで、つい最近は総務会長という最も重要な立場の人間が、内閣の少子化担当(変な名称であるが)の女性閣僚に対して『あの人は子どもを産んだから大臣になれた・・・』と発言したと、マスコミの格好の餌食になっている。

 前後の様子が明らかにされていないので、どんな状況でこの言葉を口にしたか詳しくは判らないが、これは間違いなく原爆級の失言だろう。

 多分、笹川という総務会長は、女性閣僚に対して日頃から『あの若さで大臣風を孵化しやがって・・・』なんて思っていたのだろうが、この御仁の頭の中には、少子化担当大臣とは『女性でしかも子どもを産んだ経験』が最低限の条件だと思い込んでいたのではないだろうか。

 そうだとしたら、今の自民党議員には不平不満が蔓延している何よりの証拠、アッソウ低学力総理自信が自分の失言に対して何とか誤魔化そうとアップアップ状態では、とてもこのような失言に対して、叱り飛ばすことさえもできないのではないだろうしか。

 元閣僚や元役員たちも、堂々と首相批判を始めている。それを『けしからん』とか『皆で選んだ人だから応援しなければならない』と偉そうに、あたかもアッソウ総理を擁護しているふりをしている幹部たちとの間で対立が進んでいるらしい。しかし、批判する方も批判される方も出てくる名前は全て二世議員ばかりというのでは何だか・・・。

 ところでこの内閣の支持率が信じられないような勢いで下げ続けている。昨日の朝日新聞の朝刊の一面に『麻生内閣の支持率が22%』との見出しが踊っていたが、同じ日の読売新聞の調査では21%だという。

 新聞社の調査結果にはあまり差ないことが普通であるが、これまでの例からみると、朝日新聞はどちらかというと自民党に批判的、それに比べて読売新聞は現政権に好意的と見られた数値だったようだが、今回は読売が朝日のそれを下回っているというから面白い。

 この数字はウ-タン内閣の末期と同じ水準だという。数字をどう捉えるのかは判らないが、この漢字の読めない上に空気も読めないダブルKYのアッソウ総理は、まじめな顔で『まだ、5人のうち一人もの人が支持している』と、記者会見などで発言したら、間違いなく今年のお笑い大賞受賞は間違いないところだが・・・。(田舎親父)

2008年12月 8日 (月)

ここまで醜い犯罪を犯せるとは・・・

 大阪で5年前に、小学校4年生の女の子が下校途中で行方不明になった事件があったことは記憶にある。警察は懸命の捜査作が続けてきたようだが、未だに手がかりもないらしいとのこと。

 これに近い事件は時に報道される。営利目的ならば脅迫状などが送られることが普通なのだろうが、連絡も途絶えてしまうとなると、家族や関係者は、誰が何のために・・・ということが全く判らず、不安と焦りでさいなまされる毎日が続くことだろう。

 そんな家族の心理をついて、『娘さんを助けた。犯人から奪回した際に費用がかかった』と話を持ちかけて、家族から大金をだまし取るとは、ほんの少しでも良心がある人間ならできないことだと思うが、実際に実行した奴がいたというから許せない。

 今回、大阪での事件に関連して二人の男女が逮捕されたということが、昨日の新聞に大きく取り上げられていた。

 二人は家族から総額約7000万円を詐取したとのことだが、家族の行動や、簡   単に騙されてしまった心理など(家族のワラをも縋る思い、と言ってしまえばその通りなのかもしれない)が、私には今一つ理解できない面がある。

 記事によれば、2人は事件発生の翌年、女の子の自宅に電話し『私の弟も誘拐されたが助かった。助けてくれた男の人を紹介する』と持ちかけたという。その時点で、家族や関係者は警察に連絡はしなかったのだろうか・・・という疑問に答える記事はない。

 事件を知っている男(女)からの電話となると、まず苦労して捜査してくれている警察に連絡するのが当然だろうに、と考えるが、一年も過ぎてしまうと、捜査も中だるみに見えてきたのかもしれず、警察に対しての全幅の信頼が揺らいでいたと考えられないことはない。

 ほんの少しでも手がかりが欲しかった家族としては、この電話に名探偵の存在を期待したのだろうが、何としても気になる。

 家族は、この男(連中)と会って(名探偵への紹介料なのだろうが)助ける費用として10万円を手渡したようだ。

 二人はこれは騙せると思ったのか、娘を装って家族に電話し、救出したように見せかけていたという。まるで今流行りの『振り込め詐欺』の見本のような筋書きである。

 さらに『娘を助け、今は安全な場所にいる。犯人から奪い返した際に費用がかかった』などと現金の要求をエスカレートさせ、娘の交通費や生活費を名目に金を繰り返しだまし取っていたという。

 4年間も、その間一度も娘に会えもせず、ただ生存していると信じてカネを渡していた家族が哀れであるが、私には、こんなことが実際にあるのだろうか・・・という家族の行動に、改めて『何故?・・・』という疑念がぬぐえない。

 警察に対する不信があったのかもしれないが、それにしても、一言でも相談していればこんな詐欺犯に振り回されることはなかったろうに・・・。繰り返すが、がそれ以前に家族の中はもとより、まわりに一人でも忠告や警察への連絡をする人間がいなかったのだろうか、と思うと、最近の希薄な人間関係が悲しくなってくる。

 娘や息子を装ったオレオレ詐欺とは違って、実際に娘が誘拐されて失意のどん底にある家族に対して、徹底的に金銭を搾取するというという醜さは人間として絶対に許されるべきものではない。

 この男女は実際には娘の誘拐などには関与していないのかもしれないが、これほどまで醜い事件を起こした輩こそ『市中引き回しの上磔・獄門』ぐらいの極刑に処すべきではないだろうか。

 もっとも、極悪犯罪がゴロゴロ存在している現在では、この詐欺犯の輩に極刑を課していたら、多くの高齢者の平和な生活を脅かしている厚労省・社保庁の官僚ともとより、政治屋たち全てもこの処罰を言い渡さなければならなくなることは間違いなさそうだ。

 それにしてもやりきれない事件が次々と発生するものである。あまりにも醜い事件に、ついつい饒舌になってしまった。(田舎親父)

2008年12月 7日 (日)

橋下知事の発言が話題になっているが・・・

 大阪の橋下徹知事が『行政が私生活に介入すべきではないという反論はあるかもしれないが・・・』と断わった上で『学校に携帯電話は必要ない』と、政令市(大阪、堺)を除く公立小中学校で、児童生徒の携帯電話持ち込みを原則禁止とする方針を明らかにしたことが大きな話題になっている。

 知事就任からの言動を見ていると、軽いというか朝令暮改の傾向があり批判的に見ていたが、この発言は携帯が現在青少年の成長にとって負の要因になっていることが明らかになっている現状を憂えた、彼なりの正義感に燃えた価値ある問題提起だと思う。が、問題提起にだけに終わりそうな気がしてならない・・・。

 体質が似ていると思っていた東京都知事が素早く反応、この方は基本的には家庭での親の『躾』の問題だと、ある意味橋下知事の考え方をやんわり否定していたが、私も原則論からいけば都知事の方が正しいと思う。

 が、ここまで携帯が主要な要因となっているイジメや出会い系サイトなどへのアクセスから青少年が犯罪に巻き込まれている現状を考えると、もはや原則論として家庭に任せているだけでは問題は解決できないのは確実。だとすると、何らかの強権発動が必要な時期になっているのでは・・・とも思わないでもない。その意味では橋下発言は評価したい。

 携帯の利便性は誰もが認めることだが、出始めたころから携帯の負の部分については多くの人たちが警告していたこと。しかし、この警告など無視するがごとく、たちまちのうちに大流行してしまい、いまでは携帯を持たないとバカにされるというから困ったもの。この傾向は年々低年齢化して、現在では小学生でも40%もが持っているというから驚きである。

 当初から予想されていたことだが、インタ-ネットの匿名性を巧みに利用して携帯を使った犯罪行為が蔓延し、これも当然のことだが青少年がこの種の犯罪にかかわって被害者になることも多くなっている。また知らず知らずに加害者になっていることも稀ではない。

 このような犯罪から青少年を守れと善意の人たちの苦労が続いているが、金儲けさえできれば良いというモラルが完全に崩壊した大人たちのエゴが、青少年の感心を高めるために『より多機能な携帯』と宣伝をして、ますます過激に宣伝して広めようとするのだから、まさにイタチゴッコの感はぬぐえない。

 出始めた頃は、多くの学校は携帯禁止という方針を打ち出していた。今も堅持している学校もあると聞くが、登下校を含めた学校をねらった犯罪が多発するに及んで、親から『安全のために・・・』と言われると持たせることを認めざるを得ないのが現状らしい。

 逆に、学校が子どもたちの登下校の安全を確認するためにランドセルなどにICチップを埋め込み、携帯で親に知らすというサ-ビスが当たり前になってしまっていては、親にいくら『携帯の在り方持たせ方』あるいは『携帯の危険性』を指導しても、『携帯は安全には不可欠』と思い込むのも仕方ないようだ。

 橋下知事が携帯禁止という方針を打ち出した背景には、最近のネットいじめや交流サイトを巡る犯罪などの防止は当然として、学力テストの結果が最下位ランクだったことに対して、学力向上には携帯など不必要という考え方があるようだが、学校現場は『またまた話題性をとろうとしたパフォ-マンス・・・』と、あまり歓迎していないのではないだろうか。

 大阪府内の学校では小中学校の殆どは、学校への持ち込みを禁止しているというが、実際には、それは建前で、取り上げなどしたら大騒ぎになることが明らか、結局は見て見ぬ振り・・・というのが現状らしい。 

 ネット犯罪を防ぐためには持たせないことが一番。しかし、すでにここまで普及してしまっていては、今更ダメと言っても学校現場は混乱するだけで、結局はまたまた教師の仕事が増えるのではないかとも危惧している。

 やると決めたら徹底的に実行しなければ意味がないが、教師が児童生徒の身体に 触れたら『体罰』だというのでは、到底徹底などできるはずがない。このあたり橋下知事はどのような施策をもって、携帯禁止を徹底する気なのだろうか注目する事にしたい。(田舎親父)

      

2008年12月 6日 (土)

昨年暮れの老々介護殺人の裁判が大詰め・・・

 去年の12月27日のこの欄でも取り上げたが、71歳のおばあちゃん(娘)が100歳のおじいちゃん(実父)を刺し殺した事件のその後で報じられた。

 自宅で35年間も介護を続けていた当時100歳の実父を殺害し、71歳の主婦(戸籍上は娘だろうが、この年齢では娘と表現しにくいらしい)が殺人罪に問われている裁判で6000人もの人たちから『減刑嘆願書』が寄せられているという。

 起訴状によると、この主婦は昨年クリスマスイブに、自宅で寝ていた100歳の実父の首、腹部などを包丁で刺し失血死させ、犯行後に自分も腹部や首を刺して自殺を図ったが、帰宅した夫に見つかり一命を取り留めたという。

 現在71歳の主婦が実父を介護し始めたのが36歳の時だというから、人生の半分を介護に費やしていたことになる。介護の内容はともかく大変だったことは想像に難くない。10年ほど前からボケが激しくなり、深夜徘徊やガラスの破壊、真夜中に大声を出し続けていたというから、壮絶な介護生活での修羅場が連日続いていたことだろう。

 今までの私には、自分の娘を認識できなくなるなんて信じられなかったが、まわりで実際にそんな事実を見聞きするようになると、今では(悲しいことながら)信じなければならないと思うようになっている。

 実際に父親から『お前は誰だ、泥棒だろう・・・』いわれた時のショックは想像に絶するものがあり、余程強い意思の持ち主でもノイロ-ゼなるのは仕方ないだろう。

 主婦は家族と話し合い、父親を施設に入れることを決め、そのことを伝えると『施設には入らん。死んだ方がまし』と激しく抵抗されたので入所を断念したというが、相談された家族の反応についての報道はない。

 思い余った主婦は『父親を残せば、夫や妹にも迷惑をかける』と無理心中を図ったとのことだが、夫はじめまわりの姿が見えてこないのが気になる。犯行時に帰宅した夫に見つかり『死なせて・・・』とる表現も何か不自然に思えて仕方ない。

 他人の家庭のことなので細かな事情など分からない。が、夫が数十年もの長い間夫婦として一緒に生活していたのなら、妻の苦労が分からないわけはない。夫は年齢的に現役で活躍しているとは思えないので、日常的に義理の父親の徘徊や理不尽な行動に接する機会は多かったはずだと思うのだが・・・。

 夫にも事情があったのだろうから、これ以上の詮索は無駄だろうが、100歳のボケ老人を自宅で介護しなければならないようにしてしまった事に対して、夫はじめ家人の考え方や態度が私にはどうしても理解ができない。そして、何故71歳の娘がここまで追い詰められて『殺人』という事件を起こしたのだろう、哀れとしか言いようがない。

 特養老人ホームは全国的に不足しているという。それだけ、自宅で介護しきれないほど重度の介護の必要な老人が増えてきていることを如実に物語っていることだろう。そして、この数は確実に増えつづけていくことも、散歩途中で見かける人の殆どが高齢者だということから間違いないことがよく分かる。さらに、町を走っている車の半数は介護関係だと言っても過言でないほどということも尋常なことではない。

 この傾向はますます顕著になることは明らか。最近になって、マスコミは老人問題を音聞く取り上げだし大騒ぎしていることも腹立たしいが、政治屋サンはじめ高学歴で所謂、高学力といわれる厚労省の役人たちの見通しの甘さも許せない思い・・・。

 自分だけは痴呆症にならないと思っている人が圧倒的で、もしもなったとしたら生きていきたくないので、その時は殺してほしい・・・と口に出している人も多いはず。私もその一人であるが、現実は、一番かかりたくないと思っていた『痴呆症』になってしまった時には、決して殺してほしいなど思わないそうだ。

介護すること、されることは当然かもしれない。が、自分が介護されているということには感謝の気持ちを持ちたいものである。それも判らないとなると、すでに人間として生きていく価値がないのでは・・・と考えてしまう今日である。

 去年も書いたが、やはり『婆コロリ』が必要な社会になったのかも知れない。

 今月末判決が下りるという。無罪とはいかないまでも軽微な判決を願いたい。(田舎親父)

2008年12月 5日 (金)

インドでのテロとネ-ルの教え

 一応鎮圧されたようだが、数日前までインドのムンバイで発生した『同時多発テロ』での緊迫した映像がテレビで映し出されていた。

 銃撃されて亡くなった丸紅の社員の方は38歳、その日にムンバイに到着したとのことだが何という不幸。心らお悔やみ申し上げる。

 巻き添えでホテルに閉じ込められていた人々が、何とか脱出してインタビュ-に答えている姿に、犠牲者はかなりの数におよんだものの、今回はホテルそのものの爆破がなかったことに、よくぞこの程度でよかった・・・というのが正直な感想。

 9.11のニュ-ヨ-クのツインビル崩壊の映像は、一瞬のうちに二つの超高層ビルが消えてしまったことに、世界の世論は事件直後はあまりにもショックで『テロ』に対して激しい憤りを感じたものだが、時間が経つにつれて『本当に小型飛行機の突入?』という疑問がわき、現在ではアメリカの『自爆テロ』ではなかったのか・・・と言い切る人たちも多数いるという。 

 確かに、一瞬であの巨大なコンクリ-トの固まりが跡形なく崩れさったことには、著名な科学者でさえ『信じられないことで、何らかの謎が隠されている』と、アメリカの自爆テロをにおわせる発言をしているほど・・・。

 それに比べて、ムンバイの高級ホテルはじめ10ケ所にものぼる同時多発攻撃は、無差別に人々を殺傷する『テロ』として疑いのないところ。平和ボケ(素晴らしいことだと思うが)している我が国では考えられないが、このような『テロ』ばかりではなく、民族や宗教の対立から互いに殺し合う状態になっている国や地域が多いのは、人間の性なのかもしれない。

 インドはそのような国ではないはずだと思っていたが、近年の驚異的な経済発展が貧富の格差を産み、元々あるカ-スト制度に加えての二重格差となり、イスラム教を信仰している人たち、特に若年層の不満がたまっていたというから、この層の人たちがテロ組織に踊らされて、富の象徴であるホテルなどを襲撃したようだ。

 パキスタンのイスラム過激派が後ろで糸を引いている、という指摘もあり、新聞の解説を読むとこのテロを契機にして、インドとパキスタンの関係が日々微妙になっているらしい。インド政府はパキスタン軍部が関係していると見なしている、という情報も流れているらしい。

 両国とも核兵器を所有している。まさかとは思うが、どちらかの国の跳ね上がり分子が衝動的に核のボタンを押さないとも限らない。ここは両国の首脳は冷静さを失わずに話し合ってほしいと切に願う。

 ところで、インドと言えば我々の年代が思うことはガンジ-の存在だろう。無抵抗主義を通して独立を勝ち得た偉大なる指導者だと教えられてきた。その跡を継いだネ-ルという指導者が今日のインドの礎を築いたこともよく知られている。

 すっかり忘れていたが、インドでは『ネ-ルの7つの教え』というのが人々の心に息づいている、と教えられたことがあることを思い出し、それが何だったのか確かめてみた。

 7つの教えとは①理念なき政治 ②労働なき富 ③良心なき娯楽 ④人格なき知識 ⑤道徳なき商い ⑥人間性なき科学 ⑦献身なき祈り、という短い言葉で表されている。

 誰が翻訳したか分からないが、実に蘊蓄に飛んだ言葉である。インドの指導者たちがこの教えを守る限り、核兵器のボタンなど押さないだろうと信じたくなるが、その前に、それぞれの言葉は現在の我が国の現実を強烈に風刺していると感心してしまう。

 私流に例えるならば①は現在の政治屋たちなどはその典型 ②金儲け主義の大企業の経営者が当てはまるのでは・・・③携帯サイトや麻薬などかな ④インタ-ネットや漫画から得て大見得を切る輩 ⑤金儲けのためなら偽装は当たり前と考える連中 ⑥核開発やバイオエタノ-ルなどにしのぎを削る科学者? ⑦創価学会はじめ新興宗教(最近は既成の宗教も)・・・。(田舎親父)

2008年12月 4日 (木)

話題づくりもここまできたのか・・・

 日本で初めて女子プロ野球選手が誕生・・・というニュ-スがマスコミの大人気になっている。過日ドラフトで指名されたと大騒ぎした時点で、本気なの?・・・と首を傾げたものだが、記事を読んで、ロ-カルなプロ組織ということである意味納得した。

 プロ野球というと、私には阪神や巨人、南海や西鉄(かなり古いが)という、セ・パ両リ-グに所属している12球団というイメ-ジが強いが、最近は、各地に続々と『独立リ-グ』という『プロ野球機構』が誕生しているらしい。

 今回指名した『神戸ナイングル-プ』という球団もその一つで、来春開幕する『関西独立リ-グ』に参加するという。どうやらこの球団の『話題づくり』にこの女子高生が利用されているのでは・・・と思えてならない。

 この17歳の女の子の実力がいかほどのものかは分からない。何でもナックルが得意で男子高校生をも三振に討ち取ったのが自慢だというが、はたして相手がどれぐらいの実力の持ち主かなんていう情報は全くない。さらに、三振をとられた男子が本気だったかどうかも疑わしい。

 高校野球はますます大人気。子どもの数が減少しているので各地の高校は生徒集めに苦労しているという。そのため特色を出すことが大流行、中高一環やそんな名前をよく考えるよというような、奇抜な名前のコ-スを創設して人集めなどは毎日のように報じられている。私立では有名大学の系列化になる場合も少なくない。

 中でも私立が生徒集めの目玉にしているのが、野球部の『甲子園出場』というキップ。そのため、有望選手を全国各地から集めて『特待生』として授業料はもとより寮費なども免除、奨学金を与えて『野球づけ』の高校生活を過ごさせていることはよく知られている。

 人気に敏感な女子高生には野球部のマネ-ジャは憧れらしく、高校野球中継では必ずといって良いほど、マネ-ジャ-として女子の名前があがり、ベンチで細かくメモをとる姿がお馴染みになっている。

 マネ-ジャ-志望にととまらず、最近は『女子野球部』も大流行だと聞く。ル-ル的にも全く変わらない試合が日常的に行われているらしいが(高校野球の決まりで女子選手をプレ-に参加させないのかも知れないが)実際の選手の活躍は、漫画の世界での出来事であって現実にはあまり聞かない話・・・。

 サッカ-やラグビ-も女子リ-グというのがあるので、今やスポ-ツの世界ではまさに男女の区別がないことが当たり前になっている観があるが、いくらなんでも一緒にコ-トにはいっての真剣試合はない。もしそんなことが実現したとしたら、女子選手に怪我人がでることは間違いない。下手すると命を落とす結果となることも考えられないことはない。

 野球の場合、サッカ-やラグビ-と違って、相手チ-ムの選手と直接接触する場面は少なく、その意味では女子選手でもやれるのではないかと思われるが、そんなに甘いものではあるまい。

 やはり体力が根本的に違うのだから当たり前。最近の『ジエンダ-フリ-』という言葉に代表されるように、根本的な『性差』を認めず、何でも同じに扱わなければ『差別』とする傾向がますます強くなる現実に、危惧を感じているのは私だけではないだろう。

 入団発表のデ-タ-では、この女の子の身長155で投手登録とのことだが、この体格ではたかだか球速は120キロ(そんなに速いとは思えないが)ぐらいが関の山。プロの世界では『トンボが止まっているように見える』程度、ナックルが得意だというがこの変化球は直球のスピ-ドがあって初めていかされる球、一度は三振にとれてもそんな場面の再現はないのでは・・・。

 それより、投手返しの強い球で怪我でもしないことを祈りたい。万一にもそんなことが起これば、絶好の話題とばかり新聞・テレビは面白可笑しく話題に報道するだろうし、場合によってはル-ルの変更などと言い出す場面もあるのではないだろうか。

 チ-ムの監督は『練習はきついと思うが、ほかの選手にも言って聞かせてうまく調和していきたい』というが、『うまく調和』という言葉が気になる。まあチ-ムのマスコットとして育ってほしい・・・というところか。

 マスコミがこの女子選手をいつまで『賞味期限』と扱うか分からないが、高校を転校してまでプロ野球選手として精進したいという女の子を、単に話題集めのために入団させたとしたら『神戸ナイングル-プ』というチ-ムには明日はないような気がする。(田舎親父)

2008年12月 3日 (水)

 こんな学校あるのだろうか・・・

 愛知も最近賑やか。その愛知に黄柳野(『つげの』と読むらしいが、低学力首相にはとても読めないだろう)高校という学校があるらしい。

 先日、この学校が生徒寮に『喫煙室』を設けていたことがわかったというニュ-スが新聞テレビで大々的に報じられ、唖然とさせられた。警察は青少年保護育成条例違反(喫煙場所の提供)容疑で同校を家宅捜索して灰皿などを押収したというから、日常的に生徒の喫煙を許可していたらしい。

 この高校は不登校生徒を支援するとして95年に開校した全寮制高校だという。校長によると、開校時から喫煙する生徒が目立ち、昨年には女子寮のトイレで喫煙が原因と見られるボヤが発生したのも、喫煙を認める原因だと弁解しているらしい。

 また、同校は人家から離れた山中にあり、学校側は『山に隠れて喫煙されれば山火事になる』と対策を検討したが、生徒は買い物や通院で外出した際にたばこを買ったり、保護者に送ってもらったりしており、職員内でも『癖になっていて指導しきれず、保護者も容認している』のだから、と黙認していたというからバカバカシイというより情けない。

 保護者もただ『お願いします』と学校に任せっきりとなると、アホ親が放任しっぱなしのガキどもを集めて、適当にやっていたというところ・・・。となると、とんでもない学校と表現しても差し支えなさそうだ。

『不登校を支援する』ためと称して全寮制にして生徒の自主性と社会性を育成する、というのが設立理由なのだろうか、この『不登校を支援する』という言葉は違和感がある。

 本来なら(常識的に考えると)『不登校(私の意にはそぐわない言葉だが、ここはそのままにしておく)を支援』するということは、社会的適合力が不足していたり、非行その他で普通の中学校ではうまく環境に馴染まず、学校に通学できなった子どもたちを受け入れ、社会的常識をきちんと教えるという意味だろう。

 ところが、最重点にしなければならない社会的規範である『法の遵守』という精神は建前で、『喫煙が日常化しているので指導しきれなかった』という弁解は通用しない。というより、学校を存続させるため、『喫煙』などという自分勝手な行動も容認して、何とか『生徒を留めておきたい』という気持ちが見え隠れしているような気がする。

 校長は『隠れて喫煙されるより、きちんと指導できる場があった方がよいと考え、教育的に模索した結果だった。条例違反と言われればその通りで申し訳ない』と開き直り、即刻『同室を閉鎖』すると言っているらしい。

 しかし、『条例違反といわれればその通り・・・』とは、『自分は悪くない、バレたから悪いという結果になっただけ・・・』と、今日的に流行している偽装がバレた時に道徳観なき経営者が、一時的に世間の目をそらすために記者会見で謝罪する言葉とパフォ-マンスそのもの、教育に携わっている、しかも校長という一校を預かる人間が言って許される言葉ではない。

 さちに『喫煙のための部屋ではなく、禁煙につなげる教育指導としての取り組みだった』と弁明しているらしいが、このセリフは教育そのものを金儲けのネタにしているような道徳心なしの経営者そのもの、おそらくこの校長は経営者の一族なのだろうが、見苦しいとしか言いようがない。

 また『即刻同室を閉鎖』と言うが、指導できなかった(指導しなかった)ので『喫煙室』を作ったはず。閉鎖して教職員に叱咤激励して必死に指導に取り組ませるというが、すぐに生徒に禁煙を徹底できるとは思えない。この部屋をなくすということは、校内どこでもご自由に・・・ということと同義語になってしまうのでは・・・。

 それにしても、自分の子どもにまともに接することなく、喫煙が日常的習慣とさせてしまった親が、その責任も反省することなく、このような学校に逃避させてしまう仕組みが奇怪しいのではないだろうか。(田舎親父)

2008年12月 2日 (火)

ウソ発見装置がネットで・・・

 友人が運営しているブログサイトがある。新しい情報を教えてくれ、社会の出来事なども鋭い視点で論評しているので大変参考になり更新を楽しみにしている。

 先日の更新時、こんな内容が掲載されていた。

 ・・・英語のサイトだが政治家・タレント・スポーツ選手などの発言が本当かどうか判定してくれる「ウソ発見器」のサービスを提供しているReal Scoopというサイトがある。どこの国でも政治家はウソを付くということだろうか?http://realscoop.com/

 社会保険庁の元保険局長と元課長が襲撃されたが、出頭して来た犯人という男の発言はウソ臭いから、このサイトで判定してみたいものだ。・・・

 『英語サイトだが』という下りが気になるが、まずは開いてみることにする。なるほどこのサイトは全て英語、これでは私のような英語音痴にはチンプンカンプン。これはお手上げと思ったが、検索で『日本語の翻訳版』を見つけてそれで我慢することに・・・。

 どうやら、ネット上の著名人が出ている動画を元に音声解析を加えて、その人物が嘘をついているのかどうかを判定するというサービス?のようだ。さすがアメリカのやること、凄いサイトがあるものだと感心する。

 もっとも、オバマ次期アメリカ大統領までご丁寧に『小浜』と約しているところをみると、この日本語版はあまり信用できそうもないが、大意はだいたいつかむことができそうなので試してみる気になった。

 サイトには、外部から集められた大量のビデオが置かれ、専用プレーヤーで再生できようになっている。プレーヤーについているメーターには、話された言葉を分析した結果が次々と色別で表示される仕組みになっている。

 こんな簡単に『ウソ』が発見されるとはとても思えないが、メーターは、その人物の発言の『ウソ加減』に応じて色が変わって行く仕組みになっているらしい。オバマ氏のインタビュ-ビデオを再生すると、はじめは緑色が続き、ある部分から黄色に変わり突如赤色になる場面になる。

 この場面は、ある人物との関係について語っているのであるが、私の見た限りは、彼の表情には変化がない。もっとも現在私のコンピュ-タの音声部分に不具合が起きているので声で聞けないから判断のしようがないが、このソフトを開発した人の主観が相当はいっているのではないかと感じる。

 昔から『うそ発見器』なる機械の存在は知っている。実際に容疑者に対して用いているのだそうだが、裁判時の判断に影響するものではないとも聞いたことがある。それだけ人間の『ウソ』を見分けるのが難しいのだろうが、科学技術の発達は『うそ発見器』の精度は高まっているのは確かだろう。

 ひょっとして、近い将来本当に音声だけで『嘘が見破れるテクノロジー』というのも出てくるのかもしれないと思うと、この音声を分析して『ウソ』を見破るというサ-ビスも、あながち『どうせデタラだろう・・・』とバカにしているだけでは解決できない面もありそうだ・・・とも思えてくる。

 こういうサービスが流行り始めたりすると(メディアとは無縁の私には面白いと楽しみにするだろうが)『ウソで固めて人をだますことが政治』だと信じ込んでいる、現代の政治屋たちにとっては大変な脅威になることは間違いなさそう。

 唐沢氏も何やら怪しく感じておられるらしいが、連日報道されている『元厚労省次官殺傷事件』の犯人とされているコイズミ某などの取り調べビデオもこのサ-ビスとして公開してほしいものである。

 そしてこの男が『ウソ』をついていることが分かれば、これは大変だと裏の世界で蠢いている連中は大慌てするのではないだろうか。(田舎親父)

2008年12月 1日 (月)

やはり親方日の丸には勝てないのか・・・

 中央省庁の大勢の官僚たちが連日深夜の帰宅にタクシ-を利用して、それもわざわざ遠回り(のように偽って)をさせてして深夜帰宅していたことが、どこからかバレて大騒ぎになったことは、もうすっかり忘れられてしまっている感がある。

その官僚たちを何とかつかまえようとして、盆暮れの付け届けは当然として、運転手が車内でビ-ルや金品を渡していることが明らかになり、これらのタクシ-に対してマスコミは『居酒屋タクシ-』と命名、そちらの方が賑やかになったことも古い話。

特に国交省の役人たちの利用が多かったらしく、国交省は夏の期間中タクシ-の利用を自粛したというニュ-スと、その結果何千万だったか覚えていないが、経費が削減されたという記事も懐かしい。

今もタクシ-利用を自粛していると信じたい(多分ほとぼりも醒めたことだろうと以前通りの習慣が始まっている可能性の方が高いだろうが・・・)が、当時『居酒屋タクシ-』と騒がれたタクシ-業界としては、なんとしても役人の気を引こうとするのは当たり前で、だれが始めたのか分からないが、車内で『ビ-ルとつまみをサ-ビス』は、まさに飲んべい役人にとっては最高の方法、知恵者がいたもんだと感心すらしたものである。

そのサ-ビスを認めるわけではないが、今でも『居酒屋タクシ-』などという存在しそうな言葉が日常語になっているのは、それだけタクシ-を利用している役人が多かった(現在形で『多い』と言った方が正しいかも・・・)ことを表し、そこに群がる業界の熾烈な競争がさせたことだと思っている。

違法なことには違いないが、このような現実が生まれてきたのは、役人たちが必要もなく深夜にタクシ-を税金で賄うようなシステムであることが根底にあるからこそで、タクシ-の業界から見たら、謂わば『必要悪』ではないだろうか。

私自身、この問題のことをすっかり忘れていたが、先日、このことを思い出させるようなニュ-スが流れた。

タクシー乗務員から金品の接待を受けていた問題で、国土交通省関東運輸局は28日、客の職員に現金の割り戻しや金券の提供を行ったと認めた東京都内の個人タクシー事業者11人に対し、道路運送法に基づき40~20日間の車両の使用停止を命じる行政処分を行った、との記事に、何か『違うのでは・・・』と感じたが、これは私だけなのだろうか。

運輸局が各省庁などから情報提供のあった事業者34人を聴取し、現金と金券の提供を認めた11人を処分対象としたらしい。最も重い40日間の処分をされたのは、財務省の特定の職員対し、5年間にわたり専属のようにしていた運転手だという。運送の都度、現金の割り戻しや金券を提供。計画性が高く悪質と判断されたようだ。

20日間の処分は10人で、商品券やビール券などを20~1回、渡していたというが、全てタクシ-の運転手に対する処分で、そんなサ-ビスをむしろ奨励していたとも思われる事業者には何のおとがめもなかったのは変な話。

それ以上に納得できないのは、金品を受け取るというのは明らかに違法行為。事情聴取の段階で、内閣、総務、財務、経済産業、環境の5府省の職員の名前が挙がったというのに、名前はともかく実数も明らかにされていないことである。あまりにも数が多すぎて発表すると大変なことになると判断したのかも知れないが・・・。

結局は、その罪を全て末端のタクシ-運転手に負わせて、事業者はほんの少しの痛みだけですませ、役人たちは無罪放免とは。

昔から『泣く子と地頭に勝てない』といわれているように、今でもこの国は『親方日の丸』の官僚たちは、不正があきらかよちなっても決して泥をかぶることがないシステムが生きているかと思うと、何となく悲しくさえなってくる。(田舎親父)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ