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2009年1月

2009年1月31日 (土)

インドネシア人介護師達の将来は・・・

 昨年の8月だったと思うが、日本とインドネシアの『経済連携協定(EPA)』という約束事に基づき101人のインドネシアのすでに現地で看護師資格を持つ若人たちが、日本の介護現場で働くために来日したという報道があった。

 当時の記憶では、彼らは約半年の日本語教育を受けて、全国各地の病院や介護施設に配属されるとのことだったが、またまた人手不足を解消するために外国に頼るという最も安易な方法を選んだことに(確かこの小欄でもこの危惧は書いたような気がするが)一抹の不安を抱いたものである。

 つい先日、約半年の研修が終わり、現場で患者や要介護者との日常的な会話のやりとりができる程度の日本語を習得できたとして、24都府県の特別養護老人ホームなど51施設で、介護福祉士の資格取得を目指し働き始めたというニュ-スが流れた。

 映像をみる限り、希望に満ちた彼らの笑顔が溢れていた。実際に彼らが一生懸命に仕事に励むだろうことは疑わない。しかし、インタビュ-された若者はごく一部、彼らをみる限り何とか日常会話はできそうだと思うが、はたして101人が同じ程度の日本語会話力をつけているのだろうか・・・。

 思い過ごしかもしれないが、挨拶や業界用語などは理解できたとしても、日本語の持つ特殊な『あいまいさ』とか『言い回し』まではとても習得できているとは思えない。

 彼らは必死に老人たちを介護するだろう。介護される老人たちも、そのひたむきさに驚き感謝するに違いない。しかし、感謝の気持ちは慣れるに従って薄れるのは当然で、時が過ぎるに従って、最初に老人たちが感じた『ひたむきさ』は日常的な『当たり前』と受け止めることは想像に難くない。

 中には、意地悪な老人もいるに違いない。『お金を払っているのだから当然』という考え方で介護されることに感謝の気持ちがないと態度に現れるだろう。すると、彼らは自分に何か落ち度があるのではと悩むのではないだろうか。

 たった半年だけの上辺の日本語会話教育を受けただけの彼らに、とても十分なコミニュケ-ション能力が培われているわけがない。気持ちを表す言葉が素直に表現できない・日本語の機微が分からないとなると、表面的には現れないかもしれないが、心の中でのトラブルは避けられないのではないだろうか。

 加えて、彼らの大半がイスラム教徒。イスラムの教えは日本人ではちょっと考えられないような厳しい戒律があるという。映像でも紹介していたが、一日4.5回の礼拝は信者としての基本的に勤めだという。それも時間が決められて、アッラ-の神に身体を折り曲げて伏し拝む姿は、神秘的といえばそれまでだが、何故そんな礼拝が必要なのか理解することは不可能に近い。

 受け入れる介護施設側は、彼らのために『礼拝所』を設けるらしい。当面は彼らの信仰心に深さを認めて感心するかもしれないが、何が起こっても奇怪しくないのが重度の介護を要する人々を預かる現場では、いつまでこの習慣を鷹揚に見守れるかも疑わしい。

 彼らの大半は日本に定住し家族を呼び寄せたい希望を持っているとのことだが、今回の約束事では、来日から4年以内に日本の介護福祉士資格を取得しなければ定住は認めず国外退去になるとのこと。これは厳しい。受験には3年間の実務経験が必要なため受験機会は一度だけでは、101人が全て合格できるとはとても思えない。

 介護業界では低賃金や重労働が敬遠され人手不足が深刻だという。その解決に力を入れず、定額給付金など何の役に立たないカネ(それも二兆円に加えて諸費用が数千億という莫大な金額)をバラまいてカネで票を買おうとしているのだから最悪・・・。

 安易に外国から安い賃金で、しかも言うことを聞く若者を外国に求める。これでは、自動車業界が札束で横っ面を張り倒して日系のブラジル人を大量に連れてくることと同じパタ-ンだといっても過言ではない。

 さらに気になるのは、昨年10月から情勢が一挙に変わり介護業界に職を求める人が急速に増えていること。介護施設側も簡単に人集めが可能となると、言葉に壁があってしかも宗教や習慣や文化の違う若者など必要ない・・・なんてことになりかねない。

 第二陣として同様に来日した看護師候補者104人は、2月12日に日本語研修を修了し、23都府県の47病院で就労を始める予定だという。来月には景気がもっと後退しているだろうから、どこからかの圧力でこれに類するニュ-スさえ流れないか、流れても極少なくなるのでは・・・。(田舎親父)

2009年1月30日 (金)

子どもたちに罪はないはずなのだが・・・

 連日のように非正規社員の解雇が報じられている。問題が明らかになった当初は自動車産業だったが、最近は電器業界はじめほとんどの製造業に及び、このままでは全ての契約社員や期間労働者は何時自分の身に降りかかるか不安を抱えている。

 あまり取り上げられないようだが外国からの労働者も悲惨な環境におかれているという。彼らは主に自動車関連企業がブラジルで大量に雇用して、連れてきたと表現しても差し支えない人々である。

 日系のブラジル人が多いのは日本からの移民がその源流だろう。日本に何となく憧れを持って、一肌あげようとやってきた人が多いのは疑えない。単身赴任の人もいただろうが生活が成り立つとなると家族を呼び寄せる者も多く、中には夫婦で企業に勤めるという人たちも当たり前になっているらしい。

 日本の自治体の中には、そんなブラジル国籍の人たちが人口の数バ-セント以上にもなっているというから、行政はもとより住民たちにとってもその融和に苦心するのは当然だが、つい最近まではその成功例で多く報じられていたものである。

 ところが昨年10月ごろから経済の悪化が急速に進み、日系ブラジル人の人たちが契約打ち切りを宣告され解雇されるという暗い話題が連日流れている。

 企業としては、会社の存続と正規社員の生活を守るための止む得ない処置だと言うことは分からないでもないが、(元を正せば)安い労働力を安易にブラジルに求めたのは企業の勝手な論理で、都合が悪くなると解雇し『後は知らん・・・』は許されることではない。

 両親の解雇や雇用条件の悪化などで生活が厳しくなると、子どもたちの教育環境にしわ寄せがくるのは当然。ある程度生活が安定していた昨年までは、5万円前後の月謝を払って自分の子どもたちを私立のブラジル人学校に通わせていたらしいが、月謝が払えない家族が続出し退学に追い込まれている例が頻発しているとのことである。

 退学を余儀なくされた子どもたちは、仕方ないので公立の小中学校に転学するらしいが受け入れなければならない学校としても迷惑な話。多くの自治体は慢性的な財政難で、学校を維持管理するだけで青息吐息の現状では、とても通訳の配置など無理、連日のように各地からその悲鳴が聞こえてくる。

 外国を雇用するのは企業の勝手だろう。このことを否定するつもりはない。が、少なくとも日本で暮らしていけるための条件と環境は整えるのは最低の責任だろう。家族を伴っての来日ならば、教育問題は避けて通れないのはわかっているだろうに、安易に『日本は学校がしっかりしているから・・・』とか何とか言って、公立小中学校に押しつけているのが実態ではないだろうか。

 親たちも、その辺りの契約には無頓着、要は給料が高ければ何とかなるだろうという安易な気持ちがあって、子どもたちは『すぐ慣れるだろう』とか『日本で教育を受けたら帰国した時有利だろう』などと考えてしまうのかもしれない。

 ところが子どもたちはすぐ『言葉の壁』にぶちあたってしまう。小学校の低学年では、算数などでは学力的に差がないことが多く、子どもたちの中で話が何とか通じるようになれば『言葉の壁』は案外低くなり、すんなりと学校生活に適用できる場合もあるのだが、高学年や中学生となるとそれほど簡単にはことは運ばない。

 子どもたちを日本で生活させていくためには『言葉の壁』を乗り越えられる支援は必要だと思うが、はたしてそこまで行政(結局は学校)が責任を持たねばならないのだろうか。何でも行政となって、本来一番大切な日本人への住民サ-ビスまで低下させることになっては本末転倒であろう。

 ブラジル人学校の必要性は否定しないが、その前に企業は、自社の都合で連れてくる外国人労働者の子女の教育環境を整えること、そして万一解雇した場合は、希望に応じて安心して帰国できるようなシステムを恒久的に整備することが必要だと思うのだが・・・。(田舎親父

2009年1月29日 (木)

これでは道徳教育の充実と言っても・・・これは無理

 27日に急に温泉に浸かりたくなり、群馬の『老神温泉』に出かけてきた。源泉の湯温が60℃というからかなり熱くなかなかの名湯だが極端に客が少ない。(予想していたとはいえ)こんな状態で大丈夫なのだろうか・・・と、人ごとながら心配になってくる。
 温泉に関与している人々はそれなりに努力されているのだろうが、単に温泉だけでやっていける時代は過ぎ去ったという認識に欠けているとしたら、この温泉場も斜陽の一党辿るのではないかと心配してしまう。
 ところで、相変わらず政治屋達の不祥事が続いているのには呆れを通り越して声も出ない。マスコミもこれだけ続くと、取り上げても視聴率が延びないからだろうが、最近はあまり追求の記事がないのも気になるところ。
 先日は、鴻池だったか旧財閥の名前の副官房長官が参議院宿舎に知人の女性を何度も宿泊させているという記事が載っていた。この御仁は郵政民営化に偉そうに反対したが、除名をちらつかされたらとたんにゴメンナサイをしたはずなのが、この程度の醜聞はあって当たり前だが、公人きしてみっともないこと甚だしい。
 議員宿舎にゲストル-ムがあるのかどうかは知らないが、最初の記事では『ホテルがわりに利用・・・』なんてあったので、これは問題になりそうだ、と思ったものだが、結局はウヤムヤ・・・。官房長官の注意でことは終わったようだ。
 また、先日は民主党の山岡国会対策委員長が、金銭問題でかなりヤバそうな記事が乗ったので民主党は苦しむのではないかと思ったが、今のところ自民党や宗教政党からの攻撃がないのが不思議でならない。多分、こんなことを取り上げたら自分の身(自党)に及ぶので追求できない・・・。あるいは、幹部からの命令でもあったのではないかと勘繰っている。
 しかし、現職の議員の政治団体が雇用する私設秘書や短期アルバイトについて強制加入の労働保険に未加入だったとなると、これは前述した単なる『黒いうわさ』の段階ではなく、まさに法律違反の確信犯。こんな輩が内閣の閣僚とは由々しき事態。
 しかも、一人ではなく5人も存在するというから、この内閣は『泥棒法律違反内閣』と命名しても過言ではない。5人とは、河村官房長官・塩谷文科相・金子国交相・浜田防衛相・甘利行革担当相。
 どんな言い訳をいうだろうと思っていたら、『強制ということを失念していた』『アルバイトは加入しなくてもよかったと思っていた』あるいは『私設の秘書は適用外だと解釈していた』などと言うから、立法府の議員としての資格はゼロ。いやマイナスだろう。
 強制的に徴収されている圧倒的多数の国民や、また正直に労働保険に加入して保険料を払っている事業者たちからみたら許せる問題ではないはず・・・。
 話は急に変わるが、学習指導要領の改革の度に『道徳教育』の充実がお題目のようにうたわれている。実際に、文部省は管下の教育委員会を通して各学校に『道徳教育に力を入れる』ように要請していることは周知のこと。
 少し観念的になるが、道徳の基本中の基本は『法律の遵守』であることは論を待たない。教師たちは、教材を工夫し必死で『法を守る』ことの大切さを指導している。教育委員会の指定を受けて、道徳を全校あげての研究課題として、成果を発表する学校も多いと聞いている。
 ところが、法を作る『国会』の議員が自分たちが作った法が守れないで、どうして道徳教育の充実ができるのだろう。しかも、教育の元締めである文科省の大将である文部大臣までもが『法を犯す』とは・・・。
 これでは、学校の道徳の授業で『ウソをつくな』『法を守れ』なんて指導しても、子どもたちに伝わるはずはなく、道徳教育なんて必要ない・・・と言っているに等しい。教師たちが虚しくなるのは当然だろう。
 野党はもっと5人の閣僚の責任を追及するべきだろうが、同じようなことをしているに違いない、となると追求などできる話ではなく『馴れ合い』でウヤムヤに干るのがオチ、下手に騒ぐと自分の身にかかってくるとなると、とてもではないが追求などできないのも仕方ないかもしれない。
 経済の落ち込みは時の流れとして仕方ないものがあろうが、心の質の低下は国の存続の問題。昨今の政治屋の言動の何と虚しいことか・・・・。(田舎親父)


2009年1月27日 (火)

汚染を隠してまで移転を進めるのは何故・・・

 昨日の朝日新聞の朝刊を見てビックリした。一面トップに五段抜きの白文字で『発がん性物質公表の115倍』との見出しと 付帯して『都、検討会に示さず』とある。

 つい最近、汚染処理費用が予定額の半分程度に済む、と発表したはずなのに、あれは一体なんだったの・・・と改めて、都(というよりマンマン知事だろうが)にはどうしても築地市場を移転させなければならない事情が隠されていると確信してしまった。

 それにしても聞き慣れない農薬や物質の名前が次々に現れてくる。今回発表された『ベンゾ(a)ピレン』という化学物質はコ-ルタ-ルや自動車の排気ガスに含まれ、強い発がん性を持っているというからやっかいである。

 その『ベンゾ(a)ピレン』が移転予定の土地から公表値の115倍の濃度で検出されていたにもかかわらず、都が汚染対策を話し合う公開の専門家会議にその結果を報告していなかったことが分かったという。

 不可解な話である。記事を読み進んでみると、土壌汚染を調べる有識者による専門家会議を一昨年に招集したことは小覧でも取り上げたが、その会議での資料として、土壌1キログラムあたり最大5.1ミリグラム検出されたことは報告したとある。

 この物質については環境基準や指針は国内にはないが、会議の座長は『米国やドイツなどでは2ミリや3ミリがリスク評価のための基準』と発言していたというから、専門家なら当然だろうが、リスクが大きいのは認識していたようだ。

その後、都は去年の3月からから改めて土壌汚染調査を実施し、この物質の最大値は590ミリと、会議に提出した資料の115倍という信じられない数値だったことを入手していたのにかかわらずダンマリを決め込んで、7月に開かれた専門家会議にも提出しなかったというから、意図的に隠していたとしか考えられない。

 専門家会議はこれまで9回開かれたというが、ベンゾピレンの新濃度については最終の会議が終わってから委員に知らせたというから変な話。

 都の担当者(知事の御用部署だろうが)『法で定められた汚染対策の対象物質でも正式な調査項目でもなく、委員からも汚染対策のためにデータを持っておく方がよいと言われた程度だったので、この時点では報告を考えていなかった。後でメールで報告したのは、それまでの最大値を超えたため、汚染対策の留意点が聞きたかったからだ』と答えているらしいから、都民の安全などは二の次三の次で、移転を如何に『上手く進めるか』が市場命令として受け止めていたのだろう。

 メ-ルで連絡を受けた委員たちも『水に溶けにくく、地下水が気化して起こる大気汚染の心配はない・・・』との見解だったというから、御用会議と言われても仕方がないようだ。

 何故こんなことが今頃に明らかになったのかというと、調査した業者の報告書を朝日新聞が情報公開請求で入手したからだという。確かに、朝刊を見て各新聞の見出しなどをネットで検索したが、朝日以外にはない。また、GoogleYahooなどの検索でも見つからないところから、どうやらこれは朝日の『特ダネ』だったようだ。

 しかし、こんな重要なことが朝日新聞だけが追いかけていたのは何となく納得がいかない。昼過ぎになってようやく毎日が追随記事を掲載したが、他の新聞はその後もない。夕方のNHKのニュ-スで、一部粘土層がないことを報道していたが、ベンゾピリンのことはない。これは意識的なのか、それともどこからかの圧力があったのか気になる。

 まさか朝日新聞が業者の報告書を捏造するとは思えないから、発がん性の『ベンゾピレン』が欧米の許可量を信じられないほど越えていることは間違いないだろう。都としても明らかにされた以上、これを取り除かなければ都民の移転への合意は取り付けられないだろうから、大変なことになりそうだ。

 それでも、隠していたわけではないと強気の姿勢で、市場の移転の方向は変えないという。時間的にオリンピック施設への目論見はすでに吹っ飛んでいるはずだろうから、移転そのものの必要性はないのではと思うのだが・・・違う利権でもあるのだろうか。

 最近、都知事が『オリンピョク招致』という勇ましいラッパを吹かないようになったのは、これらのデ-タ-隠しが関係していると思いたくないが・・・。(田舎親父)

2009年1月26日 (月)

またまた見切り発車とは・・・

 自民党内の消費税率の値上げの論争が『二段階方式』とかいう、実際には行うことを前提にしながら、あいまいな言葉を羅列して、国民に対してはあたかも値上げに踏み切らないようなニアンスで妥協したのは、反対していた議員たちも、分裂したら先がないという保身の結果だろう。

 もう少し骨のある若手がいるかと思っていたのだが、首相に『お前はアホか・・・』と絶縁状を叩きつけたのはミッチ-2世だけとは、勇ましい言葉を吐いていた輩は、マスコミに自分の存在を売り込んで、選挙で少しでも有利にしたいという思惑だけだった・・・。

 首相もこれでメンツが立ったと一安心だろう。同時にこの御仁はどうしても消費税引き上げの先鞭をつけたいのだろうが、今度は突如『議員歳費の値下げ』などという、一見国民受けすることを言いだしたところをみると、余程、裏に知恵者が控えているのではないだろうか。

 これを受けて、自民党の幹部連中は歳費を30%ぐらい引き下げないと国民の納得は得られない、なんて言い出す始末。こんな連中は別の財布をいくも持っており、30%程度の歳費の引き下げなんて蚊に刺された程度としか考えていないのは間違いないところ。

 次なる議論が官僚の天下りらしいが、こちらは消費税率の引き上げから比べると、国民的関心事とはなりにくいので、またまた言葉の遊び程度で幕引きになるのではないだろうか。

 ところで、海上自衛隊のソマリア沖派遣が何やら怪しげな雰囲気になっているのが気がかり。ソマリア沖の海賊被害対策として、勇ましいことが大好きなアッソウ首相が、消費税論議が片づいたと自信を深めたのか、はっきりと派遣の意向を表明し、与党内ではほとんど議論らしいことなく派遣を了承したという。

 今までは慎重論を繰り返していたハマコウ二世防衛相も、次第に雰囲気的には積極的に派遣準備を指示する見通しというから、何やらアメリカの命令でイラクに自衛隊を派遣した当時の様相を呈してきた。

 連日と言っても良いほどソマリア沖の海賊の報道が新聞を賑わしている。テレビのニュ-スで報じられることもある。昨年、この海域で起きた事件は100件を超え、前年の3倍近くに急増したというほど深刻な情勢になっているらしい。

 国連安全保障理事会が海賊制圧を認める決議をし、アメリカやヨ-ロッパの国々はもとより、中国や韓国の軍艦も出動しているという。その意味では、日本に自衛隊の艦船を派遣しろという圧力がかかっていることは理解できるが、だからといって憲法解釈などもふくめて国民的な議論もせず、簡単に派遣して良い問題とは思えない。

 日本のタンカ-が襲われたというニュ-スは時にあるものの、自力で脱出が本当はドイツの海軍の援助があった・・・というように、真実が隠されているのは、どこからか圧力があるに違いない。

 ソマリア沖はアラビア海と紅海を結ぶ海運の要衝である。海賊被害が増えれば、経済への影響が甚大、具体的な対策が必要なのは言うまでもないが、ソマリアは現在無政府状態だというから、生活のためには海賊は『職業』となっていることも見逃してはならない。

 ソマリアの海賊たちにとっては他国の船を襲うのは生きるための一つの手段、反抗する奴らは殺しても仕方ないと思い込んでいるだろうから、より威力のある武器を持つのは当然といえばこれほど当然なことはない。

 自衛隊が海外でドンパチすることは憲法ではっきり否定されている。自衛隊の艦船が近くにいれば襲撃しなければ良いのだが、そのことは恐らく海賊は承知しているだろうから銃やロケット砲による攻撃もあり得るどころか可能性は大きいはず。

 銃撃されたら、ゴメンナサイとばかり逃げるとなると、何のための派遣か分からないどころか、各国の笑いの種になりバカにされるだけ。

 不測の事態への対応も十分に検討されていないのに派遣は、その恐れが十分ある。イラクの場合でも、実際には報じられなかったが、それに類することがあったとネットの裏情報は詳しく伝えている。

 イラク派遣では死傷者は皆無と発表している。確かに現地での戦闘による死傷者はいなかったかもしれないが、帰国して自殺した人や鬱病になっている人の存在も明らか。ある意味この人たちは派遣された被害者に違いない。
 課題が多すぎるのに、国会での十分な審議もないまま、派遣の話が政府と与党の間だけで進めるべきではない。ソマリアの国内での人々の生活の不安定さが海賊行為につながっているのだから、日本はこの状態の解消への支援こそ重要な対処法だと思うがいかがだろう。

 政府、与党は海賊対策の新法を準備しているらしい。こレには民主党はじめ野党の一部も賛成しているというから恐ろしい。なし崩し的な海外派遣の拡大にならないことを切に祈っている。(田舎親父)

2009年1月25日 (日)

横浜の小中一貫校構想にエ-ルを・・・

 お前は何か怨みでもあるのか・・・と言われるほど、日頃から私は教育委員会に対してはかなり辛辣に批判しているが、一昨日にも記したように、今回横浜市教育委員会が新学習指導要領が完全実施される平成24年4月から、すべての市立小中学校で9年間一貫の教育を実施する方針を決めたことには拍手を送りたい。

 小中一貫教育は全国でもぼちぼち取り組みが始まって、各地の実践の報告が聞こえてくるようになっているが、これまでのところはごく限られた地域での実験的な試みである。

 横浜のように小学校346校、中学校全145校という大規模な実施は全国初めて、はたして上手く軌道に乗るのか疑問視する人もいるようだが『ツエルブテスト』ブ-ムを下火にさせるためにもぜひ成功してほしいものである。

 6.3制の義務教育制度が始まってすでに70年近く、いろいろと『ほころび』が生じ、随分以前から見直しが言われているが、義務教育でない高校と中学校を一貫にという考え方が先行しているのが現状である。

 この中高一貫教育は後期課程進学時に高校受験が不要または簡単な試験で済むため、6年間のうち大部分を試験勉強に追われずに過ごせるという利点があり、しかも高校過程での授業料が安いというが魅力になり、ここ数年人気の的になっているようだ。

 確かに、私立の中高へ進むよりはるかに授業料が安いのは、昨今の不況を考えると当然なのだろうが、人気が集中して受験生が定員の10倍を越す学校が出てくると、先日述べた『ツエルブテスト』に拍車をかける結果となることは間違いなさそう。

 小中一貫となり、魅力ある中学部が構築できたとしたら、少なくとも『ツエルブテスト』の必要性は減少することは間違いない。しかも、9年間で一貫した教育が当たり前となったら、高校受験やさらには大学受験の形態も変化させられるのではないだろうか。

 新しい学習指導要領を詳しく読んだわけではないが、教科書は指導要領の範囲を越えて記載できると聞いている。各学年の学習内容はかなり柔軟に設定できるようなので、工夫次第では9年間の学習内容を8年、あるいは8年半で履修も可能となるだろう。

 すると、15歳には外国への留学なんてことも夢ではなくなる。となると、わざわざお遊びのような小学校の英語活動などもその必要性はなくなるに違いない。英語圏の国と協定してそこで英語学習ができる環境を作れば、何も苦労して日本語英語を教わるより、はるかに英語力をつけるのはたやすいのではないだろうか。

 同じ敷地に小中一貫の学校が存在すれば、教員も共通になり同じ人数でも中身の濃い学習が展開できるはず。

 学習内容も変えられるだろう。例えば方程式の概念を理解させればなんでもないのに、受験用としか思えないような考え方で難しくしている算数の計算も、能力別にわかりやすく教えられるだろうことも間違いなさそう。それ以前にわざわざ科目を算数と数学と区別する必要もなくなるかもしれない。

 最大の利点は、子どもたちにとって(大人が信じられないほど)高い意識的障害となっている小学校と中学校とのギャップがなくなることではないだろうか。これは子どもたちにとっては計り知れない魅力になるはず・・・。

 ただ、横浜の場合は都区内と比べて極端に学区域が広いことが気がかりである。私の住む町でも指定の小学校まで15分以上かかり、まして中学校となると徒歩で40分もの時間がかかる。そして子どもの数は毎年のように増えつづけていることも、この一貫校の実現の前に高い壁として立ちふさがっている。

 当初は、一貫校と言いながら離れた場所での実施になるだろう。多分教員の連携という形から入っていくのだろうが、全く今まで交流がなかった小学校と中学校、教員の意識を変えることは容易ではないだろうことは想像に難くない。

 また、教員が学校間を移動するのに車を使ったとしてもかなりの時間がかかるという問題も克服して行かなければならない。きっと探せば、まだまだ細かい問題は多いはず。

 しかし、教育委員会と学校が気持ちを一つにして、障害を乗り越える努力を続けて、この遠大な教育改革構想を押し進め、ぜひ成功させていただきたいものである。

 そして実現は夢のまた夢なかもしれないが、高校までもを義務教育として、小中高一貫校という構想が生まれることを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2009年1月24日 (土)

『ホ-ムスク-リング』が流行っているらしい・・・

 子供を学校に通わせずに保護者が家で教育する『ホームスクーリング』というカタカナ言葉が流行っているとのニュ-スに、また日本人の横文字コンプレックスが始まったかと思ってしまう。

 この『ホ-ムスク-リング』という言葉と概念は、英国など一部の国では制度化されているというが日本での例はあまりなかったようだ。しかし、日本にも少なからず実践例があり、最近は流行する兆しが見え始めているとのことに、またまた学校が苦労するのでは・・・と思ってしまう。

 確かに、現在の学校にはイジメや格差が満ちあふれているように見えるが、この格差やイジメは今始まったことではなく、古今東西人が集まる環境があれば必ず起こっていたことであるのに、ちょっとしたイザコザやトラブルまでをもを一方的にイジメと大騒ぎしている傾向があるのではないだろうか。

 あるいは、駆けっこの遅い速いと持って生まれた運動能力によるもので、それば仕方ないこと。しかし、運動会などでそれが目立たないように、極端な場合『お手てつないでゴ-ルイン』させるという、間違った『格差観』を打ち出している学校が存在していることは確か。

 そんな学校を見てだろうと思うが、自分の子どもは自分で育てる・・・という強い決意で実践している人の例が報道された。

 記事によると、この家族の場合は母親が7歳の長女を『ホ-ムスク-リング』という方法で育てているようである。団体職員の父親は毎日勤めにでているため、母親が日々長女の教育を担っているという。子どもは地元の市立小学校に1年生として籍を置いてはいるが、学校には一度も行ったことがないというから徹底している。

 この母親自身は公立学校で育ち、特別な思想や信条があったわけではなかったらしいが幼稚園に行きたがらなかった長女を見て、学校で得るものが少なかった自分の過去を振り返り、悩み抜いた末に『ホ-ムスク-リング』の方法に行き着いたという。

 『義務教育って、何でしょう。学校に行きたい子供もいれば、行きたくない子供もいる。子供に選択の自由があってもいいのでは・・・』との母親の言葉は、学校に行かせる行かせないは親の勝手だろう・・・という現代の風潮を見事に表している。

 が、幼稚園にはいきたくなかったこの娘が、小学校に入学したくないという意思をはっきり表したのだろうか。長女は『学校に行かなくても楽しいからいい』と屈託がないと報じているが、本当にそう思っているのか疑わしい気持ちも捨てきれない。

 母親は『不登校の子はたくさんいる。学校でスムーズに人間関係を築けている子がどれほどいるのでしょうか・・・』と、学校に行かなければ社会性が育たないという意見に対して疑問を投げかけているそうだが、学校の実態をどこまで知っているのか確かめたい気持ちにもなる。

 さらに、母親は、毎日の本の読み聞かせや、月に月100冊以上の読書で『国語力は同年代の子以上』だし、アメリカのインターナショナルスクールから送られてくる教材で英語や算数を自習し、ピアノやバイオリンの個人レッスンも受けているから、普通の子ども以上に育っていると自信を持っているという。

 『与えられたことをこなすことよりも、子供が自分で何を学びたいのかを知ることが大切ではないでしょうか・・・』という母親の意見も理解できないわけではないが、これから年代が進につれて、母親の教える能力も当然ながら子どもが一人で学ぶことには限界があるはず・・・。

 もう一つ気になるのは、父親の存在が見えてこないこと。団体職員とあるので家族の一員だろうと思うのだが、父親の陰が極端に薄いのは何なのだろう。最近、子どもが巻き込まれる事件の背景に、父親不在がある場合が多い事実が引っかかる。

 憲法の定めによって、親には子どもを教育を受けさせなければならい義務があるとはっきりうたっている。この母親は、親が先生になって教育を行っているのだから、立派に義務を果たしていると言うだろう。

 しかし、社会全体が、学校を否定した『ホ-ムスク-リング』という方法を安易に受け入れてしまっては、中には『子どもは親の玩具』というような誤った考え方が蔓延し複雑な様々な問題が生まれてくるように思えてならない。

 人が人として成長するためには人との関わりが必要なことは自明のこと。そのためには一時期には大勢の他者が存在する環境の中で、自分と他者との交わり(その中にはトラブルがあるだろう)でしか経験できないことを学び育つことは必須条件。私は、だからこそ学校があるのだと確信している。

 管理された学校以外に選択肢がないのはおかしい。受けたい教育の形を子供が選べる権利が保証されるべきだ、という意見があることは知っている。イジメや不登校が問題になっていることも十分理解している。

 学校に責任がないとは言わないが、そこを『臭いものに蓋』ではないが、全て(本質を徹底的に追求するのではなく)学校のせいにしていては、これからの社会を担う若者が育たないように思えるが、いかがだろう・・・。(田舎親父)

2009年1月23日 (金)

『ツエルブテスト』の流行を危惧しているが・・・

 30年以上前だっただろうか、イギリスでは小学校を卒業する年代になると、将来の職業など選択しなければならないシステムができていて、その進路を決めるテストがあるということを聞いた記憶がある。

 『イレブンテスト』というらしい。この制度は小学校を卒業して次の学校を選ぶ時に、現在の自分の学力?と照らし合わせて、将来政治家や芸術家を目指すのか、教師やサラリ-マンを選ぶのか、あるいはパン屋の職人になるのかを、テストによって選択すると教えられた。

 当時は、イギリスの教育システムなんて全く興味がなかったので『ふ-ん』と聞き流す程度だったが、それでも、まだ自分の意見すらまともに話せないことが多い11歳の子どもの将来をテストで決めなければならない制度に、日本人でよかったと安堵したもの。

 当時、本当にイギリスで『イレブンテスト』が行われていたか定かではない。こんな無茶苦茶な制度が現在も存続しているとは、とても思わないが、我が国では毎年この時期になると、この『イレブンテスト』という言葉を思い浮かばせる報道が新聞やテレビを賑わせるようになっている。

 16日、阪神間のある市立小学校のこととして、約100人いる6年生の3分の2が欠席したと報じていた。その多くが、翌日の私立中受験に備えての休みだという。

 関西圏では私立中学校の受験日は1月17日らしい。そのために、最後の追い込みで塾に行く子もいれば、風邪をうつされたくないと家にいる子もいるのだそうだが、(『ネコも杓子も』との表現はふさわしくないかもしれないが)生活費まで切り詰めて塾に通い、さらに高額の授業料も何のそのとはかり、私立中受験に走るのは一体何なのだろう。驚く前に悲しくなる。

 あるクラスでは、空いている机を教室の後ろに寄せ、出席した子だけを前に集めて授業をしたそうだが、担任教師の思いは複雑だろう。受験による大量欠席であることは知りながら、残された子どもたちの気持ちを考えての一緒に過ごす時間は限りなく長く感じたのではないだろうか。

 奇しくも受験日は阪神淡路大震災の当日、阪神間の学校では、地震で命を落した大勢の子どもたちの魂を鎮撫する『追悼式』があったはずなのに、受験生の親子にとってはそんなことはどうでも良いこと、自分の合格しか頭にないのだろう。

 学校としても、3分の2以上の6年生が欠席するとなると、何のための追悼式かと意味づけさえ難しくなる。その意味でも、当日残った子どもと過ごさなければならない担任の気持ちを考えると腹立たしくなってくる。

 全く問題解決にはほど遠いことで、論点が違うというお叱りは当然だろうが、せめて受験日をずらすという配慮があっても良いのでは・・・と思ってしまう。

 私立の中学校を受験するのは親の勝手だが、ここまで私立中学校への進学熱が高まるのは異常で、単に高率中学校への不信感だけではなく、私立中学に進学しなければ負け組になるという、くだらない見栄と恐怖心が背景にあるように思えて仕方ない。

 何とかしなければ、それこそ暗黙の了解事項として『12歳テスト(ツエルブテストととでも命名するのだろうか)』として定着する恐れさえでてきたのではと心から危惧している。

 この問題は小欄でもなんども取り上げたが、大学受験制度そのものを根本的に改めて、当たり前のことを当たり前のように勉強していれば合格でき、大学に入ってからは厳しいテストをくぐり抜けなければ卒業できないという発想の転換を急ぐ必要があると、声を大にして主張したい。

 関西圏はすでに終わっただろうが、首都圏の私立中学の受験日は2月1日から始まる。

 ある新聞の社説に『・・・受験しない子はいるし、志望校に行けない子も出るはずだ。六年生の担任は教室での目配りを怠らないでほしい・・・』とある。

 また他の新聞は『受験しない子へのケアが重要だ。取り残された気持ちに陥っている児童がいないかどうか、しっかり目配りしてほしい。志望校への進学がかなわなかった児童へのアフターケアも欠かせない。からかいや冷やかしの対象になる可能性がある。卒業を控え、子供同士が傷つけ合う事態は避けたい・・・』と書いている。担任として当然なことのようだが、言うは易きであるが、実際にこの目配りを行うのは難しで、担任の力量だけではとてもかなうまい。

 先日、横浜の教育委員会が市内の全ての小中学校を小中連携学校にすると発表した。小中一貫学校は『ツエルブテスト』の流行をくい止める有効な方法だと、私が以前から必要性を述べていたことなので、そのこと自体評価するが、はたして東京都区内と違って、小学校と中学校が歩いて20分も離れているのが当たり前では、この実施にはかなりの困難が待ち受けているに違いない。

 が、横浜ガンバレ・・・と声援。このことは後日述べることにしたいと思う。(田舎親父)

2009年1月22日 (木)

富士山に鉄道とは・・・

 河口湖から富士山の5合目まで、登山者や観光客を電気鉄道で輸送する一大構想が持ち上がっているという。河口湖から富士山の合目までを結んでいるスバルラインという有料道路上に単線の軌道を建設するという計画らしい。

 構想を打ち出したのは富士五湖観光連盟という団体。その会長は『電気鉄道だから自然に対しての影響は車に比べて格段に少ない・・・』と強気の発言をしているとのことだが、なるほど、確かに現在の有料道路の上に鉄路を敷くだけだから、さほどの自然破壊行為はないかも・・・と思わせないでもない。

 しかし、有料道路を完全に閉鎖して自動車を全て遮断するならば、自然に対する負荷は少なくなることは確かなような気もするが、観光連盟というからには観光客が押しかけるほど来てくれるのが目的だろうから、道路の完全閉鎖となると反対意見も出てくるのではないだろうか。

 さらに、ゆくゆくは『首都圏から乗り換えなしの5合目直行便』も実現したいとのことだが、これはかなりの大風呂敷。本音はやはり人集めが目的だろうと思ってしまう。

 この鉄道構想は昨年11月に観光連盟の正副会長会議で打ち出されたそうだ。麓の有料道路ゲート付近に始発駅を設け、有料道路上に単線の線路を敷き、5合目ロータリーまでの全線約30キロ、平均勾配5%で結び、途中に観光客の散策用に4駅を設置すると、かなりの具体案。
 さらに、車両は電気動力で200人乗り車両を4両連結し、1便で800人程度を運ぶ。建設費は概算で600億円から800億円程度を見込んでいると数値まではじき出しているところから察すると、ただの大ボラではなさそうにも思える。

 会長の発言が紹介されているが、確かにがスイスでは100年も前から登山電車が走っており、かなりの観光客楽しんでいる風景はテレビなどでよく紹介されている。よくぞあのような乗り物を作ったものだと感心するが、当時(今でもだろうが)道路をつくるより鉄路の方が技術的にも安価だったのではないだろうか。

 それとも、ヨ-ロッパの人々の間にはすでに『自然環境保護』という概念が強く生まれていて、自然負荷を最小限に抑えるという考え方が先行したのかもしれない。

 ともあれ、富士山には梨、静岡両県からそれぞれ有料道路があってマイカ-で五合目までいけるとあって大人気。毎年夏季の最盛期には駐車場がないほどの車が押しかけ、そのため渋滞した車の排ガスが動植物に悪影響を与えるていることが問題になっている。

 近年はマイカ-を規制しているそうだが、それではとばかり観光バスで押しかける人が増大して、昨年は両県合わせて夏山2カ月間だけで30万人以上が入山したというから凄まじい。

 この様子は毎年必ずといって良いほどテレビで紹介されている。まさに長蛇の列で、前の人のお尻ばかりをみながらひたすらに歩く姿を見るにつけて、絶対にこの季節には登るまい、と思っている人も多いのではないだろうか。

 トイレの問題も深刻らしい。バイオトイレなどというものも出現しているらしいが、そこまでしてまで登るのは何なのだろうと・・・。まあ、富士という魅力が人々を引きつけているのだろうが、このまま放置しておける問題ではなさそうだ。

 その意味でも道路を封鎖して鉄路でしか入山できなくすることは乗車定員があることから入山者を制限する効果があるだろうが、前述したように、本気で道路を封鎖まで考えているのかは疑わしい。

 さらに、鉄路なら冬季の運行が可能で観光客の誘致を目論んでいるらしいが、スバルラインの上部では雪崩は避けられない。鉄路そのものをすっぽり覆う構想もあるのだろうがそうすると工事は半端でなくなりかえって自然への負荷がかかるのでないだろうか。

 何よりも観光気分で冬山に行けるとなると、アルプス以上に遭難騒ぎが出るのは間違いないところ、このあたりも十分検討して話を進めてほしいものである。(田舎親父)

2009年1月21日 (水)

オバマ新大統領の演説と比べると・・・

 日本時間の今日の未明、アメリカのオバマ大統領が誕生した。就任式の会場やホワイトハウスまでの沿道を200万人もの観衆が集まり、大統領就任をお祝いしたというから物凄い盛り上がりである。

 圧倒的なアメリカ人がブッシュ前大統領のやり方に行き詰まりを感じていたことは間違いないが、それにしてもこれほど大勢の人々が新大統領の門出を祝うために集まるというのは、如何にオバマ大統領に夢を託しているということがよく分かる。

 演説する姿勢がよい。英語が理解できないので全て字幕に頼るのであるが、その表情から大統領の決意のほどが伝わってくる。

 静かに、国民に対して、われわれはいま危機の真っただ中にあると率直にアメリカがおかれた立場を訴えた上で、果てしない暴力と憎しみに向けて戦争を続けており、一部の強欲で無責任な人々のせいだけでなく、皆が困難な道を選び、次の世代に備えることができなかった結果、経済的困難にあえいでいると、原稿を読むことなく人々に語りかけるように話す姿は素晴らしいという一言・・・。

 アメリカのおかれた立場は厳しく、経済も恐慌状態だと言って良いほど行き詰まっている状態。オバマ大統領自身その窮状を十分過ぎるほど理解しているだろうし、劇的に変えられる自信などないのかもしれないが『この大統領なら何かをしてくれる』という期待感を持たせる語り口は、彼の持って生まれたセンスなのだろうか・・・。

 それに引き替え我が国の政治屋達はどうなっているのだろう・・・とアメリカ嫌いの私でも情けなくなってくる。野党は誰が書いたのか分からないが空虚な質問をぶつけ、これを受けた首相はじめ閣僚たちは、あらかじめ質問内容が了解できているらしく、官僚が官僚の立場で書いた答弁書をまる読みすることで、それらの質問に答える姿が日常茶飯事になってしまっている。

 ガッカリすることがわかりきっているので、めったに国会中継など見ることはないが、ニュ-スなどでもこんな姿を見るにつれて、もう少しまじめに答えろよ・・・と怒鳴りたくなるのも毎度のこと。

 しかも、原稿の読み違えが多過ぎるのも困ったもの。原稿を読まなければ言葉が続かないのは政治家として情けないが、それは訓練ができていないからだろうと大目にみるとしても、せめて官僚が作った原稿を事前に読んで、難しい漢字にはルビをふる程度はしなければ・・・と、オバマ大統領の就任演説を聞くにつれて改めて情けなくなってくる。

 ごく簡単なことなのに、難しい漢字を羅列して問題を複雑にして、さらにその漢字が読めないなんて恥の上塗りだろう。私ならとても人前にもでられないと恐縮するだろうに何の臆面もなくシラッとして、相変わらず『従って・・・』とか『所謂・・・』などを口を曲げて連発する姿は勘弁願いたいものである。

 漢字の読み違いで思い出したが、昨日、自動車の生産量が世界一になったトヨタの新社長になることが決まって創業家の現副社長が記者会見していた。見るともなく見ていたら、この方が『未曾有』という言葉だろうが『みぞうゆ』と発音していたように聞こえたのは私だけだろうか。

 この御仁も原稿をしっかり手にしてまる読みしていた姿に、我が国の首相はじめ政治屋さん達の姿とダブり、思わず『トヨタは大丈夫なの・・・』と思ってしまったが、杞憂であってほしいもの。

 今日も取り止めがなくなってしまったが、オバマ大統領の演説を聞きながら感じたことを・・・・。(田舎親父)

2009年1月20日 (火)

ここまで拘るのは何なのだろう・・・

 18日の日曜日、自民党と民主党はそれぞれ党大会を開き、政治決戦となる衆院選の勝利を目指す運動方針を採択したというニュ-スが夕刻のトップとして、翌朝には各紙が解説入りで賑やかに報じていた。

 例によって首相は口をひん曲げて『経済危機に対応策を示せるのは自民党だけ』と叫んでいたが、それだけ自信があるのだったら、まず国民の信を問うのが筋ではないだろうかと思ってしまう。

 が、この御仁にはここで選挙となると二度と総理・総裁の椅子に座れないことを恐れているらしく、何だかんだと解散を先送りにしたい雰囲気がミエミエ・・・。

 一方民主党の小沢代表は、原稿を読みながらであるが、朴訥なゆっくりな言い方で『国民のためになる政権をつくって国民の新しい生活を築く』と、じっくり訴える作戦。

 その中で、2次補正予算案に盛り込まれている総額2兆円の定額給付金の対案として、住宅向け太陽光パネルの普及や小中学校舎の耐震化など『環境』『安全・安心』の分野に重点的に投資すべきだとの考えは、ちょっと違うかなという思いはあるが傾聴に値する。

 給付金については小欄で何度も述べているが、財務相諮問という、謂わば、御用機関である『財政制度等審議会』という会議の席上で、多数の委員から給付金を撤回して使途の見直しを求める意見が相次いだという新たな展開に、よくぞ御用機関がここまで意見を言ってくれたと拍手を送りたい。

 会合では『定額給付金はほとんど効果はない』とか『このようなものが次々と出たら、国家財政が成り立たなくなる』といった批判が噴出したという。座長自らが『本来は国債償還に充てるもの。転用するなら、国民のため、経済活性化になることに振り向けることを考えてはどうか、という考えが多数を占めた』と説明したのは、余程、この給付金に対して危機感がある証拠ではないだろうか。

 さらに、『二兆円については、しっかりとした議論を与野党でもう一度やっていただくことが必要』との発言は、給付金などは国民のためにはならないと、はっきり制度そのものに『ノ-』をつきつけたと同じだと言っても過言ではない。

 財務相は弱っただろうが、首相の側近という立場では本音は愚策だと思っていても『ハイ・わかりました・・・』とは言えないようで、早速『無視』という態度を表明して、うわべは首相のご無理ごもっともに従う姿勢を示しているようだ。

 自民党内でもかなりこの問題に関しては異論があるようだが、派閥の領袖から自由な議論を封じられているらしく、ミッチ-二世議員以外には表立って議論を吹きかける雰囲気がないようだ。

 首相としても本気で給付金制度が景気回復の秘策だなんて思ってはいないのではないだろうか。こんな愚策をと思いながら宗教政党の手前『国民に1万円余ばらまけば、選挙で有利だろう・・・』なんてことで安易に賛成したというところ。

 ここまで反対は想定外に違いないが、それでも強引に突き進まなければならないのは、単にメンツばかりではないようだ。先日も述べたが、何が何でも押し通すのは、宗教政党の後ろにある宗教団体(個人かもしれないが)と特別な約束をしているとしか考えざるを得なくなってしまう。

 ところで、ここにきて3年後の消費税の値上げを盛んに言い始めたことも気になる。今までの首相はできれば消費税の値上げは隠し通したい姿勢が鮮明だったが、この御仁は自信タップリに値上げを連呼しているのは何故なのだろう。

 給付金でバラマく金額は2兆円。この額は国家財政にとっても相当の割合を占める。このまま解散せずに総選挙を迎えても自民党の敗北は仕方ないのなら、せめて民主党中心の政権が発足と同時に財政面で困らせるため・・・。

 困った民主党政権が、仕方なく消費税の値上げを言い出した時、『それ見たことか、やはり俺の出番だ・・・』という筋書きを描いているとしたら・・・。

 恐ろしいことであるが、アホウ(失礼アッソウだった)首相の陰には相当の悪知恵の働く参謀が存在するようだ。(田舎親父)

2009年1月19日 (月)

風車の音が原因とは・・・

 最近どこを旅行しても『巨大風車』を見ることができる。風景にマッチしている姿は惚れ惚れとするほど美しいが、何一つ人工的な建物がない雄大な自然風景の中に白い巨大な姿が現れると『・・・?』と感じる方も多いのではないだろうか。

 自然の風を利用する『風車』は『地球に優しい・・・』という最近では『錦の御旗』と言えるようなイメ-ジを持つ言葉を背景に、全国至るところで、より高くより大きな風車を作って観光名所にすることが流行りとさえなっているようだ。

 その、新エネルギーとして期待されている風車や風力発電所の近くで、頭痛やめまい、不眠などの体調不良を訴える住民が増えているという。原因は解明されていないが、風車から出る音が関係していると考えられているらしい。

 風車は羽根で風を切るのだから風の強さによってはかなりの音が出るのは当然。音が気になる人が存在することは確かで、建設場所の選定基準の一つになっていることは当たり前なのだろうが、風車の建設には周りの環境にマッチするかどうかが最大の問題だと思っていたので、音が原因で健康被害をもたらしているとはちょっと驚く。

 どうやら最近のブ-ムが裏目に出ているらしく、風車をたてる場所が限りなく人家に近づいているかららしい。このニュ-スを聞いて(不謹慎ながら)餌がないので仕方なく人里におりてくるクマの姿を思い出してしまった。

 風車が出現するようになってかなりの時が過ぎる。当初は常時風が吹き、しかも人里離れた場所に作られていたのが、大自然にマッチさせる環境という場所探しが難しくなり、その上に環境保護団体などの反対もあって最近では徐々に人里に近づかざるを得なくなっているのだろう。だから、エッこんなところにも・・・という光景もまれではなくなっている。

 記事によると、風力発電所から350メートル離れた場所に住む家族が体に異変を感じたのは2年前、風車が動き始めてすぐだったとのことで、体がしびれ、頭が揺すられるような症状が続いて眠れない日々が続いているとのことである。

 風車から遠く離れると楽になり、家に戻ると苦しくなるので、風車から出る音ではないかと思い、騒音を測ってもらうと、低周波音で家が振動しているのが分かったという。

 専門家に相談すると『健康には影響はない』と言われた時ことであるが、一家はアパートを借り、夜になると避難しているというから尋常ではない。地元では『風車病』と呼ぶ人もいるらしいから、風車からの音で悩まされているのはこの一家だけではないらしい。 

 低周波音というのは、周波数は100ヘルツ以下の音だという。静かな夜、時に電線からブ-ンとうなるような音を聞くことがあるが、それが50ヘルツ。一度聞こえてくると気にしないでおこうと思ってもなかなか耳から去らず、かなり耳触りになった経験は誰でもあるのではないだろうか。

 常時、この耳障りで、しかもさらに腸に堪えるような太い低音が聞こえ続けているとしたら、神経が奇怪しくなるのももっとも。工場のボイラーや冷暖房機などからも低周波音は発生するため、以前から近隣住民が体調不良を訴えるケースが報告されていたとのことである。

 環境省はこの低周波音に対して『安全基準』を検討しているらしい。しかし狭い国土で適地を見つけるのは難しいだろうから、変に『安全基準値』などを作ってしまうと、その数値が先歩きして、基準にあっているから・・・と数値をたてに建設が進められる場合も起こりうる。

 建設時のトラブルの原因となることは十分可能性があるので、数値の提示などは慎重に進めてもらいたい。

 エネルギ-需要が増えつづけることは間違いなく、今後も風力発電が必要なことは誰も否定しないだろう。適地を見つけるのが大きな課題には違いないが、探せば、陸地からかなり離れた無人島など可能性のある場所も多いはず・・・。

 国境扮装の原因になりかねない危惧はあるので公的には絶対に言い出さないだろうか、尖閣湾や竹島近くに設置するというぐらいの発想が出てくると、俄然討論が活発になり国民の関心は深まるのだろうが・・・暴論かな。(田舎親父)

2009年1月18日 (日)

賞味期限の見直しには賛成・・・

 農水省の有識者会議に『食品ロスの削減に向けた検討会』というものがあるという。国内で年間約1900万トンも発生している食品廃棄物を減らすため、何とかしなければという声が放置できなくなったので、ロス抑制の具体策やリサイクル促進へ向けたガイドライン作りに乗り出すために昨年発足したとのこと。

 消費・賞味期限の見直しや生産や仕入れのミスマッチ解消なども検討して、世界的に食料需給の逼迫が懸念される中、無駄を減らして食料輸入を抑制し、40%と低迷する食料自給率を引き上げる狙いもあるらしい。

 この検討会が昨年暮れに出した報告書が発表された。それによると、食品ロス発生の原因について(1)必要以上に短い消費・賞味期限(2)欠品を避けるための過剰な生産や仕入れ(3)外見上の問題や包装の印字ミスなど品質に影響がない規格外品の発生(4)外食店での多すぎる注文から発生する食べ残し――などの問題点を指摘している。

 また、業者に自社商品の廃棄量や発生原因、廃棄コストなどの実態やロス削減目標を公開するよう提案している。

 食料問題は興味があるので、ネットでこの有識者会議の報告書を調べてみた。pdfファイル18ペ-ジにも及ぶ膨大なもので、この会議の目的からはじまり、英国や韓国の事例や食品ロスの原因やその対策を、それぞれの委員の守備範囲での知識を元にわかりやすくまとめてあるので一見の価値はあるようだ。

 報告書はネット(http://www.maff.go.jp/j/study/syoku_loss/06/pdf/data.pdf)で閲覧できるので一つ一つ取り上げることは避けるが、賞味期限の決め方などははじめて知ることも多く勉強させられる。

 報告書にある通り、賞味期限は短めに設定されていることが多いことは、日常的に買い物をしない私でも感じることで、まだ十分食べられるのではないかと思う食品を捨てている現状に、思わず『もったいない・・・』と声を上げた経験も数多い。

 そもそも賞味期限は商習慣のモラルが崩れ、食品に適さないものでも流通させる業者が増えたので、消費者を守る必要性から生まれたものと理解している。当初は『製造日』を記入するように決められたものが、いつの間にか『賞味期限』となったようだ。

 賞味期限というのは、その食品が『美味しく安全に食べられる期限』だと受け取るのが一般的。その言葉から受ける印象として記入された日にちを一日でも過ぎるともう食べられないと思ってしまいがちだがそんなことがあるわけはない。

 あるわけはないのだが、そこが数値の魔力で、たった一日でも過ぎたものを並べておくとたちまちどこかに通報されるとあっては、ス-パ-や商品店は賞味期限に敏感になり、過ぎるとすぐ捨てることが習慣になってしまっているようである。

 中には、折角まだ食べるものを『もったいないと思ってかどうかは疑わしい』が捨てるよりレッテルを張り替えれば一儲けできることを悪用して、賞味期限偽造をする業者が現れ、それが何故か次々と発覚して大騒ぎというのが最近の流行・・・。

 つい数十年前までは、消費者は自分で食べられるかどうかは判断していたのだが、いつの間にか『賞味期限』という数値に支配され、自分で食べられるかどうか判断する能力も失ってしまったようだ。

 消費・賞味期限の定義の見直しも含めて、適正な設定方法などを業界に提案していく方針らしいが、変に見直すとたちまち悪徳業者が跋扈することは確実で、むしろ消費者の意識を変えなければ問題の解決にはならないはず・・・ということを十分考えてもらいたいが、この報告書を政策に生かすも殺すも役人だろうから、あまり期待しては失望が多過ぎるかもしれない。

 自分で焚いたご飯はしばらくするとすえた臭いが出てくることで、そのまま食べられるかどうか判断できるはずなのに、その機会さえ失ってしまっているのが現状。折角『もったいない』意識が生まれ始めているのだから、このあたりの啓発にも力を入れていただきたいもの・・・。

 ここまで食品の種類が多くなっては、安全安心な目安が必要なことは誰も否定しない。その意味で何らかの数値が必要だが、それは『製造年月日』で良いように思える。

 そして、まだ十分食品として食べられるに値するものの、しかるべき日数が過ぎた時には割引するという方法ならば、価格は高くても製造して間もない物か、それとも多少日数が過ぎても大丈夫・・・という選択肢も生まれる(格差がより顕著になると反対意見もあるだろうが)のではないだろうか。

 いずれにしても、お金を出しても食料が輸入できなくなる時代が間もなくやってくることは確実な時代、輸入小麦の料に匹敵するほどの食品が安易に捨てられることを全ての人々が真剣に考える時が来たようだ。(田舎親父)

2009年1月17日 (土)

何となく胡散臭いアンケ-ト結果・・・

 昨朝テレビ画面から『16年東京オリンピックの招致に賛成が70%を越えた』というアナウンサ-の声が聞こえてきた。

 ナヌ・・・と思い画面を見ながら耳を傾けた。なんでも、2016年の五輪招致を目指す東京オリンピック・パラリンピック招致委員会が招致の賛否を問う世論調査を実施し、全国で賛成が70.2%だったことが15日分かったとのことで、平成19年12月に招致委が行った前回の世論調査では賛成が62%で、課題とされていた世論の支持率をアップに成功した格好だという。

 10月の開催都市決定を控え、招致委員会の会長である都知事はじめ関係者は、国内の招致活動の追い風になるとみられると喜んでいるらしい。

 このアンケ-ト(世論調査と言っているらしいが)は招致委が『民間の調査会社』に委託して10代から60代以上までの全世代を対象にインターネット上で実施した結果だという。

 対象者は事前に居住地や年齢などの属性を登録しているインターネットのアンケートモニターだとのことだが、『民間会社』の名前も、どんな質問項目があったのかは一切明らかにされていない。結果として、都民1000人、全国2000人、計3000人から回答を得、招致賛成は全国で70.2%、東京都内で68.6%だったいう数値だけが一人歩きしている感じがしないでもない。

 全くの捏造はないだろう。こんな調査の委託を受けている『民間会社』の存在も否定しないが、何故、こんな大事なアンケ-トを新聞社やテレビなどのマスコミが行わないのだろう・・・という素朴な疑問がわいてくる。

 首相はじめ内閣や政党の世論調査は、毎月のように行う大新聞やNHKはじめ民放各局がこれまでにオリンピック招致の是非を問うこの種のアンケ-トをしたという報道はなかったように思える。視聴率に極端に敏感なテレビ局が、である・・・。

 このことは、オリンピック招致などは,視聴率をあげる効果がないと判断しているとしか思えない。うがった見方をすると、オリンピックの招致など無理だと見放しているのではないだろうか。当然世論は盛り上がりを見せていない。

招致委員会としたら、マスコミの尻をたたいたに違いない。どうしても動かないのにしびれを切らしたという筋書きではと勘繰れないことはない。

 この調査結果は2月12日までに国際オリンピック委員会(IOC)に提出する詳細な開催計画書『立候補ファイル』に盛り込むというが、この報告書に調査会社名やその方法など詳しいデ-タ-が添えられるのだろうか。

 IOCは開催都市決定に際しては世論の支持を重視しているというが、調査期間や方法の詳細が正直に書かれていたとしたら、恐らくこんなデ-タ-は信頼できないと無視する委員が多いのではないだろうか。

 16年五輪招致の立候補都市は、東京、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロの4都市だという。オリンピックの開催地は暗黙の了解事項があるらしく、世界各地をある程度順番に回っているのは周知のこと。

 アテネ・シドニ-・北京・とくればマドリ-ドの開催を無理に押す議員は少ないだろうし、シカゴかリオデジャネイロが妥当というところ。しかし、アメリカは金融危機が深刻化している今オリンピックどころではないだろう。

 東京に可能性がでてきたことは確かだが、オリンピックの『招致』に莫大な費用をかけるより、国内の諸問題の解決が先だと思うのだが・・・。

 もっともすでに数十億?もの巨費をつぎ込んでいる招致運動に失敗したら、その穴埋めに大変とばかり、何としても招致しなければと焦っている関係者が大勢いるようなことは間違いなさそう。

 となると、彼らの存在と今回のアンケ-トが絡んでいるような気がしてならないが・・・。(田舎親父)

2009年1月16日 (金)

またまた幼い子どもが犠牲に・・・

 先日札幌のホテルに隣接している温浴施設で、5歳の男の子が浴槽で溺れて死亡というニュ-スが流れた。

 この男の子は家族でこの施設に来て、弟と一緒に母親と女湯に入っていたという。ここまではよくある話だが、母親が目を離したすきにいなくなったというのが引っかかる。母親から通報を受けて、従業員が探したところ浴槽で溺れているのを発見、すぐ救急車で病院に運んだが間に合わなかったとのことである。

 浴槽の深さが90センチメ-トルだというがこれは深い。いや深過ぎる。普通の温浴施設では考えられない深さと言っても差し支えない。

 私も時に日帰り温泉施設に出かけることがある。歩いている途中にこのような施設を見つけると飛び込むこともあって、かなり内部の作りなどはわかっているつもりだが、深さ90センチという浴槽はお目にかかったことはない。

 中にはジャグジ-というのだろうか、立ったままでジェット気泡でマッサ-ジをする浴槽があって、それは1メ-トル程度の深さがあるが、そこには『身長140cm以上』という指標が掲げられており、小さな子どもはもちろん小学生でも利用できないようになっているのが普通。

 記事を読む限り、この90センチメ-トルもある浴槽に誤って転落して溺れたらしい。周りに人はいなかったのだろうか・・・。午後9時に利用客が他になかったなんて考えられないが、例えそうであったとしても子どもも一緒に入れる施設なら、それなりの防止策があるはず、俄には信じられない事故である。

 男児がいないことに母親が気づき、従業員に通報したのが8時半、それが9時になって発見と30分も要していることも腑に落ちない。女湯とのことなので、男性従業員が動けなかったことも考えられないこともないが、それにしても・・・である。

 この種の報道の続報は、母親が故意に溺れさせた(考えたくないが)などという特殊な新事実があった場合は別にしてないのが普通。が、最近母親が子どもを見守るという姿勢が欠如していることに起因する事件や事故が多過ぎるような気がしてならない。

 先日話題にした母親が3人の幼い子どもを団地に残してパチンコに興じている間に火災が発生、3人が焼死するという痛ましい事件を取り上げたが、今回も何かそれに類するような背景があったのではないだろうか・・・。

 母親は洗髪でもしていたのかもしれない。一家がこの施設にはじめて来たので事情がよく理解できなかったことも考えられないことはない。ならば余計に気をつけなければならないはずなのに・・・と思えて仕方ない。

 つい先日も、泣き止まないことに腹をたてて一歳の娘を布団に投げ捨てて、結果的に殺害してしまった母親、あるいは点滴液に水道水を混入して殺害しようとした母親など、ほんの少し前なら『絶対』に考えられないような事件が、日常的に報じられるようになったのは一体何なのだろう・・・。

 以前にも述べたが、親を選べないでこの余に生を受けた子どもが、親の不注意や悪意で生きることを否定されるなど、子どもが哀れでこんなことが許されてはならない。

 子育てが大変な時代になっていることは理解しているつもりである。経済的な援助は重要なことには違いないが、これはむしろ付属的なものでもっと大事なものは親としての心構えだと思っている。

 その心構えとは、幼い時から『命の教育』を正しく受けることによって、はじめて習得できるものであるはず。今、このことをもう一度真剣に討論する時ではないだろうか。

 『学力』とは知識の量ではない。携帯やコンピュ-タを使いこなす技術でもない。『ごく普通に子育てできる』能力こそ、人間として親として身につけなければならない『本当の学力』だと思うのだがいかがだろう。(田舎親父)

2009年1月15日 (木)

旧成人の日に思う・・・

 成人の日と成人式はすでに今週の月曜日に行われたが、相変わらず各地で新成人たちが大暴れしたらしい。横浜でも市長が壇上に上がると『ヒロシ・ヒロシ・・・』と騒ぎだしたので、市長が怒鳴るという光景があったと新聞は紹介しているが、このところ市長の醜聞が広まっているので、新成人たちは冷やかし気分があったのかもしれない。

 私が成人式を迎えたのは半世紀近く前、当時は富士通に勤務していた関係で川崎の会場で迎え、職場の仲間が代表で挨拶をしたこともあったのだろうが、おとなしく市長などの祝辞に耳を傾けていたことをうっすら覚えている。

 ところが最近の新成人は家庭でも学校でも自分で考える訓練をさせてもらう機会が少ないらしく、その場の雰囲気によって自分を失うことが多いようだ。会場でヤジるのはともかくの酒を飲んで酔っぱらって事件を起こすことは、日頃のウップンを誰にぶつけて良いのかが分からず、ついつい爆発してしまうのだろうが社会的に許されることではない。

 この成人の日であるが、古くは武士の元服式の流れをくんでいるのだろうが、桃の節句や端午の節句、あるいは重畳の節句のように古から伝えられた行事が元になったわけではなく、戦後虚脱状態の青年たちを励ますために蕨市の大人たちが企画した青年祭がはじまりだという。

 それが全国に広がったのか、時の政府がその企画をいただいたのかは分からないが、翌年からは1月15日に固定されるようになったらしい。何故1月15日なのかははっきりした説はないが、当時の文部省あたりの役人たちの頭には、恐らく『小正月』という改めて年のはじめを祝う風習とリンクしたのではないかと推察している。

 正月は当然だが小正月も地域全体がお祝いする風習があり、その日ならば二十歳になった若者も集まり易いだろうと考えたのだろうが、当時の大人たちは、ほとんどの若者が都会に集まる社会がやってくるなんて考えもつかなかったようだ。

 長年、私の頭の中には成人の日が1月15日だとインプットされていたが、2000年からこの日が1月の第二月曜日と決められているので、毎年のように日にちが変わることに何か変な感じを受けていたことは確かで、何となく気になる自分に『歳なのかなあ』と苦笑しているところ・・・。

 先日、この月曜日を祝日にして連休を多くする、所謂『ハッピ-マンディ』制度の導入を最初に提案したというT氏の文章を読む機会があった。

氏はその中で、『成人式』というのは武家に伝わる行事。多くの商家などにも広く普及して、それなりに『国民』行事となっていたと思うが『建国記念日』や『憲法記念日』、『海の日』『「文化の日」『勤労感謝の日』などの祝日は、もともとが明治になって制定された祝日であり、本来『「国民の」祝日ということであれば、国民が祝日を祝う行事のしやすいように変えることもあっていいと思う、と単に『休みの都合で』勝手に変えた訳ではないとユ-モアを交えて述べている。

 そして、1月15日の成人式は、東京などの大都市出身の若者はよいのだが、地方からの出身者の場合には1月も半ばだと郷里で式が挙げられず、結局、正月か夏の盆時期に合わせて成人式を行なうという地域自治体が多数あるので、ならば、1月に3連休を設けて成人式をやりやすくしたほうがいいと考えたとのことである。

 さらに、良し悪しは別として、昔と比べて、今は家族が転勤や学校などの関係でバラバラに離れて暮らすことが普通になってしまったので、せめて家族が祝日の時くらいは一緒に過ごすことができればいいというのが考え方だったと述べる。

 T氏とは『長期休暇を利用した家族旅行の在り方・・・』というテ-マだったと記憶しているが、内閣府だったかの委員会で同席したことがある。氏の提案にもっともだとうなづいたものであり、さらに家族旅行を進めるために学校を二学期制にして秋休みを作るという新しいは発想もこの場で聞いたことも覚えている。

 私は二学期制度には賛成だが、夏休みを挟んだ二学期制度には疑問を呈して、9月を年度始めにし、7・8月の2ケ月は夏休み、教員の給料は年俸制にし、その間を教員はフリ-にするべきだと発言したが、まさか、結果的に『秋休み』を作るために4月入学の現行をそのままに、授業時数の確保という大義名分で無理に二学期制度を導入する自治体がこれほど多くなるとは予想できなかった。

 当時、委員会の席上では『学力低下』など話題にもならなかったが、もし今同じような議論をする場があったら、家族旅行を進めるための『秋休み』など話題に出せない雰囲気だろうことは想像に難くない。

 何かまとまらない文章になってしまったが、二学期制度は別にして、いっそうのこと高校を義務教育にして、さらに成人の定義も18歳とした上に(例えば3月30日)に成人の日を持っていくというのはどうだろう。

 都会でも地方でも全員が参加できる場になるのでは・・・。そうなるときっと今のようなバカ騒ぎは少なくなるに違いない・・・なんて思う今日(『旧成人の日』)である。(田舎親父)

2009年1月14日 (水)

不支持率70%超でも突き進む給付金の裏には・・・

 去年の暮れに行った大新聞やテレビ局の調査で、麻生内閣の支持率が20%前後に落ちたことは以前この小欄でも書いた。

 先日今年になって初めての世論調査があってその支持率がさがに下がり、どちらかというと自民党寄りとみられている読売新聞の調査でも20.4%、不支持率が5・6ポイント増の72・3%となったという。

 さらに保守とされる産経新聞社の調査結果はもっと厳しく、昨年11月の前回調査から9.3ポイント下落し、18.2%と初めて2割を割り込み、不支持率13.1ポイント増の71.4%で7割を超えたというから、もはやこの内閣は危険水域というより遭難状態。

 本来ならば、直ちにSOS信号を出して救助ボ-トで脱出しなければ船員の命が危ない状態なのに船長にはその危機感がないらしく、すぐ近くに大船が救助の手をさしのべているのにもかかわらず、SOSを出せば親会社からクビにされると思い込み、俺は船長の椅子が好きなのだ・・・なんて情けない言い分で船から降りないから困ったもの。

 一人の船員がそんな船長に見切りをつけて、ならば『俺は一人でも逃げ出すぞ』と息巻いて荒海に一人で飛び込んだようだ。残った船員たちは続きたいのだが、幹部の背後から銃撃が怖くて動きがとれないといったところか・・・。

 それにしても5人のうち4人までが明確に支持しないというのは尋常ではない。しかも通常国会で焦点となっている定額給付金については『ばらまき』で好ましくないと答えた人が75%以上。給付金の財源2兆円についても『ほかの政策に回すべきだ』と答えた人は80%というから、明らかに不支持率の原因は給付金そのものにあるのは明らか。

 迷走を続ける定額給付金、閣僚の中でもこの政策に対してはかなり考え方の違いがあるらしく、仕方ないので強引に国会を通すことに関しては同意しているの にもかかわらず、受け取り方についてはかなり温度差がでてきたようだ。

 中でも筋論として耳を傾けたのは甘利行政改革担当相。『家計支援という趣旨で言えば、私は申請しない方がいい』と辞退を表明。その上で首相の顔を建てたのだろうが『消費刺激の責務があるので、家族には私のポケットマネーから給付し、地元の商店街で使うよう要請したい』というのは説得力ある言い方である。

 これを受けて、首相の補佐役の官房長官や自民党の幹事長が『格好つけやがって・・・』と批判しているというからみっともないことおびただしい。中には、消費者行政担当という何をしているのかわかのわからないオバチャン大臣は『私は(地元岐阜の名産品)飛騨牛を食べると・・・』と言っているらしいが、明日の食い扶持さえ危ないという人が多い不景気な世の中なのに、不遜な言い方に怒りを覚える。

 このバカバカしい愚策は宗教政党が選挙対策で打ち出したものだと言われているが、それを裏付けるように、元自民党の幹事長が『あまり出来がよくない制度というのが7、8割の自民党議員の心だが、近々総選挙で(制度を提案した)公明党にお世話になるから賛成する』と明言し、宗教政党の横車であることを認めた上『公明党も考え抜かないで提案した。今回はみな賛成するが、今後自民党執行部に公明党と話し合ってほしい』と発言したと大々的に報じられている。

 自民党の幹事長まで勤めた幹部さえ認めているのだから、やはりこの愚策は宗教政党の策略だったことが明ら。

 この政党の後ろにある宗教団体の支持層は低所得者が主だというから、選挙対策としてはなるほどと思わないことはないが、宗教というものは信者からの献金で成り立つものを見逃すわけにはいかない。

 うがった見方であるが、信者たちに配った給付金を政党がガッポリ献金させることが目的だったとしたら、単純計算で100億円超がこの政党(宗教団体、ひょっとしたら個人)に・・・。となると、宗教政党がこの給付金にこだわるのも無理はない。

 特定の宗教団体の金集めのために、これほど国民が振り回されているとしたらこんな無駄で亡国的なことはないはずなのに、自民との政治屋ドモは選挙のためには国民生活より宗教政党の言いなりとは、まさにこの国に明日ない・・・ようだ。(田舎親父)

2009年1月13日 (火)

社保庁の泥棒体質に一言・・・

 社会保険庁が国民年金保険料の未納者に財産差し押さえを含む『強制徴収』を実施する際、対象者の選定基準を年間課税所得200万円以上と通知で定めていることがわかったという記事に、社保庁という役所は本当に血も涙もない、自分 勝手の論理しかない輩の集まりと呆れしまう。

 この役所のやり方は、江戸時代の渡世人を描いた小説の世界そっくりの感がある。凶悪犯罪がバレて都落ちしなければならなくなったヤクザが、途中行きがけの駄賃とばかり弱いものを脅して金品を巻き上げる場面を想像してしまうのは私だけだろうか。

 あるいは、悪徳代官が悪知恵の発達した金持ちと組んで貧乏な農民や庶民をいじめる図でもあろう。小説やドラマの世界では水戸黄門の印籠ではないが、正義の鉄槌が下ろされて万々歳になるのだが、実際はとてもそんな簡単にはいかないようだ。

 年収200万円というのは、家賃が安く食料などをある程度自給自足できる地方でならば生活可能だろうが、家賃にさえ最低でも月数万円が必要な都会では、食費を切り詰めなければ、まともに生きていくことも難しいライン。

 こんな低い所得者にも法律は容赦なく国民年金の保険料を課していることにも驚くが、ますます悪化する経済情勢の中で、保険料を払えない低所得者が財産を差し押さえ(差し押さえる財産がある人ならばともかく)られたら、生活が一層困窮することは明らか、下手すればホ-ムレスを多数出すことにもなりかねない。このあたり社保庁の役人たちはどのように捉えているのだろう。

 年収200万円の人の財産を差し押さえるより、数億円も稼ぎながら税金を誤魔化している輩を洗い出した方が余程手間がかからないし、金額も大きいはずなのに、そんな連中は権力とがっちりつながっているので知らんふりは不公平限りない。

 保険料の徴収率をあげろとの命令が上から降りてきたので、現場の下士官である課長補佐たちは必死で頭をひねったようだ。その結果が、03年度が50件程度だったのが、昨年度は1万1000件余と急増したことにつながる。

 昨年4月、国民年金事業室長補佐名で『年収200万円』という数値を明示して強制徴収手続きに入る基準を全国の社保庁事務所に通知していたというが、消えた年金が明らかになり、社会問題に発展した頃、社保庁のデタラメで隠蔽体質が批判されて、マスゾエ大臣サマがその日暮らし的ないい加減な答弁で何とか誤魔化そうと苦心していた時期と重なる。

 時を同じくして、このような『獲りやすいところからとる』という方針を決めていたとは・・・怒りが込み上げてくる。

 ところで、老後の生活を保証するための年金制度を維持するためには莫大な予算が必要なことは誰もが理解していること、当然自分の老後のために保険料を払うことは義務だということも否定する人はいない。

 中には何とか誤魔化して、保険料を払わなくてすませたいと悪知恵をだす輩もいるだろうが、国民の圧倒的多数のサラリ-マンは誤魔化したくても、絶対にできないような仕組みになっている。

 そんなシステムを作り出し国民から搾り取った、謂わば国民の税金を、リスクも考えず投資につぎ込んだり役に立たないバカな箱もの建設に湯水のように使って、年金制度そのものを破綻に追い込んだことなどなどをひた隠して、犯罪行為をしてまで年金徴収率をあげさせることが明らかになったのでは、払いたくなくなるのも当たり前。

 それでも世のサラリ-マン諸氏は誤魔化せない上に、支払ったにもかかわらず、いつの間にか支払った年金記録までの紛失をひた隠しでは、現在の保険制度を作り上げた厚労省の次官たちを殺害したくなるのも当然・・・・かもしれない。

 バレたら仕方ないとばかり、失敗を反省したような態度ではじめたのが、何度も同じような内容の『ねんきん特別便』というわけの分からない郵便物を送る制度。あたかも一生懸命、消えた年金を探しているような振りをしているのも、この役所というより厚労省の体質なのかもしれない。

 その年金特別便であるが、昨年10月に年金受給者・現役加入者への発送を終了した約1億800万人分のうち、278万人分が同月末の時点で転居先不明などで本人に届かず、同庁に返送されたとのことにも呆れてしまう。

 1億8000万枚×切手代80円。こんな無駄つかいをしても300万人もの人の詳細な記録が確認できないなんて、民間の会社ならとっくの昔にと破綻していることだけは間違いない

 このまますまされる問題ではないだろうが、今頃、マスゾエ大臣サマは例によってクチサキだけで切り抜けられる原稿を官僚たちに作らせているのではないだろうか。(田舎親父)

2009年1月12日 (月)

イスラエルは消滅するのでは・・・

 宗教や民族の対立から流血の戦争騒ぎになることは昔から繰り返し行われていたことであるが、今回のイスラエルとバレスチナの戦闘はその最終段階に突入しているのではないかとさえ思われる展開になってきた。

 自然界には食物連鎖があり、それぞれの領域には一番上に属する動物が君臨していることはよく知られている。北海道におけるヒグマなどはその典型だろう。頂点に立つヒグマもそれぞれ縄張りを持っており、その縄張りを侵すものがいれば命をかけて戦う姿はよくテレビや映画で紹介されている。

 しかし、相手を殺すまで争うことはない。どちらかが逃げ出すか敗けを示すポ-ズをとった瞬間に争いは終わり、何事もなかったように時が過ぎていく。それが自然界の掟だと教えられたし、その通りだと受け止めている。

 ところが、頂点に立つ動物をも、頭脳で生み出した武器を持って隷属させていると自惚れている人間は、太古の昔から人間同士が争い殺戮を繰り返し、しかも相手が敗北を認めても執拗に破壊するという行為を続けてきたのは、どういうことなのだろう。

 その意味で、人間の知恵は複雑になりすぎて『命の存続』ということに関しては動物以下なのかもしれない。

 今ガザではイスラエルカラの砲撃で戦闘員でもない一般の人たちが毎日のように、抵抗もできない状態で命を奪われている。先日は、平和維持のために国連が建設した学校にも砲撃を加えて、子どもや戦闘を避けてここに身を寄せ合って暮らしている人たちを殺戮したというニュ-スは信じられないが、イスラエル兵士によって一カ所に集められた市民に砲撃しているのはとうてい許されることではない。ナチのユダヤ人に対する虐殺がイスラエルの国民の心にいまでも息づいている報復なのだろうか。

 イスラエルによると、バレスチナのハマスがロケット弾からイスラエル国民の命を守るための自衛の攻撃だという。しかし、一人のイスラエル人の命に対しては100万のバレスチナ人の命を奪うのも厭わないという現在の暴挙は、ヒットラ-を擁護するわけではないが、ドイツそのものがユダヤ人に支配されるとの危機感から皆殺しを選択したナチと同じ思想と同じように思えてならない。

 イスラエルの建国の歴史は、かってユダヤの民かちがエレサレムを中心にして平和に暮らしていたという旧約聖書?を元に、世界中に広がって豊かな経済力を保持していたユダヤ人達が集結、その富みに裏付けられた軍事力で、その地に住んでいたパレスチナの人々を追い出すために数度の中東戦争を引き起こしたことは記憶に新しい。

 当時は、現在以上に欧米が圧倒的に世界中を支配していた時代、アメリカやイギリスの強大な後押しでユダヤ人の論理が通ってイスラエルが国連によって国として承認されたことは、まちがいない事実。その意味では欧米が軍事力によって作り上げた国家と言っても過言ではない。

 その背景には、宗教が潜んでいることも見逃せない。あのような面倒で形式的なしかも明らかに女性を差別しているイスラム教という宗教が、多くの人々の心をとらえるのか私に到底理解できないが、強烈なイスラムの教えが人々の心の中に延々と働き続けていて、祖先から守り続けてきた土地を奪ったユダヤ・キリスト教に対する憎しみが凝縮しているに違いない。

 だからこそ、このような自らの命をも犠牲にすることなど厭わない精神構造が構築されるのだろうし、恐らくイスラエルは武力を持っては、到底イスラムの人々を屈伏させられないことは明らか。

 パレスチナの人たちの怨念が、イスラエルの国民を悩ましているらしく、一発のロケット弾が引き金になってガザ地区に侵攻、無差別な殺戮を加えている事実を知りながら、自分たちを守る聖戦だと支持しているというから恐ろしい。

 イスラエル対して、国連はアメリカを除いて全ての国が反発。即刻停戦を求めたのにもかかわらず、イスラエルは聞く耳持たぬとの態度に、イスラエルという国は滅びの道を選択しているように思えてならない。

 一日も早い停戦の実現で、これ以上の一般民間人の血が流れるのを防いでほしいが、それにしてもアメリカのずるさと国連の無力は、何か『国際連盟』の末期状態になってきたように思えるが。

 2012年の冬至に次元が変わるというが、次元が変わらないと人間同士の争いはなくならないのかもしれない。その意味ではその日が待ち遠しい・・・。(田舎親父)

2009年1月11日 (日)

やはりできレ-スだった・・・

 昨年暮れだったと思うが、『カンポの宿を一括してオリックスに譲り渡し』という記事があった。『カンポの宿』は郵便貯金や簡易保険を利用している人が比較的安価で気軽に利用できる公共宿としてよく知られており、私も何度が利用したことがある。

 決して料理は美味しいとは言えないまでも、値段から考えるそれ相応。施設的にはなかなか立派なので人気がありピ-タ-も多いと聞いている。施設が立派なことは国民から年金のためと称して集めたカネで建てたあの『健康保険(国民年金)○○保養所など』いうものと同じで、元を正せば国民の税金で建てられた代物。

 年金で作られたものはこれらの保養施設は、厚生省の官僚の天下り目的だったこともあり、黒字なんて元から考えてないという放漫経営、その結果当然のことだが破綻して各地で数百億かけて建設された施設設備を億どころか数千万円で売却するというアホなことをしている。

 『カンポの宿』も赤字だろうが、この不景気で不動産が急落している時期に、予定額を大幅に下回る価格で売り急ぐとは実に変な話・・・。

 オリックスの宮内というオ-ナ-は郵政民営化の旗振り役として、当時コイズミ首相の『郵政を民営化にすればバラ色の未来がある・・・』と国民を煽動、強引にその路線に突き進むための裏付けのために立ち上げた審議会(名前は忘れてしまったが)の会長を勤めた人間、謂わば『郵政民営化』の黒幕とみられていた人物。

 そろそろ、ほとぼりが醒めた頃だろうと思ったのか、あるいは、景気が落ち込んだ今なら定額交付金などという愚策に大騒ぎしているので話題にならないと思ったのか、はてまた年の暮れというタイミングをねらったのかは分からないが、大胆にも『俺がそっくりいただき・・・』とは、さすがに悪代官もどきのやり方。

 恐らく続報があるだろうと思っていたが、新聞テレビなどにはその話題を取り上げないので、記憶も薄れつつあった先日、ハトヤマ総務相から強い疑義がでたとのことに順序が違うのでは・・・と驚いてしまう。

 このハトヤマという御仁は、定額給付金でもいろいろと賑やかな発言で話題を提供、特に『ニコニコしていただいて美味しいものでも食べる・・・』なんて言い方は、普段でも12000円なんて紙屑のような生活をしている人間が、さも素晴らしいプレゼントをいただけるというよう言い方は、まさに国民をバカにしたパフォ-マンスとしか言いようがないが・・・、今回の発言で少しは見直したい気分になる。

 ハトヤマ総務相は、この問題を野党が国会で議論するということを知って、このままでは政府に勝ち目がないと判断したのが本心らしいが、なかなか思い切った言動に大きな拍手をおくりたい。

 この譲渡話は総務省と日本郵便の思惑があってのことだろうから、ハトヤマ総務相がどこまで自分の意見を通せるかどうかは不透明であるが、ぜひ途中で『やはり、オリックスしか受け手がなかった・・・』なんて言わないようにしてもらいたきと強く願っている。

 野党は郵便会社の西川?だったか、社長と宮内オ-ナ-との関係と、入札の経緯など徹底的に調べて、証拠固めした上でこの問題を国会で追求してほしいものである。(田舎親父)

2009年1月10日 (土)

派遣というシステムをなくさない限り・・・

 一時代前にはパ-ト従業員という制度はあっても契約や派遣なんて形態はなかったはずなのに、最近は契約や派遣社員が当たり前になり製造業を中心に、この安易でしかも安い賃金で雇える彼らによって利潤が大幅に増えているという現象が普通になっている。

 『構造改革』という掛け声で始まった『規制緩和』は、分野によっては素晴らしい効果を発揮したのは間違いなく『○○特区』などは全く新しい発想法で、特に地方の活性化などには大きく寄与したことは誰もが認めるところ。

 しかし、人間を派遣するなどという一番慎重に進めなければならないはずなのに、郵政民営化の隠し玉のようなやり方で分野にまでこの考え方を適用したので、誰でもがかかわれるようにしてしまった。

 今頃になって、言い訳じみた書き方をして我ながらみっともないと思うが、当時のコイズミ政権の実に奇妙なやり方に、これほどの影の部分が隠されていたと気付かなかったのは迂闊・・・。しかし、当時は毎日日常的に問題に追われていたので、仕方なかったと思わないでもない。

 あっという間に成立した新しい法律によって『派遣会社』という、一見会社にも従業員にも便利な組織が次々に作られたことが今日の派遣・契約社員を中心にした雇用問題の根底にあることも間違いないところ。

 当時は経済は順風そのもの、作れば売れるという時代に入ったことが追い風になり、大企業はどんどん従業員を増やしたいという情勢。しかし、福利厚生や賃金体系などのシバリがあって人件費は膨大になることは明らかで一度採用してしまうと簡単には解雇できないとなると、派遣社員制度は大きなメリットになることは当然といえばこんな当然なことはない。

 仕事を求める側からも一生同じ仕事に縛られるより、働きたい時だけ働き嫌になったら次の仕事を求めれば良い、という安易なム-ドが社会的に蔓延し、労使双方が便利だと思ってしまったきらいがあり、瞬く間に派遣・契約が当たり前の社会になってしまった。しかし、その実態などほとんどがヤミの中、マスコミも視聴率が稼げないこんな問題に見向きもしなかったので、一般庶民が知らなかったのは当然だろう。

 このような風潮を巧みに利用して『グッドウエル』のように、全ての分野に対して派遣業務を行い、分野ごとに子会社化する会社が現れ、『ねずみ講的』と表現しても差し支えないような組織を形成して、トップや取り巻きはとんでもない利益を独り占め、守銭奴的経営に走る輩が出現。

 あまりにも手を広げすぎたため、金繰りに困って破綻するのだが、派遣業務は美味しい仕事に違いない。ある程度堅実な派遣会社は生き残り、製造業からの要請で左うちわ・・・。だったはず・・・なのだが。

 ところが昨年9月からの急激に景気が落ち込み、作っても売れない事態となり、となると自動車はじめ製造企業はラインをストップするのが一番とばかり、現場で働く契約・派遣社員の解雇が相次ぎ、たちまちのうちに社会問題化してしまった。

 先日話題にした『夜逃げ屋』ではないが、各地で年を越せないと悲鳴が上がり、支援の手がさしのばされているのだが、肝心の国が動かないので地方自治体やNPO組織が見るに見かねて立ち上がるのが現状、大晦日に東京・日比谷公園に開設された『年越し派遣村』などはその典型だろう。

 何もしないのにいちゃもんだけは一人前の政府は早速バカなコメント。総務政務官という内閣の重要ポストにいる自民党の坂本某かは『年越し派遣村』について『本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな?という気もした』と発言した。

 世論からは大顰蹙、発言を取り消し謝罪するというみっともない姿をさらしたが、様々な要求は学生紛争の時の『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』につながるという発言は、恐らくこの男の本心で、例によって表面的に謝罪しておく方が良いだろうという程度ということは間違いなさそう。

 一方マスコミの取材も気になる。視聴率を上げるためには、ここぞとばかり『お涙ちょうだい作戦』で、NHKはじめ民放各社は派遣労働者を引っ張り出して、その窮状を訴える構成に、何となく違和感を持ってしまう。

 特に、気になったのは、テレビ局がこぞって取材していたキャノン大分を解雇された派遣労働者で、大分の自治体の臨時職員に採用されたという37歳の男性の姿。インタビュ-に答える姿は、助かった、これで生きられる・・・と言っていたが、どうしても本当に困ったという切迫感が伝わって来なかったように思えてならない。

 さらに、年が明けたある日、宮崎の実家に帰省している姿がテレビで紹介されていたこの男性、顔半分は隠されているので表情は読み取れなかったが、何とこざっぱりした和服姿でリラックスしている雰囲気と隣の母親らしき女性がかいがいしく世話をしている様子に、何か違うのではないかと思ったのは私だけなのだろうか。

 正月に帰れる家があるこの男性は、普段からのんびりと過ごせる場があることに満足して、定職を求めて来なかったように思えてならない。

 好きで派遣社員をやっていると表現すると、必死にこの人たちのためにボランティア活動している人々から大批難を引けるだろうが、37歳という年齢を考えると自分から進んで職を求めて来なかったのでは・・・ないだろうかと思わせるのも確か。

 契約・派遣制度そのものをなくさない限り、企業は便利さから、働く側も安易な気持ちが先に立ち『人として生きるとは何か・・・』という、人間としての尊厳をかけた根本的な命題など議論することすらナンセンスという、今でも十分刹那主義なのだろうが、さらに絶望と本能でしか生きられない、とても人間とは思えない生活しかできない社会になってしまうのではないだろうか。(田舎親父)

2009年1月 9日 (金)

こんな商売が流行るとは・・・

 江戸時代の町人たちの人情話には必ずといって良いほど、借金で年を越せない人たちが『夜逃げ』する場面が出てくるが、昨今の不景気な世情は季節を選ばず現代版『夜逃げ』現象が増えているという。

 当時の長屋生活の庶民の生活は慎ましく家財道具などもごくわずか、鍋釜を大八車に積み込み夜中にソッと逃げ出せば良いのだが、現在ではテレビや冷蔵庫などは生活必需品、大八車に積み込めるものではない。

 そこで現れたのが、夜逃げを手助けするという『夜逃げ屋』と称する商売。こんな商売が流行るとは嘆かわしい限りだが、関西では大流行しているらしい。

 彼らは、荷物をトラックに詰めて短時間で居所を移し、後の仕事まで面倒を見るという。特に最近は不況に苦しむ経営者らが、ヤミ金融業者からの高圧的な取り立てから逃れるために利用者は後を絶たないらしい。

 大阪にある、ある『夜逃げ屋』には新年早々というのに、朝からひっきりなしに依頼の電話がかかっているとのこと。この『会社?』は、最近は関東にも事務所を持ち、年間約100件ほどの夜逃げを手がけるというから凄まじい・・・。

 この社長が昨年9月の『リーマン・ショック』から間もないある日の午前中に決行した『夜逃げ』の話が掲載されていたが実に生々しい。

 それによると、社長は男性スタッフ3人を連れて2トントラックをマンションに横付けし、あらかじめ下見して決めていた、持って行く荷物を素早く運び出すそうだ。そして、なるほどと納得することは、言葉では『夜逃げ』だが、音が響く夜には絶対にやらないというくだり。この社長の言を借りれば、『現代版夜逃げ』は『朝逃げ』と言い換えなければならないようだ。

 荷物を丁寧に段ボール箱に入れている時間はない。債権者が暴力団であることも多く、見つかったら危ない目に巻き込まれるかもしれないので、服をごみ袋に入れて緩衝材代わりにしながら、家財道具を裸のままどんどん積み込むそうだ。  所要時間は長くて2時間。普通の引っ越し業者の半分から3分の1の短時間で済ませるというから凄い技である。

 この社長は、こうした『朝逃げ』に現在約40人が順番待ちをしていると言う。

 新年早々にあまり取り上げたくない話題だが、それほどまでに激しい取り立てを受けている人が多いということなのだろう。

 生活に困った人は生活保護という逃げ場があるが、会社の経営には多額の運転資金が必要。その資金を銀行が貸してくれないとなると、ヤミ金融に頼らざるを得ないという負のスパイラルに陥るのはやむ得ない?のが資本主義の限界なのだろうか・・・。

 『朝逃げ』の費用は通常20万円前後とのことだが、暴力団が絡むなど危険が伴うと手当がついて50万円ほどになるという。行き先は、もちろん秘密。お金がない依頼者も多く、分割や出世払いにすることも稀ではないとのこと、かかった費用を払ってもらうために、旅館の住み込みといった仕事も紹介するというから、なるほど繁盛するのも頷ける。

 『夜逃げはあくまで一時避難』と社長は言う。弁護士や認定司法書士を入れて止まない身に危険が及ぶような激しい取り立てを、いったん行方をくらますことでかわし、改めて法律の専門家を入れた法的整理を勧めるというから、ある意味逃げなければならない人たちから見たら『慈善事業?』と言っても差し支えないのかも・・・。

 今朝は久しぶりで冷たい雨が降っている。こんな天気に取り立て側は『朝逃げ』なんてやらないだろうと油断しているはずだから、各地で『朝逃げ』が行われているのかもしれない。

 しかし、いくら何でもカネ次第の風潮が蔓延している現代社会であっても、必要悪と見逃すことはできない問題。

 今年は、こんな『夜逃げ屋』なんて商売がなくなるような世の中にしたいと願うが、首相はじめ官僚たちの日和見的な言動をみるにつけ、現実はさらに厳しくなるような気配。

 つくづくス-パ-マンのような超能力がほしいと願う新年である。(田舎親父)

2009年1月 8日 (木)

ほんの少しの注意があれば・・・

 火事が多発している。関東周辺は年末からずっと雨が降らず毎日のように湿度が30%以下というカラカラに乾燥している状態で乾燥注意報が発令されているせいもあるだろうが、そればかりではないような気がしてならない。

 連日報道されている火事の特徴は、必ずといって良いほど焼死者が存在すること。そしてそのほとんどが小学生以下の幼児と70歳80歳という高齢者だということである。

 出火時刻の多くは、ほとんどの人が寝静まっている深夜から明け方に集中している。気付くのが遅かったのか、それとも気付いても逃げられなかったのか、いずれにしても、同居している家人が少し注意を払っていれば、全て防げるとはいわないまでも防止できたケ-スもあったのではないだろうか。

 小学2年生の女児が死亡した東京東大和での火事。何故、大人は逃げ出しているのに、この子だけが焼死しなければならなかったのだろう。酷な言い方だが、一緒に寝ていた両親は子どもより我が命、とばかり逃げ出したとは思いたくないのだが・・・。

 同じく東京の世田谷で幼稚園児と小学生が焼死したのは、一階に一人で生活していた74歳祖父の火の不始末だという。祖父は仏壇の線香に発火道具で火を点けようとして誤ってタオルに日がついてしまったとのことらしいが、普段から3時・4時に仏壇に線香をあげるような生活をしていたのだろうか。

 こちらも酷な言い方だが、もしそれを家人が知っていて、あえて一人だけ階下で生活させていたとしたら、いくら家庭の事情があるとはいえ、いつかこんな結果になることは予想できたのではないだろうかと思えて仕方ない。

 大阪では76歳の全盲の女性、奈良では100歳と90歳の老夫婦が焼死というニュ-スも流れた。原因は煖房器具の取り扱いの不始末なのだろうが、何か一工夫できなかったのだろうか。悲惨としか言いようがない。

 千葉県の公営住宅の4階の部屋から出火し幼い3兄妹が焼死するという火事の場合はもっと深刻。消防に第一報が届いたのが午後4時というから、まわりは明るく家人が普通に生活していれば、まず出火する時間ではない。

 テレビのアナウンサ-は『母親が近くの病院に所用にでかけて不在だった・・・』と何か奥歯に物が挟まったような表現も、何やらスッキリした物言いではない。

 母親がどこに行ったのか詮索する気はない。物理的に3人も一緒に連れて行けないこともあるだろうことは理解できないこともない。しかし、生後6ケ月の赤ん坊を4歳と2歳の子どもに子守させてまで出かけなければならない用事があったのだろうか・・・、せめて、出かける前に、子どもたちの周りの火の元を確認する気持ちがあれば防げたはずだと思うとやりきれない気持ちにさせられる。

 翌日の警察の調査では出火場所には火の気はなかったとのことだが、母親が煙草の吸殻はきちんと消したと言っているという報道が気になる。吸殻は完全に消していたとしても部屋に煙草とライタ-(マッチ)を置いていたとしたら・・・。

 それにしても、生後6ケつきの女児を含めて母子人4人で生活していたというから、最近離婚でもした、のだろう。無職とも職業不詳とも書かれているところから、背後に複雑な事情があるのだろうが、今回の火事に限らず、最近の事件の影に父親の姿のないことが多過ぎるのが引っかかる。

 たった今見た朝刊には、母親は病院ではなくパチンコに出かけていたとのこと。子育ての重みが刹那的な快楽を求めるのだろうが、親を選ぶこともできずこの世に生まれ、親のエゴで命を絶たれた子どもが哀れ・・・。

 いずれの火事でも、この際、家族・家庭というものをもう一度考える機会ではないだろうか。(田舎親父) 

2009年1月 7日 (水)

『さもしい』ことだったはずなのに・・・

小欄でも何度か取り上げたが、2兆円をも使って国民一人当たり1万2千円を支給するという定額交付金への考え方が自民党内でもかなり奇怪しくなっているようだ。

定額交付金は宗教政党が選挙目当てで立案したと聞いている。この話が出た時には、直ぐにでも配布されると期待した人も多いらしい。

実際には本当に配布されるかどうかも怪しい話なのに、はじめから一番面倒な配布の方法などは全て地方任せ、恵んでやるのだからそれぐらいの手間は当然・・・とお上の見下した方法に批判が集中。すぐに1万某かほしいと切実に思っている人は多いかもしれないのにかかわらず、国民の大半は批判的。特に、急激に深刻になってきた雇用問題の解決に当てるべきだという意見が強くなっている。

首相もその近辺も、この定額給付金について昨年の国会答弁や記者会見で『多額の収入をもらっている方が「1万2千円ちょうだい」というのはさもしい。そこは人間の矜持の問題で私は受け取らない』と明言したように、恵んでやるのだから貧乏には受け取れ。我々金持ちは辞退するのが当たり前、受け取ることはみっともない・・・とまで言い切っていたはず。

野党側はこぞってこの問題は予算審議と切り離そうと提案している。予算の早急な成立は経済の建て直しのためには必要ということは誰もが疑っていない。しかし、国民の大多数が疑問を持っているこの問題は、もう少しじっくり審議しよう、という提案は誰がみても筋が通っている。

一昨日の代表質問で民主党の幹事長が、この定額給付金に触れ『究極の大愚策』と批判し、2兆円があれば失業対策や医療、介護、中小零細企業に『温かい血の通った手を差し伸べることができる・・・』とのくだりは説得力があった。

宗教政党との裏取引があって、どうしても定額交付金を押し通したいのだろうが、この機に及んでもまだこの成立に汲々として、経済効果が高まるから雇用問題の解決につながる・・・などとわけの分からない理屈をつけて押し通すとの姿勢に、何故2兆円もの税金をもう少し生きたカネとして使わないのだろう。『分かった』と一言言えば、予算案が通るのに、そこにあるのはメンツと利権だけのようだ。

何とか理屈を正当化するために、自民党の幹事長が突然『景気対策なので、国会議員も辞退するのではなく、もらって使うべきだ。政府としても考え方をそろえてほしい』と発言したことにも驚くが、昨年自民党と宗教政党が『年収1800万円以上の人は辞退が望ましい』という自分たちの決めたガイドラインなどすっかり忘れてしまっては、この連中の頭の中には国民のためになんていう意識は全く存在していないことを裏付けている。

自民党の中でもかなりこの交付金に対して疑問を持っている議員が多いはず。先日、解散要求決議案に除名覚悟で、自民党内でただ一人賛成した渡辺氏に対して、幹部たちは後ろ暗いところがあるらしく、除名どころか戒告処分しかできなかったとなると、この動きは広がるに違いない。

幹事長の発言はこのことを意識して党内を引き締める意図があるに違いないが、ここまでして強引にこの悪法を通したいのは、やはりメンツと利権・・・。

みっともないのは、総理とその取り巻き連中。幹事長の発言を受けて『自分は受け取らない』なんて言っていたのに、平気で『私は受け取りますよ・・・』とはこれ如何に。これで『国民のため・・・』とは、どんな顔をして言えるのだろう。

首相に至っては、以前の発言を幹事長にコケにされているにもかかわらず、『まずこの法案を通すことが重要で、受け取るかどうかはその時考える・・・』とは、みっともないこと甚だしく、理屈も矜持もすっかり捨ててしまったようだ。

漢字の読み書きの問題は、一般的には謂わば『間違いの範囲』ですまされるかもしれない。そんな意見も多いようだが、わざわざやらなくても良いパフォ-マンスを披露して、一国の首相たる人が、中学生程度の『学力』もないと思わせては、まさに日本人の『矜持(使い方が間違っているのかもしれないが、あえて・・・)』の問題として情けない限り・・・。

首相が間違いを広めることは子どもたちの教育には良いわけがない。(田舎親父)

2009年1月 6日 (火)

『廿十一年』とはこれ如何に・・・

 昨日指摘した首相が新春記者会見で披露した書のパフォ-マンス、マスコミに期待していた『安』の字に対してではなく、落款の部分がおかしいとの記事を今朝見つけた。

 記事には、落款は書画に添える筆者の署名で、色紙にあらかじめ『平成廿十一年新春 麻生太郎』と記されていた、と証拠の写真まで添付してある。

国語辞典『大辞泉』などによると『廿』は1文字で『二十』を意味し、下の『十』はいらないと、ご丁寧な紹介までしてあるがこれは中学生程度の『学力』というのが常識ではなかろうか・・・。

さらに、自民党のホームページが元日付で掲載した首相の『年賀状』の日付も『平成廿十一年元旦』とあり、1日にはインターネットで『廿一』が正解ではないかと指摘されていたとある。

そして、首相は昨年、漢字で痛い目にあっただけに、与党には『首相官邸のチェック体制はどうなっているのか』と深刻に受け止める向きもある、と結んでいる。

これは気付かなかった。昨日の映像を拡大して見ると、なるほど『廿十一年』とある。自民党のホ-ムペ-ジなど見たことがなかったが、確認のためアクセス。すでに直したらしく『廿十一年』が『廿一年』となっている。誰かが大急ぎで直したようだが、ついでに『安』や『活』の字も直せば良いものを・・・と思ってしまうが、下っ端には首相の字体まで直せないのだろう。

昨日も書いたが、この程度の『学力』の持ち主が、日本の総理大臣なのだから情けない限り。野党も国会議論の中で、この『廿』を取り上げて国語の『学力問題』を真剣に討論してほしいものだが、自民党は渋い顔をするものの、まちがいなく『あげ足どり』だと逃げるだろう。

一昨日、あるワイドショ-の女性コメンテ-タ-が『安』が『ウカンムリ』ではなく『ナベブタ』しか見えないと指摘したそうだが、主キャスタ-が『達筆だから・・・』と遮ったということがあったようだ。

落款の問題もそうだが、普通の人の『うっかりミス』とは意味が違う。天下の首相が、しかも歴代の首相が誰も行わなかった新春の記者会見でのパフォ-マンス、余程自信があったのだろうと思うが、小中学生のお手本でできないのでは、もはや首相と呼ぶに値しないのではないだろうか。

余談だが、急いでキ-をたたいたので『首相』ではなく『支障』とでてしまった。

この御仁は『今や緊急事態、雇用対策が最重要課題・・・』と日常的に口にするが、最重要課題を解決のために一番『支障』になっているのは、誰あろう『この方』ではないかと思うと、私の『親指キ-ボ-ド』はなかなか良いタイミングで変換ミスをしてくれたもの、と思わず笑ってしまう。(田舎親父)

2009年1月 5日 (月)

読み方だけでなく書き方も・・・

 お正月3ケ日は政治的な話題はごく一部だったので、首相の姿をテレビで拝見する機会があまりなかったが、昨日からは俄然テレビに登場する機会が多くなった。首相も俄然存在感を示したくなったのか、わざわざ筆を使って記者に示すパフォ-マンス。
 書には疎い私でも首相の筆の持ち方はかなり持ち慣れているのが見て取れる。興味を持ってしばし観ていたが、どうも違和感がぬぐえない。筆の入り方が筆順とは明らかに違うからである。
 書き上げた色紙を記者団に示し、例によって相手を見下すようなしゃべり方で『今は景気回復が先決、解散なんて考えていない・・・。解散は総理大臣 すなわち麻生太郎がやる・・・』と自信タップリのしぐさで話している様子は強気そのものだが、大きく映し出された色紙を見て、違和感の理由がはっきりした。
 どう見ても、安心の『安』の字が変。いかに贔屓目に見ても『ウカンムリ』が『ナベブタ』しか見えない。
 私にはこの漢字の語源は分からない。が、『ウカンムリ』に『女』と書いて『安(やすらか)』という意味は、漢字ができた頃広い空の下で当時は弱いものの代表として『女』を配置して、安らかなイメ-ジを作ったのではないかと想像している。
 なのに『ナベブタ』に『女』では、弱いものを閉じ込める(いじめる)イメ-ジしかない。

 この御仁の話し方を聞いていると、どちらかというと弱い人たちに優しく手を差し伸べるというより、恵んでやるという表現が多いように聞こえてくる。この考え方が、書にも現れたのかもしれないと思わず感じてしまった。
 こんな字が許されるのだろうか・・・。気になったので、漢字書体辞典を開いて、古今の書家の字体や崩し方を調べてみたが、誰の書体も『ウカンムリ』を『ナベブタ』のように表現しているものはない。
 このような指摘があれば、漢字ぐらい俺の好きなように崩させてくれ思っているのかも知れないが、少なくともテレビで『自分勝手に作った自分だけが満足している漢字』を示してほしくない、と思った人も多いのではないだろうか。
 私でさえ感じたこの問題。マスコミが騒ぐのかと楽しみにしていたが、誰もこの問題に触れないのが気になる。どこかで圧力がかかったのならまだ理解できるが、マスコミも漢字の書き方は自己流で良いという認識だとしたら、これは困ったものである。
 今、学力低下が問題になっている。学力の中には『漢字の書き順』も入っているに違いないが、小学校でしっかり教えろと言いながら一国の首相が、ある意味デタラメな漢字を示すことは、大袈裟に表現すれば『教育的犯罪行為』でなかろうか・・・。
 これでは『漢字が読めない首相』というありがたくない評判に加えて、さらに『漢字も書けない首相』という、トンデモ称号がつくのではないだろうか。このあたり識者の意見を聞きたいものである加えて『活』の字も変。書き順が違うのではないか思ってしまうがいかがだろう。
 繰り返すが、子どもたちが『一国の首相がこの程度なのだから・・・』と思ってしまったとしたら、この国の将来はどうなるのだろう。考えるだけでゾッとする。(田舎親父)

2009年1月 4日 (日)

新年らしい映像を・・・

 『明けましておめでとうございます』月並みだが、今年のはじめの文章はこの言葉ではじめることにしよう。
 あっという間に3日間が過ぎ去ってしまった。2日と3日は箱根駅伝をテレビ観戦。去年だったか一昨年だったか記憶は薄れてしまったが(まだらボケのはじまりかな)、今井という選手があの箱根の山道を平気で登る映像にビックリしたが、今年は東洋大学の柏原という1年生が今井選手以上の物凄い勢いで駆け登り、独走態勢に入っていた早稲田大学をも抜き去るという意外な展開。
 その時、興奮気味のアナウンサ-が『山の神をこえる山の神童』と表現していたが、なるほどピッタリの表現と思わず拍手してしまった。
 東洋大学はこの勢いで翌日の復路も追いすがる早稲田を振り切って総合優勝。確か、年末には(高校野球の世界なら)恐らく出場停止処分になるに違いない部員の不祥事が発覚したと報じられたはず、それをバネにして部員たちが奮起したに違いない。
 これを機会に部員たちの自覚が向上するだろうから、部員たちの士気は上がり変な事件など起こさないのではないだろうか。1、2年生中心の若いチ-ムだから今後ますますの活躍が期待できそうだ。
 ところで、明日から東証が始まるが冷えきった日本経済がどうなるのか気になるところ。東洋大学ではないが、思いがけない展開になってほしいとは願っているが、首相の年頭所感なども期待できるような言葉がないのが気がかり・・・。
 もう少し国民に本気が伝わるような言い方をしなければ支持率はさらに下がり、またまた『野党が協力してくれないから・・・』なんて、バカなたわごとを言って政権をほっぽり出してしまうのではと心配になってくる。
 そして、政権を絶対放したくない自民党の輩は解散なんてことはさらさら考えず首相の首のすげ替え・・・という最悪の展開の雰囲気さえ漂い始めている。

 一つ期待できそうなことは、一昨日ニュ-ヨ-クの株式市場 ダウ、258ドル高と大幅な値上がり 約2カ月ぶりに9000回復・・・というニュ-ス。
 『アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく』とまで言われて久しい。事実、悔しいことであるが、アメリカの51番目の州になりきっている現実を認めなければならないとなると、このアメリカの株価が明日の東証に反映することは間違いなさそうだから、明日はかなりの御祝儀相場の展開になるのでは・・・?。
 そのまま経済回復なんて到底期待できないだろうか、それでも新年早々、暗い話を聞くよりまし。この株高を受けて、外国為替市場ではドルが買われ、一時は1ドル =92円台で取引されたというから、円高気配が少しは下火になってもらいたいところ。
 こんなことを考えながら、新年に相応しい映像を探してみようと思い、毎年恐らく横浜では真っ先に咲くだろうと確信している恩田川沿いのウメと会いにでかけた。期待通り、数厘開いていたことに感激。何となく嬉しい気持ちにさせられた。
 一瞬でも、暗い世相を忘れられるようにと思い、今年最初の話題として、青空に映えるウメの花と白い月の映像を紹介しておこう。(田舎親父)

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