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2009年3月

2009年3月31日 (火)

学校が全てを担うことは不可能・・・

 私は、本来『学校』はそれぞれの教科の学習指導が重点な場であるべきだと捉えている。が、時代の趨勢(いろいろな要因が複雑に絡み合っている)によって、本来家庭や社会が担わなければならない日常生活に必要な常識的な躾や、社会性などの育成を学校に委ねてしまったことが、今日の混乱の原因ではないかと分析している。

それがいつごろから始まったのかははっきりした根拠はないが、戦後の混乱期を抜け出そうと国民が必死で働いていた時期と重なることは間違いないだろう。

そんな要求を文部省がはっきり拒否すれば良かったのだろうが、教育こそが戦後の混乱期を乗り越えるために尽力せねばという使命感があったのではないだろうか。家庭や社会の受け持たねばならない、基本的な生活習慣の指導までも『体罰の禁止』というシバリを、自らに課した上で受け入れてしまった。

『体罰の禁止』を否定するものではない。が、話して分からせるには限界があることも確か・・・。この問題を棚上げにしているのが現状ではないだろうか。

『席に着いて先生の話を聞く』ことは学校生活の基本中の基本であるにも関わらず、それができない子どもが多い。教師は、何とか席に座らせようと努力するが、どうしてもできない児童生徒には『廊下で立ってなさい・・・』と叫びたくなる。しかし、教室から出すことは『体罰』となり、指導力がないというレッテルが張られるとなると、ぐっと我慢しなければならない。これは辛いものがあるだろう。

『席に着く』などとは当たり前で、これを『学力』と呼ぶことには抵抗があるだろう。が、私はこの『席に着く』というなんでもない当たり前のことも『学力』の範疇に入れてもよいのではないかと思っている。何故ならば、この『学力』を徹底的に身につけなければ学習が成り立たず、先に進まないことは誰もが理解できるはずだからである。

教師は『席に着いて話を聞く』という、ささやかな社会性という学力をつけながら、算数や国語の知識などの『本来の学力』もつけなければならないのだから大変・・・。

ところが、保護者やマスコミはこんな学校の現状をほとんど知らず(知っていても知らぬ振りかもしれないが)、ほとんどの人たちは『学力』とは点数で表せるものであり、そのための『学力テスト』なのだから、『学力』とは『テストの成績』以外何ものではないと思っている。これは想像以上のギャップで、ここに学校の苦悩がある。

学力テストの点数が『学力』の一つであることは間違いではない。しかし、前述したようにテストで計れない学力の存在も大きく、学校はこの部分にかなりの労力を必要としている。

テストで計れない学力をつけるための基礎基本は、『家庭の教育力』と呼ばれる親が子どもを『躾ける能力』と『世間さま』と言われる子どもたちを暖かく見守る周りの環境である。この『世間さま』とは、今日の言葉で言うコミュニティ社会の存在だろうが、それが崩壊してしまったことなど抜きにして、学力テストの点数を『学力』と騒ぎ立てるのだから、混乱するのは当たり前。

本来ならテストで表せられる学力と表せない学力が別々に存在するのではなく、学校と家庭や社会の機能がうまく調和して互いに補完関係で身につけたものだが、家庭や社会の機能が薄れ、テストで計れない学力までもが学校が受け持たねばならなくなった。

社会や家庭の教育力が低下したのは、経済が発展し生活が安定するに従って、子どもを取り巻く環境が大きく変化したことに起因することは多くの識者が指摘しているので私の稚拙な分析などはここでは不要だろうが、子どもの数が減少した上に核家族化し、その上テレビという娯楽が家庭に入り込み一般化し、今ではテレビよりもっと『個』を主張する携帯やゲ-ムが当たり前なり、人間同士の関係が希薄になるとともに、親子関係も縦関係ではなく『友だち』といってもよい横関係が目立つようになったことは強調しておきたい。

その上『便利が是』という考え方が圧倒的多数を占めるようになり、鉛筆をけずることやリンゴの皮を向くことまでも『不便』となると、子どもたちの生活の中で『自分でやる』ことなど探す方が無理。

さらに、親たちの価値観が『手伝いなどとんでもない。テストで点数が少しで上がればそれでよい・・・』となると、子どもの自主性など育つわけがない。続く(田舎親父)

2009年3月30日 (月)

何を持って学力というか

 昨日の続きになるが、まず現在の教育界の動きを考えてみることにしよう。

土曜日が休業になったことと時を同じくして生まれたのが『新しい学力観』という言葉、その申し子である『総合的な学習』が始まったのだが、今まで自分でカリキュラムを組むなどしたことがない現場の学校では一部を除いて大混乱になったことは記憶に新しい。

ゆとりを持たせることがねらいだったようだが、ある意味『総合的な学習』が足かせになって本来学校でやらねばならないことと、地域や家庭に任せるべきこととがグチレグチャになり『学校は遊んでいるのでは・・・』という声が各地で大きくなり、結局は学力が落ちているのではと、マスコミが大騒ぎ・・・。

授業時数と学習内容を減らしたのだから、テストに表れる学力が落ちるのは折り込み済みのことだったはずなのに、文科省は大慌て。マスコミにあおられたわけではあるまいが、全国の学校の学力を確かめるということで(違う目的もあったようだが)昨年から『全国学力テスト』を実施、そして都道府県別の結果を公表したのは周知のこと。

当然のことだが、その点数だけに焦点が集まり、知事さんの中にはメンツなのだろうか教育委員会に、まずは『学力テスト』の点数を上げろと至上の命令。そのために区市町村や各学校に競争させろとなり、テストの結果を公表しろという主張が流行になっている。

教育委員会は大弱り。『学力は知識だけではない』ことを十分承知しているので、下手に公表すると学校間の格差どころか点数主義の過当競争になることは明らか。そのことを苦慮して抵抗しているようだが、公表を避けながらも、各学校にはテストの点数を上げろという圧力をかけているのが現状のようだ。

圧力をかけられた学校、特に校長は大変。誰かがはじめた、塾の講師を学校に招いて点数を上げるための補習なども全国的に大流行、このために親から見たら、学校の先生より塾の講師の方が『偉い』となり、塾に通わさなければ『落ちこぼれる』とい脅迫概念まで生むという現象が当たり前になってしまった。誰が考えても本末転倒だと言えるのに、現実はこれが加速しているという悪循環になっている。

学校としても『学力は知識だけではないと』と胸を張り、点数で表せない学力の存在を強調しながらも、高校や大学などの『入試制度』がある以上、選別する基準が必要なことも十分認識しているものだから、点数で表せる学力をつけるのに追いかけられている。これではますます学校の威信が下がり、塾に対して屈辱的にならざるを得ない。

前書きが長くなったが、『学力とは一体なんだろう・・・』という問題を考えてみることにしたい。

私は、『学力』とは大きく分けると『点数で計れる学力』と『点数化できない学力』があると思っている。

点数で表せる『学力』としては、例えば算数の計算や知っている漢字の数とその意味など、社会科の知識(都道府県名や地理や歴史の事柄や三権分立などという社会の仕組み)など。また動植物の名前やその他、一般常識を含めての『いわゆる知識』。これらは机上の学習で習得可能なものと言っても間違いない。

一方、点数化できない『学力』の典型として、道徳的思考や豊かな人間性などはどんなに素晴らしい設問がなされていても、絶対にペ-パテストでは測定不能である。と同時にこれが人間にとって『何より必要な資質であり学力』であることは論を待たない。

協調性や社会性(所謂コミニュケ-ション能力)、相手の立場を理解する姿勢なども生きていくためには必定の資質であり学力である。その他自然の驚異を素直に感じる気持ちや身の回りの環境をより良くしようとする感性なども、学力の範疇に入るだろう。

これらを習得するためには、先天的なセンスも必要だが、周りの環境にも大きく影響される。単に教材を与え教室で指導しても簡単には習得できないはずなのに、社会全体がこのような学力の大事さを疎かにしているように思えてならない。ここに、社会の仕組みや知識は理解しても、適応力が育っていない児童・生徒が増えている原因があるのだろう。

その意味でも、児童生徒にトイレ掃除という考え方は評価できそうだが・・・。続きは次回に・・・。(田舎親父)

2009年3月29日 (日)

『児童・生徒のトイレ掃除』を考える・・・

 一昨日の朝、NHKのニュ-スで、児童がトイレ掃除をしている姿が紹介された。キャスタ-のいうことには、今まで先生たちがやっていたトイレ掃除を児童がやるようになって、マナ-がよくなったばかりか、学習にも落ち着いて取り組むようになったというコメントがあった。

さらに、保護者の『子どもが家のトイレ掃除も手伝うようになって大助かり・・・』と笑顔の親子の写真と一緒に紹介していたが、先生が付きっ切りで子どもに掃除の仕方などを指導している姿に、また先生の負担が増えるのではないか、と一抹の不安を覚えた。

何故ならば、キャスタ-の言い分を素直に認めるなら、今までも先生がトイレ掃除をしていたのだから、子どもと一緒にすることなど負担にならない、と思いがちであるが、学校のトイレを先生がやっていたとはどうしても思えないからである。

私の知る限りでは、東京の特に区部では子どもはもとより先生がトイレ掃除に関わることはない。トイレ掃除は学校用務員と呼ばれる区の職員の重要な仕事の一つになっており、そのために各校には用務員が数人配置されている。

今回の横浜のように『子どもによるトイレ掃除』が基本的に教育委員会の方針となると学校用務員の大事な仕事が一つなくなることになり、それでなくても多過ぎると批判されている現状から、即、人員削減がという問題が表面化するだろう。彼らにとってもかなり関心があり場合によったら、彼らから反対がでることも考えられる。

ともあれ、横浜は30年ぶりに子どもにトイレ掃除を復活するという。ネットで調べてみたら『トイレ掃除は先生がやっていたのか・・・』とか『子どもがやっているとばかり思っていました・・・』という意見が多く、学習には関心があるものの、トイレ掃除に関してなどにはほとんど無感心な実態がよく現れている。

市教委によると、県内の公立学校では横浜の児童・生徒だけが全くトイレ清掃をしていないという。となると他の市町村の学校ではすでにトイレ掃除を行っているようだが東京の実態を知る者にとっては俄には信じられない数値である。

トイレという共有スペースの便器や床、ドア、ノブなどを掃除することで、物を大切にする心や規範意識を養おうという狙いを持っており、少子化の影響からか、個人中心の考え方をしがちな子どもが増えているため『公共の精神』を育てる目的もあるという。

反対はしない。むしろ賛成である。自分達が使うトイレを自分たちが掃除するのは基本的に良いことだと思う。人間心理として綺麗にしておけば余程の心得違いでない限り、汚さないにように使うという気持ちになることは間違いないこと。定着すれば子どもたちの態度にも落ち着きが生まれることだろうことは疑わない。

しかし、ニュ-スの画像のように先生が子どもにつききっきりで(というより学習指導よりも情熱と労力をかけているようにも見えるが・・・)掃除の手順や方法を指導している姿に、どこか変だぞと思うのは私だけなのだろう・・・。

最近の家庭での躾が全くと良いほどなされていない児童生徒に対して、その日常生活の態度を注意・指導することは、教科指導より難しいことは、学校関係者の一致した見方であることは今や常識になっている。

現在でも、公立学校ではトイレ以外の場所の掃除は児童・生徒が受け持っている。教師たちは、掃除を子どもたちの自主性に任せたいのは山々ながら、思わぬ事故が発生すると責任問題に発展することから、いくつもある清掃分担の場所を回って、子どもの様子を観察したり、掃除の仕方を指導することが任務の一つになっていることを知らない人も多いのでは・・・。

教師の仕事の一つだという人も多いだろうが、これはかなり大変なことで、特に小学校においては高学年担任は分担が多いので、掃除時間になると走り回ることになり、トイレ掃除が受け持ちの一つになると、特に気を使わなければならなくなり今以上にゆとりがなくなるのではないかと、こちらの方が心配になってくる。

『衛生面で大丈夫か・・・』という反対意見もあるだろうが、私たちの年代ではもっと不衛生なトイレを毎日掃除していたことや、最近の衛生用品を使えばさほどたいした問題ではないようにも思える。

むしろ『トイレをきれいに使うようになる』とか『身の回りのことを自らできるようになるの』などの自立心や社会的道義心を養うなど『心の教育』という面からの効果はかなり期待できるだろうから、トイレ掃除賛成論の声は大きくなりそうだが、前述したように教師のゆとりがなくなることが危惧・・・。

この問題は、学校が担わなければならない本当の『資質や能力』、所謂『学力』をどう考えるかという問題に行き着くのではないだろうか。

最近『学力低下』という言葉が一人歩きし、学力テストの点数に知事あたりまでが右往左往している現状に苦慮している人も多いはず。『児童生徒にトイレ掃除』という話題は、国民一人一人が本当の学力を考える良い機会に違いない。そこで、『学力とはなんぞや・・・』という問題に対して、近い将来、私論を提供してみたいと思っている。(田舎親父)

2009年3月28日 (土)

ここは我慢のしどころなのに・・・

 『西松建設』問題で民主党が大きく揺れている。違法献金事件で小沢代表の公設第一秘書が逮捕され拘留期限ギリギリに起訴された問題に対して、民主派党内での小沢下ろしの声が大きくなっているとのことだが、やはりこの政党は烏合の衆の集まりだったのかとガッカリしてしまう。

西松建設から賄賂目的でカネが流れたことは間違いないだろう。西松建設に限らず、自社に有利に働いてくれる権力者にカネを献上することは、古今東西どこにでもある話で決して日本だけの独占話題に限らないことは誰もが認めているのではないだろうか。

数年前に、政治屋サン達とカネの問題が話題になり、一応ケジメをつけようということになり『政治資金規制法』なる法律ができたが、これはザルもザル、大ザルの法律であることも多くの識者や評論家が指摘しているところ。

この法律では、カネの流れをきちんと処理さえしておけば、誰から受け取っても問題にならないらしい。国会議員のほとんどは、そのあたりをうまく処理してカネを集めているのだが、細かく調べればほとんどの議員が、違法か違法すれすれの綱渡りをしていることは周知のこと。しかし、そのことをマスコミは意識的に取り上げない。

今回の小沢代表の組織も、このことを十分留意しながら運用していたはずなのに、突如狙い撃ちされたというところに、何か意図的なものを感じていることは以前述べた。

検察は起訴することは折り込み済みだったはずなのに、起訴されたからと言って、民主党内に突然小沢下ろしの風潮が広がり、我もわれもとその声に引きずられて勝手に動きだし、全体がガタガタするのもみっともないと思えてならない。

小沢代表側から見ると、他の人よりずば抜けて金額が大きいのが目立つものの、政治資金規正法に基づいて処理していると明言。よしんば違法性を多少は感じていたとしても、誰もが同じようなことをしているのだから問題はなかろう・・・といった感覚だったのではないだろうか。

誰かの例えを借りるならば、50km制限の道路を55か60kmで走行しているといったところでは・・・。違反は承知していても10kmオ-バ-程度では警察は捕まえないという認識が一般化しているので安心して違反している、という感覚だったようだ。

ところが、逮捕され起訴された。これから長く裁判が続くだろう。私のような素人でも、検察の強引さが異常ではと思うのに、ここにきて民主党の中がゴタゴタしては喜ぶのは自民党と宗教政党だけ。

小沢代表の記者会見の様子をテレビで見た。あの傲慢ともとれる男が、ハンカチを手にして時に涙をぬぐう姿は見ていても痛々しかった。何故、この時期に自分だけに対してという検察やその後ろにいる組織に対しての怒りと悔しさが読み取れる会見だった。

今すぐに辞任したら検察に敗北を認めること。恐らく辞めるタイミングをはかっているに違いないが、政権交代は悲願でそれ以外何ものでもなく、そのために代表を続けるが国民の声によって進退を決めるという態度は、私にはむしろ清々しいと写る。

このまま居すわられたら困る人間や組織がそんざいするらしく、早速次の日にはマスコミが新事実として、『逮捕起訴された秘書は、東京地検特捜部の調べに対し、違法献金だったことを認めていたことが、関係者の話でわかった』という報道がなされた。これで国民の『小沢辞めろコ-ル』は大きくなるだろうことは想像に難くない。

逮捕され拘留されている被疑者には弁護士でも謁見が難しいと聞く。マスコミ関係者が謁見して秘書から話を聞くことは絶対にできないはず。ならば、ここでいう関係者とは誰なのだろう。関係者とは地検の誰かであるとしか思えない。

地検の誰かがマスコミに、嘘か本当かはともかく『こんなことを言いはじめた・・・』と情報を流し、マスコミはそれに飛びついている構図が見え隠れする。

政治に全くの素人の私でも『関係者』とはという疑問を持っているのに、国会議員である政治のプロが見抜けない訳がない・・・と思うのだが、民主党の議員たちはマスコミ報道に大騒ぎ、『小沢はクロ』と決めつけてしまうのは、相手側の思うつぼ・・・。特に、民主党政権では文部科学省の大臣と言われているオバチャンのはしゃぎ方が気になる。

今日の日本には、小沢代表がいう、議会制民主主義のためにもアメリカやイギリスのように二大政党が存在し、国民の声によっていつでも交代できるシステムがベタ-だと思うが、一度政権という美味い味を知ってしまった自民党にとっては簡単に手放したくないのもよく分かる。

民主党政権が国民にとってバラ色の素晴らしい政治を行ってくれるとは決して思わないが、ここまでウミがたまった現政権に任せては将来に展望が見いだせないことも明らか。

先の自民党の一部との連立騒ぎで辞任を表明した際に、説得して代表を続けさせたのだから、『代表やめろ』という国民の声が抑えられないならともかく、ここは我慢のしどころと、コップの中でガタガタするのではなく、代表を盛り立て一致団結して困難を克服してほしいものである。(田舎親父)

2009年3月27日 (金)

条例より値上げの方が効果的のようにも思えるが・・・

『受動喫煙』という言葉が最近俄に注目を浴びている。自らは喫煙の習慣はないが、周りの人が吸う煙草の煙が知らぬ間に自分の体内に入り、結果的に喫煙したと同じだということを表す、新しく作られた言葉らしい。

どのぐらい影響があるのかは分からないが、多くの科学者や医者が『発がん性がある』とか『遺伝子に悪影響』などと言うものだから、社会全体が『喫煙は悪』という方向で進み出し、いつのころだかはっきりしないが、駅の隅っこに『喫煙場所』ができ、煙草はここでしか吸ってはいけないことが定着し始めた。

それからしばらくして、『教育現場で喫煙はけしからん』ということになり、当初は校舎内での禁煙が通達され、しばらくしたら敷地内禁煙が通達されたことは記憶に新しい。その結果、教職員たちが休み時間になると大挙して、校門のすぐ外で喫煙する風景が問題になったことも遠い昔ではない。

このような風景が見苦しいと批判され、最近都会ではあまり目にしなくなったと聞いているが、横浜の片田舎では特別老人介護施設では職員たちが正門のあたりにたむろして喫煙している姿は存在する。

日頃からよく通る散歩コ-スの近くにある小学校でも、数人の教職員が休み時間になると子どもが出入りしない給食室の裏門の外で、美味そうに煙を出している風景は日常的に観ることができる。

私は喫煙の習慣がないので、そこまでして煙草を吸いたいものかと思うが、愛煙家にとっては休み時間の一服が待ち遠しいのだろう・・・。慌ただしく吸っては駆ける去る様子は、むしろ微笑ましくさえ思ってしまう。

受動喫煙防止の風潮はますます大きくなり、この4月からは隅っこに灰皿を置いていたJRの駅でも『全面禁煙』となるらしく、そのことが駅構内には告知されている。

神奈川県では知事はじめ幹部たちが『受動喫煙防止』に熱心らしく、数年前からこのための条例を儲ける案が県議会で審議されていたようだが、今回『受動喫煙防止条例』として議会で可決されたというニュ-スが先日流れた。来年の4月から施行されるという。

施行後は、学校や病院、公共交通機関など公共性の高い施設は禁煙が義務づけられるらしいが、愛煙家にとって気の毒。この際、禁煙しなさいというサインの一つかもしれないが、そんな簡単にやめられるものならとっくの昔に止めている・・・という悲嘆の声が聞こえてきそうだ。

大規模な飲食店や宿泊施設、カラオケボックス、ゲームセンターなどは禁煙か分煙を選ぶことができるというが、全面禁煙となると客足が遠のくことは確実だろうし、分煙となると新たに施設設備投資。かなり難しい選択を迫られそうだ。

この条例には罰則がついており、学校や病院などは大規模飲食店などとでは時期が少し違うものの、違反した場合管理者が2万円、禁止区域で喫煙した個人は2000円という。しかし、県職員が違反を取り締まれる訳がないので、駐車違反ではないが市から委託された民間の監視人となるとしばらくはトラブル続きだろうし、新たな問題も起こりそうな気がしてならない。

県側では、全国で初めて公共的施設での屋内喫煙を規制する条例だと胸を張っているそうだが、屋外での禁煙は規制できないだろうか、公共の建物のすぐ傍の道路などでの喫煙が増えるのでは・・・と心配になってくる。

以前も述べたことであるが、本当に身体に悪いとわかっているなら、一層のこと販売禁止とか、あるいは一箱1000円とか2000円にすれば、間違いなく現在の半数は禁煙できると思うのだが・・・。飲酒も同じで、身体に悪いというならビ-ル一本1000円にすれば、これまた禁酒する人は増えるはず。

私にとって、煙草の臭いと煙がなくなることは気分的にも良いことで、基本的にはこの条例には反対しないが、つい数年前まで、煙草は国営で国民に勧めていたのに(民営化したといえ、今でも大々的に宣伝しているが)、突如『禁煙』政策とは。

そして国会(特に衆議院)ではお構いなしというのだから、『少し変だ・・・』と感じるのは私だけなのだろうか・・・。(田舎親父)

2009年3月26日 (木)

ホ-ムでも身構えなければならない時代到来か・・・

 東京駅の中央線のホ-ムで60歳の女性が後ろにいた24歳の男に突然ホームから突き落とされるという事件があったという報道に、いよいよ無差別な殺人が日常茶飯事になったのでは・・・と戦慄した。

午後8時というから、人々は一日の勤務が終わり、ちょっと道草を喰ってから帰宅する途中か、あるいは残業から開放されてホッとしている時間帯。まさかホ-ムから人を突き落とそうと狙っている男の存在など誰も想像できないだろう。

この男はその日の朝、わざわざ大阪府下の自宅から新幹線で上京、山手線の主要な駅で乗降を繰り返し、8時過ぎに事件を起こしたようだ。

新聞報道によると、調べに対して、『(事件を起こすのは)どこでも、誰でもよかった』などと供述しているという。逮捕時に持っていたリュックからは、複数のカッターナイフが見つかった、となると秋葉原の通り魔事件ではないが、駅構内でナイフを用いた通り魔的な犯行も考えていたのかもしれないと思うとゾッとする。

さらにこの男は『自分で死ぬか、人を殺して死刑になろうと思った。相手は誰でもよかった・・・』とも話しているという。

『だれでも良かった・・・』というセリフは、この種の犯罪者の常套になってしまったようだが、自殺したければ自分で死ねばよいのに、死を決意する勇気?すら持たない人間の言い訳としか聞こえない。

ネットの情報では、この男は障害者手帳を持っているとのことだから、この事件の行方が余計に気になる。

誰しも人を刺し殺したり、突き落としたりする瞬間は、恐らく頭の中が真っ白になって善悪の判断能力がなくなるのではないだろうか。その当たりが最近の裁判では問題になるらしく、『責任能力』の存在が判決に軽重に大きな影響を与えるようだ。

障害者手帳をもち知的な障害があるとしたら、結果的に『殺人』を犯していないのだから『無罪』となる可能性が大きいのではないだろう。しかし、私には、いくら知的障害があったとしても、ホ-ムで電車を待っている人を突き落として『無罪』では、簡単にそうですかとは納得できない。

このままなにも処置なく釈放になり普段と変わりない生活をさせておいたら、同じようなことを起こす可能性はあるのではと思ってしまうが、この当たりの裁判官たちはどう判断するのか知りたいものである。まさか、そのあたりの判断を市民に押しつけるために裁判官制度を変えるのではないと思いたいが・・・。

知的障害者をおおらかな気持ちで見守ることには異存はない。しかし、見守る以上、その人物が相手に危害を加えないという前提は必要だろう。あるいは、誰かが責任者になって(監視という表現は使いたくないが)後見する必要があるのではないだろうか。

たとえ障害を持っていたとしても人を突き飛ばしても無罪になると、市民の安全など誰がどのようにして守るのだろう。自分のことは自分で守れ、というのなら、護身用のナイフや拳銃の所持も認めなければならない。これでは法治国家の実態がなくなってしまう。

突き落とされた女性も災難。幸、軽い怪我ですんだというが、むしろ今回は偶然助かっただけで、命を落していたとしてもおかしくない。

助けられてから恐怖心が呼び戻され、普段の生活でも、後ろから誰かがねらっているのではないだろうかと思うようになることは十分考えられる。このことに対して、誰が責任をとるのだろう。過去、司法がこのような問題に対してはっきりと指針を出した例はない。

先天的や後天的な原因で知的障害を持っている人が増えて、良否はともかく、何らかの形で責任を問えない人々が多くなっていることは事実。

そういう人々に対して、市民は何をどうやって気をつければよいのをはっきり示さなければこの種の犯罪を増えることはあっても減ることはないのでは。肉体的な障害者なら気も配れるが、一見すると健常者と見分けがつかない見知らぬ知的障害者に対して、どうやって配慮すれば良いのか、これは重い・・・。(田舎親父)

2009年3月25日 (水)

市民の意識を変えるのには時間が必要だろう

 3月1日のこのコ-ナ-で取り上げた、市議会議員の数を減らそうと訴え、ブログで議員の人気投票のような提案をして議会から不信任案をつきつけられた市長だが、即刻議会を解散した出直し議員選挙の結果で市長派は5人だというニュ-スを見つけた。

この市の人口はたった2万5千人足らずなのに議員の数は16人というから市長の主張はよく分かる。

地方自治体の議員の数はどこでも多過ぎるのが市の財政を圧迫する原因の一つであることは間違いないが、議員たちは手に入れた地位を守ることに関しては、主張は違っても定数削減には一致団結して反対するらしく、議員の削減が至難の課題になっている。

恐らくこの市の有権者は2万人を切るだろう。投票率を高めに見積もっても70%程度として1万数千人が投票することになる。となると当選に必要な票は1000もあれば御の字で、ひょっとしたら500票程度で当選するのではないだろうか。

500となると、親類一同に加えてその業界や集落をまとめると当選?・・・。これで市民の代表と言えるのかと思ってしまうが、この風習は全国どこでも同じようなものらしいから議員の質が上がらないのは当然といえばこんな当然なことはない。

今回は、前職が11人で新人が12人の23人で争ったそうだ。再生反対の内訳はよく分からないが当選した反市長派は9人というから前職が多いようだ。

中間派は2人だという。市長派の5人はいずれも上位で当選したとのことだが、5人でかなりの票を集めた結果、当選ラインが下がり、結果的には前職の反市長はの当選を助けてしまったのではないだろうか。

しかし、議員の数から行くとこれは負け戦。再び不信任案を可決するには、3分の2の議員の賛成が必要になるというから、中間派の2人の動き次第で市長が失職する可能性がでてきた。

さて市長どうするのだろう。中間派をうまく抱き込めば市長の思い切った考え方を実行できるだろうが(中間派の2人が下位当選だとしたら)議員定数を減らしたら自分が当選できなくなると皮算用・・・。市長不信任に加担する可能性は高いとなると、これは相当難しくなりそうだということは容易に想像できる。

市民の多くは議員定数の削減には賛成だろう。市の職員給与がこんなに高いのか、と怒っている人も大いに違いない。それが市長の主張をマニフェストにした議員が多くの票を集めたのだろうが、5人だけでは定数の削減は不可能に近い。この当たりは市長を支持している陣営の作戦ミスかもしれない。

地方選挙は小選挙区ではないので、同じ主張をしている人同士が票を奪い合うことになる、謂わば、人気投票。少数の人に票が集中して、結果的に同士が落選しては改革なんて絵に描いた餅。そこに選挙の戦術が必要になるのだが、この市長はここまで読んでいたとしても仲間うちに手を上げるタマがいなかった・・・?。

市議会の選挙前に職員の給与を公表したのも、職員やその家族などからの反対が強くなるという意味では失敗と言えば失敗。まあ、それがこの市長のよい面だろうとは思うが、9人もの守旧派の古ダヌキ共を当選させるとは、市民たちの意識を変革するためには相当の時間が必要なようだ。(田舎親父)

2009年3月24日 (火)

老人介護をビジネスにしていては・・・

 群馬の『静養ホ-ムたまゆら』という施設の火事のことは出かける朝、テレビのニュ-スが、建物が火柱を舞あげて炎上している様子を報じていた。

その時、『その夜の宿緒の職員は一人だけ・・・』という言葉が耳に残るままに出かけたが、旅先の駅前の食堂のテレビニュ-スで死者が6人と知り、なんとズサンな管理態勢だったのかとびっくりし、悲しくなった。その後死者の数は増えて、現在までに10人、悲惨としか言いようがない事件である。

元気な年寄りがグル-プで生活しているならば、宿直は一人ですむだろうか、中には車椅子が欠かせない人や寝たきりの人もいるだろう、おむつを取り替える必要がある人もいるはず、それなのに、宿直職員が一人というから、はじめからそんな丁寧な介護など頭になく、老人たちをベットに拘束するなり、建物を施錠して、何とか事件性のない夜を過ごさせているとしか考えられない。

福祉施設には、消防法施行令と都道府県が定めるガイドラインで、建物の耐火化や火災警報機の設置、定期的な避難訓練実施などが必要とされているという。しかしこれらの規制は、施設が行政に届け出をしていなければ監視下には入らず、この施設もご多分にもれず無届け、県や市は実態をまったく把握していなかったという。

NPOの経営者や県や市の責任はこれから問題になるだろうが、東京の墨田という区の行政が10人もの生活保護を受けている高齢者をこの施設に送り込んでいるという事実を一体どのように受け止めたらよいのだろう。

区としては自前で特別老人介護施設を持っているに違いない。しかし、急速な高齢化と家族の人間関係の希薄さに加え、価値観や考え方が多様化する今日では、入所に順番待ちの列ができていることは想像に難くない。

区が率先して弱者を切り捨てる政策をしているとは思いたくない。ある程度の維持費を入所者に負担を求めるのは当然で仕方なかろう。となると、生活保護を受けてたった一人で生活している高齢者の受け入れ先を区の施設に求めることは絶対に不可能。

担当職員は受け入れ先を求めて走り回り、やっとこの『静養ホ-ム』を見つけ、毎年のように、送り込んでいたに違いない。係員は、当然この施設を見学しているだろうが、やっと捜し当てたという気持ちが先に立ち、経営者が言う『お任せください』という言葉を信じたようだ。というより『疑う・・・』という感覚ははじめからなかった。

この施設の経営母体が『NPO法人』だという。善意に解釈すれば、何とか気の毒な老人を助けたいと、志のある人たちが集まり立ち上げた集団だと思いたいが、最初からか、あるいはいつの間にか利益を追求する集団になり下がったのだろう。

相手が自治体であるから不払いはない。必要経費が確実に入手できるとなると、こんな経営的に楽なことはない。これは介護の質を落とせば簡単にできることであることくらい素人の私でも想像がつく。

今日のような超高齢者時代がやってくるだろうことは、とっくの昔にわかっていたことである。老人問題が話題になり始めた時、当時の自治体は財政的にも余裕があったので競って豪華な施設を作ったものである。

その施設を見て、私も入ってみたいと思う高齢者、こんな立派な施設なら、じいちゃんば・ばあちゃんを入れたいと思う市民、周りが全て『高齢者になったら施設に入るもの』というム-ドというか当たり前の考え方を作ってしまったのではないだろう。

ところが、財政が厳しくなるとこんな施設を作るのは無理となり、結果的には弱者というか貧乏人の受け皿として、このような施設が次々にできてしまい、しかも行政同士が知らぬ顔を決めているのだから、今回のような事件がおきるのは当たり前。

行政に限界がある以上、民間の特に志の高い人たちが立ち上げるNPO法人に期待が高まるのは当然の成り行きだろうが、志の高さを調べる物差しはない。

志の高い低いなどを問題にして、施設を選ぶ基準にするような考え方をするのではなく、老人介護をビジネスとして成り立たせている社会の制度そのものにメスを入れる必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年3月19日 (木)

国の横暴で地方が悲鳴・・・

 つい最近まで、道路建設など国が行う事業で、地方が一定の割合負担をする『国直轄事業負担金』という制度があることを知らなかった。
 そんなことは常識、そんなことぐらい知らないでどうする・・・という声が聞こえてきそうだが、私の同じような『政治音痴』の人も多いのではないだろうか。
 このことを教えてくれたのは、あの有名な大阪府知事の橋下サン。この御仁は当選当初は、ある意味傲慢としか見えなかった政治姿勢に少し嫌悪感を持っていたのだが、このところの言動はかなり本気で、改革それも府民の立場での改革姿勢を明確に打ち出しているので、すっかり見直しモ-ドに入っている。
 過日、破綻状態になっている府の財政を建て直すために、来年度の当初予算で最大2割削減する方針を表明したとの記事があった。福祉や教育の分野にまで踏み込んでいるのは少し気になるが、この中で『国直轄事業負担金』の見直しという項目があったので、書き出しのように、こんな制度があるのだと気付いた次第・・・。
 道路建設などの『国直轄事業負担金』は事業の種によって地元負担額が決まっているという。国は受益者の地元も負担すべきだという立場をとっているかららしい。
 言われてみれば、なるほど道を使うのは地元の住民だろうから、地方自治体も応分の負担は仕方ないような気もしないでもないが、地方を旅していると何でこんなところにこんな道路が必要なの・・・という場面に出会わすことが少なくない。
 まあ、国がやるのだから仕方ないか・・・と気にも止めなかったというのが正直なところだが、こんな道路にも地元の負担金が押しつけられていたことなど住民たちは知っているはずがないのでは、知っていたらとても要望しないだろうと改めて思いなおしている。
 その地方の住民たちは、こんな制度があることなど知らずに(知っている人も多いのかもしれないが)、『○○先生のおかげで・・・』と地元選出の代議士の手柄ぐらいに思っていたのだろうし、地方自治体も財政が豊かな時代では、無駄なことは知っていても『○○先生』の威力とこれからの働きに期待をかけて負担金を支払っていたようだ。
 このことをいつか話題にしようと思っていたが、昨日の新聞に『国交省の出先機関の移転に関連して、移転先の庁舎の改修費20億円のうち7億円を地元自治体が負担』という記事を見つけた。
 県はスンナリ支払う方針だったらしいが、県議の一部の人たちが『県も財政危機の中で、なぜ改修費まで押しつけられるのか』と疑問を呈しているらしい。これは当然で、一部の人たちではなく全員が反対しても良いのではと思わずにはいられない。
 これも初めて知ることだが、道路法と河川法は、国道や河川工事の現場事務所の改修については自治体に負担を求めることができると規定しているという。今回その法律を根拠に地方整備局という出先機関が『法律に基づいて負担してもらっている』と言っているとのことだが、都会にある『河川国道事務所』まで『現場事務所』だというのは筋が通らないとんでもない話である。
 しかも県会議員たちにはなにも説明もせず、県の担当不精に、ある意味内証で囁いているととられても仕方ないような方法で伝達しているというからけしからんやり方。県議からの質問で、県もこのことに気付いて、国にもの申すらしいが、ぜひ本気でぶつかってもらいたいものである。
 地方が元気でなければこの国の未来はない・・・私のいつも口にする言葉であり、行動理念である。
 地方公務員が優遇されすぎるという声が聞こえる。一部では怠慢な職員もいるだろうが全てではなく、むしろ良心的に毎日住民のために働いている人の方が多いはず。その職員達が無駄をなくそうと努力しても、国が無駄を押しつけているのだから、地方が疲弊するのは当たり前である。
 今回のことに対して橋下知事は『国はペテン師・・・』と批判しているが、まさにその通り。ぜひ、橋下知事を先頭に国に対して『もの申す知事集団』を結成、国と対等に話し合いができる機運を作ってほしいものである。(田舎親父)
 明日からしばし取材と頭脳整理のために休載。

2009年3月18日 (水)

悲惨な事件報道が多過ぎる

 最近、母親が自分の子どもを高層住宅のベランダから投げ落としたり、将来を悲観した母親が子どもを道連れに無理心中などという悲惨な事件の報道が相次いでいるが、一昨日の新聞にも、46歳の無職の息子を絞め殺した76歳の母親が逮捕されるというニュ-スが報じられた。

私は母親を早く亡くしたので本当の意味の母親の愛情は知らないが、周りの人たちの話やこれまでで読んだ文献などから、母親は自分の産んだ子どもに対しては異常なほどの愛情を持つものだと教えられている。

だから、私には母親が自分の子どもを殺害するなんて、とても考えられないのだが、実際にこの種の事件が度々報じられるとなると、母親の愛情は海より深い・・・などという甘い考え方を改めなければならないのかと自問してしまう。

それにしても、自分の子どもを殺害しなければならなくなった母親の心境はどんなものなのだろうか。まさか、気まぐれというか、最近良く言われる瞬間的にキレての行動とは信じたくないが、子どもを投げ落とした母親の心理はとうていはかりきれない。

全てに絶望し、生きていくことに疲れ、自信が全くなくして、自殺を決心したとしても・・・自分の子どもを投げ捨てるとは、私にはとても理解できない。

できないが、夫も当てにならない(というより離婚でもして存在しないのかもしれない)、自分が死んだらこの子たちが生きていくこともできないと、一時的に何も考えられなくなり衝動的に我が子を投げ落としたと無理に納得させている。

自分が後で飛び降り、命を落したらそれで事件としての存在は残るが、母親に対する罰則は履行不可能となり、気の毒だなあ・・・で、いつの間にか世間から忘れ去られるのだろうが、生きていると殺人罪で逮捕される。

裁判で酌量の余地が認められて、普通の殺人事件よりかなり軽い刑が言い渡されるのが常であるが『犯罪者』というレッテルが残る。しかも『我が子殺し』というレッテルは、他のものより遥かに強烈な印象を周りの人々に与えるだろうから、この母親がこれからの人生をまっとうに生きるのには難しくなるのは容易に想像できる。

今回の76歳の母親が46歳の息子を絞め殺した事件も悲惨さは変わらない。記事によると、この母親は『夫が長年入院中で、自分も体調が悪くなった。息子は無職で将来を悲観した。自分も睡眠薬を飲んだ・・・』などと供述しているという。

個人の家庭のことだから、推定するしかないが、恐らく毎日のように息子に意見をしていただろう。この息子は親の年金をあてにしながらブラブラしていただろうから、母親としてはなぜこんな息子に育ったのだろう・・・と自分の育て方にも問題があったことも後悔しながらも、何とか働いてほしいきと願い説教を繰り返していたのでは・・・。

場合によっては、その度に『うるせいババア・・・』などと悪口をいわれ、息子から暴力を振るわれていたことも考えられないことはない。思い余って睡眠薬を飲ませて首を締めてて殺害したに衝動的殺害を決意し、睡眠薬を飲ませたのだろう。

自分も睡眠薬を飲んで死のうとしたようだが、病気の夫のことが意識にあり死に切れなかったのではないだろうか。この母親も殺人罪で逮捕されることは間違いなかろう。そして(恐らく続報はないだろうが)高齢ということと息子の日常の行動などから鑑みて執行猶予のついた数年の刑が言い渡されるのではないだろうか。

それは当然だろうが、やはり犯罪者としてのレッテルは張られることは間違いない。生き残ったこの母親が病気の夫を抱えてこれからどうするのか、想像するだけで虚しく気の毒に思えて仕方ない。

なぜこの一家がここまで追い込まれたのだろう。

突然考えが飛躍するが、事件を起こさなかったら、この一家には42000円の給付金が配布される。しかし、42000円もらったからといって母親は息子を殺害しなかったとはとても思えない。

ただ、2兆円あったら、そしてその予算でこのような母親に対して手厚い看護のシステムを構築しようとする政策があったら、このような母親が追い詰められて子どもを殺さなくてもすんだのでは・・・と考えると、改めてなんと馬鹿馬鹿しい施策だと思わずにはいられない・・・・。(田舎親父)

2009年3月17日 (火)

高速道路が安くなるのは良いのだが・・・

 首相に言わせると、『全国どこまで走っても1000円』という景気対策の目玉商品。首都高などを経由するとその分がかかるというから少し認識が違うようだが、それでも2000円から3000円で走り放題になるのだから、車好きの人にはたまらない政策には違いない。

最近の景気の急激な悪化でレジャ-を控える傾向があるので、かなり経済効果があるように思えるのだが、高速料金がこんなに安くなると週末のレジャ-はドライブという人も多くなるだろうから、全国で渋滞騒動がおきるのではないかが気になるところ。

その前に、こんなに値下げをして道路管理会社の運営は大丈夫なのだろうか。道路公団が膨大な赤字を抱えているから民営化にしたと説明していた。それがウソだったのだろうか。本当は各道路管理会社が大黒字で全国一律1000円いただいたら採算が合うのだったら問題がないが、そんなわけはあるまい。

たとえ黒字であったとしても、道路の維持管理には莫大な予算が必要だろうし、人件費なども物凄いはず、とても1000円でやって行けるとは思えない。そこには政府は莫大な費用補填が必要だろうことは容易に想像できる。

新聞報道によると、一連の値下げで最大の問題は財源で、今回の値下げは2年間の期間限定として5000億円の資金が必要だという。今回の値下げには政府の『埋蔵金』で賄うようだが、2年過ぎたら『ハイ・・・元通り』というわけにはいかないだろう。

もしかして、今回の値下げは『選挙対策』で、選挙に勝てれば後は『消費税』で何とかなるだろう、というねらいがあるのでは・・・。場当たり的な政府のやり方を見ているとそんなことも十分注意していなければならない。

庶民にとっては思いがけないプレゼントであるが、2年後にその倍も三倍もの増税が待っていると思うと、簡単に喜べない。

今回の割引案は、休日は全国一律1000円。平日でもこれまで割引がなかった地方の平日昼間の時間帯も、全車種で3割引きになるというらしい。本州四国連絡道路や東京湾アクアラインは、走り放題とは別に上限1000円だ。首都高速道路や阪神高速道路にも新たな割引が導入されるとのことであるから、相当の大盤振る舞いと言えるようだ。

確かに(東京や大阪など都市部の高速道路を経由しないという条件があるようだが)いくら走っても1000円ポッキリとなると、遠出する気になるだろう。当然、宿泊施設や売店の売り上げが伸びるなど、消費刺激効果が期待できることは間違いなさそう。

しかも、週末に稼働すればトラック輸送経費なども極端に節減でき、平日でも3割軽減となると、苦境にあえぐ企業にとって収益の改善につながりそうだが、値下げによる莫大な費用の補填はともかく、書き出しに述べたように『全国的な渋滞』という心配はないのだろうか。

今回の施策に反対するものではない。むしろ拍手を送りたいと思いたいのだが、通行料の大幅割引になると、普通に考えても車が増えるはず。当然なことだが、渋滞が起こるだろうことは誰にでも容易に想像できる。

4月の週末にちょっと車で出かけなければならないので、どのぐらいの渋滞が起こるのか確かめて来ようと思うが、今月20日からこの施策が実施されるというから、結論はその前にでるだろう。

渋滞の心配はさておき、自家用車を減らそうというのが、地球温暖化や交通事故の減少からも時代の流れになっている。

景気が悪くなって車を手放す人が多くなったというのは、車がなくても生活が維持できるということ。謂わば、庶民にとって車は一種の贅沢品ということが証明されたと言っても過言ではない。

その贅沢品である車の高速道路料金を、食料品や福祉用具などにも一律にかけられる消費税でなんとかするという発想は本末転倒だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年3月16日 (月)

政治屋の無神経な発言に虚しさを覚える・・・

 アソウ内閣発足して間もなく不適切発言のオンパレ-ドで国交大臣をクビになった御仁の、特に日教組に対して『徹底的に戦いぶっ潰す・・・』というセリフには、怒りというより良識の欠如を感じたが、自民党の幹部たちの中には日教組に対してはよほどの怨みがあるらしく、この種の発言が後を絶たないようだ。

アソウ首相もその一人らしく、先日もどこかの講演で、現代の道徳心のない社会は日教組に所属する教員たちが子どもたちにまともな教育をしていなかった・・・からだという意味のことを言ったと報じられていた。

マスコミもそんな自民党の幹部たちにへつらって、面白おかしくそのことを記事にするものだから、一般国民は日教組に属する教員たちが学校で愛国心を教えなかったからこんな社会になったか、と思いがちになってしまう。これは間違いなく世論操作で、こんな危険なことはない。

確かに、そのような日教組批判に対して一部教員たちの行き過ぎた実践の否定できない部分もないことはないが、全てを日教組のせいだとするのは、むしろ責任逃れ。自分たちこそ何をしてきたのか考えてほしいものだが、このあたりのことは評論家のセンセイにお任せして、ここでは日教組の功罪など論じる気持ちはない。

しかし、不用意な発言を連発している自民党の総務会長が『今、うつ病で休業している先生がたくさんいらっしゃる。国会議員には1人もいない。そんな気が弱かったら務まりませんから・・・』との発言は聞き逃すわけにはいかない。

教員より政治屋サンの方が間違いなく給料が高く、毎日美味いものを食べているに違いない。生活レベルから見ると、天と地ほどの差があるだろうが、自ら『俺たちの方が偉くて、お前らは貧乏人で気が弱いからうつになるのだ・・・』という発想は、良識という点からは、あの首になった大臣にまさるとも劣らないのではないだろうか。

この御仁は、今、全国の学校の教員たちは次々に変わる文科省の方針にとまどい、管理を徹底する教育委員会の圧力と、保護者たちからのとんでもない要求に疲れ切っている学校現場の事実を知らないようだ。

体罰禁止という金科玉条の法律に縛られて、言葉ですら児童生徒に強く注意できないこと。学校で明らかに子どもの過失による事故などでも保護者に謝ることが第一だという風潮。放課後や管理外でも呼び出される現状。『給食指導』という本来名派は家庭の躾の一部である食事のマナ-の指導までも押しつ。誰もが認められている『昼休み』すらとれないこと。などなどどこまで実態を知っているのだろうか。

全国的に教頭が副校長と名称変更、主任や主幹などという中間管理職制度の導入で、教員同士の横の連携や協力より縦の管理が優先。教育考課など称する数値による実績評価など教員管理が徹底すると、誰もが精神的に『きつく』なることは間違いない。

中には国会議員並の心臓に毛が映えているような『無神経』な人物もいるに違いない。しかし、デリケ-トな神経を持つ子どもたちを導くためには、それ以上細心の神経で接することが必要だと自覚している圧倒的多くの良心的教員は、日夜、子どもたちの健やかな成長を願って必死に努力している。

そんな現状を全く知らないで『知識と知恵が両方ないと、苦しい時に我慢できない。ばたっと突き当たるともう駄目になっちゃう・・・』とは・・・。しかも『うつ病』になることが『悪』と決めつけるとはとんでもない傲慢さである。

『うつ病』で苦しむ人たちのことを『弱者』であって、そんな人間には教員はつとまらないという論理は、教員はティ-チングマシ-ンでしかなく、校長や教育委員会のいうことに対して疑問などはさまず子どもに押しつけていれば『うつ病』などにならない・・・というに聞こえる。

こんな連中に、未来を託す少年たちの教育を将来像など描かせていたら、互いをいたわる気持ちなど育てられる訳がない。自分勝手で金儲けだけが『いのち』の人間が生み出すことは明らかで、国そのものの基盤は脆くなるに違いないと思う今日・・・。(田舎親父)

2009年3月15日 (日)

農地法の改正に思うこと・・・

 現在の農地法はでは農地の転用や売買ができないように厳重に規制する法律であるが、会社組織が農業に参入し始めたことから、もっと農地を有効利用できるように株式会社参入の門戸を大きく開くという『農地法改正案』が国会に提出されたという。

農地法の基本理念は、農地の所有者イコール実際の耕作者という『自作農主義』であるが、経済のシステムが複雑になると共に、自作農は減り続け都市近郊の農家では兼業が当たり前になっている。

一方、地方では農業の後継者不足が進み高齢化が深刻。さらに減反政策や米価の下落が追い打ちして耕作放置が進み、その面積は全国で39万ヘクタールと、埼玉県の面積に匹敵するまで増えているそうだ。

所有者が地元を離れてしまった『不在地主農地』も20万ヘクタールを数え、東京都の広さに相当するという調査結果も報じられている。しかも、これだけ厳しい規制にもかかわらず、駐車場や資材置き場などへの違反転用は年間約1万件と後を絶たないというから、現在の農地法そのものが不備だから、というのが改正の意図らしい。

農業を目指そうにもこの農地法がネックになって、資金を用意できたとしても農地を取得できないという声もよく聞く。農地法の存在が、法人営農の大規模化を阻むケースも少なくないことは間違いないようだが・・・。

そして、食料の自給率の向上にとって、耕作放置地をなくすことが急務だということは十分理解できる。そのために農業の規模拡大と新たな資本の流入を促し、農業の基礎体力を強くすることが大事だということは、田舎の活性化を願う一人としてわかり過ぎるほどなのだが・・・。

今回国会で審議中の改正農地法では、株式会社も原則自由に農地を借りられることになり、最長20年だった農地の賃借契約期間を50年に延ばし、親から引き継いだ農地を誰かに貸した場合にも、相続税の納税猶予を受けられるようになるとのことである。

そうなれば農地を所有しているが自分で農業をする必要はなくなることは確かで、ある程度の賃貸料が入るとなると高齢者は無理に農業を続けなくても良い。『所有』と『利用』が明確に区別できることになる。

しかし、簡単に他人に貸すことができるとなると、今でも問題になっている農地の転用が進むことも確実で、むしろこちらの方が心配になってくる。

株式会社に参入の門戸を開くことになり、農業そのものが会社組織で運用されるので食料は確実に増産するだろうことは理解できるが、その会社が倒産しない保障はない。この場合、農地を転用して借財を清算するという道を防げるのだろうか。

あるいは、悪意を持った人物が、転用を前提に農業法人を立ち上げ、農地を大量に借り上げた上で、他人に貸借契約を転売することもあるのではないだろうか。

法人が違反転用した場合の罰金は『300万円以下』から『1億円以下』に引き上げられるので、簡単に転用しないだろうとのことらしいが、最近の資金の流れを見ると、1億や2億など、まるでゴミのような扱いであることから、この程度の罰則の強化だけでは違反転用が亡くなるわけがない・・・と心配。

自給率の向上はもとより『安全な食の供給』という明確な意思のもと、転用許可を審査する農業委員会や自治体は監視を強める必要があるが、果たしてこんな能力が現在の組織にあるとはとうてい思えない。

このあたりの監視体制の整備をきちんとしなければとんでもないことにありそうだ。できれば農地の『利用』や『転用』に、消費者というか一般市民も委員に入れて審議会組織を構築することが必要だと思うのだが・・・いかがだろう。(田舎親父)

2009年3月14日 (土)

異動のシ-ズン

 弥生月も半ば、福岡では早くも開花と桜の便りが届き始める頃になった。今年は暖冬傾向のため平年よりかなり早まり、今月末には太平洋側の各地の桜の名所ではお花見の宴が催される見込みだという。

不景気風が吹き荒れているが、日本人にとって桜は花の中でも別格。花見を楽しまないと・・・というDNAが存在しているらしく、この季節になると現役を退いて仙人のような生活をしている私のような貧乏人でも桜が恋しくなるから不思議である。

桜の季節とリンクするのは異動の内示。特に地方公務員にとっては、最近の傾向として数年で異動対象という内規が広がっているので、影響する人の数は多い。中には意中の職場に異動内示に大喜びする人もいるが、長年慣れ親しんだ職場から新しい環境に慣れるか心配な人も少なくない。

一般公務員の場合は、本人と家族の生活に変化があるだけだが、教員、特に中学校の教員の異動は、生徒の部活動の存続にも関わり、中には人生観が変わる生徒すら出るほどその影響は大きい。

都の教員の異動は3年が一つの区切りだという。一応は希望を聞くようだが、最近は校長の権限が限りなく小さくなっているらしく、教育委員会へ本人の希望を伝えてもあまり考慮されないことが多いとのことらしい。むしろ、広域人事という考え方が強くなり、全く希望が無視される場合も少なくないと噂で聞く。

生徒や保護者にとって、その影響がモロに出るのが中学校の部活動の顧問教諭の異動である。『野球部の監督の先生が異動するので、新年度から休部します』という連絡が届いたら、勉強は苦手だが野球は大好き・・・という生徒にとっては、梯子を外されたような気分になるのは容易に想像できる。

実際に、都内の公立中学校で毎年度、200以上の部活動が担当する教員や協力してくれる外部の指導者不足など学校側の事情で休・廃止に追い込まれているという。

団塊の世代の教員が退職期を迎えて、若い教員の採用が増える傾向があるらしいが、つい最近までずっと長い期間子どもの数が減りつづけて、新採用を控えてきたことで若手教員の不足と高齢化というダブルパンチが原因らしい。

『部活動』は中学校生活の憧れで、今頃は卒業を間近にした小学6年生たちは、入学する中学校で、どの部活に入るのかが大きな話題になるほど関心が高い。

しかも『部活動』は生徒の重要な学校生活の一部になっており、日常的な活動によって協調性を養うなど教育的な効果も大きく、その充実を教育目標の一つに掲げている中学校も少なくない。

さらに文科省の方針として、新指導要領でも『学校教育の一環』と位置づけて授業など教育課程との関連を図るよう明記しているから、学校教育の充実にとって、今後今以上に部活動を指導する教員の確保とその能力により影響は大きくなるに違いない。

特に最近は学区を問わず、保護者の選択を優先する傾向が広がっているので、部活動の充実度が学校の人気のバロメ-タ-になることも少なくなく、あの中学校は○○部がないので行かない・・・という声が稀でなくなっているというから、生徒集めからも学校としては深刻な問題。

中学校の内部の事情は詳しくないが、現在でも顧問の教員は名前だけで、外部の指導者の協力で何とか存続していたという学校も多いと聞いているので、担当の教員だけではなく優秀な外部の指導者の確保も校長の大きな仕事になって来るのは間違いない。

そんな学校の悩みを受けとって、都教育委員会が外部の人材を部活動の顧問などとして有効活用する『教育人材バンク』構想を進めているというニュ-スは校長たちにとっては何よりホッとさせたのではないだろうか。

校長は職務の性格から地域の人たちはじめ外部との接触があって『名刺』を持っているが、一般教員は『名刺』を持たない者が多いのがこの業界の特徴。持たなくても通用するのだから、当然、人脈はほとんどないと言っても過言ではない。

その教員がところてんのように押し出されて校長になる。当然、校長が部活動の指導者を確保することは容易ではないはず。中には、本の少しの関わりを頼りに電話をかけたり、地域の有力者のコネを使って探すという大変な努力をしているのが実態らしい。

うまく当たると良いが、子どもの指導となるとなかなか難しく、軌道に乗るまでに紆余曲折は避けられないところ。また不適任と判断しても、お願いした手前断るのが難しいこともあるようだ。

都の構想では『教育人材バンク』は、学校が人材を探す時間や労力を減らすとともに外部の人材も協力しやすい仕組みにするとために、地域のスポーツ指導者や、体育系大学の大学生・大学院生、子育てや介護で企業を退職した人など『埋もれた人材』を発掘していきたいという。

うまくいけば、この『人材バンク』構想は全国に広がる可能性もある。都教委はしっかり準備して臨んでほしい。(田舎親父)

2009年3月13日 (金)

放鳥した時をまた捕まえるとは・・・

 昨年の秋、佐渡島で飼育されていた天然記念物のトキ10羽を放鳥するというニュ-スが大々的に報じられた。その前にはコウノトリが放鳥され、順調に自然になれているとの報道も記憶に新しい。

ニッポニアニッポンといわれているほど、まさに日本を代表する野鳥であるトキが、農薬などの環境汚染により絶滅。何とかもう一度日本の空で羽ばたいている姿を再現したいという願いで中国から譲り受け、我々庶民よりも遥かに大切に扱って、やっと放鳥できる数になったのでこの日を迎えたという。

そのことは素晴らしいことだと評価するが、人間の欲望で絶滅させた動植物はトキだけではあるまい。ニホンオオカミもつい100年程前には日本の自然の中で、食物連鎖の頂点に君臨、そのお蔭で野生動物のバランスが保たれていたという。

トキは美しく人間に直接害がないからもう一度大空へ・・・、オオカミは猛獣である上に現在の野生のオオカミはニホンオオカミとDNAが違うから・・・という理由ではないと信じたいが、佐渡に巨費を投じて飼育センタ-から遠く離れた本州に渡ったので、捕獲して佐渡に戻すというのは、あまりにも勝手過ぎるのではないだろうか。

記事によると、昨年9月に放鳥されたトキ10羽のうち、雌1羽を本州で確認、これで放鳥トキの本州飛来が確認されたのは3羽目だという。このトキは今月はじめまで佐渡で雄と2羽で行動していたとのこと。

関係者の方たちは、このペアが順調に卵を産み育てるだろうと願っていたらしいが、何らかの原因で雌の時の行方が分からなくなっていたという。人間ほど好き嫌いが激しく離婚などは当たり前になっているとは思えないが、トキだって時に相手が嫌になることもあるだろうから、これは仕方ないところ・・・。

あと二羽のトキも新潟や長野の各地で目撃されたという情報は、その都度テレビや新聞で大きく取り上げられているが、そのいずれもが雌だとのこと。人間と同じで、最近はトキも雌の方が好奇心旺盛で行動力が勝っているのかもしれないと、外野的には微笑ましくなってくる。

これは大切に育ててきた人たちにとっては大問題。県の担当部署の人たちも、3羽が雌ばかりのため『群れを形成できず、好ましくない状況』であることを理由に、本州のトキ3羽を捕獲して佐渡に戻すように環境省に申し入れたという。

分からない話ではないが、こんなことははじめから想定できたのではないだろうか。オオカミの場合なら佐渡から逃げ出すことは不可能だろうが、大空を自由に飛ぶトキが、どこに行くのかそれこそトキの勝手だろう。

環境省は『本州への移動は想定外』と言っているらしいが、こんなバカな答弁を『ハイそうですか・・・』と放置できる問題ではなかろう。

放鳥したらどこに飛んでいくか分からない・・・という、私でも分かることを、学者たちが予想できない訳がない。多分、本州に作れという意見も強くあったに違いない。

それを押し通して佐渡に飼育センタ-を建設した理由は、地元の強い要望は当然あっただろうか、裏に何らかの事情、場合によっては政治的な利権も絡んでいたのかもしれないことも想像できないことではない。

環境省は『このままでは観察態勢が追いつかない』とし、業者委託など新たな態勢を検討するらしいが、本州でのんびり遊んでいるトキにとっては迷惑な話、折角得た自由が、人間の勝手でまた掴まってしまうのは気の毒この上ない。

捕まえることは可能だろう。そして佐渡に戻すことも簡単だろうが、佐渡で再び放鳥したら、間違いなく本州の快適な生活環境を知ってしまった雌3羽はまた真飛来するに違いない。

その時は、雄も連れてくる保障はない。さて、環境省の幹部たちはどんな結論を出すのか見物である。(田舎親父)

2009年3月12日 (木)

エスカレ-タ-の事故も多いが・・・

 以前にも取り上げたが、『バリアフリ-』という言葉が市民権を得たのだろう、最近は都会ではもちろん地方でもちょっとした建物にはエレベ-タはもとよりエスカレ-タ-が設置されているのが当たり前になったようだ。

階段が動いてくれるのでこんな楽なことはないが、人間が作る機械というものは全ての人間のリズムに同期させるのは不可能なことが前提。平均的な人間のレベルに合わせて設計されているので、慣れない人(特に高齢者や幼児など)がタイミングを合わせるのに苦労している場面を度々目撃する。

私がはじめてエスカレ-タ-と対面したのはいつの頃か記憶がないが、当初はなんと便利な装置ができたものと、下りのエスカレ-タ-が設置していない中(現在も下りがない建物が多いが・・・)用事もないのにエスカレ-タ-で昇っては階段で降りてきて、またエスカレ-タ-に乗るということを二度三度繰り返したものである。

多分、今思うと物珍しいことに加えてタイミングを合わせる、ちょっとしたスリルが面白かったようだが、そのお蔭で高齢者の仲間入りした現在は楽しんで利用させていただいている。

それでも動く歩道というのか、平坦なエスカレ-タ-(スピ-ドに規格がないらしく、建物によって違うのも原因だろうが)の特に降りる時のタイミングが合わせにくく、油断すると前のめりになることもあるのだから、地方から出てきた高齢者の人にはとても難しい乗り物だろうことは容易に想像できる。

慣れている私でも、万一急にストップするかもしれないので、特に下りのエスカレ-タ-に乗っている時はいつでもベルトが掴めるように注意は怠らないようにしているが、見ているとベビ-カ-を乗せている夫婦や、小さな幼児の手も繋がないで平気で乗せている若いママたちも多いのが気になる。

時に、危ない場面に遭遇することもあり注意したくもなるが、声をかける勇気がないのと、変に誤解されても困るという気持ちが先にたって、怪我がなかったので良いか・・・とそのままにしていることが多い。

先日、駅のエスカレ-タ-で熟年の女性が自分の首に巻いたスト-ルが踏み板に巻き込まれたらしく、首がしまって意識がなくなって病院に搬送されたが意識不明の重体になっているというニュ-スが流れた。

子どもに人気のゴムのサンダルが踏み板にはさまれるという事故はよく聞くが、自分のスト-ルが巻き込まれたという事故はあまり耳にしない。この女性はよほど長いスト-ルを首にまいていたのだろう。

この人は事故にあう前に会合で飲酒していたというから、酩酊状態にあったのかもしれないが、それにしても自分のスト-ルが挟まれて降りる時まで知らなかったとは不注意としか言いようがない。

最近の傾向として、道路に落っこちている石ころにつまずいても、道路管理者の責任が問われる風潮が強く、ましてエスカレ-タ-の事故となると設置責任が問われるのは当たり前とあって、記事にもエスカレ-タ-の保守管理の状態が詳しく記載されている。

それによると、このエスカレーターは、ホームと駅2階の改札口を結んでおり、幅は約1メートル。エスカレーターは、毎月メンテナンス業者が点検しており、直近の2月10日の点検では異常がなかったというから、駅長は被害者には申し訳ないと思いながらも、ホッと胸をなで下ろしているのではないだろうか。

エレベ-タ-の事故も後を絶たない。バリアフリ-が当たり前になり、駅などの建物ではエレベ-タ-かエスカレ-タ-があるのが当たり前の傾向があるが、『便利と安全は同義語ではない』ことをもっと徹底し、自覚を促す必要があるのではないだろうか。

この女性が亡くなることも予想できる。その時、裁判沙汰などになってほしくないが、これも最近の傾向として周り(マスコミ)が騒ぎだすだろうから、ぜひ最悪のケ-スにならないことを切望している・・・。(田舎親父)

2009年3月11日 (水)

1000円配るのに650円かかるとは無駄な話・・・

 大騒ぎした末に民主党が変な妥協をした結果、結局は衆議院優先の法律によってスンナリ?決まってしまった例の『定額給付金』の配布が各地で始まっているようだ。

こんなことに『3分の2』を使うほど意味があるとは思わない・・・と言っていたコイズミ元首相も、郵政民営化の負の部分をこれ以上暴かないという取引でもできたらしく、おとなしく『欠席届け』を出してメンツだけを保ち、処分なしでシャンシャンという脚本で撮り終わったというところか・・・。

給付金配布が国会を通過したとたんに、民主党の小沢代表の秘書が逮捕というタイミングの良さにも呆れるが、してやったりとニヤニヤしていた官邸の中から『自民党員には及ばない・・・』と、元警察長官から『天あがり』した官房副長官がのたまったことが発覚して、今度は自民党がドタバタしている。

あの官房副長官の発言がなかったら、どうしても小沢潰しを強行したい権力側は、なりふり構わずマスコミを動員して、国会終了と同時に小沢逮捕もあるのではと心配していたが、この状態で逮捕したら、それこそ『国策捜査』と非難されかねないのでひとまず国会終了日の逮捕は断念するのではないだろうか。

しかも、このままでは、自民党からも生贄を出さざるをえなくなったような気配で、一寸先は闇の状態。二階とかいうパ-ティ券を購入させたとか、してもらったという大臣は連日ヒヤヒヤものではないだろうか。これからどのような展開になるのか外野的には楽しみになってくる。

それはともかく、給付金の配布であるが、1000円税金還付に650円の税金が使われるとなると、こんな愚策をしたために差し引き1650円の税金の無駄つかいとは何と馬鹿馬鹿しい政策と改めて怒りが込み上げてくる。

変な書き方になったが、日本で一番早くはじめたのが青森県の白神山地の入り口の村、ニコニコ顔で受け取る村民の姿がテレビで紹介されていた。祝儀袋(なぜ祝儀袋なのか疑問だが)で配られたら、受け取る方としては『お年玉』のように思えるだろうが、結局はあとで税金として知らぬ間に徴収されることになるのにと思いながら見ていた。

配る役所の人たちも大変だろう。が、カネをくれる人には悪印象はないのは当然で、日頃の怠慢批判を取り戻す良い機会とばかり働いているのだろうが、役人たちの超過勤務は残業となるので、こちらもニコニコ顔・・・。

ところが、離島などでの配布は大騒動。鹿児島に有人7島からなる十島という村があるそうだ。ここでも給付金の配布が始まり、原則口座振り込みで30日の支給開始を目指すが、郵便局があるのは3島だけだという。

しかも全約360世帯の4割が金融機関の口座を持たないため、口座がない人には村営フェリーで給付金を運び、島の出張所で手渡ししなければならないという。その人たちに配布する給付金の総額は1024万円。配布するために人件費やフェり-代金などの事務経費が657万円かかるという。

まさに1000円の税金還付に650円の税金をつぎ込んでいる計算になる。こんなアホらしいことが現実に起こっていることを、国民の何割の人が理解しているのだろう・・・と思うと、如何に無駄な政策であることがよく分かる。

こんな例は極端かもしれないが、電算システムの整備など当面不必要なことまでにも莫大な経費がかかるという。ある自治体では給付金総額153億円に対し、事務経費は6億円超に上るというから、自治体の財政はますます厳しくなるのでは・・・と思わずにはいられない。

都会部でも、住民登録のないホームレスの人たちにどのように配るのか、職員が連日残業をして頭を抱えている自治体も多いという。派遣社員が社会問題化しているが、住民登録している住所に住んでいない人も多いと聞く。この人たちに間違いなく手渡すのも一苦労だろう。

さらに心配なのは、様々な新手の手口を編み出している『振り込め詐欺』。定額給付金などは彼らからすると絶好の餌場を与えてもらったものと同じで、今頃新手の手口の開拓に余念がないのではなかろうか。

決まったことは仕方ないが、後味の悪さだけが残ってしまう・・・。(田舎親父)

2009年3月10日 (火)

茨城空港ってやっていけるのかな-・・・

 先日、静岡空港って必要なのだろうか・・・と疑問を投げかけたが、今度は茨城空港が来年の3月に開港というニュ-スに、どうしてこんなに狭い日本に空港をいくつ作れば気が済むのかと、呆れる前に笑ってしまう。(どこかで聞いたフレ-ズだが・・・)

霞ヶ浦のすぐ北の小美玉市という、聞いたことがない自治体に作っているらしい。一体どんな場所なのかと地図で探したら、航空自衛隊の百里基地に隣接しているようなので、自衛隊と共通使用の計画でもあるのではないだろうか。

雑学に興味を示している私も知らなかったぐらいだから、茨城空港なんて名前は全く認知されていないらしく、乗り入れる飛行機会社探して必死だという。

先月やっと、韓国の『アシアナ航空』という航空会社がソウル近郊の仁川国際空港との路線開設を表明したというが、1年後と期日が迫っているのにこの体たらくでは果たして開港時に何社が乗り入れを表明するかきわめて不透明。

この空港も静岡空港と同じで、県が深く関わっているらしく、県側は羽田、成田両空港に続く首都圏の第3空港としてのPRが功を奏したとしているが、たった一つの路線が決まっただけで大喜びとは情けない。

乗り入れを決めた『アシアナ航空』の幹部は『羽田、成田とは違う魅力があり、大化けする可能性がある』と、茨城空港の『潜在能力』を高く評価したというが、果たして狙い通りの客が集まるのだろうか。

担当者は両空港に比べ都心から遠い点は弱点だが、空港施設が小さい点を生かし成田では2時間前までに済ませなければならないチェックインを1時間前までに短縮できる上に駐車場も無料にするのでマイカー利用客から支持されるのではと期待しているが、そんなに甘いものではないだろう。

チェックインまでの時間が短縮されるのは利用者にとっても魅力だが、成田に比べてアクセスの悪いことを考えるとあまり効果はなさそうだし、まして、不景気で車の需要そのものが冷え込んでいる中、この空港を利用する乗客が、近場はともかく東京や神奈川からはるばる遠距離をマイカ-を転がしてまでとはとても思えない。

知事は今回の『アシアナ航空』の乗り入れが決定したことを受けて『国際線需要の受け皿として役割を果たせる』と自信をのぞかせ、県幹部は『首都圏の空港と認められた』と胸をなで下ろしているらしいが、前途は多難だろう。

空港名も『茨城空港』では地方空港の一つとしか思われないので、何とか『東京』という名前を入れて『トウキョウ・メトロポリタン・イバラギ空港』とするという計画とのことだが、成田でも『東京』とはほど遠い感じがあるのに、霞が浦のさらに向こうの新空港に『東京』という文字を定着させるのにはかなり苦労しそう・・・。

県側は開港時の利用者数の目標を国内線だけで年間約80万人とかなり強気の数値設定であるが、国内で乗り入れを表明した航空会社がゼロ状態では、単に机上の空論としか言いようがない。

これから誘致できると強気らしいが、JALもANAも昨年から地方空港の不採算路線を廃止、減便しており、就航便が決まる見込みは限りなくゼロに近いのではないだろうか。ゼロで開港を迎えるとしたら、一日一便だけの韓国との路線では、年間8万人も届かないというから、県民へのツケはかなりのものになりそうだ。

静岡空港の場合もズサンな計画で、開港したら間違いなく赤字経営の連続は確実。それでも『富士山・静岡空港』という命名なので(もしも就航する会社があればの話であるが)、ひょっとすれば『富士山』という名前に惹かれて、降りてみたいと思う外国人もいないとも限らないが、『茨城』では絶望的ではないだろうか。

何でも現在日本の空港数は97もあるらしい。全てがジェット飛行機の離着陸が可能だとは思わないが、この数から推定すると民間の旅客用の飛行場のない自治体は、関東圏の数県にすぎないようだ。

まさかとは思うが、茨城空港に続いて『神奈川・横浜空港』や『日光・栃木空港』あるいは『群馬・草津空港』や『埼玉・彩の国祭空港』などの計画がないことを切に祈っている。(田舎親父)

2009年3月 9日 (月)

日本にもこんな考え方が必要では・・・

 昔から『スイス』と聞くと、我々日本人にとってはアルプスに囲まれた豊かな自然と永世中立宣言など『平和』とか『何となくおだやかな国』というイメ-ジを持っているのではないだろうか。

そんなスイスに幼い頃には憧れたものだが、実態は奇麗事だけではなく、外国からの個人の秘匿金や汚れたカネを運用することが、産業として成り立っていることなどを知るに及んでは行ってみたいほどの興味はなくなってしまった。

しかし、それでも何となく『スイス』という言葉には神秘的な雰囲気を感じる意識は残っており、『スイス発』のニュ-スは興味がある。

スイスにバーゼル・シュタット州という地域があるそうだ。その州政府が『基本的な義務を果たさない親』に罰金を科すことを決定したというニュ-スが目に止まった。

しかもこの『基本的な親の義務』というのが、子供の登校時間や食事・睡眠の管理など、日常的な項目も多く含まれているからびっくり。今どき、こんなことが親の責任だと法的に決める政府があるのだろうかと、首を傾げてしまう。

記事によると、こうした法律が生まれた背景には、同国で移民家族の生徒の父親が教師を殺害した事件が原因だという。

想像するに、移民家族というからスイスのこの地方の教育方針が家族の思想とは受け入れられないほどの隔たりがあり、日常から学校(教師)と家族の間にトラブルがあったようだ。その鬱積がたまりにたまってついに『殺人事件』が勃発、当局はその解決に相当苦労したのではないだろうか。

その結果、親と学校の関係構築の難しさと、このままでは親の意識を変えることは無理だと判断して、生徒の授業中の居眠りは早寝早起きをきちんとさせていない『親の管理責任』を問い、学校側の教育に協力しない保護者に罰金を科すという一方的な法律ができたようだ。

授業中の居眠りなどは現在の我が国の学校では当たり前のこと、これを『親の責任』など言ったらトンデモないことになってしまうが、これを法律で決めるところに『スイス』という国の本質があるのかも知れない。

当然人々の間には、『怠慢な親は一部の人々だ』とか『罰金で問題は解決しない』などという意見があり、どの国でも直面している、青少年期の子供の生活態度に親が干渉しにくい現実を踏まえた批判的な意見もあるらしいが、少なくとも6つの州が同様の罰金制度を設けているという。罰金の最高額は州によって7万8千円から39万円と、かなりの高額にも驚く。

永世中立を宣言し外国にその存在を認めさせるためには、国民一人一人の意識の高さが必要になることは想像に難くない。そのためには、スイスの教育は理想主義というか徹底した管理的教育方針と教育環境の整備が基本になっているのも頷ける。その基本は家族の強い協力しかないことも十分理解できる。

しかし、根本的にそんな教育をされていない外国からの移民の家族に、スイス流の理想主義教育の考え方を理解させるのはかなり困難を伴うことも間違いないところ。今回の罰金制度でどのような効果が現れるのか注目に値する。

我が国では『早寝早起き』とか『時間を守る』なんて言葉はすでに死語。『基本的生活習慣って何ですか・・・』などということを平気でいう親たちが当たり前になってしまっている。

経済的には十分能力があるにも関わらず、授業料も給食費も払わないで自分の言動だけが『是』と譲らないモンスタ-ペアレンツの台頭など、子どもの現実の陰で親の問題が教育の荒廃の原因と言われている我が国こそ、一度こんな法律を作ってみるのも面白いのではないだろうか・・・・、なんて真剣に思わないでもない。(田舎親父)

2009年3月 8日 (日)

こんなところにも楢山節考が・・・

 ここ数日、花粉症がでてきたようで何となく身体がだるい。昨日などは熟睡できない上に、夜中に若者たちの騒ぎ声で目が覚め、その後ウトウトして意識がはっきりし始めたのが8時過ぎテレビを見るともなく見ながらの朝食。様々なゲスト論客を招いて小沢問題を討論する形のワイドショ-をやっていた。

出演者の言っていることに新鮮味がないのでチャンネルを変えると、ここもまた同じような構成。なぜ同じようなワイドショ-を同じ時間帯にぶつけるのか分からないが、視聴率が命のテレビの世界では仕方ないことなのかもしれないと改めて思う。

ただ気になるのは、一部小沢擁護論も交えながらも世論を『検察ガンバレ』という方向に持っていこうとする意図があるのではないかともとれる発言の多さに、やはりマスコミは時の権力に尻尾を振る犬的体質があるんだと感じ危機感を持つ。

特に、通行人の一人が『国策捜査だという人たちが政権をとったら、なんでも思いのままにされてしまう』という自民党の元幹事長の発言を鵜呑みにして、得意そうに答えている姿が気になる。何人もの人物にインタビュ-したに違いないのに、この男性だけを取り上げるのは意図的では・・・。

そんなことを感じて新聞を見ると『再審議求め岩手知事が土下座 補正予算案の修正、可決で』という見出しを見つけた。岩手は小沢代表の大基盤。興味を惹かれたのでその記事を読んでみた。

記事によると、県議会で複数の県立医療機関で入院患者の受け入れをやめる『無床化』に向けた補正予算案に反対する議会側が、無床化関連費用を除いた修正案を可決。これに対し再審議を求める知事が2度にわたり議場で土下座したとある。

どうやら『無床化』を打ち出した知事に県議会が反対の決議をしたので、知事は拒否権を発動したらしいが、この御仁は『拒否権を発動する』とは言わず、日本人的情けにすがって『この通りお願いします』と土下座したらしい。

ことのはじめは、地域診療センターの入院ベッドを無くす県の方針に『医療格差がさらに広がる』『採算性よりも住民の健康や命を優先すべきだ』という人々の声だという。特に、唯一の医療機関であるセンターの無床化を示された、大迫という町から反対が大きかったとのことである。

大迫という地は早池峰山のふところに抱かれ、獅子踊りで盛んな地、私も一度訪れたことがある。ここに昨日話題にした深沢七郎の『楢山節考』に似た『姥捨て伝説』が今も語り継がれているというから興味を惹かれる。

その伝説というのは、大迫の竪沢という集落から東に向かって失水峠のふもとに、『人投げ場』と言われる場所があり、食いぶちを減らすために60歳を過ぎたら『お山』に行くというものである。

しきたりに従って息子に背負われた母親が、息子が帰り道に迷わないよう気遣い、道端の枝を手折りながらその場に向かうという悲しい昔話、まさに『楢山節考』の一場面と一致するではないか。こんな昔話が今も残っているのだから、過疎と高齢化が進んでいる土地だということは想像に難くない。

病院を統合して基幹病院にする構想は全国的な傾向。切迫する地方自治体の予算面から見ても理解できないことではないが、かといって病院をなくすとなると、今でも診療所に行くのさえ大変なのに、より遠い病院にはとても難しいことは明らか。過疎の集落の人々、特に高齢者にとっては死活問題に違いない。

その一人の『年寄りはなりたくて病気になっているのではない。無床化は国の後期高齢者医療制度と同じ、年寄りをいじめる案だ』との声は、訴えというより悲鳴に近いものがあるが、現実としての解決策にはほど遠い。

考えさせられる問題である。きっと全国の過疎の地の多くには、『楢山節考』に似た伝説が残っている集落があるに違いない。

増えつづける介護を余儀なくされた高齢者の実態がここまで社会問題となった今『楢山節考』は国民にとって必読書ではないだろうか。政府は自らの無策を反省する意味で、国民に給付金と一緒にこの本を贈ってはいかがだろう・・・。(田舎親父)

2009年3月 7日 (土)

改めて楢山節考を読んでみて・・・

 我が国では『長生きは美徳』という考え方が古くから定着し、長寿を祝う催しが全国至るところで開催されているが、最近はあまりにも高齢者が増え続けており、一人一人に提供するプレゼントの質が落ちているという記事を見つけた。

何でも、古希だったか米寿だったか忘れたが、ある自治体ではその記念に銀杯を贈る習わしだったそうだが、今までの予算ではとても同じ仕様のものはできず、一回り小さくしたというから世知辛くなったもの・・・。

一昔前は『還暦』になると赤いチュンチャンコと帽子で親戚一同が集まってお祝いしたものである。しかし最近は、60歳などは人生の一通過点になってしまったらしく、そのお祝いの話などとんと聞くことが少なくなってしまった。

私も60歳の誕生日の時『還暦のお祝い』なんて声があったが、『とんでもない。そんな歳ではないよ・・・』と強く断った経験がある。今振り返ってみると、当時は『還暦』などという言葉は自分には無関係で、遥か遠くの出来事のように思えたものである。

時に葬式に出ることもあるが、亡くなった人の年齢を聞くと大概は90歳を越えているのがこのところの特徴。80歳代でも『お若いのに・・・』という言葉まで囁かれるようになってきたほど、長寿が当たり前。60歳などは働き盛りのようにおもわれるのも無理はない。

長生きすることは『めでたい』ことには違いないが、終日ベットに縛りつけられ、しかも意識すらおぼつかないのでは、決して『めでたい』という言葉で表現できないのでないだろうか。

介護することが職業となり、行政の大きな仕事にもなっている。各地で雨後の竹の子のごとく老人介護施設が建てられているが、それでも入所の順番を待っているのが現状らしい。介護する人が不足して、フィリピンやインドネシアの若者の力を借りることが大流行。それでなければ成り立たなくなっているとのことには、何か違うのでは・・・と思ってしまう。

以前にも述べたことがあるが、私は息を引き取る前の日まで意識を持ち、出来れば自分の意志で歩けることが大切だと確信している。自分が歩けなくなり、介護される日が来ることはうっすら自覚できないことではないが、そんな想像は頭から否定し、万が一の時は決して延命処置などとらないように家族に伝えている。

『尊厳死』という自分の意志で医療を拒否できる手段が『合法的』に認められ、それを受け入れた医師の罪が問われない社会が実現すれば良いとも思っているが、『有機的』に活動できる状態より、物理的に『息をしている状態』が是という現在の『医の原理』から、簡単に実現するとは思えない。

そのためには健康が第一、健康を得る一つの方法として『自然の中を歩く』が何より重要だとこと確信して毎日の散策を欠かさないようにしており、2時間・3時間は当たり前、時には半日近くも歩き回ることが習慣になり、歩かないと気持ち悪い。

お蔭で、この歳になって初めて観る野草や鳥たちの姿に感激できる有り難さを実感しているが、時に『人間何のために生きてきたのだろう・・・』などと自問することもある。

そこで以前読んだことのある深沢七郎の『楢山節考』を改めて読んでみた。長野県の貧しい名もない村で生きる70歳になる老婆?の生き方に、現代社会が失ってしまった扶助・互助の原点を見いだし、改めて、老人問題を考えさせられた。

ここまで書き進んできたが今日は朝から眼がかゆく、くしゃみも出る。体調と頭の回転が思わしくないので、このことは後日改めて述べることにしたい。(田舎親父)

2009年3月 6日 (金)

何やらきな臭くなってきた世相・・・

小沢代表の秘書が逮捕された事件が賑やかである。民主党所属の議員たちは一応代表を変えることなく、小沢体制で一致団結を決めたと報じられているが内心はおだやかではないだろう。

事件がどのように進むのかは不透明であるが、特捜部としても今更『ゴメンナサイ 間違えでした・・・』と言えないだろうから、何らかの証拠をお膳立てして、少なくとも秘書が『黒』だという立件だけはしなければと思っているに違いない。

小沢代表の辞任につながるかは、ここ数日の動きをみなければならないが、マスコミを動員した権力からタ-ゲットとして狙われた以上、マスコミを通して、日々真綿で首を締めつけるような証拠らしき事実を小出しにされるのは想像に難くない。

西松建設絡みでは、長野の村井知事への献金も何やらきな臭い。知事の衆議院員時代の秘書がそのまま側近として県庁で幅をきかせていたらしいが、その男性が特捜部から数度に渡ってカネの動きに関連して事情聴取されていたという。

このことを苦にして自殺と報じられたが、その後詳しい報道がないのも気になる。自殺の方法も、道路の電柱の足場に綱をかけて首吊りというから凄まじい。というより、単なる自殺かどうかさえ疑わしくなってくる。

西松側から自民党の議員へ多額のカネが渡ったことも明らかになっている。小沢代表の秘書が違法と知っていて受け取った、というのが逮捕の理由らしいが、では彼らへのカネは全く問題がなかったとはとても思えない。

小沢代表に渡った金額が突出していたからという説もあるようだが、1000万円なら良くて4000万円なら『賄賂』というのは少し説得力に欠けるような気がしてならない。 

昨日になって大慌てで返却するというみっともなさにも笑ってしまうが、特捜としても一人ぐらいはバランスからも捕まえなければ国民からの批判は避けられないはず、誰かが標的になるのは間違いなさそうだ。

今のところ、まさか小沢代表逮捕ということにならないとは思うが、今日は献金は3億円だった、そして明日は『小沢氏にも賄賂という認識・・・』また『小沢氏から事情聴取の予定・・・』などと報じられたら、国民の大多数が『小沢は黒だろう・・・』と思うようになるだろう。これが恐ろしい。

もっともそれが狙いだとしたら、これはまさに国策捜査だろうが、この国の国民はマスコミ報道を鵜呑みにする傾向が強いことを考えると、民主党の中にも早晩小沢代表では選挙に敗北・・・という雰囲気がでてくるのではないだろうか。

ならば、小沢代表はここで潔く辞任してはいかがだろう。このまま辞任しては国民からは『やっぱり・・・』と思われたくないという理屈も分からないではないが、カネの問題が疑われたから、一時的に身をひき『政治資金規正法』に従って合法性を訴え、徹底的に国家権力と戦う姿勢を見せるのも選択肢としてあって良いのではないだろうか。むしろそちらの方が日本人好み、来る選挙でも票が集まるのでは・・・とも思っている。

全くの政治音痴のたわごとだろうか、マスコミに踊らされることは確実なら、マスコミが騒ぐようなネタを与えないこと。そのために早めに代表を代えて、選挙で政権交代を訴える作戦にでてはいかがだろう。

ただ、民主党もタマ不足で、小沢さんに匹敵するような決断と恫喝が可能な人材がいないことが弱点。しかし、説明責任は十分果たしたと代表を続けさせておいて、万一『小沢逮捕』などに発展したら、この党は終わり。

そうなると、国民は『お上に逆らうことは恐ろしい・・・』となり『国家権力に歯向かっては勝てない、米国を怒らせてはいけない・・・(私は小沢さんが日米安保に踏み込んだことも今回の秘書逮捕につながっているのではないかと思っているので)』という暗い恐怖心をもつようになってしまう。

私は、このことを何より恐れている。(田舎親父)

2009年3月 5日 (木)

『かんぽの宿』問題を忘れてほしくないものだが・・・

 ハトヤマ総務相の異常とも思えるガンバリで、『かんぽの宿』をオリックスサイトに極端な安値で一括譲渡する動きは一応ストップしているらしいが、以前に売却した施設が相次ぎ転売されていた問題が明らかになってきた。

入札で他社と争った企業の代表者が入札に参加したことさえ知らなかったり、活動実態のない会社が落札グループに含まれたりしていたというから、はじめからこの物件はオリックスサイドに格安で譲渡が決まっていたとしか言いようがなさそうだ。

建設や不動産業界ではこんなことは常識の範囲だととぼけているらしいが、少なくとも巨額の税金を使って建てられた公共の建造物。これを売却する以上きちんと説明がつかないのは大問題である。

日本郵政の売却リストに、実際の売却先とは異なる企業が記入されるなど、少なくとも39か所に誤りがあることも判明したというから、はじめから、早く『所有権変更』することが目的で、価格などは二の次三の次だったようだ。

『駿河ホールディングス』という、04年10月に設立され、昨年5月に解散した会社があったらしい。入札当時の代表だった男は、都内の投資会社に依頼されて取締役に就任しただけで、郵政物件の入札には一切かかわっていないというから、入札のために立ち上げられ、何らかの役が終わったので解散した会社であろう。

鳥取と鹿児島の『かんぽの宿』をそれぞれ評価額1万円で購入し、転売していた大儲けした会社があることも明らかにされている。

記事には、登記簿などによると、この会社は06年2月に186件の一括売却が行われた入札の半月前に設立されたという。現在の所在地となっている東京・銀座のビル入り口には表札が掲げられているが、会社は無人で鍵がかかったままだというから、実態はないらしい。

過去にも『出入りする社員も見たことがないし、明かりがついている様子もなかった』というから、実態はないと思われる。しかも、この会社はオリックスサイトと最後まで出来レ-スの入札競争をしたといわれる会社の子会社というからややこしい。

入札の実態がない会社がどうして過去の一括売却で計36件の郵政物件に入札できるのか、そして都合よく落札しているのを特捜は徹底的に捜査してほしい。

さらに、06年2月の一括売却のうち37件の売却先は、いずれも『リーテック』という会社と記されているが、この会社はそもそもこの時の入札に参加していないという。こんなバカな話は考えられない。

ひょっとすると、誰かが裏で操作し、落札できるように働いたのではないだろうか。となるとこれは単なるオリックスとの出来レ-スだけではなく、あらかじめ仕組まれた『大疑獄事件』ではなかろうか・・・という疑念が生まれる。

ここまで想像すると、どうも『郵政民営化』自体が『疑獄事件の幕開けのスト-リ-』ではと思えるようになってきた。アソウ首相が『郵政民営化見直し』ともとれる発言に対して、コイズミ元首相が一度は賛成した給付金法案について、欠席するとまで恫喝したのは、このあたりに危機感を持ち出したのではないだろうか。

ハトヤマ総務相の真意がどこにあるのか分からないが、日本郵政グループが進める丸の内の一等地にある東京中央郵便局の再開発にもストップをかける構えを見せたことによってこちらの問題も急浮上、マスコミが騒ぎだしているのも気になる。

『かんぽの宿』売却は、誰かが裏で大儲けをしている『疑獄事件』。しかし郵便局の建て替えは、文化財の保護という全く別問題。

郵政民営化で社長になった西川という御仁が進めていることに反対しているだけで、誰か社長になったとしても、また民営化されなくても、ゆくゆくは建て替え・再開発は問題にされることではなかろうか。

確かに、文化財的な建物を壊すのは気になるが、移築をして残すならともかく、あそこまで周りが高層化してしまった環境で、そのまま残せというのは暴論のようだ。

国民の目を『かんぽの宿疑獄』からそらすためのパフォ-マンスとは思いたくないが、民営化批判について『アソウ-コイズミ戦争』が勃発する寸前に何らかの妥協が成り立ったところをみると、裏での交渉があったのでは・・・・と思えてならない。

昨日少し話題にした,小沢代表の秘書の逮捕もタイミングという意味では、この問題とピッタリとリンクするのも何か不気味な気がする・・・。(田舎親父)

2009年3月 4日 (水)

株価が限りなく落ちていく・・・

 昨日朝一番のニュ-スは各局ともニュ-ヨ-クの株価の急落。アメリカがくしゃみをしただけで日本が風邪をひくと言われているほど影響がモロに出るのは周知のこと、この日の東京市場の動きを注目していたが、案の定、一時は前日比191円安い7088円と、バブル後最安値7162円を割り込むという前面安の展開に、やはり未だにアメリカに従属しているのだ・・・とがっくりしてしまう。

新聞記事を引用すると、週明け2日、ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は、金融危機の拡大懸念が強まったことから全面安の展開となり、前週末比で299・64ドル安の6763・29ドルで取引を終えたとのことである。

4営業日続落で下げ幅は計587ドルに達し、終値ベースで1997年4月下旬以来の安値水準に沈んだというからいつ上向きになるのか専門家でも予測が難しいようだ。

つい最近までの空前の好景気と言っていたのがウソのようである。一昨年の10月には史上最高値の1万4198・10ドルだったというから、わずか1年と数カ月(極論するととこの半年)で52%以上下落した計算になるというから凄まじい。

経済のこと、特に株価の動きなど私にはさっぱりと理解できないことばかりであるが、この株価の急落は『大変なこと』らしく、日本がますます不景気になるだろうことは予想できるから、何とか下げ止まってほしいと願う。

オバマ人気も経済界の動きを左右するほどの力はなさそうなのも気がかり。再建中の米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が米企業史上最悪の赤字決算を発表したことを受けて、金融関連だけでなく幅広い銘柄に売りが広がったとのこと、今後のアメリカ経済の早急な回復は望めそうになさそうだ。

アメリカ政府・財務省はこのAIGに、最大300億ドル(約2兆9000億円)を追加資本注入することを柱とした再建策で合意したと発表したが、AIGに対しては昨年末に400億ドルに加えると合計700億ドルという巨額になるというのに、再建のメドが果たして立つのかさえ不透明らしい。

最近テレビで目立つのは生命保険や損害保険のコマ-シャル。特に『アリコ』という会社が、なぜこんなにコマ-シャルをしなければならないのか・・・と思うほど凄いものを感じるが、親会社の動きから察すると、この際なりふり構わず金集めという姿勢が見えるようだ。

絶対に安全だと言われていたアメリカ企業だが、金融大手シティグループ、電機大手ゼネラル・エレクトリック、自動車最大手ゼネラル・モーターズなどが軒並み経営不安を抱えており、3月2日の一日だけで10%以上下落したのも不気味。

このままズルズルと下がっていくとは思えないが、金融関係が立ち直らないことには株価の安定などおぼつかないというところらしい。

一方、為替相場の動きも不透明極まりない。ドルに対して1円高くなるだけで、輸出企業は数億から数百億の損失という計算になるらしく、一時1ドル87円までを値を上げたのは日本企業にとっては大打撃。その意味で昨日などは97円と10円も円安になっているのは、トヨタを始めソニ-などの大企業にとっては有利には違いなかろうが、受注量が激減してはその意味はないに等しい。

『1ドル100円』が一番計算もたやすくて良いと思っているのは私の勝手な理屈だろうが、毎日『1円』というより『○○銭』という通用しない単位の額で、一喜一憂しなければならないシステムを何とかできないだろうか・・・、と無理なことは十分承知しながらも願う昨今である。

ところで、昨日民主党の小沢代表の秘書が逮捕された。この情報は以前からネットに流れていたが、予算案を通すことに合意した時点に合わせての逮捕は、タイミングが良過ぎる気がしてならない。

うっかりしたことは言えないので、今日はこの話題は取り上げないが、権力の維持に必死になっている部隊が、我々国民を巧みに陥れるような細工をこのタイミングに合わせて実行し始めたのではないだろうか。(田舎親父)

2009年3月 3日 (火)

放置(盗難?)自転車が目立つが・・・

 つい昨日『おめでとう・・・』と挨拶したように思えるが、はや弥生3月。今年のカレンダ-が2枚なくなってしまった。 

 時の過ぎ去る速さに驚いているのは私だけではないと思うが、それにしても今年もすでに残りが6分の5、いつも言っている『気がついたら棺桶の中』というナンセンスジョ-クが本当のように思えてしまうほどである。

 先日、最新式の万歩計を購入してここ数年続けている歩きに、ますます気合を入れているが、『なぜこんなところに・・・』と思うほど、至るところで自転車が放置されていのに気付く。

 明らかに盗難されたと思われる自転車が放置されていると、気の毒になって何とか持ち主に戻して上げようとは思うものの、わざわざ警察に行って届けても相手にされないだろうと思うとその気もなくなり、ついついそのまま通りすぎて行くのが現状。

 中には鍵もかけられずそのまま乗れそうなものがあり、私が乗り回して、持ち主が『私のだ・・・』と気付いてくれるのを待つのも面白いと思うものの、そんなことをしてはたちまち御用となってしまうことを考えると、その勇気もでない。

 一層のこと、放置された自転車は勝手に乗って良い・・・という条例でも作ってくれないか、なんて思うのも度々だが、そんなことをすれば今でも多い自転車ドロボウをますます多くすることになると思うとできない相談だろう。

 が、このままにしておけば結局はいつか誰かが行政に通報するか、時に気まぐれと思われるほど偶然に行われる不法投棄のごみ収拾を待つしか方法がないのが残念でならない。

 そんなことを漠然と思っていると、昨日の新聞に北海道のある自治体が、放置自転車を公用車に転用という記事を見つけた。

 記事によると、この市では、条例で決められている駅前などの『放置禁止区域』などから撤去して、その後6カ月間保管し、持ち主が現れない場合、売却、または処分されている自転車を公用車として、職員の足に利用しているという。

昨年度は469台を撤去。所有者の現れた124台が返還され、残る345台のうち、市が公用自転車に再利用するため19台を引き取ったとのことであるが、実際に利用されたのが昨年秋からこれまでに、たった46回、5ケ月で一台あたり2回強というのではほとんど利用されていないといっても差し支えなさそう。折角のアイデアが生かされていないようだ。

 この役所の管内が坂道が多いのでは、と想像しているが、職員としても何となく放置自転車を乗っていて、持ち主から『泥棒』呼ばわりされたちないという心情があって、ついつい乗りそびれてしまうのかもしれないとも思ったりする。

 しかし、このアイデアは捨てるのはもったいない。そこで『放置自転車です』と一目で分かるようなステッカ-をつくり、職員が乗り回すと同時に、鍵をつけず市内の適当な場所に放置しておき、見つけた市民が誰でも乗って良いというのはいかがだろう。

 もしも、そんな自転車が山の中で見つけたら、私なら遠慮なく利用すると同時に、持ち主の目に止まるように街中まで乗ってくるだろう・・・なんて空想して楽しんでいる。

 どの自治体でも駅前の放置自転車の対策に頭を痛めているという。歩行者から見たら迷惑この上ないものだが、自治体としてもうっかり撤去すれば問題にならないとも限りないので、撤去にも数カ月待たねば腰を上げないのが現状。自分でも面白いアイデアではと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年3月 2日 (月)

問題のある親が多いのが現状なのに・・・

 先日文科省から『携帯電話』について衝撃的なデ-タが発表された。が、果たして鵜呑みにできるだけの信頼性には疑問が残る。

この調査は、昨年11~12月、全国の小学6年、中学2年、高校2年の計約1万7000人を対象に実施、約1万500人が回答したといいうが、どのような方法で被験者を抽出したのか明らかでない上、ひょっとして指定校など都合の良い学校に命令して行ったことも考えられるからである。

それはともかく、中学生の約2割が携帯電話で一日にメールを50件以上もやり取りしているというのは物凄い数値。『一日に100件以上』という中学生も7%というのも凄まじい。

が、『親がよく理解していない現状も浮かんだ』という結論めいた言い方は、今まで多くの人が指摘し、学校関係者なら常識に値する事実、いまさら文科省が言い出すとは、無責任としか言いようがない。

(結果の一部を引用する)小学生が24・7%、中学生が45・9%で、高校生は95・9%とほぼ全員だった。携帯電話で一日に50件以上メールをやり取りすると答えた小学生はわずか2・4%だったが、中学生は19・5%、高校生は13・9%。一日のメールが30件以上という児童生徒のうち、午後11時以降に寝るという小学生は64・3%、中学生が74・8%、高校生では87・1%だった。
 さらに、中高校生の約7割が、迷惑メールやインターネット掲示板に悪口を書かれるなどのトラブルを経験。逆に3割がネット掲示板に悪口を書いたり、チェーンメールを送っていたことも判明。高校生の約2割が授業中に携帯電話を使用したことがあった。
 一方、高校生の約4割で利用経験のある自己紹介用携帯サイト「プロフ」について、「聞いたことさえない」という親が4割にのぼり、親が携帯電話やインターネットの機能やサービスを理解していない実態も分かった。(引用終わり)

この結果から、文科省は『家庭でのルール作り』を呼びかけているというが、呼びかけに応じる親なら、とっくの昔にこんな問題はなくなっているはず。親が自分の子どもでさえ指導できない現状こそが問題であって、このことをどうするのかが全く示されていないのが気になる。

文科省の『親の認識を高めることが、子供への携帯の適切な使い方指導につながる』と指摘は間違いでないが、ではどうして認識を高めるかと言うと全くの無策、結局は学校で指導しろ・・・という無責任さはいつもの通り。

新聞社もこぞってこの調査を持ち出して、社説などで『子どもに携帯電話を持たせる前に、親も携帯電話を取り巻く環境をよく勉強することが必要』ということを述べているがそんなことは当たり前なのに、今更何を言っているの・・・という感じ。

そして、決まって『学校が親と連携し、携帯を持つ前の低学年から指導に力を入れてもらいたい』と結んでいるが、結局は学校で指導するしかないという主張は納得できない。

方や『学力低下』があたかも学校・教員の質が落ちたからだと指摘しながら、本来ならば親の責任である『躾』まで学校に責任を持たせるのは(あえて差別用語を使うが)『片手落ち』。

ならば教員の数を増やすなり、質の向上につながる本当の意味の『研修』や、時にはのんびりと趣味を楽しむ『ゆとり』など与えて、教員が職務に自ら喜びを持って邁進できる環境を作る必要があると思うのは私だけだろうか・・・。

ところで、最近『ドケルバン病』という病気が増えているらしい。わたしも初めて耳にするこの病名は、親指を酷使することにより起きる腱鞘炎の一種で、手首の親指側が腫れたり、赤くなったり、熱をもったりして痛みを感じる病気だというから、まさに『携帯依存症』の人がかかる病気だと言っても良いようだ。

子どもに携帯に無関心な親でも、『メタボリック症候群』という言葉には敏感に反応するかもしれない。

親が自分の子どもに『携帯の負の部分』を教えるのは難しいのなら、むしろこの『ドケルバン病』という病気が大変さを大袈裟に宣伝し、携帯でメ-ルをすることが恐ろしい結果につながるということをもっと意識づける方が早道かも・・・となんて思ったりしているが・・・。(田舎親父)

2009年3月 1日 (日)

面白い市長がでてきたものだ・・・

 1月中旬だったと記憶しているが、自分の個人ブログで市議会議員の人気投票をした市長が存在するというニュ-スには正直びっくりした。

鹿児島の阿久根という市の49歳の市長である。この御仁は自らのインターネットのブログで『市議会不人気アンケート』として市議15人全員の実名を挙げ『最も辞めてもらいたい議員は?』との質問を設けて、ネット投票を呼び掛けたというから前代未聞。しかしなかなか思い切ったことをする方だと拍手を贈りたくなる。

これには市議たちは驚いたと同時に怒りが震盪したらしく、早速『市長不信任決議案』を議会で審議、全員一致でこれを採択した・・・というから、党派を越えて市長のやり方には我慢できなかったようだ。

市長はそんなことは折り込み済みで、すぐに職権で議会を解散。出直しの市議会議員選挙が今月末に行われるとのこと、結果が注目される。

さらにこの市長は先日、市役所の全職員268人の給与も名前を伏せて1円単位まで公開したのにはびっくりを通り越して大拍手。

その資料を見たが、たった2万数千人の地方都市の職員の2割以上が、年収が諸手当を含めると700万以上と大会社でも課長クラス以上の報酬。500万円以上となると、それこそウジャラウラジャいるからぶったまげる。現在、巷では職を失って明日の生活さえ明るさがないという人が多い中、恵まれすぎであることは間違いないだろう。

この市長は経歴も異色。地元の高校を卒業後、国立大に合格したが入学辞退して航空自衛隊に勤務しながら防衛大に合格したというからかなりのガンバリ屋には違いない。ただ幹部候補生として5年間勤務した後、帰郷して地元の建設会社に就職したというところから推察すると、幹部候補生としてはあまり優秀ではなかったようだ。

多分に一匹オオカミ的な性格が邪魔したのだろうと推察している。その性格が仕事で初めて役所に行ったら、仕事せずに態度だけデカい役人ばっかりだという事実が許せなかったのではないだろうか。

頭にきて、批判のビラを配りながら4年前に市議になったというが、その議会がもっとひどく、視察と称する北海道慰安旅行を拒否したら問責決議にかけられたという。だいたい視察や研修と称して行う出張は『官の世界』では似たようなもので、私も研修旅行を拒否したで干された経験があるので、市長の憤懣はよく理解できる。

この市のサイトを見て知ったことであるが、たった2万人あまりの小さな地方都市で、市長の言によると、市民の平均所得が200万円程度というのに歳入の総計は100億円以上というのは少し多過ぎるように思える。この町にはかなりの産業があるのかもしれないが・・・。

このあたりが、親方日の丸体質を継続してきた原因だと想像しているが、それにしても、人件費だけで20億円というのでは住民サ-ビスなど行き届かないのは当然のこと。このままこの体質が続けば早晩夕張の後追いをしかねないのでは・・・。

年俸を公表された職員はきっと動揺しているだろう。この時ばかりは管理職も組合と一緒になって市長にブ-イングを浴びせているのだろうが、あからさまに動くと市民の黙っていないだろうことは理解できる。仕方ないので、ここは息をひそめて出直し市議選の結果を見つめているといったところだろう。

出直し市議選で現勢力が過半数をとったら、すぐ市長解任となることは明らか。その場合、市長は出直し市長選に立候補すると明言しているから議会と市長との確執は今後果てしなく続くのではないだろうか。

そうなると、肝心な市民さ-ビスが疎かになるのは避けられない。マスコミは例によって面白おかしく報道し、市長には毎日1000通もの激励メ-ルなどが届いているというが、市長を選ぶのは市民。市民の判断を見守りたいと思う。(田舎親父)

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