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2009年5月 6日 (水)

子どもの健全な成長を願って・・・

 陰陽説から来ているのだろう(と想像している)が、昔から奇数は『陽』、偶数は『陰』と考えられており、奇数が重なる日を特別の『ハレの日』として、それぞれの意味こめてお祝いをする日となっている。

1月1日は『元旦』で全国の全ての人々が対象。3月3日は『上梓の節句』で女の子の成長を祝い『雛』を飾る。5月5日は『端午の節句』として男の子が勇気ある健康な大人に成長するようにと様々な飾り物をつくってお祝い。

7月7日は『七夕』で全ての人々が幸せを天に願える日。9月9日は『重用の節句』として、健康で長生きを願うお祝いとしているのは周知のこと。

11月11日が特にないのは、昔は1から9までしか数字の概念がなく、9が最高の数字とする考え方だった名残だろう。実に日本人らしい感性ではないだろうか。それぞれの立場で互いを尊重し、助け合いながら生きてきた歴史があった。

昨日5月5日は5が重なる『ハレの日』。

富裕階層の人々は大空には勇壮な鯉のぼりを泳がし、家々では武者人形を飾り、ショウブ湯を立てて男の子の成長を祈念しただろうし、貧しい人々はそれなりにお祝いをしたと考えられている。

一般的な家庭では、兄弟か多かったせいもあろうか『柱のキズは一昨年の、5月5日の背比べ・・・』と歌われたように、家族で子どもたちの成長を確認しあい、ささやかなお祝い事をしていたはず。我が家にもそんな柱のキズがあったことを思い出す。

昨日のニュ-スは全国で子どもたちの成長を祝う様々な行事を紹介していた。伝統を守り集落で子ども達の成長を願う。見ていても微笑ましい行事も多かったが、全体的には人集めが主体のイベント的な催しが多いのが気になる。

私の見方が偏っているのかも知れないが、この背景に流れる考え方は、『伝統』を守るといいながら子どもを『楽しませる』ということが第一義で、本当に心身ともに健全な成長を願うという、本来の『ハレの日』の意義が薄れ、むしろ子どもに媚びる』大人の姿がかいま見え。

そんなことを考えながら、最近の学校や教育に関する報道を眺めると(このところたいしたことでもないのに)本気で子どもたちを叱る教師を排除したいのではないかと思われる記事が多いように思えてならない。

先日、公立高校の教師がその都市にある他の高校の教師たちはいっしょに、駅前で子どもたちの服装や態度の指導をしていた折り、制服指導に違反した男女生徒15人に腕立て伏せをさせていたという記事が、あたかも『これが体罰の実態・・・』というような含みをもった表現で報じられていた。

お節介の大人がいて、教育委員会に通報でもしたのだろう。新聞社にも連絡したのかもしれない。それが議会で問題になったらしく、例によって教育委員会は『人権上の配慮が足りなかった』と謝罪したという。

複数の高校は教師は互いに話し合い、生徒たちとも納得づくで、違反すれば校内で『腕立てふせ』か『清掃活動』を選択できるようにしていたようだ。何か小学生の遊びのように思えるが、最近の高校生の実態を考えると、こんな決まりをつくらなければならない高校も大変だと理解できないわけではない。

その日注意された生徒は、腕立て伏せ選択したらしい。これは私の想像だが、生徒たちは『先生ここでやってもよいか・・・』とでも問いかけた・・・?。教師は他校の生徒だったこともあって『いいぞ・・・』と気軽に答えたというところではないだろうか。

それを見て、前述のように『人権侵害』だと騒いだ大人がいたようだ。校内で目立たないようにやらされるより、人前でアピ―ルできる方が面白いと思うのは現代っ子気質。彼ら自身には『体罰』だなんてこれっぽっちも思っていないのではないだろうか。

全てが『人権侵害』で反対。『話せばわからない』から教師たちは知恵を絞って対策を立てているのに、これを頭から否定されたらこれはやりきれない。

この程度の指導もできないとなると遅刻やだらしない服装や態度を注意できなくなり、生徒たちは勝手次第。叱ることすらできないとなると、まさにことも達の健全な成長など絵に描いた餅ではないだろうか。

もう一つ、ある中学校の校長が何度も指導したにも関わらず遅刻を繰り返す子どもたちに対して、校長室に呼んで『遅刻はしません』などと記した誓約書に署名させ、母印を押させていた、ということが大問題になっているらしい。

このことを知った教員が『威圧的な行為で驚いた。生徒指導の範囲を越えている』と騒ぎだしているというから、学校としての基本がおかしいのではないかと思ってしまう。もし校長の態度が威圧的云々と言うならば、日頃の自分たちの指導がどうだったのか反省の一つでもしてほしいものだと思ってしまう。

もっとも日頃から校長と教師間の信頼関係が希薄だったのだろうが・・・。それにしても、校長としても、進んで俺に任せろ・・・と乗り出したわけではあるまい。教師の態度があいまいで、遅刻がなくならない野に業を煮やして強権発動したのだろう。

拇印を押させるのは行き過ぎだというが、この書面を廊下に張り出して見せしめにしたとしていたら別だが、常識的にそんなことはしないだろう。

いわば、校長と子どもたちとの暗黙の約束だと思えば何ら問題もないはず。こんなことで『体罰』だは騒ぎだし、教師と校長がいがみを増幅させるなど、まさに『ナンセンス』といわざるをえないと思うのだが・・・。(田舎親父)

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