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2009年6月

2009年6月30日 (火)

やっと変化が出始めたようだ・・

 静岡県知事選や都議選について、結果次第によってはアソウ首相の退陣要求が激しくなるだろう・・・と連日お祭騒ぎのような報道が続いているが、(私が知らないだけで、注目されていたのかも知れない)横須賀の市長選挙についてはほとんど騒がなかったような気がする。

ここ数日『繭のパウダ-』作りに夢中になる日が多く、横須賀で市長選挙があったことなど全く知らなかったが、昨日朝刊に『現職を破って33歳の新人が当選』というニュ-スにビックリすると同時に若い人教育躍進に大拍手。

ゆっくりとその記事を読んで見る。横須賀といえば、国民的人気を得ていたあのコイズミ前首相のお膝元。市長もいくら革新系の人が挑戦しても牙城を崩せないのが今までの例で、ずっと官僚出身者が占めていた。

マスコミもそのあたりを読んで、どうせ現職の勝ちだろうと・・・と予測して騒がなかったようだ。ところが市民の多くはそんな沈滞ム-ドに嫌気が生じていたらしく、33歳という若さに変化を求めたようだ。

当選した吉田という青年は過去2回の市議会選挙では毎回トップ当選を果たしていたというから、横須賀では知名度と市民の信頼度は抜群に違いないだろう。市民に評価されている実績は上げているはずだから、今後横須賀は変わるだろうと期待できそうだ。

現職の市長は、珍しく自民・民主両陣営から推薦を受けていたという。何故民主党が推薦しているのかわからないが、このあたりにも市民の、特に無党派層の『何か変だぞ・・・』という感情があったのではないだろうか。それにしても民主党の市政が不可解。

確か、小沢前代表は『相乗りは絶対しない』と言っていたはずなのに・・・。あまり積極的な推薦でないようだから、裏にはいろいろと深い事情としがらみがあっただろうと想像しているが、今回の結果は民主党としては大失点。

党内には『やはり、相乗りしなかった方が・・・』と悔やみと、支持者の中には推薦を決めた幹部たちに怨嗟の声が広がっているのではないだろうか。

この選挙結果の記事で一番興味が深いのは、超人気者である(あった)コイズミ前首相が何回も現職の応援に街頭に立っていたというくだりである。

前回の衆議院戦況の光景を思い出す。コイズミが来た・・・というだけで十重二十重の民衆がまるで熱に浮かされたように聞きほれている映像が繰り返し流れたもの。中には『ジュンちゃ-ん』なんてオバサマ族の黄色(というより黄土色かな)の声まで渦巻いていたことは記憶に新しい。

当時のような何かカリスマ性はなくなったとはいえ、それでもコイズミが来たとなると大変な聴衆が集まったことは想像に難くない。現職陣営は気分をよく、大丈夫という感触を受けたのではないだろうか。そこに油断というか気の緩みがあったのかも知れないが、吉田陣営はそのあたりを冷静に分析して、徹底した『無党派』を押し出し市民の共感を得たようだ。

自民が推す現職と民主が推薦する新人だった千葉とは全く違った展開。千葉は政党間の戦いという展開だったに比べ、今回は市政に対する『保守』と『改革』という図式。むしろ、現職を民主党が推薦したことに反発、民主党支持者の多くが吉田氏に票を入れたのではないだろうか。

ここまで書いてみて、コイズミ氏が街宣車の上で演説しているとき、推薦している民主党の市議なり県議たちはどうしていたのだろうと素朴な疑問がわいてきた。

推薦しているからには、応援演説をしていた民主党員もいたはずなのに、コイズミ演説を批判もせずに、指をしゃぶって聞きほれていた・・・なんてことになると、民主党にとってはマイナス以外何ものでもない。

今回の結果で、コイズミ氏の三男が後継として立候補する今度の衆議院選挙が面白くなりそうだ。コイズミ氏が何回も街頭に立って現職を応援したのに結果的に破れたことを、コイズミ陣営がどう分析するのだろう。

方や民主党推薦の候補は人気がある弁護士だそうだが、はたしてどうなるだろう。市民が『吉田市長がやりやすいのはどちら・・・』という新しい判断基準で選ぶと思わない番狂わせがありそうだ。

その意味でも早く解散してほしいと思っているが、最近の情勢をみると自民党内には、また顔のすげ替えを求める声が大きくなっているとのこと。下手すると解散の前に総裁選というまたまた茶番がはじまるのではないだろうか。

33歳の市長誕生は、昨日の朝の天気のように気持ちよいニュ-スだった。(田舎親父)

2009年6月29日 (月)

やはり安全を隠れ蓑に天下り・・・

 自転車の3人乗りを禁止したとたん、ママたちの猛烈な抗議で方針を一転し、一定の安全基準を満たした新型車に限り幼児二人が同乗しても良いことになったことに対して、去年の今頃に皮肉をこめた意見を掲載した。

あれから1年、いよいよ幼児2人を乗せても構わない『3任乗り自転車が』が7月1日から解禁されるという。自転車業界はチャンスとばかりいろいろと付加価値をつけた安全(そうな)自転車を作り売り込みに力を入れ始め、先週末の新聞の折り込みの中には『新型3人乗り認定車』の広告ビラが入っていた。

ところが、その新型車の認証などに関係する六つの公益法人のうち五法人に計十五人の旧通商産業省や警察庁などのOBが天下っているというから、やはり裏で・・・と、簡単に聞き逃すわけにはいかない。どうも、危険だからという理由で3人乗り禁止をはっきりさせたのも、ママたちの反対に対して条件つきで3人乗りを許可したのも、このためだったようだ。

今思うと、ママたちの反対ははじめから折り込み済みで、それを実にうまく利用して、ママたちの意見を尊重したかのように見せかけ、実際には『認可』という実をとったというところのようだ。いや警察畑にはなかなかの策士が存在するようだ。

三人乗りが認められる新型の自転車には、強度や安定性など六つの要件が求められるという。要件を満たさない自転車で三人乗りをした場合、都道府県によっては指導や警告の対象となることがあるというから、ママたちは仕方なしに認定自転車を購入しなければならなくなるだろう。まして、従来(不許認可)の自転車で事故時あれば大々的に報道するだろから、世の中も『認可』を『是』という雰囲気になることは間違いなさそうだ。

認定をする機関にはかなりの権限かあるのは言うまでもない。権限があるところには必ず利権が発生するのは世の常。警察畑のこの策士は、まず、危険だから『3人乗り見直し』を唱え、次にはいろいろと理屈をつけて『安全な自転車に限って・・・』という条件をつけ、そこに認可・認定する仕組みを作ったという筋書き・・・。

メーカーは、新型の自転車を、『日本車両検査協会』か『自転車産業振興協会』という二つの財団法人に検査費用を支払い、安全性を認めてもらわなくてはならない。認められれば、『社団法人自転車協会』が発行する『BAAマーク』や、『財団法人製品安全協会』の『SGマーク』のシ-ルを張ることができるというから、なるほど美味い仕組みである。

それにしても『天下り』が狙いだろうが、よくぞいろいろな名前の法人組織を作っているものだと呆れる前に感心してしまう。

認可が必要となれば、当然価格に跳ね返る。以前にも書いたが、少しでも血の通った役人が責任者なら、今乗っている自転車と『交換』という程度の気配りができるだろうが、庶民の生活とは縁のない輩がやること、こんな配慮は期待できそうもないとない。どこまでこの国の役人たちは庶民イジメをすれば気が済むのだろう。

安全な自転車については反対がしにくいが、その安全な自転車であっても、転ぶと大変なことは変わりない。繰り返しになるが、安全とは乗る人の技術と心構えだということを忘れてはならない。と同時に、安全性の高いからといって事故が減るわけではないことを肝に命じたいものである。(田舎親父)

2009年6月28日 (日)

すっかり厚労省を信用しなくなっているのでは・・・

 あの大騒ぎは一体何だったのだろう。メキシコやアメリカからの到着便に係官が乗り込んで乗客に対して検疫を実施していたが、そんなことで豚インフルのウィルスの上陸を完全に防げるのだろうかと醒めた見方をしていたことを思い出す。

案の定というか、当然のことだろうが、成田の検疫で引っかかった人たちはほとんどいなくて、およそ関係ないと思われた神戸で発症。一体、厚労省は何をやっているのかと各方面から非難が集中したのも随分昔のように思える。

『発熱外来』などと言う聞き慣れない言葉の『窓口』をつくって、インフルエンザの症状が疑われた場合は、掛かりつけの医院や病院ではなく、そこへ行くように指示したが、そこでは待合もテントの中では、かえって感染が進むのではと思ったものである。

医師、特に開業医としては厚労省からこの処置を通達されたものだから、インフル感染が疑われる外来患者の診療を拒否するのは当然だったろうが、医者が診療を拒否するのは納得いかない、とこれまた非難が始まる。

国民の声が大きくなると、大臣が『診療しない医師がケシカラン』なんてことを言いはじめたのにも驚くが、あまりにもブレまくった対応には呆れる思いだった。

現在でも『豚インフル』に感染したというニュ-スは時々流れるが、世間の反応は、過去のものとばかりすっかり覚めている上に、症状が軽く毎年流行するインフルエンザと比較してもたいしたことがないということから、我関せず・・・といったところのようだ。

厚生省は名誉挽回の意味があるのだろうか、今秋にも予想される新型の『豚インフルエンザ大流行の第2波』に備え、医療対策や検疫態勢の見直しを検討していることが新聞に掲載されたが、あまりにもブレまくった対応を見ていると、どこまで効果が上がるかさえ疑わしい。

見直し案によると、発熱など感染が疑われる症状がある人を最初に診る『発熱外来』を原則『廃止』、検疫態勢を『縮小』する方向だというから、当時のあまりの慌てぶりの自己批判なのかも知れないと笑ってしまう。

それでも厚労省(だけではなくどの省庁も同じだが)は国民に簡単に『ゴメンナサイ』という言葉は出したくないと見えて、患者の増加で特定の医療機関に診療が集中し『医療態勢が崩壊』することを避け、『重症者に力点』を注ぐ対策に切り替えるのがねらいだという、言い訳めいた言葉をつけている。

『発熱外来』にこだわらず、原則的に広くすべての医療機関で患者が診察を受けられるようにすることは当然だろう。重症患者は必要があれば入院できるが、軽症患者は入院させず、自宅療養させるというが、これも当然。

現行では、感染の疑いのある人全員に遺伝子検査を実施しているが、感染が広がってしまうと、必要性は薄れるとの理由から、遺伝子検査は一部に限り、患者の集団発生の早期確認に重点を置いた態勢へ切り替えるらしい。

検疫態勢も通常の検疫に戻す方針だという。これもWTOが世界的大流行(パンデミック)を宣言したため海外から日本への感染者の流入を阻止するのは困難という言い訳が頭についているのも、役所らしいと思えば当然か・・・。

遺伝子検査というものがどんなもので、それに要する費用がどれぐらいかかるのか知らないが、『豚インフル』に対して決定的な治療方法があるならともかく、現在はワクチンもままならないらしいのでは、遺伝子検査をしてまで『豚インフル』を見分ける必要があるのだろうかと素朴な疑問を持つ。

見直しは結構だが、今回の大騒ぎをもう一度きちんと総括して、『行き過ぎがあった』とはっきり声明を出さないと、オオカミ少年ではないが、万一、今秋流行するだろう『豚インフル』がより大きな感染力と殺傷力を持ったものなら、またまた対応がブレまくり、混乱が大きくなることは間違いなさそう。

また、ワクチンは、7月中旬から来年2月まで製造しても3320万人分しか確保できないため、感染すると重症化しやすい疾患の患者と医療関係者から接種するというが、地球上の圧倒的多数の人々には行き渡らないことは周知のこと。しかも次の『新型インフル』にはあまり効かないとなると無駄のような気もしないでもない。

『豚インフル』が爆発的な流行しているインドネシアなどの国は、患者の症状などの情報をもとに先進諸国の大企業が『強力なワクチン』を作ったとしても、価格が高過ぎて自国民にはとても配れないというので、情報を出し渋っているらしい。これも理解できる。むしろ、総数1億人の日本でこの数は十分ではなかろうか、とも思ったりする。

『豚インフル』には頼らず様々なウィルスに打ち勝つような生活習慣をつけることが先決ではないだろうか。

厚労省は、そのための有効な具体的な指針を打ち出す義務があるのでは・・・。(田舎親父)

2009年6月27日 (土)

今度は『大企業連合大学』構想とは・・・

 悪名高い?中央教育審議会がまたまた変なことを言いはじめているようだ。

職業教育に絞った『新しい大学』を創設する方針を打ち出したとのことだが、この人たちはどこまで大学の数を増やしたら気が済むのだろう。あまりにも増やしつづけた結果、学生が集まらず、募集を打ち切る大学が出ていることなどご存じないのでは・・・と思ってしまう。

教育のエキスパ-トを自認している委員のセンセイ方が、そんな現状を把握していないとはとても考えられないが、新しい大学構想は、教養や研究を重視する今の大学・短大とは別の、その名も『専門大学』とか『職業大学』などという陳腐な名称の高等教育機関を新設するのだそうだ。

中教審での議論は、就職しても早期に仕事をやめる若者が増えていることや、かつてと仕事内容や雇用構造が大きく変わったことから始まったようだ。この過程で、一般(教養)教育や研究に多くの時間を割く、これまでの大学と目的が異なる新たな高等教育機関の設立が具体化してきたとのことであるが、狙いは他にあるに違いない。

新聞記事によれば、これまでの議論として新たな教育課程は、実験や実習など仕事に直結する授業に重点を置き、その割合として4~5割を当てるという。さらに、『関連する企業』での一定期間のインターンシップを義務づけ、教育課程の編成でも『関連する企業』などと連携するとのことだが、『関連する企業』との表現が気になる。

『関連する企業』とは大企業であることは明らか。そのような企業の社内教育を、名前だけは『大学』と称して、『国の教育制度』として打ち出すと解釈しても差し支えなさそうだ。要は、企業の持ち出しだけで、カネがかかる上に儲けが還元できない社内教育を大学という名を頭につけることにより、国に請け負わせさせる制度のようだ。

中教審の中には『現行の大学にも多様性があり、議論は尽くされていない』と早期の結論を否定する委員も存在するというのが救いであるが、結局は、国家の発展は経済の進展以外に考えられない・・・という大企業の発想に押されてしまうのではないだろうか。

規制緩和によって『株式会社立大学』も現れているらしい。先日の新聞には当初の見込みと違い学生が集まず、閉鎖に追い込まれている大学ら現れはじめているとの記事があったが、どうもそのことと今回の東進とは何か引っ掛かりがあるのではないかと思えてならない。

『○○株式会社立』となると、卒業後はその会社に縛られるような雰囲気を感じて学生が集まらないのなら、大企業に就職できるという『エサ』をチラつかせた『大企業連合立大学』として、国が正式に認めて募集すればという安易な発想のようにも思える。

大学というのは『人間を磨き自分の生きる道を真剣に学ぶ場』だと言うと、お前はヒヨッコと揶揄されそうだが、私はこの考え方が正論だと信じている。

しかし、むしろ社会全体が『大学とは将来のための先行投資』という雰囲気が広がり、就職に有利だとか、富や栄光を求めるための存在にしていると考える人が多くなっている現実に危ないものを感じてならない。

こんな大学が新設されると、今でも一流大学から三流どころか五流も六流もと区別され差別されているのに、さらにその差が広がることは明らか。

年齢の早い段階に、所謂点数で表せることのできる『学力』で進路を決められる若者の心が荒むことは間違いなさそうだと危惧している人も多いはずだと信じたい。(田舎親父)

2009年6月26日 (金)

車内に置き去りにされた子どもが哀れ・・・

 親が幼い子どもを炎天下の駐車場に車を止めて、車内においてパチンコに興じている間に熱中症で死亡する。毎年必ず数件は報じられる事故(事件)である。

 新聞を読まないのか、それともテレビは歌やお笑いタレントたちがギャ-ギャ-騒ぐ番組専門で、ニュ-スなどは見ないのだから仕方ないという傾向もあるだろうが、少なくとも親ならば(この種の事件の報道を目したら)同じようなバカな行いはできないはずなのに、最近の世の親は子どものことより自分の刹那的な快楽が大事なようだ。

 パチンコ屋の駐車場ではないが、今年最初の同じパタ-ンで子どもの命が奪われるという悲しい事件が発生した。場所が自宅の駐車場というから俄には信じられない。

 一家は午前5時ごろに旅行から自宅に戻ったとのこと。事件発生が日曜日というから、土曜の高速料金が1000円という変なシステムがこんなところにまで影響しているのでは・・・と全く繋がりのないだろうことが頭をよぎる。

自宅に戻った段階では幼い子どもはチャイルドシ-トに固定されて寝ていた状態だったようだ。親は『起こすのもかわいそう』と、そのままにしておいたという。ここまではよくある話で、辻褄もあい仕方ないとも思える。

 しかし、『昼過ぎに見に行ったらぐったりしていた』という部分から話が奇怪しくなる。1歳と生後11ケ月の兄弟だという。記事にはないが、夜を徹して運転して一国も早く自分たちが眠りたかったようだが、7時間もほったらかしていたとは信じ難い。

 記事には、この日新潟の内陸部では気温が30℃近くなり、7月下旬の暑さだったとある。現象的には、暑さが原因で熱中症になったことは間違いないだろうが、ほんの少しの親心があれば、熱中症など起こさなかったはず。親の責任を指摘するのが先だろうと思うが・・・。

 『こんなことになるとは思っていなかった・・・』と弁解しているだろうことは想像できるが、こんな言い訳を口にすること自体情けない。もしこんな言い訳が通用するようになったら、親の存在は一体何なのだろうと、きわめて初歩的な議論を始めなければならなくなる。

 最近、車を必要としない若者が増えているというが、反対に自分の部屋と車とが区別できない人間もかなり存在するらしい。時には車からおりる時に汚れた履物を出して、わざわざ履き替える光景に出会うと、なるほどこんな連中のことかと頷ける。

 この親も、この類の人間だったのではないだろうか。まさか、車を運転している時は自動的にエアコンが聞いているので、エンジンを切ってもその延長だと勘違いしているとは思いたくないが、車の中と自分の部屋とがダブってしまい、車の中も部屋と同じ環境だと勘違い。だから安全だという心理が常時働き、子どもたちにもきっとも安全だろうとの思い込みがあったのではないだろうか。

 それにしてもどちらか一方の親が、ほんの少しの普通の神経を持っていたら起きなかった事故(事件)であることは間違いなさそうだ。

 子どもたちがそのまま安らかに意識がなくなり死を迎えたとは思えない。途中で目が覚めたはずだろう。親を探して動こうとしてもチャイルドシ-トに固定されているので動けない。恐らく泣きわめいていたに違いない。

 そんな光景を思うと、哀れで仕方ない・・・・。(田舎親父)

2009年6月25日 (木)

これも『エコ』とはほど遠いコンビニ業界の争い・・・

 先日、ニッスイに『改善命令』を出して、なかなかやるな-と思わせた『公正取引委員会』。今度は傘下の加盟店が消費期限の迫った弁当やおにぎりなどを値引きする『見切り販売』を不当に制限したのは独占禁止法違反(優越的地位の乱用)に当たるとして、コンビニエンスストア最大手セブン-イレブン・ジャパンに『排除措置命令』を出したというニュ-スが大きく報道され大騒ぎが続いている。

 コンビニでは(誰かが基準を作っているのだろうが)作ってから一定時間が過ぎた弁当などはすべてを廃棄処分にするらしい。一時は、廃棄する前に路上生活者支援のNPOなどに回すということもあるらしいが、どこかからの横やりが入ったらしく、現在ではそんな話は聞こえてこない。

 確かに、安全・安心という面から考えると『食中毒を起こす恐れ』がある食品を廃棄するのは当然かもしれないが、ある時間がきたら突然『食中毒の恐れ』というのは変な話でおよそ説得力はない。

 全世界の中で10億人もの人たちが、日々満足に食料が得られないと報じられている現状で『食べられるものを捨てる』というコンビニのやり方(日本社会全体だろうが)に対しては世界中から批判が集まっていることは疑えない。

明らかに食中毒を起こす食品を売るのは犯罪であるが、賞味時間を少し過ぎたコンビニ弁当を食べて食中毒を起こすなど『絶対』にあり得ない。翌日食べたとしてもその確率は限りなくゼロに近いだろう。食料を得るに困っている人々は、廃棄されるこんなコンビニ弁当は驚くほどの御馳走に見えるだろうことは疑えない。

 このことはさておき、コンビニ各店が販売する弁当は本社の弁当政策本部(こんな部署があるかどうかはわからないが)が仕切る傘下の工場で作られ搬送し店に並ぶという。

 賞味時間内にすべて販売できれば問題はないが、売れ残らないという保障はない。いやむしろ客のニ-ズに応えるという理由で必要以上に多く配達されるのが常だろうから残るのは当たり前の世界。残ったものは本部の指令で廃棄しなければならないのは『チエ-ン店契約』の一つになっているらしいが、その費用は店の負担だというのは誰が考えても一方的過ぎる。

 チエ-ン店としては大変不合理な契約であるが、それでも『セブンイレブン』という名前が欲しかったに違いない。売り上げがある程度順調だった時には問題にならなかったが、不況が続き売り上げが落ち続けると、何とかしなければという危機感から、いくつかの店では、賞味時間が近づいてくると半額程度に値引きして負担を少なくしていたようだ。

この『見切り販売』が本部は『契約違反』と締めつけていたことに対して、店の経営者が反発して提訴していたのだろう。それが、今回の公正取引委員会の排除命令となったのようだが、本部としては『わかりました即締めつけを止めます』という回答ではなく、『命令内容のさらなる精査の上、第三者の意見も踏まえながら慎重に検討したい』としているというから、簡単には納まるまい。

 事実、翌日になって廃棄処分する費用(チエ-ン店に押しつけた価格)の15%を負担すると発表したが、本質論ではなく世論に押されて渋々という雰囲気がミエミエ。

 賞味時間の迫った弁当などの販売をめぐっては、締めつけの強さに違いはあるものの、セブンイレブン以外のコンビニ各社も同じように『本部が決めた価格での販売』を加盟店側に求めていることから、この問題は業界全体に広がる気配があるようだ。

コンビニで弁当など購入する機会がまずない私にとっては、どうでも良いような問題であるが、結局は本部もチエ-ン店も『金儲け』という考え方以外に何ものでもなく、そこには食料を大切にするという重要な思想が欠落しているような気がしてならない。

 『金儲けは当たり前』と言ってしまえばそれまでだが、現代に生きる我々日本人は『金儲け』以外にもっと大切な、何か人間として基本的を失ってしまってのではないかと思うのは私だけなのだろうか。

 開発途上国(毎日の食料に困っている人々が存在する国々)に何千億もの援助を頭から否定するわけではないが、その援助のほとんどすべてが、困っている人々には行き渡らないということが腹立たしい。

コンビニがこれほど必要とは思えないし、その過当競争の中、すべてが弁当を売らなければならない理由も見あたらない。

 何千億もの途上国への支援金をこのあたりの仕組み作りにあてて、減反などという国土を荒らす政策は即刻廃止して、結果的に余った米を直接困っている人々に手渡せるような工夫をしたいものだと思うのだが・・・。

 人はきっと、これを理想主義というか、世間知らずと笑うのだろう・・・な。(田舎親父)

2009年6月24日 (水)

エコポイントとはエコの否定する考え方らしい・・・

 実態を後回しにして『エコポイント』という言葉だけが独り歩きをしていたが、ようやくここにきて、消費者が『省エネ家電』の購入した際に得る『エコポイント』と交換できる計271件の商品やサービスなどが明らかになってきた。

このうち207件が百貨店、地域の商店街の商品券や電子マネーで、各地の特産品とも交換できるようにしている。仕組み的にはなるほどと思わせるものがあるが、省エネ家電という概念が少し変なような気がしてならない。

早速、先週の土・日曜日は数店の家電量販店の新聞折り込みが入っていた。ズラリ並んだ商品にそれぞれ付帯するポイントが記載されている。特に、薄型のテレビが人気らしく競って写真入りの派手なもの。実際に、1時間程歩いて大型の家電店のテレビ売り場にでかけてみたが、32型以上の薄型大画面テレビがズラリと並び店員たちが走り回って客に対応している。

消費者から見たら、量販店側がそれぞれに店独自の『ポイント』をつけて値引きしている上に『エコポイント』として15000円だとか20000点だとかという数字が派手に並んでいるので、お得感があおられることは間違いなさそう。実際に次々と大画面テレビを購入している姿が見られた。

経済が潤うのだからこれで良いではないか・・・という意見もある。カネをまわらせるのが目的なのだろうから、それなりに効果はでていることは否定しない。量販店もここぞとばかり気合を入れているので売り場だけを見ると、不景気など感じさせないような活気が溢れている。

しかし、『エコポイント』が画面の大きなテレビほどたくさん着くというのが腑に落ちない。家電の分野においては『エコ』というのはできるだけ電力を消費しないこと、それが所謂『地球温暖化』を進める二酸化炭素の排出量を抑制する、という考え方だと大体の国民は理解しているのではないだろうか。

先日も書いたが、なんでも『エコ』という文字が頭に着けば反対しにくい雰囲気があるので、この『エコポイント』について頭から否定する論調は少ないことを背景に、家電量販店の戦略はより儲けが大きい『できるだけ大画面のテレビ』となっているようだ。

従来のブラウン管のテレビに比べたら液晶は消費電力が少ないことは理解できる。液晶でも年々技術が新干しているので、数年までのテレビと比べるとかなり省エネになっていることは当然として、画面が大きくなればなるほど消費電力が大きくなることは間違いない。

しかし、消費者心理としては『今大型テレビを購入すれば得』という概念が擦り込まれるのだから、消費電力などに思考が向くことは少なく、猫も杓子も37型だ42型だ、というように6畳や8畳の部屋にはそぐわない代物を購入する傾向があるのは否定できないし、あまりにも『エコ』の常道から逸れている。

さらに問題は、まだ十分使えるのに『この際買え代えた方がお得』という殺し文句に惑わされて、緊急に必要ではないと思われる大型テレビはじめ家電類を購入してしまうのも気になるところ。

一方、『エコポイント』と交換可能の商品を見ると、ビール券もあるらしい。共通ビ-ル券を発行する全国酒販協同組合連合会は『経済対策で生まれる需要を少しでも酒店にも取り込めれば』と期待を寄せているとのことだが、ビ-ルを必要以上に飲むことが『エコ』につながるとはとても思えないのだが・・・。

また、旅行会社では『太陽光発電』を見学するツア-を計画中だというが、これなども胡散臭く感じてならない。

そして極めつけは、政府や与党自民党の辞書には、燃費の良い車に買え換えると『捕縄金』を出すのも『エコ』と書いてあるらしく、燃費の良い車に買え換えると10万円の補助。古い車を新しい『政府推奨品』のエコカ-に買え換えると25万円と、まさに国民に『今買え換えないと損だ・・・』という、ある意味脅迫概念を植えつけて、新車(特にトヨタの車)を押しつけている現状は、およそ『エコ』とはほど遠い。

『エコ』の概念から、できるだけ自家用車に乗らないのが本当の『エコ』なはず。ならば、公共交通機関、特に庶民の足であるバスの運賃を引き下げるのが急務だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年6月23日 (火)

やはり気になる『偽物』報道・・・

 予想通り『偽物』という報道にはたして『ハイそうですか』と納得している人は少ないのではないだろうか。例の日本人が持っていたという130兆円という俄に信じられないような天文学的数値の金額のアメリカ債権のことである。
 先日ロイタ-発として、巨額の『米国債』を無申告でイタリアからスイスに持ち出そうとした日本人2人がイタリアで拘束された事件で、米財務省は『米国債』が『偽造券』であることを明らかにしたと、いう記事が(事件報道と同じように)新聞の片隅にひっそりと掲載されていた。
 記事によると容疑者はすでに釈放されているとのことだが、一見ニセ物と思えるような玩具のようなものならともかく、第一報の時点では(例え偽物だとしても)真偽を判定中との表現だったはず。こんなものを持った容疑者をそのまま釈放なんていうことはあり得るだろうか・・・。
 さらに、4月上旬にもイタリアで日本人が関与したとみられる別の偽造証券の押収事案があり、イタリア財務警察と検察庁は、相次ぐ『巨額』偽造証券の背後に日本人を含む組織的な関与があるとみて捜査していると記事にある。
 すでにすべて『偽装』と断定しているのが気になる。前回も書いたが、イタリア国家は押収金額の40%を手にできるようだ。多分に、日本はもとよりアメリカもこんなことが公になったら大問題。『偽造だった』で問題をあいまいに処理したいはず。
 ならば今頃、イタリアとの間で『40%は多過ぎるから10%程度が勘弁願いたい』なんていう、とんでもない交渉が行われているのではないかとも想像している私が変なのだろうか・・・。
 昨日雨で動けず時間ができたので、ネットでこのことについて検索していたら『連山』というサイトに行き当たった。(http://renzan.org/cat20/post-290.html
 そこには恐ろしいことが掲載してある。連山というサイトを誰が運営しているのか全く不明である。何の目的で開かれているかもわからないがこのニュ-ス以外にもかなり突っ込んだ記載がある。
 その情報をそのまま信じたくはないが、かなり手のこんだサイトで、おまけに押収された債権を調べる係官の動画まで掲載されている。
 信じられない話であるが、容疑者の日本人二人が一時的に拘束されていたことは間違いなさそう。しかし前述したように、総領事館も一切知らんふり。こんなことは考えられない。普通自国の人間が他国で拘束されて、一切無視する国があるだろうか。そんな国があったとしたら、国民は危なくて外国に旅行などできない。
 今、海外ツア-がブ-ムだという。安全をうたっているが、もしも間違って団体から外れて事件にでも巻き込まれたとしたら、主催者はすぐ大使館や領事館に助けを求めるに違いない。その時は国はすぐ何らかの行動を起こすのが当たり前・・・。その保障があるからツア-が組め、運営できるのではないだろうか。
 しかし、今回は日本人が逮捕されたが『一切知らない・・・』という態度。イタリア当局に問い合わせているというところから何も進展がない。その挙げ句、すでに容疑者の日本人は釈放刺された・・・こんなバカな話はない。すでにこの二人は帰国したのか、下手な劇画ではないが、最悪の場合、殺されていることもあり得ない話ではない。繰り返すが、『連山』サイトの情報をそのまま信じたくないものの・・・である。
 西松建設の献金騒ぎ云々など、自分たちに直接降りかかる問題には大騒ぎしている自民党はじめ野党も含めて今回のことには一切ダンマリを決め込んでいる。マスコミも全く動かない。このことが不気味で不可解で仕方ない。(田舎親父)

2009年6月22日 (月)

若き首長にエ-ル

31歳という青年市長が誕生した。前市長が汚職で逮捕された出直し選挙で、自民党推薦の元助役を大差で破っての当選は、市民が如何に腐敗した市政に対して建て直し手ほしいという思いをこの青年に託したかがよくわかる図である。

背景には民主党の躍進があるだろうが、それにしても31歳という若さにはビックリする。改めて自分の31歳のときと比べると、この青年の志の高さに敬意を払うと同時に、千葉を現在以上に素晴らしい都市に変革してほしいと願っている。

早速、青年市長は1期4年で約3300万円に上る退職金を半減し、年間約2100万円の市長給与も大幅カットする考えを明らかにしたという。

不思議なことに地方自治体の首長や議員の給料は議会が決めることになっているようで選挙公約としてこのことを掲げながら、議会の反対にあることもしばしばらしい。

このことが端的に示されたのが、千葉市長よりさらに1歳若い、現職の首長で全国最年少の佐賀県の上峰町の武広勇平町長が、この6月議会に提案していた町長給与50%カットの議案が、19日の本会議で否決されたというニュ-スである。カット分を在宅障害者が通院に利用できる『福祉タクシー』の財源に充てる前提で、同時提案した一般会計補正予算案もあわせて否決されたという。町長は『自信をもって提案していただけに残念。修正して再度提案するかどうかは検討する』とのことだが、現実では難しいのではないだろうか。

再提案すれば、頑迷な議員たちは最近地方で流行っている『首長不信任』を出すだろうことは容易に想像がつく。これに対して、首長は『議会解散』となる構図だが、都会と違いしがらみの入り組んだ地方では、なかなか首長派の議員の当選がおぼつかない。

というより立候補することすら難しいのが現状で、結局は議会の構成は現在とあまり変わらず、議会側の再度の『不信任案』で失職となることは目に見えるようだ。

首長の出直し選挙となるのがお馴染みのパタ-ン。阿久根市で見るように、首長を選ぶのは、さほどのしがらみがないので再選されることが多いのだが、さて再選されたからといっても議会や職員の体質が変わらないとなると手詰まりになるのは明白。

武広町長は、前町長が公職選挙法違反(寄付行為)の有罪確定で失職したのに伴って、今年3月の町長選で、定数10人のうち前町長派ら7人が支援した対立候補を破って初当選した、まさに生まれたてほやほやの町長であるが、前町長派の議員たちには『まだひよっこめ・・・』という思いがあるに違いなく、誰が考えても間違っていない提案をも、困らしてやろう・・・程度の気持ちで否決したようだ。

この議員たちの言い分が『町財政にとってはありがたいが、町長給与を50%カットする議案が通れば、それなら町議も、と町民から要請される恐れがある』と、町の財政などよりも自分たちの給料が減ることが嫌だというのだから呆れてしまうが、国政を預かる自民党の議員のマネをしているのだろうと思うと仕方ないと言えば仕方ないのかも・・・。

さらに『他の自治体の住民が、わがまちの首長も、と言い出しかねない』というのも、反対理由の一つだと釈明しているらしいが、それこそ、筋違いも甚だしい。町民も十分わかっているはずなのに、これができないのが我が国の地方の現状だろう。

千葉に話を戻すが、この青年市長も多分同じ悩みをかかえているに違いない。佐賀の田舎町と違い、千葉は首都圏の大都市。議員たちが市長のこの提案を『俺たちの退職金も減らされるかもしれない』という思いを露骨に表すことはなさそうだが、本音はこのあたりにあることは隠しきれないだろうから、陰に陽に圧力をかけるだろう。

青年ではないが同じような改革を目指す名古屋の河村市長も、自分の給料を減額できず、受け取り拒否という手段で対抗しているという。

河村市長は国政にも関わったベテラン、市民の圧倒的な支持を背景に素晴らしい発想で切り開くに違いないと期待しているが、青年首長にとっては議員の圧力を跳ね返すのはなかなか容易でないことは想像に難くない。

ぜひ若者の自由な発想でじっくりと構えて、苦労を乗り越えて理想に近づけてほしいものと心からエ-ルを送りたい。(田舎親父)

2009年6月21日 (日)

生協の絡みが気になる・・・

 相変わらず『ウナギ』と『タケノコ』の産地偽装が大流行。『中国産』では売れないので国内の抵当な産地名を記入するという、きわめて幼稚な発想なのにも関わらず、安ければという気持ちなのだろうが、庶民が懲りずに引っかかるのが気になる。

そんな最中、まさか大手の食品会社はそこまでやらないだろうと思われていた、トンデモ偽装が報じられた。不二家の時に『エッ-』と思った人も多かったはずだが、今度はそれ以上の感がある。

ニッスイは『ずわいがにコロッケ』の商品名で冷凍食品を販売していたが、実際の原材料とズワイガニではなく安価な『ベニズワイガニ』を使っていたとして、公正取引委員会から排除命令がでたという。

記事では、同社は『平成19年4月から今年2月』まで、1パック6個入りの冷凍カニコロッケ(約300円)を全国の11の『生協』を通じ約85万パック販売とある。約1億7000万円の売り上げがあったというが、わずか1年足らずでこの売り上げとは恐れ入る。

ニッスイは平成19年の春に急にこの商品を発売したのかというとそうではなく、10年以上も前から人気商品になっていたという情報もある。実際に、公正取引委員会はこの事実を平成8年ごろから怪しいとつかんでいたとのことだから、ニッスイの弁解している平成19年からという時期はほぼ信じられない。

ニッスイが10年以上も偽装していたと思う方が自然なようだ。恐らくこの『ズワイガニコロッケ』という商品では莫大な利益を得ていたことは間違いなさそう。

ズワイガニはベニズワイガニに比べて価格的に8倍から10倍もするという。言われてみて思うことだが、紅ズワイガニは近所のス-パ-でも季節になるとかなり見受けることができる。が、その場合『ベニ』という文字が小さく『ズワイガニ』が強調されていることは私も見知っている。

一方本物のズワイガニは水揚げされる地方によって『越前ガニ』や『松葉ガニ』と呼ばれているが、都会の庶民相手のス-パ-に並ぶことはめったにない。恐らく多くの人はズワイガニとベニズワイガニとは単にベニがつくだけだと思っているのではないだろうか。

このあたりの心理を十分研究し尽くして『ズワイガニコロッケ』と命名したとなると、これは商業モラル違反。ニッスイという会社の理念が単に『カネさえ儲ければ・・・』ときわめて低俗なものだと思えてしまう。

公正取引委員会は、この偽装について『排除命令』を出したというが、連絡を受けた農水省が『改善指示』というのも変な話。縦割り行政の矛盾だと思うが、一方は『排除命令』、片方は『改善指示』。本来なら農水省はニッスイを摘発するのがスジではなかろうか。

この政権が続けば、秋には消費者庁なる別の縦割りの役所ができるらしいが、各省庁が利権を譲らぬままだったら、消費者庁の役割はニッスイに対して農水省の『指示』以前の『口頭注意』程度になってしまうのではないだろうかと半ば呆れる思い。

ニッスイの偽装は許せないが、それ以上に気になるのが、あの大騒ぎになった中国産の『毒入りギョ-ザ』でお馴染みの『生協』が関わっていることである。生協という組織が、ここまで金儲け主義に走っているのだ・・・と改めて感じるが、生協の設立精神は一体どこに吹っ飛んでしまったのだろう。

最近は、生協本来の設立目的とは違った活動になっているように思えるのは私だけなのだろうか。そして、消費者団体は偽装した業者は徹底的に叩くが、販売した生協に対しては緩やかな対応が不思議。

国民の中に生協は『消費者の味方』という考え方が擦り込まれてしまっているようだがこれは恐ろしいことだ。多分生協絡みのこの種の偽装はまだありそう・・・だ。

ズワイガニで思い出したが、以前は(今でもあるだろうが)アブラガニをタラバガニと偽っていたことが大騒ぎになったことがある。

タバラなど縁のなかった私だが、一昨年、実際に漁師の人からお腹に突起が6つあるのがタラバ、4つがアブラと教えられたが、普通の消費者にとって今でも見分けられるのは難しいのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2009年6月20日 (土)

改めて臓器移植を考える・・・

 一昨日の衆議院で臓器移植法が採決され、A案が可決したというニュ-スに、4つもの案がでていたのに、随分簡単にA案に決まったもの・・・と少し驚いた。

A案が可決したので後の3つの案は採決なしで廃案となったという説明に『?』を持つが、誰も疑義をはさまないところを見ると、投票権は一人一回だけで他の案に賛成だった議員は投票をしなかったと思いたいのだが、賛成263票、反対167票という数字が多過ぎるのが気になる。

それはともかく、今回は党利党略でのシバリをなくして議員個人の意志で投票したことは、結果はともかく評価したいと思っている。

しかし、衆議院で可決しただけで参議院での審議が残っている。参議院では反対派や慎重派の議員が多いというから、衆議院のようにスンナリ可決ということにはならないようだ。しかも、現在は延長国会中、期限が限られている。

衆議院が解散となるとその時点で廃案になるというから、先行きはきわめて不透明。現在の情勢では、アソウ首相がいつ『解散』を決めるのか(その度胸はないようだが)微妙だと言われている上、参議院で審議が長引くだろうから、廃案になる可能性が大きいのではないだろうか。

現在の臓器移植法が決まったのは平成9年だという。12年間も審議されなかったのがここにきて与野党ともに盛り上がっているのは、WHOが海外渡航移植に厳しい姿勢を打ち出したことがあるのだろう。

現行法では国内で心臓移植はきわめて難しい。特に15歳以下の子どもたちは絶望で、どうしても助けたい親は何としてでも外国での移植を望んでいるのが現状。(アメリカでの)移植には最低でも1億円の費用が必要だというから、親や関係者が必至に募金活動などで資金を集めていることがよく話題になるのも当然だろう。

外国での手術を原則禁止となると、その道すら閉ざされることになる。移植学会や患者団体が働き掛けを強めるのは無理からぬこと。議員たちの張り切りも理解できる。

A案は『脳死は一般に人の死』と位置づけ、本人が生前に拒否しなければ、家族の同意で臓器提供を可能で、15歳未満の臓器提供を禁じる現行法の年齢制限を撤廃し、子供の臓器移植に道を開くという内容。この案が通れば15歳以下の子どもの命が救われる可能性が出てくることは理解できる。

しかし、違う問題も多く発生する可能性が多いだろう。

脳死と認定された自分の子どもを簡単に『本当の死』と認定できるだろうか。言葉では『救いを求めている子どもの体に移植されるのだから魂として生き続ける・・・』という表現になるのだろうが、このような考え方を簡単に親が受け入れられかとなると、答は『否』だろう。

詳しい医療制度は理解していないが、現在脳死と言われている子どもたちがすべて公費によって声明維持装置を動かしているわけではなかろう。恐らく莫大な医療費を支払い続けているのだろうから、貧しい家庭であればそれを外さざるをえないように追い詰められ、(何らかの組織が動きだし)その代わりに何らかの代償(幾ばくかの金銭?)を受け取ることになるような気がしてならない。

全国に移植手術を待っている人が何人いるのか、私には詳しい数字はわからないが(無責任な記述になることを許していただけるとして)脳死状態の子どもたちがそれ以上いるとも思えない。

となると、『限られた子ども』だけが移植手術を受けることができことになる。例え一人でも尊い命が救えるから・・・と、いう論理がまかり通ることになりそうだが本当にこれが正しいのだろうか・・・という疑念が消えない。

選ばれた子どもとその保護者や関係者は『万歳々々・・・』だろうが、選ばれず命を失う子どもたちの気持ちはいかなるものなのだろう。金子みすずの『大漁』という詩を思い浮かべる私が不遜なのだろうか。

『誰が・どのようにして移植待機の子どもを選ぶのか』このことの論議が全くなされないのも気がかりなところ・・・。

私が古い人間なのかもしれないが、『命』というのは、その人がこの世に生を受けた瞬間から完全に土に返るまで、自然(偉大なる絶対の神)から借りたものではないだろうか。その命を維持するのが様々な臓器であるならば、例えこれらを移植することで他の人が延命できるとしても、自然に断りなく他人に与えるべきではないように思える。

と、2月7日に書いたが、今改めて『命』と『臓器移植』ということについて考えている。(田舎親父)

2009年6月19日 (金)

どうも納得できない学校の耐震補強工事

 一昨日の夕刊の一面トップに四段抜きで『学校耐震診断 非公表17%』とあった。

すぐ横に少し小さく『自治体、義務を守らず』という見出しの意味が理解できなかったので本文を読む気になったが、要は、自治体が義務化された耐震診断をしなかったか、しても結果を公表しなかったということのようだ。

国の方針で耐震診断と公表を義務づけたらしいが、自治体としては現在の基準の耐震診断をすると、数値が限りなく小さく?なり『震度○で崩壊』なんて結果が出ることを恐れているからだろうと思わないでもない。

そんな数値がでたら大変なことで、首長はすぐにでも耐震補強なる工事を発注しなければ、市民から怒りの声が上がるのは当たり前。次の選挙で再選される前にリコ-ル運動が起こる可能性もあるだろう。

多くの地方自治体は財政的に破綻寸前だと聞く。そんな自治体に早急に耐震診断を命令する方が無理だということぐらいは誰にでもわかること。それをあたかも自治体の一方的な違反のような書き方をする新聞記事に『?』と首をかしげてしまう。

本当に一日でも速く耐震診断をしなければならないのなら、そしてその結果、補強しなければ子どもたちの命がなくなるというのなら、とりあえず自治体に必要予算を貸し付けてでも工事を急がせるのが『国として』の義務ではないのだろうか。

四川省の大地震で学校が倒壊。多くの子どもたちの命が失われたことがきっかけだろうと推測しているが、それは建築のやり方にあって、我が国では絶対あのような目茶苦茶な崩壊はあり得ないことは常識。恐怖心をもっているのは、もし手抜きをした業者があればその業者やそれを知ってやらせた自治体担当者、そして口利きをした議員たちだろうが、いくらなんでもそこまでは考えすぎだろう。

にも関わらず、昨年6月に『地震防災対策特別措置法』という長ったらしい名前の法律を改定して、幼稚園や小中学校・特別支援学校について耐震診断は結果公表を設置者に義務づけたらしい。

公立施設については設置者は自治体だから、法改定に対して自治体の首長たちの本音は反対だったのだろうが、自分たちにはどうすることもできなかったに違いない。

醒めた見方をすると、この法改定の裏には建設業界からの要請があり例によって自民党の発案ではなかったろうか。『子どもの命が・・・』と問いかけられたら誰も反対を言えなくなる。

結局は耐震診断と耐震補強工事がセットになって『義務化』されてしまったのだろうが、本当に今の学校はそんなに危ないのだろうか・・・という思いが先に立つ。

以前にも何度も述べているが、学制発布以来『学校』特に小学校は地域のシンボルとして、その村や町の最も安全だと思われる場所に建てられたものである。

このことは地方にでかけて見るとよくわかるが、どんな狭い山間僻地や海岸にへばりつくような集落であっても、日当たりの良い高台で、しかも水の便が良い場所のかなり広い平地を占めている。

さらに、最近は個性的な外観を持つ学校も増えているが、ほとんどの小中学校はたかだか3階か4階という低層。しかも横に長いのが共通している。建築に対しては全くの素人であるが、この低層で横長という構造は地震にもっとも強いと言われていることは知っているつもり。

しかも、学校建築に関しては建築基準が厳しくて、安全係数というのだろうか、他の建築物の倍以上の数値を必要としているということを、以前学校建て替えに関わった時に学んだことがある。

そのことを教えてくれた建築士の『手抜き工事をしていない限り、小中学校が一番安全で、もし学校が倒れるような地震がきたらほとんど全ての建物は倒壊する』と話してくれたことが影響しているのだろうが、以来『学校が一番地震に強い』という考え方ができているようだ。

この考えに確信が持てたのが阪神淡路の大震災である。高速道路やおよそどんな地震がきても倒壊しないはずだった近代建築が脆くも崩れていたにも関わらず、学校は一部で壁が落ちたりした程度で、無傷だったと表現しても差し支えない状態だった。

上越や能登の大地震でも一部天井がはがれたとかほんの少し傾いたということがあっても、倒壊した『小中学校』はない。だからこそ人々は小中学校に避難し、しばらく生活できたのであると信じている。

耐震診断を疑うわけではないが、時代によって耐震基準は変わっているようだから、より安全を求めるときりがなってくる。文科省も『子どもの命が・・・』ということを本気で思うのなら、自治体任せにはできないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年6月18日 (木)

やはり消える『安土』という自治体・・・

 隣市との合併反対の運動が盛り上がり、町長に対するリコ-ル署名が有権者の3分1以上になったが、署名が怪しいのではないかと町の選管が介入しているというニュ-スに、先日『滋賀からの不可解な話題』として取り上げたが、結局、あの織田信長が安土城を置き、中世ヨーロッパにも伝えられた『安土』の名が自治体名から消えることになったようだ。

 確か、徳川に織田が屈した・・・と書いた記憶があるので読み直してみたら、とんでもない誤りをしていたことに気づいた。

 近江八幡といえば、徳川幕府の屋台骨を背負ってきた井伊氏の居城である『彦根城』があることで知られている・・・と書いたが、彦根城は彦根市にあるはずなのにどうしてこんな誤りを書いたのだろう。どうも近江八幡と彦根を混同していたことと同時に『徳川に屈したくないのでは・・・』と先走った考えが頭をよぎったようだ。

 何度も通ったことがある琵琶湖湖畔の道、何故こんな初歩的な誤りをしてしまったのかわからないが、実に恥ずかしい。すぐに訂正しようと思ったが、私の不識の証拠。今後の戒めとするために恥ずかしながらそのままにしておくことにする。

 そこで、改めてこの話題を取り上げて見ることにしたい。

 同じような誤りをしないため市のサイトで歴史を調べてみた。そこには、近江八幡という名前ではなく、『八幡堀』という名前から始まる――八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。――とある。

 この町は『徳川』でなく『豊臣』だったことを知る。大変な不知識であるが、リコ-ル署名をはじめた方たちの気持ちの中には、織田が築いた『安土』という名前を消してなるものか、とい気概があったことは間違いなさそう。

 市民の中には歴史に興味があって『織田が徳川に吸収されてなるものか・・・』という思いがある人も多いのかも知れないと、さらに間違いを記述したが、徳川でなく自分の直接の部下だった豊臣秀吉につながる人物が開いた近江八幡に吸収合併されることに対する不快感があったのではないかと、徳川を豊臣に置き換えて訂正してみと変に納得する。

 ともあれ、安土町の町議会は近江八幡市との合併を賛成多数で決めたとある。相手方の近江八幡はすでに名前をそのままということで合併を議決しているというから、来年には新しい『近江八幡市』が誕生することになる。

 記事によると、『安土町』と隣接自治体との法定合併協議は過去2度にわたり破談、3度目でようやく合意したとある。02年は現の『東近江市』となった隣接2町と協議。名前は『安土市』と決まった経緯があるらしいが、協議先の町議会の反対で頓挫したようだ。

 第三者的には『安土市』で良いではないかと思うが、相手方の町村にも名前には歴史があり、単に外してしまうと吸収された印象を残すだろうから譲れない気持ちは十分理解できる。しかし蛇足になるが、『東近江市』という命名は何か軽いような気もしないでもない。

 さらに、05年には今度の合併先の『近江八幡市』との合併構想が浮上して、名前も『安土八幡市』と決まっていたらしいが、今度は安土の町民サイドの反発で破談に追い込まれたとあるから、町民は『安土』という単独の名前を模索したようだ。しかしこれは近江八幡市民には受け入れられないことは当然だろう。

 結局は、合併市町村への財政優遇措置を盛り込んだ合併新法の期限切れが1年先に迫ったことから、安土の町の幹部たちには焦りがでたに違いない。合併協議の中で、今度は近江八幡側としたら、安土という名前を入れないと主張、それを飲んだらしい。

 そこまでして合併する必要があるのだろうか・・・と思わないでもないが、私が想像つかないような事情があったに違いない。

 それにしても、リコ-ルについて選管の介入?の続報がなかったのが気になる。スンナリ議会が合併案を可決したということは、リコ-ル署名がいい加減だったのかという印象が残るが、このあたりどうなのだろう・・・。

 記事では、――現在、町では合併推進の津村孝司町長へのリコール運動が起きており、リコール署名に有権者の3分の1超の町民が署名。津村町長が一部を無効とする異議を申し立て町選管が再審査中だ。ただ、住民投票で町長のリコールが成立して合併反対の新町長が誕生しても、議会で議決された合併が覆ることはない。――とあるが、これも変な話である。

 私にとって全く縁のない町の話題であるが、このようにして歴史的な名前が、合併やら住所変更などでなくなることは残念という以外言葉が浮かばない。(田舎親父)

 

2009年6月17日 (水)

13兆円もの有価債権を持ち出した日本人とは・・・

 先日、新聞のすみに『イタリア財務警察は、イタリアからスイスに1340億ドル(約13兆円)相当の米有価証券を持ち出そうとした日本人2人を拘束した』という記事があった。13兆円という数字に驚いたが、(不思議なことにその後)これに関する続報は一切ないのは何故だろう。

NHKのニュ-スは毎日見ているつもりだが、(私が見逃したのかも知れないが)この事件?に関しては全く報じられていないのも変な話。新聞社がつかんでいる情報を天下のNHKが知らないはずがないのに・・・である。

ネットにもこの件に関する情報はほとんどない。当初の新聞記事では、イタリアからスイスに1340億ドル(約13兆1000億円)相当の米債券を持ち出そうとした日本人2人が、イタリアの財務警察に拘束され、債券が押収されていたことが10日、明らかになったと報じている。

130兆円という数字に一瞬思考が止まってしまった。

130兆とは想像もできない天文学的数値。アソウ政権が選挙目的で15兆円という空前の補正予算額をたしてもて今年時国家予算は100兆を少し越える。それをはるかに越えるとなるとただビックリするのみである。しかも、アメリカ債権というから価値的には現金と同じ意味を持つことは私にでも理解できる。

こんな債権を持てる人間が存在するのだろうか。領事館は情報を確認しているのに、二人が何ものである発表していない。民間人なのか男なのか女なのかさえ公表していないところを見ると、発表したらとんでもないことになるからだろう。

常識的に考えられるのは政府関係者。密命を帯びた国家公安職員が命懸けで国家の機密費をイタリアからスイスの銀行に隠匿するために列車で移動していた・・・・。となると、まるで下手な劇画の世界である。

噂では、国民には絶対に知らされない国家の機密予算がスイス銀行で眠っていると囁かれている。古い話になるが、児玉資金だとかM資金などと呼ばれている疑惑の金だろうが、メディアがこのことに関して報じはじめると、どこからかストップがかかるらしくいつもウヤムヤになってしまう。

偽物かどうか慎重に見極めているとのことだが、もしも債権が本物だとしたら、政府は国民に全く知らせずに議会も無視して、130兆円ものアメリカ債権を購入していたことになる。しかも今回押収された分というから、実際にはこれの数倍の債権がすでにスイス銀行に運び込まれていることは容易に想像できる。

イタリアの法律によれば、申告しないで持ち出そうとした場合は、40%を無条件徴収できるというから、5億兆円を得ることになるとのことである。

国民から搾り取って秘匿していた5兆円日本の財産がイタリア国家に合法的に押収となると、イタリア政府はウハウハもの。日本政府の条件を飲んで、情報を完全にストップさせ、結局は偽物だったとの声明か・・・。

政府は徹底した報道管制をマスメディア全体に強いているのではないだろうか。明らかになったら、それこそ現政権はもちろん過去の政治が根本的から崩壊するだろうから、徹底的な報道管制は当たり前かも知れない。

メディアは情報がないから報じないのか、それとも命令で報じられないのかどちらにしても恐ろしいことである。

過去とは違い今ではインタ-ネットが普及しているので、断片的に情報は流れてくるだろうことを期待するが、ネットでもこの事件が話題にならないことは何を物語っているのだろう・・・。

ここまで書いていたら、思っていた通り『偽物だった』との報道が流れた。ならば、二人の身元など明らかにするべきだと思うのだが、そんなことは記事からは一切読み取れない。何か背筋が寒くなる・・・。

できれば『債権が偽物』だということが『真実』であってほしいと思いたいものであるが、それにしても政府も野党もがコメントしないのが不思議である。(田舎親父)

2009年6月16日 (火)

校庭の芝生かより教育環境の充実が先だと思うのだが・・・

 先日話題にした郵便制度悪用事件、ノンキャリアの係長逮捕で終わるのかと思ったが、当時の上司である現在の局長を逮捕したというニュ-スに少し驚く。大阪地検の意気込みを感じないわけではないが、何か魂胆がありそうに思うのは、最近検察のやり方に対して不自然さを感じているからかも知れない。

逮捕された局長は女性。マスコミ報道によれば将来の次官候補というほどの逸材だと持ち上げているが、そんな能力のある女性がいずれバレる可能性のある『文書偽造』などという馬鹿馬鹿しいことをするとは思えないのだが・・・。

と同時に、この女性は高知大学ということなので省内での学閥という縦の繋がりが薄かったのではないだろうか。そのような境遇の女性だから逮捕したのではとも思わないでもない。これが大物政治家と親しい、東大卒の男性局長だったら逮捕はなかったのでないだろうか・・・とも考えさせられる。

偽造文書には当時の課長の公印が押してあるらしい。常識的にみたらこの女性課長が押したとしか思えないが、バレたら自分の人生が破壊するほどの『文書偽造』をするとは俄には信じられない。私には、もし彼女が本当に押したとしたら、さらに上層部の彼女が逆らえない命令があったとしか考えられない。

何かドロドロとした政治劇の幕が開くような予感がする。この女性幹部の逮捕で、自民党に有利な状況が生まれたら、小沢代表の秘書逮捕ではないが、誰かが裏で糸を引き筋書きを書いた疑いが濃くなるが・・・。

このことは、今後の展開が示してくれるだろうと確信して見守ることにしよう。

ところで、最近東京都の小中学校では芝生を敷くのが流行っているらしく、あちこちで芝生の校庭で寝ころぶ子どもたち・・・などという記事を目にすることが多くなった。しかも一時流行った人工芝ではなく天然芝だというから豪勢なもの・・・。

昨日の新聞には、都は校庭の芝生の良さを実感してもらおうと芝生の『出前』を始めた、と記事があった。何でも、都は芝生には夏の暑さを和らげ、子どものけがを減らす効果があるとして芝生化を進めているのに、維持管理が大変だということで導入に消極的な学校が多いから『出前』という発想になったという。

そのため、期間は1~2週間に限って校庭の一部に天然芝をはる実験をしはじめたとのことで、ある小学校で子どもたちが遊んでいる映像を入れて紹介している。

今月1日にトラックが到着し、ロール状に巻いてある重さ約500キロの天然芝がクレーンで下ろされると、作業員8人が敷き始めた。夕方には幅4メートル、長さ50メートルの青々とした芝生エリアが誕生し、翌日には子どもたちは香りをかいだり、前転したりと歓声を上げて大喜びしたとある。その日は『無礼講』だろうから、子どもたちが喜ぶのは当然だろうが、はたして今後『芝生を守るため』という制約がつけばこの気持ちはいつまで続くだろうか・・・とちょっぴり維持の悪い見方をしてみる。。

記事では、夏の校庭の温度を比べた実験では、砂地より芝生の方が8度以上、低かったという結果を受けて、16年までに都内の公立小中学校約2千校の芝生化を目指し、今年3月までに120校の校庭に敷いたという。都は設置を促すため07年度から費用の大部分を負担しているというから都の蔵にはカネがうなっているようだ。

しかし、芝の管理は大変だ。水をやったり刈ったりする日常的な手間は多い。加えて、通常、年に1、2カ月程度、生き生きとさせるための『勢力回復期間』が必要。その間は踏みつけられないよう立ち入り禁止にしなければならないことは周知のこと。

公立の学校では授業だけでなく、土日などは地域のスポ-ツ諸団体も利用し、中には抽選で割り当てなければならないほどの人気だという。となると、芝生の養生期間は、これらの団体も貸し出せないことになる。そこまでして芝生を敷く必要性があるのだろうか。

昔は小学校の校庭には雑草が生えており、運動会などの行事の前には全校で草抜きなどした記憶がある。『雑草という名の草はない』という言葉があるが、雑草には物凄い生命力と繁殖力があることは知っている。

緑化を進めることは否定しない。しかし管理が難しい芝生をわざわざ植えつけるのではなく、雑草(イネ科の植物やクロ-バ-など)を生えるに任せておく方が簡単で経済的、しかも、雨が降ってぬかるむこともない。

それ以前に昨日も述べたが、芝生化に都の予算に比べると『雀の涙』ほどのカネをつぎこむのではなく、優秀な若い教員の数を増やすという一番大切な『基本的な環境整備』が先決だと思うのだが・・・・。(田舎親父)

2009年6月15日 (月)

公教育の予算を増やせは良いと思うのだが・・

 先日も話題にしたが、世は『塾全盛時代』。

学校の先生には文句タラタラの親たちも、塾の講師の言うことには『ハイ ごもっとも・・・』となると、いくら学校が努力しても荒れるのは仕方ない、半ばあきらめているが、それにしてもいつ頃からこんな世の中になってしまったのだろうと口から出るのはため息ばかり・・・。

その塾業界では東証やジャスダックへの上場が大流行らしい。と同時に塾同士の合併や買収も日常的になっているというから、塾の経営はまさに『金儲け』の修羅場。金券亡者が跋扈する世界になっていると言っても過言ではなさそうだ。

『東進ハイスク-ル』という塾が日の出の勢いだという。一昔前には全盛を誇っていた『四谷大塚』という塾をもその傘下に置いているというから驚くが、今度は関西を地盤にしている『成学社』という塾が上場したとたん、株式の7%超を取得したというニュ-スに、少子化が進み児童・生徒の数は減り続けているとはいえ、こんなあからさまな経営争いに恐ろしさを感じてしまう。

『ヘネッセコポレ-ション』という会社がある。『通信教育』の大手で教育関連の記事にはかなりの頻度でこの名前が出るので、ほとんどの人は知っているのではないだろうか。その『ベネッセ』が、こちらもよく知られた『東京個別指導学院』という学習塾チエ-ン組織を株式公開買いつけによって子会社したとのこと。いやはや凄まじい。

合併や買収だけではない。生き残りをかけ月謝の引き下げなどで生徒集めに奔走する学習塾も出始めているそうだ。ある塾は公立中学生を対象に一定期間内に成績が上がらなければ、その後、3カ月程度の授業料を無料にする制度を導入したそうだ。

この塾の月謝は1科目週2回で3万2000円。これが高いか安いかは親によっては意見が異なるだろうが、普通のサラリ-マン家庭ではかなり厳しいはず。

しかし、学力不足が将来に対する決定的な不安要因だと擦り込まれているので、仕方なしに通わせる親にとって、効果がでない場合は約10万円を払わなくてもすむというのは大きな魅力。作戦は図に当たり入塾者が急増しているというから、如何に『塾さま』に頼っている家庭が多いことがよくわかる。

こんな傾向が続いては世の中奇怪しくなるのは当然ではないだろうか。

猫の目のように変わる教育行政。詰め込み偏重からもう少し『ゆとり』が必要だとの意見で、『ゆとりの時間』などというわけのわからない授業を、強引に小中学校に押しつけたのは誰だっただろう。

それが不評だったことを受けて『『総合的な学習』という言葉に代えて強制導入。この『総合的な学習』は、きちんと現場が理解できていれば混乱しなかったのだが、思いつきではじめたような施策だったことがあり、全国の公立の学校が大混乱したことは記憶に新しい。

その反省もすることなく、今度は学力低下と騒ぎだし『ゆとり教育』は間違いだとマスコミを使って一大キャンペ-ン。再び詰め込みをはじめようとしている。

しかも学校の教師では能力不足だから塾の講師を『学校の先生の先生』として導入するとは・・・これを本末転倒としか表現の仕方がない。

『塾』がすべて不必要だとは思えない。自然の良さを学ぶ塾があってもよいだろう。政治を学ぶ塾も必要。学びたいという需要に応える意味で塾の存在は大切だが、今日のように、幼稚園・小学校から受験勉強のための学習塾が繁盛するのは異常としか言いようがない。

少子化傾向に歯止めをかけるために、小学生どころか中学生まで医療費無料という公約が流行っているが、家庭が負担する『ごく普通の医療費』は、現在の教育費から比べて微々たる額ではないだろうか。『教育費無料』と言い出せば当選間違いないだろうに・・・。

学習塾に通わせなければ学力が向上しないというならば、公立の学校の存在は一体どこにあるのだろう。公教育にもっと予算をつぎ込んで、学習塾に通わなくても十分な学力がつくようにすれば良いこと。

我が国の将来を見据えて、公教育予算を現在の10倍程にすれば問題のほとんどは解決できると言えば言い過ぎだろか・・・。(田舎親父)

2009年6月14日 (日)

『エコ』という言葉が独り歩き・・・

 一昨日昼過ぎに『ハトヤマ総務相更迭』のニュ-ス。ここまでハトヤマ贔屓が盛り上がっているのだから、せめて両成敗にした方が良かったのにと思わないでもない。

 先日も述べたが、アソウという御仁はやはりオボッチャマなのだろう、いざとなるともう一つ度胸がない。郵政民営化に反対するような発言も行動も絶対に許さないというコイズミ一派の恫喝にはひとたまりもなかったようだ。

 きっとその夜、ハトヤマ兄は『まあこれでお前の選挙の心配はなくなったぞ』と弟を激励。兄弟で乾杯でもしていたのではないだろうか。よく『勝負に負けて試合に勝つ(逆の言い方もあるようだが)』という諺があるが、なんとなくそのような結果になってしまったという感じ・・・。

 ところで、ハトヤマ総務相を罷免したアソウ首相はその3日ほど前、例によって得意顔で『20年までの日本の温室効果ガス排出削減の中期目標を05年比15%減(1990年比8%減)』と発表している画像がテレビで流れていた。

続いて、折しも行われている温暖化防止を話し合う国際会議の様子の映像があったが、こちらは首相の思いとは違い、一様に重苦しい雰囲気があり、日本の提言には納得できない国が多かったようだ。

 特に、中国やインドなど工業の発展がめざましい国々からは『この程度の削減案と引き替えに、俺たちにも同じような削減を押しつけるなよ・・・』と反発されているようだ。

 いわゆる開発途上国といわれる国々では、先進国と言われている我が国が50年前に行っていたように環境などには目もくれず、経済発展のみを優先させていた方針を、今まさに行っていることは疑いのない事実。

これが、いわゆる温暖化を加速していると識者が指摘。先進諸国はこれを抑圧しなければ『地球が滅ぶ』と必至になっているようだが、自分たちは過去に好き放題にやっていたのに、これから発展する国には許さない、というのは片手落ちの勝手な言い分のように思える。

 実際に、途上国側は『我々が豊かになりたいという権利を奪うもの』と、先進国側がもっともっと高いハ-ドルを設けることを要求しているらしい。

互いの主張は理解できるが、こんなことを繰り返していても所詮はほんの少し人間どもが生き延びに時間を稼ぐことでは・・・と、醒めた見方をするのは私がへそ曲がりなのだろうか。

 現代社会では、地球温暖化防止といえばそれがすべて『正義』になっているようだ。それが『エコ』という何となくわかったような言葉を生み、『エコ』とさえ冠をつけたらすべて反対できない雰囲気があるような気がしてならない。

レジ袋をエコのため廃止するス-パ-も多くなった。確かに『買い物籠(袋)』を持っていれば、レジ袋は無駄だろうことはよく分かる。が、レジ袋をゴミ袋として再利用している人も少なくないだろう。私もその一人である。レジ袋がなくなるとゴミを出すにもゴミ袋を購入しなければならない。わざわざ大きなゴミ袋に少量のゴミを入れて出すのは『エコ』の本来の目的が違っているのに変な話である。

 『エコ』の代表格として『太陽光発電』がある。人々はこのシステムが素晴らしいことを知っているが、設置費が高く庶民にはなかなか手を出しににくいのが現状で、なかなか普及しなかった。が、温暖化防止に方針で政府や自治体が『補助金』をつけることを打ち出し、最近になって徐々に増えているという。

 そのこと自体は間違ってはいないのだろうが、補助金の財源をひねり出すために電気代に上乗せするという姑息さは許せない。家庭での太陽光発電の余剰電力を高い価格で電力会社に買い取らせることによって、このシステムを普及させるという目的のようだ。

 これでは発電機を設置した家庭は高く買い取ってもらえるが、設置できない人たちは負担増を強いられことになる。またまた、この政府・内閣が得意とする『弱いものイジメ』。これで本当に『エコ』になるのだろうか・・・。

地球温暖化防止は必要だと思っている。『エコ』の掛け声でレジ袋をなくす運動をしても構わないが、一方自給率を高めるためなどとわけのわからない理屈をつけて、膨大な電力を使って野菜を工場で作るなどとは、まさに『エコ』に反するのでは・・・。

 高速道路の通行料を1000円にするより、公共の交通機関の運賃値下げの方が重要だという意見にも頷ける。

 私は、このあたりの議論が高まることから『エコ』意識が生まれると思っているのだが、世の中の動きは違うようだ。(田舎親父)

2009年6月13日 (土)

解明しない方が夢があるのでは・・・

 石川県内でオタマジャクシが空から降ってきたと報じられたのは1週間ほど前だった。その時は、またマスコミの『仕込み』だろう、と興味もわかなかったが、違う町でも降ってきたという話に、ひょっとしたら誰かが意識的にやっている『いたずら』。世の中には暇人がいる者だ・・・という感じ。

しかし、今度は小魚が降ってきたという報道に、『いたずら』にしては手が込みすぎといると思わざるを得ない。

小型飛行機の持ち主ならば、こんな『いたずら』は可能だろう。いや所有していなくてもパイロットと共謀しても可能だろうが、小型飛行機ならば誰か爆音を聞いているはず。が、爆音を聞いたり、機影を見たという記述はない。

これはマスコミにとっては最高のプレゼント。『なぜ、空からオタマジャクシが降ってきたの?』という疑問を面白可笑しく報道しようと、現地には20社にもおよぶ新聞社やテレビ局など報道関係者が押し寄せて大変な騒ぎになっているばかりか、全国からの電話やFaxでの問い合わせが殺到しているという。

該当の市や町の役所などでは『降ってきたオタマジャクシ』担当の職員を置いて対応しているというから、その大騒ぎぶりが目に見えるようだ。

空から魚が降ってくるという珍現象は外国でもあったとのことだが、近くの海で起きた竜巻のせいだろうとの結論で終わったらしい。今回も、そのあたりに落ち着くのかも知れないが、淡水に生息する小魚やオタマジャクシをまいあげるとなると相当な勢力を持った竜巻なのではないだろうか。その竜巻現象を誰も気がつかなかったというのは考えられない。

カラスの仕業だろう・・・とか、いやサギのいたずらでは・・・と賑やかだというが、カラスやサギが互いに相談して、集団で『人間どもを驚かしてやろう』という意図がもてるならともかく、いくら知恵があるといってもそこまではできると思えない。

私は小さい時に向かいの家で人が死んだ夜、偶然オシッコに起きた時に『火の玉』を実際に見し、翌朝、周りの大人に話したら、見間違いだろう・・・とか夢を見ていたのだろう・・・と一笑に伏せられ、すっかりふさぎ込んだ経験がある。

ことがあり心の隅には、科学では説明がつかない現象は実際にあるのではないかと思っているが、その後『火の玉現象』も科学的に証明できると何かで読んだこともあって、そんなものかなと変に納得し今日に至っている。

マジシャンという職業の人が、私には信じられないような奇術をいとも簡単そうにやっている。必ずネタがあると確信できるから、不思議だなと思いながらもそれなりの程度しか興味が持てないものだが、今回の『空から魚』は奇術ならば空前絶後。そんな技を持つマジシャンはいないと信じたい。

一番近い結論は、小型飛行機も使わず、誰にも見とがめられることのない方法で、意図的にオカマジャクシや小魚をばらまいた『いたずら』だろうが、もしそうだとしたら、できればこのあたりで止めておくことをすすめたい。

大騒ぎしている人たちを見てますます得意になって『いたずら』をエスカレ-トさせていけば、結局はバレることになるのは火を見るよりあきらかだろうから・・・。

科学者たちも、できれば『大人の童話』程度の扱いをして、科学的に解決という野心は持ってほしいとは思わない。『真相がわからんほうが夢があっていい・・・』という現地の人たちの気持ちもよく分かる。

人々の気持ちが荒み世知辛い世の中。こんな夢みたいな話が、一つや二つあってもよいのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2009年6月12日 (金)

学力テスト至上主義を排すことが先決だと思うのだが・・・

 また大阪の話題で、住んでおられる方や出身者、あるいは仕事上大阪と関係する方々からお叱りを受けそうだが、『大阪で校内暴力が急増』という報道に接すると、やはり学力テストの点数をあげろとの大号令が影響しているのでは・・・と気になる。

学力テストの点数が最下位に近いという結果がこの知事さんは余程お気に召さなかった様子。府民の支持をバックに点数を上げるためにはなりふり構わないともとられる姿勢に教育委員かも白旗を上げたのか各学校を叱咤激励、最近は学力テストの点数を上げるために目が向いているらしく、子どもたちへの目配り気配りがなくなっているのではないだろうか。

教育委員会は建前では知事(首長)部局から独立しているはずなのに、首長が任命権者なっていることが影響しているらしく、選挙で選ばれた首長が新しい考えを導入することに対して当初は気合の入った抵抗するが、時間とともに首長の言いなりになっていくのが宿命になっているようだ。端的な例が、あの犬山でも結局は学力テストに参加することになってしまったことではないだろうか。

報道によると、大阪府内の中学校で発生した校内暴力のうち、府警が生徒を逮捕するなどした摘発件数は、2008年で82件となり、3年前と比較して2・6倍に急増したとのことである。警察が関与している事件がこの数となると実態はこの数倍。いや数十倍もあるのでは、と想像するだけで恐ろしくなる。

校内暴力の摘発件数が増えたことについて、教育委員会のマスコミコメントは『背景や原因は分からない』としているようだが、心ある人たちの本心は『学力テスト至上主義』が影響していると思っているのではないかと想像している。

最近は学校の先生より塾の講師の方が偉いという悲しい風潮が蔓延しているが、子どもたちの心の奥には、学校の先生は自分たちの理解者だという考え方があるはず。これを頭から否定すれば学校教育は成り立たないことは理解していただけるのではないだろうか。

子どもたちは(自分では納得していないかも知れないが)教師(特に担任や授業を受け持つ教師たち)の態度や姿勢を敏感に嗅ぎ取る感覚は半端ではない。これが私の教育論の原点で、もしこれを否定されると議論はかみ合わないことになる。

教育界は全国的に管理が進んでいるという。東京がいち早く『主幹』という、教頭(今では副校長)に準ずる階級を設けた事が呼び水になったのか、主幹制度を取り入れる自治体が増えているらしい。

階級を設ける事は当然、身分上・職階上縦の系列を強化することである。縦の命令系統が大事だという事は否定しない。

この縦の命令系統が整備されていないと民間企業はすぐに行き詰まることは間違いない。上からの命令に沿って一糸乱れず社員が行動することを求めて社内教育がなされるのだが、それは企業の発展のためには止む得ないこと。

教育界も同じで、校長の考え方が全教職員にきちんと伝わることは、ある意味素晴らしい事である。が、より大きな成果をあげるためには(甘いと言われるかも知れないが)『子どもの幸せ』を願ってという校長(管理者)の良心が前提になるはず。

校長の人事は都道府県教育委員会がすべて握っている。過去には『よく委員会に楯突いていた奴がなれた者だ・・・』と言われる人物が校長になる例もあったようだが最近は委員会の意に沿わない人物はまず校長に任用される事はないと聞く。

縦の命令系統がある程度整った環境で、『学力テストが大事』だとマインドコントロ-ルされた校長が『学力テストの点数をあげろ』と命令すると、その学校がどうなるかは考えなくても明らかだろう。

教師は点数をあげるために必至に努力する事は間違いない。しかし、努力しても点数が上がらない子どもにとっては、これは苦痛だろうことも誰も疑わない。点数で人間性まで決まるとなると、気持ちが荒むのには時間はかからない。

大阪に限らず、学力テストの点数をあげることに汲々としている自治体も、きっと校内暴力が急増しているのではないだろうか。この相関関係を調べることこそ新聞やテレビなどマスコミの仕事(任務)ではないだろうか。(田舎親父)

2009年6月11日 (木)

逃げる際のかっぱらいではあるまいに・・・

 やはり政府は消費税率の引き上げを出してきた。『骨太の方針』などとおよそ日本語としての体をなさないような言葉を作って、これが『経済財政改革の基本方針』だと宣言しているが、内容的にはすべて庶民イジメとしかとれないものばかり。

コイズミ政権の負の遺産だろうが、以後の内閣は経済改革という名のもとに大企業が儲かるシステムを次々と打ち出すのだが結局は資金が不足してはなかなか思うように進まない。そこで『財源が問題』ということを盛んにマスコミに流させて、国民を本当に財源不足のように思わせる作戦を展開してきた。

財源がないのに15兆円もの補正予算を強引に通過させたのだが、中身は本当に今必要なものはごくわずか。バラマキと言われても奇怪しくない項目が多いのは以前にも何度も書いてきた。

最近は選挙が近づき自党に不利な情勢に焦っているらしく『無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)』なる選挙対策の組織を立ち上げ、各省庁や独立行政法人から聞き取り調査をはじめたとのことだが、どうせその場しのぎの人気取りのパフォ-マンスだろうと思っていた。

ところがその組織が、100億円以上もの予算を準備のために計上して建設するという『国立漫画喫茶(アニメ博物館とか言うらしい)』などが無駄だと指摘したというから、面白いことになるのかなと思ったものである。ところが、執行部はすぐに反論。どうやらPTの勢いは尻すぼみになりそうな気配に、やはりと思わざるを得ない

このPT組織の主査には執行部とは距離を置く、ある意味異端児と見られている人物をあてているのも、党として本気で取り組む姿勢などないことの証拠。まあ期待しない方が腹は立たないだろう。

漫画家からも不要と言われている『国立漫画喫茶』は、民主党が政権をとらない限り、お台場に立てられて、館長以下幹部たちは中央省庁からの天下りの指定席になることは間違いなさそう。

これを無駄ではないと称して、なにが無駄なのかと問いかけたいが・・・。相変わらずアソウ首相としては『俺が作ったのだ・・・』と名前を後世に残したい欲望は凄まじいようだ。

『国立漫画喫茶』のことはさておき、昨日の朝日新聞の一面に『財政再建へ・消費税12%』とい見出しに驚くと同時に、いよいよなりふり構わず消費税率の引き上げ、それも7%や10%ではなく、一気に12%というとんでもない数字を言いだしたことに唖然とさせられた。

財政再建目標は、借金返済以外の歳出をすべて税収でまかなう『基礎的財政収支の黒字化』に加え、国と地方で計816兆円にのぼる債務残高の抑制が柱だと言う。

債務残高などと何やら難しい言葉であるが、簡単な言い方をすれば国が国民から借りている『借金』で、生まれたての赤ちゃんから年金生活で暮らしているお年寄りも含めた国民全ての一人当たりが約600万円というから気が遠くなる。

凄い数字である。しかし、今後も増えつづけていくというから恐ろしい。こんなことは官僚たちは十分理解しているはずなのに、少しぐらいの無駄をなくす事自体が『無駄』だと思っている輩達は過去・現代・未来を通して『我が世の春』を謳歌するように、自分たちだけは優雅な生活ができるような仕組みを維持しているのだから当たり前といったらこんな当たり前のことはない。

消費税率の値上げは以前から必要だと言われているが、その前提が無駄を省くことと、使徒を社会保障に限るという条件があったことは周知のこと。

しかし、今回の引き上げについては、そんなことは書かれていない。当たり前だと書かなかったわけではなかろう。膨大な無駄使いを何とか消費税率の引き上げで帳尻を合わそうとする姑息な手段だとしか言いようがない。

3%から5%に引き上げられた時も、確か社会保障の充実を表面に出していた。しかし実際は、社会保険庁などという役所を天下りの指定席にして、湯水のごとく無駄遣いした結果が現在の財政破綻をもたらした要因だということを忘れてはならない。

以前から何度も述べているように、私も消費税の引き上げは基本的に仕方ないと思っている。しかし、それには前述した『無駄をなくすことと使徒を社会保障に限る』ことが大前提でなければならないと確信している。

消費税率を12%という数字は、来る選挙では敗北間違いなしとあきらめ、同じ負けるのなら行きがけの駄賃にして、民主党政権に負の遺産を残してやろう・・・と思う『負け犬根性』が表面化したものではないかとさえ思ってしまうが・・・・。(田舎親父)

2009年6月10日 (水)

二羽のハトとは上手い表現・・・

 日本郵政の社長の再任問題がもめに揉めているようだ。鳩山総務相が『正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと申し上げている。落としどころはあるわけない』とかっこよく大見得を切っている。

 ほとんどの国民は拍手して、変に妥協するな・・・と後押ししているような雰囲気が感じられる。当然私もその一人である。

 オリックスにベラボウな安価で売り渡そうとしたやり方は、まずオリックスに譲渡という筋書きが決まっていて、それに沿って脚本を無理に作り上げたような感じがあり不透明極まりない。以前にも述べたことがあるが、これは郵政民営化の企みの仕上げ段階であり、そのために西川という人物が社長に選ばれたことは今では多くの人が知っている。

 もし、鳩山総務相が異議を申し述べ任命しないと言わなかったら、この人事はスンナリ決まっていたことは間違いない。すると西川社長は大手を振って、郵政民営化の最後の仕事として郵政関係の全ての資産を民間(外資系企業)に売り渡すことが規定の路線だったはず。

 この問題が明らかになり国民の怒り表面化した時、アソウ首相は『実は私は民営化に反対だった』と口を滑らせ、コイズミ元首相から『呆れるより笑ってしまう』という恐ろしいお灸を据えられ、すぐに『民営化に賛成だった』と言い換えたことがあった。

 みっともないと思ったのは私だけではないはず。それ以後は裏でどのような取引がなったのかは不透明ながら、民営化に対しては一貫して『すすめるべきだ』という立場をとっている。

 このことは、西川社長の留任を認めることが前提だが、総理総裁就任に対して一番の功労者と言われている鳩山大臣から『絶対認めない』と言われていては、どうしようか・・・と悩みに悩んでいることは想像に難くない。

 この御仁はいつものことながら、かっこをつけて演説するわりには、ことが起こると与謝野さんに丸投げするクセがあるようで、今回の社長人事もできれば与謝野さんが鳩山大臣を説得してくれればと期待しているようだ。しかし、世論が『留任反対』では与謝野さんも『留任』と声を上げにくいらしく、このところなんとなく顔色がさえないようだ。

 党内からは郵政民営化に熱心な議員から『内閣の一員として反対するのはおかしい』とか、『鳩山氏は直ちに辞任すべき』だという、鳩山批判の攻撃が激しいようだが、当の鳩山氏は『正義が通る国にする』という態度を通しているから面白い。

 多分に総務相は『俺をクビニしたら大変なことになるぞ。自民党はそれこそぶっ壊れるぞ・・・』と逆に首相を恫喝しているのではないだろうか。

 首相も社長留任をしなかったら、郵政民営化の大本が揺らぐ事態になりかねず、それではコイズミ元首相との約束(裏取引-多分あるのだろうと推察している)を破ることになる。すると、どんな仕返しがくるのか恐ろしくて簡単に総務相のいう事を聞けないのが本音なのかも知れない。

 郵政民営化に熱心な議員の圧力を受けて鳩山さんを罷免すると、その時点で『アソウ下ろし』が渦巻くだろうし、なにより国民の大多数からブ-イングが巻き上がることは間違いないだろう。

 マスコミは明らかに国民的人気がある場合は、自信満々に面白おかしく『アソウ批判』をするのが常だから(罷免したとなると)、とんでもない記事を連日流しアソウ下ろしの先頭に立ちかねない。

先日、民主党の鳩山代表は『政権末期症状だ。私は、麻生内閣を退陣に追い込むためのハト。一方は閣内不一致を広げるためのハトだ』と鳩山兄弟を『二羽のハト』という言葉で自民党と内閣を批判していたが、なかなか上手いことを言うと聞いていてついつい頷いてしまった。

 多分、私が思ったほど権力がなくなってしまっている自民党の党首(アソウ首相)には事態を解決する能力はもはやないようだ。

 最後の強権行動は、この問題を解決しないで『解散』を行うことだろうが、その度胸もないはなると、ただひたすらに党内の嵐が吹きや止むのを待っているというところか。

 いやはや面白くなってきた・・・。(田舎親父)

2009年6月 9日 (火)

消費者の立場などは一切無視とは・・・

 次々に食品表示の偽装が明らかになるが、マスコミが取り上げるのは氷山の一角というから、何を信じて良いのかわからなくなるほど偽装のオンパレ-ド・・・。というより、偽装が当たり前になり、正直に表示したら損するという風潮が当たり前になっていると言っても過言ではないのが悲しい。
 農水省が昨年一年で食品表示に違反があったとして、製造業や販売業に日本農林規格(JAS)法に基づき行政指導や厳重注意をしたケースは879件あったそうだ。そのうち公表したのは110件だけで、残る769件を非公表にしていたということが報じられた。
 農水省が把握した偽装の約9割が全く消費者に知らされていないことになる。また、公表されたからといって新聞やテレビがすべて取り上げるわけではない。話題になったのは私が感じる限り数十件程度ではないだろうか。残りは農水省がホ-ムペ-ジなどに掲載したのだろうが、一般の人が農水のサイトなど見ることはまずない。
 公表された769件という数字も、たまたま内部告発や消費者からの通報で明らかになったものであろうから、うまく立ち回って偽装がバレていない場合もかなりあるに違いないから、消費者はまさに『つんぼ桟敷(差別用語かな)』におかれていると言っても差し支えなさそうだ。
 農水省は『悪質と判断して是正を指示したケースは公表したが、過失や一時的な違反まで公表すると、業者が受ける社会的打撃が大きい』と弁解しているというが、この言い方には消費者の存在はない。この役所は食品の安全安心よりも、業者の『金儲け』に手を貸していると断言したくなる。
 本当にこんな役所が必要なのかなども議論されず、今年の秋には『消費者庁』が発足することになっているという。一応、消費者の立場を守るためにという大義名分が掲げられているが、農水省の姿勢一つとってもこの程度。
 別の省庁も利権を簡単に手放すこともないだろうから『消費者庁』が額面通りに消費者の立場を守れるなどとはまず考えられない。
 相変わらず、中国産ウナギを国産と表示する偽装が盛んらしい。この種の事件はかなりマスコミも取り上げたが、実際にはまたまだ続いているようだ。一串1000円以下のものはすべて中国産と言い切る専門家もいると聞く。
 もっとも、最近は生きたまま輸入して、国内でしばらく養殖すれば立派な『国産ウナギ』と表示できるらしいから、ス-パ-の特売などで売られているものは、厳密な意味での産地はほとんど『中国』だと思っても良さそうだ。
 今回報道された農水省が非公表とした違反事例には、中国産ウナギを『大分県産』『鹿児島県産』『国産』との偽装があったという。『一色産』や『静岡産』は何故か明らかになって大騒ぎになったのに、こちらは事件として取り上げられないので非公表とは何か違うのでは・・・。
 納得できないのはホルスタインを『松阪牛』と表示しているのに公表しなかったこと。松阪牛というから対象が富裕層の人たちだということなのかも知れないが、例の定額給付金でほんの少しの贅沢をしたいともう人たちも存在することも違いなかろう。後で偽物と知って憤っているに違いない。こんな悪質な業者は明らかにしてほしいものだ。
 農水省の幹部たちは『価格が安いからといって飛びつくのがアホだ』と言いたいのかも知れないが、その日その碑を必至で生きているものにとって、1円でも安ければ飛びつくのは当たり前。消費者庁の役人はこの庶民感情をぜひ理解してほしいものと切に願っているが・・・。発足の経緯から思うと無理のようだ。
 昨日、農水省の次官の天下り先を新たに設けたという記事があった。俄に信じたくないが、表示偽装を非開示にしたことは幹部たちの天下りとの大きな関連性があるという指摘も、あながち的が外れていないのでは・・・。(田舎親父)

2009年6月 8日 (月)

京都の教育の質を問われる事件だと思うが・・・

 先日京都教育大学の男子学生6人が集団準強姦容疑で逮捕されたというニュ-スが報じられたが、なぜ『準』がついているのだろうと引っかかった。

準というからには明確な強姦罪ではないといいう意味なのだろうが、そのあたりがよく理解できない。報道が正しいとしたら被害者の女子学生は泥酔状態で意識がほぼなかったらしいから(例えその場で計画した衝動的な犯行だったとしても)集団で襲うという卑劣さは『準』に値しないと思うのだが法律用語というややこしものである。

2月に起きたこの事件が、最近になって明らかになったもの大学側の隠蔽体質があったのだろうことは容易に想像できる。卒業を迎える時期には、各大学では『卒業コンパ』が大流行。連日いろいろな仲間が集まってどんちゃん騒ぎを繰り返しているのは昔から変わらない。

この連中もその例にもれず、かなり大勢の人数で大騒ぎをしていたらしい。中に女子学生が混じって一緒に飲んでいたらしいが、そのうちの一人が泥酔状態になったのを見て、4年生たちが卑劣な行動を開始したようだ。しかも見張りのような者を立ててまでとなると悪質極まりない。

女子学生が一人だけだったことはあるまい。泥酔した仲間を誰一人も介抱せずそのまま放置して、帰ってしまったのだろうか。そんなことは考えたくない。現実として彼女一人を男共に任せてカラオケにでも繰り出しとなると、最近の女子学生たちには横の連携など全くないのではと、ガッカリするとどころか気持ちの悪さを感じてしまうが、何か報じられないような裏事情があるのでは・・・。

後日、女子学生が教官に相談したことから大学側は大慌てしたようだ。明るみに出ては大変とばかりいろいろな手を打ってきたようだ。まず、『ハラスメント防止委員会』なる名称の組織を立ち上げて、被害者や関係者と思われる学生から事情を聞いたらしい。

その結果、今回逮捕された6人に対して『無期停学』にし、数人の学生には実行犯ではないが居合わせていたのに制止しなかったという理由で『訓戒』処分をしたようだが、警察には報告していなかったようだ。

また、被害者の保護者に対しては『公共の場所で性的なことをした公然わいせつは6人とも認めたが、同意があったのか、無理矢理だったのか、細かいところは判断できない』と説明したという。さらに、警察に告訴するかどうかはそちらでどうぞ・・・というから、『あんたの娘さんも前後不覚になるほど酔っぱらうのも悪い』という態度だろう。

この時点で公表しなかったことには『教育的配慮を優先し、正確な情報を得てから公表すべきと判断した。間違った対応はしていない』と正しかったことを強調しているらしいが、相変わらず『教育的配慮』という言葉が胡散臭い。

確かに、前後不覚になるほど泥酔した女子学生にも問題はある。日頃から大学側が品行に問題を感じていた学生だったかも知れない。しかし、無抵抗な人間を集団で暴行するという行為は動物以下で、酒の上の行為だったという言い訳は絶対に通らず歴然とした犯罪である。これは、校内だけで処理しようとした大学の手落ち以外何ものでもないだろう。

女子学生は新学期になって警察に告発。それが今回、事件が明るみになり6人の逮捕につながったのだろうが、やはり問題は大学の対応の悪さであることは間違いなさそうだ。

後日談というか、まさか逮捕されるとは思っていなかったからとしか思えないような事実も明らかになっていることを見ると、本人や周りもこの事件がさほど重大だと感じていなかったようだ。

一つは、停学になった学生の一人の親が教育委員会の幹部だったことを利用して、自分の子どもを学童指導員として採用していたということ。この親は子どもが停学になったことを知らなかったのだろうか、それとも理由を聞かされなかったのだろうか。そんなことはあるまい。

教育の分野では一番命取りになるのが『破廉恥罪』であることは、教育委員会の幹部なら知らないわけはない。それを承知で自分の権限で息子を採用していたのだから、この親のアホさ加減はどうしようもなく、厳しく糾弾されるべきではなかろうか。

もう一つは、『戒告処分』された学生の一人はそのまま卒業し、公立の中学校に講師として採用されていたとのことであるが仲間の逮捕を知って辞表を提出したという。大学から圧力があったかどうかは知らないが、何か不自然な動きであることは否めない。

それにしても京都の教育の質を疑われる事件である。教育大学は京都における教育界では名門の大学で、特に教員を志望している若者には人気が高い存在。卒業生が校長や教育委員会の指導的な立場の地位についているはずである。

すべての学生がそんなクズのような人間だとは思わないが、今回6人もの逮捕者がでて、さらに関係している学生も多いとなると『玉石混合』状態であることは間違いなさそう。しかも大学の対応の悪さは明らか。そんな教官に指導された(玉はともかく)石の部類の学生が大学を卒業すると即『先生』として、子どもたちに自分たちの悪行はおくびにも出さず、偽善的な授業をしているのかと思うと恐ろしくなってくる。

今後、大学の質と同時に、この大学が受け持ってきた京都の教育の質までも話題にされるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2009年6月 7日 (日)

減反政策転換も幻に・・・

耕作が放置され雑草が生い茂っている田んぼを見る度に割り切れない思いをするのは私だけではないだろう。食料の自給率が40%を切る事態に追い込まれていながら、一方ではこうした土地を放置している我が国の農業政策は一体何なのだろうと憤りを感じるというより、呆れてしまう。

減反は米の価格を維持するのが目的だとの説明のようだ。農家のためを思うと止むを得ない政策だとのことだが、その裏で大きな利権が絡み農協の幹部たちと、それにつながる『農水族』という国会議員たちが暗躍していることは今では多くの国民の知るところとなって、農家の間でも減反に対して批判が強まっているという。

米の価格を維持するためには莫大な費用が必要だということは、農政には全く疎い私にでも理解できる当たり前の事実。そのカネをうまく運用すれば、農家の人たちも安易に耕作を放棄するとは思えないのに、減反のみが農家の生活を守る唯一の方法のような宣伝をして、このような輩は自分たちの利権を必至に守っているのが現実。

さすがに農水省もこのままでは農政そのものが成り立たなくなると、減反を見直す動きがでてきたようだ。きっかけは昨秋、石破という軍事のオタクと見られていた農水相が減反に疑問と発言したことのようだ。この御仁の言動を見るとひょっとしてこの大臣は本気?なのかも知れないと期待を持ったものだが・・・。

農水相は減反政策で米価維持を図る従来の農政の転換を検討すると公言。減反に加わるかどうかを農家の判断に任せ、減反に参加した農家には所得補償をする『減反選択制』を導入するとのこと考え方だった。

税金を所得補償につぎ込む代わりに、コメの買い支え政策をやめて米価を下げることで、消費者にも利益を還元する狙いがあるという。細部についてはよく理解できないまでも、農家の判断に任せるという考え方には拍手。これが自民党の方針となったら民主党も困るだろうな、と感じたものである。

省内でもいろいろと確執があるのだろうが、それでも何とか大臣の意向に沿って動きはじめる気配で、先日、『減反で米価を維持しようとすると、10年後には国費負担が現在の2倍以上の年額4300億円に膨らむ可能性』という試算を発表した。

族議員には理念を通して説得しようとしても無理な話とばかり、『カネ』の問題を持ち出したようだ。それでも族議員はなかなかクビを縦に振らないだろうから、この問題は簡単には解決しないだろうと思ったもの・・・。

案の定昨日になって、減反見直しを自民党は次の総選挙のマニフェストに盛り込まない方針を固めたとき報道に、やっぱり・・・とガッカリを通り越して呆れる。いよいよこの党では国民が望む改革は何一つ実現しないことがはっきりした。

農水族のバックボ-ンとなっている『農協』は、米価が下がるとコメ販売手数料などの収入減につながるため大反発。結局、局今回のマニュフェストには載せられなかったようだが、またまたアソウ首相の指導性の無さを露呈したようだ。

アソウ総理で思い出すが、厚労省の分割も面白い発想だった。その意見に対して、首相の権限は凄いものがあるのだと、このコ-ナで私見を展開したが、形勢が不利になると『私が言いだしたことではない・・・』なんて、あっさりと前言を否定して、分割案を取り下げたのには呆れたが、今回の減反見直しも同じようなもの。どうやらコイズミにはあってアソウにはないものが指導性であり、それが私が感じるこの国の大将の強い権力らしい。

世襲制限も立ち消え。議員定数削減も『○年後に削減』などという方針を提案して、党内の多くの議員からも失笑を買うとあっては、マニュフェストには何も掲載できないということになりそうだ。

もっともこの党は『何とか誤魔化して政権維持』が体質だろうから、民主党に対抗していやいやながら、『俺たちもこんなマニュフェスト作りをしている』という姿勢を出したいだけで、基本的には公約など作りたくないというのが本音だろう。

マスコミが大騒ぎしているが、このあたりを冷静に見ると、こんな当たり前のことは素人でもわかると言ったら失礼だろうか・・・。(田舎親父)

2009年6月 6日 (土)

腑に落ちない表現が気になる

 先日、カルスト台地と鍾乳洞で有名な秋芳台のホテルに修学旅行で宿泊していた大阪の小学生一行が一酸化炭素中毒に見舞われ、同行のカメラマイが死亡するという常識的には考えられないような事件が報じられた。
 記事によれば、一行は1泊2日の予定で2日に大阪を出発。ホテル3階の客室に入った際に看護師が倒れ、続いて教員3人とカメラマンが倒れたとある。子どもたちは一階の食堂で夕食をとっていたので難を逃れたとのことだが、部屋に荷物を置かずに食堂に入ったのだろうか。そんなことはないはずなのに・・・。
 一行は児童72名と校長はじめ引率教員やカメラマンの計80名ということだから、大人は8名。そのうち5人が部屋に入ったとたんに倒れたとすると、残りの大人は3名ということになる。
 カメラマンというからには子どもの生活に密着しているはずなのに、真っ先に部屋にはいるだろうか・・・。そんなわけはないだろう。養護教員や引率教員も同じで、まずは子どもたちを落ち着かせてから自分の仕事にはいるのが普通だと思うのだが、どうも違和感がある。
 修学旅行などで旅館に到着すると、ほぼ例外なく『開園式(名称はいろいろある)』と呼ばれているイベントを行うのが当然のことになっている。ここには、全員がロビ-などに整列して校長や児童代表の話が終わって、ホテル側の人たちと初対面のあいさつが必ずメニュ-に入っている。
 その後、子どもたちを部屋に案内して落ち着かせてから食事やお風呂というのが定番になっているはず。カメラマンや養護教員が自分の部屋に入ったとたんに倒れたということがよく理解できない。なにより子どもたちも3階の部屋に入るずだったとのこと、どうしても引っかかる。
 (倒れた)5人もの大人が子どもたちと別行動などとは考えられない。一階の食堂で夕食をとっていたのではなく、子どもたちは早々に別の場所に避難していたのか、させていたことになるのではないだろうか。
 どうして無理な報道になっているのだろう・・・。と疑念が頭をよぎる。
 それはともかく、一酸化炭素が3階に充満していたということ自体信じられない。部屋を開け放ってから3時間も過ぎても300ppmという法令で決められている30倍という高濃度というのも変な話である。
 ホテル側は事前に部屋を点検していたはずだと思いたい。こんな物凄い高濃度の一酸化炭素が充満していたら、まず従業員が倒れていなければならないと思うのだが、ホテル側の被害者など全く話にでない。
 警察のその後の調べでは、建物外側の地下に作られている給湯用ボイラーの排気管に亀裂が入っており、不完全燃焼で生じた一酸化炭素が壁などの隙間から部屋に入り込んだらしいとのこと。恐らくこれが原因だろうと思うが、その日3階にはホテル側の人間は立ち入らなかったのだろうか。ホテル側の責任は重大である。
 一酸化炭素は無色無臭、目に見えないだけに恐ろしい。高濃度の場合は吸い込んだ瞬間に意識がなくなるという。
 ボイラ-など重油やプロバンなどを燃料にして給湯や調理している建物では点検が義務づけられているはずなのに、このホテルでは『煙突は一度も点検していない』と言い『ボイラーもいつ点検したかすぐに分からない』というから、経営者には一酸化炭素の発生などはじめから意識していなかったようだ。
 一酸化炭素の警報機はすでに存在するはず。ホテルにその装置があればこんな事故は絶対に起こらなかったに違いない。経営が苦しくてそちらに手がまわらなかったことも十分考えられるが、安全安心が客商売の基礎基本のはず。
 しかし、この経営者にはその認識がなかったようだ。ひょっとして(恐ろしいことだが)そんな警報機があることすら知らなかったとも考えられないことでもない。
 消防法では、一定の広さ以上のホテルには火災報知機や都市ガス・LPガスを感知するシステムを義務付けているが、一酸化炭素の警報機の設置義務はうたっていないとのこと。
 今回の事件で、間違いなく設置が義務づけられるだろうが、人が死ななければことが進まない我が国の行政スタイルに憤慨すると同時に、カメラマンに冥福を祈るしかできない自分が情けない・・・。(杉)

2009年6月 5日 (金)

黄色は止まってはいけない信号?・・・

何回も繰り返しているが時間の過ぎるのが早過ぎる。春を待ちわびて、桜を追いかけたのがほんの少し前だったような気がするが、気づけばもう6月。一年の半分が過ぎ去ろうとしていることに驚いてしまう。

そんなことを思っていたのが6月1日のこと。すでに今日は5日。『芒種』を迎えているから改めて時間の過ぎ去りかたの速さにビックリしている。

その6月1日に、私も何回も通ったことのある交差点で信じられないような事故が起きた。このことを話題にしようと思いながら、どう切り込もうかと考えているうちに今日になってしまった。

信号待ちをしていた昭和医大の看護士(看護婦という表現の方が、わざわざ女性と記述しなくてすむので良いと思うのだが)の女性3人が車にはねられて死亡するという悲惨極まりない報道があった。

横浜の都筑区での出来事である。私の住む緑区とは違って、隣の都筑区は後からできた区なので中心部の道路の整備が進んでいて、片側4車線という道路が多いのが特徴。

当然、走りやすいのでスピ-ドを出す車が多い。最近歩くことが日課になっている私は車が来ないことが確認でき、近くに子どもが見ていないことがわかると赤信号を無視して横断する習慣がついているが、片側4車線となるとさすがに渡るのを躊躇する。

この場所は歩道も広い。勤務が終わりホッとして帰路についた3人は、安全地帯であるはずの歩道で信号の変わるのを待っていたところに、あろうことか車が飛び込んできたのだから防ぎようはない。

報道によると、右折車と直進車が衝突、直進してきた衝撃で歩道に飛び込んだとのことである。

最近この手の事故が多い。というか、黄色になっても『止まってはいけない』と思っている人が多く、まず絶対というほど黄色信号で停車する車はない。後続車もその気なので『教本』通り止まると追突する危険性が大きいのだから当然だろうとは思うが、これが事故の原因になっていることは疑いの余地がない。

時差式の交差点では信号はいつも『赤』その下に直進や左折を誘導する緑の矢印が出ているのだが、右折の矢印がでる前に直進と左折の矢印が消えて一旦黄色になる。交差点によって黄色の時間が違うのだが、この黄色が『止まってはいけない』信号という意識があるらしく、かなり手前でもスピ-ドをあげて通過するのが普通の光景になっている。

私自身なんども経験があるが、右折する時には相当の注意を払わなければ、スピ-ドアップした直進車とぶつかりそうになる。

今回の事故も同様な状態だったようだ。夜の10時というから車の数は少なかったに違いない。運転手は18歳の大学生となると、尚更黄色で止まる気などなかったに違いない。

法規的には右折車には過失はない。右折車は当然権利があると思い込み、何の疑いもなく右折していたのだろうが、直進車の止まることを確認していれば事故はさけられたに違いない。

今回の場合は3人もの(しかも人材不足と言われている看護士)人の命がなくなったので、マスコミは大きく取り上げたが、黄色が『止まってはいけない』という意識をなくさない限り同様な事故はこれからも起こるに違いない。いや、今もどこかで事故が起きている可能性が高いと確信している。

常時『赤』を出している現在の時間差の信号は『赤』に対する注意意識を低下させているのではないだろうか。

あくまで私個人の考えであるが『赤はとまれ』なのに『緑の矢印』で動きを規制されているのだから、信号の『赤○』には目に入らなくなり、『黄色○』をより大きく意識し、『止まってはいけない』合図だと思い込むのではないだろうか。

ところで今回の事故報道でも気になるのは、20歳未満の場合は加害者の実名がでないことである。

少年の場合は実名を出さないことに対して異議をはさむものではないが、車(原付やオ-トバイでも同じだが)は扱いを間違うと刃物以上の凶器になることは誰もが知っているのに、免許を与える現在の制度には何か違和感がある。煙草や酒は20歳からと規定があるのに車の免許は18歳(原付は16歳)となっているのが不可解。

運転免許を18歳で与えるのなら成人扱いにしなければ筋が通らないはず。このことについてマスコミはあまり突っ込まないのも不思議であるが、こんな矛盾は放置すべきではないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年6月 4日 (木)

薬の飲み方が特許とは・・・

 一昨日だったと思うが『薬の服用が特許』という見出しを見つけた時、一瞬何のことかわからず、しばし口アングリ状態になるが、内容を読むと政府は本気らしい。

なんでも、政府の中に『知的財産戦略本部』という部局があるという。そのなかの『先端医療特許検討委員会』という始めて耳にする組織が、6月中旬にまとめる『知的財産推進計画2009』という白書(?)に、薬の服用法を新たに特許として認める方針が盛り込まれるとのことである。

多分、例によって『なんとか委員会』なる厚労相の諮問機関でも作って、お仕着せというか、一部の業界の利権を誘導するような『結論ありき』の談合が行われたのだろうが、そんなことが報道されたことはなかったように思える。

『特許』などとはまったく無縁で、こんなことが特許になったとしてさほど影響はないだろうと思っている私でも、何か変だと感じてしまう。少なくとも事実がまったく国民に知らせられないうちに決められることは問題ではなかろうか。

同じ薬でも『飲み方や飲む量を工夫』することで副作用が少なくなる『事例』があるらしい。こうした分野の研究開発を促す狙いが目的だというが、副作用を少なくすることなどは製薬会社の最小限の良識ではないだろうか。

現在の特許制度では、薬自体や薬の用途などに関する特許は認められているが、服用法にまで特許を認める考え方は『日本』では採用されていないとのことである。『日本ではない』ということはアメリカなどではすでに採用しているような表現に、またまたアメリカ追随が始まったのかとも思えないこともない。

一例として、毎日服用するように開発した骨粗しょう症の治療薬を1錠あたりの量を増やして服用回数を週1回に減らしたところ、副作用が小さくなる事例が見られることをあげて、服用方法の研究が進めば患者の負担軽減につながる医薬品は多いと結論づけているのも気になる。

記事から察すると、服用方法の研究開発には、新薬の開発同様多大な費用と時間がかかるとして、この分野での特許を認めるよう製薬業界からの強い要望らしいが、特許という『金儲け』の種がなければ、こんな分野の研究にカネなどかけるのはバカバカしいというのが本音のようだ。

しかし、もし苦労して新薬を開発してガッポリ儲けたとしても、別の会社や個人がこの新薬の飲み方によって副作用が少なくなったと『特許』申請して認められると、新薬を開発した会社は特許を持っている会社などに高額の『特許料』を払わなければならないことになってしまう。

これでは薬価が上がるのは当然だろう。高齢者の医療費負担を削減するという政府が、薬の価格をわざわざ上げることができる『道筋』をつけているとしか思えないが、いかがだろう・・・。

『知的財産』を守ることには異論はない。が、薬の飲み方なども『知的財産』になってしまえば、『太らないための肉の食べ方』や『異性に関心を持たれる服装』なども特許になってしまう可能性があるのではないだろうか。

この分野の研究は多いにすすめるべきだろうが、どちらかというと個人の趣味の問題で『特許料』を得るためになされるものでもあるまい、と思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年6月 3日 (水)

阿久根市民を見習いたいものだが・・・

 以前にも取り上げが、鹿児島の阿久根という小さな地方都市で市長が自分のブログで議員の任期投票をしたことで不信任案を全会一致でつきつけられたことを受け、議会を解散したが、当選した議員が市長の政策に理解を示す人が少なく、再度不信任。

 市長は失職。出直しの市長選挙があり、国交省出身者と一騎討ちになっていたが、その投票が先週の日曜日に行われて、約8500票対79000票で、ブログ市長が勝利したと報じられた。

 約600票の差である。この数字を多いと見るか少ないと見るかは、その人の立場や見方によるで、投票率が80%をはるかに越えるというから市民の関心の高さが裏付けられている。

 恐らく、こんなに高い数字にならなかったら国交省出身の候補が圧勝したのではないだろうか。先の市議会議員では、市長の行動に理解を示す人の当選はわずかに5人だと報じられていた。結局、定数16人の議員の中で11人と3分の2以上の不信任案につながり市長の失職となった。私は『地方都市の市民の意識ってこんな程度』と少し落胆したものだが、しがらみの強い地方都市では仕方ないと、市長が当選するのは難しいと思ったものである。

 しかし現実はさにあらず、実際には市長に理解をしめしながらも、議員に立候補することを躊躇する雰囲気があったらしく、結果的には市長の失職を許してしまったことに危機感を持ち、普段は選挙に関心を示さなかった人たちも、今回は投票所に足を運び『竹原』と記名したに違いない。

 元国交省候補の7900票は、反市長派の議員を支持した人たちが大動員した結果に加えて、多分市役所職員などのほとんどが投票したものだろうから、これ以上は集まらないという最大数値。

 これに対して、たった2万5千人足らずの小さな地方都市で得た8500という数値は普段政治には無関心だった人たちを動かしたのだからこれは重い。

82.5%の投票率というのは、それでもまだ17.5%の人が投票していないということ。なんとなく雰囲気的には、市長を支持する人の数はもっといるのではないだろうかと思わせているのではないだろうか。

 市長はブログで全ての職員の給料を公開して、選挙中にも『仕事内容に見合わず、市民に比べて給与が高過ぎる』と市職員を批判していたから、給料の引き下げは当然行うだろう。

 職員にも生活があるので、市長の一存で引き下げられては良いとは思えないが、実際に自治体の財政の数分の一が職員の人件費として消えており、その結果が財政を圧迫していることは間違いない事実。夕張の二の舞を踏みたくなければいたしかたないのかも知れない。

 市長は『市民が議会と市役所を監視できる環境を整備する』と公言しているというからこれからも議会とのバトルは激しくなるだろう。しかし、もう一度議会を解散されたら今度こそは、今まで利権を握っていた現職たちの当選も危なくなる。となると力関係としては市長が有利になるのではないだろうか。

 今回の結果は、国政の場にも大きな影響を与えるに違いない。投票所にでかけさえすれば、現政権を倒せることを国民は学んだはず。投票率が80%などは必要なく、たかだか60%もあれば、ほとんどの選挙区では野党が圧勝するのではないだろうか。

 以前に自民党の総裁が『選挙の日は寝ていてほしい』といったとか言わないとか・・・。今回、自民党の選対委員長が『投票率は低ければ良い』という意味の発言をしたようだが、直近の一昨年の参院選挙では、すでに自民党は『NO』となっていることを思うと、この発言は本音も本音。願いがにじみ出ているように感じられる。

 再選された市長の手腕に期待すると同時に、来るべき選挙には、ぜひ阿久根の市民に習って、普段選挙に無関心な人でも投票所に足を運んでほしいものである。(田舎親父)

2009年6月 2日 (火)

滋賀発の何か気になる二つの報道

 先月末、滋賀発の二つの情報に何か違和感を覚える。

一つは、織田信長の豪華絢爛の奇城と言われた『安土城』から、命名されたと思われる『安土』という町の話題である。

この町が隣の近江八幡市との合併話が進んでいるという。『平成の大合併が終了』という見出しを見たのはつい最近。しかし、未だに合併話が進んでいる地方自治体は多くいと聞いているが、ここにも存在しているようだ。

近江八幡といえば、徳川幕府の屋台骨を背負ってきた井伊氏の居城である『彦根城』があることで知られている。一方、安土は織田信長が心血を注いで築いた『安土城』跡で有名。市民の中には歴史に興味があって『織田が徳川に吸収されてなるものか・・・』という思いがある人も多いのかも知れない。

どちらが言い出しかのかは定かではないが、最近の傾向として小さい町の財政が厳しいのはよく知られているので、『よらば大樹の陰』という考え方が台頭し、安土の方から滋賀では大都市の近江八幡との合併をのぞみ恩恵をこうむりたいと思ったのではと想像しているが、まったく根拠はなく自信もない。

これに対して反対派は『急ぐな合併・守ろう安土』というスロ-ガンを立てて、『みんなの会』を立ち上げて、町長の解任を求めて反対の署名を集めていたようだ。

その署名がリコールに必要な有権者の3分の1(3291人)を上回る4209人分が集まったという。そこまではよくある話で、スンナリと町の選挙管理委員会がこの結果を認めれば、市民病院の廃止に反対してリコ-ルを起こした千葉の銚子のように市長解任のための住民投票という段取りになる・・・はずだった。

ところが、この町の選管は『みんなの会』という住民団体が提出した署名の効力を確認する作業と称して、署名した住民に対し、署名を集めにきた人の名前を尋ねる文書を郵送したというから驚きである。

なんでも、その文書には三つの質問が提示されていたとのこと。一つは『署名を集めにきた人物の名前』。二つ目は『その人物の名前を知っている場合は個人名を、知らない場合は性別とおよその年齢など』。三つ目は『署名が町長の解職を求めるためのものであると説明を受けたどうか』というものとなると、住民団体が『活動を抑えるのが目的ではないか』と憤るのは当然だろう。

しかも、署名の効力の確認のために、町は署名者2千人に役場への出頭を求める通知を出す切手代と、出頭した人に支払う日当の計116万円を予算化したというから、町長と議会がつるんでいることは明かのようにも思える。

中立であるべき選管が町長に与しているような印象から、町民は何か仕返しされるのではないだろうか・・・と自分の立場を考えて証明取り消しなどの動きがでて、結果的にリコ-ル請求が無効になることもあり得る。これは地方自治としてあってはならないことだろうから、強い疑念を持つ。

もう一つ、平安時代創建の門跡寺院『円満院』という寺が、葬祭事業や仏像販売などを手掛けて多額の負債を抱え、寺の運営が立ちいかなくなり『重要文化財』である9棟の建物と『国指定の名勝』の庭園などを競売にかけたとのニュ-スである。

これは素人から見ると『倒産』と読んでも差し支えないこと。お寺が『倒産』するとは聞いたことがないが、以前にもあの『円山応挙の絹本著色孔雀牡丹画』など重文9点を売却したり、狩野派の絵師が描いた宸殿のふすま絵などが競売されて所有者が移転していたというから、寺の運営は乱れに乱れていたことは間違いなさそうだ。

今回の競売では、県内にあるある宗教団体が売却基準価額の7倍にあたる約10億6700万円で落札したというから、この宗教団体が期日までに金額を払い込めば所有権を持つことになるという。

ひょっとしてこの寺が近い将来、宗教法人『○○○○教』の本部となり、この宗教の聖地になることも十分考えられる。『円満院』という名前も、枕がついて『○○教 円満院』変更されないとは限らない。

昨日『幸福の科学』のことを話題にしたが、新興宗教団体にとっては競売で重文が得られるのは絶好のチャンス。これを機会に信者が増やせると思っているはず。不確かな情報では、この宗教組織は信者を集めるために美術品を買いあさっているというから、所有権の移転は間違いなさそう。

文化庁も、国指定文化財の競売は異例で『競売による所有権移転は好ましくない』と困惑しているとのことだが、困惑しても問題は解決しない。ここは、早急に法を整備して、国の重要文化財などの私的(特に宗教絡み)所有権を制限しなければ、カネさえあればなんでもできるという風潮をさらに蔓延するのではないだろうか。(田舎親父)

2009年6月 1日 (月)

これも一時しのぎのパフォ-マンスだろうが・・・

 民主党がマニュフェストに『議員の定数削減』を折り込み、総選挙の争点にするということに対抗してか、自民党の選対の幹部たちがそろって国会議員の定数削減を言いはじめている。

衆議院の480名というのはいかにも多く、以前から議論の的になっているが、選挙の度に、選挙区の有権者の数があまりにも違いすぎることから『不公平是正』という言葉でくくったほんの少し選挙区の手直し程度でお茶を濁していた感じがする。

ところが、最近自民党の選挙対策副委員長が『50削減』を言いはじめたら、俺も負けずにと思ったかどうかは知らないが、委員長が『180削減』と数の競争・・・。

さらに、『衆院定数300』という議員連盟が発足して、現在の定数を480から300に削減するのが目的だと言いはじめているらしい。しかし、こともあろうにこの議員連盟の会長がアホな言動で顰蹙をかった元の農水相だというから笑ってしまう。

しかも、選対の委員長がその議員連盟の重要メンバ-として加わっているようだから驚くが、(彼らにとっては嫌なことだろうが)確実に秋までにはおこなわれる総選挙に向けてのクチサキ改革姿勢を示すのが狙いだろうことは間違いなさそうだ。

全国的な著名度さえあれば、全国区の比例代票に名前を載せるだけで当選してしまうのが現状で、政治に無縁のタレントやスポ-ツ選手が自民党の口車に乗せられて政治家(むしろ本物の政治屋だろうが)気取りでは、驚くことを通り越して本当にこの国の将来は大丈夫かと嘆き悲しむといった方が良いようだ。

その意味で比例代表制という選挙制度は直ちに廃止するべきだと思っているが、宗教政党の議員たちも組織票が頼り。いくら信者が多いといっても小選挙区から勝ち上がるのはきわめて難しいのが現状となると、この『180』はもちろん、『50』という削減数も絶対に受け入れられないことは間違いない。

自民党の多くの議員が小選挙区で宗教組織の応援によって当選できていることは誰もが知っている事実。この現状で、選対の幹部たちも議員たちに『右に習え』などと言える訳がないのは明らか。となると、狙いは何なのだろう。

『衆院定数300』という起因連盟は『副委員長の50削減に対抗して数字を積み増した』と発表しているというが、本意は別のところにあるのは想像に難くない。

この議員連盟にはコイズミ郵政民営化選挙で国民を催眠状態にして投票させ当選した議員も数多いという。一説によれば、選挙の専門家の分析で当選がおぼつかないとか、当落すれすれの議員たちも多く参集しているらしいから、はじめから当選を度外視して『落ちるのなら皆一緒・・・』とでも思っているのかも知れない。(そんなわけはないか・・・)

宗教政党は現在、小選挙区8人、比例区は23人だというから、選対の幹部たちの提案には大反対に違いなく、実際にはこの政党の代表などは『小選挙区を30削る約束事は何ら進んでいない』と、以前の自民党との取引を言いはじめているというから、今後の動きが楽しみになってくる。

ところで、今年春車で信越地方を走っていた時、やけに『幸福の科学』という看板が目立つのに驚いた。

そこで横浜でもと周りを見ると、『幸福の科学』の存在を表すような表示はかなり数えることにびっくりしていたが、今度の選挙では『幸福の科学』という宗教団体が『幸福実現党』なる奇妙奇天烈な名前の政党を結成して参入するという記事に、なるほどこんな動きがあったのかと納得。

『幸福の科学』という宗教の名前は、その教祖である『大川隆法』の同名の著書で一世を風靡したのは周知のこと。私は読んだことがないが、友人たちの中には『素晴らしい論理』と共鳴し、ぜひ読むようにすすめられたことを思い出す。きっと友人たちを納得させるような論理がその本に詰まっているのだろうことは疑いない。

となると、オオムの時とは違って、ひょっとして数人程度の当選が見込まれないこともないという思いがよぎるが、所詮、宗教というのは信者の数を増やすのが目的なのだから、また一つ宗教政党が増えることは勘弁願いたい。

自民党の議員の中には、この『幸福の科学』の政治への参入に対して、何か含むところがあって『180削減』と、比例区をなくしたらピッタリ一致する数字を上げているのかも知れない、という思いもしないわけではない。

それはともかく、自民党がウソでも議員定数の削減を『選挙の公約』に入れてくれると面白いことになるのだが・・・。(田舎親父)

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