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2009年7月

2009年7月31日 (金)

こんなトラブルを今頃騒ぐとは・・・

 再来年から必修になる小学5、6年生の英語の授業について、文科省が全国の公立小学校約2万1000校を対象に調査を実施したところ、昨年度に小学校で実施された英語授業のうち7割近くで外国語指導助手(ALT)が活用されていたことがわかった、という記事があった。

こんなことをわざわざ調査しなければ分からないのも変な話だが、ALTから『生の英語』を学ぶ機会が定着してきたことが浮き彫りになった形だと評価している一方、簡単に授業を投げ出してしまうALTもいるなど、『質』の問題が浮かび上がってきたとの分析は笑う以前に呆れてしまう。

この問題について私は何度も取り上げている。学校現場に予算も与えず人材も確保しないで、文科省の担当幹部の『小学校から英語が必要・・・』ということだけをお題目のように唱える方針に、現場はどれだけ苦しんでいるのか全くわかっていないらしい。

英語を必須になることが決まると、教育現場は仕方なしにその準備にかかるのだが、小学校の教員で英語を教えられる者は皆無に等しい中、このことは大変なプレッシャ-。教育委員会から派遣されるALTを頼りに、1年生か6年生までほとんど同じカリキュラムで『英語活動』と称する授業を展開しているのが現状である。

必須は5・6年なのだが、全国どこでも1年生から英語活動を展開しているのも変と言えば変なのだが・・・。

当然のことだが、ALTの確保が教育委員会の仕事になり、英会話教室などに頭を下げて人を回してもらいALTとして採用するのだが、この予算を捻出するのが必難。

例えば20の小学校をかかえる教育委員会ではどのぐらいの予算が必要なのか計算してみよう。全国的に見て1年生から6年生まで週一時間が一般的だと言われているので、この数値を当てはめると・・・。

それぞれが3学級あるとすると、一校あたり月に72時間分の予算が必要になる。ALTの時間あたりの手当ては(私の知る限り)3000円程度だと言うから、216000円。20校として432万円。これが11ケ月で4752万円となる。

これは大変な金額である。面積が広い地方では学校数はさらに増えるだろう。隣の学校に自転車で移動などというわけには行かず、交通手段も手当てしなければならないとなると、それでなくても厳しい財政に負担がかかるのは小学生でも理解できる理屈。

一人のALTが歌って踊っての『英語活動(私はこれを『チ-チ-パッパ授業』と名づけているが)』にこれほどの予算をかける価値があるとはとても思えないのだが、何を勘違いしているのか、文科省は強引に小学校に英語を持ち込む姿勢を貫いている。

記事には、ある県の教育委員会の担当者の苦労が紹介されている。

それによると、業者から米国人ALTが交代するとの電話連絡を受け『また辞めるのか』と頭を抱えているという。今年度になってすでに辞めるのは3人目。1人目は『通勤時間が長い』と小学校に現れず、2人目と3人目は『一身上の都合』などを理由に、1学期の授業だけで、学校から消えたとのこと。2学期からは4人目が来るが担当者は『継続性が大事なのにこんなに交代するなんて。児童たちにも説明ができない』と困惑しているという。

現場の校長はもっと困惑しているはず。1学期の間に3人もの『先生-が変わっては、子どもたちは学習どころではない。一言も声をかけてもらえない子どももいるのではないだろうか。これでは英語に親しむどころか、嫌いになる可能性の方が大きくなるのではないだろうか・・・。

ある校長の『もっと手当てをあげれば辞めないのに・・・』というつぶやきも紹介されている。これは校長の切実な願いだろうが、予算をすこしでも切り詰めたい市としてはできるだけ安く講師を派遣してくれる業者と契約するのは致し方ない。

派遣業者も人材確保が大変だろう。英会話学校が派遣業者を兼任するか、提携しているだろうから本職の『講師』はすでにスケジュ-ルが一杯。

以前から私が指摘しているように、英語圏の人間をどこからか探し出して『俄講師』に仕立てて各学校にALTとして派遣しているとなると、質が落ちるのは当たり前。おそらく今後その質は限りなく落ちていくのは間違いなさそうだ。

この間に、小学校の教師が英語を指導できるようになればこんな問題は解決できるだろうが、実際には『絶対無理』であることは、現場を少し知っている人間には常識中の常識。

何か再来年からの小学校現場の混乱が目に浮かぶようだ。(田舎親父)

2009年7月30日 (木)

信じられないような気象災害が気になる・・・

 ここ数年7月中頃から末にかけて、丁度梅雨の終わりごろになると毎年繰り返される大雨による洪水や土砂崩れ。今年は山口や広島、北九州のという地域が大被害。それも一旦雨が上がっても、もう一度、さらにだめ押し・・・というほど大雨が続いている。

被災者には自然現象だから大雨の被害はしかたないと言う諦めに似た心理が働くのだろうが、近年の気象災害は異常も異常。単に『天災』だと決めつけるにはあまりにもひど過ぎる。

確かに大雨はしかたないのかもしれないが、その度に引き起こされる土石流被害には納得できない。先日取り上げた山口での特別老人養護施設への大量の土砂の流入などは、地形さえ見極めて建てていたら起こらなかった被害だから、むしろ『人災』といっても良いのではと思っている。

樹木を伐採してそこに大量の産業廃棄物を違法に投棄、それが原因で山崩れが起きて、近くの民家を押しつぶすと言う惨事も報道されている。これなどは間違いなく『100%人災』と断言できそうだが、そのあたりを追求する記事はない。

近年治水が進み、以前によく話題になった大きな河川の堤防が決壊するということはほとんど報じられなくなった。が、上流で降った雨がほぼ完璧に護岸された川に流れ込み、一瞬のうちにそこにいた人を呑み込む事故も増えている。

昔から大雨は降っている。その度に大河が氾濫し水害が繰り返されたが、それは台風によってもたらされたものがほとんど、季節を選ばず異常な気象現象がもたらす大雨による大被害が最近の特徴。

上流域での荒れるに任せている山林、棚田などを中心にした水田の減少、耕作放棄田畑の増加などは間違いなく被害を大きくしている要因だろう。都市部においてのコンクリ-ト舗装によるに水の地下への浸透遮断も大きな原因であることは論を待たない。

そんなことを考えていると、27日の午後、群馬のツツジの名所で知られている館林という都市で強風による大被害と言うニュ-スが流れた。竜巻のようだと言う。

小学校の教科書にも竜巻の様子の映像が掲載されているので、私も含めて多くの人は竜巻と言う現象は、ごく限られた地域に起こる上昇気流だということの知識の上では知っているはず。視聴者がテレビ局に投稿した映像が映し出されたたが、教科書で見たものと同じ。まさにこれが竜巻だと言う見本のようなものであったことに、都市部でも起こるのだ、と改めて恐ろしさを感じたものである。

すぐに竜巻だと断定したくない理由があるのかもしれないが、気象庁は慎重で調査班を現地に派遣して詳しく調べ、やっと夜になって『竜巻と推定した』と発表した。ここにきて『推定』と言うのも何か首を傾げるが、その被害が物凄い。

幅50メ-トルという渦巻きが東西に発達しながら走り抜けたらしく、その後には大木が根っこから抜き取られた上に途中から折れている。これでは人為的に作った屋根や壁が壊れるのは無理がない。

駐車場の乗用車が横転したり、割れた窓ガラスが飛び散ったりして怪我人は相当数でたようだが、死亡事故につながらなかったのは不幸中の幸。車が中を飛んだと言う情報もあるというから、よくぞ一人も犠牲者がなかったことと胸をなで下ろす。

この竜巻を人災とは言いにくい。しかし、竜巻は広い土地で起こるということが知られていることから、我が国では起きてもごく小規模だと思っていたが、ここ数年各地で大きな竜巻が起きているのは不気味な限り。私の単純な想像だが、竜巻の起きた場所の近くで開発が進み大きな建物の出現や、周りの森林や田畑の減少などがあるのではとないだろうか。

大規模な竜巻はアメリカの専売特許のように思っていた。アメリカでの竜巻の威力は大型車さえ一瞬に巻き上げるという。運転手は遠くに竜巻の姿を見たら車をその場に捨てて大急ぎで安全だと思われる場所に避難する・・・ということを何かの本で読んだことを思い出す。

それほど凄いものらしい。まさか日本人の考え方がアメリカ化したからではないと思いたいが、竜巻などは日本には似合わない有り難くない現象である。まさか何でも言いつけ従順な我が国に対してアメリカからのプレゼントとは思いたくないが・・・

今回の大雨による土石流や竜巻の被害を目の当たりにして、護岸だけを進めてきた災害対策を根本的に改める時期に来たような気がしてならない。

自然を人間の知識と力でおさえこむのではなく、先人の知恵をもう一度見直し、自然のあらゆるものに対して神格を与えて敬いともに生きるという謙虚な姿勢が必要では・・・。

何か取り止めのない文章になってしまったが、犠牲になられた方や遺族の方に心から哀悼の意を捧げ、被害にあわれた皆様にはお見舞いを申し上げ、一日も早い心身はもちろん物的な復興を祈念したい。(田舎親父)

2009年7月29日 (水)

こんなバラマキのマニフェストで大丈夫・・・

 民主党の鳩山代表が自信満々で衆院選のマニフェストを発表した。それに対して自民党は『財源がはっきりしない・・・』と批判するだけだったが、昨日マニフェストらしきものを発表、いよいよ綱引きが始まった感だが、4年前の公約を実現できなかったことに対しての反省はなく、道州制への移行などまたまたクチサキだけのものになりそうだ。

そこに飛び込んだのが、私のすむ横浜の視聴が突然辞任とのニュ-ス。市長選を衆院選挙と同日にすれば投票率は上がるだろうし、なにより費用が格段に少なくてすむ・・・という理由は分かるような気もしないでもないが、あまりにも唐突。市民に梯子を外されたと言う戸惑いだけが広がる。

このことは別の機会にするとして、民主党のマニュフェストの話題に戻る。中央省庁の無駄遣いはかなり報道されているが、またまだあるに違いない。天下りのためだけと言われている『○○法人』などもその類だろう。

そんな無駄をなくして果たして9兆円もの財源が確保できるか私にはわからないが、もし民主党の計算が正しいとなると、この国は一体過去どのぐらいの無駄遣いを容認していたのだろう。そこには、一部の特権階級のために自民党の政治屋が肩入れしていたことが明らかだということになる。

民主党ができると言っているのだから、やらしてみよう・・・というのが今の国民感情なのだろうが、この国民感情と言うものがきわめて『移り気』。一月間持続すれば良いのだが、過去になんどもあった意識的なマスコミ操作によって、コロリと変わることもある。

自民の幹部たちはこのあたりのネタ探し。ひょっとしたらすでにその準備は整い、今はそのタイミングを図っているのかもしれないが・・・。

それはともかく、発表された民主党のマニフェストを見て、政治には全く疎い私でも『大丈夫なの・・・』と思うほど、バラ色のバラマキ?政策に首を傾げたくなるのは確か。

その一つが一人当たり年額31万2000円の子ども手当てと公立高校の無償化。(以前にも述べたと思うが)公立高校の無償化には反対しないが、そこまでやるなら高校の義務化まで視野に入れるべきではないだろうか。

養護施設で暮らさなければならない少年たちにとって、高校に進学して多くの友だちと接する3年間は非常に有用だという。そのために公費で学習・進学塾へ通う費用を負担しているらしいが、義務化して誰もが高校に入学できるとなると、さらに無駄が省けるのではないだろうか。

こども手当ても基本的には反対しない。しかし、このこども手当てを受け取った親たちが『本当に子どものために使うのだろうか・・・』という疑問を持つのは私だけではないような気がする。

本来ならば、こんな疑問を持つこと自体恥ずかしいことだと言うことはよく理解しているつもりであるが、最近の親の意識の低下(というよりゼロとも思える人の多さ)から引き起こされる諸問題をみると、単にカネを与えるより親の意識を高めるような啓発活動が必要に思えるのだがいかがだろう・・・。

現在全国全ての学校といっても過言ではない学校給食。その給食を受け持つのが地方自治体なのだが、どこでもその運営で苦しんでいると言う。

『食育』などという言葉が最近流行している。各学校の栄養士はじめ給食担当者は安全安心な食材の調達などにも腐心していることを日常的にマスコミが取り上げている。地元でも活性化には学校給食にかなり期待しているという。そのためにも学校給食の必要性はますます高くなっているのは、学校給食反対論者である私にも頷ける。

自治体は苦しい財政から学校給食にかなりの予算を当てているのだが、基本的には受益者負担が原則で、給食費を保護者から徴収しているのだが、実際は負担を求めるのは食材費だけで、人件費や光熱費など調理のためにかかる全ての費用は自治体負担。

そこに持ってきて、給食費を意識的に払わないと言うトンデモ親が当たり前になっている現状では食の質の向上など無理。しかも滞納者への連絡(極端な場合取り立ても)はすべて学校任せとなると、まさに本末転倒の自体になっているのが現実。

子ども手当てがどのように支給されるのかは理解していないが、自治体預かりでこれら学校に納めなければならない費用を差し引いて支給されるわけではなかろう。

学校給食の例をみても、親に支給されたら、即これらの必要経費を学校に納めるだろうか・・・。という疑念がぬぐい去れない。少なくとも給食費程度は納めてもらわないと給食が成り立たないと言う悲鳴はよく耳にする。

ならば(私個人としては意見とは相反するが)、むしろ給食費を全額負担というマニフェストの方がわかりやすいと思うのだが・・・。

地方へ権限移譲という言葉もよく聞かれるようになった。子ども手当ての予算をそっくり地方に渡して、その地方の独自で子どものために有用な予算の使い方を考えさせた方が教育の質の向上と言う面からも効果的だと思うのだが。

民主党のマニフェストについてはまだまだもの申したいこともある。ガソリン税をはじめとした暫定税率廃止もその一つ。ガソリンの価格が下がって庶民にはバラ色のように見えるが、環境的に考えると諸手をあげて・・・とはならないのも確か。

これらの問題を取り上げると長くなるので別の機会にしたい。(田舎親父)

2009年7月28日 (火)

集中治療室で母親が息子を殺害とは・・・

 またまた常識では理解ができない事件の報道。いよいよ、絶対殺人事件が起きない場所は南海の無人の孤島だけ・・・ではと思ってしまう。

日本医科大学といえば私でも知っている大学である。そこの付属病院の集中治療室での出来事である。午後5時過ぎに、病院から『入院中の患者が家族に刺された』と110番通報があったという。

警察官が駆けつけたところ、集中治療室で40歳の会社員の男性が胸を刺されており間もなく死亡。犯人はこの男性の母親で現行犯逮捕したときこと。母親は自分で刺したことを認めているというから間違いなさそうだ。しかし良くわからない事件である。

記事によると、男性は自殺を図ってこの病院に担ぎ込まれ集中治療室のベットで寝ていたところを、別室から母親が入って出刃庖丁で胸を刺したらしい。

『自殺を図って・・・』という表現が何かドロドロしたものを想像させるが、父親が子どもをというのは時に聞くが、母親が我が子を殺害するということは小説の世界でもあまりないこと。しかし、このところこのような一般論は通用しなくなったようで、母親が息子を殺害するという事件にも驚かなくなってしまった。

先日も、家庭内暴力が絶えず『殺すしかない』と、寝ている息子の首を締めて殺害したという報道があった。いくら熟睡していたとしても、母親の力で代の男を絞め殺せるかと思うが、泥酔していたらそれも可能・・・。この息子は、その日も酔っぱらって母親に暴力を振るい、挙げ句のはて、前後不覚で寝込んでしまったというところ・・・だろう。

今回の母親の行動もこれに類似しているのではないだろうか。自殺を図ったというのが気になるが、日頃から息子の行動に自分の生命すら脅かされていたとなると、集中治療室での犯行は、暴力を振るわれることがない(ある意味)最高の条件の現場。出刃包丁を持って病院に入っているところをみると、覚悟の犯行ではなかったろうか。

この事件とは全く異質であるが、夫を殺害した妻に懲役5年という判決を思い出す。

介護に疲れ、妻が夫を殺害した事件である。公判で『娘に心配や迷惑をかけたくなかった』と繰り返す被告に、裁判長は『迷惑をかけたくないという気持ちは責められない』としながらも、『命を奪った結果を考えれば、その思いも行き過ぎ』と述べ、『周囲にもっと相談すべきだった』と指摘したという裁判である。

その事件のあらましは、妻は自宅のアパ-トで78歳の夫を未明にトイレに連れて行く途中に夫が失禁、その数時間前にも同じことが繰り返されて着替えをさせたばかりだったことから『これは限界・・・』とスカ-フで首を締めた。本人も自殺を図ったが死に切れず、翌朝発見されたとのこと。確かに思わず首を締めた心理は、実際に自分がその立場におかれたら実行するかどうかは別にして理解できないことではない。

裁判官は『周囲に相談すべき』と指摘したが、実際に親身になって相談できる人がいれば、こんな結果にならなかったのではないだろうか。

夫が大動脈瘤で倒れて一時入院し、2人で経営していた焼き鳥店を閉めたて療養に専念していたが、その後夫の具合は悪化し、事件4日前ごろには妻は介護のためにほとんど眠れない状態になっていたという。

行政に相談しなかった理由を尋ねられた被告は『考えてもみなかった。知らなかった』と答えているという。私の勝手な想像だが、今まで必至に生きてきた夫婦にとって、行政は税金を奪うもの以外何ものでもない、という諦めがあり、とても相談などできる所ではなかったのではないだろうか。

今回の集中治療室の事件の母親も公判で裁判官から同じような指摘を受けるような気がしてならない。

裁判長の指摘は理解できないことはないが、裁判長は所詮日々ヌクヌクと過ごしている人種。息子を殺したかなる母親の本当の心理を見抜けるだろうか。

介護に疲れたという理由が通るとは思わないが、殺人事件で被告にする前に、こんな人こそ何とか助けるのが政治であり行政の仕事ではないだろうか・・・と繰り返される同じような事件に憤りを感じる。(田舎親父)

2009年7月27日 (月)

不可解な事件が多過ぎる・・・

 このところ、私の頭ではどうしても理解できない事件や事故が多過ぎる。

 『それはお前の人生経験が少ないからだ・・・』と言われてしまえばそれまでだが、両親を早く亡くし、やっとのことで工業高校を卒業して富士通に就職、自分の限界を感じて退職したという人生は、人波程度の苦労はしたつもり、なのに・・・である。

 そこで今日は、最近起きた(私には)不可解としか思えない二つの事件を取り上げることにする。

 一つは『年金たまご』と称する新型の詐欺事件。毎月13500円を支払って健康食品?を購入し続けたら、3か月後に月額4000円、22ケ月後には最大で50万円が受け取れると宣伝し、大勢の人からカネを集めていたらしい。

わずか3年で会員数を5万人というのも驚きだが、会員を紹介したら7000円という典型的な『ねずみ講』。ねずみ講の特徴は、ほんの少し『奇怪しいぞ・・・』と思っても、下部の会員が増えれば表面的には自分も潤うというシステムの幻想にのめり込むようだ。

 それにしても毎度お馴染みのこんな話に、なぜ人々はコロリと騙されるのだろう。しかも会員の年代をみると、人生経験が豊かだと言われている高齢者がほとんどだというのも理解の範囲を越える。

 『年金』という言葉が頭についていることで、何となく不安をかきたてたのかもしれない。老後の生活を豊かにしたいと思う気持ちはわからないでもないが、13500円払って4000円が戻るという筋書きを信じる方が奇怪しいと思いたくなる。

 宣伝パンフレットには、そんな疑問を吹き飛ばすような『心地よい言葉』が羅列されているのかもしれないが、騙されたと怒って騒いでいる人たちは(お叱りが来ること覚悟で表現すると)『欲の皮がつっぱっていた状態』だったことは間違いない。今頃騒いでも後の祭りだろう。気の毒だと思うが・・・。

 私にも連日のようにカタカナの会社名で迷惑な電話が来る。電話が鳴ると『ひょっとして重要な連絡かもしれない』という心理が働き、反射的に受話器をとってしまうが、10中8、9がこの手の電話。

 その多くが『金融関係』というのも困ったもの。多少の表現は違っても『某かのカネを投資すれば必ず儲けがある・・・』という代物であるが、そんな儲けがあるのなら自分でやりな・・・と言いたくなる。

 いや、実際にそう言ったら、相手から『その言い方は何だ』とすごまれ、やりとりに無駄な時間を費やした経験があるので、以後『興味がない』と断っている。そんな美味しい話などある訳ないと思ってさえいたら、この種の詐欺には『絶対』にあわないはず・・・だと思うのだが。このあたりが不思議でしかたない。

 もう一つは連日マスコミが大騒ぎしている千葉で起きた母親を殺害して次女を連れ去ったという事件である。

 例によって『携帯の出会い系サイト』で知り合ってしばらく同棲していたようだが、男の異常性に気づいたのか次女は母親の元に逃げ帰っていたらしい。そこで終われば問題がないのだが、男は本当にしつこくつい10日程前にも同じように強引に誘拐?して連れ回していたという。

 その時も警察が入っているのに次女の方は被害届も出していない。人間関係のドロドロとしたものがあるのだろうが、今回、団地に押しかけられた時、危険を感じたら警察にでも連絡すれば良いのに、ドア-を開いて中に入れているのも理解を越える。警察と関わりたくない何かあったのだろうか・・・。

 母親をナイフで刺して次女を連れ去ったとある。次女は恐怖でなにもできなかったというが(わからないでもないが)、車を放置して羽田から飛行機で沖縄へとなると、そこまでやすやすと男の意のままに従うものだろうか・・・と素朴な疑念が湧いてくる。

 保護された次女は恐怖だったと証言しているらしいが、航空会社は搭乗する際は不審な人物がいないかと監視しているのが常。もし次女が恐怖でおののいていたならば見逃すはずがないだろうに・・・。しかしこのあたりの報道はない。

沖縄の携帯取扱店員も、全く普通のカップルのように見えたと証言している。しかも二度も訪れている。ガソリンスタンドでもしかり、この二人と接触した人たちの誰もが、次女の気恐怖の様子を表す雰囲気を感じていない。(今朝のニュ-スではタクシ-の運転手が唯一、次女は無口で、保護された時に安心したのか微笑んでいた、と話していたが・・・)

 これまた(批判覚悟で表現すれば)、二人の間には何らかの『合意』があったのではないだろうかという疑念を持てないこともない。すると、殺人という重大な要素が入っているが、これは内輪の問題ということもできそうだ、というとかなりの罵声を浴びそうだが・・・。

 マスコミは母親の殺害という重大犯罪を糾弾するより、事件の異常性を強調して、連日社会にとって特別重要な意味のある大事件のように取り上げているのは視聴率が稼げるからだろうが・・・もうウンザリという気にならないこともない。

 それにしても不可解な事件が続くものである。(田舎親父)

2009年7月26日 (日)

安易な老人施設の建設許可が事故を招いたのでは・・・

 日本中が皆既日食で盛り上がった日の午後、山口の特別養護老人ホ-ムが土石流の直撃をくらい、中にいた大勢の高齢者が一瞬のうちに巻き込まれ5人以上の方が亡くなり、必至の捜索にも関わらず未だに見つからない人もいるとのこと。

食事をしている時間で早く終わった人は自室に引き上げる時間だったらしい。被害者はもちろん職員やボランティアの人々も何が起こったのかさえわからず、気がついたら濁流が押し寄せてきたという。

毎年この時期に繰り返される土砂災害。各県は防災地図などを作り市町村に配っているようだが、県と市町村との『災害』に対する認識の差があるらしく、事故後の原因調査からは連携の悪さが指摘されるのが毎度お馴染みのパタ-ンになっている。

土石流を根本的に防ぐ手段は難しい。砂防ダムを建設するというのがごく普通の発想だが、日々流出してくる土石によって完成した時点で、数年後には土砂で埋まり、それを排除しなければ役立たなくなる代物だとなると、まさにイタチゴッコで、全国中いたるところ砂防ダムとその遺跡だらけになってしまう。

さらに、避難勧告や命令を出すのは市町村。県の災害マップを十分理解できない職員がいたら、その判断に迷いがでるのは当然だろう。今回、老人施設に市から『避難勧告』が出されたのが、土石流が流れ込んでから5時間も過ぎていたというから、市の『防災システム』そのものが確立していなかったようだ。

市長は『対応の遅れで犠牲者を出してしまった。申し訳ない』と陳謝したという。当然だが、もしも避難勧告が間に合ったとしても、想像できないほどの豪雨の中、100人もの自分で歩けない人たちを安全な場所に移動させるのはおそらく不可能。職員は大混乱に陥ったに違いない。仮定論になるが、避難勧告が発令されたとしても、同じ結果となったか、むしろより大きな被害になったのではと想像している。

今回の災害の原因をあえて探すとなると、私はこのような土石流の危険地域に老人施設の建設を許可したことと言えるのではないかと思っている。

この施設は1999年に開設されたとのこと。県は昨年にこの土地を土砂災害防止法に基づく『土砂災害警戒区域』に指定したというから、建設当時は違反でもなんでもないので施設側の責任を追及するのはお門違いだろうが、旅先で多くの老人施設を見る、限り山間の『沢すじ』に建てられた建物が多いのが気になる。

おそらく多くの施設が建てられた場所は、ここ数年の間に作られた県段階の防災地図では危険地区になっているのではと思うのだが、市町村として、そのことに気づいたとしても打つ手がないのが現状のようだ。

ここまで書いてみて、自宅前の老人施設の建設当時を思い出す。私がこの地に住処を構えたのは30数年前。自宅前の旧鎌倉道を隔てて、緩やかな傾斜の2反あまりの畑が広がり、周りが深い森という立地条件が気に入ったからである。

畑の先は急激に落ち込み歩いて降りるのさえままならぬほどの深い谷。湧水から流れだした清流には多くの生き物が生息し、6月初旬には我が家にもホタルが舞い込むことさえあるという環境だった。

ところが、ある日突然谷の樹木が切り倒され、そこにはわざわざ仮設の道路を谷の反対側からつけてまで大量の土が運び込まれ、アッという間に平地になってしまった。(経緯を書くと長くなるので省略するが)市が許可したというから問い合わせてみたが、地権者からの申請をそのまま受諾しただけという返事に唖然とさせられたことが忘れられない。

それからものの1年も過ぎただろう頃から、急に老人施設の建設がはじまった。反対したがすでに周りが説得されているので覆すことは無理、素人の私が見ても強引でズサンな工事の連続で、そのまま3棟もの施設が建ち現在では高齢者の人たちが大勢入居している。

いずれも鉄筋3階建ての立派な施設である。しかし、強引に埋め立てた土地の20m下には湧水があり、今も少しずつ土地を削り取っているに違いない。そのことを想像できるのは以前から住んでいる近所の人たちだけで、施設に働く人はもちろん、場合によれば許可した市の職員も忘れているか、はじめから知らないことも考えられる。

私ごとになってしまったが、防災マップができている横浜ですらこの現実。老人施設ならどこでも建てられるとあって、都市部であっても急斜面に建てられた施設も多い。

建築強度があるから大丈夫という過信が、これまでも度々同様の事件・事故を起こしたことは事実。今回の事故を教訓に、行政は今一度、このような老人福祉施設の建てられている土地を点検することが必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年7月25日 (土)

悲劇の原因は業界の金儲け優先の体質だろう・・・

 北海道・大雪山系の遭難事故の続報が続き、生存者の証言などを特集する番組では生々しい体験談が語られている。

普通なら、こんな大きな事故があったしばらくは近寄らないと思うのだが、今朝のニュ-スでは、そんなことがあったのか・・・と、全く心配した顔もない大勢の高齢者たちが出で立ちも凛々しい姿で山に大雪山系に登る姿が紹介されている。

十数年前ぐらいから高齢者(中高年というらしいが)の登山がブ-ムとのこと。それも、今までは若者たちに人気のある難しい山に登るのが流行っているという。その結果だろうが、季節を問わず山の遭難事故報道のほとんどが中高年。地元の救助隊の人たちの大変だろう・・・と思ってしまう。

今回の遭難で、そんな中高年をタ-ゲットにして『山岳ツア-』を組む旅行社の数が多いということを改めて感じる。

しかも参加者のほとんどは旅行会社がすべて面倒を見てくれるという姿勢らしい。さらに、ツア-なのだから当然ながら俄パ-ティ。山岳ツア-と普通のツア-との区別すらついていない人が多いのも気になる。

その募集パンフレットを見ると、『レンタル寝袋』なる言葉も発見する。この言葉で象徴されるように、要は体一つで参加できる『お手軽山登り』が『山岳ツア-』の人気の源らしい。そこには何のリスクもないような記載が多いのも、普通のツア-と同じ。

そして、どのパンフレットにも間違いなく書かれていることは『安全にガイドが案内します』という一行。確かに、『ガイド』という言葉には絶対的な信頼感があるのでガイドさえついていれば安全に気を配ってくれる上に、高山植物はじめ山の自然のことなども丁寧に教えてくれるだろうと思うのは当然かもしれない。

今回も、15人のパ-ティに4人もの『ガイド』がつくという募集要項。俄仕立てのパ-ティとしたら人数が多いのは、会社のカネ儲け方針から致し方ない。応募した人たちは、人数の割にはガイドの数が多いことに、多少代金は高くなってもその分安全度が増すだろうと納得したのではないだろうか。そこには、誰一人『ガイド』たちがこのル-トを案内するのが始めてだとは思わなかったに違いない。

ガイドも自分への信頼を崩したくないだろうから、『私も始めて登ります・・・』など言い出さないだろう。そこにはじめから『誤った信頼感』があったようだ。

それにしても、明らかになる事実は信じられないことばかり。携帯が通じるにも関わらず遭難を知らせる連絡をしたのは、緊急事態が起きてから数時間後というのはガイドのプライドだけとは思いたくない。

また、ガイドが倒れた人の介抱に残るのはわかるが、残ったガイドがついているにも関わらず、下山途中にパ-ティがバラバラになるのも変な話。この情報が正しいとすると、ガイドの資質を疑わざるを得ない。

会社はそんなガイドだということは認識していたに違いない。普段天候にさえ恵まれればTシャツすがたでも登れるというから、ガイドの人数さえ確保できれば『絶対大丈夫』だという安易な気持ちでツア-を組んだのだろう。

格安感を出さないと人は集まらない。しかし金儲けが目的なのでギリギリの価格設定となると、削れるのは『ガイド料金』であることは論を待たない。ガイドを希望する人は多いので、ガイド料が低くても人は集まる。結果として、ガイドと会社との力関係が出来上がり、会社の言いなりで動くとなってしまうのは、当然と言えば当然である。

『引き返したら遭難しなかった』とか『非難小屋から出発したのが原因』などなど、ガイドを責める意見があるがすべて結果論。ガイドの責任は当然問われるべきだろうが、それ以前に会社の体質が問題。金儲けのために『俄パ-ティの山岳ツア-』を企画・販売する業界全体の猛省を促したい。

ところで、今回の事故に対して日本の超一流女流山岳家が『パーティーは基本的に分かれてはいけない。天気が悪ければ引き返したりとどまることもできたはずだ。ツアーだと飛行機などの予定が決まっているために行動計画に無理をしていなかったのか。ガイドがなぜ今回の判断をしたのか疑問だ』と会社とガイドに苦言をていしているとの報道があった。歯切れの良い意見で、事故の原因を的確に捉えていると納得。

しかし、この女流山岳家が今回事故を引き起こした会社の顧問的存在だということを知り、何か人間の業というか、やはりこの方も『金儲け命』の人だったのかと、ガッカリすると同時に、これでは同様の事故は無くならないのでは・・・という後味の悪さを感じてしまった。(田舎親父)

2009年7月24日 (金)

イライラを覚醒剤にすがった副校長が哀れ・・・

 一昨日、東京の区立中学校の副校長が覚せい剤取締法違反(所持していた)で現行犯逮捕されたというニュ-スには驚きを通り越して、いよいよ教育界まで覚醒剤や大麻に頼るまで追い詰められた人たちが出始めたのかという衝撃を覚える。

記事によると、この副校長は自宅マンションでビニール袋入り覚せい剤1袋(約0・6グラム)を所持した疑いで逮捕されたというが、どうして自宅に所持していたことを警察がつかんだのか疑問である。

それ以前に、この記事を読んで真っ先に違和感を覚えたのは、自宅は東京の中野にあるのに、逮捕したのは警視庁にライバル意識を持っていると噂されている神奈川県警の高津署というくだり。このあたりに何の疑問もはさまず淡々と書いている記事に対して変だと思うのは私だけなのだろうか。

調べに対して、『知人から預かっていた。3年前くらいから使っていた』と、所持も使用していたことも認めているという。

腕には覚醒剤を注射したと思われる傷(針の跡)が数カ所あるとのこと。よくぞ年間も同僚に見つからなかったものである。

私は覚醒剤を見たこともないし、まして打ったこともないので、打つとどのような症状になるかははっきり理解できないが、いろいろな文献や資料によると、気分的にスッキリし辛いことも忘れてしまう・・・などの効果があるらしい。反面、その薬効が切れたら、気分はふさぎまた打ちたくなり、それが一番問題だとも指摘している。

要は、一度覚醒剤の味を覚えると常習になるのは間違いなさそうだが、3年間も常習していた副校長の周りが全く気づかないということがあるのだろうか。

校長は『勤務態度に問題はなかっただけに驚いている。事実関係を確かめて対応したい』と話しているらしいが、普通の学校では日常的に校長と副校長は何事に対しても『額をつけて』という表現が奇怪しくない程近い立場で相談しているはずなのに、気づかなかったというのも気になる。両者に意思の疏通が計れていたのか疑いたくなる。

この副校長は副校長歴が9年というベテランだという。副校長という職名になったのは教頭という名前では管理職としての威厳がないとのことで、東京では数年前から教頭を副校長に改めているが、仕事そのものは教頭と何ら変わらないようだ。

副校長という発音だけは威厳がありそうだが、実際の仕事は校長の露払い。校長の命令を忠実に果たすことが求められ、実際にその仕事ぶりが評価されて校長に任用される。

校長になるには指導主事などのエリ-トラインからの落下傘と現場でのたたき上げのル-トがあるが、全国的にみると、多くは教員から副校長(教頭)任用試験を受けて昇格し、3年間努めることによって校長任用試験の受験資を得るのが一般的である。

要領が良い(成績が優秀)な者は3年で校長に昇任するが、要領が悪い者(困難校に回されたり、校長との折り合いが悪いもの原因)は何年も受験はすれど、合格しないという憂き目にあうらしい。

この男は9年間も副校長(教頭)を努めているとなると、この部類では・・・。44、5歳という若さで教頭に昇進して、自信満々だったのがいつまでたっても昇任できないとイライラがつのっていたのは容易に想像がつく。

普通に考えれば絶対に起こりえない犯罪である。教師は小市民的な考え方の圧倒的。体質的にはきわめて保守的で冒険を好まず、基本的には上からの命令には忠実にこれを守ろうという意識は高い。その意味では、覚醒剤とは対極にある存在である。

教員は外部の人間とつきあうことを嫌うという、大きな特徴があることを知っている私には『知人から預かった・・・』という供述に、知人も教員ではとの疑念が頭をよぎる。もし、この男のいう知人が教員だとしたら・・・大変なことになるだろう。

昨日になって、この知人という男が出頭したようだ。何でも、携帯サイトで知り合ったというから、社会の狭い教員らしいといえるが俄には信じられない話。もし本当ならここにも携帯の恐ろしさが浮き彫りになってくる。

常識的にみると、この男には妻や子がいるだろうに・・・。家族たちの今後の人生を思うと暗澹な気持ちになる。

覚醒剤に手を染めたことに対しては絶対に許せない。しかし、校長や教育委員会が、そこまでイライラを募らせた副校長に気づかなかったことを謙虚に反省し、副校長という職務を根本的に考え直さなければ、第二・第三の覚醒剤所持の副校長(ひょっとして校長も)が現れないとも限らない。

想像するだけで、恐ろしいことであるが・・・。(田舎親父)

2009年7月23日 (木)

この程度は笑ってすませたい  と言うと・・・

 昨日の皆既日食は悲喜こもごも、私は早々に森に入るのを諦めて、森が見える部屋で外の様子を見ながらテレビで中継を見ていた。なかなえ見応えがあり、それなりに満足したが、悪石島は嵐だったようで、あの子どもの達がどう過ごしかたが気になる。
 そのことは、何かの折りにするとして、また恐縮だが大阪のある市での話。
 救急車が病院に怪我人を運び込んだ帰り道、野菜を取りに少し回り道・・・。これで救急車の乗員3人は何らかの処分を受けるらしい・・・というニュ-ス。
 誰かが救急車が畑に止まったのを見とがめて、何をしているのかと見ていたようだ。救急隊員が野菜を積み込んだことに『仕事をサボってケシカラン』と思ったのかどうかは判断しかねるが、消防署に電話したのだろう。
 通報した行為そのものを批判する気はない。ないが、何か社会全体が密告者のごとく、公務員にほんの少しでも仕事以外の行為(私的な行動)があれば許さない、という雰囲気になっているような気がしてならない。
 記事によると、救急車の運転手を務めた消防士長は当日朝、別の消防署の同僚から収穫した夏野菜を取りに来るように電話があったらしく、これを同乗した消防司令補の隊長に伝えると『構わへんよ』と許可したという。
 こんなことは日常的にあるのではないだろうか。病人を緊急に搬送するのが一番大事な仕事であることは論を待たない。その仕事は完璧にやり終わった後で、空車を所属の消防署に搬送している際の出来事である。
 多少、周り道になったとしても途中で出動命令があればすぐ方向転換すれば良い話だけではないかとも思う。それとも、救急車の行動について『搬送後は直ちに所属署らなければならない』と明文化され、違反すると厳格な処分が規則にあるのだろうか。
 その畑に向かう途中、普段と道順が違うことに気づいた別の隊員は『そら、アカンでしょう』と止めたそうだが、結局はそのまま寄り道したというから、3人は基本的に『この程度のことはたいしたことではない』という意識があったに違いない。
 『早く行かないと暑さで野菜が傷むと思った』という言い分も正直。折角収穫した野菜を新鮮なうちに入手したいと思うのは人情。仕事に支障がなければ、この程度で騒ぐことなどないようにも思えるのだが・・・。
 私がこの現場にいて、隊員たちの行動を目撃したら、おそらく『いや面白い、隊員たちも新鮮な野菜の有り難さがわかっているのだ・・・』と、むしろ微笑ましくながめていただろうと思っているが、『仕事をサボって、野菜を運ぶとは・・・』となったようだ。
 通報を受けたらしかたない。所長は3人に事実確認したところ事実だというから、これは『普通なら20分もあれば戻ってくるんですが・・・』と恐縮して『ゴメンナサイ』はしかたないところだろう。幸に、この間に市内で4件の119番通報があったが、この署事案はなかったというから、所長としては『気をつけろよ・・・』程度ですませたかったのではないだろうか。
 ところが、マスコミがこれを嗅ぎつけて、視聴率が稼げると判断したようで、『救急車・野菜を搬送』などという大見出しを打ったものだから、市の消防局の幹部たちは大慌て、地方公務員法違反(職務専念義務違反、信用失墜行為)で、3人を処分する方針と発表せざるを得なかったという筋書きではないだろうか。
 どんな処分が下されるのかは(おそらく続報は届かないだろうから)疑問だが、他の隊員の士気に影響のない程度の、できるだけ軽い処分ですませてほしいと願っていると書くと、多分かなりの抗議は避けられないだろう。
 それにしても(繰り返しになるが)、公務員に対して『ほんの少しの違法行為であってもこれは許さない』というのが最近の風潮。市民総体が鵜の目鷹の目で重箱の隅をつっつくような雰囲気はいただけない。
 この程度は笑い話ですませ、しかも隊員の意識を少し変えるためにお灸をすえるという方向で納めたら、ヤルキは向上すると思うが、いかが・・・・。(田舎親父)

2009年7月22日 (水)

塾代を公費で全額負担とは・・・

 夜明け前から強い雨音。46年ぶりの皆既日食の日なのに心配。悪石島は薄曇りらしいので、ぜひこれから晴れてほしいもの。そしてあの小学生が自分で問題を解決してくれることを切に祈っている。

それはさておき、18日の朝日新聞夕刊一面に『塾大公費で全額負担』という4段抜きの見出しを見つけた時、思わずエ-ッと叫んでしまった。その横に『児童施設の中学生支援』とあったが、あまりにも衝撃すぎる見出しである。

記事を読んでみると、かなりの部分は納得させられることが多いが、それにしても塾の費用を全額公費で負担する以前に、行政がやらねばならないことがあるのではと考えさせられたので、今日はこのこと話題にしたい。

児童養護施設で暮らす中学生が学習塾に通う費用を国と自治体で全額負担する制度がすでにはじまっていたらしい。施設で暮らす中学生の就職率が8.3%にものぼり、しかも就職しても人間関係などを築くのが苦手で長続きしない子どもが多いので、高校に進学してその後の自立を促すのが狙いだそうだ。

施設の子どもたちとも接触した経験がある私には、そのあたりの事情は理解できないことはない。特に、親からの虐待を受けた子どもは人間不審に陥ることが多く、大人に対して日常的に異常に覚めた眼で見ることや、時には反抗的な態度をとるなど、精神的に不安定になる傾向は多い。

特に自我がはっきりする小学校の高学年から中学生は、周りの友人や大人とのほんの少しの行き違いでトラブルに発展することも少なくない。

一番大事だと言われている幼児期に不幸にして、親から虐待されたり無視・疎外されたりすると、学習意欲は著しく阻害されるのは明らか。当然のことながら、このような境遇の子どもたちは学力的に劣ることが多いのも事実である。

全国児童養護施設協議会(全養協)という組織がある。その組織の調べでは、04年のデ-タだが、3卒業して就職した子どもの3割が1年以内に職を変えているという。就職しても、自立援助ホ-ムという施設に移れて引き続き生活指導や就労支援を受けられるらしいが、定員が十分でなく自分で生活する子どもも多いとのこと。中卒で就職ししかも自分で生活しなければならないとなると、非行に走るなというのが難しい。

特に虐待を受けた子どもにとっては、心の傷を癒し、社会に適応するためにも高校の3年間は必要な時間だとして進学のための学習支援を求めてきた結果、塾代を全額公費負担ということに行き着いたということのようだ。理解できないことではない。

補助の対象になる中学生は全国に約7000人もいるという。塾の入学金はもとより全て塾での必要経費に加えて交通費など全てを国と関係自治体が負担する制度で、国はこのために7300万円を盛り込んでいるというが、補助の対象人数からみたら本当に半額負担しているのというほど微々たる予算。

都市部では、塾に通っていないのはクラスの中で養護施設の子どもだけという中学も稀ではないことも事実。施設の関係者は塾に通わせることは『学力を伸ばせるだけではなく、友だちと同じように通えるということは大きな自信になる』と語っているらしいが、何とか社会適応させたいと願う、関係者の方々の悲痛な叫びだということも理解できないことではない。

しかし、本当に塾に通わなければ学力がつかないのだろうか・・・。学校は一体何のために存在するのだろう。こんなことを平気で許していて良いのだろうかと自問。

そこで得る結論はいつもと同じ、学校の役目は『学力と人間力(社会性を含め、人間として必要な全ての能力)の基礎を養う』ためにある。

貧弱な組織であるこのような施設としては塾に通わせるしか学力を高める手段がないことも含めて、改めて現在の『塾さま命』の社会のシステムに対して憤りを感じてならない。

それにしても、公立の学校でさえ平気で塾の講師を『教師の教師』として傭う昨今の教育界のだらしなさを根底から変革する努力すら放棄して、『塾さま』に跪いているようでは中学生だけではなく小学生もという要求がでてくることは時間の問題。

そんな無駄遣いをする以前に学校の地位を高め、塾に頼らなくても十分な学力がつくような教育の仕組みをつくり直すことが大事だと声を大にして叫びたい。(田舎親父)

2009年7月21日 (火)

明日は日食 晴天を祈りたい・・・

このところ自民党のゴタゴタや殺人などの凶悪事件があまりにも多く、そちらの報道に耳目が集まり、時に特集番組を組んでいるのだが、いま一つ盛り上がりにかけていた感のある『皆既日食』。さすがに明日に迫って来ると、いよいよという期待感が漂ってくる。
 月食と違い日食の見える範囲が極端に狭いので、その機会にぶつかることはめったにない。特に『皆既日食』となると、日本で見られるのは46年ぶりだというから楽しみであるが、皆既を見られる範囲は、日本の中でも特に限られた地域。
 残念ながら横浜では75%程度が欠ける『部分日食』となるのだが、食分が大きいので十分日食という雰囲気が味わえるはず。周りの様相も変わるだろうから、晴れれば森の中にでも入って自然の変化を楽しみたいと思っている。
 昨日の朝、7時半からNHKは『皆既日食』を見られる時間が6分以上と世界最長となることで、一躍注目され出したトカラ列島の悪石島での様子の現地中継をしていた。
 この島に行く交通手段はフェリ-だけ、しかも10時間以上かかるという。80人弱の人々が普段はのんびり過ごしているだろうに、今夜と明日は島民の3倍に当たる240人ほどの観測者やツア-客などが押しかけるというから、訪問客はもとより島民の人たちのワクワクしている様子がよく現れていた。
 なかでも注目したのは(名前と学年を忘れたが)小学校の低学年の男の子。表情は少し堅いものがあるが、インタビュ-に応える話ぶりが見事。タメ口ではなくキャスタ-に対してきちんと敬語を使って話していることには感心してしまった。
 しかも、皆既日食の時に調べたいこととして、虫眼鏡で焦がすと三日月状に焦げることを確かめたい・・・、さらにクワガタは夜行性だから動き出すだろうとは・・・、誰かが知恵をつけたとしても、すでに科学者の片鱗をうかがわせている。
 その後で、毛利衛さんが『日食を見て自分の人生観が変わった』と話していたが、きっとこの男の子は、日食の神秘性を目の当たりにした感動で、今後の人生に役立つ考え方を獲得するのではないだろうか。後は、明日の悪石島の晴天を祈るだけでなる。
 私が始めて日食を見たのは、確か小学生の5、6年生の頃だと記憶している。夏の暑い日、校庭でガラスのかけらにロウソクの煤をつけた『簡易観察道具』をつくり、先生と一緒に歓声を上げたことをはっきりと記憶している。
 その時みた日食を『皆既日食』だと思い込んだらしく、心の中で『皆既月食観測経験者』だという思いが強かったのだが、念のために調べてみると、京都で『皆既日食』の該当はない。どうやらかなりの食分が大きな『部分日食』だったらしい。
 しかも、この頃にはかなりの頻度で日食が見られたこともわかった。調べた限りでは、1953年2月14日、さらに1955年には6月20日と12月14日の二度、57年4月30日と58年4月30日にも見られたとある。
 小・中学校時代にかなり日食を見たはずなのだが、心に残るのは小学生の時の煤をつけたガラスで見た日食のみ。如何に学校での観察が感動を記憶にするのかがよく分かる。昨日NHKテレビで紹介した低学年の男の子は、きっと素晴らしい思い出になることだろうと改めて感じる。
 残念ながら今年はすでに夏休みになっているので、校庭で先生と一緒という学校は少ないと思うが、せめて友だち同士や家族の誰から観察して、毛利さんではないが人生観を変えるぐらいの感動を覚えてほしいものである。
 天気予報によると悪石島のあるトカラ列島方面は良い天気になりそうだが、全国的には悲観的。しかし、肝心な時に外れるのも最近の特徴の一つだから、明日はぜひ外れることを期待している。(田舎親父)

2009年7月20日 (月)

例年以上の帰省地獄の光景が見えそうだ・・・

 今日は『海の日』という祝日。この日は以前から、関東以西の公立の小中学校の一学期の終業式、明日から長いお休みなると、児童生徒はもちろん教職員も心待ちにしていた日だったはずだが、突然『海の日』などという名前の祝日になったことから、当時の現場は大混乱に陥ったことはそれほど昔のことではない。

もうかれこれ20年ぐらい前になるのだろうが、学校も週休2日制(学校がサボっていると思われたくないらしく週休学校五日制と表現しているが)になったで、19日が土曜や日曜日に重なると、当然のことながら終業式が早まり、夏休みがその分前倒しになることから、正直有難迷惑な祝日だという雰囲気が漂う。

今年などはその典型で、18日が土曜日となる巡り合わせ。終業式は17日。以前と比べ3日も早くなってしまう。

翌18日からは3連休。例の祝日・土日は高速料金が1000円というので、多くの人がETC装着で遠出を計画。予想通りの大渋滞になったことがメディアはそれぞれの立場で解説していたが、共通していることは『今年のお盆は凄いことになりそう・・・』ということ。

政府・自民党は早々にお盆もこの1000円を行うと発表したが、それを受けて高速道路4社はお盆期間(8月6~19日)の全国の高速道路の渋滞予測を発表した。

それによると、この『1000円』の影響で、10キロ以上の渋滞は704回もでるという。どんな計算なのかはよくわからないが、前年は331回というから2倍以上。

さらに30キロ以上の激しい渋滞となると66回と前年の3倍を見積もっている。5月の連休のあの渋滞は凄かったが、あれよりはるかに激しいというからとんでもないことになりそうだ。

しかも今回は、『渋滞の分散』を名目に、ETC装着の普通車の地方部の料金が1000円になる日を木、金まで広げたので、8月の『1000円ディ』は6、7、8、9日と13、14、15、16日となるとのこと。

ピークは下りが13日、上りが15日との見込みというが、この日程を見たら当然だろう。行きは、渋滞覚悟でも13日に乗ろうと思うだろうし、帰りは渋滞で16日中に帰り着けないことも考えると15日になるのは私にでも予測ができそう。

笑ってしまうのは、あまり表面には現れないが、トラックやバスの不満を和らげるために、8月10、11、12日と17、18、19日はトラック・バスの料金を半額にしてこれらの業界のガス抜きをするという姑息さ。

5月の連休中のサービスエリアの大型車枠の駐車場が普通車で埋まり、トラックやバスが駐車できなくなって苦情が相次いだことが、『すみ分け』の理由だろうが、ご都合主義も甚だしいのでは・・・。

例年のことながら、私はお盆期間は絶対に動かない主義なので、テレビで『渋滞情報』を見て気の毒に思うだけであるが、いろいろ事情でこの期間に田舎に帰省しなければならない人が多いはず、何とかならないのだろかといつも考えさせられる。

民主党のいう『高速無料』という施策は、地球温暖化から考えると自動車を奨励するので逆のように見えるが、料金所を撤廃し、しかも料金が必要ないという意識を国民総体として持てるようになれば、今までより渋滞が無くなることは確か。

バスなどの公共交通機関の運賃もぐんと下がることだろうから(?)利用する人が増えるだろう。足の便としてどうしても必要なフェリ-などには補助金を出して運賃を抑えれば、そちらを利用する人からも確実に喜ばれるはず。

財源がどうなるのかなど、私には理解できないことが多いが、料金がかからないとなると人々の気持ちおおらかになることは間違い。となると事故やトラブルも少なくなるのではないだろうか。

間もなく選挙がある。政権交代の可能性が高まり、もし高速道路料金が無料ということが実現すればこのあたりはっきりするだろう。(田舎親父)

2009年7月19日 (日)

簡単な計算で暗証番号がわかるとは・・・

 数日前のニュ-スであるが『簡単な計算でクレジットカ-ドの暗証番号を割り出す』という見出しに愕然としたのは私だけではないだろう。

暗証番号はまさに個人が決めたシ-クレット情報。この番号を忘れてしまうと、自分の預金も出せなく恐れさえでてくるので記憶しやすい番号を設定するのは常で、生年月日や車の番号、あるいは電話番号にする人が多いと聞く。

よくわかる話である。が、その人を知る人間に悪意があれば、このような番号は容易に想像できるとなると犯罪が成立することは当然。しかし、見知らぬ人が作る全く無作為な4ケタの数字をピタリと一致させることはたやすいことではない。むしろ不可能だろうと考えても差し支えないのでは・・・。

ところが、簡単な計算が割り出せるとなると、暗証番号そのものの意味がなくなってしまう。これは恐ろしい・・・。

記事によると、他人名義のクレジットカード情報を使い、旅行サイト『楽天トラベル』で予約したホテルの宿泊代金の支払いを免れたとして、電子計算機使用詐欺などの疑いで、元暴力団組員が逮捕されたとのこと。この男は他人のカードの明細書から『特殊な計算』で別のカード番号を割り出して決済に充てていたとのことだが、本当にこんな計算ができるのだろうか。

記事は続き、この男はマンションの郵便受けなどから明細書を盗み、表示されている番号に『特殊な計算』を施して、『****』の隠された4ケタの数字を割り出していたとある。

この番号は通常、明細書の名義人とは別の人が実際に使っているカード番号になるため、ネット上で『無料で手に入るソフト』を使い有効な番号かどうかを確認した後、オンライン決済に必要な有効期限はネット通販サイトなどで試し打ちして調べていたという。

この男は以前に『クレジット関係の会社に勤めていた』経験から番号を割り出す知識があったというが、こんなに簡単に番号が割り出せる知識が得られるとなると、今後悪意をもった輩がクレジット会社への就職を求める恐れがあるのではないだろうかと心配になってくる。

一方、警察は『楽天』の会員情報を含む二千人分の個人情報が入ったノートパソコンを押収したともある。これは大変重要な記載である。

『楽天』の会員情報にはID・パスワード、氏名、住所、メールアドレスなども含まれ、逮捕された男は『暴力団関係者から4~5年前に1200人分をCDでもらった』と供述しているという。

こんな重要な『個人情報』が暴力団関係に流れることなどあるのだろうか・・・。

『楽天』の広報室は会員情報の流出について『捜査にかかわることはお話しできない』とのことだが、もし本当に流出していたとしたら、全ての責任は『楽天』にあり被害者だけではなく同じような手口を防止するためにも詳細を公表する義務はあるはず。

はじめからバスワ-ドがわかっているのだから、『簡単な計算』とは入手したパスワ-ドを使って、クレジットカ-ドの有効期限を調べさえすればすむ。そのために郵便受けから明細書を盗んでいたようだ。なるほど『簡単な計算』である。

それにしても、このような重要このうえない『個人情報』がいとも簡単にCDになって闇世界に流出しているとなると、うっかりクレジットカ-ドなどで買い物や決済もできなくなる。

便利だからとか、ポイントが付加されるからという理由で、今やクレジットカ-ドでの決済が当たり前になっている。

時代遅れの私も何枚かのクレジックカ-ドを持ち、それなりに使っているが、今回の報道は便利なものには必ず『それなりのリスク』があることを改めて感じさせる。

肝に命じるとともに、安易にネットで金儲けを目論む組織の『会員』にはなどにならないことだろう。(田舎親父)

2009年7月18日 (土)

また平均寿命が延びたようだが・・・

 一昨日のニュ-スになるが、日本人の平均寿命がまた延びて、女性が86.05歳、男性は79.29歳で過去最高だという。

厚労省によると、平均寿命の男女差は、6・76歳。07年に比べ男性が0・10歳、女性が0・06歳延びたとのことだが、小数点2ケタまでの数字を見て、ここまで細かな数値が必要なのだろうか・・・と思わないでもない。

同省がまとめたデータによると、女性は24年連続で世界一を維持。男性は前年の3位から4位となったとのこと。

確かに凄い数値であることは疑わない。現象的には喜ばしいことであることも疑義はないが、厚労省が毎年のようにここまで細かいデ-タを発表するのは『我々が仕事熱心で、国民の安全・安心な生活を守ったからだ・・・』という、一種の自己満足的な(評価を求めたい)面があるのではないだろうか。

記事には、女性の世界2位は香港の85.5歳、3位はフランスの84.3歳。男性の1位はアイスランドの79.6歳、スイスと香港が79.4歳で2位だったともある。何故か小数点1位までというのも面白い。

多分我が国では、個人の情報がすべて厚労省関係のコンピュ-タに集約されているので死亡したという情報がはいった時点で83歳と11ケ月というように集計されているのだろうから、この程度のデ-タを出すのはたやすいに違いない。

不老長寿は人間誰しもがもつ永遠の願いであるが、決して叶わないことはこれも誰も疑わない事実。せめて、死ぬ時はコロリと逝きたいものというのが正直な心情であるが、あまりにも寿命の伸びるスピ-ドが早過ぎて、年寄りたちの行動が追いつかないのが現実ではないだろうか。

私の青年時代では寿命が延びたといえ70歳代だった記憶がある。『古希』という名称は『人生ここまで生きることが稀』という意味だと教えられた。実に言い得て妙と感心するが、それがたった40年弱で80歳代になったのだから驚きという以外、表現する言葉がない。

このように寿命が急速に延び原因として『医療水準の向上』をあげる人は多い。確かに以前では体力的にとても手術などできないと思われていたが、最近は80歳なら十分耐えられるほど外科技術が向上したのだから、医療水準の向上が寿命を押し伸ばしていることは間違いない。

その反動として医療費が物凄い勢いで増増加、なんでも34兆円にも及ぶというから、国の予算の40%以上を占めるという異常さ。その負担が国や地方自治体の財政を圧迫していのも見逃せない。現在でも破綻寸前だというから、今後ますます寿命が延び続ければどうなるのか考えると恐ろしくもなる。

医療の問題は別の機会にゆずるが、前述したように、急速に伸びる寿命に人々の意識が追いつかず、定年から20年以上ある時間を、どのように過ごすことを考える余裕がないまま高齢者になってしまうことも見逃せない。その人たちをどう扱うのかが行政の悩みで、昨日話題にした『高齢者向け筋トレ遊具』の設置などもその一つに違いない。

民間をみると、これらの高齢者を対象に商売っ気のある輩はありとあらゆる誘いを展開しているようだ。時間をもてあました高齢者達は、その企画に飛びついて『高齢者ツア-』などは大人気だという。

昨日報じられた大雪山系での遭難事故もこの類ではないだろうか。このことはまた別の機会に述べたいが、旅行社が募集した俄パ-ティ、そのほとんどが高齢者だという。

残雪と高山植物に彩られた地上の楽園・・・とでも書かれたパンフレットに誘われ、しかも経験豊富なガイドが引率するとなると、カネとヒマのある年寄りはついつい応募したくなるようだ。

優秀なガイドがついていれば決して無理はしないはず。俄ガイドだったのか、あるいはある程度経験を積んだガイドであっても、報酬に魅せられて、何としても客を満足させてほしいという旅行社の要求を聞かざるを得なかったのでは、と想像している。

世界一がどれほどの価値を持つかはおいておくとしても、寿命が延びることは悪いことではない。しかし、気がついた時には自分は年寄りになり、自分の体力気力を見誤ることも稀ではない。

『綺麗に老いる』のは難しいが、せめて『綺麗に老いたい』という希望と、それを実現する体力だけは日頃からつけておきたいもの。私の『死ぬ前の日まで自分で歩きたい』という願いは、まさにそのことである。(田舎親父)

2009年7月17日 (金)

高齢者向けの遊具が流行りだとか・・・

 私の散歩コ-スの中の一つに『横浜の水道みち』がある。数年前からズ-ラシアの駐車場がすぐ横まで建設されてしまったので歩ける距離が短くなったが、それてもなかなか素敵な道。普段から歩いている人も多く、特に春の桜の季節は大人気・・・。

その途中に、ちょっとした広場があり、そこにはかなりの数の古ぼけたベンチとその脇に木製の腹筋や背筋を鍛える(ほどでもないだろうか)ように工夫された器具がいくつか設置されていた。(過去の話・・・)

人が大勢通るところなので、そこで腹筋運動を始めるにはちょっと勇気がいるようだが、高齢者(特に男性)には好評らしく、通るたびに少数ながら腹筋やぶら下がり運動をしている人を見かけたものである。

しかし、去年の暮れごろだったと思うが、これらの『筋トレ遊具?』が撤去されて新しい小奇麗なベンチの並ぶ広場に変わってしまった。そして、残ったものは踏み台昇降運動と兼ねて屈伸の深さがわかるメモリがついたベンチの一つだけ、その脇に説明プレ-トもあるが、今では全く読む事ができないほどあせてしまっている。

側を通るたびに、日常的にこのような運動をしていたら健康になるに違いないと思っていたが、古くなった事と、これらの遊具を利用する人は私が思うほど多くなかったので撤去され、それよりむしろ花見客のためにという意図で新しいベンチの設置になったのだろうが、少し残念という気持ちになったものである。

残念と思ったのは、このような高齢者向けの筋トレ遊具については、中国の公園でこれに類する遊具を見かけ、大人たちが嬉々として遊んでいた光景を思い出したからであるがその後、この『水道みち』の広場の側を通っても、遊具が無くなった事に対して人々は反応しない様子に、どうやら日本では評判が今一つだったと納得。この事は記憶から消えてしまっていた。

中国で私が見た光景というのは、大勢の人たちが公園に集まり太極拳を楽しんでいるのは当たり前であるが、そのそばの丸太で体を反り返らせている人や、階段昇降を繰り返している人がいた広州の公園でのヒトコマである。

興味があったので近づいて良く見ると、丸太は背中を当てるには丁度良い高さに固定されており、反りくり返り安いように工夫されている。数段の階段には手すりがつけされて、階段昇降運動がし易くなっている。腹筋用のベンチもある。足をあげてストレッチ運動もできる丸太もおいてある。

『水道みち』の広場を設計した人は、きっとここからヒントをもらったのではないだろうかと、勝手に納得して楽しんだものである。

ところが先日、ある新聞に『高齢者向けの遊具が人気』という見出しを見つけた。エッっという思いと、今頃になって簡単な高齢者向けの筋トレ遊具が見直されてきたのか、と中国での風景を思い出し、何となく微笑ましくなってくる。

記事によれば設置する場所は私が見た遊歩道の中のちょっとした広場ではなく、もう少しスケ-ルが大きくれっきとした公園らしい。確かに、最近はベンチでぼんやり座っている人が多いので、この人たちが少しでも体を動かす意欲が出てくれば、設置する意義はあるだろう。

近場の公園でこのような器具を見ることはないが、統計的には設置数が10年前に比べるとおよそ3倍にもなっているとのことであるから、今後、毎日の散策コ-スである『四季の森公園』などにもお目見えすることもあるかもしれないと思うと楽しくなる。

高齢者たちが、ただしょんぼりベンチに腰を下ろしている光景より、生き生きと遊具で遊んでいる姿の方が健康的であることは論を待たない。あの広場にも撤去された遊具が、いつか戻るのではないかと、ほのかな期待が生まれてくる。(田舎親父)

2009年7月16日 (木)

また不必要なムダ遣い・・・

 『さいたま市』というヒラガナ名(多分合併の際の妥協の産物だろうが)の自治体が『大宮盆栽美術館』なる『箱もの』を建築中で来春開館するらしいが、よくぞまあバカなものを造っているのだなあ・・・と思ってしまう。市長は古い体質の持ち主か?。

 他市のことだからどうでも良いのだが、市民はこんな『箱もの』ができることを知っているのだろうかと素朴な疑問がわいてくる。

 盆栽がかなり人気だと聞いている。好きな人には鉢の中での樹木の色・形・風合いなどがたまらないらしいが、私のような凡人にとっては、ある意味盆栽などは金持ちの遊びにすぎず、余程自然の中で生き抜く樹木の逞しさを愛でる方が意に適うのではと思わないでもない。

 盆栽云々は趣味の問題だと思うのでそれ以上議論する気はないが、自治体がそのような愛好家の気持ちをくすぐるような『盆栽美術館』など造るということに関しては疑問を持たざるを得ない。

 どんな建物なのかわからないが、箱ものは造る時にカネがかかるだけではなく、むしろその維持管理に莫大な費用が必要になるのは小学生にでもわかる理屈なはずなのに、首長になると『何とか俺の時代に後世に残るものを造りたい・・・』という心理が働くらしく全国いたるところに、こんなもの必要なの・・・?と思うような立派な建物に出会う。

 その典型的なものが、党員からも『一緒に写真を撮りたくない』と総スカン状態のアソウ総理が言いだしている『アニメ美術館?』だろうが、過日閉鎖した『私の仕事館』ではないが、ブ-ムが去ると訪れる人も無くなる運命・・・。

 それはともかく、その『大宮盆栽美術館』が展示用にするのだろうが、5億円もの予算で購入した高級盆栽の中の5鉢が枯れている様子の写真が新聞に掲載された。

 記事によると、5鉢の総額は7200万円だという。それぞれに価値が違うだろうが、平均すると一鉢1500万円。この市は社会保障が行き渡り、医療費や教育費はすべて無償。生活に困っている人もいないらしい・・・が、そんな事はあるまい。

 地方都市の財政状況はどこも苦しいはずで、高齢者や生活困窮者を追い詰めるような政策が当たり前になっているのにも関わらず、一部の趣味の人たちのための高級盆栽などを市の予算で購入すること自体信じられない思いであるが、実際に映像で示されているので事実に違いない。

 5鉢のうちの4鉢は薬品で人為的に枯れさせたような疑いがあるという。管理を任されていた植木業者が、器物損壊事件の可能性もあるとして警察に被害届を出すことを検討しているというが、被害届を出して元に戻るものでもあるまい。関係者が真っ青になっている様子が目に見える。

 市の説明では、これらの高級盆栽は市内の植木業者が管理しており、先月下旬、業者が葉が枯れるなどしているのを見つけたという。この業者と市当局の関係は記事にないが、丸投げの管理委託となると、またまたこの植木業者は市長や市の幹部と利権でつながっているのではと勘繰れないこともない。

 市は『貴重な盆栽の所有責任を感じている』としているらしいが、『所有責任』などという表現から察すると、美術品を収蔵しているような感覚のようだ。

盆栽は余程の趣味人が毎日の丹精込めた世話をして始めて価値が生まれる芸術的な『生き物』。丁寧な世話を怠ると形が崩れたり、場合によったら枯れてしまい 『無価値』になることがわかっているのかと疑問に思ってしまう。

 趣味を否定するつもりはない。が、盆栽の収拾より、まずは市民総体の暮らしの安心・安全を優先するべきではないだろうか。(田舎親父)

2009年7月15日 (水)

解散日程はきまったようだが・・・

 都議会選挙の結果は自民党の大敗。この結果を受けてアソウ下ろしで党内はガタガタ、面白くなりそうだと思っていた矢先に、その動きを封じるためだろうが解散予告なるものを出したのはビックリした。

7月21日ごろに解散して8月30日に選挙という日程らしいが、これでは野党の不信任案に同調などできるわけはない。結局は、アソウ総裁で総選挙ということになるのだろうが、郵政民営化の掛け声だけで当選した小泉チルドレンと呼ばれる議員たちはもとより選挙に危機感をもつ多くの自民党議員は真っ青になっているのではないだろうか。

新聞報道では、アソウ首相は最後の意地として『自分の手が解散』を何とか行いたいと模索していたようで、時間が過ぎると都議選大敗の責任を追及されて一気にアソウ下ろしが進んでしまい解散ができない情勢である事から、とりあえず『解散予告宣言』とでも言う今回の日程が決まったという。

なるほど実に上手い手を考えついたものである。8月30の選挙を決めてしまえば、それまでに新総裁を選ぶ事は時間的にも不可能になるだろう。不信任案を否決することは、アソウ首相を信任することに他ならない。そして、信任した首相を交代させては、これは国民が納得するような説明がつかない。

誰が筋書きを書いたのかはわからないが、アソウ陣営にも知恵者がいたものだと感心するが、8月30日となると選挙運動の期間はまさに『夏休み』とピッタリ一致する。暑い時季を避けるための『夏休み』が、候補者やその関係者にとって猫の手も借りたいほどの忙しさとなると、熱中症で倒れる人もでてくるのではないかと心配になる。

過去には8月選挙はなかったという。暑い最中の選挙運動は候補者とその関係者はもとより、投票する人(一般国民)にとっても辛いという理由で今まで避けられてきたようなのに、あえて長期間の選挙運動期間を作ったのは、せめてショックから立ち直るのに一定の期間が必要だと思ったのだろうか?・・・。

そんな事を思っていると、昨日ある方からメ-ルをいただいた。それによると8月30日に決めたのは、宗教政党の指示だったという。

その方の言うには、都議選には全国から『何とか学会』の信者たちが、大量に都内に住民票を移したという。そこで宗教政党の候補者に投票するためだとのことだが、そう言えば沖縄知事選でも同じような問題があった事を思い出す。

確かに、この政党から立候補した23人は下位当選が多かったが全員当選した。このニュ-スに、やはり宗教というものは凄いパワ-があるものだと思いつつ、腑に落ちない部分があったが、俄都民が大量に増えたと考えると納得できる。

こんな行為が選挙違反にならないのが奇怪しいが、メ-ルの主の言う事には、法律的には実際に転居の形をとり、住民票を移す事は違反ではないようだ。さらに、この政党が衆議院選挙の日程に対して都議選直後を嫌ったのは、その住民票を元に戻すか、あるいはこの政党の重点区に再移動するのに日数がかかるからだと言う。

俄には信じられない話である。こんな事で一番大事な選挙の日程が決まるとは民主主義が泣くのではと思うが、昨日の新聞各紙の社説を読むと、何となくそれを裏付ける表現が多いのに気づく。

例えば東京新聞の社説であるが、この日程を『都議選惨敗直後の衆院解散方針を与党にはねつけられての妥協の産物』と表現『首相決断が肝心な場面でも軽んじられた』と決めつけ、結局は与党である宗教政党の希望を聞いたと書いている。

ともあれ、選挙日程が決まった。自民党内のドタバタがこれで収束するとは思わないが、選挙を有利に進めるためにはなりふり構わない輩が多いことから、この一月半の動きには目が離せない。早速選対委員長が辞めると言いだしたのも面白い・・・。

民主党も恒例の『チョンボ』をしないように気を引き締めて選挙に臨んでほしいものだが、郵政民営化『是か非か』という前回の選挙で明らかになったように、とんでもないことが起こるとコロリと変わるのが民衆の心。くれぐれも油断なきように・・・。(田舎親父)

2009年7月14日 (火)

他県からの野球留学生悲し・・・

先週の土曜日、九州の大分自動車道で球児たちを乗せたバスが横転、2年生の生徒が死亡したほか大勢の生徒が重傷を負うという事故の報道があった。バスは高校野球の大分大会の開会式に向かう途中だったというから、バスの中は生徒たちのはしゃぎ声で賑やかだったに違いない。

運転していたのはプロのドライバ-ではなく、その高校の野球部副部長という肩書をもつ26歳の教員だったというから、この教師も子どもたち以上に開会式に向かうという興奮があったのではないだろうか。このバスには1、2年生が乗りレギュラ-と3年部員は前の車に分乗して開会式の会場に向かっていたとのこと。

このあたりの詳しい状況は記事にないのではっきりしないが、先導車にのっていた野球部長には、事故を起こしたバスの運転手(教員)から形態電話で連絡がはいったというから両方のバスにはかなりの距離があったのではなかろうか。

賑やかにはしゃぐ生徒と、心はすでに開会式に飛んでしまっている副部長の教師。生徒たちから『先生 もっと急ごう・・・』とあおられたのか、それとも教師自身が生徒たちの気持ちを先取りしたのかは不明だが、警察の調べに対して運転していた教員が『速度を出しすぎてハンドル操作を誤った』と供述していることでも、かなりのスピ-ドを出していたことは間違いなさそう。

3年程前、私もこの道をレンタカ-で走ったことがある。時には一車線区間もあったように思えるが、基本的には二車線の走りやすい道路。追い越す車もほとんどすぐに走行車線に戻る模範的な運転が印象に残る。当然ながら車の絶対量が少ないのでついついスピ-ドを出して走っていた記憶がある。

現場の制限速度は40キロとあるが、高速で40キロは変な話。多分に見通しが悪そうなので40キロになっていただけではないだろうか。

事故当時は小雨模様で路面はぬれていたが、濃霧などによる速度規制は出ていなかったとあるが、私が運転してときも小雨まじりだったので見通しの悪さはだいたいの想像がつくが、それでも60、70キロでも十分安全に走れるはずだが・・・。

亡くなった生徒はバスの後方10メ-トルも投げ出されていたとのことだが、どうして車内から投げ出されたのだろうか。この生徒だけなのか、それとも怪我人の多くは投げ出されたのかはわからないが、いくら衝撃が激しかったとしても座席に座っている乗客が遠くまで、しかも後方に投げ出されるというものよく理解できないところがある。

このバスにはシ-トベルトがなかったという。シ-トベルトがあれば防げたと警察は言い、マスコミは追随するだろうが、私の知る限り、路線バスでもシ-トベルトを締めろと運転手からの放送があっても乗客のほとんどは無視している現状から、例えあったとしても生徒たちがしていたか疑問・・・・。恐らくこの事故後、全国の同じようなスク-ルバスでは、シ-トベルト着用がうるさくなる事は想像に難くない。

柳ケ浦高校といえば高校野球界ではかなり強豪校として知られている。以前も書いた記憶があるが、甲子園に出場すれば生徒が集めやすくなると競って全国から有望な中学生を誘致するのが大流行になっていることから、この学校でも大勢の野球留学生がいたのだろう。

亡くなった生徒も奈良からの野球留学だったという。どういう経緯で大分の高校を選んだのかわからないが、奈良にも天理高校や知弁学園など甲子園の常連校があるのにと思わないでもない。

それはともかく、子どもを遠くの高校に通わせながら、こんなつまらない事故で失った両親の悲嘆はいかほどだろう。

この事故で学校関係者の間には、このまま出場『する・しない』で大議論がはじまるだろう(一昨日の段階で、すぐ出場と決めたようだが)。どちらを選択してもかまわないが、亡くなった生徒や重傷をおった生徒や家族が納得する対応。

同時に、全国の高校(最近は中学や地域のクラブも含めて)は自分のことと受け止め、大会の優勝とか(野球に限っては)甲子園出場などと過熱気味になっていることを少しは振り返り、そして送迎が必要ならば、せめてプロの運転手を雇用するぐらいの注意は忘れてほしくないものである。(田舎親父)

2009年7月13日 (月)

昨夜の『政治ショ-』は面白かった・・・

 昨日の都議選の開票報道は実に気持ちがよかった。(いつものことながら)何故こんなに早く当確が打てるのという疑問は解決できないが、投票が締め切られた直後にすでに十数人の当選確実が報じられ、その中身は民主党がほとんどで自民党と宗教政党が各1との数字に何となくワクワク感に包まれる。
 時代考証を無視したホ-ムドラマ化している昨今の大河ドラマは阿呆らしくてパスしているので、民放かBSででも開票情報を報じているのかとチャンネルを回したが、どこもやっていない。
 相変わらず全ての民放は『政治ごと』などよりキャ-キャ・-ギャ-ギャ-ものばかりとは悲しくなるが、これでは一億総白痴をねらっているという識者の言うことが正しいと思えてくる。それにしても日本のマスコミの低俗化は一体何なのだろう・・・。
 仕方ないので、大河ドラマが終わるまではネットからの情報で我慢していたが、NHKも開票情報をやりたくて仕方なかったらしく、大河ドラマが終わると一呼吸なくはじまったが、これは面白く目が離せなくなった。実際大勢が決まる深夜まで、去年浸けた自画自賛の梅酒を片手に見てしまった。
 この日のことは以前からわかっていたので民放の一つでも8時から特番でも打てば、私のような大河ドラマ嫌いの人間も多いはずなので視聴率が跳ね上がっただろうに、民放にはまともな感覚の実力者はいないようだ。
 結果的に民主党の圧勝。圧巻は千代田区で自民党の都連の大将に対して若干26歳の青年が挑み見事に議席獲得した時の図。思わずヤッタ-と叫んでしまった。国民の目からすれば利権絡みのオジイチャンより、実力的には全く未知数だが若者の情熱の方が清廉で可能性があると見たのだろう。
 他の一人区でも島嶼をのぞいては民主の完勝。8人区で3人も立てては共倒れになるのでは(実際に民主党の女性議員も反対したそうだが)と危ぶんだが、結果的には万万歳。ここまで凄い結果になるとは思わなかったが、都民が如何に自民党や宗教政党の支持を背景にした石原都政に対して嫌気を感じていた証拠だろう。
 知事自らが公務(この御仁によれば、自民党と特定宗教を応援することは公務だと強弁するだろうが)をほっぽりだして、自民党候補者の応援に必死な姿がテレビニュ-スで紹介されていたが、これも結果的には都民の反感をかっただけだったようだ。
 これで、何故有害物質がゴマンと埋められている豊洲に日本人の一番大事なタンパク源である魚介類を取り扱う市場を移転しなければならないのが、わかりやすい説明もなく遮二無二移転押し進めてきたマンマン知事も少しは反省するのではという期待が出てくる(そんなタマじゃないぞという声が聞こえてくるようだが)のでは・・・。
 この結果を受けて自民党は大騒ぎ。昨夜、関係者は徹夜で右往左往していたのに違いない。朝から、いろいろな輩が様々なことをのたまっているが、都議選を党が必至になって戦ってきたことは間違いない事実。
 ならば、アソウ首相始め自民党の幹部たちは責任を取るのが当たり前なのに、足の引っ張りあいをしている始末で、完全に我を忘れ国民の信託に応える義務すら果たせないのは情けないという一言に尽きる。
 ともあれ、今日からしばらくは政局がどう動くのか、これは見物である。
 民主党はこの結果にうかれているに違いないが、もし都民の期待に応えられなかったら4年後に厳しいしっぺ返しが来ることを肝に命じて、石原都政をチエックしなければならないが、果たして・・・という疑問はぬぐえない。
 あまりにも昨夜の『政治ショ-』が面白かったので、とりとめない文章になってしまったが、今回当選した多くの民主党の若者たちが、ただ党本部の言いなりにならず、自分の言葉で語り自分の信念にそって行動するだろうことを信じたいものである。(田舎親父)

2009年7月12日 (日)

いろいろダマシの手口を考えつくもの・・・

 昨日『追い出し屋』について書いた。

背景に不況があって、方や払う気持ちがあっても払えない。此方、当然いただかなければならないのに手に入らない。両方がしのぎあう狭間で生まれた、いわば『必要悪』だろうが、あまりにも露骨な手口がいかにも殺伐とした世を写す。

ところが、最近報道された2件の詐欺事件の手口には許し難いと、憤りはあるが何となく『よく考えたものだ』と思わなくもない。

その一つは郵便局員を装い、地方の家庭を周り『誤配達防止のために表札をつけて下さい』と言って、100円ショップで買った『写真立て』を表札と称して2900円で売りつけたという。

ありそうな話である。郵便局が民営化になって利潤を追求しなければならないとなると、当然サ-ビス低下は免れない。そんなことがテレビなどで報じられていては『誤配防止』と言われたら、これは信じてしまうだろう。しかも2900円という絶妙の価格設定ではまさか騙されているなんと思わないのでは・・・。

何軒被害にあったかは記事にない。が、4県でこうした犯行を繰り返していたというから、かなり多くの人が被害にあっているのではないだろうか。いや、被害にあった事に気がついていない人の方が多いような気がしないでもない。

一方、こちらはシロアリを実際に見せるという手口。

『調査無料』とでも宣伝したのだろう。毎日のようにまわる『不要になったテレビやコンピュ-タなどありませんか。無料にて・無料にてお引き取りします・・・・』というあの『無料』を強調する手口と同じで、無料なら一つお願いしようと思う心理を巧みについたものと思われる。

具体的なことは知らなくても、シロアリというものの恐ろしさはマスコミを通して国民全体に知れ渡っているので『今駆除しなければ家が倒れますよ・・・』と切り出せば、本当にすぐにでも家がボロボロになると思いこむのは仕方ない。

まして床下にもぐり込んで、『こいつがウジャラウジャラいましたよ・・・・』とか何とか言って、数匹のシロアリを見せると依頼した人はビックリすることは間違いない。すぐにでもお願いしますという段取りになる筋書き。

業者としたら、実際にシロアリ駆除などしなくて良いのだから、こんな美味しい話はない。改めて何人かで床下にもぐり込み、あたかも駆除したかのように装うだけで、十数万円いただけるのだから、これは止められないだろう。実によく計算された筋書きである。

記事では、この業者を契約書にクーリングオフの条件の一部を記載せず、事業者の代表者として虚偽の名前を記載した書面を交付していた『疑い』が持たれているとあるが、クリ-ングオフと言っても何のことかわからない人が多いのではないだろうか。

多分、この場合はシロアリの恐怖が先に立ち、契約書などろくに読まずに、値段を聞いて払える金額だと思えばすぐに押印するのでは・・・。

家のことに関しては信頼できる大工の友人がいるので、他の業者に依頼することは絶対ないが、私自身、実際にはク-リングオフという意味がはっきりつかめていなかったことから、ヒヤリとする話である。

この二つの詐欺事件は、恐らく微罪に終わるだろう。詐欺犯たちは反省するどころか、何故バレタのか手口を改めて、新たな筋書きをつくるのではないだろうか。それだけではなく、今回の事件を知って、より工夫した手口を考え出す輩がいないとは限らない。

『人を見たら泥棒と思え』という諺があるが、悲しい事だがいよいよそんな世の中になったようだ。(田舎親父)

2009年7月11日 (土)

こんな輩が跋扈しては・・・

 『追い出し屋』と呼ばれる商売があるらしい。

最近の不況が根本的な要因になっていることは間違いないが、このところ家賃のトラブルが急増しているという。

家賃滞納が続くと家主が困るのは理解できない事はない。いくら催促しても払わないとなると、できれば早々に退去してほしいと思うのは当たり前だが、法律には『居住権』というものがあるらしく、無理に追い出す事は難しいようだ。

家主としたらこんなトラブルを避けるために、(金はかかるが)家賃を一時肩代わりする家賃保証会社や不動産会社に委託するのが普通の形態になっているという。これも理解可能・・・。

個人の家主はこれでトラブルはなくなるだろうが、代理の家主になった不動参会社としても、無理に退去させられないのは同じなはず。ただ、借り主に対して家主個人より強い態度で退去を迫ることが多くなり、これがトラブル急増の原因になっているようだ。

賃貸契約において家賃滞納が続くと、貸主は明け渡しの強制執行を求める訴訟を起こせるが、強制執行までには平均約8カ月必要らしい。強制執行には当然相当の費用がかかるので、そんなカネを出したくないとなると、強引な退去要求になるのは当然といえばこんな当然なことはない。

しかし、借地借家法上、入居者に対して『居住権』が認められているので、家賃滞納を理由に退去を求めるには『信頼関係が破壊されるほどの滞納』が必要とされ、滞納期間は『半年程度』が普通になっているとの事である。

結局は退去させることに成功しても半年分の家賃が家主は手に入らないことに目をつけて、不払いの家賃を一時肩代わりする業者が現れ、『追い出し屋』が出現することになったらしい。

『追い出し屋』の手口は言葉で脅かすだけではなく、家主から預かっている合鍵で室内に入り、無断で荷物を撤去したり鍵を交換するという輩まで現れているというから恐ろしい。

さらに悪質な『追い出し屋』に至っては、暴力団まがいの手口で、深夜にしつこく訪問したり、街宣車ががなりたてる他にも『遅延損害金』として法外な金利を脅し取ることも稀ではないらしい。こんな悪意をもって行動する輩が『追いだし屋』の定義だろうが、一時流行った『地上げ屋』と同じような類だろう。

目に余る『追い出し屋』の手口に対して訴訟で対峙するために、弁護士や司法書士らは『追い出し屋』の中には元ヤミ金業者も含まれ、『取り立てのノウハウ』を駆使していることから法による規制を訴えると同時に、『全国追い出し屋対策会議』という組織を対抗しているというから凄い話である。

国交省は一時肩代わりする業者の許可制や登録制を検討しているといるとの報道であるが、『追い出し屋』を許可制にするのはいかがなものだろう・・・。賃貸住宅の入居者が家賃を滞納した際、一時的に肩代わりする業者を規制するのは当然だろうが、根本的な解決にならない事は明らか。

官僚たちは、何でも『法』で規制すれば問題が解決すると思っているとは思いたくないが、一番の解決策は適正な家賃を滞納なく払えるだけの収入を保障することだということは、経済に疎い私でも十分に認識できること。

景気の回復はまたまだ先になりそうとなると、悲しいことであるが、この種のトラブルは今後も増えつづけそうだ。(田舎親父)

2009年7月10日 (金)

補助金で行政幹部を接待とは・・・

 またまた大阪の話で申し訳ないが、市内全24区の区長や職員が、市関連団体の研修会名目の旅行に参加し、旅費などを団体側に負担させていたケースがこの2年会で141回もあったと朝日新聞が伝えている。

区長や職員の旅費を負担していたのは、各区の地域振興会、地域女性団体協議会、民生委員協議会、社会福祉協議会とその関連団体だそうだ。この四つの地域団体には毎年、事業費の『一部(ほとんどだろう)』に市から補助金が支出されているというから、話が一挙にきな臭くなってくる。

市の態度は『職員は団体の事務局員として、区長は団体側から意見を聞きたいと要請があって参加している』と問題にしていないようだが、市が補助金を出し、その補助金で旅行するのは誰が聞いても変な話。こんな事がまかり通っているとは『さすが大阪』と言いたくもなるが、どうやらこの手の話は全国的にあるというから、役人天国と言われても仕方ないようだ。

記事によると、旅行の内訳は、1泊2日が82回、日帰りが59回。行き先は近隣の白川郷、新平湯温泉、山代温泉などが多く、1泊2日の旅費は1人あたり3万~4万円だったとある。一回の費用はさほどでもなさそうだが、回数がこれほどとなると莫大な金額。

同じ場所に何度も出かけていることを示唆するような書き方から推測すると、区長たちは当然のごとく誘いにのり、中には職員までつれ歩いて楽しんでいたようだ。一応区長たちは寸志として数千円~1万円程度は渡していたらしいが、問題になる以前はすべて公務出張だったというから呆れる。

どうして明らかになったのかわからないが、バレたら仕方ないとばかり、市は『公金から旅費や出張費は出ていないが、同種の旅行は公務と認められない可能性がある』として指針を策定したとのことだが、この連中の思考では補助金は公金ではないらしい。

その指針というのが、(1)旅行に参加できるのは団体からの要請があったとき(2)参加する場合は休暇を取る(3)費用は団体と相談して一部自己負担とするなどとしているとのことだが、何かピントはずれではないだろうか。

補助金を出すのは区長たち行政の連中。『温泉に連れて行きますので補助金をよろしく』という誘いがあり、その行き先で補助金の額が決まるとは思わないが、区長が公金を団体に渡して、その金で旅行するとなると、この程度の指針ではとても市民の理解は得られないのではないだろうか。

全国いたる都市には様々な団体が存在する。この記事に出てくる『地域振興会』『地域女性団体協議会』『民生委員協議会』『社会福祉協議会』なる組織がどんな仕事をしているのか不明だが、行政がこれらの団体に補助金を出すことが『是』なのだろうか。

こんな団体の幹部たちは、補助金は自分たちのものだという感覚があるようだ。自分たちが得たのだから温泉旅行を楽しむのは当たり前では、これらの組織に属している地域のボスたちは地域住民のための仕事をしているとは到底思えないのだが・・・。

自治体もこんな無駄を平然と続けているのだから、財政が厳しくなるのは当たり前。若い首長がどんどん生まれているのは、しがらみを断ち切ってくれるだろうという市民の願いかもしれない。

こんなことが当たり前にまかり通っていた(指針の字面から読み取れば、現在でも公然とまかり通っている)ことが不思議でならない。(田舎親父)

2009年7月 9日 (木)

『ノンキャリアだから悪いことをする』とは暴言中の暴言・・・

 自民党の元行政改革担当大臣の中馬という御仁が、公務員制度改革について『悪いことをするのはノンキャリアだ。上に行けないから、職場で、法にないことをする』と発言したと報道があったのは先月の末のこと。

キャリアと言われている『前途を保障されている部隊』はごく少数。圧倒的多数は課長補佐が最終の役職のノンキャリア組だと聞いている。中馬某という御仁の頭の中には『優秀な官僚はすべてキャリア』という図式が頭にたたき込まれているようだ。

もっと極端に言うならば『キャリアの人たちは絶対に悪い事はしない、だから政治は官僚の言うままに動けば良い』という事になる頭脳構造の持ち主らしい。

郵便制度の悪用に関わって女性局長が逮捕された事件を念頭においてだろう。きっと、水面下で囁かれている、民主党の副代表あたりからの強力な圧力があった事をにおわせてこの女性局長は『断りきれなかったのだろう』と『例外』と断定している。

本当にそう思っているとしたら、こんな男が『政治家でござい・・・』とのさばっている恐ろしい話。政治は官僚に任せることが前提で、自分たちは官僚たちが決めた施策が正しいと国民を納得させるのが努め・・・言っていることと同じ。まさに自分は『政治家ではなく政治屋』だと自認している。

逮捕された女性局長は、未だに『否認』しているという。報道から推測すると局長より早く逮捕された係長に何らかの『指示(命令)』をしたのは間違いなさそうだが、当時課長だったこの女性が独断で部下に指示・命令したとは思えない。

彼女自身キャリアだろうが、きっとその上の古株のキャリアである部長などから強い指示・命令があったので、仕方なく係長にとりついたという筋書きだろう。どの職場も同じだろうが、上の命令には『絶対服従』が原則となると従わざるをえなかったようだ。

『否認』の裏には、『当時の上司に指示・命令されただけで、私の独断ではないという強い意志が感じられる。ところが、その後この問題は忘れ去られたようにマスコミは取り上げない。ひょっとしてどこかから圧力があるのかもしれないが、いつまで立っても『否認』のままというのは不思議なことである。

本当に民主党の副代表が関わっていたとしたら、小沢代表を辞任に追い込み民主党に逆風をもたらしたように、これを切り札にして解散(任期満了までもつれ込むかもしれないが)直後に、一斉にマスコミ操作・・・なんてことにも成りかねない。

うがって勘繰ると、逮捕された局長は結局不起訴。ほとぼりのさめた頃に財団法人『○○』のトップで天下り、という脚本を実行中で、そのための時間稼ぎの最中ではないかとさえ思えるのだが・・・。

中馬某氏はこんなスト-リ-を誰かから教えられているのかもしれない。そのためにノンキャリアは能がないから悪い事をする・・・などということを、つい口が滑ったのかもしれないが、こんな暴言は許し難い。

一部の不心得の人間もいるだろうが、ノンキャリアと呼ばれる圧倒的多数の人たちは、日夜命じられた事を確実に間違いなく遂行することに一生懸命に働いており、役職を逸脱してまで悪い事をする人間なんてまずいないと信じている。

キャリア組の方がいろいろと誘惑があるはずで、自分の前途に危険が及ばないと判断すると、平気にノンキャリの部下に命じるのなら話はわかる。その意味で、中馬某氏の発言はキャリアとノンキャリアを入れ換えるべきではないだろうか・・・。

それにしても、このトンデモ発言をマスコミが伝えたのは一回限り。これに対して野党からの攻撃もない。視聴率が稼げないと判断しているのかテレビのワイドショ-でも取り上げられていないようだ。日毎口やかましい評論家も語らない。

何か変だぞ・・・。私のアンテナは反応している。(田舎親父)

2009年7月 8日 (水)

『資金運用部』とはありそうな部署・・・

 みずほ銀行の調査役が『うちの銀行の資金運用部がマル秘扱いで米国債の高利回りの資産運用をしている。だから元本保証は当然で年利は10%』という話を資産家に持ち込み、1800万円をだまし取る事件が報じられたことは、さほど昔ではない。
 この男は同じような手口で12億円以上もだまし取ったというから驚きである。銀行の金利が0.1とかいう時代に、大手の銀行が10%もの利息を出すわけがないので、騙される方が悪いと言ってしまえばそれまでであるが、大銀行の調査役から『資金運用部』なんて具体的な部署の名前を出されたら、何とか金儲けをしたいと思っている人はコロリとだまされるのではないだろうか。
 経済音痴で銀行のことなど全く関心もなければ興味もない私でも、銀行とはカネを運用して利ざやというか、金儲けをする組織だという認識だから、現時点でも『資金運用部』という名前はともかく、資金を運用する部署が存在するはずだと思っている。
 一般の人にとって、銀行の社員だというだけで、何となく堅い人だと思いがち。しかもみずほ銀行という大銀行の『調査役』という名刺を出されたら、まず騙すなどいうことはあり得ないという先入観が生まれるのも理解できないことではない。
 実際は『調査役』というのはたいした部署ではなく、係長クラスに毛が生えたぐらいの役職らしいが、知らない人から見たら、きっと資金の使い道を調査する部署で、支店長クラスより偉いのでは・・・という錯覚に陥るのではないだろうか。
 野邑という52歳の男は、その心理を巧みについたのだろうが、それにしても2000万円だとか5000万円などという途方もないカネをいとも簡単にこの男に預けるものと呆れるというか感心する方が先に立つ。
 どんな書類なのか見たことがないのでわからないが、偽造した部長印が押印された『提案書』を示し、現金と引き換えに『預かり証』を渡すという手口に加えて、利息分を毎月支払っていたというから計画的。これではだまされる方が悪いと言ってもいられない。
 この男は2000年6月~08年8月までのわずか2年の間に、12億円という巨額のカネをだまし取ったというから、それだけこの常識なら首を傾げる(あり得ない)美味い話に飛びついた人がいるのだろう。
 いや個人だけでなく法人も含まれているというから、ひょっとして『年金運用機構(こんな法人があるのかどうかわからないが)』などという国民から預かったカネを運用している組織もあるのではないだろうか。
 年金が行き詰まったのは、資金運用が誤ったからだという説も聞いたことがあるが、もしそれが事実だとしたら、この類の詐欺に引っかかって国民から預かった虎の子の原資そのものまで失ったことも考えられないこともない。
 騙されていた人の一人が『預かり証』を持って解約のために本店を訪れたことで不正が発覚したというが、この人は利息の10%を捨ててまで元金が必要になったようだ。この人が本店を訪れなければ、現在でもこの詐欺が続いているかもしれないと思うと、(他人事ながら)みずほ銀行の管理のズサンさに呆れてしまう。
 銀行はこの男を懲戒解雇に処したとのことだが、ほとんど競馬に消えてしまった巨額のカネをどう処理するのだろうか。
 ともあれ、初めに記したが、今どき10%の利息なんて絶対にあり得ない話。私のような貧乏人はまず心配ないが、カネを持っている人たちは騙されないように、美味い話にはご用心・・・。
 世の中には『金儲け命』の人間が多く、その輩は金儲けに関しては常人が考えられないようなトンデモ発想を編み出す達人が存在する。この種の事件は、手口が変わるだろうがどこかで起こりそうな予感がする。(田舎親父)

2009年7月 7日 (火)

静岡にも新しい風が・・・

 日曜日に行われた静岡県知事選は川勝氏が勝利した。川勝さんがゴ-ディネ-タ-だった地方の活性化についてのパネルディスカッションで、パネラ-の一人としてご一緒したことがあるが、実に柔らかい雰囲気でパネラ-達の様々な角度からの主張を上手にまとめられたことを思い出す。

その時の名刺には日本国際日本文化研究センタ-の副所長という肩書だったと記憶しているが、おしゃべりの中で互いに京都生まれということがわかり、親しみを感じたことが懐かしい。

その後、静岡文化芸術大学の学長に転身されたようだが、そこでの実績が評価されて周りの人から知事選に担ぎだされたようだ。新聞報道によると、確か当初は固辞していたとのことだが、静岡空港の変な問題で静岡のイメ-ジが悪くなったことを憂慮しての出馬となったのではないかと想像している。

自民党の候補は相当以前から決まっていたと聞く。労働官僚で静岡の副知事を歴任された女性である。なかなかの凄腕らしいが、かって『私の仕事館』だったか(結果的に無駄の象徴のように批判されたもの)巨費を投じて作ったにも関わらず閉鎖した『建物(仕組み)』を手がけた方だと知り『箱もの』が好きな方だというイメ-ジを持つ。

このような方が知事になったら静岡空港ではないが、ますます無駄な箱ものができて、結局は将来的に静岡県民にツケの残すのではと思ったものである。

当時は、民主党の元参院議員が出馬に意欲とあったが、何故か民主党はこの方を推薦しないとのことに、何故・・・?と疑問に感じたが、恐らくその時すでに民主党県連は川勝さんを担ぎだす算段が決まっていたのではないだろうか。

実際に小沢代表が出張っても一本化がならず、この方も立候補。下手すると与党に批判的な票が二分されて共倒れになるのではとの観測もあったようだが、最後の追い込みで一万票あまりの僅差で当選したことは喜ばしい限り。心から拍手を送りたい。

静岡では戦後一貫して国会議員や中央省庁の官僚が知事になっているとのこと。しかも前知事が4期16年もの努めていたというから、川勝氏が勝因としてあげる『これまでの連続ではなく、新しい風を吹かせてほしいという気持ち』と、いう県民の『チェンジ』という強い意志が働いたからだろう。

この結果は投票率が上がったことだろう。前回より16ポイント以上上がった61%というから、如何に県民の意識が高かったかがよく分かる。

しかし、61%ではまだ低い。せめて70%ぐらいになれば、その差はもっと広がり、ダブルスコアの勝利となっていたのではないだろうか。このあたり国民はしっかりと受け止め、身の回りの選挙に関心をもち、実際に投票することが大事・・・。

今度の日曜日に行われている都議会選挙では、各候補の熾烈を極める運動が展開されているようだが、70%とは言わないものの静岡と同じ60%台はほしいものである。しかし、20代の若者の投票率がわずかに20数%だというから、投票率アップはこの年代の意識の高まり如何によるだろう。

今回の選挙で気になることが一つある。何でも与党候補への投票を分析すると20代と70代の投票率が高かったという情報に『えっ・・・』という思い。70代の方はともかくとして、常識的にみると20代の若者が高いのは不思議。しかも『チェンジ』を選択しないということは考えられない。

この情報が正しいとすると、どこからが意識的に動員がかかったとしか思えない。以前にも書いたが、選挙の度におよそご無沙汰続きの都内に住む『何とか学会』の人が『○○候補』をよろしくとやってくることを知っている私には、今回も与党候補にこの種の働きかけがあったということは想像がつく。

いやむしろ、地方の主張選挙では当然のように行われていると噂されている、選挙ための『住民票の移動』なども十分考えられること。ひょっとして、もっと露骨な動員をかけたのかもしれない・・・。

ともあれ『川勝さん、おめでとう』と祝福。そして県民のために中央政府にもの申す知事として、その手腕に期待したい。(田舎親父)

2009年7月 6日 (月)

簡単に殺意を実行する心の荒みが恐ろしい・・・

 一昨日、奈良で高校生が同級生を庖丁で殺害する事件の報道には、ビックリするというより得体の知れない恐ろしさで体が震えてしまった。

期末テストのために登校する生徒で賑わっていた近鉄の駅の構内で、突然後ろから刺されたらしい。刺した生徒は逃げることなくその場に立って板とのことだから殺意を持っていたことは明らかのようだ。

二人の間に何があったのかはわからない。一方が亡くなってしまった今では、真実はわからないままのような気がするが、殺意を抱くほどの『憎しみ』というものは何だったのだろう。

先日も大阪で高校生が下級生をバットで殴り殺して放置するという事件があった。夜中に呼び出して、河原まで連れて行きあらかじめ隠していたバットで殴りかかったという。高校生ともなれば、バットで殴ればどうなるかぐらいはわかるだろうから、明らかに殺意を持った行為には違いないが、高校生の『殺意』ってものは、こんなに簡単に生まれ実行できるものなのだろうか。

殺してやりたい・・・と思うことはあるかもしれない。こいつが自分の目の前からいなくなってほしい、と思うことは誰にでもあるだろう。しかし、実際に、自分がそれを実行するとなると、『絶対』できないのが当たり前ではないだろうか。それを簡単に実行してしまう高校生の心理を私には理解できないだけに、恐ろしさを感じる。

多分しばらくの間、テレビのワイドショ-の絶好のネタになるに違いない。各社は周りの人たち(ほとんど関係のない人も含めて)から様々な話を聞き漁るだろう。それをつなぎ合わせて、視聴者が喜ぶような物語りに構成するのではないだろうか。

誰かが脚色して台本に仕上げ、心理学者や教育者は言うに及ばず、およそ場違いのお笑いタレントまでものゲストたちが賑やかに、『ああでもない・こうでもないと・・・』深刻ぶった顔をして議論する様子が見えてくるようだ。

それにしても、刺した生徒は『命』というものをどう考えているのだろう。ゲ-ムや漫画や雑誌などの影響で、セットボタンを押したら『命』は復活すると考えているのでは、という意見もある。

何となく説得力がありそうな意見であるが、いくらゲ-ムに没頭し『ゲ-ム命』の心理になっていたとしても、まさかそこまで幼稚ではないだろう・・・と思いたい。しかし、こんな事件が続くと本当にリセットできると考えているのではないかとも思えてくる。

それはともかく、この報道で一つ大きな疑問を持つ。『2人が通う高校では、期末テスト終了後の午前10時50分ごろから全校集会を開いた』というくだりである。

登校時に起きた事件である。ホ-ムに時居合わせた同級生もいたに違いない。ひょっとして事件の一部始終を目撃していた生徒もいたかも知れない。

これら生徒たちの心情は恐ろしさに震え乱れに乱れていただろう。それでも登校して平常通りテストを受けられたのだろうか。事件は学校にも即刻届いたはずなのに、何の処置もとらなかった(と思われる)学校の対応に疑問が残る。

記事によると、終わってから開かれた生徒集会で、校長は『大変な事件が起こった。命の大切さを考えてほしい』と話したというが、本当に『命』が大切だと思ったら、緊急に生徒を集め事件のことを伝え、子どもたちの心に染み渡るような話し方で『命』の大切さを切々と訴え、テストは中止とするのが当たり前のように思えるのだが・・・。

副校長の『まじめな生徒と聞いている。ふだんから命の大切さについて指導しており、残念で仕方がない』との話も虚しく感じる。1年生の男子生徒の一人は『亡くなった生徒のことは知らないが、ショックを受けた。校長先生の話もよく覚えていない』と話しているというが、校長の話に『命』の大切さを訴える真剣さが足りなかったのでは・・・と感じるのはうがちすぎだろうか。

このことは改めて取り上げてみるつもりだが、少年たちの心の荒みという、一番分かり難く、しかも最も恐ろしい現実が、私たちの周りに押し寄せてきていることだけは確かなようだ。(田舎親父)

2009年7月 5日 (日)

受入れは当然だろうが、今後が・・・

 先日、車椅子が必要な子どもを受け入れられないという理由で、中学校への入学を拒否された生徒と親が教育委員会へ入学を許可するように求めていた訴訟の判決があった。
 この種の裁判では大体の場合が保護者の勝利になることが多いが、今回も施設が整っていないことを理由に入学許可を出さなかった教育委員会に対して、裁判官は『同中学校に通うことが適切な教育に最もふさわしい』とし、『普通学級で他の生徒らとともに授業を受け、心身共に成長するための時間が刻々と失われている』として緊急の必要性を認定した上で、町教委の判断については『著しく妥当性を欠き、特別支援教育の理念を没却するもの』と厳しく批判した。
 理論的にはこの判決に間違いはない。当然だろうと思うが、常時車椅子が必要な子どもを普通学級で本当に受け入れて大丈夫なのか、一抹の不安がよぎる。
 奈良の下市町という人口が7000人程度の小さな自治体のことである。恐らくこの中学校には過去に常時車椅子が必要な生徒はいなかっただろうと推測している。
 小さな町がと言っても中学校の校舎となると鉄筋3階建が普通だから、木造平屋などはまず考えられない。当然エレベ-タ-などはない。ましてスロ-プなどあるわけはないだろう。一体どのようにして垂直移動をさせるのだろうか・・・。
 親が付き添うという条件があるのかも知れないが、多くの場合これは口約束で、親の意識がどんなに強くとも、体力のいる仕事。到底長続きするとは思えない。その前に周りが放っておかなくなり『受け入れた以上介助の人間を傭うか、施設を完備せよ』という動きになるのは当然の成り行き。
 以前のように自治体が経済的に潤沢ならば、介助のための人を雇ったり階段の一部にスロ-プをつけることも可能だろうが、地方の自治体は例外なく財政難に陥っていることはこの町も同じでは・・・。恐らくそんな余裕などないに違いない。
 しかし、受け入れなければならないとなると、どんな無理をしてでも人を傭うか施設を完全しなければならなることになり、その予算をどこかから回さなければならない。恐らく町の幹部たちは頭をかかえているのではないだろうか。
 町は一時的に受入れを許可すると同時に、地裁決定を不服として即時『抗告』を決めたという。『裁判所の決定を真摯に受け止め、正式入学を決めた。ただ、決定には当方の意図が取り上げられておらず、抗告した』との談話を発表しているが、今後のことを考えるとこれも当然だろう。
 障害のある子どもを受け入れ、学校が指導を誤らなければ生徒同士の絆が強くなることは経験として知っているが、移動が物理的に難しいとなると、この生徒の将来にとって、はたして幸せになるのだろうかと思わないでもない。
 よしんば無理して施設を改築したとしても、この生徒が卒業したら無用の長物、むしろ応急処置の工事では危険な施設・施設にならないとも限らない。もし、そこで事故でも起きたら、今度は何故こんな施設を放置しておいたのか・・・ということにもなりかねない。
 子供の権利を保障する特別支援教育の流れに沿った決定であることには反論の余地はないが、町立だからと言って町にすべてを押しつけるのは無理。県や国がその責任の大部分を果たすのが当たり前ではないだろうか。高裁はこのあたりをどう判断するのか見ものだが今までの例からあまり期待できそうもない。
 こんな問題が起こる背景には、保護者(市民)の意識の中に養護学校というと何となく特殊な学校でレベルが低いという認識があるに違いない。そのような差別意識を撤廃するために、養護学校とか普通学校とかという区別をなくし、誰もが一番近くの小中学校に通っても良いというように制度に改めることを考える時にきているのではないだろうか。
 はじめから、バリアフリ-の設計をしておけばこんな問題は起こらない。そして子どもの教育のすべてを学校で受け持つのではなく、該当の児童生徒の関係者はもとより近くの人、またボランティアの人たちが学校に自由に出入りして、子どもたちは関われるようになれば、しっとりとした雰囲気が生まれるだろうことは誰の目にも明らかなのに・・・。(田舎親父)

2009年7月 4日 (土)

こんなことを国で決めることなのだろうか・・・

 23年前に決められた『週3回』が全国平均で達成されたことが分かり、文部科学省は今年度から新しい数値目標として、学校給食でご飯を出す日を一日増やして『週4回』に引き上げる方針を示したそうだ。

学校給食については以前から考え直さねばならないと提言しているが、ここまで巨大な市場というか利権が絡んで来ると、見直しなどとてもできないという意見が圧倒的。それは仕方ないが、国が学校給食の献立や使う材料を全国的に規制したり、数値目標を持たせるのはいかがなものだろう。

『米飯給食』の歴史をたぐると、正式に導入されたのはコメ余りが深刻な問題となっていた1976年というからかれこれ40年にもなる。はじまった年度の平均は『週0.6回』だったそうだが、変なところで農水省と文科省か手を握り、85年には、余った米を学校給食で消化するという方針で『週3回』とする目標値が決まったようだ。

文科省の方針には逆らえない都道府県の教育委員会は『日本の伝統的食習慣を教えるため』という大義名分を管下の教育委員会を通して現場に下ろし、強引に米飯給食の回数を増やしてきたのは周知のこと。

現場はいつの頃からか、本来の教科指導や社会性をつけることなどと同等か、それ以上に『学校給食』を大事に扱うようになり、どの学校でも『給食主任』なる役職を儲けるとともに、『給食指導部(名称はそれぞれ違っている)』などという校務分掌が整えられている。

最近は特に『食育』なる言葉が大流行。数年前には『食育基本法』なる法律も制定されて、多くの学校が『外国語』と同じぐらい『食育』に力を入れていると聞く。加えて食品偽装などが背景にあるのだろうが、食への関心の高まり、学校で伝統文化や郷土の産品を教えようという声などを背景に、米飯給食を増やそうとする動きが全国的に盛んになってきたことも『週4回』を押しつける背景にあるようだ。

米飯給食を否定するものではないが、パンに比べてコストがかかる上に、実際にご飯を炊くこと、食器を用意して食べ終わってから洗って片づけるという工程が必要になる。となると調理人には労働強化?を押しつけ、しかも安く米を仕入れなければならない、という二重の難問をクリアしなければならない。実際相当苦労して、各自治体は『週3回』を達成したのではないだろうか。

さらに1回増やすとなると、労働過重の問題はおいておくとしても、最近は給食費の不払いがどの自治体でも悩みの種。少ない予算の上に給食費そのものが入らないとなると成り行かなくなるのは当たり前。結局は給食費の値上げという方法しか残らない。

不払いを続けている保護者は『確信犯だろう』から値上げなど関係なかろうが、当たり前の義務として給食費を払っている保護者がバカを見ることになりはしないだろうか。苦情が殺到することも予想されるが、その苦情処理がまた現場の学校となると、これは本末転倒・・・。

米の消費を進めるためならばなり『ふり構わず』ではないだろうが、農水省は文科省の方針に大賛成。何が何でも『週4回』の米飯給食を広めたいようだが、(学校の実情など)そのあたりの事情がよく呑み込めていないようだ。

『給食で温かいご飯を食べられる』という建前が理念になっているらしく、現場でできるだけ簡単に調理できるように『電気炊飯器』を設置する補助を行うことにしたというから笑ってしまう。

しかし管轄が違うので直接学校や調理業者に物を与えるのではなく、助成の対象は、農協などの生産者団体だという。農協などが学校に代わって炊飯器を買い、無料で学校に貸すという面倒な仕組みというから、ますます事務手続が煩雑になり、学校としては有難迷惑になるのではないだろうか。

農水省は『地場産米の利用拡大もねらって、生産者と学校が協力する仕組み』をとったと説明しているそうだ。炊飯器を設置すれば『米飯給食』は増えるに違いないという実に短絡的な発想である。

給食調理室を改築して、現在のガスから電気に切り換え、しかも電気代も負担するならともかく、そんなものは一切なしだろう。恐らくほとんどの学校ではこんな大容量の炊飯器を設置する場所などないはず。それ以前に、炊飯器を一斉に稼働させたら、ブレ-カ-が落ちることは確実。こんなことには意識ない農水省の役人の頭の中を調べてみたいものである。

農水省はすでに10億円もの予算を用意しているらしいが、またまた無駄になってしまう公算が大きいようだ・・・。(田舎親父)

2009年7月 3日 (金)

死者を鞭打つようだが、あえて母親に苦言を・・・

 先日、自宅で車の中に子どもを閉じ込め熱中症で死亡させてしまった事件のことを書いた。パチンコ屋の駐車場でのこの種の事故は、毎年のように繰り返されているが、自宅というのは始めて。それだけに信じられず、いよいよ日本の親は親としての義務が何だかわからなくなったのではないかという感も無きにしもなし。
 そんなことを思っていると、横浜で二歳の子どもが自動車にはねられて亡くなるという事故がテレビのニュ-スで報じられた。
 車は逃げ去ってしまったという。ひき逃げ犯の場合はほぼ100%捕まるのがこれまでの例だから、間もなく逮捕されるか自首してくるだろうが、聞き終わって、何か割り切れない後味の悪さが残ったのはその内容。
 アナウンサ-は『母親は子どもの数メ-トル前を歩いていた時に大きな衝突音がしたので振り向いたとき、子どもが倒れていた』と報じた。一瞬私の聞き違いではと思ったが、そのニュ-スはそれで終わり、確かめる術はない。
 翌日の新聞にこの事件が記載されていたので、名前は伏せてそのまま引用する。
 (引用始め)30日午前11時35五分ごろ、横浜市西区戸部本町一の市道交差点で、横断歩道を歩いていた同市神奈川区栄町、会社員尾Aさん(42)の長女Bちゃん(2つ)が、右折してきた乗用車にはねられ、頭などを打って間もなく死亡した。車はそのまま逃げた。戸部署は、道交法違反(ひき逃げ)容疑などで車を追っている。
 同署によると、Bちゃんは母親のCさん(38)と近くの幼稚園に体験入園した後、帰宅するため最寄りの京浜急行戸部駅に向かう途中だった。
 CさんはBちゃんの数メートル先を歩き、後ろで大きな衝突音がしたため、振り返るとBちゃんが倒れ、車が走り去ったという。交差点に信号はなかった。現場は同駅から南西に約百五十メートルの住宅街。(引用終わり)
 きっとこの母親は現在、失意のどん底に陥っているだろう。その悲しみはわからないでもないが、普通ではこんな事故は起こらないのでは・・・。
 運転手が一番悪いことは間違いない。特に『逃げた』ことは許せない。が、もしも母親が子どもと手をつないでいたら、この事故は『絶対』に起こらなかったと断言できる。手をつながないまでも、せめて子どものすぐ横か後ろを歩いていたとしても『絶対』に起きていなかったに違いない。
 運転手の肩をもつわけではない。が、右折する時、一番気になるのが前方からの車である。多分この運転手は母親の姿は捉えたに違いないが、まさかその数メ-トル後ろを母親から離れて子どもが一人で歩いているとは思わなかったのではないだろうか。というより、そう言う先入観が子どもを見えなくさせていたのではないだろう。
 母親には、車は止まって子どもを避けるのが当たり前という思い込みがあったに違いない。車に閉じ込める事件でも同じことがいえるが、どうも最近は『自己防衛』というか『自己責任』という意識が薄れているような気がしてならない。
 車に閉じ込めたらどうなるかが理解できない。というより、車が自分の部屋と同じ意識になり、そこは『安全』は思い込む。この事件でも、交差点の横断歩道は『絶対安全』でそこに車が入ることすら許せない(そこまではないとは思うが)、車が止まるのが当然だという意識が働くようだ。どうも、横断歩道はあくまで『便宜上の約束事』だという意識が欠落しているのではと思ってしまう。
 このような事件・事故はひき逃げ犯が逮捕された時に小さく報じられることがあってもすぐに忘れ去られることが多い。しかも、第三者的な報道で母親の責任を述べることはないのが普通だから、子どもを持つ親に自覚を促すという効果は少ない。
 ひょっとして、母親は同じようなことを周りから言われ責められ、自己嫌悪に陥っているかも知れない。場合によっては家庭崩壊なんてことになっている可能性も否定できないが、同じような事件・事故が多過ぎるようなので、あえて死者を鞭打つ行為だと非難されることは覚悟の上で、取り上げてみた。
 ここまで書いてきて、母親や子どもの名前が何故かカタカナになっていることに気がついた。ひょっとして日本人ではなく外国の女性ではなかろうか・・・。そう言えば、最近顔つきからは判断できないが、言葉から明らかに外国人(特に若い?女性)と思われる人を大勢見かけられるようになっている。
 この母親がそうだったとしたら、と考えると何やら複雑な心境になるが、外国女性を妻に求め家庭を築いている夫たる日本人男性は、この国で住む以上『親のつとめ』をより深刻に考えてほしいものである。(田舎親父)


2009年7月 2日 (木)

『漫画内閣』は断念したようだが・・・

 昨日、毎日新聞発として、アソウ首相が閣僚人事で、次期衆院選に自民党公認候補として擁立を打診している東国原宮崎県知事を入閣させる方向で検討していることが6月30日分かったという記事に、首相とその周辺の連中らはこぞって頭が狂ったのでは、と驚くより先にあきれ返ってしまった。

そんなバカなことはあるまい。毎日の記者が特ダネ気取りで先走っているのだろうと思ったが、どうやらアソウ首相は本気らしい。閣僚の兼務解消などに伴う人事を一両日中に断行する方針で、東国原氏を『地方分権改革担当』などのポストで処遇することで調整しているとのこと。

支持率が10%台ででは解散もままならないので、なりふり構わずタレント人気の知事に頭を下げて入閣していただき『選挙の顔』にするという発想法に、もはや内閣の求心力はゼロ。国民的人気のタレントで自民党に票を集めようという魂胆だろうが、ここまで国民を見下しているとは思ってもいなかった。

アソウという人間は人気タレント知事一人が加わっただけで内閣人気が沸騰し、たちまち解散というカ-ドが切れると思っているのだろうか。そんなに国民はバカではないと信じたいが、劇場政治というか安物のドラマにすぐ迎合するのが今までの例。ならば、ひょっとしたらアソウ首相のこのトンデモ発想は功を奏するかもしれないと、残念ながらその心配が全くないかといえば、そう言い切れないところもある。

いやいやそんなことはあるまい。第一、自民党の中が納まらないだろう。現に、タレント知事が出馬の条件として『俺を総裁候補に・・・』としたことに対して、自民党内の派閥の領袖たちは、こぞって『ふざけるな・・・』と批判した。若手議員たちも『俺たちを何だと思っているのか』と怒りを表しているとのこと、当然だろう。

その日の午後、カワムラ官房長官は首相がタレント知事を入閣させる方向で検討に入ったとの報道に対して『そういう事実関係は一切承知していない』と打ち消したというニュ-スに、かろうじて良識が残っていることにホッとする。

恐らく、官房長官は首相からこの案を示し、そのように動けと指示されたに違いないがさすがに今回ばかりは『ハイッ』と動けなかったようだ。もし自分が率先してタレント知事を入閣させるような音頭取りをしたら、自分の政治生命が危ないと危機感を持ち、必至に諫めたのだろうと想像している。

しかし、プライドだけは人一倍あるアソウという男は何としても自分で解散カ-ドを切りたい様子なので、それでも人事を強行しタレント知事を都議会の応援の先頭に立てて、何とか都で第一党を確保して、即解散という筋書きを描いていることもあり得る。

普通なら、そんな暴挙をしたら党が分裂するのだが、自民党という党は『利権』を求めて集まっているハイエナ集団のようなものだから、分裂などしないと確信しているとしたら、ひょっとして・・・と心配になる。

それにしても、なにより宮崎県民がこのことを認めるとは思いたくない。途中で知事職を投げ出して、大臣という自分の立身出世のため『宮崎』を踏み台にしか思えない東国原という男には何の清廉味も感じられない。いや、権力の権化のようにさえ見える。

夕食時、首相は役員人事をあきらめ、一部の兼任解消をするための2名を大臣指名というニュ-スにホッとするものの、タレント知事の入閣で混乱する自民党の様子も見たかった、と思った人も多いのではないだろうか。

ともあれ、これ以上『下手な漫画政治』は見たくない。早く幕を下ろしてほしいものである。(田舎親父)

2009年7月 1日 (水)

こんな高校があるんだ・・・

 一つの記事が、今年早々に報じられたバカバカしい事件を思い出させてくれた。

教員のお遊びなのか、何かの罰則なのかはわからないが、生徒の頭をバリカンで刈り取り『2009年牛』と絵文字もどきの『作品?』にしていたことが明らかになり、大騒ぎになった事件である。

このことはかなり以前、私も取りあげたと記憶しているが、当時は教員と生徒のユ-モア合戦だろうと簡単に捉えており、この程度のことで何故こんなにマスコミが問題視するのだろうと疑問を投げかけた文章だったと記憶している。

急にこんな話を持ち出したのは『昌平高校』という埼玉にある私立高校のベテランの教員が、生徒のいない教室で『模擬授業』を強要されているという記事を見つけたからである。『昌平高校』どこかで聞いた名前だなと思って記憶を辿ると、このバカバカシイ事件の部隊だったということを思い出した次第である。

記事によると、この高校の今村という教員が、生徒のいない教室での強制的にやらされる『模擬授業』の中止などを求める仮処分を、埼玉地裁に申し立てたとのこと。

同校は大手進学塾『栄光ゼミナール』が一昨年から経営に入って以来、75人もの教師が退職したとのこと。在校生やPTA、卒業生は困惑しているが、学校側は『教育の質を高めるには当然の措置』と主張しているらしい。

私はこの記事で『昌平高校』が『栄光ゼミナ-ル』という塾が経営しているとのことを始めて知ったが、なるほど大手の進学塾のやりそうなことである。

今村センセイは国語担当の教員生活25年のベテランだそうだが、今年4月に授業から外され、寮管理などの仕事に回されているという。塾側からみたら、授業の質が低いと判断したのだろうが、センセイ自身は劣っていないと自信を持っている上に、教育には素人の塾の経営者たちを相手に、50分間、授業の『まね事』をさせられることにプライドがいたく傷ついたというところか・・・。

それにしても3年間に75人もの教師が退職しているのは尋常ではない。塾的な発想では、生徒個人の内面に踏み込んだ指導などは全く不要なのかも知れない。いや不要どころか、生徒個々の人間性など知ったことではなく、ただ入試の模擬テストの点数を上げることが授業の狙いになっているのではないだろうか。だとしたら・・・。

こんな考え方が経営理念とすると、当然のことながら、模擬テストの点数が上がらないような、まどろっこしい指導をする教師など必要ではなく、自分たちのかかえる塾の講師の方が優秀だと思い込むのも当然といえば当然かも知れないが・・・。

講師たちも正式に高校の教師に採用されるのだから、ますます点数を上げる授業の質を高めることに専心。ますます経営者たちを喜ばすということになるのでは。

記事はまた、今村センセイについて、同校の卒業生は『授業は面白く、愛称で呼ばれるほど生徒から親しまれ、学校行事にも積極的だった』となかなか評判が良い。しかし、『新体制後はいつも校長に呼び出されて疲れ切っていた。何度か入院もしていたはず』と心配もしていると書いている。一部では今村教諭を支援する署名活動の動きもあるとのことだが、在校生のコメントはないのが気になる。

この高校は塾が経営するようになる以前は毎年、入学者が定員割れしていたようだが、現在は定員オーバーで、偏差値も46から52にまで上がったというから、在校生や保護者は現状を受け入れているのかも知れない・・・。が、他人ごととは言いながらも何かすんなりとは受け入れたくないものが残る。

『以前の当校は授業も満足に行えないほど教師の質が低かった。教師の授業力を高めるのは学校の義務。今村教諭には教材研究や時間配分、目線、板書の方法など最低限のスキルを身につけてもらい、一刻も早い授業復帰を願っています』とは教頭の弁。ここまで言われるのでは、気の毒だが今村センセイにとって勝てる要素は少なそうだ。

それはさておき、正規の学校としての高校が『予備校』の発想で運営されても良いのかとなると、考えさせられる。民間企業だから数値を上げるのは当然だという経営者の考え方を頭から否定する気はないが、そんなシステムを容認している教育行政に何か奇怪しいと感じるのは私が変なのだろうか。

少なくとも総合的に『人間の価値を高める』ことが教育の原点であり学校の目標だとしたら、やはり点数を上げることだけが目的の高校が『学校』として存在すること自体が問題ではないだろうか・・・。(田舎親父)

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