簡単に殺意を実行する心の荒みが恐ろしい・・・
一昨日、奈良で高校生が同級生を庖丁で殺害する事件の報道には、ビックリするというより得体の知れない恐ろしさで体が震えてしまった。
期末テストのために登校する生徒で賑わっていた近鉄の駅の構内で、突然後ろから刺されたらしい。刺した生徒は逃げることなくその場に立って板とのことだから殺意を持っていたことは明らかのようだ。
二人の間に何があったのかはわからない。一方が亡くなってしまった今では、真実はわからないままのような気がするが、殺意を抱くほどの『憎しみ』というものは何だったのだろう。
先日も大阪で高校生が下級生をバットで殴り殺して放置するという事件があった。夜中に呼び出して、河原まで連れて行きあらかじめ隠していたバットで殴りかかったという。高校生ともなれば、バットで殴ればどうなるかぐらいはわかるだろうから、明らかに殺意を持った行為には違いないが、高校生の『殺意』ってものは、こんなに簡単に生まれ実行できるものなのだろうか。
殺してやりたい・・・と思うことはあるかもしれない。こいつが自分の目の前からいなくなってほしい、と思うことは誰にでもあるだろう。しかし、実際に、自分がそれを実行するとなると、『絶対』できないのが当たり前ではないだろうか。それを簡単に実行してしまう高校生の心理を私には理解できないだけに、恐ろしさを感じる。
多分しばらくの間、テレビのワイドショ-の絶好のネタになるに違いない。各社は周りの人たち(ほとんど関係のない人も含めて)から様々な話を聞き漁るだろう。それをつなぎ合わせて、視聴者が喜ぶような物語りに構成するのではないだろうか。
誰かが脚色して台本に仕上げ、心理学者や教育者は言うに及ばず、およそ場違いのお笑いタレントまでものゲストたちが賑やかに、『ああでもない・こうでもないと・・・』深刻ぶった顔をして議論する様子が見えてくるようだ。
それにしても、刺した生徒は『命』というものをどう考えているのだろう。ゲ-ムや漫画や雑誌などの影響で、セットボタンを押したら『命』は復活すると考えているのでは、という意見もある。
何となく説得力がありそうな意見であるが、いくらゲ-ムに没頭し『ゲ-ム命』の心理になっていたとしても、まさかそこまで幼稚ではないだろう・・・と思いたい。しかし、こんな事件が続くと本当にリセットできると考えているのではないかとも思えてくる。
それはともかく、この報道で一つ大きな疑問を持つ。『2人が通う高校では、期末テスト終了後の午前10時50分ごろから全校集会を開いた』というくだりである。
登校時に起きた事件である。ホ-ムに時居合わせた同級生もいたに違いない。ひょっとして事件の一部始終を目撃していた生徒もいたかも知れない。
これら生徒たちの心情は恐ろしさに震え乱れに乱れていただろう。それでも登校して平常通りテストを受けられたのだろうか。事件は学校にも即刻届いたはずなのに、何の処置もとらなかった(と思われる)学校の対応に疑問が残る。
記事によると、終わってから開かれた生徒集会で、校長は『大変な事件が起こった。命の大切さを考えてほしい』と話したというが、本当に『命』が大切だと思ったら、緊急に生徒を集め事件のことを伝え、子どもたちの心に染み渡るような話し方で『命』の大切さを切々と訴え、テストは中止とするのが当たり前のように思えるのだが・・・。
副校長の『まじめな生徒と聞いている。ふだんから命の大切さについて指導しており、残念で仕方がない』との話も虚しく感じる。1年生の男子生徒の一人は『亡くなった生徒のことは知らないが、ショックを受けた。校長先生の話もよく覚えていない』と話しているというが、校長の話に『命』の大切さを訴える真剣さが足りなかったのでは・・・と感じるのはうがちすぎだろうか。
このことは改めて取り上げてみるつもりだが、少年たちの心の荒みという、一番分かり難く、しかも最も恐ろしい現実が、私たちの周りに押し寄せてきていることだけは確かなようだ。(田舎親父)


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