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2009年11月

2009年11月30日 (月)

国民の1割が豚インフルに罹患?・・・

 先週末に『国立感染症研究所』というお役所の、このところテレビでよく見る部長だか課長だかの御仁が『22日までの1週間に新たに医療機関を受診したインフルエンザ患者は推計約173万人で、7月上旬(6日)以降の累計が約1075万人に達した』と発言している様子が映し出されていた。

罹患者のほとんどは新型インフルというこのニュ-スに、私の口から最近よく出る『ホマンかいな・・・』というセリフが飛び出した。

1075万人と言えばほぼ国民の1割だが、私の周りで新型インフルにかかって病院に行ったとか、家で寝ているという人は皆無。優先順位が下位の人たちが多いことから当然だろうが、ワクチンを接種したという人もいない。

豚インフルが発生し、成田はじめ各地の空港は海外からのウィルス感染を防ぐという名の元、マンガチックなほどの防疫体制をとっていたころは、ほとんど人がマスク姿だったが、このところマスク姿はあまり目立たない。

確かに、各地の小中学校などでは学級閉鎖などしているという噂は聞く。しかし、ほとんど毎日通っている四季の森公園の近くでは、ボランティアの子ども見守り隊のオジサンが立っており、子どもたちの姿もいつも通りに見受けられることから、近くの小学校は大丈夫のようだ。

国立感染症研究所(略して『感染研』というらしいが)によると、先週1週間に全国約5千の定点医療機関から報告された患者数は18万6117人、1機関当たり38・89人で、前週(16万9095人、35・15人)から2週連続で増加したとのこと。

感染研の御仁の話では、新型インフルはこれからますます流行するだろうとのことだから、一週間の患者数が20万を超えることも十分考えられない事はない。

そこで、今後一週間当たり20万人として計算すると一月で80万人、この調子で推移すると来年の今頃には推定患者数は一千万人になる。こう考えると、どうしても今までの累計患者数が一千万人というのか納得できないのだが・・・。これは私の計算の基礎部分に間違いがあるのだろうか。

翌日の新聞各紙はこの数値を裏付けるものとして、各都道府県での医療機関からの報告数を掲載している。それによると 都道府県別で報告数が最も多いのは大分で1機関当たり77・21人。次いで福井(71・25人)▽石川(65・02人)▽山口(64・31人)▽福岡(58・23人)▽長野(55・31人)▽愛知(54・17人)▽鹿児島(50・58人)▽宮崎(50・56人)▽香川(49・55人)-の順だとしているが、都道府県別の医療機関の数や規模などの記載はない。

この患者達が重症化する可能性があるのなら、危機感を煽る意味でこのような数値は必要かも知れないが、単に医師が新型インフルだろうと判断した数値。タミフルでも注射したかもしれないが『美味しいものでも食べてゆっくり寝てなさい』程度で帰宅させるのではないだろうか。

さらに昨日の新聞には、14才以下の児童・生徒の半数は罹患した計算との報道に、またまた『ホンマかいな・・・』というセリフが飛び出す。学級・学校閉鎖をするのは1割か2割の感染者がでた時点、ひょっとして、閉鎖をした学級や学校の児童生徒全員を感染者としてカウントしているのでは、と思ってしまう。

感染研がこのところの『仕分け』に対抗するため、存在感を出すために数値を発表して『この研究所は国民の命を守っているのだ』とアピ-ルしているとは思いたくないが、それにしても、改めて、本当に児童生徒の半数、そして国民10人のうち一人が新型インフルに罹患しているのだろうか・・・という疑問は消えない。(田舎親父)

2009年11月29日 (日)

魂を売ることにつながるのでは・・・

 以前にも何度か取り上げたが、中国で臓器移植をする日本人が後を絶たないというアングラ情報が流れている。真偽は全くわからない。『そんなことはあるまい』と言い切りたいところだが、頭の隅には何でもアリの国のこと『ひょっとしてあるかもしれない』という思いも捨てきれない。
 チベットやウイグル騒動(事件)などでもわかる通り、容赦ない軍隊の鎮圧と後日に伝えられる『何人かを処刑』という記事から、共産党の一党独裁制度維持には手段を選ばない中国政府は、事件の首謀者には『反体制』というレッテルをはり死刑が即刻実行されるのがさほど珍しい事でない。
 私の友人が『以前、フィリピンで腎臓の移植手術を受けた人が知人にいる』と話してくれた事があるところから、貧しい人の中には2つある腎臓の一つをうる事もあることも十分あり得ることと思っているから、何でもアリの中国のこと、死刑囚の臓器を移植に使う事もあるだろうと想像している。
 実際に、中国衛生省幹部が『国内臓器移植のドナーの65%以上は死刑囚』と発言したと伝えられている。また4年前にもマニラで開かれた国際会議で同省幹部が『臓器の大多数が死刑囚の提供』と発言したとのことだから、死刑囚の臓器が移植に使われていることは明らかのようだ。となると、書き出しのアングラ情報が気になる・・・。
 医学にまったく知識がない私には、心臓移植など一体どうしてできるのだろうと思うだけ・・・。しかも、互いの免疫適合に不具合がおこることがあるので『免疫抑制剤』という薬が必要だという話もよく耳にする。
 ところが、最近順天堂大学の奥村という教授が『免疫抑制剤に頼らず拒絶反応を抑える臓器移植法』を開発したという。私は臓器移植には反対の立場をとっているが、現実には臓器移植を待っている人がいる事も事実。この人たちや臓器移植推進の医師たちにとってはこの教授の開発した技術はまさに『神からの授かり物』と歓迎していることは想像に難くない。
 ここで臓器移植の是非を議論する気はないが、この技術を中国で指導していたというニュ-スには『ちょっと待った・・・』と言いたくなる。この教授は共同通信の取材に『サルを用いた実験に協力しただけ。動物実験だったら全然構わない』と言っているらしい。
 素人考えだが、サルに移植できるのなら人間にでも可能だろうと思いたくなる。こんな技術が広まったら、ますます中国に行けば移植できるという風潮が増長されるのではないだろうか。
 日本移植学会という学会があるらしい。いやはやどんな分野にも学会はあるようだと感心するが、その学会の倫理指針では『死刑を執行された者からの移植は国内外を問わず禁止する』と規定しているという。
 奥村という教授はこの学会に所属していないというから、この規定に縛られないのだろうが生命倫理から、だからと言って見過ごして良い問題ではないだろう。
 この学会に属す・属さないにかかわらず、『医学としてどこまで許されるのか』という問題はきちんと議論されるべきだろう。さもなければ、結果として魂を売る事態になるような気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

2009年11月28日 (土)

天下の京大がこれでは・・・

 ここ数年『大学生』による覚醒剤所持や栽培事件の報道が相次いでいる。さらに、集団強姦など信じられないような記事も目にすることが稀でなくなり、最近の大学生のモラルは小学生以下・・・という言い方もよく耳にするようになった。

そんな背景があるのだろうが、京大が来年度から新入生を対象に薬物の危険性などを教える『社会常識教育』を大学の授業の中で実施するとの発表に、ホントカイナ・・・と思った人も多いのではなかろうか。

私もその一人。京都で生まれ18歳まで生活していた私には、京都人とって京大は『大学の中の大学』という意識があり、東大より京大の方が実力は上、その証拠がノ-ベル賞の受賞者の数で京大は多いが東大はなし(誰かいたかも知れないが)という思いを持っているだろうことは、わかりすぎるほどわかるつもり。

京都人でなくても、このような思いを持つ人も多いだろうが、その天下の京大がまるで小・中学生生対象のような『社会常識』をカリキュラムの中に必修の教科にするとは、京大もここまで落ちたか・・・という思いがする。

このことについては学内では『本来は家庭の仕事、大学で教えるなどお門違い』という意見がある一方で、『京大から覚醒剤などの不祥事をなくすためにはやむを得ない』と消極的ながら容認する考え方があって議論が続いていたようだが、結果的にこのような発表があったこと、よほど切羽詰まった事情があるからだろう。

しかし、誰が講義をするのか知らないが、小中学生と同じように出席を取られ、しかも必須単位の授業となると、仕方なしに出席するだろうが、ひたすら昨夜のアルバイトや遊びの疲れをいやすための時間になる事は想像に難くない。

大学側もそれを承知して、場合によっては人気タレントにでも出張講義を依頼するのかも知れないが、それこそ熱心に聞くものの『内容はない』授業になる事は間違いなく、社会の常識向上と言った効果はほとんどないだろう。

このような社会の常識というか規範意識は、生まれてから小学生になるまでの乳幼児期に、親や周りが徹底して教えることが肝心で、『小学生では遅すぎる』という意識を『社会の常識』としなければ身につくものではなかろうと言いたいところ。

しかし、以前にも書いたが昔は日本中津々浦々どこにでも存在していた『世間さま』という素晴らしい民間教育機関がなくなり、親の意識が義務よりも権利を主張するのが当たり前となると、形は別に今後考えるとして、学校教育の中のどこかで『社会常識』を教えなければならない事もやむ得ない・・・のかも知れない。

それにしても、大学で教えなければならないというのはミットモナイというより情けない。天下の京大が導入するとなると、他の大学の追随は当然予想できるところ。大学の必須科目に名前はともかく、『覚醒剤を所持してはいけません』という内容の、現在の小・中学校での『道徳教育』のような『お話社会常識』と言った内容の授業が『大学の常識』となっては、それこそ学力低下どころではない。

今盛んに予算のしきりがなされているようだ。無駄を省く事には大賛成だ。しかし、費用削減のために学力テストを一斉ではなく何分の一か削減も、全く意味ないとは言わないが、それ以前に教育そのものの在り方の真剣な議論を喚起させる必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年11月27日 (金)

女装警官も悪くはないが・・・

 『腕力の弱い女性を狙うひったくり犯を逮捕しようと、愛知県警の男性警察官が女性に扮して夜間パトロールに10月下旬から出動している』という記事があった。
 警察もいろいろやるものと思いながらも、ここまで手の内をマスコミに公開しては、犯人たちも用心して犯行には及ばないのでは・・・と変なことを心配してしまう。
 記事は写真入りで、細身にカツラをつけ、スカートやパンストをはいての変身ぶりを紹介しているが、警察官も大変だなと同情する。一般男性から『ナンパされる』と報じているが、写真からみる限り細身ながらがっしりとした体格、ホントかしらと笑ってしまう。
 愛知では先月末までに1300件超のひったくり事件が発生しているという。この数を見る限り(全国的にみて多いのか少ないのかはわからないが)、1日4件以上は県内で同種の事件が起きていることになるが、これまたホントかしら・・・と首を傾げたくなる。
 被害の9割が女性で午後8時から午前2時に被害の半数が集中しているという。確かに犯人としたら、ごつい男よりか弱い女性を狙いたくなるのは当然で、しかも年寄りなら犯行が成功する確率は限りなく高くなるだろうことは理解できる。
 時間帯も人通りが少なくなる夜の道を選ぶことも、人目を嫌う犯人心理としては当然といえばこんな当然なことはない。それでもこの種の事件が後を絶たないのは、事故防衛意識が限りなく下がっているように思うと表現するとお叱りがくるのだろうか。
 我々の生活洋式がガラリと変わるようになったのはコンビニが流行り出してからのように思う。時々議論されるようだか、24時間営業という、それまでは考えられなかった営業体制を売り物にして、たちまちのうちに日本全国を席巻。現在ではどんな田舎を車で走っても、ちょっとした町には必ず数軒のコンビニを探し出すことができるほど。
 ここでコンビニの24時間営業の是非を論じるつもりはないが、コンビニのおかげで時間を問う事なく必要な物を購入できるようになり、日本人全体に『何時まで』という概念が薄れた事は否定できないだろう。
 つい数十年,前までは大都会の繁華街は別として、だいたいは夜の9時ともなれば店じまい、当たりは寂しくなり人通りが少なくなったもの。私の住む横浜の片田舎でも(私が通勤していた頃にはそれほどでもなかったはずなのに)夜10時・11時の駅前などではびっくりするほどの人を見る。
 当時は、この時間帯に見るのは私のような普通の通勤客か酔客。ほとんどが男性に限られていたが、このところ半分は年代がバラバラな女性たち。中には高校・中学生や小学生までも混じる変わりよう。
 その人たちが駅から自宅へ帰るのだが、賑やかな通りはたかだか数百メ-トルで、その先は店はなくなり、通る人数はへる一方。後ろから歩いている人があると、ひょっとして襲われるのでは・・・と男私でも不安になり警戒するのが普通・・・。
 こんな場所でか弱い女性を見かけたら、ひったくりの犯人にとって絶好の獲物。何なく犯行に成功することは間違いないだろうと思うのだが、襲われそうな女性たちはさほど恐れていないように暗い夜道をスタスタ歩いているのには驚く事もしばし・・・。中にはミニスカ-トの制服姿の女子高生を見かけることも稀ではない。これではまるで私を襲って下さい・・・と言わんばかりといらぬ心配をするのだか、事件の発生はあまり聞かない。
 コンビニに代表されるように、営業時間が限りなく深夜におよび、その影響で人々時間感覚が変わると同時に、夜と昼との気持ちが切り替えか苦手になって、暗いということに対する警戒心が薄れてきたように私には思える。
 さらに、治安は誰かが守ってくれるという他力本願の姿勢が当たり前になって、自分で守る・警戒するという心理か限りなくゼロに近くなっている。それでいて、事件・事故には一切責任はなく、悪いのは全て相手だ・社会だと決めつける。こんな人間が増えつづけている社会構造になっているように思えてならない。
 決してひったくりなど犯行に『襲われる方が悪い』というつもりはない。犯人を捕まえて厳罰に処す事は当然で、女装警官も悪くない。が、ひったくり事件の背景には、人々の(特に女性たち)の警戒心の薄さがあるのではないだろうか。
 女装警官が犯人を捕まえたらまた大きな記事になるのだろう。こんなマンガの世界のような発想も結構だが、警戒心を喚起することの方が大切だと思うのだが。
 もっともこれは警察だけの仕事ではなく、日本人全体で考えなければならないことだろう・・・が。(田舎親父)

2009年11月26日 (木)

飲食店には危機意識などないのでは・・・

 韓国釜山の実弾射撃場の火災で日本新観光客7人が焼死したことは先日取り上げた。一人瀕死の重症で病院に担ぎ込まれた人が、手当てのかいなく亡くなったという続報が報じられたので、死者は8人となった。

その全ての人が中学だったかの同級生で30代の働き盛りの男性ばかり。それぞれの家族があるだろうに、妻や子場合によれば父母を扶養していた人もいるのではないかと思うと胸が痛む。それにしても、非日常の快楽の時を求めるには余程の覚悟が必要なことを教える事件と受け止め、それぞれが肝に命じたいものである。

このところ国内でも火事が相次いている。最近は建物の機密性が高くなっている上、壁材などに化学繊維が使われていることもあってか死傷者がでるのが常。それも焼死というより一酸化炭素など有毒ガスによる中毒死が多いのも特徴になっている。

先日の日曜日の夕方、何気なくスイッチを入れたテレビのニュ-スでアナウンサ-が『今朝方、東京の杉並木繁華街の雑居ビルの居酒屋から出火、4人が焼死』と報じていた。『今朝の9時・・・』とのことに、一瞬我が耳を疑う。夜中の2時や3時ならわかるが朝の9時というのが解せない。

この日曜日なので夕刊はないので活字では確認できなかったが、日曜日の朝に20人もの客で賑わっていたというから私の常識ではとても想像ができない。翌朝の新聞で改めて確認したが、この店は夕方から開業して翌日の朝10時まで営業しているとのこと。私も居酒屋には何度も足を運んだが、こんな長時間営業する店があることをはじめて知った。

死亡した客はいずれも30代前半の男性。難を逃れてインタビュ-に答えていた人もそれぐらいだろう。顔を隠していた女性のいずれも同じような年代か?・・・。それにしても日曜日の朝9時に居酒屋に集まって酒を飲んでいたのだろうか。それともこれらの人たちは土曜日の夜から飲みつづけていたのだろうか。いずれにしても私にはとても理解できないことばかり・・・。

翌々日だったか続報で、客は焼きとりチエ-ン店の店員たちで自分たちの店が終わってから慰労会を行っていたというから、ある程度不可解な部分は解消したが、それにしても朝の9時過ぎまでとは・・・。

このビルには出入り口とは別に非常階段が設置してあり、店の奥の座敷から出られるようになっていたとのこと。しかし、誰一人非常階段を利用した人はいないということも報じられていた。

またまた、これはいつものパタ-ンだろうと思っていたら案の定、数日後の新聞には、非常階段に続く、店の奥の座敷にある非常口の前には、店で使う座布団などが積まれていたとのこと。

さらにその翌日には、非常口の前には座布団ばかりか、『ついたて』や『棚』が置かれていたとの記事に、これでは非常口があることすらわからなかったようだ。結局は当然のことながら、この店は火事などという非常事態は全く想定していなかったと断定しても差し支えない。

この店の従業員で焼死した人も含めて、客だったという焼きとりチエ-ン店の従業員達も非常口の有無や確認など一切頭の中には存在していなかったと想像するしかないが、もし、焼きとりチエ-ン店でしっかりと社員教育がなされていれば、少なくとも自分たちの職場との違いは察知できたのでは・・・と思うと、何か『?』と感じざるを得ないことも確か。

そんなことを思っていたのだろうが、昨日散歩の途中、駅のビルに立ち寄ったとき、一つの階段の踊り場が駅ビルに入っているス-パ-のものだろうが、台車やダンボ-ルが積み上げられて通りにくくなっている現場を目撃した。

この階段は普段はほとんど利用する人はいない。近くにエスカレ-タ-とエレベ-タ-があるからだ。私はたまたま3階のトイレに寄ったのでこの階段を使ったのだが、非常時になればこれは混雑するだろう・・・。

多分にこの駅ビルは3階で中は明るく広々としている上、夜10時ともなると店は閉店しているので、間違っても今回の居酒屋のような事態にはならないだろうと思い、そのまま立ち去ったが、いまこの文章を書いていると、お節介でも一言いうべきではなかったかなという思いもしないでもない。

こんな明るい人気の店であっても、経営者も従業員も非常事態になったら・・・という意識がないとなると、少しでも客を入れたい飲食店などでは、非常口のためのスペ-スすら惜しくなるのは当然だろう。

と思うと、居酒屋の座敷などには、とても近寄れなくなりそうだ。(田舎親父)

2009年11月25日 (水)

緊急時にAEDが稼働しない?・・・とは

 最近『AED完備』という看板をよく見かけるが、AEDというのがどういうものなのか知っている人はどのぐらいいるのだろう。正直言って私も、ADEという文字は知っていたが、正式な名前はもとより使い方などは知らない。それどころか実物はテレビでしか見たことがないのだから、こんなことを話題にする方がおこがましい気もするが・・・。

この装置を製造発売している『日本光電工業』という会社のサイトには『AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんし血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器です』とある。

続けて『2004年7月より医療従事者ではない一般市民でも使用できるようになり、病院や診療所、救急車はもちろんのこと、空港、駅、スポーツクラブ、学校、公共施設、企業等人が多く集まるところを中心に設置されています』とのこと。そして『AEDは操作方法を音声ガイドしてくれるため、簡単に使用することができ、心臓の動き(心電図)を自動解析し、電気ショックが必要な方にのみ電気ショックを流す仕組みになっているので、安心です』とある。

なるほどAEDという機械は停止した心臓にショックを与え蘇生させると同時に、人工呼吸までしてくれる優れものらしいことは理解できる。『最近では、一般市民の方がAEDを使用して救命した事例も増えてきました。』という一文から、かなりの頻度で利用されていることも想像できる。

私が毎日のようにでかける、四季の森公園でもいつのころか『AEDは北口事務所にあります』という看板が、各所に掲げられている。高齢者が目立つ公園だから当然かも知れないが、実際に北口事務所とはるか離れた場所で、突然近くを歩いている人が倒れたとしたら、この優れものが気配を察知して駆けつけてくるわけはなかろうから、どのように心肺蘇生心をするのだろうと思わないでもない。

結局、近くにいた人が人工呼吸をしながら誰かが北口事務所に連絡し担当者か駆けつけるのを待つのだろう。人工呼吸法を誰もできないとなると、以前何度か訓練を受けた私の役目になるのだろうがその自信は正直言ってない。それが現実ではないだろうか。要は転ばぬ隻の杖という程度と考えていた方が良さそうだ。

四季の森公園もこんな考え方で導入しているのだろう。この機械さえあれば、どこ倒れても大丈夫という安心感があり、それ自体が防止策になるのだからそれで十分という意見もあるだろうが、そんな万一・億一時のためには本当に役立つかどうかわからない機械を導入するより、互いの情報交換か容易になるような人的システムつくりの方が大事では・・・と思わないでも。

先日、私が調べた『日本光電工業』という会社が、全国のADE(自動体外式除細動器)約十万七千台を自主改修すると発表したとの記事があった。全国に約二十五万台が設置されているADEの50%弱がこの会社のものとのことだからこれは影響が大きいと興味を持って読んでみた。

記事によれば、改修の理由は、奈良の高齢者施設で今年四月、八十代の女性が倒れ、職員がAEDを使用しようとしたが作動せず、心肺蘇生できなかったかららしい。患者の状態を測定する電子部品が故障していたという。そんな場合通常は、自動的に故障を点検するシステムが働き、音やランプで修理の必要性を知らせるように設計されているようだが故障を事前に発見できなかったという。

これでは何のためにADEが設置してあるのか意味がない。施設の従業員は使い方の講習を受けているだろうにスイッチが入らないとなるとパニックに陥っただろう想像に難くない。この事件の後片付けに大変な労力がかかったことは間違いなさそう。

はたして、この会社のサイトがどのように更新されるのだろう・・・。(田舎親父)

2009年11月24日 (火)

ウクライナでのインフル蔓延は気掛かり・・・

 我が国では毎日ワクチン騒動が報じられている豚インフル(新型インフルエンザAHN1』)だが、ウクライナで『HN1』型とは異なる、肺を破壊するタイプのインフルエンザが大発生しているというニュ-スが一部の報道機関から流れている。

それによると、感染者はすでに140万人を超えており、症状は1918年に発生した、当時の世界人口の約3割にあたる6億人の感染者と5000万人とも言われる膨大な死亡者を出した『スペインかぜ』に似ているとの噂も広がっているともいう。

真偽は不明だか、現在ウクライナで新型インフルの感染症が大発生し、数日前のデ-タ-では、ウクライナ国内の感染者が145万人を超えているとの情報もある。その内死亡者は328人におよんでおり、直近24時間で12人が死亡したとされている。もし本当なら物凄い数字である。

症状としては38度を上回る熱やせき、呼吸器障害、肺から多量の出血などを経て、最終的に肺が破壊されてしまうというものだそうだ。

患者は発症してから平均3~7日で重篤な症状となって病院に運ばれており、病状が悪化して死に至るまでの期間は発症してから平均4~7日というから、気がついたらすでに死の床についていると言った状態が、1918年に発生した『スペインかぜ』に似ていると人々は恐怖におののいているとのことだが、あまり日本では取り上げられていない。

欧米などの一部メディアは、新型インフルが強毒化したのでは、と波紋を呼んでいるらしいが、この騒ぎで世界保健機構(WHO)か11月2日から現地調査に乗り出し、ウイルスをロンドンの研究所に送って分析したところ、新型インフルが検出されたがウイルスの突然変異については否定しているとのこと。しかし、否定しているだけで証拠としては何も示していないというから不気味。

我が国のメディアが取り上げないのは、権威ある?WHOが否定しているので心配ないだろうという、いつもの権威主義だろうと思うが、ひょっとして真相を知らせるとパニックになるという政治的な意図が報道を規制しているのかも知れないと思わないでもない。

そんな矢先に、今度はノルウェー公衆衛生研究所が新型インフルエンザ『HN1型』に感染した患者から、変異したウイルスが確認されたと発表したという報道があった。研究員は『変異によってウイルスが気管の奥深くに感染しやすくなり、より深刻な症状を引き起こす可能性がある』と警告しているというから、どうやらウイルスが現在のワクチンに対応する抵抗力を持ちはじめたと考えた方が良さそうだ。

先日、私はウィルスが変異すれば現在接種しているワクチンは全く無力だと述べたが、こんな小学生でもわかるような論理が、何故我が国では議論されないのかどうしても理解できない。

書き出しでも指摘したが、我が国ではこのところ毎日のようにワクチン接種の場面がテレビで流れ、必ずといって良いほど母親に『助かります』とか『安心しました』という言葉を言わせているが、母親たちはもとよりテレビ局のアンウンサ-やキャスタ-達にはウクライナやノルウェ-のインフル状況のニュ-スはどう伝わっているのだろう、と変なことまで心配してしまう。

副作用も問題になりはじめている。昨日の朝日の朝刊にはイギリスの製薬会社かカナダで製造しているワクチンに副作用があることがはっきりしたことで、使用を中止するようにカナダ政府に働きかけているという記事があった。

この輸入ワクチンは我が国でも12月以降に輸入し、高齢者に接種する予定だとのこと。ここままでは高齢者にワクチン効果を人体実験させるとしか思えないこの政策、はたして厚労省はどうするのか、今後の動きが見物だというとお叱りが来るだろう・・・な。

それ以前にこのワクチン接種には1回数千円かかるらしい。所得の低い人はある程度の援助があるというのは我が国だからできることで、開発途上国では、余程の金持ちしかワクチンの恩恵にあずかれない。

他国の貧しい人々には目もくれず、札束で横っ面を張り倒すような手法で強引に輸入するワクチンが、副作用があったりウイルスの変異で全く効果がなかったりとなると、それこそ笑えぬ笑い話どころか、外国からバカにされることは間違いなさそうだ。(田舎親父)

2009年11月23日 (月)

デフレと宣言しただけでは・・・

 私は毎年ネコの額のような庭で、夏場キュウリ、冬場はダイコンを作っている。両方とも種から育てるので、手間と少しの肥料代はかかるものの原価は限りなくゼロに近い。出来ばえも年々上達し、最近では店に並ぶ品物とさほど変わらない品質になっている。

農薬は一切使わない。年によってはバッタなどの昆虫やヨトウムシの被害にあうことも稀ではないが、発見次第手作業での駆除と石灰や木酢液での防御で何とかしのいでいる。しかし、そんな手作業は個人だからできることで、本格的な野菜農家ではこんなことをしていては間に合わないだろうな、と虫の発生時には必ず農家の苦労を思い浮かべる。

とったばかりのダイコンの葉はさっと湯がいて細かく切りコマ油でチリメンジャコと炒め卵で閉じるのが我が家の定番。根の部分はその大きさによって、そのままスライスしてゴマドレッシングでパクパク。あるいは下ろしてシラスとあえたり、太めに切って鮭や鰤といっしょに煮込む。我が家には、この季節の夕食は毎日といっても良いほどこの料理が並ぶ。外でこんな料理は食べられないだろうと、その都度幸せ感に浸っている。

ところでこのダイコンの価格であるが、例年は一本100円程度だったのが今年は70円とか60円になっているのに驚く。こんな価格では農家はやっていけないのでは、とまたまた農家の苦労に同情することしきり・・・。

それほど野菜の価格が下がっているようだ。これを裏付けるように、先日テレビニュ-スが実際に東京の下町の八百屋の店頭に並ぶいろいろな野菜を映し出していたが、ブロッコリ-が二つで88円だとか、ダイコンが40円というから、これは異常としか言いようがなく、このままでは野菜を作る人はいなくなるのではという危惧さえする。

消費者としては当然のことながら安ければ安いに越したことはない。時たま町にでかけるが、このところ野菜だけではなく全ての物価が下がっていることにも気づかされる。巷では不景気感が蔓延して、連日失業率の増加や高校・大学生の就職先が見つからないという話題ばかり。

大会社の社員でさえボ-ナスが減額というご時世では、安いものを求めて走り回るのは当たり前だろうが、それにしてもこんな状態が続けば世の中全てが目茶苦茶になるのではないだろうか。

政府としてもそんな社会情勢にやっと危機感を持ちはじめたようで、先日カン副総理が日本経済について『デフレ状況という認識だ。金融の果たすべき役割も多い』と発言、重い腰を上げはじめたらしいが、具体的な対策となるともう一つはっきりしない。

経済音痴の私でも経済の異常事態になれば日銀の出番だろうと思うのだが、どうも日銀の立場が、政府と違うのではないかと思うことが多いのも気掛かり。

経済の専門家は一様に、こんな物価状況に対して、日銀の認識は極めて甘いという。私でさえこの意見は頷けるが、日銀の発表では『物価の下落幅は徐々に縮小していく』とか『やや長い目で見れば、物価安定のもとでの持続的成長経路に復していく展望が開ける』と実にのんびりしたもの。

日銀のシラカワ総裁は野党時代の民主党が大蔵省や財務省の官僚の天下りに反対と、次官だった人物の就任を徹底的に嫌った結果、副総裁候補だったのに突如その地位を得た人と理解している。その意味では現政権に近いと思っていたが、ここまで甘いとなると、ひょっとして自民党の押した武藤さんだったかの方がはるかに有能だったのでは・・・という気がしなくもない。

ところで先日、衣料の安売りで知られている『ユニクロ』チエ-ンの約400店で、朝6時からの早朝セールを実施したというニュ-スが流れた。そして、銀座店の様子を映し出していたが、そこには何と午前6時の開店前には2000人以上の人が行列をつくっている姿があった。

銀座というイメ-ジとはかけ離れた安売り店への行列は、現在の経済状況から当然と言えば当然かも知れないが、この日は冷え込んではず。しかも寒さの厳しい早朝からたかがユニクロの激安衣料購入のために行列するのにはただびっくりするだけ。

並んだ人にはアンパンと飲み物のサ-ビスがあったらしいが、なんだか年末恒例の救世軍のように感じた人も多いのではないだろうか。

ともあれ、民主党政権と日銀が危機感を共有して、驚くほど効果的な経済政策を打ち出してくれることを願う今日である・・・・。(田舎親父)

2009年11月22日 (日)

4年を6年にするだけでは・・・

 先日、ある小学校の教師とおしゃべりする機会があった。私が、最近の教育現場は大変でしょう、と同情をこめて問いかけたら、よくぞ聞いて下さったとばかり、大変な現状を教えてくれた。

その30代の女性教師曰く『私は未熟ですから仕方ないのですが、ベテランと呼ばれる先生たちでも、翌日の授業の準備に追われて、午後8時・9時まで居残るのが普通になっています』というのには、ある程度教育現場を知っている私でもびっくり。

30代はアブラが乗り切っているはずなのにと思うのだが、子どもが一昔と変わってしまい、自分たち程度の経験では思わぬことが連日おこる現実に対応できないことが多く、かなり自信を失っているとのこと。

同僚もここ数年で3人ほど辞めたという。突っ込んで聞いてみると授業の準備は仕方ないと諦めて残業するのだが、その準備が実際の授業では役にたたないことが多いらしい。というより、いくら準備しても一人の子どもの思いがけない行動でクラス全体が浮足立つのが日常で、そんな時折角の準備も虚しくなるという。

しかも最近の学校では、校内の横の連絡体制がほとんど機能しないので、困ったときに相談する相手がいないのだそうだ。聞いていて気の毒になるが、こんな現状を行政当局はどこまで把握しているのだろう、と聞く立場の私の気持ちが滅入ってしまう。

結局、一人で悩みいつの間にか『鬱症状』に陥り、校長から『病気だから休みなさい』とか、場合によっては『貴方には教師は向かないようだから辞めたら・・・』と圧力をかけられるとのことだそうだ。

昔は(今では自民党の目の敵になっているらしい)日教組が校長の圧力の一定の歯止めになっていたのだろうが、組織率が極端に落ちてしまった現在では、そんな余裕はないらしく、結局は泣く泣く辞めてしまう教師が多いという。

そういえば、『鬱病で休業する教師は多いが、国会議員にはいない。気が弱かったら政治家は務まらない』とのたまった自民党幹部がいたことを思い出す。確かに、政治屋になり下がった輩には、国民のために働くという意思などかなぐり捨てているのだから残ったものは自分の懐を肥やすだけ。これではストレスとは無縁になるのも当然だと、この発言に頷いたものであるが・・・。

休業する教師が多いことはいろいろな場面で取り上げられている。一昨年度にいたっては、『鬱病』などの精神性疾患の病気休職した公立学校の教職員は、全国で5000人を超えるとの報道もあったが、この数は実際に休職している教師の数であって、病欠一歩手前の教師は、この数倍、いや数十倍に達するのかも知れない。

この現状に対して文科省の方針は、大学院で修士資格を得ることを教員免許取得の条件とする『教員養成制度』の改定らしい。教育実習を一年間に延ばすことも含め民主党のマニフェストに沿う改革だそうだが、単に2年間教員養成の期間を長くすれば現場の悩みが解決すると考えているとしたら、この国の教育行政はもはや『ゼロ』だと思わざるを得ない。

今でも大きな負担になっている教育費が、教師を目指す若者たちにとってさらに大学2年間履修を必要となると、それこそ『金持ちしか教師になれないのか』という時代になる恐れもある。

これに対して民主党の文科副大臣は『奨学金を出せば良いだろう・・・』とのことだがそれこそ『本気かしら・・・』とこの御仁のセンスを疑ってしまう。

奨学金の試算の根底にある数字は、6年制で想定する教職大学院では、修士課程の2年間で入学金と授業料の総額が135万~178万円程度、その分の奨学金を出せば良いとのことらしいが、政治屋というのは何でもカネさえ出せば解決すると思っているようだ。

教育は国の根幹とよくいわれている。その通りだと思うが、その教育に携わる教員の数はより質の高いきめ細かい教育を目指せば目指すほど、多く必要なことは誰にでも理解できるごく簡単な論理なはず。

ところが現実は遠く及ばない。大学院大学で修士を得なければ教員になれないとなると今でも難しい教員の確保がますます難しくなる。それ以前に教育実習を長期にするだけで修士を認定するなどと馬鹿げているとしか思えない。

小学生に教える程度の知識理解は高校卒業程度(もっとも高校に物凄い格差があるのが現実)で可能ではなかろうか。それは、実際に教員養成大学のカリキュラムを検討してみると、それぞれの教科の知識理解の習得より、『教科指導法』という技術に重点がおかれていることからでも明らかなように思える。

小学校の教師に一番求められている資質はそれぞれの教科の知識ではない。子どもに対する愛情や思いやり、そして教育に携わっていること誇りだろう。

昔は代用教員という制度があった。教師が足りない時代だったことは知っているつもりだが、この代用教員制度も含めて、教育制度そのものを根底から考えるときがきているような気がする。

長くなるので、教育制度改革の持論は別の機会に述べたいと思う。(田舎親父)

2009年11月21日 (土)

これでは『やっぱり・・・』と言われても仕方ないか・・・

 官房機密費という使途と一切公開しないでもよい『秘密のカネ』の存在は誰もが知っている。この機密巡っては、これまで国会で度々、使途を明らかにせよ・・・と民主党が主張していたからであるが、与党は『国家機密に関すること』と一貫して否定してきたこともよく知られていること。

 何に使われたのかは全くわからない。しかし、例えば、政治目的で誘拐された日本人を救うために、何億という莫大な身代金を払うかどうかなどを国会で議論していては、日本の国家体制そのものを見透かされて、より莫大な要求をされるとも限らないことは私のような経済・政治音痴でも理解できる。

 そんなことがあったどうかも知らないが、名称はともかく『官房機密費』という、使途を明らかにしない機密費の存在は否定するものではないが、官房長官は『機密費ってあるのでか・・・』とまるで小学生のような発言をしながらも、陰で1億2千万円もの機密費を受け取っていたことが明らかになったとの記事に、『何じゃ・・・』という大臣としての資質以前に、平野某という人物の人格そのものに首を傾げた人も多いはず。

 先日このことを伝える記事は、政府は内閣官房報償費(機密費)の取り扱いで揺れているという書き出しで、野党時代は使途の公開を迫っていたのに、政権を獲得したとたん、公開拒否に転じたと批判し、官房長官が機密費の存在すら認めていなかった時期に、計1億2千万円を引き出していたことも明らかになったことに対して、野党時代の主張との整合性に悩む政権の姿が、ここでも浮かび上がっていると報じている。

 政権が発足した10日後に6千万円引き出し、一月後にさらに6000万円引き出しているとのことだが、自分の名前で受け取りながら『機密費って・・・』とは、どんな言い訳をしても通用しない。

 しかも、使途をめぐっては『私が適切に責任を持って判断し対応している』と述べ、実際に使ったかどうかを含めて言及しなかったらしいが、この御仁も自民党政権の大臣たちと全く同じで『バレたら仕方ない・・・』という体質。これでは、いくら私を信じてほしいと言っても、信じられるわけはないだろう。

 使途を明らかにするとマニュフェストには明記していたらしいが、ここにきて『公開しない』は明らかに国民に対しての約束違反。ハトヤマ総理はマニュフェストとは国民との約束であり契約だと認識、実行できない時には責任をとると常々語っているのだから、この官房機密費についてもはっきりと『公開しなさい』と指示するのが当然だろうと思うのだが、肝心な場面になるとダンマリを決め込んでいるのはいただけない。

 これでは民主党政権の支持率は急落するぞと思っていた矢先に、前政権が選挙に敗北してから新政権の発足までのわずか半月の間に、2億5千万円もの機密費を懐に入れて知らぬ顔という事実が明らかになった。しかも、その使い道は一切明らかにされていない。

 この期間に、機密を使わなければならないような事件事故はなかったはず、自民党は行きがけの駄賃とばかり、この2億5千万円という巨額のカネを『盗んだ』という表現以外、この汚らしい行為は言い表せないのではないだろうか。

 アソウ以下自民党の幹部たちは、こんなことが明らかになるとは思わなかったに違いないが、強行採決の連続なども含めて民主党に不満が高まる中であっても、今回の事実は国民の圧倒的多数は自民党に対して『どうしようもない』と見放すに違いない。

 それにしてもバカだなあと思うと同時に、早くきちんと説明しなければ本当に『解党』の事態に陥るのでは・・・と、いらぬ心配までしたくなる。

 民主党に苦言をもう一つ。行政刷新会議による事業仕分けで、来年度予算の概算要求が次々に削られているが、なぜか『国会議員の特権』が仕分け対象には入っていないという記事もあるが、これもいただけない。

 記事によると、現職議員の冬のボーナスは、バッジをつけている期間に応じて186-310万円支給されるらしい。民間企業が昨年より大幅に減る中、わずか6%減という好待遇だと批判し、サラリーマンの懐は『厳冬』が確定しているだけに、ハトヤマ政権の国民目線が問われそうだと、チクリどころかこのままでは国民がそっぽをむきますよ、という書き方に政権交代を支持している私でも拍手を送りたい。

 『民主党の新人議員は研修を受けていただけではないか』という識者も多いらしい。確かに新人議員は研修が肝心と、仕事ができると張り切っていた新人議員を仕分人から外したのはつい最近の出来事。研修もボ-ナス査定の内となると国民の不満は高まることは間違いなさそう。

 また、今年8月30日総選挙で当選した衆院議員が、カレンダ-通りの規定だと30、31日の2日間だけだった議員日数なのに『8月分の歳費約200万円』を満額受け取ったことは、この欄でも取り上げようとしたことがあるのではっきり記憶している。

 このことを含めて、自分たちの待遇に関しては『事業仕分け』の対象になっていないというから、議員個人の体質は民主党も自民党と同じようだ。

これでは『やっぱり・・・』といわれても仕方ないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年11月20日 (金)

痴漢・痴情事件報道が目立つが・・・

 昨日の新聞に『女性警察官宅に侵入したなどとして、同僚?の37歳の巡査長を住居侵入と公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した』という記事があった。

バカな警察官もいるものと斜め読みしてみたところ、何でも『以前から好意を抱いていて、女性のことが知りたかった』と容疑を認めているとのことだが、何か辻褄が合わない部分があるので改めて読み直す。

記事によると、この巡査長は夜の10時ごろ女性巡査のマンション4階の自宅に侵入しベランダにいたところを帰宅した女性に発見され、女性が近くの交番に通報したという。駆けつけた警官がこの男を取り押さえようとしたところ、催涙スプレーのようなものを噴射して逃げようとしたので、追跡し路上で取り押さえたとのこと。

違和感をもったのは、4階のマンションに侵入しベランダに潜んでいたというくだり、どうして侵入できたのだろう。女性巡査が鍵を掛け忘れたとはとても思えない。4階のベランダに外部から簡単に侵入できるとも思えない。

それ以前に、例え前から好意を持っていたとはいえ、いくらモラルが低下した警察官であったとしても『侵入』という明らかに犯罪行為はしないだろう・・・と思いたい。となると、二人は交際をしており男性巡査長は合鍵を持っていたとしか考えようがないのだが・・・。

そんな二人の間に溝ができ、女性が避けるようになったのではないだろうか。突然自室に現れた巡査を見て、身の危険を感じて交番に通報という手段を選んだだろうと想像しているが、合鍵を渡していたとしたら不法侵入という罪には当たらないように思えるが・・・。

ともあれ、警察官としてあるまじき行為であることは間違いない。この巡査長の懲戒免職は仕方ないが、男と女の間の痴情のもつれからくる同種の事件が多いのが気になる。

このところ警官の痴漢事件の報道も多い。先日は、警視庁公安部の52歳の警部補が電車内で女性に痴漢行為をしたとして現行犯逮捕されたという記事があった。

何でも、この警部補は、オバマ米大統領の来日などを控え、飲酒を控えるように指示が出ていたのにもかかわらず、その指示を無視して勤務終了後に同僚と酒を飲み帰宅する途中の行為だったというから、警視庁内部の命令系統が不備というかガタガタと批判されても仕方ないところ・・・。

警部補は容疑を認めており、略式命令を受けて罰金20万円を納付したとあるので、冤罪でないことは明らかだが、恐らく『警部補』という中途半端な肩書ではかばう人も少ないだろうから、免職とはいかないまでも職を失うだろうことは想像に難くない。家族もいるだろうに、子どもたちの今後が気掛かり・・・。

さらに携帯絡みの、もっとオバカな警察官の記事も目立つ。その一つが、同じく警視庁の36歳の巡査長の男か、駅の階段で高校2年の女子生徒のスカートの中をカメラ付き携帯電話で盗撮したという記事には『情けない』を通り越してアホらしくさえなる。

この巡査長はすぐ辞職したとのことだが、36歳にもなって巡査長という下っぱ警官では、次の職がすぐに見つかるとも思えない。36歳の巡査長だからストレスが溜まっていたとも思えるが、この警官が犯罪者にならないことを願うだけ。

この記事で象徴されているように、『盗撮』が大流行。この種の報道はあとをたたない。それも警察官や役人、教員が逮捕となると世の中に及ぼす影響は大きいが、なぜこんな下らない事件報道が多いのだろ。

警官や教員だけがこんな行為を繰り返しているとは思えないので、日本人全体のモラルが落ちており、雑多の男(だけではなさそうだが)がこのようなハレンチ行為をしているのだろうが、警察官の逮捕となるとマスコミの視聴率稼ぎの絶好の標的になっていることは間違いなさそう。

何でもできる『より便利?な携帯電話』が、日頃の欲求不満が溜まりに溜まり、つい好奇心の標的が目の前に現れた瞬間、理性がふっ飛ばさせる、と表現するのは飛躍しすぎているだろうか。

便利で快適なことが『是』という考え方の蔓延は、携帯に何でも機能を搭載させるという結果に現れているが、そんな携帯の進化がこのような事件の背景に潜んでいるように思えてならない。

相次ぐ盗撮事件を携帯電話関係者はどのように受け止めているか聞きたいものだが、そんなことを報じるマスコミはない・・・だろうな。(田舎親父)

2009年11月19日 (木)

異国の地での不慮の死に思う・・・

 最近、安い・近い観光地として韓国が大人気らしく、先日も取り上げたが羽田から直行便が出ているので首都圏からは金曜日の深夜に出発し月曜日の早朝に帰国するという一泊3日というコ-スが繁盛しているという。

羽田以外にも、地方の空港からの直行便に加えて、九州からは高速船で釜山に行けるということもあって、年々渡航者が増えて昨年は240万人にものぼるといから、韓国にとって日本人観光客はドル箱大歓迎に違いない。

でかけた人の話では、どの都市でも日本語の看板が目立ち、言葉もほとんど不自由がなく日本語で通用するという。日本語の看板が多いのも人気の秘密で、東京を歩くより気楽だという人もいるくらいらしい。

そんな韓国の、しかも九州と対岸の釜山という釜山という大都市の繁華街の実弾射撃場で火災が発生して10人が死亡。そのうち7人が日本人という大事故が発生したことは、連日マスコミが大きく取り上げている。

事故の映像を見るとその店でも日本語で『カナダラ射撃場』という日本語の看板を掲げているからして、日本人相手の商売をしていたことが推測される。

『ガダナラ』ということ意味はよくわからないが、3000円程度の入場料を払えば、数発の実弾射撃が経験できるとあって日本人が殺到しているらしい。場所は釜山の繁華街国際市場の五階建ての雑居ビルというから、日本ではさしずめ新宿の新歌舞伎町当たりを想像すれば良いようだ。

雑居ビルの2階に『実弾射撃場』など、我々日本人には考えもできないが、韓国では当たり前らしく『買い物の合間に実弾射撃が楽しめる』を売り物にしていたというから、お国が違うとはいえ随分事情は異なるようだ。

10年ほど前に、新宿歌舞伎町の雑居ビルでの火災があり、上階の風俗店の客や従業員全員が死亡した事件を思い出す。歌舞伎町の火災では、防火シャッタ-が役にたたなかったという消防法に定められた基本的なことすら守れず、結局は44人もの人がなくなるという大惨事になったのだが、今回も同じようなにおいがする。

今回の事件報道によると、この射撃場には窓と出入り口が一カ所ずつあるが、非常口はなくスプリンクラーもなかったというから、歌舞伎町の雑居ビル以下。よくぞ営業が許可されたものと思うが、最近の釜山消防署の検査で『特に問題がない』という結果だったとのことには、理解し難いものがある。

韓国の規定では、室内射撃場に対して銃声が外に漏れないよう天井や壁の防音対策を義務付けているという。当然だろう。銃器の持ち出しを防ぐ監視カメラの複数設置も義務づけられているとのことだが、これも当たり前。しかし消防法の規制は一般の飲食店より緩いというのは、日本人観光客をできるだけ気楽に呼びたいための手段だったとしか理解できない。

それにしても、弾薬や火薬という危険物がある密閉空間なのに、防火の基準が緩いというのは理解しがたい。

はたして旅行業者はこの実態を知っていたのだろうか。これまでの例では、この種の事件では人々関心がある間は、マスコミは大々的に取り上げるのだが時間が過ぎるほど扱いは小さくなり、やがて忘れられてしまうのが常。この事件でも旅行業者の実態や責任などはあいまいになってしまうような気がしてならない。

それはあたかも食品でいう『賞味期限』と同じで、視聴者の意識が薄れたことかマスコミのいう『賞味期限切れ』。これでは亡くなった人たちの魂は浮かばれない。

この尊い代償を無駄にしないためにも、旅行業者の責任を追求すると同時に、旅行業界に対して、安易なうたい文句で人々を集めるといった安全安心を軽視した宣伝は絶対許さないという風潮を作る必要があるはずだが、喉元過ぎるとなんとやら・・・ではないが、果たしてこの事件を真摯に捉える業者はどのぐらいいるのか疑わしい。

外国に行きたいという願望はとどまることを知らないらしいが、日本以上に治安が良い国は皆無。その日本でも治安が悪化していることを十分知り、安易な宣伝文句に迷わせられない強い意思を持ちたいものだが・・・。

しかし、自分で責任を持つことを忘れて、全て他人が悪い・社会の仕組みが良くないと責任転嫁が当たり前になっている現実では、同じような事件・事故はなくならないどころか増えるような気がするが・・・いかが。(田舎親父)

2009年11月18日 (水)

中国では大雪で建物が倒壊との情報は・・・

 11月初旬に訪れた北海道は季節外れのポカポカ陽気。こんな経験はめったにできないと参加してみた忠類川でのサ-モンフィッシングでは『東京より暖かい・・・』という声が聞こえたものだが、それも束の間で天気予報を聞く限り真冬並の冷え込みが続いているようだ。

関東地方は10日過ぎから数日一時的に暖かい日が続いていたが、昨日の冷たい雨が寒気を連れてきたらしく、ここしばらくは気温のあがり方が鈍く、寒い日が続く模様。

立冬はとっくに過ぎ、暦の上では季節は冬。霜がおりることは当然で雪が降っても奇怪しくないのだが、最近の温暖化傾向になれている生活には、このような急激な寒波の来襲は戸惑う限り。

ところで、先日『寒波(立ったと思うが)』をネットで調べていると『大紀元』というサイトにぶつかり、そこに気になるニュ-スが目に止まったので、今日はこのことを話題にしてみることにする。

記事によると、中国北部では先週末から降り始めた大雪により建物が倒壊し、市街地では交通マヒや交通事故が多発、各省の被災状況の統計では少なくとも38人の死者がでているというからびっくりする。

この『大紀元』というサイトは日本語で書かれているところから、中国発の日本向けの情報サイトらしいがその意図はよくわからない。信憑性もはっきり言って疑わしいと思っているが、写真を見る限り特に細工など感じられないように思えるので、大雪の情報は間違いないのではないだろうか。

山西省では写真入りで、11日と12日の二日間で、野菜市場や学校の食堂など数十か所が倒壊。市場の屋根が雪の重みで倒れて負傷者が出たほか、ガソリンスタンドの屋根が押しつぶされる事故が発生との報道。また、救急センター車庫の倒壊により救急車が出動不可能となる状態となったという。

地図で山西省の位置を調べると、北京(特別区だろうが)のある河北省の西。かなり寒い地方には間違いなさそうだが、この時期のこの大雪で数十棟の建物が倒壊するとは(いかにいい加減な建築物が多い中国とは言え)俄には信じ難い。

記事は続き、河北省では今月8日前後から全省で雪が降り始め、一部地区では11日の午後には積雪量は49cmに達しているという。また、同省では半世紀ぶりの大雪のため、国道沿いのガソリンスタンドの倒壊や市内交通がマヒするなどの支障が出ているというからもの凄い。

さらに、ずっと南の河南省でも大雪が降り続き、この省の中央部分の鄭州という都市での積雪は32cmに達し、中古車展示場の屋根が突然倒壊し、展示車両8台が押しつぶされたと報じている。そして、一部地区では100年に一度の積雪量となり、1000平方メートルの食堂が倒壊し、学生1人が死亡、7人が重軽傷を負ったのをはじめ、各地で倒壊した家屋の下敷きになって死傷者が続出しているとのこと。

極めつけは、東シナ海(だったと思う)に面した山東省では、雪のためにバスがスリップしてガードレールを突き破って海へ転落、大勢の人が死傷、行方不明となっているというから、半端な寒波ではないようだ。

同じ地方である北京の情報が全くないこのサイトの信憑性には疑問を持っている。日本のマスコミがこんな情報を持っていないとは考えられないのに全く報じないのも引っかかる。しかし、ここまで映像入りでは全くのニセ情報とも言い難いようで、もし事実だとしたら、こんな大ニュ-スを日本マスコミが報道しないのはなぜなのだろう・・・。とこちらの方がもっと気掛かり。

山東半島は我が国でお馴染みの天気予報の雲のレ-ダ-画像の端に出てくるが、この付近の雲の塊は日本海の北方を東に進むのが普通だが、時に南下することも稀ではない。

ここ数日、低温傾向の予想が不気味。この大寒波が列島を覆うことにでもなれば、季節外れの大雪にならないとも限らない。願わくは、このサイトの情報が大袈裟過ぎると同時に、私の不吉な予報が当たらないことを願っている。(田舎親父)

2009年11月17日 (火)

この御仁の辞書には『反省』という言葉はないらしい・・・

 ほとんど国民の頭からはオリンピック招致のバカ騒ぎは過去のものと思っていたら、この御仁の頭の中にはまだ『東京でオリンピックを開かねば・・・』という思いが消えていないらしく、『私の代での責任で東京はアプライ(申請)する』と、宣言したという記事、誰かの歌の文句ではないが『本気かしら・・・』と思ってしまう。

恐らく都民(国民)の多くは失敗した16年のオリンピック招致には最初から反対か疑問を持っていたに違いない。さらに、圧倒的多数は成功するとは思っていなかったはずで、失敗したことにホッとしているという表現がふさわしいのではないだろうか。

公称150億円もの都民の税金をつぎこんだ招致運動。大新聞があまりこの問題に触れようとしないのは、どこからか圧力がかかっているのだろうが、ネットで『オリンピック招致』というキ-ワ-ドで検索してみると、とんでもない無駄遣いをしていることを指摘している。

イベントに参加した芸能人やアスリ-トたちに数時間舞台に立っただけで100万円超という常識外の謝礼を払っていたこともその一つ。

国民の圧倒的多数の常識として、芸人はともかく、過去にオリンピックで活躍し名声を得たり、現役選手でオリンピック代表になるだろうと思われているアスリ-ト達は、東京での開催を本気で応援しているはずなので、そのほとんどはボランティアとして参加しているに違いないと思っていたはず。

それが、莫大な謝礼が目的だとしたら、オリンピックそのものの精神を自らが踏みにじんでいたことになる。その連中にお揃いの一着30万円もするブレザ-を着せてのパフォ-マンス。これを無駄としなければ他に無駄はない代物・・・。

それはともかく、唐突に招致をぶち上げた、あまりにも有権者をなめた発言に『いい加減にしろ!』と怒り心頭の都民も多いはずなのに、その意志が現れていないのは、一帯何なのだろう。都民があまりにも常識はずれの発言だと呆れているのならともかく、この御仁に飼い馴らされているとしたら・・・と考えるとゾッとする。

先日、ある大衆新聞に『このタイミングで表明したのは、予想以上に知事が追い詰められているからだ・・・』という記事を見つけた。

記事によると、知事は失敗した16年五輪招致に150億円も浪費しているが、12年五輪の招致に成功したロンドンの招致活動費は60億円と2倍以上の税金をつぎこんだのに、落選したことによって、オリンピック基金として積んだ4000億円の使い方も問われるのを誤魔化そうとしてとのことだという。

都議会で多数を占めた民主党は、それらを12月議会で徹底的に追及する予定で、このままでは『150億円をドブに捨てたも同然だ』と批判されるのは確実。しかし、20年招致を表明すれば『150億円は無駄にならない』『2020年招致につながる』と強弁できるという論理を展開すると書いている。

どこまで真実かは疑わしいが、確かに、少なくとも五輪招致を言い続けていれば、招致失敗の総括を迫られたら、この御仁のいつもの発想法で『まだ終わっていないのに総括の必要はない』という論理に強引にすげ替えることは疑いのないところ。

さらに記事は、もともと五輪招致を強く訴えていたのは、自民党都議団だと続けている。五輪招致を大義名分にして東京を再開発し、国のカネで10兆円の公共事業を進めるつもりだったというのも何となく頷けないことはない。

この御仁の立場はともあれ、150億円(一説には400億とも言われているらしい)が何に使われたか明らかにもしないで、ほとんどの都民(国民)が望みもしない五輪招致に、また莫大な税金をつぎ込もうなんて許されない話であることだけは間違いない。(田舎親父)

2009年11月16日 (月)

大丈夫なのかハトヤマ外交・・・

 政治音痴の私が日米外交などという話題を出すこと自体、笑われるかも知れないが、先日行われた日米首脳会談を見ていると、あまり代わりばえしないのではと思ってしまう。

 日米対等と打ち出しているハトヤマ政権に対して、オバマ大統領の方が一枚も二枚も上で、笑顔で日本人を虜にして結局のところ『主人は俺だ』と認めさせてしまったように感じた人は多いのではないだろうか。

 私もその一人であるが、オバマ大統領の来日が、自国の軍隊の中でおこった軍医による乱射事件の犠牲者の慰霊式にどうしても出席しなければならないという理由で一日遅れたのはアメリカ側の事情。しかしそんなことは一切問題にせず、『ようこそ来ていただきました・・・』という論調しか目立たないのは、日本人の優しさ(?)なのだろうか。

 そのことは後ほどに述べるとして、オバマ大統領はエイペックだったか、アジアの首脳が集まる会議に出席することを前提に日本訪問の日程をたてたはず。当初発表された日程によると(ハトヤマ首相が大統領専用機に乗せてもらって行くとは思っていないまでも)、大統領を見送ってから、あるいは相前後して飛び立つはずだったという記事を見た記憶がある。

 これは当然だろう。翌日、シンガポ-ルで同じ会議に出席するのだから、訪問された主人が客をほっぽりだして、自分が先にでかけるなんて日本人の常識では考えられない。

 ところが、それが実際に行われたのだから驚くというより呆れてしまう。今回のオバマ大統領の行動をニュ-スで見る限り、予定が一日遅れたといいながら、きちんと予定通りのスケジュ-ルをこなしている。それも笑顔を絶やさないオバマ流で・・・。

 天皇皇后との昼食会も約束通りこなして、終わってから羽田から専用機に乗り込む様子が放映されていたが、ハトヤマ総理はそれよりずっと早く、政府専用機でシンガポ-ルに飛び立ったということがかなり引っかかる。

 しかも、昨朝の(ほんの少し見ただけだが)ニュ-スでは他国の首脳は単身で何となく口元を引き締めている姿勢に比べ、ハトヤマ首相は夫人同伴でこれ以上楽しいことはないというような笑顔で手を振っていたのも何か異質な感じを受ける。

 話を戻すが、今沖縄の基地問題で日米の関係がギクシャクしているという。そのことは理解できるが、閣僚たちの考え方も統一していないように思える。最後は私が決めると大見得を切っているが果たしてハトヤマ首相は日本の利益を第一の判断ができるのだろうかという疑念は消えない。

 大新聞はじめテレビなどのメディアも閣僚たちの意見の不一致を大きく取り上げ、アメリカを怒らせているとか、このままでは普天間基地は従来の辺野古への移転しかないという論調が目立つようになっている。

 ロシアあるいは中国に対して戦争を前提とした日米安全保障条約を戦争を永久に放棄すると宣言した日本国憲法より大事にしているのでは、いつまでたっても日本はアメリカの占領国、もっと極端に表現すれば植民地そのもの。

 日米安保が東西冷戦時代は、それなりに日本の防衛のために役立ったことは何となく理解できるが、時代は変わり条約自体の質を変える必要があるのは国民誰もが感じること。

 それをいつまでも同じように、しかも思いやり予算と称して多額の費用を負担してまで沖縄に限らず、各地に広大な土地を差し出しアメリカ様の軍隊に駐屯していただくという姿勢を見直す時期にきているのではないだろうか。

 特に沖縄においては基地の多さと、アメリカ兵に住民が暴行されたりしても『ご主人さまには逆らえません』と、むしろ住民に泣き寝入りさせている政府の方針では、これはもう独立国とは呼べるものではないだろう。

 ハトヤマ首相のオバマ大統領に対しての『お前は約束通り日程をきちんとこなせ。俺は先に行くぜ』という今回の態度は日本人として失礼だと述べた。

 これがもしもハトヤマ首相の最後は私が決めるという『日本には基地はいらないのでグアムに移転しろ、これが俺判断だ・・・』という意思だとしたら、諸手をあげて賛同するが、ちょっと無理だろうな・・・。

それ以前に、『手土産(基地問題の進展)も持たず、来てやった・・・』というオバマ大統領に対して、唯一つも批判できない日本のマスメディアの体質が悲しい。(田舎親父)

2009年11月15日 (日)

住民の安全より観光産業が優先とは・・・

 八ツ場ダムの中止を国交相が明言してからだいぶ経つ。一昨日、利根川水系を利用する5都県知事がダム反対という立場で、国交相に申し入れ書を提出したというニュ-スが流れた。

神奈川をのぞく都県は『八ツ場ダム建設』のために相当額の建設費を出していると報道されている。出すためには議会に同意を得なければならないことは政治音痴の私にも理解できるが(いつ頃から具体的な金額を出しているのかわからないが)、どうも今回の『建設反対に反対』の申し入れには、多分に自分たちのメンツに拘っているような雰囲気を感じないでもない。

それはともかく、一昨日の朝日新聞の社会面に『八ツ場水質公表せず』という4段抜きの記事が目に止まった。

記事によると、八ツ場ダムの建設予定地の利根川水系の吾妻川とその支流で、国交が少なくとも93年以降、環境基準を超えるヒ素を毎年検出しながら、調査結果を公表しなかったことが明らかになったという内容にびっくり。

下流で取水する飲料水の水質に影響する結果ではないとのことだが、誤魔化すことやデ-タの改ざんが得意な役所のこと、果たして心配ないのか疑わしい。朝日新聞は『八ツ場ダム』の建設の是非に影響しかねないとみた国交省がデ-タの公表を避けて計画を進めていたことになると指摘しているが、政権交代をしてもやることは変わらないようだ。

国交省は昨年12月から政権交代直前まで、非公表の第三者機関『八ツ場ダム環境検討委員会』を設け、ダム建設が水質や自然環境に与える影響を検討していたというが何のためと首をかしげる。政権交代と同時にこの会議はお役目ゴメンとなったらしいが、ひょっとして前原大臣は知らなかったのではないだろうか。

どのようにして入手したのかは書いていないが、朝日はこの委員会の『八ツ場ダム 環境保全への取り組み』と題した報告書を入手したようだが、内部の諍いがあったのかも知れない。その当たりの経緯はともかく、報告書には非公表とされてきた水質データが記されており、環境基準以上の数値のヒ素が検出されたと明記されているというから驚き。

猛毒のヒ素は昔から毒薬として広く知られており、時代小説や推理小説にはよく殺害手段として使われる場面があるが、青酸化合物のような人間が作り出した劇物ではなく広く自然界に分布していることは私も知っている。

特に、火山の岩盤や温泉水には高濃度で含まれるが、体内に蓄積されると様々な症状が出ることがわかっているので、最近その存在がかなり報じられるようになっている。築地市場を移転先として名前が上がった豊洲も確かかカドミウムなどと共にヒ素汚染があったと報じられているはず・・・。

環境基準も厳しくなり環境基本法に基づく河川の水のヒ素の環境基準を5倍以上厳密にして1リットル当たり0.01ミリグラムになっているとのことである。

この八ツ場ダム関係の報告書の中には、付近の川の酸性の水質を改善するために設置された『品木ダム』の放水口で環境基準の約10倍ものヒ素が検出されているにもかかわらず、デ-タ-を握りつぶしていたというから国交省の隠匿の意図は明らか。

この地域は名湯と言われる草津や万座などの温泉が多く、国交省の官僚は基準以上のヒ素の検出というニュ-スが表沙汰になると、観光に不利になるという弁解しているようだが、役人の頭の中には人々の命や健康より『金儲け』が優先するらしい。

ところで、『品木ダム』というのは、鉄板はもちろんコンクリ-トも溶かすというほど強い酸性の水質を改善するために作られたダムだという。『八ツ場ダム』計画が地元に伝えられた52年から55年に、国はダム予定地で鋼板やコンクリートを川水に400日さらす実験をしたところ、鋼板は8割、コンクリートは1割前後が溶けたというから凄まじい。

さすがにこれではダム建設はできないと計画は消えたようだが、『品木ダム』の完成によって、水質問題が解決されたとして『八ツ場ダム建設』計画化復活したというから、『品木ダム』というのは『八ツ場ダム』を作るためのダムだったという。いや、知らないことが多過ぎる。

観光に悪影響という理由もさることながら、このデ-タを現地の有力者に伝えられなかったとは考えられない。群馬県議会は知事に対して『確認の必要はないのか』と質問したらしいが、知事は『いずれ(国交)大臣がすべて責任を持って再検証すると言っている』とのことだが、この知事はバレタラ仕方ない、負の遺産を背負いこんだ民主党に責任をなすりつけようという態度がミエミエ・・・。

翌日の新聞には、『品木ダム』そのものの寿命が危ぶまれているというから、八ツ場ダム計画の中止はもちろん、ダムによらない治水は当然だが、水質改善を開かれた場で本気で議論してほしいものである。(田舎親父)

2009年11月14日 (土)

ワクチンだけに頼るのではなく・・・

 しばらく浮世の話題から意識的に逃げていたが、ふと気づくともう11月も半ば。少しは頭脳構造が回復してきたので、世の中の動きにもついていかねばならないと思い、今日は久しぶりに相変わらず大騒ぎしている豚インフルの話題をとりあげてみる。

以前からワクチンは二回接種だ・いや一回で効果があるという論争を厚労省や医師の間で激しくやりとりしていたらしいが、やっと原則一回という方針が出たようだ。そのことは特にどうってことはないが、一回のワクチンを打つだけで、本当に豚インフルに効果があるのだろうか、という疑問は消えない。というよりワクチンは安全なのだろうか。

医学とは全く無縁でしかも無知な私が取り上げる問題ではなさそうだが、マスコミが連日豚インフルの驚異を取り上げ、あちらでは大流行で学校閉鎖が相次いでいるとか、こちらでは何歳の子どもが亡くなったとか、恐怖感を煽る記事が踊っているのにはウンザリしてしまう。

ワクチンの問題でも、ワクチンを打たなければ全員が死んでしまうような書き方しかないのは、ひょっとしてワクチンを製造している会社から袖の下でももらっているのではないかと勘繰りたくなるのは私だけだろうか。

もう少し国民が科学的にワクチンを考えるような書き方ができないのだろうか。インフルに限らず、ワクチンというものは発症した患者からウイルスを取り出し培養して、適度に薄めて健康な人に注射して、擬似的に発症させて免疫をつくると教えられている。

天然痘やポリオなどワクチンの普及で現在ほとんど撲滅させた病気も多いが、インフルエンザとなると毎年流行している。これは(全くの素人論理だか)、毎年同じウイルスならば免疫ができているはずなので理屈に合わない。

多くの識者が指摘しているが、インフルにはいくつかの型があり、その年や地域によって猛威をふるうウイルスが違うらしい。だから、そのウイルスにあったワクチンを接種しなければ効果がないという。

理屈はわからないでもない。しかし、様々な型のウイルスが自然界に存在するとはとても思えないので、多分にウイルスは人間によって刺激され、自己防衛本能から少しずつ性質を変えていることは、ほんの少し考えれば理解できる。

今流行っている豚インフルのウイルスも少しずつ変化しているに違いない。現在ワクチン不足と騒がれ、製薬会社はフル稼働でワクチンを作っているという。

マスコミに煽られてワクチンが唯一豚インフルにかからない方法と思い信じている人々は、早く自分の番がこないかと首を長くして待っているらしいが、数カ月後に接種されたワクチンに入っているウイルスは、その時点で発症させるウイルスと質的に違っていたとしたら何の効果もないことになる。これでは笑えぬ笑い話・・・。

ところで、インフルを予防する方法として、盛んにうがいや手洗いを宣伝している。保育園や小学校で子どもたちが先を争うようにうがいや手洗いをしている映像が氾濫している。最近は中学や高校までが同じような指導をしているように思えるが、授業の度に少ない水道の蛇口を奪い合っていては、ただでさえ時間がないと言っている学校は大丈夫なの・・・と変な心配さえしてしまう。

それ以前に、表面がツルツルのガラスのようなところに付着したインフルエンザウイルスなら水で洗い流すことはできるだろうが、複雑な構造の鼻や喉の粘膜についたウイルスをうがい程度で洗い落とせるわけはないだろう。やらないよりやった方がましという程度であって、決定的な予防方法でないことだけは確か。この当たりをきちんと知らせる必要があるのではないだろうか。

マスクとなると、人ごみで感染している人が他の人にうつさないようにするためにはある程度有効だろうが、これまた、しないよりした方が良いという程度だろう。

以前も書いたが、インフル対策はウイルスに抗することができる体質というか、免疫をつけることが一番大事だろうことは疑いのないところ。これは普段の生活態度の改善以外あるわけは。

普段からストレスが溜まる上に睡眠不足、その上スナック菓子や栄養が偏る外食をしている生活では、例えワクチンが合致して発症は抑えられたとしても免疫はできるわけはない。新しい型のインフルにはまたワクチンを求めて右往左往するのは間違いない。

インフルにかかったら仕方ない。栄養のあるものを食べてゆっくり休養すれば良いと考えると気楽なのだろうが、金儲け命の社会では、こんな考え方をすることさえ許されなくなっているようだ。(田舎親父)

2009年11月13日 (金)

森繁さんの訃報に・・・

 ここ数日紹介している『第七回全国ほんもの体験フォ-ラムin北海道』での参加者のお目当ての一つは、開催地の自慢の料理をふんだんに取り揃え、地元の人たち総出での接待が売り物の『大情報交歓会』である。

今回も、大漁旗が覆い尽くす会場では、標津の誇る『鮭やホタテ』を中心に、北の幸満杯の料理に舌鼓。さらに北海道限定のビ-ル『サッポロクラシック』のまろやかな味は参加者一同は大満足と大変な盛り上がり。初対面の人たちが名刺交換をしながら、互いの情報を交換し合っている雰囲気に時間の過ぎるのが速いこと・・・。

大盛会のフィナ-レはこの会を裏で盛り上げてくれた標津のお母さん達が舞台にあがり勢ぞろい。会場全体で森繁久彌さんが作詩作曲し、加藤登喜子さんがしみじみと歌いあげて一躍知床を全国民の憧れの地とさせた『知床旅情』の大合唱である。

我々の年代にはこの歌は何かあると、誰かが口ずさむとたちまちのうちに大合唱になる歌なので、大音痴の私でも歌詞をそらんじているほど。歌詞をプリントも配られてはいるが、持たないで歌う人も多い。

その森繁さんの訃報を聞いたのは、帰宅した翌日。前日はゆかりの地である『羅臼』で宿泊していたので、森繁さんを偲んでではないが羅臼の宿を一つ紹介したい。

私が羅臼を始めて訪れたのは一昨年5月。日本で一番おそい桜を追いかけて、知人の車を借り10日間ほど道東を走り回った途中のこと。遅まきながら知床を旅したいと思い、ウトロの『夕陽の沈む家(このホテルは落ち着いた雰囲気で、また訪れたいと思っていたが、昨年秋、親しくなった従業員の一人から諸般の事情で閉鎖しますという連絡があったのは残念)』という小さなホテルに連泊し、ガイドの案内で知床を堪能。ヒグマやエゾシカ、キタキツネの歓迎を受けたことは忘れられない思い出。

その後、知床峠で見た北方領土の『国後』の大きさに、失った領土の大きさと未だに返還交渉が進まないことにイラダチを感じ、その気持ちは現在ますます大きくなっている。途中『熊の湯』というこれぞ露天風呂という、人工物が何一つない風景の中での湯に浸かる素晴らしい経験をして、羅臼に泊まった宿が『いしばし』という小さな民宿。

その夜は、私たちだけだったこともあり宿のご主人と女将さんとすっかり打ち解け、翌日は、山菜取りに連れていってもらいゴゴミをはじめ大収穫。昆布拾いや小さな漁港で大漁のカレイやタラを目の当たりにした。お返しに水仙の球根植えの手伝いをしたことも良き思い出。帰りにはお土産としてダンボ-ル二ケにも当たる海の幸・山の幸にはびっくりを通り越して口アングリの大感激。以来、数度訪れている。

昨日の続きになるが、『川北温泉』を堪能した我々は、当然のことながら今宵の宿は羅臼の民宿『いしかわ』である。羅臼の道の駅で羅臼会場の分科会のパネラ-である、急に同行する気になった友人を拾い宿に向う。

到着して間もなく女将さんからの『今年一杯で宿を閉める』という悲しい言葉に愕然とするが、料理は相変わらず豪華なもの。

今宵は、いつも夜中まで相手をしてくれるご主人が出張で留守なのは残念だが、宿は閉めても歓迎するという女将さんの話を肴に地酒『北の勝』をグイグイと大盛り上がり。この宿には、熊の湯から引いているという源泉かけ流しのこじんまりした風呂が24時間いつでも堪能できるという付加価値があるのも嬉しい。

こんなに『もてなし上手』な宿はないと思うので、今年一杯で閉めるのは惜しいが、女将さんはもともと体力が落ちたら閉めると口にしていたから仕方ないだろう。もし、今年一杯に羅臼にでかける機会がある方は、ぜひこの民宿に泊まっていただくと、その良さを知っていただけることは間違いない。

翌朝、女将さんには『来年の春に必ずきます』と約束。その時は『知床旅情』をいっしょに歌えることを楽しみにしている。(田舎親父)

2009年11月12日 (木)

絶品! 酪農家のチ-ズ

 昨日は和泉雅子さんの印象を書いたが、女優として活躍していた彼女がなぜ突如として北極に向かったのかは講演の中からは見つけられなかった。北極点に到達した第二回目の遠征費が1億3千万円と淡々と語るが、いくら人気女優だったとは言えこれだけの費用を捻出するのはかなり困難ではなかったろうか。

彼女の気持ちを想像することなど全く意味のないことだろうと思うが、女優としての売り物の美貌とスタイルを失っても余りあるほどの、人生の転機となる大きな経験が『北極行き』を決心させ、その時の失敗にもめげず、その価値観が彼女の心を占めたに違いないと推察している。

それはともかく、翌日は4つの分科会に別れてパネルジィスカッションが行われたのだが、それぞれの会場では多くの人々が熱心な討論をして昼過ぎに終了した。私の参加した分科会も席が不足するほどの盛況、毎年のことながらこのフォ-ラムに期待している人々熱き思いを感じる。

全ての日程が終わったので、私は友人とレンタカ-を借りてある牧場に向う。この牧場には2度目の訪問だが、今回は全くアポをとっていない。お前など知らないと言われたらそれまでという全くの押しかけ訪問である。

なぜ、そこまでして訪問するかというと、この酪農家の作るチ-ズを何とか少しでも分けていただきたいという気持ちが強かったからである。

詳しいことは省略するが、昨年5月標津を訪れた際、北海道の牧場の搾乳風景を写真に撮りたいために、偶然知り合った酪農家の次男という青年に『貴方の両親の牧場で写真を取らせていただけないだろうか・・・』という、強引で且つ大変あつかましいお願いをした。

彼はすぐ父親に電話してくれ、あまり積極的とは思えないもののOKをいただいたので遠慮なく押しかけ、いろいろと質問したりさせてもらいながら搾乳風景を撮影させてもらったという経緯がある。

はじめは迷惑顔をされていたが、私の熱心な態度が評価され、徐々に心開いていただいたのだろう、帰り際に奥さんから『何もないけどこれを食べてみなさい』と渡されたのが、今回の目的になった『絶品のチ-ズ』である。

真空パックされたチ-ズはまさにナチュラルチ-ズそのもの、数日後、自宅に戻って食べてみたら、これは何とも表現しようがないほどの絶妙の味。ナチュラルチ-ズが好みだということもあるだろうか、こんな素晴らしい味のチ-ズにはお目にかかったことがない。

早速、ほんの少しのお礼の品をそえて礼状を出したのだが、都会人の我が儘だろうと思われた(と想像しているが)らしく、全くのなしのつぶて。確かに、私の気持ちの中に、できれば定期的に分けていただければ・・・という下心があったことは間違いないので、仕方ないと諦めていたのだが、もう一度お会いして『本当に美味かった』ということは伝えたいという気持ちは持ちつづけていた。

牧場はすぐわかり、うかがった時刻がお昼休みと良かったこともあって、当初は怪訝な顔をされていたが、昨年のことをいうと思い出していただき『まあ中に入れ』と居間にあげていただく。いろいろな話をしているうちに、心が通じ合って、私の言う『チ-ズが絶品』という言葉が真実だと感じてもらえたらしく、早速スライスしたチ-ズを豪快にお皿に出していただく。

全部食べても良いとのことなので、遠慮せずにパクパク。友人も『これは絶品』と頷き同じようにパクパク。たちまち100gのチ-ズがなくなってしまった。

何でもこのチ-ズは共同の作業場で作るらしいが、そこが人気でなかなか順番が回ってこないらしい。この酪農家も3ケ月に一度抽選に当たって使えるか使えないか、という程度で、使える日は生乳100kgを車で1時間かけて作業場に持ち込み、10kgのチ-ズを得ることができるとのこと。

この酪農家は放牧が一番という主義。緑の牧草を食べた牛の出す生乳から作るチ-ズが最高と言うことは素人の私でも知っている『チ-ズ学(こんな言葉があるのかは疑問)』の最低の常識だから、この夫妻が作るチ-ズが絶妙の味だということは当然の理屈。

ただ、実際にチ-ズ作りをする奥さんはチ-ズは食べないという。ご主人もさほど食べないとのことだから、結局は札幌に住む息子に送ったり、友人へのプレゼントにするらしい。たちまちのうちに売れることは間違いないのに、もったいない話である。

定期的に作って分けてもらえないかと熱心に口説くが、もう一人の息子がチ-ズ作りに専念してくれたら・・・という返事。全く脈がない話ではなさそうだ

結果的に、最近作ったので今は冷蔵庫に入っていると言って、1kgの輪のようなチ-ズを10ケに切って真空パックしたチ-ズを『持っていけ・・・』と渡してくれる。『購入させてもらえないか』というと、ダメだとのこと。変に押し問答をしたら『カエレ・・・』と言われかねないので、後でお礼をということで受け取り、即刻、友人と山分け・・・。

このご主人、近くの秘湯『川北温泉』の湯守をされているらしく、ここにはぜひ入っていけとのこと。はじめから我々はそこに向うつもりだったが、まさかご主人がこの温泉の湯だったとは知らなかった。

なんでもNHKが日曜日の午後に放映している『みんなの温泉』とかいう番組では、4日間も撮影に付き合ったとのこと。ご夫妻は毎日この温泉を利用しているという。その日は日曜日、近所の人たち(といっても車で30分は当たり前らしい)で賑わっていたことを付け加えておこう。

今回も帰宅するやいなや、すぐに1ケをペロリ。『なしのつぶて』を覚悟して、近々、お礼の品を送っておこう。(田舎親父)

2009年11月11日 (水)

和泉雅子さんの印象・・・

 この『ほんもの体験フォ-ラム』の大きな売りの一つがゲストのト-ク。私がこのイベントに魅了されたのは一昨年の沖縄大会での『平田太一』という青年の講演。彼の魂の叫びを感じさせる迫力に心底驚き震え上がったものである。

昨年の美浜では、ご当地出身の伏見工高校ラクビ-部で泣き虫監督と言われながら、弱かったチ-ムを一躍全国優勝に導いた山口監督だった。山口さんの話も素晴らしかった。自分の生い立ちを淡々と語り、伏見工高に教師として赴任した時の思い出などや、悪ガキたちを相手に奮闘した様子を自分の言葉で語る姿に、思わず涙した。

今年のゲストは我々の年代には懐かしいアイドルとして記憶に残る和泉雅子さん。しかし女優としてより北極点に到達した数少ない人という方がインパクトは強い。今までのゲストを選ぶ基準は、開催地で活躍している人かそこの出身者だったとのことだが、今回は両方当てはまらない。あえて探すと、北極と北海道の北という字が共通であること、北極に一番近いのが北海道だという程度という。

適任者を探すのに苦労したらしく、見つけ出して交渉を始めても日程が合わなかったり条件が整わなかったりと四苦八苦、偶然和泉雅子さんが北海道の標津とは読み方が同じシベツである士別町に別荘を建て拠点にしていることを知って話を持っていったところ、快くOKをいただいたとのこと。主催者から聞いた人選の経過も楽しい。

和泉雅子さんというと『北極に立った数少ない冒険家』の一人。二度目の挑戦で偉業を達成されたということは知ってはいたが、私の記憶からその後はすっかり消えていた。案内パンフを見て、そのことを思い出し『私の北極物語り』という演題には興味がそそられる。

前日、プレイベントが終了して温泉に浸かってから、宿の入り口近くで次の会の時間待ちをしていたところに、二人の熟年の女性が入ってこられ『ここに温泉があるのですか』と声を掛けられた。

夕方の6時過ぎ。なぜこんな時間にと疑問があったものの、その時は和泉正子さんとは全く気づかずに『素晴らしい温泉ですから、ぜひゆっくり入って確かめてください』と答えてしまい、一言二言温泉の話をした。

ふと気づくといつの間にかいなくなっている。時間が来たので懇親会の会場に行くと、目の前に泉さんともう一人の方が座っているではないか。ひょっとして、この方が和泉さんではと思い、改めてまじまじと顔を拝見すると和泉さんに間違いない。

スタイルが良いとはお世辞にも言えない。服装も地味なもの。それなりの生地を使っているには違いないが、派手さは全くない。横に座っている女性はマネ-ジャ-らしいが、こちらも全く目立たない存在で、当然のことながら、私が少し前に宿の玄関で『このおばさんたちは誰だろう』という疑問をもったのも当然だという感じ・・・。

それほど見事にごく普通のおばさんという雰囲気をかもし出している。そこには女優だとか冒険家だという一種のプライドなどを感じさせないのに驚く。

懇親会の場では、誰とも気さくに話して座を盛り上げているのも、飾りはなく出席者の一人として料理をいただきお酒を楽しみ、何よりも場の雰囲気を自分で楽しんでいるという人となりは接していて楽しくなる。

私はこの場では酩酊してしまったが、翌朝、朝食でいっしょになって同じ宿に泊まっていることを知ったという次第。

ところで講演であるが、実際に北極に出かけた経過と風景をスライドで見せながらのト-クは聞いている人を飽きさせない。何十回も話しているのだろうか、その話ぶりは『素晴らしい・・・』という一言に尽きるほど洗練されている。

しかも、事例発表が伸びた時間をきちんとカバ-し、しかも『しり切れとんぼ』のような終わり方ではなく、聴衆を納得させる手法で20分間を短縮した話法は見習いたいもの・・・。すっかり今頃になって和泉雅子ファンになったような気持ちになる。

その上、その後に開かれた出席者全員による『大情報交換パ-ティ』にまで出席。多くの人たちと楽しんでおしゃべりしている姿に感動すら覚える。今までのゲストは時間の関係もあったのだろうが、このパ-ティに出席した人はいない中、この場を楽しむ彼女には、ある種の凄さを感じた人も多いのではないだろうか。

交通の手段がないからだろうか、その日も宿泊。翌朝には『クセになりそうな素晴らしいお湯でした』と私に声を掛けていただいたのも嬉しいこと・・・・。

またどこかで、彼女の『私の北極物語り』を聞く機会があることを願っている。(田舎親父)

2009年11月10日 (火)

しばしの頭脳休暇から復帰・・・

 しばらく休養していたが、今日からまた毎日更新を目標に駄文を掲載したいので、時間がある方は読んでいただきたいと思っている。

休養中、5日から知床半島の付け根に当たる標津町で行われた『第七回全国ほんものフォ-ラムin北海道』というイベントに参加し、教育旅行に携わる多くの人たちは歓談する機会をえることができた。

第六回は今年の3月福井県の美浜町で行われた。その時の参加した様子はこの欄でも書いたが、このフォ-ラムは従来の修学旅行のスタイルから、本当の意味での体験活動が子どもたちの気持ちが盛り上がり、感動を生むという考え方で教育旅行を変えていこうという人々の熱き思いで、年に一度開くイヘントである。

飯田で始まったこの催しは和歌山・新潟・長崎・沖縄・福井と回を追うごとに充実してきたという。私は昨年3月に行われた沖縄大会に取材に出かけて、その圧倒的なパワ-を目の当たりにし、翌年からはすっかりファンになっている。

体験旅行が大流行な現在、各地ではこの種のイヘントが数多くあるが、ここに集まる人たちは地道な活動によって、多くの学校の修学旅行や教育体験活動の誘致に成功し、しかも毎年大きな評価を得ている人がほとんど、利用する学校も歳を追って増えているという。

町や市の行政組織が受入れの中心になっているのも特徴の一つで、次回の開催地に立候補する首長が参加するのも大きな特色。そんな背景にあるとは言え、自然体験活動のイベントで1000人もの人が全国から集まり熱心に討議する集まりはまずないだろう。

受入れる地域や人々が多いので、当然のことながら、主催会場では修学旅行の書き入れ時の開催は難しい。そんな理由から、毎年開催されるのは2月・3月が多かったようだが今回の標津町は鮭の一大産地。しかも極寒の道東では2月.3月は厚い氷に閉ざされている期間と、絶対的な物理条件が伴わない。そんな意味で、前回の福井からわずか半年しか過ぎない11月初旬の開催になったようだ。

それにしても標津は遠い。中標津空港を利用するのが一番便利な方法だが、ここと羽田とは一日一便の全日空だけ。日に数便ある釧路空港や女満別空港を利用する方法もあるが、陸路2時間もかかるとなると、観光で釧路湿原や阿寒湖を観光しながらという人はともかく、ほとんどの人は中標津を利用するしかないのが現状。

開催日が決まったが、この時期は全国の教育旅行にとっては、いわば書き入れ時。主催社側は果たして人が集まるのかと心配立ったらしいが、それでも北海道以外から300人を越し、全体では500人超の参加者があったのは凄いこと・・・。

私は前日に行われる各種のプレイベトに参加するために5日の11時20分羽田発のANA便に乗り込む。ここ標津には何度も訪れている。プルケの宿という看板の『ホテル川畑』は57度の強アルカリの自噴泉を持つ源泉掛け流しの宿、ぜひ一度この温泉に浸かって見ることを薦めたい。遅めの昼食後は宿でのんびり・・・。

翌6日は、朝からサ-モンフィシングのメッカである『忠類川』で、始めて本格的なサ-モンフィシングに挑戦。しかし、今年は鮭の帰川が少なく、しかも時期的にはすっかりピ-クを過ぎているらしく、魚影は見えない。

一応ルア-やサンマの切り身のエサで当たりを待つが根がかりがあるものの、また何かの拍子でエサはなくなるが鮭からの反応はない。それでも18人の参加者は臨場感と風景の雄大さに大満足。昼食をはさみ、笑顔で次の『新巻き作り』に挑戦。作った新巻きは後で送ってくれるというから楽しみである。

その後、標津の誇るサ-モン水族館を見学。産卵水槽では鮭の自然産卵の様子も見ることができたのも大きな収穫であった。今日はここまでにしたい。(田舎親父)

2009年11月 1日 (日)

早過ぎる死刑執行に疑問・・・

 『足利事件』は逮捕され19年間も刑務所で過ごしてきた菅谷さんが、犯人の可能性が極めて低くなったという理由で釈放され、検察の幹部が謝罪するという展開に世間が驚き俄然注目されたが、陰で菅谷さんの無実を信じて活動してきた弁護団の努力には頭が下がるとしか表現のしようがない。

当時のDNA鑑定に現在のようなすう正確さがなかったにもかかわらず、裁判で検察は唯一の証拠として採用するように主張。裁判官もそれを認め地裁無期懲役を言い渡し、無実を訴えて控訴した二審でも、さらに最高裁でも控訴・上告棄却という判決で無期懲役が決定。牢獄で過ごしていた菅谷さんの気持ちは想像を絶する。

それでも、努力の結果が報われ、19年間という貴重な時間は元には戻らないまでも、社会に復帰できることは不幸中の幸。もしも、無期懲役ではなく死刑という判決だったとして、それが執行されてしまったとしたら、今日の菅谷さんは存在しない・・・と思うとゾッとする。

そのゾッとする可能性が高い事件があったという。福岡という地域は凶悪事件や信じられない事件が報道される度に『また福岡か・・・』と言われるほど賑やかな地域というと叱られそうだが、昔からのことだったようだ。

1992年に飯塚という町で、女児2人が殺害された『飯塚事件』で逮捕され死刑を言い渡された男性は昨年に死刑が執行されたとのことだが、どうもこの人は『冤罪』の確率が極めて高いということが報じられている。

私には『飯塚事件』そのものの記憶はほとんどないが、当時(現在も同じだが)、幼い女の子が殺害される事件が相次ぎ、新聞の記事を見る度に『犯人を探し出し、即刻死刑にでもしてほしい』と思っていたことを思い出す。足利事件にせよ飯塚事件にせよ『犯人逮捕』という報道で何かホッとし、それ以後関心が薄れてしまっていたようだ。

記事によると、死刑を執行された元死刑囚の妻が福岡地裁に『再審請求』し、新証拠として『足利事件』と同時期に同じ方法で捜査段階に実施された、DNA型や血液型の鑑定について、『結果に誤りがある』という鑑定書を提出したとのこと。

記事の詳細は省略するが、私なりに『飯塚事件』を調べてみると、最初から証拠が少なく、目撃された車の情報から警察はこの男性をマ-クしていたようだが逮捕のきっかけが掴めなかったという。

しかし、事件から2年半後にDNA鑑定で、遺体周辺の血痕とこの男性のDNAの型が一致したなどとして、死体遺棄容疑で逮捕。

車に残されていた血痕が被害者のものと一緒であったことから、被害者が被疑者の車に乗っていたのは間違いないというのが逮捕の根拠だったようだが、当時の警察としては、DNA鑑定というのがまさに『神の技』のような思い込みと、自供に勝る証拠だったようだ。

現在ではDNA鑑定は4兆人以上を識別できる精度があるというから、一致した瞬間『否認』は無視されても仕方ないとも思えるが(人間が作り出した技術だから万が一の間違いがある可能性は捨てきれないが)、当時のDNA鑑定はそこまでの精度がなかったとのこと。当然、被告が一貫して否認し他の物的証拠が何一つない裁判では、もっぱらこのDNA鑑定の精度が最大の争点となったとある。

結局のところ、地裁はもとより、高裁も最高裁もDNA鑑定を間違いないとして死刑を言い渡したのだが、最高裁で死刑が確定されたのが06年9月、そして死刑執行が08年10月とわずか2年足らず。この死刑囚は最後まで無実・冤罪だと訴えていたというのにあまにも早い執行に『なぜ・・・』という疑問がわくのは当然だろう。

執行時死刑判決順位は100人中61番目だったらしい。再審を準備中であるのにもかかわらず、しかも先に死刑が確定している死刑囚で再審請求をしていない者も数多くいたにも死刑を急ぐ何かがあったのだろうか。死刑執行が早くなった理由については、法務当局によって行刑密行主義が取られている為明らかになることはないというのも、納得しかねる。

もし、足利事件のように再審が決まっていたとしたら、この人の無実が明らかになるかも知れないと思うと、無実の叫びを無視し理不尽に命を奪ったとなると、これは法治国家として最大の汚点。まさか、この事件が前首相のお膝元で起きたこととは関わりはないと信じたいが、民主党政権は死刑執行を早めた理由を徹底的に調べていただきたいものである。

と同時に、両事件の陰でほそく笑んでいる真犯人がいるはず。奪われた幼い女児達の鎮魂のためにも、一日も早い犯人逮捕を願う。(田舎親父)

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