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2009年12月

2009年12月29日 (火)

一人55億が高いか安いか・・・

 先日、宇宙飛行士の野口聡一さんが、日本人飛行士としては初めて、ロシアの宇宙船ソユーズで国際宇宙ステーション(ISS)に到着したというニュ-スが流れた。

宇宙飛行士を養成している機関がどの省庁に所属しているかは、全く私とは関わりのないことと思っているので知らないし、知ろうとする努力もしていないが、我が国の科学技術は政治と同じで『アメリカ命』という感じがしていたので、野口さんだけがロシアから宇宙へ出かけたことは注目に値する。

解説によると、アメリカの『スペ-スシャトル』が間もなく退役をするとのことで、一躍宇宙への足として『ソユ-ズ』が注目されているという。それを見越してか、日本の宇宙開発機関の幹部たちが、素早くロシアと交渉して野口さんを乗り込ました今回のロシア発の話題は面白い。

そんなことを思っていると、ネットで『一人55億』という見出しと記事を見つけた。

記事によると、アメリカは03年にシャトルが空中分解した事故を受け、安全性の高い次世代宇宙船の開発を決定し、現在のシャトルは来年にも運航を終えるとのこと。後継船は17年ごろまでに完成するというが、それまではロシアの『ソユ-ズ』にお願いするという国際的な約束ができているらしい。

その契約は、宇宙飛行士を一人宇宙ステ-ション(またまた略語でISS)に運ぶ金額は55億円というから、何と高価な旅費。何でも、従来の『ソユ-ズ』での宇宙旅行は30億円だったのに、ここへきて約倍に値上がっているというから、ロシアとしてはまさにウハウハものだろう。

それにしてもロシアのソユ-ズの打ち上げ原価はアメリカのスペ-スシャトルの900億円と比べ、ベラボウに格安。なんとも開きがあり過ぎる。市場原理からいけば、55億円でもアメリカ価格の20分の1、我が国としては『乗せていただく』という立場であるので、ロシアに対して恐らく数百億円をロシアに払ったのではないだろう。下司の勘繰りかも知れないが・・・。

何故こんなに費用が違うのかという記事が、24日づけの朝日新聞の『ニュ-スがわからん!』というコ-ナ-で取り上げていた。

記事によると、ロシアのソユ-ズは大陸間弾道ミサイルと同じ仕組みで、冷戦当時は一週間に2発ぐらいの割合で偵察衛星を打ち上げていたらしい。要は、その時の技術や機材がそのまま使われているので、極めてロ-テク。その分が打ち上げの価格にこれほどの差をつけているとのこと。

この記事でも紹介してあるが、ソユ-ズ内部での野口さんの映像では、熊のぬいぐるみがぶら下がっていたが、それは無重力状態になったかどうかを目で確認できるためのものだという。なるほど、宇宙飛行士が目で確かめられるのだから、これほど確実なことはないだろう。アメリカにはこんな考え方はないようだ。

燃料も基本的に違い、シャトルの場合も日本のH2Aロケットも『液体水素』。私は宇宙ロケットの燃料はこれ以外にないと思っていたので、ソユ-ズの燃料がジェット機と同じ基本的には灯油だということに対して新鮮な驚きを感じた。

液体水素は当然のことながら常温ではあっという間に蒸発してしまうだろうから、保管するだけでも物凄い設備が必要。しかも酸素と混合するとなにかの拍子で爆発の恐れがあるのは素人でもわかること。実際に03年にシャトルが爆発した瞬間の映像は世界を震撼させたものである。

どちらにしても、有人のロケットを持たない我が国が、アメリカやソ連と同じように宇宙飛行士を宇宙に運ぶ(私には、緊急かつ今不可欠だとは思えないが)ためには莫大な予算が必要。

これらのことを無駄と見るか、科学技術の進歩には絶対必要と思うかは人によってかなりの差があるだろうが、今回の野口さんがソユ-ズに乗り込んだことは、今後の日本の宇宙開発の面では考えさせられることが多いのは間違いなかろう・・・。(田舎親父)

明日からお正月の頭脳休暇として、しばらく休載。

2009年12月28日 (月)

昨日に続いて臓器移植について・・・

 医事ジャ-ナリストの和田努という方が臓器移植で次のようなことを述べられている。全文を引用するととても長くなるので、私なりに解釈しながら文章を綴ることにしたい。和田氏の主旨と違う場合もあるかも知れないがご容赦願えれば幸である。

来年1月17日、親族への臓器優先提供規定が施行になるという。これは今年7月に大騒ぎした『改正臓器移植法』に盛り込まれたもので、ドナー(臓器提供者)は書面で意思表示している場合、親族に対して臓器を優先的に提供できるようになる。

和田氏は、ここに大きな落とし穴がひそんでいると言う。

『どうせ移植するのなら親族に』はドナーにしてみれば自然な感情であり、『親族優先』により『臓器提供目的の自殺が増える可能性』が大きくなるのではという指摘である。

6月にこのことを取り上げたときには、私は全く気がつかなかったが言われてみればもっともなこと。これは傾聴に値する。

氏は続ける。改正臓器移植法に『親族優先』を打ち出した経緯は、厚生労働省臓器移植委員会『厚生科学審議会疾病対策部会』において、大略『自分の臓器は身近にある親族に臓器を提供したい意思は当然であり、それを優先してほしい』『他人は嫌だが、血族の中で自分の臓器が生き長らえるのならばいい』等々のドナーにしてみれば、まず自然な感情ともいえる意見が大勢を占めたからだというが、これももっとも。

(中略)心臓移植が自殺を誘発するのではという心配が各方面から起きているらしいとのこと。一見何のことか分かりにくいが、心臓は生体間移植や心停止後の提供は行われず、必ずビーティング・ハート(鼓動する心臓)が要求される。だから親族に優先的に提供できるようになれば、家族を助けるため『脳死』状態になる可能性は否定できないという。なるほど明快である。

最近話題になっている『鬱』あるいは『鬱状態』の人たちが、自殺予備軍になっていることは否定できない。もし、誰かが『お前が死んでも○○の身体の中で生き続ける』という意味の言葉を落ちこんでいる時に与えたとしたら・・・。考えるだけで恐ろしい。

交通事故による死者は近年減少しているとは言え、毎日のようにひき逃げ事件の報道が続いていることを見れば、ごく身近に怒る可能性を秘めている。

遺族会の人たちが臓器移植に反対しているという。うがった見方だが、悲しい現実にぶつかった瞬間、今度の改正によって、心ない親族から臓器提供を求められるおそれもなきにしもあらず、と考えられないこともない。

移植先進国ベルギーは、国をあげて交通事故対策に力を入れた結果、ドナーが減り、深刻な臓器不足に陥ってしまったらしい。交通事故体策に力を入れると臓器が減っていくとは皮肉な話だが、氏は交通事故死やアメリカのように銃による死者の少ないのは安全な社会であり、救急医療が整備されている社会だとした上で、このような社会では、限りなく臓器不足に陥ることになるが、言葉を換えて言えば、『臓器不足という状況は、とても良い社会』だと言う。和田氏の言葉氏の持つ意味は重い。

日本循環器学会の『「親族優先」から心臓を対象外にしよう』という要望は、文面 には見えない大きな問題を提起していると和田氏は、あるいは深読みかもしれないがと断った上で心配している。

そして、暗い希望が持てない日本の象徴として自殺の問題がある。自殺者たちを移植臓器の供給源と見るような『眼』だけは決して持ってはならないのである、という文章で終わっているが、なるほどもっとも・・・。

臓器移植しか生き延びることができない人々が存在することは理解している。その人たちが(家族を含めて)ドナ-の出現を首を長くして待っていることも十分わかっているつもりである。

しかし、臓器移植が『是』である社会では、脳死と判断された瞬間、その『命』の取引が始まることは否定できない。

イスラエルのこと、そして和田氏の論文。共に『命の在り方』について、『臓器移植とはなんぞや・・・』ということを改めて考えるきっかけにしたいものである。(田舎親父)

2009年12月27日 (日)

改めて臓器移植を考える・・・

 エルサレム発のCNNが『イスラエルの法医学研究所が1990年代、家族の許可を得ず遺体から臓器などを摘出していた』ことが明らかになったというニュ-スをネットに見つけた。研究所の元所長がインタビューで答えたとのこと。

記事によると、インタビューは2000年に米国人調査員によって行われ、調査員がビデオテープを提供したイスラエルのあるテレビ局が先週末放映したそうだ。この中で元所長は、国内の複数の病院に提供するため角膜を摘出することから始まり、心臓弁や皮膚、骨も調達していたと述べているというから穏やかではない。

これに対して、イスラエル保健省の報道官は『こうした未許可の摘出は既に廃止されている』と強調する声明を発表した上で、臓器などの大半は兵士を含むイスラエル人のものであり、パレスチナ人や外国人労働者からも摘出されていたとする報道内容を否定したと続く。

これが事実だとすると、イスラエルは現在はともかく過去には未許可の臓器摘出が行われていたことを認めていることになり、外国紙が指摘しているパレスチナ人を誘拐、殺害して臓器摘出していたということも、信じたくないが一概に否定できないようだ。

一連の記事の中に『ロックウエイプレス』というリンク先が示されているので、ここをのぞいてみた。そこには信じられないようなことが・・・。

この『ロックウエイプレス』というサイトが何を目的に、誰が運営しているかは全く知らない。が、イスラエルのパレスチナに対する行動を考えると、もしや・・・という疑いは消えないことも事実。

そこで、この記事をそのまま引用してみることにしたい。『イスラエルがパレスチナ人捕虜の臓器を取り出す』という12月21日の記事の見出しである。

――臓器略奪事件に関して、とうとうイスラエル国会議員が取り上げた。アラブ系の国会議員である、アハマド・チビ氏は20日、証拠の存在を語ってこの事件が事実であると主張した。
 イスラエルは、この問題をどう扱うのであろうか。イスラエル人にも良心を失っていない人々は多数存在しているはずだ。いくらパレスチナ人とはいえ、臓器を勝手に奪って、それを自分たちの仲間用に移植することが許されるとすれば、イスラエルの名声(まだあると信じている向きにはだが)は地に落ちよう。
 既にスウェーデンの新聞がこの問題を取り上げたように、今欧米では、ユダヤ人・イスラエル人に対するさまざまなレベルでの反感が強まってきている。イスラエルの中には、この議員のようにアラブ系イスラエル人も存在している。

イスラエルでは、一等国民が、10世紀に存在したハザール帝国の末裔たちである、アシュケナジーで、次が元々のユダヤ人と言われるセファラディー、アラブ系イスラエル人はその下の3等国民に位置すると考えられている人々だが、それでもいくつかの議席をクネセトで許されているのである。今、そのようなイスラエルの3等国民から声が上がったのだ。主流であるアシュケナジーの専横に耐え切れなくなった、と言えよう。イスラエル分裂の兆しであろうか。

スウェーデン紙には今年8月、イスラエル軍が90年代に若いパレスチナ人を誘拐して殺害し、臓器を摘出していたとの論説が掲載された。寄稿者ドナルド・ボストロム氏はCNNに対し、捜査を呼びかけるのが論説の目的だったと述べたものの、イスラエルとスウェーデンの間で論争が起きた。――(引用おわり)

 記事は続くが、興味のある方は『ロックウエイプレス』で検索してほしい。この記事を見て私は(夏ごろに取り上げたが)国会で成立した日本の臓器移植法の改定案が間もなく施行になることと、そして、このことに関する『和田努』という医療ジャ-ナリストの警鐘の記事を、最近読んだことを思い出したが、長くなるので続きは明日に・・・。(田舎親父)

2009年12月26日 (土)

そろそろしっかりしないと・・・

 昨日は、前日のハトヤマ釈明記者会見について、どちらかというとハトヤマシンパ的な文章を書いたが、今日は少し辛口に・・・。

民主党政権が発足して100日過ぎた。当然のことながらその大将であるハトヤマさんも首相として100日になるのだが、どうも最近そのモタモタぶりが大きくなっているような気がしてならない。

育ちが良いというか、そのように躾けられているのだろうが、記者会見の姿勢は実に丁寧で、記者団に軽く一礼して話をはじめる映像はお馴染みになっている。国民に対して敬語は決して忘れないので、自民党の歴代首相のような上から目線と違い、周りを気づかうこの人の『人となり』がでている。このことは好感が持てる。

何度も書いているように、民主党ははじめて政権を担当するのだから、党内が多少ガタガタするのは当たり前。まして社民党と国民新党という極小政党との連立という状況では、意見の違いは仕方ないはずなのに、マスコミはそのことが露顕すると鬼の首をとったごとく、全てハトヤマ首相の指導性のなさと大騒ぎしているのはいただけない。

そのマスコミに煽られて、国民がオタオタして、支持率を急落させているのも気に入らない。もう少しじっくり見守る姿勢はほしいが、一面、政策決定を内閣に一元化するという当初の主張は予算編成や税制改正においても、内閣主導に徹し切れないような印象を受けることは否めないので、このあたり猛省してほしいもの・・・。

その一つが(言葉尻を捉えるつもりはないが)『私が決めさせていただきます』というセリフの連発である。最終的に総理大臣が決めるのは当たり前なのだから、わざわざ『私が決めさせていただきます』なんて、敬語紛いな言葉で強調することはないはず。百歩譲って、言っても構わないとしても、すぐ『自分で決める』ことが必要。しかし、それがないのが国民にとって不安なのではないだろうか。

普天間移設の問題は、ひょっとしてアメリカとの水面下での合意らしきものがあるのではないかと思っているので、『私が決めます』という言葉で問題を先送りにしているのではと解釈すると許せるが、予算編成や税制改革に関しては、どうも『私が決めます』という言葉が、『もう少し待ってください』という意味に聞こえてしまう。

先日、やっと来年度税制改正の焦点となっているガソリン税などの暫定税率はいったん廃止したうえで、同額の税収を確保する新たな仕組みを設ける方針を示したが、これも『私が決めた』というより、周りから助け船を出された結果のことのようだ。

今夏の総選挙で『暫定税率を廃止して2.5兆円の減税を実施する』というマニュフェストからはかなりの後退のように受け止められている。マスコミは例のごとく『公約違反』と大騒ぎしているが、決論的にはこの税制を廃止すれば財源不足が明らかだということであり、これは仕方ないというより当然だと私は理解している。

この政策が熱狂的に支持されたのは、ガソリン価格が200円にもなろうとする時だった。折しも、参院での民主党のガンバリで当時は1リットル50円超の値下げ。国民の多くは、いかに不合理な税金だったことを感じたものだが、ガソリン価格が安定している現在では、流通や自動車関係者はともかく、一般国民はこの税金が環境税として維持されることはやむ得ないと思っているのではないだろうか。

私はむしろ『子ども手当て』に関しての『私が決めました』というくだり。マニフェストの趣旨通りに所得制限を設けない方針を示したことは評価したいが、その中身のこすっからしさと、本当に『子ども手当て』が子どもを育てるために使われるのかが気になるところ。

『年収2千万円』などという所得基準を設けるなんていう議論があったようだが、年収が500万円程度なら『所得制限』という言葉がそのまま生きてくるだろうか、年収が2千万円という高額所得者なんてごく一部、議論そのものがナンセンスなことは少し考えればわかること。

以前も書いたが、各家庭に一律に配られる子ども一人あたり2万6000円(来年度は半額らしいが)を、子どもの成長のためにだけ使うとは思えない。

親の刹那的な快楽のためのパチンコ代や競馬競輪に右から左に消えるとは考えたくないが、今の不景気感が続くかぎり、その日の生活費に当てられることもあるだろう。子どものためにという意識が高い親は、そのほとんどを子どもの将来のためと称するお稽古ごとや進学塾へ・・・。

これは、確かに子どものため?かもしれないが、それ以前に公教育を充実して、全ての教育費を無料にするとことはもちろん、塾などに通わなくても良い(子ども同士のコミュニケ-ションの場と時間を十分確保するためにも)制度を作りたいものだが・・・。

このことは、別の機会にじっくり述べることにしたい。(田舎親父)

2009年12月25日 (金)

もう少しましな質問ができなのかなあ・・・

 昨日、いつものように6時のNHKのニュ-スをみようとテレビをつけたら、何となく焦燥したハトヤマ総理が大写し。瞬間、なるほど宇宙人とはよく言ったと感心するほど、目玉のギョロギョロが印象的・・・。

 そういえば、秘書が在宅起訴という記事が流れたので、それを受けての記者会見だろうと思い、初めの数分間をのぞいて最後までかなり真剣に画面を注視していた。

 言葉は丁寧である。この御仁は私たち庶民からはおよそ信じられない金銭感覚をもっていることは言葉のはしはしから窺い知れるが、実際に10億円以上の巨額のカネの動きを全く把握していなかったことは間違いないようだ。

 『自分の資産が一体どのぐらいあるのか知らない』という言葉は、自分で資産しっかりしている人からみたら、ウソを言っているように思えるだろうが(とても比較にならないほど少額ながら)現職時代、私自身給料がどのぐらいで、それを家内がどのように使っていたのかは全く把握していなかったことから、何となくわかるような気がする。

 私の場合、要は、自分の身の丈にあった生活ができれば、ある程度、友人知人と適当に付き合いができていれば十分という考え方が根底にあり、経済感覚は極めて下の方で満足できる体質なのだろう。全てを家内に委ねていることは今も変わらない。

 その意味で、『秘書を全面的に信頼していたと』いう首相の言葉に私的には何の疑いはない。恐らく、私が『2万円ほど必要なんだ』と言えば、特に詳しい使途など聞かすハイッ渡されていたように、この御仁は『500万ほど用意してくれてないか』と秘書に言うだけで、その金額を用意されていたのではないだろうか。要は、ケタが数桁違うだけと考えると特段取り立てるほどでもないのでは・・・。

 マスコミはあまりにも金額が大きいので、『何に使ったのか、把握していてかった』ことはウソだろう決めつけて、国民を煽っているように思えるが・・・。秘書を全面的に信頼して全てまかせてきた、という言葉も、単なる責任転嫁ではないように思える。

 この御仁は率直に、検察の捜査によって、資金管理団体の収支報告において、この5年間で大変多額の虚偽記載があったことが解明されたと認め、この資金管理団体の会計責任者と、会計実務担当者の起訴に対して、責任を痛感していると、国民に深々と頭を下げている姿は見ていても痛々しい。

 ここまで潔く謝罪した歴代首相はいただろうか。少なくとも私は知らない。知らないどころか、選挙に敗れて内閣を明け渡さなければならなくなったのにもかかわらず、たった半月間に、数億円という巨額の『内閣官房費』を自分のポケットに入れて、知らん顔をしている前首相の泥棒行為に比べて、堂々として清々しい。

 検察は範囲外なのだろうが(当然のことながら)こちらには捜査の手を向けていないようだ。マスコミもその追求は全くない。これこそ(差別用語ながら)『片手落ち』と言うもの。

 秘書がハトヤマ親分のためにいろいろとウソの記載をしたことは間違いないようだ。政治の世界は、こと簡単な人間関係でなさそうなので奇麗事など通用しないだろうことも想像できる。『勝間まかせたぞ・・・』『ハイ、親分・・・』という構図が見えてくる。

 今までの政治屋は子分がどこかから調達したカネは懐にしまっていたのだろうが、この御仁の場合は、カネの出所が『ハトヤマ家の資産』というのははっきりしていることは検察が証明していることだから確かだろう。

 母親から月々1500万円が振り込まれていたともいう。我々貧乏人からしたら羨ましい限りだが、ハトヤマ家の感覚からはごく普通なのかもしれない。このカネは厳密にいうならば、相続税逃れなのかもしれないが、この程度は、今までの政治屋さんたちの常套手段。この問題が一段落したら、こちらの検証もお願いしたいものである。

 私はハトヤマシンパではないつもりだが、いつも述べているように、歴代の自民党の幹部達と比べて、立ち振舞いに何となく品があると思っている。敬語が過ぎるのが気にならないことはないが、まあ生まれ育ちの良さだろうと、ある意味敬服しているほど。

 それに比べ、記者会見が終わって質問を受ける団になってからの、記者達の質問の程度に低さにガッカリしてしまった。

 前列から順番にということだったようだから仕方ないが、突端に『この記者会見は内閣総理大臣ではなく衆議院議員として開いたと聞いた。意味するところは。議員バッジを付けていないようだが、そのことにもし意味があるなら。』との質問。

 最初から、内閣総理大臣としてではないと宣言して開かれた記者会見だったはず。このことを聞いていなかったとしたらお粗末極まりない。議員バッチの件もこの御仁の普段の姿に接することが多い政治部記者の質問することではない。

 こんな質問もあった『税金の使い方を決める最高責任者が結果として6億円を免れていた。一部世論調査では8割の人が納得していない。今後、国民が納得していないと感じれば進退を考え直すことはないか。』一部の世論調査というが、そんな数字は見たことはないのだが・・・。

 『政権で難題が山積のなかで、政権運営にどう影響を与えると思うか。』という質問にいたっては、素人ではあるまいに、そんなこと当たり前だろうと言いたくなる。こんな記者を政治部においている新聞社のセンス(質)を疑ってしまう。

 まだまだあるが、共通していることは、何とか首相から面白い『視聴率稼ぎ』ができる発言を引き出したいという姿勢に、なるほどこれでは『マスゴミ』といわれても仕方ないと納得してしまった。

 長くなってしまったが、私としては、ハトヤマさん国民の8割が不信任どころか、8割が期待していると思って、今回の事件を反省材料として、貴方の口からしつこいほど出されている『国民の皆様』のために、努力してほしい・・・とエ-ルを送りたい。

 それなりに苦言もあるが、それは別の機会に・・・。(田舎親父)

2009年12月24日 (木)

地方議会のバカさ加減と自民党のドタバタ・・・

 『議場で咳「バカヤロウ」、インフルで懲罰委 茨城・常総』という見出しを見つけたのは今月の初めだったような気がする。

『常総』という言葉を聞くと、私の中に『常総学園』とダブり、野球・木内監督・甲子園・そして『取手二高』という言葉つながる。無名の公立高校である取手二高が甲子園で活躍したことは当時の木内監督の名采配と共に、私と同じ年代の人には強烈な印象が残っているのではないだろうか。

当時、木内監督は高校の教員でもなく、単なる雇用員だったはず。少ない給料で生活するのがやっとだった中、名もない高校で球児たちの指導に汗を流していた姿が何度も紹介されたことも記憶に新しい。

その後、私立の常総学園の野球部監督に迎えられ、そこでも手腕を発揮、強豪チ-ムに育て上げたのは有名な話。たしか数年前に後輩にバトンを譲ったはずだが、老齢にもかかわらず監督に復帰、甲子園では久々にユニフォ-ム姿を見せてくれた。

その常総学園と同じ名前の自治体の市議会本会議で、議場で咳をした議員に対して『マスクや手をあてないで咳をするとはバカヤロ-』と怒鳴ったらしい。それに対して、『バカヤロ-とは何事だ。お前の方こそバカヤロ-・・・』という具合に、互いに怒鳴り合いが始まったようだ。

議場は騒然として、収まりがつかなくなって、一部の議員達が『懲罰委員会設置』の動議でもでも出したのだろう、最初に『バカヤロ-』と言った議員が所属する政党が少数だったこともあって懲罰委員会の設置が決まり、同議員が懲罰委員会に掛けられることが決まったという筋書きだろう。

記事は『このドタバタ騒ぎに、傍聴の市民らから失笑が漏れた』と書いているが、市民の嘆きがよく伝わってくる。

馬鹿馬鹿しい話だが、凋落傾向が続く自民党も同じ。これまた馬鹿馬鹿しい話題を追加する。

自民党は次期衆院選で公認候補の前提となる小選挙区支部長について、実際には存在しない選挙区の支部長職を新設するというニュ-スに『何のこと』と思い、その記事を読んでみた。

何でも、自民党では公認されて立候補する人物がその選挙区の支部長という席につくらしい。そこまでは、選挙での自民党公認候補のポスタ-には、必ず『○○支部長』という肩書がついていることからも理解できる。

この支部長の選任に対して、先月党の執行部は『公認決定時に65歳以下』という定年制の導入を決めたらしい。それに対して、今回の衆議院選挙で落選したベテラン議員側から『支部長という肩書がないと、支持者から引退すると思われる』と猛反発がでたというからなんとも情けなく、そしてお粗末。

選挙民から『お前はもう必要ない』と言われたのだから、身を引けば良いのに、どうしても利権が忘れられないらしく『支部長』という肩書をほしいと要求した結果『公認』を前提としない『形だけの支部長』という肩書を作るという。

これでは若手の活躍する場がなくなってしまう。というより育てようなどという考えはこれっぽっちもない。執行部はとりあえず目先の争いは避けたいというねらいなのだろうが、いずれは公認の可否を判断しなければならないのに・・・。

形だけの支部長とは言え、定年制を厳格に適用しないと中堅・若手にはまたまたチャンスが回ってこない。世代間抗争が必死になるのではないだろうか。

東京は支部長席が25もあるという。混乱を避ける意味で、今回落選した元大臣のF氏には『東京52支部長』、S氏には『東京53支部長』とするという。

こんな小手先の、その場限りの妥協案を連発するかぎり、この党の低迷傾向は進む一方で、民主党がドタバタしている現在、選挙となっても勝ち目はない。政権が落ち着いているだろうと思われる4年後には(それまで持てばの話だが)、自民党という名前そのものが存在するかも疑わしい。

早く『利権』を忘れて、本気で出直してほしいと願っている人も多いのではないだろうか・・・。私もその一人。(田舎親父)

2009年12月23日 (水)

最高裁も味なことやるじゃない

このところ最高裁の判決が偏っていると思っているが『たぬきの森』と呼ばれ、緑地が残っていた東京・新宿の住宅跡地で建設中のマンションをめぐる訴訟で『区の建築確認は違法』との判決には大拍手。

この話題はかなり以前から興味をもって成り行きを見てきた。新宿という大都会でタヌキが生息しているのも面白いが、それを『たぬきの森』と命名して、周囲の人たちが『自然環境反故』を訴えて立ち上がり、これまでの訴訟闘争に勝ち抜いたことに意義がある。

今後全国いたるところで繰り広げられるだろう『金儲け目的の乱開発』に『住民が本気で立ち向かえば何とかなる』という機運が生まれることは間違いない。そしてその積み重ねが、乱開発に歯止めをかけるきっかけになるのではないだろうか。

映像を見るかぎりほとんど完成しているこのマンション。3階建てというから住民にとっては生活を脅かすほどでもないと思うのだが、何としてでも『ごり押しは許さないぞ』という意識が今回の結果に結びついたのだろう。

この訴訟の一審は住民の訴えを退けたが、高裁が『区の建築許可は違法』という、今までになかなか聞けなかった判決。今回の最高裁はこの判断を支持、これで区はこの建築物を撤去せざるを得なくなったたようだ。

マンションの建築業者は当然区に賠償を求めるだろう。これまでかかった建築費がいくらかの情報はない。が、難しい工事だったと予想できるのでその額は市価より高額になるだろうことは素人私でも理解できる。その上撤去しなければならないとなると、区の幹部達の渋い顔が目に浮かぶ。

記事には現場付近の周囲が住宅地やがけとなっているため、この物件に至る道路は、もっとも狭い所で幅四メートルしかなかったとある。

マンション建築となるとダンプカ-はもとより重機類を運び込まねばならないのに、よくぞこの幅の道幅で許可したものと区の審査基準のズサンさが浮かび上がる。当然起こるだろう住民反対運動などはたいしたことないと判断、最初から区は建築を許可する姿勢だったのではなかったろうか。

都は条例で、この規模のマンションなどの建築に対して災害時の避難路の確保などのために、幅8メートル以上の通路が必要と定めているという。区としては当然承知していたはずなのに『中庭などがあり、安全に支障はない』として特例で建設を許可していたというから、何やら業者との特別な関係も浮かんできそうだ。

このマンションの建設現場は、樹齢二百年の古木などがあった屋敷跡で、タヌキの生息も確認されていたとのことだが、その全ては伐採されているとのこと。タヌキたちもどこかに逃げ出したに違いない。

住民の一人はテレビのインタビュ-に『更地になったらまた苗木を植える。何十年先には育つだろう。次の代に緑を残せて良かった・・・』とコメントしているが、苗木から森にするのは大変なこと、住民達の意志がくじけない事を心から願う。

区長は『判決は真摯に受け止める』とのことだが、許可を出した責任を追求されることは必死だろうが、隣接道路が幅8メ-タ-を超えれば適法となるらしいので、周りの住民が土地売却に応じれば、補償はもとより税金の無駄遣いという批判も免れるとなると、住民達の意思とは別の解決策を探っているのでは・・・と言うと叱られるかな。

住民達の一層の団結を期待し、一日も早い撤去工事で更地への実現と、樹木が生い茂り元のようにタヌキが戻り、『たぬきの森』より進んだ、『タヌキと遊べる公園』として区民・都民のオアシスになる事を心から願う。(田舎親父)

2009年12月22日 (火)

高校駅伝で感じた素朴な疑問2題・・・

 一昨日の全国高校駅伝は結果的に『能力抜群』の留学生を擁する、女子は豊川高校、男子は世羅高校が(私の)予想通り優勝した。観ていて、二つの素朴な疑問を感じたので、今日はそのことについて・・・。

わずか10秒足らずで結果が出る100m走は見ていて面白いが、日本人はどんなに努力しても絶対に優勝できない。というより上位入賞もおぼつかないのが現実で、近代になってオリンピックや世界選手権では予選を突破することすら難しいのが現実。

メタルの獲得など期待しなければ良いのに、メダル・メタルと大騒ぎする陸連やマスコミを覚めた目でみている国民が多いのではないだろうか。私もその一人・・・。

ところが長距離になれば、単に瞬発力の勝負だけでなく、スタミナや駆け引きの妙もあって、日本人にはかなり有利な競技。男子の部に限っていうならば、事実今までは優勝する機会が多く、世界的なマラソン大会で優勝というニュ-スが踊ったものだ。

東京オリンピックで3位に入賞した円谷選手はじめ、森下・中山・宗兄弟・瀬古・谷口・伊藤・高岡・・・と私でも何人もの名ランナ-達が国際的なマラソン大会では活躍してきた。

しかし、ここ数年日本人男子ランナ-達の結果は惨憺たるもの。これは、日本人の体力・能力が落ちたというより、もともと草原を走り回っていたアフリカの選手達が、近代の走法や医学を取り入れられる経済力?(勝てばカネになる現実)によって、次々に有力選手が生まれているからだと思っているので仕方ないと結論づけている。

彼らは、もともと走るという能力が潜在的に優れているのだから、正しい理論と指導法にぶつかれば記録が延びるのは当然だろう。

女子の場合は、アフリカ諸国は男女の性差が大きく、女性の社会的地位が極端に低く学習機会さえ制限されている現実では、能力のある人材を見つけるに至っていないだけで、女性の地位が向上すると共に、あまたの人材が長距離界に出てくるだろうから、このままでは日本選手は現在の男子と同じ運命になるのは目に見えるところ・・・。

マラソンと駅伝は違うと言われる。確かに40数キロを一人で走るマラソンと何人かでつなぐ駅伝が走り方はもちろん、作戦そのものから根本的に違ってくる。マラソンでは自己責任だが駅伝では自分のほんの少しの不調からチ-ムに迷惑をかけるとあって、チ-ムの一員としてのメンタル面ではマラソンとは比較にならないほど大きいだろう。

しかし、基本的にはある程度の長距離を走ることには変わりはない。その能力が日本人より優れているアフリカの少年たちの中から、選び抜いた15才の若者を『留学生』という、彼らと家族にとってはまさに『宝くじに当たる』と表現しても良いほどの条件で日本での活躍の機会を与えられるのだから、このような選手が存在する学校が強いのは当たり前。

数年前までは一区の10kmの区間に圧倒的な能力のワンジルという留学生を起用した仙台育英高校が連破したことが問題になり、昨年から一区の起用は禁止、留学生は二人までという規則に変わったことは記憶に新しい。

昨年はそのことが見事に功を奏した?ようで、男子においては、純国産の高校生集団の佐久長聖高校が日本人だけのチ-ムの最高記録優勝。しかし、3区を走った世羅高校の留学生カロキ選手の走りは凄かった。その時、このチ-ムが来年優勝するに違いないと確信したものである。

長々と書いてきたが、圧倒的な能力のある留学生が3年間もチ-ムにいては、全体の実力が伸びないはずはない。世羅高校の日本人選手の記録は去年よりかなり伸びたはず。事実4区の竹内選手の活躍は予想よりはるかに超えて独走体制を確立。

カロキ選手と日本人ランナ-の差は5000mで1分も違うのだから、1分以上離されて襷を受け取っても、8kmの3区の途中で追い抜くのは当然。後は各校も同じような能力の選手達ばかり、逃げれば良いのだから優勝するのは当たり前と私は予想していた。

結果的にはその通りになったが、はたしてこれで良いのだろうか・・・という疑問が頭をよぎる。『留学生』を除外することに賛成ではないが、駅伝で名を上げて生徒獲得に有利にと考える学校が増えることは間違いないところ。主催者側のもう少し突っ込んだ議論を望みたい。

もう一つは、午前中に行われた女子の試合。何故、女子の走る距離が短いのだという、単純素朴な疑問である。

性差が何かにつけて問題になる時代に、しかも女子の選手が長距離で活躍している今、高校生だから男子より短くするという考え方はいただけないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2009年12月21日 (月)

これが事実だとしたら・・・

 先日、産経発のトンデモ記事がネットで踊った。

記事によると、東京都内の公立小学校で、親が子供に対する学校側の指導に不満を持ち、『迷惑料』などの名目で現金10万円を校長に要求していたことが都教委の調査で分かった、とあり、校長は要求を拒否したが、親は給食費の不払いを宣言してトラブルに発展した、と続く。

記事には、関係者(いつものことながら、関係者とは誰なのか、全くわからないこの種の書き方が気になるが)によると、トラブルを起こした親は今年夏、子供に対する運動指導中に起きた問題で、学校側の対応の悪さを指摘して怒鳴り込んだとある。

当初、校長に通信費名目で現金1000円の支払いを求めたが、要求はエスカレートし、最後は『迷惑料』として現金10万円を求めたという。事実だとしたら、通信費とか交通費として1000円、2000円を支払っていたことになる。

運動指導中とあるから、体育の授業中か休み時間にでも、子どもが何らかの事情で軽い怪我でもしたのではないかと想像している。担任は、たいしたことはないと保健室に連れて行って養護教諭に見てもらったが、帰宅した子どもが親に不満を訴えたところ、親が病院にでも連れて行ったという筋書きではないだろうか。

よく聞く話である。この親は病院で『骨折』や怪我でも『全治何週間』という診断書が出たら鬼の首をとったように騒ぐのだろうか、単なる打撲ではそれもならず、せめて厭味みを校長にぶつけるために学校に怒鳴り込んだというところか。

校長はオドオドして、親からの病院に連れて行った費用ぐらいは払えという強い要求に負けて、1000円、あるいは2000円を払ったのでは。それにしても、いよいよ学校もここまできてしまったのかと思わないでもないが、安易にこのぐらいで『新聞沙汰にならないのなら・・・』と払った校長の態度も気に入らない。

担任も校長に報告しなかったことも十分あり得る。校長もこの程度ならと教委に連絡しなかったのかも知れないが、担任・養護教諭・校長という校内の事故に対する処置の連携がうまくいっていたら、およそこんな馬鹿馬鹿しい事件はおこらなかった違いない。

親としては、これはカネになると思ったかどうかは別にして、『新聞沙汰』をチラつかせて、要求をエスカレ-ト。この手口はいわゆる『強請』の常套手段。下手に出ると要求額を上げていくやり方を許してきたのは、教員上がりの世間知らずの校長だから、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。

ついには『給食費不払い』を宣告し、実際に払わないようになったので、これは大変と教委に駆け込んだ。教委としてもこれは大問題と慌て出したようだ。

そこで、今年5月に都教委が専門家らで設置した『学校問題解決サポートセンター』で対応を協議して、『まずは謝罪して、うまくやってよ・・・』と校長を指導したが、親としても今更後に引けず、『ならば10万円払え』という主張が続いているようだ。

サポ-トセンタ-なる組織が何の機能も発揮できず、今頃になってマスコミに取り上げられているのも情けないが、今までの経験で言うと、教委の設置するこんな組織が出す結論は『まず親に謝罪しなさい』では、親が増長するのは当たり前。もう少し毅然とした方針を打ち出さないとこの種のトラブルはますます増えるだろうことは想像に難くない。

都教委は、このような親に対しての解決策を示す『学校問題解決のための手引き』を作成しているらしい。親への対応や問題解決までの方法を事例ごとに紹介し、解決策を書き込むワークシート方式が特徴で、『保護者と接する心得10カ条』も示しているというが、所詮はデスクワ-ク、実際に学校のトラブル解決に役立つものではないようだ。

都教委幹部は、教員には苦情を『事実』『推測』『要望』『無理難題』といったように整理して考えられるようになってほしい、と語っているというが、自分で学校に乗り込んで解決する気概は残念ながら持ち合わせていないのが現実。

理不尽な要求をする親に悩む学校は急増し、校長が鬱病で休職するケースが急増しているとも聞く。単に『対応策』を示した手引書を作成し、全教員に配布することを決めてもそれは教委の責任転嫁に過ぎないのでは・・・。

給食費の不払いにおいても、もしどうしても給食が学校教育にとって必要なものであるなら(私はそう思わないが)、極論として、せめて担任が『お前の親は給食費を払っていないのだから給食は食うな』と言えるぐらいの権限を与えてはいかがなものだろう。

実際にこんな暴言をはいたら、マスコミの餌食になって日本中が大騒ぎになることはわかりすぎるほどわかるが、今のまま、いくらマニュアルを作っても世間しらずの教員では問題の親たちを納得させることは不可能だろう。

このままでは、現場の担任や校長にのしかかっている不合理なしわ寄せ解消など、とてもできないことは間違いなさそうだ。(田舎親父)

2009年12月20日 (日)

何か変だぞ この報じ方は・・・

 一昨日だったか『富士山で元レーサーら三人の遭難』という報道に、何か変だぞ・・・と思った人も多いのではないだろうか。

無事保護された元レ-サ-は、御殿場署の調べに『他の二人が就寝していたテントが強風で飛ばされ、その後二人を斜面で見つけた』との談話に、そんなアホな・・・と言うのが第一印象。

しかも、新聞によれば『寒波の襲来を知らなかった』とのことだが、常識以前にこんな言い訳が通ると思っているのだろうか。それこそ無謀も無謀、いかなる言い訳も許されない。しかも登山計画書すら提出していなかったという・・・。以前にこれと似たような筋書きの推理小説をどこかで読んだ気がするが。

世の中は自分の思い通りになると思い込んでいる世間知らずのわがままな人間には『天気もオレのいうままになる・・・』という奢りがあるのかも知れないが、オイオイそれはないだろう・・・というのが正直な気持ち。

一歩も二歩も譲って、南極に冒険に行く練習のために、冬の富士山を選んだことには疑問を持たないことにしよう。が、吹きっさらしの尾根(富士山は全て尾根状態)にわざわざ二つのテントで別々に寝ていたとは、そして、気がついたらもう一つのテントが風で飛ばされていた、こんなことは普通の常識人にはとても信じられない。

しかも、『強風で傾いたテントを直そうと外に出て、二人のテントがないことに気付き、約二百メートル下の斜面にいた二人は意識があり、毛布などでくるんで一晩を過ごしたが、やがてぐったりした』とのこと、真夜中の吹雪の中、200メ-トル下自分の毛布をもって行ったというのだろうか。

この元レ-サ-は携帯電話を持参していたらしく、自分の会社に『遭難した』と連絡したというのも気に入らない。初めから、携帯で警察なり消防に救助依頼をするのが当たり前と思うのだが、この男は二人の命より自分の名誉が大切だったようだ。

警察は直ちに出動して、一人下山してくる元レ-サ-を保護したという。保護された後、富士山の御殿場口新5合目付近で報道陣の問い掛けに『大丈夫です』と答え、事情聴取を受けるため御殿場署に車で移動し、しっかりした足取りで署内に入ったと報じていた。

この後テレビで会見の様子が映し出されていたが、仲間二人の事を『滑落し亡くなったようだ』と話していたが、自分で二人を毛布でくるんで死亡を確認したのではではなかったのかと、突っ込みたくなる思い・・・。

別の新聞記事には、1人で下山した理由について、『本当に戻るべきなのか、いてあげるべきなのか。自分ひとりでは下ろせないことが分かっていたし、たくさんの人の手が必要だと考え、下山する判断をした』と話しており、『とにかく今は、2人の無事を祈るばかり。無事を信じています』というが、死亡を確認して下山したという他の新聞記事とニュアンスが大きく違う。

マスコミは例によって有名人に対しては実に丁寧で、私が持った極当たり前の疑問など一切記事にはない。全て元レ-サ-の言うことが正しく、登山家として一流の経験があったと称賛しているが、このレ-サ-の経営する会社の社員である亡くなった二人のためにも、もう少し批判的な書き方ができないのだろうか・・・。

真相はこれから明らかにされるだろう。事件性はないと信じたいが、有名人でお金があれば世間の常識では考えられないことも当たり前だと報じるマスコミの、視聴率さえ稼げれば人間の生き方などは関係ないという姿勢に憤りを感じてならない。

この段階で、二人の無事を祈りたかったが、立ち会った元レ-サ-が死亡していると言うのだから、死亡は確実。

予想通り、昨日の昼頃捜索隊は遺体を発見したという。新聞には、一昨日とは違う元レ-サ-の言い分を載せていたが、全く異なるのが気になる。

ともあれ、当然なことだが、莫大な捜索費用は元レ-サ-に請求するのが筋だと思うのだが、それにしても後味の悪い事件報道である。(田舎親父)

2009年12月19日 (土)

釣り人の事故情報が続くが・・・

 このところ釣り舟が転覆したり、磯釣りをしていた人が高波にさらわれるという報道が続いている。

先日(といっても1週間ほど前になるだうか)は茨城の鹿島港の釣りをしていた釣り人3人が行方不明と大騒ぎしているニュ-スが数日間続いた。会社の同僚らしいが、立入禁止の防波堤に入って釣りを楽しんでいたようだ。

正面から見ると、一応鉄柵が設けられて人が立ち入れないようにしているようだが、別の角度からの映像では、磯が鉄柵の中まで続いているようなので、『立ち入り禁止』という看板は、当局の責任回避の言い訳のような気がしないでもない。

この防波堤は釣り人人気スポットらしく、以前から立ち入る人が絶えなかったという。波にさらわれて死亡事故も起きているらしく、最近になって警察は立入禁止の看板を無視して釣りをしていた24人を検挙したとも報じていることから、危険なことは一応誰もが認識していたようだ。

魚たちもこの付近は立ち入る人が少ないことを知っているらしく、釣り針のエサに疑問を持たずに食いつくようだ。こんな場所は釣り人にとってはバラダイス。立ち入り禁止などどこ吹く風、釣り人たちにとってはこんな看板は目に入らないというところか。

このような場所はどこでもよく見かける。過日、横浜港内の遊覧観光を楽しんでいたときも、一番外の防波堤に何人もの釣り人が竿を下ろしていた風景を目撃したが、そこは堤防の一番先端。どうしてこんな場所に行けるのだろうとの疑問が頭をよぎった。

その時は、時間がくれば迎えの船がくるのではないかと思い、すっかりこのことは記憶から外れていたが、この事故から想像すると、釣り人たちは防波堤の始まる地点からはるばる歩いて突端まできたのではないかという気がしてくる。

横浜港の防波堤に『立入禁止』の看板があるかどうか、行ったことがないので知らないが、誰が見ても防波堤の突端は普段は湾内だけに高波がないだろうが、一歩間違うと転落し溺れ死ぬ危険な場所であることは間違いない。

責任回避には極端に神経を使っているお役所が『誰でもご自由に・・・』なんてことは絶対にない。恐らく、この堤防にも『立ち入り禁止』の看板と、それなりの鉄柵が作られていることは容易に想像がつく。

この鉄柵がどんな仕組みかはわからないが、その気にさえなれば素人でも十分乗り越えられるものであることは、防波堤での釣り人の数が証明されている。幸、横浜港での事故の報道は聞かない。が、起こり得る可能性は否定できない。この事故を当局の担当者たちはどのように見ているのか興味がある。

鹿島港の事故であるが、翌日だったか一人の遺体が波消しプロックの間で見つかったという報道はあったものの続報はない。今も捜索は続けられているのだろうが、ほとんど生存の確率がない、いわば『遺体探し』を強いられている捜索隊の皆さんの気持ちを思うとやりきれない。

多分、ここにはさらに頑丈な鉄柵が設けられるだろうが、釣りの穴場であることを知っている釣り人にとっては、そんな鉄柵はなんのその、これからも立ち入る人は少なくなってもゼロになることはないだろう。

中には、天候を無視するお馬鹿な釣り人もいるだろう。自然相手のレジャ-にはリスクは当然だが、最近の傾向はそのリスクを理解できない人が多くなっていること否定できない。そして、それをいつも他人のせいにする傾向も・・・。

釣りの事故に限らず、スポ-ツと称して人々を安易に呼び込む傾向、そして特に時間とカネを持つ中高年が事故にあう確率が高くなっている。そして、その度にマスコミは大騒ぎ・・・。さらに気になるのは、事故後のマスコミや識者の『看板が不備だった』とか『誰でも立ち入れた』など、責任が全てさも立ち入った人間は悪くない、管理者が悪いというという主義主張の横行。

今後も、どこにでも出かける中高年のこと、事故の確率はますます高くなること間違いない。リスクがあることを徹底的に知らせ、『事故にあうのは自分のかって、救助など必要ない』という『世論』を作り上げないことには、この種の報道はなくならないようだ。

間違いなく人権擁護団体からは最高級のご非難をいただけるだろうが・・・。(田舎親父)

2009年12月18日 (金)

東アジア大会が開催されていたとは・・・

 ハトヤマ内閣が賑やか。連日、マスコミは悪意をもっているのでは・・・と思うような記事で、わざわざ国民の動揺を誘っているように感じるが、50年以上も自民党が勝手気まま政治を行っていたことを考えると(いかなる混乱があったとしても)、しばらくはこの内閣を暖かく見守りたい姿勢は必要だと思うのだが・・・。

今日は、全く違うマイナ―なスポ-ツイベント話題を。

今週の月曜日は新聞休刊日。少し時間があったので、どんなニュ-スがあるのかとネットで各紙をのぞいてみた。各紙はだいたい同じような記事に納得したものだが、朝日新聞のスポ-ツ欄に『中国が金メダル113個、日本62個 東アジア大会閉幕巣』という見出しがあった。

私が見落としていたのかも知れないが、香港で『第5会東アジア大会』が開催されていたということ自体知らなかった。念のために、他の読売・毎日・中日・産経の各紙を当たったが、これに類する記事はない。

かろうじて、日経に『陸上は小林、大西など金6 東アジア大会、柔道で5階級制覇』という見出しがあったから、朝日新聞の『特ダネ』ではなさそう。

別の記事に『柔道で5階級制覇』という見出しがあった。そういえば確か、日曜日にテレビ東京だったかが柔道競技の中継をしていたことを思い出し、ひょっとしてこのことかと思って調べてみたが、こちらはテレビ東京の開局45周年の記念イベントの『柔道のクランドスラム東京』という番組。東アジア大会とは全く違うらしい。

朝日新聞の記事には、『東アジア大会最終日は13日、香港で行われ、陸上は女子5000メートルで小林祐梨子(豊田自動織機)が16分46秒89で優勝するなど金メダル6個を獲得した。ハーフマラソンの男子は22歳の大西智也(旭化成)が1時間6分5秒で勝ち、女子は世界選手権マラソン7位の加納由理(セカンドウィンドAC)が2位だった。柔道は男子73キロ級の秋本啓之(了徳寺学園職)らが男女計5階級を制した。ホッケー男子の日本は決勝で韓国に2-3で敗れた。』とある。

そして、別の記事では観客のマナ-について『香港で開かれている第5回東アジア大会では、試合中に携帯電話から軽やかな電子音が流れるのは当たり前だ。日本では厳しい目が向けられるが、ところ変われば観戦マナーも変わる、ということのようだ。』と書き、以下次のように続けている。

『卓球の会場だったクイーン・エリザベス体育館。地元・香港の選手がサーブをしようと球を上に投げた瞬間、着信音が鳴った。だが、選手は気にせずにプレーを続けた。 

日本では試合開始前にマナーモードに設定するようにアナウンスがあるが、今大会では会場係員にも設定していない人がいる。客席案内係の女性は「着信音がないと大事な電話に気づかない。音を気にする選手はいないと思う」。卓球女子代表の石川佳純(ミキハウスJSC)は「香港や中国は声援も大きいし、音で惑わされていたら試合にならない。日本のプレー環境は恵まれているけど、海外では適応しないと」と割り切っている。 

一方でカメラのフラッシュには厳しい。選手に向かって使用する観客がいると、係員がすぐに注意。重量挙げ会場で「フラッシュを使わないで」という注意書きを持っていた男性係員は「選手の目がくらんだら不公平。観客も最高の試合が見たくて来ている」。「音」への寛容さとは一転、フラッシュを繰り返し使った観客に対しては隣で監視するほどの厳しさだ・・・(以後略)』

これはスポ-ツイベントの記事ではなく、お国柄を伝える方に重点をおいただけ。それなりに読む方は面白いだろうが、何だか違うだろう・・・と思ってしまう。

国内では別のスポ-ツイベントが大々的に行われており、特にゴルフなどは人気プレ-ヤ-をまるで王様・女王様のごとく取り扱っているのに、この扱いは何なのだろう。

マスコミが悪いのか、それとも各種協議競技の団体がこんなマイナ-な大会なんて馬鹿らしくて興味がないというのか知らないが、オリンピックの招致には熱心なのに、東アジア大会はこの扱いに、何か変だぞ・・・と感じたのは私だけなのだろうか。(田舎親父)

2009年12月17日 (木)

福岡に事件が多いことはこのあたりから・・・

 福岡のある市の教育委員会に一通の匿名の投書が届いたらしい。内容は『キョウチクトウは有毒だ。撤去をお願いしたい』というものだったというが、これに対して、教育委員会のとった態度は何と『ハイ わかりました。全て伐採します』というものだったというから、投書をした人の無責任さもさることながら、教育委員会は常軌に逸しているとしか表現のしようがない。

毎日新聞が伝える情報である。投書を受けて教育委員会が、最近何かと話題になるインターネット百科事典の『ウィキペディア』で調べたところ、毒性がある確認できたので市内の小中学校に植えてあるキョウチクトウを伐採することにし、各学校に通達したとのことである。

まあ何とこの市の教育委員会の職員はお手軽な調べ方をしたものと、またまたこのところお馴染みの『ホンマかいな・・・』というセリフが口から飛び出した。

葉が竹、花が桃に似ているということから、夾竹桃(キョウチクトウ)と名づけられているインド原産のこの樹木は、江戸時代に日本に伝えられた樹木の一つ。乾燥や大気汚染に強いことで有名である。

京浜コンビナ-トを貫く首都高横羽線を通る度に、見事なキョウチクトウのグリ-ンベルトを見ることができる。京浜地区ではいろいろな樹木を公園や街路樹として植栽したそうだが、大気汚染などの公害で他の樹木が衰えたり枯死したりする中でキョウチクトウだけはよく耐えて生育したことから、この道路に側壁として利用したと聞いている。

また、原爆の被害で100年間は樹木が育たないと言われていた広島の焼土で、真っ先にこのキョウチクトウが花を咲かせたことから、復興のシンボルとなっていることも、この記事にもあるが、かなり以前に何かの本で読んだ記憶にある。

毒性については、この市の教委ではないが、ウィキペディアには『ギリシャのアレクサンドロス3世がインド遠征の折に追従したセレウコス1世率いる軍の一小隊30人程がキョウチクトウを串焼き肉の串として利用し、中毒症で全滅している』とある。

ウィキペィデアは信用できないという意見もある。しかし、まるで根拠のないことは載せないだろうと思うから、かなりの毒性をもっているのは確かのようだ。が、学校や公園でこの樹木の被害という話は聞いたことはない。

実際に、食べると嘔吐(おうと)や下痢、心臓まひなどを起こす有毒物質オレアンドリンなどを根から花弁まで含むことか証明されているようだが、『毒があるから口にしないで』という注意さえしておけばすむこと。

それにしてもこの教育委員会はよほど住民の意見にビクビクしているもの。過去に何度も不味い対応で住民から怒りをかっており、とにかく『ハイ わかりました』と返事をするようにと上司から指導されているのではないだろうか。

たった一人の、しかも匿名の電話でさえ、普段からこんな過剰反応をしているのでは、そのうち匿名の『○○小学校の××教員は・・・』という電話を取り上げて、その教員を異動させたり、校長から注意などとなるのでは。今回のキョウチクトウ反応から、ひょっとして現在も日常的にあるのかも知れない・・・と思ってしまう。

これでは福岡の子どもたちが賑やかなことは当たり前、そして、いろいろな事件につながっていることもあり得ると変に納得・・・と言ったら言い過ぎだろうか。(田舎親父)

2009年12月16日 (水)

原告の気持ちは痛いほどわかるが・・・

 一昨日だったと思うが、夕方のテレビのニュ-スで東京大空襲の被災者が起こした裁判で『原告敗訴』と伝える映像が流れた。

裁判の内容は、1945年の東京大空襲の被災者と遺族131人が、救済や補償を怠ったとして国を相手に総額14億4100万円の損害賠償と謝罪を求めたものだというが、こんな裁判が行われていたことは知らなかった。改めて、世間知らずを恥じてしまう。

東京大空襲は太平洋戦争の末期、昭和20年3月10日日未明、米軍のB29爆撃機が江東、墨田、台東など下町と言われる人口密集地を無差別爆撃し、約10万人が死亡したという悲惨なもの。

279機ものB29が焼夷弾1665トンを投下したとあるから、アメリカ軍は無抵抗な人民を徹底的に殺戮することによって、軍部を萎縮させて降伏につなげる意図があったのだろうと想像できるが、決して許されるべきではなく、苦しみもがき焼け死んだ人々を思うと、改めて戦争に対しての怒りが込み上げる。

原告側が訴訟を起こしたのは2007年だとある。爆撃からすでに半世紀をはるかに超えて訴訟を起こしたのは、よほど悲惨な経験がある人々の気持ちが、ようやくまとまり爆撃で命を落とした遺族131人という大原告団を形成したのだろう・・・。

原告の主張は『国は旧軍人や原爆被害者らの救済措置をとっている一方で、空襲被害者に対しても、生活援助や補償などをする義務を果たすべき』というもの。これは、少なくとも戦争の責任は全てに国にあるものなのだから、十分納得できる。

さらに原告側は、互いに戦争被害者なのに『補償してもらえる人ともらえない人がいるのは、憲法が定める法の下の平等に反する』との主張も説得力がある。

これらの主張に対して、裁判官は『空襲の被災者だけではなく、当時の日本国民のほとんどすべてが、何らかの形で戦争被害を負っていた』と指摘したが、これも納得できる。

その上で『裁判所が基準を定めて救済対象者を選別することは困難で、立法を通じて解決すべき問題』とした上で『国会の立法には極めて広い裁量が認められており、特定のグループのみを差別する場合などでない限り、平等原則違反と言うことはできない』との判断。『旧軍人や原爆被災者との違いがあっても、差別には当たらない』との判決は、当然といえば当然かも知れない。

遺族たちの気持ちは痛いほどわかるつもりである。が、被災者の遺族は131人だけではない。もし、裁判で補償が必要となったら、それこそ10万人超の遺族に補償しなければ『憲法上の不平等』になることは明らか。

金額の問題ではないが、命の代償を例えば100万円としても10万人の遺族に支払うとなると、単純計算で1000億円が必要。空襲は東京だけでなく、その被災者は100万人をはるかに超えることを考えると、もし支払われるとなると一発でこの国は滅亡することは明らか。

その前に、命が100万円という価値基準が問題でこのような判決は殺人や強盗事件などにも影響することも考えると、命をカネ換算するのはいただけない。

原告側は控訴する方針だという。それは自由だろうが、今のままでは世論からの同調は少なく、同情すら先細りになるのではないだろうか。

判決は原告らの被害について『国家の主導の下に行われた戦争の被害という点で、旧軍人らと本質的な違いはなく、原告らの苦痛は計り知れない。原告の主張は心情的には理解できる』と述べているので、原告人々からは怒りを買うことを承知の上で(あえて申し上げるなら)この言葉を『鎮魂』と受け止めてほしいもの。

そしてもし裁判を続けるとしたら、補償はカネ勘定ではなく『永久にこのようなことがないという意思』として『現憲法に決められている戦争を放棄』を改めて宣言し、イラクへの派兵やインド洋での給油活動に自衛隊を派遣したことを国民に謝罪し『今後絶対に行わない』と世界に向って高らかに宣言させるべきだと思うのだが。

それが政権交代の真の意味では・・・。(田舎親父)

2009年12月15日 (火)

ユキオちゃん しっかりしないと・・・

 このところハトヤマ首相の動きが地についていないように感じるのは、私だけではないようだ。

普天間基地の移設問題は社民党のフクシマ党首、また郵政民営化改革問題や景気対策では国民新党のカメイ代表に振り回されて、それぞれの担当閣僚の意見も日替わり定食、何が出てくるかわからない。これではトヤマ首相の指導力がどうなっているのと心配、支持率の急落も頷ける。

これらの問題については、フクシマ・カメイ両氏のいうことは、それぞれの党の理念だろうから、ご両人の主張は当然といえば当然で、最終的にハトヤマ首相が『わかった』と思えばそれでよし、わからなければ連立を解消すれば良いだけの問題。

連立を解消できていから悩んでいる、という意見もわからなくないが、この御仁は過去には冷たく人を切ったこともある。それなりに説得できるという見通しがあるのではないかと、ここはハトヤマ首相を信じたいところ。

しかし、昨日来日した中国の習近平国家副主席が天皇との面会を特例的に実現するよう指示していた問題は、民主党の幹部の中にも『奇怪しい』と公言している人物もいることに加え、天皇に対する特別の思いを持つ国民が多いだけに尾をひきそうだ。

外国の要人と会うのは天皇の最も重要な仕事の一つには違いないので、将来の国家主席なるだろうと言われている習副首席との会見は当然だろうが、内閣が天皇に会っていただきたいと申請するのは一月前という慣例があるという。

こんな約束が存在することなど国民は全く知らなかったこと。知らせる必要がなかったと言ってしまえばそれまでだが、今回はそのことがあたかも法律のごとくの扱いで、ハトヤマ首相がゴリ押しで会見を設定したと、マスコミや自民党が『国辱的大問題』のように取り扱っているのには、何か筋違いのように思えてならない。

ただ、新聞報道によると、外務省が宮内庁に会見を申し入れたのは『11月26日』で外務省幹部によると、宮内庁の困難との返答を受け、『翌27日には官邸の了承を得た上で中国側に会見は出来ない』と伝えたという。この際、官邸から『異論はなかった』というくだりがひっかかる。

ほとんどの新聞は同じような書き方だから、いくら何でもデタラメな情報を信じて書いているとは思えない。自民党が圧力をかけているという人もいるようだが、今の自民党は半分死に体。とてもそんな力量はないだろうから、もし、一旦、無理だということを了解したハトヤマ首相が一転して、どうしても会っていただきたいと強く宮内庁に申し入れたことは間違いなさそう。

となると、オザワ氏からの要請しかないことは誰の目にも明らか。オザワ氏は民主党の議員140名超を引き連れた大集団で中国を訪問に出発する時期と重なるのもきな臭い。中国からの強い要請を受けたとハトヤマ首相に『どうしても設定してほしい』と迫ったという筋書ではないだろうか。

ハトヤマ首相がこの会見を『もっともなことだ』と受け止めて、改めて設定を指示したのなら、特段騒ぐほどのことはないだろうが、オザワ氏の指示に『逆らえない』ので、仕方なく設定したというのであれば、こちらの方がはるかに大きな問題だろう。

このところ、オザワ発言は中国についで韓国を訪問した際に『天皇陛下の訪韓は結構なこと』と言ったり、『永住外国人参政権付与法案を通常国会で通過させる』と大見得を切っていると伝えられることから、国民は当然として、民主党の議員の中でも『オザワは増長している』とか『全て自分が決めるとの態度』だと受け止められているはず。

これでは『オザワの傀儡』と言われても仕方ない。党内にも『このままではいけない』という動きが出るのは時間の問題であることは間違いないところ。

この際『オザワ切り』とは言わないが、せめて『オザワにイエロ-カ-ド』的な姿勢を見せないと、国民の指示率はどんどん下降し、やがてアッソウの二の舞、30から20%を切り、党内から辞任要求という動きになる可能性もあるのでは・・・。

今なら、まだ国民の大多数は、いかなる『強行手段』であってもハトヤマ首相を支持するのではないだろうか。

母親からの多額のお小遣いのことはともかく、この問題はきちんと真実を国民に説明し理解を求めなければ周りも騒ぎだし、それに同調する反オザワ陣営を中心に政界再編成の動きにつながるのではと思っているのは私だけだろうか・・・。(田舎親父)

2009年12月14日 (月)

オバマ演説にはガッカリ・・・

 先日、ノ-ベル平和賞の授賞式の様子がテレビで紹介されていた。オバマ大統領が受賞したことに様々な意見があるが、プラハでの『核兵器のない社会の実現』が選考委員たちの琴線に響いたのは間違いないところ・・・。

私ごときが異論をはさむのはおこがましいが、核兵器の廃絶が本当にできるとは思えない。オバマはそのことを知ってあえて言ったのだろうが、受賞の記念演説を聞いた選考委員たちは青くなっているのではないだろうか。

『陛下、殿下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、米国と世界の皆さん。私はこの栄誉を、深い感謝とともに謹んでお受けする・・・』というあいさつから始まるこの演説では、基本的にはアメリカがいかに平和に貢献してきたかを強調するもの。

戦争には『正しい戦争』と『誤った戦争』があり、アメリカがやっている戦争は『正しい戦争』だというが、この考え方で過去に幾多の人々が命を落とし傷ついたことを、オバマ自身、本当にわかっているのかと疑ってしまう。

『鬼畜米英・・・』という言葉はほとんど死語になり、若者たちは聞いたこともないだろうが、戦中に生まれ戦後の教育を受けた私たちの年代の人間にとって、この言葉の持つ意味は深い。

戦前の教育は徹底して『この国は神の国』という意識をたたき込み、完全に誤った歴史観を押しつけ、治安維持法という法律によって反対するものは容赦なく弾圧した。天皇を頂点とする(利用したという表現の方がよいのかもしれないが)軍国体制を作り上げ、不幸な戦争に邁進したことは忘れてはならない。

体制維持のため、日本軍が行う行為は『正しい戦争』で、鬼畜米英によってアジアの人々が苦しめられている、我々は彼らを助けるために『正しい戦争』をしている。国民は『鬼畜米』を合言葉に、一丸となってこの戦争を勝ちとらねばならない、と演説したのは時の首相であり軍部の指導者たち。

オバマは歴史上『大義のある戦争』という概念はほとんど実現していないと断言し、人類が殺し合う方法を、新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだと続けながら、今アメリカが行っているアフガンでの対アルカイダはじめ武装勢力の殲滅は、絶対に必要だと述べる矛盾には驚く。

彼は、第三次世界大戦を起こさせていないことが平和なのだと主張したいのかもしれないが、今世界のあらゆる場面で容赦ない殺し合いが続いているのは、まさに第三次世界大戦ではないだろうか。内戦がないのはアメリカやヨ-ロッパ諸国、それに日本や韓国など一部の国でしかないが、それらでも連日殺人という陰湿な犯罪が行われているのが現実で、単に戦争状態がないだけと言った方が表現的には正しいようだ。

先日彼は、アフガニスタンへの米兵三万人増派を発表したばかり。『正しい戦争』を続けるためにこの選択をしたという論理は、アメリカが国際秩序を武力で守り続けてきた伝統であり、特に戦後六十年間、国際秩序の安定を担ってきたのは、米国の圧倒的な軍事力によってなし得たことだとの思いからきているようだ。だから、アメリカの選択に間違いないということなのだろうが、イスラムの人々には悪意と受け止めることは間違いない。

そして、彼らの中の過激な集団はアメリカの『間違った戦争』を、自分たちの『正しい戦争=聖戦』で打ち負かそう、と鼓舞しているはず。

アメリカ国民の7割までもが、オバマのノ-ベル平和賞に対して『受賞に値しない』あるいは『時期尚早』と感じているらしいが、この7割のアメリカ国民の声をオバマは大統領として真摯に受け止め、せめて増派だけは思い止まってほしいと願っているのは私だけではあるまい。

忘れっぽい日本のマスコミにとっては、オバマの受賞などはすでに遠い過去のことらしい。視聴率が稼げないニュ-スかもしれないが、もう少しオバマ演説の矛盾について批判をしてもよいのではないだろうか。(田舎親父)

2009年12月13日 (日)

捕鯨に対する意識を変えることが先決だと思うが・・・

 調査捕鯨と称して日本の捕鯨船が今年も南極海(昔は南氷洋と言っていたはずだが)に向った。それに合わせるように、捕鯨に反対しているアメリカの環境保護団体『シー・シェパード(何でも略するのが流行りらしく、これも「SS」と表されている)』の船が、それを阻止するためにオーストラリアの港から南極海に出航させたとの報道があった。

この団体は3年前から捕鯨妨害キャンペーンを継続し、抗議船を日本の捕鯨船に体当たりさせたり、酪酸弾という有害物質の入ったビンを投げ込むなど過激な攻撃を展開している様子がテレビでセンセ-ショナルに紹介されている。

『凄い連中だなあ 正気の沙汰とは思えない・・・』というのが正直な感想。南極海の真ん中で故意に舟をぶつける行為は極めて危険だと思うが、団体は『「われわれの仕事は殺し屋たちを止め、できるだけ鯨の命を救うことだ』と、まるで聖戦意識。まさか人間の命より『クジラさま』の命の方が大切だとは思っていないだろうが、日本人にはとても理解できない行為である。

捕鯨問題は以前取り上げたことがあると記憶しているが、国際捕鯨委員会というものがあり、この機構に参加しているのは現在82ケ国という。それらの国の代表がイギリスにある本部に集まり、毎年捕鯨について様々な討議が続けられているとのことだが、捕鯨に対する基本的な考え方が全く違うことから、食料としての捕鯨という日本の意見はほとんど通らない状態のようだ。

唯一『調査捕鯨』と称する、学術調査のような形で、種類や頭数を限って捕鯨することを認められているので、12月になると南極海に何隻かの捕鯨船を出しているが、調査のために900頭ものクジラの捕獲も変な話であることに違いない。このあたりにSS達の怒りが暴発していることなのだろう。

クジラは知能が良い動物だから殺してはいけないという意見もあるという。資源的にクジラの数が減って絶滅危惧に陥っているという主張もある。クジラはホエ-ルウオッチングという観光資源であって食料にするなんてとんでもないという考え方もある。

また、旧約聖書だったか、クジラは神の使いとして登場する神聖な動物ということを何かの本で読んだことがある。だから、聖書につながるキリスト教圏の国々は捕鯨に反対しているという話も聞いたこともある。一見、なるほどと思わせるが、ノルウエ-やアイスランドが今でも捕鯨を認め、行っている現実は矛盾がある。

ヨ-ロッパの人々は自然を破壊し尽くした経験から、食料を自然から求めるのではなく自分たちで栽培や飼育をするものという考え方をもっており、牧場で飼育した牛や豚を殺すことには躊躇はないが、海の中を自由に泳ぎ回る哺乳動物を殺すことを許さないという見方もよく耳にする話。

どれも間違っていないだろうが、どれが正解だともいえない。要は、国民性というか個人的な感情の問題のようだ。しかし、84もの国が集まって形成している国際捕鯨委員会で、一応許可された『調査捕鯨』に体当たりや暴力的に阻止するというのは、素直に解釈すればこれこそ条約違反ではないだろうか。

SSのやり方は、捕鯨反対国のメディアを最大限『活用』して、自らの主張を『命懸けで阻止する』という図に仕立て上げている。それを捕鯨絶対反対という国のメディアが『海の英雄』ともてはやすものだから、何となく、捕鯨そのものが『悪』という印象をもたらしているようだ。

日本のマスコミははっきりした態度がない。視聴率が稼げるとばかり、海洋での勇ましい抗議活動を面白奇怪しく報じるだけで、世論を盛り上げて捕鯨に対する意識を変えることなどには全く見向きもしない。

食料事情が豊かになり、わざわざ鯨肉を食す必要がなくなったことも背景にあって、イルカやクジラの殺し方が人道的でないという意識も広まっている。このままでは、国際世論(キリスト教圏世論)に反発してまでクジラを捕獲する必要はないだろう、という大勢になりそうだ。

しかし、間違いなくやってくる近い将来の食料不足問題のためは、鯨肉の確保と重要なことは間違いないだろう。また、クジラの数が多くなりすぎて他の海洋資源を食い荒らしているという説もあるというから、簡単に中止はいただけない。

ともあれ、こんな無謀な抗議活動で犠牲者がでないことを願う。(田舎親父)

2009年12月12日 (土)

最高裁の判決に疑念・・・

 つい先日、このところの最近の最高裁の判決は何か偏っているのでは・・・と記したが、また気になる2つの判決が報じられた。両方とも、この種の裁判は今までは最高裁の姿勢からは高裁に差し戻しというところ。そして、高裁は両者に和解するように勧告して、いつの間にか世間から忘れられるというパタ-ンだった気がするが。

ところが今回は、いずれも被告側の完全敗訴という判断に、私の中に潜む『へそ曲がり虫』が何か奇怪しいぞ・・・と動きはじめている。

その一つは、10年ほど前、川崎の女性医師が気管内チュ-ブを抜きとり、筋弛緩剤を投与して患者を死にいたらしめたとされる事件で、殺人罪が妥当だという判決。

記憶が薄れているので、詳しい事情ははっきりしないが、重度のぜんそく患者が発作で倒れ意識不明の、(あまり好きな言葉でないが)いわば植物人間になった58才の男性の家族から『楽にさせてあげたい』と何度も強く要請されて、主治医が筋弛緩剤を投与して死に至らしめたという事件である。

回復の見込みがない患者の家族としては、生命維持装置を装着してかろうじて現象的には『生きている』肉親に対して、それでも生きてほしい、万が一・億が一の可能性を信じて維持装置をつけ続けたいと思うのは当然だと思う。

一方、生命維持装置をつけてまで植物人間状態を続ける肉親を見るに忍びない・・・という気持ちになる場合も十分に理解できる。その場合は、ごく近い肉親が主治医にはっきりとした意思を伝え、医師も回復見込みは『完全にゼロ』という場合は肉親の意思を重視する可能性がある。

実際に私も、先輩が意識不明で寝たきり状態、かろうじて生命維持装置で生かされている状態だったとき、先輩の奥さんからの申し出で主治医が生命維持装置の電源を遮断した現場に立ち会ったことがある。維持装置が外れると先輩の体温はどんどん落ちていく様子が握手をしている私に伝わってくる、あの感覚は忘れられない。

その時、遺族の誰も主治医の過失を言い出すものはいなかった。むしろ主治医に対して『ありがとうございましたという』言葉が続いていたことも鮮明に思い出される。

この事件では、はっきりしないが、当時しばらくして、遺族から『家族の了解を得なかった』と言いだし、警察に告訴したという記事があったことをかすかに記憶している。告訴を受けた警察は、当時の事実関係を捜査し、医師の独断と判断し起訴したようだ。

当時、仲間と『こんなことで告訴するとなると、医師はやりにくくなるな』と互いに顔を見合わせたこと、そして、これは患者側の人間関係というか、金銭にまつわる損得という問題が生じたのでは・・・と何となく思ったものだがいつの間にか記憶から消えていた。

医師としては、全ての遺族から了解を求めているわけではない。あくまで私の想像だが、多分この男性の妻からの強い要請で筋弛緩剤を注射したことは間違いないのでは。そして、その妻が誰かから唆されて『楽にさせて・・・といった事は間違いないが、症状についてはっきりした説明はなかった』と警察の事情聴取で言ったとなると・・・。

医療に全くの素人の裁判官達が、意識不明の状態とはいえ、生きている患者を意図的に殺害したという認識にたてば、遺族の申し分が大きな要因になることも致し方ないことも理解できる。

最高裁の判決は『懲役1年6月、執行猶予3年』というから、収監されることもなく、また医師免許の剥奪などのこともないらしいので、医療活動は続けられる事ができるようなので少しはホッとするが、患者の両親や妻からの言葉が信じられないとなると、今後多くの医師たちは、患者側からの『楽にさせてあげて・・・』という申し出は、うっかり信用できなくなるに違いない。

この判決をどう見るかは、立場によってかなり違うだろうが、終末期の医療を考えると問題がある事は間違いなさそう。

私は、被告である女性医師の『男性の意思を推定できる家族の強い要請に基づき、チューブを抜いた 法律上許される』という主張を、もう少し丁寧に審議し、せめて医師の免責条件を明確に示すべきだと思っているので、(私が意見など意味ないとは思うが)最高裁の判断には納得できない。

もう一つ、江戸川高校の『論語教育』廃止に対しても、気になる判決があるが、長くなるので別の機会にしたいと思う。(田舎親父)

2009年12月11日 (金)

地球温暖化の議論は大事だが・・・

 先日からデンマ-クで『COP15』という環境問題を話し合う国際会議が開かれており、先進国と発展途上国との利害が浮き彫り、激しい議論が戦わされていると、連日マスコミが賑やかに報道している。

最近は、やたらに国連の組織や国際会議が略称というか、頭文字を綴った聞き慣れないカタカナ名称で呼ばれているので、丁寧な解説がないと何の会議なのか意味がわからないことが多い。

恥ずかしながら、今の今まで『COP』というのはこの会議がコペンハ-ゲンという都市で開かれていることから、都市の頭文字だと思っていた。それにしてはあまりにもお粗末と気づき、改めて調べてみたところ、正式には『気候変動枠組条約締約国会議』と言い、英語で現すと『Conference of Parties』いうことで、それを略して『COP』ということを知った。その15回目会議だとのこと。納得・・・。

地球温暖化に危機感をもったヨ-ロッパ諸国が言いだして、1995年にドイツで第一回会議から毎年世界の各都市で開催されているようだ。

京都議定書については、その内容などにも少しは知っているつもりだが、当時マスコミは『COP3』と表現していたのだろうか。言い訳かもしれないが・・・。

それはともかく、京都で採択されたこの条約にアメリカが調印しながら結局は反故にしてしまったことを、日本政府やマスコミがもっと強く批判すべきなのだが、歴代の自民党政権はアメリカはご主人筋に当たるらしく、あまりこの問題に触れることがなかった。

今回、ハトヤマ内閣が25%減という、ヨ-ロッパに続く高い数値をあげたせいだとは思わないが、オバマ政権に代わったアメリカは今までの態度を改めて、『COP15』にオバマ大統領が参加し、20年までに05年比で温室効果ガスを17%削減することを決めたらしいが、この数値はすでに1990年からの15年で二酸化炭素の排出量は13%以上増加しているので実質は4%削減という。

この提案には途上国が納得せず、より高い数値を上げるように要求しているらしい。中国やインドもその動きに同調して、中国は自国のかかげる数値目標を最大限に評価して、対アメリカはじめ先進国へ、削減目標の大幅アップを要求しているとのこと。

詳しいことは理解できないが、地球温暖化の元凶だと言われている二酸化炭素は経済の発展と共に大量に吐き出されてきたのは、いまでは小学生でも理解していること。そしてその初めはイギリスから始まった産業革命だということも習っている。

私が小学生の頃には、中国4億人、インド2億人 アメリカやロシアも2億弱人で我が国が1億人、世界の総人口は十数億人だと学校で習った記憶がある。それがいまでは60億だ70億だと言われているのは、近代産業がもたらした経済が世界中に様々な影響を及ぼしたこと、そして、それに付帯する情報の広がりだろうと思っている。

それでも、産業の発達や人々の生活水準など比べると先進国と途上国との差は雲泥。以前にも話題にしたBRICだったか、インド・ロシア・ブラジル・チャイナという国々の経済発展は著しいが、これらの恩恵は先進諸国がこれまで何の抵抗もなく燃やしつづけてきた石炭や石油などのエネルギ-を元にした産業の発展が、大きな要素であることは誰の目にも明らか。

恐らく、今後もこれらの国は産業の発展を国是として進むだろう。まして、さらに圧倒的多数を占めるアジア・アフリカの国力の貧しい国は、これらの国々に学び、今後も二酸化炭素を吐き出すことによって産業を充実し、国力を富ますことに全力を上げるのは当然と言えばこんな当然なことはない。

途上国の国民が先進国に習って、より経済的に豊かで便利で快適な生活を追い求めることは間違いない。そして、そのことを先進諸国の国民には、NOという権利はないことも誰にでもわかる論理。

今のままでは、地球が危ないことを理論的に示しても、途上国側にしてみれば『お前さん達が、今まで勝手に出して豊かな生活をしているのに、今頃になって俺たちには出すなとは納得できない・・・』と強調することは無条件で理解できる。

途上国の人々が、先進国が今までやってきたように、エネルギ-をふんだんに使う生活を許容して、我が春と謳歌している現代の『便利で快適』な生活レベルになるまで、自分たちは待つ姿勢が必要だと思いたい。

途上国も排出量を抑えなければますます温暖化は進み、地球的危機状態になるだろうことは予測できるが、かといって途上国側に具体的にわからせることは、先進諸国がこぞって産業発展をゼロかマイマスにして、『便利で快適』な生活を『不便で手間がかかる』という100年前の生活レベルに戻す必要があるのではないだろうか。

無責任だとは思うが、それができず、100年先に人類が滅びるほどの温暖化を招いたとしても、それは仕方ないのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2009年12月10日 (木)

この人たちの辞書には無駄という言葉はないらしい・・・

 教育委員会という制度は、戦前の憲法が教育を利用して権力に迎合させたことを反省して、教育を権力の支配から切り離すという確固たる意図で設けられていると習ってきた。多くの人も概ね私と同じではないだろうか。

実際にはこの理念は『お題目』であって、文科省を頂点にする縦割り体制維持のための格好の理論武装の手段に過ぎないことは経験として知っている。今では、教育委員会制度そのものが、教育システムを根本的に作り直そうとする議論を阻む足枷になっていることも間違いではなさそうだとも思っている。

その教育委員会には必ず『教育委員』を置かねばならないと規定しているので、全国の都道府県はもちろん区市町村に至るまで、例え1000人そこそこの村であっても、その規模の大小は問わず、4人または5人の教育委員を選出している。

多くの場合、教育行政のトップの教育長は当然として、他を業界団体の指定ポストとしているのは教育界の常識。例えば、医師や歯科医師、あるいは社会教育団体や地域の有力者が概ね2期8年の順番で務めている。退職校長の中からも一人選ばれるのも通例で、このポストを得るために裏では熾烈な駆け引きがなされていることも良く耳にする話。

一方、選挙管理委員会も憲法で規定された独立組織。その中身はよく知らないが、これまた規模の大小は問わず全ての自治体に置かねばならない組織として存在する。

両方のシステムの在り方にとともかく、この教育委員や選挙管理委員は常時勤務ではない。多くで週一の定例会議があるだけ(それさえ行われていない場合も多いようだが)で、他の日は全く拘束されないのが普通。

なのに、報酬として月額10万から30万円程度(それ以上も多いようだ)を月給として支払っている。この金額は、東京などの資金の潤沢な自治体には『屁のようなもの』なのだろうが、小さな自治体にとってはかなりのウエイトを持ち、昨今では財政を圧迫している一つになっていると聞く。

そんなことを反映してだろうが、大阪のある自治体の市民団体がこのことを違反だという訴訟をしたところ、大津地裁が『月に数日しか勤務しない行政委員に月額報酬を支払うのは地方自治法違反』だという判決を今年初めに出したことは、かすかに記憶していた。

この判決は当然だろう。選挙管理委員会や教育委員会の必要性の是非はともかく、少なくとも勤務に応じて報酬は支払われるべきだということは誰も依存がない。

ところがこの判決を受けた自治体の『月額報酬制の見直し』という結論は、報酬総額を維持したまま、現行の月額を会議や行事の開催回数で割った金額を日額として支給するというもの。この自治体の首長や議会の神経に『?』をつけたくなる。

訴訟の原告団は、判決は『月額報酬が勤務実態に比べて高すぎるという判決の趣旨、これを踏みにじる行為だ』と憤っているというが当然だろう。

法律の専門家の一人は『大津地裁の判断は、月額がそもそも働きに応じた額ではなく、高すぎるというもの。単純に月額を割るのは厚遇だ』と指摘。多くの識者も『総額を同じにしようとする算出方法はおかしい。なぜその日額になるのか、勤務実態に沿った算定根拠をしっかり説明する責任がある』との懸念を表明しているというが、こちらの意見の方がはるかに説得力はある。

せっかく政権が交代して、やっと無駄をなくそうという機運が高まったことだから、各自治体はこれらの委員の報酬のことを、慣例だからとか下手に議論すると自分たちの首を締めかねない・・・などという自分勝手な言い分を捨てて、真剣に議論してほしいものである。

いや、それ以前に、委員達は市民から『あなたの辞書には、無駄という言葉がないようですね』といわれないためにも、自らを律する姿勢を見せることが先なような気がするが・・・。(田舎親父)

2009年12月 9日 (水)

乳児期はどちらかの親が自宅で育てられる制度を・・・

 昨日の朝刊に『2004年4月以降、全国の保育所で52人の園児が死亡』という厚労省が発表したという記事にびっくり。年齢別では、0歳児の死亡数が23人と最も多く、次いで1歳児13人だったとのこと。

時々というより数年に一度程度だろうが、『保育園で園児死亡』というニュ-スが流れるが、これほど死亡乳児が多いとは全く想像もしなかっただけに衝撃を受ける。

今回、全国の自治体からの報告をもとに04年4月~09年11月の死亡事例をまとめたとのことだが、こんな報告は今まであったのだろうか。

あっても報道されなかったのかもしれない。また私が見逃していたことも考えられるが、それにしても年間10人弱の幼い命が、あずける親にとっていちばん安全だと信じていた保育園の中で失われていたとは・・・・。

死亡原因も屋根から雪が落ちたとか、保育園内で収穫したミニトマトを食べる際に喉をつまらせたなどという、信じられないような原因もあるが、一番多いのは昼寝中の『乳幼児突然死症候群(SIDS)』と呼ばれている突然死だという。

喉をつまらせたとか、雪が落ちてきたなどは保育士の注意不足だと言われても仕方ないが、昼寝中は保育士たちも一番ホッとしている時だろう。『今日はよく寝るね』とか『なかなか起きないね』などと言いながら、突然異変発見。

その時の保育士たちの慌てぶりは目に見える。かといって、医師ではない彼女(彼氏もいるかもしれないが)たちにできることは、救急車を要請することぐらいだろう。

死亡した52人のうち、認可保育所が19人で、無認可保育所が33人。無認可園の入所児童数は認可園の約9分の1の約23万人で、認可園と比べて無認可園の死亡事故の発生率が高かったとあるが、これは当然だろう。

厚労省は『無認可園の事例には保育体制の不備や観察不足があったと考えられるものがある』と、無認可では仕方ないようなお気楽コメントだ。だが、認可の9分の1という数値を考えると、認可の19人は特段安全だとは言い切れないことは確か。

このような厚労省の態度に、無認可を承知で預けなければならない親にとってはイラダチを感じているのではないだろうか。

話は戻すが、時に報道される保育園内での園児死亡の続報はほとんどない。あるのは保護者が補償を求めての裁判になったとか、判決で園長や保育士の過失が認められたとかという内容がほとんどで、保育園の在り方などを関連させる報道はないのが普通。

事故があると、不備だと識者が指摘する施設・設備の入れ替えがあるだろう。人的には保育士の配置転換や勤務の在り方にも変化があることも間違いないだろうが、そのほとんどは、管理を強化する方向になるのは経験からでも容易に想像できる。

公立の保育園であっても、利益を求められないとはいえ、昨今の事情は十分な保育士を確保できているはずはない。私立のしかも無認可となると、さらに人員確保は困難になることは当然で、結果的には保育士たちの労働が過酷になることは成り行きだろう。

保育園は働く母親にとっては必要だということは、私は十二分に理解しているつもりであるが、あえて言いたいのは『自分の産んだ子どもなら、せめて3才までは自分で育てなさいよ・・・』ということ。

当然、世のママたちから『私たちの働く権利を奪うのか』という大反発を食らうだろうし、世間からも時代遅れとか男尊女卑だという痛烈な批判か寄せられるだろうが『動物たちの子育て』をもう一度謙虚に見直してみようと訴えたい。

結婚して子どもを産み育てるのは母親(当然父親との共同作業になるだろうが)の基本中の基本の義務であるはず。何よりも尊いこの行為を、自分の仕事のために人に預けなければならないことこそが変であって、そんなことをしなくても済む社会を実現することこそ最も大切なことではないだろうか。

主婦業を社会的に価値ある『職業』と位置づけ、それに対する報酬を国が支払うという『主婦業=臨時国家公務員』にできないか真剣に考えている。

他にも制度的にはいろいろと考えられるだろうが、結婚して子どもが生まれたら、どちらかの親が家庭にあって日常の子育てができる環境を作り、3才(あるいは5才)になったら何ら差別のない環境で、しかも本人が子育ては十分だという認識になった時点で職場復帰できるようにしたいもの。

民主党の言う『子ども手当て』はまさにこんなことを考えて言いだしたのだろうと推測しているが、真意を分かりやすい言葉で踏み込んだ説明ができていない。もっとも民主党の議員の中の一握りしか理解できていないのかもしれないが・・・。

一日でも早く『子ども手当て』の真意を国民が理解し、無理に働かねばという意識を払拭しなければ、今後も保育園での園児の死亡事故は増えることはあっても減ることはないような気がしてならない。(田舎親父)

2009年12月 8日 (火)

そんなに急がないでもよいのでは・・・

 沖縄のアメリカ軍の普天間基地移転の問題が国民の大きな関心事になり、連日新聞テレビで取り上げられている。

一昨日の朝刊には、-外相『米との交渉限界』-という見出しがあり、オカダ外相は辺野古移設容認の姿勢だと伝えている。閣僚たちのいろいろな思いが交錯、肝心のハトヤマ首相の態度がはっきりしないので、周りのイライラがつのっていることが想像できる。

アメリカが焦っていることはわかる。中日大使が憤っているとか、司令官が過激な発言をしているという記事が流れている中、オバマ大統領としては、アフガン増派を決めたもののアメリカ国内でも増派への抵抗があり、それをかわす意味でも、日本に相当の支援を受けたいという気持ちがあるらしく、今までの政権とは違って『日本とうまくやろう』という姿勢が目立つようだ。

それにしてもハトヤマ首相の態度はなかなかのもの。自民党政権が続いていたとしたらアソウ首相は即刻辺野古の珊瑚礁の海岸を埋め立てて、飛行場を作るという行動に移していただろうと思うと、ハトヤマ首相に大拍手と今後の対アメリカ交渉を期待する。

国民の圧倒的多数も同じ気持ちらしく、明らかに脱税と断言してもよい不透明なカネの流れにもかかわらず、高い支持を与えていることから、そのことがよくわかる。

内閣の中も一つにまとまらないようだ。防衛相はもともと辺野古移転を容認していたらしいが、オカダ外相や他の多くの官僚も、2ケ月も交渉したので、このあたりで仕方ないか・・・という雰囲気があるとのこと。反面、フクシマ社民党代表の鼻息がこのところ荒くなっていることを見逃せない。

社民党は社会党時代からもともと『護憲平和』が党是。基地の存在そのものに反対の立場をとっていた政党。ところが、自民党に騙されて与党に祭り上げられ首相の地位までいただいた村山政権でその立場があいまいになり、国民の信頼を失ったことをフクシマ党首は強い教訓にしていたらしく、与党になった今回は内閣の中で、国民新党のカメイ代表ともども気合が違う。

ハトヤマ首相が『沖縄の普天間基地移設問題で、年内決着を先延ばし』や『政府の立場を説明』というニュースが報じているが、メディアや多くのジャーナリストは社民党に気遣いを見せ過ぎて、アメリカとの関係を悪化させるというような論評が目立つ。

沖縄の人々のこれまでの苦労を、同じ日本人として互いに分かち合う心があれば、また本当に日本の愛しているのなら、アメリカ軍基地全て日本から撤退して欲しいと願っているはずだと思うのに、何故か普天間の基地さえ同じ沖縄の辺野古へ移転すれば、基地問題全てが解消できるというような論調になっているのが納得できない。

政治のことは全くわからないド素人の私であるが、先に述べたように、オバマ政権は日本との信頼関係を失いたくないと思っているはずだから、今しばらく先のばししても大丈夫ではないだろうか、ここはハトヤマ首相のやり方を見守りたいもの。

フクシマ党首のいうグアムか硫黄島への移転を、はじめから無理な要求だと選択肢から抹消するのではなく、関空に移転したらというトンデモ発想はともかく、県内とか県外といわず、国外に移設するようにアメリカと交渉してほしいもの。地理的に見てもアメリカ領であるグアムに移転しても、何の問題もないはず。いや、ガァムの原住民の人たちには迷惑極まりないと言うだろうか・・・。

ここ数年アメリカの威信が落ちていることは明らか。経済も行き詰まっており、今まで通り軍事力によって『世界の警察』を任じられる情勢だとはとても思えない。

普天間基地問題はそんなアメリカの都合だろうことは政治音痴の私でも理解できること、急いで辺野古の美しい海岸を埋め立てて新しい飛行場を作ったとしても、近い将来アメリカの軍事力は縮小を与儀なくされることは確実だろう・・・。その時になって、辺野古の海、ジュゴンの泳ぐ海を取り戻そうとしても、それは絶対に無理なこと。

奇しくも今日は太平洋戦争の開戦と同時に真珠湾を奇襲攻撃した日。右翼的な考え方は全くないが、アメリカに敗戦して以来60年間ひたすらに『ご主人さま・・・』とへりくだる必要はあるまいと思う一人。

ハトヤマ首相の落ち着きの根拠が何なのかはさっぱりわからないが、この年内決着に拘らないという発言を支持したと思うが、今朝の報道では、また少し事情が違った雰囲気。ここ国民を信じて対アメリカ交渉をしっかりやってもらいたい。(田舎親父)

2009年12月 7日 (月)

こんなニュ-スを聞くとマヤの暦が気になるが・・・

 内閣府の調査なのでどこまで信頼できるか『?』がつくが、二つの気になる調査結果が発表された。しかし、一応国がやる調査だから全くのデタラメではないだろうという前提で、このことについて考えてみた。

一つは、『結婚』についての意識を聞く発問で『個人の自由だから、結婚してもしなくてもどちらでもいい』と考える人が70%以上だったという数値。一昨年の同じような調査より5ポイントも増えているという。私の周りでも未婚や晩婚の男女が多いことから、日本人の結婚観が大きく変化していることは理解できる。

年代別でみると、若くなるほど『どちらでもいい』が多かった、というのはわかるとして、70歳以上は47%というのはどういうことなのだろう。それが、60歳代で61%になり、50歳代で72%。40歳代以下ではいずれも8割を超え、20歳代では88%が、結婚しなくても良いと思っているとのこと。

なるほど、最近結婚年齢が遅れ、40代に手が届きはじめてやっと結婚を望む女性が増えたなどという記事が目立つのもわかるような気がする。『結活』という言葉もマスコミの流行語になっているらしいが、これもこ30代.40代の男女を対象にしていることも何となく理解できる。

もう一つは『結婚しても、必ずしも子どもをもつ必要はない』との問いには約43%が『賛成』と答え、前回より6ポイント増えた。これも若くなるほど賛成が多いのは理解できないことはないが、70歳以上の賛成が23%という数値に驚く。私より上の年代の人たちの約4分の1が『子どもは必要条件でない』と考えているとは想像していなかった。

20代では63%が『子どもを持つ必要がない』と答えたという。若い年代ほど持つ必要がないという意識が増えていることは理解できないことはないが、60代・70代の一応人生の半分以上を過ごした大人たちが『子どもは必ずしも必要ない』とは、どういうことなのだろう。

私なりに思うに、70代といえば30代40代の息子・娘を持つ年代。それが結婚していないとなると、結婚をしてくれさえすれば良くて、孫の顔は諦めているのかもしれないと考えると、この数値の説明はつくが・・・。

少本気で考えると、このことがいかに重要なことであるかだれにも理解できるはず。このままこの意識が続き、さらに『結婚などどうでもよい』ことで『子どもは必要ない』という、子どもを産み育てられる可能性のある若い世代が増加しつづければ、子どもの数は限りなく減少することは容易に想像がつく。これは国が存続できるかどうか根幹にかかわる大問題。

内閣府の担当者は『国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果で、生き方の多様化が進んでいる』との見方をしているというが、そんなお気軽なコメントをしている場合ではないだろうと思いたい。

我々は突然、この世に登場したわけではないことは誰もが理解し、学校の道徳の時間での重要な課題である『命の大切さ』につながっているので、誰もが頭の中では重要だという意識を持っているはずだと思いたい。

今、自分が存在することは、父母がいてさらにその父母が存在する。果てしないほどの長い時間を命の受け渡しという、動物としてのいちばん大切な仕事をつないではじめて現在の自分がいるわけで、もし自分の代で命の受け渡しが止まってしまうと、そこで自分の存在のために続いていた一筋の流れがなくなることを意味する。

今ある自分の存在は、父母につながるはるか過去に、地球上での生命の誕生以来数十億年の歴史があり、自分の彼方にも歴史があるはず。先祖から子孫への長い・長い進化のプロセスこそ、我々人間の本質なのに、それなのに日本人の半数が、『今ある自分だけで十分だ、未来はいらない』と考えはじめたようだと推定できる調査結果・・・。

恐らく、この傾向は日本だけではあるまい。便利で快適なことが『是』で、カネさえあれば『自分の思いが実現する世界』であることは論を待たない。世界中の人々が、刹那的な快楽を求め、自分の子どもたちの歴史を閉ざすとなると、それは人類の滅亡につながることは火を見るより明らか。

2012年12月21日で切れるマヤの暦が俄然私の中で意味を持ち出した。(田舎親父)

2009年12月 6日 (日)

花が売れないそうだが・・・

 このところめっきり花が売れなくなっているという記事を見つけたのは数日前。記事によると、長引く不況で、会社の行事や新規開店などのお祝いイベントの需要がめっきり減ったためだそうだ。さらに、かつては選挙のたび、高価な花が候補者の陣営に贈られていたが、自民党が大敗した今夏の総選挙ではその『選挙特需』もなくなったとのこと。

ということは、自民党の候補者が当選すると山のような花束が贈られるのに、民主党の候補では当選しても花束が少ない?・・・。こんなところにまで、政権交代が影響しているとは思わなかったが、確かに無駄を省くというのが『党是』となっている民主党ならばあり得るかもしれないと変なところで納得。

そんな記事を見たからでもないが、一昨日いつもの散歩道にある花屋ののぞいてみた。ここは花屋といっても街中にあるような切り花を並べている店ではなく、いわゆる園芸店というか、洋蘭に代表される高級鉢物から花壇やプランタ-に植える花苗、さらに肥料から容器までそろった、園芸に関する総合デパ-トという趣の大きな店である。

この日は素晴らしい天候。しかし客はまばら・・・。この店ができてもう7年ほど、当初はそれこそ押すな押すなの大盛況で、人ごみをかき分けて鉢物を奪うように買い求める客でごったがえしていた。店も一棟だった温室風の店は今では5棟以上と急速に発展し、すでに述べたような、まさに植物栽培のデパ-トと表現しても差し支えない規模になっているが、昔の盛況はどこへいってしまったのだろう。

気になったので(記事を確かめるため)翌日にも訪れてみた。この日の土曜日、当然店は繁盛していると想像していたが、これまでも何度も訪れてその都度『凄いなあ これでは儲かって仕方ないだろう・・・』というほどびっくり光景だったことを思うと、閑古鳥が鳴いているとはいわないまで客は極端に減っている。

そのほとんどの客の向っている先は、屋根はつけられているものの屋外といっても場所に、所狭しとばかりびっしりと花の苗が並んでいる一角。パンジ-やビオラをはじめ色とりどりの花をつけた苗が、一鉢100円程度の札がつけられている。中には3鉢、5鉢、あるいは10鉢もまとめたまとめ売りの商品なども並ぶ。

今までは春の花とされていた、ここに並ぶ数々の花(名前が出てこない)は、品種改良で耐寒性を持たせたものだろうが、最近は公園などでは当たり前に植えられているのを見て、購買意欲が生まれるらしく、この種の花苗が大人気。

確かに、こんな可憐な花が冬場にあると気持ちも和むには違いない。その意味で微笑ましく見ていたが、一鉢100円の花の苗からどれぐらいの利益があるのだろ、と変なことが気になり出した。

私も最近は種から育てることに興味がでて、実際にいろいろな野菜や花の苗を作っている。一袋の中には、多いものでは1000、少ないものでも30ほどの種が入っているから、原価は限りなく0円に近くなるが、その分植え替えや水や肥料など世話が大変。余った苗は近所の人たちに配っているが、決してお金はいただかないことにしている。手間隙かけて育てた苗をお金に換算したくないからだ。

この程度の花が大量に売れたとしても利益はたいしたことはないだろうということに気づき、こんな大きな店を運営しなければならない経営者の苦労に同情してしまう。花屋が苦労しているということは、花の生産農家の窮状はもっと凄いのではないだろうか。

ある地域には200件もの花作り農家があるが、減収に耐えきれず野菜に転換する農家が続出しているという。しかし、野菜もこのところ激安傾向らしいから、転換したからといって状況が急激によくなるわけではあるまい。

減反政策で米作りから花へ転換して、一時の栄華を享受したこの人たちが、また元の生活に戻るとは、減反政策の負の部分を象徴しているような出来事。

数万円の洋蘭などとは全く無縁の生活だが、せめてハレの日ぐらい1000円程度の花束を買って部屋を飾りたい生活がしたいものである。

そして、庶民のこのような行為の積み重ねで、花農家の人たちに一時の安らぎを感じてもらえる世の中になってほしいと心から願う。(田舎親父)

2009年12月 5日 (土)

オバマもやはり単なるアメリカの大統領の一人だった・・・

 1日にオバマ米大統領が発表した、世界中から注目されていた『今後のアメリカのアフガニスタン戦略』には正直言って失望した。

以前からこの日に、発表することは知らされていた。大統領自身、故国に失望を与えないだろうと大見得を切っていたので、ひょっとして、まず撤退時期を明らかにするのではという淡い期待を持って見守っていたが、発表された内容は3万人の増派で撤退開始は18ケ月後に始めるというだけで、具体策は示していない。

アフガニスタンにはアメリカはすでに7万人にも及ぶ軍隊が派遣しているという。今回の3万人を合わせれば10万人規模になる。今回の3万人の兵隊を反政府武装勢力タリバンの牙城である南部や東部に投入し、アフガンが再び、国際テロ組織アルカイダの活動拠点になるのを防ぐため、タリバンの勢いをそぐ必要性を強調しているが、はたして目論見通りことが計れるかは疑わしい。

ブッシュ政権が、イラクが核兵器を開発しているという理由に攻め入り、フセイン政権を倒したことはつい最近のこと。圧倒的な軍事力でフセイン政権を壊滅させ、フセイン大統領自身を拘束し、裁判で死刑に処したもの記憶に新しい。

日本人の圧倒的多数は、当初はアメリカ軍の攻撃を支持し、これでイラク国民は自由と平和な暮らしを取り戻せると期待したはずなのに結果は惨憺たるもの。今でも連日テロが展開され、イラクのどこかで全く罪のない市民たちの多くの命が失われているのが現実にやりきれなさと、ブッシュに対して怒りが巻き起こっている。

これにはアメリカ国民も同じで、世論調査では『アフガン情勢は米国にとり思わしくない』との回答が66%に達しているという。そして『アフガン戦争は犠牲に見合う意義がない』と半数以上の国民が、増派に反対しているとの結果。それでもタリバンを掃討することかアメリカの使命だというのは、オバマもやはりブッシュと変わりない・・・という印象を世界に与えたのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。

同時にオバマ大統領は、同盟国からも『一層の貢献があると確信している』と述べているという。ハトヤマ政権は先日5000億円の支援を打ち出しているが、それ以上の支援の要請があったことは間違いなさそうだ。

前自民党政権だったら『ご主人さま了解しました・・・』とばかり、自衛隊を派遣したところだろうが幸にも政権交代したことで、その筋書きはないと信じたい。しかし、船出したばかりの基盤の脆弱な、しかも沖縄の基地問題が重大な問題になっているハトヤマ政権に『自衛隊派遣は絶対にNO』という力があるだろうかという疑問はぬぐえない。

もともとアメリカがイスラムの武装組織のアルカイダやタリバンに対して根絶させるまでもの決意と絶対的な軍事力で掃討作戦を展開しているのは(一部にはアメリカの策略という声があるが)あのニュヨ-クのツインビル爆破があることは間違いない。

私のような政治や経済音痴には、その真相はわからない。が、暴力の応酬の原因はどちらもどちらというところ。互いに相手を憎しみ合っている限り、オバマが言うアメリカ軍がアフガンから後顧の憂いなく撤退できるのは、イスラム過激派組織の最後の一人までを徹底的に殲滅することしかないだろうが、そんなことは絶対に不可能。

となると、アフガン問題はベトナム・イラクに続き中途半端な終結に終わることは火を見るより明らか。そして、苦しむのはアフガンの民衆。

キリスト圏とイスラム圏の国々の人たちの宗教観は、互いに絶対に正しい神として一人の人間の存在を信じ、他を否定しているので絶対に相手を認めることはない。互いがエレサレムを聖地としている限り戦争はなくなることはないだろう。

5000億の支援と、離脱したタリバン兵の職業訓練など民生支援は悪くないが、こうした協力も現地の安定化が促進されてこそ生きる援助。恐らくこの援助金はアフガン政府要人のフトコロに消え、民衆には届かないとなると、やれることは唯一つ。

それは、諸外国に『一時的には内戦状態になるだろうか、絶対に口や手を出さない』という約束を取り付け、実行を迫る努力だと思うのだが、キリストとイスラムという互いに一神教に加えて、自国の利益だけを求める大国を説き伏せるのは無理だろう。

と思うと、人類がこの世からいなくならない限り、虚しいことだが、宗教や民族の対立は永遠になくならないだろう・・・な。(田舎親父)

2009年12月 4日 (金)

何か変だぞ このところの最高裁・・・

 民主主義とは国民主権だと理解している。三権分立はその基礎基本だが、このあたりがどうもいい加減になっている気配に、またまた恐ろしい足音が近づいていると警戒している人も少なくないはず。

司法は特に中立というか、国民の利益が損なわれないような目線が必要なはずなのに、このところ最高裁の判決が国民より、検察というか権力側の主張を全面的に認める傾向の判決が多いように感じるのは私だけなのだろうか。

『高知での白バイ事件』と呼ばれている事故は、一昨年の秋、生徒と教員25名が乗ったスクールバスに白バイが衝突し巡査長が死亡という事故で、スク-ルバスの運転手が逮捕された事故である。

生徒と教師がバスは止まっていたという証言にもかかわらず、『バスは5~10キロで走行中に白バイをはね、隊員を死亡させた』として、バスの運転手には1年4ヶ月(だったと思う)の実刑判決が下されたという、極めて後味の悪い事件である。

当初、逮捕された運転手はすぐに釈放され、不起訴だろうとの見方が大方だったが、9ケ月後に突如バスが急ブレ-キをかけたできたスリップの痕跡の写真を根拠に起訴と、普通では考えられない検察の態度に、多くの人が冤罪だと運転手を弁護したのにもかかわらず、一審は1年4ケ月の禁固刑、高裁や最高裁も門前払いで刑が確定、昨年運転手は収監され、現在服役中と聞く。

当時は、マスゴミと批判されている大新聞はじめメディアでさえ、こぞってバスが急ブレーキを掛けたという証拠のスリップ痕は『警察により捏造』されたという疑いが濃厚であるという論調を伝え、民放テレビでもこの特集を組むなど、この問題に対しては権力と対決をという気合を感じたものだが、いつの間にかこのことはすっかり忘れたらしく、今では続報すらない。

ウエクサ氏の2度に渡る痴漢報道も腑に落ちない事が多い。最初の盗撮事件には私自身この御仁は変な趣味を持っているのだなと呆れたものだが、二度目の電車内での痴漢はあまりにも不可解。本人が泥酔状態というシナリオを作って起訴に持ち込んだようだが、どう考えても無理がある。

それでも、高裁・最高裁は世論など無視し、強引にウエクサ氏を有罪にして現在収監されているとの報道。ひょっとしてこの御仁には潜在的な痴漢的な趣味というか、その種の好みがあるのかもしれないが、疑わしきは罰せずという原則にたてば、拙速な判決はともかく執行猶予すらつかない判決には首をひねる。

両方の事件については私もこの小覧で取り上げた。実際に関係者の誰とも面識がなく、捜査にも立ち会っていないので真実はわからない。が、ウエクサ氏は当時大学教授としてコイズミ政権の腐敗を批判していたこともなどから、当時の権力か何やらかかわっているだろう推測に値すると確信している。

前書きが長くなったが、今回の政党ビラを配布し、住居侵入罪に問われたお寺の住職に最高裁が上告棄却、有罪が確定という判決もかなり荒っぽい。言論統制の方向を容認する権力に迎合するものと言わざるを得ない気がしてならない。

住職が配っていたのは、『共産党』の都議会報告や区議団だよりなどだったとのこと。この報道が流れた当時、自民党の、しかも右寄り政権だったこともあってが、何か不吉な気配を感じたものだったが、一審は『ビラ配布のため短時間立ち入る行為を処罰する社会通念は確立されていない』とのことにホッとしたことを思い出す。

ところが、検察側が控訴した二審では罰金五万円の有罪へと逆転、最近になって最高裁も『思想を発表する手段であっても、他人の権利を不要に害することは許されない』と、住職の上告を棄却したというニュ-スに、私の頭脳センサ-は『何か変だ』という反応を繰り返している。

最近、横浜郊外の片田舎でもマンションは増えつづけている。そのほとんどは、入り口には人を圧するような華麗な?ドアがあり、その横には『無断立ち入り禁止』という無粋な看板が立てられている。

他人との関わりを極端に嫌う最近の社会風潮では、マンションでは隣の住人さえ知らないのが当たり前。防犯などへの意識が高まる中で、部外者が無制限にマンション内に立ち入ることは許したくない気持ちは当然かもしれない。

が、誰が110番通報したかはわからないが、駆けつけてきた警察官に即逮捕され、23日間も身柄を拘束されていたということは異常ではないだろうか。しかも、僧侶によれば、ビラ配布は四十年以上も続けていたが、これまで苦情を言われたことはなかったというから、どうも一連の筋書きを誰かが描いているのではと思ってしまう。

私の家にも毎日のように様々なビラが投函される。最近流行りの宅配寿司やピサなどチラシはほとんど毎日といって良い。この種の業者がマンションの住民を対象にしないとなど考えられないから、例え『無断立ち入り禁止』の看板があったとしても、ポストにチラシを入れるのは容易に想像がつく。

しかし、この種のチラシに苦情は聞かない。政党の議会報告などの主義主張を狙い撃ちにしていることから、『言論統制のはじまり』と断言しても差し支えなさそうだ。

高知白バイ事件の時と同じ、さすがにマスゴミと批判されている大新聞でもこぞってこの問題を取り上げ、社説で批判しているようだが、はたして続報はあるのだろうか。

取りあえず批判しておこうという姿勢ではやはりマスゴミといわれても仕方ない。毅然と世論に訴える社説を期待したいのだが、社説など読んでいる人がほとんどいないとなると、この国の行く末は一部の権力者の考え次第になるのだろうか・・・と思うと虚しくなる。

饒舌な文章になってしまったことを反省しているが、言いたいことはまだまだ続く。長くなりそうなので今日はここまでにして、続きは別の機会にしたいと思う。(田舎親父)

2009年12月 3日 (木)

子どもたちの心の荒れは政治の荒れでは・・・

 先月中程に、沖縄でスーパー駐車場で『友だちがけがをした』との通報があり、消防が駆けつけたところ、同市の中学2年の男子生徒が意識不明の重体、病院に搬送されたが翌日に死亡したという報道があった。

第一報では、プレハブの屋上で遊んでいた中学生が飛び降りた際に足を滑らせ、背中などを強打したときことだった。足を滑らせる何かがあり、それが原因だとしたらプレハブの物置をおいていた管理責任が問われそうだと思ったのが第一印象。

ところが、実際は同級生からの暴行を受けて死亡と聞き、まさか・・・と我が耳を疑ったが、数日後の続報には通報する前に『暴行がばれないため』に制服まで着替えさせるといたという報道に、いよいよ子どもたちの心の荒れはここまできたのかと愕然とする。

この事件は沖縄の特殊性だと論じる識者もいる。沖縄でこの種の事件が多い事は間違いない。確かに、多くの基地を抱え『日米基地協定』という、いわば米軍の治外法権を容認している覚書によって、米兵の犯罪をも黙認せざるを得ない現実を見て、子どもたちが自分では説明できない気持ちになる事は容易に想像がつく。

そして、子どもたちの心の底に潜む不満というか心の叫びが、それが犯罪行為で知りながら、抑えきれない暴力事件に発展してしまうのは、この地域の成人式で毎年のように繰り返される警察沙汰になることからも明らかだろう。

しかし、だからといって子どもたちの暴力行為、特に同級生をも容赦なく殺害するという異常な行動を、米軍基地の存在だけで片づけてしまっては問題の解決には何も役立たないことも間違いないところ。

このことは、正面から論じると争点がぼける恐れがあるので、後日に回す事にしても、一昨日の朝日新聞朝刊の5段抜きの『小中高校正の暴力6万件』という見出しには愕然とさせられた。

記事は、文科省が前日に発表した、全国の小中高校を対象にした『2008年度問題行動調査』の結果をもとにしている。

児童生徒による暴力行為は、前年度から約13%、7000件増の6万件弱と過去最多を更新だそうだとか、器物損壊を除く暴力では4件に1件は被害者がけがをして医療機関で治療するという悲惨な数値が踊る。

その内訳として小学校約6500件、中学校が約4万3000件、高校も1万件を超えるというから凄まじい。形態別では、子ども同士が約3万3000件で最多。対教師も8000件をかなり上回るという、対人暴力のうち病院で治療を受けたケースを初めて調べた結果、1万件超と4件に1件となるというから、もうこれは学校で対応できるという数字ではない事は明らか。

記事の詳しいことは省略するが、文科省や教育委員会は『コミュニケ-ション能力の不足』や『感情がうまく制御できなくなっている』といった子どもの気質の変化が背景になっている見方だとのことらしいが、本当だとしたら気楽なもの。

子どもたちの心荒れの根本的な原因は、自分たちがやってきた教育現場を崩壊するような政策であることは誰が見ても明らかなのに、自ら反省するなどこの連中は全く持ち合わしていないようだ。

特に記事の最後に出てくる、国語作文教育研究所(これも文科省の補助金で動いている組織だろうと想像しているが)の所長の『気持ちを表現する言葉の幅が狭くなっている。表現できない出来事とぶつかった時、感情や行動が激化してしまうのではないか』というコメントには、決して間違ってはいないが文学者と称する立場からの評論家的意見としか表現のしようがない。

家庭と社会の教育力が壊滅した現在では、次代を育てる教育の場は学校しかないのが現実。その学校をがんじがらめにしていることを何故気づかないのだろう。

いや、文科省の役人たちはじめ気づいているに違いないが、自分たちの利権を守るために、知らん顔を目論見、数値を出しては責任転嫁。これでは、本当の意味での学力の向上や子どもたちの豊かな心など育てられるわけはない。

子ども荒れを是正するには、現在では唯一の教育機関になってしまった学校において、教師にゆとりを持たせる事以外ないと確信しているのだが・・・。(田舎親父)

2009年12月 2日 (水)

便利で安価なはずが実は高かった・・・

 もう6年も前になるだろうか、医療費控除や配偶者控除などのためには確定申告が必要だということで、電卓片手に慣れない計算と、私のような世間知らずの者にとっては、一度ぐらい読んだだけではとても理解できないような複雑な書類作りに頭を痛めたもの。

その年は歯医者にかなりの治療費を払ったので、必死になってやったおかげで、記憶では8千円ほどの戻りがあったが、こんな苦労したのにこの程度か・・・というのか正直な気持ち。その時、市の便りだったかに、『確定申告をインタ-ネットで行えます』という記事に目がとまった。

記事には『申請さえすれば電子手続きのためのIDを発行』とあるので、一度基本デ-タを入力しておけば、毎年のこと恐らく簡単に違いない、と早速申し込んだ。しばらくすると、認証カ-ドとパソコンのIDとCDが送られてきたので、説明書通り操作を行ったがうまくいかない。

ネットで解決策を探したのだがわからず、仕方なしに市の担当に電話したが、システムを稼働させて間もないこともあるのだろうが説明が不親切で難しく、私のような理解能力のない頭の悪い人間には、わからないことが多過ぎて結局諦めた経緯がある。

それ以来認証カ-ドは引き出しの奥に放り込んだまま。生命保険も子どもたちも一人立ち、葬式も出さないと決めてしまっているので、毎月払い込むこともないと解約したこともあって面倒なので確定申告もやらず。税務署の言うままに放置しているのが現状。

すっかり電子申請など頭からすっ飛んでいたが、先日、朝日新聞に『電子申請、19府県で休止・縮小財政難が背景に』という見出しを見つけ、私自身そのままにしていた事を思い出した。

記事によると、行政手続きを市民がインターネットで行う電子申請手続きについて、47都道府県の利用状況を調べたところ、財政難を背景に19府県が手続きの全面休止や縮小を実施、もしくは予定していたという。

延べ1万759ある手続きについて(1)電子申請の利用件数と利用率(2)運用経費(3)手続きやシステムの見直し状況などを担当者から聞き取り調査を行ったところ、申請1件あたりのコストが1万円超の県が22と半数近くを占めるとのことである。

一件の申請を処理する費用がもっとも高いのは沖縄で、1件あたりの運用コストが9万1463円。鹿児島では7万9783円)、山形では6万1216円と続くというから、ここ数日連発している』ホンマかいな・・・』というセリフのオンパレ-ド。

もっとも、愛知では一件当たり64円というから、役所に交通費をかけて出向き、手数料300円程度払うよりはるかに合理的に運用している県もあるらしい。しかし、愛知は例外で、次に安いのが滋賀の534円、東京の540円、新潟の745円、大阪の935円と、千円以下はたった5自治体だけとは、これまたびっくり情報。

当時は猫も杓子も『IT』流行り。インタ-ネットネットを使えば全ての事が合理的に進み、それが費用の削減につながると言う論理の政府の肝入りで、私が挑戦した確定申告はもとより、税の申告や入札などの申請を電子化する動きが活発になり、ハ-ド面は急速に充実したものの、ソフト面と言うか利便性やコストなどは後回し。これが今日の現実に跳ね返っているのは間違いないところ。

高知や岐阜ではすでに電子申請を全面休止していると言う。これによって、高知は3200万円、岐阜は4800万円を削減できたというから、これまでの運用経費を入れると膨大な無駄遣い。

横浜の現状の情報はない。一度IDを使ってアクセスして確かめてみようと思いはじめているが、確かめたら気持ちが萎えるのでは・・・と思うとその気力は今はない。

ところで今、『エコ』が大流行。『エコ』という言葉を頭に引っかけると、一時のITのように何でも是になる傾向があるが、電子申請ではないが、数年後にはかえって無駄遣いだったということにならないようにしたいもの・・・。(田舎親父)

2009年12月 1日 (火)

学力テストの規模縮小も悪くないが・・・

 行政刷新会議の事業仕分けという、公開の場で各省庁が出した予算請求の是非を討議するという、前代未聞の民主党型劇場政治パフォ-マンスが終了した。

この事業仕分けについては、いろいろな立場の人が、それぞれの意見を述べているが、例えほんの一部であっても、今まで全くベ-ルに包まれた部分が国民の目に見えるようになったのは政権交代の成果に違いない。

記憶は正しくないが、谷川という自民党の参議院議員会長だったかの御仁が『自民党の時にどうしてやらなかったのか・・・』と発言していたが、今となっては自民党の心ある議員たちは、この言葉を自分のこととして受け止めているのではないだろうか。

総裁選で敗れた河野太郎さんも、同じような感想を述べていたが、これらの議員たちが執行部に選ばれ、再建のために動きはじめたら、国民の目には『自民党もやるではないか・・・』という意識が働き、国民総体が民主党のドタバタを批判する動きになるのだろうが、今の自民党の体質としてはそれを望むのは無理なようだ。

もったいない話。自民党の中にはもはや河野さんを担ぎ上げて再建しようという動きはないようだ。

ハトヤマ首相のカネの流れは不透明どころか間違いなく脱税という犯罪行為だろうに『検察の調べに委ねる』という、今までの政治屋と同じ口調でノラリクラリ。内閣支持率が下がったら間違いなく逮捕されるはず。なのに、アソウ内閣の内閣官房機密費の持ち逃げ泥棒行為の方が国民にとっては許せないと、使途を明らかにする方が先だ、という声に守られているという見方は否めない。

前書きが長くなったが、その事業仕分けでの『学力テスト』の捉え方は面白かった。政権交代で文科省提出した案は『4割を取り出す抽出調査』。それを仕分け人たちは『不十分』と切り込み、文科省の官僚たちがオタオタしている場面には笑ってしまった。

もともとこの全国一斉の学力テストは、元文部科学大臣のナカヤマ某かという御仁が日教組をズタズタにするために俺がはじめた公言していた政策。当初から、文科省には抽出型で十分という意見があったことは確実で、政権交代と同時に一斉から抽出にすることは規定の筋書きだったようだ。

1割・2割と踏み込んだ予算を提出したら『では、今までは何だったの・・・』という批判を恐れて、児童生徒の半数程度調べることで全体の学力の傾向は把握できるという理屈をもとに4割実施という案を出していたようだが、当初から一部の官僚たちの間で囁かれていたらしい1~2割という案で落ち着くのではないだろうか。

それでも『4割は調べないと都道府県別の学力を把握できない』とか『自治体の首長や教育委員会側の要望もある』と一応抵抗する姿勢を見せていたが、『県別のランキングをぜひとも出したいということか』という意見にシュン。さらに県別ランキングを作ることと『子どもの学力水準の向上という目的と違う』という批判には全く反論できなかったのには我が意を得たりと拍手した人も多かったと確信している。

また、毎年違う問題を出して内容を公表している現在のシステムについては、『非公表にした上で毎年同じ問題でやらないと、年ごとの比較ができない』という指摘には、それが可能かどうかは問題があるが、その通りだろう。

この学力テストについての仕分けはある程度納得するが、まだ文科省には現場を見つめようとする気持ちはないことを見逃していることが気掛かり。

その一つに、強引に指導要領が改定され、小学校では教員の99%と表現しても誇張でない反対意見を無視して、来年度から『英語』の授業が始まる。

教育には全く素人のALT達が遊び半分で子どもたちと英語を楽しむ『チイチイパッパ』もどきの授業が全国の学校で行われていることには何度も批判してきたが、まあそれはお遊びとして、『総合的な学習』の内容を明確に示せなかったので仕方ないところ。

しかし、正規の授業の中で、ALTの援助を助けはあるだろうが、大学時代にはただ卒業のための単位としてしか英語を学んでこなかった日本人の教師が、ただ『担任』だというだけで教えなければならない授業が行き詰まるのは火を見るより明らか。それでなくても高学年担任を希望する教員が少ないのに、強引に担任にさせられるとなると、ますます精神疾患の教師が増える事は間違いない。

仕分けは教育行政に及んだがこのことについてはスル-。指導要領改定を延期できないのなら、せめて小学校の担任たちが恐れおののく『英語の授業』を英語専科に回すだけの予算は計上するべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

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