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2010年1月

2010年1月31日 (日)

ハトヤマさん大丈夫・・・

 24日に行われた名護の市長選挙で、基地受入れ反対派の候補者が接戦を制して当選した。今まではずっと容認派の市長が当選してきたようだが、今回は民主党に政権が移ったことによって、市民がひょっとしたらという期待がふくらみ、今までの諦めの呪縛から解き放された結果だと受け止めている。

これによって、少なくとも辺野古への移転はなくなったと思っていたが、直後にヒラノ官房長官が『選挙の結果に斟酌する必要はない』とのたまったのには驚いた。賛成反対が拮抗しているとはいえ、民主主義の大義名分は『多数決』。例え一票差であっても得票が多い候補が市長になるのだから、今回の市長選挙では基地受入れ『NO』というのが民意だと考えるのが当然だろう。

民意を真摯に受け止めることが『民主主義』の基本中の基本であるのにかかわらず、その結果に斟酌しないということは、平たく言いなおすと『市民の同意などは必要ない。移転先は俺たちが決めるから文句をいうな・・・』ということ。これには圧倒的多数の国民は開いた口が塞がらないといったところではないだろうか。

官房長官の地元軽視と取られる発言は、アメリカと約束した五月末までの決着に向け、ハトヤマ首相の選択肢を狭めたくないためだという見方をしている政治評論家も多いというが、アメリカとの同意は命懸けで斟酌するが、地元との同意は斟酌しないとは、国民の命を守ると宣言している党の公約はどこへすっ飛んだのだろう。なんだか自民党かえりになったような気がしてならない。

私は(あくまで希望的観測の域をでていないが)ハトヤマさんはアメリカとガァム移転で話がついていたものと思っていたが、最近の言動をみていると、どうもそのような雰囲気が感じられないが気になり、ひょっとしてハトヤマというオボッチャマはただ問題を先送りにしているだけではないのだろうか、という疑問もだき始めている。

もしその危惧が当り、4月末期限ぎりぎりになっても移転地が決まらず、結局は『辺野古』と言いだしたら、これは誰の目にも裏切り行為。沖縄県民だけではなく、国民全てが不信感を持つのは当然で、即刻、民主党政権に『NO』をつきつけるのは当然だと思うのだが・・・。

官房長官もこのことは十分理解しているはずなのに、バカなことを言ったもので、しかも批判に配して謝罪も撤回もしていないと言うのが不可解極まりない。

さらに、候補地を決定するのに必ずしも地元との合意は必要がない、法的手続きによる決着ということもあり得るとの言い方は、ますます『地元無視』という雰囲気が濃くなってきた。

それにしても、内閣の要の官房長官がこれでは、ハトヤマ内閣も長くないのではないだろうかという気配が濃厚になってきた気がする。

基地問題でハトヤマ首相の『私が決めます』というセリフも聞き飽きた。本当に私が決められるのだろうかとなると?がついてしまう。同じレベルで比較しては失礼だとは思うが、このセリフはアッソウ前総理が得意だったことを思い出す。

この御仁の場合は、解散の時期に関して、何度もそのチャンスが合ったのにかかわらずその都度『解散は私の専権事項なので、しかるべき時に私が決めます』というセリフを口にしながら、ダラダラと引き延ばし、結局は自民党の惨敗につながったことは今更指摘するまでもないだろう。

二人とも何の苦労も育った、いわゆる『育ちの良さ?』に関しては似たりよったり。ひょっとしてこんな環境に育った人たちには同じようなDNAが流れているのでは・・・とは思いたくないが、『私が決めます』というセリフの連発は(繰り返すが)、単に問題を先送りしているのではないか疑念を感じる。

ところで、一昨日の施政方針演説の、やたらの『いのち』の連発も気になるが、ガンジ-の言葉を引用した『労働なき富』の一文には、小学校の学校通信の校長のあいさつ文ではと、思わず苦笑。私の苦笑ですめば良いが・・・このことはいずれ。(田舎親父)

2010年1月30日 (土)

何のためにこの世に生を受けるのだろう・・・

先日、都内で小学1年生の男児が両親の暴行で死亡という事件が大きく報道された。

この種の事件の典型は、母親が離婚して他の男と結婚または同棲した場合、夫あるいは相手の男が子どもを邪険に扱い暴行し始める。それを母親が止めないだけでなく、いっしょになって殴る蹴るという行為にエスカレ-トしていくパタ-ン。

今回の事件の場合、夫は32才、妻は22才という。当初の事件報道は『連れ子』を匂わすような言葉は一切なく、あくまで『両親』という表現をしているから、まともに聞くと母親は15才で出産していることになる。15才の出産も世間に例がないわけではないが、私の常識的な感覚では簡単に受け入れられない。

最近の家庭事情を考慮すれば、両親が自分の子どもを虐待する場合も考えられないことはないが、(私の経験上)可能性としてかなり少なく、ほとんどの場合はどちらかの『連れ子』であることから、今回は父親が前妻との間の子どもを連れて再婚したのだろうと思い込んでしまった。

ところが数日後、母親の連れ子だったという記事が掲載されていたことにびっくりと同時に、やはり子どもを虐待するパタ-ンだったことに変な意味で納得・・・。それにしても、15才で母親という話はあるのだ、と改めて現代社会の複雑さを感じる。

人権侵害だとか差別だとか批判されることを恐れずに表現すると、現代の15才では世の中のことなどほとんど理解できない年齢といっても差し支えない。興味半分か親への反抗からはわからないが、何らかの理由で身ごもり、堕胎することもできずに産み落としたというところではないだろうか。

そこには子どもに対する愛情よりも、何故自分がこんなに苦労しなければならないのかという、社会に対する不満が先だつ荒れた生活だったことも想像できる。そこに現れたのが現在の夫。身も心も捧げるような気持ちになるのもわからないでもない。

男が子どもを可愛がってくれたら幸せな家庭が生まれたのだろうかが、どうしても子どもが男に馴染まなかったとしたら・・・これは悲劇。継続的な虐待が始まり日常的に殴る蹴るという行動にエスカレ-トしていくのは小説の世界だけではない。

私の想像はここまでにするが、どうして周りが気づかなかったのだろうかという疑問と消えない。いや、記事を読む限り、気づいていた人たちも大勢いたようなのに、防げなかったことに対しての不信が大きい。

昨年9月にこの児童を検診した歯科医が『顔や両足などにあざがある』ことを発見し、どうしたのと聞いたところ『パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わなかった』と話した、家庭支援センタ-に通報したという。歯科医はここまで細かく観察し、しかるべき行動を起こしている。

センタ-の担当者はこのことを児童が通う学校に通報したとところ、校長と担任が家庭訪問したとある。ここまでは良とするが、父親は『うそをついたので、しつけとして殴った』と認め、『二度と殴らない』と約束したため、日常的な虐待ではないと判断したというとなると、何のために校長が出向いたの・・・と首を傾げなくてはならなくなる。

もしも本当だとしたら、またまた学校のおざなりな対応と批判されてれ仕方ない。常識的にみて、歯医者が顔や手足に傷があることを『担任』や『養護教諭』が気づかないわけはない。

毎日子どもの顔を見て変化を敏感に感じ取ることが教師にとってもっとも重要な資質。担任も含めて体の異常に気がつかなかったということか本当だとしたら、教員として失格だと断言しても差し支えあるまい。

さらに、この児童は9月の校長達と両親との話し合いの後も、同10月は11日、12月は6日、今年1月も8日欠席していたとのこと。担任がおかしいと思わなかったのだろうか。校長は『その時々できちんとやってきたつもりだが、できることがもっとあったかもしれない』と釈明しているらしいが、この校長の『きちんとやってきた』ということは一体何を指しているのだろう・・・。

幼い子どもが存在するのに、最近の親たちは簡単に離婚する傾向がある。それぞれに事情があることだろうから、その詮索はしたくないが、若い母親が子どもを連れて再婚というケ-スは今後も増えつづけることは間違いないだろう。

書き出しでも指摘したが、若い母親が自分の子どもより新しい夫に夢中になれば、今後ますます離婚、そして再婚が増加するのだろうから、同じような事件は(悲しいことだが)増えることはあっても減ることはないだろう。そんなことを思うと気が滅入る。

この子は何のためにこの世に生を受けたのだろう。永遠に解決しない命題だと思うが、改めて考えさせられる。(田舎親父)

2010年1月29日 (金)

今年も花粉症の季節がやってきた・・・

早くも今年も1月が間もなく終わろうとしている。つい最近『明けまして・・・』とあいさつをしたような気がする(もっとも仙人的生活をしている私は、最近はほとんどこのあいさつをする機会はない)のに、あと一週間もすれば『節分』『立春』となるのだから、まさに一月が『行く』と例えられるのは無理がない。

この季節になると、森で目立つのはスギやヒノキなどの枝先のふくらみである。特にスギは樹木全体が一回り大きくなったような印象さえ受けるほど、枝先についた花粉嚢から間もなくあたり一面がボンヤリするほど大量の花粉をまき散らすことになるのだから、花粉症に悩まされている人には憂鬱な時期になる。

今年は量的に平年よりかなり下回るということが救いだが、スギの花粉が飛沫するのが1週間ほど早まるという予想らしいから、間もなくインフルエンザ流行時とは違う意味でマスク姿の人が増えるのだろう。

最近は開発という名で緑がなくなり、さらに老人ホ-ムの建設がブ-ムのようになってしまったので、スギがかなりなくなってしまったとはいえ、それでもこの季節には風が吹くと辺り一面が黄色になる環境では仕方ないのかもしれないが、以前私も花粉症に悩んだ一人である。

当時は『コルゲンコ-ワ』という花粉症対策の市販薬(私にはこれ以外の薬が何故か効かないのは不思議だが)を毎日朝夕飲まねばならなかったのが今はその必要はない。

それは退職してから夢中になっている蚕の飼育と桑の葉の研究から、繭を原料にした『シルクロ-ション』を全身にぬり、『桑の葉のパウダ-』を毎日食するようになったおかげだと信じている。

このことはごく身近な人たちには伝えて、ロ-ションやパウダ-などをお分けしているのだが、継続的に使わなければ効果がでないこともあり、定期的に受け渡しができる人が限られてくるので、せっかくの治療法を広めることができないのが残念なところ・・・。

そんなことを思っていると、先日『ネギの抽出物が、A型インフルエンザのウイルスの増殖を抑え、体内の免疫機能を向上させるのに有効である可能性がある』という記事が目についた。花粉症とインフルエンザ。全く脈はないが、勝手にこれは注目に値すると感じたので、今日の話題に選んでみる。

富山大大学院医学部の林教授という方がマウスを使った研究で分かったらしい。この先生は『昔から、ネギは風邪にいいと言われているが、予想どおりだった。病気に即対応できるわけではないが、ウイルスに対する体の備えを強化することができる』と自信をもって話しているとのことだから今後の研究に期待したい。

記事によると、林教授は『ウイルスと食べ物』の関係を研究してきた方で、今回食品会社から『名産のネギで健康にいいものはできないか』との相談がきっかけで、この分野の研究をはじめたという。

記事の内容は省略するが、ネギを与えたマウスにウイルスを投与して実験を繰り返した結果、ネギを与えたマウスの血液中などの抗体は、そうでないマウスに比べ、3倍近く多かったとのことである。

専門的な知識はないのでこの結果の是非はなんともいえないが、教授の『人間の体には元々、細胞やウイルスをやっつける免疫がある』という意見には説得力を感じる。

そして、『ネギは免疫が機能する初期の段階に働きかけ、予防的に体の免疫力を高める効果があるのではないか』との意見は、ネギに限らず、昔からの体に良いと言われる植物の『言い伝えの正しさ』を証明しているのではないかという気がする。桑の葉が注目されないのが残念だが・・・

食品会社は『ネギの持つイメージと裏付けるデータは一致したので、ゆくゆくは、ネギエキスを使った商品を開発したい』と、商売に結びつけるつもりらしいから、今年の後半期、インフルエンザ流行期には『ネギのパワ-ワクチン』なんてネ-ミングの薬が発売されているかもしれない。

話を戻すが、花粉症に対して私の経験も生かしたいと思うのだが、林教授のような専門家が応援してくれないと無理だろうと、改めて一人の力では何もできないことを思い知るが、いつかわかってもらえるだろう・・・という希望は持ちつづけたい。(田舎親父)

2010年1月28日 (木)

日本版サムプライム問題が心配・・・

 一昨日、日銀は景気の現状について『持ち直している』との判断の維持すると発表したが、世の中は暗いム-ドが漂い、景気が上向いているとはとても思えないようなニュ-スばかり・・・。

経済の専門家の意見に楯突くつもりはないが、春闘では経営側は定期昇給の凍結にも踏み出す構えとの報道に、どうして景気が上向いているという判断になるのか、ズブの素人の私には到底理解できない。

労働側もこの動きに反発しながらも為す術もないようで、ストライキなどは全くの死語になってしまった今は、ベ-スアップなどは昔の遠い夢。現実は人員整理の対象にならないようにするのが精一杯だというから、労働者のストレスはたまるばかり。

先日も記したが、JALでは関連企業を含めて15000人もがここ数カ月で職を失うという。この傾向はJALばかりではなく、一流と言われる一部上場している企業にも規模は小さいながらリストラが迫っているのだから、次は俺の番では・・・と何となく落ち着かない雰囲気が流れるのもやむ得ないところだろう。

私が心配しても仕方ないことだろうが、職を失った人たちの未来設計は根本的に狂ってくることは明らかなのに、政府も含めて誰も助け船も出さないことに苛立ちを感じる。

特に、マイホ-ムのロ-ンを抱えている人たちは職を失ったら、たちまちロ-ンの返済ができないことになり、最悪の場合は今の住宅を明け渡さなければならなくなることは誰の目にも明らか。

事実、そんな話題がこのところ毎日のように報じられている。不動産業者は無理は承知の上(先行きことなどお構いなし)で、現在の賃貸住宅の家賃程度の返済額を提示して35年というとんでもない長期のロ-ンを組めるように手配すると、言葉巧みに勧誘して契約させるという。

家賃程度なら払えるだろうと思うのだろうが、前提は35年間毎月給料が入ってくることだか、それが崩れるのだからどうしようもない。またロ-ンにもいろいろ種類があって当初は定額で良かったのだが、ある程度の年数が過ぎると金利が上がる契約もあるというから、定期昇給を見込んでいたとしたらこれは悲劇。

契約に当たっては、住宅業者は仲介するだけで実際には銀行との契約になる。昔から銀行というところは、絶対に損をしないような仕組みになっていることはよく知られているが、最近は対象者が多すぎてその処理が大変だという話が聞こえてくる。

それでも、どうしても返済できないとなると競売にかけることになることは銀行の体質として致し方ない。東京地方裁判所が取り扱った競売の件数は2009年4-9月期2795件となり、2007年10-3月期の2倍以上に増えているとのことだから深刻。

とりあえずは返済猶予と認定してもらっても、支払いは先に延びるだけで、それが滞ると競売にかけられることになる『住宅ローン破綻予備軍』は数千件に上る見込みだという。そして今年はこの数は飛躍的に破綻が増えて、都内だけで年間で1万件もの競売が行われるだろう予測されているらしい。

今後ボーナス支給を廃止する企業が多くなるだろうから、特にボーナス払いを併用している人はとても払い続けることなどできなる。銀行もボ-ナス併用を毎月均等払いに変更を認めているというが、給与が下がるのだから、これも一時凌ぎの救済策に過ぎず結局は破綻は目に見えている。

住宅ローン破綻が急増し、競売が急増すれば住宅価格は一層の下落となるはず。これはまさに日本版サムプライム問題。不景気の連鎖反応が拡大し、大変な事態になるだろうことは私でも理解できる。

この経済危機にどう立ち向かうのか、大変な時期に政権を引き受けたハトヤマ内閣の正念場になるだろうが、その原因を作った自民党が国民の嘆きなどそっちのけで、オザワカネ問題だけを(自分たちのやってきたことを棚に上げて)騒いでいるのだから、困ったものだとしか言いようがない。(田舎親父)

2010年1月27日 (水)

この謝罪を生かす知恵を・・・

 先日のネットに『成人式で暴れた成人たちが市長に謝罪』という見出しがあった。数年前までは、成人式で新成人たちが馬鹿騒ぎをするのは沖縄の定番行事、それが今回はなかったので、やっと収まったのかと思っていたのだが(今年もいくつかの都市で小さな騒ぎは報じられていたが)、東北でのある市の事件だということで関連記事を探してみた。

その記事によると、その市で11日に開かれた『新成人のつどい』で、市長の祝辞の直後、10人ほどの新成人の集団が大声を出しながらステージに上り、マイクを奪うなどして騒いだとのことである。

市職員たちが直ちに制止したが、当然のことながら会場は一時騒然としたらしい。警察は騒ぎの首謀者だと見られる5人を連行したが、主催した市教育委員会が被害届を出さなかったため、署員から注意を受けただけで釈放されたという。

檀上には成人式のお祝いの合唱をするために、市内の4年生の児童約100人が整列していたとのことだが、この児童たちはこの騒ぎをどんな目で見ていたのだろう。

バカだなぁ・・・と思う子どもなら問題はないが、最近の『エセ道徳教育』に飽き足らなくなっている児童には、ひょっとして『カッコイイ』という気持ちを持たなかっただろうか。そんな子は『俺も成人式では騒いでやろう・・・』という思いにならないとは断言できない。

また、恐怖心を抱いた児童も多いことだろう。この恐怖心が『自分はこんなことをしない』という自制心となって心に残るのなら、この事件は『生きた道徳教育』といえるが、この先、友だち関係に悩み『引きこもり』や『うつ症状』などになることも考えられないことはない。その時この事件が頭の隅に残っていたらどうなるだろう、と考えるとゾッとする。

秋葉原に代表される一連の通り魔事件の犯人たち(限りなく20才に近いのが気になるが)の『恐怖におののく姿が見てみた』という心理になることもあり得るだろう。その結果、このような事件を誘発しないとも限らない。

事件を知った市民からは教育委員会に対して『被害届を出すべきだ』とか『式を妨害した新成人たちに処罰を求めるべきだ』といった厳しい声が多く寄せられた結果、臨時の教育委員会を開いて、被害届を出したとのことである。

よく耳にするパタ-ンである。何事も穏便にすませたいという体質がある教育関係者が事件後に必ず口にする『教育的配慮』という実に曖昧模糊とした言葉で、何もしないで放置するつもりだったのだろうが、市民が『否』をつきつけたというところ。

仕方なく提出された『被害届』であっても、警察としては(私の想像だが)『当然』だろう。騒いだ連中をもう一度呼び出す準備をすすめていたにちがいない。

その情報がどこからかいち早く騒いだ連中に伝わり、記事にように『謝罪』となって現れたようだ。この日は全員がスーツ姿で、代表者の2人の男が『大変ご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。これからは成人として責任ある行動を取ります』などと謝罪し、式で合唱を披露した小学生へのおわびの手紙も市長に手渡したというほど準備は完璧。誰かがこの謝罪の筋書きを作ったことは疑いのないところ。

(多分)『謝罪』があったということで、教育委員会としてはメンツは保たれたことになる。何とか『穏便に』が根底にあるのだから、いつの間にか被害届は撤回されて『二度とするなよ』という言葉で幕引きとなるだろうことは想像に難くない。

この連中にとっては人生の唯一機会だったはずだから『二度』とできるはずはない。しかし、来年成人式を迎える青年たちには事件は確実に伝えられるだろう。式に参列した小学校年生の児童にとって、10年後自分たちが成人を迎えた時に、この悪い思い出はよみがえるにちがいない。

こんなことを思っていると、一昨日だったか別の市で成人式を妨害したという理由で二人の新成人を逮捕したという実名入りの報道があった。騒ぎの質も違うだろう。この市では毎年同じような事件が繰り返されていたのかもしれないが、成人式での事件で逮捕はともかく、実名での報道はなかったような気がする。

逮捕・実名報道が妥当だったかどうかは別にして、恐らく主催者としてはある程度の騒ぎになることはわかっていたはず。それを、職員の動員や警察の手助けで『押さえ込む』という方針で開催されたとしたら、来年も繰り返される可能性は十分あり得る。

今回の結果(恐らく無罪放免になるだろう)『騒いでも謝ればそれで終わり』となると、目立ちたい不満を抱えている成人式予備軍の連中は、仲間を集めて『一丁やろうか・・・』となる可能性は否定できない。

主催者は『成人式』の在り方も含めて、この事件を『本当の教材』として、来年につながる方針を打ち出すことを願ってやまない。大人の知恵の出しどころ・・・。(田舎親父)

2010年1月26日 (火)

校庭の芝生は温暖化防止にならない・・・

 先日ネットで『市部の公園などに芝を植えるとかえって地球温暖化を加速する恐れのあることが、アメリカの大学の研究で明らかになった』というニュ-スを見つけた。

施肥や手入れのため、芝が吸収する約4倍の温室効果ガスを排出してしまうというものだが、芝生の管理には相当な薬剤を散布しなければならないことと、日常的に手入れを怠れないことなどを考えると、この研究結果は正しいようで評価に値する。

記事によると、大学の研究チームは同校近郊にある4カ所の公園の芝や土壌を分析し、二酸化炭素(CO2)の吸収量と、草刈り機の燃料によるCO2、肥料使用に伴う一酸化二窒素(N2O)などの排出量を比較した結果、観賞用の芝では、吸収分の約1~3割に相当するN2Oを排出していることが分かったという。

しかも、手入れのための燃料使用による排出分も含めると、吸収分の約4倍の温室効果ガスを排出していたとの結果も注目したい。その上、運動場用芝は、頻繁に植え直すことから、土壌に蓄えられるCO2が少なく、観賞用の芝より吸収効果が小さかったという。

両方のガスは京都議定書でも排出制限の対象だが、N2Oは、CO2の約310倍も温室効果が強いことが知られているので、この研究結果は今後いろいろな面で影響を与えそうだ。

このニュ-スを見て、以前から唱えている私論を改めて・・・。

都市部の学校では校庭の天然芝生化がブ-ムになっているらしく、完成した学校で児童生徒か嬉々として遊んでいる姿が度々テレビで紹介されている。

多くの人は、この映像をみると『何と素晴らしいことなのだろう・・・』と感激するらしいが、現場を知っている私には『この先、学校の苦労はいかばかりなのだろう』という気の毒さが先にたつ。

人口芝生なら、一度敷きつめると数年間は、ハイヒ-ルなどの制限はあるらしいが、さほどの手入れはしないでも良いと聞いている。しかし天然芝となると、養生期が必要となり、その時期になると子どもたちがその上で遊ぶことを制限しなければならないことはあまり知らされていない。

扱いが雑になると、当然のことながら回復が遅れるとともに、年々勢いが劣ってくるのは植物(生き物)だから当たり前。芝生完成でテレビカメラの前で大喜びしているのは、その時在席している子どもたちと校長と一部の教員。

その校長や教員は(芝生の勢いが衰えるだろう)数年後には転勤となり不在になることも、これまたマスコミは取り上げない。次、あるいはその次に任させられた校長は『誰がこんな芝生なんか張ったのだ・・・』と嘆くという話は現場ではよく聞く。

『校庭緑化』が地球温暖化防止に役立つと、教育界全体の人間は何の疑問をはさむことなく擦り込まれているのだから、校庭の芝生かには反対しようがないのも事実。そして、芝生化したものの使い勝手が悪く、場合によってはその維持管理という教育とは全く異質な仕事が教職員に課せられることを誰も批判できない。これまた事実。

『校庭の緑化』には反対しない。できる限り樹木を植えて(樹木の選定は大事だが)学校全体、町全体が緑に覆われる環境作りには取り組むことは大切である。屋上に自動散水装置をつけて緑化することも悪くない。

しかし、校庭に『芝生を植えなければならない』という考え方だけはしたくない。むしろ校庭の緑化を進めるなら、校庭の雑草を抜かなければよいのでは・・・という発想をすすめたい。このことは以前にも何度か述べている。

『雑草という名の草はない』という明言があるが、子どもが走り回る環境でも生き延びてくれる草も少なくない。特にイネ科の植物の中には、地中深く根を降ろして、少々のことでは取り除けないものがあることは誰もが経験して知っていることではないだろうか。

このような『雑草たち』を取り除かないようにすれば、数年後には見た目は不揃いながら緑が点々とする校庭に生まれ変わるだろう。そこには除草剤はいらないばかりか、手入れをする必要はない。

ところが、わざわざそんな雑草を抜かねば体育の授業ができないとか、運動会に支障があるという理由で校庭をコンクリ-トで固めてきたのは誰だっただろう。校庭整備という名のもと、さまざまな理由がまかり通ってきた。

世の為政者たちにお願いしたい。芝生化が温暖化防止に役立たないという今回の研究結果は真摯に捉えて、芝生化にかかる莫大な予算を、教員の人件費や必要な設備施設の充実に当ててほしいものである。

ここにもさまざまな利権があって、すんなりとはいかないのが現実らしいが・・・。(田舎親父)

2010年1月25日 (月)

今度は住宅エコポイントだって・・・

 何度も指摘してきたことだが、エコという言葉をつけさえすれば全て自分たちの生活そのものが環境に優しくなるという幻想を与えている世の中のム-ドには呆れるが、またまた同じような発想の『住宅エコポイント』について一言・・・。

家電製品にエコポイントという奇妙な販売促進のエサをつけた政策を打ち出したのは去年の春だったと記憶している。

従来の旧型省エネ27型程度のテレビと同じ大きさの新省エネ27型液晶テレビとを比べたら、確かに消費電力が少ないことはパンフレットを比較するまでもない。その意味で省エネという大義名分のもと、従来のテレビを消費電力の少ない液晶テレビにすることについて依存はない。

しかし、この機会に大きな異画面を・・・という量販店のキャンペ-ンに乗って、27型をわざわざ40型にする人が多いという。これでは消費電力は大きくなり『エコ』とは名ばかり、実際にはかえって環境増やしていることになるのでは・・・という主張は何度が述べている。

投書欄にも同じような意見がいくつか掲載されているところをみると、この政策に疑問をもっている人も多いことがうかがえる。確かに、ポイントがつくと得をしたような感じになって買い換える機運が高まることは確かだが、まだ十分使えるテレビは一体どうなるのだろう。それ以前に、6畳や8畳の部屋に40型のテレビは日本の住宅事情から無理があるのでは・・・と思えてならない。

廃品回収業者はテレビなどを発展途上国に輸出して莫大な利益を得ていると、何かの番組で紹介していたような気がするが、もしも、そんな流通で採算が合うのなら家電メ-カ-がその分野を見逃すはずがないだろうから、これも俄には信じられない。

確かに、物が売れれば世間にカネは回って、名目上の景気は良くなるように見えることは経済に疎い私でも理解できる。民主党の政権でもこの名目上でも景気浮揚は必要と認めて、自民党の目玉政策を延長しているのだろうが、今回はさらに輪をかけて『住宅エコポイント』という政策を打ち出したようだ。

今国会で議論されるはずの、景気のテコ入れを図る09年度第2次補正予算の目玉政策だという。この『住宅版エコポイント制度』には1000億円の予算が計上されており、が早ければ今月下旬から実施されるという。

国会はこれらの経済対策などそっちのけで、政治とカネ問題が大騒ぎ、本来そんな奇麗事をいう資格がない自民党は『政治とカネ』問題を取り上げての攻勢に、民主党は防戦一方のようだから、いつに『住宅エコポイント』が議論されるかも疑わしいが、一応成立する物として中身を読んでみた。

1ポイント=1円相当のエコポイントは、省エネ基準をクリアした新築、窓の断熱改修(二重サッシ化、複層ガラス化)、外壁、天井、床の断熱材の施工、手すりの設置・段差解消などのバリアフリー改修などでもらえるとある。

ポイント数は新築が30万ポイント(30万円相当)、リフォームも最大30万ポイント、バリアフリー改修が最大5万ポイントとのことだが、新築するとなると1500万円は軽く必要なことから、わずか30万円を目当てに大急ぎで家を建てる人が大勢いるとは考えられないのでは・・・。

国交省の担当者の説明では(引用)『2月初旬にも設置される住宅版エコポイント制度事務局がポイント発行申請などを受け付けることになる。事務局は各都道府県に受付窓口を設ける。新築の所有者、リフォームやバリアフリーの依頼者が、工事施工業者から受け取った“エコ証明書”を窓口に持参あるいは郵送で申請する。』とのことである。

また、ポイントは台所や浴室などの改修といったエコ対象以外の費用にも使えるとのことだが、またまた事務局を設けるなど事務作業が煩雑になることは確実のようだ。うがった見方をすると、人員配置(天下り)のための組織作りと思えないでもない。

民主党の経済並びに景気回復担当の議員チ-ムは『住宅エコポイント』などという『エコ』を頭につけさえすれば国民が飛びつくだろうという思いがあるのだろうが、あまりにも発想が貧し過ぎる。

むしろ大地震の心配が高まっていることから、耐震診断を全て無料にして、強度不足の場合には全額(せめて半額)補助で改築というほど思い切った政策を打ち出してほしい。

そうすれば、景気回復はもとより、今、倒産・廃業に追いやられている個人の工務店の多くは息を吹き返し、それによって関連する昔ながらの技術をもった建具屋などの零細業者が生き生きとするはずだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年1月23日 (土)

餅つき行事禁止にならないことを願う・・・

 20日だったか更新しようとしたら、メンテ中というメッセ-ジが出て受け付けてくれなかったので、そのままにしてしまったので2日ほど文章はできていたのにアップしていなかったことを、今気づいた。

 その分は、いずれ掲載するとして、今日の話題に入りたい。

 都内の私立の幼稚園で『ノロウイルスによる食中毒』というニュ-スが報じられたのは5日ほど前のこと。

食中毒事件は夏場が多いのにと思いながら聞いていると、都の保健衛生を担当する部局は、その原因として(可能性という表現ながら)、餅をこねる際などに手に付いたウイルスが拡散したのではとの見解。

都や園によると、餅つき大会には園児99人を含む338人が参加したという。ほとんど園児の両親や祖父母が参加したのだろうが物凄い人数である。

この人数が『餅つき』というイベントに参加するとなると、相当なスペ-スが必要になるはずだが、テレビのニュ-スで流された映像を見た限り(木造の建物の様子などから)そんな空間があるとは思えない。恐らく、狭い場所で重なりあいながら『餅つき大会』を行っていたのに違いなかろう。

『身動きがとれませんねぇ・・・』という不満は『かえって親近感が出ていいではありませんか・・・』という声にかき消され、大勢がワイワイギャ-ギャ-と賑やかに時を過ごしただろうと想像している。

参加者たちはつきたての餅を食べたり持ち帰ったりした結果、翌日から園児46人を含む計154人が下痢などを発症したとのこと。園長は『参加者への手洗いの呼びかけが不十分だった』と反省しているというが、これだけの参加者に衛生的処置を徹底すること自体が無理な話では・・・。

最近の傾向として、小学校や幼稚園でのイベントに親が参加することが大流行になっているらしい。運動会などは朝早くから敷物をもった親たちが門の前で長蛇の列、開門と同時に場所取りに殺到する姿が当たり前になっていると聞く。

親が参加することは悪いことではない。が、どうしても参加できない親もあるだろう。友だちの親がほとんど全員参加しているのに自分の親だけが来ていない、という子どもはどんな気持ちになるのだろう・・・という問題を学校や園はどのように解決しているのだろうと、素朴な疑問を抱く。

私立幼稚園だとなると、親が参加することが義務とすることも可能なので、私の心配など杞憂なのかも知れないが、参加する親の体調までも管理することはできないだろう。子どものためという義務感(最近の親は自分の楽しみ)で風邪気味もなんのその、中には下痢症状をおして参加する親もいるのは間違いなかろう。

『餅つき』は日本古来の伝統行事だか、最近の傾向はイベントのためのイベントというか、ただやれば良いという雰囲気と考え方が先行して、その文化的価値や古来からの人間の知恵を知ろうとしない傾向があるのは否めない。

本来、『餅つき』は神に捧げる神聖な行事だったはず。神官の指図のもと、もち米を洗い・蒸し・つくという、それぞれの持ち場と役割が決まっており、それぞれが身を清めるという行為が伴い、知らず知らず『殺菌』という自浄作用があったのだが、最近は神聖な行事などといいが出したら、それこそ非科学的と嘲られ、平等に扱うことがタテマエになっているので、役割を固定できなくなっている。

今まで餅つきで食中毒などということがなかったのは(あったかも知れないがごく稀で小規模だったはず)、役割が決まっていて、一般の人はただ食べるだけだったのが、誰もに素手でちぎったり・こねさせたりしたら、たった一人だけが有している病原菌がたちまちの伝染するのは当然の理。

今回のような食中毒は、現在のように人集めのイベント、あるいは単に恒例の行事として続けているとなると、今後も繰り返し発生するだろうこきは容易に想像できる。

都の教育委員会や保健部署が、今回の事故を受けて『餅つき』行事の自粛とか、必要以上に形だけの衛生管理の徹底を命じるのではという危惧を持つ。

食べ物を介在する日本古来の行事は、学校や園で取り入れられているが、取り入れるに際しては、その行事の意味と役割を保護者に徹底し、役割分担などしっかりとして、くれぐれも食中毒などを引き起こさないようにしてほしいものである。(田舎親父)

2010年1月22日 (金)

これが人口抑圧政策につながらないと願いたいが・・・

 『中国4億、インド2億』と人口の多い国のことを習ったのは遠い昔で、小学校の社会科の授業だったと記憶している。

それが20年後には『中国8億、インド6億』となり、現在は『中国12億、インド10億』というのが通説になっているが、実際には、中国には20億ぐらいはいるだろうという識者も多い。

インドはとなると、中国よりは少ないだろうと予想しているが、インド政府が正式に人口を12億人と発表したとなると、ひょっとして15億ぐらいにはなっているのかも知れない。

インドも中国と同じで多くの民族が存在する。その上、我々にはとても理解できないカ-スト制度という仕組みがあって、実態は想像もできない社会。政府が末端まで掌握しているとは思えないので、12億は実数でなく『その程度はいるのでは・・・』という希望的観測の数値ではないだろうか。

それにしても12億というと人口には驚く。

貧しい人々の社会では(地球上では例外なく)差別することによって不満から目をそらせることによって組織を維持するように働いているのは世の常。インドでも地方にいけばいくほど人々の生活は貧しく、女性たちの地位は限りなく低いと思われる。当然のことながら男どもの欲望に抗しきれず、今も人口は増えつづけているに違いない。

富裕層の人口が増えることは結果的に国が豊かになるので経済的には心配はないだろうが、貧しい階層の人たちの数が増えるのは、その国にとって歓迎することではない。そのため中国では、人口を抑えるために『一人っ子政策』を長く続けている。

夫婦が産み育てる子供は一人だけという極端な政策で、圧倒的に男の子の数が多いのは女の子だと闇に葬るということは公然の秘密らしいが、そのため結婚できない男性が年々増加しているという。

この『社会の負の部分』が拡大していることはあまり報じられていないのは、情報操作が徹底しているのだろうが、このことはほんの少し考えるだけで、あり得ることである事だろうと理解できる。

話はインドに戻すが、12億もの人口を、例え国土は広いとはいえ将来的に養って行けるわけはない。当然インド政府も人口抑制の政策はとっているに違いないと推定しているが、中国のように具体的な内容は表には出ていないようだ。

先日、インド政府が、指紋を含む住民の個人情報を一元管理し、各人に識別番号を付与する計画を進めていると報じられた。いわゆる国民背番号制度のインド版というところだろう。

身分証明を容易にし、人々が行政や民間のサービスを迅速に受けられるようにするのが目的だというが、12億という人口をあげた上でのこの政策の発表は、何か特別の意図があるのではないだろうか。うがった見方かも知れないが、人口抑制の手段に使われるのではないかという感じがしてならない。

計画は身分証明ができないために社会保障を受けにくく、銀行口座も開けない貧困層を救済する目的で発案されたというが、来年2月までに番号の発行を始め、最初の5年間で6億人を登録するとの発表に、『?・・・』と何か不自然さが感じられからである。

6億人程度なら、その人たちはすでに身分的にはっきりしているのでは・・・という疑問である。もしかして、数年間で関係省庁が把握する数億人程度を6億人にプラスして、今回の調査で漏れるであろう、より貧困な人々はカウントしないという発想ではないだろうか。

まさかと思うが、『不思議な国インド』と言われているので、中国とは違う意味で、我々の常識では考えられない、しかも確実な人口抑制政策を実行するのでは・・・・。

私の妄想であってほしいと願っている。(田舎親父)

2010年1月19日 (火)

日航の株式が紙屑になれば・・・

 今日、日本航空は会社更生法を申請するとのこと。そして、政府の法的整理に伴う100%減資という方針で、株式は紙屑になってしまうらしい。
 先週の朝日新聞の投書欄で、ある高齢者の方の意見が掲載されていた。
 この欄はどんな方がどんな意見をもっているのか知るために(編集者の恣意はあるだろうが)、私は文章を作る上にある程度参考になるものなので、一応毎日見出しだけはチェックするようにしている。
 日航の再建問題にはかなり投書はあるようだが、株主の立場で意見を述べているのは珍しい。この方は、家庭の事情で福岡まで出かけなければならないことが多く、株主優待券を得るために株を購入したという。
 優待券は飛行搭乗券が無条件に半額になるので市場で人気らしく、先日、久しぶりで見た『沈まぬ太陽』という映画でもこの優待券を取り上げる場面があった。出世欲にかられた主人公の一人が部下にこの優待券を売りさばかして軍資金を集めるシ-ンである。
 投書された高齢者の方が、突然の福岡行きにも対応できるために株券、それもか株千数以上を購入されたことは想像に難くない。日航は国営企業ではないが国営と同じぐらい固いと信じられていたことも確かで、まさか倒産の事態になるとは思わず購入したことは当然で、この方の行為は金儲けだけのまネ-ゲ-ムでないことだけは確かだろう。
 日航の経営が思わしくないと一般の人が知ったのはさほど以前のことではない。しかし、政府は法的措置を取らないと明言していたので、この方が本当に危機感をもったのは昨年末のことだったらしい。
 危ないと言われて、売りに出したらしいが時すでに遅く、自分の思う価格では売れずに、大損してまでも・・・という意識が働くと同時に、政府(マエハラという国交大臣)が(私もはっきり記憶しているが)『日航を見捨てることは決してない』というセリフを信じて、売りを諦めたという。
 ところが事態が二転三転して、結局は100%減資ということになってしまった。理由は株主の責任をはっきりしないと国民が納得しないから・・・という。これまでの経営者の責任はとるのは当たり前だろうが、このような方まで被害を及ぼすのはいただけない。
 この方は、投書では100%減資ではなく90%にして、今後の経営努力が功を奏して立ち直れた暁には、現在の株券が生きるようにして欲しいと訴えられているがまさにその通り。これぐらいの血の通った方針がどうしてとれないのだろう。
 昨日の株式の最終価格は5円だというが、締め切りぎりぎりまで6円から8円までの間で激しく動いていたらしい。最終日の今日はどうなるのだろう。
 間もなく紙屑になるもの株券が何故マネ-ゲ-ムの対象になるのか、経済音痴の私には全く理解できないが、7円で買って8円で売れれば差し引き1円の儲け、数万株単位では数万円が懐に転げ込むとなると、目の前の画面を食いつくように一喜一憂しているカネ亡者の姿も見えるような気がしないでも。
 今日の3時でこのマネ-ゲ-ムは終わってしまい、最終的には紙屑になる株式でも、誰かが所有することになるはず。ゲ-ム感覚で売り買いした連中は、パチンコで負けたと思えばたいした痛手にはならないだろうが、投書した高齢者のような人たちが受けるショックは計り知れない。
 このような人たちは二度と株式には手を出さないとは思ので、それはそれで良いのだろうが、投書の主のような経緯で株券を求めた高齢者は多いのではないだろうか。この方や周りの人たちの政治や経済に対しての不信感が広まることは恐ろしい。

 このような人たちは二度と株式には手を出さないとは思ので、それはそれで良いのだろうが、投書の主のような経緯で株券を求めた高齢者は多いのではないだろうか。この方や周りの人たちの政治や経済に対しての不信感が広まることは恐ろしい。

 今更、政府の100%減資方針が取りやめるなんてないだろうが、奇跡でもあって現在手持ちの株券が何らかの形で生かされるようになることがあることを願いたいが、時間的にも無理だろう・・・な。(田舎親父)

2010年1月18日 (月)

本物と同じ偽札?・・・

 紙幣の番号を確かめなければ専門家でも本物と区別がつかない、とんでもないほど精巧に偽造された中国の100元紙幣が日本国内で見つかったというニュ-スに、中国のことだからあり得るかな・・・なんて軽く受け取るわけにはいかない気がする。

精巧な100元紙幣のことを『ス-パ-C100』というらしい。発見された6枚の紙幣の番号は全て『BX08540356』と同じだというが、これは薬品につけたらシ-ルがはがれた後ででる記号で、実際には手で触わってもわからないほど薄いシ-ルが張られて違う記号が印刷されているとのことだからびっくり。

ニセ紙幣が印刷できて通用するとなると一晩で大金持ちになるのだから、いつの世にも偽札偽造を計画し、実際に印刷・使用する事件が後を絶たないが、それぞれの国では偽造防止に全力を尽くしているので、個人的に継続的に犯行を繰り返すことは難しくだいたいは捕まっているようだ。

今回の偽札は『記番号部分』が張り替えられたため、鑑定では偽札と判定されたということであるが、この偽札は光を当てると図柄や文字が浮かび上がる真正の100元と同じ特殊インクを使用していることも分かったというから『本物と同じ偽札・・・?』と表現するしかないようだ。

紙幣の専門家は、背後には中国造幣局の紙幣印刷の関係者が存在することは間違いないと断言しているという。それも一人や二人ではできない仕事らしいから不気味である。

偽札といえば、すぐ『北朝鮮』というイメ-ジを植えつけられている。北朝鮮が発行しているという偽札のことを、その精密さから『ス-パ-ノ-ト』というらしい。

真偽は確かめようがないが、一党独裁どころか世襲制までの独裁国家であるので実態はベ-ルに覆われ理解不能なので、政府や労働党や軍幹部が、偽100ドル札の製造・流通への指示に関与しているとされているのも、何となくあり得るような気がする。

素人の見方だろうか、国の実態としては中国も似たようなものだから、『中国でも軍が関与している可能性がある。本物の紙幣を勝手に作製しようとしたものの記番号だけが通し番号にできなかったため、張り付けたのではないか』という軍事政治評論家の指摘もまさかと思いたいが、ぬぐい去れない。

中国の100元の偽札については、一つ強烈な思い出をもっている。確か3年前のことだと記憶しているが、雲南省に旅行していた時、イ族という少数民族の運転手が着ている実に美しい精巧な刺繍を施されたベストに仲間たちの意識が集まり、しきりに称賛したことがある。

運転手としてはそのあたりは予想していたらしく『待ってましたと・・・』とばかりに、『500元出せば買える』という話しに乗ってしまったことがある。詐欺にあったわけではなく、実際に物を手にして帰国したのだが、その支払いの場を今回の偽札のニュ-スから思い出す。

雲南省の首都『昆明』に戻りレストランで食事をしている時に、運転手の妻と息子によってベストが届き、我々は手持ちの100元紙幣を出して支払ったのだが、二人の態度がとにかく異様。ただひたすら『100元紙幣』の真贋を見分けるのに、透かしたり手触りで確かめたり、それも一枚一枚徹底してだからびっくりしてしまった。

本物と納得して、やっと安心したらしく、態度ががらっと変わって笑顔がでるようになったのだが、『100元紙幣は雲南省の少数民族にとっては、日頃から扱っていない高額紙幣だから仕方ない』と、旅仲間とは彼らの貧しい生活の様子が理解できたと頷くしかなかったもの・・・。

後になって、当時紙の質や精巧な印刷から本物と見分けがつかないといわれた100元の偽札が大量に出回っていた時期と重なることを知り、そんなことがあったのかと納得したことも、今思うと懐かしい。

この程度は笑い話で済んでしまうが、今回の『スーパーC100』は一般の偽札鑑別機では本物と認識されるため、99・9%の確率でATMを通過するという。現在6枚だけしか見つかっていないそうだが、同様の紙幣は東南アジアの国々でも見つかっているという情報もある。

我が国では100元紙幣など無縁の人がほとんどだろうから、庶民的には影響ないかも知れないが、背後に政治が絡んでいるとなるとこれは、とんでもないことになりそうな予感がする。(田舎親父)

2010年1月17日 (日)

『野菜工場』について別の角度から疑問を・・・

 通常国会を控えた時期に民主党のオザワ幹事長の元秘書が3人もそろって逮捕されるという、異例というか、行き過ぎとも思える検察の強権発揮に、何かきな臭い背景があるのではと思っているが、私のような一般市民は、情報がほとんどないので事態の推移を見守るしか方法がないのが歯がゆい限り。

またマスコミは面白おかしく報道するだろうが、できるだけ冷静に成り行きを見守りもり、判断を誤らないようにしたいと思っている。

こんなドロドロとした政界の争いはさておき、先日話題にした『野菜工場』について違う面から、エコとはほど遠い方法では?との疑問を投げかけてみることにする。

クロ-ズアップ現代で紹介した『野菜工場』はコンテナ型。太陽光の差し込まない閉鎖空間でLED(発光ダイオード)などの人工光と化学肥料を溶かした水だけを使って栽培するシステムである。

国谷さんの発言を安易に聞いてしまうと、あたかも、日本の食料自給率が40%と低いのは、農業の工業化が進んでいないためで、植物工場のように、年に10回以上も収穫できるような効率的な生産方式に変えれば自給率は飛躍的に向上するように思ってしまうがとてもそんな簡単なものでもあるまい。

番組製作の意図が、太陽光発電と水の循環システムなどを組み合わせて、中東の乾燥国々に日本のノウハウを売り込むためだったのかも知れないが、蛍光灯やLEDだけの光量で作れる野菜は限られており、たかだかレタスやミズナなどの葉もの野菜に限られていることを、意識的に出さないようにしていることにも違和感を覚える。

光量についてだけ問題にするとしても、真夏の太陽光は10万ルクス、真冬でも5万ルクスもあることは中学の理科の授業で習うこと。それに対してとんでもなく明るいオフィスやデパ-トなどでも、たかだか3000ルクスというのもよく知られていることである。

3000ルクスもあればレタスやミズナなどの光量が少なくても大丈夫な野菜は育つだろうが、夏野菜と言われるトマトやキュウリ、ナスなどは無理があと言われている。このことは、実際にキュウリを育てていると雨が続くととたんに成育が悪くなり、収穫量が劣ることは経験として知っているから間違いないだろう。

日本国内でトマトは季節を問わず流通しているのは、太陽光をふんだんに取り入れられる温室での栽培であって『野菜の工場』育ちのトマトが市場に出回っている姿はみられない。これは、いかに全く太陽光ない環境でトマトを育てることが難しいかを表していることに他ならない。

理論的にはできるという識者もいるらしいが、たかだか3000ルクスの光量の部屋でトマトを育てるとなると、よほど光源を近づけなければトマトが必要とする光量は得られるはずがないが、そんなに照明器具を近づけるとトマトが嫌がるのは明らかで、収穫はかえって落ちるのではと思っているが、違うだろうか。

人工的な光を得るためには、副次的とはいえ大量の熱が発生することも見逃せない。最近俄に注目されているLEDは蛍光灯に比べて発生する熱量は極端に少なく、場合にゼロだと宣伝している例もあるが、決してそんなことはあり得ない。

太陽光パネルの発電効率は最近やっと20%程度になったという。10年ほど前に導入を考えた時の10%超から比べると格段の進歩には違いないが、80%は熱として空気中に放出されることを見逃してはならない。

LEDも同じで、白熱灯に比べると極めてゼロに近く、蛍光灯に比べても比較にならないほど、熱を放出しないだろうが効率的には太陽光パネルと同じ20%程度。これは発光面では発熱を感じないが、その基盤部分はかなりの高温になっていることでもよく分かる。

理論的には、大量のLEDを使うことによってトマトなどの夏野菜や、或いは光食い野菜の代表である稲も『野菜工場』で育てることは可能だろうが熱処理は難問題。密閉された空間では冷房が必要になる。

これは誰が考えてもエネルギ-の無駄使い。やはり、太陽と水に恵まれている日本に適した方法でないことは明らか。というより、天につばする行為ではないだろうか。

それよりも、耕作放棄農地を利用すると同時に、農民が安心して野菜専念できるような市場管理と安定した収入をえられるようなシステム作りが先だと思うのだが・・・。

まだまだ『野菜工場』については疑問や指摘点があるが、いずれ別の機会に続きを述べることにしたい。(田舎親父)

2010年1月16日 (土)

都教育委員会にもの申す・・・

 一昨日、夕方のテレビニュ-スで、都の育委員会は、都内の公立小中学校が土曜日に授業を行う場合、月2回まで認めることを決め、区市町村教委と都立校へ通知したという内容を報じていた。

教育委員会の幹部の話として『学力向上を重視し学習内容を増やす新学習指導要領の実施を控え、授業時間増を望む学校が多いため・・・』と、何となく『委員会としては気が進まないが、学校が土曜日に授業をさせてほしいと言うから、仕方ないから認めた』という意味に受け取れたのは、私のヘソが曲がっているのだろうか。

保護者へのインタビュ-もしていたが、そのほとんどは『土曜日は、ただ遊ぶだけだから歓迎』とか『我が家では塾にも行かせていないので、学校で勉強を教えてもらえるのは有り難い』という賛成意見ばかり・・・。

親の気持ちは理解できるが、学校現場や保護者の心配を全く無視して土曜日を休みにしたのは誰だったのだろう。

今ではすっかり言葉だけになってしまった感がある『総合的な学習の時間』。生きる力を育てるためにもっとも大切な授業と位置づけられたことは記憶に新しい。

私は何回もこの問題を取り上げてきた。今まで文科省のいう通りにしなければならないと押しつけて、学校(教師)の自主性を徹底的に奪って文科省の官僚やそれに追随してきた教育委員会の幹部たちは、『総合的な学習』は学校にまかせる、創造性を発揮して個性的な発想を許容するといい、『できないのはお前らが無能だから・・・』と突き放したことをよもやお忘れではないだろう。

結果は惨憺たるもの。現場は大混乱、この時間に何をして良いのかわからず、老人ホ-ムでお遊戯したり、ゴミも落ちていない公園に出かけてわざわざ掃除をすることなど、およそ授業といえる代物ではないことでお茶を濁した学校も多かった。

学校から『何とかお助けを・・・』との声をうまく利用して『総合的な学習』で行うことの4つの項目を示したが、中でも国際理解という言葉に飛びつき、猫も杓子も『英語活動』に走ったのも文科省の筋書き通り。新しい指導要領では小学校に英語が教科として取り入れられることになり、今はそのことで全国の小学校は大混乱。

受け皿作りをいい加減にして土曜日を休みにして授業数を減らしたのだから、当然の知識理解という意味での『学力』は低下するのは誰の明らか、それを巧みに利用したのが私立の中学校と進学塾。いかに公立の中学の学力が低いのかをアピ-ルして、世の中全体を私立中志向に走らせてしまった。

慌てたのは、文科省と教育委員会。鳴り物入りで導入した『総合的な学習』を骨抜きにするばかりか、一転して『学力向上』という言葉を小中学校に強要。そのためには競争が大事とばかり全国一斉の学力導入したことを忘れてほしくない。

今年の4月から新指導要領の先行が始まるので、各学校では授業時数確保が大きな悩みになっている。このため、土曜日に注目、授業を行う方向で検討する学校(校長)が増えているのはわからないでもないが、本来は休日なはずの土曜日に引っ張り出される教師たちはたまったものではないだろう。

そんな台本を書き、今まで演出してきた都の教育委員会が、あたかも『学校殻の強い要求』という態度を全面に出して、地域や家庭で過ごす時間を増やす『週五日制』の主旨を踏まえて、学力の定着を図る授業のほか、地域住民を講師に招いた総合的な学習の時間など、いずれも『地域住民に公開することが条件』で、許してやるとは・・・。

『週五日制』には基本的には反対なので、土曜日の授業の方針は仕方ないとしても、まずは土曜日を休みにしたことによって著しくゆとりがなくなった教師を、せめて元に戻すぐらいの配慮が必要である。

都の教育委員会は今回の土曜授業は学校に強要するのではなく、区市町村教育委員会や各学校に委ねるといっているが、学校選択制を取り入れている地区では『土曜授業』が売り物になるに違いないとなると、おのずから全ての学校が横並びになることは明らか。

文科省もこの方針を追認しているというから、すぐに全国に波及するだろう。教師の勤務時間など無視しての今回の処置はますます学校にゆとりがなくなり、自主性や独創性などとはほど遠い方向になることだけは確実だろう。

これではが、日本の将来を担う子供たちが、本当に『学力低下』に陥り、国際的にも通用しない国になることだけは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2010年1月15日 (金)

阪神淡路の大地震から15年・・・

 阪神淡路の大地震から15年。様々な追悼行事が行われているようだが、何故あんなに大きな災害になったのかという疑問がぬぐい去れない。

高速道路が崩れ落ちている様子や新しいマンションが横転している映像を示して、ある科学者は『鉄筋を埋め込んだコンクリ-トの塊は地震の圧倒的な破壊力には無抵抗だった・・・』と解説していたが、私は当時も今も『?』を持ちつづけている。

倒壊した高速道路やビルがいわゆる地震の道に当たっていたかどうかは検証したわけではない。しかし、常識的にみて、あの当時すでに建物に対して『耐震』という概念はできていたはずだから、そんなに脆く倒壊するとは考えたくない。

何度か小覧でも述べているが、震災後しばらくして神戸に出かける用事があり避難所になって小学校を訪れた経験がある。その時見た様子が私の考え方を一層かたくなにしたのかも知れないが、神戸の小中学校の校舎は、一部壁にヒビが入った建物があったものの基本的には無傷だった。

だからこそ、人々が避難所としてそこで生活できたのだろうが、低層のしかも横に長い学校建築がいかに地震に強いかを証明しているものである。

証拠はないが、倒壊した高速道路や昭和56年の建築基本法の改定以後に建てられたにもかかわらず倒壊したり、傾いて使い物にならないと認定されたビルは、いわゆる『手抜き工事』だったという以外、あの被害状況を説明できない。

古い木造建築物がつぶれて圧死する人々が大勢でたのは、その全てが『耐震建築』の必要性を訴える声にかき消されているが、救助が早ければかなりの人々の命が助かったはず、それができてかったのは、倒壊したビルなどが道路を塞ぎ救助隊の行方を遮ったからではなかっただろうか。

『耐震基準』が問題になり、壁にヒビが入ったりした建物が『半壊』状態と認定されたら、そこには住民が住めなくなることは例の『耐震偽装事件』で明らかになったが、取り壊しが前提で、住民の経済問題は一切考慮がされない。

このコラムを書きはじめたのが丁度『耐震偽装事件』と重なるので、この問題を何度も取り上げたが、マスコミは被害を受けた人々のインタビュ-はするものの、その後の追跡などは知らぬ顔、どのように生活しているのかすっかり忘れ去られてしまっていることに憤りを感じたものだ。

そんな問題を思い出させるように、昨日のNHKの朝のニュ-スで、震災後に半壊という認定をされたマンションが2年前にやっと住民の5分の4の同意で取り壊され、新しくできたと言う話題を取り上げていた。

震災前には百数十世帯が暮らしていたらしいが、今回建て替えられたマンションに戻る住民はたったの1世帯だという。建て替えに奔走した当時の管理組合長の人も戻らないと決めたという。その人の口からでる『何のための建て替え立ったのだろう・・・』と言葉愕然とすると同時にその背景は考えさせられるものがある。

最後まで、建て替えに反対した老婦人の『補修で十分住める』という主張や、その方を支援する人々の言葉も重い。『耐震基準』の重要性は十分理解しているが、それを誤魔化してまでカネ儲けをする輩が存在しては、結局迷惑を受けるのは善良な市民。これは納得できない。

間もなく17日、15回目の震災の日を迎える。犠牲になった人々の鎮魂・追悼の行事が盛大に計画され実行されるだろうが、それを意味ものにするためにも、もう一度『何故近代建造物が簡単に倒壊したのだろう』ということを一人一人が考えるべきではないだろうか。

12日にはカリブ海に浮かぶ島国ハイチでマグニチュ-ド7.0という大地震が発生したというニュ-スに、またまた貧しい国を襲うのかと(信じてはいない)神を呪う。

恐らく、『耐震』などの概念が育っていないだろうから被害が天文学的数字になることも予想できる。事実、犠牲者の数が50万人以上という情報さえ流れている。人々の悲惨な状況を思うと、たかだか数千円の義援金に応じる以外、何もできない自分が情けない。

このことは別の機会で述べるとして、そろそろ関東・東海・近畿など政治経済の中枢部に『揺れ』が来るころだろう。

国会劇場の登場人物の演技や争いごとをあれこれ報じるものマスコミの飯の種かも知れないが、間違いなく間もなくやってくるだろう大地震に対しての警戒を強める姿勢も示してほしいものである。(田舎親父)

2010年1月14日 (木)

なんだか自民党と同じ体質に・・・

 キタザワと言う防衛大臣は自民党議員と陰でつながっているのでは・・・と、普天間基地移転問題の発言をみて感じていたが、今回の『武器輸出3原則』でも見直す必要があるとの考えを明言した報道に、こんな思想の輩に防衛を司る大将にしておく危なさを痛切に感じる。

記事によると、記者会見ではなく『防衛産業』の業界の新年会でのあいさつでの発言だと言う。『防衛産業』と何となく厳めしい言葉だが、要は戦争のための武器製造や販売をする、いわゆる『死の商人』と輩。カネのためには人間の命なんて何万人奪ってもかまわないという考え方の人間の集まりだと断言しても過言ではないだろう。

この連中は、以前から『武器輸出3原則』をなし崩的になくして、どの国にでも武器を輸出できるように政府に働きかけているらしい。恐らく多額の献金を自民党に出していたのだろう、確かアソウ首相もこの『武器輸出3原則』の見直しなんてこと言いだしていたようだが、世論(民主党の大部分も)の反対で実現しなかったと記憶している。

自民党の首相が言いだしても議論にならなかったことを、こともあろうに民主党の防衛相が改めて口にするとはおかしな話だが、死の商人達のねらいが政権交代でキタザワという防衛相に集中した結果の『多額の献金』に、この御仁は魂を売り渡したのでは・・・という考えはうがちすぎだろうか。

ハトヤマ首相はキタザワ防衛相の発言に対して『多少口が軽すぎたと思う』は不快感を示し、その上で『武器輸出三原則は堅持すべきだ』と断言したとのことに一安心。だが、直接注意するぐらいの姿勢は示してほしいものである。

この発言に社民党のフクシマ党首は『連立内閣の防衛相ともあろう人が、こんなことを言うとは考えられない』と憤懣やるかたない表情で語っているが、これは当然でもう一歩踏み込んで『罷免させるべき』と同時に、『二度と発言したら連立を離脱する』というぐらいの発言をすべきだと思うのだが・・・。

この一例でもわかる通り、どうもこの内閣の各大臣の発言がブレ過ぎているような気がしてならない。政権をはじめて担うのである程度はしかたないとはいえ、少なくとも首相が明言したことに対して、『私論』であっても相反する考えを言うとマスコミが飛びつくのは当然と言えば当然以外何ものでもない。

現在のマスコミは主義主張などは別物で視聴率さえ上がれば(購買部数が増えれば)御の字らしく、ニュ-スソ-スなどは全て『関係者によると』という言葉でボカして、面白奇怪しくお笑いタレントまで動員して国民を間違った方向に誘導している気配さえ感じるのは私だけではあるまい。

今回のキタザワ発言でも、『武器3原則とは何ぞや』という問題をきちんと捉え、この原則が現在の日本の国是であり『平和』についての基本だと言う考え方にのっとっての解説は皆無で、単に防衛相と首相との意見の違いや、社民党との関係がどうなると言ったものばかり・・・。

キタザワ発言からついついマスコミ批判になってしまったが、カネにまつわる問題も含めて、民主党が限りなく自民党と重なるようになったと思っている人も多いのではないだろうか。

昨日はオザワ幹事長のカネ疑惑追求に特捜部が強制捜査というニュ-スに、何がなんでもオザワ幹事長を排除したい部隊が存在するような印象を受けるが、黒幕が身内だったということにならないように願いたい。

一方、何故かマスコミがあまり騒がないので表面化していないが、カワバタ文科相が自分の事務所をカネのかからない場所において、実際には事務所費を政治資金のように記載していたことが明らかになったとの情報が流れている。

事実だとしたら、マツオカだったと思うが自殺した農水相や、その後を引き継いだバンソコウを張った輩と変わらない。誤魔化しと言う意味では、むしろこちらの方がオザワ幹事長より悪質だともいえるのに、表面にでないのは?・・・。

政治屋の体質なんてこんなものかも知れないが・・・・。(田舎親父)

2010年1月13日 (水)

『野菜工場』で作る野菜は安全安心であるはずはない・・・

 先日NHKのクロ-ズアップ現代で『植物工場』を取り上げていた。国谷さんの歯切れの良い司会が魅力で、時間がある限り見るようにしているが、この『野菜工場』に対しては何となく後味が悪いものを感じてしまった。
 ひっかかるのは、国谷さんが何度も言う『土を使わないので安心安全な野菜』という部分。野菜作りは土が基本なはずなのに、根本的に説明がなされていないことである。
 野菜工場では土は使わないので、土に存在している雑菌類の存在は考えなくても良い。しかし、野菜は水だけで育つわけはないので、濃厚な肥料を溶かした水溶液として野菜に与えているのは誰の目にも明らか。
 人間に必要な栄養分をそのまま、病院で使う栄養点滴などのように植物が直接吸収し体内に蓄積できるなら別だが、そんな夢のような水溶液など存在するわけはない。例え夢ものがたりで、そのような魔法の液体が発明されたとしたら、野菜そのものを食べるより、その液体を飲む方がはるかに合理的。

 素人百姓の経験でしかないが、野菜に必要な肥料はチッソ・リン・カリの三つで、腐葉土や堆肥にはこれらの要素が十分含まれていることは知っている。化学肥料を使いすぎるとたちまち土がやせ衰え、野菜が育ちにくくなるばかりか、病気に罹りやすくなることは経験しているので、『野菜作りは土作りから』という教えを肝に命じているつもり。
 私は、今でもキュウリと大根だけは狭い庭で作っているが、基本的には化学肥料は使わない。土地が狭いので、少しの化学肥料でもたちまち土が痩せるからだが、それ以外に化学肥料に含まれる人体に有害だろう思われる成分も不安だから・・・。
 クロ-ズアップ現代は、野菜工場の安全性などを解明する野ではなく、日本のト-タルの技術を中東への売り込むという発想で、ソ-ラ-パネルを張り付けたトレ-ラ-の内部で循環する水で野菜を育てるというシステムの映像が中心。
 だから、根本の肥料分を含んだ水に話題がいかなったのだろうが、わずか20日間で見た目にも美しいレタスが育つには、相当濃縮した肥料を溶かしこんだ水溶液が必要なはず、これらの水溶液が安全で安心だと言う保障はどこにもないことを忘れている。

 葉ものの野菜の主な肥料はチッソである。そこで水耕栽培で使われる肥料にチッソが大量に使われているだろうから、このことについて図書館に出かけ少し調べてみた。
 すると水耕栽培には『硝酸態窒素』という聞き慣れない物質を使うとある。
 解説では、『この物質は硝酸イオンのように酸化窒素の形で存在する窒素のことで、通常はNO3-の形の硝酸イオンに金属が結合した硝酸塩の形で存在しているが、このうちNの部分だけをとって硝酸態窒素という。また硝酸態窒素は通常、窒素化合物の酸化によって生じる最終生成物』だとあるが、なかなか難解である。
 さらに『通常、土壌中の無機窒素は、アンモニア態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素の3つの形で存在する。通常、有機物が分解されるとまずアンモニア態窒素が生成されるが、土壌中の硝酸菌の作用で亜硝酸態窒素を経て硝酸態窒素にまで変換される。植物は硝酸態窒素のみしか、根から吸収して利用できないため、窒素固定菌がいない環境では生育できない。これを補うため、窒素肥料の中には硝酸態窒素が大量に含まれている』と続く。

 ここまで読んでみて、要は、土の中に微生物の働きがない水耕栽培では硝酸態チッソを大量に使わなければならないこと。そして、この物質は、堆肥などのような微生物によるアミノ酸化緩衝作用がないので、植物体内にストレートに硝酸態チッソとして蓄積されることになり、それが人体にストレ-トに入ることが理解できた。
 さらにさらに、人間を含む動物が硝酸態窒素を大量に摂取すると、体内で亜硝酸態窒素に還元され、これがメトヘモグロビンと結合してメトヘモグロビン血症などの酸素欠乏症を引き起こす可能性がある上、アミノ酸と結合して発ガン性物質のニトロソアミンを生じる問題が指摘されているという部分まで読み進むと、びっくりと言うより恐ろしくなる。

 今回の国谷さんはこの部分については一切口にしていないが、このあたりに全くふれず、野菜工場の効率や経済性だけを取り上げて、あたかも未来農業の夢を切り開くものとしての位置づけをしていることをこのまま見逃すと大変なことになる。
 いや実際、この番組を見て『野菜工場』で作られるレタスなどは、洗う必要さえないほどきれいで安全で安心な野菜だと思う人が大勢生まれたことは間違いない。これは恐ろしい。
 クロ-ズアッ現代が与える影響を思うと、暗澹たる思いにさせられる。(田舎親父)

2010年1月12日 (火)

教育行政の貧困さがこんなところに・・・

 3年前の話らしいが、鳥取の県立高校で授業料を滞納している生徒にアルバイトを斡旋し、そのアルバイト代が振り込まれる通帳と本人が所持するキャッシュカードを預かって教材や修学旅行などの費用にする『学校徴収金』として引き出していた、というニュ-スに、またまた『ホンマカイナ・・・』とびっくりしてしまった。

記事によると、すでに退学している生徒は両親と兄弟4人の7人暮らし、主に父親が夜間警備の仕事で得る毎月約11万円で生活しているというとのことだが、俄には信じられないような話。

世間知らずの私にはとても想像できることではないが、昨日話題にしたように、寝る場所もない人があふれている現実や、母親が病気や障害をもっていたりすることもあるだろうからこの生徒のような状況もあり得るのかも知れない。が、それにしても行政が何ら支援の手をのべなかったのかという思いはぬぐえない。

生活保護を受けることを、世間に迷惑をかけたくないという理由で、かたくなに拒む人も存在することも知っているので、この家族もそのような一人かも知れないが、『授業料や徴収金の滞納が続いたために、学校側は原則禁止しているアルバイトを勧め、この生徒はコンビニで働き始めたと』いうくだりは全く理解できない。

学校はアルバイトを薦める前に、保護者に生活保護の申請や授業料の免除の手続きをとることを薦めたのだろうかという疑問がよぎる。

学校が考えられる救済方法を全て知らせ、申請するように働きかけたにもかかわらず、前述したように保護者が拒否したと受け止めたいが、その後に授業料は減免されたというのでは、どうもそのように受け止めるのは無理がありそうだ。

生徒は退学したと言うが、毎月教師が付き添って郵便局に出向いて通帳からアルバイト代を引き出して徴収するような事態が続いたとしたら、退学しなければならないような雰囲気を感じることは想像に難くない。これでは、学校が『お前は授業料が払えないので退学しなさい・・・』と言っていること同じになる。

意識的に給食費を払わない保護者のことが最近大きな社会問題になっている。私もこのことは何度か取り上げているが、徴収を全て学校に委ねていることこそが問題にされるべきなのに、表面的な支払い拒否ばかりが取り上げられているのが気になっている。

今回も問題も、授業料を含めて保護者からのカネの徴収は全て学校の責任という教育行政の在り方が、問題の背景にあるのではないだろうか。

高校には事務長という職制があり、事務長が授業料などの関係事務を司ることになっているのがタテマエだが、最終責任は校長。事務長から『授業料滞納をどうしましょう・・・』という相談されると、校長から『何とかならないか』と暗に命じられた教頭は、担任教諭などに『何とかしなさい』と命令するのが閉じられた学校という社会のパタ-ン。

今回の場合、担任が『生徒がアルバイトしたいと言っています』と提言したところ『うん、それは良いアイデア・・・』という筋書きだったとしたら・・・と想像すると背筋が寒くなる。

高校の授業料を全額無償化という民主党の公約のシステムが動き始めれば、今回のような問題はなくなるだろと信じたいが、給食費の例のように、それらの徴収を全てを学校・教師に押しつけているようでは、違う場面で同じような問題が表面化するのは避けられないだろう。(田舎親父)

2010年1月11日 (月)

カネを与えれば良いという考え方が問題だろうに・・・

 年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都『公設派遣村』で、一部の入所者が、渡された2万円をもって『行方不明』だとこのところマスコミが大きく取り上げている。

先日、ワンマン知事ドノがこの問題について述べる記者会見の模様がテレビで報じられていたので聞くともなく聞いていたら、『モラルの問題』だとか、『行政としてケジメをつける』など、例によって上から目線での論理に、思わず『うん? 何か違うぞ』と首をひねる。私と同じように違和感を覚えた多いのでは・・・。

年末に国立オリンピック記念青少年総合センターを開放して、生活に困って人たちに宿と食事を提供する『公設派遣村』が開設されたことは周知の事。予想以上の人たちが押しかけたというが、その日の生活に困っている人が、こんな美味しい情報を見逃すはずはないだろうから、当然といえばこんな当然な事はない。

年末年始に仕事を探せるために相談窓設けて、都は就労を世話していたようだが、退去の日が来て希望通り就労できた人は少なく、国の要請を受けて新たな施設を設けたところ、生活再建の支援を希望した500人超の人たちがその施設に移ったことはニュ-スで知っている。今回起きたのは、この施設での事。

この施設では『禁酒』だったという。都の処置は当然かも知れないと思う人は、寝る場所と食い物を与えてもらえるのだから十分だろうと考えるだろうが、希望が限りなくゼロになっているこの人たちにとって、酒で気を紛らわしたくなる誘惑には勝てない人も多いだろうことも想像に難くない。

そんな中、入所した人たちに、都は入所期限の就労活動用の交通費と昼食代として、1人当たり計2万2千円を支給したという。

都の言う『就労活動』は恐らくハロ-ワ-クなどに出向くための交通費だろうが、普通の人でも就職口を求めて殺到している現在、このような心理的に負い目を持った人たちには、ハロ-ワ-クの窓口そのものが限りなく『自分達とはほど遠い場所』と思いが働くのではないだろうか。

都の幹部達に、ハロ-ワ-クに行きさえすれば職が見つかるという考えがあったとしたら、これはこれでとんでもない話だが、とにかく『支援』というタテマエを全面に出さなければいけないので、国がカネを出すというから都の人件費を最小限にして、一度に2万某かのカネを配ったのだろう。

そんな背景から、このような人たちに思いもよらぬ2万円という大金を与えたらどうなるかぐらいは、私にでも容易に想像できることだが、安易に大金(自分のカネではないという気持ち)を渡してしまったことが根本的な間違いのような気がする。

早速、この人たちを支援する団体などは『現金を持ち慣れていない人が多いだけに、一括ではなく2~3日分ずつ渡すなどの配慮が必要だった』と都の方針に批判しているらしいが、事務的な仕事量だけ考えても誰もが不可能だとわかる話で、これは屁理屈以外何ものでも。

途上国支援と称して莫大なカネをその国の政府に与えているが、そのほとんどは人々には行き渡っていないことは、今や常識中の常識なのに、タテマエだけでそれを続けていることもよく知られている。

これと同じとは思わないが、本当の支援は、本気で職を探している人に働く場を与えることしかない。

無駄だと承知しながら、オリッピック招致に200億だ300億だというカネがあれば、公園掃除のための日当5000円を何万人に支払えるのか計算してほしいものだ。

施設に殺到している人に、まず仕事を与えること。それらの仕事をも拒否して、酒に溺れる人たちばかりだとはとは思いたくない。(田舎親父)

2010年1月10日 (日)

自民党は本当に解体するのでは・・・

 ハトヤマ首相の親からの献金(遺産相続?)問題が少し下火になったと思ったら、今度はオザワ幹事長の土地の購入に伴う4億円(+数億円という説もあるらしい)という多額の金額が不透明処理をされているとマスコミは連日大騒ぎ。

真偽はさだかではない。フジイ財務相の辞任も過去に不透明な金銭授受があり、それを国会で暴かれないためでは、とまことしやかに伝えているが、カネが全ての世の中の仕組みになっている現在では、政治を進めるには表に出せないカネもいるだろうから、今後も同じような問題が話題にでることは間違いなさそう。

しかたないと肯定しているわけではないが、この世界で生きるためには裏表の顔としての二面性が必要な仕事だろうと思うと、いわゆる、清濁併せ呑むような人格でないとなれないのかもしれないと諦めに似た感じに陥ることも度々である。

要は、このような人物でないと勤まらない世の中にしているのは、私も含めて一般国民の意識が低いのだろうが、自民党は今回の通常国会で、ハトヤマ首相の実母やオザワ幹事長本人ら関係者を参考人招致して、徹底的に追求していくことを決めたという。

どうやら、このままでは党が持たないと判断した幹部達は、自民党政権では民主党が参考人招致を求めても、数の力で拒否してきたことをすっかり忘れたふりをして、威勢のよい掛け声を上げているのだろうが、ハトヤマ首相は『私は(実母の参考人招致は)必要ないと思っているが、当然、国会がお決めになることだ』と、数の力に絶対の自信があるらしく涼しい顔を決めている。

カネの問題はともかく、自民党では次期参議院選挙での公認問題がかなり深刻になっているようだ。先の衆議院選挙でオオモノと言われた閣僚経験者が相次いで落選したが、この連中が参議院選挙で『オレを公認せよ』と言いだしているらしい。

マスコミは視聴率を稼ぐために、この問題を面白奇怪しく報道しているだろうから、その真偽は明らかではないが、何でも元副総裁が『公認しなければ 離党して他党から立候補する』と記事は、今後の自民党の存在を占う上で興味がある。

タニガキ総裁は元副総裁に対しては『公認しない方針』だというから、公認漏れになったら、何がなんでも『議員』としてのバッジがなければ生きていけない御仁らしいから、大荒れになるのは間違いない。

一方、元参議院議員会長だったアオキという74才のオジイチャンが今年の参院選挙に立候補すると決め公認申請する姿勢に対して『比例区は年齢制限があるがアオキ氏は選挙区であり、関係ない』と、公認申請が出れば認める考えを示したというから、何かチグハグな感じを受けてしまう。

確かに、この御仁は昨年の島根から立候補し落選したのだから、選挙区だという理屈は通るが、自ら決めている『公認候補は70才未満』という条件からみると、アオキは○だがヤマザキは×というのは片手落ち・・・。

自民党の公認争いはこの二人だけではなく、70才以上で落選中のオオモノ元議員がウジコラウジャラ存在し、そのほとんどが参議院議員として復活を狙っているらしいから、タニガキ総裁は民主党のカネ問題の追求などより、よほど頭が痛いのではないだろうか。

アオキを○と正式に決めたら、他のお年寄りからは怨嗟の声が上がる事は間違いない。次を狙っている自民党の若手議員候補は『アオキだけなら許そう』となるかも知れないが、アオキ以外に例外がでたら一気に不満爆発となることは日を見るより明らか。

民主党(オザワ流のやり方は好きではないが)は待ってましたとばかり有能な人材に対して『いらっしゃい・・・』という声をかけるだろう。

いよいよ、市中に出回っている『解党的出直し』という自民党のポスタ-そのものが、間もなく、本当に解党になり、ポスタ-自体が消えてしまうような気がするが・・・。(田舎親父)

2010年1月 9日 (土)

電車に痴漢防止のカメラ?・・・

 警視庁などからの要請を受けた措置で、通勤電車に防犯カメラが設置されたのは全国で初めてだそうだが、年末も押し詰まった28日から、JR東日本が埼京線では痴漢防止目的で防犯カメラを設置した車両が運転しているらしい。

電車に乗っていても誰かに監視されていると思うと、痴漢とはおよそ関係のないほとんど男性乗客にとっては、気持ちの良いものではないだろう。埼京線沿線の皆さんに同情したくなる。

JR東によると、最も被害が多いとされる、埼京線の下り大宮方面行きの先頭車(1号車)の天井二カ所に、12cm×15cm×20cmの直方体のカメラを取り付け、車内の10分の1に当たる約6平方メートルの範囲を録画できるという。

ここで単純な計算をしてみると、カメラが映し出せるのは一両の2割。10両編成だと仮定すると、この範囲はわずか100分の2(2%)である。しかも、痴漢が出没するのは通勤ラッシュ時が多いだろうから、例えその車両に乗り合わせたとしても、車内はすし詰め状態。上からの映像では死角が多すぎて、実際に犯行現場を映し出せるとはとても思えない。

今月の下旬には別の車両の一号車に四カ所カメラを設置して。乗客の意見やカメラ画像の有効性などを踏まえ、本格導入を検討するというが(埼京線の車両は何両あるか知らないが)、車両すべてにカメラを設置するとなると相当な費用がかかることはもちろん、常時動かして管理しなければならないこのようなシステムでは莫大な維持管理費もかかってくるはず。

警視庁に言わせると『痴漢の有力な証拠となり、抑止効果となる』とのことであるが、カメラが監視できる範囲ではいくら痴漢常習者でも犯行に及ばないだろうから、抑止効果には疑問があると思うが・・・いかがなものだろう。

カメラの設置に関しては、プライバシー侵害や別の目的で使われる懸念もあって反対も多いというが、これは当然。JR東は映像を取り扱う社員を限定し、数日間で上書きするなどの対応を取るというが、毎日毎日こんな単純な作業(しかし実際に犯行があれば、何故見逃したと責められるのは想像に難くない)をさせられる担当者は気の毒。

痴漢については以前も取り上げたような気がするが、私鉄各社は『女性専用車』なるものを設置している。確かにこの方式が一番手っとり早く確実だろうが、営業方針的にこの車両は大体が最前か最後におかれているので、利用者の女性からみると、使いづらいという声があるようだ。

ならば、真ん中に設置するとか、或いは1両ではなく乗降客の割合を考慮して、10両中4両程度にも拡大して、互いに違う車両に乗り合わせないように徹底した啓発をすることが大事だと思うのだが。

埼京線では、すでに8年前から早朝と深夜の列車に『女性専用車両』が導入されているらしいが、今年の都内の電車内の痴漢被害件数の12%強を占めるなど、効果は上がっていないという。この沿線にはよほど痴漢常習者が多いようだ・・・と言うと叱られるかも知れないが、これは驚きである。

ひょっとしたら、この時間帯に利用する女性の人数が多すぎて、女性専用車両が超満員となり、しかたなく他の車両に乗る人もいるのかも知れない。だとすると余計に専用車両を増やし、しかも乗降に便利なように真ん中の車両にする方が、無駄なカメラを設置するより良いはずだが・・・。

私が普段利用する横浜線は稼働係数が山の手線や中央線快速と同じほど優良な路線だと聞いている。当然なことだが、決して混雑していないわけではなく、現役時代は毎日、今でも時々乗り合わすラッシュ時の車内では身動きがとれないことは埼京線の状態と変わるものはないようだが『女性専用車両』はない。

それでいて、痴漢騒ぎの報はあまり聞かないところをみると『女性専用車両』が必要ないのは沿線の住民のモラルが高いから・・・。これは、私が知らないだけで、本当は痴漢の出没があるのかも知れないが・・・。(田舎親父)

2010年1月 8日 (金)

太陽光発電で雨漏りは御免蒙りたい・・・

 太陽光発電のパネルを取り付けようとして、屋根に穴が開いて雨漏りするトラブルが相次いでいるという。

最近は『エコ』という言葉が大流行。なんにでも『エコ』というマクラコトバをつけると、それが全て地球に優しく、その品物を使うことによって自分がいかにも地球環境を守っているような錯覚に陥るようで、この種の商品が氾濫している。

太陽光発電はその親分存在で、それに必要な太陽光バネルは出始めた当初から比べると価格的にも一般の家庭でも手が出るようになった上に、政府や自治体からかなりの補助金という後押しによって最近はブ-ムになっている感がある。

当然のことだが、需要があればパネルを供給する製造業者と販売馭者は大忙し。ただ一般の家電などと違い、部屋におけばすむという代物ではない。どうしても屋外(多くの場合屋根の上)に設置する必要があるので、これはある程度の知識と技術が必要な設置業者が必要になる。

パネル製造は一部の大手電器メ-カ-に限るが、販売業となると誰にでもできる。販売業者が増えると同時に、設置を引き受ける業者も増えることは誰もが理解出来る簡単な理屈。パネルを設置するのに対して、恐らく『国指定業者』などの認定まだ作られていないだろうから、その技術格差は大きいはず。しかも、最近の不景気もあって、この分野には『にわか業者』が群がるのは当たり前。

そこで書き出しで指摘したように『太陽光パネルを取り付けたら、子ども部屋で雨漏りするようになった』という苦情が殺到するようになったのだろうが、共通するのは、販売店が倒産しているというパタ-ン。

製造メ-カ-としては、バネルの品質は保障と責任は持つだろうが、建物に対しての責任は負えないのは、これも当然。結局、工務店に見てもらって『屋根の防水シートが破れていた』という筋書きになるのだろう。

これと同じようなことを20年以上前に経験したことがある。当時(現在でも持ちつづけているが)自然エネルギ-を何とか自宅で取り入れたいと思っていた私は、温水装置を屋根の上に設置することを決断した。

幼いころ育った家の屋根に黒い煙突状のものがあったことが強く印象に残っていたのだろうが、太陽熱を利用すれば勝手にお風呂のお湯が沸くのだから、これを使わない手はないという発想だった。

自分でやれば良かったのだろうが、時間的な余裕がなかったので、当時この分野ではかなりの優良会社と言われていた、確か『朝日ソ-ラ-』という会社に依頼した。完成したものは見た目も幼い時の記憶よりはるかにスマ-トでかっこよい。

使い勝手も大満足。夏場は水でうめないと入れないほど、冬場も従来の半分以下の時間で沸くとあって、数年間はかなり快適生活を過ごせたものである。

年に一度のメンテナンスも満足するものだったが、ある日突然『倒産』という知らせ。以後はこの業者にメンテを引き継ぐという説明があったものの、その業者の技術は格段に落ちて、そのまま設置しておくと屋根そのものを痛めるとの専門家の助言に従い撤去した苦い記憶である。当然かなりの損失を蒙ったことは言うに及ばない。

国や自治体はパネルのメ-カ-などと協議して、このような苦情がないように優良な施工業者を増やしたり、設置方法の研修を開いているらしく、受講者も増えているとのことだが、需要が追いつかないというから困ったもの。

私のように一度失敗しているものにとって、太陽光発電の魅力は十分理解しているものの、何となくためらいがある上に、こんな苦情があると知ると、温水器と太陽光パネルは根本的に違うと認識していても『やっぱり・・・』という思いは捨てきれない。

恐らく、あれほど普及した『朝日ソ-ラ』の太陽熱温水装置、私と同じような経験をした人は数十万人以上にのぼるはず。そのほとんどが私と同じような思いをしているに違いない。

太陽光パネルの普及には依存はない。そのための補助制度にも反対するものではないが、そのためにも素人にも設置工事ができるほどの簡単な、屋根にストレスを与えない技術の確立が必要ではないだろうか。

同時に、例え販売業者が倒産しても大丈夫なような保障制度がほしいものだ。(田舎親父)

2010年1月 7日 (木)

ひき逃げが当たり前の国になってはならない

 沖縄で米軍兵士が66才の男性をひき逃げし死亡させたにもかかわらず、基地内に逃げ込んで事情聴取にも応じないという報道は、アメリカの身勝手さに憤りを感じると同時に、こんな治外法権的な基地協定を戦後ずっと放置してきた自民党政権のだらしなさを・情けなさに改めてガックリ。

日本の安全保障のために米軍基地が必要だということを頭から否定する気はないが、これほどまでの基地が必要とはとても思いたくない。さらに、住民の日常生活を脅かす不合理を押しつけられているのは我慢出来ない。せめて、基地縮小と同時にこんな協定だけでも見直す気概を民主党政権には望みたいものである。

このことはともかく、このところ『ひき逃げ』によって死亡する事件が多発している。朝になって発見されて、車にはねられた跡があったり、車の部品が散らばっていることにより、ひき逃げされたと思われるという報道が多いのも気になる。

以前はこんなに『ひき逃げによる死亡事件』は起きていないような気がする。何故多くなったかという疑問に、誰もが行き当たるのは『酒酔い運転の厳罰化』では、と答えるしかないのでは・・・。

今までは交通事故において死亡事故を起こしても、過失致死罪の適用で、民事はともかく刑事罰は懲役数年だったが、改定によって酒酔い運転による重大事故の場合は『危険運転』という一項が加わり、懲役20年という重い罰則が待っている。

酒酔い運転を徹底的に撲滅するための、この改定に反対するものではないことをまず述べて私論を展開したい。

一杯のビ-ルを完全に覚ますためには数時間必要だという。以前は、車で郊外のバ-ベキュ大会に出かけ、大騒ぎをしても温泉にでも使って数時間も休息していれば絶対大丈夫という説を信じて、私も何度がそんな行為をしたものであるが、罰則強化によって、万一アルコ-ル検査で反応がでることもあり得ると思い、以後、飲む機会があるような場には絶対に車で出かけることはない。

多くの人も同じらしく、酔っぱらい運転は少なくなったというから、改定の効果は上がっていることは間違いないが、『ひき逃げ事件』に関してだけは増えているようだ。

酔っぱらって人をはねた場合、その場で捕まると『危険運転』だが、数時間逃げ通して体内のアルコ-ルが完全に抜けた状態で自首して逮捕されても『過失致死罪』となれば、とにかく逃げようという心理になるのは人間としてはしかたないのかも知れない。

最近は冤罪に対しての関心が高まり、警察も取り調べを慎重にせざる得なくなっているらしく、よほどの証拠を固めないと公判すら維持出来ないようなので、せっかく犯人逮捕となっても事故当時『酒酔いの程度』が証明出来ないと『危険運転』と認定できない。

それどころか、明らかに事故を起こしていることは間違いない事件でも、尋問過程で誘導があったり強要があったりしたとの言い分で、裁判では無罪にさえさせてしまうほどの能力のある?弁護士さえ現れる始末では、『ひき逃げ=逃げ得』というバタ-ンは今後多くなることはあっても少なくなることはないだろう。

つい先日も、埼玉で新聞配達の56才の男性がひき逃げされたと思われるという事件が報じられた。この男性は朝刊を配達中だったらしく、発見された時には、すでに死亡が確認されていたという。私もかって経験したが冬の早朝の新聞配達は辛い仕事。亡くなった男性の冥福をお祈りする。

男性が倒れていた場所の十数メートル手前には原付きバイクと散乱した新聞、そしてバイク以外の車の部品があったというから明らかに『ひき逃げ事件』。現場は片側1車線のなだらかな下りの直線道路というから、普通に運転していれば絶対に起こさないはず。

間違いなく『酔っぱらい運転』だと断定できるが、犯人が逃げているというから、例え逮捕しても事故当時『酒酔い』状態を証明出来ないと、またまた『逃げ得』になるのは目に見えている。

予想通り昨日の夕方,十分酔いを覚ました男が自首してきたという。酒酔い運転は認めたものの、何かにぶつかったと言っているらしいが、酒酔いは自供だけ。飲み屋や同席していた者から、この男が飲んでいたとの供述がとれたとしても、泥酔状態だったことを証拠づけるのは難しかろう。

『ひき逃げ』すれば即『危険運転』という認識を徹底しない限り、同様の事件は跡を絶たないのではないだろうか。一日も早い対策を急ぐべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年1月 6日 (水)

安易に救助を求める風潮に疑問・・・

 今年も年末年年始の冬山遭難報道が続いている。昨日の朝刊にも、北アルプス奥穂高岳周辺で遭難した男女三人の捜索で、岐阜県警は四日午前、うち一人とみられる遺体を標高約2700メートル付近で発見したというニュ-スに、またかという思いをしている人も多いのではないだろうか。

 そして、この記事を読んで、ヘリコプターから降下した山岳警備隊員が、雪の中から掘り起こし収容したとの記事から、救助隊の人たちの苦労を知ろうとする人はどのぐらいいるのだろうかと思うと、暗澹たる気持ちにさせられる。

 以前にも話題にしたが、下手すると自分が命を落とすかも知れない危険な飛行に出かける操縦士と、ロ-プ一本に頼って下降し、しかも雪に埋もれた遺体を掘り起こし、抱き上げてヘリコプタ-に収容する救助隊員の作業は、よほどの熟練した技術と、それにも増しての使命感がなければ勤まるものではない。

 一方、同じく北アルプスの寺地山で大雪のため下山できずに救援を要請していた男女七人をヘリコプターで救助したというニュ-スも報じられた。

 こちらは7人無事ということで、『良かった・良かった・万々歳』というところだろうが救助までの経緯を知ると、簡単に『ヨカッタ・・・』ですまされない思い・・・。

 記事によれば、遭難した7人は東京、栃木、茨城、千葉、神奈川の一都四県の男性五人、女性二人だったとのこと。それらの人が『山岳ガイド』と自称している55才の都内の男性のリ-ドのもと冬山に挑戦したらしい。

 一都四県という広範囲なパ-ティ構成と山岳ガイドという言葉から、この夏北海道の大雪山での事故を思い出す。確かこの遭難は旅行社の募集する山歩きに、実際に登ったことがないガイドが、ほとんど観光目的で参加した高齢者を誘導したことから生じた人的ミスだったことはすでに私も取り上げたこと。

 今回のパ-ティの編成は記事にない。近隣県とはいえ、かなりの広範囲から集まっているところから推測すると、日常的に顔を合わせるような気心のあったごく親しい山仲間とはとても思えない。

 『何とか山岳会』という組織が流行っているそうだから、7人が会員だったこともあり得るだろうが、ひょっとして大雪山での事故同様、背景に旅行社の仕掛けがあったことも十分考えられる。

 救助された山岳ガイドと称する男性は『気象情報を超える積雪があった』と話しているらしいが、一晩で1メ-トル以上の降雪量は珍しくないどころか、この季節で一度荒れた山では常識。規模は違うが私でもある程度経験していることだから、この自称『山岳ガイド』の男性は今まで冬山に入ったことがあるのだろうか疑ってしまう。

 雪が深くて下山のメドが立たないから救助の要請をしたとのことだが、お願いする前に自分達で交代しながら下山する努力をしなかったことが不思議でならない。怪我や凍傷で動けないのなら理解出来るが、7人とも元気で救助隊の誘導で下山したというから、その気さえあればラッセルができたはず。

 もう一つ、南アルプスの聖岳では中年の夫婦も無事救助された記事もある。救助された夫は記者たちに、今回の登山について、『風が非常に強かった。天気が悪いという情報は(事前に)聞いていたが、何とかなると思った。判断と見通しが甘かった』とはっきりした声で話しているそうだが、何だか人ごとのようなコメントについつい『アンタは自分でやったことを本当に反省しているのか・・・』と突っ込みたくなってしまう。

 『何とかなるだろう・・・』、基本的に頻発する遭難の背景にはこの安易な気持ちがあるようだ。まるでタクシ-を呼ぶがごとく、ヤバクなったら携帯で救助を要請したら救助隊が喜んで来てくれると思っているのでは・・・というと言い過ぎだろうか。

 救助された人たちのその後の報道はほとんどない。それなりのお礼などはしっかりやっていると信じたいが、助けることが仕事なのだから当たり前という現代の風潮では、それすらもおぼつかない。

 カネで計るのは私の考え方に反しているが、入山者たちに自覚させるために、入山する際には、『装備は万全、体力も絶対に自身があります』という宣誓書と同時に『救助の要した人件費やヘリコプタ-の出動費用など全ての実費は支払います』という誓約書を入れさせるようにするのも一つの案ではないだろうか。

 もっとも、先日富士山で遭難した片山某のように入山届けも出さないような輩に対しては、『犯罪者』という規定を作り、無事救助されても『罰則を課して当然』という世論を作るしか方法はないような気もする。

 こんなことを言うとお叱りがくることは間違いないだろうが・・・。(田舎親父)

2010年1月 5日 (火)

本末転倒のような気がするが・・・

5日間も休んでいたら勘が狂ったらしく、話題を見つけるのに苦労する。

最近、喫煙が徹底的に悪者扱いされているらしく、どこの家庭でもパパたちは屋外かベランダでしか煙草を楽しませてもらえないらしく、その人たちことを言葉だけは何となく綺麗な『ホタル族』なる呼び方も、日本語として通用しているようだ。

そんな愛煙家に追い打ちをかけるように、煙草税が重くなるらしい。当初は一箱1000円という価格が検討されていたようだが、結局、あまりにも一挙に値上げすると、煙草を吸うのを止める人が多く、国や地方自治体の税金が減るので、一本につき5円体値上げというから結果的には変な話。

喫煙習慣が肺ガンの原因になるらしい。自分では吸わないが他人の吸う煙を体内に入れることによる健康被害も大きいと言われている。これは科学的に証明されているので間違いないというが定説。

しかし、そこまで喫煙が悪いというのなら、煙草を販売しなければ良いと思うのだが、煙草の売り上げから莫大な税金が入ってくるので、そんなことは考えない。禁煙の後押しのための大幅な値上げも同じような理由でできない。にもかかわらず『禁煙』は犯罪のようにキャンペ-ン。なにか本末転倒のような気がしてならないのだが・・・。

ところで、福音館書店が発行発売している、月刊『たくさんのふしぎ』という子ども向けの雑誌があるらしい。この2010年2月号として発売した『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』を販売中止にするというニュ-スが昨年暮れにあった。

この雑誌の対象年齢は小学校3年生からだという。煙草大好きな発明家のおじいちゃんが二人の孫に江戸時代の暮らしを説明するというものだが、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている場面が、『禁煙キャンペ-ン』を押し進めている方々の逆鱗にふれたというのが、発売中止に追い込まれた理由らしい。

福音書店といえば、極めて良心的な内容の書物を多く出版していることで有名。若いママ達からも絶対的な人気を得ているので、『禁煙キャンペ-ン』に逆らうと、支持が得られなくなると判断したらしいが何か悲しくなってくる。

江戸時代ではキセルに煙草を詰めて吸う習慣はごく当たり前だったことから、私でも理解できる設定。特に、隠居階級の年寄り達には欠かせない道具で、そのような絵を見て『子ども達の喫煙欲を煽る』という感覚そのものが行き過ぎ、こんなことを問題にする良識派と言われている人たちの感覚こそが問題ではないだろうか。

煙草の広告がケシカランということはわからないでもない。喫煙習慣のない私には、下らない広告を作るものだ・・・としか写らないが、喫煙に反対することが生き甲斐(というとお叱りがきそうだが)の人々にとっては、『煙草を礼賛している』となるようだ。

まして、子どもが見る優良な雑誌に江戸時代であっても、しかもおじいちゃんといえども喫煙姿を出すのはとんでもないということなのだろう。マナーの悪い喫煙が消えるのには賛成したいが、喫煙=全て犯罪者のような言いがかりは感心できない。

最近の風潮として、『子どもに害がある』ことを見つけて、それらを隠したり見えなくすることが大人の責任とばかり、声高らかにそれが正義だと吹聴する傾向があるが、子ども達をそんな無菌状態にして大丈夫なのだろうか・・・という思いが消え去らない。

金儲けのために子ども達の好奇心を煽る大人達の存在は否定しない。そんな大人達をなくすことには反対はしないが、残念ながら不可能な事は誰にでもわかること。

禁煙も含めて世の中の様々なことに対して、善悪を自分で判断できる能力をつけることが一番大事であって、無菌状態にすることは判断力の育成にはむしろマイナスだということを、社会全体が早く気づく必要があるのではないだろうか。

麻薬や覚醒剤が、一応学力があると言われている大学生にも広がっているという。あれほど『麻薬撲滅キャンペ-ン』を繰り返して、授業でも教えるのが流行っているというのに、一向にこのことが徹底されないのはどうしてなのだろう。

私には、このことは今どきの大学生達が、いわゆる『学力』さえつけば良いという考え方の育て方をされた結果だと思えてならない。友だちとの関わりを深めるより、テストで一点でも良い点数をとることが『是』とする社会常識を根本的に改めなければ、麻薬汚染など撲滅できるはずがない。

同じことで、『禁煙キャンペ-ン』が高まる一方で、国や地方が煙草から税金を得ているようでは『禁煙』も絵に描いた餅。重箱の隅をつっつくような今回のような雑誌を発禁に追い込むような発想は、ナンセンスと言うしかない。(田舎親父)

2010年1月 4日 (月)

温泉つき飛行機なんて発想はいかがだろう・・・

 月並みですが 明けましておめでとうございます。今年も、拙文をできるだけ続けていきたいと思いますのでご笑読よろしくお願いいたします。

今年最初の話題として、年末の30日に、オランダ内務省が『アムステルダム郊外のスキポール空港の保安検査強化策として、衣服の下を透視できる全身スキャナーの使用を開始する』と発表したことを・・・。

同空港発デトロイト行きノースウエスト航空機で起きたテロ未遂事件を受けた措置だとのことで、3週間以内に、米国行き航空機の全搭乗客に対してスキャナーでの検査を行えるようにするというから、今ごろ着々とその準備が始まっているのだろう。

同空港には、こうした機能を備えた検査機が以前から設置されていたが、今までは搭乗客のプライバシー侵害につながる恐れがあるとして、ほとんど使用されていなかったとのことである。この記事によれば、全身スキャナーは、人体とそれ以外の物質を判別でき、金属探知機が反応しない爆薬などの危険物も発見しやすくなるという。

ノ-スウエスト機のテロ未遂事件のナイジェリア人容疑者は、下着の裏に爆発物を仕込んでいたらしいが、空港で航空機を乗り継ぐ際、金属探知機による身体検査と手荷物検査を受けたが、異常は見つからなかったとのことを重視しての今回の処置とのことである。

ここまで書いてみて、すでに透視スキャナ-検査機を設置していたが、使用していなかったとの記述にハットする。『ほとんど使用されなかった』というが、反対が多かったので使わなかっただけで『テロ防止には仕方ない』という世論を背景に、堂々と使えるように機会を狙っていたのではないだろうか。

どんな装置なのか実際に見たことはない。飛行機に乗る時、搭乗口でピ-という音がした時に受ける金属探知機での全身を撫で回す検査を思い浮かべるが、そんな生易しいものではないだろう。

スキャナ-という言葉から受ける印象から想像すると、現在のように通過するだけではなく、一定時間立ち止まさせられて、X線を全身に投射するのではと思うが、下着に縫い付けた異物も見つけられるという全身透視となると、検査官に裸を見せるという意識はぬぐいされない。

実際にどんな映像になるのだろうと心配する前に、こんな精密な検査のためには相当量のX線量が必要だろうから、医学的に大丈夫なのだろうかという疑問がよぎる。

気になって、このことに関してのいろいろな記事を探してみた。すると、検査用の全身X線スキャナーの被曝量は、(十分に被曝低減に留意された)医療用で1~5レム(100~500ミリシーベルト)になり、ただ一回で、公衆の年間被曝許容量5ミリシーベルトを100倍も上回り、発ガンリスクを激増させるものだ、との説明にぶつかった。

しかも、爆薬を見分けるためには、透過性の高い線質ではなく、軟X線という透過性の弱い線質が使われるらしく、これは皮膚に吸収されやすく、皮膚ガンの直接の原因になるものだとのことである。

医学的な真偽は理解できない。しかし、一回の透視で100回分のレントゲン検査に当たるかどうかは別にして、かなりのX線量が必要だろうことは想像に難くない。

自分の身体に巻いた爆弾を爆発させるという、戦争中の『神風特攻隊』的な行為がイスラムではかなり日常的に行われているらしいので、機内に爆弾を持ち込ませない措置としては当然なのかも知れないが、旅客の健康よりも、爆弾発見を優先させるというのは実に恐ろしい決断である。

こんなことを思っていると、飛行機に大きな浴槽を設置して、乗客全員に裸になって入浴してもらうのはどうだろうという、トンデモ発想が生まれてきた。

飛行機に乗ったらすぐに、更衣室に入ってもらう。衣類や持ち物は全てロッカ-に入れて裸で温泉へ。ロッカ-にX線を照射できるにしておけば、簡単に検査できるだろうし、乗客はゆっくり温泉に浸ってもらってから、自席でくつろいでもらうというのはいかがなものだろう。

もっとも裸で風呂に入る習慣をもっているのは日本人ぐらいだろうから、『アホカ・・・』と言われそうだが、キリスト圏とイスラム圏の争いを解決するには、日本的な発想が大切だと思うのだが・・・。

新年早々浮世離れした話題で失礼。(田舎親父)

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