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2010年2月

2010年2月28日 (日)

今度は90センチ・・・

 メタボリックシンドロ-ムという言葉が一般的に通用するようになったのはかなり以前のこと。今ではメタボリックシンドロ-ムなんて長ったらしい言葉などはほとんど見受けられず『メタボ』と略した3文字だけで通用するようになっている。

 現在では腹囲が男性85センチ、女性90センチ以上で、血圧、血糖値、血中脂質の検査値のうち二つ以上基準値を超えるとメタボと診断されるという。

これは08年から全国的に健康診断で取り入れられているが、血圧や血糖値という値よりむしろ腹部の周りの数値が重要視されて、これを1センチでも超えるとメタボに陥ったと嘆いている人が多いらしい。

これは内臓脂肪がたまると、心血管疾患を発症しやすいという考え方なのだろうが、『ズボンやスカ-トをはくたびにチェックできる』という容易にメタボかどうかを判断できるということで、マスコミがこの数値を繰り返し・繰り返し国民の頭に刷り込むものだから、今では常識として通用していると言っても過言ではない。

太っていても血圧や血糖値が正常値(基準より低い人)もいれば、痩せていても血圧で悩む人も多も多い。メタボの診断は他のリスクとの重なりが条件なので、腹囲の基準を超えれば、病気というわけではなく、あくまで高血糖、高血圧を持っている人の中で、減量治療を優先するかどうかの目安なはずなのに・・・である。

 昨年の春だったと思うがメタボと腹囲に関して、国際糖尿病連合(なんでも国際的な機関があるものだと感心するが)、アジア地域の腹囲の数値を男性90センチ、女性80センチにするように推奨したという記事に、腹囲を気にしている男性には歓迎されたという報道があった。

 記事には『日本は男性の基準が厳しい』『体格が小さい女性の方の腹囲基準が大きいのはおかしい』などという記述があったと思うが、マスコミがあまり反応しなかったこともありこの値には影響しなかったらしく、今でも男性85センチ・女性90センチは変わっていない。

 この数値がどのように割り出されたのか調べてみると、厚労省の研究グル-プが大学と共同でCTスキャンの技術を駆使して男女約1200人の内臓脂肪断面積を測定して、メタボのリスクとの関連を統計学的に求め断面積100平方センチ以上をリスクとし、これに相当する男女の腹囲を計算した結果出された数字だとのこと。

 被検診者がどのようにして選択されたのかは明示していないが気になるが、医学的にある程度の裏付けはあると信じても良さそうだ。しかし、最近になって、この数値を見直す動きがでてきたという。

何故見直さなければならないのかはっきりしない。医学的にみて、腹囲が増加するほどメタボに起因する成人病の発症の危険性が高まることは一応間違いなさそうなので、腹囲の重要性は重くなることはあっても決して軽くなることはないはずなのに・・・。

腹囲の数値を小さくすれば発症する確率も小さくなるのは間違いなさそうだから、技術と人員を充実してそれなりの医療行為をすれば良いのだろうが、実際の医療制度ではとても無理があるようだ。だとすれば、数値の見直しの動きは医療費を抑えたいためのパフォ-マンスとも捉えられないこともない。

腹囲を90センチにすれば、安心する男性は多いだろうが、それだけ発症の危険性は増すことになると、安易に見直しには賛成できない。

 要は、国民一人一人が男性85センチ・女性90センチ(ちょっと甘いかも)という数値は目安だと自覚し、自分の体型と照らし合わせて適正な腹囲を算出し、日頃から節制していれば、おのずから成人病の発症は抑えられるのではないだろうか。

今日は何か優等生的な文章になってしまったようだ・・・・。(田舎親父)

2010年2月27日 (土)

ライオンを生かすのにシマウマを餌にとは・・・

 先日ナイロビ発のニュ-スとして『アフリカ東部ケニアのアンボセリ国立公園で、干ばつでエサ不足に陥っているライオンやハイエナが人間集落を襲うことを食い止めるため、野生動物保護当局が別の場所からシマウマ約4000頭を移送する作戦』という、びっくりするよう手見出しが目についた。

当局によると、干ばつは過去26年間で最悪の状態で、草木を主食とする草食動物の個体数が約80%減少するなど、アンボセリ国立公園の生態系が破壊されているという。

草食動物をエサとするライオンやハイエナが、食物を求めて人間集落を襲う被害が懸念されることから、シマウマ約4000頭、ヌー約3000頭を、別の4カ所から移送することを決定し、まずはシマウマの移送から着手したとのことである。

同国で生存する野生のライオンは約2000頭ほどらしい。ライオンの保護だけではなく、人間との軋轢を避けるためにもどうしても必要だとしていうことだが、外貨収入のうち約2割を観光に頼るケニアにとって、アンボセリ国立公園は主要な観光地となっているというから、これは為政者のための都合だとしか思えない。

移送費用は140万ドルほどかかるという。日本円にして約1億3000万円は先進国にとったらたいした金額ではなかろうが、最貧国のケニアにとっては大変な額。民主主義が未発達なケニアでは、間違いなくその負担は貧しい生活を強いられている国民の負担になることは疑えない。

歴史的にヨ-ロッパ人の勝手な振る舞いが、現在のアフリカ諸国の人々の貧困につながっていることと明らか。いまさらそれを言っても詮ないこととだが、改めて西欧諸国の横暴さに憤りを感じざるを得ない。

外国のことなのでどんな政策をとろうとも口をはさめないが、(別の地域からシマウマを連れてくるという)連れてこられたシマウマにとっては迷惑なことおびただしい。しかも、全てがライオンの餌になるとは言えないが、人間の都合でライオンにかみ殺されるためだけに・・・である。

一応費用のことはおいておくとして話を進める。干ばつで草食動物の数が極端にすくなくなれば、ライオンが人間の生活圏に近づくことは誰が考えても当然で、場合によったら人間の集落を襲い最悪食い殺される可能性は否定できない。

人間の生活が最優先しているのだから当然という意見も理解しているつもりである。国にとっては観光資源の整備は最優先の課題で、シマウマなどのことなど考える必要ない、という意見もわからないわけではないが、自然保護に名を借りた金儲け優先の措置だといえば言い過ぎだろうか・・・。

この記事を読んで、わが国で現在巨額の費用をかけて行われているトキやコウノトリを自然に戻す計画・実行に一喜一憂している報道を思い浮かべる。

シマウマの移送とトキやコウノトリの放鳥とは何の脈絡がないように思えるが、元を正せば人間生活を優先した結果、これらの鳥たちが絶滅したのは疑う余地はない。それを反省して元に戻すというが、トキやコウノトリが見た目に美しく観光資源になるからという意図はないのだろうか。

『トキが羽ばたく大空』というキャッチフレ-ズには夢があり、その夢の実現に邁進することは全く否定しないが、人間のエゴから絶滅した動植物は数多いはず。たとえばニホンオオカミもその典型的な一つ。

トキやコウノトリに巨額の費用をかけるのにニホンオオカミをよみがえらせるという事業には、計画段階でも予算がつかないのは、オオカミなどがよみがえれば、ますます人間生活が脅かされるというエゴからくることは疑いのないところ。要は自然保護という金科玉条の錦の御旗そのものが『人間のエゴ』だと言えないことはない。

シマウマをライオンの餌にという、私には絶対に行く機会がないケニアの話題から、身近のトキやコウノトリと同じ次元の問題では、と思ったのは私のへそが曲がっているのかもしれないが・・・。(田舎親父)

2010年2月26日 (金)

やはりでてきた地域限定商品券の悪用・・・

 このところ余りにも年月が経つのが早すぎて、景気対策の一環として定額給付金絡みで地域限定の商品券の発行が大流行りになり、自治体の後押しで商店街が競って特定商品券を発行したことが1年前だったのか半年前だったのか記憶が曖昧になっている。

この商品券の悪用事件については私も取り上げた記憶があるが、それは商店街が発行した特定商品券を商店街に加入している家電小売商が買い自分の店で購入したように見せかけて利ざやを稼ぐという、何ともいじらしい悪用だったと思う。

恐らくこれに類するような悪用はあったのだろうと思うが、その後報道は聞かない。今では地域限定商品券という言葉そのものが忘れ去られてしまった感があったが、久しぶりにこれを悪用したというニュ-スに、違う手口があったのかと記事を読んでみる。

『サンエ-』という小さな食品ス-パ-が大阪南部にあるという。そのス-パ-が額面1万円で1万2千円分購入できる地域商品券を大量に販売したまま倒産したので、購入した約600人が総額1千万円以上の被害を訴えているとのこと。

このス-パ-は昭和46年に設立され、大阪南部を中心に5店舗を経営し、2千円分のプレミアム付き商品券を1万円で昨年12月末まで長年販売してきたとある。『長年』という表現が気になるが、今年1月になって突然営業を停止し、店頭に『商品券は使えません』という趣旨の張り紙を出し、今月になって大阪地裁に自己破産を申請したというのが事件の顛末。

監督省庁は、無届けで限定商品券を発行した業者が、商品券を売ったまま倒産したケースについて『これまで聞いたことがない』としているが、本当にこんな事件は初めてなのだろうか。

解説では『商品券の発行は前払式証票法で規制されており、発行者の店舗だけで使用する場合、未使用残高が700万円を超えると各財務局への届け出義務が生じ、さらに1千万円を超えると、経営破綻などに備え、残高の半分以上を法務局に供託しなければならない』という法律があるという。

このような商品券の発行は、近畿2府4県では昨年3月末時点で85件の届け出があるとのことなのに、ス-パ-側の弁護士が『証票法』について『聞いたこともなかった』とは腑に落ちない。

法律の専門家が法の存在すら知らなかったとは信じがたいが、弁護士でも見落としてしまうほどゴミのような法規なのかも知れないが・・・。それにしても弁護士が本当に知らなかったという言い分は信じられない。

『無届けの場合、証票法で罰則はあるものの、財務局などに監督権限が一切なく、同社への立ち入り調査もできない』と解説は続くが、何とでも言い逃れができる、結局はザルもザル、大ザルの法律だったことだけは確かなようだ。

解説をそのまま引用すると、『■前払式証票法 商品券やギフト券などの発行について規定。自社のみで使う券(自家型)は発行後の届け出制だが、共通ビール券など自社以外の店舗でも使える券(第三者型)は、発行前に登録しなければならない。無届けのまま自家型を発行すると、罰則は6カ月以下の懲役または50万円以下の罰金となっている。証票法が4月施行予定の資金決済法に統合されるのに伴い、自家型に対する行政側の監督権限が強化されるが、無届け発行者に対する監督権限は依然ない。』

監督省庁の係官は『届け出がなかった以上、法令違反を調べる権限は司法機関にしかない。法を知らないといっても、現に届け出している業者は多い・・・』とまるで他人事、被害者を救済するという意志などは頭から持っていないようだ。

消費生活センターには『商品券が使えなくなったが、どうしたらいいのか』という相談が数多く寄せられているらしい。被害額は1人最高4万円と高額でないのが救いだか、購入者は地方のス-パ-ということから、高齢者などが多いのでないだろうか。

ほんの少しの節約と思い、年金を工面してまで商品券を購入した人たちを何とか救済してほしいと願うが、この国の役人は弱者切り捨てが得意技、またまた被害者の泣き寝入りになってしまいそうだが・・・。

弁護士と口裏合わせをした計画倒産の疑いは濃いが、それ以前に、このような犯罪を防ぐための罰則の伴う規制は早急に作ってほしいものである。(田舎親父)

2010年2月25日 (木)

公園のベンチに座っている年寄りたち・・・

 今日は先日に続いて最近の歩きの途中で特に気づくことを・・・。

 いつどこで誰からということは全く記憶にないが、ヨ-ロッパ(デンマ-クだったと思う)の公園で所在無くベンチで座っている高齢者の姿の映像を示して、まもなくわが国にも高齢者社会がやってくるという講演を聞いたのは、多分30代ぐらいの時だったような気がする。

当時わが国の公園のイメ-ジは子どもたちのための遊具(ブランコや滑り台、シ-ソ-など)が設置してある場所で、とても高齢者がのんびり座るベンチなどなかったこともあり、西欧の花壇に囲まれた公園風景に、さすが福祉国家だけのことはあると感心。同時にはたしてこの国の老人たちはこんな時間を過ごすことに満足しているのだろうか、と疑問をもったことも思い出す。

時は移り、わが国の環境整備という考え方が変わり、いつのまにか公園からブランコが消え、シ-ソ-がなくなっていると気づいたのは最近のことだったような気がする。代わりに必ず設置されるものが、ベンチと砂場。そこで若いママさんたちが幼児を連れておしゃべりに花を咲かせている姿は私もよく目にする。

かなり大規模な公園があちこちにできたのは都市計画のたまものだろう。それは大変歓迎するのだが、(事故を心配しているのだろうが)今風の遊具が設置されるものの、シンプルな昔風のブランコやシ-ソ-は帰って来ないのは寂しい限り。そして、代わりに数十年前の講演で見せられた映像のような、花いっぱいの西欧式の公園のイメ-ジが広がっている。

私の住まいの近くにある『四季の森公園』もその一つ。自然の丘陵をそのまま生かしているので、四季折々の風景の変化が楽しめることもあって、お気に入りの散歩コ-スの一つでほとんど毎日といってよいほど歩くようにしている。

また、この公園には大勢のボランティアスタッフの人たちの手によって、至る場所に花壇が作られ、色とりどりの季節の花々が美しく咲き競っている。その花壇近くのベンチでは高齢者が座っている風景が当たり前となっている。

そこに座る高齢者には大きく分けると3つのタイプがある。一つは老齢の夫妻の姿、中には持ってきたお弁当を仲むつまじく食べている姿は見ていて微笑ましい。このご夫妻がどのような環境なのかはわからないが、お二人が楽しんでいる姿を見ていると、いつまでもお元気でと思わずにはいられない。

二つ目は、数人のお爺さんたちが集まって、将棋盤などを囲んでいる風景。不思議にお婆さんは入ることはない。将棋盤がなくてただしゃべっているのもお爺さんさんが多い。お婆さんの集団は歩き回っていることが多く、ベンチで群れて座っておしゃべりという光景はあまり見かけない。

もう一つが、一人ぽつねんと座って何やら瞑想に耽っている年寄り。これは爺さん婆さんと限らないのも特徴になっている。この姿こそ、まさに、数十年前に見せられたデンマ-クの公園風景そのものである。

家でじっとしているより、例え仲間に入らなくても公園でのんびり座っている方が健康に良いのには違いないが、このような年寄りの姿を見ると、もう少し活動の場を与える方法がないものかと思ってしまう。

取り止めのない文章になってしまったが、今日は公園で過ごすお年寄りが目立ってきたということだけで、それ以上はない。老人問題を考える題材として、私の普段の生活で見る様子を紹介したまでと受け止めていただければ幸いである・・・。(田舎親父)

2010年2月24日 (水)

乱気流遭遇は単に偶然・・・

 20日の夕方のテレビニュ-スは、アメリカから成田空港に向かっていたユナイテッド航空のジャンボ機が乱気流に遭遇して乗客・乗員18名がけがをしたと報じ、成田空港でのジャンボ機とその周りで救急車が活動している様子を姿を映しだしていた。

 乗客のインタビユ-では、『突然身体が浮き上がって天井に頭をぶつけた。通路の向こうの乗客の上に落ちた・・・』と話していたが、よくぞ無事だったものと驚く。別の乗客は『コ-ヒ-など液体や容器が空中を飛んでいた・・・』と話していたところから、機内の様子の凄さが想像できる。

 テレビのニュ-スなので詳しい時間関係はよく理解できなかったが、アラスカ上空で乱気流に巻き込まれた飛行機は、5時間ほどそのまま飛びつつけて成田に着陸したとのことらしい。パイロットが命に別状あるような被害がないと判断したのだろうが、乗り合わせていた人は生きた心地がしなかったのではないだろうか。

翌日の新聞では、飛行機は日本時間の20日午前2時40分ごろ、ワシントンのダレス空港を離陸。約8時間後の午前10時55五分ごろ、米アラスカ州アンカレジ上空の高度9600メートル付近を飛行中に乱気流に巻き込まれたとある。

現地時間ではないので機内の状況がよく理解できないが、乗客らの話として、乱気流に見舞われた時間帯は客室乗務員が朝の機内食を配ろうとしていたようだ。小さな揺れが続きシートベルト着用の機内放送があった直後、機体が大きく落ちるように揺れたと報じている。

ベルト着用サインが間に合わなかったらしく、乗客らが次々と天井や通路に飛ばされて倒れ、座席のクッションやコップなどが散乱し、天井には大きな穴が開いた(壊れた映像がある)というから相当な衝撃だったと思われる。その直後にパイロットから乗客に『けが人が出ている』と機内説明があったという。

そこまでは理解できるが、乱気流に遭遇した直後に着陸する予定の成田空港には連絡がなかったのが引っかかる。連絡があったのはおよそ5時間後の着陸約15分前だというから、ユナイテッドというアメリカの航空会社では、この程度の事故はわざわざ報告するほどでもなかったらしいが、私にはとても理解しがたい話である。

もう一つ気になることは、シ-トベルト着用サインが間に合わなかったとのことだが、それほどベルトを着用していない人が多いのだろうかという疑問。

日本人の男性乗客の話として『寝ていたら、いきなり天井に頭をぶつけて、通路を挟んだ反対側の人のひざの上に落ちた』というが、シ-トベルトをしていれば衝撃はあっただろうか、ベルトを着用していれば空中を飛ぶことなどなかったのでは・・・。

どうも記事をつなぎ合わせて判断すると、ユナイテッド航空は飛び立ってしばらくして安定飛行に移ったらベルト着用のサインは解消。その後はベルト着用するかしないかの判断は乗客にゆだねており、日本国内の航空会社のように『安全のためにベルト着用してください』なんて丁寧な指示はないのかもしれない。

着用サインをしたのだから間に合わなかったなどは言わせない。自己責任でケガをしたのだから(救急でもないので)着陸してから対応しても十分だろうと機長は判断したのかもしれないが、日本人の常識とはかなりかけ離れている。

私とて時には飛行機に乗る機会があり、一度だけだがニュ-ヨ-クから成田までの飛行機に乗り合わせた経験がある。その時の飛行機もアメリカの航空会社だった記憶がある。

幸いにも乱気流には見舞われなかったが、日本航空のベテラン機長によると、アラスカ上空は山岳地帯の地形の影響で気流が乱れやすいうえ、高度1万メートル付近でもジェット気流の変化などで乱気流が発生しやすいというから、恐らく同じ航空路だったことを思うと、いまさらながらゾッとする。(ベルトは着用していたが・・・)

晴れている状態で起きる『晴天乱気流』というのがあり、その場合は、変化が目に見えにくいため回避は困難だというから、この辺りでの乱気流はとてもやっかいな代物であるらしい。

ここまで書いてきて、ふと今回の乱気流は偶然だったのだろうかと唐突な疑問が浮かんできた。ワシントンは今年記録的な大雪だったという。アメリカ各地からも同じような情報が伝えられている。

一方、今冬季オリンピックが行われているカナダの東海岸では、暖冬異変でこちらは記録的に雪が不足して、オリンピック機運営にも苦労しているとのこと。

乱気流と極端な異常気象は何やら相関関係でもあるのでは・・・なんて言い出すと狂人扱いされそうだが・・・。(田舎親父)

2010年2月22日 (月)

行き過ぎたワンちゃん優遇は少子化促進に・・・

 健康維持というより、死ぬ前の日まで自分で身体を動かしたい、できれば、死ぬ瞬間に誰かがそばにいたらその人に、もし一人だったら自然界に『ありがとう』と言いたいと思っている私は、毎日2時間以上の歩きを義務づけてはや1年以上。おかげで体重は7キロ超減少、体調もきわめて良い。

 それは今日の話題ではないので別にして、先日、歩きの途中に若い夫婦(だろうと思われる)に出会った時の話からはじめる。

四季の森公園での一コマ。向こうから揃って赤ちゃんを抱いている(と完全に見えた)若い二人連れがやってくる。私は『双子の赤ちゃんか。大変だけど良い風景、微笑ましいなあ・・・』と思い、どんな赤ちゃんだろう、目が合えばあいさつでもとと近づくのが楽しみになった。

ところが、次の瞬間、目が点になってしまった。それは、赤ちゃんだと思っていたのがワンちゃんだったのもあるが、それ以上に、当然という様に高価(だと思う)なぬいぐるみにすっぽり覆われたワンちゃんを、さも自分たちの子どものように抱っこする夫婦の姿に、とんでもない違和感を覚えたからである。

そんなこと当たり前の風景だ、と言われるかもしれない。以前にも述べたが、ワンちゃんをわが子のごとく可愛がっている人が多くなっていることは知っているし、近所でもそのような人も多く存在する。

中には乳母車に乗せて散歩している人も珍しくない。その都度、これは可愛がるというより虐待ではないかと思うのだが、誰かから『犬を散歩させているのではなく、自分の健康のために歩いているのだよ・・・』と言われてから、なるほど確かにそんな年寄りも多いことに気づき、以来、そんな人を見てもあまり気にしなくなっている。

しかし、夫婦揃って小型のワンちゃんを大事そうに抱いて散歩している姿は初めてお目にかかる。しばらく立ち止まり、その夫婦が見えなくなるまで後ろ姿を見ていたが、ずっと両手で大事に抱っこしたまま。犬を地面に下ろそうとする素振りはない。

その数日後、新聞の社会面で踊った『ワンちゃんの「住民票」を発行します』という見出しを見た瞬間、何の脈絡もなく、先日出合ったワンちゃんを抱っこする夫婦の光景が目に浮かんだ。

東京のある区で登録済みの飼い犬を対象に『住民票』を無料で発行するという話であるが、『飼い犬は家族』という飼い主の気持ちをくすぐり、飼い犬の登録率と予防接種率をアップさせようという狙いだとのこと。

その区では飼い犬の登録数はここ数年増え続け、現在役所がつかんでいる数は1万7329匹だそうだが、実際には少なくとも5万匹はいるのではないかと推定しているとのこと。

大きく数値が違うのは犬の飼い主に義務づけられている登録そのものに対して(好意的に判断すると)知識が不足しているからというが、知っていても知らんふりの人や登録料の3000円を出したくないと思う人たちも少なくなさそうだ。

 登録がないと狂犬病の予防接種の案内が出せないという。もっともな話である。案内を出しても、予防接種率は約65%だというから、実際の犬の数が推定通りだとすると接種率はわずかに2割程度となる計算である。

 『ワンちゃんの住民票』の意図はわからないでもない。が、例えこの施策で登録率が少し上がったとしても、ペットとしてのワンちゃんの価値をあげることによって、さらに犬を飼うことがステ-タスのように思う現代の風潮が高まるだけではないだろうか。

 そしてもっと危惧することだが、私が遭遇した『ペット命』と思われる夫婦のような人たちを増やすことになりかねない。

この夫婦は子どもが欲しくてもできないのでワンちゃんを可愛がっているのかもしれないが、一般的に、子育てよりワンちゃんと暮らす方が楽しいという意識を持つ人も増えていることは確からしいので、この区ではますますペットとして犬を飼う人が増えるのではないだろうか。

子づくりや子育てよりワンちゃんを飼う方が安易で楽しいとなると、少子化に歯止めなど基本的に無理になることだけは間違いなさそう。

『住民票』も悪くないが、このような風潮をあおるマスメディアと、ペットで金儲けという輩の跋扈を抑える施策を立案し実施することが大事ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2010年2月21日 (日)

今度は禁酒令?・・・

 ヨ-ロッパの国々は流行を作り出すのがお好きなようだ。地球温暖化を言い始めたのはヨ-ロッパの国々、ロハスとかエコとかいう言葉も、その根底にはヨ-ロッパ流の考え方が流れていることは誰も疑わない。

タバコが肺ガンの要因との学説もヨ-ロッパから始まり、受動喫煙という言葉も生んだのも、そして禁煙の動きもヨ-ロッパの国々が先行していることはよく知られている。そのためだろうがタバコの価格は日本などに比べてかなり高価だと聞いている。

産業革命で圧倒的な富を得たヨ-ロッパの先進諸国は、その富によって様々な文化芸術を創り出し、世界各地からあらゆる産物を独占し、飲み物から装飾品に至るまであらゆる嗜好品に文化的価値をつける競争を繰り返してきた歴史を持つ。

中でも酒に関しては、ドイツのビール、フランスやイタリアのワイン、イギリスのスコッチウイスキー、ロシアのウオツカなどは、その国の代名詞にもなっているほどで、小説や映画の世界でもお馴染みである。

そのヨ-ロッパの国々でアルコール規制が急速に進んでいるというニュ-スに興味を覚える。健康への害だけでなく、酒が原因の犯罪などが増えているからだという。 

 パブの本場・イギリスでは、ビールを飲んで大騒ぎする若者の存在が社会問題になり、政府が『飲み放題』の宣伝や『早飲み競争』の禁止法を検討しているとの記事を見て、『飲み放題』はわが国の専売特許的行為とばかり思っていたが、これもイギリスからいただいたものかと、変な意味でガッカリさせられる。

この法案では、パブの経営者らに若者の年齢確認を義務付けて違反には2万ポンド(約300万円)の罰金などを科すとのことだが、イギリスでは飲酒の年齢制限はなかったのだろうか・・・と疑問符がつく。アルコールの値上げも盛り込んでいるとのことだが、これには圧倒的多数の愛飲家の大人たちの『なんで俺たちのささやかな楽しみを奪うのだ』という不満が高まることは間違いなさそう。

 かたやワイン大国のフランスは健康への害を重視。フランス政府保健省は昨年、『1日1杯のワインでがんの発生リスクが最大168%増す』と警告し、禁酒キャンペーンを始めたというから、禁酒への取り組みは本気らしい。

 イタリアでもこの動きは広がっているそうで、昨夏から街頭でのアルコール販売が禁じられたばかりか、禁酒した14歳から24歳の若者たちには賞金や旅行券というご褒美をつける自治体も生まれているという。14歳からという年齢の出し方から、イタリアでは飲酒が子どもの頃から当たり前になっているのだろうか、と思わずびっくり・・・。

 この動きは間違いなくすぐにアメリカに波及するだろう。わが国にはヨ-ロッハかぶれの人が多い上に、国全体が『アメリカがクシャミすれば日本がカゼをひく』と言われて久しいことから、時を移さずわが国に上陸することは間違いなさそう。

 まして飲酒運転による事故、そして飲酒撲滅の刑法改正がひき逃げ事故の激増につながっている現状から、『禁酒は当然』というキャンペ-ンが始まるだろうことは容易に想像がつく。場合によったら、受動喫煙と同じく『受動飲酒』などという新語が生まれることさえあるのではないだろうか。

まして、つい最近世界保健機関(WHO)の執行理事会が『アルコールの有害な使用を減らす世界戦略』を承認したと紹介しているから、アルコール規制の流れは全世界的なものになることは確実なようだ。

このような横文字の機関の動きにわが国のマスコミが飛びつき、世論もそれに盲目的に追随する傾向があるので、まもなく飲酒運転だけではなく飲酒そのものへの圧力が始まる気配さえ感じられてくる。

一気に禁酒令といかないだろうが、税収が落ち込んでいることから、民主党政権は酒税の値上げをもくろんでいるかもしれない。なると、小売価格に直結することは間違いないので、ビ-ル一本1000円なんてことにもなりかねない。これは、タバコは嗜まないが晩酌を欠かさない私には他人事とは思えない。

 景気が上向かないのに、酒の値上げはますます景気を落ち込ませるだろうことは間違いないが、それ以前に、酒関係が生計を成り立てている人にとっては『死ね』という宣告に等しいのではないだろうか。

 為政者には、この辺りのバランスをとった政策の立案実行をお願いし、くれぐれも一方的な値上げをしないでいただきたいものだが・・・。(田舎親父)

2010年2月20日 (土)

パンダに願いを託し・・・というところか

 先日の夕方、何気なく聞いていたテレビニュ-スで『上野動物園にパンダがやってくる・・・』というアナウンスの声が流れた。

画面には最近余り騒がれなくなっている都知事が、例によって苦虫をつぶしたような顔で『中国との話がついた・・・』というような意味の発言をしていた。

上野公園のバンダ『リンリン』が死亡したのはかなり以前のこと。それ以来パンダのいない上野動物園は人気がガタ落ちで、昨年度は60年ぶりに入場者数が300万人を割り込んだという記事があったような気がする。

園内に置かれた提案箱には『パンダがいなくて残念です』とか『もう一度パンダにあいたいです』といった投書が目立つというから『上野公園=バンダ』というイメ-ジが今でも強いようだ。

パンダは風貌やしぐさが愛らしく、今風の言葉で表現すれば『癒される』存在。入園者の数に影響することは予想されており、『ランラン』だったか『カンカン』だったか忘れたが、『リンリン』の相棒が死亡したときから、代わりのパンダをという声が高かったことを思い出す。

その後まもなくして上野動物園最後のパンダ『リンリン』が死亡したとき、代わりのパンダをという声が一段と大きくなったが、ワンマン知事ドノは『みんなが大泣きして悲しむ問題じゃない』と冷たく言い放ち、『ご神体じゃあるまいし、いてもいなくてもいいんじゃないか。日本のほかの動物園がいっぱい持っている。そんなに見たいなら、そこへ見に行ったらいい』と発言したことははっきり覚えている。

この発言に対してマスコミは傲慢すぎると一斉に報じていたが、この知事ドノは傲慢さが売り物、過半数以上の都民からの支持で選ばれたという自負があるので、こんな批判など痛くも痒くもないはず。自論としている中国(シナと言ったと思うが)蔑視そのものの言い方で『たかが動物のためにレンタル料を1億円も払えるか』とのたまったが、これはこの御仁の本質で本音だろう。

今回どのような事情で変節したのかは知らない。が、今回、雄雌2頭のレンタル料として年間95万ドル(約8500万円)で中国と大筋合意という発表は、新東京銀行の放漫経営や築地市場の移転問題などで行き詰まり感が漂っていることもあり、都民の気を引くような方針を打ち出したと受け止められても仕方ないところ。

この御仁にとっては、はじめから無理を承知でオリンピックの招致に数百億も税金を使ったことでわかるように、年間一億ぐらいはゴミのようなものかもしれないが、都民はたまったものではないのでは。

福祉や教育だという都民の基本的な生活を守るための予算を切り詰めても、自分のパフォ-マンスには湯水のごとく税金をつかうのは得意技。となると8500万円というレンタル料も怪しいものでは・・・。

パンダがやって来ることには基本的に賛成するが、最低限、中国との交渉の経緯を明らかにすることと、とレンタル料が妥当かどうかしっかり議論する必要はあるはず。

『癒し』のためにパンダを常時展示するとなると相当の予算が必要になるだろう。入園者が増えればこんな問題は解決するという声が聞こえそうだが、巨額のバンダの生活費を支払ってまで『癒し』が必要なのだろうかという疑問は残る。(田舎親父)

2010年2月19日 (金)

日本人の文化と思われては・・・

 ここ数週間、水曜日の午後8時からNHKハイビョンは『コメ食う人々』という番組はタイトルが気に入っているので、できるだけ欠かさず見るようにしている。

17日に放映された米作りの舞台はブラジル。この番組によって、コメが世界中で作られ、圧倒的な人々の主食になっていることを知り、コメの文化の広がりと深さを改めて感じさせられているが、今回の構成もブラジルでのコメ作りなどが実に丁寧に紹介されており見応えはあった。

しかし、案内役の男性俳優が取材の時はともかく、訪問先の家庭において家族たちとの食事時に帽子を脱ごうとする仕種さえしない、いやむしろそれぞれ違う帽子を誇示しているような映像に違和感を持ったのは私だけだったとは思えない。

ブラジルに食事時も帽子を手放さない文化があるのなら、俳優の態度は理解できないことはないが(それでも日本の文化では食事中には帽子はかぶらないのが普通だろう)、今回訪問先での食事場面では相手のブラジル人たち全て帽子を脱いでいるのに・・・である。

この番組では毎回、農業を志している女子大生が脇役を努めている。民放の女子アナやお笑いタレントがキャ-ギャとうるさいだけとは違い、(特に美人を選ぶことなく)どこにでもいるごく普通の女性を起用している。そして、その女子大生が目立たないように番組構成に色付けしているのは観ていて好感がもてる。

今回選ばれた女子大生もその通り。いやそれ以上で、今では農村の高齢者だけになってしまった『モンペ姿』は懐かしくさえ思うと同時に、この女子大生は訪問先の玄関に近づいたら必ず帽子を脱いで手にしている自然な姿は観ていてすがすがしい。なのに、一方の男性俳優はそんな気配すらなく、むしろ帽子を脱がないことを強調しているような画面構成はいただけない。

話は飛ぶが、先日スノ-ボ-ドの国母という選手のことを話題にした。昨日そのスノ-ポ-ドの競技をテレビ中継をしていたが、その凄さに引き込まれてしまった。まるでサ-カスを観ているような錯覚を覚える。

こんなことができるのかと思うような荒技が次々に繰り広げられ、ハラハラドキドキしてしまう。これは若者だけではなく、私のような高齢者でも引き込まれるものがある。

ところがしばらくして選手の体型が気になりはじめてきた。欧米人がこんなに足が短いわけはないのに何故だろうという疑問が、ズボンを極端にずらしてはいているせいだと気づくのに時間はかからない。

私には、何故選手たち全員があのズボンのはき方をしているのか全く理解できない。ひょっとして競技に必要なことなのかもしれないとは思うが、世界の一流選手があの姿でオリンピックという最高の場で堂々と競技しているのだから、国母クンとしたらあの姿で人前に出ることなどは、ごく普通のことだったのかと変に納得。本人の、なんで批判されるの・・・という気持ちになるのは当然だろう。

付き添っていた役員たちも、いつも見かける姿なので違和感を覚えなかったのだろうから、注意する・しないなど別問題。この競技そのものが日本人の感覚とは異質なものに違いない。高校生のあの姿は案外このスノ-ボ-ドの選手への憧れからきていると考えるとこれも納得できる。

初めて見るスノ-ポ-ド競技から、前日見た、食事中に帽子をとらない若い俳優の姿を思い出すと同時に、若者やたちの服装や仕種は大人たちが許容していることが原因だということに気づく。

食事の時に帽子をとらないことが日本文化だと、NHKの制作責任者が考えているとは思いたくないが、『コメ食う人々』を見た若者は、食事の時に帽子を脱がないことが新しい日本人の習慣だと勘違いすることは間違いなさそう。これは結果的に日本の大人の良識と思われているNHKという組織機関がテレビという民衆にもっとも影響力があるメディアを通して、日本の文化を否定していることになるのでは・・・。

スノ-ボ-ドを運営している大人たちが、あのかっこを当然と許容し、選手全員がまるでそのようなかっこをすることが決まりのように、全員がダブダブのズボンをずり下げてはいている。そしてオリンピックの競技として全世界に発信しているのだから、日本の高校生のあの姿は、結局はテレビが作り上げていることになる。

全く異質な二つの番組から、これは若者の服装や習慣というよりは、番組を作ったり、オリンピックの競技として採用し運営する大人たちの意識の問題ではないだろうか・・・と考えさせられてしまう。(田舎親父)

2010年2月18日 (木)

葬式鉄とはなかなかのネ-ミング・・・

 最近どんどん『鉄道ファン』が増えているそうだ。熱狂的な鉄道マニアのことを『鉄ちゃん』と呼び、このところ女性もその仲間が増えていることから、鉄道マニアの女性には敬意を込めて『鉄子』ということも定着しているという。

鉄ちゃん・鉄子たちはそれぞれ写真を撮ったり、遠くまで旅行したり、ダイヤを眺めたり・・・と様々な楽しみを作り出しているらしいが、このところ鉄道マニアの目に余る行為が増えているらしく、こちらの話題も事欠かない。

先月だったか、 退職後も私もしばしば利用している『JR京浜東北線』で鉄道マニア達の迷惑行為が新聞に載っていた。

『京浜東北線』と名前が付いているので、余り混雑しないような印象を受けるが、神奈川・東京・埼玉の中心都市を結ぶ大動脈。朝晩のラッシュともなるとすし詰め状態で身動きすらままならない。しかし、通勤客がほとんどを占めることから、土日に乗ると通勤ラッシュの様子と風景が一転しのんびりとした雰囲気がある。

この事件はそんな日曜日の午後3時過ぎの東京駅で起きたという。先頭と最後尾の車両には『ありがとう』『209系』などと記された丸いヘッドマークが装着されている列車のホ-ムに入ってきたとき、写真を撮ろうと待ち構えていたものすごい数の鉄道ファンが一斉にシャッタ-を切るという光景が展開されたらしい。

ときたまこんな光景に出会わすことがある。こんなことを書くと鉄道ファンから叱られそうだが、私も写真を撮ることは嫌いではない。鉄道も好きで、旅行に出かけたときなど車窓からの風景をあきず眺めている方だが、わざわざホ-ムでたかだか電車の写真を撮って何なの・・・と思わないでもない。

ところが、最近は鉄道雑誌などの影響で俄ファンが増えているらしく、『何型の電車が最終ラン』などというような情報が流れると、その姿を自分のカメラに収めようと、どこから集まるの・・・というほどの人がたまるらしい。

 この日は『209系』と呼ばれる通勤型車両が引退する日。東京駅の5.6番ホ-ムは大変な人だかりだったとのこと。また、この系列の電車の社内には別れを惜しむファン?が多数乗っていて、特に先頭の車両は朝のラッシュ時にも負けない満員状態だったというから、俄ファンが多いといえ異常ともいえる人気。

 車内に記者がいたらしく、その様子を伝える記事があった。それをそのまま引用すると『ほとんどが男性のその集団は、駅に到着するたびに「うおー!」という歓声を上げていた。そして、ドアが開くと同時に一斉にホームへ駆けだして写真を撮り、また駆け足で車両に戻るという動きを繰り返す。車内を見渡すと、座席では靴を脱いで立ち上がり、うれしそうに車内を眺める少年の姿もある。隣に座った初老の女性は、少年が背負ったバックパックが何回もぶつかり、思わず顔をしかめているが、車内で大声を上げる集団は誰も少年をとがめようとしない。(中略)途中の駅から外国人とみられる親子が乗ってきたが、父親に抱かれた幼児は、あまりの騒音に泣き出してしまった。・・・』以下略。

これが事実だとしたら一般乗客にとっては迷惑以外何物でもない。

こんな俄ファン質は正統派の鉄道ファンからも嫌われているらしく、筋金入りの『鉄ちゃん』たちは『葬式鉄(そうしきてつ)』と呼んで軽蔑していると言う。車両や路線が廃止されるときに集まるから葬式に見立てたこのネ-ミングは言い得て妙と感心する。

そんな『葬式鉄』たちが、写真を撮るために線路に立ち入り、ついには電車を止めてしまったという記事があった。止まったら近づきたくなるのが群衆心理。結局このことでJR関西線は上下線合わせて19本が運休、26本が遅れて、約1万3000人が影響を受けたというから、これは犯罪と言ってもおかしくない。

ついにJR西日本は警察に被害届を提出する手続きに入ったという。ある意味当然だろうが、首謀者などいる訳ないのだから、被害届などは形だけ。今後も最終ランなどという情報が流れたら、より多くの葬式鉄たちは集まるのではないだろうか。

JR西日本側はせ『写真を撮るのは自由だが、線路外から撮影してほしい』と言っているようだが、今後も車両や路線の廃止の情報で人集めしたいのが本音だろうから、この種の情報は間違いなく流すだろう。すると・・・。

だとしたら、鉄道ブ-ムが続く限りこのようなイタチゴッコは繰り返されることは間違いなさそうだ。JRも本気でこの対策を急いでほしいものだが、本物と俄との見分けがつかないだろうから、これというアイデアが浮かんでこないだろう・・・な。(田舎親父)

2010年2月17日 (水)

各地で大もての中国人観光客・・・

 去る14日は旧暦の元日。日本国内は商業ベ-スに乗りやすい体質なのだろうが、バレンタインディと大騒ぎ。店頭にはチョコレ-トがあふれるだけではなく、様々なプレゼントの話題一色だったが、お隣の中国(台湾や香港なども含めて)では『春節』でお祝い気分が盛り上がっているようだ。

 国を挙げて、この日から1週間は祝日で官公庁や会社が全てお休み。地方から都会に出稼ぎにきていた人々が故郷に帰省する光景はテレビでお馴染みになっている。それを観て私と同年代かそれ以上の方にとっては、若いころのわが国の年末の帰省ラッシュの風景を思い出している人も多いと思っている。

 当時は、それこそ何がなんでもお正月は故郷に帰り家族が親戚とひとときを過ごし、友人たちとの再会を何よりの楽しみとの価値観が当たり前だったので、東京から故郷(特に東北)に向かう列車の混雑はすさまじかったことを知っているので、現代の中国の光景は、気の毒というより懐かしいと思う人も少なくない。

 現代の中国と表現したが、ここ数年中国の経済発展はすごいものがあり、中国各地の『春節』の過ごし方が様変わりしているという。

 地方から都会に出稼ぎにきている人たちは、故郷めがけて帰省する光景は変わらないようだが、都会に住む、特に富裕層や中間層と呼ばれている、ある程度経済的に余裕のある人が爆発的に増えて、長期休暇を利用して外国旅行を楽しむ人が急増しているらしい。

 特に日本は近くで旅費が安いことに加え、家電や化粧品が大変品質が高いということが評判らしく、これらの買い物が目的で、連日中国や台湾・香港本校などから大勢の観光客が全国各地を訪れている様子がテレビのニュ-スや特集で取り上げられている。

 先日のテレビニュ-スは、大型バスで乗り付けた中国人一行が秋葉原で家電の買い物風景を映し出していたが、大型の液晶テレビやビデオカメラ、あるいは高級デジカメを片っ端から躊躇なく買っている人や、一人で炊飯器を6台もぶら下げてバスに荷台に入れている人の姿を見るとただ唖然とするだけ・・・。

 また、北海道などのスキ-場にも中国人の姿が、時には日本人以上に目立ち、スキ-客の減少に頭を痛めている関係者には朗報と大歓迎している映像もよく目にする。旅館やおみやげ屋などは中国語が話せる人をおいて売り上げ上昇に懸命らしいが、観光地にとっては今や中国人は福の神に見えるようだ。

 さらに別の日の映像では、大阪の心斎橋筋近くのデパ-トの洋服や化粧品などを買い物している人はともかく、今ではデパ地下といわれる食料品の売り場も人気があるらしく大勢の中国人が買い物をしている姿が紹介されていた。

 彼らが群がっている場所はイチゴやリンゴなどの果物売り場。レポ-タ-によれば『宝石のようなパッケージや陳列』が魅力で『お土産としてではなくホテルなどで食べる』ようだとのことだが、確かに中国人にはこのような繊細な売り方はないだろうから、とても美味しそうに思えるのだろう。

 デバ-ト側としてはホクホクものだろう。臨時の両替場を設けたり、カ-ド決済ができるシステムを作ったりとおおわらわらしいが、さすが大阪人と感心すると同時に、このままで良いのだろうか・・・という気持ちもよぎる。

 日本人は全て中流だと思われていたのは遠い昔。格差が広がった現在ではデパ-トで買い物ができる人たちはごく限られた人種になり、圧倒的多数はより安いものに群がってしまい、デパ-トが過去のものになってしまったようだ。しかし、だからといって中国人に頼りきる商法に一抹の不安を覚えるのは私の杞憂だろうか。

 テレビを見ている人の中には、数十年前日本が空前の好景気になっていたころ、アメリカやヨ-ロッパ各国に大挙でかけて、ビトンだエルメスなどだと言って高級バッグなどを買いあさった姿とダブらせている人も多いのかもしれないが・・・。

 デパ地下でみたイチゴが整然と並べられたパッケ-ジを見た感性のある中国人が見て、中国国内で作ったイチゴを同じようなパッケ-ジでくるんだら、価格的に日本で勝負できると考えそれを実行したら、と想像すると背筋が寒くなる。

 たちまちのうちに、影響は国内のイチゴ農家に及ぼし、衰退の道を歩み始めるのは明らかでは。実際に我々の身の回りには圧倒的に『メイドイン・チャイナ』が多くなっていることを深刻に受け止め、何か手だてを打つ時が来たように思えるが・・・。(田舎親父)

2010年2月16日 (火)

えっ こんなことがあり得るの・・・

 『土地区画整理法の規定により、換地処分をします』という神戸市長の公印が押してある書類が届いたという記事に、法律に疎い私には『何のことだろう・・・』というのが正直な感想。

読んでみると、神戸の東灘区という住宅地の地権者6千人あまりに先月、市役所から『清算金』の支払いを求める通知書が一斉に届いたとのこと。半世紀近く前から続いていたこのあたりの市街地の区画整理が終了したので、一連の工事にかかった費用1人平均約230万円を請求するという内容である。

 該当の地域は阪急『御影駅』近くというから、阪神淡路大地震で住民の避難所になった御影小学校の近くではないだろうか。このあたりは一帯が被害に遭ったにも関わらず御影小学校は壁に若干のひび割れが入ったものの避難所として十分つうようしていた姿は記憶に残っている。(ここでは関係ないが)この事実が、学校は地震に滅法強いという私なりの考え方になっている。

記事で一人の高齢の女性の例を紹介している。御影地区の一戸建てに住むその女性に、配達証明郵便で市長公印の入った『換地処分通知書』なるものが届き、その中の『清算金明細書』の部分を読むと、『徴収』という欄があり、そこに120万超の金額の記載があり、支払いなさいという内容があったというから、びっくり仰天したとのことである。

女性宅があるのは『東灘山手地区』と呼ばれる81ヘクタールの地域、その辺りには登記簿には約3000筆もの土地があり、6000人以上の地権者が住んでいるという。地積などに疎い私には『筆と人との関係』はよく飲み込めないが、かなり地権者が入り組んでいることだけは何となく理解できる。

この区画整理事業が始まったのは1965年というから45年も前、ずいぶん時間がかかったものである。市の言い分は『工事が遅れたのは、市の施行としては戦後最大(戦災復興と宅地造成除く)の面積のため』とのことのようだが、それにしてもお役所仕事過ぎるとしか表現のしようがない。

戦災というから太平洋戦争のことだろうが、確か神戸も焼け野原になっていたはず。そのときに大規模な工事が行われていたとした、わざわざ区画整理などしなくても良かったようにも思えるが・・・。

それとも、戦後のドサクサに焼け跡に無計画に我が家を復興したので、迷路のよう曲がりくねった細い道が複雑に交差する、大阪弁で言う『ゴチャゴチャな街』になっていたのかもしれない。だから大地震で倒壊する家が多発したとも考えられないこともない。

実際、女性の自宅は大地震で全壊し、25年間の住宅ローンを組んで再建したという。倒壊した跡地に住宅を新築したのだろうが、当時進んでいたはずの区画整理との関連がよく理解できない。

(あえて口にするが)地震被災の復興は、被災者には申し訳ないが、行政にとって一気に区画整理を進めるには絶好のチャンスだったはず。被災の大きさに呆然として、そこまで考えられる人がいなかったのかもしれないが、ちょっとお粗末・・・。

記事は続く。地権者に初めて清算金の額が公開されたのは、昨年の11月。女性が区内の施設で閲覧すると、所有地にかかる徴収金額が約120万円とのことに驚き、『根拠を示して欲しい』との意見書を市に提出したが、市からの返事は『あなたの意見は採択すべきではないと認めます』と書かれた文書が返ってきたという。

今回届いた書類にも120万円の積載根拠はないとのこと。本当だとしたら、こんな無茶なことがあって良いのだろうか。

同じ地区に住む男性の高齢者は『区画の整形のために所有地の13%が削られたが、63万円を支払うよう通知された。金額の根拠を求めても、計算に基づいてやっているとしか言われない。土地を取られて金まで取られるなんて納得できない』と憤っているとのことだが、これでは怒らない方がおかしい。

 区画整理に引っかかって転居したと言っている人を知っている。その人の場合は、地下鉄計画に関わって市が行う区画整理によって、住宅を没収されることになったが、代替地に引っ越したと言っていた。

長年住み慣れた土地を離れるのは寂しいが、地下鉄が通るのだから仕方がないと語っていたが、区画整理とはこのようなことで、住んでいる住民のことを考えて進めるものだと思っていた私には、今回の神戸のようなことがどうして起こるのか不思議でならない。

今後も区画整理などには無縁だろうが、土地を奪われた上に高額の清算金を請求されるとなると、この辺り少し勉強する価値がありそうだ・・・。(田舎親父)

2010年2月15日 (月)

都市部の小中学生の農山漁村留学を広めたいもの・・・

 先日(2月10日)に放送されていた、NHKのお昼の『ふるさとには一番がある』という番組で広島の事例として、この3月で廃校になる海辺の小学校を舞台に、地域の伝統行事を取り上げていた。

途中から見たので、はじめは筋書きが理解できなかったが、地域の伝統文化である『どんと焼き』を組み立てる場面をメインの構成にしながら、全校児童が通い慣れた学校とのお別れに際して、地域の文化や伝統、学校の様子などを題材にカルタを作り、それを紹介しながら『ふるさと』がいかに大切かを訴える番組の流れ・・・。

見始めた巨大な『どんと焼き』を組み立てる場面は、背景が学校らしく見えたので、全校でどんと焼きをするのだろうと思っていたら、大きなカルタが出現して6年生の児童(背の高い実にハキハキとした利発な男の子)がその文字にあった風景などを紹介する姿に感心して、その後は最後まで見てしまう。

まもなく巨大『どんと焼き』装置は組み立てを終わり、子どもたちと地域の大人たち(当然のことながら高齢者ばかり)の手によって立ち上げられる。校庭の端で立ち上がったので、こんなところで火をつけるのだろうかとびっくりしたか、すぐにそれが全員の手で引っ張られて動き始めたので一安心。そのあたりから、どうもこれは廃校になるお別れの行事らしいということに気がつく。

後は省略するが、このような廃校になる人間模様を描いた映像は(今回のように主役になることは稀だが)いろいろな番組の中で日常的に目にする光景。そのたびに、何とかならないのか思いながらも解決策が見いだせない自分が情けない。

(曜日は忘れたが)翌週の夕方、NHKの『首都圏ネットワ-ク』という番組で、北海道の全校児童7人という小さな小学校での山村留学の話題を紹介していたが、これは私にとって大変なヒントを与えてくれた。

その小学校の名前は『美利河(ピリカ)小学校』。『ピリカ』という言葉は国民的流行歌になっている『知床旅情』にも出てくる。学生のころだからもう40年も前になるが、この歌が出始めたころには寮でよく歌ったもの。そのときに『ピリカとはなんぞやれという議論をしたことを思い出す。

確か『ピリカ』とはアイヌ語で『美しい・素敵・素直・善』などの意味で、アイヌの人たちには大変重要な意味を持つ言葉だったはず。その『当て字』としてこの小学校が名乗っているのだろうが、映像を見る限り美しい自然と心優しい人々に囲まれた、まさに『ピリカ』という名前が相応しい小学校ということが伝わってくる。

総勢7人の児童のうち、現地の子どもは3年生の男児一人だけ。後の6人は東京や名古屋など都会からの留学生だという。6人は1年間だけという期間限定の留学、二人の里親の元から学校に通っている様子をカメラが追いかけ紹介している。

番組を構成する上で脚色はあるのだろうから全てが事実だとは思っていていない。しかし、酪農家に預けられた女の子二人は『こんな経験は絶対二度とできないとから・・・』と充実した生活を過ごしている様子は、眼の輝きから偽りではないと確信できる。

興味があったので、留学の条件を調べてみたら、留学生を預かる家庭を『里親』としてその里親は留学生の保護者として責任の一切を持つとある。留学機関は1年で、月に4万円と遠足などの学校行事費として7万円を徴収するらしい。

6人の保護者はどこからかこの情報を仕入れ、都会の学校で味わえない生きた教育を受けさせたいと応募したとのこと。母子家庭にとっては姉弟を100万円超の費用負担をしてまで留学させるのは大変だろうなと思いながらも、子どもを旅出させた母親の決断に最大限の敬意を表したい。

全国各地には地域の活性化と学校の存続を願って、このような内地留学制度を受け入れる地方自治体も多いことは知っているが、都会の学校現場にその情報が降りてくることは稀で、ほとんどの場合、都府県や区市教委の段階で止まっているのが現状。

都会でも子どもの数が少なくなる傾向があり、一人の増減で学級数や教員人数に影響するとなると、何としても児童数の確保したくなるのはよく分かる。しかし、中にはこのような情報を知ったら、わが子を自然豊かな環境で過ごさせたいと思う保護者が出現するのではないだろうか。

過疎化の問題は単に地方だけの問題ではなく、日本人全体で取り組まなければ絶対に解決できないことは明らか。そのために都市部の住民も真剣にこの問題に取り組む必要があるはず。何とか知恵を出し合いたいものである。

そこで一つの提案だが、来年度から、子ども手当てが支給されるのだから、内地留学の情報をもっとオ-プンにして、全国の都市部から数百人あるいは数千人の規模で内地留学生を地方に送り出せないものだろうか。1000人分としてもその費用は高々5億円程度なのだから・・・。

それこそ、誰の眼にも汚らしい服装でもメダルさえとれば良いという考え方でオリンピックの代表にするような無駄遣いは止めて、きっちり『仕分け』をすれば、この程度の予算など捻り出すのはたやすいと思うのだがいかがだろう。

送り出す都会の学校に不利にならず、受け入れる自治体が活性化し、何よりも児童生徒数の減少で廃校になる運命にある小中学校が、それを免れられるような制度を早急に議論してほしいものである。(田舎親父)

2010年2月14日 (日)

選んだ方と許した団長の責任では・・・

 昨日は朝から粉雪が舞う悪天候。何気なくテレビをつけたら、オリンピックのジャンプ競技らしいものをやっていた。

確か、前の夜には明日開幕と言っていたと思っていたのに、変だなと思って改めて新聞でテレビの番組表を確かめたら、やはり開会式は今日だとある。ジャンプ競技は選手たちが空を飛ぶ姿が美しいのでしばらくそのまま観ていると、今中継しているのは予選だということが分かった。

アナウンサ-は『日本人選手は4人とも予選を通過しました・・・』と言っていたが、もし予選で落ちたら折角代表に選ばれたのに関わらず開会式にも出られず帰国するのだろうか、というへそ曲がり的な疑問がよぎる。多分競技日程が詰まっているのだろうが、予選だからといって開会式前にやらねばならないことが私にはよく理解できない。

先進諸国のお祭りと言うとオリンピックファンには叱られそうだが、冬季オリンピックというのは(当たり前のことだが)開発途上という貧しい国が多く存在しているアフリカや東南アジア、あるいは中南米の普段から雪や氷と縁のない生活をしている国々からの参加は基本的には無理。

先進諸国だから予算がつくのかもしれない。わが国では予算は潤沢なようで相当数の選手枠とそれ以上の数の役員たちを送り込むらしい。そのため、予選も通過できないことが明らかな選手でも代表に選んでいるのかもしれないとは変な話。選ばれた選手も予選に落ちたとなるとカッコがつかないのではないだろうか。

競技に時間的な制約があるのなら、国際ル-ルとして基準ラインを決めてそれをクリアしなければ代表に選ばなければ良いと思うのだが・・・。これは夏のオリンピックの陸上・水泳の競技も同じで、低い基準ラインを設定も『オリンピックは参加することに意義がある』という、こんな場合だけの勝手な言い訳につながるようだ。

それはともかく、その日新聞に眼を通すとオリンピック代表の『国母が謝罪 開会式の参加自粛』という見出しがあった。何のことだろうと読んでみると、この選手の服装が乱れに対しての抗議が殺到したことを受けての謝罪会見の記事である。

『スノーボード・ハーフパイプ(どんな競技か全く知らない)』の代表だという。抗議が殺到したのはこの選手は日本を出発してバンクーバー入りする際、選手団の公式ブレザー姿でシャツを外に出し、ネクタイを緩めていた姿だった映像がマスコミで紹介されたことらしい。

そのときの映像がネットで紹介されていたが、なるほど今どきの中高校生の間に流行っている、シャツを出してズボンを極端に下げて粋がっているあの汚らしい姿。しかもお仕着せのブレザ-となると誰が見ても不快。これは抗議が殺到するのも理解できる。

オリンピック委員会は本人に謝罪させたが、その後の会見でも『反省してま~す』という発言態度が油を注いでさらに批判が集中したらしいが、そもそもスノボ-という競技を楽しんでいる若者たちの間では当たり前の姿だろうから、このようなカッコを良いと思い込んでいる本人にとっては『何故文句を言われるの・・・』というところ。

この選手には3名もの役員がついていたというから、もし服装に決まりがあるのなら(あるいは役員が汚らしいと思ったら)、その時点で役員が注意するのが当然。オリンピック終了後に処分などという話も出ているらしいが時すでに遅しという感じ。民主党政権の仕分けが盛んなことから、当然のことながら次のオリンピックの費用にも影響するのではと思ってしまう。

私の想像だが、この選手にはメタルの期待があるのではないだろうか。役員はメダルさえとれば何とでもなると服装が気になったとしてもこの選手をチヤホヤしていたに違いない。マスコミが作り上げることだが、国民総体として、メダルさえ可能性があればどんなことでも許すという風潮が現代のスポ-ツ選手を取り巻く背景にあるのではと思えてならない。

選手が所属するスキ-連盟からこの選手の出場辞退の申し出があったらしいが『国母選手が試合で自分の力を出し切るのが責任の取り方。最終的な責任はすべては私にある』と実に政治的な発言で出場させることにした団長はさすがは自民党の議員。この御仁もメダルさえ獲得すればなんとでもなると思っているのだろう。

この選手がメダルを獲得するとは思えないが、もし獲得したらマスコミはどのように報道するのだろうか・・・想像するだけで(馬鹿馬鹿しいながら)面白くなる。

そして(こちらの方がはるかに可能性は大きいだろうが)メダルがとれなかった時、橋本という団長に対してのマスコミの姿勢が見たいものだが、マスゴミと呼ばれるようでは期待できないか・・・。(田舎親父)

2010年2月13日 (土)

逮捕で幕引きにしてはならない・・・

 群馬で昨年3月に起きた老人施設の火事の『10人もの引き取り手のない老人』が焼死した事件は、老人問題を考えさせる意味でも世間の注目を集め、マスコミは視聴率稼ぎの絶好のネタとして連日大騒ぎしたことは記憶に新しい。

今そのことを思い出すと、施設そのものが無届けだったことや外壁に燃えやすいベニヤ板などを使っていたなどと原因を無理に探し出すような記述が多かったが、私が真っ先に首を傾げたことは、運営がNPO法人だったことは、その責任者が85歳という高齢者だということ・・・。

特に、高桑という責任者の男性が事件当初から『今回の事件の責任は全て私にある』とはっきりと語っていたことは、その潔さにある意味驚きを感じたものである。

NPO法人の半数以上が全く活動していないということはよく聞く話。利益を上げてはならないという前提なのに、会社組織と間違われるほど利潤の追求に熱心な団体も存在するということも耳にする。

このNPO法人が金儲け主義で老人ホ-ムを実質運営していたのかなど実態は全く情報を持たないが、主に都市部で生活保護を受けている老人たちを受け入れていたという報道などから自分なりに判断すると、ある意味『必要悪』的な意味があり、行政もそのあたりの事情を知りながらも送り込んでいたのではと思ったものである。

その後しばらくマスコミは、そのような生活ほどを受けている人たちを受け入れることで莫大な利益を得ている悪徳業者などのことを『貧困ビジネス』という言葉まで作り、追いかけて報道していた。そのほとんどは無認可・無許可での営業で、NPO法人の悪徳営業は報道されていなかったと記憶しているが、それらの報道合戦はまもなく終わり、いつのまにかこの事件のことは世間から忘れ去られていた。

ところがつい最近になり、老人施設『たまゆら』を運営するNPO法人『彩経会』理事長の高桑某と理事の久保某を業務上過失致死容疑で逮捕したという報道に、ずいぶん遅い逮捕だと思うと同時に、どこからか介入があったのではと何となく引っかかる。

 逮捕容疑は、たまゆらで火災が発生した場合の危険性を認識しながら、避難訓練や消防設備改善などの注意義務を怠り入所者を死亡させた疑い。

新聞報道によると、捜査本部は(1)無届けだったが、高齢者が多数入所し食事や入浴の介助をしていたことから、実質的に有料老人ホームに該当する(2)建築基準法違反があった(3)入所者が簡単に開けられない鍵がかけられていたの3点を重視し、立件に踏み切ったという。

また、理事長たちは新聞社の取材に対して『燃えやすいベニヤなどで増改築した粗末な施設なので、火が出れば危ないと認識していた。(県警の任意の捜査で)聴かれたことはすべて話している』と話していたとのこと。

記事が真実だとすると、明らかにこの理事長たちは確信犯。火災が発生した場合の危険性を認識していたとなる。さらに、10人のうち7人が焼死した建物の避難経路が施錠されて逃げ道がなかったというから、酌量の余地はなさそうだ。

逮捕は仕方ないだろうが、この事件の背景にある『高齢者介護』という問題、特に都市部で住む引き取り手のない生活保護を受けている老人をどうするのか、という根本的な命題には全く触れず、ただ逮捕でこの事件を幕引きするとなると納得できない。

特に最近は生活保護世帯が増え続けて全国の自治体はその予算の捻出に頭を痛めているという。中には、派遣やアルバイトより生活保護を受けた方が生活が楽という話まで伝えられているとなると、この人たちをタ-ゲットに金儲けを企む輩の跋扈を防げないのではないだろうか。

鍵がかけていなかったら何人は助かった可能性があるということや、建築基準法で決められた材質だったら火事は未然に防げたという意見は間違っていないだろうが、これらは全て結果論。

歴史に『れば・・・』『たら・・・』というのは余り意味がないことと同じで、結果論の是非で幕引きにするのではなく、繰り返すが、根本的な高齢者問題を論じてほしいものである。

私は以前にも述べたことがあるが、老人問題の解決のためには『楢山節考の世界』を本気で考える必要があると思っているが、舌足らずになるととんでもない誤解を与えるので文章化するに至っていない。熟考と推考を繰り返している毎日である。(田舎親父)

2010年2月12日 (金)

法律で禁止することではないと思うが・・・

 喫煙が肺ガンの原因だといわれて久しく、そのためタバコを吸うのを止めることが健康には欠かせないということが常識にすらなっている。

それは結構だが、ここ数年『受動喫煙』という言葉が大流行。自らが喫煙するのはともかく、他人の出すタバコの煙も健康に悪いということで、学校や病院はもとより役所や駅などの公共機関、さらには飲食店などにも禁煙や分煙が当たり前になっている。

私の住む神奈川では特に『受動喫煙』防止の動きが盛んで、この夏からは海水浴場なども分煙が徹底されると聞いている。このことについては喫煙習慣のない私には大変良いこと思っているが、愛煙家はますます形見が狭くなりそうと気の毒にもなってくる。

どうやら喫煙そのものが犯罪のように思われても仕方ないような時代が迫っているといっても過言ではなさそうなので、全国的にこの『受動喫煙』防止の動きに拍車がかかることは間違いなさそうだ。

そのことを端的に表す動きとして『受動喫煙』から『労働者』を守るため、職場の原則禁煙化に乗り出すという政府の方針を固めたというニュ-スが流れている。

具体的な内容は知らないが、何でも『受動喫煙』を防ぐよう義務づける『労働安全衛生法』の改正案を早ければ来年の通常国会にも出す方針で、この法改正が実現すれば、通常の『事務所や工場』など、仕事をする空間での喫煙はできなくなるという。

嗜好まで法律で禁止・・・?。いよいよアル・カポネの時代の『禁酒令』かとびっくりするというより、またまた『ホンマカイナ・・・』と首をかしげたくなる。

(そんなことが可能だとは思いたくないが)事務所や工場では、給与カットなどという生活に直結するような罰則で禁煙とすれば『受動喫煙』を防止できるかもしれないが、接客が日常となっている飲食店や交通機関、宿泊施設などでは客に禁煙を徹底しない限り、その施設で働く従業員の『受動喫煙』は防げないのは子どもでもわかる理屈。

あくまで個人の嗜好である『喫煙』を法律で禁止して良いとは思えないし、そこまで徹底する社会が尋常な社会だとは思いたくない。それ以前に、タバコを専売で作り・販売していることは『是』で、個人が嗜むことは『非』とは理屈にあわない。

『喫煙』と『受動喫煙』は全く異質だという考え方もあろう。しかし、周りに人がいない環境で吸えば『受動喫煙』にならないという考え方はいかがなものだろう。隣でタバコを吸われたら煙は自分の肺に届くことは疑いがないが、煙が見えてければ煙の成分が完全にシャットアウトしているかというと、それは断言できないのではないだろうか。

屁理屈だと叱られそうだが、タバコの煙は空気中に拡散して見えなくなるだけで、成分的に消え去ったものではないはず。その成分が残っているとしたら、喫煙者が存在する限り、呼吸をする度に微量ながらタバコの煙の成分は人体に入るのでは・・・。

 喫煙が肺ガンになるというなら、そして、喫煙そのものが周りの人をガンにさせているという絶対的な証明ができるなら、喫煙そのものを禁止することに異論はないが、喫煙者の肺ガン罹患率が高いというだけで、これはむしろ免疫力の問題ではないだろうか。

 百歩も千歩も譲って、喫煙者の存在そのものが肺ガンの発生につながるという理論が正しいとするならば、分煙や禁煙を法律で徹底する以前に、タバコそのものの存在を否定することが筋であるはず。真っ先にやらなければならないことは、タバコの製造と販売を禁止することだということは誰が考えても当然だろう。

 タバコの価格を高くすれば喫煙者は減るだろうという、当たり前の考え方に、タバコが売れなくなる、となると税金が入らないからそれはまずい・・・となったのはつい最近のこと。このことに対して明確な説明もないのは困ったものである・・・・。

税金のためなら国民の健康は考えなくても良いのだろうか。『命を大切に』というのが党是の民主党政権の良識を問われる問題のような気がするが・・・。(田舎親父)

2010年2月11日 (木)

子どもたちが安全に通える学校を・・・

 誰も、小学1年生が車の往来が激しい狭い道路を自転車で通学しなければならない社会が健全な社会だとは誰も思っていないはず。なのに、事故後、茨城県教委の調査によれば県内で1400人余りの小学生が自転車通学をしているという。

首都圏とは名ばかりという人もいるかもしれないが、茨城の人口は都道府県別では11番目で約300万人。それでもこの数値であることから、より過疎化した地方などの存在を考えると、全国では一体何万人の小学生が自転車通学しているのだろう・・・、想像するとゾッとする。

一昨日取り上げた、事故があった道路などは例外だという人もいるかもしれないが、少なくとも小学1年生が毎日義務づけられている(それ以前に権利である)学校に通うために自転車で通わなければならない、そして、いかなる事情があってもそれを許可している社会は異常だとしか思えない。

歩いて通学させれば良いだろう・・・という意見もある。私もその意見には基本的に賛成したい。が、その前提は『変な男(女も?)』が存在しないこと=物理的に『身の安全』の保証であることは論を待たない。

事実、この小覧を書き始めたころに起こった、今市(現在は元日光)という地方都市で、小学1年生の女の子が下校途中に誘拐され、隣県の山林で遺体が発見された事件も未解決な現在、子どもたち(大人でさえ危ない社会に成り下がっているが)を一人で通学させることは(残念ながら)絶対にさせてはいけないことである。

小中学校に安全に通学できることは国民の基本的な権利であるが、『過疎』という魔物は容赦なくその場を住民から奪い、百数十年も存在していた学校が廃校という深刻な事態がごく当たり前のごとく日常的に報じられている。

地方自治体の担当者や心ある人々は過疎化を防ぐために必死で努力されていることは十分承知している(ここではそのことを論じない)。子どもの数に応じて学校の数が決まるというのは、経済という現代生活にとってもっとも重要な因子から考えると、また仕方ないことも十分理解できる。

しかし、子どもの数が減ったという理由だけで、隣町の別の小学校に通うのに1時間もかかるのに環境を容認して良いわけはない。最低限の良識として子どもが安全に通えるための方策(多くの場合はスク-ルバスの運行だろうが)をとることであることは誰の眼にも明らで、それが可能でない限り廃校という決定をしてはならない。

ところが現実はスク-ルバスなどの運行には莫大な予算が必要で、とても過疎の自治体だけで実施できることではない。今回の事故もそのパタ-ン、やむを得ず(危険は想定しながらも)自転車通学をさせていたということで、集落に小学校が存在し、そこに通えてさえいれば、幼い命を落とさなかったことだけは確かである。

私は最近の教育システムが硬直化しすぎているきらいがあるのではないかと常々考えている。誰もがもっと教育に関われるようなシステムができたら、今とは違う形態の自由でおおらかで、しかも本当の学力がつく素敵な学校ができるのではないだろうか。

今日は、その夢のような話のほんのさわりを述べてみたいと思う。

硬直化したシステムの一つが学校の人的組織である。法律で学校には必ず校長とそれを補佐する教頭(副校長)を置くことが義務づけられているので仕方ないのだろうが、わずか全校数十人の児童生徒の学校に二人もの日常的に子どもと接しない管理職が必要なのだろうか・・・。

しかも校長や教頭となると年齢的には50歳代が普通で、年功序列が徹底している公務員の社会では、管理職手当なども考慮すると20代の教員の倍以上の給与が必要だろう。単純に計算するだけだが、もしも過疎化の地域の学校は校長も教頭も置かなければ良いとなると、その分で4人以上の若い教員が採用できることになる。

教員の給料は国と都道府県が半分ずつ出しているのだから、その現状を変えることなく人的措置が規制緩和できたとすると・・・発想は広がる。

教育そのものを地方、いや地域に委託し『地域立小中学校』として、教員免許状など持たない助教諭的な職種が導入できれば、保護者や地域の人たちに子どもの指導をお願いできるだろう。

それ以前に、退職した校長や教員にその門戸を広げたら・・・、教員という人種はきわめてまじめな考え方を持つ人がほとんどで、余生を子どものためには身を投げうる人も多いだろうから、人的予算は今と同じ、教育内容の充実は現在の数倍・数十倍、なんてことも夢ではない。

施設の維持管理などに莫大な費用がかかるだろうし、運営面での難しさも十分理解しているつもりであるが(そんなに簡単にものではないと一笑にふされるだろうが)、改革とは誰もが不可能だと思っていた壁を破ること。

これ以上の自転車通学の子どもたちが犠牲にならないためにも、システムの改革を本気で考えたいものである。この続きはまたの機会に・・・。(田舎親父

2010年2月10日 (水)

ガンバレ自民党・・・

 オザワ幹事長が限りなく黒に近い灰色かどうかは別にして一応は不起訴という結論に、ほとんどの国民は、こんなものだろう・・・と、すっきりとしないまでも幕引きで良いのではと思っているのではないだろうか。

ところが自民党は攻めるタマがないらしく、相変わらず連日国会で『説明責任・説明責任・・・』オンパレ-ドは、さすがのマスコミも起訴前には連日書き続けた『まもなくオザワ逮捕か・・・』などという読者の関心を買うような勇ましいキャンペ-ンは影をひそめているのだから、そろそろ考えなければかえって逆効果では。

新聞の投書欄にも、このところ『オザワ幹事長のカネ問題ばかりの追求ではなく、国民生活に直接関係する予算審議を・・・』という意見が多くみられる。これは新聞社の姿勢が改まったというより、いかに国民の声を無視できなくなったからだと言って良いのではないだろうか。

ところで、東京地検特捜部がオザワ幹事長の事情聴取に踏み切ったのは、市民団体の告発を受けたからだということが報じられている。この告発のタイミングに合わせて、待ってました・・・とばかり検察が受け取ったという筋書きは多くの人が指摘しているが、告発したという市民団体の正体が全く明らかにされていないが気になる。

確か、去年の9月政権交代のドサクサに、自民党(アソウ政権)が2億円以上の閣内閣官房費の持ち逃げしたことが明らかになった。これを受けて、大阪の正体がはっきりしている市民団体(実名で弁護士などが参加している)が告発しているが、このことに検察が動いたという気配は全くない。

 これは変な話。あれほど素早くオザワ幹事長の秘書たちをも逮捕し、(週刊朝日の記事が正しいとなると)明らかに強引な手法で自供を強要?。オザワ幹事長の秘書だった現職の衆院議員を起訴にもちこんだにも関わらず、官房費の持ち逃げに関しての告発には知らんふりでは、どう考えても検察の恣意的な動きと見られても仕方ないところ。

オザワ氏の場合は金額が大きいとか、賄賂性があるという理屈なようだが、たとえ賄賂であったとしても、これは個人や会社のカネでいわば私金であるのに比べ、内閣官房費はその100%が血税である。どちらが先に捜査を始め結論を出さなければならないのかは誰が考えても明らかなはず、なのに・・・である。

 なぜ検察が自民党の言うことを、世論を無視してまでもここまで聞かなければならないのかは、私のような一市民には想像もできないことだが、そろそろこんなカネの詮索はお終いにして(どこかで違う場所でかってにやってくれというのが正直な気持ち)、国民の代表たる議員ならば、互いに協議して、何とか国民すべてが最低限の生活ができるように努力してほしいもの。

一応不起訴になったが、検察があきらめない限りこのまま牧引きにならないのではという意見もある。その意見の根拠は、明石で起きた花火見物での歩道橋の落下事件で検察が不起訴にしたのに検察審査委員会の再度の起訴該当との決定で強制起訴になるということから、オザワ氏の起訴は可能だというものだろう。

確かに、5年ほど前に法律が改定になり、検察審査委員会の決定に法的な根拠ができたことで、初めて今回の明石の歩道橋落下事件の責任者である県警の幹部が、審査会の再度の『起訴相当』という決定で起訴になるとの報道かあった。

しかし、正体の明らかにされない市民団体のメンバ-だけで検察審査委員会が立ち上げられるわけではあるまい。もし、万が一にもこの問題で検察審査委員会が、起訴相当という決定がなされたとしたら、これこそファッショとしか言いようがない。まさかそんな社会の再来を許すほど民意は低くないと信じたい。

自民党はここまで民主党が(ある意味情けないほどの)失策のオンパレ-ドを見せてくれているのに、いまだに(マスコミの調査だが)支持率がわずか17%と民主党の半分にも満たない現状を厳しく自己反省するべきでは・・・。

アソウ内閣の閣僚だった人物が入れ代わり立ち代わり同じことを繰り返して質問し、ほんの少しの言葉の行き違いに鬼の首をとったように大騒ぎしているようでは、今後も支持率は下がり続け、気が付けは泡沫政党になっているとも限らない。

そうあってはならない。ここは自民党も頑張って、両者が切磋琢磨し数年ごとに政権を担いあう間になってこそ、初めてこの国の未来の展望が開けるはず。一日も早く国会でのまじめな議論を始めることが、本当の自民党の再建になると思うのだが・・・。

頑張れという言葉は大嫌いだが、あえて『ガンバレ自民党・・・』とエ-ルを送りたい。(田舎親父)

2010年2月 9日 (火)

小学1年生が自転車通学?・・・

自転車で通学する小学生が最近増えているという。それに連れて事故にあうことも多いのは当然だろうが、この種のニュ-スは地方版では取り上げるが、全国版で大きく報道されることは稀で、なかなか問題にされることがなかったのか、教育問題には関心を持っているつもりの私も話題にしたことはない。

そんな中、5日の夜7時半からのNHKの『首都圏情報』で小学生の自転車通学の問題を取り上げていた。事故にあった小学1年生の女の子の例からこの問題に迫る構成だったが、なかなかしっかりと問題点をとらえていた。

それは、昨年10月に茨城の小さな町で起きた事故である。自転車で通学中の小学1年の女子児童がトラックにはねられ死亡したという。この事故のことは、新聞の全国版で報じられたと思うが、私は迂闊なことに見落としてしまったらしい。

地方を車で走っていると、稀に下校時刻にぶつかる時があり、ヘルメットをかぶった子どもたちが自転車で行儀よく一列縦隊で走っている姿を目にすることがある。中学生が多いが小学校の高学年の児童の姿もある。しかし低学年の姿はあまり目にしたことはない。

そのことに疑問を感じなければならないのだろうが、低学年の子供たちはスク-ルバスで通学しているのだろう・・・という思い込みがあり、子どもたちの後ろ姿にエ-ルを送っていたものだ。

キャスタ-の一言・一言が信じられない。事故があった道路は、朝夕渋滞する幹線道路の裏道として使われ、車がやっとすれ違えるほどの狭い道。かなりのスピードで走り抜ける車の映像に『えっ、こんな道路を1年生が自転車で通学していたのか・・・』とびっくりしてしまうというより信じられない。

女の子の父親は事故後、何も対策を打ち出せない町や教育委員会に激しい怒りをぶつけることなく、淡々として道路にたって車に注意するように呼びかけている姿には、思わず涙を目頭が熱くなる。

ご多分に漏れず背景には過疎化があった。子どもの人数がすくなくなり、本来この女の子が入学するはずだった小学校が廃校になり、歩くと50分もかかる統合された小学校に通わなければならなくなったという。

歩いても危険な道路を自転車で通わせる選択したこの子の父親は自責の念を持っているに違いない。しかし、家族構成や職業などの事情があってのやむを得ない選択であったことだけは間違いところ。

この事故を受けて県の教育委員会は自転車通学の実情を調査したというから、やることが遅すぎる。調べでは、県内で自転車通学する児童は18市町村で約1400人もいるということが判明したとのこと。

いつもながら、文科省の学力などの調査には、何をおいてでもすぐに各学校に対応を命令するのに、子どもの命に係わる今回のような基本的な調査もせず、事実を把握すらしていなかったとはお粗末の一言に尽きるとあきれてしまうが・・・。

女の子は何らかの事情でペタルを踏み外し、バランスを崩したのではないだろうか。そこに後ろから走ってきたトラックが跳ねてしまったというところだろうが、まさか自転車が至近距離でバランスを崩すなと思ってもいなかっただろうから、即刻逮捕されたと思われる運転手も気の毒と言えないことはない。

運転手を弁護するつもりはないが、根本の原因は、小学校1年生の児童を自転車での通学を許可していた教育行政の不備であろう。予算的にスク-ルバスが運行できないのに町村合併を押し進めている国にも責任の一端どころか、全面的にあるはずと声を大にしたい。

子どもが減少して統廃合はいたしかたない面がある。そのためにも地方の活性化、過疎化の防止に全力で取り組む必要があるだろうが、悲しいことながら国にも地方自治体にもこれという知恵もないのが現実。

そこで、以前にも述べたことがあると思うが、日を改めて、統廃合を少しでもくい止める、せめてもの私案を述べてみたいと思う。(田舎親父)

2010年2月 8日 (月)

一人っ子政策が生んだ犯罪では・・・

 『中国経済週刊』という雑誌があるらしい。その雑誌の『中国雲南省と国境を接するミャンマー北部で誘拐され、嫁不足が深刻な中国農村部に売られる女性が急増していることが3日までに、明らかになった』という内容の記事をネットで見つけた。

雲南省は、蚕の先生が中心になっている『雲南会』の仲間と一緒に何度か出かけたことかあるので、何となく人ごととは思えなく見出しに引かれて読んでみた。

ずいぶん以前になるが、その仲間たちとミャンマ-と接する雲南省の『瑞麗』という都市を訪れたことがある。そこは翡翠の交易が盛んで、日本では数千円程度でよく売られている翡翠の腕輪が、交渉次第では10元(約150円程度)で買えるとのことなので、かなり値切って、たくさん買い求めて友人・知人に配ったことを思い出す。

そのことは話題とは無関係ないので詳しいことは省略するが、その前に訪れた集落の真ん中には、子供でもまたげるほどの鎖があり、それが中国とミャンマ-の国境だと教えられたことにはびっくりした。何でも、そのような村のことを『一村二国』というらしい。

国境などあってないに等しいのだから、鎖など必要ないと思うのだが、(顔つきからは全く区別できない)服装の違いから居住地域がはっきり分かれていることから、鎖一本といえど、国境というのが歴然とあることを教えられた。

そんなことを思い出しながら読む記事には『(国境地域の警察当局者によるとという注釈付きで)、2009年に誘拐され、強制的に農村部の男性に嫁として売られたミャンマー人女性は268人で、08年の87人から約3倍に増えた。これは捜索願が出て救出された事例だけで、実際の被害者数はさらに多いとみられている』とある。

そして『家族の中には誘拐され売られたとは思わず、中国でよりよい暮らしをしていると信じているケースもある』という部分は、実際に国境付近での両国の様子を見てきた私には、あり得る話だと納得するものがある。

以前にも述べたことがあるが、中国の『一人っ子政策』は、人口を抑制するには誰の目に有効な手段には違いない。しかし、どの国や地域においても同じだろうが、農業や水産業など第一次産業に従事する人に、一番要求されることは『体力』であることは論を待たないので、男の子の出生を願う親が圧倒的に多いのは当然のこと。

特に、機械化が極端に遅れている開発途上の国々においては、稚拙な道具やあるいは牛馬などの家畜を使って田畑を耕すことが要求される。私が見た雲南省の農村地帯ではまさにその通り、男たち(たまには女もいるが)が水牛を使って田を耕していたが、この光景は日本でも(牛馬でなく機械機だろうが)かわらないのではないだろうか。

土を耕すという仕事はどこの世界でも体力がある男の役割で、まさかゴリゴリの人権擁護派の人でも、これをまさか性差別とは呼ばないだろう・・・。

このような風景に接すると、農民たちの苦労は大変なことは理解できるが、ミャンマ-の人から見たら、それでもうらやましく思えるようだから、中国国内で問題となっている都市と農村部の格差を知らず、中国での生活に幻想を抱くことは理解できる。

話題を戻すが、一人っ子政策が続く中国農村部では働き手となる男児を望む夫婦が多いのは当たり前で、女の子だとわかると堕胎するのが当然のように行われているという。その結果、この世に生まれてくるのは圧倒的に男の子。

一人っ子政策が始まってからすでに30年が過ぎている。結婚適齢期に達している人たちが多く、しかも(わが国でも同じだが)都市部の生活に憧れる女性が多いとなると、農村部には嫁不足という重大な問題が起きるのは論を待たない。

それに目をつけたグループが、誘拐、輸送、引き渡しのネットワークを作り、ある意味誘拐が産業化するのは、治安に不安があるミャンマ-などの国では起こるべきこととして起きるのは当然かもしれない。

雲南省の警察当局者は『08年には容姿端麗の女性で3万元(約40万円)程度だったのが、09年には魅力的ではない女性でも最低3万8千元(約50万円)になった』と公然と明かしているらしいから、今後もミャンマ-女性誘拐事件は増え続けることは想像に難くない。

すごい話である。許せない話でもある。が、一人っ子政策が続く限りこれに類する事件はなくなることはないのでは・・・。

話は飛躍するが、世の中に男と女が存在する以上、それなりの役割分担があるはずなのに、わが国では何でも『差別・差別』と大騒ぎになる傾向がある。この事件は、差別と区別をもう一度考えさせられる、というとお叱りを受けるだろうか。(田舎親父)

2010年2月 7日 (日)

お-いトヨタ、だいじょうぶか-・・・

トヨタの車がアメリカでリコ-ルというニュ-スが流れてからかなりたつ。車の車種などの知識はほとんどないが、カムリとかカロ-ラぐらいは知っている。そのカロ-ラなどにブレ-キの不具合があり、合計数百万台にものぼる関係車種すべての部品を交換するというから、カロ-ラと同機種のフィルダ-とかいう車に乗っている私としても少しは気になるところ。

その後もトヨタの車の不具合は次々と発生し、最近になって(昨年5月からアメリカでも販売開始した)日本でも大人気で一番売れているという『プリウス』というハイブリッド車に及んでは、下手するとアメリカから撤退せざるを得ないのでは、と心配する専門家もいるほど。

確かに、報道から受け取る感じとしては、トヨタ側には積極的に情報を公開する気はないようだ。アメリカで『プリウス』のブレ-キ関係の苦情が100件もあることが明らかになったのは先月下旬だったと思う。

その直後に、日本国内でも同じような苦情が14件もあったことをマスコミによってすっぱ抜かれたように、都合の悪い情報は隠しているとは断定できないが、明らかになって欲しくないという雰囲気を持っていることは間違いなさそう。

しかも、1月から生産している『プリウス』では、問題のブレーキ部分は改善していたというから、これでは『不具合隠し』といわれても仕方ない。さらに、そのことに対して『不具合があったので改善したわけではなく、ブレーキシステムを制御するコンピューターのプログラムを変更しただけで、いわば新車のモデルチェンジ』だと釈明しているというから、トヨタの殿様経営体質を感じざるを得ない。

もっとも、国交省への苦情があったのは、この問題が明らかになる前には14件だったのに、報道されたとたんに70件に増えたと言うのもちょっと変な話ではあるが・・・。

テレビのニュ-スを見て、そう言われてみれば何となくブレ-キの係が悪いような感じがするとうい程度でも苦情を申し入れするのは(最近流行りの日本人的烏合の感覚で)今の段階で苦情を申請しておかないと、(補修が受けられないとか)何となくム-ドに乗り遅れるという感情が働くのではないだろうか。

そのことに関係するのか定かではないが、先日トヨタの技術担当の責任取締役が『フレ-キの故障ではなく、運転手の感覚の問題』と釈明していたが、(確かに、それはあり得るだろうとは思うが)この時期での発言は責任逃れとも受け取られる恐れもあり、逆効果のような気がしてならない。

一昨日になって、やっと社長が表面に出てきて、お馴染みの深々と頭を下げる『ゴメンナサイ』ポ-ズの映像をマスコミが取り上げていた。社長は今までは経緯をよく理解している担当者に任せていたと発言していたようだが、技術に自信がある人間には欠陥など認めたくないのは当然で、さきのような発言につながったようだ。

社長はこの時期に記者会見した理由を『私の車は大丈夫かと思っているお客さまが、週末を不安なまま過ごすのは申し訳ない』と釈明したそうだが、ブレ-キの不具合に関しては総点検するとは言いながら、欠陥は認めていない印象を受ける。

この社長は創業者の直系だという。それはトヨタの諸事情だろうから異議をはさむものではないが、幼いときから苦労も知らずに育てられて、庶民の目線というものを理解できなくなっているのは、政界のオボッチャマ達と事情と同じようだ。

そのことはともかく、冒頭に記した『アメリカから撤退』という動きは、アメリカの自動車業界の思惑か背景にあるという見方もある。真偽はともかく、撤退などとなると、日本経済にとっては大変な事態に発展することだけは間違いなさそうだ。

過日発表されたトヨタの業績は、これほど深刻なリコ-ル問題を抱えながらも予想よりかなり良かったというから、私が心配することなどないだろうが、ここしばらくトヨタの動き、そしてアメリカの自動車業界の対応にも注目しなければ・・・。

何より、何でもマスコミに左右されやすいわが国の国民感情を考えると、トヨタは一刻も早く何らかの強烈なメッセ-ジを出さなければ、売り上げがガクンと落ち次期決算では大幅な赤字になりかねないのでは・・・。(田舎親父)

2010年2月 6日 (土)

地球温暖化の基本デ-タに?・・・

 わが国では、地球温暖化が規定の事実で問題の解決の為に各自が努力しなければならないことが当然と受け止められるようになっている。エネルギ-の無駄使いをなくすと言う意味では大変結構なことと評価し、私自身できるだけ質素な生活を心がけている。

しかし、地球温暖化の証拠として、何よりも顕著に現れているという、ヒマラヤの氷河の、今後数十年で消えてしまうと言う学術論文が、科学的に根拠が薄いという報道には唖然とさせられる。

日本人は国連と聞くと、何でもすべて正しいことを行っているという先入観を持っているらしく、国連の一機関である『気候変動に関する政府間パネル(IPCC)』の『ヒマラヤの氷河が2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い』という声明に、大変なことになっていると危機感を持ったのは数年前のこと。

 世界中の科学者が協力して作成した報告書は信頼性が高いと評価されて『IPCC』がアメリカのゴア元米副大統領とともにノーベル平和賞を受賞したことは記憶に新しい。痩せぎすの髭の厳めしい、何とかという博士が誇らしげに『温暖化をくい止めることは人類の使命』などと語っているテレビの映像も思い出す。

 最近のノ-ベル平和賞はオバマ大統領の受賞が端的に表しているように、平和に貢献した実績がある人物に与えるという大前提が崩れ、『平和という言葉』を口にした世界的に話題性のある人物(政治家)に与えている印象を受ける。

 ゴア元副大統領も同じで、人間同士の争いではなく、人間が住む地球が今後『存在することに対する危惧』を『地球温暖化防止』という言葉で語ったということが受賞対象になったようだが、その根本的なデ-タが今回の報告書だったといわれている。

 ところが、この報告書の一部の『ヒマラヤ氷河が地球温暖化ガスの悪影響で消滅』というのが『意図的に作られた』嘘の数値となると、報告書全体の信頼は揺らぐことは間違いないところ。むしろ『地球温暖化そのものが怪しい』という、温暖化に懐疑的な学説が勢いをますのではないだろうか。

 記事を引用すると、欧米の気象学者らが独自に発表した分析によると、報告書は問題の部分を世界自然保護基金(WWF)のリポートから引用しているとのこと。

WWFは英国の一般向け科学雑誌ニュー・サイエンティストが1999年に掲載したインド人研究者についての記事を引用したものだそうだ。しかもこの研究者の論文は未公表で、この事実を知っている科学者はごく少数。さらに氷河消失の時期も予想していなかったというから捏造といわれても仕方ない。

 『2035年』という時期は、別の文献の『2350年』を写し間違えた可能性があるともいう。事実だとしたら、重ねてお粗末。

 そしてもっとお粗末なのが、これを知ることもなく(本当は知っていたが政治的なものが優先した?)ノ-ベル平和賞を与えた『ノ-ベル賞受賞検討委員会(名称は?)』のいい加減さは一体なんなのだろう。

 私も最近『地球温暖化』が本当なのかと疑問を持つようになっている一人。確かに南極や北極の氷が溶けているというのは疑えない。太平洋の島国が海面の上昇で国土が沈んでいく様子をテレビが盛んに紹介していることからも、これは事実だろう。

わが国でも、年々気温が上昇していることも事実で、作物にも影響が出ていることは否定できない。また、今まで温かい地方でしか生息できない昆虫が、東北や北海道で発見されていることなどからも、気温の上昇は間違いないだろう。

しかし、それがすべて温暖化ガス(主にCO2)の増加が原因だという意見には、何か納得できないものを感じている。自分たちの快適な生活をいち早く謳歌したヨ-ロッパの人の国々が特にその意見の急先鋒だというのも何か気になる。

彼らは、現在の生活水準は産業革命から使い続けてきた化石燃料で得られるエネルギ-によるものだということを十分理解しているはず。化石燃料があればどんなことでもできることも経験として身につけている。

今までは化石燃料をいくらでも搾取できたのだが、それが困難になった現在、この化石燃料をできるだけ使えないような理論を作ることによって自分たちの優位性を保とうとしていると考えるのはうがちすぎだろうか。

このまま全人類が自分たちのような便利で快適な生活をするようになったら大変なことになる、ということから、何とか少しでも地球負荷を引き下げるようにしたいという意図があるように思えてならない。

排出権などという言葉を打ち出したことも、自分たちの生活を途上国の発展という美名の下に作り上げた発想では・・・。

この問題でハトヤマ首相は世界受けを狙い、25%削減などとカッコいい発言を繰り返しているが、喜んでいるのはヨ-ロッパ人の先進諸国だけだと、否定的な意見も多い。わが国でも経済界の反発は大きいと聞く。

私はこの発言の背景に『日本も十分化石燃料の恩恵を受けたのだから・・・』という考えがあるのではと受け止め、ある程度不自由な生活も良いものだと、それなりに評価しているが、実際はエコの名を語る無駄も増えていることに先行きの不安はぬぐえない。

どちらにしても忌憚なく基本的な議論を行う必要があると思うのだが、『地球温暖化という言葉』が先走りし、議論をさせないような雰囲気を作り上げている現実は困ったもの。これもマスコミの情報操作とは思いたくないが、ゾッとするものがある・・・。(田舎親父)

2010年2月 5日 (金)

新幹線の安全性に陰りが・・・

 先月末の金曜日の午後、東海道新幹線がストップというニュ-スが流れた。このところJR各線の運転見合せが日常的にあるので、この報道もその一つだろうとあまり気にも止めなかったが、なかなか運転再開という報道がないのに、何なの・・・と首を傾げる。

しばらく後のテレビニュ-スで、新横浜近くの新横浜の線路脇の土手が燃えており、その消火作業をしている人々の姿が目に飛び込む。

その映像から、火事が原因ならすぐに復旧するだろう思ったが、解説では土手の火事が先ではなく、新幹線から火花が飛び散って枯れ草が燃え上がったという。ちょっと不思議な気がするが、これはかなりの重大事故ではないか・・・と続報を待つ。

当初は品川-小田原間の停電で運転見合せだったのが、たちまちのうちに全線の運行がストップ。結局、復旧するまで約3時間半あまり、両駅間の上下線で計六本が立ち往生し、うち五本に乗車していた計約3千人超が缶詰め状態になったという。

停電となるとすぐに影響がでるのがエアコン。新幹線の車両はまさに密室状態。飛行機に比べるとはるかに大きく明かりが少し入るとはいえ、それとて外部とは完全に遮断されている。たちまちのうちに温度があがり空気が悪くなるのは当然である。

乗客のご苦労は大変なものだったに違いない。が、暑さと息苦しさは耐えられるとしても、生理的な問題は解決不可能。普段はボタン一つで快適に用が足せる新幹線のトイレだろうが、停電に水が流れないのだからどうしようもない。長時間閉じ込められた人たちの苦痛は想像以上に違いない。

東京大阪間をわずか2時間半で結ぶはずが、3時間以上ストップするのだから、その影響は計り知れない。時刻に正確なことが何よりのウリであるので、乗客は数分の遅れさえも想定していない。

東京駅に(あるいは大阪駅や名古屋駅など)に何時に到着して、何分待ちで特急○○にとび乗り換えると、何時何分に目的地に着く、ということがほぼ完璧にシュミレ-ションできているはずなのに、その大本の新幹線が大幅に狂うとなると思考回路はパニック状態人生そのものが狂ってしまった人もいるのではないだろうか。

結局、計56本の運休と190本の新幹線が遅れ、乗客約約15万人に影響が出たとのこと。JR東海は同日夜、東京、名古屋、新大阪の三駅に宿泊用の新幹線を用意したというが、それぞれの人生設計の狂いまでは償い切れないだろうから、信用を取り戻すのは容易なことではない。

まもなく出た、直前に通過したこだま659号の12号車パンタグラフが中ほどから折れて分解し、こだまの屋根や線路に落ちていたとの正式情報に、ひょっとして営業的な思惑で老朽化が進んだ列車を『こだま』にしていこのではないかという疑念がわく。

同時に、切断された補助吊架というパンダグラフに電流を流す線を支えている線が切断されているとのことと、これが85年の張り替え以降、交換されていないことが分かったという報道に、多くの人が架線の老朽化が原因だと納得したのではないだろうか。

私もその一人で、JR東海の経営方針のミスだと思ったが、数日後に、こだまのバンダグラフを交換した際に締めつけるボルトを付け忘れたためだとの発表に、このところあまり口にしていない『ホンマカイナ・・・』という言葉が思わず飛び出した。

信じられないが、仮に本当だとしたら初歩的以前の人的ミス。アメリカに売り込みをかけている世界に誇る精緻なシステムが、数本のボルトの締め忘れとはこんなみっともないことはない。 

 パンダグラフの重さは10キロ以上あるという。まさか4本のボルトだけで固定している訳ではないだろうか、このボルトがないと吹っ飛ぶほど重要な固定器具だったはず。何より取り替えが終わったとき、作業員は気がつかなかったのだろうか・・・という疑問が消えない。

 朝日新聞の社説では『重さ10キロを超すパンタグラフの部品が固定されないまま、千キロ以上も走行していた。もし対向車両とすれ違う時や市街地で脱落していれば、大事故になった恐れもあった』と、考え方によればこの程度で済んで良かったというような記述だが、それにしてもお粗末。

 今後数年間は二度と同じような事故はないだろうが、今トヨタがアメリカで著しく信用を落としている(アメリカの政略?)時期を考えると、今回の事故でJRの新幹線もアメリカ売り込みが難しくなるのではないだろうか。(田舎親父)

2010年2月 4日 (木)

2月4日   善良な日本人はどうなるのだろう・・・

最近理不尽な事件が多すぎる。

先月の末、横浜の鴨居という町の居酒屋に酔っぱらい運転の車が突っ込んで、中にいた客3人が死傷するという事故が報じられた。映像からも事故の凄まじさがよくわかる。

時に散歩コ-スになっているので、その近くは何度も通っている。車の流れが絶えない駅前からの県道(極めて細い通り)に面している場所である。

いつも危険な場所だと思っているが、歩行者はともかく運転手はスピ-ドを出せば危険だと認識しているらしく、それなりに気を使っているのだろうが事故があったということは耳にしたことはない。

ところが、こともあろうに道路を隔てた真正面の路地から、猛スピ-ドで車が飛び込んできたというから、これは想像をはるかに超えることで、恐らく客たちはもちろん店の人間も一瞬何が起こったのかわからなかったはず。

私が利用する駅は隣の中山駅であるが、駅前の道の狭さは似たりよったり。どうやらこのような傾向は、横浜線沿線の特徴なのかもしれないと思うと、鴨居以外でも同じような事件が起こる可能性は大きいようだと、改めて危険度を認識する。

突っ込んだ車の運転手は、ブレ-キとアクセルを踏み間違ったと供述しているらしいが日常的に運転している40歳代の男がこんな単純なミスをやるとは思えないので、よほど大量のアルコ-ルを飲んでいたにちがいない。このことは、事故後虚ろな目をして、店の前で座り込んでタバコを吸っていたという報道からでもうかがえる。

たまたま店に居合わせていた人が気の毒でならない。何の過失も善良な市民が、理不尽にも事故に遭遇して、亡くなったり怪我をしたりするなんて許し難いと憤慨している矢先に、この事故を上回るほどの怒り心頭の信じられない事件が報じられた。

この事故は名古屋の国道交差点で1日未明起きたという。信号待ちをしていた男女3人に、車が飛び込んできたという。3人は搬送先の病院で死亡が確認されたというから、即死状態だろう。いかに凄いスピ-ドで3はねたかがよくわかる。

この車には外国人と見られる4人の男女が乗っていたが、事故を起こした後すぐに示し合わせたようにバラバラに逃げたという。この車は盗難車で、パトカ-に追われていたとのことから、逃げるのも当然だろうが、それにしても許せない事件である。

昨日の続報で、車に残っていた携帯から犯人の一人が逮捕されたというから、後の3人も間もなく捕まるだろうが、特殊な工具なども発見されたというから、犯人たちは日常的に犯罪を繰り返している窃盗団の可能性が大。

捕まったのはブラジル人だというよく聞く話。自動車工場で働くために来日したが、不景気で解雇され、帰国もできないブラジル人の存在があるらしいので、この連中もその類なのかもしれない。

人が足りない、利潤をあげるためには契約社員、あるいはアルバイトとして雇用することは今日では当たり前になってしまっている。しかもより賃金が安い外国人を雇用する傾向は数年前から顕著になっている。不況になる前は、それでも問題になることは少なかったようだが、最近の不況で一機に契約雇用の問題が浮上し、解雇が日常的に行われて、日本人でさえ働き口がない人が多いのが現実。

まして、外国人となると言葉の壁もあって、働き口が極端に少なくなっていることは理解できる。簡単に帰国もままならないと、窃盗でもしようか・・・という荒んだ気持ちになることも考えられないことはない。

ある意味、自動車関連の企業の経営者たちの責任かもしれないが(もっというならば、このような政策をすすめてきたコイズミ政権が悪いとなるだろうが)、この連中たちは亡くなった3人に対して良心の呵責など何ら持たないだろうことは容易に想像できる。

逮捕された犯人たちがそれなりの罪に問われるだろう。しかし、その全てに危険運転罪が適用されることはあるまい。たかだか、長い裁判の期間を経て懲役数年が関の山、場合によっては、出稼ぎという来日事情から鑑みると『強制帰国』もあり得る。そしてこの続報は報じられることも少ないだろう。

しかし、これでは命を失った3人は(言葉は悪いが)まさに『犬死に』。逮捕されたブラジル人たちに経済的に補償を求めることはできないだろうから、働き盛りの主を亡くした家族の方の嘆きは想像に絶する。さらに、今後の生活の補償は限りなく『無』となるのでは・・・。

事情は全く違う。それは十分理解しているつもりだが、罪を犯したら逮捕されるが、いつの間にか釈放され堂々と帰国するか、あるいはそのまま。これでは外国人が『治外法権』だった幕末と結果的に同じではないだろうか、と頭をよぎる。

大河ドラマでは幕末の英雄竜馬を取り上げている。世は幕末ブ-ムらしい。歴史に興味を持つことは大変有意義なことにちがいないが、外国人の扱いを真剣に考えるのも重要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年2月 3日 (水)

私立中学志向が曲がり角かな?・・・

 ここ数日は朝の通勤ラッシュに普段とは違う母子連れ(両親連れも稀ではないか)が大勢まじって迷惑を感じた人が多かったのではないだろうか。その光景は今日で一段落、明日からは(一部二次試験などを実施する中学校もあるだろうが)一応普段の通勤風景に戻るだろう。

私立中学に進学を希望する子ども(実際は親だろうが・・・)が年々増え続けているのは確実で、最近の調べでは、首都圏では小学校の6年生の6人に一人が私立中学の入試を受けるというほど大人気。しかも年々その傾向は大きくなっているというから驚く。

それに手をこまねいている教育委員会と公立の小中学校のだらしなさに、もはや公立の時代は終わったと言いたくなるが、先日の新聞の『不況の影響が表れ、大手進学塾には減少予測も・・・』という見出しに目が止まった。

記事によれば、中学受験を目指す家庭は、数年前から資金面も含めて準備に入るところが多いとのことだが、長引く不況で少し状況が変わりつつあるという。現在の不景気の元凶と言われている08年秋のリーマン・ショックでの影響を懸念したようだが、最初のシーズンだった昨年はさほどの変化はみられなかったとのこと、これは受験生の親たちの景気に対する深刻さが予測できなかったからだろう。

首都圏の私立中の初年度納付金は安いところで70万円程度、高いところでは170万円にもなることから、不景気の影響は深刻さを増し、ついに私立志向の親の一部にはやむ得ず『無理かな・・・』という認識になり始めたようだ。

進学塾は不況に出口が見えない中、事前の志望動向調査などから、私立受験数の伸びが止まるのは必至と警戒感を強めているらしい。予想では『横ばい』や『最大で5%程度減少』という比較的影響を受けない時見方だが、出願校数の絞り込みは加速して昨年は一人で6校も受験していたのがかなり減っているようだ。

不景気を歓迎する気は全くないが、特にお金が有り余っている家庭でもないのに(子どもの教育には換えられないとばかり)私立に走る傾向が少しでも下火になってくれたらと日頃から思っている私には、これはかなり有用な情報である。

私立中学校を否定するつもりは全くない。が、一流大学を卒業して一流企業に就職しても(最近は日航、古くは山一に代表されるように)いつ自分がリストラされないとも限らないような状況では、私立中学に通わせるメリットが小さいだけではなく、時にはリスクとなることにも気づいてほしいと願っている。

その一つが費用の問題。私立中学の受験料は人気度にもよるが平均して2万円強、6校受験すると交通費なども考慮すると軽く15万円はかかるだろう。運良く合格したら入学金や施設拡充費として数十万円、授業料も年額数十万円と合わせて100万円程度の金額の支払いが必要になる。これに小学校の3年4年から通う進学塾への塾代など合わせたら、一体どのぐらいの費用がかかるのだろう。

しかも、通学には電車・バスが当たり前となるとこれまたバカにならない。公立中学では(実際にはいろいろと支払うこともあるようだが)費用的にはかなり軽減されているはずなのに、わざわざ親父の小遣いを削り家計を切り詰めてまで私立に支払う価値があるとは思えないのだが・・・。

世の親たちに声を大にして言いたい。何よりも、一番友だちと体を動かして遊び回ることが大切な小学校時代に、ただひたすら記憶を中心とした机上の学習の無意味さに、わざと目をそらすのか・・・と。

そして、保障もないのに『自分の子どもの将来』が大事とばかり、私立・私立という呪縛に縛られている自分に気づいてほしい。そろそろ、私立志向の風潮に歯止めをかけようではないか・・・・。

言葉は悪いが公立中学は今がチャンス。というより教育行政改革にこの機会を逃してはならない。

子ども手当てを否定しないが、何度も述べているがそれ以前に高校も義務教育化し、給食費も含めて全ての費用を無償化するともに、公立の学校教育を充実するのはもちろん、教育システムそのものを改革するという意欲を持つべきである。

しかし、民主党政権がそこまでの見聞を持っているかといえば『否』と言うしかない現状では、私の希望などアワと消えるのだろう・・・な。(田舎親父)

2010年2月 2日 (火)

大型家電量販店がこけたら・・・

 かなり以前の話題だが、有楽町の西武デパ-トが閉店というニュ-スが流れた。仙人まがいの生活をしている私は人ごみが大の苦手な上、都会に出かけることすら稀になっているのでデパ-トなどとは全くの無縁の存在。当然ながらその時は『ふ-ん。そんな時代になったのか・・・』という気持ちで聞き流していた。

ところが、京都の四条河原町の阪急百貨店も閉店というニュ-スには、いよいよ京都も時代の流れに逆らえなくなったのかと少しショックを受けたのは、私が高校まで京都で育ったことが関係しているのかもしれない。

四条河原町は、東京で例えるなら銀座と渋谷・新宿がいっしょになったような場所。規模は比べようはないが、若者たちはもちろんだが、そこが阪急電車の終点にもなっているので近在から老弱男女が集まるところ。

近くには(今はあるのか定かでないが)京都の老舗のデパ-トである『フジイ大丸』や高島屋もあり、呉服店や京小物店など京都ならではの店舗も多く見られ、当時の私でも馴染みの街でもあった。

人々の価値観が大きく変わり、個性と言いながら実際には軽薄な流行に左右されているのが現実から、衣料品なども『安物でも良いから日替わり』が主流になり、デバ-トで買い物する人が激減していることは容易に想像がつく。

極端に表現すると(私が貧乏人だからかもしれないが)、今やでパ-トの現状は包装紙だけが目当てのお中元・お歳暮中心の『見栄っ張り』お客だけが利用すると言っても過言ではないのかもしれない。

ならば営業が成り立たないのは当然で、デパ-ト側に時代を観る敏感な見方ができないとなると、命運尽きるのは時間の問題。以前から、地方のデパ-トの廃業の話題が伝えられているが、いよいよ大都市のデパ-トもこの流れに逆らえなくなったようだ。

話は突然飛ぶが、横浜の西口にダイヤモンド地下街なんて一大商業施設ができたのは随分昔のこと。その後一番奥に『三越』が出店、一時は大人気を博したことがうっすら記憶に残る。

『三越』はすぐに営業不信に陥ったらしく、間もなく閉店し、その後には『ヨドハシカメラ』が大きな売り場を確保して、現在も繁盛していと聞く。

『横浜三越』とどちらが早かったのか記憶は定かではないが、有楽町の『そごう』が閉店し、その後が『ビックカメラ』になって久しい。池袋の『三越』には『ヤマダ電機』になって、客でごった返すようになったという情報も流れている。

人の流れが激しい都会では、その後を引き受けるのは大手の『家電量販店』と相場が決まっているようで、それも今までは『ビックカメラ』と『ヨドバシカメラ』が張り合っているところに、これまで、どちらかといえば地方が主体だった『ヤマダ電機』が乗り込んで三つ巴の争いという形になっている。

私も、時にコンピュ-タ関係の用品を探しに家電量販店に足をのばすことがある。店内にはエコポイントとかいう制度のおかげもあるのだろうが、薄型テレビなどがズラリと並び『これでもか・・・』というほどの値引き合戦が繰り広げられていることに、いつも『これでよく経営が成り立つもの』という感じがしてならない。

確かに、安さにつられて買う人もいるだろうが、昇給などは夢のまた夢、職を失う人も稀ではないほど不景気の中、今後ずっと家電が売れ続ける保障など、到底思えないのに大型家電量販店が好調な現状がまか不思議・・・。

都会ではまだ大型家電量販店という受け皿があるので何とかしのげているが、地方ではデパ-トが撤退した場所は空き家になり、それがますます人の流れを疎外する原因になっているという。

近い将来、これらの大型加減量販店の役割も終わりになる時がくるはず。その時、都会の風景を想像できる人はいるのだろうか・・・。(田舎親父)

2010年2月 1日 (月)

また現場イジメの都教委・・・

 都教委が『モンスタ-ペアレンツ』の対策として、対応マニュアルを作成して都内の公立小中学校の全教員に配布するらしい。

その内容が記事にある通りだとしたら、これはブラックジョ-クではないかと思わず吹き出してしまった。何でも『来校時は玄関で迎える』ことと書いてあるそうだが、どうして普通の面会要求とモンスタ-保護者と区別するのだろう。

その疑問はさておくとしても、現在、都内の学校の校門は通用口から裏門まで全て施錠されて、かってのように自分で通用門を開いて中に入ることなどできなくなっているばかりか、校門の近くでガ-ドマンが胡散臭そうな顔つきで訪問者の顔定めをしている風景も珍しくなくなっている。

マニュアルの主旨を皮肉をこめて推測すると、これぞと思う保護者からの面会要求があれば、拒否しているような態度を見せないために(あらかじめ施錠を外し)、校長(副校長もあり)自らがホテルの支配人よろしく『よくぞおいでいただきました』とお出迎えをしなさいというらしい。

そして、校長室に丁寧にご案内して、じっくり話を聞きなさいということになる。しかも、保護者の言い分を頭ごなしに『できません』とか『無理です』とは言ってはならないとのことのようだから、都教委は現場の管理職にかなり高等な話術と対人交渉力を要求しているようだ。

ところが記事をよく読むと、学校に理不尽な要求をする保護者(モンスターペアレント)が社会問題化しているため、東京都教育委員会は都内の公立学校・幼稚園の全教職員7万人に配る対応マニュアルをつくり配るとある。

ということは、このような保護者に対応できるためのノウハウを校長だけでなく全教員に要求しているようだが、またまた難題を学校現場に丸投げしたものだ。全74ページで、作成費用は約1千万円というから、都教委はよほど予算があまっているらしい。

これにはさすがの文科省も、モンスターペアレント対応の手引書を全教職員に配る他道府県教委の例ははじめてだと把握していないと呆れているらしい。

記事を信用すると、このマニュアルは、苦情対応の専門家が監修したもので、問題を深刻化させないために初期の対応に重点を置き、言葉遣いなどを助言しているという。親から何らかの対応を求められた時は『相手の気持ちを聞き取る姿勢が大切』と述べ『うまく相づちを入れるなど共感しながら聞く』などと書いてあるという。

また、2人以上で応対する場合は『緊張感を高めないために全員が正対せず、1人は脇に座る』などと図解入りで解説しているというが、校長はともかく、日常的に子どものことに全力で当たっている教員には、時間的にもこのような対応はとてもできるものではないことだけは間違いないところ。

問題がこじれた場合については、『できないことははっきり断る』と書いてあるそうだがこんな親に『無理です』と言ったら、即刻、区市町村の教育委員会やマスコミにもっていくことなどは考慮に入っていないらしい。そしてその場合は話がもっとややこしくなることも・・・。

いや、そんなことはお見通しらしくちゃんと逃げが打ってある。『話し合いの記録を残して』『地元の区市町村教委と協議しなさいという文面である。

学校だけでなく管下の教育委員会にも、要は、『ここまでマニュアルを作ってやったのだからお前たちで処理しろ』というところで、『こんな下らない問題を都教委にもってくるな』というのが本音のようだ。

社会のシステムが大きく変わり価値観が多様になり過ぎているところにもって、一人ひとりに丁寧に対応することが何より大事ということを教員に求めている。その理念は否定しないが、教員とて人の子、大勢の全く異質な育て方をされた子どもを完全に掌握することなど不可能なことは何度も述べている。

そこまで教員に求めるならば、主幹だ・主任だという縦の身分制度を導入する前に、教員を大幅に増やし、一人の教員が受け持つ児童生徒の数を減らして、それこそ一人一人に対応できる条件を整えることが先だろう・・・と突っ込みたくなる。

ところで、ハトヤマ首相が今年度から支給予定の子ども手当に関し、給食費などの未納がある場合には『相殺できる仕組み』を検討すると発言したと伝えられている。給食費の未払いに苦慮している自治体側から要望を受けたからだろうが、相殺するより全額公費にした方がスッキリすると思うのだが・・・。

一国の総理大臣すらモンスタ-ペアレンツに対する具体案を検討しているのだから、都教委は現場の教員たちが『本務』を全うできる仕組みの構築に、少しは知恵を出してほしいものである。(田舎親父)

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