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2010年3月

2010年3月31日 (水)

突然の犯人逮捕の発表には・・・

 先日唐突に報じられた『毒入りギョ-ザの犯人逮捕』というニュ-スには驚いた。ほとんどの人はこの事件のことを忘れていたと表現する、被害者の方には申し訳ないが『何故今頃・・・』というのが、私も含めて大半の人の正直な気持ちではないだろうか。

事件の続報で、一人の男が隙を見て注射器でメタミドホスという強毒性の農薬を注射器で混入させたことや、その男の性格など関係する背景などが明らかにされているが、先日のオザワ秘書のカネにまつわる事件での『関係者によると』という用言と同じく、『中国当局によると』という注釈がついて、しかも日めくりカレンダ-のごとく、毎日チョロチョロと情報を出していることが気になる。

このやり方もそうだが、中国のやり方は対外の場合、寝ていた子どもを起こすがごとくと言っても言い過ぎでないほど唐突で、何故今頃になって・・・と、裏に何かが隠されているのではと思った人も多いのではないだろうか。もっとも私もその一人であるが・・・。

 この事件は何度かこの小覧でも取り上げたことがあるので、2年前の大騒ぎは昨日のように思い出される。朝刊には『中国製の冷凍ギョ-ザで食中毒』という表現が夕方には『殺人ギョ-ザ』と悪名が格上げされるほど日本中が大パニックになり、ス-パ-では店員がてんやわんやで該当品を撤去していた風景が蘇る。

 今回、中国側の発表では、毒物を混入したとして拘束したギョーザ製造元の天洋食品元臨時従業員について『会社に対する給料や待遇、同僚への不満があり、うっ憤を晴らすのが目的だった』とのことだが、毒物の入手経路も含めて俄には信じ難い。

特に、『犯人とされている男が犯行に使用したとみられる注射器2本が下水道から見つかっていたことが27日わかった』という部分がかなりうさん臭い。注射器が今頃見つかったわけではないだろう。さらに、もし発見したことが事実だったとしても、事件直後でなければ話が合わない。

いやそれどころか、日本で最初の中毒事件が起きたのは、前年度の暮れだということを考えると、このギョ-ザが製造されたのは前年度の12月以前ということになり、本当に注射器で毒物を混入させたとしても、今頃になって『注射器を発見したから真犯人に間違いない。だから信用しろ・・・』したという報道はいただけない。

誰が考えても、注射器を見つけたとしたら事件発生直後なはず。それでも混入から2ケ月も過ぎているのだから、マンホ-ルに投げ捨てたという注射器の発見は限りなく難しいだろうに、そんなにうまく事件に使った注射器が下水にとどまっていたとは思えない。

百歩譲って、注射器が本当に発見されたとすると、当局は事件の存在と背景を明確に把握して、容疑者も特定されていなければならないはず。

そんな情報は全く日本側には知らされなく、当時は『日本国内での混入』を主張していたのは、中国のお家芸といえばそれまでだが、何故今回、その主張を180度ひっくり返して、犯人逮捕となったのかごく普通の常識人の私にはとても理解できない。

政治的な背景があるのだろうが、一番問題なのは、今回逮捕された『呂なにがし』という男性が本当に犯人なのかどうかということもある。が、この報道を日本の外務省は『本件が刑事事件で、偶発的な個別事件であることが示された』という安易な姿勢に加えて、このところ私でも呆れているハトヤマオボッチャマは『中国側関係者の努力を評価し、さらなる真相究明を期待する』とのお気軽コメントにはガッカリさせられる。

 中国との微妙な関係から言わせた言葉だろうが、それにしても冤罪で死刑を執行されるだろう『呂なにがし』という人間の命なんて知ったことではないらしい。

 日本から捜査官が出向くらしいが、捜査権限が全くないのでは容疑者との会見すらできないのではないだろうか。それこそ、一昨日にも書いたが最近の『絶対的なDNA鑑定』で注射器から呂なる人物のDNAが採取でき、しかも一致したとなれば、中国の対応には一定の信憑性が生まれるが、そんなことは絶対ないだろう・・・・。

 また一つ、中国と日本の政治に対して不信感が深まるいやな事件報道である。(田舎親父)

2010年3月30日 (火)

真犯人がいるはずだろうが・・・

 足利事件の犯人として17年以上も刑務所に留置されていた菅谷さんのやり直し裁判で『完全無罪』という判決は予想通り。

映像はないが、判決を言い渡した後に裁判官3人が立ち上がり、揃ってお馴染みの『ゴメンナサイ』のパフォ-マンスをしたと報じられている。自分たちが誤ったことではないのだから頭を下げることはないと思うのだが、3人の裁判官としては精一杯謝罪したいという心情の現れとして受け止め、ホッとしている人も多いのではないだろうか。

判決では、当時のDNA型鑑定の信用性を否定したうえ、虚偽の自白に追い込まれた原因にも触れていたのも評価に値する。これで菅谷さんの『名誉回復』は果たされたと思いたいが、17年の年月を検察や裁判所は、どう償っていくのだろうという素朴な疑問が浮かぶ。

当時DNA判定は採用されたばかりだといいながら、科学鑑定として犯人確定に絶対的な権威を持たせていたことが背景にあるに違いない。科学鑑定は時が経てさらに進歩発展し、同じようなDNAでも微妙な違いがあって人物を特定できないことが判明したのは皮肉だが、今回そのことが明らかになったことに意義がある。

恐らく、情報公開が17年前と変わらなかったら、検察も裁判所も今回のように素直に『やり直し裁判』を受け入れるはずがない。その意味では、今日の情報公開が当然だという世論が既存の権力を動かしたということだろう。

(今日も同じだろうが)昔から刑事裁判では『自白』が何よりも優先されていることは知っている。今回の菅谷さんの場合も、検察は裁判維持のためにも何とか『自白』させようとあの手この手で迫り、DNA鑑定という決め手で迫り、『ハイ』という言葉を引き出したに違いない。

こんなことを書くと支援者の人から激しい抗議がくるかもしれないが、多分、当時の菅谷さんは定職につかずにまわりの人たちからも何となくうさん臭そうに見られていた人物ではなかっただろうか。映像では堂々と歩いているような姿だが、当時は取り調べた検事からも、間違いないという感触を持たれるほどうらぶれた中年男だったのでは・・・。

一度自白したら最後、後で自白を翻してもなかなか受け入れられないのだから、どんなに言われても『自白しなければよい』となりそうだが、何日も留置され、身の回りに自噴を弁護する人がない状態では自暴自棄になってしまったことは、私の経験からもその雰囲気はよく分かる。

今回の判決に対して検察も自らの判断を改めて即刻控訴しないということで、菅谷さんの完全無罪は確立したことは当然だが、ならば真犯人が存在することになり、本当の意味で菅谷さんが犯人でない証拠、すなわち真犯人を確定する義務の遂行が必要なはずなのだが、これを指摘するメディアが少ないのが気になるところ。

しかも、当時では少女が殺害された同じような犯罪が5件も未解決だという。推理小説的な見方をすれば、真犯人の気持ちには『ひょっとして・・・』という疑心暗鬼が生じているだろうから、当時の捜査線上に浮かんだ人物をもう一度徹底的に洗い出してほしいと願っている。警察のことだからそのあたりは遺漏ないと信じたいが・・・

 当時のDNA鑑定だが、同じようにDNA鑑定で真犯人とされている人が菅谷さん以外にも何人もいるらしい。中には、すでに死刑が執行されたとも報じられている。こちらの方ももう一度精査する必要があるはずだが、恐らく今回の菅谷さんと同じような経緯をたどることも十分考えられる。これは恐ろしい。

 『冤罪は私が最後にしてほしい』という言葉を検察は真摯に受け止めてほしいと願うのだが、高地の白バイ事件や植草教授の痴漢事件など、法律に疎い私でも疑りたくなるような捜査や公判維持の手法では、わざわざ冤罪を生み出しているのではと疑われても仕方ないだろう。(田舎親父)

2010年3月29日 (月)

明日にも大地震が起きると信じることが大切・・・

 このところ日本全国いろいろなところで『グラリ』報道が続いている。しかし、揺れが小さいことがあるらしく、テレビ画面に一瞬表示されるだけで、多くの場合全国紙に報じられることはほとんどないようだ。

この小覧でも何度も取り上げているが、ここ数年に起きている大地震は(阪神淡路大地震は数年前なので範疇外として)中越や北陸、そして東北と首都圏に比べると人口が圧倒的に少ない地方。特に岩手・宮城大地震においては、エネルギ-としては物凄いものがあったものの人的被害が少なかったのは、ただ人が住んでいなかったというだけ・・・。

阪神淡路大地震では6千人超の人が亡くなったことを忘れてはならないはずなのに、喉元過ぎればなんとやら・・・で、最近は、時に地震や津波の『特集番組』的な報道があっても、日常的に話題になることがすくない。もっとも折角の『特集番組』も他局のバエエティと称するお笑いタレントのバカ笑いの方が視聴率は圧倒的に良いというから、国民総体として過去の教訓を受け入れる気持ちすら無くしているようだ。

ところがひとたび海外に目を移すと、今年になってからでも、カリブ海に浮かぶハイチに続いて、先日はチリでの大地震が続いている。ハイチでは使者が20万人超という信じられない数字に一時的にわが国のマスコミが取り上げたが・・・。

チリの大地震では現地での様子より、津波が日本に襲ってくるということだけが大々的に取り上げられ、必要以上に大騒ぎしたことは記憶に新しい。避難指示に従った者はわずか十数バ-セントにとどまったという報道に、情報と行動のイタチゴッコが始まり国民のオオカミ少年化が進んでいるのではと危惧感はぬぐえない。また、インドネシアでの大地震は話題にもならなかったのも不気味な兆候・・・。

首都圏では、時々グラリはくることがあってもたかだか震度は3、大地震と呼ばれる規模の地震は1923年(大正12年)の関東大震災以来ない。

私は一応、気象学のゼミに所属していたので、当時から地震にはかなり関心を持っていた。その中で今でも忘れられないのが、ある教官の口から(一つの俗説だがという断りがあったが)『大地震は竹の花が咲くとそれが前触れだ・・・』という言葉である。

科学的な根拠はないのはわかっている。が、当時の学説では地震の空白期はだいたい60~100年、竹の花が咲くのはおおむね60年から70年らしいから、なるほど一致するということで、今でも頭の隅にこのことを信じる要素があるらしく、90年もの空白期間がある関東では明日にでも起きる可能性を疑うことができない。

ところで、先日『間違いだらけの防災知識』という記事を見つけた。詳しい内容は覚えていないが、見出しの『机の下に隠れるな』という文言に興味を引かれたので、ここまで文書を書いていると突然この記事を思い出した。

『机の下に入るよりまず逃げろ』は、机の下にもぐり込んでいる間に、ドアが変形して開かなくなったり、家具の転倒や落下物で動線がふさがれ、閉じ込められたら、逃げられないからだろう。確かに、最近の火事では新建材から発生するガスで亡くなる場合が多いので机の下にいる間にその可能性は限りなく高いので説得力があると感心する。

 『グラッと来たら火の始末』これは昔からもっとも重要な行動として我々の脳に刷り込まれているが、最近のガスや電気器具はそのほとんどがそのような衝撃があれば自動的にガス栓や電源が切れているのだから、『グラッと来たらまず逃げろ』が正しいとのこと。これも実に説得力がある。

 その他にも、車の避難の方法やペットの扱いなども記述にあったようだが、今までの防災知識を見直さなければならないことばかり。今でも同じような避難訓練を繰り返す、学校や官庁、地域自治会の関係者に聞かせたくなる。

 記事には、文科省は昨年7月、消防庁や各自治体などが発表している現行の『地震時の心得』の検証に初めて乗り出したらしいとあるが、その内容などはマスコミは触れようともしていない。視聴率稼ぎにならないのかもしれないが、変な話である。

 仕方ないから自己防衛するしかないが、一番大事なことは『大地震は間も間違いなく起こる』という意識を一人一人が確実に持つこと。そして、現実にぶつかった時を想定して自分なりの訓練しておくことだろう。(田舎親父)

2010年3月28日 (日)

また現場イジメの政策か・・・

 特別養護老人施設の介護職員に『原則として医師や看護師にしか認められていない医療行為のうち、一部を認可』というニュ-スが報じられた。

全面的に医療行為を認めるのではなく『一定の条件下』という文言がついて、口の中のたんや唾液などを機械で吸い出す『吸引』と、胃に通したチューブから流動食を入れる『経管栄養』という行為に限ってのみ許可というから、たいしたことはないように思えるが、実施となると現場にはかなりの影響を生じるのではないだろうか。

厚労省が近々局長通知を出し、5月にも研修を始める予定だというから、どうやら規定の事実のようだ。老人介護施設の現場では、ごく普通の介護の仕事の一つになるのだろうと思うと、ますます介護職が敬遠されるのではないかという心配をしてしまう。

『研修』は新しい仕事をはじめるためには必須の条件であることは疑わない。しかし、このところこの『研修』という言葉が使われる頻度が増え、しかも、何でもをオブラ-トにくるむような曖昧な意味で使われることが多いのが気になる。

例えばよく使われるのが『新人研修』という言葉。新人を新しい仕事に慣れさせるために必須の条件であることは論を待たない。しかし新人とはいえども日常的には先輩と同じような仕事を受け持たされていることは、最近の職場事情では当然なこと。

時代が違うと言われればそれ以上の反論はできないかもしれないが、私の新人時代は先輩の背中を見ながら仕事を覚えたもので、強制的な『研修と称する苦行』はなかったように記憶している。

わからないことが生じたら聞けば済むこと。失敗しながら覚えることで確実に技量が上がったものだが、最近は自分でこんな知識能力が必要と思う前に、『これだけのことが必要だ』という能力?が示されて、ひたすらにそれを習得することが義務づけられるようになっている。

社会の仕組みが細分化しているので、致し方ないとその考えを受け入れるとしても、そのために『研修』を受ける時間的な担保すること原則中の原則。しかし、実際にはそれができていないことが多いのも事実であろう。

今回の『タンの吸引』は医師か看護師しかできない行為として法にあるという。しかし、実際には経営的に夜間などに当直の看護師を配置する余裕がないという理由だろうが、宿直の介護士の仕事になっていることは当然らしい。

これでは医師や看護師免許がない当直の看護士が、必要に迫られてこのような行為をしなければならなくなるのは、介護現場に疎い私にでもよく理解できる話。意図的に配置しない経営者も多いとも聞いている。

『タンの吸引』などは簡単なことで、数度の『研修』で十分習得できるという。実際、自宅で家族が行う場合は違法とされないとのことで、5年前には『研修』を受けたヘルパーが在宅でたん吸引することが解禁されているのだからさほど難しいことではなさそうだが、そんな簡単な誰でもできるような行為なら、何故今まで、医師や看護師免許が必要としていたのという疑問を持つのは私だけではあるまい。

 老人介護施設などでは入居者の高齢化が進み、たん吸引などを必要とする人が増加し、夜間に看護師を置けない施設から入所拒否されるケースも出て、違法承知でこのような行為をしてきたのが現実、今回はそれを追認しただけと捉えても差し支えなさそうだ。

 医師や看護師を置く予算的措置と人材が不足しているから、この仕事を介護士にさせようというのは乱暴な話。これでは介護士の仕事を法的に増やすことになりかねない。給料や待遇の改善が背景にあるのなら理解できるが、そんなものはあるまい・・・。

 先日札幌で起きた老人施設の火事では、当直の看護士はこの行為を一晩で十回以上していたという。その上、排尿・排便に付き添っていたとなると恐らく横になる時間さえなかったのに違いない。その結果、最悪の事態を招いたことは誰の目にも明らか。

 マスコミが面白可笑しく報道する事件が多過ぎる今日、とるに足らないような事柄のように思われがちだが、見落としたら間違いなく次の惨事の原因になることは間違いないように思えてならない。(田舎親父)

2010年3月27日 (土)

民主党政権にはガッカリ・・・

 このところハトヤマ政権のたがが緩んできたように思えるのは私だけではあるまい。

つい最近はウブカタという副幹事長がオザワ批判をしたと交代させられたと報じられたが、一夜明けると復職したというのは何だったのだろう。

マスコミの報道は頭からそのまま信じていないが、オザワ幹事長が記者会見で『大事なときだから、もう一度一緒にやろう・・・』と語っていた映像までは作り替えていないだろうから、いったんは解任(交代)があったことは確かなようだ。

ウブカタ氏もそれで面子がたち受け入れて副幹事長を続投すると宣言したのだからシャンシャンとなるのかなと思っていたが、これまた一夜明けると俄然強気になって『幹事長の証人喚問』など公然と口にしているというから、この御仁の後ろにはとんでもない人物や組織でもついているのではないだろうかと想像すると恐ろしくなる。

50年以上も続いた自民党政権の体質がとんでもない醜悪なものだと国民が気づき、先の衆院選挙で政権が交代したのは歴史的な事実なのだが、政権を引き受けたものの経験がないことばかりなので、その運営に混乱が生じていることはある程度仕方ないとしても、次々とゴタゴタが続くと国民から失望の声が上がるのは仕方ない。

選挙では耳に心地よいマニヘェストを並べて、ハトヤマ代表と幹部たちは国民に『お約束します』となんども何度も宣言していたことは忘れもしない。明らかに、無理だとわかっていることも多かったこともあるが、国民は公約はともかく自民党にはこれ以上任していられない、という意識があったから選んだはず。

国民もマニフェスト全てが実現できるとは思っていないのだから、ここはじっくりと組織を固めることが大事だと思うのだが、何とかかっこをつけなければ政権が次の選挙で揺り戻しがあるという恐怖感があるらしい。しかも、その度合いが幹部たち一人一人によって違って、勝手なことを内外メディアに向かって発言しているのだから必要以上に混乱するのは無理がない。

ハイエナ体質のマスコミがこれを逃がす手はない。推測を含めて面白奇怪しく報道するものだから、(受け取る方によほどの情報がない限り)ハトヤマ首相の真意がわからなくなり、さらに閣僚たちが対立して困ったものだという雰囲気が蔓延して、それが内閣支持率の激減になっていることは疑えない。

普天間基地の移転について、私は、当初からハトヤマ首相は県外(国外)移転という案でアメリカとある程度の合意があるのではないかと推察していた。よほどの無神経な人間なら別だが、メドが全く経たないのに、『沖縄の人々をこれ以上苦しめない・・・』なんキサできれいな言葉は吐けないはずだと思っていたからである。

ところが日がたつにつれて、アメリカとの合意など全くなかったのではないかと思わせる発言が出始め、今では国外移転は100%ゼロ、徳之島への訓練施設移行でお茶を濁そうという雰囲気すら漂うようになっているのはどうしたことだろうか。

辺野古の海を埋め立てないで陸上に滑走路を作るとか、(行ったことはないのでどんなところかわからないが)ホワイトビ-チ沖を埋め立てとか、利権を漁っている連中はともかく、一般の沖縄の人々にとっては絶対受け入れられない案が最終的に浮かんできている由々しき情勢になっているのが気がかり・・・。

3月には政府案を出すと明言している以上残りは数日。もしも、たとえ訓練施設の一部を外に出したとしても、マスコミが期待している?ような『県内移転案』を出したら、そのときには支持率は一挙に一桁に落ちるのは間違いないところ。

連立を組んでいる社民党や国民新党とのギクシャクをはじめ、高速道路や子ども手当て、エネルギ-や金融問題、あるいは郵政改革など、まだまだ心配の種は山ほどあるが、この問題の解決ができないのなら、即刻総辞職か解散すべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年3月26日 (金)

脳科学の研究も良いけれど・・・

 世は空前の脳科学ブームらしい。『脳』という言葉が表題に一部になっている書籍は、この5年間で3000冊以上も出版されたというから凄いもの。

私も時に本屋や図書館でパラパラとペ-ジをめくることもあるが、それらはほとんどがハウツ-もので、ちょっとした専門書でもそのほとんどは単語の意味や表現が難し過ぎて数ペ-ジで表紙を閉じてしまうから情けない話である。

ハウツ-ものは読んでいて面白いのだが、脳に関する気になる話など研究結果を拡大解釈した俗説も少なくないので、信じてしまうのが怖くなる。そのひとつが『脳トレ』と言われる、簡単な計算や音読で脳を鍛えるという方法であるが、一頃より下火になったらしいが今でも大人気で、学校や老人施設では流行しているらしい。

一頃『学力テスト』の点数アップに欠かせないものとひっぱりだこ状態だった(今でもその信者は多いらしいが)『『ひとます計算』などその典型。また、輪郭だけ線で描かれている『塗り絵』などは老人施設でも盛んに取り上げられているという報道もしばしば。

最近の脳科学では脳のどの部分にどんな機能があるのかがわかるという。その分野の第一人者の専門家たちは長年の研究の成果から、脳の3割以上を占める『前頭前野』という部分を活性化すれば、高齢者のコミュニケーションや生活能力が改善するという仮説をたて、全国数百の老人施設などで導入しているそうで、先日、その理論で実践している老人施設の記録が新聞に掲載されていた。

それによると、この老人施設では、現在までにのべ180人以上の高齢者が、専門家の指導で脳の学習療法(脳トレという言葉は嫌いらしい)を行い、脳機能が改善し、自発性や他者とのコミュニケーションが回復するケースが数多く現われているという。

数多く現れているとの表現なので具体的なことはわからないが、毎日頭脳を使う訓練を続けていたら効果はあるだろうことは素人気私にも何となく理解できる。しかし、このことが科学的に証明されたわけではないという意見も強いようだ。

脳トレ理論に?の人たちは、脳トレを続けただけではなく、介護スタッフが励ましなどの日常的な努力が一番重要な要素で、スタッフが老人一人一人の個性と隠れた能力に気づき、その能力を引き出すことがなければ続けることも改善することもできないという。

要は人と人との日常的な細かいコミニュケ-ションが必要ということだろうから、この意見も大変よく分かる。人的に手厚い介護環境が整っていない施設では、例え強制的に行えば多少の効果はあるだろうという見込みがあって採用したとしても、人嫌いというか脳トレそのものに対しての恐怖心のような感情が入ると、かえって逆効果にもなりかねないことも十分理解できる。

よしんば近い将来、脳トレが効果的なことが科学的に証明されたとして、すべての認知能力が欠如している老人に『脳トレ』義務づけるとなると、下手するととんでもない人権問題に発展するのでは・・・。

脳トレを科学的に証明して、それが認知力の回復につながれば申し分ないが、体力と知力が相対的に衰えることが理想だと思っている私のような人間には、知力だけを回復させたら、かえって不幸な結果にならないとも限らないのでは・・・と的外かもしれないが変な心配すらおきてくる。

脳に対する科学的な解明は始まったばかり、複雑な現代社会で生活している人たちは、ついつい『単純化された説明』を受け入れてしまいがちであるが、人と人とのつながりがその根底にあることを忘れたくないものである。(田舎親父)

2010年3月25日 (木)

知的障害者を見かけることが多くなったが・・・

 昨日今日は全国的に雨模様の天気になっているが、このところ各地から開花宣言が届く季節になってきた。毎年この花便りは少しずつ早くなる傾向があるが、今年は地方によっては2週間も早いというから例年よりさらに早まっている感じがする。

百花繚乱という言葉はこの季節のためにあるのだろう。誰もが戸外に出たくなる雰囲気が充満するらしく、どこを歩いていても大勢の人に出会う。

平日外を歩いていると、当然ながら出合う人たちはお年寄りが多いのだが、最近知的障害者(最近は障害という漢字が問題になっているが、今日はそれには触れない)の人たちとすれ違うことが稀ではなくなっている。その多くの場合は、何人かのグル-プで複数の付き添いの人に手をつないでもらっていることがほとんど。

恐らく知的障害者施設の入所者とその介護の人たちなのだろうが、その度に両方の人たちに対して『大変だなあ・・・』という声には出さないが言葉が漏れてしまう。と同時に、昔から、知的障害をもった人は存在したことは間違いなかったろうが、このところ特に増えているのでは・・・という素朴な疑問が浮かぶ。

知的障害の問題は、表現を少しでも間違うとたちまち人権派の人たちから厳しい批判が返ってくるばかりか、マスコミが狙い済ましているかのように大々的に取り上げるので、オブラ-トにくるまれたような表現が当たり前になって、なかなかずばり本音という意見に出合うことが少ない。

知的障害者が外を歩いて何が変なの・・・と問われたら、別に・・・と答えるしかないが、表情がない人たちが数人(多い場合は20人もの集団)と狭い道ですれ違うと、人権感覚が育っていないと言われてしまえばそれまでだが、何やら異様な感じを受けてしまうのは私だけだろうか。

その都度、できるだけ彼らの歩行に邪魔にならないよう脇によけ、立ち止まって通りすぎるのを待つのだが、当然ながら彼らからは何ら会釈はない。介護の人たちは多くの場合『すみません・・・』というあいさつがあるが、時には当たり前だという傲慢な態度の人に出会わすこともあり、そんなときにはガッカリする。

 道を歩くのも介護の人に付き添われているのだから、日常的に自立できないことは明らかで、まして自分で働いて生活費を稼でいるはずはない。

 過去にも存在しただろう障害者は、親が世間の目から隠して育てていたはずなので、親の苦労は大変だったことは十分理解しているつもりでいる。人権感覚が成熟しつつある現在社会では、このような人たちの生活補償はかなり進んでいると聞く。しかし、無尽蔵ではあるまい。

まして、経済破綻がささやかれだしている現実では、この予算は今後減ることはあっても増えることはないだろう。

知的障害者の人たちが、ほんの少しでも自分で働ける環境を作ることは、今日の老人問題とともに、早急に何とか考えなければならないはずなのに、前述したように、よほど言葉を選ばないと誤解される恐れがあって、なかなか議論がかみ合わないようだ。

私は現在『蚕と桑の葉』に夢中に取り組んでおり、桑の葉のパウダ-を本格的に作りはじめて人々の役に立てようと思っているが、最近はこれらの分野を知的障害者の人々が受け持つことができれば・・・と望むようになっている。

それほど難しいことをしているわけではないから、工程が理解できる程度の知力があれば可能。問題は(もっともこれが一番難しいのだが)『繭や桑のパワ-』をどのようにして理解し継続して購入してもらえるかであるが、これさえ解決できれば十分可能性があると考えている。

より以上に簡単なのが、ここ数年取り組んでいる柑橘類の皮の部分を用いた『餅風のお菓子』作りである。柑橘類独特のホロ苦みと砂糖の甘さを組み合わせた菓子は、抹茶やコ-ヒ-にもよくマッチして自慢できる味わいに仕上がるようになっている。

皮は一部はママレ-ドなどに利用されるとしても、そのほとんどはゴミとなって捨てられてしまうもの、これが高級菓子に変身。しかも知的障害者が作れたとしたら、多少は社会貢献できるのではないだろうか。

興味がある人は連絡いただければ幸いである。(田舎親父)

2010年3月24日 (水)

今更網目を細かくするのはお止めなさい・・・

 先日取り上げた佐渡のトキ保護センタ-で放鳥訓練中のトキ9羽がテンらしい野生動物に食い殺された事件は、私の予想通りトキやっぱり手抜き工事としか言いようがない。

 手抜きではなく設計ミスだったと表現した方が正しいようだが、どちらにしても、明らかにテンなどの小動物がごく当たり前のようにゲイジの中に入れる隙間が、メディアによっては200ケ所以上もあったというからお粗末極まりない。

少なくとも肉食の野生の動物たちがトキの天敵だということぐらいは私でも知っていたことだから、設計に関わっただろう環境省の保護センタ-の職員が知らないわけはないだろう。いかにずさんな設計で、しかも全く自然(動物の生態)に対する知識などない業者が施工したとしか思えない。

この事件を受けて、民主党の幹事長と同じ姓のオザワという環境大臣は視察をした際の記者会見で『(テンなど外敵が)入ろうと思えば入れる状況だった』と確認、ケージの大規模な改修を検討することを明らかにしたと報じられた。

また、この御仁は過去にも外敵の侵入例があったこと(こんな情報は一般国民には知らされていなかったはず)を挙げ『その時点でやるべきことはあった』として、これまでの対応に問題がなかったか『検証』すると明言したという。

最近『検証』という言葉が大流行だそうだ。広辞苑によると『実際に調べて証明すること』とある。このことを今回の大臣の言葉に当てはめると、過去に外敵が侵入した時点で『手だてをしなかった』ことに対して、原因を調べようともしなかった『ずさんさ』に対もう一度調べ直して原因を究明することだと私は受け止めたい。

しかし、そのことについてはなにも触れず、今後テンなどの小動物の侵入を防ぐために大規模な改修を行うとのことを強調しているのは困ったもの。まわりはその言葉を受けて早速、隙間を埋める応急処置に追われたようだ。

その後すぐに、侵入防止のための『電気柵』を取り付けることが決まったというが、外敵の侵入にわざわざ費用が膨大で、しかも維持費が必要な『電気柵』が真っ先に上げるのは、またまた建設業者の利益誘導・・・とうがった見方をしてしまうのは私の悪い癖なのだろか。

先日も述べたが、釧路のタンチョウセンタ-(だったという名称だと記憶しているが)で見たタンチョウの『檻』はまわりに囲いがあるだけで天井はない。タンチョウたちは自らの意志で自由に出入りできる環境であるのにも関わらずである・・・・。

都会の動物園のイメ-ジで見ている私はたまたま出合った元園長の方にその疑問をぶつけたところ『外敵の侵入がなく食料が豊富な、こんな安全な自分の縄張りを出て行きませんよ・・・』との説明は、まさに目からうろこ状態で納得したものである。

そのために、より安心してタンチョウが住めるために外敵の侵入を防ぐために、地面と金網の境目の部分は厳重にしているということは先に述べた。

ここには電気柵などという無粋なものはない。あるものは基部のアクリル板(だったと思う)と、いわゆる古代建築に様式でお馴染みの『ネズミ返し』と呼ばれる張り出した板のみ。それだけでネズミやイタチなどのタンチョウにとって危険な小動物の侵入は完全に防げるとのことである。

トキが噛み殺された事件の後、このゲ-ジの中に新たな監視カメラを設置したらしく、そのカメラにテンらしき小動物の姿が何度も写っていたという。飼育されていたトキたちは別の場所に移されたのだろうが、皮肉な見方をすれば、関係者は事件の原因を侵入したテンが悪いということにしたいらしく、『こいつが犯人だ』という証拠探しのように思えて仕方ない。

オザワさんに失礼ながら『金網の目を細かくしなくても、隙間をコンクリ-トで防ぐこともありませんよ。ゲ-ジのまわりのコンクリ-トの基礎部分にほんの50センチ幅のアクリル板で囲めば、テンなど侵入できませんよ』と教えて上げたいものである。

電気柵の設置などの巨額の費用はかからない。恐らく数十万円、いや職員だけでできる工事だろうから材料費だけで済むのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2010年3月23日 (火)

原発 大丈夫なの・・・

 先日、日本で初めて稼働した敦賀原発の1号機が、国内の商業用原発として初めて運転開始から40年を迎えたという。

このことに対して、原発の寿命は25年程度で長くもたせたとしても、40年が限界だと言われている中での今回の方針に対して『本当に大丈夫なのだろうか・・・』と原子力に対しては全くの素人ながら不安感はぬぐえない。

『原子力安全・保安院』という組織がある。名前から察すると何となく厳めしく、安全に対しては絶対の権限を持っているような感じを受けるが、各地の原発の放射能漏れなどの事故に対して、その都度当初はまず安全を強調しながら、あとから小出しに事実を追認する体質を持っているようなので、あまり信頼感があるとは思えない。

その『原子力・保安院』は最長60年の運転を想定して、10年ごとに各原発の高経年化対策を確認して、安全性を評価していく方針を打ち出したという。

『保安院高経年化対策室』という部署(こんな部署の名前は初めて明らかになったが)の室長は『30~40年というのは、この間は少なくともこの期間は大丈夫だという意味で、寿命ではない』と先日発表した。

根拠は『米国ではすでに60年運転へ向かっている。60年は工学的に無理のない範囲である』と、またまたアメリカの例を出して、その上でわが国の技術なら大丈夫だという論理を展開しているが、相変わらず植民地的な発想と情けなくもなる。

 今回の措置に対して、原発の劣化問題などを研究している専門家たちは『原発事業者は都合よくデータを解釈している。国も、原発の寿命延長ありきの審査体制だ。古い原発はすぐにでも停止すべきだ』と強く批判しているが、これまでの原発事故では指摘通りのデ-タの改竄があったことから、国はこの批判こそまず受け入れる必要があるのではないだろうか。

 少なくとも、継続ありきという結論ではなく、いったん運転を止めて、批判的な科学者も含めた検討委員会を設置し、様々な角度から安全性を考察したうえで延長を決めるべきだと思うがいかが・・・。

敦賀1号は当初、今年で運転を終える予定だった。しかし、増設される3、4号機の工事が遅れて、3号が稼働する予定の16年までの延長を決めたというから、安全面より電力事情を優先したというそしりは免れないだろう。

ところで、2030年までの国のエネルギー政策の指針を定める経産省の『エネルギー基本計画』の原案が報じられた。

その内容は、・すべての新車はハイブリッドにして燃費基準を1リットルあたり約40キロに引き上げ、LEDなど高効率照明の普及率を100%にする、太陽光・風力・地熱・バイオマスなど再生可能エネルギーの発電全量の買い取り制度実施などとうたっている。

ここまでは技術的に可能らしいのであえて反対する必要はなさそうだが、もう一つの柱に、原子力発電を『低炭素電源の中核』と位置づけ、30年までに少なくとも14基を新増設し、現在60%台の稼働率を90%に引き上げるという具体的な原発計画の文言に、時代に逆行している発想では・・・という危惧感を覚える。

ハトヤマ首相の口から『コンクリ-トから人へ』というセリフを何度聞かされたことだろう。

最初のうちは、何となくほんわかとした素晴らしい言葉であると共感したもの。実際に、この政策を邁進してくれるなら、国民はずっと民主党のハトヤマ政権を支持するだろうと思っていたが、段々雲行きが怪しくなり、最近では高速道路を全国に広げるというから自民党政権以上の『人よりコンクリ-ト』政策になっているのでは・・・と暗澹たる思いにかられているのは私だけではないだろう。

私は、ほとんどの先進国は『脱原発』の方向へ進んでいると捉えているが違うのだろうか。放射能は一度漏れたら長時間消え去らず、近隣の住民に莫大な被害を与えているのはチエルノブイリ原発の大惨事で十分すぎるほど学んだはず。

今の生活でも十分贅沢なはずなのに、より快適なそしてより便利な生活のために原発を作って電力を湯水のごとく使える環境を作りたいという、政治屋と一部の資本家の結託で生み出された妥協の産物のような今回の『エネルギ-基本計画』には明確に反対の意思を示したい(田舎親父)

2010年3月22日 (月)

科学教室が大流行らしいが・・・

 最近小学生を対象にした『科学教室』が流行っているらしい。

最近の小学校では、理科の得意な教員が極端に少なく、実験(特に物理・化学)は学生時代にほとんど経験していないので、生きた自然科学の知識が不足しているのが現状。当然ながら、自分が実験をやったことがないので、クラスの児童にやらせる自信がないということもよく耳にする。

教師実験もしないで、座学の知識として詰め込んで、テストの点数で理解を判断するのは乱暴なことは明らか。その意味では科学教室の流行は悪いことではなさそうなので、このこと自体は面白い傾向だと思っていたが、この流行りに学習塾が飛びついたとなると、これはちょっと気になる。

 2月・3月は学習塾が人集めに必死になる時季。ここ数日、新聞の朝刊の折り込みには学習塾チラシが入るが、そのほとんどが小学生を対象にした私立中学対策の内容に、(効果があるから折り込んでいるのだろうが)商売とはいえ、よくぞここまでクチサキ三寸の美味しい話をでっち上げるものだ。

 それほど人集めは厳しいらしく、あの手この手での勧誘なのだろうが、先日NHKのニュ-スで、書き出しのように学習塾が『科学教室』を始めたという構成で、実際にこの教室の様子の映像を取り上げていたのには驚いた。

 ほんの数分の映像なので詳しいことまでわからないが、炭酸ガスの性質を教える内容だった。火をつけたロウソクを並べた透明なアクリル板の箱を傾けて置き、その上部からビンの中の詰めた二酸化炭素を流し込む実験を紹介していた。

 当然のことだが、ロウソクは上部から順々に消えていく見事な結果に、二酸化炭素が火を消す性質と空気より重いという事実が一目瞭然。これでは、テストで間違う子どもは少ないだろうと納得したが、しかし、対象が小学2年生だということに、何故小学2年生に二酸化炭素の性質を教え込まなければならないのかと愕然とする。

 その学習塾には立派な理科室が設置されているという。一方の壁がガラス張りになっていて、そこには保護者がびっしり並び、わが子の様子が見られるようになっている仕組みにさらにびっくり。親たちはわが子の将来に大金をかけているので、学習の様子を見るのは当然という顔で、熱心に見守っているが、何か異様に雰囲気を感じる。

 二酸化炭素の性質を調べる実験は、新学習指導要領では6年生の学習内容である。来年採択される教科書には『ものの燃え方』という単元で、この種の実験はかなりしっかり取り上げられている。

 二酸化炭素を塩酸と石灰石を使って発生させる実験も、複数の教科書が取り上げているが、この実験は必須でなくボンベを使っても良いことになっているので、理科の苦手な教員でも、ニュ-スで紹介されたような実験はさほど難しいことはないはず。

 実際に現場の教員にこの話をしたところ『この単元はやりやすく子どもたちも喜んで実験に参加してくれます』ということであるが、私は塾が2年生の段階で、この実験を取り入れてしまったら、学校では6年生に何を教えるのだろうと気がかりが先に立つ。

 そのことはともかく、塾で習った子どもたちは『こんなこと6年生になってやってられるか・・・』という思いにかられるのは否定できない。時には、先生をバカにする態度が現れても奇怪しくない。この辺りにも最近さらに酷くなっているという学級崩壊の原因があるのではないだろうか。

 6年生で教えることが妥当かどうかは別問題として、現行では6年生で必ず習う学習なのだから、2年生で習得しなければならない理由はなにもない。『なんでも早く教えた方が良い』という風潮に後押しされて塾が勝手にやりはじめたことだと見過ごして良いのだろうか。

最近は学校よりはるかに塾の方が重要視される傾向があるので、人集めのために資金の潤沢な塾では1年生の学習に取り入れかねない。いや、幼稚園児対象に科学教室を売り物にする塾も出でくるのは想像に難くない。

学習指導要領に対してはいろいろな意見があるだろう。その是非までも問題にしている人も多いことは知っているが、そのことはともかく、私は国民としてこれだけの知識理解は必要だということと、この程度は教えておくべきだという線引きは必要だと思っている。

 一方、学校現場では年々忙しくなって、実験などやっている時間がないという声が聞こえてくる。

前述したように、理科の苦手な教員が圧倒的多数だということも知っている。しかし国民的なメディア?であるNHKは、学習塾が実験を売り物にする現実を肯定し紹介するのではなく、学校現場の理科環境を改善する方向で番組を構成する姿勢がほしいと言ったら期待し過ぎなのだろうか。

今更言っても仕方ないのかもしれないが、小学校1.2年の理科をなくしたことが今更ながら悔やまれる。(田舎親父)

2010年3月21日 (日)

火を使わず煙も出ないタバコとは・・・

3月21日   神奈川は今年の夏から海水浴場での喫煙を禁止するという。海岸に一番多いのがタバコの吸殻だというから、この措置は県民の多くが支持しているらしい。

海を見ながら一服という愛煙家にとってはますます肩身が狭くなり、『吸殻など捨てていないのに、一体、どこで吸えばよいのだ!』という怒りの声が聞こえてくるようだ。

私は何でも条例で規制する必要があるとは思っていない。むしろ条例で禁止することに対して反対の意見を持っているが、日本人のモラルがほぼ完全に喪失し、一部の人たちの努力ではとても改善できないところまできている現状を考えると、条例規制も仕方ないかな・・・と、今回の海水浴場での禁煙を受け止めている。

ここまで禁煙が徹底すると、一番打撃を受けるのはタバコの製造業者。つまり、それを生業として多くの社員を抱えている『日本たばた産業(JT)』という、官営の専売公社から名前だけは民営化した会社であることはだれの目にも明らか。

基本的に商品は(犯罪に関わる品物の製造は別だが)誰に憚ることなく宣伝できる。駅に大看板を上げることも、テレビでタレントを使って心地よいセリフを流すことも、電車の中吊りで洒落たデザインを競うことも、大新聞に大きな活字を並べることなど全て宣伝費さえ潤沢ならば可能だが、タバコだけはそうはいかない。

時にタバコの広告を見ることがあるが、必ず『健康に害を与えます』という意味の文言が入っているのは、自主規制もあるだろうが、そんな文面を入れない限り当局が許さないのだから、何でもありの社会にあって気の毒に思えないこともない。

このままではJTは倒産に追い込まれるのではないだろうか。もしそんな事態になったらまたまた失業者が増えると、他人事ながら心配になっていたが、JTも必死らしく『ゼロスタイル・ミント』という『火を使わず煙を出さないタバコ』を発売するという見出しが目についた。

そんなタバコがあるのだろうかと、興味を持って記事を読んでみたところ、タバコの葉が詰まった専用のカートリッジをパイプ状の本体に差し入れて吸う『かぎたばこ(嗅ぎタバコだろう)』だそうで、周りへの煙やにおいを気にせずに、たばこの味や香りを楽しめる代物らしい。何だか中国で見た水タバコの超コンパクト版?。

 東京限定で売り出し、販売地域を順次広げる計画だという。ニコチンは軽めのたばこの20分の1程度で、呼気からのにおいも気にならないとしているが、そんな都合のよいものがあるのだろうか・・・。

 JTの幹部は禁煙場所での利用について『ビルや店などの判断にもよるが、煙が出ないので様々な場所で吸える』と自信満々。厚労省側も『公式な見解ではないが、受動喫煙のリスクがなければ構わないかもしれない』と後押ししているような発言をしているらしいので、何となく出来レ-スのような話のような気もしないでもない。

 そこまでしてタバコを吸いたいのだろうか。喫煙の習慣のない私にはとても考えられないが、もしこのタバコが流行りだしたとしたら・・・と思うと、単に『まわりに煙もにおいも出さないからよいだろう』ということではなく、大の大人が町中で専用カ-トリッジにタバコもどきものをくわえて町中を歩いている姿が当たり前になってしまっては、と考えると、こんな異様な光景は風景は想像したくない。

 さらに、どこでもこの姿が勝手だとなると、中身を調べることも曖昧になり、少年たち用の『タバコもどき』を発売して大儲けを企むカネ亡者の出現は既定の事実になるだろうし、中に覚醒剤などを混ぜ合わせる悪知恵の発達した輩も出てくるだろう。

 タバコは煙と香り(好き嫌いはあるだろうが)の出るものとするイメ-ジを大切にして、時と場所をわきまえて楽しめば良いと思うのだが・・・。(田舎親父) 

2010年3月20日 (土)

こんな商売や手口が流行りだすのは世も末期か・・・

 報酬目当てに離婚工作などを請け負う商売を『別れさせ屋』というらしいが、マスコミは何でも名前をつけたがる習性があるらしい。今回の事件が報道されるまでは(私が世間知らずだけかもしれないが)、こんな商売が存在することなど想像もつかなかった。

探偵会社が存在することは知っている。私のような年代の人間にとっては、探偵というと『明智小五郎』を思い出すほど推理小説では定番の登場人物。その探偵たちが世間の難事件を解決していく筋書きに中学生ごろまでは興奮したものだが、それはあくまで小説の世界で自分の身の回りで探偵の存在など感じたことはない。

犯人はこの探偵だったという。『離婚をしたいので夫の交際関係を徹底的に探してほしい』とでも依頼があったのだろう。離婚に必要な何かの証拠をつかんでうまく離婚にこぎつけたようだが、男は離婚させた後にこの女性と男女の交際を続けていたという。

何が原因だとは報じられていないが、背景には『別れる・別れない』とか『カネ問題』など男と女の生々しい事情があったことは想像に難くない。切羽詰まった男が、口論の末に首を締めて殺してしまったという筋書きだろう。

裁判長は被告について『短絡的、自己中心的で酌むべき点はない』と懲役15年の実刑と切り捨てたことは当然だが、『別れさせ工作』について『不法のそしりや社会的非難を免れ得ないもので、金目当てに工作に及ぶ者や、目的のためには手段を選ばず依頼する者が存在すること自体が遺憾』と両方を非難しているのは、安易に探偵会社に依頼するような社会の風潮に警鐘を鳴らしたものと捉えると拍手に値する。

『幸せのきっかけをつかむため』『腕に絶対的な自信』などインターネットのホームページに並ぶカラフルな文字が並んでいるという記事に、実際に調べてみたら本当だった。こんなサイトを見て依頼する人間もいることを思うと、ここにもインタ-ネットの使い方を間違えると犯罪に結びつくことの恐ろしさを再発見。

約450業者が加盟する日本調査業協会(毎度のことながらなんでも協会があるものだと感心するが)の抽出調査で、非加盟の100業者のうち6社がネット上で『別れさせ工作』を請け負っているという。非加盟探偵業者は加盟業者より10倍以上もあるというから『別れ屋稼業』の数は推定できないほど多いようだ。

そう言えば、散策途中の農道で、何故こんなところに探偵社のポスタ-(それも女性タレントがにっこり微笑んでいる)があるのだろうと疑問に思ったことがあるが、人目につかないところのこのようなポスタ-も効果があるに違いないと納得。なんでも商売になるものだと変な感心をしてしまう。

殺された女性の父親は悔しいと涙を浮かべて『別れさせ屋は世の中のひずみ。何でも金になれば商売が成り立つということ自体がおかしい。警察は犠牲者が出る前に動いてほしかった』と語ったとある。

娘を殺された父親の気持ちは痛いほどわかるが、これは警察というより社会がこのような商売を許していることが問題で、何とかこんな商売が流行らない社会の仕組みを作らなければ思うが、モラルが喪失し続けている現状では無理なようだ。

もう一つ、私にはとても考えられない犯罪の話。先日、大阪(この町もかなり賑やか)の路上で、車のタイヤでカラカラと異音がしたため点検に降りたところ、何者かが乗り込んで車(約400万円相当)を奪われるという事件の報道があった。

その日の夕方、テレビのニュ-スでもこの事件が取り上げられていたが、タイヤに回転するとカラカラと音がする装置?を張り付けた映像があった。運転手は異常な音がすれば当然車体を点検するために車を降りて見回ることを見越し、瞬間的に運転席に乗り込んで車ごと奪うという犯罪だという。

 頭の良いと言って良いかはわからないが、なかなか知能的な犯人である。少なくとも異常音がした場合に運転手はわざわざエンジンキ-を抜いてまで外に出ない。車体の下の部分を点検しているとなると周りには無防備ですぐには反応できない姿勢。凄い犯罪を思いついたものだと、ある意味感心してしまう。

 このようなタイヤに金属片を張り付けて車を奪う窃盗を『カラカラ盗』と呼ぶらしいが、同様な事件は昨年10月からから8件の被害が発生しているという。恐らく近い将来まわりで起こり、そして全国に波及するのではないだろうか。気をつけないことばかりが増える嫌な世の中になったものである。『別れさせ屋』や『カラカラ盗』・・・。

『人をみたら泥棒と思え』という諺があるが、これはあくまで自分を諫めるためのもの、実際にこれらが商売になるような世は末世としか思えない。(田舎親父)

2010年3月19日 (金)

またまた老人収容施設の惨事・・・

 またまた老人施設から出火。マスコミは、7人の命が奪われた札幌のグル-プホ-ムの火事を、ある新聞は『お年寄りが安心して暮らせるようになるのに、どれだけの犠牲を払えばいいのか』とセンセ-ショナルな見出しで大きくとりあげているが、何か空虚な思いを持つのは私だけなのだろうか・・・。

『急激な高齢化の進展を前に、安全対策をためらうな』という主張は理解できる。が、良心的で儲けなどを度外視しているとしても(そんな経営者はゼロだろうが)、予算的にスプリンクラ-の設置などは無理なのが現状ではないのだろうか。

今回の火事の原因は、居間にあった石油ストーブの火が、夜中に近くに干してある洗濯物に燃え移ったとのことである。宿直をしている女性職員が気づいたときには火が大きく広がって手が出せず、飛び出して交番に駆け込んだとも報じられている。

何度も取り上げているが、最近の火事では必ずといって良いほど『焼死者』がでているのが特徴になっている。素人の想像だが、周りのものが燃えて脱出できなくなるというより、新建材から出る有毒なガスを吸い込み身体がマヒして動けなくなることが多く、そのまま逃げ後れるという結果になるようだ。

普通の大人でも逃げられないのだから、年寄りのしかも痴呆症状をもった人たちが逃げられるはずがない。老人施設の場合、犠牲者が格段に多くなるのは当然といえばこんなに当然なことはない。

そして、このような大惨事の後では例外なく原因究明という名の『犯人探し』が行われるが、今回もこの施設が民家を改築して同ホームを開業した際、建築基準法に基づく建物の用途変更手続きをしていなかったことや、消防法に基づく消防計画や消火器、誘導灯などの消防設備の点検報告を怠り、指導を受けていたことなどが、『犯人の一人?』として報じられている。

スプリンクラの設置はされていなかったというが、この施設の規模は法に違反しているわけではないらしい。また夜間の監視が一人だけだったということも法的には問題がなかったというから、責任の追及は難しかろう。

 最近、雨後の竹の子のごとく老人施設が増えている。市街化調整区域で何やら工事をしているなと思ったら、間もなくこの種の施設が建っていることが珍しくない。その中のひとつがグル-プホ-ムといわれる(言葉を選ばず表現すれば)小規模なお年寄り収容施設である。

少ない人数(5~9人)が個室を持ち、職員の助けを借りながら共同生活を送るのが原則らしいが、これほど増えるのは経営する立場からは、うまく立ち回れば儲けが出るというからくりがあるのは明らか。そのために経費を節減して、収容老人数をギリギリまで一杯にするというのは業界の常識になっているようだ。

 政治の貧困がこのような考え方を追認しているのだろうが、このグル-プホ-ムと言う収容施設は認知症ケアの『切り札』的存在になっているらしく、厚労省の調査によれば、全国に9966もの施設があり、その利用者は14万3千人超と、この10年で何と26倍に激増しているという。

 それはともかく、今回の事件報道で私がもっとも気にすることは、つい『最近になって2人の焼死者の身元が判明した』という部分である。入所者の身元ははっきりしているだろうから、すぐにわからなければならないはずなのに、何故これほど遅れたのだろう。

 昨年の『たまらゆ』でもそうだったが、身元確認が手間取り、しかも確認できたとしても遺体を引き取る人がほとんどいなかったというのは、入所者のほとんどが家族と縁を切ってひっそりと暮らしている、しかも生活保護などでかろうじて生きている人だということに違いない。

そして、施設はその人たちの事情を知って引き受けているようだ。いやむしろすすんでそのような境遇の人を狙った『引き受けビジネス』として経営していると言ってもよさそう。実際、このような貧困層の人たちを引き受けて、生活保護費をそっくりいただくことは『貧困ビジネス』と呼ばれ、最近流行りになっているという。

今回の施設がそのような状態だったかは定かではないが、身元確認に手間取ったという記事が正しいとなると、そのような目的で作られたような気がしてならない。

 恐らく再発防止と称して、スプリンクラー設置を義務付ける床面面積の数値を下げたり、夜間の監視員の数を増やすなどという法的整備が検討されるのだろうが、老人問題を先送りして、貧困ビジネスに委託している?ような現状では、今回同様の惨事がなくなることはないだろう。(田舎親父)

2010年3月18日 (木)

茨城空港の開港に思う・・・

数日前の夕刻、NHKのテレビニュ-スで、全国で98番目の空港として『茨城空港』の開港セレモニ-の様子が報じられていた。

わが国の行政単位は47都道府県だから、単純計算で一県に2つの空港を有している計算だが、離島や道路整備が遅れている地域ならともかく、たった37万平方キロしか国土しかもたないわが国には多すぎるのは誰の目にも明らか。

この問題はスル-しようと思っていたが、開港の数日後『空港ロビ-で若者向けのイベント開催』という記事をみて、開港早々そんなことまでして人集めしなければならないのかと前途を危ぶみ、もう一度だけ取り上げてみたくなった。

最近、漫画の主人公などになりきって、その衣装や化粧方法などをまねる『コスメ』とかいう遊びが若者たちの間で大流行だそうだ。秋葉原がそのメッカだと聞いているが、最近そちらの方面に出かける用事がないので、実際には現場を見たことはない。

テレビの画面で見る限り、何故そんなことをして楽しいのかと思うのは、私が老人の域に達しているからだろうと自嘲しているが、若者たちの流行はきわめて移り気で、長くても数年で色あせるほど流動的なので、近い将来『コスメ、そんなこともあったね・・・』となるのではないだろうか。

確かにコスメイベントには大勢?の若者たちが集まったようだが、(利用者としてカウントするのだろうな)韓国の航空会社しか乗り入れがない原状では、この若者たちは100%(韓国の若者が数名混じっている可能性はなるが)車でやってきたはず。しかも駐車場が無料だというから、空港にとってのメリットは人集めだけ・・・。

先日もこの欄で述べたが、茨城空港の利用度は限りなく低いと言われている。開港するに当たっての当初の需要予測では年間利用客は80万人とのことだったが、開港直前に発表された数値はその4分の1の20万人。一部のメディアは、それでもこの数値は希望的推測で実際には10分の1の8万人にも満たないだろうと公然と報じている。

高い搭乗券を買ってまで飛行機に乗る人がそれほど多いとは思えない。東京や神奈川に住む人は、まかり間違っても茨城空港を利用することはないだろう。だろうという曖昧な表現ではなく絶対にない。関東一円の人たちも似たようなものに違いない。空港を作る前から赤字になることが分かっていても作るとは・・・。

需要予測というのは、その空港を離着陸する飛行機に搭乗する人は当然として、空港に出入りして空港営業にとってプラスの作用する人々と受け止めている。その意味では、見学にくる近隣の住民たちや遠足の小学生もカウントしてもおかしくないが、経済効果ということになれば限りなくゼロに近く、長期間そのような人々が訪れるとは思えない。

羽田や成田と違って、ここには都心から直結する鉄道も高速道路もない。繰り返すが、定期便は韓国アシアナ航空のソウル便の一日一往復のみで、来月中旬からスカイマークが神戸便を運航するというが、JALもANAの便はなし。今後も絶対にない。

茨城が田舎で神戸に住んでいる人や、神戸に親類のある人たちにとっては利便性があり、経済的に余裕がある人は利用するかもしれないが、そんな人はごく限られているだろうから、飛行機が満席などは盆暮れ以外にはまずないだろう。1年も経たないうちに、就航中止となる恐れの方が多いのでは・・・。

 航空自衛隊と共用というから、空港本体の維持・管理は国が行うのだろうが、ターミナルビルの運営などは県が担当することになるとのこと。すでに年間で少なく見積もっても2千万円以上の赤字が予想されているというから、他県のことながら、大丈夫なのと気の毒になってくる。

茨城空港のことを書いてきたが、この現象は地方の空港も同じだという。たとえばJALもANAも撤退した福島空港を維持するために、県は着陸料を下げたり、旅行会社に補助金を出したりして路線の維持に必死、それでも空港運営で年間3億~4億円の赤字を垂れ流しているとのことである。

ほとんどの空港が赤字経営で多額の税金がつぎ込まれているのが原状。かろうじてJALかANAのどちらかの航空会社が就航している空港はともかく、間もなくJALもANAも撤退する松本空港も広島西空港も同じだろう。

離島や北海道の人々にとっては飛行機が足だろうから、国の補助を大幅に増やしてでも運営する必要はあるだろうが、鉄道や高速道路がある地域の飛行場はこの際思い切って整理する必要はあるだろう。

マエハラ国交相はそんな政策を口にしているが、この御仁もクチサキ傾向があるから、大ナタをふるえるかというと、限りなく頼りない。(田舎親父)

2010年3月17日 (水)

大騒ぎのあと始末は誰が・・・

 今月の初めにも取り上げたか、最近では『豚インフル』はともかく、『新型インフル』という言葉までもが死語になってしまった感じで、変な表現だが、マスコミが全く取り上げないことに少し寂しささえ感じるようになっている。ところが数日前、ワクチンがだぶついているというニュ-スに、久々にそんなこともあったな・・・と思い出す。

 ワクチン不足だと常軌を逸したような報道が毎日続き、入試前の高校3年生には優先接種、浪人生にはその恩恵がない・・・など、あたかもワクチンを接種すれば希望大学に合格するような風潮があったのも、今思うと馬鹿馬鹿しいが懐かしいとしか表現できない。

マスコミに踊らされた訳だけではないと信じたいが、民主党政権になっても厚労省は、ワクチンを確保するために、世界中のワクチンを札束で横面を張るような強引な手法で買い回り、国産のワクチン製造もその審査を緩くしてでも奨励して、国民全員が打てるほどの量を確保したのもついつい最近の『今は昔』・・・。

製薬会社は笑いが止まらないだろうが、今になって政府は在庫の処分に頭を抱えているという。特に、スイスのノバルティス社とイギリスのグラクソ・スミスクライン社という大手の製薬会社が製造した9900万人もの輸入ワクチンは大問題で、買いつけのために費やした約1200億円がドブに捨てられるというから、またまた『民主党式無駄政策』と皮肉りたくなる。

 記事の説明では、昨年10月の売買契約締結の発表時には2回必要とされていた接種がその後、1回で効果ありとして回数が変更されたこともだぶつく要因らしいが、この時点で国産の5400万人分と合わせると全国民分を超える量が確保され、ワクチンが余ることが確実になったという。

現在厚生労働省は、これらの海外の製薬メーカーと余剰分の解約に向けた交渉を続けていると野ことであるが、確かワクチンは有効期限(それもかなり短い期限だったと記憶している)があったはずなので、製薬メ-カ-からは『ご冗談でしょう・・・』と一蹴されるだけだろう。

ところで『本当はどれぐらいの人が接種したのだろう』という疑問は消えない。現役時代なら職場での接種状況から大体の傾向は推測できた。しかし、職場をもたない今は(マスコミ報道が信じられないとしたら)有力な情報はネットだが、これに関しては見つからないので、狭いながら身の回りの人たちの状況で判断するしかない。

 ところが、友人・知人で接種をした人の数が信じられないほど少なく、厚労省の発表である、1月末までに『国産ワクチン接種』を受けた人は約1800万人という数値は納得できない。

 『国産ワクチン』で約1800万というから、『輸入ワクチン』を接種した人の数は、あの大騒ぎ報道から推測すると、この数倍以上でなければ計算が合わない。となると、国民の半数は接種を受けたことになるが、周りの状況からかはとてもとてもそれは無理。

 私の素朴な疑問に明快な回答を、どこかが出してくれるのではと期待していたが、前日のNHKニュ-スでは『接種は10%程度では・・・』との報道に、やっぱりと納得すると同時に、なら厚労省の発表は何だったの・・・と憤る。

熱しやすく覚めやすい国民性を考えると、もはや『豚インフル』は遠い過去のことと忘却の彼方になってしまっているようだが、大騒ぎの現象だけが意識の中に刷り込まれ蓄積されると、本当の危機時に反応しない頭脳構造になってしまうのでは・・・。(田舎親父)

2010年3月16日 (火)

そこまでやらねばならないのか?・・・

 全国一斉の学力テストではないが、またまた学力テスト絡みで馬鹿馬鹿しい事件が報道された。

場所は福島。温泉で有名な『いわき』という平仮名の名前の自治体の中学校。2月に実施された中学校の学力テストをめぐり、生徒数約400人のある市立中学校で、男性の数学教諭が1年生の答案用紙の空欄に自ら答えを記入したり、誤答を書き直したりして50人以上の点数を不正にかさ上げしていたことが分かったとのことである。

 この種の不正はこれまで他県でも数多くあったこと。関係者(教育委員会?)は『教員として何とか指導の成果を出そうとして思い詰めたのではないか』とのことだが、教員が『思い詰めた』のではなく、現行の制度が『思い詰めなければならない』ように、教員を点数必定の世界に追い詰めたことは間違いなかろう。

記事によると、このテストは2月初旬、市内の44校で実施されたという。数日後に生徒に返された答案に対して『(分からなくて)空欄にしたところにマルがついている』『自分の字と違う』などと担任に申し出る生徒が相次ぎ、かさ上げがバレたらしい。

問題のテストは25問で1問4点。学校側がほぼ全員から答案用紙を回収、個別に確認したところ、4学級115人のうち、正答数の数え間違いなど単純ミスと思われるものも含め、本来より高い点数が付けられた生徒が約60人余・・・。

空欄のままだった解答欄に正答を書き込んだほか、正の数が書かれた解答欄に『-(マイナス)』を付け加えた例や、誤答を消しゴムで消して正答を書いた例があったというから馬鹿馬鹿しいとしか表現のしようがない事件である。

 このテストは学習到達度を把握して今後の指導に役立てる目的で市中学校長会が行っており、生徒の成績評価、教員や学校の評価に使うことはないとのことだが、こんな操作が行われるということは、教員にはかなりのプレッシャ-になっていることだけは確実とみて良いのでは。

 この教師は昨春にこの学校に赴任したという。記事には、かさ上げが発覚後しばらくは『何がいけないのか分からない様子』だったとある。俄には信じられない表現だが、本当だとしたら、この教師にとって点数のかさ上げという行為は当然という意識があり前任校でも、あるいは前年度にも行っていたことをうかがわせる。

 私は、全国一斉の学力テストの実施と都道府県別はもちろん市町村や各学校までもの結果の発表が当然だという風潮になってから、『テストの点数を上げることが教育の目的』という、いわゆる点数獲得主義になってしまったことに怒りを感じている。その結果、この教員のように、少しでも点数を上げたい、上げるためにはなんでもあり、という発想が横行しているように思えてならない。

 そして、この事件はたまたま明らかになっただけで、同じようなことは全国どこにでも転がっている話ではないだろうかとも思っているので、テストの点数という結果だけが先行するような現行の全国一斉学力テストをなくさない限り解決の方法はないという考え方を強めている。

 その意味では、民主党政権になって全国一斉ではなく3割抽出制にするというのは一歩前進だと評価していたが、抽出からもれた学校の61%が文科省に自主参加を求めているというから驚き呆れている。すべての学校が参加を求めているところも11県もあるということは、特にびっくり・・・。

文科省は、抽出から外れた学校についても、希望すれば同じ問題を無料で提供するが、採点や分析は教委、学校側の自己負担で、国の全体の集計・分析には含めないとするとのことだが、学校に全てを任せてしまうと『点数のかさ上げ』などは、今以上に日常茶飯事になることは目に見えている。

恐らく、内部から客観性の要求が出るだろうから、自主参加の希望率が100%だった秋田、石川、和歌山、山口、高知、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島の各県は、客観的な結果を出すためには学力テストの処理に莫大な予算が必要になるはず。予算措置は大丈夫なの?と素朴な疑問が浮かんでくる。

子どもを分別・差別するために、国民の日常生活が今以上に圧迫されるというのでは理屈にあわない話だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年3月15日 (月)

イタドリを駆逐するというイギリスの話・・・

 『タデ食う虫も好き好き・・・』とは日本人に馴染みの諺として知られている。いまさら解説することはないだろうが、辛いタデ(蓼)の葉を好んで食う虫があるように、人の好みはさまざまで、十人十色と同じような意味で使われているようだ。

 タデの仲間は多く、昔から女の子の間で楽しまれてきた『ままごと』でご飯の代わりに使われる『アカマンマ(イヌタデ)』もその一つだが、諺のタデはヤナギタデ(柳蓼)のことを指し、このことからヤナギタデをホンタデとも呼んでいる。

 ヤナギタデは草全体に辛味と特有の香り(におい)があるので、芽吹きの状態で刺身のツマとして出されることが多いが、鮎料理に欠かせない蓼酢の材料としても料理の世界では知られている。

 辛味があるので多くの虫からは敬遠されるのではと思うが、この辛味を好む虫がい るらしく、辛味のないアカマンマの葉はあまり食べられていないが、ヤナギタデの葉はかなり痛んでいることが多いのも特徴。それが諺になっているのだろうが・・・。

 こんな書き出しになったのは、イギリスでは日本から持ち込まれたイタドリを駆逐することに苦労しているというニュ-スをみて、イタドリ――日本中どこでも見つけることができる雑草中の雑草――昔から子どもたちのままごと遊びの主役のひとつ――アカマンマ――イヌタデ――タデ食う虫・・・という連想が頭を駆けめぐったからであろう。

 イタドリの駆除にイギリスが苦労しているという話は面白いが、それ以上に19世紀に鑑賞用としてイギリス人が日本から母国に持ち帰ったという部分は『痛快』と表現すると、イギリス人に叱られそうだが、正直面白い。

 今、日本でその繁殖力がものすごく、あっと言う間に周りの植物を駆逐しているセイタカアワダチソウはやはり鑑賞用としてアメリカから持ち込まれたと聞いている。シロツメグサやアカツメグサなども家畜の飼料としてよりも花が美しいという鑑賞用価値が日本人の感性にマッチして短期間で広がったという話もある。

 イタドリのどこにイギリス人の感性とマッチしたのかはわからないが、生命力が強いイタドリが天敵のいないイギリスで繁茂したことは、日本で言うセイタカアワダチソウと同じで在来の植物を駆逐していることは想像に難くない。

 イタドリもタデ科の植物。ここにも私の連想ゲ-ムの隠れ部分があったようだが、この高さ約1メートルにもなる生命力旺盛な雑草が、イギリス全土のアスファルトを突き破って成長するため、イギリス政府は駆除や道路補修などに年1億5千万ポンド(約200億円)も予算が必要というから大変なもの。

 この駆除のため、日本からイタドリを枯らす虫を日本から輸入して放つことにしたという。イギリスの環境・食料・農村省が明らかにしたとのこと。同省によると、外国の虫を天然の除草剤として使うのはヨ-ロッパでは初めてだというが、環境問題がうるさいイギリスとしては大英断。続報が楽しみである。

 輸入するのは、カメムシ目キジラミ科の『イタドリマダラキジラミ』という体長約2ミリ程度の虫らしい。素人の私にはどんな虫なのかさっぱりわからないが、日本ではこの虫などがイタドリの汁を吸って枯らすためにアスファルトを持ち上げるような被害は少ないとのことだ。

 まさに『タデ食う虫も好き好き』。いやタデではないので、イギリス版『イタドリ 食う虫も好き好き』と言うところか・・・。

 イギリス国内に持ち込んだ場合の生態系への影響を数年かけて調査、同省が問題ないと判断したという。それは結構なことだが、後で生態系に悪影響を及ぼすことがわかったというのはよくある話だから、のちのち国際問題にならないように十分協議してほしいものだと願いたい。(田舎親父)

2010年3月14日 (日)

宮司の気持ちは理解できるが・・・

 『鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが根元から・・・』というアナウンサ-の声にびっくりしてテレビ画面を見たのは10日の朝。その日の明け方、発達した低気圧がもたらした強風で根元から倒れたらしい。

 私は学生時代『蒼翠(そうすい)寮』という八幡宮の裏山にある学生寮で数年過ごしたことがあるので、八幡宮は駅までの通学の行き帰りに毎日のように通る道。時には体力をつけると称して、あまり意味もなくこの社の階段を走って昇り降りしたことを思い出す。

その前に建つ『静御前』が舞い踊ったと伝えられている舞台は、酔っぱらった学生たちの大騒ぎの舞台。警察官に何度も叱られたことが懐かしく思い出されるほど、私にとってはとても馴染みのある忘れられない神社である。

大イチョウにも楽しい記憶は残る。本当は立入禁止なのだろうが、そこは当時の学生のこと『俺が公暁だ』とばかりその陰に隠れて芝居まがいの遊び?をしたこともある。10日の夕刊には倒れた大イチョウの姿が一面で掲載されていたが、無残な姿に声もなし。当時の寮生たちもこのニュ-スには私同様愕然としているのではないだろうか。

いまさら解説する必要はないだろうが、この大イチョウは鎌倉幕府の3代目の将軍実朝が八幡宮の参拝を終えたところ、この木に隠れていた公暁によって暗殺されたという伝説で有名。そのため『隠れ銀杏』とも呼ばれている、樹齢800年とも1000年とも言われている大樹である。

伝説が正しいとなると、千年近い前の鎌倉時代に公暁が身体を隠したというのでは辻褄が合わない。当時はそこには欅か何かの大木があったが、将軍暗殺という事件で忌み嫌われた樹木は汚名を着せられて切り倒され、新たにイチョウが植えられたのではないだろうか・・・と、私は以前から人には話したことはないが唐突な想像をしている。

今回、幹を切って樹齢も正確に測定するだろうから、ひょっとしてこの想像が当たっているのかもしれないと、倒れたことはさておき、ひょっとして・・・。この樹木の今後の扱いは興味深い。

倒れたのは10日の午前4時過ぎだとのこと。詰め所で警備員が5分おきぐらいに『ドンドン』という音に続いて、雷が落ちるような大きな音がしたため外に出たところ、大石段そばの大イチョウが根元から南側に倒れていたという。

当時は、雨はあがっていたが平均7~8メートルの北風が吹いていたというが、この程度の風で根元から倒れるのだからかなり弱っていたに違いない。実際に大イチョウは根元部分が空洞のようになっていたとのことだから、樹木としての寿命が尽きたようだ。

それにしても、これまで何度もの台風にも耐え、あの関東大震災にもびくともしなかった樹木が、たかだか風速10メ-トルの風で倒れるなどとは誰も予測しなかっただろう。改めて『命のあり方』という自然の摂理を考えさせられる。

 大学の教官や樹木医の多くは『回復不可能』と厳しい意見で一致しているようだが、八幡宮の宮司は『倒れた木の根元部分を生かし、再生に取り組みたい』と語っているらしい。宮司の気持ちはわからないでもないが、たいした風で倒れたのも、いわば『大往生』だろうから、根元だけ残した無残な姿で植え直すのは、人間で言うなら老醜を晒すこと。勇壮な姿を知っている者からはあまり感心しない。

すでに県の研究施設では倒れた枝の挿し木をはじめたとのことだから、大イチョウのコピ-は数年後には(小さいながら)再生することは間違いない。

800年後まで八幡宮が存在するかどうかは別にして、大イチョウの後に植えられた若木を眺めながら、過去を語り将来を夢見るのも悪くないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年3月13日 (土)

トキの復活の願いは悪くないが・・・

 数日前の新聞に、佐渡のトキ保護センタ-で飼育されていたトキ8羽がイタチなどの肉食小動物によって噛み8羽殺され、2羽が瀕死の重傷をおったとのニュ-スが大きく取り上げられていた。この報道は昨日も続き今日もあるだろうが・・・。

保護センタ-の中のこの部分はテレビでもその映像は何度も紹介されているが、今秋に放鳥予定のトキたちに餌を採る訓練をするための『順化ケージ』と呼んでいる施設。ちなみに、広さは約4000平方メートル、高さ約15メートルとかなりの広さ。ケージ内は棚田を模した池や樹木が整備され、野生に近い環境で訓練しているとのこと。

24時間トキの様子を映し出す監視カメラには小さな動物が走っている姿が映っていたというから、どこからか侵入した事は間違いない。このニュ-スを聞いた時、真っ先に感じたのは、恐らく天敵の侵入を徹底的に阻止するように想定して作られているはずのゲ-ジの、どこからこの小動物が侵入したのだろう・・・という素朴な疑問。

確か、昨年の放鳥時には一度に全部が飛び立たなかったので、その夜は外部からのイタチやテンなどの天敵の侵入を防ぐために、放鳥口を閉めたという解説があったような気がする。ということは、関係者はイタチなどの存在を確認していたことと、放鳥口以外には外敵の侵入口はないと信じていたことになるが・・・。

このことについて、環境省の担当者は『イタチなど小動物に襲われたのではないか。万全の対策を取っていたが、穴を見つけて入った可能性がある』と発言していると記事にあるが、変だぞと思ったのは私だけではあるまい。

『穴を見つけて・・・』とは何とも他人事。金網が破れて穴があくことはまず考えられない。もしもイタチなどが侵入したとしたら、地上すれすれの土と金網の土台部分が腐食して脆くなっていた場合だけだろうが、危ない部分はここしかないということぐらいは私でも気づくこと。

数日たつと、このコメントは『ケージ周辺は獣が多い場所だが、これまでトキが狙われているといった兆候はなかった』とニュアンスが微妙にずれ、さらに『(もともとケージ内にあった)想定より小さなすき間から侵入したのではないか』とは責任逃れとしか思えない。『万全の対策・・・』にしてはお粗末極まりない。

数年前、釧路の丹頂の保護センタ-で元所長という方とおしゃべりする機会があったが、やはりイタチや野ネズミが侵入することを考えて、底部の腐食には徹底的に注意して毎日見回っているとのこと。そしてここには天井がないので、金網を登れないような工夫をしているとさりげなく教えてもらったことを出す。

タンチョウにはあってトキにはない。こんな初歩的な保守管理すらできていなかったようだ。今回の事件は明らかに人的なミスだと思うのだが、このあたりを指摘する記事はない。

トキを野生に戻す活動には反対ではない。一度絶滅した動物を蘇らせて野生に放つ活動自体素晴らしいことであるが、こんな初歩的なミスが出るようでは、計画そのものを見直すという動きがでてもおかしくないと思うのだが・・・。

 真犯人?はテンだということがわかったらしい。足跡から分析した結果だというが、そんなことより、天井も含めてテンが侵入できるような穴が62ケ所もあったというのが気になる。

しかも、中には12センチもの穴が開いているとなると、これは明らかに設計ミスか手抜き工事では。金網など簡単によじ登ることができるテンが、天井部分から侵入することを想定していなかったなんて言い訳は通用しないはずだが、これまた、何故かどこからも追求されないのが不思議といったらこんな不思議なことはない。

 話は飛躍するが、昨年放鳥した時と同じくして、繁殖に必要なトキを中国から借りた分として、人工飼育で生まれたトキを12羽中国に返したそうだ。そのとき貸借料として1億円も合わせて支払ったとあるが、私のような貧乏人から見るととんでもない大金。先日取り上げたパンダも確か1億円程度の貸借料だったと思うが、繁殖には必要だとは言え、何とも気前の良いものである。

 借り賃だけでこれだけかかっているのだから、保護センタ-という飼育する環境作り全体には一体どのぐらいの費用が投じられているのだろう。ネットで調べたが予算部分を明示した資料は見つからなかった。

この事業がカネ勘定ではないと言うことはわかっているつもりであるが、トキ一羽の値段は単純に見積もっても数千万円はくだらないのではなかろうか・・・。

 たった一匹のテン(かどうかもよくわからない)に数億円を奪われて、しかも犯人?逮捕もままならないとなると、よほど褌を締め直さないと前途は暗いようだ・・・。(田舎親父)

2010年3月12日 (金)

今度は医者の仕事までも・・・

 関西のある市立の小学校で今年1月、男児が急性アレルギー反応『アナフィラキシーショック』を起こし、教員は保護者が学校に預けていた緊急用注射薬を打たず、駆け付けた母親が救急車内で打って男児が回復していたことが27日、同市教育委員会への取材で分かったというニュ-スに、違和感を覚えたのは私だけだろうか・・・。

 保護者が駆けつけて打つのは当然だと思うのだが、まるで教員が打たなかったのが不思議だというようにも受けとれる文章に『いよいよ教員は医者の仕事までかぶらされるのか・・・』と改めて教員に同情すると同時に、世の中の無責任な動きに対して強い憤りを感じる。

 文部科学省は昨年、生命の危険がある場合、教員による注射は医師法違反にはならないというが通知を出したとのことだが、本当にこんな通知を出したとしたら、この役所はどこまで教員をイジメたら気が済むのかと憤る以前に呆れ・諦めが先にたつ。

 ことの起こりは、脱脂粉乳にアレルギーがあった男児が、給食で脱脂粉乳入りのすいとんを食べた約1時間後、目の周りが赤くなり、アレルギー症状を訴えたこと。学校は母親に連絡を取りつつ薬を飲ませるなどしたが、嘔吐するなど症状が悪化し、救急車を呼んだという。この素早い措置で男児は翌日には退院したとのことである。

 薬の服用や救急要請などは手順通りという。また、学校と保護者で取り決めていた手順では、医師や保護者らが打つことになっており、教員の注射は想定していなかったとのことだが、これは当たり前。何も問題にする必要はないのは当然で、そもそも新聞記事になることが変な話だと思うのだが・・・。

 どこからか新聞社に話が伝わったのだろうが、学校関係者はこんな話題は知られたくないはずだとすると、学校の対応に不満を抱いた保護者かあるいはその取り巻きがマスコミに通報したとしか思えない。これはよくある話。

 何事にも及び腰のこととなかれ主義の典型の教育委員会としては、珍しく『教員が打ってもいいと法的に明示されておらず、態勢も整っていない。手順通りで落ち度はない』と文科省の通達すらなかったと強気の主張に拍手を送りたいか、その後がいけない。

 そこで止めておけば現場も納得するだろうが、『緊急時に保護者と連絡が取れないなど不測の事態に備え、注射の打ち方など研修を行う』というのは、典型的な教育委員会的な発言だと幻滅してしまう。

 保護者は『脱脂粉乳アレルギ-』だと申告し、そのことを理解して学校は受け入れていることは確かだろう。文面からはアレルギ-があるのはわかっていながら、脱脂粉乳入りの食物を求職で与えたことが原因で、学校の責任だと受け止められるが、こんなことまで学校が責任をとらなければならないのだろうか。

 万一児童の生命が脅かされる事態となったら、給食を安易に与えた担任が悪いとなるのだろうが、アレルギ-反応に実際に接していない教員にそこまでの配慮を求めるのは過酷ではないだろうか。

 子どもたちを十分知っている担任であっても想定できないようなことが多く、小さなケガなどは日常茶飯事。時には遊び時間に骨折なども珍しくない。学校ではそんな場合は養護教員が対応するという西欧にも例がないほど丁寧なシステムが出来上がっている。

 それでも一人の養護教諭では(介護や看護に十分な研修を積み、それなりの知識と実践能力を持っているが)100%事故に対応できるかというと、それは無理。まして、医事に素人な一般教員は論外。いくら緊急時であったとしても、注射を打つ事など絶対にやってはいけない行為。

 ここまで書いてきて、ひょっとして保護者としてはこんな事も予測して、給食ではなく弁当を許可してほしいと要請していたのではないだろうかという思いが頭をよぎる。それを『他の児童との関係で困る』『脱脂粉乳入りの食事はさせない』と説得したのでは。これはあり得る話。ならば・・・。

 どうもアレルギ-が原因の、この種の話は給食絡みが多い。給食費不払い親が増えていることはともかく、学校が本来は親の仕事である『食事や介護』まで引き受ける現行制度に諸悪の根源がありそうだ。

注射の打ち方の研修などするより、この事を議論する方が先だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年3月11日 (木)

いよいよマグロが遠くなる・・・

 アトランダムに選び出した日本人100人に『あなたの好きな魚はなんですか』という問いに、恐らく80人までがマグロと答えるのではないだろうかとさえ言われている。

それほどマグロ、特にクロマグロと呼ばれる本マグロは日本人にとってはお馴染みというか、切っても切れない口に合う魚になっている。

そのクロマグロに対して、ヨ-スッパ諸国から禁輸はもとより漁獲にも反対という動きが本格化しているというニュ-スに、鯨に続いて、『マグロ・お前までもか・・・』と恨めしく思っている人も多いのでは・・・。

先日、欧州連合(EU)は本部のブリュッセルで加盟国間の大使級会合を開き、大西洋クロマグロの国際取引禁止について協議し、地中海産を含む大西洋クロマグロが、乱獲で絶滅の危機にひんしているとする欧州委員会の見解について、加盟国の大半が同意を表明し、禁輸という流れになるのは確実だと新聞が伝えていた。

 このEUの会議は、大西洋クロマグロを『絶滅の恐れがある野生生物』に指定するかどうかを検討する『ワシントン条約の締約国会議』が明後日に中東のカタールで開幕される。

そのために事前にEUとしては『指定』という意志を確認するための会議だったいうのが一致した見方らしいが、今朝のニュ-スでは決定したというから深刻な事態になってきたようだ。

 ワシントン条約の締約国は175か国で、3分の2が賛成すれば『絶滅危険種』に指定されて取引禁止案が採択されるという。恐らくEU27か国がまとまって禁輸を支持、アメリカも同調しているというから、日本の提案否決はかなり難しい情勢になるのは間違いなさそう。

 この場合は『留保』という逃げ道があるという。禁輸案が可決された場合90日以内にワシントン条約事務局に『留保』を通告すれば、日本の漁船がクロマグロを獲って日本へ持ち帰ることはできるとのことだが、大間沖など日本近海はともかく、日の丸を掲げて地中海や大西洋でマグロ漁は難しかろう。

他の留保国からの輸入も可能となるとのことだが、100ケ国以上の国が賛成する中で留保の手を上げる国は極端に少ないことは私でも想像できる。

政府は日本への輸出向けにマグロを漁獲する国を確保しているのかもしれないが、現在世界全体で2万トン超の漁獲枠の約8割を輸入する日本にとって、必要量をまかなうことは無理だろうから、絶対的な大ピンチ・・・。

 ならばマグロを養殖すればという意見があるがこれが難しいようだ。実際にクロマグロ養殖は盛んに行われているが、生態がまだよくわかっていないため、鮎やヤマメなどの川魚のように卵を孵化して育てるという方式がとれず、稚魚を捕獲して養殖生け簀で育てるという方法しかないらしい。

 今問題となっている資源不足ということも、元を正せば養殖のための稚魚の乱獲が原因だというから困ったもの。漁獲もダメ・養殖もダメとなると、近い将来日本の食卓から『マグロが消える』という言葉も真実味を帯びてくる。

 今世界では日本食がブ-ムになっているようだ。世界各地で鮨をつまむ人々の姿をかなり頻繁にテレビが紹介されている。特に今までは魚を生で食べる習慣がない中国の人たち(富裕層の人々の間だけだが)が鮨を食べることが流行になっているらしいから、マグロの奪い合いは熾烈になることは確実で、わが国において、間もなく庶民の口に入らなくなることだけは間違いなさそう。

 地球上には様々な人種が存在し、それらが様々な宗教のもと独自の文化を育て、現在それぞれの環境で生活している。

その環境と文化や価値観の多様さに対して十分尊重せねばならならないことは理解しているつもりであるが、今日人種や宗教の争いがなくならないどころか、ますます酷くなっているのが現実。しかも、日常的に争いごとがおきている、貧しい国々の人口は爆発的に増え続けていることは恐ろしい事実。

増え続ける人口によって食料問題は何より深刻である。食料がそれぞれの人種の文化を作ってきたことは明らなのだが、人口減少が進む日本で、鯨もダメ、マグロもダメ、次にはタラやサケもダメとなったら、どんな海洋資源を食べていけば良いのだろうと暗澹たる気持ちになる。

取り止めのない文章になってしまったが、この続きは別の機会に・・・。(田舎親父)

2010年3月10日 (水)

どうしても移転しなければならないことが・・・

 都議会で自民党が大敗したので築地移転が白紙になるかなと期待していたが、来年度の予算にも折り込み済みというから、ワンマン都知事ドノにはどうしても豊洲に移転しなければならないお家事情があるらしい。

豊洲の東京ガスの跡地はカドミニウムはじめ人体に有害な物質が相当量放置されたままになっており、いくらコンクリ-トでこれらの物質を閉じ込めたとしても、長い年月の間に地下水に溶け込むという危険性は多くの専門家が指摘している。

恐らく賢明な都民の圧倒的多数は子孫にこのような負の遺産となる移転には反対しているだろうに、いまひとつ反対運動が盛り上がらないのは『どうして・・・』という素朴な疑問がつきまとう。

ひょっとして(というよりかなりの確率で)、意識的にマスコミがこの件に関する報道を意識的に避け、なるべく都民に情報を与えないようにしているのでは・・・・。

こんな重要な問題が滅多に新聞テレビで取り上げないのは誰が考えても変な話。考えたくないが、どこからか圧力がかかっているのかもしれない。

そんな中、珍しくこのことについての記事があった。『石原都政がゴリ押しする築地市場移転計画の予定地・東京ガス工場跡地に巨大な杭が大量に埋まったままで放置されていることが発覚した』という見出しである。

 記事では、都情報公開条例に基づく市民団体の開示請求で明らかになったとして、コンクリ製(長さ平均17.5メートル)が約1万4000本、鋼管製(平均34メートル)が約500本のほか、松杭(平均10メートル)なども含めて合計約1万8000本もの巨大杭が埋設されたままになっているとのことである。

 事実だとしたら(多分事実だろうが)、これは信じられないほど大量の杭が地下に埋没していることになる。

 東京ガスはこの地に工場を建てる際、ここが埋め立て地で地盤が弱いため、大量の杭を地中奥深く打ち込む必要があったらしい。

都は06年3月に東京ガスから用地を購入した際に『埋設物』の撤去費用として約36億円を控除する協定を結んでいるが、東京ガスは、用地に土壌改良を施す際には埋設物を取り除かず、邪魔になったら切断すればいい、といった考えで放置していたとのこと。都はそのことを見逃していたというから、都も東京ガスも両方ともいい加減なもの。

 しかも、実態は土壌汚染対策を取りまとめた都の専門家会議にも全く報告されていなかったというから、意識的に情報を隠匿しているといわれても仕方ない。

土壌汚染対策の専門家会議の市場移転推進派のメンバーからも『杭が腐って土壌が空洞化した場合、汚染の通り道になる危険性はゼロではない』と危惧する声が上がっているというから、とんでもないこと。しかし、続報はない。これも報道規制・・・?。

それはさておき、都知事ドノが『4選に出馬する』という噂が広がっているというから驚き。知事ドノが副知事を一人増やして4人にしたいという意向を持っているようだ、というのが根拠らしいが、残り1年になった今、副知事を増やすというのは不自然で、このような噂に何となく築地市場移転の絡みを感じてしまう。

 まさか、知事の四選を容認するほど都民はバカではないと思いたい。しかし、マスコミの動き一つで何とでもなる国民性を考えると、賢い都民は前回の選挙から比べるとはるかに増えているかもしれないが、数的にはまだまだ心配な面もある。

民主党の失政が響き支持率が大きく下がっている現在、次の都議会選挙で敗戦も確実視されているらしい。四選でしかも民主党が都議会第一党でなくなったら、移転は間違いなく実現するだろうことは、私にでも予想がつく。

数年後、かってないほど素晴らしい魚市場が出来上がり、世界各地から大量の(新鮮で安全な)水産物が流通する一方、それらを取り扱うために絶対必要な『水』が原因で、首都圏の人々の間に体調不良を訴える人が続出、『首都圏病』などという新たな公害病が発生・・・なんて筋書きは御免被りたいものであるが・・・。(田舎親父)

2010年3月 9日 (火)

またまた子どもの自殺報道が増えている・・・

 このところ連日のように中学生の自殺が報じられている。原因は例によって『イジメを苦にして・・・』というもの。あれほど騒がれ、学校も十分以上に注意しているだろうに、この種の自殺がなくならないどころか、かえって増えている現状に、憤りを通り越して虚しさ・やるせなさが募ってくる。

鹿児島のある中学校にいたっては、14年前にも生徒がイジメを苦にして自殺し、学校挙げてイジメ撲滅に全力をあげてきたのにも関わらず、今月はじめ、野球部に所属する二年生の男子生徒が自宅の倉庫で首をつって死亡したという報道があった。

慌てて、学校が全校生徒にアンケートを実施したところ『金をせびられていたのを聞いた』など、いじめをうかがわせる回答が複数あったことが分かったという。

校長は『事実ならば、いじめにあたる』と話しているとのことだが、言い方が他人事のように思えてならない。『原因をはっきりさせるため調査を徹底したい』と述べているらしいが、他人事のように思っている校長に明確な指針があるのか疑わしい。

先月は東京都下の中学2年生の女子生徒が、自宅マンションから飛び下り自殺した事件報道があった。

この女子生徒は遺書らしきメモを残しており、そこには『学校にいる時間 私には苦痛を感じる』『学校なんか行きたくない 皆が敵に見えるから』『朝 7階から飛び降ります。それか薬物大量摂取』『お父さん お母さん ごめんなさい』『私に変なウワサを流した奴、悪口を言った奴もみんなみんな呪ってやる』などと書かれていたという。

この事件では、警察の捜査の推移を見守っていたという理由で、同級生の保護者などに対して自殺の発表がかなり遅れたらしい。教委も校長も調査しているが『今のところイジメは確認されていない』と説明しているというが、まさか流行りで自殺したとは思っていないだろうと信じたい。

 自殺記事が続く中に、今度は小学6年生が同級生を殴る蹴るなどして、金品を脅し取っていたという事件報道にも驚く。

 昨年に発覚した事件だとのこと。数人の6年生児童数人で同級生の男児に対して市内の公園や男児の自宅で、被害男児から計9万3800円を脅し取り、今年1月には現金30万円を要求したとあるが、12歳の少年たちのやることかと俄には信じられない。

金を要求する際には、殴ったり、けったりしたともあるという。脅し取った金を山分けし、ゲーム代やマンガ代に使っていたとのことだが、周りは気づかなかったのだろうか。そんなはずはあるまい、ほんの少しの注意があれば、変だぞという気配はわかるはず。クラスの子どもたちが何らかの異変は感じていてたはず・・・。

私には、そちらの方が恐ろしい。加害児童の一人は『自由に遊ぶ金がほしかった。脅せば簡単に金が入り、楽しかった。(被害男児は)金づるだった』と話いているというが、まるでやくざか暴力団員のセリフ。いよいよ世の中がここまできたか・・・という絶望感がよぎる。

 被害男児は、母親の財布から現金を抜き取ったりして、金を工面していたらしいが、30万円を要求された晩に家出し、翌朝、同署員に保護された時警察官には『お母さんに心配をかけたくなかった。いつか終わると思い、独りで我慢していたが、額が多くて困り、家出した』とのとこだが、よくぞ自殺しなかったもの。

加害児童にもしかるべき指導があるだろから、一件落着と期待したいところだが、(経験から言うと)指導は名のみ、結局は被害を受けた少年が加害者の目の届かない場所に引っ越して事件はいつのまにか忘れ去られる・・・というのが一般のパタ-ンとなると、とてもすんなり解決に至るとは思えない。そして、時が流れて同じようなことの繰り返し・・・。

 ところでイジメに関して、学習院の初等科で、こともあろうに皇太子の娘さんが、同学年に乱暴な男児が複数おり、強い不安感と腹痛などで登校拒否という報道には驚く。

 宮内庁は皇室の人々のお世話で成り立っている役所だから、皇太子の娘さんが数日登校拒否となると、天地がひっくり返るような大事件のように騒ぎだすことは仕方ないだろうが、報道されている程度のことならどこにでもある話。

皇族の子弟が登校拒否とは(私が知らなかったことかもしれないが)今まで報じられなかったこと、そして宮内庁が大騒ぎするなんてことは前代未聞の出来事ではなのだろうか。

まさか天皇の孫に対して直接暴力を振るう子どもが存在するとは信じがたいので、登校拒否は娘さんの内因的な要素が大きいのでは・・・。このことについては、差し障りがありそうなので述べない方が賢明だと思いここまでにしておくが。

 学習院側は大慌てで釈明しているらしいが、皇太子の娘さんの登校拒否の原因の究明はともかく、とりあえず登校できる環境を作ろうとして、宮内庁の(どんな要求かは知らないが)の言い分を鵜呑みにして行動するのではないだろうか。

 皮肉な見方をすれば、世の中のすべての子どもに対して、数日の登校拒否でも大騒ぎするような、宮内庁のような過保護的な組織があれば、少なくとも自殺には至らないことだけは確か。もっともモンスタ-ペアレンツが増えるだけかもしれないが・・・。

本来は学校がその役目を果たさねばならないのだろうが、教員の主要な仕事がテストの点数をあげることだけに追いやっている現実では、学校にはもはや子どもの姿をじっくり観察したり、適切な手だてを講ずる機能などは失われてしまったと言っても過言でないだろう。

困ったことだが、天皇の孫の登校拒否は、現在の学校教育全般に対して問い直す絶好の機会では・・・。(田舎親父)

2010年3月 8日 (月)

恐竜絶滅の原因が究明された?・・・

『恐竜絶滅の原因は小惑星の衝突・・・』という説に出会ったのは、学生時代のことだったような気がする。

 当時、一応私は『気象ゼミ』の一員だったので、恐竜絶滅について仲間たちと何度か話し合ったことを思い出す。当時の私は恐竜そのものには全く興味はなかったが、生物界の頂点に位置して、我が世の春と栄華を誇った恐竜たちが(地質的に)一瞬で絶滅したことは知りたくていろいろな文献を探したこともうっすらだが記憶にある。

 納得できる有力な説は見つけられなかったが、ゼミで誰かの『小惑星が地球にぶつかったために、地上の様々なものが空中に浮遊して太陽光が地球に届かなくなった。そのために、身体が大きい恐竜たちが真っ先に絶滅した・・・』という意見に、多くの仲間がなるほどと納得したものである。

私もその一人で、以後この説を疑うことはない。つい最近、この恐竜絶滅の原因は私が信じている『小惑星の衝突』という説を、多くの国の学科者が参加する国際チームが、間違いない事実と結論づけたというニュ-スが大きく取り上げられた。

非常に興味があることなので、早速読んでみた。書き出しに、天体衝突説は、ノーベル物理学賞受賞者のルイス・アルバレス氏らが1980年に提唱したものだとある。

私がゼミで仲間たちと語り合っていたのは40年以上も前。どうも計算が合わないのが気になるが、91年にメキシコのユカタン半島で衝突跡とみられる『チチュルブ・クレーター』(推定直径180キロ以上)をこの科学者が発見、従来の天体衝突説に真実性を与えたのだろうと受け止めている。

 火山の爆発説や地球気候の激変説など異論を唱える科学者も多かったので、今回実証するために、地質学や古生物学、地球物理学など世界12カ国41人の研究者が約半年間かけ、さまざまな論文を精査したとのことである。 

 その結果、世界約350地点の白亜紀と古第三紀(~2300万年前)の境目にあたる地層に、小惑星がもたらしたとみられる希少な金属イリジウムや衝突で変質した石英が含まれ、ユカタン半島から遠くなるほどその地層が薄くなっていること、生物の大量絶滅と時期が一致すること、などが確認できたという。 

 記事には、『小惑星は直径15キロほどで、毎秒20キロの速さで当時は海だったユカタン半島にぶつかったと推定された。衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍に相当し、衝撃波と熱線が走り、マグニチュード11以上の地震と、高さ300メートルの津波が起きたとみられる・・・』などとある。

そして『1千億~5千億トンの硫酸塩やすすが大気中に放出されて太陽光を遮り、酸性雨や寒冷化を引き起こし、植物プランクトンの光合成が長期間停止するなど生物の約6割が絶滅したとみられる。1億5千万年以上続いた恐竜時代はここで終わった』と結論付けている。

以前から多くの科学者が説明してきたことだが、以前から私が信じてきた学説が証明されたことは朗報。それ以上に、『いよいよ浦幌の出番だよ・・・』と叫びたくなってくる。

『何故、浦幌町と関係するの・・・』とか『浦幌ってどこにあるの・・・』という声が聞こえそうだが、イリジウム層かわが国で唯一北海道の浦幌という町で存在することと、私が自分の目で確かめたからである。このことは以前紹介したことがある。

(2007年7月20日の記述の一部)『K-T境界層』という言葉を知っている人は、地質学や地球物理に造詣がある人か、あるいは恐竜についてまじめな知識を持っている方々ではないだろうか。
 中生代の白亜紀と新生代の第三紀をドイツ語では『Kreide』と『Tertiary』と表現するそうだ。その間に大隕石か小惑星が地球に衝突したと言われ、この衝突によって地球全体がチリで覆われ、気温が一挙に大幅に低下し、それまで王者として君臨していた恐竜が一挙に絶滅したという。それは、今から約6400万年前と言われている。
 このチリが地球に降り積もった地層を『K-T境界層』と言うのだが、この地層にはイリジウムという地球上にほとんど存在しない金属が含まれており、世界の科学者達がこの層の発見に努めているらしいが、日本では『無』が定説だった。
 (中略)恐らく、こんなものが日本に存在していることを知っている科学者も少ないのではないだろうか。熊と出くわすことも稀ではないという林道を車で登り、これからは通行禁止の鉄の鎖をくぐり抜け、そこからは徒歩。鹿の姿もしばしば目撃しながらの宝探しである。(後略)そして、ついにイリジウム層を自分の目で確かめることができた時の感激は今も忘れられない。

『K-T境界層』のことや『イリジウム』のことは、以前、浦幌に招かれたときおしゃべりした。そのときは町の皆さんあまり関心を示さなかったが、今回のニュ-スを知って大騒ぎをしているのではないだろうか。

『恐竜サミットを開いたら』とか『イリジウム焼きいう陶器』を焼いたらなんてホラ話をしたことが懐かしい。(田舎親父)

2010年3月 7日 (日)

今度は『保活』?・・・

 就職活動を略して『就活』、お見合いなど結婚を前提にした活動を『婚活』というように、あらゆる活動を略して『○活』というらしい。先日お目にかかった離婚を前提にした活動の『離活』という文字には言葉を失ったが、このような訳のわからない略語の流行にはついていけない。

そんな中“『保活』勝った人負けた人”という見出しに、一瞬何のことだかわからなかったが、本文を読んで見て、それが『保育園へ入園する活動』であることと同時に、その凄まじいとしか表現のしようがない現実に『本当なの・・・』と思ってしまう。

その記事は図書館でパラパラとめくった『アエラ』という雑誌に載っていた。記事の『保活』の一例を紹介すると、ある区立保育園に入るために、申請書の他に『入園嘆願書』が当たり前になっているとのことである。

共稼ぎ夫妻の妻は、保育園に入園するには嘆願書が有効だという噂を娠中に知ったらしいが、最近は誰もがそれをするのであまり効果がなくなり、夫婦がそれぞれ1通ずつ手書きするのが流行というのが最新情報だという。

噂では、働く妻を応援する夫の手紙は選考する側には相当なインパクトを与えるとのことらしいが、夫に書けるはずもないから自分で作り、出勤前に覚えたてのバイバイを子どもとやりあっている夫に『写すだけだから』と指示したとのこと。

同時に『印象が悪くなるかもしれないから、修正液は使わないでね』と言って、区立保育園の入園申請の書類につける嘆願書の下書きを渡したと文章は続く・・・。

嘆願書の題目は『専門知識を持ち指導的立場にある妻が仕事を続けるため、ぜひ入園をお願いしたい・・・』という、しめて400字からなる文章。夫に書けるはずもないから自作自演。夫には昼休みに清書してもらうのだという。

この夫妻の住む区の入園審査はポイント制で、『両親がフルタイムなら20点』などと指数化されているという。手紙は指数に関係ないとわかっているけど、噂を信じないと何となく不安にある上に、現在預けている託児所は保育料と交通費で月10万円を超えるが、区立だと月3万円台になるし、子連れ電車通勤ともサヨナラできるという、夫婦にとってはかてり深刻な内容に引き込まれてしまう。

厚生労働省によると、保育園に申し込んだのに入園できていない子どもは、昨年4月1日時点で2万5千人超。不況で働く親が増えた影響などで前年より3割も増えたとのことである。

しかも、この数字は国が定めた基準を満たす認可保育園の空きを待っている人数で、認可外の保育施設に預けている人は含まれないので、働きたいので預けたい、という潜在的ニーズも合わせると、待機児童は85万人とも推計されるというから、記事にある夫婦の行動は頷ける。

経済的貧困を装って、『毛玉だらけのセ-タ-で保育課に通ったと』いう例や、『偽装離婚してシングルマザーになる人』、さらに『育児ノイローゼのふりをする人』までいるというから凄まじい。この国の保育事情はどうなっているのだろう・・・。

選考基準は自治体によってかなり違うという。基準を公表する自治体が増える一方で、非公開の自治体も多く、何が入りやすいかの基準が異なるから余計に混乱するとのこと。

記事には、都内のある区は『居住期間の長さ』を考慮するが、高齢出産が優先される区もあれば、『区長が特に必要と認める場合』は指数に関係なく優先される区もあるというから困ったもの・・・。本当なら変な話で、要は全国共通のはっきりとした基準はないのが、『保活』騒動の大きな要因らしい。

待機児童解消に財政的に余裕のある自治体は、保育園を増設して定員を増やしているらしいが、それでも追いつかないのが現状だという。それほど働きたい、あるいは働かなければならない主婦(主夫かもしれない)が増えているようだ。

以前にも書いたが、経済的な事情は別に議論するとして、基本的には『動物の子育てには母親の日常的な愛情』が必要で『人間も動物の一員』という考え方が批判の対象にならない世の中にしなければ、少子化も子育て問題は何も解決しない・・・と思うのだが、いかがだろう。(田舎親父)

2010年3月 6日 (土)

津波警報を無視する若(バカ)者たちへの対応は・・・

 チリ地震の被害が広がっている。発生から一週間過ぎる現在でも、都市部でも瓦礫の中で閉じ込められているとみられている人々を救助する活動が続いているとのことだから、交通手段がない山間部も多いことからも、被害は今後も拡大するのではないだろうか。

さらに、津波による行方不明者も多いという情報も不気味。ハイチの大地震に続いての大地震の発生は、地震国に住む我々日本人にとっても人ごとではないはずなのに、緊張感がないのはどうしてなのだろう。

 その要因の一つが、マスコミの必要以上に人々に恐怖心を与えて視聴率を稼ごうとする姿勢であることは明らか。その上今回は、気象庁の異常とも思える警戒情報とも関連しているようだ。

地震発生の翌日は朝からすべてのテレビ局の映像には、地図入りの津波警報や注意報を示す映像がずっと張り付けられ、テロップでは同じような情報を流し続けていた。

50年ほど前のもチリで起きた地震の津波で、三陸海岸地方で甚大な災害が発生し、犠牲者も多かったことはうっすら覚えている。被害は甚大だった。情報がもう少し速く確実であれば犠牲は少なくて済んだはずだから、今回の津波警報は当然だと思うが、速いことは評価できるとしても果たして確実な情報だったかというと少し気になるところ。

予報では3メ-トルを超えるという予報に漁業関係者が真っ青になるのは理解できる。満潮時と重なったらとてつもなく大変な被害は間違いない。海岸近くに住む人々が高台に避難する映像が何度も放映していたが、津波の恐ろしさを知っている人々にとっては、生きた心地もなかったのではないだろうか。

確かに今回も津波はやってきた。津波は同日午後に北海道から沖縄県の太平洋沿岸を中心に到達して、岩手県の久慈港と高知県の須崎港で1.2メ-トルを記録したが、全国の太平洋岸くまなく出されていた予報に比べるとはるかに下回る数値だったことに、気象庁に対しての不信感を募らせた人々も多いはず。

それを受けてかどうかはともかく、翌日になって気象庁の担当幹部は『津波の予測が過大であったこと、警報・注意報が長引いたことをおわびしたい』とお馴染みの頭を下げるパフォ-マンスで『ゴメンナサイ』記者会見は少しみっともなかった。

『単純ミスや判断ミスはなかったと思うが、結果的に予想より津波が小さかった。今後、どのような予報が最善だったか検討していきたい』と述べていたが、この幹部職員の表情からうかがう限り、果たして今回より自信のある情報を発せられるのだろうか・・・という疑念はぬぐえない。

話は変わるが、消防庁には全国瞬時警報システム(J―ALERT)という装置が導入されているそうだ。それが作動して全国各地に警報や注意報を速報したのだが、その際、津波警報が出ている地域にあらためて警報発令を流したり、注意報が解除された地域に誤って注意報発令を速報したりしていたという。

この装置からの情報をそのまま自動的に住民に流している自治体では、住民からの問い合わせが相次ぎ混乱したとのこと。消防庁も『システムがうまく対応できなかった』と気象庁と同じような『ゴメンナサイ』会見と同時に、改善策の検討を始めるとの言い訳は、装置の確実性を検証することなく導入したお馴染みのお役所パタ-ン。

万が一に備えるのは大事である。人命優先の対策は当然だと理解できるが、今回のような過剰とも思える危機管理は、国民全体を『オオカミ少年の寓話の世界』に引きずり込みかねない。

人々の気持ちの中に『役所のいうことはいつも大げさだから、警報なんかたいしたことはないだろう・・・』という気持ち生んだことは確実で、本当に起きた場合にはさらなる重大な危機を招く結果になることが一番恐ろしい。

豚インフルでも述べたが、この国の役人は危機を煽ることは熱心なのだが、終わったら『何も起きなくてよかっただろ』と自己批判などどこ吹く風。押しつけ危機情報に悦にいって胸を張りたがる傾向があるというと言い過ぎだろうか。

そのことはおいておくとして、地震警報や注意報の最中に全国各地の海岸では、避難指示など無視して『波乗り』を続ける若(バカ)者が1000人以上もいたというから、一体どうなっているのと呆れてしまう。

恐らくこの連中は自分たちの行為に対しては『警報なんかクソクラエ・・・』という気持ちだっただろうが、今回のこの連中の行為をそのまま許してしまうと次には、この種の若(バカ)者は一挙に10000人にもなりかねないのでは・・・。

警察や消防が対策など真剣に考えると言っても出るわけはないだろうから、警報の精度を徹底的に高めることと、それでもやってしまう若(バカ)者が危険な目にあったとしても無視するしかない。

批判は集中するだろうが、『確実な警報を無視した奴が悪い』と自信満々で語る担当者の会見姿を見たいと思うのは、私のへそ曲がりからくるのだろう・・・な。(田舎親父)

2010年3月 5日 (金)

5連休を自治体で分散?・・・

 観光立国推進本部という組織が立ち上がったことは知っている。外国人観光客を増やす狙いだと聞いていたが、一昨日この分科会が春のゴールデンウイークなどに集中している連休を、地方別に分散する案を示した、というニュ-スには『本気なの・・・』と、ちょっと違和感を覚える。

日本を五つのブロックにわけ、春と秋の2回、週末を絡めて順番に5連休にする案だという。なるほど実現すれば、何事にも連休に集中する混雑の緩和には威力を発揮しそうで面白いだろうが、この案がどこまで真剣に議論してでてきたのか疑ってみる必要はなりそうだ。

 政府案では、地方別に年2回の5連休をつくるというらしい。そのために祝日法を改正し、現在の祝日の一部が『休み』ではなくなるとのこと。当然ながら現在の全国共通のゴールデンウイークや秋の連休もなくなることになるが、果たしてこんなことが可能なのだろうか。

報道が事実なら、原案はきわめて具体的なことにまで踏み込んでいる。5月3日の憲法記念日.4日のみどりの日.5日のこどもの日が休日扱いにしてない。また、7月第3月曜日の海の日・9月第3月曜日の敬老の日・10月第2月曜日の体育の日もなくなり、それらの代わりに、月曜から水曜の3連休を新たに春と秋につくり、土・日曜と連続してそれぞれ5連休にするとのことである。

 この5連休をずらして実現するため、●北海道・東北・北関東●南関東●中部・北陸・信越●近畿●中国・四国・九州・沖縄の5ブロックに分け、春の連休は5月の2週目~6月の2週目を対象期間とし、西から順番に連休にしていくという。秋は10月の1週目からを対象に、同様にずらして設定するというから、明日にでも実施できそう。

 連休がブロックごとに隙間なくずれていくため、土曜日から水曜日までと、同じ水曜日から日曜日までの5連休を一つのスパンとして順々に設ける案も併記しているらしい。

 連休が分散すれば高速道路などの渋滞が減るだろうことは理解できる。ホテルの宿泊や飛行機も安く利用できる可能性は出るだろうことも間違いなさそう。需要が1年を通じてうまく均されれば、観光地で安定した雇用が生まれ、サービスの質もあがるとも期待しているという。これも反論する根拠はない。

 今年、全国数カ所の自治体で夏休みの一部を秋にずらし、分散化の効果を見極める実験も計画しているというから、衆院で圧倒的多数の民主党がその気になれば『ひょとしてひょっとする』のではないだろうかと、呑気に構えていられなくなる。

 分科会では、経団界などからは『地域ごとに休みが違うと仕事上の取引に支障がでる』としながらも『基本的に賛成だが準備期間が必要』との評価を受けたという。

ただ、今後、労働や教育など各界からも意見を聞くとの発表から、どうもこの分科会の議論は経済効果だけを目当てに具体案の作成を急いでおり、学校や国民の実生活はあまり考量していないようにも受け取れることが気になる。

 以前、(名称はうろ覚えだが)『長期休暇での家族旅行促進会議』という委員会の一員として数回の会議に参加したことがあった。

会議には・内閣府・総務・農水・経企などに加えて文科も顔を揃えた7省庁?の合同会議だったと記憶しているが、当時学校現場では総合的な学習の対応が大騒ぎになっていたこともあり、文科省関係者はあまり乗り気ではなく、学校を二学期制にして『秋休み』を作ることだけが一人歩きし、自治体の一部が飛びついたものの、家族旅行ということに対して何の結論に至らなかったことを思い出す。

 当時は今ほどの経済格差はなく、予算と環境さえ整えば国民の大多数は旅行に出かけられる雰囲気があったが、現在は格差が進み二極化が固定していることを思うと、塾や家庭教師が雇える富裕層の人たちにとっては連休の分散は歓迎されるかもしれないが、多くの国民にとっては何の恩恵もないどころか、かえってより格差を広げることになるのではと心配が先に立つ。

 このことは問題点など整理して改めて取り上げたいと思うが、何となくもやもやした雰囲気が広がっていくような気がしててらない。(田舎親父)

2010年3月 4日 (木)

老人の事故について思うこと・・・

 先月末、新聞紙上に“83歳の女性が押していた『手押し車』に乗用車が接触“という見出しがあった。

事故か起きたのは午後の6時半ごろ。この『手押し車』を押していたお婆さんが23歳の男性の会社員が運転する乗用車と接触、お婆さんは近くの病院に運ばれたが、頭を強く打っており、約6時間後に出血性ショックで死亡した、というものである。

現場は片側1車線の直線道路で歩道はなかったという。お婆さんが直接車にはねられた跡はないので、警察では、お婆さんの手押し車と乗用車との接触の弾みで転倒したか、何らかの原因で転んだ直後に車と手押し車が接触したとみて、当時の状況を調べているとの内容で、それ以上はない。

妙に引っ掛かるので何度も読み直すが、どうしても『手押し車』という言葉が気になって仕方ない。このお婆さんはどんな『手押し車』を押していたのかと、日頃に見かけるお年寄りの姿を思い出しながら想像してみる。

最初に思い浮かべたのは、以前にも書いたことがある『電動の車椅子』であるが、ならば違う表現をするはずだろう。しばらくして、最近四季の森公園で時々出合う男性が押している、椅子のついた乳母車のようなものではないかと気づく。

この男性は何かの原因で手足が不自由らしく、1年ほど前から必死な顔つきでこの車を押してリハビリに努めているが、その甲斐あってか最近は少し動きがスム-ズになっているような気がする。

この『手押し車』は老人がゆっくり座れるほどの幅を持つ。当然、公園の狭い道ですれ違うとなると、立ち止まって『手押し車』を通してあげることになるが、亡くなったお婆さんが押していた『手押し車』が、私が見た『手押し車』だったとしたら、これは交通が激しい町中で押しては危険この上ないことだけは確かである。

事故があったのは片側一車線の直線道路とのことなので、車はかなりのスピ-ドで通り抜ける道路ではないだろうか。歩道がないというから、このお婆さんはこのような道路を『手押し車』を押しながら歩いていたようだ。

車との接触の形跡はないとのこと。私の想像でしかないが、接触して『手押し車』が転倒したのではなく、何らかの原因で転倒した『手押し車』に乗用車が接触したのではと思えるのだが・・・。

一時ほど見かけなくなっているが『電動車椅子』を運転している高齢者は、案外周りのことが見えていないことが多い。このようなある意味傍若無人な運転をしている高齢者を見るたびに、『老人優先だから、お前らどけろ・・・』という思いがあるのではないかと苦々しい気持ちを持つことも少なくない。

このお婆さんは『手押し車』だったとのことだから『電動車椅子』のようなことはないとは思うが、(こんな想像はしたくないが)『車がよけるのは当たり前』という思いがあって、周りを見ることを忘れてしまっていたことも考えられないことはない。

だとしたら、運転していた23歳の若い男性は不運としか言いようがない。相手が亡くなってしまっているので、車の傷の状態からしか原因究明が難しいだろうが、乗用車が接触したから『手押し車』が倒れたのと、倒れた『手押し車』に乗用車が接触したのでは大違い。

運転手の今後の生き方に大きな違いが生まれるほどの重要な問題。ぜひ慎重な捜査と真相の解明を願いたい。

と同時に、高齢者を大切にするというキャッチフレ-ズに対しては、私も高齢者の一人として当然であり、ありがたいと思うが、高齢者自らが交通ル-ルには人一倍気を配る姿勢をもたねばならないと思うのだが、いかがだろう・・・。(杉)

2010年3月 2日 (火)

やっとオリンピック狂奏曲の終了・・・

 バンク-バ-冬季オリンピックが終了した。メダルどころか予選通過さえおぼつかない選手にもメダル・メダルと大騒ぎ、国民に期待感を煽りまくったマスコミの狂奏報道が終わるかと思ったらホッと思っている人は多いのでは・・・。

『真央銀メダル』という見出しが、日本中の新聞の一面トップ、しかも5段抜きで踊ったのはつい3日前。昨日の閉会式すらずいぶん昔の出来事のように思えるのは、1月・2月の過ぎ方が例年のごとく異常に速く感じるからかもしれない。

女子フィギャ-競技の日を挟んでの前後数日は、NHKをはじめすべてのテレビ局が、これでもかとばかり『真央の金メダルなるか』『真央涙の銀メダル』、あるいはそれに類する、国民に金メダル確実という期待感をもたせたアナウンスとセンセ-ショナルな言い訳報道一色だった。

採点競技は審判の個人的な見解が大きく左右するのは当然だが、後でビデオを見た限りでは、韓国のヨナ選手だったかは無難に技をこなして、いわばノ-ミスで演技終了したのに対して、浅田選手は果敢に難易度の高いジャンプに挑戦していたことは明らか。

多少バランスを崩す場面はあったものの、私が審判員だったら何の迷いもなく浅田選手に高得点を与えるのだが、実際には減点方式という『審判員の恣意』が入ってしまうと、結果としてあれほどの点数差になってしまうらしい。

この競技では開催前から、ヨナ一位・浅田2位・カナダの選手が3位という順位が決まっているという情報が流れていた。韓国のオリンピック委員会と今回の審判委員との間に不適切な取引があるという指摘さえあったが、結果的にその通りになったとなると、やはりという気持ちがぬぐえない。

オリンピック招致に破れた東京のワンマン知事が『敗因はオリンピック委員を抱き込めなかったこと』とも取れる発言をしたのは半年前、物理的に速さや高さを競う競技なら審判員の恣意は入る余地はないが、減点判定競技では審判員を『抱き込んだ方が勝ち』であることだけは疑いのないところ・・・。唐突ながら都知事を思い出す。

ところで、この都知事が日曜日の東京マラソンの関連式典のあいさつで『銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ』とのたまったという報道があった。誰が銅メダルを獲得したのかは言わなかったらしいが、この御仁らしいマスコミや国民に対しての強烈な皮肉であろう。

 その後の『国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない』という発言には、この御仁の異常なまでの国家主義が現れているので賛成できないが、前段の皮肉には私も頷けるものがあるので、珍しく拍手したくなる。

 変なところで知事の話題を出したが、今回の恣意的な審判だっただろうことに関連して、先日東京にオリンピックを招致する『東京五輪招致委員会』が2016年夏季五輪招致活動に関する『活動報告書』の内容が少し引っかかる。

 報告書では、リオデジャネイロに敗れた要因として、国際スポーツ界での人脈の弱さという(葉を言い換えると)『抱き込みの不足』だったと分析しているのは、知事の発想が色濃く現れていると変に感心。

 その報告書をめぐる監査委員の指摘では活動経費が事実上約7億円赤字だったらしい。そこで招致委員会は大手広告会社『電通』からの借入金で穴埋めする方針も示したとのことだが、監査委員から明らかにされた『電通』との『特命随意契約』が約70億円という数字が妙に絡み合っていることは何なのだろう。

 招致委員会側は『専門的な知識を有している機関が電通意外になかった』と弁明しているらしいが、支払い1割を赤字の補てんに回したのだから良いでは・・・という発想があるように思えるのは、私のひがみ根性だけではあるまい。

 ハトヤマ首相のカネ問題を追求するのは勝手だが、額は莫大だがこちらは親のカネという私的資金。対して招致委員会から電通に支払われたのは都民の税金。どちらを強く追求するかは誰の目にも明らかだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年3月 1日 (月)

豚インフルはどこに行ってしまったのでしょうかね・・・・

 このところ新型インフルエンザの話をサッパリ聞かなくなった。新型インフルという話題にはお馴染みになった『国立感染症研究所』も、さすがに最近はト-ンダウンして、予想されたパンデミック(大流行)も起きていないと発表している。

最近の発表では、全国約5000の医療機関から報告された患者数(1週間の1医療機関当たりの受診数)は、7日時点でたったの4.26人というから、季節性のインフルエンザよりはるかに低い値だというから笑ってしまう。

昨年の今頃起きた『検疫だ』『隔離だ』『ワクチンだ』という騒ぎは『一体 なんだったの・・・』と、皮肉な言い方をすれば懐かしくさえなってくる。

特に凄い騒ぎになったのが成田空港の『水際作戦』。メキシコや米国で新型インフルエンザ感染が報じられると厚労省・特に時のマスゾエという大臣の張りきりぶりは凄まじく、(私でさえ無理だとわかっているのに)ここは俺の出番だとばかりテレビに出まくり、まるで戦時を思わせる『水際作戦』を展開したのも今は昔。

映画の世界でしかお目にかかれないような物々しい防護服姿の検疫官が走り回っていた(好きで走り待っていたわけではなく、命令だから仕方なくノロノロと動き回っていたのが本当かもしれないが)映像はまさに漫画だったことを昨日のように思い出される。

運悪く『大ザル』検疫にすら引っかかった律儀な人たちは、空港近くのホテルに缶ヅメにされて24時間監視されたこともあった。当時は気の毒だとしか言いようがなかったが何らかの補償を求めてもおかしくないのでは・・・。

 今のオリンピックのメダル・メダル騒ぎも凄いが、それにも劣らないほど当時のマスコミのヒステリック報道も凄かった。

傑作だというと関係者には失礼だが、(学校の付加価値を高める宣伝だろうと思うが)わざわざニュ-ヨ-クまで渡航させて『模擬国連』に参加させた高校生が厳重な『大ザル水際体制』をくぐり抜けて、帰宅後豚インフルに罹患したことが判明した時などは、いまでは笑い話。校長の『涙の謝罪会見』などはその典型・・・。

次に起こったのはワクチン騒動。ワクチンを打たなければ死んでしまうというほどの騒ぎで、やれ糖尿病を患っている人が先だとか、乳幼児はどうなるのだという話題でマスコミがトンデモ騒ぎ。それが今ではワクチンがダブツついているというから、困ったもの。

一連の騒動の原因は100% とはいわないまでも、当時のマスゾエ厚労相にあることは明確。本来は国民に冷静を呼びかけ、自民党のお偉方が常々口にする『粛々・・・』という言葉通りに対策に当たるべきだったのに、自分がパニックになったのに乗っかってマスコミが追随、まさに『官製パニック』そのもの。

 結局ウハウハだったのは医薬品業界だけ。マスク製造会社は生産ラインが軒並みフル稼働状態でそのもうけで数年は左うちわだという話さえある。今でもあらゆるところで見受けることができる『消毒用アルコ-ル』を製造する会社も受注量が例年の数十倍に伸びとているというから笑いが止まらないだろう。

 結局、マスゾエパフォーマンスに国民が踊らされたとしか表現できない。幸い政権交代でクチサキ大臣はいなくなり、二度とはインフルバニックは起こらないと願いたいが、果たして次々に起きる風評に民主党の大臣サマは・・・となると、マスコミ報道を見聞きする限り、頼りないのではいささかの不安はぬぐい去れない。(田舎親父)

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