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2010年7月

2010年7月31日 (土)

我が儘だとは言わないが・・・

一昨日の朝、NHKニュ-スで、思い通り外出できないのは憲法違反だと訴えている要介護の知的障害を持った男性を取り上げていた。

スイッチを入れた時はすでに半分以上が過ぎていたらしく、詳しいことは理解できないが、住んでいる大田区が障害をもつ人には一律34時間の介護をつけるという方針が不服だとのことらしい。

以前にも訴訟を起こして90時間ほど介助してもらえるようになったらしいが、もっと外出して生きる喜びを得たいと再度訴えて、この日その判決が出るという内容だったと記憶している。

翌日、朝刊に判決の内容が載っていた。記事によると、障害者自立支援法に基づき支給される移動介護費用を申請したが、月34時間分減額した東京都大田区の決定は違法だとして、脳性まひなどの障害の男性が区や都に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決が東京地裁であったとある。

34時間というのは大田区が一律に決めた数字ではなく、34時間分減額したというものらしいから私の認識の間違いらしいとして、地裁の裁判長は『区の裁量権を超えており違法』として、区の決定を取り消したとのことであるが、専門用語を理解するのがなかなか苦しい。

 男性は身体障害1級の認定を受けており、外出時は車いすを押してもらわなければ移動できない。そのための介護の費用の算定として、区の要綱は、支給対象時間の標準を月32時間に設定し、外出実態に応じて加算することを定めているとのこと。この男性が2006年以降、月124~147時間分を申請したが、区は月90~113時間分しか認めなかったのが争点のようだ。

 裁判長は、区の要綱について『一定の合理性がある』と認定したが、『原告の提出資料などから、少なくとも月147時間の外出を認めることも辛うじて可能』と指摘し、申請分を認めなかったことは社会通念に照らし妥当性を欠き、裁量権を逸脱していると判断したという。

 判決後の会見で、この男性は『障害者に正しい判断をしてくれた。これから区との話し合いで解決する』と話し、原告代理人(弁護士団だろうが)も『障害者制度改革に大きな影響を及ぼす、意義ある判決』と評価したとある。

 その内容に疑義をさしはさむものではないが、裁判長の『区の綱領には合理性があるとしながら、原告の147時間は辛うじて可能』という文言をそのまま受け取ると、大田区にとってこれ以上は無理だが、147時間分の費用が出せるだけの財政的ゆとりがあるということになるが、ちょっと気になる。

 障害がある人が外出する時に介護が必要なことは当たり前。そのために介護保険があるのだろうが、無制限に希望が通る訳はないことは当然だろう。

介護保険の仕組みはほとんど理解していないが、介護保険は公平性を保つことも重要な課題なはずだから、当然上限を決めることになる。介護保険の運用の範囲で申請者の意見を聞いて、介護の時間が決まってくるのではないだろうか。大田区の場合はこの時間を原則32時間とし、実態に応じて増加するようだ。

 それに対して、不足しているという言い分だが、この判決で、介護を必要とする障害者の人たちが、我も我もとばかり介護を申請することも十分考えられる。147日間が費用としてどのぐらいに当たるのかはわからないが、私の乏しい知識でも、200万円以上必要だというぐらいは推測できる。

仮に一日の介護料が全てを含んで2万円だとしても同じような人が10人現れたら2千万円 100人だとすると2億円という計算になる。実際には事務費などが加算されるだろうから金額はさらに膨らむだろう。

こんなことが日常的になってしまったらと思うとゾッとする。障害者の自立は大切なことは十分理解できるが、その全てを税金で賄うというのでは昨日取り上げた高齢者医療制度と同じで、たちまち自治体の財源は枯渇し、一般的なサ-ビスができなくなることは誰が考えても分かりきったこと。

 原告を支援している弁護士達は、主張が通ったと喜んでいるのだろうが、自分達の主張を通すことだけの論理はともかく、国として『福祉はどうあるべきか』ということを真剣に考える時がきたように思える。(田舎親父)

2010年7月30日 (金)

所詮『廃止ありき』の焦りからだろうが・・・

 『俺達に死ねというのか・・・』と高齢者からの恨み節を受けて、民主党がマニュフェストで廃止を明言したことが政権交代の一因と言われた、あの悪名高い『後期高齢者医療制度』に代わる新たな制度の原案ができたという。この原案を元に年内に最終案をまとめ、政府は来年の通常国会へ関連法案を提出するとのことである。

 しかし、新たな高齢者医療制度案は、わずか8カ月でまとめたというのが気になる。厚労省は識者を集めて十分な真偽を尽くした末の案だと胸を張っているらしいが、マニュフェストで約束したから急いで廃止しなければという焦りがあるのではないだろうか。

解説を読むと、現行の後期高齢者医療制度は75歳以上を一律に加入させるが、家族が分断されるとの批判があるので、新制度案では75歳以上のうち無職や自営業者は市町村国民健康保険(国保)、サラリーマンとその配偶者は組合健康保険など被用者保険に加入するとある。

 これにより、例えば低年金受給の高齢者の場合、サラリーマンの子供の扶養家族になれば保険料負担を免れるが、一人暮らしで国保加入だと払わなければならないという新たな問題が生まれるらしい。現制度が格差解消をねらい一律化したのだろうが、原案では格差が復活するようだ。

 医療制度だけではないが、社会保障の根本的な議論は、信頼できるデ-タを元に未来を展望したシュミレ-ションにそって、まず必要予算の総額が決まり、その財源をどこからひねり出すかということから始まるのではないだろうか。

昨年の民主党のマニュフェストでは、これらの財源は『無駄を省いたら生まれる』と明言していたはずだが、実際に行った仕分けではあてはずれも甚だしく、国民の信頼が大きく崩れたのは仕方ないこと。

予算の裏付けのため、俺の言うことを国民は信じるだろう・・・と安易に自分を過信してカン違いしたカン首相が(サミットで約束したのだろうが)参院選で突然諸費税の値上げを打ち出し、民主党の大敗につながったことは明らか。こうなった以上、首相を続投するためには消費税値上げなど絶対に言えるものではない。

徹底して無駄を省くといっても、あの程度の仕分けでは無理なことは明らかなのに、今の問題点を繕うために制度の一部をいじくっても、結局は別の場所で綻びが出ることは間違いない。

 こんなことでは、どんな制度にするにせよそれは絵に描いた餅。膨らみ続ける高齢者の医療費を誰かが負担しなければならないのだから、その負担の割合を年代でどう割り振るのか、そして税金をどのぐらいつぎ込むのかという具体的な財源の数値には目をつぶり、制度だけ変えてとにかく『後期高齢者』という言葉を消してしまえという作戦なのではないだろうか。

 話は突然飛ぶが、人間いつか死なねばならないのに、医療制度の進歩や生活環境の改善で日までの機関が年々長くなり、今や70歳代で亡くなると『お若いのに・・・』という言葉が当たり前になってしまった。

100歳の人の数が何万人・・・とさも素晴らしいこととのように報じているが、実際にはそのような人たちは(ごく限られた人は別だが)現実の社会では無駄というと大問題だが、何ら生産性を持って生きていないことを見逃してはならない。

 『寝たきりになってまで生きること、生かすこと』がどれほどの意味があるのかの真剣な議論を回避しながら、小手先だけの議論で、一見国民受けの良い案を示すようでは、医療費問題に明るい未来は期待できないようだ。(田舎親父)

2010年7月29日 (木)

救助隊員の命が軽過ぎる・・・

 先日秩父市の山中で、沢登りをしていた登山パ-ティの一人が滝壺に転落、要請を受けて出動した防災ヘリコプターが墜落し、機長ら5人が死亡するという事故に、またか・・・とやりきれなくなる。

 事故が起きると必ずその原因究明が叫ばれるが、マスコミは格好のネタとばかり、連日原因が何だったかと賑やかに報道している。

 原因究明自体は今後の事故を未然に防ぐために(確かに以後は同じ原因では起きないことから)大切で有効だと思うが、墜落事故そのものは忘れた頃に、違う原因で起こるものだから、原因探しが主目的になってしまい、本来の事故防止にあまり寄与していないのでは思わないでもない。

 今回の事故原因は、気流の影響で、ヘリが自身の起こす下向きの風で機体を急降下させてしまう『セットリング・ウィズ・パワー』という現象に陥った可能性があるらしいが、こんな言葉は専門家以外絶対に耳にすらすることはないことだけは確か。

 救助隊という部署が存在している以上、救助の要請があると出動しなければならないのは当然だが、自らの命をかけてまで出かけなければならないのだろうか・・・という疑問は去年の北アルプスで、今回と同じように救助ヘリの墜落で救助隊員が死亡するという事故の後、述べた記憶がある。

 その時の事故では、岐阜県の防災航空センター長は税事務所から移動したばかりの事務職で遭難場所の厳しさを全く認識していなかったというから明らかな人災だったが、今回は7人もの救助関係者、しかもベテランの機長が操縦していたとのことだから十分な配慮がなされていたと考えても良いようだ。

 しかし現実には墜落し、5人もの隊員の命が失われたのは、逆に救助隊全体にも『ひとっ走り、助けに行くか・・・』と自体を軽く見る傾向があったのかもしれない。

 このところ日本人全体に自己責任というか危機管理という意識が昔から比べると極端に薄れているようだ。想定できないような思いがけない事故や事件に出合うことはあるだろう。そのときは本人も周りも躊躇せず救助を要請することは当たり前だが、携帯で消防や警察に電話すれば、直ちに誰かが助けてくれるという多他力本位な安易な意識があるように思えてならない。

 助ける仕事があり、それを利用する権利があるという理論は間違っているとは言わないが、その前に普段から事故に巻き込まれないような気持ちをもつことが何より大切だと思うのだが・・・。

 海や山では絶えず危険がつきまとうのは少し考えれば誰もが理解できるはずなのに、そこに出かけることをまるで映画館や劇場に出かけるような気持ちで出かけてしまう傾向があるのは困りもの。

 水での事故は比較的子ども若い世代が多く、高齢者が溺れて死亡などという記事は滅多にお目にかかれないが、山での事故はそのほとんどが高齢者だということも、今回の救助ヘリ墜落と関係しているといっても差し支えない。

 今回救助を要請したパ-ティも全員が中高齢者だという。勤労者山岳会に所属しているとのことだから、山好きの人たちの集まりで、金儲け主義の安易なツア-でなかったことは確からしいが、日頃から訓練を繰り返して気心がしれたメンバ-ばかりではなかったようだ。

 リ-ダ-もパ-ティ全員の技量を把握していたとはとても思えない。詳しい情報はないので憶測でしか言えないのだが、装備や技術に問題があったのではなかろうか。沢登り中だというが、ロッククライミング以上に水場では足元が滑りやすいので、危険な箇所ではザイルで確保することが基本だろうに・・・。

 50代の女性が足を踏み外して滝壺に転落したというから、こんな配慮はされていなかったことは間違いない。リ-ダ-としても大丈夫という判断だったのだろうが、ここにも危険察知の能力の欠如がうかがえる。

 これは以前にも書いたことだが、本来、中高齢者は人生の先輩として、若い人に背中で学ばせるぐらいの気概を持つべきなのに、生きがいを求めてとか、美しい風景を映像に残したいとかという理由で、安易に山に入る雰囲気か蔓延しているのが気になる。
 生きがいを求めることには反対しない。趣味で山登りや沢登りも良いだろうが、そこは町の中のジョギングとは違い危険が一杯。一つ間違うと命にかかわることが多い。

 そのことをまず認識して、自分は本当に大丈夫かと自問するのが必要だろうに、最近の元気な中高齢者の辞書には『危険』という言葉が消えているようだ。

 今回は転落した女性が死亡ということは報じられたが、人権という言葉が壁になっているのだろうが、パ-ティについての続報はまずない。

 救助隊員の命があまりにも軽過ぎるように思えてならない。(田舎親父)

2010年7月28日 (水)

何故強引にデジタル?・・・

 24日だったと思うが、NHKは地上テレビのアナログ放送の停止・デジタル放送への完全移行までちょうど1年という話題で埋めつくし、これでもかとばかり地デジの宣伝につとめている姿に『?』・・・。

帝国ホテルではイベント『日本全国 地デジカ大作戦』が開かれたそうで、そこで総務大臣が『地デシ時対応受信機の普及率は83%まで上がってきたが、この調子で頑張っていきたい』と発言したらしいが、テレビニュ-スでは大臣の映像からは『地デジの素晴らしさをもっと理解して、地デジ化をすすめていきたい』という部分だけを強調していたように思える。

普及率などのことは翌日の新聞でしったのだが、NHKテレビは『地デジは良いことずくめ・・・』ということに終始していたようで、『アナログとの違い』『何がどう変わるのか』などには触れていなかったように感じたが、どうだったのだろう。

帝国ホテルでのイベントというのも、誰が主催したのか知らないが、私のような貧乏人には絶対にお呼びがかからないことは間違いなさそう。

大臣の発言にもあるように地デジ対応の受信機の世帯普及率は8割を超えたというが、景気が悪いと言いながらテレビを買い換えた人がそれほどいるのかと、改めて政治の力というかマスコミの情報操作の凄さを感じてしまう。

本当に従来のテレビと比べて格段に画質が良くなったのだろうか。私は数年前に息子が大画面のテレビを買ったので、お古のデジタル対応のテレビが我が家に来たものだから、一応80%の枠に入っているのだろうが、もらわなかったら今でもアナログテレビを使っていたに違いない。

もっともテレビはあまり見ないので、それで十分だっただろう。画質や音声が良くなったことにあまり頓着しないからだろうが、地デジになって格段に視聴するのが楽しみになったなどということはない。

地デジに対応するためには一般的には地デジ対応のテレビを購入とアンテナの設置やケ-ブルテレビへの加入などしなければならないが、その費用は全て個人負担だという。エコポイントなどという政策で大画面の液晶テレビの購入に援助したのも、地デジ化をすすめるための一つの姑息な方法に違いない・・・。

買い換えないと来年からテレビを見られなくなるのだから、このエコホイント制度の果たした役割は大きかったのだろうが、それでも買い換える余裕がない人にはどのような手当てをするつもりなのだろう。

電波受信が難しいビルや複雑な地形の山陰などでは、地デジ対応テレビを揃えるなど準備は整っているにも関わらず、アナログ放送が終了したらテレビが見られなくなるとのことであるが、こちらの対策は大丈夫なのだろうか。

それより、すでに買い換えたものを含めると天文学的な数字になるだろうと思われるわが国のアナログテレビが、廃棄処分になっている現実を見過ごすことができない。無駄をなくそうといいながら、こんな無駄なことはないように思えるが・・・。

さらに、地デジ放送のための親局・中継局設置、送出設備や、対応スタジオ、カメラ、中継車などの設備のため、NHKで約3800億円、全国の民間放送局で約8000億円の設備投資が必要となるという。国家の財政が破綻状態だという大変な今日の経済事情からすると、こんなこと大金を投入することが緊急課題なのだろうか。

テレビやアンテナ製造メ-カ-や関係工事で忙しくなる人たちには結果的に懐が潤うのだから美味しい事業なのかもしれないが、これも全て景気対策の政策だという説明には説得力が欠けるように思える。

この国は何かとんでもない方向に走り出しているのではないだろうか、と思いたくなるが、こんな拙文を書くことしか自分にはできないことが情けない。(田舎親父)

2010年7月27日 (火)

ホンダの社長に大拍手・・・

 最近、英語を公用語に採用する会社が続出しているようだ。楽天やユニクロなどでは、社内の会議は全て英語で行うとのことだが、英語に堪能な社員ばかりではないはず。苦手な人間にとっては辛い日々が続くのではないだろうか。

 最近、英語を公用語に採用する会社が続出しているようだ。楽天やユニクロなどでは、社内の会議は全て英語で行うとのことだが、英語に堪能な社員ばかりではないはず。苦手な人間にとっては辛い日々が続くのではないだろうか。

今流行りの『グロ-バル』という言葉は国際規格という意味で使われることが多いらしく、英語くらい話せなければ、これからの時代はビジネス社会では勝ち組になれないというのだろうが、(国粋主義などとは縁のない私であるが)言葉までアメリカの属国になってしまうのかと思うとあまり歓迎したくない。

英語に限らず外国語を話せることは素晴らしい能力に違いないが、小学校にまで英語を正式教科にし、英語を理解できない圧倒的多数の教員にムリムリ英語を教えさせる制度が『まとも』だとはとても思えない。

このことは何度も取り上げているので今回は省略するが、ネイティブと称してどこの馬の骨ともわからないような英語圏の人間を雇う予算を、学校施設の拡充や教員の待遇や教育システムの改善に回した方が、お金が生きるのではないかと思っているのだが・・・。

小学校では英語以前にやらねばならないことは山ほどあるはず、日本語も満足に使いこなせないのに英語に走る傾向は、日本人の魂までアメリカに売り渡してしまうのかと情けなくなってくる。

グチはここまでにして、今日は、こんな傾向に『アホカ・・・』と反発する会社の出現に大拍手という話題を・・・。

 新聞記者から『英語の社内公用語』を導入するかどうか問われたホンダの社長が『日本人が集まるここ日本で英語を使おうなんて、ばかな話だ』と明確に否定したという記事には『これぞ日本の社長・・・』と嬉しくなる。

 ホンダの会社としての意図は『各社が取り組もうとしている英語の公用化について悪いと言っているわけではなく、さまざまなビジネスシーンに適した言葉を使えばいいということで、英語が必要とされる場面であれば英語で、日本語が必要であれば日本語を使えば良いのであって言葉をあえて統一することはない』ことだという。

まさにその通り。さすがは創業者の本田宗一郎の考えが『ホンダイズム』として受け継がれている会社である。

 記事には経済ジャ-ナリストの解説がついている。そのまま引用すると『ホンダは北米進出が一番早かった会社であり、他社に先んじてさまざまな国に進出した企業であることを知る必要があります。ホンダが社員を海外に送るとき、常に進出した先で言葉を覚えろと指導している。習うより慣れろという考え方が徹底している。もし、言葉ができないからと海外赴任を断れば、他のヤツに行かせるから、おまえはいいよといってやってきた。英語を覚えることより、未知の国で仕事をするチャレンジ精神を重んじてきた。これこそ宗一郎の教えなのです』とある。なるほど説得力がありその通りだと思える。

 このところ暑さボケでげんなりしている毎日だが、ホンダの社長の発言は一服の清涼剤として私を元気づけてくれた。

 ライバルのニッサンも社内公用語は英語だとのことだが、外国人社長の報酬が10億円と明らかにされた社員はどんな気持ちで働いているのだろう。今回のホンダの社長の発言を聞いて、英語の苦手な社員たちの中には『移れるものならホンダに移りたい』と思っている人もいるのではなかろうか。(杉)

今流行りの『グロ-バル』という言葉は国際規格という意味で使われることが多いらしく、英語くらい話せなければ、これからの時代はビジネス社会では勝ち組になれないというのだろうが、(国粋主義などとは縁のない私であるが)言葉までアメリカの属国になってしまうのかと思うとあまり歓迎したくない。

英語に限らず外国語を話せることは素晴らしい能力に違いないが、小学校にまで英語を正式教科にし、英語を理解できない圧倒的多数の教員にムリムリ英語を教えさせる制度が『まとも』だとはとても思えない。

このことは何度も取り上げているので今回は省略するが、ネイティブと称してどこの馬の骨ともわからないような英語圏の人間を雇う予算を、学校施設の拡充や教員の待遇や教育システムの改善に回した方が、お金が生きるのではないかと思っているのだが・・・。

小学校では英語以前にやらねばならないことは山ほどあるはず、日本語も満足に使いこなせないのに英語に走る傾向は、日本人の魂までアメリカに売り渡してしまうのかと情けなくなってくる。

グチはここまでにして、今日は、こんな傾向に『アホカ・・・』と反発する会社の出現に大拍手という話題を・・・。

 新聞記者から『英語の社内公用語』を導入するかどうか問われたホンダの社長が『日本人が集まるここ日本で英語を使おうなんて、ばかな話だ』と明確に否定したという記事には『これぞ日本の社長・・・』と嬉しくなる。

 ホンダの会社としての意図は『各社が取り組もうとしている英語の公用化について悪いと言っているわけではなく、さまざまなビジネスシーンに適した言葉を使えばいいということで、英語が必要とされる場面であれば英語で、日本語が必要であれば日本語を使えば良いのであって言葉をあえて統一することはない』ことだという。

まさにその通り。さすがは創業者の本田宗一郎の考えが『ホンダイズム』として受け継がれている会社である。

 記事には経済ジャ-ナリストの解説がついている。そのまま引用すると『ホンダは北米進出が一番早かった会社であり、他社に先んじてさまざまな国に進出した企業であることを知る必要があります。ホンダが社員を海外に送るとき、常に進出した先で言葉を覚えろと指導している。習うより慣れろという考え方が徹底している。もし、言葉ができないからと海外赴任を断れば、他のヤツに行かせるから、おまえはいいよといってやってきた。英語を覚えることより、未知の国で仕事をするチャレンジ精神を重んじてきた。これこそ宗一郎の教えなのです』とある。なるほど説得力がありその通りだと思える。

 このところ暑さボケでげんなりしている毎日だが、ホンダの社長の発言は一服の清涼剤として私を元気づけてくれた。

 ライバルのニッサンも社内公用語は英語だとのことだが、外国人社長の報酬が10億円と明らかにされた社員はどんな気持ちで働いているのだろう。今回のホンダの社長の発言を聞いて、英語の苦手な社員たちの中には『移れるものならホンダに移りたい』と思っている人もいるのではなかろうか。(田舎親父)

2010年7月26日 (月)

背景には金儲け命の発想が・・・

 昨日の朝刊に、千葉県の介護施設の駐車場に止めてあったワゴン車内で、81歳のお婆さんが死亡した、という記事があった。

今『デイサ-ビス』という言葉が大流行。お年寄りを集めてお風呂に入れたり、一緒にゲ-ムなどをして一日を過ごさせるサ-ビスらしいが、こんな表現をするとお叱りがきそうだが、『幼稚園』ならぬ『老稚園』といったところか・・・。

しかし、独り暮らしの高齢者や、介護をする家族からみたら少しでも助かるようで、大人気とのことで、こんなところにもと思うほど、町中に限らず山の中などにもこの種のサ-ビスを請け負う施設が現れても驚かなくなっている。

私のよく訪れる四季の森公園でも、何となく耳ざわりの良い名称をつけたワゴン車が止まっていることもしばしば、これも『デイサ-ビス』の一環なのだろうが、時には何人もの介護人がお年寄りを車から車椅子ごと降ろして公園内を散策させている姿に出合うこと稀ではない。

介護保険制度が当たり前になっている世の中なので、決して否定する気持ちはないが、人さまのお世話になってまで生きたくないと思っている私には、それが仕事だから仕方ないとはいえ、一生懸命に老人達の世話をしている若い人たちには『大変だなあ』と声をかけたくなる。

記事によると、このお婆さんはデイサービスの利用者で、介護施設のワゴン車で自宅に迎えに来てもらい、午前9時ごろ施設に到着したという。ほかに4人の利用者が同乗していたが、このお婆さんだけが降車しないでいるのに気付かず、約8時間車内に置き去りされたとのことである。

昨日も話題にしたが今年の暑さは特別で、連日35℃を越える猛暑が続いている。この35℃というのは百葉箱という光を反射しやすくする白いペンキが塗られた、芝生の上に設置された風通しの良い箱の中での気温だから、日向やコンクリ-ト上では40~50℃は当たり前、窓を閉め切った車の中では90℃にもなるという。

そんな知識が不足しているパチンコ狂いのバカ親に車に閉じ込められて乳幼児が死亡という記事が毎年必ず数件報じられているが、老人の置き去りはあまり耳にしない。それだけにこの記事には驚くが、思わず『ウソだろう・・・』と俄には信じられない。

 夕方になって、利用者を帰宅させるために、職員がワゴン車を見に行きお婆さんが死亡していることに気づき警察に通報したという。

 ワゴン車の運転手は70歳の男性だったという。介護に差があるにしても、スタスタと車に乗り降りできる老人でないことだけは確かで、乗り降りには何らかの介助が必要だろう。

当然のことながら、運転手だけが送り迎えするはずがないはずだから、数人の介護人が同乗していたはず。この車には4人の利用者が乗っていたというから、介護人達がお婆さんを車から降ろすのを忘れたなどは常識的には考えられない。

 70歳の運転手というのが引っかかる。記事にも施設から『委託された』とあるように正規の職員ではなかったことは間違いない。信じたくないが降ろし忘れたことは事実らしいから、介護人も真剣さが足りないアルバイトではなかっただろうか。どうやらこの施設を運営する業者は介護サ-ビスに名を借りた金儲け主義の輩ではなかったのではと思ってしまう。

 雨後のタケノコのように増え続けている介護施設。全てがこのような金儲け主義だとは思いたくないが、中には老人達を介護をビジネスチャンスという言葉のオブラ-トでくるんだ『金儲け』のためと割り切る業者もいるだろう。

 その数も決して少なくないはずだから、今回のような事故は今後増えることがあってもなくなることはないようだ。とんでもない世の中になったものである・・・。(田舎親父)

2010年7月25日 (日)

今年の暑さは質が違う・・・

 この一週間の暑さは、今までの暑さとは異質なような気がしているのは私だけなのだろうか。暑さが頭脳の回転を悪くしているらしく、何となく気力は散漫。

何度も書いているが、私の自宅は横浜の片田舎。横浜というイメ-ジは全くなく、むしろ横山といった雰囲気を持つ山の中。緑に囲まれた空間で、隣家もほとんどないという恵まれた環境である。昼間の暑さは町中と同じだろうが、日が落ちるとどこからともなく涼風が流れ、窓さえ開けておけばエアコンなどの世話になることはほとんどない。

ところが今年は少し異常で、夜に風がない日が多いような気がしてならない。というより、樹の葉を見ていると揺れているところを見ると風はあるのだろうが、室内に入ってこないのは風向きが例年と違うようだ。一昨日からはついに寝るときに扇風機を持ち出し、強制的な風を身体に受けて寝つくという事態になっている。

ク-ラ-よりましだろうと言われるかもしれないが、扇風機の風を一晩中直接当たるのは良くないと言われているので寝るときにタイマ-設定するのだが、折角寝ついてもタイマ-が切れると汗が出て、気持ちが悪くなって目が覚める、そしてまたタイマ-を設定という繰り返し。しかも、自然の涼風と比べ室内の生あったかい風は体力や気力を消耗させるのかこの二三日は文章を書くのもおっくうになっている。

これがこれからも続くと考えるとげんなりするが、それでも都会に住む人たちから比べたらまだましなようだ。

先日も車の修理をお願いして、車を受け取りきた人が『こんなに緑があったら寝るときはエアコンが必要ないでしょうね・・・』と語りかけてきたが、この方は私がここ数日扇風機にお世話になっているような状態でエアコンを常時使っているとのこと。『他人の不幸は蜜の味』ではないが、聞いていて気の毒になってくる。

この暑さは窓を開けるぐらいではしのげるものではない。窓を開け放せる環境でも扇風機が必要なほどだから、近所に家が立て込んで、プライバシ-の関係や防犯上で窓を開けられないとなるとエアコンは必須になるのはよく分かる。

新聞には、このところの猛暑続きで熱中症による死者が増えているとある。死者数は、最近の10年間では年平均で約400人だというからビックリ仰天。この数字は30年前に比べ6倍で、室内でも倒れる人がいるというから、改めて暑さの質が昔とは違っていることを認識する。

当然だが、死亡者の多くは高齢者という。後期高齢者医療制度ではないが自然環境まで早く死んでしまえというようなってしまったのかと嘆きたくなるが、暑さのような自然現象ではどこにこの嘆きをぶつけてよいかさえわからない。

話は突然変わるが、最近動体視力が少し落ちてきたように思えている。以前から高名な目の専門医が青葉台にあるので受診するように友人からしきりに勧められていたこともあり、一昨日ついでがあって検査に出かけてきた。

さすがに人気があるのか待合室は満員。廊下にも椅子が並べてあるがそこも人で溢れる大盛況?に思わずひるんだが、覚悟を決めて受け付けにお願いしますと国民保健証を提示して廊下でしばらく待つことにする。

そこで観察していると、専門医は2人だが検査を担当するスタッフは大勢いて、その人たちの動きが実に早くキビキビしている。次々に患者はくるのだが、ほんの数分で待合室に空き席ができ座ることができ、さらに待つこと数分で検査を受けることができた。検査と待合室との往復だが、待たされてのイライラ感はない。どうでもよいことだが、この医院が人気の秘密がわかったような気になる。

その検査も各種あって、念のために眼底の撮影もすることになり瞳孔を広げる目薬をさされてしばらくしてビカッ・・・。

医師からすぐに呼ばれて、検査結果は白内障の傾向はあるもののこれは加齢のためで、緑内障などの厄介な病気は一切ない。視力も良いので安心してくださいと言われて一安心すると同時に、動体視力が落ちるのは当然で若いときの動態視力を取り戻そうなんて考えるのが無理ですよと言われてしまった。納得・・・。

終わって外に出たら、医師からまぶしいので気をつけてと注意されていたが、まぶしさなど通り越して、景色がほとんどまっ白。色の識別さえできない状態に思わずクラッとなってしまった。

当初はここから自宅まで約1時間のんびり歩いて帰る予定だったが、これは無理だと判断してバスに乗ったのだが、バスを降りてからもしばらくは動機が激しく気分が悪い。恐らく体力がなかったら救急車のお世話になってしまったのではと思うと冷や汗が止まらない。

この日程熱中症という病名が身近に思えたことはないが、自分の高齢は当然としても、暑さの質が変わったことを実感する。(田舎親父)

2010年7月24日 (土)

また学校に数値目標?・・・

先日、新聞紙上に『子どもは毎日、1万5千歩以上歩こう・・・』という見出しを見つけた。

東京都教育委員会が都内の小、中、高校生の体力向上策として、これを今年度?の目標にしたらしいとのことだが、誰が言い出したのかもしれないが、学力が低いと点数をあげろと言うのと同じで、体力をつけるためには歩かせろという思いつきの施策では、またまた現場の混乱は一通りではないのでは・・・。

都教委の見解では、子どもはどんどん体を動かさないようになっているという。その通りに違いない。その例として、小学生の1日の歩数は1979年の全国調査で平均約2万7千歩だったのが、2007年には約1万3千歩に半減しているというが、この調査の数値は後述するように、俄に信じられないものがある。

私は、基礎デ-タとして一歩の歩幅は65センチと設定している万歩計を持って、一日2時間程度歩くことをここ数年続けている。周りを見渡して、面白い題材を探しながらの散策であるが、追い抜かれるより追い抜くことが多いところから、結構早足なかもしれないと思っている。そして、その記録を毎日記録している。

1万5千歩というのが今日のテ-マなので、最近の1万5千歩程度を歩いた日の記録をさがしてみたところ、数日前の記録に『1時半歩きはじめる(自宅から歩いたコ-スは略)いつものコ-スで4時過ぎ帰宅』とあった。この日は約2時間30分の散策である。

私の身につけている万歩計は、ある程度の速さ以上の歩きを計数する機能では、この日の歩いた時間は124分という数値。約30分は立ち止まったり、ゆっくり歩きがあったようだ。有効歩数は15209歩、消費は631カロリ-、歩行距離は11.4キロメ-トルとなっている。

歩数の割には距離が長い感じがするが、それはそぞろ歩きの歩数なども合わせると17325歩となっているから、万歩計は正常に動いている。

よく健康のためには『一日1万歩』が必要と言われているが、経験的に1万歩を歩くことはかなり厳しいことは、実際に歩いてみるとよく分かる。

都教委は『現実的に達成可能な水準』として、『1日1万5千歩以上』を掲げることにしたという。距離にすると約7.5キロ相当だとのことで、今年の秋までに小学校においては、モデル校を決め歩数計を配って達成具合を測るらしい。

モデル校の児童は配られた万歩計をつけたまま生活させて、翌日に担任に報告するのだろうか。だとすると、担任は今でも余裕がないところに加えて、集計やグラフ化することが義務化されたとしたら、ますます忙しくなって肝心の学習指導がおろそかにならないだろうか。

担任の負担を少なくするために係を決めて児童が集計するのかもしれないが、相当上手に扱わなければ『歩数競争』になってしまい、歩きすぎで関節を痛めたり、疲労が重なったり、場合によっては『モデル校病』と呼ばれるその学校特有の症候群が現れる懸念すらあるのでは・・・とこちらの方が心配である。

1979年には2万7千歩だったというくだりも気になる。私の計算では、2万7千歩歩くには、約4時間かかることになるが、本当に30年前の子ども達はこんなに歩いていたのだろうか。

休み時間や放課後も走り回っていただろうから当然だ、という意見もあるかもしれないが、テレビなどがなかった時代ならともかく、30年前となるとすでにゲ-ム遊びが問題になりかけた時代、こんな調査をどこで誰がやっていたのかも含めて信憑性において疑問が生じる。

 都教委は子どもの歩数が減っているのは、テレビゲームの普及などで外遊びの機会が減ったことや、交通機関の発達が原因とみられているとのことだが、こんなことはわざわざ調査しなくても誰もが疑わない事実だろう。

数値目標を設定し、尻を叩いて達成競争をさせるのではなく、携帯やテレビゲ-ム、あるいは塾通い競争に夢中になるのではなく、友達と戸外で遊べる楽しさを満喫できる環境作りが大事だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年7月23日 (金)

何か変だぞ・・・

 先日『国際通貨基金(IMF)が、来年度から消費税率を引き上げるべき』との提案という報道に、『? 何か変だぞ』と感じた。

いつも述べているが、経済は全く音痴な私にはあまりピンとこない話題ながら、ギリシャなど欧州の財政危機問題が、財政状態が飛び抜けて悪い日本へも及ぶ危険があるとみているためだとの解説にも、ギリシャとは少し事情がちがうだろう・・・と言いたくなると同時に、どうしても消費税率をあげたい力の存在に不気味さを感じる。

消費増税の必要性を強く打ち出す姿勢は、もとを正せば財務省の主張で自民党が丸飲みして10%と言い出したはず。カン首相は民主党の立ち上げ当初からハトヤマさん同様もともと消費税率の値上げには反対の立場だったはずなのに、財務大臣になってから官僚に操られ出した雰囲気・・・。

そのきっかけは2月に行われた『金融サミット』という初めての国際舞台。20ケ国の財務相・中央銀行総裁会議が集まる会議に出席してからではなかったろうか。カンさんは財務には疎いと言われているらしいが、国際会議となるとそれなりの知識と判断力が必要となるのは当たり前、きっと財務省の官僚から徹底したレクチャ-を受けて金融サミット(G20だったかな)に臨んだと想像している。

そして、その会議で世界的な金融不安が議論されて、これは大変だと危機感を持ち、早急財政再建が必要という思いが強くなり、帰国後、財務官僚の主張する消費税について『議論をはじめる必要がある』とい立場に変わったようだ。そのことはG20を境にして、『消費税も視野に入れて議論・・・』という発言が彼の口からしばしば出るようになったことから明らかである。

ハトヤマさんが投げ出したことで思いがけなく首相になってすぐに、カナダで開かれた先進国首脳会議(サミット)に出席し、そこで日本の首相として国際デビュ-したのは良いが、各国の首脳から『お前の国は危ないぞ』と口を揃えて脅されたのではないだろうか。

集まった先進諸国は2013年までに財政赤字を半減することを合意したなかで、日本だけは例外扱いとなったと報じられたことは記憶に新しい。日本が特別扱いになったのは、あまりにも酷い財務内容に各国が同情したからだという解説もあったが、そんな単純なものではなく、今回のIMFが示したような消費税を上げるという取引でもあったのではなかろうか。

そのことは、サミットから帰国したと同時といって良いタイミングで、カン首相は参議院選挙の期間中にせ関わらず『消費税率を10%に考えている』と発言したことからも明らかなように思える。

ところが根拠になる数字が曖昧で、とにかく諸費税率を上げることが国際約束だと思い込んだらしく、発言がブレまくり結局は自滅。あまりにも惨めな敗北を喫したといところでは・・・。

IMFがわざわざ今回、『11年度から消費税増税に着手する必要性を強調。現在5%の消費税を、10年程度かけて15%まで引き上げる案を軸に、14%~22%まで税率を上げろ』と言い出したのは、選挙で民主党が大敗し、カン首相ではできないことがわかり圧力をかけてきたと推測している。

さらに、今回のあまりにも具体的に税率や時期まで示していることから、サミットでカン首相が飲んだ消費税率は10%ではなく、22%だったことということも明らかになってきたのではないだろうか。

そんなことを思っていると、IMFの副専務理事に財務省のシノハラという財務官が天下っているという情報がネットにあり、そこにはこの男が筋書きを書いたとある。続けてアソウ内閣でナカガワ財務大臣が醜態を演じた時、一服もったのもこの男だとある。

真偽はわからないが、確かにナカガワ大臣の朦朧会見は酷過ぎたが、いくら酒好きであったとしても自分の立場は理解しているはず、何か変だと思ったことも確かで、このネット情報もあながちデタラメと片づけられない。

IMFは履行を迫るだろうが、消費税率の値上げに対して国民はノ-を突きつけた以上少なくとも衆議院解散まではこの話題は口にできない。どうやらカン首相は間もなく身体極まって解散を口にするのではなかろうか。周りが許すかどうかはわからないが・・・。

それまでに民主党は、党としての消費税議論を徹底して、国民に案を示さなければ現在の300議席を100に減らしてしまうことも考えられないことはない。そして自民党や宗教政党に加えてみんなの党という理解不能な政党が集まって、とにかく10%という数字が国民的な議論抜きで歩きはじめるのは目に見える。

展望のない話しになったが、経済音痴の戯言で終われば良いが・・・。(田舎親父)

2010年7月22日 (木)

世界的に異常気象が起きているようだ・・・

 今朝の新聞に『猛暑で6人死亡』という見出しが、何となく納得するほど連日全国的に猛暑が続いている。水の事故も多く、中でも幼い子どもの命が失われている報道には『親ならばもう少し子どもを見ろよ・・・』と思っている人も多いのではないだろうか。

この暑さはしばらく続くだろう。普段休めない人にとっては、週末は家族や友人達と涼を求めて海や川に繰り出すことが致し方ないとしても、くれぐれも子どもから目を離さないことを願いたい。それでも同様の事故は続くのだろうが・・・。

我々の年代とは違い、過保護に育てられている現代の子ども達には危険を察知する能力もついていないので、ついつい自分で安全度を計れないのかもしれないが、事故報道からは何故?ということが多過ぎる。

この子どもの危険察知意識については別に述べるとして、世界各地から猛暑や豪雨の報道が続いている。外国の報道は聞き流してしまうのが常なのだが、ロシアの猛暑と中国の豪雨は異常さが際立っている。少し気になるので取り上げてみることにする。

ロシアが6月から7月にかけ、記録的な猛暑に襲われているとのこと。ロシアに限らず外国のことは全く疎いのだが、モスクワというと『冬はとんでもなく寒い都市』というイメ-ジが浮かぶ。

緯度的にもサッポロより上だから、夏は涼しくク-ラ-など必要ないのではと思っていたが、今年の猛暑は凄まじいらしく、7月に入り、平均気温が平年を6度も上回る日が続き17日には過去最高の35度を記録したというからビックリする。

モスクワ発の情報によると、猛暑の原因はロシア上空に居座る高気圧で、ロシア気象当局の予報では、快晴で暑さが続き、最高気温が38度に達する地域もあるというから、暑さの経験が少ない人々は暑さをどうしのぐのだろうと心配になってくる。

 ロシア非常事態省(こんな役所があるのもロシアらしいが)は、6月の全国の水死者は1240人以上だったと発表したが、俄には信じがたい数字。しかし、その内訳を見ると95%が遊泳禁止場所での事故で、大半が遊泳前に飲酒をしたことが原因だという。適切な情報がない状態で、一般市民が暑さを紛らわすためにウオッカをがぶ飲みして川に飛び込んだらしいとのこと、ある程度納得する。

 この記録的な猛暑はモスクワ近郊だけでなくロシア全土に広がっており、そのため干ばつや山火事の被害が拡大しているとのことである。

 特に干ばつの影響が大きく、ロシア西部の穀倉地帯には『干ばつ非常事態宣言』が出されたという。すでに約1000万ヘクタールが壊滅状態となり、被害額は日本円で約860億円に達したとのことである。このためロシア国内では小麦価格は2週間で25%上昇したとのことである。

一方中国では6月から豪雨が続き、揚子江(長江)流域は深刻な洪水災害に見舞われているとの報道が増えている。中国のメディアの発表では、20日の段階で世界的な規模で有名な三峡ダムには流量毎秒7万立方メートルの水が三峡ダムに流れこんでいるという。これは計算すると学校のプ-ル約300個分。1秒間にこれだけの水が流れ込み続けるとなると、いかに大容量のダムであっても持ちこたえられるとは思えない。

このダムが決壊するとは思いたくないが、水がダムを越えるようことになれば決壊という最悪のシナリオも考えられる。恐らく、その前に放流するだろうから、下流の地域には信じがたい水害が起こることは確実のようだ。

こんな世界的な異常気象が続くのだから、昨日取り上げた可児市の大型トラックが流されるぐらいの豪雨など、今後どこででも起こりうることは想像に難くない。

わが国も、想定のハ-ドルを高くして、一人一人が危機意識を持たねばならなくなったようだが、(今までの無駄なお役所仕事が影響してか)役所に信頼感がなくなり、公的機関が出す警報などに対しての危機感がないのが現状。

国民と公的機関との信頼関係の構築には、まず政府がウソをつかないこと。選挙で約束したことは守るという姿勢が大切なのだが、今のままでは、薄くなることはあっても信頼の絆が強くならないことだけは確かなようだ。

暑さのために途中から何となくボケた文章になってしまったが・・・。(田舎親父)

2010年7月21日 (水)

肝心な時に動かないシステムが多過ぎる・・・

 先日の集中豪雨の被害は凄まじかった。特に、岐阜の可児市で10台以上の大型トラックがまるで積み木のように流されて、バラバラに倒れている映像はSF映画の一場面のようで、とても今までの常識では信じられない。

これらのトラックは少し上流の駐車場に整然と止められていたらしい。天気予報が大雨警報を出していたとしても、ここまでの大雨になるとは誰も思っていなかっただろうし、まさか整然と駐車させてあるトラック全てが流されるとは、トラックを所有している運送会社は思ってもいなかっただろう。

それ以前に、ここまでの大雨は専門家であっても予測不可能。それほど物凄い量の雨がこの地域に集中し、まさに一瞬の間に辺り一面が水につかり運送用の中空のトラックが浮力で持ち上げられて流れたようだ。その先に鉄橋があり、それがダムの役割になりバラバラに横転。あんな異様な光景が出現したのだろう。

運送会社の損害は計り知れないだろうが、この大雨はトラックだけではなく走っている多くの乗用車も流してしまい、3人の人が行方不明になったとの報道には愕然とする。

翌日の時点で、車は発見されたが運転していた人は行方不明という。今の乗用車にはほとんど間違いなくエアコンが完備し、密室状態で走っている。

窓を閉め切った乗用車はトラックに比べて重量がないだけに浮き上がるのは早かったに違いない。運転していた人は何がなんだかわからずに何とか脱出しなければと思い窓を開けてしまったのではないだろうかと想像している。

その時刻に車を運転していなければこんな悲劇に合わずに済んだのにと思うが、それぞれの人の都合があるのだから不運としか言いようがない。

ところで、一昨日のことだが、鉄橋とは別の鉄道高架下の市道で、水位の状況を自動通報する装置が作動していなかったというニュ-スに、思わぬところにお役所仕事が存在していたものだと思った人も多いのではないだろうか。

市は『システムトラブルか、近くの可児川がはんらんし、その水をかぶって故障したとみられる。はんらんは想定外の事態だった』と説明しているらしいが、水位を監視するシステムの末端の装置が、水をかぶって故障との言い訳は苦しく説得力がない。

記事によると、市道付近の地下に水位計があり、雨量を測っているが、その情報に基づいて雨量が一定基準を超えると、冠水の危険性が高まったことを通行する人らに知らせるため、市道沿いの赤色灯を点灯させると同時に、自動的に電話とファクスで市や装置の管理業者にも届く仕組みになっているとのこと。

 しかし赤色党が点滅しなかった。この装置は大水がでたとしても絶対に冠水しないように市道の地面から高さ約6.4メートルに設置し、実際に今回の集中豪雨でも冠水は免れたという。

装置は月に1回点検しており、6月下旬に調べたときに異常はなかったとのことだが、検査といっても係員がスイッチを入れたら点滅したから正常に働いていると判断する程度だろう。

それは仕方ないとしても、市としては、この種の装置が作動することはほとんど想定していないが、念のためにというのが取り付けたというところだろう。ならば、作動するとトンデモない事態になるのは当然だろうから、より高い精度が要求されるのも当たり前。導入時に徹底した検討があったのか、そのことを含めて精査してほしいものである。

今後、設置場所などを再検討するとのことだが、水位を監視する装置なら水をかぶったことで作動しては意味がない。設置場所などよりも装置そのものの厳重な点検が必要ではなかろうか。

事件や事故では『もし』という言葉は意味がないことは十分承知しているつもりだが、それでも『もし このシステムが正常に働いていたら・・・』と思うとやりきれない。

全国にはいたるところに同じような鉄道下の道路があるはず。今回の事故を教訓にして『取り付けるなら』このような事故が再び起きないような、議論に議論を重ね、実験を繰り返して、これなら絶対大丈夫だというシステムの導入を願いたい。(田舎親父)

2010年7月20日 (火)

臓器移植がビジネスチャンス?・・・

 少し前の話になるが、臓器移植の改定法案が施行されたという報道に、改めて『こんなに拙速に施行して、大丈夫なのか・・・』と、医学にはまったく知識がない私でも心配になってくる。

臓器移植については、基本的に『反対の立場』のこれまでにも取り上げてきたが、臓器移植に賛成の人も多いことも十分認識している。だから、自分が脳死した段階で臓器を提供するということは、個人の意志であり、そのことにまでに異論をはさむものではない。

今回の改定の一つの主旨は、脳死になったときに、移植のために臓器を提供するかどうか、本人の意思がわからないときでも、家族が同意すれば提供できるということだという。

単純に考えると、普段から『私の臓器を誰かにあげてね・・・』ということを家族の会話の中でしていた場合や、自分の子どもの死を無駄にしたくないので、臓器を誰かに差し上げたいと申し出る場合などがこの文言から想像できる。

自分の臓器を誰かに提供したい・・・という言い方は、明らかに自分の意志のように思えるが、それらの会話がどんな状況の元でなされていたか第三者には窺い知れないとなると、果たして家族の申し出をそのまま鵜呑みにして、本人の意思だと断定して良いのだろうかという疑問は払拭できない。

遺言状のように自分の意志をはっきり残していたのなら問題はない。しかし、臓器移植をする医師達は、生前その意志をどのように家族に伝えていたか文書がない以上、家族の申し出しかそれを確かめる方法はない。

本人の明らかな申し出が証明されないとなると、これは親族間での紛争の種になりかねないのではないだろうか。(私には縁がないか)財産相続での訴訟が年々増え続けて、弁護士たちの飯の種になっているのが現実では、この問題で裁判沙汰という事態を想像するとますます生きにくい時代を感じてしまう。

マスコミ情報によると、今回の改定は臓器移植法ができた1997年以来、脳死からの臓器提供は86例で、諸外国に比べると少ないので、条件を緩やかにすれば増えるはずという考え方があるとのこと。

特に、子どもの臓器提供者がほとんどないのが現状で、移植でしか生きられない難病の子ども達は外国に出かけて移植手術を受けなければならない現状に加えて、世界保健機関(WHO)が国外での移植の自粛を求める指針を採択したこともあり、わが国の対応が迫られていたことが引き金になっているらしい。

素人が口を出すことではない・・・と言われるかもしれないが、もしも、子どもへの臓器移植が今回の改定の背景にあるのなら、毎日のように親によるわが子の虐待事件が報じている今日では、親の申し出だけで判断して良いのかと思えてならない。

 難病のわが子をかかえて、移植を待ち望んで時間との戦いをしている親御さん達に冷や水をかける気持ちは全くないが、わが子を殴る蹴るという普通の人間の親では考えられない行動がこれ程あからさまになっているとなると、子どもの臓器移植と児童虐待を切り離しては考えられない。

子どもからの臓器提供にただちに対応できるとした病院は15%にとどまり、今後対応する予定の病院を合わせても40%しかなかったというアンケ-ト結果も新聞テレビが紹介しているように、医療機関の負担は大きくなることは確実だろう。

医師たちが児童虐待を見抜くことは難しく、そのための人員配置など必要となると、今重要課題になっている医療費の問題に跳ね返ることも間違いないだろう。

もっと恐ろしいことは、この臓器移植が犯罪に利用されること。実際に『台湾で200万円で腎臓移植を受けてきた』という人を知っているが、金で優先順位を売り買いすることをビジネスチャンスとばかり、法の網をかいくぐることに長けた『金儲け命』の輩がぞろぞろ出てくるのは当然予測できる。

とんでもないことになりそうだが・・・。(田舎親父)

2010年7月19日 (月)

 県教委を提訴した教頭に拍手・・・

 3日間程頭脳休暇をいただき、南会津にある『駒止湿原』に20年ぶりぐらいで訪れてきた。当時はおはようございます℃ずれるひとはこのことはまたのまばら、景色と植生は尾瀬なみ、ミズバショウ・ワタスゲ・キスゲ・紅葉とそれぞれの季節に出かけ堪能したものである。

しかし、今回驚くことにツア-客を観光バスが運んできたことでわかるように凄いことになっていたのちビックリしてしまう。このことは改めて初回することにして、今日は出かける前に見つけた、教頭が県教委を提訴という記事について私見を・・・。

 記事は、個人的に執筆した教育改革に関する論文について、山口県教委が表現の変更や発表しないよう求めたのは『検閲』に当たり、憲法で保障された表現の自由を侵害するものだとして、同県立学校の教頭(59)が、これらの行為をさせないよう求める訴訟を山口地裁に起こしていたことが、わかったというものである。

59歳という年齢では校長への昇任はない。そのことから、こんな大胆な行動にでたのだろうが、それにしても管理態勢が整った現在の教育界では、教育委員会が教頭から訴えられるというのは極めて珍しい。

 この教頭は10年ほど前から、教育改革に関する改善策をまとめた論文を書き、教育関係者らに見せるなどしていたという。恐らく、何とか教育現場を改革したいという思いから、出版社にも応募していたのではないだろうか。そして、その思いがかなって、07年7月になって、この論文を取り上げた『専門家の論評』が通信社の教育情報紙に掲載されたとのこと。

 恐らく実名が掲載されたのだろうから、専門家はこの教頭とはごく親しい仲間だったのかもしれない。あるいは、教頭から送られたこの論文に賛同して、取り上げたいが実名を出して良いか、と問い合わせて了解をとったのではないだろうか。

 その直後に、教頭は県教委幹部らに呼ばれ、論文が『世間に出回っているのか』などと聴かれたとのことである。

論文には『教員はあまりにも生徒の実態把握に消極的』とか『研修の多くは、教員の意識改革に結びついているようには思えない』という記述があり、そのあたりに県教委が引っかかったようだ。

論文を読んでないので、どの部分が引っかかったのかは具体的にはわからないが、もっと意識改革に役立つような研修にするべきだ・・・というぐらいの文言が並んでいたのではないだろうか。

記事には、県教委側から『研修については分析している』などと指摘され、暗に20カ所以上の修正を求められたとあるが、『研修の内容は、俺達が決めること、教頭ごときが口を出すな・・・』というところだろう。まあ言うならば、面子を潰されたということだろうと推測している。

また、当時在籍していた学校の校長を通じ、『他者に見せるな』とも指示されたという。 教頭は、県教委の行為は表現活動への違法な検閲で発表抑制行為に当たる、と主張して、県教委と話し合ったが『誠意ある回答がなかった』として提訴に踏み切ったというが、何か裏にドロドロとしたものを感じてならない。

人事権を持っている県教委が、この論文の存在が明らかになった後では、こんな教員を教頭にする訳はないだろうから、07年当時はすでに教頭職についていたのではなかろうか。県教委としては、論文が掲載された時点で『校長にさせない』という方針を持ち、そして強く『指導?』したに違いない。

その雰囲気から『俺はもう校長の目がない』と感じ取り、実際に59歳という定年間際になったことから、訴えを起こしたのではと想像している。

 県教委は『訴状が届いていないのでコメントできない』という態度だという。この教頭は退職後、いわゆる『嘱託』と称する天下りの道がなくなってしまことを覚悟しての提訴だとしたら、これは面白い。背景はともかく、無条件に拍手を送りたい・・・。(田舎親父) 

2010年7月15日 (木)

殺すしか選択枝がないのでは・・・

 えびの市や都城市では終息宣言を出したようだが、未だに宮崎県の各地で口蹄疫の疑いがある牛がいるとの報道に、30万頭とも40万頭とも言われている大量の牛や豚を殺して口蹄疫ウイルスを駆逐したはずなのに、『やり方が間違っていたのでは・・・』とやりきれない思いを抱いている人も多いはず。

私も何度かこの問題を取り上げ、その度に『蔓延を抑えるためには』という金科玉条の文言で、家族のように慈しみ育てていた牛を殺虫剤でハエや蚊を退治すると同じように、毒薬注射一本で殺してしまうしか、口蹄疫に対する処置がないことに対して『何か違うのでは』と疑問を呈してきた。

畜産農家(特に肉牛)にとっては、肉質の良い牛を育てることが何より大切なことは全く知識のない私にでもわかる理屈。そのため、畜産研究所や大学と連携して何年もあるいは何十年もかけて交配を続け、そしてやっと『種牛』とよばれる牛を作り上げてきたに違いない。

宮崎は畜産では日本一だとは迂闊なことながら、口蹄疫問題が起きるまで知らなかった。種牛と呼ばれる牛の存在や、その中でも特に優秀な牛を『ス-パ-種牛』と呼ぶことも初めて知った。

宮崎県は口蹄疫の発生で大急ぎで『ス-パ-種牛』はじめ大事な種牛を避難させたらしいが、その甲斐なく種牛にも感染症状が発生して、5頭の『ス-パ-種牛』をのぞいて種牛を全て殺処分したとの報道だったが、一軒の農家だけが種牛処分という命令に対して、異議を唱えているという。

先日、確かNHKだったと思うが、このことをニュ-スで、種牛の持ち主で薦田長久という72歳の畜産家を取材、その言い分などを紹介する映像を流していた。

その中で薦田さんは涙ながらに『もし少しでも症状がでているのなら命令に従うが、絶対に感染させないように細心の努力をしている。それなのに殺さなければならないのは納得しない』と語っていた。

おっしゃる通りだとうなづく。さらに『この6頭の種牛は県の畜産にとっては宝、殺してしまっては宮崎の畜産はダメになる』と続け『国は県の種牛と同様、特例で寛大な処分をお願いしたい。金や補償の問題ではない。種牛は国の財産』と、県に無償で譲るので何とか6頭を助けてほしいという必死の訴えに、思わず目頭が熱くなった。

この方は自分で飼育している400頭の牛の殺処分には応じたというから、6頭の種牛を殺しては宮崎のひいてはこの国の畜産にとって致命的だという信念がうかがえる。

国は繰り返して種牛処分を命じたようだが、県は協議の末この農家の言い分を全面的に受け入れて、県が保有するとして『貴重な遺伝子資源である種牛を特例で残したい』と申し入れしたが、農水省は『特例は認められない』とかたくなな姿勢を崩さず、農水相は知事を呼びつけて、改めて殺処分するよう命令するという。
 農水省の言い分は『一人に特例を認めたら、将来、口蹄疫が発生した際に、誰もワクチン接種に応じなくなる。原則を曲げれば、国際的信用にも影響を及ぼしかねない』というものらしい。わからないでもないが、もう少し柔軟な考え方がほしいような気がする。

素人は黙ってろ・・・という声が聞こえるような気がするが、農水相と官房長官が会談して、この民間種牛6頭の救済を『政府』として認めない方針を確認し、この種牛を殺さない限り『明日16日に予定されている被害集中地域の移動・搬出制限の解除はしない』という言い方は、まさに脅迫というか国の権力をかさにきた地方いじめとしか思えない。

 マスコミ報道だが、東国原知事は『6頭には感染疑いはなく、現在、蔓延の危険性はない』とした上で、『国が遺伝子検査を実施して安全性が確認されれば、殺処分は必要ない』と主張しているとのこと。これは明らかに知事の方に説得力がある。

 民主党政権が頭から殺すという選択枝ししか持てないのは情けない。知事も農家も『遺伝子検査』でクロだったら従うと言っているのだから、まず『遺伝子検査』をするのが問題を解決する近道だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年7月14日 (水)

日本人の若者を育てるのが先だろう・・・

 数回取り上げたと思うが、看護師や介護士が不足しているという理由からインドネシアやフィリピンから、日本で資格をとれればバラ色の未来が開けるという、いわゆるジャパン・トリ-ムをちらつかせて若い人材を集めるシステムに苦言を呈していたが、どうやら破綻しそうな雲行きになっているようだ。

恐らく人件費を節約できるだろうという姑息な発想が根底にあるのだろうと想像しているが、それぞれの国と『経済連携協定(ESPというらしい)』を結び、インドネシアとフィリピンから看護士や介護福祉士(候補者)が来日するようになったのは2年前だったと記憶している。

これまで来日した若い外国人は998人だそうだが、そのうちすでに33人が中途帰国しているという。理由は日本の国家試験突破の難しさなどから、将来の展望が見いだせずに日本での就労をあきらめたとのことであるが、日本人でも合格が難しいと言われる国家試験を言葉の壁がある彼らが突破することの難しさは想像に難くない。

国内の施設で働きながら勉強し、3~4年の在留期間に国家試験に合格すれば本格的に日本で就労でき、そうでなければ帰国しなければならないというから、まるでサギのような条件と言っても差し支えないのでは・・・。

日本人がアメリカの看護師の国家試験(というものがあるのかどうかは知らないが)に合格するためには、英語をほぼ完全にマスタ-しなければならないのは誰でも理解できるはずだが、現在の日本では本人の努力次第で日本国内でもそれは可能だろう。

しかし、インドネシアやフィリピンで日本語を国家試験合格レベルまでほぼ完全にマスタ-することなどは、いくら本人がその気になったとしても、普通の家庭の子弟では不可能と言っても差し支えないだろう。

一応、日本で働くことを希望して選ばれた若者達には、日常会話程度の研修は行われるだろう。そして意欲がある彼ら達のことだから、日常日本人と混じって働く分には何とか通用する日本語を身につけるのだろうが、専門の学習は来日しての勝負になる。

配属された病院や介護施設で日本人とほぼ同じ勤務のようだ。常識的に考えると、複雑でどちらかといえば間違いを誘うような問題の出し方の多い日本の試験問題(国家試験も同じだろうが)では、題意を読み取ることすら難しいのが実情ではないだろうか。勉強時間もままならない中、嫌気もささずに続けることは難しい。

勤務対応も配属された施設によってかなり違うことも想像できる。この外国の若者を将来に渡って戦力と判断し、先輩をへばりつけてでも合格させるための環境作りをする病院や介護施設がある反面、とにかく人出がほしかったので、即戦力という認識で残業の繰り返しを強要する介護施設や病院があっても奇怪しくない。

事実合格者は昨年がゼロ、今年は看護師3人のみというから、彼ら達の多くが合格できる可能性は限りなくゼロに近いのが現実。これからも意志半ばで傷心して帰国する人と増えることはあっても減ることはないだろう。

政府もそのことに気づきはじめたらしく、今年の6月に政府の『新成長戦略(何のことからく理解できないが)』で、来年度中にこの件で実施すべき事項として『看護師・介護福祉士試験の在り方の見直し(コミュニケーション能力、母国語・英語での試験実施等の検討を含む)』と明記した文書を閣議決定したとのことだが、混乱の極みに陥っているカン内閣には、この閣議決定などどこかに吹っ飛んでいるのでは・・・。
 また、拙速に英語による出題などに踏み切ったとしたら、日本人の受験者に不利にならないとは限らない。看護師の免許を取得するためには保健師助産師看護師法に基づいた国家試験に合格しなければならず、そのために日々努力している日本の若者も多いことを忘れてほしくない。

数が足らなければ外国から人を連れてくれば良い、むしろ日本人より熱心に働いてくれて、しかも給料が安いのでありがたい・・・という、まさに経済原理だけで病院や介護施設の運営をしていては、人材育成などできるはずがない。

 わが国ではニ-トと呼ばれる若者が年々多くなっていると報じられている。就職先がなくて派遣という職種を選ばざるを得ないともよく耳にする。実際に、働きたくても働く場がないのが現実のようだ。人件費が安いから外国から呼び寄せるというのではなくて、日本の若者にもっともっと夢とチャンスを与えるのが先決ではないだろうか。

そう言うと、今どきの若者は・・・という声が聞こえてきそうだが、それを正すのが教育の本道・政治の役割ではないだろうか。(田舎親父)

2010年7月13日 (火)

次の衆院選挙が・・・

 昨日は朝から、参院選挙の結果を受けて賑やかなこと。いろいろな分野の人たちがそれぞれに選挙結果を分析したりしていたが、結局は、民主党が政権与党として具体的にこれからの国のあり方を分かりやすく説明できなかったことだと思っている。

カンさんのカン違いから消費税という言葉を出したものだから、国民は『これは大変、民主党は消費税15%にするらしい・・・』という危機感が広がって『消費税より公務員改革』という極めて分かりやすいキャッチフレ-ズのみんなの党に引きつけられたことは間違いなさそうだ。

この事については、昨日も私の与太話として取り上げているので繰り返さないが、今度の選挙で、国民の目が少し違ってきた事に注目している。

いわゆるタレント候補というか、国政選挙があたかも人気投票のごとく、票を集められるなら誰でも良いという発想が蔓延しており、今回もその手の候補者が多く立候補したが相当数落選したのは、国民の意識が高まって『誰でも良い』というレベルではなくなったことの証ではとある意味喜んでいる。

今回も民主党の谷亮子や自民党の三原順子というタレント?候補が当選したが、当初予想されたほど大量得票を得なかった。さらに、専門家たちが揃って当然当選するだろう思われていた知名度は抜群の元巨人軍のホリウチ監督やナカハタ選手が落選したことにもこの傾向はうかがえる。これは国民の意識が高まったからだろうと捉えている。これで、過去の人気では通用しないということがはっきりした。

秋田選挙区ではイシイという元プロ野球選手が当選したが、恐らくイシイ氏はプロ野球を引退後、地元に戻って地道な仕事について、普段から知名度は全国区ではないとしても地元での好感度は抜群だったのではないだろうか。比例区ではなく選挙区を選択したことが勝因に違いない。

地方の選挙区にはラシオのパ-ソナリティをつとめていたとか、地元のテレビ局のアナウンサ-、あるいは地元新聞の人気記者だという候補者もいたようだが、揃って討ち死にしたのは、その地方での『人気先行』だけで候補者選びをした結果だったのではないだろうか。

それぞれの党も、次の選挙の候補者選定にはこのあたりに十分配慮してほしいものだと期待しているが、過去の有名人ではダメだが、柔道のタニ選手のように現役の第一人者なら票がとれるとなると、サッカ-のオカダ監督などを引っ張りだそうという動きが盛んになることもあり得るとなると困ったもの。もっともその時は、オカダ監督は引退して、まさに過去の名声となっていることも十分考えられるが・・・。

それはともかく、国を動かす政党ならば、単に客寄せパンダのような人気優先で候補者選びをするのではなく、堂々と政策で票を得られる努力してほしいものである。

国民にはみんなの党の正体がバレてはいないが、今回、全国的な知名度野のある候補がほとんどないみんなの党の躍進は、民主党には幻滅したが自民党も嫌だという有権者心理を巧みについて『消費税の前にやる事がある・・・』という実に分かりやすいフレ-ズで政策を打ち出したワタナベ・エダラインの作戦勝ち。民主も自民もこの戦いぶりを学習するべきだろう。

人気先行で候補者選びをしていない共産党の方針は間違っていないと評価しているが、共産党という名前のもつイメ-ジが共産主義という、自由がなく暗い(本当の共産主義は違うのだろうが)といった社会体勢につながり、国名は変わったがソ連や北朝鮮を連想してしまうのでは・・・。自由がないというイメ-ジの共産党の名の元では、今以上の躍進は望めないのではないだろうか。

一つの提案、党名を変えて、当たり前に他の政党が受け取っている『政党助成金』を、自党は反対だから受け取らないという姿勢を改め、法律上は受け取りこれを有効に使うと同時に、これこそ無駄と叫び、制度そのものを『廃止する』とか『内閣官房費廃止』などを表に出して戦ったら、多くの国民から賛同されるのではないだろうか。

恐らく民主党や社民党の一部の人とも連携できるだろうから、政治の地図が大きく変わることは間違いないところ。共産党の英断を望みたいものである。

こんな事を考えると(極めて外野的だが)恐らく1年以内に行われるだろう、次の衆議院選挙が楽しみになってくる・・・・。(田舎親父)

2010年7月12日 (月)

今以上に恐ろしい時代がきそうだが・・・

予想通り民主党は単独過半数どころか、与党と頼む国民新党と合わせても過半数にはるかに及ばない完敗。やはりカン首相の消費税率10%と、続けてとってつけたような『貧乏人には還付金・・・』という発想が裏目に出て、特に地方というか一人区では『カンは信用できん』という人が多くなり、今回のような結果になったのだろう。

恐らくカン首相は選挙期間中から自分の失言(本音だろうが)に気づき、消費税の具体的な値上げにはダンマリを決めつけ、次の衆院選挙までは上げないとか、議論するだけだとカジの切り直しと同時に、過半数がとれない事も予測して連立の組み直しを考えはじめていたようだ。

選挙の後半になって『何とかという党の元気のいい人が、民主党や自民党をぼろくそに言っている。小さな政党だから選挙前に目立たないといけない。しかし目立つだけでは、国会で政策を実現するための法案が通らない。他党と手を握って仲良くしないといけない』と述べた事は、明らかにみんなの党へ向かって一緒にやろうよという合図・・・。

が、ワタナベ代表は『絶対にない』と拒絶。一方自民党と連立を組んでいた宗教政党にも秋波を送るも、こちらも『絶対にない』と一蹴されたらしい。

ねじれをこのまましておいては、例え衆院で300議席を確保しているとはいえ、国会運営が行き詰まるのは目に見えている。政治のことには疎いが郵政改革法案なるものは連立相手の国民新党とは選挙前に固い約束をして連立維持を押し通したはず。これを裏切っては、またまた『カンはうそつき』というレッテルが広がるに違いない。

さて、カンさんこれからどうする。

このままではカン内閣は立ち往生することは間違いない。『これはもうあカン・・・』と4代も続けて首相が逃げ出す事もあり得ない話ではなくなってきたが、果たしてそれを避ける手だてがカン内閣にあるのだろうか。

今頃執行部は頭をかかえているに違いない。宗教政党と連立を組んでも過半数にならないとなると、みんなの党に土下座して連立を組んでもらうしか方法がない。

みんなの党側のワタナベ党首も『絶対ない』と断言しているので、支持してくれた国民に対しても、余程の大義名分がなければ了解するわけにはいかないだろうから、かなりハ-ドルを上げてくるに違いない。

論理がバラバラで気は確かかと言われそうだが、みんなの党は場合によっては、連立の条件として大臣の数も複数という要求もあり得るのではないだろうか。場合によってはワタナヘ代表を首相にという筋書きもないではない。

自民党の表裏を知っている世襲議員であるワタナヘ党首は、村山内閣の轍を踏まない緻密な計算をしているに違いない。民主党としても土下座した以上これを飲まざるを得ないとなると・・・。

みんなの党は公務員改革を第一に上げている。消費税を上げる前に、国会議員の数を減らし、国家公務員の数も減らすというのが選挙公約。しかし、少数政党ではできるはずがない。

首相に就任したワタナベ代表は国会を解散して『消費税は上げない 議員や公務員改革が先だ』と短いフレ-ズで総選挙に突入。すると、みんなの党が衆院の過半数獲得という筋書きも全くない話ではなくなる。

自民党もまだまだ復権には至らず、分裂の危険性が消えていないだろうから、そうなると衆院でみんなの党が過半数なんてことに・・・

恐ろしい時代がやってきそうだ。みんなの党が政権を持ったら格差はますます広がることは間違いないからである。

この事はオブラ-トにくるまれて国民には知らされていないのが実情。郵政民営化すればバラ色の払いが約束されるといって自民党か圧勝し、結果は格差かますます広がったことを忘れてはならない。

ここはカン内閣と民主党の正念場。オザワだ・反オザワだなんて言っていないで、一致団結して、国民の支持を得られるようなウルトラC的な知恵を出してほしいものと心から望みたいが・・・。(田舎親父)

2010年7月11日 (日)

お先真っ暗だが・・・

 今日は参院選挙の投票日。 去年の熱気を思い出すが、今年はどうなる事やら・・・。多分夜半には大勢が判明するだろうが、去年のような雪崩を起こすような民主一色にはならない事だけは確かなようだ。

 確かに、衆参両院の過半数を一つの党が占めたら政局は安定するだろう。しかし、その党の方針として『生きていくのは競争が大原則。どんな事をしても勝った方が正しく、負けた奴のことなど知った事ではない・・・』となると、酷い社会になる事は誰が考えても明らかだろう。

事実、自民党の特にコイズミ内閣とその後の3代の政権の方針はその通り、それを見抜いたので去年の政権交代につながり、自民党は再び立ち上がれないほどのダメ-ジを受けたが、今回の民主党はこの学習ができていないのでは・・・と素人ながら疑念をもつ。

結局は今回参院で単独過半数がとれないとなると、どこかの党と連立を組まねばならなくなることになる。国民新党がどれぐらいの獲得するかによって情勢は大きく変わりだろうが、合わせても過半数に届かないとなると(その可能性が大きいと見ているのだが)、現カン内閣の幹部たちはカメイさんより考え方の近い『みんなの党(変な名前だが)』のワタナベさんを選ぶのではないだろうか。

今日の今日まで『民主との連立は絶対ない・・・』と、むしろ秋波を送っている民主党のエダノという幹事長に大きな声で怒りをぶつけていたワタナヘ党首はすでに裏では条件闘争をして、連立合意をしているのでは・・・と推測している。

となると、恐ろしいのは経済政策。みんなの党の候補者の多くが外資系の投資ファンドや企業家たちという事に注目すると、どうやらその方向は規制緩和と自由競争という、コイズミ内閣の目指したラインと重なって来る。またまたグロ-バルという言葉でわが国のもつ魂まで外国資本に蹂躙される悪夢の繰り返し・・・。

ワタナベ党首は『消費税は上げない』と力説しているが、いつまでこの言葉が続くだろうか。連立を組んだとたんに、上辺だけの税制改革議論を行い、数を頼みに来年か再来年には消費税率10%ということになりかねない。

いやいや、数日前にはカン内閣は財政再建を目指して消費税を15%まで増税することを前提にした試算を作成していたことが明らかになったとの報道があったが、これこそ真実のような気がしてならない。
 政府関係者によると、この試算は先月の菅内閣発足後、内閣府の政務三役の指示で作成されたもので、消費税については2014年度から毎年2%ずつ引き上げ、5年後に15%にする案や2014年度に一気に10%増税する案など具体案まで想定していると報じているから、むしろ、14年を待たずに消費税の値上げを現政権は狙っていると見た方が間違いなさそうだ。

小売の食料品には税をかけないと言うなら説得力はあるが、カン首相の還付金システムなどは選挙目当てのその場限りの方便で、そんなことできるわけはない。(たとえそれに近い施策をカン内閣がカンがえだしたとしても)『何がしかのカネを恵んでやるから我慢しろ』という発想は権力者の常套手段で、その結果ますます貧富の差が広がるのは歴史が証明している。

どっちみち、私のような貧乏人にとってはお先真っ暗・・・。と、あきらめに似た気持ちで(自虐的だが)選挙結果を楽しむ?ことにしよう。(田舎親父)

2010年7月10日 (土)

すでに死のビ-チになっているらしい・・・

 日本のマスコミは全くといってよいほどこのニュ-スに触れないのは、アメリカ政府などからの圧力があり、報道規制が徹底されているのだと思っているが、メキシコ湾の原油流出被害が広がっているようだ。

先日、ネットに続報として、流出原油が漂着しているアメリカ、フロリダ州ペンサコラビーチの白い砂浜で、砂に埋まった原油が発見されたという記事が掲載されていた。添付されている映像を見ると、真っ白な砂浜が続いている素晴らしい避暑地であることがわかる。ここには世界中から富豪達がやってくるらしい。

その海岸に重油がたどり着いてガッカリしている海水浴客の姿と、真っ白な砂浜を掘って原油の固まりを探し出す人の映像もある。解説によると、この原油の固まり(油塊)は砂浜の60センチ下に埋まっているとのこと。

海岸に流れ着いた重油はオイルフェンスを張り、丁寧にくみ取れば何とか除去できることは、日本近海でタンカ-の座礁などで原油が流れだす事故が生じると、決まってボランティアの人たちが大勢でこのような作業が行われ、しばらく過ぎると(多少は影響が残るのだろうが)元のような風景を取り返していることで可能だということは理解できる。

しかし、砂浜の砂の底?(途中なのかもしれないが)に層になって原油がたまっているとなると、丁寧にくみ出すことなど無理に違いない。研究者によると、これまでも砂浜に原油の層ができた事はあるらしいが、たかだか15センチ程度なので、砂ごとかきとることができたとのことだが、60センチとなると全く打つ手がないという。

除去できないと自然に分解することを待つしかない。地表では、例え大勢のボランティアの人が集まらず、人為的な除去作業を行わなくても、酸素や太陽光、そして原油を分解する働きをもつ微生物により分解され有毒成分を多く含む原油は早期に姿を消すとの科学的根拠があるらしいが、埋もれた場合は残存期間がはるかに長くなることは理解できる。

特に、地中深くなればなるほど酸素の量が限られるので分解も進まないというからこれは厄介な問題。真っ白な天国のようなペンサコラビーチは今や悪魔の支配する海岸というところ・・・。

先月末にメキシコ湾を襲ったハリケ-ンは幸いなことにこのビ-チを直撃しなかったらしいが、今後間違いなく発生する大型のハリケ-ンが湾内を襲い、高波を発生させることは間違いない。その波の影響で、砂浜は侵食を受け、砂の下の油塊が露出する可能性も十分に予測できる。

マイアミには行ったことはないので、果たして江ノ島の海岸のように、浜辺でいろいろ建物を砂で作って遊ぶという風景が存在するのかわからないが、もし、同じような遊びがあったとしたら、その途中で油の固まりをつかんでしまう・・・。想像するだけで気持ちが萎えてくる。

油に直接触れると皮膚炎を起こしたり、気化した油を吸い込むと吐き気や頭痛、目眩などの症状が現れる場合があるというから、この海岸を訪れる人は少なくなることは確実。すでに原油除去に関わっている大勢の作業員の体調にも異変が起こっているというから、ペンサコラビーチはもはや死んだと表現した方がよいかもしれない。

選挙に狂騒するのも明日までだろうから、来週にはその後のメキシコ湾原油流出の現状が話題になる事は望みたい。(田舎親父)

2010年7月 9日 (金)

水が石油に変わる日・・・

 石油が有り余っても、鉄鉱石が無尽蔵に産出しても、そしてうなるほどカネかあったとしても、人間(いや生きとせ生きるもの全て)が毎日を平和に生きるために最も大切なものは『水』であることは小学生でも理解している知識であり知恵である。

わが国は石油や鉱物資源に恵まれていないが豊かな水資源がまさに全国いたるところに湧きだしている。こんな豊かな国は世界中どこを探してもないのだが、何故か『グロ-バル』とか『ビジネスチャンス』という言葉に惑わされて、『金儲け命』の発想がまかり通っていることが残念でならない。

水には恵まれている我々にとっては想像できないが、今世界各国は水資源の枯渇が死活問題になっていることは時々話題になる。中国が南シナ海での油田開発に執拗に取り組んでいることは、それを足掛かりに日本から水資源獲得が主な目的だと、誰かが主張しているが、あながちトンデモないほどの的外れでないような気もする。

昔から流れる水は3尺もあれば汚れたものを浄化するといわれているように、下水などほとんど必要ではなかったが、工業が発達しその過程で流水の働きをはるかに越える汚染物質が発生し、経済発展が盛んな昭和の40年代ごろは各地で深刻な公害問題が持ち上がり下水の重要性が叫ばれるようになった。

その後は各地で下水処理が進み、今では全国いたるところ下水が完備して、その技術は世界でもトップクラスと言われている。その技術が海外に広まっているようだが、水を浄化する技術ではなく、浄化した水そのものを輸出するという話は取り上げる価値がありそうだ。

千葉市、川崎市の下水を高度処理してオーストラリアに輸出する実験が今秋にも始まるとのこと。両市は処理した下水はほとんどが川や海に捨てられているのだが、これをオ-ストラリアから千葉や川崎の鉄工所に鉄鉱石を運んできて、そこで降ろして空になった大型船に積み込み、雨が少なく水不足に悩むオ-ストラリアに持っていくというもの。

 オ-ストラリアの各地の降水量は年間600ミリ程度だという。この数値は、それほど雨が多いとは思えない首都圏の3分の1にも満たない。いかに人々が水を必要としているかよく分かるが、多くの産油国が集まっている中東ではさらに少なく、まさに水は宝物。

 輸出先のオ-ストラリアの鉱業会社は、鉄鉱石を洗ったり、粉じんが舞い上がらないようにしたりするために大量の水が必要なのだが価格が高く、鉱業会社が使っている海水を飲料水レベルまで淡水化した水は、1トン当たり4~5豪ドル(日本円にして300~400円)もするという。

 日本国内の高度に処理した下水は年間約140億トンもあるらしい。その約2割は公園の水遊び場でも使えるレベルまで高度に処理しているが、下水の再利用率は2007年度で1.5%に過ぎず、ほとんどが海や川に捨てられているというからもったいない話である。 

 以前から、この水を輸出するという計画はあったらしいが、水を『荷物』として輸出すると、輸送コストが高く、ビジネスとしては成り立たないので、オ-ストラリアからの鉄鉱石を運んできた帰りの船が、船体を安定させるため、『バラスト水』と呼ばれる海水を船内のタンクに入れて帰ることに注目、その海水の代わりに下水処理水を注入するというものだという。

実験は、まずドラム缶で水を豪州に運び、輸送後の水質の変化を調べる。これは水質が大きく変わってしまうと、現地で追加の水処理が必要になるためで、さらに、現地で港から鉱山に水を運ぶ方法やコストも調べるという。

なかなか壮大な実験である。まさに日本が誇る無尽蔵にある『水資源』が石油と同じような価値を持つ事になるのだから、ぜひこの実験を成功させて、わが国がお願いして輸入している石油はじめあらゆる地下資源を、むしろ相手から、ぜひ買ってくださいという関係になるような情勢を作ってほしいものである。(田舎親父)

2010年7月 8日 (木)

トカゲの尻尾切り?・・・

 今更どうでもよい事であるが、大相撲の世界の大揺れが収まらない。NHKは名古屋場所の実況中継を反対の声が圧倒的という理由で生中継をしないと決定したようだが、全国のファン(特に地方の高齢者)はガッカリしているはず。また、多くの老人施設の職員たちは、この時間どのように対応しようと頭を悩ましているのではないだろうか。

生中継はせず、録画によるダイジェスト版の放送を午後6時台に行うとのことだが、果たして、今回の処置で良かったのかどうか、今後賑やかな議論になるのでは・・・。

 ところで、貴乃花親方が相撲協会の理事会で、解雇された琴光喜の処分軽減を強く主張したらしい。そして、それが却下されたので退職届を出したが受理されなかったことが話題になっている。

協会関係者(例に等ってニュ-スソ-スをぼかした表現だが)によれば、貴乃花親方は、琴光喜関の処分について『十両最下位からでもいいから出直させてやってほしい』と主張したとのこと。

以前にも述べたが、大相撲の世界は完全な縦社会。幕下以下の力士には基本的には給料がでないという。それが十両に昇進したら月給100万円というから、カネが全ての世界であり、人気さえあがれば手にするカネは青天井。勝ち負けの世界だけに昔から賭け事が日常生活には当たり前のように染み渡っているとなると、賭け事をしない力士などいるはずがないと考えるのが常識。

暴力団との関わりという文言が、まさに黄門様の印籠の役目をするらしいので、それは仕方ないとしても、横綱でさえ仲間うちで花札していたと申告していることからみても、100%と言ってよいほど、賭け事を全くやっていない力士はいないだろう。

当然、元力士達の親方達も同じで、偉そうに理事だ・幹事だと言われている親方でも力士時代には同じことをしていたはず。ただ、情報が開示されなかったことや、閉じられた縦社会での行動が外に漏れなかっただけのことだろう。

そう考えると、今回特に悪質だと理由で、力士としての琴光喜と大嶽親方だけが解雇という厳しい処分に『?』を感じているのは私だけではないだろう。特に琴光喜はマスコミには顔を出さず、理事会でのやりとりなど一切公表されてないので、マスコミ報道はあくまで推測の域を出ていない。

他の力士は名古屋場所だけの出場停止。休場は全敗扱いになるので、秋場所の番付は大きく下がるだろうか、その気になればすぐ元に戻せるだろうから、以後は『そんなことがありましたっけ・・・』となるのは時間の問題。マスコミも視聴率さえ稼げればという姿勢がなくならない限り変わりないとしたら、今回の処分はまさに『トカゲの尻尾きり』としか表現のしようがない。

最初のうちのマスコミ報道では、阿武松部屋に所属する『床山』がキ-マンだったはずなのに、その床山は謹慎処分だけとは、これも変な話。

話を戻すが、貴乃花親方が琴光喜に寛大な処分を望むとの発言は、個人的には、賭博に関わっていたのは琴光喜だけではないことから、琴光喜だけ解雇という処分には何かしっくり来ない私にはなかなか勇気ある発言と思うが・・・。

 貴乃花という御仁もなかなか賑やか、先代貴乃花の子どもとして、兄弟揃って横綱に昇進したことは私でも知っているが、この兄弟の生きざまが全く違うのもなかなか面白い話である。

兄の若乃花はさっさと相撲界から足を洗って実業家に転身したことに比べて、貴乃花は一代親方として部屋を興して、しかも全てがしきたりでがんじがらめになっている大相撲の世界で何かと反発し、一門で何票と決まっている理事選に立候補し当選するなど世間を賑わせている。

その理事選の時に、日本人の大関としての投票権を保持していた琴光喜は貴乃花親方に投票したという。大嶽親方も阿武松親方も貴乃花親方に投票したとも言われているのが何か引っかかる。

貴乃花親方の理事就任にはかなりの抵抗があったとも伝わっている。野球賭博がでっち上げだとは思わないが、悪質だと決めつけられている親方や力士が貴乃花応援組だということと無関係だとはとても思えないのは、うがちすぎなのだろうか。

名古屋場所がどうなるかなど興味はないが、場所が終わった後あたりに貴乃花親方の退職届けを受理したというニュ-スが流れたら『やはり・・・』ということになるのではないだろうか。

もっとも、貴乃花親方が巡業部長や審判部長に抜擢となれば、私の疑いは消えるのだが・・・。(田舎親父)

2010年7月 7日 (水)

拍手に値する実験・・・

 参院選挙が後半戦に入ったらしく、連日『○○をよろしく』という連呼の声で騒がしいが、多くの人々は眉をひそめるだけで、去年の衆院選挙の時のように選挙カ-に手を振る人など皆無、(私がシラケているのでそう感じるのかもしれないが)何となく盛り上がっていないような雰囲気・・・。

ところで、国民のリユース(再使用)意識向上を目指して、環境省が6月から、横浜市内の横浜市大とフェリス女学院大で、マイボトルやマイカップ利用の実証実験を行っているというニュ-スが目に留まった。

両校の学生計900人に、モニターとして約1カ月間マイボトルを使ってもらい、利用拡大に向けて環境整備の効果や課題を把握するのが狙いだそうだが、以前どこかの大学で同じような実験をしていたような気もする。

それはさておき、この実験は興味深い。横浜市大では、学生500人にステンレス製などの水筒を配布して、キャンパス内に設置した5機の給水機で適宜冷水を補充、繰り返し使えるようにするという。

3週間後にアンケートを実施して、マイボトル普及に必要な課題などを探るとともに、昨年は同キャンパスだけで23万本に上ったペットボトルなどの飲料容器のごみが減量したかなどを調査するというが、モニターはすぐに集まり、昼時には給水機の前に学生が列をなすなどだというから、結果はある程度予測できるのではないだろうか。

一日ペットボトル2本購入していたという学生の『水筒を持ち歩くと、毎日200円節約できてうれしい』というコメントがそえられている。

これまでキャンパスで水筒を持ち歩く男子学生はほとんどいなかったそうだが、いくら男が草食系の傾向だと言われても、水筒を持ち歩くのは何となく抵抗がある気持ちは理解できる。しかし、大学の実証実験に協力するという建前でその『こだわり』がはずれて、今後持ち歩くことに抵抗がなくなる男子学生も多くなる可能性もあるようだ。

一方、フェリス女学院大でも、学生400人にステンレス製魔法瓶を配布。キャンパス内2カ所に給水機を設置し、約1カ月『マイボトル生活』を体験してもらう実験を行っているとのこと。昨年『日本一エコな私大』に認定されているというから、こちらは横浜市大以上の成果が上がるのではないだろうか。

先日取り上げたが、最近『ペットポトル症候群』などという病名を思わせる言葉までできているほど『ペットボトル』は日本人の生活の中になくてはならない必需品になり、全国いたるところに自動販売機があるのは周知の事。

その上揚げが飲料メ-カ-の収益を支えているそうだから、飲料メ-カ-の関係者たらにとっては、こんな実験には反対したいというのが本音ではないだろうか。ところが、『エコ』という言葉は黄門様の『印籠』と同じような力を持っているらしく、表立っては反対などと言えない雰囲気に、『マイボトル』など持ち歩いてもらっては商売あがったり・・・と渋い顔をしているのが目に浮かぶ。

渋い顔は当然としても、『自動販売機』という代物には批判的な私には、全国いたるところに設置してある自動販売機の代わりに、高速道路のサ-ビスエリアに見られるような冷温水器などの方がはるかに嬉しいのだが・・・・。

今回の実証実験が他の大学に広がり、若者をその中心として、やがて国民的な運動に発展することを期待しよう。(田舎親父)

2010年7月 6日 (火)

ますますクロネコと飛脚が・・・

 今でも広く『郵便局』と呼ばれているが、民営化ということで『郵便事業会社(JP日本郵便というらしいが)』と名前を変えた会社が運営している、宅配便『ゆうパック』で大規模な遅れや集配ミスが出ていることが明らかになったとの報道に、なるほどこれが原因だったか・・・と自宅に届いた『ゆうパック』便の不愉快さに変に納得する。

山形のサクランボ農家と親しくなったのは10年以上前のこと。山形県の農協の出先機関の事務局長の方の紹介で、その農家に出向いてサクランボ狩りをさせていただいたのがきっかけである。

一本丸ごと私のためにとっておいたという『佐藤錦』の老木のたわわに実ったサクランボはまるで宝石。『農薬は使っていないので、洗わずに食べて安全だよ』とのことなので、こんなにいただいて良いの・・・と思うほど食べ、サクランボがこんなに美味しいものかと感激したものである。以来大ファンになってしまった。

それからこの農家には数回訪れる機会を持ち、同時に毎年送っていただくようにしている。今年は少し遅れ気味だという話だったので、そのうちと届くだろうとのんびり待っていたところ、先日届き包装を開けたら表面にカビが浮いているのでビックリ。

そんなバカなことはない。カビが生えたサクランボなど無価値もよいところ。まさか、この農家がこんな品物を送るわけがない。何かの間違いだろうから、一応知らせておいてあげるのが礼儀と電話したところ、『ゆうパック』を使っているとのとのこと。そこで書き出しのような『納得・・・』という部分につながる。

記事には、『JP日本郵便』が日本通運の『ペリカン便』を7月1日に吸収し、その結果、一挙に取扱量が増えたことなどから、首都圏経由の荷物を中心に配送が滞ったとある。

この吸収は以前から決まっていたことだという。誰が決めたのかわからないが、流通の関係者なら7月1日はお中元の真っ最中。サクランボやメロンなども人気で、この時季に集中することは常識だろうに、何故この時季に合わせて吸収したのか首を傾げたくなる。

それはともかく、サクランボにカビとなると配達日が1日・2日遅れただけだとは思えない。もっと根本的な原因かあるのだろうと、改めて農家に確認すると、依頼したものは翌日配達という約束で数日前に出荷したとのことだが、我が家に届いた品物には前日発送と記録されている。

集荷段階で数日倉庫にほっぽりだしていたはしか考えられない。こんなことって常識的にはあり得ないが『ゆうパック』と『ペリカン便』の集配のシステムを併存させる形でスタートしたという記事から、このあたりにカビが生えるほどサクランボを留め置いた原因があるようだ。

まさか、新『ゆうバック』の担当者が集荷した日にちを日付を書き直して発送したとは思えないが、農家の話が正しいのは確実。数日前に出荷したとのことなので、その疑いを消せないのも事実。だとしたらこれは犯罪である。

農家としては以前から郵便局絡みで『ゆうパック』を使っているのだろう。農協とのしがらみなどもあるので、私が騒ぎだしたらかえって困るだろうと、今回は事実だけを知らせて、あとは農家の判断を待つという大人の対応を選択したが、ひょっとして私と同じような体験をされている人もいるのではないだろうか。

 新聞記事には日本郵便幹部の『1日2日の遅れはよくある。今回は数が多いが、1日ぐらい遅れても大丈夫と思った。甘いのかもしれないが、土日できれいにすればほとんど影響ない、と思っていた』との言い訳を掲載しているが、遅れが当たり前という認識には呆気にとられて、まさに開いた口がふさがらない。

 『クロネコ』にはこの遅れはまずない。このところ気合を入れてクロネコを追いかけている『飛脚』のマ-クの佐川急便も同じ。指定の日時に2時間以内の誤差で届くようなシステムには感心するが、その努力が信用を生んでいるのではないだろうか。

 今回のことで、クロネコと飛脚の信頼がぐんと上がったようだが、もし、JP郵便会社が今後も『ゆうパック』を続けるのなら、農家に対する完全な保証はもちろん、私のような庶民に対しても丁寧な謝罪は必要ではないだろうか。

 ここにも無理に急いだ『民営化』の影響があったことを改めて感じている。(田舎親父)

2010年7月 5日 (月)

本気かしら・・・

 政府は何としても国民に旅にでかけ、カネを落とさせたいようだ。

先月末のことになるが、観光庁が(私も何度か取り上げている)大型連休を地域ごとにずらして設定する『休暇分散化』構想を実現させることにより、国民の旅行消費額が約1兆円増加するとの試算結果を公表したというニュ-スに、どこからこんな数字を出してきたのかと呆れてしまう。

同庁は5月の連休明けに、『国民の休暇分散化』に関するアンケート調査をインターネットを通じて、今年のGW中に実際に旅行した人と、しなかった人の両者を対象に、休暇分散化実現後の意向を尋ねたとのことである。

『インタ-ネットを通じて』という言葉には、何となく時代の先取りと言うか、真実味があるような雰囲気があると感じる人も多いようだか、どんな仕組みで行うアンケ-トなのかなどという解説は一切ない。

最近NHKなどのテレビニュ-スでアナウンサ-が内閣支持率の調査などに関して『無作為に抽出した○○人に電話によるアンケ-ト調査をした結果、××人から回答を得ました。その結果によると・・・』という言い方をしている場面に度々お目にかかる。

少なくとも私はそんな電話を受けたことがないのでなんとも言えないが、機会音のアンケ-トにまともに答える人が存在するのかと疑問はもつものの、天下のNHKが全くデタラメをいうわけはないだろうから、電話でとっているのは間違いないのだろうと納得だけはしている。

しかし、インタ-ネットを通じてというだけでは、具体的にどのような方法なのか皆目見当がつかない。

一つ考えられるのは、観光庁のHPで、アンケ-トの画面を公開して、書き込みや該当のボタンのクリック数をカウントすることだが、観光庁のHPを見る人など一体どのくらいいるのだろう。

恐らくはごく限られた職種の人で、少なくとも一般国民は開くことすらないのが現状だろうから、そんなアンケ-トから出てくる数値は極めて偏った結果であると言えるのではないだろうか。

(このインタ-ネットによる方法については、改めて調べてみるとして)アンケ-トによると、連休中に交通渋滞や観光地の混雑などを理由に旅行しなかった層の32.1%が分散化後は『旅行に行く』と回答。旅行した層でも全体の35.7%が『宿泊数を増やす』などと答えたという。

何とも観光庁にとって都合の良い回答が生まれたものである。同庁は、これらを踏まえて旅行消費額を試算。その結果、休暇分散化後に見込まれる宿泊などの需要増により約1兆円分の消費が新たに見込まれることが『分かった』とし、これを根拠に『休日分散化は大きな経済効果が期待できることが実証された』と結論づけているが、私には、この数値をそのまま信じる人などいるとは思えないのだが・・・。

民主党政権はこの数値を根拠に、国会に『休暇分散化法案』なるものを提出するとは思いたくないか、政府として何としても国民に旅をさせたいとなるとその可能性は皆無とも言えず、そして数の力で法案が通ることも・・・。これでは、今回の観光庁のコメントはアホカ・・・と見過ごすわけにはいけなくなる。

休暇の分散化などに対する意見は以前にも述べたので今回は省略するが、外国人観光客を3000万人誘致する、そのためにはお台場や有名観光地に『カジノ』の解禁も辞さないという報道もチラホラ聞こえて来る。

大相撲の力士には賭け事をしたら解雇や出場停止などに処しながら、国民にはパチンコや競馬・競輪・競艇、そして宝くじと賭け事を奨励している上に、カジノでの賭けことまで広げるとなると、今流行言葉になっている『反社会的団体(暴力団などを指すのだろうが)』の関係者の喜ぶ顔が浮かぶようだ。(田舎親父)

2010年7月 4日 (日)

結局、現在のタイムテ-ブルで3学期制へ戻す・・・

 先日の朝日新聞の夕刊に『2学期制 撤退続々』と横文字の5段抜き見出しが踊っていた。その下には白抜き文字の『事務負担減らせず・・・現場に不評』と続く。当初から私が予測したことが表面化しただけと苦笑いが出るが、こんなにクルクルと学校の基本システムの理念が変わり、その度に振り回される現場は気の毒としか言いようがない。

もともと2学期制度が導入されたのは、『ゆとり教育(私はこんな言葉の存在を認めたくないが)』に対して、『学力不足』という、定義すら曖昧な上にテストの点数が全てという偏向した学力観を追い求める意見が大勢を占め、学力向上こそが学校教育の目的と大騒ぎして授業時数を増やさねばならないという考え方から始まったことは周知のこと。

一日の授業のコマ数を増やすことは現場では難しいという意見が多い中、欧米の教育制度に習い2学期制にすれば、(日本の学校では大変重要視されている)その日は教科の授業ができにくいという始業式や式終業式が3回のところ2回で済む。さらに、中間・期末のテストが恋数も少なくなり、その分授業時数が確保できる・・・という極めて打算的な発想から生まれた制度であることは誰も疑わない。

当初、この制度案が浮かび上がったとき、私も頭から反対ではなかった。教員の負担軽減と資質の向上にとっても2学期制は大変有効だと述べた記憶がある。ただし、そのためには9月始業、6月終業という年間のスケジュ-ルが必須。このことを十分議論しないで現行のまま2学期制には絶対反対という立場だった。

今でもその考え方は変わらず、教員には年俸制を導入、7月・8月は無給で良いから教員をフリ-にして、ゆとりを与えることこそ教員の資質の向上につながるという信念を持っている。
 さらに、通知表という、評価というか休み期間中の指針も示されずに夏休みという40日の長期の休業が学期の間に入ってしまうと、子ども達は当然として保護者も何をどう過ごさせてよいのかということすら曖昧になり、結局は無為に時を費やしてしまうことが多くなるのは当たり前。こんな学校現場では常識的なことを考えられない官僚や政治屋のやることは困ったものだと批判していたが、この懸念がその通りになっているようだ。

現場の声を無視するようにして、全国で2学期制がブ-ムのように広がり、仙台や横浜などをはじめ、教育委員会ぐるみで2学期制をとる自治体も多い。しかし、計算通りに授業数が確保できないことがはっきりし、さらに前期の中に長い夏休みが入るなどしてメリハリがつかないという当然な意見が高まって、次々に元の3学期制に戻す学校が増えているというから面白い。

 記事は、(文部科学省発の情報として)導入した公立小の割合は04年度の9.4%が07年度は20.2%、公立中学校も04年度の10.4%から07年度は21.9%に増加したが、右肩上がりだったのはここまでと述べ、直近の09年度の調査では小学校21.8%、中学校23.0%とわずかに増えてはいるものの、現場に目を落とすと評価する声は減っており、中止する学校が続いているのが現実だと言い切っている。

 そして、私の住む町横浜の現状を紹介している。それによると、04年度までに約500の小中学校のほぼ全校が2学期制を導入したが、今年度、計11の小中学校が3学期制に戻したらしい。

中学校の校長の一人は『長い夏休みの前に通知表がなく、何を目標に勉強してよいのか戸惑う生徒がいた。期末テストを終えて、通知表をもらって夏休みに入るという3学期制のほうが、気持ちの区切りになる』と明かすとあるが、校長の独断で(教育委員会の管理運営規定では、文章上では校長の権限の一つだと明記してあるが)3学期制に戻せる訳はないことから、教育委員会が実験的に何校かを抽出したに違いない。

今の4月~3月の年間タイムテ-ブルなら3学期に戻すのは現場の要望だろうから反対はしないが、(すでに何度も述べているが)文科省の基本理念がコロコロと変わってはますます学校現場が混乱し、教育の質の低下につながることは言うまでもない。

折角、2学期制にまで踏み込んだのだから、元に戻すのではなく、9月~6月という設定と、教員の年俸制、さらには研修制度まで踏み込んだ議論にまで持っていかねば、惜しいと思うのは私だけなのだろうか・・・。(田舎親父)

2010年7月 3日 (土)

カンではあカンは・・・

 ハトヤマ前首相はいろいろな方面、さまざまな人から言葉が軽いと批判されたが、カン首相も言葉の軽さでは負けないらしく、選挙を有利に運びたい気持ちからだろうか、マニュフェストにはない文言を連発、党の幹部達がその尻ぬぐいに必至という図式が続いているようだ。

 一番象徴的なのは消費税の税率を10%と言い出したこと。自民党の動きを牽制する意味からだと推定しているが、これには国民の多くが反発、一夜にして支持率がこの御仁がねらっている消費税率と同じ10%も急落。

 これには慌てたらしく、カナダでの首脳会議では消費税には触れず、何とか鎮静化を図っていたのだが、どうしても消費税を上げたいらしく、先日東北各県の遊説先で盛んに『貧乏人からはとらないから上げさせて・・・』と力説しはじめたというから庶民派という看板はウソだったの・・・と思いたくなる。

 先日、お昼のニュ-スでは、朝一番に乗り込んだ青森では『年収が200万円や300万円の人には消費税を全額還付する』と演説している映像が流れ、その日の夜のニュ-スでは遊説先は山形に変わり、そこでは『年収が300万円や400万円の人には消費税を全額還付する』とマイクで絶叫している映像が映し出されていた。

 青森と山形という都市名は違うが、朝と夕方その日のうちに消費税の全額還付する対象を200万から400万に倍増とは大盤振る舞いも良いところ。よくぞいい加減な事をのたまうものだと思わず笑ってしまったが、選挙ねらいのリップサ-ビスと笑ってすまして良いとは思えない。

 後で知ったことだが、青森から山形の間の秋田では『年収が300万円や350万円の人には消費税を全額還付する』と叫んでいたとのことに、根拠も全くなく、ただその場の雰囲気だけで聴衆が喜びそうな数値を上げていることを知って、ハトヤマさん以上のいい加減発言とガックリしてしまう。

これでは、誰が言いはじめたのか知らないが『とんちんカンなカン首相』という揶揄がぴったりする。そしてこんなデタラメなその場限りの発言を繰り返していては『カンではあカンな・・・』ということになりそうだと私なりの皮肉を呈したい。

 年収200万円というなら、まだしも聞いていても説得力を感じるが、年収400万円は国民の平均だろう。半分の国民に還付するなんて、消費税の増収分ではとても足りず、しかも事務手続きにさらに天文学的な人数と予算が必要になることは、経済超音痴の私にでもわかること。誰が考えてもできるわけはない。

早速、最近まで与党だった社民党からは『カンさんは庶民の所得水準を知らないんじゃないか。400万円はちょうど真ん中ぐらいだ。そこから取らなかったら消費税の意味がない』と皮肉られ、連立を組む国民新党からは『正気の沙汰とは思えない』と言われる始末。これらの批判にただ黙ったままとは情けない。

 上げ足どりが得意技の自民党からすれば、これに食いつかないわけはない。早速タニガキ総裁が『あれだけ額がしょっちゅう変わるということは、税を国民にお願いすることの大事さ、深刻さを理解していないのではないか。全体の構造がなく、枝葉末節から入っている。税を語る資格がない』と批判しているが、自民党にそんな資格などないと思っている私でも、ついついこれはタニガキさんの勝ちと言いたくなる。

 民主党内でも批判は広がっているらしい。過半数獲得が民主党の悲願なはずだが、二人区では現職だけ生き残れば良いと現職優先の方針を出している選挙対策幹部では、60人当選などは夢の夢。54人も難しく、場合によったら40人台ということもあり得るのではないだろうか。

残り一週間、カンさんこれ以上の『とんちんカン』な思いつき発言を繰り返さないことだけは気をつけなされ・・・と述べておこう。(田舎親父)

2010年7月 2日 (金)

自殺しなくて良かった・・・

 最近:またまた『中学生の自殺』が続けざまに報じられている。その背景には、相変わらず友人関係のトラブルがあるらしいことに、自殺を選択する前に家族や友人、あるいは学校の先生に相談しなかったらしいことには考えさせられることが多い。

今の子どもたちに耐える力が弱くなっていることは間違いない。自分で何かをやり遂げる経験が少ない上に、全て大人の管理の元で『安全』な生活が保証されている現代の子どもたちにとって、トラブルを乗り越える能力など育ちようがないのは当然なのだろう。

こんな子どもたちが、ある日突然、仲良しだと思っていた友人から、自分を避けるような素振りをとられたとしたらどうなるかは想像してみよう。恐らく『なぜ・・・』と相手に問いかけることなく切れてしまい、自分はもうダメな人間だと思い込み、瞬間的に自らの命を縮める行動に出てしまう精神のメカニズムも、あながち理解できないことはない。

ほんの少しの行き違い、友達同士のボタンのかけちがいと思われるような、些細なことが原因で自殺する子どもが後を絶たないのも、甘やかされて育つ環境によって、自分で物事を解決しようとする自主性が育っていないのではないだろうか。

子どもの自殺が報道されるたびに、学校はどうして子どもが発する『イジメの信号』を見落としたのか、という議論がなされるのだが、昨日までは良好な友人関係だったのが、一夜にして無視される対象になることなど、校長はもちろん日常的に子どもと接している担任教師でも把握できないことも多いのでは・・・と思ってしまい、学校現場の苦悩に同情することも多い。

しかし、今回の岐阜の公立中学校1年の女子生徒が、2年の女子生徒4人と男子生徒1人に5人に呼び出され、椅子に縛り付けられて衣服を脱がされ、その様子を撮影した動画が少なくとも十数人の生徒にメール送信されていたことが分かったという報道には、5人の悪ガキどもの行動に吐き気をもよおすと同時に、学校現場に対する同情など一切なしに怒りが込み上げて来る。

今までも、『いじめ(悪質な犯罪)』報道は数限りなくあった。が、それは遊び仲間、それも同性同士でのイジメ行為だったはずで、中学1年生の女の子に対して上級生の男女が入り交じった今回の場合は、今までとは全く異質だと言っても差し支えないのではないだろうか。

マスコミ報道なので、どこまでが真実なのかわからないが、5月の連休明けから始まったいじめ行為について、2年生の女子生徒4人と男子生徒1人がスーパーの駐輪場などに女子生徒を呼び出し、その場で下着を脱がせたとあるところから、このメンバ-はよほどこの女の子の下半身に異常な興味を持っていたようだ。

全くの私の推測であるが、異常に興味を持たれる自分の身体のことについて、この女の子は母親には相談したのではないだろうか。母親はそのことについて悩んでいたとしたら、共に抱き合い嘆き悲しんだことも容易に想像がつく。

数回同じようないじめにあい、ついには携帯で動画まで撮られたということで、我慢の限界に達して、警察に被害届を出したのだろうが、警察よりまず学校に相談していたことも想像に難くない。

被害にあった女子生徒から相談を受けた学校は、事件の異常性に俄には信じられなかったのでないだろうか。5人から聞き取り調査をした結果、このような行動が事実であること、そして悪ガキの保護者も認めたとのことで、被害生徒と面会の場を設けたとあるが、6人を一緒に集めたとは考え難い。そこには何とか互いに納得させて表沙汰にならないようにという思いがあったのでは・・・。

校長はマスコミの取材に『いじめ行為はあった』と認め『事前に察知できず、申し訳なかった』と謝罪したとあるが、記事の裏には何とか隠し通したいのにマスコミに勘づかれたので仕方なしに・・・というような雰囲気を感じてならない。

このことはいずれ明らかに(マスコミが取り上げないので世間的には忘れ去られるだろうが、ネットなどで)なるだろうが、よくぞこの女子生徒が我慢して、飛び下り自殺などという最悪の行為に走らなかったことに胸をなで下ろす。恥ずかしいイジメに耐えて、母親や担任に相談した勇気を褒めたたえたい。

学校はメールを受信した生徒らに動画を削除させたとあるが、当たり前だろう。校長は『二度といじめが起こらないよう再発防止策を考えたい』と話しているらしいが、具体的な防止策などはなにも語っていない。語れないといった方が正しいようだ。

今までの例では、5人には『もうするなよ・・・』という注意、そして結局は、被害者生徒と家族は地域にいたたまれず転校という筋書き。しかし今回は、絶対にそれを許してはならない。そのために学校には毅然とした態度を臨みたい。

今回のいじめ行為を『犯罪』だというしっかりとした認識する社会の仕組が必要だと思うのだが、マスコミの賞味期限が過ぎると知らぬ顔の体質では、期待するのも無駄のような気がしてならない。虚しいが・・・。(田舎親父)

2010年7月 1日 (木)

犬より人間が先だと思うのだが・・・

 この欄でも、何度か最近のペット事情について批判的な意見を述べてきたが、一介の老人などの意見は世の中には全く反映されることなく(反映するなど思ってもいないが)相変わらず、いやというほど『ぺットいのち』の人と出合う毎日である。

しかも、ペットを連れている人が若い人より高齢者に多いのも最近の特徴で、自分が一人で歩くのも大変な様子なのに、小さな犬(過去にはこれ程小型の犬は存在しなかったはずなので、金儲けのための品種改良?)を抱っこしたり、あるいは乳母車に乗せてヨロヨロ歩いている姿に、何か侘しさを感じるのは私だけではあるまい。

核家族化されている現状では孫と一緒に住むなどは贅沢の極みらしく、田舎はもとより都会であっても老夫婦二人での生活で常(とはいう私もであるが)になり、生活に変化がなくなり、そこに『癒し』などという言葉の罠にはまってペットの飼育が始まるのかもしれないが、ペットをビジネスチャンスと位置づけトンデモサ-ビスが大流行だという。

その一つ、動物医療の進歩でペット犬にも高齢化の波が押し寄せ、ペット専用の『ケアマネジャー』や『介護士』が登場し、人間並みの介護サービスが広がっているという記事に、介護が必要な人々に対して有効な施策も打ち出せないのが現実なのに、世の中全体が狂っているのでは・・・と思わざるを得ない。

十数年前に流行したゴールデンレトリバーなど大型犬が高齢期を迎え、体が大きい分飼い主の負担がずっしり重くなっている背景がある、との書き出しでこの記事は始まる。そして、『お手、おかわり・・・』と、介護経験豊かなペットマネジャ-の女性のかけ声に合わせ、おむつをはいた、成人女性ほどの大型犬が前脚を動かす。ここは都内のペット専用機サ-ビス施設、と続く。

 この『お手、おかわり・・・』はしつけではなく、腹筋のトレーニングだそうだ。この体重が40キロもある大型犬は12歳。人間で言えば90歳近いお年寄りだという。

かって我が家の愛犬ジョンは14年生きてくれた。近所では17歳だという犬を連れて散歩している人もいるので、最近の犬の寿命は延びていると感じていたが、12歳で人間では90歳にあたるというのは本当だろうか。私が無知で、犬の大きさに関係するのかもしれないが・・・。

 それはさておき、この大型犬が昨夏、後ろ脚が立たなくなり、77歳の飼い主がこの施設に頼るようになったらしい。飼い主は『座ったままになり、普通にうんちもおしっこもできなくなった。私も高齢だし、困りました』と振り返り、現在では施設のサ-ビスに頼りきりだという。

最近『デイサ-ビス』という言葉があたり前のように聞こえて来る。わが町にも、それらしき介護用の車がやってきて、高齢者を乗せて老人施設に運んでいる。そして、数時間後してこの車に乗せられて帰って来る。これが『デイサ-ビス』というものだろうが、通っている高齢者は結構楽しんでいるらしい。

時代の要求と言ってしまえばそれまでだが、高齢者を介護することがビジネスとして成り立つことに対して、何か気になるのは私の考え方が古いのかもしれない。しかし最近は、高齢者が満足しているのなら私が口出しすることはないと傍観しているのが、これがペットにまで大流行だとなると、心穏やかにはなれそうもない。

 家庭に出向いて在宅介護を支える『老犬介護士』も2年前から現れているという。2週間に1度訪問介護にやって来て、寝たきりの17歳の老犬に対して、ツメを切り、ベビーバスを使って全身をシャンプーしてやり、3時間の契約でそれなりの報酬をいただくシステムだとのこと。ペットビジネスがここまで来たのかとびっくりする。

もっとも、やる方は人間より大人しいく、しかも羞恥心などないペットは人間さまよりはるかに手がかからない。となると、ここに行き着くのは当たり前?・・・。

 結局『カネ』さえ払えば何でも要求できるということ、そして何とか飼い主の要求を探し出し、カネを得ることがビジネスなのだろうが、満足に介護を受けられることなく、我慢している多くの高齢者たちの存在はどうなるのだろう。

 ペットを介護するのは当然だという声が返って来るだろう。間違いではない、自分で飼ったのだからそれは義務だろうが、この記事は私には『何か違うぞ・・・』という信号のように聞こえならない・・・。(田舎親父)

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