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2010年8月

2010年8月31日 (火)

海外派兵に?・・・

 災害時に出動して、その働きぶりがテレビで紹介されると、何と頼もしいと思うのは誰でも同じだろう。特に被災地の人々にとっては後光が差しているように思えるのではないかと想像している。

しかし、基本的には軍隊であることを忘れてはならない。その上、この国の憲法は明確に軍隊の存在を否定していることが自衛隊の性格を分かり難くしているのだが、災害救助の専門性はともかく、わが国を取り巻く国際的な情勢からも、今更自衛隊を否定できないことも事実である。

 その自衛隊の海外派兵がこのところ何の抵抗もなく政府によって決められ、翌日には出発式なるイベントの様子がテレビで紹介されることが稀ではなくなっている。

今回は、パキスタン北西部の豪雨による洪水の被災者支援のため、『国際緊急援助隊派遣法』に基づき派遣される自衛隊のヘリコプター部隊の第1陣が10日程前に、福岡空港を出発し翌日には現地に到着し、現在救助活動に従事しているという。

パキスタンの人々を救助することには何ら異議はない。むしろ積極的に救助したいと思うのだが、ハキスタンの政情を思うと、果たして正常な任務ができるのだろうか、武装過激派などからの攻撃などないのだろうかという一抹の不安はぬぐえない。

国際的に政情不安とされるアフガンにも近い。アフガンにはアメリカがイラクの時同様に必要以上のお節介をしているとも聞く。当然のことながら、内戦が日常化して、子どもや女性や老人など、争いとは無関係な弱者が日々犠牲になっていると伝えられる。恐らくこれはマスコミ報道以上に酷いものだろう。

アメリカが標的にしているタリバンとパキスタンとの関係は深いという。現在のパキスタン政府はアメリカに同調しているらしいからタリバンからみれば明確な敵である。そのパキスタン政府の要請ででかける日本の自衛隊も、当然タリバンからみたら『敵』として存在するだろから、攻撃の標的になっても何ら奇怪しくないはず。

気になるのは、攻撃されても自衛隊法では迎撃できないという。そのために自衛隊の救助活動に対しては友好国の軍隊が護衛するらしいが、何か変だぞと思うのは私だけなのだろうか。

救助隊を攻撃したら国際世論を刺激するから、タリバン(パキスタン内の武装勢力も含めて)は攻撃などするわけはないという論理は、いくら国際情勢がわからない私に対しても説得力はゼロ。そんなに甘いものではなかろう。

ときたま流れる自衛隊の活動の様子の映像をみてもわかる通り、隊員たちは棒切れ一つ身につけていない完全な丸腰。

イラクの場合は(真偽は不明だが)道路や水道の補修などが主な任務だったそうだ。その場合は一刻を争うほど緊急ではないので、周りを注意する精神的な余裕があるだろう。それ以前に、自衛隊員の活動の場を広い範囲を立ち入りできないように囲い込んでいるだろうから、敵の侵入そのものが不可能。私は、死者や負傷者がでなかったのは、任務の大部分がこの監視体制の徹底にあったからではないかと思っているが・・・。

今回は人命救助という一刻を争う任務、しかも民衆の中に身一つで飛び込まねばならないとなると、不慮の事故が起きないとも限らない。もしも、タリバンや武装過激派の兵士が、救助を求める市民になりすましていたとしたら、とんでもない事態になるのは自明のこと。

救助は軍事行動ではないことは十分承知しているつもりだが、事実上は『派兵』であることは間違いないはず。事実上軍隊である自衛隊を、憲法を拡大してまで、何の疑問を示さず海外派兵を容認していたら・・・いつか来た道に迷いはじめるのではと本気で心配になってくる。

パキスタンの人たちのことを思うと反対しにくいのだが、ここは国民的な議論が必要ではないだろうか。(田舎親父)

2010年8月30日 (月)

地球が2つ以上必要だとの警告・・・

 世界自然保護基金(WWF)という世界最大規模の自然環境保護団体がある。この団体は反捕鯨の急先鋒として知られるグリ-ンピ-スなどと共同で、反捕鯨のキャンペ-ンなどもしているというから、かなり行動的な組織らしい。

日本人はすぐにこのような国際NGOの組織に対しては下請け?機関を作る体質を持っているらしく、必ず日本版の組織団体があり、その世界自然保護基金の日本版の『WWFジャパン』という団体の発した発表した内容が、なかなか考えさせられる内容なので取り上げてみたいと思ったわけである。

特に、『世界中の人が日本人と同じ暮らしをしていたら、地球が二つ以上必要になる』という警告は傾聴に値する。ある国の人間が生活レベルを維持するのに必要な農地や海、森林などの合計面積を示す『エコロジカルフットプリント』という指標を使い、日本人に生活様式の見直しを求めている。

 この報告書は、日本人は国土が本来供給できる量に比べ、7倍近い自然資源を利用していると指摘し、『過度に輸入に依存する食生活を見直し、廃棄される食料やCO2の排出量を減らして、環境負荷を下げる努力をすべきだ』という内容だが、その通りと共感するところが多い。

 報告書によると、日本人1人当たりの『エコロジカルフットプリント』は特殊な手法で算出した面積で『4・1ヘクタール』だそうだ。この値は世界平均の1.5倍と高いという。

一方で日本の国土が供給できる資源などの量は世界平均の3分の1にすぎず、日本人の生活レベルで世界中の人が暮らすと地球が2つ以上必要になる計算になるのだそうだが、この表現は面白い。

『エコロジカルフットプリント』という言葉ははじめて聞く。その算定式や基準など全く理解できないので、『4.1ヘクタ-ル』だと言われてもぴんとこないが、少なくとも食料の自給率などを考えると、生産と消費のバランスが悪い状況であることは十分理解できる。

私的には、開発途上の国々の本来はその地域に住む人たちの食料になる穀物を、輸入という合法的な言葉で説明されているので一般的には罪悪感がないようだが、実際にはカネで横っ面を張り倒すような手法で強引に入手していることから考えると、世界平均の1.5倍は少し過少ではないかと思うほどである。
 
計算の基準になる指標には資源供給とは別に、人が排出するCO2吸収に必要な森林や海の面積も含まれ、日本人の『エコロジカルフットプリント』は1961~2006年に2倍に増加したが、特にCO2吸収分の伸びが著しく、最近は全体の6割以上を占めるようになったとのことである。

日本人が使うエネルギ-が膨大なことは理解できるが、CO2の排出量が全体の6割はちょっと気になる。この問題はともかく、食料自給率が40%を切ったとか、オ-バ-したとかでマスコミが大騒ぎしている現状、食料問題に関してはこの警告のもつ意味は大きい。

ロシアの猛暑と山林火災は下火になったらしいが代わって極端な低温状態とのこと。アメリカでも猛暑と干ばつ(場所的には冷害が発生)、オ-ストラリアでは干ばつ、南米は寒冷化、中国は情報が少ないが大洪水と干ばつの地域とがモザイク状態らしい。この地域は穀倉地帯、穀物の生産に深刻な影響を与え、小麦などの価格は高騰しているという。

パキスタンでは大洪水、アフリカやインドの深刻な状況も伝わり、地球規模での異常気象が続いて、どの国でも食料確保が大変になっている。わが国でも猛暑による国産品の野菜などは品不足。そして実際に私も直面しているが、冬野菜の種まきの時期すら、この天候が続く限りはっきりしない。

世界的な深刻な食料不足が押し寄せている現在、円高で外国から安く仕入れられると喜んで『円高還元セ-ル』などと、またまた外国から食料を奪って安く売るという商法を考えているノ-テンキの業界に呆れる。

地球は一つ。しかも悲鳴を上げている。

その一つだけの生命の星『地球』の限りある資源(特に食料)を大切に、しかも70億(一説には80億とも言われているが)の人間が生存し、さらに増え続けていることを考えると、WWFジャパンの警告を日本人一人一人が深刻に受け止めなければならないはずなのだが・・・。(田舎親父)

2010年8月29日 (日)

隠蔽体質は直らないようだ・・・

 救助ヘリの墜落でヘリコプタ-の構造的な問題点が指摘されて、ヘリの安全性に疑問が生まれてきたが、安全性より世間体が大事とばかり、警察や消防はその後も危険を承知で山岳地帯に出動命令を出しているようだ。

救助とは関連はなさそうだが、数日前に海上保安庁のヘリが瀬戸内海の小島の上空で送電線に接触して墜落というニュ-スがあった。報道から想像する限り、どう考えてもヘリの構造的な問題ではなく、単なる操縦ミスのようだが、なぜ、ベテラン揃いの保安庁の乗組員がこんな初歩的なミスをしたのだろうというのか第一印象。

当初のマスコミ報道では、廃船の調査に出動したとあったが、続報では、安部の巡視艇で航海中の司法修習生に向け、デモンストレーション飛行を命令されていたという。やはり、乗組員達は何らかの理由で気持ち的に落ち着かなかったのが背景にあったのだ・・・と変に納得。

しかも、その認め方も当初は、正式な記者会見でデモ飛行の非公表は『総務課長の個人的判断』としていた説明だったが、誤魔化しきれずに、後になって『幹部の協議で決め、本部長も了承』と修正したというからみっともないこと夥しい。

 何故隠したのか、隠さなければならなかったのだろう。海上保安庁は『因果関係はない』と断言しているが、明確に全く無関係ならば、隠さなくてもその通り発表すれば良いのにと思うのだが・・・。

さらに、副機長が訓練の一環として機長席に座っていたことも、ずいぶん後になって明らかとなったというから、二重三重の情報隠蔽がなされたことは明らか。巡視艇に乗っていた司法研修生達が責任を感じないよう、検察側に配慮したとも伝えられているが、もしも本当なら、海上保安庁はヘリの乗員の命よりお客様?の気持ちを大事にするサ-ビス精神が旺盛な役所のようだ。

普通なら研修生たちは、隠蔽を後で知ってショックを受けて、より責任を感じるのではなかろうと思うが、超エリ-ト予備軍だろう司法研修生さまご一行は『法律的に俺達には無関係』とか『良い勉強をさせてもらった』程度にしか感じないかもしれない。

謝罪会見で本部長はお決まりの再発防止を徹底的に行うといいながら、『世間と海保の常識は違った』と語ったというが、これは驚き。感覚の相違で済まそうとする本部長は、『情報を公開し、誤魔化さないで透明化することが真の意味の再発防止策』だということを理解できていないようだ。こんな本部長の下で働いていたら、命がいくつあっても足りないと思っている隊員も多いのでは・・・。

事故や事件に後から『もし・・・』という発想はナンセンスなことは十分承知しているが、もしも『デモ出動命令がなかったら・・・』、(たとえ副操縦士が操縦桿を握っていたとしても)電線があることに気づかなかったはずはあるまいと思うとやりきれない。

 その翌日だったか正確には記憶がないが、これまた、『都合の悪い情報は隠す』ことが問題にされて、イージス艦『あたご』と漁船の衝突事故の初公判の記事が報じられた。

 確か、この事故では、横浜地方海難審判所が主因を『あたご』側と認め、所属部隊に安全航行の指導徹底を求め勧告する裁決が確定したと記憶している。要は、国として非があったことを認めたことなのにと、未だに裁判で争っていることに違和感があるのは、これまた私が世間知らずなのだろうか。

 この事故についても情報の隠蔽が問題になり、遺族(まだ遺体は収容されていないようだが)や漁協の人たちが『本当のことを話してほしい』と悲痛な訴えをしていたことが目に浮かぶ。

恐らく、今回のへり墜落事故は民間人に犠牲者(遺族には税金から多額の保障がなされたはず)がなかったので裁判沙汰にはならないだろうから当然続報は期待できない。

そして、本部長などは叱責程度の処分で済まされてしまい、電線を見落とした隊員の単純ミスという結論で世間から忘れられるのではないだろうか。悲しいことだが、そして、この種の事故はまたまたどこかで起きる繰り返し。

エリ-ト本部長の『再発防止に全力を尽くす』という言葉が虚しく聞こえる。(田舎親父)

2010年8月28日 (土)

府が関与していないのち『府民共済』?・・・

 少し古い話題になるが、大阪府民共済生活協同組合(府民共済)が総代会の議決がないまま75歳の松本という前理事長に退職金約2億5000万円を支給していたという報道に、一瞬、また大阪という体質が出たのかと呆れたものだ。

しかし、続報で大阪府の橋下知事が『府の機関と混同しやすい』という理由をあげて『府民共済』の名称を変更するよう求めたとの報道に、えっ、大阪府がやっているのではなかったのかとビックリ。

これはひょっとして『神奈川県民共済』も同じではと思い早速調べてみたら、まさにその通り、『神奈川県民共済』も神奈川県が運営している保険ではないことを知って、改めて私の世間知らずさに呆れてしまう。

全国全ての都道府県に、東京都なら『都民共済』○○県なら『○○県民共済』という生協保険会社が存在し、しかもそれらをとりまとめる談合組織として『全国生協連』を作っているという。この『生協連』という言葉もうさん臭いが、このことはまたの機会に。

そんなことも知らなかったのか、と言われそうだが、『神奈川県民共済』という名前から県が噛んでいる組織だとばかり思っていたのは私だけではないはず。失礼ながら、橋下知事も、ひょっとして知らなかったのではないだろうか、と思いたくなる。

私のおめでたさを反省するが、悪知恵の発達した連中が多いものと(最大限の呆れと軽蔑の念を持って)脱帽するしかない。

それにしても2億5千万円という退職金は常識はずれ、この男は上部団体に在籍し、そこを退職したときも7千万円という退職金を懐に入れたというから、根っからの守銭奴なのだろうが、府民(県民)が生命の保証のために預けたなけなしの金をピンハネ、不合理に受けとっていたことは明らかに犯罪。厳正な捜査と法の裁きを期待したい。

恐らく、内部からの告発があって府も思い腰を上げたのだろうが)、民共済が定款で『役員報酬の算定方法は規則で定める』としながら、規則を設けていなかったことが、府の立ち入り検査でわかったという。

関係者?の証言で、役員14人全員の報酬額は、この男が決めていたことも判明したというから、府民共済という組織そのものが松本という男の私物になっていたようだ。私物化できるほど権力を握っていた背景には、きっと私などには想像もつかないような巧妙なカラクリがあるようだ。

この男は意識的に規則など作らず、なんでも独断で決めていたという。自分の報酬も月360万円というから驚きの額だが、役員の報酬はそれぞれがいくらもらっているかわからないようにして、互いに牽制し合う方式で力関係をつけて、それなりの金額を与えていたのではないだろうか。

ところが、ある役員が、どうも俺の額は他の役員に比べて少ないのではという疑問を持ち、調べていると理事長や一部の役員は年収3000万円以上受け取っていることが明らかになり、不満が爆発して退職金の告発に至ったとい筋書きだろう。

 この男は、2億5千万でも少ないくらいだと言っているというから驚くが、それでも世間の風に抗しきれず、(実際は警察の動きに恐怖したところだろう)少しぐらいは返納しても良いと言い出しているという。

こんな守銭奴にとっては『社会貢献』という言葉は一番相応しくないと呆れるしかないが、この男は『社会貢献として寄付しようと思う分を返納する』と言っているというから笑えると同時に、その寄付額は押して知るべきだろう。

しかも、責任を明確にするために、現在務める『相談役の辞任』を申し出たとあるが、理事長は止めたが相談役になっていたのかとビックリ。数年後には相談役を退職する時にまたガッポリと濡れ手で粟の算段だったらしい。
 橋下知事のいう通り、直ちに名称を変更させるべきだろうが、府は『府民共済』に対し指導監督権限はあるものの、名称変更を促す法的根拠はないというから変な話。ここは大阪の英断を期待するしかない。

そして、全ての都道府県に存在する、詐欺組織のような『県民共済』という名称の変更につなげてほしいものである。(田舎親父)

2010年8月27日 (金)

アメリカさまのご命令?・・・

 円高と株価の下落に歯止めがかからない。経済音痴の私でも、このままいけば大変な自体になりそうだということぐらいは理解できるが、肝心の政権を担当している民主党が仲間うちで『カンだ・オザワだ』なんて内輪もめの大騒ぎ。首相はじめ閣僚が国民生活や経済問題などとても手につかないのだから困ったもの。

 口先で挙党一致と言うならば、バランスよく人材を配置すれば良いと思うのだが、オザワさんを重要ポストにつけると、内閣が吹っ飛ぶという理由でカンさんは断ったとのことだが、ならばオザワさんが出るのもやむ得まい。この内輪もめは、結局代表選挙まで持ち越されるようだ。

 となると、9月半ばまで経済政策空白が続くことになるのだろうが、これはいかになんでも大変なこと。日本沈没という事態(私にはその実態がよく分からないことが多い)が迫っているような感じがする。

 ある経済学者は、早ければ9月末までに79円台になるのではと予測しているという。最も円高が進んだのは1995年4月、この年は1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件とトンデモない事故・事件が立て続けに起きた年。その時に1ドル=79円75銭という市場最高値がついたことは、最近新聞でも取り上げている。

 当時、外国旅行にでかける人たちの間で『円高は最高』という声が上がったことを思い出す。当時も感じたことだが、円高で良いことは、海外に遊びにでかけられる余裕のある一部の人たちに限られるようだ。外国産の高級ブランドも安くなるが・・・。

アメリカ経済が落ち込んで、下手すると破綻するのではという噂が流れている。今朝のニュ-スはアメリカの中古住宅が売れないという話題を取り上げているが、売れないということは国民には購入する余裕がないことだろうから、相当経済的に行き詰まっているということは間違いなさそうだ。ヨ-ロッパ諸国も大体同じような状態らしいから、アメリカ経済が破綻したらたちまち世界的な大恐慌になることは確実なようだ。

日本はアメリカ国債を数百兆円という規模で保有しているという。もしも、アメリカドルの価値がなくなったら、この数百兆は紙屑になることは明らか。今まさにアメリカさまと一蓮托生の綱渡りをしていると表現しても差し支えなさそうなのに、それに対して政府や日銀が何も手が打てないとは情けない限り。

ある評論家のコラムには『1ドル80円になるまで動くな』とアメリカさまから命令されているという意味の文章があったが、全く手を打たないか、財務大臣が口先だけで『介入することも考えなければ』程度のことしか言っていないことを思うと、あながちデタラメな情報と切り捨てられないような気もする。

その真偽やアメリカ経済の崩壊はともかく、このまま円高が進むと、ますます景気は落ち込み、それでなくても失業者で溢れているのに、目を覆うような現実になるだろうことは私にでも十分想像がつく。

まさか日本人が全員餓死するとは思わないが、人々の気持ちが荒廃し、(今でも毎日信じられないような事件が起こっているが)現在以上に、凶悪非道な犯罪が日常茶飯事になってしまうだろうことは想像に難くない。

それ以上に、地獄のような光景が目前に迫っているような気がするが、具体的にどんなことになるのかわからないことが多すぎる。このことはもう少し経済のことを勉強して、改めて取り上げることしたい。(田舎親父)

2010年8月26日 (木)

巧みに仕掛けられた殺人では・・・

 数日前の夜、テレビのニュ-スで新宿の京王線ホ-ムで電車を待っている人の列に酔っぱらった男がつまずき、先頭に並んでいた80歳ぐらいの男性が押されてホ-ムと電車の間にはさまれて死亡という報道が流れた。

 新宿の京王線のホ-ムは私も何度か利用しているので、大体の想像がつくが、夜8時半というと通勤帰りのサラリ-マンで混雑している時間帯。行儀よく3列に並んで待っている人たちの光景が浮かんだ。

初報のアナウンサ-の言い方では、酔っぱらった男は列から離れてホ-ムにうずくまっていたような印象を受けたので、立ち上がった時にふらついて後ろの人を押し、その勢いで将棋倒しではないが、力が前に移動して最前列の高齢者が押し出されたと受け止めていた。

一番前に並んでいると、悪意がなくても後ろの人の動作で身体の一部が触れると前に押されるような気がしたことも何度かあり、できるだけ最前列には並ばないようにしてきたつもり。どうしても先頭になんてしまった時は、ある程度緊張したものである。

電車とホ-ムの間にはさまれて亡くなった高齢者の方が気の毒だと思うと共に、やはり最前列は危険が一杯という思いで、すぐに記憶から消えてしまった。

ところが翌日の新聞を見てビックリした。酔っぱらった男は列の後ろの方にしゃがんでいたのではなく、5メ-トルも違う別の列の二番目に並んでいたというから強い違和感を持つと同時に、亡くなった方が、佐藤春夫さんの長男というのも気になる。

現行犯で逮捕されたのは42歳のアルバイトの男だという。その男の供述として、品川で缶ビ-ル一本と新宿で缶チュ-ハイ一本を飲んだとのことだが、通勤帰りの駅で缶ビ-ルを飲むとは余程の酒好きに違いない。

そんな男がたった缶ビ-ル1本と缶チュ-ハイ1本で酔っぱらうなんて少し変。今年の春から、改めて『松本清張』の小説を片っ端から読み漁っているので、ひょっとしてこれは殺人では・・・と勘繰ってしまう。

普通近くの人がうずくまっていたら、人情として『大丈夫ですか』ぐらいの声はかけそうだが、最近はうっかり声をかけると絡まれる恐れがあり、しかも明らかに酔っているとわかる場合は、無視を決めつけるのは筋書き通り・・・。

男も、いかにも酔っぱらっているような仕種で手に缶チュ-ハイなど握っていたのではないだろうか。その男がタイミングよく立ち上がり、酔っぱらったふりしてフラフラと隣の列に近づき、佐藤さんを後ろから押したのでは・・・。

亡くなった佐藤さんいう方は慶応大学の名誉教授だという。慶応大学を退官後、帝京大学の教授をへて、現在通信制の星槎大学(はじめて聞く名前だが)学長をされているとのこと。となると、清張さん流に考えると、普通の人よりも、人から怨嗟を受ける可能性があるのではないだろうか。

42歳のアルバイトとなると、この男はリストラされてその日暮らしの境遇ではと思ってしまうが、借金などなかったのだろうか。佐藤さんが邪魔な人間(存在すると仮定しての話だが)が多額の借金のある男に、言葉巧みに計画をささやく。この男が借金をかかえていたとしたら・・・。

ただ、単なる事故で片づけられると、恐らく業務上過失致死罪で3年ぐらいの判決だろう。ひょっとして執行猶予なんてことになったら犯人側の思うつぼ。

これは実に巧みに仕掛けられた殺人事件ではと考えるのは、清張さんの読みすぎかもしれないが、私でも疑問を感じるのだから警察が追求しない訳はないだろう。

もっとも権力が絡んで来ると報道はこれきりになるだろうが、続報があることを期待するのは単なる好奇心からではないことは確か・・・。(田舎親父)

2010年8月25日 (水)

公は税金 民は数百万とは不公平極まりない・・・

埼玉県で沢登り中に転落した中高年の遭難者の救助に向かったヘリコプタ-が墜落、操縦士や救助隊員が4名も死亡した事件の記憶は新しいが、その後も遭難事故と救助ヘリの出動報道が後を絶たない。しかも、そのほとんどが熟年と言われる50代以上がほとんどというのが大いに気になる。

前回も述べたが、(常識的に考えると)中高年者は若者達のお手本になる生き方をしなければならないと思うのだが、少しばかりの経済的・時間的余裕をよいことに、生きがい探しなどという理由で登山を楽しむことが流行っているらしい。

趣味として本格的に登山を始めたいと思えば、近場の『登山サ-クル』に入会してその仲間達と一緒に山登りができ、手軽に楽しみたい人たちには、無条件で参加できる旅行会社のツア-などを利用して、全国各地の山登りを体験できる機会があるので、中高齢者の登山者が増えているのは無理もない。

当然なことだが、遭難者の数も増加の一途をたどり、昨年度の全国の山岳遭難は1676件、遭難者は2085人(うち死者・行方不明者317人)で、この数字は統計を取り始めた1961年以降で最多だとのこと。

そのうち40歳以上が約80%を占めているというのは、体力が若者達から比べると格段に落ちているというリスクを背負っているということに気づかず、無理をするのだろうから、当然といえば当然である。

ところで、遭難して救助ヘリを要請したら、常識的には、相当な金額を負担するべきだと思うのだが、それが無料というからへんな話。登山サ-クルも旅行会社もそのことを知っていて、困ったらタクシ-を呼ぶような感覚でSOSを出せばよいという安易な気持ちが、出動回数の急激な増加につながっているようだ。

このことは私も先日の新聞で知ったことだが、無料だというのは、警察や消防などのヘリであって、民間の救助機関に要請すれば有料で、その費用の目安は1分あたり1万円だということは一般的にはあまり知られていないようだ。

警察ヘリは警察法、防災ヘリは消防組織法に基づき、人命救助に当たるので、救助隊員は公務員としての任務になるので、共に費用は遭難者に請求せず、運航経費や人件費等は全て『税金』で賄うという。

 警察と消防のヘリが同時刻に救助活動に出動することはよくあるらしい。その時、救助要請があった場合は、民間の救助機関を利用するしかないのは仕方ないことだが、先の2件の救助は全て無料で、3件目では救助されても後で100万円以上も請求されるとなるとこれは不公平極まりない。

一刻も早い救助を求める身内は、そのときは『有料ですよ』と言われても、『とにかく出してください』と言いたくなる気持ちはよく理解できるが、後でその請求額をみて愕然とするのだろう。生きていればまだしも、不幸にして死亡となると、これが争議の元になっても奇怪しくない。

救急車を有料にすることに関しては(私個人としては有料化すべきだと思っているが)様々な意見があり、簡単にことが運ばないことは理解できるが、救急車と救助ヘリを同格に扱う、現在の警察法や消防法にメスを入れる必要がありそうだ。

 普通の病気で病院に通う場合でも、医療保険に入っていても3割負担が当たり前の現状から、警察や消防の救助隊員が命をかけて出動する場合『無料』とは誰が考えても納得できない。となると、この不公平さだけは早急に何とかするべきだろう。

病気や事故で出動する救急車の(現状では)無料は仕方ないとしても、自己意思(好き好んで)に基づく登山に於ける救助ヘリの出動要請には、ある程度の自己負担を求めるべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年8月24日 (火)

自分の体力能力を見直さねば・・・

 自転車の乱暴なのり方、そしてそ』が原因で起こる様々な事故については以前も取り上げたが、このところ町中でなくても、山中や一般道路でスポ-ツとして楽しむ自転車の事故が続発しているというニュ-スに、いつものことながら、最近の人に共通の『危機意識』の欠如があるように感じてならない。

どんな分野にでも『財団法人』という冠をつけた組織があるらしく、交通事故についても『交通事故総合分析センタ-』という財団法人があり、そこが出している資料見つけた。それによると、『サイクリング中』に人身事故にかかわった自転車は昨年、全国で約5500台とのことである。

この数を多いと見るか少ないと見るかは人によって違うだろうが、『サイクリング中』という言葉があるように、自転車に乗ること自体が楽しみという限られた目的での事故となると、これは相当多いと捉えて差し支えなさそうだ。

その例として、京都市内の死亡事故を2つほど紹介している。一例目は、京都左京区一乗寺の林道(18歳まで京都で過ごしたので大まかな土地勘があり、このあたりは私の住む横浜の片田舎と同じような環境だということは大体想像がつく)で、59歳の会社員男性のマウンテンバイクが転倒し、男性はヘルメットをかぶっていたが、首などを強く打って亡くなったというもの。

もう一つの例は、左京区鞍馬本町の国道(車ではたいしたことはないが、カ-ブが多く自転車では相当スピ-ドが出そうな坂道)で、スポーツ自転車でサイクリング中の34歳会社員男性がガードレールのない下り坂の脇から、がけ下に転落し死亡したといものである。

亡くなった方には大変申し訳ない表現になるが、一例目は自分では運動能力があると思い込んで、マウンテンバイクを駆使して山の中を走り待っていたのだが、車輪が何かに乗り上げたか引っかかったのにとっさの反射神経が働かず、転倒してしまい、不幸にしてそこに岩などがあったのではないだろうか。

二例目は、34歳という年齢が示すように、体力気力が充実して、休日はスポ-ツサイクルを楽しんでいただろう男性が、爽快な気分で下り坂に思い切ってスピ-ドを出していたが、少し調子にのりすぎた結果、周りに注意が届かずブレ-キをかけたときにはすでに遅く、崖に転落したものと思われる。

アップダウンのある悪路(獣道のようなばしょを含む)を走行するのがマウンテンバイクの魅力だという。自然派の私には、何も自転車で環境を荒らさなくても、のんびり歩けば良いのにと思うが、なんでも流行りに敏感な人たちにとっては、それがカッコいいスポ-ツと移るらしく、横浜の片田舎でもこのたぐいの人たちに出くわすのも稀ではない。

中には、紹介された例のように、明らかに還暦を過ぎた高齢者も多い。そして、私の偏見かもしれないが、若い年齢の人たちは、このスポ-ツを根っから楽しんでいるらしく、出合うと向こうから元気の来あいさつが来ることが多いのに比べ、周りを見るゆとりがないらしく、歩いている私などは邪魔者のような顔で通りすぎるように思える。

方やスポ-ツサイクルとなると、これはブ-ムとしか言いようがない。山岳道路をドライブしていると、必ずといって良いほどスポ-ツ自転車を見かける。体力には自信がない私には、何故無理してこんな場所まで自転車手来るの・・・と首を傾げたくなるが、愛好家にとってはそれが魅力なのだろう。

上り坂は苦しくあえぐが、下りとなると自動車に負けないスピ-ドがでる。そのことがスポ-ツサイクルの醍醐味だろうが、どんなに運動神経がよい人でも下り坂で時速50キロを越せば恐怖感がでると言われている。

亡くなった男性が、どのぐらいのスピ-ドで走っていたのかはわからないが、恐怖感が生まれ慌ててブレ-キをかけたが制御不能に陥ったのではないだろうか。

いずれにしても、自分の体力能力を過信した結果の事故であることは間違いない。自転車は自分の体力能力だけで運行・制御できる最高の乗り物だけに、愛好家はこの事故を、俺には関係ないと無視するのではなく、(そんなこと、できるはずがないと知りながら)改めて自分を見つめ直してほしいと願う昨今である。

昨日はグリ-ンカ-テンを作ったとか、ゴ-ヤのおかげで日中元気に歩き回っていると偉そうなことをのたまったが、すぐ後でいつも通りでかけたものの途中でバテバテ。一時は倒れるのではという恐怖心がおき、家にたどり着くのも一苦労。

帰宅後ク-ラ-を入れてハイボ-ルで生き返る。そんなふしだらな生活を反映してか今日は何やらわけのわからない文になってしまった。反省・・・。(田舎親父)

2010年8月23日 (月)

『処暑』に思う

 8月生まれの私は暑さには強いと自負している。実際に周りから『何もこんな日中でなく、夕方の涼しくなってから歩けば良いのに・・・』と言われながら、(好き好んでと錯覚されても仕方ないように)日差しが一番強い1時ごろから歩きはじめるのが日課になっている。

もっとも歩くコ-スが人気のない森の中や、あるいは余程の物好きでない限り歩かないだろう恩田川や鶴見川の遊歩道だからであって、町中は御免被っている。時に、近くのJRの駅近くを通ることもあるが、人込みとコンクリ-トの照り返しで胸苦しさを覚えることも稀ではない。

森の中は空気がひんやりして、時には立ち止まって深呼吸したり、セミの声や小鳥のさえずりに耳を傾ける楽しみがある。遊歩道は日差しを遮るものは全くなくじりじりと容赦なく日差しが身体に差し込むが、帽子をかぶりタオルを首にまいているとむしろそれも快感にさえ感じるから面白い。

何より、森の中や日中の遊歩道は人が人と出会うことが稀なので、周りを見ながらぼんやり歩いていても心配がなく自分の世界に浸れることが良い。それが、周りから揶揄されても(日中の歩きが)続けられる原動力になっているのかもしれない。

そんな私でさえ、今年の暑さは何なのだろうと感じるほど暑い日が梅雨明けの7月20日前ごろから連続し、お昼頃の気温として35℃が普通になっているから恐ろしい。

今日は二十四節気の『処暑』である。暑さがこのあたりで一段落するだろうという目安の日であるが、先週2日程涼しい日があったが、一昨日あたりから残暑はぶり返し、予報ではまだ一週間程続くらしいというから、暑さが至る日とは言いがたい感じがする。

『立秋』を界に『暑中お見舞い』が『残暑お見舞い』と変わるように、昔はその言葉でわかるように、自然界の風や虫の声などに秋の近づきを感じられたが、最近は季節がかなり狂いだし、この時期の『秋らしい』雰囲気がほとんどなくなってしまったのは残念に思う。

一昨日に高校野球の決勝戦があったが、そのときアナウンサ-が『例年なら決勝戦近くには赤トンボの姿が見られたのですが、今年は全くその気配すらありません』と言っていたが、その通り、甲子園どころか横浜の片田舎でもまだ見ることができない。

テレビのニュ-スでは、連日、熱中症で病院に運ばれたり亡くなったりした人のことを話題にしているが、まさにク-ラ-に馴染んだ生活をしている人にとっては、生命を脅かす猛暑だと言っても過言ではないようだ。

ところで、以前にも述べたかもしれないが、今年、自宅の西と東に高いネットを張ってゴ-ヤで緑のカ-テンを作っている。種から発芽させる予定だったが、との時期は気温が低く思い通りに発芽してくれなかったので、8本程苗を購入して植えたのだが、その後どんどん発芽したので、結局20本程になってしまった。

おかげで、ほとんど直射日光は遮られ、しかも毎日とりきれないほどゴ-ヤが収穫できるので近所に配り回って喜んでもらえる。その上、今夏の夕食のメニュ-には必ずゴ-ヤ料理が入るようになっている。さらに最近はゴ-ヤとバナナのミックスジュ-スの虜になり、これも日中の歩きのエネルギ-源になっているのかもしれない。

緑のカ-テンの効果は新聞や雑誌、あるいはテレビでもらく取り上げられているか、実際にやってみたら驚くほどの効果を実感する。

ものぐさの私でもできることだから、ほんの少しの努力次第で、都会の学校や役所、公園などでもできるのではないだろうか。(実際にやっているところも多いらしいが)町中をゴ-ヤやハヤトウリ、あるいはアサガオなどの緑のカ-テンで覆い尽くせれば、大幅に気温を下げる効果はなくても、気分的に涼しくなることは間違いないところ。

そして、市民にゴ-ヤを少しでも配れたとしたら、人の気持ちが和らぐのではないだろうか・・・なんて思う『処暑』の朝である。(田舎親父)

2010年8月22日 (日)

こんなことがあり得るのだろうか・・・

 数日前に『生きていれば(東京大田区は実際には生きているとカウントしていた)104歳になる母親の遺骨をリュックに詰めて自宅に置いていた長男・・・』という記事がテレビのニュ-スで報じられた。

食事をしながら視聴していたが、長男は文京区のアパ-トでずっと母親と暮らしていたらしい。母親が亡くなったが葬式を出す金がなかったのでそのままにしておいたとのことだが、いやいや凄いことになったぞ・・・というのが第一印象。

続報は昨日になっても続いている。年金を不正に受け取っていたとか、文京区や大田区は支払った年金や祝い金の返還を求めるという内容になっているが(行政としてはそのことは大切なことかもしれないが)、そんなことはどうでもよく、事件の背景を考えることこそ重要だと思うのだが・・・。

動物の死体は放置すると必ず腐敗するのは当たり前のことだが、その時、例えば魚の頭をごみ箱に数日放置すれば、それこそ鼻が曲がると表現しても差し支えないほどの強烈な悪臭を発することは経験したことのある人は理解できるはず。まして、哺乳動物の死体となるとそれこそ信じられないような腐敗臭が辺り一面に漂うのではないだろうか。

布団にくるんでおけば腐臭は多少緩和されるかもしれないが、完全になくなるわけはないだろう。ビニ-ル袋に入れて密閉すれば臭いは漏れないかもしれないが、その中でどんな状態になっているか、これは常識的な感覚では想像したくない。

山の中の一軒家ならこんなことが可能かもしれない。いや山の中でなくても、都会であってもある程度隣家との距離があればあり得る話かもしれない。最近は都会でなくても隣家とのつきあいが少なくなったといわれているので、多少の異臭がしたとしても『何かへんな臭いがするが・・・』程度で深く関わらないことも考えられないことではない。

しかし、ここは東京という大都会。しかも、その大都会の薄い壁一枚が隣室との界となっているだけのアパ-トでこのようなことが可能だったのだろうか。

男は『2001年6月12日に、外出から帰宅すると死んでいた。布団ごとビニールでくるみ、押し入れに入れた。骨は引っ越しの二、三日前に細かく砕いた』と供述しているらしい。考えたくないが、骨を取り出すときには(これは私の想像だが)信じがたい腐敗臭があたりを覆うと思うのだが、隣の部屋の住民は何ら感じなかったのだろうか・・・。

しかし、長男は実際に布団でくるんでビニ-ルで密閉したことは間違いないのだろう。そして数年間押し入れに押し込めていけば腐敗が進みやがて白骨化し、取り出すときにアパ-トの壁一つ隔てた隣の住民にもわからないで骨を砕けるとしたら、これは凄い知識に違いない。

これは真似る輩が出てくるのではないだろうか。いや、こんな遺体の処理方法はある意味、私が知らなかった(想像したくなかった)だけで、嬰児をビニ-ルにくるんで冷蔵庫に保管していたという事件報道もあることから、実際に行っている人間も多いのかもしれない。

となると、(考えたくないが)所在不明の高齢者の中には同じような方法で白骨になりさらにすでに砕かれている人も多いのでは・・・。今回はリュックに入れて自室に保管しただけでも、まだ親子のわずかなつながりを感じるが、すでにどこかに捨てられていたら、たとえ疑わしいと思っても事件性そのものを証明するのは難しくなるだろう。

大田区の発表では、の長男は所在不明の高齢者の調査のため自宅を訪ねた区職員に『母親はここにはいない。元妻のいる新潟にいる』と説明したので、新潟に問い合わせたところそれがウソだったことがわかり、そのことを長男に告げたら自供したという。

もしも、足立区の113歳の男性のことが明らかにならなければ、大田区も本気で調べるどころか放置していたに違いないと思うと、考えさせられる事件である。(田舎親父)

2010年8月21日 (土)

命の仲介を生業にするならもっと透明性を・・・

 先日の第一号の時の狂騒と表現しても差し支えないほどの取り上げ方とは違って、ごく冷静な対応だったが、先日臓器移植法改定から二番目に当たる臓器移植のニュ-スが新聞・テレビが報じていた。

『日本臓器移植ネットワーク』という組織の女性理事が表面に立って記者会見の様子を、もうこの問題は取り上げることはないだろうという気持ちがあったので、見るともなく見ていた。

臓器移植法に基づく脳死と判定されたのは、近畿地方の病院で治療を受けていた十八歳以上の男性患者だという。本人の書面での提供の意思表示はしていないが、家族が承諾したのだそうだ。しかし、どうも歯切れが悪い。

私がこんな感じを受けるのは、やはり『日本臓器移植ネットワ-ク』という組織の実態がわからないからだろうと思い、ネットで少しこの組織のことを調べてみた。

すると、この組織は国(厚労省)から唯一臓器移植の『あっせん業』を認可されている団体だそうだ。しかも、『日本臓器移植ネットワ-ク(移植ネット)』なる団体は単なる民間組織だというから驚いた。

その組織が、全ての臓器移植に関わる諸問題を仲介するらしく、臓器を求める患者は、必ず『移植ネット』に3万円の登録料と、年会費5000円を払わなければならないという規定があり、いわば会員組織をとっているらしい。

かたや臓器移植を行いたい?医療機関は20万円の会費を払って『移植ネット』の会員にならなければ移植医療は行えないというシステムだという。なんだか国指定の合法的な臓器売買の独占企業と言っても差し支えなさそうだ。

 全くの民間組織がこんなことができるはずがないと思うのだが、やはりそれには裏があり、厚労省の役人が天下っているという。

霞ケ関の事情通という人物は『移植ネットには歴代、厚労省の役人が天下っています。現在、専務理事を筆頭に3人が籍を置いている。移植ネットの役員報酬は定款で最高1500万円と定められていて、天下りの専務理事は1000万円の報酬を得ている。もちろん退職金も支給されます』と証言しているとのことだから、やはり厚労省とのできレ-ス?・・・のようだ。

さらに、この組織は過去には『私物化』が問題視され、厚労省が立ち入り検査したという事実を知る。詳しい内容は略すが、いろいろな経緯があったらしく、厚労省の役員が天下ることを前提に国内唯一のあっせん機関として認めたとのこと。理由は『他に適当な組織がなかった』からというから、はじめから不透明極まる組織の雰囲気がする。

 移植を待つどの患者に、脳死のドナ-のどの臓器を移植するかは、『臓器ネット』の所蔵する情報をコンピュ-タ-が決めるので『恣意的』に選ぶことはないというが、この組織にはどのような職種が存在し、その人たちの仕事の中味などは一切明らかにされていない。

しかも、この組織のコンピュ-タにはどんな情報が収納されて、それをどのようなソフトを使って制御するかも全くの闇の中で、全てはドナ-ならびに患者のプライバシ-保護というオブラ-トに包まれている。

先日の第一号の時にも述べたが、今回においても、移植を担当する医療機関名は明らかにしている(これは宣伝になるので当然だろう)が、患者やドナ-の性別は愚か年齢も明らかにしていない。

さすがに新聞各紙も社説で『透明性が信頼保つ』と述べ『可能な限りの透明性を』と注文をつけはじめ、世論も少しはその方向で動きだしたようだが、『移植ネット』の実態は所詮は会員組織、改まる要素は限りなくないだろう。

個人的に臓器移植には反対の立場なので、会員組織のこのような臓器のやりとりに関しては二度と触れる気はないと思うが、せめて臓器を待ち望む全国の会員には、順番というかおよその目安を示す責任が『移植ネット』にはあるのではないだろうか。(田舎親父)

2010年8月20日 (金)

8つの子どもが自殺?とは・・・

 このところ児童虐待の話題が世間を騒がせている。先日は、幼い子ども2人に食べ物を与えず餓死させた母親が逮捕されるという、とても今までの常識では考えることができないような事件報道があったが、互いに労りあうことを美徳としてきた日本人の考え方はすっかりなくなってしまった感じがする。

子育てを大切だと言い、それぞれの自治体は保育園の確保のために莫大な予算をつぎ込んでいるが、それでも需要に応じられないらしい。また、保育士や看護士を子育て中の若い母親の元に派遣し、悩み相談をはじめるなど、まるで自治体同士が子育て支援競争をしているような昨今の風潮に、何か変だぞと感じている人も多いのではないだろうか。

この問題は改めて考えることにして、一昨日報じられた大阪府の高槻市で起きた小学3年生の女児が自殺という記事には衝撃を受ける。

発見したのは17日午後6時過ぎのこと。府立住宅の自室のベランダの物干しざおに巻き付けたタオルで首をつった状態で死亡しているのを、母親が見つけ、父親が110番通報したとある。

司法解剖の結果、死亡推定時刻は17日午後3時ごろ。遺体に外傷はなく、死因は窒息死。女児は黒いワンピース姿の裸足で、足元に高さ約40センチの折りたたみイスが置かれ、踏み台にしたとみられる。警察は鍵がかかっていたことから自殺とみているようだ。

遺書は見つかっていないというが、恐らく突然何か嫌なことを思い出して、死んでしまいたくなったのだろうから、遺書など残っているはずはない。

記事には、この日の朝、母親がきょうだい2人を保育園に預けて出勤したとあるので、この一家は、両親が共に働いている5人家族、女児は一人で留守番をしていたらしい。

恐らく経済的な理由などから、母親が働きにでなければならない事情があったのだろうが、もしも母親(父親でもよいが)が自宅いて子どもと一緒に過ごしていれば、こんなことは絶対起こらなかったことだけは確か。

いまさら仮定論を言っても始まらないが、両親は夏休み中のこと、8歳の子どもを自宅に残して出かけることに不安はなかったのだろうか。いや不安は十分持っていたに違いないが、事情がそれを許さず日常的なことと母親は割り切って出かけたに違いなかろう。

保育園を充実することは当然としても、この一家のように、下の子は保育園に預けられたとしても、上の子は一人で一日過ごさなければならない環境の家庭は多いはず、子育てというからには、このあたりにも目を向ける必要はあるはずなのに、どうも一般論として小学生になったら一人で留守番できるはずという安易な気持ちがあるように思えて仕方ない。

それでも学校が休みでない時は給食もあり、3年生では大体の場合、午後3時ぐらいまで学校で生活、その後5時ごろまでは『学童擁護』という制度で、似たような環境の児童達と過ごせる場があるのだろうか、夏休みとなると朝から一人で過ごさねばならないとなると、これは無視できる問題ではない。

 市教委は、女児は今年1月、京都府向日市から転校してきたが、その一週間後に、道具箱に女児の名前と『しね』と書かれているのが見つけた母親から『いじめではないか』と学校に指摘があったこと、さらに2週間後には教科書とドリル計12冊にも同様の落書きがあると、母親から連絡があったと発表しているようだが、2月段階でその事実を知っていたのだろうかという疑問はぬぐえない。

小学校の校長は『クラスのすべての子どもについて筆跡を調べたが、同級生に同じ筆跡はなく女児本人のものに近かった。すべて同じ筆跡だが特定はできなかった。(落書きと死亡に)関連があるとは思っていない。命を落としたことがかわいそうでならない』と述べているらしいが、こちらもなんだか他人事のようにも感じる。

その疑問はさておき、8歳の子どもが衝動的にしろ、首をくくって自殺した事実を重く受け止め、原因の究明はもとより、(このような事件は続発する傾向があるので)再発防止の徹底が急がれる。

とりあえずやらねばならないことは、夏休み中にこの女児のように一人で留守番をしなければならない環境にある児童の実態をつかみ、児童がどのような気持ちで一日過ごしているのか調べることではないだろうか。

 このあたり、近々私なりに考えて、意見を述べたいと思っている。(田舎親父)

2010年8月19日 (木)

バナナの叩き売りではあるまいに・・・

 エコカ-補助金制度や家電のエコポイントとは、景気対策には国民の購買力を高めることが有効だということで、(まくら『エコ』という文字がついた)金額の高い商品(ここでは自動車と大型家電)を購入した人に対して、何がしかの値引きをして購入意欲を高めようとする制度だと理解している。

この制度が検討されていた頃は、環境問題に関心が強く、エコと称しながら大型のテレビを奨励することは矛盾するという意見や、あるいは自家用車より公共の交通機関こそエコなはずなのに、国民に車を押しつけるのは意味が違う・・・という反対の意見が目立ったが、現在の不景気を少しでも緩和できるなら環境問題などかまっていられないらしく、最近はさっぱり反対ム-ドが消えてしまったような気がしてならない。

この問題は以前に取り上げて、反対の立場からその矛盾を指摘したことがあるので繰り返さないが、世の中の不景気感を横目にみながら、家電(今年の猛暑から、エアコンなどの需要が爆発的に伸びていることも原因だろうが)と自動車業界はウハウハ、笑いが止まらない毎日らしい。

それはさておき、ここ数日、『エコカー補助金制度が、9月末の期限を待たずに打ち切りになる可能性が出てきた』というニュ-スで持ち切りである。

エコカ-補助金制度は、政権交代前の自民党政府が緊急経済対策として、総額で5837億円という巨額の予選を組んで、昨年4月に打ち出したもの。民主党政権はすぐに中止にすれば良かったのだろうが、その度胸がなかった上に、景気対策には有効と考えたらしく、今年3月末までの予定をさらに半年間延長された経緯がある。

ブレまくっている民主党政府のことだから、再延長するのだろうというのが大方の見方だったようだが、財源が全く枯渇していては、さすがに不可能と判断。先月末制度の再延長をしないと明言したとたん、それは大変とばかり補助金を意識する人たちが殺到しているという。

大騒ぎの原因は9月末までの予定だが、財源がなくなった時点で制度が打ち切られるというところにあるようだ。確かに、25万円の補助金の魅力は大きく、申請したものの予算がなくなったので定価通り・・・となるのは納得できないだろう。

この制度の交付を担当するのが(なんだかこれも天下り用に作られた組織のような臭いがするが)『次世代自動車振興センター』という役所?らしい。

そのセンタ-が発表した資料によると『7月の土、日、祝日を除いた申請可能日1日あたりの申請額は20億円弱だった。が、8月に入ると、10日34億円、11日31億円と急増した。お盆時期の12~16日は10億円台に落ち着いたものの、16日時点で予算の残りは837億円、駆け込み需要の動向によっては期限前に無くなる可能性がある』とのこと。

まるで『今、買わねば損だよ・・・』という強迫観念を与えて、駆け込み心理を煽っているように思え、昔のバナナの叩き売りを連想してしまう。

申請は、新車登録を終えないとできない仕組みになっているという。一部人気車種は生産が追いつかず、いますぐに買っても9月末までの登録は無理だとのこと。販売店に在庫がある車種でも『購入から新車登録手続きを終えるまでに8日間ほどかかる』というから、ますます『今買わねば・・・』という心理になるようだ。

自動車会社の中にはこんな動きを敏感に察知して『もう間に合わないから』とあきらめようとする客を逃すまいと、制度が9月末より前に打ち切られた場合、身銭を切って補助金相当額、あるいは一部を負担しようとの動きがあるそうだ。

それは業界の考え方だろうからどうでもよいが、そこまでして売り込みをかけて目標を達成したとしても、きっと極端に落ち込むことが確実な、10月1日からどうする気なのだろうと、要らぬ心配をしてしまう。

 自動車関係の人たちには申し訳ないが、自然環境や本当のエコを考えたら、自家用車より公共交通機関、道路より鉄道が正論・・・。

快適で便利な生活が『是』であり、それを得るためには景気対策(金儲け)が先だと強弁し、『エコ』称して『非エコ』の今回のような政策、実際に打ち切りが見えはじめた今日、改めて考えるよい機会ではないだろうか。(田舎親父)

2010年8月18日 (水)

この国のいう学力とは東大合格のようだ・・・

 先日『第1回男女別学教育シンポジウム』という『日本男女別学教育研究会』という団体が主催し、私立の学校などが協力したイベントか東京で行われ、そこで『男女の違いを尊重した教育は、学力アップの効果が高いこと』などが報告されたという記事が目にとまった。

記事によると、冒頭主催者代表から、10年前と比べると私立男子高は約4割、女子高は約3割減るなど私立中高などの共学化が進んでいる一方で、開成、灘、桜蔭といった東大合格者の多い学校の9割が男女別学という報告があったという。

さらに、『男女別学』で『学力が伸びる』など教育効果が欧米でも見直されており、国際学力調査で『男子は理数』、『女子は読解力』が高得点などの特徴があると述べ、教師に対し、『女子は自分が大切に思われているか』、『男子はその先生に従っていいか』を重視するなど生徒指導上の違いもあるという内容の基調講演があったらしい。

誰がどんなシンポジウムを開こうが自由だろうし、その発言にいちいち目くじらを立てるつもりはないが、ここに集まった人たちは、現在のわが国の高等教育の専門家といわれる人々の集まりらしいことが何か気になる。

どうやらこの専門家と称する人々のいう『学力』とは東大に合格する知識や理解力のことだという定義があるらしく、それをまず確認した上で、『では、どうすれば、その学力を高められるか』という、このような学力論の共通の命題に対して、『男女別学が有効』だという主張する人たちの集まりのだといっても差し支えないようだ。

端的な例が紹介されている。パネリストの一人である東大合格率が高い進学校として有名な男女共学校のある高校の校長は『授業を男女別棟』で別学教育を行っているといシステムを紹介して、主人公の心情を読み取る国語の問題で女子の成績がいい一方、物理の授業で男子が力学について直感的に理解が早い例を挙げ、『男女の理解の仕方に明確に違いがある』と指摘したという。

男女の理解の仕方に違いがあることは、わざわざ進学校の高校の校長に指摘されなくても教育界において常識で、この違いをうまく融合させて人間として調和のとれた人格を作り上げるのが男女共学のねらいであり、それが戦後の教育理念ではなかっただろうか。

しかし、この校長の指摘も全く的外れだと否定できない部分は多く、私も男女共学が徹底している公立の小中学校では、男女平等という意味が少しずれて、少しトンチンカンな指導(今では支援というらしいが)がなされ、それが現在の教育問題に深く関わっているような気がしている。

一例だが、男女平等という考え方は性別で差別があってはならないことで、決して全ての区別を否定するものではないのに、なんでも同じにしなければならないという、極端な考え方が先にたったことかち、男女に全く同じ教材、同じ指導(支援)法を与える傾向が強いきらいは否定できない。

本来、小学生においては、男女には体力的な差があるのが当然であるのにも関わらず、文科省の学習指導要領では体育において、男女を同じ場面で同じように指導するとあるので、運動会の駆けっこ競技で男女一緒に走らせるなどしているのが現実で、これに類する話題は数限りなく存在する。

パネリストの一人である、都立高での経験が長く、現在は東大進学校として有名な中高一貫校の校長は『(都立で)昭和50年代は生徒会長やクラス委員といえば男子。その後10年は女子が副委員長になり男子を助けたが、いまでは男子は陰に隠れた』と『草食男子』が増えた現状に苦言も呈しているというが、決して義務教育段階の行き過ぎたこのような考え方と無関係ではあるまい。

男女共学の流れを断ち切ってまで、何がなんでも東大に合格することが高校の目標的な考え方でなく、生まれ落ちたときから男女の差を当たり前と受け止めて、うまく調和させる中で人間としての豊かな心を育てたいものである。

と思いながらも、学力テストの点数が何より学力だという考え方がまかりとっている世の中では、私の意見など『寝ぼけたことを言うな・・・』の一言で片づけられことは確実だろうなと思うと虚しくなるが・・・。(田舎親父)

2010年8月17日 (火)

今頃になって『年金打ち切り』策とは・・・

 足立区の100歳超の男性が自宅でミイラ化した死体で発見されたという事件がきっかけになった100歳以上の高齢者の所在不明問題が連日賑やかに報じられているが、高齢者に手厚い政治と言いながら、今頃になってこんなことが明らかになるとは、この国は一体どうなってしまうのだろうと、寒気を感じている人も多いのではないだろうか。

一昨日(15日)の時点では、全国で『100歳以上』の不明者の数は20都道府県(52市区町)で計242人に上っているという。しかし、調査はまだまだ進んでいないということを考えると、この数は現在判明している数の倍、500人は下らないのではないだろうか。

住民票上生存とされている100歳以上の高齢者は(去年の数値で)2万8395人だという。仮に、この中で500人が所在不明だと考えると、これは凄い数。改めて、どうしてこんなことになっているのか考えさせられる。

 厚労省の資料では、現在生存が確認されている国内最高齢者は佐賀県在住の113歳の女性だそうだ。しかし、今回の調査では、この女性と同じ年齢かそれ以上の高齢者の不明が、少なくとも20人以上存在しているというから、厚労省と各自治体との間にはどんなやりとりが行われていた(いる)のだろう。

 文科省と各教育委員会とのやりとりの例から、常識的に考えると、厚労省が都道府県の担当部署に書面で回答命令を出すと、それを受けた都道府県部署は各区市町村の担当者に同じような書類で報告を求め、それを集計して厚労省に回答するのではないだろうか。

この場合、100歳以上ともなれば担当者の関心が深く、『今年も○○さんはお元気なようだ』という話題がでるのは当然だと思うのは当たり前で、私も足立区でこの問題が発覚した当初は、係長や課長クラスの管理職が直接お祝いを届けているものと思っていたが、実際には全国の自治体は一様にそんな確認行動は一切とっていなかったようだ。

毎年命令されるつまらない調査には、昨年の数字と同じか、あるいは1か2プラスマイナスした数字を報告してお茶を濁すという話をよく耳にしたことがあるが、住民票の担当者にとっては長寿調査というたぐいは、それほどつまらない調査だったようだ。

それにしても、もし住民票で129歳とされる高齢者が存在していたとしたら、この事実は都道府県を通して厚労省に報告されているはず。ならば、厚労省が現在生存している最高齢者は113歳となど発表するはずはないのだから、区市町村の住民票の係は、少なくとも113歳以上の生存者はいないことをしっていたと考えて差し支えあるまい。となると、どうやら長寿問題に関して住民票は形だけで信頼していなかったのではと考えてもよさそうだ。

一方、平均寿命の計算などは住民票しか根拠がないだろうから、これを元に計算して報告していたようだ。もっとも計算などしないで、去年より伸びていそうだから、0.5歳上乗せして報告しておけば・・・という程度かもしれないが。

ところで、高齢者所在不明問題を受け、厚労省は安否が不明の年金受給権を持つ高齢者に対し、生存確認を求める文書を近く郵送し、返信がなければ年金支給を一時差し止めることを決めたというが、そんなことを今までやっていなかったのだろうか。

ならば、まだ年金をいただく年数になって間もない私までに、毎年(よりもっと短い期間のような気がするが)しつこいくらいに届く状況調査という調査書類は一体誰が何の目的でだしているのだろう・・・と、つい皮肉りたくもなる。

同省は市区町村が行方不明であることを確認した高齢者について、氏名や住所などの情報提供を要請し(誰に?)、これを基に、通常は年1回発送している生存確認の書類を今月下旬から臨時に郵送し、2週間以内の返信を求めることにしたというのも変な話。どう考えても、この文章では矛盾が多すぎる。
 期限までに返信がなかった場合は、支給を一時差し止めるほか、返信があった高齢者には日本年金機構の職員が面会を試みるとのことである。面会を試みるのは良いが、面会できない場合はどうするのか全く明らかしていないのは、あらかじめアリバイ作りだとしか捉えようがないようだ。

所在しらずの100歳以上の高齢者について、30以前前に出ていってしまってそれ以来音信不通だという家族が多いのが気になる。そのほとんどは行方不明になっても年金だけはちゃっかり受け取っていたのだろう。

今までそれを見逃してきて、急に打ち切り宣言も役所仕事なのだろうが、今度はこのような家族とのトラブルも増えるのだろう。これまた役所仕事らしいが・・・。(田舎親父)

2010年8月16日 (月)

今流行りのIHが心臓疾患の原因?・・・

 先日、ある道路建設会社の社長と話をする機会があった。その会社は地方の小規模企業ながら、東京ガスとタイアップしているらしく実績は安定していると聞いていたが、最近仕事がないと困っているというのが口癖になっているという。

はじめは何のことだが、話の筋道が理解できなかったが、最近はIH調理器が大流行で新築の住宅やマンションはほとんどがガスを引き込む工事がなくなっていることから仕事量が減っていることを知り、改めてガスそのものを使わない建物が多くなっているのだ・・・と納得。

テレビで東電がスポンサ-になっている番組が少なくなく、そこではIH調理器具の素晴らしさを強調しているのが目につく。

コマ-シャルでは、IH器具は火を燃やさないで調理できるから環境に優しいと強調しているが、電気そのものを得るために何らかのエネルギ-を消費しているのだから、多少の量的な差があるだろうが基本的に同じだと思い、IH器具にはかたくなに手を出さないようにしている。

しかし、人気タレントが『環境に優しい』というフレ-ズを連発するものだから、テレビが一番正確な情報源だと刷り込まれている一般庶民には、IH調理器具は環境に優しいと思い込む傾向が強く、需要は右肩上がりで伸びているようだ。改めてテレビのもつ恐ろしさを感じる・・・。

そんなことを思っていると、先日『IH(電磁誘導加熱)調理器を使い続けて不整脈などの心疾患になったとして、神戸市内で喫茶店を営む夫婦が製造元の三洋電機を相手取り、約8900万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしていた』という記事を発見した。

訴えられた三洋電機は『ごく微量の電流が流れることは認めるが、健康被害が生じるような欠陥はない』して全面的に争っているというから、どんな司法判断が下されるのか、これは注目に値する。

記事によれば、夫婦は平成16年4月、IH調理器を購入し店で使用していたところ、17年2月、調理を担当していた夫が心臓病にかかり、同年6月にはペースメーカーを装着したとのこと。妻が調理を交代したところ、18年10月ごろから妻にも不整脈の症状が出始め、次第に悪化したので、19年1月、IH調理器の影響を疑い、ガスコンロに変更すると、妻の不整脈は沈静化したというから、これが本当だとしたら恐ろしい。

夫婦の依頼を受けて、徳島大がこのIH調理器を使って実験したところ、ステンレス製の調理器具には、周波数2万~6万ヘルツの電流が流れ、一定の接触条件で人体にも流れることが判明し、この実験には三洋電機の担当者も実験に同席、電流の存在を確認したというから、何らかの影響があることは間違いなさそう。

調査した専門家によると、IH調理器に乗せたステンレス製の鍋などに片手で触れるだけでは人体に電流はほとんど流れないが、プラスチックなどで覆われていない鍋の取っ手を片手で握りながら、もう片方の手がトッププレート縁の金属部分やステンレス製の流し台に触れるなどした場合、手を通って人体に微小電流が流れるのだそうだ。

なるほど、要は体内を電気回路にしなければ良いのだが、こんなことは説明書には書かれていないだろうから、ほとんどの人は鍋を片手にもちながら、もう片方の手でもどこかを触っている可能性は十分あり得る。そのときに電流が流れているのだろう。

この夫妻が特別電流に過敏な体質を持っているのだろうと思うが、調理している時に常時微少であっても電流が体内を流れるという情報が広く行き渡り、それが一般化すれば、心理的に体調を崩す人も出てくるのは容易に想像できる。

実際に、国民生活センターにはIH調理器による健康被害の相談が複数寄せられており、『長く使うと胸が苦しくなったり心臓がどきどきしたりする』とか『使用したら体調不良になり、医師の診断も受けたが、メーカーが認めず不満だ』という内容の苦情も寄せられているらしいから、今後増えることは間違いなさそうだ。

この記事で、ミツバチが突然行方不明なったり、大量死する原因が携帯の電波が原因という主張を思い出す。こちらも真実かどうかわからないが、便利で快適な道具には、何らかの負の要素が潜んでいることは当然あり得る。

便利で快適が全てに優先する世の中、考えさせられる記事である。(田舎親父)

2010年8月15日 (日)

今でも放射能漏れか続いている?・・・

 ロシアで放射能汚染した森林まで火災が広がっているという記事から、一月以上前の話になるが、六ヶ所村の日本原燃の使用済み核燃料再処理工場の建屋で、高レベル放射性廃液が、廃液濃縮缶内から、缶内の温度計保護管内に漏れる事故報道を思い出した。
 確か、男性作業員の両手とあごに微量の放射性物質が付着したが、男性の健康や環境への影響はないという内容だったと記憶している。
 当時の記事を調べてみると、作業員5人が温度計を交換作業で抜き出したところ、温度計を置いたビニールシート上に基準値の約18倍となる放射性物質の付着が確認されたたとある。温度計保護管に欠陥があり、廃液が管内に漏えいしたらしい。
 この種のニュ-スは今までもそうだったが、マスコミは、一度は取り上げるがそのほとんどは続報がない。今回はどうなるのか興味があったがやはり同じで、今では遠い昔のことのように話題にも上がらない。
 原発関連の事故のことはおざなりにでも報道するが、六ヶ所村にある核燃料処理施設の放射能もれなどについては、(恐らく意識的だろうが)全く取り上げないのは、どこからか『報道まかりならぬ』という強い圧力が働いていると受け止めても間違いないようだ。
 少し時間の余裕があったので、六ヶ所村のことをネットで調べていたら、今年の1月に核燃料の再処理工場で高レベル廃液が漏れるという事故を、日本原然が発表したと記事を見つけた。半年以上も前の事故の事である。この直後にネットでは事故のことが取り上げられていたに違いないが、迂闊なことながらここではじめて事故を知る。
 地域の住民は、放射能汚染を恐れ、漏れた放射能の種類や量、その行方などの公表なしには安心できないとして、具体的な測定値を発表するよう日本原燃や原子力安全・保安院に求めていると同時に、国に対しては、いつまでたっても完工できない再処理工場は、これ以上の大事故を起こす前に建設を取りやめるよう強く求めているとのこと、もっともなことである。
 その記事に関連して、国会に『原子力政策転換議員懇談会』という組織があるらしく、その中心メンバ-達が、2月に国会の議員会館で原子力安全・保安院の担当者を呼んでヒアリングをしたとのことである。
 ヒアリングで放射能の外部への放出について、保安院はガラス固化体を作るセル(密閉した部屋)内に約150リットルの高レベル廃液が漏れたことは事実だが、主排気塔などのモニターから『有意な気体核廃棄物の放出は測定されなかったので、本事象による周辺環境への影響はなかった』との見解だという。
 しかし、漏れた高レベル廃液のうち約134リットル分が蒸発して行方不明だというから漏洩した廃液のほとんどが空中に散逸してしまっているという。変な話である。
 懇談会の議員から『何故安全だと言えるのか』という質問に対しては『現地の保安検査官から確認をとっているところ』で、その行方は調査中だとの答えたという。には、保安院という組織自体の存在理由を疑いたくなる。
 広島・長崎と原爆の被害にあっているのだから、わが国のマスコミは真っ先に放射能という言葉に敏感に反応しなければならないと思っているのだが、実態はさにあらず、原発とか核燃料再処理工場という言葉そのものがタブ-視されているらしく、例え記事にするにも、同じような内容のごく短い記事が記者の魂が入っていない文章になって紙面に載っているような感じを受ける。
 ネットには興味深い情報がかなり目につく。特に目についたのは、最近この核燃料再処理工場に隣接する地区の井戸水から、全国平均の7倍を超える放射性物質のストロンチウム90が検出されていたという記事である。
 ストロンチウムについては、全国の原発周辺400箇所で計測されているとのこと。平成元年から21年までの平均値は約2ミリベクレルで、この数値は人体や環境に影響を与えない数値だそうだが、気になるところ・・・。
 そのストロンチウムが核燃料再処理工場に隣接する地区の数値は14ミリベクレルだという。ストロンチウムは自然界には存在せず、体内に入ると白血病などの血液ガンの原因になると言われている。さらに半減するのに30年かかるというから、とんでもない数値だということは、素人の私にも想像できる。
 今現在、ストロンチウムと限らず、日本各地の原発のない地域とは比べ物にならないほど数値が大きい放射能が六ヶ所村近辺では放出されていることだけは確かなようだ。
 今日は終戦の日 政府やマスコミは言葉では『平和の大切さ』を強調しているが、国民に対して放射能汚染について正しい情報を提供する義務があるはずなのに、政権が代わっても体質は変わらないのが気がかりである。
(田舎親父)

2010年8月14日 (土)

臓器が全国を駆けめぐった一日・・・

 どこの病院にどの臓器が・・・という正確なことをここで述べる必要はないと思っているが、脳死を宣告された一人の男性の臓器が次々に摘出されて、全国の病院に運ばれて移植手術が行われたと大騒ぎしたのは8月10日だった。

その日は、朝からこのニュ-スで持ち切り、アナウンサ-が発する『心臓は○○市の病院、肝臓は××町の病院へ、腎臓は・・・へ』という表現に、私は凄いことだという畏敬の念と同時にある種の悪寒のようなものを感じたが、同じような気持ちでニュ-スを視聴していた人も多いのではないだろうか。

ここまで騒がれたのは、本人の意思がはっきりしていない場合でも、家族の承諾で臓器を取り出せるようになった臓器移植法の改定の第一号だったかららしい。

『日本臓器移植ネットワーク』という臓器移植を推進する組織があるそうだ。その組織の担当者の記者会見の様子がテレビのニュ-スで流れていた。

(私の見た映像はライブ中継でなかったので、詳しいことは翌日の新聞で知ったのだが)記者からの『ドナーが提供の意思を口頭で伝えたのはいつごろのことか』とか『心臓死ではなく脳死下での臓器提供にも本人が同意していたのか』などという厳しい質問に対して『把握していない』という答えの連発だったとのことに、何となく恐ろしさを感じる。

家族は亡くなった男性が臓器移植を議論する番組を見ていたとき、『もしも自分が脳死になったときは提供しても良い』と言ったとのことだが、これも家族からの明確な返答ではなく新聞記事から推測すると、臓器の提供の仲立ちをする斡旋人(臓器コ-ディネ-タ-と言うらしい)の言葉らしいというだけ。しかも、その斡旋人は表面には現れていない。

 臓器移植ネットの『把握していない』という言い方は、善意に解釈すればドナ-側のプライバシ-を考えてのことだろうが、ネットと移植コーディネーターと緊密な連絡がとれており、家族から詳細に聞き取っていれば明確に答えられることであり、その程度はプライパシ-の侵害にあたるとは思えないのだが・・・。

それは厚労省の仕事だから、今後明確にしてくれると信じたい(恐らく曖昧さは消えないだろうが)ので、ここでは深く考えないことにするとして、今回の移植について素朴な疑問がいくつかある。

一つは、受け入れる病院が全国に散らばっていることからみたら、あらかじめ移植を待つ人たちには順番がつけられていたのだろうかということ・・・。

移植しか生存の可能性がない患者の存在は否定しない。本人や家族がドナ-の現れるのを首を長くして待つ気持ちもある程度理解できるつもりである。そして、その数も全国ではかなり多いとも想像できる。しかし、その順番がなければ、いざドナ-が現れたとき争奪戦がおきるのは確実だろうから、何らかの約束事があるに違いない。

さらに、移植コ-ディネ-タ-という職業の存在である。確かに仲介人がいなければ、ドナ-側と病院(移植を待つ人たち)との連絡は成り立たないことは理解できる。しかし『仲介』という仕事を職業にし、生業をたてているとしたら、結局は報酬の額によってコ-ディネ-タ-は動くのではないだろうか。

(突然だが)金額は失念したが相当高額なお金を支払って台湾で腎臓移植をしてきたと言う人を思い出す。

今回コ-ディネ-タ-がドナ-側とどんな打ち合わせをして、病院とどんな契約をしていたのか知るよしもないが、このコ-ディネ-タ-が何らかの条件を元に病院を斡旋したのだろうことは想像できる。

全国にはコ-ディネ-タ-は複数人存在するはず、すると縄張り争いではないが、特定の病院との契約が行われていることは想像に難くない。その契約の根底に『カネ』があるとしたら、臓器移植技術は機械の修理と同じ次元になってしまうような気がしてならない。

臓器移植という高邁な理念に基づく命のやりとりには、それに相応しい道徳的な考え方が必要なことは明らか。今回の移植を契機に、このあたりの議論の高まりを期待したい。(田舎親父)

2010年8月13日 (金)

ホメオパシ-って何だ・・・

 最近(というよりずっと以前からの傾向だが)、英語ブ-ムの影響なのだろうが、カタカナ表現が至るところに用いられるようになり、古い人間である私には、何のことなの?と首を傾げる場面が多い。

単に『政権公約』と言えば良いものを、民主党は『マュフェスト』という言葉を使いだしたのは数年前。やっとその言葉が比較的抵抗なく私にも使えるようになったが、民主党のお古など使いたくないと思ったのかどうかは別にして、みんなの党(小学生が考えるような名称)という政党が『アジェンタ』となるとついていけなくなる。

まして、一昨日の朝日新聞の朝刊で目についた『代替療法ホメオパシー利用者、複数死亡例 通常医療拒む』という見出しの『ホメオパシ-』となると、何のことだが全く理解できず、いよいよ時代についていけなくなったのかと暗澹たる気分に陥ってしまう。

いつから『ホメオパシ-』という言葉が、新聞の見出しとして受け入れられているのだろう。こんな言葉が一般的に認められているとは思いたくないという気持ちが強いのだが実際に新聞の見出しとして通用している事実にショックを受ける。

それはさておくとして、記事には『代替療法ホメオパシーを利用している人の中で、病気が悪化して死亡する例が相次いでいる』とあるところから、特別な治療法らしいことは想像がつく。

解説らしき文章がそえられており、それによると『ホメオパシ-療法』について、気が遠くなるほど薄めた『毒』を飲むことで病気を治す、という欧州生まれの代替医療で、『害のない自然な療法』と日本でも女性層を中心に人気が高まりつつあるのだそうだ。

この療法が公的医療の一角を占めるイギリスは今年、議会委員会がその効果を全面否定、公的医療から外すよう政府に勧告したとの文言に、未だにイギリスでは宗教の影響が大きいのだと(馬鹿馬鹿しいと軽蔑しながらも)驚いてしまう。

日本でもこの療法に対して裁判が起こされるなど、その効果を巡ってホメオパシーは批判対象にもなってきているというから、私が知らなかっただけで、かなり話題になっていることは確かなことを認めざるを得ない。

この療法がわが国で流行しはじめたのはそれほど昔ではないらしい。女優や女性人気作家が雑誌などに紹介したことによって、女性を中心にこの療法が広まったとのこと。よくある話である。有名人がこれは良いですよと紹介したら飛びつくのが現代流の女性心理なのかもしれない。

ホメオパシーの原理は約200年前ドイツで生まれたという。マラリア治療薬を飲んでみたら、マラリアと同様の症状が起きた。そこで『病気と同じ症状を起こせる物質なら、病気を治せる』という着想を得たというが、これは現代のワクチンの理念そのものだろうから間違いではない。

 しかし、現在のホメオパシー治療は『レメディ』と呼ばれる丸薬のようなものを飲んで行うという。『症状を起こす毒』を、よく振りながら水などで薄め、砂糖粒に染み込ませたもので、薄める毒は、毒草のトリカブトや昆虫、鉱石など約3千種類もあるとのこと。このあたりから何やらインチキめいてくる。

 病原菌やウイルスを希釈して体内に移し抵抗力を強くするという理論は理解できるが、全ての症状に『レディメ』という丸薬を与えたら良いというのでは、まさに新興宗教的のいう『神の水』と同じでは・・・。常識的にみてもインチキだと思うのだが、弱みを持った人間はこの手の商法にコロリとまいるのだろう。

記事に戻るが、死亡した43歳の女性はこの『ホメオパシ-治療』を信じて、通常の医療を末期になるまで受けていなかったらしい。両親によると、女性がホメオパシーを始めたのは3年前。離婚直後で精神的に不安定な時に友人に紹介されたのがきっかけだが、昨春から体調を崩し、全身の痛み、強い肌荒れを訴え始めたという。

周りも何度も病院受診を勧めたが、女性は『今までのホメオパシーの努力が無駄になる』と拒み続け、外出も困難になったある日、激しい胸の痛みに母親が救急車を呼ぼうとすると『西洋医学はダメ』と最後まで拒んだという。気を失いかけたすきに、母親が救急車を要請し、搬送先で、初めて悪性リンパ腫と診断されたという。

また、助産師の勧めでホメオパシーに傾倒していた両親が、生後6カ月の男児が体重5千グラム前後の低体重のまま死亡したという記事もある。病院での男児のアトピー性皮膚炎の治療や予防接種も拒否していたというから、まさに新興宗教そのもの。

この記事で、学校で大ケガをして救急車で病院に搬送されたが児童が、母親が宗教的な理由で輸血を頑強に拒んだ結果死亡し、後で大問題になった事件を思い出した。

 こんな馬鹿馬鹿しい治療に疑問を投げかけると、たちまち『日本ホメオパシー医学協会』なる団体が騒ぎだすだろうが、こんな治療法がもてはやされるのは、(悲しいことだが)人間同士の絆が弱くなり、親身に相談にのれる人が周りに存在しないからだろうという結論になってしまう。

 『ホメオパシ-』という単語は、私にとって知りたくない言葉。しかし(嫌なことだが)後味の良くない文言として記憶に残るだろうな・・・。(田舎親父)

2010年8月12日 (木)

議員定数削減よりもやることがあるのでは・・・

 昨日ロシアの汚染物質について述べたが、今朝の朝刊にチエルノブイリ原発で高度に汚染された森林でも火災が発生しているとロシア当局が認めたという記事があった。

やはり濃いスモッグには単に二酸化炭素などではなく、放射能で汚染されたゴミやチリなどが火事の影響で空気中に散乱していることは疑うことでできない。この汚染物質を毎日吸い込んでいる市民達の健康被害が心配になってくる。

このことは、今後マスコミも取り上げるだろうから、事が明らかになってからのことにして、今日は、先の参院選挙で一票の格差がさらに広がった話題を・・・。

一票の重さが4倍・5倍にもなるということでは、有権者の不公平感は大きくなるのは当然で、政府も各政党もどのように対応したら良いのか苦慮しているらしい。

 確か、神奈川では落選した法務大臣が獲得した得票が100万票近くも獲得したはずだが、片や鳥取だったか島根だったかは忘れたが、約15万票強で当選している事実は、神奈川県民の多くが納得できないという感情を持っていることは想像に難くない。

 このことについて、カン首相は『まずやらなければならないことは無駄の削減だ。国会議員自身が身を切ることも必要だ』と発言し、議員定数を削減することが、議員自らが身を切ることと認識しているらしいが、またカン違いでは・・・と首を傾げたくなる。

 民主党はマニフェストに衆参両院の『比例』を衆院80、参院40程度の定数削減を掲げている。その意味ではカン首相の発言はマニュフェスト通りなのだが、比例を無くしたら共産党や社民党などの候補者が当選することはまず困難。

少数政党に対する配慮から生まれた(わけがわからない制度には違いないが)比例という代物を今更切るとなると、自民・民主以外の政党がこぞって反対するのは当然。世論もそれは不公平という意見に傾くだろうから、簡単にマニュヘェストを敢行できるとは思えない。

となると、比例はそのままで、一票の格差を小さくするか議論の対象になるのだろうが、有権者の数に応じて議員の数を割り振ることにするのが一番手っとり早い方法だということが真っ先に出てくることは間違いなさそう。

鳥取県の総人口は約65万人だという。比べて東京は1300万人。現在の議員数は鳥取1人に対して東京は5人である。票の重みを同じにするためには、単純計算では鳥取が1人なら東京には20人割り当てなければならない。同様に、神奈川には3人ではなく10人、千葉や埼玉には8人となり定数削減どころか定数を大幅に増加させなければならなくなってしまう。

一部の人は、人口の少ない件は隣接県を含めて選挙区にして、一人の議員を選べば良いというが、県を単位からはずしては文化や伝統などわが国の国民性そのものを否定するもの以外何物でもないからこれは無理。それ以前に、地方を切り捨てるこのような議論にはついていけない。

この問題について私は少し違う認識を持っている。都会は人口が多いのだから議員の数を増やすというのは、都会人の我が儘で、好き好んで都会に住む人間(このような表現をすると批判されるのは覚悟の上だが)はこの問題について少しの我慢が必要では・・・というのが私の考え方である。

それでも現在のような格差はある程度是正しなければならないのは確かだろうから、小選挙区や比例制度などを止めて、どの選挙区にも複数議員を配置できるような制度にすることが妥当ではないだろうか。

そして、この選挙区複数議員制では一票の格差は是正できないだろうから、議員定数を削減するのではなく、むしろ増加するという考え方をしたいものである。鳥取はじめ1人区の議員を2人にして、東京は10人神奈川や大阪は6人など、ある程度人口に応じた議員定数を算定するのである。

それこそ無駄だとお叱りを受けそうだが、議員自ら身を切るというのなら、歳費を引き下げるなり、特権を縮小すれば、現在の予算額で十分大勢の議員の誕生は賄えるはず。それ以前に、約三百二十億円という壮大な無駄遣いである『政党交付金』を削るという考え方を持ってほしいと思う。

大政党のための『政党交付金』などをなくせば、現在の待遇を少しいじるだけで、現在よりはるかに大勢の国会議員を誕生させることは可能だろう。そうすれば政治が身近になりより良い議論が盛んになると思うのだがいかがだろう・・・。(田舎親父)

2010年8月11日 (水)

地球の怒り?が限界に・・・

 『モスクワが燃えている』。外国のことなど滅多に報じないのがわが国のマスコミの特徴らしいが、ここ数日、ロシアの猛暑の様子がセンセ-ショナルな表現で新聞紙上を賑わしている。

私がネットでロシアの猛暑のことを知り、この欄で取り上げたのは先月の下旬だった。その文書をもう一度読み直しているが、その時点で一月前から記録的な猛暑が続いていたとあるということは、すでに2ケ月以上も異常な気象が続き、ロシア全土に異常なほどの猛暑と干ばつ、さらに山火事が頻発していることになる。

特に首都モスクワの様子は凄まじいようだ。先週末のモスクワ市の正式発表では記録的な暑さと山火事が原因のスモッグの影響で、同市内での1日当たりの死者数が通常の360~380人の2倍近い約700人に達しているという。

わが国でもこの夏の猛暑はものすごく、連日熱中症で死亡という記事が目に止まるが、それでも多くて全国で日に2人か3人、救急車で病院に搬送される人は多いらしいが、そのほとんどは命を取り留めている。

ところが、モスクワでは一日当たり300人以上が、猛暑が関係する原因で死亡というから凄まじい。いつからこの状態が続いているかは不明だが、仮に2ケ月続いているとしたら、死者の数は単純に計算しただけでも約2万人となる。これ程までとは信じたくないが、市民は今までにない恐怖を感じて毎日を過ごしているに違いない。

市街地全体が濃いスモッグに覆われ(実際に映像もあるから事実だろう)、汚染物質による健康被害の懸念が高まっているというから、死亡者が大量に発生しているのはこちらが汚染物質を吸い込んだことが原因のようだ。

 汚染物質という文言か不気味である。数日前のネット情報では、事故以来放置されているチエルノブイリ原発の近くまで山火事が広がっているというから、もしや放射性汚染物質では・・・という懸念が頭をよぎる。

 我々の頭の中には大事故が報じられたのでチエルノブイリという名前かインプットされているだけで、恐らくロシアにはわが国よりはるかに多くの原発があるに違いない。その中に、すでに山火事の直撃にあった施設もあるのではないだろうか。だとすると、汚染物質という言葉のもつ意味はますます重要になってくる。

モスクワ市当局も死亡者の数が倍増していることは認めているが、原因を特定していないのも不気味と言えばこんな不気味なことはない。

 この猛暑はしばらく続くとのことだから、汚染物質によるスモックはますますひどくなるのではないだろうか。

そして、やがてモスクワが廃墟になり、そしてその汚染は全世界に広がる・・・。想像したくないが、地球の怒り?が限界に達しているとしたら可能性は否定できないのではない。(田舎親父)

2010年8月10日 (火)

名案だと思ったが・・・

 高速道路の一部無料化がかなり問題になっているようだが、そのことは別の機会に譲として、最近は乗用車が歩道に突っ込むという事故が多発している感じがする。

つい先日も、京都市内のど真ん中で、今ハイブリッドカ-の代表として抜群の人気車であるプリウスが歩道に突っ込み、しかも100メ-トルも暴走し、近くを歩いていた歩行者が一人はねられて死亡するという事故報道があった。

もう一人軽い怪我人がいたらしいが、時刻が夕方の6時前というからかなりの歩行者かいたと思われるのに(亡くなった人には申し訳ないが)よくぞ一人だけの犠牲者で済んだものと思ってしまう。

それ以前に、歩道を100メ-トルも暴走できるほど、京都の五条通りという道路には電柱も街路樹もなかったのだろうか。私は京都の高校を卒業しているので、ある程度京都市内の地理はわかっているつもりだが・・・。記憶の引き出しを開けているのだが、そういえば、京都市内の特に下京区など南部は街路樹がある通りは少なかったような気もしないでもない。

記事には車は歩道の植木鉢や電話ボックスに次々と衝突して止まったとあるから、やはり街路樹はなかったのだろうが、こんなところにも街路樹の利点かあるようだ。

それはともかく、逮捕された運転手は『ブレーキを踏んだが利かなかった』と供述しているという。常識的にはブレ-キとアクセルとを踏み間違えたのではと思うが、最近この種の事故が多すぎる。

確かにアクセルとブレ-キはごく近い場所についているので、慌てると踏み間違いする可能性はあるのは理解できないことはないが、経験的には考えられないのだが・・・。

ずっと以前になるが、私はオ-トマッチック車を(差別用語になるが)『いざり車』と呼んで軽蔑していた。ほとんどがオ-トマの時代になってもマチュアル車にこだわっていたものだが、マニュアル車は車自体もそうなのだが整備もかなり割高になるといことで、貧乏人には仕方ないと10数年ほど前からはオ-トマに切り換えている。もっともここ数年は滅多に運転することもないが・・・。

マニュアル車ではクラッチを切ったらアクセル機能が働かないので、この種の事故は起きないはず。便利で簡単という理由でオ-トマ全盛時代(マニュアル車を選択できないような仕組み)になってしまったことを嘆きたくなる。

それにしても、踏み間違いがこれ程多くなり、その度に人命が奪われていることを考えると、自動車メ-カ-はもう少し『踏み間違い』防止の方策を考える必要があるのではないだろうか。

一つはオ-トマ機能をもっと拡大して、アクセル操作は手でハンドルの一部を押すなどするのはいかがだろう。足はいつもブレ-キペダルの上において置き、ブレ-キペダルを踏んだらアクセル機能を切ってしまえば、踏み間違えなどという原因は間違いなくゼロになるだろう。

もっともいつも足をブレ-キペダルの上においていたら、考え事をして踏み込んだらそれこそ大変で、後続車が追突する危険性は増大する可能性は否定できない。アクセルがハンドルについている車の後は危なくて走れないという心配もあり、この名案は迷案・駄案だと気づく。

どうやら暑さボケで私の頭脳もしばらく休ませる必要がありそうだ。(田舎親父)

2010年8月 9日 (月)

お役所仕事はこんなもの・・・

 出るわ・出るわ、予想していたとはいえ、こんなに出てくるとは思わなかった。行方不明の年寄りの数である。しかも、長寿番付に載っていた人たちが軒並みに行方知らずとは一体何なのだろう。海外でも『長寿国日本』という看板を疑う声か上がっているようだが、これも当然だろう。

 この問題が話題になった時点で役所仕事ってこんなものでは・・・と皮肉り、平均寿命が10年ほど短くなるのではと書いたか、実にタイミングよく役所の大元締めの更労省が、『ほとんど影響はない』というコメントにはビックリ。

 なんでも、厚労省が出している平均寿命の算定には『住民基本台帳』などあてにしていないというから俄には信じられない変な話。

 役所の親分である厚生省が、自治体のデ-タを信じていないというのだから、この一事で、最近頻発している子ども殺し・親殺しが多いのは、このあたりに原因があるのではと変に納得してしまう。

 厚労省の担当者ははっきり自治体の住民台帳は信じられないから、5年に一度実施している国勢調査をもとに算出していると言う。特に、男性では98歳以上、女性で103歳以上の実データは、あいまいなため使っていないというから住民票は全くの飾り物というしかない。

 その住民票を発行してもらうために手数料を払っている国民は一体何なのだろう・・。

 少し気になったので役所に出かけて担当者に質問してみた。

 (最近の役所は実に丁寧に応対してくれるのだが)冷静に判断すると、行方不明の年寄りなど全く問題視していないらしく、例え家族からの捜索依頼が警察に出されたとしても、警察から連絡がないので知りませんということになるようだ。なるほど今回行方不明の高齢者の数が天井知らずということがよく理解できる。

 しかも、自ら失踪した人のほか、自宅で死んでもひとり住まいで引き取り手がない場合は『身元不明遺体』となり、住民票はいじらないらしい。当然ながら、書類上生きていることになり、大阪府で問題になっている、生存している最高年齢をはるかに越える老人がそこで生活していることになってしまう。

 役所的には『自宅なので本人と推測はできても、身寄りがないのでDNA鑑定で本人と断定できない』と言うのがその理屈になっているようだが、自宅で死んでも『行き倒れ』扱いになるのでは、これは死んでも死に切れないのではと思ってしまう。怨霊というものがあれば、夜な夜な担当者の元に現れて何とかしてほしいと訴えるのでなかろうか。

 こんなことを思ってネットで調べてみたら、いやはやとんでもない事実らしいことがいくつも引っかかる。

 その一つは今年6月のこと。神戸市の市営住宅の一室で遺体が発見されたという記事。部屋は一人暮らしの63歳の女性が契約していたらしいが、本人だという確実な証拠がないので警察は遺体を行政解剖したところ『腐敗が進んでいたため、近隣の人からの顔の確認ができず身許不明』で処理されたとのこと。

 また、今年5月には神奈川県でも同様な腐敗した遺体が見つかったが、やはり解剖の結果『腐敗が激しくて指紋も取れず、DNA鑑定に必要な親族も見つからなかった。居住の女性と強く推測できるが、断定はできなかったとして、無縁仏として処理したとのことである。

 このように親族も現れない場合は法律用語では『行旅死亡人』というらしいが、なんとも寂しいものであると同時に、警察としては身許が判明しない以上死亡届を出すわけにはいかないので、住民票上ここに籍を置く住民は生きたままになると言う。

 私は楢山節考を一つの考え方として評価している。しかし、小説の世界では自らが死を悟り家族の足手まといになることを嫌って山に入るのだが、現実は悲しいものである。

 世界からの不信を払拭するためにも、個人情報云々はともかく、もう一度高齢者を一人一人個別に面談して、その存在を確認する必要がありそうだが、役所のことだから、丁寧な言葉で恐縮しながらも『人出が足りません・・・』と言うだろうな・・・。(田舎親父)

2010年8月 8日 (日)

やはり口蹄疫は大牧場が輸入した敷き藁から・・・

 宮崎県で牛が『口蹄疫』が終息というニュ-スが流れて何日ぐらい過ぎただろう。中高年の山岳遭難や全国各地で多数の100歳以上の老人の行方不明行方など、マスコミが涎を流すような『他人の不幸』事件か次々に起き、口蹄疫の話題は口にもされなくなったようだが、それほど日にちは過ぎていないはず。

その口蹄疫の話題が数日前、マスコミが取り上げていた。

記事によると、口蹄疫の感染多発地域となった宮崎県高鍋町で、5月下旬に牛3頭が遺伝子検査で陽性となった『大規模農場』の経営会社関係者が、農林水産省と県に対し『感染が疑われる症状の牛を見つけてから、県の家畜保健衛生所に4日間届けていなかった』という趣旨の証言をしたとのである。

 当時は感染拡大が止まらず、畜産現場に危機感が高まっていた時期にあたる。家畜伝染病予防法は獣医師や家畜の所有者に速やかな届け出を義務付けており、農水省は、証言が事実とすれば同法に違反する可能性があるとみて裏付けを進める方針だとのことだが、今更・・・という感じはぬぐえない。

 この大規模農場の経営会社は取材に対し『マスコミへの対応は弁護士に統一している』と逃げの一手。同社の代理人弁護士は(本人が直接対応するのではなく)事務所を通じて『答えられない。(国の)疫学調査チームの調査にお任せしたい』とのこと。この種のコメントはほとんど事実をつかんでいながら誤魔化そうとする場合に多いだけに、届けていなかったことは間違いなさそうだ。

 ネット情報だから真偽のほどは確かめようがないが、口蹄疫が話題になりはじめたころその原因はこの大規模農場が国外から持ち込んだ牛や敷き藁にウイルスが潜んでいたという指摘があったことを思い出す。 なんでもこの牧場はテレビでお馴染みの全国規模で肉を扱う会社組織だという。

 今回記事にある牧場では牛約2300頭を飼育していたらしい。口蹄疫はそこで最初に発見されたが、保健所には一切報告しないで内部で処置したという情報だったと記憶している。

この話題が掲示板を賑わしていたが、しばらくするとピタットなくなり、以来忘れてしまっていたが、今回の記事で『やっぱり火のないところには煙がない』と言われる通り、何らかの情報があったらしいと感じている。

今回の記事では、5月21日となっているが、うがった見方をすると、本当はもっと以前だったのかもしれない。ひょっとして口蹄疫発症の最初の牛だったのかもしれない。もしも報告していれば、あのような大騒ぎにならなかったのでは・・・。これが事実だったとしたら明らかに情報操作。誰かが意識的にやったことだとしか思えない。

 今のところ、この牧場から蔓延したという証拠はないが、どこから始まったからは別として、最初の通報が遅れたことで30万頭もの牛や豚がウイルスの有無など問答無用とばかり殺されたことは間違いない。

宗教的な表現になるが、この牛や豚たちの零を慰めるためにも、今回の従業員の証言を大切にして真実を追求してもらいたいものだが、これまでの全てが不透明でベ-ルがかかったような報道ばかりでは、続報すら期待できそうもないのが口惜しい。(田舎親父)

2010年8月 7日 (土)

猛暑異変は食料問題を考える良い機会では・・・

 暦の上では今日は『立秋』。今日から秋となるのだが、昨日などは北海道でも37℃を越えるというから、猛暑や酷暑などと言葉遊びをしている余裕などないほど凄まじい。

横浜の片田舎は、ここ10日程雨も降っていないので生き物たちはカラカラ状態で見るからに苦しそうにあえいでいるようだ。私は8月生まれのためかもしれないが、元来暑さはあまり苦にならないのだが、今年の暑さには少し違うような感じがする。

 昼間の気温は高くなるものだという覚悟さえすれば、日陰で寝ころぶとか水で身体を拭くなどして何とかしのげるのだが、夜寝るとなるとそうは簡単ではない。幸い我が家は二階の窓を開けて寝られるという環境があるので、去年までは(年に数回の特別の日をのぞいては)さほどの不自由さは感じなかった。

 しかし、今年の暑さはどうだろう。年に数回という日が連続しているのだから、これにはまいってしまう。今まで使ったことがない扇風機を枕元におき、3時間のタイマ-をつけて寝るのが今日まで数回。年に数回の寝苦しさから、扇風機がないと寝られない日が数回に格上げ?・・・。

それでもタイマ-が切れると目が覚める時があり、そのときは都会で生活している友人の『寝るときに時間を設定してク-ラ-をつけないと寝られないのだが、切れると暑さに目が覚める』という言葉を思い出し、それを実感する。

私ですら感じるこの暑さ、毎日のように熱中症で死亡とか倒れるという記事が報じられているが、体力がなければ誰もが倒れることはよく分かる。

気温35℃以上になると『猛暑』と呼ばれるらしいが、この気温は日陰の芝生の地上1.2メ-トルの場所の温度である。コンクリ-トの上では間違いなくこれより5℃は高くなっているだろうから、実際には40℃、いやもっと高いだろう。

砂漠の日中は気温が60℃にもなると聞く。そこで暮らす人たちは我々の常識から見たら信じられないほどの厚着をしている。服を着込まないと体温が高くなりすぎるからだと教えられたが、それがこのところ日中歩く時に実感する。

話題は飛躍するが、こんな猛暑続きで、野菜の価格が上がっているようだ。中央市場の統計では、レタス、トマト、ネギ、ジャガイモなど、いずれの野菜も平年と比べると30%前後の上昇となっているとのこと。猛暑による高温や、7月半ばまでの豪雨で実が傷み出荷量が少なくなったためだという。

野菜に比べて暑さを好む稲は例年より生育が良く、今年は気象異変があい限り豊作とのことだが、日本人の食生活がすっかり変わり、米がいくら豊作で価格が下がったとしてもさほど生活に影響しないようだから困ってしまう。

現在の食生活にとっては米よりむしろ小麦など麦類の需要が多いが、その麦類の価格が高騰しそうだというから聞き捨てならない。

先日も話題にしたが、ロシアの暑さは半端ではないようだ。先日はモスクワで40℃になったと報じられていたが、寒冷に慣れた地方では40℃はまさに灼熱地獄だろう。暑さのために山火事が頻発し、国家非常事態宣言を出すという日本ではとても想像もできない事態になっているらしい。

当然農作物に対する影響は大きいのは想像に難くない。ロシアの小麦などの穀倉地帯は干ばつが加わり壊滅的な打撃を受けているという。ロシアは世界の穀物基地と言われるほどの麦の輸出国なので、世界の麦価格が急騰することは避けられない。

それでも輸出できている間は、影響は限られていたが、先日プ-チン首相は小麦をはじめとして麦類の輸出禁止という処置を決定し、直ちに実施したとの報道に、一体これからどうなるのだろうと心配になってくる。ロシアからの入って来ないとなると価格の急騰はこれまでにないほど大幅になるだろう。全て輸入に頼っている我が国は大変なことになりそうだ。

 果たしてどんな影響が出てくるのかわからないが、私は、ある意味今回の小麦価格の急騰は、わが国の食料問題を考える良い機会ではないかと捉えている。

 毎日暑い暑いとうんざりしているが、それも後一月もすれおさまり、半年先には逆に寒い・寒いを連発するだろう。暑さは少しだけの辛抱で良いのだが、食料が入手できないと大変なこと。

例えすぐには視聴率には跳ね返らないだろうが、マスコミはぜひこの問題を大きく取り上げてほしいものである。(田舎親父)

2010年8月 6日 (金)

食わなくても生きられたら・・・

 今日は広島に65年前に原爆が投下されてから日。原爆の日と名付けているようだが、○○の日という言い方はどちらかというと『慶事』に用いることが多いので、『原爆の日』という言い方より、少し長くなるが『広島原爆投下の日』の方が違和感はない。

 今年ははじめて国連の事務総長が出席、アメリカの駐日大使や各国の大使級の要人達も参加すると言われているので、世界的に核兵器に対しての認識が変わってきたようだと思いたいが、裏では政治的な駆け引きが蠢いているのだろうから、この動きを即核兵器廃絶につながるという希望は持たない方がよさそうだ。

 話が飛ぶが、先日『70年以上、飲食や排泄をせずに生きている』人間がいるという記事を見つけた。そんなバカなことがあっていいのかと思いながら、何となく興味を引きつけられたので、ついつい目を通してしまった。

 この83歳の男性はインドの寺院に暮らしているという。インチキだという人も多いらしいが、近隣の住民からは、生き神のような存在として崇拝されているというから、住民全員がいわば新興宗教の信者になっているような雰囲気ではなかろうか。

 この男性に面会した日本の女性記者が書いた記事によると、男性の名前はプララド・ジャニというヨガの聖人だとのことである。記者は車で約3時間もかかって巨大な岩が折り重なる丘の斜面に建つ赤い寺院を訪れたとの書き出しで記事は始まっている。

男性は予知能力や病気を治す力があるとして、多くの信者を抱え、毎週日曜には数千人の参拝客を迎える。この日も長蛇の列だったというから、その言葉を信じると、この聖人の人気は半端ではなさそうだ。

記事をそのまま引用すると『寺院の大広間に、ブランコに横たわって信者にリンゴを手渡すジャニ氏がいた。静かな老人だと思っていたら突然、側近の男性を怒鳴りだした。かんしゃく持ちは有名だという。ジャニ氏に側近が「日本のメディアです」と耳打ちすると、即座にブランコの上で正座し、胸の前に両手を合わせ迎えてくれた。動作は驚くほど敏速だ。』とあるから、この聖人は話題になることを歓迎しているようだ。ちょっとインチキくさい感じもしないでもないが・・・。

そして『ジャニ氏は男性なのに、信者からはヒンディー語で「母」の尊称である「マタジー」と呼ばれる。本人によると、体の半分はヒンズー教のシバ神(男性)で、もう半分はアンバ神(女性)だとか。顔は老人だが、雰囲気は子供のよう。女性的な衣装や装飾品をまとった身長140センチほどの小さな体はきゃしゃだ。』と男性の描写が続く。
 女性記者が、世界中が疑惑の目を向けているとぶつけると、『実際にここに来て私に会ってから判断してもらいたい』と穏やかに答えたという。さらに『なぜ飲食も排泄もせず生きられるのか』との質問には『強靱な肉体は神から与えられた贈り物だ』と淡々と答え、『人々が私のことを知って、信じてくれることはうれしい。それによって、さらに多くの人々を助けることができる』と語ったと記している。男性の出生からこの能力を得るまでの過程など、記事は続くか、信じられないことばかり。

注意を引くのは、インドの国防相がこの聖人に興味を持って、(飽くまで、この記事を信じるに足るという前提になるが)今年4月に15日間病院に入院させて、国防省の研究機関の医師団による検査をしたというくだり。 

病室は監視カメラと医師団に24時間監視された。水に接したのは水浴びとうがいのときのみ。うがいの水を飲んでいないかなどもチェックされたというとある。

国防省がこの聖人の身体を調べたのは今回だけでなく、今回は3回目だとのことで、特に2度目の2003年の検査では、この聖人は10日間、飲食や排泄をしなかったことを医師が確認したとのことである。

常識的にはこんことはあり得ない。インド国防省の正式なコメントもないことから、かなり記者の思い込みなども入っていることは明らかだが、もしも人間が食料や水も不必要(当然排出もない)だとしたら、きっと争いごとなど起きないだろうなあ・・・という感想を持つ。

国防省のねらいは多分別のところにあるのだろうが、今日、こんな夢物語的な話を突然持ち出したのも『広島への原爆投下の日』。人間食わなくてすむなら原爆など必要ないと思ったからである。(田舎親父)

2010年8月 5日 (木)

一番教訓にしなければならないのは誰・・・

 100歳以上の高齢者の行方不明が大量に出ていることで、すっかり陰をひそめてしまった感じがするが、秩父の山中での沢登り中の中高年パ-テイの一人が転落した遭難事故で、救助に向かったヘリコプタ-が墜落して救助隊員5人が亡くなるという悲惨な事故をもう一度取り上げたい。

冷たい言い方をすれば、遭難は自己責任で、安易に救助を求める風潮が背景にあることはわかり切ったことなのだろうが、悲惨な事件や事故程マスコミにとっては『他人の不幸は蜜の味』とばかりに群がる傾向は困ったものである。

この事故の後、(ちょっと古くなるが)日本テレビの社員とカメラマンの計2人が心肺停止(間もなく死亡確認)の状態で発見されたというニュ-スに、死者を鞭打つような言い方になるが、亡くなった二人には同情する以前に、テレビ各局の報道合戦に勝利するためにムリムリ取材を強要した結果ではなかったろうかと思ってしまった。

その夜には日本テレビの重役と番組編成部長だったと思うが、記者会見をしている映像が流れていた。どうせ言い訳だろうと思い気にも止めなかったが、どちらかだったかは分からないが『無理しないよう指示していたのだが・・・』という言葉が流れてきた時、やはりマスコミ界には変な使命感が背景にあることを確信した。

その後、少し注意して聞いていると、事前の準備に問題はなかったと繰り返し、装備も十分で、何故ガイドと別れたのかわからないと、警察が現場取材の自粛を求める中での事故だけに『結果として判断が甘かった』と一応反省らしい言葉で締めくくっていた。

翌日の新聞に記者会見の様子が詳しく報じられていた。記事を読んではじめて、日本テレビの取材班2人は現地ガイドを雇って山に入ったということを知ったが、一旦引き返した後でガイドと別れて再び山に入ったのは、他社より良い情報を何とかものにしたいという焦りがあったと推測しても間違いではあるまい。

 同社によると、今回の取材の目的は、墜落したヘリの機体を地上から撮影することだったというが、他社よりより視聴者受けする(視聴率の稼げる)詳細な映像を撮ることが任務だったことは疑えない。

上司は『より詳細に事故のことを伝えたい気持ちはあったが、危険な山岳取材なので無理をするなと指示した』と述べ、撮影に対するプレッシャーは与えていないと強調しているが、競争が激しい企業では『無理するな』は『無理してでも成果を上げろ』と同じ意味で通用しているのではないだろうか。

地上から撮影した墜落現場の映像は他のテレビ局が既に放映していることから、2人は尾根筋から撮影するのではなく、墜落現場まで降りて、ヘリコプタ-の状態の映像を撮らねばと受け止めたのではないだろうか。

記事には、カメラマンは同社の山岳取材班の中心的存在で大学時代は山岳部に所属して山登りのベテラン、今までの取材でも、装備や現場での判断も任されていたとある。しかし、実際にはTシャツにジャージー、沢登り用ブーツという服装でザイルも持っていなかったという報道に、何か違和感を覚える。

 同行のガイドによると、2人を案内して沢に下りたが、途中で『装備的にも技術的にも不安があったので、早くやめようと思った』とのことである。しかしこのまま引き返すのは難しいので、沢の水の冷たさを体験してもらったという。折しも雲行きも怪しかったので『やめましょう』と進言し、引き返したという。

 何故、危険だから・・・と止めなかったのかという批判もあるそうだが、相手がマスコミの頂点にたつテレビ局の、山を知っているという記者やカメラマン相手に辛く諫めなどできなかったのは当然だろう。

 それにしても、一人の中高年の不注意がパ-ティを慌てさせ、救助に向かったヘリコプタ-が墜落、救助隊員が5人死亡、さらに取材競争で2人が死亡という今回の事故・事件はいろいろなことを教えてくれる。

ただ、一番教訓にしなければならない登山ブ-ムにうなされている中高年たちに、何ら反省がないのが気になるが・・・。(田舎親父)

2010年8月 4日 (水)

所在不明の高齢者の数は天井知らず・・・

 先日、足立区の男性では都内最高齢のオジイチャンが実は30数年前に死亡していたことが明らかになったということを取り上げたが、そのとき、きっと同じようなことが起きるのではと冗談半分に述べたが、本当に翌日になって今度は都内で一番長寿だとされている113歳のオバアチャンか生死不明とのことが明らかになった。

さらに続いて、出るは出るは・・・。今朝の段階で、全国で100歳以上のお年寄り18人が所在不明となっているという。恐らく、今日にも同じような事例が報道されるだろうから、その数は?・・・。

そして、結局は全国全ての都道府県に所在不明のお年寄りが存在するというようなことにもなりかねない。この国の行政はどうなっているのだろう。

きっかけは足立区の110歳の男性の死体発見から・・・。杉並区は、これは大変と職員を動員して、区内の年寄りたちの所在を確認している過程、アパ-トに住民票をおくこのオバアチャンが所在不明だとわかったという。

俄に信じられない話である。杉並区と言えば区長を辞任して参議選に立候補して落選した御仁が提案し、率先して将来的に住民税を引き下げることで話題になったほど先進的、しかも区民に優しい行政だと宣伝していたはず。

私の考え方が古いのかもしれないが、常識的に(時にス-パ-爺さんや婆さんがテレビで紹介されているが)100歳を越えて一人で生活などできるわけがないと思うのだが、このことに対して区は何の疑いも持たなかったようだ。

先日足立区の場合、課長クラスの管理職がお祝いを届けたのではないかと、うがった推理をしたものだが、実際には担当していた民生委員が、自分が辞める段階になって、何度も訪問しても家族がいろいろ言い訳して本人には会わせないようにする態度から、一緒に生活していないのではと引っ掛かり、警察に連絡して明らかになったらしい。

民生委員の仕事の範囲については詳しい知識はない。しかし、私の少ない経験から、民生委員が積極的に住民と関わっているという話はあまり聞かない。逆に住民から見たら、自分の町の民生委員が誰なのか名前さえ知らないことや、自治会報などで名前は聞いたことがある程度ではないだろうか。

誰が民生委員を任命するのかも知らない、任命された人はほとんど毎年同じ、広報で名前は聞いたことがあるが顔を見たこともない、これが現状で(お叱りを覚悟ではっきりというと)民生委員といわば名誉職で、近所の悩みや苦情を行政に取り次ぐ程度だろうと思っている人が多いのではないだろうか。私もその一人だが・・・。

民生委員のことはもう少し勉強してから話題にするとして、(杉並区の場合)記事では4前に区の職員が長寿のお祝いを届けに自宅を訪れたとところ家族が辞退したとある。事実だとしたら、このお婆さんは一人暮らしでなかったことになり、次から次に出てくる長女とは50年以上も音信不通だとか、弟と生活しているはずだ・・・などという奇怪な発言を、区はどう説明するのだろう。

113歳にもなって、身内がだれも行方を知らない。そのことに無関心となると、そこには犯罪が存在するか、あるいはどこかで行き倒れて、身許不明人として扱われているとしか考えられないが、それは警察が明らかにしてくれるだろう。

同じ日都内だけで、3人もの100歳以上の高齢者が所在不明(行方不明という言葉の方が分かりやすいが)だという。その中の一人は8年前から所在がわからなくなっているというのに放置していたという。

 今朝のテレビの映像で、長野市だったか、担当者がインタビュ-に答えていたが、その背景の『高齢者生活支援課』という案内表示が気になる。こんな部署を設けていることから、この市は高齢者を大切に扱うという意図があったことはうかがえるが、実際には所在確認もおざなりだったということ。

この課の職員と課長は毎日何をしていたのだろうと思うが、実際に同じような表示をぶら下げている自治体も多いはず。もう一度看板と実態を洗い直す必要があるようだ。(田舎親父)

2010年8月 3日 (火)

拙速に変えることが大好きは困ったもの・・・

 拙速に教育システムを変えるのが大流行・・・

 一人一人の子どもの能力を生かすためにという大名目に次々と教育内容が変えられているように思えてならない。改革には名称を変えるのが一番手っとり早いらしく、様々な名称変更がなされてきた。

その一つが、いつのまにか『指導』が『支援』という文言に変わったこと。教師は『指導者』ではなく『支援者』と変化しはじめたのは20年ほど前から、以来その傾向はどんどん進み、今では授業をすすめる学習指導案から指導という言葉が消え、ほとんど支援という言葉に変わっていると聞く。

若い教師はそれが当たり前になっているようだが、年配者達は『最近は指導という言葉が使えないので困っている』と嘆いているという話も入ってくるが、(私の考え方が古いのかもしれないが)何故、教師が指導してはならないのとその都度疑問を投げかけている。

返ってくる言葉は、学習指導案に『指導』と書くと、校長や指導主事から直すように『指導』されるというから皮肉なもの。結果、いつのまにか使わなくなった(使えなくなってしまった)とのことであるが、なんだか変な話である。

一例だが、円の面積の計算をどうして支援して理解させるのだろう?・・・。だから理解できない児童が多いと学力テストの結果で大騒ぎしているのでは?と思いたくもなる。教師って指導することが仕事だったと思うのだが・・・。

『指導』が『支援』に変わったのは内輪の話であまり知られていないことだが、今まで使っていた身障学級とか養護学校、あるいは盲学校や聾学校など障害者が通う学級や学校が全て『特別支援』という言葉に置き換えられて、『特別支援学級』や『特別支援学校』と名称変更したのは数年前のことである。

さらに『障害』と書くと『害』があるような印象を持たれるから『障がい』とひらかな書きにしたり、『障碍』と書くように改めるべきだという意見も出ているらしい。『碍』が常用漢字でないので改定せよという声もあるというが、何だが枝葉末節的な議論で、本当の障害児童・生徒教育になっていないような感じを受ける。

話題は飛ぶが、内閣府の『障がい者制度改革推進会議』という組織があるらしい。解説によると、民主党政権が発足した昨年12月、全閣僚をメンバーとする『障がい者制度改革推進本部』の下に設置された組織で、障害者団体代表らが委員に選ばれとある。

先日その会議が『特別支援学校・学級で学ぶ知的障害者らと、そのほかの子供を同じ学校・学級で授業する』ことが望ましく、そのような制度に改革をするように求める意見書をまとめて内閣府に提出したというが、後期高齢者医療制度の改革の原案もそうだったように、どうして民主党政権は結論を急ぐのかと呆れるより危惧の方が大きくなる。

この会議の意見書は、障害者らが学ぶ特別支援学校について『地域の子どもたちから分離される要因ともなっている』と批判し、『地域の小・中学校に就学し、通常の学級に在籍すること』を原則にするように求めているらしい。

文言を読むと限り何となく納得したくなる。先日も取り上げたが、障害を持っている人が普通の生活をすることに対して疑義を唱えるものではないし、憲法の定めている基本的人権という意味から、当然誰もが快適で満足できる生活する権利を有していることは間違いないことは十分理解しているつもりである。

しかし、身体に障害を持っている人が出歩くためには、介護人をお願いする財源があれば可能なものだろうから、カネの問題だと言って良いだろうが、こと教育に関してはそんな生易しいものではあるまい。

『一緒に授業を受けることが平等』という安易な考え方を押しつけたら、今でも一人一人の能力個性の違いをいかに生かすかに苦労している学校現場は大混乱に陥り、教育システムそのものが崩壊する危険性は限りなく大きくなることだけは間違いない。

障害も個性のうちという考え方もある。しかしそれは言葉だけの問題であって、施設を充実させてバリアフリ-にすれば身体に障害がある児童・生徒は可能だろうが、実際には、そのためにはとてつもない財源が必要で、現実には不可能。まして全く対話ができない児童・生徒が同じクラスに存在しては、学校はお手上げ、圧倒的多数の教員にとっては授業どころではないだろう。

先日、知的障害6年生の女子児童が同級生の女子児童4人にトイレで裸にされた上、水をかけられるなどのいじめに遭っていたという、心がえぐられるような酷い事件の報道があった。いじめた女の子達は『掃除をしなくても先生に怒られないのが気に入らなかった』と話しているらしいからなんとも悲しい話。

単純にそれだけの理由とは思わないが、いじめた女の子達は典型的な『逆差別』だと認識していたことは間違いない。何でも一緒なら、掃除もしろよという考え方を、昔のように『思いやり』などの精神論では解決できないのだから・・・。

政府の肝入りで作られた会議だろうから、内閣府としては無視するわけには行かないだろう。しかし、もし実現すれば、よほどの覚悟を持たなければ、今回の信じられないようないじめが日常茶飯事にならないと誰が言えるのだろう。

慎重な議論を重ね、くれぐれも拙速な結論を出さないことを望みたい。(田舎親父)

2010年8月 2日 (月)

正直者がバカを見る事件が多過ぎる・・・

それぞれの業界には横のつながりを持った団体があり、それぞれに医療保険制度を作っているらしく、『全建国保』(正式名称は『全国建設工事業国民健康保険組合』というらしい)という建設工事に従事する人たちのための互助健康保険組織があるという。

その『全建国保』で約2万8千人の偽装加入が見つかり、偽装加入によって国から不正に受けていた補助金が最近5年間で約90億円にのぼることがわかったという。以前にも医療保険組合をめぐっては、同じような事件があったような記憶がある。

またまた悪事に長けている輩が仕組んだ犯罪だろうが、こんなことがまかり通るのは国の医療制度に大きな欠陥があるからに違いない。

この健康保険組織は、加入者が病気などで医療費がかかった際、本人が窓口で払う分を除いた7割を支払っているのは私が加入している国民健康保険でも同じで、ここまではごく普通の話である。

しかし、業界の健康保険制度は国からの援助がないと成り立たないというので、このうち約4割を国が補助しているというから、素人の私にはその仕組みがどうなっているのか理解が難しくなる。このあたりに偽装加入などがはびこる原因になっているようだ。

 何故偽装加入がバレたのかという記述はない。この問題では、会計検査院が昨年末以降に検査に入ったとあるから、内部からの告発でもあったのかもしれない。恐らくこの組織内部の抗争があり、負けた方が会計検査院に内部資料でも提供したというところか。

検査院は『全建国保』立ち入り検査で偽装加入者の医療費に使った補助金は不正と指摘し、最近5年間に不正に受け取った補助金の返還を求めたとのことは当然だといえばこんな当然なことはない。

金額を算定するために、監督官庁である東京都が『全建国保』に対し、偽装加入した約2万8千人が最近5年間に使った医療費のうち補助金分を調べるよう指示した結果、約90億円だったことが判明したとある。

これを受け、厚労省は全額の返還を求める方向で最終調整を進めているようだが、『全建国保』側には資金の余裕がないため話が行き詰まっているらしい。

 制度上は、『全建国保』は偽装加入者に医療費の返還を求めること筋だろうが、偽装加入が確信犯だとしたら、偽装加入者自体架空であるか、名前貸しだったことも考えられる。また、実際にいたとしてもすでに組合を脱退しているに違いないから、話は簡単に進まないだろう。

 これを裏付けるように、何とかという常務理事は『組合をやめた人も多く、事務的にも返還を求めることは難しい。適正に加入した人に負担を求めることも難しい。解散命令を受けるのに等しい金額だ。減額や、分割して支払うことなどを求めている』とまるで他人事のように話しているというから、うがった見方をすれば、この人物もあらかじめ知っていて偽装加入を容認していたと考えられないことはない。

 『全建国保』の加入者と家族は、偽装加入問題が発覚した昨年末には約21万2千人いたが、今年6月末には約18万4千人に減っており、偽装加入者の大半が脱退したと見られるという。

厚労省が『全建国保』に約90億円の支払いを強行すれば、常務理事の言うように、この保険組合は壊滅するに違いない。

『全建国保』側はそんなことはできるはずがないと、債務放棄や減額交渉をしているのだろうが、こんな場合いつもやきもきさせられたり、不利な状態に陥らされるのは保険料を支払ってきた善良な市民たちであることが腹立たしい。

 偽装加入の背景について、専門家の間には『旧社会保険庁(現日本年金機構)が、法人に義務づけられている厚生年金と協会けんぽへの加入を徹底してこなかったため、全建国保で偽装加入が広がった面がある。今後も法人の協会けんぽへの加入を徹底しなければ同じ問題が続く』と指摘している。

なるほどもっともな意見であるが、保険負担が全て国の負担ではなく企業が受け持たねばならない現行制度では、空論のように聞こえるがいかがなのだろう。偽装加入問題は『全建国保』だけではない。厚労省はこのあたりをどう受け止めているのだろう。

 私も退職して国民健康保険に入った一人だが、その仕組みはほとんどわかっていないが一応医療機関に支払う金額の3割負担で良いので、通知どおり保険料を支払っているのだが、医療機関に支払った分に比べると、それは数倍以上に及んでいる現実は、年金生活者には重い負担である。

 しかし、それは仕方ないと割り切っているが、こんな問題が多発している現実を見ると、医療制度問題について、もう少し勉強しなければと思う今日である。(田舎親父)

2010年8月 1日 (日)

役所仕事と世間の消失が生んだ馬鹿馬鹿しい事件・・・

 全国で長寿2番目に認定されていた東京足立区の111歳になる男性が、実は30年も前にこの世から姿を消していたという話題で持ちきりだが、これもいかに『世間』という、人と人とのつながりが薄れているかを示すものだと言えそうだ。

初めに報道された記事によると、男性は明治32年7月22日生まれたそうで、誕生日に合わせて足立区の職員らが111歳の誕生日を祝って記念品を贈るために自宅を訪問したところ、81歳の娘が『父は誰とも会いたくないと言っている』と話し、記念品も辞退したという。

書き出しから腑に落ちない。足立区は111歳にならないと記念品を送らないのだろうか。そんなことはあるまい、私の住む町内会でも最近は70歳の長寿というお祝ことなくなったと聞いているが、90歳・や00歳のお祝いを役員達が配っている姿を目にすることがある。

自治会だけではなく横浜市からも出ているだろう。裏金作りの名人である神奈川県の役人どもは、悪事を隠すための知恵として、長寿を祝うお祝い品は出しているに違いないことを考えると、横浜市よりはるかに財政事情が良いと言われている足立区が100歳や110歳のお祝いをケチるなど考えられない。

事実70歳になると11万円以上の記念品代を贈っているというから、100歳以上ともなれば、課長クラスの管理職が出向いていたのではないだろうか。

記事では、その後、53歳の孫が千住署を訪れ、祖父は『ミイラになりたい』『即身成仏したい』と言って30年前に自室に閉じこもったままだと説明したというが、去年はどうだったのだろう。

去年もお祝いを届けにきたはずだろうが、今年と同じように『会いたくないといっている』と追い返したと想像している。去年の課長クラスの担当者は引き継ぎでこのことを知っていたので『ハイどうも・・・』で引き下がったのだが、今年の課長は変だと執拗に食いついた?・・・。それで家族は仕方ないと覚悟して、孫が警察署に出頭してきたという筋書きでは。

孫が頭蓋骨のようなものがあるというので、警察が立ち入って遺体を派発見したというが、30数年間遺体と同居するなどよほど覚悟しなければできないこと。妻はともかく娘や孫達はよくぞ我慢できたもの、というより口裏を合わせたものである。

マスコミは格好のネタとばかり連日賑やかにこの事件を報道している。公務員だった妻が死亡後、家族の手によって普通年金より有利な遺族年金に切り換えられているとか、本人は50年も前から老齢福祉年金を受け取っているというようなことが次々と面白奇怪しく報じられている。

 常識的に考えると、これは明らかに詐欺事件。家族は本人の死亡を知っていながら、生きていると装い濡れ手に粟ではないが、のうのうと不正受給を続けていたようだ。下手すると、これと同じような事は日常的に全国どこでも起きているのかもしれないし、ヒントして詐欺ネタにする輩が出てくることも考えられる。

警察によって、今後事件の犯罪性が明らかにされるのだろうが、こんな馬鹿馬鹿しい事件が二度と起きないためにも徹底的な捜査と厳罰は当然としても、30数年間も見過ごしてきた役所仕事にも問題がある。

それ以上に、ニュ-スで放映されている近所の人たちへのインタビュ-で、『そう言えば変だと思った』というのはともかく、『そんな人が住んでいるとは思わなかった』とか『全くつきあいがなかったので知らなかった』という答えばかりの方が気になる。

 このところ報道が下火になっているが、ゴミ屋敷の事が話題になることが多い。こちらは迷惑甚だしいが、『負の近所つきあい』と見ると、それなりにご近所とは深い関わりがあるのだという見方もできる。

関係者からお叱りを受けるかもしれないが、ゴミ屋敷の関係者には今回のような事件は起こらないだろうことは明らかだろうから・・・。(田舎親父)

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