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2010年9月

2010年9月30日 (木)

検察自身が『検察は信頼できない?』と思わせる行為・・・

 厚労省の女性局長の無罪判決に大きく影響したらしい証拠品の一つ(実際には採用されなかったらしいが)フロッピーディスク(FD)改ざん事件で、最高検の動きが慌ただしくなっている。

先日、大阪地検の検事正と前次席検事から初めて事情聴取したというニュ-スが流れたが、これは最高検も本気で取り組まなければ、国民の声が大きくなり、取り返しがつかない結果になるのでは・・・と危機感をもったと解釈している。

 それにしても、前田という主任検事がなぜこんな証拠物品のフロッピ-の改竄という、あとでバレたらトンデモないことになるとわかっている初歩的でバカバカしいことをしたのだろう、という素朴な疑問がぬぐえない。

 大阪地検の特捜部には、多分、女性局長は部下の供述書を見せたら観念して落ちるだろうと甘い見込みを持っていたのではないだろうか。ところが元局長は頑強に否認を続けることは想定外。担当していただろうのこの主任検事は功を焦ったのかもしれないが・・・。それにしてもお粗末すぎる。

このフロッピ-の内容についてはマスコミが丁寧に解説しているので取り上げないが、マスコミ報道を信じる限り、取り調べの途中で日にちが合わなくなり、何とか帳尻を合わせたいということらしい。

当初は『謝って日にちを書き換えた』という報道だったが、謝って日にちを書き換えるなんて常識的にはあり得ない。しかも、私的なパソコンで操作していた途中に、なんて言い訳が世間で通用するわけはない。

上司に当たる部長と副部長は改竄したことを知っていたという。『謝って書き換えたのは単純ミスだから、特に問題はない』という認識だったので、部長達は最高険などには報告しなかったとのこと、この段階で部長や副部長ぐるみの隠蔽工作ではないかという疑いもったが、まさかという思い。

 ところが段々真相が明らかになり、昨日のマスコミ報道では、最高険の聞き取り調査で前田という検事は、『上司には意図的に改竄したと』と打ち明けていたという。となると、部長と副部長は口裏を合わせて、(例え証拠として採用されなかったとはいえ)明らかな証拠隠滅を隠蔽したとしか思えない。いや、むしろ、前田検事は部長の指示で改竄した可能性が強くなる。

改竄が明らかになったのは、例によって『内部告発』だという。おそらく地検の中にはいろいろな派閥というか、ドロドロの人間関係があったのだろうと思うが、公判維持のため、あるいは一度作った筋書きを(それこそ粛々と)実行するために、こんなことが日常的に行われているのではないかという疑いを持たれても仕方ない。

部長と副部長が逮捕されるだろうというニュ-スも流れている。逮捕は当然として、時が過ぎたらいつのまにか復職したり、自発退職で弁護士に転身などという、今までのようなナアナア決着ではなく、前田検事が受けるだろう懲戒免職はもとより、司法・行政界からの追放程度の処罰は必要ではないだろうか。

この事件が明らかになったことがどれほど影響したかどうかはわからないが、予想通り、元局長は無罪判決。検察は控訴しない(できない)ので、翌日には厚労省に復帰した彼女の英雄的とも思えるほどの映像がテレビに出っぱなしといっても過言でないほど大々的に報道されていた。

そして次の日には、官房長官から内閣府の統括官(多分局長より上位のランクだろうと思うが)という辞令を受け取ったとのこと。何となく後味の悪さは残るが、一般的にはまあこれでこの事件は一段落といったところかもしれない。

それはそれとして、このところ清張さんに傾倒している私は、つい最近読んだ『夜行の階段』という小説を思い浮かべる。

小説の中で、逮捕された男は警察官の巧みな誘導で殺人を認める自供をした。明らかにこの男が犯人だと確信できるだけの筋立てに誘導した自供調書を担当検事は間違いないと信じきって死刑を求刑したが、結果は無期懲役。

男は判決を不服として控訴するのだが、控訴審の担当検事も自供を信じ切る態度。被告が冤罪だと信じ、証拠を挙げて担当検事に忠告したが聞き入れられない桑山という検事は退職して弁護士として被告を応援する。小説はここで終わっている。

こんな検事ばかりだと、足利事件の菅谷さんなどのような冤罪は出ないのにと感心しながら一日で読み切ったものである。

巧みに誘導する警察の尋問、被告の追い詰められた心理が巧みに描き出されている。すでに読んだ人も多いとは思うが、まだの方は是非一読を・・・。(田舎親父)

2010年9月29日 (水)

林業の復活策は評価するが・・・

 門外漢ながら、国内の林業が衰退していることは以前から気になっている。最近はあまり地方にでかける機会がないが、でかけたときにはできるだけ、その地方の森の様子を見るようにしている。しかし、素人の私の目でも、手入れが行き届いていない森林が多くなっていることは実感できる。

森が荒れだしたのはいつの頃だろうかと調べてみたら、東京オリンピックと時を同じにしているらしいことがわかる。昭和30年から40年代にかけては、経済が右肩あがり、製造業を中心に工業が発展し、都市に人口が集中しはじめ、それに応じて郊外に鉄筋クリ-ト造りの5階建ての住宅団地がニョキニョキは出現した頃である。

卵が先か鶏が先か・・・という論理ではないが、木造一戸建て住宅の数倍(もっとかも知れない)の効率で住まいが大量に供給できるようになると、地方からの人の流れはますます早まり、本来なら田舎に留まって家庭を築くはずの年代も含めて都会への移住が流行り病のように広がった。

特に材木を供給する地域は山奥の交通の極端に悪い地方。そんな不便な場所にとどまる若者は年々少なくなり、農村以上に高齢化と過疎化が進むこと自明のこと。平地や海では機械化によって少しは労働力を確保できるが、機械があっても道がない山奥では、全て人力に頼るとなると、高齢の山の所有者にいくら情熱があっても続くものではない。

その上、わが国の経済力が増し開発途上の国々の森林を伐採して大量の木材が安価に入手できるとなると、人力に頼るわが国の林業が太刀打ちできるはずがない。

しかも、人々の価値観が一変して、便利なことが全てに優先するようになり、便利を満足させるためには何よりも安価が重要な要素になると、木よりプラスチックなどの化学素材がもてはやされるようになったことも、国産木材の需要の低下の原因になったことも見逃せない。

林業の疲弊が限界になっている今日、やっと政府が動きだしたという報道があった。国や自治体が学校や図書館、庁舎など公共施設を新たに整備する際、低層の場合は原則としてすべて木造建築とする基本方針を政府がまとめたとのこと、これは評価する価値がありそうだ。

字面をそのまま受け止めると、対象は高さが13メートル以下、軒の高さが9メートル以下の両条件を満たし、延べ床面積が3千平方メートル以下の建物というから、2階建てか平屋が対象らしい。今までの行政の動きから推測すると、国が率先して動きだすと地方も続くのが慣例になっているので、これから先地方中心に木造の公共の建物が増えることが期待される。

併せて、内装や施設備品などに木材利用を促すらしいので、停滞している林業の再生にはある程度の効果は期待できそうだ。

しかしほんの少し昔までは、日本各地でごく普通に行われていた、山奥から材木を麓まで切り出すための技術はすでにない。山奥に通じるトロッコ軌道も地方の博物館に展示してある写真だけで絶滅に近い。

現在あるのは、重機を切り出し現場まで持っていき、そこでトラックに積み込み作業をする技術のみ。要は重機が入る林道を整備しなければ折角の木材資源を麓まで運べない。はたして国は林道の整備まで含めて、林業再興のコンテを持っているのだろうか・・・。

実際に、時を同じくして、国が林業の担い手に貸し付けるための資金3億円が休眠状態になっているという事実を会計検査院が指摘したというニュ-スが流れている。

 この制度は林業後継者の育成のために準備した基金だと聞いている。実際に、ここまで手厚く後継者を養成する制度はつくったものの、現在の方法の林業では採算が合わず、名乗りを上げる人がほとんどいないということ。この資金の細かな運用方法は知らないが、結局は、折角の優秀な木材を合理的に切り出せないということなのではと想像している。

 建築物の不燃化などのため、公共施設の『非木造化』がいろいろな矛盾が表面化したので方向転換となったに違いないが、このまま経済的視点を中心に『木造化』を進めたら、外国産の木材で木造建築になってしまう可能性は大きいのでは・・・。

 きっと、政府は国産木材というシバリをかけてくるのだろうが、国産の木材が国際的に競争力をつけるための明確な方策を持たなければ、今回の国産木材仕様の建物というアイデアも砂上の楼閣になる可能性は限りなく大きい。

 壮大な無駄にならないために、現場の声をよく聞いて、具体性のある計画を分かりやすく国民に知らせることが、林業の再興には早道だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年9月28日 (火)

この事故は高速1000円の悲劇?・・・

 昨日の朝のテレビニュ-スが、今朝(正確には27日午前2時ごろ)、福島県の東北自動車道上り線で、ワゴン車など計3台が絡む衝突事故があり、ワゴン車に乗っていた千葉県一宮町の34歳の自動車整備士、25歳の妻 1歳の長女が死亡 3歳の長男がケガをする事故を報道していた。

その内容は、ワゴン車は追い越し車線を走行中に中央分離帯にぶつかり、弾みで路側帯のガードレールに衝突して走行車線で停止。直後に後続の2台のトラック相次いで衝突したというもの。

雨が降っており、路面は湿っていたという。当然、夜中の高速道路は暗いので視界はきかず、2台のトラックの運転手は(走行車線に車が止まっているとなど想像すらできなかっただろうから)事故で止まっているワゴン車を見つけたとしても、間に合わなかったのは仕方ない。

事故の過失は大部分(100%と言っても過言ではないと思うが)ワゴン車にあるのは明らかだが、ワゴン車の運転手一家が死亡やケガをしているので報じ方は難しいらしく、アナウンサ-は事実だけをたんたんと読み上げるような感じを受けた。

一家は北海道の実家へ里帰りしていた帰りだという。実家を何時出発したかは記事にはないが、この時刻に東北道を走っていたことから、あらかじめ渋滞を避けたいという意識があったことは確かではないだろうか。

事故には『もし』や『れば』という言葉は禁句だと承知している。無意味だということも十分保かっているつもりだが、それでも、少し早く千葉に着けるような時刻に出発していれば、渋滞に巻き込まれても事故を起こしていなかったのではないかと思うと、一家の判断ミスが悔やまれる。さらに、一人残された3歳の長男の将来を思うと暗澹たる気持ちにさせられる。

自動車整備士というから車の運転には自信と経験があったに違いない。そんな人物が普通の精神状態・体調では、中央分離帯にぶつかるなどという初歩的な過ちを犯すとはとても思えない。そこには疲れからくる居眠りとしか考えられない。

瞬間的に居眠りしても、例えば1秒間意識がなくなったとしても、その間に車は(時速100キロと仮定すると)単純計算でも約30メ-トル走っている。意識が戻ったとき、疲れから、ハッとした瞬間目の前がわからなくなったら・・・ベテランの運転手でも急ハンドルを切ることもあるだろう。このスピ-ドで分離帯にぶつかったら車はだれにも制御できない。

話は飛躍するが、先日、土日1000円をどう思うかということについて、若い人たち数人と議論したことがあった。全員勤めを持っているサラリ-マンや公務員であるので、予想通りだが『ありがたい』と歓迎している。

彼らは一様に『自分たちにとって車を転がせるのは土日曜日に限られる。例え渋滞したとしても、どこまでも1000円で走れるのはありがたい。できれば、去年同様お盆や正月の期間中も1000円にしてほしい・・・』とのこと、なるほどである。

私が、渋滞に巻き込まれたら・・・と突っ込むと。『1000円だから仕方ない。渋滞を避けるためには、高速で遠くにでかける時は、土曜日の真夜中0時を待って乗り、帰路は日曜日の深夜の11時ごろに乗ればよい』とのこと。これも若い人達の合理性というか、体力がある自信だろう。

しかし、若い人達全員が強靱な神経と体力を持ち合わしているわけではあるまい。多くの人が眠気を防止するために強烈な刺激のあるガムなど噛むということをよく聞く。サ-ビスエリアの売店にはこの種のグッズが並べられている。

極端な表現をすれば、薬(といってよいかどうかは別だが)によって、強引に非日常の状態にしているのであって、眠気とは隣り合わせの状態であることには違いない。

マスコミは、追突したトラックの運転手が酒酔い運転などと特別な過失が見つからない限りこの事故のその後は流さないだろう。まして、この事故から、高速1000円の是非などの議論には発展することは絶対と言ってよいほどなかろうが、私には単にどこでもある事故だからと放置しておけないような気がしてならない。

今回の事故は高速1000円が背景にあることは推察される。数千円の節約が事故につながり、かけがえのない命を落とす原因になってはならない。それは当然として、高速道路が試験的に無料になっている地域では、別の矛盾が巻き起こっているという。

緊急に高速道路の料金制度を真剣に考える必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年9月27日 (月)

日本が日本でなくなることも・・・

 このところあまりにも酷いカン政権のアホさ加減に呆れてしまうことが多すぎるが、この内閣を実際に動かしているのは、センゴクという官房長官だというのがもっぱらの噂。

確かにこの御仁は、船長釈放の前日までは、首相や外務大臣の留守を預かって、ハイレベルの交渉をやらねばならないと大見得を切っていたが、フジタの社員4人の拘束の情報が入ったとたん、これはダメだと思ったらしく、船長釈放を検察に指示したと言われている。

その結果、降ろした拳を下げてくれるだろうとの思惑は見事に外れ、『国内法と言っていたのに釈放とは奇怪しい・・・』と逆に中国から指摘され、国内法で処理できなかったのだからこれは不法な拿捕と拘留、当然『謝罪と賠償』を要求する権利があると突っ込まれているのだから、これはまさにブラックジョ-クとしか言いようがない。

この御仁は、すぐにでも国民に『申し訳ない』と謝ればまだしも、『検察の独断』を決め込み、あとはダンマリ・・・。マスコミに登場する機会も少なくなったような気がする。長官の姿勢を首相は追認しているだから、やはり影の総理だという噂は本当らしい。

カン首相はさすがに中国の『謝罪と賠償』には応じないと言っているらしいが、今朝のテレビで改めてそのことについての所信を述べる首相の口からは『断固拒否』という強い言葉はなく、『受け入れることはできない』と何となく頼りない。さらに言葉はともかく、目が虚ろになっているのが気になる。

4人の拘束は『軍事視察を許可なく撮影』したという理由らしい。以前、ベトナム国境付近で、中国側の駅の風景を撮ろうとカメラを向けていたら、解放軍の兵士が駆けつけてきて、撮るなという仕種をしたことを思い出す。

当然、身の危険を察知してすぐに逃げた。ベトナム側からだったから事なきをえなかったが、もしも中国側に入っていたり、(これはやらなかったが)中国領で解放軍兵士が見張る施設や兵士そのものを撮影したら、ひょっとして拘束されたかもしれないと、今更のごとくゾッとする。

単なる老人達の観光旅行であってもそのような目にあうことが稀ではないのに、フジタというゼネコンの社員が、軍事施設といわれているような場所に足を踏み入れて、しかもビデオで撮影していたのか全く理解できない。

一部のメディアが報じているように、この施設付近は立ち入り禁止の看板はなかったのかも知れない。が、こんなことは拘束したあとで、『許可なく立ち入り禁止』という張り紙を壁に張っておいたら、拘束は即合法となるだろう。

拘束されたのは中国国内での出来事。中国の国内法で裁くと言われたら、どうしようもない。ただ面会をさせてほしいとお願いするだけ。そして面会できたとしても、当時の様子すら何ら知らされないとなると、あとは『人道的な扱いを・・・・』という申し入れしかできないようだ。

方や、国内法で粛々と対処するといいながら、国内法を自ら破って『ゴメンナサイ』を言う。こなた、国内法を対処するから文句はないだろうと正論を述べる。そして、たたただ『よろしくお願いします』という例のあいまいな言葉で相手のご機嫌をとっている。この勝負は誰がみても中国の勝ちだろう。

素人の私にはどんな結果になるのか全く予測できないが、景気対策とはいいながら、平和を合言葉にして日中友好とばかり、中国人観光客の誘致ばかり考え、国の不利益なる情報を垂れ流していては、いつのまにか周りは中国語だらけになり、『貴方、日本人。珍しいわね・・・』という漫画のような世界がこないともいえないのでは・・・。

何でも、以前の中国の何とかという首相が、日本にとっては友好国だとされる国の首脳に見せた2050年の極東の地図には、日本という国の名前はなく、静岡・糸魚川構造線以西は中国『東海省』、以東は『日本人自治区』となっているという。

真偽はともかく、その地図がネットで見つかるから恐ろしい。(田舎親父)

2010年9月26日 (日)

さあカンさん どうする次の一手・・・

 船長を釈放・帰国させたら、中国政府は振り上げた拳を降ろしてくれるだろう、という思い込みがあったようだが・・・。

私のような政治・経済・外交など素人の見本のような人間でも、こんな展開になることが予想できたのに、どうして専門家と称する首相や閣僚達が、中国に『ゴメンナサイ』をすることがいかに危険なことぐらい理解できなかったとは情けない。

中国は一党独裁の国、野党が存在しない。全ての事が共産党の議決機関(実際は少数の政治局員)の思いのまま。国民(強引に併合されている地域の人々)の不平不満が爆発しそうになったら議論をする場など一切なく、中央の一部の共産党幹部の命令で『人民解放軍』と名の共産党の軍隊が出動、武力で押さえつける体勢が確立していることはチベットやウイグルで明らか。

国内法などあってないと表現しても奇怪しくない国。誰かの言葉をかりるなら、『法治国家』ではなく『人治国家』である事を、日本の政治家(屋)さんたちはあまり重要に考えていないように思える。

中国の田舎を旅すると、どんな小さな村でも『村長』が存在する事を知るが、その村長は選挙で選ばれることはなく、全て中央の共産党の指導部によって任命される。いうまでもないが、全て共産党員であり、任命された村長が村の運営に全権を持つのだから、村民は逆らうことなどできるわけはない。

村長は中央政府のマチュアルにそって、村民の動きを監視するのが任務。マニュアルには『アメとムチ』の使い分けまで事細かく書いてあるという。村長たちは早く中央にたどり着きたいという願望から、その競争は熾烈を究めるのはいうまでもないだろう。

権力を握った一部の人間は、全て思いのままに国を動かし人民を支配できるのだから、共産党の中央での内部の権力闘争が凄まじいことは想像に難くない。絶えず権力闘争が行われている社会では、いかに人民を自派の見方につけるような宣伝と施策が行われていることも自明のこと。

この場合、中央共産党政権の幹部たちは、『国民生活を豊かにする』と言葉がいかに国民から熱烈に支持されるかということを十分知り尽くしている。普段から村長が『あめとムチ』でこのことを徹底的に洗脳しているから、『石油がその付近の海底に無尽蔵眠る尖閣諸島はわが国固有の領土なのに日本が不法に占拠している』という言葉で人民を『日本をやっつけろ・・・』という意識にさせることなど簡単なこと。

中国はこんなに早くあっさり船長の釈放(船長は長期拘留に耐えられる人材なはず)するなど思っていなかったのではないだろうか。

それも、国内法に従って粛々といいながら、法治国家にあるまじき検察の独断というわけのわからない方法での釈放は、日本国内でも批判が集まるはずと見越し、ここはもう一押し脅しを強めれば、石油掘削に文句をつける元気もなくなるだろう、利権は手中に入ったと同じ・・・。既成事実が成り立つという筋書きをたてたのではないだろうか。

船長の釈放により、日中関係悪化が収拾に向かうと期待したカン政権に対して、中国が突きつけたのが『謝罪と賠償』。カン首相がどんな指示を出したのかわからないが、内閣の甘さを露呈、完全に裏素目算が狂ったというところ。

逆に、フジタの社員4人が拘束という札を握られた。フジタはアメリカ資本に牛耳られたゼネコンらしいとの情報もあるので、裏でアメリカさまがどんな動きをしているのかも無気味。

マエハラ外務大臣はクリントン国務長官と『尖閣諸島は日米安保の範囲で共通認識』したと言っているが、外交では一枚も二枚も上手なアメリカのやること、真に受けるとまたまたとんでもないことになりそうな気がしてならない。(田舎親父)

2010年9月25日 (土)

検察の判断?そんなことはあるまい・・・

 もう少し筋を通すかと思ったが、やはり民主党政権は中国の脅しに『ゴメンナサイ』をしてしまった。それも、内外に無条件降伏ではないという印象を与えたいのか、検察の判断で・・・というのが姑息で、中国の高笑いはもとより諸外国からは失笑されるに違いない。

国の行方を占う重要な外交問題で、司法(検察)の判断がまかり通るとなると、これは恐ろしいことで決して見逃してはならないはずなのに、官房長官はシラッとした顔。昨日のマスコミはそれを認めているような報道には違和感というより恐ろしささえを覚えた。政治の世界での流行りの言葉でいうと『遺憾』としか表現のしようがない。

検察は『両国の今後の関係を考えて釈放した』と、検察の判断で政治の圧力ではないと強調していたが、こんなことは法治国家ではあり得ないことは、三権分立を明記している憲法下では明確な越権行為、というか絶対にあってはならないこと。この程度は中学生、いや小学校の高学年の児童でも学んで知っている。

カン首相や首相の指示で官房長官が『今後の両国の関係を・・・』というのなら国民は渋々納得するかも知れないが、今回の一連の動きに対して政府は余程丁寧な説明をきちんとしなければ、折角高まった(らしい)支持率はたちまちのうちに急落するのは明確だろう。

野党はもちろん、民主党内部からも今回の処置に対して批判がでているという。国内の各政党の動きは自党や派閥(グル-プ)に有利になるような取引材料にするのだろうからたいしたことはないだろうが、今後の中国の動きが無気味。

船長をわざわざ政府専用機で迎えに来て、凱旋将軍のような姿で連れて帰ったという。中国国内では、貧困層を中心に『よくやった・・・・』と大騒ぎだと報じられているが、これこそ中国共産党政権の思惑通りだろう。

無理難題を押しつけて、言うこと聞かなかったら民間人数人を拘束すれば良いのだから簡単、それでもグダグタ言えば資産凍結を口にすれば・・・と乾杯でもしているのではないだろうか・・・。

今回の事件については、今後マスコミが風見鶏のごとく、国民的批判が強くなればなるほど大騒ぎするだろう。そして、政府批判の記事を載せるだろうし,その中で政治評論家と称する人たちが解説してくれるだろうから、素人の私が出る幕はない。

(突然話を変えるが)厚労省の女性局長の公判の中で、突然フロッピ-ディスクの書き換え問題が起きたのはなぜなのだろう。マスコミ報道では、すでに半年も前に書き換えられて、同僚から批判されていたという。上司も知っていたらしいのに・・・。

それが、突然明らかになったというのせ大いに気になるが、中国漁船の船長を拘留して国内法で粛々(最近、民衆党の閣僚が流行り言葉のように使っている)と処理すると強気の発言に中国が反発し、民主党政権が対応に行き詰まった時とピタリと一致するのは単なる偶然だろうか。

そんなことはあるまい、民主党の有力者は以前から検察批判を繰り返してきた。中には検察解体論まで口にしている幹部もいるという。

先日も述べたことだが、最近清張さんの読みすぎの私には(誰が考えたのかはわからないが)中国来圧力に困った・・・フロピ-書き換えでマスコミ操作・・・マスコミが大騒ぎ・・・国民の検察批判が沸騰・・・検察が窮地に陥る・・・主任検事を生贄・・・政治取引で幕引きという構図が浮かび、文才と政治知識があれば小説にするのにと、浅学を残念に思う。

今後の日本のためには、こんな素人推理が当たらないことを願うが・・・。(田舎親父)

2010年9月24日 (金)

カンさん カッコづけしている暇はないでしょう・・・

 私のような政治音痴でも,尖閣諸島海域での日本の巡視船と中国の漁船との衝突事件から、日中関係が大変な緊張状態にあるのではとハラハラしながら見守っているのだが、マスコミは案外冷静(それなりの情報があるのかも知れないのだろうが)なのが気になるところ。

一昨日だったか、国連総会に出席している中国首相が『直ちに、漁船の船長を釈放しないと、とんでもないことになる』という明らかな恫喝発言を聞いた直後、中国が日本向けのレアア-スを凍結というニュ-スが流れた。

その前日だったと記憶しているが、中国のメディアが中国政府の方針に迎合して、日本に対する嫌悪感を示す内容の記事が多くなっている中に、『日本を制圧するのは簡単、3つの方法で1カ月のうちに従うようになる』というタイトルが目にとまった。

その内容は、一連の事件により中国の民衆による反日感情は日増しに高まっていると紹介し、『国際外交紛争は、言ってしまえばどちらが相手を制圧するかの問題で、制圧した方が勝者なのだ』とした上で、政府が次の3つの方法を実行したら、たちまち日本は『ゴメンナサイ』を表明するはずだと述べている。

一つ目は、中国各地のスーパーマーケットやデパート、自動車販売店で直ちに全ての日本ブランド商品の販売を停止すること。

二つ目は、2つ目は、レアアースをはじめとして、日本が中国から大量に輸入している資源商品の供給を止めること。

そして三つ目は、高い買取価格を提示して中東の産油国が日本に輸出している石油関連商品を中国に供給させるようにすることである。

日本企業の資産凍結がないのが救いだが、この記事の結びには『これらの方法は全て中国側が完全にコントロールできるものであり、アメリカによる支援も必要ない措置』というのは、これらは全て武力行使ではないだけに真実味があり無気味。

三つ目の石油関連に関しては、原産国との関係があるので直ちに実質的効果出るかどうかは、素人の私には読めないが、一つ目と二つ目には何となく大変なことになるだろうということぐらいは推測できる。

温首相の強硬な発言に、中国政府が直ちに反応したのが、二つ目のレアメタルの実質日本向け輸出禁止措置。

まさかこんなことで『ゴメンナサイ』はないだろうと信じているが自動車や携帯電話なのハイテク産業は、そのほとんどを中国からの輸入に頼っているのが現実だとのことだから、日本経済を牽引するメ-カ-側からの要求次第では、どう政策変更があるのか心配なところがある。

すでに、訪日旅行の募集自粛によって、日本の観光地は頭をかかえているとのこと、死活問題となると、この際早く『船長を釈放しろ』という声が上がり、それに同調する意見が多くなっていると聞く。

 さらに今朝の新聞は、中国新華社発のニュ-スとして、『中国河北省石家荘市の国家安全機関が、同省の軍事管理区域に侵入し、違法に軍事施設をビデオ撮影していたとして、日本人4人を取り調べている』という記事を載せている。

詳しい情報はないとのことだが、これも中国の日本に対する意識的な圧力に違いなかろう。中国人でさえ共産党政権に対して批判的な言動をすれば直ちに拘束するというのだから、日本人がカメラを構えるだけで連行することは簡単だろうから、この種の報道は今後増えるのではないだろうか。

マエハラ外相はニューヨーク市内でクリントン米国務長官と会談し、日本側の立場を説明し、アメリカから『日米安全保障条約は明らかに適用される』というお墨付きをいただいたとの報道だが、レアア-スや旅行自粛などにはなんの実効はないのは明らか。まさにアメリカ側の空手形だろう。

今、国連本部で国連総会に出席するために、世界中の政府要人がニュ-ヨ-クに集まっている。カン首相は国連の会議で、開発途上国に8000億円の支援金を拠出するとカッコいいバフォ-マンス演説をしているが、各国の反応はシラッ-としたものらしいから、これまた、壮大な無駄遣いになる可能性が大きい。

『カンさん、貴方が緊急に行わなければならないのは、中国の温首相と会談できる場を作り出す努力ですよ・・・』と教えて上げるブレ-ンはいないのだろうか。(田舎親父)

2010年9月23日 (木)

ス-パ-業界と坊主の綱引き・・・

 去年だったか『大手ス-パ-が葬式事業に参加』という記事があったとき、儲かるとなると何でもありの世界とはいえ、ここまでやるか・・・と多少の軽蔑感を持ちながらも、よくぞ葬式に目をつけたものだと感心してしまった記憶がある。

葬式は年々簡素になっているらしいが、数が増えた葬式業者も生き残りをかけて必死らしく、遺族とのトラブルが増えていると聞く。その多くは、当初示された柩や祭壇、あるいは僧侶への布施の金額などが、請求額が違うことが原因だという。

請求されるのは葬儀終了後、柩はすでに灰になり、祭壇は撤去されている。布施の金額なども業者任せとなると、いくら包んだのかは闇の中。常識的に、僧侶本人に『いくら包んでありました』なんて聞けないので、結局は泣き寝入りになるらしい。

ここに目をつけたのが、イオンという大手スーパー。『安心の明瞭会計』というキャッチフレ-ズをうたい文句に、葬儀事業に参入したところこれが大受けしているらしい。

特に今年の春からは、僧侶の派遣をあっせんするサービスも始め、『お布施の目安』として、戒名のランクなどに応じて10万円、25万円、40万円、55万円というコ-スを設定して、ホームページに表示していたというからビックリを通り越して『さすが金儲けのプロ、よくやるよ・・・』というのが正直な感想。

このお布施の公開には仏教界が大反発しているそうだが、それは当然だろう。僧侶が活躍して何がしかのお金を得られるのは、葬式そのものとその後の法事と呼ばれる仏教行事でのお布施。戒名によってその価格が暗黙の了解がありしかも無税となると、不透明にして、高めに誘導するのも僧侶の知恵となってくるのは明らか。この部分は聖域として長年死守してきたはず・・・。

早速、伝統仏教教団でつくる『全日本仏教会(略して全日仏)』という組織は『仏教本来の精神を踏みにじった』と異議を唱え、寄付金であるお布施や戒名料などを定額料金のようにホームページで表示したことに対し削除するように申し入れていたところ、イオン側が応じてこのほど削除に応じたらしい。

『お布施はシステム化になじまない。遺族それぞれに寄り添う変動相場制であるべき』や『ホ-ムペ-ジで具体的な数値表示は、僧侶へのギャラのような感じを受けて、寺が戒名を売買している印象も与える』という仏教会の言い分も理解できないわけではないが、実際にお布施の金額で戒名の格が違うということは、私でも度々耳にする話。少し説得力が欠けるきらいがあることはぬぐえない。

ならば、はじめから戒名の価格に明確にした方が、一般的に考えると、遺族としては歓迎できることではないだろうか。

イオン側も必要以上に仏教界と争うより、傘下に置いているお寺や僧侶の数を、今以上に増やすことが有利と見たらしく、数回の話し合いの末『お布施の目安』を削除したようだが、客?の意志を反映してか、案内総合コールセンターでは、お布施の目安は口頭で伝えているというから、名を捨てて実をとったというところか・・・。

それにしてもス-パ-やコンビニがビジネスとして葬儀に参入すると、どんなことになるのだろう。徹底した情報開示と『明朗会計』が基本戦略になる以上、価格も当然全国一律となることは間違いないところ。これによって葬儀の地方差がなくなる方向に進むことは私でも予想できる。

しかも、利潤があがるとなると、他のス-パ-の参入は確実、葬儀の全国展開は急速に進むだろう。一つの文化だとも言われている地域の葬儀様式を画一化して良いのかは議論する必要はありそうだ。

もっとも、普段は没交渉にも関わらず葬儀のときだけ呼ばれると、ほとんどの場合、より格上の戒名を武器にお布施の額をつり上げている仏教寺院(僧侶側)の矛盾が明らかになったことも確か。

私は日頃から墓も葬式も必要ないと言っている。身内もその気になっているだろうから戒名問題など起こりようがないが、不景気風が吹き荒れている折、高額の葬式や墓の取得や管理などの費用は家計を圧迫していることは疑いない。

今日はお彼岸の中日。それぞれの人が葬儀のあり方や問題点など考えるにはよい機会ではないだろうか。(田舎親父) 

2010年9月22日 (水)

中国が本気のようなのが気がかり・・・

 尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視艇に衝突したと事件で、中国国内では反日感情が高まり、連日日本大使館に抗議デモが行われているらしい。このことを老獪な中国共産党政府が利用しない訳はなく、対日政策で強硬姿勢がエスカレ-トしている。

日本政府は、事を穏便に収めたいという意図があったのだろうが、後で国際的な紛争になった場合には絶対的な証拠となる乗組員を早々と釈放し船体も中国に返還してしまったことが『日本組みやすし』『脅かせば言うことを聞くだろう』という中国世論を盛り上げたのではないだろうか。これも背後では中国政府が情報操作を行っているのだろうが・・・。

事件発生当時は次の総理大臣を決める党大会が佳境の時期、所轄の国交大臣や外務大臣、そして官房長官や防衛大臣までもがそろって『カンだ オザワだ』とのおお忙し。この問題に対して適切な対応をとらなければならない閣僚達が、オザワ落としに重要な役割を果たしていたのだから、中国側からみたら絶好のチャンス。

うがった見方をすれば、代表選挙の大詰めを迎えた時期を狙って、漁船の船長には因果を含めて巡視艇と意識的に衝突させたのではないだろうか。漁船の船長の正体が筋金入りの特殊部隊の隊員だったら、長期拘束など屁とも思わないはず。あわよくば口先と民衆のデモの脅しで即釈放を勝ち取り『釈放したのは、尖閣諸島は我々中国のものだと日本政府が認めた証拠』という声明を発するのがねらいだったのでは・・・。

外務省もそこまでは読んでいたはず。しかし、対外交渉が下手な官僚が空気を読み間違え、とりあえず乗組員と船体の返還で中国政府にご勘弁という姿勢で何とか時間を稼ごうとしたようだが、この地域の海底には物凄い量の石油が眠っていることがはっきりし、それをそっくりいただく事が規定の事実になっている中国政府としては、こんな程度の譲歩で引き下がる訳はない。

諸外国は高見の見物というところらしい。沖縄に駐留しているアメリカ軍も『両国で解決する問題で、戦闘行為が起きても干渉しない』姿勢を明らかにしているというから、いよいよ日本政府はギリギリの対応に追い込まれることは間違いなさそうだ。

中国政府はすでに閣僚級以上の交流停止を公表している。日本政府は抗議しているというが、アメリカが動かないと見越している中国政府にとっては、武力衝突は望むところ、ますます挑発が進むだろう。

そんな折り、二つの事実が報じられた。一つは、中国側は21日から上海万博に派遣する予定だった大学生ら約千人の『日本青年上海万博訪問団』を受け入れないと前日になって連絡、結果的に派遣は延期になったということ。

派遣が決まっていた大学生達はガックリしていることは想像に難くない。単に自分が上海に行ければ良いと思い、早く船長を釈放しろという声にならない事を祈りたいが、情報操作に慣らされた近年の大学生達が冷静な客観的な判断ができるかが心配・・・。

そしてもう一つは、同じく上海で来月開催される予定の人気グループ『SMAP』のコンサートのチケット販売が停止されていたことである。私でも『SMAP』というグル-プが中国でも物凄い人気があることは報道で知っているので、中国の若者達のガッカリする姿勢は理解できる。

中国政府がこの若者達のエネルギ-を利用しないはずはない。中国領海で日本の巡視艇が漁船と衝突させたとの情報は、俺達の楽しみを奪ったのは日本だという感情に火をつけ、抗議のデモの理由に持って行くのはお手の物。

現地代理店は『主催者側からの通知により18日から一時的に停止した』と説明しているものの、当局からの中止命令があったことは疑いのないところ。問題が長引けは公演自体が中止されることは確実だろう。となると若者達の怒りはどこに向かうのだろう。

中国国内の若者達の反日感情が大きくなると同時に、日本国内でも中国は理不尽だという声が高まり、武力衝突も止む得ずという考え方が広まるとどうなるのだろう。

カン内閣にはとても冷静に処理する能力など期待できないとなると、中国の軍艦の出動に対して日本はどうする。想像するだけで恐ろしくなる。(田舎親父)

2010年9月21日 (火)

12月2日までにおきる気象変動とは・・・

 『ウェイブポット』という言葉を聞いたことがある人はどのぐらいいるのだろ。こんな話題を提供する私も、つい最近知ったというありさまだから、その内容まで詳しく解説できる人はごく限られているのではないだろうか。

『ウェイブポット』とは、15年ほど前にコンピュ-タ技師が開発したソフトウエア-だという。インターネット上に現れる様々な言語を『スパイナーなどのソフト』を使って集積し、その頻度などで分析する近未来予測するソフトなのだそうだ。ソフト、ソフトと文章的にも煩雑で分かりにくくなる。

『スパイナ-』というソフトがどんなものなのか想像すらできないので、なぜこのソフトが未来の事件や事故を予測できるのか、私には全く理解不能だが、凄い確率でこのソフトが導き出した予想が的中しているらしく、結果的に、全世界の知識人から注目されているのだそうだ。

当初は株価の値動きを予測するために作られ、かなりの好成績をおさめたことから、次第に予測の範囲が株価だけに限定されないことが明らかになったという。なるほど、今の世の中全て『お金』が基本になって動いている一つの証拠なのかもしれないと変に納得したくなる。

 『ウェイブポット』が世界で知られるようになったのは、2001年9月11日に起きた、いわゆる『同時多発テロ』でニュ-ヨ-ク世界貿易ビルのツインタワ-が崩落した事件を3ケ月前の6月に予告していたことによるのだそうだ。当時、そんなことを全くマスコミは取り上げなかったが・・・。

 私が『ウェイブポット』なる言葉を知ったのは、先日、何か面白い話題がないものかといろいろのサイトをウロウロしているうちに、高島康司という人の『ヤスの備忘録』というブログにぶつかったからである。

 そこから飛んだこのサイトには、かねてから興味があったいろいろな情報が満載されていた。俄には信じられないことばかりであるが、読んでいると、日頃私が何となく危惧していることと一致することが多く、ひょっとして・・・と思わせる説得力を感じてくる。

 経済問題は難しいのでさておくが、ウェイブポットが予測する地球規模での気候変動などについて、今年の秋からの寒冷化を示す多くの記述がある。あまりにも長文なのでほんのさわりだけを感想を入れながら紹介する。

まず、あらゆる地域で春や秋のようなマイルドな季節が失われ、地球上の気候は極端に暑いか、極端に寒いかの二通りになってしまうとある。今年の夏、日本が猛暑に見舞われていたがロシアやヨ-ロッパはそれ以上の酷暑、反対に南米は記録的な寒波が襲来していたことを思うと、この予測通りではと思ってしまう。

続けて、もはや季節の違いは単なる気温の相違にしかすぎなくなり、湿度や降雨量の変化では季節は区別できなくなるというくだりは、来週にもわが国に強い寒波が到来して、一気に晩秋の頃に季節が進むという気象庁の予報を思い起こす。
 この背景には、太陽活動の異常があると断言。太陽放射は増大し、太陽から発散されるエネルギーの変化も大きくなるのが原因で、次のような大胆な予測を述べている。

○主要メディアでは、北半球の秋と冬の極端な寒さが報道されるようになる。ローマの7つの丘が雪に包まれ、ドイツ、スイス、フランス、オーストリア、チェコなどの中央ヨーロッパでは、巨大な雪崩などの雪や氷に関係する災害で大変な被害を出る。
○フランス沿岸の南にあるファロー諸島から、かつては秋と冬と呼ばれていた季節には、嵐、凍るような雨、雹や吹雪、強風などの極端な天候が頻繁に発生する。さらに、地磁気や磁気圏が異常となり、高高度の大気にも異常が発生する。これにより、これまで経験したことのないような光学的な現象が発生する。これは、寒さが頂点に達した季節に起こる。
○北半球では冬となる『2010年12月2日』前後から、人々の避難と人口の大移動が、アメリカをはじめさまざまな地域で発生する。
○気象の変動は極端になり、『12月2日』以降はこれまでの気象予報はほとんど使いものにならなくなる。これまでの降雪パターンや降雪地の認識は根本的にひっくりかえり、北半球では考えられなかったような地域で降雪がある。などなど・・・。

凄い文言が並んでいるが、予測はこれだけではない。紙面の関係でとても記載できないので後は省略するが、ここまでで気になるのは『12月2日』という日付。

9月11日を予測したのが3ケ月前というから、私はこの日を注目すると同時に、この秋から初冬にかけての世界の気象現象を興味深く見守ろうと思っている。(田舎親父)

2010年9月20日 (月)

官製『老人クラブ』の必要性?・・・

 今日は『敬老の日』。

最近まで、『戸籍上150歳の人が生存』などという、芳しくない話題を賑やかに報道していたのに、長寿を願う9月9日の『重用の節句』の頃を界にして、この種の話題が消えてしまった感がしていたが、さすがに昨日あたりから、高齢者が約3000万人とか80歳以上が800万人といったチョウチン記事が目立つ。

 以前も取り上げた事であるが、30年ほど前は『還暦』という言葉が巷にあふれていた。私も何度が経験した事だが、60歳の定年を迎えた上司や仲間に対して、その年の忘年会の場で、該当者に赤いチャンチャンコを贈る習慣が当たり前だった。

しかし、そんな行事・習慣はその後徐々に姿を消して、今では『60歳定年=赤いチャンチャンコ』という思考回路はすっかり断たれてしまったらしく、『赤いチャンチャコ』などは、時にス-パ-などの広告にその姿をみるだけのものになってしまった。

 私はこれを9月15日と固定されていた『敬老の日』が、連休を増やす事を唯一の目的に、同じように固定されていた『成人の日』や『体育の日』と共に、第二や第三の『月曜日』にしてしまったことと、全く無関係ではないだろうと思っている。

 9月15日が『敬老の日』であった頃は、その年に順番で回ってくる自治会の役員が65歳(だったと思うが)以上のお年寄りに、何がしかのお祝いを紅白の饅頭と共に届けることが重要な仕事になっていたが、ここ数年そんな話題も聞かなくなった。

 私が現在地に住んでから約40年、東京電力が火力発電所で大量に使ったコ-クスの捨て場だった場所が、コ-クスの時代が過ぎてお役目御免となり、そこを宅地として整備したところなので、当時は私と同年代の人たちが多く、65歳以上のお年寄りが少なかったこともあって、当時はこの行事を大切に扱っていたと記憶している。

ところで、最近高齢者の親睦団体が年々さびれているという。先日(といってもかなり以前だが)高齢者人口が急増している陰で、その親睦団体であるはずの『老人クラブ』が近年、減り続けているという記事が目に留まった。

記事によれば、『老人クラブ』に所属する高齢者の数のピ-クは12年前だったとのことだが、以後年々減少し続けて、現在ではピーク時と比較してクラブ数で約1万5千、会員数で約150万人が減っているらしい。

このクラブ解散の流れに歯止めをかけようと、国は所属の会員数『50人以上』を『30人以上』と切り下げる策を打ち出したとのことであるが、こんな事にまで国の基準があったのかと、変な事に感心しビックリさせられる。

 やはりここにも全国組織(国の肝入りなら当然だろうが)があり、その『全国老人クラブ連合会(全老連)』という団体の事務局によると、最盛時には約13万あった老人クラブは2009年には約12万に、会員総数も約890万人から約740万人に減ったとのことである。

この数を多いと見るか少ないと見るかは考え方一つだが、この12年間で65歳以上の人口は850万人も増えていることから、これは『老人クラブ』など必要ないと思っている高齢者が多くなっていることだけは間違いなさそうだ。

 組織の担当者は『65歳になった方々には案内を配っているが、老人や高齢者と言われることへの抵抗があるのか、クラブに加入してくれない』と嘆いているようだが、今どきの65歳は元気な人がほとんど。老人クラブなどに入って、先輩諸氏の退屈な話を聞くより、やりたい事が一杯ある・・・というのが本音ではないだろうか。

案内を配っているというが、先日67歳の誕生日を迎えた私には、その連絡はない。国が後ろ楯になっている全国組織だというから、案内が直接本人に郵送されるのか、それとも市区の役所かあるいは町内会を通して届くのだろうが、こんなところにも年金や戸籍同様漏れがあるらしい。

もっとも、もしも届いたとしても(届いていたのかもしれないが)、退屈などという言葉とは全く縁遠い生活をしている私も『老人クラブ』など全く異次元の話と思っている一人だから、今後も届かない事を願っているが・・・。

クラブの存在までも(必要だと思っている人もいるだろうから)否定しないが、この組織の維持に30億円もの税金が投入されているという事実に少し違和感を持つ。

 若手を取り込もうと、クラブ名から『老人』の2文字を外し、『○○老人クラブ』を『○○グリ-ンクラブ』と名称を変える例もでているという。そこまでして年寄りを集め『老人クラブ』を存続させなければならないのだろうか。(田舎親父)

2010年9月19日 (日)

授業についていけない学生が多いとは・・・

 現在の学力が『一流大学に入ること』が基準になっている矛盾は何度も述べている。この歪んだ学力観を正常に戻すのは、大学入試制度の根本的な改革以外にないと確信しているので、10年ほど前から従来の学科試験をしない『AO方式』といわれる入試方法をとる大学の登場を、興味を持って見守ってきたが、なかなかうまくいかないらしい。

受験勉強をしなくても大学に入れるため、授業についていくのに四苦八苦する学生が多くなり、結果的に進級できないで退学していく学生が多いとの報道に、ちょっと物事の順序が違うのではと違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。

『AO方式)』とは、大学が示した入学指針(アドミッション・ポリシー)に沿う学生を募り、従来のように数教科のペ-パ-テストをしないで、得意な分野(例えば語学力やスポ-ツ競技など)を持つ入学希望者と面接の上、合否を決定する制度だと受け止めている。

入学するのは比較的楽だが、卒業するのは難しくなるこの制度が定着すれば面白いと評価していたが、推薦入試と違い、出身高校長の推薦や高校時代の成績を加味しないのが特徴だとだということが裏目になり、最近の学生気質は大学入学後(向学心さえあれば入学後の努力で何とかなると思うのだが)の勉強より違う方向に興味がいくようだ。

授業についていけなくなるのは本人気努力が足りないからで、その結果退学につながるのは当然だと思うのだが、何故かマスコミ報道は『退学に追い込まれる』と、本人の努力を不問にし、こんな学生を入学させた大学の責任・・・というニュアンスを感じる。

ところで、最近は大学進学にも景気の悪さが影響して、地元の国公立の大学の人気が高くなっており、そんな地方の国公立の大学を中心に『AO入試』方式を見直す動きが顕著だという。

ある地方の公立大学では、AO入試での合格者を一桁にするらしいとの情報である。その理由は『AO入試は面接など学生を選考する手間がかかるが、それに見合う受験生が質的にも量的にも集まらない』だという。また、別の複数の国立大学でも、募集定員を削減したり、制度そのものを全廃する動きがあるらしい。

大学側の言い分は『学力面でつまずく学生が多い』とのことである。大学は『AO入試』の合格者を対象に、入学前合宿を開催して高校時代の学習内容のテストをしたり、パソコンを利用して弱点を克服するための課題を出したりしなければならないというが、それこそ本末転倒、自分で自分の首を占めているのだから困ったものである。

文科省も大学の現状から『AO入試』には見直す方針だというから、今後この動きは大きくなるのは間違いなさそうだ。

地方の国公立大学は普通の入学試験方式で学生を集められるメドがついたので『AO入試』を実行できるのだろうが、不景気が地方の大学を見直すきっかけになるのなら、不景気も悪くないと言えそうだ。地方に就職先があればの話だが・・・。

国公立大学とはちがい、『星のごとくおびただしい』数の私立大学は簡単に『AO入試』を廃止とはいかないらしい。

学生が集まらないと赤字経営になるのは当たり前。一部の有名校や人気校を除いて、人集めに四苦八苦しているのが現実だというのは想像に難くない。人集めにもっとも手っとり早い方法は、高校では野球で甲子園出場を果たすことだが、大学となると、有名なタレントやスポ-ツ選手を入学させて、マスコミの話題を獲得することだろうが、この『AO入試』も人集めの大きな武器になっているようだ。

ある入試専門家(有名進学塾の部長)は、『AO入試』の見直しの動きについて、『文科省の動きを察知して、国公立ではAO入試でもセンター試験を必須にする動きが広がるだろうが、私立はまともに学力を問うと、受験生が逃げていく恐れがあり、経営が成り立たないことから、高校の成績の評定平均値を参考にする方式に落ち着くのでは』との予測だというが、当たらずとも遠からじというところだろう。

となると、『AO入試』は本来の受験地獄を解消するという当初のねらいから大きくはずれてしまう。

日本ではこのシステムは無理があるという判断で、入試テストが必須となると、大学入試が最終のねらいとなっている現在の学校教育システムの改革はますます難しくなることは確からしい。(田舎親父)

2010年9月18日 (土)

代表選を清張流に想像すると・・・

今週は連日かなりまじめな会議に出席していたので、ついつい物事をじっくり考える時間がなかったが、やっと一段落。今朝は気分的にリラックスできている。やはり一度リタイアした人間には、時間に追いかけられる生活はしんどいと実感。

時を合わせたように民主党の代表選挙があり、カンさんが勝利。続いて党や内閣の人事などを賑やかにマスコミが報じていた。そして、第二次カン内閣が発足したことを昨日帰宅した時にテレビが報じていた。予想通りオザワさんに近い議員達にとってはしばらくの我慢が必要なような顔ぶれ・・・。

人事は総裁の専権事項だというからこれはこれで仕方ないことだが、ノ-サイド、挙党一致といいながら、政治には全くの素人の私から見ても、明らかにオザワさんに投票した人たちを意識的にはずしている。

ここまであからさまなに冷や飯を食わされるとなると、党内野党を生み出すことは明らかだろうから、この内閣が順調に動きだすのかは全くの不透明。むしろ沈没するにはさほどの時間はかからないと見た方が間違いなさそうだ。

今ではすっかり影が薄くなった自民党のタニガキ総裁が、ひょっとしたら我が党が政権を担えるだけの国民的支持が得られるのでは・・・と希望的な発言をしていた。

内容的には面白いが、マスコミはもはやこの党は過去の遺物だという意識がアリアリ、数的には大政党なのだろうが、共産党や社民党と同じような扱いに、何となく哀れさを感じ、同情した人も少なくないのではないだろうか。

それはともかく、(今更の話になるかもしれないが)民主党の代表選挙では、マスコミはこぞって『カン首相の圧勝』と報じているが、発表された投票数からみれば、実際には圧勝どころか辛勝、何故圧勝と大騒ぎするのか釈然としない。

国会議員の投票は疑う余地はない。しかし、党員・サポ-タ-(どんな立場の人なのか理解していないが)の投票率が公表では66.6%だったと聞いて驚いている。党員・サポ-タ-は全国で合計34万票だと言われているが、実際に投票したのは23万人。これは俄には信じられない数字である。

今回の民主党の代表選挙は、単に政党の大将を決める選挙ではない。この選挙に勝利した人物が無条件に日本の総理大臣になるという、いわば(例えが古くなるが)天下分け目の関が原の決戦といっても奇怪しくないほどの意味を持った選挙だったはず。

そんな大事な選挙なのに、地方の党員やサポ-タ-と言われている、いわば選挙権がある人たちが3人に一人が投票しなかったのだろうか。

常識的に考えてそんなことはあるまい。恐らく、カン・オザワ両陣営から熾烈な支援要請がそれぞれの元に届いているはず。勝ち馬に乗るために様子見ということもあり得ないことではないだろうが、ほとんどの地方議員やサポ-タ-は投票したと考えるのが自然ではないだろうか。

前にも述べたことがあるが、最近、松本清張さんの小説を改めて読み直している。小説だから、登場人物の絡み合わせに無理があるのは仕方ないが、時代背景や社会の闇の部分などの描写は迫力があるので、ついつい時間を忘れて読んでしまう。

松本清張氏が生きていて、今度の民主党代表選挙を題材に小説を書くとしたら、どんな筋書きになるだろうと私なりに想像してみたが、きっと、党員・サポ-タ-の3分の一が棄権するという不自然さを絡ませるに違いない。

(私でも疑問に思った)投票率66%は本当だったのだろうか。もしも、オザワと書かれた数万票の投票用紙が消えていたとした、そのカラクリなどを清張流に推理して思わぬ結末に導くのでは・・・。(田舎親父)

2010年9月17日 (金)

ゴ-ヤとバナナのミックスジュ-スが美味い・・・

 昨日は一日を通して気温は20℃以下かその前後。なんでも平年では10月下旬の気温だとのこと、毛布をかぶらなければ寝られないほどの寒さ?・・・。昨日で残暑は終わりとしてほしいが、予報では今日はまた最高気温が30℃近くになるというから、彼岸まではもう少し我慢が必要らしい。

 今年の夏の暑さは半端でなく、暑さには強いと自認している私でも、扇風機のお世話で寝る日が続いたぐらいだから、病気をかかえている人やお年寄り(私も十分高齢者)にとってはつらいものがあったのではと想像している。

 例年夏になると食欲が落ちるのはごく当たり前。ところが、例年はそんな人でも果物には手が出ると聞いているが、実際には果物の消費は過去10年間の統計では年々減少しているとのことが、総務省が発表したというニュ-スを見つけた。

日本のお役所はずいぶん丁寧な統計をとるのが好きらしく、果物はじめ食品の消費傾向を毎年(数年間隔なのかもしれないが)『家計調査』と称して行っているという。実態はどんなものか知る由もないので信じる価値があるのかは不問にしても、なかなか面白い数値が並んでいる。

その『家計調査』によると、消費者の果物の購入数量の過去5~10年間の推移を見ると、リンゴ、ミカン、ナシ、ブドウ、スイカ、モモ、メロンなどは軒並み減少しているなかで、バナナとキウイだけが増加している。

果物のプロ達は『安くて手軽に食べられる。これが最大の要因』との見方をしているらしい。確かにバナナは安いうえに皮をむくだけで朝食代わりに食べられるので、最近の日本人の面倒なものは敬遠するという傾向から見ると、これは間違いなさそうだ。

数年前の『バナナダイエット』なる言葉が流行った時には、店頭からバナナが消えたということも聞いた記憶があるので、潜在的にも人気は続いているのだろう。さらに、最近は円高が進んで、バナナがビックリするほどの値段でス-パ-などで並んでいることからもバナナを購入する人は増えているに違いない。
 まだ、キウイは半分に切りスプーンですくって食べられる手軽さと、健康イメージが受けているという上に、バナナよりは少し割高感はあるものの1個100円程度というのが魅力なのかもしれない。

それはともかく、今日は『私もこの統計に寄与している一人かも』という話題を提供することにしたい。安いのも魅力の一つに違いないが、私の利用法はゴ-ヤと混ぜてジュ-スにすることである。

何回か取り上げたと思うが、今年は緑のカ-テンを作ることを思い立ち、ゴ-ヤを種から(一部苗も購入)育てている。おかげで、家の周りをゴ-ヤだらけ、5月末ごろから毎日数本は確実に収穫できるようになって今日に至っている。

ご近所などに配り歩いているが、それもさばくのは大変で、何とか簡単で一度にたくさん食べられる方法がないものかと試行錯誤した結果、ジュ-スにすることを思いつき、試してみた。しかし、かなりゴ-ヤ独特の苦みがあり、お茶がわりに飲むのは、いくらゴ-ヤ大好きな私にも少し抵抗がある。

そこで甘い果物とミックスにすることを思いき、いろいろと試してみた結論がバナナである。完熟バナナの甘さは相当なもの、牛乳を加えてミキサ-にかけることによって、バナナの甘さがゴ-ヤの苦さを打ち消しあい、牛乳との相性が抜群。実に飲みやすくなる。

しかも、普通のジュ-スを作るより念入りにかき回すことでゴ-ヤの粒はほとんど気にならなくなるから一度試してみることすすめたい。このゴ-ヤとバナナのミンクスジュ-スはなかなか好評で、このレシピを持ってゴ-ヤを配り歩くことが日課に加わっている。

さらに、当初は、最後に氷を入れて仕上げていたが、バナナを凍らしておくとそれが冷却効果を発揮するので、氷そのものが不要となりその分飲みやすくなり、一石二鳥と自画自賛。

バナナと牛乳のカロリ-が少し気にならないでもないが、新鮮なゴ-ヤが収穫できる今だけだろうから、涼しくなったとはいえ、しばらくはゴ-ヤとバナナのジュ-スを愛飲する毎日が続くようだ。(田舎親父)

2010年9月16日 (木)

免疫力を養うのが先決だろうが・・・

 しばらくのご無沙汰。先日テレビのニュ-スが、帝京大学で『多剤耐性菌アシネトバクター』の院内感染で入院していた60代の男性患者が死亡したと発表したと報じていた。よくある話だと聞き流していたら、死亡者が33人という言葉にビックリして、画面を真剣に観る。

医療には全く知識がないので、アナウンサ-の発する単語の意味が全く理解できない。『アシストバクタ-』というのは多分細菌かウイルスの名前だろうが、『多剤耐性』という言葉は私には宇宙語のような感じ。

そこで調べてみたら、細菌やウイルスで抗生物質・抗菌薬が効かないもののことを『耐性菌』と呼び、ひとつの薬だけでなく、色々な薬に対して耐性を持つ菌のことを『多剤耐性』というとのことである。言われてみたら、読んで字のごとし。納得・・・。

 『アシネトバクター』は、土壌や河川などの自然環境に存在する環境菌だそうだ。健康な人が感染しても発症することはないが、免疫力が非常に落ちた人には感染して発症するとのこと。特に免疫抑制剤を使っている人や、寝たきりの高齢者などは要注意だという。

 普通の『アシストバクタ-』は抗生物質が効くのでそれほど恐ろしい細菌ではないらしいが、突然変異を繰り返して、多種の抗生剤(あらゆる抗生物質)が効かないアシネトバクター菌が増えているというから厄介である。

 『多剤耐性緑膿菌』という細菌や、さらに『新型多剤耐菌』なる細菌も広まりはじめているそうだ。これらに共通しているのが、感染経路が医療の専門家が揃っている病院内だというのが気になるが、入院患者は一様に免疫力が極端に落ちている人が多いだろうから、当然と言えばこんな当然なことはない。

 病院側の防御体勢が不備だという批判が起きているようだ。高齢者の医療費が高騰している中、今でもパンク状態だと言われている病院の経営事情から、院内感染を防ぐためにとんでもない施設と人員が必要だろう。しかしそれが無理なことは明らか、となると病院に一方的に責任を押しつけるのは酷ではなかろうか。

このことは別の機会に話題にしてみることにするが、このような感染症にならないことは、(いつも述べていることだが)抗生物質が効かない細菌が体内に入っても発症しない免疫力をつけることに尽きる。この考え方は私の生きざまになっており、桑の葉などの薬効にほれこみ、その実践に明け暮れている。

話は飛ぶが、先日漢方薬を作る工場見学に誘われたのででかけてきた。そこで御歳80歳という会長という方の話をうかがうことなったが、この方は実に若々しく、とてもそんな高齢とは見えない。

『私たちの身体には、自然治癒力という不思議な力がある』という、最初の語りかけに、これは私の考える『免疫力』という言葉を置き換えると同じことだと気づくのには時間は要らない。

その会長の話をほんの一部引用してみることにする。(引用はじめ)

私たちはヒトという動物です。私たちの遠い遠いご先祖さまは、明るくなれば他へものを探しにでかけ、食物を得るために必死で体を動かし、手に入れた物を他へ、暗くなったら寝て疲れを癒すという、自然の摂理に従って生きてきたのです。

しかし、今の私たちは、あまり動かなくても食べ物が手に入り、暑さ寒さも、そして明るさもコントロ-ルすることができるという、自然から全くかけ離れた生活をしているわけです。言い換えますと、私たちは、本来の動物的機能をなるべく使わない生活をしていることになりまして、その結果、使われない自然治癒力が低下して、花粉症やアレルギ-患者のヒトが多くなり、更に昔は見られかった疾病が多くなってきているのも、このようなことが原因の一つと考えられます。(引用終わり)

少し宗教じみた話のようにも思われるが、『細菌をやっつける薬を発明する』――『(細菌が意志を持っているとは思わないが)その薬に耐える性質を持つように変異』――『ならばさらに強力な薬品を開発』――『細菌はそれにも耐えるように変異』・・・となるとこれは細菌と人間のイタチゴッコではないだろうか。

 強力な薬剤の開発に意義はないとは言わないが、もう少し自然の摂理に身を任してのんびりと時を過ごす知恵も必要ではないだろうか。

病気にならないためには、なってから薬剤で治癒するという考え方ではなく、この会長のいう『自然治癒力(私の表現では免疫力)』をつける努力がもっとも大事だと確信を強めた一時だった。(田舎親父)

2010年9月12日 (日)

ペイオフと時を同じにする二つの判決が無気味・・・

 一昨日、予想通り厚労省の女性元局長の無罪判決があった。事件の内容についてはマスコミが大騒ぎしているので、わざわざ触れる必要はあるまいが、検察のデッチアゲがここまで露骨なことが明らかになったのは珍しい。

 女性元局長は逮捕された当時は、確か西松建設の政治献金事件が大々的に報じられていたと時期と合致して、マスコミはどちらも連日『政治絡みの疑惑』として大きく取り上げていたが、その姿勢は明らかに検察サイド。当然だが、世間は『検察ガンバレ』という雰囲気に誘導されたと記憶している。

『政治とカネ』と呼ばれているように、政治にはカネが絡むことが多く、それを追求するのが検察特捜部だという思考回路(『検察は正しい』という意識)がほとんどの国民の頭の中に刷り込まれているものだから、検察は国民の味方だという意識が潜在するのかもしれない。

しかし、女性局長が一貫して否認する姿勢を報じはじめるあたりから、ニュアンスは微妙に変化し、どうも検察のやり方が変だぞ・・・という論調に変わってきたように思える。

特に、公判で大半の調書が不採用となった5月には、新聞各紙はほとんど一斉に『特捜検察の勇み足』とか『官製冤罪』などという見出しの社説を出したもの。この時点から、マスコミは(勝ち馬に乗る意味もあってだろうが)、元局長側の立場で報じるようになったような気がする。

それにしても、検察のスト-リ-を全て否定したというから面白い。局長の指示を、供述調書では認めたとされた元係長は『違うと言ったが、聞き入れてもらえなかった』いうから、検察の取り調べは当時の上司や部下らから、誘導などによって、都合のいい供述だけを集めたと判断しても差し支えないようだ。

 昨日のある新聞の社説に『この事件は裁判員裁判の対象犯罪ではないが、もし裁判員裁判で捜査機関の出す証拠がずさんだったのなら、と考えれば怖くなってしまう。警察や検察の取り調べをすべて録音録画する全面可視化への動きは時代の要請でもある』という文章を見つけたが、この記事を書いたデスクの気持ちは理解できる。

検察は正義の味方だと刷り込まれている素人には、裏でこんな汚い操作が行われているなんて想像ができないだろうから、裁判員裁判では、検察の誘導通りの判決に至る確率が限りなく高くなるのは当然だろう。

素人ではなく、最高裁のプロの裁判官が、何故こんなに素人以上に無茶な判断をしたのだろうと思わせたのが、数日前の鈴木宗男議員の判決。

鈴木議員も局長と同じように完全否認を貫いていた。それでも逮捕され、一審・二審とも有罪判決。自民党を事実上追放されて議員辞職に追いやられたが、この御仁は新党を立ち上げて政界に返り咲き、今や衆議院の外交審議委員長?(だったような名称)という重要役職についていた。

逮捕された当初マスコミは一斉に汚職の権化のように批判し、野党議員から『疑惑のデパ-ト』とか『疑惑の総合商社』なくありがたくないあだ名までつけてもらっていたようだが、最近は議員を評価する声が高くなっていたはず。言い換えれば、国民の多数は、鈴木議員の過去の疑惑よりも、これからの活躍に期待していたのではないだろうか。

私も、裁判所のメンツもあるだろうから『無罪』とは出しにくいだろうが、執行猶予かあるいは、もう『差し戻し』で時間を引き延ばすのではと予想していたので、実刑判決には驚いたものである。

ところで、鈴木議員の有罪判決の数日後、局長の無罪判決がでたその日に、日本信託銀行の『ペイオフ』が発表されたのは、全く因果関係がないのだろうか。

一般国民の財産である貯金を限度以上預けているという理由で、問答無用で取り上げるなんて制度は絶対にあってはならないと思うのだが、このシステムは金儲けのためにはなんでもありとの発想で、改革という名で自民党政権が数の力で押し通したもの。それでも法律となってしまった以上、それが効力を発揮するから恐ろしい。

他の金融機関に及ぼす影響が少ないから行ったとの政府筋の発表だが、鈴木議員の有罪判決でマスコミが大騒ぎし、その相は期限が切れそうになると局長の無罪判決でまたまた大騒ぎのネタを与え、タイミングを計ったような発表が無気味でならない。(田舎親父)

 明日からまた、審議委員会が始まるので、数日(3~4日)休載。

2010年9月11日 (土)

何だか きな臭くなってきたぞ・・・

 尖閣諸島ついては、かなり以前から日中双方がその領有権を主張して、将来的には大きな紛争の種になりかねないことは周知のこと。特に、この海域には相当量の石油資源の埋蔵が確認されてから、中国はすでにその開発に乗り出している。

 これに対して、日本政府は例によって『遺憾の意』というわけのわからない言葉で『抗議』している態度を見せているが、中国はその足元を見透かし、油田開発の行動はエスカレ-トしているらしい。

 先日、日本の領海で漁をしている中国船が海上保安庁の巡視艇と接触する事件があり、(珍しいことだが)日本は船長を逮捕という強い措置をしたことに対して、中国政府は沖縄・尖閣諸島付近に『漁業監視船』を派遣したとの発表。

 接触事件後間もなく、中国政府の姜報道官は、尖閣諸島は中国の領土であると強調した上で『その海域で操業していた中国の漁船に日本の国内法が適用されるのは荒唐無稽だ。非合法であり効力はない』と日本側の対応を強い言葉で批判し、公務執行妨害で逮捕された船長と漁船を、無条件で早期に解放するよう要求したが、もう一押しとばかり日本政府を揺さぶっているようだ。

テレビでお馴染みの除染報道官は『漁業監視船』というのは、派遣した目的について『関係海域の漁業生産秩序を維持し、中国の漁民の生命、財産の安全を保護すること』と明言していることから、武装した軍艦だろうことは想像に難くない。
 この発表に対して日本政府(外務省)は駐日中国大使館と中国外務省に抗議したというが、中国は尖閣諸島は『自国の領土』と主張しているのだから、時代劇的な表現をするなら『何を申すか片腹痛い』というところ、恐らく、海上保安庁の巡視艇が中国漁船に近づいたら、(絶好のチャンスとばかり)民間人を守るという大義名分のもと武力行使は間違いないのではないだろうか。

平和ボケしているわが国の政府は、(私でさえ容易に想像できる)最悪の事態などは無理に考えないようにしているらしく、『どういう意図があるのか分からない』と困惑しているというから頼りない。

さらに首相官邸の見解は、中国側の挑発行為がエスカレートしてくるとの見方には否定的で、『情勢を分析中だが、中国政府としても事態をエスカレートさせることは望んでいない。国民からの批判を受けるのを警戒し、日本に対して筋を通している姿を見せるところに最大の目的がある』とみているというから、官邸の外交専門家と言われる輩は、本気で国を守る気があるのかと疑ってしまう。

大がかりな武力衝突は考えたくないが、中国共産党政権は(政権維持のためだろうが)自国の利権を守るためにはなんでもやる体質、小競り合いなどにブレ-キなどかけるはずはない。中国へ進出している日本資本の凍結をちらつかせれば、日本政府はたちまちひれ伏さざるを得ないという筋書きを作っているのではないだろうか。

金儲けのために中国の安い人件費を見込んで中国に進出したツケがいかに大きいものであったかがはっきりするのだが、時すでに遅しのようだ。

話は飛ぶが、先日NHKの『クロ-ズアップ現代』が、日本の森林を中国資本が大規模に買いあさっているという問題を取り上げていた。解説では、木材の需要が中国国内で拡大しているので、地方自治体は乱開発を心配しているとのことだが、私はむしろ中国の真意は『水資源』ではないかと思っている。

地図で示された場所をみれば、いずれも水源地の近く。水不足が深刻な中国は、まず水源地を確保して、水を大量に中国本土に送る計画ばかりか、中国人そのものを移住させることまで視野に入れているのではないだろか。

その壮大な計画の実現のための一つの手段が尖閣海域の衝突問題だとしたら、そして日中間の小競り合いが始まったとしても、今のアメリカさまにはすでに仲介できる能力はないのではと考えるゾッとする。

政権を託されている民主党は、(国の将来などなどどこ吹く風とばかり)代表選挙など楽しんでいる時間などないはずだが・・・。(田舎親父)

2010年9月10日 (金)

水の使い方を考える・・・

 東京都水道局の調査によれば、都民一人当たりの水道の一日の使用料はおよそ240リットルだという。それぞれの生活様式が違うので、使用量はそれこそまちまちだろうが、単純に計算すれば、一年間では87600リットル。都全体で消費する水道量は、およそ10億5千万立方メ-トルという途方もない数値になる。

 一番多いのはトイレで、次に風呂、炊事、洗濯と続く。飲み水は1日あたり2リットル程度で全体の1%以下だそうだが、これは水道水を飲料に使用している人が少ないからだろう。都の水道は美味しくなったというのに・・・。

水洗トイレの水を貯めておくタンクの容量は規格がまちまちで、家庭や事業所によってかなり差があり、最近発売された節水型トイレと言われているのは5リットル以下ですむようだが、多くの家庭では13リットル型が主流らしい。

ごくわずか雨水を利用する人もいないわけでもないが、ほとんど100%といって良いほど、飲用できる水道水がトイレに使われているのだから、水不足で悩む他国の人々には聞かせたくない話である。しかし、日本人のほとんどはこのことに対してあまり意識がないようだ。

恐らく、これ程豊かに水を『湯水のごとく』使っている国はそれほど多くあるまい。 WTO(世界貿易機構)の資料によると、アメリカ、カナダ、イタリアについて水の使用料は世界で4番目だとのことだが、この数値は10年前のデ-タだから、現在ではもっと上位になっている可能性が大きい。

先日、この小覧で、日本人の食料を含めてエネルギ-の消費量かこのまま続けば、ちかい将来地球が二つ以上必要になると述べたが、水の使用料もその大きな要因。もう少し真剣に考えなければならないはずなのに、ほとんどの国民は、水は天下の周りものと疑わず、節水などどこ吹く風だから困ったものである。

これも少し前に取り上げた話題だが、来世紀まで人間が存在していたとしたら、水は現在の石油と同じような地位になり、地球上で水の争奪戦が始まることも十分予測できる。実際にその兆候は出始めおり、中国などはわが国の水資源を虎視眈々と狙っているという情報か飛び通っている。

普段から水に対して危機意識を持っているのだが、先日、ある都立高校が7月下旬から約1カ月間、プールに水を注入したままにして、推定約6600立方メートル(約510万円相当)の水道水を流出させたという報道に、唖然とさせられる。

この間は夏期休業で高校のプ-ルは使われることはなかったというから、まさに垂れ流し状態。校長はじめ担当者は水温を下げて藻の発生を防ぐためだったと言い訳をしているらしいが、藻など発生すると跡の措置が面倒だという、自分勝手な論理が無意識に働くのがではないだろうか。子どもを指導する(いや支援だった)教員がこの程度だから、社会一般に節水など意識改革が一向に高まらないのは無理ないところだろう。

同様の水の無駄遣いは6月、前橋市の市立小学校でもあり、約7900立方メートル(約150万円相当)が流出したらしい。この事件?では、市立学校の校長、教頭、教育委員会事務局の管理職が分担して弁償したというから、前橋市の教育管理職達は少し意識が高まったのかもしれない。

それはともかく、全国津々浦々全ての公立の小中高の学校には、6月中頃から9月中頃(今年は残暑で少し延びるかもしれないが)、夏休み期間中は別にして、たった2ケ月と少しのために、水泳指導と称する授業のためにプ-ルがある。

これは指導要領で体育の内容が決められているので仕方ないとしても、小学校では、6歳から12歳までの児童が同じプ-ルを使うため、安全を考慮すると、その度に水位を調整することが授業以上に大事な仕事になっていることをご存じの人はそれほど多くないのではあるまいか。

低学年が使うときは、水位を満水時の半分にする。小学校のプ-ルの水位は平均1メ-トルとして、一杯分で約250立方メ-トル。その半分の100立方メ-トル余りを毎日捨てていることになる。何ともはや壮大な無駄遣いである。

 この場で小学校の体育に水泳が必要なのかの議論をするつもりはないが、もし小学校6年間で100メ-トル泳げる能力をつける必要があるとしたら、せめてプ-ル管理と水泳指導は民営化することを考える時期にきたようだ。

 水の無駄遣いからずいぶん飛躍した話題になったが、水泳指導ができる小学校の教員はごくごく僅かだということを知れば、私の意見はそれほど的外れではないと思うのだが、いかがだろう・・・。(田舎親父)

2010年9月 6日 (月)

地域の知的財産が朽ちていくのが悲しい・・・

 現職の頃、子どもたちに本当の自然体験活動をさせるために、廃校がその拠点にならないかと考えて、かなりの地方に『相応しい廃校』を捜しにでかけたことがある。

根拠は、廃校の位置である。明治5年に始まった学校制度は、地域の人たちの熱い思いで全国に広まったことは今更述べるまでもない。全国津々浦々、少しでも余裕がある集落では、日当たりが良くしかも水の便が良い、その集落の一番環境的に恵まれた場所に次々に争うような勢いで尋常小学校が建設された。

そのことは廃校を訪れたときにも実感したことだが、山の斜面にへばりつくように家々が存在する集落でも、あるいは海岸が迫って平地などほとんどない地域でも、その廃校はかなりの広い運動場を持ち、一番日当たりの良い場所に建てられていた。

ほとんど例外はないが、その横に産業廃棄物の処理場があったり、すでに老朽化が進み、そのまま宿泊するには難しいなどという建物が多く、実現できぬまま廃村の民家にそれを求めたものである。その折り私は、地域の人々との話の中に、学校に対する深い想いを感じた。

先週、文部科学省が『2009年度に全国の公立学校526校が廃校になった』との調査結果を発表したというニュ-スに、新たな衝撃を受けた。少子化による『児童生徒数』の減少や『市町村合併』の影響などで、1992年度の調査開始以来、04年度の576校に次いで2番目に多かったとのことである。

児童・生徒がゼロなら廃校は仕方ないが、ほとんどの場合は市町村合併で、地域が大きくなった自治体には児童生徒数の少ない学校の維持管理は経済的に負担が重く、結局一番大きな集落の学校に統合し他は廃校という傾向に、無理ならぬものを感じながらも、市町村統合が本当に必要なのだろうか・・・と改めて考えさせられている。

文科省の発表はそのまま引用するが、廃校数は08年度に比べ66増えており、内訳は小学校332、中学校87、高校94など。廃校ではないが在校者がいない休校数は、今年5月1日時点で454にあがるそうだ。

 そして、92年度からの廃校の合計は5796に上り、都道府県別では北海道が640で最多。次いで東京356、新潟286など。最も少なかったのは沖縄の22だという。

北海道が一番多いというのは、その面積の広さから当然だろう。2位が東京だというのは以外な感じを受けるが、東京というと区市部が注目されるが過疎部も多く、それらの地域では区市部に近いだけに子どもの数の減り方は半端ではないそうだから、児童・生徒数の減少と、流行り病のような市町村合併といううねりの波をもろに受けているのだろう。

また、人が集まる区部であっても、実際にそこで生活している人口が3万程度なのに、区立小学校を10校もあっては、いかに経済的に潤沢な区であっても、今流行りの『無駄を省く』という考え方には抗しきれず、学校間の合併・廃校が進むのもやむ得ないようだ。

それはともかく、文科省や自治体は、廃校となった学校の施設を公民館やスポーツセンターなどとして活用する取り組みを進めているというが、02年度以降に廃校となり建物が現存している3310校のうち30・7%は利用されていないとのこと、折角の先人達の努力の跡が、雨風にさらされるままに放置されているとは何とももったいない話。

昔は分校や分教所という制度があり、先生一人の学校もあった。児童数人に先生が一人という環境も素敵だと思わないでもないが、今どきそれを押し進めるのは無理だろうから、廃校は今後も増え続けるだろうことは、残念ながら間違いなさそう。

ならば、その建物の有効活用の話になるのだろうが、人が極端に減って高齢者ばかりとなると、公民館やスポ-ツセンタ-にしても必要としない人たちばかりだろうから作ること自体が無駄遣い。維持管理するのも難しいのは誰が考えてもわかること。

時に、上手に廃校を利用している例が紹介されることがある。その一つは観光を当て込んで宿泊施設にしているが、実際は人集めが難しいらしく、テレビなどで紹介された直後には人は来るが、時が過ぎると共にじり貧状態になっているのが現実らしい。

NPO法人に貸し出している例もあるようだが、需要が少なく成功例は稀のようだ。そこで、地域住民が了解することが前提での提案だが、個人の住宅にできないだろうか。運動場は重機で掘り返して客土すれば畑としての利用は可能だろう。

廃校の規模にもよるが、一家族では広すぎるなら数家族が共同(分割)利用すれば良いだろう。高齢者を移住させるのは負の遺産を引き込むようなものだから、50歳台以下という年齢制限を設けるのも一つの知恵だろう。

より、具体的な討論ができれば良いのだが・・・。(田舎親父)

明日から、3日ほどまじめな会議が続くのでお休みします。

2010年9月 5日 (日)

教育現場に信じがたい事件発生・・・

 熱血教師が言うことを聞かない児童・生徒に対して思わず往復ビンタ。いわゆる体罰と呼ばれる暴力でケガをさせてしまうという事件は、現在でも時々聞こえてくるが、最近はむしろ、麻薬所持や性犯罪で逮捕されるという極めて情けない報道が続いている。

 先日東京都の稲城市立の小学校の教員が、小学生の女児を乱暴したという報道に、いよいよ小学校の教員の質もここまで落ちたのかと嘆いたものだが、この大塚という30歳の教員は、一回だけでなく東京都や神奈川県の小学生を、片っ端から襲っていたというから言葉を失ってしまった。

このような犯罪を犯す教師は裏と表の表情が全く違う、いわゆる二重人格者といわれる人物で、勤め先の学校ではまじめな勤務態度で、場合によったら親や子どもからは人気があり、校長や同僚からも信頼されている場合が多いのが特徴。

大塚という教師も表は多分このタイプだろうと想像しているが、裏の人格として、女の子に対して異常に興味関心があり、職場を離れると、もし騒がれたりしたらどうなるかなどという自制心が失われて、気持ちのおもむくまま犯行を重ねていたに違いない。

もっとも、そのために騒がれても目的を果たせる小さな女の子を狙ったのだろうが、これは本能というか、一種の『病気』と言っても差し支えなさそうだ。

こんな教師か存在しては、女の子を持つ保護者は安心して学校に通わせることすら不安になるのは当然だろう。圧倒的多数の教師達にとっては迷惑極まりない事件であるが、この事件は、『特殊な病気』の教師が犯した『特殊な犯罪』なのだから、変に萎縮することなく自信を持って教壇に立ってほしい。

教育委員会に願いたいことは、身内の人間が犯した重大な犯罪だろうからその責任はあるだろうが、だからと言って『ひょっとして近くにいるのでは・・・』という魔女刈り的発想ではなく、教師がのびのびと活動できる雰囲気作りをしてほしいものである。

ところで、この夏休み中に、東京立高校で校長が職員室で男性教諭に顔を殴られたうえ、パイプいすを投げつけられ、手や首を負傷していたという記事は、今まで述べてきた教師の性犯罪よりもはるかに大きな衝撃を受けた。
 記事によると、夏休みの終わりごろ、47歳になる教員は職員室で校長の顔を数回殴ったばかりか、その後、副校長にいすを投げつけたという。さらに、一旦職員室を出ていた校長が戻り、副校長を職員室から連れ出そうとすると、教諭は2人を追いかけ、校長にパイプいすを投げつけたというから驚きである。

記事では、この教師は普段から校長の指導法などに不満を抱いていたとあるが、いかに不満を抱いていても、職員室で校長を殴るなどということは前代未聞、今までの常識では考えることすら不可能な行為である。

争いの原因はわからないが、職員室という場から思うと、仕事上のことだろう。校長は教諭の指導法に不満を持って、みんなの前で注意を与えていたのかもしれない。教諭が我を忘れて殴り掛からなければならないほど激怒するのだから、余程きつい言葉で注意というより叱りつけたのではないだろうか。

校長は自ら110番通報した後、病院に搬送されたらしい。手の指の骨を折ったほか、首などにけがを負ったという。その後、この校長はマスコミの取材に事実関係を認め、『あってはならない事件が学校で起きてしまった。今後の対応は警察と相談して決めることになる』と話したとのことだから、暴力事件として刑事事件として警察の捜査が行われることは間違いない。

そうなると、事情はともあれ、(暴力事件となると)殴った教師が加害者、殴られた校長は被害者となり、教員は起訴され有罪になる可能性が大きい。

職員室という、いわば教育に携わるプロである教師たちの連絡・連携など一番大事で神聖な場で暴力を振るったことに対して同情の余地はない。しかし繰り返しになるが、いかに主義主張が違っていたとしても、ベテランの教師が校長を殴るというのは、余程の侮蔑発言が校長の口からでなければできない行為ではないだろうか。

このあたりを明らかにしてほしいと願うが、教育委員会の隠蔽大好き体質を考えると、暴力行為は許せないとして教諭の『懲戒免職』と、校長の異動で幕引きになるような気がする。

粗暴犯や性犯罪は、たまたま犯人が二重人格を持つ人間で、たまたま教師という教師という職業についていただけだったと考えれば、排除さえすればさほど波及するとは思わないが、職員室で校長を殴るとなると、これは教育システムの崩壊につながる大問題。

殴った教師の処分は当然としても、事件の原因を作っただろう校長の発言や態度を明らかにしなければ、学校教育(特に高校)に対する信頼は薄れ、生徒達はもちろん保護者を納得させられない。

その意味でも教育委員会は、この事件の背景と、当日の教師達対校長(副校長)との生々しいやりとりなどを明らかにする責任があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年9月 4日 (土)

手をつないでさえいれば・・・

 先月29日の午後のことらしいが、東京駅で新幹線『のぞみ』から降りた3歳ぐらいの子どもが車両とホ-ムの隙間から転落という記事が目にとまった。

幸い、線路上で作業していたJR東海の作業員がホームに助け上げたてケガはなかったらしいが、JR東海は安全確認を行い、後続の新幹線1本に11分の遅れが出たという。

車両とホームの間には、20センチほどのすき間があったらしい。20センチのすき間は幼い子どもが落ちるのには十分だろうが、そんなすき間があったのだろうか?・・・。

新幹線の設計思想から安全には十分注意しているだろうから、このすき間は、必要でかつギリギリの数値だろう。しかし、たかだか10センチ程度ではなかっただろうかと、思わないでもないが、子どもが落ちたというから実際に、そのぐらいのすき間があったのだろうと無理に納得させるしかないが・・・。

線路上で作業していたという表現も少し変。線路には車両が入っているのだから、線路上で作業できるはずがないと一瞬疑問に思うが、保守点検やし尿処理などでホ-ム下で作業している人たちもいることから、まあ良しとするか・・・。

この子どもは家族と一緒に立ち去ったとある。他の新聞には、家族は外国人のようだったとあるので、ひょっとして自分が子どもの手をつないでいなかったからこちらに非があると思って、急いで立ち去ったのかもしれないが、普通なら大騒ぎして、駆けつけた駅長に文句の一つをつけるところだろう。

しかし、例え20センチのすき間があったとしても、親が子どもと手をつないでいれば、こんな事故は起きるはずはない。

11本の遅れを出したJR東海側から見れば大変な損害だろう。本音を言えば、親の不注意なのだから、損害賠償でも請求したいところだろうが、そんなことをしてみたらたちまち世間から猛烈な非難が集中し、マスコミの絶好の餌食にされるのが関の山。よくぞケガがなく、しかもすぐに立ち去ってくれたとホッとしているところか。

繰り返すが、今回の記事のような、親が子どもの手さえ握っていれば起きるはずがない事故が多すぎるような気がしてならない。

少子化を何とかしなければならないと大騒ぎしている。確かに、昔のように4人・5人兄弟などは珍しく、多くて3人(2人と表現した方が良いのかもしれないが)。中国ではないが、一人っ子も珍しくないのが現実。珍しくないどころかごく普通になっている。

子どもの数が多く、まして年子が当たり前だった昔なら、何人もの子どもと手をつなぐなどというのはとてもできないことだろうが、そこはよくしたもので、年長の子どもが親の役目を果たしていた。

『手をつながれている』ことが無意識に『危ないのだろうから、手をつないでくれている』という意識が子どもの心に芽生え、それが長じて『危機意識』となるのだと私は確信しているのだが、最近は『自由にさせることが是』だという風潮が広がっているらしく、子どもをほったらかして親がおしゃべりしている風景が稀でなくなったようだ。

数年前だったと思うが、2歳の子どもを公園のベンチに座らせていたら、転落してケガをしたので賠償を求める訴えを起こしたという記事があったが、これなど親がほんの少しの注意をしていれば防げたはずなのに、自分の不注意は棚におき、全て管理が悪いからとなってしまうらしい。

車内で歩き回っている子どもを注意したら、母親から『あのおじさんが怒っているから歩き回るのを止めなさい』と言われたという話もよく聞くが、これなども典型的な責任放棄の例だろう。

子育て支援などという言葉が大流行。現実に、育児ができない親が多すぎるのが現実では支援しなければならないのも理解できるが、ただ物理的な支援では本当の支援にならないはず。そこには当然、育児に悩む親に対する指導があってこそ本当の支援になると思うのだが・・・。

学校でも指導という言葉が支援に変わったと最近ボヤいたが、人が人として成長するためには指導があってしかるべきで、周りからチヤホヤされた支援では独立心や危機意識など育たないはずだと思うがいかがだろう。(田舎親父)

2010年9月 3日 (金)

どうしてサンマが98円で売れるのだろう・・・

 毎年、我が家ではサンマの炭火焼きが秋の恒例行事となっているが、今年は、漁獲量が例年に比べ激減し、市場では極端な高値がつき、食卓にも影響が出始めたというニュ-スに、例年通りできるのかと心配になっている。

この炭焼きをはじめたきっかけは、20年以上も前のこと、釧路港でのサンマの水揚げの光景を見たからである。

ずらりと大型の漁船から、大量のサンマを網ごとクレ-ンを使って岸壁に待ち構えているダンプカ-?に無造作に積み込まれている様子に『ズッゲエ・・・』の一言。しばし口がポカ-ン開いたままの状態だったことは記憶に新しい。

そばでバケツを持った数人のおじさんやおばさんが待ち構えていて、ポロポロと落ちたサンマを拾っていたのには思わず微笑んだものだが、すぐ近くの店に入りサンマの刺身を注文したら、そこに先程のおじさんを発見し、800円の代金にこれぞボッタクリと感心したことも、この季節になると必ず思い出す楽しい思い出である。

その釧路港の水揚げの様子が先日テレビで紹介されていた。私が知っている風景とは全く違い、漁船の数はごくまばら。待ち受けるトラックの数もパラパラと寂しい限り。これらの映像から水揚げ量が極端に少ないことが十分うかがえる。

バケツを持っている人たちの姿は映し出されていなかったが、もしもいたとしたら、落ちこぼれのサンマ確保には壮絶な争いが展開されているのではないだろうか、と不謹慎な想像をしてしまう。

釧路港以外でも北海道や東北地方の漁港で始まったそうだが、どこも同じような状態らしい。

8月末、宮古港でサンマの初水揚げの報道があったそうだ。入港した大型漁船は操業が解禁された15日以降、根室沖の太平洋で漁を続けてきたが、漁獲は他港で水揚げした分を含め計50トン程度だったとのことである。

この漁獲量は、例年なら、一晩で取れた量らしいから、単純計算でも例年の10分の1以下というから事態は深刻である。その日は、他の海域で操業していた漁船も水揚げしたので総計で20トンになったが、この数は例年の半分以下だったとのこと。漁民や市場関係者は『大衆魚はたくさん取れないと赤字』とさえない表情だと報じているが、それらの人々のガッカリする気持ちはよく分かる。

別の記事には8月19日発の根室の花咲港の水揚げの様子がある。そこには、その日に大型船の初水揚げがあったが、約140トンと例年の1割にとどまり、競り値は1キロ3360円と前年同期の10倍以上になったとある。

サンマ一匹の重さなど計ったことがないが、例えば100グラムとすると、水揚げ漁港での競り値で300円とはこれは高すぎる。それでも釧路よりましだとのことで、釧路の水産加工会社が買いつけにきているというから一体この先どうなるのだろう。

サンマの不漁の原因は例年の漁場である北海道沖の海水温度が、例年より2℃高いからというのが専門家の一致した意見だそうだ。今年の猛暑を思うと、海水の温度か高くなるのはもっともなこと。サンマたちも避暑とシャレ込み、ずっと沖合に避難しているに違いない。

サンマは足が早い魚の代表格。鮮度が命なので漁場が遠くなると、それだけ経費が余分にかかることは素人の私にでもよく分かる。操業をあきらめる漁船もあるらしいから、サンマを待ち受ける我々以上に漁民達にとって深刻な問題だろう。

その後、少しは持ち直しているらしいが、少ない漁獲量を水揚げ漁港の段階で取り合っているのだから、関東地方のス-パ-で1匹200円程度のそれは、それこそ今流行りの『わけあり・・・』のサンマと思って間違いなさそうだ。

しかし昨日、散歩の途中避暑を兼ねて、近くのス-パ-に入ったところ、サンマが一匹98円で販売していたのにはビックリ仰天。

何故こんな価格がつけられるのだろうと、繁々とサンマを見た。近くには私と同じような思いをする人も数多くいたが、『わけあり商品』というイメ-ジで見るらしく、購入している人意外と少ない。

98円なら持ち帰って炭火焼きも悪くないと触手が伸びたが、あまりにも安過ぎる。その謎が解けるまでは、いま少し待つ方が無難だと、私も売り場を離れたが、浜値で300円もするのに、どうしてこの値段で売れるのだろう。これも私が世間知らずなのだろうか・・・。(田舎親父)

2010年9月 2日 (木)

公約を聞く限りオザワさんかな・・・

 オザワさんが代表選に出馬というニュ-スにはカン首相支持陣営は想定外だったらしく急に動きが慌ただしくなりはじめたのは先月の末のこと。

普通は、首相経験者は表にでないことが多いのだが、ハトヤマさんは普天間問題が行き詰まって政権を投げ出したことなどまるで他人事のように、誰から頼まれたのかはわからないが『党の分裂を避ける』という大義名分で、両者の仲立ちをはじめ、ひょっとしてオザワ出馬取りやめ・・・などという憶測でマスコミが大興奮。

結局は、カン・オザワ会談が決裂して二人が代表選に立候補という成り行きになり、ハトヤマさんはすっかり男を下げたようだが、不思議なことにこの御仁は全く動じていないというから、このあたりの神経が宇宙人と揶揄される所以なのかもしれない。

ここまで来るとハトヤマさんを批判することなど意味が全くない。この御仁は感覚からして我々とは違うので、次の面白い場面があればきっと出てくるに違いない。そして、その時はまたトンデモ話題を提供してくれるだろから憎めないキャラ。無責任はさておき、何となく応援したくなるから摩訶不思議な方である。

昨日から始まった代表選挙にマスコミはだい興奮。早速午後になって揃って記者会見をしたらしいが、私は粉引き爺さん仕事があって見逃してしまった。そして、夕刊には、二人の選挙公約が載っていた。読む限りにおいては、二人の公約はニァンスがかなり違う。カンさんの選挙公約骨子として次のようにまとめている。

①党の資金は透明なプロセスを経て配分 ②消費税を含む税制抜本改革を検討。実施前に国民の信を問う ③衆院選マニフェスト修正は国民に率直に説明 ④国家公務員給与の人事院勧告を超える削減を目指す ⑤普天間問題は、日米合意を踏まえて取り組む ⑥首相が直接指揮して予算編成とある。

恐らく①では政治とカネの問題を意識して、クリ-ンな政治を目指すという意図なのだろうが②の消費税を上げるというのはいただけない。このことは参院選挙で国民は明らかにノ-を突きつけ、選挙後はゴメンナサイと言っていたことをすっかり忘れて、貝になっていたのに、やはり財務省の官僚の入れ知恵は彼の頭脳に刷り込まれているらしい。

③も努力が足りないような気がするし、④と⑥については、ここ3ケ月の首相としての言動から判断すると、ますまず無理だろう。

そして一番気になるのが⑤の普天間基地の問題である。党内合意もしないでアメリカさまにひれ伏したのは誰だったのか。あれほど民主党として国外(悪くても県外)と言って衆議院選挙を戦ったことをすっかり忘れ、今回の公約でも、アメリカさまからのご命令で(よりによって自民答案と同じ)辺野古に移転するというのは、私的には絶対に受け入れない。

一方オザワさんの選挙公約は ①政権交代の原点に返り、衆院選マニフェストを誠実に実行 ②国家予算207兆円の全面組み替えで財源確保 ③子ども手当は12年度から月額2.6万円支給 ④ひも付き補助金の一括交付金化 ⑤国会の機能強化と官僚答弁の禁止 ⑥普天間問題は、沖縄県、米政府と改めて話し合う とある。

財源が示されていないので、本当にできるのかという素朴な疑問があるが、ハトヤマさんやカンさんは財源確保ということに対して、たかだか『仕分け』などというパフォ-マンスをしてお茶を濁して『財源はさがしたがありませんでした』という結論になり、結局はマニュフェストを変更しますというマイナス思考ではなく、②④⑥のなどかなり具体的なイメ-ジを示しているので、ひょっとして可能性があるのではと思わせる。

⑤は日米合意をもう一度見直すと明確に宣言していると解釈して差し支えない。これは何より評価できる。アメリカさまのいう通りだった歴代の自民党と同じ立場のカンさんよりはるかに評価できる。

全て可能とは思えないが、字面を追う限り、オザワさんにこの難局を任せたいという気になる。

オザワさんにはカネというネガティブのイメ-ジがついて回っているのがマイナスイメ-ジになっているが、最もクリ-ンだと言われたセンゴクという御仁ですら、何やら怪しい情報が蠢きはじめていることから、政治家(屋)さんたちはそのカネの金額はともかく、全くクリ-ンな人はいないだろうことは明らか。

政治にはカネがついて回ることは当たり前だとわかれば、カネ問題は一旦棚上げして、本当に難局を切り開ける可能性を秘めた方を総理大臣にすれば良いはず。

そんなことを言えば、カンさんを応援する人たちから、物凄いブ-イングがきそうだが・・・。(田舎親父)

2010年9月 1日 (水)

こんなリ-ダ-がいたからこそ・・・

 暑い・暑いという言葉を何度口にしたかわからないほどき猛暑が続いているが、時の流れは、ほんの少し立ち止まり考え事する余裕も与えないほど凄まじいほどの速さで過ぎ去り、昨日で8月も終わり今日から9月。今年も3分の2が過ぎ去ったと思うと、残りの3分の1など、ほんの一瞬のごとくではないだろか、と身震いすら出てくる。

連日、チリの鉱山の落盤事故で地下700メ-トルのシェルタ-に閉じ込められている作業員のことが報じられているが、最近の取り上げ方は、ドリルの先に生存を確信させる手紙があったという奇跡的な瞬間の感動とは少し質が変わって、何かワイドショ-的な視聴率稼ぎという報道姿勢がでてきたように感じるのは私だけなのだろうか。

そのことはさておき、33人がわずか20坪足らずの狭い空間に閉じ込められていることを想像すると心が痛み、何とかならないものかと思うが、現在のチリの技術では7000メ-トルの深さまで穴を掘り進めるために数カ月かかるというから、それまで作業員たちの精神が持つのかというのが一番の心配事。

水や食料などは細い穴で何とか送り込めているらしいので、当面、命の危険性はないとのことだが、いつ救出されるか全くわからない現在の状況では、彼らの精神状態は極限に達していることは想像に難くない。

一昨日だったの新聞に、地下に閉じこめられている33人の救出策として、既存の狭い縦穴を拡大することで救出に必要な期間を短縮する方法の検討が新たに始まったとの記事があった。

現在、直径15センチほどき3本の細い穴が地上とシェルタ-との間を結んでいるらしい。落盤事故を想定してシェルタ-を作り、地上との連絡孔をつけていたという、この鉱山の設計思想には心から敬服するが、閉じ込められることなどは想定外だったのではないだろうか。しかも、そのシェルタ-から救出するなどははじめから考えられてなかっただろうから、政府も含めて鉱山関係者は正直なところ戸惑っているというところでは・・・。

恐らく、作業員達が全員生存しているなど想像していなかったはず。全員の無事が確認された以上、救出しなければ世論が納得しないだろう。下手すると政権を失うことにもなりかねないとなると、救助を急がねばならない。

そのために穴を拡大するという方法が検討されることになったのだろうが、そんなことをして大丈夫なのだろうか、という疑問がよぎる。

技術的のことは全く詳しくないが、現在通じている15センチの穴は、材質はともかく『パイプ』が通っていると想像している。そのパイプにそって広げるというのは、パイプが邪魔になって機械操作が難しくなるのではないだろうか。

万一作業中に間違ってパイフに穴を開けたら、そこからほこりや土くずが入り込み、通気孔の役割を妨げになる。そんなリスクを考えたら、(素人考えだが)新たに穴を最短距離で垂直に掘る方が技術的に簡単でしかもリスクが少ないのではと思わないでもない。

それにしても、33人全員が生存しているということは奇跡的なことで、凄いリ-ダ-が存在していることは間違いない。全員がそのリ-ダ-を信頼しているからこそ、現在混乱が最小限に保たれているのだろうと思うと、国民の幸せなど二の次・三の次にして、自分の地位のことしか考えない政治屋達の思惑で大迷惑しているわが国には、何よりもこんなリ-ダ-が必要なのにと嘆かざるを得ない。(田舎親父)

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