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2010年10月

2010年10月31日 (日)

さて ビデオを公開できるかな・・・ 

 このところ民主党に対して辛口の批評が多くなっているが、カン内閣のやり方を見ていると、どうもこの内閣は完全に『死に体(レイムダック)』になった感じがする。

 尖閣問題こじれた日中関係を打開できるのではと、マスコミも実現確実と報じていた中国の温首相との日中首脳会談が見送りになったという。

 前日には日中の外相会談で首脳会談を打ち合わせをし、マエハラ外相は俺の手柄だとばかり、例の偉そうな態度で『明日首脳会談が行われる』と胸を張って発表していたが、中国がマエハラ外相の言動に?を出したらしい。

 最終的に中国側が拒否したという。中国側のコメントは『日本側が会談を実施する雰囲気を壊した』とのことだが、首脳会談を目前になって拒否するということは、国際的にめったにあるものではない。極端に表現すると『宣戦布告』に等しいのではないだろうか。

 マスコミは日中外相会談での東シナ海ガス田問題をめぐるやりとりに関し、日本側が事実と異なる内容を発表したと批判したとの見方をしているが、どうも尖閣での漁船拘束時のビデオの公開という問題があるのではないだろうか。

 そのビデオにはとんでもない事実が隠されているという。先日ワンマン都知事サンがこのビデオの内容について、海上保安庁の職員が漁船に乗り移ったとたんに漁船は急にバックし、漁船の船員達が取り残された職員に暴行し縛り上げて海に突き落とした場面が写っているとにおわしていた。さらに、漁船は海上に浮かんでいる職員をひき殺そうと何度も突っ込んで、モリのようなもので職員を突き刺している姿もあったとのこと。

 とてもでは信じられない。が、ここまで民主党政権がビデオの公開をかたくなに拒否、やっと公開する段になって、2時間の映像をわずか5分に編集し、しかも国会の予算委員会という限定した場での公開しか認めないという態度に、ひょっとしてそれに近い場面があるのでは・・・という想像もできないことはない。

 先日、自民党時代の『密約』のことを書いたが、今回の尖閣問題では国内法で粛々と裁くといっていた民主党政権が突如態度を変えて、検察の独断という筋書きで、中国に対して無条件降伏のような姿勢をとったことは、直後に密約の存在を知り、大慌てで船長を釈放したという見方の方が説得力はありそうだ。

 その時、民主党政権がとった中国側との『密約』がビデオを公開しないことだったとしたら、今回、中国が首脳会談を流したことは納得できる。

 こうなったら、ビデオの全面公開しか手がないように思えるが、もしも衝撃的な場面があったとしたら、その時点で民主党政権は国民からの信頼は全く失われ崩壊、史上最低の内閣・首相として歴史の汚点になることは論を待たない。

中国に対して国際的な批判の声は大きくなるだろう。しかし中国共産党政権がもっとも恐れるのは、事実を中国の国民、特に学生達が知ることではないだろうか。恐らく、第二の天安門事件に発展することは間違いない。国家体制の崩壊につながりかねないとなると、何としてもビデオ公開を阻止してければという中国の姿勢も理解できないことはない。

 カン首相は『冷静に対応していく』と述べているらしいが、冷静どころか真っ青になって何とか誤魔化せないかと、閣僚達と鳩首会談をしているに違いない。

 そんなことを思っていたら、昨夜の夕刻10分間だけ控室で会談が行われたという報道があった。10分間控室で出合ったことを会談に値するかどうかは意見の分かれるところだが、どちらかの意向で(日本側が泣きついた公算が強い気がするが)形だけでも顔合わせの場が持たれたというところでは・・・。

さてこれで、5分間とかなり限定的(あからさまな場面は消してある)な映像に編集されている5分間のビデオそのものに、さらに手を加えられる可能性がでてきた。

しかし、そんな何の意味もなさそうなビデオでも、公開するとなると日中間には新たな問題が発生することは確かなようだから、もし、ビデオの公開そのものを取り消すとなったら、明らかな土下座売国外交であることは間違いない。

カン首相の即刻の退陣と衆議院の解散を求めたい。(田舎親父)

2010年10月30日 (土)

現役世代の負担を少なくしないと・・・

 先日、厚労省が『後期高齢者医療制度を廃止して2013年度から新制度に移した場合の保険料負担の試算を、厚労相主宰の高齢者医療制度改革会議に提示した』というニュ-スが流れた。

試算では、新制度で国民健康保険に移る75歳以上の保険料は、今から10年後の20年度に年平均で約2万円の増加にとどまる一方、75歳未満は2万~7万円増える見通しだとのことである。同会議は試算に基づいて年内にも最終報告をまとめ、厚労省は来年の通常国会に関連法案を提出する考えだという。

新制度は、現制度に加入する1400万人のうち1200万人を国保に、200万人を大企業の健康保険組合(健保組合)や中小企業の協会けんぽなど被用者保険に移す計画らしいことや、75歳以上の保険料の伸びを抑えるため、75歳未満の多くの負担を増やす方針で、70~74歳が医療機関を受診した際の窓口負担も、1割から2割に引き上げるということは以前取り上げた記憶がある。

それにしても、よくぞこれだけ医療制度をいろいろといじくってくれるものである。『後期高齢者医療制度』なるものを発表したとき、政府はこれで数十年は大丈夫だとの見通しだったが、わずか数年で見直さねばならなくなったということは、いかに場当たり的だったことは明らか。

今回の試算では、75歳以上の20年度の保険料は年平均で8万5000円、現行制度を続ける場合と比べると、2000円の負担減となるということや、国保と協会けんぽもそれぞれ3000円、4000円の負担減だが、公務員の加入する共済組合は9000円の負担増となるという。

そして25年度は、75歳以上は6000円、国保と協会けんぽは20年度と同額の負担減となる一方、共済組合は1万3000円の負担増に、20年度は新旧の制度で変化のなかった健保組合も2000円の負担増になるという数字の羅列の文章は、医療行政のエキスパ-トでなければ到底理解できる代物ではない。

細かな数字を並べるのは勝手だが、高齢者の保険料負担を抑える分(実際にはその効果も疑問だが)現役世代の負担は増えるということは明らかで、隅っこの方には、サラリーマンらが加入する健康保険組合は今年度比9万4千円増の年28万9千円となるとある。これでは現役世代の勤労意欲は衰退の一途をたどることは当たり前。景気など良くなるはずはない。

戦後しばらくの間は、日本人の平均寿命が60歳前後だったことに加えて、日本人の心の中には『還暦』という人生の大きな区切りが存在していたので、企業や公務員の『定年』が60歳と決められていた。そして、そこまで働いてくれたら十分で、いくばくもない余生を楽しむために退職金制度というものを作ったのではと推察している。

ところが、医療技術の発達によって寿命が飛躍的に伸びて、今や80歳で亡くなっても『お若いですね・・・』と言われるようになるほど。なのに、日本人のライフスタイルを(精神的な意味では多様になったが)制度的に変えず余生は延びる一方。誰が考えても医療費が天文学的数値に膨れ上がっていくことは当然だろう。

保険料を上げるなら所得を保障する必要があり、そのために定年を70歳にするというなら、わからないでもないが、医療費だけをいじくって何とかしようという発想で、(よしんばそれを国民が受け入れて)消費税率を10%にしたとしても、医療技術の二乗に以上に比例して高騰する医療費には追いつかず、さらなる値上げということになるのは火を見るより明らか。

今回の厚労省の改革も数年後には破綻するだろう。役人はそんなことは千も承知で折り込み済みでは・・・。そして、破綻しないために『消費税』の大幅な値上げが必要だと訴えたいのだろうがあまりにもミエミエで姑息すぎる。

私は『自分の払える医療費で受けられる治療』で十分だと割り切っているので、高額な医療費のかかる治療は受けるつもりはない。

人生の終末がいつになるのか予測できないが、その時までには、尊厳死(あるいは自分で終末を迎える権利)が認められ、自分の意志でそれ用の『薬剤』を得られることができる社会になってほしいと願っているのだが・・・。(田舎親父)

2010年10月29日 (金)

『密約説』の情報を引用してみよう・・・

 昨日の文章の終わりに、デモの背景には尖閣諸島の領有権について日本と中国の間で『密約』が関係しているという情報があると書いた。その情報というのは、誰が運営しているのかは興味がないので調べていないが、日本のマスコミが書かない中国国内外の情報を詳しく伝えている『大紀元 JAPAN』というサイトから得たものである。

 真実かどうかは別にして大変面白い記事が多いので、私は中国情報を得る時は参考にさせてもらっている。今回は、その記事をそのまま引用してみることにする。

(10月26日の記事の引用)

中国漁船衝突事件をきっかけに中国各地で反日デモが拡大する中、抗議の矛先が政府に向く動きが出始めた。24日、中国内陸部の甘粛省蘭州市と陝西省宝鶏市で起きたデモで、「腐敗に反対する」「多党制を導入せよ」など反政府の横断幕が掲げられた。反日に紛れて市民の不満が表面化したのは今回が初めて。
 ついに始まった反政府の動きについて、政治亡命した在豪中国大使館の元外交官・陳用林氏は「日中密約の報道がデモの性質に影響するだろう」と予想していた。
 BBCや共同通信の報道によると、24日、中国陝西省宝鶏市で起きた若者を主とするデモ隊は、尖閣諸島の奪還や日本製品ポイコットを訴える赤の横断幕に加え、「住宅価格の高騰に抗議」「貧富の格差を是正せよ」など現政権への不満をあらわにした緑と青の横断幕を掲げて行進した。また、「報道の自由を」や「馬英九(台湾総統)、大陸にいらっしゃい」などのスローガンも見られ、民主と自由を求める訴えがはっきりと打ち出された。
 23日にも内陸の四川省徳陽市で6000人が参加するデモが起きた。中国国内メディアはこのデモを報道せず、インターネット上でもほとんどの関連記事がアクセスできない状態になっている。
 10月16日から、中国内陸部の大都市で大規模な反日デモが発生した。一連の反日デモが反政府デモになりかねないと、政府は神経を尖らせていた。中国人権情報センター(本部香港)の情報によると、教育部からデモを計画した各地の大学に対して拡大防止策を講じるよう要請があり、週末に授業を行ったり、週末に外出を禁止するなど各地で警戒態勢を敷いた。
 住宅価格の高騰、貧富の格差の拡大、官僚の腐敗……様々な社会問題を抱える政府は市民の不満を解消するために反日デモを容認しつつも、抗議の矛先が自身に向けられないよう警戒している。しかし、政府が最も懸念している反政府への変容に関し、元外交官・陳用林氏はこう分析する。
 「日中密約が報じられた後、中国政府は密約の存在を否定したものの、密約の存在があると思う人は少なくない。国民の愛国感情が裏切られたと落胆した市民や大学生らは、抗議の矛先を政府に向ける可能性がある。政府はガス抜きのためにある程度デモを許可するが、デモの性質が変化すれば、すぐに封じ込めるだろう」
 さらに、同氏は、「愛国デモはいずれ反政府デモへと変化する。これはすでに前例のあることだ。最初は国家利益だけを考えているが、徐々に国民の生活、国民の権利などに関心が広がっていく。学生を思い通りに操ることができなくなると、政府は抑圧に転じる」とコメントした。
 江蘇省在住の民主活動家・朱虞夫氏は反日デモへの政府対応を「火遊び」だと切り捨てた。
 「1989年の天安門事件は当時の胡耀邦主席を偲ぶためのデモから始まった。徐々にデモは反腐敗へと方向転換した。今の中国社会は当時よりずっと多くの社会問題を抱え、市民の不満も当時より大きい。反日を利用して市民の不満をそらそうとしているが、自身に飛び火するのは時間の問題」と分析した。
 一連の反日デモはちょうど中国共産党の重要会議、第17期党大会会期中に始まったことから、デモが権力闘争に利用され、政府の容認があったと専門家は見ている。しかし、先週末のデモに反政府の動きが出たことから、今後政府は反日デモ封じ込めを一層強化するものと思われる。
 「取締りが行き過ぎると、市民の更なる反発を招きかねない」と専門家は警鐘を鳴らしている。(引用終わり)

実に面白く有用な情報である。文中にある『密約』と日本の雑誌AERAが暴露したもので、『日本側は原則的に中国人が尖閣諸島に上陸しないよう事前に押さえる。重大事案に発展しないかぎり日本側は勾留しない。一方中国側は、抗議船団の出航を控えさせる』という約束事らしい。
 その約束を、政権交代時に自民党と民主党との引き継ぎが行われなかった(密約だから同然と言えば当然だが)ので、政権運営に無知な現民主党政権が知らずに破ってしまい、今回の日中間の対立につながったというものである。何となく真実っぽく説得力があるが・・・。

 政府は『密約はない』と宣言するらしいが、自民党の密約に係わった誰かから、あったと証拠を出されたら・・・。とんでもないことになりそうだが。(田舎親父)

2010年10月28日 (木)

デモがない国で起きるデモの行方は・・・

 またまた話は古くなるが、17日の日曜日の朝日の朝刊に『中国3都市 反日デモ』という衝撃的な見出しが踊っていた。

記事には、中国四川省成都のイト-ヨ-カ堂では、反日デモで窓ガラスが割れ、群衆に取り囲まれた店内で数時間にわたり従業員らが外に出られない状態になったとのことである。さらに、中国には日本の大手小売りや外食企業も多数進出しており、懸念していたデモによる被害が現実化したことで、警戒が広がりそうだとあった。

中国では時々『反日デモ』が起きいているが、一党独裁のこの国では、国の政策に対して市民が行動を起こすのはチベットやウルムチなどの民族対立の行動以外にはないことは疑いのない事実である。

このニュ-スを聞いた時、これは政府が後押しした、ある意味『官制のデモ』だと確信したが、予想通り、その日の夕方には香港時事通信発という『反日デモ、実は官製=政府系学生会が組織』という記事が流れた。

マスコミ報道では、『反日デモ』は大学生が中心に計画されたとあるが、中国の大学学生会はすべて政府や共産党の指導下にあり、自主的な政治活動は一切認められていないのだから大学生達が自主的にデモを計画なんてできるはずがない。

日中の緊迫した情勢が一時よりは回避されたと思われているこの時期に反日デモが行われた謎は残るが、中国政府が尖閣諸島の領有権を主張するために、もう一押しという意味合いで民衆を煽動したのではないだろうか。そのため、大学生の自主的な動きという形をとりたかったのではないかと推察している。

その後も反日デモはインタ-ネットの掲示板の書き込みなどを動員手段として、内陸部の各地で単発的に行われているという報道がある。多くは政府・警察などの手によって抑制されているとのことであるが、いろいろな情報からデモの質が少し変わってきたと思えてならない。

大学生たちは思想的に厳しい統制を受けているが、将来的に地位が約束されている共産党の子弟以外の大学生達は、『大学を出たけれど』という状態はどこかの国と同じで、希望した職業につくのも難しいのが現状らしく、その不満からから、共産党の一党独裁態勢について疑問が生まれ、それが徐々に大きなうねりとして広がっているようだ。

24日に起きた陝西省第二の都市、宝鶏市のデモでは、『日本製品をボイコットしろ』とか『釣魚島(尖閣諸島の中国名)をかえせ』と赤い布に書かれたスローガンは当然として、『腐敗官僚を倒せ』とか『住宅が高すぎる』などという文字が現れ、中には『多党制を導入せよ』という横断幕まで現れる事態に進んでいるという。

まさにこのことは一部とはいえ、『反日』から『反政府』の動きに変質したことを表していると言って間違いではないだろう。『反日』のスローガンに交じって『反政府』が公然と叫ばれたと、『日本のマスコミ』さえ報じるようになっているのだから風雲急というところか・・・。

このデモは最初に市内の大学生が中心だったが、しばらくすると数千人の工場労働者や会社員らが加わり、取り締まる警察と大混乱になったらしく、政府批判のスローガンを掲げた参加者はすぐに警察に連行されたという。 

再発を恐れた地元当局は25日朝、市内の大学を封鎖。学生らを自由に外出できないようにした。大学関係者によると、デモに参加したら除籍処分にすることなどを通知したというから、まさに弾圧そのもの。

 デモの背景には尖閣諸島の領有権について日本と中国の間で『密約』が関係しているという情報もある。そのことは明日の話題にするとして、ここしばらく中国国内外の動きを注視する必要がありそうだ。(田舎親父)

2010年10月27日 (水)

今年のコシヒカリの行方は・・・

 北海道や青森ははやくも雪景色だという。紅葉見物の観光客が雪に襲われ寒さに震えている姿をテレビのニュ-スが報じていた。

つい一月前までの暑さは何だったのだろう・・・。すっかり『猛暑』という言葉が聞かれなくなったが、(残念なことに)そのことが米の品質に影響しているという話題でしか、今年の猛暑を思い出せないのは日本人の忘れやすいという性なのかも知れない。

 先日、このことを端的に表すニュ-スが流れた。『米』という言葉で第一に思い浮かべるのは『コシヒカリ』というブランド米ではなかろうか。そしてコシヒカリと来ると、次には新潟県魚沼産という産地名が続く。

 その新潟県の今年収穫されたコシヒカリの品質が極端に落ちているという。何でも米には等級があって、1等米から3等米まで区別されており、今年の新潟産コシヒカリの1等米比率が17%。しかも、例年では1等米比率は60~90%で、過去最低だった2004年でも49%だったというから、品質的には半端な凶作ではなさそうだ。

 この傾向は新潟だけに限らず、全国各地で共通しているという。記録的な猛暑の影響と報じられているが、米は本来暑い地方の作物であるはず。何か変だなあと私のへそ曲がり頭脳のアンテナが動く。

 調べてみないと(調べようもないが)わからないが、暑さに強い品種もあるだろうからそんな米を作っている地域では収穫量は落ちていないのではないだろうか。

 それはともかく、昔なら米が食えるだけで十分満足していた日本人が、物質が豊かになると味にこだわり、より美味い米の研究に精を出し、ついにコシヒカリという品種を生み出したことは今更言うまでもない。

その結果、コシヒカリが美味い米の最高峰として君臨するようになり、全国のどこでもコシヒカリを作るようになっているが、この米は猛暑や冷害、あるいは水害などの天変地異には弱いということを何かの機会に知った記憶がある。

このため、各県の農業研究所ではコシヒカリを超える米の研究が進められ、毎年のように新しい米がブランド米として市場に出回るようになっている。来年以降も猛暑が続くことも予想されているので、きっと各研究所では必死になって暑さに強い美味しい米の研究していることではないだろうか。

話を戻すが、米の品質を調べていると、面白い文章が見つかったので、そのまま引用してみることにする。(引用はじめ)

品質の良し悪しは 一目瞭然で、規格外米(中米)10粒では1等米の9粒分未満しか粒幅がなく、丸みも少なくスマートです。流通価格も白米10Kg 当たりに 換算しますと1等米を基準に2等米で150円、中米では1000円位の原価安です。

産地、産年、銘柄は販売業者に表示義務があり表示され ますが、等級に関しては表示されていません。

中米とは、一度選別落ちしたクズ米を 再選別して仕立て直したお米です。厳選すれば十分美味しい 中米もありますが品質のムラは激しく不安定です。格安販売のお米が増え、中米の流通も最近多くなっています。(引用終わり)

これは凄い情報である。等級があることや、クズ米と呼ばれる米が家畜の飼料や工業製品の原料として極端に安い規格で業者に販売されていることは知っていたが、『中米』という言葉ははじめて知る。

この記事が正しいとしたら(恐らく正しいだろうが)、同じコシヒカリでもかなりの値段の差があるのはこのことかと納得できる。そして、あの『三笠フ-ズ』だったか、農薬まみれの屑米を転売しながら値段をつり上げて不正な儲けをしたという、悪徳業者が後を断たないことも目から鱗である。

今回、新潟県産(とは限らないが)のコシヒカリも今まで通りのル-トでは、そのままの価格での取引は難しいとなると、この米を求めて『金儲けのみいのち』の輩が集まることは容易に想像できる。

 この種の記事には今後も注目しなければ・・・。(田舎親父)

2010年10月25日 (月)

クマとの棲み分けのためには・・・

 また少し話は古くなるが、先日の朝日新聞夕刊の一面に、商店街と思われる広い通りを2頭のクマが悠然と歩いている写真にはビックリした。

 一瞬、町おこしのイベントでもあって、クマのヌイグルミを着た人では、と思ったが、見出しの『学校のグランドにクマが現れる』との文字で本物のクマだとわかったが、それにしても商店街に出没し、闊歩するとはちょっと聞いたことはない。

 記事によると、18日午前11時15分ごろというから真っ昼間の、北海道斜里町という代表的なヒグマの棲息地『知床半島』の玄関口のこと。ヒグマにしたら、親子で町見物にでも来たのかも知れないが、地元の人は胆を潰したのではないだろうか。

 しかも最初に現れた場所が小学校のグラウンド近くの林だというから、日頃からヒグマの話などには慣れているとはいえ、小学校では大騒ぎになったことは想像に難くない。

 小学生のけたたましい声に驚いたのか、一旦クマは森に戻ったらしいが、そのうちの2頭が1キロメ-トル離れた商店街に出没したところ、町の猟友会の人たちの手で射殺されたとのことである。

 2頭は母グマと雌の子グマだという。母グマの耳には知床五湖のクマであるリングがあったというから、一度は人間に捕まったクマなのだろう。ひょっとしてこの母グマは人間に対して親しみを持って、人恋しさに小学校に現れたのかも知れないと思うと突然ズドンは理不尽。何か方法はなかったのかとも思ってしまう。

 後の一頭は見つかっていないことから、児童が見間違えたらしいとの報道。見間違えなら良いが、射殺された小グマの兄弟だったとしたら、母親恋しくてまた商店街に現れる可能性があるのではないだろうか。

 当時、同校は学芸会の練習中だったという。教師の一人は『昼休みでグラウンドに児童がいたら大変なことになっていた』と胸をなで下ろしているらしいが、子どもの声が賑やかな小学校にも訪問するとなると、今後斜里町はじめ北海道の先生達は、クマに対しての対策も真剣に考えなければならず、本務以外の生活指導というのか、ますます忙しくなりそうだ。

 そのことはさておき、今年は秋の訪れが極端に遅れたことが原因なのかも知れないが、横浜の片田舎でもクヌギやコナラ(いわゆるドングリ)の実が極端に少ないのが気になっている。正確に表現するなら、9月中頃から気になっていた。

 私はドングリの樹の苗を作るために、9月の中頃から近くの森でドングリを探すのがここ数年の恒例の季節行事になっている。そんなに早く実が落ちるのか・・・という声が聞こえそうだが、クヌギやコナラの茶色の熟した実はともかく、カシの実などは青いうちから落ちるので探せばすぐに小さなビニル袋を一杯にするほど集まる。

 9月中旬になると、クヌギやコナラが見つかるのだが、ドングリというのは形から落ちてから不規則な動きをして、一カ所にかたまっていることはほとんどない。その上、雨が降ると落ち葉が妙な重なりをして、その姿を隠すことがあるので、定期的に探すようにしている。

毎年のように、そんなことをしているので、自然にドングリ(特にクヌギ)を見つけるこことには目が肥えているつもりなのだが、今年は10月に入っても全くと言って良いほど見つからないのが気になっていた。

 ところで、北海道以外の各地に生息するクマはツキノワグマだが、ツキノワグマによる被害?が各地で相次でいるらしい。環境省などのまとめによると、4~9月のクマの目撃件数は計6006件で、昨年同期の約2・7倍に急増しているという。

 各府県は夏の猛暑に加え、餌になる実を供給してくれるいろいろな樹木の凶作の周期が重なったと分析しているが、クマは冬眠前の10~11月に多くの餌を必要とするため、今後も食料を求め、山から下りてくる可能性があるとして注意を呼び掛けている。

 これは大変である。秋に実をつけるドングリの凶作は全国に共通しているというから、クマとは全く無縁の横浜の片田舎に住む私でもでも一人森を歩いていると、ひょっとしてクマが現れるのではと思うこともあるぐらい。まして棲息地の近くで住んでいる人にとってはクマとの遭遇の機会は増える一方。うっかりもりにも近づけなくなるのではないだろうか。

 クマがこんなに人里に降りてくるようになったのは最近のこと。そのことについて専門家と言われる人たちがいろいろと語っているが、人間の生活様式が変わったことが原因であることは間違いないところ。

クマも好んで人間と遭遇したいわけではないだろうから、出合ったら最後、性能の良い飛び道具でズドンは迷惑な話。クマ除けの鈴を持つことや慌てて逃げないなどクマと出合った時の注意なども必要だろうが、クマが人里に降りて来なくても生活できる場を保障することが先決ではないだろうか。

そのためには、(時間がかかり回り道のようだが)私たち一人一人が便利で快適な生活をひたすら追い求める日頃の生活態度をほんの少し見直すことだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年10月24日 (日)

体験がこんなことにも有効とは・・・

 自然体験活動が子ども達の豊かな心を育成することは、私の経験から間違いないことは確信しているが、こんなとことにも効果があるいう記事を見つけた。

その、こんなところというのが何と今大流行の『婚活』というからビックリ仰天。一瞬自然体験の活動と婚活が結びつくのかわからなかったが、子どもの頃の体験(自然体験に限らないのが物足りないが)の有無が関係しているということらしい。

記事は『婚活準備』は子供の時から・・・という書き出しで始まる。(以前は青少年の家などを運営していた組織だった)『国立青少年教育振興機構』が行ったアンケ-ト調査を紹介したものである。

独立法人と婚活がどう関係するのか理解し難い面もあるが、体験活動をした子どもと、しないで過ごした子どもとの比較調査をしたところ、体験活動が多い子どもほどマナーや教養への意識が高いことも分かったという。

専門家(教育評論家達だろうが)は『子供のころの体験で人間として幅が広がり、異性にも好かれる魅力的な人物に成長できるのでは』とこの調査を分析しているが、こんなことは、自然体験活動を進めている人たちにとっては当たり前のこと。こんな調査をしなければわからなかったのから言いたくもなるが・・・。

多少のリスクがあっても自然体験活動を行うと、子ども達の気持ちが落ち着くことや、友人関係など良好になることは経験した人は熟知しているが、一般的には数値で示されないと理解できない人が多いのも確か。その意味では(自然体験活動と明記されていないが)面白いデ-タだと言えるので、今日の話題に選ぶことにする。

記事を読むと、子供のころの自然体験やお手伝い経験が豊富な人ほど、結婚している割合が高いという。何だかなあ・・・という気もしないでもないが、同機構は昨年11月、20~60代の男女計5千人にアンケートを実施したのだそうだ。

子供のころに『チョウやトンボなど昆虫をつかまえた』『食器をそろえたり、片づけたりした』『弱い者いじめを注意するなどした』(同じ次元ではないと思う上に、こんなことは一昔前までは当たり前だったことだが・・・)など30項目について体験の有無や頻度を質問し、多いグループ、中間的なグループ、少ないグループに3分類したという。

そのうえで、現在の生活実態についても集計した結果、体験の多いグループでは『結婚している』という回答が68・5%、中間グループで67・7%に上ったのに対して、少ないグループは約1割低い58・8%にとどまったという結果を得たとのことである。

『子供がいる』という回答も、体験が多いほど割合が高く、多いグループは63・4%、中間グループは61・4%だったのに対し、少ないグループは約1割少ない51・8%だったとのこと。

ここまで読んで少し腑に落ちない事項に気づく。対象が20~60歳というから、当然未婚の人も想定しているようなので、『結婚しているか』や『子どもの存在』の回答の割合が50~60%というのはわからないでもない。しかし、このような回答を求めるなら、むしろ40歳以上とした方が説得力はあるように思えるのに、あえて20歳台の若者を選んだのはなぜなのだろうという疑問である。
 それは不問にするとしても、これらのデ-タを元に、同機構側は『子供のころの体験は、異性との関係だけではなく、自らのマナーや教養についても大きな影響を及ぼしているという』と結論づけているが、こんな単純を質問から『大きな影響』と言い切って大丈夫なの・・・とは思うが、これも目をつぶることにする。

また、言葉遣いやはしの使い方など『文化的な作法や規範意識』を調べたところ、意識が高いという結果が出たのは、子供のころの体験が多いグループで54%。これに対し、少ないグループは17・5%にとどまっており、約3倍の開きが出た。中間グループは34・1%だったという。

どんな項目で質問したのかは不明だが、こちらは多少納得できそうだ。繰り返すが、子供のころのさまざまな体験を通じて、社会性は確実に養われ、周りの人たちと触れ合うことで人間関係を学ぶことは経験として知っているからだ。

少し無理な調査と結論だが、自然体験活動が何よりも大事だと確信し実践し、現在手も広める活動を続けている私には、こんな調査でも、少し人々の意識の改革に役立つのではと思い取り上げてみた。(田舎親父)

2010年10月23日 (土)

韓国からの二つの話題・・・

 会議の途中に、義母の訃報が飛び込み京都にでかけていたのでしばしお休みをしてしまった。言い訳になるのだろうが、生活リズムが変わってしまったので体調は余り良くないが、今日から拙文を綴毛手いこうと思っている。

日本では、最近10年以上毎年3万人以上の人が自殺しているというニュ-スが度々報じられている。中でも働き盛りといわれている30代・40代の人が自ら命を絶つ現実は異常も異常。何とかしなければと気持ちは焦る。

自殺のニュ-スを聞くたびに、折角いただいた命、多少つらいことがあっても生きていれば何とかなるのでは・・・と思うと同時に、臓器が弱って自らの命の炎が燃え尽きようとしている人々が、生き抜く手段として唯一他人からの臓器提供をひたすら待っている人の存在を思うとやりきれない。

日頃から命について考えることが多いが、先日、韓国ソウル発として『ソウル市内にある漢江の橋での投身事故が、ここ5年間で2400件を上回る』という見出しにギョッとする。

国会行政安全委員会の金兌原という議員が、ソウル市消防災難(災害)本部から提出を受け公表したそうだ。それによると、2006年~2010年の8月にかけて、市内24か所の漢江の橋で計2475件の投身事故が発生したとのことである。

これは一日平均1.45件、単純に計算すると3日に二人の割合で橋から飛び込み自殺が起きていることになる。これはとんでもない数字である。
 ソウルには行ったことがない。最近のツア-では国内よりはるかに安価でいけるらしいが、余り魅力を感じていないといった方が正直であるが・・・。当然ソウルの地理などに対しては全く不案内なので、橋の名前を言われてもどうコメントして良いのかわからないが、麻浦大橋が291件で最も多く、漢江大橋224件、元暁大橋160件、城山大橋129件、楊花大橋128件の順だそうだ。

ソウル市内で大橋と命名されているところから、かなりの橋に違いない。橋には立派な欄干が備えられていることだろう。その欄干を乗り越えて飛び下りるとなると、体力的に高齢者は無理がありそうだ。となると自殺者の年齢は、日本と同じように40代以下の若年層ではと思うと、この国も人が生きにくいことにことは日本と同じ。いやそれ以上なのだろう。

5年前から一昨年までは一年を通して400~500件だったが、昨年は650件、今年も8月までに440件と、昨年度をこえるハイスピ-ドだという。最近は通報と同時に救助艇が駆けつける態勢が整っているので、実際に死亡したのは82人だったとのことだが、それにしても川に飛び込む自殺志願者がこれ程まで多いのは気がかりこの上ない。

韓国の経済発展はピ-クは過ぎたとは言え、毎年の経済指数はかなり高い数値が並んでいた。時には、経済成長率は日本をしのぎ、経済大国の道を進みはじめた・・・なんて見出しがマスコミの話題になっていたと記憶している。ここにも、カネ儲けが原因の人間の心を蝕む病気が広がっているのだろうことが容易に想像できる。

もう一つ、ネットでは韓国絡みの話題として、40年後のアジアの地図の記事が騒がれているらしい。

自称、2036年の未来から『タイムマシン』でやってきたというジョン・タイタ-と称する男性が、自分は2038年に全世界が迎えるUNIXバグを解決するために未来からきたと主張し、彼が語る世界の地図が話題になっているのだそうだ。

その地図には、日本が韓国の植民地と表記されているという。先日は、15年後のアジアの地図には西日本が中国の『東海省』、東日本を『日本人自治区』と描かれた地図がネットで騒がれていることを紹介したが、その地図には韓国も中国の一部だった。

今回の地図は、中国大陸が5カ国に分けられており、韓国は北朝鮮も統一し、日本を領土の一部としているどころか、中国の東海岸に沿って香港や台湾の海岸線にまで伸びていて、その面積はアメリカよりも広く示されているという。

これでは韓国の人たちが騒ぐのも無理ならぬことかも知れないが、こんなに自殺者が多い国が台頭するとは思えない。

発表していないだけで、中国や北朝鮮も自殺者は爆発的に増えているという情報も流れている。真偽のほどはわからないが、これらの国々はもともと儒教が中心思想となっていたはず。それらの国々が、それぞれ自殺者の数競争や武力で牽制し合うとは、草葉の陰で孔子もあきれ果てているのではないだろうか。

韓国の二つの話題からも、今更儒教を肯定する気はないが、長幼の掟を原則にする支配を固定する部分はともかく、他を思いやる気持ちこそはこの混乱を乗り越える唯一の方法であることは間違いなさそうだ・・・と思うのは、義母の訃報で周りの人間模様をかいま見たからかも知れない。(田舎親父)

2010年10月20日 (水)

ハンバ-グが6ケ月も腐らない?・・・

 以前も話題にした記憶があるが、以前は食品にはつきものの『カビ』を見る機会が少なくなったような気がしてならない。

肉や魚介類などの生ものは、放置しておくとたちまち周囲に悪臭をばらまき、表面には食品によって、白・青・黒色などのカビが生えるのは昔も今も変わらないが、パン類などは何日放置してもカビが生えないことに疑問がついて回る。

パン類などの穀物加工食品にはカビが生えないような薬品を添加しているのだろうと、気になりながらも、それなりに曖昧には納得しているのだろうが、それにしても1週間も放置している食パンが固くはなるものの、カビが生えないことはやはり異常なことには違いない。

普段からそんなことを思っているのだろうが、6ケ月も購入当時と同じ状態のハンバ-ガ-が存在しているという見出しに興味を引かれた。

アメリカの話である。ニューヨーク在住の女性が6ケ月前に買い、食べずに置いておいたマクドナルドの『ハッピーミール(ハンバーガーとポテトのセット)』が、ほぼ購入当時の状態を保っていることがテレビ番組などで放送され、世界中で話題となっているという記事である。

(記事を一部省略して引用)この女性は4月10日にハッピーミールを買い、写真を撮り始めた。初日は、臭いがしていたもののその後なくなり、そのほかは特に何も起こらなかったという。臭いがしないことから、この女性の2匹の飼い犬もバーガーに何の関心も示さなかったという。バーガーはほんの少し縮んではいるもののかびも生えず、見た目にはほぼ購入当時のままだ。
 彼女の『実験』がテレビ番組で取り上げられたことで、なぜバーガーがほとんどその姿を変えずにとどまっているのか、彼女が本当のことを言っているのか、ということに人びとの関心が集中している。
 マクドナルドは声明で、商品は店舗で作られた新鮮なものだと主張。(彼女の)バーガーが置かれていた環境が分からない限り、詳細な説明をすることは不可能だとしている。さらに、細菌やカビは一定の条件下でしか発生せず、食品が十分に乾燥していれば、それらは発生しないと説明した。
 彼女に対しては、『お前はペテン師だ。ポテトの位置が変わってるぞ』『売名行為のためにやっているのだろう』など、批判の声が寄せられている。防腐剤を盛ったのではないか、との疑惑も持ち上がっているが、本人は強く否定している。
 だが、大半の人はデービスさんの実験に肯定的で、自分たちが口にしているものに対して不安や疑問を持っているという。(引用終わり)

この女性がどのような動悸でこんな実験をはじめたのか詳細は記事にないのでわからないか、『自分でも買って同じ実験をしてみれば分かる』と断言しているというから、多くの人が安全性に疑問を持つのは当然だろう。

最近は食品の安全性に対して人々の関心が高まり、食品に書かれている『賞味期限』が大変重要な情報として重要視される傾向があり、期限が近づくと値引きをするのが当たり前になるほどだという。

中には、勝手に『賞味期限』のレッテルを張り直して再び店頭に並べる悪徳商人も増えているというから、レッテルそのものの信憑性も疑われることさえあるらしい。普通の商売をしている人たちにとっては迷惑な話である。

私はこの種の食べ物を口にしない主義なので、日本のマクドナルドに『ハッピ-ミ-ル』なる商品があるのかさえわからないが、これとて『賞味期限』が印刷されているにちがいない。

マクドナルドとしては『賞味期限』内に食べるだろうとの前提で、こんな実験をする人がいることを想定しなかっただろう。

私が心配することではないが、早く対策(説得力のある説明)をとらないと、変な薬品を添加しているのではという疑いを持たれないとも限らないのでは・・・。(田舎親父)

2010年10月18日 (月)

救助ヘリ有料化は?・・・

 その1、今年の2月のこと、箱根のハイキングコ-スを歩いていた60歳代の男女3人パーティが、携帯電話で救助を求めてきたという。誰かがケガをしたわけではなく、道に迷ったわけでもない。ただ雪が深いため思うように歩けず、日暮れも迫ってきたので救助を要請したとのこと。

その2、やはり今年の夏の頃。夜10時ごろ、北アルプスの岳沢あたりから『疲れて動けない。暗くて道がわからない』という救助要請があった。救助隊員が『そこでビバークして明るくなるのを待て』と指示すると、『だったら結構だ、自分で歩く』と言って電話を切ったという。

その3、ある県での話。救助要請を受けて救助隊員が現場に向かおうとしたら、登山口で自力下山してきたそのパーティとばったり出くわした。隊員が『大丈夫ですか』と声をかけたところ、『遅いよ』と言われ、救助要請をキャンセルされたという。

その4、昨年の北アルプスでの話。転倒して骨折したらしいのでヘリでの救助を願うという要請が携帯電話からあった。救助隊が『今、警察は消防のヘリは救助に向かっているので、民間のヘリで良いか』と返事したところ、『民間はカネがかかるから嫌だ。遅くなってもタダの方のヘリを頼む』とのことに、救助隊員達は朽ち口アングリ状態・・・。

全て本当にあった話らしい。さらにこの種の話は枚挙にいとまないというから、ブラックジョ-クとしか表現できない。

今年の夏、埼玉県の秩父の沢登で足を滑らせた女性を救助に向かったヘリが墜落、救助隊員5人が死亡するという大惨事がきっかけになったのだろうと推察しているが、『埼玉県議会が、山岳救助で防災ヘリコプターが出動した場合、遭難者に費用を請求できるようにする条例が成立する見通しとなった』という見出しを見つけたのはつい先日のこと。

最大会派の『自民党県議団』が条例案を提案する方針を固めたもので、登山ブームで山岳救助件数は増加傾向にあり、費用請求を可能とすることで安易な入山を防ぐことが狙いだというが、やっと議会が動き出したことに対して、自民党も地方ではまだ頑張っているのだと拍手を送りたくなった。

ところか数日後に、この条例案は撤回されたという記事にガックリ。何でも、自民党会派に属する議員から『登山客の減少を懸念する観光関係者に説明するための時間が欲しい』という意見が出たため、費用を請求する条件など条例の運用規則についての議論を進めた上で提案を目指すことになり、今回は撤回したとのことであるという。

この条例が可決されれば、費用負担を求める条例は全国初となるはず、これで全国のいい加減な気持ちで山に入る年寄りたちにはかなりのお灸効果あると思っていたのだが、議員達の思惑が複雑にからみあっているらしく、圧力団体からの申し入れには『おっしゃる通りにいたします・・・』という従来の姿勢には何ら変更がないらしい。まあ、自民党らしいと言えばそれまでだが・・・。

『海男』という言葉は余り聞かないが『山男』という言葉は昔から立派に存在する。その言葉には哀愁というか男のロマンを感じさせるイメ-ジがあるが、反面、重い荷物を背負い、何日も風呂に入らず、わざわざ自分の足で険しい道を歩く男の物好きさを揶揄した響きを持ち、どちらかというと世間から物好きと思われていた。

そんな世間に背を向けるごとく、山男達は万一自分の不注意からケガをしたとしても『救助を要請するのは男の恥。山は自分の足で登って自分の足で下りてくるもの』という認識を持ち、骨折などはケガのうちに入らないとばかり、這ってでも自力で下りてきたものだった。

ところが、登山という行為から山男の持つ負のイメ-ジがなくなり、爺さん婆さんの娯楽になったばかりか、最近は『山ガ-ル』なんて言葉が生まれているように、一種の趣味として独立したジャンルに昇格したらしく、誰もが気楽に楽しむようになってしまった。

そのことについてはここでは論議しないが、『登山は自己責任で』という、かっての山男達の常識が死語になり、行政ヘリコプターがタダであることを誰もが知っているうえ、携帯電話の普及によってすぐに連絡がとれることから、大したケガでもないのに、まるでタクシーを呼ぶような感覚で救助を要請してしまうのが流行には常々苦言を呈している。

こう書くと、人権派と言われる人々から『貧乏人は救助しないのか』と非難の声が上がるかもしれないが、万一の事故のために備えて『山岳保険』という制度があるのだから、それを義務化する法整備を進めるべきではないだろうか。

救助へりの有料化はそのきっかけになるはずだったのだが、埼玉県の今回の方針変更は残念。しかし、自民党県議の言い分を信じて(余り期待できそうもないが)しばらく見守ることにしたい。(田舎親父)

明日も会議のため早朝よりでかけるので、更新はお休み。

2010年10月17日 (日)

これもアメリカさまのご命令?・・・

 キタザワという防衛相は普天間基地移転問題では、ハトヤマ首相が当初打ち出していた国外・県外移転という方針に対して、はじめから辺野古一辺倒。アメリカの代弁者のような言動をしていたことが気になると同時に、ハトヤマさんはなぜこんな右翼思想の持ち主を防衛大臣にしたのか不思議だった。

結果論だが、当時の対アメリカ外交の主要な閣僚である防衛相はじめ、外相や国交相の辺野古移転やむなしという言動が、結局はハトヤマ内閣がわけのわからないような終末を迎える結果となる。

にもかかわらず、新たに発足したカン内閣では、これらの人々を党の幹事長や外相に横滑りさせ、真っ先に更迭しなければならない防衛相は留任させたとなると、この内閣の目指すところはアメリカ従属ということが明らか。

予想通り、この内閣の一月を見ているとアメリカさまのおっしゃる通りの政策を打ち出している。一番危惧していた防衛相は先日、外国での会議の席上でわざわざアメリカの国防長官にすり寄って、閣議で話題にもなっていない(本当は了解済みなのかも知れないが)武器輸出三原則見直しに踏み込んだ発言をしたとの報道に、いよいよこの男の本質がでてきたと背筋が寒くなる。

日本が次期支援戦闘機などの国際共同開発(国際というがアメリカが対象)に参加できず、後れを取っているから、アメリカさまのいうことを利いて武器開発をしなければならないという考え方のようだ。

防衛相は『今のように身動きが取れない形ででは、中国に対向できない。日本は高い技術を持っているにもかかわらず、今のような状態では防衛生産基盤、技術基盤が劣化するのは確実、このまま手をこまねいて見ているわけにはいかない』と発言しているらしい。

恐らくこの御仁の真意がポロリとでたのだろうが、これは大変なこと。アメリカは経済的に危機的な状態に陥っていることは周知のこと。今までなら新型戦闘機などを作りさえすれば、日本などの従属国に高く売りつければ何とかなったのだろうが、予算がないので思い通りの戦闘機など作れないのが現状。

そこで、アメリカさまが打ち出したのがキタザワ防衛相に『国際的な紛争を日本に有利に進めるためにも、新しい武器が必要』と発言させ、日本に新型戦闘機を含む様々な武器を開発させ、それをアメリカブランドとして日本に装備させるという構想ではないだろうか・・・。

この売国奴的防衛相も、さすがに世論の反発が怖いらしく、この問題については『平和国家の理念を見据えた上で、時代にマッチした新武器輸出三原則のようなものをつくり出せればと思っている』と言い訳を忘れないが、この御仁の言う『時代にマッチした武器輸出三原則』は、平和は武器があってはじめて生まれることであって、そのためには何よりも自前の優秀な武器生産が必要という論理なのだろうがこれは本末転倒。

その武器を世界に売り渡して経済を建て直すことが『是』と考えているのなら、これはまさに『いつかきた道』そのもの、何百万人という犠牲の元で再び戦争をしないという理想を根底から覆す危険な思想である。武器産業が『死の商人』と呼ばれ、三井・三菱などの財閥が武器で身代を膨らまし、そのために無謀な戦争を続けたことは歴史が証明していることで私が今更強調するまでもないだろう。

ずいぶん古い話を持ち出すが、核兵器の開発まで噂されていた佐藤栄作という総理大臣がノ-ベル平和賞を受賞した。余りにも唐突なので、日本中が『なぜ?』と大騒ぎしたが、受賞の理由が核兵器の三原則(核兵器をもたず、つくらず、もちこませず)を打ち出したからだと言うことだったが、それ以前に、武器輸出三原則を演説したことだということは記憶に残っている。

このキタザワ発言を国会で質問されたカン首相は、ノ-ベル平和賞の佐藤栄作の『三原則を守る』と明言している。この発言を信じれば、キタザワ防衛相の発言は閣内不一致どころか明らかに首相に僧反していることになる。このトンデモ大臣を直ちに罷免するべきなのだろうが、権力亡者に成り下がったこの御仁には無理な話。

それにしても、曲がりなりにも『中道左派』だろうと言われていた『民主党』が政権を奪ってこれ程までの短期間のうちに、どうしてここまで極端な『右翼政権』に変わってしまったのだろう。

このことは『政治とカネ』問題よりはるかに大きな意味があると思うのだが、何故かマスコミは余り騒がないのも変な話。アメリカさまの『徹底的に国民の目をそらせ・・・』という命令が出ているとしか思えないが・・・。(田舎親父)

2010年10月16日 (土)

他国のことだと見逃すことはできない・・・

 先日、北京発CNNが報じている『中国で水不足が深刻化し、北京などの各地で危機的な水準に陥っている』という見出しをネットで見つけた。

その記事は国営新華社通信発として、中国北部では今月、耕作地に深さ10メートルにも達する地割れができ、内モンゴル自治区の赤峰市ではけがをする恐れがあるとして収穫を見合わせているそうだ。そして、市内に51カ所ある貯水池は62%が枯渇し、25万人以上が飲料水不足に見舞われていると伝えている。

さらに、南西部の貴州省では8月の干ばつで、水田は干上がり、一面にひび割れができ住民60万人以上と家畜約25万頭に影響が出たともいう。しかし、60万人がどんな被害にあったのかは、いつものことながら詳しい情報はない。

四川の大地震の被害も言語に絶する被害だとは伝えられるが、いつのまにかその情報は少なくなり、今では全くと言って良いほど、日本のマスコミは報じない。

仕方ないので、ネットで情報を得ているのだが、中国の水事情は、日本人か想像している以上に深刻で、北京などの水不足は言語に絶するものがあるようだ。

日本のマスコミがけっして取り上げない話題や、日本でも報じられることでも捉え方が違うので大変興味深く、時々訪れている『大紀元日本』というサイトがある。

そこに、先日『昨夜、村の全員がそろって一緒に最後の晩餐を食べた。二度と故郷に戻ることはない。みな悲しみに沈んでいた』という書き出しで始まる記事があった。

何のことだろうと読み進めると、間もなくこの地にダムが建設されるために、近くの499の村人6万人が、強制的に移転を強いられたということがわかり、その光景を実によく捉えている表現と感心する。

私には中国の地理はさっぱりわからないが、その記事を少し紹介しておく。(引用はじめ)

湖北省丹江口市という地域の499村6万人が村を離れ、遠方に移転し始めた。まもなくここにダムが建設されるため、これらの村は170メートルの水底に沈むことになる。水不足の首都北京に送水するためのプロジェクトの一環だ。同じような『ダム難民-』呼ばれる人たちは、湖北と河南の両省で33万人に上る。

中国政府は、全国の水資源を再分配することを計画している。計画は、河や三角州で毎年広範囲にわたって致命的な水害が発生している南方と西部の雪山から、乾燥した北京へ水を引こうとするもの。深刻な水不足にあえぐ北方平原部に水を送るため、運河、トンネル、用水路で構成された数万キロの水利網が設計された。秦の時代の万里の長城を連想させるプロジェクトだ。
 『南水北調』と名付けられたこのプロジェクトは、東線、中央線、西線の3本の送水路からなる。中央線は長江支流から水を引き、用水路を通って3省を跨ぎ、黄河の地下を通って北京に水を届ける計画である。汚染が深刻化した黄河の水はすでに飲用に適さないため、黄河の地下に幅300メートルの地下用水路の工事を始めている。今回設計された送水路は地勢の高低を利用しているため、ポンプを必要としない。現在、中央線プロジェクトは更に東の天津港へ向かって進められている。(引用終わり)

何とおどろおどろしい記事である。現在、北京の人口は1700万人を超えているという。試算では40年後には3000万人に達するという。凄いというか無謀というか、想像するだけで鳥肌が立つ。

中国という国は何でもありだとは思っているが、記事にもあるように、ここまで人民を将棋の駒のように政府の命令で動かすとは、まさに秦の始皇帝のやり方そのもの。共産党の一党独裁の恐ろしさがよく分かる。

この『南水北調』プロジェクトの背景には、経済発展で工場や発電所の増加と、個人消費の増大に伴い、役人や富裕層が集まる北京の人々の生活は、欧米諸国や日本と同じような生活形態が行き渡り、水の消費量が激増しているという。

水資源に限りがある国の、20億人とも言われる人々(現在は一部の富裕層だけだが、いずれ地方にも波及するだろう)がこんな生活をはじめたら、当然のごとく水資源が枯渇することは火を見るより明らか。この水を求めて、当面の処置として『南水北調』なるプナジェクトか生まれるのだろうが、そんなことで追いつくわけがない。

先日も述べたが、外国人の企業や富裕層が、北海道を中心に水源地の森林を買い占めている動きに対して無策でいたら、やがてわが国の水資源が中国はじめ外国に全て奪われる日がやってくるのではないだろうか。

今日も体調が回復していない、長くなるので、このことは改めて・・・。(田舎親父)

2010年10月15日 (金)

もう少し教員を大事にしなければ・・・

 ある県の教育委員会が、管下の市町村教育委員会に『最近教員の不祥事が増えているのでその対策を徹底せよ』と命じたという。

教育界では下方に指令が届くたびに、その指令内容がより細かく限定的になることは、しばしば指摘してきた。この県教委の命令で市町村教委は申し合わせたように、全ての小中学校の校長を集合させて『自校の教員全員と面接して、教員としての心構えについて指導せよ』という通達を出したことはいうまでもない。

記事によると、県教委からの通知が発せられたのは夏休み中の8月25日。『やってはいけないことはやらない』基本に教職員と面談することと、18項目の質問例を挙げているとして、質問例の一部を記している。

簡単な法知識を問うほか、『児童生徒と閉じた室内で1対1となっていないか』『児童生徒や保護者とメール交換をしていないか』『飲酒をしたら、車はどうしているか』『自己制御力、順法意識を持ち合わせているか』などという。実に教員を信じていないというか、何ともバカにした質問ばかりと呆れてしまう。

ここまでは目をつぶるとしても、面接の必須内容が『児童買春・児童ポルノ禁止法を知っていますか』などという、間の抜けた余りにも常識外のバカな質問には、一言『アホカ』と吐き捨てたくなる。しかも、質問事項が県内の公立小中学校287校、役5200人全ての教員にされていたというのだから、これは尋常ではない。

まあ、この県の教育レベルだから・・・と言ってしまえばそれまでだが、校長に一人一人呼び出されて、こんな質問をされていたのかと思うと気の毒になってしまう。さすがに教育評論家の一部からは、こんな質問をして不祥事根絶につながるのかと効果を疑問視する声が上がっているというが、当然だろう。
 『飲酒をしたら、車はどうしているか』という質問に対して、昔なら『一休みして酒気をとってから乗ります』という答えでも通用したのだろうが、今どきそんな答えをする教員がいるわけはない。例え、身に覚えがあったとしても、『絶対に乗りません』と答えるのは100%明らか。

『自己制御力、順法意識を持ち合わせているか』という質問でも答えは明らか。『自分は自信がない』などと答えるおバカはいないと断言してもよい。

ただ一つ『児童生徒や保護者とメール交換をしていないか』という質問に対しては、最近の傾向から想像するに、その事実を隠している教員の存在の可能性はある。しかしその場合でも『絶対ありません』と答えるのは明らかなので、携帯が背景にある教員の不祥事発生を根絶する適切な質問だとは思わない。

なぜ携帯が不祥事の原因になるかということを、教員がきちんと理解できていたら児童生徒との個人的な携帯メ-ルのやりとりなどやるはずがないと思いたいが、実際にはほとんど全員の教師と生徒が携帯を持っているのだから、個人的な相談というとなると、タテマエ上教員は聞かねばならなることも事実。結果的に、これが個人的な関係に発展することは、様々な事件が示している。

この県では、今年7月に小学校の男性教諭が飲酒運転事故を起こして懲戒免職、8月には中学の男性教諭が女子高校生を買春したとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕されるという不祥事が続いての危機感が焦りを呼び、こんなバカバカしい面接をしたのだろう。

飲酒運転はともかく、児童買春などの背景には『携帯メ-ル』の存在がある以上、この対策を徹底しなければ、今回の面接など何の効果も期待できないばかりか、かえって寝た子を起こす結果になるのではないだろうか。

社会がやっと携帯の危険性を口にしはじめ、学校では講師を招いて『携帯メ-ル』の危険性などを教える授業をはじめているが、その効果は遅々として進んでいないと聞く。

こんな面接をしたからといって現状は携帯を持たせることを『是』とする社会では、例え『携帯メ-ル』を禁止したとしても、教師による、児童ポルノ絡みの事件は今後も発生する可能性は否定できない。

県教委は『教員を24時間監視するわけにもいかない。一人一人に服務規律を認識してもらう必要があった』と自画自賛しているようだが・・・。

ところで、記憶している限り退職して以来初めてのことだが、一昨日から珍しく相当重傷の風邪の症状が出はじめ、昨日は会議の途中で退席を余儀なくさせられたほど体調が悪い。

帰宅して安静にしているのだが、今朝起きても体調はいま一つ。何か話が広がり焦点のぼけた文章になってしまったことを反省している。(田舎親父)

2010年10月13日 (水)

ビデオがあれば公開すべきだと思うが・・・

 またまた話はふるくなる、中国の監視船が姿を消した事や、関係修復の動きが出始めたので、中国との関係が回復に向かうに違いないと判断したらしく、カン内閣には安堵感が漂いはじめている。

現象的には尖閣諸島の海域で、日本の巡視艇と中国の監視船がにらみ合っていては、何かの間違いでドンパチが始まらないとも限らない。中国の真意はどこにあるのかはわからないが、中国船が姿を消した事は、一発触発の危機は免れたという意味では、とりあえずはよかったというところか。

しかし、中国漁船を一時的にしても拿捕し、船長を拘留し国内法で粛々と処理すると言いながら中国の圧力に屈して、船長を釈放したことは全て那覇検察が独断でやったことで、首相や関係閣僚は知らなかったという政府の変なシナリオには納得できない。しかし、この事が三権分立をうたう民主国家の根源に関わる問題なのに、何故かマスコミはもとより、よく聞く名前の評論家達も含めてスル-しているのがもっと気に入らない。

政府発表では、漁船に停止命令を出したが無視して立ち去ろうとしたので、追跡したところ、突然漁船が体当たりをしてきたとのこと。その一部始終をビデオで克明に撮影し、それを見れば巡視艇の行動は国際法にのっとり全く違法性はないと断言していた。

その言葉に間違いなければ、最初からこのビデオを公開し、世界にわが国の行動の正当性を訴えれば良いものを、裁判の証拠だから公開できないとの理由で、ビデオがあるあると言いながら一切を隠し通してきたのがいかにも不自然に見える。

マエハラ外相(事件発生時は海上保安庁を管轄する国交相)はビデオを見たと発言した上で、保安庁の巡視船が撮った一連の処置は正当だと明言しているが、中国からレアア-スの禁輸とかフジタの社員4人の拘束という、ほんの少しの圧力を突きつけられたら早々に、検察の独断という禁じ手で『ゴメンナサイ』と白旗を上げたのは、一体何だったの・・・と不信感が大きくなる。

ネットでは中国の漁船は単なる漁船でなく、高速エンジンを搭載した『魚兵船』で、巡視艇が挟み打ちにして体当たりで止めた、という情報もある。事実なら、中国漁船がぶつかってきたのではなく、巡視艇が漁船にぶつかったことになる。これでは、公開したくとも公開できないのは当たり前・・・。

信じたくないが、(外相の言うように)明らかに日本に非がない映像ならば、世界に中国の非を認めさせる絶好の証拠だろうに、かたくなに公開しないところを見ればひょっとして当たらずとも遠からじという感じさえしないこともない。

政府与党は、中国の態度が少し柔軟になってきたと判断したのだろうか、改めて中国漁船衝突事件の様子を海上保安庁が撮影したビデオについて、公開に応じない方針を固めたという。公開すれば、改善の兆しが出てきた日中関係が再び悪化しかねないとの判断からだとのことだが、本当の理由は別にあるのではないだろうか。

国会がビデオ提出を求める議決をした場は、予算委員会など関連委員会の『秘密会』への提出とし、限定的な開示にとどめたいとの報道だが、すでに予算委員会で外務省や国交省ではなく、法務省の考えとして『中国人船長を起訴するか否かの結論が出ていない段階で、捜査資料を出したケースは今までない』と説明し、現時点での国会提出には反対という立場を明確にしていることから、すでに野党側との何らかの妥協が成立しているのではないだろうか。

 検察審議会が9月14日の議決を延ばしに延ばして、突然、オザワ前幹事長を強制起訴したことについても詳細は全て藪の中。

カン内閣になってから、自民党政権時代以上に『国民には真実を知らせるな』という指令が徹底し、マスコミや評論家の口を強制的に封じているような気がするが・・・。(田舎親父)

追記-明日も早朝より会議のため更新できず。

2010年10月11日 (月)

小学生以下の朗読力はいただけない・・・

 カン首相は市川房枝さんから特別可愛がられた秘書だったと伝えられる。私は、この情報はマユツバものだと思っているのだが、少なくとも彼が市民運動を経験して代議士に当選し、今日を築いた人間であることは間違いないようだ。

私も学生の頃には夢中で社会変革を願ってデモの先頭に立ったことを思い出す。今ではその元気はないが、その時に先輩諸氏から徹底的に鍛えられたのは、アジ原稿は自分で作り、人前で離す機会があったら絶対に原稿の棒読みはしてはいけないということ。そのことは現職時代には信条にしているので、原稿を棒読みしている人を見る何となくガッカリする。

市川さんがそのことをカンさんに教えなかったはずはない。なのに、首相になってからのカンナオトという人物は、いかなる場合でも全て原稿の棒読み。それもきわめて下手くそとくると、市川房枝さんが今日生きていたら、この事実を絶対に許さなかっただろうと推察している。

もし、マスコミが報じているように、市川房枝がカンナオトを評価していたとしたら、この程度の男を可愛がったのかと市川房枝という人物までもが軽く思えてくる。

このことを自民党の稲田という女性議員が指摘したそうだ。大拍手・・・。その映像は見ていないが、首相のあまりにも下手くそな棒読みに対して『官僚が用意した原稿を読まないで』苦言を呈したようだが、そのことに対して逆切れして『それならまず、原稿を読まないでご質問をされるのが筋だ』と興奮して激怒したという。

情けない。以前何かの会合で同席した国会の法制局の職員が語っていたが、野党の質問はあらかじめ国会事務局に出されており、それに対して、しかるべき部署と打ち合わせて、回答を準備するのが自分達の仕事だと言っていたことを思い出す。

稲田議員は、おそらく自分の質問の主旨を確認しながら登壇。当然ながら、原稿と見比べながら質問したことは当然。慣れなかったので、棒読みに近い言い方になっていかことも理解できないことはないが、官僚が作った作文を棒読みにしている首相から『お前こそ棒読みを止めろ』などという反論は予想外も甚だしかった違いない。

稲田議員は『野党側が事前に質問要旨を出しているのに、原稿を読むなというのか』と反論したとのことだが、自民党には未来はないと確信している私でも、軍配は無条件に稲田議員に挙げる。これは衆目の一致するところでは・・・。

翌日になって、本会議に先立つ衆院議院運営委員会の理事会では官房副長官が『総理の答弁は品位を欠くところがあり誠に遺憾であり、今後は適切な答弁に努める』と釈明したというから、閣僚達からも厳しく諫められたのだろう。それを官房副長官に言わせるのも何か釈然としないが・・・。

続いて開かれた本会議で、『昨日の本会議での私の発言に関し、不適切とのご指摘を頂いた。ご指摘を真摯に受け止め、以後、与野党が十分議論に臨めるよう努めたい』と謝罪したというから、まさに笑い話・・・。

その後、テレビでニュ-スでカン首相が答弁している姿を少し真剣に見るようにしているのだが、『ご指摘を真摯に受け止める』という言葉とは裏腹に、棒読みはさらにひどくなっているような気がしてならない。官僚が作文した書面を、一字一句間違えないようにしなければという思いが強いのか、ぎこちなさは改まっていない。

首相という職務の忙しいことはわからないでもないが、一国の首相が、野党からの質問を全て官僚に任せて、しかも事前に読んでいたとは思えない『小学生がはじめて教科書を読む』程度の朗読とは情けない。

官僚に任すことはともかく、答弁の前には一度は書面を読んで、少なくとも自分の考えとして述べることが、議会制民主政治の原理である以前に、人としての礼儀なのだろうが、この御仁の辞書には『礼儀』という言葉はないらしい。(田舎親父)

 追記 明日は都合により更新できず。

2010年10月10日 (日)

この事件報道に違和感・・・

 このところ用事が重なり、事件や事故から少し時間が過ぎてしまってから話題にすることが多くなっている。今回の神戸での殺人事件を知ったのは、夜の早い私は事件の発生した翌日の朝の新聞。その記事には『若い男女が路上で話していたところ突然男が現れて包丁のようなもので刺して逃走した・・・』とある。

『若い男女』という表現から、今は流行りになっている出会い系サイトか、あるいは男女交際に絡む単純な恨みなどではと、さほどの興味は引かれなかったので、事件の発生時刻など読みとばしたが、いよいよこの国は、夜間外で人と話していても危ない時代になったのかと身震いしたものだ。

夕刻になって、NHKのニュ-スでこの事件を詳しく報じたので耳を傾け、改めてその概要を知ったが、考えさせられることが多い。

 刺された男性は神戸市内の市立高校の2年だったらしい。一緒にいたのは交際相手の中学3年生の女子生徒で、事件発生の時刻は夜の11時ごろだという。二人は、自販機でジュ-スを買って、近くの歩道に座り込んで話していたとのことだが、何か変だと思うのは私が古い人間なのだろうか。

 最近この国では夜と昼が入れ代わっている感じがする。『お前はいつのことを言っているのか・・・』と笑われるかも知れないが、以前は、深夜0時を過ぎた終電近くになると乗客は少なく、私が利用していた横浜線の駅に降り立つ人は多くなかった。その中で一際目立つのが、明らかに酒気帯びのご機嫌顔の男性(私もその一かも)だったが・・・。

その人たちが、駅におりたとたん走り出すのはタクシ-を確保するためだが、迎えにきてもらう私には、今思うと懐かしくなる。

最近は(めったこの時間に帰宅の機会はないが)これが終電近くかと思うほどの車内は混雑し、勝手目立った酔っぱらいの男性の影は少なく、圧倒的に多いのは若い人たち、中でも一見して女子高校生だとわかる姿が多いのが気がかり。中には明らかに塾帰りだと思われる小学生の姿さえ見かけることがある。

 うっかり声をかけようものなら、とたんに痴漢騒ぎになるのは間違いないので、そのときは女子高生に対して『あんたの親は何も言わないの?・・・』と素朴な疑問を、声を出さずに投げかけるのだが、当然相手は知らん顔。横浜線というのは横浜の片田舎を走る路線なので、都内や横浜の賑やか場所では、この傾向はそれ以上に違いないと思うと『本当にこれで良いのだろうか』と危惧感を持つ。

 今回の事件も高校2年生と中学3年生が『夜の11時に歩道で座って話していた』ということについて、(個人的な感情を押さえるのはアナウンサ-の資質だろうと思うが)何の疑問も持たず淡々と述べているように思えてならない。新聞記事も同じである。

『高校生や中学生が夜の11時に外出』することや『歩道で座り込んで』何やらしていることが当たり前なのだろうか。こんな行為に対してマスメディアは批判してはいけない決まりになっているのだろうか。

そんなことはあるまい。世の中の人々が穏やかに生活するための情報を流すのがメディアの使命の大切な一つであるはず。当然、こんな行為をしているから隙ができて暴漢に襲われるのだという苦言をにおわす社説でもあってしかるべきだろうに、調べた限りにはそんな論調は一切ない。

 続報では、殺害された高校生の体には殴られたような跡もあったが、刃物からかばう際に腕などにできる防御創はほとんどなかったとか、近くの住民の「『逃げろ』という男性の声に続いて女性の声が聞こえ、その後、『痛い』という男性の声がしたという記事があるが

特に高校生と中学生という極端に若いアベックに対して批判らしい言葉はない。

 これで良いのだろうか。いや、良いわけは絶対にない。周りも含めて最近の『なんでもあり』という社会風潮には納得できないものがある。

どんな動物であっても、一人前になるまでは親の責任だと本能的に必死に子育てする姿が、毎日のようにテレビで紹介されている。なのに、自分だけは特別だと錯覚していて、勝手な子育てを許す風潮の蔓延に危惧を持つ。

私が特別時代後れなのかも知れない。が、そんな『時代後れ批判』なら喜んで受けたい。(田舎親父)

2010年10月 9日 (土)

ノ-ベル賞について思うこと・・・

 今年もまたノ-ベル賞の季節になった。毎年、日本ではキンモクセイが香りだすと、この話題がチラホラと始まり、誰が候補だとマスコミの話題にのぼる。このような書き出しで文章を作りはじめたのは、ノ-ベル医学生理学賞の発表があった日の翌日の5日。

 しかし、後で述べるように、何となく気乗りがしないことと、ひょっとして日本人科学者の受賞があるのではないかと思い、この話題はしばらく温めることにする。

 その翌日、私の淡い期待と想像があたり、夕方のニュ-スの時間だったと思うが、字幕の速報で、まず北海道大の鈴木章名誉教授という名前かテロップで流れ、続いてアメリカのパデュー大の根岸英一特別教授という名前が、そして翌日には、同じ分野の研究者のアメリカのデラウェア大のリチャード・ヘック名誉教授の3人に化学賞が贈られることう知る。

 3人の科学者の業績は『有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング』という『有機合成化学の新たな触媒反応の開発』だとのこと。化学は特に弱い私には詳しいことはさっぱり理解ができないが、互いに反応しない有機物をバラジウムという物質を触媒にすれば反応が進むという、テレビの絵を使っても解説に、何となくわかった気になる。

 実際には大変な理論と実験の繰り返して得たものだろうと、3人の科学者、特に日本人科学者には同胞としての親しみとほこりを感じ、無条件に『おめでとうございます』という賛辞を送りたい。

 今回のノ-ヘル賞受賞者の発表には、マスコミは全ての臓器になりうるという『万能細胞』を発明した山中教授という名前が出るのではと報じていたが、今回の化学賞の受賞の3人の科学者の業績は全て数十年も昔のことだということから、山中教授の受賞には少なくとも後数年は必要なようだと改めて納得。しばしの間期待しながら待つことにしたい。

 そこで、改めて『体外受精児技術』の開発者である英国のロバート・エドワーズ博士に授与すると発表したことに、ノ-ベル賞というのは『医療技術』に与えるのか・・・と少し違和感を覚えたことを思い出す。

 そのことについて文章をまとめようと思ったのだが、体外受精技術では1978年、すでに全世界で400万人がこの技術によって生まれているとの記述に、よく体外受精という言葉はきくものの、そんなに多くの人が生まれているのかと改めて驚き。これは安易に話題にできなくなってしまう。

 実際に、その道の専門家の医師を友人に持ち、その方からは、子どもが欲しくても肉体的な事情で子どもが授からないという悩みを訴える人々も多く存在することも聞いているので、下手に話題にすると誤解を招く恐れも十分にある。

 しかし、批判覚悟で私の疑問も書き留めておく必要があると思い、飽くまで現時点でのつぶやきというつもりで文書を綴ることにしたい。

 現在地球上には70億人(一説では90億人とも言われているが)の人間が存在し、その数は爆発的に増えているという。何かと話題になるお隣の国、中国は公称で12億の人間が存在し、中国政府はこのため『一人っ子政策』というとんでもない(まさに人権無視そのものの)法律を作って、人口抑制につとめている。

 子どもがほしいという願いは、人間としてごく当たり前の素直な気持ちの現れで、その実現のためには、いかなる障害も乗り越える権利はあると確信しているが、実際には中国のように権力でその願いを押さえつけている国さえある。

 中国の一般庶民のほとんどは、体外受精技術など用いなくても子どもを産める人たちに違いない。多分、二人目の子どもをほしいと願う気持ちは、体外受精で子どもをほしいと思う人以上に強いのではと想像している。

 体外受精の機会を得られる人達は、先進国の経済的にある程度恵まれている人たちで、稀に人口が自然増している開発途上の人もいるだろうが、その人は間違いなく特権階級に属しているといっても過言ではなかろう。

 言葉を選ばずに述べるが、限られた人たちの願いをかなえるための『体外受精』という『技術』に対して、科学としての最高権威であるノ-ベル賞が果たして相応しいのだろうか、というのが正直な気持ちである。

 ここまで書いていたら、中国の民主活動家、劉暁波氏のノ-ベル平和賞の受賞というニュ-スに、『おっ ノ-ベル賞委員会もやるじゃん・・・』とほほが緩む。中国共産党政府は激怒しているとのことだから、今後の中国の動きは目が離せない・・・。(田舎親父)

2010年10月 8日 (金)

検察審査会に疑義・・・

 少し古くなるが、オザワさんの資金管理団体『陸山会』土地取引事件で、東京第五検察審査会が、04、05年分の『政治資金規正法違反(虚偽記載)』の罪で強制的に起訴すべきだとする『起訴議決』をしたというニュ-スが流れた。

これによって、裁判所が指定した弁護士が検察官の代わりに起訴することになるようだが、市民?の判断によって、政治家が強制起訴される初めてのケースとなる。マスコミなどは世論の勝利と大騒ぎしているが、私の耳には、素直に受け止めては『とんでもないことになるぞ』という小さなささやき声が聞こえるような気がしてならない。

民主党の中でも除名だ、自主的離党だとかしましいが、騒いでいる人たちは、本当に自分は『政治とカネ』に真っ白だと言えるのだろうかと思うと、何ともやりきれなくなる。おそらく党内の権力争いの中で、オザワさんに対して嫌悪感を持っている輩の仕業だろうが、こんなゴタゴタが表面化するようでは、民主党政権も長くはないような気がする。

それはさておき、9月14日議決されたことか、最近まで完全に隠されていたのかということが気になる。誰が、何のためにこの決定の公表を遅らせたのかは、専門家と言われる政治評論家たちがケンゲイガクガクと議論し、様々な憶測をしているが、9月14日というのは確か民主党の代表選挙があった日、これは偶然だとは思えない。

検察審議会というものは、司法に一般国民の常識を反映させるという目的で、各検察審査会管轄地域の衆議院議員の選挙権を有する国民の中から、くじで無作為に選ばれた11名で構成されるという。そして、任期は6か月で、そのうち半数が3か月ごとに改選される。審査員が欠けた場合に備えて、補充員がいると解説されている。

国民から『くじ引き』で選ばれる。この語句に違和感を持つのは私だけなのだろうか。今回の『陸山会(オザワ前幹事長)』が関与しているとされる世田谷の土地取得疑惑は、検察が何度も徹底的に調べて、結局決定的な証拠が得られず起訴しても公判が維持できないと判断したものだと受け止めている。

今回、厚労省の元局長の裁判でFDの書き換えが判明し、書き換えた検事とそれを隠匿した本部と次長の検事が逮捕という前代未聞の不祥事か明らかになっているが、これとて真相解明に至らず、今後二転三転する可能性を含んでいるはずだろう。それ以前に、検事が逮捕されるなどという大事件がこの時期に明らかになるのも偶然とは思えない。

検察の横暴さは、数多くの冤罪事件が明らかになっていることで証明されているが、かといって彼らが捜査と公判維持の専門家であることは誰も否定できない。『国民の中からくじ引き』というのは、いかにも公平な選択のように見えるが、素人が人を裁くことがいかに恐ろしいことかは少し立ち止まって考えれば明らかなこと。

まして『くじ引き』というだけで、実際には『誰がどんなくじ引きを行い、そして、くじ引きに当たった幸運な人が誰なのか』など全く公表されていない(方法などの説明はあるが、それを確証する手立てはない)。検察審査会のメンバ-たちが(ある程度の研修期間があるのだろうが)疑惑の背景などを正確に把握して議論できるとはとても思えない。関係者(おそらく弁護士達だろう)という講師役の洗脳があることも、ほんの少しの想像力があれば否定できない。

私はオザワさんが全くのシロだとは思っていない。おそらくかなりグレ-の部分があり、場合によっては明らかにクロだと指摘される行為があったのではと推察し、数億円のカネがオザワさんのポケットに入ったことは間違いないとも思っている。

しかし、これは『政治とカネ』が切り離せない現実の政治の世界では、政治に携わっている全ての者が金額の大小は別にして関与しており、特捜部の検事達が本気で叩いたら、ほこりがでない者はないのでは・・・。

おそらく、オザワさんが起訴されて公判が始まったら、それは延々と続くだろう。その間にこの国の政治が根本的に変わらず、まだ『オザワの影響力を排除すへしすべし・・・』という勢力が生き残っていたら、先日のスズキムネオ議員ではないが、最高裁が上告棄却という消極的に議員活動を終焉させる決定を行わないとは限らない。

せめて、検察審査会が開かれた国民の意志であると強弁するのなら、本名までは無理としても、確実に公正に選出しているいると確信させられる情報を公開するべきではないだろうか。箝口令が徹底しているのかも知れないが、今までずいぶんの人が委員を経験しているだろうに、自分が審査会の委員だったという人がでて来ないのも不思議・・・。

わずか数億のカネのことを問題にして、ほとんどの国民を『カネで汚れた政治家』というイメ-ジを持たせるマスコミを操作する影の勢力があるとすると、この存在が何より恐ろしい・・・。(田舎親父)

2010年10月 7日 (木)

高齢者医療費が全体の40%以上とは異常も異常・・・

 厚労省が、昨年度の医療費が過去最高を更新して35兆3千億円だったと発表したというニュ-スが流れたのはかなり以前の話。前年度より3.5%、1兆2千億円の増加だという。

その中で少し注目したいのは、『高齢化が進んだため70歳以上の医療費が全体の44%(75歳以上は全体の34%)を占めた』という記述。これらの数字は公的医療保険と公費から支払われた分を集計したもので、総額は00年度の29兆4千億円から増加傾向になっているとのことだが、わずか10年で6兆円も増えているのに増加傾向とは、さすがお役所お気楽なものと皮肉の一つも言いたくなる。

1人当たりの医療費は、09年度は27万6千円。70歳未満は16万8千円だったのに対し、70歳以上は77万6千円。後期高齢者医療制度の対象になる75歳以上では88万2千円と高齢者の加齢とともにとんでもない数字に跳ね上がっている。

この数字には薬代は含まれていないという。常識的には、高齢者になればなるほど医療費がかかるのは当たり前だろうと思うが、70歳以上の人が、全国平均で年80万円というのは異常ではないだろうか。

後期高齢者という言葉が相応しくないという議論があり、ここでも話題にし、後期高齢者という表現は、『お前達はもう社会的に役立たないのだから早く死んでしまえ・・・』という響きがあることは否定できないから、もう少し優しい人間性のある名称にした方が良いなどということを書いた記憶がある。

民主党は『後期高齢者医療制度』を根本的に見直すマニュフェストには明記していたはずだが、実際に政権を担当するとなかなか難しいようで、政権交代から満1年、過日やっと13年度から新しい高齢者医療制度を導入すると決めて、その骨子がまとまったと発表した。

それによると、75歳以上が対象の『後期高齢者医療制度(後期医療)』で批判を浴びた年齢による区分をやめ、現役世代と同じ保険に加入することを柱にしているというから、まずは不評判な名称はなくそうという意図は読み取れる。

この制度が実施されたら、75歳以上の高齢者は『後期高齢者』という呼ばれることはなさそうだ。現行では、75歳になると自動的に後期医療に加入させられるが、新制度では保険証を切り替える必要がなくなる手間も省けるという。

国保では保険料を世帯主が全員の分をまとめて払うため、扶養される高齢者は保険料を払わなくて済むとのことだから、被用者保険で扶養されている家族の負担もなくなり、高齢者を家族に持つ人たちにはかなりの軽減になるらしい。

しかし、こうした高齢者や周りの負担が軽減された分の穴埋めは、公費(国民からの税金)や現役世代で負担することになるが、その負担のあり方は示されていない。ここが一番大切な部分だと思うのだが・・・。

前述したが、昨年度の医療費35兆円のうち、75歳以上は全体の34%を占める。厚労省の試算では、15年後には国民医療費56兆円のうち、約半分が75歳以上の高齢者の医療費になるという。

その時、国全体の一般会計額はどのぐらいになっているかわからないが、75歳以上の高齢者の医療費が30兆円とは想像を絶する。この数値から見ても、日本という国の存在は不可能だろうと思わざるを得ないが・・・。

試案では、高齢者にも負担を求める方針で、高齢者の窓口負担は、一般的な所得の人で75歳以上が1割、70~74歳が2割、69歳以下は3割とするらしいが、そんな程度で巨額の医療制度を運営できるはずはないのではあるまいか。

そろそろ、本音で高齢者の医療制度を議論しなければならないと思うのだが、そんなことを関係者が口走ったら、直ちに人権擁護派と称する人たちから袋だたきにあうことは間違いないとなると、本根の議論と期待できそうもない。

多くの高齢者の最終の願いが『ピンピンコロリ』だということはよく聞く話。

ならば、尊厳死を認めると共に、私のいう『ババコロリ(婆さんがのめばコロリと安らかに生きを引き取り、爺さんにはその3倍薄めたもので効果があるカプセル)』を本気で研究し、希望者には配るということを本気で議論しても良い時期になっているのでは・・・。(田舎親父)

2010年10月 6日 (水)

『自宅難民』という聞き慣れない言葉・・・

 先日、ミャンマー軍政の迫害により、祖国を追われタイで難民キャンプ生活を強いられてきた少数民族カレン族の3家族18人が来日したというニュ-スがテレビで流れた。政府が試験的に始めた『第三国定住』の第1陣だそうだ。

様々な人種や宗教が存在する国では、時の権力者の主義主張と異なれば迫害を受けることはよく知られている。迫害を逃れて周辺国に逃れるのだが、逃れた国でも同じような人種や宗教問題があって、定住が認められないケースが多いという。

この結果、長期の難民キャンプ生活を強いられるのだが、そうした難民を別の国で再保護するのが『第三国定住』だというのだそうだ。

 ニュ-ス解説によれば 今年度から3年間、ミャンマー難民を家族単位で約30人ずつ受け入れる方針だとのことである。その後、状況をみて、受け入れ人数や対象難民を決めるという。

 来日した3家族は、これから半年間の予定で都内の定住支援施設で、社会習慣とともに日本語を学ぶという。その後、就職先の斡旋や職業訓練、児童への就学支援など行いに本の社会に馴染ませるという計画らしい。

 それに異議をはさむものではないが、フィリピンやイントネシアからの看護や看護のために来日した、意欲的な若者でさえ日本語の意味を理解するのかの難しく、国家試験の題意を読み取れないのが現実だというほどなのに、この人たちがわずか半年間の研修で日本語の習得ができるのだろうかという危惧はぬぐえない。

 私にできることは、もしも彼らと横浜の片田舎で出合うことがあったら、彼らの片言の日本語を理解して、笑顔で接することぐらいだろうが、地方自治体や企業、学校などが互いに連絡と緊密な連携で日本の社会に溶け込めるようにして上げてほしいと願っている。

そんなことを思っていると『自宅難民』という、これまた聞き慣れない言葉が流れてきた。会社から自宅に帰っても、自分の時間や場所をもてないでくつろぐことができない父親のことをいうらしい。

ある調査会社が6月20日の父の日の前日に『平日、仕事から自宅に帰った時に、お父さんが感じること』という調査をインタ-ネットで行ったという。お節介極まりないこんな調査の必要性など理解できないが、結果を見ると現代という時代をよく現しているような気がしないでもないので取り上げてみる。

全体の約50%のお父さんが『一人になれる場所がない』とか『家族とのコミュニケーションがうまくいかない』などと、自宅での過ごし方に何らかの不満を感じているとの回答があったという。要は、お父さんの二人に一人が、本来は安らぎの場所であるはずの『自宅』でくつろぐことができないのが実態らしい。

具体的な要因を複数回答で調べたところ『自分の趣味を楽しむ時間がない』が約6割を占め、ダントツ1位だそうだ。以下、『一人になれる時間・場所がない-』が約40%、『見たい番組が見られない』が約30%、『妻や子どもがうるさい』が約25%、『自宅に居場所がない』が約20%で続いているという。

中には『帰宅しても夕飯がない』という回答が約5%あったというから、この調査の是非は別にして、日ごろからないがしろにされているお父さんが多いということがうかがえそうだ。

 このような日本の『自宅難民』と比べると、将来の生活には不安を抱きながらも寄り添って生活しているミャンマ-の『第三国定住難民』の家族のお父さんは一家の柱として尊敬と信頼されているだろうと思うと、日本の父親の権威が成り下がったことを憂えずにはいられない。

 最近、急増している家族間での諍いや、それに起因して引き起こされる殺人や放火が多いのも、このあたりに原因があるように思えてならない。(田舎親父)

2010年10月 5日 (火)

またまた地方いじめ・老人いじめ・・・

 『環境自動車税』という聞き慣れない言葉を最近知った。何でも、政治屋と官僚が結託、今以上に国民から上手い手口で税金を搾り取れないかと考え、自動車税(地方税)と自動車重量税(国税)を一本化するという案だという。

一本化すると手続きなどが簡便になると説明しているらしい。一本化するのだから税金は安くなるのでは・・・国民心理をついた施策だが、その裏には、現在の『軽自動車』という枠をはずすという魂胆があるのだそうだ。

総務省に『自動車関係税制に関する研究会』という御用会議があるとのこと。その会議の出した報告書には『軽自動車の規格は小型自動車に近く、安全面や環境面で比較しても特段差異はない』とまず結論づけている。

さらに、特に環境面ではと断って『軽自動車と1000ccの小型自動車のCO2の 排出量の平均値は軽自動車の方が排出量は多い』と、環境面では軽自動車という定義を撤廃することが合理的だと述べている。

要は、『軽自動車』という『税的処置』を撤廃して、全て普通自動車として扱うことによって大幅な税収を見込めるという下心がミエミエの提言だということは、車にほとんど興味がない私にもわかる露骨なもの・・・。

私が毎日のように歩いている横浜北部を流れる鶴見川(恩田川)流域の田んぼや畑が広がる地域で一番多く見かける車は、黄色ナンバ-の『軽トラック』である。

特に今は稲の刈り取りの季節、農民たちは(そのほとんどは高齢者というのも気になるが)が、それぞれ『軽トラ』を運転して集まり、互いに助け合いながら刈り取り作業をしている姿は微笑ましくなり、ついついカメラのシャッタ-押したくなる。

地方にでかけると『軽トラ』を見かける割合は格段に高くなる。と同時に、普通乗用車でも圧倒的に『黄色ナンバ-』が目立つ。

要は、地方では『軽トラ-』は農業や漁業などの一次産業に従事している人たちの足になっていると同時に、『黄色ナンバ-』は一般の人たちにとってもなくてはならないものとして存在している。

これは地方の道路の狭さ(これに関しては横浜の片田舎も負けないが)が軽自動車を選択する大きな要素だろうが、それ以上に税金の安さが軽自動車の人気になっていることは間違いない。

現在、自動車税では1000cc小型自動車(乗用・自家用)にかかる標準税率は2万9500円であるのに対して、軽自動車税が適用される四輪の軽自動車(乗用・自家用)にかかる標準税率は一律7200円となっている。

もし、『環境自動車税』が適用されたら、軽自動車の所有者の税金は一挙に4倍に跳ね上がることになる。このことに対して、この会議は『この税負担の格差について、環境自動車税の環境損傷負担金的性格や財産税的性格からは、もはやその格差を合理的に説明することは困難であり、軽自動車と小型自動車を区分して議論すべきものではない』としているが、この会議のメンバ-は地方の実態をどれほど把握しているのだろう。

核家族が当たり前になった最近の傾向は、常時車に乗るのは一人か二人が圧倒的に多い。私が毎日歩きの中で見る走行中の車には、めったに3人以上乗っていることはない。片田舎といえども横浜でこの程度だから、日本全国おして知るべし。もう大人数を乗せる自家用車など必要ない時代になったといっても過言ではない。

環境のことをごく常識的に考えると、トヨタを儲けさせるためのエコ(エゴ)減税などよりももっと必要なことは、軽自動車を国民車にするという政策変更ではなかろうか。

そろそろ田舎イジメ・老人いじめの、軽自動車を小型自動車枠に入れるという発想ではなく、中型・大型を含めて乗用車を軽サイズにするという根本的な転換が必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2010年10月 4日 (月)

ニセコに続かねば・・・

 少し古くなるが、先日ニセコ町が発表した『北海道内で海外資本による私有林の買収が相次いでいる対抗策として、水源地域にある地元の私有林の買収に乗り出すとともに、地下水利用や森林伐採などの開発を規制する条例を制定する方針』という姿勢に大きな拍手を送りたい。

 ニセコ町というとパウダ-スノ-といわれるように、素晴らしい雪質が大人気。スキ-人口が激減している中でも健闘しているスキ-場として知られている。また、スキ-だけではなく、秀峰羊蹄山の麓にあるニセコ東山温泉も四季を通して賑わう北海道を代表する観光地でもある。

 国内からの観光客も多いが、最近は海外、特に中国やオ-ストラリアの富裕層の人たちから大人気で、単に遊びに来るだけではなく、ここに住み着いて商売をする人もでているという。その人気を当て込んで土地を買収する個人や企業が増えているとのニュ-スは、これまでも度々テレビなどで報じられていたが、ここ数年の間に約20ヘクタールもの私有地や原野が、中国やオーストラリアなどの企業や個人に買収されていたらしい。

 少し立ち止まって考えると、これは大変恐ろしい事実である。わが国は水資源に恵まれており、全国津々浦々直接飲める安全で安心できる水道が完備している。こんな国は世界でも稀なことは知識としては誰もが知っているが、その水が世界から注目されており、自国民に供給するためばかりか『水ビジネス』の対象として、その確保に動きはじめていることにはあまり注目している人はない。

ニセコ町内の上水道はほぼ地下水に頼っているが、その豊かな地下水は町を囲む広大な森林のおかげ。しかし、特に水資源が不足している中国や中東の石油産出国、オ-ストラリアなどの国々からみたらニセコの水資源は垂涎の的だろう。

そしてニセコの森林を買収しているのがこれらの国々の個人と企業とあれば、単に観光目的ではなく水の確保が第一だということは火を見るより明らか。

それを阻止するためには独自の対抗策を打ち出す必要があると判断したに違いない。町長以下、行政の幹部の危機感は、町内11か所の水道水源地のうち、私有地の2か所などを買い取る考えだという。また、町内全域で地下水のくみ上げを制限する地下水保全条例や、水源の売買や森林伐採などの開発を規制する水道水源保全条例も制定する方針で、今年度中に条例案を町議会に提案するとのこと。

 町長は『今後も町内の私有林の買収が続くと、地下水の保全に影響を与えかねない。大切な森は町が守らなければならない』との話しているというが、その考えと決断には最大限の敬意を払うと当時に、その実行を急いでほしいと願っている。

 圧倒的な森林面積を誇る北海道は、この『水ビジネス』に狙われている所も少なくないらしく、海外の企業や個人が昨年1年間に購入した道内の私有林は約400ヘクタールに上るという。道としての対策はまだ『道は水資源の保全のため、所有目的などを調査する方針』止まりで、ニセコ町のような具体策がないのか気がかり。

 北海道ばかりではなく、海外の資産が森林や荒野を買い占める動きは全国各地で起きているらしい。その動きに危機感を持つ自治体も多いようだが、先日も述べたように、水源地は多くの場合山奥で交通の便が悪い過疎の僻地。

過去の土地所有制度の弊害だと思うが、そんな山奥の僻地でも個人が所有する山が圧倒的多いのも、海外資本のねらいのようだ。

狙われる森林荒野の地権者はそのほとんどが高齢者。後継者もいない手入れもできないとなると手放すことを考えるのは当然のこと。現状では、山全体で数十万程度の価格しかつかなかったのが、数百万と10倍の金額を提示されたら、役所の説得も効果はなくなるのは当たり前。このようにして全国の森林が外国の企業や個人の所有になっていく。

すぐにでも、全国の水源森林すべてを国や自治体の財産・管理を急がねば、気がつけば無尽蔵にあるのに使えない、水に苦労する国に成り果てるのではと危機感と不安感が募ってくる。(田舎親父)

2010年10月 3日 (日)

厳罰化だけでは防げないのでは・・・

 自転車の走行ルールを厳格化するため道路交通法が改正された07年以降、自転車で歩行者をはねて死亡や重傷を負わせた場合、民事訴訟で数百万~5000万円超の高額賠償を命じる判決が相次いでいることを、各メディアが取り上げはじめている。

東京や大阪など主要4地裁の交通事故専門の裁判官は『歩道上の事故は原則、歩行者に過失はない』とする『新基準』を提示して、自転車で事故を起こしたら大変だという方針を打ち出している。地方の裁判所もこの動きに合わせているらしいから、これは裁判所による意識的な厳罰化だと見てもよいだろう。

裁判所(司法)はこれまで自転車を『歩行者寄りの存在』と考えてきたが、対歩行者の事故多発で自転車を『車に近い危険性を持つ』存在として捉えるようになり、その結果が厳罰化の動きにつながったようだ。

改定道交法では、自転車は明確に『車両』と規定され、歩道を走れる条件を明確にしたのだが、事故が少なくなったと聞かない。これは、長年の習慣で一般に自転車と歩行者との区別が曖昧となり、運転している本人もその意識が薄いことが影響しているようだ。

原則車道走行という決まりなのだが、これがだが定着していない。というより、自治体や警察が自転車が歩道を走ることを容認しているのだから、歩道での自転車と歩行者の事故が、かえって増えるのは当たり前なのかもしれない。自転車は車道寄りをゆっくりという表示も最近よく見かける・・・。

その上、高齢者が爆発的に増えている上に、障害のある人たちも(昔とちがい)当たり前のように歩道を歩いている現在、自転車に乗る人たちの意識は昔のままでは、歩道に書かれた『自転車は・・・・』という文字など読んでも何も感じないだろうし、守る人など皆無となれば、これは歩道を歩くのも命懸けということになるのは当然だろう。

厳罰化は歩行者からは歓迎されているようだ。被害者の組織が『自転車事故に共通するのは自転車利用者の意識の低さで、いくつもの悲惨な事故が裁判所の高額賠償や新基準という厳罰化につながった』という表現が端的にそれを現している。
 しかし、高額賠償が判例として常態化しても、自転車の利用者は一般には庶民層が多いのも特徴で、支払いを命じられても実際に支払いが不可能ということも多く、新たな問題として、歩行者側に後遺症が残ってもなかなか補償されず、加害者側も補償という重荷を負い続けるという状況が続出しているという。

私は目撃したことがないが、警察も悪質な自転車利用者に対して厳罰で臨んでいるらしく、昨年全国で道路交通法違反の『交通切符(赤切符)』を交付された自転車利用者は1326人、注意喚起の『指導警告票』を渡された人は約216万人もいるという。

うかつながら、自転車に『赤切符』や『警告票』などあること自体知らなかったが、自転車を車として認識し、車道を走ることが原則ということ自体徹底できない(徹底すれば自動車と自転車事故は増えることは確実)現状で、違反者の摘発は本末転倒ではとも思ってしまう。

こんな話がある。車やオートバイには、駐車違反など比較的軽い違反の際に『交通反則切符(青切符)』を渡され、免許証への違反点数累計と反則金納付という行政処分だけで終わり刑事罰は科されない制度があるが、免許証のない自転車はこの制度の対象外となっているために、同じ信号無視でも、車なら9000円(普通車)の反則金で済むところを、自転車だと5万円以下の罰金などを科され、いきなり『前科』となるというのだ。俄には信じられない変な話である。

厳罰化を頭から否定するものではないが、その前提に自転車利用者に事故を起こしたら大変なことになることを認識させることである。そのため、車やオ-トバイと同じように『自賠責』制度を自転車にも適用することも視野に入れて議論の必要性を感じる。

 国交省は『自転車の実際の利用台数が不明で、どの程度の保険料とすればいいのか推計できない。車検のような機会がなく保険料の徴収も困難』と否定的らしいが、これ以上の自転車事故とその後のトラブルを考えると、そろそろ導入を考えても良い時期にきているのではないだろうか。(田舎親父)

2010年10月 2日 (土)

珍しい(奇形)生物が次々発見されているのは・・・

 秋分の日を界に長かった夏は跡形もなく吹っ飛び、季節は一気に2ケ月程進んでしまった感じがする。

例年の秋は、9月に入り彼岸までは徐々にうすれていく残暑の中で、釣瓶落としと表現されるように急いで地平に隠れる太陽とかけっこするような慌ただしさの中にも、秋の気配を感じる楽しみがあったものだが、今年は残暑を楽しむどころではなく、とにかくこの気温を何とかしてほしいという思いで過ごした3週間だった。

そして気がつけば、彼岸は終わり、涼しさどころか一気に寒さを感じると表現しても奇怪しくない気温が続いている。このままでは秋を通り越して間もなく冬になるのではという危惧さえ感じている。

この現象は日本だけでなく世界各地で起きているから、地球そのものに何らかの歪みが生じて、それが大気の異常を生み出していることは間違いなさそうだ。

異常気象の原因には諸説が入り乱れている。学者によっては二酸化炭素などのガスの増加によってもたらされた地球温暖化の結果起こる気象現象と語る一方、いやこれは地球の歴史から見ると大きなうねりの中の一こまで、これまでも何度もあったこと、単なる太陽の活動の変化からくるものだという説も根強い。

ここで結論を急ぐことはないが、世界各地の異常気象に合わせるように、新種(奇形といって奇怪しくないと捉えているが)の生物が次々に発見されていることに、何か無気味な恐ろしさを感じている人は多いのではないだろうか。

放射能の影響で、5本や3本足のカエルや頭が2つある金魚などが生まれるという例はよく聞く。詳しいことは理解できないが、放射能がその生物の遺伝子を壊して、突然親と違う形質の子どもが生まれることがあると学んだ記憶がある。

先日、福知山市内で、全身ピンク色のバッタが見つかったというニュ-スに、これも放射能による遺伝子異常なのかと思ったが、この地域にはそのような施設はない。土地の高齢の農民が自分の田んぼで稲刈り作業中に偶然見つけたものだというのが気になる。

数日後、今度は堺市の有料老人ホームで全身がピンク色のバッタが見つかったという報道に、ピンクのバッタは高齢者がお気に入りらしい、なんて悪い冗談をいっている場合ではないようだ。

私も昔から昆虫には興味を持っていた。バッタも数限りなく捕まえたが、緑や茶色がほとんどで、時に色素が抜けた白っぽいバッタは見たことがあるが、掲載されている写真のように鮮やかなピンクのバッタは見たことはない。

このピンクのバッタは捕まえた時より一回り大きくなっているそうだ。バッタの生態に詳しい専門家は『もともとバッタはピンクの色素を持っている。一般的な緑や茶色のバッタでもよく観察すると、ピンク色の部分が見られるものがいる。全体がピンク色のものもまれに存在する』とのことだが、本当だろうかと疑っている。

こんなことを思っている時、『東南アジアのある国で、今までに見たこともない不思議な怪奇生物が捕獲』というニュ-スをネットで見つけた。そこにはこの生物の写真が張り付けてあったが、見るからに不思議な生き物である。豚のような手足をしていながら顔は猿のようでもあり、両目が異様に近い場所についている姿に、見地では宇宙からやってきた未知なる生物ではないかという話で盛り上がっているそうだ

記事には、東南アジアのある国という表現で、特定の国や地域は明らかにしていないが気になるが(後日、発見した別のサイトでは、ある国とは中国の西部だとのことなので、信憑性には疑問を持ちはじめているが・・・)、現地の人と思われる数人の人たちに抱き抱えられている映像のピントはしっかりとあいシャ-プなもの、コンピュ-タで細工したようには思えない迫力があり私には本物としか思えない。

解説には、この未確認生物の正体はまったく不明のままだが、現地人は臆する事なくこの生物を抱いたり触ったりしていて、現地人には怪奇生物というより、珍しい動物といった扱いをされているとある。

一般的には『毒物や化学物質などの影響で、豚などの生物が遺伝子レベルで突然変異したのではないか』とみられるのだろうが、こんな哺乳生命体が生まれること自体、地球に何か得体の知れない危機が迫っていることだけは間違いないようだ。(田舎親父)

2010年10月 1日 (金)

中途半端な値上げのような気がするが・・・

 毎月、月のはじめに必ず感じることだが、月日の経つのは早いもので今日はもう10月1日。今年もはや4分の3が過ぎ去ってしまった。

今日から『たばこ』が値上がるらしい。らしいという曖昧な表現をするのは、かなり以前に、今回の値上げの報道があったにも関わらず、つい最近まで何故かマスコミはこの話題をあまり積極的に取り上げなかったような気がするから、少し皮肉を込めてみた。さすがに昨日はNHKでは取り上げていたが・・・。

喫煙の習慣のない私にはさほど切実な問題ではないので、フ-ンという程度だが、喫煙者の皆さんにとっては大変な問題ではないだろうか。不景気カゼが吹き荒れ、それでなくても少なくなる小遣いの中で煙草代をやり繰りしなければならないサラリ-マン諸氏に同情もしたくなる。

それはともかく、一箱300円だった人気銘柄が410円になるらしい。以前にも話題にしたが、1000ぐらいの大幅値上げなら、自分の小遣いで喫煙している人のほとんどは禁煙するだろうに、いかにも中途半端な値上げのような気もする。

喫煙や他人の煙草の煙を吸う受動喫煙が本当に健康を害するというのなら、国は『禁煙』を全面的に打ち出せばよいものだろうに、煙草のほとんどは税金らしいから国民全てが禁煙となると大変な減収。本音は禁煙者が急激に増えてほしくないと思っているのではないだろうか。そこで、妥協案としてこの価格に落ち着いたのだろうと推察している。

報道か少なかったとはいえ、一週間ほどに前になると思うが、値上げに少しでも対向するために、全国の小売店にカートン単位でまとめ買いしようとする愛煙家が増えているというニュ-スがあった。自動販売機では買えないので小売店に殺到しているのだろうが、今では町の隅っこで隠れるように営業している小売店には駆け込み『特需』といったところのようだ。

5カートン、10カートンは当たり前で、中には20万円分を買った客もいるというから驚き。そんなに買いだめして、保存しているうちに質が悪くなるのではないだろうか。ひょっとして、潤沢に品があるので、今以上に吸う本数が多くなるのでは、と変な心配すらしてしまう。

しかし、その特需も昨日まで。おそらく今日からは、元通りにひっそりと店を開けている状態に戻っているのでは・・・。いやそれどこではなく、むしろ客足はさっぱり、店番をしている爺さん・婆さんは退屈しているに違いない。

一方、今回の値上げを機に禁煙に挑戦しようとする人も多いという。この動きは値上げの度に繰り返されているが、今回はマジに禁煙を考えている人が多いらしく、ニコチン依存症を治療する『禁煙外来』には行列ができているというから、その成果を見守りたいものである。

 しかし、うまく禁煙できた人は健康にもよくしかも無駄なお金を使う必要がないことになり、二重三重の利点があるはずなのに、簡単にいかないところが一度知ってしまった煙草の味。大袈裟に表現すると麻薬と同じと院手も良さそうだ。

 何回も禁煙を誓い、しばらくは煙草から遠ざかる人も多いという。しかし、数カ月たって会うとその人は禁煙ってなんだっけ・・・みたいな顔をして、今まで以上にスパスパやっている・・・なんてことをよく聞く。

意識で健康に悪いと思っていても、体というか脳がニコチンの味を完全に記憶し、しかも記憶しただけでは済まず、脳はニコチンを欲するような働きをするらしく、ニコチンが切れるとイライラしたり、気分が落ち着かなくなるそうだ。

繰り返すが、一箱1000円というならいっそう何としてでも、と思う人も多いだろうが、410円はいかにも中途半端。しかし、そのほとんどが税金だということを知れば、この際、何とでも禁煙する人も多いはず・・・。

それがマスコミの任務だと思うのだが、政治とカネではないが、政治とマスコミの何となく怪しい関係を考えると、この話題を今後特集する新聞テレビは少なくなり、いつのまにか忘れられるような気がしてならない。(田舎親父)

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