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2011年1月

2011年1月31日 (月)

信じがたい和田中の事件報道・・・

 最近とみに話題に上がらなくなった杉並区の和田中だが、『教員による猥褻事件』という教育界ではもっとも忌み嫌われる事件がマスコミの餌食になっている。しかし、他校とは異質な方針の経営を進める以上、何か起こるだろうと思っていたので(この種の事件とは想像できなかったが)『やはりでたか・・・』という受け止めをしている。

和田中を有名にしたのは、民間出身の藤原校長が実にユニ-クな教育を実践したことに由来する。その一つの『よのなか科』などは、当時多くの学校で行き詰まっていた、総合的学習に一つの道筋をつけたという意味で大いに拍手したものである。

彼の業績の一つに違いない地域とのつながりも多いに評価していたが、『落ちこぼれ』といわれる児童生徒にしか目が行き届かない現実の学校教育にものたりず、『ふきこぼれ』といわれる成績上位の児童生徒をより学力を上げるために、それを予備校に求めた『夜スペ』という方針を打ち出した時あたりから、何となく距離を置くようになっている。

そして、彼は昨年退職し次の校長(やはり民間出身)が受け継いでいると聞いていたが、新校長の学校経営のやり方は、少しずつ変質し教員の間に何か違うム-ドが漂っていたのでは・・・と想像している。

『夜スペ』は『地域本部』といわれる保護者や外部団体で構成される組織が行っていると聞いていた。有名進学塾と地域本部との契約のもと、塾の講師が和田中に来て、希望者を教えていたと確信していたが、記事を読んで、現場の教員が動員されていることを知ってびっくりし、何というバカなことをしているのかと呆れるとともに、もし当初から現場の教員が係わっている構想だとしたら許し難い。

マスコミ報道なので頭から信じる気はないが、記事によると、56歳の男性教諭が数学の補習授業中に同校3年の女子生徒の下半身を触るなどのわいせつ行為を繰り返し、東京都教育委員会から停職6カ月の懲戒処分を受けていたとのこと。

本当だとしたら、最近になって記者が知って記事にしたことになる。この教諭が事件を起こしたのは平成21年の12月下旬だというから、1年以上前のこと。それが今頃になって記者が知る・・・そんなバカなことがあるはずがない。

都教委や関係者(またまた怪しげな表現)によると、教諭は当時中学3年の女子生徒に数学の補習授業を行った際、生徒の下半身を触ったという。さらに、年明けの1月上旬の補習時にも、同じ女子生徒の太ももを触る行為を繰り返したとある。教諭は補習授業を重ねるにつれ、生徒のスカートの中に手を入れて触るなど行為が執拗になっていったとのことだが、俄には信じられない。

しかし、『杉並区教委などの調査』では、教諭の補習授業は、いずれも同校の放送室や印刷室などの『密室』で行われていたことも判明との文言にギョッとする。密室で、女子生徒を一対一で指導していたのだろうか?・・・。家庭教師と生徒との性的なトラブルは聞くことはあっても、夜間といえ公立の学校の密室で、現職の教員が・・・である。事実だとしたら校長はこの教諭に個別指導を命じていたことになる。

教諭は女子生徒には、わいせつ行為の口止めも行っていたという。生徒の保護者の訴えで教諭の行為が発覚したとあり、すでに教諭と女子生徒の保護者の間で示談が成立しているとは、いつ発覚したのかかも含めて極めて曖昧。それ以前に、1年間もメディアに隠し通せたのはなぜなのだろう。

ここでは『夜スペ』の是非は論じない。事件そのものものも信じ難いので深入りしないが、現職の教員が夜間の補習授業に(校長の命令で)動員されていたことを聞き流すことはできない。

教員には残業手当がつかないことはよく知られている。無報酬で補習授業をしていたとしたらタテマエ上は法的には問題がないようだが、もし教員に校長(地域本部)が圧力をかけたとなると、これ明らかに違法行為。

補習授業を受け入れさせるために、何らかの報酬支払っていたら(この可能性は大きいだろうが)、公務員法に違反する。当然、補習授業を命じた校長(教育委員会)も含めて処分の対象になるはず。
 停職6ケ月という処分は懲戒免職につぐ重い処分である。そんな教員が存在していることが、保護者が知らないわけはない。事件も、噂であれ広がることは当然で、1年間も知られなかったとなると、教育委員会が無理やり隠蔽したとしか思えない。

和田中に、そして杉並区の教育行政に何が起きているのだろう・・・。不思議な事件報道である。(田舎親父)

2011年1月30日 (日)

さすが中国スケ-ルが違う・・・

 昨夜はサッカ-のアジアカップ優勝戦を最後までテレビ観戦し、見事な勝利を見届けて寝たのが2時半。当然ながら、起きるのが遅くなり頭の回転がまだ戻っていないので、軽めの話題を・・・。

 首都圏では昨年の大晦日から連日『乾燥注意報』が発令している。確か、25日の夜にバラバラと雨が降ったはずなのだが、降水量は0.0mmと発表だった。0.0mmとはいかにも変な表現だが、要は、ほんの少し道路などの色が変わったという程度のお湿りがあったというところらしい。

 現在、連続して乾燥注意報が発令された日数では、観測以来3番目の長期記録なのだそうだが、こんな記録はできれば早く終わりにしてほしいものである。ちなみに、一番は昭和48年の連続64日だという。私はすでに社会人だったが、そんな話題は全く記憶がないところから、現在のように大騒ぎになっていなかったようだ。

 私が気象をかじったころには『乾燥注意報』ではなく『異常乾燥注意報』だったと記憶している。何時の頃からは知らないが『異常』という言葉が極端すぎるという理由で、単に『乾燥注意報に』と呼ぶようになったらしいが、ここまで『乾燥注意報』が続くとなると、これと『異常も異常』だろうから、昔のように『異常乾燥注意報』とした方が、危機感がでるのではないだろうか・・・。

 3番目の記録を更新してから数日経っているが、関東地方の太平洋側では雨が降る気配はない。これらの各地では、これから来月初旬にかけても空気の乾燥しやすい状態が続く見込みでというから、『乾燥注意報』が解除になる見込みは少なそうだ。

 北西からの季節風が強い日々が続いているので、火事でも起きたらたちまち燃え広がるに違いない。気象庁などは、火の取り扱いなどに十分注意してほしいと呼びかけているそうだが、状況が認知できない高齢者(とも限らないが)が増えているというから、はたしてこの呼びかけがどこまで効果があるのか心配である。

 ともあれ、現在は解除の見込みはつかないとはいえ、立春が過ぎると気圧配置も変わるだろうから、日本記録の64日までは伸びないだろうとは思っている。

 そんなことを考えていると、お隣の国中国の首都北京では、92日間雨が降らない天気が続いているという情報に、さすがスケ-ルが違うと変に感心。

北京は寒いと聞いている。雪も積もるに違いないと思っているのだが、その雪も今年はまだ降らないのだそうだが、それでも過去2番目の記録というから凄いもの。雨なしの最長記録は1971年の10月24日から2月16日までの114日だそうだが、日にち的にはわが国の首都圏同様、間もなく雨が降るに違いないのでは・・・。

 それにしても、ここまで雨がないとなると一番困るのは水不足だろうが、幸にも日本の場合は、雨が降らないといっても冬季なのであまり影響がないらしい。しかも太平洋側に雨が降らなくても、主要な川の上流域は豪雪になっているというから、今夏も水不足になることはなさそうだ。

それに比べると、北京は悲惨な状態らしい。あまりにも国土が広すぎて、限りない平原が続いているので、雪をいただく山々は北京からはるか遠いかなた。

唯一の水瓶は大河をせき止めたダム湖なのだが、主要な供水源の『密雲ダム』の貯水量はすでに満水時の半分以下になっているという。さらに、経済の発展に応じて水需要に応じて大量の地下水をくみ上げているので、地下水位が年平均1.2m下がっているというから、間もなく大変な水騒動が起きるのは間違いなさそうだ。

アングラ情報では、中国共産党政府は水を求めて、朝鮮半島はもとより日本列島も支配下におさめる計画を進めているというが、最近の中国資本が日本の水源地付近の土地を買いあさっている動きは、このことを裏書きしているようにも思えてならない。

何らかの手段を講じないとタ大変なことになりそうだが、これまた、国債の格下げ情報すら『疎い・・・』といっている御仁が大将で、しかも国の行方を決める国会において、小学生以下の棒読み発言を繰り返している大臣以下議員集団ではおぼつかない。

気がつけば日本という国のない地図が出回ることになりかねないのでは・・・。(田舎親父)

2011年1月29日 (土)

災害にも無能な政治に・・・

 鳥インフルに続いて火山噴火が追い打ち。宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山系の『新燃岳』が爆発したというニュ-スに、驚き心痛めると同時に、先日話題にした新田次郎著の『怒る富士』と描写がダブル。

霧島連山が活火山であることは耳学では知っていたが、『新燃岳(しんもえだけ)』という山の名前は、その読み方も含めてはじめて聞く。地元の人たちも、半世紀も沈黙していたこの山が、この時季に突然噴火するとは思っていなかったらしく、準備不足が被害を拡大しているようだ。

メディアが報じた第一報は、『26日午前7時半ごろ、鹿児島、宮崎県境の霧島山・新燃岳(1421メートル)で噴火が発生』というもの。続いて、夕方には『噴煙の高さは約1500メートルに達した。気象庁は噴火警戒レベルを、入山規制のレベル3に引き上げた』と報じたが、(遠くに住んでいるからだろうが)さほどの緊迫感は感じなかった。

 一週間ほど前から、小規模な噴火が発生していたらしい。気象庁は注意を呼びかけていたものの危険度を上げるほどではないと判断していたようだが、これは大変とばかり危険レベルを上げると同時に『さらに大きな噴火が起きる可能性がある』と警戒を呼びかけたという。

 気象庁は翌日にも『二酸化硫黄など火山ガスの観測や降灰調査を実施する予定』と発表していたというから、この時点では、まさか翌日に大規模な爆発が起こるとは予想していなかったのではないだろうか。

ところが翌27日午後、大きな噴火(爆発的噴火というらしい)が起きた。爆発は52年ぶりで、噴煙はその後最高で火口から約3000メートル立ち上ったと報じ、その映像がテレビでも流された。

凄い。気象庁は中規模の爆発だというが、まるで生きているような噴煙がニョキニョキと立ち上がり、絡み合い舞い上がる姿は圧巻である。

雲から降り注ぐ無数の噴石や粉塵そして火山灰。『怒る富士』を著した新田次郎は、きっとどこかでこのような噴火の姿を目撃したに違いない。この物語は、富士山の宝永の噴火の様子から物語が始まるのだが、あまりにも被害の描写が生々しく強い衝撃を受けた。テレビで見るリアルな映像から、この物語の中にある被害と中身が重なる。

 その日の夜のニュ-スでは、『宮崎市や日南市など広い範囲で火山灰が降った。視界不良やスリップの恐れがあることから、宮崎自動車道や国道の一部区間が通行止めとなった。また鹿児島県でも県道の一部が全面通行止めとなった』ことや『日航は羽田、大阪と宮崎を結ぶ2便を欠航。全日空も羽田、名古屋、大阪と宮崎を結ぶ計4便を欠航し、2社で合計約400人に影響が出た』と報じたものの、取材が追いつかなかったこともあって具体的な被害報道までには至らなかった。

 一夜明けた28日の映像には衝撃を受ける。都城市の映像であるが、道路には火山灰が数センチ積もり、白線は見えない。車が通るたびに白いほこりがわっと舞い立ち、ライトをつけた車が速度を落して走っている様子を映し出している。

田も畑も樹木も民家も灰に埋もれている。2月に出荷予定のホウレンソウ畑は寒さ除けにかけてあるシ-トの上に火山灰が降り積もっており、そばに佇む農民の絶望的な表情が何とも痛ましい。そのままにしておけば、火山灰は固まるので雪よりはるかに厄介なもの。放置しておくとビニールハウスが潰れるのだから、その除去に必死である。

とりあえずハウスの屋根の火山灰を除去しても、捨て場がない。『怒る富士』では、この灰が翌年の大雨で川に押し出されて、下流地域に甚大な水害を人起こすのだが、上流の農民が川に捨てたと思い込んだ下流の農民との争いの様子が克明に描かれている。

現在ではそんなトラブルは起きないだろうが、それにしても農作物は恐らく全滅だろう。そればかりか、農産物を再び作れる土地に戻すためには大変な努力が必要になることは想像に難くない。そして、昨日も噴火は続いている。

話がそれるが、今年の大雪で除雪費を捻出できない自治体が続発しているという。そのため雪に閉じ込められている住民も多いという。

丁度時を同じにして、国会が始まり代表質問が行われているが、質問する議員も答える首相や閣僚たちの言葉には、『自然災害に対する施策』は全くない。誰が作ったのか知らないが、自分で作っていないことは(小学生以下の朗読力からも)明らかな原稿の棒読みに、これが有権者として選ばれた輩かと情けなくなる。しかし、私も政権交代を願い民主党に投票した一人だからと自己批判・・・。つくづく気が滅入る。

しかも『災害対策など政治のやることではない』と思っているらしく、未だに『オザワオザワ・・・』と騒ぐ姿に、政治に対する不信は限りなく大きくなる。(田舎親父)

2011年1月28日 (金)

この政権は何としても国民に番号でをつけたいようだ・・・

 今月のはじめにも話題にしたが、民主党政権は『所得の把握・納税や社会保障サービスへの活用を目指す』という大義名分を掲げて、国民一人一人に番号を割り振る方針を何が何でもやりたがっているらしく、『税と社会保障の共通番号制度』と名付けられた制度の政府の基本方針原案を公開したとの報道に、自民党などの野党と裏での取引ができたのではと心配になってくる。

 マスコミは反対という立場をとっていない。それどころか、国民に背番号が割り振られれば、年金手帳、医療保険証、介護保険証など『保険証機能を一元化』ができるという論調を展開しており、利用者は個人の番号が入ったICカード1枚で各種の社会保障給付を受けられるようになるほか、確定申告で自己負担した医療費の控除申請などを簡単にできるようにするなど利便性が高まると、『良いことづくめ』だという考え方に誘導しているように思える。

本当に『良いことづくめ』なのだろうか・・・。そんなはずはない。

記事によると、政府は6月までには、消費税の増税もセットにした『社会保障・税番号大綱』を策定したうえで、番号の導入時期や個人情報保護策を盛り込んだ『番号法(仮称)』案を今秋の臨時国会にも提出する方針で、15年1月から運用できるようにするのだそうだ。

民主党が参院で過半数を持っていないので、強引に衆院でこの法案を通しても、参院で否決されるだろうから、簡単には成立しないとは思うが、背番号制に関しては、自民党も公明党も、さらに、私は自民党の遊撃部隊ではないかと疑っている、みんなの党も賛成しているというから、ひょっとしてひょととする可能性も否定できない。

政府の言う基本方針は『国民番号』を年金、医療、福祉、介護、労働保険の社会保障分野と、国税・地方税の税務分野に限って活用するのだそうだ。それも疑わしいが(例え、その言葉にウソ偽りがないと仮定しても)、番号を基に利用者の医療や介護履歴を記録するほか、年金収入も含めた『所得・資産内容』も把握と明記しているというから、銀行の預金通帳も全て『番号』記入が義務づけられることになることは明らか。

利用者が番号カードを提示すれば、各種社会保障の受給手続きを迅速に行えるようにしたり、確定申告で医療費などの領収書なしでも税控除を申請できるようになると宣伝しているが、私のようなごく一般的な年金生活者で、どこにでも転がっている平均的な一市民には、社会保証の受給手続なんておよそ縁のない話のように思える。

また、退職してしばらくは、確定申告をしていたが、対して還付金など戻ってこないことを経験的に知ってしまったので、ここ数年確定申告さえする必要を感じなくなっているので、これまた何の利点は認められない。

マスコミは、共通番号制度案は利便性が高い分、不正アクセスなどがあれば、年金の給付履歴だけでなく、病歴や所得内容などの個人情報まで外部流出する恐れがあると、ほんの少しのデメリットは示しているものの、不正アクセスなどよりむしろ、大した金額ではないが、郵便局や利用している銀行の預金高が、完全に政府筋に握られることになり、将来この情報をどのように使われるのかを心配する報道をしてほしいもの。

政府は不正アクセス防止策など個人情報保護策の検討を急ぎ、5月をメドにとりまとめる考えだというが、不正アクセスなどはその手の頭脳を持った輩にとっては、かえって意欲が出るだろうから、完全な防止策などできるはずがない。そんな無駄なシステム作りに大金を投じる前に、『誰がどのように管理』するのかを明確に国民に約束することが先だと思うのだが、それは『絶対』にできない話のようだ。

生まれた瞬間、何桁かはわからないが番号を振り分けられるらしい、そして各自にICカ-ドが配布され、全てがコンピュ-タ処理が可能となる。わが子を医療機関に連れて行くとカ-ドがなければ受け付けてもらえない。医療費の支払いでは保護者のカ-ドが必要となり、そこには病歴から医療費の全てが記入され永久的に保存される。

先日も危惧したか、学校においても入学手続にこのカ-ドが必要となり、学校での行動の記録やテストの成績が全て記録されるとなると・・・想像するだけで恐ろしくなる。

その社会は『姓名』などは単なる形式で、番号で全て全て片づく社会、いやそれどころか、いかなる時でもカ-ドが必要で、カ-ドなしでは何一つ進まない社会がやってくる。しかもそのカ-ドには、自分の人生の全ての情報が入っており、時の権力者の思い通り利用されるとなると、『人権』などという言葉すら死語になることは間違いなさそうだ。

そしてどこかで、カ-ドを不正利用されないために、生後間もない赤ん坊の体内にICチップを埋め込むという議論が始まっているように感じてならない・・・。(田舎親父)

2011年1月27日 (木)

ウイルス発見・即殺処分のイタチゴッコでは・・・

 昨日の続きになるが、宮崎に続いて鹿児島の出水市で鳥インフルウイルスに感染した鶏が出たというニュ-スに愕然とする。そして、夕方には愛知でも・・・。

昨日は急いで出かけ帰宅も遅かったので新聞を詳しく読めなかったが、遺伝子検査では出水市の発生農場の死んだ鶏2羽、衰弱した鶏3羽と生きている鶏5羽の計10羽のうち、7羽から『高病原性鳥インフルエンザ(H5亜型)』のウイルスが確認され、この養鶏農場で飼育されている鶏約8600羽を殺処分し、発生地点から半径10キロ圏内の鶏約522万羽や卵の移動を制限したという。

この農場では19日から25日までの間に、四つある鶏舎のうち、一つの鶏舎の一部に集中して198羽が死んでいたのだそうだ。

マスコミ情報が混乱しているのか、数字的に合わないことが気になるが、集中して死んでいる鳥が見つかった鶏舎に、何らかの形で鳥インフルのウイルスが持ち込まれたことは間違いなさそうだ。

これもマスコミ報道なので何ともいえないが、25日の調査では、防鳥ネットの破れなど鶏舎の不備は見つかっていないというから、外部からの野鳥の侵入はないと考えて良さそうだと思うのだが、ふと『野鳥というのがどんな鳥を指しているのだろう』という疑問がわいてきた。

というのは、私は近くのズ-ラシアの愛称で知られている横浜動物園によく出かけるが、そこでよく見かける風景に、鳥を飼育しているゲ-ジには必ずといって良いほど『スズメ』が入っていることを思い出したからだ。

動物園で飼育されている鳥は大型のものが多い。網目がかなり粗くなっているためスズメなど小型の野鳥は案外自由に出入りすることができるようで、ゲ-ジの住民の目をかすめて餌をついばんでいる姿をよく見かける。それどころか、住民の目を誤魔化しているどころか、集団で餌箱を独占していることすら稀ではない。

スズメのような小型の野鳥の侵入を防ぐとなると、網目はかなり細かくしなければならない。となると、中に飼育されている大型の野鳥は視界が遮られて、ますますストレスがたまることは間違いないだろう。それ以前に、中がよく見えないという来園者の苦情が増えるだろうから、今以上には網目を細かくするのは営業上からも難しそうだ。

スズメから鳥インフルウイルスという話は聞かないが、スズメがウイルスに対する免疫を持っているとは思えないので、そのうち動物園に飼育されている鳥にも鳥インフルが感染するのではないかと想像すると恐ろしくなる。

その問題は置いておくとして、近くの小規模の養鶏場を見る限り、スズメの侵入を防ぐほど細かい網目になっていないことから想像すると、大規模の養鶏場とて、同じ程度の網目なのではないだろうか。

昨年12月、出水市では死んだナベヅルから『高病原性鳥インフルエンザ(H5亜型)』が確認されたとのことだから、ナベヅルたちの間では感染が広がっていることは間違いなさそうだが、ナベヅルが養鶏場のゲ-ジの中に入るとはとても思えない。

感染経路を確認することは難しいが、何かの原因で感染したナベヅルが小型の小鳥(スズメなど)と接触し、感染したとなると、小鳥(スズメなど)が養鶏場のゲ-ジに侵入したことも十分可能性がある。

 ところで、一昨日今度は兵庫県の伊丹市の池で野鳥のカイツブリ1羽が死んでいるのが見つかり、高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5亜型)が検出されたという。さらに夕方には愛知県の養鶏場の鶏も鳥インフルの陽性反応がでたとの報道にゾッとする。

 カイツブリはスズメに比べてかなり大型の野鳥だから、即養鶏場への侵入の恐れはないだろうが、出水市の(私の想像だが)スズメなどの小鳥を媒介にして感染することはないといえないだろう。

 となると、鳥を飼育している養鶏場はもとより、動物園でも網目を極端に細かくしなければスズメなどの小型の鳥との接触を防ぐことはできない。

佐渡では、トキの復活のために膨大な予算を計上して、トキ飼育センタ-を運営しているが、それでもテンやイタチが簡単に出入りできるすき間があるのだから、スズメは多分フリ-だろう。スズメの侵入を防ぐために網目を細かくしなければならないとなると、トキの飼育にも影響するのではないだろうか・・・なんて変な心配が思い浮かぶ。

鳥インフルウイルスの感染防止は重要だろうが、今のような『ウイルス発見・保菌鶏(牛や豚)殺処分』というイタチゴッコを続けていたら、私の心配が的中するのではないだろうか。

それ以前に、囲い込めば囲い込むほどウイルスは変異してより強力になるように思えてしかたないのだが・・・。(田舎親父)

2011年1月26日 (水)

なぜ宮崎ばかり・・・

 またまた宮崎がその『先進地域』という、ありがたくないどころか大迷惑な報道が賑やかに続いている。きっかけは、先日、宮崎市の養鶏農場で鳥インフルエンザ感染が疑われる鶏が見つかったことである。

この養鶏場では、飼育しているブロイラ-が7羽死んでいたという。経営者はすぐに保健署に連絡、県の専門期間が遺伝子検査を実施した結果、死んでいた7羽のうちの6羽から高病原性ウイルス(H5亜型)が確認されたとのことである。

県は早速、発生農場周辺で鶏などの移動を制限する半径10kmいないという地域を限定した、移動制限をきめて養鶏農家に通達し、この農場で飼養されている約1万羽の殺処分をはじめたという。

続報では、死んだ鶏は46羽にのぼったらしいが、そのため1万羽を処分しなければならない養鶏業者は泣くに泣けない心境だろう。それ以前に、何の罪もない(好き好んで人間に飼われていないことだけは確かな)9900羽以上の鶏達が殺されるのが可哀相で仕方ない。

これで終息するのかなと思った矢先、宮崎市の隣町である新富町の養鶏農場で高病原性鳥インフルエンザに感染した疑いのある鶏が見つかったとの報道にドキッとする。この町は、昨年大変な騒ぎになった口蹄疫でも有名になった町。何ということなのだろう。

 この養鶏農場は県内最大規模の養鶏団地の一角に位置するとのことで、感染が広がらないために、この団地の養鶏場全体で飼育している約41万羽すべてを殺処分する方針を決定し、殺処分に着手しているとのこと。今頃はもう全て殺処分し終わったのかもしれないが・・・。

この町を中心とした周辺市町村は、口蹄疫でも40数万頭の牛や豚を殺したはず。さらに遡れば、4、5年前にもこの地域は鳥インフルが蔓延し、やはり数十万頭の鶏が殺された記憶が蘇る。なぜ宮崎だけに家畜の伝染病が頻発するのだろう。

 この疑問に反発するように、鳥インフルが鹿児島に飛来したというニュ-ス。しかも、そこがナベヅルの飛来地として有名な出水市。昨年12月だったか、ナベヅル数羽が死んでいる見つかり、体内から鳥インフルの悪性の強毒性の『H5N1亜型ウイルス』が検出された近くの養鶏場だとのこと。

 これは大変なことになりそうだ。今日は、これから会議に出かけなければならないのでここまでにするが、全国各地で続発している鳥インフルの猛威を防ぐために(仕方ないのかもしれないが)その都度数十万羽の鳥達を殺すしか方法がないとは、あまりにも悲しすぎる話ではないだろうか。(田舎親父)

2011年1月25日 (火)

『年度』という制度を考える時期では・・・

 先日センタ-試験の日程について、首都圏と雪国とでは不公平があるのでは・・・と書いたが、記事を読んでいただいた方から、自分は雪国に育ったが不公平感など感じなかったという厳しいご意見を賜った。

 小さい時から雪があるのが当たり前に育ったのだから、雪が降り積もるのが当然、交通機関に遅れが出そうなら前夜から泊まって備えるのは自己責任で、私の言っていることなどお節介にしか思えないとのこと。ウ-ンなるほどと感心するが、だからといってそのままにしておいて良いのだろうか。

 確かに言われる通りかもしれないが、地方の過疎化が進んでいる現実は都会との生活レベルの違いが大きな要因になっていることは間違いない。地方に住む人たちが、生まれ育った土地に誇りと愛着を持ち、住み続けていれば過疎などは起こらないのだが、現実は働く場(産業)がない上に、都会での生活に価値を見いだす人が多いのだから、これは悩ましい。

 住みたくても働く場がなければ生活ができないは事実なので、仕方なく都会に出かけるという人も多いだろうが、それ以前に、幼いときから全てが都会の都合のよいシナリオで社会が動いている仕組みに慣れてしまっているのだから、知らず知らずに日本人総体が精神的に都会化しているのではないかと思っている。

この問題はさて置くとして、私は以前から学校における『年度』という考え方に疑問を抱いている。

カレンダ-的に考えると、1年は正月元日に始まり大晦日で終わるのであるが、これはあくまで『タテマエ』であって、実際はほとんど全ての事柄は、4月1日を始点とし翌年の3月31日を締めとする『経済年度』で縛られている。いわば、社会の仕組みは全てが『経済年度』が根拠になっていると言っても過言ではない。

この『年度』という考え方は何時の頃からあるのだろうと調べてみたが、はっきりした根拠は見つからなかった。ただ、明治維新という本当の意味の『政権交代』の際に、官軍が、自分たちに徹底して反逆した東北や北陸各藩に対して当てつけのために始めたのではないかという意見は、その真偽は別にして傾聴に値するが・・・。

明治維新当初は、まだ旧暦を用いていたので立春が一年の基準だったはず。それが税の徴収と役人給与の支払いの関係で、政府は『うるう月』を避ける意味で、突如現在の暦に改めたということは誰かに習ったことがある。このために、当時は相当な混乱があっただろうことも想像に難くない。

ところで、学校における年度の考え方であるが、学制が敷かれた明治5年。その頃は学校と名前は付いていても、寺子屋に毛が生えたような存在だったので、まだ完全には4月入学という制度ではなく、4月以外の始業の学校も多かったらしい。ところが、一般の年度に合わせて4月新学期をとる学校が多くなり、明治憲法の制定とともに現在のような4月入学3月卒業というシステムが固定したようだ。

学校の年度と社会の年度が一致していないと何かにつけて不具合があるのは十分理解できる。その意味で、4月-3月の『日本流の年度』には便利であるが、その便利さにこだわり過ぎて、今いろいろな矛盾が吹き出しているのではないだろうか。

その一つが、『二学期制』というわけのわからないもの。始業式や修業式を減らすことによって授業時数が確保できるという考え方で生まれたとされているが、そんな単純な発想ではないだろう。

経済界からの要望も強かったとも言われている。二学期制は決して悪くないと思うのだが、夏休みという日本の学校にとっては聖域ともいえる制度には手をつけず、形だけ4-10月.10-3月という形だけの二学期制は、学校現場に混乱をもたらしただけで、ここにきて、3学期制に戻す自治体も増えているという。

そこで提案だが、学校制度を根本的に見直し、9-6月という『学校年度』を考えてみたい。日本の夏を考えると、聖域という以前に『夏休み』は外せないだろう。

この夏休みだが、現在給料を払っているという理由で、研修と称してわけのわからない過ごし方を強要されている教員も、完全休業させるために教員の供与体型を『年俸制』として、7.8月を無給にすれば、『長期休業中先生たちは遊んでいる』という社会的批判は無くせるはず。無給という言い方が不遜なら、年俸を12等分して7.8月も支給すれば良いこと・・・。

入学試験も寒い真冬に行う必要もない。社会との整合性がないと一笑にふされるかもしれないが、改革とは始めから全ての整合性を求めるものではあるまい。

次代を担う若人の教育がもっとも大切で神聖なものと言われ続けて久しいが、実態はその逆で、時の権力者の都合で歪曲化されてきたことは歴史が証明していると言っても過言ではない。その意味で、学校が9月-3月の年度にしても何ら差し支えないのでは・・・。

現在の就職が4月からという社会慣例を簡単には変えられないかもしれないが、逆に、卒業からほぼ1年の間に就職活動をすれば良いのであるから、本気で学業に打ち込めるはず。

生活システムも含めての私案は別の機会に述べることにして、学制ができて100年以上。そろそろ制度そのものを根本的に見直しても良いのでは、という議論が始まってもおかしくない時期ではないだろうか。(田舎親父)

2011年1月24日 (月)

年金支給が70歳からに・・・

 以前にも話題にしたことがあると記憶しているが、いよいよ年金支給年齢が70歳からということが現実になりそうな気配になっていた。

 ヨサノという国民から搾り取れるものはとことん絞れという、悪代官の見本みたいなトンデモ爺さんが、首相官邸で開いた新成長戦略実現会議の席上、『人生90年を前提とした場合、定年の延長と同時に、年金の支給開始年齢の引き上げも考えられる』と、本心をさらけだしたようだ。

 国会議員には基本的には定年がないそうだから、定年という年齢の区切りで職を奪われる気持ちがわからないのは当然だろうが、90歳まで生きるとなると30年間の生活手段は『年金が頼り』という、一般的な常識だけは持ってほしいものである。

 現在、公務員はもとより一般的な会社の定年は60歳。『還暦』という干支からくる思想が根拠になっているのだろうと解釈している。まあ、戦後のドサクサ時代から返金寿命が20年以上伸びた今日でも変わらないのも変な話であるが・・・。

 寿命が65歳ぐらいであった頃は、年金支給は平均して5、6年。財源確保は何とでもなっただろうが、80歳での訃報が『まだ若いのにねえ・・・』と言われる現在では、その支給は延々20年以上。となると財源が枯渇するのは誰にでもわかること。

戦後の優秀な官僚たちは、このことを十分理解して、膨大な金額を年金のために蓄えていたそうだが、それを受け継いだ輩が、わけのわからない公社や公団を作って天下りし、勝手気ままに、その財源を湯水のごとく箱ものやバカな投機などに流用し、結局はにっちもさっちも立ち行かなくなり、ついには消費税という一般庶民にはボディブロ-のようにジワジワと苦しめる税制を新設し、それでも不足という事態に陥って値上げしたのもさほど昔の話ではない。

 数年前までは年金支給は60歳からだったが、財源が枯渇したという理由で、強引に現在の65歳に順次繰り下げになった影響で、私も2年間年金支給がなかったが、今年定年を迎える人たちは、向こう5年間収入が閉ざされることになる。

 そのために嘱託制度があるという声が聞こえてきそうだが、公務員や一流会社の社員の話で、現在でも正社員が減り続けている現状では、『嘱託』などは雲の上のもの、最初からあきらめざるをえない人も数えきれないはず。さらに、定年前に職を失う人も年々増えている現実を、ヨサノ爺さんはじめ政治屋たちは感じていないのに違いない。

受給開始年齢を65歳にするならば、定年延長などの具体策を出すべきなのに、そんなことは『お前ら自身が勝手に考えろ・・・』ということで、責任を全て国民に押しつけたのが自民党政府。もっとも定年を延長するとそれだけ若い年代の人たちの働く場を奪うことになるのは明らかだろうが・・・。

こんな無責任が続いたので国民が政権交代を望み実現したのだろうが、待望の民主党政権が誕生したと喜んだのは束の間で、むしろ自民党政権よりもっと悪いとなると、お隣の国の共産党の一党独裁政権などを批判できなくなってしまう。

唐突に『年金支給年齢70歳』というのは、これは、国家的詐欺と言っても差し支えない。繰り返すが数年前までは『支給開始年齢が60歳』だった。それが『65歳』に引き下げられ、今度は『70歳』。黙っていると、そのうち『75歳→80歳』などとマンガの世界のような事態にならないとも限らない。

実際にヨサノ爺さんは『人生90年が前提』という言葉を使い『元気な老人の力を生かさない手はない』と言っているのだから、70歳支給というのはこの爺さんの本音で、すでにその布石が打たれているのかもしれない。

いや、それどころではなく、『何歳から年金』はもとより『何歳で年金打ち切り』という『うば捨て山的発想』で筋書きを描きはじめているのでは・・・。(田舎親父)

2011年1月23日 (日)

遺伝子組み替えは人口抑制手段のひとつ?・・・

 先日、狂大豆病のことを取り上げた。『モンサント社』の除草剤が遺伝子を組み換えた大豆が生物の成長を異常にするらしいという話題であるが、『モンサント社』は除草剤どころか、遺伝子を組み換えた穀物の種子を、独占的に取り扱っているとの記事を見つけて、再度震え上がる。

アメリカの大豆畑で作られている大豆の91%は『モンサント社』の製造した種子を使っているのだそうだ。これは、遺伝子を組み換えた穀物が人体に与える影響より、作りやすさと多収入を優先する考え方が基本になっているのだろうから、なるほどアメリカらしいと変に納得する。

この発想が広まり、わが国でも『クロ-バル』という言葉で、世界と競争するためにはアメリカ的な考え方が必要という考え方が蔓延しているので、おおっぴらには遺伝子組み替え穀物を『是』とする意見はあるという。中には(金儲け命の輩に違いないが)アメリカ発の遺伝子組み替え穀物を輸入するのは当たり前という風潮を定着させようとする動きもあるようだ。

遺伝子組み換え穀物が人体に与える影響を研究している科学者も多いはずなのに、この分野についての日本語の記事は少なく、ネットで探してもなかなか見つからなかったが、先日、サ-ロフというロシアの生物学者の研究で『危険』という結論が出たという記事を見つけた。

なぜロシアの科学者なのかという一抹の不可解さはあるが、サ-ロフは『遺伝子を組み換えか大豆は生命体にどのような影響がるとどうなるのか』というテ-マで長年研究を続けているのだそうだ。

 大急ぎでその文書の要点をメモしたのだが、迂闊なことにサイトを記録していなかったので、そのまま引用とすることができないので、メモを元に、私なりに解釈して取り上げてみたい。

メモによると、サーロフは『モンサント社』製の遺伝子組み換え大豆が、動物の成長や生殖にどのような関係があるのか調べるために、ハムスターを2年間、3世代以上に渡り飼育し観察したのだそうだ。(その記事にはハムスタ-生まれた数なども掲載されていたようだったが、残念ながら記録していない。)

サ-ロフは結果的に、遺伝子組み替えの大豆を食のものたちは、第三世代までには、ほとんどのハムスターたちは、赤ん坊を持つ能力を失った主張している。

そればかりではなく、遺伝子組み換え大豆を食したハムスタ-の死亡率が高い上に、第三世代の一部は、彼らの口の内側に成長する毛を有していた、常識では考えられないような事実を述べている。

この程度の研究はわが国でも行われているはずだと思うのだが、一般に知らせては不都合があるらしく、遺伝子組み替え穀物は何となく危ないというイメ-ジがあるものの、その実害については闇の中。

サ-ロフの結果を全面的に信じるつもりはないが、三世代以上になると生殖能力が極端に衰えるという文言に、何となく遺伝子組み替えという技術が生まれた真相があるように思えてならない。

というのは、現在地球上の人口は異常なほど過剰であり、このままでは人類の食料そのものが不足し、人間の数を減らすためにトンデモナイ事態になることが明らか、何かが作用して人口減少の動きになるのでは・・・という危機感があるからである。

遺伝子を組み換えた穀物に、生殖能力を著しく衰えさせる何かがあるということを、一部の(優勢人種だけが生き延びる権利があるという考え方)の人間が知り、それを広めることによって、地球上の人口を減らすことに利用しているのではないだろうか・・・というSFの世界のような考え方を浮かべるのは私だけだろうか。

 最近、わが国の出生率が極端に落ちていることがよく話題になるが、その背景にいつも語られるのが、晩婚化と価値観の変化という言葉。しかし、実際に子どもを産みたいと思っている女性は多く(私の周りでも何人も存在する)、産婦人科などの窓口には不妊の相談が後をたたないこともメディアは特集を組んでいる。

 まさか、『誰か』が意識的に人類の不妊化のために遺伝子組み替えという操作をしているとは思いたくないが、遺伝子組み替え穀物の出現と、不妊という言葉の広がりと一致するように思える・・・という事実を、『アホカ・・・』と一言では片づけられないのではないだろうか。(田舎親父)

2011年1月22日 (土)

増税ラッシュの先駆けなのだろうが・・・

 1週間ほど前、金融庁長官の諮問機関の『自動車損害賠償責任保険審議会』が保険料を2011年度と13年度に引き上げる決定をしたというニュ-スに、よほど民主党は値上げがお好きらしいと、ある意味諦めに似た呆れを感じる・・・。

交通事故に伴う保険金の支払いが増え、収支が悪化しているためだそうだが、今年4月から約12%、13年度からさらに約15%上げることで調整するという。書き方から推察すると、この値上げには国会などの議論は不必要らしいので、即値上げとなることは間違いなさそう。

 現行の自家用車一台の自賠責の保険料は、二年契約で22470円(沖縄県・離島を除く)だという。自分も払っているはずなのに、詳しく知らなかったのは迂闊だが、12%の値上げで、四月からの保険料は25000円前後になるという。そして、13年度には、さらに15%の値上げで、29000円程度になるというから、国民の負担は相当大きくなり家計を圧迫するに違いない。

 これも知らなかったが、自賠責保険料は08年度に、交通死亡事故の減少や運用益の契約者への還元などで、約27%引き下げられたのだそうだ。私も普通車ながら自家用車を所有しているが値下げの記憶はないのだが・・・。

私の思い違いだとしても、引き下げ直後から、後遺障害が残る交通事故の増加などで保険金の支払いが増え、08年度から年間2000億円を超える赤字が続いているとのことであるが、何という見通しの悪いことと、改めて運輸行政のその場限りのデタラメさが目に見える。

 審議委員の中には、『自賠責保険は、すべての自動車とバイクの保有者に加入が義務付けられているから、値上げは即、利用者の負担増となるのは問題。まずは、保険代理店の手数料などコストを引き下げる努力をするべきだ』という異論も出たそうだ。

また、自賠責保険料の積立金の一部約6000億円が、国の一般会計に繰り入れられているらしいが、その繰り戻しが財政難から先延ばしされているという。このことに関して『繰り戻しの計画を明確にしないうちの引き上げには、ユーザーは納得しない』との意見が出されたとも報じている。

それらの意見は誰が見ても正論だろう。金融庁は、それらの意見を踏まえて、引き上げ幅を抑えるよう調整を進めたと釈明しているらしいが、実際にはそんな意見は全く反映されなかったようだ。

自賠責というのは、事故を起こした場合、被害者救済のための補償という意味があるのだから所有者が負担することには異論はない。今回の値上げは仕方ないという声もあるだろうが、普通車以上の個人用乗用車所有者の負担増はともかく、軽自動車の保険料が22000円と約3000円アップ、現在の普通車並にすることには、もう少し血や涙のあるやり方がないのだろうかと思えてならない。

自動車には車両税がかかっているが、現在は軽自動車の負担はかなり少なく算定されている。地方の農山漁村にでかけると、そのほとんどが軽自動車だと言っても過言でないほど黄色ナンバである。いかに地方でこの需要があり、多くの人がその恩恵を受けているかがよく分かる。

先日、この軽自動車の車両税を普通自動車並に課税するという税調の方針に、過疎化であえぐ地方の、特に高齢者イジメだと批判したが、この政府はよほど弱いものイジメがお好きらしい。

ところで、昨日図書館で雑誌をめくっていたら、民主党の税制研究会は『ペット税』を新設することを検討しているという記事に驚く。

何でも、飼育している犬や猫の所有者に一匹あたり3~5000円の税金をかけるというもの。ペットも人間と同じように道路や公共施設の恩恵に受けているから、税金を払うのは当然だという論理に、なるほど凄いものだ・・・と呆れる前に感心すらしてしまう。

このことは別の機会に取り上げたいが、ますます世知辛い世の中になりそうなことだけは確かなようだ。(田舎親父)

2011年1月21日 (金)

あまりにも拙速すぎるNHK会長選定・・・

 先日、数日間NHK会長問題がマスコミを賑わしたが、突然JRの副会長の名前が上がると同時に数時間後には即決定。その後、この話題はマスコミから消えた。

 誰がNHKの会長になっても、所詮、庶民には関係のない話。どうでもいいことなのだろうが、NHKといえばメディアの総元締めのような存在、その会長はかなりの権限を持っているというから、会長のさじ加減で報道の質のニュアンスが変わることもあり得るとの噂。となると、その背景をもう少し詳しく知っておく必要がありそうだ。

 NHKの様々な不祥事が明らかになり、旧態依然の体質を改めなければという考え方が広まり、有識者からなる経営委員会ができ、会長職を外部から選出するというル-ルができたと理解している。

(いつものことながら)有識者という人たちをどんな基準で選定するのかは明らかにされていないが、前回、その有識者で構成する経営委員会が選んだのが現会長のフクチというアサヒビ-ルの相談役だった御仁。今回は当初から会長職を続投するよう要請されていたらしいが、固辞したと伝えられている。

そこで経営委員会は、新会長を選任するにあたり慶応大学のアンザイ前学長に新会長の就任を要請し、内諾を得られていたという。このまますんなり新会長が誕生すれば問題はなかったのだろうが、アンザイという御仁が会長職を受けるためには、都内に住宅をもちたいとか、交際費をふんだんに使いたいとか言い出したと報じられたととによって、経営委員会が慌てたらしい。

真偽は定かではない。慶応大学の学長職が不適切だと批判されて、学長選挙で敗れた御仁にとっては、NHK会長職は『棚からぼた餅』だと思うので、まさかそんな非常識な条件をあからさまに出さないのではと思いいが、単なるボタンのかけ違いだけではなく、何らか誤解を生むようなやりとりがあったのではと推測している。

アンザイという御仁を推薦した人が経営委員長であるコマルとい運送会社の社長さん。後には、この方はアンザイという方をよく知らなかったと言い訳しているらしいとなると背景には只事でないトンデモ事情があったことをうかがわす。

アンザイ前学長としては、このまま就任してはマスコミから叩かれて思わぬスキャンダルが明らかになってはかなわないと考えたかどうかはわからないが、かっこよく『名誉を傷つけられた』とタンカを切って会長就任を断ったのだそうだ。

困ったのは経営委員会の委員の人たち。右往左往して会長候補を探したようだ。経営会議の席上、ある委員(名前は秘密らしい)が『私がよく知っている清廉潔白な人物』として、JRのマツモトJR東海の副会長の名前を上げたという。

委員会は次期会長職の選定を焦っていたのかもしれないが、その日の委員会で、マツモト氏に就任要請したというが、何かあまりにも急ぎ過ぎたように思える。マツモト氏の人物を知っていたのがくだんの委員だけで、名前すら知らなかったという委員がほとんどだったらしい。しかも、経営委員会としてマツモト氏と面談することなく、全員一致で決めたというのが何となる気になるが、そのことについて、マスコミはもとよりネットでも話題になることが少ないのは何なのだろう。

マツモト氏の略歴は紹介されているが、その人となりなどはあまり知らされていない。本人が『火中の栗を拾うことになるという方もおられるが、引き受けた以上はやる』と抱負を語っているとのことだから、マツモト氏の手腕を信じるしかないのだが、それにしても、会長職の選定が拙速すぎるのが引っかかる。

 繰り返すが、このことが話題になったとは数日間だけ。就任した日にはこの話題が出るだろうが、NHK会長職などマスコミにとって報じる価値がないのだろうか?・・・。

 2代続けて、経済界(それも政治色が出やすい業界)から選ばれるのは偶然なのだろうか。しかも、国民に全く知らされない場所(裏舞台)で、ことが運ばれていることに、不透明感はぬぐえない。(田舎親父)

2011年1月20日 (木)

一円パチンコ出現・・・

 毎日の散策で気付くことは、どこの町を歩いても、JR・私鉄に限らず駅前の一等地で威勢のよいのはパチンコ店。全国的にみると、パチンコ店の数は少し減る傾向にあるというが、私の知る限りの地域では、数が増えることはあっても、廃業する店舗はほとんどない。裏を返すと、首都圏の駅前ではその需要が多いことを物語っている。

賭博は法律上禁止されているはず。昨年大騒ぎになった相撲協会に所属している力士や床山、あるいは親方までが『野球賭博』をしていたという理由で、解雇や出場停止処分を受けたのは、背景に暴力団の存在があったとはいえ、タテマエは法律に違反したからだったと受け止めている。

そのことに疑義をはさむものではないが、勝負事そのものはある意味、博打でいう『丁半』を決めることであるのだから、賭の対象になることは自然の成り行き。

今の子どもはそんなことはしないだろうが、昔の男の人気の遊びの一つの『メンコ』の基本的なル-ルは、相手のメンコを奪い取ること。胴元という存在はないが、これも厳密には博打の要素があると言っても差し支えないのでは・・・。

公園では日溜まりで老人たちが将棋盤を囲んで楽しんでいる風景をよく見かける。近くを通ると『今日は○○さんの勝ちだな』とか、『俺は××さんに賭けるよ』などという言葉が聞こえてくる。実際に賭が行われているかどうかはわからないが、この言葉にさほどの違和感を持つ人は少ないのではないだろうか。

私もその一人、老人たちのごく当たり前の会話として聞き流しているし、よしんば、その勝負に何がしかの商品が賭の対象となっていても、いちいち詮索しようという気持ちはない。法律的には立派な賭け事であり犯罪であるのにである・・・。

バカラとかル-レットという博打は日本では禁止されていると聞く。時に風俗店などで摘発』』という報道もある。アメリカや中国などの外国では一部の地域では『カジノ』という名前で呼ばれる場所をつくり、この種の賭け事は公認され、それが大きな財源となっていることは私でも知っている。

このことが背景にあるのだろうが、東京や大阪など一部の自治体の知事たちは、カジノを作る計画が公然となっているらしい。このことは博打をおおっぴらに認めることだと思うのだが、知事さんたちにとっては、財源確保という大義名分の『金儲け(外国人を呼ぶ)』のためには法律など何とでもなる代物らしい。

パチンコに話を戻すが、パチンコそのものは子どもの『メンコ』と同じで、単に玉を多く集めるかどうかという簡単な遊びであるが、大の大人たちが、単に玉を集めるだけに夢中になるなんてことはあり得ない。そこには、腕と運によっては金儲けが介在しているからあれほど多くの人が集まることは論を待たない。

玉を集めれば何らかの景品と代えられる。ここまでは、これも賭と言っても差し支えないが『遊び』として許される範囲なのだろう。しかし、店の中で玉の数に見合う小さな札と交換し、その札をすぐ横の景品交換所という窓口に持っていくと現金に代わる。これって立派な博打であるはずなのに、何故かパチンコは公認されているので博打ではないのが理解しにくいところ。

そんなパチンコも少し人気に陰りが出始めたらしく(私には感じられないが)、次々と新しいマシ-ンが導入されているらしいが、根本的に考えが違う『1円パチンコ』というシステムが生まれはじめたという。歩いていて、時々この『1円パチンコ』という看板に出くわすことがある。

昔はバス待ちの時間を利用してパチンコ店に出入りしたものであるが、最近はない。したがって玉一つの価格など興味はないが、何でも一般的には4円だという。1000円札を販売機に入れると250個の玉が出てくるらしい。

ところが『1円パチンコ』とは、その名が示す通り、玉一つが1円。千円で1000個の玉が入手できるパインコ店なのだそうだ。『1円パチンコ店』で入手したパチンコ玉を普通のレ-トの店に持ち込めば、その分儲けられるのだから、常連たちにとってこんな美味しい話はないだろう。

マシ-ンに合わせて玉の規格を変えれば問題はないのだろうが、そんなことはとても無理らしく、最近は店の入り口に『金属探知機』をつける店がでてきたというから、何か凄い話になってきた。

『玉の持ち込みは犯罪です』というポスタ-も目立つというが、パチンコ店の景品交換所で公認されている?現金授受そのものが、今の法律に照らし合わせれば『賭博=犯罪』ではと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年1月19日 (水)

公平とは思えない試験日の設定・・・

 先日の土・日曜日は『センタ-試験』があったが、強い寒波の影響で各地の会場はかなり混乱したようだ。特に2日目の日曜日は、関東地方だけは乾いた晴天が続いていたが全国的には大雪がふり、その影響による交通機関のトラブルなどで、試験の開始時間を繰り下げる試験会場が相次いだという。

テレビが映し出している試験会場の風景を見て、これは受験生にとって『公平な制度』だと言えるのか・・・という素朴な疑問をもった人も少なくないのではないだろうか。

新聞テレビは、単に『センタ-試験』と言っているが、正式には『大学入試センター試験』と称し、『独立行政法人大学入試センター』によって例年1月13日以降の最初の土曜日・日曜日の2日間にわたって行われる日本の大学の共通入学試験である。

1990年から始まった制度で、それぞれの大学はこのテストの成績で○○点以上が受験資格(一頃はアシキリと騒いでいたが)として認められるそうだから、受験生にとっては志望校に受験できるかどうかを決める大事なテスト。極端な表現をすれば、寝食も忘れるほど、この日に合わせて受験勉強をしてきたに違いない。

大学入試については様々な工夫と改良が重ねられてきた結果、現在のシステムになっているのだろうから、この『センタ-試験方式』についての是非はここでは語らない。が、少なくとも全国の受験生にとって、体調維持などの個人的な要因はともかく、公的条件は同じにしてければ『不公平』が生じるはず。

しかし、この『公平性』についての議論はあまり聞こえて来ない。マスコミが取り上げないから、国民の頭の中に『センタ-試験=1月実施』とすりこまれているのかもしれないが、東京の会場と新潟や福井の会場とでは、試験場内の温度設定などはほぼ同じだとしても、会場までたどり着く交通機関の充実に大きな違いがあるのは明らか。

試験に際して、マスコミを通して受験生に必ず伝達される当局の文言の一つに『交通機関の乱れなどが考えられるので、早めに家を出るなどゆとりをもった行動をしてください・・・』がある。

始発の電車に乗らなければ間に合わない受験生もいるだろう。その彼に『早めに』とは前夜から会場近くに宿泊しろということに他ならない。今年の場合などは、予想以上の暴風雪で、電車が大幅に遅れ、早めに出たのに間に合わなかった受験生も多い。

だから、1時間繰り下げたのだ・・・というのが当局の言い訳だろうが、繰り下げられたのは結果であって、受験生たちは時間に遅れたらどうしょうというギリギリの焦った心境で会場に急いでいたに違いない。

こんな心理で問題に向き合うのと、寒さ対策だけを心がけていれば何の心配もない首都圏の会場での受験生と同じに扱って良いのだろうか。私はこんな不公平を何の疑問ももたず『当たり前』と通してしまう考え方には異論をもちたい。

私の年代にとっては、国立大学は一期校と二期校に明確に別れていた。旧帝大は全て一期校に属していたから、明らかにそこには差別が存在したことは確かであるが、一期校の試験日が3月3日から、そして二期校のそれが3月23日からと決められていたので受験生は、2回のチャンスがあったことをむしろ喜んだものである。

その時期になると、日本海側でも天候はある程度安定する。反対に太平洋側では雪の可能性が多くなり、早めに・・・という注意は、ある意味全国共通の公平さをもった言葉と何の異論もなかったが、1月では差があり過ぎる。

大学進学希望者が増えて事務的にも、4月の入学式に間に合わせるためには、二次試験は3月はじめまでには実施しなければならないという理由だろう。そうすると時間的にも、センタ-試験を1月という日程になるのだろうが、以前は二期校の試験日が3月23日からであっても、3月31日の合格発表に間に合っていたことを考えると、時期を繰り下げることが可能ではないだろうか。

いやむしろ、4月入学に固執しなければ、地域格差のない公正で柔軟な日程を選べるはず。このことについて自論はあるが、長くなるので次回に述べることにしたい。(田舎親父)

2011年1月18日 (火)

新車の販売台数2000万台という数値・・・

 ネットの日本向けの情報サイトの『大紀元日本』に、2010年の新車販売台数は前年より32.3%伸びて1806万台だったと、中国自動車工業協会が発表したというニュ-スが掲載されていた。この数字はアメリカより約650万台多く、当然のことながら2年連続の世界一となったという。

相前後して、トヨタ自動車が自社のハイブリッド車のプリウスが35万台販売し、車種として市場最高を記録したと発表。なんでも日本での売り上げの7分の1を占めているというからいかにプリスウが人気だということがわかるが、それでも日本国内での需要は200万台程度、中国の購買力が物凄い勢いで伸びていることがよく分かる。

数年前から世界の自動車メ-カ-はこぞって中国に参入し、この販売台数の急増に多いに貢献しているという。特に日本のメ-カ-の進出はここで語ることはあるまい。

人口が多いのだから販売台数が増えるのは当たり前だという意見も当然あるだろう。日本の販売台数からしてさほど驚くほどの数字ではない、という人も多いかもしれないが、私には来年度には2000万台に届くだろうというこの数字は、中国の都市部にとって致命的な環境破壊をもたらすだろうことと、次にくる動きが気になるのだが・・・。

北京や上海の車の増え方は専門家でも想像できないほどだという。商談で北京に行くことが多いという知人の話では『行くたびに、車が多くなっていることが実感できる』という。

彼の話が決して誇張ではないことは、時に雑誌などで紹介されている北京や上海の渋滞の様子などから十分理解できるが、同時に、これらの映像が以前日本でも見かけた風景のような気がして記憶をひもとくと、オリンピック当時のことを思い出す。

それは昭和39年。先日も書いたが、昭和37年に京都の片田舎から川崎市に就職した私は、休日には仲間たちと連れ立って渋谷へ遊びに出かけたものである。話はそれるが、その頃の渋谷の今の道玄坂あたりだったと思うが『恋人横町?』だったか、難民のスラムのような建物が続く路地があったことが頭に浮かぶ。

そんな路地に恐々のぞいたことも懐かしい思い出だが、渋谷の町が行くたびに変わっていく様子は今でも印象に残っている。車の数も行くたびに多くなっていた。実際に現在の北京とはスケ-ルが全く違うだろうが、行くたびに北京の町がきれいになるとともに、車が多くなり、空気の淀みがひどくなるという知人の話とよく重なる。

私が知っている中国といえば雲南省の一部だけである。それも数年前までの話だが、省都『昆明』を除いて、渋滞にぶつかったことはない。昆明の渋滞には驚かされたが映像で見る北京には遠く及ぶものではない。

快適とは言い難い道路がほとんどだが、見受けるのはこれでもガタガタ中古のトラックなどが圧倒的で北京の風景とは極端に違う。このことは、中国の車社会は北京や上海(昆明も入るだろうが)という大都市だけの話に違いない。

いかに20億といわれるほど凄まじいほどの人口をかかえるとはいえ、その多くは私が知っている雲南省の片田舎やそれ以上に過疎の地域にすむ住民であることは間違いなさそう。そこには、まだ車の氾濫は起きていない。すると、都市部の人たちだけの需要で2000万台という数字が、いかに凄いかが想像できる。そして、その需要は徐々に地方に移っていくことも既定の事実。

(以前から心配していることだが)インタ-ネットの普及にしたがって世界中の人々が先進国の生活水準を知り、誰もがそれを求めることは当然のことで、誰も押しとどめることはできない。今はまだ都市部に限られているこの動きは今後地方に広がることは想像に難くなく、現にその動きが大きなうねりとして現れているようだから、中国の車社会は今後膨張することはあってもうすれることはないだろう。(となると・・・)

この動きは中国だけではあるまい。インドでもアフリカでも、あるいは東南アジアの国々はじめ世界中の発展途上国の人々にも伝染することは間違いない。

車が便利なツ-ルであることは論を待たないが『金儲けだけが目的』で、さほど必要でない人々にまで車を売りつけている現在の日本の自動車メ-カ-の経営方針に、何らかの歯止めをかけなければ、トンデモないことになることだけは確かだろう。(田舎親父)

2011年1月17日 (月)

さて 次の選挙でどうなるか・・・

 今日は、教科書などでは『兵庫県南部地震(阪神淡路大震災という言い方の方がわかりやすくいと思うのだが)』が発生した日。テレビから刻々と報じられる惨状に、こんなことが本当に起きているのかと我が目を信じられなかったことが生々しく蘇る。

 今朝のNHKのニュ-スでは、必ずやってくに首都圏直下型大地震に対しての心構えなどの必要性を報じていたが、何となく緊迫感に欠ける嫌いを感じたのは、年々あの大災害の記憶がうすれていっているからなのかもしれない。

 ところで、政治の話題はできればしたくないと思っているのだが、今朝の新聞には、支持率が微増したとの見出しに、本当なのという疑問が生じ、昨日の続きをつぶやいて見たい。

昨日は長くなるので省略したが、アカン改造内閣の目玉の一つが、自民党時代から消費税率引き上げ派の旗頭的な存在だったヨサノという議員を経済財政(明らかに今回は増税担当)大臣に迎えたことは衆目の一致するところだろう。

 ところが、こんなことは前代未聞の珍事であることは間違いないことであるが、前任のカイエダ氏と今回任命されたヨサノ氏が衆議院の東京一区で争っていること。外野的に見て面白いが、有権者が政治を託す人を選ぶことであることは小学生でも習う民主主義の原則中の原則なのに、アカンさんはそのことを学ばなかったらしい。

小選挙区そのものが『右か左を選べ』という西洋的な考え方から生まれた二大政党必定主義の申し子であることは知っているつもりである。

国の将来を担う政治にはこれぐらい厳しい考え方が当然だという意見があることも承知しているつもりだが、キリストやイスラムとは違い、八百万の神の世界観が体の隅々までしみ通っている日本人にとって、無理がある制度であると思っているので、でとれば中選挙区に戻してほしいと願っているが、これは所詮無能な男の恨み節。

ところが、実際には次の選挙では相争うという事態になることだけは間違いないカイエダ氏としては屈辱的な今回の人事をそのまま容認したくなかったのではないだろうか。本当はヨサノ氏に現在のポストを譲りたくなかったのだろうが、仕方なく従わざるを得なかった無念の思いがあったはず。記者会見での『ただ一言申し上げれば人生というのは不条理だな』という一言がそれを如実に現している。

確か、一昨年の衆院選挙ではカイエダ氏が勝利したはず。ヨサノ氏は何故か自民党を飛び出し、私が想像してもあり得ないヒラヌマ氏という超保守の御仁と組んで『たちあがれ日本』という政党を共同代表という、意味不明な役職で立候補して本選挙で敗れたのだが、これまた比例という摩訶不思議なシステムで復活当選になったのも記憶に新しい。

比例制度というのは正直はっきり理解できていないが、要は、少数政党からでも当選できる可能性を残すために、全国あるいはブロック別に政党あるいは個人名で投票できる制度らしいから、個人名はともかく『たちあがれ日本』という政党の投票数が多かったことで当選になったのだと解釈している。

となると、これは『たちあがれ日本』という政党に投票した有権者に対しては大変な裏切り行為であることは間違いない。刑事事件にはならないだろうが、間違いなく重大な『犯罪行為』と断定しても異議を唱える人は少ないのではないだろうか。

衆議院の解散権は首相の専権だそうだから、なりふり構わず首相の椅子にしがみつきたいアカンさんはノラリクラリと先送りすることは目に見えているが、にっちもさっちもいかなるなることも自明。となる、この権力亡者には『他の人間に首相の椅子を座らせるものか・・・』という無茶苦茶な発想しかできなるだろうから、やけくそ解散の可能性はかなりの確率であり得るのではないだろうか。

だとすると、民主党公認はカイエダ氏、民主党の比例代表としてヨサノ氏(逆もあるだろうが)となることも十分考えられる。どちらにしても、民主党に投票する有権者は激減するに違いないから、野党(自民党公認が圧倒的有利だろうが)の有力候補が当選することも十分考えられる。

都民が淫行歴のあるお笑いタレントを都知事に選ばないだろうとは思うが、ある県知事さんは都知事の椅子を狙って、一期だけでその県の知事の椅子を降りたのではと賑やかに報じられている。

この御仁が今回の人事を好機到来と捉えているのか、それともあくまで都知事とねらいを定めているのか胸のうちはわからないが、少なくとも自民党公認で立候補したら当選することは間違いなさそうだ。

どちらにしても、国民としては嬉しくない話ではあるが・・・。(田舎親父)

2011年1月16日 (日)

統一地方選がどうなるか・・・

 何度も話題にしているが、民主党政権が断末魔様相を呈しはじめた。一昨日、発足した第二次カン内閣の顔ぶれを見て、『昔の名前ででています』と揶揄されてもよいような御仁が閣僚として名前を連ねている。

憲法第41条に『国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』とうたわれている。このことを素直に解釈すれば、国会の議長は内閣総理大臣より『憲法上は上位の人間』として存在していることに他ならない。

実際は、議長や副議長という役職は、いわばアガリの議員に最期の勲章として与えられるものだろうが、たとえ誘われても格下の内閣の一員にはならないという意地というか誇りを持つ。それが議長経験者のそれなりの矜持なのだろうと理解していた。

(政界はそんな甘いものではないというご意見が飛んできそうだ)が、そんな二人が法務大臣や国家公安委員長なっているのは、この二人には歴代の議長や副議長がタテマエだけでも保持していた矜持すら捨てたことに他ならない。

人がいないから仕方ないという見方もあろうが、民主党の若手議員の中にはかなりの論客もいると聞いている。ところが、人事を組み立てる前に、まずオザワという人物の存在が浮かび上がり、オザワさんとの関係が少しでもある人物を消して行くことが前提になっているというのだから、こんなロ-トル人事になってしまったようだ。

それはともかく、改造内閣が船出したことによって今月末から定例の国会は開かれることになるが、カン内閣はうまくこの難局を乗り越えられるだろうか。答えは『否』と断言してもよいほど、荒れることは火を見るより明らか。

今回の改造劇は参院でセンゴク・マブチという二人の閣僚が問責決議を受けたことが発端。問責決議には法的根拠はないらしいが、民主党出身の参院議長からこの2閣僚が降りないと、参議院の開会のベルを押さないと恫喝された(理論上当たり前の措置だろうが)結果だというから、民主党内のゴタゴタぶりは私が像蔵する以上に醜いものに違いない。

しかし、参院議長に屈したことは今後大きな前例として、今後の国会運営に影響することは確実。今回の通常国会でも参院で多数の占める野党が結束して、閣僚狙い撃ち(真っ先にカン首相かな)して問責決議を成立させることは十分考えられる。

となるとどうだろう。解散となると惨敗は確実。となると、何とか引き延ばししか戦術がないようだが、4月を中心に統一の地方選挙という難題が待ち受けている。

民主党から公認や推薦を受けると選挙にならないという深刻な懸念が地方から湧き起こっているそうだ。茨城県の県会議員選挙では『氷雨の上に霰(アラレ)が降ってきた』といわしめさせるほどの逆風で、民主党の公認・推薦候補は全滅に近い惨状。

続いて、中選挙区ではカン首相のお膝元であった西東京市の市会議員選挙でも、現職の民主党公認候補のほとんどの落選は大きなニュ-スになったことは記憶に新しい。この選挙に『首相夫人やマスコミ受けする連坊大臣まで動員したのにこのていたらく』とマスコミにこき下ろされて、民主党に対しての市民の失望が単なる一過性のものではないことを証明した。

今春の地方選挙でも同じような結果になる予感がする。都や北海道、あるいは神奈川県などの知事選はじめ地方議会が焦点になっているが、いずれも民主党公認あるいは推薦という肩書がついたら即落選が決まる(折角の能力ある候補者を民主党が後押しすることによって落選させることになる)のではと変な心配さえしたくなる。

ところで、この心配とは直接つながらないと願いたいが、来春の統一地方選の投票所が、4年前と比べ全国で計1800カ所も減るという記事を思い出す。まさか民主党の執行部が、地域からの声を恐れて投票させない作戦ではないだろうと思うが、なにやらまたまた『地方イジメ』という雰囲気が漂いそうで、嫌な気分になる。

この措置で、過疎地を中心に数十万人の有権者が影響を受ける見通しらしい。投票所が遠のく有権者のために、40市町村がバスなどで送迎する『移動支援』を実施するとのこと。支援に消極的だった総務省も追認に転じ、実態調査を進めているという。

記事には、戦後、おおむね右肩上がりだった全国の投票所数は、2000年代から減少傾向に転じ、ここ4年の急減は自治体の財政難が主な理由で、過疎化の進行と合わせて今後さらに加速することが予想されるとある。

今回の統一地方選挙には直接影響は出ないと信じたいが、このまま投票所がどんどん減っていけば、選挙制度そのものに対する公平性が問われるのではないだろうか。

無駄を省くことは大切だが、単にそれだけの理由で、地方の人たち(特に出歩くものままならない高齢者)の選挙の機会を奪ってはならない。インタ-ネット投票などと言うつもりはないが、自宅で行えて、しかも公正で、違反などの不正がおきないような仕組みを考えねばならないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年1月15日 (土)

成人の日だった日に想うこと・・・

 今日、1月15日は私の年代にとっては『小正月』だった。そして『成人の日』でもあったが、今では『小正月って何に・・・』というる人がほとんど。そして、ほんの少し前まではこの日が『成人式』だったことを忘れてしまっている人が多くなっている。

私は京都の工業高校を卒業して、川崎市の富士通信機製造株式会社(現在の富士通)に就職した、いわば一種の集団就職組の一人である。それから2年後、40数年前のこの日、富士通の同期の仲間大勢で川崎市の体育館で行われた記念式に出席したことを思い出す。

遠い過去で記憶はうすれている。しかし名前は覚えていないが確かノグチという、富士通に同期で入社した女性が我々新成人の代表で登壇、あいさつをしていたことが記憶の端に引っかかっている。

昭和37年に入社したのだが、高校卒業で入社したのが約400人。お節介だったのか目立ち屋だったのかはわからないが、何人かの仲間と語らって同期会を作ろうということになって呼びかけたところ、半数以上が応じてくれて『思友会』という組織を立ち上げたことが懐かしい。

会長職にはつかなかったと思うが(やったのかもしれない)、勤労課から呼び出しを受けて『お前はアカか』と迫られたことも、今では笑い話的な思い出。結局はそれが一つの転機となって進学を決意し、成人式の2ケ月後には退職し、富士通の仲間と全く違う人生を送るようになるのだが、今でも何名かの仲間とは連絡を取り合っている。いわば、思友会という組織そのものが私の一番の青春だったような気がする。

成人式に話を戻すが、10日に行われた成人式の様子をテレビなどで見ると、全国津々浦々で行われた式典に出席したほとんどの女性は振り袖姿。ス-ツ姿を画面から探すが見つからない。私の成人式では出席者のほとんどがス-ツ姿。ノグチさんが振りそでだった記憶はない。

華やかで良いではという意見が多いことは十分承知している。一生に一度お思い出なのだから、振りそでを着せてやりたい、と思う親心も理解できないことはないが、誰か一人ぐらいス-ツで参加しても良いと思うのだが、幼いときから横一列が良いとすりこまれた年代では、他人と違うことは『いけないこと・悪いこと』と思い込んでいるのではないだろうか・・・と、どうでも良いことだろうが少し気になる。

最近大学生の就職活動が世間を盛んに賑わせている。就職説明会が各地で行われている様子も紹介されているが、ここに集まる学生たちは男女とも全て黒か紺のス-ツ姿。例外が一人もいない。リクル-ツ姿というらしいが、なにか異様に感じるのは私だけなのだろうか。

面接にジ-パン姿で臨んだら試験管からは不謹慎と思われ悪印象を与えると考えられているのだろうが、ならば、一人ぐらい日本人の礼装である和服姿の学生がいたら面白いのにと思わないでもない。ひょっとして、きちんと着こなした振り袖姿で面接官の前に立ったら、『これは大物』と内定を出すのではと想像するのは無理があるのだろうか。

成人式でもう一つ気になるのは、少子化の影響でここ数年、成人式に親が同伴する姿が目立つようになってきたことである。

このことが、先日の成人式にも取り上げられ、テレデのキャスタ-達が親たちにインタビュ-していたが、そのほとんどが『ここまで育ててきたので、晴れ姿を見守るのは親としての喜び・・・』などと答えていた。

主催者も見学スペースを確保しているらしく、そこから幼稚園や小学校の運動会風景よろしく、乗り出してビデオを構える親集団を映し出していたが、この傾向は一体何なのだろう。

大学の卒業式は当たり前、最近では入社式にも付き添ってくるというから、これでは若者たちの『精神的自立』は損なわれるのは当たり前。

世間は、晩婚だ・少子化だと騒いでいるが、このあたりの大人?たちの自覚が足りないことこそ問題ではないだろうか。(田舎親父)

2011年1月14日 (金)

精神疾患の教員が急増という事実・・・

 鬱病など精神疾患の教員が自殺者の急増と肩を並べるように、10数年ほど前から急激に増加しているという。この問題は、昨年も取り上げたが、08年度に休職した全国の教職員が、前年度より405人増え5400人になったというニュ-スが流れたのが一昨年の暮れ。

昨年度の暮れに、文科省は同様の全国調査をして前年度の休職者数を発表したが、少し勢いはさがったものの、08年度より58人増えて5458人とやはり増加している。この数字は1979年度に調査が始まってから過去最悪だという。

 同省は『仕事の多忙化、複雑化にくわえ、理不尽な要求をする保護者への対応でストレスが高まる一方、うち解けて悩みを相談できる同僚がいないことが要因では・・・』と分析しているらしいが、何とお気軽なこと。わかっていたらなんとかさいや・・・と言いたくなる。本気で対策を立てなければ、今に学校は精神疾患の教員ばかりになってしまうのではないだろうか。

 文科省は全国約92万人の休職状況を毎年都道府県の教育委員会から報告させているとのこと。それによると、病気休職者は8627人で、そのうち63%が精神疾患。この数は約200人で一人は精神疾患で現場から離れているという計算になるそうだ。

これは凄い数である。教員の特質として『子どもたちに迷惑をかけられない・・・』という変な職業意識が働き、休職を躊躇する傾向がある。周りが心配して、休職を勧めてやっと診断書を出すというから、精神に何らかの異常をかかえる教員は、実際に休職した者の数倍は下らないような気がする。

 年齢別の統計はないとのことであるが、私の経験では一番多いのが教頭(副校長)ではないだろうか。校長からの命令が一般教員の実態とあまりにもかけ離れていることが多く、校長の信頼を得るために、教員の尻を叩かねばならない実態は全国の教頭会のレジメなどを深読みしたら浮かび上がる。

 そのために、降格を申し出る教頭が最近激増していると聞く。降格を認められたからといって、精神疾患が回復するとは限らず『管理職失格』というレッテルがつきまとい、さらに症状を悪化させる場合も多いようだ。

 次に、精神疾患が多いのが40台の教員だという。校長からは管理職試験を受けることをしつこく勧められるが、周りの教頭職の実態を見ていると簡単に、『ハイわかりました』とはいかず、悶々と悩むのだそうだ。

 若い教員も疲れ切っている。何とか教員試験に合格し、夢を持って働き出すのだが、この業界の不思議なところは、何の経験もない教員でも担任をもたされることである。

これに対しては10数年前から、新人研修が必要だという意見が強くなり、研修制度ができているが、現場の声を聞く限り、どうもピンボケ内容が多いのが現実らしい。そして、新人研修制度がなかった頃に比べると、若い教員の精神疾患が増えているというから皮肉な話。

新任研修のために各学校ではベテランの教員を『新卒担当』という名目で担任を外して置いているのだが、担任失格者がこの新人研修担当になっているということは、教育界では常識になっていることはあまり知られていない。

このことについては、優秀な教員には担任になってもらい学級経営の範を示してほしいというのが校長の偽らない気持ち。なるほど、そんな優秀な教員に新人研修担当などもったいなくて・・・というところか。これも少し考えると当たり前のことだろう。

新人研修は出席が義務づけられている。クラスに問題があっても出て行かねばならないが、これも若い教員にはイライラが募るのだろう。そして、うまくその年度をクリアしても、翌年、最近の子どもや保護者の質の変化から、次々に問題が起きたときには相談する相手がいないという悪循環。

私は、こんな新人研修など止めて、野外のサバイバル合宿の方がよほど意味があると主張しているが、こんな声が届くはずはない。

教員を増やし学校にゆとりを持たせれば全て解決できる問題とは思わないが、管理を徹底して、何とかその日を穏便にという教育行政の方向を根本的に考える時がきたのではないだろうか。(田舎親父)

2011年1月13日 (木)

犯罪を奨励する民主党政権・・・

 昨日は完全にダウン。一日布団の中でウトウト。確か今日は民主党の議員総会をやっているはずだと思い出し、夕方テレビをつけるが、NHKを含めて各局は日本ハムの斎藤投手が入寮したとか、初練習してファンが大騒ぎしていることと、目黒での老夫妻の殺傷事件のことばかり。

よくぞ同じことを何度も流すのかとがっくり。日本のマスコミはやはりマスゴミと言われても当然のような気がするが、それにしても民主党はそのマスゴミにさえ取り上げられなくたってしまったのだから救いはない。

それはさておき、先日、軽自動車の税金を高くする政策に、年寄りイジメと批判した。多くの人が反対しているのは明らかなのに、民主党政権は軽自動車税を上げる姿勢は変えていないだけにと止まらず、ミニバイクなどの原動機付き自転車のナンバープレートについて、これを廃止する可能性がでてきたそうだ。

(マスコミ報道だが)記事によると、ミニバイクなどにナンバプレ-トを付与し、その手数料を税金として聴取しているのだが、この徴税コストが高く、赤字になっている自治体が多く効率が悪いので廃止するというのだそうで、その方向で検討に入ったことを昨年度に警察庁に通達したのだそうだ。

それに対して警察庁は『治安に重大な影響を及ぼす』と大反発。一応今年度の政府税制調査会への改正要望には盛り込まれなかったが、経済効率が悪いとなるとすぐに『廃止』などという、仕分けの大好きな民主党のこと、この動きは注目に値しそうだ。

 125cc以下の原動機付き自転車は、国土交通省への届け出制度がないため、区市町村がナンバープレート(課税標識)を交付し、徴税事務を行っているのだが、年間税額は50cc以下が1千円、51~90ccは1200円、91~125ccは1600円と安く、ナンバー代は自治体が負担しているという。
 総務省が一昨年度に、全国の157自治体を抽出して収益を調べたらしい。それによると、約3分の1の52自治体で赤字になっていることが判明。このことを、有識者で構成される『自動車関係税制に関する研究会』で検討し、例の軽自動車の大幅増税に加え、原動機付き自転車への課税についても議論したのだそうだ。

 結果、『かなりの地方自治体で徴税費が税収を上回っている』とした上で、『課税のあり方についても検討すべき』と指摘。さらに『税率の引き上げもしくは課税からの除外が考えられる』と提言したというから、そこにはカネ勘定だけが議論されて、一番大事な犯罪に利用される治安リスクなど無視しているのが気になる。

私が毎日の散策で目にするのは、いたるところに自転車が放置されていることである。駅前やス-パ-の近くに違法な駐輪をしているのは明らかに確信犯だろうと思うが、農道や河原に放置されているのは盗難車がほとんど。新品同様なものが多いことから、被害者の悲しみが目に浮かぶ。

できれば、そんな自転車を警察に届けようと思うのだが、友人が警察に届けるために乗っていたら職務質問を受けて、説明するのに大変だったらしく『俺は二度と仏心を出さない』と言っていたので迂闊には手を出すことには躊躇する。

自転車にナンバ-プレ-トがついていれば、それを通報すれば良いのだろうが、車体の一部の小さい登録番号を読み取っていたら、まちがいなく不審者と間違われる恐れがあるので、可哀相だなあ・・・と思いながら通り過ぎている。

自転車に比べるとミニバイクの数は少ない。しかし、明らかに盗難されたと思えるようなバイクの放置もかなりの数見かけることも多く、そのほとんどがナンバ-プレ-トが外されているのが特徴になっている。

ナンバ-は所有する個人を特定するもので、自転車の盗難が日常茶飯事なことは、自転車の所有を示す登録番号が小さくて目につきにくいことであることは明らか。もし、自転車にミニバイクと同じ程度の大きさのプレ-トが取り付けられていたら、多くの場合盗難から逃れられるのではないだろうか。それ以前に、駅前の違法駐車や最近特に話題になっている無謀な運転の自転車は減るに違いない。

さらに、街頭犯罪の筆頭格のひったくりに使われるのは圧倒的にミニバイクが多いことはよく知られている。仮にナンバーがなくなれば、この種の犯罪を起こしやすくなる環境が整うことは明らか。現在の荒んだ世情を考えると、ひったくり対策だけでも警察は大混乱することもまちがいないだろう。

さらにさらに、当然ながらバイク盗難の増加が鰻登りで増えることは確実だが、一方、発見される確率は自転車並みにゼロに近くなることも自明のこと。そして、盗難バイクでひったくりと、犯罪の負の連鎖が始まることも容易に想像がつく。

ナンバ-をなくすのではなく、社会の秩序を維持するためには、ミニバイクはもちろん自転車にも大きなプレ-トを取り付け、その費用は国が負担するという方法を推奨したいが、子ども手当てなどとい摩訶不思議なカネは捻出しても、票につながらないことには無視する今の政府には届かないだろう・・・な。(田舎親父)

2011年1月12日 (水)

子ども手当てを考え直さないと・・・

 アカンさんはオザワ切りとパフォ-マンスで支持率を稼ぎたいようで、年頭のあいさつで『政治とカネ』を力説し、そのためにオザワさんの除名もと言い出しているが、現在の政治ではカネが絡むのは当たり前で、(何度も述べていることだが)何もオザワさん一人だけが誤魔化しているわけではないだろう。

小沢さんの除名までちらつかせて『政治とカネ』問題を決着すると言っているが、それを言うなら『企業献金』という、まさにカネが絡む要因を禁止するというべきだろう。それならば評価できるが、アカンさんは公約では『企業献金を』を禁止すると言いながら、やはり必要だと公約を見直すとのことだから、自分たちもカネまみれだということを認めていると同じこと。

アカンという御仁と取り巻き連中(実際に裏でアカンを操っているのかもしれないが)の何が何でも権力を守ることに汲々としている姿には、憤りを通り越して情けなさというか浅ましさすら感じてしまう。

パフォ-マンスの方だが、先日新聞テレビが喪服姿でス-パ-に買物にでかけた様子を賑やかに報道していたが、普通の日本人の感覚ならば喪服ではス-パ-に買物にでかけないだろう。あまりそんなことを悶着しない私でも、それぐらいの常識は持ち合わせているが、支持率のためなら夫婦そろってそんな常識など・・・というところか。

どなたの葬儀にでかけたのか知らないが、あれだけ報道されたら、関係者はどう思うだろう。『忙しい中駆けつけてくれた』と感謝するか、それとも『義理できたのか』と釈然としないが、(私には関係ないことだが)また一つ日本人の慎みが失われたことだけは間違いなさそうだ。

ところで、いよいよ国会が招集されるようだが、衆参がここまでねじれていては相当荒れるだろうことは、政治音痴の私にも十二分に予想できる。中でも例の『子ども手当て』が一もめも二もめすることはまちがいない。

来年度の予算案についても言いたいことは山ほどあるが、民主党が衆議院で3分の2以上の議席を握っているのだから、オザワさんが党を割って出て行く事態にならない限り衆院を通過。憲法で予算案に関しては衆院優位と決まっているのだから、例え参院が反対してもムリムリでも成立する。

しかし、子ども手当はもとも法案そのものが今年度限りの時限立法だったはず。来年度この予算を執行するための『子ども手当法案』を成立させなければ、バラまきたくてもできないのだから、法案そのものが宙に浮き、国民の信頼を全く失うことになりそうだ。

この法案で政府は3歳未満の幼児のいる家庭への子ども手当を2万円に増額するとうたっているらしい。そのため23年度予算案では2兆2077億円を計上。この財源として、消費税率を引き上げることを狙っているのだろうが、『子ども手当か、増税か』という選択肢を国民に迫るとは姑息も姑息。間違いなく国民の間には『アカン辞めろ』の怒りの声が広がることは火を見るより明らか。

それ以前に、野党がここにきて威勢がよい。自民党はじめ全野党が参院で問責決議を受けたセンゴクとマブチの辞任するのは当たり前という問題が立ちはだかるだろう。この問題に対して、近々アカン首相は内閣改造でこの二人を更迭するとの情報が流れているが、官房長官を単に更迭しては失礼だという理由で、代表代行に格上げして我慢してもらうとマスコミが書くのだから、どちらが首相なの?と思いたくもなるていたらく。

センゴク官房長官の後釜に、エダノという参院選挙で惨敗した責任者を当てるというのは、これまた反オザワの布陣だろうが、(人がいないのだから仕方ないのかもしれないが)野党からは格好の標的。火達磨になる姿を見るのもまた面白いとシラけた気分になる。

子ども手当てで確か公約では子ども手当ての一人26000円は『全額国費』だったと記憶しているがいつのまにか、地方自治体に約6千億円を負担させることになっているのも気になるところ。

神奈川県のマツザワ知事はこの問題に猛反発し、県の負担とされている約140億円を保育所整備などに回す構えを打ち出しているが、これには大賛成。マツザワ知事さんにはぜひこの正論を通してほしいと最大限のエ-ルを送りたい。

『子ども手当』などという、まさに票目当てのバラまきの政策は止めにして、教育行政の充実や地域社会の振興など、本当に子どもの将来に夢と希望がもてるビジョンを語ってほしいものである。(田舎親父)

2011年1月11日 (火)

『狂大豆病?』 はじめて聞くが・・・

 ネットで『狂っていくのは牛だけではなく、大豆もおかしくなっている』という話題を見つけた。『狂大豆病』と名付けられているそうだが、いよいよ社会全体が狂い出した感じがする。

年間約6千万トン、世界全体の大豆の4分の1を生産するブラジルでの話だが、政府の農業研究機関である『農業情報研究所』の植物専門官が、大豆が狂牛病ならぬ狂大豆病にかかっていると発表したというから注目に値する。

記事によると、この病気はすでに存在しているのだそうだ。『mad soybean(マッド・ソイビーン、狂った大豆)』として呼ばれ、この病気にかかった大豆は収穫量が40~60%も減少するのだそうだ。

この病気がブラジル大豆の30%を生産するマット・グロッソ州(私にはブラジルのどのあたりなのか全く見当がつかないが)の一部で発見されたのだという。さらに、マラニョン州、パラー州、トカティンス州(これも全く位置がわからないが)という複数の州でもこの病気が報告されているというからかなり問題は深刻なようだ。

病気にかかった大豆は生育が止まってしまい、上の方の葉っぱが少なくなり、茎は太く変形してしまうという。葉の色は濃く、枯れず青いままで実が入らないまま、枯れてしまうというから、農民泣かせの典型といえそうだ。

大豆には『大豆さび病』という大変な病気があるという。それに比べると感染性は弱く、空気感染ではないので、病気にかかった大豆が直接触れない限り他の株への感染の恐れはないらしいが、原因は全く不明で対策はゼロ。牛の原因は狂牛病と同じようだいうところから『狂大豆病』と言われているらしい。

原因については、未発見の寄生生物によるものだという見方もあるが、遺伝子組み換えの作物の除草のために開発された『グリフォセート除草剤』が関係しているのではないかという関係者が多いそうだ。

これは聞き捨てならない。農薬の知識などゼロに近い私には、その仕組みはほとんど理解できないが、遺伝子組み替えの大豆畑で雑草を除去する時に普通の除草剤をまいたら大豆そのものも枯らしてしまうので、この除草剤は大豆には効かないようにしているのだろうという想像はつく。

しかし、その影響が肝心の大豆に全くないなどとは考えられない。ブラジルの遺伝子組み替え大豆が何時の頃から栽培されていたかは記事にないが、栽培しはじめた当初は、除草剤の雑草駆逐能力に対抗できる『地力』という味方があったが、年々それが弱くなり、ついにはこの除草剤が本質を現してきたように思えてならない。

この除草剤はアメリカの『モンサント社』という製薬会社が製造しており、その市場独率は全世界の90%にも及ぶというから、いかに遺伝子組み替え作物の除草に威力があるかが窺い知れる。

どこかで聞いたことがある名前だなと思って調べてみたら、ベトナム戦争で悪名を轟かせた『枯葉剤』を製造している会社であることを知りゾッとする。

そういえば、農家による遺伝子組換え作物の自家採種を無効にしたり、遺伝子組換え作物による遺伝子の拡散や遺伝子汚染を防ぐために開発された『タ-ミネ-タ-技術』というものの存在を何かで読んだことがあるが、この技術も独占しているというから、さらに驚きと同時に恐ろしさを感じる。

ブラジルにおける大豆の作付け面積は2400万ヘクタール、そしてそこに植えられる大豆の8割近くが遺伝子組み換え種だそうだ。遺伝子組み変え大豆は畑を耕さない不耕起栽培という方法が多く、雑草は除草剤がなければならないが、大豆に障害を起こすペストや病原菌もそのまま土のなかに残り、繁殖する可能性があるのだそうだから、近い将来日本でも『狂大豆病』の発生は予測できる。

動物が狂い植物も狂うなどとても信じられないことであるが、これらを生み出したのは人間の飽くなき欲望に違いない。こんな悪魔の技術に対して、NOといわねばならないが、このこと自体マスコミは一切取り上げないのだから、国民のほとんどは『狂大豆病』という言葉さえ知らされていないのが現実。

遺伝子の組み換えなどしなくても経営が成り立つ農業を考えなければ、気がつけば日常的に狂大豆病は当然として、狂米病や狂小麦病などに侵された穀物が蔓延し、人間の脳機能に影響するのではないだろうか(すでにしているという指摘もあるらしいが)・・・と考えると恐ろしい。(田舎親父)

2011年1月10日 (月)

マヤの暦に意味を見いだしている私・・・

 去年の暮れあたりから、ネットでしきりに野鳥(野鳥ばかりではなく魚や小動物も)の大量死が話題になっている。

 きっかけになったのは、アメリカのア-カソン州でムクドリの仲間の野鳥が数千羽、地面に叩きつけられたような形で墜落死していることだったらしいが、一体どんな風景だったのだろうと想像するだけでゾッとする。

 この大量死が世界に飛び火して、アメリカではその後も続くとともに、スエ-デンや中国やブラジル、知る田舎親父はイギリスなどでも野鳥や小動物、魚の大量死が伝えられていた。

最初に報じられたアメリカでの大量死、当初から出ていた花火の音に驚いた鳥が建物に衝突したという説に落ち着きはじめているらしいが、範囲が1.6ヘクタ-ルに及んでいるというかこの説明は少し無理がありそうだ。むしろ(全く根拠はないが)メキシコ湾での原油流出によって、周辺の気候の変動が主な原因だという説の方が説得力を感じる。

しかし、中国で猛禽類のワシが数百羽墜落死するという情報には、メキシコ湾の原油流出に因を求めるのは少し無理がありそう。ならばもっと違う原因がありそうだと、ネットの情報に注目していた。

アメリカやロシアでは地震を人工で起こすことを研究中だというから、その実験では・・・と言う科学者もいる。地球の磁場を攪乱させて強力なエネルギ-を起こすのだそうだが、確かに磁場の変動となると渡り鳥などへの影響は甚大だろう。

私にはまだこんな話はマンガの世界ではと思いたいが、ひょっとして・・・という気持ちにも傾くことは否めない。

 そんなことを思っていると、昨日の朝日新聞の朝刊に『動物大量死 謎解き加熱 終末論まで』という見出しが踊った。ご丁寧に、大量死が発見された世界地図(ネットの情報とは少し異なるが)まで掲載している。

 この記事によると、世界各地で30件以上の野生動物の大量死報告が相次いでいることに対して、大量死は珍しい現象ではないと述べた上で、原因が特定できず、時期が近いことで、CNNなどが度々、謎解きの番組を放送するなど米メディアも興奮気味だと紹介し、何かの異変の始まりとみる『終末論』まで飛び出す始末だと、興味をかきたてている。

 詳しい記事の内容は省略するが、原因が特定できないことはまちがいないらしいが、現場では不安が広がったのも事実で、インターネットのブログでは、中米マヤの伝説を『2012年に人類が滅亡する』と解釈できるとの説などを根拠に『終末が近づいている』との警告や、『政府が何かを隠している』『生物兵器の試験が行われたためだ』などの陰謀説まで飛び交い、これらを、大手メディアも取り上げ、ちょっとした騒動になっていると、ややセンセ-ショナルに扱っているところが面白い。

 この報道をどのように捉えるかは人様々だろうが、昨年から続いている一部地域をのぞく北半球での異常な寒波や真夏のオ-ストラリアでの降雪騒ぎ。さらに中国内陸部やオ-ストラリア北東部での未曽有の大洪水などの異常気象が続いていることと、根拠はないが関係があるのではと思えてならない。

そしてもう一つ、私には2012年の冬至に終わるマヤの暦に意味を見いだし、そろそろ人類の終焉を期待する気持ちがあるようだ。(田舎親父)

2011年1月 9日 (日)

害あるなら作るな・売るな・・・

 テレビの進歩は激しく、今ではブラウン管テレビは、よほどの地方の物を大切に扱う高齢者の家庭でしかお目にかかれない代物になってしまったようで、液晶の高画質、しかも大画面(32型以上を言うらしいが)が主流になっている。

 その価格も、デジタル対応と売り出した数年前では32型テレビで20万円以上していたが、最近新聞の折り込みで入ってくる大型家電量販店のチラシでは、5万円以下なんて信じられない価格も稀ではない。

 場合によったら、2台まとめて購入した場合は、2台目はさらに半額などというトンデモ文言で、消費者の購買意欲をかきたてている。この業界は競争が大好きらしく(生き残りのためには何でもありというところだろうが)、次の商戦として3Dテレビがタ-ゲットになってルのだそうだ。実際、新聞折り込みのチラシにはこの商品のコマ-シャルが氾濫している。

 私の年代には、3D映像というより立体映像と表現した方が馴染み深い。最初に立体映像を経験したのはプラネタリウムでのこと、青と赤の眼鏡をかけて画面を見ていると、流れ星が自分に向かって飛んでくる映像だった。

 一瞬、自分にぶつかるのかという恐怖心が湧き、思わず顔を背けたことを思い出す。そして、その興奮がしばらく続き、またあの興奮を味わいたいと思うと同時に、ぶつかりそうに感じる気持ちがやみつきになったら、精神的におかしくなるのでは・・・と感じたことも覚えている。

 そんなことが頭の中に入っているのだろうが、3Dテレビが普及し、家庭で日常的に虚像である立体映像を見続けていると、何となく人間の気持ちが奇怪しくなるのではという危惧が去らずこの種のテレビは無視することに決めている。

昨年5月ごろだったと記憶しているが、ある雑誌に載っていた『映画やテレビの画面が立体的に見える3D映像は、子供の目への負担が懸念されている』という、やはり健康に影響があるのだと、私の危惧と一致する文章に出合い、なんだか納得。

記事は子どもに影響があるという視点で、3D映像の視聴について、電子情報技術産業協会(略称JEITAというらしいが、またまた何でも協会があるものだと感心)がガイドラインを発表したと、その内容を紹介している。

詳しくは省略するが、見ても影響が少ないのはおおむね6歳以上として、気分が悪いなど違和感があれば見るのを止めることに加えて、見るときはテレビ画面の縦の長さの3倍以上の距離まで離れなければならないとある。

画面の縦の長さの3倍という基準が科学的なのかよくわからないが、売り込む側からは利用者の部屋の広さなど配慮しないことは明らか。6畳の部屋に40型の画面を置いている家庭も多いと聞くが、そんな家庭では画面の3倍の距離などとりたくてもできない相談。

科学的に正しいとすると、害あるものを無意識だろうがカネを払ってまで与えられていることになる。これは怖い。マスコミはこのあたりもっと指摘する義務があると思うのだが、どこからか圧力がかかっているらしく、例によって全く報道していない。

メ-カ-側は、責任逃れなのだろうが、このガイドラインを取り上げてホ-ムペ-ジで注意を喚起しているらしいが、量販店のチラシが、3Dテレビの価格と迫力ある映像のことばかりでは、一般国民に周知できるはずがない。

テレビと並行しているゲ-ム機も3Dブ-ムだという。今月発売される3D対応の新型携帯ゲーム機『ニンテンドー3DS』について、健康に影響を及ぼす恐れがあるとして、6歳以下の子供は3Dモードでの使用を控えるよう勧告しているとの記事を見つけた。

この会社は明らかに子どもに悪影響があると認識しているらしい。それは良いのだが、幼児には3Dモ-ド遣わせないで・・・というのは、『リスクがあることを正直に知らせたのだから、後はアンタの方で子どもに使わせないようにしてよ。注意したのに守らなかったのはアンタらが悪い』と言っていると同じこと。

散々、一億相総白痴化を進めて、国民を危機感ゼロにしたのはお前らだろう・・・と言いたくなる。

 これ以上将来に向けて負の要因を増やしてはならないと思うのだが、自分ができることは、悲しいことだが、我が家では『買わない・使わない・そして人に勧めない』ようにすることぐらい・・・。

 自分に絶対で神秘的な力がほしいとつくづく思うこのごろである。(田舎親父)

2011年1月 8日 (土)

こんなことまで検定?・・・

 不登校や引きこもりという話題を連日マスコミが賑やかに報じているが、そのほとんどが不登校や引きこもりになった子どもたち(若者を含む大人も)の実態を報じるもの。

皮肉な表現をすれば、普通に生活している人々には『お涙ちょうだい』的と言うか、同情を喚起し、同じ悩みをかかえている人たちにとっては、自分より不幸な人たちもいるのだ・・・という安心感を与える内容が多いのではといったらお叱りを受けるだろうか。

ある日突然、学校に行きたくないと言い出す子どもが多いことは経験として十分認識しているが、多くの場合、前日友達(最近は先生や家族)との間に何かトラブルが発生し、それが翌日にまで持ち越し、何となく気が進まなくなる場合がほとんど。

その時、母親(父親や兄弟姉妹など家人)がほんの少しの後押しができれば、不登校などということにはならないのだが、最近は核家族の上に両親が外で仕事を持つことが流行り(生活苦から仕方ないという声があることは承知している)になり、子どもの信号に気がつかない場合が多いようだ。

一日、学校に行きたくないという気分で休んでしまうと、翌日はさらに嫌になり、今日も行きたくない、そして次の日も・・・となるのだが、担任が、気がつくのは数日お休みをしてから。このときには、すでに『学校が面白くない』という概念で固まっているのだから、不登校が増えるのも仕方ないのかもしれない。

家庭と学校との連携という言葉がお題目になって久しい。お休みの子どもがあれば、即家庭には電話で確認するのが流行りになっているとも聞く。しかし、固定電話がなかったり、携帯にもつながらないことも多く、またつながったとしても、『風邪です』の一言が帰ってくるだけ。

翌日、続いて休みで学校から電話すると、また『風邪です』では、翌々日になると互いに連絡するのがおっくうになることも確か。そして、数日のお休みが続き、慌てて家庭訪問するが時すでに遅し。

マスコミがこの問題を取り上げれば取り上げるほど、これが流行り病のようにかえって広まっているのが現状のように思えてならない。

問題を解決するために努力をしている人々の存在も知っている。涙ぐましいほど真摯に対応されている人々が多いことも確かで、中にはNPO法人を立ち上げ、活躍している姿も新聞やテレビで紹介されている。

そのことには敬意を表しているが、そんな2団体が、民間の任意資格を認定する通信講座を始めたというニュ-スには違和感を持つ。

2団体が互いに連絡を取り合っているかは記事からは窺い知れないが、一つのNPO法人は、『家庭訪問支援士』の養成講座を昨年暮れから始めたそうだ。自宅から出られず、支援機関に行けない子どもを訪問し、外に出られるように働きかける専門人材を育てるという主旨らしい。

 何をしようと門外漢の私が口を出す問題ではなかろうが、なぜ日本人は資格作りが好きなのだろうと素朴な疑問が浮かんでくる。

このNPO法人は教員やソーシャルワーカー、精神保健福祉士、民生委員らの受講を想定しているのだそうだ。受講者にはリポートを返送してもらい、内容が一定水準に達していれば修了証を送るというが、誰がそれを審査するのだろう。

もう一つの団体もほぼ同じ内容で、受講料も3万5千円、資格認定手数料と更新料が年5千円だそうだが、こんな資格がもてはやされる時代にはなってほしくないものと感じるのは私だけではないと思いたい。

しかし残念ながら、このような動き新しいビジネスチャンスとばかり、参入する団体も多くなるのではないだろうか・・・。

蛇足ながら、ある小学校の教師の話を付け加えたい。彼は、担任時代出席をとらなかったという。規則があって出席簿は作っているがそれには出欠のマ-クはない。

『学校が面白ければ、子どもは学校にいかねば損だという気持ちになる』というのが彼の自論で、実際に始業前放課後はもとより休み時間も児童と遊んでいた。市販テストは一切なしで、自分で作ったテストは100点以外つけなかったという。一つでも間違った児童にはヒントを与えて答案を返し考えさせるのだそうだ。そして徹底的にわかるまで指導する、これが彼の主義。全問正解したら100点をつける。

子どもたちは自分の能力を理解するので、区別はあっても差別はない。苦手な児童も100点という結果が楽しくて勉強するという。

指導要領などにとらわれないから、校長からはにらまれ続けたとのことだが、子どもが明るく保護者が全て味方では文句の言いようがなかったのだそうだ。なるほど、この担任のクラスでは不登校など起きなかったはずだ。卒業した子どもたちのその後は聞きそびれたが、引きこもりなど起こしていないことはまちがいないと確信している。

今の学校では忙しすぎて、こんな教師の存在そのものが許されないのかもしれないが、教育は本来こうあるべきではないだろうか・・・。(田舎親父)

2011年1月 7日 (金)

藻から石油とは夢のような話・・・

 地球温暖化が叫ばれ、化石燃料が諸悪の根源のような風潮が蔓延している。

現代社会ではエネルギ-を得ることが人間生活にとって最大限の課題になっているが、石油や石炭、あるいは天然ガスなどの化石燃料を燃やすと、二酸化炭素を出すことが環境悪化につながると大騒ぎ、何とかこれらに頼らないエネルギ-をという声が大きくなって久しい。

 とりわけわが国は石油資源はゼロに近く、その全てを輸入しているとなると、石油産出国や国際メジャ-に首根っこを押さえられて、その入手に苦労している上、最近は石油を運ぶタンカ-も海賊に狙われるというから、石油に代わるエネルギ-探しに躍起になっている。

 『エコ』という名の無駄遣いのことは何度が取り上げている。石油を使わずに電気を使った車が大人気だというが、電気を作るためにもエネルギ-として化石燃料が必要となると、本当の『エコ』につながるのかいう議論の余地がありそうだ。

『エコ』はともかく、(切羽詰まった策として)電気を作るのに化石燃料を使わないとすると原子力発電に頼っているのが現実だが、原発には『二酸化炭素を出さないからエコ』という言葉とは次元が違う放射能汚染という致命的なリスクが存在する。

そこで、電力会社の発電の主力は原子力を容認しながら、太陽光や風力、地熱など自然エネルギ-の開発に力を入れていることは事実なのだろうが、これとて石油の入手という問題があるからで、石油がふんだんに使える環境であるならこれほど騒がれないことは間違いないところ。

炭化水素を発生させる藻類の存在が明らかになったのはつい最近のこと。大学や企業の研究チ-ムは、競ってこれらの藻類を探し、実際に『石油』を作らせる実験に取り組んでいるという。

その成果の一つとして、筑波大のチームが従来より10倍以上も油の生産能力が高いタイプの藻類を沖縄の海で発見したという衝撃的なニュ-スが昨年の暮れに流れた。すでに研究チームは工業利用に向けて特許を申請しているというから、かなり信憑性が高い情報ではなかろうか。

 記事によると、研究チームは海水や泥の中などにすむ『オーランチオキトリウム』という単細胞の藻類に注目し、東京湾やベトナムの海などで計150株を採集し、これらの性質を調べたところ、沖縄の海で採れた株が極めて高い油の生産能力を持つことが分かったとのことである。

 この藻類は球形で直径は5~15マイクロメートル。水中の有機物をもとに、化石燃料の重油に相当する炭化水素を作り、細胞内にため込む性質があるのだそうだ。同じ温度条件で培養すると、これまで有望だとされていた藻類の『ボトリオコッカス』に比べて10~12倍の量の炭化水素を作ることが分かったという。

 研究チームの試算では、深さ1メートルのプールで培養すれば面積1ヘクタールあたり年間約1万トン作り出せるとのこと。『国内の耕作放棄地などを利用して生産施設を約2万ヘクタールにすれば、日本の石油輸入量に匹敵する生産量になる』というから、本当だとすれば、物凄い価値がある研究である。

しかも、この藻類は水中の有機物を吸収して増殖するため、生活排水などを浄化しながら油を生産するプラントをつくる一石二鳥の構想もあるというから嬉しくなってくる。

これが実現すれば、わが国というより世界的に産業基盤を根本的に変え、経済や国のあり方にまで影響を及ぼすだろうから、石油で莫大な富を得ている国や『エコ』でカネもうけをしていた輩などは大打撃。

現在の世界を支配している一部の人間が、この夢のような研究を妨害することも予測できるが、そのような抵抗を乗り越えて、近い将来実用化すればと夢が膨らむ。(田舎親父)

2011年1月 6日 (木)

国民総背番号制に異議あり・・・

 いよいよ国民全員に背番号がつけられることになりそうな気配がでてきた。

 この問題、は随分古くから『番号制度ができれば医療、年金、介護のサービスは、本人にとって安心でき、社会にとっても公平、公正にできる』という考え方が強く、歴代の政権が議論に持ち込もうとしていた。それに対して、その時代の良識が、個人情報の漏洩の心配が解決していないと押しとどめていた経緯がある。

しかし、ここにきて財源が底をついたとして、消費税の値上げが必要だと大騒ぎすると同時に、公平な税制のためには国民総背番号制が必要と民主党政権はその実現のため議論に参加するように野党に呼びかけていたらしい。

これに対して、自民党や公明党、そしてみんなの四党が、政府が後押しする組織が主催する『社会保障や税の共通番号制度に関するシンポジウム』に出席し、制度導入を目指す方向で一致したというニュ-スに、そんなに急いでよいのかという危惧を感じる。

多くの識者たちの言う『番号制度ができれば医療、年金、介護のサービスは、本人にとって安心でき、社会にとっても公平、公正にできる』という意見は一理あるような感じもしないでもないが、誰がこの背番号を管理するかという問題にぶつかると、簡単にはOKを出すと大変なことになりそう。

 確かに、国民全てに背番号が割り振られて、その人の収入状況や財産などが明確になれば、その人が最低生活をするためにはどれぐらいの年金が必要だということがたちまち計算され、それに基づき年金額を決めれば便利だろう。

また、収入・財産の額に応じて医療費を算定するという制度が定着し、病院のコンピュタから国民の財産情報を呼び出すことができれば、これまた公平という論理では一理あるかもしれないが、財産に応じて医療内容が変わってくるのではないだろうか。

民主主義の原点は、人間としての尊厳と最低限の生活の保証である。そのために国民一人一人に背番号がつけられ、その人の生まれたときからの履歴が全て記録に残るとなると、これは前述したが誰がどんな方法で管理するかという問題をきちんと議論し、絶対に外部には漏れないと同時に、絶対に社会保障以外には使われないという担保が必要最低条件ではなかろうか。

とはいえ、背番号がつけられると、出生時の身長・体重から、成長過程の病歴、あるいは身体的な特徴も記録に残ることになるだろうことは容易に想像がつく。幼稚園や小中学校での行動はもちろん、学力テストの点数まで入力することになるだろう。先日話題にした、復活した場合には偏差値も記録に残るはず。

家庭環境も、そしていろいろな賞罰まで記録に残るとしたら・・・。もしこれらが検察や警察のコンピュ-タから引き出せるとしたら大変なことになることは想像に難くない。さらに、今はマンガの世界かもしれないが、徴兵制度などが実施された時には・・・などと考えると重苦しくなる。

政府・民主党は国民の背番号で管理する情報について、『社会保障と税』に限ると言っているらしいが、そんなことはまやかしであることは、誰の眼にも明らかだろう。

よしんば、それを信じるとしても『社会保障』はともかく『税』については、こちらの銀行にいくら、あちらの信用金庫には・・・と、その全ての情報を国が一元管理するとなると、歴史が証明するように、その時々の権力によって勝手に運用されることは間違いない。公平をうたいながら権力の都合のよい収奪になることは自明だろう。

民主党政権が3年後には間違いなく消えているだろう。万一、続いていたとしても公約を覆すことが大好きなこの政府がいくら社会保証のためと言っても信じる人は少なく、国民総背番号制が実施されたら、社会保障や税などの行政関係はともかく、治安や就職、場合によったら結婚や思想や宗教の自由にまで及ぶことも否定できない。

ここは、急いで議論することには反対という声を大きくしなければ・・・。(田舎親父)

2011年1月 5日 (水)

こんにゃく対もち 粘り腰でもちの勝ち?・・・

 正月3日間に『もち詰まらせ高齢者13人死亡、東京など・・・』というニュ-スが流れた。東京消防庁の発表によると、都内では元日から3日までに、40代から90代の男女31人がもちをのどに詰まらせて病院に運ばれたという。

大半が高齢者で、このうち葛飾区に住む男性ら70歳から95歳の男女7人がお雑煮などでもちを食べた際、のどに詰まらせて死亡し、東京以外でも埼玉で3人、神奈川で2人、千葉で1人のあわせて6人がもちをのどに詰まらせ死亡というから、首都圏だけでもちが原因で3日間に13人が死亡ということになる。俄には信じられない。

このニュ-スで、以前も取り上げたコンニャクゼリ-の安全性を、一部の国会議員が取り上げマスコミが大騒ぎをしたことで、消費者庁が専門家といわれる人を集めて、窒息事故防止の研究会を立ち上げ、その指標を昨年末に出したことを思い出す。

どんな内容だったか曖昧なので、ネットで調べてみたところ、この研究会が出した指標は、コンニャクゼリ-の大きさを、直径を1センチ以下の大きさにすることを求めているという。

同庁は年内に製造業者に対し、指標に沿った商品に早期に改善するよう要請するとのことだから、すでに業者には通達が出されたようだ。一定期間をおいた後でも改善されない場合は、消費者安全法に基づき、業者名を挙げて注意喚起するのだそうだから、明らかに特定の業者をタ-ゲットにしていることは明らかのようだ。

 また指標では、逆に一口で飲み込めないほど大きくすると同時に、コンニャクゼリ-の性質については、弾力性を小さくしたり、かみ切りやすくすることが必要だと記されているらしい。

 随分ご丁寧な指標を出したものであるが、コンニャクゼリ-が喉に詰まって死亡した例は、それほど多くないはず。もちの場合の方が危険性ははるかに多いのに、もちは規制の対象どころか、その話題にもなっていないのも変な話。

首都圏で正月3日間だけでも13人。もちは安全な食品とはとても言えない。勝負事ではないが、危険性という意味では、明らかにもちに軍配が上がる。

むしろ危険な食品として何らかの議論がなされて、場合によっては、コンニャクゼリ-よりも厳しい規制があってもおかしくないと思うが、東京消防庁などは、もちを小さく切って食べることや、高齢者や小さい子どもが食べる際には家族がそばにいて付きそうことなどを呼びかけているだけらしい。

しかし、もちはいくら細かくちぎっても『もちはもち』その粘り腰は変わらず、年寄りの筋肉が萎縮した器官に絡みつくのを防ぐのは難しいようだ。オブラ-トにでもくるんで口に入れれば危険性は少なくなりそうだが、それではもちの触感はゼロ。とても普及する代物では無くなるだろう。

政府は、子どもがコンニャクゼリ-を詰まらせることは許せないが、年寄りがもちを詰まらせて死に至ることは、高齢者の数を減らすために有効だと思っているとは考えたくないが、コンニャクの特性を生かして商品化している地方企業の努力(何らかの利権が絡んでいるのかもしれないが)に対して、横やりを入れているように思えてならない。

要は、もちやコンニャクゼリ-に限らず、喉に詰めやすい食品に対して、消費者自らが十分注意すること。自分の命は自分で守るという根本的な考え方を幼い時から身につけることが一番大事なことだと思うのだが・・・。

年寄りや子どもにそんな危機感を持たせるのは無理だという声が聞こえてきそうだが、ならば周りの人がほんの少しの注意してあげればすむことでは。マスコミの任務は、このようなことがないように注意を喚起することであって、あえて冤罪を引き起こすような書き方は現に慎まなければならないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年1月 4日 (火)

偏差値が生き返る・・・

 しばらく更新をさぼってしまったが今日から再開。

 久しぶりで文章を書きはじめてみると、事件や事故は数多いが、あまり私が引かれる面白い話題がない。その中で、『なぜまた、偏差値なの?』と思わせるような動きが始まったことと、教員免許状の更新のドタバタを取り上げてみたい。

昨年末のことであるが埼玉県教委が『公立中学校で昨年度、校長会などによる公的テストを実施した学校が9割に上った』と発表したが、文科省の全国共通テストをしながら、さらに子どもたちにペ-パ-テストで点数によって進学先を決める(言い換えれば偏差値格差だろうが)システムを、校長会という学校教育現場のトップが集まった組織が行っているということが何となく気になった。

県教委によると09年度は423校のうち391校で公的テストが実施され、3年生約6万人が受けたとみられるという。テストを作るのは中学の教師が中心になっているが、業者が問題作成、採点、データ作成をする地域もあるという。しかし実際は、部活などで忙しい教員が作るのは稀で、そのほとんどが外部に委託しているのが実情だろう。

テストは市単位や複数の自治体にまたがり行われ、偏差値や志望校ごとの順位を出す地域もあるとのこと。随分以前、埼玉県教委は業者テストを禁止すると言い出し文科省が追認したことは記憶に新しい。

業者テストで偏差値を生み出すことは、過当な競争心を煽るという理由だったはず。その時点で、学校現場では偏差値を止めたはずなのに、一体何があったのだろう。

埼玉県では校長会などが主催する公的テストは業者テスト追放以前から行われていたそうだ。そのことに対して県教委は『第2の偏差値を生み出す危険性がある』として公的テストについても自粛するよう各市町村教委に求めていたという。

しかし、かえって偏差値を基に進路指導をする学習塾に生徒や親が頼る傾向が強まったそうで、このままでは『進路相談に活用できる資料が十分でなく、中学校に対する生徒・保護者の信頼感が損なわれる懸念がある』として、公的テスト容認に方針転換したのだそうだ。その結果、実施校は年々増え続け、昨年度からはほぼ県内全域での実施となったという経緯があるらしい。

このことについて、県教委の担当課は『小学生から、目標を持って自分の進路を決めるよう丁寧に指導している。詳細は把握していないが偏差値を出していたとしても、以前のように偏差値での(進路先の)振り分けにはならないと考える』という見解だというが、詳細は把握しないでよくこんなコメントが出せるものだ。

進路指導の資料にするためにテストをするのだから、ここから出される偏差値によって進学先が振り分けられることになるのは明らか。塾に主導権を奪われないために、校長会がテストを業者に委託して実施するとは何とも情けない・・・。
 一方、教員免許更新制が決まり、その更新のための手続き締め切りが来年1月末に迫っているのだが、必要な講習を終えていない教員たちが残り少ない講習に殺到しているというから、こちらもなにか笑えない笑い話。

 教員免許は一度資格を得ると更新は一切なく、死ぬまで有効だった。しかし、教員の質の向上をはかるという大義名分で、更新制度が導入され、その際、決まった研修を受けなければならなくなったのだが、教員の資質向上などは吹っ飛んでしまい、ただ全員を救済するという前提で『免許失効を回避するためだけの受講』になってしまっているようだ。

 この更新制度は自民党政権時に決まったもので、この法案には民主党は見直しを言っていたが、カン内閣の閣僚たちにとって教員免許状などはゴミのようなものらしく、すっかり見直しなどどこかに吹っ飛んでしまい、逆に『必ず受けろ』と尻を叩く始末。

 ある中学校の教員は『民主党政権になり廃止を期待していた。春から秋は監督を務める部活の日程でいっぱいで受けられなかった』とぼやいているとのことだが、多くの教員は民主党政権になれば、こんなアホな規則は廃止だろうとタカをくくっていたのではないだろうか。

 教員の甘さといってしまえばそれまでだが、もし受講しない(できない)教員がでたとしたら、本気で職を奪うつもりなのだろうか。

 経験から言うのだが、こんな研修に意味がないと思っている教員の方が、実は能力がある場合が多いのは確か。そんな教員の免許状を失効させてはならない。(田舎親父)

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