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2011年4月

2011年4月30日 (土)

あの120兆円はどこに消えたのだろう・・・

 先日のNHKの『クローズアップ現代』では、日銀のシラカワという総裁が、災害復興資金として既に『120兆円もの財政出動した』と発言していた。そのうちの1兆は東北の金融機関に配ったらしいが、どんな使い方をされたのかは聞こえなかった。しかも、残りの119兆の行方についても不明。

24日のこのサイトでは、日銀が緊急出動させた金は102兆円と書いたが、実際は120兆円だったことにも驚くが、女性キャスタ-はこのことに対して何も聞かず、総裁もダンマリにはびっくり仰天。総裁にとっては12兆円なんてゴミのようなものなのかも知れないが、キャスタ-が12兆円に何の疑問を持たなかったとは思えない。なのに・・・である。

この阿吽の呼吸は何なのだろう。はじめから決まっていた筋建てなのだろうが、120兆円もの札束が日銀から流れたのにもかかわらず、増税をしなければならないとはこれいかに・・・というところ。そしてNHKは一役買わされている・・・。

120兆円がどうなったか明らかにしないで、増税とは馬鹿いってほしくない。アホカン内閣は権力にしがみつくしかないごまかしの見本だが、増税やむなしという国民が60%以上いるという調査結果に、何とお人好しの国民性なのか・・・と呆れてものがいえなくなる。

そんなおりに、26日にネットで『夕刊フジ』という大衆が『元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一氏』の興味深いインタビュ-記事を掲載している。かなり核心をついているように思えるので、少し長いがそのまま引用してみたい。

(引用はじめ・記事の原文そのまま)菅政権は増税まっしぐらだ。五百旗頭真・復興構想会議議長は冒頭の挨拶から増税を唱え、安藤忠雄議長代理もテレビ出演で増税、他の委員もほとんど異口同音に増税だ。よほど財務省からの増税という「ご説明」の効果があったようだ。
 その「ご説明」では、日銀による国債の引受は禁じ手ともいわれている。日銀引受は、復興の財源方法として、増税と対極にあるものだ。白川方明日銀総裁は「通貨の信認が失われる」という形で強く拒否し、新聞なども、「日銀引受は禁じ手で有識者やマーケット関係者に反対論が多い」と報じられている。ただし、その実態はほとんど誰も知らない。
 4月7日の本コラムを読んだ読者なら、日銀引受が毎年行われていることをご存じだろうが、その話は他の新聞には載っていない。毎年行われている話が禁じ手のはずない。財務省・日銀の「ご説明」は、日銀引受が行われたのは戦前で、今は行われていないという錯覚に陥らせる高度な洗脳術だ。
 私はかつて大蔵省時代に国債発行を担当して毎年行われていた日銀引受もやったことがある。数字は今年度のもので説明しよう。
 国債発行額は44兆円といわれるが、これは新規債の数字だ。このほかに借換債110兆円、財投債14兆円の計約170兆円が発行される。新規債、借換債、財投債といっても、マーケットでは同じ条件でそれらの区別はない。
 新規債の数字は主計局、借換債は理財局、財投債も理財局からくる。それら170兆円を、銀行などから希望を聞いて、銀行などの市中消化152兆円、日銀引受12兆円と割り振る。銀行は資産運用手段として国債は欠かせないが、あまり多すぎては困るという立場。だから、170兆円から銀行希望の152兆円を引いた残差で、基本的には日銀引受額が決まる。
 日銀引受も日銀のプライドとして許せないので少なくしたいというときもあるので、財務省と日銀の間のネゴもある。私が官邸にいた2006年度の日銀引受は23兆円と他の年よりやや多いが、これはちょっと関係者に私が相談したからだ。はっきり言えば日銀引受の数字は課長レベルで決まるので、変えるのはたやすい。
 実は、日銀引受は日銀が保有する国債の満期償還額の範囲内ならいい。一応日銀の顔を立てるために、通貨膨張がない範囲だ。今年度の日銀が保有する国債の満期償還額は30兆円。したがって、財務省・日銀の言い分を100%丸呑みしても、30兆円と今の日銀引受額12兆円の間の18兆円は、日銀引受額を増額してもいい。この変更は予算修正なしでできる。(引用終わり)

 大衆紙とて興味本位でデタラメは書けないだろうから、この話は信頼できると考えて差し支えなさそうだ。ヘェ-と思わせるではないか。

課長決済でこれ程までの大量の札束が右から左に動かせると考えなかったが、ならば、復興資金の10兆、20兆などは朝飯前。改めて、復興のためだという『誤魔化し』をたてにとっての増税とは・・・。国民から絞りとる悪代官的やり方に憤りを覚える。(田舎親父)

2011年4月29日 (金)

ここまで馬鹿にされて・・・これは辛い・・・

 郡山市が、福島第1原発事故に関する県の放射線量検査で数値が高かった市内の15小中学校と13公立保育所について、校庭などの表土を除去するは発表したのが26日のことだった。

その前に、市内で試験的に表土を1センチ削ると、放射線量の値が当初の毎時4.1マイクロシーベルトから半分になり、5センチ削ると4分の1になったというデ-タを元にして決断したとのこと、郡山市の行政の姿勢には敬意を表したい。

市が測定した結果、国が定める屋外活動制限の暫定基準を上回ったのは市内で1校だけだったが、放射性物質を除去して保護者の不安を解消するため、郡山市独自の基準を設定したという。

 早速、文科省から『必要ない』という圧力があったらしいが、市長は『賛否はあるだろうが、原発事故の収束はいつかもわからない状況で、不安なまま学校に通わせるわけにはいかない。5千万~1億円ほどかかると試算している。安全には代えられない』と語り、翌27日から作業を開始したというから、市長に大拍手。

マスコミ報道だが、27日の午前9時前後から薫小学校と近くの鶴見坦保育所で除去作業をした結果、薫小学校の校庭の放射線量は、地表付近で除去前に毎時3.3マイクロシーベルトだった値が、除去後は毎時0.5マイクロシーベルトにまで下がったというから、表土の入れ替えが相当効果的だったことは間違いない。

 近隣の自治体も郡山市に続くようだが、県庁所在地の福島市の姿勢はかたくなで、市教委の担当者は『保護者の不安はもっともだが、運び先や安全管理なしに除去作業はできない。専門家の意見も求めながら、状況を見極めたい』との。児童の健康より文科省に睨まれないことを優先させているようだ。

 県教委も文科省の言うことを正しいとして『今の放射線量は児童・生徒の健康状態に影響を与えるものではなく、表土を削る必要はない』と、県立学校での実施は考えていないと明言しているという。そして郡山市などの対応に対して『市町村教委で安全性を担保したうえで実施するのであれば、見守るしかない』とのことだから、『文科省から睨まれてもよければご勝手に・・・』というところだろう。

 もう一度安全基準のおさらいをしておくが、人体に受ける放射線量としては、国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に勧告を出しているが、放射線量の指標を3つの範囲。すなわち緊急時は20~100ミリシーベルト、緊急事故後の復旧時は年間1~20ミリシーベルト、平常時は年間1ミリシーベルト以下である。

文科省はこれを基準にしたとうそぶき、年間20ミリシ-ベルト、毎時3.8マイクロシ-ベルトという値を出したが、明らかに国際基準から大きく逸脱した値であるかは、一目瞭然。こんな放射線値が高い地域で放射能の影響を受けやすい乳幼児や児童生徒を日常的に活動させることが許されるはずはない。

それでも、タカギという文科相は『ずっと放射線量が下がらないとなれば何らかの検討をしないといけない』とシラッとした顔で『いまのところは必要ない』と明言しているというから、この男も地位と利権のために悪魔に魂を売り渡したとしか思えない。

今回の郡山市の行った処置は素晴らしいと評価するが、学校の表土だけの入れ替えで問題は解決できるとは思えない。今でも崩壊した4つの原子炉から膨大な量の放射能が飛散している現実から、周りの環境そのものが汚損されていることは明らか、そんな場所で子どもたちを走り回らせて良いとは思えない。

このことは改めて話題にするとして、郡山市立橘小学校が独自で放射線を測定して、学校のHPで保護者向けに公開していたそうだ。しかし、26日に文科省から『測定は国や県が行うから、必要ない』という通達があったので、HPに掲載できなくなったのだという。

凄い圧力である。場合によったらこのサイトすら削除されることもあると思うので、この部分をそのまま引用しておこうと思う。

(26日の緊急情報としてHPに掲載)『先日来、本校独自で実施した校舎内及び校庭等の放射線測定値をホームページに掲載してまいりましたが、インターネット等での測定値の発表は、文部科学省や県など公的な機関が測定したものに限るとのことから、今週からホームページへの掲載は中断することとなりました。なお、学校独自の調査はこれまでどおり継続し、数値の推移等については、学校便り等で保護者の皆様にお知らせしてまいりますので、ご理解いただきますようにお願いいたします。』

こんなことが許されて良いのだろうか。担当教諭は『学校便り等』で保護者には知らせるということだから、保護者の誰かがブログやツイッタ-で情報を発信してほしいと願うが、校長には相当な圧力がかかっていることだろう(場合によっては職務命令)から、それもあまり期待できそうにないことが、辛く悲しい・・・。(杉)

(追記)ここまでの文章は昨日朝に作り保存してのいたのだが、夕方になって郡山市の作業が、住民の反対で見直されそうだとの記事に、福島県民の多くは(郡山市民と言った方がよいのかも知れないが)ここまで国(文科省)に馬鹿にされても、なお国の言うことが正しいと思っているのかと愕然とする。

これでは、20年後、30年後福島のあまりにも酷い惨状は規定のことになってしまったようだ。辛くて言葉がない・・・。(田舎親父)

2011年4月28日 (木)

これぞ江戸時代の悪代官の人民統治のやり方・・・

 福島原発の爆発事故の影響は留まるところを知らないようで、政府の無責任処置で1か月後までをめどに避難を求められている福島県の計画的避難区域で、住民が引っ越しの依頼を業者に断られるケースが相次いでいるとの報道には、何かやるせない思いがする。

 引っ越し業者側の『社員の安全を考えると作業させられない』という言い分も、放射能がどれほどのものなのかという正確な情報がないとなると、風評被害の一つだと非難できるものではない。それ以前に、政府が立ち入り制限をしているのだから、仕事をしたくてもできないというところかも・・・。

 かといって、政府の命令だから『否・・・』と否定できない住民にとっては、これは頭の痛い問題。6000人以上もの該当住民にとっては、『避難しろ』と言われて避難できないとなると、『俺たちを見殺しにするのか・・・』と言いたいのも十分理解できる。

 飯館村の50歳代の女性の話が新聞に掲載されていた。記事によると、大手業者の電話受付で住所を告げると、担当者に『現在、作業不可地域とされております』と断られたという。そこを何とかと食い下がったところ『やはり原発等の影響があるかと思われます』『社内的に決まっていますので』とのこと。別の大手業者にも同様に拒まれたとある。

 飯館村はもっとも早くから放射能値が高いと指摘されている地域なのに、風向きなど全く無視して原発から半径20kmとか30kmという同心円的発想で避難地域から外れ、『避難したければどうぞご自由に・・・』という地域にされてしまった。

 やっとことの重大さに気づいたのか、4月22日になって『計画避難地域』というわけの分からない表現で、(避難先も決めないで)暗に『避難したければご自由に・・・』から『勝手に避難しろ・・・』と格上げされた?命令。これでは政府の統治能力はゼロだと思うしかないが、アホカンはじめ閣僚たちが全く責任感がないのだからどうしようもない。

 私もこんな日本には嫌気をさしているので海外にでも移住したいと思うのだが、金もなければ言葉も分からない。となると、じっと耐え忍ぶしかない。せめて愚痴でもと、自慰行為とは十分知りながら、拙文を毎日せっせと書くしかないのがもどかしい。というより、いつかこんな文章でも陽の目が出ることもあると信じて・・・。

 江戸時代の人民統治の極意は、絶えず下の身分の人たちの情報を流して『俺たちはまだ恵まれている』と思わせるということだと何かの本で読んだ気がする。これは現在でも通用することで、アホカン内閣はマスコミを使って、引っ越し業者を悪者にすることによって自分たちに矛先が向かないようにと、無責任さを誤魔化しているにすぎない。

 そういえば、先日の新聞に仙台市長が『修学旅行に福島県の会津地方は避けた方が良いのでは・・・』と発言したとの報道があったが、これも一つにはそのたぐいと言うと仙台市民からおし彼を受けるだろうか。

 宮城県は福島原発に隣接。特に北西側地域が放射能値が高いことを考えると、かなりの影響があると思われるのだが、原発事故以来一貫して県内の地点で放射能値の測定をしているということは聞かない。恐らく、測定したらトンデモナイことになりそうだからと知事はじめ幹部役人たちが測定しないようにしているのだろうと私的には推測している。

 そして、近々仙台市も測定しなくてはならなくなり、会津と同じ程度(夏場の風向きから、それ以上だろうが)の放射能値になったとなると、会津の小学校関係者の間では『青葉城は危ないから修学旅行の候補地から外そう・・・』ということになるのでは。

 全ての原因が原発事故を起こした東電と、情報を徹底して隠す政府にあるのに、互いの教育関係者が権勢し合うような展開となると、これは前述した、引っ越ししたいが業者が嫌だという問題と根は同じ。これぞ江戸時代の悪代官のやり方そのものでは・・・。

 今日もまた愚痴になってしまった。(田舎親父)

2011年4月27日 (水)

復興会議での知事たちの発言・・・

 五百旗頭を『いおきべ』と読むそうだが、日本人の姓はまことに多彩。とても、私のような無能な人間には読めないと同時に、どちらかと言うと、あまり好きでないタイプの御仁なので、今まで通り(少し長ったらしいが)ゴヒャクメハタガシラと読ませていただくことにする。

そのゴヒャクメハタガシラ氏は、アホカンから委員長受諾を要請されたら、二つ返事でOKしたらしく、すぐに就任の記者会見の席で『震災復興税』を創設するべきだと力説したとのこと、やはりアホカンとつるんでいたにちがいない。

この会議にメンバ-に特に被害が大きかった岩手・宮城・福島の各県の知事が入っているのは妥当だと思うが、災害復興への道筋の建て方や復興税の有無などには、かなりの温度差があり議論百出したようだ。しかし、なにも決まらなかったとの報道に、まあそんなところだろうと納得・・・。

津波の人的被害が特に大きかった宮城県のムライ知事は国と三県、被災市町で復興計画を調整する『大震災復興広域機構』の設立を主張しているとのことだが、この御仁もアホカン氏と同じく、また新しい組織を立ち上げたいようだ。

この機構を主体として、予算や税制面で被災地を優遇する『東日本復興特区』の設置を提案して、その財源確保のため消費税増税を念頭に『災害対策税』の導入を提唱したとのことだが、消費税は宮城県民にとっても重い負担になることを考えに入れているのだろうかと首を傾げたくなる。

横から、友人が『頭の良い高学歴の知事サマだから、それぐらいは計算済み。裏交渉で特別還付金を出させるのだろう・・・』。なるほど、その手があるかとうなずきたくなるがそうなると、我々一般庶民には二重の増税。これは簡単に『はい、わかりました』とはいえない。

ムライ氏は『消費税を集めて基金や特別会計に繰り入れ、災害が起きた時に使っていく税だ。公平性があっていい』との言い分だが、将来の年金予算を湯水のごとく浪費して箱ものを作り、そのためにトンデモナイ自体になっている現在の年金制度の歴史が語るように、これは絶対に無理な話・・・。

福島県のサトウという知事に至っては、津波被害の復興などは関心がないらしく、福島第一原発事故対策を集中的に訴えたというから、ちょっとピントが違うのでは・・・と阿呆らしくさえなってしまう。

この御仁は、原発を誘致するために選挙では『原発は絶対に安全だから』『原発で雇用が推進できる』『原発は県や市町村が潤おしてくれる』という、ただ単に政府・東電の説明を鵜呑みにして、声高だかに叫んで知事の座を得た人物。

恐らく、間違いなく県民の多くは故郷には数十年は戻れない事態になっている今回の大惨事には、復興の第一歩は、まず『私が間違っていた、ゴメンナサイ・・・』と県民に謝ることだと思うのだが・・・。

自分の言動には全く触れず、偉そうに『全ての責任は東電・・・』とは・・・笑ってしまえる。『同じ穴のむじな』なのに、仲間を悪者にして自分だけは助かろうという根性には、呆れるより驚かされる。

この御仁の主張は、『原発事故の復旧・復興を一元的に所管する組織の新設』や、甚大な被害に対応するための『特別立法』の制定、さらに『原発が再稼働しない』で県が潤う構想の実現というから、自分の県だけのための『復興構想会議』という認識。他の委員たちはおとなしく耳を傾けていたのだろうか・・・。

 これに対して岩手県のタスコ(と呼ぶのだろうが)知事は『復興税という議論もあるが、日本全体の消費を低迷させない形の中で復興に取り組んでいくべきだ』と増税反対を明言した上で『そもそも復興財源は政府で検討すべきだ』と、この会議で取り上げること自体に疑問を呈したとのこと。まさに正論だと拍手を送りたい。(田舎親父)

2011年4月26日 (火)

逃げ出せても、生きることを許されない家畜たち・・・

 先日も話題にしたが、大津波や原発事故で避難所生活を余儀なくされるペット連れの被災者らにとって、肩身の狭い日々が続いているという。動物好きの私でも、最近の異常とも思える『ペットいのち』の人たちの姿には首を傾げているぐらいだから、狭い避難所では、ペットが原因での諍いも十分想像できる。

私が毎日の散策で見かける、ワンちゃんを抱っこしたり乳母車に乗せている人たちは、あるいは全身をきれいにカットして、素敵な洋服を着せたり、耳にリボンをつけたりして自慢げに散歩させている皆さんは、こんな報道をどう受け止めているのだろう。

大震災の避難所は訪れたことはないので、その様子はテレビのニュ-スでうかがい知る程度。避難所の地域、規模、そして何より避難されている人々の気質などによって、雰囲気は全く違うだろうことは十分想像できるが、犬や猫の嫌いな人が確実に存在することは間違いない事実だろう。

また、犬は屋外で飼うものだと思っている人も多いはず。ところが『ベットいのち』の人々は、わが子同様(配偶者や子どもがいない人にとって、自分のパ-トナ-そのもの)なのだから、その差は互いには理解できないほど大きいはず。

それでもペット同伴を認めている避難所もわずかながらあるというが、決して積極的ではなく、体育館の隅っこや屋外の物置が居住地になっているのが現実、飼い主たちの中には屋外の物置に寝泊まりしている人もいるという。

そんな一例が新聞に報じられている。震災後一カ月半過ぎた今でも約300人の被災者らが避難生活を送っている避難所では、体育館の脇の物置がペット連れ被災者の専用スペースに割り当てられ、8匹の犬が飼い主家族17人と一緒に寝泊まりしているそうだ。

その物置には小学5年の女の子が愛犬のミニチュアダックスフントを大切そうに抱っこしている様子を紹介している。当初は、その物置を『犬小屋』と呼ばれていたが、熱心な女の子の願いで、今では『ワンコルーム』と言ってもらうようになったとのこと。

女の子にとって普段からそんな生活が当たり前に続いていただろうから『何故、避難所の人たちはワンちゃんを受け入れないのだろう』と疑問に思うことは十分理解できる。

しかし、中には十分に躾けられていないワンちゃんも多いことだから、突如吠えたり、暴れ出すこともあるだろう。場合によったら、お隣さんの布団にお漏らしをするワンちゃんもいないわけではない。これではとても集団生活は無理だろう。

女の子の境遇は全く理解していないので、深く傷つけることになるのかもしれないが、ワンちゃんを飼っている家庭では、いつも非常時のことを想像しておいてほしいもの。さもなければ、避難している人同士が、単に『犬と同居は嫌だ』というごく当たり前のつぶやきも、『何故、子どもの願いが理解できないのか』という全くかみ合うことのない感情論に発展し、避難している人々の心にすき間ができることになりかねない。

 それでも、家庭の中で飼われているワンちゃんは、可哀相だと思われ引き取り手もでているらしいが、生業として飼われている牛や豚、鶏たちは悲惨である。狭い飼育ゲ-ジに閉じ込められたこれらの家畜たちは、飢え苦しみながら息絶えていく動画がネットで紹介されているが、見るに耐えられるものではない。

 畜産農家にとって『ペットいのち』の人たちよりも、さらに真剣に家畜を愛しているにちがいない。それを、『真実を隠した一片の政府の命令』で、愛する家畜たち放置して避難しなければならないとは・・・。理不尽もここに極まったという暴挙としか映らない。

 そんなことを思っていると、昨日になって、福島県は原発から半径20キロの警戒区域内で、餌や水を与えられずに死にそうになっている牛や豚、ニワトリなどの殺処分を始めるため、区域内への立ち入りを始めるというニュ-スが流れた。

 県によると、立ち入る地域で飼育されている家畜の数は牛887頭、馬80頭、豚約6200頭、ニワトリ約26万羽だとのことだが、この数値は昨年の10月のもの。事故からすでに50日過ぎた現在、そのほとんどは餓死しているはず。

わずかに畜舎を脱出できた家畜がいることをテレビでも紹介していたが、今回の立ち入りは、これらの牛馬を殺処分する目的のようだ。

 『ベットいのち』の人間に飼われる犬や猫と、生き残ることさえも許されない家畜たち、比べること自体意味がないのかもしれないが、改めて人間の業の深さを思う。(田舎親父)

2011年4月25日 (月)

『ストロンチウム』はどこへ・・・

 学生時代、いわゆる『学生運動』に熱中したことも今は昔。最初は、学部名称変更反対闘争だったが、全てが政治のあり方だということに気づき、当時大問題だった『日韓・原潜』反対というスロ-ガンの元にデモに明け暮れたことを思い出す。

寄港反対と叫んだ原子力潜水艦の名前は忘れたが、原子炉の故障によって放射能が漏洩すれば大変だと言う危機感があり、放射能や核燃料なども激しく議論したものである。その中で、何といっても印象に残るのは、放射性物質の悪の大王と意識させられた『ストロンチウム』という物質名である言葉。

『ストロンチウム』についてはかなり詳しく学んだつもりだが、そのほとんどを忘れてしまっていることは悲しい事実だが、『半減期が長く、一度体内に入れば人体が蝕まれる』という知識をすりこまれたようで、この言葉には異様に反応する。

だからかもしれないか、4月12日に文科省が発表した『東京電力福島第1原発の30キロ圏外で、福島県内の土壌や植物から微量の放射性ストロンチウムを検出した』というニュ-スには愕然とする。

例によって、文科省は『極めて少ない量で、健康に影響はない』とお馴染みのセリフを口にしていたが、私の年代にとっては、ストロンチウムがでてきたことは、その土地には半世紀以上人は住めなくなったとことと同義語。絶望感を意味する。

マスコミはきっと大騒ぎをするだろうと(ある意味期待して)思っていたが、これが全くと言ってよいほど無反応のただ一回きりの報道。それに呼応するかのように、文科省も翌日からは一切ストロンチウムの『ス』の字も出さなくなってしまった。

『ストロンチウム』検出のマスコミ記事には、『・・・土壌では、空間放射線量の高かった福島県浪江町と飯館村の計3カ所を調べ、ストロンチウム89は1キログラム当たり13~260ベクレル、ストロンチウム90は同3・3~32ベクレルだった。』とある。

この数値を文科省のいうように『極めて微量』だと捉える学者も多いらしいが、自然界にはほとんど存在しない上、原爆や原発事故により発生する元素だと考えると、例え微量(この数値はとても微量とは思わないが)だとしても、存在してはならないものであることは間違いない。

もう一度、昔習ったがすっかり忘れている『ストロンチウム』について、改めて知ろうと思い広辞苑を開いてみた。

そこには、こう書かれている。『ストロンチウムは(鉱物の産出地であるスコットランドのストロンチアンに因む)アルカリ土壌金属元素の一。元素記号Sr 原子番号38。原子量87.62。天然にはストロンチアン鉱などとして産出。銀白色の金属。カルシウムに似て、常温において水を分解し、水素を発生。その塩類は炎に深紅色を与えるから、赤色花火を製するに用いる。同位体のストロンチウム90(半減期28.8年)は核分裂によって生じ、人体に及ぼす影響が大きく、また、ベ-タ-線源としても利用される。』

一度きりのマスコミ記事にも『カルシウムと似た性質があるため、体内に入ると骨などに蓄積し、骨のがんや白血病を引き起こす恐れがある。野菜などが取り込んだものや、牧草を経て牛乳に含まれたものが体内に入ることがある。チェルノブイリ原発事故や核実験などでも飛散し、問題となった。ストロンチウム90が分解してできるイットリウム90も強力な放射線を出す。』とあった。

だんだんと思い出してくるが、やはりストロンチウムは放射能の大王のような存在であることを確認し、飯館村や浪江町の3ケ所で検出されたことに、改めて戦慄を覚えると共に、もっと多くの地域で調べないと大変なことになるのではとの思いを強くする。

風向きなども大きな要因になっているだろうが、原発近くの空気中や土壌には、さらに高い濃度のストロンチウムが存在していることは疑いのない事実だろう。いや、ひょっとして福島市や郡山市などの都市部でも調べれば検出するのではという疑念すら持ちはじめる。

繰り返すが、文科省はもちろん保安院や安全委員会も完全にダンマリ、マスコミも圧力をかけられているのだろうが、一切報じない。何だか、官民一体になって『ストロンチウム』という言葉を国民から遠ざけているように思えてならない。(田舎親父)

2011年4月24日 (日)

消費税値上げにとりつかれた男たち・・・

 政治屋たちの宴なのだろうが、社会保障と税の一体改革論議をするためと称して『集中検討会議』という組織があるそうだ。ここでもアホカンが議長だと言うから、この男はまさに、大震災も『消費税の値上げには最高のお膳立て』と考えているらしく、この非常事態も何のその、消費税値上げだけにとりつかれたとしか表現のしようがない。

 この会議で、『2020年代半ばまでに10%台後半に引き上げる』という考え方が主流らしいが、一応これは引き続きの協議と言う形にして、当面は、災害復興と称して3%を上積みする案を議論し、将来的に消費税率を少なくとも2020年代の早い時期に10%台半ばまで引き上げる方向でまとまったのだそうだ。

 この会議とは別なのだろうが、消費税をどうしても引き上げたいアホカン内閣や民主党の多数派議員たちは、東日本大震災の復興財源に充てるため、消費税を3年程度の期間限定で3%引き上げ8%とする増税案が検討されているとのこと。

 困ったものである。国会議員という肩書を持つ人たちの多くは、東大をはじめ一流の大学で、政治や経済学を学び、それを政治の世界で人々のために生かす、それなりの専門家だと思っていたが、いざ議員のバッチをつけたら、その専門性は利権のために走るものらしく、およそ庶民の生活とはほど遠い考え方をするのが共通しているらしい。

 当然、こんな輩が横行しては、無駄ばかりの積み重ねで財政が逼迫するのは当たり前なのだが、そんな場面になると必ず出てくるのが『増税』論議。折角の専門性を発揮して、少しは知恵を出せばよいのに、決してそんな無駄(奴らなりの論理)なことはしないというところか・・・。

 私のような政治音痴の無学な人間でも、災害復興には多額のお金が要るのは分かるが、増税することや、料金値上げしか頭に浮かばないとなると、江戸時代の悪代官と同じ。日本の政治は400年同じパタ-ンなのだろうかと思ってしまう。

 津波による大災害は『天災』だろうが、原発事故は明らかな『人災』。大震災の復興と大義名分を言っているが、政府与党はもちろん自民党はじめ多くの野党議員の本音は、東電の原発賠償金の財源を確保したいことだろうことは、一連の動きをみていると私にだって理解できること。まさに東電のデタラメな安全対策のツケを国民に払わせることに他ならない。

 それ以前に、(不可能なことだろうが)被災者だけは、消費税の例外にすると言う魔術を使わないと、消費税値上げは被災者たちにとっては地獄の沙汰になるのは確実。復興しようと言う気持ちを萎えさせるだろうことは想像に難くない。

 ところで、先月下旬に朝日新聞にこんな記事があったことを覚えている。(そのまま引用すると)『日本銀行は24日午前9時半過ぎ、銀行や証券会社などが必要な資金をやりとりする短期金融市場に2兆円の資金を供給する公開市場操作(オペ)を実施した。28日に金融機関に貸し出す分。日銀による大量資金供給は東日本大震災後の14日から8営業日連続で、資金供給の総額は102兆6千億円になる。』

 経済音痴なので詳しいことは理解できていないが、日銀が災害後すぐに市場操作のために102兆超もの金を出しているということは間違いない事実のようだ。

 このお金は何処へいったのだろうかと疑問を抱くが、メディアはどうなったのかその後は一切もだんまり。評論家も誰も書かない。それどころか日銀に出させるのを禁じ手のように専門家と称する人や政治屋たちは言う。外資のためならいくらでも出すのに、国内向けとなると出し渋るのは何故なのか?。ぜひ教えてもらいたいものである。

 全くの素人考えだが、恐らく、日銀はその気になれば50兆でも100兆でも紙幣を発行できるはずがたら、政府は国債を出して、日銀に買い取らせれば復興資金など右から左へすぐに調達できるのではないだろうか。

 そんなに紙幣が流れたらインフレになるという心配もあるだろうが、そのために学び身につけただろう?専門性を使うのが政治だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年4月23日 (土)

20~30年後 想像すると恐ろしい・・・

 福島市内の小学校の校庭から、高濃度の放射能(放射性物質や放射線など含めて放射能と表現する)が検出されたことはすでに何度も述べている。

心ある多くの人が、避難させるべきという声を上げているが、文科省のやったことは、子どもを守るお役所なのに、その任務を放棄するがごとく、安全基準値を上げることとは、我が耳を疑ってしまった。

学校の基準を巡っては、原子力安全委員会の良識ある委員が『(子どもの年間被曝量について)人の半分の10ミリ程度に抑えるべきだ』との見解を示したことは報道されているが、翌日の委員会では、これは個人的な見解であって安全委員会の正式決定ではないというコメントを採択したそうだ。

 しかも、原子力安全委員会クキタという委員長代理は、現実的には校庭内の外に8時間以上いる可能性は低いことなどから『毎時3.8マイクロシーベルトを超えても、年20ミリを十分下回る見通しだと理解している』と述べ、文科省の安全基準を追認、委員の発言を否定している。

文部科学省は、この安全委員会の指針を元に、福島県内の小中学校や幼稚園などの暫定的な利用基準として校舎や校庭を利用できるか判断する目安を発表した。具体的数値として、年間被曝量が『20ミリシーベルト』を超えないようにし、校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上では屋外活動を制限するというものであるが・・・。

危機管理の原則に基づいて、一日中3.8マイクロシ-ベルトの放射能が降り注いでいる校庭で活動したと考えて計算してみると、1年間の累積では、3.8×24時間×365日では、何と、33288μシ-ベルト 33ミリシ-ベルトを超えてしまう。

実際には、学校生活では多くの時間を教室で過ごすだろうし、9時間ほどは自宅(避難所)で睡眠を撮ることを考慮すると、放射能を体内に蓄積する量は半分以下になるだろうとは思うが、常時この放射能を浴びていたら、9年間の小中学校生活では、確実に100シ-ベルトを超えることは間違いないと断言しても良い。

いやむしろ、今後第一原発の状況がどうなることか余談を許さない状態では、この数値が上がることはあっても下がることは考えにくい。

確か放射線作業従事者の場合は被ばく限度は5年間に100シ-ベルトを超えないことが決められているはず。この値は、1年間では20ミリシ-ベルトになるが、福島の小学生が原発内部で働いている大人の作業員と同じとは、どんな根拠と計算でこんな数値を出してきたのだろう。

次代を担う人材を育成することが教育の努め、その教育を司っている文科省という役所は、放射能に対して余り危惧感を持っていないことに恐ろしさを感じる。

文科省によると、現在の時点では、制限の対象は13学校なのだそうだが、それぞれの学校にはガイガ-カウンタ-を配り、変化を監視するという。そしてこの基準を8月下旬までに再検討するというとのことだが、まるで福島県の児童生徒を人体実験に使っているような印象すら受けてしまう。

もう一つ気になるニュ-スがある。福島など4県の女性9人の母乳検査で、茨城、千葉両県の4人から1キロ当たり最大36.3ベクレルの放射性ヨウ素131が検出されたという情報である。

この調査は、『母乳調査・母子支援ネットワーク』という市民団体が行ったものだそうだが、これは公的な機関ではできないだろうから説得力がある。

この値を少ないとみる御用学者もいるらしいが、3月18日にドサクサに合わせたように改定した、乳幼児に与えて良いとされる許容値が100ベクレルとのことだから、とても安全とはいえない数字であることだけは間違いない。

例によって、厚労省は『微量』だから『今のところ人体に影響はない』とのコメントだが、赤ちゃんたちは母乳を毎日何度も飲むことを思うと、大変な数値になることは想像に難くない。
 関心の高い意識ある母親は、涙を飲んででも自分の母乳で育てることを諦めるだろう。しかし、一般的に母乳の摂取を禁止するわけにもいかないし、検査も難しい。対象が乳児となると問題は長期化し、20年後、30年後に、もし健康被害が出た場合に因果関係を証明するのが非常に難しくなるのは自明。

放射能で遺伝子が傷つき、病気を内在した子どもが大勢生まれたら・・・。想像したくないが、可能性としては残る。そして、すでに関係者は引退となると、辛い思いをするのは子どもたちの両親である現在の子どもたち。

そんな悲劇だけは阻止しなければ・・・。(田舎親父)

2011年4月22日 (金)

とりあえず出してみようか行程表・・・

 先日東電が福島第1原発事故の収束に向けた工程表を発表した。それによると、1~3号機の原子炉を安定状態に持ち込むには、6~9カ月程度かかるとの見通しだが、果たして国民のどのぐらいがこの数値をまともに受け取ったのだろう。

少なくとも私は、よくぞいい加減な期限を設けたものだと思ったが、原発を所管する経産相はもちろん、アホカン内閣の首相はじめの閣僚たちは一様に『一定の筋道が見えた』と評価し、この復興案にそって『計画的避難区域などを見直す』と発言していることに、ならば先日、『20年は戻れないだろう・・・』とのコメントはどこへ行ってしまったのと阿呆らしくなってくる。

マスコミも閣僚たちの発言をまじめに?受け止め『避難した住民が自宅に戻ることができるのは来年になる恐れが出てきた』などと、期限付きで明るい見通しがでてきたかのような報道に、改めて『この国は大丈夫なの・・・』という危惧がますます大きくする。

 東電の原発処理の工程表によると、核燃料の冷却、放射性物質の放出抑制、モニタリングの3分野で計約60の対策を実施するとしているが、未だに原発内部に入れない状態なのに、どうしてこんな期限限定の時間軸が想定できるのだろう。

さすがの御用情報機関と落ちぶれたマスコミでさえ、こんな私の素朴な疑問には同じように反応したらしく『・・・ただ、放射線量が高い場所での作業などリスクも多いとしており、実現可能性や実効性、スケジュール通りに進むかは不透明だ』と論評しているとなると、これははじめから無理を承知で出してきた計画案だとしか思えない。

 避難している住民たちは口々に(テレビのインタビュ-であるが)『思ったより長い』とガックリ肩を落しているらしいから、いかに住民たちは日頃から『原発は安全』で、事後が起きてもすぐに復旧すると言い聞かされてきたのだろうと思わざるを得ない。

この意識は住民ばかりではなく、役所ごと避難している自治体の組長たちも、一様に『安心できるわけではないが』とことわりながら『これで先が見えた・・・』というコメントに、この程度の人物が組長では住民の苦労は今後も果てし無く続きそう、と同情を禁じ得ない。

 危機管理の原則は、まず最悪の自体を想定して『・・・ならばどうする』という考え方で計画し行動するのもだと教えられたが、アホカン氏はじめ民主党内閣の閣僚たちは、私のような一市民でさえ知っている原則を、誰からも教えられなかったらしく、やっていることは後手後手の連続、お先真っ暗としか評せないていたらく。

 東電の原発処理の工程表が発表されて今日で4日目、果たして何がどう進んだというのだろう。いや、むしろ自体は悪い方に動いているようだが・・・。

そして、日にちだけか容赦なく過ぎ去り、瞬く間に一月二月。『原子炉を冷やすことさえまだできず・・・』という事態になっている光景が目に浮かぶ。

さらに、政治屋たちは、そんな東電をよほど助けなければならない借りがあるらしく、損害賠償の枠組みを、東電は『政府管理』のもとで巨額の賠償金を支払う仕組みの組織を立ち上げることが明らかになったという。

公的資金の投入もという表現だが、明らかに消費税値上げや復興特別税と言う新たな増税で賄う魂胆だと言うことがバレバレ・・・。

政治の世界では、これが当然?かもしれないが、もう少し知恵のある人物の出現を心から望みたいものである。(田舎親父)

2011年4月21日 (木)

4月21日   民主党のデタラメさもここまでくると・・・

 昨日話題にしたクレ-ン車の運転手は、私が推測したようにやはり『薬物』。もっとも、『薬の飲み忘れ』というから失なわれた貴重な幼い命は、まさに無駄死になってしまう恐れがある。重大な病状を持っているのに薬を飲み忘れるとは許し難い。
 NHKは『てんかん』という病名すら人権に引っかかるらしく、『急に発作の出る持病』などと表現している。『てんかん』は今では薬で押さえられる病気とはいえ、飲み忘れる人間が車を運転しているのでは・・・などと思うと、うかうか道路も歩けない。このことは,またの機会に取り上げてみることにして、今日の話題を・・・。
 マエハラ前外務大臣が、在日韓国人の女性から献金を受けたと指摘され、あっさりそれを認めて辞職したのは、いつ最近。しかし人々の記憶には古い話。

辞任直後からマスコミは潔いとの姿勢していたことも今は昔。首相はじめ法相を中心とした閣僚たちはマスコミを操って、外国籍の人からの献金は額が小さいから、献金そのものがたいしたことではないという世論を作り上げるために苦労していたことも記憶に新しいが、マスコミが余り取り上げなかったことからさほど大騒ぎされなかった。

 私は政治に疎いこともあり、この問題が明らかになってから、政治資金規正法では、外国人や外国法人による献金を禁じており、違反した場合、3年以下の禁錮または50万円以下の罰金に処すると規定していることを初めて知った。

 文面を読む限り、『知らなかった』とか『額が少なかった』という問題ではなく、外国籍の人からいただいたお金を政治資金として届けて記帳したら、それだけで『犯罪』だということに他ならず、違反した場合には、『公民権も停止』されるというから、厳密に言えば、議員を即辞職しなければならないはず。

 なのに、大新聞やテレビは『潔い』という評価こそすれ、『辞任までする必要がなかったのではないか』とは、どういう神経をしているのだろうと呆れたもので、ジャ-ナリズムの良心があれば『議員辞職を求めるという論調』が必要ではないのでは・・・と今思い出しても腹立たしい。

 自民党はじめ野党も外相辞任を『クビをとった』と大騒ぎし、議員辞職などには言及しないのは、どうも自分に跳ね返って来るという、いわゆるブ-メラン現象を恐れているからに違いなかろう。

 これが一般国民であったらどうだろう。知らなかったでは通じない。スピ-ド違反は明らかに法に違反する行為だが、捕まえる警察官も楽しんでいるのでは・・・と思われるほど罪悪感がない犯罪行為である。

数年前、同乗していた車を運転している友人がスピ-ド違反で捕まった経験がある。東北自動車道でなり飛ばしていたことは確かであるが、バス停で待ち伏せしていたバトカ-に気付かず、そのままのスピ-ドで走っていたら、後ろからサイレンを鳴らして追いかけてきて停車を求められた。

問答無用の罰金3万円。スピ-ド違反は『捕まったのは運が悪い』と諦めて、それなりの罰則を受けるのが社会の一般ル-ルなので、泣く泣く罰金を支払う羽目になり、私もそれなりに負担をしたものである。だから治安が保たれているという声も一般的によく聞こえてくる。
 話を戻すが、外相が辞任するのは当然なのだが、こともあろうにアホカン氏が『何とか辞めないでくれ』と慰留したというから、首相自身が法など守らなくても良いと言っていることになる。こんなムチャクチャなことはない。

さらに、法の最高権威である法務大臣が、『(献金を)広く浅くいただくときに、在日(外国人)かどうか尋ねるのは現実的ではない。何かいい方法はない』と提起したという。法務相自らが、法が悪いと言うので法治国家という名前が泣く。

そしてしばらくたって、こともあろうにアホカン氏の在日韓国人から100万円の献金が発覚。外国籍だとは思わなかったと強弁しているらしいが、何度も釣りに出かけたり会食したりする人物の職業も知らなかったでは、世間で通じる訳はない。原発事故でその問題はウヤムヤになっているらしいが、こんな人物を首相と仰がなければならないことが悲しくなってくる。

ここまでは古い話だが、ここからはごく最近の話。民主党とマエハラという男はほとぼりが醒めるのをじっと待っていたらしく、原発でこんなことは取り上げられないと判断して、衆参両院議員で構成する『裁判官訴追委員会』の委員長に復帰したという。

場合によったら刑事被告人になっても奇怪しくない男が、裁判官を罷免する言い回のトップとは、かなり何かを狙った意識的な人事・・・ではないだろうか。

長くなりそうなので、このことはいずれまた・・・。(田舎親父)

2011年4月20日 (水)

また集団登校の悲劇・・・

 一昨日、栃木県鹿沼市の国道で起きた、登校中の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した事件の影像にはショックを受けた。上空の影像からも分かるが、見通しの良い片側一車線の直線道路。クレーン車は対向車線に飛び出し、児童の列に突っ込みはねとばし、なおも民家に突っ込んでいる。

目撃者の話では『クレ-ン車は減速もせずに、子ども達の列に突っ込んでいくのが見えた』というから、運転手は居眠りか携帯電話でメ-ルでもしていたに違いなかろう。その場で逮捕された26歳の運転手は、呆然として『人をはねたことは覚えていない』と言っているとのことも、居眠りなどしていたことを表していたにちがいない。

翌日の新聞・テレビの報道では、運転手は『居眠り運転だった』と供述しているとのことだが、会社からわずか700メ-トル走った場所で、前後不覚になるほど眠ってしまったとはちょっと異常。前日はお休みだったというのも気になるところだが、単なる疲労ではなく、何らかの薬剤でも使用していたことも考えられないことはない。

このあたりが事件の真相を解く鍵になるのだろうが、例え、居眠りの原因が勤務の過酷さで疲労困憊状態だったことが明らかになり、会社の責任が問われる自体になっても、奪われた子どもたちの命が戻るわけでもなく、残された保護者や肉親の悲嘆が消えるわけではない。

恐らく、警察の調べが続いているだろうから、速報はあると思うが、児童の通学途中の事故の場合、そのほとんどが『集団登校』だと言うことを知る必要がある。

私は以前から『集団登校』には疑問を持っており、このことについて何度も批判しているが、未だに全国各地では(特に都市部)『集団登校』を実施している小学校が多いのが現状である。

以前『集団登校』を実施している小学校の校長と議論したことがある。その校長曰く、異学年の児童たちが一緒に登校することによって、互いの連帯意識が生まれ、高学年児童の指導性と責任感が養われる・・・とのこと。

確かに、高学年児童は集団のリ-ダ-だと思わされるから、低学年児童の面倒を見るのは当たり前という意識になり、一見指導性や責任感が養われるように思えるが、事故は想定外の無謀運転によって引き起こされもの。一度起きると被害は確実に拡大し、今回のように6人もの犠牲者を出すことも過去にも何度かあったはず・・・。

今回の場合、異学年の児童たちが20人ほどの集団になって登校していたという。恐らく、高学年の児童は先頭にたって引率していただろうことは、亡くなった児童に高学年が多かったことから想像できる。高学年児童は、低学年をとっさにかばっただろうことも悲しい想像である。

車道と歩道は約20センチの段差があるらしいが、ガ-ドレ-ルなどはないとなると、この段差など自動車にとっては無いに等しく、まして現場は民家の出入り口になっていて段差のない場所だったことも被害を大きくしたようだ。

多分、この場所にはすぐガ-ドレ-ルなどが設置されるだろうが、この国の行政は『事故で死人(特に、子どもと年寄り)が出ないと』動かない体質があるのが悲しい事実。もしも、ガ-ドレ-ルなどがあれば、犠牲は小さくなったにちがいないだろうから・・・。

PTAや保護者の見守りが必要と言う声も出るだろう。早速、この学校では昨日から登校時に教職員や保護者が登校時に付き添うらしいが、『集団登校』の上に大人が付き添いとなると、前述したが『集団登校』の意味は全くなくなる。

もう一つ気になるのが、今回の場合、現場と学校とは200メ-トルも離れているとのことだが、その場に何故校長が立っていたという一文。毎朝、そこに立っているのだろうか?・・・という疑問も生まれる。

最近は携帯があってすぐに連絡できるので問題はないと言ってしまえばそれまでだが、校内で事故や事件が起きた場合、対応が遅れることは確実。この校長が登校時の危険を認識して、毎日ここまで出張って立っていたとしたら、結果論ではあるが『何のために・・・』という批判も生まれておかしくない。

自宅から学校までの登校時(むしろ低学年児童には下校時の方が危険は多いのだが)は誰が見守るべきなのかを議論して、子どもたちの安全をしっかり確保する方法を確立したいものである。(田舎親父)

2011年4月19日 (火)

20年住めないは本音だろうが・・・

 アホカン氏は内閣の秘密会議か、あるいはごく内輪の会合で『福島原発の半径30kmは、この先10年、20年は人間が住めない』と発言したそうだ。それをマツモトというアホカン氏の腹心である内閣官房参事という立場の人間が、首相の言葉として記者団に語ったらしいから騒ぎが大きくなった。

 強制避難を余儀なくされている人々は、すぐにでも強制避難が解除されて、元の生活に戻れると信じていただけに、このアホカン氏の発言は大ショック。怒りが沸騰したに違いない。

 これを受けて、被災自治体の組長さんたちは、この時とばかり住民の立場を強調し、共同して内閣に抗議の姿勢をとりはじめたようだ。政府はその火消しに躍起となっているらしく、先日は民主党の最高顧問と言われているワタナベという福島県選出の長老議員が興奮して『マツモトをクビにしろ』と激怒したと伝えられている。

 ただ、福島原発の土地はこのワタナベという長老議員の所有で、多額の土地の使用料が議員側に入るらしいということを聞くと、その真偽は別にしても、『クビにしてしまえ』とセリフはもっと違う意味があるようにも思えてならない。

 野党からも大反発らしく、ことの重大さに気づいたアホカン氏はウソツキ官房長官に終息を指示したようだ。早速ウソツキ氏は、先日の記者会見で、マツモト官房参事を更迭も含めて検討する考えを示した。

マツモト参事は真っ青になって発言を撤回したが、誰もが、アホカンなら言いかねないだろうと思われるのは仕方ないところ。間もなくマツモト参事が更迭されるだろうことは容易に想像できるが、かといって問題が解決するわけではない。

自治体も組長は当然だが市民も、マツモト参事がアホカン氏の発言として発表したことは、間違いないと冷静に受け止め、今後の対策を考える必要があるのではないだろうか。

チエルノブイリの事故では、未だにその周辺の汚染地域は立ち入り禁止地区と指定されて、厳しく管理されているという。福島原発とチエルノブイリ原発との事故の規模的な比較となると素人の私にはよく分からないところも多いが、少なくとも隠蔽体質の権化のような東電と政府がレベル7という最悪の状態だと認めたのだから、チエルノブイリと同等かそれ以上の広域で立ち入り禁止となる可能性は間違いないのではないだろうか。

トンデモナイことになってしまったが、放射能で汚染された土地には住めないだろうことは事実で、どのぐらいまでに広がるかは汚染に対する捉え方による。これまでの政府の一連の動きからは、(危険なことだが)かなり狭めにするのではないだろうか。

住民は怒り悲しみ絶望するだろう。この人たちにどこかに移住してもらうしか方法はないのだが、現実問題として(直後に『戒厳令』などを発令していれば強制的な処置が可能だっただろう)、今ではそれも難しいだろう。

 組長さんたちの中には、『この土地に住めないと言われることが住民には放射能汚染より悲しい・・・』と語っている人がいるらしいと聞く。また、『自県の農作物を安全だと宣言したいために、安全基準を上げろと政府に要求した』知事もテレビで見て知っている。

組長さんたちがこの程度の放射能に対する危機感だとしたら、住民全員の強制移住などできるはずはないのでは・・・。

 そして、20年後(もし日本という国が存在し、放射能で汚染した地域に住み続ける人がいたら、であるが)、避難指定範囲はもとより、その周辺各地に残った人たちの間では『こんなはずではなかった・・・』という悔恨のうめき声で埋めつくされるのではないだろうか。(田舎親父)

2011年4月18日 (月)

日光(東日本の観光地全部だろうが)は閑古鳥・・・

 日本全国、特に東日本の観光地や温泉地は閑古鳥が鳴いているありさまだそうだ。その例として、先日『日光発』として、国内屈指の観光地として知られる栃木県日光市の現状を伝える記事を新聞が掲載していたので、今日の話題として取り上げてみる。

記事によると、日光は東日本大震災では大きな被害はなかったものの、直後からホテル・旅館のキャンセルが相次ぎ、街は『自粛ムード』に沈んでいるとのこと。だが、それ以上に大きな打撃が福島原発の爆発によって、放射能汚染を嫌った外国人の観光客が激減しているというから、その危機感はかってないほど深刻らしい。

震災翌日の3月12日から同31日までの東照宮の入場者数は、前年同期比で実に95%減の計約5000人だという。単純に計算しても一日平均およそ300人。当然、外国人の姿は皆無だという。

数えたことはないが、中禅寺湖や東照宮を訪れた回数は多分20回は下らないだろう。その度に、よくぞ毎回こんなに人が集まるものだと感心していた私には、この数には驚かされるというより、本当なの・・・と信じられないと表現した方が相応しい。これでは観光で生計を立てている人が多い日光の町は、火が消えたように沈み混んでいることは想像に難くない。

外国人観光客に人気の中禅寺湖畔にあるホテルでは、フランスやイタリアなど欧州からのツアー客が、各国政府の渡航自粛要請を受け予約を相次いでキャンセル、外国人宿泊客はゼロだという。支配人の話によると、5月以降は『ぽつぽつ予約が入り始めている』とのことだが、放射能に敏感な、外国人観光客が戻ることは難しいのではないだろうか。

日光は首都圏のほとんどの小学校にとっては修学旅行や林間学校で訪れ、さらに全国各地の多くの小中高等学校でも修学旅行では大人気だが、現地の観光協会などは、今年も例年通り来てくれるのか心配しているらしい。

確かに、日光は福島県のすぐ隣、学校関係者がすぐにオタオタするとは思えないが、最近は保護者の意向が大きく影響するようだから、場合によったら自粛ブ-ムで中止したり日光は『危ない』と行き先を変える学校もでる可能性は予想される。

日光観光協会は放射線測定器を購入して独自に放射線量を測定。ホームページで公開して安全性をアピールする予定だというが、放射能値からは安全だとしても、情報を公開しない日本政府に不信を持っている諸外国の政府は、簡単に自由渡航を認めるとは思えないので、外国人観光客を呼び戻すのはかなり難しいのではないだろうか。

ここでも関係者の間では、しきりに『風評被害』という言葉が交わされているが、(繰り返すようだが)放射能値は50kmも離れた福島市内でも、外国人の常識ではとても子どもが生活できる環境ではないのにもかかわらず、平然と学校生活を行われている状態から、外国政府は日光の観光協会の安全宣言を信じないだろう。

外国人観光客も同じで、よしんば政治的妥協(ごく一部の国しか応じないと思うが)で諸外国の政府が渡航許可を下ろしても、市民感情として、日光はおろか日本に近づきたくないという心境は当然だろう。

これを『風評被害』だと言えるだろうか。確実に安全だという証拠を示さないで(示すことなど不可能だが正しい情報は開示できるはず)、首相はじめ閣僚たちが機会あるごとに栃木産のイチゴや福島や茨城産のキュウリやトマトなどを食べて『このように安全だ』というパフォ-マンスばかりでは、誰も安心・安全など信じないだろう。

放射能が青酸カリのように食べたらすぐ死んでしまうという代物なら、このパフォ-マンスは有効だが、無色無味無臭でしかも体内に入ってもしばらくの間(それぞれの免疫力によって違う)目立つ被害は現れない。人心が離れた内閣の閣僚たちが、どんな気持ちでこんなパフォ-マンスを繰り返しているのか分からないが、こんな映像が外国に流れているかと思うと日本人として赤面せざるを得ない。恥ずかしい限り・・・。

観光地に人が戻るために何より大切なことは、時の政府が信頼でき、その政府が正確に状況を把握して正しい情報を示すことしかない。それらが全て逆くになっている現在、観光地の悩みは今後長く続くことだけは間違いなさそうだ。(田舎親父)

2011年4月17日 (日)

個人的には嫌いだが、自販機自粛は賛成・・・

 原発事故直後からしばらくの東電と政府が行った『(無)計画停電』と称す不公平な停電騒ぎで迷惑を被った地域は多い。

この無計画停電の実施には、ほとんどの人が『電気も復旧していない被災者の皆さんのことを思うと、この程度の不便は・・・』と一様に余り文句も言わず受け入れていたが、東京23区や東電幹部、あるいは『オレが東電と交渉して・・・』なんていう政治屋がいる地域は停電していないことが明らかになると、批判の声が大きくなり、それに反比例するがごとく無計画停電の回数が少なくなった。

そしてついには、『皆様の節電のおかげ』という理由で無計画停電はいつのまにか過去の話になり、代わって今度は『夏の電力需要を乗り越えられるか・・・』という問題に軸足を移し、やはり原発が必要だという雰囲気作りのためだろうと思うが、賑やかな議論がされはじめている。

私は、(証拠となる根拠は見つけられないが)『無計画停電』ははじめから、『原発が動かなくなったから電力が足りない』というスト-リ-を正当化するために書かれた脚本を実行するための一手段だと捉えている。

原発が停止して、発電力が低下したことは間違いない。ここまでは私も理解できるが、このまま停電しないとなると『なんだ、原発って必要ないじゃん・・・』という声が大きくなり、これまで原発推進してきた政府(自民党であって、政権交代したら、原発政策も変わると信じていた私が甘かった)にとっては面目丸潰れ。

大津波や原発事故の後始末は下手なのに、情報操作だけは上手なアホカン政府がマスコミに電力不足を報じさせて、国民に信じこませるために無計画停電なるものを実施したが、そのからくりが見破られそうになったら、早々に計画停電を中止したというところでは・・・・。

それはさておき、大震災・原発事故の前のように企業や個人が、それこそ無計画に電力を消費し、便利で快適な生活を続けられるかというとこれはとても無理な話。当然大幅な『節電』が必要になることは、計画停電が政府と東電が仕組んだことだと信じている私でも当たり前のことと受け止めている。

ところで、新聞・テレビは共通して『この夏、東京電力と東北電力が管内の電力消費を昨年より15~25%切り詰めねばならなくなった』という報道を流している。供給力の回復には年単位の時間がかかり、料金さえ払えば電力を自由に使える生活はもう続かない・・・との論調には、数値には疑問が残るがある程度の説得力はある。

 政府は東電、東北電管内の節電対策の骨格を決定したとのこと。契約電力500キロワット以上の工場など大口需要家に25%、商店などの小口に20%、家庭には15~20%の削減目標を割り当て、混乱の原因だと評判が悪かった計画停電に代わって、夏真っ盛りのピーク時に電力消費を抑え込むのだそうだ。

 基本的には仕方ないだろうと思うが、日本経済の根底を支える『もの作り』の製造工場の電気需要を一律25%削減という施策には疑問を感じる。

 話は横道に少しそれるが、私的にはイシハラ都知事は生理的にも好きになれない。あの傲慢な言動と、(利権のためだろうが)汚染地域に築地市場を移転する強引さなどには大反対だが、街中の自動販売機を自粛させるべきだという発想には共感できる。

 全国津々浦々にコンビニやス-パ-があるのが現実で、求めようと思えば、ほんの少し足を延ばせば、季節に応じて冷たいものから暖かいものまで簡単に手に入るのに、街角に自動販売機が林立している風景には以前から疑問を持ち、無くすべきだと主張している。

 自動販売機にかかわる人たちが路頭に迷い、経済に支障がでるという説も当然出てくるだろうが、(それば別問題として検討するとしても)真夏の太陽がガンガン当たる環境で、多量の電力を消費して10℃以下に保つなんてことは浪費そのもの。自動販売機設置企業もそのことは十分わかっているらしく、様々な改革案を模索しているらしいが・・・。

 パチンコ店の自粛もなかなか面白い発想である。ついでに、先日再開したディズニ-ランドも自主電源設置まで自粛を求めたい。そして、今のままの『節電』意識を持ち続ければ、今夏の乗り切りなど簡単だろうと思うがいかがだろう。(田舎親父)

2011年4月16日 (土)

復興構想会議も所詮はアリバイ作り・・・

 一昨日の夕方のテレビニュ-スが、東日本大震災の復旧・復興計画の青写真を描く『復興構想会議』(議長はアナウンサ-の発音が悪いのか、あるいは私の耳が遠くなったのが、未だに何と読むのか分からない五百旗頭という名前の御仁)という、新しく発足した組織の第一回目の会議があったことを伝えていた。

この会議のビジョンをもとに、政府が具体的な復興計画を策定し、実行に移すという触れ込みだが、アホカンはよくぞこんなに会議や組織を乱立させているものだと、呆れてものが言えなくなる。

一体どのぐらい今回の震災後に『復興』という言葉がくくった組織を作ったのか調べてみたら、何と次のようにおびただしい数になる。

私の知りうる限りでも、①緊急災害対策本部(本部長・カン首相) ②被災者生活支援特別対策本部(本部長・マツモト防災相) ③被害者生活支援各府省連絡会議(各省次官らで構成) ④ボランティア連携室 ⑤原子力災害対策本部(本部長・カン首相) ⑥福島原子力発電所事故対策統合本部(本部長・カン首相) ⑦原子力被災者生活支援チ-ム ⑧経済被害対策本部(本部長・カイエダ経産相) ⑨各党・政府震災対策合同会議 ⑩電力需要緊急対策本部(本部長・エダノ官房長官・・・。その他にもあって総計20にものぼるというから驚き。

わずか一月の間にこんなに多くの対策本部ならびに会議を設けておきながら、飽き足らず、今回の『復興構想会議』(議長・五百旗頭真防衛大学校長)。これは正気の沙汰ではない。

これらの対策会議がそれぞれ何回ぐらい開かれたのかは知らないが、招集された専門委員に配る文書の膨大さと、会議に耐える文書の専門性はかなりのものだろう。当然、各省庁の精鋭の官僚達が徹夜で仕上げているだろうことは容易に想像がつく。

一つの会議が終わったら次の会議のための資料作り。各省庁の有能な部隊が、会議のための資料作りにいくら汗を流しても、災害地の復興は全く進まず、かえって指揮系統や役割分担がハッキリしないことになることは私でも容易に想像がつく。

どの部分をどこが責任持って対処するかという、非常事態にもっとも大切な原則も、対策本部の数が多いことから、被災者が求めている課題が曖昧になり、適切な対応が遅れる結果になっていることも誰の目にも明らか。それなのにまたもや復興構想会議とはこれいかに・・・。

今回立ち上げた『復興構想会議』に対して、ウソツキ長官は『オールジャパンの専門家、有識者を網羅した』と人選に胸を張ったらしいが、メンバ-を見ると、これではまとまりそうもなさそう・・・と思われる。要は、またまた形だけ作って中身はないものになる可能性が大きいようだ。

このことに対して、本来は身内であるはずのニシオカ参議院議長は『会議は踊る、されど進まず』と、フランス革命とナポレオン戦争終結後の秩序を再構築するために開いたウィーン会議が、各国の利害対立により遅々として進まなかったことを皮肉った世界史上の有名な言葉に例えて、アホカン内閣を批判したと報じられているが、まさにその通り。

ニシオカ参院議長はもう一歩踏み込んで『アホカン(とは言わなかっただろうが)ではこの事態を収められない。辞任しなさい』と明言したとのこと。よくぞ言ってくれたと、この御仁に大拍手を送りたい。

そのことはさておき、首相官邸で開いたこの会議の冒頭に、アホカンは『ただ元に戻す復旧でなく、改めて造り出すという創造的な復興(計画)をぜひ示してほしい』と全く意味不明の要請をしたそうだが、これでは『私には資質も能力もありませんので、どうか五百旗頭センセイのお力で・・・』ということに他ならない。これが全責任を持った一国の首相の態度であり言葉なのだろうか、と耳を疑りたくなる。

首相から事を任された、ゴヒャクハタアタマ氏は会議では、アホカンの意を受けて、大津波の被害と原発事故とは切り離して行きたいと述べたそうだが、多くの委員から異論が続出して今後の課題にしたというから困ったもの。この会議も程なく空中分解し、また新たな会議の構想が話題になるのでは・・・。

このゴヒャク某センセイは会議後、マスコミ記者団に復興財源として『震災復興税』の創設や公債の発行が必要との考えを明らかにしたという。公債や国債については識者が様々な意見を述べており、素人の私にはその是非に踏み込むだけの知識がないので、今のところなんとも言えないが、まず『復興税』ありきの議論になることだけは御免被りたいものである。(田舎親父)

2011年4月15日 (金)

『風評被害』という便利な言葉の裏に・・・

 『風評被害』という言葉が溢れているが、本当にこんな言葉を通用させていて良いのだろうかと以前から気になっている。

明らかなウソやデマが広がることは理解できる。あるいは、他人に知られたくない事情が何らかの形で表にでてしまい、悪い噂を呼ぶこと知っている。根拠の無いデマや個人的な噂話が広がり、そのために『被害』が出るのは許されることではない。これは『風評被害』というより明らかな『犯罪行為』だと表現しても良いだろう。

しかし、今回の放射能汚染に関しては、原子炉(正確には建屋だが)が爆発する様子を、全マスコミが報道しほとんどの国民が目にしたところである。その結果、放射能が飛散したことに誰もが恐れおののいたことであって、ウソでもデマではない。原子爆弾を経験しているわが国では、放射能の実態は知らずとも、放射能という言葉には敏感に反応し、そこに悪魔存在を認めることは全国民にすりこまれた共通認識。

そのことを十分知っている政府は、まさにドサクサに紛れて、爆発直後、放射能の安全基準を厚労省の部長名で出した一片の通達で大幅に上方訂正し、これで一安心と思っていたところ、実際に調べてみたら、野菜や魚類に、その値を越す放射能値が検出され、さすがにそれは隠せなくて出荷自粛を求めたという経緯があったようだ。

政府が安全ではないという野菜をわざわざ求める人間はまずいない。その野菜が自主避難を求める半径30kmより外の地域から出たら、半径30kmという危険範囲の枠は全く無意味になり、ならば『福島県の野菜は食べない方が賢そうだ・・・』と思うのはごく当たり前の心理だろう。

福島県の中でも会津地方の野菜は一応安全だと思うが、もともと、放射能の拡散の正しい情報を知らしていないのだから、安全圏としてくくった30kmが無意味なものとなると、50kmも危ない、80kmも心配だとなるのは当然といえばこんな当然なことはない。

実際に原発から80km以上離れている福島県の西郷村で、あの悪魔の名前をほしいままにしているストロンチウムが微量ながら(本当かな?)検出されたという事実からも、人々の福島県の野菜は食べたくないという意識は十分理解できる。

農家の人たちには何の落ち度も無い。普通に作って、昨日までは何の心配もせず出荷していたのに、ある地域から基準値以上の放射能が検出された時点から全てがストップ。これは、県(農協だろうが)は全ての農産物に対して『福島県産○○○』などと表現をしていたのだから、消費者からみたら福島県産の野菜全てが『野菜ではなく悪魔の草』という見方に変わるのも致し方なかろう。

基準値以下の放射能しか検出されない地区の人たちにとってはその打撃は深刻。国や県は安全だと言っているのだが、市場が相手にしないとなると出荷できない。実際に出荷停止の命令ならば、補償の可能性はあるだろうが、それも期待できない。

福島県という大きなくくりで産地表記しているのだから、県内全ての野菜農家に補償するのは当たり前だと思うのだが、何とか補償はしたくない・・・・。そこで生まれたのが『風評被害』という言葉ではないだろうか。

『風評被害と』という言葉が、安全なものなのに買わないのは、消費者の身勝手だというニュアンスを感じさせ、あたかも消費者が農民を苦しめているというイメ-ジを植えつける。実に巧みな世論操作、報道規制ではないだろうか。

『風評被害』という言葉で消費者のモラルの問題にしてしまい、放射能も基準値を超えない限り『安全』だとマスコミに言わせ、国民に信じさせる。そして安全基準値を何とか下回りさえすれば良いという風潮を作り上げ、今度はそのための方法を考える。

 そこで一つの新聞記事を思い出す。『原乳の放射性物質、基準値下回る』という見出しの 福島産経新聞 4月9日()の紙面をそのまま引用してみる。

 『福島県は8日夜、福島第1原発事故を受けて、7日に実施した原乳の緊急時モニタリング検査(4回目)で、放射性ヨウ素、セシウムが暫定基準値を上回った検体はなかったと発表した。県によると、今回から検査方法を改め、前回(3月29日)に暫定基準値を下回った市町村の原乳は戸別検査をせず、県内10の乳業メーカーなどが、他の市町村産と混ぜた後の原乳で測定した。県は、約1週間後に予定する次回検査で、基準値を上回らなければ、国と調整して出荷制限を解除していく構えだ。』(引用終わり)

 要は、危険な産地だけを調べたら安全基準値を上回ってしまうから、基準値以下の産地と混ぜて検査して、ほんの少しでも基準値を下回ったら『安全』だと宣言し、福島産で出荷するという意図がミエミエ。

これって何か違っているというか、狂っているとしか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2011年4月14日 (木)

この政府では復興できない・・・

 大震災からすでに一月以上。仮設住宅の建築が始まった・・・というニュ-スは流れるものの、その数はごく少なく抽選で当たった、ごくごく一部の人が入居できるだけ。多くの人たちの避難所暮らしの解消は全くの闇の中。

テレビで、それでも頑張っている人々の話題が流れるのが救いだが、ほとんどの被災者は将来の希望も失い失意の毎日だろうことは想像に難くない。

体育館のような広い屋内にテントを張って、プライバシ-に配慮している避難所の映像も紹介されているが、多くの避難所はダンボ-ルなどで間仕切りしている状態だから、自分の(家族だけの)時間を作ろうとすることさえできないのが現状だろう。被災直後なら仕方ないと諦められるだろうが・・・。時間と共にこれは耐えられない。

仮設住宅を建てるためにも自治体は大変な苦労だという。今回の被災地の地形から、津波の恐れがない高台には広い土地がないのも確かだろうが、見つかったとしても地権者が存在し、その人の了解がなければ一歩も進まないとなると、被災者全てが入れる仮設住宅など夢のまた夢、予算は何とかひねり出せても土地がないとなると、これは絶望的。

役所の担当者は地権者との交渉でてんてこ舞いの毎日らしい。地権者としても先祖代々受け継いだ土地、簡単に市や町(村)に渡せないことは十分理解できるが、この際一人一人の理屈を聞いていれば話が進まないことだけは間違いなさそうだ。

話は少しそれるが、宮城県は『もう少し環境のよい場所に移ってほしい』と願って取り組んでいる、集団避難がなかなかうまく進まないのだそうだ。震災から1カ月以上が過ぎた今も、約1万5千人が避難生活を送る石巻市で、一昨日、県外への集団避難がようやく始まったが、第1陣はわずか8人だったというニュ-スがテレビで報じられた。8人の行き先は秋田市の温泉宿。宮城県として初めて実現した集団避難とのことである。

県内で最も多い避難者を抱える石巻市では、避難所の人々の疲労は極限に達し、衛生環境も良くない上に、避難所としている学校は再開したい。しかし、学校が避難所となっていては教室も使用できない。避難者を違う場所に移動したいのだが、被災者の数が多すぎてその候補地がない。ないない尽くしの中で浮かんだのが集団避難なのだろうが、これも行き詰まり、まさに八方塞がり。

市の職員は必至で被災者を説得しているらしいが、4186世帯のうち約7割の2847世帯が『興味なし』と答えたというから、先行きは全く未知数。これを受けて、市は『条件が合わなければ帰れる』と強調した『石巻方式』をアピールし、チラシで『出発から最初の1週間は元の避難所に戻ることができる』とうたい、職員が避難所を説明に回っているそうだが、担当者の苦労は並大抵ではない。

石巻市以外の自治体も集団避難を模索しているが、ほとんど進んでいないらしい。この土地で長年生活を営んだ人たちには愛着があり、戻れないという恐怖感もあり、簡単に集団避難を受け入れられないことも理解できる。難しい問題である。

また話がそれるが、先日、飯館村で小学校の入学式が行われたというニュ-スがテレビで流れ、嬉しそうな子ども達や、児童を見守る保護者の様子が紹介されていた。この映像にホッとした視聴者がほとんどだと思うが、私は『この土地で学校教育?』と疑問と危惧を抱いてしまう。

先日福島市内でも放射能量がここ数日は下がったといえ2μSV程度、これは危険だと述べたが、飯館村の放射能値はそれよりはるかに高い。こんな場所に子どもたちを住まわせておく事自体、これは将来に対して犯罪的な行為であることは明らか。

以前から述べているが、せめて子どもたちだけでも、戦時中ではないが『集団疎開』が必要だと思うのだが、飯館村だけでできる話ではない。

仮設住宅の建設のこと、集団避難のこと、そして集団疎開のこと、これを実現するためには国の『異常とも思える指導力』が必要。今回の大地震と世界一の防潮堤の存在を信じていたのに、呆気なく乗り越えたほどの大津波で町そのものが消えてしまった超異常事態であることから、直後に『超法規処置』を出すべきだったはず・・・。

今更遅きに失したかもしれないが、この際地方自治体の枠組みを超えて、国が全て取り仕切るというシステムを作らねば、これらの問題など一つとして解決する訳はない。

しかし、政府がやっている事は、責任のオ-ル回避と国民への転嫁。のみならず、事後処理を自治体や国民に押しつけるだけ・・・。そしてアホカンたちがやっていることは、数万円もする防災服で着飾って被災地を見回ったり、ことさらイチゴや野菜を口にして安全を強調するパフォ-マンスばかりとは・・・。

また、今日も愚痴になってしまった・・・。(田舎親父)

2011年4月13日 (水)

私の近くでも液状化による被害・・・

 大震災から丁度一月の一昨日。人々が黙祷捧げたわずか数時間後、再び震度6の揺れが福島・茨城を襲った。幸にして、津波が小さかったので、被害は少なかったようだが、立ち上がろうとしていた人たちの気持ちを冷えさせたことは間違いない。そして昨日も。あの大津波が襲ってきた時刻とほぼ同じ午後2時過ぎ、震度6弱の余震が・・・。

 その前日、10日は統一地方選、注目の都知事は予想通り現職が圧倒的な強さで4選。都議の補欠選挙でも自民党が勝利、都議会も知事の思い通りになったようだから、築地市場移転問題はすんなり、液状化が危惧される(実際に起きた)豊洲に決まるだろう。安全で安心という庶民にとって一番大事な問題など論議されることなく、数の理論で決められていくことが恐ろしい。

 原発のことを無理して頭から切り離し、今回の大震災では各地で液状化現象が起きたことは大きく報じられているので、今日はこの液状化の話題を取り上げてみたい。液状化の被害が特に甚だしかったのは、東京都の境に位置する千葉県の浦安市。

 津波の被害が余りにも凄まじかったので震災後、この地域の液状化の被害の映像はかなり遅れた。そして、今でも余り大きく取り上げられないようだが、マンホ-ルがまるでキノコのように林立している光景に唖然とする。

 マンホ-ルが数メ-トルも持ち上げられるのだから、地面の中に埋められている下水道はズタズタになっているに違いない。水道は復旧したらしいが、下水道を元のようにするにはかなりの日数を要し、こんな地域が市の4分3にも及ぶという。

 先日の新聞に、浦安市内の被害の大きたかった地域の被害状況や暮らし方の紹介する記事が掲載されていた。ある会社員は『家の中にいると気持ち悪くなってくる』とのこと。玄関ドアが閉まらず、室内のドアは『自動ドア』のように勝手に閉まる。下水道が使えず、一家4人は友人宅やホテルの風呂を使う生活だそうだが、下水道が使えないのでは当然トイレも使えないだろうかち、日常的に生活することも難しいに違いない。

 自宅を損害保険会社の鑑定人に検査してもらったら、傾きが1~2度だとのこと。2度も傾いているとなると肉眼でもはっきり分かるだろうから、気持ちが悪くなるのは当然。専門家の修理の見積もりでは、『500万~800万円』かかるという。

 40代のこの会社員はこの家を5年前に購入し、上の子どもは小学校に入ったばかりでローンはあと30年分、3500万円近く残るという。多重債務者になってしまうと頭を抱えているというから悲惨な話。

 浦安市は、液状化した地区の戸建て約9030戸を対象に、家屋の被害調査の最中とのことだが、こんなに数が多いと全てを調査し終えるのに相当な時間が必要になるのではないだろうか。この会社員のような境遇の人たちも多いはず。原発で追い出された人は悲惨だが・・・・こちらも。

 私の住む横浜の片田舎は、山あり谷ありで散歩が即運動という環境。特に我が家は山の中、自転車でひとこぎすればノンストップで駅まで到着するが、帰りが大変なので周りで自転車を見かけることも少ない。その分、液状化とは縁遠いが、横浜線の数駅離れた場所で液状化が起きていたことを最近になって知る。

 そこはやはり都市計画に基づいて整備された住宅街。地震で地表から砂や水が噴き出し、家が傾いたり、道路に亀裂が入ったりしたのだそうだ。横浜市などが応急危険度判定をしたらその住宅地のある、多くの家が傾き、玄関ドアが開かなくなったり、庭から砂や水が噴き出して土が盛り上がり、亀裂が入ったのだそうだ。駐車場が沈み、道路との間に段差ができて車が出入りできなくなった家もあるという。

 この付近は昔大きな池があったが、県が埋め立てて分譲した土地だという。浦安市は海を埋め立て、ここは池を埋め立てた。どちらも市や県が主体に取り組んで住宅地として分譲。

 横浜の液状化被害地は県の責任も大きいはずだが、担当者は『被災者救済は大切。県の調査が可能かも含め検討中』とのこと。当時の関係者たちの記憶も曖昧になっているだろうから、自己責任という言葉と一緒なって払われるのはスズメの涙程の見舞金・・・。

 結局、この国では、泣かされるのはいつも庶民のようだ。(田舎親父)

2011年4月12日 (火)

黒沢明監督の『夢』が予見・・・

 この欄で何度も新田次郎の『怒る富士』を取り上げた。そして先日は、福島原発事故以来、日本の活火山の活動が活発になったということも話題にしたが、ふと、以前、原発と富士山の爆発をテ-マにした映画を見たような記憶が蘇ってきた。

それを先日、数年前にNHKのハイビジョンで『黒沢明監督作品集』の中の一作だということを思い出し、早速ネットで検索してみたところ、たくさんの人がこのことについて語っている。またツイッタ-でもこれに関する多くのツブヤキを発見。

『夢』というオムニバス形式の、黒沢作品にしては異色で、それぞれ『なるほど、こんな捉え方もあったのか・・・』と思わせる8部構成の映画だった。その中の『赤富士』という題からも連想できる、他とは違って原色がベタベタした、まるで岡本太郎の世界のような感じを受けたものである。

黒沢監督の『夢』を取り上げたサイトは数多くあるが、富士山に一番近い原発が『浜岡原発』であり、多くの人が世界で一番危険な原発であると警告している、この原発と富士山の噴火を危惧している『浜岡原発りポ-ト』というサイトがこの映画のシナリオを抜粋している。(http://sites.google.com/site/hamaokareport/kurosawa

 登場人物は、富士山の噴火に怯え、原発の爆発を知っておののく、ごく普通の市民としての私と、子どもを抱く女、そして原発を建造した男。その3人の会話が全てを物語っている。

このサイトには映像があるのだが、それを省略してセリフの部分だけ抜き取って紹介しておく。(以下引用)

私:     何があったんですか?何があったんですか?噴火したのか、富士山が。大変だ!

     もっと大変だよ、あんた知らないの?発電所が爆発したんだよ、原子力の!

男:      あの発電所の原子炉は6つあるんだ。それが次々と爆発しているんだ。狭い日本だ、逃げ場所は無いよ。

女:     そんなことわかってるよ。逃げたってしょうがない。でも逃げなきゃしょうがないじゃないか。他にどうしようもないじゃないか。

(場面が変わり、海。断崖)

女:     これまでだよ。

私:     でも。どうしたんだろ、あの大勢の人たちはどこに行ったんだ?どこへにげたんだ?

男:     みんなこの海の底さ。あれはイルカだよ。イルカも逃げてるのさ。

女:     イルカはいいね。泳げるからね。

男:     ふん、どっちみち同じことさ。放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ。

男:     来たよ。あの赤いのはプルトニウム239。あれを吸い込むと1千万分の1グラムでもガンになる。黄色いのはストロンチウム90。あれが体の中にはいると骨髄にたまり白血病になる。紫色のはセシウム137。生殖腺に集まり、遺伝子が突然変異を起こす。つまりどんな子供が生まれるか分からない。

しかしまったく、人間はアホだ。放射能は目に見えないから危険だと言って、放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない。知らずに殺されるか、知ってて殺されるか。それだけだ。死神に名刺もらったってどうしようもない。

じゃあお先に。

私:     君、待ちたまえ。放射能で即死することは無いって言うじゃないか。なんとか……

男:     何ともならないよ。ぐじぐじ殺されるより、ひと思いに死んだ方がいいよ。

女:     そりゃ大人は十分生きたから死んでもいいよ。でも子供たちはまだいくらも生

きちゃいないんだよ。

男:     放射能に冒されて死ぬのを待っているなんて、生きてる事にはならないよ。

女:     でもね、原発は安全だ、危険なのは操作のミスで原発そのものに危険はない、ぜったいミスは犯さないから、問題はないってぬかしたヤツは、許せない!あいつらみんな縛り首にしなくっちゃ。死んだって死にきれないよ!

男:    大丈夫、それは放射能がちゃんとやってくれますよ。すみません……。ぼくもその縛り首の仲間の一人でした。

私と女が迫り来る放射能を見ているうちに、背後で電力会社の男は海に身を投げる。

(引用ここまで)

 黒沢明は、この映画を通して原発の恐ろしさを世に訴えていたのだろうと思うが、それにしても『夢』の中に、この作品を持ってくるとは・・・。彼の予見能力の凄さを見せつけられている思いがする。(田舎親父)

2011年4月11日 (月)

この国のやり方って、何なのだろう・・・

 被災地でも新学期が始まっている。避難所から登校している子どもも笑顔で久しぶりにあう級友たちとじゃれ合っている姿を見ると、『学校って本当に良いなあ・・・』と思わされるが、今回だけはそのまま素直に受け止めることができない。特に原発の被災地やその周辺での放射能のことを思うと・・・。

福島市は原発の30km圏外。国の基準によると安全圏内であるが、市内の放射能数値を見ると、このところ2.2シ-ベルト(μSV)程度が続いている。放射線は全く目に見えない上、今まで放射能のことなどほとんど考えたこともないので、この値がどれほど危険なものなのか正直ピンとこない。

しかし、普段では0.04μSVというから、約60倍になっていることになる。単に、毎時○○μSVという数値に対して『現在は全く問題はない・・・』という政府やマスコミの説明に、その意味がよく分からないまま『うん、そうなんだ』と思ってしまうのが普通の感覚だろうが、放射能のことが少しわかりかけてきた私には、この問題を『ハイそうですか』と見逃すことができない。

放射能は体内に蓄積するということを知ると、まずどれぐらい蓄積するのだろうという疑問から、単純に計算してみなければ気がすまなくなる。

この2.2 μSV程度の数値が、福島市のどんな場所で観測されたのかは明らかではないが、市長室などの外部から全く遮断された特別な部屋ではなく、普段から、ごく普通に市民が立ち寄れる場所とし、小学校でも十分当てはまると仮定して計算してみることにする。

児童が普段の学校生活において、校庭で活動している時間を仮に4時間。年間の授業日を200日とすると、体内に蓄積される放射能は1760μSVとなる。実際には登下校や休日の過ごし方など考慮すると、ゆうにこの倍、あるいは3倍、いやもっと凄い量を体内に蓄積していると考えてもおかしくない。

さらに、3月中にすでに3000μSVは蓄積されているというデ-タ-もあり、それらを考慮すると、今年度児童が体内に蓄積する放射能の量は、8000μSV(8mSV)くらいは簡単に超えるのではないだろうか。

一般人の年間の被曝限度は、『1mSVまで』と国際基準・法律で決まっている。これを大幅に超える値である。

こんなところで学校生活を過ごさせるのは危険極まりない。まともな政治が行われている国なら、こんなところで児童に学校生活を楽しめなんて口が裂けても言わないのだろうが、わが国は、全てのテレビ局が『福島市内でも、やっと新学期が始まりました』『子どもたちの笑顔がこぼれています』と入学式・始業式の映像を流している。

私は原発の爆発があった直後、半径20kmという狭い範囲ではなく、少なくとも100km以上離れた土地に(戦時中ではないが)『学童疎開』するべきだと述べたが、政府のいう20kmさえ離れていたら大丈夫だという意識が働き、こんな意見はたちまちのうちに埋没してしまった。

それでも、ネットでは本気で心配する人が多く、『福島は本当に安全なの・・・』という声が少しずつ大きくなり、学校ごとの移転も考えられる情勢になりつつあると思ったのだが、この国の政府のやったことは、全くその逆で、国際安全基準を無視して『年間の児童・生徒の被爆の許容量は20mSV』と、文科省が福島県に通達したというから驚き・呆れ・悲しんでいる。

 文科省は体育など屋外活動の実施可否について早期に基準を示す必要があると判断したというが、それにしても一挙に20倍とは、どこにこの根拠を求めたのか分からないが、恐らく、官僚たちが一時的に責任逃れをするため『この程度の数値なら問題はないだろう・・・』と適当に決めたに違いない。

 こんな場所で児童生徒を過ごさせてよいわけはない。すぐにでも撤回すべきだと思うのだが、マスコミには批判する能力も努力もないようだから、ほとんどの国民は国の基準が安全だと思い込むのは必至であろう。

 5年後、10年後、20年後にここで学んだ子どもたちの身に、どんな不幸が及ぶのか考えると恐ろしい。できれば、(またまた私の願望なのかもしれないが)マヤ歴が予言するように、来年の冬至で一旦この世を終焉した方が良いのかもしれない。(田舎親父)

2011年4月10日 (日)

あまりに姑息過ぎる(その2)・・・

 4月6日に総務省総合通信基盤局長の名前で1枚の通達文が電気通信事業者協会・テレコムサービス協会・日本インターネットプロバイダー協会・日本ケーブルテレビ連盟の4つのインタ-ネット関係の諸団体に配られた。

 『東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する要請』というものである。

その概要は、『東日本大震災後、地震等に関する不確かな情報等、国民の不安をいたずらにあおる流言飛語が、電子掲示板への書き込み等により流布しており、被災地等における混乱を助長する』と懸念を表して、インターネット上の地震等に関連する情報であって法令や公序良俗に反すると情報を排除しなさいというものである。

要は、政府に批判的な情報を発するサイトは削除せよという命令。国民を不安に陥れている原因を作ったのは、何あろう政府そのものなのに・・・。

正確な情報を何一つとして伝えずに、『現在のところ心配ない。安全だ・・・』と繰り返すだけ。これこそ流言飛語を生み国民を惑わせることを十分認識しながら、そんなことは臆面にも出さず、権力で押さえ込もうという発想なのだろう。

これは現在も変わらず、状況はどんどん悪くなっている。その一例が『高レベル汚染水を保管する場所がない』との理由で、低レベルの汚染水と称して、数値も明らかにせずに放射能汚染水を海に垂れ流している事実が明確に物語っている。

そのために沿岸の漁民は生活の場を奪われ、やがて日本全体の漁業に危険信号がともることは確実で、最悪の場合、近海の魚(世界中の魚かも)が全て汚染されるということも十分あり得ることは、私のような素人でも十分理解できること。

日本の新聞・テレビは、漁民が困っていることは伝えるが、どんな経緯汚染水を海に放棄するようになったのかなどは、単に政府や東電の見解をオオム返しのごとく報じるだけで、政府・東電の今回の処置に批判的な論調はない。

これはもう『言論統制』そのものではないだろうか。良識的な人たちは、このことを憂え、正確な情報をネットで発信しているが、今回の通達は、その正しい情報は『全て流言蜚語を生む原因であり、国民をいたずらに惑わせる』から、徹底的に弾圧しろという命令そのものであると断言しても差し支えない。

何という姑息・・・。この政府には国民の命を守るという、最低限の良心の一片もないのは間違いないところ。

 政府の手先に成り果てた現在の日本のマスコミは、『原発反対のデモ』の存在すら報じない。昨日、アメリカの大手メディア『CNN』がこのデモを大きく取り上げていることを知り愕然とする。

 その中で唯一のヒットは、先日、デモを報じないNHKが、福島原発1号機は11日の地震当日の夜までに原子炉の水が、核燃料が露出する直前まで減り、安全のために最も大切な『冷やす機能』を保てなかったという事実を公表したことではなかろうか。

 他の原発が爆発するのはそれから数日後。要は、これまで政府・東電が発表していた、想定できないほどの大津波で外部電源が切れたからではなく、地震そのもので原発の安全機能そのものが壊れたことだということに他ならない。

NHKがどういう意図でこの情報を公開したのかは理解できないが、このことについては政府も東電もダンマリを決め込んでいる。

昨日の昼から、突然原発のライブ映像が消えている。その前にはかなり黒煙が上がっていたことから、何かが起きたことは明らか。なのに、政府・東電はこれまたダンマリ。何という姑息な集団なのだろう・・・。(田舎親父)

2011年4月 9日 (土)

あまりに姑息過ぎる(その1)・・・

 一昨日の深夜に震度6強の地震が、またまた東北地方を襲った。この世に神はいないのだろうかと思わずつぶやいてしまう。被害の少ないことを願う。そして、被災された方にはお見舞いを申し上げるしかできない自分が情けない。

度重なる地震は、外国籍の人間から献金を受けていたことが明らかになったのに、知らなかったと居すわるアホカンにお灸の合図なのかもしれないが、この恥知らずの男は握っている権力は誰に何と言われても手放そうとはしないのだから、神よ、存在するのなら直接手を下してほしいもの。これは私だけではなく、多くの国民の願いではないだろうか。

そのアホカン政権が、東日本大震災の復旧・復興財源をめぐり民主党政権は、国家公務員の給与を5%カットする案を考えているらしい。

このカットで1500億円を捻出する計算だそうだが、震災直後、自民党のタニガキ総裁(こちらもアホカンと似たようなものだろうが)から復興税の新設をささやかれてその気になったり、あるいは党内からの消費税率を上げて復興財源に・・・などという意見も強まっているなど、改めて、国会議員という政治屋の頂点の集団を形成する輩は、自分たちの身は一切切らず、全てを国民に押しつけるとはまことに身勝手、呆れてものが言えない。

今年の予算は先日成立したらしいが、その中で計上されている国家公務員の給与費総額は3兆7642億円とのこと。民主党案では、月給などを特例的に5%削減する給与法改正案を通常国会へ提出して成立をさせるのだそうだ。

恐らく、民党や公明党、あるいはみんなの党もの議員たちも体質は同じだろうから、政争の道具として使うだろうが、最終的には賛成、成立するような気がしてならない。目論見通り成立し、6月以降に引き下げた場合、約1500億円が捻出できる見通しなのだそうだ。

国家公務員の給与が高すぎるということは良く議論される問題である。確かに、上級の国家公務員の待遇は極めて恵まれているというか、あまりにも庶民感覚とはかけ離れていることは確かだろうが、国家公務員全体からすれば、こんな連中はごく一部ではないだろうか。その一部の高級官僚と言われる公務員の給料を下げ、特権をやめるというなら話が分かるが・・・。

それ以前に、まず政党助成金などをカットしようとする議論がないのだろうか。政治活動にはカネが必要ですから政治献金は受け取りますよ、と自分たちに都合のよいことはダンマリ。この増額が300億円兆。しかも国会議員一人当たり4000万円超の給料などを少しでもカットするという議論もなく、他人の、しかも圧倒的多数の薄給の公務員からむしりとるとは酷い話である。

今回の災害で、消防や警察の人たちの活躍は素晴らしい。身の危険も省みず、原子炉に立ち向かっている姿には頭が下がる。しかし、本来はこんな任務は絶対になかったはずだが職務命令で動かされるのだから気の毒だとしか表現のしようがない。その意味でも、心の底から東電と御用学者の無責任さに憤りを覚える。しかし、さらにそれ以上に活躍しているのは自衛隊であることは誰の目にも明らか。

彼らは正真正銘の国家公務員。政府やマスコミが自衛隊嫌いなのかは不明だが、その活動はあまりテレビなどでは放映しないが、外国のジャ-ナリストが撮影した映像をネットで見ると、その献身的な活動には涙が止まらなくなるほどである。

その国家公務員である自衛隊員の給料を引き下げるということを、普通の神経の持ち主なら、現時点では言えないはず。それを政治屋というのはシャ-シャ-と言い出すから恐ろしい。

災害復興の第一次補正予算は3~4兆円だという。どんな計算でこの数字が出てきたのかは窺い知れないが、あの惨状と避難している人たち多さ、その生活をある程度もとに戻すためには、全くの素人の当てずっぽうかもしれないが、数十兆円、いや国家予算分くらい必要なのでは・・・と見積もっている。

それに比べ、1500億円。今献身的に働いている国家公務員(地方公務員に矛先が回ってくるのは間違いない)の給料を減額して1500億円をひねり出そうという姑息さは口にするのもおぞましい。(田舎親父)

2011年4月 8日 (金)

風評被害?の元は情報隠蔽・・・

 大震災で大勢の人々が避難を余儀なくされ、大変な苦労を強いられている。町役場ごと遠隔の地に避難している地域も少なくない。そればかりか、東電と政府の仕組んだ、いい加減な低レベル(実際には十分高レベルだろうが)放射能汚染水を海に流し、海を放射能で汚染された漁民の怒りと嘆きの言葉が満ち満ちている。

 私自身、怒りと絶望感で連日このことが頭から離れず、近場の温泉にでも・・・という気にもならない。時に、近くの公園で花見を楽しむ団体を見るが、こんな時酔っぱらって大声で騒いでいて良いのだろうか・・・と思う反面、こんな時だからこそ普段の生活をすることが大切では・・・と葛藤する日々。

結局は、どちらともない曖昧な気分になり、そのままなにもせず帰宅、ネットで新しい情報を得、ツイッタ-でつぶやく生活の繰り返し。毎日書いているコラムも、やはり大震災と原発の話題になってしまう。いつになったら違うことに触れることができるのか思いながら、今日もまた・・・。

原発の爆発事故で、気象庁は放射性物質の拡散予測を連日行っていたにもかかわらず公開していなかったが、最近になってやっと拡散予測を初めてホームページで公開したというニュ-スに、何故今までこんな大事なことを知らせなかったのだろうと、改めて怒りを覚えると同時に、(まさかそこまではしないと信じたいが)デ-タ-に何らかの手が加えられていないことを願いたい。

 記事によると、この拡散予測は、放射性物質の〈1〉地上への降下量〈2〉大気中の濃度分布〈3〉大気の流れに沿ってどう流されたかを示す『流跡線』の3種類だそうだ。同原発からの放射性物質放出量などが不明なことから、同原発から1ベクレルの放射性ヨウ素131が放出されたと『仮定』して計算したとのことだが、『仮定』の数値が本当に正しいのか大いに疑いのあるところ。

 それはともかく、気象庁の地上への降下量についてのシュミレ-ションによれば、4日午後3時から72時間で放出される計1ベクレルのヨウ素131は、風に乗って南西方向に拡散し、その結果、7日午前9時までに地上に降下した積算量は、東北南部から関東までは1平方メートル当たり10兆分の1ベクレル程度に薄まっていたのだそうだ。

 沖縄本島付近~朝鮮半島南端では同1000兆分の1ベクレル、台湾ではさらに100分の1小さい値の同10京分の1ベクレルとなっているとのこと。10京分の1に薄まるとなると、まるで全く心配ないようにも感じるが、最初の数値が違うと、この計算は全くナンセンスになることを考えると、単に数値通りと受け止められないことだけは間違いなさそうだ。

 先日も話題にしたので繰り返しになるが、低レベル(本当は高レベルだろうが)の汚染水を海に流した結果魚介類に汚染が進んでおり、漁業に深刻な影響を与えている。

福島件や周辺各県の野菜(特にホウレンソウなどの葉物)や原乳などに放射能反応がでたことを受けて、早速暫定基準を改めて、一挙に30倍まで引き上げたことはすでに述べたことだが、これまで基準値がなかった魚介類にも、同じような暫定基準にすることを決定したというニュ-スに、またこの政府お得意のごまかしかと愕然とする。

恐らく、大慌てで作ったものだろうが、植物と動物を同じ基準値にするとは何という暴挙なのだろう。先日も指摘した通り、生態学を全く無視した論理にはただ呆れて開いた口がふさがらない。

 基準値が決まったことで、早速、茨城県内の漁協は放射能検査を行い、新たに設けられた基準値をクリアしていると安全宣言を出した。漁師たちはそれを信じて漁に出かけたが、魚には値がつかず、結局のところ漁そのものを諦めたという。ある意味、これは当然の結果であり仲買人を責めることはできないだろう。全ての責任は放射能を垂れ流した政府と東電にあるのだから・・・。

 しかし政府はこれを風評被害だと、市場や仲買人たちに圧力をかけたというから責任などこれっぽっちも感じていないようだ。本当に安全かどうか分からないものを、安全だからと言って市場には出せない、という市場関係者の意見ももっともなもの。

例え、権力に逆らえず、市場が扱ったとしても、消費者が買い控えすることは確かで、それを風評被害だと大騒ぎする方が間違っている。

 漁を続けている千葉県産の魚も市場でと価格が急落しているらしいから、次は神奈川県産、そして静岡県産と広がり、今後、四国九州はもちろん日本海沿岸で捕れた魚であっても、値段が下がるのは避けられないのではないだろうか。

 海は広いから放射能なんか薄まる・・・。何という浅はかな発想なのだろう。

今すぐ、汚染水を海に放出する愚挙をやめなければ、日本の漁業は死んでしまう。またまたウソツキ長官が全面的な補償をすると明言しているらしいが、全漁民の生活保障などできるはずはなく、口先だけの一時逃れ。

今日も文書を書いていて、気持ちが重く暗くなってくる。(田舎親父)

2011年4月 7日 (木)

原発を覆い隠す・・・本気らしい

 『建屋が吹き飛んだ1、3、4号機に、特殊な布をかぶせて放射性物質の飛散を防ぐ策を政府が検討している』という記事があったのは爆発が起きたすぐ後のこと。この記事を見て、私は『臭いものにはふた』ということわざを思い出し、隠すつもりなの・・・という意味のことをつぶやいた記憶がある。

 その時は具体的な案など示されず、単に思いつきが先走ったのではとあまり気に止めなかったが、数日前には、その案にそって明日にでも工事が始まるような記事があったことに驚き。本気かしら・・・と再びつぶやきを発信した。

 新聞記事によると、政府関係者(これまたうさんくさい表現だが)が明らかにしたのだそうだが、東電原発事故で、原子炉建屋を特殊シートで遮蔽する工事を行う方針を固め、東電に可否を検討するよう指示したとのことである。それを耳にして、放射能を遮断するシ-トなどあるのだろうか、というのが私の素朴な疑問。

 そんな素材があるのならこの案も面白いが、御用学者を含めて専門家の口から、こんな便利な素材があることなどついぞ聞いたことはない。政府の会議での議論の過程でも多くの専門家からは『放射性物質の拡散を抑える効果は限定的で、リスクの方が大きい』という意見があったそうだが、政治判断で押し切ったとのこと。またわけの分からない政治判断という言葉、なんだかなあ・・・と思ってしまう。

 その中身であるが、高さ約45メートルの建屋の周りに骨組みを建ててシートを張り巡らせ、内部に観測機器を設置するのだそうだが、この広報を提案したのが大手ゼネコンだというから、なんともうさんくさい話である。

 もしもそんな素材があったなら・・・という仮定で考えてみるが、この素材がある程度の高温にも耐えられるならすぐに、建物を覆う作業は可能だろうが、数百度の温度に耐えられる素材だとは考えられない。

仮に、現在の高温が何らかの拍子に温度が下がり、安定した状態になったとしても、シ-トで密閉したら、内部の放射能が上昇することは素人でも分かる話。そんな中では危なくて復旧作業を続けられないことは間違いない。下手すると、内部の圧力が上昇して再爆発を起こす可能性の方が大きくなるのではないだろうか。

それにしても、ゼネコンが出した工費は800億円。工期が1~2ケ月だそうだが、うまくやれば自分たちの技術を宣伝でき、しも失敗しても、政府の責任となるのだろうからこんな美味しい話はない。どうやら、このシ-トで覆うと言う案はこのあたりから出ているのではないだろうか。

 すぐにでも着工するのかと思ったが、政府も少しビビッているのだろう、この案をいろいろと議論しているらしい。やりたいのは山々らしいが、現在は建物周辺の放射能値が高いので、結局のところ、放射能値が下がるだろうと見越して、着工は早くても6月以降、完成は最短でも9月となる見通しだというから、政府内部でも徐々にこの案に対する不安が広がっているようだ。

 当初予測したように、所詮この案は『臭いものにはふた』ではないが、完全に破壊されて原子炉がむき出しになった無残な姿だけは、一刻も早く諸外国のメディアから隠したい・・・という政府筋の見栄と焦りとゼネコンの拝金主義と合致したものだろう。

こんな案が、まことしやかに議論しているとしたら、原発事故の終息の可能性が見えるまでは相当な時間がかかることだけは間違いないようだ。いや終息はないのかもしれないと思うと、絶望感がよぎる。(田舎親父)

2011年4月 6日 (水)

食卓から魚がなくなる日は近い・・・

 『このところ、歩きはじめた時、時に少し胸が締めつけられる症状を自覚』とかかりつけの医師に3月11日(大震災の日)につぶやいたら、念のために心電図をとることになり、先週検査を受けたが異常はないとのことで一安心。

しかし、さらに念のために心臓の超音波映像と負荷をかけた場合の新図などを調べるとのことで、一昨日は午後から検査。検査自体は1時間ほどで終わったのだが、その結果を聞くために待ちも待ったり何と4時間。病院の待合室で・・・。

4時間過ぎてやっと医師の診察の時にわかったことだが、循環器科のその医師は今日が初めての診療だという。『慣れないので大変お待たせささせた』と丁寧に謝罪されると腹も立てられない。なるほど一人に30分もかけているのだから、4時間待つのも仕方ないと苦笑するのみ。

おかげでという言い方は変だが、病院の備え付けの『アエラ』の最新号(震災特集)を隅から隅まで読めた上に、音声は小さいながらテレビの画面が目に入るので、その日のNHKの全ての番組を見ることができた。(普段は昼間にテレビの電源は完全OFF状態)

ある時間帯のテレビの映像は、低レベルの放射能汚染水を、準備が出来次第海に放出するという、東電の幹部だろう?と思われる人間が一応沈痛な顔をして発言していた。思わず『ウソだろう・・・』とビックリ。こんな重大なことを東電が勝手に行って良いのかと驚きのあまり声を失う。

恐らく事前に政府と打ち合わせが終わっていたらしく、追随するようにウソツキがしゃしゃりでて、『極めて低濃度なので、近くの海でとれた魚や階層を1年間毎日食べても人体に影響がない・・・』という、明らかに悪意を持って国民を騙している発言に怒り心頭になるが、そんなウソツキの発言を信じるのが今の日本人。いつもならすぐにテレビの電源を切ってしまうのだが、病院ではそれもできず、腹立たしさと虚しさを感じるだけ・・・。

そして、自宅に帰ってから、実際に1万トン以上の低レベル?の放射能汚染水を海に流したことを知る。低レベルと言うが、客観的な第三者組織が確認していないのだから、数値は東電と政府があらかじめ設定したものに違いあるまい。これを低レベルはと信じる人は少ないと思いたいが・・・。

翌日の新聞には早速、50kmの沖合でコウナゴから1キロあたり4080ベクレルの放射性ヨウ素が検出された』という大見出し。このコウナゴからは放射性ヨウ素のほか、同セシウムが暫定基準(これも3月18日に大幅に引き上げられた)の500ベクレルに近い447ベクレルを検出したのだそうだ。

茨城県の魚協では、津波に加えて原発事故で漁業が休業に追い込まれている。漁の再開にあたり、1日までにコウナゴなど5種類を試験的に採取して放射能を調べているとのことで、確か前日には、基準値以下のレベルで安全宣言をしたというニュ-スが流れたはずだと記憶しているのに、早速、汚染水放出の影響が出たのではないだろうか。

さすがの厚労省も、これらの魚のうちコウナゴについては野菜類(根菜、芋類を除く)の2千ベクレルと比べて高いことなどから食べないようにと通達を出したようだが、いよいよ魚の放射能汚染は避けられなくなったのは確実。もっとも農水相には事前に放水の連絡がなかったらしいから、内閣はバラバラ状態・・・。

漁協や県の担当者は、沖合でのコウナゴ漁はやめているので、市場に出回ることはないとのことだが、『やめている』ということは人間が捕らないというだけで、自然界ではコウナゴを餌にしているイワシやアジがおり、さらにイワシやアジなどを食べるカツオやカンパチなどの大型魚が存在し、全ての生き物たちが食う・食われる関係、いわゆる食物連鎖を形成していることは、小学校の高学年の理科の教科書でも扱っていること。まさか担当者が知らないわけではあるまいに・・・。

茨城県ではコウナゴ漁をしなくても、アジやサバなどは安全だと言われているそうだからこれらの魚は捕るだろう。千葉県や神奈川はじめ本州沿岸の海ではまだ汚染されていないだろうと思われているだろうから、こちらではコウナゴ漁は続いているに違いない。

しかし、恐ろしいのは、海の生き物たちの食物連鎖に連なる大型の魚になればなるほど体内の放射能物質が濃縮されること。このことをウソツキは意識的に隠しているがこんなウソがいつまでも通じるはずがない。

日本近海の魚が放射能で汚染されるまで時間はさほどかからないだろうから、魚が危ないという声が大きくなるのは時間の問題。昨日のテレビニュ-スなど見ると、すでに大きくなり過ぎて、現政府では対応は不可能になっているようだ。

野菜も汚染されている。間もなく原乳はもちろん牛や豚や鶏の体内にも放射能が濃縮されることが明らかにされるだろうから、恐ろしくて口にできなくなるのでは時間の問題。

いよいよ食卓に並ぶものがなくなっていくようだが、今日は魚の話題にとどめたい。(田舎親父)

2011年4月 5日 (火)

火山の動きが無気味・・・

 少し古い話になるが、先月下旬の新聞に『東日本大震災を起こしたM9.0の巨大地震の後、関東から九州まで少なくとも13の活火山の周辺で地震が活発になった』という見出しがあったこと、今さっき急に思い出し、その新聞を探してみた。

きっかけは、東日本大震災や原発事故の報道が優先されて、このところ新燃岳の噴火のことが全く報じられなくなっているが、きっと地元では火山灰の処理などで大変苦労しているのではないか・・・ということが、ふと頭に浮かんだからである。

記事によると、地震が増えた活火山は、関東や中部地方の日光白根山、焼岳、乗鞍岳、富士山、箱根山。伊豆諸島の伊豆大島、新島、神津島。九州の鶴見岳・伽藍岳、阿蘇山、九重山。南西諸島の中之島、諏訪之瀬島であるとのこと。新燃岳が入っていないのが不思議であるが・・・。

そういえば、11日の大震災に続いて、15日には静岡県の富士宮付近でM6.4の地震があり、横浜でも震度4程度の揺れがあった。11日の揺れがあまりにも凄まじかったので、あまり感じなかったが、今思い出すと相当なもの。記事によると、それが富士山の活動と関係がありそうだとの記述。

箱根周辺では通常の1日2回程度の地震が、1週間で1050回あり、北アルプスの焼岳では山頂から半径5キロ以内で通常の1カ月に数回の地震が、1週間で約350回以上に増加したという。 地震の専門家によれば、これらの現象は今回の大地震と関連があるらしいとのことだが、またまた新田次郎の小説『怒る富士』を思い出す。

 記事には、富士山が爆発したのは1707年。その直前(49日前)に東海、東南海、南海の連動地震が発生し、2004年のスマトラ沖地震(M9.1)では、地震後の数カ月間に周辺の10以上の火山で地震が活発化、1年4カ月後にはインドネシア・ジャワ島のメラピ山が噴火したという記載が続く。

 これらの火山活動は徐々におさまりつつあるとのことであるが、なんとも気になる。もしも、富士山が何らかの異常を示すようだと、今盛んに心配されている東海地震も起こりうる可能性もなくはない。

 ここまで書き進めてみて、日本列島の活火山が一斉に活動を活発にしたら、と想像すると急に文章が続かなくなってしまった。

 原発のことが頭から離れないのかもしれないが、もし、そんな地震が東海沖で起きたら御前崎にある浜岡原発は間違いなく崩壊するだろう。

すると・・・。 今日は体調が優れず、ついついマイナス思考に引っ張りこまれるのでここで打ち切りとする。(田舎親父)

2011年4月 4日 (月)

それでも原発推進派知事が当選とは・・・

 4月10日は複数の都道県の知事や県議会議員、政令都市の市会議員の投票日だが、東日本大震災と東電の福島原発の大事故の影響からか、各陣営候補の街宣車による連呼がほとんど聞かれないという、今までになかった様相を示している。

あの意味のない『○○でございます・・・』という、単に名前の連呼は煩いだけ。かえって『コイツにだけは入れたくない・・・』と思わせるだけだと思うのだが、何故かずっとこの連呼が続いているのは、人間心理として連呼によって名前がすりこまれ、ついつい投票用紙にその名を書いてしまう傾向があるのかもしれない。

まあ、それも選挙期間の恒例行事だと思うことにしているが、恒例行事もできないこんな時期に、選挙をして良いのだろうか・・・という素朴な疑念は消えない。

神奈川県でも知事と県会議員の選挙が行われるのだが、私は投票所に足を運ぼうと言う気になっていない。かといって、期日前投票に出かけようという気にもならないのは、何もこんな時期にやらなくても良いのでは・・・という気持ちが強いからだろう。

この時期だから選挙が必要だという意見も多いと聞くが、私のような気持ちの人も少なくないはずだろうから、確実に投票率が下がるのではないだろうか。普段の選挙でも、地方選挙となると50%を下回るのがほとんどだろうから、下手すると投票率が30%なんてこともあり得ることではないだろうか。そんなわずかな人たちの支持で当選した人が知事になってよいとは思えないのだが・・・。

それでも、神奈川の場合は一応の選挙体制は整っているのだが、被災地では選挙どころではないだろう。福島・宮城・岩手の東北三県では選挙は延期とのことは当然だが、被災地は三県に限らない。

液状化で相当な被害を受けている千葉県の浦安市は、以前から選挙の延期を求めていたが、国や県は法律違反だとその求めを却下、選挙を行うことが決まったが、市長と市選管の委員長が、東日本大震災による施設の被災で投開票所の安全性が確保できないとして、県議選浦安市選挙区の投開票事務にはあたらないと表明したそうだ。

私のように直接被害を受けていない者であっても現在の心境では投票したくないと思っているのだから、浦安市民の多くは(特に被災された人たち)は選挙どころではないのではないだろ。

その市民の感情を見極めて市長が延期を求めていると信じたい。市長が選挙延期を求めても選挙は選管の権限。今回も被災地でも浦安以外は全ての実施の方向と言うから、いかに浦安の選管が困難さを認識しているかよく分かる。

このままでは選挙が行われないことになりそうだが、この場合どうなるのだろうか。大変興味深く見守っていると言うとお叱りがきそうだが、できれば、選挙が延期となるという前例を作ってほしいと願っている。

 選挙といえば、14の都道県の知事候補者たちが今回の原発事故をどう受け止めているかが興味深いところだが、再選を狙っている現都知事が福島に視察に行った時『私は原発推進派です・・・』と明言したという。北海道の現職候補が『これからも安全には万全を期して・・・』と発言した以外のマスコミ報道では聞こえて来ない。

現職の都知事の発言は、以前から、原発を東京に作れば良いとは言い放っている御仁だから当然だと思わないでもないが、よくぞ福島県民の前でこんなことを言えるものだと呆れるだけ。こんな発言をする人間が都知事で良いのだろうか・・・。

マスコミの分析では、そんな現職が圧倒的な強みだそうだから、都民は結局原発推進の意志を示すことになりそうだ。多分、ほとんどの都民は『原発なんて東京からはるかに遠いところで建設されるだろう。今回の惨事でも停電にもならのだから・・・』となると、これはもう他人事と受け止めているというしかない。

北海道も対抗馬が民主党推薦ということもあって、現職が有利に選挙戦を進めているとの情報。結局は、都民・道民は原発推進派の知事が当選するのだと思うと、国民は今回の原子炉事故に対してその悲惨さを認識していないことになる。

このことは神奈川でも同じだろう。ここまで書き進めてくると、『死に票』を覚悟して原発反対を明言している女性候補に一票を投じなければ、という気持ちが動き出す。

神奈川の場合、私の票は『死に票』だと言うことは確実だが、東京では『ひょとして』と淡い期待を抱いている・・・。(田舎親父)

2011年4月 3日 (日)

下手なパフォ-マンスよりもっとやることがあるだろうに・・・

 凄い映像がネットで流れている。アメリカの無人の偵察機が破壊された福島原発の上空から撮影したものだというが、2号機以外はその建屋は完全に破壊され、原形を想像することも難しく、素人目には原子炉そのものが傷ついているのではないかと思われるほど凄い惨状である。

 これでは水漏れは当然。いくら海水を注入しても無駄で、結局汚染された水が海に流れ地下水にしみ込むのは当たり前に思えるが、原子炉を冷やさなければならないことは確かなので、国民の目を引きつけるためにはこんなイタチゴッコが行われていたようだ。

 政府・東電は白煙と黒煙という表現で、原子炉の爆発を否定しているが、3号機から小さなキノコ雲がでている映像から推察すると、爆発したことは確実だろう。しかし、マスコミも決して『原子炉爆発』という表現を使わない。

 海水からは非常に高い放射線の値。農作物や原乳などからも基準値を超える放射性物質が検出されているが、相変わらずノラリクラリ。

マスコミはそろって(大衆紙はかなり批判的に扱っているが)、あたかも事態は小康状態だという思わせる報道を続けているが、実際には、飯館村などでは直ちに避難しなければならない状態。今後、異常が生じたら誰が責任をとるつもりなのだろう。そんな時は、俺たちはとっくに引退、知ったことではない・・・という影の声が聞こえてきそうだが。

世界各地で普段より高い放射能を検出しているという。すでに日本の野菜などを禁輸した国も出ており、工業製品であっても企業には放射線を被爆していない『証明書』を求められる企業も続出と言うから、このまま放置すれば、日本の製品そのものが放射能で汚染されているという風評が広がりかねないのでは・・。

このことは、様々な人が専門的な指摘しているので、私が今更話題にすることもなかろう。そこで今日は、ごく庶民的な話題を選んで見ることにする。

 先月末に内閣の閣僚たちのテレビで見る映像は、そろってベ-ジュのように見えるお揃えの作業服だった。胸には民主党のロゴマ-クが鮮やかところから、恐らく新調したに違いないだろう。

 こんなことを思っていると、さにあらず、その時着用していたものはあらかじめ誂えられていたものだということを後で知った。青とベ-ジュの2色の作業服が用意されていたようだが政権交代からこの方、着用する機会がなかったからだけだったらしい。

 ところが、今回の東日本大震災と原発破壊事故を受けて、改めて、国会議員や秘書が着用するおそろいの『防災服』をあつらえることを決めたのだというニュ-スを大衆紙が報じていた。

記事によると、この『防災服』は、右腕に『民主党』の文字と、赤い丸を2つ重ねた同党ロゴマークが入るデザインだそうだ。党総務委員会が議員に配布した『党防災服購入のご案内』には、色は濃紺で、サイズはSSから5Lまで8種類を用意し、金額は5000円程度。4月中旬に配布する予定だとのことである。
 民主党の国会議員は衆参409人。議員1人に3人いる公設秘書は1227人で合計1636人。単純計算で防災服代は818万円にもなる計算。まさか公費で一括購入処理はないとは思うが、個人で購入するにしても必要経費と言うことだろうから、結果的には税金から・・・となることは間違いなさそう。

今までも何か災害があると、歴代総理や担当大臣は防災服姿で国会答弁している姿がおお馴染みになっているが、『現場で陣頭指揮をとるわけでもないのに、わざとらしい』と思っている人も多いに違いない。

私もその一人。まして今回おそろいの作業服など下手なパフォ-マンスそのものとしか思えない。単純計算で800万円あまりのお金を、震災で親を失った子どもたちのために使ってほしいものである。(田舎親父)

2011年4月 2日 (土)

水とプルトニウムを同じ単位で比べるとは・・・

 また原発の話題になるが、このところやっとプルトニウムという言葉が解禁になったらしく、時々この言葉を聞くようになった。

先月30日のNHKが、福島第一原子力発電所で、敷地内で採取した土壌を分析した結果、今回の事故に伴って放出されたとみられる微量のプルトニウムが検出されたとあり、続いて、東京電力によると断り、検出されたプルトニウムの濃度は国内の通常の土壌に含まれる濃度とほぼ同じレベルで、人体に影響のあるレベルではないとのことだと伝えていたが、通常でもこんなに高い値のプロトニウムが検出しているの?という疑問がわく。

このことは後で取り上げるとして、採集した日が21日から翌日にかけて・・・という箇所がうなずけない。プルトニウムを原料の一部としているプルサ-マル運転をしていたのは3号機。その3号機が爆発したのは21日だったと記憶しているが、東電はこっそり測定していたことになる。

そして、知らんぷり決めつけて、プルトニウムという言葉をウソツキ長官が口にしたことから解禁となり、1週間以上も遅れて『実は・・・・。でも人体には影響のない数値・・・』というお得意のゴマカシのパタ-ンにはウンザリする。

東電の発表をそのまま伝えるという姿勢に徹しているらしいNHKは、文章の頭には必ず『東京電力によりますと・・・』という枕詞をつけているが、何故、もう少し踏み込んだ報道ができないのだろう。これでは、東電とのできレ-スのようにも思えてならない。

NHKが発表した文書を引用すると―――

『東京電力によりますと』、21日から翌日にかけて、福島第一原子力発電所の敷地内の5か所で土壌を採取し、外部の専門機関で分析を行いました。その結果、1号機から西北西におよそ500メートルにあるグラウンド付近と、同じ1号機から北に500メートルにある固体廃棄物貯蔵庫の付近の2か所で、今回の事故に伴って放出されたとみられる微量のプルトニウムが検出されたということです。

『東京電力によりますと』、検出されたのは、プルトニウムの仲間でプルトニウム238と239、それに240の3種類でグラウンド付近の場合、このうちのプルトニウム238が1キログラム当たり、およそ0.54ベクレル検出されました。この濃度は、国内の通常の土壌に含まれる濃度や、過去に大気圏内で行われた核実験で国内に降ったプルトニウムの濃度ともほぼ同じレベルです。仮に同じ濃度の食べ物を1キログラム食べたとすると、被ばく量は成人の場合、50年で0.12マイクロシーベルトになります。

これは一般の人が1年間に浴びても差し支えないとされる1ミリシーベルトの8000分の1ほどの値です。福島第一原発では、3号機でプルトニウムを含む燃料を燃やす『プルサーマル』を実施していますが、プルトニウムは通常のウラン燃料を使ったほかの原子炉でも生成されるため、『東京電力では』、どの原子炉から放出されたか分からないということです。 ――― 引用終わり(以下略)。

 これでは、プルトニウムは出たことは間違いないが、政府が微量だから安心だと言っているから大丈夫だという、政府や東電の言い分をそのまま伝えていることにすぎない。まさに戦時中の大本営発表そのもの・・・。

 プルトニウムの測定値は1kgあたりの値だというのが、ごまかしの極みに感じてならない。水の場合はプルトニウムは全体に拡散しているだろうから、汲み上げた1リットルの水を検査すれば良いのだろうが、土壌となると表面からの深さが当然問題になるはず。

プルクニウムは重いというが地中深くもぐり込むはずがなく、表面近くに付着しているはず。だから地面近くの土を薄く1kgとって測定するのと、細い管を深く差し込み、その1kgの土で測定するのとでは、極端に値が違うことは当たり前。

恐らく東電の測定は前者でないことだけは確かだろうと思っていたが、先日テレビニュ-スで土壌を採集している映像があった。解説によると、5センチ四方を15センチ掘り下げた土を標本にしているとのことだが、どう見てもスコップのようなもので深く掘り出しているようにしか見えない。

百歩譲ったとしても、5センチ四方ではなく、プルトニウムは地表近くにたまっているのだから、20センチ四方を2センチの深さまでぐらいとしなければ、信頼性のある値はでて来ないことは間違いない。

しかも、土と食べ物を一緒に扱っているのもまやかし。プルトニウムが人体にどのように影響するか、量的な関係は素人の私には具体的には理解できないが、自然界に存在してはいけないもの。食品から検出されるのも当たり前だと言わんばかりの書き方は許されるものではない。(田舎親父)

2011年4月 1日 (金)

中学校の教科書が厚くなったとの報道に・・・

 3月11日の地震と津波、さらに東電の原発の大事故以来、このことが頭を離れず、何をしても楽しめない憂鬱な日が続いている。変な表現だが、自分自身『原発性精神疾患』になったのではと思うほど、被災者の悲嘆さを思うとやりきれなくなり、東電や政府の態度に憤る。しかも自分では何もできないことに絶望感。

この小詳の話題もその関連ばかりで、書いている方も何か気が重くなっているので、年度も変わったこともあり、少し気分転換の意味でも、今日はあえて全く違う話題を取り上げてみることにしたい。

一昨日、文部科学省は来年度から中学で使用される教科書の検定結果を発表した。連日原発事故一色だったので、このニュ-スが目立ったのかもしれないが、例年に比べて取り扱い方は大きかったような気がする。

主に社会科の教科書での竹島の扱いが大きく取り上げられていたようだが、教科書のペ-ジ数が平均で22%多くなったことも大きな話題になっている。特に理科や数学で、それぞれ45%と33%増えていることを話題にしていた。

昨年、小学校の教科書の検定結果がでた時、この問題を取り上げた。私がほんの少し関係しているのは理科だけであるが(と断って)、理科の教科書は、質の良い薄い紙を使っているのにも関わらず、分厚さは従来の1.5倍以上になっていること。当然ながら、いかに記述内容(学習内容)が増えていることが誰の目にも明らかだと述べた。そして、今回の教科書では『発展』というマ-クが随分目立つと述べた記憶がある。

今まで指導要領で学習内容はガチガチに決められており、それを逸脱することは絶対に許されなかったが、新指導要領はこれも規制緩和の一つなのだろうが、ガチガチではなく柔軟性を持たせているのだそうだ。

それが教科書にも反映して、『発展』という言葉や記号をつければ、その内容が上級学年や高校の学習内容であっても記載できるようになっているから、小学校の教科書同様分厚くなるのは当然である。

従来の教科書検定会議では、指導要領を少しでも逸脱する記述は厳しくチェックされていたのだが、今回は検定新議員の誰かが『指導要領では高校の内容なのに、ちょっと理解が難しいのでは』というつぶやきも、『発展』というマ-クがついていると仕方ないのだそうだから、全くそのことは議論の対称にもならなかった。

小学校の場合は理科を得意とする教員は極端に少なく、指導書頼りなので『発展』というマ-クがあった項目に対しては、『図書館やインタ-ネットで調べてみよう』ということで逃げられるだろうが、中学は理科を専門に履修してきた教諭が授業を担当するのだからこんな逃げは通用しないのではないだろうか。

 今回検定で合格した教科書はすでに出来上がっている頃、間もなくそれらの教科書を並べた採択が全国各地で開かれるが、現場の教師たちの驚愕する姿が目に浮かぶ。

現場の実態を知り、教師の要望を聞くことによってよりよい教科書をつくるという『タテマエ』が通用する世界。教科書の裏表紙には大学教授などに混じり相当数の校長の名が見られることからも明らかなように、学校現場と教科書会社と間にはかなり結びつきが強い。

ベテランと呼ばれる教師たちもそれぞれの教科書会社からの誘いが強く、多くの場合は特定の教科書会社が一本釣りしていることは公然の秘密だが、若い教師や教科書会社とのつながりを潔よしとしない教師が多いはず。彼らはこの教科書をどう扱うのだろう。

確かに『発展』の内容は『必ずしも扱う必要はない』と明記されているが、教科書は生徒(最近はチェックする親が増えている)にとってはバイブル。『これは教えないよ』とスル-できるとは思えない。

現在実施されている週休2日制は変わらず、授業時間の増加は学習内容増には全く追いついていない(追いつけば大変だが)。教科の指導だけならまだしも、普段の生活指導は当然として、最近はそれ以外の仕事が学校に押しつけられている現実。これではますます精神疾患を患う教師がふえるのではないだろうか。(田舎親父)

 (追記)教科書の著者は大学の教官などの理科の専門家たち。そして中には小中学校の理科を得意とする校長やその取り巻きの教員が加わる。
 この人たちの『子どもの視点』という見方は、『子どもにとっては最新の知識がいっぱいつまった』と同義語である。当然のことながら『こんなことも、あんなことも、子どもが知っているのが望ましい・・・』となるのは当たり前。すると、どうなるのかは想像がつく。なるほど、何でもあり教科書ができるのも当たり前。その方法が『発展』マ-クなのかもしれない。
 文科省の『何でもあり方針』を決めた担当方は、教科書にはできるだけ子どもたちにとって有意義な情報をという先生たちの要望を聞いた結果だと答えるだろうが、この先生たちとは現場で実際に子どもたちを指導している担任の先生ではなく、教科書会社に協力的な『センセイ』方である事は間違いなさそうだ。(数年前のコラムの一部から改定し転載)

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