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2011年6月

2011年6月30日 (木)

最近の司法はかなり変・・・

 先日、福岡高裁が、諫早湾の水門を期限付きで開けるようにという判決を出したことに、アホカンさんは飛びついて『すぐに開門して調査・・・』と発言、佐賀県側の漁業関係者と長崎県側の農業関係者が、仁義なき戦いに突入したことはすでに述べた。

 それぞれの言い分がある。立場の違いで、それぞれの正当性が別れるようだが、一つだけの真実は『水門など作らなかったらよかった』ということではないだろうか。環境への影響なども子細に調査することなく、有明海にたいした負荷をかけるものではないという国の思い込みで工事が強行され、実際にあの凄い映像のような水門が諫早湾の一部を締め切り、海水の浸入を許さない地域が表れた。

 長崎県は当然のごとく農地を干拓、入植者をつのって一大農園団地つくり今日に至っている。開拓民にしたら、開門となると塩害などの被害を受けることは当然だろうから、命を張って阻止したいところ。一方、佐賀県側の漁業関係者にとっては、開門すれば資源が戻ることが確信しているとなると、こちらも命をかけて開門を主張するのはものの道理。

 その争いに火をつけたのが、先日の長崎地裁の判決。地裁は『水門が貝などの資源の現象に明らかな証拠がない』という理由で、『早急な開門は必要なし』という判決。ますます住民同士の血で血を洗う争い発展するのではないだろうか。どうも最近の司法界は、互いに自己主張が強すぎる判決が多いようだ。

 三権分立は民主主義の基本理念だと小学校の社会科で教えるように決められている。司法はその一つ。独立している機関とされているが、最近の裁判所の判決では、マスコミに迎合するような感じで、独立性などどこにあるの・・・と思われる判決が多すぎるような気がしてならない。

裁判所には家裁や地裁、高裁、最高裁と歴然とした上下関係が決められており、ある意味、上位下達がはっきりしていると思っているが、最近は地裁と高裁の判断が違う場合も珍しくなく、結果として最高裁に審理が移ると、いとも簡単に上告棄却や無効という判決が出るのも最近の世の習いか。

『組織の透明化』という錦の御旗の元、昨年から導入されている『裁判員制度』も何となくうさん臭い制度で、素人の判断を仰ぐのが透明化につながるというのも変な話。むしろ専門職である裁判官の質を高める方が大事だと思うのだが・・・。

 そんなことを日頃思っているのかもしれないが、28日付けの大手の各紙が、校庭から蹴り出されたサッカーボールを避けようとして転倒した男性(死亡当時87)のバイク事故をめぐり、ボールを蹴った当時小学5年の少年(現在19歳)に過失責任があるかが問われた訴訟の判決結果を伝えている。

裁判長は『ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた』として過失を認定。少年の両親に対し、男性の遺族ら5人へ計約1500万円を支払うよう命じたとのことである。

 記事によると、少年は2004年2月、愛媛県内の公立小学校の校庭でサッカーゴールに向けてフリーキックの練習中、蹴ったボールが門扉を越えて道路へ転がり出た。バイクの男性がボールを避けようとして転び、足を骨折。その後に認知症の症状が出るようになり、翌年7月に食べ物が誤って気管に入り死亡したとのこと。

 記事から推察すると、体育の授業ではなさそうだ。私の知る限り小学校では、サッカ-ゴ-ルは倒れないように校庭に固定してあるか、校庭の隅っこに倒しておいてある場合が多い。そして、固定してあるゴ-ルは、休み時間などに子どもたちがそこを的にして蹴り込んでも、安全なように周りの環境には配慮しているはず。

まして、ボ-ルが校庭外に出るなどということは普通あり得ないと言って差し支えないと思っている。愛媛県のこの学校がどんな地域にあったのかはわからない。放課後や休日でも自由に出入りでき、子どもたちか遊べる環境だったのかもしれないが、それならばさらにゴ-ルなどの置き場もきちんとした管理がなされていたと思いたい。

 そのあたりの詳しい背景は記事にない。裁判官がどのような根拠で『道路に出ることを予測できた』と判断したのかは不明だが、もし、簡単にボ-ルが外に出るような場所となると、学校の施設管理に問題があるに違いない。

もっとも、管理責任を問われると、間違いなく教育委員会は学校を厳重に囲い込み、自由に出入りができない、都会の学校のようにしてしまうのだろうが・・・。

控訴審でこのあたりがきちんと解明されることを望みたい。(田舎親父)

2011年6月29日 (水)

表土を入れ換えるだけでは・・・

 文科省が放射能基準を年間20ミリシ-ベルトとの通達を出したことについての批判は何度も述べている。この値は、1時間あたりにしておよそ3.8マイクロシ-ベルトになるそうだが、世界の常識から見たら、通常時においては原子炉建屋に入る作業員でも許されないほどの高い値。文科省っていったい誰のためにどんな仕事をする役所なのだろう。

そもそも、普通の感覚で考えたら、子どもを守らねばならない文科省という役所がそんな値を決めること自体考えられないのだが、今回の原発事故については、常識や良識などは吹っ飛び、ただ情報は徹底的に隠蔽しての時間稼ぎと、補償をいかに少なくするかというカネ(利権)絡みしかないのだから困ったものである。

ところが、この処置に対しては、さすがの文科省も世間の批判に譲歩したのか、年間20ミリシ-ベルトは変えないものの、『1ミリシ-ベルトに持っていく努力を・・・』なんて言い出し、福島県内の自治体が独自で打ち出した『表土の入れ換え』も追認。さらに、校庭の放射線量が基準値を超えた学校への土壌処理費用の支援を、福島県外にも広げることを決めたというから、カネは唸るほどあるようだ。

しかし、その基準値は毎時1マイクロシ-ベルトだから、この環境下で生活していると被爆量は年間では8.7ミリシ-ベルト程度になる。これは、事故が起こる前の平常値からみるとやはりトンデモなく高い値。やらないよりはましだろうか、子どもたちを野外で活動させて安全とはとても言えない数値であることは間違いない。

栃木、茨城、宮城の各県には近く通達を出すのだそうだが、先日話題にした群馬大学の教授が示した分布図では、高い場所はこの3県だけに限らず、むしろ千葉県や東京都、あるいは神奈川県にも及んでいるのは確実だろうから、これらの地域の学校でも表土の入れ換え工事を支援しないと不公平。ここまで通達が出るのかも注意深く見守る必要かありそうだ。

特に、茨城、千葉、東京の常磐線にそった地域と都内の下町の線量が高いこと明らかになり、千葉県の柏市や流山市、松戸市などでは住民の不安が極限に達しはじめたという情報も聞こえてくる。

流山市では市の公式サイトでさえ、1時間あたり高い地域で0.42マイクロシ-ベルトと発表しているが、NPO団体や個人が測定した値は、先日など2.6マイクロシ-ベルトと映像入りでネット流れていたから、こちらの方が信頼性はあるようだ。これは、とても安心して住める場所ではない。

松戸市や柏市でも同じような傾向があり、校庭の表土の入れ換えも一部はじまっているらしい。また、足立区や墨田区などの一部でも線量が高いホットスポットと呼ばれる地域があるという。

ホットスポットなんてまるで霊感を感じる地点のような命名は感心しないが、新宿都心も千代田区の官庁街にも線量の高い地域があるというのだから穏やかではない。実際に過日、新宿西口で1.8とか2.2とかの値を検出という記事かあった記憶がある。

放射線汚染物質はかなり重い性質があるので、地表かごく地面からごく薄い部分に蓄積されることは以前から知られていること。地表の土を剥がして、新しい土を入れれば汚染度が下がるのは理に適った方法だろうが、子どもたちの生活の場は学校が全てではないことを為政者は知ってほしいもの。

また学校内では、最近配られた線量計(実際には実測値を目視できない型だそうだが)で放射線値を測定して、例えば『1.2マイクロシ-ベルトだから、今日は屋外に出さないでおこう』と、子どもたちを教室に閉じ込めて置くことができるが、下校後は無理。親も閉じ込めておこうと、両者にストレスが溜まり親子間の別の深刻な問題にも発展することも十分可能性がある。

公園も表土の入れ換えがあったとしても、子どもたちの遊び場全体の表土の入れ替えなどとてもできるわけはない。

福島県民全体を今後30年かけて健康観察という人体実験そのものの施策に1000億円もかける愚は止めて、今すぐ、福島県内はじめ線量の高い地域の子どもたちを、長野県以西の過疎地へ避難させることだと以前から主張している。

過疎の村には必ず『廃校』がある。子どもたちは村のオジイオバアが預かれば、村はすぐにでも活性化するはず。1000億円あれば、教員の雇用も十分可能。移住を希望する子どもの保護者には、田舎で生きていく生業の支援もできるだろ。

こんな簡単な仕組みを、何故優秀な官僚が思いつかないのだろう。いや思いつかないのではなく、意識的に人々を汚染地に縛りつけたいのに違いない。今回の福島県民全員の30年にわたる健康観察はその明確な証拠。原発事故の人体への影響を調べる明確な意図の表れだと思わざるを得ない。(田舎親父)

2011年6月28日 (火)

人工知能につながる可能性?・・・

 昨日の東京新聞に『人工知能につながる技術を開発 不要な情報は忘却』という見出しを見つけた。

人間の脳のように大切なことは記憶し、ささいな情報は『忘れて』しまうコンピューターの開発に役立つ次世代素子を、物質・材料研究機構(茨城県つくば市)のチームが開発したという内容である。チ-ムはすでにイギリスの科学誌ネイチャーマテリアルズ電子版に発表したとのこと。

 一見、素晴らしい科学の進歩につながるような記事である。記事の記述も、周囲からの刺激や経験に応じて賢くなっていく人工知能につながる技術と持ち上げているような感じだが、私には『何故、コンピュ-タなる機械を人間に近づけたいのだろう・・・』という、素朴な疑問が広がる。

チ-ムリ-ダ-の長谷川某氏は『不要な情報をいつまでもため込んでいると無駄が生じ、装置の大型化やエネルギー消費の増大が避けられない。次世代コンピューターに応用できそうだ』と話しているというが、無駄な情報という定義を誤ればトンデモない方向に向かうのでは、と何か得に知らぬ恐怖感が湧いてくる。

 記事は続く。チームは、生物の神経細胞どうしの情報伝達を担うシナプスが、受ける刺激の頻度に応じて伝達効率が高まるのに着目し、銀や白金を組み合わせた微小なスイッチを作り、両端に電圧がかかると銀の原子が飛び出して電極の間を橋渡しし、信号が伝わりやすくなるように工夫したのだそうだが、私にはそもそも『シナプス』という言葉の意味が理解できない。

 記者氏が理解できずに書いているとは思えないが、注釈でもつけるべきだろう・・・なんてブツブツつぶやきながら、仕方ないのでウィキペデア(ネットの百科事典)で言葉の意味を調べてみた。

そこには『この記事は検証可能な出典がまったく示されていないか不十分です』と、こちらはご丁寧な注釈つき。要はほとんどがはっきりしたことがわからない分野らしいことだけは確かのようだが、一応、そのまま引用しておくことにする。

シナプス(Synapse)は、神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、ないし神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造である。化学シナプス(小胞シナプス)と電気シナプス(無小胞シナプス)、および両者が混在する混合シナプスに分類される。シグナルを伝える方の細胞をシナプス前細胞、伝えられる方の細胞をシナプス後細胞という。(引用ここまで)

 私にはほとんど理解できない言葉が羅列してあるようだが、その道の専門家となればこれで十分らしく、チ-ムの研究者たちは『電圧をかける頻度が少なく、完全に橋渡しされない状態だと、銀の原子は元の場所に戻り、信号の伝達効率が落ちる』ということを発見し、これを『使われない記憶が長い間に失われる脳神経の仕組みに似ている』と気づいたというから凄いもの。恐れ入るとしか表現できない。

さらに、『使われる頻度に応じて保持する情報を取捨選択する記憶装置などに応用可能とみている』との結論に達し、今後人工知能の研究と開発に利用するのだそうだ。

人工知能という意味が判然としないが、私にはコンピュ-タの世界だけではなく、知的障害の人たちの知能の向上や回復まで視野に入れているのではと何か蠢くものを感じる。飛躍し過ぎる発想かもしれないか、漠然とした、それでいて、これは何やら変な情報だぞというささやきも聞こえてくる。

 知的障害者が最近とみに目立つようになっている。公園などでは必ずといって良いほど、この人たちが介護の人に見守られながら散歩している場面に出合わす。介護の人たちはベテランらしいが、そばで見守っているだけで、特に知的な指示を出すことなど(私の見た限りは皆無)はない。

 今回の研究が、それらの人々の知能の回復に寄与できる可能性があるとしたら、これは大変な朗報で素晴らしいことだと思いたい。メディアが取り上げる価値が十分あることも確か。しかし、回復する知能が、ある一部の意図を持った人たちの思う方向に向いているとしたら・・・。これは恐ろしいことではないだろうか。

 人口知能の発展はある意味、意義のあることだが、使う人によってどんな用途にでも応用できることも気になるところ。批判力がない人工知能は両刃の剣、私としてはこれ以上必要ないと思っている。

 改めて、『不要な情報は忘却』という言葉の意味を感じさせられる・・・。(田舎親父)

2011年6月27日 (月)

福島県産の野菜が全て安全 そんなバカな・・・

政府が『福島県北部のホウレンソウなどの葉物野菜と同県東北部のカブについて、3週連続で放射性物質が暫定規制値を下回ったことから、出荷制限を解除した』と発表したのは23日のことだった。

放射能汚染が爆発的に広がったのは事故後の10日間あまりだということは、今頃になって、政府・東電などから少しずつ出しはじめている情報でも裏付けられている。

放射能汚染はわかっていたはず。にもかかわらず徹底的に隠蔽し、野菜の検査をしはじめたのは、ある程度数値が落ち着いた3月下旬になってからだった。それも、福島県産もあったが、むしろ茨城県や栃木県産のパセリやカキ菜だったことに驚かさせられたことを記憶している。

さらに、群馬県のバセリも入っていたことで、当時は全く放射能汚染地図が明らかにされていなかったこともあり、群馬県まで汚染されていることに恐怖心が起きたものである。以来『風評被害』という言葉が広がり、各地で大騒ぎになっていることは今更述べるまでもない。

今回の政府発表では、3月下旬に始まった野菜全般の出荷制限は、これで原発周辺地域を除き、すべて解除されたことになるのだそうだが、原発の位置関係から思うに、福島県産の全ての野菜(シイタケなど一部の野菜はまだ解除されていないらしい)が安全などとてもではないが考えられない。

福島県産の野菜は全て安全と言いながら、同日、神奈川県相模原市、松田町、山北町の茶葉について、規制値を超える放射性セシウムが検出されたことから、出荷制限を指示したというが、こちらは実際に検出されたとしても納得し難いものを感じる。

茶葉が特に放射性セシウムを吸収しやすいという科学的な根拠でもあれば、なるほどと思うが、それも明らかにされていない。常識的に考えると、むしろ地表に近く育つコマツナやホウレンソウなどの葉菜類の方が吸収しやすいと思うのだが・・・。

 先日、群馬大学の早川教授が『東日本の放射能汚染地図』を発表。見た人も多いと思うがかなり衝撃的。(http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?n=110228

 専門的知識が乏しいほとんどの国民から見ると、どれほどの信憑性があるのかははっきりしないが、学生時代地球物理を少しかじった私には、原発直後の汚染が爆発的に広がったと思われる3月15日前後の天気図から読み取る風向きなどから、早川教授の作成した地図は精度が高いと信じたい。このことはドイツの気象台が作成した汚染地図ともほぼ一致するのも恐ろしい。

 福島県産の全ての野菜が解除となると、大手を振って出回ることになるのは確実。意識のある人は、買わなければ良いだけの話だが、すでに『国の制限値を下回っているのだから安全』という東京都知事はじめ、自治体の組長も多く、学校給食で使っている(これから大手を振って使う)とのことだから、こちらの方は防ぐ手立てがないのが恐ろしい。

 本来なら、福島県産の野菜は全て政府か買い取り、農家には作付けをしない補償をするべきなのに、そんな措置は全くとらず、今回のような一方的な通達で、一番食べさせてはいけない子どもたちに食べさせる道を広げるとは、到底納得できるものではない。

 私は何度も『学校給食』が学校教育の諸悪の根源だと述べている。今ここで改めてそのことを語ることはしないが、給食を拒否することができないこと(一部、親の申し出を容認する自治体もあると聞いているが、何でも横並びの学校では、それが原因で子どもたちの間にすきま風が吹き、イジメなどに発展することも十分考えられる)が今回の最も気になるところ。

 官房長官の子どもが海外避難していることは公然の秘密だが、富裕層の人々は競って子どもを関西方面に避難させているとのことも良く聞く話。京都の友人からは、最近近所の小学校へ転入してくる児童の保護者の職業は東電関係が多いという情報も入っている。

 結局この国では、全てのツケは心身ともに貧乏人である一般国民が払わされようになっているようだ。(田舎親父)

2011年6月26日 (日)

被災証明書があれば無料? なんだかなあ・・・

 少し話題は古くなるが、高速道路の『休日上限1千円』の料金割引と無料化の『社会実験』が19日いっぱいで終了し、最後の日曜日は、駆け込み利用で渋滞したらしい。

わざわざ渋滞がわかっているのにでかけなくても良いと思うのだが、休日には家族をどこかに連れて行かねば・・・という脅迫概念は、最近の平和な家庭には当たり前の精神構造になっているらしく『休日千円』の効果は各地の行楽地を賑わしていたようだ。

『休日千円』がなくなったら、行楽地にでかけることができる家族は少なくなることは間違いなさそう。ということは(強迫観念はともかく)、折角景気対策として動き出した、週末の観光地詣での風潮がしぼんでしまうのは避けられないようだ。

 この『休日千円』方式は、自公政権当時の2009年3月、景気対策の一環として2年間の予定でスタートしたと記憶している。大都市近郊を除く地方を対象に、ETC搭載車限定で実施されたのだが、私はこの施策には疑問を持ち続け、何度が反対の立場から話題にしたものである。

民主党はマニヘェストでは高速料金は無料と掲げてきた。確かに全て無料にすれば、日常的に渋滞という問題と、並行して走る一般道路の沿道地域の衰退という問題は起きるだろうが、料金所やETCのような利権絡みのシステムは不要。

経済効果も高まることは間違いないだろうが、実際政権をとったら財源がないとのことで(国交省の官僚に丸め込まれたのが本当のところだろうが)中途半端な『無料化実験』と称して昨年の年6月からは、全国の約2割にあたる37路線・50区間で無料化を始めたが、これも財源問題を持ち出されて動きがとれなくなっていたようだ。

そのため、有料化に戻したいと思っていたらしいところに、今回の大震災原発事故が起きた。ある意味、政府としては、口が裂けても待ってましたと言えないだろうが、実際には口実としては、『災害復旧』というタテマエができたというところだろう。

ついでにという語弊があるが、『祝日千円』まで廃止。あくまで全て『全面無料化』のための実験だから、復興財源がないので、とりあえず中止という説明は、何となく世間的には受け入れられているようだ。

ところが、それに変わって導入したのが、東日本大震災の被災者らを対象に東北高速道路などでの無料化を始めたと聞いて、また一つ事務手続きが複雑になり、そのために相当な予算が必要になるはずだと唖然とする。まさに場当たり的としか表現のしようがない。どこまでこの政党はいい加減なのだろうかと怒りを通り越して呆れてしまう。

 『被災者に対して復興支援という立場で無料にする』というスタンスなのだろう。しかし、どうして被災者を見分けて対処するのかに注目していたら、案の定、被災した自治体が発行する『被災証明書』で料金の徴収する・しないを決めるとのこと。これでは、わざわざ国が抜け道を作っていること。ザルもザル、大ザルのやり方である。

すぐに問題になるだろうと思っていた矢先に、この被災証明書が、ネットのオ-クションに登場したというから、思わず笑ってしまった。オ-ションに出した奴は許し難いが、被災証明書というのは各自治体の判断で、何枚でも出せるという代物だというから、オ-クションに出して一儲けを企みたくもなるのは、わからないでもない。

自治体によっては、2日間の停電も『被災』の範疇として、申請があれば何枚でも出しているとのこと。そういえば、先週、被災証明書を求める人々というタイトルでテレビが報道していた風景を思い出す。少なくとも自分には関係なさそうだと、今日見なく呆然と見過ごしていたが・・・。

 こんなムチャクチャなやり方が現在も続いているに違いないが、不思議なことに、マスコミはこのことを取り上げない。『取り上げてはならぬ』とでも命令がだされているのではないだろうか。

 被災証明書を何枚も得て、それを親戚縁者ばかりか、友人知人に配りまくっている輩も存在しているに違いない。それを使って東北道をタダで通り抜けている家族連れの観光客も多いのではないだろうか・・・。

 『法の抜け道を知らない方が悪いのだ』というような、今回の方式は即刻止めなければ東北各県の復興はともかく、日本人全体のモラルの低下が心配である。

『今更心配しても仕方ない。すでにこの国にはモラルなんて存在しないのだから』との影の声も聞こえてきそうだが・・・。(田舎親父)

2011年6月25日 (土)

三峡ダムの上流にさらに巨大ダム建設・・・

 久しぶりに中国情勢を得るのに有用な『大紀元日本』というサイトを開いてみた。そこには『長江上流で新ダム建設を計画 三峡ダムの2倍規模=三峡集団が発表』という見出しと、以前、実際に雲南省旅行の際に、長江上流の金沙江で見た風景を思い出す写真が掲載されていた。

この風景を見た場所は、金沙江の水面から高さにして800メ-トルはあったと記憶している。眼下には幅1キロもある大河が、独立峰に遮られて大きく迂回、ほぼ360度(Ωを反対にしたような図式といったら理解してもらえるかもしれない)流れが変わっている『金沙江第一湾(だったと思う)』と呼ばれる景色が俯瞰できる展望台である。

当時、中国という国の大きさを実感した記憶がはっきりと蘇る。三峡ダムは写真でしか見たことはないが、今思うと、ダムができる前は、私が見たと風景と同じような、雄大な大パロラマが広がっていたに違いない。

確かに、そこにダムを造ったとしたら落差は数百メ-トル。信じられないほどの巨大なダムが出現するだろうことは想像できる。掲載されている写真にはすでに川面近くの樹木は伐採され山肌が露出している悲惨な光景が広がっている。さらに流れもせき止められているように見えるから工事が始まっているようだ。この映像が本物だとしたら、環境破壊は半端なものではない。

記事によると、今月18日に召集された『国務院常務会議』で、政府は三峡ダムプロジェクトに移住や生態環境の保護、災害防止などの問題があると認めたばかりだが、ダムの運営会社である『三峡集団』は19日、長江上流に4つの巨大な水力発電ダムを新たに建設すると発表。長江上流の金沙江に渓洛渡、向家壩、烏東徳、白鶴灘の4つのダムを建設し、現在の三峡ダムの2倍の規模となる4300万KWの発電能力を持つことになるという。

そのうち、渓洛渡ダムはすでに2005年に着工し、2013年から使用開始する見通しで、中国2位、世界3位となる1386万KWの発電が可能になり、向家壩ダムは2006に着工し、来年にも送電開始を予定しており、640万KWの発電能力を有するとのこと。この数値は、東電が毎日発表している供給可能電力が約4000万KWというからその凄さは想像を絶する。

中国という国は共産党の一党独裁が続いている。少数民族を大切に扱うというのはタテマエで、チベット情勢が示すように、自分たちの都合の悪いことに対しては徹底して弾圧する政治体制であることは明らか。

しかも、土地の所有は認めず、一片の通達で退去を命じることができると聞いている。雲南旅行で知ったが、こんな山奥にも信じられないほど大勢の少数民族が住んでおり、彼らは現代文明とは無縁の平和な暮らしを営んでいる。

日本のメディア決して伝えないが、(映像から見る限り)このあたりの山奥で平和に暮らしている人々にも退去命令が出され、工事が強行されているのだろうと思うと、なぜ人間という生き物は、(権力を握ると)自然を全く元の姿が想像できないほど徹底的に破壊し、人々の文化伝統を根底から否定する、これ程許し難い、理不尽なことができるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

『三峡ダム』の出現で長江流域の気象が大幅に変わり、今春、『50年に一度』の大干ばつに遭い、国内最大の2つの淡水湖である鄱陽湖と洞庭湖が干上がり、現在は大雨で大洪水の危機にさらされ、数十万人の人が避難していると伝えられている。

『三峡ダム』そのものも、満水状態で、いつ崩壊しても奇怪しくない、というネット情報も伝えられているが、これを上まわるダムが、中国の至る場所に作られていると聞くと日本の原発事故とは異質ながら、中国という国の将来も同じように暗いことは明確。

中国政府は人民の生活など全く考慮しないで、エネルギ-を得るためには(自分たちの利権を得ることが第一だろうが)手段を選ばないようだ。もっとも、わが国の原発も同じような発想から推進されたものだから、権力を手にした輩が行う行為は、古今東西時空を超えて共通していることなのだろう。(田舎親父)

2011年6月24日 (金)

エッ  ウンコから肉?・・・

韓国の『ノーカットニュース』が、ある日本人科学者がこのほど人間の大便を利用して食用の『糞肉』を発明し、その栄養価値は非常に高いと伝え、韓国のインターネット上で大賑わいになっていると、中国網日本語版(チャイナネット)が報じている記事を見つけた。

この話題あまり取り上げたくないが、ふと先日横浜動物園(ズ-ラシア)で見たチンパンジ-の生態が目に浮かぶ。その行為は、数年前にも旭山動物園でも目撃したこと。その時の様子も思い出す。

共通している行為は、チンパンジ-が樹木に座ってお尻からウンコを出し始めたということ。トンデモないシ-ンを見たものと目をそらそうとしたら、何とそのウンコを食べはじめている。

見学者は一斉に『ウソッ-』と大騒ぎ。その騒ぎを見ていた飼育員は『よく見られる行為です』と解説し、『場合によっては投げつけることもありますから、気をつけてください』とのこと。私も含めて全員後ずさりしたことはもちろん、投げつけられたら大変とばかり、防御の姿勢を示す。

話を戻すが、報道によると、日本人科学者の池田光行という人がこのほど、人間の糞の再利用実験で糞便に豊富なたんぱく質が存在することを発見し、食用の『糞肉』の合成に成功したのだそうだ。『池田光行』で検索したら、この種の話題ばかりなので、日本でもネットではかなり騒がれているらしいことはわかるが、実在の人物かどうかは不明。

記事が面白いのでそのまま紹介するが、池田氏は、『この糞肉は、人間の糞に含まれるたんぱく質を分離した後、豆類や牛肉などの物質と合成したもので、味は牛肉と同じ』と話しているという。

この種の『肉』に含まれるたんぱく質は63%に達し、そのほかに25%の炭水化物も含まれ、栄養価値が非常に高く、販売価格は普通の肉類より10~20倍高いとのことであるが、チンパンジ-の生態を見る限り、何となくあり得る話のようにも思える。

昨日話題にしたように、人糞はつい一昔前は『下肥』と呼ばれ、最高の肥料だった事実から鑑みると、恐らく、飽食状態にある日本人のウンコはチンパンジ-のそれよりもはるかに栄養分は豊富だろうから池田某氏の研究も全くのデタラメ情報でもないかも・・・。実際に本当の話だとしても、その肉は決して口にしたくないが・・・。

 韓国のポータルサイト『ダウム』では、ネットユーザーからの大きな反応があったそうだ。あるネットユーザーは、このニュースを利用して韓国政府関係者を皮肉り、『韓国の大統領官邸の食堂は大量に糞肉を購入すべき。そして、食堂にカメラを設置し、テレビで生中継してほしい。政府関係者が糞を食べるのを見るのはおもしろいと思う』という書き込み、その書き込みにはかなりの反響だとのことだから、韓国でも政府には信頼感を持っていない国民が多いことは確かのようだ。

また、『日本の科学者は人間の糞で食べ物を作ることができ、日本の科学技術は非常に発達していることがわかる。韓国人も日本人科学者に学んでほしい』と言う意味の書き込みも多いという。

どんな気持ちで書き込んでいるのかはわからないが、もし食料難の時代が来ることを予測しての書き込みだとしたら、単なる『いたずら心』と見逃せないものがありそうだ。

『糞肉』など決して口にしたくないが、恐らく近い将来、放射能汚染数値が徐々に明らかになるにつれて、野菜や魚肉はもちろん牛乳や肉類などの汚染範囲が進み、普通の感覚では危なくて食べられなくなることは確実のようだ。

それでなくても、食料が不足することは世界中の大問題。食料の奪い合いが第3次世界単線に発展するだろうと予言する専門家もいることを考えると、この話題の持つ意味は大きいものがあるような気がしてならない。(田舎親父)

2011年6月23日 (木)

北朝鮮では人肉が取引?・・・

 20日付の『韓国日報』という韓国メディアが『食糧難が長年続いている北朝鮮で、人肉が売られるというショッキングな事件が起こっていた』と、普通の感覚では信じられないような記事を報じていた。
 犯罪事例が掲載されている北朝鮮当局の内部資料を、韓国のキリスト教団体が入手したとのことだが、資料では、食糧難を反映した事件が最も多かったといい、その一例として、警備員として働いていた男が同僚を殺害して一部を食べ、残りを羊肉と偽って市場で売った事件が掲載されていたのだそうだ。

同紙によると、資料は2009年6月に警察に相当する人民保安省(現在の人民保安部)が参考資料として作成し、地方の出先機関に配布。721件の事件が具体的に紹介されており、人肉関連事件は5件もあったとのこと。

麻薬犯罪は日常茶飯事とされているようだが、軍の通信線を切断して食糧と交換したり、当局者が国際機関の支援物資を横領して摘発されたケースも載っているというから、全くのデタラメと決めつけるわけにもいかないようだ。

メディアが報じる北朝鮮の政治体制は無茶苦茶。国民が飢えに苦しむ中でも故金日成主席の生誕100年となる2012年をにらみ金主席の銅像整備などを最優先に行っているほか、特権層のための超高層アパートの新築準備も進めているという。核開発も相変わらず継続中で、アメリカなどは躍起になって止める動きをしているようだが、それすら国際的な交渉の取引に使うというから、政治は全て特権階級の生活を豊かにするための手段になっているようだ。

(関連するが)一時は、日本国内でも北朝鮮からの核攻撃などと、メディアがこぞって国民の恐怖心を煽るような報道を繰り返していたが、福島原発の事故以来、そのたぐいの報道はまったくなくなったようだ。これは、北朝鮮の核問題より、国民に原発事故の真実を知られないように腐心している政府の報道官制だとしか思えないのだが・・・。

それはさておき、北朝鮮の食料難は深刻でしかも慢性的だということは間違いない。国際社会はこのまま見逃すことができず、世界食糧計画(WFP)という国際組織は今年4月、飢餓状態にある子供や女性、高齢者ら350万人への緊急食糧支援を開始することを決めたとのこと。しかし、これらの食料が人民に行き渡らない可能性が大きいのではないだろう。

何とかならないものだろうかと思うのだが、振り返ってわが国を思うと、確かに食料は有り余っているように見え、人々は快楽を求めて走り回っている姿に、北朝鮮に比べてはるかに恵まれているように見えることは間違いない。しかし、原発事故から見えるように、真実を徹底的に隠し、子どもの将来など全く無視し、高濃度に放射能汚染された土地での生活を強要している政府が、本当に国民の幸せを願っているとは思えず、数年後、数十年後の現実を想像すると、北朝鮮を憂える余裕などまったくない。

果たしてこれが幸せなのだろうと自問すると、答えは『否』としか見いだせないのが悲しい現実。

話か行ったり来たりするが、政治が機能していない北朝鮮でも食料増産は緊急の課題となっているが、肝心の肥料が入手できないこともあって、当局からは『人糞を集めろ』という命令が出されているというニュ-スに興味を持つ。

人糞というと現在のわが国では『死語』になってしまった感があるが、つい50年前までは人糞は『下肥』と呼ばれ、野菜などの肥料として欠かせなかったことを知っているのは、私たちの年代以上になってしまったようだ。

私は小学生時代『開(ひらき)』と称する町で暮らしていた。町の名からわかるように新しく開かれた町。毎月のように決まった農家の人(おじいさんだったと記憶している)が肥桶を引いた大八車で下肥(しもごえ)を杓で汲んで持ち帰ったものである。しかも、現在では信じられないだろうか、くみ取り料は不要であるばかりか、某かのお礼として野菜や米をおいて帰ったものである。

町の周りは全て田んぼや畑だったので、下肥を貯めて発酵させる『ドツボ』と呼ばれていたため池があちこちにあり、時に誤って落ちる子どもをいたことも懐かしい思い出。

化学肥料がなかったと言えばそれまでだが、一昔前までは、それほど肥料としての価値が高かったことを表している。江戸時代の文献を繙くと、この下肥の運送で生活していた人々も多いこともよく分かる。

現在のわが国は、全てと言っても差し支えないほど下水が完備され人の糞尿(最近はペットまで)は下水処理場に直行。化学肥料の弊害を見直す動きが出始めたことを考えると、もったいないことおびただしい。

今更、下肥を集めるなんてことは無理だろうが、北朝鮮の人々の動きは単に嫌悪感を持つだけではなく、少し考える価値があるのではないだろうか。

なんだか今日は変な方向に話が流れてしまったが・・・。(田舎親父)

2011年6月22日 (水)

ますます酷くなる交通事故・・・

 今日は『夏至』。朝から気持ちよい青空が広がっている。まさに夏を思わせる一日になりそうだが、気温が30℃を軽く超えるようだから、バタバタと倒れて病院に運ばれる人が多いのではないだろうか。また、東電と政府は『これも電力がないからだ』と、原発稼働の世論つくりの材料にするかと思うと腹立たしい。

さて、2ケ月前に起きた、登校中の児童6人がクレーン車にはねられ死亡した事件は、『てんかん』の持病を持つ運転手が、薬を飲み忘れ意識を失って運転していたとのこと。現場検証でその運転手がしょんぼりとしている姿がテレビで流れた後、すでに忘れ去られたように続報はない。

『持病の薬を飲み忘れ』や『持病を持っている人間の管理の仕方』などで、本人や家族、あるいは雇用主に重大な過失の有無など、法律には疎い私には全くわからないが、歩道に突っ込んだ時点で、意識がないことが証明されたら、事故そのものに対する責任能力は問えないのではないかという、ぼんやりした懸念は持っている。

すると、死亡した6人の子どもたちの命は(言葉を選ばす表現すると)犬死としか言いようがない。これでは親御さんたちが悲惨すぎる。しかし、この運転手に重い刑罰を与えたとしても、子どもたちの命が返って来るわけではないと思うと、不運だったとしか言えない?・・・のだろうか。

同じような事件・事故は不思議に重なるもので、数日後やはり小学生の集団登校の列に突っ込み死傷者を出す事件が報じられた。さらについこの間、80歳代の男性が歩道にかなりのスピ-ドで突っ込み、数人をはねとばし一人を死亡させるという事件は、常識的に考えると事故など起きる場所ではない。しかも、ブレ-キとアクセルを踏み間違ったという、信じられないような初歩的なミスとは・・・。

また、先日は東名高速で居眠り運転のトラックに追突され、母娘ら三人が死亡という事故の報道があった。その運転手が逮捕されたのは当然だか、続報で、運転手を雇用している運送会社の営業所長が逮捕されたというニュ-スに目がとまった。

その事故に対して東京新聞が『経営者はもっと労働環境を改善し、運転手の安全意識を高めることが急務だ』と題して社説に取り上げている。今日はその社説を、私論を交えて紹介してみることにしたい。

社説によると、トラック業界は近年、年間1500社以上が参入し、3分の2が消えるのだそうだ。業界団体によると、2008年度は1860社が参入したが、2000社以上が廃業や倒産に追い込まれたという。

物凄い数字である。経営者は安易に金儲けの早道と業界に参入するのだろうが、同じようなことを考える輩が多く、仕事を得るための競争が激しくなる。結局、価格競争になるのは自然の流れだろう。

それがダンピングにつながり、運転手の給料に跳ね返るのも金儲けが当たり前の現代社会では『是』とされる原理。雇われる運転手も『仕事と給金欲しさ』から、無理を承知で長時間の勤務を続けるのも、これも当然の成り行きだろう。事実、事故を引き起こした運転手は公判で『金を稼ぎたかった。仕事内容より給料を重視した』と述べているという。

 運転手の勤務を追ってみると、午後2時に静岡営業所を出発し、荷物の積み降ろしをしながら愛知・小牧の本社や東京・八王子を回り36時間後の午前2時に静岡に戻ったという。この間の休息と仮眠は10時間で、実質26時間の勤務。12時間の帰宅休息をはさみ、この勤務サイクルを三回繰り返すと一日休みで、週78時間勤務となるのだそうだ。

 法定労働時間は一般に週40時間と決められているが、この運転手の場合は、その約2倍。これでは疲れるのは当たり前だと思うが、厚労省には『自動車運転者の労働時間等の改善のための基準』というものがあり、それによると運転手の拘束時間は月293時間以内と決められているという。

これは知らなかったが、この数字を事故車の運転手の場合と比べてみると、一瞬さほど差がないように思える。しかし、よく考えると前者の場合は実質労働時間。実際の労働時間以外の荷待ち時間や休息、仮眠時間を拘束時間として計算しないケースや、超過勤務が恒常化している会社もあるというから、逮捕された営業所では仮眠時間などは拘束時間としてカウントしていなかったのだろう。

社説は、『渋滞などで帰社が遅れ、十分な睡眠が取れないまま出勤することも多い。運送会社は運転手が過労運転にならないよう、きちんと拘束時間を計算し、十分休養が取れているかや過積載でないかなど、走行前や点呼の際に確実にチェックしてほしい』と述べているがその通り。

しかし、実際には、全国の運輸局の抜き打ち検査などでは、トラック事業者の9割近くに労働基準法違反があったという。今日も疲れ切った運転手たちが全国の高速道路を<勤務時間(賃金に概算して)を気にしながら走っていることだろう。

警察や監督庁の取り締まりには限度がある。運悪く?摘発された業者を厳罰に処すだけでは、問題は解決するはずがない。『金儲け命』の風潮を、国民一人一人が反省し、積極的に議論する時期にきているのではないだろうか。(田舎親父)

2011年6月21日 (火)

それでも原発を動かしたい?・・・

 一応アホカン首相の命令?を聞いた形で運転を中止している中部電力の浜岡原発の5号機で、休止直後に水漏れトラブルが発生したことが最近報じられた。相変わらずの隠蔽体質と呆れるが、この原因を先日中部電力が発表。なんでも、タービンを回した蒸気を冷やして水に戻す『復水器』内で、冷却用海水を流す細管(直径約3センチ)43本もが損傷、2本が変形していたとのことに、よくぞ今まで事故なく(報道されなかっただけだろう)運転できていたものと呆れてしまう。

中部電によると、復水器には約2万1千本の細管があり、損傷した細管から約90センチ離れた位置に再循環配管の金属製ふたがあり、ふた近くの溶接部分が破断、外れていたとのこと。さらに溶接部分の周辺に、小さな傷があるのが確認されたという。

 溶接の拙さと金属疲労が重なったとの言い訳であるがそれはないだろう。2万本以上あるとはいえ、1本でも中の気体や液体が漏れ出したら、大変な事故につながる可能性があることぐらいは、全くの素人でも理解できること。原子炉の設計施行では許されない大きなミス。それほどまでの厳格さを要求される世界でなければならない。

しかし、こんな単純な見落としが43本もあった。いや43本だけが今回破損したのであって、破損する可能性はもっと多いのではないだろうか。残る2万953本の細管は絶対に大丈夫だろうか。そんなことは『絶対』にあるまい。

 中部電は近く、再発防止策をまとめ、本年度中に海水の除去作業を終えるとしているが海水を除去するだけで、細管の点検をどうするという文言はない。

 話は変わる。敦賀原発の『もんじゅ』も休止中である。燃料棒を上下させるクレ-ンが故障して、燃料棒が抜けない状態になっているという。この事故の責任をとって、担当課長が自殺という記事もあった。(今年3月1日の小覧で、私は『清張流に推察すると他殺』という文章を掲載しているので、興味ある方は参照願いたい)

 そして、佐賀県の玄海原発は福島原発同様、古くすでに設計思想上は耐用年数を過ぎているという。多くの専門家(御用学者は大丈夫と合唱だが)から、危険性を指摘されている。原子力村の本拠地である東海村の原発も、運転中にもかかわらずかなりの頻度で事故報道がなされている。

要は、一基として『絶対安全』な原発はないのが現実なのに、今回政府は『詳しく点検した結果、全ての原発の安全性には問題はない』との見解を示し、カイエダという経産相は該当の道県の知事や市町村長に『休止中の原発を稼働させてほしい?(させろ)』との発言に、思わず『アンタ正気なの』と言葉が口からでてしまった。

その中で、今まで聞いたことがない『シビアアクシデント』なる言葉が出てくる。『過酷事故』のことらしいが、原発を設計する時に『過酷な事故』の想定は当然して置かねばならないこと。ところができていなかったから今回の事故が起きたのでないだろうか。

事故を踏まえた追加対策として電力11社に指示していた、『過酷事故(シビアアクシデント)』対策について『安全性について厳しいチェックをし、着実に実施されていることを確認した』として、休止中の全原発が安全だと宣言したのだそうだ。

どんな検査をしたのかは極めて曖昧。もっとも大事な『耐用年数が過ぎ、老朽化している原子炉の安全対策』は述べていない。それ以前に、『過酷な事故』とはどんなものか、その定義さえ不明なのに、今まで東電はじめ電力会社の主張を丸飲みにしてきた経産省の管轄下の原子力安全保安院が行う検査で安全など確認できるわけがない。

浜岡原発や敦賀原発、あるいは柏崎原発に今回のような津波が襲ったらひとたまりもないことは、地震学者の指摘される以前にズブの素人でもわかること。

要は、何が何でも原発を稼働してその利権を失いたくないという電力会社と官僚達の癒着と、さらに裏側に蠢く組織の脅しにカイエダは『ハイ、わかりました』と跪いたという図式だろう。

次の選挙のことが頭をよぎったのかもしれないが、この男の言い分は『原発を動かさないと計画(脅迫)停電するぞ』と脅しているだけ。もうこれ以上騙されることはないと思いたいが、カネの前では人間性を失うのが組長の習性らしいから、ひょっとして、稼働する原発もあるのでは・・・という懸念も頭をよぎる。

早速、延命のために『脱原発』をちらつかせはじめたアホカン首相が『安全確認ができた原発は稼働を』などと言い出した。やはりこの男の本質は、ただただ権力の座にすこしでも長く座っていたいだけのようだ。(田舎親父)

2011年6月20日 (月)

プ-ル指導は直ちに中止すべき・・・

 原発事故の影響で、福島県内の学校でプールの使用を取りやめる動きが相次いでいるという。当然だと思うが、文科省は16日に『プールを使用して問題ない』とする見解を、県教委を通じて県内の学校に伝えたというニュ-スに、悪寒を感じたのは私だけではあるまい。

 同省では個々のプールの放射線量は把握していないが『常識的に考えて問題』ないと判断したとコメントしているというから、子どもの安全なんか二の次三の次。この役所は人間の仮面をかぶった悪魔たちに牛耳られているとしか言いようがない。

 文科省は福島県内の水道水からは5月中旬以降、放射性ヨウ素や同セシウムなどが検出されない状態が継続していると主張しているが、『検出されない』というは詭弁で、事故後に大甘に引き上げた国の基準値に達していないだけで、以前の基準値なら引っかかる数値ということを徹底的に隠蔽している。それどころか、きちんと測定すれば相当量の放射能が検出されるのではないかとさえ思っている。

しかも、水泳の授業を行って児童が浴びる放射線量を試算しているというから、それこそ常識では考えられない行為。

その試算とは〈1〉授業中30分間は1キロあたり10ベクレルの放射性物質が含まれる水の中にいる〈2〉15分間は空間放射線量が毎時1マイクロ・シーベルトのプールサイドにいる〈3〉プールの水を200ミリ・リットル誤って飲むという条件で計算すると15回授業をした場合、積算放射線量は6・1マイクロ・シーベルト。

だから問題がないという結論に達したと説明しているが、何と子どもの健康を軽視したムチャクチャナ計算だと、怒りを通り越して呆れてため息すら出なくなる。

さらに、多くの学校から出されていた基準値を示してほしいとの要望(こんな基準値を求める方もだらしないが)も無視というから驚きである。基準値を示すと批判が集中することを恐れているのだろうが、これでは、『俺様が大丈夫と言っているのだから、勝手な測定など許さない』という恫喝そのもの。

このことについて私は、全国の全ての幼小中高にプ-ルを作り、体育の指導要領に水泳指導を必須にしている手前、何が何でも子どもたちをプ-ルに入れなければ気がすまないのだろうとク-ルな見方をしているが・・・。

前に述べたことがあるように記憶しているが、正しい泳法を身につけて水泳指導ができる教員は、特に小学校においては皆無に等しく、いわば子どもたちをプ-ルに入れて遊ばせているといっても過言ではないのが全国の小学校の水泳の授業。

数年前に英語が小学校に導入されると決まった後で、小学校の校長数人と『英語塾が流行るだろう・・・』と苦笑したことを思い出すが、その中で現在の小学校教育の中で貧富の差が一番大きく現れるのは何だろうと話を向けると、全員が『泳力』と答えたことに、なるほど凄い見方をしているのだと感心したものである。

スイミングスク-ルに通うと泳力は瞬く間に伸びることは案外知られていない。学習塾へ通うことが大流行で、多少経済的に無理な家庭でも子どものためとばかり通わせているようだが、さらにゆとりのある家庭では、わが子をスイミングスク-ルにも通わせていることを世間は知らないようだ。私と話し合った校長たちはそのことを十分理解しているので、全員一致で『泳力』と答えたに違いなかろう。

私は以前から学校のプ-ルの無駄を指摘し続けている。多くの小学校のプ-ルは25メ-トルの6コ-ス。幅は8メ-トル程度が標準だろう。水深は1メ-トル前後に設計されている。1年生から6年生までの児童に合わせているのだが、低学年児童には深すぎるので、『半水』といって低学年児童のプ-ル指導では半分水を捨てるのが常識。

多くの場合は低学年と高学年のプ-ル指導は隔日に設定している。ということは、一日起きにプ-ル半分の水道水が下水に流されているということ。これも意外と世間が知らないことである。

たった3ケ月(それも半分は夏休み)使うために、一日ごとに半分の水を無駄にしてまで(泳法指導ができない教員が)行う『プ-ル指導』と呼ばれる授業。これこそ、究極の無駄使いでなかろうか。

福島の小学校(首都圏もたいした違いはないだろうか)では放射能値が懸念され、疎開させるべきだという声も日々高まっていることを考えると、今年は関東以東の都県でのプ-ル指導は禁止するべきだと思うのだが・・・。

そして、さらに踏み込んで、体育のカリキュラムから水泳を取り除く英断を期待しているが、文科省の態度はむしろその逆。困ったものである・・・。(田舎親父)

2011年6月19日 (日)

静岡県知事の責任は重い・・・

 昨日の昼頃、ネット配給の読売新聞に『仏政府は17日、パリ郊外シャルル・ドゴール空港での検疫で、輸入された静岡県産の茶葉から、規制値を超える1キロ・グラム当たり1038ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した』との記事を見つけ愕然とする。

福島原発事故を受け、仏政府が日本からの輸入品の放射能検査を開始して以降、放射性セシウムが検出されたのは初めてだそうだが、大甘の基準の2倍以上の高い数値は、静岡県はやはり一番茶の検査をしなかったに違いない。

静岡県の川勝知事は『荒茶は検査しない』と息巻いていたが、その後一応検査に応じると態度を変えたという記事があった記憶があるが、実際には『うっかり検査すると引っかかる、お茶農家に被害が出ることを防ぐ』という気持ちが強かったらしく、検査しなくても大丈夫などという指示を出していたようだ。

これは拙い。原発が起きる前には、厚労省は『日本には放射能汚染がない』という前提にたっていたようで、日本が輸入する食料品は37ベクレルと決められていたはず。国内では放射能は自然界以外にないのだから、当然のこととして輸出の際には検査しなかったと聞いている。

事故後、大慌てで基準値を見直し、一般食品(茶葉)の出荷制限の基準となる暫定規制値を1キロ・グラム当たり500ベクレルと定めたが、諸外国からは不評。各国の間で輸入控えでていることは時々耳にしていた。

読売の報道の直後、今度は東京新聞発として『EUでは三月下旬から福島や東京など十二都県産の食品を輸入する際、放射性物質検査を義務付けているが、静岡県産の食品は対象外としていた。フランスは今回の結果を受け今後、静岡県産の検査を強化していくことを決定。さらに欧州全体でも従来の十二都県産に加え、静岡県産も検査対象とするよう欧州委員会に要請する。AFP通信によると、出荷元などは明らかにされていない』という特報が流れた。

これは拙すぎる。EU諸国は一応静岡県産の農作物は『安全』とのお墨付きを出していたのに、びっくりするほど高い汚染茶とあっては、フランス以外のEU諸国は検査を厳重にするに違いない。ひょっとして『静岡はお茶に限らず危ないから、より厳重に・・・』という指令がでていることも十分に考えられる。

神奈川県の足柄茶の生葉から放射性ヨウ素とセシウムが検出されたというニュ-スが流れたのは一月以上前だった。当時、神奈川県民の一人としてエッ-とびっくり、翌日のコラムに『足柄茶が汚染されていたとすると、狭山茶はもちろん静岡茶も危ない』という意味の文章を書いたのは記憶に新しい。

足柄茶の放射能汚染のニュ-スで、EU諸国の日本からの輸入する場合に、神奈川県も検査の対象に入れられとのことだったはず。

その後,生葉ではなく荒茶も検査すべしという国の方針に対して、お茶の生産県の知事たちが、荒茶では放射能は凝縮することは明らかだから、同じ規制値では納得できないという理屈で国に反論。ゴタゴタが続いていたようだ。ここでも盛んに知事たちの口からでたのが『風評被害』という言葉。

いい加減『風評被害』という言葉が、都合よく使われていることに嫌気を感じていたので、どうぞご勝手に・・・という気持ちと、その後、静岡県知事も検査に同意とあったので、政治レベルの決着はついて、適当なところで手打ちが行われたのだろうと思って、この問題は考えないようにしていた。

しかし、国内では『風評被害』という言葉で誤魔化せても外国には通じるはずがなく、静岡茶からのセシウム検出は、静岡産の農作物だけてはなく、日本の全体の食料品の安全性が根底から崩れたのではないだろうか。

農家(漁師も含めて第一次産業従事者)にはトンデモなく重い課題を背負わせさせたことになったが、この事実を川勝知事はどう受け止めているのだろう。

すぐにでも『ごめんなさい』表明があってしかるべきだと思うが、返ってきたのは『飲んだら放射能は薄まるから安全』とのコメント。さすがに『風評被害』とはいわなかったが、これはダメだ・・・。国内でも静岡茶は敬遠されるのではないだろうか。

この御仁には期待していたのだが、日本の政治体制では、知事という権力者になったら所詮『同じ穴のむじな』になる定めなのかもしれない。(田舎親父)

2011年6月18日 (土)

『原発がなければ』この言葉は重い・・・

 『原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください。仕事をする気力をなくしました』

先日、福島県相馬市で首をつって自殺した酪農家の50歳代の男性が、牛舎の壁のベニヤ板に書き残した遺書である。重い、重すぎる。

 男性が酪農を営む相馬市は、加工前牛乳(生乳)が出荷停止となり、酪農家は毎日乳牛から乳を搾っては捨てていた風景がテレビで紹介されていたことを思い出す。当然、これらの全てを政府・東電が補償すると思っていたのだが、現実は現場の実情とは違い、まさに『切り捨て御免』の世界だったようだ。酷すぎる話である。

 記事によると、親の代からこの地で酪農を続けてきたこの男性は今月初旬までに約30頭を処分したという。妻はフィリピン人、原発事故が起きたことから妻子はフィリピンに避難し、この男性が一人で奮闘していた末に、どうにもならず自殺選択したようだ。

 何という非情。毎日乳しぼりが日課だったのだろうが、それは『平和な毎日』が保証されるという現実があって初めて成り立つ習慣。3月11日までは、絞った乳を買い取ってくれる業者が存在しトラックが乳を集めにくる、のどかな時間が続いていたと思われる。

 『フィリピン人の妻』という言葉は、昨今の農村の嫁不足の現実を端的に表しているような響きもある。その内情は詮索しようがないが、家族で営む酪農は『平和な毎日』だったと思いたい。そこに突然放射能が襲い、毎日絞った乳を捨てるしか方法がない生活・・・。想像することすら難しい。

 困窮している酪農家はこの記事をどう読むのだろう。酪農家だけではない。野菜を作っても出荷できない農家、魚を獲っても一文にもならない漁師、職を失ったサラリ-マン、生業を取り上げられた商家や職人たち、家族と引き離された人々、その数は数万、数十万人。できれば、今後続く人が一人もいないことを切に願うが、毎日伝えられるニュ-スは私の願いを壊す内容が多すぎる。

 原発事故は東電の惰性と政府の無責任さが引き起こした明らかな人災。しかも、いまだに収束のメドすら立たず、むしろ事態は最悪のシナリオにそっているように動いていることが確実になりつつある。

政府のいうことを無理に信じて、数年後、仮に原発が落ち着いたように見えても、牧場も、田畑も、大海原も、河川も、そして自分たちの周りの環境全てが放射能汚染という事実は消え去ることはないだろう。そして悲惨な現実が・・・。

こんな話題は気分が重くなるもの。今日はここまでで先に進まない。(田舎親父)

2011年6月17日 (金)

エコポイントって何だったの・・・

 薄型テレビの価格が極端に落ちている。去年の初めごろだったと記憶しているが、我が家もそろそろ薄型の大型テレビに切り換える時期かもしれないと、近くの家電量販店を見て回ったことを思い出す。

というのは、我が家のテレビは一応液晶で地デジ対応をしているものだが、数年前に息子が不要になったと持ってきた26インチ。それでも、当時初めてハイビジョンなるを目にして、その綺麗さに感動、テレビを観る機会が増え、もっと大きな画面で見ると迫力があるのではという気持ちが大きくなったからである。

私は元来ビデオというものを必要としないのだが、ハイビジョン画像なら観ても良いと思い、ブル-レ-も欲しくなったが当時は相当な価格だった。シャ-プ製のブル-レイ録画装置を内蔵している37型の『アクアス○○』という液晶が、メ-カ-希望価格28万が13万円手売り出されていたので飛びつきそうになったが、そこにでてきたのが『エコポイント』という言葉。

何でも『エコ』という名前をつける世間には批判的だった上に、政府のいう『省エネ』ということばにもうさん臭さを感じていたので、『こんなアホな子ども騙し』に乗ってはならぬとさっさと購入意欲にピリオドを打つ・・・。

もともとテレビを観ることはほとんどない生活だった私は、息子のお古のおかげでハイビジョンを観る機会はふえたものの、慣れるに従ってさほどの魅力も感じなくなり、26インチのテレビで十分という意識が広まり、今では大型テレビなど購入しなくて良かったと思っている。

前書きが長くなったが、毎日新聞も取り上げているように、大震災と原発事故後、薄型テレビの価格が一段と下落していることを、土曜日に必ず折り込まれて来る、近場の3つの大型家電量販店のチラシで実感している。

37型以上の大型テレビは震災直後に消費が落ち込んだことがきっかけだそうだが、3月に平均単価が5万円台に突入したという。5月以降は下げ止まり感が出ているが、家電量販店では中型の32型で3万円台の商品も目立つというから、1年前から見ると3分の1ぐらいになっているのではないだろう。

 家電業界の発表によると、平均単価は、エコポイント制度のポイント数が半減した昨年12月以降大幅に下落し、エコポイントが終了した今年3月には、さらに前月から一気に5300円急落。5万8500円と初めて6万円を割ったという。

震災による消費低迷で、3月末のエコポイント終了前の駆け込み需要に備えてメーカーや量販店が抱えていた大量の在庫が残ってしまい、処分するため値下げが加速したというのが実情のようだ。

 5月以降、下落の勢いは落ち着いてきたが、すでに多くの家庭では来月24日からは地デジ完全移行に対応しているだろうから、その後の需要は減少するはず。今後も価格は下がるのではないだろうか。

となると、あの『エコポイントはなんだったのだろう・・・』と思わず口から飛び出してくる。やはり『エコポイント』というのは、業界と政府とが手を握った庶民の懐から現金を吐き出させる手だったようだが、ここまで値下げしなければ売れないとなると、次はどんな策を考え出すのだろう・・・。

多分、業界としてはこの価格の下落は折り込み済みだろうから、次は『震災復興援助』などと称するキャンペ-ンが始まりそうだ。

今『復興』ということばが大流行。騙されないようにしなければ・・・。(田舎親父)

2011年6月16日 (木)

今度はキリュウム検出・・・

 3ケ月も過ぎて、政府の未だに飽きもせず続ける『安全です』『人体に影響ありません』というセリフと、マスコミの『脱原発』への警戒報道が功を征したらしく、世間的には、あたかも原発事故が一段落したかのような雰囲気になっているに思えるが、原発事故はますます深刻さを加えているのが現状。

しかし、その深刻な事態は一般国民からは完全に切り離されて、『がんばろう福島』的な美談にマスコミが先頭にたって国民をその気にさせているのだから、私のような一市民の声など届くわけがないから困ったもの・・・。

政府や東電は、その辺の空気を十分読んでいるらしく、先日『福島第一原発の地下水や周辺の海5カ所から、放射性ストロンチウムを検出』と発表。一応マスコミは記事にするがかなり控えめで、たいした事態ではないようなサラリとした文章にしているのも気がかり。しかし、ストロンチウムに反応著しい私には、悪魔の警告のように感じてならない。

これまで原発敷地内の土壌からは検出されていたが、地下水から見つかるのは初めてだというが、これすら一月も前のこと。ここにも徹底し隠蔽と、発表のタイミングを計っていた計算高さを感じる。

新聞各紙の記事によると、採取した1号機付近の地下水からは、『ストロンチウム89』が1立方センチあたり0.078ベクレル、『ストロンチウム90』が0.022ベクレル検出されたのは『5月18日』だとのこと。

さらに続けて、2号機付近の地下水は『89』が19ベクレル、『90』が6.3ベクレルだったという。原発事故で放出され、雨水などとともに空気中や地表から流れ込んだとみられるという表現。 

そして、採取した1~4号機の取水口近くの海水でも、『89』が基準の濃度限度の26倍、『90』が53倍を検出。2号機取水口付近ではそれぞれ67、117倍、3号機取水口付近では80倍、240倍を検出したというのは、『5月16日』のことだったとのことだから、現在はもっと凄まじい数値になっているのでは・・・。

海では国の基準の濃度限度(何度も記していることだが、事故後大甘に引き上げられた、決して安全とはほど遠い値)の240倍の地点もあったというから、原発近海はほぼ全域にストロンチウム汚染が広まっているに違いない。

地下水から検出も恐ろしいが海水からとなると、魚介類の体内にすでにストロンチウムが蓄積されていることはほぼ確実。

海では微量(都は思えないが)のストロンチウムなど拡散してしまうから安全には問題ないという説もあるらしいが、半減期が29年というストロンチウム90はカルシウムと似た性質を持ち、体内に入ると骨にたまる傾向があるというから、原発近くの海で生息する無数の小魚の体内には相当量のストロンチウムが蓄積されていることは、小学生にでもわかる理屈。

そして、その小魚を餌にしている魚たち、さらに食物連鎖の上位に属している魚や鳥などが食べることによって、上位に行けば行くほど体内蓄積の濃度は濃くなることから、やがて、カツオやマグロ、さらに今は問題になっていないサケなどにも影響するに違いない。

もう一つ、東電と歩調を合わせるように、文科省が13日、福島第一原発から2~3キロの大熊町夫沢の土壌から、ごく微量(いつもの手で、はじめはごく微量という表現)の放射性物質キュリウム242(半減期163日)とアメリシウム241(同432年)が検出されたと発表したというニュ-スにも驚く。

アメリシウムも初めて聞くが、こちらも耳慣れないキリュウムとは、名前から放射線科学者のキュ-リ-夫人の名前から命名されたと思われる。この二つの物質は熱水や酸に溶けるのでプルトニウムより拡散しやすいというから相当厄介なものらしい。

さらにプルトニウムと同様に線量計で捉えにくい上に、食物として経口摂取されたら、胃液(希塩酸)で溶けて腸から栄養素として吸収され、人体組織に蓄積されるのでプルトニウムより危険とのことがだから、ひょっとしてストロンチウムよりの上位の放射性物質なのかもしれない。ストロンチウムが大王ならキュリウムはさしずめ皇帝なのかという悪い冗談さえ頭をよぎる。

さらにさらに、放射能だけでなく鉛の親戚みたいな元素だというから鉛中毒の症状が出るかもしれないらしいから、想像したくない事態が起こりそうで恐ろしい。

ここまで危機的な状況になっているのに、人口のほとんどを占める首都圏などの都会で暮らす人々は放射能に対してはほとんど無関心。一番の心配事は、電力不足で冷房が効かないことや、刹那的な快楽を求める娯楽施設の営業時間の短縮などということらしいから情けない。

その電力不足というフレ-ズも原発を推進するためのものだということが理解できないのだから、もっと凄まじい事態にならなければ目が覚めないのかもしれないと思うと、気が重くなる。(田舎親父)

2011年6月15日 (水)

今年は止めたほうが良いと思うのだが・・・

 昨日の続きになるが、妊婦ばかりではなく子どもたちの日常生活そのものが、今ではすっかり原発事故以前に戻っているのが気になるところ。

 事故の後しばらくはマスク姿の子どもたちが目立ったが、最近は全く見ないと言って良いほどで、福島で原発が爆発したことなどなかったように元気で飛び跳ねている。が、本当にこれで良いの?・・・と首をひねっている私が心配性なのだろうか。

 先日訪れた四季の森公園の体験田んぼはすっかり田植えを終えていた。例年、ここでは近隣の小学校数校の5年生が田植えをする学習をしていることから、今年も裸足で担保に入り、大声で騒ぎながら田植えを楽しんだに違いない。

 実際に公園のボランティアの人に聞いてみると、その通りだとのこと。私は自然派なので、例年ここで子どもたちが田植えする姿には拍手を送っているが、今年だけは、やめたほうが良いのではないかと思っていたので、お節介だと思ったが近くの小学校に電話で問い合わせた。

最近の学校の対応は丁寧であるが、こと学校がやっている教育内容(専門用語では『教育課程』というが)に関することになると、その態度は一変し、『子どもたちのためにやっています』という決まり文句が帰ってくるのは当然として、『なぜそんなことを聞くのですか』という不機嫌さが出るから(不謹慎な表現だが)面白い。

この田植えについては保護者からの異論はゼロだったとのこと。確かに近所の母親たちも一緒に楽しめたと言っていることから、こと田植えに関しては学校に協力的であったことは間違いなさそうだ。

 残念ながら手元に放射能の線量計はない。近くの線量も誰も計っていないらしく、デ-タを探しているのだが見当たらない。従って田んぼの線量は全く不明なので、私の心配が杞憂であってほしいと願うが、(非公式情報ながら)鶴見区のある地点で、毎時1.2マイクロシ-ベルトを記録したとも伝えられている。測定場所が特定されていない上、ちょっと高すぎて俄には信じたくないが・・・。

 NHKの夕方のニュ-スでは、神奈川県のデ-タは川崎だけ。それも、何とかセンタ-の4階屋上での値だそうで、あまり参考にならない上、不思議に毎日0.07マイクロシ-ベルトという数値が変わらない。NHKによると、この数値は原発事故前に比べてほんの少し上まわる程度で、人体に影響がないのだそうだが・・・。

 福島原発からみたら、鶴見区と緑区の四季の森公園とはほぼ同じ方向だから、風向きなどを考えて、同じような傾向になるのではないだろうか。役所も区内各地の線量を測定する気がないらしく、問い合わせても要領を得ない。というより、忙しいのでそんなことにいちいち答えられないという態度がミエミエ・・・。

 そろそろプ-ル指導が始まるが、多くの学校では総合的な学習の一環として、『ヤゴを助けよう』などという名前をつけた授業が行われる。そのままプ-ルの水を抜いては、折角の水生動物が排水口に流れてしまうので、徐々に膝までぐらいの水量にして、5年生の児童(理科の学習とタイアップさせている)にヤゴを捕まえさせるのであるが、子どもたちには大人気。かなり楽しみ互いに興奮して取り組んでいる。

 先日、杉並区の線量が高い地域の母親の、このヤゴ取りのことについて心配するつぶやきかあったが、常識的にみたら、ヤゴ探し活動を今年は差し控えるべきだろうと思うのは私だけではあるまい。

しかし、学校としては『子どものために』という言葉が、『将来にわたっての子どもの健康を考える』以前に、現時点で『子どもを楽しませる』ことだということにすり替えられているので、中止というわけにはいかないのが本音のようだ。

 教育委員会はこの問題では必ず『現場の判断』だと強調するが、校長が『今年はヤゴ取りを中止にする』と発言したら、多分教員や保護者からは『子どもの楽しみを奪うのですか』という声か返ってくるだろう・・・な。

私だったら強引に中止とできるだろうかと自問する。考えさせられる重い課題である。(田舎親父)

2011年6月14日 (火)

もっと恐怖心を持つべきだと思うのだが・・・

 随分古い話になるが、水俣湾沿岸の多くの人々が当初は原因不明の奇病と言われ、イタイイタイと言って亡くなっていった水俣病を思い出す。それが化学工業のチッソの工場から出される廃液に混じった有機水銀の中毒だったことが明らかになるまでに、何年かかったことだろう。

当時の政府は決してその事実を認めず、何度もの裁判によって徐々に真実が明らかになりはじめ、しぶしぶ水銀か原因だと認めるまでに、さらに長い月日を要し、現在に至っても未だに全員の救済には至っていない。その間にも、苦しみもがきながら亡くなっていた人も数知れず・・・。

放射能が人体に及ぼす影響は個人差が大きく、一概に『○○ミリシ-ベルト以上になればガンになる』という明確な基準はない。ほんの少しの被曝で皮膚に炎症を起こす人もいれば、相当量被曝しても日常生活に影響もせず、ガンにもならずに死ぬまで健康に過ごす人もいることは良く知られている。

放射能は目に見えない。臭いもなく味もないとなると存在を認識することすら難しい。個体差はあるものの、放射能が人体に影響があることは、小学生でも知っていることだと思いたいが、今回の原発事故が起こる前までは『放射能』という言葉は聞いたことがある程度というのが現状のようだ。

以前は広島と長崎の原爆のことについて、教科書で大きく取り上げられていたが、最近の教科書をみると、その扱いは小さくなっているのも気になる。代わりに『原子力の平和利用』という言葉が幅をきかせるようになり、原子力は安全なものだという副読本まで作られて、『豊かな未来のために』とうたって原子力発電の推進を小学校段階で徹底的に教えている。

そこには、原発が『絶対安全』が前提。そこから出る放射能は皆無で心配する必要がないとしている。言い換えれば、『放射能』という言葉さえ、探すのが難しいといっても差し支えない。

以前にも述べたことがあるが、原子力潜水艦(原潜)反対運動にかかわった時、『ストロンチウム』の恐ろしさにおののいた経験がある私には、原発に対して今回のような大事故は想定できなかったが、危険なものであるという強い認識を持っていた。

今回の原発爆発という事故には物凄い衝撃を受けて、横浜の片田舎でも放射能汚染はあると確信。しばらく自宅から出られない生活を覚悟し、私の部屋には一月ほどは生活できる物資を備蓄したもの。その物資は、ほとんどそのまま目の前に積まれているが・・・。

ところが実際は不思議なことにさほどのパニックは起きないのは、東電と政府が口を揃えて-『たいしたことはない』『健康には影響しない』というウソの連発に加え、マスコミが放射能に対してはほとんどシラッ-とした報道が大きく影響していることは間違いなさそう。

風評被害という言葉を巧みに扱い、『がんばろう福島』的な美談に仕上げているのが現状。もっと気になるのは、原発事故を境にして『放射能は怖くない』という科学者?をNHKはじめ民放各支局は何度も出演させているという無神経さ・・・。

福島県に至っては、放射能は『怖くない』どころか、『身体に良い』というヤマシタ某を県民の健康を預かる『健康アドバイザ-』と任命し、県内各地で住民に『放射能被害なんてたいしたことではない』という意味の講演をしているというから、福島県の行政組織は県民を守ろうなんてハナから思っていないらしい。

実際には放射能汚染は広がり、首都圏もその例に漏れないらしく、先日は大田区の下水処理場付近の空気中に異常に高い放射能値が検出されたという。杉並区などでも高い値を検出という情報や、横浜の鶴見区も・・・と各地から情報でネットが賑やか。しかもそのほとんどが信ずるべき価値があり、もう一度、近々の籠城を覚悟している。

しかし、世間的には思ったほどの反応はない。一時的に福島県や周辺各県の野菜や魚介類などが出荷制限を受けたというニュ-スが流れるが、それも数日かぎり。農家や漁師が気の毒だという意識の方が大きく、放射能そのものにはさほどの関心がないのかもしれないが、これはトンデモなく危険なこと。

無意識に常時放射能のことを思っているからかもしれないが、最近妊婦の姿を見ることが多い気がしてならない。しかも、マスクをしている姿が皆無に近く、公園の芝生に座って楽しそうにおしゃべりしている。

こんな姿を見ると、自分の方がおかしいのではないかと思ってしまうが、今年の夏から来年にかけて生まれて来るだろう子どもたちに異常がないことを心から願っている。(田舎親父)

2011年6月13日 (月)

福島第2? 聞き間違いでは・・・

 一昨日だったと思うが、『経済産業省原子力安全・保安院は8日、東京電力が福島第2原発の原子炉建屋などにたまった放射能汚染水を海に放出することを検討』という記事が新聞に出ていた。

その時は、また海に垂れ流すのか・・・と怒りを通り越して、何という無策なことだと諦めに似た境地になったが、しばらくして、何か違和感。読み直してみたら『第1原発』ではなく『第2原発』とある。違和感の原因が判明するが不信感がつのる。

記事によると、『第2原発』のたまり水は東日本大震災の津波で建屋内に浸入した海水だとのことだが、今頃になって、第2原発の建屋内に約3000トンもの溜まり水があるということ自体変な話である。

第2原発は廃炉にしたわけではなかろう。きっと東電や政府は再稼働の日の来るのを待って、人員を配備して整備に余念がないはず。そのため日々厳重に管理態勢を引いている違いない。なのに、今になってたまり水を発見ということはあり得ない。第1原発に冷却水として大量に流し込んでいる海水が、何らかの理由で第2原発に誘因されたのではないだろうか・・・。

それはさて置くとして、この溜まり水の放射性物質は30億ベクレルとみられ、保安院や自治体、漁業関係者に打診している段階だとのこと。

3000トンで30億ベクレルという数値がどれ程に環境に影響するのかの知識はないが、これらの数値はこれまでの東電や政府の発表した数値から推測すると、二桁は過少に表現しているだろうから、溜まり水は10倍の3億トンとしても3兆ベクレルは超えることがあってもそれ以下とは思えない・・・。

保安院によると、含まれる放射性物質はマンガン54やコバルト58、60などで、配管のさびなどが海水に含まれたためとみられ、ヨウ素やセシウムなどは検出されていないとのことだが、半減期の短いヨウ素はともかく、セシウムやプルトニウム、場合よれば私が大王様と表現しているストロンチウムなどが含まれていないということはないだろう。
 コバルト60とい放射性物質の濃度は1立方センチ当たり0.3ベクレルと、水中の濃度限度として定められている同0.2ベクレルよりも高いとのことだが、わざわざコバルト60だけを取り上げている、この数値も何となくうさん臭く感じられる。

汚染水を放置しておくと、設備の腐食などが進む恐れがあるため、東電は『放射性物質を検出されないレベルまで除去』した上で、放出したいとのこと。これは酷い。自然界にない放射能を垂れ流すのだから、詳しい知識がない私でも、漁業に壊滅的な打撃を与えるだろうことは予測できる。

『設備の腐食』とは何のことなのだろう。そのまま解釈すると、東電は第2原発を再稼働する腹積もりらしいが、そんな理由で海に放出を許してしまうとなるとトンデモナイこと。これは漁業に影響という理由以前に阻止しなければならない。

さらに、『検出されないレベルまで除去』という文言が引っかかる。そんな除去方法が簡単にできるなら、前回の『低レベル汚染水を海に放出』というのはなんだったのと突っ込みを入れたくなる。

汚染水の処理をフランスの原子力ハゲタカ会社に(1トンに1億円だったと記憶しているが)請け負わすことを決めたというニュ-スが流れたが、どうやらそれが無理だったらしく、先日は3号機(だったか)の地下に溜まった水の除染を検討という記事があったところをみると、環境に影響ないほどまでの除染は不可能ではないだろうか。

第2原発にたまっている水(高濃度の汚染水だろう)を放置しておくことも危険だろうが、海に放出することは絶対に許されるべきことではない。地形的に可能かどうかはわからないが、素人考えでも地下水に混じらないために鉄板を地下深く埋めて、溜まり水を封じ込めるという方法をとるべき。

第2原発の溜まり水の続報に注目したい。はたしてあるのだろうかが疑わしいが・・・。(田舎親父)

2011年6月12日 (日)

『がんばれ福島』は良いけれど・・・

 『がんばろう福島』を先頭に、『負けるな東北』とか『ガンバレ東北』、あるいは『復興支援』など、大震災の復興を願うキャッチコピ-が大流行。横浜の片田舎でひっそりと暮らしている私でさえ、この種の看板やのぼりを目にしない日はないほどだから、都会においては想像すらできない程溢れているのではないだろうか。

そして、このキャッチコピ-のもと、東北各地の農産物や海産物の特売会が全国各地のデパ-トやス-パ-、商店街で展開されているようだ。

そのことに関して異議を唱えるものではない。農家の人が汗水垂らしてつくった野菜が(政府の一片の通達で)出荷できないなんて常識的には許し難いと怒りを覚えるのだが、相手が放射能となると勝手が違う。今までなら、無農薬でつくった作物には絶対の自信を持って、『安心で安全な野菜』と銘打って、堂々と販売できたのだが、放射能となると自分の努力ではどうすることもできないのが現実。

原発事故後、アホカン政権は放射能制限基準値を世界の常識と比べると信じられないほど引き上げたことはすでに何度も述べた。本来なら、関東地方はもとより東海地方などの農産物さえも諸外国の基準から見ればとても安全とはいえないのだが、国の基準だと『安全で安心』とされている。

背景には、基準値を高めないと農産物が市場に出回らない(農家の補償が莫大になるという目先の計算だろうが)という政治的な意図があることは明らかであるが、少なくとも政府の決めた大甘の制限値を超えたということは危険だから、絶対に『口にしてはいけない』ということだけは断言できそうだ。

『がんばれ福島』というような、何となく曖昧ながら何とか支援したいという気持ちが表れる響きの言葉に対して、日本人は判断基準がぼやけてしまうDNAが流れているらしい。これを『ことだま(言霊)』と定義づけている人もいるが、なるほどこの『ことだま』に影響されることも数多い。

これを象徴するようなことが、先日ネットのNHKニュ-スで流れた。今月5日のこと、福島県郡山市で開かれた農産物の販売会で、原発事故の影響で出荷が制限されている地域のブロッコリー40個が販売されていたことが分かったという。恐らく会場には『がんばろう福島』ののぼりが上がり、おそろいのTシャツを着た人たちが躍動していたことだろう。

この特売会を企画したのは、農業の担い手を育成する組合『ゆいまある』という組織だとのこと。悪気があったとは思えないが、これまで取り引きがあった農家から『大丈夫だ』と言われ、出荷制限の対象かどうかを十分に確認しないまま引き取っていたという。

栽培した農家の男性は組合の担当者に対して『出荷制限の対象だとは分かっていたが、畑の放射線量を計ったら低かったので、大丈夫だと思った』と説明しているというが、こちらの方は俄には信じられない。

販売会では短時間で野菜は売り切れたという。組合は、インターネット上のサイトで謝罪するとともに、回収を呼びかけているとのことだが、違う品物を持ってきて引き取りや交換を求め、あわよくばという不逞の輩の出現はあるだろうことは予想できるが、該当のブロッコリ-を回収するのは難しいだろう。その全てを回収は不可能・・・。

すでに、この『絶対に口にしてはならない』ブロッコリ-は調理されて体内に入っているだろ。放射能の特徴として、すぐに症状は出ないはずだが、後で異常が出たとしたら取り返しがつかない事態も考えられる。しかし、このブロッコリ-が原因だという特定は難しく結局は曖昧な結果になることは目に見える。

繰り返すが『がんばろう福島』には異議はない。しかし、今回のように悪意のあるなしにかかわらず、政府の基準を唯一のよりどころとして『安全ではないもの』も混じることが予想できる特売会など考え直す必要があるのではないだろうか。

『がんばろう福島』というような、いわば『ことだま』を利用しないでも復興支援ができる方法を、知恵を出し合って生み出したいものである。(田舎親父)

2011年6月11日 (土)

『脱原発』が唯一の道・・・

 先日政府が調査報告書を、国際原子力機関(IAEA)に提出した、福島第一原子力発電所事故に関する調査報告書の中に、1~3号機は『メルトスル-』があったと記載されていることに、エッと驚いた人もいるだろうが、ヤッパリと醒めた見方で受け止めた人も多いのではないだろうか。私もその一人。

3月12日の事故直後から、京大の小出先生(この方は反原発の立場のために未だに准教授の立場とのこと、敬意をこめて先生と表現)や広瀬隆氏などかなりの方が『メルトダウン』が起きていると指摘していたが、東電や保安院は一貫してそれを否定。

政府も官房長官があれほどの建屋の爆発があったにもかかわらず『原子炉は安定している』と繰り返し、放射性物質の放出は人体に影響ない程度・・・』とウソをつきまくっていたことは全ての国民が記憶している。

ところがIAEAの視察が近づくにつれて、徐々に情報が明らかになり、『メルトダウン』があったと認めたのはつい最近のこと。要は、最初から東電や政府は『メルトダウン』は折り込み済みで、国民の目を誤魔化すために、自衛隊のヘリを使った海水注入などのパフォ-マンスをしていたことは明らか。

詳しい定義は理解していないが、言葉の受ける感じから推察すると『メルトダウン』は核燃料が融け落ちることだろうが、『メルトスル-』となると、超高温度の融けた燃料が原子炉はもとより原子炉格納庫や、下手すると建屋の基礎のコンクリ-トまでもを溶かせて放射性物質を地下に垂れ流している状態ではないだろうか。

格納容器に穴が開いていることを知っていながら、海水を注入していたのだから、放射能で汚染された水が大量にたまるのは当たり前。それを、低レベルと称して海に放出するなどやることがメチャクチャ。

こんなことがバレたら大変とばかり、汚染水をあっちこっちにたらい回し、そして今度は処理施設をつくって、一日1000トンを真水に変えるのだそうだが、そんなことができるのならなぜもっと早い段階で行わなかったのだろう。恐らくこれも一時しのぎの言い訳に違いなかろうが・・・。

汚染水の処理については、フランスの原子炉ハゲタカ業者が、確かトンデモ金額で請け負うというニュ-スが流れたが最近はその話は聞こえてこない。全てが裏で国民の目を誤魔化すために情報を徹底的に管理しているのが現実のようだ。

それはさておき、IAEAに提出した報告書では、今回の事故を教訓とした28項目の安全強化策を打ち出している。28項目はテレビで専門家(と称する)が解説していたが要は、今後これだけのことを守っていたら再び事故が起きないという安全性を強調するもので、『メルトスル-』という前例がない大事故にもかかわらず、政府のエネルギー政策は白紙から見直すといいながら原発を重要戦略に据えていることは変わらない。

 アホカン首相は、先日の主要国首脳会議で『2020年代の早い時期までに、民家一千万戸の屋根に太陽光パネルを敷き詰め、自然エネを総発電量の20%を超える水準に引き上げる』と得意そうに演説している姿がテレビで紹介されたが、やっていることは、定期点検で停止中の原発を稼働させるように働きかけるという全く逆の施策。実際に玄海原発が来月にも稼働するというから、今回の事故から学ぼうという気がないようだ。

 さすがに原発をルネサンスとはやし立て、二酸化炭素を出さないクリーンな電源と持ち上げる記述は消えたものの、原発に対して『世界最高の安全』を実現させると強調して引き続き重要戦略に位置づけているが、福島原発の事故とその処理についてここまでいい加減な体質を見せつけて『世界最高の安全』なんてよく言えたもの、世界の笑い物になっているのではないだろうか。

 それに対してドイツの脱原発は見事である。2020年までの原発全廃を閣議決定し、来月にも法制化するという。昨日のニュ-スでは法制化以前に2基の廃炉を決めたというから動きは素早い。原発王国のフランスから大量の電力を購入するというのが少し引っかかるが・・・。

 日本の将来にとって、そして首相の地位に留まりかったら『脱原発』と高らかに発することしかないと思うのだが、残念ながら、利権の渦中にどっぷりつかり悪魔に魂を売り渡したアホカン氏には無理なことだろう。

『脱原発』を高らかに宣言している国会議員も数名存在する。そのかたたちが政権を担い国の舵取りをしてくれたら、と願うが、今の政治体制では絶対に無理なこと。

今日も希望のない文章になってしまった。(田舎親父)

2011年6月10日 (金)

ここにも利権の罠が・・・

 岩手県の仮設住宅の建築が予定よりは少し遅れるが、必要数の建築が可能というニュ-スにホッとするが、宮城や福島では見通しは立たないという。県内の市町村の足並みが揃っていないことに加え、県の方針が国の指示待ちではっきりと示せないからだそうだが、実際は後者の県や国の責任の法がはるかに大きい。

 震災処理や原発事故対応を見るかぎり宮城県知事の方針は、全てにわたって国の方針を待って、それにそった動きが多く、『こんな緊急時にそれで大丈夫なの』と危惧感を覚えているひとも多いのではないだろうか。当然、仮設住宅の建設に対しても岩手県知事との考え方が明らかに違うことは、外野的にもはっきりしている。

先日流れた、宮城県では被災者向け仮設住宅約2万3000戸の建設をめぐり、県発注分は大手メーカーが中心で地元の受注はごく一部にすぎず、地元業者がいら立ちを募らせているという記事に、この県のやり方ではあり得ることだと変に納得。

 常識的に考えると、地元の建設業者も壊滅的な被害を被っているが、これらの業者への何よりの支援は『仕事を与える』ことだろうことは、私のような経済音痴でも即刻出てくる具体策。しかし、肝心な県が、この当たり前の考えを実行していないというから困ったものである。

 仮設住宅の建設には県が一括して対応しているのは、被災市町が当面の対応に追われて業者との打ち合わせなどできる状態ではなく、発注など全てを県にまる投げしているのが現状だというが、だからこそ県の有効な支援が必要になるはず。しかし県は何よりもスピ-ドが求められるという理由で、東京に本社を置く大手業者を選定しているのだそうだが、それだけではないような気がしてならない。

仮設住宅というと即刻『プレハブ住宅』というイメ-ジが国民に刷り込まれており、木造の住宅は考えられないようだ。確かに、プレハブ工法ならば、全てのパ-ツを工場で規格通りに揃えて現場に運び、素人に少し毛が生えた程度の作業員が、マニュアルさえ読めればすぐに建てられるという意味では、スピ-ドの面では優れていることは間違いない。

しかし、被災地にはプレハブ住宅専門の工務店などは少ない。だから、どうしても大都会(首都圏だろうが)の大手のプレハブメ-カ-が受注することになってしまうことは否めないかもしれないようだが、これでは、まるで仮設住宅建設がプレハブ大手業者にとっては絶好の草刈り場。

先日、岩手県の建設会社が震災後県内産の木材を利用して仮設住宅を建てているというニュ-スを観た。その会社の社長は、普段から緊急時を予測して、県内産の木材を備蓄していたというようなことを語っていたような記憶がある。

宮城県の建設業の職人で作っている宮城県建設職組合連合会は『現状は職人の生活再建、雇用確保につながっていない』と危機感を深めて、震災後、県内の住宅会社や建築士会と連携し、木造の仮設住宅を受注できる態勢を整えているそうだが、被災自治体に働き掛けを続けているそうだが反応は鈍いという。

どうも宮城県には(県の体質なのかもしれないが)復興を急ぐあまり、手続きが簡単で効率を優先する傾向があるようだ。仮設住宅にしても発注は県が一元管理し、業者選定は資材調達と一括で社団法人プレハブ建築協会(東京)に委任してきたという。

『プレハブ建築協会に一括発注したことで、5月末までに1万戸という国土交通省の目標を達成できた』と知事は胸を張っているそうだが、なんだかこの知事の姿勢は、国からの評価を得ることしか考えていないのでは・・・とも思えてしまう。

目標を達成することも大事だが、地元の経済を建て直すのは知事に与えられた最大の使命。ある意味、仮設住宅の建設は地元にとっては絶好のチャンスではなかろうか。それをスピ-ドだけで東京の業者に委託するとは・・・・。

一日でも早い仮設に入居したい被災者の人々の気持ちを十分理解できるつもりだが、仮設に入れても仕事がない、働き場所がないでは、被災地が活気づくわけはない。このままでは、地元の建設業は完全に大手業者の下請になるしか生き残れないとなると、宮城県の建設業者が気の毒でならない。

救いは南三陸町では仮設住宅の建設を地元業者に発注、50棟の建設のメドがたったというニュ-ス。この町長は、震災直後からそのリ-ダ-シップが目立っている。知事はもとより、他の自治体の組長さんも見習ってほしいものである。(田舎親父)

2011年6月 9日 (木)

宇宙開発を考え直す機会では・・・

 昨朝、NHKのテレビニュ-スは『日本人宇宙飛行士古川さんを乗せたソユ-ズロケットが打ち上げられて順調に宇宙ステ-ションへ向かっている』と伝えていた。

 古川飛行士は、かなり以前に候補者として選ばれていたのにもかかわらず、何故か今まで搭乗の機会に恵まれなかったとのことだから、本人はもとより家族や周りの人々の期待と喜びは大変なものがあるのではないだろうか。

 彼は外科医として東大病院に勤務していたそうだが、12年前に宇宙飛行士候補に選ばれ訓練の日々を続けていたらしい。選定から初飛行まで12年4カ月もかかっている。すでに2回も3回も選ばれて、宇宙に出かけた日本人飛行士もいるのに。医者という職業が影響しているとはおもえないのだが・・・。

 私は幼い時から宇宙にはかなた強い関心を持っていた。学生時代は仲間と一緒に『天文クラブ』をつくり、主に流星の観察に熱心だったが、『宇宙開発』という言葉には違和感を覚え、人間が宇宙に出かけることに対しては、むしろそんな行為などしない方が良いのでは・・・という気持ちが強かった。

その背景には(『何という夢のない発想』だと軽蔑されるかもしれないが)、神秘さはそのまま残しておくべきだという主義が主だが、膨大な金額(はっきり示されていないから想像するだけだが)をアメリカに払ってまで数人の宇宙飛行士を宇宙に送り込むよりも、この国の人々全体の幸せにするための施策が先だという考えもあったからに他ならない。

その考えはいまでも変わらず、この快挙?に覚めた見方をしているのだが、気になるのは古川飛行士がロシアから飛び立ったということと、アメリカのスペースシャトルが来月の打ち上げを最後に引退するということが奇妙に引っかかる。

アメリカという国は何でも世界で一番を目指してきたことは今更私が述べるまでもないこと。それだけ経済的な裏付けがあったことになるのだろうが、宇宙開発でもスペ-スシャトルという贅沢な乗り物を開発し、ロシアのソユ-ズよりも優れているような印象を与えてきた。

評論家諸氏は、アメリカ経済は落ち込みでスペ-スシャトルの後継機も作れなくなり、仕方なく引退となったと言うが、単に経済的な理由からスペ-スシャトルを退役させるのだろうか・・・と素朴な疑問が消えない。

スペ-スシャトルが宇宙で漂う?『国際宇宙ステーション(ISS)』へ人間を運べないとなると、当分の間?有人飛行はソユーズ宇宙船が世界で唯一の手段となり、ロシアがその主導権を握ることになる。

 アメリカはISSへの輸送を民間に移管し、2030年代の火星旅行を目指して新型宇宙船の開発を急ぐらしいが、経済が疲弊したからスペ-スシャトルを断念したという理由なら、新たな宇宙船が作れないと考えるのが妥当。どうも作る気そのものが薄れているように思えてならない。

ロシアはソユーズ運用と並行して火星有人船の開発にも乗り出すとのこと。中国は独自の宇宙基地や月探査の計画を着々と進めているとも伝わって来るが、ヨ-ロッパ諸国はこのところ宇宙開発競争に余り熱心だと言う話は聞こえてこない。

わが国の宇宙開発はというと、2020年まではISS実験棟『きぼう』で実験を続けるらしいが、その先は白紙の状態のようだ。そういえば、先日『きぼう』に物資を運んだ国産の無人宇宙船のことが話題になっていたが、その後この話は消えているようだから、先の見通しは立っていないことは間違いなさそう。

バブルの頃のように『カネ』が有り余っているのなら、宇宙に夢を描くのも悪くないが今は史上最悪の国難の時。何度も繰り返しているが、地震と津波の被害ならば、金と時間と熱意さえあれば復興は可能だろうが、原発事故が最悪のシナリオになりつつある現在、日本という国そのものが維持できるかどうかの境目、北方領土を占領する国に頭を下げてまで宇宙に出かけることもないだろう。

 日本がISS計画や有人活動に投じる費用は、現行の枠組みだけで総額数兆円規模に及ぶという。しばし、宇宙競争の規模を縮小し、原発の事故処理に全力を傾ける時季だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年6月 8日 (水)

今度は延命のための『大連立』・・・

 民主党の議員総会には驚かされた。ハトヤマオボッチャマがアホカンに見事騙された図であるが、翌日になってオボッチャマには相応しくない『ペテン師』だという言葉で流れが変わったのか、民主党内はもちろん野党やマスコミまでもが『カン辞めろ』コ-ルが沸騰しはじめる。

ついに、さすがの恥知らずアホカンも8月に前倒し辞任を決めたようだ。が、つい先日まで必至でアホカンを支えていた幹事長や官房長官までもが、すぐに辞めろと言い出す始末。ここ数日の間には、復興基本法のメドがたったという理由で辞任会見でもありそうな気配になってきたから面白い、というより阿呆らしい。

そして、この連中の口から盛んに出るようになったのが『大連立』という言葉。よくぞまあ臆面もなく自民党との連立を言い出すものだが、もともと『良心』とか『恥』などといった人間の琴線に触れる単語のない辞書で育った輩だから、当然といえば当然かもしれない。

大連立自体は、アホカン政権では参院選で大敗して、いわゆる『ねじれ国会』からずっと模索され続けてきたことだからそれ自体に目新しくはないが、先日の党首討論では内閣不信任案の提出を避ける下心があったことを表しているかのごとく、『タニガキ総理』と呼んだらしいことを大衆紙が皮肉っていたことを思い出す。

すぐに『タニガキ総裁』と呼び直しというが、テレビで党首討論を見ていた人の多くは余りに狙いがあからさま過ぎてバカバカしいと思ったのではないだろうか。

それにしても、今までアホカンを支えてきた面々がそのまま居抜きで大連立を志向し、自民党と打ち合わせをはじめているらしく、その主役がセンゴクというタヌキ親爺となると、やはり狙いはオザワ外しに違いなかろう。

しかし、ハトヤマのオボッチャマがアホカンに騙されたとはいえ、確認書には、辞任の期日は明らかにしていないが『党を割らない』という文面があったはず。しかも『自民党を政権に戻さない』ともかかれていたことは、私でもはっきり記憶している。

震災復興のために自民党と連立を組む、これにはある意味説得力があり国民は理解しやすいに違いないが、それよりもアホカンとオボッチャマにはこのまま不信任案が提出されたら可決し、党が分裂するとの危機感があったはず。だから『民主党』を割らずに、政権を維持することが二人の共通の認識だったことは間違いなさそうだ。ならば、その時点では『大連立』という発想はなかったはずでは・・・。

オカダという幹事長も何を考えているのだろう。内閣不信任案が否決されたら、すぐに辞任の時期の確認なんてないとオボッチャマの発言を否定したので、顰蹙をかったものだが、一夜明けると、『与野党ねじれの中、物事をしっかり決めるには、期限とテーマを決めて大連立というべきか、各党が協力する態勢を目指したい』と8月に辞任と言い出すのだから正気の沙汰とはとても思えない・・・。

そんなことは昨年の参院選で民主党が惨敗した時から分かっていたはず、それはアホカンとその取り巻きたちが政権維持に汲々とするだけで、野党の協力を得ようという熱意がなかったことだったと思うが、政権を握ったことのない連中には、野党がひれ伏すものだという奢りがあったのかもしれない。

 野党、特に自民党は大震災と原発事故を政権奪回のチャンスと捉えて、復興よりもそのことが優先し、不毛な政権攻撃に終始したことも今日の情けない実情を生じさせた大きな原因に違いない。

どちらが悪いということはさておき、震災の復興と原発事故の処理には超党派の協力が必要であることは十分理解できるが、民主、自民が連立すれば衆院議席の九割近く、参院議席の八割近くを占めることになる。

党利党益私利私益が渦巻く政界のことだから、すぐに分裂再編が始まることは目に見えているが、大連立には物凄いエネルギ-が必要になるだろうから、その分復興が遅れることは確実。その前に、大連立は一時的にせよ大政翼賛会思想につながり、ドサクサにまぎれて消費税率の値上げはもとより、下手すると徴兵制の準備段階まで目論んでいる気配も見え隠れする。

民主党の延命のための大連立を狙っているのだろうが、海千山千の狸たちが揃う自民党に体よく美味しいところをしゃぶられることは明らか。この際、オカダやエダノ、あるいはマエハラ、センゴクといった、オザワさえ排除すれば後はどうでも良いと考えている輩を追い出さないかぎり、民主党の未来はないのではないだろうか。(田舎親父)

2011年6月 7日 (火)

大川小学校の悲劇を繰り返さないために・・・

 大津波で全児童の7割近い74人が死亡・行方不明になった石巻市立大川小の保護者有志が同市教育委員会に対し、避難時の状況について検証し、改めて説明するよう要望書を提出したという記事が目に留まる。

 要望書は『このような惨事を二度と繰り返さないためにも、なぜ子供たちを救えなかったのかについてしっかり検証すべきだ』と訴え、津波到達までの対応や、避難場所として北上川そばの高台を選んだ経緯など5項目について説明を求めているとのこと、子どもを亡くした親の怒りがひしひしと伝わって来る。

私も大変関心を持っていた問題だったので、以前報じられた記事を読み返してみた。この学校は北上川の河口から4キロメ-トルも内陸に入った高台にある2階建ての瀟洒な建物。

市の『防災ガイド・ハザードマップ』は、同小を避難所として『利用可』としているというから、市当局は長年『まさかここまで津波が教えせるはずはない』と思っていたことは間違いない。当然、このことは校長には伝えられているから、学校の避難計画には津波に対する項目が抜け落ちていたのではないだろうか。

後日、当日学校を留守にして生き延びた校長は『それでも、堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった』と話していたという。

まさかウソはないだろう。しかし、本当に校長が一応の危惧感を持っていたとしたら、そしてそのことが教師に伝えられていたら、なぜ裏山に誘導しなかったのだろうという違和感を覚える。いくらつるつるで滑りやすい地形であったとしても、本当に危機感を持っていたら、誰か一人ぐらい『逃げろ・・・』と叫んだのではないだろうか。

校長が不在だったことも不幸である。歴史には『もし』『たら』『れば』が禁句だということは十分知っているつもりだが、裏山に避難所を作ろうと思っていたという校長が存在したら、もっと早い段階で裏山に誘導したはずだと信じたい。

 当時大川小にいた教員10人と事務員1人がいたという。そのうち9人が津波に巻き込まれて死亡、一人は行方不明だとのこと(その後行方不明の教員が見つかったのかは確認していない)。

要は、助かった教職員はたった一人だけ。この40代の男性教師は一生重い心の傷を背負って教壇に立つのかと思うと気の毒になるが、今回の学校の対応に対する検証には唯一の証人なのだから、なぜ校庭で児童を30分以上も並べて待機させたのか、その指示はどこから出されたのかは、保護者からの要望書がなくても明らかに検証する必要はある。

同小周辺には、津波が逆流した北上川に沿って、ほかにも小中学校の4校が津波に襲われ計13人の児童・生徒が死亡・行方不明となったというが、犠牲になったのはいずれも、学校から帰宅した後だったということが特に引っかかる。

今回要望書を提出した保護者たちは、これら他の学校の例を挙げて『校舎が津波にのみ込まれながらも安全な高台に避難させ、学校管理下の児童・生徒の命を守っている』と、大川小学校の処置に疑問を投げかけているが、その気持ちはよく理解できる。

津波に対する知識も経験もない私が軽々しく語れる問題ではないが、この学校の教師たちの津波に対しての認識は私と同じぐらいだったのではないだろうか。一人でも、津波に対する恐ろしさを知る教師がいれば、校庭で集めて待機させたという、今思うと最悪の指示はしなかったのではないだろうか。

東京の例をとると、月一度の『避難訓練』が義務づけられており、それぞれの学校では防災担当の教員が、年間の避難訓練の実施計画を作っているが、校庭に避難する時間の長短が避難訓練の評価の基準になっているのが現実。よほどの意識がないかぎり『前年通り』がまかり通るのが現状である。

計画を変えるのにはかなりエネルギ-がいるというと『?』と疑問を投げる人も多いだろうか。しかし、授業時数の確保に追われる学校では、避難訓練の時間すら確保も悩みの種。恐らく大川小学校の場合もこの例に漏れず、従来の津波を想定しないマニュアル通りの避難が実施されたにちがいない。

日頃行われている引き取り訓練計画にのっとり、叱りつけながら校庭に並ばせている子どもたち一人一人を間違いなく親に引き渡すことだけが頭にあり、名簿を片手に『勝手に引き取らないでください』と叫びながら・・・。目に浮かぶようだ。

この要望書がどのように扱われるかはわからないが、全国の各学校は事態を重く受け止め、もう一度あらゆる場合を想定して避難訓練の計画を作ってほしいものである。(田舎親父)

2011年6月 6日 (月)

これは縦割り教条主義の見本か・・・

 あまりにも酷い民主党の内紛と、アホカンの権力にしがみつく体質に愕然として、しばらく新聞テレビの世界から逃避していた。

青森知事選は予想通り現職の圧倒的な勝利。民主党推薦候補は投票数は現職の4分の1では、いかに現在の民衆との支持率が低いかを物語っている。しかし、得票率が41%とは情けない。

青森県民の良識を信じたいと述べたが、県民の意識はこの程度では、原発政策も変わらないだろうから、いずれ福島と同じ難にあう日も遠くないのではないだろうか。折角マグロでその名を高めた大間も、『放射能マグロ』というありがたくないブランド名をいただくことになるのでは・・・。

ところで、少し古い話になるが、これぞ末世と思わせるような出来事を知り愕然とする。

このところ何かと話題に出てくる茨城県の石岡市の消防本部の救急救命士の男性が、勤務が休みだったことし4月、交通事故の現場で救命処置を行ったそうだ。そこまではよくある話だろうと思っていたが、何と、この救命救急士は6ケ月の停職処分を受けたとのことにびっくり。

石岡市の消防本部が作った法令(恐らく服務規程なのだろうが)には、『救命処置を勤務時間外に行ってはいけない』ということが書いてあり、それを根拠にした処分なのだそうだが、こんなことが『規則違反だから』と通用させて良いものだろうか。

6ケ月の停職は懲戒解雇に次ぐ重い処罰。54歳のこの救急士は依願退職をしたというから、なんとも酷い話である。

この救命士の男性は、勤務が休みだったことし4月、静岡県の東名高速道路で交通事故の現場に居合わせた際、けがをした男性の腕に注射針を刺すなどの救命処置を行ったとのことである。

石岡市の法令では、救命処置を勤務時間外に行うことは認められておらず、処置をとる際には医師の指示が必要とある。また、注射針などは、業務以外に持ち出しを禁じられた消防本部の備品だったという。それら全てに違反していたとのこと。

注射針が備品に当たるかどうかは微妙だが、法令をそのまま解釈すると、この救急士の行為は違法といえば違法だろう。しかし、『震災後、同じような事態が起きた際に、すぐに処置できるよう備品を持ち出していた。注射をしたのは、搬送先の病院ですぐに手当てを受けられるようにするためだった』という言い分は説得力を感じる。

どんな事故なのかの報道はない。本当に救急を要するほどの緊急事態だったのかはわからないが、救急士として日頃から怪我人の救出に当たっている人間が、目の前で事故に出会い、重傷を負っている姿を目にしたら、とっさの判断で自分のできることとして処置をするのは当然だと思いたい。

しかし、石岡市の消防本部は『人命救助を目的とした行動であっても許されないことで、再発防止に努めていきたい』とは石頭過ぎる。そして、よりよって停職6ケ月とは・・・。

公務員の場合は特に停職処分を受けると昇進の道は閉ざされると言っても過言ではない。この救急士は勤務態度などが悪く日頃から上司に睨まれていたのかもしれないが、この程度の違反で6ケ月という一番重い処分には何か隠された事情あったのではないだろうか。

勤務医師の場合は、決まって場所でしか診療行為をしてはならないという決まりなど聞いたことはない。警察官も休みだからといって目の前の犯罪を見逃すとは思えない。特に仕事熱心な警察官は身の危険も省みず犯人逮捕に努力するはず。その時、警察手帳を持っていなかったらといって処分されるのだろうか・・・。

消防本部もこの救急士に裏の事情があったとしても、その事情が表にできないのなら、この救急士のとった措置は、褒められることはあっても世間から謗られることではあるまい。その意味でも処分は重すぎると言わざるを得ない。

ここにも官僚主義というのか、勤務の形態を第一にして、広く公に貢献するという姿勢を認めない役所のかたくなな縦割りの体質が見え隠れして来る。(田舎親父)

2011年6月 2日 (木)

この程度の民意では・・・

 昨日、内閣不信任案提出とのこと、民主党の内部もかなりガタついているらしいのでひょっとして面白い結果になるのかもしれないと楽しみにしているが、そのことは別の機会にして・・・。

先週の日曜日に、水戸市長選挙が行われて即日開票の結果、タカハシという人が選ばれた。この選挙には3人が立候補したそうだが、二人は無所属、もう一人は共産党の公認候補だったとのこと。

タカハシ氏は自民党の推薦を受けたらしい。今『民主党』という名前を出した間違いなく落選する情勢だろうから、無所属のもう一人が民主党の推薦でも受けていたのなら、投票する前からタカハシ陣営は左うちわだったのではないだろうか。

共産党の公認候補が選ばれないことも既定の事実。早く『共産党』という名前を変更しなければ、市民の共産党への偏見は消えず、いくら立派な選挙公約を掲げても当選はおぼつかないのではと思っているのだが・・・。このこともいずれ述べることにしたい。

それはともかく、投票率が約48%だったことに愕然とする。有権者の数ははっきり知らないが、タカハシ氏が圧倒的な得票を獲得したとは思えず、たかだか過半数を征したというところではないだろうか。

ということは、市民の半分の半分、4分の1が投票用紙にタカハシと書いただけ、タカハシ氏は、今後4年間は市長として市政を担当することになるのだが、本人の意識の中にはたった4分の1の市民からの支持という気持ちは、恐らくないに違いない。

同時に行われた市議会選挙でも、多分自民党が第一党になっただろうから、水戸市は自民党主導の市政が展開されることは間違いなさそうだ。

原発がどれだけ選挙の争点になったのだろうか。水戸は福島原発とは距離的に近い場所。福島だけが汚染されているように思われているが、首都圏でも危ないと思っている私から見たら、水戸も十分な汚染地域。このことが選挙にどのように影響したか知りたいもの。

マスコミ報道では、選挙の争点は原発よりも震災復旧や、大きな被害を受けた市庁舎の移転問題などだったらしい。タカハシ氏は『地域の防災計画を見直し、市民の安心や安全を確保しながら、速やかに復興を進めたい』と語っているとのことだが、そこには『原発』に対して、自分はどのような立場で水戸を動かしていくという言葉はなかったようだ。

水戸市民の意識がこの程度では、今後確実に起こるであろう、水戸市の汚染問題にもこの市長は右往左往し、全てが風評被害だと問題をそらすだけになるのではないだろうか、という気もしないでもない。

ところで、次の日曜日に行われる青森知事選挙に注目している。青森には六ヶ所村の核燃料の処理施設や東通原発を抱え、その上、マグロで一躍その名が全国区になった大間への原発建設が進められていることなど、原発の話題が多いので盛り上がってほしいと期待しているからである。

 ここでも3人が立候補している。一人は自民党から推薦を受けている現職、もう一人は民主党から推薦を受けている元県議、そしてもう一人が共産党の公認というから、いわば水戸市長選挙と同じ構図。どうやら脱原発の候補が当選することは難しいことは確かなようだ。

 朝日新聞が行った意識調査によると、原発に反対が48%、推進が32%というから、民主党の後ろ楯では、元県議の当選はおぼつかないだろう。そして、原発推進の現職の3選は確実な気配である。はたして、これで良いのだろうか。

 現職候補は原発について『新設する県の委員会』で『独自に安全性を検証』と言っているらしいが、福島原発の処理問題で、放射能に全く大甘な学者をアドバイザ-に選んでいることから考えると、『独自の安全性』も国の思いのままになるような気がしてならない。

青森県が産業のないことから原発頼みの県政になっていることは理解できないわけではないが、せめて、はっきりと脱原発を掲げている共産党候補の得票数が上がることを強く望んでいる。

そのためには、できるだけ多くの県民が投票所に足を向けること。原発で故郷を失う愚を繰り返してほしくない。青森県民の良識を信じたい。(田舎親父)

2011年6月 1日 (水)

愛知県知事も狂ってきた感じ・・・

 先日も取り上げたが、世の中『節電』がはやり言葉になっているようで、節電という言葉がテレビのニュ-スて流れない日はないといっても過言ではない。中には、節電特集などという番組が現れ、どんなことをしたら何%の節電になるという指標が溢れている。

節電そのものは大切だということは今更いうことはない。ただ、一昨日に出された愛知県知事の『県立校は冷房止めよ』という命令はには違和感を覚える。確かに冷房を止めることは大きな節電にはなるだろうが、生まれてこのかた冷房のない生活をしたことのない高校生にとって、気持ちを荒れさせるだろうことは間違いなさそう。そして、その結果、愛知の若者が歓迎したくない報道の主役になることが多くなる?・・・。

それ以前に、知事が教育委員会を飛び越えて県立高校へ命令するのは、厳密な意味では『憲法違反』であるはず、知事の猛省を促したい。

記事にも県教委が困惑しているとある。もっとも教育委員会が困っているのは、教育委員会の権限をこえたからという『すじ論』ではなく、県立高校に設置されたエアコンのほとんどは、公費ではなくPTAの寄付金などで設置され、電気代もPTAなどが負担しているのが実態で、生徒や保護者、PTAなどの説得をどうするからしいから情けない。

 知事ドノは会議の席上、『照明がなくてもノートは取れる、と思わんわけでもない』と自らの学生時代をふり返り『学校は(冷房などを)全部切ったれ』と発言したそうだが、何という時代外れの論理なのだろうと、時代遅れを自認している私であっても到底受け入れられる考えではなさそうだ。

 何でも、県教委によると、県立高校の149校のうち、県の支出で教室に冷房が設置されているのは2校のみであって、90校では県の財源不足にしびれを切らし、各校のPTAが寄付金を集めて07年から順次冷房を設置しているのだそうだ。

その2校にしても、騒音や排ガスで窓が事実上開けられない事情があって特別取り付けているとのこと。また。特別支援学校(特殊学校)や特別支援学級(特殊学級)などにも冷房があるが、体温調節ができない生徒もおり、いずれも冷房の停止は難しいというからいかに知事ドノのご命令でも難しそうだ。

この知事ドノは、中部電力が浜岡原発の全面停止によって電力が不足すると思い込んでいるのか、それとも原発がないとこんなに不自由になるのだと教えたいのかはわからないが、節電の対象がこれからに時代を担う子どもたちに向けるとは酷いのでは・・・。

私が思うに、どうも節電という言葉が先に立ち、戦時中ではないが『御国のため』が合言葉になったと同じで、『節電』に反対することは非国民という風潮が蔓延しはじめたのではないだろうか。これは危険である。

節電を頭から否定する人は(パチンコ業界や大型娯楽産業などの関係者はいるかも?しれないが)表向きにはいないはず、国民全ては節電しなければと思い、態度で示そうとそれぞれの立場で節電対策をしているはずだと信じたい。

この過度の節電意識が、冷房のない部屋で過ごすことが『是』とされ、子どもや病人、さらにもっと危険な高齢者の熱中症などの副産物を呼び込むことも十分予測出来る。そうなると節電が仇となり、新たな社会問題になるような気がする。

必要なことは、緊急な節電が必要だという情報を(地域・送電系統を特定して)リアルタイムで流すことではあるまいか。国民は停電になることを極度に恐れているのだから、その緊急情報があれば無意識に冷房を止め、電気を消すことに抵抗を感じないはず。

県立高校でも同じで、(本当に節電が必要ならば)『緊急節電情報』というものが新たに新設されたとして、その情報が流れたら自動的に冷房が止まるシステムなら、生徒はもちろん、冷房機を設置し電気代を負担している保護者も納得するのではないだろうか。

県教委の幹部の一人は『こちらはあくまで各校ごとに協力をお願いする立場。知事は現場の実態がまだお分かりになっていないのかもしれない』と話しているそうだが、単に知事ドノのご機嫌をうかがうより、本来の教育の独立性を主張して、知事と対決する度胸がほしいもの。それが、本当の『子どもたちのため』では・・・。(田舎親父)

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