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2011年8月

2011年8月31日 (水)

今になって事実を告げるとは・・・

 民主党の新代表が決まった。自分はドジョウだ、ドジョウは金魚になれない・・・なんて、なかなかニクイ表現と、オザワ人脈の一人だと噂されている参院のコシイシ氏を幹事長に任命するなど、なかなかやるではないか・・・と思ってしまう。(外国人献金や、北朝鮮などと裏でつながっているとの噂のあるマエハラ政調会長はいただけないが・・・)

増税や原発推進など政策的にはあまり期待できないが、少なくとも党内の権力争いは少し納まるのではないだろうか。その意味では、しばらくは静かに見守ることにしたい。

ところで、話は少し前に戻るが、アホカンは退陣直前の27日に『首相はじめ原発担当相が福島県庁を訪れ知事などと会談し、爆発事故を起こした福島第一原発周辺で長期間住めない地域が生じるとの見解を伝え、陳謝した』というニュ-スが報じられた。

記事は『カン首相は放射能に汚染された土壌やがれきを保管する中間貯蔵施設を福島県内につくるよう要請したうえで、福島県外に最終処分場を設置する考えを示した』と続く。

なぜ今頃になって、しかも数日後には『ただのおっさん(ひょっとしたら刑事被告人になる可能性も)』になるだろうに、と素朴な疑問を持ったものだが、前日に『年間線量が20ミリシーベルト以下の地域では市町村を除染主体と位置づけ、汚染土壌などの仮置き場の設置を求める』という基本方針を閣議で決めたというから、最後の最後まで責任逃れのパフォ-マンスの男にすぎなかった、変に納得する。

国の試算だと、年間の被ばく線量が200ミリシーベルトとみられる場所では、除染をしないと住民が帰宅できるまでに20年以上かかる恐れがあるという。はじめて20年という具体的な数字が現れたが、4月の段階で首相は側近議員に『ここは20年以上は住めないだろう・・・』と漏らしたことが報じられたことを思い出す。

すぐに、側近議員の聞き間違えだと強弁して誤魔化したがこの意味は重い。何故か、マスコミはそれ以上追求することをやめたが、当時私も含めて『アホカンの本音だろう』と確信を持った人も多いはず。

明確に20年という数値を口にしたのは、原発事故当初から放射能による汚染度はほぼ正確に計算されており、首相近辺には伝えられていたとしか思えない。首相はじめ幹事長や官房長官のあの異常と思われるほどの防護服がそのことを明確にしている。今回の福島訪問は退陣を目の前にして、良心の呵責?に耐えかねてお詫び行脚なのかもしれない。

周辺地域では、200ミリシ-ベルトどころか500ミリシ-ベルト以上の汚染地域も多いという。この事実は、高濃度汚染地域には、もう人が住めないと宣言していることを意味し、実際に国はこれらの土地の買い取りを検討しているというから、原発事故と同時に素人の私でも推測できたことが、すぐそこまで迫っている恐怖を感じる。

何の罪もない人々は、国や東電いやそれどころか地元出身の知事や自治体の組長、そして議員たちが『原発は絶対安全』という神話を作り上げ、地元には莫大なカネか落ちるとの利益誘導論理で武装し、反対する住民を追い散らして作った原発が原因で、故郷を奪われる。

こんなアホなことがまかり通ることを許せないが、現実に起きている。

今まで『原発命』だった知事や組長、議員までが掌を返したごとく、国の責任を追及している姿は、原発からカネが引っ張れないのなら国から・・・という構図と表現したら叱られそうだが、これも現実。

そのことを追求しても今は詮ないこと。故郷を追われる数万の人々の今後の具体的な生活を保証することが、東電はじめ原発推進に邁進してきた人たちの義務であり責任だろうが、さっさと辞めた社長に5億円もの退職金を払う企業体質やそれを追認するだけの前政権では全く期待できなかった。

せめて,ノダ新首相が東電の責任を明確にし、原発の不合理さを認め、被災者救済に全力を挙げてほしいものだが、この御仁も東電とはかなりズブズブ関係があるという情報も流れているので、果たして・・・。

せめて、何の罪もない被災者は、江戸時代の一揆で破れた農民のように『殺され損』になり、いつのまにか忘れられる存在にならないことを祈りたい。(田舎親父)

2011年8月30日 (火)

予想通り厳重注意・・・

 はじめから党内の派閥争いで、所詮は茶番としらけて、徒歩で1時間ほどの大規模ホ-ムセンタ-に出かけていたので、結果を知ったのは帰宅後。投票ではカイエダ氏が1位だったが過半数に至らず、決戦投票でノダ氏が逆転勝利したという。

 ツイッタ-ではNHKが確信犯的誤報を流したということを問題にしていたが、所詮は民主党内に、オザワ氏が出てくると・・・という警戒感が広まっていたようだ。

 そのことは改めて述べることにして、今日は少し古くなるがこの話題で・・・。

 夏の甲子園で準優勝に輝き『被災者の星』などともてはやされていた青森県の光星学院が翌日になって部員の飲酒が明らかになり一転してブ-イングの嵐。一時はテレビのワイドショ-が絶好の餌食とばかり取り上げていたが、民主党の代表選挙の陰に隠れたというか、学校からみると追い風となりすっかり過去の事なってしまった感がある。

 事の起こりは、『部員の一人が自分のブログに自慢げに飲酒したと自ら書き込んでいる選手がいる』というたれ込みが学校にあったことから発覚したらしい。この内通者は野球部のマネ-ジャ-のフアンというか、異常に感心を持った人物らしくこのブログをチェックしていたらしい。そして、リンク先で女子マネ-ジャ-の交際相手だった野球部部員のサイトを見つけたというところのようだ。

 当初はよくある話とあまり気にもしなかったか、ネット情報に詳しい先輩から転送してもらったこれらのブログの書き込みと映像をみると、これが高校生のやることなのか・・・と我が目を疑ることばかり。

 これらのブログは今どき大流行の携帯から発信されたものに違いない。最近の携帯は単に話す機能しか使っていないのは私ぐらいなものらしく、ブログなどは朝飯前になっているようだ。簡単に書き込める機能は便利なツ-ルであるが、その便利な所だけが強調され、リスク面は伝えられないので、自分のブログが不特定多数に伝わることなど意に介さないことが多いようだ。

 今回もその通りで、女子マネ-ジャ-や部員のブログも、ごく内輪の人間だけが見るものと決めつけていたらしく、特に女子マネ-ジャ-のブログの内容は、一般人が見たら仰天するような常識外の言葉と映像が並んでいる。

 すでにこれらのブログは削除されているが、過去の記録は誰かがどこかで保存していれば必ず広まるのは当然のこと、実際に私のようなアナログ人間の目にも触れるのだから、このあたりをマスコミは強調して注意を喚起してほしいもの。

 かなり古い話になるが、携帯が問題になりはじめた頃、私も『ネット社会を考える(だったかはっきり覚えていないが)協議会』という組織の一員として、様々な人たちと意見を交換していた。しかし行動規範というか、理念上の違いで結局は自分から身を引いた苦い経験を思い出す。

 その協議会は私が退会してしばらくは活動していたようだが、協議会そのものをビジネスと捉えるような人たちの出現と同時になくなったと聞いているが、今思うと、もう少し我慢して話し合いを続けていればと少し悔いが残らないでもない。

 今回の騒ぎも、現代の若者の狂った遊びだと、ブログそのものの内容も無理に無視するとしても、テレビで見た学校の記者会見の様子はどう考えても不自然そのもの。

 これらのブログは昨年の帰省時のことを自慢げに書き込んだものだという。そんな古い話を、学校が知ったのは決勝戦の翌日だったとの発表はあまりにもイミングがよすぎる。どう贔屓目に見ても不自然そのもの。誰が考えても、少なくとも夏の大会が始まる前にはこの情報をつかんでいたことは間違いなさそうだ。

 学校(校長)はこのブログの内容を見て驚いたに違いない。これが発覚すると、予選も辞退せねばならないという危機感から、かたくなに事実を伏せ通した。そして思惑が成功して甲子園に出場権を得たという筋書きが正しいのでは・・・当事者たちにとっては、甲子園大会の期間中はハラハラ・ドキドキものだったのではないだろうか。

 できれば2回戦あたりで敗退を願ったのでは・・・。それが期待外れというか、決勝戦まで勝ち進んだというところでは、とうがった想像をしている。これで優勝でもしていれば大変なことになっていただろう。

 翌日になって、3人を停学処分にしたという発表は、高野連の処分の基準は、これまでは『学校の処分を先行していれば』は、だいたいの場合『厳重注意』ということを予測した・・・ようだ。そして、結果はその通り『厳重注意』・・・。

 もう一つの問題は、以前にも取り上げたか、私立高校の生徒集めのために、野球はじめスポ-ツ選手を県外各地から集めて、それぞれの全国大会で活躍させるという経営方針が『是』であること。

 地方の私立高校が生徒集めで苦労しているという話は以前からよく聞く話。一時このことが大きく取り上げられ社会問題にもなったことがあったが、いつのまにか『行き過ぎはよくないが、ある程度は仕方ない』という風潮が広まり、今日ではあまり話題にされなくなったよだ。

 しかし、今年の光星学院の場合はレギュラ-と言われる選手20人の中に、青森県出身の生徒はたったの3人。しかも甲子園でベンチ入りした選手は、わずか1人。そのほとんどが大阪府出身というから驚き。これが『是』であるとはとても思えない。

 長くなるので、このことについては、改めて・・・。(田舎親父)

2011年8月29日 (月)

どこまで隠蔽するきなのだろう・・・

 3月11日の大津波で、全校児童の7割に当たる74人が死亡、行方不明になっている石巻市大川小のことは、私も6月に取り上げた。

偶然だろうが校長は出張のため不在。当時、学校にいた11人の教職員は一人を残して全員死亡。一人生き残った教師について、私は『この40代の男性教師は一生重い心の傷を背負って教壇に立つのかと思うと気の毒になるが、今回の学校の対応に対する検証には唯一の証人なのだから、なぜ校庭で児童を30分以上も並べて待機させたのか、その指示はどこから出されたのかは、保護者からの要望書がなくても明らかにする必要はある』と書いた。

ところが、市教委が唯一生き残った男性教師に震災当時の状況を聴取した際の証言メモを廃棄していたことが、今月20日になって分かったという報道に、我が耳を疑う。その教師だけではなく、聴取した関係者の証言メモ全てを破棄したことに対して、市教委の明確な責任逃れのための証拠隠蔽の意図を感じる。

河北新報社という新聞社は朝日や読売とは違い、かなり硬派の記事を載せている。その河北新報社が情報公開請求で入手した報告書によると、男性教師への聞き取りは3月25日、市教委の男性職員2人が行ったのだそうだ。複数という事実は重い。

記事によると、市教委はこの教師の聴取を20~30分間行なったという。こんな重要な証言を、たった30分ですましたのだろうか・・・。

私の経験からしてもそんなことは絶対にない。どんなに些細な事故・事件であっても、市教委の教員に対する聞き取りは1時間を超えないことはまずない。まして、こんな重要な事故を調査するために唯一の証人に対して、市教委だけの事情聴取で済まされたとも思えない。市教委の聞き取りが終わった後、校長は当然として、市の教育長が同席しての県教委からの聴取があったことは確実だろう。

それは後ほど述べるとして、市教委は教師の発言のメモも参考にして『大川小事故報告並びに聞き取り調査記録』と題した報告書を5月に完成させたらしいが、その段階で市教委の担当者は複数のメモを全て廃棄したという。

報告書のうち、男性教師に関わる部分はA4判用紙2枚。『聞き取りの概要』として、この教師が子どもたちの最後尾にいて『津波がきた。山だ』と叫んだなどと、当時の状況を時系列に並べているが、教師の具体的な発言は記されていないという。

市教委の担当者は『詳しい発言内容は記憶にないが、大切だと思った部分は報告書に反映させた。メモはたまるだけなので、保存する理由はない』と説明しているらしいが、そんなことが教育界で通用するとはとても思えない。

事実関係でも、最後尾にいたという教師だけが生き残るなどということは、常識的にはあまりあり得ない話。このあたりの詳しい事情はきちんと聞き取っていたはずだろうし、そこには具体的な教師の言葉があってしかるべきだろう。

市教委は6月、男性教師ら関係者の聞き取り調査を基に、保護者に当時の状況を説明していたというが、証言メモを廃棄したことに対しては、児童の遺族からは『信じられない』という憤りや、再調査を求める声が上がっているとのこと。当然だろう。

これは明らかに市教委だけの判断ではない。教育委員会のシステムは全て縦系列にがんじがらめに構築されていることを知っている私には、こんな重要なことが市教委だけの判断で行われたとは到底信じられない。前述したように、この教員の事情聴取は、県教委は市の教育長を同席させて行っているはずであり、県教委は文科省に報告していることは間違いない。

繰り返すが、担当者が一存で教師の証言メモを破棄することも絶対ない。必ず上司の指示があり、最終的に責任をとらねばならない市の教育長が知っていることも間違いないところ。ここまで隠蔽しなければならない教師の言葉は何を物語っているのだろ。

またまた清張流に考えると、この教師は徹底的に市教委の監視下におかれ、外部との連絡は絶たれているのではないだろうか。

復職など思いも寄らぬことでは・・・。ひょっとして、しばらくして『病死』などの記事が地方新聞の片隅に載ることがないことを祈らずにはいられない。(田舎親父)

2011年8月28日 (日)

私の辞書からアホカンという言葉が消える・・・

 ようやくアホカン首相が退陣を表明、明日、民主党の国会議員だけで新しい代表を決めるのだそうだ。

立候補者の顔ぶれをみると、世間的には『帯びに短かし襷に長し』というところらしいが、それでは褒め過ぎ。私流で表現するなら『かたやタヌキ こなたムジナ』というところ。誰が代表になっても所詮は民主党内の権力闘争に過ぎず、国の将来像を描ける人物だとは思えない。

自民党の中には、例えばコウノタロウという、党内での人気はないが全国的な知名度を持ち、硬派の国民サイドに立った正論を発信できる人物が存在する。物事をはっきり言う姿勢は政治の世界では新しいタイプの彼が現在の自民党員の投票で総裁に選ばれることあり得ないが、エネルギ-問題でも『脱原発』をはっきりとうたっていることもあり、世論次第では可能性があるのではと期待している。

しかし、民主党には彼に匹敵する人物はいない。『脱原発』を訴える議員も数名存在するが、日常的に口から出る言葉の端はしに『オザワ先生・・・』となると、とてもこの国を任せるに足りる器とは思えない。

そろそろ日本に女性のリ-ダ-が現れても良いのではと思うが、唯一女性が代表になっているのが社民党だけというのは寂しい限り。民主党には女性議員が多く、注目に値する女性議員も存在するのだが、一般には『オザワガ-ル』と呼ばれ、時に記者会見などでそれをはっきり否定しないところは、(マスコミの世論誘導だと思っているが)何となく信頼性に『?』を与える。

今回の代表選挙には5人が立候補している。財務省の傀儡ではと思えるほど増税一辺倒の首相は御免被りたい。八ツ場ダムや高速道路問題、あるいは奴尖閣湾事件でも、大向こうを唸らせる発言はしてもただそれだけで、かえって問題を難しくするだけの御仁では、この国はますます国際的な信頼度を落とすだけ。何より、外国人からの献金を受け取る人物では国の舵取りは任せられない。

ところで、オザワ・ハトヤマ連合はカイエダという御仁を推薦するという。誰を推薦するのも構わないが、この人物はアホカン首相との原発対応の違いらしいが、国会で大泣きしたことがテレビで大きく取り上げられていた。

そこまで悔しかったのなら、即刻、辞表でも叩きつけたら良いものを・・・(叩きつけられないことが政治の世界だろうが)と思ったが、その度胸もなく、結局は現在も形上はアホカンの子分。何より相変わらず休止中の原発の再稼働に熱心必死なのは許し難い。

票を得るためだろうが、自分が首相になったらオザワ処分を見直すとの発言も、この時期としてはいただけない。オザワ傀儡首相は御免だという民意が高まるだけだと思うのだが、今回の代表(内閣総理大臣)選びは、国民の声は全く届かない、民主党の国会議員だけで決めるというから、必要悪と読み切ったカイエダ打算に違いない。

マブチという若手議員が、なかなか面白い政策を発言している。和製のシュルツネッカ-もどきの顔つきと態度は決して好感を覚えないが、他の候補のように積極的に押し進めるとは言っていないことには評価したい。しかし、何票集められるか?という、いわば立候補者の間でも泡沫候補と言われる始末。とても、政策論争など聞いてももらえないだろう。もう一人カノウという御仁を忘れそうだが、TPP推進に慎重なことは評価できても、それだけの人?・・・。

(繰り返すが)所詮はコップの中の権力争いだろうが、カイエダ氏を担ぎ出したオザワ・ハトヤマ連合はこの戦いに破れたら明日がないことだけは間違いない。

うがった見方をすれば、マスコミの調査に逆らってまでカイエダ支持を出したのは、明日の投票で負けることも予測しているのではないだろうか。明後日の内閣総理大臣選出時に『隠し玉』を用意し、すでに自民党などと話を進めていることも十分考えられる。

もっとも、反オザワ陣営も情勢的には同じこと。負ければ、人事での復讐は間違いないところだろうから、徹底的に冷や飯を食らうことに・・・。

どちらにしても、明日と明後日の結果は茶番ながら面白そうだ。(田舎親父)

2011年8月27日 (土)

被災地で選挙が続くが・・・

 数日前、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県の大槌町で町長選挙が、23日に告示され、3名が立候補の届け出をしたというニュ-スに、正直な気持ちとして、選挙ができるのだろうかと心配する気持ちが先に立つ。

住民はこんな状態では選挙どころではないはずだが、津波で町長や職員の多くが亡くなったこの町では、早く正式の町長を選んで復興に向けての動きを急がなくてはならないことも確かだろうから、きっと意識は高まっているのでは・・・と期待したい。

政治に対する不信が極度に高まっている現在、選挙、特に地方自治体の首長や議員選挙では、投票率が20%台やそれ以下などというのも珍しくない。大槌町では大変な情況での選挙だろうことは想像に難くないが、何とか明日が涼しい晴天に恵まれ、高齢指呼の人でも出かけやすい一日になってほしいものと祈っている。

ただ、立候補を表明した3氏が共に年齢が60代ということが引っかかる。立候補して町の復興に命懸けで働きたいという40代、50代の人がいるのだろうが、その人たちは自分たちの身の回りの整理に追われ、高邁な理想を持っていても立候補できる環境ではないのではなかろうか・・・。

年齢で人物を評価するわけではない。老体(?)に鞭打って復興に意欲を持って立候補したに違いないと信じたいが、3氏の、前町議会議長・前総務課長・環境団体代表という肩書に、誰が当選したとしても何か後を引くのではという危惧を持つ。

同日告示された町議選は定数13に19人が立候補する激戦という。13人という定数も多すぎることと、その定数に19人も立候補しているのも、復興利権を争っているようで何となくしっくりこないのだが・・・。

大槌町では、ほとんどの住民が仮設住宅で生活しているのだから、仕方ないことだろうが、仮設住宅を中心に選挙カ-を走らせて、最初は自粛していた名前の連呼を『あいさつ回り』と始める陣営もあったという報道も、本当なら引っかかる。仮設で不自由な生活を送っている人にとって、候補指者を選ぶ段階で互いに溝ができるのでは・・・。私の杞憂であればそれに越したことはないのだが。

注目度でははるかに大きい選挙がこちら。震災で遅れていた岩手県知事選もここにきて行われるという。東日本大震災で延期された岩手県知事選が25日告示された。

この選挙には、現職と共産党推薦の岩手労連議長、実質自民党の推薦を受けるだろうとされている前県議、それと全くの無所属の会社社長の4氏が立候補を届け出たとそうだ。

共産党候補の場合はどれぐらいの得票があるかという興味があるだけ、当選の確率は100%ない。無所属の会社社長も一般の有権者から票が集まることも絶対にない。要は、現職と元県議の一騎討ちだということは、門外漢ながら十分理解できる。

今回の東日本大震災の復興に関しては、私的には現岩手県知事の姿勢は、福島県や宮城県の知事よりはるかに発言も行動も優れ、分かりやすいと評価しているので再選されることを願っているが、気になるのは民主党が推薦していること。

北海道知事選の時、今ほど民主党という名前に国民総体が嫌気を持っている時はないから『民主党推薦』は止めたほうがよいと述べたことを思い出す。有権者はその言葉だけで投票用紙には違う候補者の名前を書くのではと思ったからだが、結果はその通りに・・・。

加えて、37歳の若さと、自民党が実質的に推薦しているにもかかわらず、それを表に出さず、社民党や地域政党のバックを持つ元県議に票が流れるのではないだろうか。

もっとも、岩手県はオザワ氏の強力な地盤。選挙に圧倒的に強さを誇っているこの御仁が民主党代表選挙で候補者として指名するのはハラグチ氏だと思ったのが、こともあろうに原発推進のカイエダ氏だという。

カイエダという御仁は、アホカン氏の命令だったので仕方なく原発推進を主張したとマスコミは報道しているが怪しいもの。脱原発をはっきり明言しないところにハトヤマ・オザワ連合の不透明さか滲み出ている。

オザワ的目論見が当たると、現知事の圧勝も考えられそうだが、予断は許されない。その意味でも、カエエダ氏の当落が、岩手県民には特に重要な意味を持つことだけは間違いない。

誰が知事になっても私には何ら係わりのないことであるが、9月に公示される県議選と同じ9月11日に投票という日程は、(アメリカの9.11が頭にないわけではないが)3月11日以来、毎月11日に前後に大きな余震が起きていることが気になる。

これも私の杞憂であることを願うが・・・。(田舎親父)

2011年8月26日 (金)

どんどん汚染が広がっている・・・

 自分の年代では被曝したとしても致し方ないと汚染を容認しているわけでは決してないが、日本全体がこんなにも酷いことになっているのに、何故、東電や政府を追求する世論が広がらないのか・・・ということが気になって放射能汚染が頭から離れない。

 今日もまた同じような話題になってしまうが、各地の汚染の話題から。

 その1。先日福島原発から100キロも離れた会津若松市の裁判所(地裁の支部)の敷地に埋設されている雨水タンクの汚泥から、1キロ当たり約18万6000ベクレルの高濃度の放射性セシウムが検出されたとの報道にも、さほど驚きは感じない。

 むしろ、なぜ今頃こんなことがわかったのだろう・・・という疑問のほうが大きい。地裁によると、契約業者が震災後初めて排水管などを洗浄する際、タンクにたまった汚泥を除去するため、調査して判明したと説明しているが、普通に考えれば、泥を取り除くのに放射能の線量計を持ち込む業者がいるとは思えないのだが・・・。

 うがった見方かもしれないが、地裁の職員の誰かが、あるいは線量計を持った市民やNPOの人が、身近のところをたまたま測定していたら、この値が検出し連絡して判明ということころではないだろうか。

 ビックリした地裁は、汚泥処理業者が測定し、たまたま見つかったことにして、すぐに雨水タンク2カ所の周囲を立ち入り禁止にし、『国や自治体と協議しながら、早急に汚泥を取り除きたい』との声明を発したという筋書きでは・・・。

 その2。川崎市にある市営プール付近で採取した落ち葉から、1キログラム当たり1万2400ベクレルの放射性セシウムが検出されたという。

 川崎市は以前から放射戦値が高いと言われていた。NHKの首都圏ニュ-スで、各地の放射線値が毎日紹介されていたが、測定地点が地上8メ-トルのビルの屋上であるのにもかかわらず、東京や千葉より高い値だったことに川崎の汚染が間違いないらしいと思っていたが、いつのまにか(県内一カ所という原則らしい)川崎の名前が消えてしまったことも気になっていたので、やはり・・・という感じ。

 このことが明らかになったのは、やはり線量計を持って身近な場所を測定していた市民の通報だという。慌てた市の公園課の職員がプール周辺を測ったところ、プール隣に積まれた落ち葉から0・66マイクロ・シーベルトの放射線量が検知された。分析の結果、放射性セシウムが検出されたとのこと。

 その後の測定ではさらに放射線値の数値は高くなり、1時間あたり0.9マイクロシ-ヘルトを記録したというから、市営プ-ル近くではかなり汚染が広がっていることは間違いない。

 その3。汚染はこれまでは安全と言われていた新潟にも広まっている。新潟県十日町市の幼稚園と保育園の敷地から、1キロ当たり最大2万7000ベクレルの放射性セシウムというトンデモ値が検出されたというから聞き捨てならない。

 十日町市によると、地上1メートルの空間放射線量は、両園とも数値は通常の範囲内だったが、庭内で草や葉が集められた場所と雨水貯水用容器にたまった汚泥を調べたら、高濃度の放射性セシウムが検出されたというが、他の保育園や幼稚園、あるいは小学校などはどうだったのかの発表はない。

 この他、東京都内や千葉県などでも地域限定ながら、ホットスポットと呼ばれている放射線値が高い地域が点在しているという。

以前から千葉県の柏市や流山市の一部では、1時間あたり0.6マイクロシ-ベルトを超える高い値が検出されていることは報じられていたが、群馬県の川場町の小学校や沼田市の市民の憩いの場である21世紀の森からも、それと変わらない値の放射線値が検出されたとのことに衝撃を受ける。

 今後、良心的なNPOの活動によって明らかになることはもちろん、中には恐怖を煽って視聴率を稼ぎたいマスコミにとっては絶好の標的になるだろうから、各地のホットスポットはますます増える違いない。そして、その地域に住む人々の驚きと恐怖は高まることも確実。

 その不安を押さえるために行政がやらねばならないことは、人出が足りないのなら市民に委託することも含めて、計測地点を増やすと同時に、除染の方法など具体的に分かりやすく説明することだろうが、なかなか重い腰が上がらないようだ。

 しばらく、市民は不安に苛まされる日々が続くことになるだろうが、忘れやすい国民性から、いつのまにか慣れてしまうのでは。それが政府筋の本当の狙いなのかもしれないが・・・。(田舎親父)

2011年8月25日 (木)

冬野菜の栽培に異変が・・・

 昨日に続いて牛肉の話だが、先日島根県発として『福島県内の牛を5~6月に購入した農家15戸のうち2戸の堆肥から放射性セシウムを検出』という記事が引っかかる。

特に気になるのは、島根県内では5月以降、一部の肥育施設で、セシウム牛事件の犯人だとされる『宮城県産の稲藁』を購入して与えていた牛の堆肥の一部から放射性セシウムが検出されたが、『これらの牛とは別』という部分。

島根県内の15戸は福島県の臨時家畜市場から福島第一原発周辺の農家が肥育していた牛を含む計77頭を購入したという。昨日話題にした農家では一軒で4000頭も飼育していたといから、福島県の臨時家畜市場に出された肉牛の数は想像できないほど多かったのではなかったろうか。その一部が島根県にわたっただけで、そのほとんどは全国に散らばっているはず。

関連記事をそのまま一部引用すると(引用はじめ)

『島根県によると、15戸は福島県の臨時家畜市場から福島第一原発周辺の農家が肥育していた牛を含む計77頭を購入した。農林水産省は7月21日、牛と排泄物を農場内に保管するよう通知。このうち64頭について今月11日、汚染わらは与えられていなかったとして県に出荷を認める通知をしていたという。 

島根県の独自検査で、64頭中、2頭を購入した1戸から2700ベクレル、3頭を購入した別の農家で100ベクレルを検出した。県は今後、77頭の糞と尿を採取し検査するという』(引用終わり)

77頭の検査の結果がでればさらに詳しいことが判明するだろうが、数値は問題にする必要はないとして推定すると、今回糞から放射性セシウムが検出されたという牛は、『汚染藁は食べていない牛』であり『その牛が福島県からきた牛』であることから、これらの牛は原発事故による放射能で『内部被曝』していると考えても差し支えなさそうだ。

となると、臨時家畜市場で取引された牛は全て被曝したと考えて間違いなさそう。いや取引されたのは牛だけに限らず、豚や鶏も多いと言うから、稲藁や牧草は食べさせていないだろうから牛と同列には考えられないとしても、内部被曝していると可能性は否定できないのではないだろうか。

豚や鶏のことはさておき、この記事の意味することは重大である。島根県が農水省のお墨付きがあるとして64頭の牛を出荷するとは思いたくないが、少なくとも全ての牛の体内の被曝検査を行い、結果が出るまでは出荷しないだろうことを信じたい。

それにしても農水省の対応が拙い。宮崎で口蹄疫が発症したことは記憶に新しいが、あの時、農水省は口蹄疫感染の有無にかかわらず全頭殺処分を命じたはず。

ところが、今回の原発事故では、今まで明らかになった事実から、原発事故直後に家畜の被曝はわかっていたはずなのに、臨時の家畜市場を容認し、汚染しているだろうことが予測できた牛を全国に引き取らせたのは、放射能汚染を隠蔽するためとしか思えない。当時の農水省には『牛糞』など頭になかったのかもしれないが・・・。

ところで話題が一転。親しくしている農家のおじさんが、先日『牛糞堆肥』を購入するために農協に出かけたが、そこには『牛糞堆肥』が消えていたそうだ。職員に事情を聞いたら、上からの命令で牛糞に関連した商品は『扱わない』ことにしているとのこと。

その話を聞いて私はすぐに大型のホ-ムセンタ-に『牛糞堆肥』の有無を調べに出かけた。結果は、農協の職員の言ったとされることと同じ。すでに全て販売してしまい在庫はゼロ。入荷の予定がないとのこと。居合わせた客の多くは、ブツブツいいながらも化成肥料などの化学肥料を購入していた。

これは大変なことになりそうだ。今回の原発事故が『牛糞堆肥』に影響することは、当たり前といったらこんな当たり前のことはないのだが、迂闊なことに私は予測できなかった。農水省の職員を笑えない・・・(反省)。

農協の職員の言う、全国的に牛糞が出荷停止となると、冬野菜の栽培に大きな影響を与えることは間違いない。今度は『牛糞堆肥騒動』が起きそうだ・・・。(田舎親父)

2011年8月24日 (水)

相変わらず牛肉の安全性が不透明・・・

 宮城県の肉牛の出荷制限が解除されたという。検査した全ての肉牛の放射線値の検査で国の暫定基準値を下回ったからだというが、相変わらず、それぞれの牛の検査結果の公表はない。

うがった見方かもしれないが、検査することは当然としても、検査そのものが『出荷制限解除』ありきで、500ベクレルの値を下回っていれば、全て『安全』という判断しているような気がしてならない。

『稲藁犯人説』の真犯人は確か宮城県の福島原発から100キロ近くも離れた農家が出荷していた『稲藁』だったのではなかっただろうか。この農家だけが稲藁を放置していたわけではないだろうし、稲藁を出荷していた農家も多いはず。どうしても『稲藁犯人説』には無理があるように思えるのだが・・・。

それはともかく、福島県の肉牛は出荷制限は解除にならなかったという。その理由として、新たに県内産の4頭の牛肉から暫定基準値を上回る放射性物質が新たに検出されたかららしい。そのこと自体消費者という立場では疑義はないが、福島県の対応について時系列的にみると理解することが難しいきらいがある。

今回、暫定基準を上まわった牛肉は同じ農家から出荷された肉牛だそうだ。記事によると、この農家は原発事故後、6月末までの間に約4千頭を出荷していたことが19日、農水省などの調べで分かったというが、こんな基本的なことがどうして今までわからなかったのだろうというのが素朴な疑問。

このうち3千数百頭については、放射性物質が牛の体表に付着していないかを調べる体表検査が4月下旬に実施された後に食肉処理されたが、過去5回の抽出検査ではこの農家が出荷した牛肉から基準値を上回る数値は確認されなかったという。

ところが、今回検出された4頭の牛肉は、体表検査が実施される前に出荷されていたということあたりから、時系列的にかなりの疑問が出てくる。

仮に、体表検査が4月20日から行われていたとしよう。3千数百頭は4月20日以降の出荷だとしても、残る千頭近い肉牛は4月20日までに出荷されたことになる。その肉はどこに消えたか想像するまでもない。それ以前に、体表検査が検出されなかったと言って、牛の体内がすでに被曝していることは十分予測できるはず。

横浜市は最近になってさすがに差し止めしたらしいが、事故以来『福島を支援する』という理由で、学校給食に福島県産の牛肉を使っていたというがこれは恐ろしい。市教委などは、例によって『食べても安全・・・』と言うだろうが、全児童の被曝検査の必要性を訴えたい。

話を戻すが、福島県はこの農家の農場を立ち入り調査し、採取した牛の糞を調べたところ、牛を出荷したころから残っていたとみられるふんから乾燥状態で1キロあたり9500ベクレルと他の2農場の15倍以上の高濃度セシウムが検出されたとある。

他の2農場という表現も変。福島県には多くの畜産農家が存在するうち、調べたのは3農場だけなの?という新たな大きな疑問が生まれる。記事が正しいとすると、県はどんな基準で3つの農場だけを選んだのか明らかにする必要がありそうだ。

それでも、やろうと思えば、ここまで詳しいことがわかるのに、(表現は悪いが)いい加減な検査をして安全と宣言。買わないのは『風評被害』だと被害者になりすまし、最近まで横浜の子どもたちに『安全』だと口先だけの保証で食べさせていたことになる。

福島県は、恐らく保管されている全ての牛肉を検査したわけではなかろうから、検査すればまだまだ汚染牛肉が発見される確率は高いだろう。これは福島県産の肉牛に限ったことではない。

国民(消費者)を納得させる方法は、関東・東北(いや日本中)の現在保管されている全ての牛肉の検査をして、その結果を偽ることなく数値を発表することしかないことであるが、政治の世界は権力争いに終始、それどころでないらしい。(田舎親父)

2011年8月23日 (火)

子どもが少なくなるのは当然だろうに・・・

 福島第一原発事故による子どもの県外流出が深刻だという。先日、福島県下の県立高二校が、小中学校も含めて最も早い二学期を迎えたとのニュ-スに、(事情は分からないでもないが)子どもたちも大変だなあ・・・というのが正直な感想。

記事によると、第震災と原発事故の影響で、東北各県の幼稚園はじめ小中高の各学校では、一学期の始業式が半月から2ケ月以上もずれ込み、授業時間の確保が共通の悩みだという。そのため、夏休みを1~2週間短縮し、ほとんどの学校では8月下旬から二学期を始めるとのことである。

小中学校も事情は同じ。東北各県は冬休みを多く確保するために、夏休みの終了は関東以西より1週間から10日ほど早くなっているが、今年はさらに早めて、ほとんどの公立学校ではすでに二学期(なぜだか、意味のない『二学期制』を強いている自治体か多く、その場合は1学期の後期と呼ぶらしいが)がはじまっているのだそうだ。

こんなところにまで、今回の指導要領を改定が単に『学力不足』という意見に押されて授業時数を大幅に増加させたことが影響していることを思うと、改定にはもっと議論が必要だったのではと思わざるを得ない。

それともかく、福島県教委は(ある意味、諦めているらしいが)この夏休み中に転校する児童生徒の数が多いのが気になるようだ。高校生を例にとると、夏休み中に県外転校を希望した県立高校生は49人。東日本大震災の発生から5月1日までに1035人が県外に転校していることと合わせると、今後もこの傾向が続けば、大変な事態になると心配しているらしい。

管轄が各市町村の小中学校でも事情は同じで、転校が相次いでいるという。NHKが夏休みに入る前に、福島県内のすべての公立の小中学校734校を対象に夏休みの期間中に転校する子どもの人数などを調査した結果を発表している。

それによると、転校する小学生は913人、中学生は153人で、合わせて1066人だとのこと。福島県では3月の原発事故のあと、4月までに1万2000人余りがすでに転校し、その後も転校する児童生徒は増えているというから、各自治体の教委は子どもの流出対策に頭を痛めているのだそうだ。

常識的に考えても、放射線への不安から、生計さえ立つのなら、子どもの将来を思うとすぐに引っ越したいと考えるのは親として当然だろう。しかし、避難はしたいが、国や県からの金銭的な補助が期待できないとなると、いくら子どものことを考えても、おいそれとは行動を起こせないのが現実だろう。

事故直後から原子炉が溶融していることが指摘されており、良心的な学者や専門家たちは、放射能の分布を予測するシステム『スピ-ディ』の画像からも、もはや県内の多くの地域は子どもか生活できる環境ではなく、乳幼児は直ちに、児童生徒も全員を県外(それもできるだけ西方域)に疎開させるべきだと提唱していたが、国や県はことごとくこれらの意見を無視。

補助金頼みの自治体はこのことについては全くの無策で国の指示通り。疎開どころか、逆に(児玉教授によると)一日100万円もかけたスク-ルバスで放射線値が低い地域から、わざわざ高い地域の学校へ送り届けているというチグハグは、とにかく子どもたちを確保したいというエゴ以外にはないようだ。

事故当初の混乱では地方都市の組長たちの力量の差がはっきりと見え、凄い人物がいるものだと感心させられたが、時が過ぎるにつれて、そのほとんどは『すぐに戻れるのでは・・・』という幻想にとりつかれたのか、有能(だと評価されている)な組長の率いる自治体でも、住民の確保を大前提にしているのではと思えるきらいさえある。

平時ならば、子どもの確保は自治体の最大の役割だろうが、放射能の危機に晒されている今日は、むしろその逆で、子どもを安全な場所へ避難させることが最優先しなければならないのに、やっていることは全くの反対の、避難住民の呼び戻し・・・。

事故を起こした4機の原発は未だに安定せず、今後爆発する可能性も大きいとなると、(無責任な表現だと思われるかもしれないが)自治体の存続など考えている暇はないと思うのだが・・・。

マスコミの一部は『生活のめどがついたとして避難先から地元に戻るため転校するケースもあり、自治体によっては戻ってくる子どもが増えている』とのチョウチン記事を載せているが、そこまでして戻した子どもたちの20年後を予測し、責任が採れるのだろうか・・・。(田舎親父)

2011年8月22日 (月)

福島原発事故の反省はゼロ・・・

 福島第一の原発の爆発事故からほぼ半年。当初から政府(経済産業省原子力安全・保安院)や東電の対応は他人事で、放射能汚染を把握していながら発表せず、多くの住民を被曝させたことが明らかになっているが、『・・・パニックになることを恐れて知らせなかった』と責任を国民に転嫁し、謝罪どころか反省の弁もない。

大津波が事故の要因の一つであったことは誰もが理解している。しかし、地震そのものですでに原子炉を制御する電源が停止してしまったことは、今では誰一人知らぬ者がいないといっても差し支えない。

にもかかわらず、大津波が決定的な原因であり、大津波さえなければ、あれほどの事故は起きなかったと強弁しているのは、地震そのもので原発の心臓部ともいえる電源機能が喪失した事実を認めると、全ての原発の地震に対する強度を根本的に調べ直さなければならなくなるからだろう。

原発建屋の海抜が、福島第一原発に比べてほんの少しの高かったことが幸いし、大事故にはつながらなかったが、電源の主要機能そのものは喪失したことを忘れてはならない。

気象庁は当初はM8.8と発表していたはずなのに、何故か(原発事故があったことが原因だろうと推察している)急遽M9.0に訂正し『未曽有の震度』と地震の規模の凄さを強調していたが、東海や南海、あるいは東南海のトリプル地震が同時に起きたら、今回以上の災害が起きるだろうことは素人気私でも予測できること。

それを防止するために、特に東海地震に対しては予知の研究に莫大な予算をつぎ込んでいるのではなかったろうか。にもかかわらず、今回の大地震に対しては、予知どころか、頭から津波の高さを極端に低く見積もっているのだから、現時点では、予知などほとんど不可能だと断言しても差し支えない。

日本列島は太平洋プレ-ト、北アメリカプレ-ト、フィリピンプレ-ト、ユ-ラシアプレ-トと四つものプレ-トが複雑に絡み合っている特殊な地形。特に、日本海溝で太平洋プレ-トが、南海トラフと相模トラフではフィリピンプレ-トが沈み込み、世界中でも一番と表現しても差し支えないほど大地震が発生しやすい特殊な位置にあることは、小学校の教科書でも取り上げているように、日本人にとっては基礎中の基礎ともいえる知識。

しかし不思議なことに、この小学生でも知っている知識が、大人の、しかも東大をトップレベルの成績を卒業した超エリ-ト集団が(知識としては十分知っているに違いないが、目の前の出世争いや利権が邪魔して見えなくなっているのだろうが)理解できていないのだから困ったものである。

普通の新鮮な感覚ならば、今回の福島原発事故に当たって、まずやらねばならないことは、全ての原発を一旦停止して、もう一度同じ規模の地震や津波に襲われても大丈夫なのか徹底的に検証することだと思うのだが、やっていることは全て反対。

原発がなければ電力不足になるという。確かに原発に依存する割合は高いことは事実であるが、一旦原発が事故ったらトンデモナイ事態に陥ることは、今回の福島現発事故が端的に示している。なのに・・・。

放射能は目に見えない、音もしない、臭いもしない、味もない。何よりも厄介なのは、よほどの量を吸い込まない限り、すぐに危険な状態にならないこと。しかし、数年・数十年たってジワジワと人体に歪みを生じさせることである。しかも、次代を担う子どもたちに対するダメ-ジが大きいとなると、これを防ぐことが大人の最大限の努め。

『電力不足になっても子どもの安全が第一』『子どもたちの安全が守なら少しぐらいのガマンは厭わない』というのが、大人に求められる最低必要限の資質なのだが、この国の大人たちは、自分の快楽が先だと考えるらしく、原発を止めるという発想をする人が少なく、未曽有の原発事故を経験した現在でも、現発の再稼働が必要だという人が半数も存在するという。私にはとても理解できないが・・・。

先日も述べたが、テレビ各局の深夜の下らない番組やパチンコ店の繁栄を少し押さえるという、いわばほんの少しのガマンさえする意志を持てれば、原発を止めても電力不足にならず、現在の生活は維持できることすらわからないとは情けない。わかっているが、言い出せないのかもしれないが・・・。

辛うじて、浜岡原発が休止したが、(噂では)中部電力内部で東海地震などの規模でも『危ない』ことが以前からささやかれていたので、補償を餌にしたアホカン首相の停止要請に中部電力の幹部が『待ってました・・・』と飛びついたらしいとのこと。当たらずとも遠からじというところが真実かもしれない。

他の休止中の原発は事情が違う。九州電力の玄海原発に関しては佐賀県知事などもからんだ『やらせ騒動』があったことは、マスコミも大きく取り上げている。恐らくこのほとぼりが覚めるまでは玄海原発の再稼働は不可能だろうと思っているが・・・。

しかし、ついに先日、北海道電力の泊原発が試験(調整)運転のまま本格運転に移行してしまった。選挙で現職を選択した道民は、このことをどう捉えているのだろうか。

長くなるので、このことは改めて・・・。(田舎親父)

2011年8月21日 (日)

この種の事件の警察は動きが速い・・・

 先日、浜松市の天竜川で遊覧船が転覆、乗客2名が死亡、昨日まで船頭と乗客3人が行方不明になっている現場は、なぜこんな場所でと思うほど・・・信じられない転覆劇。

この種の事件や事故では極端に動きが速い警察は、現場検証と(即刻)運営会社の強制立ち入り検査をしたとのこと。その結果、会社側の安全に対する基本的な姿勢や設備施設、ならびに船頭など乗務員に対する指導に大きな過失があったと発表している。

この遊覧船を運航している会社は、地元の消防などと年一回の水難訓練をしていたそうだが、船が転覆することは想定していなかったという。危機管理の基本は、最悪の場合を想定することは、ほんの少しでも避難訓練計画に携わった者にとっては常識。(監督官庁の消防にも同じことが言えるだろう)

しかし、もっとも安全性が要求される原発でさえ、設計段階から地震の規模や津波の大きさなど、この程度で十分だろうという安易な発想で、事態を想定できなかったとなると、田舎の観光業者が水難訓練について、転覆など考えなかったことも仕方ないともいえそうだが・・・。

救命用具の装着の有無も問題になっている。このところライフジャケット型の救命用具が基本になっているが、テレビの映像をみると、この会社が遊覧船に装備しているのは座布団の代わりになるような箱型が多い。

しかも、救命具は12歳以下の子どもには着用義務が法律で定められているが、大人には『注意を喚起する』だけなのだそうだから、つけないのは当たり前?。

この遊覧船の船頭たちは救命具の装着を命じたり、喚起したりせず、むしろ『暑いのなら・・・』と座布団がわりにすることを勧めていたというから、船頭たちは頭から転覆など絶対にしないと確信していたようだ。会社もそれを黙認。うるさく注意すれば船頭が集まらない・・・ことも背景にあったのかもしれないが、何となく、なあなあの関係は想像できる。

書き出しで触れたように、この種の事故の特徴だろうが、警察は重箱の隅をつっつくように会社や従業員のミスを探し出し、それを大々的に煽るのがマスコミというのが定番になっている。

今回も、救命道具の問題以外にも、乗員向けの操縦マニュアルを作成していなかったことや、22人いる船頭のうち、熟練者は4人だけだったということを明らかにしている。また、『かじ取り役』になるための社内試験を設けておらず、適任かどうかの判断は熟練の船頭任せであることも・・・。

昨日になって船頭の遺体がかなりの下流で見つかったとのことだが、船頭が救命具をつけていると、客は不安になるらしいから、当然この船頭も救命具をつけていなかったようだ。それにしても船頭が溺れるなどあまり聞いたことがない。

好意的に想像するならば、転覆した時、乗客助けなければとの使命感で飛び込んだのかもしれない。溺れた乗客が必死になってこの船頭にしがみつき、身体の自由が利かずに溺れたとも考えられる。

こんな事故があって良いわけはない。会社の安全を無視した運営体質は徹底的に追求されなければならないことは論を待たない。犠牲者への補償も十分行われければならないことも当然だが、『警察や検察』が福島原発の、あの大惨事を起こした当事者である『東電本社や原発管理部門』に立ち入り捜索をしていないギャップの方が気になる。

それどころか、事故当初から東電に対しては『責任』という言葉さえダブ-になっているらしく、東電の姿勢を批判することなく、むしろ擁護・後押しをして、一緒になって情報の隠蔽にこれ務めている始末。

遊覧船の転覆と原発事故とは次元が違うと言われるかもしれない。こんな表現をすると犠牲者の遺族はもちろん世論からも激しい批難がくることは承知の上で言わせてもらうなら、東電と経営陣と比べたら遊覧船の運営会社の体質などはゴミのようなもので、責任の大きさについては比べものにならない。

原発事故当初から、東電の責任を明確にし、情報を隠さず明らかにする(これが真の政治だろうが)こともしないで『人体に影響ない値・・・』と繰り返している国に、遊覧船の運営会社を追求することなど恥ずかしくてできないのでは・・・。

本来は、そのことを鋭く指摘して、政府と東電のなれ合い体質を批評するのがジャ-ナリズムの精神のはずなのにと思っている私が幼稚なのだろうか・・・。

そんなことはあるまい。政府もマスコミも信じられないとなると、何一つ武器を持たない無力な人間であっても、疑問は疑問として声を上げる(せめて、つぶやきだけでも)ことを忘れてないようにしなければと気持ちを新たにする。(田舎親父)

2011年8月20日 (土)

プ-ルの排水でできない・・・

 このところ、首都圏のNPO法人などが福島の子どもたちを首都圏などに招待してプ-ルで思い切って遊ばせているという映像が流れる。原発以来プ-ルにも入れない子どもたちの笑顔にホッとするが、同時に、NPO法人の努力には敬意を表しながらも、これは政府や県の責任で行うことでは・・・との疑念も頭をよぎる。

そんなことを思っていると、先日『原発事故で、福島県内の多くの学校が放射性物質に汚染されたプールの水を排水できずに困っている』とのマスコミ報道に、やっぱり福島県下の自治体は、プ-ル指導を続けていたのか・・・と思うと、なるほどNPOの出番が多くなるわけだと、釈然としないが納得したくなる。

学校のプ-ルの水は全て水道水。その水を低学年のプ-ル指導のためと称して半分捨てている(2日にプ-ル一杯分)ことの無駄は何度も指摘してきたが、正直なところ、プ-ルの排水に関して考えたことがなかった。

福島県内の公立幼稚園と小中高校にある735カ所のプ-ルのうち、排水できない状態が続いているのは原発に近い県東部(浜通り)や県央部(中通り)の約600カ所の大半に当たるという。

下水道に流せるのは約3分の1にとどまり、残る3分の2は農業用水路や河川に直接流す方式らしいが、流域の農民からの苦情や配慮から流せなくなっているからだそうだ。

農業用水路などに排水する方式の学校は、(文科省や県教委の指導では)学校が自ら農家側の了解を得るのが原則になっており、そのための手続などの規定はないとのこと。

この方式の学校に赴任した校長は、こんなことを知っていただろうか。恐らく、水道水であるプ-ルの水を排水するのに疑問を感じなかったに違いない。文科省や県からの指導文面を読んだ、職務に忠実な校長でもプ-ルがはじまる前に『学校だより』に『今年も、プ-ルの季節がまいりました。近隣の皆様には何かとご心配をおかけすると思いますが、子どものためにご理解とご協力をお願いします』という一文を載せる程度では・・・。

ところが、原発事故を境に各地の下水処理場の汚泥から規定値を大幅に肥える放射性物質が検出されたということで、下水処理が大問題となり、国はまたまた大急ぎで大甘の基準を作り、1キログラムあたり8000ベクレル以下では埋め立て処分を可能にしたようだが、すっかり国の作った基準値には信頼性がなくなったらしく、受け入れ先が見つからないのが現状とも聞く。

処理汚泥の行き先がなく下水処理場に保管している映像が紹介されているが、このまま汚泥が増えつづければ、下水処理業務すら難しくなるのは必死、私が心配しても仕方ないとは思いながら、一体どうするのだろうとこの先を危ぶんでいる。

原発周辺の福島県民はこんなニュ-スを見聞きしたら、自分の住む地域にプ-ルの排水が流れ込んだら大変だと思うのは無理のないこと。

マスコミ記事によると、福島市内のある小学校のプ-ルは『放射性物質』を含んだほこりで底が黒ずみ、水は藻で緑色に変色しているという。校長は『衛生上の問題も心配なため早く排水したい。しかし水や汚泥の汚染度合いも分からず学校周辺の人々に迷惑はかけられない』と悩んでいるという。それはそうだ・・・。

別の自治体では、放射性物質を吸着する鉱物ゼオライトなどを利用して除染したそうだが、通常一つのプール当たり数百万円の費用がかかるということで現在は中止して、そのまま放置しているのだそうだ。これも納得。

県は国に学校プ-ルの排水に関する基準を作るようにせっついているらしいが、国(文科省)はすでに8000ベクレルと通知したはずだと涼しい顔(らしい)。もっとも、この8000ベクレルという数値ではことが進まないことを知っているのだろうが、それ以下の数値を今更出すと、これまた大騒動になることも確実。おいそれとはそれ以下の具体的な数値を出せないというところでは・・・。

この問題は、今年は福島県に限られているらしいが、下水処理は全国共通。プ-ルの排水はそのほとんどが下水処理場を経由で処理されるとなると、来年度以降、首都圏を含めて東日本の都県の大きな課題になるに違いない。

今でも増えつづけている汚染汚泥。処理方法が見つからないとトンデモないことになることだけは確実だろう。この続きは、いずれ・・・。(田舎親父)

2011年8月19日 (金)

負担は国民に押しつけだろうが・・・

 『これ買って、あれ買って・・・』とだだをこねる子どもに対して、一昔前ならば『聞き分けがない・・・』とひと言で片づけ、それ以上ごねると拳骨が飛んできたのだが、最近は様子が変わり、子どもをうまく納得させられない親が多くなっているらしい。

『やめたくないよ・・・』とだだをこねているアホカン首相に対して、なんら打つ手を持っていない政治の世界がこの構造と全く同じように見えることから、こんな書き出しになってしまった。

『あれ買って、これ買って・・・』という『アレコレ』が・今年度第2次補正予算・赤字国債を発行するための特例公債法案・再生可能エネルギー特別措置法案であることは論を待たない。アホカン首相としてはもっと『アレコレ』を連発したいのが本音のようだが、そこまで世論が許すはずはなく、とうとう諦めたというところか・・・。

内閣の閣僚や党の幹部たちは『買ってあげるから我慢なさい・・・』とばかり、必死になって野党にすり寄っている姿は、まさに子どもを納得させられない現代風の親が、子どもの言い分を聞くしか解決策が見いだせない姿とダブってしまう。

自民党はじめ野党も似たような体質。『買ってあげると約束しなさい・・・』とばかりにけしかけるのだから困ったもの。全てが『やめていただく』という共通の目的のためにはなりふり構わず、主張やマニフエストなど全て忘れかのごとく、妥協、また妥協の連続の今日の政情は呆れる限り・・・。

二次補正はどうにか成立し、特例公債法案は政権交代の象徴だったマニヘスト精神すら全て否定するほど、自民党など野党の言い分を飲み、政権交代時の矜持すら投げうって先日やっと衆院を通過し、月内に成立することが確実となり、残りは、再生可能エネルギー特別措置法案。

その修正案がこのほど与野党(多分、共産党や社民党などの、原発の再稼働に反対している少数野党は無視されているのだろうが)で妥協案ができたらしく、今日あたりに衆院を通過させることで合意し、26日成立の見通しとのこと。

しかし、この法律の施行は来年7月と1年先。民主党は今解散したら党そのものが空中分解するのは明らか、ことを荒立てずにアホカン首相に身を引いてもらい、1年間でこの法案を何とか、国民を誤魔化せる程度に肉付けをしたいというのが本音だろう。

一方、自民党は原発政策を続けるという主張は変わらず。電力会社に負担を強いるという理由で、この法案そのものに反対しているらしいから、あわよくば政権を奪い返して廃案に、それが無理でも1年間あれば空洞化できると踏んだ妥協の産物に違いない。

この法案の骨子は、『再生可能エネルギ-(風力や太陽光など自然エネルギ-)』で発電した電気は全て電力会社が買い取ることにあるという。一見、ごく普通の表現だが、そこには現在の電力会社を存続するという明確な意図があり、太陽光エネルギ-などを主体にした新しい電力会社の設立を認めることなどは一切書かれていない。

しかも買い取りで新しく生じる費用は、受益者負担と明記している。その値上げである(一応、東日本大震災や原発事故の被災地の企業や家庭には、復興が妨げられないように電気代の上乗せを2013年3月まで免除するとある)が、再生エネ法が施行された場合、企業、家庭とも電気代が1キロワット時あたり0.5円高くなると具体的な値上げ金額まで経産省は試算している。この値は、標準世帯では月額150円程度上乗せとなるとのことだが、これ以上の値上げになるのは歴史が証明している。

この法案が後押ししている部分もあるだろうが、ここにきて『太陽光発電』がブ-ムになっているという。お上がかなりの補助金を出してまで進めている政策となると、『太陽光バネル』の設置が国民の義務と感じる(損得を考える)国民も多く、先を争うように取り付けが進んでいるとも聞く。ブ-ムの陰には悪徳業者が集まるのは世の常。トラブルも多発しているらしい。

自然エネルギ-の推進には異論はない。『節電』にも賛成するが、節電の方向が違うように感じているのは私だけではないだろう。無駄な電力使用はこれを無くさねばならないが、国の根幹をなす製造業などへの、必要以上の節電の押しつけには我慢できない。

ク-ラの設定温度を1℃下げれば○%の節電になると、『節電教育』などという奇妙奇天烈な言葉で学校でも教えるようになっているらしいが、これなど全くの筋違い。

一方、一時自粛していたらしいが、NHKをはじめテレビ各局は、朝までおよそ下らない(それが命の人間もいるらしいが)番組を復活させ、以前と同様(それ以上かも)放映しているが、これこそ無駄そのもの。

全国津々浦々では、パチンコ店が電力をほしいままに使い盛況を博している。これら、合法性があるような電力の無駄使いを何ら指摘もせず、『節電』という脅迫概念で国民に押しつけているのが現状。

電気料金値上げを受け入れる前に、このことを何とかしたいものだが・・・。(田舎親父)

2011年8月18日 (木)

牛乳や乳製品の汚染は?・・・

 セシウム牛が全国的に蔓延しているのは間違いないと思うのだが、マスコミ各紙各局は(どこからの圧力や要請があったらしく)この情報を意識的に押さえにかかっているのではと思うほど、一時ほどの大騒ぎはなくなった感がある。

これは全頭検査などという自治体の前向きと思われる対応と、マスコミ主導の『稲藁犯人説』が広まり、汚染された稲藁さえ与えていない牛なら大丈夫との通説が広まったからだろう。

その上に、本当は食べたくないがあまり気にしていては食べるものがなくなってしまう・・・という一種の諦め感がただよい、知らず知らずに『国の暫定基準値』内なら食べても大丈夫という意識が働くようになったのでは・・・と推察している。

食べたらすぐに下痢やおう吐という症状が現れたら分かりやすいのだが、放射能は影響が出るのは数年・数十年後。しかも個体差が大きく、かなりの濃度の放射性物質を体内に取り入れたとしても、目に見える影響がない人もいるというから厄介。

今回の牛肉や、今後起きてくるコメなどの放射能汚染問題も、明らかになるのは、一番近くて、事故当時妊娠中の胎児が産まれる来年早々だが、すでに、かなりの数の堕胎が行われているとの情報があるので、その可能性は少ないのかもしれない。

しかし、チエルノブイリの例では10年後当たりからこの影響が顕著になっているという。10年以上先となると、忘れやすい(忘れたい願望)国民性のことだから、原発事故そのものも忘却の彼方、自分や身内に変な症状が出ても、それが放射能が原因だと気づかないこともあるのではないだろうか。これが政府や東電の本当の狙いかもしれないが・・・。

ところで、先日も述べたが、セシウム牛が大騒ぎになっているのに、セシウム牛乳や牛乳から作る乳製品が問題にならないのはどうしてなのだろうという問題は、何ら解決していない。

事故直後に、生乳から放射性物質が検出されたことから出荷停止に至り、周辺の酪農家は悔し涙を流しながら生乳を捨てていた姿が大きく取り上げられていたことは記憶に新しいのだが・・・。

しかし、産地の違う生乳をブレンドすることによって基準値を下げたことで、間もなく出荷制限は解除。セシウムなど放射性物質は検出されているだろうことは疑いないのだが、お上の決める『暫定基準値』という数値の威力は絶大で、『お上はウソをつかない』と擦りこまれた国民は、出荷制限の解除に疑いを持たず今日に至っている。

何度も述べているが、我が国では放射性物質などが生乳に含まれることなど想定すらしなかったので、これまで基準値はなかった(実質的には0~10ベクレル)が、急遽国が決めたのが(これも大幅に高い数値にした)野菜と同じ1キログラムあたり500ベクレルというトンデモ値。

数値が一旦決まると、この数値が一人歩きしてしまい、501べクレルは汚染だが、499べクレルならば安全とされて出荷。しかも、県や酪農業者の組合などは、出荷してければ生活が成り立たないという理由で違う産地の生乳を混ぜて、500ベクレルを下回る数値にこぎ着けているのが現実。しかも、499ベクレル以下の数値は絶対といって良いほど公表しない。

肉牛も乳牛も同じ牛である。人間のように人種によって主食がコメやジャガイモ、あるいは嗜好が魚と肉といった違いがあるわけはないだろう。畜産農家も酪農家も同じような餌を与えていることは間違いないところ。

放牧して牧草を食べさせていればもちろん、屋内では稲藁も食べているはず。当然のことだが、肉は汚染されるが生乳は汚染されないということは絶対にない。原発事故を契機にチェルノブイリ事故のことを調べるようになり、現場から遠く離れた地域の子供たちに甲状腺ガンが多数見つかった原因が汚染牛乳だということを学んだ。

汚染牛肉が怖かったら牛肉を食べなければ良いだけだが、牛乳の場合は、飲まなければ良いだけ・・・とはいかないところが恐ろしい。

まず、全国津々浦々の学校の給食では毎日必ず牛乳が出る。このことに疑問を持つ人は皆無と行って過言でないほど存在しない。一部、牛乳アレルギ-という児童・生徒だけが拒否権を持つだけで、全員牛乳を飲むことを強制されている。

最近は少なくなったと聞いているが、牛乳が飲めない子どもに、罰則すら与える教師もいるらしいから、牛乳問題に限っていえば、この国には自由はなく絶対主義と表現しても差し支えない。

牛乳は今更私が取り上げるまでもないことだが、チ-ズやヨ-グルトなどの乳製品に加工されている。バンやケ-キ、アイスクリ-ムなど身の回りの美味しい食品の原料にも欠かせない。ほとんどの国民が摂取量の差はあるものの、毎日牛乳や乳製品を体内に取り入れ、結果として放射性物質が体内に蓄積していることになる。

考えただけでも恐ろしいことなのに、マスコミはもとより、ネットでさえこの問題を取り上げることが少ないのはなぜなのだろう。

牛乳や乳製品を周りから駆逐できないことを知っているからそのことを言い出せないのかもしれないが、今大人たちが声を上げないと大変なことになるのでは・・・と考えるとイライラがつのる毎日である。(田舎親父)

2011年8月17日 (水)

昨夜京都市民は・・・

 3日間お休みしていたが、今日から再開。
 東日本大震災の津波で数百本が海岸線を美しく飾っていた陸前高田市の松並木が、一本を残して全てなぎ倒されたというニュ-スが流れたのは震災直後のこと。

 この残された一本の松が『奇跡の松』と市民の心のよりどころとなっているという番組も作ら、私もその映像を観たことがある。確かに、一本だけが天に向かっている姿は、よくぞあの津波に流されなかったものと感嘆する。この松を復興の象徴にしたいという市民の願いが十二分に伝わってくる。
 時は移り、誰が言い出したのかは知らないが、この一本を残して全てを津波でなぎ倒された松を薪にして、京都の五山の送り火にとい発想が注目されるようになる。
 『こちら』にお迎えしていた先祖の魂を『あちら』へお送りするという日本人的宗教観に基づいたこの行事、それを、日本で最も有名で規模の大きな京都の五山の送り火として使うという企画は、日本全体で東北の復興を祈るという意味でも、また話題性からもなかなか素晴らしいアイデア。多くの人がその実現を望んでいたに違いない。
 薪には復興を願う人々の言葉が書かれて、京都に運び込まれたという報道もされていたが、京都市民の間で(何となくこの表現はうさん臭いが)放射能で汚染されているのではないかという声が大きくなったという。
 これが風評というのかもしれないが、政府と東電が当初から放射能汚染に対して、正確な情報を流しておればそんなに騒がれることはなかったのだろうが、隠し通してきた結果として、国民の間には逆に放射能に対する必要以上の恐怖心が生まれ、この行事に疑義を持っている個人(団体)が、薪が放射線に汚染されていると言い出したのが真相ではなかろうか。それがたちまちのうちに真実のように広まったのでは・・・。
 今では、明らかになっている原発事故直後の放射線の広がりと降雨によって、なぎ倒された松から作った薪が汚染されたことは考えられないことはない。が、この松が汚染されているとなると、福島県は当然としても宮城県や岩手県一体の津波で流された全て放射能汚染されていることなる。
 そうなると、膨大な瓦礫の処分そのものが不可能になるのでは。このことはもう少し調べてから述べたいが、ともかく放射能汚染が可能性としてある薪を使えないという理由で、五山のそれぞれの送り火に保存する組織の連合体である『京都五山送り火連合会』は中止を決めたという。
 しかし今度は、全国からブ-イングの嵐になり、一転して現地から汚染のない別の薪を受け入れることを決めたという。少し変な話だが・・・。
 それでことが納まったと思っていたが、市民の不安を完全に払拭させるために、市は新しく送られてきた薪を調べたそうだ。そして、微量の放射性セシウムが検出された発表したものだから、ますます騒ぎ大きくなり、保存会の判断では納まらず、京都市として結局は、この現地の薪を送り火には使わないということを決めたとのこと。
 昨夜、京都の五山では例年通り『送り火』が行われたが、高校まで京都で育ち、この3月に長兄を亡くし、その墓が送り火の一つである『舟形』の近くのお寺にあることもあって何となく気分は複雑。
 微量の放射線は薪の表皮から検出したというが、500本の薪の全てを検査したわけではなかろう。費用のこともあって、抜き取り検査で(恐らく一本だけ)をした結果だろうと推察している。表皮以外からは検出されなかったとも聞いている。ならば、全ての薪の皮を剥いでしまえばすむことではなかったのだろうか。
 さらに薪を全て燃やすのが問題というならば、せめて五山のそれぞれで、多くの人々の願いが託された薪の中から一本だけ選び、それを燃やすという選択ができなかったのかと思うのは日和見なのだろうか。
 検出したことについて疑うわけではないが、何本を対象に検査したことや、その検出した数値などのデ-タを公表もなしはいただけない。
 この薪は、成田山新勝寺に運ばれ、来月、祈願成就のための護摩木と一緒にたかれることが決まったらしいが、複雑な思いで過ごした昨夜であった。
 私以上に、多くの京都市民はモヤモヤ気分で送り火を眺めたのではないだろうか。(田舎親父)

2011年8月13日 (土)

『漁業特区』とは聞こえは良いが・・・

 宮城県知事が言い出した『漁業特区』構想が、漁業関係者に激震を与えているのだそうだ。『何とか特区』という言葉は、このところあまり聞かれなくなったが、コイズミ政権時代は、猫も杓子も特区流行り。『どぶろく特区』などという、酒造りまでも『特区』という制度で合法化し、地域活性化に使う地域が現れたものである。

中には『英語特区』などという教育内容を指導要領から一歩進めて学習可能な特区まで現れたと聞く。このように地域お越しの切り札になっていた感がある特区であるが、その成果については語られることが少ないようだ。

今回の大津波は太平洋沿岸に壊滅的な被害をもたらせた。漁に限って話題にするが、海岸線に居を構えていた沿岸漁民は、家を津波が飲み込まれ、生活の糧を生み出す漁船はもとより漁具なども全て失ったのみならず、漁港そのものが地盤沈下で使い物にならなくなった。この事は、実際に現場に足を踏み入れていない私でも、テレビや新聞、雑誌などが伝える映像や特集記事で、その惨状はおおよそ理解できる。

映像が伝える凄まじい惨状の前には個人的な力は無に等しいことは一目瞭然。自治体ができることはほんの少しで、国が本気で動いたとしても元通りになるためには数年は要するだろうが、未だに政府は、福島原発事故の原因と現状を国民の目から逸らす事に汲々とし、復興支援など二の次、三の次では、復興の軌道に乗るのは何時の事になるのやら。

そんな現状をみて、宮城県知事が、漁業権を民間企業にも認める『漁業特区』構想を考え出したのだろうと好意的に受け止めているが、漁民たちにとっては漁業権を奪われるとなると穏やかでないことも十分想像できる。

漁業法という法律で、海や川には地域ごとに漁業権が確立していることは周知のこと。最近は、一部漁民たちが法人組織を立ち上げていると聞いているが特例中の特例で、一般的な漁業地域は例外なくといっても差し支えないほど、漁民を束ねる漁業協同組合(漁協)があり、その地域の漁協が漁業権を独占しているのが現状である。

特区構想は、漁業権を民間に開放し、企業として参入しやすくするものだという。恐らく宮城県知事の構想では、漁師が民間企業と共同で会社を設立し、企業の資金を使って船や漁具をそろえ、漁師は企業の従業員となって海で働くという資本主義社会のごく普通のシステムなのだろう。流通も民間企業に委ねれば、仲買人などのシステムも不要になり純利益が高まると考えているのではないだろうか。

どのぐらいになるかさえ、正確には算出できない膨大な被害額に対して、民間資本を入れて漁師の収入を安定させ、併せて漁業に若者を呼び込んで後継者不足も打破する考えだは一見素晴らしい構想のように見えるが・・・。

しかし、民主主義社会では、その根底には『説明と協議』があるはず。今回の特区構想でも、知事の一存で決めるのではなく、大前提は地元の漁師たちの意向を尊重することである事は論をマラないはず・・・。

ところが知事は、大津波で家族や同僚を亡くし、船や漁区を流されながらも懸命に復旧に取り組んでいた漁民たちに何ら説明も協議の打診もせず、突然、国の復興会議という場で提案したとのこと。『特区』という響きは良いが、漁民たちにとっては命と同じだろう漁業権に切り込む・・・、これはいただけない。

知事は民間参入を『地元漁業者が望んだ場合の選択肢の一つ』と説明するが、漁協の幹部たちは『漁師をサラリーマン化しようとしている』『人の権利を黙って他人にやるということは到底許されない』と激怒しているという。

ある意味当然だろうから、この紛争は簡単には納まりそうもない。その一方で、後継者不足や、資金調達の面から、この際や『漁業特区』を認めている漁民や漁協も出始めているとも伝えられているからなんだかややこしくなってくる。

ことを進める時に賛否両論が出るのは当然だが、国策となると、昨日まで友だった両者の間に溝ができ憎しみが増大し、地域の絆がズタズタになるのは歴史が証明するところ。

復興のためには特区は必要なのかもしれないが、漁業は農業と同じに国の根幹。『利潤を上げるためには何でもあり』という現代の私企業の参入を急いでは、代々受け継がれてきた漁民の気持ちとそこに流れる意識の崩壊と地域人々の絆の断絶が恐ろしい。

ここは一旦白紙に戻し、徹底した『説明と協議』から初めてほしいと願う。(田舎親父)

2011年8月12日 (金)

何故今、コメの先物取引?・・・

 『立秋』はとうに過ぎたというのに、ここ数日、横浜の片田舎でも35℃を越す猛暑が続いている。

『立秋』を境にして、暑さを表現する言葉は、いかに猛暑であっても『残暑』と称するのが通例であるが、ここ数年は、この季節はそんな通例は止めてほしいと思うほどの暑さが続く。しかし、それでも秋が近いと思わせる『残暑』という言葉は捨て難く、本格的な秋はほど遠くても、暦の上では秋という気分だけは味わうことにする。

秋は『実りの秋』とか『馬肥える秋』と例えられるように豊穣の季節である。身の回りの果物はその数を増し、人間が口にしない植物でも、その多くが実をつけ、それが野生の動物たちにとっての冬場をしのぐ食料になっている。

日本人にとって、昔から何よりこの季節が待ち遠しいのは稲の実りであろうが、今年は原発事故がその事情を大きく変えている。放射能が田んぼの土壌そのものを汚染していることが確実になり、東北・関東のコメ農家は頭を抱えているという。

農水省はコメの放射能汚染を調べるために2段構えで臨むという方針を打ち出しているらしいが、セシウム汚染業が『稲藁犯人説』をとっている以上、根が深くない稲が土壌に含まれる放射性物質を吸収し、コメに蓄積するのは当然の理。東北から関東にかけてのコメがある程度汚染されることは当然ではないだろうか。

農水省の意図は『安全だと思わせる』ことにあるのだろう。そのために、暫定基準値以下であれば『検出せず』という言葉で安全だと言いたい事は明らか。その方針で、第一段階で収穫前のコメ粒のセシウムの蓄積値を測定し、その値が(大甘なのだから大部分は達しないと想定している)『暫定基準値』以上の場合のみ詳しく検査するという、これが農水省の本音ではないだろうか・・・。

農家は何としても出荷したいのだから、『検出せず』という結果を求めたい。消費者も、危ないとは思いながら、『お上』の安全だという言葉にすがりたい。これが日本人的な言葉は悪いが『互助精神』なのだろうが、実に上手い手を考えついたものである。

この事はさておき、今年のコメがどうなるのか不透明なこの時期に、コメの先物取引を72年ぶりに許可したというニュ-スにビックリ。ビックリしただけではなく、すでにはじまっていると聞いて、超経済音痴の私でも、先行きに危惧を感じる。

マスコミ報道によると、東京と大阪の2ケ所の穀物商品取引所で8日にはじまった先物取引は、福島第一原発事故の影響などで、今年収穫されるコメは不足するとの見方から買い注文が殺到、東京では初値が付かなかったとのこと。例え御祝儀相場だとしても、こんなに高値で取引されるとなると、コメが主食の日本人にとって、コメが高値の花になる可能性も否定できないのでは。改めてコメまでも投機の対象にする政府の方針に強い疑義を抱く。

解説によると、コメの価格を国が管理する食糧管理制度が廃止になったのは1995年だったが、後も、自民党政権はコメの価格維持などを理由に先物取引を認めなかったそうだ。しかし、民主党政権は戸別所得補償制度を導入し、政策のターゲットがコメの価格から農家の所得に移り、所得の増加を目的にした先物取引再開に道が開かれたとのことである。

先物取引に期待される役割の一つに、価格変動のリスク抑制があるのだそうだ。例えとして、田植え前に農家が一定量を一俵1万5千円で売っておけば、収穫後に価格が下がっても1万5千円を確保できるという。確かに理屈はそうだが、実際に、その年の収穫によって価格が変動した場合、その混乱のツケが国民に跳ね返ってくる事は間違いなかろう。

放射能がらみで先物取引導入を急いだのは、(先日少し話題にした)民主党政権が強引に進めている『環太平洋経済協定(TPP)』の布石ではと思えるのだが。

その事はもう少し勉強してから・・・。(田舎親父)

2011年8月11日 (木)

それでも再稼働賛成が半数とは・・・

 メルトダウン(炉心溶融)を起こした福島原発3号機で、大津波10日後、冷えて固まっていた炉心の大部分が『再溶融』したことが明らかになった。といっても、政府・東電が認めたわけではなく、今のところ『有力な説』として専門家集団がまとめ、来月、日本原子力学会で発表するとのことである。

この事は、ツイッタ-などでは多くの人たちが当初から指摘していた事であるが、つい最近まで、政府は情報は一切公表しないで『メルトダウンはしていない』と言い続けていたが、ついに騙しきれなくなったらしく、1号機から4号機まで全ての原子炉がメルトダウンしていたと認めたばかりなので説得力がある。

今回の『再溶融説』は3号機に限っているが、他の原子炉も同じだろう。それはさておき、3号機ではブルサ-マル運転をしていたとなると、今回専門家たちがまとめようとしている説は、もっと恐ろしい事態を意味しているのではないだろうか。

解説によると、3号機は、炉内への注水が始まった3月13日午前9時25分まで約6時間以上『空だき』になり、14日午前11時ごろには原子炉建屋で大規模な水素爆発が発生し、炉心が溶融し、圧力容器の底に落ちたと考えられているという。

東電の公表データによると、3号機炉内への1日あたりの注水量はその後、20日までは300トン以上を保っていたので、(これを信じると)燃料は冷えて固まったとみられるとのことだが、注入できた量は21~23日に約24トンだという。24日は約69トンに激減したことから、圧力容器の圧力が高まり、水が入りにくくなった可能性は間違いないのだそうだ。

専門家集団は、この量は炉内の核燃料の発熱(崩壊熱)を除去するのに必要な水量の11~32%しかないのだから、1日もあれば全体が再び溶ける高温に達する計算になり、24日に『再溶融』したと結論づけているらしい。当時の政府・東電の慌てぶりを思い出しても、この説はかなりの信憑性がある。

東電は原子炉圧力容器底部の温度が低下した状態である『冷温停止』を事故収束の目標としているが、この説の通り『再溶融』が起きていたら、信じられないほど高温になった核燃料がコンクリ-トを溶かして地下深く達していることは間違いなさそう。

当然、収束に向けた工程表に大きな狂いが生じるどころか、修復は不可能な事態も十分考えられる。となると、避難を余儀なくされている人たちには申し訳ないが、再び故郷の地を踏む事すら不可能な事態も十分想定できる。

こんな事実を突きつけられているのに、NHKが実施した『世論調査』で、定期検査や地震のために停止している原発の運転再開への賛否を尋ねたところ、『賛成』が24%、『反対』が23%で、『どちらともいえない』と答えた人が46%に上ったというニュ-スに、思わず『ウソだろう・・・』と叫んでしまった。

NHKは、今月5日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける『RDD』という方法で世論調査を行い、調査対象の62%にあたる1052人から回答を得たという。

NHKに限らず世論調査など信じたくない私だがない私だが、選挙の時には締め切りと同時に『世論調査や出口調査の結果』として、即当選、あるいは当選確実という情報を流すことからも、はなから否定できないと認めざるを得ないところもある。

もし、選挙結果同様に今回の結果が国民の意志を反映し、国民の半数が原発再稼働を容認しているとなると、『この国の大衆は、どこまでいたぶられたら目が覚めるのだろう』と愕然とすると同時に、国民意識はB級どころかC級をも通り越してD級に成り下がったと暗い気持ちになってしまう。

私の思いなど通じるわけはないが、政府はつい先日、避難地域を見直すことや、一時帰宅を認めるとのニュ-スに、また、これで騙される人が出るのだろうな、と諦めに似たつぶやきが口から漏れる。(田舎親父)

2011年8月10日 (水)

天皇や国連事務総長は動くのに・・・

 このところ天皇皇后両陛下はじめ皇太子夫妻や秋篠の宮夫妻などが被災地訪問し、被災者を励ましている映像がかなりの頻度でマスコミを賑わしている。

特に、両陛下が何度も被災地を訪れ、床に膝をつけ、時には正座までして被災者と対面している姿には、天皇制に対してあまり関心のない私でも、被災者の人たちはきっと感激しているのだろうと、素直に評価し気持ち的にホッとすると同時に、『天皇さんも高齢なのに大変だなあ・・・』というのが正直な気持ち。

それに加えるように、一昨日の午前中、両陛下が東日本大震災の被災者が身を寄せている東京都板橋区の都営の成増団地を訪れたというニュ-スに、『何故ここまで天皇さんをこき使うのだろう』と驚き、ちょっとやり過ぎでは・・・と思ったのは私だけではないのではないだろうか。

この都営団地には、福島、宮城両県から約100人が避難しているという。両陛下は、同団地の第2集会所に集まった28人に一人一人、声をかけている姿がニュ-スで流れたが、天皇来訪など想定していない設計だろうから、警備を含めて関係者の裏方苦労は並大抵のものではないだろう。

東京のある小学校には数年に一度皇室の誰かをお招きするという。その会議室を何かの機会に使わしてもらったことがあるが、皇室専用の椅子があり、そのための赤い絨毯が収納されていたことを思い出す。

私がその名前を聞いてもわからない程度の皇室の誰かさえのお迎えでも、学校としては大変光栄(迷惑かもしれないが)な行事で、教職員一同の緊張は一様なものではないとのこと。まして天皇の訪問となると、都営団地では天地がひっくり返るほどの大騒ぎになったのではないだろうか。

天皇制に批判的な人たちは、天皇制を維持・発展するために、『開かれた皇室』を強調するパフォ-マンスだと受け止めていると何かの記事で読んだ記憶がある。確かに、今回の震災に関しては言えば、天皇皇后両陛下が被災地を訪れる回数は異常に多い。しかし、その背景にはこれは両陛下の強い意志が働いているのでは・・・と受け止めたいと思っている。

東北の被災地に何度訪れられたのだろう。空路で移動するのだから時間的にはたいしたことはないかもしれないが、大勢のお付きの人たちはもちろん、報道陣を従えての被災者との対話は(きちんとわきまえられているので、アホカン首相のようなバカな失言はないだろうが)相当な重労働。こんなに天皇を引っ張り出して・・・と同情が先に立つ。

今回の都営団地の訪問に話を戻すが、避難している人たちは、まさかここにまで訪問してもらえるとは想像もしていなかったに違いない。全員大感激したことだろう。その気持ちが復興への意志となれば、天皇の行動は意義あるもの。

同じ日、長崎の原爆忌に出席予定で来日中の潘基文国連事務総長が、東日本大震災の被災者約300人が避難する福島市のあづま総合体育館を訪問している姿がニュ-スの映像が紹介していた。

事務総長は、段ボールで仕切られた居住スペースを回り、『世界が福島を応援しています。頑張ってください』などと日本語で激励したという。被災者にとって国連の事務総長という立場は、(天皇と比べようがないが)よほどの立場の人でないと面会すらできない雲の上の存在である。事務総長には、正直、よくぞ被災者を見舞っていただいたと感謝する。

日本の元首である天皇・皇后両陛下や国際的元首とも言える国連事務総長が、体力と日程をやり繰りして避難所を訪問しているのに比べて、日本政府の要人たちの動きが悪すぎる。

アホカン首相は事故の直後に国民には全ての情報を隠し、原発事故現場にヘリで向かったことがベントを遅らし事故拡大につながった事は周知のこと。そして官房長官や民主党の幹事長も一応は原発事故現場を視察したが、その時の(自分の身さえ安全であれば良いのだろうが)信じられないほど厳重な防御服に身を固めていた異様な姿は、マスコミでさえ批判したもの。

受け入れる現地の人たちは平服だった事は、放射能汚染の危険度を知っていたのは政府だけで、地方にはなにも知らせられなかった事を明確に示している。民主党政府の人間にとっては自分の身が安全であれば、被災地のことなど二の次三の次なのだろうが・・・。

天皇が高齢にもかかわらず何度も足を運び、国連の事務総長までが駆けつけるのに、アホカン首相はじめ政府は知らんふり。忙しくて行けないと言い訳するなら、せめて手厚い補償をと考えるのが常識だろうに、やっている事は権力にしがみつくだけ・・・。

猛暑の中、こんな事を思っていると、もはやこの国は国としての体をなしていないのでは・・・とますます暑さが煩わしくなってくる。(田舎親父)

2011年8月 9日 (火)

牛乳の汚染は確実だろうに・・・

 今日は長崎の原爆忌。また、アホカン首相の『俺が・俺が・・・』と、あたかも自分が本気で進めてるような『脱原発』のパフォ-マンスがテレビ画面で強制視聴させられるかと思うとウンザリする。

参列している圧倒的多数の人々は、心の芯から『ノ-モア長崎』を念じ、戦争の悲しさ惨めさを恨み、平和を誓っているに違いない。こんな場での自己宣伝のパフォ-マンスは似合わないどころか冒涜するものだと表現しても過言ではない。

そのことはさておき、昨日の朝日新聞の『栃木県は7日、国の基準を超える放射性セシウムが検出された肉用牛を出荷した同県那須町の繁殖農家で保管していた稲わらを調べたところ、放射性物質は検出されなかったと発表した』との文面は大変気になる。

那須町の肉牛から放射性セシウムが検出されたことによって、県内の全ての肉牛の出荷か制限されたのは数日前。このことを報じたテレビニュ-スの画面で、農家の男性がインタビュ-対して(悲痛な顔付きで)『原発事故後に刈り取った稲藁は与えていない』と必死に弁明していたことを思い出す。問題の稲藁については『稲藁は雨に当たらないように厳重に管理していた』とも付け加えていたことも記憶がある。

その時点では、肉牛の放射能汚染は『稲藁以外考えられない』という、農水省のかたくなな考え方が当たり前に受け止められていたので、広く『稲藁犯人説』が流布。多くの人はそれを信じていたので、テレビ画面に映る農家の男性の態度に『誤魔化しているのでは・・・』と受け止めていた人も多いのではなかったろうか。

どうやら、農水省も県も『稲藁犯人説』に凝り固まっており、県内の肉牛を出荷停止した時点で、この農家の稲藁を検査していなかったらしい。私は当初から『稲藁犯人説』は怪しいと言ってきたが、今回の報道が間違いないとすると、少なくともこの農家に関しては『稲藁犯人説』では説明がつかないことになる。

問題の牛からは、今月5日に国の基準(1キロあたり500ベクレル)を超える同2200ベクレルの放射性セシウムが検出されたという。この基準はあくまで『暫定基準』なはずなのに、記事には『暫定』という文字がないことや、『国の基準』と強調していることが何となくうさん臭く感じるが・・・。何度も取り上げたことでもあるから、ここでは聞き流す程度に・・・。

この農家の『福島第一原発の事故後に刈り取った稲わらは牛に与えていない』という主張に、県が渋々『念のため』と称して調査したのではないだろうか。そしてその結果にビックリ仰天・・・ということだろうと推測している。

県畜産振興課の担当官は、汚染された稲わらを食べたこと以外の原因で牛の肉から放射性セシウムが検出されたのは、『全国的にも聞いたことがない』と大慌て、今後、汚染の経緯を詳しく調査するそうだが、1キロあたり2200ベクレルという高濃度の放射性セシウムの存在は、牛の『飲料水』か、あるいは『放牧地の草』以外には考えられないのでは。

私は(科学的・技術的根拠は何一つないが)『地下水汚染』が主な原因だと想像しているが、事故原発から100キロも離れている那須町の地下水が汚染されているというのは少しムリがありそう。となると、牧草の汚染ということになるが・・・。

先日、ある人から素朴な疑問なのですが、とことわって『肉牛も乳牛も同じ牛、餌は同じだと思うのですが、なぜ肉牛だけが大騒ぎになっているのでしょう・・・』というメ-ルが届いた。その通り、那須町の牧草が汚染されているとしたら、乳牛から絞った生乳は汚染されていないはずがない。

何故か、『牛乳汚染』を話題にしているマスコミは皆無。ネットでさえ一部の人が取り上げているだけ。不思議な現象である。

牛乳汚染を問題にすることはタブーになっているらしいが、『稲藁犯人説』が冤罪だとしたら、今後取り上げざるを得なくなるのではないだろうか。この問題は近々改めて考えてみたいと思っている。(田舎親父)

2011年8月 8日 (月)

この分野は神の領域ではないだろうか・・・

 京都大学の山中教授らのグループによって、マウスの線維芽細胞からiPS細胞が作られたというニュ-スが流れたのは数年前のこと。

当時マスコミは『今世紀最大の偉業』と持ち上げ、大袈裟な雑誌は『これで人間は死の恐怖から開放される』と、山中教授を神格化するほどの大騒ぎになったことは記憶に新しい。

iPS細胞とは、『人工多能性幹細胞』の英語(Induced pluripotent stem cells)略なのだそうだが、元の日本語そのものの意味が全くわからない私には、iPS細胞など想像すらできない代物。なぜこんなに大騒ぎするの・・・という程度の認識だった。

解説には『体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように非常に多くの細胞に分化できる分化万能性分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと』とあるが、余計にわからなくなる。その意味がわかり大騒ぎしている人たちに対して、正直『凄いなあ』という感想を持ったものである。

さらに、この細胞の発見の凄いところはとことわり、分化万能性を持った細胞は理論上、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能であり、ヒトの患者自身からiPS細胞を樹立する技術が確立されれば、拒絶反応の無い移植用組織や臓器の作製が可能になるとのこと。なんだか悪い夢でも見そうな感じ。

『死の恐怖から開放される』と書いた雑誌の記事には、『例えば、心臓に重大な欠陥が見つかり、心臓移植しか解決の道がない場合でも、自分の細胞から心臓を作り出せる』とあるが、そんなことって本当に可能なのだろうか。

しばらくして、iPS細胞が中学校理科の教科書に記載されるようになり、その関係でiPS細胞に詳しい方とおしゃべりする機会を得た。彼は(極端な話だがと断って)『患者自身の細胞からiPS細胞を作り出し、そのiPS細胞を特定の細胞へ分化誘導することで、従来は採取が困難であった組織の細胞を得ることができる』という。これはひょっとすると将来的には心臓を再生できるという雑誌の記事も、完全にデタラメとは言い切れないことを知り、これは大騒ぎするのは当たり前だと改めて感じる。

理論的には、この技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能となるという説明に、これは使い方によっては『悪魔の技術』になりそうだと寒々とした気持ちになったものである。

その後iPS細胞について特筆するような記述がないので、このことについて忘れていたが、先日、『京大の斎藤教授のグル-プがiPS細胞を使って作り出した精子を、卵子と体外受精させてマウスを誕生させることに成功』という三体のマウスの子どもの写真入りの新聞記事を見て、本当にこんなことができるのだ・・・とビックリ。と同時に、これは大変なことになるのでは、という危機感が迫る。

記事によると、雄マウスの細胞から作ったiPS細胞を、試験管内で精子や卵子のもとになる生殖細胞へと分化。iPS細胞を利用した生殖細胞の作製、生殖細胞を使った生命誕生は世界で初めてだとのこと。

研究グループは、生物の成り立ちやヒトの生殖細胞の詳しい発生メカニズム解明のほか、不妊症の原因究明や治療に役立つとしているとのことであるが、これは正しい使い方をした場合のことだろう・・・。

今回はマウスでの研究だが、将来的にはヒトにこの技術が応用されることも考えられないことはない。自由自在にヒトが作られるとしたら・・・。想像することすら恐ろしくなる。

これ以上の医学の進歩は必要ないというと、お叱りどころか批難が殺到するかもしれないが、少なくとも生命の誕生に迫る研究は、医学の進歩を隠れ蓑にした危険なこと。

そんな技術が確立・通用する前に、人間が消滅しないと・・・。

ますます、来年の12月21日の意味が大きくなったようだ。(田舎親父)

2011年8月 7日 (日)

昨日の社説を比べてみると・・・

 昨日8日6日は、広島に原爆が投下されて66回目の忌まわしい記念日。広島では平和記念式典が行われ、参加した人たちは(一部、義理や利権がらみで参加している輩は別にして)原爆被災者に祈りを捧げ、この悲劇が二度と繰り返さないこと誓い黙祷を捧げたち違いない。

原爆が投下された8時15分からはじまった式典はテレビで中継していたので、久々にじっくり観たが、式典というイベントの域を出るものではなかった。広島市長は(仕方ないのだろうが)『脱現発』に踏み込まず、綺麗なよく通る声の二人の子どもたちの口から出る言葉は明らかに教育関係者の作文。

一番酷かったのはアホカン首相の『俺が、俺が・・・』という、いつも通りの手前かってさ・・・。口先では『原発に依存しない社会』と言いながら、内閣は原発輸出を進める、こんなことが許されるはずはないのに平気で口にする神経に、こちらの頭が奇怪しくなりそうだ。

このことは改めて述べるとして、この日の朝刊の大手新聞各紙も、『原爆』と『原発』をからめて論評しているが、その差が面白い。

朝日は『原爆投下と原発事故―核との共存から決別へ』と題して、原発に関しては『世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない』と述べているが、それ以上の踏み込みはない。

毎日は『原爆の日 経験を原発にも生かせ』と一歩踏み込んだ見出しだが、まとめとして『核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である』と、消化不良の感がする。

読売は『原子力安全規制 組織一元化で信頼を取り戻せ』と『原発賠償指針 被害救済を着実に前進させよ』という二本立て。いずれも、当たり前のことを当たり前にしか書いていない感じで、今後『原発についてどうする』ということについては他人事。

被災者救済に関しても『原子力損害賠償支援機構法などが成立した以上、政府は、遅滞なく機構設立や予算の確保を進め、賠償支援の体制固めを急ぐべきだ』と、政府の御用機関としかとれない記述。

これに対して産経は『エネルギー政策 世界一安全な原発めざせ 今のままでは最貧国に転落だ』と、はっきり原発政策を進めるべきと示し『原子力は、日本の基幹電源であり、生命線であるだけでなく世界が必要としているエネルギーでもある。原子力発電を論じる際には世界の諸情勢を展望して判断する見識が枢要だ』と続けている。

『菅首相の場当たり的な迷走を放置すれば、日本はエネルギー最貧国に転落しかねない。また「原発」と「原爆」を結びつけ、国民の忌避感や不安感をあおる行為も禁物だ。まして、一国の最高責任者が行うべきことではない。あらかじめくぎを刺しておきたい』という一文だけが、何とか読めるところか。

しかし『日本列島は、地震の活動期に入っている。津波を含めて耐震性のさらなる強化は必要だ。今回の事故から可能な限りの教訓を学び取り、世界一安全と胸を張れる原発をめざそう』と結んでいるが、地震というまだ解明されていない巨大なエネルギ-に対して『世界一安全』なシステムなど出来にはずがないことをこの論説員はわかっていないらしい。

全く異色なのは東京新聞である。『原爆忌に考える もっともっと太い声で』との見出しに敬体で文章が続く。

一部を紹介するとみんな紹介したくなる文章である。それでは長くなるので省略するが原発のない次世代へと項目を起こし『フクシマは教えてくれました。地震国日本では、原子の夢にまどろむことはできないと。核の恐怖と原子の夢、ヒロシマとフクシマの空は続いているのだと。私たちも去年以上に、もっとずっと腹の底から太い声を絞り出し、核兵器のない国同様、原発のない国を次の世代に残そうと、語らなければなりません』というまとめの一文には感動を覚える。

東京新聞は以前から『脱原発』に踏み出していたが、社説でここまで書いたことで、それが本物だと感じる。東京新聞に大きな拍手を送りたい・・・。(田舎親父)

2011年8月 6日 (土)

安全な基準がないとは困ったもの・・・

 今日は広島に66年前に原爆が投下された日。3日後の長崎にも投下された日と合わせて、日本人にとって絶対に忘れてはならない日なのだが記憶はどんどん薄くなり、原爆の恐ろしさを真剣に考える場も限りなく狭くなっているように感じる。

間もなく、広島で『記念式典』が開かれる。仕方ないことなのだろうが、式典が年々形骸化しているように感じるが、今年は福島原発の4つの原子炉がメルトスル-し、現在どんな状態なのかも明らかでないほど深刻な情況の中での開催とあって、少しは緊迫感が生まれるのでは・・・と期待している。しかし今年、毎年この場で読み上げられる平和宣言には『原子力に頼らない』という文言はないのが気掛かり・・・。

今回の原発事故前までは『原爆と原発』は『全く違うもの』というのが日本人総体の認識だったろう。しかし、その仕組みの詳細はともかく、違うのは核分裂か核融合という現象をどう処理するかという『原子力の扱い方』であって、本質的には同じであることは中学生段階で習う知識。原発が安全でないとはっきりした今日、その意味でも、平和宣言に『脱原発』という言葉は入れねばならないはずなのだが・・・。

世界で唯一原爆の恐ろしさを経験している国であるのだから、原発と本質的に同じである原発に対しては慎重の上にも慎重を記さねばならないのだが、快適で便利な生活のためには電力が必要という論理が勝り、しかも二酸化炭素を出さないクリ-ンなエネルギ-だという大宣伝で各地に原発建設がはじまったのは、原爆を経験してわずか20年足らず過ぎたころから・・・。

原発は『絶対に安全』というのがうたい文句である。ならば電力消費が激しい都市部に作れば、送電の無駄がなかろうが、建設された場所は綺麗な海が広がる過疎地ばかり。いかに原発推進派の人間が『安全性』に疑問を持っているかを如実に現している。たとえ事故っても都会に住む自分たちには危険は及ばないという勝手な考え方なのだろう。

そして今回の事故。起こるベきして起きた事故だろうが、被災地の悲惨さは言葉にならないが、都会に住む原発容認派の人々にとっても想定外の、しかしもっとも重要で深刻な『食料問題』として危機的な影響がでてきているのは、あるいはしっペ返しと表現しても差し支えないだろう。

まず野菜の汚染が指摘されたが、原発を国策として推進してきた政府は『暫定基準』という新しい数値を生み出し、それまでの基準を一挙に数十倍も高くすることによって誤魔化した。次にでてきた牛乳汚染は、各地で絞られる生乳を混ぜることによって安全だと言い含めて、曖昧なまま今日に至っている。

そして今、『牛肉汚染』が騒がれている。すでに福島県はもとより、宮城県・栃木県・岩手県の肉牛が出荷制限、茨城県もその方向に動いているという。このままでは牛肉が流通しないとなると大変な事態。基準がなかった牛肉にも1kgあたり500ベクレルまでは安全だとの野菜と同じ暫定基準を設け、『全頭検査』することで流通させる腹積もりらしい。

そして、最近になって(需要は落ちているとは言いながら)日本人にとって主食のコメの収穫期が近づいている。肉牛での対応遅れからの大騒ぎを引き起こしている現状に危機感を持ってか、放射性物質が検出される前に、二段階で検査するという検査方法を発表。例によって何とか誤魔化して、当面を切り抜けようとする思惑がアリアリとわかる。

その検査であるが、農水省の案によれば、検査をするのは関東の七都県と福島、宮城、山形、長野、新潟、静岡、山梨の十四都県。地域を広く設定すると影響が大きいため、検査と出荷停止は1950年当時の旧市町村単位で行うのだそうだ。

土壌で1kg当たり1000ベクレル以上の放射性セシウムか、空間放射線量が毎時0.15マイクロシーベルト以上が検出された市町村で予備検査を実施、収穫の4~10日前に2~3kgの玄米を調べるという。

その結果、放射性セシウム濃度が200ベクレルを超えた市町村は重点区域に指定され、収穫後の本検査は作付面積約15ヘクタールごとに区切って実施。本検査で、暫定規制値を超えた地域のコメは出荷停止とするとしている。

今までにはコメにも基準はない。ここでも『暫定基準値』を作り、その値を野菜などと同じ1kg当たり500ベクレルとしているが、何の根拠もないことは明らか。

昨年までは例え検査したとしても、ゼロかそれに近い値だろう。仮に、0.1ベクレルとしたら、安全への信頼度は一挙に5000分の1以下になる計算。検査した結果をそのまま発表すれば消費者には選択の拉致はあるだろうが、それは絶対ないと言い切っても過言でないだろう。500が境であってそれ以下はいかなる値でも安全ということは間違いないはず。

これでは、昨年まではその地域で収穫する米の放射性物質値はたかだか1ベクレルだったのに、今回の検査で499ベクレル検出されたとしても、基準値以下だからこのコメは安全だと見なされ、出荷されることになる。

こんなバカな話はないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年8月 5日 (金)

環境省へ移すらしいが 所詮は目くらまし・・・

 原子力安全保安院の悪評がますます大きくなっている。玄海原発の再稼働の説明会において、九州電力の上層部が、部下に賛成の意見を出すように指示した、いわゆるやらせ問題が明らかになったが、その後も四国電力の井原原発のプルサ-マルの説明会でも同様なことが起きていたことが大騒ぎになっているが、いずれもその背後に保安院が絡んでいるというからことは複雑。

本来なら公正な立場で原発の安全を監視することが任務であるはずなのに、『原発推進ありき』の国・経産省の利益を最優先しているのだから、『安全』が第一ではなくなるのはあるいは当然と言えば当然である。

これまでも事故は起きていたが、その全てのケ-スに保安院が絡み、『今回の事故では空中へ放出された放射線量はごくわずかで、人体に影響するものではない』という決まりきったセリフで誤魔化してきた。

その積み重ねが福島原発事故を起こしたのだろうが、それでも同様な態度をとりつづけている。いや、事故当初の保安院のスポ-クスマンは『重大な事故発生』と発言したが、政府はすぐこの担当者を更迭、その後は、例の能面のような男が(最近になって自分の不倫騒動が明らかになって更迭されたようだが)ノラリクラリと『漏れた放射線は微量』と繰り返していたことは、腹立たしいこととして記憶に新しい。

原子力推進のアクセル役のエネルギ-庁と、それを監視するブレ-キ役にならねばならない保安院が経産省に属していることが問題になっているらしいが、私も含めて国民にはこんな仕組みは説明されていないのだから、一部専門家が指摘するだけ。

福島原発事故の扱いの不透明さが明らかになって初めて『保安院が奇怪しい』という批判が噴出。これでは安全は保たれないという世論の高まりで、政府はやっと重い腰を上げて、保安院の改組を言い出したという経緯だろう。

その骨子が先日発表された。それによると、『原子力安全・保安院』を経産相から分離し、内閣府の『原子力安全委員会』などと統合した上で、環境省の外局に『原子力安全庁(仮称)』とするとのこと。来年四月の新体制発足を目指すのだそうだ。

その試案では『原子力の規制と利用の分離で、信頼される新たな規制機関を設置する』と明記するそうだが、これは、私には政府はこれからも原発政策を推進するとの姿勢で、新たな誤魔化し機関を設置するぞという宣言に聞こえるがいかがだろう。

保安院を経産省から切り離し新組織を設置すると、あたかもこれで所管を経産省から環境省に移すことによって、原発に対しての監視体制が確立するかのような文面だか、所管が移転するだけで、原発利権そのものに群がる構造は変わらないことは、ズブの素人でも予測できること。

ここには、原子力安全委員会もこれまでのチェック役としての役割を見直し、専門的な知見を生かして助言する『原子力安全審議会(仮称)』に再編するのだそうだが、いずれにしても、そのトップや幹部にはどこかの役人が横滑りすることは既定の事実。役人たちにとっては、もう一つ天下り先が増えたというところか・・・。

電力不足を補うためには原発が必要で、それを安全に運営するための改編だというが、電力不足そのものがまやかしであることが明らかになった今日、そして安全神話が崩れた原発はむしろ無用の長物であり悪魔の持ち物。

改編などと称して小手先で遊んでいては再び原発事故が起きるのは必至。さらに不透明さに追い打ちをかけるがごとく突如飛び出した、経産省の次官と保安院長、さらにエネルギ-庁の長官の更迭は、当然だといえば当然だろうが、民主党内部のゴタゴタを誤魔化すパフォ-マンス以外何ものでもないようだ。

この際はっきりと保安院や安全委などの役立たない(役立たないどころか存在そのものが利権の固まり)組織が必要ない『脱原発』を宣言すべきだろう。(田舎親父)

2011年8月 4日 (木)

何人殺せば変わるのだろう・・・

 またマンションのベランダから幼児が落下という記事を見つける。何度同じような事故を起こし、子どもを死なせたら気がすむのだろうとガックリすると同時にため息が出る。

この種の事故が無くなる日はこないのだろうか・・・。そんなことはあるまい。ほんの少しの心配りさえあれば、起こるわけがない事故だからと思いたい。

私が3階建てのコンクリ-ト造りの市営住宅に住んだのは、40年ほど前の数年間。そこには小さいながらベランダがあったが、間取りが2K(全体の面積が30平方メ-トル程度)だったので、洗濯機などを置いて足の踏み場がなかったことを思い出す。

このことは我が家だけではなく、多くの家庭は同じで、子どもたちは、物理的にそこに出ようにもでられなかったのかもしれないが、当時はベランダからの転落事故はまず聞くこともなく、私もそんな注意を払ったという記憶はない。

あのころ建てられた市営住宅のランダには高さが1メ-トルほどの鉄の格子がついているのがごく当たり前の規格だった。実際、建て替えられていない近くの大きな団地をみると、今でも鉄の格子が並んでいる。

その団地は大体が5階建て(一部は4階建て)。見上げると、ベランダの様子は丸見えで洗濯機を置いている部屋もある。時に、4、5階のベランダから子どもが格子ごしに外を見下ろし居ている風景に出合うが、危険を感じることも、まして転落などという言葉は絶対というほど思い浮かばない。

先日の新聞に、三鷹市のマンションの7階のベランダから3歳の男児が20メ-トル下のコンクリ-ト部分に転落して死亡する事故が発生という記事があった。

詳細は省くが、男児は当時、母親といたが、母親は『目を離したすきにいなくなった』とのこと。ベランダにあった踏み台を使って約90センチの柵を乗り越えて転落したとみられるとある。

多くの人にとって『気の毒に・・・』と思うが、そのまま読み過ごされる記事だろう。しかし、この種の事故に対して何度も警告を発している私には引っかかるので、もう一度私論を交えて事故を分析してみることにする。

現場を見たことがないので全て推察の域を出ないが、三鷹市の下連雀という町には何度か足を踏み入れたことがあり、その印象からの想像では、事故があったのは瀟洒なマンションではないだろうか。

ベランダは鉄の格子ではなく、今はやりの外から見えないような仕組では・・・。踏み台が置いてあったとの記事だが、3歳の幼児がそこに登って転落するほどの踏み台などベランダに置く必要はないだろうから、今はやりの植物を植えた植木鉢などを置く台ではなかっただろうか。あるいは大型の植木鉢など・・・。

そう考えると、幼児がそこに登り下を見ていて誤って転落したのもうなずける。時刻から、地上での賑やかさに好奇心がわいたことも考えられる。

部屋にいたという母親がほんの少しの注意を使えば起きるわけはない事故であるが、この種の事故が続いているとなると、母親にだけ責任を押しつけるのも気の毒。プライバシ-を最大限に重視する『外から見えないベランダ』という住宅の構造にも問題がありそうな気がしてならない。

何度も述べているが、子ども(特に乳幼児)は何でも興味を持つ生き物である。しかもまだ高い場所から転落するとどうなるかという恐怖心は育っていない。当然注意心など薄いだろうから、外から気になる声が聞こえると、それを確かめたいという要求に我慢できず、何がなんでという気持ちが大きくなり、自分と外界を隔てるヘランダの壁からのぞきたくなるものである。

そこに、植木鉢があったら・・・。あるいは植木鉢をのせる台があったら、当然のごとくのぼり、身体を乗り出すだろう。そしてその結果が、この種の事故が起きて、記事になっても自分のことと思わない現代の風潮と相まって、この種の事故は無くならない、という悪循環に陥っていると推測している。

親が、危機感を持たないとなると高層マンションのヘランダからの乳幼児の転落事故は今後も増えることがあっても減ることはないだろう。

根本的な解決柵は一つ。かっての公営住宅のように、ヘランダは足元から格子にして、外からは丸見えになるが、内からも見える構造にするか、あるいは現在のはやりのプライバシ-重視の見えない構造ならば、上部にはよじ登っても身を乗り出せないように網をはるか、それとも格子を設けるしかない。

遅きに失した感があるが、この事故を機にべランダの考え方を議論する時期がきたように思えるが・・・。(田舎親父)

2011年8月 3日 (水)

収束どころか、この世の終わりが近づいている・・・

 このところ、思いがけない勉強に出かけることが多くなり、ツイッタ-やブログをじっくり見る時間がない。新聞は講読しているが、読むというより見出しを『見る』という感じなのでいつも斜め読み程度。

昨日朝刊の1面トップに、白抜き4段抜きで『配管10シ-ベルト』の大見出しに、一瞬『なぜ10ミリ程度でお騒ぎなの・・・』という疑問がわくが、すぐに『ミリ』や『マイクロ』という文字がないことに気づき、愕然とする。

すぐ横の『放射線最高値を測定』という副題の意味を理解する。まさにトンデモ値で、すぐに致死量に達するはず。自動検出器ででも測定したのだろうが、まず近くに作業員はいなかったのだろうか・・・という心配になってくる。

朝日新聞は『1日午後2時半ごろ、瓦礫の撤去により放射線量がどのぐらい下がったかを調べるために、作業員8名がこの部分の配管の表面を外側から測定したところ毎時10シ-ヘルトを計測した』と書いている。

別の新聞は『前日瓦礫の撤去が終了した排気筒周りの放射線量がどれほど下がったかを確認するため、1、2号機の間にある配管の根元をガンマカメラと呼ばれる特殊なカメラで撮影したところ高い線量が確認されたため、社員3人が1日午後2時半、現場から3メートルほど離れた場所から、棒の先に線量計を取り付けて測った』と、かなり具体的な記述に説得力を感じる。

『配管の表面を外側から測定』という表現も分かりにくい。測定の方法や作業員の人数なども違うが、計測時刻は1日午後2時半と一致。近くに作業員が存在したことは確実でこの人たちが被曝していることだけは間違いなさそうだ。東電もこれは隠しきれないと思い公表したらしいが、各紙の記述はかなりの差がある。

10シ-ベルトというが、線量計の最高値を測定できるレベルで振り切れたことから、これ以下ではないという最低を示す値。説明書などの解説では人間は7シ-ベルを浴びると100%死亡するというから、数時間で致死量に達するから恐ろしい。いや、実際は10シ-ヘルト以上となると、もっと早く絶命することは間違いないところ。

東電は、『事故発生直後の3月12日に行った1号機の格納容器から排気(ベント)した際、放射性物質が付着した可能性が高い』との見方らしいが、今頃になってこのような事態が明らかになることはとても理解したくない。

この配管は主排気筒につながっているが、現在の非常用ガス処理系の装置は停止しており、なかは気流が流れる状態にはなっていないから外部へ放射性物質が流出するおそれはないといいうが、これはいつも通りの取ってつけたいい訳に聞こえる。

そしてこのような信じられない高濃度の放射線値を観測したのは、この部分には煙突上部からの雨水が入り込み、中にたまっていると説明しているが、配管の一部だけにこんな現象が起きることなど、よくぞこんなことを平気で言えるものだと呆れるばかり。夕刊には,別の場所でも10シ-ベルト超を検出とのこと、ウソはつけないものである。

ネット情報では先日の夜、3号機に強い閃光が走ったという。一部の専門家は、再臨界が起きて、原子炉の部品の一部が、今回測定した場所に吹っ飛んだのではと述べているらしいが、こちらの方が可能性としては納得できないことはない。

1号機から4号機全ての原子炉はメルトダウンしていることは3月の事故発生直後から言われていたことであるが、政府・東電はかたくなに否定してきた。しかし、ウソをつききれなり、2ケ月以上過ぎてからやっとメルトダウンしていることを認めている。

今ではメルトダウンより事態が深刻なメルトスル-しているだろうことが大方の見方。全くの素人ながら、物凄い高温になった核燃料の一部は、原子炉格納容器はもとより建屋を含めてこれらを固定・保護している分厚い鉄筋コンクリ-トをも溶解して地中深く潜っていると想像している。

すると、どうなるだろう。地下水を汚染するばかりかその温度を上げて、水蒸気となって地表に吹き出すことも有り得るだろう。圧力がかかった物質は、それを覆う一番強度の弱い部分に集中することは自然の理。そこが1号機と2号機のすき間だったら・・・。

恐ろしい想像だが、もしも水蒸気が吹き出したとしたら、第一原発の4つの原子炉が水蒸気爆発することも有り得る。そればかりか福島第二原発や、近くの休止中の女川原発も連鎖反応。これは日本の終末どころの話ではない。

私はその日を2012年の12月21日と漠然と思っているが、最近、その日は今年の10月28日だという説が流れるようになっている。う-ん、これなら、今回の水蒸気爆発を連想させる記事、何となく時系列として納得できそうだ。

恐ろしいことだが・・・。(田舎親父)

2011年8月 2日 (火)

県民の良識を奪う知事選・・・

  一昨日行われた埼玉県知事選挙、お昼のニュ-スで『現在までの投票率は4.8%』とのことに、一瞬『ウソだろう・・・』と声を上げてしまった。

その日は朝から雨。出足が悪いことも影響していたことは間違いないが、投票がはじまってすでに5時間。この間に県民の20人に一人程度しか投票場に足を運ばないとは信じたくない。このまま雨も降り続きそうなので、下手すると20%にも満たないのでは・・・と情けなさよりも恐ろしさを感じる。

しかし、候補者の顔ぶれをみると、埼玉県民の選択もわからないでもない。現職は過去8年の実績を背景に、しかも自民と民主の相乗り。対して、後の二人をみると、一人は共産党の公認ではなく『推薦候補』である。『公認』と『推薦』では天と地ほどの差があることは私にでも推測できる。

もう一人は、『元高校教師』という前歴を示すだけで、そのひととなりや政治姿勢・基盤らしきものは全くない。『元高校教師』とあるが、年齢は57歳と公務員の定年前。この選挙に立候補するために退職したかもしれないが、常識的にみて安定している身分を投げ打って立候補するとはとても思えない。

よほどの政治使命を持って、埼玉の現状を帰るのは自分だけ・・・という信念を持っていた人物だと信じたいが、間違いなく落選(ほとんど投票する人がいないだろう)するとわかっているのだから、立候補には別の狙いがあるのではという推測が先に立つ。

埼玉県用のテレビ局はあるのかもしれないが、NHKはじめテレビ各局は埼玉県知事選挙には興味など持っていないらしく、お義理に候補者の経歴は紹介したにすきない。それも対立候補に関してはほとんど主張らしいものすら報じない。要は、はじめから選挙などしなくても結果は明らか・・・という姿勢がアリアリ。

共産党の候補者なのだから『脱原発』を唱えているに違いなかろうと思っていたが、それを確認できる情報がない。マスコミが流さないのは当然としても、ツイッタ-やブログあるいは、今はやりのフイスブックにもその情報は皆無。

共産党機関紙『赤旗』にも、私が見る限り、党を上げて必至に戦っている・・・という気迫も情念も感じない。恐らく自前の候補者を立てたかったのだろうが、勝ち目のない選挙に莫大なカネはかけられない。かといってはじめから立てないのでは世間的にも、今後にも差し障りがあるから『推薦』でお茶を濁したというところでは・・・と推察。

結果は予想通り、現職の120万票に対して17万票と6分の1以下。元高校教師に至ってはわずか5万票という惨めな結果。

それにしても、こんな阿呆らしい選挙になったのは、自民と民主の馴れ合いの結果。民主党は党是として『相乗り』はしないと決めていたはず。そして、その精神で前回の選挙では、全ての選挙区で時前の候補を擁立し、政権交代をなし遂げたはずなのに、その精神も今は昔・・・。

前回も埼玉県は相乗りの現職を推薦した経緯があるので、対立候補を擁立できなかったのかもしれない。しかし念頭のところは、民主党推薦となると現状では100%負けることが明らか。選択肢の一つにすらならなかったようだ。それにしてもだらしない。

自民党と民主党が相乗り、共産党ははじめから戦意はなし。もう一人は前歴さえ怪しい泡沫候補となると、埼玉県民がしらけるのも無理はない。争点が曖昧で『脱原発』の明確なビジョンを語れないというのでは、バカバカしくて『投票所などに行けるか・・・』というのが正直なところだろう。

わからないでもない。しかしそれでも、意地でも選挙に出かけて、せめて『白票』を投じ、現体制に批判をするのが県民としての権利であり義務だと思うのだが、この国は、その選択すら許さないようだ。(田舎親父)

2011年8月 1日 (月)

放射能汚染が進む中で・・・

 全国的に放射能汚染が進んでいる。昨日話題にした、福島原発から遠く離れた鳥取や香川でも放射能に汚染された腐葉土が流通していることなど報道されるまでは全く予想すらしなかった。そして今でも、信じられない思いの人も多いのではないだろうか。

そこでも述べたが、腐葉土は化学肥料に頼らず自分で美味しい野菜を作ろうと思う人に取っては最高の肥料。家の周りの落ち葉を拾い集め、それを生ゴミなどと一緒に置いておくだけで数カ月も過ぎると自然に発酵し、かけがえのない肥料に変身する。

手間は少しかかるが何よりもお金がかからない。しかも、腐葉土で作る野菜は害虫や病気にも強いので、殺虫・殺菌剤という厄介な薬剤がいらない。野菜の種をまき、苗を育て収穫するという、野菜作り全体からみると手間は省けるのではないかとさえ思い、私はせっせと腐葉土作りを楽しんでいる。

こう書くと大袈裟ことをしているように感じられるが、私の場合は落ち葉を使っての腐葉土作りというより、『生ゴミは資源』だという考え方が信念になっているので、生ゴミをビニ-ル袋に入れてゴミとして出すのはもったいないと思っているだけ。

野良猫などが食い荒らす魚や肉類は底を切り抜いたバケツを庭に埋めて、その中に入れて蓋をし、重石を乗せ、野菜などのクズは深い穴を掘って直接そこに捨てるようにしている。両方とも一杯になったら、バケツの位置をかえ、違う場所に深い穴を掘る繰り返し。不思議にしばらくたって同じ場所を掘ったら、生ゴミの残骸は跡形もなくなり、以前からある土との区別はつかなくなっている。

科学書などを読むと完全に発酵させなければ肥料にはならないとのことだが、狭い庭では肥料作りのための土地を遊ばせる余裕はない。埋め戻した場所にすぐ違う野菜の種を蒔いたり、苗を植えているが障害はなく、むしろよく育つ。このことから、時間をかけて完全に発酵させなくても肥料になると信じ、このことを数十年繰り返している。

そして、本物の腐葉土は近くの山道からいただくようにしている。そこは舗装してあるので、道の両脇には自然に落ち葉などが積み重なり、しばらくすると立派な腐葉土となり、徐々に道幅が狭くなってくる。勝手に掃除のボライティアだと称して、せっせと自然が作った腐葉土を庭に運んでいるが、腐葉土が放射性汚染というニュ-スにはちょっと身構える。

こんなことを思っていると面白い記事に出合った。原発事故で、自宅や田畑の土壌の放射能汚染に不安を感じる住民が削り取った表土を引き受けている住職の存在である。

この住職は『今ここに脅威があるのに放ってはおけない。身を捨て、困難を引き受けるのが僧侶の務め』と近隣住民に手を差し伸べているのだそうだ。

その僧侶は福島県の福島市の常円寺というお寺の就職。記者が取材した時点で、寺が所有する小高い山の上に、残土の詰まったゴミ袋が約160袋積み上げられているとのこと。この住職は自分で放射線値を計り毎時8マイクロシーベルト前後の汚染などにも『元の表土より、運び込まれる土の方が線量は低い』と笑い飛ばしていると記事にある。

『江戸時代までの寺は、現在の自治体と同様の働きをしていた』とのことだが、その通り。(先日少し触れたが)放射性物質の除去に効果があるとされるヒマワリの種や苗を無償で配る市民団体を結成し、2000万本のヒマワリを栽培しているという。放射性物質を吸い込んだ花や茎も寺で預かるとのことだから、これは凄い。

近隣の住民や檀家からの反対はなく、むしろ作業に積極的にかかわる人が多いというから、この住職に対する信頼が厚いことをうかがわせている。

山道の腐葉土が放射能汚染しているかもしれないが、それをそのままにしておくより我が家の狭い庭に運ぶのは世のため人のため?・・・。道端の腐葉土を集めていると多くの人から『ご苦労さま・・・』などとと声をかけられるのだから。

なんだかとってつけたような理屈だが、化学肥料を使うよりは・・・という考え方を変えなくて済みそうだ。(田舎親父)

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