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2011年11月

2011年11月30日 (水)

大阪の教育の今後が気掛かり・・・

 27日の夜。投票が締め切られた直後の午後8時1分に毎日新聞、続いてNHKはじめマスコミが一斉に『ハシモト氏とマツイ氏の当確』との速報に、大阪人は、予想通りの選択をしたことを知る。このことは、翌日すぐに話題にしたかったが、ここまでのハシモト陣営の圧勝にしばらく呆然としてしまい、すぐには言葉が浮かばなかった。

この票差は投票率が大幅にアップしたことと大いに関係することは衆目の一致するところ。民主党のマニュヘストからどんどん離れていくウソツキ体質に嫌気がさし、かといって自民党へ投票したくないという圧倒的多数の無党派層の多くが、ハシモト氏のあのパフォ-マンスに心奪われ、投票所へ足を運ばしたのだろうと想像している。

彼はこれまで、市職員を『市役所は税金をむさぼり食うシロアリ』などと批判してきたが、当選した翌日には改めて『民意を無視する職員は去ってもらう』と明言。これは俺に批判的な奴は徹底的に冷遇し、辞職に追い込むという強い意志に違いない。

ここまで明確な姿勢を出されては、抵抗する職員は少ないだろう。市長の顔をうかがう幹部職員が増え、赤チョウチンでぐだぐだと不平をいう下っぱも増えるだろう。が、批判と怠惰な勤務が明らかになると自分のクビが怪しくなるのだから、表面的には市役所行政はスム-ズに行われるだろうことは想像に難くない。市民はその表面を見て満足?・・・。

大阪人が選んだ選択に異議を唱えても仕方ないが、市役所行政はともかく、この御仁の教育に対する考え方には、今までも批判していたが改めて危険を感じてならない。

自ら経験してきたことなのだろうが、逆境であってもやる気と信念があれば成功を勝ち取れるというのがこの御仁の哲学だということはうかがい知れる。成功出来ないのは自分に能力がないことだと諦めて、能力あるものに屈しなければならないというのは、『弱肉強食』そのもの考え方。これはかなり危険な臭いがする。

教育の場においても、その根底は『競争原理』であり、学力(彼は偏差値だと言い切っているが)をつけることが教育の第一の使命。学力競争で負けた学校や教員は必要ない。学力テストの結果は全て公表し、市民が一目で学校の序列を判断できるようにするのは首長の義務だとも断言している。当然、知事や市長の方針に従わない校長(教員)は排除するのは当たり前だという考え方。

それは、府知事時代に行った府立高校の競争政策によく表れている。各高校に生徒獲得競争をさせて、負けた学校を廃校すると断言。府立高校の校長としては、廃校されてはたまらないが、かといって起死回生の妙策は思い当たらないとなると、入学定員を少なくするのが手っとり早い対処方法。その結果、今年の4月には2000人の高校進学希望者の進路が宙に浮いてしまったことは案外知られていない。

こんなことが『是』である社会は幸であるわけはない。府立の高校に競争原理を与えて、内部改革を押し進めるという考え方は認めるとしても、定員を下げるという結果的に『足切り』は許されるものではない。

これから大阪の教育は大きく変わるだろう。小学校から競争意識が徹底するだろうことも想像に難くない。『学力テスト』の結果が全てを支配し、点数の差によって子どもの将来が決まり、教員の能力が査定されることも既定の事実。保護者の間ではより学力の高い学校指向が大きくなり、塾通いが現在より激しくなることは言うに及ばない。

経済的な弱者にはそれができないことも明らか。結局は・・・考えると恐ろしい。

こんな結果になったことは既成政党のだらしなさ。このことはまたの機会にゆずるが、早速ハシモト氏にすり寄っているノダ政権の姿勢は醜いとしか言いようがない。(田舎親父)

2011年11月28日 (月)

どこまでがエゴなのだろう・・・

 小金井市の市長が周辺自治体などに委託しているごみ処理費用を『ムダ遣い』と表現したことをきっかけに、ごみ収集のめどが立たなくなったとして辞職を表明したということは先日話題にした。

 東京西部の多摩地区には、小金井市のような自治体がひしめき合っているのに、何故この市だけがごみ問題で市長が辞任する事態になったのだろう。恐らく周辺の自治体も同じような問題を抱えているだろうに・・・素朴な疑問が浮かぶ。

 小金井市は、調布、府中両市と運営していた二枚橋清掃工場を老朽化から2007年に閉鎖したそうだ。その時点では、小金井市は国分寺市との共同処理を目指し、新しいごみ処理工場を建設するという目算があったらしいが、近隣の住民の反対が強くて計画が棚上げ、周辺自治体などに可燃ごみの処理を委託してきたという経緯があったという。

 『住民の反対』、ありそうな話である。私は時間があると、ポケット判の神奈川県の地図を手に、知らない町を歩くことを楽しんでいるが、そこでよく見かけるのが、この『住民の反対』を象徴するのぼり旗。

 以前は『高層マンション建設反対』という文字が主体だったのだが、最近は『墓地建設絶対反対』とか『この町には墓地はいらない』といいう文言か目立つ。それほど小規模の墓地(ペット用の墓地が多いと聞くが)開発が盛んなようだ。

 私の偏見かもしれないか、マンション反対というのぼり旗は周辺住民の意識が集約されているのか、統一した色と活字で染め抜いたものが多いが、小規模墓地反対の場合は、影響を受ける範囲が限定されていることから住民の温度差があるらしく、ダンボ-ルに朱書きしたものや、壁に直に文字を書いているもの、あるいは下手な字を書きつけた横断幕と統一がとれていないような気がしてならない。

 この差は、高層マンションとなると、日照権はもちろん、今までの眺望がなくなるという意味では、近隣の住民に与える影響が大きく、一人で反対しても抵抗できるわけがないので、町内会という自治体総意の団結が生まれるのだろうと推察している。

 『ごみ処理工場建設反対』というも文字には出合ったことはないが、きっとそこにはマンション建設反対以上に、住民の団結した意志の現れの統一されたのぼりや横断幕が並ぶだろうことは何となくわかるような気がする。

 たしかにゴミ処理工場には迷惑施設というマイナスイメージが大きい。できれば近くにあって欲しくないというのも良く分かる。ゴミ収集車で道が混雑するのではないか、あるいは悪臭やハエのイメージもある。

 しかし、現在のごみ処理工場を見ると、工場と言っても、ちょっとした公共施設のビルト外見上と変わらない。悪臭やハエなんていない。同じ清掃工場内に、地域コミニュティや温水プールなどの公共施設も一緒に入っているところもあることも稀ではない。

 誰もがごみを処理ができなくなったら、現代社会では生きていくことは不可能なのだから、ごみ処理とマンションや墓地と同じような発想で、『断固反対』してよいはずはないと思いたいのだが・・・。

 渋谷区の場合、自前のごみ処理工場を作ったのはそれほど昔のことではない。工事が始まった当初、東横線の車窓から時は、こんなど真ん中に作って大丈夫なのだろうかという疑問を持ったものだが、次第に現して来る建物の外観に、これってごみ処理工場なのとい驚きに変わり、完成した建物を目にした時は思わずすごいと感嘆したものである。現在は植物園としての機能を併せ持っていると聞いている。

 小金井市のごみ処理が同展開するかわからないが、市は武蔵小金井駅の東にある工場跡地にごみ処理工場を建設する予定があったという。現在もこの計画は生きているとしたら渋谷区の例を丁寧に示し、温水プ-ルなどの公共施設をも併せて作り、近隣住民には優遇処置を与えるなどというメリットを示して、マイナスイメ-ジを払拭する努力をしてほしい。

 東京都区内ほどではないとしても、多摩地区の自治体も人間が狭い土地にひしめき合って住んでいることには変わりはない。地方のように人が住んでいない土地があるわけではないことを考えれば、それでも反対というのは『住民エゴ』ではないだろうか。(杉)

2011年11月27日 (日)

都心もストロンチウム汚染地帯・・・

 『ストロンチウム』という言葉に異常に反応し、しかも検出というニュ-スが流れると、恐さより先に、『やっぱり広がっている』と、何となく納得するようになっているのは、ある意味『ストックホルム症候群』に感染してしまったのかもしれない。

何度も書いているが、ストロンチウムという言葉に初めて出合ったのは、40年も前の学生時代に遡る。日韓条約と共に当時大きな社会問題になっていた原子力潜水艦(原潜)の横須賀寄港反対と叫んでデモに何度も参加した時である。

当時は原子力エネルギ-について詳しい知識など殆ど持っていなかったが、広島と長崎に続けて落とされた原子爆弾によって、瞬間的になくなった人の多さはただただ驚き悲しむばかり。原爆投下から20年以上過ぎた昭和40年代はじめでも、放射能の後遺症で悩む人たちの姿をみて、何がなんでも反対しなければと足を運んだもの・・・。

デモの甲斐なく、原潜の寄港は日常化してしまい、時を同じくして各地に原発が林立。経済の発展と共に便利で快適な生活が当たり前になるにつれ、放射能に対してマスコミが話題にしなくなると、原潜の話題は人々の頭から消えてしまった。

かくゆう私もその一人で、何となく気になりながら、原発の安全神話に押し流され、学生時代のような激しい拒否感が薄れてしまっていたことを、今回の原発事故で気づき、改めて反対という意識をかきたてている体たらく。深く反省している。

先月14日の小覧でも取り上げたが、横浜の大倉山という横浜市内でも有数の高級住宅が立ち並ぶ地域のマンション屋上の落ち葉などの堆積物から、1キロあたり195ベクレルのストロンチウムを検出というニュ-スにビックリ。

私はその翌日、『約250キロ離れた横浜市内での検出ははじめてだと言う。しかし、数値が福島県よりはるかに高いのは無気味であるが、実際は福島県以外では測定していないのが現状だから、出ていないという表現は相応しくなく、測定すれば出てくると言わなければならないはずだろう』と書いたが、この思いは今も変わらない。

その時の文科省の見解は『世界中に放射性物質が飛散している。首都圏にもすでに相当量のストロンチウムが放出されており、どこにいても避けられるものではない』と今までとはかなりニュアンスが違っていたことに気づいたことにも・・・。

ひょっとして文科省は、首都圏での拡散は折り込み済みなのではと疑ったものだが、今回その通り、首都圏どころでなく東京のど真ん中で、かなりの高濃度のストロンチウム傑出というニュ-スに、やっぱり・・・と(ストックホルム症候群的心理で)納得する。

記事によると、霞が関の経産省庁舎前、JR山手線の有楽町近くの東京京フォ-ラム前そして都営地下鉄清澄白河駅前の都内三カ所の路上に堆積していた泥から、微量?の放射性ストロンチウムが検出されたとのこと。調べたのは、横浜港北区の自宅マンション屋上でストロンチウムを突き止めた男性のグル-プというから、このグル-プの人たちの行動力に敬意を表したい。

検査結果は、ストロンチウムは1キログラムあたり東京国際フォーラム前で51ベクレルを検出。経産省前が48ベクレル、清澄白河駅前は44ベクレルだったとのこと。この量が『微量』かどうかは専門家でも議論が分かれるところだろうが、私としては原子炉の爆発事故でしか生まれない代物ということから、例え微量で、人体に影響がないとしても許したくない。

さらに、同時に測定した放射性セシウムについては経産省前の4万8〇〇〇ベクレルとものすごい数値。さらに東京国際フォーラム前が2万955ベクレル、清澄白河駅前は1万9127ベクレルというから恐ろしい。これらは国や東京都が全く把握していないデータとのことであるが、測定をしなかっただけで、他の地域でも測定すれば汚染されている実態は明らかになるのではないだろうか。

現在、国の暫定基準値にはヨウ素とセシウムという言葉はあるがストロンチウムという言葉はどこにもない。厚労省の担当者は『今の規制値でも、セシウムが検出されれば、ストロンチウムは10%を超えない割合で存在しているという前提でいる』とストロンチウムの存在を否定していない。

ぜひ、マスコミにジャ-ナリズム精神が残っていたら、ストはストロンチウムの具体的な恐ろしさを取り上げ、人々の関心を高めてほしいものである。(田舎親父)

(追記)横浜市内で放射性物質のストロンチウム検出問題では、文科省は、半減期が約50日と短いストロンチウム89が検出されなかったことから、福島原発事故が原因ではないと発表。

過去の大気圏核実験によって降下したものと考えられるとのことだそうだが、何か、取ってつけたような言い回しが気になる。このことはいずれ・・・。

2011年11月26日 (土)

除染と何ぞや・・・

 最近『除染』という言葉を聞かない日がないほど、まるで念仏か題目を唱えるようにいろいろな人の口から聞こえて来る。

政府の『原子力被災者生活支援チーム』という組織があるらしいが、先日そこが原発事故で放射性物質に汚染された家屋や校庭、森林などの『除染』の方法や安全上の注意点や効果をまとめた『除染技術カタログ』を公表したとの記事を見つける。

このカタログは市町村や住民が除染作業をする際の参考にしてもらい、環境回復を支援するためのもので、経済産業省のHPに掲載してあるとのことなので早速開いてみた。

そこには、47ペ-ジに渡って、家屋などの建物、道路、学校・保育所・公園、生活圏の樹木、森林、農地の除染についてその方法・器具・人数・安全対策・注意事項など詳しく書かれている。例えば、屋根や屋上などの除染の場合は、たまった枯れ葉やコケ、泥を紙タオルで拭き取り、その後でたわしやブラシでこすり取り洗い流すとある。

しかし、汚染物質をどう処理するのかがよく分からない。庭などの除染については土を深く掘って、表土と入れ換えれば良さそうなので、汚染物質の保管は必要ないことだけは私にも理解できるが、それ以外の除染の場合は、汚染物質は『適当に管理せよ』と書いているだけ。これではその部分の汚染物質は取り除けても、どこに持っていけば処理してもらえるのかなど一切わからないのは困りもの。

また、汚染物質は高圧プレス機を使って圧縮すれば、容量は大幅に軽減できるとあるが、どこにこんな高圧プレス機などあるのかわからないのも不親切極まりない。自治体向けには少しは参考にあるだろうが、住民にとってはあまり役立ちそうもない。特に、住民が一番気になる、取り除いた放射能に汚染されている落ち葉や土、瓦礫や水などの持って行き場などは示されていない。

話は変わるが、用水路や池などに生えている『マツバイ』という水草が土壌中の放射性セシウムを効率よく吸収することを愛媛大の環境岩石学が専門の教授が発見したというニュ-スが流れた。

マツバイはカヤツリグサ科の多年草で、カドミウムや亜鉛など重金属類をよく吸収する性質があるとのこと。今回、福島県郡山市の県農業総合センターの協力で、マツバイが放射性セシウムをどの程度吸収するのかを実験した結果、かなりの効果が上がったのだそうだ。

マツバイは簡単に入手でき、薬品などを使わないため安全なので、原発事故の放射能で汚染された水田の除染などの有力な手段の一つになりそうだとのことだが、ここまでは納得できるとしても、マツバイが吸収したセシウムがどうなったのかは記事にはない。

放射能については全くの素人であるが、セシウムがマツバイの体内に入ったら別の安全な物質に変わるわけはなかろう。恐らく、マツバイの体内に濃縮された形で残っている二違いない。ならばヒマワリがセシウムをよく吸収するという話と同じで、燃やした時に放射能物質は空気中に散乱するだけの話になるのでは・・・。

 さらに、少し前のことになるが、広島国際学院大のバイオ環境化学が専門の教授の研究グループが、光合成細菌という微生物を使って泥の中の放射性セシウムを回収する方法を開発したというニュ-スもあった。

記事には、9月に福島市内で採取したヘドロでの実験では、セシウムを約90%除染することに成功したとある。実験では、この細菌はカリウムとよく似た性質のセシウムを取り込んだ可能性があり、汚染された土壌にも使える技術ではないかとのことである。

細菌がセシウムを吸収したことは信じるとしても、セシウムを濃縮して体内に取り込んでいる細菌をどうするのかは、この記事にはない。質量保存の法則ではないが、吸収した生物体からセシウムが消え去ることなど考えられないとなると、これらの『除染』は所詮放射性物質の移動にすぎないのではないだろうか。

本当にセシウムが消えるような『除染方法』があるのなら、20年以上もチエルノブイリ周辺が立ち入り禁止地区として存在などしていないのでは・・・。(田舎親父)

2011年11月25日 (金)

信号機を撤去?・・・

 全国の信号機が半減?するかもしれないという。産経新聞の記事によると、交通安全の確保のため、新設と更新に力を入れてきた信号機について、警察庁は必要性が低くなったものについては『撤去』を検討するよう都道府県警に指示したことが20日、分かったそうだ。

財政難で、老朽化する全国約20万基の信号機の更新が進まず、このままでは信号機の半分を撤去せざるを得なく、警察庁は更新に全力を挙げる一方、『メリハリのある信号機施策が必要』と撤去の検討という新方針を打ち出したとのこと。

平成23年3月末時点で、全国に設置されている信号機は20万1878基(少な過ぎるような気もする)。規則では19年(何故こんな半端な年限なのか不思議だが)経過したものを更新対象としているという。

対象すべてを更新するには毎年、全体の5.3%を更新しなければならないが、実際は2.6%(20~22年度の3年間の年間平均)と半分程度。現状で推移すれば、将来的には信号機の51%を撤去せざるを得ないと試算。

信号機は、灯器と制御機は都道府県の予算と国からの補助金、柱は都道府県の予算で賄われているのだそうだが、すでに、老朽化で心臓部である『制御機』が故障し、信号が切り替わらなくなる例が散見されるほか、腐食で柱が倒壊したり、『灯器』が落下したりする事故も起きているという。

平成に入ってからの交通安全施設(信号機、横断歩道、規制標識など)の事業費は、5~10年度に1400億円前後(都道府県予算と国の補助金の合計)が充てられていたが、23年度は約665億円と半分以下の水準に落ち込んでいるのだそうだ。

信号機のことなど今まで考えてもみなかった。これらの内容も初めて知ることばかりだが、こんなに危ない現状かと寒々とした気持ちになる。

記事は続く。予算委不足のため、警察庁では、10月に全国の警察本部に対して更新の予算獲得に全力を挙げる一方、必要性の低くなった信号機の撤去も検討するよう指示。具体的には廃校となった小学校や中学校の周辺交差点などを想定しているという。

警察庁では、『人口が頭打ちとなっていることなどから、これまでのように信号機を大量に新設する必要はない』と指摘。その上で『交通量にも配慮しながら必要性の低くなった信号機は撤去するとともに、新たに必要性の生じた交差点には新設するなど、メリハリのある施策が必要だ』との見解とのことだが、信号機の撤去には、地元住民からの反発も予想され、今後、地元自治会やPTAなどの理解を得る努力も求められそうだと結んでいる。

確かに、横浜の片田舎でも、散歩の途中何故『こんな場所に信号機があるの』という場所もないことはないが、反対に、学校からさほど遠くない場所の横断歩道を、車を気にしながら渡っている子どもたちの姿を見ると、ここにこそ『押しボタン式でも信号機が必要だ』と思うことも稀ではないことから、『メリハリをつけた設置』という考え方は理解できるがト-タルすると増やす必要はあっても減らして良いとは思えない。

廃校になった小学校や中学校近くの信号機とはいえ、無人になったわけではなく多くの高齢者が住んでいるはず。車の通りは少ないだろうが、信号がなければスピ-ドをゆるめることなく通り過ぎるだろう。

それ以前に、そんな過疎地の信号機を撤去することで、半減するとはとても思えず、配当予算から考えると、ある程度の人口の集落でも信号機を撤去されることもありうるのではないだろうか。

モラルが低下し続ける現代社会にあっては、横断歩道で子どもやお年寄りの姿をみて止まる車は珍しく、むしろ手を上げていても素知らぬ顔で通り過ぎる車の方が多い。こんな現状で信号機の数が少なくなると事故は増加することは間違いない。

公務員住宅に何百億もの費用を投入する国が、信号機の数を維持すらできないとは何なのだろう・・・と思うことしきり。(田舎親父)

2011年11月24日 (木)

いかにも長官らしいコメント・・・

 『自転車、徐行なら歩道OK…警察庁局長の見解』という見出しが先日のネットニュ-スで踊っていた。これは詳しい内容を読まなくても違和感を覚える。

 (私も取り上げたが)先月末に警察庁が自転車交通について『良好な自転車交通秩序実現のための総合対策の推進について』という指針を出したが、その中身は、自転車をあらためて『車両』として定義し、自転車が通行できる歩道は原則として『幅3メートル以上(以前は2メートル以上)』だったはず。

 この指針を素直に読むと『自転車は車両なので、3メ-トル以上の広い歩道がない場所では車道を走ること』である。最近の自転車の危険運転の氾濫から歩行者を守りたいという意図は分からないでもないが、こんなことを指針(法律)で決めたら、自転車と車との事故が増えるのは確実。自転車利用者はもちろん殆どのマスコミからも無茶だと批判が集中していることは今更私が述べるまでもない。

 これに対して、警察庁は『自転車の通行環境の確立と自転車利用者に対するルールの周知と安全教育の推進、さらに自転車利用者の交通違反に対する取り締まりを強化すると同時に、車道を通行する自転車の安全を確保する』と答弁していたと記憶している。

 車道を走る自転車の安全を確保するには、当然ながら自転車専用レ-ンが必要になるがそこに車が駐車していたら、安全どころかかえって危険になる。かといって、車道と完全に分離したら、交通量の多い場所では荷物の積み下ろしができなくなる恐れがあるという矛盾が起きてしまうが、その対応は全くできていない。

 恐らく、この矛盾を指摘する声が大きくなったことを受けて、警察庁長官がコメントを出したのだろうと思われるが、自転車は『車』との意識を持ってもらうことが目的だという部分は異存がないが、『スピードを楽しむ人は車道に降りてもらう』という表現は誤解を生じる。

 長官の言うスピ-ドを楽しむ人とは『ブレーキの付いていないピストバイクや、信号無視、指導警告を繰り返しても危険運転するような事故に直結する乗り方をする人』らしいが、ブレ-キのついていない自転車は一目でわかるとしても、事故に直結するような乗り方などをどう定義づけているのかわからず、極めて曖昧で、取り締まり基準など作れるわけはない。

 また『高齢者や子供を乗せた保護者、前かごに荷物を積んだ人などは歩道で良い』という部分は、(徐行が原則と断っているが)快適な環境で都会の雑踏などとは無縁な検察庁長官らしい表現だと、皮肉りたくなってしまう。

 長官の頭の中には、高齢者や子どもを乗せた母親は、周りを注意しながら乗っているに違いないという誤った認識があるようだが、ぜひ、特別お付きを引き連れた視察ではなく数日間、様々な時間帯を観察すれば、いかに危険運転をしている高齢者が多いか、また前後に子どもを乗せた母親たちがどのぐらい存在するのか理解できるのではないだろうか。

 都会だけてはない。横浜の片田舎でも同じで、この傾向は全国のちょっとした都市では共通だろう。

 以前も述べたが、最近私も時に自転車で出かけるようになっている。その殆どが、サイクリングコ-スを楽しむものだが、そこに出るまでや時に街中を走る場合などで感じるのは、車道を走る恐さである。

 私の自転車には(殆どがそうだが)バックミラ-がついていないので、後ろの状態が捉えられない。猛スピ-ドで追い越されヒャっとすることも度々経験しているので、安全だと思われる場合は、左側の歩道を走るようにしているのだが、対面から堂々と走って来る自転車に思わず危ないなあ・・・とつぶやいてしまう。自転車には、左側の歩道を車と同じ進行方向(左側通行)が義務づけられていないからである。

 歩道はそれ自体が『道』なのだろうから、対面交通の原則で自転車は左側を走れば良いのかもしれないが、狭い歩道の自転車の対面通行は混雑をさらに増す原因では。自転車も車両だとすれば、左側の歩道を走ることは当たり前ではないだろうか。

 もっとも、片側しか歩道がない道路や、目的地が逆方向などという矛盾も出てくるだろうが、その場合は押して歩くなどの約束事でできれば、相当数の事故は防げると思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年11月23日 (水)

一票の格差議論が賑やかだが・・・

 原発事故の直後のことだったので、『一票の格差』に関する最高裁の判決の記時は読んだ記憶があるが、気持ちの中には放射能問題しかなく、とても選挙制度のことなどは考える余裕などなかった。しかし、最近になってマスコミは慌ただしくこの問題を取り上げ始め出したので私なりに考えてみることにする。

最高裁の判決がでたのは大震災と原発事故直後の3月23日のこと。2年前の衆院選を違憲状態と判決。各度道府県の『1人別枠方式』を『投票価値の格差を生じさせる主要な要因』と断じ、『不合理』と言い切った。

これは画期的な判決である。今までは、この問題は何度も司法の葉で争われてきた。地裁や高裁で、度々『違憲』だとし、選挙の無効にまで踏み込んだ判決を出していたが、最高裁の口は重く、踏み込んだ判決でも『違憲状態とも考えられるが・・・』というなんとも歯切れの悪い表現で、しかも選挙のやり直しを命じたことはない。

『一票の格差』に対しては、格差3倍未満の場合は『合憲』とする判断だったが、今回の判決は原稿の選挙制度そのものが生む違憲性に言及し、数字だけでみれば、今までの判例からは合憲ラインの『最大2・30倍』だった選挙を『違憲状態』と明言したのに大拍手。

これは面白くなる。恐らく、民主党の、国民への説明も国会での議論もなしにTPPや消費税の増税には、本質的には同じ体質を持っているはずだろうと思われる自民党でも、協力などできるはずがなく、先日の自民党の副総裁が悪代官顔で『まずは、党内できちんとまとめてから提案しなさい・・・』とかみついていた通り、解散に追い込む切り札と捉えているに違いない。

となると、消費税増税法案が国会を通過した時点で国民に信を問うということとは、単にノダ政権の願望であって、国民が消費税の値上げを容認するだろうことを前提にした解散に追い込まれるのではないだろうか。

理不尽だが、テレビの報道が全て『是』だと思い込まされている国民意識では、根本的な消費税議論は起きるわけはない。結局は、増税が決まるのだろうが、私はその結果はともかく、総選挙となると今回の最高裁の判決がどう絡んでくるのかに注目したい。

そもそも現行の『小選挙区比例制』なる制度が奇怪しいシステム。お前のような奴がいるからこんな悪法が通るのだと言われたら弁明の余地はないが、迂闊なことに、いつからこの制度になったのかはっきりした記憶がない。

しかし、以前は中選挙区と言われ私の選挙区でも数人の当選者が出たことははっきりと覚えている。当時は私が支持していた『社会党』に属する議員が当選することもあったが、今では、自民・民主以外の野党からの立候補者の当選は考えられない。

もともと小選挙区制度とは、欧米の二大政党制度を真似たものだろうが、大きな政党には有利なことは誰の眼にも明らか。当時、この制度を強引に進めてきた自民党は、国民を誤魔化すために『比例制』などという訳のわからないシステムを導入、これが今日の国会を堕落させていることは衆目の一致するところだろう。

そしてもっとよくわからないのが、小選挙区でも比例制が併用されているので、落選したにも関わらず、投票比率によって比例で復活という訳のわからない議員が出現。しかも当選はほぼ大政党からの立候補者。これまた大政党の利益に供するだけのものとしか思えない。

いろいろな案が上がっていると聞いている。当然ながら、各党は自党に有利な案を主張している、最高裁がここまで異例の『違憲状態』という判断をした以上、これまでの小手先の『何増何減』という誤魔化しではすまないのでは・・・。

都道府県の壁を超えて、全国を十数ブロックにする案が浮上しているらしいが、長年地方自治の最終単位は『都道府県』。ここには県民性などと文化や伝統も共通する気質が存在することを考えると、都会的なドライな発想で区分けするのは禍根を残すのではないだろうか。

特に根拠はないが、私的には少なくとも現行の小選挙区比例制などは廃止するのはもちろんだが、都道府県をまたがない中選挙区にして、その中で数人が当選するシステムが望ましい。

ただ、その前提には、好き好んで都会で生活する人と、不便を承知で文化や伝統を守る地方で住む人とが同じ価値ではなく、選挙区を決める時、地方にせめて2倍程度の格差をつけた網かけがあって然るべきと考えている。

さらに、自分で考える能力がないのにも関わらず、高齢者には選挙権が与えられているが、これも政党の利用するところ。そんな弊害を無くすためにも、例えば、認知症と診断されている高齢者の選挙権は無しにして、18歳(16歳でも良いと思っているが)以上の若者の選挙権を認めるべきだとも思っている。(田舎親父)

2011年11月22日 (火)

オ-ム真理教の裁判が全て終わったというが・・・

 先日、地下鉄・松本両サリン事件など計11の事件に関与したとして殺人などの罪に問われた元医師でオウム真理教元幹部・中川智正被告の上告審で、最高裁は上告を棄却する判決を言い渡したという記事があった。そして、昨日は遠藤誠一被告の死刑が決定し、これでオ-ム真理教事件の全ての裁判が終了したとニュ-スが伝えていた。

オウム真理教の信者の相談に当たっていた坂本弁護士一家殺害というニュ-スから、一般的にこの組織の存在が知られ始め、この事件を誤魔化そうと焦ったのか松本サリン、そして地下鉄サリンにと猛毒物質サリンによる犯罪が拡大したのではなかっただろうか。

私もそれまではオ-ム真理教も、教祖のアサハラ(本名マツモト)という男については全くの無知だったので、まさか一個の宗教組織がこんなとてつもない犯罪ができるわけがないと、当初は俄には信じられなかったことが蘇って来る。

ところが、サティアンとかとい聞き慣れない言葉が流行語のように広がり、そこが組織のサリン製造場所だったということが知らされ、また、アサハラという教祖が衆議院選挙に立候補したという記事と映像を見ると俄に背筋が凍りそうになったことも思い出す。幸、(こんなアホは話にのらないとは信じていたが)有権者の良識で事なきを得たが。

オ-ム真理教という組織のベ-ルがほんの少しはがれて、その実態の一部がかいまみられるようになると、私には、なぜ超一流大学のエリ-ト達が、ここまで簡単に『アサハラの意のままに動くようになってしまったのだろう』という疑問が大きくなり、その疑問は今も消えない。

当時の週刊誌などの記事には、アサハラは座った姿で空中に浮き上がる超自然能力の持ち主だと書いていた。また他の記事には,これは一種のマジックで、有能な若者たち達はこの超常現象に騙されたとあったが、どちらにしてもこんなバカな話ではなく、この宗教の教典に書かれてある思想が、若者達の心を動かしたに違いないと、恐怖心を持ったものだ。

マインドコントロ-ルという言葉が流行ったのもオ-ム事件が引き金だったと記憶している。マスコミ各紙各局は教壇の幹部たちは完全にアサハラにマインドコントロ-ルされていたと盛んに伝えていたが、この言葉にも違和感を持ったもの。そんなに簡単にマインドコントロ-ルされるものなのだろうという疑問の方が強かったし、それは今でも同じ。

しかし、一連の事件を冷静に振り返ると、アサハラの示唆によって猛毒のサリンを作り、それを何の罪悪感もなく(むしろ使命感で)地下鉄に撒いたことは紛れもない事実。となると、よほどアサハラという教祖を信じなければできない話。疑問は消えないもののマインドコントロ-ルという実態のすごさを思い知らされる。

ハルマゲドンという言葉が流行ったのもこの頃。これはアサハラの口からでた言葉だと聞いているが、恐らく(読んだことはないし読みたくもないが)教典に書かれているのではないだろうか。この末期思想が、自分にできることは何かわからなかったエリ-トたちを含めて若者たちを動かしたのだろうと想像している。

さしずめ、私がよく例えに出す、マヤ歴の終焉も末期思想の一つに違いないが、この説はエリ-ト達はもとより多くの若者からはバカにされているようだから、アサハラという男は自らが作っただろう教典には実に巧みな手法で味付けを施したものと感心するしかない。

多くの将来有望と目されていた若者達が逮捕されたが、牢獄に繋がれている間にこのマインドコントロ-ルの呪縛から解き放たれた者の多くは、なぜ自分がこんな犯行をしたのか、恐れおののき被害者や遺族にわびていると聞いている。今回、私刑が確定した中川という男も、この例に漏れず、深く反省しているという。

最高裁は、このことを考慮しても私刑に値しないという根拠にはならないと、あまりにも身勝手な犯行を行ってきた被告に死刑の判決を言い渡したそうだが、今回の死刑判決はもう一度、改めてオ-ム事件を考える出発点と捉える必要があるのではないだろうか。

教祖アサハラの口は重く、何もしゃべらず死刑が確定したという。今回のナカガワ被告も、自ら信じていたアサハラ教祖が何か言ってくれるのではないかと期待していたらしいが・・・。死刑よりも、真実をしゃべらなければ許されないほどの苦痛を与える刑があればと、突飛な思いも浮かんで来る。

あれだけ世間を騒がし、大勢の人の命を奪い重い後遺症を与えた犯罪の加害者に対して同情はできない。死刑という判決もいたしかたないと思うが、これらの有能な青年たちはアサハラと出合うことがなければ、今頃社会にとってかけがえのない人物として存在していることもありうると思うと、このまま被告達が絞首台に消え去れば全て解決する問題ではないだろう。

今朝のニュ-スではアサハラとの医師の疎通はとれないと書いているが、とれないのではなく、死刑を逃れるためにとれないふりをしているのではないかとも思える。漫画的な発想だが『今からお前の死刑を執行する』と連れ出したら、とたんにガタガタして助けてくれと言い出すのではないだろうか。

人を信じ、祖教の命じるままに動いた人々。何時の時代にも存在するのだろうが、バカだなあ・・・という一言ではとても解決できない、何か釈然としない思いが残る。(田舎親父)

2011年11月21日 (月)

糖尿病に悩む人は試してほしい・・・

 糖尿病については興味を持っているからだろうが、先日、『現在の世界の糖尿病患者が3億人を突破したことが、『国際糖尿病連合(IDF、本部・ブリュッセル)』の調査でわかったという、毎日新聞の小さな記事を見つけた。

こんな組織が存在することに驚くが、記事によると、アジアでの患者増が目立ち、30年には5億5200万人に達するのだそうだ。(ここからそのまま引用)推計によると、11年の患者数は3億6600万人。前回(10年時点)の2億8460万人に比べ約30%増え、患者の急増に歯止めがかかっていないことが浮き彫りになった。

国別では、2位だった中国が9000万人に達し、インドを抜いて1位になった。日本は6位の1070万人で8位より悪化した。30年時点では、中国(1億2970万人)、インド(1億120万人)、米国(2960万人)が上位を占める。日本は人口減が影響し、10位以内に入っていない。

地域別では、中国や日本を含む西太平洋地区での増加が顕著で、糖尿病の合併症による死者が11年の同地区の総死者数の15%を占めた。(引用ここまで)

すごい数値である。特に1年で30%とは信じ難い。このところ糖尿病について関心を持っているせいか、この数には糖尿病の『予備軍』は含まれていないということに気づく。その数を算入すると、まさに天文学的数値になるのではないだろうか。

日本人の糖尿病患者は、40年間で約3万人から800万人程度にまで増加しており、境界型糖尿病(糖尿病予備軍)を含めると2000万人に及ぶとも言われることが、数年前に厚労省から発表されたと記憶している。ネットで確認したところ2006年11月時点の調査データから、日本国内で糖尿病の疑いが強い人は推計820万人とのことだから、現在でとこの数値はもっと高くなっていると思われる。

私が糖尿病に興味を持ったのは、10年ほど前に医師から『糖尿病とは断定しないが、糖尿病の疑いがある』と言われたからである。それまでも、人間ドックでは血糖値が高いことも指摘されてはいたが、その医師によると『血糖値は健康な人の場合、数日絶食すれば落ちるのでほぼ間違いないが、ヘモグロビン検査でのこの数値は危ないので薬を服用することを勧める』とのこと。

私がその時初めて受けたのは『HbA1c』という検査。医師の説明では、その日の血糖値だけではなく、数カ月間の平均の血糖の様子を調べるのだそうで、臨界値が5.8%という。当時の私の数値は6.3%。これでは薬を拒否することはできない。

それまでは全く糖尿病についての知識もなければ、自分が予備軍だということも気づかずにいたが、薬を飲み出すといろいろ気になり、周りの人の様子などを聞くと、何と私が声をかけた人の半数ほどが、糖尿病か予備軍だとのことにビックリ。

そして、糖尿病だけなら大したことはないが、合併症を起こすと重い腎臓病や動脈硬化などを引き起し視力も失われることも稀ではないということを知り、なんとかこの『HbA1c』の数値を落とせないものかと調べ始め、牧野富太郎博士の『日本薬草図鑑』で桑の葉には『涼血効果』という知識を得た。

この言葉が引き金になり桑の葉に対して異常な関心が湧き、桑の葉の茶や桑の葉の粉末の効果を調べはじめたが、市販しているものはかなり高価。自分でつくることが品質という面からも安心とつくり始めて、桑の葉を粉末にして寒天で固めたり、ヨ-グルトに混ぜたり、あるいはコ-ヒ-とブレンドした飲み物を発明したりして、毎日飲み食べて5年ほど経つ。

人体実験を決意し、2ケ月に一度血液検査をして『HbA1c』の値をチェック。今ではこの値は平均すると5.6。当然、糖尿病予備軍というありがたくない名称やかなり高価な薬とも数年前から決別できている。

これは人に知らせなければと決意し、作るのは面倒ながら、安物の電動石臼を買い込みせっせと粉引き。安価で皆さんに配ることを続けていることは何度が述べている。

何でもそうなのだろうが、万人に効く薬物やサプリなどあろうはずはない。しかし、口コミで使ってくれる人が増加。『身体の調子が良い』という人が続出し、評判も上々。最近では、作るのが間に合わないという嬉しい悲鳴さえでてきている。これからもその作業に入るのだが、忙しい一日になりそうだ。

これは続けなければという使命感すら出てくる。この歳になって、やっと社会貢献につながることができている実感を持つ今日この頃・・・。(田舎親父)

2011年11月20日 (日)

最近女性の喫煙が目立つが・・・

 先日、ネットで『成人男性の喫煙率39%、1年で3.6ポイント下落』という見出しを見つけた。最近、周りでも喫煙する人が少なくなったと感じていたのに、まだこんなに喫煙率が高いのかと驚き、開いてみたら韓国のこと。ある意味納得する。

記事には、韓国の政府機関の保健福祉部が昨年12月末に、満19歳以上の成人男女3000人を対象にアンケート調査を行った結果で、成人男性の喫煙率が初めて40%台を割り込んだと発表とある。

読み進めると、男性の喫煙率は2008年6月末の40.4%から上昇を続け、2009年12月末は43.1%となったが、昨年6月には42.6%と下落に転じたとなかなか興味深い。そして昨年下半期には40代男性の喫煙率が上半期比6.6ポイント低下43.4%、50代男性は10.2ポイント低下の31.3%を記録し、成人男性全体の喫煙率を押し下げたとのこと。

政府の保険部の関係者は、自治体の喫煙区域指定、40~50代を中心とした健康意識向上、保健福祉部が進める禁煙広報活動などが喫煙率の下落につながったとみていているようだが、韓国も日本と同じで、『健康意識』というキ-ワ-ドの元、禁煙や分煙キャンペ-ンが進んでいることをうかがうことができる。

韓国では、成人男性喫煙率を昨年までに30%という目標値を決めていたが、目標値設定の基準としている『経済協力開発機構(OECD)』加盟国の27%には遠く及ばず、禁煙政策が行き渡らなかったと批判がでているそうだ。

このため、禁煙区域の拡大や煙草の値上げ、さらに喫煙の取り締まりの必要などの声が上がっているというから、恐らく今後は我が国以上に『禁煙キャンペ-ン-』が強まることは間違いない。今回の記事は、日本にかぎらずどの国でも喫煙習慣のあるお父さん世代はますます肩身が狭くなっていることを現している。

関連して、韓国人女性の喫煙率はこれまで約6%とされてきたが、実際は14%近いことがわかったという記事も目につく。韓国の女性は喫煙の事実を隠す場合が多く、アンケートなどに実数が反映されていなかったが、国内の大学病院が尿分析を通じ、実際の喫煙者数を割り出したのだそうだ。

韓国は儒教の国だと聞いている。そのため以前の我が国同様、女性が人前で飲酒や喫煙することは(法律的には禁じられていないのだろうが)、道徳上(習慣上)『非』とされていたに違いないが、学生の尿検査の結果わかったという数値に信頼性があるのだろうかと違和感を持つ。

最近は人込みに出たり、飲食店に入ることも稀になっているので、極端に世情に疎くなっているが、このところ私の周りの男性(殆どが熟年・高齢者層)の間では禁煙したという人が多くなっていることは間違いない。その殆どは、ホタル族がいやになったとか、煙草の値段が高くなったという言い訳しているが、肺ガンに対する恐怖感も多いのではと推測しているが・・・。

それに比較して,女性の喫煙がやけに目につく。歩きながらの喫煙は、熟年層の男性よりむしろ若年層の女性の方が多いのではないだろうかとさえ思うほどで、喫煙習慣のない私には見苦しく感じるが、とても意見などする勇気はない。

世界保健機構(WHO)の報告では、たばこは世界における二番目の主要死因であり、10人に1人はたばこが原因で死に至る(毎年500万人)としているが、それ以外にも妊娠時の喫煙が、出産時の低体重や異常な出産との関連が疑われているほどなのに、女性の喫煙が増えているは不思議な話。

きっと原因はあるのだろうが、あまり深く追求しても仕方ないので、今日は不思議だというところで話を打ち切ることに・・・。(田舎親父)

2011年11月19日 (土)

始めてコメから検出とは信じ難い・・・

 数日前に大手メディアは一斉に『福島県産のコメから国の暫定基準を超える放射性セシウム検出』というニュ-スに衝撃的に報道していたが、やっぱり・・・と冷静に受け止めた人も多いのではないだろうか。

記事によると、福島市大波地区産のコシヒカリ(玄米)から630ベクレルの放射性セシウムを検出したとのことだが、気になるのはその場所。地図で調べたところ、福島市の東部。福島市内では事故原発に近い地域であるが、そこは警戒区域にも入っていない。また、市内には大波地域より原発に近い場所も数多い。

県や国は『コメの暫定規制値超過は全国で初めて』と大慌ての対応だが、今までセシウムが基準値より高い値がでていなかった方が不思議なこと。むしろ、県や国の調べ方に問題があったのではと思えてならない。

マスコミ報道を素直に読み取ると、今月14日、地区内の『一農家』が自宅で消費するために保管していたコメの安全性を確かめようとJAに持ち込み、簡易測定器で測定したところ高い数値が出たためJAが福島市に連絡し、県で詳しく検査した結果、玄米で630ベクレル、白米で300ベクレルを検出したとのこと。

大波地区は事故原発から約60キロ離れた中山間地で、154戸の稲作農家が点在しているのだそうだ。今回、高濃度セシウムを検出したコメを栽培している農家の田んぼはくぼ地にあり、沢水を使っていることから、周囲の放射性物質が蓄積された可能性があるとみられるとのことだが、日本の里山の起伏に飛んだ地形から想像するに、窪地にある水田の所有者はこの農家ばかりではないだろう。

もしもその農家が調べようとしなかったら、今回の記事のようにはならず、このコメが流通していたとも考えられる。さらに、この農家が黙っていたら・・・これまたス-パ-などに出回っていた可能性は否定できない。

県は即日、大波地区の稲作農家154戸に出荷自粛を要請。国は県に対し、同地区や周辺で収穫したコメのサンプル検査の強化と、既に流通したコメの追跡調査を命令したというから慌てぶりが良く分かる。

原発事故を受け、政府は17都県を対象に収獲前の予備検査と収獲期の本検査を実施したという報道は知っている。私の散策コ-スの一つである農道でも、明らかに調査員だと思われる人物が、田んぼに入り農民と何やら話し合っていた風景を複数回目撃していることから、全国で放射能対策をしていたことはうなずける。

しかし、大波地区では9~10月に予備検査を1地点、本検査を2地点で行い、検出値は28~136ベクレルだったらしい。この地区は放射線値が比較的高いことがわかっていたのに、わずか2地点しか検査地を選定していなかったというのも気になる。

福島県は、このようなごく少ない地点での検査が全て終了したとして、サトウという原発推進の権化のような知事は県産米の『安全宣言』をしたというから、福島県産のコメに対して、全国の消費者からみたら『やはり・・・』と不信感は増加するだろう。

しばらくス-パ-からは福島県産のコメの姿は消えるだろう。そしてまた、このような状態を『風評被害』だと大騒ぎするのだろうが、いい加減な検査で『安全宣言』ことか問題であることは誰の眼にも明らかだろう。

できるだけ放射性物質が検出しないよう地形を選び、高い放射線値が出ることを前提に測定するのではなく、『500ベクレル』という数値を超えないような検査をしているのだからその安全性は押して知るべし。

『安全宣言』というからくりを作り出し、『福島応援キャペ-ン』と称して、首都圏の自治体やNPO団体は福島県産の農産物を各地で販売していることが毎日のようにテレビで紹介されている。そこに大勢の人が集まり買い求める風景も・・・。それを批評すると叩かれるという変な現象も・・・。

福島県の農家には大変厳しい表現になるが、コメはもとより野菜や果樹を栽培するのは農家として当然だとしても、徹底的な安全が証明されない限り、これを出荷してはならない。全ての作物は東電に買い取らせ、徹底的に検査させた後処分させることを求めるべきである。

これは国の責任だと思うが、やっていることは全て逆。この国にはもはやまともな政治が存在しないのではあるまいか・・・。(田舎親父)

2011年11月18日 (金)

翻訳機能は小学校で有用に・・・

 NTTドコモは携帯電話に向かって話すと、自動的に翻訳して電話の相手方の言語で伝える『通訳電話サービス』を試験的に始めたというニュ-スが目についた。

随分以前から同時通訳ということは、主にBS番組などで実際に放映していたので概要は知っていた。が、テレビの画面から感じることは、凄いことができる人がいるものだと漠然とした尊敬の念を抱いた程度だった・・・。

私が同時通訳の凄さを始めて実感したのは10年ほど前のこと。五井平和財団から、インドで世界で最も大きな学園(数十万人の学生規模だとうっすら記憶に残っている)を運営しているという著名な教育者(ユネスコで表彰された人だと聞いたが名前は失念)の講演会に招待された時、実際に同時通訳機を与えられ、講師の英語が瞬時に日本語に翻訳される機能に『すごい』と驚いたことが思い出される。

ここまで書いて、だんだん記憶が蘇る。招待を受けた当初は、英語は殆ど理解できないので(今はそれ以上に恐怖感すらなる状態)、あまり気が進まなかったのだが、直前にその方が私を訪問して下さり、通訳の方を介して教育談義を交わしたことも出かけねばという気持ちになり、参加したことも記憶のポケットから引き出されてきた。

極めて私的な話になるが、その対談というものが酷いもので、対談というより一方的に話を聞いたというところで、その先生の発言が8割、凄い勢いで英語が口から飛び出し、言葉の壁など何とかなると思っていた私であるが、ただただ呆然としたことも。

時に、質問されたことに答えたり、私のやっていることを説明したという程度。しどろもどろで恥をかいただけだったことも思い出したくない思い出。終わって握手を求められた時は、今まで感じたことがないほどの解放感を味わったことも・・・。

講演を聞いた後で、事前の対談時に同時通訳機があればもう少し発言できたのではと劣等感に苛まれながらも言い訳がましく思ったということも、思い出したくないが蘇ってくる。それ以来、ますます英語に対しては苦手意識が強まったようだ。

当時でも、市販されていた翻訳機能のソフトを購入して使っていたが、それは英語の文章をコピ-して、ソフトの示す場所に張り付けたら、日本語が画面に出てくるという仕組み。かなりいい加減な翻訳が多いと聞いていたが、語学音痴の私には大変な優れものでよく利用していたが、所詮は文字翻訳で同時通訳とはほど遠い。

時は移り、グロ-バルという言葉の広がり以上に英語の価値が高まり、総合的な学習が授業に入ると英語の学習がその中心の一つになり、小学校でも英語と称する授業時間を取り入れる学校が増え、外国人講師による英語の授業(お遊び)が始まり、今日では指導要領で必須教科になっていることは改めての述べるまでもない。

英語を小学校で教えるなんて現実では無理があることは、誰がみても明らかなのに、小学校から英語の授業が必要と主張している人たちは、現在の小学校の教師が学級担任として全ての教科を教えることが原則になっていることを無理に考えないようにしているのではないだろうか。

小学校高学年の教科書を開いたら、私が言っていることは一目瞭然。その内容に多様さにビックリするだろう。そして、この膨大な知識を理解できて教えているとしたら、全ての日本人はもとより世界中の人々は、日本の小学校の教師を尊敬するに違いない。しかし現実は・・・理解などできるはずがないのだが、それを文部行政は教職免許という一片の紙切れで保証しているのだから困ったもの。

話が大きくそれてしまったが、NTTドコモは同時通訳機能のついた携帯を来年3月末まで一部の観光協会や企業などを対象に行い改善を加え、早ければ来年度後半の商用化をめざすという情報が本当なら、小学校にこそ取り入れることを視野に入れてほしい。

何かとりとめのない内容になってしまったが、英語のわからない日本人担任と、日本語のわからない英語の講師とではコミニケ-ションがとれる訳がない現実の小学校現場に、この機能がついた携帯端末ができたら、かなり新しい方向性が生まれそうな気がする。

それ以前に、こんなすごい機能を使いこなしさえすれば、わざわざ小学校で英語など教える必要さえないと思いたいが・・・。

携帯に対して負の意識しか持てない私であるが、携帯に対する概念が変わりそうな気配を感じる。(田舎親父)

2011年11月17日 (木)

今後も増えつづけるのでは・・・

 一週間ほど前の話になるが、新聞の片隅に、札幌市の郊外で80歳と74歳の夫婦が死亡しているのを親族の女性が見つけ、119番したという記事があった。この老夫婦は二人暮らし。妻の首には手で絞められた痕があり、夫は敷地内の納屋の棚にヒモで首をつっていたことから、警察は、夫が無理心中を図ったとみているとのこと。

記事によると、74歳の妻は厚労省が特定疾患(難病)に指定している『筋萎縮性側索硬化症』という病気で寝たきりの状態で80歳の夫が介護をしていたという。居間のテーブルには『自分も寝たきり状態になることを考えると、恐怖で一杯』と書かれたノートの切れ端が残されていることから、無理心中をはかったことは間違いないようだ。

悲惨な事件である。ここまで追い詰められるまでに手だてはなかったのだろうか。子どもや兄弟が近くにいなかったのだろうか。行政はこの老夫婦のことを把握していなかったのだろうか。もし知っていたとしたら、何故病院か擁護施設に収容しなかったのだろうか・・・などと次々に何故が続く。

しかし、そのいずれの謎も、最近ではどこにでもあるようなことではと悲観的な思いが先に立つ。例え子どもが存在していたとしても、8私も高齢者の一人として考えると)まず真っ先に思うことは『子どもに迷惑をかけたくない』ということではないだろうか。

子ども側からみると親の面倒はみたいが、自分の生活を無視できない。東京で家族を養っている子ども世帯が、おいそれとは東北や北海道に帰り親と同居できるとは思えない。そんな場合、親に東京に出できてほしいと願うのだろうが、親としては長年住み慣れた土地を離れられない。

結局は、親は田舎に残りどんどん年老いていくだけ。周りの人たちも高齢者が多く、疎遠になる一方の現代社会では、近くでこのような老夫婦が存在していることは知っていても、どう対応して良いのかわからず、気持ちだけの支援だったに違いないことは、私が住む横浜の片田舎でも同じようなものだからよくわかる。

我が家も夫婦二人住まい。幸いなことに互いに元気で生活には不自由でないが、後10年、20年先を想像するとゾッとすることもある。時に、茶のみ話で『俺が倒れたら、延命処置はするな』とえらそうな口をきき、『葬式もいらない。骨は粉にして山にまいてくれればそれで良い』とも繰り返しているが、元気だからこそ言える言葉であって、実際に、倒れた時には相方や周りはそんなク-ルな対応ができるかとなると大いなる疑問。

妻も負けてはいない。私と同じような憎まれ口を聞いているが、実際に倒れられたら、私はオロオロしてなにもできないのでないだろうか。しかも、今回の場合のように突然倒れるのではなく、長い時間かけて筋肉が萎縮する難病とあっては、身体が動けるうちは介護できても時間と共にそれが厳しくなり、もしも自分も寝たきりとなった時を想像すると、思い余って、妻を殺害して自分も・・・という気持ちは十分理解できる。

数十年前、年金や福祉・医療を担当していた超一流大学卒業した官僚たちにとっては、今日の超高齢化社会は想像できたはずだが、あまりにも自分たちが恵まれた環境に位置していたので、(極端に表現すると)彼らは高齢化社会を空想の世界のように感じて、具体的な政策をまとめることができなかったというところではないだろうか。

今、彼らの後輩にあたる官僚たちは、必死?で今後のことを論じているらしいが、どこまで老後の保障をするのかとい根本的な理念が無さ過ぎるように思えてならない。

こんなことを言うと叱られるかもしれないが、重度の痴呆症(完全ボケ状態)になっても生き続けたいと思う人は少ないのではないだろうか。私のように、『ボケて自分がわからなくなったら、何らかの方法で死にいたらしめてほしい』と思う者も少なくないはず。

私は随分以前から『婆コロリ』という丸薬をつくったら引っ張りだこになると冗談で言っていた。その丸薬を3分の一に薄めれば『爺コロリ』になるとも・・・。いよいよ冗談ではなく、本気で考える時代が間近に迫っているのではないだろうか。

今回の老夫婦のように、妻を絞め殺して自分も首をつらねばならないのではなく、一人一人の理性と責任において、『婆コロリ』を夫婦二人だけや一人住まいの高齢者に配ることも、庶民いじめが大好きな政治屋さんたちは視野に入れたらいかがだろう。

もっとも、そんなことを言い出したら当選はおぼつかないだろうが・・・。(田舎親父)

2011年11月16日 (水)

文科省の言い分は通らない・・・

 TPP問題などで全く報道されなくなってしまっている沖縄県八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で来年度から使う中学校の公民教科書が決まっていないという問題は、教育に携わった者としては見逃すわけにはいけない。

社会科の教科書は家永裁判で象徴されるように、国の検定に対してかなり昔から異論が沸騰していた。検定については別に述べるとして、現在でも教科書の内容も当然ながら、むしろ採択に関して各地で悶着が起きているのは周知のこと。

随分以前のことになるが、私のような者にも『つくる会』という名称だったと思うが、西尾某かという方の名前で『国民の歴史』という分厚い本が送られてきた。送付の理由書には『正しい歴史観』を考えてほしいという主旨が書かれていたような記憶がある。中高の社会科の教科書のことなので、それほどの熱心に読まなかったが、パラパラとめくっただけだが、これは少し危ないぞという感想を持ったものである。

確か発行元は『芙蓉社』だった。その後『つくる会』の内紛で、出版元が変わったことは知っているが、現職を退いたのでその内容は詳しく知る機会はない。しかし、今回問題になっている、おそらく『つくる会』の考えを引き継いだと思われる『育鵬社』という出版社が出している社会科の教科書が全国的に広がっていることには憂慮している。

理科や算数・数学の教科書では間違った記述は許せないが、内容が多くても教える方の負担がかかるだけで、教えられる方から見ると、理解できるならそれで良かろうが、国語や社会科(特に公民)となると、掲載する人物の作品によって子どもたちに与える影響が大きく、また場合によっては、偏った歴史観を与えないともかぎらない。採択時にはかなりの議論が交わされ、問題が持ち上がることは稀ではない。しかし、国が介在すると話がややこしくなる。

教育の自由という点からは各学校に採択権があるのが望ましいが、教員一人一人が採択できるほどの知識も知恵もないのは間違いないところ。近隣の学校と教える内容はたいした変わりがなくても順序が違うのも困ったもの。当然の結果、公立の場合は学校設置基準に応じた自治体単位での採択が原則になっていた。これは法でも決まっていたはず。

『いた』と過去形でかいたが、現在は『広域採択』が広がり、区市町村単位の枠が広がって、同じ教科書で教えた方が学校現場も望んでいるという意見が大きくなっているらしく、いくつかの区市町村をまとめた広域地域や、場合によっては都道府県に及ぶ傾向があるようだ。

この考え方が恐ろしいので反対の意見を持っている。ここでその理由を語るには時間が足りない。これまた別の機会にするが、まさしく今回俎上に上がっている八重山地区の採択は、広域採択を押し進めようとする文科省の考え方があることをうかがわせる。

八重山地区の竹富町が、東京書籍の教科書を使うと決めた。しかし、石垣市と与那国町は育鵬社版と決めたので、八重山地区では育鵬社版を採択すると8月に文科省に報告したとのことだが、竹富町は反論。あくまで独自で東京書籍版を採択と主張したという。

文科省は竹富町に対して、八重山地区の採択に従えと指導(命令)したらしいが、竹富町は態度を変えず、逆に石垣市と与那国町が竹富町に同調し東京書籍版に決めたのだが、納まらないのが文科省、一度決定したものを覆すことはまかりならぬ(本音は育鵬社版をすすめたい)というというところのようだ。

沖縄県の教育委員会も巻き込む大騒動に発展。県教委は八重山地区で十分話し合ったことを尊重して、東京書籍版の採択による一本化が有効だとする見解を持ち、文科省にこのことを報告したところ、(この女性は筋が通っていると期待していたのだが)モリという副大臣は東京書籍版を採択した場合は無償措置の対象外になるとの見解を伝えたという。

その上で、沖縄県の教育委員会に対して11月末までに八重山地区で使う教科書を報告するよう命じたというがこんな変な話はない。要は、育鵬社版の教科書を使うように八重山地区を説得しろということ。そうでなければ、教科書代は自治体で負担せよとは・・・。

広域採択が広がっているが、法律的には採択権限が市町村にあると定めている。決定を覆したからという理由で、予算を執行しないとは無茶な話で筋が通らない。

モリ副大臣はどうしても育鵬社版を採択させたい官僚が書いた筋書き通りの対応をしたというところだろうが、不勉強で事の大きさがわかっていないようだ。ここにも、官僚主導の民主党政権の姿が浮き彫りになっている。

落語家の一人が言う『一日大臣をしました。官僚の言いなりで大変楽でした』というフレ-ズが、今の民主党政権の姿を象徴しているようだ。(田舎親父)

2011年11月15日 (火)

ダライラマが来日していたのだ・・・

 つい最近、敬愛している友人から毎日配信されるメルマガで、チベット仏教の最高指導者のダライ・ラマ14世が来日していたことを知るが、このことは(私が見落としていたのかもしれないが)マスコミと言われる数ある新聞やメディアは伝えなかったいのではないだろうか。

ダライ・ラマ14世については、チベットの独立運動の指導者として以前から興味を持っていたので、早速ネットで調べてみたところ、『ダライ・ラマ法王日本代表部事務所』というサイトに行き当たる。(http://www.tibethouse.jp/home.html

このサイトについてはご覧いただければすむことなので詳しくは取り上げないが、『2011年秋のダライ・ラマ法王来日情報につきましてお知らせさせていただきます』との見出しで『高野山学園の招聘により、ダライ・ラマ法王の大阪・高野山での法話および講演を予定しております。この度は東京での講演は予定しておりません※』との文章が掲載されている。

前後の事情はわからないが、ダライ・ラマはこの来日を機会に被災地を訪問し、仙台や石巻、あるいは郡山で講演したようだ。中国に遠慮したのか(おそらく政府筋からの報道管制があったのだろうと推察しているが)マスコミは伝えていない。このことは、いろいろな方のブロクを拝見しても明らかで私の見落としではないようだ。

そのことはともかく、ダライ・ラマはその後東京で『自由報道協会』の独占会見を受けたのだそうで(なぜ『自由報道協会』なのかわからないが、大手のメディアが取り上げなかった理由はわかる)、その様子が『J-CASTニュ-ス』というサイトで紹介されていた。

『脱原発だと貧富の差広がる』との見出しに、最初は『脱』という文字を意識しなかったので『原発だと貧富の差が広がる』と読んで、さすがダライ・ラマと思ったのだが、読み進めるうちに内容と合わない。そこで、もう一度見出しをエッとびっくり、改めて本文を読み直す。

会見で、ある記者が東京電力福島第1原発から320キロ圏内に放置された動物の写真をダライ・ラマに見せて『人間にも動物にも、放射能におびえずに生きる権利があるのではないか』と質問したのだそうだ。

それを受けて、ダライ・ラマは惨状に顔をしかめながらも、『常に物事は全体を見るべきで、一面だけを見て決めるべきではない。破壊的な目的で使うものは、破壊的なものしか産まない』と答え、『原子力が兵器として使われるのであれば決して望ましくないが、平和目的ならば別問題で、当面は原子力をエネルギーとして活用すべき』と答えたという。

『あなた方が、原発はいらないとお決めになるのなら、それはそれでいいと思う』とは、政治的な話題に踏み込まない配慮だとしても歯切れが悪過ぎるが、彼の思いは別にあるのではと思いたい。

ここで『脱原発』をはっきり口にすれば、日本政府から疎んじられる恐れがあると感じたに違いない。いやもう少しうがって見ると、ダライ・ラマにとって一番欲しいのはアメリカからの支援だろうから、『脱原発』との姿勢は間違っても出せなかったのではないかと考えると、一連の発言は理解できる。

『自由報道協会』に所属している記者の一人が、ダライ・ラマから『脱原発』という言葉を引き出したかったのだろうが、いくらノ-ベル平和賞を受けた宗教家とはいえ、亡命国家では法王とされる地位にいる政治家。多くの国からの支援が一番必要な立場であることを考えられないこの記者こそ、不見識が責められるのでは・・・。

事実、原発に限らずTPPやパレスチナ問題も話題になったらしいが、決してどちらが正しいという答えではなく、『勉強していない』『皆さんがそうお考えならそれで良いのでは・・・』との受け答え。

中国の核開発を厳しい口調で批判していることからも、本人は『脱原発』に違いなかろうと信じ、ダライ・ラマをこれからも信頼という意味で、興味を持って見守りたい。(田舎親父)

2011年11月14日 (月)

順序が逆だろう・・・

 しばしTPP狂想曲が流れ、賛成・反対の議論が沸騰していたので、消費税についてマスコミは沈黙していたが、ノダ首相がフランスで行われたG8で、外国首脳に消費税を10%に値上げると言明したことについては驚き呆れもしたものだ。

そしてもっとビックリしたのは、『消費税引き上げについて、法案が成立した後、実施前に衆院解散・総選挙で民意を問う』との発言。国内議論は全く無視して外国でこれほどの重要問題を明言するのは、誰が考えても順序が逆。しかも、まず消費税値上げ法案を通すことが先で、その後国民の信を問うというのは、本末転倒だろう。

民主党は、政権交代を勝ち取った2年前の総選挙では消費税の値上げなど全く言わなかったはず。初代首相に選ばれたハトヤマ首相は『消費税を引き上げるときは国民に信を問う』と繰り返し説明してきたことは誰の記憶にも新しい。

当時の党内にはハトヤマ発言に対しての異論は起きていない。当然、これはハトヤマ首相が個人的に言い出したことではなく、民主党という公党が国民と約束したことである。だから、是圧倒的多数の国民は『増税の是非』に対する姿勢は、選挙公約という形になって国民に示されて総選挙が行われると信じていた。

ところが、ハトヤマのオボッチャマはアメリカさまに頭を下げるのを潔くしなかったのかもしれないが、1年で政権を投げ出し、マスコミがこぞって『政治とカネ』問題を騒ぎ立てる中で行われた代表選挙で(今でもすっきりしないが)カン首相が誕生。

この首相は、これまた国内議論などなしに『平成の開国』などと訳のわからない言葉でアメリカにすり寄り、実際にはカナダや中国、韓国などが入っていないのだから、『環太平洋』とは言い難いのにも関わらず、頭文字をとった『TPP』など称し、これに積極的に加わろうとしていた。

これも、今回の消費税の値上げと同じで、方法論としては全くの逆。3月の大震災と原発事故で一旦下火になったのだが、今回国を二分する大騒ぎになっていることは周知のこと。

原発事故の話題を逸らすかのように、6月になって突然、内閣と民主党主流派は、社会保障と税の一体改革に関連して『2010年代半ばまでに段階的に消費税を10%にまで引き上げる』との方針を決めた。ここでも、10%という根拠を討論したという事実はなく、いわば場当たり的で決めた数値。こんな数値を『はい、わかりました』とはいえないのは当たり前だろう。

しかし、代表選では数はいたが玉が弱かったらしく、ノダ首相は消費税引き上げを正面に掲げて勝利し首相の座を射止めたので、消費税議論が始まるだろうとは思っていたが、まさか、国民的議論の前に、外国首脳に宣言するとは思いも寄らなかった。もっとも、その前にアズミという財務相省がこれまた外国首脳を前に消費税値上げを明言していたことは、今回の露払いだったようだが・・・。

繰り返すがハトヤマ首相は個人的な発言ではなく、『諸費税を言い出す時には解散総選挙で国民の信を問う』という約束を国民と交わしたはず。すくなくとも私はそう受け止めている。殆ど全ての国民は私の受け止め方と同じだと信じたい。

民主党の従来の説明を素直に引き継ぐなら、ノダ政権は引き上げ法案を提出する前に、『解散・総選挙で国民の信を問うべき』である。消費税引き上げ法案が成立した後で総選挙を実施して、引き上げ反対という国民の意思が示されれば、次の政権は新たに、その法案を採決しなければならなくなってしまう。それは、形だけだろうが・・・。

それを承知の上でノダ政権と財務省があえて外国首脳に直接明言したに違いないが、これを姑息といわずして何というのだろう。言葉が浮かばない。

消費税値上げを国際公約にして、凍結へのハードルを高くしようという狙いは明らか。国民の幸せなどは二の次三の次で、国際的な約束事なので『もう後戻りはできない』という諦め感を植えつける作戦なのだろうが・・・。

こんな卑怯な政権はすぐにでも消えてほしい・・・。(田舎親父)

2011年11月13日 (日)

食料自給率が下がると・・・

 今更とは思うが、マスコミがTPP問題であれほど大騒ぎしていたのに、国会では審議とはいえないすれ違いの連続。そして、昨夜はアメリカさまにご挨拶。

一体、この問題は何だったのだろう。私もしばし国会中継をテレビで観ていたが、その限りでは、野党議員が『国会で審議しよう』と迫ったのに、首相はじめ閣僚たちはTPPの中身には一切触れずのらりくらり・・・。

連立を汲んでいる国民新党から一人内閣に加わっている郵政担当相は、カメイ親分がはっきり反対といっているにもかかわらず、『党として反対を決めたわけではない』と逃げ回っているのもみっともない限り。

もっとも、国民新党は連立を解消したら党そのものが消える運命だから、何としてでも内閣に留まらなければならないことを考えると、これは陽動作戦とも受け取れるが、以前から、TPP交渉に反対な姿勢を出している、カノ(と読むのだろう)農水相に至っては、野党議員が『閣議で反対するのか』と詰め寄っても、何やら奥歯にものが詰まってようにゴモゴモとはっきりしない。

私は、この狭い地球上で爆発的に増えつづけている人類が、これからも生存していくためには、食料の確保が何より大切なことだろうと思っているのだが、そのためには、農水産業が日常的に安定し、欲しい時に十分な食料が供給される社会でなければならないのは誰が考えても明らかなこと・・・。

日本人の食卓には、つい50年ほど前までは、米と魚(特に青魚)と野菜、そして鶏肉というのが一般的だったが、経済の成長に合わせて日本人そのものの嗜好が劇的に変化し、米の需要は限りなく減少。代わって、パン食に酪農製品が幅を利かすように変化し、加えて、どんどん広がる貧富の差によって、圧倒的多数の庶民の食卓そのものが、より安い物へと移ってきた歴史がある。

中国野菜が台頭したのもこの風潮が後押ししたのだが、近年農薬問題が深刻化し、中国野菜に対しての不信によって信頼性は薄れ、原発事故前からも『安心・安全』な食料に対しての感心は強くなんているようだ。

ところが、原発事故の影響から、東北や関東の野菜より、(中国は敬遠しているらしいが)アジアはじめ外国産の物の方が安全だという声も高まっていると報じられているので、TPP交渉で野菜などの関税ゼロともなれば、怒濤のように外国産農産物が溢れることは間違いない。

現在、アメリカ産の米の価格は5kgが約1000円程度らしい。我が国の高級ブランド米はその4、5倍となると、一部の富裕層を除いて外国米に走るのは当然だろう。米だけではなく、ス-パ-には外国産の野菜や果物が、今まで以上に並び、圧倒的に値段が安いとなると、一般家庭の食卓はこれらで溢れることは容易に想像がつく。

国内の零細農家は壊滅的な打撃を受けて、農業(畜産も含めて)を続けることは難しくなり廃業に追い込まれる農(畜産)家は、信じられない数になるのでは。規模を大きくすれば生き残れるという意見もあるが、いくら規模拡大といっても狭い日本国内では限界がある。農水省の試算では、自給率は現在のカロリ-ベ-スで40%が一挙に13%に落ちるとのことだが、実際はもっと落ちるのではないだろうか。

そんな中で気になるのは、世界的な異常気象である。タイの洪水のことは連日マスコミが報道しているが、カンボシアでも深刻な洪水が起きていることを現地からのメ-ルで知る。ベトナムも同様らしい。オ-ストラリアではここ数年深刻な旱魃。

中国は、地域によっては洪水で溢れ、旱魃に悩まされているという。アフリカ諸国も旱魃が日常化。もっとも中国やインド、アフリカ諸国は人口の激増していることもあり自国の食料確保が目先の重要問題になることは明らか、今までと違って外貨獲得のためにがむしゃらな輸出などできるはずがない。

TPPが実際に効力を発揮すると、関税ゼロで価格が下がった外国食料品が食卓に溢れるだろうことは私でも理解できること。その時、魚沼産コシヒカリなど国内の農産物はブランド化しているので庶民には高値の花。結局は安い外国米を買うことになるのは当然の成り行きだろう。他の食料も同じ。人口増加の著しい国々の間では、食料の獲得競争が激化することも時代の趨勢。

いつ何時地球上のどこで異常気象が生じるか、今の科学では予想もつかないとなると突然、食料が輸入できなくなることも十分考えられる。数年後、食料を求めて日本中が右往左往する事態も考えられそうだ。その時、TPPに対して怨嗟の声を上げても遅い。

ロ-カルな話題になるが、私は、数年前からマンションのベランダでも野菜を栽培することが可能だという実験を、自宅で繰り返している。こんなことが必要な時代が来なければ良いのだが、巷で蔓延する近未来の悲観的絵図を思うと、何となくこの実験が価値があるように思えて来る。

今年はプランタ-でトマトとタカノツメを完全自給したが、来年はもっと種を増やす努力を続けなければ・・・。(田舎親父)

2011年11月12日 (土)

オリンパスが消える?・・・

 覚めた眼で経緯を眺めていたので話題にするのが遅くなったが、オリンパスの異様に高額な企業買収疑惑は、実は投資の損失隠しだったいう事件は、まさに企業小説を読むような展開になっている。

2008年にイギリスの医療機器メーカーを約2千百億円で買収した際、アメリカの投資助言会社に約600億円もの額を支払ったとのこと。超経済音痴の私でも、一読しただけでこんな馬鹿な話はないと感じるのに、オリンパス経営陣は強引な手法で隠し通していたというから驚きという以外にない。

さらに、光学関係の業務とは全く関係しない、国内の健康食品会社など3社を約800億円もかけて買収した際も、買収の仲立ちをした会社に、数百億円の買収報酬に支払ったと見せかけて、(その経過など理解できないが)業務的には損失したかのような帳簿処理をしていたという。

常識的な目で見れば、不自然極まりないこの取引を(なぜ外国人を社長にしたのかわからないが)奇怪しいと指摘したイギリス人元社長を(早めにクビにしないと大変だと)会長権限で解任したというから、慌てぶりがよく表れている。

この問題が明らかになったきっかけは、解任されたイギリス人元社長が、オリンパスの経営陣を告発したことから始まったらしく、返り咲いた新社長が記者会見をせざるを得なくなったという筋書きになったらしい。

その席上、新社長は、一連の買収を『適正で問題がない』と言い張っていたことは私もテレビで記者会見の様子を観ていたので間違いない。この時点では、バレないだろうと踏んでいたらしいが、数日後に『1990年代ごろから有価証券の損失計上を先送りしていた』と、素人には良く分からない表現であるが、非を認めたようだ。

経済用語は難しい。解説によれば『不自然な買収は、過去の損失を隠すために利用されたもので、当然ながら、この損失は決算報告に記載されていない。決算は企業経営の厳然たる指標であるだけに、オリンパスの行為は投資家へのまさに背信であり、投資判断を欺くもの』となるのだという。

要は、オリンパスが行ってきたことは『粉飾決算』で商取引の重大なル-ル違反になるとのこと。オリンパス発の巨額の買収資金は、企業小説ではお馴染みの、マネ-ロンダリングの舞台になるイギリス領のケイマン諸島を根拠にしている会社を経由しているらしいというから、今後の動きは(小説を参考にすると)劇的な展開になるのでは・・・。

既にアメリカの連邦捜査局(FBI)やイギリス重大不正取締局(SFO)も捜査に乗り出しているのだそうだが、何故か日本の関係当局の動きが遅いのは、あるネット情報では野村証券が絡んでいるからだという噂も流れている。

買収を仲介した会社は、元野村証券の社員だというのが噂の出所になっているのだろうが、『火の無いところに煙はたたず』というのが、この業界では当たり前のことになっているというから、案外核心を着いているのかもしれない。

野村證券は発覚直後に『野村グループの関与があるとの憶測に基づいた報道が本日一部にありました。かかる報道内容は憶測に基づくものであり、事実に基づくものではありません』と発表したが、何となく歯切れが悪く奥歯にひっかかるような表現が気になるところ。

アメリカやイギリスの捜査当局が動き出したというから、動きの遅い日本の検察も動かざるを得なくなるのは間違いないだろう。ここまで巨額な『粉飾決算』となると、証券取引等監視委員会は厳正に調査せねばならないことになるのは間違いないところ。

その結果、昨日には東証や大証は管理銘柄に指定。(最悪の場合)オリンパスの上場停止に追い込まれる可能性もあるという。株主たちは大慌てで売りに走っているらしいから、株価は暴落。資本主義の根底すら崩壊させる事態に発展するのではないだろうか。

ここからは小説の読みすぎだと笑われるかもしれないが、年金機構ではないが、財テクに走った挙句がバブル崩壊で莫大な損益を抱えてインチキな粉飾決算をしてきた法人や企業はオリンパスだけとは到底信じられない。そして、その裏には巨大な銀行などの金融関係資本が絡んでいることは、私でも容易に想像できる。

今後の捜査や内部告発によっては、オリンパス以外にも(ここまで金額は大きいものは少ないだろうが)出てくることも当然考えられる。あっちも、こっちでもと次々不正がばれてきたら、いよいよ日本の金融資本主義は崩壊するのでは・・・。

その日が、来年の冬至に合致していたら・・・、またマヤの暦を思い出す。(田舎親父)

2011年11月11日 (金)

ストックホルムシンドロ-ムって・・・

 いつから身についたのかは定かではないが、寝る前の1時間ほどを『読書の時間』にあてている。主に文庫本の小説が中心だが、わずか1時間であっても積み重なると凄いもので、近くの図書館にある池波正太郎さんや藤沢周平さんの文庫本を全て読破、続いて松本清張さんの文庫本も読み切ったので、このところ、違う人の推理小説を借りて読んでいる。

最近は、真保裕一さんの小説に凝っているのだが、今読んでいる『誘惑の果実』という中に『ストックホルムシンドロ-ム』という聞き慣れない言葉を見つけた。著者の解説では、誘拐や監禁された被害者が、極限状態の中で犯人に同情や連帯感を抱くようになる症状なのだそうだ。

その由来は、ストックホルムで起きた銀行強盗事件で、人質として長期間性的拷問を加えられた女性たちが、解放された後で犯人をかばう証言をしたり、警察を非難したりしたほか、人質の1人が犯人と結婚するに至ったという。これを『ストックホルムシンドロ-ム(症候群)』と称し、恐怖と生存本能に基づく、自己欺瞞的心理操作だと定義つけているらしい。

この言葉を知ったと時を前後して、久しぶりで『大紀元日本』というサイトを開いた際『中国におけるストックホルムシンドロ-』という題字が飛び込んできた。

10月25日の掲載である。(少し長くなるが引用してみる)

今年9月中国河南省の洛陽市で、6人の風俗業女性従業員が洛陽市技術監督局幹部の李浩に地下室に長期間監禁されて、『性の奴隷』にされたうえ、2人が殺されたという悪質な事件が発覚した。人々は、この犯人と彼の残忍な『変態』に憤りを感じ、被害者の悲惨な境遇に同情すると同時に、ある不思議なことに首を傾げた。3カ月から2年もの長期間にわたって地下室に監禁され自由を奪われた従業員らは、誘拐者の言うことを聞かない状態から聞くようになり、しまいには彼に媚を売り、争ってその歓心を得ようとするようになった。さらに、救出された後も、その『兄さん』の肩を持つような話をしたという。

その理解しがたい行為について、米ジェファーソン大学総合医学センター精神と行動医学主治医の楊景端博士と米国心身科学研究院の劉漢文博士は、雑誌『新紀元』の取材で、それは典型的なストックホルム症候群で、中国社会の縮図だと指摘した。(引用終わり)

ここまではごく普通の記事であるが、この事件のことを『楊景端』という人は『これは中国で起きたストックホルム症候群の現象だ』と断定し、さらに『人々は性的奴隷事件から中国全体の社会状況を連想することができる。中国社会の中では民衆のすべてが多かれ少なかれ、いくらかのストックホルム症候群の症状を持っている』と指摘したというからこれは話題にする価値がありそうだ。

(再び記事を引用)女性たちは地下室に閉じ込められ、完全に外部と断絶され、十分な食物も得られず、生存環境が極めて悪いため、恐怖心が生じたのである。それでも何とか生き延びようと、歪んだ心理状態に陥り、誘拐者にこびを売ったりするようになり、そのうちに、誘拐者への感情までが生じたのである。これらの人たちの境遇はまさに中国社会の縮図だ。中国は閉鎖的な状態に置かれ、みんなが中共(中国共産党)の歓心を買おうとし、生存するために中共への感情が生まれたのだ。

中共は人々の心に恐怖を作り出し、人々の生存環境を制御、剥奪し、中国人同士を互いに生存のために腹を探り合わせ、暗闘させている。住宅の分配、役職の昇進、幹部の抜擢など、これらはすべて中共が人をコントロールするために用いた手段である。女性が地下室に閉じ込められても誘拐者の歓心を得ようと争ったように、中国の毎回の政治運動では、多くの中国人は自分の同僚、甚だしきに至っては身内さえも迫害した。たとえば、薄煕来中共政治局委員は文化大革命期、自分の父親に対して激しく暴力を振るったとか、この社会がどれだけ重病にかかっているかの反映だ。

李浩は見せしめのため、性的奴隷事件の中で女性を殺害して恐怖を造った。これは共産党が政治運動を行って、一部の人を迫害することにより、他の人々を支配するのと何の違いがあろうか。性的奴隷事件を中国社会全体にまで拡大してみると、とてもよく似ていると感じる。

中国民衆のストックホルム症候群を治療する最も良い方法は、真相と中共の本質を知り、自ら反省することである。(中略)

中国社会全体は、地下室の牢獄と大して変わらない。この病気を患う人は本当の民主が何かを知らず、外へ行って叫んで救いを求めることを知らないでいる。中共のメディアと教科書はいずれもストックホルム症状を強めている。中国大陸の民衆は、いつもどこかがおかしいと感じながら、この生活状態に慣れてしまい、しばらくこのままでも仕方がないと考えている。中国大陸でこれだけの人々、全体がこのような病気にかかることは歴史上かつてなかったことである。

中共により、この数十年間、意図的に伝統文化を破壊され、共産党文化を注ぎ込まれているので、最もこの病気になりやすい。これは中共の愚民政策の結果である。中共は60年余り統治した結果、国民全体にこの病気を患わせたのである。

中共は中国人の信仰を破壊し、人々が何も信じられなくなり、低級な趣味しか求めないように堕落させてきた。そうすると、コントロールもしやすくなる。中共が最も恐れているのは信仰を持つ人である。信仰があれば、抵抗力を持ち、意識もはっきりして、この病気にかかりにくくなる。(引用終わり)

これは中国の話であるが、現在の日本も似たようなものではないだろうか。福島原発事故では徹底した情報の隠蔽とウソで固めた説明をし続けているが、いつのまにか国民は政府・東電の言うことに従い、ウソの情報を信じ(特に『国の安全基準』)、それをよりどころにする風潮が蔓延し始めている。

考えさせられる記事である。(田舎親父)

2011年11月10日 (木)

モバゲイベ-スタ-ズに違和感・・・

 教育業界では携帯電話をもっとも早く取り入れて、危機管理のツ-ルとして使っていた私だが、あまりにも携帯の技術の速さに全く対応できず、気がつけば、『携帯は単に電話だけの利用』という、アナログ人間を絵に描いたようになっていることに、愕然としながらも決して後悔はなく、以来超アナログ人間を誇りにすらしている。

むしろ携帯にこんな機能を付与しては『考えない人間』を増やすだけではと思っているのだが、こんな人間は相手にしないとばかり、必要以上の付加価値がついた機種が、毎日のように新発売され、それを買い求める人の列の姿がテレビで紹介されることが日常茶飯事となっている。

このところ『モバゲ-』という言葉が大流行。私は、電車の中で若者(最近は高齢者にも広がっているらしいが)が携帯でピコピコやっているゲ-ムの総称のモバイルゲ-ムの略称だと思っていたのだが、プロ野球の『横浜ベイスタ-ズ』の買収問題で、DeNAという会社が経営しているポ-タルサイトMobage(旧称・モバゲ-カウン)』の略だということを最近になってはじめて知る。

横浜ベイスタ-ズの身売り問題は数年前からささやかれてきた。つい最近までは(あまり話題にならなかったようだが)家電量販店の『ノジマ』が買収するというニュ-スがまことしやかに流れ、近くにある『ノジマ』の支店では、自社球団のように、横浜ベ-スタ-ズ関連のイベントなどが大きく掲載されていた。

この『ノジマ』という量販店は規模があまり大きくないが、近いことと厭味のない店員の対応が気に入って、我が家では殆どの家電品はここと決めている。

『ノジマ』はスポ-ツ界の応援も熱心で、以前はサッカ-の『横浜FC』の公式スポンサ-もやっていたはずで、ノジマのロゴ入りのユニフォ-ムに記憶がある。ひょっとしたら、ノジマの買収が成功するのではと思っていたが、カネがとてつもなくかかる業界らしく、まずは資本の問題で切り捨て。プロ野球界では相手にされなかったようだ。

買収企業名はいろいろ出たが、結局は交流サイト運営大手の『ディー・エヌ・エー(DeNA)』が買収に成功。新球団名を『横浜DeNAベイスターズ』として、日本野球機構(NPB)に加盟申請したのだそうだ。この会社の主力商品が、交流サイトと出会い系サイトということがかなり気になるが・・・。

マスコミ報道では、当初は根拠地も移し、『モバゲ-』という名前をつけた球団名を希望していたようだが、商品の宣伝になるような名称をつけるのはブロ野球の球団として相応しくないということから、セリ-グの各球団の合意が得られなくなり、結局は、根拠地を横浜に残し、当面球団名も『モバゲ-』をつけないことで決着したとのこと。

しかし、私的には『モダゲ-』はいただけないが、パリ-グの球団名は全て会社名(商品名)がついており、セリ-グでもヤクルトなどの例があるのに『モバゲ-』はダメというのも変な話だと思わないでもない。

横浜からプロ野球球団がなくならないことには、横浜市民としては朗報だと思いたいが子どもたちの憧れの一つであるプロ野球の選手たちが活躍する場と、子どもたちにとって悪影響しかないと思っている携帯ゲ-ム(モバイルゲ-ム)とが私の中では一致しないことは確かで、今までは気持ち的には横浜フアンだったが、来年からは覚めた眼で見ることになるだろう。その意味では、一層のこと本拠地を移してくれたほうがすっきりしたのだろうが・・・。

DeNAという会社は誕生して間もないという。驚異的な売り上げで一躍プロ野球球団を手中に納めるほどの財力を得たとのことだが、携帯業界がこのまま、いつまでも右肩上がりで上昇気流を続けるとは思えない。

私の偏見かもしれないが、携帯にこれ以上の付加価値をつけることも意味がなく、現在世界で3千万人とも言われる登録人数に加え、さらに限りなく多くの人がピコピコにはまるとも思えない。

いつか(できれば近い将来と期待したいが)モバイルゲ-ムが下火になるに違いなく、DeANという会社の存続すら危なくなるのではないだろうか。その時、今回名乗りを上げた『ノジマ』の強い意志を、資金不足と一蹴したプロ野球関係者はどんな反応を見せるのだろうか。(田舎親父)

2011年11月 9日 (水)

ゴミ騒動で小金井が賑やか・・・

 小金井市のゴミ問題が大変な話題になっている。東京の多摩地区には、人口的には他県の大都市よりはるかに多いが、面積的には極小の自治体がひしめきあっている。小金井市もその一つ。

人口40万人というから、他県なら県庁所在地並み。しかし、もともとこの土地に住んでいた人は少なく、殆どの住民は昭和30年代以降の戦後経済成長期以後に移り住み、その大多数は都の中心部へ通勤する人たちだというから、まさに東京のベットタウンと言っても過言ではない。このことは、私自身、何度がこの地に足を踏み入れているのでだいたいは理解できる。

学歴が高い住民が多いのも、多摩地区の自治体に共通しているのもこの地域の共通の特徴らしく、小金井市はじめ一部の自治体は自前のゴミ処理場や火葬場がないという。今まで何度も建設の計画はあるものの、その都度住民の反対にあい断念、実際には深刻なのにその場限りの行政が続いているということは以前から聞かされていた。

自分たちの出すゴミは自分の地域で処理するのが原則なはずなのに、自前のごみ処理施設を持たないというから困ったもの。50年前の、ゴミが少ない間は、それでも何とかなったらしいが、近年の(本来なら燃やせばすむ落ち葉などもゴミ処理しなければならないとなると)ゴミの急増にはお手上げ状態のようだ。

にもかかわらず、自前のごみ処理場を造れないのだから・・・。今回は起きるべきして起きた問題だろう。火葬場も同じだが、ここでは触れない。

実際に、小金井市では自前のごみ処理場の建設を企画していたそうだ。しかし確保しておいた土地の周りが住宅地として開発され、いざ建設という段になった時すでに遅し。周辺の住民が大反対にあって計画は頓挫。いまでは住民の説得すら進まないのが現状だというから、このままでは建設などとてもおぼつかないところのようだ。

小金井市は仕方なく周辺各自治体に頼み込んでごみ処理をお願いしていたらしいが、その処理に支払う金額が半端ではなくなってきたとのことで、今年行われた市長選挙ではこの問題が争点になったという。

マスコミ報道では、サトウという市長は『他市に払うごみ処理費用は無駄』と発言したことが発端で。周辺の自治体が反発してゴミを受け入れなくなったと報じているが、そんなストレ-トな発言を市長候補がしたとはとはとても思えない。

私は、サトウという市長候補は、このごみ処理の予算に対して、『周辺の自治体に支払うごみ処理代金が適正かどうか精査すれば、きっと無駄があるのではないかと思う。それを徹底的に無くしたい・・・』とでも言ったのではないかと想像している。

その底流には、サトウ現市長には受け入れコストが高過ぎるという意識があったに違いない。このあたりの微妙なニュアンスが、市民に『周辺自治体にとって、我が市から入るごみ処理費は貴重な財源』という意識につながり、自分たちのゴミを『処理していただく』のでは『処理させてやっている』と印象づけたのではないだろうか。その誤解が『ごみ処理費用は無駄』と聞こえ、結局はそのように印象づけた候補を当選させてしまった。

これに対して、当然のことながら、早速周辺自治体はゴミ気受け入れを拒否。市長は行き詰まり、『私が悪かった』と頭を下げて辞任表明になったという筋書きだろう。

ゴミが処理できないと、市民生活が即破綻するのは必定。人道的な立場からも、周辺自治体は振り上げたコブシは下ろさなければ、今度はこちらが批判されるとあって、すぐに最小限のゴミの受け入れを再開したようだが、ゴミ全てが処理できるわけではないのが現状らしく、小金井市当局は必至に受け入れ先を探しているらしい。

この問題に関しては、自治体間の話し合いで、多少市民生活には支障が出たとしても元通りになるのが今までの例。しかし、小金井市民の意識が変わることと、自前のごみ処理場を持たない限り根本的な解決にはならない。

こみ処理場の建設には様々な問題が絡み、周辺住民はおいそれとは容認したくないのは理解できるが、どこかに造らねば、この種の問題は繰り返されることは間違いない。住民は目先のことだけを考えて反対するのではなく、知恵を出し合ってほしいもの。

こんな(ある意味下らない)問題で市長選挙を繰り返すのは、それこそ無駄だろう。小金井市民だけではなく、今回の騒動を周辺の自治体は自分たちの意識として捉えてほしいもの。

それがなければ、多摩地区にひしめく人口的には大都市の自治体では、ごみ処理にかぎらず、同じような問題として繰り返されるのではあるまいか・・・。(田舎親父)

2011年11月 8日 (火)

70億突破 どこまで増えるのだろう・・・

 少し間があいたが、先月26日に、『国連人口基金(いろいろな組織が存在しているものと感心?)』が『世界人口白書2011』を発表。それによると、世界人口は10月31日に70億人を突破する見通しだという記事を各紙が掲載していた。

その発表を受けたのだろうが、日本のマスコミはすぐに反応、31日に生まれた赤ちゃんには『70億人記念』という認定書?を与えられたというテレビニュ-スが流れていた。画像を見る限り、両親は名誉ある?認定をしてもらって満足そうな笑顔を浮かべていたがなぜ『10月31日』なのだろうという素朴な疑問が頭をよぎる。

『国連人口基金』という組織のこの調査結果はどこまで信憑性があるのだろう。70億人突破の時期を予測するのは、各国で行われている最新の国勢調査データから、それぞれの国の最新人口を取得し、それを基準として、すでに死亡した人、これから出生する人、および移住によって変化する人口の推定数を加減すればいいのだから、各国行政が正確にこれらを捉え、時を移さず国連に報告すれば理論的には可能かもしれない。

しかし、国勢調査の精度は各国でバラバラ。日本のように出生届けや死亡届けが100%提出されている国もあれば、実際に戸籍のない人たちが存在する国も稀ではないのが事実だとしたら、実数の把握などできる訳はないと思うのだが・・・。

そんな疑問はさておいて、国連の狙いは、実際には、69億人でも70億人でも、そのこと自体を問題にするのはあまり意味がなく、人口が激増していることと比例して貧困の度合いが増え、国や地域によって(国内でも同じことがおきているのだが)格差が広がっていることこそ真剣に考えることに違いないと考えたい。

中学校時代の記憶を思い起こすと、社会科の人口統計では中国4億、インド2億と習った記憶がある。それが、自分が子どもたち教える立場になった当初(ほぼ40年前)、中国8億、インドは4億だったことを思い出す。その頃から、アフリカ諸国やブラジルや東南アジアの国々の人口も飛躍的に増えていたことも・・・。

それが現在は中国14億、インド12億に象徴されるように、この2国を筆頭に、アフリカや東南アジア諸国やフラジルなど、いわゆる発展(開発)途上国(中国やインドにはあてはまらない言葉だが)の人口はこの半世紀で爆発的に増えている。人口増加によって一番問題になるのが食料である。70億人の胃袋を満足させるのは容易なことではない。

近年、飢餓や貧困率、幼児の発育不良などが改善されたとも言われているが、現在でも必要な栄養を摂取できない『飢餓人口』は世界で約9億2千万人もいるという。このままの勢いで人口が増えつづけ、今世紀の半ばには90億を突破するというから、この数字は今後増えることはあっても決して減ることはないだろう。食料確保の激化と、それに伴う環境悪化はますます深刻化することは間違いないところ。

交通網の発達とインタ-ネットの普及により世界のどこにいても、リアルタイムで共通の情報をえることが可能になり、『クロ-バル』という言葉が現すように今までは先進諸国の富裕層の人々が独占していた生活様式を追い求めることが『是』となり、中国やインドをはじめ人口が急増している国々の人々は争って、美味しい食料はもちろん、膨大なエネルギ-を消費して、環境的にも快適で便利な生活を求めるようになってきた。これからはさらにこの傾向は顕著になることは確実。

先進諸国(特に我が国が顕著だが)では高齢者が激増している。このことは発展途上の国々も数十年後には経験することだが、こちらも食料問題に負けず劣らず深刻。

我が子の誕生を喜ぶ親に冷や水をかけるつもりはないが、マスコミの『70億人目の誕生』とのノ-テンキな大騒ぎに惑わされることなく、今回の国連の発表を機会に、人口問題を深刻に考えたいものである。(田舎親父)

2011年11月 7日 (月)

今日にも76円台の超円高に?・・・

 ギリシャの財政破綻問題に対して、EU諸国から緊急支援体制が一応整い、ギリシャ国内でも現首相が信任(今朝になって、辞任との報)されるということになって、とりあえず、ギリシャ国の即破綻という事態は避けられる見込みとのこと。しかし、今回の支援策は(詳しく知らないが)国民にも相当な負担を強いるもののようだから、時間の経過と国民の共に生活に大きな影響と、怨嗟の声が大きくなることは間違いなさそうだ。

このギリシャ問題も影響していると報じられている最近の極端な円高に対して、政府・日銀は先月末に、久しぶりで外国為替市場で単独の8兆円という過去最高の為替介入を実施した結果、翌日には4円も戻し79円台になったが、先週末の段階では77円台とじりじりと元の75、6円台に戻りそうな雰囲気が漂い始めている。

私は超経済音痴を自認しているので、今回の為替介入ということに対して殆ど知識はないが、介入直後にアズミという財務相が記者団を前にして、例によって、人を馬鹿にしたような態度と口調で『納得いくまで介入する・・・』という発言していたが、本質がわかってものを言っているのだろうかと危惧は感じたもの。

この御仁の『納得がいくまで介入』という場合の『納得』という言葉には、円をどの程度の基準に下げるという、基準値を示していないので、具体的な目標値はわからないが、常識的に考えると、『1ドル80円程度の相場を維持する』というのが『納得のいく介入』だと私なりに捉えている。

ところが、たった1週間で介入の効果は薄れ、今日にも76円台になるのでは・・・となると何のための8兆円だったのだろう。財務相はそれでも『動向を見ながら適宜適切に判断する』と今後も介入に意欲的な姿勢を見せているようだが、どうやら今回の為替介入の効果は限定的だけだったというのが一般的な見方のようだ。

8兆円というのは私のような貧乏人からみたら、想像もつきかねるほどの大金だが、経済の専門家に言わせると『はした金』で、その程度で財務相が『納得いくまで』など言っているのだから、世界からは冷笑されるだけと言い切っている。

『過去最大規模の介入』といっても、8兆円など世界市場で見れば微々たるものらしく、国際決済銀行(こんな銀行名ははじめて聞くが)の統計によると、1日当たりの為替取引額は世界全体で5.1兆ドルだという。それに対して、今回、政府、日銀が投じたカネは、ざっと1070億ドル。わずか2%程度で、市場に大きな影響力を及ぼせるはずがなく、それどころか、円の乱高下は外資やデイトレーダーをボロ儲けさせているだけだと切って捨てる。

ある新聞記事には『外国為替証拠金取引(FX)市場では市場介入があった先月31日、円・ドルの取引量が05年の取引開始以来、過去最高(約6500億円)に達した。介入前後の5時間でドル・円相場は5%超も上昇。たった数時間でン百万円も儲けた投資家がワンサカいたはずだ』とある。内容的には理解できないことも多いが、金儲け命の人間である外資や投機筋には大喜びされていただろうらしいことは容易に想像できる。

私が想像するに、恐らく、今回の為替介入もアメリカさまのご命令だろうが『(円高が)世界市場の趨勢だから、政府、日銀がどんなに介入してもはね返す力はないし、意味はない。円高阻止を目標にするのはもうやめた方がいい。仮に今後も実施する場合、今回以上の規模で行う必要があり、明日は紙クズになるかもしれないドルをどんどん買うことに対しても疑問を感じる』とある経済学者は批判するが、なるほどその通り、無意味な介入は結局、日本をメタメタにするだけのような気がしてならない。

今後の為替相場の動きがどうなるかは予測できないが、このままでは円高はジワジワ進み、75円を切るのではないだろうか。どうやら、本気で日銀が、どんどん円札を印刷しなければ事態が納まらない時期にきたような気がするが・・・。

そのためには、肝っ玉が座った首相はもちろん、財務相と日銀総裁の登場が不可欠なことだけは間違いないとなると、このままでは円高は止まらず、やがて近い将来、日本は沈没するのでは・・・。(田舎親父)

2011年11月 6日 (日)

九州電力ってどんな体質?・・・

 今月1日、九州電力がトラブルで自動停止した佐賀・玄海町の玄海原発4号機を起動したというニュ-スに衝撃と怒りを覚える。

問題の4号機は先月はじめ、運転中の部品交換作業の手順に誤りがあったため、異常を検知した発電タービンが止まり、それを受けて原子炉も停止したものである。マスコミ報道では運転中の作業を考慮に入れていなかった手順書の不備が原因だったとのこと。

そのまま解釈すると、部品交換は停止中(原子炉本体は稼働しているだろうが)にやらねば危険なのに、どこにもそのことが書いていなかったので、作業員はマニュアルにそって部品交換を続けていたが、セ-フティシステムが作動して止まったというところだろうと想像しているが、こんなアホな話があるだろう。

作業員が知るのは操作手順だけで良いのかもしれないが、作業をさせる監督側が、運転中に部品交換を行うと危険だという認識がなかったとはトンデモなく恐ろしい。最近では家電類では部品交換などする必要がない(できないように設計されている)が、私の若いころには修理が当たり前で、部品を取り出してハンダ付けなどは日常茶飯事。

しかし、いかなる場合でも、(主電源は別としても)電源を入れたまま部品交換など絶対にしなかった。少しでも面倒だという気持ちにもなかったことも今思うと不思議だが、安全に対する基本的な約束事と身体に擦りこまれていたに違いない。

人体や周りにあまり影響しない家電であっても『電源を切る(運転を止める)』のは、人に教わらなくても、常識的な知恵として身についていたものだが、原発というとてつもなく危険なものを動かすオペレ-タ-やエンジニア(会社や原子力安全保安院を含めて)が、こんな知恵すらなかったことに愕然とする。

4号機の運転再開は、自動停止は事故とは見なされず、福島原発事故後,取ってつけたように言い出されたストレステスト(詳しくその内容は理解できないが、結果が出るまで数カ月間の停止を余儀なくされる耐性テストとその評価というのがその定義)の対象外らしいから、地元の了解さえとれれば会社の判断で良いという。しかし、部品修理の基本すら理解できない九州電力にその権限を委ねるとは危険極まりない。

九州電力は、定期検査で運転停止中の玄海原発2、3号機の再稼働をめぐり、第三者を装った社員らが再稼働の希望を寄せた『やらせメール』問題で、世間の顰蹙を受けたばかり。この問題に関して、第三者調査委員会が『知事の関与があった』と指摘したにもかかわらず、相変わらず、そのうち何とかなるだろうとい発想がまかり通っているらしく、いまだに最終報告書の再提出にも応じていない。経営トップの進退問題も、ウヤムヤにしたままだ。

知事が原発利権にかかわっているのが事実らしいから、玄海町長は利権の中にどっぷり浸かっていると表現しても差し支えないだろう。九州電力から地元に『4号機は手順が違っただけで、安全には問題ないので稼働します。ついては許可をお願い・・』という連絡に対して『了解した。くれぐれも手順を間違わずにな・・・』という程度のやりとりはあっただろう。しかし、この程度の了解事項で稼働をはじめるとは、九州電力も地元自治体も、我々の常識的な市民感覚とはかなりかけ離れているようだ。

玄海4号機は現在フル稼働に移っているらしいが、12月中旬に定期検査のために再び停止するのだそうだ。強引な一月強の運転再開は、現在停止中の原発の運転再開の露払いに違いなかろう。

いくら原発稼働を進めたいからといって、無理に運転を再開して、小さくても事故が起きたらどうする気なのだろうと、九州電力の姿勢に疑問を持つ。

普通の感覚なら、引き続き停止させたまま、原子炉本体はもちろん、細かな部品一つ一つもしかり、それ以上に『部品交換は電源を切って(運転を止めて)』という基本中の基本の手順など隅々まで点検し、下請けの現場の作業員はもとより管理部門の技術者に至るまで、徹底したミス防止の再教育に十分な時間を費やすのが筋だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2011年11月 5日 (土)

ノダ首相はアメリカのポチの餌の寄生虫?・・・

 民主党内では、TPP交渉に参加するかどうかのしのぎあいが熾烈さを増しているらしい。TPP推進派は『交渉に参加しなければ、我が国にとって有利な方向へもっていくことができなるな』と、早急に交渉のテ-ブルにつくことを主張しているが、反対派は、農業に壊滅的なダメ-ジを与える上、医療や経済にもマイナスなど、党内議論がなされていないと反論。もし、執行部が独断で参加するなら、離党も辞さずと鼻息が荒い。

私はTPPについて詳細を理解しているわけではないが、このまま関税ゼロで外国の安い農産物がはいっくれば、自給率は確実に下がるだろうし、零細農家は経営困難になることぐらいは理解できる。

その上、遺伝子組み換え作物が無制限に入るとなると、大混乱が起こることは確実。医療や経済も専門家の意見を聞く限り、反対派の意見の方が筋道は通っているような気がする。当たり前のことだが、常識的に考えても、先日も話題にしたが『交渉の席について、不利なことがわかれば撤退すれば良い』なんてことが現実にできるはずはない。

交渉に参加した時点で、TPPに縛られることは間違いないとなると、急がず、党内で議論を徹底し、ある程度の合意ができてはじめて参加を表明すれば良いのではと思うが、推進派(現執行部)はアメリカさまの命令を跳ね返せないのだから困ったもの。国益などは二の次で、まず参加ありきの態度には呆れるしかない。

そんな中で、とんでもないニュ-スが流れた。今月1日(東京新聞だったと思うが)、TPP交渉について、米通商代表部の高官が、日本の参加を認めるには米政府・議会の非公式な事前協議が必要で、参加決定に時間がかかるため『受け入れが困難になりつつある』との認識を示していたことが、日本政府の内部文書で分かったという。

記事によると、正式協議を合わせるとアメリカ議会の参加承認を得るのには『半年間程度』の時間が必要なのだそうだ。早期参加表明しても、来夏にまとまる予定のルール策定作業に実質的に加われない可能性も出てきたとある。日本に有利な条件を得るため早い参加が必要、というTPP推進派の主張の前提条件が崩れかねない状況だとも・・・。

最近の東京新聞は原発や年金問題など、政府に対して批判的な記事が目立つことに好感度は急上昇。私も毎日眼を通すようにしている。しかし、やはりマスコミの限界『可能性もでてきた』とか、『崩れかねない情況』と、曖昧な表現をしなければならないのは止む得ないようだ。

が、アメリカ高官の談話が事実だとしたら(恐らく事実だろう)、誰がみても、急いで参加したとしても実質的な討議に加われないだことだけは間違いないところであり、急いで参加する必要など全く意味がなくなることは確実である。

記事は『日本政府の内部文文書わかった』と指摘しているが、急いで交渉のテ-ブルにつこうと主張しているのは、首相であり正副の政調会長、そして内閣と党の執行部、言い換えると自民党政府そのもの。それなのに、『急いで参加しても実質的な討論には参加できない』と内部的な文書にはあるというのは奇妙な話。

やはり、アメリカさまの命令が内閣と民主党にあったとしか思えないが・・・。このことに着いて、G20に出席しているノダ首相は、『民主党内の議論を集約した後、態度を決めたい』と慎重な態度で臨むとの姿勢だが、消費税については15年までに10%にすると各国首脳に明言し、しかも、国民に信を問う解散など念頭にないとのことだから、TPP交渉問題も数日後には参加を言い出すこともあり得る。

どうも党内融和を図るというのはタテマエで、本音はアメリカさまのご命令通りに動くのが一番だという考え方に凝り固まっているのではないだろうか。

首相がアメリカのポチの餌の寄生虫的であることを『是』としている国が存在して良いとは思わない。(田舎親父)

2011年11月 4日 (金)

昨朝のyahooサイトの赤字文字列は?

 今月1日、『福島第一原発2号機からキセノン検出』という情報に、やはりと思った人は多かったのではないだろうか。キセノンが発生するということは、(原子炉内で核分裂が起こっているということは、3月の原発事故で得た知識であるが)政府と東電が繰り返し『低温冷却状態になりつつある』と言っているのと相反する。

例によって、東電のお馴染みのスポ-クスマン(部長らしい)は『放射性キセノンはごく少量で、継続的に核分裂が起きていることはない(夕刻には自発核分裂と聞き慣れない言葉)『で釈明に努めているが、東電のこれまでの隠蔽体質からみたら、またか・・・というのが正直な感想。

2号機だけが建屋が吹き飛ばされないで、辛うじて外観を残しているはず。すでに他の原子炉は溶融が起きていると思われているので、こちらも再臨界が起きていると考えてもおかしくないはず。あのウソツキを絵に描いたような答弁を繰り返していた保安院ですら『1、3号機でも同様に核分裂が起きている可能性がある』と言っているのだから、事態は深刻。

このことを話題にしなければと思って、その後の情報を調べるために、昨朝、何気なく開いたyahoo検索のトップペ-ジに、赤字で『10月から子ども手当てには誰でも申請が必要です』という文字列があった。なぜこの時期に『10月からのこども手当てには申請が必要です(だったと思うが正確な記憶はない)』という情報が必要なのだろうと思い、そこにカ-ソルをあてるとリンクが張ってある。

リンク先は厚労省の『平成23年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法(平成23年10月~平成24年3月まで)』という、通達文書。そこには、3つの項目がある。その第一項は『平成23年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法の概要』で、支給額や期間などが載っている。

第二項目の『10月からの子ども手当Q&A』も何やら変だと思いながら、後で見ることにして、元のyahoo画面に戻すと、すでに赤字の文字列が消えている。以後何度同じ画面に戻してもこの赤字文字列は出てこない。念のために再起動をかけてみたが、やはり出ない。

私が確認したのは一度だけ。yahooの検索サイトを開いている人も多いので、私だけが目撃したとは思わないが、瞬間的に消えてしまっているところから推察すると、この赤字の文字列を確認した人はさほど多くないのではないだろうか。

原発事故も重要だが今更慌てることはない。こちらの方が気になるので、第二項の『O&A』を見ると愕然とする。『10月以降、子ども手当を受け取るためには手続きが必要ですか?』という質問項目に対して、『必要です』として、『 新しい法律により支給要件などの変更が行われたことから、改めて支給の対象となるかどうかを確認する必要があるため、これまで子ども手当を受け取っていた方も申請が必要です』とある。

さらに、今までの児童手当や子ども手当は、毎年6月に『現況届』の提出が必要だったらしいが、平成23年6月は、受給者の方の負担軽減を図るために提出を求めなかったとはどんな神経で答えているのかと呆れてしまう。

民主党がマニヘストを反故にした結果、国会が大騒ぎになり、現況届けなど受け取る体制ができなかったことだけ。それを国民の便宜とは、ウソもやすみやすみにせよ・・・と怒鳴りたくなる。

そして、『新しい法律のスタートにあたり、支給対象となるお子さんを持つ全ての方から申請をしていただくことになりましたので、ご理解のほど、よろしくお願いします』とは、盗人猛々しいとしか言いようがない。

最後の方に『なお』とことわり書きをつけて『平成24年3月末までに申請をすれば、10月分からの手当を受け取ることができます』と、遠回しながら、あわよくば申請漏れがあれば支払わないぞ・・・というような表現。そこまでは姑息さはないと信じたいが、明らかに上から目線の役所的文章である。

私は『こども手当て』など無縁だが、実際に受け取れる権利のある国民にとってこれは重大なこと。11月になって『10月から変わります』というもの変な話。改めて、私が確認した『赤字の文字列』はどんな意味があるのだろう・・・。(田舎親父)

2011年11月 3日 (木)

やっと暫定基準を見直す動きに・・・

 先月末のこと、食品から受ける放射線量の限度を『生涯約100ミリシーベルト』とする食品安全委員会(これも御用組織だろうが)の健康影響評価を受け、厚労省は食品ごとの具体的な規制値作りを本格化させると発表。

この日の夕方、テレビのニュ-スは、名前はわすれたが食品安全委員会の女性委員長が記者会見している様子を移し出していたが、食品に含まれる放射性物質の健康影響について『おおむね生涯累積100ミリシーベルト以上で健康への影響が見いだされる』などとした評価書の答申について発言していた。

聞くともなく聞いていたが、その中で、放射性セシウムの許容上限を年間1ミリシーベルトとする方針らしい。新基準値を設定する際の食品群の分け方や子供への影響に対する具体的な配慮などを、今後話し合って決めていくと説明していたようだった。

外部被曝を無視した100ミリシ-ベルトという数値は納得できないが、今までの無茶苦茶な基準から比べると、生涯100ミリシ-ベルトという数値は、寿命を80年強とすると、年間約1.2シ-ベルト。文科省が示している安全基準の年間20ミリシ-ベルトに比べると、まあ仕方ないだろうと思う数値。

何度も繰り返すが、放射能というのは、音もなく(ガイガ-カウンタ-に反応するのでガ-ガ-という反応音があるので、ある意味音はあると表現しても良いだろうが)・眼にも見えず・臭い味もない、しかも味もしないという物質なので、食品に混じっていたとしても区別はつかない、なんとも厄介な代物。

その上、この放射能の濃度や値を現す単位がいろいろあって、分かりにくく、殆ど全員といっても良いほどの国民には、単にシ-ベルトやベクレルなどと言われても具体的にその危険度が理解できないのだから困ってしまう。

最近らなってやっと、放射性物質が人体に与える影響は『シーベルト』という単位で示され、規制値は個々の食品が出す放射線の強さを表す『ベクレル』という単位で表現されることが、わかり始めてきた段階のようだ。

これも何度も繰り返しているが、我が国には食品に対する放射線に対する基準は、基本的になくWTOの基準値が指標だった。しかし、福島原発事故直後に、これでは食品がなくなるとばかり、厚労省が(実際は『原子力安全委員会』という御用組織だろうが)大慌で『暫定基準値』というものを設定したが、諸外国は比べるとトンデモナイ数値。

それを、マスコミが後押しして、国民の恐怖心と無知を上手く使い分けて、『暫定基準値』があたかも『安全』に対する基準になったようで、今ではこの数値が一人歩きしてしまっている。

この暫定基準は、放射性セシウムは年間被ばく線量が5ミリシーベルトに収まることを前提に、国民の平均摂取量などを考慮して『野菜類』『穀類』など五つの食品群に1ミリシーベルトずつ分配し、1キロあたりの上限を定めているとの説明。

しかも、首相や厚労相が出した通達ではなく、『厚労省医薬食品局食品安全部長』という一官僚が出した平成23年3月17日付『食安発0317第3号』という『放射能汚染された食品の取り扱いについて』という表題の一片の通達にすぎないのも、後の責任をあいまいにしたいことがうかがわれる。

そこにある『暫定基準』とされる『飲食物摂取制限に関する指標』に並んでいる放射性セシウムについての数値は、飲料水が200ベクレル。牛乳・乳製品200ベクレル。野菜類と穀類、牛肉や豚肉などの肉類、卵、魚類や貝類などを含めた食品全てを500ベクレルである。

それまでの数値の、例えば、飲料水はWTO基準の10ベクレルとしていたことと比べると、何と20倍。放射性ヨウソに至っては30倍にしているのだから、後の数値はおしてしるべし。

東京都の水道水から200ベクレル超の放射性セシウムが検出されたと一次大騒ぎになったが、事故から8カ月過ぎた今は昔。調べれば50や100ベクレルといった数値が出るに違いないのに、全ての自治体の水道は『暫定基準値』以下だから『安全』となっている。

このことは今更取り上げないが、今回厚労省は基準値を見直し、新基準では1ミリシーベルトまで引き下げたいとする方針を提示しているそうだ。単純に計算すると、現在の数値の5分の1。この数値が安全だと確信はないが、それでもかなり厳しくなることは事実。厳格に検査すれば、現在出回っている多くの食品が安全でなくなるはず。これをどうクリアするか不透明だが・・・。

はたして4月には制定すると言っている新基準に、どんな数値が並ぶのか注意深く監視する必要があるようだ。(田舎親父)

2011年11月 2日 (水)

いたちごっこの老人対策・・・

 先日、『厚生労働省は、厚生年金の保険料算定基準となる標準報酬月額の上限(62万円)を見直し、高額所得者の保険料を引き上げる検討に入った』という記事があったが、相変わらず年金や医療に関する記事には難解な言葉が多いようだ。

今回の記事でも『標準報酬月額』という言葉の意味が具体的にはよく理解できない。恐らく年金を支給されているのにもかかわらず、職業を持ち相当額の収入を得ている人たちに対する言葉だろうと想像しているが、それならば『高額所得高齢者』とでも表現したほうが分かりやすいと思うのだが、政府・厚労省としては難解な言葉で、国民がこの問題に興味・感心を示さないようにしているのではと思ってしまう。

その記事には、ご丁寧にも『標準報酬月額』について解説がしてあるのでそのまま引用してみよう。(引用はじめ)

健康保険、厚生年金加入者の毎月の報酬額を区切りのよい幅で区分したもので、年3回以下の賞与や見舞金は除外される。厚生年金では9万8千円から62万円までの30等級に区分され、これに一定割合を掛けることで月々の保険料や将来の年金額が算定される。健康保険は121万円まで47等級に分かれており、年金でも健康保険並みに上限を引き上げるべきだとの議論がある。(引用終わり)

要は、想像通り年金支給を受けながら、何らかの報酬を得ている人たちを対象にしていることは理解できるが、健康保険にはこんなに細かな東急があったことをはじめて知る。そして、厚生年金の支給を少しで減らすために、健康保険の上限と同じ121万円に引き上げる案が軸だという。

細かな解説記事が続くか、この種の計算が大の苦手な私には頭が痛くなるばかり。定年と同時に、特別な報酬をいただけるというありがたい話を、二度と時間が束縛される勤め嫌だと断った私には、報酬月額など無縁の話だが、高齢者が自らの意志で働き、それ相当の報酬をもらっていることに対して違和感はない。それどころか、そんな人から年金の上前をはねるようなやり方には怒りを覚える。

60歳定年と年金制度は、基本的には『長い間ご苦労さまでした、今後はのんびり余生を楽しんでください』という大理念があるはず。そこには、余生をどのような過ごし方をするかなどは問題にしてはならないはず。

報酬を得ることを選択するのも良し、田舎でのんびり過ごすのも良し、私のように、桑の葉に見せられて粉を作っている生活も、これらは全て個人の自由意志だろう。天下りで高額報酬を受け取っている一握りの人種は許せないが、働きに応じた報酬を得たからと言って、年金額を減らすべきではない。

さらに、『厚労省は70~74歳の医療費窓口負担について現行の1割から2割に引き上げる案を社会保障審議会医療保険部会に提示した』という記事が追い打ちをかける。その案には、『かぜ薬や湿布薬など市販薬と類似する医薬品を医療機関が処方した場合、公的医療保険の適用外として全額を患者の自己負担とする』のだそうだから、年寄りは風邪もひけなくなるらしい。

その案によれば、2割負担への引き上げについては、新たに70歳になる人から順次適用し、5年間で完全移行させるという。まさに私たちの年代がその対象者になっているからこれは聞き逃せない。

現在の医療費の窓口負担は69歳以下が3割(乳幼児は2割)、70歳以上は1割(現役並み所得者は3割)となっており、70歳以上の高齢者をさらに70~74歳と細かく分けて、2割負担にすることは平成18年に成立した医療制度改革法に盛られているという。

ただ、自公政権が翌年の参院選で敗北したため実施を凍結、その後の政権も特例措置を継続しており、実施予定の20年から3年間1割負担に据え置かれたままだそうだ。そういえば、以前このことを話題にしたことを思い出す。

高齢者医療費の高騰は、国家財政を左右する大問題であることは、私にでも理解できることだが、単に年代によって、医療費負担を区分けしている現在の方法が適切だとはとても思えない。

無理に病院通いしなくても、健康な生活が過ごせる老後をどうするかが基本。それぞれが生き甲斐をもてる社会の仕組み作りが大切なのに、政治の世界では党利党略に明け暮れ、このことは知らぬ顔。そして、ほんの少しのカネ金をむしりとるために、その何倍もの役所予算を計上するとは、まさに『いたちごっこ』という言葉しか思い浮かばない。

話は戻るが、高齢になっても働ければ結構ではないだろうか。その報酬までかすめ取ろうとすることは、働く意欲すら奪いかねない愚作である。

細かく区分けするなどもっての外。60歳(寿命が長くなっているので70歳でもかまわないが)になれば、少なくとも普通の生活が送れる額の年金を受け取れ、病気になれば医療機関に出かけることができる日常生活を保証するために、企業や個人に負担のかかる積立制度ではなく、全て税金で賄う具体的、且つ、抜本的な高齢者対策改革案を議論してほしいものである。(田舎親父)

2011年11月 1日 (火)

広告掲載で『家宅捜査』とは・・・

 先月末のことになるが、違法風俗店の広告を、大衆向け夕刊紙『日刊ゲンダイ』に掲載したとして、警視庁は広告代理会社の社長を逮捕。それに関連して、広告を掲載した日刊ゲンダイの発行元などを家宅捜索という記事を見つけた。

記事によると、風営法違反の疑いで逮捕されたのは、広告代理会社『キューズエージェンシー』の40歳の社長だという。この男は、今年8月から9月にかけて、禁止地域で営業する違法個室マッサージ店の広告を日刊ゲンダイに掲載したという。

警視庁が、当日の朝から『日刊ゲンダイ』の発行元『日刊現代』やその関連会社の家宅捜索を行い、違法な店の認識があったかなどを調べているというところが、私には『日刊ゲンダイ』への見せしめのように感じてならない。最近は大衆紙を読む機会は全くないがこの種の広告など、昔は良く目にしていたもの。しかし、この種の広告などたいした影響力などないと一笑に付していたものだが・・・という素朴な疑問をもってしまう。

少し横道にそれるが、私は現職時代の一時期、発売当時の『オレンジ色のにくい奴』というキャッピコピ-が新鮮だったこともあり、『夕刊フジ』を購入し、帰宅途中の電車の中で読むのが習慣になっていた。

この新聞には政治からスポ-ツや芸能、あるいは電車の中ではとても広げてみられないほど、かなりきわどい風俗的な記事まで掲載されていたが、その中の一ペ-ジ全体が、風俗店などが広告主となり、数行で案内広告を掲載していたことを思い出す。中には、明らかにいかがわしい店や内容を示す広告で満載されていた記憶している。

しかし、そんなこう広告など世間的に大きな影響を与えるものではないと無視していたが、今回逮捕に踏み切ったというのはこの種の広告なのかもしれないが、そうだとしたら、随分世の中が変わったものと思ってしまう。

今回の性風俗広告を出した男を逮捕という記事を見て、いつかこんなことを話題にしてみようと思って、メモしていた新聞記事の文章を思い出す。その記事は、今年の7月1日に掲載されたものだが、『警視庁はインターネット上に違法な性風俗店の広告が増えていることを受け、ネット広告業者15社などに対し、広告主が営業の届け出をしている店かどうか確認を徹底するよう指導・警告した』というもの。

この記事は、前月に成立した『青少年ネット規制法』に関連して書かれたものである。私もこの法案について興味(というより危惧感)をもっていたので、この記事をメモしていたのだが、思わぬところで役に立つ。

この記事が掲載された当時は、やたらと教員の性犯罪が話題になり、警察が教員を逮捕したというニュ-スが氾濫していたが、このことも、このネット規制法と関係あるのではと気になったものである。

もちろん教員に限らず、インターネット上で知り合った少女をメールで脅迫して呼び出し猥褻行為をしたり、小学生とみられる女児の裸体の映像をインタ-ネットに流すなどは破廉恥犯罪として厳しく取り締まる必要なことは当然だが、この種の報道は、その実態が被害者の人権を守るということが大前提となっているので、なんとも不透明。

うがった見方をすると、教員の性犯罪を煽り立てることにより、ネット規制法は誰からみても適法で、この法律に対して危惧する方が異常だというよう雰囲気をつくるための世論操作のような感じさえあるというとお叱りを受けるかもしれないが・・・。

ところで、『日刊ゲンダイ』という新聞をネットで調べてみたら、ごく一部しか見られないようだが、政治・芸能・スポ-ツの分野で、かなり面白い記事を載せている。例えば、昨日の政治記事であるが、『TPP 党内対立激化 ついに暴言 仙谷解任要求』という見出し。『政権の黒幕』であるセンゴク政調会長代行と、『言うだけ番長』マエハラ政調会長がTPP反対派にする勢力の発言に対して、官邸周辺がカンカンになっているという記事である。

記事の内容を詳しく紹介しないが、多少言葉は過激であるが、民主党内のTPP交渉に対して、『日刊ゲンダイ』は、はっきりと反対という立場で、賛成派と反対派の争いを面白おかしく書いているので、むしろ『よくやっている・良いぞ・・・』と応援したくなる。

以前『噂の真相』という雑誌社が、どうもよく理解できないような名誉棄損裁判で休刊なになったことがあるが、今回の『日刊ゲンダイ』ヘの狙い撃ちとも思える『家宅捜査』は、ネット規制法を利用して起訴にでも持ち込み、できれば廃刊に追い込む作戦ではないだろうか、とこちらの方が心配になって来る。

私の杞憂であれば良いのだが・・・。(田舎親父)

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