« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月31日 (火)

除染工程表は出たが・・・

 先日、政府は原発事故に伴う除染作業の工程表が発表した。2年後の平成26年3月末までに、年間被曝線量が50ミリシーベルト以下の地域の除染を終えるとしているが、またまた口先だけのその場凌ぎのように思えてならない。

工程表では、原発周辺の『除染特別地域-』被曝線量に応じて3つに分類し、年間被曝線量が20ミリシーベルト以下の『避難指示解除準備区域』では今年3月から除染に着手し、20~50ミリシーベルトの『居住制限区域』は、今秋ごろに除染を本格化させ、住民が帰還できる20ミリシーベルト以下に放射線を低減させるとうたっている。

50ミリシ-ベルト以上の高濃度の汚染区域については、『帰還困難地域』という定義漬けはしているものの、除染時期については触れていないのは、もはや人間が住める区域ではないとの認識か?・・・。

それにしても、何と線引きが好きな民主党政権である。放射能の拡散を科学的にシュミレ-ションできるシステム(スピ-ディ)を持っていたにも関わらず、そのデ-タを意識的にひた隠し、単に同心円で線引きしたことによって被害を拡大したことにも謝罪の一言もないのにも怒りが吹き上がるが、自分たちの都合の良い理由をつけて、何度も線引きを変えることに対して反吐が出るほどの悪意を覚える。

時代小説ではないが、東電はもちろんアホカン内閣の閣僚はじめは隠蔽に関係した輩は『市中引き回しの上獄門』に値するほど悪質だが、何の力も持たない国民には、その言葉さえ突きつけられないのが情けない。

それはともかく、今回打ち出された方針は、避難した住民の帰還を早く実現させるために、最も低い20ミリシーベルト以下の地域を最優先に除染する方針だそうだ。

そこを最重点に除染して、より安全な地域にして住民を帰還させるという方針は、一見正しいように感じるが、あまりにも広範囲にまき散らされた放射性物質を、どのようにして除染し、汚染物質をどこに処理するのかも全く明らかにされていないのでは、避難住民にとっては、除染・除染との掛け声だけが頭の上を通り越しているように感じるのではないだろうか。

先日、事故担当相が、福島県知事に恐る恐る『福島県内に中間貯蔵施設を・・・』と申し入れたとのことだが、即刻、その候補地とされる町村長は『絶対反対』を打ち出しており、全く話は進んでいない。

狭い日本では、広範囲に人が住んでいない地域は皆無。ほぼ放射能汚染の心配がないとされている大津波による瓦礫ですら受け入れできないとなると、明らかに放射能で汚染された物質の中間保存施設建設に同意する自治体などいるはずもない。

汚染土壌の行き先が決まらなければ、除染作業など進むなど絵に描いた餅。よしんば、何らかの方法で汚染物質を一時的に保管することができたとしても、人里離れた周りの山から放射性物質が流れてくるのは防げない。これではいつまでもいたちごっこが続くことになる。

また、地下水を生活用水に使っている地域では、山全体を除染しない限り、自宅の周辺だけ除染されても住めないことも間違いない。すでに、そのことを見越して、若い世代は『帰らない』という人が圧倒的多数だという。新たなコミュニティーの構築など夢のまた夢となると、高齢者たちの間にも『戻りたくない』という声も広がるのもうなずける。

現在行われている除染の方法は、水で流したり表土をはぎ取ることしかないようだが、はたしてそれ以外の方法がないのだろうか。ここまで科学が発展している現在、トンデモナイ知識と知恵を持っている人もいるのではないだろうか。

実際に福島県が除染の入札を行ったところ、同じ面積あたりに換算して、最高が2億円に対して、最低では1600万円だったとのことに注目している。

国と福島県は、緊急にどこか違うのかを精査すると同時に、業者や専門家たちの公開討論会の場を設けて、効果的な除染の技術を早急に『官・民・学』の知恵を結集して開発を急ぐこと意外に展開はないのでは・・・。(田舎親父)

2012年1月30日 (月)

1万円やるから我慢しなよとは・・・

 消費税10%は自民党のアソウ内閣の時に打ち出された数値である。根拠が曖昧だったこともあり国民の賛同が得られず、『消費税値上げの前に徹底的な無駄を省く』という民主党の言葉にコロリと騙されて、政権交代がなされたことは私がいまさら申し述べるまでもないが、10%では足りずさらに7%を上乗せするということを、罪悪感もなくサラリとした顔で民主党の幹部たちが言い出しているのには呆れてものが言えない。

そのことは別に取り上げることにするが、今国会に2014年4月に消費税率を8%に引き上げる案の提出を決めたという。それはともかく、またまた国民を騙す薄汚い手口を考えているらしく、その一つとして低所得者に現金を支給する方向で検討を始めているというから、なんて品のない集団に成り果てたのかと軽蔑の念が強くなる。

その金額は年間1万円なのだそうだ。『1万円やるから増税に反対するな』といったところに加えて、『次の選挙でもよろしく』というダメ-ジの軽減の思いがすけて見える。

1万円の支給対象は、個人住民税や所得税の課税が免除される数百万人だというが、消費税を上げられたら、予想していた額とはかけ離れた少なさに驚いている私のような年金生活者なども含めて、その日から生活に支障が出る人々の数は物凄いものがあるはず。ここまでの露骨さを見せつけられたら、批判が集中することは間違いなかろう。

何度も繰り返しているが、我が国における消費税は、所得に関係ない(タテマエとして人権に)『平等』にかけることが大原則にしているので、食料品から贅沢品に至るまで、全ての物品にかかる税。当然なことながら低所得者には重い負担になる。

社会保障のためには莫大な予算が必要だということは十分承知している。消費税の必要性も否定していないが、タテマエの人権に平等というシステムでは、格差が広がることは目に見えてくる。実際に我が国において消費税が導入されてから格差が広がり、そのことが原因で様々な不合理が生まれ、社会の歪みが顕著に進んでいることは近年の歴史が証明している。

消費税率が20%以上というヨ-ロッパの国では、低所得者に重い負担となる食料品や教育費には課税していない。政府・財務省は手続きが面倒だとか、そのためのシステム作りが難しいなどと逆進性を解消する努力をはじめから放棄しているが、ヨ-ロッパ諸国でできて日本ができない訳はない。

あまりにも策がない(下劣な発想の)民主党に呆れ、これ以上文章が進まない。今日はここまで・・・。(田舎親父)

2012年1月29日 (日)

岩手県教委の方針は正しいと思うが・・・

 大川小学校の悲惨な事故は人災だと断定しても過言ではないが、石巻市の教育委員会の態度は責任回避としか言いようがなく、対応の遅さはもちろん誠意のない説明会に怒りを通り越して呆れすら覚える。

このことは先日述べたが、岩手県教育委員会は『津波警報が発令された場合、学校にいる児童・生徒は迎えに来た保護者に引き渡さない』という災害対応指針を打ち出したことに注目したい。

最近の教育現場では、避難訓練が義務づけられていることはもちろん、親への『引き渡し訓練』も年間通して1度程度実施している学校がほとんど。その計画書を見ると、例外なく『安全確認ができたら引き渡す』との文面が入っているが、実際には校庭に集合させた段階で『安全確認』はできたと判断し、名簿で引取人を確かめて児童を渡すという『行為』だけが前面に出ることが多い。

しかも、事前に訓練のある日は親に知らされているのだから、殆どの親は子どもが避難する前に、校庭で待っているのが現実。こんな訓練が実際の非常時に役立つとはとても思えないのだが、必ず『月一回の避難訓練(年一回の引き渡し訓練も)』が義務づけられているのだから、さほどの緊迫感がなくなるのも・・・これも現実。

津波の心配のない周りが開けた地域なら、これでも問題はなさそうだが、津波の危険性がある地域や大都会では、どの時点で『安全確認』と言えるのかという問題は以前から一部では指摘されているが動きは鈍く改善には至らない。

その意味では、岩手県教委が出した今回の方針は、『安全確認』の判断基準があいまいだったことを見直すという意味では大きな前進。今回の大津波では、学校側の避難誘導に従って避難した場合、犠牲になった子どもがゼロだったのに対し、引き取りに来た保護者と下校して犠牲になった子どもが多くいたという事実に基づいた改善だというのも評価できる。

新指針案は『津波警報の発令や崖崩れなどの二次災害の恐れがある場合は保護者へ引き渡さずに学校で保護する』とある。また『津波注意報の場合は、地域の防災施設の状況などを加味し、引き渡すかどうかを校長が判断する』との方針はうなずける。

私はずっと言い続けているのだが、歴史のある小学校は全国ほとんど例外なく、その地域で一番日当たりが良く、水に不自由しない高台に建てられている。海岸線で迫った地域でも、平野が少ない山間であっても、小学校に広い平地を提供しているのが、わが国の際立った特徴の一つである。いわば、小学校はその地域の一番安全な場所に建てられているといっても間違いない。

大都会でも小学校が一番安全だということは、阪神淡路大震災においても、小学校にはほとんど被害はなく、避難所として多くの被災者を受け入れたことでも証明されている事実から、(最近学校建築の耐震度が問題にされているのは、手抜きがばれないために慌てているのではと皮肉っているのだが・・・)小学校は普通の建物よりはるかに安全に設計・建築されていることを知るべきだろう。

岩手県教委の方針はそのことを踏まえてのことだろうが、一番安全な場所に避難しているのに、安全に不安を抱える家庭に子どもを渡すのは学校の責任回避。完全に危険が去るまでは、学校が責任持って預かるのが児童の生命を守る最善の手段という考え方が広がってほしいと願っている。

ただ、大川小学校のように校長が不在で教頭も含めて教員がウロウロし、親にも引き渡さず間違った方針を出して何にもならない。学校における本当に必要な避難対策は、単に避難の時間競争することではない。子どもを単に校庭に誘導し並ばせ、待ち構えている親に引き渡すことでもない。

最も大事なことは避難訓練に対する学校としての意識であって、日頃からの危機管理を校長はじめ教職員の共通理解事項として『学校が一番安全』だという考え方の徹底であり、津波の危険性がある場合は、今回の大津波の1.5倍程度を想定し、段階的に避難場所を確保すると同時に、そこに誘導する場合の(校長が不在であっても)学校としてブレない命令系統を確立しておくこと。大都会の場合は、『津波』を『建物の倒壊は交通渋滞』と置き換えれば良い。

そし、もっと大事なことは、その意識を今後も『持ち続けること』であることはいうに及ばない。(田舎親父)

2012年1月28日 (土)

保坂世田谷区長にエ-ルを・・・

 東電社長の『電気料金を値上げするのは電力会社の権利だ』との傲慢不遜の発言には驚くというか呆れるが、そんな自分勝手な体質を許して来たのが、長年政権を独占してきた自民党と官僚たちであることは明らか。

政権交代で、悪の連鎖が断ち切れると期待していたが、原発事故以来、民主党のとってきた政策は自民党政権以上に官僚指導の中で原発推進政策は強まり、原発事故対応においては(東電の意を酌んだ)官僚主導の責任逃れは露骨さを増している。

電力会社はそれぞれの地域で発電と送電を独占している、いわば競争相手が全くない独占企業。一応タテマエとして、電力を自由に販売できるシステムはできているようだが、実際は送電線を握っている電力会社の『使用許可』が必要だというから、自由化は形だけといっても過言ではあるまい。

昨年の夏の節電の時も、発電能力のある業者は数多くあったのだが、その発電も政府の『節電命令』でできず、電力不足に輪をかけたというのだから、『節電命令』は東電の嫌がらせを、政府が法律で支援したと言っても決して大袈裟ではない。

原発事故の原因解明も全く進んでいない中、東電は電力料金を値上げるという中、(せめてもの抵抗だろうが)世田谷区が新年度から区役所庁舎や区立小中学校など111施設で使用する電力について、競争入札を実施する方針に大拍手を送りたい。

世田谷区はこれまでは東電のみから購入していたが、原発事故で電力供給が不透明になる中、供給体制を多様化するというねらいがあるとのこと。23区では初めての試みだというから、注目されるのではないだろうか。経費削減もねらいになっているという。実際に(例えわずかでも)経費削減につながれば、世田谷区に続く区も出てくるはず。

東京23区は、社会に対しては全国どの自治体よりはるかに大きな影響力を持っているだろうから、東電もよもや送電線を使わせないとは言い出さないだろう。入札は二月下旬に行い、電力自由化で参入が進む『特定規模電気事業者(PPS)』に参加してもらうとい。

PPSというのは電力自由化に伴い、一定以上の電力を発電し供給できる能力のある会社などのことだが、調べてみるその数が意外に多いのにも驚かされる。もっとも、太陽光発電を行っている(私の知っている)著名な会社の名前がないのは気になるが・・・。

この記事によると、電力の入札は、都内では立川市や国立市などが導入しているのだそうだが、迂闊なことながら知らなかった。世田谷区は電力使用量の多い区役所本庁舎や支所、区民会館、小中学校などで導入し、東電の料金が割安な夜間電力が多い老人ホームや体育館などは経費削減につながらないため除外するというところなども周到な計画であることが伺える。

競争入札によって、年間6億7千万円の電気料金の3%にあたる2千万円の削減ができると見込んでいるという。さらに東電が事業者向けの電気料金を値上げした場合、値上げ分を含めて1億1千万円の節約になるというからなかなか抜け目がない。

保坂区長は『リスクのある原子力への依存から脱して、再生可能エネルギーへシフトする流れがある。電力は一社独占体制が強いが、入札で経費削減と電力制度の改革を促したい』と話しているとのこと。この区長は社民党の議員時代から骨がある議員と評価し、注目していたので、きっと東電と互角にやり合うだろうと期待している。

PPSに算入していない業者以外にも、企業の余剰電力を買い上げる事業者や、自前の発電施設を持つ事業者も数多く、原価計算的には東電よりはるかに安く供給できるのだそうだが、送電線が使えないためにその電力が無駄になっているという。

(本当かどうか疑わしいが)この政権は東電の国有化を目指しているという。ならば、まず東電の発電と送電とを切り離し、まずは送電部門を国営化し電力供給企業に開放して、互いにサ-ビス競争を前提とした電力の自由化を進めるべきである。

23区はもとより首都圏の大きな自治体が世田谷区に続き、そして近い将来、原発に頼らない電力の安定供給が可能な社会になることを、心から願う。(田舎親父)

2012年1月27日 (金)

大川小学校の説明会に思う・・・

 去る22日、東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となっている石巻市立大川小学校の保護者に対し、石巻市教育委員会の説明会が開かれた。実に7ケ月半ぶりの説明会だとのこと。

席上、教育長が学校の防災体制の確認を怠っていたとして『犠牲の背景には、学校や教育委員会に防災上の不備があり、人災の面も否定できない』と、初めて公式の場で責任を認め、謝罪したという。

情況から、完全な『人災』であることは明らかなのに、『人災の面も否定できない』とはまさにお役所言葉。これを謝罪と受け止めて報道するマスコミにも違和感を覚えるが、たったこれだけの文言を口にするまで、1年近くかかったということが、いかに責任逃れの方法を考えていたことを如実に現している。

この説明会には、被災当日出張で不在だった校長も同席し、『職務上の怠慢があったと言われても仕方がない。本当に申し訳ない』と謝罪したと報じられている。多分、最近毎日のように繰り返されている、不祥事に対して組織の責任者が立ち上がって、深々と頭を下げるパフォ-マンスがこの席でも行われたことは想像に難くないが、子どもを奪われた保護者の悔しさは、こんな実のない言葉と恒例の『頭下げ』では、納まるどころかさらに増したのではないだろうか。

被災当時学校にいた教師と事務員は11人。その中でたった一人、津波から逃げ果せた教員について、私は『この40代の男性教師は一生重い心の傷を背負って教壇に立つのかと思うと気の毒になるが、今回の学校の対応に対する検証には唯一の証人なのだから、なぜ校庭で児童を30分以上も並べて待機させたのか、その指示はどこから出されたのかは、保護者からの要望書がなくても明らかにする必要はある』と二度書いた。

そして、『この教師は徹底的に市教委の監視下におかれ、外部との連絡は絶たれているのではないだろうか。復職など思いも寄らぬことでは・・・。ひょっとして、しばらくして病死などの記事が地方新聞の片隅に載ることがないことを祈らずにはいられない』とも書いたが、その教師は予想通り(?)現在でも休職中(病院に隔離か)で、保護者など外部との連絡は一切絶たれているようだ。

この教師が、昨年6月に、保護者と柏葉校長あてに書いた手紙があるという。確か、前回の説明会は8月だったはずなのに、その時には、その存在などには一切触れず、今回全文を保護者に配り全文を朗読したというのも、何か意図的なものを感じてならない。

手紙の全文はネットで調べても出て来ない。映像ではその手紙はA4で3枚。何故か、黒塗りの部分がかなり目立つのも気になる。

マスコミ記事によれば、手紙は『私が出向いて直接、お話ししなければならないのですが、精神を病んで混乱しており、伺うことができません』という断りから始まり、津波がくるまでの状況を説明している。『子供たちが校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての教室、トイレを含めて残留者がいないか確認しました。開かないドアがあったりして全部回るにはかなり時間がかかりました』と、自分のやっていたことについて詳しく書かれているらしい。

しかし、実際に津波がくるとわかったとき、教頭に『津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか』と聞いたが、教頭は何も指示しなかったとある。悪意を持って推察しているわけではないが、何か、教頭を悪者にしているように思えてならない。

まさか、『死者に口』とばかり教育委員会と校長が、教頭の言動を前面に出して保護者の追求をかわしているとは思いたくないが、手紙のあちこちには『教頭』の頼りない姿が浮かぶ文章になっていることが気になる。

4月に、この男性教師から震災当時の状況を聴取した際の証言メモを廃棄していた教育委員会の姿勢を考えると、この手紙の文面にも誰かの明確な意図が潜んでいるのではないだろうか。

人権問題があることは十分承知しているが、74人もの児童の命が、教師たちの明らかなミスが失われた前代未聞の大事件であることを考えると、この教師を保護者から隠すのではなく、(例え精神的に支障があっても)保護者の前で証言させることが何より必要だと思うのだが・・・。

さもなければ、『言い訳だけで、無責任。子供たちの命を守るという教育現場の危機感のなさにがっかりした』という怒りや『これでは学校の怠慢のために子どもたちが殺されたようなもの。まさしく人災だ』との怨嗟の声は納まるどころか、大きくなるだけ。

学校に対する信頼を取り戻すためにも、教育委員会はもっと踏み込んだ説明会を開催することを望んでやまない。(田舎親父)

2012年1月26日 (木)

学校を混乱させる柔道と英語

 中学・高校での柔道の練習中で死亡や、重大な障害を残す事故が続いている。死者の数だけでも、1983年から2010年の28年間で実に114名にも上るという。単純に計算すると、1年あたり全国のどこかで柔道の練習中に4人が死亡している割合になる。これは常識的には信じられないほど凄まじい数である。

新指導要領によって今年の4月から中学校の保険体育に武道が必須になる。武道とは柔道・剣道・相撲の3種を指し、その中から学校が一つ選択するという内容であるが、剣道の防備は揃えるだけで膨大な予算が必要になり、相撲は校庭のどこかに土俵を作らねばならないとなると、柔道着だけを準備したらはじめられる柔道を選択する学校が多いのは当然だろう。

スポ-ツにはある程度危険が伴うことは理解できるが、柔道が特に危険なことは数値が示している。これだけのリスクを抱えて学校で生徒全員に柔道を履修させる必要があるとは思えないが、自民党政権時代に『教育改革』という名のもと、子どもの体力低下やモラル欠如をただすという理由で、指導要領を改定して折り込まれたもの。

武道を必修とすべきかどうかは身体の発育度や危険性も含め、もっと議論されてもよかったはずだが、民主党を含む野党も必死で反対していた記憶がない。自民党や文科省は『先生が十分に研修を積めば指導できる』と簡単に片づけているのは、今年から必須になり全国の小学校を混乱させている『英語』と同じである。もっとも英語の学習で死者が出ないだろうが・・・。

現在は部活で行われているが、それでも昨年6月、名古屋市の市立高校で1年生男子生徒が乱取り稽古で投げられた際、畳で後頭部を強く打ち、翌月死亡。9月には三重県の県立高校では2年生男子生徒が寝技をかけあう練習中に首の骨を脱臼し、現在も首から下がまひした状態で入院しているという。

部活というのは生徒の選択で選べるのだから、柔道部を選んだ子どもは、一応自分が柔道をやりたいと思う気持ちがあったはず。しかし、必須となると柔道など全くやる気のない生徒でも、単位修得のためには嫌々ながら柔道着に着替え、体育担当の先生の指導を受けなければならなくなる。

体育教師が全て柔道に堪能かというとこれまた疑わしい。むしろ、大学で単位をとるために柔道を学んだ程度の教師が多いのではないだろうか。やる気のない生徒と指導技量の低い教師となると、事故が起きる可能性はさらに大きくなることも十分考えられる。

事故が続き、指導要領の問題点に気づいたマスコミが最近になってこのことを大きく取り上げるものだから(小学校の英語は取り上げないのも不思議だが)、文科省も放置できなくなったらしく、初めての指導に不安を持つ体育教師をサポートするには、武道の専門的技能がある警察OBの協力が有効と判断し、動き出したという。

このことも、英語の指導に不安を持っている(指導できないのが当たり前なのだが)小学校の教師に対しての支援として、ALTを各学校に派遣するやり方と同じ。準備期間を十分設けて、指導者としての教師の能力技能を習得させることを考えず、できないのなら外部から補充するという安易さはいただけない。

こんなことは折り込み済みで、文科省と警察関係者、あるいは全国柔道(剣道・相撲)連盟という組織とのデキレ-スではという専門家もいるらしいが、(なるほどと納得したくはないが)これとて頭から否定できるだけの資料はない。

柔道を指導することが悪いとは思えないが、何故全員に柔道を強制するのだろう。今後不適切、不十分な指導がないとは断言できず、不幸に子どもたちの命が奪われる確率は決してゼロではないはず。

万が一、事故がおきれば文科省の言い訳は、いつも通り学校の指導体制不足という責任逃れのセリフの連発は十分予測できる。

たった10時間の柔道の指導で、子どもたちに何を教えられるのだろうと考えると、またまた学校にとって受難の種が加わってしまったと言わざるを得ない。(田舎親父)

2012年1月25日 (水)

国民の安全など二の次・三の次・・・

 先日、大飯原発のストレステストの意見聴取会で、市民を会場から閉め出し混乱した会場の様子をテレビのニュ-スが報じていた。詳しい事情は分からないが、傍聴席で騒いだから締め出したというのではなく、混乱する可能性を排除するという理由だったようだ。

これはいただけない。基本的には議論の場そのものを公開し、傍聴席でのル-ルを徹底すれば、議事に大きな障害が出ることはないはず。よしんば、それでも騒ぐ場合には強制的な排除という対応をすればすむ問題で、始めから傍聴を拒否する今回の対応は、保安院にとっては『後ろ暗い議論』を知られたくなかったからと受け止めている。

ストレステストという言葉も取ってつけたように突然現れ、それが原発再稼働のキ-ワ-ドになっているが、(間もなく1年になろうとしているのに)未だに原子炉内部すら全くわからない現状では事故収束にほど遠く、あれほどき重大な事故の教訓を今後にどう生かすための意見聞取会であるべきだのに、やっていることはその逆ばかりでは、安全性を無視してまでも原発再稼働を急いでいるとしかとれない。

しかも、その聞取会を行ったという事実を基に、経産省の『原子力安全・保安院』は、関電が提出した、大飯原発3、4号機の安全評価(ストレステスト)を『妥当』と評価したことは、誰が見てもデキレ-スとしか映らない。『結論ありき』の茶番劇。

保安院が妥当とした関電の評価によると、設計上の想定より1.8倍大きい地震の揺れや4倍大きい11.4メートルの津波に襲われても炉心損傷には至らないのだそうだ。全交流電源が喪失し熱の逃がし場がなくなった場合でも炉心は16日間、使用済み核燃料は10日間、損傷までに余裕があるという結論らしい。

設計上の想定より1.8倍の揺れと4倍の高さの津波というが、その想定は福島原発事故が起きる前の数値であり、事故の全容すら全くわからない現在では、この数字の持つ意味はゼロに等しい。少なくとも事故の原因が究明された時点で出された基本の数値の何倍というものではならないはず。

しかも、どんな地震や津波にどれだけ耐えうるか、全てのデ-タはコンピューターによる解析に基づいて関電が出した数値である。早い話、都合のよい問題を自分でつくり、自己採点して合格したことにしたというところ。

『これなら安全』という、大本の想定数値を変えれば、結果が大きく違ってくるのは素人でもわかる理屈で、福島原発の教訓は全く生かされていない。想定外という言葉がいかに危険だということを学んだはずなのに・・・。これでは信頼できるはずがない。

さらに最近になって、福島第1原発の原子炉データを国の原子炉監視システム(ERSS)に送信する装置の非常用電源が外れたまま放置されていたという『安全に関する基本中の基本である監視体制』を全くやっていないことが明らかになったが、この件についても保安院と東電が責任のなすり合い。

これは、非常用電源と送信装置をつなぐ接続ケーブルの長さが足りずにシステムそのものが動かなかったという事実なのだか、まさに呆れるばかり。保安院は、東電が送信装置を誤った場所に設置したのが原因であると東電の責任をことさら強調するが、保安院の原子力保安検査官が設置工事に立ち会っていたのに、未接続に気付かなかったというからお粗末過ぎる。

いや、それどころではない。システムが動かなかったのにずっと気がつかなかったというから、監視などは全くせず、東電の報告をそのまま鵜呑みにしていたとしか考えられない。

こんな事実を明らかになるのは、保安院は始めから全くチェック機能を持たない、単に原子力政策を進めるための御用機関だったいうことは明らか、なのに未だに保安院がストレステストの結果に対して、安全が保証されたという『妥当』とは、国民を徹底的にバカにしている証左。

四月に『原子力安全庁(今朝の新聞では規制庁とするらしい)』が発足するというが、所詮、保安庁から規制庁と名前を変えただけで、国民の安全を第一と考える組織とはほど遠いような気がしてならない。(田舎親父)

2012年1月24日 (火)

蜘蛛生糸はすでに日本人が発明・・・

 10日ほど前に『蚕が蜘蛛生糸を作る』という話題を提供したが、蚕都上田の情報発信をされている大学の先生から『この話は、つい最近、ネットでも話題になっている米ワイオミング大学による研究チームのスパイダーシルクのことと思います。スパイダーシルクは、信州大学繊維学部の中垣先生から何年も前から研究開発しています。研究の内容の違いを知りませんが、先日のニュースは、中垣先生の先行研究を差し置いて、何で今頃? あれあれ? という感じです。』とのコメントと、古い記事ですがとのお断りをつけた上で下記のサイト(http://blogs.yahoo.co.jp/hotcreationjp/50814597.html)をご覧くださいとのメ-ルをいただいた。

早速開いて見ると、2007年12月6日付けの『まことのフォト日記』というサイトで、『時の人、絹糸にクモ糸を混ぜスパイダーシルクを完成させた、中垣雅雄教授』という表記で、信州大学の中垣教授がモ糸由来のタンパク質を含む絹糸(スパイダーシルク)で作られた靴下を持つ映像が紹介されている。

『まこと』さんと『中垣教授』の関係はうかがい知れないが、(映像は省略するとして)文面を拾うと、『映画スパイダーマンでもご存知のように、クモ糸は非常に丈夫で、クモ糸を直径1ミリに束ねたとすると、人間1人を充分吊り下げられるといいます。クモ糸は、魅力的な繊維であるのに、量産が難しく利用されていません。それはクモが肉食で、生きた餌しか食べず、しかも大量飼育しようとすると共食いをしてしまうのです。

また、1匹から連続して採れるクモ糸の量は多くありません。そこで中垣教授は、クモの糸を作る遺伝子をカイコの卵に注入し、成長したカイコが吐き出した糸でスパイダーシルクを作りました。現在のところクモの糸の成分を約10%含有。強度や伸縮性は、まだデータにばらつきがあるが、従来の絹糸より丈夫で柔らかいといいます』ある。

すでに5年も前に、『蜘蛛生糸』は『スパイダ-シルク』として日本人科学者の手によって生み出されていたことに驚くとともに、『中垣先生の先行研究を差し置いて、何で今頃? あれあれ? という感じです』というご指摘に深くうなずく。

これはもう少し知らねばならないと思い、『スパイダ-シルク』で検索すると、2009年1月1日付けの読売新聞の『糸を紡ぐ「座繰り機」に巻き取られた糸は余りに細く、かすかな光の線のように見える』という表題の記事を見つけた。少し長くなるが、変に要約するよりと思い、そのまま引用してみることにする。(引用はじめ)

信州大繊維学部教授の中垣雅雄さん(59)が開発した「スパイダーシルク」は、クモの糸の成分を1割含む絹糸。鋼のワイヤ並みの強度という絹糸の特徴に、クモ糸の伸縮性を併せ持つ。

名古屋市生まれの中垣さんは繊維学部に入学して初めて、蚕と桑畑を見た。長年にわたって人間に飼いならされた蚕は自力で餌を探すこともできず、交尾も人任せ。「こんな生き物が地球にいたのか」というショックが、研究者としての原点だ。

繊維学部の前身は、1910年(明治43年)開校の上田蚕糸専門学校。養蚕や製糸の指導者を養成し、全国の蚕糸産業をリードした。だが、近年は研究テーマが細分化。98年、全国でただ一つの繊維学部としての特色が薄れてしまったという反省から、もう一度、学部全体で繊維にこだわってみようということになった。

元々、蚕の遺伝や病気などが専門で、生物学的アプローチをしていた中垣さんにとって、繊維は縁遠いものだった。

ヒントを求めて、「シルク」に関する最新の研究論文を検索するうち、「スパイダーシルク」という言葉に出会った。クモの糸で、防弾チョッキを作れないかと、海外の軍事産業の研究者たちが研究を繰り広げていた。しかし、動きの早いクモは扱いにくく、糸を大量につくらせることも難しい。

蚕に作らせてはどうだろう――。蚕は1匹で最長1500メートルもの糸を吐く。ジョロウグモから遺伝情報の入ったRNA(リボ核酸)を抽出し、クモ糸をつくる遺伝子を特定した。その遺伝子を蚕の卵に注射すると、蚕が吐く糸に、クモ糸の成分が含まれるようになる。クモ糸の成分の割合を徐々に高め、2007年12月、スパイダーシルク開発成功を発表した。

今は、奈良県の靴下メーカーと協力し、商品化を目指している。10年までという目標が定められているので、蚕が育たない冬場も休む訳にはいかない。使われていなかった飼育室に暖房を入れ、石垣島から桑の葉を取り寄せ、蚕を育て、データを集める。

「蚕は人が面倒を見てやらないと、生きていけない。長年お世話になってきた日本の蚕を絶やさないために、新しい『仕事』を見つけてやりたい」という。(引用終り)

すでに日本ではすでに5年前に完成していることを、2年も遅れて新聞が取り上げたのか疑問だが(それを見逃した私も迂闊)、アメリカ人が作り出した『クモカイコ』の話題の方が騒がれるのは、(悲しいことながら)未だに日本の世論が日本よりアメリカの方が全てに優れているという潜在意識を持っているのかも知れない。

それはある意味あり得ると思いながら、人間の限りなき欲望の末に作り出された蚕に、新しい仕事を与えようとする、(遺伝子組み替え技術には?はつくものの)中垣教授のような研究者が存在することには心強さを感じる。

中垣教授の研究がどこまで進んでいるかはわからないが、研究が順調に進んでいて間もなく、蚕が本物?の蜘蛛の糸を吐き出し、100%のスパイダ-シルク(蜘蛛生糸)が生まれることも可能性が高いことを期待しよう。

しかし待てよ、理論的には1ミリの100%のスパイダ-シルクの糸一本で60キログラムの人間もつり上げられるという驚異的な強度を持つ繊維が、戦争の道具に使われたらどうなるだろうと想像すると背筋が寒くなる。

どうか、平和目的のみに使われることが許されるというソフト部門の研究も並行して行われますように・・・。(田舎親父)

2012年1月23日 (月)

料金値上げは電力会社の権利とは・・・

 社長が記者会見で『電気料金の値上げは権利』と、この時期としては常識では考えられないようなビックリ発言をした東電は『4月から企業向けの電気料金を平均17%引き上げる』と発表。やはり本性を出してきたなと呆れるとともに怒りが込み上げる。

原発が動かせなくなり火力に頼らざるを得なくなったことは理解できる。が、東電はそもそも今回の原発事故は『人災』と断定しても過言ではないことを自覚しているのだろうか。家も職も奪われて、避難生活を強いられる被災者を目にしながら、前社長に5億円もの退職金を支払ったことや、昨年末の社員にほとんど例年と変わらない額のボーナスを支給するなど、その体質の甘さは全く変わっていない。『ずうずうしいにもほどがある』と大きな批判が出るのは当然である。

東電によると、4月からの企業向けの値上げ対象は大口の契約先で、標準的な大規模工場では18・4%増。月額で計算すると約619万円増で、年に換算すると約7428万円の負担増になるという。百貨店などは18・1%で月約413万円増(年約4956万円増)、中小スーパーなどは13・4%で月約9万円増(同108万円増)と、実に細かい数値を出している。

製造業や流通業界にこれほどの痛みを押しつけながら、パチンコ業界などには全く触れないのも変な話であるが、(それは別に話題にするとしても)これでは、今でも不景気風が蔓延しているのに、日本の経済が大幅に落ち込むことは間違いなさそう。

ある新聞に『値上げするなら、役員や従業員が何カ月もただ働きして、こちらが同情するくらいまで切り詰めるべき。(経営陣の)会見をみると作業服だけど、その下はいい服を着ているようだし、腹が立つ』と、経済界の大物が吐き捨てたとの記事があったが、その気持ちは私も全く同じ。恐らく国民全てがもっているに違いない。

企業向けの値上げを発表した数日後、これも予想通り家庭向けの電気料金の値上げを、堂々と宣言するに至っては開いた口がふさがらない。

家庭向けの電気料金は国の認可がいるのだが、経産省は『電気料金制度・運用の見直しに係る有識者会議』が立ち上がり、2月にも料金算定をまとめるというから、すでに裏では国と東電は値上げで合意しているとしか考えられない。

試算では、標準家庭の電気料金を約6800円とし、15%の値上げと仮定すると、月に約1000円増となり、年では1万2000円のアップになるというが、オ-ル電化どころかエアコンもあまり使用しない超エコ生活の我が家でも、先月は7200円余だったから、標準家庭の算定に疑問が残る。実際の値上げ幅はもっと大きいだろうから、家計に与える影響は計り知れない。

不景気風が吹き荒れる昨今、失業率が年々高くなり、働く場を失っている人が多いという話題は満ちあふれている。自殺者は今以上に増えることも考えられる。治安が悪くなり、現在でも毎日のように報じられている凶悪犯罪が増えることは確実だろう。

東電の原発の大半が稼働停止に追い込まれているため電気代値上げは『やむを得ない』という声もあるそうだが、そんな声を上げられるのは生活に余裕がある人々に違いない。そして、原発停止は東電だけの話ではなく、4月には全ての原発が止まる事態となると、沖縄電力を除く原発を保有する全電力会社も値上げに追随するだろうから、全国で怨嗟の声が吹き上がるのは間違いない。

イラン情勢も緊迫している現在、石油資源を持たない我が国が、このまま産油国から安定した輸入の保証はない。むしろ、天然ガスを含めたエネルギ-原料は、値上げ傾向が続くことだけは、灯油を価格(数年前は18リットル1000円以下だったが、今年は1800円程度をウロウロ)を見ても明らか。

綺麗なエネルギ-とあれほど宣伝して原発を押し進めたのに、石油に戻すから値あげとはあまりにも情けない。せめて、国民のエネルギ-を提供している豪語している会社であれば、原発に変わる(石油に頼らない)発電方式を提案し、将来的なビジョンを示すべきだろう。

しかし、東電にはそのビジョンなどは全くなさそうだ。しかも体質を変えることは不熱心。当面の値上げで誤魔化し、中長期をにらんだ電力供給の将来像を示さぬ姿勢には強い怒りを覚える。(田舎親父)

2012年1月22日 (日)

少し早過ぎるのでは・・・

 原発事故で庁舎も県内の郡山市に避難している川内村の組長さんが、放射線値が下がっているので生活に支障がないという判断し、原発事故で避難している村民に対して帰村を促す『帰還宣言』を出したというニュ-スに強い不安が湧いてくる。

記事によると、放射線は村の一部を除いて年間1~5ミリシーベルトにとどまり、安全性が一定程度確保されていることから、役場機能を村内に戻し、除染や生活基盤整備も進め、村民が帰れる環境を整えるのだそうだ。『戻れる人から戻ろう・・・』という考え方で帰村を促すという姿勢で、強制的な措置はとらないとの姿勢は評価したいが・・・。

川内町と聞いてもどのあたりなのか見当がつかないので地図で調べてみた。福島原発から西南西にあたる地域に広がるこの村は、東部の面積の3分の1が警戒区域、残り3分の2の西部が緊急時避難準備区域(昨年9月30日に解除)に指定されたという。中心部は西部にあるのだそうだ。

現在の放射能分布の地図をみると、確かにここは線量が比較的低いことがわかる。津波による被害もなかっただろうから、道路などのインフラは確保されていることも考慮すると、組長さんの『帰還宣言』も理解したくなる。

先行きへの不安はあるが、生活復旧や除染に対して『やらない理由』を並べても解決にならない。様子を見てから戻りたい村民の事情も酌み、帰還の強制はしないという組長の発言も十分良く分かる。

しかし、口先だけの原発事故の『収束宣言』が出されたとはいえ、未だに原子炉内部がどうなっているかもわからず、今後再爆発の危険性もゼロではない。放射線値は比較的安定しているとはいえ、思わぬところにホットスポットが隠されている可能性もある。もう少し様子を見てからでも遅くないのではという気がしてならない。

村の除染作業は中心部にある役場や小中学校で先行実施されて、放射線量が作業前の3分の1から4分の1に下がっているのだそうだが、本当なの・・・疑りたくなる。他地区でも除染を本格化に進めて、安全性を確認するというが、恐らく周りは山ばかりの山村全域の除染など不可能だろうから村民の不安を取り除くのも難しいだろう。

この村の産業は(恐らく)農業と林業だろうと想像しているが、このまま帰村したとしても、事故以前の産業の維持ができるのだろうか。周辺各地の状態から、杉や檜などの木材にも間違いなく放射性物質が蓄積していることは間違いない。

組長さんは帰村に向け、各地で住民説明会を重ねているという。放射能汚染や生活基盤の確立などに対して、国と協議して対策を進め不安解消を図るというが、国のこれまでのやり方を見ていると、とても本気で村に支援しているとは思えない。

不安があるものの、できれば帰りたいというのが村人の総意だろう。部外者である私でも、その気持ちは理解できるつもり。できれば帰ってもらいたいが、そのためには、組長さんは国との約束事をきちんと具体的に文章化して公開し、村民の不安を取り除くことが先決だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年1月21日 (土)

やはり口先だけだった・・・

 原発事故担当相が原発の運転期間を原則40年に制限することなどを柱とする原子炉等規制法の見直し案を発表したのは新年早々のこと。確か『40年以上の原発稼働は難しくなって』と発言し『40年を期限に基本的に廃炉にしていく。政治判断が入り込む余地はない』と強調したことを記憶している。

『原則』という言葉も使ったような気がする。その言葉を含めて曖昧さはぬぐいきれないが、常識的に解釈して『原発の寿命は40年』とするのが政府の見解だと受け止めていた。それがわずか半月の間に、同じ大臣の口かち出た言葉は『60年過ぎた原発でも運転を続ける場合も有る』と大幅にト-ンダウン。

そもそも政府は、原子炉の運転期間について『40年』を原則として廃炉にすることにしたものの、例外規定としてアメリカの法案を参考に『20年を超えない範囲で1回限り延長を認める』という文言をいれており、担当相がそれに合わせたのだろう。それにしてもどうなっているのかと疑いたくなるような、激しい方針のぶれである。

これで、『40年を超えて運転する場合には、電力事業者の申請を経て環境相の認可が必要』との文言はあるが、そんなものはあってないと同じだろうから、日本では原発の『寿命』は最長?(ひょっとしてそれ以上も)で60年になることが決まったようだ。

このことについて、内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室(名前からして、取ってつけたように作られた部署らしい)『(アメリカが延長しているのだからという理由だろうが)世界的潮流からみて妥当。野放図に延長を認めるのではなく、区切りを付けた』と説明しているとのことだから、この国では(悲しいことだが)国民の安全などはどうでも良いのかも知れない。

以前にも書いたが電力会社は、原発の老朽化を認めていないという。普通、いかなる物品であっても、(人間も同じだろうが)年とともに性能が劣化するのが当たり前。それを『老齢化』と称しているのだが、電力会社は『老齢化』とは絶対に言わず『高経年化』は称している。老齢化するのは原子炉の部品であって、その部品さえ交換すれば、老朽化はありえないという考え方に立っているかららしい・・・。

(私にはとても信じられないことだが)関西電力美浜原発のPR施設には、『老朽化は古くなって役に立たなくなったこと』『高経年化は時間の経過を意味するもの』とあり『安全性、信頼性維持活動を行っている以上、老朽化に至ることはない』との掲示があると、東京新聞の社説にあるが、本当だとしたら、よくもまあずうずうしくこんな標語を掲げるものだと呆れてしまう。

確かにアメリカは1991年に、運転期間を40年から60年まで延長できるよう改めたが、これは科学的にというよりはコスト面からはじいた寿命で、実際には30年を超えると廃炉にするケースが多いという。当然だろう・・・。

今回事故を起こした福島原発は、稼働してから34年~41年以上過ぎたもの。科学者たちの多くが、材料そのものの劣化は避けられず30年か限界だと指摘している通り、40年前と設計思想が違うから安全だと強弁するのではなく、担当相が当初(口が滑ったのかも知れないが)明言した通り、せめて40年を寿命として認め、例外なく40年稼働したものを順次廃炉にし、近い将来には原発に頼らない社会の実現を目指してほしいと切に願う昨今・・・。(田舎親父)

2012年1月20日 (金)

常識では考えられないが・・・

 大阪府の泉佐野市の中学校の校長が、『修学旅行をめぐり、特定の旅行会社に便宜を図った見返りに私的な旅行代の一部を負担させたとして逮捕』という記事に、今どきこんなことがあるのかと驚く。

新聞各社が、『泉佐野市立誠風中学校』と学校名と『相生年繁』という本名まで報じるところから、大阪府警はこの汚職事件がよほど悪質だと見ているようだが、去年退職した校長と、こちらもすでに退職しているらしい旅行社の元社員を今頃になって摘発することに何か違和感を覚えてならない。

記事によると、この校長の逮捕容疑は、校長だった2010年8月ごろ、修学旅行の業者選定に有利な取り計らいをした謝礼などとして、親族も含めた十数人でのハワイ旅行の航空券を受け取り、その際に一部しか代金を払わず、差額の約310万円相当の利益を得ていた疑いだそうだ。

旅行社が修学旅行を請け負った場合の利潤がどれぐらいあるのかは、はっきりとは知らないが、近年、旅行社が300万円もの大金を一人の校長に付け届けしてまで、契約するほど美味しい話ではないことだけは確か。しかも、元校長と元社員という2年前の取り合わせにもなにか釈然としない。

泉佐野市の実態がどうなっているのかわからないが、私の知る限り、修学旅行については、校長会という組織の中に修学旅行を担当する委員会的部署があり、そこが窓口になって教育委員会を交えて旅行先などを決めるのが通例になっているはず。

以前は、時にボス的な校長がそのポストに就くと、ある特定の旅行業者と癒着して、有利な裁定をすることもあったが、今回報道されているようなことは最近ほとんど耳にしない。

(これもまた以前ではという言葉がつくが)修学旅行担当委員会の校長に付け届けや私的な旅行での便宜などという話はあったことは知っているが、付け届けといってもウイスキ-程度、家族旅行も数割程度の割引だったはずだから、額にしてもたかだか数万円。とても300万円も出すなんて考えられることではない。

最近では、東京都のある区のように、保護者から疑惑をなくすという理由で、教育委員会の学務課が入札で業者を決めているのも流行りだというから、泉佐野の今回の報道は時代に逆行している。もっとも、この一律主義が、学校の自主性の育たない理由の大きな用意であることは確かだが・・・。

話は少し横道にそれるが、文科省・総務省・農水省の3省が合同で、(難しい文言を並べているが、要するに)子どもたちを自然の中でのびのびと過ごさせることを目的とした『子ども農山村交流プロジェクト』を立ち上げている。

必要経費を国が負担して『自然体験』を押し進めるこのプロジェクトには大賛成なのだが、文科省のやる気があまり伝わってこないうえに、民主党の得意とする事業仕分けなどで、先行きが怪しくなっているという声も聞こえてくる。

修学旅行という考え方が随分変わり、今では観光目的から、自然の中での様々な体験活動が主流になりつつあるのだから、むしろ文科省が率先して、この『子ども農山村交流プナジェクト』を発展させて、保護者の負担が少なく教育効果が高い『学習』として定着させることを望みたい。

そのことによって醜悪な汚職なる犯罪がなくなれば、一石二鳥の効果が見込まれるのだから・・・。(田舎親父)

2012年1月19日 (木)

どこまで広がる放射能汚染・・・

 汚染土壌首相の『収束宣言』があったにもかかわらず、放射能汚染は納まるどころか、広がる一方。中には、信じ難いような原因で広がっていることに対して、政府は本気でくい止める努力をしてほしいが、伝えられる対策はお粗末そのもの。

福島県の二本松市内のコンクリート3階建て新築マンションの1階屋内部分から、屋外より高い最大毎時1.24マイクロシーベルトの放射線量が検出されたという記事に、こんなことってあるのか・・・と改めて放射能汚染の広がりを感じる。

原発事故当時、同県浪江町の採石場に保管されていた石を使ったコンクリートが発生源らしいとのことだが、あれほど放射能汚染は少ないと見られる大津波で被害を受けた地域の瓦礫の放射能を問題にしているのに、当初から放射戦地が高かった浪江町の石を疑わずに使った業者とそれを許した国や自治体の良識を疑る。

国と自治体は、建築資材の砕石は放射線量による出荷制限はないことから他にも汚染された建材が流通した可能性があるとみて調査を始めたとのことだが、非常事態だったことは認めるが、それにしても誰も疑問を持たなかったのだろうか。

このマンションは昨年7月完成、居住世帯は12。1階に住む女子中学生が個人線量計で測定したところ放射線量が高いことに気がついたとのこと。よくぞ見つけたものだと女子中学生に拍手を送るが、(続報では)通報をうけた経産省の原発事故担当部局はすぐに対応しなかったというから、役所のフットワ-クの悪さは超一流。恐らく、地方紙が取り上げる気配を察して、慌てて対策を講じ出したに違いない。

経産省が調査したところ、放射線量は屋外では毎時0.7~1.0マイクロシーベルトのところ、1階は0.90~1.24マイクロシーベルト、2~3階は0.10~0.38マイクロシーベルトだったというが、かなり高濃度の放射線値のこの場所に新築となると、建築許可の条件には放射線の測定は義務づけられていないことを裏付けている。

例によって担当部局は『避難が必要な値以下で、直ちに健康を害するものではない』としているが、市としては放置できる問題ではなく、1階住民にあっせんする転居先物件を探すと共に、2~3階住民の意向を聞いているのだそうだ。

ここまで書いてきて、ふと何故1階部分だけが汚染されているのだろうという素朴な疑問が浮かんでくる。鉄筋コンクリ-ト作りの建物は(私の知る限りでは)大型のミキサ-が建物の鉄筋を組み込んだ型枠に生コンを流し込むというやり方が多いと思うが、その方法で組み立てた建物なら、汚染はある程度均一になるのではないだろうか。

この場合でも、まず基礎を頑丈に作り上げるから、このマンションの場合は基礎部分だけが問題の砕石を使ったとも考えられないこともないが、それにしても1階部分だけが高濃度汚染ということが何となくひっかかる。

その後の調査で、汚染の原因については、1階に使われたのと同じ業者のコンクリートを使った市内の農業用水路でも周囲より高い放射線量が検出されたとあるから、このコンクリートが主因と判断は間違いなさそうだが・・・。

疑問は残るが、材料の砕石は浪江町の中の『計画的避難区域』になった場所で原発事故前に採取したもので、事故後も現地で屋外に置かれていたものを、二本松市の建築資材会社が4月11日に生コンクリートに加工したものだという。

そして、この砕石業者の浪江町内の事業所は、原発事故後から4月22日の計画的避難区域指定までに、県内の建築資材会社約20社に計約5200トンの石を販売したというから、今後コンクリ-トによる放射能汚染が広がりそうな気配。

続報では、原料になった同じ砕石が、県内の生コン会社2社を通じ、建設会社など200社以上にコンクリートとして出荷された疑いのあるというから、汚染は福島県内だけに留まらず全国に広がる可能性も大きくなっている。

このマンションの住民は、完成後間もない昨年8月から入居を始めたそうで、12世帯中10世帯が震災で元の住居に住めなくなった被災者だという。やっと落ち着いて生活できたとおもったのも束の間、このままでは住みつづけることはできないだろうから、気の毒としか言いようがない。

マンションのオ-ナ-も泣くに泣けないのではないだろうか。東電がすんなり補償をすれば何とかなりそうだが、東電の今までのやり方を見ていると難しい。

消費税の値上げに血眼になっている汚染土壌首相には、悲しいことだが、こんな庶民の声は届かないのだろうな・・・。(田舎親父)

2012年1月18日 (水)

大丈夫なの マキコ旦那・・・

 先日、発表された改造内閣の顔ぶれで、もっとも驚いたのは、防衛相に就任したマキコ旦那ではなかっただろうか。

マスコミは、ナカイマ沖縄県知事が『田中真紀子さんは有名な方だから知っている。ご主人でしょう?』と記者団にこう驚いてみせた上で『今は民主党にいたんですか。お名前しか知らないんですよ・・・』と言ったと報じている。

裏を返せば、知事は普天間問題の解決に向けた政府の本気度を疑り、不快感を現したものだろう。この知事のこれまでの沖縄の人々の心理を巧みに読んだ言動を思えば、知事の発言は沖縄県民の総意を代弁していると受け止めても良いのではないだろうか。

この旦那はいつもマキコ氏の引き出物程度でしか取り上げられることがないのに一躍時の人となったことに、マスコミは一斉に『またまた素人防衛相』とか『オザワ氏とマキコ氏の分断人事では』や、あるいは沖縄県民から『何でこんな素人を任命するのか・・・』と怒りの声が上がっていると、面白奇怪しく取り上げている。

認証式当日、NHKニュ-スが、笑いをかみ殺したような表情で首相からの呼び出しを待っている姿を映し出していたが、落ち着かないその様子を見て『よほど大臣が嬉しいに違いないが、それにしても何故、今この人が防衛相に・・・』と思って人も多いのではないだろうか。

マキコ旦那は張り切っているらしく、今まで出演などしたことがないNHKの日曜討論会で、大いに発言していたことは微笑ましいが、ちょっとピントが外れた論理を展開していたことに、改めて大丈夫なの・・・と心配が先にたつ。

『PKO』とアルファベットで現されている国連の平和維持活動(何となくきな臭い表現だが)で南スーダンへの陸上自衛隊施設部隊の派遣に関連した議題で、PKO参加五原則の一つである武器使用基準と、武器輸出三原則を混同して発言する場面である。

政府の見解では、『軍隊ではない自衛隊』の隊員は、原則、武器の使用は禁止られているとのことだが、何が起きるかわからない戦闘地域で武器使用ができないとなると、自衛隊員の安全を補償できるはずがない。だから治安が安定している地域に派遣するのだそうだが、こんな無茶苦茶なことはない。

イラクへ自衛隊を派遣した自民党政権は、外国の軍隊に守られてまで自衛隊を海外に派遣したのはアメリカさまのご命令だったことは明らかだが、民主党政権も基本的には同じ。自衛隊員の武器使用に関しても『正当防衛や緊急避難の場合に認められる』という、極めて曖昧な見解しかないのが現状のようだ。

番組でマキコ旦那防衛相は、このことに(武器使用基準の緩和)について問われたのに対し『PKOで使った空港や橋、道路などを建設する道具は、(その)国に置いてこれるように検討している』と、政府が昨年末に決めた武器輸出三原則の緩和内容を繰り返していた。

さらに、普天間飛行場の県内移設する計画について、県側の理解を得た上でと断りながらも、『年内に着工』したいと具体的な日程まで踏み込んで論じていたことに対して、『バカだなあ・・・。これではますます沖縄の怒りを買うしかないのに。またもや問責でも食らうのでは』と呆れてしまった。

この御仁もアメリカさまのご命令をそのまま忠実に履行するポチ的発想の持ち主らしく何としてでも辺野古の海を埋め立てたいようだが、現在の法律では沖縄県知事の認可が必要なことも安易に考えているのではないだろうか。知事がかたくなに反対していることに対しては、『俺が会えば解決する』と思っているようで、国会がはじまる前に知事と会談すると意気込んでいるらしい。

本当に『世界一危険な基地だから、早く解決の糸口を求めたい』と思っているならば、美しい海を埋め立てるのではなく、海外(それができず、どうしても基地が必要と確信しているならば)県外と言えないのだろう。

この問題に関しては、ナカイマ沖縄県知事が条件闘争を考えていないことを心から願ってやまない。(田舎親父)

2012年1月17日 (火)

これで優勝できなかったら・・・

 例年のことだが、プロ野球の巨人軍の補強が凄まじい。それでも優勝できないのだから困ったものだが、勝負の神様はなかなか味な采配をしているようだ。

最近、すっかりテレビ嫌いになっているので、以前はよく観ていたプロ野球のナイタ-中継も見ることがほとんどない私には、巨人がどんな補強をしようが興味はないが、他球団で活躍しているスタ-選手を集めては、巨人の若手が育たないのではと心配。全くの門外漢のお節介だろうが、このことを取り上げてみたい。

今年補強した、いわゆる大物と言われている選手として、パリ-グのソフトバンクから左右のエ-スである杉内をFAで、ホ-ルトンを本俸競争に勝ち獲得。同じリ-グの横浜から村田をFBで獲得したことは知っている。そして、そこまでは名前は知られていないが相当実力のある選手も集めていることも・・・。

元来アンチ巨人である私は、また巨人の我が儘がはじまったのかと呆れながらも、FAする選手も、こんなに易々と巨人のユニフォ-ムに袖を通す姿を見ると、未だに巨人というネ-ムに憧れていることを再認識したものである。

所詮プロ野球は人気商売。人気がない球団は観客も少なく経営が成り立たなくなるのは当然。人気を得るためには勝たねばならないとなると、補強に血眼になるのは当たり前だろうことは十分理解できる。

絶大なる人気を誇り、特に数年、毎年ぶっちぎりの戦力と言われながら優勝から遠ざかっている巨人は、今年は何がなんでも優勝しなければならないとなると、この強引な補強もうなずけないことはない。

(野手の方には申し訳ないが)野球は半分以上投手の力で勝敗が決まるゲ-ム。昔は先発完投型が多く、一人で30勝以上も勝ち星をあげるス-パ-エ-スが存在し、この投手が投げる試合は始めから勝負が決まっていたこともよくあった話だった。ファンも承知で勝つことはわかっていても、どんな投球をするのかを楽しみだった。

野球に対する考え方が変わって、投手は先発・中継ぎ・押さえと任務分担が別れるようになってはいるが、先発完投の実力がある投手の価値は変わらない。それでも野手と違って、全ての試合に投げられるわけではないので、凄い投手を何人揃えられるかが勝負の鍵を握ることになる。

その意味で、ソフトバンクにとっては痛手だろうが、杉内とホ-ルトンを補強したことは巨人がぐっと優勝に近づいたことは間違いない。しかし野手となると、巨人には優秀な若手が何人も存在するのに、あまたその才能を殺すことになることを心配してしまう。

今年は巨人の三塁は固定できなかったようだ。村田の獲得はそんな巨人の悩みを解消するという見方があるようだ。しかし、随分以前に西鉄からの清原やヤクルトから広沢のように鳴り物入りで入団したのに、さほどの活躍ができなかった選手も多かったことを考えると村田も額面通りに活躍できるとは思えないのだが・・・。むしろ、素人考えでは、若手を鍛え上げた方が将来のために良いのではと思えてならない。

そんなことを思っていると、またまた外野手としてアメリカ米大リーグの球団に在籍したというジョン・ボウカ-という選手を獲得というニュ-スに、確か昨年も何人かの大リ-グの内外野手を獲得したはずなのに、数試合で消えてしまったことを全く反省していないフロントに思わず、まだ懲りないのか・・・と苦笑してしまう。

ボウカ-という外野手は、1メートル88、86キロで左投げ左打ち。2008年にジャイアンツで大リーグにデビューし、昨季はパイレーツ、フィリーズに所属した。大リーグでは通算240試合に出場し、打率2割3分2厘、17本塁打と紹介されているが、とてもこの程度の実績では、昨年まで不動の4番バッタ-だったラミネスの代わりにはならないだろう。いやむしろ、消え去った数多くの外国選手と同じ運命をたどるのではと思えてならない。

外野手としては一昨年育成選手上がりで新人王を獲得した松本という選手はどうしたのだろう。盛りは過ぎたようだが、高橋選手や谷選手もまだ衰えるには早過ぎる。スペッシャリストといわれる鈴木選手も守備は超一流。代打で時々出てくる矢野選手も常時出場させたらきっと良い結果を残すだろう。

好きでもないチ-ムのことを心配することはないのだが、もったいな過ぎる。(田舎親父)

2012年1月16日 (月)

う-ん これは考えさせられる・・・

 先日ネットのニュ-ス(京都新聞の記事)で『車いす拒否の帝産湖南交通 運輸局が文書警告へ』という見出しを見つけた。

その記事をそのまま引用してみよう。(引用はじめ)

帝産湖南交通(草津市)が滋賀県南部で運行する路線バスで車いすの乗車を拒否している問題で、国土交通省近畿運輸局が13日にも、同社に対して道路運送法違反による文書警告を行うことが分かった。

同社は昨年7月、大津市内の路線バスのバス停で、車いすの乗客男性が降車時に転倒し抗議を受けた。その後、同社が低床バスを運行する県南部のバス停157カ所のうち約8割で、安全確保が困難として車いすの乗車を断っている。

近畿運輸局は13日夕方、大阪市の同局庁舎で、帝産湖南交通の社長に対し、文書による警告と車いすの乗車に関して対応の改善を求める要望書を手渡す方針。

近畿運輸局は、乗車拒否を受けた男性からの通報を受け、同社が道路運送法違反に該当するか調査していた。運送事業者に対する警告は、事業停止や車両使用停止を除き、勧告や口頭注意などを含む処分の中で最も重い。(引用終り)

(私の行動範囲であるが)、車椅子の人を見かけることが多くなり、時に路線バスに乗る姿を見ることはあるが、その時に必ず介護の人がついており、障害者(この表現も問題があるのかな)自身が車椅子を操作して乗り込む光景に出合わしたことはない。

しかし、記事にある『車椅子の男性が降車時に転倒』という文言を素直に読むと、介護の人がついていたとは受け取れない。そんなことが実際にあるのだろうか。

『低床バス』という車内に段差のないバスも多くなってはいる。乗降する際には、さらに一段ステッフが出る仕組みになっているバスも見ることも増えたが、乗降口からスロ-プが降りる仕組みのバスは(あるのかも知れないが)私はお目にかかったことはない。

低床バスといえど、数センチ程度の段差があるのが普通で、(私の認識が不足しているのかも知れないが)いくら小さくとも段差がある以上、車椅子は介護なしで乗降できるとは思えないのだが・・・。

となると、記事にはないが、常識的に考えると、転倒した車椅子の男性には介護の人がついていたのではないだろうか。なのに、転倒したというのは、(これはあくまで私の想像だが)完全に降りきれていない段階で発車してしまったという運転手の単純ミスか、あるいは介護のやり方の問題ではなかろうか。

運転手のミスをかばって会社側が『安全が確保できない』と、全ての車椅子の人を拒否したとなると、これは言語道断。会社の経営思想が問われる由々しき問題であるが、そんなことはあるまい。

どちらかというと『介護ミス』の方が可能性として高いように思えるが、最近の傾向として、全て『弱い方の言い分が正しい』というタテマエになっているので、運転手(会社側)が介護ミスを主張しても取り上げられなかったのではないだろうか。そして会社としては対抗手段として『車椅子お断り』という方針を出したのではと推察している。

身障者について話題にする場合、まず前提になるのが『人権問題』で、少しでも身障者のミスを指摘すると必ずお叱りが受けるのが常であるが、私は果たしてこれで良いのだろうかといつも考えている。

車椅子の人が外に出ることは、当然ながら権利であることは理解できるが、段差があれば乗り越え、溝があれば飛び越えられるような『ス-パ-車椅子』が発明されない限り行動には規制が出ることは仕方ない。

ほんの少しの段差でも通行できないのは人権違反なのだろうか。少しの傾きのある道路で転倒するのは行政の責任なのだろうか。店の前に石ころがあって危険な目にあったのはその店の管理が悪かったからたろうか。こんな考え方がまかり通ればトンデモナイ社会と言っても過言では・・・。

今回の顛末も、何となく『近畿運輸局』というお役所の責任逃れの処置のように思えてならない。そして『泣く子と地頭・・・』ではないが、管理されているバス会社は、泣く泣く低床バスに運転手以外の要員を乗せることになるのでは・・・。(田舎親父)

2012年1月15日 (日)

『塾代補助ク-ポン』とは・・・

 知事から市長に鞍替えしたハシモトという御仁が相変わらず、世間を騒がす施策を次々に発表していることは、大阪府民・市民の圧倒的多数が支持しているらしいから、まあお好きにどうぞ・・・という気持ちだが、市(府)の予算で塾代を負担するという発言には、お節介ながら一言もの申したくなる。

ある機関が、2010年度に東大に在学する学生の両親の収入は調査したそうだが、それによると、約52%が年収1000万円以上だったという一方で、450万円未満は約17%なのだそうだ。『450万円』という数値が出てくる基準はわからないが、これが300万円以下とすると、この階層の子弟はゼロとは思わないがほとんど存在しないのではないだろうか。

この結果を見ると、収入が低い家庭の子どもたちに大学の門が閉ざされているかと考えがちだが、そうではなく、この調査は私立大学(大学名は明らかにされていない)に在学する学生も対象にしており、それによると家庭の収入が200万円未満の子弟が約18%存在するというから、決して貧乏人は大学に進学できないわけではなさそうだ。

しかし、この調査からみえることは、経済的に豊かでなければ、東大(一流大学)に進学できないという事実。皮肉な見方をすれば、一流大学に進学するためには、大金を払ってテクニックを身につけないといけないことを現している。

この『テクニック』を『学力』と称して良いとは思いたくないが、公立の小中高で学ぶ知識や能力(いわゆるペ-パ-テストで計れる学力)だけではないことは間違いないらしく、塾という学校とは似て非なる場所で身につけることが今や常識になっていることを見逃せない。

このことは、家庭間の経済状況の格差によって、子どもの『学力』にも格差が生まれつつあるということはよく語られ、『日本は、世界で最も経済格差が教育格差につながっている国』とも言われて久しいことからも明らか。

学歴を問題にしないという一流企業も現れてはいるが、『就活』と呼ばれる最近の学生たちの様子を見ると、必死で動いている学生は、どちらかというと名前か知られていない大学が多く、一流大学の学生は少ないのも事実。社会が『一流大学を卒業しなければ一流企業に就職できない』という事実を生み出していることは疑いない。

ならば親として必死で塾に入れたくなるのは人情で、無理するなという言葉は無意味。数少ない我が子を一流大学に進学させるために、塾通いさせるのは当然と言えばこんな当然なことはない。

塾にもランクがあることは承知しているので、塾代がいくらなのか正確には把握していない。しかし、私の耳に届く情報から判断すると、月謝が2~3万円というのがもっとも多そうだ。この数値を基準として計算すると、年額約30万円。一流の塾となるとこれ以上だろうし、夏季や冬季講習の他にも塾通いするための交通費などの諸費用を入れると、100万円ぐらいは当たり前という話も信じられないこともない。

なるほどこれでは金持ちしか大学に進学できそうもないが、大学進学が当たり前になっている現状では、低所得者層であっても我が子を塾通いさせることを今後も続くことは疑いのないこと。

この現実を踏まえて打ち出した『塾代補助クーポン』を支給し、小・中学生の学習塾代など、学校以外にかかる教育費用を補助しようというハシモト氏の発想は、なかなかユニ-クで一般受けすることは間違いなさそうだ。

この制度は東京では2008年から学習塾の費用を補助する『受験生チャレンジ支援貸付事業』として、中学3年生と高校3年生などを対象に、塾の費用など20万円(上限)を貸し出すという制度がはじまっているとのこと。

高校や大学に入学した場合、返済は免除されるというから人気だろうと思ったが、貸付金額に比べて、所得制限や手続きの煩雑さなどから利用はあまり進んでいないらしい。

大阪市がどれぐらいの金額を用意しているのかわからないが、20万円程度ではとても格差解消に至らないことだけは確かなようだ。

学力の定義についてここでは論じないが『学校教育で足りなくて、塾で補完していかないと、一流大学に合格する高学力が得られないという』という今の実態が問題で、学校教育の質の転換(充実)がもっとも大事だと叫びたい。(田舎親父)

2012年1月14日 (土)

汚染水放出はゼロ?・・・

 原発事故が人的な事故であったことがぞくぞくと明らかになっている中、今度は『原子力安全基盤機構』という」が、原子力関連施設の検査などをする独立法人が作った『要領書』が実は、検査対象の核燃料加工会社が作ったものだと明らかになったという記事には愕然とする。

こんなことが事実だとしたら、原発の安全性の信頼性は根本から崩れることはもちろん、検査などは全く意味がない形だけのもの、いかにいい加減な原発稼働が長年に渡って行われていたかが歴然とする事実。

よくぞ今まで、福島原発以外で大きな事故が起きなかったと胸をなで下ろすと同時に不思議な気がする。いや起きていただろうが、こんないい加減な検査体制が全てを隠蔽し、単なる小さな事故にされていたのだろことは容易に想像できる。言い換えれば、だからこそ今回大地震という、(ある意味)想定しなければならない事象に対して、全く無防備で無力だったことを証明しているとも言えるのだが・・・。

また、原発事故で、何度も放射性物質を含む汚染水が海に漏出したが、原子力安全・保安院は『緊急事態』を理由に、法的には流出量は『ゼロ』と扱っていたことも酷い話である。しかも、今後も漏出や意図的な放出があってもゼロ扱いするというから、国には国民の安全を守ろうという姿勢など全くなく、それどころか安全思想など始めからなかったと言っても過言ではない。

最近知ったことだが、原子炉等規制法により、電力事業者は、原発ごとに海に出る放射性物質の上限量を定めるよう決められ(総量規制)、福島第一の場合、セシウムなどは年間2200億ベクレルで、年度が変わるとゼロから計算されるのだそうだが、国の考えをそのまま受け取ると、放射性物質はその年度が終わるとすっかり無くなるものらしい。

東京新聞の記事によると、4月2日に2号機取水口近くで高濃度汚染水が漏出しているのが見つかり、同4日には汚染水の保管場所を確保するため、東京電力は建屋内のタンクに入っていた低濃度汚染水を意図的に海洋に放出したとのこと。

そしてこれら二件の漏出と放出だけで、原発外に出た放射性物質の総量は14700兆ベクレル(東電の試算)という天文学的数値に達し、既に上限値の二万倍を超えるというから無茶苦茶な話。しかも、専門家筋からは、東電の試算に対しては、『過小評価』との異論も出ているとなると、デタラメさをここに至っては俄には信じられない。

さらに先月の4日には、処理済みの汚染水を蒸発濃縮させる装置から、260億ベクレルの放射性ストロンチウムを含む水が海に漏れ出したことが明らか時ことだが、これも今年の4月1日には全てチャラ。流した事実も消えるとなるなんてことが果たして国際的に通用するのだろうか・・・。

もっと恐ろしいことに、敷地内に設置した処理水タンクが間もなく満杯になる見込みだが、その水には(私が放射能の大王と表現している)相当量ストロンチウムが含まれているという。東電はこれも海洋放出することを検討しているらしいが、このことを知った漁業団体が猛烈に抗議したので、当面は放出を見送る方針だとのこと。しかしこれとて、4月1日になれば、今年度分がゼロとなると、密かに放出することは想像に難くない。

保安院は、事故への対応が最優先で『緊急事態』だった点を強調し、総量規制を適用せず、14700兆ベクレルの漏出をゼロ扱いすると説明しているそうだが、この『緊急事態』とは『事故収束まで』続くからいつまで続くかわからないと曖昧。

ならば、昨年末汚染土壌首相が発表した『収束宣言』は何だったのだろう。マスコミ向けには『収束』と言いながら、汚染水の放出には『緊急事態だから仕方ない』とは、国民をバカにしているとしか言いようがない。

この政権はもはや良識はもとより常識すら忘れてしまったようだ。(田舎親父)

2012年1月13日 (金)

蚕が蜘蛛生糸繭?・・・

 予告編でしか観たことはないが、スパイダ-マンという映画がある。コミックの世界の話だが、スパイダ-マンなる人物が、壁に張り付き、スパイダー・ウェブで街を縦横無尽に飛び回る物語らしい。

 蜘蛛の糸の強さは以前から注目されている。もし人間が自由に蜘蛛の糸を作り出せたとしたら世の中がひっくり返るほど大変なことになる。これまで不可能だと思われていたことが可能になり、鳥のように飛べないまでもビルの間を蜘蛛の糸を張ることによって、自由に渡れることも考えられないことではない。

 今までは、スパイダ-マンなんて子供だましと無視していたが、蜘蛛の糸と同じような強度のある糸を蚕に作らせる研究が進んでいるというニュ-スは、蚕に興味を持つものにとっては見逃せない。

 スパイダーマンは蜘蛛の糸を何メートルでも紡ぎ出せるが、現実には、蜘蛛の糸のような強度と伸縮性を兼ね備えた繊維は空想の世界。しかし、最近の研究は、蜘蛛の糸を紡ぐ蚕が作り出すというところまで来ているという。

 記事によると、遺伝子操作を施されたこの蚕が作る繭の絹糸(シルク)には、蜘蛛が巣を張るときに使う、伸縮性と強度に優れた繊維が組み込まれているということが理論的に証明され、実際にアメリカのワイオミング大学(あまり利いたことがない大学だが)の分子生物学者のドン・ジャービスという科学者は、『蚕の絹糸(の遺伝子)に蜘蛛の糸のタンパク質(の遺伝子)を埋め込むことで、両方のタンパク質が組み合わさり、混成繊維になることを期待したのだが、まさにその通りになった』と発表したのだそうだ。

 遺伝子操作を施されたこのカイコは、96~98%は蚕由来だが、2~4%は蜘蛛由来の繊維タンパク質からなる絹糸を紡ぎ出したというから驚き・・・。

 現在、遺伝子を組み換えることによって蛍光する繭を作り出すことに成功し、その繭から取り出した生糸で紡がれた着物を含めて様々な装飾品が実際に作り出されているとなると、この話を全くのおとぎ話としては聞き流せない。

 蜘蛛の遺伝子をこれほどわずかに取り込んだだけで、『ハイブリッドシルク(遺伝子組み換えを全てハイブリッドという言葉で置き換えることは違和感が残るが)』は天然の絹糸の2倍以上の強度を獲得したのだが、それでも、蜘蛛の糸に比べれば強度は半分程度にすぎないというからいかに蜘蛛の糸の凄いことが良く分かる。

 ならば、蜘蛛由来の繊維タンパク質を2~4%から100%にすれば、蜘蛛と同じ自然繊維が生まれる理屈。いや凄いいことを考える研究者がいるものと、感心すると同時に恐ろしくもなる。

 蜘蛛の糸は動物が作り出す繊維の中でも最も強度と弾力性に優れていることは私も知っている。しかし蜘蛛の多くはなわばり性が強かったり共食いをしたりするため、飼育するのは難しく、研究者は、蜘蛛のタンパク質の遺伝子を、ヤギの乳やハムスターの細胞に組み込む方法が試みられてきたのだそうだが、うまくいかなかったという。

 しかも、ハムスタ-など使って蜘蛛の糸のタンパク質を作り出すことに成功しても、それを集めて機械で紡いで糸にしなければならないが、蚕が蜘蛛の糸と同じ成分の糸を吐き出してくれるとなると、こんな結構なことはない。ジャービス氏らはこの蚕を『クモ-カイコ』と名付けて、伸縮性と強度に優れた種類の蜘蛛の糸のDNAを蚕の卵に挿入したというからその先見性は驚嘆に値する。

 自然界には繭を作る昆虫は相当種いるが、蚕は人間が、気が長くなるほどの時間をかけて、(遺伝子組み替えという技術は知らなかっただろうが)交配を繰り返す試行錯誤によって、人間だけに役立つために作り上げた昆虫で自然界には存在しない。

 そのため、羽を持つ蛾に変身しても飛ぶこともできない、いわば人間の『家畜』。先人たちはこのことを認めて、蚕を数えるに、牛や馬と同じように、その単位として『頭』という文字を与えていることはあまり知られていない。

 この蚕が、蜘蛛の糸に匹敵する強くしなやかな夢のタンパク質である『蜘蛛生糸』を生み出すとは俄には信じられないが、蚕の飼育を広めることに情熱をもっている私にはとても誇らしく感じることは否定できない。

 『遺伝子組み替え』ということばにはアレルギ-を感じ、この研究を素直に受け入れたくない気持ちだが、養蚕業がすっかり廃れている現在で、もう一度蚕に脚光が浴びるとならば認めたくもなる複雑な心境。

 いずれにせよ、蚕の有用性を世界に知らしめてくれるだろうこの研究は注目に値すると信じ、今後を見守りたい。(田舎親父)

2012年1月12日 (木)

国保(疑問も含めて)の改定?・・・

 今日は、私の一番苦手なことについて、ピント外れになることは十分承知の上で、疑問を投げかけながら自分のつたない意見を述べることに挑戦したい。

昨年末、政府は原則市区町村ごとに賄っている国民健康保険(国保)の医療費について、15年度から都道府県単位に集約し、市区町村が共同負担する仕組みに改める方針を決めたという記事があった。

私は高校卒業直後の2年間の富士通勤務以外は、ずっと公務員共済保険に入っていたので、国保について存在は知っていても、その内容は全くと言って良いほど知らず、今でもほとんど知識はない。しかし定年退職で延長機関(2年だったと記憶しているが)が過ぎたので共済組合からは退会させられて、今は国保にお世話になっている。

幸い、健康に恵まれているので、この保険を使うのは人体実験として定期的に受けている血液検査(治療としておこなうため、内科医の問診は受けているが)と、歯科検診にかかる時ぐらいなので、医療費より支払う保険料の方が高いのは当然。

しかし、これは国民皆保険だから仕方ないことで、何時自分も病気で国保のお世話になることがあるかわからないので、保険料が随分高いとは思うが、これは仕方ないことと割り切っているつもり・・・。

国保は、自営業者(農家なども含む)や無職の人(専業主婦やわれわれ年金生活者もこの層に入るらしい)が加入、医療費は加入者の保険料と税金で運営されることは理解しているが、迂闊なことに、この記事にある、国保の保険料負担を市町村から都道府県単位にするという意味が理解できなかった。しかし、読んでいくうちに、問題点がうっすらわかり始めてきたことは自分にとっては大進歩。

現在、この保険金負担が市町村によって最大2.8倍に達しているそうだ。今回の政府のねらいは、この市町村格差をなくして都道府県単位にするというものであることは理解できるが、市町村から都道府県というのであれば、単に格差の単位範囲を広めただけのように思えるが・・・。

政府の説明をそのまま正しいとすると、現在のように市町村単位の保険料負担では、病気になりやすい高齢者が多い小規模自治体は医療費がかさみ保険料も高くなるのは道理である。高齢者医療が問題になっているので、これは地方の小さな自治体にとっては大変なことだろうから、その意味では、悪い改定ではないように思えるが・・・。

記事によると、(これも知らなかったが)現在、1人分が月に30万円を超す医療費は、同一都道府県の市区町村が共同負担しているのだそうだ。高額の医療費がかかる患者がいると、小規模自治体では財政がパンクする可能性があるための処置らしい。

国保全体の半数は赤字で、09年9月末時点で4分の1にあたる432団体は加入者が3000人を割り込んでいるのだそうだが、その中で数%が30万円以上の治療費となると、たちまちのうちに財政は破綻することは子どもでもわかる話。しかし、今日まで、厚労省はこのことについて分かりやすく説明してきただろうか?。

記事は続く、80万円を超すと国や県も拠出し、医療費全体の4割は共同負担で賄っているのだそうだが、財政力や保険料には市区町村で差があり、東京都の場合、年額保険料の格差は千代田区(09年度11万3554円)と三宅村(同4万506円)で全国一の2・8倍に達するという。他にも12道府県で差が2倍以上となっているとのこと。

加入者が払う保険料は収入によってランクがあることはわかるが、千代田区民と三宅島民との収入が約3倍も違うのだろうかという素朴な疑問がわくが、それはともかく、これだけの格差があれば、医療費そのものは共通項目が多いはずだから、高齢者が多い三宅島にとって医療費は大変な負担になることぐらいはわかる。しかし、よくぞ今までそのまま放置していたもの、そちらの方が私には理解不能。

今回の政府案は、共同負担の仕組みを『30万円超』から『1円以上』に拡大し、全診療を対象とすることするものだという。各市区町村は加入者数と過去の医療費実績に応じて拠出金を払うのだが、拠出額の半分は加入者数に応じて決まるため、人口が少なく高齢化の進んだ郡部は負担が軽減される一方で、都市部は重くなるのだそうだから、本質の解決にはほど遠そうだ。

こんなややこしい中途半端な制度ではなく、国の一元管理としなければ、結局は前述した通り、市町村格差を都道府県格差にするだけだろう。医療費を全額税制となると、その財源確保が難しいことは十分わかるので、このことは別に述べることにするが、国民の健康は、公務員であれ会社員、あるいは農業従者や専業主婦でも全く同じ。平等に守らなければならないはず。

急がねばならないことは、現在の複雑な保険制度を一本化して国が一括管理し、誰もが平等感のあるものにしなければならないことだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年1月11日 (水)

今度はイランが標的に・・・

 イランのウラン濃縮をめぐって、アメリカはじめ西側先進諸国との緊張が極度に高まっているらしい。

マスコミ報道によれば、イランはNPT(核不拡散条約)に加盟し、IAEA(国際原子力機構)にも加盟していて、このためNPT条約第4条によって、ウラン濃縮や原子力発電などは認められているのだそうだ。そのことを根拠に、現にペルシャ湾岸でロシアの協力で軽水炉建設が進んでいるという。

ここまでなら問題がなさそうなのだが、遠心分離器をあの悪名高いパキスタン・カーン博士の『核の闇市場』から調達していたことなどが明らかとなったとのことで、アメリカなどはイランが核武装を意図していると主張しているというから話は難しくなる。

詳しいことはよく理解していないが、この問題は国連の安保理に持ち込まれたのだが、アメリカ・イギリス・フランスなどが対イラン制裁を強く主張しているのに対して、ロシアと中国が反対して、議論は空転するいつものパタ-ンらしい。

進展しないことにいらだったのかもしれないが、イギリスやEU諸国はイラン産の原油を禁輸すると決めたことに対して、イランはホルムズ海峡を封鎖する姿勢を見せているという。

ホルムズ海峡を世界地図で眺めるとペルシャ湾の入り口のかなり狭い場所。ここをイランが封鎖してしまえば、自由に船舶の航行ができなくなり、他の産油国の石油の運行が妨げられ大変な問題になることは明らか。我が国はもとよりアメリカやヨ-ロッパ諸国屁のダメ-ジは計り知れないほど大きくなりそうだ。

このイランの強硬な姿勢に対して、イギリスの国防相は『ホルムズ海峡の石油輸送が妨げられると地域や世界の経済成長を脅かす』と述べ、『イランが同海峡を封鎖しようとするいかなる試みも違法で成功しないだろう』と、海上封鎖には軍事力で対抗すると明言したとメディアが伝えている。

当然アメリカも黙っていない。アメリカの国防長官と軍の最高司令官が揃って『イランが世界的な原油輸出航路のホルムズ海峡を封鎖することは決して許さない』と強調。もし、イランが海峡を封鎖すれば『われわれは行動を起こす』と軍事行動も辞さないと警告する様子がBSの海外ニュ-スで紹介されていた。

これは困ったことになりそうだ。アメリカという国は戦争をしていないと気がすまないらしく(アメリカ経済そのものが戦争を基盤にしているのかもしれないが)、秘密兵器を製造しているとの理由でイラクを攻撃したことから明らかなように、自国の利益に反する行動に対しては軍事力で対抗する体質をもっているので、単なる脅しではなさそう。

ホルムズ海峡が封鎖されたらたちまちのうちに日本は石油不足に陥ることは間違いないだろうから、アメリカ軍事行動に反対などできるわけはない。むしろ、一刻も早く封鎖を解いてほしいというのが本音だろうから、アメリカからイラク戦争以上の戦費の拠出を命じられるのも想像に難くない。

またここ数年、この海域には海賊が多く犯行を重ねていることから、西欧諸国を中心に海賊とテロを防ぐという名目で、バ-レ-ンを拠点に警備艦艇を派遣しているので、それらの国々はアメリカの軍事行動に加担しないまでも後押しすることも間違いない。

イラクからは秘密兵器が出て来なかったが、イランの核濃縮施設はナタンツという場所の地下約23メートルで厚いコンクリートに覆われていることが、偵察衛星などが明らかになっているらしいから、アメリカの標的はここになるのではないだろうか。

そして、その施設を爆破できるのは、アメリカ軍が持っている『地中貫通核爆弾・B-61-11』だけだというのが軍事専門家筋の一致した意見だという。しかし、この兵器の貫通力は6メートル以内で、この核爆弾を投下した場合、地下6メートル以内で核爆発を起こすため、外部に漏れ出る放射能汚染はものすごい量になる可能性が大きいらしい。

どうか、イランがホルムズ海峡を封鎖しないように願いたいが、そのためにはロシア・中国の仲介しかなさそうだ。平和憲法を持つ日本が、その橋渡しをする立場にはもっとも相応しいのだが、アメリカのポチ状態ではロシアや中国が話に乗ってくるわけはなさそうだから、重要な役割は回ってこないだろう。

結局、人類の終焉を予言しているマヤ歴通りにことが運ぶのだろうか?・・・。(田舎親父)

2012年1月10日 (火)

困ったものだ、原発事故2題・・・

 その1。臨界・腐食防止で使用。処理水の有害物質放置。福島第一原発で、高濃度汚染水を処理した水には腐食防止などのため大量の化学物質が含まれ、この水が海に放出されると、放射性物質とは別に汚染を引き起こす可能性のあることが、今頃になってわかったという。これは恐ろしい。

私には詳しい知識はないが、投入されている化学物質は、ホウ酸やヒドラジンだとのこと。ホウ酸は原発事故当初から原子炉の臨界を押さえる物質として大量に投下されたのでおなじみの薬品である。

身近でも、ゴキブリ退治の特効薬としてこの薬剤をまぜた団子を作ってゴキブリの出没しそうな場所におくことによって、あの不死身だと思われる?ゴキブリにさえ決定的なダメ-ジを与えるのだから猛毒だろうことは知っていたが、ヒドラジンという物質は今回はじめて耳にする。

そこでヒドラジンについて調べてみたら、アンモニアに似た刺激臭を持つ無色の液体で、空気に触れると白煙を生じ、水に溶けやすく強い還元性を持つ物質とある。引火性があるが常温での保存が可能なため、ロケットや航空機の燃料として用いられるということを知る。しかし、毒性が強く、気体しやすい性質があるので、吸引すると中毒症状や皮膚に触れると激しくただれることはもとより、体内に取り込むと中枢神経や肝臓、腎臓の機能障害を引き起こすとされるという厄介な物質らしい。

結果的に、どちらも人体には相当悪い影響を与える薬剤であることは間違いない。東電によると、核燃料が連鎖的に分裂する臨界を防止する働きがあるとされるホウ酸は事故以来105トンを投入。原子炉などの金属材の腐食を防ぐとされるヒドラジンは73トンを投入したそうだ。

これらの薬剤が混入した大量の汚染水は、マスコミ報道を信じれば、現在のところタンクに貯蔵されているらしいが、タンクはほぼ満杯状態で、東電は海に放棄せざるを得ないと言っているとのこと。すでに放棄をはじめているという情報まででている。

汚染水の場合、放射性物質にばかり目が向けられがちだが、海への放出となると、これは大変なこと。東電は、放射性物質に関しては『仮に放出する際は、可能な限り浄化する』としているが、これは放射性物質に対しであって、化学物質となると『現時点では特に検討していない』と言い、国もこの問題には着目していないというから聞き捨てならない。

その2。これも東京新聞の記事であるが、今頃になって、原発の事故当時、原発敷地内に駐車していて高濃度に汚染された東電社員らの車について、東電が適切な管理を怠っていたことがわかったという。

東電の担当者は、震災から12日後の3月23日から放射線検査と除染を始め、一定レベル以上の放射線量の車は外部に出せなくしたが、それ以前は原発敷地内から検査なしで車を持ち出すことが可能だったとのことで、一部は中古車販売業者に渡ったこともあると認めているという。

震災時、原発内には東電社員755人と協力企業の従業員5660人がいたというから車の数は半端ではないだろう。そして駐車していた車や事故後に持ち出した車の台数は『把握していない』とのことだから、流出した車の数もこれまた膨大であることはまちがいなさそうだ。

事故後数カ月ごろ、東電社員から修理を頼まれたという福島県内の自動車修理業者は、『車のワイパー付近で毎時279マイクロシーベルトを計測した。何で、こんな車が原発の外に出るのか』と憤り、取材の記者に測定した際の写真を差し出したのだそうだ。

信じ難いことだが、まだまだこれに類することが出てくるのではないだろうか。困ったものだと見過ごすわけにはいかないが・・・。(田舎親父)

2012年1月 9日 (月)

オ-ムの話題が賑やか・・・

 16年間も逃亡を続けていたオ-ム真理教の幹部だとされている平田某という男が、昨年の大晦日に、警察に自ら名乗り出て逮捕されたという事件?が年を渡って大変な騒ぎになっている。

平田某は当初、警視庁本部庁舎に出頭したそうだ。が、警備を担当していた30代の機動隊員が『悪質ないたずらだろう』と判断し、近くの警察署に行くように指示したという。多分に、ホ-ムレスを絵に描いたような風貌だったらしいから、いたずらだと思ったのも無理からぬことだとは理解したいが『オ-ム事件で騒がしている平田です』とはっきり名乗ったらしいというマスコミ記事が正しいとすると、警視庁のこの隊員の判断は相当批判されそうだ。

ひょっとしたら、警視庁何しているのか・・・という世論に押され、この隊員は処分されるのではないだろうか、処分されないまでも、警察組織の中では悪いレッテルが張られ、出世はおぼつかないだろうことは容易に想像できそうだ。

人間には運・不運がつきまとうが、この若い機動隊員にとっては、平田某かは悪運を連れてきた貧乏神だったのかもしれない。しかし、出頭した丸の内警察署でも、女性警察官に『うそでしょう・・・』と疑われ、『ほら僕、背が高いでしょ』と説明し、署内に入ることができたというから笑えない笑い話。このあたり早速、映画にできると脚本つくりに勤しんでいる輩も多いのではないだろうか。

平田某かは本気で出頭してきたから良かったが、もしも『逮捕されるのを諦めて』姿をくらましたとしたら・・・テンヤワンヤの大騒ぎになっていたに違いない。

それはともかく、大阪から新幹線で上京したと供述しているらしい。新大阪駅には地下鉄御堂筋線で出てきたとも言っていることから、どうやらつい最近までは大阪近辺に潜伏していたとみて間違いなさそうだ。新たな情報では奈良県橿原市という名前もでているが・・・。

それにしても、何故今頃出頭してきたのだろう。オ-ム真理教の教祖麻原の裁判の様子をみて、情けないと軽蔑しそれまでもっていた麻原の写真など破り捨てたとの供述だが、それなら、もう少し早い時期に出頭してもよいだろうに・・・。

何となくだが、昨年秋でオ-ム事件の裁判が全て終り、何時麻原などの死刑が執行されても奇怪しくないということと関係しているような気がする。平田某の裁判が始まり最終判決が出るまで、事件の背景に関係する事実が浮かび上がる可能性が出るかもしれないとなると、麻原はじめオ-ム真理教の幹部だった一連の死刑囚たちの刑の執行は難しくなる。それをねらっているのではないかという専門家も多い。

平田某と同時に指名手配されている、高橋という男と菊地という女がいる。その手配写真が駅構内で今も時に見るが、彼らとの関連はないのだろうか。清張流に推理すると、宗教というのは恐ろしく、意識の中から捨て去るのは容易なことではないと言われているから、全国にはまだ多くのオ-ム真理教の隠れ信者はかなり存在することも否定できないだろう。

中には、驚くような社会的地位のある人や豊かな財力を持つ者もいるのではないだろうか。となると、3人は別々に潜伏先をあてがわれて、周りの人には疑われることすらなく暮らしていたのでは。そして現在も・・・。

そして、教祖はじめ幹部たちの死刑が確定した時期をみて、今回平田某かを出頭させたのではないだろうか。平田某の裁判が始まり結審に至るまでの長い時間、麻原たちの死刑執行はのびのび。やっと平田某の刑が確定した頃、高橋あるいは菊地が出頭という筋書きでは?・・・。これでは信じられないような長い時間がかかることは間違いない。

ところで、先日、警視庁は潜伏先や逃走先の情報を得るためという理由をつけて、めったにないらしいが(前代未聞とも聞く)平田かの出頭時の写真を公開した。その写真を見ると、確かに、手配書とは大違い。もしも、私の街で暮らしていたとしても誰も気がつくことはないだろう。

この写真ならすぐにでも新幹線に乗り合わせた人から情報が提供されるに違いない。そして、大阪近辺の潜伏先で出合った人からも多くの情報は寄せられるだろうから、かなり正確なことがわかるのではないだろうか。実際に今朝の新聞では60件以上もの情報が集まっているとのこと・・・。

しかし、匿っている組織(存在しているとして)は、逮捕時の写真の公開は折り込み済みなのではないだろうか。その上で平田某を出頭させたとしたら、問題は難しくなりそうだ。清張さんが生きていたら何と推理するだろう。(田舎親父)

2012年1月 8日 (日)

こんな制度は止めた方が・・・

 数年前からインドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づき、『看護師候補者』毎年大勢のインドネシアの若者たちが来日しているという話題は以前も取り上げたことがある。確か最初の年は2008年。100人あまりのインドネシアの青年が来日した様子をテレビが大きく放映していたことは記憶に新しい。

日本人の看護師や介護士の数が不足しているので、海外に応援を求めた結果、インドネシアとの協定が結ばれて青年たちが応募したとの報道に、何か割り切れないものを感じて、批判的な文章になってしまったことも思い出す。

その時の文章は『(2008年)9月に実施される大阪府立の5病院の看護師採用試験で、230人の採用枠に対し、応募がわずか10人にとどまっているという』という書き出しだった。

当時は、現在よりは少しは景気が良かったはずだが、それでも公務員志向が顕著になっているのにもかかわらず、大阪では敬遠されるという事実に、私は、新たに知事に就任したタレント弁護士さんが『財政再建のために教員や警察官の人数削減』とか『職員の給与カット』など、公務員の雇用について厳しい発言が影響しているのではないかと想像したが、それにしても、230人採用のところ10人とは信じがたいこと。続報がなかったこともあり今どうなっているのか疑問が浮かぶ。

最近、医療や福祉に従事する人々、特に看護師や介護師が極端に不足しているということが問題になっている。夜勤などきつい労働条件がネックとなり、若い人たちから嫌われているというが、かっては、小中学校の卒業文集の将来の夢の欄には『看護婦』と書く女子児童・生徒が多く、いわば女の子たちにとっては憧れの職業だったはず。なぜこんなにも嫌われるようになったのだろう。

私の経験から想像するに、『看護婦』が『看護師』と表示されるようになった頃から、『看護師』志望の女の子が少なくなってきたように思える。女子児童・生徒の憧れは『女性だけに許される職業』という意識から、『男でもなれるいだ』となると、憧れの度合いが低くなったことは十分考えられる。

加えて、医療制度そのものも、『看護師』と言葉を変えたあたりから猫の目のようにめざましく変わり、医師や看護師の確保が難しくなり、病院の経営が苦しくなってきたように思えて仕方ない。

性差別を無くすジェンダフリ-と考え方にはあえて反対しないが、男と女という全く身体の構造が違う人間が存在することは間違いない事実。これをわからなくしてしまうことが男女平等とはとても思えない。

話が横道にそれてしまったが、インドネシアから、現地で看護師の資格を持つインドネシア国籍の若い人たちを『助っ人』として来日させるとは、人が少ないのならカネの力で外国から引っ張ってくれば良い・・・という論理に他ならない。

これは、相手国にも失礼だろうが,日々おだやかに生きるために最も大切な医療や介護の分野を担う人材ぐらいは『自前』で育てなければ、国としての存続さえ難しくなると憤慨したものである。

先日、東京新聞が、その時来日したインドネシア人看護師104人のうち、半数以上が日本での就職を事実上断念したという記事を載せていたが、読んだ人の多くはヤッパリという思いをしたのではないだろうか。

記事によると、EPAで来日し、日本で働き続けるには、3年間の滞在中に看護師国家試験(年1回実施)に合格することが必要だが、日本語の厚い壁にも阻まれ、第1陣の合格者は15人だけだったそうだ。

合格出来なくても、国家試験で一定の点数を収めて残留を希望した27人は特例措置で滞在延長が認められており、2月に改めて国家試験に臨むという。残る62人は、受験資格を保持したまま、11年8月までに帰国したが、このうち再来日して2月の試験を受けるのは4人だけという。

今回受験しない58人は、日本での就職をほぼ断念したことになるとのことだが、大騒ぎしてインドネシアでは一人前の看護師(看護士)として勤めていた若者の希望を奪うような制度は即刻廃止して、もしも応急的にどうしても必要ならば有資格者として採用するべきではないだろうか。

繰り返すが、外国の若者を横っ面を札束で引っぱたくようなやり方で連れてくるのではなく、待遇を改善して、以前のように子どもたちの夢、『憧れの職業』にすることが大切だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年1月 7日 (土)

下らない病名をつけるより先に・・・

最近病名をつけることがブ-ムになっており、『何とか症候群』という病気か大流行しているが、大震災で避難している人たちにも新たに『生活不活発病』という聞き慣れない病名が・・・。

先日の新聞記事であるが、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町で、長時間体を動かさないことで日常動作が困難になる『生活不活発病』の疑いのある高齢者(65歳以上)が調査対象の2割を超えることが、町と国立長寿医療研究センター(愛知県)の共同調査で分かったのだそうだ。

記事によると、『介護を受けていない』高齢者2702人の健康状況を分析した結果、『震災後、歩くのが難しくなり、今も回復していない』と答えた人は572人で、全体の21.2%に達したという。

『生活不活発病』という言葉から受ける症状は、解説を読むまでもなくだいたい見当がつく。狭くプライバシ-が無い避難所で生活していれば、動きが鈍くなることは誰にもわかること。

当然のごとく、全身の心身機能が低下し、筋力が弱くなったり疲れやすくなったりするのは想像に難くない。頭の働きが鈍くなり、認知症のように見えることもあり、災害時、高齢者に起こりやすいとされるとのことだから、以前からこの病名はあったのだろうか?・・・。解説によると、別名、『廃用症候群』とも呼ばれるらしいが、字から受ける印象は最悪。最初に命名した人のセンスを疑りたくなる。

海外旅行に出かける時、飛行機のエコノミ-クラスの狭い座席に長時間座りっぱなしの状態で我慢していたら、膝や腰がむくんだり痛くなったりする症状を『エコノミ-症候群』(この命名も何となく気になるが)というそうだから、数日いや数カ月も避難所生活を強いられていたら、高齢者でなくても身体の機能は低下するのは当たり前だろう。

記事は続く。仮設住宅入居者は震災後、871人中339人に歩行困難の症状が現れ、このうち261人は回復せず、生活不活発病とみられる高齢者の割合は30.0%に上ったという。

在宅の高齢者も1831人のうち311人(17.0%)に、同病の疑いがあることが判明。被災した沿岸部が164人を占めたが、直接被災していない内陸部でも107人いた。みなし仮設(意味不明)などの町外住宅は40人だったと、実に詳しい調査をしたことをうがわわせる。

生活の不活発化の理由としては『することがない』『外出が少なくなった』『疲れやすくなった』との回答が多いのは当然だろうが、被災していない地域では、スポーツや趣味を遠慮する傾向も目立つという一文は注目に値する。

被災していない地域の高齢者にとっては、災害前までは日常的にカラオケなどの趣味のサ-クルやゲ-トボ-ルなどのスポ-ツを楽しんでいただろうが、被災後は『自分たちだけ楽しい思いをしては申し訳ない』という心理になり、身体を動かす機会が減っているのではないだろうか。

この現象は、調査したのは南三陸町だけではあるまい。恐らく、どの被災地でも共通しているに違いない。

下らない病名をつけることに腐心する専門家のセンスにはガッカリするが、被災地の高齢者にとって生活が不活発になっていることは事実だろう。厳しい寒さの中、外で身体を動かす機会は全国的に少なくなることは仕方ないが、室内でもできる運動を紹介してほしいものである。

高齢者をその気にさせるのはテレビの力を利用するのが一番だが、いかにテレビに釘漬けにさせるかという視聴率稼ぎの番組づくりでは、こんなことが話題になるはずがない。

全国の高齢者が一番試聴しているらしいNHKは、番組の合間に自局のコマ-シャル?(番組の予告など)を頻繁に入れているが、そんなコマ-シャルより高齢者を運動に誘い込む映像を流してほしいものである。

それが高い受信料を強引にとっている公共放送の使命だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年1月 6日 (金)

正確なデ-タを示して収束を急ぐべき・・・

 新しい年になって、放射能汚染物質の中間貯蔵施設についての話題は連日報じられているが、『収束宣言』以来、マスコミの誘導だろうが、もはや放射能漏れなど心配ないという雰囲気が漂っているのが何とも嫌な感じ。4基の原発そのものの状態を報じる記事はもとより、原発事故関係のニュ-スも激減しているのが気になる。

大震災の復旧は遅々として進んでいないことに怒りを覚えるが、こちらはマスコミが取り上げなくても(他地域の人から忘れられたとしても)長い時間を考えると、少しずつ復旧することは歴史が証明している。しかし、原発事故は放射能という目に見えない敵が少しも減っていないことを考えると、日本人として決して忘れてはならないはず。その意味でも、今年もしつこいほどこの問題を取り上げたいと思っている。

汚染土壌氏が福島第一原発の『事故収束』を宣言したのは昨年の12月17日のことだった。放射性物質の放出や汚染水の懸念も残り、絶対安全の保証はどこにもなく、安全に廃炉にする道すらはっきりしない段階での幕引きに、私も含めて多くの人が呆れたのではないだろうか。

先月にも話題にしたが『冷温停止状態』という言葉が、当たり前に使われるようになり汚染土壌氏も『原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った』と述べていたが、『冷温で確実に原子炉が停止』しているならまだしも、建屋内でさえいまだに高い放射線量が計測され、人が立ち入れない場所もある現状で、わざわざ『状態』という言葉を入れた『冷温停止状態』などとわけのわからない表現は意味不明。しかし、そのことを記事にして指摘するマスコミはない。

『収束宣言』は廃炉へ進める節目とすることや、『いつ戻れるのか』というその日を心待ちにしている避難住民を少しでも安心させようという狙いがあることはわかるとしても姑息過ぎる。その底流には『少しでも安全らしい』という言葉で表現し、国民の原子力へのアレルギ-を押さえ、全国の原発の再稼働はむろん、世界へ原発輸出を進めたいという思惑があるに違いない。

確実な情報では、福島第一原発は『収束』どころか、溶け出した核燃料が格納容器をも溶かして地中にもぐり込んでいるメルトスル-状態だという。要はどうなっているかもつかめず、ただ水を注ぎ込み、冷却しているにすぎないのが現実で、循環注水冷却システムが正常に動いていれば、とりあえずは何とかなっているが、少し大きな地震が襲えば、トンデモナイことになることは間違いない。言葉は悪いがまさにその日暮らし・・・。なのに『収束』などと、よくぞこんな白々しい言葉が口に出るものだ。

また、原子炉を冷やした汚染水処理も大問題で、それを保管するタンクはすでに限界状態だという。東電は、低レベル汚染水は海に放棄するとの考えを発表しているが、漁民などの猛反対を受けてまだやっていないらしい。当然だろう。が、(根拠は何もないが)私的にはすでに相当量の汚染水が放棄されているのではと疑っている。

さらに、避難区域も原発から半径20キロ圏内の警戒区域と北西に延びる計画的避難区域を新たに三つの区域に再編する予定だという。年間放射線量が20ミリシーベルト未満を『解除準備区域』、20ミリシーベルトから50ミリシーベルトを『居住制限区域』、50ミリシーベルト以上を『長期帰還困難区域』に分けるそうだが、地形や季節による風向きの特徴など考えると、簡単に線引きが可能だとは思えない。

『解除準備区域』では除染とともに住民が戻れるようにするという。テレビのインタビュ-などでは『戻れるかもしれない』という期待顔の人々が多かったが、甲状腺ガンなど表面に現れるのは数年後、そんなことを考える、子育て世代の人たちには不安一杯だろう。

実際に後遺症が起きたら、いくばくかのカネでしか補償ができないのは歴史が証明している。当たり前の考え方では、放射能後遺症がゼロという保障がなければ、帰還できる条件にはならないだろうに、強引な線引きとは騙しの上に騙しを上乗せする責任逃れとしか思えない。

こんな子供だましのような差別・区別の線引きではなく、すでに国は科学的には詳しいデ-タをもっているはずだから、(批判覚悟で書くが)被災住民はもとより国民の多くからどんな罵声を受けたとしても、『ここはもう人が住めるところではないので永久に諦めてほしい』と正直に伝えるべきではないだろうか。

そして、行き場のない放射能汚染物質を、その場所に完全に且つ安全に保存できる大容量の施設を作ることが、収束の早道だろうと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年1月 5日 (木)

神仏に願うしかないのが悲しい・・・

 昨年末に民主党の税制改革会議に汚染土壌首相が直接乗り込み、5時間も演説して、時期を半年ずらすという妥協案で、消費税率の上乗せ案を納得させたという。新年になっても、この汚染土壌氏は、消費財増税に政治生命をかけるとか、今週中にも素案をまとめ野党と協議、そして反対なら解散もとのたまっているらしいが、何故ここまで増税という庶民イジメに熱心なのだろう。

 2年半前の衆院選挙では、公約という言葉をわざわざ『マニフェス』という横文字に置き換えて、(今思うと横文字が持つ目新しさと、本当らしいと思わせる手法だったのだろうが)『これは国民との約束』ということを強調して選挙戦に突入。

 ハトヤマ党首は何となく人が良さそうだというム-ドを作り出し、オザワ幹事長なら党内をまとめて、この約束事が履行できそうだという世論が高まり、私のような政治に対する不信感を持つものはもちろん、いままで選挙に無関心だった人までをも投票所に誘い出し、その人となりは知らずとも民主党という肩書を信じて投票。圧倒的な民主党所属議員を誕生させ政権交代を実現させた。

 当時の、民主党の『マニフェスト』はかなり鮮明に記憶している。一番気に入ったのは『コンクリ-トから人』というフレ-ズ。しかし、その象徴だった八ッ場ダムは中止から一転継続になり完全にホゴにされてしまった。

経済問題でも『国の総予算207兆円を全面組み替え。税金のムダづかいと天下りを根絶します』というのもかっこよかった。『国家公務員の総人件費を2割削減します』も、耳触りがよく聞こえたものだ。

『年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します』。そのため『今の仕組みを改め、新しい財源を生み出します』とも声高らかに叫び、徹底的な効率化で(当時よく言われた)『埋蔵金』や租税特別措置の見直しによって総額16.8兆円を捻出することを2013年度に実現するとも約束した。

今思うと、これらは全てデタラメだったことは明らか。ハトヤマ、オザワ氏などが始めから選挙の際にデタラメを並べ立て、有権者を欺むくつもりだったとは思いたくないが、民主党のお坊っちゃまは早々と政権を投げ捨て、アホカン氏が何となく不透明な方法で首相の座につくと、ますますマニフェストは忘れ去られ、結果的には16.8兆円など、どこからも出てこないことが明らかになる。

だから、その後を受け継いだ汚染土壌氏は消費税増税となるのだろうが、それだけでは誤魔化せないと、このままでは年金財政も破綻するとして、『税と社会保障の一体化』などというわけのわからない言葉を作り出し、年金の支給年齢の引き上げや、支給額の引き下げ、現役世代の年金保険料の引き上げを検討しているのだから許せない。

一方、国家公務員については人件費の削減どころか、極端に家賃を安くした豪華な公務員住宅は陰で進め、昨年末のボーナスは逆に増えているというから、これを二枚舌と言わずして何と言ったら良いのだろう。

さらに『社会保障と税の一体改革』の素案を見ると、公務員ら共済年金加入者のみの特権も廃止の公約もすっかり忘れ言葉を変えて存続させるらしいが、これは自治労や日教組など官公庁の組合向けの選挙対策としか思えない姑息なやり方。

いつのころか『政治主導』という言葉が聞かれなくなり、アホカンあたりから『財務省主導』路線に逆もどり。財政が厳しいということばかりを言い募るようになり、財務相に何やらいかがわしき人物を任命、やみくもに増税路線を突っ走るようになってしまった。

社会保障も税も、本来一体化して考えるその基本は経済の成長がなければならないことは、私のような超経済音痴でもわかることなのだが、そのことの議論はしないで、一番取りやすい国民の財布に手を突っ込んで金を取ろうとするのは、まさに悪代官の手法。もっとも無能な政治だということは歴史が明らかにしているはず。

何度も指摘していることだが、日本流の消費税制度は、『公平』という言葉が都合よく使われて、食料から教育まで全てに税をかけている。高所得の人たちは5%余分にとられても何とかなるのだろうが、低所得者にとっては死活問題だということぐらいは、少し立ち止まって考えれば誰にでも理解できること。

現行の制度は変えることなく、税率を10%にするというのだから、低所得者層の生活は現在とは比べ物がないほど厳しくなるという、ごく当たり前のことを財務省の超エリ-ト達はわからない?・・・らしい。

いやそんなことはあるまい。事実、政府は消費税率を5%引き上げた場合、生活保護受給者で年間約5万円の負担増になるなど低所得者の影響についての推計と、負担増の解消策の考え方を明らかにしているというから、これはまさに確信犯という以外ない。

今民主党に望むことは、これ以上国民を裏切らないでほしいということだが、こんな声は届くはずはない。汚染土壌氏がある日突然雷にでも打たれ、自分たちが国民とき約束だと言い切ったマニフェストを思い出してほしいのだが・・・。

庶民にはもはや神仏にすがるしか方法はないようだ。(田舎親父)

2012年1月 4日 (水)

新年早々トンデモナイ想像・・・

 昨年3月、東日本大震災・原発事故の直前に、たった一人だけ残っていた長兄が85歳でなくなったので、一応人並みに喪中という意識になり、年賀のご挨拶は遠慮させていただくが、今年もボケ防止のためと世の中に遅れないようにとの思いで拙文を書き留めることにしたい。

いままで、何度『近年ない犯罪』とか『今まで考えられない犯行』という言葉を使っただろう。それほど、信じられないような犯罪が日常茶飯事のごとく報道されていたことに、何故こんなに日本人のモラルが破綻したのだろうと嘆いたものである。

何の脈絡はないのだが、ふと、詫間某という男が大阪教育大学付属池田小学校に乱入して庖丁で1、2年生を片っ端から刺して死傷させた事件を思い出した。

それ以前にも信じられないような犯行はあっただろうが、この事件をきっかけに通り魔的事件や、我が子や肉親をいとも簡単に殺害する行動が目立つようになったのではないだろうか。そしてそれが現在も続いている。こんなことをずっと意識の中にあったのだが、昨年暮れになって、対外受精の子どもは肥満気味だという記事に出合う。

その時は、特段の意味を感じなかったが、生命の誕生という人間が手がけてはいけないと確信している分野にまで、最近の医学が踏み込んでいることに対して、当然何か弊害が合ってしかるべきだと思っている私は『そんなことも有り得るだろう・・・』という程度に読み流していた。

しかし、それから数日後に、プラスチックを加工しやすくする化学物質『フタル酸エステル類』が人の体外受精で使われる培養液に高い濃度で含まれていることが、厚生労働省研究班の調査でわかったという記事に、ずっと気になっていたことが、この報道の陰に隠されていたのではという、トンデモナイ思いが強くなる。

子どもを授かりたいという願望は大昔からあり、各地にその種の願いをかなえてくれるありがたい神社やお寺が存在し、多くの信者も存在している。実際にその神様仏様に願をかけてかなえられたという話も多く、それに類することを行い子どもにめぐり合えたと喜んでいる知人もいる。

そんな時には何も違和感を覚えない。しかし、子どもができないから医者に観てもらったという話を聞くと、何となく自分の感覚ではすっきりしない『何かあるようだ・・・』という妙な気分になることを否定できない。

医学的には生殖機能が不足したり、精子の数が足りない男性とか、受精しにくい体質の女性も数多く存在することは明らか。が、私は(思想として)それは仕方ないことで、神様の分野として、信仰の対象にしておけば良いのではないかと思っている。

しかし、どうしても子どもが欲しい、子どもがなくては困るという人も多いらしく、何時の頃からか、体外授精という技術が医学の分野では日常的になり、それを求めてごく普通の人たちが行列するようになっていると聞く。

その詳しい技術は知らないが、基本的には鮭や鱒などの魚類で盛んに行われている人工受精と同じで、女性から卵子を取り出し、生殖能力のある精子を何らかの方法で卵子に侵入させて受精させることに変わりはないはず。しかし、この技術を人間に適用するのだから、一つ間違えばトンデモナイことになるのも私が口にするまでもない。

ひょっとして詫間某かは体外受精で誕生した人物ではないだろうか。秋葉原や荒川沖駅の通り魔の犯人は、そして人を殺したくなったという少年も・・・。全く根拠はない私の勝手な想像である。

体外受精でこの世に生まれる生命は日本だけでも年間2万人もいるという。その人たちの全ての人格を疑るような意見になるといけないとは十分承知の上であるが、少なくとも体外受精の技術に、プラスチック加工に必要な薬品が不可欠となると、生命の誕生という神のみが手を下せる分野だと信じている私には、どうしても聞き捨てならない違和感を覚えてしまう。

私の近くの人でも(知らないだけで)体外受精で生まれた人も存在するだろうが、自分が体外受精で生まれた人間だと、どれだけの人が自覚しているだろう・・・。恐らく、多くの親は我が子に対して、そのことを話していないのではないだろうか。

新年の最初にしては重い話題になってしまった。体外受精で生まれた人の人格を否定するものではないことはくどいほど断っておくが、この記事の持つ意味は考えさせられる。(田舎親父)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ