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2012年2月

2012年2月29日 (水)

ちょっと一息・・・

 一日多い年の2月も今日で終り、あっと言う間に2ケ月が過ぎてしまった。天気予報は『明日は平野部でも積雪』と伝えていたが、4時半尿意で目が覚め、外を見ると雨。室温もさほど下がっていないこともあって、雪はないのではと一安心。

ところが、ウトウトして7時になって起きて見ると、一面の銀世界。しかも激しく降っているのでかなり積もりそうな気配。雪に弱い首都圏では、子どもたちは大喜びだが、通勤の足はいつものように乱れるのではないだろうか。不慮の事故のないことを祈る。

たまには良い刺激だろうが豪雪地帯ではこれが毎日。いやこんなままごとのような雪ではなく、一夜で数十センチの積雪も稀ではないとのこと、屋根の雪下ろしをしなければ家が壊れるというから、片田舎とはいえめったに雪の降らない町でのうのうと生活している私のよう者には想像に絶する世界。

今年の寒さは数十年ぶりだという。この寒さはまだまだ続くというから、これから列島の南岸を低気圧が通る季節の3月は、今朝のような雪も数回覚悟しなくてはならないかもしれない。

このところ地方の豊かな人情に浸って気分的にのんびりしているのが原因らしく、今朝は話題を探す気力がない。そこでちょっと一息入れるために、散策の途中で感じたことを・・・。

立春季になると、晩秋から初冬にかけて吹き続けた木枯らしと、本格的な冬の冷たい季節風にも耐えていた栗の葉も完全に落ち、里山の褐色の葉が全て吹き飛ばされしまい、雑木林では視界をさえぎるものが何もなく、上空には青が広がる。

立春からほぼ一月、樹木達は深い眠りからまだ冷める気配はない。散策を楽しんでいる私の前に、贅肉を完全に落とし、理想的な肉体美を誇ると表現してよいコナラやクヌギ、ミズキやホウノキなどの大木が圧倒的な雄々しさで迫ってくる。それぞれの樹木が持つむきだしの自然な樹形は美しく、つい立ち止まって見ほれてしまう。

私は雑木林の中を歩くのが好きだ。林の床に新しく積もった枯れ葉は厚く、一歩一歩くるぶしまでうずまるほどの柔らかさ。カサカサという冬から春にかけての雑木林独特の音の心地好さは経験した人は分かっていただけるだろう。

地元の愛鳥家の人達の手によって作られて雑木林にかけられたかなりの数の鳥の巣箱には、まだ一つも利用されている形跡はない。わが家の小さな庭のウメの木の枝に刺したミカンにはたくさん集まってくるが、自然界に生きる小鳥たちにとって、ここはまだ餌になる虫や木の芽が生まれていないようだ。

3月半ばになれば、ここにも小鳥の賑わいが戻ってくるだろうが、今はカラスのだみ声に遮られて聞き取ることが難しい。カラスの声は邪魔だが、明るく見通しがよいので、思いがけない植物を発見できるのも、この季節の特徴のひとつである。

うずたかく積もった落ち葉のあいだから、遠慮勝ちにそっと顔を出しているシュンランのつぼみや、エビネの芽など・・・(私の秘密の場所)。少し湿り気のある場所ではフキノトウが可愛い顔をのぞかせている。雑木林の低層を形成する低木類や草花にとって、高木が葉を繁らせ日光を独占する4月下旬までの、短い厳冬季から早春季が最も生き生きと活動できる季節なのだ。

名前を聞いてもその姿を思い浮かべられる人は少ないだろうが、数は少なくなったもののまだ少しだけ残っているウグイスカグラの可憐なピンクの花が目に飛び込んでくるのもこの季節ならではのこと。ハコネウツギを小型にしたような、なかなか味のある花である。

カジイチゴの葉芽もほころんでいる。クロモジもいつでも芽を出せるぞというように、その美しい姿を見せてくれているし、ミズキの芽のたくましさは見る人に勇気を与る。ネコヤナギの蕾から花がほころび始め、エゴノキのかすかな萌黄色・・・などなど、つい足を止めたくなるような味のある景色に出合うのも楽しみだ。

落ち葉をそっと取り除くと、そこにはスミレの若芽が息づいている。日当たりの良い場所にはオオイヌノフグリの群落。しばらくは『春は名のみぞ風の冷たさ・・・・』の季節が続くだろうが、降りしきる雪は毎日の散策で出合った風景を思い起こさせる。

明日から弥生三月。行きつ戻りつしながら春は確実に近づいている。(田舎親父)

2012年2月28日 (火)

大都会での悲しい出来事が続く・・・

少し古い話になるが、東京都の立川駅から1キロの距離というから大都会の真ん中と言ってもよい位置。そこのマンションで母子の遺体が見つかったのは今月半ばのことだった。死後2ケ月ほど経っているという。事件性はなく、母親はくも膜下の突然の発作症状で死亡したらしいが、4歳になる男の子は知的障害のため自分では何も食べられず、助けも呼べず衰弱死したというからなんとも痛ましい。

記事によると、遺体は二人暮らしの無職の45歳の母親と知的障害のある息子だとのこと。母子の部屋のガスがしばらく使われていないと、ガス会社が契約者である母親の親族に連絡したことが発端だったという。

記事にあるように、母親の親族がガスの契約者とのことで、この親族が、ガスが使われていないようだとガス会社に連絡というのは腑に落ちない。

何か事情があって、この母子は新築のマンションに入居したのだろうが、ここには家族間の絆を示すような形跡はない。親族というのは別居中の夫だと想定すると、ぼんやりと話の辻褄が合うが・・・。

これも出かける前の話だが、さいたま市のアパートの一室で餓死したらしい3人の遺体が見つかったという記事があった。は見つかった。周りは工業団地と田畑に囲まれているとはいえ、比較的便利な場所らしく人目は決して少なくないという。

六畳の和室に60代の夫婦が、四畳半の和室に30代の息子が布団に横たわっていたとのことだが、食べ物は見当たらず、水の入ったペットボトルが脇に置かれていただけだったというから情況的には餓死に違いない。

それにしても、60代と40代の大人の親子3人が餓死するというなど考えられるだろうか。この半年間は家賃の支払いが滞り、水道料金も未納だった。電気やガスも止められていた。ポストは郵便物でいっぱいだったというのに、隣近所の人は気がつかなかったのだろうか。そんな事はあるまい・・・。

ガスや電気を提供する業者としては、支払いが滞っては止めざるを得ないという商業の約束は理解できないこともないが、止めたらどうなるかということまで考えなかったとしたら、これは世も末期。金儲けのためには人の命など考えないないという見本のような事件である。

団地での高齢者の孤独死も日常茶飯事になっている。昔は、『世間さま』という考え方が誰の心の中にも存在し、恥やお節介の文化が存在していたが『世間さま』は死語となり、恥やお節介そのものがなくなってしまった現在では、この種の事件は増加することはあってもなくなることはないのでは・・・。

せめて、周りの異変に気いたときには、何らかのお節介をせねばならないと教えられる二つの事件である。

2012年2月24日 (金)

原発がらみの醜悪な話題・・・

 このところ連日、間もなく『全ての原発が停止』という話題で賑やか。政府は電力不足を盛んに強調し、原発再稼働の機運を煽っているが、そのやり方があまりにもミエミエなので世論の広がりにはほど遠い。

経団連など経済3団体幹部から、夏場の電力不足や原油高騰への懸念から原発の再稼働を強く要請されたこともあって、停止中の原発の再稼働を容認する方向で動き始めたというのも、にわか政権の本質を示しているような感じがする。

電力情況が厳しいだろうことは私にもわかるが、事故からほぼ1年経た現在になっても原子炉内部の情況すら全くわからない段階では、とても事故の究明など不可能な状態。ストレステストなどという、基準すらあいまいなテストに耐えたからといって安全だという判断はとても容認できるものではない。

そんな中、原発にはよほどの利権があるらしく、このところ新たな原発がらみの汚職まがいの話題が数多く報じられている。

その一つが、九電の玄海原発の所在地の佐賀県玄海町の町長の実弟が社長を務める建設会社『岸本組』が、町が発注する、電源立地地域対策交付金など『原発マネー』を財源とする工事の9割までも受注しているというから呆れてしまう。

こんな事ってあるのだろうか。常識的にみたら、兄が町長という職権を生かして、弟の会社に便宜をはかるという図式が見えるのだが・・・。地元では話題になっていたに違いないが、原発神話がマスコミを押さえていたに違いない。

一方、日本原子力学会が先月、使用済み核燃料などの輸送容器に関する検査基準を新たに決めたのだそうだが、その際に容器設計・製造会社『オー・シー・エル』と、同社から多額の寄付を受ける有冨某という東工大教授が主導する形で審議され、国の規制より緩い内容にまとめられていたというのも汚らしい話である。

原子力利権の巣だと言われている『原子力ムラ』内部で、自分たちに有利な基準を作り上げていく構図。この学会標準は分野ごとの分科会が原案を作成し、専門部会と標準委員会でチェックする仕組みだという。2010年に輸送容器分科会で検討が始まったそうだが、分科会は『オ社』の会議室で開かれ、原案の文書化もオ社から参加した委員が行ったというから、そんな事がまかり通っていたのか・・・といまさらながら呆れる。

この分科会の主査が、上部組織の原子燃料サイクル専門部会の部会長で、議決機関・標準委員会の副委員長でもある有富某。しかもこの某は06~10年度、オ社から1485万円の奨学寄付金を受けたというから、そのデタラメさは一目瞭然。

有冨某は『オ社の味方をしているつもりはない。全て検査していたら出荷が滞り、使用済み燃料の処理が進まない。学会としてサンプル検査でいいと判断した』と悪びた様子もなく話しているというが、自分主導で作った基準で自分が検査しているというのだから安全なぞ望めるはずがない。

この御仁は、福島第一原発事故直後、当時のカン首相に内閣官房参与に任命されていたというから、直接の事故の原因ではないが事故を起こした責任者の一人には違いない人物に事故対策をさせていたと言うから、これまた今更ながら呆れてしまう。

さらに、『原発推進のために11大学に104億円』という新聞の見出しに驚く。記事によると、東大や京大など11国立大学の原子力関連研究に対し、国や原子力関連企業などから少なくとも104億超の資金が提供されていたのだそうだ。

個人別で最多だったのは、有冨某東工大教授で1885万円と、ここでも有富某という名前が出てくる。企業からの寄付が研究結果をゆがめる恐れについて、この御仁は『気をつけている。私は安全評価より開発研究が中心で、問題は生じない』と、安全などは他人事のように話しているというから困ったもの。

原発に警鐘を鳴らしている科学者にはこの種の資金は一切ないというのも露骨な話。原子力改めて福島原発の事故は起きるべくして起きたと感じると同時に、再稼働許すまじという思いが強くなる。(田舎親父)

所用により3日ほど休載。

2012年2月23日 (木)

早く分裂した方がすっきり・・・

 少し古い話になるが、ノダ政権は17日の閣議で、消費税率引き上げを含む社会保障と税の一体改革大綱を決定したそうだ。

消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%に引き上げると明記し、増税前衆院議員の定数80人削減や、国家公務員総人件費削減に関する法案の早期成立を図る方針も示したとのことだが、自民党などの野党の反発は当然として、党内にも異論が吹き出しているというから、実現はまず不可能ではないだろうか。

マスコミ解説によると、政府は与野党協議を経て大綱を閣議決定したい意向だったらしいが、野党が協議の呼び掛けに応じないため、関連法案作成に一カ月程度かかることも考慮した上で、政府・与党が1月に決定した素案の内容を踏襲して決定に踏み切り、3月末までに国会に提出する方針だという。

その大綱は、消費税を年金、医療、介護の給付と少子化対策の財源に充てる『社会保障目的税』として、基礎年金の国庫負担の二分の一への引き上げや子育て支援などに充てる方針で、年収に応じて保険料を支払い保険料に応じた年金を受け取る所得比例年金と全額税で賄う最低保障年金を組み合わせた新年金制度を創設するという。

税金や年金の制度には全く疎い私には理解できない言葉の羅列に感じるが、何年か前にも、時の政府が『新年金制度』を打ち出したが、結局はできずにそのままズルズルと今日に至っていることを思い出す。

先日も話題にしたが、サイボ-グ化してまでも老人たちを生かし続けるのが『是』である今日の医療思想では、社会体制を根本的に変えない限り、毎年超高齢人口は増え続け(働ける世代より若い人たちは限りなく少なくなる)、その結果、果てし無く年金予算は膨らみ続けることは確実。

消費税10%で賄える年数はすぐに終り、さらに5%、いや10%の値上げが必要になると言い出すに違いない。実際に、オカダという副総理は最低年金として月7万円を保障するためには、今回の5%の上乗せではとても足りず、近い将来7%を増税しなければならないと言明しているから、まさに、いたちごっこ・・・。

それでも、ノダ内閣はどうしても消費税の値上げを果たすのが(何かにとりつかれたような強迫観念があるらしい)自分の使命だと発言し、その前提として、衆議院定数に対して『国民に負担をお願いする前提で身を切る努力をしなければならない。必ずまとめたい』と決意を示したというから,お手並み拝見というところか・・・。

今まではひたすら野党に対して平身低頭の態度だったが、今回の決定は一転しての野党協議なしの見切り発車。ある意味、やっと政権として目標を決めて動き出したという点では面白くなってきた。

これに対して自民党はアソウ内閣の時に明確に消費税10%を打ち出したことをすっかり忘れてしまったのか、そのことには口をふさぎ、民主党のマニフェスト違反を縦にとって、衆院解散・総選挙を迫るのでは国民は納得しない。現実に、支持率は落ちているというから、あわよく解散総選挙に追い込んだとしても、政権を奪える確率は限りなく低いのではないだろうか。

消費税値上げに、党内の最大勢力を率いるオザワ氏が公然と反対しているのも面白い。オザワ氏は今裁判の真っ只中、検察(弁護人検察)のやり方に対して裁判所が、提出書類の殆どを認めないという判断をしたというから4月には多分無罪判決が出るのでは・・・。となると公然と動き出すに違いない。

党内で、消費税値上げ問題に対して、政策理念が全く正反対の勢力が二分するとなると党の分裂は避けられない。巷では、大阪維新の会が全国制覇をねらっているとか、イシハラ新党が画策されているとか賑やかだが、いずれ消費税値上げを争点として総選挙が行われるのは間違いない。

私としては、全ての物品に課税する現在の消費税には反対の立場から、値上げに反対しているオザワ氏の周りに勢力が結集してほしいとは思うが、肝心のオザワ氏が本心から消費税値上げに反対しているかというと、一抹以上の不安は残る。

はたしてどうなるか。間もなく動き出すだろう政党の大変革を注目したい。(田舎親父)

2012年2月20日 (月)

いよいよサイボ-グ化・・・

 自動的に薬を放出するマイクロチップを体内に埋め込み、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)患者に安全な治療をすることに米ハーバード大などの研究チームが成功したのだそうだ。

注射が不要になり、患者の生活の質を重視したがん治療などへの応用も期待されるというが、自分の命は自分で守るものだろう。せめて、薬ぐらいは自分で飲めよ・・・と言いたくなるのは、私が病気で苦労していないからだろうか。

記事によると、このチップ(13ミリ×5ミリ)は、小型コンピューターと言っても良く、外部からの無線通信か内部のプログラムの指示でチップの穴から薬を体内に放出する機能を持つという。

今回は骨粗鬆症の治療に応用し、骨を作る働きを活発にする注射薬テリパラチド20日分を1日分ずつ放出できるように、複数のチップがUSBメモリーほどの大きさの容器に入れてあるとのことだが、わかったような、それでいてわからない話である。

マイクロチップを体内に埋め込むことは今の医術からして簡単なことらしい事は理解できる。コンピュ-タ技術でチップから薬剤を体内に放出することも、できそうだと思いたい。しかし『複数のチップがUSBメモリーほどの大きさの容器に』という部分がわからない。

そのまま素直に解釈すると、かなり多数のマイクロチップをUSBメモリ-程度の大きさの箱に入れて体内に埋め込むというように受け取れるがそれで良いのだろうか。となると、薬剤がなくなったマイクロチップはお役目御免となり、全てのマイクロチップがその役割を終える事になる。

そのときは、チップを収納してある容器を取り替えるのだろうか。何カ月(何年かな)かに一度手術台に横たわり、麻酔を打たれて体内の部品を取り替える・・・。あまり想像したくない図である。

65~70歳の女性患者7人の腰回りに埋め込み、様子をみたところ、薬は想定通り放出され、注射と同様に骨を作る働きを活発にする働きがみられ、副作用もみられなかったというから、私的には想像したくないが、良い事づくめの夢の治療法らしい。

しかし、なぜここまでやらねばならないのだろう。病気に悩む人たちにとって新しい治療法は何よりの福音であることは十分理解しているつもりである。医学の発展により不治の病が回復可能になることも素晴らしい事であることも疑いは持っていない。

長生きすることが全てに勝る『是』いう考え方が広がることが、これからの人類にとって果たして幸せなのだろうか。医療によって無理に生かすこと、生かされる事が本当に必要なことなのだろうか・・・と最近とみに思う。

最近毎日のように『少子高齢化』の話題が新聞テレビを賑わしている。『税と社会保障の一体改革』と耳触りの良い言葉を並べているが、要は高齢者が増え過ぎて年金問題が深刻になり、その財源として消費税を当てるという理屈なのだろうが、今回のチップ埋め込みに端的に現れているように、人間がサイボ-グ化してますます高齢化し続ければ、財源も限りなく必要になる。

(繰り返すが)医療の発達は素晴らしいことだと思うが、どこかでストップしないと大変なことになりそうな気がしてならない。

生老病死という言葉があるように、生まれた以上誰もが歳をとって老い、病気になって死に至るのは生き物の宿命。これを素直に感じとりたいものである。(田舎親父)

所用のため明日・明後日は休載。

2012年2月19日 (日)

またバカ親の子殺し・・・

 いつから日本人は肉親へのちょっとした心配りができなくなってしまったのだろう。以前も取り上げたが、真夏の炎天下に車の中に寝ている乳児を放置していたらどうなるか、少しの常識があればわかると思うのに、毎年のように繰り返され、その都度幼い子どもの命が失われる報道にウンザリする。

また、日常の喫煙習慣がそうするのだろうが、使い捨てライタ-を放置しておいて、子どものいたずらから出火という事件も後を絶たない。

きつく叱られる事を繰り返されている子どもは親の前では決してライタ-など見向きもしないが、簡単な操作で火がつく事は、子どもの好奇心を煽る絶好の品物。親が見ていないとその行為に挑戦するのは当たり前。これもほんの少しの常識があれば理解できることなのに、この種の事件報道も繰り返される。

午後6時というからまだ人の暮らしが賑やかな時刻。東京都板橋区の荒川の河川敷近くの3階建ての家の3階部分から出火。約15平方メ-トルを焼き、女児二人が心肺停止の重体で救出されたが、搬送先の病院で死亡が確認されたというニュ-スが報じられた。

亡くなったのは5歳と3歳の女の子だという。現場にはタバコの吸殻や使い捨てライタ-が散乱していたというから、またか・・・とがっくりする。

21歳の母親は外出中だったとのことだが、これもこの種の事件では定番。あくまで推測だが、タバコの吸殻が散乱していたとの文面から察すると、日常的に母親の喫煙習慣がうかがえる。この事についてとやかく言うつもりはないが、その管理がずさんだったに違いない。

子どもが寝ていると思ってちょっとの間(記事では40分ほど)外出したすきに出火したというが、夕方の6時に都合よく二人が昼寝をしていたというのも素直にはうなずけない。

偏見は持ちたくないが、この母親は『ちょっと用事があってでかけるからおとなしく留守番していなさい』という程度の注意をしてでかけたと想像している。親がいなくなったことを見て、どちらかともなくライタ-で遊んでいたら何かに燃え移った。慌てた子どもは逃げるより前に、叱られることを恐れて消そうとしたが、その時はすでに遅しで、みる間に燃え広がったのではないだろうか。わずか15平方メ-トルを焼いただけという文字列がこの事を現しているように思える。

事件には歴史と同じく、『たら』『れば』は禁句だとはわかっているが、母親の喫煙習慣がなければ、そして、ライタ-を片づけるというほんの少しの注意心があったら二児を焼き殺すような悲惨な事故は起きてかった事は間違いない。

『便利と快適』が何よりも重要な要素になり、誰もがその事を求めることは当たり前。だが、現代社会の盲点だろうが、その前に『自分の責任において』という最も大切な心構えを失って、誰かが安全を守ってくれるという安易な気持ちが全体に広がっている。

と同時に、相手の立場で物事を考えることができないので(子どもの好奇心などに考えが及ばないので)、ライタ-でいたずらするなど思いもよらない。あるいは、ちょっとの間くらい大丈夫だろうと無意識に思い込んで、快楽を求めてパチンコ等(今回は買い物と思いたいが)に夢中になり時間を忘れてしまう。

その結果、焼き殺されたり蒸し殺されたりする子どもが毎年のように出てくる。何とおぞましい、そして馬鹿馬鹿しい繰り返し。

子どもが操作し難いライタ-が義務づけられたらしいが、それは日本で製造する商品に限られたことなのだろうから、より安価な使い捨てライタ-が流通からなくなるとは思えない。それ以前に、責任をライタ-の構造のせいしてはならない。

要は、使い捨てであろうとなかろうと(操作が簡単だろうとなかろうと)、ライタ-を放置しないというほんの少しの親の常識があれば、今回の事故を最後にできるはず。

NHKさん、番組の宣伝(バンセンという言葉さえ生まれているらしい)ばかりしないで、せめて『ライタ-の始末をしていますか』という程度のケイセン(警告コマ-シャル)を入れてはいかがだろう。(田舎親父)

2012年2月18日 (土)

国民から搾り取る算段ばかり・・・

 2年間の期間限定で公務員の給料を削減して復興財源に当てるという民主党の姑息な手段については先日も取り上げた。公務員の給料を引き下げることについては、特に異論はないが、高級官僚たちは多少の値下げは屁とも感じないだろうし、多少値下げされたとしても、その分を補っても余りある利権が懐に入る仕組みを作っているのだろうから、痛くも痒くもないはず。気の毒なのは下っぱの役人たち。

こんな特権階級の高級公務員が、これまた自分たちの身はなにも削らない政治屋と組んで、日夜国民の懐からカネを巻き上げようとあの手この手を考えているらしく、手を変え品を変えいろいろな方法が生み出されているようだ。

1等と前後賞を合わせ宝くじとしては過去最高の5億円が当たる『東日本大震災復興支援グリーンジャンボ宝くじ』が14日に全国で一斉に発売され、それを求めて過去に大当たりがあったとされる宝くじ売り場に長蛇の列。何とか一攫千金を願う庶民が群れをなしている姿がテレビで紹介されていた。

ある新聞記事には、人気スポットの『西銀座チャンスセンター-』は小雨の中、発売開始の午前8時半に約700人が並んだとある。横浜市の50代男性は『当たったら全額、被災地に寄付したい。明日はわが身。われわれは何もできないから、こういうことで少しでも貢献できれば』と話していると書いている。全額はともかく、一部を寄付したいと思っている人は多いだろう。

この宝くじのウリは、『収益の一部が被災地に分配される』というフレ-ズ。その額は88億円だそうだが、『被災地復興』とうたいながら、なぜ『利益の全額』という、当たり前な考え方がないのかと疑ってしまう。

なんでも1等は3億円で前後賞が1億円。連番で購入すると5億円の可能性があるのだそうで、それが22本。その他、前例がないほどの(誰にでも当たりそうだと思わせる)多額の懸賞金と当たり数が宣伝されている。

1枚300円で、2億2千万枚を売り出すのだそうだが、年末ジャンボで明らかなように、いやそれ以上に『災害復旧』というカンムリがついているので、完売することは間違いない。単純に計算しても売り上げ金は660億円。収益は280億円というから、380億円から懸賞金を差し引いた差額はどこかに消えるらしい。

その中から、たった88億円を復興事業に役立てるために、被災した9県と2政令指定都市に配るという。災害の規模や被災人口にもよるが、1自治体に配られるのはたかだか数億円から数十億縁程度だろう。いただける方としてはありがたいだろうが、何か違和感を覚えてならない。

ところで、最近よくテレビが取り上げているのが、被災地への寄付金が青色申告をすれば戻ってくるという話。

『ふるさと寄付金』制度というものがあるのは一応知っていた。この制度を拡大解釈すると、自分が故郷ではない東日本大震災の被災地以外の出身の方でも、復興支援として被災地の県や市町村に直接寄付する場合のほか、日本赤十字社や中央共同募金会などに東日本大震災義援金として寄付する場合にも『ふるさと寄付金』として所得税と個人住民税で控除(還付)が受けられるのだそうだ。

寄付という行為に対して税金の制度を絡めるという考え方には大いに異論があるが、こんなに世知辛くなった今、(所得によるらしいが)10000円を寄付したときには約8000円が返ってくるというから、この制度に疑問を持ったとしても飛びつく人も少なくないのではないだろうか。

2000円からこの制度が適用されるのだそうだが、事故直後にこの制度のことを知っていた人ははたして何人いるのだろうか。税理士など一部の人たちにとっては、寄付行為と同時に青色申告というキ-ワ-ドが頭に浮かび、預り書を請求したり保管するは当然だろうが、一般人にとっては単なる紙屑に等しい。

いやむしろ、私もそうだが、郵便局の義援金箱に、本当に被災者に届くのだろうかと疑問を持ちながらも、いくばくかの金額を入れたり、街頭募金の呼びかけに応じるのが当たり前で、わざわざ窓口でお札をだして預り書などもらうなど考えもしない。

今後この制度が広く知られるようになると、例え1000円でも窓口に出かけて預り書を受け取るのが当たり前になるのだろうが、その手間と人件費は膨大に膨れ上がるのは間違いない。

『復興宝くじ』も『義援金還付』も、何やらまやかしのように思えるのは、はたして私一人なのだろうか・・・。(田舎親父)

2012年2月17日 (金)

大丈夫かスカイツリ-・・・

 間もなく東京スカイツリ-が開業する墨田区周辺の地元はおお盛り上がりを見せているらしい。このところ、日をおかずこのニュ-スが報じられ、その雄姿も連日見せてもらっているので、実物は見ていないが半分行った気になっている。

高は634メートルというから、東京タワ-のおよそ2倍。近づくだけで圧倒されるに違いない。一度は地表から400メ-トルの展望台に登ってその眺めを経験したいとは思っているが、開業後しばらくは押すな押すなの混雑が続くことは間違いないと思うと、人ごみ恐怖症の私にはすぐに出かける勇気はない。しばらくは、テレビでの疑似体験で我慢というところか・・・。

だいぶ以前になるが、東京都心でも雪が積もった日のことである。東京スカイツリ-の上部に積もった雪が落下して、恐々した表情で通行する人々の姿がテレビのニュ-スで紹介されていたがこれは大変。もしも人にでもぶつかったら大事になるに違いないという危惧を持つ。

同時に、信じられないような高所で雪下ろし?(雪溶かしかな)をする作業員の姿も映し出されていたが、自分が行うわけではないのにも関わらず、思わずゾッとするほどの緊張感と恐怖感を味わう。

その時はそれですんだが、一昨日になって、『スカイツリ-から100~200メートルの距離のところで1月下旬、住宅のベランダのプラスチック屋根など3カ所が破損していたことが、事業主体の東武タワースカイツリー社への取材で14日分かった』との朝日新聞のニュ-スで、何となく『やはり・・・』という暗い気持ちになってしまった。

いずれも塔についた雪が塊になって落ちた影響とみられるとのことで、今回の損傷は軽微で、けが人はなかったというが、放置しておける問題ではなさそうだ。

気温は100メ-トル上昇すれば0.6℃下がることは小学校でも教える知識。それに基づくと、地表600メ-トル超ともなると、約4℃下がることになる。地表では0℃でもタワ-の上部は零下4℃。タワ-に積もったりくっついたりした雪はすぐに氷となりタワ-本体に張りつく理屈になる。

設計者はこのような自体は当然想定しているに違いないと信じたい。が、福島原発の事故から想像すると、技術者の想定の甘さから(最悪の場合)凍った雪の塊が落下することに対して、あまり考えていなかった事も有り得るかも・・・。

例え甘さはあったとしても、スカイツリ-上部には融雪の仕掛けが組み込まれていなければ規格が厳重?な我が国の建築基準にgoサインが出るとは思えないが、実際に、ブラスチックの屋根に被害を与えたという事実が判明した現在、関係者は頭を抱えて協議しているのではないだろうか。

今年は例年にまして寒さが厳しいことは実感しているが、関東の平野部ではカラカラ天気が続き、雪らしい雪は一度しかなかった。その一度の雪で今回の事故は起きた。これからは気温がゆるみ、このような事故はないかもしれないが、(またあってはならないが)来年以降、暖冬が続くとは誰も予測できない。

スカイツリ-は『日本沈没』と小説の世界のような事態がない限り、数十年はおろか数百年風雪に耐えて、墨田区、いや東京の、もっというならば日本のシンボルとして存在してもらわなくてはならない建物である。その長い期間の間には、今年以上に寒波に襲われる年もあるだろう。

そのとき、(考えたくないが)結氷した大量の雪の塊が落下、人命に被害を与えないという保障はない。

いまからでも遅くない。英知を結集して、今回のような事故が起きないようにあらゆる対策を急がなければ・・・。(田舎親父)

2012年2月16日 (木)

雪害対策にこそ自衛隊を・・・

 ノダ汚染土壌政権が目指す消費税率引き上げに世論の理解を得るため、政権交代を勝ち得た衆院選挙時、重用マニフェストとして掲げた『国家公務員総人件費の2割削減((1・1兆円))を明記した法案を国会に提出するという記事が目についた。

それに関わって、(本気度を示したつもりなのだろうが)類する会議が数多くあるのにも関わらず、またまた『行政改革実行臨時会議(仮称)』なる組織を立ち上げるのだそうだ。まさに屋上屋というか、とても2割削減などできるわけがないのに、『身を切る政策』を強調する姿勢をアピールしたいというパフ-マンス以外なにものでもない。

この関連の記事を見ると、アホカン内閣時代に政府が提出した法案は復興財源として国家公務員給与を13年度末まで7.8%削る内容とある。そして、自民、公明両党との協議は難航したが人事院勧告に従い0.23%給与を引き下げたうえで7.8%減額し、合計約8%削ることでやっと基本合意したはずなのだが、法案の提出が遅れたので、実際には12月至急のボ-ナスは、前年度より高額になったという。なんというバカバカしさ。阿呆らしくて新聞を投げつけたくなる。

公務員の労働基本権問題や地方公務員給与の扱いをめぐり対立は解消していないというから、国家公務員の人件費抑制の先行きは全く見えないのが現状。民主党は国家公務員に労働協約を締結する権利を同時に認めるよう求めているようだが、自民党は反対している一方、自民党は地方公務員にも給与削減を波及させるよう求め、民主党が難色を示しているというから、議論は空回り。

民主党が労働協約締結権にこだわるのは支持団体の連合から給与削減の理解を取りつける際、同時実施を約束した経緯があるためらしい。連合としては、一旦値下げは認めても、スト権さえ手に入れれば、将来的には値上げを勝ち取れる自信があってのことだろう。

しかもこの法律は2年間の期限立法だというから、政府が消費増税を目指す14年春にこの期限が切れることになる。連合は、公務員の給与が大幅に『復元』できるという筋書きを描いているのではないだろうか。

公務員の臨時的な給与削減は、大震災と原発事故の復興財源対策として出てきた話。震災から間もなく1年と言うのに、こんなことすらできないとなると、民主党の最重用課題の国家公務員の総人件費2割削減などははるか雲のかなたの霞の中。

ところで、この臨時法案について、自衛官の給与カットについては一般公務員から2カ月遅れで実施する方針を固めたのだそうだ。理由は、東日本大震災を受け、行方不明者の捜索や復旧などのため自衛隊が約2カ月間にわたって大規模展開したことを考慮したというから、よく働いたヨシヨシ・・・というところか。

あまりにもミエミエというか、情けない。たった2ケ月だけ給料値下げが延ばされることで納得する自衛隊員も少なくないと思いたい。これは、忠実に命令に従った犬にご褒美に餌を多くやると同じ発想で、もう少し自衛隊員の心を鼓舞するような政策を思い浮かべてほしいものである。

自衛隊について言いたい事はいろいろあるが、東日本大震災と原発事故でき活躍には正直頭が下がり、日頃からの自衛隊批判論を展開していた人がしばし封じた事は確か。しかし、自衛隊の設立の趣旨からいえば、外国から攻撃された時、戦うためだけに存在するのではない。自衛とは国民の命の防衛も大きな使命であることから,この活躍はある意味当然。国民の感謝はその答礼になったと受け止めている。

話は飛ぶが、今年は例年に倍する大雪で、過疎の高齢化の進んだ豪雪地帯では、雪降ろしで命を失うという悲しいニュ-スが連日報じられている。もう少し若ければ(時間的に余裕ができた今)すぐにでも現地に駆けつけてお手伝いしたいと思っているが、およそ役に立たないだろうと思うとイライラが募る。同じような思いの人も少なくないのではないだろうか。

豪雪地帯の人たちでも、今年の雪は想定外だと口を揃えているほどだから、非常事態に当てはまるはず。これは十分自衛隊の出動の条件に当てはまるのでは・・・。

自衛隊には重機が揃っているだろうし、孤立した村へはヘリコプタ-で空からの救援などはごく簡単な行動。雪下ろしなどは絶好の訓練の場となるのではないだろうか。

東日本大震災の被災地の復興にももっと役立てるはずなのに、あっさりと部隊台を引き上げてしまったのも変な話だが、このことについて報じるメディアはない。これほど自衛隊の活躍の場が揃って、国民にその価値を訴える絶好の機会なのに、自らそのチャンスをつぶしているとしか思えない。

ぜひ豪雪対策出動を願いたいものである。与野党にかぎらず議員もその事を国会で発言すれば国民からの喝采は間違いない。マキコ旦那がこの事に気がつけば良いのだが・・・。(田舎親父)

2012年2月15日 (水)

どうしても再稼働したいようだが・・・

2月15日   定期検査で運転が止まっている関西電力大飯原発3、4号機を今年の4月から再稼働する動きが活発になっているらしい。

詳しい技術的な内容はわからないが、関電は再稼働の条件となっているストレステストなる評価基準の実験検査?を行い、その1次評価の報告書を原子力保安院に提出したという。保安院はこれを受けて『妥当』とする審査報告書をまとめるのだそうだ。

国際原子力機関(IAEA)も先月大飯原発を視察しストレステストの結果の『審査手法』は妥当(具体的な検査現場には立ち会っていないらしいが)とする報告書の概要を保安院に提出したときことだから、後は地元の了解を得れば再稼働となるようだ。またまた政府・保安院と電力会社のできレ-スとなる公算が強くなってきたようだ。

保安院は『福島第一原発を襲ったような地震・津波でも、同じような事故にならないことが技術的に確認できた』とのことだが、『技術的に確認できた』とはいかなることなのだろう。福島原発の2号機の原子炉内部の温度が急上昇(温度計の故障とかたづけたようだが)しているという、原子炉の内部も良く分からない、低温停止とはほど遠い現状であるにも関わらず、『福島原発と同程度』なる表現そのものに強い不信感を持つ。

専門家委員の中には『二次評価も行わないと総合的な評価とは言えない。一次評価だけで運転再開のステップにすべきではない』など、指摘や疑問が出ているというが、そんな声を『たくさんの指摘や議論をいただき、書き直すべきところも少しはあるが、長時間議論をいただいたので、保安院として責任を持った対応が必要だ』と封じ、正式な審査書としてまとめ、原子力安全委員会に提出するという。

二次評価の内容も見えないが、今回の専門家会合も前回同様、一般傍聴者を会場に入れずに会議を進めたという下りは、要は『再稼働ありき』が前提となって、反対意見を徹底的に押さえ込む手段だとしか思えない。

再稼働と関連しているのかもしれないが、東電はじめ電力会社が原発のある自治体に提供した寄付金の総額は、これまでに1600億円以上になっているという記事があった。原発のある自治体には、国からの交付金や核燃料税などの税金が入ってくるに加えて、特別措置としていろいろな特典があることは知られているが、さらにこれらの寄付金が入るというから、なるほど原発の町の施設設備の立派なことが良く分かる。

この寄付金は、事故以前まで何十年にわたって、電力各社が派手に展開していたテレビのコマ-シャルや原発賛辞のパンフレットなどと同様、発電事業に必要な費用として『電気料金』に組み入れられてきたという。国はそれを認めていたというから、いまさらながら腹立たしい。

寄付金を巡っては、原発推進を目的に電力会社が申し出るだけでなく、地域振興をねらう自治体側から求めるケースも多いという。

停止原発のある自治体の担当者は『寄付金を見込んで計画を立てて始めた工事を、稼働停止が見込めないという理由で途中でやめると混乱する。ほかの事業にしわ寄せがいかないよう、財源を確保する努力の一環として、電力会社に協力を求めた。寄付金をもらうことで安全の問題に手加減をしたことはない』と述べていることから、(安全神話を信じてだろうが)原発推進で地域振興という自治体の体質も大いに問題がありそうだ。

電気料金制度の見直しについて議論してきた経済産業省の有識者会議は『これまでのように発電事業にかかった費用として認めるべきではない』との指摘をしたというが、こんなことは当たり前。バレた以上同じ手法で国民から収奪できないので別の方法を考えろというところか・・・。

ところで、新聞社が行った全国の原発へのアンケ-ト調査でわかったことらしいが、国内の商業用原発全54基のうち5基で、原子炉圧力容器の脆さの指標となる『脆性遷移温度(関連温度)』が、予測値を上回っていたという記事に気づく。

『脆性遷移温度』なる言葉は初めて聞く。解説によると、原発の最重要器機の一つである鋼鉄製の圧力容器は、中性子を浴びて次第に脆くなり、関連温度が高いほど、衝撃に対する強度は低くなるのだそうだ。5基の原発ではこの温度が高くなっていることから脆くなっていることがわかったとのこと。

わかったような、わからないような話だが、温度計の故障にしてしまったが再臨界の可能性もある福島第一原発の2号機。少なくとも福島第一原発の事故検証が完全に終わるまでは、再稼働をしてはならないことだけははっきりしている。(田舎親父)

2012年2月14日 (火)

チガヤがホ-スを突き破る?・・・

 事故原発から出る高濃度汚染水の処理に使うポリ塩化ビニール製のホースから水漏れが22件見つかっている問題で、東電はホース周辺にはえたイネ科の雑草のチガヤが原因と断定したという記事に、『そんなことってあるのだろうか・・・』と首をひねったのは私一人ではないと思いたい。

この事故があったのは昨年7月から11月にかけてのことだったという。私が見落としていたのかもしれないが、高濃度汚染水が22回も漏れていることを報じる記事を見た記憶はないが・・・。

これまでの情報隠蔽体質から、この事故もひたすら隠していたのではと思えてならないが、私の見落としだとしても『チガヤ犯人説』には納得できない、

記事によると、このホースは、原子炉を冷やした後に漏れ出る放射能汚染水を浄化し、原子炉に戻す『循環注水冷却』の装置やタンクを主に屋外で全長4キロにわたりつないでいるという。

水漏れしたホースからは枯れたチガヤが見つかっているとのこと。東電は、ホースに欠陥がある可能性もあるとみて、ねじり、ひっぱりなどの実験を行ったが、破損は生じなかったが、先端のとがったチガヤと同じ硬さの針を刺すと貫通したのだそうだ。

違う新聞記事では、『4層構造で、チガヤを使った実験(この意味がよく理解できないが)で、先端が細くとがった芽が内側に貫通する可能性があることを確かめた。芽が出てホースに刺さった後、秋ごろ枯れて、ホースから抜けて水漏れが相次いだらしいとある。

記事を素直に読むと、チガヤの若芽が塩ビのホ-スを突き破って成長し、枯れたのでそこから水漏れがしたとしか受け取れないが、そんなことってあるとはとても思えない。

『チガヤ』という名前から瞬間的にその姿を思い浮かべる人は少ないと思うが、地方で育った人には、『幼い時に白い穂を抜いた茎をかじったら甘味を感じるので、ちょっとしたおやつ代わりに口にした植物』と言ったら、『ああ、あの草か』とその風景を思い出してもらえるのではないだろうか。

植物に共通しているのは、若芽は柔らかいことである。このことは雑草中の雑草と言われている、秋には黄色の花であたりを睥睨し、冬枯れした草原でも固い茎をとどめて、我々の年代ではチャンバラごっこの刀にした『セイダカアワダチソウ』でも、春の芽生えはやさしいものである。

チガヤは枯れると固い茎を残すことは確かであるが、芽が塩ビのホ-スを突き破るとはとても思えない。百歩譲って万が一突き破ったとしよう。その時点で水漏れが起きるなら理屈としては通用しそうだが、水漏れを最初に発見したのが7月というのは到底納得できる話ではない。

記事には、ホースに長さ数センチの亀裂ができる現象も2カ所起きたとある。チガヤの若芽が数センチの亀裂を起こすことなど考えられないことに対して『強い力でねじれや引っ張りを加える実験では、亀裂は生じなかった。ただし、元々ホースに傷があれば亀裂が起きる可能性はあるという』との文言から、不良品の可能性を匂わせている。その通り、不良品であったに違いないが、マスコミはそこまで踏み込まない。

結局は『チガヤ犯人説』を押し通して曖昧にことを始末してしまうという、これまでの事故処理報道と同じ・・・。

また一つ、東電とマスコミの誤魔化し体質が浮き彫りになった記事である。(田舎親父)

2012年2月13日 (月)

秋入学について考える・・・

 先日、東京大学の『入学時期の在り方に関する懇談会』が、中間報告で、秋入学への全面移行を提言したというニュ-スに、またまた東大らしい発想だと受け止めるとともに、以前から秋入学に関心を持っているので今後の動き面白くなりそうだ。

秋入学は、以前から一部では強い意見としてある。先進国の多くが秋入学なので、留学生のスケジュ-ルが合わないことが背景にあるらしい。確かに、秋入学にすれば海外からの留学生や帰国子女が増え、日本人の海外留学も増える可能性は高くなると思いたい。

専門家の間には、これに加えて高校卒業から大学入学までの空いた期間中に、ボランティア、インターンシップなどの『多様な経験』ができることや、企業の新卒一括採用が多様化するきっかけとなるという賛成の意見があるが、一部の大学だけに秋入学を導入すると、就職、入試、大学間交流において混乱が起きると、時期尚早との懸念の声も大きいことも間違いなさそう。

入学式が4月になったのは、農業が国の主な産業だったことが大きな原因だろう。学制が引かれたのは明治5年。時の政府の要人たちは外国の制度を研究し、9月入学の意見も強かっただろうと想像しているが、9月といえば全国的に稲刈りの真っ只中、これではいくら一部の先進政治家たちか『国の根幹は教育』と叫んでも、秋入学の制度など政府の議題にもならなかったに違いない。

しかも、時の政府は長州・薩摩はじめ全ては西の地域の者たちが京都の天皇(異説があるらしいが)を担ぎ上げた権力である。自然界は農業の始まる前、比較的農家にとって時間のある3月4月は百花繚乱の華やかな世界。入学や卒業には打って付けとばかり、ここに決めたのだろうと想像している。

歴史には『もしも』は不適切なことはわかっているが、もしも東北人が時の文部行政に携わっていたら、これほどまで寸なりとは決まらなかったのではないだろうか。しかし、春入学は東北の人たちにも受け入れやすい季節、結局は現在の制度が明治以来今日まで、誰一人本気で変えようとは思わず続いてきたことになる。

私が秋入学を考えるのは、先進諸国の大学のスケジュ-ルに合わせるためというより、教員の事故を高めるための研修のためからである。

現在のシステムは幼稚園から大学まで全て4月入学、3月卒業で、間に(地方によって多少の差はあるが)約40日の夏休みと約15日の冬休みが入る。それを区切りとして3学期制度ができ、このスケジュ-ルに就職はじめ社会全てが組み込まれ、年度という考え方も完全に定着している。

教員社会をみてみよう。昔とは随分教員気質は変わったと言われるが、教員という仕事は(特に幼稚園や小学校では)子どもが存在して初めて成り立つ職業で、特に担任ともなると、学期中の(研修のための)休暇は極めて取りにくい環境は変わらない。雰囲気だけではなく、休暇をとらないというのは教員の一つ資質だとも考えられているらしく、休暇の多い教員はえてして子どもや保護者空の受けは悪いのがこれまた事実。

それでも、教育法規で『教員の研修権』が認められていることから、以前は夏休みに出勤しないでいろいろな研修をすることが可能だったが、最近はそれらも認められなくなり、子どものいない学校に出勤することが義務づけられている。

教員にとって、子どもがいない学校ほど虚しい場所はない。私は以前から、(荒っぽい意見だが)教員は年俸制にするべきだと述べているが、9月入学6月卒業にすれば7月8月は完全に勤務を要しない日となるので、そこは年俸計算をゼロとすれば良い。

この2ケ月をどのように過ごすかはそれぞれの考え方に任せれば良い。自分を磨くために旅をするも良し、将来のために資格を得るのも良いだろう。また、特技を生かして、音楽のライブやスポ-ツのインストラクタ-として収入を得ることも可能である。

また、『秋休み』などという一番勉強に適した時季に休みを作ってまで、2学期制を持ち込むのが大流行だが、9月入学ならば、学期の切り替えは大寒の時季。その必要もなくなり無理なく2学期制に移行できる。その他、諸々あるのだが時数の関係で今日は略。

7、8月の2ケ月、公立の学校の施設は地域や民間に貸し出せば良い。東大だけ、あるいはそれに続く大学だけが秋入学となれば社会的な混乱は避けられない。秋入学は教育会全体で取り組むべきだと思うが・・・。

東大の先生方の高邁な理念とはかけ離れているが、こんな考え方もあると、あえて秋入学のことを話題にしてみた。(田舎親父)

2012年2月12日 (日)

また規制が強くなる?・・・

 一昨日の夕方、ネットの速報に『小学校でスノーモービル事故=鉄棒に激突、運転の校長死亡―青森』という文字列が流れた。

その内容は次の通り(引用はじめ)8日午後1時25分ごろ、青森県鶴田町胡桃舘の町立胡桃舘小学校(児童数64人)で、同校校長佐藤勝博さん(59)=同県弘前市藤代=が運転するスノーモービルが校庭の鉄棒の支柱に激突、佐藤さんが頭部を強く打ち死亡した。スノーモービルには、同校4年の男子児童(10)も同乗していたが、顔面打撲などの軽傷だった。

県警五所川原署などによると、同校では同日、昼食後に特別活動として「雪遊び集会」を開催。在校生の保護者を介してスノーモービルを計3台借り、希望する児童に体験乗車させようとしたが、運転できる人が2人しかいなかったため、佐藤校長が1台を運転。児童を乗せて校庭を1周する間に運転を誤り、鉄棒に激突した。(引用終り)

何ら変哲もない事故のように見えるが何か引っかかる。スノ-モ-ビルを運転したことがないので、どのぐらいのスピ-ドが出るのかはわからないが、地方とはいえ(校庭の広さから)たかだか小学校の校庭で、時速50キロも60キロも出せる訳はなく、20~30キロ程度の数スピ-ドで走っていた程度ではないだろうか。

体育で『蹴あがり』などの指導がなくなったので、最近の都市部の小学校にはでは高鉄棒が撤去されているようだが、不思議に(費用がないのか、それとも面倒なだけなのか)地方では高鉄棒を見かけることは稀ではなく、私には何か懐かしい気持ちがする。

この桃館小学校も砂場と高鉄棒という昔ながらの遺物が残っており、低鉄棒が続いていたのではないかと想像している。今年は例年に比べて雪が深く、校庭には相当量の積雪があり、校庭の隅にそえつけられた低い鉄棒をすっぽりと覆い隠して、高鉄棒の先の方だけが見えていた?。もっと雪が深くて、高鉄棒の先だけが出ていて、それに激突とも考えられないことはないが・・・。

童数60名あまりの小さな学校のことだから、この校長は日常的に子どもと触れ合っていたに違いない。佐藤校長はスノ-モ-ビルの運転に自信があり『俺に任せておけ』とばかり児童を助手席などに乗せて疾走していたのでは・・・。何となく微笑ましい風景を想像してしまう。

毎日見慣れている校長でも、子どもと遊ぶ楽しい雰囲気に、高鉄棒を避ければ大丈夫という思いがあり低鉄棒の存在の意識がかけていたのではないだろうか。高鉄棒だけを避けてスノ-モ-ビルを運転していたところ、低鉄棒の先に車体がひっかかり転倒し、高鉄棒に激突した・・・というのが私の推測である。

このような地方記事にはよほどのことがない限り続報がないので、今回の事故処理がどうなったのかはわからないが、教育委員会の慌てぶりは想像に難くない。亡くなった校長さんとご遺族には気の毒だが、これが校長は無事で児童が死亡だったとしたら、今頃は大変な騒ぎになったに違いない。

子どもをスノ-モ-ビルに乗せて走る校長。褒められないことかも知れないが、最近では稀に見る面白い校長だったと評価したい。が、事故を起こした以上教育委員会としては処罰せざるを得ない。その意味では、遺族の方はじめ関係者からはお叱りを受けるかもしれないが、教育委員会としては子どもが軽傷だったこともあり校長を(死亡した以上)おとがめ無しで処理できたことに内心ホッとしているのではないだろうか。

校長の死亡によって責任は曖昧になるだろう。しかし、『校長としてあるまじき行為』という風潮は残るだろうから、教育委員会は校長を集め(言葉は慎重に選ぶだろうが)『子どもと一緒になって、はしゃくことは自粛せよ』というような通達でも出るのではないだろうか。

確かに、今回の事故を起こした校長の不注意は責められるのかもしれないが、事故を恐れるあまり、これもダメ、あれもダメというように、小学校の校内の生活にこれ以上の規制が強くならないようことを切に願う。(田舎親父)

2012年2月11日 (土)

函館はどうなるのだろう・・・

 九州や北陸など各地域で新幹線の延伸が決まったらしく、該当各地は悲喜こもごもの大騒ぎになっているとのことだが、この種のニュ-スが流れるたびに、地元の発展という声だけがことさら宣伝される新幹線や高速道路の建設が、はたしてその路線の沿線や周辺を含めた地方全体の幸せになるのだろうかと首を傾げてしまう。

昨年の暮れに、八戸へ行く仕事があったので、午前10時ごろに東京発の東北新幹線の『はやて』の自由席を利用したが車両はガラガラ。よく利用する東海道新幹線に比べると何とも寂しい限り。JR東日本は、昨年の東日本大震災では大きな被害を受けて、未だに復興がはかどらない中、こんな状態で大丈夫なのと私のような無力な人間でも心配になってくる。

北海道へも新幹線網が広がり、2015年には東京と札幌が直接つながるという。札幌・函館間の距離は約230km、東京と浜松に匹敵するというから、道南の人や産物の流通は大いに便利になるには違いない。

しかし先日、新聞に新幹線のル-トが掲載されたが、それを見ると北海道の玄関というべき函館は素通り、はるか北に位置する隣接の北斗市のJRの在来線の『渡島大野』という駅を『新函館』に名前を改め、そこを新しい北の玄関口にするというから、函館市民はガックリしているのではないだろうか。

改めて本海道の地図を眺めてみた。青函トンネルの北海道側の出口である木古内から函館はかなりの急カ-ブの在来線で結ばれていることがわかる。これはとても新幹線のスピ-ドで耐えられないことは素人の私でもすぐに気がつくが、これは(うがった見方をすれば)青函トンネルのル-トを決まったときから、今日の函館の運命は決まっていたのかも知れない。

新幹線構想が持ち上がった当初は、この在来線を3線化して函館を経由させることで進められたらしいが、いつのまにか立ち消えになり、今回は函館と小樽を結ぶ新線を道が主体的に運営するという条件で函館市は泣く泣く納得したらしい。

今、朝夕を除けばほとんど列車が停車することのないJR渡島大野駅という無人駅が、新函館駅と名を新たに『北の玄関口』に生まれ変わるために、駅周辺は工事が始まっており、ブルドーザーやタンクローリーがひっきりなしに行き交っているという。

この記事を読み、50年も前になるが、東海道新幹線の新横浜周辺の風景を思い出す。新横浜がどのような経緯でこの場所に決まったかは、いろいろと憶測があり小説にもなったが、港町横浜とは全くイメ-ジが違い一面田んぼの真っ只中。

私が横浜線沿線に住み始めたのは開業してから数年後だが、当時でも新横浜駅前は広い道路があるだけ。新しく建つのはラブホテルばかりで、およそ商業ビルなどとはその後10年以上縁がなかった地域だったと記憶に残っている。駅の利用者も横浜への乗り換え客だけだったといっても過言ではないほど。

今では、横浜市の地下鉄も開通し、大規模な商業施設やサッカ-場ができ、高層ビルも立ち並んで活況を呈しているが、それは横浜・東京を中心とする首都圏への足の便が良いからであって、新函館が新横浜に匹敵するような利便性のある街に変身するのは気が遠くなるほど先の未来。むしろ不可能な確率の方が高いのではないだろうか。

まして、北斗市にあって『新函館』という名称は相応しくないとの声もあるらしいから場合によっては『函館』の名前も消えるかも知れないとなると、函館市民にとっては屈辱以外何ものもないのでは・・・と同情してしまう。

今後、函館がどう変わっていくのかはわからない。函館空港の利便性を生かし、小樽と直接結ばれる新線で観光地として生きいくしかないのだろうが、新幹線の駅がないとなるとその現実は厳しいものがあるようだ。

経済効果が高いとされる整備新幹線、あるいは高速道路であるが、駅やインタ-チエェンジのない、日常的に利用できない沿線・沿道の不便を強いられることが多い。しかし、その声は、経済発展という錦の御旗の前に切り捨てられることが当たり前で、反対の声は全国に届かない。

函館という大きな資源が埋没されかねない北海道新幹線のル-トの決定は、これからの新幹線建設にとって大きな教訓としてほしいものだが・・・。(田舎親父)

2012年2月10日 (金)

同じ県民として考えさせられる・・・

 昨年の暮になるが、わずかか5時間ほどだが石巻市を歩き、私の見た被災地の様子は以前に何回かに分けて紹介した。

そのときも述べたが、うずたかく積まれている瓦礫の山に、この処理がすまなければ復興など進むはずはないと確信を持ったが、現実には全くといって進んでいないとの報道に、被災地が危機感を募らせていることがひしひしと伝わってくる。

原発事故の影響の大きい福島県の放射性物質に汚染された瓦礫は、(まだ受け入れ先さえ決まっていない)一応は福島県内で処理するのを原則とされているらしいが、宮城、岩手両県の約2千万トンの処理は何としても急がねば、先に進まないことは、あの瓦礫の山を見た私には無条件に理解できる。

震災後すぐに瓦礫を受け入れると手を挙げた自治体は多いが、その後、量的にはかなり差があるものの放射能に汚染されていることが明らかになると、とたんに動きは鈍くなり、実際に受け入れているのは東京都だけ。都は、国の安全基準(焼却灰の放射性セシウム濃度1キロあたり8千ベクレル以下)に沿って、厳格に測定しながら作業にあたっているのだそうだ。

都は瓦礫を焼却して東京湾の埋め立て地に埋めているという。マスコミが伝えないだけなのかも知れないが、一部の反対はあるものの特にトラブルは起きていないというから、都の方針に都民はある程度納得しているのだろうと受け止めている。

首都圏で住む住民は地方に比べあらゆる面で便利さと快適さを享受していることは誰の目にも明らか。私もその一人として、何とか被災地の瓦礫処理に貢献するべきで、都の方針を積極的には指示できない気持ちもあるが、止む得ない常識的な判断だと思っている。

都から遅れたが、神奈川県知事が本格的に震災がれきの受け入れるとの表明は、首都圏の自治体として当然だろう(むしろ表明が遅過ぎるのでは)と受け止め、その成り行きを注意深く見守っていた。

神奈川県は瓦礫の焼却灰を、県内の3つの最終処分場に埋め立てるとの計画で、具体的に進めるために、住民対話集会を説明会を行ったところ大変な騒ぎに終始したという。

以下メディアの伝える情況だが、1月30日、県庁3階ホールに用意された280の椅子は埋まり、後方には取材記者やカメラマン、テレビカメラが列をなしていた。人いきれはするものの静まりかえった会場は、知事の説明が始まると、ヤジと怒号に包まれた。

『なんで東電の尻拭いを神奈川県民が負うんだよ』『岩手の知事になったら』などのという怒号が反響し合って、知事は必死になって説明しようとしていたが、やがてマイクを手に立ちつくし顔を紅潮させたという。

進行役の絶叫で説明は再開されたものの、質疑応答を含む2時間半に及ぶ集会は不規則発言でたびたび中断し、マイクで発言する住民の声は『反対』一色だったとのことだが、対話集会というより吊るし上げの場であり、知事の困惑した様子が目に浮かぶようだ。

知事は処分する瓦礫の基準は原子炉等規制法で『放射性物質として取り扱わない』1キロあたり100ベクレル以下のがれきだと明確に打ち出し、処分場はコンクリートと特殊粘土を重ねた上に遮水シートを二重に敷いた構造になっているので安全性には問題はないとの説明も、怒号とヤジの声にかき消され集まった人々は『何がなんでも反対』一色の雰囲気だったというから考えさせられる。

瓦礫は焼却すると濃度は16~33倍になるのだそうだが、東京に比べるとかなり小さな値。反対したくなるのは気持ちとしてわからないでもないが、もう少し冷静に話を聞けないのだろうか。

できるなら受け入れたくないが、震災直後『絆』という言葉をキ-ワ-ドにして復興を誓い合ったのに、いざ、復興のための第一歩である瓦礫撤去の前提になる瓦礫の受け入れに『絶対反対』だけで良いとはとても思えない。

『絆』を打ち壊している最大の原因が、震災直後から、ただ『大丈夫です』『安全には問題はありません』などと、真実を隠してただ誤魔化そうとしてきた国の施策であることは間違いないと思うと、あまりにも悲しい話である。

国は過ちを認め、受け入れ自治体と近隣住民に対して、情報を全て開示して受け入れの条件を整えるべきであり、それを元に(互いに被害者同志だろうが)真摯な話し合いによって受け入れが進展することを願っている。

ただ、神奈川県は『放射性物質を含む汚泥償却灰等の処分に関する安全評価検討書』を昨年9月に作成して、独自に安全基準を設けているとのことだが、この検討書を作った責任者が原子力行政を進めてきた、事故後も原子力業界から数百万を受け取っている原子力安全委員会の部会長のカナカ某東大教授だということが何となく、県民理解の行く末に陰を落とす。(田舎親父)

2012年2月 9日 (木)

グアム移転はアメリカの都合だろう・・・

 先日、日米両政府が、2006年の『在日米軍再編計画』を見直すことで大筋合意したというニュ-スに、辺野古への移転問題が膠着状態に陥っているこの時期にこんな大事なことをいとも簡単に合意したことに、何か不可解な気持ちになる。

昨日には、両政府から正式に合意したとの共同声明が発表された。それによると、『東アジアの安全保障環境にとって、グアムの基地機能強化は重要だ』との認識を確認し、アメリカが新国防戦略でアジア太平洋重視の政策に戦略変更することについて、日本が歓迎するという文言が折り込まれているというから、アメリカのご都合がかなり入っていることは明らか。

06年、自民党政権時代に日米が合意した内容は、名護市辺野古沖への代替滑走路の建設をし、同時に、海兵隊8千人とその家族9千人のグアムへ移転。その後、嘉手納基地より南の六つの米軍施設を返還するというもの。いわば、海兵隊を減らし、基地を返してもらいたかったら、辺野古移設を受け入れよという、恫喝に屈した代物。

沖縄県知事は仕方なしだっただろうが、その案を受け入れたものの県民の反対が強く、その後、政権交代で民主党のハトヤマ首相が『国外、最悪の場合でも県外』という発言から、一挙に不透明になったことは、今更私が指摘するまでもない。

今回の合意は、辺野古移設と切り離して、普天間基地の海兵隊員8000人をグアム移転するという計画を4700人に縮小し、海兵隊の海外移転全体の数は変更せず、残る3300人程度はハワイやフィリピン、オ-ストラリアなどに移転させるのだそうだ。岩国基地にも移転させる計画もあるらしいが、こちらはアメリカ側からの打診の段階とのこと。

オバマ大統領は国防費を削減することは明言しながら、『アジア重視』を打ち出しているという。要は、国防費の大幅な削減を迫られる一方で、今後のアジア太平洋戦略の拠点として、グアムに戦力を集め、海洋進出を強める中国をにらみ、南シナ海にも海兵隊の足場を築きたいというのが本音だろう。いわば、海兵隊の先行移転は、アメリカ政府の事情によるものだということは素人の私でもわかる話。

確かに、4700人でも海兵隊員がいなくなることは沖縄の基地負担の軽減になることは間違いなさそうだが、日本政府はこれをチャンスと捉え、あくまでアメリカ側の都合だという強い意識で、在日アメリカ軍基地の約74%が集中する沖縄県民にこれ以上の基地負担を押し付けるのは困難だと強行に伝えて、国外・県外移設の検討を堂々と提起してほしいと思うのだが・・・。

しかし、日米両政府は辺野古移設の方針は堅持するという。やはり、ここでもアメリカさまのおっしゃる通りの従来型が見えてくる。地元の声には耳を貸さず、アメリカの顔色ばかりをうかがって言い出せないとしたら何とも情けない。

恐いのは、海兵隊の先行移駐で、辺野古への移転できないのは日本の都合だから、我々はそれでも良いのだぞ・・・という圧力。結果的に普天間飛行場の移転問題がどこかにすっ飛んでしまうこと。

ノダ首相は『普天間飛行場の固定化につながらないよう、政府として全力で協議を進める』と述べているが、この御仁の発言ほど当てにならないものはないことは、今までの言動からも明らか。沖縄の基地負担が少しでも軽くなるためには、辺野古移設やむなしという雰囲気が広まったら大変だ。

実際には、防衛省の沖縄防衛局長が、2月12日に投票日を迎える、普天間基地を抱える宜野湾市長選挙で、辺野古への移転の道を残している(と私には受け止められる)候補へてこ入れするような講和をしていたという、選挙介入が明らかになっているのにも関わらず、国会で表面的な証人喚問で済ませて、おとがめなしという民主・自民の政党間の手打ちができたことも無気味な兆候。

宜野湾市民は怒りを形として選挙で現してほしいものである。上辺の軽減ではなく、沖縄県民の総意である『アメリカ軍基地のない沖縄』の実現に近づけるために・・・。(田舎親父)

2012年2月 8日 (水)

まだ仮設に入居できない人がいる?・・・

 先日の産経新聞に『東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を受けて建設された仮設住宅をめぐり、入居後も実際には居住実態がないなどの不適切な入居が広まっている恐れがあるとして、福島県広野町と南相馬市が今月中に実態調査に乗り出すことが4日、分かった』という文面を見つけ、何となく違和感を覚える。

仮設入居者や入居希望者らから『入居しても実際は住んでいない人がいる』『倉庫代わりに使われている』などの情報が週に複数件寄せられているとのこと、苦情があることはわかるとしても、入居希望者からとは俄には信じられない話である。

記事によると、『震災からおよそ1年が過ぎるのに、入居できない被災者らから、これに類する苦情が相次ぐなど不公平感が強まっている』のだそうだ。そこで、町当局は町外に建設した約700戸の仮設に調査票を配り、居住者数や居住状況を調べ、調査票の返送がない場合は居住実態がないとみて立ち退きなどを求めるとのことだが、こんなことってあるのだろうか。

確か、必要としている全ての被災者が、仮設住宅に入居が終わったといいニュ-スを聞いたのは昨年の秋だったと記憶している。中には、入居したが、プライバシ-が守れないなどの諸事情で、不便は承知で壊れていても自宅に戻る人もいるとは伝えられてはいたが、未だに入居できない被災者がいるのは理解できない。

広野町は原発事故で全域が原発から半径20~30キロ圏内の『緊急時避難準備区域(9月末に解除)』に指定され、約5300人の住民の大半が町外に避難し、役場機能も隣接するいわき市に移転させ現在に至っているが、現在も住民の大半は町外の仮設住宅や借り上げ住宅などで避難生活を送っているという。

先日、川内町長が『帰還宣言』を出したことに触れたが、広野町はその後、互いにどちらが早く帰還するかを競う『帰還合戦』をしているとは思いたくないが、唐突に(と聞こえるだけだろうが)、いわき市に移した役場機能を3月1日に町内の元の庁舎に戻すことを決めたと報じられたことにも違和感を覚えたが、帰還を急ぐために仮設入居の事後管理に手が回らなかったのだろうか・・・。

広野町役場の除染は1月に行い、空間線量を毎時0.18マイクロシーベルトに下げたそうだ。役場復帰時までに職員が帰還し、業務を再開する。既に約20人の職員が先行して戻り、除染業務に当たっているという。

0.18ミリシ-ベルトという数値は、毎日NHKが報じる放射線濃度の値として、北茨城市などでは常時示される数値(このところ0.13程度か)より高め、大丈夫なように思えるがやはり心配である。この数値は単純計算で年間約1.6ミリシ-ベルト。

はたして町長は、町職員はもとより、町民の将来まで見通した安全に責任が持てるのだろうか。現在、日常的に生活している北茨城市の人たちにとっても、0.13はかなり高い値でこのまま住んでも大丈夫なのかと心配なのだが・・・。

話は戻すが、一部は今も原発から半径20キロ圏内の『警戒区域』となっている南相馬市でも同じような問題が表面化、約2300戸の仮設住宅の入居者の不正入居の実態調査を今月中に行うのだそうだ。

確かに何時の世にも要領がよい人間が存在し、役所の機能を上手に利用したり、コネを使って優先的に入居するために立ち回ったりする人もいるだろう。しかし、このような人間は何時の世にも存在するはず。被災者が抱える事情は多様な上、不適切入居かどうかの線引きは難しいのでは・・・。

先にも述べたが、住宅が全壊して住むところがなくなった人たちには、仮設住宅は唯一の生活の場になろうが、辛うじて自宅が残った人たちにとっては、プライバシ-問題はともかく自宅の財産も心配だろうから、仮設住宅に一旦入居しても自宅に戻る人が出るのも、人情として否定できない。そのとき潔く仮設を放棄できないのも人の業。モラルうんぬん以前に運不運の要素が大きいようだ。

この問題は広野町と南相馬市だけに限らず、全ての被災自治体に共通するものに違いない。要は、安心して元の場所で安全な生活が遅れる環境を作れれば、問題のほとんどは解決できるのだろうが、(津波被害は何とか克服できそうだが)放射能というのが厄介な代物で、災害の質を複雑にしている。

絶対安全という基準がない以上、放射能汚染の可能性が大きな原発を即時止めるという決断をしなければ、今回の教訓は生かせないのでは・・・。(田舎親父)

2012年2月 7日 (火)

オオイヌノフグリの花発見・・・

 このところ暗いニュ-スが多く気分が滅入る。神奈川県が被災地の瓦礫を受け入れ表明をし、知事が出席しての説明会が大変な怒号で終始したという報道に、住民感情は十分理解できるとしても、もう少し冷静に話し合えないのだろう。『関係ない奴は黙ってろ』といわれたらそれまでだが、同じ神奈川県民として少し寂しくなく。

こんな混乱が起きるのは、これまで全て事故対応で隠蔽して正確な情報を知らせず何とか誤魔化そうとしてきた当時の政権の姿勢が原因だと思うが、それにしても、瓦礫を処理しない限り復興は進まない。あれほど国民の『絆』を強調しているのだから、多少の痛みは真剣に受け止め、被災者の立場で『今自分ができること』を考える必要があると思うのだが・・・。

このことは少し考えて話題にしたいが、今日は気分を変えて、先日散策の途中で『おお、もう咲き出したのだ・・・』とオオイヌノフグリの小さなスカイブル-の花を見つけたことを取り上げてみることにしたい。

この時季に芽を出すハコベやセリ、ナズナやオギョウなどは、なるほどと思わせ名前をもらっているのに、オオイヌノフグリという名前はこの花にとって気の毒だということは以前述べたような気がする。

詳しく調べたことはないが、昔から我が国に存在し、人々と深いつながりのある植物には、それなりの名前が付いている。ユキワリソウ(雪割草)やフクジュソウ(福寿草)など優雅な響きを持つものが多い。

私が好きなヒトリシズカ(一人静)やニリンソウ(二輪草)、オキナグサ(翁草)などもその名前通り、実にうまく名付けたものと感心させられる。少し時期は遅れるが、タツナミそう(立波草)もその名が姿を現している。

これらの花に比べて、オオイヌノフグリとは、なんと情け無い名前なのだろう。フグリとは睾丸のことをいう。この花の後にできる実が犬の睾丸に似ているというところから名付けられたというが、この花に限らず、明治になってから外国からやって来た植物(その中でも繁殖力の強い植物は)このような『花権(あるとしたらであるが)』を無視した名前が多い。

人々が歓迎したくないために、いい加減な名前をつけた傾向があるのだろうが、どうも昔の人々にくらべ、近代の人々の感性にも関係があるのではないかとも思っている。

例えば、明治時代以後に我が国に伝来したウマゴヤシ(馬肥やし)やハルジョオン(春紫宛)、コニシキソウ(小錦草)やアワダチソウ(泡立ち草)などはまだ良いとしても、ボロギク(ぼろ菊)やアレチノギク(荒地野菊)、ドクゼリ(毒芹)やブタクサ(豚草)などはその典型。

オオイヌノフグリはゴマノハグサ科の植物である。明治の初めに多くの牧草の種子に混じってこの植物のごく近い仲間のイヌノフグリが渡来し、その後花が大きいこのオオイヌノフグリがやってきたのだと推察されている。

名前はともかく、オオイヌノフグリは冬の枯れ野の日だまりでハッとするほど美しいブル-で存在感を示しているので、見つけるとホッとする。

自然を愛した詩人、草野心平さんが、春を迎えた喜びを歌った詩(題は失念)の『ケルルンクック ケルルンクック ホッ オオイヌノフグリがさいている・・・』という一節もなかなか味わい深い表現である。

オオイヌノフグリが目立ち始めると、春は足早にやって来る。今年は厳寒、それでも今日は朝から暖かい雨が降り続いている。

明日からまた寒波が到来するとの予報だが、立春が過ぎると気分は春。行きつ戻りつしながら暖かさが増していく春の彼岸までの季節の変化を楽しみたい。(田舎親父)

2012年2月 6日 (月)

こんな検定がまかり通るとは・・・

 世の中『検定』流行り。あらゆる分野に検定という名の知識・技能でランク付けすることか当たり前のようになっているが、日本人はいつから、何故こんなにも区別・差別することが好きな国民になってしまったのだろう。

なんの脈絡もないが、私的には、この『なんでも検定』というブ-ムは『気象予報士』という『検定』を国として行い、合格しないと天気予報すら公にしてはならないと決めたことが、その流れになっているのではと思っている。

確かにテレビなどで、いい加減な天気予報をすれば人々の生活を不必要な混乱を与えかねないことは理解できるので、専門家で行うことには異論はない。しかし、わざわざ気象予報士という『検定』を行わなくても、気象庁にはその道の専門家が大勢いるはずだろうから、有効に活用すれば良いだけだと思うのだが・・・。

面白いことに、この国は法律で高校や大学の入試には明確に年齢を規定しているのに、気象予報士を含めて『検定』は性差や年齢制限がないことが共通している。知識や技能には年齢制限がないのは当然だから、このことについて異議はないが、やみくもに低年齢合格者を持ち上げる傾向はいかがなものだろう。

ところで、国が決めている資格ではないが、『日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(略称SSI)』という団体が2010年から実施している『日本酒検定』というものがあるのだそうだ。

日本酒検定は難易度別に6段階に分かれ、マークシート式の筆記試験で合否を判定するという。年齢制限はないので小学生でも挑戦できることから、当然ながら『利き酒』はないとのことだが、飲酒は20歳と法律で決めているのにかかわらず、小学生に日本酒の知識を煽るこんな検定が必要だとは思えない。

それはさておき、この検定に小学4年生の女の子が合格したというニュ-スを毎日新聞に見つけた。8歳の時に、最も易しい5級に合格したというから驚きだが、主催団体が『史上最年少の快挙』と大騒ぎしてホームページ上で発信したところ、視聴率稼ぎが全てに勝る民放各社が飛びついたという。

記事によると、この女の子は母親が小料理屋を営んでいるともに切り盛りしながら『将来は立ち飲み屋をやりたい(ということは店で接客?)』と語ったり、香りをかいで日本酒の銘柄をあてたりする場面が、テレビで放映されたという。

テレビの効果は抜群で、この女の子は『子ども天才料理人』として大人気になっているらしく、酒の肴のレシピ本など、親子で3冊を昨年末に出版しているとのこと、何やら周りの大人たちのご都合が感じられる。

団体は『未成年者に資格を与えることについては事前に協議し、消費の低迷が続く業界立て直しのために、若年層へ訴求力ある対策は不可欠と踏み切った』と語り『早くから酒の魅力を知ってもらい、未来のファンを育てたい』とのことだとのことだが、日本酒の将来を憂えるのはわかるがとても賛成しかねる。

特に、昨秋に都内で催した毎年恒例の利き酒会では、子どもが対象の『ちびっこ日本酒検定』を初めて導入したという文面は、そのまま解釈すると、子どもに『利き酒』をさせたと受け取れるが、これはいただけない。というより明らかに法律違反。酒屋では年齢制限で売らないのに、テレビの力で小学生には許すとなると社会的な秩序は崩壊する。

日本酒造組合中央会という酒づくりの団体は『CMなどのモデルには子どもを絶対使わない』という姿勢を持っているという。その上で『子どもが興味をひきそうなキャラクターやタレントの起用さえ、未成年飲酒を連想させるとして固く禁じている』と、酒の広告宣伝に厳しい自主基準を設けていることは良識として当然だろう。

こんなことが話題になるのも、昨今の異常な子役ブ-ム。『金儲けのためには手段を選ばない』風潮にブレ-キをかけねば、結局は子どもたちの将来を危なくすることになりかねない。(田舎親父)

2012年2月 5日 (日)

これは恐ろしい内容を含んだ文書・・・

 先日、医療関係の仕事をしている友人から『厚労省が、新型インフルエンザ対策のための法制のたたき台を出したということを知っているか』という、その文面を添付したメ-ルが届いた。

ここ数年、朝食にはパンの代わりに桑の葉の粉末をカンテンで固めた羊羹状のものに加え、ヨ-グルトには『桑の葉の粉末』ときな粉をたっぷり入れて食べているおかげだと信じているが、風邪とは縁が切れた生活を過ごしているので、インフルエンザと聞いてもさほどの危機感を持たない。

従って、添付された文章にはあまり関心がない。が、折角だからと斜め読みしてみたところ、この文書は『内閣官房新型インフルエンザ等対策室』という部署から出されたもので、趣旨として『新型インフルエンザの脅威から国民の生命及び健康を保護し、国民生活及び国民経済の安定を確保するため、新法を制定』とある。

一見何の疑問もはさめない文面であるが、責務や行動計画と続く文面はお役所言葉の連続の分かりにくく厳めしいもの。インフルエンザの蔓延を防ぐためだけに、これほど緊急性を要する法律を新たに制定しなければならないのかと、少なからず違和感を覚える。

特に違和感を強くしたのは、最後の『 Ⅳ章省の1項』に書かれている『命令に従わなかった者への罰則』という文面である。罰則の対象として、前章に『緊急事端においては、次のような措置を実施』とあり、以下9項の規定が続く。

(1) 不要不急の外出の自粛の要請、学校、集会等の制限等の要請及び指示

(2) 医療関係者、社会機能維持事業者の先行的予防接種、国民の予防接種

(3) 医療関係者への医療従事の要請・指示及びこれらに伴う措置、臨時の医療施設の開設及び特例

(4) 電気、ガス、運送等の指定(地方)公共機関等は、業務計画に基づき必要な措置を実施。

(5) 緊急物資の輸送・物資の売渡し・土地等の使用等に関する要請又は収用等

(6) 埋火葬の特例

(7) 生活関連物資等の価格の安定

(8) 行政・民事上の申請期限・履行期限の延長等

(9) 政策金融の実施

(繰り返すが)法律には全く素人の私であるが、この9項に違反した場合は罰則を科するということだろうことは容易に読み取れる。この法律でいう罰則というものがはっきりしないが、緊急時においては政府の命令には絶対に服従しなければならないということに他ならない。

これは恐ろしい。インフルエンザという言葉はあるものの、拡大解釈をすれば緊急事態は限りなく広がり、その措置に対して罰則で縛りをかけるのは、戦前の『治安維持法』と根本的には何も変わらないのではあるまいか。

今回の福島第幾原発の爆発はまさに『緊急事態』だと思うが、政府のとってきた措置は、情報をひた隠して誤った命令の連発。そのため被曝した人は数限りないのに、今もって政府からの明確な謝罪どころか釈明すらない。

政府の命令に従わなかった人々へ罰則など許したら、今回の原発事故において、自ら判断して他県に避難した人も違反者として罰せられる可能性も出てくる。これはトンデモない事態になるのは確実。

民主党はこれまではリベラルな政党だと思っていたが、この一事だけでも、その実態は自民党以上に全体主義国家を目指していることがはっきりしゾッとする。(田舎親父)

2012年2月 4日 (土)

恐ろしい勢いで迫りくる超高齢化社会・・・

 先日、『国立社会保障・人口問題研究所』という機関が2060年までの新しい推計人口を発表した。(いろいろな組織があるものと改めて感心するが・・・)

それによると、現在の人口約1億2800万人が36年後には1億を割り込むというから俄には信じ難い。が、専門家があらゆるデ-タを分析して打ち出した結論であり、また身の周りに忍び寄っていると実感している高齢化社会の実態を考えると、この数値はほぼ間違いないと改めて身震いしてしまう。

さらに、50年後には、今より約4千百万人、実に3割強も減るという。子どもも働く世代も5割前後減る一方、65歳以上は増え、人口に占める割合は約4割。小学校の社会科で教える『人口ピラミッド』の形が、現在でもいびつなのが、コマのように逆三角形になるというから恐ろしい。

遠い未来の話ではない。いつまで生きられる(生きなければならないか)わからないが私自身が生きている間に、(今でも感じているが)周りは年寄りばかりで子どもの声が聞こえない、閉塞した社会を実感することは間違いなさそうだ。

私は若い頃、『40代になりたくないので、39歳(サンキュ-)で死にたいものだ』とよく冗談で話していたもの。そのことを知っている友人の中には、まだ生きているのかという年賀状も届くが。

将来の高齢化社会を漠然と憂えていたのかも知れないが、当時は、大気汚染などの公害が蔓延し、無制限に化学的添加物を入れた食品が流通すれば、間もなく長生きなどできるはずがなく、どんどん平均寿命が縮まるという学説を信じていたので、そんな社会を経験したくないという意識があったのだろうと思っている。

ところが、この頃(35年ほど前)から公害や食品添加物などに対する意識が驚くほど高まり、医療技術の飛躍的な発展と相まって、この学説はいつのまにか忘れ去られてしまったのは、ある意味日本人の凄さだと思うが、このことが極端な高齢化を招いてしまったことは間違いないので、良かったのかどうかは正直わからない。

寿命は右肩あがりに伸び続け、今回発表された推計では、50年後の平均寿命は男性で84歳、女性で90歳を超えるというから驚きである。今でも長いと思っている第二の人生がさらに延び、間もなく70歳を迎える私でも、老後のんびり駄文を書いて過ごしていて良いのだろうか・・・と考えてしまう。

この問題は別に考えるとして、女性一人が産む子どもの数は、前回調査より少し持ち直し、特に30代半ばから40代前半の女性でわずかに上がったという。解説によれば、これまで経済的な理由などで出産を控えていた女性たちが子どもを産んでいるからだそうだが・・・。

晩産でも子どもを持ちたいと考える女性がいることは決して悪いことではないだろうが高齢出産のリスクは大きいことは間違いない。心身のどこかに異常を持って生まれる子どもも多いのではないだろうかと考えると、手放しで喜べる話ではない。

専門家や評論家は、人口の減少を少しでも抑え、社会の活力を上げるには女性が結婚・出産・子育てをしながら働ける社会環境にすることが大切だと訴えている。また、産科医不足で産む場所がないのも問題で、産んだ後でも子どもを預ける保育所などの整備など早急な対策が必要だと論じている。

間違っていないと思う。が、こんなことは誰でもが考えられる原則論。若者が結婚に対して前向きでないことは、得られる収入が低く生活が安定しないということが原因だろうから、経済的な心配を無くし結婚し子どもを産んでもらうためには若者の収入を増やすこと以外ないはず。

また、子どもは一人で十分という声もよく聞くが、経済的な理由から、一人しか育てられないからではと思えてならない。

女性が働くことに異論はない。働く職場での男女の性差別は無くすことにも大賛成であるが、専業主婦という選択ができるのも大切なことではないだろうか。子どもを育てるのに物心の十分な保障があれば、現在の働かねばならないという脅迫概念はなくなり、子育てに専心したい女性も多く出るのではと思っているが・・・。

無茶な論理だとはわかっているが、少なくとも0歳から15歳まで子育てに専念するという場合には、(財源問題は棚上げするとしても)『主婦を職業』と認定して年額300万円程度の給料を支払うシステムはいかがだろう。(田舎親父)

2012年2月 3日 (金)

 節分に思う(梅の蕾が動かない・・・)

 今年の寒波は尋常ではない。植物は寒さよりも日照の方が大きく影響すると教えられてきたので、横浜の片田舎で一番先に花開く『梅の樹』に注目して、散歩の途中にシャッタ-を切っているが、この梅については日照よりも気温が大きく影響しているような気がしてならない。

詳しく日照時間を調べた訳ではないが、私の住む横浜のこの季節は晴天に恵まれることが多く、12月から1月にかけては、雪が降っても多くて1,2度。雨もさほど多くないことは例年同じような気がする。が、今年はこの梅の樹には一輪の蕾も動く様子がないのは異常な低気温が原因のように思える。

4年前の2009年の冬に、この樹の枝に数厘の花を見つけたのは前年の暮れだった。1月早々に相当数の花が咲いていたことが写真からわかる。日記にはこの年の温度記録はないが、文面から読み取る限りかなりの暖冬だったことを確認する。

昨年は1月初旬にはほぼ満開状態になっている。しかし、その前年10年は満開時期がかなり遅れて1月下旬だった。

ふと、あまり意味があるとは思えないが、(何の根拠もなく今年の暦で)1月21日大寒と2月3日の節分の気温を、起床した時点の室温で記録しているので拾ってみる気になった。それによると次の通り。(09年は気温の記載はない)

(グラフにすればもう少し説得力が出るのかも知れないが、起きる時間がバラバラとなると極めて正確性が欠けるのではその価値もないと判断。何の根拠もないが、2日だけを比較してみた)

2009年 1月21日 記載なし 2月3日 季節外れの暖かさ 前年暮れ開花

2010年 1月21日 7.9℃ 2月3日 4.6℃     1月下旬満開

2011年 1月21日 8.0℃ 2月3日 5.4℃     1月上旬満開

2012年 1月21日 4.2℃ 2月3日 0.9℃     蕾かたし

日記の文章から推察すると、全体的な傾向として、9年と11年の気温は高めに比べて10年は少し低い。今冬はこのところ連日の寒波の襲来で1月の気温が極端に低かったが、12月もかなり低かったことは述べるまでもないだろう。

こんな一事で梅の開花と気温との関係を結論づけられないことは百も承知しているが、影響していることは間違いなさそうだ。桜は植物分類学的には梅と同じバラ科になる。とすると、今年の桜の開花はかなり遅れるのでは、と私なりに推定している。(もっとも、これからの気温によっては平年に戻るのかも知れないが・・・)

毎年、この季節になると家内と『今年はどこの桜の追いかけをやろうか・・・』と話題にするが、どこはともかく、何時ということを決めるのが難しくなりそうだ。

ところで、今日は節分。節分は『季節を分ける日』という意味であるので、暦の上では年に4日あるはずだが、いつのまにか、春と冬を分けるこの日だけを指すようになってしまった。このことは少し寂しいが、季節感は日本人にとっての一番大事な感性だと信じている私には大切な日である。

豆をまくにも深い意味もあるようだが、そんなことは別にして、昔からの伝統として素直に受け入れ、今夜は『鬼は外・福は内・・・』と、今年一年の健康と東日本大震災と原発で避難を余儀なくされている人々幸福と、この寒波が早く過ぎ去り、大雪の被害から解放されることを願って、威勢よく豆をまこうと思っている。(田舎親父)

2012年2月 2日 (木)

今度は冷却水の漏水事故・・・

 福島第一原発で相次ぐ凍結による水漏れ問題が連日報じられている。建屋が吹っ飛んでむき出しの原子炉を冷やすために総延長10数キロというホ-スが網の目のように敷かれていることは、マスコミ各社は映像入りで紹介していたことは記憶に新しい。

当時は、あくまでこれは応急処置だとの解説だったので、とっくの昔に、本格的な冷却水の循環施設が作られていると思っていたが、実際には全く手をつけられていなかったというから、国や東電は原発事故の終息を本気で進めているとは思えなくなる。

水は0℃で凍り始め、凍れば体積が増えるということは、小学校4年生で学ぶこと。北国では、このことは学校で教えられる以前に、親からの注意や経験則として知っていることだと思うのだが、超エリ-トと言われる経産省の官僚や東電の高級技術者は、凍結対策をとらず放置していたという。

『そんなバカな・・・』というセリフがまた出てしまう。昨年の暮れに、自分で敷設した二階ベランダなどへの水道管が凍結で破裂したことでも、今冬の寒波の異常さを思い知ることができる。が、この騒ぎは横浜の片田舎が近年にない厳冬だから起きたことで、北国の福島の人たちは私のようないい加減な工事などするはずがない。

しかし、現実には、水漏れが絶対にあってはならない事故原発の原子炉内部を冷やすために埋設した水道ホ-スの凍結が原因というから、誰もの口から『そんなバカな・・・』というセリフが出るのも当然だろう。

これまで判明した水漏れ箇所は先月末ですでに23ケ所に及ぶというから、まだまだ寒波が居すわりそうな気配から、今後も増えることは十分あり得る。いや、実際にはもっと起きているのだが、発見できていないか数値を隠しているのかも知れない。

この問題でも国と東電は言い訳と責任のなすり合い。保安院のスポ-クスマンはテレビの記者会見で『凍結対策は、東電が当然すべきこと。指示しないとやらないようでは困る。敷地内のあちこちでたまり水が見つかった時もそうだが、凍結対策も東電がきちんと計画を作り実施していたら起きなかった』と、(恐らく裏では話をあわせているのだろうが)強い口調で、全ては東電の責任だとの言い方だが、わかっていたら注意しなければならないのが保安院の役割だろう。

確かに、漏水はつなぎ目から起きているので、そこに保温材を巻くなど、簡単な凍結対策ができていれば防げたことは間違いない。東電は『凍結防止対策の必要性は認識し、工事の準備は夏から進めていたが、水処理設備の安定化といった作業を優先した』と先送りしていたことを認めたらしいが、これも虚しい言い訳。

(寒さ対策を口頭で注意喚起してきたと強調しているようだが)保安院が明確な形で指示したのは、既に20数件も凍結が起きた先月末のことだというから、保安院の手落ちは明らか。まさに責任逃れとしか言いようがない。

表面的には言い争っているように見えるが、漏水事故の影響については『安全性には問題はなく、高濃度汚染水の漏出や原子炉の注水停止といった深刻な事態は起きていない』と双方は全く一致しているのも(笑えないが)思わず吹き出してしまう。

間もなく3月11日が巡ってくる。それまでには、大体でも良いから、できるだけ詳細な廃炉にする工程が示すことが、被災者はもちろん国民に対する唯一のお詫びとして示すこと。

しかし、国や東電のこれまでの言動を見ていると、時間が過ぎれば(日本人の体質である『噂も75日』というがごとく)何とかなるという安易な気持ちで、ただひたすら身を縮め、事故処理に当たっている風を装っているだけのように思えてならない。(田舎親父)

2012年2月 1日 (水)

民主党の意識は小学生以下・・・

 あの『3.11』から間もなく1年。原発の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の『原子力災害対策本部』の議事録が作成されていなかったというニュ-スに、そんなバカな・・・とわが耳を疑る。

小学校には特別活動という領域があり、その中に『学級会』という時間がある。学級会を開くに当たっては担任のアドバイスによって『議長と副議長』を選出するのだが、加えて必ず『書記』という役割を選ばねばならないと決められている。これは低学年の学級でも徹底されている。

『書記』の役割は説明するまでもないが、話し合われたことを要領よくまとめることだから、書記にはかなり学力のある児童が選任されるのが通例。中には、自分から手を挙げる児童もいるほど重要な役割であることは児童自身が知っている。

小学校の学級会ですら『議事録』というほど大袈裟ではないが『誰がどんなことを発言して』その結果『学級会で決まったこと』として、学級会ノ-トに記録し、それを1年間保存することが最低限の約束事であるのに、国の大事なことを決める会議に『議事録』がないとは信じられない。

たしか、政府の『原子力災害対策本部』は、総理大臣を本部長とし、経済産業大臣をはじめ全閣僚をメンバーとするもので、原発事故当日の去年3月11日に設けられ、避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など原発事故を巡る(情報を隠蔽し国民を混乱に導いた)重要な決定を行ってきたと記憶している。

NHKが去年11月、それまでに開かれた21回の会議について『議事録や内容をまとめた資料など』の情報公開請求を行ったところ、公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの『議事次第』だけだったというから、これは最初から『議事録はとらない』という申し合わせがあったとしか思えない。

もっとも、NHKはじめメディアが11月までそのことを追求せず、しかも今頃になって事実を明らかにしたことに対しては、何か腑に落ちないが・・・。

数日後には、そればかりではなる、原発事故関連で設置された政府の15会議体のうち10の会議が、議事録を作成していないことが明らかになったのこと。民主主義の『ル-ル』として、学級会での記録を残すことを強要しているのに、国の大事な方針を決める会議の議事録を残していないとなると、アホカン内閣の閣僚たちは民主主義に対する意識は小学生以下となるが、そんなことは百も承知の上で(責任追及を恐れて)議事録を残さなかっただろう。これはまさに確信犯。

新聞記事には議事録の作成を『公文書管理法』という法律で義務づけているとあるが、その成立は2009年だという。そこには『歴史的事実の記録である公文書』を『国民共有の知的資源』と位置付け、開示要求があれば開示することになっているとのこと。そういえば、(以前にはなかったが)私が出席していたある省庁の会議では、会議の前に議長がこのことを必ず言っていたことを思い出す。それほど徹底していたはずなのに・・・。

最近になって、宮城県も福島県も災害対策の重要会議の議事録をとっていなかったことがわかったというから、この国では政治に関わる人間は体質として『臭いものには蓋』という責任をとりたくないという気持ちが本能的に働くようだ。

しかし、議事録欠如は、震災や事故対応の検証に支障がきたすことはもとより、責任所在さえ明らかにできないとなると、後世の人たちの防災対策にも大きな影響を残すことは間違いない。

民主党は大慌てで、当時の出席者のメモなどを集めて議事録を作るとオカダ副総理は弁明しているらしいが、今更誰がどんなことをしゃべり、誰が結論づけたのかなど正確にできるとは思えない。

当時、毎日のようにテレビに出演し、あたかも立て板に水のごとく、インチキ情報を流して国民を煙にまいていたエダノ官房長官は、議事録がないことを知って適当なことを口にしていた?となると、これは犯罪行為、その罪は極刑に値するのでは・・・。(田舎親父)

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