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2012年3月

2012年3月31日 (土)

自治体の名前まで商品とはビックリ・・・

 北朝鮮はどうしても人工衛星(ミサイル)の打ち上げを強行したいようだ。数百億もの費用を食料に割り振れば、どんなに国民生活が良くなるかと思うのだが、権力というものは決して人のためという発想はできず、国民から金品はおろか生活権まで収奪し、自らの力を内外に鼓舞したいという妄想に凝り固まっているだけ・・・。

北朝鮮の国民に同情したくなるが、現在の日本も、民主主義といいながらマスコミを巧みに操り、国民に知られたくない情報は一切秘匿し、増税一本槍となると似たようなもの。

このミサイル発射情報には我が国も大慌て。こちらも一発何億もする迎撃ミサイルの発射体制を整えているというから迷惑な話。仮に、一発で打ち落とせたとしても、外交問題はこじれ、下手すると戦争情況にならないとも限らない。

こんなきな臭い話題はさておき、今年度の最後の話題は、市の名前までに企業に売り出す自治体があるという、平和と言ってしまえばこんな平和なことはないほど信じられないような記事について・・・。

大阪府の南に位置する泉佐野市という自治体の名前は、関西国際空港の建設でかなり全国区になり知っている人も多い。その泉佐野市は大変な財政赤字を抱えているらしく、市の名前を企業に売り出すことを真剣に考えているというニュ-スを知ってびっくりする。

このところ『命名権(ネ-ミングライツ)』という言葉が当たり前のように使われ、実際に建物などの名前が企業や商品の名前にあることが大流行。

身近な例では、私が住む横浜の片田舎の横浜線の新横浜と小机の中間に、巨大なサッカ-競技場ができたのは15年ほど前のこと。当時は通勤の電車の窓から、毎朝夕その巨大な工事の様子をながめては、サッカ-というのは膨大な金食い虫だと思ったもの。

何でも国際規格というものがあって、6万人以上?の観客を収容ができないと、国際競技場として認定されないという話を聞き、国際サッカ-協会(FIFA)という組織は大変な鼻息だと驚くと同時に、完成当初、実際にこの中に入り、ピッチに立つ機会を得たが7万人以上の観客席を下から眺めてその規模の大きさに度肝を抜かれたことがある。

ただ、サッカ-の国際試合が連日行われるはずはなく、Jリ-グの試合では、よほどのことがない限り7万人の観客は動員できるはずはないだろうから、工事中から横浜市はこの競技場の管理維持ができるのだろうか、という心配をしたことを思い出す。

当時の正式の名称は『横浜総合競技場』。2002年の日韓の共同主催のワ-ルドカップの決勝戦の舞台になった時は凄い反響だったが、その後は予想通りじり貧。横浜市の財政を苦しめていることは、競技場に集まる人の少なさで私にも分かるほど。

その時横浜市が選択したのが『命名権』。それを神奈川に本社を置く日産自動車が買い取り現在の『日産スタジアム』なったのは7、8年前のこと。現在は『日産スタジアム』という名前が浸透している。

私が退職時勤務していた渋谷区の区役所のとなりに『渋谷公会堂』という古いが由緒ある劇場があったが、退職後に『渋谷C.C.Lemonホール』になったと聞かされ、何だかなあと思ったもの。しかし、こちらは、契約期限が過ぎてから引き受け企業が現れなかったらしく、現在は『渋谷公会堂』に戻っているという。

その他にも、命名権にまつわる話は枚挙にいとまないが、自治体の名前を売り出すとは今まで聞いたことがない。

関西空港の開設を受けて税収大幅増をあてこんだ泉佐野市はかつて、ハコものを次々建てたが、大阪圏には伊丹空港がある上に、神戸空港までつくった上にリ-マンショック以来の景気低迷で財政が極端に悪化、2009年度には早期健全化団体に指定されたとのこと。これは、いわば財政破綻を宣告される一歩手前の状態なのだそうだ。

市は少しでも収入を増やそうと、市サイトや市の封筒などへの広告掲載を取り入れてきたが、財政難打開には至らず、他の自治体のように市所有の文化会館などの命名権を売り出してもたいした財政好転につながらないと判断して、市の名前そのものの命名権を新しいアイデアとしてかなり真剣に考えているという。

凄い発想である。『それぐらいの覚悟でやろう』なら拍手を送りたいが、本気だとしたらこれは大変な問題。『賛成・反対』で、それこそ市民の絆を分断することになり兼ねないのでは・・・。

現在のような経済事情では、三菱や住友、あるいは三井という明治以来の大財閥の直営または関連企業であっても、今後永久に『命名権』で得た市名を維持できるほど恒常的に収益を得、発展し続ける保障はない。

当然、期間付きの契約になるだろう。プロ野球の球団ならば名前が変わろうとたいした混乱はないだろうが、市名が変更になると市民生活に大きな影響を与えることは当然ながら、それ以前に、市名変更事務経費などで、命名権の売り渡し以上の費用が消えることも考えられないこともない。これではまさに笑えぬ笑い話・・・。

『日立市』や『豊田市』などという企業名ならば前例があるが、『サントリ-市』や『パナソニック市』などとなるとちょっと賛成できないという声が上がるだろうし、『ソフトバンク市』などとなると受け入れられない市民も多いだろう。

今回の市の名前そのものを企業に売り渡すという発想は、市当局はこれぐらいの覚悟でやっているのだという事を見せたいパフォ-マンスだと思うが、今後どのような動きになるのか、興味を持って見守っていきたい。(田舎親父)

2012年3月30日 (金)

氷山の一角だろう・・・

 これも少し古い話になる。過去5年間だけで50億円もの不正に受給していた医療法人が摘発されたという記事があった。過去最大ともいう不名誉な記録を打ち立てた医療法人の名前は『豊岡会』。豊橋市に本部があり愛知権や静岡県で4つの病院を経営しているという。

医療の世界には『診療報酬制度』という業界独特の決まりがあり、看護師が担当する患者数や夜勤時間が少ないと、国から受け取る入院料が高くなるのだそうだ。

この制度に目をつけて、傘下の4つの病院では、夜勤時間の基準超過分をタイムカードから削除したり、事務職員や産休中の看護師を出勤しているとして勤務簿に記載。看護師数の水増しで、昨年までの五年間(もっと以前からだろう)不正を続けていたというから悪質きわまりない。

何故、看護師が担当する患者数や夜間の勤務回数が少ないと入院料が高くなるのか、そしてその高くなった分を国が補填するのかという制度について、医療に関しての知識が全くない私には理解できないことばかりだが、この制度は患者の手厚い治療を支えるために設けられているとのこと。

看護師が多いと患者一人当たりの看護師の数は多くなることは分かる。そして当然ながら、看護師の夜勤が少なくなることも分かる。素直に読むと、『医療報酬制度』の決まりでは、看護師を決まりより余分に揃えた病院は、熱心に医療をする病院だから、患者のために国が補助するということらしい。

看護師の人たちの勤務が大変だとは理解できるが、こんな制度が医療だけに認められているとしたら変な話。国の根幹だと言われている教育界にはないのも・・・。

最近教員の勤務が厳しくなり、夜の8時、9時まで残業しなければ翌日の授業に支障がきたすということは何度も述べている。もう一人、常勤でなくても良いから教員がいたらという声は日常茶飯事。小学校の場合では、せめて体育や理科の専任の教員がいたら子ども達にもっと幅の広い指導ができるのに・・・という話もよく耳にする。

しかし、『定員』という決まりがそれを絶対に許さない。例え、経済的に豊かな校長が私費で教師を雇うことも、それが教委に知られたらたちまち処分の対象になる。定員以上の教員はもとより、事務職すら雇えないのが教育業界の掟。

なのに、医療の業界は看護師を規定以上に雇い入れても補助があるとは・・・。少し悪賢い奴ならば、この制度を利用しない手はないと思うだろう。これではわざわざ国が医療法人に『不正受給をしなさい』と言っていると同じ。例えが悪いが、泥棒に向かって警察が、捕まえる気は全くない上に見つからないようにやれ言っていることのようだ。

豊岡会は不正受給の事実は認めながら、『医療事務担当者の教育が不十分で、管理体制に不備があった』と述べ、故意による不正ではないと主張しているらしいが、よくぞ空じらしいことをのたまうものと呆れる。恐らく『何故ばれたのだろう』と原因追求に血眼になることはあっても、反省などないに等しいに違いない。

厚労省の発表によれば、2010年末、診療報酬の不正請求などで医療機関に約30億4千万円の返還を求めたというが、今回は一つの医療法人で50億円。それも時効の有効な過去5年分であってそれ以前からやっていたことは想像に難くない。

請求が正しく行われているかどうかは請求書に添付された勤務表を確認することでチェックしているのだそうだが、医療機関の申請をそのまま容認するという、(いつものことながら)問題を作って自分で答えを出しているようなもの。

原発事故にみるように、この甘さがトンデモないことに発展することは火をみるより明らか。恐らくこの事件を知った不正を行っている医療法人の多くは、えりを正すよりバレないようにする手だてを厳重にするのではないだろうか。

不正を長年見抜けなかった行政側もチェック態勢の見直しを急ぐべきだろうが、全ての病院に職員を派遣して検査をすることは人数的に無理。それ以前に、不正をしなさいと進めているような制度そのものに欠陥があることは明らか。

この事件を契機にして、医療事務体制の抜本的な見直しなければ、高齢化社会に対応する医療の充実など絵に描いた餅となりかねないのでは・・・。(田舎親父)

2012年3月29日 (木)

今度は震度7だって・・・

 文科省という役所は情報隠しと人々の恐怖を煽ることが大好きらしい。

原発事故の直後に正確な放射能の拡散情報を出していれば不要な混乱は避けられたと思うのだが、徹底的に隠した上に間違った情報を出したことによって、むしろ放射線値の高い地域に避難するという、信じられないような事態をいき起こした。

以後もこれに類する話は枚挙にいとまず、今では文科省の情報は『まず疑ってかかれ』というのが国民の共通の認識になっている感がする。

地震情報にしてもそうで、三陸沖は過去にも度々大津波の襲来を受けていたことは教科書でも記載されており、多くの専門家も近い将来津波が襲うことは警告していたのにも関わらず、国民の注目を東海地震や東南海地震に向けていたことは疑うまでもない。

繰り返し、東海地震を取り上げていたことが、チリ沖地震の大津波被害からすでに60年過ぎてしまったことで人々の記憶が薄れたこともあり、『それ以上の大津波は来ないだろう』という油断に繋がり、また、防潮堤という科学の力の過信が津波に対しての対応をおろそかにしてしまったに違いない。

そのことは、地形的に津波が案じられているのにも関わらず、津波対策の指針すらつくっていない自治体や、津波の避難訓練さえ行われていない学校があり、大川小学校はじめ多くの保育園・幼稚園・小学校の悲劇として表面化したのではないだろうか。

大川小学校では大震災から1年以上過ぎてやっと学外の事故調査委員会が立ち上がったと報じられている。文科省がこの地域への津波に対する危険性を持っていたはずだから県教委を通して市町村教委に強い指示を出していれば、大川小学校でも避難訓練に対する認識が違っていたはず。

調査委員会には、小学校や石巻市教委だけの責任を追求するのではなく、文科省の津波に対する責任姿勢をきちんと検証してほしいと願っている。

大震災の後は、すぐにでも大地震が起きるがごとくの情報を流し、国民の恐怖を煽っている感があるのは、私にはアリバイ作り(責任逃れ)のように思えてならない。特に首都圏に対しては『震度7』を想定という、人々を意識的にパニックにさせるような情報を流し出した。

先日新聞に踊った『首都直下地震:震度7』という見出がまさにそれ。今までの予想である『震度6強』を見直し、震源が10キロと浅い場合は『震度7』との予測を出したという。

文科省の首都直下地震の対策を検討している研究チームが、東京湾北部でマグニチュード(M)7級の地震が発生すれば、東京湾岸の広範囲で、従来想定の震度6強より大きい震度7の揺れが予想されると発表したが、その理由は、震源のプレート境界が、従来想定より約10キロ浅いことが明らかになったためだという。

この研究チームは07年度から首都圏296カ所に地震計を新設し、観測した地震波などのデータを解析。その結果、フィリピン海プレートが首都圏を乗せた陸のプレートに沈み込む傾きが考えられていたより小さく、地震を起こすひずみをためやすいプレート境界面も従来想定していた深さ30~40キロより5~10キロ浅いことを突き止めたとあるが、今になってプレ-トの傾き云々が分かったとは、今まで何を研究していたの・・・と言いたくなる。

さらにこのチ-ムは、首都直下地震の想定震度が6強から7に引き上げられると、地震の揺れで全壊する木造建物が倍増すると警告。倒壊した建物の下敷きになる人や火災被害が急増する恐れがあり、耐震化促進を訴えているという。

耐震化することは必要だろうが、震源の深さが計算から変わったという理由での震度の変更は、今までの耐震化の基準そのものを変えさせるもの。これでは個人での耐震工事はますます難しくなる。

文科省の姿勢は、今回の大震災の反省もせず、震度7になったら大変な事態になるぞと脅かし、『死にたくなかったら、自分でカネを出して(少しは補助するつもりはあるようだが)もっと耐震性のある工事をせよ』と聞こえてならない。

まさか、景気対策に行き詰まり、後は個人からカネを引き出すしかないとの財務や国交の描くシナリオを、後押ししているとは思いたくないが・・・。(田舎親父)

2012年3月28日 (水)

なぜ再稼働をこんなに急ぐのだろう・・・

 汚染ドショウ氏は、再稼働という言葉に酔っているのではないかと思うほど、どうしても原発の再稼働をしたいらしい。『再稼働を妥当と判断した場合、自ら地元の説得に乗り出す』と、再稼働ありきの言動が目立つ。

政府は、内閣府原子力安全委員会が関西電力大飯原発3、4号機の安全審査を認めたことを受け、再稼働に向けた検討を始めているという。なぜ、いまだに福島事故原発の原子炉内はもとより建屋の内部の様子すら分からず、事故の徹底した原因究明さえできていないのが現状なのに、よほど再稼働しなければならない事情があるようだ。

ストレステストという再稼働の条件にしているテストの内容も良く分からない。その一次テストとなると、地震や津波に対する原子炉の余裕度を机上でチェックするものにすぎず、福島原発の事故を『地震と津波』だけに限定し、それ以外の原因を排除しているのも何か特別の事情があるようだ。国民が知りたい、なぜ、メルトダウンを防げなかったのか、あるいは被害の拡大防止に失敗した原因などは全く解明できていない。

むしろ、事故後1年過ぎたにも関わらず、事故原因を解明したくないのではととらえられても仕方ないほど動きは遅く新たな安全基準作りも全く進んでいない。全国の原発では、電源喪失に備えた短期的な対策を講じた程度で、建屋の耐震・免震も確認されていない。それどころか、安全委自ら、『1次評価だけでは安全性を評価するには不十分』と言っているのにも関わらず再稼働を既成の事実としているのは納得できない。

このところ連日、マスコミは東電の供給電力は5700万キロワット/時に対して、一昨年の夏場のピ-ク現力需要は5799万キロワット/時だと数字をあげて、盛んに『電力不足』という話題作りに忙しい。しかし、数字は提示されているが、その内容には全く触れていない。

東電に限らず電力会社が発電と送電を独占しているから、発電能力を持った事業所があっても電力供給ができないのが現実。電力不足をいう前に、自由に送電線を使えるようにして、電力が行き来できることが先決だと思うのだが、政府はこのことは知らんふり。マスコミも一時的にお愛想程度に取り上げたが、現在は全く動かないのも変な話・・・。

5799キロワット/時の中に、いかに無駄な電力が含まれているかの精査もない。およそ下らない、日本人の総白痴化をねらったようなテレビ番組が24時間垂れ流されている。しかも大量のチャンネルが下らなさを競争しているのだから、その電力消費量は膨大なものになるに違いない。

(科学的根拠はないが)ここを止めさえすれば、一挙に電力事情は好転し、わざわざ危険を侵してまで原発再稼働などやらなくてすむのでは・・・。それ以外にも必要以上の冷暖房や夜間の照明などなど。

このことは何度も述べていることだからこれまでにとどめておくが、再稼働をするためには、地元自治体の合意が不可欠だそうだ。今回、再稼働の対象になっている大飯原発は福井県大飯町にあるので、まず大飯町の合意を取り付け、その上で福井県の承認を得なければならない。しかも、大飯町は、再稼働に反対している京都府や滋賀県とも接しているので合意形成は難しいはず。

今朝のニュ-スで『保安院が京都・滋賀に安全を説明』とあるが、あれほど嘘八百を垂れ流して被曝を増大させた張本人が『安全を説明』とは、何を考えているのだろう。京都や滋賀の人々を馬鹿にしているにもほどがある。

なのに、この強気はどこからくるのだろう。すでに大飯町長はもとより福井県知事からも前向きな言質をとっているとの情報も流れているが・・・。

そんな中で、全国最多の原発14基を抱える福井県から依頼され、原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006~10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていたという朝日新聞の記事は注目に値する。

大飯原発3、4号機の再稼働について政府は、福井県に同意を求め、県は県原子力委に助言を求める見通しだが、県の原子力安全委員会の多くの委員が、関電などからワイロもどきの研究費と称するカネを受け取っているとなるとその結果は明らか。

こんな事情で大飯原発の再稼働を強行すれば、取り返しがつかない事故の危険性は限りなく高くなることは小学生でも分かること。

汚染ドショウ氏は誰かから(アメリカの影の勢力かな)『日本を滅亡させろ』という指令でも受けているのでは、という突飛な推測すら否定できないのも悲しい話である。(田舎親父)

2012年3月27日 (火)

遅過ぎる強制捜査・・・

 少し古い話になる。(23日の朝だったと記憶しているが)NHKが『AIJ投資顧問が預かっていた企業年金の資金のほとんどがなくなっていた問題で、証券取引等監視委員会は、AIJが巨額の損失を隠し、客をだまして契約していたとして金融商品取引法違反の疑いで強制調査に乗り出しました』と報じていた。

私がAIJ投資顧問という会社の破綻という事を知ったのは、先月の末の『AIJ投資顧問 業務停止命令へ』という新聞記事である。

超経済音痴である私には理解しにくい部分が多いのだが、この会社が企業年金の運用と称して、企業などから預かった2100億円の年金資金について、その大半がなくなっているにもかかわらず、顧客にこうした実態を隠していたという、あまりにも酷い内容に、そんなことってあるのか・・・と驚いたものである。

この問題を今月15日のNHKのNHKクローズアップ現代が『年金資金が消えていく~AIJ巨額損失の衝撃』という題名で放映していたが、その内容の凄さに唖然とし、今後AIJに年金運用を任せていた会社とそこで働く従業員の老後はどうなるのだろうと暗澹たる気持ちにさせられた。

厚生年金基金というのは同業の主に中小企業で組成された基金で、しかも国からも多額の借金をして規模を大きくして金額を増やし、株式や公債などへの運用によって、より高い収益と組合員へより高い給付を目指しているシステムなのだそうだ。それによって、退職後の組合員の年金は『国民年金』『厚生年金』『年金基金』という三階建てと呼ばれる構造になっているとのことである。

このような企業の厚生年金を扱う基金(組織・機構)は22年度末で595も存在するという。その多くが参加企業には5.5%の高利回りを約束しているとのことだが、参加企業としては、基金は銀行と同じで倒産などする訳はないという認識があるので疑うことなく任せているのが現状なのだそうだ。

超低金利時代の今、こんな高金利の運用ができるはずがないと思うのだが、AIJは高利回りを保障するという名目のもと、多くの年金基金から2000億円も預かったというからよほど上手い話を作り上げたらしい。AIJで基金の60%も運用していた基金もあったというから驚きである。

良く分からないことだらけである。常識的に考えたら、こんな美味い話はないと気づくと思うのだが、AIJは6年前の2005年3月末には約500億円の運用額であったものが右肩上がりでわずか4年後の2008年末には約1700億円になっていたというから、よほど巧みな誤魔化しをしていたに違いない。

もっとも、ほとんどの基金の理事長や専務理事は、旧社会保険庁などや関係省庁や都道府県の官僚たちで占められていたという報道に何となく納得。またまたこんな輩に善良な庶民の年金が持ち逃げされたかと思うと怒りを通り越して情けなくなる。

2008年のR&I(格付投資情報センター)が全国の企業年金などを対象にした運用委託先評価に関する調査結果では、運用能力や提案力などの総合評価ランキングでAIJは首位になっていたというのでは、AIJと年金基金幹部との間には何か特別なル-トがあったと考えられる。

それはさておき、AIJの破綻はトンデモナイことになりそうだ。一番の心配が、消えたカネをどうするかであるが、国から預かった厚生年金の資金を穴埋めしなければならないとなると、加入企業で連帯して負担しなければならないので、その負担が重くのしかかり、人員削減はもとより最終的には倒産してしまう会社が出てくるのではないだろうか。

そうなると残った会社でその返済を肩代わりしなければならなくなる。負担に耐えかね、会社が倒産する、会社が倒産すると、負担が増え、また会社が倒産するという負の連鎖が始まる。そして、基金そのものが消えてしまう。

AIJに関して証券取引等監視委員会にはこれまで4回の通報があったそうだが、検査に入ったのは今年1月。金融庁は2月24日付で金融商品取引法に基づく1ヵ月の業務停止命令を出したのだが、マスコミが大騒ぎを始めたのはこの時点からだったのでは・・・。

業務停止命令から強制捜査まで丁度一月。まるで証拠隠滅をさせているように感じたのは私だけではあるまい。国内にはAIJのような投資運用会社が260余りあるというから、第2、第3のAIJが存在するのでは・・・。

運用会社に大事な企業の積立金を預けて運用を任せている基金も多いだろう。となると被害はどこまで広がるか不透明。年金基金の破綻、企業倒産、基金解散による企業倒産、その連鎖、加入者への年金支給問題・・・。

民主党の汚染ドジョウ政権は、このことはすでに折り込み済みで、これらの消えた年金に対して、その責任追及などするといろいろ支障が出ると考え、その穴埋めのために、必死になって消費税値上げを計っているのではと思えてならない。(田舎親父)

2012年3月26日 (月)

TPOは死語?・・・

寒い寒いと言いながらも日中はすっかり春めいてきた。昨日のズ-ラシアは大混雑。駐車場も満杯で、警備の人の話では午前中だけで2500台とのこと。多くが家族連れだというから、昨日の入場者は軽く1万人を超えたようだ。

ところで、毎日のように訪れる、桜の蕾がふくらみかけた四季の森公園の広場には、平日でも乳母車を押した若いママさんたちが集まりおしゃべりに夢中になっている。中には数人の子どもを連れたママやワンちゃん同伴のママの姿もある。

自然の中で大勢のママ達に囲まれて過ごせるのだから、乳幼児にとっては素晴らしい環境だと、微笑ましくながめて通り過ぎるのだが、そんな時、ついつい都会での乳母車と比較してしまう。

めったに都会に出かける機会がなくなったが、それでも月に一度ぐらいは横浜や渋谷・新宿などに足を運ぶ。その時どんな場所でもぶつかるのが、乳母車を押した若いママ、あるいはパパの姿。

春分(20日)の日に能の招待を受けたので友人と渋谷まで出かけたが、駅前近くはどうしてこんなに人がいるのだろうと思うほど雑踏の極み。信じられないほどの大勢の人間が、それぞれ勝手な動きをしているのだから、普段呑気に野山を歩いている私にとっては障害物競争どころの騒ぎではなく、ひたすらストレスをためながら歩くしかない。

そんな中でも存在するのが乳母車。あの凄い雑踏の中を平然と乳母車を押して進む姿には、驚愕を通り越して尊敬の念まで起きてしまうほど・・・。流行りと行ってしまえばそれまでだが、本当にこんなことが普通に行われていて良いのだろうかと思ってしまうのは私だけだろうか。

もし乳母車に誰かがぶつかって中の赤ちゃんがケガをしないかと心配になるのだが、この種の事件はあまり騒がれない。むしろ、いかなる条件でも乳母車で出歩くことに対して『是』という考え方が主流になっているのだから、私の心配などは全く論外のようだが、本当にこれで良いのだろうか?という疑問は消えない。

きっと乳母車がらみの軽度のトラブルは発生しているに違いない。渋谷で見た雑踏の中の乳母車にぶつかりそうになったのは私だけではなく、乳母車を避けるのに苦労している人も多い。目撃しなかったが、ぶつかっている人もいたのではないだろうか。

相手が歩行者だからさほどのショックはないのかもしれないが、赤ちゃんにとって全く影響しないとは言い難い。大丈夫だと思っているのはママやハパだけであって、意思表示ができない赤ちゃんにとっては大変な迷惑ではないだろうか。

以前は『時・場・目的』を現す『TPO』という言葉(記号)を、人間生活を送る上で大切なこととして道徳として小学校でも指導したものだが、最近はすっかり死語になってしまったといって良いほど聞こえてこなくなった。

これは、『TPO』は『相手の気持ちを重んずる』ことための最低限の礼儀だと思っている私には悲しいことで、特に礼儀を重んじてきた日本人にとっては、昔からこのことを基本に生活してきたはずと悲しくなる。

乳母車で公園に集まる若いママには大きな拍手を送りたいが、我が物顔で乳母車を押している都会のママやパパには苦言を呈したい・・・。(田舎親父)

2012年3月25日 (日)

高台移転が唯一の方法なのだろうか・・・

しばしご無沙汰したおかげで頭脳は何とか元通りになったようだ。今日からまた駄文を書き始めることにしたい。

先日『沼津市も高台移転・・・』という見出しを見つけた。

記事によると、東海地震に伴い予想される津波に備え、静岡県沼津市の内浦重須地区の住民が高台への集団移転を目指すことを決めたとある。

自治会の総会で出席者の8割以上が賛成し、今後、地区内でさらに意見集約を図り、正式に市に要望するのだそうだ。被災前の予防として高台移転とはよくぞ思い切った提案と自治会にエ-ルを送りたい。

私も何度か内浦湾の海沿いの道路を走ったことがあるが、海岸線が複雑に入り込んだ地形である。海は美しいのだが、海岸線近くまで迫り、ほんのささやかな平地に住宅が建ち並んだ町。県の被害想定では東海地震発生時、県内最大の10.4メートルの津波が到達すると予想されているというから、壊滅的な被害が出ることは間違いない。

これまで住民らは防潮堤の建設を市に要望していたが、東日本大震災の津波被害を受け、高台移転への関心が高まったのだそうだ。これは賢明な決断である。しかし、実際に事を進める段になると、個々に利害が絡み合い、話が行き詰まるのが通例。全国初の住民提案のこの動きを興味深く見守りたいと思っている。

この話題と前後して、仙台市が東日本大震災で津波被害を受けた沿岸部で進めている防災集団移転促進事業案の概要が分かったという記事があった。

12年度中に被災宅地の買い取りを始めという。買い取り価格は震災前の鑑定価格の75~80%程度にするのだそうだ。また、市民が内陸部の市有地を借りて住宅を再建する場合、以前の家の築年数に応じて借地料の減免割合を変える方針も打ち出しているとのだそうだ。

対象世帯は約2000戸で、移転事業の費用は国が全額負担?。市は国土交通省に事業計画を提出し、同意を得られ次第、買い取り作業に着手するとのことらしいが、今までの経緯を思うと、国が簡単に市にカネを渡すとは思えないから、複雑な申請書作りで手間取り、実際にことが進むのは相当先にずれ込むのでは・・・。

人の気持ちは個人差があるとともに時間の経過に大きく影響されることは私が今更述べるまでもない。津波で襲われ自分の命は助かったものの家を失った人、また家族までも奪われた人たちであっても、その悲しみの深さは個々に事情が違うだろうから、それを推し量る計器はない。

さらに時間の経過というファクタ-が加わると、個々人の思いの差はさらに広がり深くなり、例えすぐ(といっても最短で夏場?)国からの許可が出て、買い取り可能となったとしても、全員が高台移転に簡単に合意するとは思えない。

具体的な内容だが、市は流失した住宅の主な再建場所として内陸部の市有地を用意し、借地料は最長50年・最大1000万円を免除する方針を既に表明し、今回の事業案では、流失したのが木造2階建て住宅の場合、床面積80平方メートルで築40年であれば、400万円を免除する一方、築10年であれば600万円を免除するとの方針を示しているという。

私の解釈が間違っているのかもしれないが、そのまま受け取ると土地は市有地を貸し借地権は免除されるが建物の建築は全額補助ではないようだ。また、内陸部の市有地というだけでは、その環境は皆目検討がつかない。被災者の中には海を生活の場にしていた人も少なくないだろう。職を失いこれから生活を建て直そうとしている人も多いはず。内陸部の市有地がその門出に相応しい土地なのかどうかも分からない。

その後、岩沼市では住民合意ができたとのニュ-スが流れたが、本当に全員の合意ができたのなら、時をおかず工事完了させなければ・・・。住民間に利害の差が生じたら移転前からギクシャクした関係になることは自明。こちらも注意深く見守りたい。

これまで災害を振り返ってみると、マスコミはじめ国や地方自治体は、すぐにでもそれ以上の災害が続いて起きると大騒ぎするのが通例。

その典型が、阪神淡路大震災では高速道路の崩壊が起因となり、その後『耐震』が世相のキ-ワ-ドになり、以来学校はじめ公共の建物の耐震補強が最重要政策になったことは繰り返すまでもない。高速道路や築年数のビルの倒壊や傾きは『手抜き』が原因だと思っているのだが、マスコミ等はこのことについては全くのスル-・・・。

今回の大震災後の復興には『津波に強い街づくり』が合言葉になり、高台移転が唯一の選択肢になっているが、これが復興の足かせになっているように思えてならない。

『再び津波で犠牲者を出さない』ことに異論はないが、今回のような大津波が(数百年後というならば分かるが)すぐに同じ場所を襲うとは到底思えない。この土地で暮らしてきた先達は、海の恵みを受けて豊かな暮らしを得、津波がきたら真っ先に逃げて、果敢に復興の繰り返し、それが知恵ではないだろうか。

そこには防潮堤という近代建造物などはなかった。被災者からお叱りを受けるかもしれないが、今回の大津波、防潮堤があるから大丈夫という安全神話があったことも被害を大きくした原因の一つではなかっただろうか。

高台移転が唯一の方針ではなく、津波との共存という知恵を思い出し、伝えていくことを大切にする事を肝に銘じ、被災地での家屋や工場建設も選択肢の一つ・・・という発想があっても良いと思えるが・・・。(田舎親父)

2012年3月21日 (水)

いつか大惨事が・・・

 昨日、新幹線の話に合わせて、格安航空会社と競合できるのかという疑問を投げかけたが、超がつくほどの経済音痴の私にして、この格安航空会社に興味を覚えさすほどこの話題を連日マスコミが取り上げている。

現代のマスコミは、日本語を否定しているのかと思うほど、カタカナはまだしもアルファベットの数文字で現すことが大好きらしく、格安航空会社のことも『LCC』と表現している。

確かに、『格安航空会社』と表現は字数も多く、文章にこの文字列が並ぶと煩雑で読みにくくなることは誰の目にも明らか。『LCC』は記号であり、その記号が文字列を現しているのだから、記号の意味さえ理解できれば文章的には簡素化するが、何でも記号化すれば良いとは思えない。こんな風潮を憂いているのは私だけかもしれないが・・・。

(それは別にして、私も使ってみることにするが)我が国も格安航空会社の乱立時代に突入したらしく、今月1日には、日本初のLCC『ピーチ・アビエーション』が就航。めったに民放は見ない私が、ほとんど欠かさず見ているTV東京で火曜夜10時から放映している『ガイヤの夜明』という番組がこの話題を取り上げていた。

ピ-チという社名からも想像できるが、スチワ-デスの制服は当然桃色。桃色の機体が飛び立つ映像に、日本の空も変わったなあ・・・と印象を受けた。

それまで全く知らなかったが、この会社はANA系だそうだ。(何度も同じ話になるが)昨年秋に出かけた九州の旅は友人が企画したものであるが、『早割に加えてソラシド航空なので特別安くなった』と送られてきたのは、何と羽田空港-熊本空港が9980円という超格安チケット。

早速ネットで、このチケットで検索してみたら、確かに『ソラシド・エア-』という航空会社が実在し、ANAと共同運行しているとのこと。共同運行の意味がいま一つ理解できないが、これが格安航空なのだろうと思い、きっと座席が狭く機内の飲み物のサ-ビスもないだろうと覚悟したもの。

しかし実際には、座席も機内サ-ビスもANAと変わらず、機内従業員の制服が違うだけ。『ジャルエキスプレス』というJAL系の会社の航空運賃が格安であることを思い出し、いわば元祖の『日本式LCC』が大手の代理戦争をしているのだと納得。

ところが『ピ-チ』は本格的に格安市場に打って出るらしく、その戦略を『ガイヤの夜明け』は詳しく報じていた。

この会社は、関西国際空港をベースに、札幌(新千歳空港)、福岡路線を開設、就航日は片道250円という運賃を設定していたことに驚いたものである。通常でも4、5千円ていどだという。こんな運賃で経営が成り立つとは思えないが、満席状態ならば大丈夫なのだそうで、そのために座席間の幅を狭めて数を多くするのだそうだ。

そして、今後は関空~長崎、関空~鹿児島線を飛ばすほか、5月には国際線への参入を予定し、関空とソウル(仁川)や香港、台北(桃園)などを結ぶ計画だという。

韓国やアジア各国の格安航空会社は、日本の地方の空港との直行便を運行し、海外旅行客の誘致を計っているという。アジア各国は直行便、アメリカやヨ-ロッパなどにも成田から出発するより、一旦ソウル(仁川空港)に寄港し、そこから外国の航空会社で出かけた方がはるかに安くなり、また夜中発着できない成田よりも旅行計画に幅ができるとのこと。

JALとANAの二つの大手航空会社はこんな事情から、LCC戦線に打って出ることにしたのだろうが、航空機は事故が起きた時のリスクは陸上交通とは比較できないほど甚大。リスク管理だけはしっかりやってほしいと願うと同時に、個人的には、できれば乗る機会がないように願っている。

当面は羽田空港への乗り入れはないようなので、搭乗者の大部分をしめる首都圏での熾烈な争奪戦は起きないと思うが、いずれ過激な客引き合戦が起きないとは言い切れない。

昨日北海道新幹線のことを話題にしたが、今でも札幌までの航空運賃が1万円程度なのが、それ以下になったら新幹線で出かけるのは、よほど奇特な人か利権がらみの政治屋さんだけになるのではないだろうか。

それ以前に、(繰り返しになるが)効率化をはかるためにわずか20分程度で折り返すなどという運行が恒常化になれば、整備などに無理がかかるのが心配。

あれほどの原発の安全神話がもろくも崩れたことが明らかになったことを思うと、『人間のやること、ミスは必ずあるはず』と謙虚な気持ちで臨んでほしいものである。(田舎親父)明日から数日お休み。

2012年3月20日 (火)

北海道新幹線って必要?・・・

 先日、北海道新幹線が函館を置き去りにするル-トで決まったことに対して、函館が気の毒という意見を述べたが、それ以前に本当に東京と札幌を直接結ぶことが必要なのだろうか・・・ということが気になる。

新幹線を整備することは一旦棚上げされたと記憶しているが、いつのまにか整備計画が復活して、整備新幹線の未着工3区間(北海道の新函館―札幌、北陸の金沢―敦賀、九州・長崎ルートの諫早―長崎)の工事認可に向けた手続きが最終局面を迎えているらしい。

該当の自治体の行政や住民は新幹線の誘致は地元の発展のためになくてはならないものと位置づけ、その実現は悲願だという。そのこと事態決して理解できない訳ではないが、狭い日本、本当に必要なのだろうかという素朴な疑問は持ち続けている。

一昨日朝日新聞が、私の疑問に対して面白い社説を掲載していた。社説は、収益面からとらえると、『国交省の試算によると、投資効果は3区間とも1.1程度でつまり、収益や時間短縮などのメリットは、投じた費用をわずかに上回る程度だと書き出し、学者で作る委員会がチェックし、『国交省は堅めにはじいている』とお墨付きを与えたが、首をかしげざるをえない』と批判的に書いている。

その中で、1兆7千億円近くを投じる北海道新幹線では、東京と札幌が約5時間で結ばれ、国はJR関東~道央の鉄道客を将来、一日あたり5500人と見込んでいると推定しているらしいとあるが、一日5500人という数値に首を傾げる。

これを年間に換算すると、約200万人。現在、首都圏から北海道に仕事を含めてでかける人の数は何人いるのだろう。北海道のそれぞれの観光地では旅行客の多さを競っているが、この土地だけを訪れるとは思えないので、その数は重複があるはず。

私の単なる推測であるが、例えば首都圏から年間4000万人が北海道にでかけるとして、その5%が新幹線ででかけるだろうか?。絶対に否である。

東京と札幌間のJR運賃は新幹線と道内特急を乗り継いで約2万3千円。羽田・札幌間の航空運賃は正規では約4万円であるが、それは帳簿上。実際には、大手のJALやANAでさえ1万円前後が相場。今話題になっている格安航空会社便が将来就航したら・・・。

この格安航空会社は現在、関西圏と札幌を結んでいるだけだが、間もなく首都圏と北海道間の格安航空会社(LCC)が相次いで就航することが決まっているようだから、所要時間と料金の総合力で対抗できるはずがない。

この疑問は検討委員会の議題にのぼったらしいが、『航空サービスの将来動向は不透明』と素通りしたという。まさに親方日の丸的発想、自分でカネ払ったことがない人たちだけの机上の空論と言わざるを得ない。

先日、仕事で鹿児島県の出水市にでかける機会を得た。地元の人たちは、口を揃えて、昨年3月12日に九州新幹線が開通したおかげで、出水市を訪れる人が多くなったと話していたので、新幹線の威力は大きいことは疑いのない事実。

しかし、それは九州でのことで、九州新幹線は博多という、九州の入り口に首都圏や関西圏との拠点ができている上、熊本・鹿児島という県庁所在地を結んでいる(観光名所も多士済々)という地理的な条件が揃ったからであって、函館と遠く離れた新函館と札幌の間には人の行き来が期待できる場所や物は少ないというよりないに等しい。

関西圏なら新幹線で九州各地にでかけようとする人も少なくないかもしれないが、東京からは二の足が出る。昨年秋に大分県竹田市にでかけたが、その時ソラシド航空という会社のチケットを購入したが1万円弱。この会社はANAと共同運行しているので機体は同じ。これでは、新幹線ででかける気持ちにはならない。

社説をそのまま引用するが(引用はじめ)整備新幹線では、開通した区間で運行主体のJRから貸付料が入る。政府はこれを未着工区間の建設に回す。今後30年で少なくとも1兆円近くに及ぶ。 

この貴重な財源を整備新幹線の特定財源であるかのように扱ううえ、不足分には国と地方の税金が投じられるのだ。3区間の総工費は、これまで2兆7500億円とされていたが、通常は10年程度の工期を北海道で24年に延ばすのに伴い、3兆100億円に増えた。 

早くつなげてこそ利用されるのに、あえて先延ばしするのは一年ごとの支出を抑えるためだ。国交省は財政難への対策と説明するが、国と地方の苦境はそんな小手先でしのげる段階をとうに過ぎている。野田政権は、高齢化で増え続ける社会保障費にあてるため、消費税の増税法案を近く国会に出す構えだ。反対論が根強いなか、成立にこぎつけるには、国民の理解が不可欠である。(引用終り)

久しぶりで朝日の社説はまともなことを書いていると納得するが、増税にしか目がいかない汚染ドジョウ氏は、これをどう読むのだろう。(田舎親父)

2012年3月19日 (月)

瓦礫処理は国の責任だろう・・・

 12月に石巻の被災地を歩いてみて感じたことはすでに述べたが、大量の瓦礫が積み上げられ、重機がそれをかき混ぜている光景は異様で今でも思い出される。どこに運ぶあてはなく、ただ腐敗防止のためにかき混ぜているのだろうが、何だか自分の心の中をかき混ぜられているような複雑な気持ちになったものである。

この悪夢のような光景を目の当たりにして、震災復興には瓦礫処理は不可避という認識を強く持ったが、瓦礫処理は遅々として進まず、今なおその山は高くなることはあっても減ることはないとのこと。被災地のうめきが聞こえるような気がする。

瓦礫が減らないのは持って行き場がないからだ。東京都が受け入れているらしいが、それとて全体からみたらごくわずか。大部分の瓦礫の受け入れ先がないという。

ゴミ処理は大きな社会問題。焼却処理能力に余裕がある自治体はほとんどないと思うが、それでも全ての自治体が少しずつ瓦礫処理を負担すれば解決できるだろうことは専門家の指摘を待つことなる、誰でもが理解できる。しかし、進まない・・・。

原発事故が重ならなかったら、日本人の持つ独特の優しさから、たぶんどこの県も快く引き受けていただろうし、地域住民も大賛成とはいわないまでも反対運動など起こらなかったに違いない。

当初、国は事故原発の北方だから、津波による瓦礫には放射能汚染はないと、スピ-ディという放射能拡散システムの情報を隠蔽して発表していたが、それがウソだったことが明らかになり、場所によって量的には大きな違いがあるもの、放射能汚染があるとなると『はいわかりました』とはならないことは当然だろう。

神奈川県や横浜市でも知事や市長が受け入れを表明しながら最終埋め立て処分場近くの住民の大反対で進まず、白紙撤回を余儀なくされているという。特に横須賀での県の説明会では、まるで知事のつるし上げ集会に終始したことに対して、何とかもう少し冷静になりたいものだと先月苦言を述べたもの・・・。

さらに、できるなら受け入れたくないが、震災直後『絆』という言葉をキ-ワ-ドにして復興を誓い合ったのに、いざ、復興のための第一歩である瓦礫撤去の前提になる瓦礫の受け入れに『絶対反対』だけで良いとはとても思えないと書いたが、その気持ちは今も変わらない。

汚染物質は拡散させてはならないことは鉄則。しかし、『受け入れをお願いします』という政府の低姿勢とマスコミの誘導もあって、『瓦礫受け入れに反対は地域エゴ』だという雰囲気が生まれてきたらしく、『国民が平等』に被害を受けようという汚染容認の危険な風潮ができつつあるのが気になる。

政府は、そのあたりを敏感に嗅ぎ取って、岩手、宮城両県(福島を出さないのは巧妙だが)の瓦礫を被災地以外が受け入れる広域処理について、これまで受け入れを表明していない道府県や政令指定都市を対象に、総理大臣の要請文書を出したという。

しかも、環境大臣の要請文書も併せて出し、受け入れの検討状況について、4月6日までに文書で回答するよう求めたという。裏で受け入れてくれれば○○という条件を示していることは想像に難くないから、要請というより取引と表現しても差し支えないだろう。

早速、各地の自治体は反応し、ある村では村議会が全会一致で受け入れ賛成を議決し、村長に至急執行を迫っているというから、国の威力は物凄いものがある。恐らく、親方日の丸的議会が多いことを思うと、このような議決をする自治体も多く出るだろう。

またまた、賛成・反対と住民を分断するような不毛な争いが起きるだろうと思うと悲しくなる。ここにも、震災直後から、ただ『大丈夫です』『安全には問題はありません』などと、真実を隠してただ誤魔化そうとしてきた国の施策が原因であることは間違いないと思うと、あまりにも悲しい話である。

今、ようやく事故原発周辺の土地を国が買い上げなければ先に進まないという話が出始めているらしい。チエルノブイリ原発事故の例からも、福島の原発周辺の土地はもはや100年は住めない土地になったことは間違いない。

故郷を追われる被災地の皆さんには申し訳ないが、該当自治体には代替地を他に用意して行政も含めて町機能を全て移転し、そこに東日本大震災で出た全部のガレキを集め、集積場と焼却場を作るという発想しか、日本各地でこれから起こるだろう、日本人のアイディンディを破壊してしまう『受け入れ賛成・反対』の争いを防ぐ手段はないように思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年3月18日 (日)

除染とは移動のことと認めたり・・・

 このところ『除染』という言葉が新聞テレビから流れない日はない。しかもその言葉を発する底流には、『除染』さえすれば原発事故の傷跡が治り、住民が元通りの生活ができるかのような幻想を与えていることに悪意さえ感じる。

特にテレビでは、高圧洗浄器で洗い流したり、表面の土を重機やあるいはスコップを使って剥がし、それを袋に詰めている姿が紹介されているが、これが本当に『除染』かと言うとさにあらず、単なる汚染物質を移動させているにすぎない。

確かに、洗い流したり表土の入れ換えで限定的に放射線値は下がるかもしれないが、放射能に汚染された水は地面から地中に吸い込まれたり、あるいは下水を通って処理場に流れ込むだけ。表土も袋に入れられて捨て場のないままどこかに移動・保管されるだけ。

除染をすればするほど汚染物質の移動量が大きくなり、保管場所を巡って自治体の苦悩は大きくなるという、(先日は消費税率と国のPBの話題を出したが)ここでも除染と保管場所の果てしない『いたちごっこ』が続くだけ。こんな馬鹿げた茶番劇が連日福島県下はもちろん、放射線値の高い、いわゆるホットスポットと言われる地域で繰り返されている。

先日、福島市内のある私立の保育園の除染の結末が新聞で紹介されていた。記事によると、この保育園の園長は原発事故後子どもたちの健康を考え、早くから自主的に除染を進めてきた。線量計を片手に、園庭の表土除去から屋根や門扉の洗浄など、あらゆる除染方法を実践。線量は一時、毎時0.4マイクロシーベルト以下に下がったとのことである。

ところが、昨年9月になると、必死に下げたはずの線量が、長雨や台風(原発の再事故?)により再び0.6マイクロシーベルトまで上昇したことから『これ以上の園による自主除染は無理』と感じたという。

放射線防護学の専門家に相談すると『屋根は洗浄するだけでは根本的な解決にならず、取り替えることが必要だ』と指摘されたそうだが、屋根の葺き替えだけで見積もりは300万円。放射線の影響を恐れて避難する人が増え、園児も減少。経営はすでに赤字に陥っており、この土地での保育園経営を諦めて移転するしかないという結論に。

この保育園がある地区は、福島第一原発からはおよそ60キロメートル離れているが、市内でも空間線量が高く、国の費用負担で避難できる『特定避難勧奨地点』の目安である毎時2.8マイクロシーベルトを超える箇所も点在し、一時は避難指定が検討されたが、何故か見送られたという。酷い話である。

この保育園は現在、廃園になった幼稚園の施設を間借りして一部移転して保育を続けているというが、移転先は車でわずか15分。空間線量も毎時0.26~1.14マイクロシーベルトと決して低くはないが、それでも移転する前までの1.02~4.04マイクロシーベルトと比べて格段に低いとのこと。

何故そこまでして保育しなければならないのだろうと素朴な疑問がわくが、それはさておき、施設を確保したものの、給食用の設備を持ち込むことができず、園児が弁当を持参する週3日のみ移転先で保育を行う。後2日は元の線量の高い保育園での保育を続けているとのこと。こんな移転を容認している国や県は子ども達の命を何と心得ているのだろうと改めて怒りか込み上げてくる。

一番責任を持たねばならない東電は除染など無理だと知っているのか、はじめから逃げている。

(以前も取り上げたが)福島県のゴルフ場運営会社2社が、東電に対して放射性物質の除去と損害賠償を求めた裁判を東京地裁で起こしたが、東電は、『飛散した放射性物質は東京電力の所有物ではないため、ゴルフ場から検出された放射性物質には責任者がいない』との答弁。これには怒りを通り越して呆れたが、これが東電の体質なのだろう諦めに似た気持ちにもなる。

保管場所のない除染は単なる移動。世の中が、除染という言葉の一人歩きを許していることも悲しい事実。

津波による大量の瓦礫処理も捨て場がない。国の責任で、大至急保管場所を決めねばならないことは誰の目にも明らかだが、増税にのみ目がない民主党政府は問題を先のばしするだけ・・・。

このままではズルズルと汚染無法地帯が広がり、国としてき体裁すら保てなくなるのではないだろうか。(田舎親父)

2012年3月17日 (土)

変わらない東電の体質・・・

 『お前らに電力を恵んでやっているのだ』と表現しても差し支えないような東電の体質は、あれほど大きな原発事故を起こしても全く変わっていないようだ。

事故当時のシミズという社長は徹底して雲隠れ、ある程度ほとぼりが覚めたころをねらって5億円もの退職金を受け取りトンズラを決め込み、反省のふりすらしなかったカツマタという会長も最近はすっかり姿を見せなり逃げ切り勝ちの感じすらする。結局、最高責任者を隠してひたすら時の過ぎるのを待っていただけ・・・。

後を受け継いだニシザワという社長は、事故の解明やその責任などは頭にないらしく就任早々電力料金を『値上げするのは東電の権利だ・・・』と信じられないような言葉で宣言したことは、許し難いこととして強烈に記憶に残る。

そのニシザワ社長は3月11日に福島の事故原発に出かけて、作業員約200人を前に原発事故発生への謝罪を含めて『大変な迷惑、ご苦労、ご心配をかけ、心よりおわび申し上げる。被害に遭われた方の思いをしっかりと受け止め、迅速・適切な賠償に最大限努める・・・』と述べたと報じられているが、この言葉に本心から反省がこめられていると受け止めた人はどのぐらいいるのだろう。すくなくとも私には全く謝罪や反省の気配すら感じられない。

そして、本人の口からは直接、被災者に対しての謝罪の言葉がなかったのは、未だに東電には『電力を恵んでやっているのだ』という社風(体質)が強く生き残り、『事故は仕方なかったこと。これまでアンタら(福島県民)にはカネをバラまいたはず、(国民総体には)電力を恵んでやったのだから、我慢するのは当たり前』という傲岸な思い上がりがあるのではないだろうか。

このことについて批判が集まっているらしいが、『逃げたわけではない。一番迷惑をかけている福島の地で決意を語りたかった』と副社長に弁明させているのも許し難い。さらに副社長自身も事故に関しては、地震の供えは万全だったが、『想定外の津波』が原因と、あくまでで従来見解を繰り返し、『(原発の運転に問題はないとする)社内調査のやり直しは考えていない』と強調しているというから、この副社長も反省はゼロ。

ところで、先日毎日新聞が報じている『福島第1原発事故後の昨年8月、天下りを受け入れていた』という記事を報じているがこれも酷い話である。

記事によると、天下りしたのは東京都の元環境局長だという。元局長は都のエネルギー政策に関する非公式情報を都職員から収集し、東電に提供していたというから、スパイもどきの役割を与えられて動いていたらしい。

東電内には巨額の公的資金を受けることから慎重論があったらしいが、そんな良心的な意見を無視してニシザワ社長が最終決定していたというから、『電気料金値上げの前提となる合理化』という政府の姿勢など無視した経営姿勢にも呆れる。まあ、政府とは裏で話がついているのだろうと想像すると、東電の強気は分からないでもないが・・・。

元局長は都庁退職後、地方自治体などが出資する企業の取締役を経て、昨年7月まで約1年間、都の外郭団体理事長を務めていたというから、天下りの常連。記事では固辞したとあるが、それはタテマエだろう。昨年8月に職に着くと、元部下などから都の方針を聞き出して東電に報告していたというから、何のことはないスパイもどきの仕事に実に忠実だったことがうかがえる。

そして、ある元部下から『毎日新聞が動いている』と聞いて、即刻退職したというからなかなかももの。

被災地で被災者支援活動を行う弁護士の『被災者は職もなく困っている。元局長を雇う5百万円超で3人は雇用できる』との怒りの声を、真摯に受け止めてほしいもの。

しかし、東電にとって500万円などゴミくずの中のチリのようなものだろうから、この弁護士の声など届くわけはないだろう・・・な。(田舎親父)

2012年3月16日 (金)

このいたちごっこはいつまで続く?・・・

 今月内に国会に消費増税法案を提出するそうだが、それに付則として『16年度をめどに法制上の措置を講じる』と明記する方針を固めたという。党内がかなり揉めているらしいから、すんなりいかないだろうと期待しているが・・・。

政治用語は素人には理解難しく、『法制上の措置』がなにを意味するのか分かりにくい。が、15年10月に消費税率を10%に引き上げた後、追加増税法案の国会提出という内容だというから酷い話である。

増税の隠れ蓑として『社会保障を充実します』という言葉を加えて『税と社会保障の一体改革』と称しているが、社会保障の骨子は未だ示されず、消費税率を5%から8%へ、さらに10%にあげるということばかりが問題になっているのも変な話。私的に表現すると『増税と切り捨て一体改悪』というところだろう。

政府のいう『一体改革』は、高齢化で膨らむ社会保障の安定財源確保と同時に、先進国中で最悪の財政状況の改善も狙っているのだそうだ。しかしそこには歴代政権が、年金のために蓄えていた基金を、私腹を肥やすことだけにと表現して差し支えないような使い方で失ってしまったことに対しての反省などは一切ない。

ただカネがないの一点張り。しかも、消費税率を10%に引き上げても、財政改善効果は限定的で、財政赤字垂れ流しに歯止めをかけるには、消費税再増税が不可避と、臆面もなく言ってのける厚顔さはどこから来るのだろう。

国会で閣僚たちは官僚が作った原稿を丸読みしている。その原稿によれば、財政の健全化度合いを測る代表的な指標が、毎年度の予算で、政策に使う経費(過去の借金の元利払いを除く)を、税収など借金(新規の赤字国債発行)以外の歳入でどれだけ賄えているかを示す『基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)』と呼び、PBがマイナスなら、予算のやりくりが借金頼みの赤字体質であることを示すとある。

経済音痴の私には、完全に理解できないものの、自分の懐具合として考えると『入』が『出』より大きいとなると、貯金を引き出すか、どこからかから借金をするしかならないこと程度は分かる。そして、貯金がないとなると高利覚悟で借金しか方法がないのもしかり・・・。

政府はPB(国と地方の合計)が国の経済規模を示す『名目国内総生産(GDP)』に占める比率を目安に財政健全化目標を策定済みだそうだが、このあたりから私にはかなり理解不能な話が続く。

具体的には、15年度にPB(対GDP比)をマイナス3・2%以下とし、10年度に比べて赤字を半減させる考え。20年度にはPBをプラス(黒字)にするのが最終目標で、国際公約しているという。確かに、このことに関しては、ドジョウ(汚染)首相や財務相が外国で演説をぶっていたことから、国際公約も間違いなさそうだ。

しかし、今回の『増税と切り捨ての一体改革』に伴って目論んでいる消費増税でこの目標は実現するのかとなると難しく、政府試算によると、消費税率を14年4月に8%、15年10月に10%に引き上げた場合、15年度のPB(同)はマイナス3・3%と、目標に少し届かないとのこと。

少し届かないという表現の意味は、税率10%への引き上げ時期を当初の15年4月から同10月に半年先延ばししたため15年度中に税収増効果がフルに効かないためだと説明しているが、何のことはない『半年先のばししなければなったのはお前らが反対するからだ』と野党や国民に責任を転嫁しているのだから困ったものである。

しかも、これには民主党が公約する『最低保障年金』導入による社会保障費増額分は反映されていないというから、まさに『切りすて』のための『増税』である。よくぞ『社会保障の一体改革』などと言えるもの、カエルの面に小便、いや、ドジョウの面に小便といったところか・・・。

要は、消費税を10%にするのは、国際会議で口にしたことのためだけであって、社会保障の充実などは計算に入っていないことになる。

消費税10%でも、財政健全化の最終目標達成や社会保障充実には足りないというから、社会保障などは棚上げした『増税とPBのいたちごっこ』がこの先も続くことだけは間違いないようだ。(田舎親父)

2012年3月15日 (木)

常識では考えられない教員の犯罪・・・

 先日、『進学資金を使い込んだのは先生だった――』という見出しが新聞紙上に踊った。このところ教員の信じられないような犯罪行為が明らかになっているので、また変な教員が給食費の一部でも使い込んだのだろう・・・と無視しようと思ったが、進学資金という言葉が気になり、読み進むうちにこれは大変、常識では考えられないような犯罪にびっくりする。

(新聞記事が事実だとして)、この事件は焼き物で有名な佐賀県の伊万里市立大川小の原田某という49歳の教頭の犯行だというが、実際にことを及んだのは前任校の教務主任時代とのことに、さすがに教頭ではやれないはずと変に納得。

記事によると、前任の神埼市立神埼小学校で教務主任だった2008年6月~09年10月、PTA会費から十数回にわたって計約114万円を着服。さらに、09年10月~11年3月には、児童が毎月積み立てていた『子ども貯金』から約70回にわたり計約1800万円を使い込んだとある。

額の大きさにも驚くが、『子ども貯金』という言葉を久しぶりで聞く。以前は全国の小学校で『子ども銀行』や『子ども貯金』と称して、自主性を育てるために児童に銀行的な仕事を与えて、子どもの自主性を育てると同時に、金銭の大切さを教えるという意味でこのような制度があったと記憶しているが現在でもやっている地域があるとは・・・。まるで亡霊にでも出合った感じすらする。

この小学校では、『子ども貯金』は中学の進学資金を任意で積み立てる制度で、利息は学校の備品購入に充て、児童は卒業時に元本と一部の利息を受け取るようになっていたのだそうだ。

その管理は、教務主任であったこの男が一人でやっていたというから、子どもの自主性を養うという、私が知っている『子ども銀行』とは全く違い、体よく親から備品費などを出させるシステムだったらしい。

バカな教員、アホな犯行である。だがそれ以前に、神崎市立小学校7校のうち6校までもこの制度を続けていたというから,こんな制度を続けていた市の教育委員会の良識を疑る。

保護者も何の疑問もはさまずこの制度を続けていたのは、都会ではとっくの昔に失っている『おらが学校のため』という意識が、地方には息づいていることに、改めて地方の良さ?を感じる。

しかし、PTA会費や子ども貯金の管理を教務主任一人にやらしていたとはとても思えないのだが、このあたりは『当時、学校の口座を1人で管理し、図書購入や研究発表費などの虚偽の理由を付けて引き出していた』とあるだけで、具体的な管理の仕方をうかがわす記述はない。

本当に教員一人で管理させていたとしたら、これはシステムの欠陥としか言いようがない。図書購入や研究発表費などの虚偽の理由を付けて引き出していたそうだが、校長も教頭も何も疑問を持たなかったのだろうか。

そんなことはあるまい。少なくとも帳簿があるだろう。そこには曲がりなりにも検査があり、教頭と校長の押印があるはず。メクラ判(今気がついたが『めくら』という言葉に対応する『盲』という漢字は、差別用語として消えているようだ。しかしあえて使わしてもらうが)を押していたとしたらその責任は大きい。

私が知る限り、学校という組織と教員という種族は、こと公金となると、ここまでやるかと思うほど細かく、しかもタテマエ論が横行しているので、いくら上手く誤魔化してもまわりが許さないものなのだが・・・。

ある小学校の栄養士が給食費を使い込んだ事件を知っている。その小学校では校内で調理をしていたので、献立を作り替えて毎日の材料費を少しずつ少しずつため込んだらしい。かなり忍耐力が必要な作業だが、数年の間に誤魔化した金額は300万円にのぼったという。

発覚したのは新しく赴任した校長で、前任校と比べて、何となく給食の献立がお粗末だという声が気になって過去の帳簿を調べて使い込みの事実がわかったとのこと。校長のお手柄といえばそれまでだが、どんなに上手く誤魔化してもことカネの問題に関してはバレるのが学校の特徴である。

その栄養士の夫は中学校の教員で、栄養士は全額弁済と懲戒免職は当然としても、夫も依願退職に追い込まれたというから笑えない笑い話。それでも教育委員会はしつこいほど自校の給食会計の調査命令を出していたことも思い出す。

県教委は『今回の不祥事は教職員としてあるまじき行為。児童、保護者の信頼を著しく失墜させた』と陳謝しているというが、刑事告発については『弁済の予定も立っており、実害はないと考えている。弁護士と相談して検討したい』と消極的な姿勢だとのことは、事件をあいまいにしてこの教員を管理職に任用した責任を何とかは逃れたいためのようだ。

伊万里市立大川小学校(石巻市立大川小学校の悲劇を思い出す)としては大迷惑だろう。何ら責任がないのに、不祥事で学校名がでてしまうという不名誉な取り扱いは気の毒としか言いようがない。

結局は、誤魔化したカネは全て弁済させられるのはもちろん、懲戒免職は免れないだろう馬鹿馬鹿しい事件だが、それ以上に、地方に残る『おらが学校のため』という気持ちが失われることの方が残念でならない。(田舎親父)

2012年3月14日 (水)

いよいよ定年延長が間近に・・・

 先日も話題にしたが、いよいよ定年が60歳から65歳に延長されそうな気配が濃厚になってきた。

政府は9日に、企業に希望者全員を65歳まで再雇用する制度の導入を求める高年齢者雇用安定法改正案を閣議決定。2013年4月施行に向け、今国会での成立を目指すそうだ。

厚生年金の支給開始年齢が13年度から25年度にかけて60歳から65歳まで段階的に引き上げられることに伴う措置で、労使協定で企業が再雇用者を選別できる現行の制度を廃止するのがねらいとのこと。再雇用ではなく正規雇用とすることを義務づけていることが気になるところ。

上級の国家公務員(地方公務員でも同じだろうが)にとっては『定年』という二文字は辞書上での言葉。実際は『天下り』という都合のよい制度が通例化しているので、決められている60歳より前に、職場を変わり定年など関係ない部署につき、今まで以上の好待遇で余生を送れるシステムになっているが、一般の公務員はもとよりサラリ-マンにとっては、定年は人生の大転換。翌日から全く違う生活が始まる。

私も地方公務員の過去を経験から、定年退職の数年前から、退職後の生活設計を立てるのが重要な課題になることは十分理解できる。

私は元来怠け者であると同時に、取り立てた趣味など持たないのにも関わらず、退職後は時間を大事にしたいという意識だけが先行し、かなり良い条件の嘱託として残るように声をかけられたが、出勤簿に判子をつくことが嫌で断ったのは8年前。

まわりには私と同じような考えは皆無。その全てが嘱託という道を選び、週3日か4日の勤務と引き換えに、十数万円の給料を得る生活に入ってしまった。退職後しばらく誘われるままに彼らに付き合ったが、そこで行き交う会話はぐちと昔の思い出話ばかり。付き合うには馬鹿馬鹿しいので今では昔の同僚とは全く疎遠となってしまった。しかし後悔は全くない。

当初は経済的に不安があったが、実際に気ままな生活をしてみると、あまり経済的な苦労も感じず(横浜の片田舎で仙人的な生活をしているとほとんどカネはかからない)今日のんびり過ごしている。しかし、定年が延長されるとなると、こんな優雅な選択肢はなくなると思うと気の毒としか言いようがない。

民間企業でも嘱託という制度があり、私のまわりにもこの制度を利用した人も少なくない。民間企業では、(勤務時間は短くなるそうだが)現役と同じ仕事をするらしいから、企業にとっては給料が少なくてすむ分、技術を若年層に伝えるという意味ではメリットがあるだろうが、定年が65歳に延長されたとしたら、昇給はないとしても60歳現在の人件費を5年間支給し続ける体力は続かないのでは・・・。まして中小企業にとっては履行不可能な制度のように思えてならない。

それ以前に、高齢者の雇用を5年間保障することによって、若年層の雇用の機会を奪うことになるのは明らか。今でも問題になっている契約社員やアルバイトで糊口をしのぐ若者が増えることになる。このあたり政府は何ら具体的な解決策を示していない。

所詮、年金財源がないから、年金支給時期を遅らせるために定年を延長し、その分所得税をふんだくり年金財源の軽減にしたいという姑息な手段に違いない。定年延長で年金財源の確立などは土台無理なこと。数年後には、今度は70歳定年を言い出すのでは・・・。

増税に突っ走る民主党(自民党も基本的には同じだろう)は口癖のように『次世代にツケを残してはいけない』と叫んでいるが、定年延長すれば、(繰り返すが)労働市場が限りなく小さくなり極めて厳しい就職戦線になっている現在、ますます若者達の働く場がなくなることは素人でも分かること。

『次代にツケを残してはいけない』どころか、『次代にツケを残す』と分かるこんな政策を安易に通してしまっては、ますます閉塞感が増すことだけは間違いない。(田舎親父)

2012年3月13日 (火)

大災害からはや1年・・・

 1年前の3月11日の金曜日の午後2時46分。桑の葉の効能を確かめるために、数カ月に一度の人体実験と称して行っている血液検査から戻って、自室でのんびりしている時に、今まで経験したことがない揺れに驚き外に飛び出した。

私が住む横浜の片田舎の自宅は山の中。前を昔の鎌倉街道の往来に面している高台である。しかも私の自室は、友人の大工が10年ほど前に鉄筋を必要以上に使ったコンクリ-ト基礎に鉄骨で建てた車庫の上の6畳。地震には絶対の自信がある部屋である。

そこで私が驚いて飛び出すほどの揺れを感じて飛び出したのだから、近所の人たちが慌てて飛び出すのは無理がない。自宅の前は、広い道路、竹藪や老人施設アプロ-チなどが重なり、災害の危険性はゼロ。人々がそこに集まり、私が持ち出したラジオに聞き入って、トンデモナイことが起きたようだと大騒ぎしたことが昨日のように思い出される。

その時は、詳しいことは何も分からなかったが、停電が解消すると同時にテレビの画面は信じられないような光景を、これでもかとばかり映し出していた。さらに加えて原発事故がかさなりまさに地獄絵を見ているような衝撃を受けた。

当時の政府・東電の対応は事故に向き合うのではなく、自分の責任を免れたいために情報をひた隠してむしろ被害を拡大させたといっても差し支えないほどお粗末。先日、改めてIAEAの日本人事務総長が語っているように、ミスがミスを呼び『人災』と断定するほど被害をさらに拡大したことは今更私が言うまでもない。

大津波に加えて明らかな人災の原発事故が重なるという、最悪の事態にぶっかった昨年3月時点で、これまた、よりによって最悪の内閣にぶつかったのが、この国にとっては最大の不幸だったことも・・・。

時は過ぎ1年経った。被災地は復興に向けて死に物狂いで努力を続けているが、その動きは遅々として進まず、国民の政治不信は爆発寸前。よくぞ暴動が起きないものだと外国メディアに揶揄されるように、日本人の我慢強さだけで辛うじてそれが押さえられているといったところではないだろうか。

10日の日だったが、NHK特集で高台移転の問題を取り上げていた。20メ-トルもの大津波が、南三陸町長はじめ町役場の職員や住民など数十人が避難していた3階建ての防災拠点のビルを襲い、一瞬にそのほとんどの人を奪い去ったことは、事故直後何度もテレビで映し出されていた。

特集は、辛うじて助かった町長や職員達は津波の恐ろしさ再認識し、今後も襲うだろう大津波に対して、この悲劇を繰り返さないためにも、住民全員の高台移転を決め、すぐさま計画を立て始めたその経緯が時系列にそって構成されていた。

町長のリ-ダ-シップに応えて、ある地区の住民は全員揃って高台移転を決意したという。住民のリ-ダ-は今必要なことはすぐに行動すること、時間が過ぎるとそれぞれの気持ちがずれてくると語っていたが、その気持ちは痛いほど良く分かる。

町もすぐにでも動きたかったに違いないが、何分先立つものがない。当時の政府は全額補助をではなく、4分1に当たる350億円は町負担だという方針だったことから、計画は遅れに遅れる。町長達のイライラが画面を通して伝わってくる。

12月になって全額補助の方針に転換されるが、その時には、真っ先に手を挙げた地域住民の意識の差が現れ、移転先を3ケ所に分散せざるを得ない情況になったとのこと。これも、当初から予想されたことだろう。さらに新たに出てきた移転先の高台の遺跡問題も絡め、先行きは限りなく不透明だという。

町長のリ-ダ-シップには感動するが、予算の裏付けを持たない地方自治体の組長の力にはおのずと限界がある。政府が動かなければ先へ進まないのだから、卑屈なほど中央にお願いするしかない。

縦系列の行政システムが存在する限り、町長の理想である町民全員の高台移転が実現するには信じられないような時間が必要になることは想像に難くなく、その長い時間の途中で、高邁な理念に対する疑問の声が大きくなり、(場合によったら)途中で頓挫することも十分有り得る。いや、むしろこちらの方が大きいような気がしてならない。

三陸地方に住む人々は、千年も万年も昔から、何度も津波に打ち負けただろう。しかし、その都度知恵の限りを尽くして復興してきたのは、この地に命をかけてまで守る価値があったからに違いない。

(よそ者の私が口をはさむ問題ではないが)高台移転という『二度と津波で犠牲者を出さない』という理想を追い求めることには異論はない。素晴らしい理念だと感動するが、それだけでは、千年も万年もこの地で生き続けてきた先人の知恵を生かすことにならないような気がするのだが・・・。(田舎親父)

2012年3月12日 (月)

50年後の福島では・・・

 放射性物質の中でも横綱・大関クラスの『プルトニウム』が検出されたのは、昨年3月のプルサ-マル運転をしていた3号機が爆発した直後のこと。

その後、ツイッタ-などでは時々検出情報記事があるものの、その筋からの報道規制があったらしくマスコミがあまり騒がなくなったので、しばらくこの名前を聞かなかったが、つい先日の朝日新聞が『放射線医学総合研究所(放医研)などのグループが東京電力福島第一原発から20~30キロ付近の土壌からプルトニウム241を検出した』と報じていた。

記事によると、昨年検出されたのはプルトニウム239やプルトニウム240というプルトニウムの同位元素のプルトニウム241という物質。今回始めて検出下とのこと。プルトニウム241という放射性物質は半減期が14.4年であることから、1960年代を中心に行われた大気圏内での核実験ではなく、昨年の事故で原発の原子炉から放出されたと断定したそうだ。

プルトニウム239は半減期が2万4千年、プルトニウム240のそれは6600年と、気が遠くなる時間を経ないと減らない物質だが、プルトニウム241は約15年と短く、前2者に比べて環境的には影響は少なそうだが、豆類が吸収しやすい性質を有しているというから今後が気掛かりである。

今回調査した地点は8ヶ所で、そのうち福島県内の3地点から検出されたというが、観測網広げれば、検出箇所は増えるに違いない。放医研は『内部被ばくを避けるためにも原発20キロ圏内での分布状況を確かめる必要がある』としているがその通り。すぐにでも本腰を入れて観測体制を確立すべきである。

この報道の翌日だと記憶しているが、同じく朝日新聞が『原発事故で、放射性ヨウ素によって甲状腺に90ミリシーベルト近い被曝をしていた人がいることが分かった』と恐ろしい記事を載せていた。

詳細は省略するが、当時、国は3月下旬に行ったいわき市、川俣町、飯舘村の子ども1080人に行った測定では、35ミリシーベルトが最高値と公表されていたはず。しかし今回発表された弘前大学の研究班の調査内容は、原発のある福島県浜通り地区から福島市に避難してきた48人と、原発から30キロ圏周辺の浪江町津島地区に残っていた住民17人を対象に、甲状腺内の放射性ヨウ素の濃度を調べた結果、8割近い50人からヨウ素が検出されたという。そして、最高87ミリし-ベルトの被曝があったとのこと。

どちらが正しいか素人の私には判断しかねるが、事故対応において国の誤魔化し体質を嫌と言うほど見せつけられているので、弘前大学の調査の方に信憑性があるようだ。ヨウ素は半減期が短く、事故直後の混乱などで、きちんとした計測はされておらず、詳しい実態は闇の中らしい。

ともあれ、ヨウ素は甲状腺ガンのリスクを高めることは間違いないので、原発周辺の住民(特に影響がある乳幼児を含む若年層)の健康管理はしっかり行ってほしいものである。

それから数日、さらに恐ろしい記事が追い打ちをかける。『1959年に実験用原子炉で燃料溶融事故を起こした米ロサンゼルス近郊の核施設(サンタスザーナ野外研究所)跡地でこのほど、最高で米環境保護局(EPA)が基準とする濃度の1000倍近い土壌1キロ当たり約7300ベクレルの放射性セシウムが検出されたことが分かった』という内容である。

現場付近は事故後に除染作業をし、アメリカ政府は80年代、農地としての利用や居住も可能になったと表明したというから、実際にこの地では人が住み、農作物を生産しているのだろう。その住民達は長年健康不安を訴えてきたが、今回強い要請で詳しい調査の実施が決まったという。

この報道に、50年後の福島の姿がダブるのは私だけではあるまい。(田舎親父)

2012年3月11日 (日)

 金儲けのためなら何でもあり?・・・

 時に市場調査ではないが、散策の途中、近くの大手ス-パ-の野菜や魚などを中心に食料品売り場を歩くことがあるので、(他の男性諸氏に比べてだろうが)価格の動向などについてはかなり知っていると自負している。

そんな時、こんな値段で大丈夫なのだろうと思うことも少なくない。一例だが、刺身や煮つけにしたら8人分は十分とれると思われるイナダというブリの幼名の魚が、一匹300円という場に出合わす。恐らく、養殖途中の余った魚を、ス-パ-の担当者が買いたたいて集荷したものだろうと思うが、こんな価格でも利益が得られるのだから、買値はいくらぐらいなのだろう・・・と疑問に思うことも稀ではない。

利益を上げることが商売の基本中の基本だというのはわかっているつもりだが、ス-パ-が価格で庶民を釣るやり方に対して、安いからといって飛びつきたくないものだと思いはいつも持っている。しかし、最近の不景気感の蔓延は、私も含めた庶民を1円でも安くして集めなければならないとなると、これも容認するしか仕方ないようだ。

ところで、ス-パ-で売られているコメはそのほとんどが国産の銘柄米である。価格は産地やブランド名によって開きがあるが、10キロあたり4000円も出せば相当有名ブランドのコメが買える。そして、コメの価格は年々下がっているように感じるだ、市場は私の感覚とは逆で、国産米が値上がりしているので中国米を販売するというから、経済音痴の私には理解ができないことばかり・・・。

先日のことであるが、大手スーパーの西友は、中国産米の販売を始めるとの記事を見て驚く。価格は税込みで5キロ入り1299円。この価格は同社が売っている最も安い国産米よりも3割も安いのだそうだ。

20年も前のことになるが、記録的な不作だった年に、タイ米などが緊急輸入されてス-パ-の店頭に並んだ記憶があるが、その時は国産米が入手できないというはっきりとした理由があったはずだが、今回は事情が違うようだ。

販売するコメは中国・吉林省産だとのこと。割安な国産米の確保が難しくなっていることや、消費者の低価格志向が強まっていることから販売を決めたそうだが、果たして中国産のコメの価格に釣られて庶民が殺到するだろうか。

それ以前に、『中国産』というのが気になる。中国の人口は公称12億(15億という説もある)というが、実際には20億とも言われている。中国の国家戦略として、膨大な国民の胃袋を満たすために世界中から食料を集めている現実が問題視されているのに、果たして主食の一つであるコメを輸出することが可能なのだろう、という素朴な疑問にぶちあたる。

中国のどの組織・機関が日本に輸出を決めたのかは分からないが、このコメを中国国内で販売するより利益が大きいと判断したのだろう。しかし、中国の食料事情はそんなことを許せるほど余裕があるとは思わないのだが・・・。

グロ-バルという言葉が一人歩きしている現在、中国産のコメを輸入し日本国内で販売することは当たり前の商売なのかもしれないが、私には中国国内の食料事情を考えると、札束で横っ面を張り倒してコメを強奪しているマンガが描く日本人の姿と、それを見て怒りをあらわにしながらも嘆き顔の中国庶民の姿がダブル。

牛丼大手の一つも新年度からオーストラリア産のコメを使用する方針だそうだ。『震災などで自社の牛丼に向いた国産米の確保が難しくなった』との理由だという。牛丼に向いた国産のコメという表現が気になるが、背景にあるのは、ス-パ-と同じで、激化する低価格競争だろう。

現在我が国はコメに高関税を課す代わりに外国産米を年約77万トンを無税で輸入しているのだそうだが、このコメの価格が低価格の国産米より少し安く、この牛丼大手はこの制度を利用するという。

低価格競争のためとはいえ、農業の将来をかけて議論されているTPPにも大きな影響を与える外国産のコメの輸入を、民間企業が簡単に決め、それを世論として黙認して良いとは思えないのだが・・・。(田舎親父)

2012年3月10日 (土)

害があるのに製造・販売を続ける怪?・・・

 厚労省が、中央社会保険医療協議会(中医協・厚生労働相の諮問機関)に対して、子供や生活習慣病、呼吸器疾患などを抱える患者らの受動喫煙対策として、医療機関の屋内を原則全面禁煙とする方針を示したというニュ-スが流れたのはかなり以前のこと。

小児科、内科、呼吸器科などがある医療機関を対象に、治療や入院の対価として受け取る診療報酬の施設基準に『屋内全面禁煙』を追加し、対策を講じない場合は入院基本料などの報酬を減額するという内容である。

厚労省の資料によると、屋内が全面禁煙の病院は、08年時点で全体の63.8%。残る35%は喫煙室などを設ける分煙で対応しているという。全面禁煙にしていない医療機関は、成人の約23%(09年)を占める喫煙者にも、一定の配慮をしているとみられるとのこと。

分煙室について厚労省の委託を受けた研究機関の報告書には『人の出入り時に喫煙室から煙が漏れるたり、喫煙者の肺に残った煙が徐々に吐き出されるなどの理由で、分煙では受動喫煙を防げない』との指摘。

『特に患者が集まる医療機関には、診療報酬を使って全面禁煙を促す』ことが重要で、この『全面禁煙措置の徹底によって肺がんなどのリスクを減らし、医療費抑制がはかれる』と明記されているというが、ここまでやるかという感じは否めない。

私が医療機関を利用するのは、数カ月に一度程度の血液検査で訪れる横浜の片田舎の総合病院だけであるが、そこは(喫煙習慣のない私が見落としているだけかもしれないが)患者が出入りする部分は完全禁煙で分煙室はない。

医師達の中には喫煙習慣がある人もいるだろうに、そんな医師に対して、この病院はどうしているのだろうと思わないでもないが、患者達には分からないような喫煙室でも設けているのではないだろうか。しかし、厚労省のお役人の喫煙嫌いがここまで徹底すると、愛煙家の医師にとっては厳しい時代になったものと同情を禁じ得ない。

ところで、このところ何かに話題にされているハシモト市長が誕生した大阪市では、環境局は全職員約3200人を対象に、喫煙実態調査に着手することを決めたという。

市職員は勤務中の喫煙を禁じられているが、同局職員について『守られていない』という外部からの投書や内部告発が続いているため、『ルールを徹底すべきだ』との市長の強い姿勢で調査が始まるのだそうだ。勤務中の喫煙が判明すれば、職務専念義務違反で処分するというから、(規制に対しては無意識的にアレルギ-を感じる私には)何か恐ろしい時代の足音のように聞こえてしまう。

特にハシモトという御仁は交通局と環境局に対しては、意識的に対決姿勢を鮮明にしているというから、『ごみ収集車内で作業員がたばこを吸っている』などという投書があれば、待ってましたとばかり、(事実が確認できればと信じたいが)即刻処分ということにつながりそうだ。

当然だという声が聞こえてきそうだ。確かに、ゴミの収集中は勤務時間であり、勤務時間内の喫煙は禁止という規定に反するから、処分されても仕方ないかもしれないが、市長の目的は人員削減だろうから『分煙』も認めない?。となると、職員達の不満は高まるばかり、下手するとトンデモナイ事件につながるのでは・・・。

2月下旬に火災があった大阪市営地下鉄の梅田駅など6駅でも、駅員らが喫煙をしていたことが判明していると、新聞記事はあたかも火事の原因は煙草の不始末と断言している文章になっているが、全て職員の煙草の不始末だったとは常識的には考えられない。

これだけ煙草が健康に悪い、あるいは諸悪の根源だと騒がれているのにも関わらず、煙草は専売公社から一応民営化されたという形をとっている『日本たばこ』という会社組織が作り続け、売り続けて大きな利益を得ていることに疑問を持つのは私だけなのだろうか。

一杯の晩酌と同様、仕事合間の一服がストレスの解消になるという声も多く、それを科学的?に証明している専門家も存在するらしい。

休息時間でも禁煙を強いるとなると(喫煙場所がないのだから実質的には禁煙)、ストレスが溜まり、間違った判断をする医師、子どもに当たる教師、乱暴な言動に走る職員などが現れても奇怪しくない。

厚労省の官僚が『煙草は麻薬と同じ』だとの意識ならば、全面禁煙を強いる前に、製造・販売の制限や禁止を提唱するのが筋ではないだろうか。(田舎親父)

2012年3月 9日 (金)

ある老人ホ-ム?の出来事・・・

 行ったことはないが、和歌山県に海南市という自治体があるのだそうだ。その市の社会福祉事業団が運営する特別養護老人ホーム『南風園』で職員による入所者への虐待が明らかになったという記事が目についた。

記事によると、職員が脱衣場で認知症の入所者の頭を押さえつけて服を脱がせたり、大声で怒鳴りつけたりしていたことが、和歌山県や海南市に送付された匿名の差出人による隠し撮り映像からわかったという。

1月半ば、施設の脱衣場を隠し撮りしたDVD映像が『南風園利用者を守る家族の会』という差出人名で送付されたそうだが、そんな団体が実在しているとしても、外部の人間が隠し撮りカメラを簡単には設置できないだろうから、内部の職員間にいろいろな軋轢があったのではと推測している。

DVDには複数の職員が脱衣場で『痛い』と大声を出す車いすの入所者の頭を押さえつけて服を脱がせる映像や、浴室で冷水をホースでまかれ『冷たい』と訴える入所者に『やかましい』と怒鳴りつける音声が録音されていたというから、この老人施設では日常的にこのような行為が行われていたことを連想させる。

『市社福祉事業団』というから、実態は第三セクタ-だろう。ご多分に漏れず、このような団体には、県や市からの天下り部隊がふんぞりかえっているのだろうから、一般職員としては面白くないのも想像に難くない。

県と市は虐待の可能性もあるとみて調査するとのことだが、調査の段階で、内部の矛盾にぶつかることは自明だろうから、果たして、どこまで追求できるか・・・。

ところで、私もかなり高額の介護保険料をとられている。介護が必要な老人たちを社会が面倒を見ることは、ここまで急速に高齢化が進んだ我が国では、ある仕方ないと思わざるを得ないから、介護保険料の支払いに異議を申し立てる気はない。しかし、庶民から搾り取った介護保険料が適性に介護現場で使われているかというと、極めて大きな疑念を持っている。

老人施設で働く介護士という職業は、寝たきり老人はもちろん自分で身体を動かせない老人達の世話をすることだから、かなりの体力が必要になる。その意味では、体力に余裕がある若い人たちにお願いすることになるのはいたしかたないところ。

職業には貴賤がないと言われる。しかし(あえて批判を恐れずに述べると)これまで社会に貢献しただろう?年寄りの介護するのは当然だと思いたいが、若者達の目の前に存在する(彼らには、あまり社会に役立ったとは思えない?)老人達の世話に明け暮れるこの仕事に対して、彼ら全員に誇りと夢を感じろというのは酷な話ではないだろうか。

しかも、賃金は概ね年収300万円以下という極めて低い水準に押さえられているというのでは、自分の生活を維持するのがやっと。結婚して家庭を築くのすら困難だとも伝えられている。

こんな環境で、天下りなど一部の人間が甘い汁を擦っていることを知れば、ストレスが溜まりその捌け口を、非力で抵抗できない入所している老人達に向かうのは、これまた分かるような気がする。

賃金が低いから許されることではないが、このような虐待ともいえる行為は、多かれ少なかれ老人施設には日常的に存在するのではないだろうか。そして、雨後のタケノコのように老人施設が増え続ける現状では、このような行為は、決してなくならないことも明らかで、むしろ増え続けるに違いない。

介護士の待遇改善が叫ばれているが一向に前に進んでいない。むしろ、意欲ある若者がこの分野を敬遠する傾向があるとも言われており、介護の現場に人が集まらないのも慢性化しているらしい。

名案はない。しかし、少なくとも老人施設をこれ以上増やさないようにしなければならないことは間違いない。が、寿命がどんどん伸びているのだから、増やさなければならないのも現実。となると、寿命をこれ以上伸ばさないことしか方法はないのでは・・・。

ところが、最近の医学はこれでもかというほど寿命を伸ばそうとしているようだ。先日も、東北大の研究グループが、血管内皮細胞での炎症反応を抑えると老化を遅らせ、寿命を延ばせることをマウスによる実験で突き止めたとのこと。この実験が医療に応用できれば、平均寿命は約30%延びるというから恐ろしい。日本人に当てはめた場合、平均寿命が83歳から108歳になる計算なるとのこと、考えるだけでゾッとする。

さらに先日も話題にしたが、チップを体内に埋め込んでサイボ-グにしてまだ生き続けさせる技術も開発中という。

老人施設の虐待問題から話が飛躍したが、(老人問題を考える上で)この老人施設の虐待を、単に職務違反だとか道徳心の低下だと片づけて、これらの職員を処罰するだけでは問題の解決にはほど遠いことだけは間違いない。(田舎親父)

2012年3月 8日 (木)

レストランに放射線測定機・・・

 原発事故直後、国は放射能の暫定基準なるものを作ったが、これが実にいい加減な代物だったことは作った官僚達はよく知っていたらしい。世論の高まりと、実際に放射能異変の症状がでた時の責任などを回避するためだろうと想像しているが、急に国際水準(あるいはそれ以下)までに下げた新基準を4月から実施するという。

基準を厳しくすることに関して異議はない。が、暫定基準に信頼性がないことが明白になった現在では、消費者は『ゼロ』を目指すのは当然の理。500ベクレルが100ベクレルになったことは評価するとしても、ゼロと100では雲泥の開きがあるのだから、作る人はもとより、届ける人や売る人まで、今まで以上に厳しい現実に直面するのではないだろうか。

その一例として、ある新聞が福島県の農家を紹介していた。この農家は、長年味にこだわった野菜のブランド化に取り組んで、やっと作り出した『御前ニンジン』が大人気で飛ぶように売れていた矢先の原発事故で歯車が狂ったという。

作っていた野菜からは暫定基準を超える放射性物質は検出られなかったが、誰も見向きをしなくなったと嘆く。新基準値で、一層厳しくなるかもしれないと覚悟し、あえてそれに立ち向かおうと『おいしさの数値化』に挑んでいるのだそうだ。

パッケージにQRコード(二次元コ-ド)をつけて、放射性物質の数値とともに栄養価や甘みなども数字で示すと、農業試験場やNPO、大学など支援してくれる団体を探しているのだそうだが、例え100ベクレルがクリア出来たとしても、消費者がその数値を安全だと思わない限りこの農家の努力は報われないだけでなく、福島県の農業の復興は難しいのではないだろうか。

話は変わるが、『東京都福生市のレストランが店内に放射能測定器を設置し、一般の人が持ち込む食材を測る取り組みを始めた』という記事が目についた。

この店の経営者は『野菜の仕入れ先に尋ねても、検査済みという答えしか返ってこなかった。食を提供する立場の自分が納得できない日々が続いた』と言い、約180万円の測定器を購入し、食材や調理済みのメニューなど、店で提供するものはすべて計測しているのだそうだ。

さらに、この測定機を一般に開放し、店で使う食材を検査する合間に広く使ってもらう試みも開始しているとのこと。店主は『4月から食品中の放射性セシウムの新しい基準値が適用され、食品汚染に対する消費者の関心もあらためて高まっているので、気軽に利用できる市民測定所を目指す』と胸を張っているらしいが、このアイデアは面白い。行政の支援があればもっと広がりそうだ。

食材として大量に使用するカマネギや米、牛乳などは一晩かけて測るのだそうだ。この測定機は放射性セシウムとヨウ素が一キログラムあたり5~10ベクレルまで計測できるというから、消費者、特に子どもを持つ家庭にとっては強い味方。

2月下旬から、店の客など外部の人が持ち込む食材検査を、一検体約3千円で請け負っているという。本来なら、保健所などが無料で検査すべきことなのだろうが、現実には何も期待できないとなると、このような店が今後増えるのではないだろうか。実際に、首都圏を中心に測定機を置き『市民測定所』にする動きが加速しているという。

『測定データの蓄積で、注意が必要な食材も分かってくるはず。わずかな汚染にどう対応するかなど、店を情報交換の場にしたい』と店主は意欲を語っているとのこと。確かに、一検査物体3000円は安くはないが、多くの市民が『私も一つぐらい・・・』となって測定し、その値を公開することによって、どんな食材が汚染されやすいかなど、かなり有用なデ-タが集まるだろうから市民の目は集まりそうだ。

こんな店が近くに出来たら、私も・・・。(田舎親父)

2012年3月 7日 (水)

世界で通用しないオリンピック代表?・・・

 4日の日曜日、ロンドン五輪の男子代表最終選考会、『びわ湖毎日マラソン』が大津市の皇子山陸上競技場発着で行われ、その様子をNHKが実況中継していた。

先の東京マラソンや福岡、別大などもそうだが、ここ数年日本人選手が優勝することは皆無で『日本人トップ』ということが強調されるばかりの現実に、かなりガックリしているのは私だけではないと思いたい。

びわ湖マラソンも同じだと当初は見る気がなく、1時ごろにいつも通り歩き始めたが、スト-ブの始末が頭をよぎり、途中から引き返した。結果的には始末は完全だったが、何となく出足をくじかれた感になって、マラソンでも見てから改めて歩こうと思い、テレビの電源を入れる。

凄い人数が先頭集団を形成している。最近はペ-スメ-カ-という青いゼッケンの選手が先頭を走るのが当たり前になっているのが気になるが、このレ-スでもその通り。タイム的にはかなり押さえているらしいので、これほど多くの日本人ランナ-がついて行けるのだろうと思いながらも、ひょっとしたらという気にさせてくれる。

雨が降り続いているのでコンデションはあまり良くないが、先頭集団は大人数のままで折り返し地点を通過する。中でも長身の堀端という日本人ランナ-の走りが軽快。もう一人、出岐という箱根駅伝を走った青山学院の学生選手も調子が良さそうだ。

ケニア人の2人のペ-スメ-カ-が25kmで抜けると同時に、外国人ランナ-がペ-スを上げる。あっと言う間に日本人の二人はついていけなくなりどんどん差が広がる。

普通のレ-スなら先頭を走る選手にテレビカメラがつくのだが、NHKは先頭など全く無視しているらしく、ゴ-ル間近になって下の方に別枠で写していたが、もっぱら日本人ランナ-ばかりを追いかけている。

しばらくして、出岐と堀端が失速。後ろからきた中本が堀端をとらえて抜き去る。アナウンサ-は興奮して『日本人トップが交代しました・・・』と叫んでいたが前を走る3人もの外国人ランナ-の存在など眼中にないようだ。

アナウンサ-も解説者も、日本人トップがロンドンオリンピックの候補になるということばかりで、肝心の記録や総合順位などは二の次三の次。

結果的には、一般参加の山本がトラックで中本を抜き、2時間8分44秒でゴ-ルし日本人トップに躍り出てオリンピックの代表になりそうだが、これで良いのだろうか・・・という割り切れない思いだけが残った。

ケニア人で愛知製鋼所属のサムエル・ドゥングという選手が、2時間7分4秒というタイムで優勝したきだかゼッケンは白。一般参加の初マラソンのランナ-だというから、なんとも日本のマラソン界の低調さが浮かび上がる。

レ-ス後もアンウンサ-と解説者、さらに陸連の幹部インタビュ-も含めて、『これで山本の代表は確実』とか『堀端の線は消えた』などと、話題はオリンピックの代表選手の選考のことばかり。

自己ベストを3分26秒も更新した山本選手の追い上げは、見ていても素晴らしいものがあり、無条件で感動を与えてくれた。東京マラソンで2時間6分台を出した藤原選手と比べても、コンデションを考えると遜色はないから、現時点の選考方法では日本の代表になることには全く異議はない。

おめでとうと言いたい気持ちはあるのだが、心の隅には、やはりこれで良いのだろうかというひっかかりがあることは否めない。

世界のトップレベルは2時間3分台だという。すでにケニア代表に決まっている選手はいずれも4分台とも聞いている。ロンドンに集まる各国の選手達は軒並み4分台から5分台だろう。現在の日本人男子のランナ-がロンドンで5分台を出すことは100%あり得ない。たかだか6分台の後半か、下手すると8分台、9分台の記録に終わることは、ほぼ間違いない。

この記録では入賞することなど夢のまた夢。10位にも届かないことの可能性の方が大きいのでは・・・。オリンピックは参加することが目標だとよく言われているが、それはタテマエ。本心はメダルの数や色ばかり。

代表を目指している各競技種目の選手たちには言いにくいことだが、代表選考の基準について、オリンピックのあり方や参加する姿勢も含めて、本気で議論しなければならない時が来たのではないだろうか。(田舎親父)

2012年3月 6日 (火)

市になるためには手段は選ばず・・・か

 一般的な印象として○○町と○○市とでは、何となくイメ-ジが違うこと確かだが、地方に出かけることが比較的多い私には、広域過ぎる市よりこじんまりしながら町や村として地域のコミュニティを保っている自治体の方が親しみを感じる。

しかし行政としては、町や村よりも少し権限が大きいらしく、何とか市に移行したいようだ。市に移行するには人口5万人が必要条件なのだそうだが、移行を望む自治体は合併などを含むあの手この手で人口増を考えているらしい。

私の思い違いかもしれないが、小学校の社会科で教えていた町と市の人口の違いは3万人だったと記憶しているので、(この数字が頭にあって)4万人以上もいる町が何故市にならないのか、あるいは2万数千人の人口なのに市として何故存在するのか、という素朴な疑問を持ち続けている。もっとも、どうでも良いことなので表面に出したことはないが・・・。

何時の頃から5万人という基準が決まったのか分からないが、人口5万人以下の市など日本中には至るところに存在するのではないだろうか。だとすると、実に変な話。新たな疑問が生まれる。

それはともかく、名古屋市のベットタウンの一つに東浦町という自治体があるという。その町が市制に移行したくてたまらないらしく、人口5万人というハ-ドルを超えようと焦ったらしく、国勢調査で人口を水増しとしたという、信じられないような馬鹿馬鹿しい記事があった。

実際には4万9千なにがしかだったのだが、帳簿上数十人を誤魔化して5万80人としたのだそうだ。その後日談が新聞に報じられた。

(引用はじめ)2010年の国勢調査をめぐり、市制移行を目指していた愛知県東浦町で人口が水増しされた可能性があると指摘された問題で、町は2日、町職員が住人の居住実態を確かめないまま調査票の加筆を行い、職業や通勤手段など住民票では補えない情報を勝手に書き加えていたことを明らかにした。捏造とも受け止められかねない行為について、町は「市制移行に向けた重圧があった」と釈明した。(引用終り)

なんとも情けないコメントである。神谷という町長は『市制移行のために故意にやったものではない』と住民増加をでっち上げるような水増しについては否定したが、調査票に行き過ぎた補記があったことは認め、『統計の信頼性を損ねたことは深く反省している』と陳謝したとあるが、なんとも往生際が悪い苦しい言い訳に聞こえる。

町は今年に入り、調査員や職員への聞き取りなどを本格的に実施して、総務省から水増しの疑いを指摘された96人分について、調査票が作られた経緯を調べたという。

その結果、複数の調査票に同じ人が記載されている『重複』が8世帯17人分と同居人の氏名が異なる筆跡で書き加えられた『加筆』が50世帯74人分あったそうだ。さらに世帯ごとに割り当てられた番号を、調査票に添える地図に書き入れる際、別の場所の地図に誤って書き入れた『誤記』が3世帯5人分あったという。

町は、調査票の集計と点検を担当した職員3人が勝手に書き加えたりしたと発表し、3人を訓告などの処罰にしたそうだが、担当の係員が意識的にこんな馬鹿馬鹿しいミスを犯すなど常識では考えられない。

上司の明確な指示があったかどうかは分からないが、町長は幹部職員を前に『後、100人増えれば市になれる。何とかがんばれ・・・』などという訓示をしたことは容易に想像がつく。

町長に忠実であればあるほど、担当部署の責任者は部下に『後、100人・・・』と日常的に伝えていたことも想像に難くない。何とかしなければ、何とかしたいという雰囲気が職場に漂い、その結果、世帯数の水増しなどが行われた・・・。

これでは処罰された3人が気の毒・・・。3人には『訓告は履歴に残らないから昇進には関係ない』とか『今回は、我慢しろ。後で面倒をみるから』などなどという言葉があったのでは・・・。

ここにも政治の貧困さが現れている。何となく後味の悪い事件である。(田舎親父)

2012年3月 5日 (月)

青森の人は早死に?・・・

 都道府県別の死亡率という記事が時に新聞に見つける。今までは特に関心もなく読み流していたが、何気なく読んでいる記事の中に『調整』という言葉に気がつく。死亡率に調整をプラスした『調整死亡率』で比べると青森県がもっとも高いのだという。

 (記事全文は次の通り)厚生労働省は1日、人口10万人当たりの年間死亡者数を表す都道府県別の年齢調整死亡率(10年)を算出し、男女とも長野が最も低かったと発表した。5年ごとに実施され、長野は男性が90年以降5回連続で最も低く、女性は前回05年調査で全国2番目に低かった。

 特にどうっていう内容ではないが、わざわざ調整という言葉をつけた『調整死亡率』という文言が気になるので、このことについてネットで検索してみた。

 それによると、死亡数を人口で除した通常の死亡率(以下「粗死亡率」という)を 比較すると、各都道府県の年齢構成に差があるため、高齢者の多い都道府県では高くなり、若年者の多い都道府県では低くなる傾向があるので、単純比較が難しい。

 そこで、各都道府県が全く同じ年齢構成になったとしたら、どれぐらいの死亡率になるかを計算によって出したものが調整死亡率という数値で、数値が高いほど病気などで死亡しやすく、数値が低いほど死亡しにくいことを示していることになる。

 各年代に死亡しにくければ、それだけ長生きすることになる。このような年齢構成の異なる地域間で死亡状況の比較ができるように年齢構成を調整した死亡率が年齢調整死亡率(人口10万対)であるとのことだが、統計学の知識のない私にははっきりと理解できない。

 しかし何となく、この年齢調整死亡率を用いれば、文字通り、地域の高齢化率などを調整しながら、地域比較や年次比較をすることができるだろうことはぼんやりながら分かるので話を進めたい。

 平成12年都道府県別年齢調整死亡率は、平成12年人口動態統計死亡数を平成12年国勢調査人口で除した年齢階級別粗死亡率及び「昭和60年モデル人口」(昭和60年の国勢調査人口を基に補正した基準人口)を用いて、次式で求められるのだそうだ。(式は略) 

 何故昭和60年モデルなのか疑問がわくが、『昭和60年までは全国の年次比較には昭和10年人口、都道府県の比較には昭和35年人口を使用してきたが、いずれも高齢者の占める割合が極めて低く、最近の人口構成とは乖離していたため、平成2年に「昭和60年モデル人口」を採用した』という説明で何となく納得。 男女とも長野県が一番低いのは地域医療が発達しているからだろうが、逆に青森県は男女ともにワ-スト1という。要因として、塩分の取りすぎとか、寒さで身体を動かさないからだという指摘もあるようだが、長野県だって寒さに関しては(私からみたら)似たりよったりで、決して暖かいとはいえないのだが・・・。

 しかし、男性の場合調整死亡率か高いのが、青森に続いて秋田、岩手となると、東北地方特有の塩分の取りすぎに加えて、酒と煙草いう要因が直感的に浮かんでくる。私の知っている限り、東北の友人知人の多くに、飲酒か喫煙、あるいは両方の習慣のある人が多いからである。というと叱られるだろうか・・・。もっとも、大阪の男性が調整死亡率4位という理由は思い当たらないが。

 先日、長生きは『絶対是』という考え方に対して、そろそろ変えなければと述べながら、こんな話題を提供するのは矛盾するかもしれないが、この統計には死の状態(寝たきりかポックリなのか)が全くない。

 このあたりの数値が出ると、人生の終焉を考える上で有益になるのは間違いないだろうから、老後問題を考える上でも、厚労省は本気で調べるべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年3月 4日 (日)

風評被害との言い訳は無しにしたい・・・

 4月から一般の食品に含まれる放射性セシウムの基準が1キロあたり500ベクレルから100ベクレルに基準値が大幅に厳しくなる。今までの暫定基準がいい加減だったことから、この改定は評価できるが、福島県の農家にとってはかなりの重圧。離農を余儀なくされる報道は増えるのではないだろうか。特にコメ農家が受ける打撃は果てしなく大きなものになるのでは・・・。

さて、先日福島県の今年のコメの作付けに対して農水省の方針が発表されたが、玉虫色というか、なんとも煮え切らない基準を作ったもので、これでは新たな問題が生まれることは間違いなさそうだ。

農水省が出したコメの作付けの方針によれば、『警戒区域と計画的避難区域に加え、11年産米の検査で500ベクレルを超えるコメが出た地区は、原則として合併前の旧市町村単位で作付けを禁止する』とある。

該当農家には気の毒だが、これは致し方ないだろう。はじめから高濃度汚染米を作っては、のちのちその処理に困る。場合によっては、(今までの例では)横流しなどの不正手段が横行し、ス-パ-に並ぶことすら考えられるからである。

次の100ベクレルを超え500ベクレル以下だった地区の扱いはちょっと気掛かり。農水省は昨年末『作付け禁止を検討する』との考えを示したところ、地元から『作付けしないと田が荒れる』『働く意欲がなえ、耕作放棄地が増える』と反発の声が上がったという。農家としては当残だろう。

そこで妥協案として、田の除染や栽培状況の管理、できたコメの全袋調査を条件に認めるここになったというが、果たして全袋検査ということが可能なのだろうか。

以前にも取り上げたが、福島県は昨年のコメの検査では国の決めた手順(地域ごとにごく一部の抜き取り検査だったと記憶しているが)にそって検査をしたところ、500ベクレルを超える例がなかったため、早々に『安全宣言』を出したが、すぐ後に、基準を上回るコメが福島市や伊達市などで相次いで見つかり、決定的な不信感を消費者に与えてしまったことがある。

今回、再び同じようなことになったら、それこそ福島県産のコメは決定的なダメ-ジを受けることは確実だろうから、全袋検査には農家も真剣に取り組むに違いない。しかし、検査器を全農家に配れるのか不安が残る。絵に描いた餅に終わらないよう、農水省の強力な支援体制を願いたい。

100ベクレル未満のコメは(あったとは思えないが)農水省は無条件に作付けを許可する方針だという。消費者からみたらできれば0ベクレルのコメを求めたいが、自然界にも放射線が存在するのだから50ベクレル程度は仕方ないと思いたい。

しかし、もしも昨年の検査で99ベクレルだったコメが存在するとしても、今年100ベクレル以下になるという科学的根拠はなく、何らかの原因で基準値を超えることも有り得るだろう。

ここにも全袋検査を義務づけないと、昨年のように基準値超の福島県産のコメが出現しないとも言い切れない。これまた、致命的な打撃を受けることは確実。今後福島県産のコメ作りを続けるためには、(宮城県や茨城県なども対象にすべきだと思うが)のコメの全袋検査が最低条件になりそうだ。

一部には消費者も考えろという意見があることや、買わないのは風評被害だと嘆く人々も多く存在することも知っている。しかし、食品に対して国が暫定基準などといういい加減な数値を決めたことが、信頼性を失う結果になったことから、消費者を責めることはお門違いだろう。

このまま福島県の田畑が放置され荒廃するか、それとも蘇るかは今年の結果次第。これ以上の農村の崩壊を防ぐためには、コメ作りの再会は必須の条件であることは論を待たない。国と福島県、そして苦しいだろうが農家の努力が試されている。

風評被害という言い訳を通さないためにも、検査の徹底とその結果の公開を切に望みたい。(田舎親父)

2012年3月 3日 (土)

女性自身の10ケ条よりこちら・・・

 『弥生三月』という声を聞くと何となく春が近いという気持ちになる。事実一昨日などは4月中旬並のお花見をしても奇怪しくない気温だったが、先月末は寒波の来襲で大雪。桜の開花は例年通りとは予想されているが、日本人にとって春の一大イベントであるお花見までは何度も寒さの襲来は繰り返されるのではないだろうか。

毎年この季節になると、桜はともかく花粉症の話題で持ち切りになる。昨年末に環境省から発表された『平成24年春の花粉総飛散量の予測』によると、今年の花粉総飛散量は、全国的に例年並みか、例年よりやや少なくなる見込みだそうだ。

花粉症を防ぐには、花粉を体に寄せ付けない生活を心がけることが大事だと、女性自身という週刊誌の『花粉症を寄せ付けない生活を送るための10カ条』という記事がネットで紹介されていた。

私も以前は花粉症に悩まされていたので早速読んでみた。10カ条のキャッチコピ-に分かりやすい説明がついている。その1には【1】衣類は花粉がつきにくい素材を選ぶ、とある。『外出時は、とくにコートはウール厳禁。ポリエステルなどの花粉が付着しにくい素材を選ぶこと。花粉が払い落とせます』とのこと。確かにつるつるした繊維の服は花粉がついても簡単にはら払い落とせるだろう。

以下、【2】バッグの素材にも注意を。【3】帽子はこの時期の必須アイテム。【4】飛散量の多い時間帯の外出に注意。【5】花粉飛散前からマスクで予防対策を。【6】メガネの着用を忘れずに。【7】帰宅したらすぐにうがいと洗顔を。【8】洗濯は午前中にすませる。【9】空気清浄機は加湿機能付きを、と続く。記事を信じてこれらのことを実践する人もいるだろうが、何か、花粉グッズの宣伝のようにも聞こえてしまう。

さらに最後の【10】つらくて眠れない人は頭の位置を変えるという項目には『窓際に頭を向けて寝るとすき間から花粉が侵入している場合があります。ベッドや布団の頭の位置を変えてみましょう』という下りになると、今どき窓際から外気が入るような部屋もないのに、ここまでやるか・・・という感じ。

花粉症の一つの特徴が目のかゆみ。花粉による結膜の炎症は『花粉性アレルギー性結膜炎』という病名がついているのだそうだ。外出時は花粉症用の眼鏡やマスクなどを着用して予防し、帰宅後は目を流水ですすいで花粉を洗い流すことが大切だが、洗い過ぎはドライアイの原因になるというから厄介。

主な症状は、普通のはやり目に比べて目やに少なく、目のかゆさが伴うので、ついつい目をかいてしまうのだそうだ。かけばかくほど炎症がひどくなるので、まず症状が表れたら、できるだけ早くかゆみを止めることが大切だとのことだが、これは当然。

そこで、私の経験を・・・。花粉症で悩んでいた頃、クシャミや鼻づまりはコンタック60という薬に頼っていたが、かゆみどめにには『繭の煮汁』が効果的だということを知って以来、それを愛用しているうちに、他の症状もおさまったというと、マユツバだと思われるが本当の話。

信じられない人には『騙されたと思って・・・』という枕詞をつけて、あえてお薦めしたいものである。

作り方はごく簡単。蚕が作る繭を10ケほど用意し、中のサナギを取り出し、塩素が入っていない飲料水500ccで煮詰めるだけである。ふきこぼれないようにしながらおよそ2時間ほど煮詰めると繭はドロドロになって、セルシンというタンパク質がほぼ完全に溶け出す。

火を消して、中の繭を取り出し液が冷めるのを待って、適当な容器に移して冷蔵庫に保管するだけ。小分けにして冷凍しておくといつでも取り出せる。化学的な知識のない私には何故かゆみに効くのかという根拠は示せないが、この液がかゆみには抜群の効果を発揮するから不思議である。

私はこの液をシルクロ-ションと称して、もう7、8年愛用しているが、目のかゆみが消えるのはもちろん、今ではコンタック60も不要になっているから、ほぼ完全に花粉症を克服したことだと信じている。

花粉症に悩んでいる方は『女性自身の10ケ条より、こちらの方が早道ですよ・・・』と、声を大にして教えて上げたい。(田舎親父)

2012年3月 2日 (金)

長生きが『絶対的是』の社会に思う・・・

 この歳になると年々訃報が多く届くが、そのほとんどは80歳代。時に90歳を越える場合も稀ではなくなった。今や享年70歳代と聞くと『お若いのに・・・』という挨拶が当たり前になっているようだが、はたして日本人の寿命はどこまで伸び続けるのだろう。考えると恐ろしくなる。

『高齢社会対策の基本的あり方に関する検討会』という諮問機関が政府にあるという。その組織が、一律に65歳以上を高齢者と区分する現在の考え方を改め、意欲と能力のある高齢者には社会保障を支える側に回ってもらうことが必要だとした報告書案をまとめたという記事を見つけた。

高齢者が社会保障による各サービスを受けるだけではなく、それらの支え手として活躍してもらえる制度設計を進める狙いがあるのだとのこと。

現在、基礎年金の支給は原則65歳。政府の人口統計も65歳以上を『老年人口』としていることは知っている。報告書案は、こうした現状について『65歳以上の者を年齢で一律にくくる捉え方には無理がある』と指摘しているのだそうだが、確かにその通り。

さらに、社会保障の支え手となる若年・中年世代の人口減を踏まえ、『意欲と能力のある65歳以上の者には支える側にまわってもらう意識改革が必要だ』との論旨には賛成するが、まかり間違えば年金支給年代を70歳、いや75歳ということにつながりかねない。これは、うっかり手を上げるトンデモナイことになりそうな気がしないでもない。

ところで、厚労省は、団塊の世代の同じ人物を対象に、団塊の世代を対象に仕事や生活の状況を6年前から継続して調査しているという。今回、60歳から64歳までの1万3000人余りに、現在の情況を聞いたところ、定年後も働き続けている人は全体の70%にも上がり、さらに、70歳を超えても働きたいと考えている人もおよそ30%いることが分かったのだそうだ。

仕事をしている理由を複数回答で聞いたところ、『生活のため』が64%と最も多く、『健康維持のため』が30%、『仕事が好きだから』と『社会とのつながりを維持したいから』がそれぞれ24%だったとのことだが、何か違和感を覚える。

中でも、『生活のため』が64%は腑に落ちない。調査した年代は年金が未支給なはず、100%近くが『生活のため』と答えるのなら分かるが、36%の人はさほど生活に困っていないのだろうか。

『仕事が好きだから』という表現もあいまいで、4分の一の人が仕事にほこりを持っているとは私の経験ではとても思えないのだが・・・。また、『健康維持のため』なら、無理して通勤ラッシュに揉まれてまで働かなくても、ジムに通ったりスポ-ツを楽しんだり、あるいは私のように毎日2時間ほど歩くようにした方が良いだろうに・・・。

『社会とのつながりを維持したい』というが、会社勤めが社会とのつながりになるのだろうか。むしろ、毎日狭い人間関係の職場に通うより、地域の人たちに混じってボランティア活動を選択した方がよほど社会と深く関わるのではと思えてならない。

さらに、調査項目は健康状態についても聞いている。『良い』と答えた人が全体の79%を占め、現在も仕事をしている人のうち29%の人が『70歳を超えても働きたい』との回答を強調している。

この結果を受けて厚労省は『団塊の世代の多くは、健康で、働く意欲も高い。高齢者の雇用を促すなど、社会保障制度の見直しが必要だ』との結論を引き出そうとしているらしいが、厚労省の描く『社会保障制度』が気になるところ。

寿命が延びているにも関わらず定年年齢は昔のままでは、健康でダラダラしている年寄りは増え続けるのは当然の理。何とか高齢者に働いてもらって、社会保障の枠から出したいという思惑は理解できるが定年の延長となると、最近の就職難を考えるとますます若者の就業機会を奪いかねない懸念がある。

名案はない。が、これだけ閉塞感のある社会になった今、雇用機会が急激に増えるとはとても思えない。若者の活躍を邪魔する年寄りになってはならない。そのためには、長生きが完全に『絶対的是』である社会理念を覆す以外に、解決の糸口がないのではないだろうか。

いつも言っていることだが、私の願いは、死ぬ前の日まで病院にも介護保険のお世話にならず、自分の足で歩ける健康を維持すること。寝たきりになった日が命日になれば最高である。

誰かの言葉にあるように、その日が晴天で桜の満開。『死ぬには良い日』だったら、望外の幸せなのだが・・・。(田舎親父)

2012年3月 1日 (木)

3月1日   国の言い方が限りなく不透明に・・・

学識経験者らを中心とした民間事故調(正式には福島原発事故独立検証委員会という厳めしい名称とのこと)がまとめた事故報告書に『泥縄的』という言葉がある。広辞苑には『泥縄』という意味を『泥棒を捕らえて縄をなう』ということで『ことが起こってから慌てて用意することのたとえ』とある。なるほど言い得て妙な表現である。

報告書は日本政府の対応はお粗末としか言いようがないと切り捨て、その第一が官邸の緊急時への準備不足だと指摘している。政府と東京電力の対策統合本部が設置されるまで、原子力災害対策の枠組みなど法的理解を欠いたまま『泥縄的』な対応に追われたとの表現は、当時の無責任なアホカン首相は慌てぶりと、ウソツキ官房長官の立て板に水の記者会見を思い出す。

今更語るまでもないが、政府と保安院と東電の3者が口車を揃えて、事故を過少に表現する言動が繰り返されたことは鮮明な記憶に残っている。折角作った放射性物質の飛散量を予測する『スピ-ディ』のシュミレ-ションを全く知らせず、かえって線量の高い地域に人々を誘導したのは明らかに犯罪に値する行為だが、それすら明確に謝罪していないのは許し難い。

『誰が責任を持ってどの問題に対処するのかを明確にした指令系統が必要だ』とアメリカ側が指摘しているらしいがその通り。こんな初歩的な危機管理の原則すらできていなかったというのでは、混乱に拍車がかかったことも当然だろう。意思決定過程を検証するためにも必要な議事録が作成されていなかったことも驚きである。

報告書は『首相が原発から撤退を考えていた東電を押しとどめたことは功績』と評価しているというが、東電が撤退を検討していたとことが事実だとしたら、この会社の体質はデタラメで無責任だとしか言いようがない。なのに、電気料金の値上げが事実上既定になっているのはどういうことなのだろう。

こんな会社を救済するという政府は何なのだろう。放射能汚染の全ての責任は東電とそれを見逃してきた歴代内閣。そんな政治家を選んだのも国民だろうが、そこには正しい情報を公開するという前提があるはず、その意味では国民の責任は限りなく小さいはず。

ところで、国は早々に除染は責任持って行うと明言していたが、ここにきて動きが奇怪しくなっているらしい。

原発事故で放射性物質に汚染され、除染費用が『原則国負担』となる汚染状況重点調査地域について、環境省が関係自治体に対し、放射線量が比較的低い場所では一部の除染作業を国負担の対象外とする方針を示したという。首都圏では栃木、茨城、群馬、埼玉、千葉の5県51市町村が重点地域に指定されているが、そのすべてで一部対象外とされる可能性が出てきたというから、これは聞き逃せない。

重点地域というのは、自然界から受ける以外の被ばく放射線量が年間1~20ミリシーベルトと見込まれる地域で、実際の除染作業は自治体が担当し、費用については(これまで)、原則として国が負担するとなっていたはず。(原則とつけているところがこの国らしいが)

昨日の東京新聞によると、環境省が一月下旬、指定自治体に送った文書では、地域内でも追加被ばく線量が『高い地域』と『低い地域』を分けるとし、低い地域では民家の庭の表土除去などが国負担の対象外になっていたとのことである。

高低区分の基準について、同省は同紙の取材に『年間追加被ばく線量がおおむね5ミリシーベルト』と回答したという。この基準では、高い地域は福島や宮城県内の自治体だけになる。方針を決めた理由は『除染事業の内容を練る中で、線量が低いのに、高い地域と同じように国費で負担する必要はないと考えた』と答えたというから、ここにも国の無責任ぶりが如実に現れている。

多くの自治体は『市町村が財政負担するのは難しい。子どもたちの安全を見捨てるような方針には納得できない』と批判しているが、全くその通り。自治体に除染費用を払わせるのは明らかな約束違反本。国の猛省を促したい。

今日から『弥生3月』。暦の上では春なのに、温かみが感じられる社会はまだ遠そうだ・・・。(田舎親父)

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