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2012年4月

2012年4月28日 (土)

爆弾を抱える原発ばかり・・・

 このところマスコミは今年の夏の電力不足の話題を賑やかに報じているが、その記事には、必ず、その原因は原発が再稼働できないからだという文言がついて回る。

先日も政府の今夏の電力需要や供給能力について議論する『需給検証委員会』なる組織が初会合を開催し、電力各社が政府に提出した今夏の需給見通しを検討したという記事を掲載していた。

それによると、原発が再稼働せず、2010年並みの猛暑になった場合、電力需要が高まる8月に全国で0.4%の電力不足が生じるのだそうだが、特に、原発11基を抱える関西電力では16.3%の不足だという。

しかし、この数値は全て電力会社が出したもの。関西圏の首長たちはこの数値は信用できないから、もっと精査するべきだと述べているがその通り。大がかりな自家発電装置を持つ会社や団体は送電線さえ使えれば電力の供給には協力すると言っているそうだから、関電が提出した資料を鵜呑みで議論するよりこちらが先だろう。しかし、どうしても原発再稼働したい政府はそんなことは聞く耳持たないようだ。

百歩譲って、現在の法律では送電線の分離開放ができず、16%の電力不足が事実だとしても、全国では0.4%だというから、国をあげて電力のやり繰りをし、0.4%の節約をすればすむことではないだろうか。

周波数の関係でそんなに簡単なものではないとお叱りがきそうだが、ここまで科学が発達している我が国では、技術的に不可能だとはとても思えず、今度の電力不足を背景にすぐにでも全国統一規格にするべきだと思うのだが・・・。

何度も述べていることだが、0.4%の節電なら、24時間、国民を総白痴にさせるような番組を流し続けているテレビ番組を、少し時間短縮するだけで事足りるのではないだろうか。

節電という言葉を庶民にだけ当てはめ、電力不足は全て原発が再稼働できないからだと断定、『原発を再稼働しなければ集団自殺』と脅すような民主党政府におぞましさを感じる人が多いと信じたい。

その、何としても再稼働したくてたまらない原発であるが、最近の調査で、原発の多くの真下かあるいは極近くに活断層があることがわかったという記事が目にとまる。

関電ではなく日本原電の管轄だという敦賀原発の真下に、おびただしい活断層がある疑いが原子力安全・保安院の調査で浮上したのだそうだ。今までは原発推進に熱心な保安院からの情報だとは驚くが、かえって信憑性を感じる。

日本は世界有数の地震国。これは見過ごしにはできない。全ての原発の立地を精査する必要があるのは誰の目にも明らかである。

一応、地学という授業を受けたことがあるので、断層とは地面の奥がずれて動いた跡であり、この中で将来再び動く恐れがあるのが活断層と呼ばれ、活断層と地震とは深い関係があり、『地震の巣』だということ程度の知識は持っている。

政府が定めた指針では、約13万年前までに動いたことを否定できない地層が活断層とされており、その真上には、原子炉を設置できないとなっているらしいが、調査の結果、活断層が確認できたら、敦賀原発は廃炉にしなければならないはず。しかし、そんなことにはお構いなく、敦賀2号機が安全評価(ストレステスト)を保安院に提出し、再稼働を求めているというから驚くしかない。

保安院は、敦賀原発に限らず、北海道電力泊原発、中国電力島根原発、敦賀原発、そして高速増殖炉もんじゅの四カ所を、見直しの必要ありとしているというから、これらの原発の再稼働は行うべきではないことは自明のことだろう。

ごく普通に考えても、保安院自身が活断層の存在を示唆しているのだから、活断層の詳細な実地調査と、近くに無数に走る断層の連動の影響をきちんと精査し、その結果が出るまではこんな議論は起きないはずなのに・・・。政治の世界では安全より経済(利権)がまかり通っているらしい。

民主党政府は『原発を再稼働ができないことは集団自殺』と脅して再稼働を急いでいるが、普通な神経を持っている人間には、精査せず再稼働こそ『集団自殺』そのものだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年4月27日 (金)

今後も原発依存を続ける試算・・・

 先日、東電会長が決まったとことに対してマスメディアは大騒ぎ。何でも、有力財界人がしり込みして、就任を許諾した人がなく、最後の切り札として選ばれたと報じているが、民主党政権と東電のやり方をみると、またまた何となく本当だろうか・・・と疑りたくなる。

何故なら、会長就任を受諾した下河辺という御仁は政府の原子力損害賠償支援機構という組織の運営委員長という職にあるというから、いわば政府の内部の人。ということは、原発を再稼働に積極的な考え方を持っているように思えるからだ。

一部のメディアは、原発再稼働に積極的で『真っ暗な中で生活はできない』とか『原発全停止は日本が集団自殺をするようなことになる』との恫喝まがいのセリフを吐いているセンゴク政調会長代行とは弁護士仲間で、賠償支援機構の運営委員長もその筋からの意向を反映した人事だと伝えているのも気になるところ。

東京新聞の社説は、この御仁が委員長を務める政府の『経営・財務調査委員会』は、周辺地域から避難している人たちの就労不能など賠償額を4兆5千億円とする報告書をまとめる一方で、2011年3月の財務状況を債務超過ではなく資産超過との結論を導き出していると述べている。

燃料棒が溶けて漏れ出す最悪の過酷事故なのに、廃炉費用として計上した額は1兆1千5百億円。30年はかかる廃炉費用などをあえて低く見積もり、東電を法的整理せずに存続を打ち出したとの疑念がぬぐえないと鋭い指摘。

真偽のほどはなんとも判断がつかないが、日航をいとも簡単に整理した政府が、あれほどの事故を起こした東電をいまだに存続させているどころか、電気料金値上げを公言し、反対には計画停電という脅しまでする厚顔無恥ぶりを許す態度を平気で許容しているのもなるほどと思えてならない。

時を同じくして、原子力政策のあり方を議論している原子力委員会の小委員会は、どのくらい原発を稼働させ、使用済み核燃料をどう処分するとコストはどう変わるのか試算を公表したという記事が目に留まる。

それによると、原発が電力の35%と見積もった場合、全て再処理する場合は9.7兆円で再処理と直接処分の組み合わせ9.1兆円だという。原発依存を20%とした場合は全て再処理する場合は8.3兆円、再処理と直接処分の組み合わせで8.1兆円という数値をはじき出している。

これに比べて、2020年に原発をなくせば、20年までにかかる費用は約7.1兆円にとどまり、原発を動かし続けた場合より、核燃料サイクルに関連する総費用は安いとの結果になったと報じている。

数値からみると、原発をなくしたほうが、現在捨て場さえない使用済みの核燃料の処理には安くすむことになる。政府の御用機関がこんな脱原発を薦めるような結論を出すはずがないと思い、興味深く先を読む。

多くの専門家からは、総発電量に占める原発の割合を35%と近年の実績値よりずっと高い設定が奇怪しいと指摘があり、『原発維持のためにわざと高めの数字を出しているのか』といぶかる声も多いそうだが、確かに変な設定である。

政府は原発の運転を認める期間(寿命)を(例外という枕詞と、おなじみの原則という言葉づきだが)40年とする発表している。現在、廃炉が決まっている福島の事故原発をのぞき、50機の原発があるが、運転開始から30年以上たったものが多く、政府が公表した寿命から計算すると2030年には18機になるのだそうだ。

常識的にみたら、今後原発を新しく建設することは世論が許さないだろうから、この数値が少なくなっても多くなることはないだろう。福島原発事故前でも、原発の割合は26%だったとのことから、現在止まっている全ての原発が再稼働したとしても、たかだか10%程度。なるほど、それを35%と設定しているには、明確な悪意の意図を感じる。

どうやら、民主党政権は(自民党も同じだろうが)今後も原発依存を続け、真っ暗な生活では生きていけないという脅しで、国民に放射能を浴びせ続ける政策を続けるようだ。(田舎親父)

2012年4月25日 (水)

少年法、そんなことが通るとは・・・

 このところ車の暴走が続き、何ら落ち度のない人々が殺される事件が多発している。京都市内の祇園での事件は、テンカンの持病を持つ男が、薬の服用を忘れたことと、タクシ-に追突したことに動転して発作が起き、そのまま猛スピ-ドで赤信号を無視して交差点に突っ込み、大勢の人をはね、しかもその後も暴走、電柱に激突して自分も死亡したという。

犯人が死亡しているのだから、この事件の結果はどうなるのだろう。まさか、そのままで終わると思わないが、賠償といっても本人が死亡しているのだから、払わせることができないだろう。親兄弟はいるらしいが、法律は親兄弟に賠償責任の有無を明記しているのだろうか。

交通事故での過失致死は懲役が7、8年。その間、交通刑務所に服役すれば社会復帰できることにはあまりにも理不尽ということで、危険運転致死という、明らかに悪質な運転で死にいたらしめた場合は、懲役20年という罰則が加わったことは知っている。

しかし、その判断がかなり難しいらしく、素人目には明らかに危険運転だと思う事件でも適用されることが少ないことに対して『なぜ?』と思うことも度々。まして遺族の方の怒りは想像を絶するのではと同情することが多い。

今回の亀岡の犯人は18歳の少年。自分たちの快楽を求める目的で、3人で夜通し無免許で車を運転し、居眠り状態で小学生の集団登校の列に突っ込んだという。何でも運転していなかった18歳と19歳の少年二人は、目撃者の話では、事故後、携帯で深刻な顔ではなく誰かと連絡していたというから、その時点では罪の意識は少なかったと判断して間違いなさそうだ。

京都府警は運転していた少年を自動車運転過失致死傷と道交法違反(無免許運転)容疑で、同乗していた少年2人を道交法違反幇助の疑いで逮捕送検したと報じているが、これは当然だろう。

この少年は過去にも暴走で補導されたことがあり、近所の人たちは、少年が度々車を運転している姿を目撃していることから、これまでも無免許運転を繰り返していたに違いない。

法律の専門家は『事故があまりにも悪質であるため、運転していた少年は家庭裁判所に送致された後に逆送致され、刑事裁判にかけられる。一方の同乗者2人は、未成年者であることが考慮され、家裁に送致されて保護処分になるとみられる』と解説し、少年の量刑については『無免許運転と自動車運転過失致死傷の罪に問われることになり、予想される量刑は最大8年。少年であることが考慮された不定期刑だと、5年以上7年以下の懲役になる』と推察しているという。

さらに、無免許運転をしていたので運転技術がないのに運転したという罪には問えないので、危険運転を適用できないのだそうだが、そんなバカな話があるのだろうか。これでは無免許運転を奨励しているように思えるのだが・・・。

自らの刹那的な快楽のためだけで、児童とお腹の中の赤ちゃんを宿している妊婦さんを死にいたらしめ、多くの子どもたちを恐怖のどん底に落し、場合によったら後遺症を与える可能性がある大変な事件を引き起こした犯人が、最大8年間で社会復帰となるのは、いくら罪は憎んでも人は憎まずといえども納得できるものではない。

運転していなかった二人の少年も、犯罪的には同じようなものだとしか思えないが、『無免許運転幇助』という罪では『少年院に入るか、保護観察に置かれることになり、少年院に入れば、短期だと1年以下、長期だと3年ぐらいで出られる』というから、これも納得できるものではない。

遺族が訴訟を起こせば民事上の責任も問われるらしいが、裁判所から損害賠償の支払い命令が出ても、これまでの例では『遺族や被害者への弁済額は裁判所の判断の100%保証されることは少ない』というから、まさに殺され損になる。

なんともやりきれない事件である。こんな理不尽な事件は今回限りにしてほしいが、集団登校の列に突っ込んだ結果ということも考えさせられる。(田舎親父)

2012年4月24日 (火)

問責ごっことをしている暇はないはず・・・

 政権交代はしたものの、参院選挙で民主党が大敗して過半数割れ。衆議院は民主党が絶対多数なのに、何かにつけて国会が空転。その度に裏工作が画策されているらしいが、なかなか上手く運ばないばかりか、やたら大臣の問責決議が繰り返される異常事態が日常茶飯事になってしまった感じ・・・。

このねじれ状態は自民党政権の時にもあり、野党だった民主党は現在の自民党と同じような戦術をとっていたはずだが、(今思うと、どうしてかはわからないが)現在のように問責決議のオンパレ-ドはなかったと記憶している。

今回問責を受けたのは、マエダ国交大臣とタナカ防衛大臣。マエダという御仁は選挙前に下呂市長の応援を依頼する文章に国交相として署名・押印したことが明らかになったとのことだが、この行為は明らかに公職選挙法に抵触するというから、自主的に退陣するべきだろう。

しかし、マキコパパなるタナカ大臣は、はじめから防衛にはずぶの素人と言われていた人。このような人を尖閣湾や普天間基地、あるいは北朝鮮のミサイル発射問題で外交関係が微妙な時に、わざわざ任命するのは、首相に批判的なマキコ女史をおだてながら、わざわざ旦那のミスを見込んで、マキコ女史の力をそぎ落とすというかなり高等な戦術なのかもしれないという、うがった見方もあながち頭から否定できない。

明らかに選挙違反と思われる人や全く防衛にはド素人の大臣なのだから、速やかに更迭し、内閣改造をするべきだと思うのだが、首相はすぐに辞めさせたら自分の任命責任を問われることを恐れ、口先では続投を指示。大将が辞めささないと言っているのに、子分が辞表を出せるわけがないといった筋書きのようだ。

国会は審議を尽くして法律をつくるのが任務なのに、野党が審議拒否を続けるのはいかがなものかと思うが、衆院に優先権がある予算案以外は通るわけはない。しかし野党が一枚岩になっているわけではなさそうで、自民党は問責大臣が辞任しない以上全ての審議には応じないという姿勢に対して、他の野党は二大臣が出席しなければならない審議だけは応じないが他の審議は応じるという立場。

今朝の報道では自民党の姿勢が少し変わったようだが、それでも分かりにくい構図は続き、混乱は収まりそうにない。まあ、このケンカは国民的目線からすると、自民党に勝ちはなさそう。

問責決議が可決されても閣僚を辞めなければならない法的根拠はないという。二閣僚続投で生じる混乱の責任は一義的には首相にあるのは間違いないが、野党側も審議拒否を続けるだけでは国民の理解を得られない。民主党の幹部の一人が『問責ゴッコ』と揶揄したがその通り。選挙違反がらみはともかく、頼りないから問責だとなると、これも困ったもので世論的にはマンガとしか映らない。

国会が空転しているはずなのに、議員宿舎の値下げやIMFに5兆円拠出という大問題が通るのも変な話。さらに、電力不足を楯に、『真っ暗闇での生活はできない』と恫喝まがいの言い方で原発再稼働を進めるのも許せることではない。

これらのことが国会の委員会で野党議員からの質問はあっても、のらりくらりの答弁を繰り返すだけで、何らかの結論として議決されたということは聞かない。

最高裁から違法を指摘された議員定数の削減も宙に浮いたまま。何となくこのままの状態で次の選挙を迎える情況。復興財源に充てるための議員歳費の削減も、一応民自公三党が合意に達したという報道はあったもののその先が全く見えてこない。

消費税の値上げには反対なので、国会の空転でこの法案が廃案になるのは歓迎だが、持続可能な社会保障制度の構築については、与野党間で真剣に議論すべき重要課題である。政府はこのことに関しては全く手をつけていない上、与野党は双方話し合う場もできていないようだ。

このままでは国民の暮らしは悪くなる一方で、誰かが言う、北朝鮮野国民よりはましだろうという意見もおぞましく感じる。

一層のこと、信じられないような大地震と大津波で日本列島が完全に沈没したほうが・・・と後ろ向きの考え方に陥りがちな昨今である。(田舎親父)

2012年4月22日 (日)

これでさらに増税を言い出すかも・・・

 昨日の夕刊に、IMFへの融資額の国別一覧表が掲載されていた。それによると日本は4000億ドル融資するとのこと。日本円に単純に計算すると、約5兆円。民主党政権は、真っ先に『日本が5兆円融資するから、皆さんも出してほしい』といったとか、言わないとか・・・。

表によると、韓国が150億ドル、サウジアラビアやイギリスが150億ドル、以下スエ-デンとスイスが100億ドル、ノルエ-93億ドル、ポ-ランド80億ドル、オ-ストラリアとシンガポ-ルが70億ドル、チェコ40億ドル、ユ-ロ圏諸国形2000億ドルと続き、合計が3623億ドルとなっている。

しかし、アメリカの名前はない。中国やロシア、ブラジル、インドなど経済発展が著しい国々も、拠出の意志はあるらしいが額は一切公表していないという。

IMFの役割と日本の立場とがどのように絡みあっているのかは、知識のない私にはわからないことだらけであるが、数値だけをみると、真っ先に感じたことは『何故日本がここまで拠出しなければならないのか』という素朴な疑問。

5兆円といえば公表されている国家予算の20分の1。増税しなければ国が破綻すると言って、消費税値上げに命をかけるという汚染ドショウ首相の言い分と、消費税の値上げでも追いつかない5兆円という金を、国際社会に拠出するとは、庶民感覚では全く理解できない。

拠出という言葉について、財務省などは国際的な経済安定のためにIMFに貸し付けだと説明しているらしいが、戻ってきた話など聞いたことはない。いわば、国際的な名声を求める財務省のパフォ-マンスのように思えてならない。

今回の拠出に反対している人の中には、IMFの専務理事の椅子は代々日本の財務省天下りの特等席で、その特権を手放したくないためにも、IMFにぞっこん貢いできた流れの延長だと批判しているが、何となく当たらずとも遠からじという気もしないでもない。

アメリカの名前がないのも腑に落ちない。ユーロもドルも価値が下がり、国際金融総崩れの秒読みが始まっているという暗い雰囲気が漂よい、どこの国もどうなるのかと様子を見ているのに、一人日本だけがいい子ぶって真っ先に5兆円とは?・・・。

アメリカはじめ中国やロシアなど諸国は、表面的には『さすが日本・・・』とおだてるような演説しているらしいが、腹の中では『バカじゃなかろうか』と大笑いしているのが真相だろう。

世界の貧しい国さえ、昨年の3.11大震災と原発事故に対して、お見舞金を出していると美談のように報じられているが、その国の財務担当者は今回の日本の姿勢をみて、『心配していたのに、日本にはまだそれほど余裕があったのか』と驚き呆れるのでは。

ノダ政権は今回、命をかけて消費税を10%できたとしても、この5兆円拠出によってそれでも赤字が膨らみ、すぐに違う増税(それも大企業や富裕層からではなく、我々庶民から)を言いはじめるに違いない。

また、同じ日のテレビのニュ-スは、汚染ドショウ氏はニコニコ顔でミャンマーのテイン・セイン大統領と都内の迎賓館で会談している様子を映し出し、政情不安定化をきっかけに1987年以降凍結していた円借款を25年ぶりに再開すると同時に、約3千億円の債権を放棄する方針と報じていた。

国民には増税を押しつけながら、国際舞台ではいい子ぶって、5兆円だ3千億円だと気前のよい所を見せているが、結局最後は国民にしわ寄せがくることは火を見るより明らかなこと。

国民のうめきが聞こえない大新聞やテレビは追随報道を掲げるだけで、全くの批判精神もない。ジャ-ナリズム魂はどこに行ってしまったのだろう。(田舎親父)

2012年4月20日 (金)

恐怖を煽るのがお好きなようだ・・・

 先日発表された首都圏直下型の地震が起きた場合の東京都の被害想定の数値の大きさにはいささかビックリ。

これは東京都防災会議の地震部会が18日に発表したものだが、東北大震災を受けて、首都直下地震などの被害想定を六年ぶりに見直したものだという。

特に切迫性が高いとされる東京湾北部を震源とするマグニチュード(M)7・3の地震が起きると、従来の想定を4千人上回る9千6百人の死者が出るとのこと。23区内の7割が震度6強以上に見舞われ、一部地域では震度7になると想定になっていると、その日と翌朝は新聞テレビが一大キャンペ-ン。まるで明日にでも襲ってくるような報じ方に、何か狂気のような雰囲気を感じるのは私だけなのだろうか。

地震部会は『客観的なデータや科学的根拠に基づき、可能な限り実際に起こりうる最大の被害像』とのことだが、今までの客観的な科学的根拠とどのように違うのかというところがいま一つピンと来ない。

東京都は、この新しい想定に基づき、9月までに『地域防災計画』の修正案をつくるとのことだが、これほど想定を広げたら、避難場所一つとっても、そこが本当に安全な場所なのかということ自体考え直さねばならなくなり、絶対安全な避難場所の選定すら大変なこと。想定人数が避難できる安全な場所を確保できるかさえ疑問に思えてくる。

都の地震部会は被害を算出するため、発生メカニズムなどにより地震を四類型で想定したという。このうち首都機能に最も大きな被害が出るとされる東京湾北部地震は、これまでより地下の浅い地点が震源になるとの最新の知見を踏まえて震度分布を作成したそうだが、23区内は震度6以上のオレンジ色一色。中には震度7の赤が点在しているという物凄さ。

その場所は江東、品川、大田各区など湾岸沿いというから、その地域に住んでいる人々は一時的にパニックに陥ったのではないだろうか。

被害が最大になるのは、冬の夕方六時に風速8メートルの風が吹いた場合としている。揺れによる建物倒壊で5千3百78人、火災で4811人が死亡、負傷者数は14万7611と推計しているが、ここまで厳密な数字はどこからくるのだろう。

東北大震災の津波被害の実態からも明らかなように、大災害時には一瞬の情況判断の差によって、その生死が決まった場合が多く、死者の数を細かく推定できるとはとても思えないのだが・・・。

震度6の揺れによっては、各地で建物が倒壊するだろうことは、昨年3月11日、震度5程度でも、あの凄まじい揺れを感じた私にも理解できる。首都圏の木造住宅の密集地域では火災発生が相次ぐだろうし、液状化や急傾斜地の崩壊なども加えると、その被害情況は想像を絶するものとなるだろう。

地震部会は、都内だけで、建物被害は30万4300棟と見込んでいるというから、震度6では何区間に町のこの建物は倒れるというデ-タを持っているのだろうが、地盤の固さや揺れの方向、あるいはまわりの住宅との距離などによって、かなり条件が変わるはず、そこまでを補うデ-タだとはとても思えない。

被害想定は家屋の倒壊に留まらず、各地の津波の大きさなど細部にわたっている。また帰宅困難者などにも及び、まるでパニックが起きることを楽しんでいるのではないかと思うほどの数値が並んでいる。

『備えあれば憂いなし』は昔からの言い伝え。実に素晴らしい教訓であるが、どんな憂いに対して備えるかは時代によって大きく変わるもの。火事は華と言われていた江戸時代の庶民の備えは、半鐘の鳴り方によって一瞬の判断をして、普段からの備えとして準備している身の回りの大事なものをまとめて、まずは逃げること。それで命が助かることが多かったことは歴史が証明している。

ところが、今回の地震部会の被害想定は、とても個人の努力で備えられるものではない。耐震工事は必要だろうが、そのためには莫大な費用がかかり、実際に工事ができる住民は限られるのではないだろうか。また、住宅密集地では、たとえ自分の家は倒れなくても、隣が倒れ、火事が起きれば耐震工事そのものが無駄だったことにもなりかねない。

だからこそ、全ての住宅の耐震化を進めるべきだという考えになるのだろうが、『震度7に耐える木造住宅』とはと具体的な基準を示したとしても、それにどう対処するかは個人に委ねられる現状では、震度7に耐えられる街づくりなどは絵に描いた餅でないだろうか。

私は、震度7の到来時、冷静に判断ができるかどうかの自信はない。しかし、未曽有の大災害とその後のことなど想像すると、(意識的には)その時は、この世の終りと思い、家の下敷きになって死ぬのも悪くないと開き直る気持ちになりはじめている。

こんな考えの人も多いのではないだろうか。(田舎親父)

2012年4月19日 (木)

イシハラ発言にビックリ・・・

何かと目立つ発言が多い東京都のイシハラ都知事が、一昨日、アメリカに訪問中に『都が尖閣諸島を買い取る』という、超怒級の発言にビックリ。

以前に尖閣諸島は国の持ち物ではないということは聞いたことがあるが、実際に地権者が埼玉県に住んでいることは始めて知る。そして、国が借りていろいろな管理をしているスタイルそのものがよく理解できない。

一昨年だったか尖閣諸島の海域で海上保安庁の巡視船と中国漁船とのトラブルでも、国の態度が何か弱腰だったことも、このあたりからくるのかもしれないが、なぜ今まで国は所有権を買い取る努力をしなかっただろうと改めて強い疑問がわいてくる。

ある新聞によれば、国と地権者は過去に接触があったらしいが、地権者は国が本当に尖閣諸島を守ってくれるのか疑わしいので、都知事と交渉したと書いている。事実だとしたら、いかに政府が軽く見られているということ他ならない。

都知事の『国が弱腰だから都が守る』との言葉は、尖閣諸島を都が買い取ること自体はさておき、理解できないでもない。国がダメだから都がやるとはこの御仁らしい矜持だろう。民主党政権下ではとても中国との対等外交など臨めないことは、今では誰の目にも明らか。国民の多くは、よくぞ言ってくれたと拍手するのではないだろうか。

しかし、少し振り返って考えてみて、そんなことができるのだろうか。寝耳に水の都議会がすんなり了承する都は思えない。すでに買い取りなどに関しては、地権者との合意ができているとのことだが、仮に、都知事の一存で遠く離れた島々を所有できたとして、管理などどうするつもりなのだろうといらぬ心配が先に立つ。

北海道を中心に広大な水源林が中国資本に蚕食され、新潟県では中国総領事館予定地ということ広大な土地が中国の所有となっているとのことはよく知られている事実で、日本人としては大変気掛かり。その全ては民有地であり、地権者との都合で売買ができるとなると、これは大問題。

都が所有してくれることは、尖閣諸島が日本領土であり続ける意味では、現在より安心できるが、海底資源が豊富とわかった時点で態度を変え、領有権を主張している中国や台湾との関係はかなり険悪になることは間違いない。

すぐには戦争状態になるとは思わないが、すでにこの海域で中国は石油や天然ガスの採掘を始めているというから、日常的に小競り合いが起きることは間違いなさそう。漁業関係者も成り行きをハラハラしながら見守っているに違いない。

期を観るに敏なハシモト大阪市長は都知事の言動を絶賛しているという記事も気になる。この人のやり方は個人的には好きになれないが、国民が今もっとも必要としていることを自分の言葉で話せる数少ない人材であることは間違いないだけに、国民が盲目的に支持し、一種のファッショ政治がおこなわれる可能性は大きい。これは恐い。

実際に、近畿圏の支持率は絶大で、維新の会からの立候補する候補者の殆どが当選する勢いなのだそうだ。イシハラ・ハシモトタッグチ-ムが完成したら、国民の多数はその主義主張になびくだろう。実際に現在進行形で、政治の仕組みが動き、次の総選挙では大阪維新の会の台頭は既定の事実になっている。

イシハラ発言によって『中国何するものぞ・・・』という発想が広がり、国は尻をたたかれることは想像に難くない。早速、官房長官が『国が買い取ることも有り得る』と発言し、昨日の参院の予算委員会でもノダ総理が同じような意味を述べていたのは、政府も重い腰を上げざるをえない状況に追い込まれてきたからだろう。

イシハラ発言は、政府の弱腰外交を改めさせる一種のパフォ-マンスだと思いたいが、民主党がこれまで通り、対アメリカ従属外交を改めず、中国に対しもことなかれ主義が続くようだと国民の心は離れ、一挙にイシハラ外交が輝き出すのではないだろうか。

この発言に対して、台湾は即刻、中国は少し遅れて批判の清明を出したが、かなり激しい表現で『(中国も台湾も)俺たちの国が所有する土地を勝手に東京が所有権を主張するなど、違法で無効』との声明を出している。

何だか、きな臭くなってきたようだぞ・・・。(田舎親父)

2012年4月18日 (水)

東京新聞の記事に愕然・・・

 今朝の東京新聞の社会面に『校庭線量 非公開で緩和 文科省 昨年4月』という見出しがあった。文言から推測すると、また文科省の情報隠しが明らかになったのだろうと推測したが、まさにその通り。
 福島第一原発事故を受け、文部科学省が昨年4月、福島県で校庭利用を制限する放射線量の目安を、当初は計器の誤差があっても安全が守れるよう毎時3マイクロシーベルト以上にする方針だったのに、後に3.8マイクロシーベルトに緩くしていたことが分かったとのこと。
 東京新聞が情報公開請求で原子力安全委員会から得た文科省の内部文書で判明したのだというが、これが酷いもの。時系列にそって図で、どのように目安が決まったのか、具体的な経過を示している。
 この目安は、文科省が昨年4月19日、年間の被ばく線量20ミリシーベルトから逆算して、毎時3.8マイクロシーベルトにすると発表したことは記憶にある。この数値は国際放射線防護委員会(ICRP)が示した『事故からの復興時は年1~20ミリシーベルト』という基準。

 当時、最大限の限度額を逆算するとはトンデモナイとつぶやいたが、福島県はじめ全国の保護者などから『子どものことを考えているのか』という批判が相次ぎ、3マイクロシ-ベルトが決まったのに、わずか数日でこの数値を緩和し、毎時3.8マイクロシ-ベルトにしたという。 
 その協議の内容が『文科省内部文章によると』という形で図示。文科省と安全委は昨年4月9日から16日にかけて4回、非公開で協議している。文科省は4月10日までは、3.8マイクロシーベルトを軸としながらも『測定誤差を考慮』『安全性に配慮』などの理由を挙げ、小数点以下は切り捨て、3マイクロシーベルトを目安に設定する方針を示していた。
 さらに1.9~3マイクロシーベルトと比較的線量の高い校庭では、制限対象にはしないものの、子どもたちにマスクをさせるなど内部被ばく対策を追加することも盛り込まれていることがわかる。
 しかし、12日にこの内容が一転し、3.8マイクロシーベルトに緩める案を提示している。安全委の担当者によると、この際、文科省の担当者は『3マイクロシーベルトでは、対象の学校が多くなり、(対応が)大変だ』と説明したのだそうだ。

 その背景にはあるのは、この協議とほぼ同時期に福島県が実施した校庭の放射線量調査では目安を3.8マイクロシーベルトにすると、校庭利用の制限がかかるのは43校だったのに対し3マイクロシーベルトと厳しくすると137校と3倍以上に膨れあがり、対応に莫大な物とカネがいるということに違いない。
 確かに、対象校が倍近くになると、今まで経験したことがない事態だけに、学校現場がパニックに陥ることは考えられないことではないが、子どもを守ることが最大限の使命の役割で、学校が混乱しないように丁寧に指導するべきなのにも関わらず、そんな面倒なことは後回し。
 また別の理由として、半減期が8日と短い放射性ヨウ素が減って放射線量が次第に低下するため、目安を緩くしても年間被ばく量を年20ミリシーベルト以下に抑えられると説明したというから、何とお気楽な発想なのだろうと今更ながら不信感が強くなる。
 東京新聞の取材に対して、文科省の担当者は『安全委と議論を積み重ねながら、同時に省内でも議論を続けた』と説明し、当初案の3マイクロシーベルトは議論途中の数字だったと強調したという。
 この説明にも、子どもの命より役所のメンツを守りたい体質が良く現されている。最近のマスコミは、放射線値の数値を話題にする記事もすっかり忘れているのも気掛かり。この記事で、改めて、私には言葉でしか現せないが、福島県の子どもたちの未来が心配になってくる。(田舎親父)

2012年4月14日 (土)

『平和』と言うだけの社民党の方が・・・

 昨日、浅野ニュ-スでは北朝鮮のミサイルについては何もないので、今日もないようだと思い、テレビの前を離れしばし仙人生活。

お昼になって、『北朝鮮は午前7時38分に人工衛星を打ち上げたが軌道に乗らなかった』とのアナウンスに驚く。それも北朝鮮のテレビのいつもの女性アナウンサ-が失敗したと明言。今までは失敗したとしても何とか体裁を保つような表現をしてきたはずなのに、今回はあっさりと失敗を認めたのも何か魂胆があるようだと推測。

私は、7時38分という時間はテレビを見ていたので、この時間ラグが気になる。そこでネットで調べてみると、日本政府は、発射から40分も過ぎた8時20分過ぎにになって、担当のマキコパパ防衛相が『何らかの飛翔体が発射されたとの情報がある』と発表とのこと。これはあまりにもお寒過ぎる。

韓国国防省アメリカ米国防総省が発射後約10分程度で『発射確認』を公表したが、日本政府は『わが国としては、発射を確認していない』と言い続けていたらしく、8時すぎになっても『人工衛星と称するミサイルを発射したとの一部報道があるが、わが国としては、発射を確認していない』と発表していたというから、一体どんな情報収集を行っているのだろうと、防衛などには全く素人ながら呆れてしまう。

今回、失敗したから良かったが、もし成功していたとしたらとゾッとする。PAC3と呼ばれる、ミサイル迎撃装置を沖縄はじめ全国に展開。ミサイル撃墜能力のあるイ-ジス艦を沖縄周辺に終結させ、国民の安全を守るために、日本領域に入ったら打ち落とすと豪語していた汚染ドジョウ氏とマキコパパ。

結局はミサイルが飛んできたとしても反応できなかったということ。もしも、今回のミサイルが日本を照準にしていたとしたら、防衛体制ができていたとしても機能しないことが明らか。ならば、今回の騒ぎは何だったのだろう。国民の命と財産を守るという言葉は全くの空手形。

そればかりか、政府は発射が確認された場合、人工衛星を利用して緊急情報を全国に伝える全国瞬時警報システム(Jアラート)も準備していたはずだが、これも作動せず各地で混乱が起きたという。発射から40分も過ぎても発射を確認すらできで、Jアラ-トが作動しなければ、狙われた地域は防衛の方法はない。これで国民の生命や安全を守れる訳はない。

これらのことはマスコミが伝えているので、これ以上述べ流必要はないと思うが、このようなお寒い現実では、もしも、打ち上げが成功して、日本上空を飛行し一発数億円もするという迎撃ミサイルを発射したとしても打ち落とせるものではないようだ。

迎撃に失敗したら、日本の防衛能力はこの程度かと見透かされ、中国はもとよりロシアや韓国など、領土問題を抱えている国々は、ここぞとばかり攻めてくるのは必定。改めて、今回の北朝鮮の打ち上げ失敗にホッとする。こんな有事の時に役に立たない自衛隊に莫大な軍事予算を費やしているのは無駄のように思える。

今回のように、侵略すれば徹底的にたたくと大ボラを吹くより、自衛隊は憲法違反で、『平和』という言葉を絶えず言い続けることが必要だと主張している社民党や共産党の言い分のほうが、分かりやすく感じるのは私だけだろうか。

さらに、今回アメリカは発射の情報を防衛省にすぐに流したらしいが、官邸には何故か届かなかったということも信じられない。またそぞろ、原発事故と同じで、『発表すると国民がパニックを起こすのを恐れたと』いうおなじみのコメントが今日あたり出てくるのでは・・・。(田舎親父)

2012年4月13日 (金)

解決策は『車は凶器』という意識だけ・・・

昨夜、珍しく『ソバでも食べに行こうか』ということになり、車で10分ほどの老舗のそば屋に出かけ、天ざるを食べ始めた矢先に店のテレビから『京都の祇園で乗用車が歩行者を次々とはね、7人の方が亡くなりました』というアナウンサ-の声でギョッとする。

京都は私が高校まで育ったところなので、テレビに映る四条通り界隈の様子は想像がつく。店のテレビの画面は民放チャンネル。7時になったとたん、またおなじみの下らない番組が始まったので、そばを食べ終わると一目散に帰宅。すぐにNHKニュ-スに食らいつく。

現場近くの藍染めの店の店員だという容疑者は、昨日午後1時頃、配達のために会社を出たという。アナウンサ-は『目撃者らによると』と断り、容疑者が乗った車は大和大路通を北に進行していた際、タクシーと事故を起こしてそのまま逃走し、赤信号を無視して四条通との交差点に進入、歩行者を次々とはね、その後、北上して複数の車に衝突した後、約300メートル進んで電柱に衝突したとみられている、と報じている。

祇園にも近くおみやげ屋も多い。舞子さんを目撃できるとして、私が知っている昔でも観光客にも人気のスポットなっている場所。この通りは、やっと車がすれ違えるほどの狭さで、一方通行になっているはず。

よほどの熟練の運転手でも徐行する道路をなぜ猛烈なスピ-ドで走ったのか、タクシ-にぶつかった後も、スピ-ドを落とさないということは、これはテンカン症状が出たに違いないと感じる。しかし『テンカン』という言葉が差別用語になっているのか、アナウンサ-の口は『突然意識が亡くなる病気』とあいまいな表現に終始。

その後のニュ-スでは、家族は同容疑者がテンカンの疑いで治療中だったと証言したと報じた。テンカンの治療に病院に通っていることもはっきりし医師は運転を控えるようにと注意していたという。

運転免許の更新にはテンカンのことは記載していなかったとのことは、正直に記すと就職できなかったのかもしれないが、今年になって3度も発作を起こしたというから、家族はその危なさを認識していたのではないだろうか。これは今後、責任問題が難しくなりそうだ。

警察は、殺人や殺人未遂の容疑も視野に捜査を進める方針だというから、今後、会社や家族、さらに主治医などから徹底的に事情を聞くだろう。

調べで真実が浮かぶのか疑問だが、はっきりしていることは、テンカンの持病がある容疑者が車を運転していたことと、猛スピ-ドでタクシ-に追突していることから、その直前に発作が起き、意識もうろうとなりアクセルを踏み続けていたことは間違いない。

これは恐い。今回はねられて死亡や大怪我をした人たちにはなんの非もない。信号が青で、まさか信号無視の車が突っ込んで来るとは夢にも思わなかったに違いない。しかし、今後もおこり得ることは想像が難くない。

テンカンの発作が原因で同様の事件は過去にも何度もある。昨年の今頃だったはずだが、鹿沼市で小学生6人がクレーン車にはねられ死亡するという事件は私も取り上げた。その時は、集団登校の危険性について述べたているので今回とは少し意味が違う。

多分、今回の事件で規制強化を求める動きがあるだろうが、そうするとますます、規制をすり抜けるためにはますますテンカンという病名を隠そうとすることは間違いなさそうだ。それ以前に、人権擁護団体から『差別に拍車をかける』と反対の声が上がるだろう。

テンカンの治療法の向上などにより、過去2年に発作がないなど一定の条件下で医師が判断すればてんかん患者の免許取得が可能になったが、持病の不申告に罰則はなく、運転者の良心に任されているのが現状だというから、何らかの規制をかけなければこの種の事件は今後も起き得ること。しかし、テンカンに限らず突然意識がなくなる症状も多いとなると、テンカンだけに規制をかけるのも問題を複雑にする。

『正しく服薬や治療をしていれば運転中に発作を起こすことはめったにない。てんかんのある人が必ず事故を起こすとの誤った印象は持たないでほしい』という医師の言葉も重いが、亡くなった方の遺族が素直に聞けるとは思えない。

車を運転する人全ての各々が『車は凶器』という意識を徹底的に持つことしか、解決策がないのが悲しい。(田舎親父)

2012年4月12日 (木)

石油を作る藻の利用・・・

 以前『石油を染み出す藻』について取り上げたことがあるが、本当に石油を生み出す藻は存在し、これらの藻類の燃料化の研究は、かなり以前からアメリカを中心に行われ、アメリカではエネルギー省が助成金を出し商業化を進めているのだそうだ。

我が国でもこの研究は進んでおり、日本人が発見した藻を用いて、実際に石油を生み出す実験を、その発見者と仙台市が協力して始めるというニュ-スは、最近の殺伐とした事件が多い中、すぐには可能とは思わないが、将来のエネルギ-として夢を感じる。

仙台市はこの『石油を生み出す藻』を環境浄化のコスト削減とエネルギー生産を同時に実現する全国にないプロジェクトとして、復興計画のシンボルにしているとのことである。

仙台市の東部沿岸にある、市の生活排水の7割に当たる日量約39万トンを処理する大規模施設が昨年3月11日、10メートルを超す津波に襲われ、施設が壊滅的な打撃をうけた。完全復興には4~5年、900億円もの費用がかかるとされるが、その復興計画で浮上したのが、『石油を生み出す藻』を使うアイデアなのだそうだ。

この藻の正式な名前は『オーランチオキトリウム』といい。平成22年に筑波大大学院生命科学研究科の渡辺信教授が沖縄の海でマングローブの林の中から発見したという。私拙い知識では全く理解できないが、この藻は光合成を行う葉緑素を持たない種類で、廃水などに含まれる有機物を吸収して、活発に増殖するのだそうだ。

さらに有機物を分解し、『スクワレン』というサメの肝油と同じ炭化水素を体内にため込むのだという。その分解過程などはとても理解できる代物ではないが、石油と同じようなものらしいことはわかるような気がする。

この藻を使って、廃水に含まれる有機物を除く一方でエネルギーを得るという一挙両得のプラン。渡辺教授は宮城県の出身で、実用化に向けて同様のプランを練っていたこともあり、仙台市の申し出に即座に応じて今回の実験が始まるようだ。

エネルギ-確保は世界共通の緊急課題。植物の体内からエタノ-ルを作ることを略語が好きな日本人は『バイオ技術』と称しているが、アメリカやブラジルなどでは石油に代わる物質としてサトウキビやトウモロコシからエタノ-ルを作り、実際に燃料として利用していることは以前から報じられている。

しかしこれらは人間が食べられる食料。地球上には食料確保が極めて苦しい国や地域があるというのに、食料をエネルギ-にする発想にはついていけない。実際に国際的な食料事情が悪化し、食料の高騰を招いていることは間違いない。

この批判に応えるために、次世代のバイオ燃料として、食料にならない雑草などの陸上植物の研究が進んでいるようなのだが、生産量の確保の面で広大な土地が必要。その土地で食料を作る方がはるかに食料問題の解決策には有効だろう。我が国では間伐材を使ってバイオ燃料を生み出す実験も始まっているが、間伐材確保に膨大なエネルギ-が必要となると、採算性が高いとは言い難いようだ。

ところが、藻類はタンクやプールで大量培養すれば土地を選ばないうえ、面積当たりの収量は高い。特に、今回実験に用いる『オーランチオキトリウム』の場合、場所は下水処理場で、とにかく増殖のスピードが速いので、これまで最有力候補だった光合成をする藻類の10倍以上の炭化水素を作る能力があるという。

試算では、1ヘクタール当たり年間1万トン。2万ヘクタールの有機物が存在する水場(下水処理場も含めて)があれば、日本の原油輸入量を賄えるというから驚き。実現できたら、電力を原発などに頼る必要がなくなる。これは凄い。

今回の仙台市のプロジェクトの実証実験では、実際の稼働に向けて生産力やコストについての基礎データを集めるのが狙いで、実際に稼働するまでには、生産システムの微細な点まで課題は多いとのことだが、原発に頼らないクリ-ンなエネルギーが求められている現在だけに、この先駆けになってほしいものである。(田舎親父)

2012年4月11日 (水)

ガソリンの値上げが物凄い・・・

 ガソリンの価格が物凄い勢いで上がっている。先日、通り道のガソリンスタンドの価格表を見ると、レギュラ-ガソリン1リットルが162円となっていて驚いた。

一応、オンボロ車は所有しているが、使うのは時に旅行に出かけるときと手で持てない大きな物を購入する時ぐらい。めったに乗ることはないので、当然のことながら、給油は数カ月に一度程度。

2月の中頃、いつものガソリンスタンドで給油した時は、確か1リットルが148円だったと記憶しているから、わずか2ケ月で14円も値上がっていることになる。

随分以前は。1リットル100円を切っていたことを覚えている。それがオイルショックだったと思うが、急激に値上がり。少し持ち直したかと思うと中東の緊張でまたまた値上がり、以後少し値下がりして1リットル130円程度で移行していたようだが、昨年あたりから、イラン情勢などが背景になって徐々に値上げ、最近は三年半ぶりの高値となったという。

マスコミ報道によれば、レギュラーガソリンの今月2日現在の全国平均小売価格が1リットル=158円30銭だそうだが、今日あたりはさらに上がっていることは間違いなく、私が目撃した160円は軽くオ-バ-しているようだ。

私のようにほとんど車を利用しない者にとっては、随分高くなったものだなあ・・・という程度だが、毎日車がないと生活ができなくなる業種の方たちにとっては死活問題。何とかしてほしいものだが、価格引き下げに奇策はないという。

日本はガソリンの原料となる原油の8割以上を中東の産油国から輸入していることは私でも知っている知識。しかも、全消費量の約一割をイランに頼っているそうだが、そのイランの核開発疑惑に対し、米欧が足並みをそろえてイランからの輸入禁止などを決定したため、供給不安の観測が広がって価格を押し上げているのだそうだ。

ここにも、『アメリカさまがクシャミをすれば我が国は風邪を引く』という例えを思い知らされるが、その関係が大きく影響して、ドバイ原油は一バレル=120ドル台に上昇し、このところの円安も値上がりに拍車。

このまま値上がりが続けば、消費者物価が上昇することは間違いないだろう。東日本大震災の復興が遅々と進まないことにいらだちを感じているが、これではさらに遅れるのではないだろうか。

アメリカのガソリン消費は我が国の比ではないほど物凄いと聞いているが、それでも6割は自国で産出する原油で賄えるのだそうだから我が国の石油事情とは比べ物にならないほど安定している。

そのアメリカでも1ガロン4ドルに高騰しているという。ガロンという単位は馴染みがないので調べると、約4リットルとのことだから、1リットル約80円というところ。しかし、この価格になると大統領選挙にも影響すると言われているから、オバマさんも頭が痛いことだろう。

しかし、アメリカは地中の岩盤に眠るシェールガスに続きシェールオイルの生産も始まり、2020年代には日本の消費量に匹敵する日量4百万バレルの生産が見込まれているのだそうだから、我が国とは事情が大きく違う。

ガソリン価格の高騰に対しては、ガソリンの消費を極力押さえる知恵しかない。現在では1リットルあたり30キロメ-トルをこす燃費の良いハイブリット車が当たり前になっているとのことだから、このような車が行き渡れば、1リットルあたり100円であっても、それで3倍の距離を走るのだから、ガソリン価格が300円になったとしても大丈夫な計算になる。

経済が猛烈な勢いで発展し、車社会が日本異常に早いスピ-ドで進む、中国やインドなどの新興国は、このたびのガソリン値上げは深刻な問題になるに違いない。かって日本が行ってきたように、札束攻勢で中東の石油を奪いあいが始まることは間違いなさそうだ。

奪い合いが始まると国際情勢は緊迫することは目に見える。現在、石油から得るガソリンに代わる決定的なエネルギ-はないが、ガソリンの消費量を少なくすることは知恵を絞ればできる。

実際に、その知恵を出してしのいでいる我が国の進む道は、この知恵を国境を越えて全世界に広げてほしいものである。(田舎親父)

2012年4月 9日 (月)

中国の最近の結婚事情は・・・

 中国共産党の指導部が大きく変わるらしい。このところ重慶市の政治委員の更迭などがあり、激しい権力闘争が繰り広げられているとの情報がマスコミが盛んに取り上げているが、そんな生臭い話はおいておくとして、中国の庶民の意識の変化についての話題を。

ここしばらくいろいろな忙しく、ゆっくりネットを楽しむゆとりがなかったが、先日、久しぶりに、いつも面白い話題を提供してくれる『大紀元日本』というサイトを訪問したら、20~30代の婚期を迎える男女が支払う結婚費用は、40年前の親世代の結婚費用と比較すると約1万倍にもなるという話題を掲載していた。

さらに面白いのは、この調査に回答した1980年代生まれの独身女性の8割は、結婚対象となる男性に対して4千元以上の月収を求めているというから、中国でもご多分に漏れず女性上位が起きているらしい。

1万倍になる例として、武漢市在住の羅さんという60代女性の結婚に関する人生体験として『息子の結婚式で貯金はなくなる』という、切実な記事を載せている。ちょっと気になったので要約してみることにする。

書き出しが、『羅さんはこのたび結婚する息子の結婚資金で貯金を使い果たした』というから何となく、子どもの結婚式は親が面倒を見るという伝統があるらしい中国庶民の暮らしぶりをうかがわせる。

40年前の羅さんと息子たちの結婚式の費用を比べると1万倍。『当時は自転車を買って武漢市局で写真を撮るだけ。比較的裕福だった夫の親戚を招待し、3つのテーブルに食事を用意するのみで、100元ぐらいで済んだのに・・・』と当時を振り返っているという記事構成になっている。

40年前というと1970年代のはじめ。それから約10年過ぎだ80年代になると、文化大革命が落ち着き、国内事情が安定した頃に当たると、結婚式は華美になってきたという。

結婚写真と披露宴を開くのが流行し、習慣化。新婚の夫婦は新しい家具一式を購入するようになり、費用は約3千元、日本円で約4万5千円と10年で30倍に跳ね上がったという。当時の中国人の平均月収は20元、約3000円というから親の負担は大変なものになる。

広大な国土、多民族国家である中国では結婚に関する風習も様々で、地方によっては新郎が馬に乗り、新婦の家まで装飾された駕籠で迎えに行くという習慣があるらしいが、それが今では馬と籠が(レンタカ-ながら)ベンツやキャデラックなどの西欧高級車にとって代わっているのだそうだ。

さらに近年、結婚を申し込む男性は、条件として住宅を所有していなければならないという風潮が広がっているというから、これは我が国以上のハ-ドルの高さ。これではよほど裕福な家庭の男性でなければ結婚は夢としか言いようがない。

記事は続き、2000年には羅さんの長男が結婚した時『5万元を結婚式に費やしました。当時、新居は買わず古い家を改装したものの、2万元はかかりました。それから家具と家電で1万元、披露宴代1万5千元と写真撮影代5千元』と羅さんは具体的な数字をあげている。

さらに、近々次男が結婚する予定だという。一人っ子政策なのになぜ次男がという素朴な疑問を持つが、新婦は披露宴や写真のほかに、新婚旅行に選んだバリ島への渡航費、新居の準備や装飾、さらに新車を持つことも望んでいるというから、羅さんも溜まったものではないと同情を禁じ得ない。

結局、次男の結婚に当たって100万元費やすことになるそうだ。日本円にして1500万円とは信じられないが、なるほど、40年前、彼女が挙げた式の1万倍。貯金を使い果たしたとのことだから、それぐらいの貯金はあったらしい。それだけ経済が急速に発展しているのだろうと思うが、それにしても凄い数字である。

まあ一つの例としての話だろうが、日本ではどうなのだろう。約50年前に私が高卒で就職した時、当時の富士通の給料は月額10500円だとはっきり覚えている。この中から寮費として6000円を天引きされたのだから、今思うとどうして食事のない日曜日を過ごしたのだろうか・・・と今思うと不思議な感がする。

それから6年後、都に就職した時は、確か35000円程度になっていたと思うから、わずか6年で3倍に跳ね上がり、恐ろしいほどの経済成長のおかげで、その後も右肩上がりで給料が増えていったことも今思うと信じられない。

経済成長期一時的に、中国のように超派手な結婚式をあげるのが流行ったが、それほど多いわけではなかったはず。中国人とは違い、日本人は身の丈に応じた結婚式をあげていると表現してもよいのかもしれない。

しかし、かける費用の差はあるものの、式では真剣に永遠の愛を誓ったはずなのに、呆気なく離婚する夫婦が多いのは困ったものである。(田舎親父)

2012年4月 7日 (土)

インフルエンザで超法規措置?・・・

 3月30日のことだが、ラジオで高校野球の実況中継を聞きながら散策していた途中に、突然『新型インフルエンザ特別措置法案』が、民主党や自民党の賛成多数で可決されたというニュ-スが流れた。

最近よく『何とか特別措置法案(特措法)』という言葉を新聞紙上で見るが、その内容はよほどの専門家でなければ理解できないことばかり。今回の『インフル特措法』も新型インフルエンザに対する危機管理の取り組みを定めたものだとのこと。

新型インフルなどが大流行した場合、その影響を最小限に抑えることが狙いで、危機管理上、住民の行動制限なども可能にするのだそうだが、今一つわからないことばかり。

解説を読むと、政府は新型インフルエンザや新型の感染症が発生し、国民の生命や健康に深刻な被害を与える恐れがあるときには、首相が区域や期間を定めて『緊急事態』を宣言し、外出の自粛や休校、人の集まる施設を使わないなど、住民の行動制限の要請や指示ができるとある。まだ、必要な医薬品や食品などを確保するための保管命令に業者が従わなかった場合などは30万円以下の罰金など罰則規定も設けるとのこと。

文面をそのまま読むと、なるほど緊急事態なら仕方ないか・・・と思うが、原発事故の例を見るまでもなく、決して正しい情報を出さなかった政府のことだから、緊急事態そのものが、いかなる場合なのかと考えると、すんなり『はいわかりました』とは言い難いような気がしてならない。

これに対し日本弁護士会は反対しているという。感染防止のために強いられる人権制限が過大だという理由らしいが、やはりどこまでが緊急事態なのかが不透明だと考えているに違いない。

政府・厚労省は、新型インフルで考え得る最悪の被害を、大正7(1918)~8年に流行したスペイン風邪並みの致死率2%で計算し、64万人が死亡する可能性があると想定しているというが、現在の医療技術から考えて大げさ過ぎるのではないだろうか。

日弁連は『当時と現在では国民の健康状態、衛生状態や医療環境の違いは歴然としている』と指摘した上で、科学的根拠のない過大な被害想定に基づき、集会の自由が制限され、制限の適用要件も曖昧などと反対との立場、私も日弁連に賛同したい。

専門家の中には、国家が危機管理をする際、最大限の被害想定をしないのは無責任だとし、『備えあれば憂いなし』との考え方を示す人も多いというが、最近『南海トラフ』が動いて震度7、そして30m超の津波と同様、想定を大きくしておけば起きた時の責任逃れになるというアリバイ作りに似た心理に走っているのではと思いたくもなる。

口蹄疫や鳥インフルの流行の例からも、新型インフルが国内で自然発生的に流行するとは考えられない。何らかの形で海外からのウイルスが持ち込まれる場合だろうが、口蹄疫の時の成田空港の『水際作戦』を見る限り、完全に持ち込まさない措置などおぼつかないのが現実ではないだろうか。

インフル特措法に批判している医師は『21年の新型インフルで行われた水際作戦では、8人の患者を発見する間に100人がすり抜けたという計算もある』と指摘しているらしいが、事実なら水際作戦などもザルもザル、大ザル。あの物々しい免疫部隊の活動もたいした効果がないらしい。

まして、渡り鳥が原因だと言われている鳥インフルとなると、相手が空を飛ぶ鳥。どんな水際作戦を想定しているのだろう。

いかに強力な新型インフルエンザが流行しても、学校や会社、あるいは集会に参加した人が全て罹患するとは限らないだろう。また例え、ウイルスが体内に侵入したとしても全員が発症するわけもないと思いたい。

私は、いかなるウイルスの侵入にも負けない健康な身体作りが何より重要で、それに必要な情報を発信することが、新型インフル特措法の成立に命をかけるより先決だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年4月 6日 (金)

こんな状態で住民を復帰させて良いのだろうか・・・

 先月末に、東電は突然、2号機の格納庫の水位が60センチだと発表した。今までは2メ-トル以上あると考えられていたらしいが、それが60センチ。温度は上がっていないので、核燃料は冷えているとの説明だが、誰が信じるのだろう。

2号機はメルトダウンというよりメルトスル-という最悪の状態だというのは専門家筋の一致した意見だという。だとしたら、毎日大量の水を注入しているのに関わらず水位が上がらないのは、水がジャジャ漏れしているとしか考えられない。温度が上がらないのは、すでに核燃料がそこになく、地中深く潜ってしまっているに違いなかろう。

さらにその翌日、福島第1原発で高濃度汚染水を処理した後に淡水化する装置と貯水槽の間をつなぐ配管から汚染水が漏れ、一部が海に流出したと発表した。今朝も同じ内容なのかしれないか、横目で観たテレビのニュ-スは120トンの汚染水が流出と伝えている。

先月末の発表では、東電は配管から漏れた量は約120トンで、そのうち海に流出したのは約80リットルと推定。放射性ストロンチウムを含んでいるとみられ、汚染水の濃度は1立方センチ(立法メ-トルではない)当たり約14万ベクレルというから恐ろしい。

保安院は東電に原因究明と再発防止対策を講じるよう指示したらしいが、『再発防止対策を講じるように指示した』という保安院の言葉を何度聞かされたことだろう。東電を指導しているというのはタテマエだけになり、繰り返される(一つ一つが物凄い問題だと思うのだが)事故に対して、ただ追認しているだけ。

要は、何一つ原因を究明できず、しかも有効な手だてもないという状態と表現して差し支えない。プルサ-マル運転をしていたという3号機の状態は最近話題に乗らないがプルトニウムが漏れていることは想像に難くない。

1号機は建屋をすっぽり隠しているがその中で何が行われているのか、最近報道がないのも気になる。4号機に至っては、その映像すら流れないが、一体どうなっているのだろう・・・。

このように原発の復旧など手つかずの状態にあるに関わらず、年度が変わった4月1日に田村市と川内村が『警戒区域』から『避難指示解除準備地域』に再編されたという。

立ち入り禁止の『警戒区域』の指定が外れると、住民は宿泊こそできないが自由に立ち入れることになるので歓迎しているとの報道だが、本当だろうか。そんな気持ちは否定しないが複雑に違いない。

事故原因が何ら解明されていない上、現在の原子炉の状態すらわからない状態で、タテマエは住民のためと称して、警戒区域の範囲を狭める方針も引っかかる。

住民の心理としては、1年以上も自分の家に自由に立ち入れないとなると、それだけでも許可がでることは嬉しいに違いないが、そんな事態を招いた誰なのかという一番大事な問題には今回全く触れていない。

核燃料が地中深く沈んでいるとしたら、取り除くことは不可能。この先、地下水も放射能で汚染される可能性も少なくない。そんな中、人間が以前通りの生活をして良いはずがないと思うのだが・・・。

『除染』という言葉が免罪符となり、除染さえすれば『日常生活には差し支えない』という聞き飽きた言葉が横行し、はじめは恐々、数年過ぎればこんなもの、10年後には原発事故そのものが風化。こんなことをねらっているのではと思いたくなる。

さらに、全村避難した福島県川内村が役場機能を移転先の郡山市から、村内の元の庁舎に戻し、通常業務を再開したというニュ-スも気になる。避難指示を受けた自治体で役場を元の場所に戻すのは広野町に続き2番目だそうだが、すでに新任者はじめ職員の辞令交付式を終えて業務を始め、住民の帰村の体勢が整ったと報じている。

今月中には小中学校も再開するのだそうだが、約3000人の村民のうち現在村にいるのは約230人だという。役場機能が再開され、経済基盤が村にある人は、仕方なしに戻る人もいるのだろう。

人間の心理に大きな影響を及ぼすのは『慣れ』、放射能は目に見えないだけに、気にしながらも身体的に普段の生活にこれといった変化がないとなると、いつのまにか、徐々に環境に慣れて、このぐらいは大丈夫という気持ちになるのでは。そして村民は徐々に増えることは間違いなさそうだ。

が、20年後、現在の子どもたちが大人になり、次世代を産み育てる時に・・・。その時この世には存在しないだろう私が想像しても仕方ないことだが、果たして『帰村』ありきの発想が正しいのだろうかという疑問は消えない。(田舎親父)

2012年4月 5日 (木)

座ったままの柔道って・・・

 『清明』に合わせて、全国の小中高校では入学式の季節を迎える。子ども達だけではなく、新入社員や転勤など新たなスタ-トを切った人たちが街を賑わし、多くのドラマが始まるのもこの季節。

以前取り上げたが、中学校の保健体育で武道が必修化され、間もなく、それぞれの真新しい(お古もあるだろうが)道着で武道の心得を受ける授業が始まる。

礼儀や公正な態度を学び、日本の伝統文化に触れるのが狙いというが、なぜ武道なのという疑問は多くの人々の持つ素朴な気持ちはないだろうか。また、柔道・剣道・相撲の三つだけに絞ったのも気になるところ。

新聞発表によると、文科省の調査として柔道を選択した学校が64・1%、剣道37・6%、相撲3・4%となっているのだそうだ。柔道の練習中の事故が他のスポ-ツに対して圧倒的に多いことは知られているにも関わらず、子ども達(親の意見が大きいだろうが)が選択するのも、選択肢が少ないからでは。

柔道で中学、高校で28年間に114人が死亡したというデータについては以前も述べた。柔道界の関係者は『いずれも部活中の事故で授業では皆無。年間10時間程度では、技をかけるところまではいかない』と話しているらしいが、今まで正規の授業では柔道はなかったのだから、事故がないのは当たり前。この関係者は、以前から授業で柔道を指導していたと思い込んでいるのではなかろうか。

最近は、些細なことでも保護者に気を使わなければならないご時世なので、実際に授業をしなければならない学校は大変なようだ。

中学校の校長会も全年度末はこの話題が大きく取り上げられて、県単位の共通理解としてヘッドギアやウレタンマットを用意するという話も漏れ伝わってくるが、確か武道を授業に取り入れる意義は、礼儀作法と伝統文化を認識するためだったはず。

柔道着をつけて畳の上で不動の姿勢で正して礼をする姿に日本人の美意識を見ると誰かの文章で読んだことがあるが、ウレタンマットでは姿勢を正す(固定する)ことすら難しく、柔道着にヘッドキア-となると、柔道そのものを冒涜するのではないだろうか。

そこまでする必要があるとは思わないが、教育界では『学習指導要領』は絶対で、ここに書かれている文言に一歩でも踏み出すことは不可能なことを思うと、事故を起こさないためには仕方ない自己防衛なのかもしれない。

そんな学校の悩みを解消しようと、ある県の教育委員会は事故防止のため、柔道について、『大外刈りを禁止』はもちろん『投げ技を使った試合は行わない』などとする安全指導指針をまとめ、各市町の教委に通知したそうだ。

柔道には疎いので詳しいことは理解できないが、『投げ技』が禁止となると、試合はどうして行うのだろうと先を読むと試合は座った状態で行うという文言には、さすがに『正気なの・・・』と驚いてしまう。座ったままで柔道の試合をどう行うか私には想像ができないが、県教委は『礼に始まり礼に終わる柔道の精神は十分に学ぶことができる』と強調しているらしい。

『学習指導要領』で『武道の授業は、中学1、2年で計20時間、選択制となる3年でさらに約10時間』と決められているとのことだが、多く選択する生徒で、3年間でわずか30時間。

年間たった10時間で、しかもウレタンマットとヘッドキア-で、礼儀や伝統文化が養えるとは思えない。それ以前に、横並びが原則の教育界では、柔道着を体育着とは別に購入となるのだろうが、ますます家計を圧迫することは間違いない。保護者のため息が聞こえてくるような気がするが・・・。

いずれその柔道着にも消費税がかかるとなると、経済格差はますます広がるだけ。喜ぶのは柔道着(剣道も相撲も同様だろうが)を扱う業者だけ。

原子力の安全審議会の大学教授たちには電力業界から多額の賄賂的な寄付金が支払われていると最近明らかになったが、武道を学習指導要領に組み入れたセンセイたちの身辺調査も必要ではないだろうか。(田舎親父)

2012年4月 4日 (水)

いざという時どうするかにつきるのでは・・・

昨日の嵐はどこへいったの・・・と思うほど今朝は爽やかな風と晴天、二十四節気の『清明』に相応しい天気である。古の都の人々が中国の文化を移入し日本流に編集し直したのだろうと想像しているが、この二十四節気という季節を区切るきまりは非の打ちどころがないぐらいによくできている。

私たちの先人は、農耕や漁業に適している月の形を基準とした暦(太陰暦)でずっと生活してきたが、月の周期が約29.5日であるので、その12倍を1年とすると、どうしても11日ほど不足してしまう。

毎年季節が10日早まってしまうと生活をしていく上で大変不便になってしまう。そこで数年に一度『うるう月』を入れて季節の狂いを調節してきたのであるが、それでも不便さは変わらず、種まきなどの農作業に支障をきたす場合が多い。

そこで太陽の動きを詳しく観察した結果、1年を24等分にして、それぞれに名前をつける知恵を発明した。24等分 の約15日を太陰暦の上に刻んだわけである。がこれは凄い発明である。

雪が雨に変わる頃と言う意味で名づけた『雨水』のある月を1月(正月)と決めたのはいったいどなたなのだろう。『雨水』が1月からずれると閏月を入れるという知恵にも、ただただ感心するばかりである。

この二十四節気のおかげで、太陰暦を使いながらも季節が一月以上ずれることはない生活をしてきた私たちの先達の豊かで奥の深い生活習慣を、今見直す必要があるのではないだろうか。

ただ便利で快適な生活という意味だけで、24時間買い物ができるコンビニ、そのような店でさえ声をかけることの煩わしさから開放された自動販売機。階段という考え方さえ無くしたエスカレ-タ、夏でも暑さを感じさせない空間さえ当たり前等のような私たちの身の回りの環境を疑問視する時が来たのではないだろうか。

急に話は変わるが、内閣府の有識者検討会(良く分からない組織だが)が、西日本の太平洋沖にある海底の溝『南海トラフ』で巨大地震が発生した場合の震度分布と津波高に関する推計結果を先日公表。

今まではさんざん東海地震と言っていたのに、このところ急に、南海トラフを言い出したのも変な話だが、東日本大震災と同等のマグニチュード(M)9.0規模の地震が発生した場合、10県153市町村で震度7を記録するとの予想。中でも、高知県黒潮町の34.4メートルとその日のテレビが大騒ぎしていたが、どこまで本当なのと疑問を持つのは私だけだろうか・・・。

黒潮町では町長はじめ町民は大変だという。恐らく、この地は海岸線の猫の額のような平地にほとんどの町民が暮らす海辺の町だろう。あきらめ顔の高齢者の『おらの家は海抜2メ-トルだ』とのつぶやきが印象的であった。

その他にも、6都県23市町村で満潮時に20メートル以上の津波が起こると推計しているらしいから、関東から四国、九州地方にかけての極めて広い範囲が大きな揺れと津波に見舞われる恐れがあるのだそうだ。

静岡県の浜岡原発付近では現在18メ-トルの津波を想定して工事を急いでいるそうだが、有識者会議の出した数値は推定は21メ-トル。これでは、軽く原発を破壊する計算になるが、さて中部電力はどうするのか興味深い。

南海トラフの巨大地震は、近い将来発生する可能性が高いと指摘されており、政府の中央防災会議は2003年、推定(M)8.6だった1707年の宝永地震をモデルに震度や津波を予想したそうだ。

想定を厳しくしたのは理解できるが、ここまでやるか、というのが私の第一印象。日本列島に人が住み始めて少なくとも数万年以上は過ぎているはず。昨年の東北大震災は千年に一度といわれているから、(記録がないのではっきりしないが)計算上はいままでも数回同様の大津波が襲ったことになる。

中国文化の二十四節気を我が国用に編集したほどの知恵者が存在した日本人の先祖が、過去に大地震が起きていた地であれば、恐ろしさは言い伝えとして残っているはず。事実、そのような言い伝えは各地に存在し『稲叢の火』という話は教科書でも紹介されている。

それでも人はこの地に住んでいる。危険だということは知っていても、豊かな海の恵みはその恐怖以上のものがあったに違いない。地震や津波と共存?する知恵は決して技術(ハ-ド面)で押さえ込むという発想ではなかったはず。

30メ-トル超の大津波が襲うことを前提にすることも悪くないが、このまま5年、10年何事もおこらない可能性も高いだろう。すると、大騒ぎした分恐怖心がなくなり、無関心になるスピ-ドも早いだろうから、数年後には元の木阿弥・・・。

有識者会議の面々は、この再数値を大きくしておけば、人々の警戒心が強くなるだろうと考えているとしたら、むしろ結果は逆のように思えてならない。

恐怖を煽るような数値に惑わされることなく、自然相手の非常時には、実際に起きた時にどうするかということが大事。いざという時の行動マニュアルを自分で作り、行動できることではないだろうか。(田舎親父)

2012年4月 3日 (火)

水素自動車試乗記(その2)

 5月31日の水素自動車の試乗会においても、場所が自動車研究所のサ-キットで、水素の補給は一回だけという許可のもとで実現したとのことなので、子供たちを連れて行くことは不可能である。

それでも何とか未来の夢の使者である『水素自動車』を何とか子供たちに見せたい、教えたいという私の強い希望と我が儘で、新宿のパ-クタワ-ビル(パ-クハイアット)で行われているBMWの展示会に6月2日(土)に招待していただけることになった。

展示会の運営に忙しいYさんとの打ち合わせは、当日の朝児童が来る前になってやっと行うことができた。

すでに資料はいただいているが、模型キットが予想したよりはるかに小さい。この模型では少し水の電気分解の話は判りにくいのであまり時間をとれないと覚悟すると同時に授業は私のレクチャ-次第で何とかなると、例によって気楽に考えて児童の到着を待つ。

予定通り、9時30分5年生が到着。早速Sさんと今日の日のためにアシスタントをつとめてくれるのKさんから展示の説明を受ける。Kさんは最近までNHKで、『総合的な学習の時間』の取材に当たっていたというだけに、児童に対する話し方もなかなか板についている。児童の目は真剣そのもの、内容が難しいかなと心配したのは私たちの杞憂で次々と核心をついた質問も飛び交う。

別室に移って、私の授業である。まずYさんとアシスタントのWさんの紹介して、4年生で習ったソ-ラ-カ-について思い出しながら、Yさんが作ってくれた模型のソ-ラ-カ-を動かしてみる。

太陽の光で車は動くことは確かであるが、トンネルや夜走らない時は困る、というスト-リ-を用意して、燃料が必要であることを理解させる。その上で今のようなガソリン車では環境に与える影響は大きいことと、石油を燃やし続けると地球温暖化の恐れがあることなど説明していく。

5年生の児童には少し高度な内容であるが、日頃から担任から環境問題を聞かされたり、インタ-ネットなどで知識を得ているので、水素の話しになっても児童たちの反応は良い。

水素は『水の素』であり、地球上には水として無尽蔵に存在すること、そして電気で簡単に酸素と分解できること、など話を進め、実際に電気分解で水素を取り出し、燃料電池に水素を送り込み、モ-タ-が回る様子を実験で確かめていく。

ただし、燃料電池については難しい内容であるので、この児童たちがきっと将来燃料電池の正しい知識を得た時、私の意図をわかってくれることを信じて水素ボンベと同じように水素が詰まっているものであり、その水素の力によってモ-タ-が回るのだと説明する。

BMW側から用意されたアルプスの水『エビアン』を『この中にも水素が詰まっているのだから、水素の味を味わってみよう。』と言ったら、『本当だ。』と乗ってくれる子供の心が嬉しい、私にとってもとても充実した授業であった。

さらに展示会場に戻り、今度はじっくり水素自動車を見たり、個人的に関心のあるコ-ナ-で知識を深めている。約1時間の見学と授業を堪能した5年生は、6年生の到着と入れ違いに学校に帰り、代わりに6年生が説明と授業を受ける。

6年生は、環境問題で生ゴミを飼料にする実験など受けているので、5年生以上に環境問題には興味関心があり、実に真剣な表情で過ごしたことは当然である。

YさんたちBMWのスタッフの方々から『素晴らしい子供たちですね。』とお褒めの言葉までいただき恐縮した次第である。それぞれわずか1時間の見学であったが、その得たものは大きく、児童たちの中から何時の日にか、確実にやってくる水素の時代の魁になってほしいと願っている。

最後に、本校の児童に、このような素晴らしい機会を与えていただいたBMWの方々に心からお礼を申し上げ、文章を閉じることにする。200163日(杉)

埼玉県とホンダとの連携には拍手送りたいが、(一昨日の繰り返しになるが)水素そのものを燃料にした方が効率が良いだろうことはわたしにもわかることだが、なぜ日本は燃料電池という方式を採用したのかという素朴な疑問がどうしても解決しない。

それ以前に、この文章を読み直すと、ドイツでは現在水素自動車が走っているはずなのに、その報道がないのも気になる。そこでネットで検索してみたら、BMWの当初の計画は遅れているものの、2017年からは水素自動車は量産されるという。

燃料電池になるのか、それとも水素自動車になるのが、世界の次世代の車の方式が注目される。(田舎親父)

2012年4月 2日 (月)

水素自動車の試乗(その1)

 (これも、2001年の記録である。実際は時の写真も入れているが、省略して文章だけ紹介する。かなりの長文なため今日と明日の二日間にわたって掲載。)

朝目覚めるとかなり激しい雨音が聞こえてくる。今日は、筑波の自動車研究所で日本で始めての『水素自動車』の試乗会に招待された5月31日(木)である。

東京駅に集まった試乗会に招待された人々は、気体に胸を膨らませて激しい雨の中、一路筑波の自動車研究所に向かう。10時に到着する頃には、雨はほとんど上がり、いやが上にも水素自動車に対する期待が膨れ上がる。

私たちはまず、BMWの説明を受ける会場に案内された。壇上の中央には本校にも足を運んでいただいたYさんが座っている。Yさんは以前にお目にかかったことがあり、何度もメ-ルのやりとりをしている方なので、失礼な表現ながら親しみがあり気軽に挨拶などできるのであるが、ドイツ語を駆使して司会をしている姿には当たり前ながら尊敬の念が湧く。

終わってすぐ試乗会場に移る。そこにはすでに試乗車が待ち構えている。時間の関係で同時に3人乗り込んで発車した車は、あっと言う間に時速100kmを超え、これも瞬時にスピ-ドメ-タ-は180kmを示す。スピ-ドが増すに従って地面に吸いつけられるような安定感で全く恐怖感はない。恐らく私の乗っている大衆車では、もしこのスピ-ドが出たとしたらガタガタと車体が悲鳴をあげて、場合によったらバラバラに壊れるかもしれない。

一周5.5kmのまさにサ-キットコ-ス、実に快適なドライブもあっと言う間に終わってしまったが、興奮は覚めやらない。いくつかの鋭い質問に博士たちが明瞭に応える演出も流石とである。

その後元の説明会場に戻り、このプロジェクトの責任者の開発技術担当の取締役のゲッシェル博士とドイツの水素供給会社のヴォルグ博士から、いろいろと説明があり、会場に詰めかけたプレスや関係者からの質問があった。やはり自信があるのだろう、まさに立て板に水というように、難しい質問に堂々と応えている姿に感動すら覚えた。もし日本人の経営者だったらどうだろうと、感動すら覚えた会見であった。

半日かけて茨城県の筑波まできた甲斐は十二分にあった有意義な時であった。

その夜開かれた、レセプションにも私は本校の教頭はじめ高学年の担任などと一緒に押しかけ、外資系の会社のレセプションを楽しませていただいた。日本流の長い挨拶などない上に、集まったお客を飽きささない運営は今後の学校経営を進める上で大いに参考になった。一緒に参加した本校のスタッフも大満足で見聞を広めた一時であった。

この話は、3月だったと記憶しているが、私が通っている『アイメディア』というでドイツの有名な自動車会社であるBMWの広報担当のYさんから、この水素自動車のことを聞いたのがきっかけとなっている。

Yさんによると『ドイツではこの水素自動車は公認されており、普通の道を普通のナンバ-プレ-トをつけて走っています。先日の万博では来賓の送迎にも使われました。』とのことである。ベルリンやミュ-ヘンには水素を供給するスタンドまで用意されているとのことに驚かされた。

私は、かねがね現在のように他国から石油大量に輸入している日本のエネルギ-政策に疑問を感じている。資源の無いわが国が、ただ今日的な繁栄をバックに産油国から膨大な石油を輸入して、やみくもに物質的な豊かさを求めた便利な社会の形成に向けて、その石油を燃焼させてエネルギ-を得ているように思えるからである。

ある科学者の統計では世界中の人間が、現在の日本人のような石油の使い方をしていたら、およそ40年で石油はなくなるだろうと予想している。アメリカ人的な使い方をしたらさらにもっと早く石油はなくなるとも言う。

アメリカや日本のように使う人種は数的にはごく限られているので、それほど緊急事態とは思えないが、今後中国やインドという人口の多い国の人々がより快適でより便利な生活を求めることは十分考えられることであり、その意味でも今後石油の需要は急激に増えることは誰も否定できない事実であることから、重大な意味を持つ。

私はかねてから、石油などの化石燃料を燃焼させたり窒素酸化物の排出が原因だとされている二酸化炭素の増加と、それに連動する地球温暖化の問題や、人口の増加から生れるエネルギ-の確保の問題、それによる熱帯雨林の消失、さらに自然環境破壊や環境ホルモンなどの問題を、学校教育で取り上げるべきだと訴えている。

単に表面的な問題としての酸性雨を取り上げたり、樹木を切ってはいけないという狭い考え方から、ケナフなどの成長の早い外来の植物で紙を作る授業を進めている一部の教育関係者に対して許しがたいと嫌悪感さえ抱いている。

私は学校教育でこそ、未来を見つめた夢を与えなければならないと強く信じている。環境を教える時、環境問題の本質を教えると共に、一時しのぎ的な方法ではなく、例え現実的には不可能と思われても夢のある授業を展開しなければならない。この意味でも今回の『水素は未来のエネルギ-』というBMWの提言に賛同したわけである。

水素のことを少しずつ勉強していくと、ギリシャの科学者が『水の素(みずのもと)』と命名したとされる水素が、いかに有用であるかということがはっきりと理解できるようになってきた。

空気のわずか14分の1しかない軽い気体が、本来ならば地球に存在しないのに、不思議なことに、酸素と化合して水として海水として地球には無尽蔵に存在することは、私たち現代に生きる人類にとって福音である。

さらに水に電気を通すことによって簡単に酸素と水素が分離され、ガソリンと同じように燃えやすい性質があることなど、利用価値は無限にある。燃やすということは酸化することであるので、水素が酸化するとそこには水が生れることになる。

これは燃やしても環境に全く害がない水が残ることをしめしていることであり、この水素の利用は地球環境、とくにエネルギ-問題を考える時、最高の夢のある教材となるわけである。

このような背景から、何とかこの水素自動車を子供たちに見せたいと思い『学校の校庭で走らせていただけませんか。』と提案したが、日本の法律ではいかなる場面でも、この水素自動車は道路を走らせることは禁止である、とのことであった。(続く)(田舎親父)

2012年4月 1日 (日)

水素自動車は今・・・

 極端に表現すると、昨日『明けましておめでとう』と挨拶をしたような気になるほど、例年、1月から3月までの過ぎ去る速さに驚かされるが、今年もその通り。

今日はもう4月1日。消費税の値上げや原発再稼働など、民主党政権のやっていることのデタラメさに、早く総選挙になってほしいと思うものの、自民党など野党も似たようなもの、下手すると大阪維新の会などが政権を奪うと、違う意味でトンデモナイことになりそうなので、現時点での総選挙も恐いなあ・・・と憂鬱な毎日。

突然話を変えるが、3月末に『埼玉県とホンダが、太陽光発電による電力で水を分解して水素をつくり、ガソリンスタンドのように燃料電池自動車へ供給する設備を県庁内に設置した』という記事を見つけ、このことに関する昔の記憶が蘇ってきた。

その記憶というのは水素自動車に試乗したことである。記憶を頼りに過去の記録を探したところ、私が水素自動車と出合うことになった文章が出てきたので、そのまま紹介することにするが、私の気持ちの中では、今でも日本はなせ水素そのものを燃料にしないのかという素朴な疑問は解決されていない。(2001年の記録である)

先日、私が通っている『アイメディア』という勉強会で、わが国でも憧れの車として人気の高いドイツ車(BMW)の『企業の広報のシニア・スペッシャリスト』のSさん(匿名にする必要はないが了承いただいていないので)のスピ-チを聞く機会があった。

その内容は私の耳にした限りを要約すると『わが社は、水素を燃料にする車の実用化に成功して、実際ドイツでは認可され一般道路を走り始めています。その車を五月末ごろに日本に持ってきて、一般公開と試乗会を開きます』というものであった。

かなり以前、確かマツダだったと思うが、『水素自動車』の開発に成功したというニュ-スをどこかで聞いていたので、Sさんにもう少し詳しい内容を知りたいと申し出た。これも確かではないが、当時マツダのこの発明は当時のトヨタやニッサンが主流となっていた日本の自動車業界では、時期尚早ということでボツになったという。

私は、二酸化炭素の増加に心からの危機感とエネルギ-問題に強い感心を持っている。この問題を何とか学校教育の中で少しでも取り扱えないか模索しており、これまでも間伐材の利用や生ゴミを資源にする話題を全校朝会で紹介したり、高学年の児童には間伐材で作った大きなテント作りを通してなどの授業を実践している。

水素が燃料なる自動車が実現したとしたら、これは私が考えている環境教育に利用できるはずである。Sさんとしても、かねてから小学生に知らせたいという気持ちがあったらしく、近々技術担当者を伴って訪問するとの約束をいただいた。

数日後私あてに訪問日の確認のメ-ルが入った。お互いの日程調整が難しく結局次の日の夕方ということになり『技術担当のゼネラルマネ-ジャ-』のYさんと2人でおいでいただき詳しくお話しを聞いたが、その内容は私が予想していた以上の情報で、水素に対しての私自身の認識を新たにするものであった。

現在小学校においての『水素』の学習内容は、6年の理科の『水溶液』の学習で、塩酸や水酸化ナトリウムなどの水溶液の中には、その性質として金属を侵すものがあるという内容である。具体的な実験として、試験管の中の塩酸や水酸化ナトリウム液などの中に鉄片やアルミニウム片を入れてその変化を観察し、発生した水素に火をつけて小爆発させて水素の性質を少し調べるものである。

ところが、試験管ではなくフラスコや集気ビン等で水素と酸素の混合状態で火をつけて児童に被害を与えるという、日本各地で教師の単純ミスが度重なり問題になって、ついには今度の指導要領から水素そのものの性質も教える必要がないとされてしまった。

私は、水素を発生させたら石けん水の中に入れて、出てくる水素のしゃぼん玉を机の上のかなりの距離の空中でマッチの火を近づけて小爆発をさせて水素の性質を調べる実験をしていた。これだと児童に被害を与えることもなく、しかも水素の性質をある程度正しく教えられると考えていたが、それすら危険とされて多くの学校では許される範囲さえ超えていたようである。

理科の指導をある程度専門にしていた私でさえ、水素の性質は爆発を伴うほど燃えやすく危険であるという認識で、最新の注意をしたものである。その水素を使ってエンジンを燃料にするというアイデアが斬新で興味がわく。

Yさんの話によると『水素を燃料とする研究はどの自動車会社も長年研究を続けており、当時のマツダはまだまだ実用できないまま発表したので自然消滅した』とのことで、BMWは地道に研究を続け、ついに実用化に成功したとのことである。

ただ残念ながら日本でこの技術がまだ認知されていないので、一般の道路を走ることは禁止されているので、実験用の車を走らせるのは茨城県の国の実験場内に限られているという。

水素は基本的には水を電気分解することによっていくらでも作ることができる。もしエネルギ-源として水素が利用できるとしたらいわば無尽蔵な資源である。燃焼させても二酸化炭素やそれ以上に悪者であると認定されている窒素酸化物を発生することはない。いわばクリ-ンエネルギ-の最たる物になる。

Yさんの説明は続く。『水素はマイナス253℃で液体になります。その液体をボンベに入れて車の燃料にするのです。何回も想定できる全てのことについて実験しました。最も皆さんが恐れられていることは、事故の時爆発するのではないかということですが、いかなる事故が起きてもボンベは壊れることのないように設計してあります。また万が一水素が漏れたとしても、空気に比べて軽い気体ですので、一瞬のうちに気化して空中に飛散してしまいます。あり得ることだとは思いませんが、当然漏れた時も想定して何度も何度も実験して安全性を確認しています。安全性が確認されたからこそ、ドイツで認定されたのです。』

なるほどもっともである。絶対の安全性が確認できなければ、あの頑固なドイツという国で認定されるわけはない。理論的にもYさんの言うことが理解できる。私自身水素は危険という日本人の一般論に侵されていたようである。

BMWは5月の末に茨城県の試験場で試乗会を行うと同時に、一般展示を新宿で行うことになっている。子ども達の見学も歓迎だという。私はただ見学するだけではなく、水素の正しい知識を子ども達に伝えたいと思い、この展示会で子ども達に有用な勉強をさせられないか考えている。

会社も協力的で、これからいろいろ話し合って行くことになっているが、今現在、6月2日(土)に理科と社会科の見学で、新宿の東京ガスのタワ-ビルまで5・6年生の児童を引率し、それぞれにあったカリキュラムで私が中心になって授業をすすめることを想定した計画を立てている。

授業内容は、液体窒素は現在の日本ではボンベに入れて一般に公開することは認可されていないということなので、水素ガスその物を燃焼させて何かを動かして仕事をさせるような実験が主体になるのではないだろうか。

いずれにしても、水素の安全性とこれからの可能性を子ども達に教えたいものだと思っている。これは楽しみである。

また当日は主催がドイツの会社であり、日本人にとっても憧れの車であることから、大勢のドイツ人の技術者や営業担当者、また場合によったら教育の専門家も来場するとのこと、子ども達にとっては国際的な視野を広める絶好の機会になるに違いない。

私や担任にとってもドイツ人と間近に話せる素晴らしい体験の場になると信じている。当日子どもたちはどんな反応をしてくれるだろう・・・(杉)(ここまでは過去の記録)

実際に出かけた結果、子ども達の眼の輝きは予想通り。しかし、日本の技術は水素を直接燃やして走る水素自動車ではなく、水素と空気中の酸素の化学反応によって生み出した電気をその動力とする燃料電池といわれるハイブリット車に舵が切られたことは改めて述べるまでもない。

その後、水素自動車に試乗したのだが、そのことは改めて紹介したい。(田舎親父)

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