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2012年9月

2012年9月30日 (日)

帰国後視察の報に・・・

 9月27日付けの東京新聞に、2003年にアメリカ主導で始まったイラク戦争に関連して、中東へ部隊派遣された自衛官のうち、先月までに25人が帰国後に自殺していたという記事を見つけた。

内訳は陸上自衛隊19人、航空自衛隊6人だという。イラク戦争で派遣(事実上は派兵という言葉が相応しいが)した隊員数は、陸自は04~06年、イラク南部のサマワに合計5500人、空自は04~08年、アメリカ軍支援のため、合計3600人をクウェートに派遣したとのことである。

イラク戦争への自衛隊の派遣を当時のコイズミ内閣が強行に決定したことには、さすがのマスコミも反対の声を上げたが、その声は届かず、いつのまにか消えてしまった。

誰が派遣隊員を選んだのかは公になることはないだろうが、できれば選ばれたくなかったのではと推測しているが、選ばれた隊員たちの表面上は平静を保ちながらも、緊張した表情が思い出される。特に下級の隊員にはその気持ちが強かったと想像している。

自衛隊員の派遣については、私も何度か反対の意見を述べた。実際に、ロケット弾が駐屯地に着弾というニュ-スもあり、その度に、もし被弾して死亡となると、誰がどのように責任をとるのだろうと、その度に怒りを覚えたものである。

幸、建物や車両に命中することも、戦闘に巻き込まれることもなく、数年後に全員無事に帰国したというニュ-スを最後に、忘れやすいという日本人の欠点を色濃く持っている私は、今ではイラク戦争そのものをすっかり忘れていた。

記事には、海上自衛隊は現地駐留せず、自殺者もいなかったとある。自衛隊全体の11年度の自殺者は78人。自殺率を示す10万人あたり換算で34.2人だという。明かに件法違反だと思われるイラク特措法を数の力で成立させ、戦争支援に派遣され、帰国後に自殺した隊員を10万人あたりに置き換えると陸自は345.5人で自衛隊全体の10倍、空自は166.7人で5倍になるというから信じられない。

自殺の原因について防衛省は『イラク派遣との因果関係は不明』と他人事のような対応だが、何時ミサイルの標的にされるかもしれない駐屯地での生活に、表面的には平然としていることを要求される自衛隊員であっても、内面の恐怖心とストレスの大きさは想像に難くない。

特に、南部の比較的治安の良いとされていたサモアであっても、イラク国内に駐屯した陸上自衛隊員のそれは物凄いものがあったはず。まさに、その時の心理的な圧迫が帰国後も消えず、何らかのトラウマとなり、衝動的に市を選択してしまったのではないかと推察している。

自衛隊員の自殺については、私が知らなかっただけかもしれないが、数的には凄いものがあり、一般公務員の1.5倍だそうだ。しかし、それにしても、帰国後の自殺者の数は多過ぎる。自殺率は俄には信じられないほど高い。

このことについても防衛省は『帰国後、何年も経過した派遣隊員と一年ごとに調べる隊員の自殺者数を比べても意味がない』と反論しているとのことであるから、イラク戦争との関連には触れたくないことが明か。

派遣隊員が自殺した時期は明らかにしていないそうだが、陸自のイラク派遣期間中の3年間は毎年90人以上が自殺していたというから、自殺の原因が実際に派遣されたことや、何時派遣されるか分からないという心理が影響したことは間違いない。

尖閣諸島で日本も中国も、まして台湾も意図的に戦闘状態に発展させることはないと信じているが、大量の漁船が海域内に侵入したら、海上保安庁の巡視艇は放水などで対応するのは任務上当然だろう。

先日の台湾の大量の漁船にもその対応をした。中国はここを自国の領海だと認識で台湾の漁船には海保と同じような対応をしていたが、もしもこれが中国漁船だったと想像すると背筋がゾッとする。

海上保安庁の巡視艇の乗組員や、今後の展開によっては自衛隊員はイラク戦争をはるかに越える過酷な環境下で任務を遂行しなければならないことは、決して空想の世界ではない。

戦争で命をなくすことの愚かさは、太平洋戦争から十分すぎるほど学んだはず。なのに・・・。もう一度、憲法第9条の意味を真剣に考えたいものである。(田舎親父)

2012年9月29日 (土)

ミツバチの飼育に許可はいるのか・・・

 5月5日付けに掲載した『ミツバチの飼育には許可が必要だったとは・・・』との文章に、先日、ある方から、『はじめまして、私もミツバチ飼育に挑戦しようかと、周辺の情報を集めて、ため息ついてますが、飼育の許可申請はどちらの行政機関へ(県庁)行けば良いのでしょうか、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします』というメ-ルをいただいた。

すぐに返事をと思いながら、ついつい遅くなってしまっていることと、返事のためにはもう少し知識が必要だと考えて、個人的な返信より、前回も『そのうち取り上げる』と書いていることもあって、改めてミツバチについて話題にしてみることにする。

5月の文面は、無届けで日本ミツバチを飼育したとして、大阪の69歳の男性が逮捕されたというニュ-スがきっかけ。

私としては、逮捕された男性が人口の集中している市街地で飼育し、近所からの物凄い苦情があったので、大阪府警が逮捕と言う強行手段に出たのではと解釈していたが、調べてみると、さすがは法治国家だけに、あらゆる分野に法律の網がかけられていて、ここには『養蜂振興法』という法律があることを知る。

その第一条に、目的として『この法律は、みつばちの群(以下「ほう群」という。)の配置を適正にする等の措置を講じて、はちみつ及びみつろうの増産を図り、あわせて農作物等の花粉受精の効率化に資する』とある。

そして、その第3条第1項及び同施行規則第1条の規定として、業としてミツバチの飼育を行う者は、毎年1月31日までに下記の事項を知事へ届けることが必要なこともはじめて知る。

『業として』という文面から、趣味としてミツバチを飼う場合は、届けは必要ないとも解釈できそうだが、自治体によってこのあたりは微妙に違うらしい。

私の今の住環境ではとてもミツバチの飼育などできそうもないが、もしも、そんな環境が神奈川県内で得られたらとの(ほとんど実現不可能)仮定で、県内の事情を調べてみた。

まず、いかなる理由であっても飼育する場合でも、『みつばち飼育届』という書面を知事に届けなければならないとある。この書面は、形式的にはさほど難しいものではないが、目的をはっきり記入しなければならないので、趣味でという理由が認められるか怪しく、『イチゴの受粉』など、それなりの理由が必要になりそうだ。

一応ここまででメ-ルをいただいた方への返答はお終いになるが、横浜の片田舎では、今年もミツバチを見る機会が少なかったことを改めて回想している。

ここ数年、毎年のように夏の強烈な日照を遮るために、『緑のカ-テン』としてゴ-ヤを栽培している。今年も3月から、3種類のゴ-ヤの種子を私流の方法で発芽させ、2回の植え替えをしてから定植。現在は盛りは過ぎたとはいえ、未だに毎日数本の種類の違うゴ-ヤの収穫を楽しんでいる。

ゴ-ヤは雌花と雄花があるので、受粉しなければ結実しないのだが、小さな昆虫たちがその役引き受けてくれるらしく、私は小さな実が毎日驚くほど成長し、少し放置するとすぐにどぎつい黄色に変色し、それがはじけて中からさらにどぎつい真っ赤な粘液に守られた種が飛び出す。

今年になって、その粘液が甘いことを人から教えられて、舌に転がすようになっているが、去年までは黄色になったら大変と、適当な実を収穫することにかなり気を使うのが日課になっていた。

話がどんどん横道にそれたが、今年も、受粉をしてくれる小さな昆虫の中にミツバチを見つけることができなかった。というより、毎日のように郊外をのんびり散歩することを日課としている私にも、(繰り返しになるが)ここ数年ミツバチの姿が見かけられなくなっていることを改めて感じている。

前回のブログの内容は省くが、農薬が原因らしいことだけは確からしいとなると、ミツバチ飼育ミツバチを東京の真ん中、銀座のビルの屋上で飼育することは的を得ているようだ。そのことを思いつき実践している人たちに脱帽するのみ・・・。

こうなると、今までは絶対できないだろうと思っていたが、現在の住環境でも『みつばち飼育届』を受理してもらえれば、そして近所の理解さえあれば可能かもしれない。

また一つ研究課題が見つかったようだ。(田舎親父)

2012年9月28日 (金)

首都高環状線を撤去?・・・

 このところ、新聞は質的には東京新聞が一番だと思うものの、長年なれ親しんでいることと、家人が折り込み広告に情報を求めていることが多く、ならば朝日で良いか・・・という程度で講読しているが、最近の社説は体制べったり(読売や産経とあまり差がない)で民主党の主流派のへつらいとアメリカ信者のような書き方に、驚きを通り越して情けなさを感じている。

ところが、一昨日の朝日新聞の『首都と高速道―都心から撤去しては』という社説の見出しは、最近の朝日にして珍しく踏み込んだ表現だと少しまじめに読んでみた。

社説は、老朽化する首都高の都心環状線(約15キロ)について、国土交通省の有識者会議が『高架橋を撤去し、地下化を含めた再生を目指すべきだ』とする提言をまとめたという書き出しから始まっている。

最近の首都高の老朽化がひどく補修では追いつかないと言う話題は、このところよく聞く話。確かに、都心部を走る部分は1964年(昭和39年)の東京オリンピックに合わせて作られたもの。約50年の間、ほとんど駐車場と表現してもよいほどの渋滞する車の重量と排気ガスに痛めつけられていることは十分理解できる。時に、外壁がはぎ取られ落下などということも稀ではない。よくぞ大事故にならなかったものと思うほど酷い例もある。

『有識者』と言われる人たちでなくても、そろそろ考えなければと思うのは当然だが、社説は、有識者会議が『高架橋が損ねている景観を取り戻し、首都直下型地震などの災害に備えるためにも地下化による全面更新が有効』と主張したと話を進めている。

そこから、このためには膨大な資金が必要だとの注釈を付けて、都心環状線の外側に3本もの環状道路が建設されていることを考えると、『都心環状線の完全な撤去』で首都の改造を目指すべきではないかとかなり踏み込んでいる。

なかなか面白い。世界の主要都市でも、中心部を通過するだけの車を迂回させるのが環状道路はあるのだが、 東京のそれは平均半径が2キロ余にすぎず、北京やパリの5キロ台、ワシントンの16キロ余、ロンドンの30キロ近くと比べて圧倒的に小さいと具体的な数値を上げて、日本の環状線の特徴も紹介している。

現在、国交省は首都高を補修しながら、新たな渋滞対策として中央環状線・外環道・、圏央道の『3環状』を建設中であるが、開通区間が計画の半分に満たない外環道と圏央道をめぐっては、環境破壊や巨額の投資に賛否が分かれているのが現状な上に、さらに都心環状線を造り替えるのは二重投資であると,国交省の有識者会議の環状線の地下化による改造計画を否定している。

今回の有識者会議は『全長50キロの地下環状線』と提案しているらしい。しかし、事業費見積もりの約3.8兆円は、財政難を踏まえて『通行料金の恒久有料化』を求めていることについて、05年の道路公団民営化で、旧4公団の債務を50年までに返済し、その後は通行料を無料にすると決まったことを、なし崩しに変更する事は許せないと、政策面からも否定していることは評価できる。

そして、都心環状線内で乗ったり降りたりする車は通行車両の4割として、環状線を完全撤去すると、一般道の渋滞対策が不可欠だがと断り、世界では都心への流入を規制している例が珍しくないと、都心への流入規制を政策的に促している。

『首都・東京の防災対策は、一極集中をやわらげることが出発点だ。都心環状線の撤去をテコに集中を緩和し、空いた用地を防災や景観を重視した街づくりに生かす。そんな発想で検討を深めていきたい』とのまとめはなかなか耳触りが良い。

最近は電車に乗ること自体少なくなったが、それでも時に銀座方面に出かける時、日本橋の上を覆うコンクリ-トには嫌悪感を覚え、せめて、この部分だけでも青空を取り戻せないかと思うので、この社説には同調する。しかし、都心への車の規制となると議論の対象にもされない可能性の方が高いのは私でも想像できる。

首都高の環状線の撤去は大賛成だが、そのためには、都心への車の規制だけではなく、都心集中型の政府機能を分散する必要があるとの踏み込んだ主張をしてほしかったと思うのが,読後の感想である。(田舎親父)

2012年9月27日 (木)

維新の会が危ない(2)・・・

 昨日の続きになるが、ハシモト大阪市長が代表を兼務する『日本維新の会』という個人政党?が事実上動き出したようだ。

その政策を坂本龍馬が将来の国の形を表した『船中八策』になぞり、『維新八策』と名付けて発表している。しかし、それを斜め読みするだけでも坂本龍馬の『船中八策』とはネ-ミングは似て非なるものであることは明か。

内容的にはとてれこの国の将来を託して大丈夫とは思えず、私には国民的に人気のある龍馬の名前を上手く利用しているとしか思えない。そしてその脚本から演出までを一人でやっているのがハシモトという一人の男。これでは公党の党首というより、宗教団体の教祖(あるいは個人商店経営者)と表現した方がピッタリするのでは。

彼が一人で作ったのだろうと思われる主な政権公約だとする『維新八策』をマスコミが連日賑やかに宣伝している、ある新聞に掲載されたものを項目のみ記載すると次の通り。

○『大阪都構想』の実現○道州制の実現○首相公選制の導入○首長と国会議員の兼務容認○参院の廃止○地方交付税制度の廃止○掛け捨て型の新年金制度の導入○資産課税の強化○教育・職員基本条例案の法制化○自治体が教育委員会制度を廃止・選択できる制度の導入○国民皆確定申告制度の導入○日米同盟を基軸とした外交○YPP交渉に参加・・・。

項目だけ見ても、現在人々の間にこれ以上広まりようがないほど大きくなった政治不信を巧みに取り入れていると思わせるものが多い。

首相公選制などはその最たるもので、選挙で選ばれた政党の党首ではなく、国民投票できめられたらという幻想を与える。しかも首長と国会議員と兼任できるという一目は、近い将来自分が首相になる野心を持っていることの現れだろう。

参議院を廃止して衆議院議員を半数にする・・・。こんな事はできるはずがないのだが、これも民主・自民の体たらくからく人材難と政治の無駄について、怒りが最高点に達している国民には、字面とおり受け止めると素晴らしいと思わせる。

いじめ問題で教育委員会の無力ぶりどころかも、存在すら意味のないものだとする風潮にも実に上手く対応し、教育の管理権を首長の元に置けば、現在のいじめ問題など瞬時に解決できるような錯覚を与えている。

私も『教育委員会など必要ない』と何度もつぶやいているが、それは学校の自主性・自立性を認めない現行の教育委員会制度に対してであって、大阪府・市のように、首長の思い通りの教育システムは大反対。そのための歯止めの組織としての教育委員会を否定するものではない。

しかも、これらは全て法律を改定しなければ実現できないことだから、自分たちに投票すれば実現できると訴えている。そして、恐ろしいことにマスコミが『その通り・・・』とゴマスリ報道するものだから、新聞・テレビの報じる事は『正しい』と擦りこまれた国民にとって『救いの神』と映るのではないだろうか。

ハシモト教祖(店主)は『入りたい奴は手を挙げろ』と現職議員たちに呼びかけたら、たちまちのうちに5人、そして五月雨的に一人また一人と集まり、9人にせなったと言うが、その全てがハシモト教祖(店主)に対して絶対服従を誓わせられているというから情けない。

しかし、現職議員が9人も存在するのだから、法的には政党として認められ、多額の政党助成金を受け取れるとなると、まさに『濡れ手でアワ』手法は、さすが教祖(店主)と大向こうを唸らせる。

しかし、政党助成金だけで、400人もの立候補者を擁立できるはずはない。ここで昨日も述べたが、教祖(店主)の『自分のお金で、自己責任でやってもらう』と言う言葉がひっかかる。自分で議員になりたいのだから、自分で必要なカネを集めるのは当たり前という論理は、一見間違っていないかもしれないが・・・。

選挙にはかなりのカネがかかるらしい。実際に、知り合いの区議会議員が飲み会席上で『選挙はカネがかかるぞ。最初の選挙で8000万円ほどかかったが、次からは比較的楽になった』と言っていたことを思い出す。

(これを信じると)区議会でこれでは国政選挙となると供託金などを含めると数千万円必要な気がする。信者(店員)たちはそれを自己負担だとすると、立候補できる人は相当の資産や所得を持つ人に限られることは自明のこと。

立候補できる資力を持った、しかも政治のイロハも分からない人間が立候補し、マスコミの後押しで当選。結果として、教祖(店主)がそれらを思いのままに操る政党?が政権を握るとなると・・・これは危ない。

オ-ムのアサハラ教祖が衆議院に立候補した時、街宣車が『ショウコウ・ショウコウ・アサハチショウコウ』とリズムを付けて歌っていたこと思い出す。これに似た光景が再現されないことを願いたい。

逆説だが、しばらくの間、汚染ドジョウ氏に首相の座にかじりついてもらい、その間にハシモト教祖の賞味期限が切れることを祈るのも、この国にとっては良いのかもしれないと思わないでもないが、後1年このままにさせたら、国民生活は無茶苦茶に破滅させられるのは間違いところ。

また、マヤの暦を信じたくなる自分に気付く。(田舎親父)

2012年9月26日 (水)

維新の会の危なさ・・・

 選挙には金がかかるとよく言われている。名前を知ってもらうためにポスタ-看板の類はもとより、街宣車の入手やさまざまな仕事をこなすための人数を揃えなければならない。

これが揃ったからと言って、票が集まるわけではなく、こまめに有権者たちの宴席にも出なければならないだろうし、何よりも『私はあなた(有権者)にとって必要な人間だ』と思わせなければならない。そのためには、候補者は有権者に対してさまざまな働きかけをするのだが、往々にしてそこにはカネが絡み選挙後選挙違反として摘発されることも稀ではない。

立候補を届けると、選挙に必要な最低限のポスタ-と看板は選管がくれるのだそうだが、そのためには供託金を支払うことが義務づけられていることは以前から知っていた。しかし、衆議院選挙に立候補するために小選挙区では300万円、比例代表には600万円もが必要なことをある記事から知った。脱原発を掲げて,西東京市から立候補するという会社員が600万円の供託金をどうして集めるのか苦労しているという内容である。

こんな高額とは知らなかったと、驚いているというが心境は良く分かる。集めなければ立候補できないと法律で決まっているのだから仕方ない。小選挙区では100%当選の目がないこの方は、比例代表でわずかな可能性を探るらしいが、そのためには600万円の供託金を準備しなければならない。

一人1万円ずつ計600人から集めることを目標に、友人や知人らに声を掛けているらしいが限界があるだろう。前回の衆院院選挙では『政権交代』を叫び、マニュヘストと称する選挙を公約を掲げた民主党に雪崩を打つように投票したのだが、その結果、民主党そのものが庶民を守る立場が苦しめる立場に変容しているとなると、政治不信に陥っている人たちがおいそれとは1万円をカンパしてくれるとは思えない。

しかも、法定投票数というハ-ドルがあって、得票数が至らなかったら、供託金が没収されるとなると、ハ-ドルそのものに近づきたくなくなるのも人間の心理。集まったとしても当選できない可能性が高いとなると、届け出も難しくなるのではないだろうか。

そもそも我が国の供託金制度は1925年、それまでは直接国税3円以上の納税者に制限された選挙権が全ての25歳以上の男子に拡大された『普通選挙法』で、売名目的での立候補を抑制する目的で創設されたのだそうだ。

しかし、政府の本当のねらいは、当時の公務員の初年俸の約2倍にも当たる2000円という額を設定し、『無産政党』と総称された社会主義政党が国政に進出することを防ぐことがそのねらいだったという。なるほどこちらが真実だろう。

何故かこの供託金制度は現行の憲法に引き継がれ、金額も繰り返し引き上げられた。現在の制度は、政党助成金や比例代表制というわけの分からない選挙制度ができた時から始まっている。

供託金は何回も引き上げられ、立候補しにくくなっていることについて『引き上げはほとんど無批判に行われてきた。現職議員にとって新人候補者を制限する施策に反対する理由はないからだ』と指摘する専門家も多いが、供託金の引き上げに対して、いつも反対するのは共産党だけという事実から、この批判は説得力がある。

ともあれ、供託金が準備できないと立候補すらできないとなると、立候補できる者は限られることは自明。

今日は、そのことには触れないが、今巷では大人気?らしいハシモトという大阪市長が『日本維新の会』という政党を立ち上げ、次の衆院選挙で350人の当選を勝ち取るという勇ましい言葉の中で、立候補者には『自分のお金で、自己責任でやってもらう』との言葉が大変ひっかかる。

このことについては後日・・・。(田舎親父)

2012年9月25日 (火)

こちらも遅きに失したようだ・・・

 宮城県気仙沼市が、工務店などの協力を得て実施しようとする『気仙沼方式』と呼ばれる集団移転構想の記事を見つけたのは今年の2月ごろだと記憶している。その計画が行き詰まっているとのニュ-スが流れたのは先月の半ばだった。

事業推進の鍵を握る工務店が住宅建設の工事に追われ、新規の移転事業に乗り気ではないからだという。このままいくと、市は『市街地型集団移転のモデルケース』として掲げた構想が、企画倒れに終わる恐れがあると焦っているようだ。

『気仙沼方式』集団移転は、土地事情に通じた地元の工務店に5戸以上建てられる用地を探してもらい希望者を募るというもの。工務店の協力で、ある程度まとまった用地が見つかれば、集団で移転を希望している被災者に示すという構想なのだそうだ。

市当局は、移転希望者を効率的に高台に誘導し、空き地の有効活用にもつなげるのが狙いで、まとまった住宅建設は工務店側にもメリットがり、両者にとって申し分ない発想と胸を張っていたらしいが、どうやら絵に描いた餅になる可能性が大きくなったらしい。

震災直後なら工務店としても仕事探しに奔走していたが、被災者の環境がある程度落ち着き復旧がそこそこ進みはじめた今では、被災者からの住宅建設の注文が殺到しており、『いま受注しても来夏まで建てられるかどうか』という状態だというから、こちらも昨日話題にした『仮の町』同様、遅きに失したきらいがあるのでは・・・。

先月の段階で、集団移転を担う市の担当者は『何も進んでいない』と厳しい現状認識を示しているという。工務店側はさらに忙しくなっているだろうから、情況はますます市側の思惑とはずれてきているに違いない。

もともと、土地を探すことを工務店にまる投げする方法には疑問があった。平地が少ない三陸地方であっても、市内に移転の適地は少ないながらあるだろうが、いくら未曽有の災害とはいえ、地権者としては『先祖代々受け継いできた土地』を簡単に手放すとは思えないからである。

しかも、工務店に丸投げでは工務店同士の競争になり土地の奪い合いが始まるのは火を見るより明らか。かえって工務店の仕事が忙しくなって、土地探しに狂騒という事態が避けられたのが気仙沼市民には幸だったのではないだろうか。

しかし市は、震災による人口減少に対応した街づくりを進めるには、過疎化する既存団地の空き地利用は不可欠として、本年度は国土交通省の補助(1400万円)で事業実現化の調査を行うとのことだから、この構想を諦めていないらしい。

市長は『制度の概要が固まれば名乗りを上げる業者も出てくるはずだ。市主導の集団移転との2本柱で市街地の住宅再建を進めていきたい』と強気な発言をしているという。それにしても1400億円なら分かるが1400万円に飛びつくのも、?であるが・・・。

被災地の現状を知らない人間が口をはさむことではないと十分承知しているが、民間に土地探しをさせて、下手に土地の値上げ狂騒を広げるよりも、(昨日も述べたが)津波で流された地域では住宅建設は禁止と言った規制を緩和して、個人の選択が可能にできるようにした方か復興は早いと思うのだが・・・。

近い将来、同じような大津波が押し寄せないという可能性はないと言う前提だが、津波で命を落とさない日頃の訓練と、新築費用の大幅な補助をすれば、一概には無責任だと言うそしりは取り除けるだろうから、国から1400億円を奪うぐらいの強い決意と行動を期待したい。(田舎親父)

2012年9月24日 (月)

とにかく遅過ぎる・・・

 福島原発事故の避難住民が放射線量の低い地域に集団移転する『仮の町』構想を話し合う国と地元自治体の協議会の初会合が一昨日になってやっと開かれたとのことだが、何故ここまで復興の足どりが遅いのかと改めて憤りを覚える。

マスコミ報道では『本格論議がスタートした』とあるが、実際は、国と県が同じテ-ブルにつき、関係市町村がそこに並び一応初会合の形ができたという程度らしい。

恐らくあいさつ程度の会合だったのだろうが、国と県などが一致したのは、受け入れ側自治体の同意が得られたところから先行して、避難者向けの災害公営住宅を建設するモデル事業を進めるというだけだとのこと。

事故直後ならいざしらず、1年半以上過ぎた現在では、受け入れますという自治体があるとは思えないので、無理にでも『仮の町』構想を押し進めようとするならば、国が『何処っ』と指定し、県が追認しなければ進まないのは目に見えている。

放射能汚染で立ち入りを許せなくなってしまった人々が、事故前と同じような環境で過ごせるようにする責任は一義的には東電にあるのだろうがそれは不可能なことは誰でも分かること。

東電と一緒になって原発政策を押し進めた国、そしてその片棒を担いだ福島県が、避難を余儀なくされている住民に対して、できるだけ事故前と同じような環境で住めるようするのは当然の義務だと思うが、『仮の町』というネ-ミングは暗くて不可能なイメ-ジしか浮かばない。

原発事故直後なら、一時的な同情や、あるいは同胞意識から、土地の借り上げから建設費まですべて国が出す条件ならば、受け入れる自治体もあっただろうとは思う。避難する側でも、身の安全が守れるならばそこに入居するとなるだろう。しかし、現在では個々人によって考え方開きが大きくなり、自治体として、また個人として合意でできるとはとても思えない。

(こんな不可能なことを考えるのも変な話だが)仮に、国と県が『何処っ』ときめることができ、そして、その自治体の首長と国の裏取引が成功して、『仮の町』の建設計画が始まったとしよう。

その発表があった瞬間から、対象になった自治会体の住民すんなりとは受け入れるとは思えない。しかし、それも受け入れて建設計画が明かになったとしても、肝心の避難を余儀なくされている住民すべてが喜んで移住するかとなると、間違いなく『否』だろう。

『仮の町』を建設する場所は、県内ならば放射能汚染を考慮すると内陸部から西部会津地方になるのは私にも容易に想像できるが、原発近隣の気候風土とは全く違う。そこに、いくら顔見知りの人ばかりだとしても、穏やかな生活ができるなど無理な話。

すぐに人間関係が奇怪しくなり、精神的に追い詰められる人が出てくるだろう。中には衝動的に命を絶つ人や、犯罪に手を染める人が出てくるのもあるはず。その時になって、何故『仮の町』など作ったのか、また入居したのかという怨嗟の声で満ちあふれるのも想像に難くない。

『仮の町』などできるはずのない構想を真剣に実現させようとする愚はすぐにやめて、避難者個々人の考え方に委ね、選択された方法に対して、物的に補償することが、せめてもの償いだと思うのだが・・・。

それにしても、国の対応が遅過ぎる。(田舎親父)

2012年9月23日 (日)

秘境駅から話が広がるが・・・

 『秘境駅』などという言葉は始めてお目にかかるが、その字面から何となく雰囲気が伝わるから、誰が名付けたか知らないが、なかなか面白いネ-ミング。
 言葉のイメ-ジ通り、『秘境駅』の定義は、周囲に民家がほとんどなく、停車する列車の本数が非常に少ない駅のこと。その『秘境駅』を訪れる旅がブームになっているというから面白い。
 『秘境駅』は、山中など車でのアクセスが難しい地域にある駅が多いのが当然のことだろうが、現代人にとってはそこが『普段とは違った雰囲気が感じられる』となるらしく、でわざわざその駅に降り立ちたくなるのだという。
 そこに目をつけた鉄道会社が秘境駅に停車する臨時列車を増便したり、旅行会社も秘境駅を巡るツアーを企画するなど、ブームの裾野はじわじわと広がりつつあるのだそうだ。
 JRの飯田線は長野県の辰野の静岡県の豊橋を結ぶロ-カル線。自然体験活動の関係で飯田市を訪れる機会が多い私も、何度か利用しているが、なるほど『秘境駅』の定義に当てはまる駅は数多い。
 辰野と飯田間は伊那谷を平野部を走るのでトンネルが少ないから、駅の数は(極端に表現すると、数百メ-トルに駅があるほど)とんでもなく多く、駅前にはそれなりの民家があるので『秘境駅』とは言い難いが、飯田(天竜峡かな)から豊橋間は半分がトンネルと言っても良いほど目まぐるしく暗闇が連続する。
 しかも天竜川に沿って高所を走るので、トンネルとトンネルの間のわずかの空が広がる場所に駅が存在することも稀ではない。集落から遠く離れた駅だから、全国のロ-カル線の各停しか止まらない小さな駅でも持つ、駅前のほんの少しの賑わいすらない『秘境駅』の定義にピッタリな駅も多い。
 JR東海はそこに目をつけて、小和田駅(静岡県)や田本駅(長野県)などの秘境駅10駅前後を約4時間かけて巡るという急行『飯田線秘境駅号』を、平成22年4月から春と秋の行楽シーズンにあわせて臨時運行しているのだそうだ。
 各駅で停車して記念撮影などを楽しむ時間などが設けられており、熱烈な鉄道ファンだけでなく、紅葉などの景観を楽しむ家族連れも多いく、昨年11月19~27日に運行された列車は定員計1575人に対し、ほぼ満席状態となったとのこと。
 話は飛ぶが、2月にひょんなきっかけから、私の生まれた愛媛県の愛南町を訪れたことは以前述べたが、町の持つ優しい雰囲気と人情味溢れる人々に感動し、5月に再び訪問。
 その際に飯田特産の『市田柿』の話が出たことから、愛南町と飯田市のとの交流はどうかと持ちかけたところ、双方が面白いということで、11月15日に愛南町の皆さんが飯田を訪れるという運びになった。
 偶然に決まった日程だが、飯田線沿線は紅葉の良い季節。帰りは、この列車で豊橋に出るのも一興だと、この列車の時刻表を調べはじめている。
 『秘境駅』とは関連がないが、飯田と数年前に合併した上村の『下栗』という地区が最近俄に注目されはじめているらしい。『日本のチロル』と呼ばれている急斜面に集落が点在する風景は、私も何度も自分の眼で確かめているが、山頂から眺めるとまさに『天に浮かぶ里』という表現がピッタリとするほど雄大で心温まる風景である。
 上村と同じ時期に飯田市と合併した南信濃村を含めた地方を『遠山』と呼んでいるが、そこには昔からの伝統をかたくなに守っている湯立てと神楽の『霜月祭り』がある。霜月(現在の12月)に一晩中続く奇祭りであるが、一度はその雰囲気を味わう価値は十分ある。いずれも絶好の観光資源だから、いずれ、どこかの旅行誌社がツア-を組むだろうと予想していたが、最近(私が知らなかっただけだろうが)いくつかの旅行の案内広告で『日本のチロル』とか『霜月祭り』という言葉が使われはじめているので、今年の後半はブ-ムになる可能性がありそうだ。
 旧南信濃村には日本でも珍しい塩分が含まれている温泉がある。その温泉成分が海水とほとんど同じことに注目して、温泉を利用して『トラフグ』の養殖が行われ、そろそろ出荷という話を出ているらしいから、11月に愛南町の皆さんと一緒ル訪れたいと思っている。
  『秘境駅』からついつい私の大好きな飯田・遠山の話になってしまったが、『秘境駅』『日本のチロル』『下栗の里』『霜月祭り』などなどをキ-ワ-ドにして検索すれば、次々に魅力的なサイトに出会い、素晴らしい映像が飛び込んでくるので確かめてもらいたい。
 また、『アンバマイカ』で検索してみることも薦めたい。『アンバマイカ』とは、今日のところは内緒にしておこう・・・。(田舎親父)

2012年9月22日 (土)

ここまで凄い高齢化社会が・・・

 『暑さ寒さも彼岸まで・・・』と言われているが、今朝はその通りになって先人の経験則を実感している。しかし、東北や北海道はまだ暑さは続くらしく、秋分の日にもかかわらず、真夏の暑さになるというから、被災者の方々にとっては2年続きの追い打ち。なるべく早く涼しさをとひたすら祈る。

涼しさにホッと一息の一日になりそうだが、我が国が、これほどまでも短期間で信じられないほどの高齢化社会になっていることを改めて知ると、これからどうなるのだろうと不安になる話題を・・・。

総務省が発表した高齢者推計人口によると、9月15日現在、65歳以上の人口は前年比3.4%(102万人)増の3074万人となったとのことである。総人口に占める割合も0.8ポイント上昇の24.1%というから驚く。

いずれも現在の形で統計を取り始めた1950年以降、過去最高を更新し続けているとあるが、この右肩上がりの傾向は歓迎したくない。

同省は、今回の増加の理由について『団塊の世代が65歳に達し始めたことが影響した』と分析しているらしいが、では、数年後の段階の世代が終わる年になったら、この傾向がなくなるのかというと、そんなことはあるまい。むしろ、ますます高齢化は進み、65歳以上の総人口に占める割合は、多少グラフの角度は緩くなることは予想できても、右肩上がりは続くに違いない。

これを性別に表すと、65歳以上の男性は1315万人で男性人口の21.2%、女性は1759万人で女性人口の26.9%をというから、統計デ-タからも、いかに元気なおばあちゃんが多いことが証明されている。

もう一つ人口の統計の記事がある。東京の人口が22世紀のはじめには半減するという内容である。

都や都内自治体などでつくる『有識者研究会』(こんな研究会もあるのだと感心)が、2010年国勢調査で1300万人だった都の人口が、2020年の1335万人をピークに減り始め、今から688年後の2100年は、713万人に落ち込むとの推計を公表したという記事があった。45.8%減というから、まさに半減。

この数値は太平洋戦争直前の1940年ごろと同程度だという。数値的には2100年の人口と1940年の人口がほぼ同じだが、総務省の発表からも明らかなように、65歳以上の高齢者が占める割合が全く違う。

65歳以上の人口は2010年時点で268万人だが、2100年には327万人になるというから、東京は右を見ても左を見ても年寄りだらけ。いや東京だけではなく首都圏といわれる地域はみな同じだろう。こんな光景は想像したくないが、自分もすでに十分な有資格者、やはり考えなくてすむ問題ではなさそうだ。

いまでは地方の高齢化だけが大きく騒がれていたが、この問題は日本全国どこでも抱えていることで、根は同じ。ひょっとしたら、尖閣やオスプレ-などよりもっと深刻なことなのかもしれない。

話は突然変わるが、最近散策の途中に目立つのが、所謂ミニ開発と呼ばれる造成現場。確か数年前は小さな森があったはず・・・とか、ここにあった大きな家がなくなって、最近流行りの車庫を一階に組み込んだ3階建ての、同じような作りの上がこんなに・・・家がこんなに建っているなどとびっくりすることが多い。

そして、そこに住んでいる人は、比較的若い年代で、ほとんど小学生以下の子どもがいることが共通している。こんな風景を日常的に目にしていると、横浜には待機児童問題はあっても、児童減などないかのように思える。

しかし、少し古い住宅地を歩くと、そこには人影はなく、時に見かけるのは高齢者ばかり。私の住む環境もその例外ではない。そこに住んでいる外出も難しくなっている高齢者が何らかの理由で立ち退いたら、ミニ開発などしなくても良いのでは・・・。

何度も書いているが、現在は長生きが『是』。本当にそれで良いのだろうかと自問するものの、結論を『否』と出しても、自ら命を絶つ勇気?はない。

70年近く生きていると、死ぬことに対して若い時のような恐怖感は薄れ、やがてやって来ることを静かに待つ心境になっているが、その時にはできるだけ速やかに,そして苦しみたくないと思う気持ちは昔と変わらないからである。

65歳の国からのプレゼントとして、一瞬にして死に至る『特効薬』を配ると言う候補者があれば投票するのだが・・・。(田舎親父)

2012年9月21日 (金)

障害児を受け入れることは良いのだが・・・

 先日、文科省は現在障害を持つ子供の通学先が『原則として特別支援学校』と定められている法令を改正し、普通の小中学校に通学しやすくする方針を固めたとのニュ-スが目に留まる。

 瞬時に私の頭に『文科省という役所はよほど学校いじめがお好きらしい・・・』といういつも使っているフレ-ズが頭をよぎる。

 現行の障害児教育の施策を転換し、重い障害があっても本人や保護者の意向を尊重して小中学校に通うことで、子供に達成感や充実感を感じてもらうのが狙いだとして、学習支援にあたる教職員の増員や学校のバリアフリー工事費を来年度予算の概算要求に計上するとのことである。

 結構なことである。しかし、どれぐらいの予算を計上しているのだろう。学校の負担は増やさないほどの予算というものを発表してほしいものだが、如何せん、過去に文科省の方針の変更で学校に負担がかからなかったことは一度としてない。

 学校教育法施行令は、一定程度以上の視覚や聴覚、知的障害を持つ子供は原則、特別支援学校に就学すると決めている。しかし、中には、ぜひ普通学級に通わせたいと強く希望する保護者も存在する。

 多くの場合、保護者の願いは門前払いになるのだが、(表現は悪いが)政治的な背景があるなど、諸事情があり門前払いできない場合が出てくる。特に、マスコミが騒ぎだすと問題が大きくなり、事を構えたくない教育委員会は保護者の言い分を受け入れることもよく耳にする話。

 ここではそのことには触れないが、法令を見直すことで今後、障害があっても健常児?と一緒に過ごすとなると、学校の混乱は火を見るより明か。今頃、校長達は心配で寝られない夜を過ごしているのではと気の毒になる。

 記事には、文科省は、学校生活や学習をサポートする教職員を増やすなど環境を整備することで、小中学校で共に学べる体制づくりを進めるとある。表現的に疑義を差し挟むものではないが、そこには何ら具体的な文言がないはいつもの通り。実際には全て学校に押しつけてきたのが今までの例となると、今回も・・・。

 学校が単に学習の場であるとしたら、なるほど教職員を増やせば良いという考え方も納得できないこともないが、生活の様子を細かく観察し安全に過ごさせるとなると、単に人増やせばすむというほど簡単なことではない。

 話を進めるために、私が知っている二つの例を紹介しておく。その一つが、筋ジストロフィという障害を持つ児童を受け入れた学校のこと。

 その児童は長く生存しても20歳程度だと医師から診断されたという。その子が普通の学校で学び会と強く希望したので、保護者が教育委員会に相談したところ校長とよく相談して下さいとの返事。校長と面談し希望を伝えたところ、保護者が全時間付き添うという条件で入学が許可されたとのこと。エレベ-タなど設置できないので、その子の学年を卒業まで一階に置き、保護者が全て付き添って過ごしたと聞いた。他の児童や保護者からのクレ-ムはなかったと聞いたことを覚えている。美談であるが、校長はじめその教職員の苦労は並大抵ではなかったはず。果たして、現在の学校でできるだろうか・・・。

 もう一つの例は、全盲の児童を受け入れた学校の話である。教育委員会も絶対にできないと受け入れを拒否したのだが、保護者は支援団体と地域の政治家の支援を受けて強行に入学許可を求め、マスコミが後押しした結果、受け入れざるを得なくなったという。

 その保護者は受け入れた以上学校の責任と、ほとんど学校まかせだったというから、校長はじめ教師達の苦労は私の想像をはるかに絶するものだったに違いない。また、他の児童や保護指者の気持ちを察すると、マイナス面が多かったことも容易に想像できる。

 全盲の子どもの生活を支えるにはどのぐらいの支援が必要なのか具体的には話すデ-タは持たないが、学校はその子だけのためにあるのではない。学級全体が良い方向に向かうためには、信じられないほど膨大な支援システムが必要だということは誰もが理解できるだろう。それを文科省がやってきたかといえば、絶対に『否』である。

 『(程度にもよるが)障害のある子どもがクラスに存在すると、不思議にクラスが落ち着く』ということは多くの教育関係者が口にする。

 重い障害を持つ人に対しては、本能的に思いやりを持つように、子ども達の世界でも、一人でとても動けない仲間には、誰かが手をさしのべるもので、これがクラスの雰囲気を柔らかく、優しくする。このことを経験として知っている私には、その言葉の持つ重さはよく理解できる。

 しかし、法を改定してまで、障害を持つ児童をそのすべてを無条件に受け入れるとなると、全盲の子どもを受け入れた学校の例を出すまでもなく、プラスよりマイナスの要素が多くなることは間違いないところ。

 これを『学校いじめ』といわずに何といえるのだろう・・・。(田舎親父)

2012年9月20日 (木)

尖閣問題の後ろにアメリカの影が・・・

 中国各地の反日デモが大変な騒ぎになっているらしい。詳細は分からないが、映像をみる限り、略奪ご勝手に・・・という状態。日本という漢字や日の丸が目についたら、瞬発的に血が騒ぎ、誰かがガラスを割ったらそこになだれ込む、警察は手を出さないとなると、悪いことをやっているという自覚すらなくなるようだ。

日頃の一党独裁体制で政府に対する批判は押さえ込まれ、不満が鬱積している国民としては、ある意味わからないでもないが、中国政府としたら反日デモが政府批判になることは避けたいだろうから、そろそろ力で押さえつけるのではと推測している。実際に、今朝のニュ-スによれば北京ではデモ禁止令が出たとある。

しかし、中国政府は尖閣諸島を『自国の領土』と宣言した以上、国際的にもメンツがあって日本に対して強硬な姿勢は崩せないだろう。なにより、自国民に対して、さんざん煽っていた手前サッと手を引くなどできるわけがない。

まだ現れてはいないというものの、日本の反応を見ながら漁船を大挙動員するタイミングを計っているのではないだろうか。これに対して海保は何ができるのだろう。現在出動している巡視艇は20数隻らしいが、政府はこれを100隻単位にするとのこと。海上自衛隊にも急遽応援させるとの情報も流れているが、現在の法律では海保にも自衛隊にも戦闘行為はできないはずなのに・・・。

数で中国の護衛艦を囲い込む戦術らしいが、艦船の数からいったら中国の方が圧倒的に多いだろうから、包囲して警告を発するだけでは、とてもお引き取り願えるとは思えない。

中国漁船の中には、思想的に強硬な偽漁民や政府筋の諜報機関員が混じっていることも十分考えられる。その中の一部が、海保の巡視艇にぶつかれば、対向上巡視艇は何らかの行動に出ねばならない。その場で簡単に漁民?を逮捕できるとは思えないが、もし逮捕したとしたら、中国艦船も黙っているとは思えない。

自国民を守れないとの書き込みがネットで出たとたん、反日感情が共産党政府批判に発展することは誰の目にも明か。中国政府は何よりもこのことを恐れているから、絶対に日本に対して強硬な姿勢を崩すことはない。となると、どんな展開になるか、私のような横浜の片田舎で仙人生活を過ごしている者にとっても推測できる。

今こそ冷静にならなければならない時に、自民党総裁選に立候補している5人(一人減ったようだが)がそろって、中国へは毅然とした対応を取るべきだと演説している。集団的自衛権の確立などと勇ましいが、武力に訴えてもという気持ちが隠されているとしたら、これは恐ろしい。

何故、尖閣問題がこんなに急激に日中の紛争の原因になったのかと考えてみた。4月ごろだったか、アメリカを訪問していたイシハラ都知事が、ヘリテージ財団の講演で、突然『尖閣諸島は東京が買い取る』と言い出したことから始まったことからではなかっただろうか。

うかつなことだが、私はそれまで魚釣島などが個人の持ちものだったことを知らなかっが、持ち主とは友好関係にあって、すでに都に壌土する意志を確認しているとまで言い切ったと記憶している。

『国が守れないなら都が守る』との姿勢は愛国的だとかなり多くの国民から受け入れられ、たちまちのうちに14億円超の寄付金が集まったというから驚きだが、民主党政権はこの都知事の徴発に乗り、国有化を閣議決定するや、あっと言う間に20億5千万円という金額を払い国有化。

こんなことを書くと、お前は愛国心がないとお叱りがきそうだが、国有化を国際社会に宣言したのだから、我が領土だと常々宣言し、日本に圧力をかけていた中国が黙っているわけはなかろう。

何故こんなに国有化を急いだのだろう・・・という疑問に答えられる知識はないが、ことの発端が、都知事の発言と、それ以後の政府に対する強硬な姿勢が関係しているのは間違いないところ。

アメリカと中国は軍事的には敵対関係だというのが一般論だが、それは上辺だけだろう。もしろ、経済的には同盟国と言っても深く結びついていることは、経済音痴の私でも十分理解できること。

アメリカが中国に対して『ノダ政権は外交的には全く素人。イシハラの発言を使って上手く尖閣を国有化させるから、少し脅してみたら』とささやく。中国は『そうだな、ノダは脅せばすぐにゴメンというだろうからそれも面白い』と受けたとする。

その結果が現状生んでいるとしたら、近い将来、中国の脅しにせいじも経済も(アメリカの助言を入れて)そろって中国の圧力に屈するのでは・・・。

こんな筋書きが私の突飛な空想であってほしいのだが、オスプレ-もアメリカの言い分をそのまま受け入れて『絶対安全』では、ひょっとしたら、当たらずとも遠からじ・・・の可能性は否定できない。

またまた、12月21日のマヤ暦に一縷の期待を求める私である。(田舎親父)

2012年9月19日 (水)

復興予算を『もんじゅ』推進につかう怪・・・

 『予算にシロアリがたかっている』という見出しはまさに言い得て妙と変なところで感心するが、巨額の復興予算が計上されているのに、それが直接被災地にはあまり届いていないことは昨日もつぶやいた。

本来、緊急にやらねばならないことが後回しになり、コンタクトレンズメ-カ-の岐阜工場の設備に使われるとは信じられないが、これも氷山の一角で、復興予算にはあらゆる分野の利権命の輩(シロアリ)が群がっているらしい。

昨日も少し触れたが、シロアリ舞台の先頭に立つのが文科省という役所らしい。ここはよほど原発がお好きなようで、所管する独立行政法人・日本原子力研究開発機構の運営費や設備費などに、復興予算から約107億円も与えているのはその一旦を如実に表している。

この機関は『もんじゅ』を運営していることは、今では誰もが知る。『もんじゅ』とは知恵を取り仕切る仏像『文殊菩薩』から名付けられたらしいが、将来的にも『絶対』と言い切っても差し支えないほど稼働することはない『知恵とは無縁』の代物であることがはっきりしている。しかし、『もんじゅ』の情報は原子力ムラの命令で文科省ががっちりとガ-ドしていた(現在も)ので、マスコミが取り上げることはほとんどない。

この予算を付けた文科省の担当者は『除染などの研究開発などに約65億円。青森県と茨城県に核融合に関する国際的な研究開発拠点を構築するために42億円を計上し、地元大学などと連携して核融合に必要な基礎的な研究を行い、成果を蓄積すれば被災地の復興、発展の原動力になる』と説明しているというから変な話。

除染の研究というのも曖昧模糊としているが、復興のためには除染は不可欠なので無理に納得できないことはないが、核融合の基礎的研究がどう復興と役立つのか、常識的には考えられない。

しかも文科省は来年度の予算でも引き続き復興特会で48億円を要求しているというから、文科省の官僚は原子力ムラの圧力に抵抗する気はないらしい。というより、将来の天下りの先を失いたくないという本音がミエミエ・・・。

原子力ムラに批判的な専門家は『被災地の復興を最優先に考えるならば、むしろ原子力機構の不要不急な研究事業を削減して財源を確保する取り組みが不可欠だ。核融合エネルギーは、実用化のめどが立っておらず一般会計も含めて研究予算を付けること自体が無駄遣い』と批判しているが、『もんじゅ』のこれまでの経緯をほんの少し調べるだけで、この専門家の意見が正しいことが良く分かる。

しかし、まともに原子力ムラを批判する専門家の数は少ない。ムラ気覚えが悪いと、身分的には助手や助教授に据え置かれ、研究の場さえ奪われる。身分とカネが欲しければ転向しろという圧力で口を封じているのも原発事故から明かになってきた。

このことからも放射能が、ガンなど肉体を蝕む症状を引き起こすだけではなく、人間の正常な感覚まで奪い取ることがはっきりする。

ところで、政府は30年後には原発ゼロという政策を閣議決定したとのことであるが、原発ゼロにしたら『電気代が3万円』という脅し文句をちらつかせて、原発維持が前提となる使用済み核燃料の再処理事業は当面続けというから、原発ゼロなどは初めからガス抜きの文言であることも明か。

次回の選挙では私でも十分予想できること。自民党政権になれば原発推進になるだろうことを予測して、『何故政策を変えた』と批判するために『原発ゼロ政策』を発表したとしか思えないのだが・・・。

復興予算から話が飛んでしまったが、このことはまたの機会に・・・。(田舎親父)

2012年9月18日 (火)

復興に群がるハゲタカ(シロアリ)・・・

 先週の日曜日のNHKの『19兆円復興予算はどこへ(だったと思う)』という特集番組はなかなか見応えがあった。復興予算がいい加減な使い方がされているだろうことは、うすうすは感じていたが、ここまで酷いとは・・・という感想を持った人も多いのではないだろうか。

映像から、NHKが踏み込める限界まで取材したことが伝わってくるので、『良くやった』と評価したいが、それでも言葉を選んでの筋書きから、番組製作の背景にはいろいろと圧力かあったことがうかがい知れる。取材できない・放映させない壁があるだろうことも容易に想像できるとなると、放映した内容はいわば上辺だけ?・・・。

復興予算のなかでは被災地の仮設住宅や直接的な生活の補助に使われたお金もかなりあることは確かだろうが、常識的に考えると、およそ『復興予算』という名前に相応しくない使われ方をしているのが多過ぎる。

中でも、『売上げが伸びれば仙台の販売店で人を雇用できる』という申請理由で、仙台に営業所のあるコンタクトレンズメーカーが、の『岐阜』の工場の設備投資にこの予算が認可されていたという映像には、呆れを通り越して笑ってしまった。

『仙台の営業所で雇用を増やす』となると、ムリムリこじつければ『雇用確保』になるのかも知れないが、かといって岐阜の工場の設備投資は誰が考えても同じ次元で論じる事柄ではない。

にもかかわらず実際には、多額の復興予算が使われているのだから、庶民感覚では、この会社と復興予算を査定する部署との黒い関係があるのではと疑うのは当然だと思いたい。しかし何故か、NHKを含めてマスコミは全てスル-。

このこと以外にも、捕鯨団体対策・国立競技場の補修・燃料電池車の研究開発・刑務所の職業訓練・テロ対策・沖縄の道路補修などなど、およそ復興とは縁通り部署に、こんなに多額な予算が配分されているとは驚きしかないのが正直な感想。

どんなことに使われても、理由が復興に関連するとはっきり記述し、その文章に矛盾がなければ被災地対策になるからそれで良いのではという意見もあるかしれない。

東日本大震災で家も職も家族も失っている被災者の人たちに『雇用確保』するというのは大義名分になることは分からないでもない。百歩譲って、どんな政策も被災地の復旧、復興のためになると認めたとしても、今緊急にやらねばならない『優先順位』を決めることが一番重要になるのではないだろうか。

復興予算の配分を決める権限を持つ役人達は、あまりにも莫大な予算を使い切る(振り分ける)ことが頭にあり、現地の実情を詳細に調べもせず、申請理由の文言から、予算配分をするのがお好きらしい。

放送では、現地に残って、借金をしながら医者を続ける医師の話があった。仮設住宅を往診するこの医師につく復興予算はすずめの涙。被災者にとっては、この医師の存在がどれほど大きいのか想像に難くない。

海外からやってくる青年たちの旅費や飲食費、宿泊費にあてられているのは震災前からも行われていたことらしい。それを、2日間だけ被災地を訪れて、被災の様子を見学させることに72億円が使われているのも、どうしてこんなことがまかり通るのか私には許し難くとうてい理解できない。

配分権限を持つ役人は、その中からたった1億円を削り、現地の医療に廻せれば、どれほど被災した人々の救いになるのかなど頭からない。

さらに酷い話が、文部科学省が所管する独立行政法人・日本原子力研究開発機構の運営費や設備費などに約107億円が計上されていること。この機構は『もんじゅ』を運営しているのだが、まさに震災を逆手にとって、復興予算に群がるハゲタカ(シロアリ)そのもの。このことを書くと長くなりそうなので、今日はここまでにしておこう。(田舎親父)

2012年9月17日 (月)

(再度)カナカナが聞こえてこない・・・

 維新の会だけでなくクマゼミが大阪では近年日の出の勢いなのだそうだ。

昨日の朝日新聞のネットニュ-スの中に、『クマゼミが圧倒的に増えているのが、都市部のヒートアイランド現象などによって、生育環境のよい梅雨の時期に孵化できるようになって生存率が高まったためである可能性が大阪市立大のグループの研究でわかった』という記事を見つけた。

二人の研究者がクマゼミの成長速度と気温の関係をもとに1900年以降の大阪の気温上昇がもたらす孵化時期の推移を調べた結果、80年代までは7月下旬~8月初旬に孵化し、その後、適温が梅雨の時期に重なるまで早まっていることに気付いたのだそうだ。

クマゼミは夏に枯れ枝に卵を産み、冬を越した翌年の初夏に孵化するとある。このことは、セミは全て幼虫期が7年あり、地中で育つとばかり思い込んでいた私には、うかつなことに始めて知る。そして、卵は雨の日にかえるということも・・・。

2007年に、孵化直前の状態にした卵を5月前半から2週間おきに屋外に出していく実験をしたところ、梅雨の時期に出した卵の孵化率は70%前後だったが、梅雨明けの8月に出した卵は約10%で、この傾向が裏付けられたという。近年大阪では、7月中旬に孵化しているから、当然数が多いのだそうだ。

梅雨期は雨で土が軟らかになり、幼虫が土中に潜りやすくなり、アリなどに襲われる危険も減るとのこと。梅雨時期に重なることで無事に孵化できる数が増えた推察するこの論文は日本動物学会で論文賞を受賞したというからかなり科学的根拠があるようだ。

記事は続く。以前数の多かったアブラゼミやミンミンゼミなどは、もともと孵化の時期が梅雨に重なっており、気温が高くなった影響は少ないとみられるという。

大阪府には『おおさか身近な生きもの調査』という調査機関があるらしいが、それによると11年に府内全域で確認されたセミの7割以上がクマゼミで、大阪市内に限ると98%を占めていたというから、クマゼミの勢力は、今がピ-クと思われる大阪維新の会など足元にも及ばないらしい。

ところで、先月にも指摘したが、今年は、まだ一度もヒグラシの声が聞こえないのは何故だろう。

前回は遠慮して、『今年はヒグラシの鳴き声が小さい』と書いた。しかし実際は、(信じられないことなのだが)未だに聞いたことがない。このことが、私の気持ちの中に表現できないような不安材料として存在している。

例年なら、7月下旬あたりから、あの『カナカナカナ・・・』の声で目を覚まされるのだが、それがない。ないどころか、日中はともかく、夕方になっても全く聞こえてこないのは何なのだろう。

私が住む横浜の片田舎だけの現象ダロウと無理に思うようにしているが、毎日かなりの範囲を歩き回ってい私の耳には『カナカナカナ・・・』が入って来ないのが無気味であり、ひょっとしたらかなりの範囲でヒグラシの生存しない(できない)何かの原因が生まれているのでは・・・と考えると、何やら背筋が寒くなる。

気になるのでネットで『ヒグラシの声が聞こえない』で検索してみたが、私の緊張感を裏付ける情報には到達できない。

繰り返すが、私の耳だけにヒグラシの鳴き声を聞き取れなくなったのであれば仕方ないと諦めるが、今のところ聞こえが悪くなったという自覚症状はない。しかも毎日真剣にヒグラシの声を聞くために神経をすましているのにである。

全国的には『カナカナカナ・・・』が聞こえているのだろうか・・・。(田舎親父)

2012年9月16日 (日)

このメンツでは選びようがない・・・

 自民党より一足早く公示した民主党の代表選は、初めから結果がわかっているデキレ-ス。何とか国民の目を集めたいと、各地で討論会?を開いているが、聴衆の鋭いヤジを避けるためにが、会場を街頭ではなく一流ホテルというから笑ってしまう。

時々テレビのニュ-スが紹介しているが、4人の候補者達はネクタイ着用のスタイルで、言葉を選びながら討論もどきをしている光景は、淡々と筋書き通りに演じている役者そのもので、迫力など全く感じられない。

今解散総選挙となると、民主党は党の崩壊につながるほどの大惨敗することは誰もが理解できることなので、ほとんどの所属議員は解散には反対していることは当然。だろう。

『近いうちに』という言葉で自民党のタニガキ総裁を騙して、解散を先のばしにした汚染ドジョウ氏が圧倒的多数で選ばれることも間違いないとあっては、これでは盛り上がらないのも頷ける。

このままでは自民党の総裁選にマスコミの目が集中するとの危機感からか、それともこのままホテルでの討論会を続けていては、ますます聴衆からのヤジに恐れていると思われることを気にした幹部たちが、逃げ回っていた汚染ドジョウ氏を説得したらしく、昨日の朝刊の片隅に、19日に新宿西口で街頭討論会を行うという記事が掲載されていた。

恐らく物凄いヤジが沸き起こるに違いない。立ち往生している汚染ドジョウ氏の姿が想像すると可笑しくなる。NHKは無理でも民放テレビがこの様子を中継すれば、国民的関心が沸騰して意外な結果にならないとも限らないが、絶対にそんなことはないだろう。

ところで、一方の自民党総裁選挙が一昨日の公示で始まり、5人の候補者が出揃ったが、なんとまあお寒い顔ぶれ。しかし、マスコミはそろって面白可笑しく報じるものだから、話題的には民主党代表選より盛り上がっていることは確からしい。

自民党の努力というより民衆党の自滅(大阪維新の会といういかがわしい政党?が国政を牛耳れるほどの議員数を確保するとは思えない)から、次期衆院選は自民党の勝利になることは間違いなさそう。となると、今回選ばれた自民党総裁が次期首相になることは規定の事実。だからこそ、マスコミ報道なのだろうが・・・。

昨日も書いたが、野党になった自民党は民主党のあまりにも不甲斐なさにも後押しされて、参院選で圧勝、所謂ねじれ国会に持ち込んだのは、今の執行部、特にタニガキ総裁の力であることは、自民党内部でも認めているらしいが、その総裁が選挙の顔にならないとはどんな理屈をつけようと納得できない。

特に、タニガキ総裁を支える立場の幹事長が、ある日突然『タニガキさんのために動いてきたのではない』というトンデモ発言をしてまで、俺が総裁になるのだと立候補。それもタニガキ氏をあらゆる策謀をもって立候補を断念させたというのは、常識人の私には全く理解できず、こんな男にこの国の舵取りを任せると、親父の傀儡になりかねず、下手すると中国とのドンパチから、国民をまたきた道へ引き戻しかねない。

これだけは何とか阻止したいものだが、過去に『ボクちゃん お腹が痛い』と政権を放り投げた御仁や、爬虫類を思わせる雰囲気をもっている防衛の専門家だと自認している候補者も思想的には極右と言って差し支えないとなると、こちらも恐ろしい。

かといって派閥の袖首を自認している方は、詳しい考え方など聞いたことはないが、顔つきを見ただけで権力亡者を思わせるとなると、とても首相になってほしいと思わない。もう一人の所属する派閥の大将が推薦しているらしい参院議員は先日衆院の鞍替えで、内部でゴタゴタと問題を起こしたというから、当選の目がないのにもかかわらず、何らかの利権が背景にあることは明か。しかも5人がそろって、二世議員となると、所詮自民党の総裁選びは、内部の権力闘争としか思えない。

何という時代に生きているのかと自分自身が可哀相になってくるが、ほんの少しの救いは、今回の自民党総裁選挙が国会議員に加え、党員らも参加するというから、前回の衆院選挙の惨敗で議員の数が減り、党員票の占める割合が大きいはずという部分。

今までの自民党のように派閥の論理ではないことを、無理と知りながら、ほんの少しの期待をもっている自分に気付く。でも、このメンツではなあ・・・。(田舎親父)

2012年9月15日 (土)

高額?な住宅手当も所詮はニンジンか・・・

 自民党の総裁選今日が昨日公示され、5人が立候補を表明しているようだ。自分達が努力したわけではなく、民衆党の酷さによって、今度の衆院選があれば政権に奮起できる可能性が出たということで、自民党内部の権力闘争が激しさを増しているところだろう。

それしても、政権を支えてきた幹事長が親分?をあらゆる策謀をもって立候補を断念させるのは、常識人の私には全く理解できず、こんな男にこの国の舵取りをさせると大変なことになると何とか阻止したいもの。

といって、他の4人も、過去に『ボクちゃん お腹が痛い』と政権を放り投げたり、爬虫類を思わせる雰囲気をもっていたり、顔つきを見ただけで権力亡者を思わせたりなどという面々では、とても首相になってほしいと思わない人物ばかり。

かといって、このまま民主党政権を許してしまったら、さらに大変なことになることも間違いなく、多くの人が大阪維新の会などを選んだら、もっともっと大きな混乱が待ち受けていることは明らかだとすると、何という時代に生きているのかと自分自身が可哀相になってくる。

こんな生臭いことは今日はさておき、『職場に近ければ近いほど住宅手当が高額』という会社があるという記事を見つけた。

40年ほど前、横浜の片田舎に住居を定めた私は、現職時代、もっとも近い職場であっても1時間、定年前の5年間は1時間40分も通勤に時間をとられたものである。

JR(国鉄)横浜線は、現在地に住みはじめた当初の、木製の茶色の窓枠の超レトロな車両から色だけを塗り替えた山手線のお古となる頃から、単線が複線になり運行本数も大幅に増えたこともあり沿線の人口は急激に増加し、朝夕のラッシュ時には満員が珍しくなくなった。

そして、専用のデザイン車両になった20年ほど前から、駅の数も増えたこともあり、さらに人口が増大。今も増え続け、その満員に地獄がつくほど顕著になっている。町田市に転勤できたらと思い何度も転勤願を出したかかなえられず、むしろ遠くへ遠くへと流されたことは今では懐かしい思い出。

職種は問わず、給料をもらう職業人を『サラリ-マン』という言葉で表現するが、その人たちが、通勤にどれぐらいの時間をかけているかという詳しいデ-タをもっているわけではないが、私の現役時代の職場では『通勤時間が1時間以上』と聞いても、自分自身でそれぐらいとられていたこともあって違和感を覚えなかった。

しかし、座っている人は新聞を開句こともできるが、満員の車内に押し込まれる身分であれば、ほんの小さな単行本をひらくことすらままならず、下手な位置に立てば痴漢呼ばわりされないかと気を使いながら、何とか吊り革を確保していたのも忘れられない。

そんな時、なんと無駄な時間を過ごしていることを虚しく感じ、都内に移転すれば楽だろうな・・・と思わないでもないが、安月給の身ではそれは無理。それ以前に東京の混雑に日常を委ねるのはいただけない。結局の選択は、苦痛を我慢するのがベタ-だった。

話を戻すが、先日何気なくネットを検索していたら、職場に近い場所に人の住居手当てを倍加するという会社があるという見出しを発見。奇特な会社があるのだと、本文を読んでみた。

記事によると、大阪市にある、インターネットを使ったマーケティングを手がける会社が『ご近所さんトクトク制度』と称する制度を導入して、自宅が会社に近いほど住宅手当が厚くしているとのこと。

この会社の社長は『通勤時間が片道1時間とすると、月20日出勤すれば40時間にもなる。これだけの時間を無駄にするよりは、その時間を有効に使ったほうがはるかにまし』という考え方でこの制度を導入したのだそうだ。

なかなかのアイデア社長である。しかし、通勤手当の額は、会社と自宅が直線距離が2キロ以内なら3万円、2キロを超えて3キロ以内なら2万円、3キロを超えて4キロ以内なら1万円という中身を見て、何だ・・・要はニンジン作戦に変わりない。

記事の内容から、この会社は大阪の中心部にあり、4キロを過ぎると限りなく住宅手当はゼロに近づくとなると、会社に近い場所に住居を構えられるのは、家賃を考えると若い独身者に限られるのではないだろうか。

大阪の若者に鬱が蔓延という記事を最近読んだことを思い出す。こんな些細なニンジン(住宅手当)で、昼夜雑踏の中で過ごさねばならなくなれば、神経が奇怪しくなるだろうと思うと、この記事を一概に言い過ぎとは言えないようだ。

見出しに引かれたが、結局はいかに効率よく働かせるかというところ。一見社員のためと思う制度であっても、見方を少し変えると、ますます働きすぎで精神が奇怪しくなる若者が増えさせるのでは思うと、何か考えさせられる・・・。(田舎親父)

2012年9月14日 (金)

トンデモ被害想定の裏に?・・・

 少し古くなるが、内閣府が発表した『南海トラフ巨大地震』の被害想定には、エッと絶句。それほど凄まじい数値が並んでいた。

関東から九州の太平洋側が最高34メートルの津波と震度7の激しい揺れに見舞われ、最悪のケースでは死者32万3000人、倒壊・焼失建物が238万6000棟に上り、1015平方キロが浸水するとのことだが俄には信じたくない。

『発生確率は極めて低く、対策を取れば被害を減らせる』と付け加えているのは、ここまで専門家に計算させたのだから、後は自分の責任で考えろというところだろうが、時期が時期だけに、何か裏があるのではと深読みしたくなる。

この予測は、駿河湾から九州沖に延びる浅い海溝・南海トラフ沿いで複数の震源域が連動してマグニチュード9級の地震が発生したと仮定して、駿河湾から九州沖までの四つの領域について、それぞれ最も大きく断層が動いた場合をシミュレーションし、発生の季節や時間帯を変え死者数96パターン、全壊棟数48パターンの想定を出しているのだそうだ。

詳しい数値は割愛するが、国や自治体は想定に基づいた防災対策を整備し、万全な対策がとられたら被害は激減する例として、建物の耐震化率が現状の79%から100%になった場合、建物倒壊による死者は約8割減少するとのことである。

確かに、全ての建物が震度7に耐えられるならば、どんな大地震が襲っても建物の下敷きになることはあり得ないが、そんな計算が何処から生まれるのだろうという素朴な疑問も生まれる。

震度7に耐えられる建物が79%というのは本当なのだろうか。震度7という震度は、実験的に引き起こされているが、実際には誰も経験したことのない物凄い揺れに耐えられる建物が現在の建築物の全体の3分の2?。私にはとても信じられない。

最近建築された高層ビルは十分この数値に耐えられるというが、古いビルや木造建築などは、震度7に耐えられるとは思えないのだが・・・。

霞が関などのように全ての建物がこの基準のビルで占められている地域もないことはないがそれはごく限られ、ほとんどの場合は新旧の鉄筋コンクリ-ト作りと木造建築が入り交じりっているのが現状。私のすむ横浜の片田舎などは、木造建築が全体の90%を占めるのではないだろうか。こんなことから私の当てずっぽうの予測だが、全国的に見渡した場合30%、いやそれ以下ではと思ってしまう。

また、内閣府の発表では、30メ-トルを越える大津波が襲うとされる地域でも、迅速に避難した場合は死者の数は最大で8割減るとの見解だが、『迅速』という言葉の持つ意味があいまいで、高台すらない平野部では余り意味があるとは思えない。

こんな大地震に襲われたら・・・と私なりに考えてみた。私のボロ家は横発の片田舎のほとんど山のテッペン(海抜80mぐらい)にあるので、どんな大津波であっても絶対にここまで襲うことはない。

しかし、震度7という揺れには到底耐えられそうもないから、倒壊することはほぼ確実だろう。近所は同じような年代にたてられた家が多いから、周りのほとんどの家も倒壊するだろうことも、ほぼ間違いない。

かといって、これは大変だとすぐに耐震工事をするかというと否である。第一の理由は経済的なことである。どれほどの工事をすれば『絶対』に倒れないという実像を描けないこともあって、下手すると『建て替えた方が良いです』なんて言われかねないので、耐震診断もしていない。

10万20万のお金で『絶対』倒れない工事ならお願いするところだが、その日暮らしの私には、それ以上の大袈裟の工事や、まして建て替えなんてことは不可能。周りも同じような年代で環境的にも似た人が多いとなると、私の場合と余り変わらないようだ。

防災対策は進めたいが経済的にできないことは、個人に限らずどの自治体も皆同じ。そして、時が過ぎて、3.11の記憶が薄くなると、『南海トラフ』という言葉そのものが記憶から遠ざかり、迅速に非難という必要性そのものの価値すら薄れてしまう。

こう考えると、やはり内閣府が発表した被害想定は、人々の記憶が薄れない今のうちに、実際に起きた場合『国として何もできないよ』と責任放棄のメッセ-ジを事前に出したところではないだろうか。

そんな想定の大地震と大津波が襲ったら、その時は、日本という国が滅びる時だと開き直っている。当然、私の場合、家が倒壊したら、その下敷きになって死ぬまでで、無理に生き延びようとは思っていない。

ブラックジョ-ク的表現だが、『次代にツケを残さない』という汚染ドジョウ氏のお得意のフレ-ズを確実に実現するためには、次代になる前に、大災害によって国が滅びることではないだろうか・・・。(田舎親父)

2012年9月13日 (木)

解決策は教師のゆとり・・・

 『いじめ』という言葉を新聞紙上で見ない日はない。テレビのニュ-スで聞けない日もない。それほど子ども達の生活環境の中に、『いじめ』が蔓延しているのかも知れないが、マスコミの報道はあまりにも凄過ぎるような気もする。

私は、マスコミが取り上げる『いじめ』は、むしろ『犯罪』だと以前から述べているが、定義論争をしていてもかみ合わないことは明らかなので、しばらくは『いじめ』という言葉をそのまま使って、学校現場の苦悩を考えてみることにしたい。

先日、全国の小中高校などで2011年度に把握された『いじめの件数』は7万231件で、前年度より7399件(9・5%)減少したことが、文科省が公表した調査で分かったという新聞の記事があった。付け加えて、自殺した小中高生は、44人増の200人で、現在の調査方法が始まった06年度以降、最多となったとある。

自殺した200人のうち、115人(57・5%)は動機が『不明』で、24人(12・0%)は父母らに叱られたこと、20人(10・0%)は進路の悩みが原因とみられ、はっきりといじめが原因で自殺したのは4人だとのこと。

こんなデ-タを何ら心痛めることなくサラリと発表することも気になる。記事そのものに疑義をはさむものではないが、文科省はこれほど詳細なデ-タをどうして入手したのかと考えると、何かやりきれないものを感じるのは私だけなのだろうか。

現在文科省が『いじめ』の定義をどう表現しているのかはっきりと知らないが、確か数年前、『暴力』はもとより、相手が嫌がる『言葉』を発することは『いじめ』だと定義づけて、各学校に配布したと記憶している。それを元に調査をしたところ『いじめ』の件数が一挙に数倍・数十倍になり大騒ぎになったことも思い出す。

当時も今も、この種の調査は『アンケ-ト』という形をとることが多いが、この調査が始まった当初は、教師が無理やり子ども達に『こんなことがなかったか・・・』と暗に誰かから意地悪されことを思い出させるような示唆があり、そう言えば・・・というどちらかというと誘導尋問的なデ-タも多かったはず。

その後、アンケ-トの項目が工夫されたに違いないが、担任がアンケ-ト用紙を配り、その記入する内容や方法を詳しく指導する方式は変わらないようだ。そんなアンケ-トを『学力低下の原因は授業時数が減ったから』と指摘されている大事な授業時間にやるというから変な話。いじめのためなら仕方ないという声も聞こえてきそうだが・・・。

アンケ-ト用紙が全国一律で、子ども達が記したそのままの用紙を文科省に送り、そのまま回収し集計・分析をするならば、ある程度全国的な傾向が分かるとは思うが、文科省は絶対にそんな手間なことはしない。

『いじめの実態を調査せよ』という一片の通達(調べたい項目はしっかり記載)を都道府県教委に送るだけで、後は、回答を待つという従前通りの方法に改善の跡はないようだ。

それぞれの自治体の教育委員は『いじめ』に対する温度差があることも事実で、その温度差によってアンケ-ト調査の内容など決めて、各学校に調査を命じることになる。

一昔の学校では『こんな調査は適当に応えておけばよいのだ』という豪気な教師もいたが、今は学校そのものが縦割りの管理態勢が敷かれているので、担任はアンケ-トマニュアルにそって、命じられるまま子も達に配り、しかも集計を出して校長への報告を義務づけられていることに反発すらできない。

物言えぬ立場であっても、アンケ-トをする時間が無駄だと言い切る教師も多い。手間のかかる調査を繰り返しても解決にならないとの指摘もよく聞く話である。助けや指導が必要な子どもと向き合う時間を奪わないでほしいというのが、全国の教師達の正直な気持ちではないだろうか。

担任(だけではないが)子どもの様子を日常的に観察し、少しでも変だなと思ったら、放課後にじっくりと話し合う時間があれば、恐らく今起きている『いじめ』の半分以上は発見でき解決のきっかけになるはず。

それがどうだろう。現在の教師にそんなゆとりはないと断言して差し支えない。むしろ年々学校現場から自由にできる時間が奪われているのが現実。

文科省が本気で『いじめ』を少なくしたいのなら、即刻、縦割りの管理態勢の行き過ぎを認め、少しでも時間的なゆとりを与えることにつきる。

『いじめ』の定義にかかわらず、毎年200人(警視庁デ-タでは300人以上)もの子どもの命が失われるのは異常も異常。文科省の猛省を促したい。(田舎親父)

2012年9月12日 (水)

富士山噴火と原発再稼働・・・

 2万人近い死者と未だに見つからない行方不明者を出した、昨年3月11日の東北大津波と、それが原因(東電は未だに認めないが)で引き起こされた福島第一原発の大事故から1年半過ぎ去ったが、センセ-ショナルな報道記事は少なくなったものの、被災地の凄まじい状態と人々の嘆きと恨みの声は日々強く伝えられるようになってきた。

 復興へ努力している人たちの力強い生活を伝える映像には、なんとなくホッとさせるが未だに34万人超の人たらが、仮設住宅や避難先で不自由どころではなく、息を詰めたような生活を強いられているという報道には、何とかならないのかと嘆くしかない自分の非力が悲しい。

 未曽有の大災害というのであれば、国の責任で復興のため(それこそ未曽有の)予算を計上し、使いやすい形で県や市町村に即刻交付し、それぞれの自治体の復興計画を後押しするのが当たり前だと思うのだが、政治屋さん達は解散だ、党首選びにうつつをぬかし、こんな時こそ能力を発揮するべき官僚達は、相変わらずの縦割り行政の悪弊を乗り越えられず、仕事のなすり合いをしている体たらく。

 (今頃アンケ-ト?とおもわないでもないが)岩手・宮城・福島3県の被災者にアンケ-ト調査の結果ででは『震災前に暮らしていた地域に戻りたい』と答えた人が福島では5割を割ったという。

 100人のうち故郷に戻りたいとは思わない人が半分以上との福島の場合は、やはり放射能汚染という半永久的に人々を悩ませる問題の存在が大きく影響してことと理解できるが、岩手、宮城の両県でも35%も存在するという結果には愕然とする。

 記事には、アンケ-トから分かることとして、復興事業や除染作業の遅れを指摘するがこんなことはアンケ-ト調査以前の問題。除染の遅れに関しては福島県に限らず、除染してもその汚染物を捨てる場所がないのでは、放射能汚染被災地の人々が安心して住める環境にするためには何年かかるかそのメドすら立たないのが現状。

 原発を作る以上は、放射線汚染物質が出ることは誰もが思う不安だろうが、その処理は大丈夫・完全だとか、再利用するからゴミはほとんど出ないという言葉と、絶対に安全という神話を作り上げて人々を納得させて、この狭い日本に50を越す原発を建設した。

 福島原発の事故は根底から安全神話を打ち砕き、部分的に除染ができたとしても、取り除いた汚染物質を捨てる場がないという、一番先に解決しておかなければならない問題に有効な手を打たなかったという、原発そのものの持つ本質の問題が明らかになり、やっと人々が、まずこの問題を解決することが大事だと思いはじめている中、今となってもまだ原発再稼働のみならず新たな建設計画が進んでいるというから、原発の持つ魔力がいかに大きいかがうかがい知れる。

 原発を稼働しなくても電力は足りることはこの夏の電力事情からはっきりし、『電力不足』という言葉そのものが、政府と電力会社の脅しだとはっきりしたにもかかわらず、脱原発を唱える国会議員はごくわずかであるもの腑に落ちないところ。

 ところで、このところ『富士山が爆発』という話題が巷で流行している。富士山は江戸時代に爆発したことは案外知られていないが、(政府機関なのだろう)『防災科学技術研究所』が発表した富士山噴火の可能性とのマスコミ報道によって、(原発をどうしても推進するべく)腑に落ちない部分が私なりに少しはっきりしてきた。

 この研究所のシュミレ-ションには驚くが、これを根拠にして、経産省の研究機関の上級専門職は、富士山が噴火したら、降灰の影響で首都圏の電気が完全にストップする可能性があると恐怖感を煽る。

 大変なことになるだろうとは私にも想像できるが、この専門家が『首都圏の電力供給源が原子力ではなく火力発電に依存している』と指摘し、『降灰で、火力発電所の動力であるガスタービンが深刻な影響を受ける』と語っているところが何かきな臭い・・・。

 悪意をもって危機感を煽っているとは思いたくないが、この発言は、だから原発が必要だという論理に利用されることも十分有り得る。

 富士山噴火という危機感を煽り、その結果として『電力崩壊』に繋げ、原発再稼働と建設推進の論理に利用される恐れもあるのでは・・・と感じるのは、私の考えすぎだろうか。(田舎親父)



2012年9月11日 (火)

知事の欠席が気掛かり・・・

 オスプレ-の墜落事故の原因を検討するとして立ち上げられた防衛省の安全性を検討する専門家による委員会は、誰もが予想した通り、墜落原因は『操縦者の人的ミス』だったと結論づけて、沖縄の普天間基地への配備は進めるとのことに、『本当にこの国は独立国なのか』と改めて思うと同時に、一体どんな調査をしたのかと腹立たしくなる。

民間人の防衛大臣はオスプレ-に乗せももらって有頂天になったらしく、静かで乗り心地が良かった・・・などと全く見当違いのセリフを記者会見で述べていたが、静かだったことはアメリカ軍の徹底した配慮で、大臣を饗応したお手盛り運転であることは明か。その時、『知事や首長も乗り心地を確かめてほしい』と言ったらしいが、本当だとしたら、言うことに事欠いて何という言い分かと呆れる。一国の防衛を任されている責任者としてあるまじき言動。

8月末には、この結論を持って沖縄を訪れ、知事と宜野湾市長に、安全性に問題がないので、普天間基地への配備方針を改めて表明したというから、オスプレ-の配備はアメリカさまのご命令だから絶対にやり遂げることがこの大臣の使命になっているのだろう。

その直後に、アメリカ本土でオスフレ-が基地の近くの市街地に緊急に着陸していたと伝えるニュ-スが流れた。記事によると、南部、ノースカロライナ州にある海兵隊のニューリバー基地に所属するMV22オスプレイが、6日、基地からおよそ5キロ離れた市街地に緊急に着陸したということ。

海兵隊では、何らかのトラブルが起き、『予防的な措置』として着陸したとの説明だが、こんなに続けて墜落や不時着する飛行機を『安全性に問題がない』などと述べた御仁は恥ずかしくないのだろうと、思わず笑ってしまった。

着陸した場所は、レストランや教会の裏の空き地で、けが人や機体への損傷はなく現在、海兵隊で原因を調べているそうだが、そんな場所に不時着しなければならない事態はよほど緊急性があると操縦士が判断した結果だろ。

7月には、今回と同じノースカロライナ州で機体のトラブルから民間の空港に緊急着陸していると報じているが、このニュ-スは日本国内では始めて流されたこと。これほどオスプレ-に追試敏感になっているのに・・・である。そして、これも『操縦士の人的ミス』だと説明するのだろうか・・・。

ところで、毎週金曜日の夜に行われている(現在も継続中)『原発再稼働反対』の官邸前の抗議行動は徹底した無視したNHKですら、9日には沖縄での『オスプレ-配備反対』の抗議行動は報じているが、その規模は映像で見る限り相当な規模で、10万という主催者の発表も大袈裟ではないと感じる。

それだけ沖縄では危機感が増しているのだろう。『操縦ミス』であったとしても、こんなに何度も緊急着陸が続くとなると、広いアメリカでは『またか・・・』で済まされたとしても、普天間基地の周囲の情況から考えると大惨事になることは誰の目にも明か。

この事故を政府はなんと説明するのだろう。そして、10万人を越える人々の声を無視して、(いくらアメリカさまのご命令とはいえ)民主党政権はそのままオスプレ-の配備計画は変えないとは、沖縄の人々の命などどうでも良いと思っているのだろうか。

(話は飛ぶが)9日の抗議行動には沖縄県知事が直前になって参加しないと発言し、実際に欠席したことが何か気になる。

この御仁は辺野古への移転を容認していた人物である。不参加の理由について『市民運動の高まりを受け、行政が実務交渉をおこなうという役割分担が大切。両者がそれぞれ問題に取り組むのがよりよい形だ』と話しているというが、何か釈然としない。

まさか、政府と何らかの取引があったとは考えたくないが・・・。(田舎親父)

2012年9月10日 (月)

シャ-プ社員の嘆きが聞こえてくる・・・

 昨日話題にしたシャ-プの経営危機について、『深刻さを増すシャープの経営危機。グループの社員5万7000人を待ち受けるのは、給与削減か、リストラか、台湾企業による苛烈な支配か、それとも倒産か・・・』という見出しを、ある雑誌に見つけた。

興味があったので読み進めると、長引く不況と円高から抜け出せない日本経済にあっては、『あらゆるサラリーマンにとって無縁の話ではない』という部分に、まさにその通りと深く共鳴。リストラされた社員とその家族にとって、これからどうするのだろうと同情するばかり・・・。

縮小が発表されたシャ-プの栃木工場に勤務する30代後半のAさんを取材した記事であるが、Aさんは深い溜め息をつきながら『地元ではシャープに入れば一生安泰だといわれてきた。描いていた人生設計が完全に狂ってしまいました」と語っている。

栃木工場では約1600人の従業員のうち、AV事業に携わる1500人から希望退職者を募るというから、地元で採用された人全員がリストラ対象ということになる。Aさんは『子供はまだ小学生でこれからもっと教育費がかかる』と嘆き、『この田舎に再就職先なんてないのに、どうしたらいいのか・・・』と頭を抱えているとのことだが、その気持ちは痛いほど良く分かり、昨日も述べたが、国民のここまでの苦労を日銀の総裁はじめ役員達は知っているのかと憤りを感じる。

シャ-プは液晶パネル、携帯電話端末、太陽電池の3つの主力事業。数年前までは絶好調で、2007年度は売上高は3兆円を超えたという。社員の平均年収は700万円超で、福利厚生も充実しているのだそうだ。しかし、この半年で急転直下、外国企業にSOSを求めなければならないほどの窮状に陥っているとのこと。

先月末に、グループで2000人の希望退職者を募集することを発表したが、それに加えて、今年度中にグループ合計5万7000人の社員のなかから5000人を削減する計画だとのこと。

5000人のリストラと栃木工場や葛城工場などの閉鎖・縮小で財務改善をねらうものの、主力銀行は、継続的に融資するためにはまだ足りないと、1万人規模の整理と中国やメキシコなどの海外工場の売却も早急に検討すべきとの態度は腹立たしい。

さらに先日の朝日新聞は、シャープの本社(大阪市)と亀山工場の土地建物に、追加融資の担保として計1500億円の根抵当権が設定されていたと報じていた。先日、山崎豊子の『華麗なる一族』を読んだが、銀行のあくどさが小説と重なる。

抵当権を設定しているのは、主力取引銀行のみずほ銀行と三菱東京UFJ銀行の二行。それぞれ750億円ずつを極度額(借金上限額)に設定しているというから、何時倒産しても自分達は損を被らないような仕組みを作っているのだろう。まさに弱った獲物を今にも襲いかかるハゲタカのイメ-ジが浮かんでくる。

ここまで来たら、一時のJALのように株価が急落するはずだが、不思議なことに下がらないのは、台湾企業である鴻海がシャープへの経営参画に意欲を示していることと専門家筋は分析している。

ところが、シャ-プの足元を見透かしたように、鴻海側は単なる融資ではなく、中小型を中心とした液晶パネルについて、製造工程まで踏み込んだ協業を求めているという。その企みは、パネルの買い取りの協力だけではなく、製造ノウハウが吸収できる協業というから、シャ-プの持つ高い技術そのものだということが明らかだろう。

シャ-プ側は何とかそれを避けたいと、銀行にさらなる融資を要請しているらしいが、銀行は黒字になるための確実な経営改善計画が融資の前提だとのこと。5000人どころのリストラではすまず、銀行側が求める1万人以上の規模にもなりそうだ。

外国企業に技術を売り渡しても己の利益を守りたいという、国内の銀行の態度は許し難いが、それに対して何ら手が打てないかといって倒産に追い込まれたら、周辺企業はJALの域をはるかに越えるのではないだろうか。想像するだけでゾッとする。

(話を戻すが)雑誌の記事は、栃木工場を支えている30~40代の社員の多くは、住宅ロ-ンを組み自宅を購入しているという。子供を私立学校に入れているケースも多く、老後は豊かな年金で、妻と旅行三昧という悠々自適な生活を描いていた人もいるだろうが、そんな将来設計はもろくも崩れ去ったと、他人事のような文章で結んでいる。

民主党政権と日銀の無策によって、黒い霧のような暗いイメ-ジが日本という国と国民を包みはじめたことは間違いない。ますます気持ちが滅入ってくる。(田舎親父)

2012年9月 9日 (日)

シャ-プの凋落 何とかならなかったのだろうか・・・

 あれほどまで好調だったシャ-プの経営状態がここ半年で急激に落ち込み、下手すると倒産という声さえ聞こえはじめている。

国内の銀行には見限られたらしく、台湾の鴻海(ホンハイ)という会社が救済に乗り出したとのことだが、我が国の金融システムが(超がつくほど経済には音痴な私には)日本の優良会社を何故救済しないのだろう・・・という素朴な疑問がどうしても解けない。

21世紀には、ブラウン管を液晶テレビにすべて置き換える』と豪語して、液晶分野では『世界の亀山』と言われるほどの大規模な生産工場を作り、所謂『亀山モデル』というブランドを作り上げたのはつい数年前のことだった。

丁度、地球温暖化という問題に注目が集まり、『エコ』という言葉が大流行。時の自民党政権は『エコ』が大好だったらしく、エネルギ-の効率利用には『エコ』が必要と、電力消費量が少ないテレビとしてブラウン管を液晶にと、わざわざ『エコポイント』を発行して国民に奨励したものだから大型の液晶テレビは爆発的に売れた。

それも、6~8畳程度の部屋にはたかだか32型程度か適当な大きさだと思うのだが、『でかければでかいほど目に優しい』とか、『臨場感は大画面で』とのメ-カ-側の主張をそのままマスコミが流すものだから、週末など家電量販店は押すな押すなの大盛況たったことは自分の眼でも確かめている。

エコポイントについては液晶テレビに限らず、冷蔵庫やエアコンなども電力消費税が少ないことを売り物に大型化していったことも記憶に新しいところだが、今日はシャ-プのことが主題なので、このことは別の機会に・・・。

液晶テレビの大型化は留まるところを知らず、一般過程でも50型が普及するようになり、シャ-プはますます大型化を目指し、巨額の費用を投入し、『第10世代』と呼ばれる(意味は今でもよく理解できない)世界最大級のガラス基板を使った液晶パネルの生産を開始したのが数年前。

吉永小百合がシャ-プの顔となり、当時からパナソニック、ソニー、NECなど多くの家電メーカーが大規模なリストラを断行していたのを尻目に、『勝ち組』として液晶業界では我が世の春を謳歌していた。

ところが時代の変転はシャ-プの思惑をはるかに越えて、薄型テレビをめぐる環境は一変。部品を集めて組み立てれば、誰にでも簡単にある程度の品質の製品がつくれる時代になり、その心臓部である液晶パネルですら、製造装置さえ導入すれば簡単に生産できる時代になってきたのである。

シャ-プの経営陣が時代を読み違えたことは間違いない。社内でも意見が分かれ、かなりの混乱があったことも伝え聞く。専門家筋は、市場重視で銀行無視の資本政策や、業績の下方修正を繰り返して平気な無責任経営と批判するが、今更批判しても問題は解決しないし、この批判はシャ-プだけにして当てはまるものではないだろう。

苦境に喘いでいるのはシャープだけではなく、前述したソニーやパナソニック、NECなどといった家電大手も、あるいはトヨタなどを含めたあらゆる製造産業を苦しめている原因が『円高』であることは誰の目にも明か。

先日経済雑誌の記事に、『リーマンショック後、韓国ウォンは対ドルで2割安くなり、円は対ドルで4割高くなった』という文面を見つけた。素直に解釈すると、韓国の製造会社に対してプラス・マイナス6割のハンディが生じたことになる。これでは韓国サムスンに勝てるわけがないことは私でも納得できること。

日銀にも言い分があるだろうが、今回のシャープの経営危機は、日銀の円高政策が招いたものであり、このままでは、第二・第三のシャ-プが時を移さず生まれて、シャープのみならず日本の製造業は壊滅するような気がする。

経済音痴がいうまでもないが、ここまで日本の製造業を追い込んでも日銀は円高政策を変えようとしないのは何なのだろう。せめて、1ドル100円程度に落ち着かしさえすれば、シャープはもちろんだが、円高に悩む製造メ-カ-は激減するはずなのに・・・。

財務省のブルドックになってしまった汚染ドジョウ首相は『不況下の大増税』を達成したが、ますます不況感が増すだろうし、日銀はことここに来ても円高政策を続けるとなると、まさにアメリカさまに対して無力であり、日本を売り渡す役割しか持っていないように思えてならない。

政局にしか興味のない政治屋達の動きも情けない。『河野さん出番だよ・・・』叫びたいが、どんなに大きな声で怒鳴ろうが、私の声などが自民党の誰かに聞こえるわけがないのが悲しい・・・。(田舎親父)

2012年9月 8日 (土)

ここにこんな異色な首相候補が・・・

 私が総裁に選ばれたら、こんな政治を目指しますという、異色な政治家がいる。その公約をちょっと拝見・・・。

『経済』

●人、物、金、情報が集まる公平で効率的な市場をつくります。●経済成長を実現するために自由な経済活動ができるようにします。●真の弱者を支え、敗者が再び挑戦できるセーフティネットをつくります。●各分野の既得権を廃止し、自由に市場参入できるようにします。●経済の妨げになっている誤った政策を廃止します。
『社会保障』

●厚生年金を抜本改革し、全国民が加入できる積立保険料方式の年金制度を導入します。●国民年金を精算し、消費税方式の基礎年金を導入します。●職業、年齢を問わずひとつの医療保険制度に統合します。
『農業』

●生産者を消費者が支える、安全な職の維持システムを構築します。●意味のないカロリーベースの食糧自給率に基づく政策を廃します。●地域営農交付金(仮称)制度を創設し、減反によらないコメの合理的生産を行います。●国産飼料を基盤とする畜産への転換をうながし、畜産・酪農所得補償保険を創設します。●卸売市場機能を近隣の空港の機能と連結し、果物など日本の高付加価値農作物の輸出拠点にします。●都市部における農地の扱いを見直します。
『エネルギー』

●脱原発を実現します。●再処理をやめます。●東京電力を破綻処理し、再出発させます。●電力会社の地域独占、総括原価方式を廃止し発送電を分離します。●2050年までに、現在の電力使用量から4割の省エネを目指します。●2050年までに、現在の電力使用量の6割を再生可能エネルギーで発電することを目指します。
『外交』

●アメリカのフォロワーから脱皮し、新しいアジア太平洋地域でのリーダーとなる日本外交を展開します。●政府と民間、営利と非営利というセクターの枠を超えた災害対応プラットフォームをつくりだします。●JICAを改革し、ODAを今より少ない予算でより戦略的に活用します。
『教育』

●文部科学省を解体し、義務教育に関する権限と財源を自治体に移譲します。●自治体の判断で義務教育での習熟度別授業や小中連携の強化ができるようにします。●英語で教える小中高の設立を可能にします。●教育委員会方式を改め教育のマネジメントができるようにします。●大学入試の学力検定を改めます。●大学に対する補助金総額を適正化します。

河野太郎氏が自身のブログに載せた内容である。賛同できない部分もある。質問したいことも多々ある。そのほとんどが実現可能だとはとても思えないが、ここまではっきりと政策を打ち出す政治家は現在では皆無。その意味では大変興味深く読むことができる。

残念なことに、党内では嫌われ者を自認しているらしいから、この御仁が自民党の総裁に選ばれることは限りなくゼロに近いので、この政策がまな板の上に乗ることはないのが残念だが・・・。

いや待てよ。あの自民党をぶっ潰すと一人教育を吐いていたコイズミ氏を総裁に選んだ党だから、もしかしたら・・・という淡い期待感もないわけではないと思いたいが、それはほとんど奇跡だろう。今回も無理だろうことは確実。

しかし、近い将来、この御仁を首相に就任させて、徹底的に沈みかけている国の舵取りを任せてみたい気持ちになる。せめて今回の自民党総裁選挙に、何とか20人の推薦人を確保して、立候補して他の候補と本気で政策論争をしてほしいものである。(田舎親父)

(蛇足)濁点を出す場合、親指キ-を同時に打つのが親指キボ-ドの特徴だが、時に時間ログがあると濁点がでない場合があり、この場合『じみんとう』と『しみんとう』と打ち間違えることも稀ではない。そして変換で出てくる漢字は『市民党』。市民の立場で市民のための政治、河野太郎さんの主張はまさに『市民党』に相応しいようだが・・・。

2012年9月 7日 (金)

自転車にもナンバ-プレ-トは面白そう・・・

 尖閣諸島を国が約20億円で買い入れるそうだが、もともとは東京都知事が地権者とのル-トがあることで、都が購入すると言い出したことを、国のメンツとばかり(中国と事を構えたくない弱腰かもしれないが)、強引に地権者との交渉を横取り、札束を積み上げて合意にこぎ着けたという筋書のようだ。

民主党政権は漁船の避難施設などは作らないというから、実効支配など全く頭にはないらしい。これでは、中国に気兼ねしていることは明か。平和主義の私でも、このままでは竹島と同じ道を歩みそうで納得できない。というより、中国にどうぞお好きなように奪って下さいという結果になることが心配である。

金額においても、高いか安いかと賑やかに議論されているが、都としては集まった約15億円程度で購入できると思っていただろうから、世間的な常識からすればかなり高値であることは、土地取引などとは縁のない私でも容易に想像できる。

この問題は,もう少し情報を集めて話題にしたいと思うが、国に先立っていろいろな政策を出すことが好きな東京都は、自転車にもナンバプレ-トを付けさせると言い出しているらしい。こちらはきわめて平和的で面白そうだ。

以前にも述べたことがあるが、私は毎日のように近くの野山を歩き回っているが、その途中必ず発見し、嫌な思いをするのが放置自転車である。所有者がこんな場所に放置するわけはないだろうから、全て盗難車と言っても差し支えない。

中には、購入して間もない新品同様なものも少なくない。鍵がかかっていなければ、乗って警察にでも届けたい気持ちになるが、以前それを実行した時、お前が盗んできたのだろうというような疑りの目つきで、あれこれ聞かれたことがトラウマになっているので、以来その手の行動は一切しないことにしている。

手がかりを探そうと自転車の登録番号など探すのも、通りがかりの人からうさんくさく思われそうなので、そちらも気が進まない。結局は、見て見ない振りして通りすぎるのであるが、一目で識別できるプレ-トがあり、交番の巡査が、通報に真摯に対応する姿勢がとれれば、放置(盗難)自転車は少なくなるのにと思っているので、まだ詳しい計画などは調べていないが基本的には悪くないと思っている。

都の構想では、購入時に利用者が自転車店で一定の預け金を支払い、氏名や住所などを登録した上で、自転車後部にナンバープレートをつけ、預け金や登録者情報は都の指定団体が管理し、自転車の廃棄時にナンバーを返納し、預け金を利用者に返す仕組みだという。 

現在でも防犯登録制度があり、購入時に利用者情報を警察に登録し、自転車にシールを貼ることが自転車法で義務づけられているのだそうだが、それに違反したからといって罰則規定はないらしく、私が毎日目にする放置自転車には(意識的に剥がされているのかもしれないが)そのシ-ルすらついていない場合が多い。

都によると、都内で2009年度に撤去された放置自転車は約73万4千台。そのうち約4割の約31万3千台は、引き取りに来なかったため、自治体が処分したという。撤去費や駐輪場整備費を含む都内区市町村の放置自転車対策費は約171億円(10年度)に上っているというから、いかにも税金の無駄遣い。何とかしたいと思うのは当然だろう。

この悩みは、都内だけではあるまい。横浜の片田舎の駅周辺でも、いたるところに違法駐輪が目立つ。横浜市は定期的に撤去しているらしく、昨日も『お知らせ』という張り紙が道路に張り出されていた。そこには、『何処何処に運んだので引き取りにこい』との内容である。

高額な品物ならすぐにでも引き取りに行くだろうが、手続きが面倒と思うのか引き取りにこない人も多いらしく、行政としては処分もままならないことはよく聞く話。

自転車にナンバプレ-トが装着してあれば、危険な運転も少なくなる可能性は大きいことや、購入時に預け金と引き換えでプレ-トを入手となると、撤去されたとしてもすぐに引き取りに行くだろうことも容易に想像できる。結果的に迷惑な違法駐輪はかなり減るのではないだろうか。

都の発想は、駅前などの違法駐輪を減らすためが主目的だろうが、プレ-トがついていればむちゃな運転もできないだろうから、ぜひ前向きに検討し対応をお願いしたいが、これは都だけではなく全国で同時進行しければ、その具体的な効果はあまり期待できないのでは・・・。

尖閣諸島の買い入れではないが、都としては、どうしても国が動かなくてはならないように、この問題でも国を追い詰めて、全国一律で、自転車にナンバ-プレ-トを義務づける方向の議論が盛んになればと願っている。(田舎親父)

2012年9月 6日 (木)

一人乗り自動車? 少し心配・・・

 トヨタ自動車の子会社であるトヨタ車体と会社から、1人乗り電気自動車(EV)『コムス』という車が発売されたとのこと。近距離移動に適したEVとして、独自に設計、製造したのだそうだ。

どの会社が製造するなどはたいした問題ではないが、気になるのは、国交省が即刻認可し、しかも、軽自動車よりも小さい『超小型車』という車種を今年中にも新設するという部分。

私が知らなかっただけなのだろうが、記事には『コムス』はすでにコンビニエンスストア大手のセブン-イレブン・ジャパンが宅配サービス用に採用しているとある。そう言えば、記事に添えられた映像のような一人用の車を実際に見たことを思い出す。瞬間的には『面白い』と思ったものの、何か不安な気持ちになったことも含めて・・・。

その設計思想には、二酸化炭素の排出量低下に貢献できる地球に優しい移動手段としてはEVが最適だとして、取り回しがよく、経済的で、環境性能に優れた地域の手軽な移動手段になるとある。

さらに、コンパクトで快適な1人乗りの自動車を念頭に置いたことと、世界に先駆けて超小型車を活用した社会の実現に寄与するため、少しでも多くの人に使ってもらえるように、魅力的で求めやすい価格を目指したとも記している。

そのコンセプトは『ちょっとお出かけ街までスイスイ』だという。確かに、バックもできて少ないながら荷物スペースもある自動車の特徴を備えているので、使い勝手が良いのは間違いない。

素直に考えても、現在の配達や営業といった業務用途にとどまらず、個人としても買い物や趣味の集いへの日常の足として広がることは十分予測できる。駅前の駐車場などの工夫次第では、自転車やバイクに代わり、通勤・通学などにも使われる可能性が出てくるかもしれない。

ただ、価格が最低ランクでも約70万円(エコ補助があるので実際には60万円程度になるらしいが)となると、私のような貧乏人には、軽快にこの車を運転している人をうらやましく眺めるだけになりそうだ。

しかし、60万円で自分の足となると考えると、高くないと考えるお金持ちの高齢者は少なくないだろうことも容易に想像がつく。となると、今でも電動車椅子が狭い道路を悠々と?走っているのに、それがこの車に変わったと風景を想像すると、何となく不安が生まれる。

安全性であるが、メ-カ-側の説明によれば、(衝突性能について)この分野では基準がないものの独自に試験を実施し、時速32キロでの前面衝突試験では、足元空間が守られ、バッテリーに問題が発生しないとのことである。

何故32キロかという説明もつけている。一般的な乗用車の前面衝突試験は時速50キロで実施するそうなのだが、交通事故の3分の2が時速30キロ以下で発生しており、この車を運転する時間の77%が時速32キロ以下であることを勘案したからだそうだ。

さらに、ミニカーで装備が義務付けられているヘッドランプに加えて、車幅灯とテールランプを常時点灯させることで、被視認性も向上。シートベルトの強度も十分確保していると胸を張っているらしい。

そのことには疑義はないが、これら全て運転する方の安全性であり、歩行者や他の車種を運転する人たちへの配慮という部分が若干(どころではないが)気になるところ。

前述したが、この車の販売対象の一つが高齢者だという。それに反対するわけではないが、電動車椅子のように身体が不自由な人でも手軽に乗り回せる車になってしまうと、かなり問題が違ってくるような気がしないでもない。

自転車のように放置はないと思うが、広い道路であっても一応自動車となると、スピ-トが出ない仕様では他の車からしたら大迷惑。まして狭い道路で、我が物顔で走られると歩行者に対しては凶器となる可能性も否定できない。

取り締まる側の悩みがまた一つ増えたというところでは・・・。(田舎親父)

2012年9月 5日 (水)

原子力の平和利用は幻想・・・

 今年の夏は、『酷暑』と言われたほどの一昨年と比べても、遜色がないほどの『猛暑』だった。まだ、日中の猛烈な暑さは続いているが・・・。

夏に入る前から、『一昨年と同じような猛暑になれば電力不足になる』と大騒ぎされたのに、実際には、一番電力事情が厳しいと騒いでいた関西電力管内でも事前の予測を10%以上も下回ってというから、結果的には原発の再稼働など必要なかった数値である。

『原発が動かなければ大停電になる』とか『日本経済が大混乱する』と恐怖感を煽ったのは誰だったのだろう。『仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出る』と脅し文句に加え、『原発がなければ世の中が真っ暗になる』と言い切って、関西電力大飯原発の再稼働を決めたのは6月の初めの頃。

そして、夏が終り、はっきりしたのがこの数値。『電力不足』は何だったの?。

『節電のおかげだ』という言葉がすぐにはねかえってくるのだろう。確かに人々の節電意識が高まり、細かいところまで注意が行き渡ったことは間違いないが、残暑は残るものの猛暑の夏が終わってみたら、何か拍子抜けするような結果に、節電だけだったとはとても思えなのだが・・・。

関電の広報担当者も『節電効果』があったことを前面に強く出しながらも『現時点では原発がなくても供給力は維持できた』と認めていることは『大飯原発再稼働がなくても乗り切れた』という『事実を認めて』いることに他ならない。

これは重要なことである。この言葉を常識的に受け止めると『今年の猛暑の夏を乗り切れたのだから、絶対安全でない原発を無理して再稼働など必要ない』ということになるはずなのに、それでは困る輩が多いらしく、未だに他の原発の再稼働を虎視眈々と狙っているというから許せない話。

『電力不足』が使えなくなったこともあるのだろうが、最近特に取り上げられているようになったのが、『将来のエネルギ-をどうする』というフレ-ズ。

政府は6月末、2030年の原発依存度を『0%』『15%』『20~25%』という三つの選択肢を示し、広く意見を聞くというタテマエではじめた試聴会が、政府の思惑と少しずれはじめたようで、当初は『15%』案をごり押ししたかったようだが、最近『限りなく0%に近づける』と言いはじめている。しかし、何でもウソで固めるのが民主党政権の得意技なので俄には信じられないが・・・。

一般論として、個人的に将来の計画を立てる時、まず考えなければならないのは現状である。年収が1000万円ある人にとって、5000万円のマンション購入は比較的無理がなく、将来的にも安定した生活を送れるという判断があれば購入しても破綻する確率は少ないが、非正規社員の年収300万円程度の人にとってはこんなことは、ハナから計画できないはず。

こんな例を出すまでもなく、将来の計画は、現状を厳しく査定することから始まるのだが、これは会社であっても、地方自治体であっても同じである。当然のことながら、国もそうあるべきなのだが、民主党政権(自民党政権も同じだか)はこの原則を守らず、利権アリキの政策が優先するからたまったものではない。

エネルギ-(電力)政策においても、まず現状で『電力事情がどうなっている』という調査から始まり、足りないとなるとどうするかという議論があり、そこで始めて『原発依存』という発想が生まれ、そして原発の安全性を徹底的に議論するのが出発点になるのではなかろうか。

(意識的にかけちがえていたといった方が正しいが)原子力政策は初めからボタンがかけ違えられていたらしく、議論もせずに『安全』となり、原発路線にまっしぐら。絶対あってはならない事故が起きたという図式。

電力が足りて、安全神話が崩壊した以上、原発依存が間違っていたことは明か。『18年後には原発0』と宣言すればすむことなのに、原発を0にした場合、使用済み核燃料を受け入れている青森県の反発が先にたつという意見が強いというから、本末転倒も甚だしい。もともと使用済み核燃料の再利用など永久機関と同じで不可能なことだろうに・・・。

また、原子力に関する技術の継承や人材の育成が難しくなるという意見が強く、0を言い出せないというが、原子力の平和利用(発電以外に平和利用などあるとは思えない)などということが土台無理な話なのだから、世界的にその議論は不必要という方向に持っていく努力こそ、唯一の原爆被害国としての我が国の進む道だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2012年9月 4日 (火)

由緒?ある地名は消したくないと思うのだが・・・

 先日、NHKの首都圏ニュ-スが『垳(がけ)という地名がなくなるそうだ・・・』という話題を提供していた。

例によって区画整理で古い町名がなくなることだろうとは思ったものの、『垳』とは珍しいという程度で、さほど大袈裟に感じなかったが、翌朝、多くの新聞がこの問題を取り上げていたから、ある意味、マフコミ的には相当価値のある話題のようだ。そこで、改めて、由緒ある?地名がまた一つ消えてしまうという話題を取り上げてみることにする。

この『垳』という地区は、地図で調べたら、埼玉県の八潮市。川一つへたてた向こうは東京都の足立区で中川と垳川に接した地域の町名になっている。

『崖』ではなく『垳』という漢字を当てている地名は日本ではここ一つという。正式には『八潮市大字垳・・・』というらしい。広さが焼く0.5平方キロ。ここに約640世帯、1500人が住んでいるとのことである。ツクバエキスプレスという新しい交通手段が通り、八潮駅が近くにできたので、都心へのアクセスが良くなったのだそうだ。

私が住む横浜の片田舎でも東京に職場を持つ、(私もその一人だったが)いわゆる『神奈川都民』と呼ばれる人が多いことを思うと、川一つ隔てた向こうが足立区という地域で、しかも交通の便が良いことを考え合わせると、住民の多くは最近この土地に移住してきた人たちではと想像している。

となると、今回の町名変更が表面化した背景には、移住した比較的若い年代の住民は、その土地の歴史などには無頓着なことが多く、古い地名より耳触りの良い名前を求める傾向があるのではと思えるが・・・。

実際に、人気路線として名高い、横浜の片田舎を走る東急『田園都市線』には、もともとその沿線にある古い地名をそのまま駅名にするより『青葉台』とか『すずかけ台』、あるいは『あざみ野というように、いかにも現代風のウケを狙った名前が多く、また『多摩プラ-ザ』などとカタカナ混じりの駅名が目立つ。

そして、それらの駅周辺の町の名前も、30年以上前この地域が一面の畑と荒れ地だった頃には今ではまったく思い出せないような名前だったことだけは覚えている。時に、散策途中で見つける小さな古い社に残る『白髭』なる名前も、当時はこの土地を表す地名だったのでないだろうか。

そこに住宅が建ち新しい町ができると、新しい住民にアンケ-トを求め、『美しが丘』とか『けやき台』、あるいは『もえぎ野』といった、いかにも町そのものが光り輝く新鮮なイメ-ジな名前が選ばれるという筋書き。

古くから住んでいる人たちにはきっと抵抗があったと思われるが、あまり反対運動があったということは耳にしないのは、きっと地名の変更よりももっと大きな利益をもたらす何かがあったのではと想像しているが・・・。

話を戻すが、『八潮市大字垳』にも、もっと現代風の良い名前をという声が、新しい住民の中から上がったのではないだろうか。役所としても、市のイメ-ジを高める意味でも、新住民を誘致している違いないから、より移住しやすい名前にすることが規定の路線となって、今回の区画整理となったのでは・・・。

市は来年度に一部の区画整理が終わることから、周辺の大字『大原』『大曽根』も合わせて『垳』の面積の約9割を新地名に変える方針だという。そして、住民に行ったアンケートでは、選択肢として『桜町』『青葉』などが示されたというから、私の想像は当たるとも大きく外れていないことを感じる。

この動きに対して、垳町会長などは、『八潮にしかない垳は、文字の文化遺産。歴史がある「垳」を大切にしてほしい』と語り、『垳』という地名を、もっと全国にPRすべきだという声も多くあるとして、『垳町会』として町名を存続するように市当局に要望しているとのことである。

地図からだけの判断であるが、『大曽根』という地名から、利根川の河原のようなイメ-ジは浮かぶが、垳という漢字は思い浮かばない。もし『崖』であれば、利根川の河原との間に小さな崖があったことからとも思われるが・・・。

ともあれ、一度『青葉』『桜町』に名前を変えると、『垳』という町名は人々の記憶からすぐに忘れ去られるに違いないだろう。どんな由緒があるか全く知らない部外者ではあるが、市のイメ-ジを高めるというだけで、町名を変更するのは急ぎすぎのように思えてならない。

折角マスコミにも取り上げられ、全国的に知られるようになったのだから、観光資源としても『垳』を消してしまうことは、(昨日の食物の話ではないが)『もったいない』気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

2012年9月 3日 (月)

『もったいない』は何処絵へ・・・

 アメリカの干ばつが半端なものではないらしい。政治の猿回し記事が横行しているので、このことを伝えるマスコミ記事は限られているが、時にネットで伝えられる映像などから推測すると、前代未聞という言葉が大袈裟ではないほど凄まじいようだ。

私のお馴染みの言葉であるが『アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく』通り、アメリカの干ばつ騒動が関係しているらしく、日本の食料品の価格がジワジワ値上がり始め、先日には大手の乳製品製造メ-カ-がチ-ズの値上げを発表したというニュ-スが流れた。

このままでは、食料インフレの世界的な広がりが心配になるのは必須だろうに、首都圏直下型大地震や南海トラフが原因の津波で死者数十万人・・・などとの危機的な話題が優先するらしく、食料危機などは個人的に考えろといった扱いに、何か奇怪しいと感じている人も多いと信じたい。

もっとも、諸物価が『値上がり』となると、消費税と電力料金の大幅な値上げをやり遂げた政府としては、少しでも『値上げ』という文言を抑えたいために、あえて報道規制をしているのではと思わないでもないが・・・。

それはさておき、改めて日本人の食生活を考えてみよう。食習慣がかなり変わり、個人差が大きくなったとはいえ、(私を含めて一般的な日本人にとって)味噌やしょうゆ、さらに食用油やマヨネーズなどは欠かせない一品ではなろうか。しかし、その大半をアメリカからの輸入大豆に依存していることを日常的に振り返ることは少ない。

牛肉はじめ豚肉や鶏肉、また鶏卵やバタ-、チ-ズなどの乳製品も、その大本は、アメリカから輸入するトウモロコシが畜産飼料の主要な原料となっていることも、言われてみなければ気付かず見落としていることが多い。

穀物の国際指標となっているシカゴ商品取引所の先物価格はトウモロコシ、大豆がともに史上最高値圏になっている上に、ウクライナ地方も干ばつで大きく生産量を落しているというのでは、さらなる値上げがあることは間違いなさそうだ。

その上、かっては主要な生産国であった中国やインドは今や人口の増大に加えて食生活の変化によって肉の大消費国になり、家畜のその飼料となるこれらの穀物の生産が追いつかず、輸入国に転化したことに加えて、自国の天候不順で収穫量が落ち込んでいるというから、食料インフレの筋道は決まったも同然ではなかろうか。

以前も指摘したことであるが、地球温暖化防止という掛け声で、食料であるべきはずのトウモロコシをバイオ燃料につかうという『愚』が世界的な大流行となり、アメリカではその4割をバイオ燃料にすることが義務づけられているという、俄には信じられない話も追い打ちをかけているという。

(話を我々の日常的な食生活に戻すが)資源が乏しい日本は官民挙げて食料の調達先をアフリカへ、南米へと広げており、先日はウナギを求めてはるばるマダカスカルへとの話題も取り上げたが、食料確保に全力を挙げるのは仕方ないとしても、あまりにも酷い食料の無駄使いを誰も指摘しない現実をじっくり考える時期がきたのではないだろうか。

世界中から、初束で横っ面を張り倒して強引に買い集めて、食べきれないほどの調理品作り、余ったら捨ててしまう現実を小覧でも何度も指摘し、『もったいない』という言葉はどこに消えたのだろうかと嘆いたことも数多い。

具体的数値として、約9千百万トンもの食料品を海外から集めているのだそうだが、うちの2割、実に千9百万トンが外食産業やコンビニ、家庭などで廃棄されているという。しかも食べられるものが5百万~9百万トンもあるとは・・・。これは酷過ぎる。

経済の発展の前には、日本人が長年美徳としてきた慎ましく生活する生き方は邪魔になり、そしてそれを象徴する『もったいない』という言葉が禁句になってから久しいが、こんな社会が続くことが幸せであるはずがない。

こんなことを思いながら、猫の額のような狭い畑と、プランタ-で野菜を育て、たとえ虫に食べられた葉っぱ一枚であっても『もったいない』と口ずさみながら調理するのが私の日課になっている。(田舎親父)

2012年9月 2日 (日)

教職大学院が定員割れ・・・

 中教審が答申した『教員資格に修士』という話題の続き。

教職大学院(当時は違った名称だったようだが)として最初に創設されたのは上越教育大学と鳴門教育大学で、開校したのは20年以上も前だったと記憶している。

教育関係者の方からお叱りを受けるかもしれないが、当時(現在もあまり変わらない)は小中学校の教員に大事な資質は、学歴ではなく自主性としっかりとした社会批判力だと確固たる信念を持っていたので、教職員大学院などは興味がなかったことを思い出す。

その後も、教書大学院の動きなど調べもしなかったが、教員養成には『修士』という考え方は生き続けているらしく、現在では25校に増えていることを、今回の中教審答申で始めて知る。

これらの教職大学院は、いずれも『学力向上からいじめまで、教育現場が抱える様々な問題に対処できる高い専門性を持つ教員育成を目指す』との理念を掲げているそうだが、たった2年間の大学院で修士を取得すれば、こんな高邁な理念を遂行できる教員を育てられると本気で思っているとしたら、それこそ不遜だと言うしかない。

前書きが長くなったが、全国に25校ある教職大学院の13校で、今年の入学希望者が定員を下回っているというとの記事を見つける。

4割超の教書大学院で定員割れとは、いかに受験生から敬遠されているかがわかるが、大学院を卒業し『修士』の資格で現場に登場しても、メリットが少ないことが大きな原因だろうことは想像に難くない。

メリットどころか、『修士さまのクセに、子どもの気持も読めないの・・・』と先輩教師達の冷たい目が容赦なくそそがれ、やっかみも加わり批判の対象となっている現場を想像できる私としては、希望者が少ないのも当然だろうとの感想を持つ。

そんなことにはお構いなく、中教審が改めて教員の養成期間を6年に引き上げる答申をまとめたのだが、受け皿になる教職大学院の中には、定員削減に踏み切る動きも出ているというのは、最初からこの答申は無理だということに他ならない。

教員をバカにする気持ちは全くないが、昔から、ごく少数の例外を除いて、教員養成大学を志望するのはごく『平凡な成績』の者であることはだれも否定しないだろう。能力の高い高校生は、より難度の高い大学を目指し、(一般的に良くいわれるが)算数計算もできないバカでは合格できないのが教員養成大学の大きな特徴。平たく言えば、秀才でもバカでもなれないのが教員なのである。

しかも、教員の世界は徹底的な縦社会とあっては、修士として採用される条件が、一般の教員とかけ離れた給与体型では成り立たなくなるのは当然で、仕事面でも特別待遇ではなく学級担任からはじめるとなると、2年間の苦労が即、形で現れることはまずない。

校長への道も、それなりに試験があり、修士の肩書は有利になるだろうが、現実として一般教員の実績を無視して任用できないとなると、これまた特別のメリットというわけにはならないのが現実。これでは教職大学院志望者が少ないのも頷ける。

私は以前から、本当に優秀な教員を集めたいのなら、給料を現在の数倍。それも年俸とし、9月入学6月卒業として、夏休みに当たる7.8月は完全に自己研修に当てられるなどの待遇改善が必要だと主張しているが、そんな考え方はハナから無視されている。

教員の待遇をそのままにして、仕事内容や責任だけ大きく重くする『修士資格が教員の必須』という中教審の答申が、ますます学校現場を混乱させ、今以上に問題を複雑にすることだけは間違いない。

私には『教職大学院は、学力向上、いじめ、不登校など、学校が抱える様々な問題に対処するため、生徒の指導方法や学校経営などについて実践的な手法を学ばせる場』だという文言が虚しく聞こえるのだが・・・。(田舎親父)

2012年9月 1日 (土)

また始まるお馴染みの猿回し劇・・・

 8月29日に参議院で首相の問責決議案が可決された。どう考えても、自民党とその他の弱小野党各派が賛成できる舞台ではないと思っていたが、何としても解散を迫る自民党は、こともあろうに弱小野党各派と相乗りしてまで問責決議を通したことに、違和感を覚える人も多いのではないだろうか。

解散時期を『近いうち』という極めてあいまいな言質で自民党と宗教政党を納得(騙しだろう)させ、念願の消費税増税を成立させた財務省ブルの汚染ドジョウ首相は、してやったりというところ。

案の定、消費税増税が可決したとたん強気に転じ、『近いうち』などという言葉そのものがあいまいなことを良いことに、今国会で解散なんて約束などしていないという態度に転じ、その後の国会運営は強引そのもの。

自民党としては『約束が違う』というところだろうが、問責を決議した以上、メンツの面からでも審議には応じられないだろうから、今国会は事実上終わり、喜んでいるのはドジョウ首相と側近達。否、一番ホッとしているのは、このままの状態での選挙では、間違いなく落選すると思われる消費増税には反対ながら民主党に残った輩。よくぞ頑張ってくれましたとばかり、首相に感謝しているのでは・・・。

今国会は結局、消費税増税法が成立しただけ。『一体』であったはずの社会保障制度の抜本改革は全く議論されず先送り。

民主党は与党としての責任である、明確な一体改革案などは一切出せず、9月に立ち上げる有識者による『社会保障制度改革国民会議』という、実態が明らかになっていない組織を立ち上げて、そこに丸投げ。

そんなことははじめからその場限りの口先だったらしく、衆院の定数問題や社会保障の議論も、全て野党が応じないからだと責任を全て転嫁するのも許し難い。しかし、はじめからこんな政局になることを予想しながらも、念願だった消費税増税を『民主党が言い出したこと』と、何よりのご馳走とばかり食いついたことが、今回の混乱劇を引き起こしているのだから、自民党にもそれ相当の責任があることは間違いない。

2009年衆院選の民主党マニフェストにはない消費税増税を強行し、明確な安全基準を欠いたまま関西電力大飯原発を再稼働させた民主党の汚染ドジョウ政権は、誰の目にも内閣不信任にも値する状況だが、そのことを強く発信するマスコミがいのも私には理解不能。

唯一、東京新聞が社説で、首相は問責決議を重く受け止め『内閣総辞職』を行うか、『一票の格差』解消を速やかに実現した上で、『衆院解散』に踏み切るべきだと訴えているが、困ったことに、朝日・読売などに比べて、講読数が圧倒的に少ないとなると、国民には広く浸透しないのが悲しいことだが現実だろう。

国会が事実上閉会となった現在、マスコミの話題は民主党と自民党の党首選のことばかり。民主党は消費税反対派がまとまって候補者一本化を計っているとのことだが、今更、消費税増税反対と叫んでも、国会で採決してしまった後では虚しい繰り言で、国民的な支持は得られない。まして、マキコ女史をとのマスコミ報道に至っては、まさに乱心とした表現のしようがない。

その意味では自民党の選別劇の方がまだ面白い。タニガキ総裁の続投の筋もあるらしいが、汚染ドジョウ氏に『ドングリに出合ってさあ大変』と思わせたものの、こけ扱いされた以上、党員としては不信感が起きるのはやむ得ないところ。

その上、実態の良くわからない大阪維新の会という右翼組織?が台頭して、そちらの動きが何よりも大切になっているかのようなマスコミ報道とそれに動かされる世論に、危機感を募らせているのは私だけではないと思いたい。

まあ、政治の猿回しといったところだろうが、といって、誰がこの国の舵取りに相応しいかというと、これが見つからないのが何よりも悲しいことであるが・・・。(田舎親父)

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