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2013年1月

2013年1月31日 (木)

各地の学校に広まりそうだぞ・・・

 オリンピック女子柔道の監督の暴力事件で、こちらの方の取り扱いが少し軽くなった感じがするが、桜宮高校のバスケ部主将の2年生男子生徒の自殺から顧問教師の体罰(記事が事実としたら明らかな暴行)事件が連日報道されて、ついには体育学科の入試の中止とさらに体育学科の教師全員の異動という市長の要求に、教育委員会が渋々応じるような、謂わば、大人の論理の解決策にやっと批判が出始めた。

運動部では、体罰(精神を鍛えるという意味での暴行)の存在は以前から指摘されていたことで、ある意味どの学校でも公然の秘密だった。桜宮高校で白日にさらされた以上、別の高校でも明らかになるのではと予測していた通り、愛知県の公立高校に飛び火。こちらの方も連日マスコミの絶好の餌食になっている。

豊川高校と言えば駅伝と言われるほど、昨年まで女子は連続優勝、男子も今年度優勝した高校であるが、まな板に乗せられているのは、豊川高校ではなく豊川工業高校というから、愛知県では似たような校名の学校が駅伝で競っているらしい。

豊川高校は私立だが豊川工業高校は愛知県立の公立校。現在では駅伝の強豪校として有名だが、急速に実力をつけてきたのは、1993年に現在の顧問である50歳の男子教師が転入してからだという。これは、桜宮高校のバスケ部が強くなってきた過程とぴったりとダブル。

この顧問の指導により、2004年の全国駅伝で準優勝、2005年の同大会で3位、さらに2006年再度3位入賞。しかも、『日本人のみのチーム』の中では3年連続最高順位というのは無条件に凄いとしか言いようがない。

これだけの実績を残していれば、校長は『そろそろ異動しては・・・』とはなかなか言い出せなかったことも桜宮高校のバスケ部顧問教諭の場合と同じで、以来20年間ずっと陸上部の顧問を続けていたという。当然、自分の指導に対しては絶対的な自信を持っているだろうことも同じで、校長にも口をはさませなかったのだろう。

この高校の顧問教師の暴行問題が明らかになったのは、内部の告発からだろうと推測している。桜宮高校事件が明らかになり、今ならきっと取り上げてもらえると思った、かって、この教師から暴行を受けた生徒や保護者の声が背景にあっただろう。

県教委も動かざるを得なくなり、部活動の指導自粛を求めたというから、学校(校長)は慌てたに違いない。この際、ある程度の事実は公表しておかないとトンデモないことになるとの判断で『監督の体罰をきっかけに昨年4月以降、部員2人が転校や退学をしていた』と発表したそうだが、学校の隠蔽体質はここでも明らか。

その内容は新聞記事にあるので私が繰り返し述べる間でもないが、この教員は以前にも保護者からの告発に対して、校長に『行きすぎた指導をした。二度と行わない』と誓約書を出していたというから話はややこしくなる。

しかも、誓約書を出した半年後に、部員にデッキブラシで体罰を加えて頭を縫うけがを負わせ、県教育委員会から文書訓告の処分を受けていたとなると、何のための誓約書だったのだろう。

教育委員会はこの時点でこの教員を謹慎処分にし、翌年異動させるのが、私が知っている公立小中学校の例であるが、なぜかうやむやにしてしまって今日まで陸上部顧問を続けていたらしい。

このことが明らかになって県教委は大慌て、管下の学校に体罰教育有無を報告させたところ50件以上上がってきたのだそうだ。この数字も気になるが・・・。

その一つ一つを取り上げるつもりはないが、どの学校の運動部(有名・有力になると文科系部活でも同じだろうが)でも、強くなりたい・県大会や全国大会に出場したいと言う生徒・保護者の願いが大きくなり、教員の暴行も含む強い指導は『熱心だ』という評価につながり黙認されているのに違いない。

校長としても自校が有名になることは望むところ。むしろより厳しい指導を求め、体罰と暴行とを区別する感覚がマヒしていたのだろう。気がつくと、顧問の力の方が強くなり、異動させようとなどとても思えず、保護者からの苦情にも『わかりました、強く指導しておきます』と答え、当の教員には『ホドホドにしておくこと・・・』程度の説教でお茶を濁していたというところでは。

保護者もげんこつ一つぐらいは当たり前という気持ちだったのではないだろうか。気合が入っていないプレ-にはそれぐらいは当然と許していただろうが、今回の事件で風向きが変わる。特に、教員から気合を入れられることを不満に思ったり、疑問に感じる生徒やその保護者は勢いづくに違いない。

この問題は各地に広がりそうだ。教育委員会は、どんな些細なことでも良いから報告を上げろと指示するだろう。言葉を選ばすに表現するとまるで『魔女刈り』のように、ほんの少しの体罰?を、さも大げさに取り上げる風潮が当たり前になるのではないだろうか。

行き過ぎた体罰が許されないことは十分理解しているが、必要な場面では毅然とした指導が必要なことは教育基本法にもうたわれている。徹底的な管理態勢がしかれ、『体罰』が根絶したと仮定すれば(無理だと思うが)全国的に高校・中学の運動部の指導方針はゴロっと変わるだろ。そうなると、技術的にレベルが落ちることも考えられる。

その時、マコミはどう報じるだろうと想像すると、(無責任な表現だが)面白くなってくるというと叱られるだろうな・・・。(田舎親父)

2013年1月30日 (水)

大阪市民の声が伝わってこない・・・

 いじめと一緒で、犯罪である暴行を全て『体罰』と表現することに対して、違和感を覚えているが、マスコミ等も含めて一向に改まらないのに、どこからか何かの圧力でもあるのでは・・・と思いたくなる。

桜宮高校でのバスケ部の顧問の暴行問題は以前も取り上げたが、予想通り、ハシモト市長の脅しとも取れる発言に屈して、大阪市教委は同校の体育系学科の募集が中止したとのニュ-スに、何なの・・・と疑問を持った人も多いのではないだろう。

新聞各紙は『市長の要請に市教育委員会が折れた形』と表現しているが、予算の執行権を表に出して、『言うことを聞かないのならカネを出さない。執行権は俺にある。俺が間違っていると思うなら選挙で落とせば良い・・・』とは脅迫そのもの。堂々と言ってのけるこの人物に恐ろしさを感じているのは私だけでは決してないだろう。

この言葉を真面目に受け止め、リコ-ルの動きでもあれば大阪市の有権者の意識を見直すところだが、残念ながらその動きはないらしく、完全にハシモト軍団の一兵卒に甘んじているようだ。大将の自信もこのあたりを十分見込んでいるのだろうが・・・。

市教委も情けない・・・といいたいところだが、ハシモト市長が大阪府知事の時に、学力テストの全学校の結果発表に異議を唱えた府教委の教育委員長も『市長のいうことはもっとも』という態度を出しているのでは勝ち目はないと判断。早々に白旗を上げたというところだろう。

しかし、脅す首長も脅される教育委員会も徹底的な論争を避けて、いわゆる大人の一方的な理屈で、桜宮高校の体育科を目指していた中学生の夢が奪われることには納得いかない。

この問題が、5月、6月の1学期に起きて、入試中止ならまだしも、入試の日まで一月を切るこの時期に中止は、自らの実力ではなく、いわば大人の論理で未来への門戸が閉ざされたのだからあまりにも理不尽としか言いようがない。

受験生ばかりではない。中学校の担任は該当の生徒にどう向き合うのだろう。子どもの進路を理解し応援していた保護者の悲嘆を想像すると心が冷えきる。受験をあきらめた生徒たちが全て目標を失ったとは思いたくないが、教育行政への不信感が大きくなったことは間違いなかろう。

 在校生は声を揃えて『人生の一部である新入生の受験の機会を奪ってほしくない』と訴えたが、ハシモト市長は『生きていれば良いことがある』と、まるで人ごとのように対応するこの男の冷酷さはどこからくるのだろう。

予算を握られている市教委としては、この選択はやむ得なかったのかもしれないが、この背景には、さらに追い打ち的な『体育系のすべての教員の異動』という脅しに対して『せめて5年?以上在籍の教員でお許しを・・・』という、これまた大人の論理での妥協を探っているように思えてならない。

 バスケ部の主将の自殺問題で浮かび上がった市教委や学校の閉鎖的で事なかれ主義の体質は許し難いことは当然である。市教委や校長がバスケ部を強豪チームに導いた顧問教師の実績は認めざるを得なかったるとしても、この教師の『暴行(体罰)』は、以前からわかっていたのにも関わらず、事実上放置というより隠蔽してきたことは私が今更指摘するまでもない。

 事態が明らかになり、市は動きだした。市長は1000万円かけて100人規模の外部監察チームをつくり、徹底調査に乗り出したはず。本来なら、そのチ-ムの検証結果を待ち、全国どこの高校でも存在する勝利至上主義の風潮の背景と今回の事件の責任を明確にして再発防止につなげる解決策を作り出すことだと思うのだが、唐突に入試の中止と今年度の体育科の教師全員の異動は、あまりにも思春期の生徒たちに与える悪い影響が大きすぎる。

 伝えられるような暴行が連日この生徒に加えられたとしたら、自殺を選択したことも理解できるが、保護者もある程度この暴行(体罰)を知っていたはず。なのに、何もしなかった(ひょっとして、我慢しろと教師側の立場で子どもに接していたこともあり得る)となると、事件の真相さえ判然としない。罪のない受験生や在校生に負担を与えるやり方は納得できない。

 さらに、桜宮高校では、暴行(体罰)が発覚したバスケ部やバレーボール部だけではなく、文科系を含めてすべての部活動を自粛しているのもいま一つ納得できず、生徒たちへのしわ寄せが大きすぎる。

 これまでのマスコミ報道を読み取る限り、私には、政治的パフォーマンスが色濃く漂うハシモト市長に対して、大阪市民の怒りが伝わってこないことが不思議で、一番気に入らないところである。(田舎親父)

2013年1月29日 (火)

下手すると血の雨が降る税制改革・・・

 2013年度の税制改正(改悪だろうと思うが)が決まったそうだ。この税制の改定は民主党の汚染ドジョウ首相が、何を狂ったのか突然に消費税増税を命にかけてもやり抜くと言い出したことに端を発している。

 自民党にとって汚染ドショウ氏の姿勢はまさに渡りに舟。長年やりたくて仕方なかった増税を民主党がやってくれるとなる文句はない。そのことにはできるだけ触れずに、衆院選挙で大勝したのだからまさにウハウハ・・・。

与党のうま味を知っている宗教政党は自民党にベッタリ。数の力でやりたい放題というところだろう。

経済音痴の私には詳しい内容はほとんど理解できないが、改定案の項目を見る限り、タテマエは低所得者に考慮して、富裕層への増税を表に出す作戦であることが一目瞭然。所得税の最高税率を現行の40%から45%に引き上げるというのは、貧乏庶民にとっては何となく聞こえは良い。しかし、かっては50%だったというから、まだ金持ち優遇であることは間違いない。

富裕層への相続税も増税するという。現行は課税対象の遺産が3億円超で50%が最高税率らしいが、6億円超という枠を新設して税率55%とするのだそうだ。私のような貧乏人には全く関係ない話だが、相続遺産のうち課税対象とならない枠(基礎控除)も『5千万円』と『相続する人一人当たり1千万円』から、それぞれ『3千万円』と『一人当たり6百万円』に縮小するというから、該当する人はかなり増えるのではないだろうか。

金持ちには厳しいぞ・・・と思わせながら、金持ちの定義を広げて、薄く広く取り立てる筋書き。誰が書いた筋書きかわからないが、自民党の税制調査会という組織には悪知恵が働くスタッフがいるものだと変に感心する。

 国民の目を増税からそらせる作戦だろうが、14年4月の消費税率引き上げや、『過半数確保』が最重点と位置付ける今夏の参院選をにらみ、『自動車取得税』廃止や『住宅ローン減税の拡充』など、『減税』を連想させる項目が目立つ。

 一応、官房長官が否定はしているが、自動車重量税は温存しそれを財源にする『道路特定財源』を復活させる方針を決めたとの情報も流れている。どうやら、自民党は3年前の政権交代の反省などすっかり忘れてしまっているらしい。

 唐突に『自動車取得税』を廃止すると言い出したのも、消費税を増税すれば販売減は確実、その分の埋め合わせであることは明らか、これは自動車業界の労使に対してかなりのインパクトがある。

また、自動車取得税は『地方税』なので、廃止すれば税収減となる地方自治体が困ってしまうことに対して、『重量税』は温存するどころか、地方の道路整備などに充てる事実上の特定財源にする予定なのだろう。業界にも、地方にも配慮するという実に巧妙に計算されたシナリオを用意している。

 その他、経済再生を最優先に掲げるだけに、雇用や賃金を増やしたり設備投資する企業の法人税を減税する制度、あるいは今年末までの住宅ローン減税を延長・拡充するというのも聞こえは良い。

 面白いのは、高齢者が手元に持っていると思われる、いわゆるタンス貯金を引き出すために、孫一人当たり1500万円まで贈与しても無税という制度を考え出したこと。09年時点に1500兆円ともいわれる預貯金や株式などの金融資産のうち、6割近くを握る高齢者層からお金を引き出し消費に回すという作戦なのだそうだ。

 財産も孫もいない私にとっては全く無関係な話だが、本当の富裕層の連中は1500万円どころでないカネを、始めから税金などとは無縁の方法で、子供や孫に与えているはずだから、一番の被害者は、コツコツと小金をためて老後に備えようとしている中間層の孫あり老人たちではなかろうか。

この制度が動き出したら、子供や孫から『この際、いただきたいね・・・』との合唱が広がるのではないだろうか。小金持ち高齢者は、老後の担保がないではホイホイと渡しにくいのは予想できること、結果的に悲しい事件が起きるのでは・・・。

時限立法が救いだが、これは上手の手から水という例え通り、どこか無理があるように思えてならない。(田舎親父)

2013年1月28日 (月)

公表するから受けさせないとはこれいかに・・・

 アベ内閣は経済問題が最重点課題だとしているが、教育問題にもかなり力を入れているらしく、制度も含めていろいろといじくる傾向が目立つ。

先日は道徳の充実を旗印に『心のノ-ト』を復活させることを取り上げたが、『学力テスト』もしかりである。民主党政権では仕分けで無駄ということになり、抽出方式にしたのを、全国一斉の『学力・学習状況調査』をすべての公立小中学校に復活はもとより、高校まで視野に入れているという。そのために、3億円の予算まで計上しているとのこと。

これも政権交代のなせる業なのだろうが、現場としては時の政権によって、コロコロと政策が変わってはたまったものではない。

文科省の方針は、全国一斉の『学力テスト』はすべての学校で行うが原則という。しかし、その結果に関しては、都道府県別の成績は公表するが、それぞれの自治体の管轄下の小中学校については、序列がつくことが好ましいことではないと言うことで、原則公開しないのだそうだ。

配慮としてはわからないことではない。点数によって学校の善し悪しが決められ、それがそのまま格差として評価されるとなると、別の問題が発生することもわかる。しかし、テストというのはもともと点数で結果を現し、序列をつけるために行うものであって、序列をつけないのなら、テストなど行う必要はない。その意味では、文科省の方針そのものに疑問をつけざるを得ないと思うのだが・・・。

学校間の競争によって、学校の質を高めるということは間違いだと思わない。学力が学力テストで計れて点数で現せるものだけならば、学力テスト最優先と言う考え方はわかるが、『学力とはなんぞや』という根本的な議論がないまま、テストの点数がそのまま学力だと概念がまかり通っていることが、私には不思議で仕方ない。

このことは後ほど述べるとして、学力がテストの点数で現せるとしたらという仮定で話を進めるが、学力テストの結果が即学校の学力を現しているとなると、それを公表して学校に序列をつけることにより、上位の学校は現在の質を維持し、下位の学校はより上位を目指すという競争の起爆剤になれば良いという論理はまさに正しい。

文科省はそれでは困るという。その典型が大阪府泉佐野市に現れているという面白い記事を見つけた。

来年度の学力テストが、4月24日に行われるという。泉佐野市長がこの全国学力テストの学校別成績を公表する考えを明らかにしたことを受けて、泉佐野市のテストへの参加を認めない方針だというから思わずウン?と首を傾げ、同時に笑ってしまった。

文科省の発表では、市長の意向を受けた市教委が、学校別成績の非公表を同省に確約しなかったためで、今後は、『非公開を順守』するよう求めて同市教委と協議するとのことであるが、非公開にするぐらいなら始めから一斉の学力テストなどやらなければ良いと思わずにはいられない。

学力テストの実施要領は、学校の序列化を招くとして、『個々の学校名を明らかにした公表を行わない』ことを市町村教委に求める旨を明記しているのだそうだ。同省は、各教委が首長に成績情報を提供する場合も含めて、実施要領を守るかどうか、各教委に意向調査。今月中旬の締め切り時点で、泉佐野市教委の回答だけが、実施要領の順守を確約しなかったとのことである。

しかし、大阪市桜宮高校の生徒の自殺問題では、結局、市教委はハシモト市長の軍門に下って体育学科の受験は中止になり、大阪府教委も市教委を批判している経緯などを考えると、首長からの圧力に屈して学校別の成績を公表する教委も出てくるのではないだろうか。

 そのハシモト氏、早速『文科省が泉佐野市をいじめにかかっている。(公表の可否は)地域で判断させたらいい』と発言したと伝えられる。シモムラという文科相は桜宮高校事件では、当初激しくハシモト批判をしていたが、どこからかの圧力があったらしく、すぐにト-ンダウンしてことから、この問題でもすぐに白旗を上げるのでは・・・。

 すると、来年以降、全国の自治体で各学校の『学力テストの点数』が公表?。小学校の段階から1位からビリまでの序列がつくとなると、保護者の考え方は大きく分かれ『地域の絆』などという言葉は、死語となることは間違いなさそう。

さて、文科省はどんな動きをするのだろう・・・。

ところで、学力であるが、以前から主張しているように、私は学力にはテストの点数で計れるものと、点数では決して表せられないものがあると考えている。算数や国語の学力は確かにテストの点数で現すことができるが、自分で解決する能力や相手も思いやる気持なども大切な学力であることは間違いない。しかし、これらはテストで計り点数で表すことはとても無理だということは誰も否定しない。

ところが現在、学力と言うとテストの点数で現せるという考え方が主流で、学力テストの点数=学力になっている。ここが問題で、もう一度、本当にこれで良いのかと立ち止まって考えてみる必要があるように思えてならない。(田舎親父)

2013年1月27日 (日)

この寒さに、今年の夏の酷さを思う・・・

 昨年は11月までは暖かだったが、12月に入ると急激に寒さが厳しくなり、温度に鈍感な私でも長袖シャツと冬用に薄手のズボン下が手放せなくなったことは、以前にも記したほどである。

この厳しい寒さは年が改まった今日も続き、今朝の超夏向きの我が家では2.8℃と今年いちばんの冷え込み。成人式の日にはゲリラ的な低気圧の影響で、年に数度程度しか雪が降らない横浜の片田舎でも積雪20センチという大雪に見舞われ、今なお近くの林の中には真っ白な一面が広がっている光景を目にする。この雪では、首都圏の交通機関がズタズタになったことはマスコミがにぎやかに報じていた。

ところが、こんな異常な気象は日本だけではなく、世界的だというから、自然が人類の奢りに警鐘を与えているのではないかとさえ思いたくなる。

 エルサレムという都市のことはテレビの映像でしか想像できないのだが、どちらかといえば温暖な気候だと思っていたが、つい10日ほど前に20センチの雪が積もったのだそうだ。日本の首都圏と同じで、こんなことは滅多に起こらないらしくエレサレム市内の交通がストップしたという。

雪の重みで多くの木々が倒れたという文言はともかく、公園では人々が雪合戦を始めたというから、何となく微笑ましくなる。しかも大統領が官邸前でボディーガードの手を借りて雪だるまを作っている写真まで公開されたという。お国柄とはいえ、残念ながら、日本の首相はこんなユ-モアたっぷりの遊び心はないらしい。あればきっと支持率は上がるだろうに・・・。

また、南半球はこの時季は真夏だから暑いのは当然だろうが、オーストラリアでは全土で記録的な猛暑となり、同国気象庁は、前例のない気温に備えて、地図の色分けに50℃以上の紫色と52℃以上のピンクの2色を追加したという記事にもびっくりさせられる。元日からの8日間は記録的な暑さで、とくに1月7日は平均気温が40℃というから凄まじい。当然過去最高を更新したそうだ。

まだある。年始めは、アメリカ東部では春のような天気に恵まれているというありがたい異常気象だったが、最近は一転して大雪と突風で大変な被害だそうだ。中国では1月上旬の平均気温がマイナス4度まで下がり、ほぼ30年ぶりの寒さとなり、1000隻以上の船が氷に閉じ込められた地方もあるとのこと。同じ時期に、ブラジル北東部は熱波と干ばつに襲われ、16年のオリンピックが開催されるリオデジャネイロでは43℃という史上最高気温を観測したというから、ブラジルのオリンピック委員会のお歴々の顔つきも変わっているのでは・・・。

さらにごく最近では、ヨ-ロッパ各地では大雪で、飛行場が大混乱しているらしい。除雪が間に合わず、時に就航予定の飛行機の20%もが欠航というから、これまた異常気象の典型だろう。

アメリカの気候評価(NCA)報告書の最新版の草稿を執筆した240人のアメリカの科学者は、このような異常な気候が標準となりつつあると警告しているという。報告書の冒頭に『夏は長く、暑くなり、酷暑の時期が、存命中のアメリカ人の誰もが経験したことがないほど長期間続くようになっている。冬は全般に短く、温暖化している。雨は激しく降るが、多くの地域で、雨の降らない乾燥した期間が長くなっている』とあるというから、冬の厳しさよりも、夏の酷さを懸念しているようだ。

今年の冬の厳しさを実感している私には、『冬の温暖化』はあまりピンとこないが、ここ数年の酷暑から思うに、NCAの警告には背筋が寒くなる。

地球の温暖化とエネルギ-の消費とは切っても切れない因果関係があることは常識的な知識である。産業革命以来、先進国のエネルギ-の消費量が年々増加していることは小学校でも取り上げているが、近年、中国・インドをはじめ、これまでは発展途上国と言われていた国々が一斉にエネルギ-を大量に必要とする社会に変貌しているので、世界的にエネルギ-を求める争いが起きている。

先進諸国はエネルギ-を求めて地球のあらゆる場所に進出。だから、つい最近アルジェリアでの武装勢力のテロ事件などが起きるのだろうが、今更、エネルギ-消費を少なくすることは無理だろうから、地球温暖化の進行速度は右肩上がりの双曲線。

それにつれて異常気象も増えているという因果関係があることを、NCAの報告書が指摘しているのだろうが、今年の夏を思うとぞっとする。そして来年、再来年と夏が暑くなるのが確実となると、超夏向きの我が家でも暮らし方を変えざるを得なくなりそうだ。

『寒い・寒い・・・』と連発している今から、酷暑を心配しなければならないのも変な話だが・・・。(田舎親父)

2013年1月26日 (土)

すべての薬のネット販売 大丈夫?・・・

 また話が少し古くなる。通販会社が、インターネットなどでの医薬品の販売する権利を求めた訴訟で最高裁が国の主張を退けて、合法と判断したというニュ-スに、私などが何をつぶやいてもどうなるものではないが、『すべての薬品』にこれを許となると少し引っかかる。

ずいぶん以前に薬事法が改定されて、以来病院で直接薬を出してはいけなくなったらしく、いちいち処方箋を持って薬局に出かけなければならないことに、医療費の二重取りのような印象を受けている。しかし、薬をめぐるトラブルが相次いでいるらしい事情を知ると、まぁ仕方ないかと無理に納得させてはいのものの、お薬手帳などというあまり役立たない代物を作って収入を上げているシステムには正直腹が立つ。

このこととは直接関係ないらしいが、改定薬事法(省令)では、ビタミン剤など一部の薬をのぞき、薬局などで薬剤師が対面で売るようになっているとのこと。国の言い分は、薬剤師が使用法などの説明を十分に行うためで、ネットだとそれが不十分になると言うものらしいが、先日体調を崩して風邪薬と下痢の薬を求めて近くのス-パ-的薬局に出かけたら、レジの店員は何も言わずすんなり渡したところを見ると、薬剤師のアドバイスなどは文章上だけのものらしく、実質的には薬剤師との対面会話なないに等しいのが現状のようだ。

私はネットを利用して薬剤を購入したことがないので、詳しいことはわからないが、薬事法(省令)によれば、先日私がス-パ-的薬局で簡単に入手できた風邪薬や胃腸薬などの多くは、ネットや電話による通信販売が禁止しているのだそうだ。が、薬局が近くにない地域やあっても買いに出かけられない高齢者や障害者は困るだろうと思うと、ネットや電話で注文できても良いのではと思わないでもない。

この裁判は、薬事法(省令)の改定までネット販売していた通販会社二社が、国を相手取り販売する権利の確認を求めて提訴していた事案で、一審の審東京地裁の判決は国の主張を認め原告が敗訴。

控訴審の東京高裁は一審判決を取り消し、『ネット販売の禁止は改正法には明記がない上に健康被害などの実態の検証も不十分。なのに、厚労省の判断で定める省令で禁止し国民の権利を制限したことは違法で無効』と、販売を認める判決を言い渡し、今回の最高裁はこの判決を支持。今後はすべての薬剤のネット販売が可能となるらしい。

 薬事法(省令)の改定のもう一つの国の主張は、医療機関に頼らず自身で健康を管理するセルフメディケーション(また新しいカタカナ表現)を進めることだと言われている。確かに自分で健康管理ができれば医療費の削減にもなることは理解できるが、実際に私のように、医者にかからず薬局の売薬で治癒させる人も多いはず。ならば、誰でも必要なときに購入できるネット販売の禁止はむしろそれに逆行するのではなかろうか。

最高裁の判決は、このような部分に国の論点の無理があると判断したのだろうが、何の規制もなくネットですべての薬剤が販売されるとなると、安全性からみて大丈夫なのという新たな疑問がわかないでもない。

薬には副作用がつきもので、回数や量間違うとかえって症状が重くなると教えられてきた。そのため、一般的な売薬でさえ使用方法がかなり厳密に記してあるのだろうが、ネット販売となるとそれらは全て利用者の責任になるのだろうか?。

誰でもネット販売に参入できるとなると、またそぞろビジネスチャンスとばかり、いかがわしい業者までも金儲けのために集まってくるのは現代の世の常。このあたりチェック機能がうまく働く仕組みができているのだろうか。

 この判決を受けて厚労相は、ネット販売の規制緩和に関する検討会を設置する意向を表明し、年度内にも方針を打ち出す考えだそうだが、そんなに簡単に安全性と利便性が両立できるような販売ルール作りができるのだろうか?・・・。

 ネット販売業者が適正な薬の使い方や副作用情報を丁寧に説明し、その内容を誰かがチェックできるような仕組みを作らなければ、万が一、副作用で死に至るような事故が起きた場合の責任の所在が曖昧になりそうだ。

 さらにネット販売では値引き競争が激しくなることも予測できる。利潤を得るためだけの目的で大量購入する場合の対処法や、安全管理を整えていない業者対策も大きな課題になるに違いない

今回の最高裁の判決を業者は大歓迎だろうが、安全なネット販売を実現するため、ネット販売業者も入れて、医学関係分野の代表が一同に介しての議論し、医療弱者・買い物弱者の人たちが安心して購入できるシステムを作ってほしいものである。(田舎親父)

2013年1月25日 (金)

再度、給食と食物アレルギ-について・・・

 半月ほど前に話題にした調布市の小学校の給食で乳製品にアレルギ-を持つ女子児童がお代わりを要求したことに誤って担任がチ-ズ入りのちじみを与え、死に至らしめたという事件の続報が数日前にあった。

 私はこの事件については、亡くなった女児と遺族の方には大変申し訳ない表現になり、人権擁護団体から強い非難がくるかも知れないことを承知であえて発言するがと断って、乳製品を食べさせれば死至るほどの強いアレルギ-反応のある児童に対して、『口にさせない』ことを学校だけに任せてしまっている現在の方法を改めない限り、同じような事故・事件は起こるのではないだろうかと述べた。

 この考え方は今でも同じだが、同じ小学校で同様の事件が以前にあったとは思いも及ばなかった。昨年10月にも1年生の男子児童がアレルギー原因食材の卵料理を食べ、救急搬送される事故が起きていたとの数日前の続報に、この学校のアレルギ-対策が極めておざなりであったことにショックを受ける。

 記事によると、事故後学校は講師を招いて講習会を行ったが、約2カ月後の死亡事故を防ぐことができなかったとある。調布市教委は取材に対し、昨年10月に事故があり、この児童のために、アレルギーを起こす食材を取り除いた給食を用意していたが、配り方に問題があり、児童が別の給食を誤って食べてしまったという説明だけで詳細は明らかにしていないようだ。

 市教委としては、幸い男子児童は命に別状がなかったことで、配り方などを発表するは他の児童や保護者への影響を考えているのだろうと思うが、2ケ月後の死亡事故につながった経緯を詳しく話せないのは、何か気になる。

 同校には当時、食物アレルギーの児童が16人いたという。校長は事故後の10月4日に食物アレルギーの事故が起きた時の対応方法について、教職員全員に書面?で通知し、さらに10月30日に、外部講師を招き、教職員21人がショック症状を抑える自己注射薬エピペンの取り扱いを学んだとある。

 別の新聞記事の特ダネによると、この児童が2学期に転校してきたばかりで、教職員と調理員の間で児童のアレルギーに関する情報が共有されていなかったとある。確かにこれはあり得る話だが、これで全てがオチたというすっきりした気分にはなれない。

 教育委員会のコメントも気になる。5年生の女児児童の死亡事件では、教職員がエピペンの注射をためらったという。市教委はこのことについて『研修会を開きながら防げなかったのは、教職員の危機意識が低かったと言わざるを得ない』と学校(教職員)の怠慢のような発言をしているが、突然子供が倒れた時に、研修を受けたとしても、自分の判断でエピペンなる注射を打てる教員は(私の経験では)まずいない。

 さらにエピペンがどこにあったか想像すると、恐らく保健室に鍵をかけた薬品戸棚にでも保管しているのだろうが、その鍵は養護教諭が管理しているはず。今年赴任したらしい教頭(副校長)も所在は知ってはいるだろうが、もし養護教諭がベテランだったとしたら遠慮もあり、鍵の存在場所も知らなかったことも考えられる。その日、養護教諭が不在だった可能性も記事からは完全に否定できない。

 また、勤務中だったとしても、給食時には養護教諭は教員室で専科や管理職と食べるのも普通であり、教室で呼吸困難に陥った児童を前に、パニックに陥っている担任に瞬時にこれらのことを考え巡らせて最適の対応を求めるのは酷だろう。よほどの幸運に恵まれない限り女児の生還は難しかったといっても差し支えなさそうだ。

 ところで、食物アレルギーがある子供の母親のうち、特にアレルギーの対応を行っていない母親が4割を超えるという、興味ある記事が産経新聞にあった。

 ファイザーという調査会社が食物アレルギーの子供を持つ母親824人と食物アレルギーのない子供の母親824人の計1648人を対象に実施した調査結果をそのまま引用しておく。

 (引用はじめ)アレルギーのある子供を持つ母親に子供の食物アレルギーの対応として行っていること(複数回答)を尋ねると、最も多かったのが「特に何もしていない」で44・4%だった。「食物アレルギー対応食」(40・2%)▽「代替食」(16・5%)▽「抗ヒスタミン剤などの常備薬の携帯」(11・5%)-の順。

 食物アレルギーの診断を受けた後、原因食品によって症状を起こした場所(同)は、(1)自宅(55・1%)(2)診断後に症状を起こしたことはない(32・2%)(3)レストランなどの外出先(20・5%)(4)親戚(しんせき)や友人宅など自宅以外の家庭(18・3%)-の順。

 子供の友達に食べ物を提供するときに確認していること(同)では、「食物アレルギーの有無」は、食物アレルギーのある子供の母親は58・4%だったが、食物アレルギーのない子供の母親は35・9%だった。一方、子供の友達に食べ物を提供する際、好き嫌いの有無を確認しているのは、食物アレルギーを持つ子供の母親は46・8%で、食物アレルギーのない子供の母親は51・9%だった。(引用終わり)

 この数値をどう解釈するかは個人的にかなり差があるだろうが、私の見解は、母親でさえこの程度となると、(食物アレルギ-を持った児童に細かな配慮をすることには敬意を表するが)学校がその責任を負うには無理すぎるという結論になる。

 ではどうすれば良いかはたった一つ。親ときちんと話し合って、事前に『緊急の場合』の処置を決めておくこと。エピペンは児童に持たせることはもちろん、家庭でも『何を食べてはいけないか』を徹底して指導して『生活習慣』とすることを学校と保護者の約束事として文章で交わしておくことだろう。

 そこまで担保できない教育委員会が、教員がエピペンを打たなかったことを『危機管理がなっていない・・・』などと批判してはいけないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年1月24日 (木)

エッ! こんな教師がいるの?・・・

 20日の朝刊に『生徒に薄めた塩酸を飲ませる』という見出しがあった。トンデモ教師がいるものだと思ったが、質的に大分違うが、やはり薄い塩酸を飲ませたことがバレて、こってり絞られた友人のことを思い出した。

 彼は中学校の理科の教師であるが、実験を中心に授業を進めることが当時の生徒には魅力だったらしく、相当荒れた中学校だったが、彼の授業はしっとりと落ち着いていたことを懐かしく思い出す。

 確か胃酸の話だったと記憶しているが、人間の胃の中にはかなり強い酸性の『胃酸』という分泌液があり、それが消化を助けるということを教えるということで、どのぐらいの酸性を示すために、ごく薄い塩酸を作りリトマス紙で実験していた。

 ある生徒が『先生、塩酸と胃液の酸と同じと思って良いのですか』と質問したので、基本的にはその通りだと答えると、生徒はさらに『では、この塩酸を飲んでも問題はないですね』と続けたので、彼は『飲んでも害はないが、飲まない方が良いと思うよ』と答えたのだが、その生徒は、当時のツッパリだったらしく、かっこよいところを見せたかったからだろう、彼が止めるま間もなく一気に飲み干したという。

 彼は後で『あの時は一瞬、頭が真っ白になった』と供述していたが、彼が呆然としている間に、数人の生徒が続き、クラスのほとんどが口をつけたそうだ。

 彼は生徒だけではなく保護者からも信頼されていたので、彼の授業のことは家ではよく話題に上がっていたらしく、ある生徒が『今日、塩酸を飲まされた(飲んだ)』と親に話したことがきっかけになり、保護者が問題にして校長の耳に入ったという。

 校長はびっくりして、すぐに厳重に注意し保護者には謝罪、それで解決したと思っていたところ、このことが教育委員会に知られるところとなり、校長と教育委員会に呼ばれこってりと絞られたという。

 日頃の勤務態度や生徒保護者との信頼関係などが良好だったため、口頭のお叱りですんだと、笑っていたが、このことは理科の教師の仲間では酒のつまみとして、今でも語り継がれているらしい。

 前書きが長くなったが、本題の教師は愛知県蒲郡市立中学の23歳の男性教諭だというから、いわば去年の春に採用になった新米の教師だろうと推測できる。

 記事によれば、この新米教師は昨年12月18日、理科室で砂鉄と磁石を使った実験をする際に『失敗したら塩酸を飲んでもらうよ』と発言し、失敗した2人に市販の塩酸を100倍に希釈した塩酸15ミリリットルが入ったビーカーを渡し、クラス全員の前で飲ませたというから(害になる濃度でないことはわかっていても)俄には信じられない。

 『砂鉄と磁石』の実験というから、砂鉄で磁力線を描く実験だろう。友人の『胃酸』の実験なら話はわかるが、およそ脈略はないことは中学校の指導要領を調べるまでもないだろう。2人だけが失敗したというが、磁力線の実験などでは失敗など考えられないので、二人の生徒は始めからふざけていたのではないだろうか。

それを見越して、あらかじめ塩酸を用意して、失敗したら(真面目にやらなければ)・・・となるとこれはトンデモない話。

 記事には『1人は全て飲み、もう1人はすぐに吐き出し、2人とも口をすすいだ』とあるところからは、飲んだ二人はある意味納得しているようだが、この教師は塩酸についての知識をどこまで指導していたのかという疑問と、あるいはひょっとして日常的に『実験の失敗(ふざけ)には塩酸』という罰則を行っていた?・・・。

 そんなことはないと信じたいが、ひょっとして、こんな授業がまかり通っているとしたら、これはまずい。また、体罰ではないが、これに類する罰則を課しているのは、この教師だけではないのでは・・・と思うと、何か後を引くような気がする。(田舎親父)

2013年1月23日 (水)

教員の駆け込み退職報道に思う・・・

 私がこのニュ-スを知ったのは一昨日。昨日取り上げようとしたのだが、マスコミの絶好の標的になったらしく、昨日から今日はかなり大騒ぎになっている。

地方公務員の給与を国家公務員に準じて削減するよう地方側に求めることを閣議決定したそうだ。前政権は国家公務員の給料が高いとの批判で、ほんのちょっぴり減らしたらしいが、自民党政権は給与原資の一部である地方交付税の減額幅も当初方針の6千億円から圧縮するという方針を示して、地方にもこのことを強要しているらしい。

自分たちの給料や待遇などには手をつけず、経済界の要求を真正面から受け止めて、公務員もこれだけ身を切る努力をしているのだから、賃上げなど要求するなという労働者の声を押しつぶす姿勢であることは間違いなさそう。

それはともかく、官民格差是正のため、国家公務員の退職金が減額されることに伴い、埼玉県が早速条例改正して2月から段階的な減額を決めたところ、県内の公立校の教諭ら100人以上が、3月末の定年を待たずに1月末で退職することがわかったという記事を見つけて、思わず埼玉県も罪なことをしてくれたものとつぶやいてしまう。

国は今年1月から国家公務員の退職金を3段階で削減、最終的に約15%引き下げるとのことで、これに合わせ、埼玉県は2月から削減し、県が負担する教職員の給与も減額することになったというから、影響が即にでたらしい。

これまでは、3月に辞めようが1月に辞めようが退職金の総額は計算上全く変わらないが、条例で算定基準が変わるとなると、退職金そのものが大幅に減額されることになる。計算では、3月の定年退職では手取り額で150万円も減るというから、退職願を出した教員たちは背に腹は換えられないという心境ではなかろうか。

中には学級担任や副担任、さらに教頭までいるというから、学校現場の混乱は間違いない。教頭なら代理は校長でできるが、学級担任となると卒業までの2ケ月担任不在となる。臨時教員などでしのぐらしいが、今までの例では補充などできるはずがない。中学校は副担任で切り抜けるのだろうが、小学校の場合は、図工や音楽の専科教諭が急遽担任代理という処置がとられるのが普通。しかし、音楽専科はこの次期は一番忙しいはずだから、子供たちの心に寄り添った指導ができなくなる可能性が大。現場では大混乱を来していることは想像に難くない。

小学校はさらに、この時期は私立中学への受験が終わり、やっとクラスとしてまとめの指導ができる大切な期間であり、私立受験組との微妙な隔たりを取り除いて卒業式へ導くかめに特に細かな指導が必要になる。担任が不在となると、子供たちの気持ちに落ち着きがなくなることは自明のこと。

ここまで大騒ぎになると、該当する学校やクラスの保護者たちは何と思うだろう。一身上の都合といっていた理由が退職金のせいだということが丸わかり。仕方ないわね・・・で済ませてくれれば良いが、恐らく、ほとんどの保護者は無責任だと怒りをあらわにするのではないだろうか。

しかし、退職願いを出した教員からすれば150万円の差は大きすぎる。2月、3月の給料が仮に40万円だとしても、1月に退職すれば70万円もの差が出るとなると、老後の生活設計などを考えれば、保護者の無責任という声をそのまま退職教員に向けるのは気の毒。

埼玉県の記事であるが、我が神奈川県にも同じような問題が起きているのではないだろうかという素朴な疑問が頭をよぎる。早速、調べてみたところ神奈川県では条例の改定はなさそうだからまずは一安心というところか・・・。

親の不信感はストレ-トに子供に伝わり、学校に対する信頼が揺らぐことも考えられないことではない。

となると、来年度以降、埼玉県の中学校が荒れるのでは・・・。財政面から仕方ないとは言え、改めて、埼玉県は子供たちとその保護者にとって、実に罪なことをしてくれたものとつぶやいてしまう。(田舎親父)

2013年1月22日 (火)

この事件報道に心が冷えきる・・・

 アルジェリアの武装組織によるテロ事件は、やはり最悪の結果になってしまった。企業として外国での活動は生き残りのために必要だということは十分理解しているつもりだが、危険地帯で活動するためには詳細な情報の収集と社員の安全を守る手段が必要なことは論を待たない。その意味では日揮の甘さもあったはずだが、政府の対応も後手後手に回った感じは否めない。

恐らく似たような事件がどこかで起きるだろうことが予測できるが、海外で活動している企業は、もう一度社員の安全について検証し、再びこのような不幸な結果にならないよう努力してほしいと願っている。

ところで、今日もかなり古い話になる。昨年暮れに、広島市の老人施設で火事があり、入居者が死亡したというニュ-スは、(どこで見たのか読んだのか記憶は定かではないが)何となく頭の隅に残っている感じがする。

その続報なのだろうが、先日、そこに働く21歳の女性介護福祉士が、ベッドに火をつけて85歳のおばあさんを殺害したとして、殺人と現住建造物等放火未遂の疑いで逮捕したという記事を見つける。

容疑者の若い介護福祉士は『間違いないが、殺すつもりはなかった』と一部容疑を否認しているのだそうだが、寝たきりの年寄りのベットに火をつけたとなると、殺意は明らかだったと受け止められても仕方ないだろう。

この国の行政は資格を作ることが大好きらしく、あらゆる分野で国家試験というシステムを作り資格を認定しているが、介護の世界はさらに資格の細分化が進み、ホ-ムヘルパ-や介護福祉士、あるいはケアマネ-ジャと名前だけは知っているが、実際の違いはとなると全くわからない資格名が多く、さらに最近は、社会福祉士とか高齢者コミュニケ-タ-とか福祉住環境コ-ディネ-タ-などという舌を噛みそうな資格まであるらしい。

介護福祉士という資格は、身体が不自由な年寄りの身の回りの手助けをする仕事らしく2級資格は比較的簡単に取れるという。介護の現場では、このような仕事が一番需要があるのに、給与面や勤務時間など待遇が悪く、人が集まらないことなどが最近よく話題に登っている。

容疑者の21歳の介護福祉士は『人間関係などのストレスがあった』などと供述しているというから、この寝たきりのおばあさんとは日頃折り合いが悪かったことが推察できるが、焼き殺してしまうほどの憎しみとは何なのだろうと考えてしまう。

ところが、(この事件はかなり異質だからだろうが)翌日にも続報がある。逮捕された21歳の介護福祉士は、火をつけた理由は『(このおばあさんを担当していた)職員への腹いせの気持ち』だと供述しているというのだ。

逮捕当時は『職場など人間関係のストレスで火を付けた』は話していたが、動機については『一言では言えない』との供述が、一日たって気持ちも少し落ち着いてきたのだろうが、個人的な人間関係をあからさまにして、焼き殺したおばあさんに対しては『恨みはなく、申し訳なかった』と反省しているとのことである。

この介護福祉士について、中学時代の同級生は新聞社の取材に対して『真っすぐで、明るく元気な性格。高校を出た後、介護の勉強をしていると聞いていたけどショック。ただ、昨年の成人式では、ほとんど誰とも話さず、どうしたのかなと心配はしていた』は話しているという。

周りの人も施設の上司も一様に『真面目で明るい子』と話しているというから、多分もその通りなのだろう。それが、1年ほど前から同じ職場の人間関係に悩み、相談する人もいなかったようだ。

『このおばあさんがいなかったら、担当者は困るだろう』と思い込んで、魔が差したような(自暴自棄とは少し違う)気持ちになり、頭の中が真っ白になって、ライタ-を押していたというところではないだろうか。

逆恨みに違いない。焼き殺されたおばあさんは気の毒だとしか言いようがないが、もし近くに、この福祉士の悩みに気づき、話せる誰かが存在したら、こんな事件は起きなかったことは間違いない。

どれほどの規模なのか気になってネットで調べてみると、職員数24名、そのうち看護師13名とある。事務員や管理職などもいるだろうから、介護福祉士という立場の従業員はごく少なく、どちらかといえば、汚れ物の処理などという仕事を受け持たされていたのではないだろうか。

となると人間関係というのも何となくわかるような気がする。小さな職場では一度人間関係に歪みが生じると、その修正が難しいことは経験的にもわかる話。この職場に、この福祉士の態度から悩みに気づく人がいれば・・・と改めて悔やまれる。

と同時に、これはこの施設だけのことではなかろう。老人を介護するという仕事によほど誇りを持たないと、気持ちは前向きにならず、ちょっとしたことで人間関係が歪むことは私でも十分理解できること。

誇りのある仕事にするためには、まず何より待遇の改善であることは論を待たない。月収が20万程度では、誇りなどもてるはずがない。このあたりの改めなければ、同じような事件は起きる可能性は大きい。

殺人という罪はこの福祉士には一生ついて回るだろうが、何とか更生してもらいたいものである。(田舎親父)

2013年1月21日 (月)

生活保護費の引き下げは筋違いでは・・・

 景気を底上げするために日銀が政府の圧力に屈したちしく、規制を緩和してジャブジャブと印刷する紙幣を大量に増やすそうだ。民主党政権時にはあれほど政府の言うことを聞かず、円安に持っていく努力をしなかったのに・・・という民主党の幹部たちの恨み節が聞こえてきそうだ。

カネが出回ったら景気が良くなるような気がするが、気がするだけで、物価を2%上げることとどう結びつくのか経済音痴の私にはよく分からない。しかし、その掛け声とともに、円安が進み株価が値上がってことは事実なので、それを景気回復の指針とするらば、効果は上がっているのだろう・・・な。

 カネが出回って庶民の給料が上がるのであれば歓迎だが、給料が上がったという話はとんと聞かない。むしろ、合理化の名の元に体の良い首切りが横行、就職したくても希望する職種がないのが悲しいながら現状らしい。

アカンベ首相の掛け声通り、物価が確実に上がっている。先日、ガソリンの小売価格が1リッタ-あたり150円になったという記事があったが、一昨日、横浜の片田舎の私が利用しているガソリンスタンドでは会員価格として152と表示されていた。前回入れたときは145円だったのに、一月足らずの間に7円もの値上げは凄い。私の懐もますます寂しくなる。

円安の影響だと言うが、70円台の円高の時の方が安いのはなぜなのだろう。分かりやすい解説が聞きたいものだが、マスコミ報道は奥歯にものが挟んだような表現が多く、私には何か詐欺にでもあっている感じでとても納得できる代物ではない。原油価格が値上がっているというのが本当なら、火力発電に頼っている現状から、電力会社はすぐにでも、一般家庭の電気料金を値上げるに違いない。

 元旦からは、源泉徴収税が10%に震災復興税2.5%を加えて、12.5%になったと聞いている。現役を退いて仙人的生活の私には、このところ源泉徴収書など見たことはないが、今後、時に舞い込む仕事で送りつけられてくる源泉徴収書を恨めしく見るのではないだろうか。

さらに、4月からは自動車保有者の車検時の自賠責保険料金が上がるとのこと。一応オンボロ車を所有しているが、来月車検ということで今回はクリアできたとしても次回からの車検では間違いなく直接関係してくる。

さらにさらに、小麦粉の政府売り渡し価格上昇のために、粉ものはすでに値上げ、店頭に並ぶパンや飲食店のウドンのメニュ-などにも上乗せされるのは避けられないようだ。

これではますます不景気感が増すように感じるのだが、政治屋さんたちや経済界の重鎮らには、庶民の感覚など持ち合わしていないらしく、さらに掛け声だけが大きくなっているから困ってものである。

そんな値上げラッシュの中で、生活保護の支給水準が4月から引き下げられる可能性が大きくなったというニュ-スに違和感を覚える。なんでも、政府の諮問機関が、生活保護の生活費に当たる生活扶助の支給水準(基準額)が低所得者の一般的な生活費を上回り、『逆転』するケースがあったとする検証報告書が発端だという。

生活保護については、以前から不正受給の問題が大きく取り上げられているので、このままで良いとは決して思わないが、さまざまな事情を抱えて、働きたくても働けない人はもとより、心身に障害を持つ人や年金だけではとても生活できない人たちにとっては、絶対になくしてはならない制度だと捉えている。

記事によると、生活保護は住宅、医療など八つの扶助で構成。そのうち生活扶助は食費や衣服、光熱費などを賄うとのことである。諮問機関は、収入が全体の下から一割に当たる低所得者世帯(平均年収約120万円)の消費実態と生活扶助を比較したとのこと。

その試算では、年収200万円(月約18万6千円)を受給する夫婦と子ども二人の世帯では低所得者の生活費約15万9千円より約2万7千円(14・2%)高く、夫婦と子ども一人の世帯は8・5%、20~50代の単身者世帯は1・7%高かったという。一方、60歳以上は単身者、夫婦世帯のいずれも生活費のほうが高いという結果らしい。

常識的に考えたら、一生懸命働く世帯の人たちより、(働ける・働けないは別にして)働かないで生活保護を受けた方が多く給付されるのは奇怪しいと思うが、だからといって、生活保護費を削るのは話が違うような気がする。

やらねばならないことは、生活保護を受けなくても生活できる仕組みを作ることではなかろうか。そのためまず働く場を作ること。そして、あらゆる分野で低所得者の給料を上げることが先決である。働けば給料が上がる世の中ならば、ならば働こう・・・という意欲がわくのは当然で、生活保護を辞退する人が増えるのは、私のような素人でも確実な予測ができる。

不正受給者を取り締まることは当然だが、この負の部分を全面に出して、生活保護費の切り下げを行えば、今以上の格差が生じることは間違いなく、結果的に、さらに多くの生活保護の受給者が増えるのではないだろうか。

そんな負の連鎖を断ち切るためにも、自民党政権はジャブジャブ印刷した紙幣がワ-キングプア-と呼ばれる、一生懸命働いているのに生活が一向に楽にならないような人々の懐を潤すような仕組みを作る義務がある。(田舎親父)

2013年1月20日 (日)

つい本音が出たのだろうが・・・

 このところ話題にしたい事件や事故が多く、そのことを懐に温めているとすぐに日にちが過ぎてしまい、話が古くなる傾向があるが、今日も、少し古い話になる。

福島原発事故後、周辺の自治体からの避難者を受け入れている福島市のセトという市長が、震災瓦礫の受け入れのお礼と、東北の農産物の紹介に大阪市を訪問した際、世間をお騒がせ男であるハシモト大阪市長との会談で『今日は、久しぶりに放射能のことから頭が離れて、スッキリしているところでございます』と発言したとのこと。

そのとき、会場からは笑いが起こり、出席者から問題視する声は上がらなかったそうだが、新聞記者たちは敏感にこの発言を受け止めたらしく、会談後の記者会見ではセト市長に発言の真意を問うたのだそうだ。

セト市長は『風評被害対策や市民の健康管理など、放射能問題に忙殺されているという趣旨だった』と話し、『誤解を与えたなら申し訳ないが、決して福島を離れて良かったという意味ではない』と釈明したそうだが、質問を受けたときは、会場の笑いを誘ったことからも『なぜ、こんなことが問題になるのか・・・』という心境ではなかったろうか。

ところが、記者団が除染で生じる廃棄物の取り扱いについて質問したところ『持っていくところがないんです。どうしているかというと、自分のところの庭に安全に(保管している)。意外と(放射性)セシウムっていうのは安全に保管できるのですよ。近くつかなければ、あるいは遮蔽すれば(セシウム)は飛んでいきませんから』などとの認識を示したという。恐らく日頃から持っている考え方なのだろうが、これは『今日は放射能から解放された・・・』云々以上に問題のある表現ではないだろうか。

原発事故の除染で出た汚染土壌や廃棄物をめぐっては、安全に保管するために中間貯蔵施設や、その前段階の仮置き場の設置が進まず、福島県の復興の妨げになっていることは、福島市の市長たるべき立場であるならばわかっているはずだと思いたいが、どうやら福島市は仕方なく放射能と向き合っているという感覚のようだ。

私の俄仕込みの放射能関係の知識でも、市長の言う、放射性セシウムの影響を弱めるためには遮蔽することや遠ざけることは間違いではないことは理解できるが、福島市民のほとんど全員は、生活環境からなるべく遠ざけたいと願っていることを思うと、住民感情を逆撫でする発言だろう。市長は市民の目で対応していないと批判されても仕方ない。

先日も話題にしたが、福島市内でも(特に山裾など)除染が進んでいない地域や、一度除染を完了としながらも、数カ月後に調べ直すと元通りの放射線値に戻った地域も少なくないという。除染など無駄だと思っていても、国や県の方針には逆らえず、除染に協力している人も少なくないだろう。

除染で出た放射能汚染物を国や県、あるいは市は全てを持ち去ってくれるわけではなく、貯蔵場所がないのだから当然ながら、そのほとんどを学校や公園、事業所の隅に積み上げていたり、やむ得ず自宅で保管している住民も少なくないはず。

誰も、放射能汚染物など近くに置きたくないと思っているに違いないが、捨て場がないのだからと、半分あきらめに近い思いで過ごしている人々も多く、その人たちは日々、そのような状態に慣れて、あきらめに近い感情が起きていることを考えると、今回の市長の発言をそのまま見過ごして良いとは思えないが・・・。

さて、この件に関して続報があるのだろうかと問うと、(現在のマスコミの体質を考えると)答えは限りなくゼロに近いのではないだろうか。そして、いつのまにか、この市長の発言は忘れ去られてしまう。放射能汚染物質の話題も・・・。(田舎親父)

2013年1月19日 (土)

衝撃的な事件だが、またどこかで起きそうなだ・・・

 昨日この事件を話題にしようと思ったが、内容が全くわからなかったので今日に回すことにしたのだが、たった一日でこんな展開になるとは夢にも思わなかった。

昨日の朝の時点で、イギリスやアメリカ(日本ははなからアメリカ頼みらしかったが)はじめ関係諸国の人命第一の要請を無視するかのように、すでにアルジェリア軍は武装部隊の鎮圧作戦を実施し、戦闘は終結したというニ-スがテレビが伝えていた。

しかし、情報は錯綜し人質の安否すら全く不明で、17人を派遣しているプラントを作る『日揮』の社員の裏無事が確認できたのは3人だけだとのこと。先程のニュ-スでは新たに4人が無事だとのこと。依然10人の安否は不明だというが、私にできることは、ただただ全員の無事帰還を祈るのみ・・・。

アルジェリアという国(政府)にはそれなりの事情があるのだろうが、先進諸国が介入することを極端に嫌い、たとえ人質の命が奪われようと絶対に武装勢力を殲滅するという強い意志に衝撃を受ける。

『人命第一』という言葉などこの国には存在しないようだ。この発想は、とにかく天然ガスの性靴施設が無傷であれば良いという感じすらするが、幕末から明治期のはじめの日本と同じで、先進諸国に追いつけというのが国の方針だと受け止めると、これから起きるだろう世界からの批判など意に介さない強固な意志を示したという意味では理解できないことはない。

そして昨日のお昼には、ロイタ-電として信じられない情報が飛び込んできた。九死に一生を得て現場を逃れたアイルランド人男性が生々しい現場の状況を家族に証言した内容である。

証言は、武装勢力が車5台に人質を乗せて、施設から出る場面である。『彼ら(犯行グループ)は5台の小型四輪駆動車に人質を積んで施設を出た。まさにそのとき、アルジェリア軍に行く手を遮られた。5台のうち4台が爆撃されて車は大破した』という発言に、アルジェリア軍は明らかに人質の奪回など頭になく、目的は武装勢力の『目津以外にないことだけは明らかだと感じる。

この男性の乗った車両も損壊して停止。爆撃された他の4台については『乗っていた全員が恐らく死亡したと思われる』と語っているという。男性はまた、『人質たちは口にテープを張られ、首に爆弾をぶら下げられていた』とも家族に証言したというが、男性がその後、どのように脱出したかは明らかでないことが不可解なことから、全面的に信頼できるか疑わしいものの、いまだに人質のその後の様子など全く発表がないところから、ある程度の信憑性はあるのでは。

アルジェリア軍による制圧作戦では、どのような攻撃が行われ、何人の人質がなぜ犠牲になったのか、詳細は不明のままだ。男性の証言通りだったとすれば、拙速な作戦で多数の犠牲者が出たとの批判が高まる可能性があるだろう。

アルジェリア政府はそんな自体は折り込み済みだろうから、日本政府がいかに焦っても日本人人質の情報が簡単に流れるとは思えない。

記事では、武装勢力はフランスがマリへ介入したことに関して、アルジェリア政府が容認したことが背景になっているという。現地の様子はよく理解できないが、昨年に起きた比較的政情が安定していたとされるエジプトさえ、『アラブの春』と呼ばれる政変が勃発、アフリカ各地では内乱が続いていることなどから推測するに、なんでもありの社会であることは想像に難くない。

今回の襲われたプラントはノルウエ-とアルジェリアの国策会社とイギリスの民営の石油発掘会社が共同に運営しているという。このプロジェクトになぜ『日揮』という日本の民間会社が参加しているのだろうという素朴な疑問が頭をよぎるが、企業としてはリスクより営利に魅力を感じているかもしれない。

アルジェリアには日本企業が35社進出し、約560人の日本人が派遣されているとのことであるが、その狙いは全て利潤追求。安易(と表現したらお叱りがくるだろうが)に外国に進出している日本企業の危なさを感じる。

社命で派遣された人質の方の安否が心配である。アベ内閣は情報が入ってこないことにイライラし、有効な手だてを打てないことを焦っているに違いないが、今回の事件が外国進出に対してのリスクの読み違いだとしたら、この種の事件はどこか違う地域で必ずまた起きる可能性は否定できない。

今後、日本の企業がどう動くかわからないが、今回の事件で、情報収集能力が全くないことを示したわが国の現状から、海外へ進出するならばその国と非常時の場合の救出方法など、具体的な担保をとることだけは最低限の条件になるのでは・・・。

今更当たり前なことを言うな・・・とお叱りがくるだろうが・・・。(田舎親父)

2013年1月18日 (金)

『機をみて敏さ』には恐れ入る・・・

 新年早々に飛び込んできた、大阪市立桜宮高校のバスケ部主将の高校2年生の男子生徒の自殺のニュ-スには飛び上がるほどびっくりした。

自殺したのは昨年の12月23日なのに、市教委がこの事実を発表したのが今月の8日。この間、学校と市教委との間にさまざまな(言葉を選ばないで表現すると)『作戦会議』が行われたことも想像に難くない。

記事を読んだ直後は、顧問の教師から日常的に殴られていることに耐えきれなくなり、顧問宛に『もう殴らないでほしい』との遺書を残して首をつったとのことであるがこんなことが現実にあるのだろうかとポカ-ンとする。何か、大きな間違いというか、顧問の教師と男子生徒との間にボタンのかけ違いがあったのではないかと思いたかった。

ところが、翌日から出てくることは、顧問の教師の『指導とは全く関係ない、むしろ暴行と断言できるような行為』を繰り返している事実ばかり。この教師は、以前にも生徒に対する体罰と称する暴行で停職3ケ月という懲戒を受けながら、全く態度を改めなかったというが、こんな教師をのさばらしていた周りにも問題がある。

高校での教員の処分内容は良く知らないが、停職3ケ月というのは懲戒免職に次ぐ重い処分であることから、(処分内容にもよるが)小中学校ででは、まず担任を外し、無任所にして翌年の異動で転勤というパタ-ンが多いはず。なのに、この教師は転勤もせず、しかもバスケット部の顧問もそのまま続けていたというのも、なんなの・・・と首を傾げる。

こんな教師を異動もさせず、バスケ部の顧問を続けさせた結果、今回の悲しい事件が起きたことは誰の目にも明らかなのに、現実には日常的に生徒に対しての暴力は続いており、生徒の死によってのみ問題が明らかになり、やっと原因の究明や問題の所在などが明らかになりそうな動きがあることに、(いつものことながら)この国の教育は子供を殺さない限り前に進まないのかと愕然とする。

マスコミが連日大きく取り上げているので、もう私が繰り返す必要はないだろうが、自殺の前日、練習試合に負けて帰った男子生徒は『今日もいっぱい殴られた。三十発から四十発かな』と母親に打ち明けたという。顧問は発奮させようと平手打ちしたというが、遺体の頬は腫れ、唇が切れていたと記事には、おぞましい部活動の実態を想像し、読んでいて涙が止まらない。

ところで、教育委員会はこれほどの暴力沙汰があったことを認めながら、『体罰』として捉えている。この問題の続報として、桜宮高校のバスケ部の男子生徒が顧問の『体罰後』に自殺した問題で、『体罰があったとして』バスケ部とバレーボール部の活動を無期限停止することを決めたという発言がその証左。

これに対してハシモトという大阪市長は『体罰ではなく暴行だ』とすぐに反応。市の責任を全面的に認めて、こんなことがまかり通っているのは大阪の恥だとも発言している。

うまい。実にうまい。まさに『機をみて敏』。まず全面的に責任を認める発言は大向こうをうならせる。すぐに1000万の予算を組んで100人体制の外部の検証委員会を立ち上げるというが、検証委員会の結論は目に見える。

各学校での部活の存続や生徒の募集など教育行政に関することの権限は教育委員会にあることを十分承知の上で、私の考え方だと示した上で、部活の無期限停止や普通科も含めて高校の募集中止が望ましいと発言。募集する場合は教員のすべての総入れ換えが条件だとも・・・。教育委員会は無理だといっているが、恐らく、市長の考え方に近い妥協案を模索しているはずだろう。これで完全に大阪市教委は市長の軍門に下ったことを示す。

桜宮高校の関係者(教育関係者や今年受験希望者とその家族などを含む)を除いて、大阪市民の多くはその手法に拍手を送るに違いない。自殺した生徒への賠償も遺族を納得させる額になるはずだろうが、ハシモトという男は教育委員会の責任と、制度の存続を武器に文科省へ回すのではないだろうか。となると、文科省は(公にはしないだろうが)これを拒むことができないはず。

ハシモトという男は、瞬間的にこのような筋書きを立てたとなると、(私は決して好きになれないが)『ただものではない』ことだけは認めざるを得ない。と同時に、この男が中央政界に乗り出したら・・・。想像するだけで、ぞっとする何かを感じる。(田舎親父)

2013年1月17日 (木)

卵子提供で出産とは重い話題・・・

 1週間前のNHKのクロ-ズアップには考えさせられた。

30代半ばを過ぎると妊娠しにくくなる『卵子の老化』については、今まで教えられたことがない話題として衝撃を受けたのはつい最近のこと。そのことがわずかな時間で当たり前の知識となったことに疑義は覚えないが、不妊で悩む女性たちは、海外で別の女性から卵子の提供を受けて出産するのが流行りのように増加しているという内容に、卵子の老化どころではない命の倫理に対して、ここまでやるのか・・・と考えさせられる。

このことは金沢大学のグループの調査で分かったという。卵子提供についての実態調査は初めてで、専門家は国内の法整備や妊婦が安心して出産できる医療態勢作りを急ぐべきだと指摘しているのだそうだが、それは当然のこと。しかし、扱いを間違うと取り返しのつかない結果になりそうな感じを受ける。

金沢大学の調査チ-ムは、去年10月、卵子提供の実態を調べるため国内の出産期医療を扱う医療機関を対象にアンケート調査を行い、25%に当たる679の施設から回答を得して結果を分析したところ、海外で別の女性から卵子の提供を受けて出産した妊婦は、確認できただけで一昨年は63人と、その4年前の3倍に急増していることが分かったというすごい数にのぼったとのこと。

75%の医療機関がアンケ-トに答えなかったのも気になるが、一昨年のデ-タでそうだから、去年はさらに増えているだろう。そして今年は・・・となると想像するだけで恐ろしくなる。卵子提供を受けた国は、最も多かったのは予想通りアメリカだが、タイやロシアなど6か国となると、今後提供する国の数も増えるのは間違いないところ。

昔は20代で出産するのがごく普通だったが、近年、女性が(主婦も立派な職業だと思うのだが)夫から自立して、外に職業を求めるのが当たり前になり、それに伴い晩婚化と付随しての高齢出産が進んでいることはよく知られている。その結果だろうが現在、国内では6組に1組のカップルが不妊に悩んでいるのだそうで、その主な原因が『卵子の老化』だという。

浅学の私ではあるが、卵子は女性としてこの世に制を受けた時から体の中にあり、新たに作られることはないことや、ある程度年齢に達すると、およそ月に一個の割合で成熟した卵子となり、妊娠が可能となる程度の知識は持っている。

しかし、次々と成熟する卵子も、宿主の女性が年齢を重ねるごとに老化し、30代半ばを過ぎたころから質が低下して妊娠が難しくなるというのは、ごく最近になって知り得たことである。

多くの女性自身もこのことを知らなかったらしく(産科の医師自身知らなかった?)、なぜ妊娠しないのかと真剣に悩み、不妊治療に取り組む夫婦は急増し、体外受精を望む数も急増し、統計によると、3年前の体外受精の件数は24万件余りと、その5年前の倍に増え、世界最多になっているとのこと。これも重い話である。

自分の卵子で体外受精を繰り返しても妊娠できない女性が最後に頼るのが、クロ-ズアップが取り上げている『卵子提供』なのだが、第三者の若い女性から卵子をもらって夫の精子と体外受精させて、自分の子宮に戻して出産するのだそうだ。

どうしても子供がほしいという気持ちは理解できるつもりだが、夫と精子との間で受精するのは他人の卵子であるのだから、厳密な意味で解釈すれば、自分の体内で育てたとはいえ、『親子関係』はないはず。これって命のやりとりの契約ではないか。ところが、『卵子提供』で生まれた子どもは日本では『出産した女性』の子どもと認められるというから、不思議な話。しかし、『卵子提供』ででも出産したいと思うのもうなずける。

ところが、日本国内では『卵子の老化』が原因の不妊に対して卵子提供は認められていないのだそうだから、これも話が合わない。だから、アメリカやアジア、あるいはロシアなど海外に渡って卵子提供を受ける女性が急増しているのだろうとは容易に想像できる。

さらに、卵子を提供するのは、現地の外国人の女性のほか、最近では日本の若い女性が仲介業者を通して海外に行き卵子を提供するケースも出てきているというから話はややこしくなる。

アメリカでの場合、一回の卵子提供による体外受精には500万円ほどかかるのだそうで卵子提供を仲介することが大きなビジネスになっているという。こうなると、アルバイト感覚で卵子を提供する女性が出てくることは時間の問題。いやすでに問題化しているのでは・・・。これは放置できない。

夫婦が卵子の老化による不妊などという場面に遭遇しないように、正しい知識を提供するのは当然だが、20代から30代の前半に子供が産める環境作り(経済的な面が主なのだろう)を急がねばと真剣につぶやくのだが・・・。(田舎親父)

30代半ばを過ぎると妊娠しにくくなる『卵子の老化』については、今まで教えられたことがない話題として衝撃を受けたのはつい最近のこと。そのことがわずかな時間で当たり前の知識となったことに疑義は覚えないが、不妊で悩む女性たちは、海外で別の女性から卵子の提供を受けて出産するのが流行りのように増加しているという内容に、卵子の老化どころではない命の倫理に対して、ここまでやるのか・・・と考えさせられる。

このことは金沢大学のグループの調査で分かったという。卵子提供についての実態調査は初めてで、専門家は国内の法整備や妊婦が安心して出産できる医療態勢作りを急ぐべきだと指摘しているのだそうだが、それは当然のこと。しかし、扱いを間違うと取り返しのつかない結果になりそうな感じを受ける。

金沢大学の調査チ-ムは、去年10月、卵子提供の実態を調べるため国内の出産期医療を扱う医療機関を対象にアンケート調査を行い、25%に当たる679の施設から回答を得して結果を分析したところ、海外で別の女性から卵子の提供を受けて出産した妊婦は、確認できただけで一昨年は63人と、その4年前の3倍に急増していることが分かったというすごい数にのぼったとのこと。

75%の医療機関がアンケ-トに答えなかったのも気になるが、一昨年のデ-タでそうだから、去年はさらに増えているだろう。そして今年は・・・となると想像するだけで恐ろしくなる。卵子提供を受けた国は、最も多かったのは予想通りアメリカだが、タイやロシアなど6か国となると、今後提供する国の数も増えるのは間違いないところ。

昔は20代で出産するのがごく普通だったが、近年、女性が(主婦も立派な職業だと思うのだが)夫から自立して、外に職業を求めるのが当たり前になり、それに伴い晩婚化と付随しての高齢出産が進んでいることはよく知られている。その結果だろうが現在、国内では6組に1組のカップルが不妊に悩んでいるのだそうで、その主な原因が『卵子の老化』だという。

浅学の私ではあるが、卵子は女性としてこの世に制を受けた時から体の中にあり、新たに作られることはないことや、ある程度年齢に達すると、およそ月に一個の割合で成熟した卵子となり、妊娠が可能となる程度の知識は持っている。

しかし、次々と成熟する卵子も、宿主の女性が年齢を重ねるごとに老化し、30代半ばを過ぎたころから質が低下して妊娠が難しくなるというのは、ごく最近になって知り得たことである。

多くの女性自身もこのことを知らなかったらしく(産科の医師自身知らなかった?)、なぜ妊娠しないのかと真剣に悩み、不妊治療に取り組む夫婦は急増し、体外受精を望む数も急増し、統計によると、3年前の体外受精の件数は24万件余りと、その5年前の倍に増え、世界最多になっているとのこと。これも重い話である。

自分の卵子で体外受精を繰り返しても妊娠できない女性が最後に頼るのが、クロ-ズアップが取り上げている『卵子提供』なのだが、第三者の若い女性から卵子をもらって夫の精子と体外受精させて、自分の子宮に戻して出産するのだそうだ。

どうしても子供がほしいという気持ちは理解できるつもりだが、夫と精子との間で受精するのは他人の卵子であるのだから、厳密な意味で解釈すれば、自分の体内で育てたとはいえ、『親子関係』はないはず。これって命のやりとりの契約ではないか。ところが、『卵子提供』で生まれた子どもは日本では『出産した女性』の子どもと認められるというから、不思議な話。しかし、『卵子提供』ででも出産したいと思うのもうなずける。

ところが、日本国内では『卵子の老化』が原因の不妊に対して卵子提供は認められていないのだそうだから、これも話が合わない。だから、アメリカやアジア、あるいはロシアなど海外に渡って卵子提供を受ける女性が急増しているのだろうとは容易に想像できる。

さらに、卵子を提供するのは、現地の外国人の女性のほか、最近では日本の若い女性が仲介業者を通して海外に行き卵子を提供するケースも出てきているというから話はややこしくなる。

アメリカでの場合、一回の卵子提供による体外受精には500万円ほどかかるのだそうで卵子提供を仲介することが大きなビジネスになっているという。こうなると、アルバイト感覚で卵子を提供する女性が出てくることは時間の問題。いやすでに問題化しているのでは・・・。これは放置できない。

夫婦が卵子の老化による不妊などという場面に遭遇しないように、正しい知識を提供するのは当然だが、20代から30代の前半に子供が産める環境作り(経済的な面が主なのだろう)を急がねばと真剣につぶやくのだが・・・。(田舎親父)

2013年1月16日 (水)

学校現場の混乱が目に見えるようだ・・・

 『道徳教育』が学校現場に登場したのは昭和30年代だったことを記憶している。中学2年生の数学の時間にハナワンというあだ名で呼ばれていた教師が、当時、日教組の支部長をしていたらしく、『俺は明日、道徳教育反対のデモに出かけるから休む』と告げたことを覚えている。

その教師はかなり熱血漢で、頭をこつくなど日常茶飯事だったが、教え方がうまく、いつのまにか方程式の計算などができるようになっているものだから、子供たちはもちろん親にも信頼されていた。だから、平気でこんな行動がとれたのだろうが・・・。

その教師が言う『道徳は必要だが、紙ペラで得られるものではない。まして、国が決める紙ペラで道徳を決められたら、いつかきた道になる』という言葉が、今でもずっと私を心の中で大きな比重を占めている。

幸いなことに、翌年中学校を卒業したので、実際に『道徳の授業』を受けなくてすんだが、数年後、『道徳の授業』を真剣に考えなければならなくなったとき、この教師の言葉を思い出し、懐かしくしかも改めて当時のこの教師の気持ちが理解できたものである。

以来『道徳』とは紙ペラで学ぶものではなく、子供たちの自主・自立の活動とそれを通して育てられる連帯感の中から生まれる『互いを尊重する心そのもの』だというのが、私の一貫した『道徳教育観』になっている。

変な書き出しになったのは、民主党政権では中止された道徳副教材『心のノート』の小中学校への全児童・生徒への配布が、自民党の政権復帰で復活するという記事に、ふと昔の記憶がよみがえり、また学校現場が混乱するだろうことが目に浮かんだからである。

 『心のノート』は、神戸の連続児童殺傷事件(1997年)など深刻な少年事件が相次ぎ、いじめや不登校が社会問題化したことを受け2002年度から文部科学省が配布したものであるが、それは表面上のことで、底流には『愛国心』を高めるためで、当時そのことに対して強い危惧感を持ったことを思い出す。

実際に中学生用には『我が国を愛しその発展を願う』という文面が記載され、現場ではこの一項をどのように取り扱うか混乱したことも記憶に新しい。リベラル派からは、国を愛することには異議はないが、学校で一斉に指導するとなると『一定の方向に子どもを誘導することにつながりかねない』と批判が吹き出したが、教育委員会は文科省の命令には逆らえず、学校現場を叱咤激励し、道徳教育に力を入れるように指示し、その指示を受けた学校現場では『愛国心』どう教えるのか困ったことも・・・。

ところが、政権が交代してハトヤマ内閣になると、当時の流行語にもなったように『事業仕分け』で、この『心のノ-ト』の配布は無駄だと結論づけられた。約3億円の予算は削減され、10年度からは配布を中止。そして、必要に応じ、文科省のHPからダウンロードして使用するよう改めたらしいが、現場では誰もが必要としなかったらしく、(私が知る限り)ダウンロ-ドなどした学校など皆無というのも笑えない笑い話。

 今回、圧倒的な数の力で政権を奪取した自民党のアベ内閣が先日発表した13年度予算の概算要求には、全校配布の費用が盛り込まれ、さらに、13年度中に省内に有識者会議を立ち上げ、改訂版をつくる方針だというから、懲りない面々である。

 (これも私の知る限りであるが)学校現場の教員のほとんど全員が『国を愛する心は必要だ』と思っているが、それが『愛国心』という言葉で表現されることには違和感を持っている。『モラルを教えることは大切』だが、それが『心のノート』によって教えられるとは思っていないからである。『心のノ-ト』によって『国を愛する心』など刷り込めるはずがなく、単に『愛国心』だけが言葉が頭に入り、うすっぺらな国家服従主義が台頭するのではないだろうか。

さらに、圧倒的多数の教師たちは、今盛んに話題にされている『いじめ』の問題でも、『現実に起きていることを題材に、子どもたちに考えさせることが大切だ』と思っているだろうことも想像に難くない。

政権が変わるたびに、教育内容がコロコロ変わっては、それだけ子供の心を変に刺激し決して良い方向には向かわない。

都内の中学校には都独自の道徳用教材『心 みつめて』が配布されている。従来から使っている教科書会社発行の副読本を使わなくなったという話も聞こえてこない。『心のノート』が加われば、年間35時間の道徳の授業時間で、到底使い切れるものではない。

さらに、自民党政権の復活に伴い、調査対象を限定していた全国学力テストや体力テストも全校調査に戻される。知り合いの校長は『今でも中間、期末試験に加えて区と都の学力テストがある。これに全国学力テストが加われば現場の負担が大きく、道徳教育に今以上に力を入れることは無理』とつぶやいている。

そしてつい先日の話題であるが、文科相が土曜日を授業日とする、以前の6日制にもどすことも検討しはじめたと発表したらしい。あれほど現場の危惧を無視して五日制にした自民党は、そのことすら忘れてしまったようだが・・・。

『教育が政治の道具に使われる』ことはあってはならないと改めて強くつぶやく昨今である。(田舎親父)

2013年1月15日 (火)

これまでどんな検査をやってきたのだろう・・・

 先日のことである。中日本高速道路会社(中日本高速)が、天井板が崩落し9人が死亡した『笹子トンネル』の上り線を緊急点検した結果、天井板のつり金具を支える『アンカーボルト』の緩みや欠落など計1211カ所の不具合が見つかったと発表したという記事を読み、びっくりするというよりあきれ返る。

確か昨年12月のトンネル下り線の緊急点検でも、600カ所以上の不具合が見つかったと発表したはず。中日本高速は、2000年、05年、08年、12年9月とこれまで4回も大規模な点検をしていながら、今回、改めて1000カ所以上も不具合が見つかる?・・・。これでは、何を点検してきたのかと最大級の怒りが込み上げる。

中日本高速の担当者は『05年からの点検は主に目視で、今回は細かく打音検査をしたため』と釈明しているらしいが、この輩達は頭から事故など起きるはずがないという『安全神話』を作り上げ、検査など形だけにしていたことは明らか。

この構図は原発事故と全く同じ。『原発は絶対に事故らない』という言葉を呪文のように繰り返し、事故対策をないがしろにしていたため、復興不能に陥るような大災害を起こしたことなどまさに我関せず・・・というところか。

中日本高速の場合、その結果、ボルトが脱落して9人が亡くなるという惨事が起こしてしまったのだが、この責任は誰がどのように取るのだろう。

今回の事故では、中日本高速の幹部たちが天下った関連企業に、高額費用で保守点検を丸投げしていたことも明らかになっているという。

その企業とは、中日本高速の子会社として登記している『中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京(ハイウエイ)』。同社は、社長が旧道路公団関東第二支社副社長、中日本高速執行役員を務めた天下りで、副社長、2人の取締役も旧公団OBだという。それぞれの報酬は2000万円とも言われているそうだからふざけた話である。

 記事によると、中日本高速の道路管理業務をよく知る関係者に取材した結果、ハイウェイ社は、さらに別のジェイフア-スト社という協力会社?へ業務の丸投げしているとのことだから、多額の通行料は安全のための保守管理に回すのではなく、身内で分け合っていたことになる。

 このジェイファースト社は、中日本、東日本、西日本の高速3社が主要な取引先で、ハイウェイ社などから『中央自動車道他施設保全工事』『東名高速道路他施設保全工事』などを請け負っているという。なるほど東名などのトンネルを慌てて点検したことは、こんな事情があったのだと納得。

 ハイウエイ社のHPでは、トップに『それが私たちの使命です』という表題に続いて次の様な文章が記せられている。

『森の中に走る一本の“けもの道”、その道を人が利用し始めたのが道の始まりかもしれません。人はその道を広げ、崖を削り、橋を架け、“なるべく楽に時間をかけずに目的地に到達できる経路”を造ってきました。昔は道を使うのは人・牛車・荷車・馬などしかなく、道は川に沿い、山の稜線を縫って造られていました。やがて時は過ぎ自動車が歴史に登場し広く普及するにつれ、道”は“道路”となり、村や町、 都市を結ぶ連絡路へと発展しました。 そして、より早くより快適に目的地へ到達するために「高速道路」がついに誕生したのです。これは今からわずか半世紀ほど前のことです。わたしたちは、この“道の歴史”の最先端で日夜、高速道路の保全管理を支えています。』と・・・。

 誰が考え出したコピ-なのか私には知るよしはないが、よくぞこんなきれいごとを並べられたもの。天下りの役員、社員は直ちに給与を返上するべきであることは論を待たないが、こんな輩のことだから『事故など俺の知ったことではない・・・』としれっとしているに違いない。

 ずさんな安全管理の背景には、旧道路公団系企業が経営事情からトンネルなどの維持修繕費用を抑制していることがあると解説にあるように、安全対策をおろそかにして、とにかく合理化を叫んで儲けを優先させる民営化に突き進んだ弊害が浮かび上がる。

 その先頭を走ったのが、当時のコイズミ内閣で民営化を担当してきたのが、今をときめくイノセ都知事であることを忘れたくない。このことをこの御仁に投票した都民の何割が知っているのだろうか・・・。(田舎親父)

2013年1月14日 (月)

富士山が目に飛び込んできた・・・

 我が家から富士山が見えることが偶然にわかったのは、老人施設の建設のため周りの樹木を伐採したからである。初めてその姿を目にしたときには、感動を通り越して、ただびっくりとしか表現できなかった。

深い森の樹木を容赦なく切り倒すことに、近所の人たちと相談して反対運動をはじめたが、老人施設が不足しているという大義名分には抗しがたく、運動は尻すぼみになり、ついには同じ資本による、介護老人施設とかケアハウス、あるいは老人医療施設などと、私にはその具体的な違いがわからない3つの建物が目の前に並んでからすでに5年ほど過ぎている。

深い緑の森の姿はなくなったが、目の前は広い道路となり、一番近い建物も100メ-トル程度離れている上に、3階建てなので、以前よりはるかに空が広くなり解放感は抜群である。時に、救急車のサイレンがうるさく感じるが、老人施設なら仕方ないとあきらめるとさほど気にならなくなり、私も気分を切り換えて、入所している高齢者の目の保養にと自宅の周りに間伐材のプランタ-を並べて季節感を出すように心がけている。

富士山が見えるようになったことも、老人施設の存在を受け入れられる気持ちにする要因の一つになったことは間違いなく、天気の良い日には、朝夕富士山の姿を眺めるのは日課になっていた。

ところが、いつごろからと言われてみるとはっきりしないが、去年あたりからばったりと富士山の姿が見えなくなりがっくりする。考えられるのは、建物の周りの樹木が大きくなって視界を阻んでいるのだろうとしか思えない。ひととき楽しましてもらったのだからまあ良しとしようとあきらめ、以来、富士山を見たくなったときには歩いて数分の自分だけポイントにしている場所に出かけている。

ところがである。昨朝、雨戸の隙間から入る光で目が覚めて時計を見ると8時。少し寝すぎたと思い飛び起きて雨戸を開けると、一面の青空のなか、西の方向に成長している樹木の上に白い物体が目に飛び込んできた。方向からすると富士山であるが、にわかには信じられず、あれ・・・、何・・・という感じ。

目の錯覚ではと、何度も目をこすり、夢かと思ってホッペタもつねってみたが、夢・幻のたぐいではなく明らかに富士の姿である。しかし、このところ視力が低下して眼科にも通う様になっているので、錯覚ではという疑いが消えない。

気持ちが高ぶっているので寒さなど全く感じない。すぐに自分の部屋から双眼鏡を持ち出して確認する。間違いなく見慣れた富士山の頂上部分である。真っ白なその姿が神々しい。

それにしてもこんな不思議なことがあるだろか。1年以上顔を見せていない富士山が、昨朝になって、私の目の前に現れるなんて・・・。樹木を伐った気配は全くない。さらに不思議なことは、今まで見えていた方向と少し違う感じがすることも・・・。

これは記録に残しておかねばと思い、急いで安物ながらデジカメを持ち出し、撮影してみる。通常のモニタ-画面では富士山の姿は確認できないので、望遠機能を最大にして撮影してみたら、富士山の姿がはっきりと捉えられている。

これは公開するべきだと思い、早速ネットに掲載することを決めて、写した映像をそのまま張り付けてみたら、空が明るすぎて、富士山の姿を判別するのが難しく、これではお前の錯覚だよと言われかねない。

そこで、明るさをぐっと抑えてみたら、はっきりわかるようになる。すぐ左には三角形をした丹沢の大山の姿もはっきり写っている。

しかし、角度が微妙にずれているのが気になる。地殻変動があって我が家の位置がずれたとも思えない。まして富士山の位置が動いたなどとはとても考えられないので、不思議感はさらに増す。

今日の仕事は決まった。我が家からの富士山を写した映像を探し出し、昨日の朝の角度や見え方の違いを確認することである。ここまでは昨日の朝の出来事。

突然、見えないところに富士山が現ほすことなど絶対にない。考えられるのは、富士を隠していた樹木が何らかの理由で切り倒されたことである。確かめるために午後からそのあたりを歩き回ってきたが、どこにもその気配はないことに、ますます不思議感が増す。

古い記録も調べた。たくさんあったが、撮影場所が、寝室からなのか私の部屋なのかの明確な記録がないので、見える位置の違いは私の錯覚かもしれないと納得させる。

しかし、昨月突然、再び見えだしたことは間違いない。今朝確かめてみようと思ったが先程から雪が降りだし視界はほとんどなし。明日、確認してみることに・・・。(田舎親父)

2013年1月13日 (日)

原発事故収束作業の実情・・・

 一昨日の東京新聞が伝える除染事業の実情に唖然とする。原発事故に伴う国直轄の除染事業で、下請け業者が、作業員の日給から半ば強制的に宿泊代や食事代を天引きし、国が支給する危険手当の一万円のほかは、一日千円程度しか支払っていない実態を鋭く洗い出している。

除染作業は放射性物質にさらされる危険があるため、国は作業員に一日一万円の『危険手当』を支払っていることは、これまでのマスコミ報道から知っている。ところが、この手当は除染を請け負う業者を通じて支払われているとのことには驚く。これでは、給料を不透明にして『ピンハネしなさい』と言っていると同じでは・・・。

 記事には福島県田村市の除染現場の事例を出している。請け負い業者は、作業員の日給として国が支払う危険手当の一万円に加え、福島県の最低賃金に近い約6千円を支払っているのだそうだが、あまりにも低い金額に驚く。

 それはともかくとして、見掛け上は、合わせて日給1万6千円となるが、宿泊代や食事代として4千5百~4千7百円を天引きして、実際に作業員が手にする額は1万1千円程度に目減りしてしまっていたことが、取材からわかったとのことである。

 危険手当の財源は税金で、本来的には作業員に直接支払われるべき性質の金なのに、国は業者に丸投げしているのだから、業者は事実上、1日わずか千円程度で作業員を雇っていた形になるという。業者のうまみになっているのが宿泊代や食事代で、ある業者は、国から宿泊施設を無料で借りているのに、作業員に朝夕の食事込みの4千5百円で貸し付けていたというから呆れてものが言えない。

 別の業者は、明細を示さず宿舎と食事付きで日当1万1千円の条件で作業員を集めてきたが、危険手当が支給されることが作業員の間で広まり説明を求められると、危険手当を含む日給1万6千円から宿泊代3千7百円と食事代千円を差し引いたものだと説明しているとのことであるが、作業員からみたら納得できないだろうな。

記事は続く。このケースでは、作業員は一室4千円のバンガローに4、5人で宿泊。業者は宿泊費として計1万4800~1万8500円を集めており、4千円との差額が利ざやになっているとのことである。酷い話であるが、その上、食事も原価は300円程度に抑えるようにしていたというから、悪徳商人そのものである。

この記事から50年も前の記憶がよみがえる。苦学生だった私にはアルバイトのより好みなどできず、何度か港湾労務と呼ばれる仕事をした経験がある。横浜の京浜急行の日ノ出町の駅裏(と記憶している)に早朝仲間と出かけると、すでに何人かの労務者が集まっている。しばらくして現場監督というのかいわゆる『人買い』の男が現れて、我々を品定めしてトラック押し込む。

当時はクレ-ンなんて代物は少なく、細かいものは人が運んでいたのでこんな仕事があったのだろうが、当時日当が1万円。夕方、確かに1万円が配られた記憶が鮮明に残っている。と同時に、酒と博打が始まったことも・・・。

酒と博打で支払った賃金を巻き上げるやり方であるが、一応、1万円は支払っている。放射能におびえながらの原発事故収束作業と50年前の港湾労働との賃金があまり変わらないのはなんなのだろう。

記事を読む限り、50年前の私の経験と似たようなもの。そんなことが現代の社会でも横行しているのも変な話だが、管轄する福島労働局がこうした実態をある程度は把握しながら有効な対策をとってこなかったことに不信感がわく。今朝の記事にはもっと酷い事実も明らかにしているが・・・。

 東京新聞の取材に対して、ゼネコンの広報室は『過去には危険手当がきちんと作業員にわたっていない例もあったが、きちんとわたるよう下請けへの指導を繰り返している。雇用条件などは法にのっとった契約になるよう個別に指導している』と回答しているらしいが、現在進行形でピンハネが進んでいるとなると、この言葉は虚しく聞こえる。

今回の記事で、危険手当を含めて原発事故処理作業をゼネコンに丸投げしている実態が明らかになった。実際の人件費を明らかにされていないのでどこまでゼネコンがピンハネしているかは不明だが、ゼネコンとしたら、そのまま下請けに丸投げすれば、それだけで莫大な儲けになるのだから、下請けのやることなど知らぬ顔だろう・・・。

ところで、東日本大震災の発生から11日で1年10カ月を迎える中、復興政策を担う復興庁の改革が動き出したという。『縦割り行政』の弊害から復興のスピードが遅いとの批判を受け、『復興庁へ全権限を集中しワンストップで物事を判断する』するのだそうだ。原発事故に対応する件として、除染の企画立案なども環境相から復興相へ移し、機能を強化するとのことである。

この機能と権限の強化は悪くない。しかし、いくら権限を強化しても、事業そのものをゼネコンに丸投げしている悪弊を改めなければ、こんなばかばかしく酷い話を根絶できないことだけは誰の目にも明らか。

復興庁の官僚たちが東京新聞の記事を真剣に読み、こんなことがまかり通らないようにしてほしいものである。(田舎親父)

2013年1月12日 (土)

盛り上がらないオリンピック招致・・・

 2020年の夏季オリンピック・パラリンピック開催をめぐる国際招致合戦が本番を迎えたようで、一昨日だったか新しく選ばれたイノセ都知事が一見自信満々の表情でロンドンに向かう姿をニュ-スが映し出していた。

4年前も、前知事が同じような場面があったような気がするが、結果的には落選。というより、始めから、選ばれるのは初めての地域ということが前提にあってブラジルに決まるというのが一致した見方。私も、何度もこのことをつぶやいた記憶がある。

今回立候補している都市はイスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)と東京の3つ。9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催都市が決まるというが、IOCのこれまでの決め方を見ていると、初めての開催する都市に振ると次はヨ-ロッパの都市に戻り、その次にはまた初めての都市というパタ-ンが多いように思える。

これは、招致を決めるIOC委員がヨ-ロッパの国々から選出されている数が多いのだからある意味当然かも知れない。となると、初めて南アメリカで開催するリオの次となると、マドリ-ドということになるのでは・・・。

しかし、スペインは経済的に難しいという見方もあるらしいから、すんなり決まるとはわからないのではあるまいか。そこに東京の勝算があると指摘する識者もいるらしいが、ヨ-ロッパの委員たちは簡単にアジアに一票を投じるとは思えない。

むしろ、マドリ-ドが難しいと判断したヨ-ロッパ選出委員の多くは、ほとんどヨ-ロッパ地域といっても良いイスタンブ-ルを支持するのではないだろうか。イスタンブ-ルで開催するということになれば、初めてのイスラム圏ということになり、国際的にも評価されることは想像に難くない。

また、東京が16年の招致に失敗した最大の理由は国内支持率が低かったからだともまことしやかに言われている。そのことに対して何ら反省も改善もせず、再度立候補したのに唖然とするが、それは前知事が突然大声を張り上げたから他ならない。

国民の圧倒的多数が『開催してほしい』と熱望し、それが数値になって現れての招致なら反論しない。前回東京で開かれたのは昭和39年。当時、私は富士通を退社して横浜国大にもぐり込んで、生活のためにアルバイトに追われる毎日だったが、10月10日のオリンピック開催日の盛り上がりは肌で感じたことを思い出す。

それはうまく表現できないが一種の感動だったことは間違いない。オリンピックを契機にして日本の社会は右肩上がりの発展を遂げ、私と同年代の人々はその恩恵を受けたことは忘れない。

オリンピック招致に成功したら、経済は活性化するだろうことは私にも予測できる。しかし、なぜか、『どうしても開きたい』という国民的な盛り上がりがない。私には、オリンピック開催への熱望度は、むしろ前回より低いのではと思われるほどである。

ロンドンオリンピックのメダリストを集めたパレ-ドではものすごい人々を集めたのは歴然とした事実。マスコミが必死に盛り上げようとして、メダリストたちを引っ張りだしている。それなりの人気がでて視聴率は上がっているらしいが、私には、メダリストたちは単なるアイドルに仕立て上げられているだけで、招致熱の盛り上がりにつながっていない感じがする。

そこには前回とは全く違う要因が潜んでいるに違いない。東京の開催計画の特徴は、半径8キロ圏内に競技会場の8割を収めるコンパクトさだそうだ。その上、世界の国々や地域と比べると格段に良いと言われている治安と、選ばれる条件は揃っているように思えるが、昭和の時とは国民の気持ちが全く違っていることを考えるべきではないだろうか。

福島原発事故の影響も少なくない。東京は放射能汚染されていないと強調することは間違ってはいないが、強調すればするほど原発事故が表面に出て、各国の招致委員たちは福島の犠牲の上に立った安心だけであって、日本人は同胞に冷たいと見るのではないだろうか。

次の次、2024年のオリンピック招致なら可能性がある。福島原発事故をきちんと収束させ(無理だろうが)、原発に頼らず省エネや再生エネを中心に電力を賄えば、日本の底力と評価されるはず。

コンパクト性を強調するのも悪くないが、日本中会場という選択なら、国民の関心は高まることは間違いない。全てを東京に集中する最近のやり方では、民意は得られないのではないだろうか。

なんでも東京という考え方を改めて、日本中の地域が潤い人々が元気になるようなプログラムを用意して、焦らず急がずオリンピック招致熱を高めたいものである。(田舎親父)

2013年1月11日 (金)

北海道電力の節電強化の狙いは・・・

 今冬の厳しさは、かなり寒さに強いと自覚している私にも異常に感じる。例年ならば、年内に長袖のシャツなど着たことがなかったが、12月の中頃から着用しているし、ズボン下など無縁だったが、すでに薄手の素材のものを3着も購入し、ほぼ毎日使用している。

確かに暖かく快適である。室温を下げてもさほど寒さを感じない。エネルギ-の節約にもなっているから、今後考え方を変えて、多少のゴワゴワ感と動きにくさはあるが、ある程度の暖かさになるまではき続けようと思っている。

全くの個人的な書き出しになってしまったが、これから節分までが1年で最も寒い季節。横浜の片田舎でも連日10センチもの霜柱が立つ日が続いているが、寒気が抜けない北陸・東北・北海道の厳しさは想像に絶するものがあるに違いない。

特に北海道は、全国で唯一、7%以上という節電の数値目標が掲げられているから状況はさらに深刻だろう。しかも、寒の季節に入り寒さが本格化し、暖房用の電力需要が増えるのに合わせて、7日から節電の時間帯をこれまでの夕方からを、午前8時からに早め、家庭や企業では節電への一層の対応が求められるというから、何だか首都圏に住んでいることに申し訳ないような気持ちになる。

北海道電力が『節電』を求める背景には、泊原発の停止の影響というのが表向きの理由であるが、マスコミなどがこのことを『事実(真実)』として一人歩きさせているように感じているのは私だけなのだろうか。

昨年の11月の終わりごろだったと記憶しているが、(産経だったと思うが)北海道の冬の厳しさと節電のことを取り上げていた記事があった。記録に残していないので正確な内容は覚えていないが、読み終えた印象は、まさに泊原発さえ動けばこんな不自由な思いはしなくても良いということを言いたいような文面に思えたものである。

確かに、泊原発が停止している分の電力供給量は落ちていることは、私でも十分理解できるが、電力不足が即、原発が再稼働できないからだと結びつけるのは許しがたい。今回の節電強化の記事を読んで、一昨年事故直後に強引に行われた東電の『計画停電』が思い起こされる。

当時、『計画停電』とは実にうまい方法を考えたものであると何度か述べたが、福島原発事故で東電管内のすべての原発が停止し、それが影響して『電力が足りない』ということを、必要以上に繰り返して、無理やり『計画停電』を押しつけたことを忘れはしない。

電力が不足していたことは確かだろう。しかし、実際に行った『計画停電』は、東京都内はほとんどなし、私が住んでいる横浜の片田舎でも、東電幹部や衆参議員の選挙区は停電はなかったという事実から、これは『原発が動かないとこんなに不自由するのだぞ』と脅かし以外ないものではないことを実感したものである。

そして、その脅しがバレそうになると『計画停電』をあっさりやめて、『節電』という言葉に切り換えたことも・・・。そして、『節電』という言葉を繰り返して、火力発電のための燃料確保という理由で、電力料金値上げを強引に認めさせたことを忘れてはならない。

北電は電力供給力にはまだ余裕があるものの、火力発電所のトラブルなどが重なると電力が不足する懸念が出るという理由で今回の節電強化を押し進めているが、不自由解消には電力料金の値上げという、東電のやり方を踏襲していると言っても間違いではない。

 節電強化と同時に、家庭向け電気料金を1割程度値上げする方針を固めたという報道がそれを裏付けている。

記事によると、北電は今年度内にも経済産業省に申請するのだそうだ。昨年5月に全3基が停止した泊原発を補うための火力発電所の燃料費が膨らみ、経営を圧迫していることが要因だとして家庭向け電気料金の値上げをする動きは、まさに東電の後追い。

そして、北電に続いてすべての電力会社も値上げを申請し、その全てが認められる。その後、7月に原発の安全基準が作られ、結局は、安全だとして次々に再稼働。その後ちょっぴりの電気料金値下げというのが筋書きではないだろうか。

なんだかなあ・・・と悲しくなる。(田舎親父)

2013年1月10日 (木)

担任が気の毒といったら叱られるだろうが・・・

 去年の暮れのことである。東京都の調布市立富士見台小学校で、5年生の女子児童が、給食を食べた後に体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡していたことを翌朝の朝刊が取り上げていた。

記事の、女子児童は乳製品などのアレルギーがあったことや、給食に出された食品が原因の疑いがあるとみて警察が詳しい経緯を調べているなどという内容から、死なせてしまった以上、これは大事になりそうだと予感したことを記憶している。

警察によれば、女子児童は12月20日午後1時20分ごろ、『気持ちが悪い』と訴えて救急搬送され、約3時間後にアナフィラキシーショックで死亡したという。

調布市教委は同日の給食には粉チーズが練り込まれたチヂミがあったが、女子児童にはチーズを抜いて出されたと釈明していたが、何らかの手違いがあって女子児童が口にしたことは間違いなさそうだから、校長はじめ教職員の対策に走り回っている姿を想像する。

その後注意して続報を待ったが、年内はなし。私の記憶から消え去ろうとしていた一昨日、突然、続報がNHKのテレビニュ-スで流れた。しかも、その映像は『おかわりをした女児に担任が誤ってチーズ入りチヂミを食べさせた』と学校の責任だと認め、お馴染みの教育長はじめ幹部たちが深々と頭を下げる様子から始まる。

翌日の新聞各紙もこの問題を大きく取り上げている。大まかな内容は、女児に乳製品アレルギーがあることは学校側(担任の29歳の男性教諭)も把握しており、この日の給食では、この児童向けに出されるチーズ抜きのチヂミを提供したが、女児がおかわりを希望したので、担任が誤ってチーズの入ったチヂミを渡したとのことである。

新聞各紙には、栄養士が作成した表での確認を怠ったと、明らかに担任のミスを責める文面が続いているが、何か釈然としない気持ちになる。

当日の給食は生地にチーズを練り込んだ韓国風お好み焼き『じゃがチヂミ』で、学校はこの女児用にはチーズを抜いたチヂミを1食分だけ用意していたとある。ここまでは別に気にならないが、担任には1か月分の献立表が渡されており、女児が食べられない料理には『×印』が付けられていたが、確認を怠っていたため、お代わりを求められた際、女児に食べさせてはいけない『チーズ入り』だったことには気付かなかったという文面が引っかかるからである。

亡くなった女児と遺族の方には大変申し訳ない表現になり、人権擁護団体から強い非難がくるかも知れないことを承知であえて発言するが、乳製品を食べさせれば死至らしめるような強いアレルギ-反応のある児童に対して、『口にさせない』ことを学校だけに任せてしまっている、現在の方法を改めない限り、同じような事故・事件は起こるのではないだろうか。

食品アレルギ-を持つ子供が増えていることはずいぶん昔から言われていたこと。ソバアレルギ-などを持つ児童も多いが、ソバを用いる給食は数少ないことがあり、担任としては、その日だけ特に注意していればさほどの負担にはならないが、乳製品となると毎日使わない日がない日はないほどだから、どの子がどの乳製品にどんなアレルギ-を持っているかによって日々の気苦労はかなりのものだろうことは想像に難くない。

しかも、この学校のように、一月に一枚配られてくる献立表によって、児童に対応しなければならないとなると、栄養士が作成した表での確認を怠ったという重大な過失があったことは間違いないが、担任だけに責任を押しつけるのは酷ではないだろうか。

児童は自分のアレルギ-に対して自覚があったのかという疑問も消えない。常識的に想像すると、5年生ともなれば自分が乳製品に強いアレルギ-反応を持っていることは理解できていなければならない。当然、口にしてはいけないことも・・・。

おそらく(これは私の推測であるが)これまでもアレルギ-対応の献立が出ていただろう。その時も含めて、この児童向けの『特別食』が一人分、教室に届けられていたはず。児童はお代わりなどないことは知っていなければならない。

しかし、お代わりを要求したとなると、この児童に、判断できないような素因があったのではとも思えるのだが・・・。

私は以前から何度も、給食を教員の正規の任務としている学校システムに問題があると繰り返しているが、現在の学校では教科と同じ(それ以上?)に重要と受け止めているのだから、ここではその議論はしない。

しかし、今回の事故は学校ができることとできないことをはっきりと保護者に示す必要があることを端的に示していることは間違いない。せめて、アレルギ-のある児童に対しては『お代わり絶対になし』という、単純なル-ルの徹底が最低必要条件だろう。

いくら保護者などから『それでは、子供が可哀相・・・』という意見があったとしても教育委員会の責任で『NO』と言える体制作りを急ぎたい・・・。(田舎親父)

2013年1月 9日 (水)

私には無縁だが、ネットの負の話題2つ・・・

 その一。昨年末のことであるが『ベニオク』という言葉がかなりの頻度でマスコミが取り上げていた。私のようなアナログ年寄りには到底理解不能な意味不明のカタカナ言葉が最近氾濫しているが、この『ベニオク』もその一つ。

意味がわからないのでは話題にもできないので、ネット百科で調べてみたら、ペニーオークション(penny auction)の略で、毎回の入札毎に手数料が必要になる形式のインターネットでの競売方法であることを初めて知る。

表示上の開始価格や落札価格は通常のオークションに比べると低額な場合が多いらしいが、入札時の手数料が高額になることが多いという。これにも、なぜ?・・・。

(解説は続く)入札者にとっては、開始価格が1円から数百円程度と低額で、しかも1回の入札金額の単位も低額で固定されていることが多いため、多数の入札があっても安価に落札することが可能であるという魅力がある。しかし、入札ごとに手数料が必要なため、競り合って何回も入札した場合などには落札額に手数料と送料を合計すれば安価と言いきれない場合もあるとのこと。ここまで読んで、なるほどと納得。結果的に落札できなかった場合でも手数料を支払う必要が生じるとなると、何となくインチキ臭さを感じる。

出品される商品は運営企業側が用意するのだそうだが、落札額は問題ではなく、何度も入札を繰り返させればその手数料で利益を上げるという。なるほどで『これは○○なる品物(今流行りの理由あり)』という言葉を添えると、ネットで盛り上がるのもわからないでもない。

特に、人気タレントが使っていた小物などが出品されたとしたら、それをほしがる人は多いだろうから、大勢の人が入札し価格をつり上げることは十分予想できる。落札できなくても手数料や仮想通貨が一切返金されないというシステムを作るとはなかなか知恵者とも思えるが、世の中全体がこんな仕組みをビジネスモデルと持ち上げている風潮は何か奇怪しい・・・。

私が『ベニオク』という言葉を知ったのは、実際に詐欺事件として警察が動きだしたという新聞記事である。記事によると、逮捕された輩は『ベニオク』を利用して、実際にはサイトで紹介していた商品がないにも関わらず、多数の芸能人に『私も使っています』とか『500円で手に入れました』などと、ツイッタ-やフェイスブックに書き込ませて人気をあげていたという。

何人ものタレントなどの名前が上がっている。こんな輩に利用されるタレントもカネに飛びついたアホだとしか言いようがないが、そんなアホに群がる『ネット命』の人々はそれ以上のアホとしか言いようがない。

その二。『コンプガチャ』という言葉も私には到底理解不能。またまたネット百科のお世話になる。オンラインゲーム内で、『ガチャ』と呼ばれる有料のくじで得られるアイテムを数種類そろえる(コンプリートする)ことで、希少なアイテムを得られる仕組みで『コンプリ-トするガチャ』の略語であるとのことを知る。

元来、テレビゲ-ムなどを体質的に一切受け付けない私には全く関係ない話であるが、世の中には『ゲ-ム命』の人間が多いらしく、時に利用する電車の中では、若者に限らずいい年をしたおっさんやおばさんまでが小さな画面に向かってピコピコやっている姿を目にすることがある。彼らも『コンプガチャ』をやっていたのかも知れないと今頃になって初めて知るのも迂闊なことと、改めて自分の世間知らずを笑ってしまう。

夢中にゲ-ムに没頭するうちに、数万~数十万円の課金をされたとする利用者が相次いでいるのだそうだが、その多くが中学生以下の子供たちという文面に、また一つネット社会の負の面が明らかになったと憂鬱な気分にさせられる。

例として、ある親が『中2の息子が自分のクレジットカードを勝手に使ったが、携帯ゲーム機がインターネットにつながるとは知らなかった』と危機意識が全くないのにも驚かされる。まだ、オンラインゲーム利用料として20万円超の請求があったが、小学生の息子は『無料で遊んだつもりだった』と言っているという文面にも、情けないとしか思い当たる言葉はない。

相当以前のことだが、携帯電話の危険性を指摘する仲間たちに加わり、何度かフォ-ラムに出席した経験がある。その会場で、何人かの母親が『携帯使用の料金で○十万円も請求された』と憤慨していたことを思い出し、子供に携帯をもたせたことが原因だという自覚もなく、よく言うよ・・・と腹立たしく思った場面がダブル。

当時の携帯が進化?し、ベニオクやコンプガチャになったようだが、ネットの負の部分はさらに進化?している。日本人の総白痴化が進んでいるかも知れないが、これ以上『ゲ-ム命』『ネット命』の(しかもネットの負の部分を考えない)人間の増加を抑えない限り、次々と新しいネットに関する犯罪が発生を止める術がないのでは・・・。

本気になってネット社会の負の部分を暴き出し、危機意識を広めないと、とんでもない社会がやってくることだけは確かなようだ。(田舎親父)

2013年1月 8日 (火)

これが除染の実態だろう・・・

 1月4日の朝日新聞に衝撃的な記事があった。私も何度か指摘している『除染など所詮できるわけがない』という意見に対して、(全く質的に違っているが)意識的に除染を弄んでいる、いわゆる手抜き除染の実態を暴いた記事である。

その内容は、福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる『手抜き除染』が横行しているというものだが、元請けのゼネコンの現場監督が指示して投棄した例もあるというから驚きである。

発注元の環境省もこれを認め、廃棄物の扱いを定めた特別措置法に基づく契約違反とみて調査を始めたとあるが、朝日新聞のすっぱ抜きで仕方なしに動きだしたところではないだろうか。

環境省が福島県内の11市町村を除染特別地域に指定し、建物や道路、農地などから20メートル内の本格除染を始めるにあたり、大手のゼネコンに発注という方針を打ち出したが、これでは復興にはほど遠い、利権の相互付与だと書いた記憶がある。その後、どんな除染作業が行われているのか続報がないこともあって、意識の外だったがやはり続いていたようだ。

朝日の記事によると、これまで4市町村の本格除染をゼネコンの共同企業体(JV)に発注したという。楢葉町が前田建設工業や大日本土木など(受注金額188億円)、飯舘村が大成建設など(77億円)、川内村が大林組など(43億円)、田村市が鹿島など(33億円)というから、まあ全てゼネコンへの大サ-ビスである。

環境省が元請けと契約した作業ルールでは、はぎ取った土や落ち葉はすべて袋に入れて回収し、飛散しないように管理。住宅の屋根や壁は手で拭き取るかブラシでこする。高圧洗浄機の使用は汚染水が飛び散るためごく一部でしか認めていない。洗浄に使った水は回収するなどという、基本的には当たり前のことを並べているが、素人の私でもこれは体裁だけで実際にはできるはずがないとわかる条文である。

この記事は各社に大きな衝撃を与えたらしく、各社がすぐに反応し、後追い的な記事を出している。今朝のNHKニュ-スでも取り上げていたが内容を検討する時間的余裕がないので、またの機会に述べることにして、毎日新聞の考えさせられる記事を取り上げて見ることにする。

除染で集めた枝葉や汚染水を川などに捨てる不適切処理を指摘されて、環境省が実態調査に乗り出した問題で、現場の男性作業員が毎日新聞の取材に応じたのだそうだが、その作業員は、そもそも仮置き場が足りないので『置くところがないから仕方ないべ』という意識が当たり前で、川に捨てているのが日常茶飯事だと証言しているとのこと。

この作業員によると、以前は集めた枝葉は始めは『フレキシブルコンテナバッグ』と呼ばれるブルーの袋などに入れて仮置していたが、仮置き場の場所がなくなっていて、枝葉を袋に回収しないでその辺に捨てるようになっている、これが当たり前の雰囲気になっているという。

建物などを水で洗浄する場合は通常、下にブルーシートを敷いて汚染した水を受け、ポンプでくみ取りタンクに入れ、浄化装置で処理しなければならないことになっているが、回収するのは環境省が管轄し、なおかつ環境省が監視する『モデル地区』だけで、普段はそんなことやらず汚染水は流しっぱなしだとのことも・・・。

さらに、『こんなところをマスコミなんかが知ったら大変なことになるね』といつも同僚と話しているという。以前、国の要人が来た時には、いいところだけをきちんと見せたが、普段はずさんもずさんで『道路縁の刈った草などは片付けもせず、そのままにして帰ることも多い』と記者に話しているというから呆れた話。

『除染』という言葉は耳障りが良く、みるみるうちに汚染状況が改善されるような錯覚を覚えるが、実際には汚染物質の移動に過ぎないことは、全くの素人である私でもわかること。

移動するためには、保管場所が必要なことも当然なのに、国はそれも全てゼネコンに丸投げ。ゼネコンはそれも含めて下請けに発注、下請けはさらにその下請けにと次々に回しているのが現状で、結局、汚染物質を保管する『場所』の確保の責任所在がないとなると、下部の下請けの作業員たちとしては、除染という意識がなくなるのは当然だろう。

元請けのゼネコンとしては下部のことなど知っていて知らぬ顔。こんなに美味しい儲け話はないというところに違いない。除染作業と称する仕事を次々に国から受注さえすれば、面白いほどカネが入ってくるのだから・・・。

 朝日新聞のすっぱ抜きに続き、毎日や読売がここまで書いているのだから、国としては何か動くだろうが(実際に動きだしたらしいが)、果たしてマスコミはどこまで国の動きとゼネコンの対応を報じるだろう・・・。

前線の記者たちは奮闘するだろうことは疑わないが、これまでの例からみて、上の方でストップがかかると全てうやむやになるのがこの世界。あまり期待しないで、今後の動きを見つめることにしよう。(田舎親父)

2013年1月 7日 (月)

与太話として聞き流したいのだが・・・

 一昨日のお昼のテレビニュ-スは、築地市場でのマグロの発セリの様子を映し出していた。『祝初荷』ののぼりで飾られた卸売り場には冷凍された数限りないほどの大きなマグロがずらりと並んでいる。その数は654本だとのこと。

毎年のことであるが、仲買人たちが一本あたり数秒という速さで競り落とす様子は、私のような全くの素人には、どうしてこんな神業のようなことができるのかと信じられぬ思い出見つめるだけだが、そこには彼らだけに通用する約束事があるのだろう。

ただ唖然としながら画面をみていたが、このニュ-スの焦点は、この様子を単に映し出すだけではなく、競り落とされた価格であることがすぐにわかる。なんと、一本のマグロが1億5540万円というから、一瞬、全体のマグロの価格だと勘違いするほど。

このマグロは、220キロの青森県大間産で、1キロあたりにすると70万円というから仰天を通り越す。誰がどんな思惑でこんな金額で競り落としたのか不思議な気がするが、競り落とした人は、昨年に引き続き『すしざんまい』というチェ-ンの寿司屋を経営する会社の社長とのことである。

競り勝ったマグロがこの寿司店で解体される様子が夕刻のニュ-スで紹介していたが、ずらりと並んだ報道陣のカメラと、店の前に行列する人々を映し出していた。去年もこの店が競り落として客に提供したことを知っている人たちが一貫500円ほどで食べられると殺到したのだろうが、なんとも引っかかるシ-ンである。

寿司店の社長の『お客さんに良いマグロを食べていただき、景気も良くなってほしい』という言葉も添えられていたが、一貫5万円程度の寿司を500円で振る舞うとは、貧乏人の私にはとうてい信じられない行為。

他のテレビ局でも同じような場面を映し出していたが、台湾の業者との競争で、こんな価格になってしまったことが後になってわかる。昨年も同じような風景があったらしいとのことであるが、それでも5000万円止まりだったというのに、今年は一挙に3倍とはそこには何があったのだろう。

台湾業者に負けなかった社長の株はぐっと上がったらしい。このマグロにありつけた人にとっては、社長サマサマ・・・だろうが、果たしてこれで良いのだろうかという素朴な疑念が沸いてくる。

台湾の業者がなぜここまで仕掛けてきたのか解説はないが、何らかの理由で意図的に価格をつり上げたことだけは間違いない。寿司店の社長が話題づくりのための筋書きとして台湾の業者との馴れ合いであったとしたら、現代的なブラックユ-モアとして受け止められるが、台湾側に日本の市場をかき回す意図があったとしたら、今後のマグロの価格が心配である。

全国のどの魚市場でも魚の価格が上がることは拒否しないだろうから、仲買人と呼ばれるセリに参加できる人たちに、『落とさなくても良いから価格を引き上げてくれ』という要求があったとしても奇怪しくない。今回のように昨年の3倍もの価格がついたとなると、今後各地で行われるセリでも同じような光景がみられるのではないだろうか。

その結果、マグロの価格はさらに高騰し、庶民はますます口にできなくなるという事態が起こらなければ良いのだがと何かいやな予感がするのは、体調がいまいち優れず精神的にもすっきりしないことが影響しているのかも知れない。

貧乏人は黙ってろという声が聞こえてきそうだが、マグロ一本にこんなべらぼうな値段がつけられることに対して、これで良いのかと本気で心配してしまう。

与太話として聞き流したいのだが・・・。(田舎親父)

2013年1月 6日 (日)

原発という言葉を日本の辞書からなくしたい・・・

 原発で使用した核燃料ゴミの捨て場がないことは、3.11の原発事故後はマスコミも反省したらしくかなりの頻度で報じている。しかし、(何度も触れているが)原子力村の住民や電力会社のお偉方の耳には届かないらしく(聞こえないふりをしているのが本音)意識的に無視して原発再稼働を働きかけているのは、一体どういう神経なの?と呆れているのは私だけではないだろう。

政治屋さんたちも同じらしく、アベ内閣は首相始め経産相などは露骨に再稼働推進を口にしているが、この核ゴミのことについては徹底してのだんまりはいただけない。もっといただけないのが、無批判にそれを報じるマスコミとそれを信じて、核ゴミなどないと思い込んでいる国民であるが・・・。

そんなことを思っていると、東京新聞が昨日『使い終わった燃料のごみ(使用済み核燃料)を、各都道府県がどれだけ出しているかを試算すると・・・』という記事を掲載していた。

記事によると、2007~11年の5年間では、最も多い東京は最も少ない鳥取の55倍にのぼることが分かったという。原発を持つ電力十社への取材を基に、都道府県ごとの家庭などの使用電力量の多少に当てはめて、燃料のごみの想定排出量を算出したのだそうだが、なかなか考えさせられる。

 想定排出量は、東京はじめ大阪や名古屋など、大都市を抱える上位6都府県で全体の約41%(それどころではないと思うのだが)を占めているのだそうだが、電力の大消費地に住む人々(私もその一人だが)はこのことについては一切無頓着なのも変な話である。

 東京新聞はここに注目して、電力の大消費地が大量の燃料のごみを出す一方、燃料のごみを施設内で保管する原発立地自治体や、ごみが全国から運び込まれる青森県・六ケ所村に負担を強いている現状を浮き上がらせたと、ふだん実感しにくいが、電力消費の多い自治体は排出量も多くなると鋭く批判している。

 全国10ある電力会社の核ゴミの総排出量は5年間の合計で約3639トン(ウラン換算)だという。4トントラックで運ぶと約千台、これを多いと見るか少ないと感じるかはその立場によって違うだろうが、捨て場がなくどこかに保管するしか方法がないことだけは間違いなく、それぞれの原発内部に一時保管しているか、一部は六ヶ所村に運んでいるのが現状。

 この核ゴミを都道府県ごとの企業や家庭などの使用電力量に応じて当てはめると、想定排出量は東京が359.1トン、次いで大阪は339.5トンと算出されるのだそうだ。一方で、最も少ない鳥取は6.5トン、次いで島根が8.1トンにとどまる珪酸になるのだそうだ。

六ケ所村に再処理施設を持つ青森県の想定排出量は27.5トンだという。しかし、日本原燃によると、実際に六ケ所村に搬入された全国の燃料のごみは5年間で計1074トンもあり、青森が排出する量の約40倍が、全国から運び込まれていることになるとのこと。

 記事はさらに続き、最大の原発立地県である福井県をみると、使用電力量から試算した想定排出量は41.3トンだとのことである。福井県は関西、北陸両電力から供給を受けているが、福井に原発を持つ関西電力は、ここで5年間に計799トンの燃料のごみを出しているが。その約半分を福井県内にある原発施設内に保管したままだとある。

 東京都と大阪府の数値にあまり違いや、人口比からして、鳥取県や島根県と青森県との数値が何となくとなく気になる。しかし、科学的数値を持たないのでこの数値を信じて話を進めることするが、本来、排出量が少ないはずの福井県や青森県などに核ゴミの保管で大きな負担を強いていることをこのデ-タはよく現している。

 こんなことは原発政策を進める上では始めからわかっていたことだろうと思うが、私には、政府はじめ関係者は地元にどこまで説明し納得させてきたのだろうという、新たな素朴な疑問が浮かんでくる。

 福井県などは以前から『電力消費地の自治体にも、中間貯蔵を含めた保管の在り方を検討してほしい』と国に繰り返し要望していたという。当然だと思う。私も、現発がそれほど安全ならば首都圏に建設すべしと何度も書いた記憶があるが、そんなことは関係者筋には話題にものぼらなかったらしい。

始めから国民的な理解を得た原発政策であれば、首都圏などに原発を建設することは難しくとも保管施設は作るべきだったと思うが、事故ではっきりしたのは、その全てが『安全神話』という魔法の言葉を使っての小手先の政策だったこと。

『安全神話』がもろくも崩れさった今、まずやることは、少なくとも核ゴミの処理方法がはっきりするまでは、今ある原発の再稼働はもとより、新たな原発を建造など話題にしないこと。

実際には、安全神話の復活も核ゴミの安全な処理も現状としては無理だろうから、核ゴミととりあえず封印してでも、現在のすべての原発を廃炉にし、『原発』などという言葉をも日本の辞書から消すことだろう思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年1月 5日 (土)

『せんべろ』 なんて悲しくてやりきれない言葉なのだろう・・・

 いつからこんな暗い世相が当たり前になったのだろう。昨年12月の中頃の新聞に『時給は850円。県の最低賃金より1円高いだけだ』という見出しを見つけた。

 記事には私立大学を中退した28歳の神奈川県在住の男性は週3~4日、朝9時から駅前の書店で働くとある。28歳とは大学を2年で中退したしたとしても8年。その間、正社員の仕事が見つからず、アルバイトでしのぐ日々だという。

 交通費や残業代は出ず、月の手取りは約9万円。家賃3万円のマンションに同居する彼女は塾講師だが、2人で月20万円を稼ぐのがやっとだ。『2人そろってワーキングプア。結婚して子供を育てるなんてとても無理ですよ』とつぶやいているそうだか、何が彼らを正規職員になることを阻んでいるのだろう。

アルバイトやパートで働く34歳以下のフリーターは、2010年平均で約183万人もいるのだそうだ。2年前より13万人増え、派遣・契約社員も含めた非正規で働く34歳以下の若者は、同年代の労働者の約3割に達すると記事にある。

 前回の総選挙。この男性は『最低賃金1千円』『派遣労働者の雇用の安定』を掲げる民主党に比例区で1票を投じたとある。『若者の働く環境を変えてくれる』と期待したからだろうと容易に想像できる。

 しかし、看板政策は当初の目標を達成していない。最低賃金は政権交代後の3年で全国平均36円増えて749円になったそうだが、1年平均で12円の値上げとはにわかには信じられない。

 私が利用する駅前の外食ショップに求人広告が張ってあるが、中身は高校生でも可とあり、時給900円以上が当たり前になっている。

生活に困らないような女子高校生が時給900円となると、28歳の大学中退のこの男性の850円は酷すぎ、その不公平性は一目瞭然、なぜ、こんなことが起きているのか、世間知らずの私には一見不合理極まりない。

しかも、労働者派遣法は改定されたものの、リーマン・ショックで『派遣切り』『雇い止め』が社会問題になった製造業派遣の禁止は見送りとなったとなると、労働者雇用現場では実質的な改善とはほど遠いようだ。

『雇い止め』という言葉も酷い。言葉から受ける感じでは『解雇』なのだろうが、ほざわざ『解雇』という言葉を使わないのも引っかかる。記事には、非正社員の雇用は不安定で、産休や育休をとることすら難しい会社もあるとして、東京の事務会社で1年更新の契約社員として働いていた26歳の女性の例が紹介されている。

今春、産休明けと同時に『雇い止め』にあったという。仕事上のミスも何もないので、納得できずに問いただすと、『産休をとった人には戻ってきてほしくない』と面と向かって上司に言われたとあるが、こちらも私には信じがたいこと。

 このことについて、育休取得状況などを『非正社員』の女性約1100人に聞いた厚生労働省の調査(11年度)によると、妊娠後に仕事を辞めた約300人のうち約8%が、『解雇』や『退職勧奨』があったと答えたとある。男女雇用機会均等法は、妊娠や出産を理由にした解雇や雇い止めを禁じているのにである・・・。

この女性は、団体交渉で雇い止めを撤回させたというが、居心地が悪くなったのだろう。現在は、別の会社への就職活動をしているが、正社員の求人は『門前払い』状態で、『子育てしながらだと、どこも雇ってくれない』のか現状だという。

 少子高齢化が現代社会の緊急課題であるにも関わらず、こんな例が当たり前のようにまかり通っているのでは、こき国の未来はきわめて暗い。

 衆院選では、多くの党が、物価が下がり続ける『デフレからの脱却』を訴えていた。実際に、政権の座についたアベ内閣は、物価を2%あげると宣言、日銀を恫喝して金融緩和を進めているという。

現実に不景気感が漂うのは私でもわかることで、この政策によって株価が上昇し、円高が抑えられ、世間には好景気が帰って来たと受け止められているそうだが、だからといって、消費者にとってありがたい物価の下落をなぜ敵視するのかははっきりと理解できない面がある。

 東京の繁華街の庶民相手の居酒屋では、生ビ-ルが200円、つまみは刺し身から揚げ物まで一皿300円均一というのも珍しくないそうだ。居酒屋の女将は、築地市場で直接買い付けるなど仕入れを工夫し、低価格を実現、『みなさん懐具合は寒いよう。最近はサラリーマンだけでなく、女性客も増えた』と話す。

 こうした格安の居酒屋は『千円でベロベロに酔える』という意味で『せんべろ』と呼ばれているそうだが、なんともやりきれない言葉が流行るものである。しかし、こんな居酒屋があるからこそ、非正規の社員でも時には通えることも間違いない。全体で2%の諸物価の値上げとなると、こんな店は消えてしまうのではないだろうか。

技術革新で値段が下がるのが『良い物価下落』といわれるのだそうだが、現在は90年代のバブル経済崩壊や金融危機を機に人々がお金を使わなくなって生じた『悪い物価下落』とされ、モノが売れず企業は値下げの消耗戦を繰り広げ、利益が減って社員の賃金が下がり、さらにお金を使わなくなる『デフレスパイラル』に陥っているのは理解できるが、単に2%野物価上昇となれば、今度は『悪い物価上昇』となるのではないだろうか。

デフレスパイラルからの脱却は望むところだが、この根本的な問題を解決しないで、単なる物価上昇を狙っているとしたら、庶民にとってトンデモないことになりそうだという予感がするのだが・・・。(田舎親父)

2013年1月 4日 (金)

原発は汚い日本の象徴だろう・・・

1月4日  ここ数年なかったことだが、2日の夜から発熱。昨3日は何も食さず、ただひたすらに寝ていたので(今朝は何とか起きれるようになったが)体調は最悪。年齢のことを考えずに、暮れから正月にかけて暴飲暴食がノロウイルスの絶好の標的になったらしい。

今日から、ボケ防止のつぶやきを再開するが、こんな体調なので、しばらくは身体をだましながら話題を探していくことにしたい。

今年最初の話題は、やはり事故以来ずっと私の心を占拠している原発のこと。去年の暮れの衆院選挙は、原発が大きな争点になると信じていたが、日本人特有の忘れやすい体質と、マスコミの露骨な言論操作によって、原発がどこかに吹っ飛んでしまったことはすでに述べたことである。

脱原発の受け皿として決闘した『日本未来の会』が、完全に埋没し、わずか一桁の当選しか得られなかったことはその典型だろうが、原発事故の地元である福島の表の出方は、私には全く理解できない事実である。

原発に追われて、いまだに十数万人がふるさとを追われているというのに、その福島の人たちが選んでのがほとんどが自民党の議員であることに愕然とする。

特に事故原発のある福島5区は自民党が約6万一千票、民主が約5万5千票。それに引き換え、脱原発野未来の党が得たのはわずか6千票。あれほどの事故を起こしたことに、福島県民は原発に批判すら持たないのだろうか・・・。

もう一昨年になるが、2011年12月16日、政府が突然、福島原発の『事故収束』を宣言した。事故後わずか9ケ月のことである。その結果、被ばく線量が高い作業が増え続けているに関わらず、東京電力は、収束宣言を境に危険手当の打ち切りや給料カットが相次ぎ、作業員の待遇が悪化していると聞いている。

昨年の暮れなどは、作兦業員が集まらなくなっていると一部新聞は伝えている。これでは廃炉などへの工程はほど遠く、いつ住民の帰還が始まるのかすら全くの闇の中。民主党から政権を奪い返したアベ自民党は、こんな見通しが立たない現実には目を向けず、早々と原発再稼働はもとより、新設まで言い出しているというから驚きというしかない。

 アベ首相が唱えている『美しい日本』というロゴには疑義を持たない。私自身美しい日本の再発見が日本再生の鍵だとおもっているからであるが、このロゴが汚い政治に利用されることには我慢できない。

 事故の終結宣言をしてから1年あまり、原子炉は『冷温停止状態』を保っていると言われているが、その実態は国民の目には隠されたまま。

30~40年かかるとされる廃炉作業には1日約3千人の作業員が従事していると伝えられるが、前述の通り、危険手当がカットされている上に、下請け孫請けと6代までの下請けで賃金がその度にピンハネされるとなると、作業員の確保すら困難になるのは当然のこと。

高い放射線量の影響で炉内の正確な把握はいまだ困難な状況で、冷温停止は大量に投入される冷却水のなさる業というのが事実のようだ。そして、投入される冷却水がすべて汚染水になるのが現実となると、その対策すらままならないのが現実らしい。

 現在、毎時17トンの水を注入しているのだそうだが、原子炉が損傷しているため、事実上はジャジャ漏れ状態で、1日約400トンの水が原子炉建屋地下に流出しているという。しかも原子炉の破損状況すらわからないのでは、急激な改善は望まれそうもない。

 これが『美しい日本』の現実の姿であってはならない。事故を起こした原発は、まさに『美しい日本』とは対角線上にある姿であり、安全神話がなくなった以上、こんな原発を再稼働するのは愚の骨頂。まして新設などとは天に根かってツバする行為で、日本の美しい風景の原点である八百万の神々を冒涜すると表現しても差し支えない。

さらに原発から出る放射能汚染物質を処理する技術がない。地下に埋めることも、他に転換利用することもできない施設設備、いわば人間でいう尿や弁というべき原発から出る排出物を処理ができないとなると、これが『美しい日本』の風景になるはずもない。

選挙が終わり、こんなことを言っても仕方ないのかもしれないが、やはり、わが国は物心ともどもいつまでも美しくありたいもの。

『原発はいらない』という心の叫びを忘れてはならない・・・・。(田舎親父)

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