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2013年2月

2013年2月28日 (木)

また始まった都教委お得意の学校いじめが・・・・

 1週間ほど前の東京新聞に、東京都教委が各学校へ通達した二つの方針の記事に目が留まった。その一つが、大規模災害の際に、東京都内の公立小中高校が原則的に校内で子どもを預かるということ。

これまでは学校は子どもを帰すのが原則だったから、方針が180度転換されることになる。都教委の担当者は『学校で保護する方針を明確にすることで、親が無理に職場から帰らないようにしたい』と話しているというが、何となく危なっかしい感じがする。

民間の事業者とその従業員に最長3日間の職場待機を求める『帰宅困難者対策条例』が4月に施行されるのに合わせた方針の転換らしいが、そんな条例が実際に執行しないですむことを祈りたい。

 都教委はどの程度の災害を『大規模災害』と想定しているのかわからないが、私は、以前から『学校が一番安全』と思っているので、この方針にはおおむね賛成したい。しかし、学校は地域住民の避難所に指定されているはずなので、我先に押し寄せる人たちをどう扱うのかという、教師たちにとって一番苦手でやっかいな問題には全く触れていないことが気がかり・・・。

 通達には、震災時は体育館が地域の避難所になるため、原則として児童生徒は教室で保護するとの方針を示しているらしいが、仮に、阪神淡路の神戸市長田区のような状態の災害となると、体育館だけで済むはずがなく、教室も避難場所として開放せざるを得なくなるのは明らかだろう。

となると、この棲み分けなどに各学校は大変になることは間違いなさそうだが、大災害ということ自体、起こりうる確率が極めて低い『非日常事態』なので、今ここでは考えないことにするとしても、もう一つの、『外遊びの時間を毎日60分確保』との記事には、また都教委お得意の『学校いじめ』が始まったと苦笑と学校へ同情。

先日も少し触れたが、20年以上前に突然、現場に強制された『ゆとりの時間』を思い出す。『ゆとりの時間』とは、当時、学校にゆとりがないという実態を解消するために、無理やり週1コマ、教科とは別に時間を設定し、子どもたちと教師が一緒になって『楽しい1時間?』を過ごすという代物だった。

実際はどうだっただろう。単純に、体力のある教師は校庭で一緒に遊べば良いと思い、子どもたちを誘うのだが、お絵描きをしたいとか本を読む方が楽しいなどという子どもが続出して『ゆとりの時間』の過ごさせ方が新たな悩みになったことは当時の学校を知る人間には思い出したくない話。

今回、児童に体力をつけさせようと屋外で体を動かす『1日60分』の遊び時間を設ける試みが東京都内の公立小学校で、2013年度から3年間かけて各校で段階的に取り入れるというから、すでにこの4月から、この試みを実施する小学校が決まっているようだ。

『1日60分』という具体的なガイドラインをどうクリアするのも大問題。現在の小学生は集団で遊ぶことには慣れていないので、教師からの働きかけがないと、休み時間は一人(少人数)で過ごすことが多いだろうから、担任教師が全員(これが大原則)を外に連れ出さねば意欲的に外遊びなどするはずがない。

こんなことが可能だろうか。昔はいざしらず、最近では子どもたちには『休み時間』であるが、教師にとっては『休み時間ではない』ので、教員室でのんびりということはない。校庭で遊んでいる子どもたちを全体的に見守る係や校舎内を見回る係など任務分担が決められている。放課後がないに等しくなっている現状では、教員間の打ち合わせなどのためにもこの時間が貴重になっている。

都教委の出した指針では、外遊びはとして『鬼ごっこ』や『だるまさんが転んだ』などの伝承遊び、縄跳びのほか、ドッジボールなどのスポーツをすることが考えられているという。

『鬼ごっこ』や『ダルマさんが転んだ』などを遊びとして経験したことのある小学校の教員が現在果たしてどのぐらいいるのだろう。20~30歳代では皆無だろう。40歳代でもまずゼロではないだろうか。

ほとんどの教師自身がこのような外遊びした経験がないので、その楽しさ知らないのだから、子どもたちに楽しさを教えることは難しい。『遊びの楽しさ』を教えることは算数や国語を教えることより難しいことは、私の経験からもはっきりしている。

それ以前に、児童数にもよるが、全員がドッチボ-ルができるほど広い校庭を持つ小学校もそれほど多くないだろう。(となると)学年ごとや学級ごとにスペ-スの配分などが必要になってくる。(となると)遊びの内容にも限りができることは当然の成り行き。

体力をつけるという発想は否定しないが、またまた『ゆとりの時間』の過ごさせ方と同じような論争が始まるかと思うと、教師たちの負担はさらに大きくなることは間違いないようだ。

教師が仕掛けないとなかなか集団で体を使って遊ぶことがないから、遊びを義務化するのも仕方ないという意見もあるようだが、集団で遊んだ経験のない教師から押しつけられた遊びが楽しいとは思えないのだが・・・。(田舎親父)

2013年2月27日 (水)

駅周辺の放置自転車に思う・・・

 20日の東京新聞の朝刊に、東京駅周辺の放置自転車についての記事があった。創建当時の姿に駅舎が復元され、新たな首都の人気観光スポットになったJR東京駅周辺で、放置自転車が急増しているのだそうだ。

通勤範囲の湾岸部でマンションが増えたことなどが影響していると分析している。先日、新橋から『ゆりかもめ』に乗ってビックサイトに出かけたとき、車窓から見るマンション群の凄さを目の当たりにしていることから、高低差がないこの地域では自転車は最適だろうと、記者の目に納得する。

駅前の放置自転車については、自転車を利用していない人からすれば、迷惑極まりないものであるが、経済的事情や健康面などさまざまな理由で自転車を使う人からは、駐輪場さえしっかりと設置してくれたら盗難の恐れがある放置などしないとの言い訳も一理。なかなか悩ましい問題である。

放置自転車は災害時に交通の障害になり、美観も損なうことには誰も異論がない。解決策は、駅前の駐輪場の整備と徹底的な取り締まりだということもわかっているが、駅前の一等地に駐輪場を作ることはかなり難しいことも間違いない。

大変ロ-カルな話題になるが、私が普段利用するJR横浜線の駅は『中山駅』であるが、隣の『十日市場駅』も毎日のように散策する恩田川に近く、また図書館もあることから出かける機も多い。しかし両駅の放置自転車状況にかなりの違いから面白い。

十日市場駅の付近は横浜線が河岸段丘の中程の切り通しを走っている。その半地下の部分を30年?ほど前に造成して作られた駅である。言葉で説明するのは難しいが、南口から見ると線路は地下を通っているような感じになり、ホ-ムからエスカレ-タ-で改札口に出るとそこは平坦になっており、広場とそれに倍加するスペ-スのバス乗り場がある。バスは全てそこでUタ-ンする設計なので、人と車が完全に分離されている。

ところが北口は改札口かから階段でもう一段降りなければならない。ある程度の広場を確保されているのだが、そこにはタクシ-乗り場となっている。タクシ-乗り場は南口にはないので、多くの駅のようにバスとタクシ-が同一平面にあるのではなく、完全に分離されている。

南口のバス乗り場と北口のタクシ-乗り場のすぐ前(横と言った方が適切かもしれない)は環状4号線となりゆるやかな勾配の陸橋が駅をまたぐ構造になっているので、南北の出口が機能的に完全分離を可能にしている。

自転車とバイクの置き場は陸橋のすぐ横に広いスペ-ス確保されていることもあり、駅周辺の放置自転車はほとんどゼロ。近くにある二つの大型ス-パ-もかなりのスペ-スの駐輪場を確保していることがあって、路上に放置されていることもない。

一方、中山駅は古くからある駅である。最近再開発されて北口ができたが、線路が平地を走っていることもあって、両口は完全に線路によって分断されている。そのため、それぞれバスとタクシ-が同居している。

南口は旧態とあまり変わらず狭い。バスとタクシ-がひしめき合い、ラッシュ時には歩行するのも難しいほどの混雑になる。そこには当然だが駐輪場などない。最近は取り締まりが厳しいらしいから駅前に放置してある自転車は見かけないが、その代わり、近くの古いス-パ-や銀行の前には自転車やバイクの山。これには付近を通るたびに辟易とする。

新しくできた北口は一見整然としているが、利権絡みもあったのだろうが、都市計画の中には駐輪場はなかったらしく、近くには狭いスペ-ス民間の駐輪場があるだけ。このため、駅前の東急ストア-の前などは放置自転車の天国になっているありさま。

店は『駐輪禁止』との張り紙をしているが、客離れが心配らしく、強い取り締まりを差し控えているのも放置に輪をかけているようだ。こんな光景を見るたびに、事情が違うことは十分承知しているが、都市計画の思想がいかに大切かを感じる。

東京駅に話題を戻すが、お膝元の東京都千代田区は、駐輪場を増やす一方、『取り締まり』を厳しくする両面作戦で、新年度から対策に本腰を入れ始めるそうだ。駅南側の鍛冶橋高架下に134台収容できるコインパーキングを整備。さらに、新年度は東京駅北側の大手町の区道に、コインパーキング式駐輪場約180台分を新設するというから、かなりの意気込みを感じる。

この数で全てを収容できるとは思わないが、区は近くの事業所はJRにも協力を要請、増やす努力をしているというから、改善されることは間違いない。自転車利用者の自覚も高まることも期待できそうだ。

今後、どんな顛末になるのか続報を楽しみにしている。(田舎親父)

2013年2月26日 (火)

中国発ウイルスで一儲けを企む?・・・

 今も時に報じられる、他人になりすまして悪質な書き込みをした事件で容疑者が逮捕された事件でも『ウイルス』が主役として登場する。そこでふと、『ウイルス』という言葉は病原菌の一種のような、生物的な意味合いの使い方をするのに、明らかにコンピュ-タが作り上げたバ-チャルな迷惑物に『ウイルス』という言葉はそぐわないのではと、変なことが頭をよぎる。

もっとも、人々にとって悪の代表であり、多大な『迷惑物』であることから、ごく普通にコンピュ-タの正常な働きを妨害するものとして『ウイルス』と呼んでいる事が一般化しており、私自身も当たり前のように使っているので、特に、違和感を覚えているわけではないのだが・・・。

変な書き出しになったのは、このところ、ダニが介在する『ウイルス』で死亡したという報道が大きく取り上げられているので、ふとコンピュ-タの『ウイルス』を連想させたからである。

このダニが媒介するウイルスで感染する『重症熱性血小板減少症候群(SFTS)』という感染症はかなり怖そうだ。しかもこのダニは一般家庭に存在するイエダニではなく、野山に生息しているマダニという種類だというから、アウトドア派にとってはやっかいな代物になりそうだ。

医学音痴の私にはこの難しい名前の症候群がどのような症状なのか想像もつかないが、記事によると、ダニが媒介の感染症はツツガムシ病や日本紅斑熱、ライム病があるが、いずれも治療方法があるのに比べ、このSFTSは有効なワクチンがないというから、こいつが体内に入ったら最後後は運次第というところのようだ。

この難しい名前の感染症が突然私たちの目の前に現れたのは先月のこと。ところが、実際に患者が病院で治療を受け、死亡したのは昨年だったというから話がややこしくなる。『去年の段階で感染し、亡くなったことが明らかになった』という表現が、何故今頃になって『マダニが媒介したウイルス』だとわかったのだろ・・・と、こちらの方は明らかに違和感を覚える。

しかし、最初に死亡した山口県の成人女性に続き、愛媛県と宮崎県の成人男性も亡くなり、今回新たに広島県の成人男性が昨年8月に亡くなっていた事が判明したというから、違和感は残るものの、速く治療方法を発見してもらわないと、今後ますます大変な騒ぎになるのではという危惧感が大きくなる。

原因不明の症状では治療は対処療法しかない。これは怖い。ことを重く見た厚労省は他の感染症以上に詳細な調査が必要と判断したのは当然で、来月から、ウイルスの検出作業を各都道府県の機関に拡大するのだそうだ。

このウイルスは『SFTSウイルス』と呼ばれているそうだが、国内でも本州以南に広く分布するマダニの一種フタトゲチマダニが媒介するとのこと。この事は、死亡者が中国地方や四国・九州に分布している事から納得できそうだ。

今のところ関東地方以北は大丈夫らしいが、ここ数年は厳冬が続いているが、夏場は年々温暖化の影響で、前年をこえる酷暑続きとなる、昆虫採集などにも影響が出ることは必至だろう。野山の散策が日課になっている私にも他人事ではない。

ところで、もう一つ違和感のある『ウイルス』の記事を見つけた。漂白剤などに含まれる『次亜塩素酸ナトリウム』を含む錠剤の入ったパックを首からさげて使うことで、ウイルスを除去できるとして『ウイルスプロテクタ-』なる商品が売り出されているのだそうだ。

これを購入した人たちの間に、やけどの被害事例が相次いでいるという。錠剤に汗などの水分を含ませると強酸性になり、服の上からでも皮膚に強い刺激を与える恐れがあるのだそうだ。ウイルスがこんなもので除去できるはずがないのは、冷静に考えれば当たり前だろう。このようないかがわしい商品に群がる消費者も情けないが・・・。

こんな危ないものを作り出したのは中国の業者だという。私の想像だが『ノロウイルスには次亜塩素酸ナトリウム(次亜塩素酸ソーダ)が有効です』という日本の厚労省のホ-ムペ-ジに掲載された一文を読み鵜呑みにして、ただ同然の漂白剤で一山当てようと飛びついたという筋書きだろう。

これはカネになると日本の業者が大量に輸入して、発売していたらしいが、笑えない笑い話と聞き流すにはあまりにも恐ろしい・・・。(田舎親父)

2013年2月25日 (月)

学力について考える・・・

 しばし都合でつぶやく暇がなかったが今日から再開。

人は『学力』とはと問われると何と答えるだろう。多分『知識の量』だけではないことは、多くの人が持つ共通の意見だろうが、実際に使われている学力は(極端に表現すると)一流大学に入学できるかどうかの知識と考えられてようだから、通知表の数値かあるいは『○』の位置と答える人も少なくないのが現実ではないだろうか。

この答えは決して間違いだと決めつけられないが、私はそれだけではなく、言葉で表すと、『学力』には『点数で計れる学力』と『点数化できない学力』があると考えている。

算数の計算力・知っている漢字の数と意味・教科書で習う社会科や理科の知識・その他の『知識一般』などは、机上の学習で習得可能であり、ペ-パ-テストでその習熟度(知識の量)を計ることができ、それを点数で現すことができる。

ところが、道徳的思考や豊かな人間性、相手に対する思いやりなどは人間として一人一人が身につけなければならない大切な資質・能力なのだがペ-パテストでは測定不能。しかし、これが人間にとって『何より大切な資質』であることは誰もが認めるところ。

まだある。自然の驚異を素直に感じる気持ちや自然の大切さを理解する能力や協調性、さらに、相手の立場を理解する社会性(所謂コミニュケ-ション能力)なども、この資質の範疇に入るだろう。これを私は点数で現すことができない『学力』と位置づけて、点数で現せる学力以上の価値があると確信している。

こちらの学力は生まれついて持っている人もいるが、机上で教材を与え指導しても簡単には習得できないものだから、テストでも計れず外見からはなかなか見分けがつかないので、ついつい見落とされてしまうことが多い。

テストの点数は高いのに、応用する能力がない子どもが増えていると言われて久しい。社会の仕組みや知識は理解しても、適応力が育っていない児童生徒が多いと嘆く声もよく耳にする。いわゆる点数で表せる学力は高いものを持っているのに、点数では計れない学力が低い子ども(大人もだろうが)が多いのである。これをどう考えれば良いのだろう。

決論的に言うと、幼い時の実体験や大勢の子どもたちと遊ばせる機会が少ないのが影響しているからだと私は考えている。自分で問題を解決するためには、自分が解決するための基本的な体験がなければならないのに、その機会(訓練の場)を大人か奪っているのではないだろうか。

この二つの学力をバランス良くつけさせる場が学校であり、点数で計れる学力だけを追い求める塾とは本質的に違う所以である。

最近は塾と同じレベル(それ以下?)になっている学校も多いが、本来、学校は両方の学力のバランスを考え努力しているはずなのだが、親のほとんどは、『学力テストの結果』を『学力』と思っているので、学校とは大きなギャップが生じ、互いが不信感を持ち合い子どもたちを腫れ物に触るように扱っているのが現状ではないだろうか。

二つの学力を前提にしてもう少し深く考えると、現代では幼い時から『自分で何かやる』とい体験の場が奪われてしまっているのが気になっている。だから、自分の力で課題を見つけ、それを解決する能力が育っていない。当然ながら、問題にぶつかった時、相手に対してどう対応して対応して良いのかもわからなくなり、瞬間的に切れて良否の判断がつかなくなるのでは・・・。

これは子どもを育てる義務のある大人の責任だろうが、不便でも慎ましく生きるという日本人の持つ生活習慣がすっかり失われ、便利で快適な生活が『是』という価値観に変容した上に、便利で快適な生活はお金さえあれば手に入る社会構造を無条件に受け入れ、そのために何でもお金で解決する生活に慣れすぎ、義務より権利を主張するのが当たり前なってしまっているのでは、子どもを育てる義務など果たせるものではない。

私には、自分たちの子どもたちの躾や教育までも全て他人まかせにしてしまい、実体験の場を奪ってきたのが今日のマイナス要因として顕著に現れているように思えてならず、(使いたくない文言だが)いじめや不登校という今日的な教育の課題も案外ここに潜んでいると考えている。

鉛筆をナイフで削ることやマッチで火を起こすことなどは幻の世界になってしまった。調理済みの食材がス-パ-はもとよりコンビニにも並ぶようになり、庖丁やまな板さえない家庭が存在することも笑えない。

普通の家庭では、子どもにお手伝いさせることも珍しくなったと言うより、お手伝いという言葉そのものが死語となり、家庭での子どもたち自身の役割さえ、ボランティアと称する時代になってしまった感がする。

子ども達は自分で進んでやることがなくなり、ボランテアという言葉の後押しがなければ、自分から進んで何も行動できない、そんな精神構造が当たり前の社会になってしまったと言っても過言ではないようだ。

繰り返しになるが、二つの学力をバランスよくつける場が学校だということと、そのためには、子どもたちに『自分で体験』することが一番大事だと保護者に認めさせる努力をしなければならないのではないだろうか。

このことをするために文科省で教育委員会があるのだろうが、実態は押して知るべしでは・・・。(田舎親父)

2013年2月22日 (金)

高齢社会に付帯する大問題・・・

 最新の調査によると、わが国の総世帯数は4668万4000世帯だそうだ。そのうち65才以上のひとり暮らし世帯数は469万7000世帯で、ここ数年かなりの勢いで増えているという。

 日本全体で、総世帯数の1割以上が高齢者の一人暮らしとは俄には信じ難いが、このところ目に見えて、公園で一人でぽつねんとしている高齢者の数が増えていることを実感していることや、新聞テレビが取り上げる高齢者問題などのさまざまな情報から判断すると、この数値も、頭から信じないわけにはいかなくなる。

 数値はともかく、この独り暮らしの老人たちが飼う犬・猫の数がここ数年急速に増えているという記事を見つけ、高齢者問題も大変だが、それ以上に近い将来(すでに起きているのかもしれないが)『老人とペット』の係わりは、相当やっかいな問題を引き起こしそうな気がしてくる。

 記事によると、昨年度の犬・猫飼育実態調査(詳しい調査内容はわからないが)から、犬・猫の飼育率は50才代が最も高く、次いで60歳才代というから、世帯数調査などのデ-タから判断すると、『おひとりさま』でペットを飼っている高齢者が急増しているとあり、それに伴う問題が近年顕著になっているという。

孤独死した飼い主のそばで衰弱死寸前の姿で発見された犬。認知症の飼い主が、愛猫の病気に気づかず、とうとう死に至らせてしまったケースなどなど。あり得ることばかり、いやこれは困ったものである。

そこに東京都家庭動物愛護協会会長の話が紹介されている。それを引用すると『全国の保健所に持ち込まれるペットの殺処分は以前より急激に減ったものの、依然年間約20万匹にものぼります。犬の問題行動や病気、転居が主な理由です。しかし最近では、核家族化が進み、ひとり暮らしの高齢者や高齢者夫婦が、長期入院となり飼えなくなったとか、飼い主が亡くなって、もらい手が見つからなかったという理由で犬や猫が保健所に持ち込まれるケースが増えています』とのことである。

この会長は、この問題の背景には、ペットの寿命が延びていることも影響していると語っているが、なるほど犬猫の寿命が延びているとの見解には説得力がある。

私も20数年以上前になるが、ジョンという名前の雑種の犬を飼っていたことがある。子どもの強い願いが大本であるが、私自身幼い時から犬と過ごしていた経験から、子どもにとっても良いことだと思っていたこともあり、タイミングよく生まれた隣家の雄の小犬をいただいた。

ジョンは必ず毎日、子どもたちにかなりの時間散歩につれてもらえることや、日当たりの良い場所に小屋を造ったこともあって、当時は超がつくほど長生き、14歳で亡くなるまで病気一つしなかったことも懐かしい思い出である。

ところが最近は、14歳は当たり前らしい。先日など、後ろ足がマヒしているのだろう車を取り付けた犬(この種の犬に出会う頻度はかなり高い)を散歩?させている人に、『何歳ですか』と聞いたら、『18歳です』との答えにびっくり。実際にはそれ以上長生きする犬も珍しくないというから驚く。

独り暮らしの高齢者が寂しさを紛らわすために犬を飼う。中には一匹では可哀相と、2匹3匹も稀ではないのは、実際に、数匹のワンちゃんをつれて嬉々として散歩している年寄りが多いのがそれを証明している。

そのことを非難することはできないが、少し立ち止まって考えると、高齢者が犬をつれて歩いている姿を見るたびに、年寄りの命と犬の命との競走ではとひとりごと。飼い主の年寄りが倒れたら、だれがこの犬たちの面倒を見るのだろうか、お節介な心配をしてしまう。

独り暮らしでなくても、私のように老夫婦二人という世帯も多いだろうが、どちらか一方が倒れたら、犬の世話どころではないだろうと思うと、(犬や猫のためにも)ジョンのことを懐かしんでも、犬猫は飼おうと思ってはいけないと強くつぶやく今日この頃である。(田舎親父)

2013年2月21日 (木)

学校6日制を考える・・・

 先日の続きになる。なぜ故、今週6日制を私なりに考えてみた。

まず繰り返しになるが、『週5日制』は2002年度から行われ、すでに10年以上過ぎ、定着していると言っても差し支えないが、当時学校現場は大混乱を生じたことを忘れたくない。

『ゆとりの時間』は取らねばならない。『総合的な学習の時間』のカリキュラムを作らねばならない。一日6時間授業でも最近の子どもには耐えられないという声がある中、7時間などはなから無理。一週間の授業のコマ数は限られているのに、あれもこれもと入れろとの命令には逆らえず現場は大変だった。

当時流行った言葉に『精選』がある。いたるところに『精選』が叫ばれ、精選に精選を重ねた結果として、どの学校でも学校行事など、教科としてカウントできない(しかしもっとも大切な)時間を削ることを強いられた。

それまでごく普通に行われていた遠足が何らかの教科に読み替え、社会科見学や理科見学と名前を変えるのも大流行。それでも小学校の場合は図工や音楽などの専科を除き、ほとんどの教科を担任が教えるのだからまだやり方があったが、教科によって教師が変わる中学では筆舌に尽くせない苦労があったと、当時の中学校長達から聞いたことがある。

そして、残ったものは修学旅行と体育祭、そして合唱コンクールくらいとも・・・。それでも授業時間捻出のため、始業式や終業式の後に授業を行ったり、2学期制にしてその式そのものの回数を減らすと同時に、中間・期末のテストの回数まで減らすなどの苦しい努力の連続たったようだ。

それが今日に至っているのだが、新しい指導要領はそんな苦労など知らぬがごとく、教える内容は膨大になり、授業時間数も増やすことを現場に求めているとなると、合唱コンク-ルもつぶさないと・・・という苦渋の声が聞こえてきそうだ。

こんな現状では土曜日の授業もやむ得ないというところなのだろうが、一昔なら、土曜日出勤など言い出したら、自民党が目の敵にしている日教祖からブ-イングの嵐が起きるところ。だが、日教祖の力は今は昔。むしろ組合員の教員からでも『土曜日に授業をやらせてほしい』という声さえでているのだという。

土曜日に普通の教科の授業となると現状の時間割の詰め込みが緩和でき、当時、現場を苦しめた『精選』という名の元で泣く泣く切ってしまった、遠足や生徒会活動など教科ではないが子どもたちの絆をつくる大切な時間も復活できる可能性は大きい。

その意味では賛成したいが、文科省が6日制を言い出した背景は、いわゆる『学力向上』というスロ-ガンで打ち出した新しい指導要領を進めるための授業のコマ数が不足しているからであり、そこには『授業数を増やせば学力が向上する』という、実に単純明快な考え方の存在するとなると、簡単に『ハイわかりました』とは言いかねる。

授業時数や教える中身を増やせば学力が向上するなどとは、文科省の官僚たちが机上で作り上げた考え方であって、教師の指導力など全く無視した一方的な見方に納得できないからである。

私の言う、教師の指導力とは、まず一番が子どもとの信頼関係をうまく結べること。これがしっかりしていれば、多少の指導技術が劣っていても何とかなるが、児童生徒から信頼されていないと授業の成立すらおぼつかない。

また、『学力向上』というスロ-ガンはいたしかたないとしても、肝心の『学力とは何ぞや・・・』という議論もなければ検証もないのも変な話。

『知識の量と問題を解くスピードに優れている子が勉強ができる』という学力観ならばそれは塾の立場をそっくり言い表している。子どもの心身のバランス良い成長を目指す学校の立場とは相反する。謂わば、あまりにも教育の質の問題を見落としている。

しかし、現実は塾的な学力感が『是』としてまかり通っているので、猫も杓子も塾に走り、学力と経済が同じレベルで語られることになり、ますます教育を歪める方向に進んでいる。

6日制を語る以上、『学力とはなんぞや』を検証し、教育の質の問題を語ることが先決であろう。文科省はそのことに明確にして、『だから6日制・・・』という説明があってしかるべきだと思うのだが、(いつものことながら)現場の混乱など知らぬ顔で、文科相の思いつき的な発言から、6日制がまな板に乗る・・・。

このことについては日を改めてつぶやいてみたい。(田舎親父)

2013年2月20日 (水)

簡単に死を選ぶ子どもたちに ?・・・

 桜宮高校の2年生の男子生徒が部活の顧問からの暴力に耐えかねて自殺した事件は、その後多方面に波及し、その影響がさまざまな形で大阪市だけではなく全国各地に広がっている。まさに一人の少年が命をかけて抗議したことに、大人たちが体面を保つために大慌てしているといった図と言っても差し支えなさそうだ。

そんな中で、やはり大阪市での出来事であるが、小学5年の男児が電車に飛び込み自殺というニュ-スが報じられた。すわっ-、またいじめか体罰かとマスコミがいきり出したようだが、男児が『どうか一つのちいさな命とひきかえに、(小学校の)とうはいごう(統廃合)を中止してください』と記したメモを残していたとの市教委発表に、全身に鳥肌がたつような衝撃を受ける。

 男児が通う小学校は3月での廃校が決まっているという。男児は昨年11月、校内スピーチ用の作文に『来年でこの小学校がなくなるのは本当に、本当に残念です』と記していたらしいが、5年生の児童が統廃合に反対して自殺とは聞いたことがない。

そこまで反対していたなら、担任や養護教諭に心の思い(悩み)を相談していたはずだと思うのだが、記事を読む限りではそれがなかったというから不思議も不思議、常識的には考えられない。学校や市教委にも統廃合の中止を直接求めたことはなかったどころか、親すら子どもがこんな問題で悩んでいたことを知らなかったという部分が、私にはとても納得できかねる。

 校長は記者会見で『こんなに深く悩んでいたことをつかめず、申し訳ない』と謝罪したとあるが、何に対して謝罪なのか、校長本人もよくは理解できていないのではないだろうか。立場上、ゴメンナサイ・・・だったとしたら、それこそ自殺した児童を冒涜しているとしか思えない。

 唯一救いは児童の父親の『命を懸けてまで訴えたかった思いを無駄にしたくない』と語る一方『何かを止めるために、死を選ぶなどあってはならない。息子の取った方法は、決して正しいことではない』と冷静に判断していること。この言葉に聞いて、正直ほっとしている。

 この父親は子どもが『僕らの意見を聞いてくれる場がない』と言っている言葉を聞いていたらしいが、相談?されたとは思わなかったようだ。本人がそこまで深刻に統廃合に反対していたとは受け取らず、軽い気持ちで聞き流したか、グチだろうと聞き流したに違いない。きっと今頃、あの時もう少しじっくり話を聞いてやれば良かったと悔やんでいるのではないだろうか。

 話を桜宮高校の自殺した生徒と保護者に戻そう。自殺前日に母親に『今日、顧問からガン損を30~40発殴られた』と話していたとのことだが、以前にも述べたが、普通に考えると、顔面を30発という子どもの話を冷静に聞けるだろうか?。私にはとてもできないが、この母親は、ヘエ-、そうなの・・と聞き流していた?・・・。

 そんなことはないと信じたい。しかし、(もしも、れば・・・などは通用しないことは十分承知しているつもりでだが)母親が子どもの言葉を真剣に聞き、一緒になって怒り悲しんだら事態は変わったのではないだろうかと思えて仕方ない。

 ところで、最近の子どもの傾向として、自分が耐えられないと判断してしまうと、いとも簡単に自らの命を絶つのは何故なのだろうという疑問を以前から持っている。耐えることに対するキャパが狭くなったのかも知れないが、余りにも簡単に命を投げ出してしまうのが不思議でならないのである。

 ひょっとして、自殺した子どもたちは、命が唯一無二のものではなく、再生すると思い込んでいるのではないだろうか。子どもの数が減った分、一人にかける親の愛情は深くなっていることは確実だが、あまりにもそれが一方的すぎて、子どもがほしがるものを与えることが愛情だと思い込むことや、ほんの少しでもの強制(家事のお手伝いなどを含む)から子どもを遠ざけてはいないだろうか。

自ら判断する能力を養うためには、自分でいろいろな体験を重ねることが必要だと大人は言いながら、その体験の場を奪っているのも大人ではないだろうか。

加えて、バ-チャルなテレビゲ-ムや携帯やコンピュ-タに慣れすぎて、命が再生するものと心のどこかに存在したら、(考えたくないが)悩みを打ち明ける前に、自分では無理だと判断し、安易に飛び下りたり、首をくくる?・・・。

 簡単に命を投げ出さないためにも、幼い時から子どもに試練(生活体験など)を与えて耐える力をつけるのが大人の義務だと強く叫びたい。(田舎親父)

2013年2月19日 (火)

円安で泣く人多し被災地の冬・・・

 アッソウ財務相がマフィアの親分みたいなスタイルで、モスクワで開かれるG20という会合に出発した日、こともあろうか、ごく小さな小惑星がロシアに落下という、信じられない様な自然現象が起きた。科学的には何の因果もないことは明らかだが、何となく物語を作りたくなるのは私だけではないと思いたい。

そのことは後日にして、そのG20が『通貨の切り下げ競争を回避する』という共同声明を出して終了したのは16日のこと。超がつく経済音痴の私には、その内容はほとんど理解できないが、新聞解説によると、各国が輸出を有利にするため通貨を安く誘導しないというものらしい。

金融緩和は国内の物価安定と景気回復を目的とし、為替変動を通じた他国への悪影響を監視して最小にすることで合意、日本への非難は最小限にとどまったとのことだが、国内の傾向は、日銀の無条件白紙降伏によって金融緩和が一段と進み、円安が進むというのが一般的な見方になっているようだ。

確かに去年の暮れには70円台前半だったドルに対する円相場は、アベ内閣の発足と同時にどんどん鰻のぼり(いや右肩下がり?)で数値的には、どんどん高くなり、現在では90円の前半と、わずか2ケ月あまりでおよそ20円も変動している。

自動車や家電業界はこの円安は大歓迎、たちまちのうちに業績が回復したどころか一転して大幅な黒字になったとウハウハ状態らしいが、円が安くなると輸入物価が上がることは私でもわかる当たり前となると、泣く人も多くなるのは当前の理屈。

特に、ガソリンや灯油の価格急騰が止まらないことは、隠遁生活を送っている私にも直接影響するほど凄まじい。今冬最初に石油を購入したのは、去年の11月はじめだったと記憶しているが、当時の価格が18リットルで1600円だった。

それでも随分高いなあと感じたが、暖房がなければ夏向きの我が家は凍死しかねない。これ以上の値上がりは勘弁してほしいと願いながら、石油ヒ-タ-の稼働の季節を迎えるのでは仕方がない。販売業者に『今後はどうなるの』と聞いてみたところ、『上がりますよ』と簡単でかつ明瞭な回答に、当時は物凄い円安にもかかわらずガソリンや灯油の価格が一向に下がらないのが納得できない変な話だと思ったものだが、その疑問はいまだに解明できていない。

その後の価格は業者の予言は的中して、歓迎したくない鰻登り。これでは困ると(スト-ブのタンクに石油を入れるのが一苦労になったことも一因にあるが)居間にはちょうどガスの元栓があったので、ガススト-ブに切り換えたほどである。

それでも私の部屋は石油スト-ブ頼み。つい先日移動販売車で購入した価格は、18リットルで1950円。わずか3ケ月で350円も急騰。これではかなわぬとガソリンスタンドに走ったものの、そこでも1900円とあまり変わらぬ高値に愕然とする。

そんな折り、仮設住宅に住む人たちの悲嘆な声が聞こえてくるような記事に出会う。それは『雪かちらつく石巻で、津波で家を流され、仮設住宅に夫と住む72歳の女性宅では窓ガラス一面に荷造り用のプチプチした気泡シートが、テープで張ってあった』という書き出し始まる。石油ファンヒーターのぬくもりを保つために張っているのだそうだが、最近の灯油の極端な値上りが、被災者の人々の生活をここまで追い詰めていることを、政治屋さんたちはどう受け止めているのだろう。

 寒さが厳しい東北ではエアコンでは足りず、石油ストーブと灯油、特に壁の薄い仮設住宅では、石油スト-ブは命を守るためには最低限の必要な器具である。しかし、それを稼働させるための灯油がここまで高騰しては、暖をとることもままならないどころか、節約のためにこの状態である。

 そして仮設住宅に住む人たちにとって、最近では『湯たんぽ』が必需品になっているという。灯油を節約するために、石油ストーブは早めに切り、その間に沸いたお湯を湯たんぽに使って暖をとるのが当たり前になっているからである。『早くここを出たいけど、何もかも値上がりしてしまって・・・・』という声が政治に届かないのが腹立たしい。

 デフレ脱却との言葉は勇ましく、物価を2%引き上げるとの政策らしいが、ウハウハしているのは株価値上がりで利ざやが入ってくる金持ちばかり。庶民にとって、今一番値上がってほしくないガソリンや石油は2%どころか10%以上も値上がり。

 これがアベノミクスとやらの正体ならば、前政権がのたまったマニフェストと同様、まさに『まやかし』であることだけははっきり断言できる。(田舎親父)

2013年2月18日 (月)

踏み切りをなくす努力が必要では・・・

 一週間ほど前の真っ昼間に起きた話である。兵庫県高砂市荒井町南栄町の山陽電鉄荒井駅近くの踏切で、山陽姫路発阪神梅田行き直通特急(6両、乗客約70人)と自動車運搬用トラックが衝突し、先頭の2両が脱線し、乗客ら15人が重軽傷を負ったという事故報道に、何か釈然としないと感じた人は私だけではないと思いたい。

 記事によれば、このトラックは荷台を上に上げたまま踏切に進入したらしい。ところが、前方に車がつかえて荷台部分が踏切に残ってしまった。そこにチンチン・・・と警報機が鳴り出した。

運転手としたらびっくりしたに違いない。慌てて荷台を下げて踏切から出ようとしたが、遮断機に遮られて抜け出せず、そこに電車が衝突・・・。事故の原因は、単純なトラックの運転手の判断ミスであることは誰の目にも明らかだろう。

記事にある踏切の10メ-トル先に交差点という文言が引っかかる。10メ-トルとはいわないまでも踏切と続いて交差点という構図は、全国的に見てさほど特異ではない。実際に、横浜の片田舎の私の住まいの近くでも、これに似た踏切と交差点がある。

 その交差点は十字路なので遮断機が下がると、交差点と踏切切りの間には、乗用車が5台程度しか並べない。大型車が入るとその数はもっと少なくなる。当然、青信号であっても交差点にすら進入できない車が続出。かなりの渋滞が発生する。

 加えてこの交差点には左折ゾ-ンがない。だから、朝夕は踏切の反対側の道路はかなり長い渋滞でできるので運転手のイライラが想像できる。時に、無理な運転もしばしばアルトの目撃談も耳にする。この地に住んで30年以上になるがその間、車の量は飛躍的に増えたが、踏切の開閉に変化はない。

ここはJR横浜線の中山駅から西に数百メ-トルの距離にある踏切である。JRの方針だろうが、電車が駅に到着する前から、この踏切はチンチンと鳴り出し遮断機が下りてしまう。一応、横浜線にも快速があるが、中山駅には停車するから、運転手の単純ミスがない限り、通過はない。

この踏切はめったに利用しないのだが、時に気が向いて通ったとき、電車が駅に止まる前に遮断機が降りる光景に出くわすことがある。一瞬、遮断機が早く降りすぎだと、不運を呪いたくなるが、私の場合は急ぐことがないので、まあいいか・・・とあきらめて、ひたすら電車の通過を待つ。

こんな時、せめて、電車が発車するタイミングで踏切のチンチンがはじめれば少しは運転手のイライラは少なくなるのに・・・とついついグチが出る。

ところが、反対側からくる電車は待ち時間は大分違いすぐに通過となる。時に変だなあと思いながら、チンチンと鳴り出したら、どちらからという方向を示す矢印に目が行き、駅からだと『ついてない』、半端方向からだったら『すぐ開くからラッキ-』という心理が働く。ほとんどの人が私と同じ心境らしく、JRに苦情があったという話はあまり聞こえてこない。私が知らないだけだろうが・・・。

こんなことを思いながら、今回の山陽電鉄の事故を想像してみる。地形的には近くの踏切と似ているようだが、電車はトラックと衝突して脱線、そのまま100数十メ-トル暴走してホ-ムに乗り上げたというから、駅とは反対方向から来た電車らしい。

繰り返すが、運転手の単純ミスであることは否定しない。常識的な状況判断ができれば絶対に起きない事故であることは間違いないが、もし駅から発車する電車だったとしたらと思うと・・・。悪いことが重なってしまったようだ。

何度も繰り返すが、事故の原因はトラックの運転手の非常識な違法運転であることは明白。運転手は現行犯逮捕されたという。運転手(雇い主の会社)は刑事罰に加えて莫大な損害賠償を要求されることも間違いなさそうだが、それも今の法律では仕方ない。

しかしそれ以前に、踏切と交差点との間がもう少し距離があったら事故は回避できたのではないだろうかと思うと、この事故への見方が少し変わってくる。

電車は公共機関という考え方が根底にあり、すべからく電車が優先されるが、これだけ車が多くなった以上、俺様のお通りだという概念を変えて、JRはもとより私鉄企業は、踏切そのものをなくすという発想が必要ではないだろうか。

そんなとき、ふと『東急田園都市線には踏切が存在しないよ』という、先日の電車の中で聞いた高校生の会話を思い出した。(田舎親父)

2013年2月17日 (日)

6日制が現実味を帯びてきた・・・

 民主党政権下では教育があまり重要視されなかったらしく、文科省の動きというより文科相(特にマキコ女子)の言動がマスコミの餌食になっていた嫌いがあるが、まがりなりにも教育を重要視している自民党アベ政権では文科相の発言が良く取り上げられている。

先日は、ハシモト市長の大阪市教委への圧力を『いかがなものか・・・』とたしなめた翌日にはト-ンダウンした事に、裏での取引があったようだと皮肉を込めて揶揄したが、『週6日制』という、制度への言及はかなりのインパクトがありそうだ。

現在、定着している『週5日制』は平成14年に完全移行したが、それに至るまで学校現場ではかなりの混乱があった事はあまり報じられていないので、(正しい時系列には自信がないが)このあたりを思い出してみたい。

役所が土曜日に閉庁になったのはいつの頃だっただろうか。ずいぶん昔のことだったような気がするが、それからしばらくして、教員の勤務についていろいろと議論が始まった事は頭の片隅に残っている。

『同じ公務員なのに、何故俺たちは土曜日休めないのか』という声が一部に広がり始めるが、『土曜日を休みにしたら、勉強が遅れる』という意見も強く、教員間ではさほど切実な要求として『土曜休み』を捉えていなかった気がする。

だから、この時点では現場にはさほどの影響がなかったのではないだろうか。今振り返ると、時代の趨勢という声が前面に出ていたようだが、『教育の質』というより『公務員の労働時間』という問題が優先されたようだ。

突如『現在の学校にはゆとりがない』ということが大声で叫ばれるようになったのもその頃、そしてその観点から指導要領が改定されたのではないだろうか。

その前後ではなかったかと記憶しているが、当時の文科省の打ち出した新しい方針というか考え方は、ゆとりある教育課程を生み出すと称して『ゆとりの時間』なる、実に奇妙奇天烈な名前の学習?の時間を週1時間新設することを現場に求めた。

今思うと、これが諸悪の原因だったような気がする。現場では『ゆとりは賛成だが、何故ゆとりの時間が必要なのか』とか『だったら1時間少なくした方が、子どもたちにも教師にもゆとりが出る』という怨嗟の声が溢れたものである。

しかし、週1時間の『ゆとりの時間』が押しつけられ、そこでは『何をやっても構わないが下校させてはならない』ということと『この時間は教科に準ずる』ということから、教師に新たな負担を与えたものである。

それに加えて、同時並行的に隔週土曜日が休みになる。当然、年間授業時数は(年間11ケ月として隔週の8時間)88時間減じることは指導要領で規定、同時に『総合的な学習の時間』という、これも今までの概念からは考えられない教科を生み出したのだから、学校現場はまさに混乱の極みになったものである。

『総合的な学習の時間』という、学校独自がカリキュラムを作って良いという考え方は意欲的な学校には福音だったが、圧倒的多数の学校では何をするのかわからず、当時の文科省上層部が考えた当初の理念がどんどん矮小化し、結局は『ゆとり教育』という言葉で表現されるように,失敗の代名詞のように言われている。

隔週5日制が動き出すと同時に、このままの体制で『完全週5日制』ができないかという動きが出始め、文科省は『今の教育の質を落とさないで』という条件で、都道府県教委にモデル校で実践せよとの指示を出した。

これが悪かった。各教委は、いわゆる名門校の校長に手を挙げさせて、文科省の『研究指定校』に認定、優秀な教員を配備して土曜日を全て休みにする『完全週5日制』を実験させたのであるが、結果は分かりきっている。『十分可能です・・・』ということ。

これが決め手になって『完全5日制』が否応なく動き出す。忘れてならないのは、隔週土曜日の88時間がどこかに消えてしまったことある。本来ならば、指導要領に明確に、隔週土曜日の現行から、(完全に土曜日を休みにする以上)88時間減じた時数を明示しなければならないところを(恐らく意図的だと思うが)しなかったのである。

以来、学校現場は時数確保のために遠足などの学校行事をカット、あるいは始業式や終業式を一つ少なくするために2学期制を導入など、大げさな言葉が表現するなら、血の滲むような、あるいは重箱の隅をつっつくような細かな努力をしてきたはず。

このことは何故か当時のマスコミはあまり触れていない。そして数年前、文科省は学力低下という反動の世論をバックに、『ゆとり教育』からの脱却と称して指導要領改定したことは今更言うまでもないだろう。

『学力を上げるためには時数が必要』ならば『土曜日に授業をしよう』というのが、今日の現実だろうから、すでに土曜日を何らかの方法で授業に組み込んでいる自治体も多いと聞いている。これをうまく利用して、『週6日制』に戻そうというのが、文科省の企みではないだろうか。まずは文科相に『週6日制の検討』というアドバル-ンを上げさせて、世論の反応を見る。そして・・・。

学力を向上させるためには仕方ないという声もあろうが、教員の労働条件や定着した週5日制を変えるハードルは高いはず。しかし、原点に立ち返って教育の制度そのものを考えるとなると、6日制に戻し、そこから議論をはじめる方法も悪くないような気がしないでもない。

6日制のメリットとデメリットについては、日を改めて考えたい。(田舎親父)

2013年2月16日 (土)

ここにきても東電の体質は変わらない・・・

 東京電力が、福島第一原発の高濃度汚染水を処理した?大量の水を海洋放出することを検討し始めたということと、それを知った漁師たちが絶対に許せないと怒りを爆発させているという記事を見つけ、東電の体質が全く変わっていないことに愕然とする。

敷地内に水をためるタンクの増設に限界がみえてきたためだというが、こんなことは始めからわかっていることのはず。東電は、ほとんどの種類の放射性物質を法定濃度未満になるまで除去すると発表しているというが、『法定濃度』そのものが曖昧で、今まで誤魔化ししか存在してこなかったことから、漁師たちの怒りは痛いほどわかる。

 事故から一月後の2011年4月の段階では、毎時1000ミリシーベルトを超える物凄い高濃度の汚染水が海に漏れたとの当時の記録を思い出す。その後、高濃度汚染水の移送先確保と称して、比較的に低濃度?の汚染水を意図的に放出し続けたことも・・・。

その結果だろうが、魚類から当時の暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)を超えるセシウムがほとんどの魚から検出され、漁業者は操業自粛に追い込まれたことも忘れてはならない。

その後は、(意図的な世論捜査だと疑っているが)高濃度の汚染魚が少なくなったとのことで、魚の種類を限って漁業が再開され、まだ福島県産という表示は珍しいが,茨城県産や千葉県産の魚介類が市場に出回り、徐々に買い求める客も増えているようだ。

このことの是非はともかく、ここへきて低濃度とは言え、汚染水を事故原発付近の海洋に放棄するとなると、(常識的に考えても)影響は避けられないのは当然だろう。

ある漁師の『このところ少し風評被害が落ち着いてきたのに、汚染水を流されたら風評被害が復活し、さらに大きな影響が出る。我々の苦しみを分かっていない』とのつぶやきを取り上げているが、この声はすべての漁師たちの心からの叫びに違いない。

『とんでもない話だ。たとえ、どれほど念入りに処理したとしても放出は一切認められない』。これは福島県漁協連合の幹部の言葉である。茨城県漁協連合の専務は『出荷規制がかかった魚がまだ20種類もある。今も被害が続いているのに放出という話が出てくること自体、いったい何を考えているのか。現場の実情をあまりに知らなすぎる』と怒りをあらわにしている。

記事は続く。現在は放出を避けるため、タンクに貯水しているという。東電は、千基超のタンクに約22万トンの処理水がたまり、汚染水処理に伴う廃棄物やがれきも管理していると説明しているらしいが、国の調査期間にも嘘を平気でついているところから、これがどこまでが本当の話かとうかさえも疑わしい。

注水した水は建屋地下に流れ込む地下水と混じって、汚染水は一日4百トンずつ増加、一部は処理して冷却に再利用しているというが、大半はタンクにためるしかないのが現状だそうだ。

13年度に、敷地南側の駐車場など10万平方メートルをタンク造成地に充て、タンク容量を計70万トンまで増やす計画だそうだが、それでも、たった2年半で使い果たす見込みというから、それまでに、汚染を限りなくゼロに近づけられる技術が開発されない限り、海に放棄するというのが現実味を帯びてくる。

記事は、原子力規制委員会(だれを指すのか明らかにしていないが)の担当者の話として『最終的には関係者の合意を得ながら、そういった活動(海洋放出)ができれば、敷地に一定の余裕ができる』との発言を取り上げているが、漁師たちとの合意など始めからできるはずがないことは折り込み済みだろうから、規制委のいう関係者というのも推察できる。

東電側は『現段階で放出は具体的に考えてはいない』と釈明し手いるらしいが、いずれ処理水が貯蔵しきれなくなるのは明白。その前に、汚染処理技術が確立できないと、トンデモナイ自体になることは間違いない。

改めて、原発事故の大きさを思い知るが、自民党政権は停止中の原発全てを再稼働するだけではなく、新たに建造すると公然と主張し始めている。

なのに、内閣の支持率が上がる?。そんなわけはないと信じたいのだが・・・。(田舎親父)

2013年2月15日 (金)

懲戒免職は当然だとしても、片手落ちでは・・・

 大津の中学校のいじめ?と大阪桜宮高校の体罰?が原因とされる生徒の自殺が大きく取り上げられ、全国的にいじめや体罰の調査が大流行。マスコミ各紙各局は連日このことを報じ、今日でも止まらない。

このことについては先月、違う角度から述べた。教育委員会としては、市長の指示には逆らえないだろうし、自分たちの責任を転嫁するためにも、顧問の教諭に対しては相当重い処分をするのではと予想していたが、『懲戒免職』と決めたという記事に、やはりという思いとチョットという気持ちが・・・。

生徒を自殺に追い込んだ責任は重大だろう。マスコミ報道が伝えることが事実だとしたら、『指導とは全く関係ない暴行と断言できるような行為を繰り返していた』となる。当然ながら顧問の教員には弁解の余地はない。

しかし、この教員は以前に生徒に対する体罰と称する暴行で停職3ケ月という懲戒を受けていながら、何故か同じ学校、同じ部で顧問として復帰、以前にも増してでかい態度で生徒に接していたという部分に違和感を覚える。

(前にも述べたが)停職3ケ月というのは懲戒免職に次ぐ重い処分である。大阪市の内規にどう記されているのか不明だが、常識的には、停職3ケ月となると即刻、担任(顧問)を外し、翌年の異動で他校に転勤させるのが普通だと思うのだが・・・。(処分対象にもよるが、私の知る限り)都内の小中学校では、ほぼ例外なくそうなっている。

この処分とその後の経緯から、そこには、学校(校長)や教育委員会がこの教師が必要だという気持ちが働いたことは想像に難くない。

先日『市教委は12日、教育委員会会議を開き、自殺の前日に体罰を加えた顧問の男性教諭(47)を懲戒免職処分にすることを決めた。体罰による懲戒免職は全国でも異例だが、市教委は自殺という結果の重大性や、体罰が常習的だった点を重視したとみられる』との新聞記事が目に留った。

この文章には市教委の責任は一言もない。そんなバカな話があって良いのだろうか。日常的に生徒に暴力を振るっていた教員を懲戒免職にすることは当然かも知れないが、このような事件が十分起こりうると知って復職させて、しかも同一の部活の顧問にした学校(校長)や市教委が何ら責任をとらないのは(あえて差別用語と知って使うが)片手落ちである。

校長の人事権も市にあるのだろうから、復帰を容認した校長と現校長には追って処分があるとしても、(今朝の新聞には更迭とあったが、その詳細は不明)市教委の関係者にはおとがめなしとなるとこれは許せない。

桜宮高校ではバスケ部だけではなくバレ-部なども同じような教師による暴力行為があったと伝えられているが、この顧問たちには異動だけでお茶を濁すとなると、こちらも、何とかその場をごまかすという従来のやり方と変わらない。

折しも、岡山県の県立高校の野球部で、監督に繰り返し叱られていた2年生の男子マネ-ジャが昨年7月に自殺していたことが明らかになったという記事に、こちらも、大騒ぎになる予感がする。

こちらは遺書がなかったことから、県教委は調査の結果、両親に『監督に行き過ぎと言われても仕方のない指導や発言があった』としながらも、『自殺と指導の因果関係がはっきりしない』として、今まで公表していなかったという。

この事件は桜宮高校の生徒の自殺がなければ表には現れなかったのではないだろうか。遺書がなくても、自殺したことは事実。そこには監督からの叱責が要因の一つとして存在するだろうことは誰もが想像できること。

両親は『監督に叱られて追い詰められたのではないか。なぜ息子が死ななければならなかったのか、第三者による調査で自殺と指導の因果関係についてもっと具体的に検証してほしい』と話しているというから、こちらも(最近大流行の)『第三者委員会』が開かれる可能性がないとは言い切れない。となると、この監督はすでに交代させられているというが、場合によってはかなり重い追加処分が課せられるのではないだろうか。

しかし、この監督は怒鳴って叱っていたことは事実だろうが、日常的に暴力を振るっていたわけではないようだ。怒鳴ることも暴力だとする意見もあるだろうが、ならば、少年野球の練習などで監督やコ-チたちも同じでは・・・と思わないでもない。

少年野球の練習には、(最近はサポ-タ-と呼ばれる)少年たちのママたちが大勢集まっているのが普通だが、ママたちからはそれを非難する声はなく、むしろ、『しっかり声を出しなさい』と監督コ-チに倍する咤激励している姿を目にする。叱られた少年たちは自殺するだろうか。それは絶対にないのでは・・・。

教育の場である学校の体育系の部活では教師から怒鳴られると自殺、少年野球(サッカ-も同じ)ではコ-チが怒鳴っても自殺はなし。どこに違いがあるのだろうか。

子どもと保護者の係わり(家庭の放任や無関心?)の有無に大きく影響されるのではと思っているが、すっきりと論点を整理できていない。このことはいずれ、少し考えをまとめてからつぶやいてみたいと思っている。(田舎親父)

2013年2月14日 (木)

防犯カメラの凄さと恐ろしさ・・・

 遠隔操作ウイルスなどに感染したパソコンなどから犯罪予告が送られた事件で、30歳の男が逮捕されたのは10日のこと。当日は、テレビは臨時ニュ-スを流し、号外まででたというから大変な騒ぎになり、翌日からはさらに報道はエスカレ-ト。

 逮捕された男のパソコンなどを押収し、その痕跡を徹底的に調べた結果、逮捕の決め手になった江ノ島の猫の画像の痕跡が残っているとのことに驚くが、そこまで証拠を示されても完全に犯行を否定しているというから、ひょっとして人違いでは・・・という疑いが(私の中では)ゼロに近いがゼロとは言い切れない何かモヤモヤとした思いが残る。

それはさておき、この男が真犯人だとして記事を読み取るとすると、この男は、05年年にもネット掲示板『2ちゃんねる』で殺害予告などを繰り返したとして逮捕され、有罪判決を受けたという。当時23歳だったこの男は、ネットゲームに没頭して学習院大を中退し、専門学校でパソコンの知識を学んでいたとのことだが、ネットゲ-ムに何の魅力を感じない私には、このあたりの心理は到底理解できるものではない。

当時、絶対に捕まることはないという前提が先に立ち、『自分の書き込みで掲示板が盛り上がり、大騒ぎになるのを見たかった』と供述しているとのことだが、そこから伺い知れる心理として、世間が大騒ぎしている様子をみて楽しむ性格が潜んでいるようだ。

警察はこれらの特徴が、遠隔操作事件の『真犯人』として、メールで手の込んだパズルを送ったり、突然自殺をほのめかしたりして世間の反応を楽しんでいた様子などと共通すると分析、真犯人に間違いないと逮捕に踏み切った要因のひとつだという。

また、この男は今回の事件に関して、『無実の事件で人生を狂わされた』『警察・検察をはめてやりたかった、醜態をさらさせたかった』と『真犯人』としてメッセージを送っていたというから、以前逮捕されたことに対して深い恨みが、一連の行動につながったことも考えられないことはない。

これは取り調べの過程で明らかになるだろうから、続報を待つことにして、江ノ島の猫に首輪を取り付け、当局に挑戦したことはよほどの自信があったのだろうが、自分の姿が防犯カメラに捉えられていたとは気づかなかったとは迂闊である。

先日いつもの病院で、血液検査の合間につけてある民放のワイドショ-から『江ノ島の防犯カメラ』をという言葉が聞こえてきたので画面を注視する。細かな内容は忘れたが、江ノ島の商店では最近窃盗事件が多発していることをくい止めるために、いろいろと話し合いを進め、従来の防犯カメラの性能を格段に良くすると同時に設置台数も大幅に増やすことに話がまとまり、その工事が昨年暮れに完成したとのことが聞き取れる。

この男が猫に首輪を取り付けたというのは新年早々のことらしいから、なるほどばっちりと写っていることにも納得する。コンピュ-タオタクのこの男には、アナログっぽい防犯カメラなど物の数には入っていなかったのかもしれないが、それにしても実に良いタイミングで防犯カメラを取り付けたものである。

まさに防犯カメラのお手柄である。しかし、最近の事件は、すべからず『防犯カメラの解析』が解決のキ-ポイントになっているほど、防犯カメラが全国津々浦々どこにでも設置されていることに、何となく気になっているのは私だけ?・・・。

防犯カメラによって安全・安心が担保されていることも否定しないが、私には、防犯カメラがあるから犯罪行為ができないという、性悪説的な発想を受け入れることに若干の抵抗を感じている・・・からである。

先日話題にした、静脈認証ではないが、モラルが破壊しているのだから、機械で管理するのが当たり前という考え方ではなく、モラルそのものの向上させるという発想が先のように思えるのだが・・・。

こんなことを書くと、お前は甘いなあ・・・と言われることは十分承知しているつもりだが、機械に頼って生活していれば、必ず機械に使われるようになるのでは・・・。

今回の事件も、結局はコンピュ-タを過信したことによって起こされたことから、コンピュ-タに使われた人間の悲劇ではないだろう。(田舎親父)

2013年2月13日 (水)

よくぞこれで認可?が下りたものだが・・・

 一週間ほど前、長崎市内のグループホーム『ベルハウス東山手』から出火、鉄筋4階建て延べ床面積約530平方メートルのうち1階部分の約50平方メートルを焼いたというテレビのニュ-スがあり、翌朝の朝刊にもこの火事のことが大きく掲載。昨日も関連報道は続いている。

 つい先日には、群馬県の老人施設の火事で多くの死傷者を出した『たまゆら』を経営しているNPO法人の理事長などへの有罪判決がでたが、最近、老人ホ-ムの火災で多くの年寄りたちが焼死する事故が全国的に多発している。

今回の火事では、(記事によると)入所者10人と、職員ら2人の計12人が病院に搬送され、うち女性4人が死亡したとのこと。死亡した4人はいずれも入所者だというが、記事の文面には何となく腑に落ちないことも少なくない。

その一つが建物の構造と入所者の居住空間である。建物は地下1階、地上3階の4階建とのこと。最近の住宅事情を考えると、地下もありかと思わないでもないが、老人介護施設と地下とは何かしっくりこない上に、このグル-プ入所者は、地下に3人、1階6人、2階1人だという文面が引っかかる。

建物内の間取りも図で示されている。使われなくなった学生寮を改造したものらしく、かなり入り組んだ作りになっていることに、よくぞこんな建物で多くの老人たちを生活させていたもと言うしか言葉はない。

私が知る近くのグル-プホ-ムは、(市街化調整区域などもろともせず許可が下りるようなので)自然環境としては比較的整った場所に立てられていることが多く、大体の造りは1階に食堂や風呂場など共有して使う施設設備があり、居住者の部屋は、2階以上に位置させていることが多いのが普通である。そこには2階建てであってもエレベ-タ-は必ず存在していることは言うに及ばない。

この施設は地下に3人の居住空間を作っていたらしい。しかも、『3階には管理人が住んでいた』という部分も違和感がある。しかし何よりも、この建物には『エレベーター』がないのがどうしても納得できない。

エレベ-タがないのだからエスカレ-タ-があるはずがない。入居者の年齢は70歳から100歳以上に及ぶとのことだが、日常の移動は階段を使っていた?とすると、よくぞ長崎県(長崎市)が認可したもの。いや、とても認可に値する代物ではないだろうから、どこかで何らかのごまかしが存在し、不正に認可を得ていたとしか思えない。

ずいぶん以前になるが、神奈川県下に個人の方がNPOを立ち上げ、自宅を改造したグル-プホ-ムを見学させてもらったことがある。木造2階建てでも、そこにはエレベ-タ-か設置されていたことを思い出す。

その方の話として、エレベ-タ-はグル-プホ-ムとして設置するのは最低限必要な施設なので、費用的にはかなりの出費だったが取り付けたとの語りが印象に残っている。私は、『年寄りには階段は無理だから当然だろうな』と納得すると同時に、エレベ-タ-は認可の条件になっているに違いないとも思い込んでいた。

今回、火事を出した施設の入居者のほとんどが『要介護で認知症』の老人だというくだりも気になる。職員たちはこれら老人をどのように介護していたのだろう。階段をおぶっての移動は、常識的には絶対に無理。ならば、部屋から一歩も出さず、食事などの幹回りの世話は全て職員が行っていることになるが、そんなことはとても想像すらできない。

ある記事には、1階と2階をグル-プホ-ムとして申請し認可されていたとあるが、地下に3人の部屋があることからこれも変。事故から一週間、関連報道が続いているが、長崎県(市かも)の認可に対しての私の疑問に答えてくれる記述はない。

さらに、スプリンクラ-が取り付けられていないことだけが、死亡原因につながったという思わせる文言にも違和感を覚える。スブリンクラ-の設置基準は施設の広さによるもので、この施設は対象外だったことから、違反ではなかったというのも納得できない。

全室にスプリンクラ-が取り付けられていたら、確かに火事は初期の段階で消し止められ、ここまでの大惨事にはならなかっただろうことは想像できるが、夜間での火事が多い中、当直の介護福祉士が一人では、全員を助けだすのは難しいのではないだろうか。それ以前に、施設の広さによって取付義務がないのがどうしても理解できない。

狭い施設では火事が起きないという前提なのか、それとも、狭い施設での火事は全員焼け死んでも良いというのだろうか・・・。そんなことがあってはたまらない。

早速、すべての施設にスプリンクラ-の設置を義務づけるらしいが、ここでも、何度も繰り返し人間を殺さなければ動かないわが国のお役所仕事の体質が窺い知れる。もっとも、スプリンクラ-を設置するだけでは、この種の事故は完全に防げないだろうが・・・。

今回の事故は、また一つ老人介護に問題を投げかけたことは間違いないが、問題が多岐に渡っているので、もう少し精査し、改めて取り上げたいと思っている。(田舎親父)

2013年2月12日 (火)

真面目な職員が気の毒・・・

 奈良市は、廃棄物処理などを行う市環境部職員の出退勤時のチェックに『静脈認証』のシステムを4月から導入するのだそうだ。業務中に職場を抜け出す中抜けや勤務時間の不正な申告を防ぐのが狙いだという。

そういえば、以前、清掃局の職員の勤務がでたらめだという話題がマスコミを賑わしたことを思い出した。ここで言う廃棄物処理というのは清掃局のことだろうと思い、ネットで調べてみたら、確かに奈良市の清掃局の職員のデタラメな勤務対応に関する記事が多くヒットする。

勤務途中でパチンコしていたとか、自宅にかえって昼寝をしていたなど、現在の常識では考えられないような事実が並び、なるほど、これでは当局がいらだつことも理解できそうだが、それにしても『静脈認証』という言葉の響きは穏やかではない。

役所の名称では廃棄物処理などひっくるめて『環境部』なのだろうが、実際はゴミを収集を担当する部署だろう。以前は、この種の仕事は『汚い』と敬遠されて、人集めが難しいこともあって、勤務態度が相当ル-ズであっても、管理職は見て見ぬふりしていたことは私でも知っていること。

このことは、ゴミの収集に限らず、火葬場関係や家畜の屠殺などは現在ではほとんど使われなくなった言葉である『穢れ』があるとされて、このような人の嫌がる仕事を生業にしている人たちを差別してきた反省にたって、いろいろな面で優遇してきた歴史があることも忘れてはならない。

現在の勤務対応がどうなっているかは知らないが、30年ほど前のことになるが、清掃局でゴミの収集をしていた関係者は話をする機会を得たことを思い出す。そこで彼らは、朝、車で生ゴミを集めて走り回り、焼却場に運んで、車を清掃すると、すぐに風呂に飛び込んで、さっぱりするのだと話していた。確か勤務時間は4時?(だったかな)までだが、昼過ぎには自由時間になり、キャッチポ-ルや将棋など思い思いに過ごしていたとも当たり前のごとく話していた。

彼らには、汚れ物を扱うという意味での『特別手当』が支給されて、一般職員より優遇されていたことも記憶にある。そこにはタイムカ-ドなどなく、出勤したら押印するだけだったはず。

タイムカ-ドがなかったことは、学校関係でも当時は当たり前だったが、最近は厳しくなったと聞いている。しかし、タイムカ-ドは出勤と退勤の時刻を打印するものだろうから、途中でパチンコのために中抜けしても、見つからない限り証拠は残らない。退勤時刻も同僚に頼べばいくらでもごまかせるだろう。

実際に、昨年5月の奈良市の全職員を対象に実施したアンケートでは、環境部で『残業をしていないのに、同僚に頼んでタイムカードを不正に打刻し残業手当を受給した』との報告があり、調べてみると複数の事実が判明したとのこと。また、勤務時間中にパチンコ店に出入りしていた証拠の写真まで撮られていたというから、市の幹部たちが厳しい管理態勢をと考えることもわからないでもない。

そんな経緯があったのだろう、現在、奈良市では全職員の出退勤は、IDカードを機械に通して管理しているのだそうだが、それでもごまかしている職員がいるようで、今回の『静脈認証』至ったようだ。さらに、清掃工場敷地の入り口と出口、駐車場の計3カ所程度に監視カメラも設置する予定だというから、働く方からするとあまり気持ちが良いものではないだろう。

ところで、静脈認証のシステムは、個人個人で異なる指先や手のひらの静脈のパターンを読み取り本人確認を行う技術だということは想像できる。その人物しか持たない固有の人体的特徴である音声や指紋を認識することによってドアの開閉をする技術も進んでいるようだが、静脈認証もその一つに違いない。

奈良市の環境部(清掃局)に所属する職員はIDカ-ドでもごまかすことが日常的なのだろうか?という疑問は消えない。清掃局に出入りするためにIDカ-ドを読取機にかざすのだろうが、カ-ドには個人を特定する情報が入っているはず。ならば、わざわざ静脈認証などというハ-ド的にも莫大な予算を計上してまで導入する必要などあるとは思えないのだが・・・。

また、現在でも、清掃局のごみ収集う担当する職員の仕事は時間的に限られ、終わったら仕事がないのが現実なのではと想像しているが、仕事がないとなると、中抜けしてパチンコ屋にでも・・・という気持ちになるのもうなずけないこともない。

静脈認識で行動を徹底的に管理することも勤務時間厳守という考え方からするとまちがいではないだろうか、それ以前に、ごみ収集後、何もしないでブラブラしたくなる勤務対応も問題ではなかろうか。彼らに、新しいやる気を起こすような仕事を与えるとともに、人々のために役立っているという意識の変革が大切ではないだろうか。

それでも勤務対応が適正にならないならば、ごみ収集や清掃局の役割を全て民営依託した方が、静脈認証など面倒な仕組みを作るより、世論の理解を求めやすいのではないだろうか・・・。

話は飛ぶが、私の住む横浜の片田舎でも毎日のように廃品回収車が回っている。うっかり声をかけて思わぬトラブルに巻き込まれたという声も多く、実際に近所で被害にあったという人も知っている。だから、捨てたいものがあってもなかなか声をかけられないのが現実。

大型のゴミを処分するとなると、清掃局に電話して、日時を決めてから、ゴミカ-ドを役所や郵便局に出かけて購入、それを大型ゴミに貼らねばならないが、もう少し簡素化出来なのかといつも思っている。

すでに実行している自治体もあると聞くが、奈良市も普通のゴミ種集を終えたら、大型ゴミの合理的な収集や、分別のための営業などと、仕事の幅を広げて職員のやる気を引き出すことが、静脈認証などより先だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年2月11日 (月)

ニッコウキスゲが外来種?・・・

 夏山(湿原も含めて)の楽しみの一つが高山植物であることは論を待たない。3千メ-トル近い高山の稜線で、コマクサの群落に出会ったときは、思わずラッキ-と叫んだ経験を持つ人も多いのではないだろうか。

尾瀬や戦場ヶ原では季節になると、ニッコウキスゲの大群落に出会いたいという人たちで大混雑する様子は、毎年のようにテレビで紹介されている。

山に初めて出かけ、ニッコウキスゲの姿を見たのはもう50年以上前になる。そこは日光とは全く別の山。なぜニッコウという枕がついているのか違和感を覚えたが、何かの本で『日光地方に多く見られるゼンテイカ』という文章を見て、その昔、日光の魅力にとりつかれた人が、たまたま日光のこの花を見かけたので『ニッコウゼンテイカ』と呼んだのが、ゼンテイカの所属するキスゲ科の名前をとって、耳にも優しく聞こえるニッコウキズゲとなったようだ勝手に解釈し、納得していたものである。

この花の近種には、我が家の近くたくさん自生しているノカンゾウやヤブカンゾウがあるので、生命力が強い植物であることは以前から知っており、尾瀬の研修で専門家から聞いた『他の植物を押し退けてどんどん勢力を延ばしている』との説明にも、なるほどと感心したことを思い出す。

日光の湿原での発見がきっかけで、全国にその名前が知られるようになったことについては全く疑うことなどなかったのだが、先日、『日光国立公園の奥日光に群生するニッコウキスゲやコマクサなど3種類の植物が、国内由来の外来種である疑いが強まったとして、環境省が除去を視野に対策を検討していることが分かった』という記事に目が点なる。

 2010年の自然公園法改正で、国立公園の生態系維持が強化され、在来種の生育に影響を及ぼす外来種を原則除去することになったとのことだが、コマクサとクリンソウは繁殖範囲も少なく、奥日光には何度も足を運んでいる私でも見かけたのは数度だから、除去できないことはないと思うが、ニッコウキスゲとなると、謂わば、奥日光戦場ヶ原を代表する植物で観光の目玉になっていることと、その生態範囲の広さからして除去など無理なのではないだろうかと思うと同時に、観光業者や地元の人たちから猛烈な反対運動が起きそうだが・・・。

 記事によると、改定された自然公園法では、国立・国定公園内などの保護地域に本来生息しない動植物の持ち込みが禁止している。と同時に国は、生態系維持回復事業も創設し、外来種の除去を進めて生態系の保全を目指しているという。

 環境省日光自然環境事務所はこれに伴い、日光国立公園の中心となっている奥日光のうち、ラムサール条約登録湿地である『戦場ヶ原』を中心に近隣の湿地も含めて、外来種がないか文献で調査を進めた結果、コマクサ、ニッコウキスゲ、クリンソウの3種が、持ち込まれるなどして群生した疑いが浮上したとのことである。

 さらに有識者への聞き取りなどでは、『コマクサは外国人が別荘に持ち込み、広がった』『ニッコウキスゲは奥日光に従来はなかった』など、外来種であることを裏付ける話も集まったそうだ。もっとも有識者という言葉が大流行、多くの場合は学者などを指すのだろうが、その定義が極めて曖昧なことから、実態が曖昧でどこまで信憑性があるのかは疑わしいので、まだニンコウキスゲか外来種とはっきり認定されたわけではなさそうだ。

 しかし、環境省の官僚は『奥日光は日光国立公園の中核。本来の自然を保護する場で、外来種と確認されれば除去すべき』との立場とのこと。こういう問題に関しては、えてして日本の官僚は原理主義的な考え方をするようだから、この先、ニッコウキスゲを駆除せよという声も出てこないとは限らない。

 一方、科学的に外来種だと認定されたとしても、ここまで観光資源になっている花を人間の論理だけで、『抜いてしまえ』となって良いのかとなると、繰り返しになるが、地元の人はもちろん観光客の共感は得られないのではないだろうか。

例えが悪いかもしれないが、花屋の店頭には信じられないほどの多種多様な花が並べられ、中には今まで見たこともない花も珍しくない。恐らくそのほとんどが人工的に掛け合わされて新しく生まれた種だろうが、買い求める客も後を絶たない。そして全国的に運ばれ、その地で鑑賞の対象になるばかりか、栽培されることも稀ではない。新たな外来種の誕生である。

国立公園内で、このような花を観賞や栽培は禁止という法律でも作る(そんなことは絶対にあってはならないが)ならともかく、このような花を持ち込むことは不可能だろう。中には、環境に適合し広まるだけではなく、地元の人たちに愛されないとも限らない。

ニッコウキスゲを奥日光から追放する?なんて考えない方が良いと思うが・・・。(田舎親父)

2013年2月10日 (日)

3種混合の合併症が流行りそうだ・・・

 一昨日、タバコの害について話題にしたが、北京に1日滞在するだけで、(猛毒と指定すれば良いのに)タバコを21本分もの煙を肺に吸い込むレベルと同じだという。俄には信じられないが、それほど空気が汚染しているとなると、私のように喫煙習慣がない人間では、北京空港に降り立っただけでも気分が悪くなるのではないだろうか。

このように、中国の大気汚染の凄まじさがこのところ連日マスコミが大々的に取り上げている。当初は『PM2・5』という言葉を聞いて、何のことだがわからなかったが、自動車や工場、家庭の暖房を排出源とする直径2・5マイクロメートル以下(直径が髪の毛の約40分の1以下)の微小粒子状物質だと知り、こんな表現もあるのだと納得する。

各新聞・テレビは、PM2・5大量に空気中に滞留し、膨大な範囲で濃霧のような状態が発生していると、スモッグでかすむ市街の映像入りの記事を掲載している。

凄い映像である。日本での明治維新ではないが、突如経済の重要さに気づき?、国を挙げての経済成長政策をとっている中国各地の大都市周辺では、工場の煙突からおびただしい黒い煙を吐き出し、ここ10数年の間に信じられないほどの車が巷にあふれるようになったのでは大気汚染は当然で避けて通れないだろうが、特に今年は酷いらしい。

首都・北京では今年になって『晴れた日は4日だけ』とも伝えられているほど異例の事態なのだそうだ。いつから統計をとり始めたのかは不明だが、少なくとも1954年以降で最悪の状況とされ、8億人以上に影響を及ぼしているというから凄いもの。

『北京など4都市で年8500人が早死にする』との研究結果も公表され、事実、肺炎か大流行、救急車で病院に運ばれるのは日常茶飯事だとも報じられている。死者もかなりの数に登っているらしい。

ある新聞に、『中国環境省によれば』という注釈をつけているが、1月24日時点で全人口の5割弱の約6億人が影響を受けたと公表したとあるから、当局も一応この自体を真剣に受け止めようとしていることはうかがえる。

そこには、汚染物質の量が日本の基準値は1日平均で大気1立方メートル当たり35マイクログラムだが、北京市では1月12日に同900マイクログラムを記録したとある。何と日本の30倍近くのPM2・5が空中に漂っているのだから、市民生活が大混乱に陥るのも容易に想像できる。

経済問題などではアメリカの問題がすぐに日本に影響することを例えて、『アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく』とよく言われるが、気象問題に関しては、偏西風が西から東に流れ、雲の動きもそれに沿っているきだから、まさに中国の大気汚染は、すぐに日本を覆うことになる。

西に位置する自治体では、すでに嬉しくない影響が出始めているらしく、『大気汚染予報』を出したり、準備を整えるなど動きが慌ただしくなっている。福岡県や富山県では実際に相当深刻な影響が出始めているという。

関東までは届かないだろうと報じていた新聞もあょたようだが、その予想は簡単に崩れ、先日、板橋区で基準を上回る59マイクログラム、練馬区で50マイクログラムを観測したというから穏やかではない。

都の環境担当幹部は『排ガスなどの影響もあるので、中国の大気汚染が原因とは判断できない』と説明しているが、常識的に考えるとたまたま数値が上がったと考えるには無理があるようだ。

 悪いことにそろそろ黄砂の時期が始まる。さらに心配なのは、まもなく花粉の季節が到来することである。日本気象協会は今春のスギやヒノキなどの花粉の総飛散量は、関東、東北、北海道で昨年の3~7倍、近畿でも1.3倍程度になると予測している。

悪く予測しておけば良いという心理か働いていることも確かだろうが、ここ数日、(花粉症が治ったと自覚している私だが)スギの花粉が飛び始めたことを目撃、目がかゆくなっている感じがしているところから、今年に関しては気象協会の予測が当たるような嫌な予感がする。

マスク姿の人の姿が多くなるだろうが、極めて微粒のPM2・5は通常のマスクでは防げず、防塵用でないと意味がないというからさらにやっかい。

毎年の黄砂に加え、新たな中国発の大気汚染と例年より多い花粉が重なり合って、3種混合の合併症が流行しないことを祈る毎日・・・。(田舎親父)

2013年2月 9日 (土)

早速 自治体の『学テ』対策が始まったぞ・・・

2月5日   先日、『全国一斉学力テスト(学テ)』について、1番の自治体は鼻高々、下位の自治体は教委や学校の尻たたきと皮肉を込めて話題にしたが、下位の自治体の焦りは、とても私の言葉など聞く余裕がないらしく、凄いことをはじめるようだ。

 東京都足立区は、学力が伸びない小中学校のレベルアップを図ろうと、新年度から区教育委員会に『教育次長』を新設、直属の実動部隊も設けて、授業内容について小中学校校長らを指導する権限を与えるという。

東京23区の中でも足立区の学テの結果は都内では下位の1、2を争うのだそうだ。区はこの不名誉な記録から脱却するために、なりふり構わず学力の底上げを目指すとのことである。

『教育次長』は、区教委事務局トップの教育長に次ぐ部長級ポスト。多くの区にはすでに『次長職』は存在すると思っていたが、足立区にはなかったらしい。それはさておき、区は『次長』直属の実動部隊として『学力定着推進担当課』を設置し、元小中学校長ら25人を配属するというから、配属された元校長たちはかなり入れ込むことは想像に難くない。

東京都では責任だけが重くなり退職金に役職が跳ね返らないことから、管理職希望者が年々減少しているのだそうだ。よく『ならしたいより、なりたい奴しかいない』と言われるように、周りが校長にしたい人材より、自分で校長になりたいという人間が多くなっているのが現状だという。

『自分から管理職になりたい』となると、教育委員会に受けが良くなければなれないことは社会の常識。となると、校長になった後の学校運営の姿勢や態度は押して知るべし。教委も意のままに動く管理職は扱いやすいらしく、管理職不足を補う意味もあって、嘱託として採用し、再任用で校長を続けさせる例が多くなっているようだ。

実に巧い制度を考えたものである。このシステムを導入すれば、嘱託なので給料は半分以下。校長として慣れている上、要求した事を素直に受け入れてくれるとなると、一石二鳥、いや三鳥も四鳥もの効果が期待できる。

年金が65歳になっているので、5年間は全く無給で過ごさねばならない。都教委は退職する教員のために、『嘱託』という制度を作り、いろいろな職種を用意しているが、再任用権は都(区・市)教委にあるので、人材は思いのまま。

足立区が新しく立ち上げた制度は、『学力向上』のために選ばれた嘱託として採用された退職校長25人は、区立小中学校107校を分担し、学力の底上げが必要な学校を中心に指導するという。

 記事には、具体的には、学力調査のデータを分析して児童生徒一人一人の苦手分野を把握し、補習や宿題の内容を検討し、必要があれば小学校高学年児童が低学年の内容から学び直すプログラムを提案するとある。

 言葉から受けるイメ-ジは『個別学習』を進めるように思えるが、25人の退職校長が受け持つとはとても思えない。元校長学力が現場で子ども接することで、その子の学力がたちまち高まるなど不可能な事は誰が考えても当たり前だろう。

 また、記事には、足立区は生活保護世帯が都内で最多で、生活状況が厳しい家庭が多いとあり、教委の担当者の話として『塾に行ける子ばかりではないので、学校で何とかしなければ。学校の負担は増えるが、生活保護世帯を再生産しないためにも最低限の学力は身に付けさせたい』とある。

経済格差が歴然としていることを別にして、これを何とかしたいと考えて作り出した制度となると、25人の元校長たちの役割はおのずから想像できる。学テの下位の学校に出向いて、教員の指導方法を改善するというのが主な任務だろう。

これは本来該当校の校長の役目である。その校長をも指導できるとなると、学テの下位の学校の校長たちにはトンデモない脅威となる。該当校の校長たちの慌てぶりが目に浮かぶ。

今頃、来年度の学テの点数を上げるために、副校長や教務主任を交えて、毎日のように作戦会議が続けられているのではないだろうか。そして結論は、教員の尻を叩くこと・・・になるのは明らか。

 一石二鳥以上の効果を期待しているのだろうが、学校現場がますます追い込まれ、教員に余裕がなくなることは明らか。今以上に学テ必定がさらに進むとなると、別の問題(いじめ・不登校・校内暴力・教員の精神的疾患などなど)が起きないことを祈るのみ・・・。(田舎親父)

2013年2月 8日 (金)

人体に猛毒が事実なら、もう少しやりようがあるはず・・・

 タバコの害については広く語られるようになって久しい。他人が吸っているタバコ煙を知らず知らずに自分の肺に入ることでも有害だという考え方が、今では市民権を得たようで、受動喫煙という言葉まで生まれ、条例でこれを禁止する自治体も多くなっている。

 特に、私が暮らす神奈川県では『受動喫煙防止条例』が行き渡り、公共の建物内は禁煙が常識になり、飲食店でも禁煙かあるいは分煙を義務づけている。最近歩きタバコをする人の姿がめっきり少なくなったことは、その効果の現れだろう。

 横浜の片田舎の私の身の回りでも、歩きタバコをするおじさんの姿はほとんど見られなくなったが、代わりにというと変なのだが、散策途中にときたま見かける若い女性の喫煙姿が目立つのが気になる。

 時に立ち寄る近場の大型の商業施設には、愛煙家のためにかなり広めの『喫煙室』をトイレの前に設置している。そこを通り掛かるたびに感じるのが、利用している人に比較的若年の女性が多いこと。特に、子どもを外で待たして、喫煙室で一服しているママたちには一言説教をしたくなる。

 男性がいないわけではない。むしろ数的に男性の方が多いのかもしれないが、男性にしても、比較的若い年代が多く、私と同年代というか、明らかに年寄りという年代の人はほとんど見かけることがない。

 人体に害があるので吸っていないのか、あるいは小遣いが少なくてタバコを買えないのか不明だが、喫煙の習慣がない私は、ついつい『タバコを吸えば肺ガンになる確率が高いことが事実なら、年寄りが率先してタバコを吸って早死にすれば、高齢化の社会野解消になるのでは・・・』とつぶやいてしまう。

 こんなことを思っていると、つい最近(新聞名は忘れたが)『24歳以下の妊婦は10人に1人が妊娠判明後もたばこを吸い続け、この年代の妊婦のパートナー男性も6割以上が喫煙している』との記事を見つけ、日本人がどんどんバカになっているのでは・・・と思わず嘆き節が口から飛び出す。

環境省の『エコチル調査』という大規模調査で分かったのだそうだが、どんな調査をしたらこんな結果が出るのだろうか、とそちらの方も気になるが・・・。

全国全ての24歳以下の妊婦にアンケ-ト調査をしたのか、あるいは、全国すべての産院で妊婦に質問したのかはともかく、この調査結果を信じると、(10人に一人という数値を大きいとみるか小さいとみるかによって感じ方が違うが)これは大変な意味を持つ数値に思えてならない。

高齢出産が当たり前になったとはいえ、24歳以下の女性の数も全国的に見たらかなり多いだろう。その妊婦の1割が、喫煙習慣があるとは驚きであり、そのパ-トナ-の男性の4割が、自分が吸わないのに妊婦である妻が喫煙することを許容していることが、私にはとても理解しにくいのだが・・・。

 妊娠中の喫煙は赤ちゃんが低体重で生まれるなどのリスクがあると言われているが、低体重だけではなく、身体に異常が出たり、場合によっては奇形児すら出産する恐れさえあるのではなかっただろうか。そのために、他人のたばこの煙を吸う受動喫煙が禁止されるようになったはず。このあたりがどうも曖昧にしか扱われないのは、どうしてなのだろう?・・・。

 多くの専門家は『出産後も子どもが受動喫煙で健康を害する恐れがある。妊娠したら本人も周囲も、たばこを控えることが必要だ』と警告しているにも係わらずに・・・である。

 折しも、国民にタバコの害を徹底するために、小学校での『禁煙教育』が必要だという記事にも出会い、またここでも学校に押しつけるのかいう心配と同時に、またまたお先棒を担ぐ学校が出るのだろうなと、そちらの方も懸念する。

 子どものうちに教えるのは大切だと思うが、喫煙は親の躾の分野だろう。いくら、学校でタバコの害を教えても、家に帰って親がスパスパ吸っていたのでは効果はない。それどころか、子どもが親に意見でもしようなら、張ったおす親では、親子共々ますます学校不信が進むことは日をみるより明らか。

本当に、タバコが万人に弊害があるのなら、タバコをつくって売ること自体、明らかな『犯罪』ではないだろうか。それを野放しにして、学校に押しつける。押しつけられた学校は、これまたホイホイと引き受ける。まさに笑えない笑い話・・・。

(経済音痴の私には可能かどうかはわからないが)外国製のタバコは関税を引き上げ、国産タバコを一箱2000円程度の価格にすれば、少なくともよほどの富裕層の人以外は禁煙するのではないだろうか。

24歳以下の人の富裕層の割合は限りなくゼロに違いだろう。するとこの効果は、生まれくる子どもたちの健康のためになると思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年2月 7日 (木)

小学校の水泳指導を外部に委託するメリット・・・

 この話題に入る前に、現在の小学校におけるプ-ルの使用状況について考えて見ることにする。

南北に長いわが国では、季節を一律に述べるのは無理があるが、最近の傾向として、6月下旬から9月上旬までは、北海道の一部を除き全国的に、最高気温が軽く30℃を超える日が多くなっているようだ。

屋内の温水プ-ルを持つ小学校は極稀であることから、この期間がプ-ル指導(変な表現だが、学校現場ではこの言葉が一般に通用しているので、あえて使うことにする)とほぼ一致する。

しかし、一部の地域を除いて、7月20日~8月31日は夏休み期間となるので、実質的にプ-ルが使える期間は、6月末から夏休みまで(この間は梅雨と重なり、雨も多く計画通り進むことはまずないが)の約一月と9月のほぼ半月の最大50日程度である。

天候の影響は考えずにできたと仮定する。そして、全国のほとんど小学校は夏休み期間中に10~15日ほどプ-ル指導をしているが、これは正規の授業時数にカウントしないので、一応対象からは外すとして話を進める。

正規の体育の授業としてプ-ル指導をするには、水着の着替えのなどの時間が必要になり、50分の学校時間ではとても間に合わないので2校時続きで時間割を組むことが普通になる。体育の授業時数の関係で、週に2回(4時間)が最大。週の授業のコマ数は、短縮授業などなしとして最大30コマだから、プ-ル指導に使えるコマ数は15となる。

5学級もある大規模の学校ではまれに1学年での指導もあるようだが、圧倒的多数の小学校では、安全上、プ-ルの水位の調整と教員が複数以上必要となるので、低中高と分けて2学年、あるいは低高学年として3学年一緒に指導するのがごく普通である。

こんな条件では、水泳指導にいくら自信を持った教員であっても、全員を泳げるようにするのは必難であることは想像に難くない。まして、泳力的には1年生の段階で極端な能力差がついているのが当たり前となると、全員を25メ-トル泳げるように、しかもクロ-ルと平泳ぎの形まで指導するなんてことはまず不可能。なのに、指導要領では教えることになっているのが不思議なところだが・・・。

1年生で極端に能力差があると述べたのは、スイミングスク-ルに通っているかいないかの差である。1年を通して温水プ-ルで泳げる環境で、しかも水泳のプロが指導すると能力がつくのは当然の理。

親が入学してこれではいけないと考え、スイミングスク-ルに通えばたちまちのうちに泳力は上達するが、そのためには費用が必要。最近は小学校の低学年から学習塾が当たり前になっているとなると、水泳に費用をかけられるほど経済的に余裕のある家庭はさほど多くない。

教育の平等は教育基本法で明確にうたわれているのに、これが実状である。これを踏まえて、25メ-トル泳げることが国民として必要であるならば、根本的に発想を変えなければ無理だということは誰の目にも明らかだろう。

そこで私は、水泳という項目を体育科から切り離して、文科省の施策として水泳指導を外部依託(スイミングスク-ル)にすることを提言したい。過疎地域にはスイミングなどないという現実があるが、ならば、夏休み期間を利用して、都会部の学校と交流をすれば良いこと。少し知恵を出せば、方法はいくらでも考えられる。

それこそ、省庁横断事業としての『農山漁村子どもフロジェクト』の逆バ-ジョン。市町村レベルで無理ならば県規模で考えれば良い。過疎地と都市部との交流は、教育的には大変な効果がある上、経済的にも大きなメリットがあるはず。

外部依託すると、さらに大きなメリットは水道水の無駄遣いが減ることである。以前にも述べたことだが、小学校のプ-ルは(かなりばらつきがあるものの)縦25メ-トルの6コ-ス、水深が80~120センチが標準である。

小学校の1年生と6年生では平均の身長差で30センチ以上あるので、安全性からも水位を調整する必要がある。このために、低学年の指導にあたっては、水位を50センチ程度にするのだが、そのために担当の教員は排水バルブを開けて、水を捨てるのが日課になっている。

プ-ルに使うのは水道水、飲める水である。世界(特にアフリカの乾燥地帯)では水不足で幼い命が奪われているというのに、わが国の公立小学校では一日おきに、約100立方メ-トルの水が捨てられているのである。

全国の公立の小学校は2万校超。一日当たり、1億立方メ-トルの水道水を捨てていることになる。この水があればアフリカの子どもたちの命を何人救えるだろうと考えたいが、このことは一般的に案外知られていない。

本気で水泳指導のあり方を議論する時がきたのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2013年2月 6日 (水)

政治の圧力で方針がぶれ続ける文科省・・・

 先日、泉佐野市の市長が4月24日に行われる『学力テスト』の結果を公表するとの発言と、それを追認する市教委に対して、文科省は泉佐野市に対して『学力テスト』に参加させないと警告した記事があった。この文科省の方向性を皮肉まじりに話題にしたが、この方針を一転させて、公表することを認めるのだそうだ。

2月1日のマスコミ記事によると、文部科学省は、全国学力テストの結果公表について、自治体が学校別の結果を公表することを認めない現在の方針を2014年度から改め、自治体の判断に任せることも含め検討することを明らかにしたとある。

 13年度のテストは従来通り学校別の公表を認めないが、14年4月に実施予定のテストに向け、今年12月までに結論を出す見通しなのだそうだが、急に方針が180度変わった裏には、維新の動きと深いかかわりがあるようだ。

 桜宮高校の体罰事件で、ハシモト大阪市長は、予算の執行権を盾に取り『体育科の入試中止』を求めて市教委に圧力をかけ、市教委がこれに屈して普通科に割り振って入試を行うことを決めたことは、先月末に皮肉を込めて取り上げた。

 入試中止問題に対しては、問題発生当初、シモムラ文科大臣はハシモト市長の主張を否定して、『あまりにも子どもたちに与える影響が大きすぎる』と発言していたが、アベ内閣は国会運営のために、維新とは喧嘩できないという御家の事情があったらしく、シモムラ大臣に『しばらく発言を慎め』とでも命じたようで、翌日には『入試中止もやむ得ない』と大きくト-クダウン。これがきっかけで市教委も完全に降参したというところではないだろうか。

泉佐野市の学力テスト公表問題でも、文科省の『参加させない』とのコメントに、ハシモト首相は早速噛み付き、泉佐野市の態度を認めるように発言したことが報じられていたが、どうやら、今回の方針変更も、裏では『今、ハシモトとけんかするのは拙い、しばらく時間稼ぎを・・・』という首相筋からの命令でもあったのではないだろうか。

結果を公表して『よりやる気を引き起こす』というテスト本来が持つ意味については否定しないが、全国一斉の『学力テスト』となると、学力の定義すら曖昧なまま、点数だけが『学力』として一人歩きしている現状に強く反対している私には、今回の方針変更は、とんでもなく危険なもの。無条件に恐ろしさを感じる。特に政治的な裏取引で行われるとなると絶対に認められるものではない。

現在の都道府県別の結果発表でも、それぞれの自治体の教委段階ではかなりの葛藤があるようだ。1位になった県の教育長は鼻高々で『我が県の教育水準は・・・』などというコメントが聞こえてくるが、万年下位に甘んじている自治体では、教委はもちろん、それ以上に首長がカリカリして、『学校の成績を公表して、点数競争させろ』と教委に圧力をかけているのが現状。その最たる自治体が大阪府であり大阪市であることは誰もが知っていること。

学校ごとの成績を発表すると、確かにものすごい競争が始まることは想像に難くないが、これがトンデモない事態を引き起こすだろうことも容易にうなづける。

ごく狭い地域に多くの学校が集中している東京都でこのことを考えてみよう。例えば、東京都の縮図と言われている大田区の人口は約65万人、そこに小学校が62校、中学校は28校ある。(小学校の一つは館山市にある健康学園)

大田区は大森区と蒲田区が合併してできた区であり、行政区分として地区が大森地区、蒲田地区、そして田園調布を中心にした(面積的には一番狭い)調布地区の3つに分かれているので、地区間にはさまざまな意味で格差が存在する。それが東京都の縮図と言わている謂われなのだが、当然学校間の格差に跳ね返っていることは想像に難くない。

これが、『学力テスト』の結果が公表されると、中学校は『1番から28番』というはっきりとした順序が明らかになる。『学力テストの点数が学力』と見なされているのだから、1番学力の高い中学校に入学した方が、高校入試でも有利だと思う保護者の気持ちは痛いほど察せられる。

大田区は現在学校選択制度を取り入れていない。しかし、以前よりも指定校以外に入学するための規制はゆるやかになっているらしいから、学力テストの結果の公表とともに入学希望生徒数は今以上に大幅に差がつくことは容易に想像できる。

学校選択性導入の声も大きくなるに違いない。まして小学校でも学力テストの結果を公表するとなると、小学校入学段階で学校間格差が顕著になることも誰の目にも明らか。

同じ地域に住みながら、親たちの意識は、より学力の高い学校へ・・・となると、そこには地域コミュティという概念はなくなり、言葉そのものの意味が変わってくる。

これは大田区だけの話ではない。社会の仕組みまでも崩壊させるような『学力テスト』にどんな意味があるのだろう。今こそ、教育に携わる全員(いや国民全体として)『学力とはなんぞや』という命題に本気で向かい合う必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年2月 5日 (火)

 今朝方、更新しようと思った時、突然インタ-ネットがつながらなくなってしまった。原因は全くの不明。仕方ないので一端あきらめ、今再度起動したら元に戻る。気分的にすっきりしないが更新することにする。

 かなり古い話になるが、先月末、アカンベ首相の所信表明演説があった。わずか20分の間に、『デフレからの脱却・景気回復・強い経済などなど・・・』と勇ましい言葉が次々に並ぶ。ひたすらに金儲けを追いかけている人々には快い響きだろうが、超がつくほど経済音痴の私には、何だか虚しい言葉の羅列のようにしか聞こえない。
 景気を良くすることが大切だということは否定しないが、景気さえ良くなればすべての問題が解決するとはとても思えない。それ以前に、何を持って景気が良くなるという定義がよく分からない。
 経済指標として、『株価』例に出される。確かに、自民党政権・アカンベ内閣になったとたん株価は上昇していることは事実。民主党政権時にはかなり抵抗勢力だった日銀が、不思議なことに政権に従順になり、金融緩和を次々と打ち出していることが背景にあるのだろうが、わずか一月間に10円以上も円高になり、今朝のニュ-スでは一時93円を肥田とのこと。株価も右肩上がりで、1万円を軽く越し1万2千円の声も聞く勢い。
 株価が経済指標とするならば、ずいぶん景気が良くなったはず。しかし、現実はどうだろう。ガソリン価格はこのところ上がりっぱなしで、半年前より1リットルあたり15円も高くなっている。暖房に欠かせない灯油は、18リットル2000円に近づき、まだまだ値上がる気配に、貧乏人を自称している私などは、スト-ブの室温設定温度を17℃程度にして何とか石油野消費を抑えるしか方法がない。
 電気料金も上がった。厳冬だからと断りがつくが、このところの野菜の高値はただひたすらに驚くばかり。それに見合った給料が上がれば問題ないのだろうか、聞こえてくるのはむしろ反対のことばかり。
 円安が進み、一部の企業は立ち直っているようだが、世界に名を示すような多くの大企業が信じられないほどの赤字決算額を計上しているのでは、中小の企業は倒産の憂き目にあうのも当然だろう・・・な。こんなことを思うと、とても景気が良くなったと思えないのだが。
 愚痴っぽい文章になったが、首相の所信演説が空虚に聞こえたのは、原発事故に全く触れなかったからに違いない。民主党政権の(アホバカ首相だったこと仕方ないとしても)カン・ノダの二人の首相は揃って『福島の復興無くして日本の復興はあり得ない』と声を張り上げていたが、当時の自民党もこのことには同意していたはず。
 それをすっかり忘れてしまったのか、それとも景気が良くなれば自然に福島が復興すると本気で信じているのか。アカンベ御仁は『今だ32万人の人々が避難を余儀なくされていることを思うと・・・』など悲しそうな表情を作り出して言いながら、これからの国の指針である首相の所信演説の中に、原発事故の今後の方向性が語られなかったのは私の常識では信じられないことである。
 歴史に『もし、たら、れば・・・』は禁句だと知っているが、あえて『もし現発事故がなかったら』としたら、民主党がこれほど簡単に分裂していたとは思えず、数的に少なくなっても政権は担当していただろうから、当然自民党政権が復活することはあり得なかったと決めつけても間違いではないだろう。
 言葉を選ばずに表現すれば、原発事故がアベ政権を誕生させたとも言える。謂わば、現発事故のおかげで政権を握ったのだから、事故処理は政権の今後を占う最大の関心事。それを素通りしているのだから、聞いていて空虚に感じるのは当たり前かもしれない。
 それどころか、所信演説を聞く限り、事故には触れないのに、原発の再稼働を容認すると受け止められる発言に愕然とする。
 前政権の政策を見直すのは当然だとしても、『いまだに32万人の人々が避難生活を余儀なくされている・・・云々』と口にしているのだから、過酷事故を起こせば人々の生活を脅かし、故郷を奪うことになる原発は危険極まりないものと認識しなければ奇怪しい。国民の大多数は必要ないと思っていることを想像ができないのはもっと奇怪しい。
 昨日も述べたが、エネルギ-政策も電力会社の作った筋書き通りに動き出したとなると7月に出るらしい、規制委員会・規制庁の『原発の新しい安全基準』の中身が大体想像できそうだ。(田舎親父)

2013年2月 4日 (月)

全ては電力会社の筋書き通り・・・

 今日は立春。暦の上では春が始まる。今年の冬の厳しさはかなりのものがあるが2月の声を聞くと同時に少し空気が緩んできた感じで、今朝も10℃を超えている。とはいえ、寒さはまだまだ続きそうで、本格的な春は後一月ほど待たねばならないだろう。

ところで、原発事故の話題が何となく少なくなってきたと感じると同時に、電力会社の強気な姿勢が目立つようになり、態度に、便利な暮らし与えてやっているのだから電力料金の値上げは当然という雰囲気がありあり。今日はそのことについて・・・。

(その1)国会の承認を受けずに発足した原子力規制委員会のメンバ-は、当初はかなり厳しい安全基準を示し、本気では・・・と思わせる発言が目立っていたが、このところ何となくト-ンダウンしているように感じてならない。

 原発の設計で想定する活断層は、これまでは『12万~13万年前以降』に動いた断層としていたが、『40万年前以降』と定義を変えたと、昨年の10月ごろの時点では伝えられていたが、この基準が怪しくなってきたらしい。

 先月末の規制委員会の会合で、当初は『活断層は40万年前以降の活動が否定できない断層』と定義し、危うい断層を見逃さない姿勢を強く示す考えを明記される見通しだったらしいが、実際に出てきた案は、『新しい地層が残っておらず、過去の断層活動がはっきりしない場合に限り』という文言が入り、その場合に限って『40万年前以降までさかのぼって、地形や地質を調べる』という内容。

これでは、基本的には従来通りの『12万~13万年前』のままと変わらない。最初の意気込みはどこを消えたのだろう。

 一応、活断層の上に原発の重要施設があることを明確に禁じ、津波に対しては防潮壁や頑丈な水密扉で建屋を守るよう電力会社に求める内容であり、7月には新しい安全基準を作るというものであるが、活断層の定義があやふやでは、安全基準そのものの信頼性がなくなりそうだ。

科学的にこの断層が20万年前に動いたという断言できる証拠が、どこで見分けられるのか素人の私には全くわからないが、活断層の定義がはっきりしないのでは、電力会社的には『動くことはない』という結論になるのではないだろうか。

(その2)JR九州の会長が代表となっている『九州経済同友会』という経済界の団体があるのだそうだ。その代表委員たちが、原子力規制委員会事務局の原子力規制庁を訪れ、『原発の早期再稼働を訴える意見書』を規制庁のトップに手渡したという報道があった。

 経済団体が規制庁を訪問し、再稼働を要望するのは初めてだという。これまでは、原発の安全性をチェックする規制機関の規制委は独立性を重視し、経済団体などからの要請書などを受け取らない姿勢を強調してきたのだそうだが、こんな記事が出るとなると、これも形骸化しているらしい。

 規制庁側は『規制に関する意見が含まれていたため、規制委の立場を説明する機会として面会した』と説明しているというが、わざわざ会わねばならない必要性は全くない。釈明のための釈明で、これは点突破ではないが、今後は、どんな要望でも受け取らなければならなくなったことは間違いなく、どんな団体であっても面会を拒否する名目はなくなり、原発再稼働への条件整備が着々と進めている

(その3)アベ政権が発足当初は、確か、発電と送電を分けるという考え方が主流を占めていると報じられていた。ところか、前日政府が開いた、通常国会に提出する電気事業法改正案をまとめるための議論では、大手電力会社の発電部門と送配電部門を切り分ける『発送電分離』という考え方は法案に盛られない(盛り込むとも捉えられる記事もあるが)というから、いつのまにか、電力会社の主張が政権内部まで浸透したとしか思えない。

 また、家庭向けを含めた電力販売全面自由化というテーマも法案に盛られないとのことである。家庭向け電気料金は、政府の認可が必要な『規制料金』だが、発電コストに利益を上乗せする総括原価方式がまかり通っているので、ほぼ電力会社の『言い値』で決まることになる。民主党政権時に、このシステムに風穴を開け、競争を起こすことで料金抑制を図る必要という結論になったはず。ここでも昔返り・・・。

 予想通り、自民党政権は原発の再稼働も含めて電力会社の思うままの方向に動き出したような感じがする。(田舎親父)

2013年2月 3日 (日)

外部委託に小学校の水泳指導も・・・

 大阪市教委はハシモト市長の体育科の教員を総異動させろと言う命令はとてもできないと頭を悩まし妥協案を探っていたらしいが、どうやら顧問は全て外部という案で市長を説得することに決めたようだ。

 市教委が公式に発表したわけではないが、先日、市長は同校運動部の活動を市教委が顧問を外部委託する方向で検討していると明言したとの記事があった。記事によると、市教委は校長も年度内に更迭し外部人材を登用する方針で、バスケットボール部やバレー部で体罰が相次いで発覚した同校のスポーツ指導体制は一新される見通しだという。

市長も『部活動の在り方を変える。顧問を外部委託する方針を市教委から聞いた。全く違う学校になる』と発言しているところから、部活を外部指導にすることで、市教委との妥協ができたのではないだろうか。

しかし、そんなにうまくいくのだろうか。桜宮高校には運動部だけでも10を超す部活があるという。それを全て外部から顧問を呼んでくるとなると、予算的にどうなのだろう。それ以前に、後2ケ月で新しい年度を迎える時期に、過去の身体検査(過去に行き過ぎた指導の有無など)をパスし、しかも指導力も十分な顧問として専任できる人材が集まるとはとても思えないのだが・・・。

それは後日話題にするとして、先月末の朝日新聞夕刊の『杉並区の公立中学校が部活を外部指導者に委託』という記事に目がとまる。

 記事によると、きっかけは何かと話題になる和田中学校が、昨年、サッカーなど6つの部活動の土日の練習を、部活保護者会が民間企業のコーチに委託する試みを始めたことだそうだ。家庭が1人1回500円を負担して、外部からコ-チを招いて生徒を指導するシステムである。

 杉並区教委はこれを発展させ、運動部を対象に公費で企業と契約し、派遣コーチが月5回ほど土日の練習をみるシステムだという。13年度は区立中23校のうち11校22部が対象という部分が、なぜ全校ではないの?・・・という疑問が残るものの、以前から、土日曜日まで教員に頼ることに批判している私としては、この方式は評価できる。今後を期待すると同時に、再来年には全校に広げてほしいと願っている。

できれば、このシステムが杉並区だけではなく都全体、いや日本全国に広がることが望ましいと思うが、そのためには『企業』だけではなく、その地域に住んでいる個人までも対象にしなければ都市部では何とか指導者が確保できても、田舎では難しい。このあたり地方の自治体は真剣に考えてほしいと願っている。

 近年、『団塊の世代』の教員が大量に退職している。未経験の競技の部活の顧問に就いた若い教員が保護者の期待を重荷に感じ、ついつい暴力的な指導に走るのもよく聞く話。

 また、両親の介護のためなどの個人的理由で週末に活動できない教員も多く、顧問に就けないことに対して精神的な負担があるようだ。そのことが、ついつい行き過ぎの指導に対して口を出せないという雰囲気をつくっている。その意味でも部活の外部委託という方針は歓迎したい。

もっとも、進んで部活の顧問をしたいと申し出る教員も少なくない。このような教員には、外部指導員と同じような報酬を払うという区別化して、校長はじめ同僚の教員たちが鋭い目で見守れば良い。

ところで話が飛ぶが、現在の公立の学校で一番経済格差が大きい教科・技能が『小学校の水泳』であることは意外と知られていない。水泳の泳力ほど、スイミングスク-ルに通える子と通えない子(経済格差につながる問題)との差が激しいことは学校現場では常識になっているのだが、それは小学校の教員のほとんど全員が、正式な泳法を指導できないといっても差し支えないレベルだからである。

算数や国語などの文献などから学べる教科であれば、個々の教員の努力である程度以上の指導力を見につけることができるが、体育の競技の場合,特に水泳に関しては、学ぶ場が極端に少なく、強制されない限り自らが進んで学ぼうとする環境がないことも、そしてそれを教育関係者が容認していることも広くは知られていない。

小学校の体育の水泳指導を外部委託できたとしたら、教員の負担は恐らく劇的に軽減され、(皮肉ではないが)国語や算数の学力テストの点数はかなり上がるはずである。

長くなりそうなのが、この問題は日を改めて考えてみたいと思っている。(田舎親父)

2013年2月 2日 (土)

衝撃的な橋の崩落映像・・・

 昨日の東京新聞の朝刊一面に掲載写真には度肝を抜かれた。

『ス-ッと橋が落ちた』という横書きの大見出しの下に、落下して途中が消えている橋を指さす女性の姿と、上空から撮影した崩落した霞ヶ浦・北浦にかかる『鹿行大橋』の映像を紹介している。

 思わず、『またか・・・』と叫んでしまったが、これは一昨年の3月11日の大震災による崩落と知り、ある意味安心というか納得するが、当時、このような映像が掲載されたのだろうかという疑問が頭をよぎる。

大津波による、あまりにも衝撃的な映像の連発で、感覚がマヒしていてこの程度に光景には驚かなくなり印象に残らなかったのかもしれないが、この映像は見た記憶がなく初めて見る。

 東京新聞の真意は、このところ次々と起きる老朽化が原因とされるトンネルや橋梁、あるいは地下鉄などで次々と起きる事故への警鐘だろうと思っているが、それにしても強烈なメ-セ-ジである。

記事は『どこの橋を通っても頭によみがえる。また地震で落ちないかって』という女性のつぶやきから始まっている。この橋は震災時の重要路線『緊急輸送道路』に指定されていた橋の中で、3・11大震災で唯一、揺れで落橋して犠牲者が出た橋だという。その落下の瞬間に目の前でその光景を目撃した女性は今も不安が消えないという。

読んだ人もいるだろうが、東京新聞はマイナ-な新聞。私の下手な紹介分より、記事そのものを掲載した方が理解が早いと思うので、そのまま引用しておこう。(引用はじめ)

 琵琶湖に次ぐ面積の霞ケ浦。その水域の一つ、北浦の湖面を寒風が渡る。湖を東西にまたぎ、行方市と鉾田市を結んだ長さ四百四メートルの鹿行大橋は、崩落した姿のまま。中央付近の橋桁や橋脚が湖底に沈むが、水が濁って見通せない。

 「私の車が止まったのはあそこです」。北隣に昨年四月完成した新しい鹿行大橋の上で、和泉トヨ子さん(66)=鹿嶋市=が指さす。落ちた橋桁まで六メートル。生死の境目だった。

 20121年3月11日。病気の義母を見舞うため、鉾田市側から車で橋を渡り始めた。すぐに違和感を覚えた。「随分と風が強いな」。地震とは気付かない。ハンドルを取られ、車が蛇行する。「パンク?」。慌ててブレーキを踏む。橋の中央まで進んでいた。次の瞬間。「映画でも見ない光景」を見た。「目の前の橋がスーッと落ちた」

 落ちた橋桁には対向車が載っていた。車はしばらく水に浮いていた。急いで携帯電話で119番した。「鹿行大橋です。車が一台落ちました」。一度だけ通じた。

 急に恐怖に襲われた。自分も落ちるのでは。「頭の中が真っ白になった」。橋のガードレールにしがみついていたオートバイの高校生から車外に出るよう促され、橋のたもとまで運んでもらった。車は置き去りにした。

 橋は1968年架設と古く、すれ違いも困難な狭さ。なのに重い荷物を積んだ車がひっきりなし。「危ない橋」と感じていた。

 新しい鹿行大橋への架け替えは02年に県が着工。だが用地買収などに手間取って工事は遅れ、撤去されるはずの未耐震の橋が使われ続けた。落橋後、前倒しして丈夫な橋が架かった。「もっと早くできていれば」と悔やみきれない。

 地震の9カ月前に夫を病気で亡くした。皆が「守ってくれたんだね」と言ってくれる。和泉さん自身、そう思っている。

 落下した車の男性=当時(61)=は助からなかった。遺族の心の傷は癒えない。電話口で「そこには行かない。見ないようにしています。(橋の完成)式に呼ばれたけど断りました」とだけ語った。(引用終わり)

 引用が長くなったが、この橋は1968年に完成という文言に注目したい。最初に作られた首都高の老朽化が最近とみに話題になっているが、1964年の東京オリンピックに合わせて作られたことはよく知られている。

 数年の違いはあるが、この橋も同年代に作られたもの。わずか4、50年で『老朽化』が原因で、コンクリ-トの建造物が崩落や落下が起きるとなると近場の建造物の多くがこれに当てはまる。これは根底から考え直す必要がありそうだ。

 去年の中央道笹子トンネルでき天井板の崩落も当初は老朽化が原因だと報じられていたが、このトンネルの完成は1975年とのことだからまだ40年足らず。こちらは人為的なミスト重なっての大事故なので、単純には比べられないだろうが、どうやら『老朽化』の定義は、完成後30~40年というところに落ち着きそうだ。

阪神淡路大震災の時、神戸の高速道路が倒壊している映像に『信じられない』という言葉を連発したことが思い出される。しかし、鹿行大橋の落下の映像を見ると『あり得る』ことで『信じなければならない』のが現状となると、徹底的な保守管理ができない建造物は造ってはならないことをひしひしと感じる。

自民党に政権が移り『コンクリ-トから人へ』が『人からコンクリ-トへ』と時代返りし、土建業界などは公共事業が増えると大喜び。

古いものには見向きもせず、どんどんトンネルや橋梁が作られるらしいが、経済発展のため『コンクリ-トでインフラ整備』という政策は怖い。大震災がこなくても、大事故が次々と起きるような気がしてならない・・・。(田舎親父)

2013年2月 1日 (金)

 金子みすゞの詩を連想する・・・

 あっと言う間に1月が過ぎ去ってしまい、今日はもう2月。今年も12分の1が過ぎてしまったと思うと、改めて時の過ぎ去る速さを感じる。特に今年は、寒さが厳しく、毎日のように、春の兆しを探しているので、余計に感じるのかもしれない。

さて、先日の新聞に、『東京電力は原発事故による魚類の汚染拡散を防ぐため、港湾内に生息する魚の駆除に乗り出す』という記事を見つける。また、これだけ汚染防止を必死にやっていることを見せるために、目先を変える新手の方法を思いついたらしい。

記事によると、漁業に使う網で事故原発が面している港湾を封鎖し、高濃度の放射性物質に汚染された魚が沖合に泳ぎ出るのを防ぐとともに、とった魚を分析して汚染の経緯を調べるのだそうだ。三月から網の設置に取り掛かるとあり、記事には、ご丁寧にも、解説図まで添えられている。

 原発が接する海岸線には堤防で外界と隔てられているとのことで、堤防に囲まれた約13万平方メートルの港湾は1~6号機に面し、事故後に放射性物質に汚染された水が流れ込んだり、東電によって大量に海洋投棄されたりしたため、湾外に比べて汚染の度合いが極めて高いことは当然だろう。

 場所を特定できる文面はないが、前後の表現から堤防内で捕ったと思われるソラソイという魚からは、昨年12月に一般食品の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)の2540倍に当たる2五4000ベクレルの放射性セシウムが検出されたというから、その汚染度は凄まじいものがありそうだ。

 東電は、これらの汚染された魚はもともと港湾に生息していたとみているが、いつどのようにセシウムが蓄積されたかという点ははっきりしないので、これを調べるとのことらしい。

 堤防で囲まれた港湾の開口部を刺し網でふさいで、一匹残らず魚を捕り、汚染の経緯を突き止めるため水産総合研究センターに調査を依頼するのだそうだが、こんなことが可能なのだろうか。

魚の頭には『耳石』という器官があり、木の年輪のように成育状況がある程度分かることは知っている。水産庁の技術者は『汚染水の海洋投棄時に一気に蓄積されたのか、事故後も恒常的に被ばくしていたのかが分かる』と言っていることも理解できるが、捕獲した魚が全て事故当時から港湾内にいたとはとても思えない。

 どんな網目なのか知らないが、何となく戦国時代の城攻めを連想する。籠城作戦をとる敵に対して、完全包囲網を敷き敵兵を一人残らず殲滅する『全員皆殺し』作戦である。理論的には可能だろうが、皆殺しが成功したという歴史的な記述は見当たらない。

必ず、何人かは生き残り、戦闘の事実が語り継がれていくのだが、魚だって必死だろうから、生息している魚を一匹残らず捕まえられるとはとても思えない。海草の影に隠れたり網目をかいくぐって逃げるものがいるはず。

もう一つ連想したことがある。それは、小学校の国語の教科書でも紹介されている、悲運の女性詩人『金子みすゞ』の『大漁』という詩である。

 大漁 朝焼小焼だ/大漁だ/大ば鰯の/大漁だ/浜は祭りの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰯のとむらい/するだろう

 この詩の特質は、とられる魚の立場から描いていることであるが、漁そのものを否定はしていない。しかし、単に人間の欲望を満たすために作られた原発が(ある意味当然のごとく)事故を起こし放射能で汚染したからといって、魚を皆殺しする東電の作戦は、失敗を隠し通すためのパフォ-マンスとしか思えない。

水産庁は原発沖の海中のセシウム濃度は減少傾向で、基準値を超える魚類の割合も低下していると発表しているが、最近でも、第一原発から約20キロ離れた海域(福島県南相馬市沖)で、アイナメから2万5800ベクレルが検出されるなど、突出して高い値の魚が見つかることがあるのだそうだ。アイナメは広い範囲を回遊する性質がないということから、高濃度汚染が港湾内とは限らないことを示している。

すでに高濃度汚染が港湾部から広がっているとしたら、今回の作戦の意味は限りなく薄れていることだけは間違いく、また東電のパフォ-マンスに終わりそうだ・・・。(田舎親父)

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