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2013年5月

2013年5月31日 (金)

核のごみ捨て場への布石では・・・

 少し話が古くなるが、先月の27日の夕方6時過ぎ、テレビを見ながら食事中のことである。NHKニュ-スでアナウンサ-の『これで福島県では原発による警戒区域がなくなりました』という言い回しに、ウッと食べていた刺身が喉に詰まる。

 しかし、次に続く『東京電力福島第1原発事故で、全域が警戒区域になっていた福島県双葉町の避難区域が28日帰還困難区域と避難指示解除準備区域の二つに再編されることになりました』というくだりで、何のことはない『警戒区域という言葉』だけなくしたとのことだと呆れながらも納得する。

『警戒区域がなくなる』という表現は、誰もが放射線量が下がり、警戒を緩めても良いというように受け止めさせる恐れがある。いや恐れではなく、間違いなくそう思うのではないだろうか。その意味でも、あたかも復興進んでいるように見せかけている東電と政府の事故後の処理を曖昧にしたいという意図を感じ、改めてその無責任さに腹が立つ。

 事故当初から、『避難準備地域』とか『立入制限地域』などという、さまざまな言葉で地域を分断して、その実態を分かりにくくしていた。『警戒区域』もそき一つで、の定義では、原発から半径20キロ圏で、災害対策基本法に基づき立ち入り禁止とされる地域を指すのだそうだ。

確かに事故後、20キロという基準で地域が決められた記憶はある。今更述べる間でもないが、住民の避難に東電は徹底的に情報を隠蔽した上、政府も正確な情報を出さなかったばかりか、逆に誤った情報を発信、放射線量が多い地域が安全だと言う誘導に従って、自ら被爆するような避難になったことも許し難いこと。

要は、当時の民主党政権はとにかくごまかそうということから始まり、次々に新しい区割り名称をつけるのもその一環だったというと、その筋からはお叱りを受けそうだが、ほぼ間違っていないのではないだろうか。

区域割りのニュ-スは、その都度マスコミは取り上げていたように思えるが、繰り返されるうちに、私自身その概要がわからなくなり、関心が薄れたことは間違いないが、いつの間にか、県内9市町村に出されていた『警戒区域』が解除されて、双葉町が最後まで残っていたことを知り、改めて大丈夫なのか心配になる。

 県内全域で『警戒区域』は解消されるが、法的拘束力はないものの引き続き原則立ち入り禁止の『帰還困難区域』が、第1原発がある双葉町や大熊町など広い範囲で残るというのも変な話。

『帰還困難地域』と曖昧な言葉にしたのは住民感情を考慮した表現だと言い訳をしているが、こんな言葉を作らねばならなくなった責任は全て東電と原発政策を推進してきた政府にあるのに、事故を起こしたことは棚にあげて住民感情とは何を今更・・・と呆れが先に立つ。

今回の区域割りの再編で、全住民約6500人の96%が住んでいた地域を『帰還困難域』、残りを『避難指示解除準備区域』としたとのこと。警戒区域の境界付近に設けていた警察による検問を撤収して、厳重なバリケ-ドで道路を封鎖している映像が放映されていた。法的拘束力がないのにバリケ-ドで封鎖も訳がわからないが・・・。

放射線量の数値で線引きしたとのことだが、目に見えない放射線は線量計でしか計れない。風の強さや向き、あるいは雨量などで、線量は刻一刻とその値を変えていることは、今では誰もが知っている当たり前の知識になっている。バリケ-ドの内と外に線量計を設置して、その数値に明らかに差があれば、こんな疑問はなくなるのだが、時に数値が逆転することもあるはずとなると、このような曖昧な説明では説得力は限りなくゼロに近い。

96%対4%。数値からだけからだけの感想だが、圧倒的多数と極めて少数なぜ、わざわざ双葉町を分断しなければならないのだろうという疑問も残る。ここにも『分断して支配』というこれまでの政治の常套手法を当てはめてみると、あえて分けねばならない意図があるに違いない。

 最近、選挙で選ばれた町長は『町民の生活再建につながる東電への土地や建物の賠償を請求することができる』と、今回の区域再編を評価しているそうだが分断を評価とは、これも歴史的にはよくある話。

 戻れない住民には配慮を欠く表現になるが、政治の裏の世界では、すでに双葉町周辺を『核のごみ捨て場』と決定、そのため着々と準備を進めているのではないだろうかと悪い予感すら頭をよぎる・・・。(田舎親父)

2013年5月30日 (木)

伊豆に特養は面白い視点だが・・・

 何度か高齢者社会の問題を取り上げているが、実際の深刻さは私が普段公園で見る高齢者の多さに呆れているなどは序の口らしく、その凄まじさは想像以上のようだ。特に自分意志では動けない高齢者をどう扱うのかということで、全国の自治体では喧々諤々の議論が続いているという。

その一つに特別擁護老人施設(特養)の入居問題があり、全国的に特養の数が足りず、どこでも順番待ちが続いているということは以前から何度も話題にしていたこと。

入居希望が多いのに実際に入居できる老人の数が限られているというのは、(言葉を選ばずに表現すると)順番待ちの老人はすでに入居している老人の死亡を待っているのが現実のようだ。

20年ほど前に勤務していた東京大田区で、当時でも『特養』と呼ばれていた施設を何度か見学した記憶があるが、そこに入所している人たちの、ただ生かされている現実(今では大分改善されているらしいが)を目の当たりにして、『将来ヨイヨイになっても、入りたくない』という感想を強く持ったことを思い出す。

しかし、担当者の説明を聞くと、(当時でさえ)入所の順番待ちが数百人だとのことにびっくりすると同時に、いよいよ他人扶助の特養が当たり前になり、楢山節考の世界がますます遠のいたことを実感したことも鮮明に記憶に残っている。

あれから20年。社会保障が政治の重要な課題の一つになり、特養の建設が今を盛りに続いている。横浜の片田舎の私の住む地域では、市街化調整区域などは文書上のものになったらしく、雨後の筍ではないが、エット思うような場所まで、特養ばかりでなく、グル-プホ-ムとかビハビリセンタ-、あるいはデ-サ-ビス機関と言う看板をあげている老人向けの施設の建設ラッシュが続いている。

それでもまだ横浜の片田舎では建設可能な土地があるらしく深刻な問題には至っていないようだが、東京都内(特に23区内)では土地探しが限界になっているらしく、つい先日などは東京杉並区の例として、伊豆地方にそれを求めていることをNHKニュ-スが紹介していた。

杉並区で区内での特養の建設はあきらめたらしいが、需要は年々鰻登りのために、以前は喘息など(いわゆる虚弱体質)の子どもたちのために開設されていた(今では廃校になっている)『健康学園』を、特養に入所を希望しながらなかなか順番がまわってこない老人たちを受け入れる施設に転用する計画を検討しているという。

面白い視点である。都内各区は高度成長期に先を争うように、子どもたちの校外学習のために施設を建設すると同時に、虚弱児童を受け入れる『健康学園』の建設も盛んで、房総半島や伊豆半島の海の近く自然豊かな土地を購入し、ホテルと見間違うほど立派な建物が出現したものである。

一時はこの『健康学園』への入学は、区からかなり高額の補助があることなどから大いに人気を得て、児童の数は相当数確保していたが、社会事情や親の意識の変化で、間もなく入学希望者が減少し、すでに廃校にしたり、臨海学校の施設などに利用している区も多いことはよく知られている。

杉並区もその一つで、南伊豆町の『健康学園』は廃校、『跡地』に特養を建設する計画を明らかにしているという。この臨地には区の保養所『弓ヶ浜クラブ』があり、特養の入所者の家族がお見舞いに行く際の宿泊所という役目を加えて、お見舞いを兼ねて保養や観光にきてもらう計画だと言う。

杉並区の特養の入所待機者数は約2000人だそうだ。この土地に入所定員100人規模の特別養護老人ホームができると、現地で77人の雇用が創出され、南伊豆町の働く場所の確保になると言う一石二鳥、いや一石三も四も狙っている計画らしい。

法律的には、南伊豆町に杉並区がつくった特別養護老人ホーム入所者の介護費用は、入所者を受け入れる南伊豆町の負担になるという問題があるらしいが、これは両自治体の話し合いで解決できるだろう。

杉並区の計画が軌道にのれば、『健康学園』の跡地利用を抱える多くの区が続くのではないだろうか。房総や伊豆といっても働く場が少ない現地にとっても、反対する理由はなく、これはブ-ムになりそうな予感すらする。

しかし、直線距離で180km、移動に3~4時間を要するため、緊急時に間に合わないということはともかく、離れていることが疎遠のきっかけとなり、家族の絆が薄れるということに対して明確な説明ができなければ、この問題がここでも置き去りにされそうなことに懸念を持つ・・・。(田舎親父)

2013年5月29日 (水)

男女2人の児童が行方不明?・・・

 27日の夕方のNHKのテレビニュ-スでアナウンサ-が『午後2時50分ごろ、滋賀県高島市と福井県美浜町の境にある赤坂山(823メートル)で、大阪市中央区の私立城星学園小学校の6年生の男女2人が学校行事の登山中に行方不明になった』との声に、エッと瞬間的に反応し画面を注視する。

この種の学校行事は多いが、学校は児童の行動には細心の注意を払って行うのが常識なので、ゴ-ル地点の山頂で行方不明が判明したと言う表現に極めて強い違和感を覚える。

この時点では、何人の児童にどのぐらいの数の教員が付き添ったかははっきりしないので詳しい事情は分からなかったが、毎年行っている恒例行事だと言うことから、登山道は十分整備されているだろうと推測できる。

教師たちには児童が道を間違えることなど考えられなかったようだが、グル-プ毎に教員がついていたはずなのに、行方不明になったとなると、教員の対応が悪かったことは明らかだろう。しかし、『男女二人の児童』ということが妙に引っかかる。だが、その引っ掛かりもその時限り。警察と消防が徹夜で捜索するとのことなので、今夜のうちに見つかるだろうと、このことは頭からすぐに消える

翌朝のテレビニュ-スでまだ発見されていないことを知り、俄然気になり始め、画面に注目すると同時に、アナウンサ-の一言一句を聞き逃さないように真剣に聞く。

画面の映像は、滋賀県側から自衛隊員が隊列を組んで捜索に入り、福井県側からは警察と消防がこちらも隊列を組んで捜索活動に入る様子が紹介されている。徹夜での捜索で見つからなかったので、自衛隊の出動を要請したらしいことがわかるが、ここまで任務分担する根拠があるのだろうか。それはさておき、これは大事になりそうな予感がする。

新聞各紙も、この事件を大きく取り上げているので読んでみる。その一つの朝日新聞の記事によると、6年生80人と引率教諭4人、ガイド4人、カメラマン1人が付き添い、児童を6グループに分け、各グループに教諭かガイドが付き添ったとある。

1グル-プの人数は13人程度。行方不明の二人は最後尾のクル-プということから、大人は少なくとも二人は付き添っていたと思われるのに、記事には、赤坂山山頂に近づいた正午ごろ、教諭の1人が、児童2人が分かれ道で別の道に進んだ可能性があるのに気づき教諭に連絡したとある。別の教諭らが追いかけたが、見つけられなかったという部分が(経験上)どうも釈然としない。何か隠しているような雰囲気が感じてならない。

記事によると、教頭は、一部の児童から『(行方不明の)2人が下の方に下りていった』と聞いたと語っているとのことであるが、その児童達の話では、2人から『近道だから行こう』と言われ、一緒にいったん登山ルートを外れたが、不安に思って引き返した』という部分も、同じグル-プとして考えられない。ここで、昨夜瞬間的に感じた『男女二人の児童』という言葉が頭をよぎる。

不謹慎だと叱られるかも知れないが、最近の6年生の事情を考えると、二人で少し冒険してみようと示し合わせたことを『絶対あり得ない』と頭から否定できるだろうか。そしてこの二人が普段から学年では話題になっていたとしたら、周りの児童たちは気を利かして・・・という筋書きもあり得ない話ではなさそうだ。

ここまで、気になる事件なので、(明日取り上げるつもりで)昨28日の午前中に書いたのだが、この時点では、二人はまだ見つからない。続報を待っている状態。

昼過ぎ、ネットのニュ-スで2人は正午前、自力で無事に下山したとの記事を見つけ安心するが・・・。

この2人は軽い気持ちで(迷う気持ちはなく)脇道に逸れたのだが、いつの間にか本格的に道に迷ったのかも知れないが・・・。マスコミは『児童』という立場から、踏み込んだ事情は伝えないだろう。そして多分、続報は期待できないが、警察や消防はもとより自衛隊まで出動させる大事に、果たしてこれで良いのだろうか。

 何となく後味の悪い事件であるが、真実がわからないにもかかわらず、多くの小学校で『だから自然体験のリスクは大きい・・・』という雰囲気が生まれることを警戒したい。

子どもたちの心身の成長には、なによりも自然体験の活動が大切だと確信している私には、今回の事件をきっかけに、ずっと伝統として続いていた行事を取りやめる学校が出ないことを心から願うものである。(田舎親父)

2013年5月28日 (火)

住民投票は門前払い・・・

 一昨日の、東京都の道路計画を問う小平市の住民投票の結果にはがっかりした。実際に現地を知っているわけではないが、航空写真を見る限り、素晴らしい緑地帯を分断する予定道路に対して、心ある市民が反対という気持ちになるのは痛いほど理解できる。

せめて、この緑地をすでに横断している2本の道路を拡充するというなら、何とか理解できるが、新たにさらに広い道路で分断するというのは、門外漢の私にも、納得できる話ではないように思えるのだが・・・。

しかし、写真で見ると、すでにこの緑地の部分を残して、両方からは完成か工事中の道路が伸びており、後はこの部分を残すのみの状態で、このまま建設凍結となると、道路として機能しないことも一目瞭然となると、(随分昔のことになるのだろうが)道路を計画した側は作戦通りとほそく笑んでいるに違いない。

それでも、もしや住民投票で反対が圧倒的多数となると、工事は進められないとあっては、工事賛成派だとされる市長は、直前(この4月)になって、投票率が50%以下では住民投票が成立しないことにしたというから、後ろには相当な知恵者が控えているようだ。

この知恵者は、最近の地方選挙の投票率を詳細に調べて、50%に満たないことをあらかじめ予測していたに違いない。市長サイドは、開票して、賛成・反対の票の割合がどうあっても、開票すると賛否両派のしこりが残るという論理で議員たちに多数派攻勢をかけたのだろうが、直前になってル-ルを変えるのは狡いと言われても仕方ないだろう。

今回は、直接請求による都内初の住民投票だったという。道路建設の是非を公約に掲げた市長や議員を選ぶ選挙ではなく、住民が直接『政治的な問題』に意志を示すという画期的な住民投票という意味で、結果を楽しみにしていたが、小平市民の圧倒的多数は『俺には関係ない・・・』と棄権してしまったことは残念でならない。

もっとも、小平市民でなくても、全国どの地方でも、人々の政治に対する関心は極めて薄く、結果は似たりよったりというところに違いなかろうが・・・。

しかし、この50%ル-ルは今後禍根を残すような気がしてならない。投票率が低くても、開票すると『賛否』の比率だけが一人歩きして、反対派は『これだけ多くの人々』と力説するだろうが、賛成派としては、この数字を『たったこれだけの人々』と読み替えるだろうことは十分予測でき、新たな諍いに発展することは明らか。

市長の周りの知恵者のおかげ(というと語弊があるかも知れないが)で、今後全国の行政としては、難しい問題が発生して先に進まなくなった場面で、一部住民の要求する『住民投票』を、50%ル-ルを条件に受け入れれば、全て解決することになってしまう。

 住民投票条例は投票日翌日から90日で失効するという。投票用紙はそれまで市選挙管理委員会が保存することになっているので、開票されない投票用紙は昨日、立会人のもとで投票箱から保存箱に移したとのこと。

道路建設に反対する市民グル-プは、早速、投票結果を情報公開請求する方針を示したとのことであるが、議会が50%ル-ルを可決したとあっては、よしんば情報公開を求める訴訟を起こしたとしても、90日はあっと言う間に過ぎ去り、投票用紙は破棄されるに違いなかろう。

話は少しそれるが、同日に行われた千葉市長選挙は以前から、全国で最年少の現職市長の有利が報じられていたが、アベノミクスで一人勝ちの自民党が推薦する候補者がどこまで票を延ばすか注目していたが、現職の圧勝。しかも、自民党推薦候補は共産党の推薦する女性候補よりもさらに少ないのは、内閣支持率という数字がいかに怪しい代物であることを如実に物語っているようだ。

千葉市民の良識が勝ったという声も聞こえてくるが、投票率がわずか31%とあってはそんな声は虚しい限り。

しかし、31%でも選挙は選挙。数値的にはたった20%そこそこ、5人に一人の支持で当選した現職市長は今後4年間の市長職が確定するが、35%と千葉市民より関心を示した、小平市民の声は門前払い。

何か、納得できないモヤモヤが残る・・・。(田舎親父)

2013年5月27日 (月)

標準時を2時間前倒し?・・・

 都知事という椅子に座ると、カネ(都民の税金)を湯水のごとく使わねばならないという気持ちに陥るらしく、オリンピック招致にマイナスの発言をするために出かけたのではと揶揄されたニュ-ヨ-ク訪問には、奥方はじめ(一族郎党とはいわないまでも)相当数の取り巻きをファ-ストクラスで同行させたと報じられていた。

この御仁にとっては、マスコミから注目されることが勲章だと思っているらしく、近々ロシアを訪問するらしいが、一部メディアからはかなりきつい批判など聞く耳持たぬという姿勢で、やはり同じような面々を引き連れての大名旅行となると、イノセと投票用紙に記入した圧倒的多数の都民はいかなる感情を持つのだろう。

ニュ-ヨ-クでは、地下鉄が深夜というか24時間運行していることに痛く感激したらしく、帰国したとたんに、東京はまだまだだと思ったどうかはともかく、都バスと都営地下鉄を24時間運転にと意気込んでいるそうだ。

この都知事に言わせると、公共交通機関が動くことで新しい需要が発生するとのこと。なるほど作家らしい表現だが、そこには、乗り遅れた人を救済するというイメージではなく、いろいろな産業がそこによって起きるという、経済という面からだけの発想法が見て取れる。

海外に駐在している日本人は、現地の時間に合わせて仕事をしているのだから、地球全体を眺めると、24時間、どこかの市場が開いているということで、グローバル化に対応できるような交通体系が必要だともいう。普通の神経と頭脳系統しか持っていない私には、とても考えられないような論理を組み立てているようだ。

そこにはニュ-ヨ-クには負けない、いやそれ以上に『ビジネス』が活発に活動する東京にしたいという願望があるのだろうが、今でも、深夜から早朝の短い間に安全性を確保する保守関係の仕事をこなしている現状をいかに考えているのだろうか・・・。

この問題はともかく、日おかず、標準時を2時間早めるという発言には、口あんぐり状態になってしまった。

現在の明石を基準にした日本標準時を東京に変えて『東京標準時間』の導入だという。明治以来の日本の標準時間を早めることで、金融市場の活性化、経済成長につなげことになると力説しているようだが、この御仁の頭の中は『東京』が世界の中心になり、経済が全てを優先するという妄想が支配しているらしい。

 現在は原子時計で時間は管理しているのだそうだが、私の頭の中には『日本標準時は明石天文台の東経135度の子午線上を太陽が南中する時刻が正午』ということが擦り込まれている。これは私だけではなく、日本中のほとんど全員といってもおかしくないのではないだろうか。このことだけでも明石の怒りが想像がつくが・・・。

この知識を元に、東京の場合は標準時よりも約20分早く南中することが理解できるので、太陽の方向を見定めることによって、かなた正確に方位の見当がつけられるのであるが、こんな知識もスマホ全盛の現代では不必要になってしまった感すらする。しかし、地域を限定にしたサマ-タイムならまだしも、日本国中全てでこの概念が根底から崩される標準時の前倒しなどとなると、想像すらしたくなく当然容認できるものではない。

現在香港(なぜか中国は広大な国土なのに標準時は一つ)やシンガポ-ルなどとの時間差は1時間。これを2時間前倒しにすれば、東京の市場が世界で一番早く開くことになることは理解できる。このことによって経済の動きが活発になることもわからないでもないが、これはあくまで経済中心の発想である。

サマ-タイムは夏場だけのもので、ある意味実効性があると思っているが、通年通して2時間の前倒しとなると、現在の4時が標準時6時となることになる。

夏場は、『6時だよ。起きなさい』といっても、明るくなっているのですんなり起きられるかも知れないが、冬場だと、まだ辺りは真っ暗で、明るくなるのは2時間後。とても起きられる状態にはならないだろう。『8時だよ。早く出かけないと学校に遅れるよ』と言われても周りはまだ暗い。とても出かける雰囲気にならないのでは・・・。

終わりの時刻が明るいから良いではないか、という声も聞こえてくる。確かに、学校の時程が同じとすると(変わるだろうな・・・)、現在の下校時刻が実質2時になるのだから、放課後の時間がたっぷりできる。良さそうに思えるが、喜ぶのは塾だけ?・・・。

 大人の世界となると想像するだけで恐ろしくなる。終業時刻が明るいので趣味の時間にという部隊は一握りの勝ち組で、ほとんどの人は、遊ぶカネもないとなると、企業の思うつぼ。残業のオンパレ-ドにあることは想像に難くない。この制度が、夜中まで働くことを推奨し、生活全体が(経済のため)仕事中心になるだろうことは誰の目にも明らか。

 今でも世界からは、日本人は仕事中心だと思われているらしいから、今回の都知事の発言は、さらにオリンピックが遠くなるのではないだろうか。(田舎親父)

2013年5月25日 (土)

英語教科化で経済格差がさらに・・・

 政府の『教育再生実行会議』が、グローバル化への対応や大学改革などについての最終的な提言案をまとめたという記事が目に留まる。

この会議は首相官邸で行われたというから、首相自らがかなりの気合を入れた会議であることがうかがえ、タテマエでは文科省管下の(悪名高い)『中央教育審議会』に委ねられるとはいうものの、大筋ではこの会議の提言が生きてくるのではないだろうか。

その内容であるが、柱が小学校の英語の拡充だというから、『またかい・・・』と呆れる気持ちにさせられる。

海外で活躍できる人材を育成するのがねらいで、小学5、6年生で必修化されている週1回の『外国語活動』について、正式な教科にして専任教員を確保することや、実施学年の引き下げ、指導時間の拡大などの検討を求めたという。

この提言を受けて、早速文科相は、『海外の事例も参考にしながら、小学校英語の教科化などに向け学習指導要領改定を検討する』と発言したそうだから、中央教育審議会の答申を待つまでもなく、『外国語とは英語』のことであり、教科として実施学年を下げて行うことが国の方針になってしまった感がする。

『国際教育特区(仮称)』というものを設けるというから、自治体によっては特区枠の予算を目当てに、『特別英語教育小学校』などという施策を打ち出すのではないだろうか。となると、現在週1コマの『外国語活動』の時間では足りなくなり、週2コマあるいは3コマという小学校も生まれてくることもあり得る話になりそうだ。

そこまでは飛躍しなくとも、一般の小学校で英語を教科にしたら、指導する教員をどうして確保するのだろうと心配になってくる。何度も述べたが、現在は小学校の教員には、教員養成大学のカリキュラムには『英語指導法』という項目がなかったので、ほとんどの教員が英語を指導する環境など想像していなかったはず。

外国旅行が大好きで、長期休暇には必ず海外旅行に出かける教員も決して少なくないと聞いているが、そのほとんどはあくまで旅行者。日常的な英会話程度は身につけているはいるものの、児童に指導できるかとなると、まず無理だろう。

英語を指導できる教員を養成するには相当な年数がかかることは想像に難くない。総合的な学習の時間が正式に教育課程に入り、全国のほとんどの小学校が『英語活動』を取り上げるようになっているが、100%といって奇怪しくないほど、主たる指導は外国人講師(ALT)に委ねているのが現状。ALTなしで担任が指導している例はあまり聞こえて来ない。

教員志望者は、この動きを察知して英語を身につけようと努力していることは十分知っているつもりである。大学も英語に力を入れていることも理解できるが、40代以上がほとんどを占める小学校の教員に、今更『英語指導』を強いるのは難しい。何よりも、教員免許法がネックになってくるはず。

それ以前に(これも以前述べた記憶があるが)英語を教科にすると、クラスの児童に共通の教材が必要になり、現在の制度では、文科省の検定に合格した『教科書』が必須になるのは自明のこと。その教科書を使って、授業を進めるとなると、現在行われている中学校と同じでは・・・という素朴な疑問すらわいてくる。

 話は飛ぶが、現在小学校でもっとも経済格差がはっきりつく知識理解や技能は、水泳だというと、エッと思う人も多いのではないだろうか。しかし、スイミングスク-ルに通っている(あるいは幼児期に通ったことのある)児童と、小学校に入ってはじめてプ-ルに入った児童との格差は、一般の大人が想像している以上に大きいことは既定の事実なのだが、このことは案外知られていない。

 無理してでも塾に通わせる家庭が圧倒的多数を占めているらしいが、スイミングスク-ルに通わせることができるほど経済的余裕がないこともあってあまり多くない。お金をかけてでも水泳能力はつけたいと思っている親もかなり存在するのは間違いないが、水泳能力は子どもの将来を直接に影響することではないと思う親がほとんどの現状では、よほどの経済的な余裕がないと通わせないのが常である。

しかし、今回の『英語の教科化』は違う。『グロ-バル』が絶対的な呪文となっている現代社会にあっては、一般的な親でも、英語を習わせなければという強迫観念が生まれることは容易に想像できる。『英語塾』がブ-ムになり、既存の学習塾も確実に『英語』をウリにして、英語コ-スを強化するだろうことは目に見える。

その結果、現在以上の経済格差が生まれることは誰もが容易に想像できる。庶民にとっては雲の上のような立場の『教育再生実行会議』や『中央教育審議会』の委員が、この当たり前のことを想像できない(意識的にしないのだろうが)となると、未来の社会を担う子どもたちの教育の方向の明るさはあまり期待できそうにない。

英語を重視するのは大切だが、現実の中高の英語教育の考え方やあり方などの検証もせず、単に幼い時から英語を・・・という発想が、国にとって『是』であるとはとても思えないのだが・・・。(田舎親父)

2013年5月24日 (金)

風疹ワクチンに重い副作用判明?・・・

 ここ数日は報じなくなったが、NHKの朝夕のニュ-スではアナウンサ-が、『風疹の全国的に例年に比べて異常に流行する兆しが見えています。妊娠初期の女性が風疹にかかると、胎児に耳や目、あるいは脳に異常が発生する可能性がありますので注意してください』という、同じセリフを繰り返し報じていた。

 内容も凄い。国立感染研究所という組織の女性課長が毎回のように画面にでてきて、風疹の流行状況のグラフを示し、例年に比べて異常に多いと警告。ウイルスの写真まで紹介するものだから、医学音痴な私でも、『あり得る話だなあ・・・』と思ってしまうほど。これでは妊娠中の女性にとっては、恐怖以外なにものでもないのでは・・・。

 『耳や目、あるいは脳への障害』と聞くと、妊娠中に風疹に罹患した女性は、まず『生まれるわが子に・・・』と心配するのは当然だろう。風疹で重い症状になった女性は間違いなく『きっと異常があるに違いない』と病院に駆け込み、処置が可能な初期であることから中絶という判断も責められない。

 この感染研究所の女性課長の『ワクチンが有効なので、妊娠初期の女性はもちろん、周りの人はワクチン接種を受けてほしい』との言い方に、多くの人が大急ぎで病院に駆け込んでいるらしく、夫と見られる男性が接種をしている映像なども何度も紹介されている。

このワクチン接種にはかなりの費用(金額は失念)が必要らしく、補助を出す自治体もでてきたということも話題にしていた。中には、その費用を負担する会社もあらわれ、担当官部は『風疹にかかって休まれることを考えると、接種費用など・・・』と語っていたことも、おぼろげながら記憶にある。

厚生労働省も風疹によって障害がある赤ちゃんが相次いで生まれていることを受けて、通知を出、この中で、『妊娠を希望する女性をはじめ、妊婦の夫や同居する家族で風疹にかかったことがなく予防接種を受けていない人に対して、予防接種を受けるようにしてほしい』という見解を出していた。

ところが、一昨日のことであるが、『厚労省研究班は、妊娠中に風疹ワクチンを接種した場合でも中絶を考える必要はないとする緊急見解をまとめた』というニュ-スが流れたことにびっくり・・・。

妊娠中に風疹に感染すると、胎児に心疾患や難聴などの障害が出る可能性があるが、研究班は、風疹ワクチンによって赤ちゃんに障害が出た例は世界でも報告されていないと指摘して、可能性と否定できないが、中絶を考慮する必要はないと考えられる』という見解を示したとある。

『妊娠中に風疹に感染すると、胎児に心疾患や難聴などの障害が出る可能性がある』ここまではあり得る事だと理解できる。しかし、『風疹ワクチンによって赤ちゃんに障害が出た例は世界でも報告されていない』という部分が、どうしても腑に落ちない。

文章を素直に読むと、『風疹ワクチン』も、先日話題にした『子宮頸ガンワクチン』のように重い副作用があることが判明し、副作用を心配してワクチンを接種した女性の中絶が多くなった事に対して、心配ないとのメッセ-ジのようにも受け止められる。

しかし、『風疹ワクチン』の副作用ということは、(私が知る限り)今まであまり報じられなかったはず。むしろ、国を挙げてワクチン接種を進めてきたのではないだろうか。日本産婦人科医会など2学会も、厚労省研究班と同じ見解をウェブサイトで公表したそうだから、医師会も右にならえ・・・のようだ。

私は常々、一人の例外もなく、全ての人々に効果あるワクチンなどあるはずがないばかりか、必ず副作用があると思っている。

ところが、NHKのニュ-スを聞く限り、副作用などのことなど一切語らず『ワクチンを打たないと、後悔するぞ』と思わせる表現。まさに子宮頸ガンワクチンと同じパタ-ン。完全でないものを、国を挙げて進めいるのは、私には理解不能な変な話である。(田舎親父)

2013年5月23日 (木)

異常とは?を問う社会問題へ・・・

 先日の朝日新聞に『羊水検査誤説明、医院側が認める 函館地裁に両親提訴』という見出しを見つけた。前日に膝の調子を見てもらうために出かけた病院の待合室に置いてあるアエラに掲載してあった羊水検査の記事を読んでいたので、やはり必要ない検査が単純ミスを生んだのだろうと暗い気持ちになるが、これは大きな社会問題に発展しそうな予感がする。

 ミスを犯したのは函館市の産婦人科医院の『えんどう桔梗マタニティクリニック』という。記事には、2011年、胎児の染色体異常を調べる羊水検査でダウン症と判定結果が出たのに、院長が誤って『陰性』と、逆の説明をしていたことが分かったとある。

羊水検査って、先日問題にした出産前検査の事ではなかろうか。こんなミスが起きるのだろうか・・・というのが第一印象。次に、確か最近、このような検査をしても良い医療機関が指定されたのではなかっただろうか気づき、ならば(名前から想像すると)妊婦からの希望でで、かなり以前から個人医院でもやっていたことになる。アエラの記事にもそのようなことがあったが・・・。

 しかし、ここまで医療が進んでいれば、染色体異常の有無などは簡単に見極められるだろうから、このような検査がまかり通っているのなら、生まれる子どもが『異常なし』という御札がほしいばかりに、高額の料金を払うことにためらわない親もいるのも当たり前のような気にもなる。

 特に、高齢出産の危険性が知られるようになると、当事者としてはますます生まれる子どもの異常の有無が気になる事は間違いないが、法的にはどうなっているのだろう。

 訴訟を起こした母親も当時43歳だったというから、何か思い当たるようなことがあったので正式に検査機関として認定されていないこの医院に検査を依頼したのかもしれないが、院長から『陰性でした。何も心配いりません』と結果説明を受けた時は飛び上がらんばかりに喜んだのでは・・・・。そんな光景がアエラの記事から想像できる。

しかし、検査の報告書を調べると、明らかに『異常あり』と記してあるという記事の内容に、どうやらこの医院が検査を行ったわけではなく、他の医療機関に依頼した結果、送付されてきた報告書を、院長が見違えた単純なミスらしい。

 ところが生まれた子どもはダウン症。一挙に地獄に落ちた気持ちになったことも想像に難くないが、別の病院で出産したという事が新たな疑問になる。普通ならば、安全宣言を受けた医療機関で出産するのではないだろうか。

そんな事は個人の自由だと言われたらお終いだが、検査のためだけにこの医院を利用したというのであれば、何か引っかかる。

 生まれた男児は3カ月後にダウン症の合併症で死亡したとのことだが、何故今になって2年前のことをと思わないでもない。『妊娠を継続するか中絶するかを判断する機会を奪われた』という理由で、慰謝料など約1千万円の損害賠償を求めているのだそうだ。

 理屈としては何の疑問もない。子どもが現在も生存しているとなると、(合併症を起こしたというから相当重い心身の障害を抱えてだろう)両親の苦労は余りあるものだろうから1億円でも決して高くない慰謝料だろうが、院長が『私のミスです』と認めているとなると、医院が払える金額から割り出した数値なのかもしれない。

 奥歯にものが挟まったような表現になるが、訴えた母親のように、ダウン症の有無を調べるためだけに、出産前検査を依頼する人が多いこともアエラの記事ではじめて知るが、『異常あり』と診断されたら産む事を止める人も多いようだとなると、強い違和感を覚えるのだが・・・。

 『ダウン症の子どもってかわいいよ』これもアエラの記事にある、検査を受けた夫の友人の言葉であるが、ダウン症の子どもは多少知的な障害があったとしても総体的に穏やかな性格を持ち、争いごとを好まないことは教育関係者なら常識的に持つ共通の知識。

私もダウン症の子どもが基準となるような社会で生まれたら、戦争などはもちろん、個人的な争いごとも少なくなる、実に平和な世の中になるのにと以前からずっと思っているのだが・・・。

慰謝料がいくらで決着するのかなどは興味はないが、『異常』という言葉の意味を問うためにも、この訴訟は大変重い問題を提起していると受け止めたい。(田舎親父)

2013年5月22日 (水)

今になって設置とはご苦労な話・・・

 東横線が地下5階になった事で、特に高齢者からの怨嗟の声が大きいという。確かに不便になった事は、一度でも東横線で渋谷駅に降り立った経験があれば誰もが感じるに違いない。私もその一人。

 渋谷を仕事場とする東横線沿線のサラリ-マンや、NHKホ-ルはじめ娯楽施設の多いこの町で楽しむために東横線で出かける人たちにとっては、東急という会社は何を考えているのだろう・・・と不満を口にするのも当然だろう。地上に出るまでに時間がかかるのは仕方ないとあきらめても、帰路の下りのエスカレ-タ-がないのは、年寄りはいらないと聞こえる話としか映らない。

 鉄路の相互乗り入れが大流行で、東急東横線は港町横浜の中心部から埼玉県の秩父方面までを直通で結ぶ路線に変身。東京都内の北西部や埼玉方面から横浜のみなとみらいや中華街に遊びに出かける人や、逆に横浜方面から新宿へ出る人など、渋谷駅は単に通過するだけの人にとっては、物凄く便利になった事は間違いない。

 渋谷での不便さを実際に味わったので、どうしてもという用事のない限り渋谷駅は利用したくないと私にとって、先日『渋谷を素通りし、新宿などに客が流れた』との新聞の見出しは、『当然だろう』と溜飲が下がる。

 4月末にこのコ-ナ-に掲載した『渋谷駅周辺の衰退の音が聞こえる』という一文の中で、『通行者の動線を総合的に見てエスカレーターの上り下りを配分した』と当然のように説明しているようだが、東急の言う通行者というのは、下りの階段をもろともしない若者を対象にしているようだと、この会社の姿勢を批判した。

 そして高齢者の足が渋谷から遠ざかり、当初計画したほどカネが落ちないのではと推測、東急と渋谷駅周辺の衰退が始まっているような気がしてならないと述べたが、それが現実になりつつある事を物語っているようだ。

 少し話がそれるが、東急田園都市線の人気駅の一つに通称『ニコタマ(二子多摩川)』がある。開通当時は遊園地があるだけの寂しい環境だったが、東急大井町線と合流で神奈川県から都内に入る最初の駅で急行の停車駅。さらに。横浜西部の長津田と間には閑静な丘陵地を東急が威信をかけて大開発しているのだから、数年後には、人が集まる駅になるのは誰の目にも明らかだった。

 しかし、その駅前に誕生したのは『東急』ではなく『高島屋』というデパ-トには私も違和感を覚え、周りでも『東急は何を考えてるのだろう・・・』という風潮が広がっていたことを思い出す。後年、内部からも『何故?』という疑問の声が起きたらしいが、東急は同じ轍を踏むのだろうか。

 話を記事戻すが、東横線と東京メトロ副都心線の直通効果について、直通運転開始日の3月16日から4月末までの東急全線の鉄道輸送客が前年同期から2%、運賃収入は2.2%増えたとのこと。しかし、渋谷駅周辺にある東急百貨店各店の3月の売上高は前年度と比べ、9・2%と大幅な減少だったとある。

 東急百貨店広報は減収の理由を『東横店の西館と南館の一部が改装工事で閉鎖していたため』とし、直通化の影響を否定しているそうだが、東急電鉄本社に気兼ねしての強がりだとしか聞こえない。

 それは、副都心線新宿三丁目駅と直結する伊勢丹新宿本店は3月の売り上げが16.3%増、4月が8・7%増と当初予想を大きく上回る伸び手いることが証明している。『東急はわざわざ伊勢丹のために工事したのではないか』とさえ利用客の口から出るようになっているというから情けない話。

 さすがの東急電鉄本社は、駅完成までのしばらくの間は東急百貨店の売り上げ減は想定内としても、あまりにも利用者からの不評が大きいため、下りエスカレーターを増設する方針を決めたという。

 しかし、(前にも書いたが)私自身で確かめた上り階段部分のスペ-スは狭く、これからエスカレ-タ-設置の工事にかかるとなると、その期間は利用者の導線確保はかなりの問題になるのでは。東急電鉄本社は今頃になって下りエスカレ-タを設計図に盛り込まなかったことを悔やんでいるのでは・・・。

 二子多摩川駅周辺の将来設計と同じく、東急の社風には『未来』という言葉がないのかも知れないが、『バカだなあ・・・』という言葉がついつい口に出る。(田舎親父)

2013年5月21日 (火)

景気回復の掛け声の裏に・・・

 世は『アベノミクス』という言葉に酔っているらしく、自民党政権に対する期待の声が満ちているが、景気回復には『絶対条件』である、サラリ-マンの給与が上がったという話が全くないのは、経済音痴を自称する私でも、アベノミクスがいかに欺瞞に満ちたものかを物語ることだということぐらいは十分理解できる。

 それどころではなく、じわじわと上がっているという長期金利が、この秋から庶民の生活に明らかに影を落とし、マイホームを強制的に取り上げられる人が急増しそうだという声が、専門家筋でささやかれているというから穏やかではない。

経済プロが指摘しているのが『モラトリアム法』という法律だという。最近は、漢字で表現すればおぼろげながら見当がつくと思うのだが、やたらにカタカナで表記することが流行りになっているので、中身が全く理解できない法案が多いのも気になるが、この『モラトリアム法』もその一つ。仕方ないので解説を読むと、日本語訳では『中小企業金融円滑化法』というらしい。

経済音痴の私には縁のない漢字の羅列であるが、中小企業とか金融円滑化という四文字熟語から、中小企業の経営に対して、国が特別の融資をする法案だろうことは、おぼろげながら理解できる。

しかし、この法律は時限立法で、この3月ですでにその期限が入れたということで、影響はこの夏頃からあらわれ、ジワジワと住宅ロ-ンを抱えている家計を脅かして、今年度だけでも、住宅ローン破産する家庭が約10万世帯に達する可能性があるというから聞き捨てならない。

『モラトリアム法』は09年12月から始まったそうだが、この期間にリストラや会社の倒産などで住宅ローンの支払いが滞っていた多くの人たちが、返済猶予などの恩恵が得られたというから、民主党政権が行った数少ない善政の一つだったようだ。

ところが、この法案の効力がなくなった今年の4月だけで、(またまた私にはわけのわからない言葉であるが)『配当要求終期公告』という制度で、自宅を裁判所に差し押さえられた人は、東京23区だけでも約200件。これは前年同月比で1割ほどの増加だという。数字だけ見ればたいしたことなさそうだが、この法案の失効の意味が深刻な社会問題になるのはこれからだいうから今後が気がかり。

ある証券会社のアナリストは『競売の数字ではっきり出るのは、6カ月ほど先になるでしょう。法案が終了しても、すぐに返済に行き詰まるわけではありません。これからが心配です』と、マイホームを手放すまいと数カ月は持ちこたえるが、いずれはパンクしてしまう人が多いと経済対談で話していたが何となくだが説得力を感じる。

このところ株価の上昇が鰻登りである。このアナリストに言わせると、この数値をそのまま見ると景気が回復しているように見えるが、これは国債を売って株を買う投資家が増えているからだそうで、このために金利が徐々に上がっているのだそうだ。

国債の人気がなくなると、金利が上がることは何となく理解できるので、今後金利が上昇するのは間違いなさそうだ。これは預金者にとっては嬉しい事かも知れないが、住宅(特に変動金利)ロ-ン)を抱えている人にとっては、その支払いが大変になり、モラトリアム法案の期限切れと金利上昇のダブルショックで、やっと得たマイホームを手放さざるを得なくなる人が多くなる予測もかなり理解できる。

話は飛ぶが、2週間ほど前、新聞の折り込み広告に、人気マンションの一室が売りに出されていた。そのマンションは、(野村不動産のプラウドという名前だったと記憶しているが)2年ほど前に計画段階で売り出されたものであるが、建物の基礎を作っている時点で完売となるほどの人気だったことが妙に印象に残っている。

実際に、完成と同時にあっと言う間に入居が終了した事も覚えている。そこは私の散歩コ-スの一つである恩田川沿い。1階の角部屋は専用の庭があり,通るたびに、小さな女の子と一緒に若い母親が土いじりをしている姿が見られ、微笑ましく感じていた。

売り出しの写真を見ると、この部屋に違いなく、先日、通った時にはすでに転居してしまったらしく空き室になっていた。

脈絡は全くない。しかし、この家族が止む得ぬ理由でマンホ-ムを手放したのではと妙に気になりはじめると、何となく暗い気持ちなってくる。(田舎親父)

2013年5月20日 (月)

神の領域に近づく医療技術が次々に・・・

 山中教授のノ-ベル賞受賞で、ますます『生命の根源』の研究が進んでいるらしく、『ips細胞を利用して、どこまで医療技術を進化させるか』が医学界の主流になっている感がする。この話題そのものもブ-ムになっているらしく、連日のように新しい技術の開発や発見のニュ-スをマスコミが伝えている。

先日流れた、慶応大や東京大などの研究チームによる『雌のカニクイザルから子宮を摘出して再び移植し、妊娠と出産に成功』したというニュ-スもその一つ。

医学には全くのチンプンカンプンな私だが、その文脈から想像すると、カニクイザルというサルの一種の生命を育てる根幹の臓器である(メスにしかない)『子宮』を人為的に取り出し、人工的に受精させた卵子を入れて再び体内に戻し出産させたということらしい。

この研究を、即『人工子宮』という言葉では表現できなくとも、ここまで子宮を人為的に操作できるとなると、次は本当に『人工による子宮作り』に挑戦する研究?グル-プが現れても決して奇怪しくない。奇怪しくないどころか、この研究を発表したグル-フもそれが目的に違いなかろう。

アメリカはじめ先進諸国では、今回の霊長類における子宮移植後の出産は世界初であり、医学界では画期的な研究だと評価されているらしいが、ここまで生命の誕生に踏み込むことが倫理的にも許されるとは思えないのだが・・・。

ところが、今では不妊治療と称して、子宮そのものは取り出さないまでも、卵子を全く別の子宮に移植し、そこで育てるという医療技術も確立しており、実際に、他人の子宮を借りて誕生した子どもも稀ではないというから、なんともはや出るのはため息ばかりというところ。

この研究チームは、よりヒトに近いサルを使って、病気などで子宮を失った女性が子どもを持てる医療の開発につながるという理由で研究?を続けているそうだが、こんな技術は私にはとても必要だとは思えない。それ以上に、簡単に子宮ができるとなるとトンデモない社会になることは想像に難くない。

さすがに、医学界内部からも、心臓や肝臓のように、子宮は生命維持に必須の臓器ではないため、倫理面での問題が指摘されているらしいが当然だろう。生命の誕生に関しては『神の領域』と信じている私には、いよいよ人間の奢りというか、不遜さが現れた一例として許し難い。

 その翌日だったと記憶しているが、同じ遺伝情報を持つ細胞を作る『クローン技術』を使って、様々な細胞に変化する能力を持つ人のES細胞(胚性幹細胞)を世界で初めて作製したと、アメリカのオレゴン健康科学大の日本人研究員らが、セルという科学誌に発表したというニュスに目が留まる。

記事には、患者と同じ遺伝情報を持つ心筋や神経細胞などを作り出せれば、山中教授が作製したiPS細胞と同様に、再生医療に応用することが可能になるとあるから、やはり『生命の領域』に関する研究のようだ。

ES細胞はマウスやサルではすでに作り出すのに成功していたそうだが、この研究チームは、健康な女性が提供した卵子から、遺伝情報の入った『核』を取り除き、別人の皮膚細胞の核を移植し、150個ほどまで細胞分裂させた『胚盤胞』という状態に育て、ES細胞を作製したのだそうだ。

『クローン技術』という言葉の意味が、いま一つ理解できないが、今回成功したと報じられるようなES細胞によって、全く同じ遺伝子を持った卵子も作れそうだという程度の想像はできる。その卵子を子宮に移植すれば、クローン人間が生まれるだろうことは何となく理解できる。

記事には、動物実験の場合、胚盤胞まで育てても流産率は高く、胎児の奇形も高頻度で見られるとあるから、私にはおぞましいこととしか言いようがないが、実際にクロ-ン人間を作り出そうとする悪魔のような部隊が存在するのは間違いなさそう。

先日、図書館で『分身』という文庫本の題名が気になって借りて読みはじめたが、まさにクロ-ン人間を扱ったスト-リ-である。小説なので、強引すぎる筋書きになることは当然としても、何となくあり得る話のように思え、一気に読み終えたことを思い出す。

すでに東野奎吾という作家の頭の中には、クロ-ン人間が生まれ、それを題材に小説のスト-リ-を作れているとなると・・・。実に恐ろしい話である。(田舎親父)

2013年5月18日 (土)

被災者切り捨て法案・・・

 昨日は汚染水についての東電の曖昧な説明に疑義を呈したが、福島原発事故に伴う損害賠償請求でも何やら怪しげな動きが感じられる。

法律には全く疎い私には、理解できない部分がかなりあるが、原発のような未曽有の大事故であっても、民法上の請求権の時効は3年との規定があるのだそうだ。だとすると、残りは1年を切っているが、補償がまとまったという話はとんと聞こえて来ない。

事故の原因すら検証できず、政府が形だけの収束宣言はだしたものの、実際は、原子炉から核燃料が抜け落ちて、処理そのものが全く手つかずの状態では、誰がどのような基準で補償の範囲を決め、補償額を算出するのかなどできるはずがない。となると、補償交渉など進まないこともとうぜんだろう。

この辺りに配慮したと(言っているらしいが)、3年を過ぎても東京電力に賠償を求められる政府提出の『特例法案』が衆議院で審議されているそうだが、これがかなりキナ臭い代物らしいとなると、またまた政府と東電とのグル関係が浮かび上がる。

 この法案は最短で来年3月に時効を迎えるケースが予想されるため、被災者救済を目的に浮上したのだそうだから、タテマエは筋が通っている。

その内容であるが、国の『原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADRと、ここでも怪しげなアルファベット呼ぶそうだ)』での和解交渉が不調に終わった場合、打ち切り通知を受け取ってから一カ月以内であれば、時効にかかわらず、裁判所に賠償請求訴訟を起こせるとしているという。

ここまでは何となく理屈にあっているような気がするが、原発ADRに申し立てをしている人は、現時点では16544人というのが少なすぎることと、原発ADRに申請した人に限るという文言が納得できない。

事故から2年過ぎた現在でも避難を余儀なくされている人たちは10数万人も存在すると報じられているのに、9割以上の被災者は申請していない。この人たちは、原発ADRを通さないで東電と直接交渉をしているか、あるいはまだ賠償請求をするほど気持ちになっていない人たちだとなると、この人たちは今回の法案の対象外ということになってしまう。

 さらに、(前述した通り)未だに事故の検証もできず、国としても今後の見通しすら立たないとあっては、損害の全容すら判明していない。ADRへの申し立て内容も損害の一部でしかないのが実情で、しかも、まだ明らかになっていない潜在的な被害もあるだろ。となると、この法案のインチキに気がついた被災者たちから『実態にそぐわず、切り捨てにつながる』という懸念の声が上がるのは当然だろう。

このままこんな法案が通ってしまうと、1万数千人の人にしか、損害賠償を東電と交渉するテ-ブルにすらつけないとあっては、これは見過ごせない。

日本弁護士連合会(日弁連)も被災者救済のためには、先月18日に政府に意見書提出し、その中で、この法案を批判しつつ、『原発事故の賠償請求権については民法を適用せず、消滅しないとする特別の立法措置を講じるべきだ』と報じられていたが、その後は、このことに関して大新聞やテレビメディアが大きく取り上げることは(私が知る限り)ない。

被災者の多くはその日をどう生きていくかということが大きな問題で、社会の動き、まして政治について日頃から関心をもって見つめている人は少ないのではないだろうか。

となると、『打ち切り通知を受け取ってから一カ月以内であれば、時効にかかわらず、裁判所に賠償請求訴訟を起こせる』という文言を、自分はまだ交渉に至っていないが、まだ2年ほど余裕があると受け止める人が多いだろうことは容易に想像できる。いやむしろ、中身をよく知らない被災者らの間では『これで時効が過ぎても大丈夫だ』という安心感さえ生まれかねない。

 東電側はすぐに『時効が完成しても一律に賠償請求を断ることは考えていない。個別の案件ごと柔軟に対応していく』と反応しているが、これまでのやり方をみていると、被災者に寄り添ってなどと考えるはずがなく、早く時効がくることを願っているのではないだろうか。法を楯に時効で補償をうやむやにと考えている節さえ感じられる。

 改めて、法律というのは権力の都合の良いように作られていること知り、自分の無力を嘆くと同時に、こんな世の中に無情を感じる昨今である。(田舎親父)

2013年5月17日 (金)

計算が合わない汚染水量・・・

 原子力規制委員会が、敦賀原発2号機の真下を走る断層を『活断層』と断定したとのニュ-スが、一昨日、マスコミがトップニュ-スとして取り上げていた。

 国は活断層の上に原発の重要施設を造ることを禁止しているというから、常識的には、即刻2号機は廃炉にするのが当たり前だと思うのだが、そのように話が進まないのが原子力行政の怪しいところで、廃炉に追い込まれる可能性があるだけで、廃炉までには信じられないような長い時間がかかりそうだ。

むしろ、時間を稼ぎながら、いつの間にか『活断層』という言葉の意味を曖昧にして、御用学者たちに、この断層は、既に活動を終結し、『今後はずれない断層』というような新しい学説を言わしめて、いつの間にか曖昧にするのが政治の常套手段だとすれば、これで原発政策が転換すると手放しでは喜べない。

 アベ首相の歴史観がトンデモなく危険だとして、アメリカ議会でも問題になり始め、日本国民もようやくそれに気がつき始めたこの時季に、あえて『廃炉』を臭わす『活断層と断定する発言』が規制委からで出たことは、(うがった見方かもしれないが)マスコミの首相の歴史観隠しに利用されたと考えられないことはない。

 廃炉といえば、福島第一原発の4基の原発は、国の方針では『廃炉』と決まっているらしいが、現実には汚染水の増加が具体的な作業の大きな壁になって、廃炉に至る行程が全くの闇となっていることは以前にも述べたこと。

この汚染水の増加に関連して、先日、東電の担当者が朝日新聞の記者に『関係者の理解が得られたら、海に放出したい』と語ったという記事があったが、これにはびっくりというより呆れる。

一応は、東電サイトは『関係者の理解が得られたら』という前書きをつけてはいるらしいが、『関係者』という対象は、カネで無理に納得させられる可能性のある『漁協関係者』であることは明らかだろうから、避難を余儀なくされている人々などは眼中になく、『海に放出する』というのは規定の事実だろう。こうなると、まさに詐欺行為としか表現のしようがない。

 第一原発は事故で格納容器が壊れていることまでは明らかだが、どれぐらいの穴が空いているか、放射線量が高く人が近づけないのでも調べようがなく、現状は溶け落ちた核燃料を冷やすために大量の水を注入しているらしい。当然ながら建屋地下に放射性物質を含んだ汚染水となってたまっているか、どこかに流れ出していることになる。

東電の説明では、これをくみ出し、冷却水に使っているというが、これでは汚染水をさらに汚染していることになることは明らか、しかもそこには1日400トンの地下水が流れ込んで混じってしまっているというから、実際のお手上げ状態と言っても差し支えないようだ。

 第一原発では現在、地上タンクに28万トンの放射能汚染水をためているほか、1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋の地下などにも汚染水がたまっている。総量は38万トンにのぼるとの東電の苦しい説明が続く。

 しかし、原子炉に穴が開いていることが判明して、2年以上過ぎている。1日400トンの地下水となると、これまで建屋の下に流れ混んだ地下水やため込んでいる水の総量は大ざっぱに事故から800日と仮定しても、320000トン。320万トンになることは小学校の4年生でも計算でき、9割以上の地下水は行方不明。今更『関係者の理解が得られたら海へ流したい』とは不思議な(バカにした)見解である。

 地下水は絶えず動いていることを考えると、全て人為的に海に流しているとは思わなくても、汚染水が地下にしみ込み、それが新たな地下水となり、原発周辺の地域の地下に広がり、海に流れ出していることは明らか。

 全くの素人考えかもしれないが、周辺の魚介物や農作物が放射能で汚染されている可能性は限りなく高いと思うのは当然なのに、不思議なことに『測定の結果汚染物質は検出されない』という文言しか流れて来ない。

地上においても、放射線値は人間が生活して差し支えない値まで低くなったということで、行政はしきりに『帰村』という言葉を使うようになっているが、何かトンデモナイ裏があるように思えるのは私だけだろうか。(田舎親父)

2013年5月16日 (木)

危険なワクチンは即刻中止を・・・

 国や都道府県、あるいは地方自治体が躍起になって、『サ-バリックス』と『ガ-ダンシル』という二つの『子宮頸ガンワクチン』を、中学生を対象に接種用の費用を助成する動きが顕著になったのは数年前のこと。中には対象を小学校にも広げ、管下の学校の児童生徒全員に接種というアホな自治体も生まれたらしい。

 その後、あまり騒がれなくなっていたが、3月だったか、女性週刊誌が取り上げたのがきっかけとなったらしく、各地でこのワクチンの副作用の恐ろしい実態が少しずつ報じられ、先日の東京新聞が特報版で大きく取り上げている。

 きっかけの女性週刊誌の記事には、東京都の公立中学校に通う14歳の女子生徒が子宮頸がんワクチン『サーバリックス』を接種後、歩行障害などの重い副反応が生じ1年3ヵ月に渡って通学できない状況だったとある。今になって明らかになっているのは一体何故なのだろうと思うと同時に、朝日や読売という大新聞ではなく、斜陽だとされる女性週刊誌というところも引っかかる。

 中学校が知らなかったとは思えない。学校での接種ではないらしいが、この生徒は11年10月に区内の医療機関で2回目の接種を受けた直後、接種した左腕がしびれ、腫れて痛む症状が出たというから、少なくとも学校へは保護者から何らかの報告はあったと考えるのが常識だろう。

 しかも、症状は脚や背中にも広がり入院をし、退院した現在でも『割り算ができない』などの症状が残っているとのこと。何故『割り算』なのという疑問もあるが、これが事実だとしたら、少なくとも脳神経にも障害がでていることになる。

 何故、直後に話題にならなかったのだろう。うがった見方になるかも知れないが、学校に何らかの圧力がかかり、情報を徹底的に隠蔽したということも考えられるが、保護者の間に噂として広がらなかったとはとても思えないとなると、マスコミがこの情報を入手していないはずかなく、当時(私が見落としたのかも知れないが)報じてないのは極めて変な話。

 以前も述べたことだが、私は『子宮頸ガンワクチン』には極めて懐疑的に思っているので、ワクチンの効果については冷やかな見方をしている。薬剤には疎いが、100%効果のあるワクチンがもしも存在すれば、トンデモないことになることは容易に想像できる。

 化学薬品を合成している以上人体に必ず副作用を及ぼすと考えねばならないのに、何故か、このことを議論する事を避けているような傾向があるのが気になって仕方ない。

 特報版には、日本人の持つ体質もあって、『このワクチンで効果の可能性があるのは、全女性の0.007%』だという、信じられない数値がある。3月の参議院の厚生労働委員会の席で、生活の党の女性議員の口から出されたものだという。『効果』があるではなく、『効果の可能性がある』という表現から、実際に効果のある事例はそれよりはるかに少ないに違いない。

 記事には少し専門的な解説があるが、話が長くなるので省略するが、国立感染症研究所が公開している資料をもとに計算すると、このことは事実らしく、議員の質問に応えた厚労省の健康局長も肯定しているというから、またまたどこかで大きな誤魔化しがあり、子宮頸ガンワクチンの影に、(私のような世間知らずの人間には)想像もできない莫大な利権が隠されていることがうかがえる。

 子宮頸ガンワクチンが取り上げ始められた当時は、マスコミは、100ケ国では安全性は問題がないと認可している上に、多くの国では無料でワクチン接種しており、接種を義務づけている国もあると報じ、それに比べ日本では、接種するには5万円以上の費用がかかるので、接種を希望しながらも経済的な理由で接種をあきらめざるを得ないのが現状だから、そのあたりを何とかしなければと煽っているような記事が多かったことを思い出す。

 最近は、そのような宣伝広告は少なくなったが、当時は、著名な医師や国会議員、そして何よりも若い女性に影響力のある人気タレントまでもが、テレビや新聞雑誌でワクチン接種の義務化をすすめるものだから、国民の間には『ワクチンさえすれば子宮頸ガンにかからない』という神話として広がっている勢いだった。

 意外なことに、厚労省は副作用が明らかになった『サーバリックス』の国内での副反応の重篤症状を公開しているという。私はまだ確認していないが、60ページ以上に及ぶ報告書には、09年12月に国内での販売が開始されてから、12年の8月末まで、のべ1千628件の副反応報告が綴られているという。

 0.007%(実効10万人に7人)のために、ここまで恐ろしい副作用があることが明らかなのにもかかわらず、健康な女子児童・生徒に子宮頸ガンワクチンを接種する愚は、直ちに止めるべきだと思うのだが、その愚を率先して実行している全生徒を対象に接種しているらしい自治体が、取りやめたという話は聞かない。

 以前から『サ-ベリック』を製造している『グラクソ・スミスグライン社』と、何かと噂のある自民党の女性議員の動きが、このところ報じられないのも引っかかる・・・。(田舎親父)

2013年5月15日 (水)

『空中権』? 凄いことを考えつくものだ・・・

 先日のNHKのテレビニュ-スが『首都高の大規模改修費用の捻出に、空中権の活用を検討している・・・』という意味のことを伝えていた。

『空中権』という聞き慣れない言葉に違和感を覚えるが、既に、東京駅などでは『空中権』の売買が行われており、企業がJRから『空中権』を買い取り、容積率を許容範囲以上の高層ビルが出現しているという説明に、凄いことを考える人々がいるものだと、改めて自分の世間知らずに苦笑してしまう。

東京駅が昨年10月建設当時の姿で復元され、その映像がいろいろな番組で紹介されているが、『空中権』には触れたことはなかったので、今回はじめて知るこの権利について少し考えてみた。

新しい東京駅の駅舎は建てられ当時の姿の、現在の建築基準では低層の3階建てとなるのだそうだが、建て替えの計画当初から、容積率を周辺の商業施設建設を勧める企業に売却する契約がなされており、丸の内に新しく完成した『新丸の内ビル』は、30階が限度だった容積率を38階建てが可能になったという。

JRは容積率を八重洲側のビルにも販売したとのことで、『グランドトウキョウ』というツインビルにも適用されて、総額500億円も収益で東京駅を建て替えたというから、私には想像すらできないほど、JRの中にはなかなかの商売人がいるようだ。

新しい東京駅はかなりの人気で、連日大勢の人が見学に集まっているらしい。映像で見る限りなかなかモダンな建物であるが、周りのビルがこれほど高いとなると、横浜の片田舎で生活している私には、今まで以上に空が狭く感じ圧迫感を覚えるだろうことは間違いなさそう。となると、わざわざ出かけて実物を拝みたいとは思わない。

東京駅はさておき、首都高の老朽化はこのところ盛んに聞く話である。このままでは明日にでも大事故が起きても奇怪しくないと指摘する専門家も存在するというから、いつまでも放っておくわけにはいかないことは事実だろう。

しかし、その費用が1兆円以上にも及ぶというから簡単に進まないのももっともな話である。そこでJRに習って、銀座付近の半地下構造部分にふたをして新たな土地を生み出し、その容積率を道路近隣のビル建て替えに売却して、費用の一部に充てるという『空中権』商法が浮上したようだ。

この空中権を設定するのは銀座付近を通る部分だという。最近オ-プンした新歌舞伎座の横を通る首都高は、以前は川だったところを利用した構造のために半地下になっているので、数回しか通ったことがない私でも『あああそこか・・・』とすぐわかる。

この部分は1964年の東京オリンピックのために、その2年前に大急ぎで作られたのだそうだが、片側2車線で両側の壁は5メ-トルにも及んでいる。橋や公園部分はふさがれているが、それ以外は上からの明かりで昼間はかなり明るいが圧迫感は相当なもので、田舎道が好きな私としては、できれば走りたくない場所でもある。

この上部の開いている部分を人工地盤で覆って『更地』にするのだそうだ。更地となると、そこにビルを建てることも、公園などに利用することも可能になる。そこに『空中権』を設定して、開発業者に売却するという。

自民党政権もこの計画にやる気を見せているというから、案外早く図面が出来上がるのかも知れないが、東京駅という一日数十万人もの利用客が押しかける場ならともかく、空中権を買ってまでビルの高さを増やそうという業者がいるとは思えないのだが・・・。

首都高そのものが、とにかく『速く車が動ける道路』を造れという発想が前提で設計されたものだから、人々の生活などは二の次、三の次になり、以前も述べたか、東京のというより我が国の交通の基準となっている『日本橋』の上にも無粋なコンクリ-トが横たわっている。

韓国のソウルでは高速道路を撤去して、川面を昔のままにしたというニュ-スが流れているが、我が国では『日本橋』の上の高速道路を撤去するという話がチラホラ聞こえてくるが具体的な動きはない。

空中権で銀座付近の再開発を勧める計画に異論をはさむ気がないが、せめて、首都高全体の景観を人々の生活という視点で再設計するという考え方を持たない限り、金銭感覚だけでの『空中権』利用では、発想が貧困な気がするのだが・・・。(田舎親父)

2013年5月14日 (火)

電力会社の社是は原発が嫌なら・・・

 1ドルが100円の為替水準が定着すると、電力10社の一般的な家庭の電気料金が、政権交代後の(円安の影響を受けていない)2月分の料金に比べ、平均で約430円値上がりするのだそうだ。経済産業省が公表している計算式を基に、燃料自体の価格は一定と仮定して、為替の変動だけを考慮した電気料金への影響を推計したという東京新聞の記事が目に留まる。

記事には、1ドル=79円で計算された2月分の料金に比べ、1ドル=100円の場合は各電力会社とも251~719値上がりとなるとある。値上がり幅が最も大きい東京電力では719円と一割近くの上昇だというから、これは相当家計を苦しめることになりそうだ。

 電気料金には、貿易統計から計算した石油、液化天然ガス(LNG)、石炭の3カ月平均の輸入価格を、2カ月後の料金に反映する『燃料費調整制度』というものがあることは知っていたが、ここまで真剣にこの制度の存在を考えることは初めてである。

これは、国も認めている制度なので、今更文句は言えないのだろうが、発電のための燃料を全て輸入に頼っている我が国の電力会社としては、円安になると輸入価格が上がるので、早速この制度を厳密に適用するというところのようだ。

今後、このままの円安傾向が続き、1ドルが120円にでもなれば、5~7月の燃料価格は、10月分の電気料金に反映されることになるので、毎月検針員がポストに投げ入れている請求書には目玉が飛び出すほどの数値が並ぶのではないだろうか。

 東電管内では、『契約電流30アンペア、月間使用量290キロワット時』というのが、平均家庭の基準となっているという。その家庭をもとに計算すると、2月の電気料金は7273円から、7月の請求分は(請求書に明記されている)『再生可能エネルギーを促進するための費用』の値上がり分も含めると、8027円になるのというから、10月分の請求書は見たくないというのが正直な気持ち。

 『燃料費調整制度』で調整する前の基準となる料金の改定による値上げが5月から始まった関西と九州の両電力では、円安が進んだ場合の料金負担はさらに大きくなるという。このことを関西・九州圏の住民は知らされているのだろうか・・・。知らされていない確率の方が高いような気がするのだが。

 経産省は円高が進んだ2011年には、『円高メリット』として電気料金の値下げ額の試算を公表していたそうだが、今回の『円安による値上げ額』は公表していない。そして、『以前は円高対策を取りまとめていた内閣府の指示で公表したが、今回はその要請もないので、円安の悪影響を試算する予定はない』というのは、電力会社の意向に沿ったもの。いかに電力各社が権力側に特別の媚薬が振る舞われているかを示す証のような変な話である。

 電力料金値上げにまつわる話は連日のようにマスコミは取り上げているが、関西電力の値上げを知らせる通知には『原子力プラントの停止にともない、火力燃料費が大きく増加し(中略)やむを得ず・・・』という文面があるそうだ。

 原発を主力としている関西電力の幹部たちにはごく当然の記述だろうが、原発に頼りたくない、持続可能なエネルギ-を指向しなければという国民的な総意からみれば、『原発が再稼働されないから値上げは当然。値上げが嫌なら再稼働しかない・・・』という脅迫状のように思えてならない。

 少し話は飛ぶが、こんな記事も目についた。『原発を止めたから値上げ? 過度な原発依存のつけを病院に回すのは筋違い。支払いを拒めばどうするか』と、ある病院の事務長が関西電力に迫ったところ、『ご理解いただくしか・・・』と口ではお願いされたという。しかし、この言葉を素直に解釈すると、『支払わなければ、最終的に電気は止めざるをえない』という確固たる意志を感じる。

原発再稼働のためには、病院の電気まで平気で止めるとなると、電力会社というのは、血も涙もない、エネルギ-を提供するという企業の仮面をかぶった悪魔。『今頃気がついたのか』という声が聞こえてきそうだが・・・。(田舎親父)

2013年5月13日 (月)

女性手帳とはまたまた能がない・・・

 昨日は、(多摩川の下流の)『大師橋付近でシジミが湧いているので潮干狩りしないか』というお誘いがあったので出かけてきた。連休中にかなりとられたらしく収穫は少なかったが、私でも相当量がとれたことを思うと、『湧いている』という表現は大袈裟ではなさそうだ。面白い経験をさせていただいた。
 そのため、この欄をさぼってしまったが、
先日の東京新聞の『こちら特報部』という欄で、『女性手帳』という聞き慣れない言葉を発見。正確には『生命(いのち)と女性の手帳(女性手帳)』という名前だそうだが、政府が少子化対策として検討している代物らしい。しかし、これが女性にはすこぶる評判が悪いのだそうだ。

少子高齢化が近い将来国の存在すら危うくする大問題であることは論を待たない。何とかしなければと思うものの、生活が便利になり全てが科学技術によって快適な生活が送れる現代に加えて、医療技術がここまで発達しては、『そろそろお迎えが・・・』という言葉すら聞かれなくなってしまい、最近では90歳を超えていても手術というのが流行とあっては、高齢化は進む一方だろう。

私の日頃唱える『楢山節考』の世界などは、巷では話題になることもない。かく言う私も老人の一人であるのだが、横浜の片田舎でも日中の公園は大勢の老人がたむろしているが当たり前いう光景を目にすると、何とかならないものかと考えさせられる。

また、二ケ月に一度、桑の葉の効果を確かめるために、『人体実験』と称して病院に血液検査に出かけるのだが、そこには日中の公園どころではなく、まさに溢れるという表現がぴったりするほど老人が押しかけている。その都度、この病院は(どこでも同じかな)検査結果を聞くだけの診察を受けねばならない仕組みになっているため、待つ時間のとてつもなく長いことにうんざりさせられる。

病気の老人達を見るたびに、毎日を歩き回れる生活が送れる健康のありがたさをかみしめているのだが、私が平均寿命まで生き延びられるとすると、後15年ほどは少ないながら年金生活を送ることになると考えると、ただ健康をありがたがっていることにも引け目を感じる。

かといって病気になれば、医療費の7割りまでが国におんぶすることとなり、惚けたり身体が不自由になれば、今は支払っている立場であるが、介護保険のやっかいになると思うと、世間的に迷惑をかけていないのだからと開き直りの気持ちにもなる。

高齢化を解消するためには、老人をこれ以上増やさないことに尽きると思うのだが、医療技術の進歩は、死ぬことすら許さないとばかり、『不治の病』などいう言葉すら、今では死語となった感じすらあるからお手上げ状態・・・。

またまただらだらとした話を本題に戻すが、一方少子化は、社会の変化に伴い、女性が外で仕事を持つことが当たり前になり晩婚化が進むとなると、第一子を産む年齢は高くなり、40歳を過ぎてはじめて出産するということも、今では稀ではないという。

これでは少子化は進む一方。このため国は、子どもを増やすことを考えているようで、随分以前から、内閣に少子化担当相というポストまで作っているが、どうも名前だけで具体的には、予算絡みの少子化対策政策の後押し大臣になっている感がある。

そんなことを考えてだろうが、政府は『少子化危機突破タスクフォ-ス』という、少子化担当相を頭にした、男性8人女性7人の有識者からなる作業部会を作って議論を重ねているそうだが、『女性手帳』はここから生まれたものだという。

手帳を若い女性に配り、妊娠、出産の適齢期などの医学的な知識や情報を認識させるというもので、女性委員からも異論はなかったという。もっとも政府が委員を選定するのだから異論がないことは当然だろう・・・。

しかし、科学的に妊娠や出産には適齢期があることは間違いないだろうが、国が進めるとなると、私でも、何やら『産めよ増やせよ』という悪いイメ―ジが先に立つように思えてならないのだから、世の女性から『大きなお世話』と大ブ-イングが起きているのもよく分かる。

現在は出産しにくい環境だということはよく耳にする。政府は、産み易い環境を整えることをせずに、手帳を配布すれば晩婚や晩産が抑えられて、出生率が上がると考えているとなると、あまりにも短絡過ぎる。

能力的には、男女に差がないことであって、女性が外で仕事を持つことにも全く異論はない。むしろ大賛成であるが、外で働きたくない女性も多いのではないだろうか。なのに、外で働かないと社会的に否定されるような風潮さえあるのは何故なのだろう。

私のような怠け者にとっては、外でストレスにさらされるより自宅で生計が立てばそちらを選ぶと思うので、もしも主婦も仕事として認定し、国からなにがしかも『月給』が支払われるという制度ができれば、主婦を選択する女性が増えるのにと考えるが、それが女性の人権を無視していると言われかねないとあっては、こんな意見はなかなか広がらないようだ。

しかし、月々の『主婦給料10万円』というように、具体的な数値を打ち出して厳密に計算すれば、今進めている少子対策予算よりも、かなり安上がりで、しかも実効的な発想ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2013年5月11日 (土)

最高裁の判決にホッとするが・・・

 既に死亡した大阪府豊中市の87歳の女性が、長年の間熊本県に『水俣病認定』を求めて訴訟を続けていた。先日報道された、最高裁が原告敗訴とした2審・大阪高裁判決を破棄し、差し戻したというニュ-スは、やっと最高裁が、もともとの認定基準動を『是』と受け止めたとホッとするものの、それにしても遅すぎるという気がしてならない。

 国が主張する水俣病と認定する基準は『複数の症状』が現れることだそうだが、最高裁の判決では『症状の組み合わせがない場合でも認定できる余地がある』と、いま一つ歯切れは良くないが、『水俣病である可能性が高い』として、水俣病と認めなかった大阪高裁の判断に対し、更に審理を尽くすよう求め差し戻したことは評価できる。

この判決を受けて、熊本県知事は訴訟継続を断念することを決めたことは当然だが、イシハラという環境相は、シラッとした顔つきで『総合的、多角的見地から基準運用がどう具体化できるか検討している』と典型的な無責任政治屋答弁。どうやら、自民党政権は、最高裁の判決にも平然と『お上の態度』を続けるらしい。

 水俣病は、『環境汚染による食物連鎖』により引き起こされた人類史上最初の病気であることは、学生時代の勉強会で『公害の原点』であると多くの人から教えられた。

当時は環境への影響などは高度経済発展からすると些細なことだという認識が常識になっていたからだろうが、チッソという会社が有害だとわかっていながら高濃度の有機水銀などを含む排水を水俣湾に長年垂れ流していたのが原因であることは明らかなのに、これを認めず多くの人を苦しめた病気である。

食物連鎖によって、人間が食する大型の魚(好みの魚)の体内に蓄積、これを食べ続けた人がある日、苦しみ悶えながら死んでしまう恐ろしい病気であると知り、当時は腹立たしく、また得も知らぬ恐ろしさを感じたものである。

改めて水俣病について調べてみた。最初にこの病気が確認されたのは熊本県の水俣市であったことから、命名されたのだが、当時の企業はチッソと似たりよったり、各地で猛毒物質の排水が原因で、苦しみ悶えて亡くなるという病気が全国で発見されるようになる。新潟県の阿賀野川流域でも昭和電工による『第二水俣病』もその一つであることも思い出す。

岐阜県の三井金属の神岡鉱山から出る廃液によって、神通川下流域の富山県で発生した、イタイイタイと言いながら亡くなる人が多くでたことによって命名された『イタイイタイ病』という名前が生々しい。

今では排水基準が厳格になって、大企業が有害物質を垂れ流すことはほとんどないらしいが、当時は、三重県の四日市市の大気汚染公害を含めて、『四大公害病』と名付けられていたことも、こうして文を進めるうちに思い出す。『公害列島』という小説まであったような気もする。

高度経済発展を国是としてきた国の方針は大企業には甘い。国には救済の義務が生じるのだが、必ずそこには救済のための『基準』という考え方。しかしそこには、全てを救済するという考え方は全くなく、『振るい落とす』ための基準作りであることは、福島原発事故出の救済基準作りと室を同じくすることは今更述べるまでもない。

 水俣病の患者は、国が決めた基準に基づいて、熊本、鹿児島両県と新潟県市が国からの委託を受けた、医師を中心に構成された審査会によって、その認定が審議されるのだそうだが、その前提は国の基準であることは言うまでもない。

 1971年、当時の環境庁は、手足や口の周りのしびれ、言語障害、歩行障害、視野が狭くなる、難聴、精神障害-といった症状のうちいずれか一つがあれば、水俣病だと認めていた。そうだったとまた一つ記憶の引き出しが開く。ここまでは良しとするが、77年になって『環境保健部長』という、謂わば、下っぱの役人の一片の通知で複数の症状が必要となったということはマスコミが報じただろうか?。

 今回の最高裁の判決は、『症状が一つでも認められる』という、もともとの基準が生きていることをはっきり示したのだから、常識的には認定基準を見直す(元に戻す)ことが必要だと思われるのだが、『現在の基準を変える必要はない』というのは変な話。

 国は、既に患者とは認めない人にも『被害者』として一時金などを支払ったことで、この問題は解決済みだと言いたいようだが、この発想がまかり通ると、福島原発事故で確実に増えるだろう『ガン患者』にも、補償は終わったと言い出すのではないだろうか。

国は今回の最高裁の判決を重く受け止め、認定基準を71年の当初に戻し、認定を求める人々に対しては、当時の状況を公正に判断し、補償する義務があるはずだろう・・・。(田舎親父)

2013年5月10日 (金)

アトランテス大陸発見?・・・

 『海洋研究開発機構』という組織が、ブラジルのリオデジャネイロ沖の大西洋海底で、大陸の一部とみられる花崗岩を大量に見つけたと発表との報道は、このところ暗い嫌な出来事が多いと気持ちが沈んでいた私には久しぶりに心が踊る。

『しんかい6500』という深海探査船で910メ-トルの海底で見つけたというが、アナウンサ-が続いて発する『アトランテス大陸・・・』は、この夢のような伝説を信じたい私には嬉しい限り。

花崗岩と石英を大量に発見、採集したとのこと。花崗岩という岩石と石英という鉱物は陸地でしかできないことは、以前地学の授業で習ったことを思い出す。私のうる覚えの知識でも、この発見はここが以前陸地であったことを物語る大発見であることは理解できる。

ここはまさに、高度な文明を誇ったが、海中に沈んだとされるアトランティス大陸の伝説の場である大西洋。夢がふくらむ。しかし、今回見つかった『幻の陸地』は、人類が登場するよりずっと前の5000万年前より古くに存在していたとみられ、伝説のアトランティス大陸とは異なるという解説がついている。

 アトランテス大陸とは、幼い時から、空想物語が好きだった私にはなんとも懐かしい名前。アトランティスは、古代ギリシャの哲学者、プラトンの著書にも登場する伝説の大陸で、高度な技術と文明を持った人たちが住んでいたとされている。

このことが伝え続けられて、古くから多くの作家の創作意欲を刺激してきた。記事には19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの小説家、ジュール・ヴェルヌのSF小説『海底二万里』をはじめ、SFや冒険小説などでたびたび登場するほか、日本でも小説や漫画、アニメ、テレビゲームなどに影響を与えているとあるが、久々に『海底二万海里』という表題を聞く。

さらに、昭和47年にテレビで放送された手塚治虫さん原作のアニメ『海のトリトン』では、アトランティス大陸が物語の重要な舞台になっているほか、人気アニメシリーズ『ドラえもん』の映画にも、幻の大陸として語られる『ムー大陸』と一緒に登場するとの記事に、なるほどそんな名前を聞いたことがあると記憶が蘇る。

幅が1000キロにも及ぶらしいから、かって大陸と呼ばれる広い陸地があったことは間違いなさそうだ。しかし、現在の科学で5000万年から存在しているというから、プラトンの言う1万2000年前に突然消えた『アトランティス大陸』とは違っていることも納得はするが、プラトンが桁数の単位を間違って記録を残したと考えると、私の夢はこの解説で断ち切られることはない。

今ではかなり違っているらしいが、地球が約46億年前に誕生したということは小学生でも知っている知識。現代の人類(ホモサピエンス)以前にも、類人猿と呼ばれるヒト類が存在していたが、それらを全て人類としてカウントしても、たかだか人類の歴史は10万年程度しかなく、宇宙の歴史から見たら一瞬の出来事である。

地学の教科書には、地球の歴史と東海道本線の鉄道の距離に例えて、地球誕生を大船駅としたら、人類の誕生は東京駅構内で、ホモサピエンスの誕生はホ-ムの柱の幅程度という図を思い出す。

人類の歴史はその程度なのだから、過去に人類と比較しても遜色ない、いやそれ以上の知的な生命体が存在したが、何らかの原因で絶滅したことも可能性として否定できないはず。

このことが何らかの手段(現在の科学は否定するだろうが)で、プラトンの時代まで伝わってきて、それをプラトンが『文明大陸アトランテス』と書き残した。しかし、1万年前を1億年と誤って記述した・・・。これはずっと以前から持ち続けている文明(知的生物)繰り返しの空想である。

1億年の時空があれば、現在の人類に匹敵する知的生物が、何度も滅び生まれ変わって出現することは十分な可能性はある。全てを司る神が存在して、その知的生命体が、神のみが許される現象をもコントロ-ルできるまでの科学技術を持つようになった時、神はこれ以上は許さないとこれを絶滅させ、新たな知的な生命体を誕生させる。

現在『生命の不思議』という神の領域に近づきつつあることを思うと、そろそろ神の逆鱗に触れるのではないだろうか。

また、アホな空想だと笑われるだろうが、ここまで人類が武器を進化させ、愚かな争いを繰り返したり、死なない(死ねない)医療技術の開発を『是』とする風潮に異を唱えたい私には、このニュ-スに一つの光明を見いだすのだが・・・(田舎親父)

2013年5月 9日 (木)

今更民主党一党支持とは・・・

  『日本労働組合総連合会(連合)』が夏の参院選を控え、組合員向け民主党支持マニュアルを作製しているそうだ。『民主党』最大の支持団体として、支持率回復がみられない同党への支援を徹底させ、組合員の『民主離れ』を防ぐためだというが、今更という感じは否めない。

既に、産業別労組(産別)の政治研修会などで、このマニュアルを配布するそうだが、配られた産別労組の組合員たちは、また騙されるのがオチ・・・との思いが強まるのではないだろうか・・・。

そのマニュアルについての記事が目に留まる。マニュアルのタイトルは『私たちはなぜ、民主党を応援するのか』という。生活者重視の『共生社会をつくる』とする民主党綱領が、連合の目指す『働くことを軸とする安心社会』と共通しているというから笑わせる。

『生活者重視』とは実に耳障りが良い言葉であるが、民主党が言うと、その後に『と言って騙す』というただし書きが必要に思えるのは、民主党に裏切られた人々(私もその一人だが)の共通の感想ではなかろうか。

『生活者重視』とは、何よりも格差が少なく、官の横暴を抑えて、弱者でも(無理に優遇されなくとも)当たり前に生きて行ける社会を実現することではないだろうか。4年前の総選挙に掲げた民主党の公約(マニフエストなどという言葉を使いたくもない)は、このことを具体的にうたっていた。

これを多くの国民は信じ、今まで投票所に足を運ばなかった若者はじめ、政治に失望していた人々が、候補者個人の人となりなどは知らなくても『民主党公認(推薦)』という一文を見て、その候補者の名前を書き、投票箱に入れた結果、あの劇的とも思える政権交代が生まれたはず。恥ずかしい限りだが、私も『山崎某』と投票してしまったが・・・。

『官から民へ』『徹底して省庁の無駄をなくす』『コンクリ-トから人へ』『議員定数の削減』などなど・・・思い出すのもバカバカしいが、民主党が悪いのか、それとも信じた国民が悪いのか・・・今ではまるで、場末で流れる歌謡曲の歌詞そのものとしか言えない虚しさしか残っていない。

民主党は政権に慣れてなかったと総括しているらしいが、そんな言い訳は聞きたくもない。アメリとの関係がギクシャクしたことや、何よりも増して東日本での大惨事と同時に起きた原発事故などは想定外だったかもしれないが、党内に人がいないこともあり官僚頼みが復活、結局は、自民党以上に『官の時代』に入ってしまったことは今更述べるまでもない。

それが典型的に現れたのが、突如、『福祉の充実には財政』が必要という財務省の論理そのままに、自民党政権でも躊躇していた、消費税率を倍増するとの政策を打ち出し、時の汚染ドジョウ首相が『政治生命をかけてもやり遂げる』と宣言。反対派を追い出してまで、見事にやり遂げたことに自民党からはやんやの大拍手。その結果、12月衆院選挙で自民党に圧勝させてしまったのもアホらしいとしか言いようがない。

連合は、消費税率の値上げに対して、もしも『生活者重視』の立場というのであれば、せめて一言でも『その前にやることがあるのでは・・・』と、諫言の言葉があってしかるべきだったのに、私の知る限りそれはない。むしろ幹部たちは『福祉重視のためには仕方ない』と『値上げ賛成』とも思われる態度だったではなかっただろうか。

今回の連合のマニュアルにも、このことの反省はない。むしろ、民主党が『連合が目指す理念に最も近い』として、連合と民主党が一体であることを強調した内容だというから、まさに懲りない面々の繰り言のオンパレ-ドのようだ。

さらにマニュアルには、政労使合意による最低賃金引き上げや高校無償化など、民主党政権の『実績』を羅列して『民主政権の実績を冷静に見よう』と呼びかけているというから、連合の幹部たちはまさに、毒を食わば何とやら・・・との開き直り。

連合の一般の組織員は、例え昇給は抑えられたとしてもボ-ナスが少し増えたことでアベノミクス効果と喜んでいるらしいから、いくら幹部が叫んでも、民主党などに目が向くはずがないのでは・・・。

悲しいことだがまた一つ、7月の参院選挙で自民党の圧勝の条件が整ったようだ。(田舎親父)

2013年5月 8日 (水)

富士山の世界遺産に少しの違和感が・・・

 先日のマスコミは『日本一の富士山が世界文化遺産に登録される』と狂喜の大キャンペ-ン。富士山が大好きな私には、やっと登録になったのかと歓迎したいのはやまやまなれど、あの優雅で素晴らしい景観を世界に認めさせる自然遺産ではなく、日本人独特の山岳信仰を対象にした文化遺産としての登録ということに少し違和感を覚える。

 外国に対するキャッチコピ-は昔から『フジヤマ、ゲイシャ、サクラ・・・(最近ではツナミが入るそうだが』と言われていたように、日本のイメ-ジとして、外国人はもちろんだが日本人としても、いの一番に連想されるのが富士山だろうことは疑いのないところ。

 江戸時代の浮世絵の題材にもなったほどだから、それ以前から憧れの風景であり信仰の山だった。私の幼い頃から、富士山の写真や絵はがきは世の中に広く存在していた。教科書にもマンガの世界にも富士山の神々しいまでの優雅な姿が掲載され、いつの間にか、空想の世界で山を描くとこの姿になっている。同年配の人には同じような経験をした人も多いのではないだろうか。

 私がはじめて実際に富士の姿を見たのは、中学3年生の修学旅行。当時は、夜行で東京見学に出かけたものだが、東海道線の原駅に臨時停車。夜明け間もない富士山が目の前に迫っていた感動は今でも忘れられない。

 以来、富士山信仰(宗教ではない)にはまり、富士山に憧れたから富士通を選んだわけではないが、京都から首都圏に生活の場を移したのだが、新幹線で京都と何度も往復するたびに、富士山の姿が見える見えないで、気分が変わることから、座席を進行方向右にしているほど富士山の姿を見ることにこだわっている。それは今も変わらない。

 富士山の登録が決まれば国内で17番目だという。1972年の世界遺産条約が採択されたそうだが、それ以来42年目でやっと実現することになる。しかし、白神山地のような世界自然遺産ではなく、富士五湖などと一緒に世界文化遺産としての登録は、日本人としていま一つ吹っ切れない不足感は既に述べた通り。

 日本がこの条約参加当初から自然遺産への登録も試みたそうだか。しかし、山麓の開発や、大量に不法投棄された産業廃棄物や登山者が捨てるごみなどが問題視され、国内での選考ですら落とされた歴史を持つ。確かに、夏場のあの長蛇の登山客の姿をみると、まずこれを抑えねば、ますますゴミの山になるような気がしてならない。

 先日の東京新聞の社説は、外国の審査員からは『写真で見る富士山は完璧に美しい。だが近くに立つと良好なランドシャフトとは言い難い』との厳しい指摘が何度も繰り返されたと指摘している。

ランドシャフトとは、単に景観のことではなく、歴史や生活様式なども含んだ地域固有の風土、文化を創造する基盤となる空間のことを言うのだそうだが、なるほど、その意味では富士山はランドシャフトとしての価値は落ちる。

また、東海道新幹線の車窓に映える富士の雄姿は素晴らしいが、前景の工場群から立ち上る煙にかすむのはいただけないという文言にも納得する。今回、三保の松原を含まないことが条件だというのも、富士山からの距離もあるが、その間に人工の無粋な建造物(堤防)が存在するからそうだ。なるほど、なるほど・・・。

三保の松原からの富士山の美しい姿を外国の審査員たちは一様に認めながらも、自然遺産としては、いかにも人工の堤防は相応しくないというこだわりを、私たち日本人はもう一度謙虚に受け止める必要があるのではないだろうか。

旅先で、こんなにも海岸線の風景が美しいのかと感じる場所があることを何度も経験しているが、舗装道路がある場所では海岸線に降りてみると、必ずといって良いほど、頑丈なコンクリ-トの防潮堤が人々の生活の場を取り囲んでいる。

海岸のごく近くで食事をしているのに、見えるのはコンクリ-トの無粋な壁だけで、海が見えないということも大袈裟な話ではない。台風などの自然災害に備えるために、やむ得ない措置だと思うのだが、ここまで必要なのと思われる場所も稀ではない。

話は飛躍するが、福島原発の事故は想定外の大津波が原因だと主張したい東電はもとより政府筋の人々は、事故からの教訓として、いかなる津波にも耐えられる防潮堤を造るべきだと主張しているが、津波の規模の上限が科学的に証明されていないのだから、いくら高くて頑丈な防潮堤を作っても、自然災害とのイタチゴッコとしか言いようがなく、自然景観を損ねるものとしてのマイナスイメ-ジになることだけは間違いない。

今回の文化遺産としての登録が確実になったことは、裏を返すと、自然景観が対象の自然遺産に相応しくないと言われたことと等しい。

富士山を愛する者としては、文化遺産としての登録もやむ得ないのかもしれないが、この素晴らしい景観をこれ以上の開発から守り、より美しく伝え残す責任があることを改めてかみしめる。

静岡と山梨両県はじめ関係自治体では、入山規制などの対策を検討し始めているそうだが、果たして五号目までの道路を閉鎖するなどという大胆な意見が出るかのだろうか。

ならばと面白いと拍手を送りたいが、経済(金儲け)が第一では、そんな意見はつぶされるだろう。しかし、せめてマイカ-規制などは議題に入れてほしいものである。

ぜひ英知を集めて結論を深めてほしい。そして、時を移さず実行することが必要だと思うのだが・・・(田舎親父)

2013年5月 7日 (火)

自殺報道が増えないことを・・・

 天候に恵まれた連休が終わって、今日から出勤という人が多いのではないだろうか。

連休中に家族や子どもにせがまれて行楽地に出かけた人、また孫の顔をみせるために田舎の両親の元に帰省した人たちが、一斉に自宅に戻るとなると当然のことながら、昨日は全国の高速道路は終日大渋滞だったらしくテレビのニュ-スが繰り返して報じていた。

両親も孫もない私には、こんな映像を見るたびに、ご苦労なことだと同情したくなるが、本人たちにしたら、好き好んで渋滞に巻き込まれるわけではないと怒るだろう。また、家族サ-ビスも日頃のストレス解消の一つなのかもしれないだろうから、渋滞は覚悟の上、この程度の我慢など仕方ないというところかも・・・。

確かに、ストレスは現代人にはついて回ることだろうが、連休中のストレス解消が仇となり、連休があけたとたんに、以前よりもさらに酷いストレス症状が出るということもよく聞く話。特に、新入社員や、大学・高校(最近は中学校や小学校)の新入生は、それがモロに本人たちを襲うらしく今日あたり、職場や学校を休む人が多いのでは・・・。

本人とすれば、何もほざわざ体調異変を起こしているわけではないのだろうが、この現象は昔からあるらしく、症状が出るのが連休後から始まり5月に集中しているところから、(誰が命名したのかわからないが)『五月病』とはなるほど妙を得ている。

ところで、動物はストレスに遭遇(敵からの攻撃)した時は、逃げるか戦うか、それとも死んだふりをして敵の目をごまかすかしかないそうだ。

最近、BS3チャンネルの、動物界の詳しい生態を美しい映像で紹介している番組(ワイルドライフだったかな)を見ていると、敵に遭遇した時の対応の仕方が、3つに別れることがよくわかる。よくぞこんな映像を撮れるものだと、カメラマンのセンスとその努力にただただ感心する。

動物と人間を同じに例えるのは顰蹙ものかもしれないが、『五月病』という言葉を思い出し、敵に襲われた動物が命をかけて逃れる場面と、日常的に大きなストレスを抱えている人たちの生きざまを比べて見ることを思いつく。

敵に襲われた時、ほとんどの動物は逃げる。その逃げ足の素早いことに感心する。人間も本来は動物と同じで、まず逃げることが本能としてあるはずなのだが、社会を形成し秩序が重んじられるようになると、(いつの時代からかはっきりしないが)逃げることは『卑怯』受け止められるようになり、『五月病』があまり深刻に語られなかった頃は、単なるサボりとしか思われなかったようだ。現在もあまり変わりないかもしれないが・・・。

最近は『五月病』という言葉そのものをあまり聞かれなくなっているようだ。連休後にストレスが倍加、引きこもりになる人が多いのは変わらないそうだが、それ以上に『五月病』の症状が時を選ばす、いつでも誰もがかかる可能性があるやっかいな病気として、『鬱病』という名で現代病の代表になっているからある。

物事をあまり大袈裟に考えない私には、『鬱』になること自体よく理解できないところがあるが、変に同情されるのもつらいというから、なまじの言葉がけができないのも、この病気の特徴だという。

このところ、私自身が連休ボケしているらしく、考えが取り止めがなく広がり、いつの間にか書きたいことがわからなくなってしまう傾向が強い。今日もその通り。連休が終わって、張り切って通勤・通学する若い人たちにエ-ルを送りたかっただけなのだが・・・。(田舎親父)

2013年5月 6日 (月)

原発事故の記憶が薄れていくようだ・・・

 新しい安全規制基準が7月から施行され、その基準に沿って、現在我が国の原発で唯一稼働している大飯原発の安全性に関する事前審査が始まったらしいが、結果は、あまり期待できそうにはなさそうだ。

 現在我が国にある原発は50基を数えるそうだが、稼働しているのは関西電力大飯原発3、4号機だけ。しかし、この二基は、民主党政権が、電力会社の『電力料金値上げ』と経済団体からの『電力不足』という脅しに屈して、暫定的にというわけのわからない大甘な基準を作って動かしたことは思い出したくもない。

暫定基準なのだから、一応、福島発事故の教訓を踏まえた規制基準が明らかにされた以上、一旦運転を止めて、基準に合うかどうかを精査するのが筋だと思うのだが、一度動かしたらこちらのもの・・・というごとく、関西電力は運転を止めることなど考えるはずかなく、原発を輸出することも閣議で決めたアベ政権の原発推進方針もあって、審査そのものも骨抜きにしてしまう方針のようだ。

大甘の暫定基準は、昨年7月に旧原子力安全・保安院がたった二日の急ごしらえで作ったことは思い出すまでもない。事故発生時の作業拠点になる免震施設など、設置に費用と時間がかかる設備は全て先送り。本来なら、昨年の真夏の電力ピーク時を乗り切れば、再び止めて、新基準による審査を待つべきものだったにもかかわらず、それ以後も、謂わば『仮免』のまま運転を続けているのも変な話。

原発に対するマスコミの報道は、アベ政権の発足とともに及び腰になっている。核心に触れるような新たな事実が隠されたままとあって、世論もいつの間にか、アベノミクスなる奇妙な名称の経済政策と、それに呼応するような円安や株高という現象にまどわされている上、内閣支持率の高さも影響して、大飯原発のことなどすっかり忘れさせられているのが現状のようだ。

このままでは、大飯原発を止めることなど無理偏に無理と書くようなものになりつつある。それどころか、中部電力の浜岡原発の再稼働が規定の事実化、山口県では、中国電力が撤退したと言われていた上関原発が再び建設推進の方向に動き出したというから、福島原発の事故は何だったのだろう・・・。

先日、首相のトルコ訪問で、原発を輸出する話がまとまったと報じていた。たしか、前政権もベトナムへの原発輸出を進めていたはずだが、政治屋サン達の頭の中は、経済のためなら福島原発の事故などものの数に入らないという回路が積み込まれているようだ。

トルコに行ったこともないので、偉そうなことは言えないが、たしか地震もある国ではなかっただろうか。原発は冷却水が大量に必要になるので、海岸線に作るとなると津波の心配もゼロではない。日本とは地形も地質も違うだろうから、日本のノウハウだけで安全を主張するのは無理があるのではないだろうか。

いらぬ心配だと笑われるかもしれないが、もし、輸出原発が事故を起こしたらという発想がない人々が多すぎる。

国内でも、電力不足という言葉が巷に出回らなくなったと思ったら、電力を生み出す原料である化石燃料が円高の影響で値上げが事実化。各電力会社は、大手を振って電気料金の値上げを申請。政府は、待ってましたとばかりそれを利用して、原発しかエネルギ-確保ができないとの姿勢を明確に打ち出している。

最近では、持続可能なエネルギ-という言葉さえ、メディアから発することも少なくなり、太陽光発電設置に関しては、金儲け主義の施行技術の未熟な業者の参入によってだろうが、トラブル情報が多いのも気になるところ。

原発事故の記憶が遠のき、以前にも増して便利で快適な生活を是とする考え方が横行しはじめている。何でもライトアップという時代になってしまっては、節電という国民的意識も遠くに行ってしまった感じがする。

原発を彼らと、安全を擦り込まれた国民の頭から完全に切り離すためには、首都圏を襲う未曽有の原発事故しかないのかもしれないと思うと、何か哀しくなる・・・。(田舎親父)

2013年5月 5日 (日)

知らない医師もいるエピペン使用法・・・

 今日は『こどもの日』。旧暦の『端午の節句』を新暦に読み替えて、語呂が良い5月5日を選んだのだろうが、季節的には実にさわやかで、いかにも鯉のぼりが気持ちよく泳ぐ風景が似合う。男女同権をうたう新憲法の元で、男の子と限定しないで『こどもの日』としたことに、命名者の知恵を感じる。

多くの子どもたちが元気よく仲良く遊ぶ姿が大人たちの理想なのだろうが、このところ子どもたちが虐げられる事件や事故の報道が後を絶たない。大人の無知や無謀によっての放任や虐待、場合によっては死にいたちしめる事故や事件が多発しているのが気になって仕方ない。

世の大人たちは、もう一度『子どもたちの幸せは・・・』と問い直す必要があるのではないだろうかと思う『子どもの日』の朝。

虐待とは直接関係ないが、子どもと食物アレルギ-の問題は考えさせられる。私が子どものころには、『食物アレルギ-』という言葉すらなかったのは、日本人の食べる食物が自然から直接いただくものが多かったからではなかろうかと考えているのだが、米がとれなかった地方での主食の一つの『ソバ』が原因するアレルギ-があるというから頭が混乱する。

調べたわけではないが、昔はなかった食物に対するアレルギ-は、日本人の食生活が変わり、より美味しい食物を求め、日本人が本質的に持っているDNA(と表現するしかないのでこの言葉を使うが)に合わない物質が体内に蓄積し、その不都合な物質が、(人によってそのキャパは違うだろうが)一定以上蓄積すると、アレルギ-症状を起こすのではないかと推測している。

幸い私は、今のところ『食物アレルギ-』とは無縁の体質なので、その苦しみは全く理解できないが、特定の食物を食べると痙攣が起きたり、時には命を落とすほど酷いものだというから、実際にアレルギ-体質を持つ人にとっては深刻な問題だろうことは想像に難くない。

最近では、調布市の小学校で5年生の女の子が、給食で出た、アレルギ-を起こす可能性のあるチ-ズ入りのチジミを、事情を確認しないで担任が与えたことが原因で亡くなったことが記憶に新しい。

調布市の小学校ではその後も数回同じような事件が起きているというから、学校(市)の体質にも欠陥があるようだが、本来は、教育行政がもっと敏感になって良いはずで、例え異論があったとしても、給食そのもののあり方を真剣に議論する必要がある。

私は、今日の学校教育の最大の問題点は、本来は家庭や社会が行われなければならないことまで学校が引き受けたことだと主張している。中でも、人間として一番大切な食生活の分野まで『給食』という名目で奪ってきたことの影響は大きく、極論すれば諸悪の根源は給食にあると言っても差し支えないとも思っている。

 先日、調布市の小学校の学校給食での死亡事件では、食物アレルギーでショック状態に陥ったときに使う注射薬『エピペン』を担任や養護教諭が、打つことを瞬間的に判断できるはずがないと述べたが、先日の新聞の紙上で、医師の25%が『エピベン』の使い方を正確に理解していないとの記事に納得する。

記事には、『エピペン』を処方している医師の4人に1人は使うタイミングを正しく理解していないことが、厚生労働省研究班の調査でわかったとある。エピペンは発症から30分以内に使わないと、命にかかわる場合もあるのだそうだが、恐らく圧倒的多数の医師自身が使ったことがないとなると、このことを正確に学校現場には伝わっていないのではなかろうか。

この調査は、2011年、日本アレルギー学会の専門医ら約1千人を対象に調べたという。回答者674人のうち、エピペン処方医に登録している547人の回答を分析した結果、血圧低下や意識消失など、エピペンを使うべきタイミングに注射する、と回答した医師は75%にとどまり、同様の症状が出たら打つよう患者に指導している医師も64%だったというからお寒い限りの実態である。

 エピペンの処方は登録制らしいが、製薬企業のインターネットサイトで20分間の講習を受ければ済むとのことでは、どこまで真剣に研修を受けたのかも疑わしい。

記事には、食物アレルギ-に詳しい医師の話として『ショック状態に陥ったとき、命を救える唯一の薬がエピペン。登録医制度は形骸化しており、もっと効果的な医師への教育が必要だ』との言葉を紹介しているが、まさにその通り。

教育委員会は、この医師の言葉を緊急事だと真剣に受け止めて、給食そのものをストップできないのであれば、せめて、校医と教員時合同の研修の場を設定すべきだと強く提言したい。子どもの命を守るためにも・・・。(田舎親父)

2013年5月 4日 (土)

カラスに毒を盛る?・・・

 このところカラスが人を襲うという事件報道がめっきり少なくなったが、以前はカラスの子育てのこの季節は、巣に近づいた人を襲うことがあって、時にけがをさせるということもよく聞く話だった。

このようなカラス騒動は、過疎の地ではまず聞かない。都市部、特に東京23区はじめ首都圏の都市部ではかなり頻繁に報じられていたのは、都市住民の生ゴミの処理が不完全なことから、それがカラスの絶好の餌となったことでカラスの生態が変わり、生活圏が都会に移ったからにちがいなかろう。

カラスは頭のよい鳥だと言われている。私の主な散歩コ-スに鶴見川の上流に当たる恩田川がある。両岸は田んぼと畑、そして小さな林が点在する典型的な里山が広がっている自然豊かな場所である。

そこで見かける一番多い鳥は、ドバトである。全国的にハトは人を恐れないので、神社や仏閣などの人の集まる場所に群れる性質があるようだが、恩田川のハトたちもそれに違わず、通るたびに多くのハトたちの群れに出会う。

次に多いのがカモの仲間たち。カモも、最近は人間が捉えて食べるという習慣がなくなったことを見透かしているらしく、人がよほどの奇声を発するか、それとも追いかける行動をとらない限り逃げることはない。

しぐさが人にとってかわいく感じるらしく、パンの耳などの餌を橋の上から川面のカモに投げ与える人も最近増えている。カモも人物を見分けることができるようで、餌を持った人の姿をみると近くに寄ってくる。こんな風景を見るのも散歩途中の恒例の風景になっている。

ハトにとってもカモに餌を与える人が大好きらしく、その人の周りに集まるのだが、身近に寄ってくるハトに親近感を覚えるらしくハトにも餌をばらまいているのもお馴染みの光景になっている。

こんな場面に出会う時、周りをよく観察すると、人がばらまいた餌をハトが奪い合っている場面を、少しし離れた場所からじっと見ているのがカラスである。カラスは絶対にと言ってよいほど人に慣れない。珍しく逃げないカラスがいると思っても、逃げられる範囲をきちんと図っているらしく、人がその圏内に入るや否やバッと飛び立つ。

そのカラスは、人がカラスにとって危険な圏内に離れると、ハトの群れに近づき、餌を奪うのであるが、そんな鳥たちの生態を見るのも面白い。

カラスが都会に生活圏を移したのは人間が出す生ゴミが絶好の餌になっていることは冒頭に述べたが、横浜の片田舎でもカラスと人との生ゴミ戦争が絶えず、ゴミの集積場では、(最近はほとんどいなくなったが)不謹慎な人が不用意に生ゴミを捨てたらたちまちの内にカラスの餌食になって、辺り一面ゴミの散乱という風景になる。

前書きが長くなったが、29日に20数年ぶりで横浜球場にプロ野球の試合を見に出かけて、球場を出て桜木町まで歩いて移動する途中にカラスが襲撃したとみられるゴミ散乱風景に出会った。休日の夕刻ということで人通りはほとんどない。ここは横浜の中心のオフィス街。集積場がこんなところにあることはもちろん、こんな時刻にゴミが散乱しているのは奇怪しいなと思いながらも、そのまま通りすぎる。

翌日のお昼のテレビニュ-スのアナウンサ-が、横浜市中区相生町の路上で、通行人から『鳥が死んでいる』と加賀町署に通報があったと話していることにびっくりする。

昨日私が通った町の名前まで知らなかったが、関内近くというから、どうもあの場所であるような気がする。そのゴミ散乱の場所から、半径約100メートル内にカラス17羽とハト1羽が死んでいたというから、何となるゾッとする。

すぐに思ったのは、中国で流行し始めている鳥インフル、H7N9だったかのウイルスのこと。続報で、その疑いはないとのことなので一安心だが、カラスが17羽も死んでいるのが気がかりである。飛び立てない状態で絶命しているというから、病気でなければカラスにとって強力な毒物に違いない。

賢いカラスが誤って食べてしまうような毒物が、横浜の中心部に散乱されているとなるとこれは恐ろしい。誰かが意図的に毒をばらまいたのではないだろうか。このことに関する情報を待っているのだが、(私の知る限り)ネットもマスコもそれはない。

取り止めのない文章になったが、もしカラスに毒を盛ったとしたら、この人物は何を狙っているのだろう・・・。今でも気になる報道である。(田舎親父)

2013年5月 3日 (金)

『等しく』の意味を考える・・・

 今日は憲法記念日。日頃はめったに必要としないので、本棚にうずもれている『教育小六法(編集代表 金子仁)』という、(私には一番似つかわしくない)本を開くことを決めている日である。

 『教育』と頭についているように、教育に携わる者には必読書となっているので、現役のころには随分丁寧に読んだつもりのであり、赤線が至るところにひかれているこの本だが、現役を離れてからの5月3日は、何かを調べるかという意図は全くない。ただ、この本を開いて、日本国憲法がいかに優れているのかと再認識するための行為である。

 日本国憲法には、基本的人権が全ての国民に『等しく』保障されると明記してある。基本的人権とは今更私がここで述べる必要はないだろうが、どうもこのところ格差が広がり、全ての国民にとって『等しく』という言葉の意味がずれているように思えてならない。

 日々のメディアの報道を読み聞く限り、教育・職業・宗教など、本当にこれで、全ての国民に『等しく』権利と義務が与えられているのだろうか・・・と思うような話題が巷に溢れすぎている。

先月の28日に、憲政記念館で天皇皇后両陛下臨席の下、政府主催の『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』というニュ-スをマスコミが取り上げていたが、日本国民に等しく主権が回復されたかとなると、『沖縄(人民)を生贄に差し出して』という文言がその前に来なければ到底納得できない。その意味では、『等しく』とは、全くのまやかしである。

アベ政権は61年前のこの日に、サンフランシスコ講和条約が発効して、『日本が敗戦後の占領体制から再び独立を果たした日』だと強調しているが、なぜ今年になってやらねばならないかという基本的な説明が全くないのも変な話。マスコミも世間を気にしながら、こわごわ報じているように思えてならない。

要は、集団自衛権を憲法にはっきり盛り込みたい、そのためにはまず、国の形をはっきりしなければならないと考える大将をいただく自民党政権は、『日本は、図らずもアメリカに占領下におかれたが、やっとアメリカの束縛が解かれたこの日の意義は大きいので、大々的に知らしめる必要がある』という考え方で、強引にこの式典を開いたのだろう。

しかし、沖縄が返還されたのは1972年5月15日。日本国憲法をいただきながら沖縄の人々は、日本人ではなかったという矛盾には何の説明もなく、式典の中で首相が『沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をなすべきだ』と通り一遍の文言でごまかしている。

5月15日に『主権回復』の式典を行うならともかく、『等しく』とはっきり示した上、基本的人権を高らかにうたう『日本国憲法』の元では、今回の式典の合法性は全くなく、首相の沖縄の人々への語りの部分そのものが、まやかしでしかない。もっとも、今でも沖縄は、日本本土と切り離されてアメリカの統治の下、『等しく』の意味は全く無視させられているが・・・。

 政府式典と同じ時刻、沖縄県宜野湾市ではこれに抗議する集会があったと珍しくマスコミが大きく報じているのは、あまりにも強引な政府の姿勢に、ほんの少しの抵抗を試みたという図かもしれないが、1万人もの大集会が開かれたことは記憶にとどめておく必要がある。

 沖縄が形式的にでも返還されるまで、高校野球に参加する沖縄の高校生はバスポ-トが必要だったことは、私もよく覚えている。政府のいう主権回復は、沖縄、奄美、小笠原は日本から切り離され、アメリカの植民地化がはっきりされたこの日から始まっている。沖縄で『屈辱の日』としていることは私にも十分理解できる。

 日本国内(本土)では主権回復後、アメリカ軍基地が減って(とはとても思えないが)いるというが、沖縄では、この日を境に過酷な土地接収で基地が造られてきた歴史を忘れてはならない。現在でもアメリカ軍基地の74%が集中し、連日のようにアメリカ軍兵士による犯罪や事故の報道が続いている。

 それだけではない。県民の圧倒的な反対にもかかわらず、政府はあくまで普天間飛行場の辺野古移設にこだわっている上、在日アメリカ軍に特権を与えた日米地位協定の改正には全く触れようとしない。オスプレイの配備も過去のこととしているのも許せない。

歴史をさかのぼれば沖縄は、『琉球国』という日本とは別の国家だったことは、沖縄を少しでも知ろうとする人々にとっては当たり前の事実。詳しい年代は忘れかが、戦国時代に薩摩藩が突如沖縄に侵攻し、自藩の一部と宣言、明治になって日本の一部として諸外国に認めさせたはず。

多くの日本人からはアホかと言われるかもしれないが、この際、アメリカと直接交渉ができるためにも、『琉球国』として独立した方が、沖縄の未来のためになり、よほど『等しく』に近づくのではという思いも頭をよぎる。(田舎親父)

2013年5月 2日 (木)

随分早く矛を収めたものだ・・・

 ニュ-ヨ-クタイムズが東京都知事の発言として『イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけ。けんかばかりしている・・・』と掲載したことがたちまち世界を駆けめぐった。

 この都知事ドノは、老害前都知事が投げ出した都知事選で400万票を超える得票を集めて、堂々と都庁に乗り込んだのは良いのだが、ネット情報では前都知事以上にワンマンブリを発揮しているらしい。

 今回のニュヨ-ク訪問も家族や取り巻き連中を連れた、謂わば、大名旅行と批判しているメディアもあるようだが、大新聞やテレビ各局はシッへ返しが怖いのかもしれないが、本気で批判記事を掲載しないものだから、本人は、世の中全ては俺の意のままとでも勘違いしているようだ。ニュヨ-クタイムスも朝日や読売と同じだろう見くびって、ついつい日頃の本音がでたというところではないだろうか。

 確かにイスラム圏の国々は争いが耐えないことは事実だろうが、イスラムとは全く係わりのない日本と中国・韓国も一発触発であることなどこの御仁の頭にはないらしい。全てアメリカさまが守ってくれるのだから、自国のことなど興味がないのかもしれていが、奢り高ぶる裸の大様そのものの姿が出たというところか。

 ニュヨ-クタイムスの記者も驚いたに違いない。こんなに本音の記事は大トクダネとばかり、そのまま掲載したのだろうが、びっくりしたのは当の都知事。慌てて、記者の勘違いで自分の真意を曲がって伝えられたと抗議したというから恥の上塗り。

 この記者は日本語に堪能している上に、通訳まで準備していたというから言い訳など通じるはずがない。ニュヨ-クタイムス社が本気で都知事と喧嘩する構えをみせたところ、たちまち『全て事実です。ゴメンナサイ』と誤ったというから、知事という責任ある立場のとしての矜持などないに等しい。どう考えても同情の余地などなく、おバカだなあという一言につきる。

 オリンピック委員会も敏感に反応。『互いに誹謗中傷とみられる発言は許さない』と異例のコメントには、これで東京の目がなくなったと思った人も少なくないのではないだろうか。最近のオリンピックの異議には疑問を持っている私もその一人であるが・・・。

 この御仁は、イスラム云々にとどまらず、トルコに対して『日本人の平均寿命は世界一高く、トルコの人々が長生きしたいと思うのなら、日本のような文化を持つべきだ』とも発言したと伝えられているが、事実だとしたらトンデモナイこと。明らかに内政干渉で、トルコ国が黙っていることの方が不思議なほど。

トルコとしては、煮えくり返るほど腹立たしいことだが、東京招致委員会の会長のこんなアホな発言を世界が許すはずがなく、ここは騒がず落ち着いた大人の対応をすれば、自国の有利さが確立できると判断し、国際世論の反応を確かめているところでは。

このバカ殿さま(知事)は、『選手にとってどの都市で開催するのが最高か?、社会基盤や洗練された施設が整備されていない他の二つの国と(東京を)比べてください』とも発言し、『オリンピックを開催するに、パリやロンドンのような文化都市がふさわしい』と、東京がイスタンブ-ルやマドリ-ドよりもいかに社会基盤が優れ、文化的にも数段上とだばかりに鼻高々に記者に語ったというから、なんともまあ・・・というところ。

もともと今回のオリンピック招致は、前回落選したからもう一度という前知事の個人的な思いが強く、大義名分はなかったはず。

それを、メダル獲得選手を全面的に押し出したイベントをこれでもかと繰り返し、マスコミが大宣伝をすることで、あたかも都民の大部分が望んでいるかのごとくの『幻の筋書き』を作り上げただけで、心ある都民は、これで良かったと快哉を叫んでいるのではないだろうか。

ただ、今朝になって、国際オリンピョク委員会(IOC)の会長が、『すんだこと・・・』と、バカ殿さまの発言はなかったことにするという意味の見解を出したとの報道が気に入らない。たしか前知事は、東京の落選報道があった時『ブラジルがカネをばらまいたから』と発言したことを思い出す。

ひょっとして、バカ殿さまは老害知事の指示に従って、しかるところに、有り余っている資金を投入した・・・。下司の勘繰りだと言われたらそれまでだが、こんなに早くIOCが矛を収めたのが、どこか引っかかる。(田舎親父)

2013年5月 1日 (水)

日本電力の支店間のデキレ-スかな・・・

 カレンダ-がまた1枚めくられた。何回同じことを書くのだろうと、自分でも呆れているが、時の過ぎる速さの凄さについていけない。今年は特に、季節を代表する花の見頃が全体的に前倒しになっていることも影響しているのかもしれないが、日々があっと言う間に通りすぎていくという感じがする。

今日も少し古い話題になるが、先日、『東北電力が、福島第一原発の事故をめぐって東京電力に損害賠償を求める方針』だという記事を読んで、不謹慎ながら、思わず笑ってしまった。

 電力業界は会社名が違うだけで、『日本電力』という独占企業の元、地域を区割りにし、東北6県を営業範囲としている会社が『東北電力』、首都圏を担当しているのが『東京電力』というように、全て『日本電力』の一支店だというのが、これまで持っていた(これからも持ち続けるだろう)私の認識である。

 その支店が他の支店を訴えるというのだから常識ではあり得ない。これは注目に値する記事である。顰蹙ものかもしれないが私的には実に面白い。

福島県の電力を担当しているのが『東北電力(日本電力東北支店)』としては、『東京支店(東京電力)』が、大津波が原因だと言い訳している事故は、日頃からの安全管理に対する不満が爆発。言い換えると東京支店の『単純な奢りミス』で取り返しのつかない大事故を引き起こしたものだから、東北支店が怒ったという筋書きか・・・。

 俗っぽい言い方をすれば、『おらっちの女川原発は、きちんと保守管理していたので、福島より凄い津波でもびくともしなかった・・・』というところではないだろうか。気持ちはわからないでもないが、東北電力も元を正せば同じ穴のむじな、原発事故が直接の原因で被害を受けた一般企業と同列には論じられるはずはない。

東北電力の幹部たちには、『日本電力の首都圏支店(東京電力)』に対して、その規模や社会的影響力などに対して羨望の気持ちもあって、ここは少し叩いておく姿勢を見せるのも悪くないと判断したのかもしれない。

またこの際、今後の展開を有利に運ぶために、世間の手前、東京電力から盗れるものはとっておこうと考えたことは十分推測できそうだ。しかし、タテマエはそうであっても、ホンネとして支店意識からの脱却する決意であるとはとても思えない。

 実際に訴訟が起こされても、司法が本気に取り上げるとは思いたくないが、万一、東京電力が東北電力に賠償をしなければならないとなると、その莫大な賠償資金は首都圏の電力料金値上げという利用者に負担を強いることになるのは間違いないところ。それが電力を独占している『日本電力の各支店』の利用者の電力料金に跳ね返り、それぞれの支店の利益につながる構図となっている。

東北電力(全ての電力会社も)3年連続の最終赤字を計上している。株主への配当の当然のことながら見送り。東北電力は電気料金の値上げ申請して、そのまま認められる見通しらしい。しかし、認められたら東北地方の被害者にとってはさらなる被害とうけとめるだろうから、世間的には理解が得られるはずがないと読んで、ここにも、利用者負担をできるだけ下げるというタテマエが正当化できるはずとの発想で、東京電力への賠償請求というシナリオの本音が存在するのではないだろうか。

 その賠償の中身であるが、東北電力は福島県内での販売電力量の減少をあげているという。多くの住民の長期避難で影響を受けたのは確かだが、福島県における津波被害を岩手県や宮城県とどう違うのかという計算式も明らかにされていないとなると、どのような基準で原発事故分を算出するのかも曖昧。 

 さらに、新たに計画していた『浪江・小高原発』が東電の福島現発事故により廃案になったことに伴う損失はして185億円の請求には、現発事故の反省など全くなし。これを棚上げにして、これからも原発建設を進める明らかな意図を感じる。

どう考えても、東北電力の東京電力に対する賠償請求は、原発推進を明らかにしている自民党政権や官僚組織、あるいは経済団体などが影でうごめく、『日本電力』の支店同士のデキレ-スの臭いを感じるのだが・・・。(田舎親父)

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