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2013年6月

2013年6月30日 (日)

明日はどんな騒ぎに・・・

 世界遺産に登録された富士山は明日が山開き。例年、こんなに多くの人が押しよせるのと思うほどの人が山頂目指して登っている姿をメディアが報じているが、今年の混雑はそれ以上ではないだろうか。

 恐らく今頃、5合目の駐車場は満車状態で、すでに車の中で待機している人も多いだろうことは容易に想像できる。新宿や東京駅の高速バスの乗り場では、大手の旅行会社が富士登山と銘打って募集した人々の長い列が続き、それを誘導する係員たちが大汗をかいている様子も目に見えるようだ。

 そんな中、『山開きを控えた富士山で、山頂のトイレの問題が浮上している』という見出しに目が留まる。記事には、登山口は7年ぶりに開山日の登頂が可能となったが、山頂の公衆トイレは5日まで利用できないとある。

あんな人込みの中にとても入れないと思っている私には、富士山の山開きは全くの他人事であるので、例年は頭の中を素通りしていた、『7年ぶりに開山日の登頂可能』という一文に、では例年7月1日の山開きに、あれほどの人が山頂にいる事は何なの・・・と何か変な疑問がわいてくる。

トイレ事情に至ってはもっと深刻ではないだろうか。富士山には相当数の山小屋があることは知っている。山頂付近にも複数の山小屋があり、それらの山小屋には、最近はバイオ技術を利用した清潔なトイレが完備されていることも、マスコミ情報は伝えているが、あの凄い人数の需要に応じきれるほどその数が多いわけがあるはずがない。

恐らく、出発前などは長蛇の列ができているのだろうと推測しているが、それでも順番が来れば用便をすませることができるが、使えないとなると、(出かける気のない私が心配することではないが)どうするのだろう。

両県の観光課など担当部署は『世界文化遺産登録で登山者の増加が予想される中、両県は山頂近くの山小屋で早めにトイレを済ませることを促し、携帯トイレの持参も呼び掛けている』らしいが、山頂近くでのトイレ混雑は凄い事になりそうだ。

最近の防災グッズの進歩は目を見張る物があり、携帯トイレもさまざまに工夫されて、(実際につかった事はないが)使い勝手が良くなっていると聞いているが、都会の公園などではいざしらず、草木が一本も生えていない強い風の中、しかも周りが人で一杯な中で、どうやって携帯トイレを使うのだろうと変な心配をしてしまう。

山頂には、環境省が管理するトイレと、山小屋などのトイレが計2カ所あるが、環境省のトイレは6日、山小屋のトイレは10日に運用が開始される見込みだそうだ。開設は例年通りというのも気になるが、山開きから数日間は、何やら凄まじい事態に陥りそうだ。

バイオ技術の最新のトイレでも、最終的には水で流すだろう。その水を運ぶのはブルト-ザ-だという。運搬道に雪が残っているのが、早く開設したいができない要因らしい。関係者は頭を痛めていることだろう。

記事にある山小屋の関係者の『毎年、山開きの直後には山頂のトイレ周辺に用を足すケースが相当ある』というコメントに、随分前のことになるが、中国雲南省の明峰『玉龍雪山』にリフトで登った時の光景を思い出す。

まさか、そこまでの酷さはないだろうが、こればかりは我慢の限界があるだろうから、トイレが使えないとなると・・・。

担当者は『富士山に限らず山を汚さないことは登山者のマナー。万一に備え、携帯トイレの持参も勧めたい』と協力を求めているそうだが、焼け石に水というところではないだろうか。

いや、ひょっとして『これはビジネスチャンス』とばかり、携帯トイレを販売する輩も出てくるよう気がするが・・・。

いずれにしても、明日の山開きの様子はマスメディアが真っ先に伝えるだろうから、興味を持って見守ることにしたい。(田舎親父)

2013年6月29日 (土)

『もったいない』は口実?・・・

 学校給食については何度も取り上げているが、今回は保育園での話である。

『捨てるのはもったいない』ということで、西宮市の半数以上の公立保育所で調理員らが余った給食を食べていたことが明らかになったというニュ-スが目に留まる。市の規定では、余った給食は廃棄される決まりで、保育所長会でも『食べてはいけない』と取り決めていたというが・・・。

これは面白そうだと読み進む。事が明らかになったきっかけは、『保育所の調理員が、残った給食を食べている』という(内部告発だろう)一本の電話。電話があったのは昨年9月のことだからかなり前のことになる。

市の担当課が聞き取り調査に乗り出すと、8保育所で調理員らが余った給食を食べていたことが分かったとのこと。市議会でも大騒ぎとなり、調理業務における管理監督体制の課題やマニュアルの見直しの必要性が議論の対象となり『問題点が改善されないならば、調理の外部委託を進める』ということまで進んだというから、何やら裏に政治的な動きがあっただろう事も推測できる。

この問題で市は、所管部署の幹部らを文書訓告としたものの、調理員らについては『食べてはだめと知らなかった』として処分を見送ったとのことである。自分たちが作った食べ物が、園児の欠席が多く余ってしまったとて、簡単にゴミとして出せるものではない心情はよく分かるということで重い処分にしなかったようだが・・・。

ただ、調理員たちが給食費を払っていなかったので問題になったという部分に、やはりと何となく納得する。何故、そんなシステムになっているのか、こちらの方を詳しく報じてほしいという気持ちが強い。

記事からは、市の保育園は独自で給食を作っていることがうかがえる。そして、給食費を払っていないというから、調理員たちは作るだけで自分たちの作った給食は食べてはダメという規定があるようだ。

実際に、調理員の服務規律を厳格にする意味もあり、余った給食については平成13年の保育所長会で、『食べない』という取り決めが『口頭』でなされ、給食の調理に関する手順を定めた『調理室の作業マニュアル』でも、昼食は『各自で準備』するよう明記されているとのことであるが・・・。
 俄には信じられない変な話である。自分たちが作った料理の質を確認する上でも、園児と一緒のものを食べることになっていれば、こんな問題は絶対に起きない。調理員だって、わざわざ昼食を持参しなくてすみ、金額的にも給食食べた方が安くつくだろうから、こんな規定がある事自体不思議な気がしてならない。

『昼食は自分で持ってきて、給食の残りは絶対に口にしてはいけない』というのが西宮市の決まりだとしたら、これを徹底させる必要はあるが、それを市民が知れば、それこそ『もったいない』という声が上がるのは間違いないだろう。そして、給食調理員から給食費をとれば良いという結論になるのではないだろうか。

どうも、この規定が調理員たちの都合の良いように解釈されていたようだ。つまり、一応は自前の昼食持参というタテマエであるが、監督する立場の行政は見て見ぬふり・・・というお馴染みのパタ-ンなようだ。

残ったからと言って捨てるのはもったいない。かといって、給食費を支払うことなく自分たちで食べてしまうのは、大袈裟に考えると犯罪行為。このあたりを調理師たちに指導徹底すれば簡単に解決できるように思えるがいろいろとしがらみがあるのだろう。

市は再発防止策として『調理終了後2時間が経過した食品は、全て廃棄すること』という一文を追加したそうだが、まるでそれまでなら『捨てなくて良い=腹の中に入れる』と受け取れる。まるで今までの慣行を容認するためのザル法である。

ここはしっかりと、調理員に『自分作った田へものの質を確認する』というプライドをくすぐるような一文を追記し、実費を徴収することだろうと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年6月28日 (金)

改めて富士山の世界遺産登録に思う・・・

 審査段階では『三保の松原を除く』という決定だったのが、文化庁のロビ-活動が功を奏したらしく、審議会場では外国(特にヨ-ロッパ諸国らしいが)の委員からの支持を得て、三保の松原から見た富士山の美しさに加えて、昔からこの地では富士山を対象に歌が読まれ名画が生まれたことの価値が、文化遺産に相応しいという評価で登録が決まって三保の松原を加えて富士山の世界遺産登録が決定した。

 先月この小覧で私は、『三保の松原を何度も訪れその景観の素晴らしさを知っているが、途中に巨大な人工造形物があることから、審査では除かれたという識者の意見に、なるほど・・・』と述べたが、自然遺産としての価値はともかく、三保の松原を文化的価値が高いという世界の評価には素直に喜びたい。

 しかし、ユネスコが登録した富士山を『荘厳な姿は信仰の対象と芸術の源泉で、西洋芸術の発展にも顕著な影響をもたらした』という登録決定理由は重い。独立峰の富士山だけでなく、その周辺に点在する神社や湧水、登山道、信仰遺跡群など合わせ、その文化と歴史的な価値の影響が『日本をはるかに超えて及んでいる』と称賛されたわけだが、今後富士山周辺が(我が国流の)観光の対象となることは間違いなく、そのギャップの大きさに不安はぬぐえない。

 先日のクロ-ズアップは、山中湖もこの一文に登録理由に縛られるとなると、モ-タ-ボ-トなどを使って高度な技術を駆使して楽しむ水上スポ-ツ類が信仰の対象とは大きく逸脱することを取り上げていた。

 観光に係わって生計を立てている人たちにとっては、観光客(しかもより多くのお金を落としてくれる層)が大量に増える事を望んでいるが、そのためには、より高度な性能を持った遊具や施設を導入したいと考えているだろう。そうなると、信仰の対象とは裏腹に表現は悪いが、刹那的な快楽を求める場となり、その違いはますます大きくなる。

 登録された神社なども新たな悩みが発生しているという。テレビの映像は登録が決まった翌日から観光バスが押し寄せている様子を映し出している。今の世の中だから『こればビジネスになる』とばかり、おみやげ屋を開店する人も出るだろう。

 駐車場にして一稼ぎという考えも広がるだろうが、狭い道にところ構わず入り駐車する車は地元にとっては迷惑でしかなく、『もう少し静かに過ごしたい』という気持ちの人がほとんどではなかろうか。また、ニュ-スで取り上げられた神社は満足なトイレの設備もないらしく、民家に駆け込む人も多いというから、この問題も今後騒動の種になりそうだ。

 登山道も信仰の対象だというが、現在のその姿は全く対局に位置する。もともとは修験者たちが修業で昇り降りした登山道。それが江戸時代になり庶民の『富士講』が爆発的に広がったことは小学校の社会科の教科書でも取り上げられている。

 『富士講』とは、人々は集落単位に費用を積み立て、富士に登れば、たとえ貧しい町民や農民であっても同格、富士の前では、男女同格、万人平等という教えを実行する集まりであり、富士山信仰の基本である。その人たちが一歩々々踏みしめてできたのが登山道であろう。

 だが、本来の信仰登山は皆無といって良いほど廃れ、前の人の尻を見て登る観光登山に様変わり。テレビが紹介する頂上付近の様子は、人・人・そして人、立錐の余地もない人の山。満員電車よりも混んでいるようにも見受けられる。

 現在でも年間で30万人以上が登っているというから、今後増える事はあっても減ることは(絶対といってよいほど)ない。山小屋が予約で一杯となると、望む望まぬは別にして、一気に登らざるを得なくなるのも仕方ない。こちらも増えることは間違いない。

 少し話は飛躍するが、同じ番組で現在の中国雲南省の麗江の様子を紹介していた。私が訪れた10年ほど前でも、俗化し過ぎているとつぶやく声が聞こえていたが、世界遺産に登録された後の、テレビ画面が写し出す街の様子は、私が見た麗江とは全く別物。とても信じられない。

 富士山が麗江と同じように変貌するとは限らないが、登山者に安全で快適な環境を提供するという理由が山小屋の新築や改築につながらないとは言い切れない。また観光客のニ-ズがあるとなると(人集めのための)多様な施設も次々に・・・。

 ユネスコの世界遺産登録は、そもそも『人類共通の財産として守り未来へ受け継ぐのが目的であり、観光振興は二の次』という考え方を、観光に携わっている人はもとより、富士山目指して訪れる人にどこまで浸透させられるかが今後の最大の課題になる。

 国、そして静岡・山梨両県の行政も手腕に期待するしかないが・・・。(田舎親父)

2013年6月27日 (木)

ここまで国が介入?・・・

 昨日朝7時のNHKテレビのニュ-スを新聞を読みながら見ていると、ベビ-カ-の映像が大きく写りだしたので何事が起きたのかと驚き、画面を注視すると、ベビ-カ-で電車に乗る際のル-ル作りに国交省が動き出し、最近大流行の『何とか委員会』を立ち上げたことを伝えていた。

 退職以来電車に乗る事が少なくなったが、電車内でベビ-カ-を見かけることはむしろ多くなったというより、当たり前の風景になっている。時に、もう少し遠慮すれば良いのにと思う場面も見かけるが、車内も空いていることが多く、周りも許容している雰囲気私の出る幕ではないとそのままに・・・。

 しかし、この問題をニュ-スで取り上げるところをみると、社会的にはかなり大きな話題になって、ついには国も動かす問題に発展しているらしい。

 最近はベビカ-を扱うのは父親の仕事となっている家庭も増えていると聞くが、小さい子どもを持つ母親とっては、子どもをおんぶも抱っこもしなくてすむ上、荷物まで乗せられるのだからこんな便利なものはない。

 以前は、電車の乗る時のマナ-として『ベビ-カ-は折り畳んで下さい』というアナウンスがあったと記憶しているが、いつのころかベビ-カ-は市民権を得たらしく、こんなアナウンスはなくなり、時に利用する市バスにはベビ-カ-を置く場所まで作られているからこれも時代の流れだろう。

 インタビュ-に応じている利用していない人は『少しは遠慮するのが当たり前』という答が圧倒的らしいが、ベビ-カ-が邪魔で乗り降りに苦労した経験があれば当然だろう。

国が首を突っ込むところをみると、トラブルも多いのだろうと想像がつくが、なんでも国が決めるというのもいささか抵抗も感じる。

今や昔の形の『乳母車』は『婆車』と呼ばれているという話も聞くほど、ベビ-カ-と名前を変えた『乳幼児専用車』は、広さと豪華さに加えいろいろな機能がついたものがもてはやされているらしい。時に『エッ こんな事もできるんだ・・・』ビックリするような機能がついている物も珍しくなくなっている。

この広い豪華な乗り物が電車という限られたスペ-スの乗り物に乗るのだから、当然のことながら、利用する人としない人の間でスペ-スの奪い合いが起きるのも自然の成り行き。口には出さないが、豪華なベビ-カ-は数人分のスペ-スを占領するのだから、直截な迷惑は被ってはいないものの、迷惑だと思っている人も多いことも理解できる。

私のような古い人間には、そんなに広く豪華なものより、もう少しシンプルで小さいもので良いと思うのだが、製作会社としては売れなければ死活問題、なんでも競争という時代では、消費者のニ-ズに合わせなければ(むしろニ-ズを作り上げると言った方が適切だろうが)仕方ないこともよく分かる。

社会に進出することが全て『是』になっている現代社会では、年寄りや障害者のためのスペ-スが作られているように、子どもを連れた若いママたちにとって必需品になっているベビ―カ-専用のスベ-スも必要だということも一理ある。

しかし、朝夕のラッシュ時の混雑度が一時と比べて緩和されたとはいえ、吊り革が確保できるという程度(いやそんな何甘いものではないぞという声も聞こえそうだが)では、広い豪華なベビ-カ-を当然のごとく持ち込まれては、乗客にとっては迷惑も甚だしい。今や当たり前になっている女性専用車両と同じで、ベビ-カ-専用車両を作れば棲み分けはできるだろうが、そんな発想はあるはずがない。

お上のやる事にいちいち文句を言うつもりはないが、昔では当たり前だった、困った人を見かけると、手伝いたくなる気持ちが最近とみに薄く感じるが、互いに思いやる気持ちさえあれば、国が動くような問題ではないのではないのではという思いは強い。

ル-ルを作り、そのル-ルを逸脱すれば罰則を適用は、人間が多くなれば当然かもしれないが、ル-ルが限りなく多くなっては、それに反比例して息が詰まるような生活を強いられる社会になるのも当然だろう。

この話題は、慎ましく互いに助け合って暮らしていた昔の日本人の知恵をもう一度思い出す必要がある事を教えているようだ・・・。(田舎親父)

2013年6月26日 (水)

魂の入っていない法律で規制できるとは思わない・・・

 『生きている子どもたちを助けるために、息子が命懸けでつくった法律・・・』、同級生人から、日常的にイジメ(犯罪)にあい、耐えかねて自殺した中学二年の男子生徒の父親の言葉である。

当然なことだろうが,顔をぼかした会見で語る父親の声は震え、ぐっと込み上げる激情を押さえ、涙につまりながら語るその言葉は重く、思わず、目頭が熱くなる。『もう少し前に、この法律が成立していたら、息子は死ななくて済んだのに・・・』と思う父親の気持ちが痛いほど伝わってくる。

 しかし、法律でイジメがなくなるかというと、『無理だろうなあ・・・』というのが、長年教育に携わってきた私の(子どもを亡くした親御さんには申し訳ないが)正直な感想である。

 法律の中身を熟読したわけではないが 『イジメ』を、同じ学校に在籍するなど一定の人間関係にある児童や生徒による行為で、対象者が心身の苦痛を感じている状態だと定義している。これには疑義はない。しかし、誰がどう判断するとなると、何となくあやふやで、基準がないのが引っかかる。

 心身に重い被害を受けたり、長期欠席を余儀なくされたりしたケースを『重大事態』とするとある。これも現段階では是認するが、今までの『イジメ』での自殺の記事を読む限り、学校側は『イジメ』なのか『遊び』なのかさえ見極められなかったという釈明が多いように思える。

教師たちは、常日頃から児童生徒の言動には最大限の注意を払っていると信じたい。変だなと思うことはあれば、まずイジメを受けている子どもと接して『何悩みがあるのでは・・・』と声かけを行ったに違いない。

 しかし、実際にはここまでが現在の学校の限界で、教師はそれ以上踏み込めない。イジメを受けているだろうと確信していても、その子が『実は・・・』と現実に日常的に暴力行為を受けていることを話はないかぎり、教師は次の手段がとれないのが現状だからである。

 現場を押さえたとしても『プロレスごっこ』だと、『双方』が主張したら、『あまり無茶するなよ』ということで、その場を治めるざるをえない?。そして、次はさらに教師たちの目の届かないところで、行為がエスカレ-ト。

 以前から主張しているが、学校(校長)には子どもに対して懲戒権があるが、実際にはそれは言葉の上だけで、実際に『プロレスごっこ』が『イジメ』と確信できたとしても、いじめた方に『停学』や『転校』を課す事ができるかというと100%否である。結局、教師の努力で解決せよというのが現実である。

法律は、学校は『重大なイジメ』を認めたら速やかに教育委員会に報告を義務づけているという。なるほど法律だけに上から目線である。報告したらイジメがなくなるのだろうか。これも100%否だろう。イジメをなくす専門家(こんなス-パ-マンのような人間はいないが)が飛んできて、イジメをなくしてくれるなら報告も厭わないだろうが、報告したら以前より面倒な事態になることも十分予測できそうだ・・・。

『何故って・・・』という疑問が返ってくるだろうが、20年前と比べると教師は倍以上に忙しく、子どもと寄り添う時間的余裕がなくなっているということが分かると、なるほどと納得してもらえるのではないだろうか。

この法律では『学校による報告に加え、教育委員会や学校の下に組織を設けて事実関係を調査し、被害者側へ適切に情報提供するよう義務付けた。いじめが犯罪行為と認められる際は警察と連携。重大な被害を及ぼす恐れがある場合は直ちに警察に通報する』ことを明記しているというが、このような職務に当たる教師の数を増やすなどの処置は何一つない。

イジメを軽く見ているとお叱りを受けるのを覚悟して言うと、学校はまた一つ義務が増え、忙しくなるというところだろう。ネットを通じたいじめに関しては国や自治体に監視などの対策強化を促すとのことも、監視する体制などにも言及がなく、努力をさらに強く求めるしかなさそうだ。

自殺した児童生徒の保護者の多くは『いじめで多くの子どもたちが命を絶ってきたのに、なぜ今なのかな? もっと早く法律ができていたら・・・』と思っているに違いない。

そして、会見した大津の父親の『どうすればいじめをなくすことができるかを考え、現場でいじめを見逃さず、生徒を守る意識改革が重要だ。日本の学校はあの時から変わったと実感できるまで、この法律の行方を見守り続けたい』と語る気持ちは痛いほど分かるつもりだが、法律の実効性を裏付ける人も予算も組織もはっきりさせていない。これが現在の政治の姿であると思うと悲しくなる。

観念的な表現だが、魂の入っていない法律を作っても、イジメという人間関係の根幹に係わる問題は決して解決しないだろう。(田舎親父)

2013年6月25日 (火)

30年後の福島原発の姿を暗示・・・

 チェルノブイリ原発の現在の姿を、映像入りで朝日新聞が22日の朝刊の一面トップで報じていた。

 福島原発事故直後には、チェルノブイリ原発事故のその後のことが大きな話題になり、被害状況も『チェルノブイリと比べて・・・』が定番になるほど、一つの基準となっていた感じがするが、時を経るに従ってチェルノブイリという言葉そのものをマスコミは話題にしなくなっていたので、この朝日新聞の記事には衝撃を受ける。

 朝日の記者がどんなル-トからチェルノブイリ原発の司令室に入れたのか疑問だが、4号機の制御質の生々しい映像が目に飛び込んでくる。

 2面にはそれにも増して衝撃的な現在の外観の様子を伝える映像が掲載されている。記事には、チェルノブイリ原発を覆う『石棺』は崩れ始めていたとあるが、完全にコンクリ-トで埋め固められているものの、ひび割れ酷そうに見える。

 手前には、石棺よりはるかに大きなド-ム状の建造物が建設中であるが、このド-ムを石棺の上に運び、完全に覆ってしまうという計画だという。図説を見ると、このド-ム状のシェルタ-は高さ110m、幅257m、そして奥行きが164mもあるという物凄いもの。下にはすでにレ-ルが埋設されており、完成後は石棺まで動かすという。

 クレ-ンなどの位置や資材の配置などを見る限り、工事は順調にはかどっているように見えるが、『今もなお放射線が作業員の行く手を阻む』という文面からは、事故から27年も過ぎた今、やっとシェルタ-作りが動き出した程度で、廃炉の作業にはいつから取りかかれるかさえ分からない緊迫感を感じる。

『汚染水処理にさえ四苦八苦する東京電力福島第一原発の行く末を暗示している』という一文は重い。

こんな映像を見るのは初めてである。このシェルタ-計画が持ちあがったのは1997年で、2012年に本格的な工事が始まったそうだが、(私が見落としただけかもしれないが)この計画は一般に公開され、マスコミは報じたのだろうか。

22日から今日まで、ネットで大手の新聞はもとより、いろいろなメディアを探しているのだが、朝日以外にない。ということは朝日新聞のスク-プなのだろうが、それにしてもマスコミメディアがスル-しているのが少しひっかかる。

悔しくて報じない?。こんな子どものような発想で、現在のチェルノブイリの姿を報じないとなると、マスコミの信頼はさらに失われるのではないだろうか。朝日新聞は特ダネとして扱った以上、この映像を他のメディアに配布してほしいもの。そして後追いでも良いから広く国民の目に明らかにする義務があるのでは・・・。

コンクリ-トによる石棺の建設は事故発生から2カ月後に始まったとある。記憶が薄れているが、当時は兵士らが人海戦術で半年間で造り上げたということをぼんやりと覚えている。その時はロシアだからできることで、我が国では誰が行うのだろうとの疑問がよぎるが、当時は私も原発の『安全神話』を信じさせられていた一人であるので、兵士たちのその後の健康を気遣うのが関の山だった。

高い放射線量で作業が思い通りにはかどらず、溶接やボルトによる接続もなく、とにかくコンクリ-トを流し込んだだけの構造であることも思い出す。

現在でも石棺のひび割れ部分から、年間約2千トンの雨水が入り込み、原子炉内部の放射性物質と混ざって1300トンが汚染水となり、4号機の下の土壌に漏れ出しているという。

福島事故原発は廃炉にするということは決まっている。政府と東電は30~40年後までに廃炉を終える計画をたてて、先日はその工程表を発表したが、満2年過ぎた現在でも、原子炉どころか建屋内部さえ状態をつかめないのに、よくぞ工程を語れるものだと呆れるしかないが・・・。

チェルノブイリ原発の廃炉のための工事は最も円滑に作業が進めば、2020年度上半期に溶けた燃料を取り出すそうだが、あくまで机上の計画でめどがたっているわけではないという。シェルタ-の耐用年数は100年ほどらしく、ウクライナ政府は廃炉にはその程度の年数はかかるとみているという。

チェルノブイリ原発の27年後でこの状態、果たして福島原発が廃炉にできるのかさえ疑わしい。改めて、原発事故の凄まじさと、福島を復興させるのには天文学的な年月を要することを実感する。

事故を悔やんでも事故前の平和な国土・故郷・自然は戻ってこない。原発に頼らない未来を描くべきだと確信するが、原発をエネルギ-政策の中心に置く自民党政権下では、それは単なる私の願いになりそうだ・・・。(田舎親父)

2013年6月24日 (月)

何故 6割以上?・・・

 昨日の東京都議選は自民の圧勝。予想通りとは言え、投票率が過去最低は、都民がいかに政治に対する不信感というか興味すら示していないことを物語っているといっても差し支えないが、こうなると自民の独り舞台。以前、党の幹部が有権者は寝ていれば良いと暴言を吐いたが、まさにその幹部の言う通り、政治不信に持ち込めば勝てるのだから変な話である。

共産と公明は動員票を持っているから予想通りだが、民主にいくほんの少しの票もみんなに行ったらしい。いかに民主党への絶望が大きいかが読み取れる。

4年前の衆院選挙の民主党の公約(何故かマニフェストというカタカナ言葉を使い出したことも違和感を持ったものだが)は『消費税は上げません』『無駄を徹底的になくせば財源はあるのです』と言いきったはず。

 ハトヤマ内閣の時はその公約は少なくとも破られなかったが、アホカン氏を財務大臣に任命したのが命取り、財務省に丸め込まれ、アホカン首相になるととたんに消費税値上げに言及したばかりか、財務大臣に汚染ドジョウ氏を当てるという二重の過ち。

汚染ドジョウ氏は、首相になると『消費税は値上げしません』という党のマニフェストを忘れ去り、『命をかけて値上げする』と、党内の反対派を陰謀まがいの策を労して追い出し、さらに自民党に媚びてまで消費税の値上げに血みどろになったことは、悪夢として後世に伝えられるだろう。

 この公約したことを平気で反故にした民主党に、国民からは一斉に『嘘つき』の大ブ-イング。自民党と公明党の策略にはまり解散総選挙となるが、選挙結果は再び立ち直れないほどの惨敗。自民党に再び政権を委ねざる事態を招いてしまった。昨日の都議会選でも国民(都民)の民主党へ対する怒りの凄さを如実に物語っている。

 民主党はもはや過去の政党で、昨日の都議会選挙の結果を見るまでもなく、7月の参院選挙でも惨敗を繰り返すのは容易に推測できる。そして泡沫政党へと転落するのだろうが、民主党に変わる受け皿がないとなると、自民党が奢り高ぶるのは火を見るより明らか。再び三たび、暴政が始まるかと思うと悲しくなる。

 参院選の争点になるだろうと言われているアベノミクスという経済政策は、それが虚像であることは全くの経済音痴である私でも感じるので、間もなく足元から崩れるだろうと推測しているが、受け皿がない現状では、参院選の圧勝は間違いなさそうだから先が思やられる。

アベノミクスはさておき、私は、自民党の公約の中では、エネルギ-政策について原発一筋の従来路線に戻ると高らかに宣言していることを特に危惧している。

自民党は圧勝した先の衆院選挙では、公約として『原子力に依存しない経済・社会の確立』を高らかにうたいあげていたはずなのに、今度の衆院選挙の公約はこの部分がすっぽり抜けているのが許せない。

抜けているどころか、原発を我が国のエネルギ-として位置づけ、福島原発事故などもう解決済みという感覚になっているから、先日話題にした、自民党の政調会長だという女の『福島原発事故で死んだ人は一人もいない・・・』などと、原発事故で自殺に追い込まれた人たちと遺族、また福島県民を愚弄し、さらに被災者全員、いやそれどころか国民全体を鞭打つ全くふざけ、とぼけた発言が出るのだろう。

この発言には世論が厳しく反応し、福島県の自民党も強い抗議をしたのは当然である。慌てた首相と取り巻き連は、とにかく幕引きが先だとばかり、この女に頭を下げさせたがこれでオシマイにさせてはならない。

自民党の参院選挙の公約では、エネルギ-政策は再稼働を前提に『地元自治体の理解が得られるよう最大限努力する』と、地方は札束でビンタすればそれで終わり・・・という相変わらずのお上意識丸出しがミエミエである。

必死になって、再生可能なエネルギーの導入に努力した結果、どうしても無理だと言うなら、原発再稼働は議論の対象になるだろうが、太陽光発電や風、地熱や潮力など、『再生可能なエネルギ-』を求めて多くの人々は血の出るような努力をしていることを無視しているのもふざけた話。自民党の中では、この言葉はすでに過去のものとなっているらしい。

原発再稼働ばかりではない、沖縄の普天間飛行場の返還問題も、全く同じ構図。党本部は公約に『県内』移転が合意済みとして、『辺野古』へ移設推進を明記している。これに対して、沖縄県自民党は、基地負担の抜本的軽減を求める『県外』移設を『地域公約』に盛り込む方針だそうだが、党本部としては『田舎の連中のことなど』とどこ吹く風。

せめて、アメリカと本気と交渉し、アメリカの言うことが論理的で我が国の国益にあっているならともかく、アメリカさまのおっしゃる通りというならば、ヤクザの世界と変わらない。いやそれどころか、まさに日本はアメリカの植民地であることを世界に宣言したようなものではないだろうか。

こんな『二枚舌』政党が、この国を指導するのでは、行く末は分かりきっているはずなのに、支持率60%以上というのが解せないと首を傾げているのは私一人と思いたくないのだが・・・。(田舎親父)

2013年6月23日 (日)

お前たちって凄いなあ(蚕に向かって)・・・

 現在、世界ではアジア・アフリカを中心に約20億人が1900種以上の昆虫を食べているという。その昆虫食について、先日の毎日新聞は『昆虫食は人類を救うのか』と題して、国連食糧農業機関(FAO)が『将来の食糧危機にそなえて昆虫食』を提案する報告書を発表したことを伝えていた。
 以前中国の雲南省に出かけた時、料理の一つとしてハチの子ではなくタケ子という、一見ハチの子のような形をした幼虫を大量にから揚げ状態(だったと記憶しているが)で出されたことを思い出した。

 竹の中に生息する虫の幼虫らしい。これがこの土地では高級食材だということから、恐らく、それ以外の昆虫(幼虫)も普通に食べていることが想像できる。
 昆虫食は『栄養価が高い』上『飼育が簡単』で『環境への負荷が少ない』とのこと。なるほどと思うが、では『食べてみるか』と言われたら、莫大な賞金でも出るならその気になりそうだが、一部の昆虫以外は自分の意志で口にしたいとは思わない。
 一部の昆虫と断ったのは、ハチの子が小さい時にはおやつ代わりだったことを思い出したからである。間違ったら刺されるかも分からない危険を省みず、腕白仲間と一緒にハチの巣を見つけるとたたき落として、ハチの子を食べたもので、あの甘い味を知っている人も少なくないのではないだろうか。
 他にイナゴの佃煮も食べたことがある。というより今でも抵抗はあまりなく、時に地方に旅行した時、道の駅で見かけると購入し、酒のつまみにすることもある。しかしそれ以外の昆虫となると・・・。
 (話を戻すが)記事は、『日常的に昆虫を食べる』時代は本当にやってくるのかと、実際に昆虫を食べて考えたという書き出しから、カイコの卵から成虫までも全て食材にしていることを紹介している。これは面白そうだ。
 『昆虫は有望な食糧資源であり、丸ごと虫を食べることで命の大切さを伝える食育にもつながる』と昆虫食を研究している人が存在するという。記者はこの昆虫食研究家が主催する試食会に参加したのだそうだ。試食会には関東近県や東海地方から20~60代の男女20人ほどが集まったというが、記者がどんなル-トでこの情報を収集したのかは別にして、物好きな人もいるものだと感心する。
 この日のメニューは、カイコの『ふん茶』で炊き込んだご飯に、『カイコの幼虫』をゆでて油で揚げててんぷらにしたもの、『カイコ』のさなぎのくん製、『カイコガ』のつくだ煮をそれぞれ乗せて、塩ゆでした『カイコの卵』をふりかけた『カイコ尽くし丼』だったとのこと。まさに『カイコ』のオンパレ-ド。
 その他にも(私はどんな昆虫なのか分からないが)ペットの餌になることが多いジャイアントミルワ-ムなども料理したというが、今この文章を打っている横では、まさにカイコ達が繭を作り始めている。カイコに親愛感を持っている私は、『カイコ料理』という言葉に激しく反応し、ついつい『お前らを食う時代がきたようだぞ』に語りかける。
 カイコを食材にする研究家の料理は納得できる。カイコの『サナギ』は長野県南部では『ヒビ』と呼ばれ、飯田市の道の駅には商品として並んでいる。昔からこの地方は養蚕が盛んで、繭から糸を取り出した後のサナギをタンパク源として食べる習慣があり、今でも一部には続いているとのことである。
 私はカイコを実際に飼育しているので、進んで食べたいとは思わないが、カイコの体はほとんど全てタンパク質でできていることを知っているので、栄養満点であることは間違いない。
 (カイコの幼虫については)特に5齢の5日目の幼虫を瞬間冷凍し、粉にしたものは『ガンの特効薬』として知る人ぞ知る情報で,韓国の製薬会社が特許権を持ち、かなりの高嶺で取引されていることも聞いたことがある。
 卵も成虫も食材として理に適っているが、『フン茶』とは想像できなかった。『フン茶』というから、カイコの糞をお茶にしたものだろうが、これは一度試してみる必要がありそうだ。
 桑の葉だけを食べるカイコの糞は全てが葉緑素。すでに食品会社や化粧品メ-カ-が、グリ-ガムなどで利用したり、化粧品の原料にしていることを知っている人は少ないのではないだろうか。
 また、カイコの糞は『蚕沙(サンシャ)』と言われ、知る人ぞ知る漢方薬の一つ。いらいらした気持ちを落ち着かせたり、高血圧やリューマチの治療の他、火傷にも効果を発揮することは(実際に試したことはないが)知識としては知っている。
 隣で繭をつくり始めているカイコ達に、『お前たちって凄いなあ・・・』と改めて語りかけてしまった。(田舎親父)

2013年6月22日 (土)

この女 許せず

 珍しく『この女』などと人権団体からは、抗議は当然と思われる言葉を使ってしまったが、正直、こんな女が自民党の政調会長だというから、自民党という政党(任命したのはアベ親分だが)は何と奢り高ぶったどころか、自分たちの都合に合わない人々には手段を選ばず襲いかかる、汚らしいといっても決して過言ではない体質を持っていることは間違いなさそうだ。

この女が、原発の再稼働について『東京電力福島第一原発事故で死者が出ている状況ではない』と発言したというから許せない。

どんな雰囲気の中での発言であるかは知らないが、私のような原発事故で直接的な被害を受けていない人間が聞いても、瞬間的に『アホカ・・・』声を荒立てるほどだから、被害にあった人々の心を、さらに追い打ちしたことは火を見るよりも明らか。

翌日の新聞には、この女の発言の要旨が記載されている。(そのまま引用する)

 日本に立地したい企業が増えているが、電力の安定供給が不安要因だ。原発は廃炉まで考えると莫大なお金がかかるが、稼働中のコストは比較的安い。東日本大震災で悲惨な爆発事故を起こした福島原発も含めて死亡者が出ている状況にない。そうすると、最大限の安全性を確保しながら(原発を)活用するしかないのが現状だ。火力発電も老朽化し、コストがかかる。安いエネルギーを安定的に供給できる絵を描けない限り、原発を利用しないというのは無責任な気がする。(引用はここまで)

ごく常識的に解釈すると、原発の事故で死んだ人間はいないのだから、原発を稼働させることは当たり前ではないか・・・ということなる。こんな女に政治を語る資格などない。早速退場願いたいものだが、批判が高まると、『誤解されたなら、しゃべり方が下手だったのかもしれない』とは何を考えているのかと呆れてしまう。

『誤解されたなら』とはなんという言い分。しかも『しゃべり方が下手だったのかもしれない』とは、本音をオブラ-トでくるむような言い方をすれば、うまく誤魔化せたのにとい気持ちの裏返しとしか思えない。

この女も、今までのアホ発言政治屋同様、早速弁解を始める。『被爆が直接の原因でなくても体調を崩し亡くなられ、なりわいを失い、自ら命を絶たれた方がいる。死亡者がいないから再稼働するなんて考え方は、そもそも持っていない』との記者会見の様子が報じられているが、火に油注いだ感じ,自分が何を言ったかなど関係なく、ただただ、党のため票のために頭を下げただのようだ。

そして翌日には、原発事故で死者が出ていないとして原発再稼働に意欲を示した自身の発言について『全てを撤回し、おわび申し上げる』と陳謝したと報道されているが、不祥事が明らかになると、ゴメンナサイと頭を下げるお馴染みのバフォ-マンス。

こんな風潮が最近やたらと目立つが、必ずといって聞こえてくるのは『もし誤解を与えたらとしたら、お詫びしたいと思います』という言葉。『もし』とか『したら』など責任の所在を曖昧にする言葉は不要である。さらに、もっとも許せないのは『思います』という付け足したような言葉。『思う』のでは事は解決しない。はっきりと『お詫びする』と言い切らねばならない。特に今回は、その責任をとって即刻辞任するべきだろう。

ところがマスコミは、お馴染みのパホ-マンスを演出すれば、それで大手がらをたてたような気になるらしく、以後、問題を追求しなくなる傾向があるのも、『困ったら誤ってしまえ』という風潮を広げる大きな要因になっているようだ。

 話は少しずれるが、その意味ではハシモトという維新の会の代表は『仲間には迷惑をかけたが、自分の主張はは間違っていない』と言っているらしいから、トンデモない暴言であることは明らかながら、こちらの方が筋は通っている。

 この女の『ゴメンナサイ』は、留守中に国内で大騒ぎになっていると聞いた親分からの命令だったなると、まさに小学校の担任教師が子どもの喧嘩を仲裁する場面で良く使う『お互いにまずゴメンと言おうよ・・・』というセリフを連想する。

 親分としては、『このバカ女が・・・』と心の中では思っているのだろうが、即刻首を切っては任命責任を問われかねない。そんなことをすると支持率が落ち、怪しい雰囲気が自分の身にも及ぶとなると、とにかく『ゴメンナサイ』と誤らせろと、側近の官房長官に命じたというところでは・・・。

 この女の暴言は、自民党の幹部でさえ、そして連立を組んでいる公明党の代表までも『この発言は問題がある』と認識しているほど大きな問題。

今回の『ゴメンナサイ』で終わらせてはならないが・・・。(田舎親父)

2013年6月21日 (金)

都議選真っ只中らしいが・・・

 いよいよ都議選か最終段階を迎え、各党は代表級を動員して票の掘り起こしに必至らしいが、(横浜の片田舎には全く関係ないことながら)あまり熱気が伝わって来ないのはどうしてなのだろう。

先日、新聞各紙は都内全域で世論調査を行ったそうで、その結果を発表していた。ある新聞の調査では、自民党が約32%で、民主党は約10%だったという。何となく分かるような数字であるが、都民の有権者の3分の1が自民党を支持しているとなると、先日も皮肉ったが、都民という人種はよほどいじめられるのが好きな人が多いらしい。

もっとも、自民党35%に対して、民主党は6%と発表した新聞もあったらしいから、いかに汚染ドジョウ政権(アホカン政権も似たようなものだったが)の裏切りが、都民をして民主党には絶対に入れないと言わせているのがよく分かる。

マスコミ各紙各局の、投票に行くかどうかを尋ねた質問には『絶対に行く』と『たぶん行く』とを合わせると、ほぼ80%というが、私にはとても信じられない。

恐らく、例の機械を駆使した電話での質問だろうと思うが、『行かない』と応えた20%の人は、選挙など頭から否定している人種だろうからこれは仕方ないとしても、せめて、『多分行く』と答えた人の半数程度は投票所に足を向けてもらいたいものである。

都議会選挙の投票日前投票率も、前回に比べてガタ落ちらしい。前回は自民党の失態もあって民主党が圧勝したのだが、この熱気は選挙前から起きていたらしく、期日前選挙の登用率が10%をかなり超えていたとのこと。ところが、今回はまだ一桁前半だというから、これから伸びることも期待できないとなると、最終得票率は悲惨なものになるのでは・・・。

さらに争点をもっとはっきりしないとなると、投票率はさらに落ち、最悪の場合は自民党と宗教政党の圧勝という結果になることも(考えたくないが)可能性は大。

都議会選挙から話題が変わるが、『アベノミクス』という(私にはよく理解できない)言葉が一人歩きしているのも気になるところで、野党各党はこの『アベノミクス』の具合の悪いところを具体的にわかり易く説明するべきだと思うのだが、何故か、批判をためらっているような雰囲気を感じるのもひっかかる。

『アベノミクス』に加えて、『三本の矢』とか『骨太の方針』などという言葉もマスコミが取り上げない日がないほど大流行している。全て、経済の成長なくして日本の復興なしという発想で、景気を良くすることが全てに優先するという考え方は、何となく明るい未来を展望しているように聞こえるが、根本的に明るい未来とは『誰のため』なのかが全く語られないところが問題ではなかろうか。

選挙が近づくとメディアでは『国民』という言葉が目立つようになるが、政党によって『国民』という言葉の意味が違うようで、特に自民党の現政権は、福祉だとか平和など経済を軽視する階層の人々に対しては『広い意味では国民であっても、我が党的には国民ではない』という考え方が強く、富裕層により有利な動きが多いことは、年金で細々と生活している私にははっきりと感じ取れる。

富裕層とはかけ離れた階層に位置する私であるが、[調べる限り]国の統計上では中流の下の階層に属しているらしい。となると、自民党にとって国民とは思われていない人たちはもっともっと多いはず。なのに、自民党の圧勝が予想される?。私にとって、こんな理に合わない話は信じ難いのだが・・・。

 話がそれるが、先日横浜の共産党の支部長と名乗る男性から電話がかかってきた。『参院選挙ではよろしく』との内容である。私は『確かに今の顔ぶれを見ていると、共産党候補しかいませんね』と答えたが、ないとなく面白い人物のように思え、(前にも述べたことがあるが)『共産党という名前が好きになれない』としばし党名談義をしてしまった。

 このことは別に譲るとして、都議会の政党ごとの議席数は今後の政権のあり方を大きく左右することは確かとなると、明後日の結果に(絶望的だと思いながら)一縷の望みをかけているのだが・・・。(田舎親父)

2013年6月20日 (木)

何故、今なの?・・・

 一昨日あたりから、(私の記憶からはほとんど消えていた)『安愚楽牧場』という言葉が俄にマスコミに登場するようになったことに、何となく違和感を覚えるのは、時が都議会選の真っ最中であることに加ええて,参院選が近づいたから?・・・。

全国の約7万3000人から集めた約4200億円が返されないままになっているとい安愚楽牧場に、一昨日強制捜査が入り、社長らが逮捕されたというニュ-スである。

一昨年だったか、安愚楽牧場が経営破綻というニュ-スに、いろいろと金儲けのネタを考える奴がいるものだと、一時は感心したが、『やはり、詐欺だったか』と、以前聞いたことがある牧場主の言葉を思い出したものである。

 『自分の牛を持ちませんか』という誘いで多くの出資金を集めた安愚楽牧場の和牛預託制度は、出資者が繁殖牛を1口50万~1千万円で購入する形で契約し、年3~10%の配当は、生まれた子牛を売却して得た利益から充てるというものらしい。

 銀行預金の金利は0.1%程度らしいから、年に3%となるとこれは魅力である。まして、10%となると夢のような話。牛と言う生き物のことをよく知らない人にとっては、老後の安心を確保したいとの願いで、100万円程度ならばと思う人が多数出ることは当然かも知れない。

安愚楽牧場の勧誘を私が知った頃(だと記憶しているが)道東の牧場で目にした牛の受精の瞬間の光景は、凄いという言葉でしか表現できないほど、感動的ではあり且つ生々しく、今でも鮮明に目に浮かぶ。

安愚楽牧場システムは、(牧場を経営していたという話も伝わってくるが)こんな光景を何度も目撃し牛の繁殖に詳しいとなると、子牛を安定的に生産できれば出資者も牧場主もウインウインの関係が作れるのではないかと閃いたのではないかと想像している。しかしこの制度がうまく動くには、繁殖牛が毎年子牛を産み続け、牛の売却価格も安定していなければならないことは素人でも分かる話。

実際に私が見学した牧場主と安愚楽牧場の話題になり、『巧いことを考えついたものですね』と感想を求めると『全て人工で受精させるのだが、受精に失敗することも稀ではなく、育てるのも大変で、何よりも子牛の価格が大きく上下するのだから、リスクが大きいですよ』との答が返ってきた。

現実はその通りになったが、安愚楽牧場の宣伝は物凄く、当時は経済学者として知名度があった(現民主党代表の)海江田氏が『素晴らしいシステムです。私が自信を持って勧めます』という意味の発言を何度もしていたことは事実で、この言葉を信用した人は多かったことは間違いない。

海江田氏が広告塔になっていた頃には、すでに経営が破綻し始めていたらしく、その後の調べでは、顧客に繁殖牛を9~10万頭保有していると説明していたのに、実際には6割程度の6万頭しか飼育していなかったことや、顧客に約束した配当を出すため、新たに集めた出資金を配当に回すいわゆる『自転車操業』状態に陥っていたというから、海江田氏も罪深い。

連日のマスコミ記事は、いろいろな被害者を例にとって、いかに安愚楽牧場の経営者たちの悪辣さが凄いかを攻撃している。被害者を救済しなければならないという趣旨は決して間違いでないが、私としては、巧い話に群がった人たちの自己責任は?と皮肉な見方をしないでもない。

しかし、何故今なのだろう。都議選が真っ最中、そして参院選も実質的に始まっていると言われる今なのかとなると、生臭い想像もできないわけではない。誰かから(どこかから)民主党をつぶせという指令が出ていてのではないかというとうがちすぎだろうか。

民主党など今や物の数ではないという風潮は否定しないが、『アベノミクス』が都議選はともかく、参院選までには、その実態が明らかになり、『アホノミクス』という言葉が相応しくなったとしたら・・・。

単なる思いつきだが、海江田氏もつまらない言い訳を始めているのも、何となく気になる。(田舎親父)

2013年6月19日 (水)

港北ニュ-タウンの開発当時を思い出す・・・

  一昨日、ネットで『<奇跡の原っぱ>宅地造成で消滅の瀬戸際』という見出しを見つける。見出しから推測した通り、一面の原っぱが、昨年末から宅地造成が活発化して、このまま放置すると消滅するらしいとの内容に、瞬間的に40年以上も前になるだろうか、現在横浜市都筑区を中心とした近代的なマンションや商業施設が立ち並んでいる、港北ニュ-タウンの計画から造成段階の光景を思い出す。

このことは後で述べるが、記事には千葉県印西市の千葉ニュータウン開発予定地内の草地に貴重な昆虫やホンドギツネなど絶滅の恐れがある動植物が多数生息し、現状を保存すべきだとの声が上がっているとある。

この原っぱは、一面の里山風景が広がっていたこの地を、1970年代に大規模団地形成計画が立ち上がり、造成によって平坦な土地が生まれ、それが今では草原化しているのだそうだ。当時は『とにかく開発を・・・』という考え方が支配的で、猫も杓子も重機を山奥に持ち込むことが大流行り、自然破壊そのものが『是』だった頃の世相が蘇る。

 40年間も手つかずに残されていたのは、オイルショックなどで景気が落ち込んだことが原因だと言われているようだが、やみくもに開発を急いだ結果、交通の便も悪く、結局は団地を建てても希望者が少ないと突きつけられて、仕方なく放置してというところのようだ。

この計画は当時は『住宅公団』と言われていた、(私に言わせれば)天下りのための組織(現都市再生機構・UR)と県による千葉方面のニュータウン事業で、最後に残った開発予定地約140ヘクタールの一角を占めるという。面積は東京ドーム11個分の約50ヘクタールという途方もない広さに驚くが、放置されてから建設された『北総線』という鉄路の印西牧の原駅の北に広がっているということから、放置された頃と比べると条件が大幅に違っていることは想像に難くない。

この原っぱでは、今ではほとんど見られなくなったホンドギツネの営巣が確認され、エサのノウサギも豊富だとのこと。トンボなども含め環境省指定の絶滅危惧種27種、千葉県指定109種を含む多様な生き物の生態系が成り立っているのだそうだ。これは凄いの一言だが、自然破壊で追いやられた昆虫達が、自然破壊して鉄条網で人間の立ち入りを禁止した場所でたくましく生きているというのは、なんとも皮肉な話である。

原らっぱは県有地で、URが定期的に草刈りをして管理しているとのことだが、40年間も東京ド-ム11個分を毎年のように草刈りをしていたことに、なんという無駄な費用をかけてきたと呆れる。

しかしそのおかげで、樹木も育たず草原状態で保存されていたと考えると、このまま草原として残しておくのが、せめてもの自然破壊への償いになるのではないだろうかと思わないでもないが、人間が一度破壊した場所を残すのも、無駄の言い訳を追認するようなもので、これ以上の無駄な話もなさそうだ。

UR側としたら,来年で計画が終了するというから、何とか急いで宅地化を進めたい心境になるのも当然たろう。地図で確認すると、我孫子市のとなりあたり。十分通勤範囲で、しかも鉄道が通り駅から徒歩圏となると、建物を造れば人が入ると言う皮算用をたてるのも理解できる。

試しに、この駅から東京駅までの所要時間を調べてみると、何と1時間と少し。神奈川県でいうと、平塚あたりと同じである。なるほど、URと千葉県が必至になるのもうなずける。地元の一部では『売れるあてがまったくないのに、なぜ造成をごり押しするのか』と批判が上がっているそうだが、通勤に1時間程度となると、その批判はチョット無理がありそうだ。

ここで、港北ニュ-タウンの造成当時の話に戻すが、その規模の凄さは今でも忘れられない。車で出かけるのだが、道はできているが指導票が完備されていないので、迷うこともしばしば、しかも工事は遅々として進まなかったような記憶がある。

まさに一本の樹木もない草原である。キツネが生息していたか確かめたことはないが、昆虫の数の多さは凄いの一言。特に、トノサマバッタの大群に出会った時は、本で読んだことがあるアフリカのイナゴの被害をおもい浮かべるほどの迫力。恐ろしさすら感じたものである。

話はさらにそれるが、当時若手の理科の仲間たちの間で、そのバッタを大量に捕まえて都会の学校で一斉に放す授業をすればどんな反応があるのだろうという、今考えると、与太話的な発想で盛り上がり、早速やってみようと言うことになって、若手の仲間を集めて一日バッタを追いかけたことがある。

その時、10センチほどの木片を炭で塗り、釣り竿の先にくくるつけて、オスのバッタがメスと勘違いしてその木片にしがみつく性質を利用した、『バッタ釣り』なる方法を試したのも懐かしい思い出である。

10数人が集まり、捕まえたバッタの数は千匹を下らなかった。数日後、『バッタを捕まえよう』という生活科という授業を行ったのだが、バッタ達は、私たちの思惑とは全く違い、放したとたん空高く舞い上がり 多摩川に向かって飛び去ったことは、その後の協議会で大笑いのネタになり、その後しばし酒の肴にされたほどである。

何やら取り止めのない文章になったが、要は、時を経ず計画を実行していれば、今頃こんな話題が出ることはなかっただろうと思うと、批判されているURに同情を感じる。もっとも、開発反対派の人からはお叱りがきそうだが・・・。(田舎親父)

2013年6月18日 (火)

避難者の立場でことを進めてほしいもの・・・

 先週の中頃だったろうか、『全国で唯一残る避難所が揺れている』という見出しに目が留まる。福島原発事故で埼玉県加須市の旧騎西高校に役場機能を置く福島県双葉町がいわき市に役場を移転することを知っていたから、すぐに記事を熟読。

そして、一昨日(日曜日)の夕方のNHKテレビのニュ-スでも、17日から業務を新しい役所で始めるために、職員たちが引っ越し作業をしている映像を放映していたので、記事にある通り、避難所で生活している人たちは不安が募っていることが想像できる。

もともと、前市長が廃校になっていた同校に目をつけて、ほとんど独断で、一旦県内に移転していた役所を、住民と一緒に移住。当時はマスコミの中には『英断?』と評価した記事が多かったことは記憶に新しい。

しかし、この移転は『皆で移れば怖くない』ではないが、福島の原発に依存してきた小さな町と首都圏では全く生活環境が違うことから、きっと今後さまざまな問題が起きるのではないかと、頭の片隅に引っかかったことも覚えている。

その後、時にマスコミはこの避難所を取り上げているが、その話題は暗いものが多く、結局は、このことが引き金となり、前町長が議会から不信任。町長選挙が行われて、新しい町長が選出されたのはつい最近のこと。

避難所の生活の実態は詳しくわかっていないが、映像からは、教室にダンボ-ルで仕切ったスペ-スの中で、家族単位で生活している様子が伝わってくる。

お年寄りが多いこともよく報道されているが、働ける年代の人たちは、その気になったら首都圏であることから、(正社員としては難しいかも知れないが)働く場は見つかるに違いない。となると、プライバシ-もないに等しい避難所を見限り、近く(首都圏)に新しい生活の場を求めるのは当然だろう。そして、避難所には老人たちのみが残ると言うパタ-ン。現実は如実にそのことを表している。

残った高齢者たちは支え合って暮らすしか生きる術はないとなると、互いに思いやりながら慎ましい毎日を過ごしているだろうことも容易に想像できる。

新町長は、何時という日程は示していないが、この避難所を閉鎖し、他の自治体と同じように、仮設住宅を建設してそこに入ってもらう方針らしいから、『人のつながりがバラバラになり、孤立してしまう』という不安は切実だろう。

 事故直後にこの避難所に避難してきた町民は1400人超。しかし、現在は100人を少し超す程度だという。平均年齢は68歳を超え、4分の1の人は支援や介護が必要となると、よほどしっかりとした方針を示さないと、例えプライバシ-が確保される場を作ったとしても簡単に『はい、移ります・・・』という話にはなるまい。

先月中旬に、町は避難所閉鎖に向けた町民の意識調査を行ったそうだ。ほぼ全員からの回答があり、閉鎖後の居住先について『予定がない』が76・1%を占めたというが、残りの25人程度の人ははっきりと『予定がある』のだろうかと、そちらの方も少し引っかかる。

注目するのは、希望する居住地(重複回答あり)である。『埼玉県』が最多の49・5%で、『福島県』と応えた人は35・7%だったいうこと。仮設が福島県のどこに建つのかもわからない上、福島県を無条件に故郷と認められない感情を思うと、生活環境が少しでも整っている(2年以上生活している)埼玉県を選ぶのは無理のないこと。

『福島より放射線が少ない地域にいたい』というもの切実な願いだろう。しかし、福島県外の借り上げ住宅の新規受け付けは既に打ち切られているというから、今になって、双葉町としては、町役場機能ごとに埼玉県に移転したことの負の面が目立ち始めたようだ。

町長としては、多くの住民を一カ所にまとめて住まわしたいと考えるだろうことは想像に難くない。埼玉県、あるいは福島県以外と言う個々の切実な要望を聞き入れるほど余裕があるはずがないのは、立場は違うが十分理解できる。

門外漢の私が心配しても仕方ないことだが、町としては、役場を福島県内に戻した以上は、現在の避難所に職員を大勢常駐させる余裕などないだろうから、早晩閉鎖になることは明らか。

『私たちが希望する場所で、寄り添いながら暮らす方策』を願う避難民の声をどう受け止めるか、これは町長だけの責任ではなく、東電はもとより福島県,そして国に突きつけられた大きな課題である。

固唾を飲んで続報を待つことにしたい。(田舎親父)

2013年6月17日 (月)

今度は『ソハラ』?・・・

 2年ほど前に友人から誘われてツイッタ-に参加。特に福島原発事故のことをつぶやいたものであるが、匿名性に気になる部分があって間もなく中断。本名でやりとりできるということでフェイスブック(FB)なるものにも挑戦。しばらく続けていた。

しかし、ボケ防止のために、10年ほど前からブログ形式の文章を作って、ネットに毎日アップすることを日課と自分で決めている私には、FBにも常時的に参加するのはかなりしんどくなり、1年ほど前からすっかりご無沙汰してしまっている。

 ところが最近、思うところがあって、『ドクダミの花をホワイトリカで漬けるとかゆみ止めになりますよ』という、たまたま愛南町の農家民泊の女将さんから教えられた情報をFB投稿したら思わぬ反響。これはひょっとしておもしろい展開も期待できそうだと感じた次第。

それをきっかけで、友人に指導を仰ぎながら、映像も掲載できるようになり、今日はどんな映像にしょうかなどと楽しんでいる。ツイッタ-の場合は140字と字数が制限されているが、FBは手軽に映像をつけられるのでかなり簡単。しばらくはFBにはまりそうだ。

余談になるが、ネットを駆使する必要のない生活をしているので、現在使っているコンピュ-タはDELL製の中古品。昨年暮れに使っていたコンピュ-タに不具合が起き、親指シフトキ-ボ-ドと相性が良い、XP搭載ということで選んだのだが、これが不思議に、グ-グルでないと動画が開けないという素人には理解不能の代物。いろいろと教えてもらうのだが、FBの初期画面そのものが違っているから困った話。もっともそのことがわかったのが昨日のことだが・・・

FBでは本名や特定の個人ということがはっきりわかる人としか互いに連絡しないようにすれば良いのだから、不特定多数相手のネットとは違って安心感がある。ただ、友人からは、くれぐれも友達承認は誰か信頼できる人の紹介以外は受けないようにと教えられているので、この教えをしっかり守って、これからしばらく楽しみながら技術を磨き、思いつくまま気楽に続けていこうと思っている。

FBはスマホからが便利だと言われているが、退職してすっかり社会から離脱した生活をしている私には、携帯すら時に鳴る程度、便利な機能が満載していることはわかるのだが、スマホなどが必要な環境ではないとなると、もっぱらコンピュ-タからの投稿。道端でみた風景をその場でとはとても無理だが、FBの効能が理解できたらスマホも考えても良いかなという心境になり始めているのも面白い変化である。

そんな私の目に止まったのが『ソハラ』という言葉。『ソーシャルハラスメント』という略語らしいが、FBやツイッタ-など、新しい会員制の交流サイト(SNS)での嫌がらせやいじめだというからこれは素通りできない。

SNSを通して、評価やコメント投稿の強要や、プライバシーの侵害のほか、SNSでうまくコミュニケーションを取れないといった悩みも生じているのだそうだ。

『フェイスブックで上司から友達申請が来たらどうする?』という書き出しで始まる記事には、都内の20代の男性会社員の例が紹介されている。彼は以前から課長から、『承認してね』というリクエストをもらっていたのだが、保留にしていたそうだ。しかし、断りきれなくて承認したそうだが、既に友達になっている学生時代の同級生とのやりとりや、書き込んだ、何げない休日の様子も上司に見られてしまうという恐れがでてきたと悩んでいるという。

 突然課長から『週末は飲み会だったんだね』と言われたり、男性の書き込みに『いいね』を連発してたというから、課長は気楽に『いいね』であっても、彼からしてみれば、嫌がらせと受け止めるのもわからないでもない。なるほどこれが『ソ-シャルハラスメント(理訳して、ソハラ)』と変に納得する。

 記事には、ソハラと悩んでいるのは部下だけではないと違う例も取り上げている。都内のコンピューター関連会社に勤める40代男性は、部下5人に友達申請をしたが、承認はゼロだったという。新しい部署に管理職として異動したばかりだったこともあり『部下とうまくやっていきたいと思っただけなのに・・・』という軽い気持ちだったらしいが、部下からみたらあるいは敵?。当然なことだと思うが、職場ではぎくしゃくした雰囲気になり、自信をなくしたいう。なるほどこれも逆の意味でのソハラと言っても差し支えさそうだ。

 私の現在の環境では、このようなソハラは存在しないが、続けていくうちに思わぬ問題がもちあがらないとも限らない。こんな問題が起きないように、くれぐれも注意しなければと教えてくれた記事である。(田舎親父)

2013年6月16日 (日)

たった一人の男が学校を変えてしまった・・・

 タクマ某が大阪教育大学の付属池田小学校に包丁を持って進入し、低学年児童に無差別に規律気、多数の児童が死亡したのは12年前の6月8日。

 先日、同小で追悼式『祈りと誓いの集い』が行われ、在校生と遺族らが出席したというニュ-スが流れていたが、タクマ某というたった一人の悪意に満ちた凶暴な行為によって教育界そのものが被った被害の大きさを思うと、改めて怒りが込み上げてくる。

この事件を境にして、中都市以上の自治体の学校では、みずからを地域から隔離するような動きになり、その動きは素早く伝搬したと言うと、疑問を持つ人も多いかも知れないが、近くの小学校の校門に立てば、私のいう地域との隔離が実感できるのではないだろうか。

そこで誰もが目にする光景は、頑丈に施錠がされている校門と、その前にぶら下がっている『関係者以外立入禁止』という看板。12年前の6月8日以前には、校門が閉じられていたことはあっても、施錠はなく通用門から誰でもが出入りできるようになっていた。(一部、特殊学級が併設されていたり、校門から出る児童の防止のために、児童が届かない高い部署に、児童では開けられないようなように工夫をしている学校も存在したが、それは稀だったはず・・・。)

ところが、あの日から、『不審者』という言葉が一斉に全国を駆けめぐり、不審者が校内に立ち入ることができないように『施錠』が当たり前になる。そしてその動きは、燎原の火のように広がり、施錠どころか監視カメラに発展している。

学校に用がある場合は、校門に取り付けられているインタ-フォンの呼び鈴を鳴らし、用件を詳しく言わないと開錠されないようになっていたり、中には、校門横にガ-ドマンが厳めしい顔で外部の人間を寄せつけないようにしている小学校も東京都内では珍しくなくなった。

今でこそ対象が地震や津波となったが、当時は、子どもの生活上危険だと思われる場所を洗い出す、いわゆる『安全マップ』なるものが大はやり、総合的な学習の時間に何を指導して良いのか戸惑っていた学校では、飛びつくようにこの『安全マップ』を児童たちに作らせることが総合学習の一環とばかりもてはやされていた。

警察が絡むと、安全とは犯罪に巻き込まれないという意味だけになる。すなわち、見通しが悪い場所は不審者が潜み易いとなり、見通しが少しでも悪い場所はイエロ-カ-ドを張ることになり、子どもたちは先を争って、見通しの悪い場所を探し歩いて作る『安全マップ』に、当時の私は疑問を持ったものである。

私の子どもの頃は、見通しの悪い場所は、大人に隠れていろいろなことができる格好の遊び場所だったが、それが犯罪の対象になると、その場所を子どもたちが進んで大人に提供する?。可哀相な時代になったものだと同情した記憶も蘇る。

さらに、それでも不審者から子どもを守るために、集団登校が広まり、順番で保護者たちがこの子どもたちの集団を見守ることが流行りだし、今日に至っている。最近では、鮮やかな色の背中に学校名をプリントしたジャンパ-を着たおじさん・おばさんが下校時に通学路の要所々々に立つ姿も当たり前になっている。

地域で子どもたちを守ることは当然で、このことに対して疑義をはさむものではないが、通学路が徹底され、そこにおじさん・おばさんが立っているのでは、昔では当たり前だった『道草』は、まさに死語となった感がある。

道草って子どもの自主性を育てるのには絶好の場なのに、子ども達が可哀相・・・などと言うつぶやきも今は昔。もっとも過疎地では、スク-ルバス通学が当たり前になってしまっているので、『道草って何?』と聞かれかねないのが現状だろうが・・・。

 そして皮肉なことに、小学校が施錠するようになった頃から、『開かれた学校』という言葉が大流行。開かれた学校とは、私の解釈では『地域の人が気軽に立ち寄れる学校』だと思うのだが・・・。

 開かれた学校と言うのなら、学校にある全ての施設を地域に開放すれば良い。どの学校でも空き教室があるのだから、そこを地域のジイサン・バアサンのサロンにすれば、不審者も近づかないのではないだろうか。

 地域とは全く関係ないガ-ドマンを雇うより、校門の近くに四阿でも作って、そこを地域の老人会に提供すれば、子どもたちと顔見知りの年寄りたちが常時集うはず。こんな安全なことはないでは・・・とある自治体の首長に提言したことを思い出す。その提言は一笑に付されたが、今でも良いアイデアだと自負しているが・・・。

 たった一人で学校を変えた男、タクマ某は世間の常識をはるかに超える短い死刑囚の期間しか経験させず、まさにあっと言う間に死刑を執行してしまったこともひっかかるが、この事件が風化しないことを望みたい。(田舎親父)

2013年6月15日 (土)

国民から収奪する算段が・・・

 『日本の医療制度は守る』自民党とアベ政権の公約である。誰しも、この公約は、現在の健康保険制度は死守すると受け止めているが、どうも怪しい雲行きになりそうな気配である。

経済成長が何よりも優先するという現政権は、発足間もない今年1月には『日本経済再生本部』という組織をつくり、経済の成長のために6月までにあらゆる分野で改革を断行すると意気込んで、新興企業の経営者(かなり気になる面々であるが)などを中心に『産業競争力会議』(成長戦略を目的にした組織)を立ち上げ、その中で医療についても検討が加えられているのだそうだ。

その根本は『疾病の種類に応じて自己負担額を変える』というものらしい。ネット情報では『風邪の場合は自己負担7割』とか『自己負担の最低限度額を設定し、少額な治療費は全額患者の自己負担』、あるいは『軽度のデイサービスは全額自己負担、デイケアは3割負担』などとかなり具体的な負担割合まで踏み込んでいることが伝わっていくル。

中でも、『市場行為(医療も経済という考え方)のもの拡大が財政負担とならないように保険制度のあり方を見直す』という一文からは、根底に流れる発想が『現在の医療制度から公的負担を減らす』ということがうかがえる。

『介護予防や軽症者へのサービス、中重度の上乗せサービス(配食サービスなど)は民間保険(自己負担)でカバーする』という案文もその一環であるが、『規制撤廃により保険外併用療養費のさらなる範囲拡大』という何やら怪しげな文言が入っているのが引っかかる。

先日、政権はこの会議の提案を受けて、医療面での『規制改革実施計画』の原案をそのまま受けて、治療行為の一部に例外的に保険外診療を認める『保険外併用療養費制度』を拡大することを、昨夜の閣議で決定したようだから油断がならない。

現在の制度は、公的医療保険が適用された薬や治療技術は国が医療費を決めており、患者の自己負担は現役世代(現役を引退しても70歳まで)なら3割に抑えられているから、私のような年金生活者でも、時に病院に駆け込むことができるのだが、全額自前となると話は別で、風邪程度なら、恐らく卵酒でもというところになるに違いない。

保険では認められないが、例外的に(当然医療費は自己負担)認められた投薬や治療も自由診療という名で存在することは、歯の治療時に医師から『保険でやりますか、それとも・・・』と問われたこともあって、医は算術と思い知らされた経験がある。

閣議で、保険がかからない(例外的に認められていた)医療行為の範囲を増やすことう決めたとなると、私が経験した歯医者はもらろん、全ての医療に対して、近い将来、医師から『保険でやりますか、それとも・・・』と聞かれる?ことになりそうだ。

どうやら、『求める医療を、いつでも好きなところで、お金の心配をせずに自由に受けられる』ことがもはや過去の幻想で、私には『貧乏人は早く死ね』と聞こえるのだが、全てが経済のためにという輩たちには、これが『日本の医療鮮度を守る』という公約につながると言うらしいから、ボタンはもともとからかけちがっているのは間違いないところ。

こんなことがすんなり通るとはとても思えない。しかし、通る仕組みがあるというから恐ろしい。それは、『保険外併用療養費制度』と名付けたこの制度は、保険外診療を併用しても保険診療分が3割負担のまま据え置かれるという制度だという説明にありそうだ。

現行では、保険診療のみ受ける場合は、自己負担は3割で済むが、この保険診療と保険外診療を併用した場合、保険診療分は全額と保険外診療分の両方の合計が全て自己負担だが、規制を緩和すると、保険診療分の7割の医療費は軽減されるから、むしろ負担は安くなるという。

一部の国民は『俺たちにも新しい治療法のおこぼれが・・・』と喜びそうだが、自由診療分の自己負担額が少なくなるわけではないから、生き延びる人がほんの少しだけ増えそうだが、貧乏にには遠い制度であることは変わらない。

むしろ、9月頃から始まるだろうと言われているTPP交渉が背景にあり、交渉でアメリカは『診療の自由』を迫ることは確実だろうことを見越していると受け止めた方が良いようだ。

アメリカさまの言い分を『ハイわかりました』と受け入れるために、保険外診療を併用しても保険診療分が3割負担のまま据え置かれるのが『保険外併用療養費制度』だから、これを持って『日本の保険制度は維持できた』と主張するのがねらいのようだ。

 そして、ほとぼりがさめた頃を見計らって、保険診療の公的負担額を下げて、自己負担を多くする制度に移行する工程表が出来上がっているのでは・・・。(田舎親父)

2013年6月14日 (金)

何だかなあ・・・

 時の流れは速く、三浦雄一郎氏が80歳でエベレスト登頂に成功したという話も、随分前のように感じられる。

マスコミは連日、こぞって登頂中の同氏とスタッフの状態を掲載・放映。なかでもNHKの騒ぎぶりは、NHKが大スポンサ-になっているのではと思うくらい大きな扱いだったことに違和感を覚えたものであるが・・・。

登山、特にエベレストなどに海外の人気の山に登るとなると、一般人にとってはその渡航費用を捻出するのも一苦労。まして多くの技術的に一流のスタッフを従え、考えられる完全な装備でとなると、かかる費用は半端な額ではないのは誰の目にも明らかだろう。

80歳お爺さんが世界の最高峰に挑戦して、あえなく失敗などという筋書きになってしまったら締まらない。その計画は、まさにアリの這い出す隙間がないほどミスは許せないものだろうから、かかる費用は天文学的数値になる(なった)のではなかろうか。

その費用はNHKが全てだしたとは思えないが、三浦氏側は、マスコミはじめいろいろな分野の企業などから莫大な資金を集めたことは間違いない。その一つにNHKも入っているといってもさほど批判は受けないのではないだろうか。

実際に、どこがどれぐらいという金額などははっきり報じてはいない。しかし、あるメデイアが、総額として1億5千万円ほどの資金を集めたとの記事には、真偽はともかく、何となくあり得るような気がするのは私だけではないようだ。

いくら集めていくらかかったのかなどは発表されるとは思えないが、もし、信用すべき筋から、現在の常識的な価格(私の当てずっぽうだが)が5千万円程度であれば、80歳での登頂は、さすがユウイチロウと無条件で評価したい。しかし、もしも1億5千万円も使ったとなると、三浦氏でなくても登頂できる80歳以上の登山家は数多いのではと思うと、素直に『素晴らしい』と言えるかとなると難しい。

カネがかかるのは当たり前で素直に快挙を認めるべきだという考え方もあるだろうが、カネの威力が後押ししたものであれば、国あげて大騒ぎする必要がないと思うのだがいかがだろう。しかし、時の内閣は人気取りには最高とばかり、『国民栄誉賞』を乱発するのが流行しているから、食いつくだろうことは誰もが予想したのではないだろうか。

事実、登頂の翌日だったと記憶しているが、文科相が『子どもの教育には最高』とぶち上げて国民栄誉賞に値すると明言していた。官房長官もすぐにでも授与というニアンスを感じさせるような答弁だったが、長嶋・松井漁師の師弟愛という訳のわからない受賞理由と首相のあまりにもあからさまな自己PRのパフォ-マンスに、各分野からの批判が沸き起こったことに腰を引けたのか、今回は最初から消極的で、これが原因で栄誉賞は流れたことは多くのマスコミが伝えるところ・・・。

それでも何とか利用価値があると考えたのか、80歳という年齢での偉業をたたえ、顕著な業績をあげた冒険家を表彰する『三浦雄一郎記念日本冒険家大賞』を創設するという。それも、当初は対象をあらゆる分野の『挑み続ける高齢者』だったのが、冒険家というシャンルで年齢をぼやかしているのも何だかなあ・・・という気持ちにさせられる。

 政府が個人名を冠した表彰制度を設けるのは、アフリカで医療や研究に貢献した個人や団体をたたえるため06年に創設した『野口英世アフリカ賞』以来だそうだが、真の意味で冒険家は、『植村直己賞』の受賞の方が嬉しいのではないだろうか。三浦氏自身が審査員として加わるというのも何か生臭い話である。

 時を同じくして、一人の日本人女性が、ネパール中部、ヒマラヤの世界7位の高峰・ダウラギリ(8167メートル)で行方不明になった。

遭難したのは、50歳から本格的な登山を始め、7大陸最高峰、8000メートル峰5座に登頂した主婦登山家として知られている、現在66歳の女性登山家だと知って、ただ一言、『凄いなあ・・・』というのが私の感想。

 方や、80歳という高齢を売り物に世界最高齢で登頂したとマスコミが大騒ぎする大冒険家。こなた、ほとんどの人かその名も知らず、渡航と準備のために200万円を自ら積み立てヒマラヤに出かけ、ヒマラヤに消えた66歳の主婦。

その扱いに差があるのは当然だろうが、あまりにも違い過ぎるのに違和感を覚える人も多いのではないだろうか。(田舎親父)

2013年6月13日 (木)

廃炉という言葉だけが一人歩き・・・

 放射能については、原爆を記述した文献や実際に広島の原爆ド-ムや記念館、あるいはビキニ環礁でアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の展示会館を何度が訪れ、その恐ろしさは知識として知っていると思っていたが、原発事故が起きるまで核のゴミについては全く考えもしなかった。

そして、知っていると思っていた放射能の知識も、私の独りよがりで、その内容たるや今では恥ずかしいとしか言えない程度と反省しているのだが、福島原発事故が大きな教訓となり、以後放射能や核のゴミという言葉には敏感に反応するように心がけている。

だからという訳ではないだろうが、一昨日の東京新聞の一面で踊っている『『原子炉など処分場未定』という五段抜きの大活字に、猛烈に反応。すぐに記事に食らいつく。

記事は、原発の運転や廃炉作業で出る放射性廃棄物のうち、原子炉や制御棒など放射線量が中程度のものを地下に埋める処分場の選定作業が全く進んでいないことが分かったとの書き出しで始まっている。

これらの廃棄物は地下50~100メートルに埋設する規定になっており、『余裕深度処分』と呼ばれるものだという。

原発から出る使用済み核燃料は再処理(具体的にはどんな処理なのかほとんど理解できないが)され、残った放射性廃液はガラスで固めて300メートル以深の地層に最終処分するということも原発事故以降に知った知識である。

放射性廃棄物は、この『地層処分』と呼ばれる最終処分をする『高レベル廃棄物と、それ以外の『低レベル廃棄物』の二つに大きく分けられるそうだが、記事に付帯して記載してあるカラ-の図表はなかなかわかり易く、低レベル廃棄物を3段階、『極めて低い』『比較的高い』『比較的高い』と色を区別して示している。

余裕深度処分の対象となる廃棄物は『低レベル』の範囲であるが、一番上位の『比較的高い』部分。具体的には、原子炉の構造物や使用済みの燃料、一定レベルの廃液などが該当するという。

その廃棄物をどの機関で、どこで処分するのか全く決まっていないというから、廃炉という言葉の意味の実態を把握することは不可能。まさに、原発などの原子力利用?の事業そのものが『トイレのないマンション』と言われることがよく分かる。

 余裕深度処分は、国の原子力委員会が1998年になってはじめて決めたとのことだから、それまでは処分ということなど全く考えないで原発を造り、動かしていたことになる。こんなことを平気でやってきたことにも驚くが、現在でも処分方法の名称だけはつけられたものの、研究中という言葉が逃げているとなると、原子力政策など名前だけで実態はないようだ。

 記事は現在の状態を述べている。電力全十社でつくる電気事業連合会(電事連)などで検討し、我が国で唯一受け入れている(最終ではないと言っているそうだが)青森県の六ケ所村の日本原燃が運営する核燃料サイクル施設の敷地内に地中100メ-トルに長さ1キロのトンネルを作って、経済産業省資源エネルギー庁から委託を受けた研究機関が調査、研究を続けているという。しかし、その実態は一般には公開していない闇の中。徹底した情報管理が敷かれているらしい。

 放射性レベルが比較的高い『余裕深度処分』の捨て場がない上に、廃炉となるともっと重要な、高レベル廃棄物についても原子力発電環境整備機構(NUMO(ニューモ))が候補地となる自治体を探しているが、現時点で応募はないというのも当たり前だろう。どの地域でも放射能汚染物質を進んで受け入れる自治体などあるはずがない。

実際に、国は福島原発事故で除染したとされる低レベルの廃棄物の最終処分場を各県で一カ所作ると決めて、栃木県と茨城県の自治体の合意なしで決めてしまったことで大騒ぎになり、結局は白紙に戻さざるを得なかっただから、当然といえばこんな当然な話はない。

そんな事情などは一切頭にないかのように、廃炉という言葉が一人歩。廃炉が決まっている事故原発の廃炉作業を進める政府と東電などが作っている『廃炉対策推進会議』という組織が、原子炉内に溶け落ちた核燃料の取り出しを、これまでより1年以上前倒しした廃炉に向けた工程表の見直し案をまとめというから、こんな変な話はない。

この会議に集められた委員たちを即刻入院させて、世界一だと豪語する医療技術を駆使して頭脳構造を調べてみれば、彼らがいう『廃炉』という言葉の意味が、少しは明らかになるのでは・・・。(田舎親父)

2013年6月12日 (水)

『骨太』という意味不明の言葉が氾濫・・・

 政治の世界、特に経済問題ではよく『骨太の政策』とか『骨太の方針』という言葉が使われるが、政治や経済音痴の私には、この『骨太』という言葉そのものの意味が理解できない。

一つ一つの漢字の持つ意味から受ける『骨太』は健康な身体の大本であるという意味だろうから、私が推測する経済問題での『骨太な方針』は、誰が見てもこの政策は具体的で実現可能で安心感がある政策であるべきはず。しかし、どこが具体的で、安心感があるのかがよく分からないのだから困った話である。

 先日、アベ首相は『所得を150万円増加』とブチあげた。これは骨太の方針に基づいて試算した数値だそうだが、その根拠を何ら示していないのでは、単なる耳障りのよい言葉を思いつくまま口から出して、支持率下落を押さえているだけと聞こえてしまう。

 あまりにも酷かった民主党政権屁の反動で、国民が自民党に期待?する方向に流れ、首相に選ばれたアベという御仁の言うことが、経済至上者たちにとって、まるで『神の声』のように聞こえるのかも知れないが、『アベノミクス』という私には到底実態があるとは思えないような言葉が大流行して、すぐにでも景気が回復するような動きがあったのは先月末まで。

 6月に入ってすぐに、為替レ-トの1ドルが100円を割り込み、それにつられるように、株価が大暴落、平均価格があっと言う間に2000円も下がったことは、いかにアベノミクスという言葉に実態がないことを端的に示しているのではないだろうか。

 その後、株価と大きく上下しているが、先月末までのような『おしなべて右肩上がり』とはとても表現できないことから、今後も専門家でも読めないような激しい動きになりそうな気配を感じる。株価の上昇が即景気の回復とは言えないだろうが、一つの指針となるようだから、景気回復という言葉はしばらく封印しなければならないようだ。

私が考えている『景気が良くなる』という言葉の意味は、少なくとも庶民の懐に少しでも余裕ができることが最低必要条件である。株価が上がって一喜一憂している人が多いとは聞こえてくるが、給料が上がったという話は一度も耳にしない。

そんな中、よくぞ『所得を150万円上乗せ』とは、よくぞ言うもの。さぞや大変な騒ぎになると期待していたのに、批判するメディアが少ないのはどうしたものなのだろう。日頃から経済の専門家と自認して、テレビでエラソウなことをおっしゃる輩も、この実体のない150万円上乗せの発言にはスル-を決め込んでいるのも許し難い。

話を『骨太』について戻すが。過日、マスコミ各紙各局が、政府の経済財政諮問会議が、経済運営の基本方針となる『骨太の方針』と固めたと大きく伝えていた。

経済音痴の私には、その内容はほとんどが理解できないが、基礎的な財政収支の赤字を、GDP(国内総生産)比で15年度までに10年度の半分にし、20年度までに黒字化するという目標明示には、嘘だろう・・・と思わずつぶやいてしまった。

 この『骨太の方針』のシナリオは『停滞の20年から再生の10年へ』と名付けられているらしいが、デフレ脱却と成長戦略で名目GDPが毎年3%ずつ膨らみ、10年代後半には成長率がさらに高まると描いているという。

これが御用機関の言う『景気回復』であるらしく、景気が回復すれば、それに並行して税収も増え『経済再生と財政健全化の好循環』と強調しているらしい。しかし、過去20年の名目成長率は平均マイナス0・2%だというから、全ては希望的観測であって、こんな前提などあり得ないのは、私ごときでもはっきりわかる。

一方、景気回復の要として公共事業と位置づけ、『国土強靱化』という、震災の悲惨さを思い知っている国民の心を巧みに利用した、いかなる大地震・大津波にも耐えられる国土を構築するという力強いイメ-ジがある文言を折り込んでいる。

どうやら『骨太の方針』とは、全ての構造物を轍ともコンクリ-トで固める従来の自民党の政策に戻るということを宣言しただけと受け取っても間違いなさそうだ。(田舎親父)

2013年6月11日 (火)

そんなにいじくってどうするの・・・

6月11日  そんなにいじくってどうするの?・・・

悪名高い政府の『教育再生実行会議』がまたまた受験生や保護者はもちろん、当の大学まで混乱させるような、大学入試改革(改悪?)を言い始めたらしい。高校在学中に複数回挑戦できる『到達度テスト』というものを新設するのだそうだ。

現在の大学入試センタ-試験は、1回の共通テストで合否がされるとして受験生の負担が大きく、その日の体調など運が左右するということでかなりの批判があるとは聞いているが、昔から入学試験というのはイッ発勝負だったことを考えると、この批判には何だかなあという気持ちにもなる。

私の頃には、国立大学は一期校と二期校に別れていて、私の場合、一期校は見事に落ちたが二期校で救われた経験を持っている。だから、2回ぐらいのチャンスはあっても良いと思っているが、国立大学の差別につながるとして、(正確には記憶がないが)卒業後しばらくして一期、二期がなくなり、受験生には気の毒だとは思っているが・・・。

その後、いろいろな紆余曲折があったらしいが、現在の入試センタ-試験になったのは20年ほど前のことではなかっただろうか。その後もセンタ-試験は毎年のように細かな変更があり、更に試験環境も会場によって異なることから、いろいろと課題があることはマスコミも報道している。

到達度テストは年2~3回の実施して、最も成績の良かったものを受験に利用できるようにするのだそうだが、これでは、浪人中の受験生はともかく、高校生は年から年中『受験テスト』追いまくられことになり、かえって負担が増えそうな気がする。

また、試験問題は3段階程度のレベルに分け、進学先の条件に合わせて選ばせる方針だとのことだが、これでは国そのものが大学の格差をつけることになりそうで、受験生獲得に躍起になっている各大学として『ハイわかりました』とは素直に受け入れられるとは思えない。

会議では、点数のない資格試験とする案もあったが、入試への利用が難しいことから得点を付ける試験とすることになったらしいが、受験生のことなど眼中にない議論を続けていたようだ。

 この方針を受けて、文科省は各大学の二次試験で筆記のほかに面接や論文を組み合わせることなども求め、受験生の多様な能力を判断して合否を決める入試への転換を狙う時ことだが、今以上に混乱しそうな気がしてならない。

 現行の入試では、学力試験を課さないアドミッション・オフィス(AO)や推薦など多様化が進んでいることは知っているが、果たして一芸に秀でたというだけで、多くの学生が試験に苦労している中、大学入学を許可する違和感は払拭できない。

 また、高校で活躍したスポ-ツ選手を『推薦枠』という制度で入学させるのは、大学の知名度をあげるものとの批判や、『推薦枠』の基準が明確でないことから、裏口入学の手段に利用されているとの声も聞こえてくる。

現在のシステムでは、高校生としての学力の到達度を測れないことが、新たに到達度テストを導入することによって、高校での学力を維持できると考えたのだろうが、これこそ机上の空論ではないだろうか。

到達度テストを年に複数回実施すれば、問題作成にかかる時間や予算が膨大になることは明らか。中には『シメシメ、これで飯が食える』と喜んでいる学者もいるだろうが、問題を作成する委員の人選でも今以上に不透明になることも明らか。教育という、利権が一番遠いところに位置しなければならない分野に、更に新たな利権が加わることになるのではないだろうか。

繰り返しになるが、長期間にわたって高校生がテスト対策に拘束されるとなると、部活動や趣味に裂ける時間は少なくなり、人格形成にも悪影響を及びかねない。

入試システムが変わるごとに細く笑むのはやはり塾。一年中到達度テストの影響があるとなると、ますます塾が流行りそうだ。

誰かさんが言う、『大学入試に過度にエネルギーを集中せざるを得ないことが、わが国の教育の問題』であることは多くの専門家も認めているが、到達度テストの数回実施は、一発勝負を単に散らばしただけという結果になったら、これこそが教育の問題になってしまう。

私には大学入試の方法など語る専門的な知識も能力もないが、入学したら遊んでいても卒業できる存在になっている現在の多くの大学こそが問題であって、卒業には猛烈な努力を必要にするようなシステムを作ることが先決だと思えてならないのだが・・・。(田舎親父)

2013年6月10日 (月)

医師が大量殺人?・・・

 かなり古い話になる。5月30日の朝日新聞朝刊の12面に、海外トップニュ-スとして『白衣の殺人、動機にメス』とい見出しあった。すぐ下には白抜きで『ブラジル女性医師らに疑惑』とかなり目立つ。

『不審死、被害300人超も』と続くと、大体の内容は想像できる。ブラジル南部のクリチバという都市の病院で、300人にも及ぶ入院患者が短期間で死亡したことで、女性医師がの関与が疑われ、逮捕されたという事件記事である。

 以前、川崎市の病院(だったと覚えている)で、女性医師が末期ガンの患者の延命装置の電源を意図的に切って死亡させたと逮捕された事件があったことを思い出す。その医師は、患者を苦しみから救出したいという思いで、家族も了解していると供述したが、警察は殺人と認定、逮捕起訴したというような記憶がある。

 その後、この事件がどのような方向に動いていったのか、私の意識の中では曖昧になりいつの間にか消えてしまっているが、当時は『あり得る話』で、むしろ医師の立場を理解するような文章を書いたこともうっすらだが覚えがある。

 朝日新聞の記事に話を戻すが、警察当局は今年2月、エバンジェリコ病院一般集中治療室の責任者で56歳の女性医師や看護師ら5人を患者殺害の容疑で逮捕したとある。昨年3月に『一般集中治療室で患者の不審死が相次いでいる』との匿名電話を受けて、捜査のためにこの医師の自宅に取り付けた盗聴機によって、医師や部下たちとの会話を録音し、その内容が逮捕のきっかけになったというから、推理小説の世界のような気もしないでもない。

 記事を読み進めると、まさに小説の世界。これが事実だとしたら、川崎市の医師どころではなく、犯罪であることは明らかだが俄には信じられない。また、盗聴という手段が気になる。

 1月下旬に、イボという名の67歳の入院患者が死亡したが、その前夜、当直医が『間もなくイボにお供します』と電話を医師にかけたという。医師は『そうしてくれたら楽になるね』と答えたと盗聴記録を証拠に逮捕したとのこと。

 朝日新聞が入手した(どうして入手したのかは当然ながらない)患者のカルテには、死亡当日に施された、不審な治療過程が記されていたという。

記事にはその内容もあるが、専門的な言葉が多いので省略するが、ブラジル国内の専門家によると、明らかに医師には殺害の意図があっいたと証言。保健省の幹部も『ほかに20人が同様の手口で殺害されたことはほぼ確実。さらに調査が必要な事案は約300件ある』と話しているというから穏やかではない。

 川崎の医師の場合、その真偽は別にして、医師の弁明の中に『家族の承認』という項目があったはず。ブラジルの法律は、回復見込みのない末期患者に必要以上の延命をしない尊厳死を認めているらしいが、200人以上の患者の家族が揃って『楽にしてやってほしい』と,特定の医師に申し出るのも納得しかねる。

しかしこの医師は土日、昼夜を問わず当直医に電話して患者の状態を気にかけ、若い患者が亡くなった際には、極めて深い哀悼の意を示すのが常だった証言する人もいるというから、かなり患者には親切な様子がうかがわれる。逮捕された医師たちは一貫して殺害を否認しているそうだから、殺人事件だとしたら、動機を探し出すのが難しそうだ。

 ただ、ブラジルには日本とはかなり違う医療保険制度になっているらしく、死亡した患者の場合、国が病院に支払う費用には上限があるが、民間の医療保険加入者には、受け入れた分だけ治療費が支払われる仕組みになっているという記述が少し気になる。

 警察は、集中治療室の『回転を早めるほど、病院は潤う』とみて、これが動機の一つになっていると主張しているらしいが、(私の常識では)治療費増を目当てに、殺害を繰り返すなんて考えも及ばない。

記事は『公判はこの夏に始まる見込みとなっており、被告らが何を語るのかに関心が高まっている』と結んでいるが、老人医療の現状と今後の不透明さを考えると、似た事件が我が国でも起こりうる可能性は否定できないのではと、続報があることを期待している。・・・。(田舎親父)

2013年6月 8日 (土)

解雇の自由を国が後押し?・・・

 政府の規制改革会議(いろいろな名前の諮問機関があるものだが)が、一定の勤務地や職種で働く『限定正社員』に関する雇用ルールについて、解雇がしやすくするために現在の法規を改定する方針を決めたらしい。

 最近、聞き慣れない言葉が反乱しているが、『限定正社員』もその一つ。漢字から読み取れるイメ-ジは、正社員ではあるが普通の雇用関係ではない社員のように思えるが、世間知らずの私には、実際にはよくわからない。マスコミの解説によれば、『限定社員』とは、勤務地や仕事内容、労働時間が限定された形で働く正社員であるとのことだという。

主に、スーパーなど流通業で導入され、店舗や地域を限定して働いている社員のことらしい。これに対し、全国の店舗や支店への異動があるのが一般的な正社員だそうだ。何となくわかった気になるが、なぜこんな区別をつけるのかというところが、やはりもう一つピンとこない。

『限定正社員』は、異動がないことから雇用契約は企業側の主導になることは、ある程度仕方ないとされる。正規の社員と比べて、待遇が低く抑えられたり、解雇も容易になる可能性もあるらしいが、実際には、解雇するのはなかなか難しく、時には裁判ざたになることも珍しくないという。

企業としては、子育てを終えて再び仕事を始める女性や、介護などで地元を離れることができない人が働きやすいことから、正社員並の待遇という条件を示すことによって、有能な人材を集め易いメリットがあるということから、規則改革会議は、『限定社員』を増やそうとしているらしい。

『限定正社員』は『○年契約』など期間を定めた有期雇用(派遣社員)ではないので、経営者側にとっては世間的に聞こえは良い。『解雇に関しては緩やかなルール』を作れば、派遣社員を雇うよりも、正社員雇用となると社会的に大きな顔ができるだろうから、派遣から限定に採用方針を帰る企業も増えるのではというのが、今回の『解雇ル-ル』作成の背景にあるようだ。

事務所や店舗を閉鎖する場合、一般の正社員であれば、別の店舗への異動や出向といった『解雇回避の努力』が経営者には求められるが、『限定正社員』の場合は『仕事がなくなれば雇用も終わり』と割り、それが原則として雇用条件に明記されるという考え方である。

政府の規則改革会議では、こうした『解雇ルール』が整備されれば、企業も積極的に社員として採用するとみているらしいが、ピンとこなかったのがわかるようだ。何とも姑息なことを思いついたものである。

『限定社員の解雇ル-ル』が合法となると、経営側は、他の正社員にも何らかの差をつけられるのではと考え、『営業専門社員』と『客室担当社員』などと、今でも存在する社内のいろいろな職種を、社内であっても雇用条件は別々にするという発想を持つのではないだろうか。いつも指摘する、『区別・差別し選択』するのが、支配の原理であるので、これは当然のような気がする。

となると、多様な名称・職種の『正社員』が生まれ、それに基づいて『多様な解雇ルール』ができることも想像できる。今回は『限定社員』と限っているので、流通業種が主であっても、今後中小企業など職種が少なく、異動もほとんどない会社では、多くの(名称は別にして)『限定正社員』が生まれ、待遇などの引き下げなども出てくる可能性が考えられる。

 『日本の正社員は世界で最も守られている』と公言している議員の存在は、マスコミ報道で知っている。『一度雇用されれば、パフォーマンスが悪くても一生賃金を得られるのはおかしい』と、大手企業の社長は政府の会議で、こう発言したとも伝えられる。

先日は、ユニクロの社長が『正社員でも、年収100万円でも仕方ない』という意味の発言をしたらしいが、ホンの一握りのエリートだけが高給を食み、ほとんどの労働者は非正規社員か、限定正社員になり、解雇に怯えながら低賃金に耐えるしかない社会を、政府の諮問会議が後押しする構図になっていると考えると、背筋が寒くなる。(田舎親父)

2013年6月 7日 (金)

販売ル-ルを示すのが先だと思うのだが・・・

 一般用医薬品(市販薬)のインターネットでの販売が全面的に解禁されるのだそうだ。 新聞記事には、市販薬はリスクごとに高い方から第1~第3類に分類されて、1類に該当するのは医療用医薬品から市販薬に変わったもので胃腸薬や解熱鎮痛剤など約100品目があるという。2類はかぜ薬など約8千品目、3類はビタミン剤や整腸剤などで約3千品目となっている。

3類はかなり以前にネット販売ができるようになっているが、1類と2類は厚労省の省令で禁止にしていたことは、変な話だと思いながらも知っている。先般、最高裁がこの省令を憲法違反としたことから、政府は大慌て。全面的に解禁する方向に動き出したらしい。

最高裁の判決は、薬局がない地域が多くなり、買いたくとも買えない人が増えているのが背景の一つにあるらしいが、薬局どころか日用品すら扱う店がない地域も多いことは、私なりに把握している。

コンビニは全国いたるところで見受けられるが、そのほとんどは(例え小さくても)かなりの規模の集落の中とか、地方の主要道路の沿線で、数軒が軒を重ねているような、いわゆる限界集落と言われる過疎地には絶対に進出しない。それはビジネスという名の利益を追求することが根底にあるから、当然といえば当然で仕方ないのだろうが・・・。

そんな地域の人々の生活は郵便局と宅配便で支えられていると言っても過言ではない。例え山奥の一軒家でもあろうとも、また離島であっても、費用さえ負担すれば、全国いかなる場所でも注文があれば運んでくれる。

今や、ネットが全国に普及し、注文すると、これらの流通業者の手によって翌日には届くというのが当たり前になっている。超アナログ人間の私でさえ、時にネットで物を購入することがあるが、通販業者のサイトを開いて、商品をクリックするだけで、支払いはクレジットカ-ドの番号を打ち込むだけだから、よほどボケていない限り高齢者でも簡単にできる。

一度登録しておくと、次回からの購入はもっと簡単。価格的にみても薬局で購入するより安いのが当たり前だそうだから、歩いて数分に薬局がある環境の人でも利用する人は増えるに違いない。

これは便利と思いたいが、ネットの恐ろしさを感じている私には、無条件で全ての市販薬を解禁にしたら混乱するのでは・・・という危惧はぬぐえない。首相はじめ関係閣僚は口を揃えて『ル-ルを作る』と強調しているが、どんなル-ルなのか、そのことには触れないのも気がかりである。

更に、このことが『成長戦略』に盛り込まれていることに強い違和感を覚える。経済の成長のためにネット販売か役立つ?とは、経済音痴の私にはピンとこない。しっかりした販売ルールがないままでは、想像もつかないような事態にもなるのではという危惧がぬぐえないのだが・・・。

今や携帯はスマホ化しコンピュ-タが必要なくなり、誰もが簡単にネットを利用できる時代になっている。スマホは私が想像できない分野にも広がっているらしく、先日も『スマホで育児』という記事を読んだが、生後半年の幼児にもスマホの画面でアニメなどを見せて育児に役立てているのが若いママたちのトレンドだと紹介していたのには驚いた。

この場ではこの是非は論じないが、ここまでネットが普及しているとなると、ネットに精通した人たちの中には、よからぬ意図でこの市販薬解禁を利用しようとする輩が存在すること間違いなさそうだ。これは時代後れを自認している私にもわかること。

全ての市販薬をネット販売できるとなると、いかなるリスクであっても全て利用者(消費者)の『自己責任』となるのは、火を見るより明らか。

こんなことは当たり前だという意見もあるだろう。『自己責任』という言葉の意味が限りなく薄らいでいることに危機感を持つ私もその一人であるが、他人になりすましてネットで悪さをする人間も稀ではないことを思うと、こちらの心配が先に立つ。

いつから全面的に市販薬のネット販売が解禁になるのかはっきりしないが、その前に、できるだけわかり易く、『自己責任をとれるための販売ル-ル』を示してほしいと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年6月 6日 (木)

復興予算の使途に政治の貧困を思う・・・

 東北大震災の復興のために、1兆7千億円という予算が計上されたが、縦割り行政の弊害なのか、それとも政府の『とにかくバラまいて復興を後押ししているという雰囲気』をつくりたい思いがあったのかは別にして、この使い道がデタラメだという。

このことは以前にもとりあげたが、つい最近、朝日新聞の紙上に、この復興予算が『ウミガメの保護観察』や『ご当地アイドルのイベント』などに使われているという記事を見て、なんとも言えない悲しい気持ちに陥ってしまった。

記事によると、東日本大震災の復興予算の中に雇用対策事業という名目で2千億円が計上されているが、約1千億円が被災地以外で使われていることがわかったとある。雇用対策とあるから、被災者の雇用に当てることが本来の目的であるはずなのに・・・。

この事業は厚労省が担当する『震災等緊急雇用対応事業』という名前で、被災者などの雇用を支援するため、2011年度の復興予算で2千億円を計上、地方に避難している被災者に臨時や短期間の仕事に就いてもらい生活を支える目的で、都道府県に交付したというから、例によって、受け取った自治体としては『使い切る』ことが最重要課題で、使い道は何でも良かったというところらしい。

このうち915億円は、東北や関東などの被害が大きかった9県が運営する雇用対策基金に配られ、11~12年度に計約6万人が雇われ、その約8割を被災者が占めるとある。ここまで特段問題にはならないだろう。

しかし、残る1085億円は被災地以外の38都道府県の基金に配られたというところから話はややこしくなり、確かめたところ、11~12年度に雇われた人は計約6万5千人で、被災者は約2千人にとどまったと朝日新聞が報じている。

白浜沿いの道路に『ウミガメ上陸 日本一』の看板が立つ、被災地から遠く離れた鹿児島県屋久島町にある『いなか浜』で、ウミガメの保護監視のために、交付された復興予算から約300万円を使い10人を雇ったという。

ここまでは許すとしても、屋久島町の呼びかけには被災者の応募はゼロ。しかも町の担当者は『島に被災者がいたかどうかもわからない』とのことには、呆れるとしか表現のしようがない。

更に、雇われた男性の『ウミガメを数えただけで、安全な場所に卵を移すようなことは求められなかった。被災者どころか、ウミガメのためにもなっていない』というコメントには、どこが被災者雇用対策なのだろう。町の行政意識の低さに情けなくなる。

酷い例がいつつも紹介されている。あまりにも馬鹿馬鹿しいので、記事をそのまま羅列してみる。

●東京都三宅村(三宅島)は昨年度、海岸の清掃に8人を雇った。こちらも、担当者は「被災地から避難してきた方はおらず、島の人を雇った」と打ち明ける。 

●東京都青梅市では公立小中学校のトイレ掃除のために32人を雇った。2010年度に1校あたり月4回から2回に減らしたが、復興予算で月4回に戻した。 

●岐阜県ではスポーツだ。経営再建中のサッカーJ2「FC岐阜」を知ってもらうため、昨年6月~今年1月のホームゲームがある時に基金のお金を使ってPRイベントを開いた。 

●山口県は、ゆるキャラ「ちょるる」を使ったPR隊の結成に使っていた。基金から1400万円が投じられ、20人を雇った。 

●ご当地アイドル「バードプリンセス」の活動に4千万円を使ったのが、鳥取県だ。昨年開かれた「国際まんが博」を宣伝するために県が結成し、いろいろなイベントに出向くなどした。半分はメンバー7人などの人件費、残り半分は衣装代、レッスン代、レンタカー代などにあてられた。県の担当者は「避難者の応募はなかったが、厚労省の取り決めに沿っていて、なんの問題もない」と言う。

記事にはないが、似た話はゴロゴロ出てくることは想像に難くない。全ての都道府県でもこれと同じような使い方をされているに違いなかろう。

こんなことが今頃になって知らされるのも腹立たしいが、これが『政治』というなら、もはや、『政治とは腐肉にたかるハエごとき』としか言えず、正義とか常識という言葉の定義そのものが全く違ってきたことに気味の悪さを感じてならない。(田舎親父)

2013年6月 5日 (水)

放射能漏れは日常茶飯事?・・・

 原子力ムラの総本山と言われている東海村の日本原子力研究開発機構の敷地内にある加速器実験施設『J-PARC』で放射性物質漏れ事故が起きたとマスコミが大きく報じてからすでに10日以上過ぎた。

この事故では、監督する原子力規制委員会がこの施設を現地で監視する担当者も拠点も置いていなかったことも問題だが、機構から国や自治体への報告が1日半も遅れたというから、いかに原子力ムラの住民たちが規制庁はもとより県や国を嘗めきっていることがよく分かる。

 新聞記事には、原子力関係の『実験施設』はもともと、文科省が監督していたそうだが(うがった見方をすれば、天下り先の確保のため?)4月に規制委に業務が移管されたとある。

 業務を引き継いだ規制委は、現地に原子力規制事務所を置いているが、担当しているのは、日本原子力発電東海第二原発や核燃料加工工場、機構の研究用原子炉、原子力科学研究所など、『原子炉等規制法』で規制される12の施設だけだという。

しかも、事故を起こした『J-PARC』は『放射線障害防止法』の規制対象で、規制委の本庁にある放射線規制室が担当し、現地で常時監視するような状況にはなっていないというから話がこんがらがっている。

 原子力関係の法令がいくつあるのか調べたことはないが、それらが全て縦割り。今回も担当の規制事務所も『担当外なので普段は立ち入ることもない』と、我関せずの姿勢となると、『規制』という名とは裏腹に、『規制をしない・できない』ために、規制委の中の体制そのものをムリムリ縦割りにしている感じを受ける。

 現地の規制事務所は、『J-PARC』利用者の研究室が多数入居する建物の中にあるのだそうだが、『機構側から何も言われなかったので気付かなかった』と、大騒ぎしていることはわかっていながら、業務の範囲外だから『オラ シラネエ・・・』という態度を決めつけていたらしい。

 『J-PARC』という実験設備がどんな構造になっているか、素人の私には想像もつかないが、国や研究機関がこぞって我が国の原子力に関する研究や開発は世界でも一、二を競っていると豪語しているほどだから、最先端の科学の現場であることは間違いなかろう。

そこには限りなく放射能漏れを防ぐ施設設備が、二重三重に張りめぐらされているはずと考えたいが、それは図面上のことだけで、実際には監視体制すらできていなかったようだ。

『漏れなど考えられない』という安全神話が組織全体に強く浸透し、その浸透度は『福島原発事故』でも揺らがないほどの強さのようだからこれは恐ろしい。それ以前に、そこに存在する専門家と称する人間たちは『放射能なんて大したことはない・・・』という奢りと、日頃からの安全に対する意識が薄かったことを端的に表している。

 この研究設備では、光速に近づけた陽子線を金に当て、素粒子を発生させて物理実験を行うという。その際に副産物として、さまざまな種類の放射性物質ができ、厳重に管理しなければ放射能が外部に漏れる恐れがあることぐらいは私にでも想像がつくこと。

謂わば、厳重な上にも厳重な管理が必要な『危険施設』なのに、専門家集団であるはずの研究者たちがこのありさまでは、今までに漏れが起きなかった(実際には起きただろうが、放射能は漏れても情報が漏れなかっただけだろうが)ことの方が奇怪しくなる。

 事故があった『J-PARC』は、高速増殖原型炉『もんじゅ』を抱える日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が共同で運営する実験施設だというもの、なるほどと納得できる。

というのも、『もんじゅ』はつい先日、約一万件にも上る点検漏れが発覚したばかりで、さすがの規制庁もそのことを重く見たらしく、『改善が明らかになるまで』という断り書きをつけてはいるものの『稼働の準備をすることは禁止する』という命令を出したほどだから、いかに『日本原子力研究開発機構』という組織の管理能力の欠如は誰の目にも明らか。

一応、理事長は辞任ということで責任をとった形をとったらしいが、この席を受け継いだのは、旧原子力安全委員会元委員長だというから、体質の改善はあまり期待できないようだ。このことについては後日・・・。(田舎親父)

2013年6月 4日 (火)

『長生きは美徳』は死語と化したようだ・・・

 65歳以上の高齢者が3千万人を超えたという発表に驚いたのは、去年あたりのことだったような気がするが、つい先日、巷に溢れる高齢者の中で、認知症(ボケとか痴呆症とした方がわかり易いのだが、これも人権となると仕方ない)だと認定される数が、推計で15%を超えるとの報道に驚くというより、何と表現したら良いのかわからなくなる。

その数は、462万人。あくまで推定だとされているが、ここまで細かな数値を示されると、横浜の片田舎でも毎日出会う老人の数の多さに加えて、私の目にでも明らかに認知症と思われる人も少なくないことに驚いている私には、何となく信用できそうな気がしてくるから恐ろしい。

厚労省の高齢者の究班を専門にしている部署の調査だという。更にこの報告書には、軽度認知障害(MCI)と呼ばれる『予備群』が約400万人いるという。合わせて約800万人とは凄まじい。

『予備軍』という表現に違和感を覚える(後述する)が、ほぼ4人に一人が、何らかの形のボケ症状を持っていることになる。医療技術の発展により、認知症の把握がよりシビアになったことがこんな数字に現れたと言われているが、それにしても驚異的な数字である。

同時に掲載された年齢別の罹患率のグラフを見れば、(当たり前のことだが)認知症になる可能性は年齢が高くなるほど大きくなり、74歳までの罹患率は数%で推移しているが年齢と共に上がり、85歳以上になると40%を超えるのだそうだ。

認知症にかかるのは、なぜか女性の方が多いと言われている。このことに対してあまり深く考えたことがなかったが、このグラフを見て、平均寿命の差であることに納得。確か、男性のそれは80歳程度ということから、重い認知症になる前に亡くなるようだ。叱られことを承知で言うならば、ボケる前にあの世に旅立てる可能性のある男で良かったというところか。その前に発症しないという前提だが・・・。

全て認知症という言葉で表しているが、医学的にはアルツハイマ-型と言われる、いわゆる加齢による脳機能の衰えからくるものと、脳出血や脳梗塞などの脳血管障害型とがあるそうで、その比率は(概数で)70%対20%という。数値が合わないのは、残りは幻視を伴うレビ-小体型というのだそうだが、こちらは私には理解不能。

話を戻して、『認知症予備軍』という気になる表現についてであるが、以前、『糖尿病予備軍』だと診断されたことを思い出す。当時、『HbA1c』という日常的な血液中の結党の状態を表す指標の数値が、5.9までは正常値で、それを超えると糖尿病と認定されていた、数値が6.5までは『糖尿病』と断定できないとのことで、当時6.3だった私に下された診断がくだんの病名。

薬を飲めと脅かされ、しばらく服用していたが、桑の葉が糖尿病に効果があることを知り、自分でパウダ-を作り毎日飲み食べていると、この値が下がり薬から開放されたことで、桑の葉の効果を広める活動に係わり現在に至っている。

糖尿病であるかどうかは、血液を調べれば『血糖値』や『HbA1c』の数値がわかり判定できるのだろうが、認知症が血液検査で調べられるとは思えず、またそんな話は聞いたことはない。

認知症にならないためにも、医療機関で適当なケアを受けろというが、どの自覚症状で医療機関に相談すれば良いのかが悩ましい。加齢と共に物忘れが多くなるのは誰にでも当てはまること。人の名前がすぐに出てこない事もよくある話。

こんな時に、かかりつけの医師に相談すると『軽いボケが出てきましたか・・・』と笑い飛ばされるのがオチなのだろうが、これが『認知症予備軍』だとしたら、私も立派な予備軍となる。

とりとめのない文章になったが、何でも『予備軍』を作る風潮に違和感を覚えると同時に、生産能力のない(私もその一人だが)高齢者が4千万人に近づき、しかもその3分の1が認知症となると、老人のために現役世代が負担する医療費の物凄さを思うと、『長生きは美徳』とは決して言えない社会が現実であることを実感する。

 後何年生きられる(生きなければならない)かもわからないが、年寄りの医療費を負担している若い人たちにできるだけ負担をかけないように、健康にだけは注意しなければと胆に命じる最近である。

そして今日も、クセとなり始めた1万5千歩の散歩に出かけることにする。(田舎親父)

2013年6月 3日 (月)

また振り出しに戻った感じ・・・

 今日も少し古い話題になるが、先月末に、南海トラフの巨大地震を現在の手法で予知するのは難しいとの報告を内閣府の専門家部会がまとめたというニュ-スが流れた。この日、防災対策の最終報告に合わせて昨年7月から、どの程度予測できるかを再検討していたとのことらしいが、今更という感じはぬぐえない。

 東海地震の予知は、地震の発生前に震源の岩板がわずかに滑る『前兆滑り』を検知し、直前に警戒宣言を出すことが基本になっていることは、以前から何度もマスコミ報道で知っているが、本当にそんなことが可能なのだろうかという疑問は持ち続けていたし、現在も消えない。

そんな私の思いなどとは関係なしに、国は『観測できる』ことを前提に、静岡県や愛知県などの多くの地点に、わずかな地殻変動でも検知できる(とされる)最新鋭の『ひずみ計』を設置した大がかりな観測網を敷いているとのことであるが・・・。

今回の専門家筋の報告書では『前兆滑りが検知できず地震が発生することや、検知されても地震が発生しないことはあり得る』と指摘しているらしいが、文言を素直に解釈すれば、これまでの考え方の根底から『信用できない』ということになる。

好意的に考えると、専門家部会の委員が、考えの違う地震学者に入れ代わったのかも知れない。しかし、今までの定説を変えるとなるとそれなりの根拠が必要だろうと思うのだが、記事の内容には、核心に触れるような文言はない。なのに、このような疑問を呈しているのは公にはできないなにかがあるようだ。ひょっとして、『精密なひずみ計』そのものに決定的な不具合?・・・。

それはともかく、当然のことだろうが、今まで連動すると大騒ぎしていた東海、東南海、南海の三地震の同時発生というのも怪しくなり、連動型の巨大地震の確度の予測は、限りなく困難だということになりそうだ。

しかし、地震予測の技術研究そのものは、今後も進める必要があるとしているところをみると、南海トラフの地殻の横滑りが地震の原因だという考え方自体は変わっていないとも受けとめられる。

 どうやら『ひずみ計』そのものは気休めという程度と考えた方が良さそうだが、一般的に地震予知はできると強調していたのは、『ひずみ計が捉える岩盤のわずかな変動』から、『今後○○日(月)の間に、M×程度の地震が起きる可能性』とする予報ではなかったのだろうか。

 東海地震の予知が困難となると、関係自治体が国の予知情報をもとに出される警戒宣言のあり方も、根本的に見直す必要もありそうだ。

 それにしても、東海地震予知が始まったのは、すでに半世紀以上前の1960年代。よくぞ半世紀の間、『地震予知』という(ある意味)夢のような安心感を与えていたものである。起きなかったから、まあ良いかと思わないでもないが、冷静に考えるとゾッとする気持ちにもなる。

 地震予知が夢に終わったが、駿河湾から四国沖、九州南部へと延びる南海トラフでは、東海、東南海、南海の三連動地震が起きるだろうということは歴史が証明している。

 先日、どの組織・機関から出されたかは失念してしまったが、三連動によるマグニチュード8クラスの地震が起こる可能性は、30年以内に60%から70%という数字をマスコミが報じていた。

 それによると、最悪の想定は、死者32万3千人、経済被害220兆円と、天文学的な数字もはじき出されているようだが、同時に有効な減災対策を打ち出せば、死者6万人、経済被害120兆円に抑え込めるという試算もあるそうだ。

 有効な手段とは、建物の耐震化や水道・ガスなどライフラインの対策は当然だが、病人や高齢者、障害を持つ人々をいかに素早く安全に避難させるかということは当然。そして何にも増して大事なことは日頃からの防災対策であることは論を待たない。

 先日のNHKニュ-スは、物資不足は最初の3日間よりも、4日目以降に食料も水も不足分が倍増するので、少なくとも4日分の生活物資の備蓄をすることが必要だと、映像を交えて、それらの品々を紹介していた。

なるほどと思って見ていたが、かなり大量になる物資を、どこに蓄えておくのかという視点がないことが気になる。(田舎親父)

2013年6月 1日 (土)

今日から住宅ロ-ンの金利が上がった

 一昨日の話になるが、朝日朝刊1面に5段抜きで『来月分の住宅ローン金利引き上げ』という大見出しが踊っていた。サブタイトルには、小さく来月分とあり『大手行2カ月連続』と続いている。

先日この小欄で、住宅金利が上がると住まいを取り上げられる人が出るのではと心配し、その中で(確証はないがと断りながらも)私が見た高級マンションの一室の変化を紹介したが、この見出しを目にしたとたんに、(顔さえもはっきりしないが)泣き泣き引っ越しする一家、特に母子の寂しげな表情が浮かんできた。

三菱東京UFJ銀行やみずほ銀行など大手銀行が、6月の住宅ローン金利を引き上げる方針を固めたとのことである。大手銀行がとあるが、全国の地方銀行や企業の名前を冠した銀行、あるいは星の数ほどある全国の信用金庫などの金融機関も、待ってましたとばかり続くのはこれまでの動きから容易に想像がつく。

2カ月連続の引き上げとあるから、すでに今月から引き上げられていたことになるようだ。こんなことも知らなかったのと笑われそうだが、いかに自分が改めて経済音痴であることを自嘲する。

 実際に、私にはあまり馴染みのない『ソニ-銀行』という銀行は、6月から10年間の固定金利(最優遇金利)を現在の1・406%から、0・286%上げ、1・692%にすると決定済みという記事も目に入る。

 記事には、銀行が住宅ローンの金利を決める時に参考にする長期金利は、日銀が4月に大規模金融緩和に踏み切ってから上昇傾向にあり、今回発表されたソニ-銀行の金利値上げは、日銀の長期金利の水準が、4月末の約0・6%から、5月末には約0・9%まで上昇していることが背景にあるという。

専門家筋では『わずか一カ月で0・3%幅も上がるのは異例のこと』とのことと一部では懸念がでているというから、何となくアベノミクスの反動が一挙に庶民の生活に影響しそうな不吉な予感すら漂い始めているようだ。

 『今から申し込んでも、実際に適用されるのは七月の金利になりそう』という記事の一文も気になる。

ロ-ンを申し込んでも、審査に一定の時間が必要なことは、経験上知っていが、今すぐ申し込んでも融資が決まるまで一カ月半ほどかかるのだそうだ。金融機関には金利を確定させまるためにはその程度の準備期間が必要なのだろうが、借りる方からは、少しでも金利が安い間にロ-ンを確定したいと思うのは当たり前。大勢の人たちが、申し込みの窓口に殺到しているらしいことは想像煮難くない。いやむしろ、窓口に殺到させることを誘導する一文に思えるからである。

記事にはあるファイナンシャルプランナーが試算が掲載してある。3千万円の35年返済の場合、金利は当初固定(年1・40%)で10年、その後変動(年2・40%)で25年とすると、総返済額は約4128万円。当初固定が年1・50%に上がり、変動が年2・40%とすると、総返済額は約4159万円で、約31万円増えるとある。

数字のことはほとんどわからないが、当初固定金利が0.1%上がるだけで、これだけ違うとなると、これにプサスして変動金利が上がると、大変なことになりそうなことだけは理解できる。しかも固定の金利も1.6%になるのは時間の問題で、場合によっては2%もあり得るというから、ますます、金融窓口に殺到する人は多くなりそうだ。

 別の専門家は、総額で31万円どころではなく、10年間で50万円程度の負担増という。どちらが正しいかは別として、借りる方はそれ以上の負担を覚悟する必要がありそうだ。

 となると,楽しそうに土いじりしていた母娘の姿がなくなったマンションの一室の光景が、またまた目に浮かんでくる。

 ここまでは昨日の朝の時点での文章。実際には、今日6月1日から予告通り住宅ロ-ンの固定金利が1.6%に上がるが預金金利は据え置きという報道に、改めて銀行の身勝手さに怒りを覚えるが、これが経済というものらしい。

景気回復と大騒ぎしているが、ここ数日の株価の下落は半端ではない。例年、6月は企業の決算の関係だそうだが、ジンクスとして株価が下落する傾向があるらしい。今日からはその6月に入る。

くれぐれも『アベノミクス』という言葉に騙されないようにしなければ、せっかく手に入れたマイホ-ムを、泣く泣く手放さねばならなくなる人が多くなりそうな気がしてならない・・・。(田舎親父)

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