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2013年7月

2013年7月30日 (火)

スマホを無秩序に広げたツケが・・・

 山口の過疎の集落で起きた、まるで小説を地でいくような放火殺人事件に続き、同じ山口を中心に中国地方の大雨被害の凄まじさのために、ここ数日騒がれなくなったが、広島での16歳の少女が、同級生たちの集団暴行で殺害され、遺体を山中に放置されたという事件は、ついにここまで来たかと身震いが止まらない。

 この事件は、広島市内に住む16歳の無職少女が『友人と山にゆき、殺して遺体を捨てた』と自首したことから始まったという。当初は『一人でやった』と供述していたそうだが、遺体を確認した警察は、どうも言っていることと遺体の状況が違うことに注目、さらに追求したところ、仲間たち7人で暴行したことを自供したとのことである。

 ここまでは、(あってはならないことではあるが)最近、イジメ(犯罪)でされたのに絶望して自殺する中高生の話題が絶えないことから、あり得るかもしれないと思うが、暴行に加わった少女の中には、その日はじめて被害者の少女と出会ったという事実は、私にはとても信じられることではない。

しかも、知らない人間を集める連絡手段にスマートフォンの無料通信アプリ『LINE(ライン)』を使っていたことだとの報道に、いよいよ携帯(スマホ)の無節操な進化した事件であることを確信、この種の事件は続くのでは・・・と恐怖感が生じる。

 スマホを持たない私には、ラインがどんな仕組みになっているのかほとんど理解できないが、24時間、いつでもメッセージを送ったり通話(短い言葉の羅列だろうが)が楽しめるとのこと。携帯電話を使ったメールに比べても操作は簡単だとだというから、適当なネ-ムをつけてネット上でやりとりできるようになっているのだろうと想像している。

 簡単に連絡できることもあり、手軽にネットで相手を探せることや短い言葉で書き込めることが若者たちには魅力で、一度使い始めたら止められなく存在になるのではないだろうか。

 手軽で便利なものには落とし穴がある。短いフレーズで受けた連絡に対して、とにかく早く返事をすることが必要だという虚迫害念が当たり前になると、じっくり考えることなく、若者独特の言葉で素早く書き込む。感情の行き違いが起きるのは当然だろう。

加害者の少女は自首する前、『(被害者にアプリで)悪口を書き込まれて腹が立った』と母親に打ち明けていたそうだ。どんな悪口だったのか分からないが、仲間うちで通用する汚い短い言葉が書かれていたのではないだろうか。その言葉を、安易に被害者少女の気持ちと受け止め、憎しみが募って、スマホのラインを使って仲間などを適当に集めて暴行、死にいたらしめたに違いない。

暴行に加わって仲間には『裏切ってごめんね』などと書き込んでいたというから、この時点では、殺害したことに何の反省もなく、むしろ仲間に慮っているように思えるのも、この事件に関与した若者たちの心理を想像すると恐ろしい。

高校にも通わず専門学校に通っているという環境も引っかかる。記事には、風俗関係のアルバイトで金銭的なトラブルがあったらしいとあるが、それが原因の一つとなったとすれば、家庭環境も含めて、なんともやりきれない気持ちにさせられる。

この事件で、随分以前のことになるが、携帯電話の負の要因など考えることなく、子どもに持たせる親の多さに、何とか警鐘を発したいという仲間たちが集まって活動したことを思い出す。

親たちを集めて、フォ-ラムを開いたこともある。ある親から『携帯電話の通話料として10万円請求された』という泣き言に、携帯の危険さを考えないのだろうと呆れたりもしたものだが、なにより、携帯も持った子どもたちが、まともに会話できなくなる現状をいかに危険であり、未来的な悲劇につながるかを訴えるかに腐心したものである。

私が携帯の負を語る活動は、時代の流れに逆らってものだったらしく、結果的には、自分の非力が虚しくなり、いつしか身を退いてしまったが、携帯より便利で取り扱いが簡単なスマホとなると、想像もつかないことが現実に起きているようだ。

当時、スマホは存在しなかったが、今や、携帯がスマホに変わっただけで、中高生の所持率はむしろ上がっているらしい。これで良いのだろうか。この事件は、スマホという便利なツールには、時には手に負えなくなる危うさも潜んでいることを端的に現している。

スマホを持っていない私には、その恐ろしさは観念的でしか理解できないが、このまま時の過ぎるに任せて記憶が薄れさせれば、スマホに起因する同じような事件が起きるような気がしてしならない。

しかし、虚しく悲しいことだが、結局はいつの間にか・・・。(田舎親父)

2013年7月29日 (月)

入山料の公平性の原則は・・・

 少し話はふるくなる、世界文化遺産に登録された富士山で静岡、山梨両県による『入山料』の試験的な集金が始まった25日は、朝はその準備の様子を、そして昼から夕方にかけては、県職員などが協力を訴える姿を、テレビ各局は大きく取り上げていた。

 世界遺産への登録以前は、入山料の徴収に関しては静岡県が熱心で山梨県は消極的だと伝えられていたが、ユネスコから環境保全と安全性を保つことが義務づけられたこともあり、来年度から徴収することで原則一致したらしく、その準備として、今年度は7月25日から8月3日までの10日間、それぞれの県職員らが山頂を目指す登山者から一人千円ずつを任意で集めるとのことである。

 テレビで支払っている登山客の姿は紹介していたが、その全てが『払うのは当たり前』という人たちばかりである。これは、拒否している姿は写されたくないので、これこそ当然だと思うが、不満を持った人や、任意なのだから支払いを拒否する人もいるだろうから、任意で集めなければならない県職員たちの気苦労を想像すると気の毒になる。

 新聞各紙も当日の夕刊と翌朝刊で関連記事を掲載していた。朝日新聞は協力した人や拒否した人にインタビュ-、それぞれの意見を掲載していたが、なるほどいろいろな言い分があるものと、面白く読ませてもらう。

 記事は『富士登山、お金かかるの?』という見出で始まる。静岡県側の富士の宮口の5合目で『あなたのお気持ちを富士山へ!』と掲げられた看板の側で、県職員らが机に座って入山料の支払いを呼びかけたとある。もちろん、傍らには『祝 富士山世界遺産登録』ののぼりがはためいていることも抜かりなく紹介していることも。

 午前9時で登山客は約100人という。もっと押しかけているのかなと思ったが、案外少ない。最初に募金箱に千円を投じたのは、同僚と5人で訪れた大阪府の30歳の男性会社員だそうで、『トイレの整備に使ってくれるのであれば構わない。記念の缶バッジをもらえるのもいい』と答えたという。正午までの3時間に約200人が支払ったとあるが、こちらも意外と少ないという印象を受ける。

 支払わないで募金箱の前を素通りした地元の男性にも取材したらしく、『何十年も富士山に登っていて県民税も払っている。なぜ、新たに払う必要があるのか』と怒り気味に記者に語ったのだそうだ。 

 県民税を支払っているという口ぶりからは、この男性は、環境保全や安全対策は自治体の仕事だと割り切っていることがうかがえる。静岡県以外からの入山者からは徴収することは当然と考えているのかもしれないが、富士山は地元のものという考え方はちょっといただけない。

 別の登山口でのインタビュ-記事も紹介している。須走口5合目でも午前9時から『富士山の環境保全協力金の社会実験を行っています』と県職員が呼び掛けるなか、県内の高校に通う男子生徒は千円を財布から取り出した募金箱に入れたが、記者には『学生は500円くらいにしてほしい』とつぶやいたとのこと。一緒に訪れた友達3人は払わなかったというから、この生徒の気持ちは正直である。

 まだ、九州から家族4人で来たという男性は『泊まりで登る。1人1泊1万円するので、登山料まで払うと負担が大きい』とのこと。こちらも正直な気持ちだろう。

 山梨県側でのインタビュ-の様子も記事にはある。吉田口登山道の6合目の安全指導センター付近で県職員が入山料を徴収したそうだが、こちらは正午までに約300人が支払ったとある。登山者の数が示されていないので比較にはならないが、300人というのも何か少ないように感じるが・・・。

埼玉県から息子2人と初めて富士山に来たという女性は『自然を守るためには千円くらい払ってもいい』と答え、愛知県から来た主婦は『世界遺産を守るには5千円でも高いことはない』と話したともあると、どちらも入山料には肯定的で否定的な意見が聞かれないのが少し引っかかる。

それはともかく、払う人払わぬ人それぞれの言い分はあるだろうが、環境保全や安全対策には莫大な予算が必要なことは間違いなく、何らかの財源が必要なことは自明のこと。私的には、むしろ、なるべくならば人が来にくくするためにも相当の金額の入山料は必要だと思っている。しかし、『貧乏人は富士山に登っていけないのか・・・』という声が聞こえてきそうなので金額の提示は控えるが、集める以上、公平性を欠くことがないようにしなくてはならないだろう。

徴収は午前9時から午後6時らしいが、夜間の登山客の方がむしろ多い現状では、これでは公平性はないと等しいのではないだろうか。来年本格的に徴収するとなると、よほどしっかりと対策を立てないと、不公平だという声が大きくなることは目に見える。

恐らく両県の担当部署では、マイカ-規制を徹底し、シャトルバス代金に入山料を計上するとか、バスツア-を企画する会社には、人数分の支払いを義務づけるなどという具体案を検討していると想像しているが、その程度では公平性の壁は超えられないのではないだろうか。

公平性の必須条件として、バスや車で五合目まで来る登山客と、一合目から自分の足で登る登山者とを区別するという発想が必要な気がするが・・・。(田舎親父)

2013年7月27日 (土)

杞憂だと思うが、他人事とは思えない・・・

 参院選挙が大詰めを迎えていた18日のことであるが、『アメリカ中西部ミシガン州のデトロイト市が、同州の連邦裁判所に連邦破産法9条の適用を申請した』というニュ-スには驚いた。

デトロイトは自動車の町であることは小学校の社会科の教科書に載っているので、デトロイトという都市の名前を知らない人はいないと言っても過言ではない。そこには世界最大規模を誇る『ゼネラル・モーターズ(GM)』の本社があることで知られている。そのGMが経営破綻したというニュ-スが数年前に流れたが・・・。

また、日本でも高級車としてお馴染みのクライスラ-もデトロイト付近に拠点をおいていたそうだが、こちらも同じ頃に経営破綻したという。

GMとクライスラ-という自動車業界の双璧が一挙に破綻したとなると、直接の正社員はもとより、契約社員そして関連会社の社員や、これらの人々をお客にしていたさまざまな業界も連鎖して、壊滅的な破綻となるのは経済音痴の私でも分かる話。

市の財政はGMの破綻と時を同じにして極端に悪化したことは想像に難くない。日常的なサ-ビスは次々に切り捨てられ、市の職員(特に警察や消防)も削減されるとなると、当然のことながら治安が悪くなることは目に見える。その結果、富裕層はもちろん、多少生活が苦しくとも子育てに相応しい環境を求めて転居したくなるのは当然だろう。

実際に、1950年に約185万人だった人口は流出が止まらず、現在では約70万人だと言われているが、実際にはさらに減っているようだ。治安はさらに悪くなり、殺人は日常茶飯事、世界一危ない町だというから近づきたくない。先日は、働く場を失った人たちが、廃墟になってビルで生活している様子がテレビで伝えられていたが、これがアメリカ・・・と感じるには抵抗がある。

日本では、そこまではいかないまでも、数年前メロンのブランドで知られている夕張市が経営破綻。夕張は炭鉱の町として知られていたが、炭鉱が閉山したものだから関連会社も含めて職を失う人が大量に生まれ、人口はどんどん減少。最盛期は20万だったのが現在では2万人弱らしいから、とても市として維持できる規模ではないという。

国の管理下で財政再建中とのことであるが、東京都が全面的にバックアップに乗り出し優秀な人材を送り込んで、改革を進めていると伝えられている。確か、その一人が市長になったのではなかっただろうか。

具体的にどこまで財政の建て直しが進んでいるのかは知らないが、少なくとも夕張で凶悪事件が続発するとか、今話題になっているイジメによる自殺者がでたという話は聞こえてこないので、治安も含めて市は、財政再建はともかく人々の生活は徐々に安定しているのではと期待をこめて想像している。

デトロイトをここまで追い込んだのはトヨタはじめ日本の自動車産業がアメリカ市場を席巻したからだと言われている。燃費が良く安全性に配慮している日本製の自動車が、アメリカで人気になることは当たり前なのだが、(弱肉強食の世界とはいえ)その結果、GMやクライスラ-という大企業が倒産、それがデトロイトの悲劇につながったことになんとも言えない変な気持ちになる。

今日の常識では、倒産企業に対しては『危機管理不足』と一言で片づけられるだろうが、果たしてそれで良いのだろうか。『危機管理』さえしっかりしていたら、絶対倒産しないのだろうか。否、いかなる能力のある経営者でも想像できない事態も起こりうるのではないのではという疑念は消えない。

先日の朝日新聞の読者の声の欄に、ある地方都市で、大企業の工場を誘致して一時的には財政が潤ったが、工場が閉鎖されたことで財政危機が厳しくなり、結局は、企業誘致以前よりはるかに厳しくなり、デトロイトを他人事ではないという投書を取り上げていたが、それに近い自治体も多いだろう。

(まさかという気持ちを持ちながら話が飛躍するが)企業がそのまま都市名になっている自治体も少なくない。豊田市はその典型で、世界のトヨタの城下町と表現しても差し支えなかろう。その意味で、GM最盛期のデトロイトと環境的には似ているのではなかろうか。

こんなことを書くと豊田市民からお叱りを受けることは間違いないが、もしももしも、トヨタの経営が破綻したとなると・・・と考えると、まさにデトロイトの悲劇を、アメリカの話だから俺たちには関係ないと見過ごしにすることはできなくなる。

今、やっと我が国がTPP交渉の席につけるようになったらしいが、自動車関連はすでにアメリカの軍門に下ったという記事もある。トヨタはじめ日本車がアメリカ市場から締め出されたとしたら・・・。

杞憂だと思うが・・・。(田舎親父)

2013年7月26日 (金)

参院選が終わったとたん・・・

 共同通信社が参院選直後の2223両日に実施した全国緊急電話世論調査をしたという。そのことについて疑義はないが、発表したその結果に『強い違和感』を覚える。  各紙の記事によると、アべ内閣の支持率は56.2%で、前回6月調査の68.0%から、実に11.8ポイントも急落したしたという部分が『強い違和感』の原因である。

 選挙前にはマスコミ各紙・各局は、内閣支持率は『相変わらず高い水準を保っている』と持ち上げ、それが参院選で自民党の圧勝を予測する最大の要因だったはずなのに、一夜明けたら、約12ポイントも落ちている・・・こんなバカな話ってあるだろうか。

 記事は続く。支持率が50%台となったのは昨年12月の第2次安倍内閣発足以来、初めて。不支持率は31.7%で、前回(16.3%)からほぼ倍増したとある。

 善意に解釈すれば、国民が選挙結果をみて、『勝たせ過ぎた』と思ったとも受け止められないことはないが、不支持の理由では『経済政策に期待が持てない』が29・6%で最も多く、前回調査からは9ポイント増加したという部分がいかにも不自然である。

 マスコミがアベノミクスをもてはやし、景気を回復し『強い国』にするというキャッチフレ-ズが国民の気持ちを揺すぶったからこそ、参院選の結果につながったことは誰の目にも明らかだろう。

 それが、一夜明けたら、賃金上昇の遅れや、円安による物価高など首相の経済政策『アベノミクス』への懸念の広がりが、支持率急落の背景にありそうだとの共同通信の発表は、明らかに意図的に世論を操作しているとしか思えない。

 さらに、民主党が参院選で惨敗した経緯を踏まえ、68・8%が野党の『再編が必要』と答え、『再編は必要ない』の22・7%を大きく上回ったという個所も、素直に解釈すれば、『野党は力を合わせて自民党に対抗すべき』と常識論となるが、向こう3年間、国政選挙はないとなると、7対2というこの数値は微妙すぎる。

 共同通信が調査をしなかったとはいわないまでも、一夜にして今までと逆の結果になったことは不自然であり、調査そのものに何かしら意図的なものを感じてならない。

 参院選挙から一夜開けて、前日と打って変わった報道がもう一つある。参院選前日までは、東電は汚染水が海に漏れていたことをかたくなに否定していたが、参院選の翌日になって、はじめて認めたという記事である。

 福島第一原発海側の観測井戸では5月以降、放射性物質の濃度が上がっていたということは度々報じられていた。7月になって、その濃度が高まり、港湾の海水からも高濃度の放射性トリチウムが見つかったという記事に、東電の体質は変わっていないことに呆れたものである。

 10日ほど前には、(私的にはあまり信用していない)原子力規制委員会が『高濃度の汚染水が地中に漏れ出し、海へ広がっていることが強く疑われる』と懸念しているという記事もあったが、東電側は汚染水流出を認めなかった。

 にもかかわらず、参院選が終わった翌日には・・・。このタイミングは何なのだろう。

 その言い分がなんとも奇怪しい。海の潮位が変わったり、観察の結果、雨が降ったりするのに合わせて、井戸の潮位が上下することが分かったので、原発敷地内と海との間に水の行き来があると判断したというから、あまりにも国民をバカにした話だと、怒りよりも先に呆れてしまう。

 原発再稼働を規定の事実としながらも、できるだけ争点にしたくない自民党サイドから『選挙が終わるまでは認めるな・・・』という強い圧力でも出ていたのではと疑りたくなる。

 もしも、自民党筋からの圧力はなく、東電独自で、海洋流出が明らかになれば、原発の大きなイメージダウンになり、選挙の結果にも影響し、その分再稼働が遠ざかるから・・・と判断したとなると、東電は本気で事故収拾など考えていないことになる。

 漁民の怒りは想像に難くない。これでは『福島の魚は汚染されている』と全国に発表していると同じである。風評被害と片づけられるものではなく、ますます消費者から嫌われ、漁民の生活は壊滅するのではないだろうか。

 東電は参院選前の18日規制委に『漏れている』という報告をしたというが、何故か規制委は知らんぷり。東電の言い分が事実だとしたら、規制委は政府に報告していないはずはないのでは・・・。意図的にこの情報を隠蔽したとしか思えない。政府と規制委とは同じむじなとしかいいようがなく、やはり信じる組織ではなさそうだ。

参院選がこんなところまで影響し、結果として、原発再稼働を進める自民党の圧勝となると、原発事故からの復旧・復興はますます遠くなっていくように感じてならない。(田舎親父)

2013年7月25日 (木)

早速始まったぞ・・・

 昨日に続いて心配事を・・・。自民党(野党の一部も同じ穴のむじなかもしれないが)の幹部たちはよほど戦争がお好きなようだ。好きというより、戦争を(今風の言葉で表現すると)ビジネスチャンスと捉えているように思えるから質が悪い。

 形骸化しているとはいえ、『武器輸出三原則』というのが我が国の国策。これは当時、冷戦状態にあったロシアを始めとする共産圏に武器を輸出しないことに加えて、国連決議による武器禁輸措置をとられた国、及び紛争地域への武器輸出を禁止したものであると理解している。

戦争を永久に放棄するとうたう日本国憲法下にあっては当然だろうと思うのだが、経済の発展には足かせになっているとの考えが台頭し、いつの間にか、アメリカに対してはこの限りではないということになり、近代兵器関連の部品の輸出はもとより、ミサイルなどの分野では共同研究が当たり前になっているのも酷い話。

経済の発展が何よりも必要だと主張し、それが今回の選挙の大勝につながったと分析しているアベ内閣は、武器を輸出して外貨を稼ぎ、それを景気回復につなげるというシナリオ通り、早速、武器禁輸政策の抜本見直しに向けた議論を8月から本格化させる方針を固めたという。

新たな指針の策定により、従来の武器輸出三原則を事実上『撤廃』するというから、世界各地で起きている戦闘地域に(まさかこんな営業言葉はないと思いたいが)『日本の武器はこんなに優秀だ。これらを使えば、相手兵士などを簡単に殺せる』ことをウリに、武器を売り込む政策と受け止めて間違いなさそうだ。

これではまさに、武器を作り、軍隊(国家)に売り込み、自分たちが大儲けする『政商』と全く変わらなくなる。いやそれどころか、殺人兵器を、戦っている双方に輸出するとなると、まさにカネに魂を売り渡し行為ではないだろうか。それを日本という戦争放棄した国が行っては、世界の良民から軽蔑されるばかりか、国内では広辞苑の『平和』の概念を根本的に書き直さねばならなくなる。

 さらにアベ戦争大好き首相は、参院選での勝利を受けて党本部で記者会見した席上で、現在は禁じられている『集団的自衛権』の行使について『日本国民を守るために何が必要かという観点から、有識者懇談会での議論を進める』と明言し、政府の憲法解釈を変更するという姿勢を明らかにしたとある。

 これは恐ろしい。集団人権というのは、(狭義に解釈すると)アメリカ軍が攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃を受けていなくても実力で阻止する権利だという。攻撃を受けたという言葉は微妙で、どちらが仕掛けたのは後で検証しても曖昧になることが多いとなると、現実に戦闘状態になった場合は無条件でアメリカと一緒に戦うことと解釈して差し支えなかろう。

 『権利を有する』というのは言葉の綾で、実際には『戦う義務』を意味しているとなると、こんなバカな『権利』など欲しくないというのが一般国民の正直な気持ちではないだろうか。

さらに戦争をビジネスチャンスと捉えている御仁達は、憲法9条が自分たちの行動き足かせになっているため、この条項を変えたくて仕方ないらしく、一部野党の改憲勢力と合わせて、憲法解釈を政権の判断だけでできる3分の2の勢力があることを背景に、『腰を落ち着けてじっくりと進める』と述べ、改憲の発議要件を緩和する96条改憲を先行させるという『(発議に必要な)三分の二を構成できるものは何かということも踏まえて考える』と発言しているというから、その意図は明らか。

 消費税の増税も規定の事実になっている。しかしこちらは他国の人々へ被害をもたらすものではないのでここでは問題にしないとしても、改憲や集団自衛権、あるいは武器輸出となると、世界に及ぼす影響は計り知れない。

特に、貧しい人々はさらに貧しい環境に追いやられることは間違いなく、こんな方向に我が国が手を貸すことになっては、日本軍隊が引き起こした大戦で,国内外で命を落とした人々を冒涜することになる。

考えれば考えるほど、ここまで自民党を勝利させたツケは大きいと言うしかない。(田舎親父)

2013年7月24日 (水)

国防軍という言葉の先には・・・

 ヒトという動物は、本能として民族や宗教、あるいは住んでいる場所の違う(自分とは係わりのない)ヒトに対して、攻撃的になり相手を隷属させねば気がすまないようなメカニズムが埋め込まれているのだろうか。

 変な書き出しになったが、人類の歴史は全てこのことの繰り返しであることを思うと、知能という他の動物にない特権を与えられたのにもかかわらず、ここまで文明が発展した現代社会においても、人間同士の争いがなくならないことに情けなさを感じる。

 グロ-バルという言葉が氾濫している現在は、世界に伍して行くためには、全ての面に競争に勝つことが義務づけられているようで、特に経済で勝たないかぎり、世界と競争することはできないというのが定説になっている。

 戦後、経済が右肩上がりに発展していた頃は、物を作りそれを輸出するだけで、国力が上がっていたと言われていたが、発展途上の国が経済競争に参加し始めると、それらの国々は手っとり早い方法として、外国資本の導入に動きはじめる。

日本の企業は待ってましたとばかり、これらの国々の安い人件費を使うために工場を移転する企業が多くなるのは時の動きだろう。特に中国にその基盤を移した企業は数限りなく、中国の経済の発展に貢献したことは論を待たない。しかし、経済力を持った中国としては、(当然だろうが)全て日本のおかげだとは考えてくれず、日本が俺らを利用しただけという理論が支配しているので、このところ日中関係は実に微妙になっている。

中国という国は、我が国の人々が土器を作り、一族郎党が縦穴住居で集落を作って生活をしている縄文・弥生の世であった頃には、すでに国家という概念が生まれ、文字を持ち進んだ文化を進化させている。強力な皇帝が出現し、国を治めていたのだからその先進性は驚くばかり。

皇帝がなによりも大事にしたのが、国(自分)を守るという発想。そこには強力な軍事力が必要となり、(写真でしか見ていないが)2千年以上前に中国全土を統一したといわれている秦の始皇帝が地下に残したと言われる兵士の姿などは、凄いの一言につきる。

その後も、中国はあまたの朝廷が頽廃し、代わって新しい国が生まれるという歴史を繰り返してきたが、その敵対勢力を徹底的に廃絶するやり方から、中国人の心の中には暴力(軍隊)の強いものが勝つという発想法が生き続けているようだ。もっともこれは、キリスト教やイスラムの世界でも同じだから、中国人に限らず『相手を支配する』という精神構造はヒトに共通なDNAなのだろうが・・・。

明治維新以来我が国は皇国思想の徹底で、外国の軍隊を真似て富国強兵を旗印に、強力な軍事大国にのし上がり、一時的には中国をも席巻したが、結果として軍隊の独走により太平洋戦争に敗戦。国の仕組みそのものが変わり、軍隊の不所持と戦争の放棄を明文化したのが現行の憲法であることは今更述べるまでもない。

この憲法のおかげで、(形だけかもしれないが)軍隊を持たず、戦争を放棄するという、世界のヒトが持ち続けてきた『暴力で支配する』という、考え方を放棄していることは、日本の誇りであり、これは堅持しなければと思っているが・・・。

ところが、この憲法はアメリカからの押しつけだと考える人々が国会議員の大半を占めるようになって、中国(韓国や北朝鮮も同じだろうが)との関係が微妙になるに連れて、軍隊を持たねばならぬと声高に堂々と語る機運が高まり、(私には自衛隊と軍隊との区別がつかないが)、自衛隊という名前ではグロ-バルな社会では通用しないとばかりに、国防軍に名を改める動きが加速しているようだ。

 早速その動きが顕著になり始めている。先の戦争の反省から、自衛隊は軍隊ではないことを示すためにも、制服組には指揮権を与えないシステムが続いていたが、ここにきて軍隊に名前を変えるためには、制服組により大きな権限を持たせる必要があるという考え方が当たり前のごとく語られ始めだしたようだ。

 具体的なシステムは良く理解していないが、文民である首相や防衛相が自衛隊を指揮する『文民統制』を敷いていることは教科書にも書かれて、かってのように制服組が暴走できない仕組みであることを学び,教えてきた。さらに防衛省の官僚である背広組が、軍事中心の制服組とは違う立場から自衛隊を管理し、首相や防衛相を支えることで、文民統制をより強く働かせていることも知っている。

 ところが、自民党は今回の参院選でも、公約の土台となる政策集に『部隊運用組織の統合などでより積極的・効率的に機能する防衛省・自衛隊にする』と明記し、勝利したことから、制服組の権限を大幅に大きくすることは規定の事実になってしまった。

 さらに、自民党のタカ派と言われる首相や幹事長などの幹部たちの間には『文民統制とは、防衛庁の官僚ではなく、自分たちが軍を統制することだ』という考えが根強く、政治家の意志で自衛隊を動かしたいという願望があることは間違いない。

 これは恐ろしい。戦前のような軍隊の暴走はすぐには起きないとは思うものの、軍隊を強くするためには、『優秀な若者が必要だ・・・』ということになるのは一目瞭然。

ますますグロ-バル化と近隣諸国との関係が微妙になるに従って、軍隊を支える人員確保が重要課題になるだろう。そしてその先に見えるのは、(国家の都合のよい)次代の若者を育てるための教育制度の改革と徴兵制・・・。(田舎親父)

2013年7月23日 (火)

間もなく70歳 考えることは・・・

 私も後一月で満70歳になるが、70歳になるといろいろと恩恵が増えるらしいからほんの少し楽しみにしている。その一つが、老人パスというもいただけて、(いくらかの費用を負担するようだが)市内のバスや地下鉄の運賃が無料になるのだそうだ。

ここ数年、めったにバスや電車を利用することがない生活が定着しているので、現在の私には余り魅力とは思えないが、実際にこのパスを手にしたら、どんな心境になるのか楽しみである。

時に歩くのに疲れた日や、ふと気分が変わって、知らないバスに乗って、行ったことがない地域に足を踏み入れて新しい発見ができたら、たちまちその虜になる可能性もあるのでは・・・なんて想像するとその日が待ち遠しくもなる。

さらに、70歳になると医療費が1割り負担になるという。現在の国民保険は3割負担、それが1割りとなると随分割安に感じるのではないだろうか。

こちらも現在のところ至って健康な生活ができており、病院に出かけるのは2ケ月に一度程度の桑の葉の効能を確かめるために行っている血液検査に出かけるだけであるが、その費用が千円程度になるらしいから、その瞬間の気持ちを想像すると楽しくなる。

ところが、この恩恵が風前の灯火になっているらしい。当時は実感が全くなかったので聞き流していたが、かなり以前にこの恩恵が剥奪されて、70歳から74歳は2割負担という法律が国会を通過したことはうっすら記憶している。

すぐにでも、2割負担が始まるのかと思っていたが、その後歴代の政権は老人パワ-を恐れたのかもしれないが、実施をためらっているのだそうだ。ところが、アベ内閣は支持率の高さに自信をもったらしく、来年4月から2割負担にすることを決めたという記事が先日の新聞にあった。

自民党が一昨日の参院選で圧勝した勢いからすると、この話は一気に加速するだろうから、医療費が3分の1になるのはわずかの期間だろうが・・・。

記事によると、70~74歳の高齢者が負担する医療費は平均で4.5万円だという。これを多いと見るか、それとも少ないと感じるかは人はさまざまだろうが、血液検査だけで病院に支払って金額は約1万5千円程度。その感覚からすると、4.5万円という数字が少なすぎるようにも思えるが・・・。

これが2割になると、単純計算で倍額の負担になる。私の場合を当てはめると、急な病気にかからない限り、医療費の2割負担だと3万得弱。この額なら何とかなりそうだが、平均的な人で一気に10万円の負担になると、かなり生活を圧迫することは間違いなさそうだ。

老人問題は緊急且つ重要な問題で、無制限に保証できるほど国家財政が豊かだとは思わないが、政治の無駄には極めて消極的な政権に一任してしまえば、全て自己責任だと言われるのは間違いなさそう。疑問を感じている人も多いはずなのに、声は届かないのも、国民が聞く耳待たない政党を選んだのだからあきらめるしかなさそうだが・・・。

話は変わるが、私の父親は65歳で半世紀前になくなったが、当時、さほど『早死にですね』とはいわれなかった。むしろ、平均寿命程度は生きたのではなかっただろうか。それが、どうだろう、先日先輩の奥さんが80歳でなくなり、その葬儀に集まった人々の口からは、揃って『まだ、お若いのに・・・』という言葉で満ちあふれていた。

確かに、女性の平均寿命は88歳というから、まだお若いのは間違いないが、自宅で急死に近い亡くなり方をされたというから、遺族の方には失礼かもしれないが、人生の終焉としては最高ではないだろうか。その意味では羨ましいという思いが先にたつ。

それにしても、わずか50年あまりで、寿命が20年も延びるというのは凄いとしか言いようがない。生活環境の改善と医療技術の進歩が原因だとわかっているが、果たして良いことなのだろうか・・・とこのところ思い悩んでいる。

高齢者を選んで出演させているのはNHKの作戦だろうが、先日、100歳を超える人がのど自慢で合格したという場面を見で絶句した。しかしこの方は特別ではないだろうか。最近の高齢者の元気ぶりをマスコミは盛んに取り上げているが、統計的には、むしろ病院通いが日課になっている人も多いような気がするのだが・・・。

意識もままならず、ただベットで寝かされて、生きている状態にされている人も少なくないはず。80歳でなくなった先輩の奥さんが、仮に100歳まで長生きしたとしても、元気でいられる保証はない。

(参院選挙の結果に失望したことを言い訳にするが)今日も取り止めのない文章になったが、結局私にできることは、死ぬ前日までできることは、なるべくならボケず、毎日駄文を書き、そして自分の足で歩けるように日々鍛練するということだけらしい・・・。(田舎親父)

2013年7月22日 (月)

この場に及んで、まだ安全とは・・・

 わかっていたが、やはりダメだった。しかし国民がここまで自民党を支持するとは、何なのだろう。かえすがえすも公約とは全く相反する、消費税増税という裏切りがなかったらと思わずにはいられないが・・・。

それにしても、選挙の結果がマスコミの報道通りになる不思議さが私には全く理解できない。これで原発の再稼働は確実になったらしいが、あの大事故はもう忘れられてしまったのだろうか。そこで少し話は古くなるが、原発関連の話題を取り上げてみる。

3.11以降、『原発安全神話』は消えたはずだったが、『福島第一原発事故の後、原発の安全性ばかりを強調して推進を図っていた国の原子力関連の広報事業を国自らが見直したはずなのに、事業に効果があるのかどうか分からないなど疑問符のつく事業が、いまだにいくつも存続していることが分かった』という記事は何を現しているのだろう。

 東京新聞は、憲法改定に対してかなり踏み込んだ見解で、数日前の一面トップは『改憲 もってのほか』という見出しで、宮崎駿監督の主催する『スタジオジブリ』が、毎月発行している無料の小冊子『熱風』の最新号で『憲法改正』を特集し、その中で宮崎駿監督が寄せた記事が話題を呼んでいるという記事を掲載している。

 記事の内容は、読まなくても分かるだろうからあえて引用しないが、『スタジオジプリ』は憲法改定に反対の意志を鮮明にしている。それを一面トップに取り上げている東京新聞の度胸が素晴らしいではないか。

 全国の書店では品切れが続出。ジブリ出版部は反響の大きさから、『参院選の投票日前に読んでほしい』と、急きょジブリ公式ページで公開を始めたという。スタジオジプリの作品は、幅広いファンを持ち、特に若者が熱狂的に支持しているそうだから、ひょっとして参院選挙の投票率が上がるのではと(ほんの少し)期待が持てそうだ。結果的には、スタジオジプリでもダメだった・・・。

話を戻すが、その東京新聞が事故前の2010年度から、事故後で最新の13年度までの経済産業省資源エネルギー庁と文部科学省の契約を調べたという記事である。

 事業数は10年度に約60あったのが12年度には25へと6割減り、事業費は約21億円から11億円へと半減し、原発を宣伝するパンフレットや冊子などの製作は一掃されたとある。

当然のことだろうと思うが、しかし、という否定の接続詞を使い『いまだ問題のある契約も散見された』と記事は続く。これは引用してつぶやく価値がありそうだ。

(引用はじめ)その一つが、エネ庁が行っている青森県六ケ所村での「理解促進活動」だ。村と地元企業が出資する第三セクターのスーパーで、原発や使用済み核燃料の再処理の仕組みを説明するパネル展示が主な内容で、00年度から続く。広報事業はこの三セクが請け負っている。

 展示に関心を示す人は少なく、買い物に来ていた主婦、佐々木幸子さん(36)は「展示は見たことがない。国のお金を使う必要があるとは思えない」と苦笑した。

 事業を請け負っている三セクの担当者は「事業の必要性は分からない」としながらも、「大きな収入源。国の発注がある以上、受注し続けたい」と話した。来場者にアンケートも行っているというが、結果は非公開。実情は三セクを潤すばらまきに近い。

 実用化のめどが立たない高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)についての文科省のPR事業も続く。地元テレビ局の番組や住民との意見交換会で、もんじゅの安全性や研究成果などを強調する。

 「安全性向上対策をしています」「さまざまな成果を生み出しています」。今年三月まで放送された広報番組を見ると、都合のいい内容ばかり。厳しい実用化の現実や、発覚している機器約一万点の点検漏れには一切触れていなかった。

 エネ庁や文科省の広報事業は、このほか、六ケ所村周辺で自治体が主催するイベント時にブースを出し、放射線の専門家が常駐して来場者に放射能について説明する「隣接市町村等広報」や、放射線関連の講師の派遣、原発立地自治体での教職員向けセミナー、NPOの勉強会支援などの事業もある。

 国の担当者たちは「事故後、専門家の生の声を聞きたいという要望が高まった」と事業の存続理由を説明するが、事業を受託しているのは、いずれも従来の原子力推進団体。「放射線をむやみに恐れる必要はない」との説明が中心だという。(引用終わり)

この記事に関するブログなどは検索するとかなりの数認められるが、圧倒的多数の国民がこのようなブログを目にすることはない。

朝日や読売、あるいは毎日あたりがこのような内容を掲載すれば、国民の意識は少しは変わり、原発再稼働を当然としている厚顔無恥の自民党やアベ政権への支持率が、少しは低下するだろうと思うのだが、『安全神話崩壊』のその後の記事は見当たらない。

 それどころか、『原発再稼働』を参院選挙の争点にしないように動いていたことは確実となると、大新聞には期待する方が間違っているのかもしれないが・・・。

その意味でも東京新聞の姿勢には、まだジャ-ナリズムが生きていると思える、かすかな希望が湧いてくる。(田舎親父)

2013年7月20日 (土)

これではまた民主党の票が減るのでは・・・

 今日の民主党のデタラメさを作ったA級戦犯の一人であるカン元首相が、東電福島第1原発事故をめぐり、アベ首相が『カン総理の海水注入指示はでっち上げ』と題したメルマガを配信し、現在もネット上で掲載しているのは名誉毀損だとして、アベ首相に対し、該当するメルマガの削除と謝罪を求め提訴したというニュ-スには、思わず吹き出してしまった。

今回問題にしたのは、2年前のアベ首相のメルマガだという。当時元首相という肩書で『東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何とカン総理その人だった』と記載。その上で『海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいた』と述べているとある。

そういえばそんなことを以前取り上げたなと思い出し、2年前の5月の履歴をたどってみたら、産経新聞が『震災翌日の原子炉海水注入 首相の一言で1時間中断』という見出しに目が点になったという一文を見つけた。

記事もそのまま引用しているが、読み返すと面白いので再引用しておこう。(引用開始)

東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発1号機に関し、3月12日に東電は原子炉への海水注入を開始したにもかかわらず菅直人首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入り、約1時間中断したことが(5月)20日、政界関係者らの話で分かった。
 最近になって1号機は12日午前には全炉心溶融(メルトダウン)していたとみられているが、首相の一言が被害を拡大させたとの見方が出ている。
 政府発表では3月12日午後6時、炉心冷却に向け真水に代え海水を注入するとの「首相指示」が出た。だが、政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送った。
 ところが、東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止した。その後海水注入でも再臨界の問題がないことが分かった。同8時20分に再臨界を防ぐホウ酸を混ぜたうえでの注水が再開されたという。
 自民党の安倍晋三元首相は20日付のメールマガジンで「『海水注入の指示』は全くのでっち上げ」と指摘。「首相は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべき」と断じた。これに対し、枝野幸男官房長官は20日夜「安倍氏の発言が偽メール事件にならなければいいが」と牽制(けんせい)。首相周辺も「激怒はしていない。安全を確認しただけだ」と強調した。(引用終わり)
 どうやらこのことらしい。カン氏は『内容は全くの虚偽の情報に基づく。私の名誉を著しく傷つける中傷記事だ』と述べているとのことであるが、何を今更トチ狂ったのかと言いたくなる。このところ原発ゼロを口癖にしているカン氏は、明日の投票日に向けて、世間の目を引きつけたいパフォ-マンスというところでは・・・。

さて、このパフォ-マンスが明日の結果にどう影響するか楽しみだと言いたいところだが、例え、カン氏の言い分が本当だったとしても、今の状態では信じる国民はほとんどなく、アホか・・・という一言で、民主党への票がさらに逃げるのではないだろうか。

2年前のつぶやきで、カン氏がフランス・ドービルで開かれる主要国首脳会議(G8サミット)で、『原発の安全性を向上させたうえで継続利用する方針』と演説したことを皮肉ったが、首相を下ろされたとたんに口調は一変し、『脱原発』『原発ゼロ』では、(時が過ぎると考え方が変わるのは理解できるとしても、一般人ならいらしらず)日本のトップの発言としてはお粗末極まりない。これは世界の世論が許さないだろう。

 明日の深夜、議員として参議院の門を潜れる民主党公認候補は何人になるのだろう。マスコミは20人前後と予想しているようだが、下手すると10人にも満たないということさえ考えられないこともない。

その結果、カン氏はどんなコメントを出すのだろうと想像するが、反省の弁が出ないことだけは確かだろう。(田舎親父)

2013年7月19日 (金)

中国食材の危なさ・・・

 「この国で最も遠慮深いのは食堂の料理人だ。客が『一緒に食べよう』と言っても決して口にしない。

 この一文で何が連想できるだろう。「今、中国で流行しているジョークだ。料理人が客の申し出を断ったのは、遠慮したのではなく、自分が作った料理がいかに危険かを知っているためである」続くと、なるほどと思わせる説得力を感じる。

 この文章は、久々に開いた大紀元というサイトで見つけたが、いかに中国で、食品の偽装や汚染が深刻化しているかを、端的に物語っているようだ。

 そこには、私には想像もできないような記事がある。その一つが、ネズミやキツネを羊肉に偽装していた精肉業者が摘発されたという事件だが、これらの偽装羊肉を食べて中国人が『何の肉を食わされているのか分からない』と、本人すら羊肉ではないことを知っているかのごとく、あまり驚かないというから凄い話。

 また、これは日本のマスコミも取り上げているが、浙江省杭州市内で『牛肉製品』として販売されていた8食品をDNA検査したところ、そのすべてから豚肉のDNAが検出され、うち5食品には牛のDNAが含まれていなかったという。

 さらに、中国のスーパーでは『牛肉精粉』なる魔法の粉が人気なのだそうだが、これは合成着色料と化学調味料の効能により、豚肉にかけると見た目も味も牛肉そっくりにしてくれるというシロモノだという。ひょっとして日本でも、すでに存在する?のかもしれないが・・・。

 数年前からは、下水を精製して作った食用油『地溝油』が市の食堂でも使われているという報道に至っては、何と中国人の胃袋は頑丈にできているものだと、妙に感心してしまう。

 これらの報道内容が全て正しいとは思いたくないが、中国国内でも問題になってらしいことはこのところしきりにマスコミが取り上げているので、全く根拠がない話ではあるまい。ここまで酷い食品はともかく、危ないと思われている中国食材が日々我が国で流通しているから困ったもの。

 先日、久しぶりで鰻の蒲焼でも食べたいと思い、近くのス-パ-の食品売り場に出かけた。そこに並んでいる鰻の蒲焼の8割には『中国製』という文字が、これでもかと大きく書かれていることに衝撃を受ける。以前も『中国産』という文字はあったが、何となく肩身が狭そうな小さな文字で、見つけられないようにというス-パ-の意図を感じたものである。

 今更私が驚くことではないが、価格の格差が物凄い。中国産なら800円台なものが、鹿児島県産(他府県でも同じだろうが)という文字に変わることによって、倍に跳ね上がるのだから、なるほど売るほうは強気になるはず・・・。

 これでは私のような貧乏人には手が出ない。結局、となりに並んでいたサンマの蒲焼を夕食のおかずにしたのだが、それほど中国産の食材が庶民には当たり前のように行き渡っていることを実感した。

 まさか、中国で作られ輸入された鰻の蒲焼に、地溝油や牛肉製粉まがいの薬剤が使われているとは思いたくないが、並んでいる鰻の蒲焼には『中国製』としかないのでは、数年前の毒ギョ-ザの例を挙げるまでもなく、安全・安心という保証はないことだけは間違いない。

 話は飛躍するが、中国に限らず、海外からの毒食品の流入を水際で食い止めるため、防波堤となるのが検疫所によるモニタリング検査だということは程度の知識は持っているつもりであるが、その実態が実にお寒い限りだそうだ。

 先日ある新聞に、厚労省の『輸入食品監視統計』によると、2011年度には輸入食品などに関して1257件の食品衛生法違反が発覚し、積み戻しや廃棄などの措置がとられたとあるので、それなりに防御策はとられているらしいが、『検疫所が行う輸入食品のモニタリング検査の実施率は、全量の2・8%程度に過ぎない』と指摘する専門家もいるとなると、これをすり抜ける食品も少なくないことだけは確かだろう。

 さらに、ウイルス検査に至っては生食用の貝類以外、行われていないのが現状で、我が国は、鶏肉消費量の約10%を中国から輸入しているが、鳥インフルエンザウイルスに関しても無防備なままであるとなると、中国産の鶏肉なんて怖くて口にできるものではない。

 しかし、先日出かけたス-パ-には『中国産鶏肉』が並んでいなかった。ということは輸入鶏肉のほとんどが、食品加工業や外食産業に流れていることを現している。我々は知らずしらずに口にしていることになる。これではうっかり外食したり、出来合いの鶏肉製品も買えなくなってくる。

 中国の話に終始したが、これに類する食材は世界にはゴマンとあるのではないだろうか。TPPで全ての関税がなくなれば・・・。(田舎親父)

2013年7月18日 (木)

ねじれも悪くない・・・

参院選真っ盛りだが、何となる盛り上がりが欠けているように感じてならない。自民党はすでに圧勝したかのごとく、アベ首相に至っては憲法96条の改定は当たり前、9条も改定すると意気込んでいるらしい。
 また防衛オタクと言われている幹事長は、自衛隊という名称を国防軍に変更し、国防軍の隊員を一般人の裁判とは違う軍人としての心構えを徹底し、規律に違反した場合は軍事裁判が必要とまで踏み込んでいる。
 憲法9条を変えたくてたまらない首相はじめ自民党のタカ派幹部たちは、国民の批判をかわす意図があるのだろうが、直接9条改定議論を避けて、まず、衆参両院で国会議員の3分の2の賛成で国民投票が可能となる96条を、国会議員の過半数でできるように壁を低くする腹積もりだとのこと。このことはマスコミも盛んに取り上げている。
 こんなことがまかり通っては大変な社会になることは私のような政治音痴でも分かりきったことであるが、何故か国民には『強い国』、あるいは『景気回復』という言葉が呪文のように聞こえるらしく、自民党を支持しなければ、決められない政治が続き、生活が安定しないように思い込まされているような風潮が、この国全体を覆っているように感じてならない。
 マスコミも阿部政権のお先棒を担ぐがごとく、あたかも『ねじれ』が解消すれば全ての問題が解決できるがごとく、今度の参院選挙の最大の目玉も『ねじれが解消できるか否か』と打ち上げているのも困った話。
 確かに、衆議院で大敗した民主党の悪あがきで、参院で首相や閣僚の問責決議を連発したことから、重要法案が廃案になったことは事実だが、同じようなことは自民党も野党時代にやっていたことではなかろうか。
 参院の役割は、衆院とは違う角度から政権の行き過ぎに歯止めをかけたり、再考を促したりするものだと教えられ、そして教えてきた。その意味では、ねじれが悪いわけではなく、参院を本来の役割を頭から否定して、政争の場にしている自民党など政党の方が問題である。
 先日、自民党の候補者が駅前で演説していたので、何をしゃべっているのかぼんやりと聞いていたが、原発のことや沖縄の普天間基地のこと、さらに消費税の問題などは一切なく、アベノミクスで景気は確実に回復していることを繰り返していた。
 アベノミクスの実現のため命をかけて活動するからよろしくと繰り返し、参院で多数を占めて『ねじれ』を解消しなければ、国力が衰える、世界に伍していけないと強調していたが、残ったのはどこか違うだろうという違和感だけ。
 参議院が衆議院の下請けのようになってしまったのはいつからだろうと振り返ると、ホソカワ内閣あたりからではなかっただろうか。その後、相手方に総理大臣の席を与えるという自民党の遠大な政権奪回作戦を成功させて、政権を奪回してから、衆議院との明確な違いが薄らいだように思えてならない。
 参院から大臣に起用する数が増え、衆院選挙で落選するとは参院に鞍替え、時に逆の場合もあっては、良識の府としての参院は一体どこに消えたのかと嘆かざるを得なくなる。
 『ねじれ』が起きないよう、衆参を統合して『一院制』にすべきだと主張する個人や政党もあるのもこんな現状では分からないでもないが、政権の歯止めとなり得る、本来の参院の役割をなくしてしまって良いとは思えない。むしろ現状を見渡すと、『ねじれ』てる方が、良いともいえないこともない。 衆院で落選している候補者が、楽々と参院で復活させているようでは、参院の独自性など議論する余地すらない。政治を志す人は、国政を運営するか、それを監督するかどちらかを選択し、鞍替えなど一切認めないという仕組みを作るべきではないだろうか。
 少なくとも参院の政党色を薄め、より議員個人の意思を尊重する方向に進んでほしいものである。できれば政党そのものを参院ではなくすのが良いのだろうが現状では無理だろうから、せめて採決で党の決定に従う『党議拘束』は禁止という条項を加えれば、相当の参院の役割が変ってくるに違いない。
 今日も、年寄りのつぶやきになってしまったが、今回ばかりは『ねじれ』が解消したら原発は再稼働どころか新設もあり得るだろうと気が重くなる。さらに、強い農業の構想も明らかにせず、農民(国民)に『貧』を押しつけ、あらゆる面で経済格差がますます広がることになるのは間違いなさそうだ。
 自衛隊が国防軍と名を変え、規律を守るために軍法会議、そしてその先には徴兵という魔物が見え隠れするトンデモない社会になる予感がしてならない。(田舎親父)

2013年7月17日 (水)

自転車事故で約1億円の支払い命令・・

 先日、事故当時小学校5年生だった少年(現在15歳)が乗った自転車と歩行者との衝突事故をめぐる損害賠償訴訟で、神戸地裁は、少年の母親に約9500万円という高額賠償を命じたという記事に目が留まる。

 5年前の事故らしいが、被害に遭った67歳の女性は、事故の影響で今も寝たきりで意識が戻らない状態が続いているとなると、この判決は妥当のようにも思えるが、果たして40歳の母親が支払えるのだろうか、と事情が分からないが心配になってくる。

 記事によると、この事故は平成20年9月22日午後6時50分ごろ、神戸市北区の住宅街の坂道で起きたとのこと。秋のお彼岸時期となるとあたりは真っ暗な中だっただろう。当時11歳だった少年は、ライトを点灯しマウンテンバイクで坂を下って自宅に向かっていたらしいが、知人と散歩していた女性に気づかず、正面衝突したという。

 知人との話に夢中になっていたかもしれないが、真っ暗であっても(真っ暗だから余計に)自転車のライトが目に入っていたのではないだろうか。それをみて危険と感じたとしたら、何らかの防御の姿勢がとれたのではなかっただろうかと思わないでもないが・・・。

 少年が二人の婦人に気づかなかったのは致命的な過失であり、弁護する気持ちはないが、それにしても、正面衝突というのが少し引っかかる。女性は突き飛ばされる形で転倒し、頭を強打。女性は一命は取り留めたものの意識は戻らず、4年以上が過ぎた今も寝たきりの状態が続いているとのことである。

未だに意識が戻らないというから、被害者側は怒り心頭に達していることは十分理解できる。こんな場合の補償は金額でしか示されない。少年が高速で坂を下るなど交通ルールに反した危険な運転行為は明らかだから、母親は日常的に監督義務を負っていたと主張し、計約1億590万円の損害賠償を求めたという。

自動車の交通事故の場合は強制的に自賠責に加入。それぞれが任意に保険に加入しているのでこの金額にはさほど驚かないが、自転車事故となるとこれは凄い。自転車の事故の場合自賠責制度はない。任意の保険もあるのだろうが、加入している人は少なく、時に自転車に乗る私も自転車保険などへ加入など考えてもみなかった。

賠償を求められた少年の母親も必至に抗弁。少年が適切にハンドル操作し、母親もライトの点灯やヘルメットの着用を指導していたとして過失の相殺を主張していたそうだが、裁判官は、少年が時速20~30キロで走行し、少年の前方不注視が事故の原因と認定した上、事故時はヘルメット未着用だったことなどを挙げ、『指導や注意が功を奏しておらず、監督義務を果たしていない』として、母親に計約9500万円の賠償を命じたという。

それにしても額が大き過ぎる。少年の母親(父親の姿が見えないので、ひょっとして母子家庭?)が、こんな高額の賠償金が払えるのだろうというのが素朴な疑問。世の中には莫大な資産を持っている人もいるだろうし、母親がその一人であれば、私の心配など杞憂だろうが、常識的にポンと1億円近い金額を支払える人などあまりいないのでは・・・。

ヘルメットを着用していなかったのも親の責任としているようだが、ヘルメットは自分のみを守るためで、今回の場合当てはめるのには少し違うようにも思える。それ以前に、自転車に乗る時はヘルメット着用と、明確な法的根拠があるのだろうか。

免許が必要で、バイク同様にヘルメット着用を義務づけて、違反の場合は罰則があるのなら、親の責任といわれても仕方ないが、世の親のどれほど多くが子どもにヘルメット着用させているのだろう。ごく一部ヘルメットをつけて爽快に走る子どもの姿を時には目にすることはあっても、日常的にはヘルメットをつけて自転車に乗っていることもの姿などゼロと言っても過言ではなさそうだ。

この判決の是非はともかく、事故を起こすとトンデモナイ賠償金を負担しなければならないことをもっと大きく取り上げ、自転車事故の補償金を車(バイク)並に扱うのであれば、車(バイク)に当てはめられる程度の規制が必要ではないかという世論を盛り上げる必要があるようだ。

さらに、自転車だから責任が軽くなるとはいえないが、11歳の子供の事故で親がどれほど責任を負うかは、自転車のル-ルについての法的規制と同様、もう少し深く議論する必要があるように思えるが・・・。(田舎親父)

2013年7月16日 (火)

信じられない事件が続く・・・

 宝塚市役所に男が火炎瓶を投げ込んだ上、ガソリンをまいたという事件には驚く。背景はこれから調べが進に連れて明らかになるだろうが、役所に怒鳴り込むということは聞いたことがあるが、犯人をここまで駆り立てたという事件は史上例がないのではないだろうか。

昨日はじめて公開されたという映像がテレビで流れたが、納税課の中はイスや机か完全に燃え、まさに火事場の惨状そのもの。重要書類は金庫に保管していただろうから、納税事務に大きな影響はないと思いたいが、夏休み返上で復旧作業にあたらねばならない職員を思うと気の毒という気持ちが先にたつ。

幸いなことに、この事件で犠牲者がいなかったのが何よりである。しかし、火炎瓶プラスガソリンとなると、あっと言う間に炎が上がり辺り一面火の海になったことだろうから、現場に居合わせた職員は一瞬何が起きたのか分からなかったに違いない。

宝塚市役所としては普段からいろいろと訓練はしているだろうが、全国どの自治体で現実には力を入れているのが地震や津波であって、悪意に満ちた人間が起こす放火に対する訓練などは想定外。恐らく消火器がどこにあるのかさえ職員の頭の中には浮かばなかったことだろうと推測している。もっとも消火器など役に立たなかっただろうが・・・

今回の事件で、脈絡はないが、大阪教育大学の付属池田小学校に刃物を持って児童を死傷させたタクマ某のことが思い浮かぶ。

この犯行以前は、酔っぱらったり精神的に正常でない人間が学校に入って、わけの分からないことを大声で学校なることはあっても、包丁で児童を殺害することを目的とすることなど想定していなかったので、全国の学校に与えた衝撃は前代未聞。一気に防犯意識が高まり、あの日から学校の日常が変わってしまった。

宝塚市の今回の事件によって、全国の役場で防犯議論が高まるのは間違いなさそうだ。全国どこでも経済格差が広がり、勝ち組・負け組という言い方が定着し、富有者はますます豊かになるが、貧しい人たちはその生活はますます苦しくなっている現状を鑑みると、この種の事件はどこの役場でも起こりうることだと思うからである。

小学校では警備を徹底し、関係者以外を立ち入らさないというシステムにすれば、学校の質の変化はともかく、第二のタクマが小学校に侵入は防げるだろうが、役所となると市民の出入り止めるわけにはいかず、自治体の悩みがまた一つ増えそうだ。

空港のように持ち物検査をするのも不可能だから、職員が不審な行動をいち早く見分けることを要求されそうだ。しかし、不審な行動ということ自体曖昧なので、完全に防御することはできないだろう。結局は、ガ-ドマンが目を光らせることになるのだろうが、住民サ-ビスという点からは余り歓迎できることではなさそうだ。

話は変わるが、一昨日の午後4時というから、猛暑の中だろう、茨城県龍ケ崎市の路上で、小学5年生の女の子が、男に顔を複数回殴られ、意識がはっきりしない状態となりドクターヘリで病院に運ばれ、手当てを受けているというニュ-スをネットで知る。

男はまもなく警察に逮捕され傷害事件として捜査しているそうだが、白昼、こんな事件が実際に起きている現実に暗澹たる気持ちにさせられる。

翌朝のテレビニュ-スによると、逮捕された30歳の無職の男は、女の子を見つけて、わいせつ目的に近づいたようだとのこと。現場を映しだしているが、草が多いかぶさった場所で、近くには民家もなさそうに見える。

昼間でも人通りが少ないとのことだが、主要国道に沿った通りだというから、車の往来はかなりあったのではなかろうか。炎天下の真っ昼間、こんな荒っぽい事件が過去あっただろうかと記憶をたどるが、わいせつ目的の誘拐事件はいろいろと思い出すが、意識不明にするまで殴る蹴るという荒っぽさは聞いたことはない。

さらに数日前には、広島県で16歳の少女が、友達付き合いをしていたと思われる同じ歳の少女を殺害して、山中に遺棄した事件の報道もあった。恐らく、この事件は第三者がからんだ男女の複雑な係わりが背景にあるのだろうが、いとも簡単に殺して死体を遺棄する事件が多すぎる。

 どうも最近の事件(秋葉原の通り魔事件が起点かもしれない)をみていると、明らかに今までと犯罪の質が変っている。質の違いとはなんぞや・・・と問われると、グロ-バルという言葉に代表される、『勝たねばならない』という脅迫概念があらゆる年代に蔓延し、その重圧に抗しきれなくなった人間が、突如今までの常識では考えられない行動にでるように思えてならない。

 想像したくないが、この傾向が続く限り、もっと凶悪で、今までの常識では考えられない別の事件も頻発するのではという不安気持ちが大きくなる。(田舎親父)

2013年7月15日 (月)

『金曜解雇』 何と嫌な言葉だろう・・・

 『金曜解雇』という言葉を知っている人が果たして何人いるのだろう。私が世間知らずだからかもしれないが、最近の企業は金曜日になると突如に,『あなたは必要ない』と宣言されるなど想像すらできないのだが・・・。

しかし、私かちの年代には、懐かしいという感じが先にたつ『日本IBM』で突然女性の主任職に『あなたは,本社にとって不必要だから、今日の就業時間終了までに私物をまとめて出て行ってください』と解雇通知を伝えられ、提訴しているという報道に驚く。

記事によると、45歳の女性が、作業の進行状況を説明してほしいと課長に呼び出されたのは、5月31日午後4時だったという。会議室で5分ほど報告した時、部長が人事担当者を連れて入ってきて、いきなり文書を読み上げたという。

 人事担当者は『会社は、貴殿を2013年6月12日付で解雇します。業績の低い状態が続いており、もはや放っておけない』と具体的な宣告文も紹介している。金曜夕刻、突然社員に解雇を通告し、有無を言わさず帰宅させる。IDカードを無効にし、翌週から会社へ出入りできなくするというから恐ろしい。

IBMではすでに26人もの『金曜解雇』が行われ、その解雇通知書には、数日のうちに『自主退職』に応じれば退職金を上乗せするという条件も提示してあるそうだ。住宅ローンや子どもの教育費を抱える社員は、泣く泣くサインをするしかないという。

 自民党政権は、とにかく景気対策が第一、そのため法人税を大幅に引き下げて、大企業を優遇するだけではなく、無駄な人材を解雇し易くすることも利潤追求には必要な手段として、解雇する条件を緩和する方向に進んでいるというから、この傾向はどんどん進むようだ。

 先日、内閣の諮問機関に『産業競争力会議』という経営者たちが委員の組織が、成長戦略について議論している内容が報じられていたが、解雇要件が厳しくて企業は『人材の過剰在庫』を抱えているという現状をふまえて、『世界経済に伍していく』ために規解雇条件を制緩和すべきだという意見が圧倒的だというから、『金曜解雇』などという言葉はすぐに当たり前のこととして知れ渡るのではないだろうか。

 グロ-バルという言葉が日常的に使われるようになり、広い見方考え方が必要なことは理解できるが、そこまで利潤を追求する必要があるのだろうか・・・という疑問が以前からずっともち続けている。

 年寄りは黙っていろという声も聞こえてきそうだが、このまま進めばどんな社会になるのだろう。

 参議院選挙で圧勝した自民党政権は『俺たちの主張を国民が支持している』という一言で、原発の再稼働を進めるのは目に見える。福島原発の廃炉は進まないどころか、核汚染物質の最終処分場に変わり果て、再稼働した原発の燃料カスはもとより、世界各国に、処理を引き受けるという言葉で原発を売り込む。

 聖域なき関税撤廃という条件を飲んでTPPに参加で、人口の過疎集中が進み、都会には人があふれ、過疎地は今以上に過疎化しているに違いない。

 勝ち組と言われる企業はますますその規模を拡大し、退職金の額さえきちんと払えば解雇自由というのが当たり前になってしまっては普通に生きることさえ難しくなりそうだ。勤務時間などは能力次第という考え方が主流となっては、ノルマを果たすのに苦労するとどうなるのか・・・、これは想像もしたくなくなる。

 このあたり野党は理路整然と論理を組み立てれば、参院選の行方は分からなくなると思うのだが、国民総体が『景気回復』という言葉に敏感に反応し、まるでお題目のようになっている現状では、正論も耳を素通りするばかりの雰囲気に絶望感すら覚えてしまう。

 『金曜解雇』などという言葉が流行語どころか、話題になる社会になってしまえば、ひところ多くの人の口から発せられ、流行語にもなった『人間らしい・・・』という生き方は、遠い世界のことになるように思えてならない。(田舎親父)

2013年7月13日 (土)

攻めの農業の具体策は・・・

 参議院選挙の投票日がいよいよ1週間後に迫ってきた。マスコミは揃って自民党の圧勝、与党で3分の2以上獲得すると大々的に報じている。現在の情勢では、残念ながら、マスコミ報道が大きくはずれることはない気配は私にも感じられる。両院で3分の2以上を獲得したらトンデモナイ社会が来ることは間違いないと思いながら打つ手はないことがなにより悲しい。

 返す返すも民主党政権、特に汚染ドジョウ政権が、マニフェストでは『絶対上げない』と国民に約束していた消費税を、『命に懸けても上げる』と言い出し、党内の反対派を追い出し、自民党と結託してまで消費税をあげてしまったことが悔しくてならない。

歴史に、『れば・たら』はないことはわかっているが、もし、消費税値上げがなかったらここまで人民の気持ちが離れることはなかったはず。政権を自民党に奪われることがあったとしても、発言力を残す程度の勢力はあっただろう。

それがどうだ。今度の参院選では一人区はほぼ絶望。人口が多く、定員が3人以上の選挙区でもやっと一人の当選が可能程度。いや、東京や神奈川の情勢をみたら、一人の当選もおぼつかないのではないだろうか。

特に東京では、現職候補を電話一本で『公認しない』といったそうだが、言われた方は意地でも無所属で立候補するだろうし、同情票が集まりそうな情勢となると、もう一人の現職は落選するのではないだろうか。しかもややこしくしているのは、アホカン氏が無所属の女性候補を自分の思惑から応援しているという情けない情勢では、民主党は早く消えてくれと言いたくなってくる。

国民の圧倒的多数が自民党に『是』を与えるのだから、原発の再稼働は規定の事実になってしまった感がするが、私にできることは、こんなつぶやきを発信することだけで、具体的な抵抗手段となると、党名が気に入らないが共産党に投票するしかなさそうだ。

原発再稼働に勝るとも劣らない大問題がTPP交渉への参加である。アベ内閣は投票日の2日後から、100人体制で、コメなどの聖域確保の交渉に挑む決意だと明言している。しかし、アメリカやオ-トラリアなど11か国は15~25日にマレーシアで交渉を行い、最後の3日だけ、交渉のテーブルに着くことができる見通しという悪条件で、聖域確保などと言うのは始めからのまやかしとしか思えない。

 自民党のTPPについての公約は『交渉力を駆使し、守るべきものは守り、攻めるべきものは攻めることにより、国益にかなう最善の道を追求する』と勇ましいが、果たしてそんなしたたかな交渉力があるのだろうか。

 22日までに11ヶ国が『全品目の関税撤廃』を決めてしまったら、勇ましさは言葉だけ、『重要5品目の聖域を最優先し、それが確保できない場合は脱退も辞さない』と言っているらしいが、アメリカさまが簡単に脱退を認めるとは思えない。

 結局は、聖域なき完全撤廃を認めて、参加させてもらう羽目になるのだろうが、すでに、その場面を見越して『攻めの農業』とか『強い農業』という言葉が広まり始めている。

 そのキ-ワ-ドが『安心・安全・高品質』だとうたい、現在の倍以上の輸出業績を上げるというものらしいが、その戦略に具体性を見いだせない。

内閣府の試算によれば、国全体の経済規模を示す実質国内総生産(GDP)は、消費が3兆円、輸出が2兆6千億円などの計6兆1千億円の増加と見込み、安い製品の輸入を差し引いても、10年後に3兆2千億円押し上げる効果があると、バラ色の未来図を示しているそうだが、どんな計算をすればこんな数値が出るのだろう。

 すでに外国ではコシヒカリなどブランド米の生産が始まっているらしい。となると、関税が撤廃されると、国内の米農家は耕作を続けることは、ごく一部を除いて不可能だろう。酪農となるとコメ以上の打撃になることも想像に難くない。

地方はますます疲弊し、都市に人口がますます集中することも容易に想像できる。かといって都市部に条件の良い働き口があるとは思えず、現在以上の経済格差が生まれることは間違いない。

一部の気概のある人々はTPP参加を見越して、農業法人を立ち上げ、攻めの農林水産業を実践していることは知っている。その人たちの話を聞くと、実に夢があって、TPP何するものぞと思いたくなるが、全体から見たらまだまだ少数。

『攻めの農業協議会』のような全国的な組織の立ち上げが急がれるが、そこまでの余裕がないようだ。全国各地でバラバラに行動していては、とても世界には太刀打ちできないのではないだろうか。

TPP参加を決めているのなら、このあたりの明快な方針を示してほしいものである。(田舎親父)

2013年7月12日 (金)

原発周辺の放射線値が気になる・・・

 放射性物質の量を示す単位として、ベクレルとシ-ベルトがあることは、恥ずかしい限りだが原発事故後知ったこと。しかし、その違いはと聞かれると、未だにはっきり答えられないのが現実。もう少しわかり易い単位を作っておけばよいものなのに、わざわざ分かりにくくして,核の恐ろしさなどを曖昧にしているのではと皮肉りたくなってくる。

『ベクレル(Bq)』という単位は、ある方法(かなり面倒な方法らしいが)で測定した放射能そのものの量だという。一方、シ-ベルトとは生体への影響を現す量なのだそうだと解説にはあるが、放射性物質によっては測定方法が違うというから、さらに理解を複雑にしている。

しかし、二つの単位かある以上、返還式があっても良さそうなので、ネットで探してみたら、『ベクレルとシーベルトの変換:社会情報リテラシー講義付録』というサイトに行き当たった。(http://panflute.p.u-tokyo.ac.jp/~kyo/dose/

このサイトは、年齢や食品摂取量、知りたい放射性物質を決めて、その食品に含まれているベクレル量を挿入すると、自動的にシ-ベルトに換算してくれるもの。セシウム134を換算する場合、まず、『実効線量係数はセシウム134の場合0.000019mSv/Bq』と断り書きがあり、次のような計算式を提示している。

『(  )Bqの放射性物質を摂取した場合の実効線量は(  )mSV

単位量あたり(    )Bqの放射性物質を含む食品を(   )摂取した場合の実効線量は(   )mSV』。 

どこまで正確なのかは分からないが、全くのデタラメではあるまい。素人にとっては、ある程度の目安になるものだとして話を進めたい。

  確か、国の一般食品においての安全基準は事故当時500ベクレルだったが、その後、甘いと批判されたからだろうが、100ベクレルになっているはずなので、100ベクレルのセシウム134を含む食品を100g(0.1)食べたとして数値を入れてみると、0.00019ミリシ-ベルト(0.19マイクロシ-ベルト)となる。

 これを高いと見るか、安全と見るかは意見が分かれるところだろうが、毎日口にする三食の合計を考えると、安全基準に合格しているとしても、かなりの線量が体内に入っていることは間違いない。

 こんなことを考えていると、ここ半月あたりで、福島原発の2号機付近の地下水の放射性セシウムの値が異常に高くなっているばかりか、原子力規制委員会が海に流れ込んでいる可能性を口にし始めた。

 地下水の放射性セシウム値は、20000ベクレルに達するという。早速、返還式に数値を入れてみたら、セシウム134では0.38ミリシ-ベルト、セシウム137では0.26ミリシ-ベルトとなる。 これは凄い値である。

恐らく、この汚染水は海に流れ込んでいるだろうから、海水の線量も高くなっているに違いない。その海水を吸って生きている魚介類の体内には、放射性物質は蓄積される。

東電は、海水の放射線値は変わらないと発表しているが全く信じられない。また、原発近くの海は完全に封鎖しているので、そこで生息する魚が外界に出ることはないと説明しているが、完全に封鎖などできるはずがない。

海は広いので線量は拡散されて、さほどの影響はないと言い切る専門家も少なくないが塵も積もればではないが、人体に影響ないと言い切れるとはとても思えない。

ところで、原子力規制委員会は、原発で大事故が起きる恐れがある際に首相が出す『原子力緊急事態宣言』の判断基準について、これまでの500マイクロシ-ベルトから100倍厳しく、5マイクロシ-ベルトに改正するのだそうだ。

厳しくすることには異論がないが、2万ベクレルの海水では、およそ300マイクロシ-ベルトとなると、この時点で『緊急事態宣言』が出されても奇怪しくないと思うのだが、また違う計算式でもあるのだろうか。

時は参院選挙真っ只中、地下水の異常を取り上げて国民に訴える候補者がいてもよいはずなのに、選挙公約を聞く限り『原発ゼロ』はあっても、福島事故原発周辺の魚介類や農作物の安全性に疑問を呈する候補者はない。

口にしたら票が集まらないのかもしれないが・・・。(田舎親父)

2013年7月11日 (木)

イジメに負けず、死を選ばない子育てを・・・

 この数年、全国で一体何人の子どもの命が失われたことだろう。事故に巻き込まれての落命なら、遺族はある意味納得できるが、多くの場合、自ら命を絶っていることがなんともやりきれない。

そしてその原因となると、明らかに同級生からの暴力に耐えかねて、あるいは教師の態度に絶望してという、はっきりした因果関係が推測できる場合はともかく、友人とのちょっとしたトラブルや、仲間はずれるにされたといった些細なことであることも多いと言うのが悲しく、現在の子どもたちのひ弱さを嘆かないわけにはいられない。

3月に奈良県橿原市で公立中1年の女子生徒が自殺したことは、イジメと自殺の関連が騒がれていた時だけにでマスコミも大きく取り上げられた。当初、学校側はイジメに関する情報はないとのいつも通りのコメントだったが、教委の方が、特定の子どもからのイジメはあったと思われるが自殺との関連は薄いと発表したことから、学校の対応に批判が集まったことも記憶に新しい。

子どもを失った親としては、もう少し意志を強く持って、また自分たち両親に相談してくれたらと思いながらも、『何故うちの子が・・・』と心情的に,いじめたと思われる子どもに対する恨みが先に立つことは十分理解できる。

小説の世界なら、相手の子どもや親に苦しみを与える(復讐)方法はあるのだろうが、現実は、証拠もはっきりしない事件では、うっかりしたことを口にするとたちまち、推測で物事を言うな・・・との逆に訴えられかねず、えてして誹謗中傷となって返ってくることが多いので、悶々とした日々を送るはめになるのは想像に難くない。

遺族としては、何故自殺に追い込まれたのかという背景を知りたくて、『第三者委員会を立ち上げてほしい』と市教委に要求した気持ちは痛いほど理解できる。

市教委は、遺族の願いを聞き入れて第三者委員会を立ち上げることを決めたようだが、教育長が『望むところです』と発言していたことが明らかになったという文章に目が留まる。

前述した通り、教育長は市教委がイジメをみとめたものの、自殺との関連は薄いというコメントを発していたので、第三者委員会でこのことをはっきりさせようという意図があって、『望むところ・・・』と発言した思われるが、記事の文脈から、これはかなり問題になりそうだという雰囲気が漂う。

 記事によると、先日、(批判的に取り上げたが)成立した『いじめ防止対策推進法』という法律の国会の付帯決議として、重大事態に対処する場合、保護者に対し『適切かつ真摯に対応すること』という一文が関係しているらしく、『生徒が自ら死を選んだという事実に誠実に向き合うべきだ。亡くなった生徒の親との信頼関係が大切なのに、教育者としてすべき発言ではない』と批判が集中しているとのことである。

 教育長の肩をもつわけではないが、この批判は少し行き過ぎではないだろうか。第三者委員会を立ち上げるのは『自ら死を選んだ事実に誠実に向き合う』ために、(どこまで真相に迫れるかは別にして)自殺の背景を調査することであるはず。教育長はそれが『亡くなった生徒の親との信頼関係を大切にする』ことになると考えたのでは・・・。

 言葉尻からだけであるが、教育長(立場)として、確かに、不用意な発言だろうことは否定しない。しかし、この種の事件ではダブ-になっているらしく、『自殺した子どもにも問題があったのでは・・・』という視点で考えるという発想が、どこからも誰からも起きないのが、いつも気になっている。

 私の少年時代は、仲間うちのトラブルなど日常茶飯事だった。『バカ』とか『アホ』は挨拶がわり、時に『お前なんか死んでしまえ』なども当たり前に飛び通っていたが、そんな言葉をあびたからとて、死んでしまう子どもなど(私の周りだけだったかもしれないが)一人もいなかった。

 今よりももっと酷い言葉の暴力や、場合によっては肉体をぶつける喧嘩もあったのに、イジメという言葉そのものが存在しなかったのは、今でいうイジメられている側の子どもの精神力が強かったということではないだろうか。

 イジメを肯定するわけではないが、子どもの要求を鵜呑みにして育てる子育てではなく、時には我慢を強いることや不自由な生活をさせて、自分で考えることを教える子育てをすることで、仲間外れされたことに瞬間的に絶望し、死を選ぶ子どもは少なくなるのではないだろうか・・・。

 長くなるので、このことについては、別の機会に述べることにする。(田舎親父)

2013年7月 9日 (火)

ヒョウタンを食べさせる・・・

 この3日ほどの暑さは半端ではない。体が慣れていないこともあるだろうが、例年の暑さと質が違っているように感じる。我が家は森に囲まれたといっても良いほど緑の多い場所にあるので、窓を開けていればク-ラ-が必要ない環境だが、昨夜は風が全くない上に湿度が高いので、なかなか寝つかれず、何度も目が覚めてしまった。

 このまま、この質の悪い暑さが続けば、連日熱中症で運び込まれる人が増えるのではないかと、私が心配しても仕方ないことだが、何かと気になる。

 ところで、また大阪の話題で恐縮だが、先日大阪府茨木市の小学校で、理科を担当する63歳の教員が、授業中4年生の児童28人に校内で栽培しているヒョウタンの実を食べさせ、このうち17人が嘔吐するなど食中毒症状を起こしたという記事に、大阪には面白いというか変わった教員がいるものだと変に感心する。

ヘチマを食材にする地方があることは知っているが、これまでにヒョウタンを食べるという話は聞いたことがない。何を根拠にこの教員がヒョウタンを食べさせたのか、記事からは窺い知れないが、再雇用のこの教員は、恐らく自分でも食べたことがあり、何らかのことを伝えたいから児童に食べさせたのだと思いたい。

午前中の授業で、複数の児童が給食時間中に変調を担任に訴え、担任は校長に報告。校長は再雇用教員に『注意』したにもかかわらず、午後も食べさせたとあることから、ヒョウタンに対する思いは半端ではなさそうだ。

この小学校は4年生5クラスとあるから相当な大規模校のようだが、一クラス28人というのは計算に合わない。そのクラスだけ少ないのかもしれないが、5人も6人も差があることは考えられないのだが・・・。

それはさておいて、4年生に再任用とはいえ、理科専任の教師を配当できるとはなんとも羨ましい話だが、この教員は校長の注意も無視して、繰り返しヒョウタンを食べさせていたとなると、何か特別な事情でもありそうな気もする。

それにしても、ヒョウタンに毒性があることをはじめて知る。府教委によると、実に含まれる『ククルビタシン類』という苦み成分が原因だというが、この成分もはじめて聞く名前である。記事には、この『ククルビタシン類』は、ウリ科の植物に広く含まれており、多く含んだ実を食べると、中毒症状が出ることがあると、かなり曖昧な表現であることも少し引っかかる。

ヒョウタンにどれぐらいの『ククルビタシン類』という成分が含まれているか分からないが、それは実の部分であり果肉には害がないのではないだろうか。少し興味がでたのでヒョウタンのことを調べてみたら、『食用ヒョウタン』があるのに自分の無知を知る。

きっとこの教諭は、幼い時に『食用ヒョウタン』を食べたことがあり、これを自分だけの知識として持っていたのではないだろうか。恐らく『食用ヒョウタン』と一般的に栽培されるヒョウタンとは見分けがつかないに違いない。となると、この教諭か『食べられる』と思い込んだことも譜におちる。

4年生の理科の教科書には、ツルで伸びる植物を栽培する単元があり、そこでは栽培時期が長いこともあって、ヘチマやゴ-ヤを取り上げているが、ヒョウタンを主教材にしている教科書はない。

ただ、いずれの教科書もヒョウタンを扱っても良いと紹介しているので、ヒョウタンを栽培する学校があっても奇怪しくない。が、ヒョウタンに毒性があることを教科書は示していていないことも、今後誰かから指摘があることも考えられる。

理科という科学を教えるのだから『食べさせるのはもっての外』という考え方もあるだろうが、子どもの好奇心は時としてトンデモナイことに興味を示し、理科担当の教員(子どもからみたら担任よりはるかに理科の専門家と信じている)から『ちょっと苦みがあるが、食べられるよ』と言われたら、面白いと飛びつく児童も多いのでは・・・。

余りの暑さに、愚にもつかないような記事に飛びついたが、教科書会社としたら、今頃大慌てで、注意事項に『食べないこと』という表記を入れる必要がありそうだと、議論しているのではないだろうか。(田舎親父)

2013年7月 8日 (月)

また電力会社の脅しが始まった・・・

 あの慎重な気象庁が、一昨日『梅雨明け宣言』を出した。その日、朝方はどんよりと曇っていたが所用が終わった昼前、外に出たとたん厚い雲がみるみる消えて、まさに真夏の青空が広がり、猛烈な太陽の光が襲ってきたのちはビックリ。

梅雨明けという言葉が頭をかすめたが、まさか早すぎる。しかし、自宅に戻ってテレビのニュ-スは、『梅雨明け宣言』を伝えていたのに、珍しく気象庁の決断の速さに驚いたものだが、昨日は暦の上では『小暑』、本格的な暑さか始まる日とされているが、まさに今年は暦通りになったというところ。

 気象庁の予報によると、今年は3年前の猛暑・酷暑を上回る暑い夏になるとのこと。ここまで言い切るところをみると、よほどの確かなデ-タ-があるのだろうが、この一言でマスコミは一斉に『電力不足』を言い始めている。

 天気図を見てみると、太平洋高気圧の勢力が強く、加えて、西からチベット高気圧が張り出す見込みらしいから、二つの高気圧が日本国中を覆い尽くすとなると、気象庁が『記録的な猛暑』というものうなずける。

新聞記事を読むと、4年前の09年には、東京では最低気温25度以上の『熱帯夜』は20日しかなかったが、史上最悪の猛暑となった翌10年は56日。09年にはゼロだった35度以上の『猛暑日』も10年は13日にハネ上がったという。

さらに、全国の熱中症の死亡者数は09年が236人だったのが、10年は1718人と約6倍にもなっているから驚きである。当時は東京でも練馬で最高気温38.2度を記録。気象庁が観測をはじめて113年になるのだそうだが、その中で最も気温の高い夏になったという。そういわれてみればだが、『何故今年は・・・』とグチを繰り返していたことを思い出される。

その10年を超える?暑さだというから、ひょっとして、横浜の片田舎でも35℃を超えそうだと言われるとゾッとする。そこにもってきての『節電』となると、3年前より高齢化率は高くなっているだろうから、バタバタと倒れる年寄りが多くなりそうだ。

 電力各社はこの猛暑を逆手にとる作戦らしく、『火力発電の燃料費の高騰で経営が圧迫されており、このままでは電気料金の再値上げをお願いすることになりそうだが、原発を1基稼働すれば、年1000億円前後の燃料費の節約になり、値上げなど言い出さなくてもすむ』と、明らかに、値上げが嫌なら原発再稼働に合意しろと脅し始めている。

 特に東電はその思いが一段と強いらしく、柏崎刈羽原発の再稼働に向ける動きが常軌を逸してきた感すらする。普通なら、まず地元の合意というか、新潟県知事には何らかの接触をするのが筋だろうが・・・。

東電はそんなまどろっこしいことは必要ないとと判断したのか、それとも、今までの通り札束を見せれば地方はウンというだろうと甘く見たのかは分からないが、地元には話もなく国への再稼働申請を出すというから、新潟県知事が怒るのは無理はない。

 東電は思惑が少し違うことに気づいたのか、先日、大慌てで社長が県知事を訪問して、説明とお願いをしたとことが大きく取り上げられていた。その様子をテレビが部分的に報じていたが、誰が聞いても県知事の言い分が正しいことは間違いなく、東電はすごすごと引き上げるしか方法がなかったらしい。

しかし、社長は『再稼働申請と地元の理解を得ることは同時並行する』と明言しているところから、まだ従来のほうほうが通用すると思っているようだ。というより、参院選で自民党が過半数とれば再稼働はすんなり了承されると読んでいるのだろうが、そこまで国民は見下げられているのだろうか。

ここまでバカにされても国民の圧倒的多数が、自民党に投票するとは思いたくないのだが・・・。(田舎親父)

2013年7月 7日 (日)

自己責任と主張していたが・・・

 不用意にイラク国境を超えて人質になり、莫大な身代金を支払って開放されたという事件があった事は遠い過去になってしまった。当時は、私も関心があり意見を述べた記憶があるが、今ではその内容すら薄覚えになってしまっている。

当時、身代金として(金額は忘れたが)一般庶民から見ると天文学的な数値と思われる莫大な金額は、結局は国民の税金であることに、『何故こんなアホな行為をした連中のために・・・』という話題が沸き起こったものである。

ところで、辛坊という大阪で大変人気のあるニュ-スキャスタ-がいるそうだ。この人物が,どういう経緯でこんな無謀な計画を実行する気になったのかは分からないが、全盲のヨットマンと一緒に小型ヨット太平洋横断に挑戦したという。

そのことについては、80歳のお爺さんのエベレスト登頂と同様『凄いなあ・・・』という程度の感想だったが、計画がずさんだったらしく、数日後、太平洋上で、助けてくれと泣き叫んだというから、なんともお粗末な話である。

80歳の御仁は、潤沢な予算に支えられ、最高のスタッフと最新の装備を揃え、自らも体力をつけて万全の体制で挑戦し無事登頂に成功したことは、それなりに素晴らしい成果であり、素直にエ-ルを送りたい。なにより、関係者以外には基本的に迷惑をかけていなかったことは間違いないところ。

ところがこのニュ-スキャスタ-を探すために、海上保安庁の巡視艇や航空機が出動。荒天のために海上自衛隊の艦船や航空機も加わった大がかりな救出作戦の結果、やっと救助したというニュ-スが大きく取り上げられていた。

多くの国民は『良かったなあ・・・』と胸をなで下ろしただろうが、中には1千万円以上の費用がかかったと聞くと、誰が払うのだろうと思う人が存在しても少しも奇怪しくない。

最近は、山での遭難救助については自己責任だから費用は遭難者が負担すべきだとの考え方が広まっているらしく、全額とはいかないまでも数十万円単位の費用を負担させていると聞いている。遭難者の大半が60歳以上の老人であり、体力がないのに自分だけはという心理で、ブ-ムにのって山に向かっていることから、ある意味当たり前のことと受け止めている。

今回救助されたニュ-スキャスタ-はことさら『自己責任』という言葉がお好きだったらしく、イラクの人質事件では舌鋒鋭く『アホな日本人に税金をつぎ込むのは・・・』と主張していたという。

救助された時『この国に生まれて良かった・・・』と涙ながらに語っていたこのキャスタ-氏が、救助にかかった費用は全て『自己責任ですから・・・』と、全額とはいかないまでも、支払う(法的には難しいだろうが、寄付行為として)姿勢を見せれば『さすが・・・』と思わせたのだろうが、それが全くないとネットで批判が渦巻いているという。

どうでも良いことだが、この御仁が全盲のヨットマンと太平洋横断に出航した背景に、『24時間テレビ』という愚にもつかない番組作りがあったらしいという記事にはちょっと引っかかる。

もし、テレビ番組作りが事実だとしたら・・・。何とも嫌な気分にさせられる。(田舎親父)

2013年7月 6日 (土)

教育予算を大幅に増さなければ・・・

 授業が成立しにくい教育困難校の校長や部活動顧問ら負担が大きい教員に対し、文科省は手当増額の検討を始めたそうだ。

公立小中学校を対象に、部活動手当は倍増させ、現在最高で給料の17・5%ついている管理職手当を20%までアップする一方、主任教諭や休職教員の手当は減額する方針だという。教育予算の大幅増が難しい中、手当にメリハリを付けて意欲ある教員を支えるのが狙いだと説明しているらしいが、この手法は文科省が得意とする『差別して管理』するお馴染みのパタ-ン。

国庫補助基準額の見直しを来年度予算の概算要求に盛り込むと意気込んでいるらしいが始めから、さほど増額は認められないとあきらめて、世間向けに『こんなに教育予算を獲得したぞ』というパフォ-マンスのように思えてならない。

新聞記事によれば、土曜、日曜など休日を部活動の指導に充てて、尽力する教員には、現在1日2400円(4時間)の部活動手当を同4800円に倍増させるというニンジン作戦。増額は当然だが、その金額がみみっちい。

土、日曜日は勤務除外日である。しかし、『部活動』という名で子どもたちが登校して練習することが、あたかも正規の授業のようにしてしまったのは誰なのだろう。

その歴史を詳しくは知らないが、少なくとも私の少年時代にも、野球部や柔道部というクラブ活動があったことは記憶しているが(一つのスポ-ツに熱中するより野原を駆け回っていた方が好きだったかもしれていが)、全く興味がなかった。

それに参加するのはごく限られた生徒で、まさに『好きだなあ・・・』と冷やかに眺めていたようだ。指導する教師もごく限られ、その教師が転勤すると土日の練習もなくなってしまったということも聞いたことがあるような気がするが・・・。

それがいつの間にか『部活動』という名前が定着し、『野球部』や『サッカ-部』などの運動部に加え『ブラスンド部』や『美術部』、あるいは『書道部』や中には『文芸部』という文化部と呼ばれる部活動が、どの中学校にでも『なければならない』という雰囲気が広まり当たり前に存在するようになっている。

今では、部活動は中学校の『顔』とも言われる存在になり、教員が顧問として指導することが当たり前になっている。『飯より野球(サッカ-やテニスなど)が好き』という熱血教師が(数的には少ないだろうが)存在することは事実だろう。そんな教師にとって土日出勤は苦にならないかもしれないが、多くの教師たちは義務感として土日を返上しているともよく耳にする。

本来ならば、勤務時間外の指導をするのだから、『勤務時間外手当』を支払うのは当然なのだが、教員は『特殊な勤務が多く、どこまでが正規の仕事か見極められない』という理由から、本俸の4%(だったと記憶しているが)を始めから上乗せした給料体制を当てはめられるため、土日の子どもの指導をしても手当てはない。

これはあまりにも気の毒ということで、現在は、高校生のアルバイト料より低い、1時間あたり600円という手当てを支給しているようだが、これで事故があれば責任を押しつけられるのだから、こんな割りに合わない話はない。

それを一気に倍増されたからといって、(返上する教師はいないだろうが)喜ぶ教師がどのぐらいいるのだろう。むしろ、1時間1200円はいらないから、家でゆっくりしたいとか、デ-トを楽しみたいと思っている教師の方が多いのでないだろうか。

それはともかく、増額する手当の原資の一部は他の手当を削減して捻出するというから聞き捨てならない。『差別して管理』する手法で、一般教諭より一段高い身分として主幹教諭という職名つけて各学校に配当することが当たり前になったのは数年前から。

主幹教諭が主任と呼ばれる地位についているのだから『主任手当(1日200円だったかな)』は必要ないだろうということで、主任手当てを廃止して、部活指導の教員の原資に当てるというから情けないとしか言いようがない。

また、管理職手当の増額対象は、教育困難校のほか、地域のリーダー的役割を果たす学校長で、副校長や教頭も同様に加算すると言っているらしいが、文科省のいう困難校という定義を聞きたい物である。それ以前に、文科省の当事者たちに、誰が困難校にしているかわかっているのだろうかと聞きたいものである。

困難校を固定概念化し、懲罰人事的に校長などを配置していることは、現場を少し知っている人には当たり前のこと。これをみみっちい金額で競争させる?。まさに教員を馬に見立てたニンジン作戦としか思えない。

我が国の教育予算は先進諸国の中では一番低いことは、最近になってやっとマスコミが取り上げるようになってきたが、国はこれを改善するということは全く考えていない。

学力低下だ、イジメだと騒いでいるが、現在の学校教育の問題点を少しでも改善するには、みみっちいニンジン作戦などは何の訳にも立たないどころか逆効果。

唯一の方法は、現在の教育予算を、少なくとも現在の10倍程度引き上げ、教育システムそのものを根本的に変革すると同時に、教員の待遇を飛躍的に改善することだと信じて疑わない。(田舎親父)

2013年7月 5日 (金)

医療技術の成果が続くが・・・

 話は少し古くなるが、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会が先月中頃、動物の受精卵(胚)に人の細胞を混ぜた『動物性集合胚』を動物の子宮に移植し、動物の体内で人の臓器を作る研究を大筋で容認したというニュ-スに、また一歩神の領域に踏み込んだことに違和感を覚える。

専門的な知識はないが、例のどんな臓器の細胞にもなりうるというips細胞をブタのような哺乳類の受精卵に混入し、動物の体内で人間の臓器を作ろうという実験らしいから、動物と人間の境界を壁と表現すると、この壁がまた薄くなり、全く同じ(クロ-ン)人間を作る技術そのものを容認したことになるのではと暗い気持ちになる。

 それからしばらく過ぎた頃、厚労省の審査委員会が、iPS細胞を使って目の網膜を再生する世界初の臨床研究を承認したというニュ-スが報じられた。こちらはクロ-ン技術の研究ではなく、実際に視力を回復するための臨床実験であることは、十分わかっているつもりであるが・・・。

視力を失った人たちは、この研究を息詰まる思いで見守っているに違いない。成功すれば多くの視覚障害を持つ人たちにとっては、バラ色の夢を描かせることは十分理解できる。しかし、それがわかっていても、何となく得体のしれぬ異質な何かが迫ってくるような重い雰囲気を感じるのは私だけなのだろうか。

 この承認を受けて、理化学研究所のプロジェクトチ-ムが、これらの実験を神戸市の『先端医療センター病院』で実施するのだそうだ。間もなく、対象患者6人の募集が始まる見込みだというが、網膜機能が回復し失われていた視力が戻る可能性があるとなると、手を上げる患者は多いのは容易に予測できる。

話は変わるが、先日岡山大学で母親の肺を自分の子どもに移植する手術が、世界ではじめて成功したというニュ-スがあった。肺の移植しか生存できない自分の子どもを助けたいという、母親の気持ちは痛いほど分かる。

脳死認定者からの臓器提供を待っていても、それが極めて難しいことから母親の臓器を移植することを決断したとのことだが、母親の肺は今後成長しないというから、いずれ近い将来この子が生き続けるためには、肺移植が必要だとある。門外漢の私が口をはさむ問題ではないが、この判断は極めて重く、いろいろな問題を含んでいそうだ。

母親の肺の中葉という部分を切り取り移植するのだそうだが、移植による母親のリスクもゼロではなかろう。子どもの数年の命を存えさせるために、母親の決断を評価する向きが多いようだが、果たして・・・。

話はips細胞に戻るが、昨日の新聞は『人のiPS細胞を使い、マウスの体内で働く小さな肝臓を作ることに成功』というニュ-スを大きく取り上げていた。

これまでiPS細胞から肝臓の細胞はできていたそうだが、体内で機能させるために必要な立体的な構造を作るのは難しく、この研究成果は画期的で世界で初めて成功したのだそうだ。

横浜市立大の研究チ-ムによる成果らしいが、(言葉を選ばずに言うと)横浜市民の私でも感じることだが、横浜私立大学という名前はあまりマスコミが取り上げないどちらかというとマイナ-な大学だろう。ということは、全国の医学部を持つ各大学間の熾烈なips細胞による再生医療技術の競争が起きていることを想像させるが、競争だけが先にたち、倫理面の研究が後追いにならないことを切に願いたい。

クロ-ン技術や臓器移植の研究は我が国だけではなく、先進諸国でも先端医療、あるいは再生医療として盛んらしく、遺伝性のミトコンドリア病(どんな病気か想像もつかないが)の予防などを目的に、受精卵の核を、別の女性から提供され核を取り除いた卵子に移植して胚を作る体外受精の方法について、イギリス政府がゴ-サインを出してということが先日報じられていた。

 医学の地域が全くないと自認している私にも、文面からは、生まれた子どもは遺伝的に3人の親を持つことはぼんやりながら理解できる。このような技術で多くの子が誕生することも想像に難くないが、果たして、全てが幸いな人生を送れるかというと?がつくのではないだろうか。

今から不幸な予測をするのは不遜だと言われるだろうが、その時、誰が責任をもてるのだろう・・・。(田舎親父)

2013年7月 4日 (木)

合格教科書をダメとは変な話・・・

 東京都教育委員会が『国旗・国歌』に物凄い執着を持ち出したのはいつの頃からだったろうかと記憶を紐解いてみる。さほど昔のことではなく、ここ10数年ほど前からではなかっただろうか。イシハラ前知事が就任してから急に都教委の態度が、それまでとは違って、保守的な『国家観』』を全面に打ち出してきたことを思い出す。

1990年代の後半に、時の自民党政権は十分な審議もせず、『国旗は日章旗』『国歌は君が代』という法案を国会で議決し、それまでの(特に)教育分野で争われていた『国歌国旗論争』に一応の結論を示したが、現場ではそれ以後も相当な混乱が続き、保守的な国家観を持った首長の元では、問答無用の強権が発動されることもしばしば。それが現在も続いている。

特に、都教委はイシハラ国家観を受けて、『学校行事では、必ず国旗を掲揚し、会閉会のセレモニ-には国歌を斉唱すること』を通達した。区市町村教委にとってこの通達は重く、(姿勢には若干の際はあっても)直ちに校長会を召集し『通達を守る』ことを厳命。中には、それが重荷となって自殺した校長すらでたことも・・・。

そんなことを思い出させる事件?が報じられた。高校の社会科の教科書で、都教委が名指しで『採択まかりならぬ』という方針を出したとのこと。先月末のことであるが、『国旗掲揚と国歌斉唱』について、『一部の自治体で公務員への強制の動きがある』と記した『実教出版』の高校日本史教科書について、『使用は適切でない』とする見解を議決したという記事に目が留まる。

この教科書はずっとこの姿勢を保っていたらしく、これまでも都教委は都立高校各校に非公式に『記述は都教委の考え方と相いれない』などと伝えていたようだが、この教科書を採択する高校が少なくないことに業を煮やして強権を発動したというところらしい。

今年の教科書採択の対象となる同社教科書『高校日本史A』と『高校日本史B』に国旗国歌をめぐり『自治体で強制の動き』という記述があることが許せないということで、『国旗掲揚と国歌斉唱の指導を適正に実施することが教員の責務であるとする都教委の方針とは違う』と明確に打ち出し、この教科書を採択の場に入れない、謂わば『門前払い』にしたというところ。

さらに、教育委員長は『私から教育長に対し、教育委員の意見を踏まえて見解をまとめ、校長に周知するよう指示した』と明らかにしたというから、行政の教育トップである教育長は、すでに都立高校の校長会を召集して『絶対にこの教科書を採択してはならない』と厳重に申し渡していることは間違いなさそうだ。

公の場で教科書の使用適否に踏み込むのは前例がなく、現場によって温度差は大きいだろうが相当な反発が広がりそうだが、中には上からの圧力と下からの反発をくらう校長もいるだろうから、自殺騒ぎに発展することも想像できないことはない。

教科書検定については、最近では議論することがほとんどないが、さまざまな意見があることは知っている。私は現在の検定がないと記述が無秩序に広がり、学校現場では教科書に載った以上教えなければならないという考え方がある以上、ある基準を示して合否を判断することは必要だと考えている。

そして、担当の教員は合格教科書をよく吟味し、教え易い教科書を選択すれば良いのであるが、近年、採択が学校現場からはるかに離れ、教育委員会が実質的にその権限を持っているので採択そのものが形骸化していることは悲しい現実。

高校は義務教育ではないことから、小中学校のように教委の干渉が受けにくいので、教科書の採択権は各校にあるようだ。校長は自校の教員の意見を尊重して採択するのが通例なので、(我慢ならないとする現教育委員長始め委員諸氏の態度は理解できないでもないが)文科省が『是』とした教科書を『否』とするのはどう考えても変な話。

メンツを大事にする文科省としては、都教委に厳重注意することは当然だと思うのだがそれはないのも、さらに?がつく変な話。

もっとも、文科省の一片の曖昧な通達が、都道府県教委が文科省の思惑を感じ取って、具体的な文章にして区市町村教委に通達するのが常なので、文科省と都教委は気脈を通じているのかもしれないが・・・。

さらに、都(道府県)からの通達を受け取った区市町村教委は、さらに細かく解釈し、まさに文科省の思惑通りの通達文として校長に示されるのが現状を考えると、なるほどとうなずいてしまうが、気分は重くなる一方である。(田舎親父)

2013年7月 3日 (水)

恐ろしい想像が頭をよぎる・・・

 福島第一原発事故後の除染について、政府が自治体に対し、今年度の計画達成は難しいことや、作業しても放射線量が下がらない場所の『再除染を認めない』という方針を出しているという。

そんな話ってあるだろうか。確か国は被曝線量を年1ミリシーベルト以下にする目標を掲げ、今年度までに1.5兆円を投入して、福島県の11市町村の避難区域内を年度内に終える計画を公表したはず。自民党政権もこれを受け継ぎ、アベっち首相も『除染と復興の加速化』と胸を張って明言したのではなかったろうか。

以前も述べたが、『ある物』を汚染物にふりかければ、たちまち放射能が霧散するという特効薬でもあれば別だが、現在行われている『除染』という作業は、水で流し落としたり、あるいは雑巾で拭き取るのが主流である。当然、使った水は放射能に汚染され、その水をどこかに保管することになる。雑巾もしかり。結局、放射性物質は位置を変えて存在するのは明らかなのに、除染という言葉を一人歩きさせている何とも奇妙なことが行われている。

私でも分かるこんなことを国が知らないはずがなく。始めから捨場などない事をわかっていながら、住民を安心させる口実として、『除染』をして線量が下がったら帰還できると言いくるめているだけであろう。

ところがそのからくりを住民が知るようになって慌てたのか、それともそろそろはっきり言って良い時機だと判断したのかは分からないか、ここにきて、書き出しの一文のように、一度除染作業をして線量が下がらない場所は『再除染しない』と言い出したようだ。

この事を伝える朝日新聞の記事には、11市町村中5市町村の担当者が環境省から4月以降に『今年度中の計画達成は難しい』と言われたと証言したとある。その発言を聞いたある自治体は住民に『少なくとも来年度までかかる』と、今までの説明を変えていというから、お上には逆らえないまちや村の立場をよく現している。

 環境省は朝日の記者に、除染計画について『今年度内を目途に実施する方針に変更はない』と回答しているというから、まさに二枚舌。再除染は『現時点では対象範囲を示していない』とし、一度も除染していない地区を優先する考えを示したとのこと。事故から満2年以上過ぎている今日、まだ手を着けていない場所は野原や山林で、人家やその周りはすくなくとも形だけは除染しているはず。

 『一度も除染していな地域を優先』するということは、素直に解釈すると、野原や山林を優先するということであるが、こんなところの除染方法などあるはずがない。住民の生活の場の除染はもうやらないということに他ならない。

環境省幹部は『7月の参院選が終わるまでは大幅な見直しは表明できない』と記者に語っているとのことだが、こんな問題が選挙の結果によって影響されてはたまらない。

除染の遅れが明らかになっているのに、イシハラという環境相は『計画に変更はない』と国会で明言しているという。表向き『加速する』と言い、各自治体へは『除染は終わった』というのも参院選の影響を恐れているようだ。こんな政治は許してはならない。

 朝日新聞が伝える住民説明会の録音記録がえげつない。恐らく、住民のポケットに隠された録音機器の記録を入手したのだろうが、その凄まじさに怒りを通り越して呆れが先に出る。少し長くなるがそのまま引用しておく。(引用始め)

(住民) 『除染しても目標値より高い所がある。目標値まで国がやると言っていたので、しっかり再除染して頂きたい』 

(環境省)『再除染については0・23と年1ミリ、実際に個人が生活して浴びる線量は結びつけられるべきものではない。避難基準の20ミリは大幅に下回っている』 

(住民) 『目標値にするということで除染が始まったのにおかしい。私たちが納得して初めて完了だ』 

(環境省)『できる限りやらせて頂いた。調査はしていくし、対策を考えることもあるかもしれない』 

(内閣府)『具体的にどのような形で避難指示を解除するか進めていきたい。帰還準備のため解除前から(自宅に)泊まってもらえる制度を作ろうと考えている』 

(内閣府)『個人線量のはかり方がある。今日は最新型の線量計を持ってきた。皆さん、その気なら僕が増産してもらう。国の負担でやらせて頂く。やってみたほうが僕だったら安心する』

(住民) 『うちは0・36マイクロ。住んで大丈夫か』 

(内閣府)『私は大丈夫と思う。20ミリ以下が一つの考え方。より安心して頂いたほうがいいということで除染をやっている』 

(住民) 『被曝線量の上限値は女性は低く、妊婦はもっと低い。一番弱い人にあわせて一生懸命、除染するのがあるべき姿だ』 

(内閣府)『おっしゃる通りだ。20ミリをスタートとして下げる形でやっている。その一つが除染だ』 

(住民) 『子供はどれぐらいの線量で住めるのか』 

(内閣府)『個別の線量計のデータを見て判断して頂くしかない』(引用終わり)

 このやりとりから明らかになることは、『国はやるだけやった。後は最新式の線量計をやるから自分で計って生活できるか判断せよ』ということに他ならない。これを責任転嫁といわずなんと言う。バカにするのも甚だしいとしか表現できない。

 最新型の線量計というのも変な話。(ひょっとして)最新の技術を持ってしたら、放射線量を少なく表示することなど簡単なことだろう。そして、その線量計の値を信じて帰還した人々のその後は・・・。想像したくないが。(田舎親父)

2013年7月 2日 (火)

どこまで広がる学校の守備範囲・・・

 先月末のことである。札幌市立の小学校から、小学2年の男児が給食で出たプラムの種を喉に詰まらせたと119番があり、救急車が駆けつけ男児を病院に搬送したが、死亡するという事態が発生したとマスコミ報道で知る。

このところ給食絡みの事故や事件が多く、そのほとんどは食物アレルギ-なのだが、プラムの種が喉に詰まってという話は(私が捉えていないだけかもしれないが)今まで聞いた事がない。

食物を喉に詰まらせ事件として、コンニャクゼリ-で子どもが死亡するという事件があり、亡くなった子どもの親が、こん危険な食べ物を作って販売するのはメ-カ-の責任だと訴えるたことがかなり大きな問題になった事を思い出す。

確かに、幼児期に親から丁寧な食生活の習慣をつけてもらっていない子どもであれば、コンニャクゼリ-のように柔らかい食べ物は瞬間的に飲み込んでしまい、詰まらせることもあるだろうが、プラムの種のような固い物を飲み込む?・・・。これは私には想像すらつかない。恐らく担任(教員全体)も同じで、未だに信じられないのではないだろうか。

しかし、少し立ち止まって考えてみたら、男児は『特別支援学級』に在籍というから、何らかの障害を持っていただろう事は推測できる。そして、今まで給食に使っていないで、はじめての献立だとしたら、あり得ない話ではないのではと思い直す。

しかししかし、翌日のニュ-スで、札幌市の教育委員会の『しばらくの間プラムを給食に出す事を中止する』というコメントは、『今までも出していたが、この事故があったので中止する』としか受け止められない。

今まで何度も給食でプラムを出したが、こんな事故は起きなかった。ところが起きてしまったとなると、いかなる形にせよ、責任が問われる教委の立場としては、とりあえず中止にすることは仕方ない。

このまま親が納得すれば良いが、(今までの経験から)親が納得しても周りが『このままでは亡くなった子どもが可哀相でしょう・・・』と学校の管理責任と原因追求を求める声が起きることはほぼ間違いなさそうだ。訴訟に発展することも十分考えられる。

教委や学校の責任のとり方は、結局は示される金額。その後、担任と監督責任がある校長に厳重注意、そして管下の各学校へは、校長を召集して注意書を配布。事故を教訓に再発を防止せよという通達で終わることが多い。

喉に詰まらせた後の処置に不具合があったかどうかは、報じられた内容からは伺いしれないので、なんともコメントしようがないが、プラムのためを喉に詰まらせるということまで学校(担任)に責任を課すのはいかがなものだろう。

子どもの基本的生活習慣は親が担う責任だというのが私の持論である。よく噛んで飲み込むことや、とてもかみ切れない固い物は吐き出すということを、普段からきちんと躾けておけば、いくら(私が知らないような)障害を持った子どもであっても、こんな事故は起きなかったのではないだろうか。

『躾』なんて古くさいとい声が聞こえてきそうだが、少なくとも親の義務として、子どもが自分で命を守る最低限のことを身につけさせてほしい。

小学校の低学年の子どもが転んで手足を怪我することが当たり前だと言いたい。が、最近では、顔を怪我する児童が多いという。転んだ瞬間、手が出ないのである。この一言で、私の言いたいことがわかってもらえるだろう。

こんな事を思っていると、先日、集団で下校する児童の中にナイフを持った男が襲いかかり、1年生の児童が大怪我をするという事件が発生した。数日過ぎた今でも、新聞テレビが取り上げているところをみると、マスコミ的には相当価値がある事件らしい。それにしても、校門を出た直後の出来事だというが、信じられないことをする男が存在する事に恐怖を感じる。

こちらも学校の警備の責任を問うことになりそうだが、結論は完全防御に徹することになる事は明らか。ガ-ドマンを雇い(シルバ-人材センタ-に依頼)登下校の通学路をがっちりガ-ドすることになりそうだ。

確かに、子どもを肉体的な危害から防げるだろうが、全て大人に守られて、道草はもちろん、友達とふざけることすら制限される環境になることが、子どもの成長にとって『ベスト(良)』かと問われると、何よりも自ら考えることの大切さを小さい時から躾けなければならないと確信している私には、はっきりと『否』と答えたい。

ではどうするか、今までも述べているが、学校を地域のものにすることだが、このことは別の機会に述べることにしたい。(田舎親父)

2013年7月 1日 (月)

NHKのコメントが楽しみ・・・

 先日、『NHKのテレビ放送で外国語が多用され、精神的苦痛を受けたとして、NHK(東京)を相手取り、慰謝料141万円を求める訴訟を名古屋地裁に起こした』という岐阜県の男性の行動がかなり大きく取り上げられた。

日頃から、わけの分からないカタカナ用語やアルファベットの略字の横行を何とかならないものかと思っていた私には、実に時を得た話題を提供してくれたものとして、背景は窺い知れないが、この行為には面白いだけではなくエ-ルを送りたい。

 訴状で、男性はNHKについて『放送法で公共の福祉のため、良い放送番組を行う義務を負っている』と述べている。その気持ちの裏には、NHKに対する期待の大きさが窺い知れる。

その上で、だからこそ『視聴者の大部分において容易に理解できる日本語が使われるべきだ(使ってほしい)』という、切実な願いを持っているのに、現実はとなると、『報道番組、教養番組などの区分を問わず、外国語が多用されている』のに、怒り心頭の心境のようだ。

この男性は、地元で『日本語を大切にする会』というNPO?の責任者らしいとのことだから、これは相当大きな反応が出そうだと思ったが、翌日の朝日新聞の天声人語がこのことに触れている。

 このところ、めったに天声人語を引き合いに出す事がなくなったが、夏目漱石の『坊ちゃん』の題材に『坊ちゃんが今の世を見たらカタカナの氾濫に驚くだろうな・・・』という下りは実に面白い。

 すでに読まれた方も多いだろうから、詳しくは述べないが、夏目漱石の『坊っちゃん』出てくる教頭の赤シャツは、いやな男として描かれ、『赤シャツの片仮名はみんな帝国文学から出るのだろう罪な雑誌だ』と小説を引用して、『坊ちゃんが見たら・・・』という皮肉る文章力はさすが主筆と学ぶところが多い。

 そして、訴訟への賛否はあっても、思いに共感する人は多かろうと男性の行動を理解した上で、『NHKだけではない。新聞、雑誌、民放も、政府も企業もカタカナ語だらけ。こっそり申せば小欄も、時おり読者のお叱りを頂戴する』との謙虚さも共感できる。

私も『パフォ-マンス』や『コンテンツ』などというカタカナを、その意味を完全に理解していないのにもかかわらず使っているので、エラソウナことは言えないが、このところのカタカナ表記はとにかく多い。

『トラブル、ケア』などは、日本語で表現しにくいようなことも、このカタカナで置き換えればかえって分かるような気がするが、『コンコルジュ』とか『コンプライアンス』、あるいは今流行りの『イノベ-ション』などとなると、いちいちその解説を読まないと理解できない。

そして、折角分かったと思っていたこのようなカタカナの意味は、不思議にすぐ忘れてしまう傾向があるので、次にでた時に再び『?』ということが数多い。こんな思いをしている人は私だけではないと思っているが・・・。

NHKは『訴状の内容を把握していないので、コメントは差し控えます』とお馴染みの態度で逃げているが、いずれ何らかのコメントはせねばならないだろう。

この男性の訴えに正面切ったコメントが出せるのか・・・。これは楽しみである。(田舎親父)

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