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2013年8月

2013年8月29日 (木)

これは治安維持法そのものでは・・・

 アメリカの悪名高いCIAという諜報機関の職員であったスノ-デンという男性が、職務上知り得たと言われる情報を、イギリスのメディアに流したことが判明し大問題になったのはつい最近のこと。今では、マスコミはほとんど取り上げなくなっているので、忘れっぽい日本人はもう過去のこととしているようだ。

その後、スノ-デン氏は期間限定でロシアへの亡命が認められ一段落と思っていたが、アメリカは盗聴などの情報収拾に関して釈明もなく、当たり前のごとく、身柄を引き渡すようにロシアに要求しているようだが、ロシアは拒否。そのために、アメリカとロシアの首脳会談が延期になるというほど、両国間の関係は冷えているらしい。

といっても、互いに牽制し合っているだけでドンパチには至らないと思うが、アメリカのシステムを真似るのが大好きな自民党政権は、アメリカに倣った『日本版NSC』と呼ばれる国家安全保障会議の立ち上げるとのこと。またまたキナ臭い雰囲気が広がりつつあるようだ。

このため、特に秘密保持管理が重要だということで、この秋の臨時国会に『秘密保全法案』を提出し成立させるというが、この内容が、国家に対する忠誠度を押しつけるものになっているらしいことに危惧感を持つ。

詳細はまだ明らかにされていないようだが、『防衛』『外交』『テロ活動の防止』などの分野で、国の安全保障に重大な支障を与える恐れがある情報を『特定秘密』に指定し、厳重に管理するという。

このことは、従来から行われてきたことだろうから、今更問題にならないと思っている人も多いかもしれないが、『特定秘密』を漏らした国家公務員らへの罰則は、通常の『守秘義務』違反より重い、最長10年の懲役が科せられるというのはかなり引っかかる。

一番気になるのが『特定秘密』の定義というか範囲である。そして最も問題になりそうなのは、誰がこの『特定秘密』を決めるかということ。

提案では、『特定秘密』を指定するのは、所管官庁の大臣など『行政機関の長』ということになっているが、秘密保持と錦の御旗を与えてしまうと、政権に都合の悪いことは全て『特定秘密』とされることは、今までの自民党政権がやってきたことをみると明らか。これでは、自民党とアヘ内閣に、今以上に好き勝手にかってを許すことになってしまう。下手すると、戦前のような徹底的な情報管制が敷かれる可能性もある。

しかも、どこからか『○○原発を狙ったテロ・・・』という情報でももたらされ、たちまちそれが『テロなどに関連』と判断されかねない。すると、原発の安全性や放射能の情報まで『特定秘密』となり、今以上に国民の目から隔離されることになりかねない。

今の環境省のトップなら、法案成立と同時に、『福島原発を狙ったテロ・・・』という情報が流れたという理由で、今、処理がお手上げ状態になっている高濃度汚染水のダダ漏れ問題などを含めて、国民に知られたくない情報を、全て『特定秘密』とすることは目に見えている。

さらに、一昨日に新聞報道では、国家公務員だけではなく、防衛などの機密情報を扱う府省庁と契約を結ぶ民間企業の従業員も罰則対象としているということが明らかになり、漏洩した場合は最高で懲役10年と公務員と同じ扱いにするときこと。

これは恐ろしい。国家の安全に関することだから当然という声も聞こえそうだが、先にも述べたが、『原発がテロの対象』となると、全ての情報は国家(環境省・経産省)の管理下となり、実際に業務を担当する地方の役人が、住民の命に関する情報を知ったとしても、お上の許可がなければ話せないとなりそうだ。

戦前に『治安維持法』という法律があったことは歴史で学んだ。この法律は、制定当初の目的は、皇国思想に則り共産主義運動の制限を目的に制定され、後には反軍・反政府組織の弾圧に使われた、一言でいうと、国にとって都合の悪い情報を発信した人物を拘束できるという内容だと理解しているが、都合の悪いかどうかを判断するのは時の権力であり、その基準は、下部に通達されると、どんどん細かくなるのが何時の世でも同じ。

戦時中、反戦の集会を企画したという理由はもちろん、人的なリストを捏造してまで逮捕拘留したことは、多くの人の証言からも明らかになっている。

今回の『特定秘密保護法案』は名前を変えた『治安維持法』そのものと言っても差し支えなさそうだ。これは危険、許してはならない・・・。(田舎親父)

2013年8月28日 (水)

インタ-ネットは神が与えた劇薬?・・・

 厚労省に中高生のスマホに対する意識を中心に研究する部署があるらしい。その研究班が10万人超の中高生を対象にした初の全国調査で、インターネットに没頭してしまうなど依存の疑いの強い生徒が8%いたと発表したのは今月始めのことである。

『ネット依存』と名付けられたこの症状を持つ中高生は、調査結果をそのまま当てはめると、推定では全国に約52万人存在することになるという。これは見逃せない。

依存が強いと睡眠の不調などを訴える割合も高くなることは、スマホを持たない私にも容易に推測できる。研究班は『健康に影響が出ており、学校などでネットの健全な使い方を指導する必要がある』と指摘しているとのことだが、また学校に押しつける気なのかと、調査結果にはある程度納得できるとしても、なんでも学校という役所的な発想には我慢できない。

それは別に論じるとして、この調査は、パソコンやスマフなどを使ったチャットやメール、オンラインゲームなどインターネットへの依存度を、アメリカの研究者が作成し、世界的に使われているテストほう方法で調べたものだという。

調査項目は『ネットで人間関係を台無しにしたことがあるか』など8項目。質問に『はい』か『いいえ』で答えさせる形式で、『はい』が5以上だと『病的な使用で依存の疑いが強い』というランクになるらしい。そして、『はい』が3〜4は『不適切な使用』、0~2は『適切な使用』と分類している。

アンケ-ト形式のこの種の調査方法は日常的に良く目にする。なんでも数値化にするに何となく疑問を感じているが、今回の調査項目をみる限り、病院の初診時の問診に近いようだから、特に異議を差し挟むのは差し控えることにする。

それはさておき、調査結果によると、依存の疑いが強い生徒は、男子約6%、女子約10%で、全体では約8%(7952人)だったという。中高別では、中学は約6%、高校は約9%だというのも、スマホの保持率からある程度納得する。

成人を対象にした同じような調査はすでに08年度に実施しているとのことで、その時は、依存の疑いが強い人の割合は約2%だったという。研究班は『今回の調査で、子どもの方が大人より、ネットにのめり込む傾向が強いことがはっきりしている』と危機感を持っているようだが、こんな調査を待たずともネット依存を何とかしなければ、トンデモない社会になることは私でも理解できる。

病名をつけるのが大好きな医療界で、まだ『ネット依存』と、その後にくる『症』とか『症候群』といった文言を与えていないのも変な話である。

『ネット依存』の症状が、パソコンやスマートフォンをネットにつないで、『使っていないとイライラなど情緒不安定になり、生活に影響が出る』と定義しているらしいから、従来なら、確実に『ネット依存症候群』あるいは『ネット依存症』という病名をつけるはずなのに・・・。

 記事には、とくに短期間で不登校などへと発展する危険性が高いのが、オンラインゲームだとある。30年も前から、ゲ-ムはもとよりパチンコにすら興味を失った私には、何故こんなにものめり込むのだろうと不思議な気がするが、現代の子どもたちはバ-チャルな環境が当たり前で、機器がないと遊びもままならないようだ。

 オンラインゲームとは、インタ-ネット上のバ-チャルな空間で、複数の参加者が協力して?戦闘や冒険を続けるものが多いという。メンバーがそろわないとプレーできないというから、私のような年代の人間にはマ-ジャンを思い浮かべる。

 マ-ジャンといえば学生寮ではよく夜更かしをしたものだが、学生運動とアルバイトが忙しく、のめり込むまではいかなかった。もっとも当時は、『マ-ジャン依存症候群』などという言葉などなく(あったかな?)、中毒症状を呈した学生は私の周りにはいなかったと記憶している。

 しかし、現在のようなインタ-ネットが当たり前の、社会性も育っていない中高生となると話は別。相手が匿名で、画面を開くとそこには自分だけの世界が展開するとなると、引き込まれる連鎖の力も強くなることは想像に難くない。

こんな社会が当たり前であって良いわけはない。何故、無条件に子どもにスマホを与える親がいるのだろうと思いたいが、親の年代は生まれた時からインタ-ネットが存在し、今ではスマホが当たり前で、与えなければ子どもが仲間外れになりかねないという強い迫観念と、世の中全体がスマホがなければ始まらないという風潮では、これも仕方ないのかもしれない。

その結果が、少なく見積もっても中高生の1割が、スマホのない世界など考えられない『スマホ依存症候群』に侵されている。しかも、この割合は増えることがあっても減ることは絶対にないことは明らかとなると、社会全体で真剣に考えなければ未来はない。

最近は『ネット断ちの合宿』などもあるらしいが、そんな療法で社会全体に蔓延している依存症を撲滅できるはずがない。煙草と同じで、未成年には持たせないという意見もあるそうだが、それも現実的にはとうてい無理な注文。

究極的には、インタ-ネット以前の社会に戻すことだろうが、それも不可能。となるとこの『症候群』の治療法はなく、全世界に限りなく広がるだろうことは誰も疑えない。

どうやらインタ-ネットとは、神が人類を地球上から抹殺するために作り出した麻薬としか思えなくなってきたが・・・・。(田舎親父)

2013年8月27日 (火)

レベル3どころではないのでは・・・

 高濃度汚染水の漏れが止まらない。それどころか、日々その量が増え続けているのが現実となると、原発事故は収束どころか、新たな始まりのような気がする。

東電が、高濃度汚染水を認めたのは今月19日のことだった。翌日の新聞には、『東京電力は19日、福島第一原発で、高濃度汚染水から放射性セシウムを除去した処理水をためるタンク周辺で、水が漏れていたと発表した』という記事がある。

その中には、処理水には放射性ストロンチウムなどが含まれており、周辺に漏れた水の表面近くで毎時100ミリシーベルトを超える非常に高い放射線量が計測されたという、俄には信じられないような恐ろしい数値が並ぶ。

国の規制値は1年間に1ミリシ-ベルト。それが毎時100ミリシ-ベルトといえば、1時間ここで復旧作業をすれば100年分の放射能を浴びることになる計算、いろいろと防御する方法はあるのだろうが、素人的にはどう考えても、復旧作業など不可能ではないかと絶望感が先にたつ。

しかも、東電は当初漏れ出した汚染水は120リットルと発表していたが、数日後には、その数値は300トンに修正しているのも、いつものことだが許せない話。前夜に見回った時には漏水は発見できなかったとのことも100%信じられない。

東電が汚染水をプ-ルに溜めていたことは以前つぶやいたことがある。そのプ-ルから高濃度汚染水が地下に染み出したことが明らかになり批判が大きくなって、地上にタンクを作って移すということも報道されていた。

その時、そんなに簡単にタンクが作れるものだろうかという素朴な疑問を抱いたものだが、今日の技術では可能かもしれないと深く考えなかった。しかし、今回の高濃度汚染水の大量の漏水は、その俄仕立ての貯蔵タンクが原因だと知り、やはり・・・という思いが深くなる。

 先日の東京新聞が、社機から撮影した福島原発周辺の映像を掲載していた。『来るたびに森が削られ、タンク群があちらこちらに増えていく。主力は漏れが起きたボルト締めタンクだ。そこに22万トンもの高濃度のストロンチウムを含んだ処理水が入っている』と添えられた文章は不気味である。

 物凄いタンク群である。溶接をしないで、接合部にパッキン(止水材)を埋め込みボルトで締めつける構造になっているので、一週間で完成するのだそうだ。なるほど、タンク増設には都合が良く、短期間でこのようなタンク群が現れたのだろうが、パッキン頼りとなると、自宅の風呂場や洗面所と同じである。

このパッキンの耐用年数は5年ほどだという。まさか、以前私が風呂場の漏水防止で使った市販のパッキンと同じものだとは思いたくないが、それにしてもたった5年しか耐用年数がないものを、高濃度汚染水の水漏れ防止に・・・と愕然とする。

接合部をボルトで締めつけてあるということは、漏水を止めるためには、当然のことながら至急パッキンを交換しなければならない。となると、タンクそのものを解体しなければ交換できない。東電は早速、このタンクの汚染水を別に移動させているとのことだが、全てのタンクが同じ構造というから、漏水は今後タンク群のあちこちから汚染水漏れが起きることは目に見える。

その度にタンクを解体することになるのは必至だろう。さらに、これらのタンクは鋼鉄製であることも問題らしい。ある専門家の『汚染水は原子炉冷却に使われた水で、当初の海水冷却により塩分を含むものです。鋼鉄製のタンクは錆びやすく、腐食して穴が開き、漏れた可能性があります。安全性を考えるのであれば、東電は鋼鉄製ではなくステンレス製のタンクにすべきでした』という意見が不気味に聞こえる。

現在同様のタンクは敷地内に350個あるという。もし、今回と同じ300トン(以上だろうが)の高濃度汚染水がすべてのタンクから漏れ始めたら、10万トンではきかない計算になるとのこと。考えるだけでも背筋が寒くなる。

しかも、汚染水は1日400トンのペースで増え続けていているということは、いくらタンクを増やしたとしても、追いつかないのは自明のこと。さらに、汚染水は地中のつなぎ目からだけではなく、底の部分から漏れている可能性が強くなったとのことは、掲載しているタンクの構造図からも間違いなさそうだ。

となると、これらのタンク群からも地下にしみこんでいることも間違いあるまい。要は、福島原発周辺は海も含めて放射能汚染が激しく、半永久的に人が生活できない環境になっていることは、私にでも十分想像がつくこと。

そんな危機的な状況など我関せずとばかり、我が国のトップたちは、オリンピック招致に血眼になっている。先日などは『出陣式』という、戦場に挑むがごとき名前で、これらのトップたちに加えて、『オリンピックいのち』アスリ-トたちが大騒ぎしていたが、その奇声が虚しく感じるのは私のへそが曲がっているからだろうか・・・。

世界の良識は、わざわざ原発事故を起こし、しかもその収束に本気で取り組もうとしないで、未だに汚染水を垂れ流しているような国でのオリンピック開催に一票を投じないと思いたいが、良識よりカネだというくにや地域も多いそうだから、東京に決まる可能性もなくもない。

そんな中で開かれる20年の東京オリンピックは・・・。こちらも考えるだけでゾッとするが、私の想像は別の機会に・・・。(田舎親父)

2013年8月26日 (月)

『はだしのゲン』の閉架について(その2)・・・

 20日の朝日・東京両新聞の社説が大いに世論を盛り上げて、他の大マスコミも取り上げざるを得なくなり、松江市教委に抗議が殺到して、通達を撤回するだろうという私の期待には見事にはずれた。

世論の盛り上がりにも、いつ一つ欠ける嫌いがあるが、『はだしのゲン』問題は、マスコミより早く文科省が首を突っ込むという事態になっていることは注目に値する。

 朝日・東京両新聞が社説で取り上げた翌日、文部科学相は記者会見で『松江市教委の判断は違法ではなく問題ない。子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要だと思う』と述べたとのことであるが、原発事故での放射能に関しては、意識的に情報の隠蔽や遅らせることが得意な役所としては対応が早すぎる。

 また、子どもの理解力に委ねるべきだ』という批判的な意見がある点に関して、『その通りだと思うが、相当露骨なもの、子どもの発達段階においていかがなものか、という作品を(学校図書館に)入れてはいけない。教育上の配慮は要る』と答えたとのことだが、またまた出てくるのは『教育的配慮』という言葉。都合が悪くなったり、その先の意見をストップさせるのだから、権力側にとってこんな便利な言葉はない。

 松江市教委の今度の処置の理由に『描写が過激』だからとしているが、戦争とはもともと過激なもので、戦争の悲惨さを表現するには過激になるのが当たり前、戦争を優しく描いては、決して『戦争を憎む気持ちや許さない心』など育つはずがない。だから、理由として成り立たないのは明らか。

また、残酷で過激な描写をともなった書籍はいくらでもあるはずだ。それこそネットでは目を覆いたくなるほど残虐で、気持ちが悪くなるような表現はごまんとある。松江市教委はこのような有害図書やネットの負の部分には一切触れず、『はだしのゲン』だけを閲覧禁止とはどう贔屓的にみても筋が通らない。

 これは明らかに、禁止の理由は『戦争を描いた』ということだけだろう。素直に解釈すれば、原爆反対、反戦の思想を子どもに植え付けることへの警戒から来たものであることは間違いなさそう。

 昨年12月にとられた措置だということも引っかかる。アヘ内閣が発足してすぐの時期であり、アヘ首相が就任当時から『教育問題』を最重要視する一つとし、集団的自衛権や憲法9条を変えると自信満々で明言している時と同じくしているからである。

 まさかアヘ首相が直接松江市教委に命令したとは思えないから、市教委の幹部が政権の意向を汲み取って行なった判断だったという見方も、当たらずとも遠からじとうところではと推測している。つけ加えるならば、市教委としては著者が亡くなったことがで、気分的に、学校図書室から締め出し易くなったというところかもしれない。

 このことに関しては、明らかになった今月中旬時点で、文科省は『こうした例は聞いた事がない』と、変革を嫌う役所の面目そのものの表現だったことも記憶に新しい。(文字面からでは)、どちらかというと批判的なようだとも受け止められるから、今回の文科相の早い対応は、文科省の中の、今回の処置に批判的な動きを封じる意味があるのではないだろうか。

 松江市教委は、問題か明らかになって、慌てて教育委員が集まって会議を開き、この問題を討議しているらしいが、結論を先送り。しかし今朝のニュ-スでは閲覧を自由にするらしいから、早々に幕引きにしたいようだ。

ところで、教育委員は議会の同意を受けて首長が任命する形をとっているのだから、教育委員の会議だけで(今回は委員会も開かれていない)、このような判断を、しかも『表現の自由』と言う憲法上保障された人権を規制するような重大な決定は違憲だろう。少なくとも、議会で討論し首長の判断に委ねる必要があると思うのだが・・・。

 『はだしのゲン』閲覧・貸し出し制限(その実、禁止)という大きな事件が、この程度の報道で終わり、これで幕引きにしてしまえば、アへタカ派(戦争責任曖昧派)政権におもねいて、今後同様の制限が地方で続くことは間違いない。その意味で、松江市民の声がもっと聞こえてきて良いのだが・・・。

 一昨日の朝のNHKニュ-スで『松江市教委と同じように閲覧制限をしていた鳥取県教委は、批判を受け止めて制限を解除しました・・・』という意味のこと報じていた。鳥取県教委も閲覧制限(禁止)という措置をしていたらしいことに驚く。

こんな情報は今までマスコミは、国民の目に触れさせてはいない。知らなかったとは思えないが、子どもたちから親へ伝わらなかったのだろうか。そして、ネットでつぶやく大人がいなかったのだろうか。私にはこちらの方が気になる。

 たかが漫画の規制だといって今度の事件がやり過ごされては、どんどんと教委は規制的になっていくだろうことは間違いない。今度の事件は、この国の教育が危うい方向に向かう分水嶺になるのは間違いないところ。

松江市教委が、自由閲覧に戻したとしても、これで幕引きにするのではなく、各地で教育委員会への監視の目が大きくなることを期待する。(田舎親父)

2013年8月24日 (土)

『フ-ドロス』を減少させる実験に注目・・・

 『フ-ドロス』という言葉をこのところ耳にする機会が増えた。現在、世界の8人に一人が飢餓に苦しんでいるというが、日本では物凄い量の食べられる食品が大量に捨てられているのが現状。この言葉が、その反省の意味をこめて使われるようになれば、食料の大切さがもう少し知れ渡り、『もったいない』という言葉が生き返るのではと期待しているが・・・。

 食品業界が『フ-ドロス』に取り組み始めたという記事を見つける。現在、我が国で発生する食品廃棄物は年間1千7百万トンに上るそうだ。農水省の推計では、このうち5百万~8百万トンは『フ-ドロス』と呼ばれる、食べられる食品の廃棄だという。

 この量は、国内のコメ収穫量に匹敵し、世界全体の食料援助量の2倍に相当するというから凄まじい。日本の食料の無駄遣いは、今や『非人道的』という表現も奇怪しくないほどという文章に、なるほどと納得。早急に真剣に取り組まねば、世界からの非難の嵐にさらされるのは確実なようだ。

 『フ-ドロス』に真剣に取り組みを表明したのは食品メーカーや卸売業、小売業の大手35社。着手したのは、飲料や菓子の納品期限を延長する実験だという。納入期限を引き延ばすことによって、流通過程で生じる『フ-ドロス』の減少の成果を、半年間試行して効果を調べるのだそうだ。

 『フ-ドロス』と密接な関係のあるのは『賞味期限』という言葉であることは今更の述べるまでもない。店頭に並ぶ商品には、一見して新鮮さが分かる野菜などを除いて『賞味期限』という表示が義務づけられていることは誰もが知っているが、食品によってその意味が違うことは案外知らされていない。

それはさておいても、誰もがより賞味期限の迫ったものより、日程的に余裕がある日にちが印刷されたほうが『美味しい』と思うのは仕方ないだろう。ス-パ-などで観察していると、主婦(最近は男性も)たちは、並べてある商品を上からとって買い物駕籠に入れることなどまずない。

例外なく、商品を手にとって、まず賞味期限を確認。奥のほうにより先の日にちもものがないか探して、あれば迷わずそれを駕籠に入れる。入れ代わり立ち代わり同じことを繰り返すものだから、一日でも消費期限の迫ったものはその場に放置され、ス-パ-側は、この商品を売るために四苦八苦しているようだ。

記事は、食品業界には、賞味期限にまつわる『三分の一ルール』と呼ばれる商慣習があることを紹介している。製造日から賞味期限までの期間の三分の一を過ぎた加工食品は、小売店に納品できないという『暗黙の了解』なのだそうだ。

このル-ルによって、納品期限が過ぎた商品は卸売業者が廃棄したり、メーカーに返品されたりして処分されるという。これが原因で、まだ食べられるのに、消費者の目に触れる前にごみ扱いされている食品が増え、『フ-ドロス』の大きな要因になっているとのことである。

実験は、この納品期限のル-ルを『二分の一』に改めるそうだ。こんな商習慣があったことはほとんどの人は知らなかったに違いない。仮に賞味期限が1年だとしたら、今までなら納品できる期限は4ケ月。それが6ケ月になり、2ケ月も延長できる。

 アメリカでの品期限は賞味期限までの二分の一、イギリスでは四分の三、フランスやイタリアでは三分の二だと紹介している。何故日本が三分の一という厳しいル-ルになったか詳しい事情は分からないが、日本の消費者はより新鮮な食物を求めるという指向に、業界の競争が加わったからだろう。

 納品期限を二分の一に延ばせば、『フ-ドロス』の削減はもちろん、在庫管理や返品、廃棄にかかる費用の抑制も期待できそうだ。さらに、原材料や生産エネルギーの無駄を省くことにつながることは私でも理解できる。ただ消費者の意識が変えられるかが少し気になるところだが・・・。

 消費者から見たら、今までより長い賞味期限がある食品が少なくなることになるので、不安が生まれることも考えられるが、意識を変えて、日本が食料の6割を輸入に頼っている現実を自覚して、賞味期限とは基本的には『美味しく、しかも安全』な期限だということに納得したいものである。

ただ、賞味化現の誤魔化しが横行していることが気がかりであるが・・・。(田舎親父)

フ-ドロス減少のの実験に注目・・・

 『フ-ドロス』という言葉をこのところ耳にする機会が増えた。現在、世界の8人に一人が飢餓に苦しんでいるというが、日本では物凄い量の食べられる食品が大量に捨てられているのが現状。この言葉が、その反省の意味をこめて使われるようになれば、食料の大切さがもう少し知れ渡り、『もったいない』という言葉が生き返るのではと期待しているが・・・。

 食品業界が『フ-ドロス』に取り組み始めたという記事を見つける。現在、我が国で発生する食品廃棄物は年間1千7百万トンに上るそうだ。農水省の推計では、このうち5百万~8百万トンは『フ-ドロス』と呼ばれる、食べられる食品の廃棄だという。

 この量は、国内のコメ収穫量に匹敵し、世界全体の食料援助量の2倍に相当するというから凄まじい。日本の食料の無駄遣いは、今や『非人道的』という表現も奇怪しくないほどという文章に、なるほどと納得。早急に真剣に取り組まねば、世界からの非難の嵐にさらされるのは確実なようだ。

 『フ-ドロス』に真剣に取り組みを表明したのは食品メーカーや卸売業、小売業の大手35社。着手したのは、飲料や菓子の納品期限を延長する実験だという。納入期限を引き延ばすことによって、流通過程で生じる『フ-ドロス』の減少の成果を、半年間試行して効果を調べるのだそうだ。

 『フ-ドロス』と密接な関係のあるのは『賞味期限』という言葉であることは今更の述べるまでもない。店頭に並ぶ商品には、一見して新鮮さが分かる野菜などを除いて『賞味期限』という表示が義務づけられていることは誰もが知っているが、食品によってその意味が違うことは案外知らされていない。

それはさておいても、誰もがより賞味期限の迫ったものより、日程的に余裕がある日にちが印刷されたほうが『美味しい』と思うのは仕方ないだろう。ス-パ-などで観察していると、主婦(最近は男性も)たちは、並べてある商品を上からとって買い物駕籠に入れることなどまずない。

例外なく、商品を手にとって、まず賞味期限を確認。奥のほうにより先の日にちもものがないか探して、あれば迷わずそれを駕籠に入れる。入れ代わり立ち代わり同じことを繰り返すものだから、一日でも消費期限の迫ったものはその場に放置され、ス-パ-側は、この商品を売るために四苦八苦しているようだ。

記事は、食品業界には、賞味期限にまつわる『三分の一ルール』と呼ばれる商慣習があることを紹介している。製造日から賞味期限までの期間の三分の一を過ぎた加工食品は、小売店に納品できないという『暗黙の了解』なのだそうだ。

このル-ルによって、納品期限が過ぎた商品は卸売業者が廃棄したり、メーカーに返品されたりして処分されるという。これが原因で、まだ食べられるのに、消費者の目に触れる前にごみ扱いされている食品が増え、『フ-ドロス』の大きな要因になっているとのことである。

実験は、この納品期限のル-ルを『二分の一』に改めるそうだ。こんな商習慣があったことはほとんどの人は知らなかったに違いない。仮に賞味期限が1年だとしたら、今までなら納品できる期限は4ケ月。それが6ケ月になり、2ケ月も延長できる。

 アメリカでの品期限は賞味期限までの二分の一、イギリスでは四分の三、フランスやイタリアでは三分の二だと紹介している。何故日本が三分の一という厳しいル-ルになったか詳しい事情は分からないが、日本の消費者はより新鮮な食物を求めるという指向に、業界の競争が加わったからだろう。

 納品期限を二分の一に延ばせば、『フ-ドロス』の削減はもちろん、在庫管理や返品、廃棄にかかる費用の抑制も期待できそうだ。さらに、原材料や生産エネルギーの無駄を省くことにつながることは私でも理解できる。ただ消費者の意識が変えられるかが少し気になるところだが・・・。

 消費者から見たら、今までより長い賞味期限がある食品が少なくなることになるので、不安が生まれることも考えられるが、意識を変えて、日本が食料の6割を輸入に頼っている現実を自覚して、賞味期限とは基本的には『美味しく、しかも安全』な期限だということに納得したいものである。

ただ、賞味化現の誤魔化しが横行していることが気がかりであるが・・・。(田舎親父)

2013年8月23日 (金)

親の義務は?・・・

 ここ数日、かなり重い問題についてつぶやいてきたので、今日はごく軽めにしたいと思うが、実は、これから述べることが、今一番真剣に考えなければならないことなのかもしれない。

 名古屋駅の新幹線ホ-ムで起きたことである。今月21日の水曜日の午後10時10分過ぎというから、ホ-ムが人で溢れているとはとても思えない。東京発新大阪行きの『のぞみ259号』の乗客は約1000人というから、この列車も空いていたようだ。

 ところが、この列車から降りようとした『4歳の男児』が線路内に転落したという。恐らく、先日もつぶやいたが、列車とホ-ムに隙間があって、そこから落ちたのだろうと想像しているが、私には、これらがあたかも鉄道会社の手落ちを思わせるような記事内容になっていることが気になるところ。

 JR東海によると、男児は頭にけがをし、救急車で搬送され命に別条はないもようだというが、もしも死亡などに至ったら、たちまち世論が沸騰し、JR東海の管理責任が問われるところだったのではないだろうか。

 JR側に管理責任が全くないとは言わないが、問うほどのことではないと思う。むしろ4歳の男児となると親でも行動を読むのが難しく、このことは、幼児教育に携わっている者にとっては常識中の常識で、目を離すとトンデモない事故を引き起こすことになるので外に連れ出す時には細心の注意をするものである。

ところが、最近は『安全は周りが守ってくれるもの』という風潮が蔓延しているので、子どもの安全を一番守らねばならないその子の親までもが、『安全は親より社会の責任』という考え方になってしまっていたようだ。

子どもを乗せた自転車で平気に右側通行をしている親。子どもの手をひきながら赤信号を無視して交差点をわたる親。子どもを外に放置して親同士が喫煙室でタバコをふかしておしゃべり続ける複数の母親。こんな親の姿を目にすることは枚挙にいとまない。

一昔前の親であったら、子どもと手をつなぎ、必ず車道と反対側を歩くのが常識だったが、それも今は忘れられていると言っても過言ではない。

列車から降りる際、子どもの手をつないでいれば今回のような事件は絶対に起きないはずなのに、この種の事件報道がやたらと多いのは、まさに親としての義務を履行していないと断定しても良いのではないだろうか。

親にも事情があるという意見があることは十分知っている。また、子育てが大変だから支援が必要だということにもその通りだと同意するが、少なくとも自分の子どもを守るというのは親としての最低限の義務として自覚は持ってほしいものである。

ホームにいた他の客が転落を目撃し、非常停止ボタンを押したので事なきを得たそうだが、もし気がつかず列車が動き出したら、この児の命は危なかったに違いない。するとどうなるか、JR東海の幹部たちはまたまた雁首揃えて『申し訳ありませんでした』と例のパフ-マンスに至ることは容易に想像できる。

これで良いのだろうか。子どもを社会で守ることには異議ははさまないが、周りが腫れ物に触るように全ての危険要素を取り除き、無菌状態の環境が『是』となると、これから生きていくために最も大切にしなければならない危険に対する感性(危機管理意識)など育つはずがない。

そしてそんな環境で育った子どもたち(大人もでもあるが)が、周りを一切気にせずに、スマホの画面をみながら歩いていてホ-ムから転落することなど当たり前だろうと思いたい。しかし現代の常識は、転落する子どもに罪はなく、ホ-ムドアをつけなかった鉄道会社にあるというのだから困った話。

列車には約1100人が乗車し、10分遅れで発車したという。乗客の中には、この10分遅れで人生を大きく狂わされる人もいないとは限らない。しかし、この4歳の児童の親はそんなことは知らないし知らされないだろう。

子育てと親の義務、そして社会の環境整備を考えさせられる記事である。(田舎親父)

2013年8月22日 (木)

国の猛省をうながす・・・

 福島事故原発の状況がますます酷いことになっている。昨日の朝刊各紙は、高濃度限度の数百万倍の汚染水が、タンクの底から漏れ出していると、信じられないような事実を報じていたが、これもまだまだ氷山の一角で、今後さらにトンデモないことが明らかになるのではないだろうか。

 実際に、今朝の朝刊では、堰を造っておきながら弁は開けたままになっていたということがわかったとのこと。高濃度汚染水は海へスル-だったらしい。

このことは後日述べるとして、除染という作業がいかに誤魔化しだということがはっきりする記事に目が留まる。

原発事故で避難している住民が帰還する際に前提となる放射線量が、除染後も国の想定ほど下がらないという記事である。国は家屋が外の放射線を6割遮ることを前提に除染しているそうだが、家の中でもほとんど減らないことがわかったという。

国は、住民の一日の生活パターンを屋外に8時間、屋内に16時間と想定し、家の中は壁などが放射線を遮ることで、屋外の4割しか線量がないことを前提にして除染を進めているのだそうだが、それが根本的に崩れていることは間違いなさそうだ。

 原子力規制委によると、屋内の線量が屋外の4割にとどまるとの考え方は、国際原子力機関(IAEA)が目安として示した値をそのまま引用したものだというが、こんな前提は今まで公表していただろうか。私は聞いたことがないのだが・・・。

 今月上旬に、東京新聞が独自に田村市や川内村、楢葉町で、住宅の『除染が終わって』一時帰宅していた住民の協力を得て実測した結果、庭先や玄関先の線量と、居間や寝室などの線量はほとんど変わらないケースが大半だったというから驚きである。

 これが、国の『安全だから帰還して良い』というお墨付きをもらって、生活している自宅でのことだというから唖然とする。中には、窓越しに水田や裏山がある部屋では、玄関先より線量が高いケースも散見されたというから、住民の不安が高まっていることは想像に難くない。

 記事には、農家では、玄関や縁側を開けっ放しにして生活しているケースが多いと放射線が入り易いのではと注釈をつけているが、昔と違い、最近は農家といえ戸締りが当たり前になっているだろうからこの一文には違和感を覚える。

 むしろ今年の夏は例年以上に猛暑が続き、(我が家でもそうだが)窓を開け放して寝ることが多いから、外と内の放射線値が変わらないというなら、少しは説得力があるが・・・。

 それはさておき、ある農家宅で、昨年4月に帰宅してから16カ月間、屋内に置きっぱなしになっていた積算線量計は2.47ミリシーベルト(1年に単純換算すると1.85ミリシーベルト)だったとのことである。

 何度も述べているが、国の帰還基準の放射線値は年間1ミリし-ベルトであり、除染などによって、毎時0.23マイクロシ-ベルトに下がった時点で住民に『安全宣言』を出して帰還をすすめてきたと説明しているが、実際は基準の2倍近い値の中で生活させていることになる。

東京新聞は、福島の放射線量をモニタリングしている規制委事務局に、こうした事実を伝えたそうだが、当局は、屋内の線量は屋外の4割だとする日本原子力研究開発機構の報告書を基に『線量の測り方によっても結果は違ってくる』との態度だというから、まさにお役所仕事そのもの。

私は呆れるだけで直接な被害はないが、実際に住んでいる人たちにとっては大問題。『測り方によって違う』というならば、実際に当局が測定し、その数値を公開すれば良いと思うのだが、その場合、高い数値がでたら困るという意識が働いているので腰が引けているようだ。

いやむしろ、こんなことは先刻ご存じで、線量を計ったら、即政策を根本的に見直さねばならなくなるので、誤魔化していると言ったほうが合っているのかもしれない。

福島県の子どもたちに甲状腺異常が増えることは多くの人が心配し、チエルノブイリの経験からも明らかだろうと言われていたが、恐ろしいことに、実際に相当な勢いで異常が認められはじめているという。そして、国のいい加減な政策が続けば、さらに増えることは間違いなさそうだ。

帰還した住民には再度避難する物的支援があるとは思えないので、不安を持ちながらも住み続けなければならないのではないだろうか。その中には子どもも少なくないだろう。

そんな環境で住み続けていれば、甲状腺異常からガンに侵される子どもの数は、右肩上がりの放物線を描く心配がありそうだ。

 国の猛省を促したい。(田舎親父)

2013年8月21日 (水)

松江市教委はすぐに撤回すべし・・・

 敬愛する友人から『何か奇怪しいと思いませんか?』というメ-ルを受け取ったのは、17日の早朝だった。『裸足のゲン』の過激描写理由に『閉架』にした松江市教委のとった措置に対してである。このことは、16日にNHKテレビがとり上げたらしいが、何故か見落とし、彼のメ-ルではじめて知る。

私は『教育委員会が右傾化していることは明らかですが、ここまでくると異常ですよ。東京とか大阪、そして悲しいことですが我が神奈川でも高校教科書の採択に権力的介入をしていますがさすがに、神奈川はここまではやらないと信じています。
恐らく、松江教委はこの措置を取り消すと思いますが、松江を使って世論を探っているように思えてなりません。同時に、このような戦争に向き合うマンガなどはいじめの原因につながるという考え方を徐々に広めていく方向ではないでしょうか。
いずれにせよ、マスコミの少し様子をみて、取り上げたいですね。』と返信し、以後興味深く続報を待っている。

17日、朝日や読売など大新聞各紙は、論調は(当然のごとく)かなり違うが、このことを取り上げていた。これは社会問題に発展するぞと思っていたが、私の思惑は見事にはずれたらしく、翌日、東京新聞が『松江市教委に抗議殺到』という見出しで、続報を載せただけで、他の新聞・テレビは揃ってダンマリ・・・。

詳しい事情は分からないが、松江市教委がこの措置をとったのは昨年12月だという。『過激な描写』が多いと断定し、教育長が独断で『校長会』を召集して、『校長の許可なしで見られなくしてほしい』と口頭で要請したらしい。

しかし、口頭とはいえ、校長会で教育長が口にしたことは命令であることは、この業界では誰もが知っていること。これが今頃になって明らかになること事態不思議だが、昨年12月と言えば『裸足のゲン』の著者である中沢氏が亡くなった時期と合致する。この符号は何と読み解けば良いのだろう。

このことはさておき、このマンガは戦争体験を伝えるという意味では貴重な本という評価が高く、全国の小中学校の図書館にはほとんど収納されていると聞いている。そして、多くの子どもたちがこの本から戦争の悲惨さを学びとっていることも、経験として知っている。推奨する教師も多いことも・・・。

確かに残酷な描写もあるが、これらは全て実際に著者自身の体験に基づくものだと著者本人も語っている。戦争や原爆の被害は決してきれいごとではないし、子どもたちに本当のことを知らせなければ、戦争の悲惨さや平和の尊さについてきちんと伝えられないのだから、このマンガの存在は大きい。しかも著者は、これでも押さえに押さえた描写であると言っているのも教員なら知っているはずだと思いたい。

通達を受けた校長たちの反応はどうだったのだろう。『はい、わかりました』と学校に持ち帰ったとしても、校内の教員にどう説明し、松江市の全ての小中学校が『閉架』という措置に踏み切れたのだろという素朴な疑問が頭をよぎる。

もしも、松江市の小中学校の教員が全て『校長先生のおっしゃる通りです』と、『裸足のゲン』の描かれている描写を子どもに見せないということに合意をしたとなると、私はむしろこちらの方が恐ろしい。

いくらなんでも『この措置は奇怪しい』と思う教員がいるはず。教員組合も存在するだろうに問題にしない?。そんなことがあるはずがない、と信じたいのだが、12月にでた市教委の通達が今頃になって明らかになることは、少なくともこの情報は外に流れていなかったと考えざるを得ない。

松江市の教育界ではこんなことが日常茶飯事だとは思いたくないが、このことは子ども達から親に伝わらなかったのだろうか。意識のある親ならすぐに問題にするだろうに、教育委員会はもとより、校長はじめ教員も親も、そして子どもたちも、今日まで沈黙していたことが解せない。さらに、明らかになって一報を伝えながら、沈黙を守っていたマスコミにも強い違和感を覚える。

しかし、昨日の朝日新聞が社説で取り上げていたことにホッとする。書き出しでは『自由に読めなくするよう指示していたことがわかり、全国から批判が相次いでいる』とある。しかし、『全国からの批判』が実際にどのぐらいなのか、他のマスコミが取り上げないものだから、その程度がわからない。

松江市教委に撤回を求めているが、(朝日の特徴だろうが)権力と向き合う姿勢にいま一つ迫力がないのはいつも通りで、とりあえず世論の反応を見たいという程度のように思える。しかし、朝日が取り上げた意味は大きいと信じたい。

この文章を書き終えた後で知ったことだが、毎日新聞も同日社説でこの問題を取り上げていた。朝日とあまり変わらない論調だが、世論がこの両新聞の社説にどう反応するか、興味深い・・・。

そして今朝の東京新聞も社説で取り上げている。こちらは社説には珍しい白抜きで『はだしのゲン』と言う見出しに、中央に『彼に平和を教わった』となかなか読者を引きつける構成になっている。

その上で、前書き的な形で『原爆の焦土をたくましく生き抜く少年を描いたマンガ『はだしのゲン』。世界中の子どもたちか彼に平和を学んでいる。それを図書館で自由に読めないようにした大人。ちょっと情けなくないか。』という文章で問いかけている。

東京新聞を講読している人がどのぐらい存在するのかわからないが、ひょっとして、騒ぎに発展するのではという期待がもてる。続きは後日・・・。(田舎親父)

2013年8月20日 (火)

戦争責任がますます曖昧に・・・ 

 毎年8月になると賑やかになるのが『靖国議論』である。68回目の終戦の日だった8月15日にアヘ首相は靖国神社への参拝を見送ったが、この御仁は前回首相だった時、参拝できなかったことは『痛恨の極み』とのたまったらしいから、内心は忸怩たる思いがあったことは想像できる。

しかし、何故ここまで自民党(野党もだが)の議員たちは靖国参拝にこだわるのだろう。『お国のために命を捧げた英霊に頭を下げるのは国民の義務』だというが、国民への義務などまるで感じていない輩の口から、このセリフが出ることそのものが、質の悪い笑い話だと呆れてしまう。

自分たちは絶対に安全な場所で、東南アジアの諸国を列挙の支配から独立させる作戦と称して、命令一つで、若者を戦地に飛ばして死にいたらしめた輩も同じ神社に祭られていることを、知っていながら知らぬふりで、口にしないのは許し難い。

首相はじめ閣僚や国会議員たちが、靖国神社に参拝し、頭を下げる対象は『戦場で消えた数多い兵隊の御霊』ではなく、戦争責任を問われ、東京裁判で絞首刑になった(いわゆる)『A級戦犯』たちではないだろうか。

以前はこの議論が盛んだったたが、最近はマスコミもあまり取り上げなくなっているばかりか、中国や韓国の取り上げ方が異常だという論調すら見かけるようにもなっているのも、私から見たら、ジャ-ナリズム精神の喪失のような気がする。

明日をもわからない極限の戦場で兵隊たちが『死んだら靖国の庭で合おう』という言葉をかわしていたことは、幸運にも生きて元兵隊だった人たちの証言から、ある程度は事実であることは疑わないが、そこまで徹底した思想をたたき込んだ軍国教育に対しての恐ろしさを知ると身震いする。

『上官の命令は天皇陛下のお言葉である』なんて、私には到底納得できるものではないが、現実には今もってその考え方が生きており、上役の命令に背いて職場を追われることは珍しいことではない。

このことは別に論じるとして、ムリムリ戦争に引き込んだ人間と、戦争に至った背景など全く知らされず、軍国教育で滅私奉公精神を徹底的にたたき込まれ、紙切れ一枚で集められ、上官の命令に逆らえず命を落とした将兵達を一緒に祭っていることが一番の問題だろうに、そのことには一切触れず、『靖国参拝は国内の問題であり国民の義務』と平然と言ってのける神経は、これこそ『かわずの面に何とか・・・』という例えが当てはまるのではないだろうか。

(素人考えだが)靖国からA級戦犯たちを外せば、違った展開になるはずだろうが、自民党政権は強引に合祀した以上、今更外すことなどできるはずがない。ならば、代わりの『戦没者慰霊施設』を作り、上官の命令で命を落とした兵隊たちの英霊を祭れば良いと思うのだが、過去には一時的に話題になったものの、最近はそのことを取り上げるメディアが全くないのも到底理解できない変な話。

新聞の社説を読むと、その多くは、首相が終戦の日に靖国神社に参拝しなかったことを 尖閣、竹島や歴史認識の問題で、中国や韓国との関係が冷え切っている折だから良かったと評価している。ここで参拝すれば、両国との関係改善はさらに遠のくとも・・・。

 『見送りは現実的な判断』という論調に強烈な違和感を覚えるのは私だけだろうか。

もし死後の世界があったらと仮定したら、靖国の社殿には、それこそ戦争を引き起こした当事者から、前線で死亡した二等兵までの縦社会が築かれているだろう。そこに時の首相が参拝して合掌しても、ずらりと縦系列で並んでいるに違いない戦没者たちのうち、その姿を目にできるのは、最前列に並んだ一部の戦争実行犯たちだけで、二等兵たちは、なんでこの日にこんな不動の姿勢を強要されるのかと(死後の世界まで)軍の支配に半ば呆れているのではないだろうか。

話を戻すが、終戦の日の政府主催の全国戦没者追悼式で、首相の式辞からアジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、すっぽりと抜け落ちていたことにも強い危惧感を持つ。

 加害責任への言及は、歴代首相が必ず演説の中に入る文言で、首相だった6年前には『アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す』と述べていたが、今年はない。ないどころか、これまで歴代首相が必ず口にしていた『不戦の誓い』という表現すら消え落ちている。間違いなく意識的にである・・・。

 どう考えても、アヘという男は『我が国には戦争責任などない』と断言しているしか受け取れない。式典は、先の戦争への日本の姿勢を世界に発信する場でもあるはずなのに、憲法9条を何としても変えると公言していることを加えると、そこには中国や韓国はじめアジア各国の危惧などは力でねじ伏せるという強い意志を感じる。

 自民党政権とアヘ内閣が続けば、ますますキナ臭くなる事態は避けられそうにないと思うのだが、支持率が落ちない?とは。どこかがそして何かが違うぞと思いたくなる・・・・。(田舎親父)

2013年8月19日 (月)

残業代ゼロが現実に・・・

 朝夕には涼しさ感じるようになったが、相変わらず日中の気温は、森に囲まれた横浜の片田舎でも、35℃に手が届くような猛暑が続いている。西日本はさらに酷くて、37℃という数字が連日テレビニュ-スを賑わしている。

 そんな猛暑の中、『終戦の日』の東京新聞の朝刊に、(どこかで聞いた記憶があるが)『ホワイトカラ-・エグゼンプション』という、またまた意味不明のカタカナ用語を見つける。

記事を読んで、ホワイトカラ-の管理職を対象にした、残業代を支払わなくても良い制度であるという内容から記憶が蘇り、以前取り上げたことを思い出す。

ネットの解説では、アメリカにおいて、最低賃金および超過労働の割増賃金率を定めている『公正労働基準法(FLSA : The Fair Labor Standards Act)』の規定第6条及び7条の適用除外(エグゼンプション)になっていることからこの名がついた』という。ここでもまたアメリカ追随の顔が出てくると愕然とする。

日本では、2006年ごろからこの制度導入への動きが急速に浮上し、大きな議論となったそうだ。日本経団連などが管理監督者に加え、専門業務型裁量労働制の適用を受ける労働者(日本経団連案では年収400万円以上)に対して、『自律的労働制度』という名前の下で同様の仕組みを導入することを求めてきたとのこと。

これに対し、組合など労働者側は、仕事量が多く残業に追い込まれ、残業代不払いが問題となっている実態を改善することなくこの制度を導入することは問題だとして反対した結果、厚労省が仲裁に乗り出したのだが、労使間で折り合いがつかず、ウヤムヤになっているらしい。

ところが、アヘ政権は、この問題を蒸し返し、一定水準以上の年収がある人には週40時間が上限といった労働時間規制の適用を除外する『ホワイトカラー・エグゼンプション』の実験的な導入を検討し始めたという。この制度は6年前の第一次アヘ内閣の時に浮上した問題だというからこれは危ない。

 年収8百万円を超えるような大企業の課長級以上の社員を想定して、時間外労働に対する残業代は支払わない上、休日、深夜勤務での割増賃金もないというから、私には、どう考えても『高い給料を払っているのだから企業のために命を縮めるのは当たり前』だと言っているように聞こえる。

 経産省は今秋の臨時国会に提出予定の『産業競争力強化法案』に、先進的な技術開発などに取り組む企業に規制緩和を特例的に認める『企業実証特例制度』の創設を盛り込む方針だそうで、この一環で、自分の判断で働き方を柔軟に調整できるようになり、生産性向上につながるとしている、『ホワイトカラー・エグゼンプション』の実験的な導入も認めるとのことらしい。

何やら難しい言葉の羅列で、私には理解できないことが多いが、一つだけ確かなことは、どんな解釈をすれば、こんな言葉が出るのかわからないこと。

 法案成立後、導入を希望する企業から申請を受け付けるとのことだが、すでに、トヨタ自動車や三菱重工業など数社が導入を検討しているというから、大企業は軒並みこの制度に流れることは間違いなさそうだ。

 恐らく、待ってましたとばかり、ブラック企業と呼ばれている外食産業やコンビニ業界、あるいは流通産業も右へ倣えすることは確実。中間管理職と呼ばれる『課長レベル』には裁量権などなく、現在でさえ、店長などを管理職にしてサ-ビス残業が日常化し、過労死が問題になっているのにとんでもないことになるのは目に見える。

 これでは『滅私奉公』という死語になったと思われる四文字熟語が蘇ることは間違いなさそうだ。表面的には自主残業を標榜するのだろうが、断れば陰湿な肩たたき(いじめ)を受け、会社にいられない雰囲気が蔓延することは想像に難くない。

 連合など労働側が、命を張って反対しなければならない大問題だと思うのだが、一度政権側に取り組まれて、美味しい思いを経験した連合の幹部たちに、体を張って本気で反対できるかとなると疑わしくなる。

今日も暗い話になったが、このことは、一定収入を約束されている事務労働者(ホワイトカラー)などを対象としているとはいえ、企業が残業代を払わなくてもいいというサラリーマン奴隷化制度であることは論を待たない。

こんな制度がまかり通る社会を想像すると、生きていく気力さえなくなるような気がする。(田舎親父)

2013年8月17日 (土)

核のごみ捨て場構想か?・・・

 福島原発事故で、核のごみ捨て場がないことがいかに深刻な問題だということを国民が知るようになったことは改めて述べる必要はあるまい。

使い終わった核燃料の燃えかすを捨てる場がないのに世界中で原発が稼働されている。それどころか、除染のために用いた水や雑巾のたぐいまで、現在は自治体が保管している状態で、これをいつどこへ運び出すことは全く不明だという。

国は自治体でそれぞれ最終保管場所を作れと命じ、汚染ドジョウ内閣では栃木県と茨城県の地元の了解なしに、候補地を発表したものだから該当自治体は大反発。結局はその案は宙に浮いて、先には進んでいない。

福島県となるとさらに事情が酷くなり、さすがの無責任な国でも、高濃度の汚染物質をこのまま放置できないということに気づき大慌て。帰宅困難地区を想定して、原発事故で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設を、国の責任で建設することを決め、その場所を指定したが、地元の了解がえられず工事は進んでいないという。

この事業を進めているのは環境省であるが、そのトップである前都知事息子環境相はなんとしてでも俺が決めると思ったらしく、このことを一つの議題にしている『原子力災害からの福島復興再生協議会』(いろいろな会議があるものだが)に出席し、その席上『(地元自治体の)皆さんが福島のために自ら行動するという認識を持っていただくことが重要だ』と述べたとマスコミがかなりの大きさで報じていた。

この発言をこのまま素直に解釈すると(『早く場所を決めないと、先に進まない』といういらだちがあったことはうかがえるが)国が決めると約束したことをすっかり忘れて、あたかも『お前らの動きが遅すぎる・・・』と、上から目線で、責任を地元に押しつけていると言っても差し支えなさそうだ。

この施設の建設は、昨年7月に決定した政府の『福島復興再生基本方針』に基づいて、原発周辺の大隈・双葉・楢葉の3つの町の9ケ所を指定したそうだが、先祖代々この土地で生活してきた住民にとってはまさに晴天の霹靂、『はい わかりました』と簡単に了解できるわけはない。

町長としても気持ちは住民と同じなのだろうが、国の制度はそんなことを許すはずがなく、『私情を捨てて御国のためだ』という命令に、住民の説得に当たってきたのだろうが、ここにきて、『お前らの動きが・・・』と言われたら、『それはないだろう・・・』という心境になるのはよく分かる。

ダム建設でも必ず賛成・反対の意見がでるのは当然で、最終的には補償金という形で反対派を切り崩すのが国の常套手段。今回の施設選びも、この方法を用いようとしたのだろうが、ダム建設とは根本的に違うことは明らか。簡単に札束で横っ面を引っぱたく方法で納得させられるものではない。

町長はもとより、福島県知事としても、原発に加えて貯蔵施設までは御免被りたいという気持ちなのだろうが、原発を受け入れた経緯がある以上、仕方なく『候補地の選定と、住民の説得は国の責任』と『飽くまで中間貯蔵』という条件を飲んで、県内建設を容認しただろうことは想像に難くない。

原子力の利用の裏側には放射能被害をどこまで遮断できるかというリスクがあるのだが、クリ-ンなエネルギ-という『美辞麗句』でもって進めてきた。今回の事故で安全神話が崩壊、国民総体として今まで気づかなかった『核のゴミ』問題が明らかになり、国としては早急にこの問題の解決につなげたいはず。

しかし、原発のゴミ処理施設建設と、現内閣が進めている原発輸出という発想がダブっているのではと疑うと、(中間貯蔵施設と最終ではないと断っているが)最終貯蔵施設だということは明らか。この地に最終ごみ捨て場を建設するということには、邪な企みが隠されているように思えてならない。

原発からでるゴミをも受け入れるという条件なら、原発の売り込みには競争相手はいなくなると同然。いくらでも輸出できることは素人の私でも簡単に推測できる。

今回の原発事故ではまだまだ明らかにされていないことが数多い。その中に、今回選定された3町は『半永久的に人が住める状態ではない』としたら、この地に貯蔵施設を建設しなければならない背景が見えてくるという悪い方への想像が広がる。

福島に核のゴミ処理場ができたら、原発輸出はもとより、現在原発を稼働させている各国の原発ゴミが集まることは明らか。これを高額な利用料で受け入れるとしたら、日本としては経済的にはウハウハと考えているのではないだろうか。(ひょっとして裏ではアメリカさまが動いているのかもしれてないが)

それを知ってのイシハラ環境相の発言だとしたら、まさに、悪魔に魂を売り渡した証左であることは間違いない。まさかと思いたいが・・・。(田舎親父)

2013年8月16日 (金)

どうしてこんなに弱腰なの・・・

 沖縄でアメリカ軍のヘリコプタ-が墜落したのは5日のことだった。その日はマスコミは、(上空から撮影なのではっきりしないながら)燃えている事故機様子を報じていたが、次の日からは、事故そのものがなかったように沈黙。『終戦の日』の前日、久々に続報があった。

 そのことは後ほど述べるとして、事故当時の報道では、4人の乗組員のうち3名は無事だとあるが、残りの一人の安否情報が未だにはっきりしないのも変な話である。調べようにも、基地協定によって日本政府はアメリカ軍に、どうか情報をお願いしますとしか言えないそうだから困ったもの・・・。

アメリカ軍としては、墜落という不名誉な事故は、できるだけ触れてほしくないだろうから、当然ながら事故についての情報は徹底的に隠匿。形だけは、しばらくの間、同一機種の運行は差し控えるという声明で幕引きをしたつもりだった。

沖縄県の強い抗議に日本政府は、渋々、アメリカ側に形だけ『オスプレ-の配備を遅らせてほしい』お願いしたらしいが、それに対してアメリカ軍は『分かった、配備をしばらくの間延期する』と、ここにも『しばらくの間』という文言でお茶を濁している。

『しばらくの間』という曖昧な表現であるが、事故が広島原爆忌の前日、しかも長崎原爆忌も続くことから、『終戦の日』までは配備はないのではと思っていたが、アメリカはそんなことはお構いなしで、12日には配備を完了してしまった。

それも日本政府には、その日の午前中に通告しただけで行動開始という、まさに日本政府を嘗めきった態度は許し難い。アメリカは沖縄の抗議にも、『これは日本政府の責任』だと徹底して我関せずの姿勢を貫いている。

 嘗めきられたアヘ内閣の防衛戦略は『沖縄の負担軽減』という面だけを強調、オスプレ-の訓練を、沖縄だけでなく日本各地に分散するという方針しかとれないというから呆れるというより哀れとしか言いようがない。

何故、もう少し強く抗議できないのだろう。自衛隊を国防軍に改称し、軍事裁判も必要という自民党政権の発想は、教育の場に愛国心を持ち込み、国歌・国旗の強要を強いて、周辺の諸国を強く刺激しているのにもかかわらず、アメリカに対してだけは、どうしてこんなに弱腰なのか、日本という国をアメリカに守ってもらっているからだというだけでは、説得力はまるでない。

マスコミはこぞってアヘ内閣を持ち上げ、景気が回復しているとか、政治の安定などと報じているが、一番重要な日本の主権などどうでも良いような姿勢を平然と報じているのも我慢ならない。

ところで冒頭に述べた、アメリカ軍のヘリコプタ-墜落事故の続報であるが、一応は原因がはっきりするまで訓練はしないとしていたアメリカ軍は、同じ機体を点検した結果、欠陥は見つからないことから、安全性が確認できたとして、16日から飛行訓練を再開すると県や地元の自治体に伝えたという。

常識的には、沖縄に伝える前に日本政府に同様な内容が伝えられたはずだが、何故か日本政府の見解はない。恐らく『分かったが、訓練はせめて終戦の日が過ぎてからにしてほしい』とでも答えた結果の16日ではと推測しているが・・・。

考えれば考えるほど、民主党のアホさを悔やまれる。公約では上げないと明言して発足した民主党政権が、アホカン・汚染ドジョウ両内閣の(原発事故の収束に失敗もあったが)国民との約束を一方的に反故にしたことが、衆参選挙の大敗の最大の要因。

これさえなければ、国民は、ここまで自民党(アメリカ)の思いのままにさせなかったのにと残念でならない。

今はただ我慢するだけしかないのだろうかと思うとやりきれなくなるが、その間に、オスプレ-が横田や厚木基地に配備され、国防軍と名前を変えた自衛隊が軍備を拡大し、アメリカ軍の下請けになって、対中国・対北朝鮮との代理戦争に駆り出されてはたまらない。

せめて、先日のアッソウ副総理のナチスを容認する発言に対して、世界から批判が集中し、内閣が退陣に追い込まれることを願うが、マスコミがこのことを報じないのでは、所詮私の思いは他力本願。可能性は低いようだ。涙・・・。(田舎親父)

2013年8月15日 (木)

『終戦の日』に祈る・・・

 今朝は少し涼しく感じたが、それにしても、なんという暑さが続くのだろう。関東地方では、暦の上での『七夕』の7月7日に早々と『梅雨明け宣言』を出したが、大丈夫なのと思ったもの。
 しかし、その日を境に猛烈な暑さが続いたので気象庁は鼻高々かだったが、例年なら梅雨明けになる夏休みが始まる頃から、(皮肉なことに)梅雨らしい毎日が続いいたことに、何か窮屈そうな言い訳が多かったような気がする。
 きころが、広島原爆忌から天候は激変。猛烈な暑さが戻って、長崎原爆忌の9日などは暑さに強いと自認して、炎天下でも歩くことを欠かしたことがない私でも、エアコンを入れて自室に閉じ籠もるほどの凄まじさに、『何かトンデモナイことが起きるのでは』と感じたほどである。
 トンデモナイことに該当するのかどうかは分からないが、気象庁が『今まで経験したことがない』と表現するように、短時間に物凄い雨が降り続き、秋田の田沢湖の近くの集落が土石流で押し流され、死者6人という被害を出している。その他、詳しい報道はないものの、大雨による土砂災害が全国的に広がっているようだ。
 12日の夜には横浜の片田舎でも猛烈な雨が降り、雷が暴れ回って、一時的には停電。その日、雨量を調べるために,外に出しっぱなしにしている深さ5センチ程度の桶は満水だったから、少なくとも1時間程度の間に50ミリは降ったことはまちがいなさそうだ。
 こちらは、以前にもこの程度の雷雨があったことを思い出したので、『今まで経験したことがない』という表現には当てはまらないが、それにしても今年の気象は異常続きである。
 前書きが長くなったが、今日は68回目の『終戦の日』。今まで経験したことのない暑さが、広島の原爆忌から始まり、未だに続いていることもあって、例年以上に、この日が特別な意味を持つように感じるのは、この暑さの中で行われた広島と長崎の平和記念式典での両市長の平和宣言の内容からなのかもしれない。
 特に、暑さに強い私でもダウンした猛暑の中行われた、長崎の平和記念式典での長崎市長の平和宣言は、これまでにないほど強い意志を持ち、敬語体ながら『日本政府に、被爆国としての原点に変えることを求めます』と厳しく政府を批判している文体に、よくぞここまで踏み込んでくれたと最大限のエ-ルを送りたい。
 (私の言葉ではとても市長の思いを言い表せないので、そのまま引用させてもらう)
 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。 (引用はここまで)
 全く同感。その通りである。政府が署名しなかった理由は共同声明に『いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない』という一文が入っていたからだという。日本は核兵器を持たない代わりに、他国が日本を核攻撃したらアメリカが核で報復するという『核の傘』に頼っているから、その時はその限りに非ずというのだそうだ。
 まさにヤクザの世界である。『親分が使うかもしれないと言っているので、子分として親分の動きを封じるような文言がある抄訳には署名できない』とは・・・。世界に『日本はアメリカの子分です』と宣言したと同じではないだろうか。
 インドとの原子力協定の協議促進で合意も、カネのためなら魂も売り渡すと、世界に発信したことになり、国民の一人としてなんともやりきれない思いなってしまう。
 ところが、この国の権力者たちは、アメリカの子分であることも、カネに魂を売ったことも、気づいていながら気づかないふりをして、しかも堂々と、『戦争放棄は時に合わず』と声高に叫び、憲法9条を葬ろうとしている。
 つい先日沖縄のアメリカ軍基地でのヘリコプタ-墜落事故の続報はほとんどなく、当然ながら検証もなにもない。せめて今日の『終戦の日』まではないだろうと思っていたが、ためらわず、オスプレ-を強引に配備するアメリカと、平然と受け入れる日本政府には一片の良識も良心もない。
 私にできることは、今年の『終戦の日』を、例年以上に大切にし、徴兵という非人間的な法規に縛られて、戦場に送り込まれて亡くなった若人たちと、アメリカの情け容赦ない爆撃で命を落とした多くの人たち対して、ひざまずき静かに手を合わせ、いつか来た道に戻らないように、駄文を発信することとしかないようだが・・・。(田舎親父)

2013年8月14日 (水)

神奈川県教委 お前もか・・・

 7月4日付けの小覧で『合格教科書をダメとは変な話・・・』という一文を掲載した。東京都教委が『国旗掲揚と国歌斉唱』について、『一部の自治体で公務員への強制の動きがある』と記した『実教出版』の高校日本史教科書について、『使用は適切でない』と現場に介入したことについてである。

 都教委が『国旗・国歌』に物凄い執着を持ち出したのはいつの頃からだったろうかと記憶を紐解いてみるという書き出しで、イシハラ都政が始まる頃と時を同じくして、都教委の態度が、それまでとは違って、保守的な『国家観』』を全面に打ち出してきたことを思い出しながら書き進めている。

 正確な日時は失念したが、『学校行事では、必ず国旗を掲揚し、会閉会のセレモニ-には国歌を斉唱すること』を通達があったことは記憶の片隅に残っている。区市町村教委にとってこの通達は重く、(姿勢には若干の際はあっても)直ちに校長会を召集し『通達を守る』ことを厳命されたが、それが重荷となって自殺した校長もいたこともすらでたことも思い出す。

 時が進むと、その通達がどの程度徹底しているかを調べるために、都教委は指導主事を問題視している学校に派遣し、国家斉唱の時に起立する・しないをチェックということも話題になったこともある。ひどい場合は、その時声を出していたかどうかも調べたという話も実際に該当の学校の教員から聞いたこともある。

 実教出版の高校日本史教科書は、教育現場における国旗・国家の取り扱いについて、言葉を選びながらも『一部の自治体で公務員への強制の動きがある』と記したが、これが都教委には我慢できなかったようだ。

 教科書検定については、さまざまな意見があることは知っている。私は現在の検定がないと記述が無秩序に広がり、学校現場では教科書に載った以上教えなければならないという考え方(神話)がある以上、ある基準を示して合否を判断することは必要だと考えている。

 そして、担当の教員は合格教科書をよく吟味し、教え易い教科書を選択すれば良いのであるが、近年、採択権が学校現場から離れ、教育委員会に移っているのが実状であることから、こんな問題が生じるのだろうが・・・。

 前回も述べたが、メンツを大事にする文科省としては、『俺がOKを出したのだから、都道府県教委が文句を言うのは奇怪しい』との見解を出すのは当然だと思うのだが、こと教科書に関しては、教委のいうことももっともだというのは、『?』にさらなる『?』がつくような変な話である。

 都という名前に執着している大阪府教委も同じような見解で、この教科書を申請した府立高校に変更を求めたという記事が続く。まあ東京都や大阪府の教委は特別だと思っていた矢先に、私の地元の神奈川県教委も同様の通達を出していたという記事を見てビックリ・・・。
 国旗・国歌について、実教出版の教科書が『一部自治体で強制の動きがある』と記載していることが県教委の方針と合わないと、都教委と全く同じ理由で、県立の28校に再考を促したという。

『促した』とあるが、実際には強い『命令』だったことは想像に難くなく、校長たちは、教員の説得に相当な苦労をしたに違いない。

中には『職務命令』として、強引に変更させたことも推測できるが、事実を事実として書いた、文科省の検定で合格した教科書を、権力で持って『否』とすることは、『教科書に書かれたことが真実』という押しつけになり、また一つ生徒の発想を狭めることになりかねない。

是非は別として神奈川県は『神奈川方式』という独特の教育行政を敷いているとされていたが、どうやら、これも昔話になったらしい。(田舎親父)

2013年8月13日 (火)

所得は上がらず物価だけが上がっては・・・

 小学校の社会科では『インフレ』とは、通貨の価値が下がり、物価が上がることであり、その反対が『デフレ』であると教えている。

 2001年3月、時の政府が『デフレ状態』であることを明らかにしてから、何とかインフレに持っていこうとしているらしいが、未だに、デフレ状態を脱却できていないというのが定説である。

確かに、円高が進み一時は1ドル70円大前半までになった昨年暮れまでは、物の安売りが目立ったが、衆院選挙で自民党が圧勝し、アへ内閣が発足して(実態はよく分からないが)アへノミクス効果が出たらしく、1ドル100円程度までの円安になったことで、主に輸入に頼っている食料原料などが大きく上昇。

ガソリンは円安時でも下がらなかったのが、円高となってさらに上昇、今では1リットルが160円を超えるありさま。加えて電気料金やガス料金などが軒並み大幅に上昇しているとなると、物価上昇を基準に考えると、すでにインフレが急速に進んでいるかのように思えるのだが・・・。

アへ政権はゆるやかなインフレを目指すのだそうだ。給料が上がり、みんなが買い物をしたがることで起きる『いい物価上昇』は経済成長につながるのは、経済音痴の私でも理解できるが、現状では、給料は増えないのに価格だけが上がる『悪い物価上昇』になっているのは衆目が一致するところ。それでもデフレを脱却できないとなると、一体庶民はどんな生活を強いられるのだろう。

先日、ラーメン激戦区の福岡・長浜地区ではラ-メン屋の『100円』の攻防が続いているという特集記事を朝日新聞が掲載していた。

ラ-メンについてそれほどこだわらない私には、どこがどう違うのかよく分からないのだが、替え玉というシステムを考え出した『元祖長浜屋』という店が、1ケ月前に1杯400円から500円に値上げしたのだそうだ。が、この100円が大きく響き、客離れで経営が苦境に陥っているという内容である。

『元祖長浜屋』が値上げしたのは7月1日から。小麦粉や油などの輸入食材の価格が上がったためだというから、致し方ないようにも思えるが、近くにある多くのラ-メン店はじっと我慢、値上げに踏み切らなかったというから、常連たちの足も遠のいたようだ。

 近くには『元祖ラーメン長浜家』という店があるという。こちらは『ながはまけ』と呼ぶらしいが、明らかに『長浜屋』を意識したネ-ミング。福岡は、いろいろと賑やかな事件が多い地域だと聞いているが、よくぞ血で血を洗うトラブルが起きないものである。

 それはともかく、閑古鳥が鳴いている『長浜屋』に比べて、『長浜家』は、店の外に6~7人の列があるほどの盛況だという。1杯400円を続けていることと、入り口には『値上げ先延ばし』という案内板の効果であるらしい。しかも、先月よりお客が1割ほど増えたというから、一杯100円の差は大きいようだ。

 『たかが』100円だと思うのだが、ここまで庶民は価格にこだわっているという例としてわかり易い。

 『長浜家』が一杯500円と、『長浜屋』と同じに値上げすれば、『長浜屋』の客は戻るだろうが、それまではひたすら我慢をするしかないようだ。しかし、『長浜家』のやりくりも限界に来ていることも想像できるから、下手すると両方が同時に経営破綻、店をたたむことも考えられないことはない。

 価格はインフレ、内情はデフレ。この状態がいつまで続くのだろうと考えると、この記事の持つ意味は深い。

しかし、非力の私にはため息しかててこないのがなんとも悲しい限り・・・。(田舎親父)

2013年8月12日 (月)

アメリカ軍を守る?・・・

 名前は失念したが、随分以前に、ある勉強会の席で『内閣法制局課長』という名刺をいただき、凄い部局があるものだと思ったことがあるが、その部局が最近俄に注目をあびている。
 先日、アヘ首相は、この組織とは縁がなかったフランス大使という外務省の官僚をトップに据える人事を発表しかなりの批判が集中したが、数日後には、この御仁が『ありがたく拝命・・・』(と言ったかどうか分からないが)就任したというニュ-スが流れた。
 内閣法制局は政府提出の法案について、憲法や他の法律と矛盾がないか審査するほか、憲法や法令の解釈で政府の統一見解を示す役割を担うことは、勉強会で法制局の課長からは聞いていたので知っていた。
 当時はあまり関心がなかったが、この部局は戦後一貫して、自国と密接な関係にある外国への武力攻撃を実力で阻止する『集団的自衛権』について『憲法九条のもとで許される実力の行使を超え、許されない』との解釈を示してきたという。
 憲法9条の条文を変更したいアヘ首相はじめ閣僚はもとより自民党(民主党の一部にも存在するらしいが)の多くは、まずは、その足かせになっているとも言われている『集団的自衛権』をなんとしてでも容認させなければと思っているらしいが、歴代の長官が一貫して首を楯に振らないことにいらだちを感じていた(いる)のは想像に難くない。
 ヒットラ-すら容認すると思える発言をする副総理が存在するにもかかわらず、国民は先の総選挙で(酷い投票率ながら)圧倒的多数で選んだものだから、アヘ首相は、国民総体から支持されたと思い込んだのだろうが、とにかく集団的自衛権の行使をするのだという強い意気込みが、この人事にこめられているようだ。
 トップに任命された御仁は、数年前に一年で消え去った第一次アヘ内閣で設置された『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)』の事務作業に関わった人物で、集団的自衛権の行使を容認する立場だったというから、首相の意図は明らか。
 ところで、集団的自衛権でいう『自国と密接な関係』の国とは、具体的にはアメリカ以外にはないのではないだろうか。ある軍事専門家によれば、集団的自衛権というのは、狭義に解釈すると、『公海でのアメリカ艦艇の防護』と『アメリカを標的にした弾道ミサイルの迎撃』だという。
 こんなことが実際に起きるのだろうか。イラク戦争でも明らかなように、アメリカが仕掛けるなら分かるが、世界最強のアメリカに宣戦布告する国などあるはずがない。あるとすれば、国ではなくテロ集団のゲリラ攻撃だろうが・・・。
 その場合は、テロが我が国にも同じような意図を持ったものであれば、わざわざ『集団的自衛権』などとのたまう必要などなく、これは対応しなければならない事態で、すでに合法だという見解かでているのではなかったろうか。
 さらに、『アメリカを標的にしたミサイル』とは北朝鮮を意図しているのだろうが、日本にこんな技術があるのだろうか。『パック3』という迎撃ミサイルシステムの存在は明らかにされているが、実際にどこまで役立つか誰も知らない。
 ここまでしてアヘ首相はじめ自民党の幹部たちが『集団的自衛権』という言葉にこだわるのは何だろうと、私なりに考えてみたが、アメリカが戦争を仕掛けた場合、アメリカと同一行動がとれるようにしたいからか、あるいは、アメリカが戦争の下請けを日本にさせたいために、自民党の幹部たちを籠絡しているとしか考えられない。
 あくまで私の想像であるが、ここまで自民党政権が『集団的自衛権』にこだわるのは、アメリカの強い『命令』があるように思える。イラク戦争においては、アメリカの命令で超法規的に自衛隊を出動させたが、あくまで臨時的な措置として、安全な場所でも活動だというのがタテマエであったはずだが、そのタテマエもすでに崩れ手いるようだ。
 アメリカは同盟国として、『第三国が日本を攻撃した場合、日本を守るのは当然』という姿勢を打ち出しているが、この引き換え条件が、もしも『俺たちが軍事行動をとる場合は、真っ先にお前たちが、先頭で戦うのだ』という意図があるのは明らかだろう。
 日本がアメリカの核の傘で守られているというのが定説であるが、唯一の被爆国である日本が、ここまで、加害者であるアメリカの意のままに動かねばならないのも納得できかねる。
 アヘ首相は、口先では核の廃絶をうたいながら、実際には世界の80ケ国以上が署名したと言われている『核兵器不拡散条約』に、『現状には合わない』という理由で署名しなかったのも変な話。
 恐らくアメリカから『署名するな』という要請(命令)があったと推測しているが、日本の指導者として情けないとしか言いようがない。(田舎親父)

2013年8月10日 (土)

気象庁に『喝!』・・・

 夏の高校野球が始まった。30年ほど前に、一度だけだが、帰省のついでに甲子園まででかけて球児たちの躍動する姿を目にしたことがあり、この季節になるとそんな記憶に後押しされるらしく、時にテレビ観戦することも稀ではない。

一昨日(昨日はもっとだったが)の暑さは半端ではなかった。時刻を早めて午前10時から歩き出したのだが、一瞬立ちくらみを覚え急いで帰宅。午後は珍しくク-ラ-を入れてしばし昼寝。起きてからはビ-ル片手に箕島高校と氷川高校の試合を観戦していた。

箕島といえば高校野球では一世を風靡した尾藤監督率いた強豪校。しばらく名前を聞かないなと思っていたが、今年29年ぶりで登場したことと、監督が尾藤さんの息子さんに代わっていることから興味を持っていたことも、テレビ観戦の要因の一つ。

恐らく箕島の一方的な試合になると予想していたが、実際は氷川高校のホ-ムラン攻勢の上、こともあろうに箕島の守備陣が乱れて、4対2とリ-ドされていた時に、突然画面中央『緊急地震情報』という字幕が入る。

震源地が奈良と、今までにない場所に驚く。しかも震度4以上は四国から北陸関東一円を含むとあるから広範囲。3.11地震では、横浜の片田舎でも震度5強。今まで経験したことがない揺れだったことを思い出し、いつでも飛び出せる準備をしていたが、数分たっても何の動きもない。

NHKのアナウンサ-は『只今、緊急地震情報が発令されました。大きな揺れに警戒して下さい。・・・・』と、お馴染みの原稿を繰り返しているが、揺れは一向に来ない。しばらくして、『人体に感じる地震は起きませんでした』というアンウンスに、またか・・・という苦い思いだけが残る。

その後、7時以降の各局のニュ-スには、気象庁の地震担当の幹部だろうが、最近はすっかり定着した、立ち上がって深々とお辞儀をする『ゴメンナサイ』の、あのポ-ズが繰り返し写し出されていた。

速報が出た段階で東海道・山陽新幹線は全面的にストップしているという字幕に加えて帰宅ラッシュにかかる時間で、近畿地方では、JRの在来線や私鉄各線が一時運転を見合わせ約40万人に影響したという。

誤報を出したことに、『ゴメンナサイ』は当然としても、なぜ、近代的な観測機器を全国至るところに設置して、少しの揺れをも逃さない観測網を敷いているのに、同じことの繰り返しでは・・・という素朴な疑問は消えない。

聞くともなくゴメンナサイの内容を聞いていたが、なんでも、駿河湾沖の海底に設置している地震計の雑音を地震信号と取り違えたらしいというからお粗末この上ない。

しかも地震には素人の私でも、奈良県か震源となると、津波はないだろうことは理解できるから、大きな被害はかなり局部的になると判断するのが普通なのに、警戒区域は東北大震災にも負けぬほどの広範囲とは、実に変な話である。

そして、JRはじめ鉄道各社は、この情報を信じたばかりに、これほどの大規模な交通被害が起きてしまった。地震の専門家ともあろう人たちが、これは異常だと感じなかったのだろうか。これは『ゴメンナサイ』ではすまない問題である。

翌朝のニュ-スでは、気象庁は『今回は誤報だったが、今後も緊急地震情報がでた時には、冷静な対応をするように・・・』という意味のことをアナウンサ-に言わしめている。きちんと誤報の検証も国民が納得できる説明もせずにである・・・。

随分以前になるが、(九州だったと思うが)陸上自衛隊の気象部隊がレ-ダ-解析で大雨情報うキャッチして、該当の自治体に警戒するように連絡したところ、気象庁の長官が、天気予報行為は気象庁の専権である『気象法規』を楯にとってクレ-ムをつけたという記事を思い出す。

気象予報士という制度を作り、その人たち以外の天気予報を禁じる法規もあるらしいから、気象庁という組織は、皮肉をこめて言わしてもらえば『利権の巣窟』のようにも受け取れる。

気象情報や地震情報を出すことが専権事項でもあっても構わないが、出す以上正確でなければならない。毎日、タレント並の天気予報士が、(気象庁が言っても良いという範囲で)手を変え品を変え、言葉巧みに視聴者に説明しているのだが、はずれることも日常茶飯事。田舎の年寄りの観天望気の方がもっと正確だということも良く聞く話。

緊急地震情報は大切なことは十分理解できるが、現在のように誤報続きでは、信頼性が薄れることは当然としても、頭から信じなくなる人も多くなるのが一番怖い。

本当に起きた時に『また、嘘だろう・・・』という気持ちにさせては、折角のシステムがかえって仇となり、被害を拡大につながってしまうからである。

 今回の誤報に、謙虚さと正確さを求めて、気象庁に『喝!』と叫びたい。(田舎親父)

2013年8月 9日 (金)

関係者の高笑いが聞こえてくるようだ・・・

 事故原発周辺の放射性汚染水の量が増え続けていることに、国が本格的にその対策に乗り出し、原発建屋周辺を遮水壁で覆う工事をはじめるらしい。

 東電はここにきてもどの程度の汚染水が海に漏れているか分からないとのことだが、原子力規制委は、およそ一日300トンという数値を上げ、これ以上漏れ出すのを止めるためには、早急に遮水壁を建設することが必要だとのことで、国費で工事をはじめると決めたとのことである。

 東電によると、事故原発建屋周囲の地下水位は海抜約4メートルで、建屋地下の高濃度汚染水を一メートル下の海抜3メートルに管理しているという。この程度の高低差を保てば、建屋外側の地下水圧が内側より高くなり、水は圧力が高い所から低い所へ流れるので、汚染水は外に出ないとしている。

確かに理屈からは、汚染水は漏れ出さないことは理解できるとしても、事故により損傷した建屋外壁のあちこちから、一日約400トンの地下水が流れ込み、建屋の汚染水を増やしていることは誰でも想像がつく。東電はこれをくみ出して、敷地内にタンクを増設して保管していると言い続けてきたが、ムリ偏にムリと書いた理屈では、説明不可能となったというところだろう。

しかも、海に一日300トンもの汚染水が漏れ出していることを認めたとなると、早急に建屋の汚染水と地下水脈を完全に断ち切ることが必要となり、国が主導して遮水壁の建設をはじめる筋書きは、誰が考えたのか知らないが、上手く作られている。

建屋の周りを完全に遮水壁で覆えば、確かに地下水の流入量は減り、汚染水の増加には歯止めをかけることはできる。しかし、原子炉を冷やすために大量の水を注入することが絶対条件となると、遮水壁内部の水位はどんどん高くなることも自明である。

廃炉にするのは当然としても、増え続ける冷却水を外に漏らさないために遮水壁をどんどん高くしなければならない。具体的にどのぐらいの高さの遮水壁が必要になるのか、私には計算できないが、物凄い壁を作らねばならないことだけは想像できる。

事故当時、(当時は、原発の仕組みも理解できなかったので高さを考えられなかったが)原発の周りに巨大な防御壁を作って、汚染水が海に漏れることと、地下水そのものの汚染を防ぐ方策をしなければ、トンデモないイことになると危惧したが、時のアホカン首相はギャシギャア騒ぐだけで具体策は無し、東電はただ呆然とするだけで、何とか責任を回避したいということだけが先行し、デタラメな対応の連続だったことを思い出す。

 2年以上過ぎてから、やっと高濃度汚染水が海に漏れ出していることを認めて、小手先の対策を小出しにしていたが、結局、対応は後手・後手になり、為す術がなくなった感じで国に泣きついたというところだろうが、このシナリオは一部の関係者は事故直後からわかっていたのではたのでは・・・。

 大見得を切るのはアヘ(『アベ』でなくあえて『アヘ』と称する)首相の得意技。早速(調べようがないと思うのだが)『一日300トン』という具体的な数値を規制委に言わせて危機感を煽り、(これでジャブジャブ税金が使えるとにんまり顔を隠して)国民にはあたかも国が主導しなければ事態が納まらないという印象を与えたというところ。謂わば、アヘ内閣と東電と、そしてゼネコンを入れた利権集団のできレ-スのように思えてならない。

 どのぐらい壁の高さにしなければならないのか、東電は国に任せたので後は知らんふり。ゼネコンは、ほぼ半永久的に利潤が入るのでウハウハ。アヘ首相は俺が決めたとデカイ顔・・・。

結局、(限りなく髙くなるだろう)遮水壁建設費用は、国民の電気料金から生み出せばよいという3者の高笑いが聞こえそうな気がする。

これで決まりかなと思っていたところに、昨日は、原発に流れ込む地下水をくみ上げて、海に放出すると言い出した。この方式は5月に東電が打ち出し、漁業関係者に説明したが同意を得られなかったという。

これを国が受け継いで、強引に進めるらしい。すでに漁協との手打ちでも終わっているのかもしれないが、遮水壁ではとても汚染水流入は防げないことを明らかにしたのと同じでは・・・。またまた、風評被害という言葉が流行りそうだ。(田舎親父)

2013年8月 8日 (木)

使い道を早く決めないと・・・

 先日話題にした、富士山の入山料導入に向け静岡、山梨両県が実施した『富士山保全協力金(入山料)』の社会実験が3日に終了したとのこと。

10日間で3万4327人が協力し、計3412万9822円が集まったそうだ。端数はともかく、この金額を多いと見るか、あるいは少ないと見るかは、その使い道が決まっていない段階ではなんとも言えない。

朝日新聞の記事では、協力金千円の呼び掛けに登山者の多くは快く支払いに応じたとあるものの、拒否した人もいるに違いない。両県は協力金を一時保管し、年末までに運用方法や来夏の入山料の制度を決定するというが、拒否した人たちも納得させられるような使い道を示せるかどうかによって、集める金額はもとより集まる金額も変ってくるのではないだろうか。

アンケ-トを分析した結果、協力者の多くは使い道に『トイレの美化』を挙げているそうだが、2ケ月で30万人(今年以降は40万人とも言われているが)という膨大な人数が押し寄せるとなると、一体どれぐらいの『(不快感を覚えさせない)トイレ』が必要になるのだろう。

山小屋には宿泊客の需要を満たすだけのトイレはあるだろうが、全ての登山客を受け入れる余裕はとてもない。なにがしかの使用料を徴収していると思っているが、来年度から強制的に徴収する『入山料』で補填するとなると、意見は分かれるのでないだろうか。

一般登山者向けには、登山道に両県で6ケ所の公衆トイレがあり、管理する環境省、県、市町などが別々に費用負担しているのだそうだ。富士宮口5合目の公衆トイレは関係機関でつくる協議会が管理し、使用協力金として100円を求めてきたが、昨年度の協力金は維持管理費の5分の1以下で、県と富士宮市が大半の経費を負担しているのが実情だとのことである。

『入山料』として『トイレの美化と運営』に当てることは可能だろうと思うが、トイレの格差をなくし、しかも美的感覚に耐え、最低限の仕様を統一するとなると、かなりの改修や建て替えの必要がありそうだ。となると、1000円ではちょっと難しいのでは・・・。

 世界遺産登録後、初の登山シーズンを迎えた富士山には、7月1日~21日の登山者は前年同期比35%増の7万9千57人と、環境省が調査を始めた2005年以降で最多だったとマスコミ各紙は伝えている。特に静岡県においては、三登山口は計3万1千604人で、前年同期比51.%増と大幅に増加したとある。

 このままのペースでいくと、7月1日~8月31日の夏の登山シーズン全体では、最多だった10年の32万975人を上回るのは、誰の目にも明らか。40万人突破もあり得ない話ではない。

 ところで、国内の世界遺産では、白神山地の一部や屋久島が先行して任意の協力金を集めており、屋久島は一人500円と決めているが、白神山地は金額も自由だという。任意というのは、強制にすれば観光客そのものが減少するという危機感の現れで、やむなく善意に頼る方法にしていると推測している。

しかし、富士山の場合は『安全と環境保全』が必須となっているとなると、『入山料』徴収の根拠は、何よりも人数を制限する意味があるはず。だとすると、『入山料』を『トイレ美化』に特化しては、より以上の登山客が押し寄せるという皮肉な結果になりそうな気もする。

 さらに、『入山料』は5合目から頂上を目指す人を対象にしているらしいが、環境保線の面からは、5合目迄もの観光客をも制限する必要があるのではないだろうか。となると、バスで5合目までくる、いわゆる都会型観光客も徴収の対象にしなければ筋が合わなくなる。ならば『入山料』という名称が相応しいかどうか・・・。

それ以前に、両県の5合目は観光客相手の店がずらりと並び、さらに客が増えてくれることを望んでいるだろうから、5合目までの立ち入りを制限すれとると、かなりの抵抗も予想される。この対策に両県はどう考えているのだろう

 富士山学を専門にしている学者は『日本の世界遺産では、協力金が集金のための人件費などに消え、十分に生かされていない』と指摘しているが、公平に徴収するとなると、人件費も相当なものになだろうから、説得力はある。その上で『エベレストやアメリカの国立公園などは入山料を義務付けている。法律を作り、もっと高い料金を強制で集めなければ成功しない』という意見も傾聴に値する。

 来年から、集めることだけは決まっているらしいが、早く議論を詰めないと、またまた見切り発車的な方策になり、トラブルが起きそうな気がしてならないのだが。(田舎親父)

2013年8月 7日 (水)

建設ラッシュは消費増税が背景に?・・・

 私が住む横浜の片田舎は、このところ物凄い勢いで宅地開発が進んでいる。歩いていると、『えっ、こんなところまで・・・』と思うような場所に突然大型機械が入り、樹木を伐採し、あっと言う間に更地にしてしまう。

ごく近くの急斜面もその一つ。素人の私には、どうしてこんな急斜面に家が建つのだろうと思うような場所でも、数カ月後には数軒の家が建ち並び、当たり前のように人が住んでいる。そしてその横の急斜面も現在造成中で、以前の風景が思い出せなくなってしまっている。

最近の住宅地開発は、その規模が小さいもの特徴の一つで、よくぞこんな土地に、こんなに多くの家を建てるものだと感心するが、完成した家には、ほとんど例外なく売れ残りがないのも不思議だが共通している。

そんな家の値段を見てみると、大体のところが4000万円前後。貧乏人気私から見たら物凄い数字だと思うのだが、多くの場合は小さな子どもがいる家族が入居しているのにも驚かされる。

こんなことを目の当たりにすると、世の中、景気が良くなっているのかなと思うが、派遣や契約社員の数は増える一方、生活保護を受けている人数も減る気配がないとなると、全体的に良くなっているのではなく、経済格差はさらに広がっていることは間違いなさそうだ。となると、家を手に入れている幸せな人たちは、ある程度安定した給与が得られる人か、あるいは相続税制などの優遇措置を受けた富裕層の親の恩恵に属しているのではと思いたくなる。

そんな中、住宅建設ブ-ムを後押ししている要因の一つに、来年に予定されている消費税値上げがあるとの記事を、偶然、ネットで見つける。

庶民イジメが大好きなこの国の政府は、ためらうことなく消費税を予定通り引き上げるだろうから、来年4月に税率を8%に上げ、再来年の10月には10%に引き上げられることになることは間違いなさそうだ。

記事には、通常、住宅の消費税は内税扱いなので、販売価格の中に含まれるためにわかりにくいが、土地代にはかからず、建物代だけが課税の対象だという記述に、『そうなんだ』とはじめて知る知識に驚くと同時に、何となく、至るところで木を伐り急斜面を整地していることに、なるほど・・・と納得したくなる。

販売価格4000万円の物件で、土地代1600万円・建物代2400万円とすると、現在の消費税は2400万円の中に5%分(114万円)が含まれるというから改めて消費税の凄さに驚く。

それが、来年4月以降には、8%分(186万円)が徴収されるという。現在よりも69万円も多くとられてしまうから、何としても今のうちにという気持ちが働き、それが不動産業界全体を『駆け込み需要景気』を起こしていると指摘している。

しかも、建設中の住宅は増税の半年前までに契約すれば、入居日(引き渡し)が増税後になっても現行の税率が適用されるのだそうで、今年の9月末までに契約すれば、消費税は5%のままだとのこと。世間知らずの私には、ほとんどがはじめて知る知識である。

記事は続き、増税適用前に購入すれば得なのかというと、政府は現在の住宅ローン減税を延長・拡充すると言い出したそうだから話が複雑になったとあるが、このあたりから数字に弱い私には理解不能に陥る。

住宅ローン減税とは、ローンの年末残高の10%が10年間継続して所得税から控除されるというもので、本来ならば、制度は今年末で終了するはずだったが、2017年末まで延長された上、最大控除額が現行の年間200万円から、来年4月の消費増税以降に400万円に倍増することになったのだそうだ。

このことを受けて、(なぜ4000万ではないのかと思うが)物件価格3000万円(建物1800万円)をそのまま住宅ローンに充てた場合の損得計算のシュミレ-ションを紹介している。

消費税は、いま購入すれば86万円だが、来年4月には3%アップで137万円、15年10月にはさらに2%アップで171万円と、最大で85万円増えることになる。ここまでは単純なので容易に理解できる。
 ところがローン減税を、最大控除額をフルに還付されるための条件(ローンの年末残高が今年は2000万円以上、来年4月から4000万円以上)を考慮すると、今年購入なら上限の200万円の控除が受けられ、来年以降は最大400万円に枠が広がるので、273万円の還付になるのだそうだ。こうなると私には頭が混乱して記事を読むのも面倒になってくる。

(いろいろ細かい数字が並ぶが)結論として、消費税率8%の時に購入するのが賢明なのだそうだが、一般的には、制度がいつまで続くのか不安定に感じ、消費税が現在のまま適用されるうちにと考えたくなるのではないだろうか。

今のところ、円安が続き株価は高くなって大企業の収益は大きくなっているらしいが、いつまで続くかとなると経済の専門家でも意見の分かれるところ。

これ以上樹木を伐採して緑を減らしてもらいたくないというのが本音だが、家を求めたいという要求も否定できないとなると、ついつい仕方ないと見過ごしてしまう。しかし、自然破壊をしながら建てられた家を購入したが、結果的にロ-ン地獄に陥り手放さねばならないこともよく聞く話。

造成現場を見るたびに、消費税増税に間に合わせて急いで購入して、結果として泣きをみる人が少ないことを祈る昨今である・・・。(田舎親父)

2013年8月 6日 (火)

また憂いが加わった今年の原爆忌

 今日は、人類初の原爆が広島に投下された日である。最近は『原爆忌』とか『原爆の日』と賞するようになっているが、過去には『原爆記念日』という表現もあった。そんな時、何か違うのではないかと不快になったことを思い出す。

『結婚記念日』が代表的なのだろうが『○○記念日』という、特定の日を指し示す表現は、私の経験では大体は『おめでたい』時に使われることが多い。

おめでたい行事の対局にあるのが人の死で、『死亡した日』は『命日』とか『何回忌』という表現で、『死亡記念日』とは言わない。しかし最近は、大勢の人が亡くなった大地震や大津波、例えば3.11の東北大震災などにも『震災記念日』はもちろん、1.17の阪神淡路大震災も、『記念日』という言い方が当たり前になっているような気がする。

8月15日を『終戦記念日』と呼ぶのは、終戦(敗戦)でこれから新しい社会が生まれるという期待感がこめられていると解釈すると、許せないことはないかもしれないが、68年前の今日、8月6日に広島に原爆が投下された日を『原爆記念日』と呼ぶのには、いささかどころか大きな抵抗感がある。

いささかしまらない書き出しになったが、アメリカが原爆を投下しなかったら、もっと大きな悲劇が生じたと主張する歴史学者が存在することは知っている。しかし、戦争の記録を読んでいくと、アメリカは終戦を急いだことは間違いなさそうだが、原爆投下は、同盟国イギリスにも通告していたことが最近明らかになったことでも明らかなように、あくまで新型爆弾の威力を試したことは否定できず、人道上からも決して許されるべきではない。しかも、広島だけではデ-タが少なく、3日後に長崎に投下したことも・・・。

日本を占領したアメリカ(マッカ-サ-という説もあるが)の主導のもと、日本国憲法が生まれたことは小学校の社会科の教科書にも明記してある。その憲法によって新しい日本として出発し、今日の反映もたらしたことは歴史が証明しているが、最近は『アメリカから押しつけられた』という表現が目立ち、自立した今日『自主憲法を・・・』という動きが、自民党を中心に賑やかになっているのは、私には『どこか違うだろう・・』と許し難い。

今日はそのことはふれないが、『アメリカから押しつけられた憲法だから自分たちの手で・・・』という人たちの口から、『アメリカが強引に沖縄に配備したオスプレ-』に対して『ケシカラン』という言葉が出ないのは何なのだろう。

それどころか、強引に押しつけられたオスプレ-に対して、自民党政権は自衛隊の次期輸送機として導入する導入するらしいという情報に、比較するのは無理と承知しながらも、江戸時代の物語に登場する、『全て(領主の)アメリカさまのおっしゃる通りだと、日本(特に沖縄をさらに悲劇に陥らせている)』悪代官そのものに映る。

オスプレ-が危険なことは、アメリカ国民はよく知っているらしく、(我が国のマスコミは伝えないが)アメリカのニューメキシコ州の基地では、夜間・低空飛行訓練に反対する住民の抗議に、あっさりと訓練は延期。ハワイでも歴史的遺産に与える影響や騒音に対する住民の声を考慮してオスプレイの訓練が事実上、無期延期になったことは私でも知っている事実。

なぜ簡単に訓練を中止したのか、答は簡単。彼らの意識の中には、日本は俺たちが守ってやっているのだから抗議などできるはずがないと日本政府を嘗めきっていることに加えて、日本の制空権をほとんど握っているのでどこでも自由に訓練することは当たり前という態度に他ならない。

『日本はアメリカの51番目の州』という表現はよく聞くが、もし『日本がアメリカの準州か、何番目かの州になれば、沖縄にあんなに基地を置けない』という意見には、なるほどと考えさせられる。

もしも(という言葉が歴史には無意味だと知っているが)、日本占領を恒久的な事実としてアメリカの何番目かの州になっていたら、アメリカ国内である日本(沖縄)に住んでいる人々(日本人)がオスプレ-に反対すれば、沖縄の基地はアメリカ国内問題になり、アメリカ政府は、国内世論を的に回して、こんな無茶なことはできないはずだからである。

 変な話である。加えて、そのオスプレ-が先日、新たに12機がアメリカ軍岩国基地に陸揚げされたというニュ-スが流れた。試験飛行や整備を経て、すでに沖縄の普天間飛行場に配備されたことも・・・。昨日はオスフレ-ではないが、アメリカ軍のヘリコプタ-基地内に墜落したというニュ-スも飛び込んでいる。墜落地点のヤンバルの森そのもの全てが基地内、その広さに驚くが、基地協定の壁があって立ち入れないというのも許し難い事実。

 さらに、オスプレイの空軍仕様機CV22の配備先について、アメリカ太平洋空軍のカーライルという司令官は『(配備先の候補として)沖縄の嘉手納基地と、東京都の横田基地』だと明言した。

このことについて政府は事前に知らされなかったらしいが、こんなことで良いのだろうか。いつも落ち着いた態度だと評価されている官房長官でさえは大慌て、取ってつけたように『現実的でない』と釈明しているが、アメリカ空軍の司令官の口からでた言葉は重い。

 最近あまり目立った言動がないハシモト大阪市長は、参院選挙前に『沖縄の負担を少なくするために、大阪府の八尾飛行場でオスプレ-の訓練を引き受けるべきだ』と発言していたのも今思うと、なぜ?と疑わしくなる。

当初、カンカンに怒っていた八尾市長が、しばらくしたら、『考える価値がある』と態度を変えたのも変な話だが、『沖縄の負担軽減』という言葉の裏で、政治的な駆け引きがあったことをうかがわせる。

 長くなるので今日はこのあたりにしておくが、もしも・もしも、横田基地にオスプレイが配置されたら(その可能性はゼロではないだろう)、まさに『本土の沖縄化』になることだけは間違いなさそうだ。

 無力な私には、困ったものだとしか言えないのが悲しいが・・・。(田舎親父)

2013年8月 5日 (月)

大丈夫なのだろうか・・・

 2日の朝日新聞朝刊の社会面に『我が家で寝られるね 福島・田村で長期宿泊始まる』という見出しを見つける。

『福島・田村』との文言から、前日の夕方、NHKテレビのニュ-スで取り上げていた、福島県の田村市の一部で除染が終わったことを受けて、住民の宿泊が認められたことだと分かったが、良かったという言葉が素直に言い出せない違和感が残る。

記事は、事故原発から20キロ圏内で、避難指示解除準備区域に指定されている田村市の都路地区で、長期宿泊が認められることになり、この日帰還した住民が我が家でくつろいでいる様子を写真入りで紹介している。

この地区は、原発事故に伴う警戒区域から昨年4月、避難指示解除準備区域に再編されたとのことである。指定地区の名称がかなりの頻度が変更されるものだから、情報に疎い私には、この地域が現在どの程度のレベルなのか判断しにくいが、日中は自由に出入りできるほか、年末年始や大型連休の数日間に限り、宿泊が許可されるという。

8月1日から、宿泊の条件が緩和されて、帰還準備として(住民は)10月末までの3カ月間、我が家で過ごせることになったという。国による除染が今年6月に完了したため長期宿泊が認められたとのこと。地区の121世帯380人のうち、7月31日までに長期宿泊を申し込んだのは28世帯112人。そのうち22世帯82人が1日から泊まり始めた。

 記事に添付して掲載されている写真は、『今夜は戻らなくていいんだな』と日が落ち始めた午後5時すぎ、78歳の男性が自宅居間の蛍光灯をともし、喜びをかみしめている光景を切り取っている。この方は、妻と長男の夫婦の4人で、30キロほど離れた県内のアパ-トに避難しているのだそうだ。

昨年4月から、毎日帰宅し、片付けや畑仕事に精を出してきたが、宿泊が認められないので、日暮れとともに避難先のアパ-トに戻らなければならない。『明日からはもっと早く畑に出られる』という言葉が気持ちを表している。

しかし、長期宿泊には条件があって、1カ月ごとに期間申請の延長を申請する書類が必要で希望者には線量計が貸し出されるという。国は市と協議のうえ、11月以降の避難指示解除をめざすとのことであるが、言葉を選ばず表現すると、国はそろりそろりと、人体実験を繰り返しながら次の手を探しているとも言えるよだ。

事実、除染で地区の大半は長期目標である毎時0.23マイクロシーベルト(年間1ミリシーベルト)以下を達成できなかったということがそれを裏付けている。放射線値が下がらないので、『現状では帰れない』という住民が全体の4分の3超とのことだが、それも当然だろう。

話は少し逸れるが、同日、東電は参院選直後にたまっていると認めた汚染水が、さらに別の場所で大量の高濃度汚染水がたまっていることを確認したという記事もある。濃度にはばらつきがあるが、最大で放射性セシウムは一リットル当たり計9億5千万ベクレルという物凄さであるが、前日には30億ベクレル超の汚染水に比べて値は低くなっているとまるで他人事。いつもながら、東電の姿勢は情報を小出しにして、その数値に慣れさせる手口である。

何度も述べていることだが、原子炉の核燃料融け落ちていることは国も認めているが、どの程度の汚染が広がっているのかは、国と東電未だに口を閉ざしている。実態は闇の中なのだろうが、素人でも冷却水はもとより、自然循環している地下水が汚染されていることぐらいは想像がつく。海に漏れ出しているもの当然だろう。

また、地下水の行方は調べようがないのが現実となると、原発周辺の地下水汚染はもとより、10キロ先、20キロ先の地下水について(現在のところ線量的に安全だというだけで)どうなっているのか分かるはずがない。

今回、原発から30キロ離れている帰還の準備をはじめた地区の地下水も、大丈夫なのと疑うのが普通の感覚だと思うのだが、記事は地下水についてなにも記述がない。

自分の家に帰れた住民の一人は『お盆は孫夫婦らも来て4世代9人で過ごすというのせ楽しみだ』と喜んでいるようだが、幼い孫に何の疑いもなく、地下水(水道水も地下水利用だろう)を与えて大丈夫なのだろうか。

故郷へ帰れるという喜びは十分理解できるが、どうしても素直に受け止めることができないのは私だけだろうか・・・。(田舎親父)

2013年8月 3日 (土)

昨日に続いて・・・

 先日の東京新聞に『昆虫園 虫よけグッズ遠慮して 多摩動物公園』という見出しの記事を見つけた。

 多摩動物公園は、行くたびに新たな発見ができる、私の好きな場所の一つである。そこに昆虫館でできたのは、40年以上も前になるのではないだろうか。はじめて訪れた時、初代館長の矢島稔氏の話をうかがった記憶が蘇る。

 当時、怪獣とともに昆虫もブ-ムで、昆虫をモデルにしたキャラクタ-が活躍するマンガが小中学生の間に大流行したこともあって、昆虫館は相当賑わっていたことも思い出す。

 話は飛躍するが、今夏休みの真っ盛り、近くの県立四季の森公園には(『生き物をとってはいけません』という看板があるのだが)昆虫網を持った家族連れが溢れているが、公園管理部署も、昆虫なら良いかと思っているらしく、注意する様子はない。

 私も、もう少し足を延ばして、ズ-ラシア(横浜動物公園)近くの雑木林に行けばもっと昆虫の種類も多いのにと思いながらも、そこを荒らしてほしくないので、黙って家族連れの行動を微笑ましく見守っている。

 私と同じ世代の男性にとって、昆虫採集は男の子としては当たり前で、朝早くから夜中まで、カブトムシやクワガタを求めて森の中を駆けずり回ってものだが、次の年代(現在の小中高生の親たち)になると、昆虫採集よりも室内遊びが主流となり、テレビゲ-ムやマンガのブ-ムの時期と重なったことから、昆虫を追いかけた経験が少ないのも特徴の一つ。カブトムシやクワガタを森で捕まえるよりデパ-トで買う時代の始まりである。

 そんなことを思いながら、子ども連れを観察すると面白い発見ができる。平日の公園では圧倒的におじいちゃんと孫というパタ-ンが多いが、その時のおじいちゃんの張り切りは特筆ものである。

子どもから昆虫網を奪い取って、お手本をしめするは良いのだが、おじいちゃんが夢中になっているとなると苦笑が先にたつ。最近は男の子より女の子が多いのも、私には首を傾げたくなるが、草食男子もこんな幼い時の経験から生まれるのかもしれない。

休日はお父さんの出番である。経験がない人が多いらしく獲物を捕まえるのにも苦労しているのは当たり前として、子どもより夢中になり網を独占していることも多く、子どもと網の奪い合いをしているようにも見える姿もしばしば目撃する。

昆虫園の記事に戻すが、最近の子どもたちはカブトムシやクワガタのようなデパ-トで売っている昆虫には興味があるももの、他の虫は大嫌い,特に蚊やハエには嫌悪感をもよおすらしく、近寄ることにも神経質になっているようだ。そこで、昆虫園という昆虫を飼育して展示している場所でも虫よけグッズを使う来園者が多いらしく、園ではその対策に苦慮しているという。

さすがに虫よけスプレ-を持ち込むことは少ないようだが、最近は、小型の送風機能付の腕時計型など、小型で音も臭いも出ない虫よけ機器が普及し、機器のスイッチを切らないで昆虫園本館に入る人が増えているのだそうだ。

そのため二年前から、夏になると『虫よけスプレー等のご使用はご遠慮ください』と書いた看板を建物の入り口に設置しているようだが、なかなか効果が上がらないので、昆虫園飼育展示係長の女性が、ツイッタ-に「これから見るのは『虫』なんですよ。(虫よけの使用は)おやめになって」と虫の声を代弁する書き込みをしたところ、これまでに4千を超える人がリツイート(転送)したと記事にある。

なかなか味のある話である。ツイッタ-に書き込んだ係長は予想外らしいが、『言われてみれば』という人が多いのではと分析、その反響に喜んでいるようだ。

『虫よけ』は虫の嫌がる物質を出して無視を寄せつかないものであって、虫の命を奪う『殺虫剤』とは本質的に違うので、虫に決定的なダメ-ジを与えることはないだろうが、虫よけ機器を放置すれば、嫌がる物質が室内に広がることは間違いなく、虫にとっては環境悪化につながることは自明のこと。

ここで、昨日取り上げた、シルクロ-ションが注目されると良いのだがと期待するのだが、繭の煮汁に『虫よけ効果がある』ことを科学的に証明できないのが苦しいところ。

蚊に刺され易い人を誘って、多摩動物公園に出かけて、この係長に面談して、この話をしたいと思っているのだが、歳のせいか、パ-トナ-を見つけることもおっくうで、しかも、断られるのがオチだろうなと思うと、なかなかふん切りがつかない。

今日もまた、取り止めのない話になってしまった・・・(田舎親父)

2013年8月 2日 (金)

繭で作る化粧水はいかが・・・

 化粧品業界が大変な騒ぎに陥っているようだ。最近は『肌を白くする』という化粧品が女性(最近は男性もお化粧が常識になっているそうだが)の間では大人気で、数ある化粧品製造会社はこの分野の開発を競っていることは度々報じられている。

 話は飛躍するが、私は以前から蚕の飼育に興味を持ち、今も続けている。一時は生糸を作って織物を織ることに熱中したが、最近は、蚕たちに繭を作ってもらい、その繭で化粧水を作ることに目的を絞っている。

 蚕に興味を持ち始めた頃、『女工哀史』という言葉にひかれ、女工さんの経験のある人の話を聞くために、主に南信州の養蚕が盛んな土地を訪ねたことがある。実際に女工さんの経験を持っている人は少なく、『私の母や祖母が』という人が多かったが、経験者の超高齢者はもちろん、『母親(祖母)の指先が綺麗だったことをはっきり記憶している』と語ってくれたことが、繭の化粧水作りのきっかけになっている。

 手先がなめらかだったという言葉がヒントになり、繭の成分を調べたところ、繭はフィブロインとセルシンという2つのタンパク質から成り、そのうちセルシンが水には融けないがお湯に溶けることを知る。

 なるほど、生糸を取り出す時に繭を煮るのはこのためで、繭の煮汁を日常的に手につけている女工さんたちは、セルシンのおかげで肌が綺麗になるということを確信し、化粧水を作り、以来それを常用(これしか使っていない)している。

シルクロ-ションと名付けた化粧水は私の肌には合っていくらしく、年齢よりは若いとよく言われる。さらにこの液にはかゆみ止めの効果があるらしく、虫刺されなどでかゆい時にこれを塗ると,すぐにかゆみが消えるのも嬉しい。しかも(科学的に実証されているわけではないが)毎日朝晩使っているおかげで,蚊に刺されにくい体質になっているのも不思議な話。まさに繭さまさまというところ。

随分以前になるが、資生堂やカネボウなど大手のメ-カ-が競って『繭』に注目して新しい製品を作り出したというニュ-スも聞いたことがあるので、大企業もやっと天然素材に回帰したかと喜んだものである。

しかし実際は、繭をそのまま生かすのではなさそうだということを知り、まあそんなものだろうと興味は薄れているが、それでも、『肌に優しい』というたぐいの言葉には敏感に反応するようになっている。

だからだろうが、カネボウが売り出している、肌を白くする化粧品を使った多くの人から、肌がまだらに白くなったという被害報告が殺到しているという記事には関心を持って経緯を見守っている。

カネボウは最初のうちは『個人差だろう』とタカをくくっていたらしいが,あまりにも被害届けが多いことに大慌て、同社が2008年に開発した医薬部外品の有効成分『ロドデノール』を含む美白化粧品を自主回収する騒ぎになっているのだそうだ。

白斑が3ケ所以上でたという顕著な症状が出たと申し出た利用者がすでに、先月20日時点で約2500人に上がっているというから、現在は、その数はさらに増えているのではないだろうか。顕著でない被害者も約8000人というから、どこまで広がるか分からない。

症状が確認された利用者については、医療費や医療機関への交通費などを過去分も含めて回復まで負担する方針は当然だが、補償などを考えると、(私が心配しても仕方ないことだが)カネボウは大変な経営危機にたたされているのではないだろうか。

資生堂を筆頭に他の化粧品や製薬会社も『肌を白くする』化粧品の開発に力を入れているので、それぞれ独自で開発した『ロドデノ-ル』と同じようなと成分が使われていることは想像に難くない。となると、これらの成分は大丈夫なの・・・という思いが生じる。

話を少し戻すが、『ロドデノ-ル』という成分は20008年に開発されたという文言に、少し違和感を覚えないでもない。厚労省の許可が下りた段階で、すぐにこの成分を含んだ化粧品が発売され、相当数の人たちがずっと使い続けていたはずなのに、なぜ今頃になって被害が広がったのだろう。

成分を厚生労働省に承認申請する際の試験では白斑は出ていなかったというが、一昨日、慈恵医大や京都府立大の臨床実験に人為的な作為があったとのニュ-スがあったことからこちらもそれに類することが隠れているのではと思いたくもなるが・・・。

また、今話題になっている食品アレルギ-では、ある日突然アレルギ-症状が出ることもあるというから、安全だと厚労省が認可したとしても、使い続けていて全く異常がでなかった人でも、突如、肌に白斑模様が出る可能性も否定できないようだ。このあたり、しっかりと検証して流通させてほしいもの。

美白商品はブームに乗って、各社は製品開発にしのぎを削っているらしい。手前味噌の提案になるが、その原点に『繭』という天然素材に注目し、誰にでも安全で安心して使える天然素材だけの化粧品の開発に期待したいものである。(田舎親父)

2013年8月 1日 (木)

危機意識ゼロの社会を目指している?・・・

 最近、乗り降りの際に電車とホームとの隙間に乗客が転落する事故が後を絶たないらしく、昨日の東京新聞は一面トップでこのことを取り上げていた。

記事は、ホームの湾曲によって車体とホームの間に20~30センチの隙間が生じる場所があるためだと事故原因を推定した上で、ホームを直線にするには新たな用地を確保しなければならず、鉄道各社はライトの照射や職員の配置などで対応していると、鉄道各社の努力に理解を示している。そして、記者自身が、大勢の乗客がヒヤリとする現場を歩いてみたという構成になっている。

 その一例として、繁華街と大型ビル群直下に位置する東京メトロ日比谷線六本木駅(東京都港区)を紹介している。一日平均12万5千人が利用するこの駅のホームは『し』の字状に曲がっていることは、何度も利用したことがあるので知っている。しかし、ホ-ムと車両との間には最大で25センチほどの隙間があったとは気がつかなかった。

 過日、電車に乗り込もうとした女性が、ホームと車両との隙間に落下したという事故が報じられた。監視役の駅員は荷物が落ちただけと誤解し電車を発車させたたが、女性は幸い、ホーム下の退避スペースに逃げ込み無事だったという記事は記憶になるが、その時は何気なく読み流したのでこの駅だとは気づかなかった。

確かに25センチも開いていれば、細い体型の人ならすとんと落ちるのは理解できるが、この駅に限らずホ-ムと電車の間に隙間がある駅では、必ずうるさいほど『電車とホームに広く開いてる所がございます。乗り降りの際は十分気をつけて下さい』というアナウンスを繰り替えし、駅員が常時監視しているのではないだろうか。

 記事には、鉄道各社が転落事故を防止するために涙ぐましい努力をしていることを紹介している。都営地下鉄では、八駅で隙間が顕著な部分にホーム下から『スペースライト』と呼ばれる光を照らして注意喚起しているという。転落すると駅務室に通報が入る検知マットを設置している駅もあるのだそうだ。

先日は渋谷駅の移転に伴い、老人に優しくない構造であると批判した東急もこの種の事故には敏感で、線路沿いにピアノ線を張って落下物を検知しているという。西武鉄道は、隙間の大きな駅のホーム側面に隙間を狭めるくし状の黄色いゴムを設置しているというからかなり、鉄道各社は神経を使っていることは間違いない。

最近はめったに利用しなくなったが、東急の菊名駅も隙間が大きな駅である。この駅は横浜線と交差しているのだが、変形交差のためにホ-ムと改札を結ぶ階段は横浜寄りに一つあるだけなので、横浜線に乗り換える客(私もその一人)の多くが、この車両に集中する。そして、その部分が特に隙間が大きいので、危ないなあ・・・と思ったことは数限り。

 当然ながら、うるさいほどの構内放送で注意を喚起している。現役時代は通勤で毎日のように利用していたが、当時、転落事故があったとは記憶にない。注意放送が効いていることもあるのだろうが、乗客自身が危険を感じて、本能的に防衛意識が働くからではないだろうか。

学生時代よく利用した駅に(記者もヒヤリとした駅にあげている)京浜急行の日の出駅がある。その湾曲の凄さは菊名駅の比ではなく、一度駅に立ってみるとよくぞこんな駅があるものと変に感心するほど。ここでも学生時代に飛び込み自殺は何度があったよううだが、転落事故を聞いたことはない。

記事には、東京メトロでは、年間に全線で20件程度の転落事故が発生しているとあるので、私が知らないだけで、菊名駅や日ノ出町駅で事故が発生しているのかもしれないが、ホ-ムから転落するなんて、乗客の危機意識がもう少しあれば、間違いなく防げる事故ばかりではないだろうかというのが正直な感想である。

先日もスマホを見ながらホ-ムを歩いていて線路に転落した小学生のことを、鉄道各社(確かJR)の安全管理の不備だと報じるマスコミに違和感を覚える。この事故は基本的な注意も与えずスマホを持たせる親のアホさ加減であると断言したい。まさに本末転倒だろうが、これが我が国のマスコミ姿勢だから困ったものである。

さらに記事には、東京駅など大規模な駅を抱える千代田区は6月、区内を運行する鉄道4社に対して転落事故防止に向けた要請書を提出したそうだ。区は『ホーム改修がコスト的に難しいことは分かるが、注意喚起の徹底など事故防止に向けて適切な措置をとってほしい』と求めているとある。

千代田区の要望も自治体として当然かもしれない。しかし、新聞を読みながらホ-ムに転落するなど以前には考えもできなかったが、スマホを見ながら転落という事故が後をたたないとなると、千代田区は鉄道会社にどう防止せよと迫るのだろう。

お客様は神様だから、いつ何どきの事故であっても鉄道会社の責任という考え方は現在では当然と受け止められているが,危機意識を持っていれば、この種の事故はほとんどなくせるはずだと強く主張したい。

私がよく例に出す話だが、小学校の休み時間や体育の授業で、走っていて転んで怪我をすることは日常茶飯事だが、怪我をする個所は顔面が多いことは案外知られていない。転ぶ瞬間的に手を出せない子どもが多くなっているのが現実なのだ。

全て周りが安全を保ってくれることが常識になってしまった社会では、子どもたち自らが、自分で自分の身を守るという本能を退化させているようだ。これでは、社会全体で危機意識を育てないようにしている?。ホ-ムの改造も必要かもしれないが、こちらの方を論じるのが先ではないだろうか。(田舎親父)

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