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2013年9月

2013年9月30日 (月)

『反転授業』とは面白そうだが・・・

 佐賀県の武雄市は何かに目新しいことをする自治体だという印象を持っているが、今度は市内の全ての小中学生に、一台ずつタブレット端末を配るという記事を見つけて、10年以上前のことになるが、全家庭に、当時インタ-ネットとつながるゲ-ム機として話題を呼んでいた、ドリ-ムキャストを全家庭に配布して、学校と家庭との相互通信の実験をしたことを懐かしく思い出す。

私の取り組みは、当時はインタ-ネットさえ一般家庭に普及していなかった時季に加え、使ったマシ-ンがドリ-ムキャストというゲ-ム機だったこともあって、一部の保護者や教育委員会の理解を得るのが難しく、結果的には大失敗だったが・・・。

教育の世界は保守的というより、全てが足並みを揃えることが大原則なので、一つの学校、一人の校長が他校とは違う取り組みに挑戦しはじめると、たちまち周りが寄ってたかって妨害するのが常。真っ先にその芽をつぶすのが教育委員会となると、新しい取り組みに挑戦するという気概そのものが生まれ難い雰囲気があるが、武雄市教委が音頭をとってタブレット端末を配布となると、これは面白い。ついつい記事をじっくり読みたくなる。

 武雄市は10年度から、小学校2校の4~6年生に1人1台ずつiPadを貸与し授業で使っているというから、かなり気合が入っている印象受ける。それを、来年4月には小学生全員、15年春には中学生全員にタブレット端末を配る予定で、計約4200台を貸与するのだそうだ。

すっかりIT機器などと縁がなくなり、携帯さえ鳴るのが珍しく、持つ意味すら怪しくなってしまうほどアナログ人間になってしまった私には、子どもたちがiPadをどのように学習に役立てようとしているのか良く理解できないが、道具というのは使い方というか、使う人によっては、その威力が倍加するものだから、ぜひ正しく使いこなすような指導をしてほしいと願っている。

市教委は小中学生全員に1台ずつ配るタブレット端末で『反転授業』に取り組むのだという。『反転授業』とは聞き慣れない言葉であるが、児童・生徒は『授業の動画を入れた端末』を持ち帰り、家で宿題として予習をし、実際の授業ではわからない点を教え合ったり、議論しながら応用問題を解いたりし、学力の定着を目指すスタイルなのだそうだ。

これまで学校の授業で教えてきた基礎的な内容を、iPadを使って家で学び、家で取り組んでいた応用課題を学校で学ぶ・・・。なるほど、学校と家との学習形態が見方によっては逆になっている。

『反転授業』は、米国で2000年代から広がっているらしい。日本においても、(私が知らないだけで)教員個人が取り組んでいる例はあるそうだが、自治体単位で導入するのは初めてだという。

記事には、『すでにこの端末を先行して使っている市立武雄小で』とあることから、武雄小学校では、すでに一部で『反転授業』を進めており、その成果が上がっていることをうかがわせる。市教委としては、理科と算数の一部単元を選び、11月から全児童対象に反転授業をはじめるらしい。

児童・生徒が必ず自宅で動画を観て授業に対して予習するとなると、疑問点があれば、何度も観ることが可能となり、一人ひとりが自分のペースで学べることになることは間違いないところ。また、何度も観るうちに疑問が消えることもあるはずだろう・・・。

あらかじめ知識を持って学校の授業に臨むのだから、お互いの議論はかみ合うに違いない。知識を応用する課題に取り組むことにも役立つことも想像に難くない。

武雄市教委の姿勢には敬意を表したいが、このスタイルを果たして全小中学校に広げた時、全ての児童・生徒は市教委が思っているほど主体的に予習に取り組むのだろうかという素朴な疑問と共に、児童・生徒に見せる動画の魅力を高めることが重要だと思うのだが、まずは塾や出版社の開発したものを利用するというから、まだまだ研究途中だという感を受けるところがやや心もとない。

さらに、全学年に全児童・生徒広げるとなると、保護者の協力が不可欠だろうが、中には、学習どころではない環境の家庭もあるだろうし、反対に、塾やお稽古事でスケジュ-ルがつまり、画像など観る時間がないということも起こり得る。また、小学生からiPadを持たせるなどもっての外・・・という保護者もいるのではないだろうかと、私の経験から得た疑問が頭をよぎる。

しかし、従来の授業形態を変えることには疑義はない。『学力』という言葉の持つ意味もおのずから変ってくるだろうから、将来的にはこの授業形態が当たり前になっていれば・・・と想像すると武雄市の目指す方向性を評価したい。

教員の意識改革と資質の向上で、塾頼みの教材を、教員自らが充実させられるかも大きな課題だろうが、このあたりを含めてさまざまな課題を克服しながら、『反転授業』計画を推進してほしいものである。(田舎親父)

2013年9月28日 (土)

白を黒というよりさらに酷い話・・・

 経済音痴の私でも、法人税に上乗せした、3年間の時限措置としての『復興特別税』というものが存在することぐらいは知っているが、この『復興法人税』を一年前倒しで廃止することがほぼ既定の事実となっているらしい。

しかし、その理由が『消費増税した場合に景気腰折れを防ぐ経済対策』だということには、どんな発想をしたらこんなムリ押しの論理が生まれるのか、狂気の沙汰だとしか思えない。ごく普通に考えれば、景気がゆるやかに回復していると主張しているのなら、慌てずに、消費増税を腰折れしなくなるまで先送りすればすむ話だろうと思うのだが・・・。

奢り高ぶっているアヘ首相は『(法人税減税で企業収益拡大を図り、賃金増や雇用増につながる景気の好循環を生み出す』と説明しているそうだが、収益を賃金増や雇用増に回す企業の数や、具体的な数値は全く知らされていない。

新聞記事によると、復興法人税の前倒し廃止による減税規模は9千億円程度だという。これに加えて、公共事業の積み増しや企業向けの投資減税と合わせ、総額5兆円の経済対策という位置づけだとのことであるが、まるで整合性がない変な話。

 消費税を3%引き上げると国民負担は8兆円程度増えることは、各メディアが繰り返し報じているので私の頭に入っている。そして国内総生産(GDP)の6割を占める個人消費が大きく落ち込む見通しだということも・・・である。

 ここで復興法人税を前倒すと共に、一般法人税を数%引き下げたとして、どれぐらいの企業が雇用を増やしたり、賃金を上げるだろうかとなると、専門家でも『否』と答える人が多いという。(あてずっうぽうながら)そんな企業はゼロと答えても当たらずとも遠からじというところでは・・・。

 たしか消費税を引き上げるための条件として『景気の回復』があったと記憶しているが5兆円もの財源をつぎ込まねば景気回復の兆しが見えないとなると、おのずから『まだ消費税引き上げの時季ではない』という答えになるはず。

繰り返すが、消費税引き上げが経済の腰折れの懸念につながり、そのために5兆円もの経済対策という発想が本末転倒で、デフレから脱却傾向にあると胸を張って主張するなら、常識として消費増税急ぐ必要はないと思いたい。

出発点に『消費増税ありき』という考え方があるものだから、何としても数字合わせをしなければならなくなり、このまま3%の増税に踏み切ったら、経済へのショックが大きすぎて内閣が持たないという恐怖があるようだ。

そのために、2%に相当する5兆円という数値が生まれたのだろうが、これでは消費増税が福祉と医療の財源確保には絶対に必要だといいながら、福祉や医療より景気回復が先だと、消費増税分から公共事業にバラまくというのでは、白を黒と言えというよりもっと悪質な誤魔化である。

百歩譲って、消費税増税が必要だと認めたとしても、真っ先に行なわねばならないのは、庶民の消費の落ち込みを押さえる政策であろう。そのためには、誰が考えても、所得税の減税であるはずなのに、復興法人税の前倒し廃止や法人税の減税というのは、国民の暮らしなどどうなっても構わないから、自分たちの懐を温めてくれる企業収益の方が大事という発想なのだろう。

復興対策の法人税の前倒し廃止には代替え財源を確保すると言っているらしいが、そんな財源があるのなら、消費増税など必要ないことを自ら認めているに等しい。

この政策に対して、ヨネクラという経団連会長は、マイクを向けられると、例のニタニタと変な笑いを作りながら『非常に喜ばしい』と答えている様子がテレビ画面に写し出されていたが、なんとも下品に見えてしまう。

こんな輩が経団連の会長では、今後景気が右肩上がりに回復(かなり難しいだろうが)したとしても、心が貧しい社会になり、『住みにくい国』として最下級のランクづけにされそうな予感がするのだが・・・。(田舎親父)

2013年9月27日 (金)

言葉の響きは良いが義務となっては・・・

 国民の4分の一が65歳以上というのだから、取り上げるのは当然なのだろうが、このところ毎日のように高齢者問題を新聞テレビが取り上げている。その多くが医療や介護のあり方であるが、災害時における高齢者の避難に関することも決して少なくない。

最近は火事の報道も多いが、そのほとんどの場合、年寄りの夫婦か一人住まいの住宅から出火で、逃げ後れて焼死という文言がお決まりになっている。その度に、虚しさを感じるが、だからといって、火事の現場に飛び込んで救助する人が焼死などは本末転倒であってはならないと、かなり冷たい目で記事に目を通している自分に気づく。

こんな記事に出会うと、元気な高齢者ならいざしらず、認知症(痴呆障害)の年寄りのしかも一人住まいとなると、危なくて周りの人たちはヒヤヒヤもの。何か方策をとろうとしても、『人権』という言葉が立ちふさがり、好意であっても一言の注意すらできないのが現状だというがことのほうが気になってしまう。

災害時には高齢者を真っ先に救助するのが、周りの義務のように押しつけられているのも変な話だが、それを当然と受け止めている年寄りにも問題があるように思えてならないのだが・・・。

私は、年寄りが一人(私のような夫婦の場合も同じだろうが)で住む以上、火の始末には細心の注意を払い絶対に火事を出さないという覚悟と実践が必要だと主張している。その意味で、前述したように、年寄りの焼死の記事は気の毒だという思いはあるものの、むしろ、若い人たちが巻き添えになっていないかどうかが先に立つ。

かなり過激な書き出しになったが、先日、都市部でマンションの高層化が進むなか、東京消防庁は10月から、高齢者や障害者の火災時の避難にエレベーターを使うよう指導することを決めたという記事に、心の隅に一抹の不安と違和感を覚えながらも、そういう時代になったのかと変に納得する。

これまで、エレベ-タ-は避難時に煙に巻かれる危険があるとして、使わないのが『常識』とされてきたが、住民の高齢化がマンションの高層化とともに進んでいることと、エレベ-タ-の機能が向上していることから、今回、方針を転換したのだそうだ。

たが、エレヘ-タ-を避難に使うには、停電対策の予備電源と防災センターとの通信設備が必要になるというに加えて、各階の乗降口近くに防火扉や非常用照明を備えた避難スペースを設けたり、『避難誘導用』のエレベ-タ-であることを示す専用の標識を掲示したりすることも条件にしているらしいとなると、よほどの豪華な高層マンションしか対象にならないのでは・・・という素朴な疑問が浮んでくる。

高層マンションとは全く縁のない私には、その構造は全くわからないが、一室から出火で、マンション全体か停電になるとは思えない。だからエレベ-タ-で避難という考え方は理解できるが、この方針が行き渡れば、当然のごとく健常者であってもエレベ-タ-を使うだろうから、かえって混乱する恐れがありそうだ。

繰り返すが、記事を素直に読むと、『避難誘導用』のエレベ-タ-として別に一つ用意できたマンションが対象となると、皮肉る訳ではないが、逃げられる年寄りはよほどの富裕層なのだろう。

蛇足かも知れないが、時に、高層マンションの火事の記事が報じられるが、その全て(といっても良いほど)は都立や市立という公営住宅であることも気がかりである。公営の高層住宅に、余分のエレベ-タ-が設置してあるとは思えないので、この方針は、富裕層とはむしろ反対の人たちにとっては『かやの外』らしい・・・。

火事の場合より地震時はどうなるのかという声が聞こえそうだが、エレベ-タ-を備えた鉄筋の高層マンションが崩れるなどと想定する必要があるのだろうか。もっとも阪神淡路大震災での高速道路のように手抜き工事であったら可能性はゼロではないが、その時は、運の悪さとあきらめるしかないのでは。だから、高層マンションの住民は、エレベ-タ-が止まっても動かず、騒がず揺れが納まるのを待てば良い。

家具が倒れて怪我をしたり、圧死するのは自己責任。普段から転倒防止の工夫をしておけばすむことであり、(消防隊員も含めて)周りが、危険を省みないで急いで救助する必要がないのでは。地震で木造建築が崩壊した場合はこの限りにはないが・・・。

高層という言葉の持つ意味が曖昧だが、最近は10階程度ではとても高層とはいえないらしく、それ以上のマンションが当たり前になっていると聞く。そんな高層マンションを希望する年寄りも多いようだ。それらの年寄りたちが、災害時には誰かが助けてくれるものはと考えているとしたら、即刻改めさせることが先決ではないだろうか。

今日もまとまりのない支離滅裂な文章になってしまったが、私も一人の高齢者として(暴論とお叱りを受けそうだが)『高齢者の優先避難』という聞こえの良い言葉の後押しで、高齢者・障害者を助けようとして、(例えそれが任務だとしても)若い人の命が失われてはならないと思っている。(田舎親父)

2013年9月26日 (木)

また大阪の教育の話題になるが・・・

 何度も大阪の教育について批判的に取り上げているが、この報道内容は信じ難く、あまりにもバカバカしいほど酷すぎて、時代錯誤も甚だしいとしか言いようがない。というより、大阪府教委はどなたかの命令を絶対に遂行しようと、本気で戦前の教育システムに戻そうとしているのではないだろうかと思ってしまう。

 大阪府の教育長がいつの間にか替わったらしく、新しい教育長は全府立学校に、教職員が入学式や卒業式で実際に『国歌斉唱』しているかを教頭ら管理職が目視して確認し、校長が報告するように通達したという。

 この教育長は、府立高校の校長時代に教職員の口の動きをチェックした人物として有名なのだそうだ。なんでも校長時代に『口元監視』をしたことが批判の対象になり、府教委の中でも一部行き過ぎだという声があったらしいが、この御仁は『起立斉唱の職務命令に従っただけだ』と反論、全く動じなかったと伝えられているというから、筋金入りの右翼体質を持っているようだ。

 教員としての必要な資質は、子どもに教える内容を咀嚼して、わかり易く教えることであることは論を待たないが、私は日頃から、それ以前に『人間としての矜持』は持つべきであって、少なくとも自分で判断して、許せないと思うことを『子どもに伝えよという命令』には、『無言の抵抗』を許されるべきだと思っている。

 それをこの教育長は現職時代においても、『府教委から出されて命令には、何をおいても従わなければならない』という考え方が正しいと信じていたようだ。それを教育長になったことで、全ての校長に押しつけている。

 普通の感覚なら、一方に偏った考えを持つ人物を教育長という教育行政のトップにさせないもの、というよりさせてはならないものだと思うのだが、維新の会のNO2である大阪府知事があえてこの人物を教育長に任命したことで、この政治集団が何を狙っているのかミエミエである。

 先日の天声人語は、・・・歌い手が録音に合わせて口だけ動かす。俗にいう『口パク』である。オバマ大統領の2期目の就任式で、歌手のビヨンセさんが披露した米国歌がそうだった。北京五輪の開会式での『天使の歌声』もそうだった。音楽業界では珍しくないらしいが、それが学校の入学式や卒業式という場であったらどうだろうか・・・という書き出しで、この問題取り上げていた。

 以下引用してみよう。▼大阪府教委が府立高校に通知を出した。式で君が代を斉唱する時、教職員が本当に歌っているかどうか、「目視」で確認せよ、と。去年、府立和泉高で校長が教員の口の動きを監視させ、物議を醸した。その校長が教育長になり、全校に広げる▼式場で教頭らが目を光らせ、歌っていない者がいたら、名前を府教委に報告する。判断の基準は形式的な「口元チェック」ではなく、「公務員として誠意ある態度かどうか」だという。漠然とした話だ▼例えば「感極まって歌えなかった」場合は目こぼしになるかも知れないという。そんなことまで考える情熱があるなら他のことに注いではと思う。自主性が大切と普段から説いてきた先生が、信念を封じて口パクをする。想像したくない光景だ▼起立斉唱を義務づける条例がある以上、守るのは当然と考える人も少なくないだろう。だが、君が代をどう考えるか、歌うかどうかは個人の思想・良心の自由にかかわる。最高裁も去年の判決で教員へのいきすぎた処分に釘を刺している▼先生がお互いに監視しあう。教育の場が荒廃しないか。多感な生徒の心に暗い影を落とさないか。(引用終わり)

 その通りだと思うが、何となく奥歯にものが刺さったような表現の多さが気になる。例えば『感極まって歌えなかった?』だなんて、そんなこと、経験上『絶対にない』と断言できる。子どもたちの送辞や答辞、あるいは合唱ではあり得るが、『国歌斉唱』に感極まることなど、(朝日新聞)は想像するだけで恐ろしいことと捉えてないのだろうか。

 もう一歩突っ込んで、こんなアホな通達は、ことは教育にとってはマイナス要因になるだけで、何一つプラスにならないことを主張し、間違いなく教育現場が荒廃するという論調がほしいものであるが、これが大新聞の限界なのだろう。

 一般にはリベラルだと言われてきた朝日新聞の、しかも、入試試験でも度々引用される『天声人語』でさえこれが限界だとすると、すでに言論統制がここまで進んでいることに危惧感を覚える。(田舎親父) 

2013年9月25日 (水)

明治神宮の森が危ない・・・

 一昨日の東京新聞の朝刊の一面の『神宮の森 美観壊す』という大見出しに目が留まる。副題として『20年五輪 新国立競技場 巨大すぎる』とあるので、これは面白そうだと、東京新聞に拍手を送る。
 2020年東京五輪のメーン会場となる新国立競技場をめぐり、世界的建築家の槇文彦さんが計画の大幅な見直しを求める論文を発表したという記事である。浅学の私には槇文彦という方が世界的な建築家であることなど全く知らなかったが、オリンピックのメ-ン会場は、現在の国立競技場を建て替えるということ程度は知っている。
 槙氏は、建て替えて生まれる新国立競技場が、現計画では巨大すぎて歴史のある明治神宮の森の美観・景観を壊すと懸念しているとのことである。記事にはその範囲などの略図が図示してあるが、それを見ると、現在の森の部分が大きく削り取られることが一目瞭然。槙氏ならずとも、これは問題だと感じる人は多いのではないだろうか。
 さらに、莫大なコストがかかる恐れもあるのに、関連した情報が知らされていないと指摘しているが、全くその通り。マスコミは今まで(現在でも)『東京オリンピックの会場はできるだけそのまま使い、しかも会場を狭いエリアに集中させて、できるだけコンパクトな大会』と報じていているが、この図面を見る限り、コンパクトというのはウソで固めたタテマエだけで、実際にはとてつもなく広く、しかも豪華な施設を持つ競技場図が頭に浮かぶ。
 記事を読み進めると、文科所管の独立行政法人『日本スポーツ振興センター(JSCというらしい)』によると、『世界一のスタジアム』目指した新競技場は、現国立競技場を取り壊して建て替える予定だとある。
 施設を大幅に拡充。開閉式の屋根を備え、観客席を5万4千席から8万席に増やすほか、スポーツ関連の商業施設や博物館・図書館などを併設ということまでは報じていたような気がするが、延べ床面積は現在の5.6倍の29万平方メートルにふくらむということまでは知らされていなかったのではなかっただろうか。
 なるほど、ここまで広く豪華な競技場となると、神宮の森の樹木を伐採なしではでき得ない話。槙氏『新競技場は数字(延べ床面積)だけ大きくて、必要かどうか疑わしい機能が多い』との強い懸念になるほどと納得する。
 明治神宮の森は、その名前が示す通り、天皇を神格化する意味で明治神宮と共に大正時代に整備されたことは社会科の教科書でも取り上げている。恐らく、天皇制度に疑問も持っている人でも、一度、この森を歩いてみると、大都会・東京のオアシスであることを感じない人はいないほど、東京のシンボルでありなくてはならない場所になっている。
 私もその一人で、この森がもしなかったら、今日の東京は存在しなかっただろうと、この森を作るために汗を流した先人たちの素晴らしい情熱に心からの敬意を表しているものであるが、こともあろうに、たかだか2週間程度のお祭りのために、この森を伐採するという愚かさには開いた口が戻らない。
 都はすでにこの計画を決めて、そのための布石として、今年の6月に神宮外苑の建築規制を大幅に緩めて、高さ制限を15メ-トルから一挙に75メ-トルにしているという。高さ70メートルに達する巨大な競技場を建てるためにだけに、である。
 国際基準では、(バカバカしい話だが)オリンピックの主会場に使う競技場は観客席が6万人以上必要だと決められているそうだ。ロンドン大会の会場は、8万席のうち6万席は仮設だったというから、イギリス人は賢明な方法を採用したものだと感心する。それに対して、東京都はロンドンより豪華なものにしたいという見栄が勝り、新国立競技場は、仮設なしで8万人分の観客席を作るという。
 『全て本設にしなくても五輪はできる。終わった後、8万人もの観客席がどれだけ使われるのか。17日間の祭典に最も魅力的な施設は次の50年、100年後、都民にとって理想的とは限らない』との槇氏の言葉は重い。
 ここまで、昨日のうちに書き留めていたのだが、今朝の『天声人語』は論調は弱いながらもこの問題を取り上げているたとを知り、『なんだ、朝日の主筆もも、少しはこの計画の拙さを感じていたのか・・・』と、少しはホッとする。
 誰が決めたのか知らないが、(利潤追求から生み出されたのだろうが)収容人数というシバリは、オリンピックだけではなく、全ての世界大会に提要され、サッカ-を例にとると、5万人規模の収容人数の(サッカ-と一部芸能イベントためだけの)コンクリ-トの固まりともいえる競技場が全国各地に生まれている。
 その全てが国や自治体が作るのだが、すぐに運営不能となり、民間企業に命名権を売り渡し、天下り先を確保する意味で、その企業を中心とする運営会社に依託する形になっているが、新国立競技場も流れになりそうだ。
 こんな無駄なハコモノを作るために貴重な緑をなぎ倒す愚。先人の血の滲むような苦労を知ったら、このような愚かな計画などしないものだと思うのだが、(副知事時代はどちらかというとオリンピックに批判的だったと報じられている)イノセという都知事は、就任したとたんに『オリンピック命』的な人種に変身したらしく、何が何でも作りたがっているのも、許し難い変な話だが。
 都民のオアシス・誇りである明治神宮の森を、都民が選んだ知事が壊す図式を、良識ある都民なら、許さないはずだと思いたいが・・・。(田舎親父)

2013年9月24日 (火)

トノ これはいけませんぞ・・・

 先日、静岡県のカワカツ知事が、全国一斉の学力テストの小学校国語の結果が、最低だったことに怒りが爆発したらしく、点数の低かった100校の校長の名前を公表すると発言したことに対して、文科省が慌ててストップをかけるほどの大騒ぎになったことは取り上げた。

県教委としても、知事に校長名など発表されてはメンツが丸潰れになることはもとより、責任が回ってくることは間違いない。となると、必死に知事を諫めたらしく、知事トノはどうやら校長名の公表は思いとどまったらしいが、全国最低という汚名がよほど悔しかったと見えて、今度は、点数の高い小学校の校長名を発表と言い出しているのだそうだ。

全国ほとんどの学校がホ-ムペ-ジを持ち、そこには必ず校長名で教育目標や活動が掲載されているから、静岡県民でなくてもインタ-ネントを開けば、どの小学校だということはすぐに特定できる。

全国最低レベルとなると、学力テストの意義を全く認めない保護者や、あるいは教師であっても、『うちの学校が全国で一番学力が低い』という評価に対して、『そんなもの全く意味がない・・・』と動じないでいられるはずがない。

恐らく地元では連日噂が噂を呼び、学力テストの点数が即学力と思い込んでいる(思い込まされている)保護者たちは、『点数上げろ』の大合唱。校長に面会を求めて、その具体策を求めることは十分推測できる。

それぞれの校長は自分の学校が、正確には何番目とわからないまでも、大体の順位は把握しているはずだから、校長会では県教委・市町村教委から、『点数を上げろ』と強い指導を受け、自分の学校に戻ると、保護者や地域から『何故点数が上がらないのか』と責められるとなると、自殺者が出ることは過去の例からもないとは言えない。

カワカツ知事には、きっと何人かの知恵者のブレ-ンがいるだろうから、こんなことはすでに十分伝わっているのではないだろうか。だからこそ、100校の校長名の公表は断念したのだろうが、何としても、学力テストの点数を上げなければという思いは変っていないらしく、『けなすのは悪かったら褒めようではないか』という発想で、県教委に圧力をかける方法に切り換えたらしい。

県教委も徹底抗戦は無理だと判断し、知事と何らかの妥協をしたらしく、先日、県の教育長が知事と面会して、文科省から届いている学力テストの成績デ-タを渡したと報じられた。その際に、教育長が『下位の校長名公表には至らないと考えている』と断言したというから、教育長は知事の説得に自信を持っているらしい。

どんな妥協が成り立ったのだろう。もしも、県教委が『上位の小学校の校長名の褒める意味で発表は仕方なん』と判断し、それを受けて知事が、実際に発表するとなると、想像するだけで恐ろしくなる。

静岡県の小学校の数は、大体500校程度だと推測しているが、学力テストの成績の上位100(70)校の校長名を発表するとなると、即、学校名がわかることはすでに述べた。こんなことが実際に行われたとしたら、大変な騒ぎになることは想像に難くない。

名前のなかった小学校の学区域では『子どもが通っている小学校は学力が低い』と落ち込むと同時に、隣近所(同じ地域、自治体)の小学校の名を探すことは間違いない。なければ『俺たちのすむ地域は・・・』と、あきらめながらも、市町村教委のやり方に不満を持つ住民が多くなることも当然の話。

もしも、隣の小学校の名前があるとどうだろう。住民同士、あるいは校長も含めて教員間に疑心暗鬼が渦巻くだろうことも容易に想像がつく。結局は、点数の悪い校長名を発表することと、同じような混乱が起きるのは誰の目にも明らかだろう。

賢明なカワカツ知事がそんな愚かなことを本気で思っていると考えたくない。点数の悪い小学校、次には良い小学校の校長名を発表と言い出しているのは、結局なところ、県教委を揺さぶっているのではと思いたい。

しかし、この動きは他の都道府県、市町村に広がる可能性が大きいだろう。文科省の中にも、学校別の成績発表をすることを許す動きがあるとも聞こえてくる。

『全国一斉の学力テスト』の結果が全て公表されるとなると、全国の小学校2万数千校(トップから最低2万数千位まで)の順位が一覧表となって広く知られるようになる。これは現在の学校制度そのものの崩壊を意味し、教育そのものが経済に『ひれ伏す』ことになる。

こんなことが許される社会では、平等で基本的人権が守られる(人に優しく住みやすい社会)とは思えない。今の私には、やはり『知事ドノ お気を確かに』という言葉しか浮かばないのだが・・・。(田舎親父)

2013年9月23日 (月)

既定どおり4月から・・・

 『アヘ首相が、間もなく消費税の値上げの判断』という話題が、随分以前から流れている。そして、つい最近になって『10月1日に値上げの発表』と、期日まで入るようになっている。値上げは既定のことだろうと思っている私には、どうでも良いことながら、この御仁の後ろには、実にマスコミの扱い方にたけている人物がいるものだと、こちらの方を感心する。

 その一つが、先日政府筋が明らかにしたとされる、消費税増税の負担を和らげるため、所得が少ない人に現金を配るという、『簡素な給付措置』という、いかにも弱者を救済するような聞こえを持つ文言である。

住民税の非課税世帯に該当する人が約2400万人いるのだそうだが、その人たちに1人当たり1万円を一時金として支給するという内容らしい。さらに、このうち年金や児童扶養手当などを受給している世帯の1千数百万人に対しては、5千円上積みして1万5千円とするという。

住民税が非課税となると、生活保護を受けている所得がないか,極めて低所得の所帯などのことだろうが、国民総人口の約20%もの人が該当するというのが何となる腑に落ちない。確か、厚労省の発表では、全国で生活保護を受けている人は200万人超で年々増える傾向とのことだった記憶があるが、生活保護以外で非課税になっている人がこれほど多いのだろうか・・・。

話はそれるが、先日70歳のお祝いとして『市バス・地下鉄優待券』というものをいただいたが、その優待券を受け取るために、7000円を郵便局で支払った。この金額は、所得によって違うらしく、私のランクは住民税を支払っている中では一番下の世帯主となっている。参考のために書いておくが、世帯主でない同じ年齢の妻は4000円だった。

面倒なことと、還付金など無いに等しいだろうと思って確定申告はしていないので、横浜市の担当者が決める住民税額に疑義を覚えないが、どうやら私は、もっとも低い住民税しか払っていない階層で、その下には非課税の人たちだけしか存在しないことになる。

このことは、ある程度予想していたことだが、なんだか社会のお荷物的な存在だと改めて思い知らされる。それにしても、私よりまだお荷物だと思われている人たちが2400万人もいるのだろうかと思うと、何だか虚しくなる。

そのことは改めて触れるとして、今回の『簡素な給付措置』は、来年4月には年金などの支給額が下がるため、現金給付で家計への影響を軽減するための措置なのだそうだが、今後ずっと続いていく消費税に対してあまりにも微々たる金額ではないだろうか。

受け取ったその時はありがたいと思う人も多いだろうが、1万円の効果が一瞬で消えることは間違いなさそうだ。中には、(言葉は悪いが)この一時金が『ビジネスチャンス』とばかり、『一時金還付セ-ル』などと銘打って、吐き出させる工夫をする輩も出てくるのではないだろうか。

最近はあまり流行っていないらしいが、この1万円を持ってパチンコ屋へ走る親父やゲ-ムセンタ-に駆け込むオタク若者などは、一瞬で元の木阿弥、下手すると持ち出しになることも十分推測できる。

そして、1万円の恩恵を受けた人は、5月からは(3%の増税でも生活が厳しくなる、ほんの少し収入がある)私の位置している階層の人々と同じ苦しみを味わうことになるばかりか、生きるためにほんのささやかな金額で買い物をするだけで、年収数千万円の人々と同じように、その表示価格の8%もの税金をとられることに・・・。

政府の試算でさえ、3%の消費税増税分のうち5兆円が景気対策と称して、ゼネコンに流れる仕組みを知ると、この一時金を複雑な気持ちで受け取る人が多くなるだろうと思いいが、そこがマスコミの扱いの上手い現政権は、手をかえ品をかえて、マスコミを通して増税が必要だと吹き込み続け、首相のゴ-サインは『やむえない』というム-ドを作り上げている。

この『簡素な給付措置』のために、3千億円が必要になるのだそうだ。ほとんど実効性のないと言っても良い政策のために、また莫大な税金の無駄遣かと思うと暗澹たる気持ちにさせられるが、この政策に対して真正面から反論するメディアはほとんどない。

 当初、消費税は外税として金額の3%(値上がって5%)が別計算としていたので、税金を意識したものである。ところが、しばらくして、(消費税をできるだけ考えさせないようにしてあるのだろうが)ほとんどの品物は消費税込みの価格が表示になっている。

このシステムに慣れているので、税金という感覚が薄くなっているのだろうが、同じ品物が4月になったとたん表示価格が3%高額になっていたら、(否応なく)増税を実感するのではないだろうか。

 来年4月のマスコミの対応が見ものである。あまり期待しない方が良さそうなことだけは確かだろうが・・・。(田舎親父)

2013年9月21日 (土)

『特別警報』を連発すれば・・・

 このところ、竜巻やゲリラ的豪雨など異常な自然災害が頻発している。

気象庁は、恐らく3・11のあの大津波による悲惨な被害状況(原発事故を隠すこともありそうだが)が引き金になっているのだろうが、『経験したことがないほどの・・・』という言い方が、日常的に使われるようになっている。

 いつまでも『経験したことがないほど』という言葉を繰り返していてはメンツが立たないと思ったかどうかは別にして、わかり易い文言で、人々に危険意識を植えつけたいと知恵を絞ったらしく、『特別警報』という新しい基準を設けて発表したのは8月の末のことだった。

 『神様が、この基準を試してみようと台風に命じたらしく・・・』というと笑えない笑い話になるが、新基準設定からわずか20日もたたないうちに、大型の台風18号が、なんとも(新基準を試すため?)見事な軌跡を描いて本州に接近、16日には豊橋付近に上陸したし、列島を縦断して各地に大きな被害をもたらしたことは一昨日にもつぶやいたこと。

(待ってましたとばかり)気象庁は、この台風の接近で大雨が降り続いていた京都府と福井県、そして滋賀県全域に『特別警報』を午前5時過ぎに発令。テレビでは何度の『特別警報』を発令する気象庁の担当課長(だったと思うが)の姿を流していた。

NHKのアナウンサ-は、繰り返し繰り、これでもかとばかり『特別警報が発表されました。ただちに命を守る行動をとってください』という、マニュアル通りの文章を読み上げていた。確かに、横浜の片田舎でさえ、今まであまり記憶にないほどの強い雨が断続的に降り続いていたので、その時には『特別警報』について、さほどの違和感は覚えなかったが・・・。

我が家は周りを森に囲まれた、海抜60メ-トル程度の山の上なので、雨がどんなに降っても気にならないが、大雨の『警戒警報』が出されて地域の人々は、すぐにでも堤防が決壊し、(あの大津波のように)あっと言う間に水が押し寄せてくるだろうとの恐怖心は想像以上ではなかったろうか。

テレビの字幕に『避難勧告』や『避難指示』などという文字が次々と出る。特に、福知山市などには、全市の8万人に『避難勧告』が出たらしいが、8万人もの人が避難できる場所があるのだろうかという素朴な疑問がわく。さらに、具体的な避難方法が示されたのだろうかとなると、その集落の数十人なら可能だろうが、数万人が対象となると、可能だとは思えないのだが・・・。

被災された方には申し訳ないが、3・11の大津波から比べたら、被害は比較にならないことを思うと、今回の『特別警報』は、人々の恐怖心を煽っただけで、(具体的な避難方法などは自治体まかせになっているらしいとなると)『気象庁のアリバイ作り』ではとも勘繰りたくなる。

そのことは後回しにするが、気象庁は、『特別警報』が対象とする現象は、東日本大震災における大津波や、我が国の観測史上最高の潮位を記録した『伊勢湾台風』の高潮、そして、紀伊半島に甚大な被害をもたらした平成23年『台風第12号による豪雨』などだと具体的な基準を明示している。

さらに、『警戒警報』が発令された地方の自治体は、住民にこのことを周知徹底し、具体的な避難方法を示すことが義務づけられているというから、自治体の判断は今まで以上に重い意味を持つに。

ということは、今回の台風18号の被災状況はそれに匹敵するだろうと推測したようだが、結果論として、被害状況をニュ-スでしか知らされていない人々に『特別警報といってもたいしたことない』という印象を植えつけたのではないだろうか。

後日、特別警報が出たことを知りながら、あえて住民に周知徹底していなかった自治体があったということがわかったらしく、『気象業務違反』になるとかならないとかという、私から見たらまるで的外れのことが報じられていた。

もしもであるが、周知徹底しなかった自治体が罰せられることがあったとしたら、次の『特別警報』では、全ての自治体は真っ先に住民に周知徹底するだろう。そして、その結果が今回程度となると・・・。

なんだか気象庁はオオカミ少年を養成しているだけのようにも思えるが・・・。(田舎親父)

2013年9月20日 (金)

この判決は考えさせられる・・・

 あの大津波からすでに2年半が過ぎ去ってしまった。信じられないほどの人の命が奪われ、未だに行方不明の人も多い。遺留品を探す肉親の姿が時にテレビで紹介されると、思わず手を合わしている自分に気づく。

 命には貴賤がないないことは十分わかっているつもりだが、(昨日の続きになるが)70歳を過ぎた年寄りなら、『安らかにお眠りください・・・』という言葉で、ある程度のふんぎりはつくのだろうが、これから先、何十年も生きる権利があったはずの子ども、特に保育園や幼稚園、小学生となると『安らかに・・・』という言葉は虚しさだけ残り、遺族からの『命を返してほしい・・・』という声が、無理な願いだけに余計に悲痛に聞こえる。

 大川小学校のことは何度か取り上げたが、先日、園児たちを親元に戻そうと、海に向かった送迎バスが大津波に飲まれ、園児5人と保育士が亡くなった事件?に対して、遺族たちが『園の責任』と訴えていた裁判の判決が仙台地裁で言い渡された。

 訴えられたのは私立日和(ひより)幼稚園。亡くなった園児5人のうち、4人の遺族が『安全配慮を怠った』として、園側に約2億6千7百万円の損害賠償を求めた訴訟で、園側に約1億7千7百万円の賠償を命じるというものである。あと一人の遺族はと少し気になるが・・・。

この判決はマスコミが大きく取り上げていた。遺族の一人である母親が、涙を堪えながら、『これでやっと娘に報告できる・・・』とつぶやく映像をテレビが流していたが、その気持ちは痛いほど伝わってくる。

確かに、海抜23メ-トル似ある幼稚園にいれば助かったことは確実なのに、わざわざ津波の方向に送迎バスを出した園長の判断ち対して、なんともやりきれない思いが一杯なのだろう。

しかし、私が読んだ新聞記事には『園側が大津波の襲来を予見できたかどうかが大きな争点だった』とある。裁判長は『最大震度6弱の揺れが3分間も続いていたから、巨大な津波に襲われるかもしれないと容易に予想できた』と判断し予見可能性を認めたとのことであるが、誰も、これほどの大津波になることなど予測していなかったのではないだろうか。それを、『予測できた』と断言する判決には、少しの違和感を覚えたのは私だけだろうか・・・。

 園を出たバスは大混乱で先に進めなくなり、一時『門脇小学校』に避難していたという。その小学校は、被災後、私も訪れて津波の破壊力の物凄さを目の当たりに確認したことで強烈な記憶に残っているが、その後ろは小高い丘になっており、門脇小学校の児童は、そこに避難して一人の犠牲者もださなかったことも思い出す。

バスを降りて児童たちと一緒に逃げていれば助かったことは間違いなかろうが、恐らく何の権限を与えられていないだろう運転手がその判断ができたかとなると、答は『否』というしかないのではないだろうか。

遺族が、園の説明に不信を持った一つが、この避難のあり方だったという。当初、園長は、『門脇小学校から高台に通じる階段には、墓などの倒壊物があり、危険で通行できなかった』と言っていたらしいが、門脇小学校の児童たちの避難方法が明らかになると『徒歩で戻るよりバスで戻った方が安全で速いから』という説明に変わったとのこと。

当時者(幼稚園)は自らの責任を何とか逃れたいと思うらしく、ウソが次のウソを呼びますます遺族の心証を悪くしたらしいことは想像に難くない。

話を元に戻すが、誰があの大津波を予測できたかとなると、答は『否』だろう。原発事故は大津波が大きな原因だとする東電と、時の首相はじめ担当閣僚などの事故措置の不備が大惨事を生んだと刑事告発されていた事件では、『大津波は予測は不可能』という理由で不起訴になったのはつい最近のことである。

命を失った裁判では、『金額』でしか表せないのは仕方ないとしても、『予測できたかどうか』が争点になっているとなると、かたや『不起訴』、こなた『1億数千万円の支払い義務』。簡単には納得できかねるのは私一人ではあるまい。

園側に責任があることは誰の目にも明らかだが、『判断できた』となると、この差はなんなのだろう。園が控訴するのは確実だろうが、法律には全くの音痴である私でも、考えさせられる判決である・・・。(田舎親父)

2013年9月19日 (木)

また老人問題になってしまったが・・・

 台風18号が(久しぶりにというとお叱りを受けそうだが)近畿・東海地方に近づき、竜巻被害と重なり、多く地方に多大な被害をもたらした。各テレビ局は競って特集番組を組んで臨場感溢れる映像を流していた。祝日の午前中とあって、チャンネルを代えながら画面に釘付けになった人も多いのではないだろうか。

特に、強調して取り上げていた京都嵐山の渡月橋の映像にはビックリした。高校時代には近くの大覚寺によく遊びに行ったことを思い出し、上から見たらこんなに見えるのかと変に感心しながらも、橋が崩壊するのではないかとハラハラしながら見守っていた。

渡月橋付近の洪水騒ぎは過去にあっただろうか。少なくとも私には記憶がないが、(幼い時に経験した)奈良電(現近鉄京都線)が宇治川(淀川)を渡る桃山御陵前駅近くの観月橋という鉄橋付近の堤防が決壊、歴史に名前が残っている巨椋池(現在は多くが住宅地になっている)干拓田一帯が水没、牛馬の死体が浮んでいた光景を思い出す。

そこは、京都ではほんの少しの部分でも水平線が見える場所として知られているほど、広々とした水田地帯であり、子どもの頃には、絶好の遊び場だったことも懐かしい思い出である。

この台風18号が上陸・列島を縦断した16日は、(味もそっけもない、単に連休を増やすために決められただけだが)『敬老の日』。全国各地では『敬老イベント』が計画され、招待されて心待ちにしていた高齢者も多かったに違いない。

総務省が『敬老の日』に合わせて行った人口推計で、65歳以上の高齢者人口が15日時点で3186万人となり、総人口に占める割合が初めて25%に達したと発表したのは前日のこと。これには、日頃からちょくちょく『年寄り問題』を取り上げている私には見過ごすことができない。

私でも70歳になるのだから当然だろうが、それにしても3000万人超という数値は物凄すぎる。以前に何度も述べているが、私の母親は58歳、父親は65歳で、ともに昭和の30年代に亡くなっているが、(5人兄弟の末っ子で長兄とは18も違うので、私には早すぎる別れであったが)、当時の世間一般としては少し短命かなという程度で、特別早死だと言われたことはなかった。

それがどうだろう、景気の右肩上がりの昭和40年代の後半頃から平均寿命が急速に延びて、現在では男性が79歳超、女性が86歳超というから、わずか3、40年で15~20年も生きる時間が伸びていることになる。

一般的には素晴らしいことなのだろうが、出生率が下がり、子どもの数は減少しているのにかかわらず、このままの勢いで寿命が延び続けていくと、間もなく3人に一人、いやそれどころか2人に一人が65歳となることも、冗談と聞き流せない。実際に、研究機関などによると、20年後には国民総数の33.5%が高齢者という推定もあるというから恐ろしい。

20年後といえば、生きていれば私は90歳を迎えるが、今の健康状態からら予測すると(考えると恐怖心すら覚えるが)全く可能性はゼロではないとなると、その時、目の前がどんな社会になっているのか想像することすら難しい。

 最低限の生活にせよ生きていくためには、健康を維持するためにはそれなりの食料とそれを調理するためにはエネルギ-が必要であるが、その前提が『金』である。しかし、65歳を過ぎた、圧倒的多数を占める給与生活者にとっては定年制があって、健康で働きたくても働けないのだからそれを得る手段はない。

 定年制度がないと、いつまでも元気が年寄りが社会を牛耳ることになり、次の世代が育たない社会が良いわけはない。そのため、古くから明文化するしないは別にして、ある年齢に達したら、お役目御免とする定年制度を作ったのは先人の知恵と敬意を表するが、こんなに急速な高齢化は、つい最近まで予測していなかったらしい。

 定年制と引き換えに『年金制度』を考え出したのも実に素晴らしい英知であるが、私の場合で計算したら(もし90歳まで生きたとしたら)40年間年金を受け取ることになる。ふと総額にしたら凄いだろうと考えると申し訳なくなるが、10年前にはじめて受け取った年金額に『こんなに少ないのか』と愕然としたことが懐かしい。

 今日は、気象庁の『特別警戒』のことを話題にする予定で書き始めたのだが、その日がちょうど『敬老の日』と重なったことから、思うままにキ-を打っていたら、高齢者問題から年金にまでと、自分でも情けなくなるほど支離滅裂な文章になってしまった。そのため見出しまで変えねばならないとなるとまさにトホホ状態である。

 今更書き直すのもシャクなので、それぞれのことは改めて述べることにして、今日はこのまま尻切れトンボとご勘弁・・・。(田舎親父)

2013年9月18日 (水)

堺市長選挙が面白くなりそうだ・・・

 昨日は大阪市の『民間校長』の不祥事とその処分の阿呆らしさについて述べたが、これらの問題は全て、ハシモトという一個人を大阪府民・市民の多くが支持し、知事・市長に選んだことから始まったことは今更述べるまでもないだろう。

その、ハシモト大阪市長に対して、真っ向から反対しているのが堺市長のタケヤマという人物だそうだが、この御仁は前回の堺市長選ではハシモト人気で当選したというから話がややこしくなっている。

その堺市長選挙が先日公示され、現職のタケヤマ氏に対して、維新の会のハシモト代表のご命令で立候補したのがニシバヤシとい御仁だというから面白くなりそうだ。

多くの首長選では、(100%落選することがわかりきっているのに)共産党が推薦(公認・支持)する人物が立候補するのだが、その共産党は、今回は現職を応援するという展開には、門外漢の私でも目が離せそうもないぐらいだから、マスコミが大騒ぎするのはよく分かる。

この選挙の最大の争点は地域政党『大阪維新の会』の看板政策である『大阪都』構想だという。その具体的な内容は調べていないが、『東京都』をイメ-ジしているというから、大阪市と堺市という二つの政令都市を中心にして、東京都の23区を真似た、いくつかの特別区に再編するものだと受け止めている。

この構想では、(政治に疎い私の想像であるが)大阪市と大阪府の、いわば二重行政の無駄は改称されそうだが、堺市の存在がなんとも怪しくなりそうだ。80万人の堺市を『大阪都堺区』と移行するなら、『堺』という地名は残るだろうが、80万人の堺市を一つの区にするのは、他の特別区の人口配分から考えられない。

と言って、人口の平均化を狙って『第一堺区』、『第二堺区』(場合によっては)『第三堺区』などとの名称が受け入れられるとは思わない。結局は、堺市は大阪都になれば、南区とか港区、あるいは港南区などという平凡な名称に分割されて、歴史ある『堺』という地名は消えてしまうのではないだろうか。

これでは現職のタケヤマ氏が反対するのは当然である。この御仁はハシモト代表の応援があったことは言うまでもないが、当選した時点では『大阪都』構想が明らかにされなかったというから、ハシモト氏の言う『裏切り者・・・』という批判は無理がありそうだ。

堺市が不参加となると『大阪都』構想は根本的に行き詰まることは明らか。ハシモト氏としては(メンツはもちろんだろうが)『大阪維新の会』そのものの存在基盤が大きく揺らぐ大ダメ-ジになることはこれまた間違いないところ。

何としても、大阪都構想に反対しているタケヤマ氏に勝たねばならないと、ニシバヤシという御仁を担ぎ上げたのだろうが、『維新の会』は先の参院選で敗北こともあり、今回の堺市長選でナカバヤシ候補が敗れれば、求心力の低下は当然としても、大阪都構想が吹っ飛び、ハシモトという名前の持つ神通力が消えてしまうのではないだろうか。

マスコミ報道では、ハシモト氏は、先月末のパーティーで『絶対負けられない』と、悲壮な顔でゲキを飛ばしたと伝えられているが、その表情も見えるようだ。

しかし、大阪都構想とはなんなのだろう。現職時代、東京都内のいくつかの区の首長や議員らと話したこともあるが、規制緩和で都から区に権限が降りるのは、都営住宅や清掃局など維持管理にカネがかかることが多く、肝心の予算や人事権はがっちり握って離さない・・・という不満が多かったことを思い出す。

むしろ、おおっぴらには言えないがと断りをつけながら、『今すぐにでも、○○区ではなく○○市にしたい』という声を耳にしたことが少なくない。

果たして,堺市民がどちらを選ぶのか(言葉は悪いが)楽しみである。(田舎親父)

2013年9月17日 (火)

また大阪の教育のことになるが・・・

 大阪府(市)の教育については何度か批判的な意見を述べてきた。学力テストの成績が最下位グル-プに固定している現状を、府知事時代のハシモトという御仁が怒り狂って、府教委はもちろん府下の市町村教委に『点数を上げろ』との命令。その発想を原点にした『教育改革』を進めたことは今更の述べるまでもない。

この知事ドノは『大阪都』構想も持っており、実現のためには手段を選ばないらしく、任期途中に側近を府知事に指名して自分は大阪市長に就任したが、早速市教委を相手に大立ち回りをしてまで自分の考えを通したらしい。市立の小中高に『民間校長』をかなり多く採用したこともその一つであることはよく知られている。

『民間校長』の是非はここでは語らないが、市長直々のお声掛かりで就任した『民間校長』の中には実にいかがわしい人物が混じっていることが明らかになり始めたらしい。

その中の一人に、セクハラで減給処分になった59歳の大阪市立小学校の男性校長がいるという。この校長は3ケ月の研修を終えて、今年の4月に小学校に赴任したが、一月後にPTA役員の母親に対し、『僕と会えなかったらさみしい?』『君の気持ち聞かせてよ』などと次々にメールを送っていたという。

俄には信じられないが、記事にしたメディアもある程度の証拠はつかんでいるだろうから全くのでっち上げとは考えられない。さらに、記事によると、市内の飲食店で保護者ら数人と親睦会を開いたときは、校長は酒を飲んで、同席したこの母親の尻を触ったとあるから、事実だとしたら、これは人格的に欠陥があることは間違いないところ。こんな男を小学校の校長に任命したバカさ加減には笑うしかないが・・・。

この時は、別の保護者からは注意を受けたてウヤムヤになったそうだが、6月の親睦会でもこの母親の腰に触れていたというから呆れる限り。このことが市教委の耳に入り、校長を呼んで聞き取り調査をしたのだそうだ。

男性校長は、仲よくなって情報を得ようと考えたと説明し、行き過ぎがあったことは認めて謝罪したが、故意に触ったわけではなく、酒に酔っていたのでよく覚えていないと釈明しているらしい。市教委の幹部たちの苦々しい顔が目に浮かぶ。

大阪市には、弁護士などでつくる『市人事監察委』という組織があり、そこで意見を集約した結果『かなり悪質で、停職1か月以上の懲戒処分』という見解を示したにもかかわらず、(市長の顔色をうかがった?)市教委は、男性校長の記憶があいまいであり、過去の事例とのバランスも考えるべきとの声が多数となり、結果としては、校長職を外して教育センタ-に配置換えにし、減給10分の1を6か月とする処分にしたという。

『何なのだ、この軽さは』と思うが、裏に事情もあるだろうからここでは先に進む。市教委はこの校長を一月の研修を課して、現場に復旧させるとの方針だというから、もう教育を司る機関の機能は失われ、体質が腐っているとしか言えない。これに対して市民からの大ブ-イングは当然だろう。

こんな校長が赴任しては、現場は迷惑極まりない。特に小学校となると、児童に与える影響は計り知れないものがあり、何としても阻止したいと思うのは、正常な感覚を持つ親ならば当たり前だろう。現場の教師たちも怒り狂っているのだろうが・・・。

市教委の人事担当は、『公募で採用した以上、他の職場に移動させることは制度上難しいので復職しかない』という。そのために、『しっかり研修させる』らしいが、むしろ性的な興味が人格を歪めているとしかいえないこの校長を、どんな研修を課すのだろう。具体的なプログラムがあるとは思えないのだが・・・。

市教委が(軽微だと思われる処分でも)一応処分をし、校長職を解任したことから、悪質なセクハラ(痴漢行為)の事実があったことは間違いないと認めたことだろう。繰り返すが、小学校の校長としては無条件に人格欠陥者だろう。ことが明らかになった今、赴任させたらその小学校で同じ問題を起こすことは日を見るより明らか。

『民間校長』を強引に進めたハシモト市長の責任だと思うのだが、大阪市教委は完全に市長に白旗状態だとなると、責任問題言い出す勇気がないようだ。

迷惑するのは市民だろうが、その市民の多くが、ハシモトという市長を支持しているというから、これはとても信じられる話ではない。しかし、これが大阪の大阪らしいと言われる所以なのかも知れないが・・・。(田舎親父)

2013年9月16日 (月)

この風刺マンガには考えさせられる・・・

 11日日付のフランスの『カナール・アンシェネ』という週刊誌が、実に意味深い風刺マンガを掲載したと、その画像入りでネットが取り上げていたので、早速、その映像を拡大して印刷してみた。

画質は荒れるが、思わず『これは面白い』とニンマリ。日本政府がカンカンになって抗議したらしいが、これは明らかに『首相の大ウソ』の拡大を恐れたバフォ-マンスであることは間違いないところ。しかし、抗議の姿勢を明らかにすればするほど、がかえって世界の笑い物になるのではないだろうか。

拡大した映像には、福島第一原発の、破壊された4つの建屋を背景にして、二人の痩せっぽちの男が相撲をとっている場面が描かれているが、一人は手が3本、相手は足が3本と凄しい。腕を3本に描いている方の男の目玉がと飛び出しているようにも見える。

これは、何を風刺しているのだろう。見方によっては、放射能の影響で、こんな障害を持った人間が生まれることを予言している?ようにも思える。さらに、まわしではなくアンテナのようなものが突き出した、汚染水が垂れているように見える黒い下着をつけているのも不気味であるが考えさせられる。

土俵下には二人の審判が、放射能の防御服をつけて、試合を見つめているのも意味深。極めつけはアンウンサ-だろうが、こちらはなぜか防御マスクを外して、(解説によると)『素晴らしい。福島のおかげで相撲が五輪競技になった』と実況している構図である。

なんともまあ、大ウソをついてまで東京に招致した日本に対して強烈な風刺である。風刺漫画はもう一つあり、こちらは、放射線量測定機器を持った防護服姿の2人がプールサイドに立ち、(翻訳解説によれば)『20年五輪開催地の日本、プールはもう福島に建設済み』などと説明書きがあるとのことだから、こちらも強烈な風刺である。

内閣の中に合って沈着冷静でボロを出さないと評価されている官房長官は、首相の大ウソがこれ以上世界を刺激しないように必死になっているらしく、早速、この風刺マンガについて、『被災した方々の気持ちを傷つけて、汚染水問題について誤った印象を与える不適切な報道で、大変遺憾なことだ』と批判し、フランスの日本大使館を通じて同週刊紙側に抗議する考えを明らかにしたそうだ。

その一方で、外務省に対し、『海外で不適切な報道が行われないように、汚染水に関して十分説明するよう』にと指示を出したというから、何としても首相を支えなければという気苦労がくみ取れる。

 しかし、この風刺マンガを掲載したフランスの出版社は『一切の呵責を感じることなく風刺画の責任を負う』と述べているというから、官房長官の足元を見透かして、まともな抗議などできるはずがないという自信を持ち、『日本人にはユーモアのセンスがない』と一言で片づけている。

 その後、日本政府が抗議したのかは続報がないのでわからないが、フランスというお国柄だろうが、『悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かう』という文化を持っているとなると、こんな抗議など全く意味をなさないものになりそうだ。

 それ以前に、この風刺マンガについて、確かに気持ちよいものではないが、教訓にする価値があるという日本人も多いのではないかと推測すると、抗議するとの官房長官の談話そのものも単なるパフォ-マンスに終わりそうだ。

抗議する前に、こんな事態に陥らしたことに対して謙虚に反省することが必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年9月14日 (土)

朝日を見限る時がきたようだ・・・

 マスコミはこぞって今まで『景気の同校を慎重に見守りながら検討している』と伝えていたが、20年のオリンピックの東京招致が決まった翌日から『法律で決まっている』という表現に代わり、来年4月から消費税が8%に上がることが規定のような報じ方になっている。

 昨日の東京新聞によると、『増税に伴う景気の落ち込みを避けるため、消費税2%分に相当する5兆円規模の経済対策を併せて実施する』とある。これは許し難いことであるが、不思議に、いつもなら真っ先に批判する朝日新聞のその日の紙面には、隅から隅まで探したが『消費税』という言葉は見つからない。

 1年前に、汚染ドジョウ政権が『命をかけて増税法案と通す』と宣言し、民主党はこともあろう自民党と結託して、強引に消費税法案を通したが、その時に、国民に約束したのは『3%のアップ分は全て福祉と医療(社会福祉)』に当てるという内容だった。

自民党もそのことを了承したと受け止めていたが、アヘという首相は『そんな約束は前執行部がしたことで、俺は知らねえよ・・・』とばかり、景気が回復したから上げるのは当然態度をあからさまに出しはじめている。

しかも、折角の景気回復が、増税に伴って落ち込むといけないから、『消費税2%分に相当する5兆円規模の経済対策を併せて実施する』とはなんという傲慢で、国民を嘗めきった態度なのだろう。

 経済対策とは、オリンピックを念頭に置いた公共事業が中心になることは、経済音痴である私でも容易に想像がつくことで、これでは、消費税という税の本質からは、全く正反対な使い方になる。こんなことがまかり通る国が民主主義とは恥ずかしくて口にできるものではない。

 国民から広く薄く集める消費税の還元先が、特定業者(ゼネコンと一部の大手企業)に偏るとなると、経済格差は幸に広がることは間違いなさそうだ。

 高齢化社会が急速に広がっていることは、老人の仲間入りをした私には痛いほどよく分かる。時に血液検査で行きつけの総合病院に行けば、その7割までは明らかに65歳以上と思われる高齢者が待合室を占領している。

 先日、70歳の誕生日に合わせて、横浜市より地下鉄と市内を走るバスの『老人優待券』をいただいたが、同時に『医療費が3割から1割になる』という証明書も送られてきた。 この証明書と国民健康保険書持って、眼科へ定期検診に出かけたが、請求された金額がたった580円。かなりの精密な検査をしたはずなのに・・・である。

 こんな制度を維持するにはトンデモ金額が必要なことを実感し、来年から3割を2割にするということも納得するが、2割負担でもその財源は凄いだろう。しかし、私はまだ健康を維持できるから、こんな呑気な気持ちでいられるが、一旦病気になったら・・・1割負担は助かるだろうなと思うと複雑な心境になる。

そこで民主党政権は『だから消費税』という論理で強引に値上げをしたのだが、それが全てゼネコンの懐に入るとなると、こんな酷い話はない。

 私でも(アヘという国際的な場でも平気でウソがつける人物が)来年4月から消費税をアップするだろうことは間違いないと断定できるのだから、この日、東京新聞は首相サイドから何らかの感触を受けて記事にしたのだろう。しばらく後で、『時事通信発』としてニュアンスは少し違うが同様の記事を見つける。

何故こんなことができるのか、東京新聞によると、昨年国会を通過した『諸費税増税法案』には、『成長戦略や防災および減災に資する分野に資金を配分する』という付則がついているという。この文言が、公共事業などへの『流用』の根拠となるのだそうだ。

今思うと、確かにそんな付則があったような気がするが、当時は何を言っても仕方ないという気持ちに陥っていたので、ことさら無視したい心境だったのだろう。しかし、マスコミはこの付則について、深刻に取り上げただろうかとなると、その記憶はない。

消費税アップに関しては、今更私のような世捨て人どうような人間が愚痴っても仕方ないと思うが、他の新聞よりはましだろうと、ずっと講読していた朝日が、全く取り上げていないことが気になる。

消費税アップに関しては、今更私のような世捨て人どうような人間が愚痴っても仕方ないと思うが、他の新聞よりはましだろうと、ずっと講読していた朝日新聞が、全く取り上げていないどころか、先日は社説で『予定通り値上げを』とぶち上げている。
 『朝日 お前もか・・・』と暗澹たる心境になり、配達員には気の毒だが、次の契約時にはストップを突きつけようと思っている。(
田舎親父)

2013年9月13日 (金)

都の小中高一貫教育校構想はやっぱり・・・

 先日、ネットで遊んでいたら『都の小中校一環教育構想』という文言にぶちあたる。もともと、私は中高一環よりも小中一環を進めるべきだという考え方を持っているので、都が小中をさらに高までも含めて小中高の12年間の一環教育構想を持っていることに興味を持つ。

 しかし、高校は義務教育でないのに一環となると、全体として考えているのではなく、一部の(言い方は変だか)エリ-ト教育の可能性が大きいようだと思いながらも、『東京都 小中高一環教育』で検索してみた。

 そこで目に止まったのが、『東京都教育委員会のホ-ムペ-ジ<都立小中高一環校>』(http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/shouchuukou.html)というサイトである。

 そこに、『小中高一環教育校基本構想検討委員会中韓まとめについて』という一文が掲載してある。そのトップに基本的な考え方が述べられているが、それによれば『理数を中心に、世界に伍して活躍する人間を育成するために、児童・生徒一人一人の潜在的能力を最大限に引き出す新たな教育モデルを構築する』とある。

 一見、時代に合った反論しにくい文章であるが、懸念した通り、東京という最大・最強の自治体が、(オリンピック招致ではないが)『俺が見本を見せてやる』という自惚れに似た感覚で走り出した、謂わば『自治体によるエリ-ト養成』と受け止めて間違いなさそうだ。

 実に細かな構想文言が並んでいる。それによると、1学年は80人(2クラス)程度で構成し、12年間を4年刻みで、『基礎期』『拡充期』『発展期』にわけるそうだ。そして、『発展期』では、理数系科目を中心に高校の履修内容を先取教授するというらしい。

 これをそのまま現在の教育制度に当てはめると、『小1~小4を基礎期』『小5~中2を 拡充期』『中3~高3を発展期』と読み取れる。

 12年間を通して一貫したカリキュラムを考えることが可能になるので、現在人気が高い、有名私学の中高一貫校が6年間で行っていたことを、公立の、しかも小学校の6年間を加えた小中高の12年で行おうというもの。要は私立に負けるな・・・という都立高校の嵩上げを狙っているようだ。

 有名私学が特別のカリキュラムを組み、通常6年かかるカリキュラムを5年程度で済ませてしまい、最後の1年を完全に受験対策等に充てていたことを、12年単位でやるとしたら、かなり大胆なことが可能であることは間違いない。誰が言い出したのかはわからないが、都にはかなりの知恵者がいるようだ。

 この報告書は、小中高一環教育校を設置する候補場所までも言及している。それによると、基礎期は旧芸術高校跡地、充実期と発展期は都立武蔵高校と付属中学校だというから同じ敷地で12年間の一環教育を行うわけではないらしい。

 当然のことだが、一環校に入学するためには入学試験があるだろう。公立となると例え通学のための交通費がかかったとしても、経済的に通わせ易くなる。有名私立小学校の入試より、はるかに熾烈な入試競争が行われることは想像に難くない。

 頭脳明晰で、しかも体育的能力も備えた児童を集めるとなると、基礎期の4年間で、現在の小学校の履修量をこなせることも十分考えられる。しかし、小学校入学前のテストでこのスピ-ドに耐えうる子どもか見極めることが可能だろうかとなると、?がつく。乗り遅れる子どもが出てきたとき、どうするのだろう。

日本がグロ-バル社会を生き抜くために、超エリ-トを育成しなければならないという考え方は、大嫌いな論理であるが、かといって頭から否定するものではない。しかし、東京都が独自で行うというところに、極めて大きな違和感がある。繰り返しになるが、都立高校の底上げが背景にあるとしたら、かえって都立高校全体ではレベルの低下につながる可能性が大きいのではないだろうか。

12年間クラスの入れ換えもなければ、児童間の人間関係にも大きく影響するだろうことはいうまでもないだろう。

まとめを読む限り、すぐにでも動き出しそうな感じを受けるが、生身の子どもたちを実験台にするのは許されることではない。ここまで踏み込んだ議論をしているのなら、まず高校を義務教育にという考え方を提言して、その上で12年間のカリキュラムを組む方向を打ち出すべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2013年9月12日 (木)

ウソからでたマコトになれば・・・

 20年のオリンピックが東京で開催するという話題は、もはや気持ちの中にはないのだが、果たして、それまでに福島原発問題が解決してきるかというと、絶対に『否』というのが私の強い思い。次々と明らかになる客観的な情報も私の危惧を否定していない。

それはともかく、20年夏季五輪招致で、『IOC委員の多くが東京の最終プレゼンを勝因の一つに挙げたのはアヘ首相の演説だった』とマスコミは揃ってチョウチン記事で埋めつくしている。

アヘ首相のプレゼンの様子はNHKニュ-スで観た。この御仁の英語力は急速に進歩していることは間違いない。しかも原稿を片手にした演説ではない。私からみたら実に上手い英語で堂々とスピ-チしているのには正直瞠目する。

私には、その英語の意味はほとんど理解できないが、字幕には、東京電力福島第1原発事故の汚染水漏れについて、『状況はコントロールされており、東京に決してダメージは与えない』とある。思わず、正気なのと叫んでしまったほど・・・。

自分の手柄にしたいという思いは分かる。自分の演説で成功を手元に引き寄せたいという思いは痛いほど感じる。そのためには、多少のウソは許したいと思うものの、汚染水の原因すらはっきりしないのに『コントロ-ルできている』とは、誰が聞いても言い過ぎとしか言いようがないのでは・・・。

その後の質疑でさらに詳しい説明を求められたのに対し、『汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメールの範囲内で完全にブロックされている』と、これまた自信満々で応えている。

 恐らくこの御仁の頭の中には、その通りの筋書きがつまっているのだろうが、(以前にも述べたが)上空からの写真から推測すると、原発湾内を全てコンクリ-トの壁で封鎖しているわけではなく、汚染水が外界に漏れていることは衆目が一致するところ。このことは、あの東電でさえ『港湾内と外洋を水が行き来している』と認めていることからも明らかだろう。

 しかも、最近になって騒がれているタンクからの汚染水漏れについて、(その量はかけ離れていることは間違いなかろうが)東電は、地上タンクからの排水路の側面に水の流れた跡があり、そこから高濃度の放射線が観測されていて、そこから水が流れていることを認めている。そして、その排水路がつながっている先は『0.3平方キロメートルの港内』ではなく外海である。

この汚染水対策について、政府の責任がやると断言したのは、9月になってから。誰の目にも、オリンピック招致に合わせた『付け焼き刃』であることは明らかだろう。

汚染水対策が全く進んでいないことを知っていたら、普通の感覚では『状況はコントロールされている』などという表現を安易に使わないだろうと思うのだが、この御仁がその事実を知らなかったのだろうか。よもやそんなことはあるまい。

となると、知っていて、笑顔で『私が安全を保証します』と言ったとすると、背中から悪魔が舌を出している姿を想像するしかない。

一国のリーダーは、たとえ(多少という形容詞がつくが)ウソが混じっても国益を守る責務があることは理解できる。今回のプレゼンテーションでは、どうしてもオリンピックを招致することが国益にかなうと判断したのだろうから、国と東京の対外的なイメージを印象良いものにしていく責務があったとことはムリムリわかったとしよう。

しかし、ここまでウソを通したことで、オリンピックの招致に成功したことは、首相は国際的についた『ウソ』を、何としても7年後には『マコト』にしなければならない責務があるということに他ならない。

これまで政府が本気で取り組んでこなかった汚染水や放射能汚染の広がりについて、今後数年間で解決できければ、場合によっては東京オリンピックそのものが吹っ飛ばないとも限らない。なぜなら、福島原発問題は世界のメディアからますます注目される。もうこれ以上、ウソの上塗りすることはできないからである。

 『ウソからでたマコト』という諺は小学校の国語のテストでもよく使われる。この諺通り、首相の大ウソがマコトとなり、原発の収束はもとより、震災の復興に向けて、奇跡が起こることを期待したいが・・・。(田舎親父)

2013年9月11日 (水)

殿 お気を確かに・・・

 今回の全国一斉の学力テストの小学校の国語A問題で、静岡県が全国の最下位という不名誉な結果に、成績が悪かった100校の小学校の校長名を公表する意向を示したというから、知事ドノの怒りの凄まじさが推測できる。

しかし、怒りにまかせて校長を公表するのは、ますます学校現場を混乱させることに照りかねないことは経験として知っているので、私としては『殿、お気を確かに・・・』と真剣に諫めたい。

学力テストの実施要領は、各都道府県の教育委員会に市町村名や学校名を公表しないよう求めているので、知事の発言は相当な騒ぎに発展する可能性がありそうだ。実際に今朝の朝刊はかなり大きく取り上げている。その全てが知事を批判する記事だと言っても差し支えないほどである。

文科省もビックリして大騒ぎになっていることは想像に難くない。知事の発言が伝えられると、すぐに同省の幹部は、『校長名の公表は実施要領に違反している』として、『校長を見せしめにするための行為としか思えない』と批判、さらに文科相も『許し難い』という意味の発言をしているので今後の展開は(外野的には)面白くなりそうだ。

 それでも知事ドノは怒りが納まらず、『子どもに責任はないということを明確にするため』に公表するという態度は変えていないらしい。文科省対知事との戦いとなると個人的に知事の肩を持ちたいが、今回ばかりは、いただけない。

私は背テスト』には二つの面があると捉えている。一つは、自分の理解度を知り、今後の方針を立てることである。もう一つが、他人との比較で、自分の位置を知ることであるが、他人の成績がわからないのでは比較できないので、こちらにはテストの結果は発表するという行為がついて回る。

結果発表の有無はともかく、両方とも、『自分の今後を見つめる』ためにあると思っているのだが、近年、前者の目的が薄れ、他人との比較にしか目がいかなくなって、結果的にはテストの点数だけが一人歩きしているように思えてならない。

しかも、『点数が学力』という考え方が広まっているので、点数にこだわる傾向が強くなり、点数を上げることに血眼になっているようだ。

文科省が強制的にはじめた近年の全国一斉の学力テストは、『学力低下』という風潮が広まったことに起因することは以前にも何度も述べている。このことについては(私の自論であるが)『学力を点数で表せるもの』だと言う考え方で、全国一斉にテストを実施し、都道府県別の成績を発表することによって競わし、テストの点数を上げる(文科省の言う学力向上)ことを狙ったものだと受け止めている。

しかし文科省の考え方は明らかに変である。競わして、点数を上げるのなら、市町村別もっというならば、学校ごとの成績を発表しなければならないのだが、それはしてはいけないとタテマエとして規定している。まあこれが文科省の本質なのだろうが・・・。

ここに、大阪や秋田、あるいは鳥取県知事が反論し、教委の反対を押し切ってまで、市町村別の成績を発表することに、強権で阻止できないという矛盾が潜んでいる。

その意味で、カワカツ知事が言う『結果を隠すのはおかしい』という意見はわからないでもないが、『子どもを伸ばすことができない教師には退場を願いたい』と校長名を発表するのは少し短絡過ぎる。知事は、『生贄』と捉えられても構わないから初志貫徹を貫くとの姿勢を崩していないらしいから、(正直に表現すると)笑ってしまう。

特に、『(成績が)最低というのは教師の授業が最低ということ。教師は大人なので責任を持ってもらい、反省材料にしてほしい』と怒りを隠せないというから、いつの間にか、私が知っているカワカツ氏の教育論とは裏腹な、『学力=点数』という発想論者になってしまったらしい。県教委の確執が背景にあるらしいが・・・。

 校長の尻をたたいたら、多少は点数が上がり、静岡県の国語の点数は最下位脱出するかもしれないが、代わりに最下位になる県が出る。恐らく、その県知事は、カワカツ氏以上の方法で校長の尻たたきをはじめることは容易に想像できる。

 賢明なカワカツ氏のことだから、ほんの少し頭をせば、自分の言動の矛盾に気づき、校長名の発表などという愚行はないと信じたいが、元を正せば、文科省がまいた種。

カワカツ氏の今回の言動は、本来はそれぞれの都道府県で、実状にあったテストをして、子どもたちの未来を真摯に見つければ良いものを、莫大な費用をかけてまで全国一斉に行う意味を問い直す良い機会だと受け止めるべきではないだろうか。(田舎親父)

ところで、このつぶやきとは何の脈絡はないが、今日は9月11日。同時多発テロニュ-ヨ-クの不可解なツインビル崩壊)から12年。あの大津波と原発事故から2年と半年。何となくだが、いやな予感がするのだが・・・。

2013年9月10日 (火)

線引きで補償の差が出るのは変な話・・・

 9月2日と4日に関東を襲った竜巻については、先日取り上げた。しかし、被災地によって補償の厚みが違うと言う続報には納得できかねる。

記事によれば、越谷市には被災者生活再建支援法を適用し、住宅の被害に応じ一世帯当たり最大300万円が支給されるというもの。このことについては特段の疑義を感じないが、同様に被害を受けた同じ県の松伏町や千葉県野田市、さらに4日に被害を受けた栃木県矢板市などは適用外となるとのこと。これは『アリャ?』という気持ちにさせられる。

 越谷市の被害は、全壊建物は13棟で、2棟は空き家だったらしいが、人の住んでいた家屋は11棟となり、被災者生活再建支援法の『全壊家屋が市町村ごとで10棟以上』との適用基準を満たしているが、松伏町と野田市、矢板市、鹿沼市などは、全壊家屋は確認されていないので適用できないのだそうだ。

 現地を見たわけではないが、テレビの映像を見る限り、(全壊という定義は知らないので、なんともいえないが)、明らかに人が住めない状態の住宅が多かった印象がある。人が住めないほど破壊された住宅を全壊と呼ぶのではと思っているのだか・・・。

 先日も述べたが、竜巻の被害は通過した場所を総なめするが、幅はたかだか200メ-トルだから、隣の家は全く被害がないという例が特徴である。これをただ『運の悪さ』とし放置して良いかとなると、首を傾げる。

 かといって、自然災害全てに補償するとなると、いろいろな問題があって難しいことは理解できる。そのために、自治体内で全壊住宅の合計10棟という規定があるのだろうが同じ竜巻による被害となると、同県内の越谷市には適用、増伏町には不適用では、住民からの不満が高まることは当たり前だろう。

 さらに、適用される越谷市であっても、『全壊』や『大規模半壊』などの世帯に支援金が支給されるが『半壊』や『一部損壊』では支給されないので、建物に被害が出た約9百世帯のうち実際の適用は数%にとどまるというのも変な話である。

 こちらは、例えば、水害においては水の最前線があり、水がつく家と助かる家があるので、ここに住宅を建てた運の悪さとあきらめざるをえないのは、ある意味仕方ないのかも知れないと納得できないことはないが、『見えない線』で行政区が違うと言われても、『はい、わかりました』とはいかないことは当然だろう。

 私には、被害にあわれた方には心からのお見舞いを申し上げるしかできないが、法律というのは何と無情なものであるかを思い知らされる。

 話は変わるが、竜巻被害にあった人を騙す輩が跋扈しているというニュ-スには、いよいよモラルが崩壊したことを実感、暗澹たる気持ちにさせられる。

 記事によると、竜巻の被害地域に、リフォーム業者や保険会社関係者などを名乗る不審な人物が多数入り込み営業しているのだそうだ。屋根の修理代金を払い、その後連絡が取れなくなる被害がかなりの数発生しているというから許せない。

 映像で見るあの被害である。屋根が完全に吹っ飛んだ住民は、とにかく早く屋根を何らかの形で覆わねば、雨が降ったら大変なことになる。工務店などの知り合いがあれば良いが、知らないとなると業者を探すのが一苦労。地元の業者は、すでに注文を受けているので無理だと断られるとなると藁にもすがる思いで、ポストに投げ込まれたチラシを見つけて頼むしかないのもよく分かる・・・。

地元の警察署などは『災害に便乗した悪質商法にご注意を』などと呼び掛けているらしいが、振り込め詐欺なら注意すれば防げるが、修理してくれる業者がいないのだから、この種の被害は今後も増えそうだ。

町内会などの自治会が窓口になって、業者の選定を一本化できれば良いのだが、竜巻の場合は、同じ自治会の場合が多いことを考えると、すんなり話がまとまるとは思えない。

7日には北海道苫小牧市でも竜巻が発生し、被害がでたというから、まさに日本中どこで起きるか全く予測がつかなくなったことだけは間違いない。苫小牧は海に面した町であることから、先日も述べたように、福島の原発近くでも発生したらトンデモないことになる。

それは別にしても、明日は我が身と災害に対しての心構えを持つことの重要さを教えてくれる記事である。(田舎親父)

2013年9月 9日 (月)

判決そのものは疑義はないが・・・

 結婚していない男女間に生まれた婚外子の遺産相続が、結婚した夫婦の子の半分とした民法規定が憲法に反するかどうかが争われた裁判の特別抗告審の決定で、最高裁大法廷が下した『憲法一四条が保障する法の下の平等に反する』という判決は、世間知らずの私にも、『これは重いぞ』と思わせるほど、いろいろな面で影響が出そうだ。

 記事によると、最高裁が法律の規定を違憲と判断したのは、婚外子の国籍取得をめぐる2008年6月の国籍法判決以来、戦後9件目で、民法では初めてだという。最高裁で全員一致でのこの判決は、明治時代から115年続く民法の規定は改正を迫られることは間違いなく、判決直後に(前自民党総裁の)法務大臣が『急いで、法整備・・・』と発言しているので、次の国会で民法見直し法案が成立する可能性が高いようだ。

 それにしても、自分たちの身を切る法案、例えば定員削減や選挙区の見直し、また歳費の削減などの法案は、全く他人事で事が進まないのに、他人の懐問題に対しては『義(筋論)』を唱え、即改定とはさすがに政治屋と呼ばれるに相応しいと、変なところで感心する。

 法律には全く疎い私であるが、『婚外子』という言葉は,文字面からも、正式に結婚した夫婦間にできた子どもではなく、法律上の結婚をしていない男女の間に生まれた子どもであることぐらいは理解している。

 民法では結婚している夫婦の子どもを『嫡出子』と規定し、『婚外子』は『非嫡出子』とも呼ばれるとの事。今回の判決の背景には、『婚外子』は1990年の1万3000人から2011年は2万3000人に増加し、出生数に占める割合も1・1%から2・2%に上昇しているという事実があるようだ。

 明治以来続いている現在の民法では、相続について『民法900条4号ただし書き』という項があって、そこには『嫡出でない子の相続分は嫡出子の2分の1とする』と規定されているのだそうだ。

近年、我が国においても、生きざまの価値観が多様になり、結婚を望まない人や、夫あるいは妻の『浮気』が増えているというから、妊娠し(出産の合意の有無はともかくとして)結果的に生まれる子どもが増えることは当然の理。

その後、子どもが成長し、父親(母親)が死亡した場合、遺産相続で揉めるだろうことは、財産もなく『婚外子』などという言葉には全く縁のない私にでも、これまた容易に想像できることである。

今回の判決も、この遺産相続において『嫡子』と『非嫡子』との主張のもつれが最高裁に持ち込まれた結果であろう。民法では『親が遺言を残した場合は、遺言の内容が優先される』とあるらしいから、今回対象になったとされる二つの事案では、しっかりとした遺言がなかったようだ。

 最高裁の決定には疑義はない。同じ父親(母親)なのに、財産の相続で大きな差をつけられるのは違法だという事も納得するが、この判決には、およそ門外漢の私でもいくつかの面で気になるところがある。

 その一つは、18年前には同じ裁判で最高裁は合憲としていることである。これは、時代が違うという言葉では片づけられてほしくない。合憲とした理由があるはずだろうからこのあたりをわかり易く説明する必要があるだろう。

 それよりもっと大きな疑問は、01年にはすでに違法と断定しながら、それ以降で裁判になりながらも解決した遺産相続について、法的安定性に配慮し、今回の違憲判断は影響せず、相続内容を覆すことは相当でないとしたという一文である。

 恐らく、嫡子の半分の遺産相続を不服としながらも、民法ではこれで仕方ないと、弁護士に説得されて印を押した『非嫡子』も多いはず、恐らく、この人たちは『それはないぜ』と不満を持つのは想像に難くない。

 それはともかく、今回の判決では、ほんの少ししか財産を持たない、いわゆる庶民であっても、身に覚えのある人は『これは大変』と慌てているのではないだろうか。この問題を小説のネタにする動きも増えそうだ。

 この判決で、不幸な結果として生まれる子どもが少なくなることは期待できるが、それはこれからのことで、すでに存在する『非嫡子』の人たちが、今まで以上に『権利』を主張することは間違いないだろう。その結果、本家というか、家はもちろん先祖の墓を守ることを義務づけられた『嫡子』側にとってはますます悩みが増えるだろうことも容易に想像できる。

 人間関係は法律や理屈だけで解決できないことは誰もが認めるところで、『非嫡子』が家や墓のことは『私には無関係』と、カネだけをいただき、後は知らんというのも何となく気になる。

繰り返すが、全く門外漢の私であるが、互いの感情がすれ違い、トンデモない事件に発達するのではという思いが、杞憂であれば良いのだが・・・。(田舎親父)

2013年9月 8日 (日)

『体感治安』とは言い得て妙・・・

 朝起きてすぐに、IOCの総会で、2020年のオリンピックの東京で開催が正式に決まったというニュ-スを知る。決選投票で、60票を得たと言う。7時半にテレビをつけたら、各局は競ってこの話題。

NHKはお得意の番組差し替えで、アヘ首相の記者会見をずっと流しているのに辟易してすぐにチャンネルを変えるが他局も似たりによったり、BSまで追随しているので、結局は消すしかない。多分100%間違いなく、今日明日、いや今後しばらくはオリンピック一色で包まれるに違いない。

決まった以上、何を言っても覆されることはないので、これ以上反対を唱える気持ちはないが、今我が国にとって一番大事な、『福島原発』が本当の意味で収束に向かわせる動きや、そして原発だけでなく東北大災害で被害を受けた被災者の人々の今後の暮らしをどうするかという問題が、こちらも100%間違いなく惚けてしまうだろう。これが何よりも気がかりである。

景気浮揚には公共事業にジャブジュブ予算を投入することが一番の特効薬であることぐらいは、経済音痴の私でも分かること。だとすると、1964年の東京オリンピックの建設ラッシュ騒ぎが再現されることも目に浮かぶ。

その財源をどうするのかは・・・となると、オリンピックの成功のためという錦の御旗を得た自民党のゼネコン命の建設族は、これまた間違いなく消費増税を目論んでいることも推測できる。また一つ、政治への興味が遠のいた感じがする。

ところで、全く違う話題になるが、『体感治安』という言葉を8月26日の東京新聞の社説で知る。

社説によると、『体感治安』とは、日々の暮らしの中で、漠然と感じる治安の善し悪しだそうだが、殺人事件の報道が毎日繰り返されていることを思うと、『体感治安』なる発音は言い得て妙というか、ホッとした気分にさせる言葉である。

凶悪事件の報道が多くなったと述べたが、警察的な見方をすれば、特殊な事件(肉親間の殺害や猟奇的・性的な殺人事件)は増えたことは間違いないが、統計的には治安情勢は近年良くなりつつあるのだそうだ。ホントかな・・・。

 警察庁によれば、昨年の刑法犯は138万件余りだったとのことで、戦後最多だった2002半分まで下がっているという。殺人は1030件と最少、ひったくりや空き巣といった身近な犯罪の多くは減少傾向を示しているのだそうだ。

 実際に警察庁が把握している数値だから間違いはないと思うが、統計上は、どうも殺人と断定されるのは、行為そのもので他人(肉親もだが)命を奪う場合であって、直接の原因が不明なものはこの範疇には入れられないそうだから、殺人と呼んで差し支えない事件数ははるかに多いのではないだろうかと推測している。

私のこの思いは、過去10年の治安情勢について『悪化したと思う』と答えた人が8割に上ったという昨年の内閣府の調査とも一致。一般的には私同様、治安が悪くなったと思っている人が圧倒的多数のようだ。

どうやら、社説の論調ではないが、表に現れる犯罪は減ったのに、人々の『体感治安』が悪化しているとなると、警察が頼りがいをなくしていることの裏返しのように思えてならない。

オリンピックの話題が全てを隠すことになっては、ますます『体感治安』に不安を感じる人が多くなるのではないだろうか。

あっ、いけない、またオリンピックの話に戻ってしまった。(田舎親父)

2013年9月 7日 (土)

たかだか数点の差にガタガタする愚・・・

 猛暑・酷暑に苦しめられた今年の夏であるが、季節は確実に進み、今日は『白露』。暦通り、今朝などは明け方はあけていた窓を閉めるほど涼しく感じ、やっと秋の訪れを実感できるようになった。

さて今日のつぶやきであるが、先月末、4月に全国の小学校5年生と中学3年生全員を対象にして実施された『全国学力調査の結果』の結果がまとまったと文科省から発表された。

 小学校では国語と算数をさらに2つに分けて、教科基礎的な知識を問う問題と、習った知識などを活用して解く問題に分けているようだが、知識の活用力を見る問題の方の正答率が低いのは従来通り。こんなことは、わざわざ全国一斉の学力テストをしなくてもわかりそうなものだが・・・。 

そして、今回は最も低い正答率の都道府県と全国平均の差が、初めて5ポイント以内に収まったのだそうだ。これは、知事の意向を受けて教育委員会が『点数上げろ』との命令に、校長はじめ教員たちが必至になったからだろうと推測すると、学校現場での涙ぐましい努力の様子が目に浮かぶ。

 しかし、地域差は今まではあまり代わりばえがない。都道府県別でみると、今回も秋田、福井の両県が好成績で上位を占めている。高知など調査が始まった当初よりも順位を上げた例もあるが、下位は沖縄や北海道、そして大阪という順位が固定化されているのは気になる現象で、地域の序列化につながりそうだ。

 上位常連の秋田、福井両県の県教委担当者が、共に好成績の一因として挙げるのが県独自の学力テストの活用だそうだ。両県に限らず、点数向上に熱心な都道府県は毎年、県独自の学力テストをやってようだ。

それも、小学4年生~中学2年生を対象に行っているというから、リハ-サルと表現しても差し支えないようだ。県が点数を上げることを重点目標とし、問題作成には県教委の指導主事に加えて現場の教員も参加し、正答率の低い問題については指導例を作り授業改善に生かすのだそうだから、点数が上がるのは当然だろう。

 このほか、福井県は応用力を問う『B問題』対策にも力を入れ、『コア・ティーチャー養成事業』と命名して、県・市町教委の指導主事が学校を月1回程度訪問し、読解力や活用力を育成する授業を教員とともに研究しているという。

 トップを死守している秋田県は01年度から小学1、2年で『30人程度学級』を導入し、02年度は中学1年にも拡充して、現在は小学3、4年と中学2年でも、30人学級を実現。そのため、学級数増に伴う教員の配置などで12年度までに投じた予算は計約80億円というから、現場が動かざるを得ない環境を作っている。

上位になりたいと願っているのは全国の教員の共通した思いだろう。秋田や福井の教員には、落ちてはならないというフレッシャ-が働くと同時に、トップを守るという使命感を持って『きめ細やかな指導』しているのだから、県教委が『少人数クラスで、一人一人の学習状況を把握した指導が上位維持につながっている』と胸を張るのはよく分かる。

 一方、下位グル-プとして固定されているのが沖縄・北海道・大阪だという。これは私の勝手な想像だが、沖縄と北海道は方や基地問題、こなた面積と人口の異常なバランスという環境から、その結果はある意味推測できる。しかし、大阪となると・・・。大阪の教育界は、今頃はてんやわんやの大騒ぎになっているのではないだろうか。

下位グループから抜け出せない県が抱えるのは子供たちの生活習慣の問題だという説もあるそうだ。となると、大阪府は各学校に児童生徒の『就寝状況』や『家庭環境』の詳細な調査を命じているに違いない。

その結果、テストの点数と児童生徒がおかれた環境と、ある程度説得力がある相関関係を示すためにも、市町村ごとはもちろん各学校毎の成績公表を求める要求は一段と強まることは想像に難くない。そして、公表された暁には、特に点数の低い市町村教委や学校には、アメとムチの政策を実施するのではないだろうか。

しかし、各学校のテストの点数を発表すれば、学力テストの点数が『学力』だと擦り込まれた市民は、点数の高い学校に殺到することは目に見える。住居を移動できる財力ある層は、子どもにより高い『学力』をつけさせるためには住民票を移すこともあり得るだろう。

となると、ますます点数差は広がるのは目に見える。結果的に、大阪府としての順位は上がるかも知れないが、府内の地域格差・学校間格差が広がり、学力テストとは別の問題が起きることは容易に想像できる。

文科省はこんなことを理解できないはずがないと思いたいが、大阪はじめ一部の自治体から公表の強い希望があり、自治体の裁量に一任することも検討しているらしいから、近い将来公表する可能性は大らしい。そうなると・・・。

 学力テストは過去に、競争と序列化が過熱して廃止された歴史がある。総合的な学習の時間という画期的な教育方針を打ち出しながら、『学力低下批判』をきっかけに復活させた現在の学力調査が、同じ轍を踏むことは間違いなさそうだ。

 文科省の言う『学習の理解度を確認し、指導改善に役立てる』ことが目的なら、抽出型の調査で統計的にも十分だろう。しかし、来年も全員調査を実施するとの方針は、どうしても全国一斉のテストをしなければならない利権でも隠されているとしか考えようがなさそうだ。

 莫大な金額をかけてテストを実施するより、都道府県にはそれぞれの教育目標があるのだから、各地の教育委員会が真摯な態度で学校現場と協力・議論し、そこで明らかになった課題に予算をつけて解決するという姿勢示してほしいものである。(田舎親父)

2013年9月 6日 (金)

竜巻が福島原発を襲う確率はゼロではあるまい・・・

 9月2日に起きた埼玉県と千葉県の竜巻被害の映像には愕然とする。住宅の屋根が飛び窓ガラスが割れ、道路の電柱がなぎ倒されていた。60人超の負傷者を出し、600棟を超す建物を損壊させたという。

 幅が200メ-トルと極めて局地的なのだが、竜巻の通ったル-トには徹底的に破壊された建物が続く。隣の家は何事もないのに、我が家は全壊となると、住民同士の気持ちの中は穏やであるはずがないのも容易に想像できる。

 4日には栃木県下の複数の地域を竜巻が襲っている。こちらは前々日の竜巻被害ほど大規模ではないが、それだけいっそう、破壊を免れた建物との差が際立っている。

 これほど竜巻が続いて発生し、局地的にせよ壊滅的な打撃を与えたことは過去にあるだろうか。随分昔のことになるが、北海道のサロマ湖付近を襲った竜巻被害の惨状を思い出すが、一発勝負というか、報道はそれで終わっていたのではないだろうか。そして、竜巻が、かなりの時間をあけて違う地域を襲うことはあったものの、今年ほど連続的に、しかも近い場所を襲ったことはなかったはず。

 学生の頃、気象学を学んだことがある。竜巻について、発生のメカニズムなどは通り一遍の知識としては教えられた記憶があるが、当時は、竜巻はアメリカのものという意識があり、アメリカでの被害状況を写した映像に対しても、身近ではまず起こらないというのが教授も含めたゼミの雰囲気だったので、凄いなあ・・・と感じただけで自分のこととして受け止められなかった。

 限られた場所に限定するため予測が難しく、アメリカでは現在でも第一級の恐怖の対象だという。特に平野部で生活している人々は、自宅に竜巻用のシェルタ-を持っているのも稀ではないのだそうだが、平野部の少ない日本では、およそ考えられない話だったはず・・・。

 それが立て続けに起きている。しかも、日本では一番広い関東平野の真ん中で発生、映像をみる限り、手当たり次第に破壊し上空高く巻き上げながら進む様子は、かって、気象学のゼミで見た映像とほとんど同じ。なにもこまでアメリカに追随することはないのにと、(被災者の方々には大変申し訳ないが)皮肉な気持ちになるのは否めない。

 新聞各紙は、早速社説で『防災や減災に結び付く知識や心構えを持ち、地域で共有する姿勢が大切だ』と訴えるが、どこで起きるかも全く分からない上、気象庁の専門家でも予測ができないとなると、共有する姿勢と言われてもピンと来ない。

 個人的に注意することは大切なことは十分わかっているが、突如発生し、極めて狭い範囲を猛スピ-ドで駆け抜けるとなると、竜巻らしい渦を発見したら、すぐに逃げるしか手はないようだ。どこに逃げるかが問題だが・・・。

 マスコミの言う『共有する姿勢』とは、せめて、発見したら近くの人に知らせて一緒に逃げろということのようだ。確かに、ツイッタ-やフェイスブックに書き込むのも情報の共有になるのだろうが、書き込んだ時には竜巻はすでに去っているのだから、後からその映像が流されるだけで、その時点ではとても共有とは言い難い。

 それはともかく、ここまで全国的に地域を選ばず頻繁に発生するとなると、福島事故原発を直撃する竜巻が起きても不思議ではないのでは・・・と恐ろしい事態を瞬間的に思い浮かべる。

 地形的に起きる可能性は極めて低いという専門家もいることは知っている。しかし、可能性は限りなくゼロであってもゼロではない。何よりも、地震で原発が破壊される可能性は限りなくゼロと言い続けてきたのは誰だろう。

こんな空想をするのは私だけかも知れないが、もしも、2日に越谷市を襲った規模の竜巻が、福島原発を直撃したら。仮の建屋などひとたまりもないだろう。木っ端みじんに吹き飛ばされて、事故直後の原子炉が丸見えの痛々しい姿になることは間違いなさそう。

いや、それどころか竜巻の威力は津波と匹敵するとも言われているから、燃料棒を格納している保管庫を含む建屋本体はもとより、原子炉すら吹き飛ばす破壊力を見せないとも限らない。そうなると、核燃料棒が空中高く舞上げられる・・・。

核燃料棒そのものが爆発するとは思えないが、人体を即死に至らしめるほどの高濃度の放射能が空中に拡散、広く辺りを汚染することは間違いなさそうだ。

広島の原爆資料館をじっくり見学して、放射能の恐ろしさを感じとった直後の妄想かも知れないが、私のこの危機感を全く根拠なしと断言できる人はいないのではあるまいか。

さらに今朝の新聞では、全壊した家屋への国の補助金が自治体によって違うと言う。一つの自治体で10軒以上ある場合は手厚く、それ以下だと対象にならないと言う法律がある体そうだ。

そんなバカな法律があるとは知らなかったが、つい最近になり『庶子と私生児』問題で最高裁が重い腰を上げた国ではあり得るのかも知れない。

このことを述べると長くなりそうなので、別の機会にするが、アメリカさまの命令には大金を湯水のように流すのに、国民の難儀には知らんふりとは許し難い。

我が国の政治の世界には、田中正造的精神構造を持った政治家はいないのだろうか・・・。(田舎親父)

2013年9月 5日 (木)

最近世に流行るもの・・・

 『ブラック企業』という言葉が巷に氾濫している。この言葉は私の心の中に、『人間って動物は,カネに魂を売り渡したら最後、ここまで徹底的に金の亡者になる』という響きを感じさせ、こんな企業がのさばっている社会と時を一緒にして生きていることに嫌悪感すら覚える。

厳密に『ブラック企業』の定義はないらしいが、一般的には、長時間労働や過剰なノルマで社員を酷使する『使い捨て型』、一度に多くの社員を採用し、会社側にとって都合のよい人材だけを残してほかは辞めさせる『選別型』、会社・上司がセクハラやパワハラを放置している『無秩序型』の3つに分類されるそうだ。

今でこそ公務員がもてはやされているらしいが、バブルがはじける前までは、民間企業の方がはるかに給料が良かったことを思い出す。と同時に、そのためには『猛烈に働く』ことが前提になっていて『猛烈社員』という言葉が流行ったことも・・・。

このように、昔の日本の会社は、長時間労働や全国転勤を社員に課し、猛烈な働き方を求めたことは間違いないが、その反面、猛烈も今ほどの残業ではなく、残業代はきっちりと支払い、それなりに働けば、終身雇用や年功序列の賃金で、社員の暮らしを保障してきた歴史を持つ。

社員を、企業全体でじっくり育て、能力を高めてから『猛烈社員』教育するという風土があったように思える。しかし、現代『ブラック企業』と呼ばれる会社には、そういった視点がなく、社員(派遣や契約社員がほとんどだろうが)をまるでモノ扱い。この経営者の感覚は私には到底理解できない。

話は飛躍するが、先月中頃(誰が主催したのか失念したが)『ブラック企業大賞2013』授賞式というイベントがあったらしく、ノミネート企業8社から、以下のとおり大賞・各賞を決定し、『表彰』したという記事があった。

 栄えあるグランプリに輝いたのが、『ワタミフードサービス株式会社』。2年連続の受賞というから、この会社は数ある『ブラック企業』の中でも、飛び抜けた存在らしい。

この会社についてこんな記事を見つけた。どうやらこの記事が大賞受賞の決め手の一因になったらしい。(そのまま引用しておく)

居酒屋チェーンや介護事業を全国展開している同社では、2008 6 月に正社員だった森美菜さん(当時26 歳)が、厚生労働省が定める過労死ライン(月80 時間の残業)をはるかに上回る月141 時間の残業を強いられ、わずか入社2 カ月で精神疾患と過労自殺に追い込まれた。/昨年2 月に労災認定されたあとも、同社は責任を認めることなく、創業者である渡辺美樹会長は遺族からの求めに応じず、いまだに面談も謝罪も拒否している。/ 亡くなった森美菜さんは連続7 日間の深夜労働、午後3 時から午前3 時半の閉店まで12 時間働かされた。閉店後も遠く離れた社宅には始発電車まで帰ることもできず、休憩室のない店舗で待つしかなかった。/ほかにも休憩時間が取れない、休日出勤、強制的なボランティア活動、早朝研修、給料から天引きで買わされた渡辺会長らの著書の感想文提出などで疲労は蓄積した。残業に関する労使協定(36 協定)も店長が指名したアルバイトに署名させるという違法行為が労働基準監督署から是正指導を受けた。/遺族と支援する労働組合は、森美菜さんの労働実態と原因の解明のために経営者ら責任ある立場の人との面談を同社に求め続けているが、同社は顧問弁護士のみとの面談を除いて応じる姿勢を見せていない。/逆に同社は昨年11 月、遺族を相手取って同社が支払うべき損害賠償金の確定を趣旨とした民事調停を申し立てた。/報道によると、同社が全社員に配布している「理念集」という冊子には「365 24 時間死ぬまで働け」と書かれているという(『週刊文春』2013 6 13 日号)。(引用ここまで)

凄まじい内容である。事実だとしたら(恐らく事実だろうと思うが)トンデモないことで、こんな会社を許す政治の貧困さは口にするのも汚らわしい。

しかし現実をみると、ワタナベという社長を『参議院比例代表』候補者名簿に登載した自民党は、派遣はもとより、残議代不払いも解雇も自由、ノイロ-ゼになるのは全て社員の努力が足りないという、会社の主張を『是』とする政党のようだ。

こんなことが通る世間は真っ暗闇だと思うのだが、国民はこの男を参議院議員にしてしまった。恐ろしいことである・・・。

ちなみに、他の受賞企業を列記しておくと次の通り。【業界賞】アパレル業界クロスカンパニー株式会社、【特別賞】国立大学法人・東北大学【教育的指導賞】株式会社ベネッセコーポレーション。

大学まで『ブラック企業』となると、いよいよこの社会には救いがなくなる。(田舎親父)

2013年9月 4日 (水)

大阪市教委の過剰反応・・・

 これも旅に出る数日前のことである。『小学校内にシューティングナイフを持ち込んで同級生を脅した男子児童ら7人の頭をたたいたとして、市立小学校の校長(62)が戒告の懲戒処分を受け、その後依願退職した』という記事に驚く。

舞台は、桜宮高校の体罰問題で大騒ぎになった大阪である。大阪の悪口になるかもしれないが、知事や市長が教育に対して特別気合を入れているらしく、よくよく教育問題が話題になる土地柄のようだ。

 最近は、『体罰』という言葉が新聞テレビで取り上げられない日がないといっても差し支えないほど、教員の『体罰』をめぐっては(ピントがずれた)厳しい目が注がれるようになっているが、私に言わせれば、『体罰』という言葉で一羽一絡げにくくることをしていては、教育現場をますます混乱させるもの以外なにものでもない。

 さすがに大阪市民もこれは変だと思ったらしく、市教委に100件以上の抗議の電話やメ-ルが押し寄せたらしい。これは当然だろう。桜宮問題で市教委が体罰に神経をとがらせていることから、とにかく処分をせねば・・・という気分的な圧迫があったとのだろうと推測しているが、明らかに急ぎ過ぎたようだ。

 詳しい事情は分からないが、記事には、前日に靴を隠されたことに怒った6年生の男児がナイフを学校に持ってきて、教室から担任がいなくなる休み時間に、靴を隠した犯人だろうと疑っていた同級生にナイフの切っ先を向け脅したらしいとある。

 どのような経緯で校長に伝わったのかは分からないが、年齢から察すると再任用の校長は、これは大変とばかり子どもたちを呼び出したらしい。

 校長職は割に合わないとよく言われているように、再任用で校長職を希望する人は少ないのが現状の中、この御仁は長年校長を勤めていたらしいことから想像すると、よほど教育(校長職)に熱心なように見受ける。

 同級生6人が男児からナイフを持ってきたことを打ち明けられながら、担任に伝えなかったこともあって、校長はナイフを没収した上で7人の頭を平手で1発ずつたたいたそうだ。どれぐらいの強さで頭をたたいたのかによるが、ナイフを目にして自制心がなくなったとしたら、怪我はさせないまでも相当な力でたたいたことも考えられる。

 児童たちの保護者も呼び、家庭でも指導するよう求めたという。ナイフを持ってきた親はともかく、ただ知っていたが担任にそのことを告げなかったという理由で激しくたたかれた親としては、納得できないこともあり得ないことではない。

 なんでも担任に知らせねばならないという理由には反発、『一方的ではないですか・・・』と区教委に連絡したところ,教委は大慌てしたというところでは・・・。

どんなことも担任に知らせなければならないとなると、かえって子どもたちの関係が奇怪しくなるのは明らか、ナイフを持っていたと知らせたとしたら、担任が真っ青になるだろうことは自明。下手すると、担任に知らせた自分の身に何らかの形が返ってくるだろうと思うと、知らせないのも当たり前ではないだろうか。

校長は『児童が反省している様子はわかった。しかし命に関わる事案だったので、厳しく指導しようと思ってたたいた』と釈明しているようだが、こちらも、ナイフという現物を見て動転し、『何故、ナイフのことを知らせなかったのか』というところだろう。

 市教委は『文部科学省の通達上、校長の行為は体罰と言わざるを得ない』として7月25日付で校長に対し『戒告』の懲戒処分を下したという。校長は『責任をとりたい』と申し出て、同月31日付で依願退職したという。恐らく今後、よほど事態が動かない限り報道されることはないが、市教委がもう少し余裕持って対応していれば、校長は辞表を出すこともなかったのではないだろうか。

 ナイフを持ち込んだ児童に対する処置が全く報じられないのも変な話。多分、反省しているだろうという希望的観測で聞き取りなどもないらしい。せめて、どこからナイフを入手したのか程度ははっきりさせなければと思うのだが・・・。

もしも、父親の者を持ち出しているとしたら、家庭状況にせ踏み込んだ解決策が必要に思えるが、どうも最近の傾向として、子ども(家庭)に対しては『触らぬ神に祟りなし』という心境になり、踏み込んだ指導がなされていないような気がしてならない。

 市教委から校長に『担任に知らせなかったということでたたいたとしたら、これは拙いですから、すぐに謝ってはいかがです』という示唆をして、校長がその子と親に『行き過ぎた・・・』と頭を下げれば、こんな大袈裟なことにはならなったと思いたい。

いずれにせよ、校長に対して、まず処分という市教委の対応は、学校現場を萎縮させることは確実、大阪市の教育にとって二里悪い方向になることは間違いなさそうだ。

また市教委は、市立桜宮高校の体罰問題を契機に『教育現場からの体罰排除を目指すと同時に、児童生徒の暴力行為に対して教員がとれる行動を明示しなければならない』として4月から独自のマニュアル作りを進めているというのも少し引っかかる。

周囲の状況や経緯によって、学校がとるべき対応は異なるのだから、想定される場合の全てに対して、事細かに具体的な対応など規定できるはずはなく、その上、いつものことだが、想定外の出来事が起きるに違いないからである。

マニュアル作りなどする時間と予算があるのなら、学校内に地域のお年寄りの集まれる場を作った方がよほど効率的だと思うのだが・・・・。(田舎親父)

2013年9月 3日 (火)

ひかれるならバスだよ・・・

 しばらく留守にしていたので久々の更新。旅に出る前日、東京新聞の21面に『遺族に賠償命令 波紋呼ぶ』という見出しを見つけた。

記事によると、名古屋地裁が『認知症の高齢男性が電車にはねられたのは、見守りを怠ったからだとして、電車の遅延の賠償金約720万円を遺族からJR東海に支払うように命じた』という判決に対して、いろいろな立場から波紋が起きているという。

事故は、2007年12月に起きたというからかなり古い話である。午後4時半頃、91歳の痴呆症の男性はディサ-ビスから帰宅、家族とお茶を飲んでいたが、ちょっとした隙に自宅を出て徘徊を始めたらしい。

ここまではよく聞く話である。不在に気づいた家族が、近所を探したが見つからず、1時間ほど後になって、JR東海が所管する東海道本線の共和駅で踏切に入り、電車にはねられて死亡したというから話が複雑になる。

記事には、その事情が簡略に記してある。今年の8月今月初めに名古屋地裁所が『医師の診断書などから男性の徘徊は予見できたとした』とした上で、『介護体制などを決めた横浜市の長男を事実上の監督者と認定し、男性の要介護度が上がったのに、家に併設する事務所出入り口のセンサー付きチャイムの電源を入れるなどの対策をせず、妻も目を離すなど注意義務を怠った結果、男性が第三者に与えた損害は償うべきだとして、JRの求める全額の支払いを二人に命じた』との判決を出したという。

なるほど、これは波紋が広がることは当然だろう。

 賠償を命じられた遺族の長男は『常に一瞬の隙もなく見守るなんてことは不可能。家族でやれることはすべてやってきた』と主張し控訴するという。代理人の弁護士は『判決が認められれば、徘徊歴のある高齢者の家族は、すべて事故時に責任を負わされるおそれがあり、介護が立ちゆかなくなる』と反論しているが、弁護士の言い分もなるほどと思わせる。

 しかし、続いて『JRは線路への侵入防止対策を十分にとらないまま、遺族にだけ賠償請求するのはおかしい』との主張は、先日取り上げたスマホに気をとられてホ-ムから転落するホ-ムドアがないからだという理由と相通じているように感じる。これはいただけない。

 遺族に賠償を請求しなければ、こんな問題には発展しなかっただろうことは、JR側も十分承知の上に、今回の裁判になったのだろうと思うと、亡くなった高齢が07年2月に常に介護が必要とされる『認知症高齢者自立度4』と認定されていたことが、何やらこの裁判の裏に潜む謎を解く鍵になりそうだ。

私には『認知症高齢者自立度4』という認定で、介護保険からどれほどの支援があるのかという知識がないが、24時間体制でヘルパ-は無理としても、それなりの手当てはできたのではないだろうか。何よりも、勝手に外出できないような物理的な施錠施設などをつける支援はあると思いたい。

しかし長男にはその気がなかった?ようだ。もっとも、85歳の妻が同居していることを思うと、最近の家族のつながりなどから想像すると、長男としては『オレよりオフクロの仕事だろう・・・』とばかり、このような措置をとらなかったことも考えられる。

 いずれにしても、『監督者』としての長男は、(理由はどうあれ)徘徊自由とするような環境を作っていたことは間違いなさそうだから、JR側の言い分も分からないでもない。だからといって、この判決を無条件に見逃してしまえば『認知症の人は閉じ込めるしかない』という風潮を煽ることになる。これもいただけない。

厚労省は、仕事や家事をこなしながら、家族が自宅で介護できるようと、『認知症になっても、本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会の実現を目指す』と言っているが口先だけで現実とは全く違う。

ここまで書いてきて、もしも電車でなく車にはねられたとしたらと考えると、何やらモヤモヤとした気持ちにさせられる。

この場合、間違いなく運転手の過失となり、危険運転で逮捕という文言が付記される。真っ暗闇の中で、ぬっと認知症の老人が現れたとしても・・・・である。

今回のように、踏み切りに立ち入り電車にととい事故を起こさないようにするには、介護ヘルパ-の支援の元、徘徊させないことだが、現実には難しいとなると、目の届かない場面では閉じ込めるしか方法がなさそうだ。しかし、そこは人間としてちょっとした見逃しがあり、絶対に徘徊が亡くなるとは言い切れない。

そうなると、不謹慎だと批判されることは十分隠しているが、認知症野高齢者を介護している人には、日頃から『衝突するのなら自動車だよ。間違っても踏切には近づかない』ということを、繰り返し徹底することでは・・・。

悲しいながら、これが我が国の福祉介護の現状のようだ・・・。(田舎親父)

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