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2013年12月

2013年12月28日 (土)

イノセ逮捕があるかな・・・

 昨日の東京新聞が、イノセ前都知事が徳洲会から5千万円受け取った当時、『使い切ったら追加よろしく』との念押しをしていた事が関係者の話で分かったと書いている。

新聞筋はよく『関係者』という言葉を使う。読者には何者かは全く分からないが、この関係者の証言が、近い将来事実か、事実に近いことか分かるのが今までの例であることから、念押ししたことはほぼ間違いなさそうだ。

5千万円は受け取ったが、あくまで個人的な借金だと、一つのウソに二つ、そして三つとウソが追加されて、誰が聞いても『この男クロだ』と思わせたのだが、徳洲会と東電病院売却との関連を否定し切った根性はたいしたものと驚き、そして呆れる。

しかし、『5千万円を使い切ったら、またお金を出してくれますよね』との念押しがあったとなると、『ここまでの便宜は、5千万円ではすまないよ』という脅しにも近い隠れた言葉を連想する。

前知事の要求は、この問題か明らかになった当時、(多くの新聞が)目の動きだけで会話すると伝えられている入院中の徳洲会の大将にはじめて面会した時に、『1億円を要請』したと報じているが、ここにつながっていると納得する。

新聞各紙がここまで情報を得ているとなると、捜査の専門家集団である東京地検特捜部が、それに倍加する情報をすでに得ていることは推測するまでもないだろう。

 5千万円が授受される前の昨年11月6日、イノセ前副知事と徳洲会の大将との会談で、徳洲会側(大将)が東電病院を取得したいとのことを伝えていたことは、すでにマスコミが伝えているから、これも事実だろう。

となると、当たり前の推理をすれば、副知事は、東電病院の売却に関しては俺の権限の範囲、何とかできるだろうと受けて、『今回都知事に立候補するが、都知事選には1億円程度必要らしい・・・』とつぶやいたこともあり得ない話ではない。

暗黙の了承が成立した瞬間であるが、なんだか時代小説によく出てくる『悪代官と悪徳商人』の関係を連想させられる。小説では、悪徳商人が代官に、小判を底に敷きつめた菓子折りを差し出すのが定番で、『越後屋、お前も悪よのう・・・』とのお決まりのセリフで幕が開くのだが、代官役の前副知事の方からカネを要求したとなると、なんだかうら寂しい話になってくる。

 すでに東京地検特捜部は、徳洲会の大将の息子のトクダ衆議院議員から任意で事情を聴いていたこともわかっているらしいから、すでに捜査に動き出したとは明らか。

トクダ議員から送られてきた借用書に関しても取り調べが始まっているらしい。悪代官が借用書など書く筋書きは小説には絶対ない。また、(よしんば個人的な借金だとしたら)常識的に考えても、5千万円という大金に対して、メモ程度の借用書は極めて不自然。追求されて慌てて誰かに作らせたというところでは・・・。

都議会の議員相手では個人的な借金で押し通し、議会を解散したらお前たちも大変だろう、辞任するからこれでチョンという手打ちにしたようだが、捜査の専門家集団にはこんな手法は通用するわけはない。

この年末年始の間にでも『イノセ逮捕』という見出しにお目にかかれると期待しているが、特捜部とて上の方から聞こえてくる『天の声』には逆らえないだろうから、特捜部にだけ聞こえその天の声が『ここまで』と降りてきたら、捜査はそこで止まることもこれまでの歴史が証明している。

 もしも、そんなことになったとしたら、特別秘密法案をあれほど急いで成立させた政権の意図が明らかになる。例年通り、明日から1月5日まで、頭脳休暇。その間にこの問題がどう進展するか楽しみである。(田舎親父)

2013年12月27日 (金)

辺野古移転は政権のシナリオ通りに・・・

 この国の指導者たち、特に首相という最高権力者は、どうしてももう一度過去の栄光を自分の手に握りたいらしく、力による制圧を目論んでいるようだ。その一つが、周辺諸国があれほど反対し、ご主人のアメリカさままでもが、止めておけと言っていた靖国神社への参拝を突如行ったのもその現れる一つに違いない。

このことは改めてつぶやくとして、一昨日、沖縄県知事がアヘ首相と会談したというニュ-スに、ああこれで辺野古の海がなくなってしまうことが確実になった・・・と、誰が描いたのか知らないが、見事な筋書きに唖然とする。

 知事は検査のために東京の病院に入院という報道が、今回の辺野古埋め立てという、悲劇のシリオの序曲だったようだ。数日前にマスコミが伝える『都内の病院』に大きな違和感を覚えたのは私一人ではないだろう。

 沖縄県知事ともあろう人物が、県内にも医療技術に誇る病院が数多いのにもかかわらず東京の病院を選ぶ?。どの病院を選ぶかは個人の選択だという世間の常識を巧みに利用した行動である。

会談が必要なら、首相がお願いに沖縄県庁を訪問すれば良いのに、その場で辺野古埋め立てを受け入れを表明したとなると、沖縄県民の怒りが爆発してしまう。そこで、まず会談は東京でということになるのだが、県知事を呼び出すとなると、よほどの理由が必要になり、県民感情を考えると難しい。そこで、入院が良いという筋立てになったようだ。

数日前から、都内の病院に入院しているナカイマ知事が車椅子に乗って動いている映像がテレビで繰り返し放映されていたのも、病気を全面に出す作戦だったのだろう。なるほど実によくできた筋書きである。

沖縄県の基地負担の軽減は当然だろうが、オスプレ-を普天間に常駐させることも、辺野古埋め立てという、アメリカさまのご命令を実行するための手だての一つも、この筋書には重要な演出になっている。

オスプレ-を常駐させて毎日のように普天間上空を我が物顔で飛び回し、県民を苦しめる。そこで、政府が出張って、その負担を少しでも少なくしてやると他県に分散を言い出し実際に一部分散する。

常駐させて訓練という負担を増やしたのはアメリカさまにシッポを振るポチ政権であるのに、そんなことはおくびにも出さすに・・・。まるで時代小説の悪代官のやり方そのもの、こんな汚いやり方をまかり通してしまう。

沖縄が強く求めているアメリカ軍基地に立ち入り土壌検査などの地位協定の見直しも、政権はアメリカと交渉するというだけで、その結果に担保を与えたわけではない。アメリカ側はこの件に対しては全く触れていないというから、交渉の席すら怪しくなる。いやそれどころか、アメリカと交渉そのものが『特定秘密』に指定されては全く闇の中。これは明らかに空手形そのものだろう。

結局は、年間3000億円超の特別交付金、しかも10年間は無条件に続けるという政府案のアメに知事は負けたようだ。その裏には、もし拒んだ場合は容赦ないムチが隠されていたことも十分想像できるが・・・。

今日にも辺野古の海岸を埋め立てることを承認するのは確実だろう。知事が承認となると、政府のシナリオは第二章に移る。反対を主張しつづけている名護市長への攻勢であるが、その市長選挙が2月に迫っている。恐らくすぐにでも埋め立て推進派の本命の対抗馬が決まるだろう。

そして、埋め立てを承認すれば、これこれのメリットがあるとバラ色の沖縄県、そして名護市の将来像が描かれた選挙公約を打ち出すことは間違いない。そして国を上げて応援がこの候補のためになされる。

選挙は不思議なもので、いかに民主党政権がデタラメだったとしても、こともあろうに憲法を改悪すると声たかだかに叫んでいる自民党の中でも、その最たる人物が首相になり幹事長になるのだからおよそ庶民感覚とはかけ離れている。

沖縄県民の良識を信じたいが、恐らく、数年後(いや来年度中かもしれないか)辺野古の海がコンクリ-トで固められ、永久に消えることになることは目に見える。それに対して何もできない自分がますます情けなる気持ちを何と表現したら良いのだろう・・・。(田舎親父)

2013年12月26日 (木)

よほど戦争がしたいのだろうか・・・

 少し話は古くなるが、自衛隊が韓国PKO部隊への弾薬を提供したというニュ-スにはまた一つ、戦争の足音が大きくなったようだ・・・と背筋が凍りつく。
 マスコミの第一報は『韓国政府の要請があり、政府として緊急性を認めて、弾薬1万発を提供した』と、すでに過去形。この弾薬がなければ韓国軍が(どちらの勢力なのか不明だが)周りの武装勢力から攻撃を受け、壊滅的な損害が出る恐れがあるので提供したというような話だった。
 ところが数日後、強く要請したはずの韓国政府の高官が『緊急性はなく、あくまで予備的に、できれば提供してほしいと国連に要請した』との発言は、日本政府の発表と違い過ぎる。
 韓国政府が、国民感情をそらせるためにこのような発表をしたという見方もあるようだが、ならば真っ向から反論して『提供しない』といえば納得できるのだがそれはなし。韓国軍が派手な銃撃戦を行ったというニュ-スも報じられた形跡せないので、どちらかというと、韓国の言う『予備的・・・』な発言の方が信憑性は高そうだ。
 自衛隊がいつの間にか海外で活動することが当たり前になってしまった。海外の紛争中の地域で、人道的な活動をするのは我が国の責務だという発想がまかり通り、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させて、現在は南ス-ダンに派兵している。
 派兵には国会の承認が必要だとうたっているらしいが、今回の提供は国会での議論を全く経ていないという。もともと国会議員は党利党略だけで動いている輩が多く、このことなどどうでも良いと思っているのだろうか。
 一部の野党は追及する構えを持っているらしいが、自民党はそんなものたいしたことがないと慢心しているようだ。そしてほとんどの野党は、自衛隊の派遣は議論の対象になるが、弾薬(明らかに武器)は人員に付帯するものだから、政府の判断は当然だと考えていようなので、政府の姿勢を追求する動き出てこない。
 大きな戦闘はないが、韓国軍が武装勢力に囲まれていることは事実らしいので、予備的に弾薬を補充したいと思っているのも想像できないことはない。しかも、韓国経済の状態から、弾薬はできるだけ使うなとでも命令があったとしたら尚更であろう。
 そこでうがった勝手な想像をしてみる。韓国軍の大将が国連の仕事だから、弾薬も国連が負担するのは当たり前、何も自国の弾薬を使うことはないと考えて、韓国出身の事務総長に『弾薬を少し回してほしい』と要請したところ、事務総長は即刻『韓国軍が危機に瀕している』と日本に緊急要請をしたというところでは・・・。
 自民党の主流はとアヘ内閣は、首相自らが、とにかく武器を使いたい、自衛隊を派兵したいと主張しているのだから、事務総長の要請は『待ってました・・・』というところ。すぐに1万発の銃弾を無償で提供したという筋書きではないだろうか。
 南ス-ダン全土に戦闘は広がっていることは毎日のように伝えられている。自衛隊を撤収する動きも起きているらしい。すぐにでも撤収してほしいが、戦争オタクたちはここは踏ん張りどころと考えているようだ。らしい。それにしても、韓国政府からではなく、国連の事務総長からの要請であったとしても、弾薬一万発を即刻無償で提供したことを考えると、一体どれほどの弾薬を持ち出したのだろう考えると恐ろしくなる。
 それにしても世界各地の紛争の種が尽きないことが悲しい。民族が違うとここまで争わなければならないのだろうかと素朴な疑問が頭をよぎるが、争っている双方にはそれぞれの大儀があるのだろう・・・な。
 国連軍はどちらにも与しないことは当たり前と思いたいが、もしも何らかの手違いがあって国連軍が攻撃されたら、応戦することは当然だろう。それがどちらの勢力であったとしてもである・・・。
 国連軍が存在しなければ争いはさらに拡大されるという考え方か大勢を占めているのだろうが、国連軍と一方の勢力とのドンパチが始まれば、反対勢力にしては好都合。ますます気勢が揚がるのは目に見える。国連軍と争っている勢力は『なぜ俺たちが・・・』という感情が膨らみ、抗争はさらにエスカレ-トするのも自明のこと。
 争いに巻き込まれて罪のない多くの人々が虐殺されることは、可哀相であってはならないことは十分理解できるが、(情けないことなから)どちらにも大儀があると考えると、争いを真に解決できるのは、南ス-ダンの人たちだけだということは今更述べるまでもない。
 このまま争いが続き、建国間もない南ス-ダンという国が、地球上から消えることも仕方ないと割り切り、(冷たいようだが)最良の方策は、外部が一切の干渉をしないことだろうが、死の商人ではないが、金儲けの材料にする輩がいるとなると、人間がこの世に存在する限り不可能なのかもしれない・・・と考えると虚しくなる。(田舎親父)

2013年12月25日 (水)

背筋が凍りつくようなニュ-スが多すぎる・・・

 23日は天皇誕生日で学校はお休み。最近の小学校は、授業がある日の校庭はがら空きなのに、土日や祝日は朝から少年野球やサッカ-で賑やかだと書くとかなり皮肉になりそうだが、校庭で体育の授業をやっている場面に出くわすことが少なくなった。時に、あっても、一クラスだけのそれも30人程度なので元気がない感じ。

恐らく少子化で子どもの数が減り、学級数も激減してので、校庭の体育のコマ数が余っているからだろうと思っているが、昭和40年代の、校庭を3クラスで奪い合った頃か懐かしく思い出される。

それはさておき、最近の少年野球やサッカ-の特徴の一つは、ほとんど例外なく、ママさんたちがお手伝いする姿が当たり前になっていること。試合ならママたちの応援も微笑ましいが、単純な練習にも大勢が付き合っている光景に、ここまで子どもに手をかけなければ気がすまないのかと、何やら複雑な気持ちにさせられる。

そんな、祝日の少年野球の練習中に、子どもの父親がやってきて、子どもを手招きし校庭の隅に呼び寄せたという。この父親は妻とは離婚協議中で、子どもとは別居しており、たまにしか会えなかったらしいが、子どもにとっては唯一の父親。呼ばれたら、仕方なしだったかもしれないがついったらしい。

そして、父親は突然子どもに灯油を振りかけて火をつけたというから驚きである。自分も頭から灯油をかけて焼身自殺を計ったという事件が、東京都内の祝日の午前10時過ぎの小学校で起きたというから唖然とする。

マスコミ報道なので、詳細な状況は伝えていないが、父親が、何らかの原因で子どもを道連れにした無理心中と見るのは妥当なところだろう。父親は死亡が確認されたというから、父親の心理は推測するだけだが・・・。

子どもは重体だと報じられているが、一日でも早い回復を願いたい。しかし、命が助かったとしても、父親から灯油をまかれて火をつけられたという事実は一生ついて回るだろう。何が父親をここまで追い詰めたのか分からないが、一命を取り留めたとしても、この子がいつの日にか、父親の心境を理解できるだろうかと思うと複雑な気持ちになる。

報道には、母親の姿はない。私がいつも目にする休日の少年野球のサポ-タ-の中に、母親がいれば父親が近づいてきた段階で、違う展開になっていたのでは。母親にも事情があって出てこなかったのだろうが、普段の父親の行動など少しでも気になっていたら顔を出すか、誰かにお願いするのではないだろうか。

それもなく、普段からコ-チなどに任せっきりだったとしたら、こちらも少し気にならないこともない。自分の子どもは皆さんにお任せで、私は別のことを・・・という筋書きも考えられないことがないからである。

少年野球には大勢の大人たちが付き添っているのに、父親の行動を阻止できなかったということは、周りの大人たちは、この子どもの家庭の事情は知らなかったからだろう。そして、よしんば不審に思ったとしても、実の父親とあっては注意するのも憚れる。

よくある話である。最近は個人情報の保護が何よりも大切なものとして存在するので、周りの大人たちは子どもの家庭の事情は全く知らず、また知らされないのが普通になっている。

この父親の行動を防げるのは母親だけだっただろう。母親は警察に何度も相談していたというから、少年野球練習まで警察の監視が必要だという、笑えない笑い話的な議論にならないとも限らない。

この事件で、10数年前に起きた、授業中の大阪教育大学付属池田小学校に侵入して、多数の低学年の児童を包丁で死傷させたタクマ某という男の犯行を連想する。

脈略はない。今回は、明らかに自分の子どもを狙った犯行で、池田小学校と動機的にも全く違う上、少年野球という場もまったく異なる。しかし私には、犯行の場が小学校の校内ということから、今回の事件は、小学校の施設開放のあり方に影響が出ることは間違いなさそうに思えてならない。

それにしても、最近の男は情けない。振られたといってはスト-カ-行為を続け、逆上すると刃傷沙汰。少なくとも、一昔前までの男は、そのたぐいは少なかった。

学力テストの点数が全てでは、ますます行動的になっていく女性には太刀打ちできなくなるのは当たり前だろうが、劣等感が膨らみ気持ちが萎縮し、常識はずれの行動に走る男が増えるのが心配である。

情けない男の身勝手な行動がもたらす、この種の事件は続きそうな気がするのだが・・・。(田舎親父)

2013年12月24日 (火)

来るぞ来るぞと言われて久しいが・・・

 先日、政府の『地震調査委員会』という組織が、30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を示した『全国地震動予測地図』の最新版を発表し、それが大々的に新聞紙上に掲載されていた。

このたぐいの予測はこれまでも度々でていたので、またか・・・と思わないこともないが、関東大震災以来約90年間、大地震に襲われていないことから、時間とその規模は別として起きることは間違いないことは私にも確信できる。そこで、自分自身への警告という意味でこの予測記事をつぶやきの対象にしてみることにする。

記事によると、これまでの予測は、駿河湾周辺を震源とする東海地震の発生確率は『30年以内に88%』と見積もられていたが、今年5月、東海・東南海・南海の区分けをやめ、南海トラフ全域での地震発生確率を『30年間で60~70%』とする改定が行われたのだそうだ。

そんな記事があったことは、何となく記憶に残っているが、いくら学説が変わったからといって、88%が60%になっては、ただでなくてもこんなデ-タを信じたくないと思っている人にとっては、またか・・・と不信感が増すだけではないだろうか。

 今回の予測では、昨年まで全国の都道府県庁所在地で最も高かった静岡は90%から65%に低下し、津は87%から70%になり、名古屋は46%から42%になったという。今まで東海地震ばかりが大袈裟に報道され、壊滅的な被害を想定されていた静岡県はじめ東海地方の人たちは少しホッとしているところかもしれない。

それとは対象的なのが関東南部である。東京26%、横浜70%に加えて、千葉が全国の都道府県庁所在地中、最も高い77%に設定されたらしい。千葉県発の地震発生情報はこのところ多く、つい最近も震度4の揺れがあったことから、千葉県民の中には夜もオチオチ寝られなくなっている人も多いのでは・・・。

 発表された予測地図は、250メートル四方に区切って確率を示しているとのことだから相当詳細な分析がなされたと思いたい。しかし、この地震予測同にはただし書きがあり、同じ地域でも、数キロ離れるだけで確率が70%から20%に低下する例があるなど、確率は地盤の影響を強く受けるとある。何だかなあ・・・という感じもするが。

地震は地盤に大きく影響されることはわかっているつもりだが、250メ-トル四方での図となると、ひょっとして新しい知識でも得られるのではと、『防災科学技術研究所』のウェブサイト『地震ハザードステーション』にアクセスしてみた。

物凄く遅い。イライラしながらも我慢して待っていると、徐々に紫と朱色のまだら模様の画面が現れる。それによると、横浜の片田舎の確立はおよそ30%らしい。しかし、市内の中心部となると濃い紫色。M7規模、震度6以上の地震の起きる確立は70%程度だと示している。

 被害状況の予測も発表している。それによると、冬の夕方に都心南部でM7・3の地震が起きたときの最大予測だとして、全壊・焼失建物61万棟、死者2万3千人、経済被害95兆円というから凄まじい。阪神淡路大震災の映像が蘇る。

 何時起きるかは分からない。しかし確実にその瞬間がやってくることは間違いなさそうだ。さて、その時私は、どんな行動をするのだろうか。私的には、このような大地震は天の采配だと、諦めと覚悟は決めているつもりであるが、実際に現実となったら・・・。

 3・11の時の揺れも頭をよぎる。あの時、今まで経験したことがない、地面が上下している現実を見た。あまりにも凄い揺れに思わず外に飛び出し、地面に跪いて揺れの収まるのを待った。今思うと一瞬だったに違いないが、随分長く感じた時間だった。

それでも震度5強だと報じられていた。我が家は多摩丘陵が東に伸び出した一端の山の頂上近くにある。古くから存在する鎌倉古道のすぐ横だから地盤的には強いはずだから、3・11の実際の揺れは震度5弱程度だったかもしれない。

 近所では倒壊した家はない。被害も全く報じられていない。我が家も含めて、知る限り家具の倒壊なども聞いていない。しかし、震度6以上となると・・・。

 関東大震災以来首都圏が大揺れしたことはない。そのため、全国から人々は集まり、その人たちの間には、自分たちだけは何事もなく生き残れると思い込んだ奢り高ぶった雰囲気があることは間違いなさそうだ。

 今回の被害予測も『またか・・・』となる可能性はゼロではない。むしろ、このまま何事もなく数年過ぎたら、『やはり・・・』となる確立の方か高いだろう。

しかし、この世の末と神が采配するのなら、なるべくなら、命ある間に、自分の目でその時を確かめてみたい気もする今日この頃である・・・。(田舎親父)

2013年12月23日 (月)

題名の思い出せない小説・・・

 『ロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析した結果、両親は親戚関係のような近縁とみられることが分かったと、ドイツなどのチームが19日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した』という、先日ネットに掲載された記事が目に留まる。

ドイツのマックスプランク進化人類学研究所という研究機関の専門家チ-ムが、2010年にロシアの洞窟で見つかった足指の骨からDNAを採取してゲノム(全遺伝情報)を解読した結果、ネアンデルタール人の女性と特定したとある。

5万年前というから人骨は化石化しているに違いない。足の指だと判定することすら、私には凄いと思うのだが、そこからDNAを採集できるというもの俄には信じたくない話である。しかも、ゲノムを解読して性別まで解読できるとは想像すらできない。

さらにさらに、どうしてこの女性の両親が近親であったなどが分かるのだろうと、遠い社会の出来事のように思えるのだが・・・。

しかし、裏を返して考えると、この技術を使って歴史上の人物の墓から人骨を取り出して解析すれば、(大袈裟に表現すると)世界の歴史がひっくり返えるような事実が発見できることになりそうだ。

それが良いことかどうかは私には分からないが、この記事を読んで、いつの頃かは全く記憶にないが、外国人の書いた一冊の小説を思い出す。

どこで見つけたのかも思い出せない本であるが、この小説の場面設定が、ネアンデルタ-ル人と新人類(クロマニヨン人だったと思う)の交代の時代であることが、当時の私には新鮮であったことだけははっきりと記憶している。

だからといって、詳しい内容を覚えているわけではない。おぼろげながら覚えていることをつなぎ合わせると、新人類の集団で生まれた少女が主人公で、大地震に遭遇し、周りの人たちが全て死滅した中、その少女だけが奇跡的に生き残り、ネアンデルタ-ル人の集団に助けられ、その集団の中でリ-ダ-や占い師たちとの絡みの中で、少女の環境の変遷をなかなか鮮やかなタッチで描いていた。

 ドイツの研究機関のチームは『ネアンデルタール人は集団が小さく、近親での関係が一般的だったのかもしれない』と指摘しているそうだが、小説の設定でも、ネアンデルタ-ル人の集団は小さく描かれている。占い師の老婆の示唆とリ-ダ-の決断によって集団は食べ物を求めて移動する生活をしているが、他の集団との抗争などの場面はあまりなかった記憶がある。

 そして、確か、この小説は続編があったはずだが、それを読んだ記憶はない。この記事を見つける前から、何となくこの本が気になり、著者はともかく題名だけでも思い出そうと必至になっているのだが、カタカナだったような気がするだけでどうしても思い出せない。

 いくつかの図書館で外国人作家のコ-ナ-を見るのだが、題名が分からないのでは探しようがなくほとんど諦めているのだが、記事を見てさらに気になり、先日来、ネットで、さまざまなキ-ワ-ドを入れて検索しているのだが全くヒットしない。

 今後も、いろいろと言葉を付け加えて検索してみるが、もし、この本に心当たりがある方がおられたら、教えていただければ幸いなのだが・・・。

5万年前のこの女性の、血を分けた子孫がこの世に存在していることは確実だと想像すると楽しくなる。

ひょっとして、何かの事件に巻き込まれて、私のDNAが調べられ、それが、5万年前のこの女性とつながりがあるなどと明らかになったら・・・なんて考えると、

なんて考えると、ますます記憶に残る題名の思い出せない本を読みたくなってくる。(田舎親父)

2013年12月21日 (土)

フィンランド教育についての連載・・・

 東京新聞が社説で『フィンランド教育』について、連載的に取り上げている。東京新聞の社説は、このところ、現政権と対峙している論評が目立つので実に面白く読みごたえがある。

しかも、『こちら特報部』と違って、時間的に少し遅れることはあっても、ネットで読めるので、お気に入りのトップに置き、朝起きてコンピュ-タの電源を入れて真っ先に開くのが、このところの日課になっている。

 この題材で最初に掲載されたのが今週の月曜日である。『フィンランド教育について(1)』と『佐藤直子』という(多分取材した記者名だろう)文責者を明記している社説も珍しい。私は、フィンランド教育には以前から興味を持っているので、早速熟読。

社説というより、佐藤記者の目を通したフィンランドの地方の特別支援学校の訪問した感想記事という趣である。

 佐藤記者が訪れたのは、首都ヘルシンキから東へ約130キロ離れた地方都市、コトカ市にあるランギンコスキ中学校だとのこと。日本で言うと、さしずめ長野県飯田市というところだろうか・・・。

『みんなも同じ時代に生きていると想像してね』。地理の時間。シモ先生(43)の明るい声に励まされ、生徒たちは色鉛筆を手に、米大陸の先住民族インディアンの肖像画を描き始めたという文章で社説が始まる。

シモ先生は教員歴18年。脳機能の障害などで読み書きが難しい生徒たちの特別支援学級を受け持つ。絵を描くのは、言葉や感情を上手に伝えられない生徒たちにとって、表現力を養う工夫でもあるのだという。

現職時代は、特別支援学校や学級に足を運んだ経験を持っている。そこで行われていた授業のねらいも、担当教員はシモ先生と同じことを口にしていた記憶があるが、どこが違うのだろう。

確かに、私が見学した限りでは、『縄文人』というような明確な題材を指定して描かせるような授業はなかったような気がするが・・・と思いながら先に読み進む。

 フィンランドは人口約550万人の小国ながら、経済協力開発機構(OECD)加盟国を中心とする国際学習到達度調査で常に上位に位置していることは、マスコミが度々取り上げているので知っている人も多いだろう。この国の教育については研究している学者も多く、彼らは共通して『応用力や読解力を養う総合学習の成果』が行き渡っていると述べていることも良く耳にする。

 我が国のようにエリート教育は存在せず、高い学力の秘密はむしろ生徒間の学力差の小ささにあると聞いている。佐藤記者も『成績下位の子どもが少ないことが水準を押し上げている』と表現している。うん、これが大事だと思わずうなずく。

 フィンランドでは親の経済力に関係なく、大学まで無償で学ぶ機会が保障される手いるのがそうだ。無条件に、羨ましい限りである。公財政支出に占める教育費は13%弱と、日本の9%を上回るそうだ。義務教育の一学級の人数は20人前後で、授業に応じてアシスタントの教師が配置されるというから、我が国の教育システムとの違いは一目瞭然。なるほど、学力が高いわけであると納得する。

 特別支援学級はさらに少人数で行われ、シモ先生の一人一人の力に応じたきめ細かな指導も、ハンディがある子どもをこそ手厚く支えようとするこの国の教育のあり方を表していると佐藤記者は書いている。

 『背景には、一人一人の学ぶ権利を大切にするという社会の合意がある。すべての子に支援を惜しまないと決めた教育が、格差の小さな学力と高い学力とを両立させている』という一文は、少し褒め過ぎという気がしないでもないが、我が国の現状を見ると、そう書きたくなる気持ちは理解できる。

 最近になって、我が国でも『習熟度別授業』という言葉が流行り、補助の教員を配置することが始まっているが、その配置教員は嘱託であったり、臨時雇用であることが多く、その数もたかだか学校で一人か多くても二人と数少ない。

軍事費は伸びているのに、国の根幹である教育費は押さえられ、一学級40人の基準は変わらず、英語が道徳だと教科を増やすことには熱心なのだが、教員の増員はますます厳しくなり、今以上に学校からゆとりが奪われるだけが現実である。

佐藤記者も連載しているので、私も今後不定期に、佐藤記者の記事を元に、フィンランドと我が国の教育について考えていきたいと思っている。(田舎親父)

2013年12月20日 (金)

新駅建設の住民投票に思う・・・

 私が住む横浜の片田舎の住宅街でも最近は高齢化が急速に進んでいる。もともとこの土地は、東電が火力発電の燃料のコ-クスの燃えかすの捨場だったらしいが、コ-クスを使わなくなったことで不要になり宅地にしたと聞いている。

 今から35年のほど前のことである。この地が売り出されることを知って、申し込んだところ幸運にも購入できて、以来ずっとここを生活の根拠地にしているが、バス亭までは急坂を10分以上降りなければならない。JR横浜線の最寄りの寄りの駅からは、最短でも徒歩30分以上となると、車がなければ不便の極み。

海抜60mほどの山の上なので、自転車もあまり要を足さないが、周りの環境が素晴らしく、足の便さえ気にならなければ理想の地だと私なりには満足している。

 さすがに現役時は時間的に余裕がなく、車で駅まで送り迎えしてもらっての通勤だったが、毎日の通勤がなくなった現在は、改めてこの環境を気に入り、途中の四季の森公園の自然に触れながら歩く、駅までの40分は楽しい時間になっている。しかし時に、70歳という年齢を考えた時、果たして、いつまで山道を楽しみながら歩けるかとなると、心の隅に引っかかることも否定できない。

 それでも私は、この地を終の住まいにするつもりであるが、私の周りでは、年齢のことや足の便を考えてだろうが、ここ数年転居する人が増えている。去年はお隣が、そして今年はそのお隣がというように、引っ越しが続き、若い世代が入居しているが、その人たちもいずれ私と同じ心境になるのだろうと思うと、人生の機微を感じる。

 こんな現状に危機感を覚えた人も多く、本気でバスの運行を求める声も日毎高くなっているが、バス路線を新たに引くことは必難らしく、話は一向に進んでいないようだ。

 今日も変な書き出しになったのは、JR高崎線の北本駅と桶川間駅の間に、新駅設置の賛否を問う北本市の住民投票が先日行われ、その結果は反対票が賛成票を上回り、市民は多額の費用負担を受け入れない意思を示したというニュ-スに触発されたからである。

 地図で調べると、両市は隣り合って埼玉県のほぼ中央に位置していることがわかる。なるほど、高崎線の駅の間隔は長く、途中の駅ができると、近隣の住民にとっては便利になるだろうことは想像に難くない。

 北本市長としては、JRの駅は市の発展にとっても重要だと考えて、新駅設置を訴えてきたらしい。交渉を続けて、地元が費用を負担するなら作りますよ・・・というJR側が姿勢を見せたことから住民投票に持ち込んだとのことである。

 市長は新駅設置を強引に進めるのではなく、『1票でも多い方に従う』という姿勢だというからなかなかスジが通った話。しかし、今回の結果で、新駅計画は白紙に戻ることになったようだ。

市によると、駅舎建設や周辺整備など総事業費は約72億円に上り、国庫補助金などを除く市の負担分は約51億円と見込まれるというから、高額な負担に対しては、圧倒的な数で『否』と住民の判断も当然だと思いたいが・・・。

 埼玉県の中央部となると関東平野の真っ只中だろうから、横浜片田舎とは違い、自転車がスイスイと走れる地であるに違いない。周辺の自転車置き場さえ確保できていたら、あえて新しい駅の建設は必要ないのかもしれないが、自転車にも乗れなくなる超高齢社会が近づいていることに対して、市民の選択肢にはなかったのだろうか・・・とほんの少しの疑問がわいてくる。新駅ができたら、そこ起点にしてバス便が新設される可能性が大きくなるのではなかろうか。

70歳でバスの敬老パスを手にして、時に遠出をして歩き疲れた時に見つけるバス停の時刻表の、たとえ1時間に一本でもバスに乗れるということ安心感は、行動の範囲をはるかに広げてくれることを実感している。

 51億円の負担を回避した北本市民の判断に間違いはないと信じたい。門外漢の私が心配することではないことは十分承知しているが、横浜の片田舎のバス便のありがたみを覚えはじめている今、30年後に、『やっぱりあの時・・・』とならないことを切に祈る心境になっていることに気づく・・・。(田舎親父)

2013年12月19日 (木)

急遽辞意表明の裏には・・・

 連日イノセ東京都知事関連のニュ-スが賑やかに続いている。それも、聞くに絶えないその場限りの言い訳に終始している記事ばかりとなると、何と汚らしい男なのか・・・と当初かうさん臭いと思っていたが、ますますその感が強くなる。

前イシハラ都知事か『史上最高の副知事』と選挙前に持ち上げたことで450万にも及ぶ大量の得票が集まったことはよく知られた話であるが、前知事のお墨付きは、この男がイシハラ知事の徳洲会グル-プとの不適切な関係を、上手く処理してきたことに対する儀礼的なほめ言葉だったのではと思わないでもない。

昨年の12月の都知事選の直前に、入院中の徳洲会の大将に面談して1億円の援助をお願いしたことは、マスコミ記事からも間違いなさそう。どんな経緯があったかは、これから明らかになるかもしれないが、それを半分に値切られたのも、笑えない笑い話。

このアホ知事ドノは、それでも結構と嬉しそうに受け取り、こともあろうに(借金とはいえ)『自分のカネ』として、妻に命じて?(命じられたのかも)貸し金庫に預けたというのも、馬鹿馬鹿しさを通り越して笑ってしまう。

妻はすでに故人なので、この御仁と妻との間に何があったのかは全くの闇の中。妻が、妻がと繰り返しているのも、本当になくなった妻に愛情があったとしたら、かなりの良心の呵責があっても奇怪しくないと思うのだが、アホ知事ドノにはそんな感情はゼロなのかもしれない。

先日は、さすがに自民党所属の都議会議員もぶちきれたらしく、共産党の主張を取り入れて『百条委員会』なる法的に捜査権も持ち、出席を断ったり偽証をしたりすると懲罰の対象になるという、条例で決められた『委員会』を立ち上げると決めたとなると、アホ知事ドノも今までのように時間稼ぎをして、嵐の通り過ぎるのを待つというのらりくらり戦術は通用しない。

恐らく、年内か新年早々には辞任に追い込まれるだろうが、辞任を口にできない事情があるとも取り沙汰されている。都知事選にかかわる選挙違反も明らかになって、捜査が確実に身辺に及びはじめたという理由からだという。

その違反というのが、都知事選で、イノセ(本人とは思いたくないが)陣営は、応援に駆けつけてくれた人の名前を語って領収書を作ったというから何ともセコイ。しかし、事実なら明らかな悪質な選挙違反であり、知事という肩書がないと、即逮捕の恐れがあるというから、すっかりおびえて知事の椅子にすがりついているという話である。

なるほどと説得力がある。セコイ男のことだから、今頃必死になって逮捕を逃れる策を考えているのかもしれない。アメリカでは当たり前らしいが、最近は日本でも時に聞かれるようになった『司法取引』も視野に入れているのではないだろうか。

『司法取引』の有無にかかわらず、ごく近い時期に改めての都知事選が行われることは確実だろう。実際に、このところ毎日のようにさまざまな人物の名前がマスコミの餌食になっている。

先日は、お笑いタレントから前宮崎県知事に転身、一期でその職を投げ出して、維新選出の参院議員のヒガシコクバルという人物が、維新の一兵卒では役目不足というかっこいいセリフをはいて辞任したのもその一つの現れだろう。

つい最近は自民党がアヘ首相の腹心らしいシモムラ文科相を担ぐという記事もあった。道徳を教科にすると本気で動いているこの男などが都知事になったら、学校現場への締めつけは、イシハラ前知事どころではなくなることは間違いないところ。教育政策の急激な右展開を憂えている私にとっては、この人物も勘弁してほしい。

今日のつぶやきのために、昨夜のうちにここまで書いたのだが、一面トップに『今日にも辞意表明』との朝刊に驚く。そういえば、昨日にイシハラ親分と会談したというニュ-スがあったことを思い出し、同時に、セコイ知事と会う前に、維新の片方の親分として、首相と会談したことも・・・。

ひょっとして、イシハラ親分は『このままイノセに居すわられたら、俺の時代のマズイこともばれそうだ』と大慌てで、首相に『司法取引』より高度な政治的な方策を『すぐに辞めさせるから、よろしく・・・』とでもお願いしたのかもしれない。

さて、これで2月の知事選は決まったようだ。都民ではない私には、都知事選挙に参加できないが、今度ばかりは、候補者の公約をじっくり聞いた上で、全都民全に投票所に足を運んでほしいと願っているのだが・・・。(田舎親父)

2013年12月18日 (水)

『痴呆症サミット』とは?・・・

 『認知症高齢者』というより『ボケ老人』とか『痴呆症』と言った方がわかりやすいと思うのだが、人権という足かせがあるらしく、そんな言葉は禁句らしいので、私も仕方なく『認知症』という言葉を使うことにする。

我が国では『認知症』と認定されている患者が400万人ほど存在することは以前にも述べた記憶があるのだが、先日のNHKニュ-スでは約600万人と言っていた。わずか数年で、1.5倍に増えたことに恐ろしさを感じるが・・・。

 そして、その予備軍を含めると、この数は数倍になるという。600万人という数字でも、総人口に対する割合は6%程度、我が国の65歳以上の高齢者は4000万人ほどだというから、高齢者の15%が『認知症』患者か予備軍となる計算である。

 我が国は世界に例がない勢いで高齢化が進んでいるのは知っているつもり。自分も70歳、間違いなく高齢者だと自認せざるを得ないが、昼間の公園などではともかく、町を歩いていても、私と同年配かそれ以上の人たちばかりが目立つと言っても差し支えない。となると、となると『世界に例がない』という文言は十分納得できる。

これは日本人の平均寿命が生活環境の変化と医療技術の進歩によって、急速に伸びたことに反比例するごとく、子どもの数が少なくなったことからくるのだろう。人間が長生きするようになったら、その部品に金属疲労ではないが不具合が起きるのは当たり前。それが自分の行動そのものが理解できなくなる『認知症』という病気?症状になるのも十分すぎるほど理解できる。

今後、世界で人類の寿命が延びることは疑う余地がないので、日本ほどのスピ-ドではないかもしれないが、今後、全世界規模で『認知症』が広がることも間違いないだろう。

そんなことを漠然と思っていた矢先に、先日、ロンドンで『主要国(G8)認知症サミット』という会議が開かれたというニュ-スには、本当なのと驚いてしまう。

高齢化に伴う『認知症』患者の増加を世界共通の課題と捉えて、国際的な対策を進めるのがねらいだというが、私が想像する以上のスピ-ドで世界が高齢化し、『認知症』が避けて通れない大問題になっているらしい。特に先進国と言われる国では、顕著になっているようだ。

2025年までに治療法などを特定することを目指し、各国共同で研究費を大幅に増やすことで合意し、共同声明には、認知症対策の技術開発や研究を進めるための基金創設を検討する方針を明記しているという。

世界保健機関(WHO)によると、認知症の人は世界で推計約3600万人だとのことだが、この数値が正しいとすると、日本の600万人は異常も異常、世界の『認知症』患者の何と6分の一も存在することになる。このあたり『認知症サミット』の関係者に説明を求めたいものである。

そのことはさておくとして、昨今の『認知症』関連の話題は事欠かない。繰り返しになるが、高齢になれば身体の各部に不具合が起きることは仕方ない。脳とて例外ではなく、誰もがその機能が衰え、その程度は別にして『ボケ』状態に陥るのは当たり前だろう。

その意味では『認知症』は病気ではないと思うのだが、最近の医療は、『認知症』をも病気に一つと規定し、病気を治癒させるためにはあらゆる改善が義務づけられているので、『認知症サミット』もその流れの一つなのだろう。

実際に、『認知症』になる時期を遅らせる薬も開発されていると聞く。治療の一つとして脳の手術もあるというから、将来的には『認知症』という病名も死語にならないとも限らない。

そのことには素晴らしいことだと評価するが、『認知症』という病気の心配がなくなれば人間の寿命はさらに伸びることは間違いなさそうだ。一昔前の人生60年が現在の80年時代となり、近い将来90年、100年も考えられないことではない。

認知症はなくなったとしたら、現在以上の高齢化社会の出現を意味することになりそうだ。しかし、果たしてこれで良いのだろうかと自問するのだが、結論は『良いわけはない』としか思えない。

不謹慎ながら,あえて発言するが、素晴らしい薬を開発しつづけている製薬会社は、私がいつも冗談で口にしている、『婆コロリ(3倍薄めると爺コロリ)』の開発に力を入れる時期になったのでは・・・。(田舎親父)

2013年12月17日 (火)

『脱原発』も死語になったのか・・・

 秘密法案の強引な成立が隠れ蓑役になったらしく、TPPも(はじめから結果はわかっていたのだろうが)いつの間にかアメリカに譲歩、ついには全ての関税撤廃はもとより、保険や医療の分野でもアメリカの言い分をそのまま飲んだ形で進行しているように思えてならない。

 そしてもう一つ、あるいはTPP以上に問題になりそうなのが、原発の再稼働を行い易い環境が確実に整い始めていることである。

 先日、経産省の新たなエネルギー基本計画案を見るとそのことがはっきりする。あの大事故を、わずか3年足らずですっかり忘れてしまったかのような基本計画に唖然とすると同時に激しい怒りを覚える。

『原発に頼らない・・・』という文言が消えている。これは恐ろしい。事故や災害は忘れたころに限って起こるのは歴史が証明しているが、このままこんな計画が国の基本政策となれば、再度、過ちを繰り返すことは誰の目にも明らかなはずなのだが・・・。

 新しいエネルギー基本計画素案によると、原発は『重要な国の産業』として輸出も推進するとある。原発の新設・増設は明記こそしていないが、将来的には建設もあると含みを残しているのはますます原発に依存することを見据えているに違いない。

それ以上に、使った核燃料を再処理してそれを原料に発電するという、理論的には不可能なことが明らかになっている『永久機関』そのものだろうと受け止めている『核燃料サイクル』計画も引き続き推進するというのは、私には全く理解できない。

 今更述べにまでもないが、経産省が示した案には、福島の事故などまるでなかったかのように、『見ざる、聞かざる 言わざる』と言う言葉がピッタリのごとく、『そんな事故があったの?・・・』と思わせるような知らん顔で、原発政策を3・11以前に戻すような文言が並んでいる。

 特に問題な部分は、原発を『ベ-ス電源』だと規定した部分。『ベース電源』とは、私にとっては聞き慣れない言葉であるが、そのまま素直に解釈すれば、エネルギ-の源である電力を生み出す最重要な電源の意味だろう。

 原発をベ-ス電源にするのは、エネルギーの安定供給や発電コスト、温暖化対策のためだという。この計画の素案をまとめた審議会委員の大半は、原発維持・推進派が占めていることからしてもっともだとしても、福島の事故原発の汚染水一つ止めることすら現在の技術では不可能で、事故の収束には今後どのぐらいの費用が必要なのかも闇の中。なのに、一番コストが安いなどと主張するのは、まさに原発利権ありきの厚顔無恥の発言としか思えないのだが・・・。

コイズミ元首相の『脱原発』発言は、やはりこれもアヘ政権の筋書きだったのかと思いたくなるほど、このところ全く聞こえて来ないのも少し気になるところ。彼が主張していた『原発ゴミ(使用済み核燃料)』の捨場も、放射能値が高く現在も人が立ち入れない事故原発跡地付近で決めたらしいことからも、何となくその筋書きが読めてくる。

この建設には、天文学的な費用が必要になることは間違いない上、よしんば、捨場を確保できたとしても、現在50基もある原発はそのほとんどが老朽し、次々に廃炉にしなければならないとすれば、想像を絶する莫大な費用が消えることは、全くの素人の私でも分かり過ぎるほど明らかなこと。

太陽光発電単価が現在では高いことは知っている。物凄い設備投資が必要で、しかも広大な面積を占めることも理解しているが、政府が本気で取り組めば、さほど難しいことではないだろう。小水力発電や地熱発電、あるいは風力発電も、原発事故直後には随分取り上げられたが、このところ、これらの話題が何か元気がない。

しかし、一度事故れば修復不可能な、危険極まりない原発に見切りをつけなければ、新エネルギーの開発の世界で後れを取ることははっきりしている。

折角、安全なエネルギ-が目の前に存在しているのに、見てみない振りは許せない。(田舎親父)

2013年12月16日 (月)

今どきの子どもにしたら・・・

 先週の金曜日のことである。夕方のNHKニュ-スが『長野県千曲市の小学生8人が山で行方不明』と報じていた。

 まさか、この季節に学校行事として山登りをさせる小学校があるはずがないだろうが、個人的な集団で山登りだとすると、学校がお休みでないと話が合わない。土日に学校行事を入れた代休ということも稀にはあるが、よほどの理由がない限り、教育委員会は翌週の月曜日以外に代休は許可しないはず。はて?、今日は金曜日。何となく腑に落ちない変な気持ちになる。

 それはともかく、グル-プの一人が携帯電話で母親にSOSというアナウンサ-の語りに、救助は時間の問題だろうと一安心し私の脳内の記憶部分から消えてしまう。

 翌日のネットの東京新聞の朝刊にこのことを、(簡単ながら)状況がわかる内容で掲載されていた。そのまま引用しておく。

(引用はじめ)3日午後5時ごろ、長野県千曲市の五里ケ峰(1094メートル)で、小学5年の男児8人が下山できなくなったと、携帯電話で連絡を受けた男児の母親が119番した。/救出に向かった消防が7時半ごろ、山の中腹付近の登山道を外れた場所で8人を発見し、市内の病院に搬送。千曲署や消防によると、1人が足首捻挫の軽傷、7人にけがはなかった。/8人は千曲市内の小学校の同級生で友人同士。13日午後2時ごろ山に入り、日が暮れて道に迷った。男児の1人は「6年生の時の登山行事の下見に行った」と話しているという。(引用終わり)

 この日は何らかの都合で午前中の授業だったらしく、8人の男の子たちは集まって山に入ったのだろう。2時頃から活動開始ということは、日暮れが早いこの時期であっては、慣れた山だと言っても褒められたものではないが、今どき集団で自然活動とは面白いと興味深く記事を読む。

 学校では校長はじめ担任などは、救助されるまでの数時間は気が気でなかっただろう。今頃(月曜日の8時半ごろ)は、全校朝会で、校長は全児童を前にして『無事だったので良かったが、命につながる大問題だから、くれぐれも注意するように・・・』という内容の話をしているに違いない。

 校長の話の筋書きは読めるが、『こんな行動は許せない』という考え方が強ければ、児童の放課後の遊び方に影響するのではと、自然の中で体を使って遊ぶことを『是』としたい私には少し気になるところ・・・。

 周りの大人たちに心配や迷惑をかけたことは確かで、その意味では子どもたちだけでの無計画な山登りには反対だが、私としては、今どきの子どもたちの行動として、8人が集まって、山登りという『冒険をする心』に拍手したい気持ちが大きい。

 今日のつぶやきはこれで終わりなのだが、携帯でSOSという部分を読んで、だから、携帯を持たさねば・・・という親が増え、ますます小学生の携帯(スマホ)の所持率が高くなりそうな気がするが、こちらはあまり歓迎したくない傾向である。

 全員が携帯を所持していたとは思わないが、一人以上の子どもが、携帯を持っていたから大事に至らなかったことは事実だろう。この経験で、この子たちはもちろん周囲の大人までもが、『危険だと思ったら、すぐに携帯でSOSすれば良い』という風潮が広がることを警戒したい。

 話が飛ぶが、中高年の山の遭難が増えているという。携帯で救助を求める記事も日常茶飯事。中には救助が間に合わず、死傷者がでたという記事もよく目にする。こんな時、リ-ダ-とおぼしき人物が口にするのは『計画が甘かった・・・』という言葉。

遭難した時にはSOSを出すのは当然だとしても、山に入る前提として、自分たちの体力にあった計画を綿密に建て、十分な装備をして行動をすれば、遭難などに至るのはごく稀だと思うのだが、実際は・・・。

遭難した人たちの心の隅には、『危なくなったら携帯で・・・』という安易な気持ちがあるとしたら、これは迷惑な話である。

今日も取り止めのない文章になってしまったが、子どもたちのこの遭難事故?を教育問題として特集を組む報道機関の出現を待っている。(田舎親父)

2013年12月14日 (土)

恫喝に萎縮しないで穂いうものだが・・・

 政府がいう『特定秘密』とは『外部に出た場合には、国家の平和と安全に重大な影響を与えるとして厳選されたもの』らしいが、どんな情報がとなると定義そのものがなく、それは『俺たちが決める』となると、『俺たち』は秘密の範囲を意のままに拡大できるということになってしまう。

こんな馬鹿げた法案が、民主主義を標榜している国で通るわけがないのだが、我が国では、数の力というはき違えた民主主義の『伝家の宝刀』で、あっと今に決まってしまうから不思議というか情けない限り。これでは、小中学校で教えている民主主義の定義を180度変えなければならないのだが、教科書検定制度がそれを拒んでいるのだから困ったものである。

憲法には『報道の自由』を高らかにうたっている。政治には疎く世間知らずを自認している私であっても、常識的に考えても『特定秘密』だと国から圧力があったとしても、それが本当に国の安全保障に影響する情報かどうか判断し、国民に知らせなければならないと決断すると、国と対決してでも報道する、それがジャ-ナリズムの神髄であり最低限の役割だと思っている。

ところが、どこを向いているのかわからないような(何とも言えない嫌な目つきの)自民党のイシバという幹事長にとっては、それは絶対に許せないらしく、俺が秘密だと決めたら報道機関は黙って従えば良いという考え方で、報道したら躊躇なく処罰・・・というのは明らかに恫喝である。

 一旦は、発言に行き過ぎがあったと撤回したらしいが、その後も、繰り返して、特定秘密に関する情報を取材によって入手した報道機関が報道することについて『抑制が効いてしかるべきだ』と、暗に『処罰』を衣に包んだ発言を続けているというから恐ろしい。

 イシバという男は、こちらも一応は撤回しているようだが、『秘密保護法や脱原発を訴える国会周辺などのデモ』を『テロ』だと発言している。恐らくこれが本心だろう。この男(アヘも同じだろうが)の本質は、『国のことは俺たちが決めるから、国民は黙ってついてくれば良い』というところに違いない。そして、そのための道具となるのがマスコミの役割だという発想で、国民には『知る権利』などあっては面倒になるだけと思っていることは間違いなさそうだ。

 福島原発事故で、事故当初、東電と時のアホカン民主党政府は情報を徹底的に隠蔽した結果、多くの人々は、放射能濃度が高い方向に避難し被害を拡大したことを忘れてはならない。後で、この情報が明らかになるのだが、政府には反省の姿勢がなかったことも記憶に新しい。

 もしも、そのまま報道機関に情報を伝達したら、今日の被災者の混乱は少しでも減じているはずと信じているが、今回成立した『特定秘密法案』で、それらが全て『秘密事項』として『合法的に隠蔽』しても良いことになり、しかも、ほぼ永久的にこれらの情報は闇に消えてしまうことになる。

 原発事故では、『大地震で崩壊の可能性』という情報は徹底的に隠されていたことは想像に難くないが、マスコミの中にも『安全神話』が浸透し、原発の危険性は全く報じなかったことから『クリ-ンエネルギ-』という概念が国民に定着、それが被害を拡大したことは今更述べるまでもない。

マスコミはこのことを真摯に反省しているのだろうと信じたい。だから、知る権利を大事にして、国民に危険が及ぶ可能性のある情報の入手に努力し、それを得たら速やかに公開するのが自分たちの義務だと考えているとも信じたい。

先日、政府が再稼働をうたうエネルギ-政策を発表したが、その文言の中に隠された情報を入手したら、速やかに報道し国民の議論を促す、これがジャ-ナリズムの役割だろうが、これも秘密法案によって、その道は閉ざされたもの同然である。

考えたくないことだが、仮に他国が日本に核ミサイルを撃ち込もうとしている『秘密情報』を得たとしても、それが秘密事項となれば、ミサイルが直撃し甚大な被害が出るまで国民は知らないことにもなりかねない。

それでいて、俺たちが牛耳る国に対しては『忠なる心』を持って奉仕せよというのが秘密法案の真のねらいだろう。そしてこれを『愛国心』という言葉に置き換えて、幼い時からたたき込もうとしている。

こんなバカバカしいことはない。アベノミクスも行き詰まっているというから、党内でアヘ・イシバ紛争でもおきて、内部から崩壊することを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2013年12月13日 (金)

待機児童ゼロは無理な目標?・・・

 横浜市は、今年の4月の時点で保育所に入れない待機児童『ゼロ』を達成したと胸を張って宣言したことに、かなりの疑問と、違った矛盾が生じるのではと書いたのは記憶では半年ほど前のこと。

極端なたとえになるが、『いつもの散歩道を数日ぶりに通ったら新しい保育園ができている』ことも稀ではないと述べたが、それが現在でも続き、保育園問題については、先日にもかなり強い調子で皮肉ったものである。

ところが横浜市が『待機児童ゼロ』を達成したのも束の間で、先日、11月10日時点での待機児童は231人と発表したことに、やっぱり・・・と思うと同時に、保育園に子どもを預ける母親と、それをできるだけかなえたいと保育園の建設に精を出す市当局とのイタチゴッコの現状が明らかになる。

横浜市の待機児童のカウントの仕方に問題があって、横浜市の『待機児童ゼロ』はまやかしだと言われているそうだが、わずか半年で元の木阿弥に戻っていることを考えると、なるほどこの批判は間違いなさそうだと納得する。

横浜市としては汚名を注ぐために、再び『ゼロ』を目指すのだそうだが、これでまた、保育園(保育所)が増えそうだ。当然のことながら、建物(施設)だけを作っても保育士がいなければ子どもを預かれないから、ますます保育士の獲得合戦がはじまりそうだ。

先日の地元紙は、実際に保育士を確保するために、市当局は長野県や栃木県などの大学の就職担当者を訪問していると書いている。そのために、保育士の宿舎借り上げなどの支援も打ち出しているのだそうだ。

また紙面には、保育士の現状にも触れている。記事には、ある認可保育園の園長の話として『仕事が過酷なわりに給料が低いので辞める人が多いと』という部分がある。このことを裏付けている資料も掲載してあるが、それによると、(昨年の国の調査と比較して)民間保育士の平均給与は月額約21万円で、全業種平均の約30万円と開きがあるそうだ。

最近は、かなりの高齢者の保育士も見かけることが多くなったが、普段目にする保育士は若い人が多いことから、給与の低さは仕方ないのかもしれないが、この開きは無視して差し支えないレベルではなさそうだ。まずは待遇の改善を考えなければ、保育士確保は難しいだろうことは容易に推察できる。

横浜市の財政もかなり厳しいと聞いているのでこれは難題。市の担当者が『国が保育士の処遇改善を』と訴える気持ちは痛いほど良く分かる。

記事には、横浜市内の『区ごとの待機児童数』を表で表しているが、それを見ると、東京に近い青葉区や都筑区などの市の北部に待機児童数が圧倒的に多く、南部(栄区や港南区など)では、ゼロかゼロに近い一桁と極端に差があることに気づく。

横浜市内の地域差も相当なもので、都筑区などの中心部の駅に降り立つと、(同じ北部でも、私の住む緑区とは大違いで、毎回のように)日本語の看板がなければ『ここはどこの国』と思うほど、高層建築の建ち並ぶ近代的な町並みに驚く。

新しく市街化されたこの地域は、地下鉄や私鉄が網の目のように張りめぐらされているので、比較的経済的に恵まれた年代が集まっているように感じる。東京都心に近いこともあって、仕事を持つ若いママたちに特に人気があるようだ。

こんな地域では、保育園に子どもを預けるのは当たり前という風潮が広がり、子どもを預けて仕事をしなくてもよいママであっても、保育園に預けてパ-トにでも出ることがある意味スティタスというか流行りになっているのではないだろうか。

これではいくら保育園(保育所)を増設しても、あるいは、カウントの仕方を工夫しても、新たな待機児童が生まれるのは当たり前。

そろそろ、私が主張している『家事も就業』という考え方で、専業主婦にも正当な報酬を与えるという発想が必要な時が来たのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2013年12月12日 (木)

沖縄県公明党にエ-ルを送りたいが・・・

 先日、沖縄出身の自民党議員たちが、イシバという強面の幹事長の脅しに真っ青になって『ゴメンナサイ 辺野古移転という本部の方針に従います』と転んでしまったことを皮肉ったが、その数日後、公明党の沖縄県連にはまだ結党の精神が残っていたのだと思わせるような記事が朝日の紙上に見つける。

 私は、公明党は創価学会という宗教団体が、政治に関与するために作り上げた『宗教』を隠れ蓑にした政党だと受け止めている。宗教と政治は明確に分離しなければならないと考えているので、この組織を政党と受け入れたくない思いがあり、『公明党』とは表現したくないので『宗教政党』と書くことが多いのもそのせいである。

 特に、最近は自民党ベッタリところが気に入らない。ベッタリどころか、秘密法案などに対しての姿勢を見ると、自民党よりさらに右寄りというか、自分たちの正体をできるだけ秘密にしたい思惑があって、自民党以上に『何が秘密だかわからなくしている』ように思えるほど、この法案の成立には率先していた。

 宗教というものに対して懐疑的な私には、以前から『なぜ創価学会がこんな政党を立ち上げられたのだろう』という疑問があるものの、調べようという強い気持ちがないので、理解には至っていない。

それ以上に、なぜ創価学会の信者がこれほど増えているのかもよく分からない。しかし憲法には『信仰の自由』がうたわれているので、このことは深く考えないことにして、自分の中では『仕方ないこと』と無理に納得させているというところ・・・。

 それはさておき、本題に戻すが、公明党の沖縄県の本部幹事長が、自信のフェイスブックで『また琉球処分?』と、政府を批判しているのだそうだ。

 アメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けて県政界に圧力をかける姿を、1879年の明治政府による強権的な琉球王国の解体・併合という歴史を繰り返す暴挙であるということらしい。もっともだとエ-ルを送る。

 宗教の宗教足る所以は、『例え手段は違っても、争いを避けて平和な生活ができる環境を作り出す』ことであると思っているで、私なりに『公明党』の結党の精神の一つに『民衆(創価学会の信者?)の平和な生活』があったはずだと推測している。

 沖縄県民の平和な生活には基地はいらない。その意味で、公明党沖縄県本部は普天間基地の外国・県外移設を掲げていることは、まさに正論である。自民党の沖縄県連の議員たちも根は同じで、これ以上沖縄の負担はゴメンだという切実な叫びだったはずだったに違いない。

 ところが、本部の恫喝であえなく白旗。これを今更批判してもラチないことであるが、公明党の沖縄県本部が、秘密法案に関して自民党以上にその成立に尽力したことではっきりしているように、どこまで、(これから強まるに違いない)中央本部の圧力に屈しないかに注目している。

本部が与党ボケを修正できないとなると、(沖縄県本部の抵抗を一つの武器にする思惑を持っているのかもしれないが)辺野古移設に関しても、積極的には進めたくないとしても合意することは当たり前のことだろう。

ナカイマ沖縄県知事は、現在でも『普天間の県内移設は無理』と述べているように、ここまで沖縄県民を怒らせた以上、県外に移設しかないとの心境なのだろうが、公明党の沖縄県本部は、徹底して知事を守るという姿勢を続けてほしいものである。

そして公明党の本部が、結党の趣意である(信者のためにであっても良いから)『民衆のために』という言葉を思い出し、この際与党と決別してでも、普天間の県外移設を主張してくれれば、私の中でのこの政党の存在は、今までと全く違ったものになるのだろうが、残念ながら、恐らくそれは儚い希望に終わりそうだ・・・。

そして、結局は、公明党の沖縄本部と沖縄選出の公明党議員たちも『自民党本部には逆らえない』となり、知事に圧力をかける勢力になりそうだ。となると・・・(田舎親父)

2013年12月11日 (水)

それでも支持率が50%弱?・・・

 昨日、夜遅く自宅に戻ってたまっていた新聞を斜め読み。もともと過ぎたことは仕方ないと思って聞き流す性格なので、さほど気になる話題を見つけるのはないのだが、内閣視聴率が急落という見出しには、『やっとかい・・・』と少しの安堵を覚える。

あの史上最悪の秘密法案を数の力で強引に参院を通過させた12月6日の翌日から、数日間かけて共同通信社が、マスコミの大好きな『世論調査』を行ったとのことで、その結果が掲載されていた。

記事には、6日に成立した特定秘密保護法を今後どうすればよいかについて、来年の次期通常国会以降に『修正する』との回答は54・1%、『廃止する』が28・2%で、合わせて82・3%に上ったとある。

さらに『このまま施行する』は9・4%にとどまった上に、法律に『不安を感じる』との回答も70・8%を占め、国民の『知る権利』侵害への懸念が根強い現状が浮き彫りになったと書いている。

こんなことは、わざわざ世論調査をするまでもないことであって、私の中では当たり前だろうと思うのだが、今回の結果をみると、国民の反応が変ってきたような感じがするような気もする。

 それでも、内閣の支持率は47・6%と、前回11月の調査から10・3ポイント急落したそうだが、それでもまだ50%近い人たちが支持していることに大きな違和感を覚える。支持率が50%を割ったのは、昨年12月のアヘ内閣発足以来初めてだというから、やっと、国民の中に、この政権の危険性に気づいたのではないかと、少しの安堵感をも持つ。

 ところで、(先日も述べたが)この悪法の存在が大きすぎて、すっかり影の薄くなったTPP交渉も全くの闇の中。

 閣僚級の交渉がはじまる前日に、我が国の交渉団の大将というべきアマリTPP担当大臣がしゃべれない病気の検査で入院という、俄には信じられない様な政府発表に驚いたのは私だけではないだろう。そして、急遽大将の首を格下の副大臣にすげ替えたのは、白旗だけ用意すれば良いとの現れか?・・・。

 突如大役を担うことになった副大臣は、それでも健気に『一歩も引かない』という態度を記者会見で見せていたが格落ちは否めず、アメリカ代表は、日本組み易し・・・とばかり攻勢をさらに強めたことは想像に難くない。

 この大将の首のすげ替えを、私は、(これも先日述べたが)すでに日本は全ての面でアメリカに譲歩して、コメなどにも関税を容認しているのではと疑っているので、アヘ首相のお友達であるアマリ大臣をこのあたりで『病気だから仕方ない』という、日本人の心情を利用して隠す意味があるのではと推測している。

昨日、TPP交渉が各国の合意には至らず越年するという記事が流れたが、今までは何が何でも年内決着と意気込んでいたのに、大将不在となったとたんにそのスピ-ドが落ちたことにも何となく引っかかる。

今回の共同通信の緊急世論調査での支持率の急落を受けて、TPP交渉の本当の部分をほんの少しでも発表すれば、支持率の更なる急落は避けられないところと判断し、アメリカさまにお願いして『越年』という時間稼ぎをしているのではないだろうか・・・とうがった見方をすれば何となく腑に落ちる。

しかし、いくら策を講じても、TPP交渉の結果の概要はどこからか漏れるだろう。アメリカさまきご命令でということがはっきりしたら、さすがにおとなしい国民でも憤りが盛り上がり、一挙に支持率が20%台まで落ち込むことも考えられないこともない。

 その日が近いことを確信しているのだが・・・。(田舎親父)

2013年12月10日 (火)

生え抜きの若手を育ててほしい・・・

 自分の夫や父親が生まれ育った土地を見たいという、数年前に鬼籍に入った長兄の家族の願いがあって愛南町を訪れていた。

留守にしていた間に、戦後最悪といっても過言ではない秘密法案の成立に対しては、さすがのおとなしい国民であっても70%以上が不安を感じ、内閣支持率が少し落ちたらしいことは、まだこの国には救いがあると評価したい。

TPP交渉も、アメリカさまのご命令通りの筋書き通りに進んでいるのだろうが、少し手違いがあるらしく、それをとり償う意味もあって、継続審議という形で終わりそうな報道である。

なかなか実態は秘密のベ-ルに包まれて、知ることができないが、アメリカさまの命令通りの結果が明らかになれば、さらに支持率が落ちるだろうと期待している。

そのことは改めて述べるとして、今日はまだ目の前には故郷の御馳走がちらついているので、ラチのない話でお茶を濁すことに・・・。

12月に入って、プロ野球の選手の更改の話題が続き、先日は、阪神の藤波や日ハムの大谷がそろって大幅アップという映像が流れていた。

あれほど騒がれて入団した19歳の両選手が、それぞれの持ち味を出したのだから、当然だろうと微笑ましく見ていたが、反面、数年前には数億円という巨額の更改から、一挙に8割減などという選手もいる現実に、プロ野球でレギュラ-を維持する難しさを改めて感じる。

 また、選手の選択権を重視するということで、何年か同一球団で活躍すれば、自分の望む球団に移籍できる権利としてフリ-エ-ジェン(FA)という制度があり、毎年、選手と球団の間で、移籍する・させないために条件面でも駆け引きなどが賑やかになるのもこの季節である。

 先日は、(形だけのFAらしいが)この制度で巨人から小笠原選手が中日に異動し、その数日後には、中日で長年レギュラ-だった井端選手が巨人に入団というニュ-スが報じられた。両選手とも所属球団からは『戦力外』を通告されたとのことだが、互いの球団の思惑があり、結果的にはベテラン選手のトレ-ドという形になったようだ。

 来年度、両選手がそろって活躍すれば、面白い話題が連日巷を賑わしそうだと期待しているが、入団先にはそれぞれ有望選手が控えているだろうから熾烈な争いになり、年齢からも簡単なことではあるまい。もっとも、それに勝ち抜かねばならないところがプロのプロたる所以なのだろうが・・・。

 毎年、『FAの主役は巨人』と言われているように、巨人は超人気を背景に、札束攻勢で他球団の有力選手を集めることが恒例行事。エ-スピッチャ-や4番バッタ-などを獲得し続けてきた結果、どこよりも優勝に近いチ-ムとなり、実際に今年などは開幕からブッちぎりでペナントレ-スを制したことは今更述べるまでもないだろう。

 ところが今年の場合、(小笠原や井端の場合はFAとは形だけとしても)FA宣言をする選手が小粒らしく、私のような素人でも、たいした選手ではないのでは・・・と思う選手でも獲得競争が熾烈だと伝えられている。そんな中でも『FAの巨人』の看板は今年も健在らしく、他球団との競争に買って、広島から大竹を獲得したのに続いて、つい先日は西武からFA宣言した片岡の入団を発表した。

 プロである以上、待遇の良いチ-ムを選択することは当然だろうから、政治屋や金儲け命の輩のように『カネで転んだ』という批判は当たらないだろうが、結局のところ、提示金額とエ-ス級とかレギュラ-という殺し文句で移籍することは間違いないところ。

 投手の場合は、数が多いほどチ-ムが有利になることは自明だろうが、野手となると試合に出場できるのはチ-ムでたった一人。同じレベルの選手が数人存在したとしたら、良い意味ではライバルなのだろうが、監督やコ-チが実力を見誤ればその選手の将来は消えることになりかねない。実際に、このようなことは良く聞く話である・・・。

 巨人に移籍した井端と片岡は共に二塁手。巨人では二塁手が固定できなかったと言われているが、素人見であろうが、寺内は日本シリ-ズではあの田中からホ-ムランを含めて大活躍をした選手。中井という若手も常時出場させれば頭角を表すことも間違いなさそうだ。藤村という若手だって、他のチ-ムならレギュラ-になれるほどの実力の持ち主だと見ている。

 西武の試合を見る機会がほとんどないので、実際に片岡のプレ-は一度も見たことがないが、相当な実力を持っていることは想像に難くない。『8』という自らが現役時代につけていた背番号を与えるというからには、原監督には片岡に対して『レギュラ-』との思いがあるに違いないだろう。

 私は片岡に何ら含むところはないが、片岡が期待通り活躍したら、寺内や中井たちの存在はなくなる。井端の場合は作戦面での活用があるだろうが、巨人の生え抜きの若手選手にとって果たしていかがなものなのだろう。

 プロの野球選手である以上ケガはつきものだろうから、スペアを用意するのは当然で、そのスペアのレベルが高ければ高いほどチ-ムにとっては良いことは誰にでもわかる。勝つためにはスペアの数は多いほど良いことも理解できるが、自前で育てなければ今後のプロ野球の発展は危ういのではと思えてならない。

 思うように育たないから・・・という声が聞こえてきそうだが、プロである以上、このことも課題として率直に受け止めて、育てるスタッフの待遇改善にも大枚をはたいてほしいものである。(田舎親父)

2013年12月 6日 (金)

秘密法案の陰でTPPが・・・

 酷いものである。12月6日という日は日米安保阻止の歴史に匹敵するほど重要な日として残るだろう。国会周辺での戦いの質は違っても、強行採決という暗愚の策しかとれない権力には、崩壊の道を自ら選んだとしか言えない。

 昨日の参院特別委員会で、以前はプロ野球の(今は消えてしまった)横浜ベイスタ-ズの遊撃手だったと記憶しているが、イシイ某という議員が突然審議打ち切り動議を提出したシ-ンをテレビニュ-スが映し出していた。

この人物がどういう経緯で、この役目を仰せつかったのかはわからないが、戦国時代の小説の筋書きを借りれば、新入りの外様の下士官の忠誠心を試すために命じられた『雰囲気作り』という役どころだろうか・・・。

 このイシイ某の一言で野党の議員たちは委員長席に押しかけ、一気に緊張が高まったらしいことは想像に難くない。そのタイミング見計らって、委員長は『採決する』と宣言したのも大将から命じられた(委員長という自分に与えられた)任務なのだろう。何やら、下手な大河ドラマを見ているような感じがしてならない。

 ここぞとばかり、賛成・・・と叫ぶ役割は、自民党と宗教政党の三下議員たち。できるだけ大きな仕種や表情で親分たちに認められるようにしている姿が生々しく映し出されていた。

 法案はすぐに本会議に上程されたが、ここでも自民党の上級武将の一人である議長の判断で議案となったというから、いくら野党が特別委員会の委員長や担当閣僚の問責決議案を出したとしても通過するのは時間の問題。恐らく、今日中には『悪法の極み』と表現しても差し支えない法案が採決されることは間違いない。その意味で、(繰り返しになるが)12月6日というこの日は歴史に刻み込まれるだろう。

 それにしても,自民党のイシバという幹事長のあの目つきの嫌らしさ何なのだろう。うつむき加減でいて、細い目を下から光らせて、捕まえた獲物をなめ回して悦にいっているごとき表情は、私には、まるで蛇が逃げ場を失ったカエルをいたぶっているような感じを受けるのだが・・・。

 そして言うことに事欠いて『デモはテロと同じ』とは、人の仮面をかぶった悪魔そのものと表現しても差し支えない。強行採決に対しても、『時間をかけ過ぎるほどかけて、審議をし尽くしたので強行とは思っていない・・・』とは、とても良識のある人間には言えないセリフである。

この男は地方では人気らしいが、人気は人気でも、慕われるという本来の人気ではなく、何をされるかわからないので仕方なくついていくという偽りの人気ではなかろうか。沖縄選出の議員たちも、この目つきと表情の恫喝に震え上がって、選んでくれた人たちの命より自分の命とばかり、良心を捨ててまで転んだに違いない。

突然話が変わるが、昨日になって、急にTPP担当のアマリという大臣の入院が伝えられた。当初は検査入院とだけ伝えられていたが、このタイミングでの入院には、素人の私でも何かあるに違いない・・・と思わせる。

昨夜の記者会見で『検査の結果、早期の舌がんと判明したので、しばらく入院・治療する』と発表したが、これで、明日からシンガポールでのTPP閣僚会合の交渉は欠席となることが本決まり。政府は、代わりの退陣ではなく副大臣を出席させるというのも納得できかねる。格下の代表となると各国は大喜びに違いない。

アマリ氏は、首相に閣僚辞任を申し出たが、慰留されたらしく『閣僚の責務を引き続き果たしていく』と述べ、病状に関しての質問には『2週間の入院加療とその後1、2週間の自宅療養』と答えたと報じられている。

要は一月ほど休暇をとるということである。この一月は、交渉結果がほぼ明らかになる期間だろうに、大将が不在となると結論ははじめから見えている。不戦敗をあえて選択したことである、それにしても、秘密法案にマスコミの目が向いているこの日となると、あまりにもタイミングが良すぎる。

 すでに交渉の結果はアメリカさまから通達があり、反対できないとわかっているので、まだまだ使い勝手がある大臣であることから、雲隠れさせたのでは・・・という疑念が頭をよぎる。(田舎親父)

2013年12月 5日 (木)

市民の憩いの場の池にワニのような魚が・・・

 自民党は何がなんでも『秘密法案』を通さねば都合が悪いことがあるらしく、とにかく数を背景に無茶苦茶なやり方を続けているが、これも、前回の選挙で圧倒的な勝利を与えてしまって国民の『愚』なのだろうと思うと、ある意味、落ちるところまで落ちて、再び過ちを繰り返すどころか、国が滅びても仕方ないのでは・・・と諦めに似た境地になっている自分に驚くことも稀ではない。

昨日、強引な手法でアリバイ作りの公聴会が開かれたようだ。マスコミ報道によれば、ほとんどが批判的な意見だったらしいが、自民党とその走狗に成り下がった公明党は、批判など聞く耳持たぬという態度で、『皆さんありがとうございました』の一言だろう。

手順を踏んだからこれで良しとし、今日にも参院本会議で遮二無二議決。そして、何が秘密なのかわからない法案が出来上がってしまう。

今後のことを思うとゾッとすることばかりだが、今日は気分を変えて、身の周りの平和な話題を・・・。

毎日のように散策している、住まいの近くの四季の森公園の『蓮池』という、カワセミガが好んで立ち寄っている小さな池がある。そこで天気の良い日には必ず水面に顔を出し手いる岩には、亀が気持ちよさそうに日向ぼっこをする姿に、訪れる人たちが足を留めてスマホでパチリという光景を目にする。

特に若いパパ・ママたちが、亀を指さして『見てごらん、かわいいね・・・』などと子どもに向かって話している姿は微笑ましく感じるが、同時に、毎日のように池のそばを通る私には、亀の数が日を追うように増えているのが気になっている。

亀がのんびり昼寝を楽しんでいる姿など、野外で遊ぶことが当たり前になっていた私の幼い時の記憶にあっただろうか。亀はいただろうが、子どもの姿を見るとすぐに水に潜っていたことは思い出すが・・・。

何でも捕まえるのが当時の子どもたちの遊びで、もしも、岩の上でのんびりと昼寝をしている亀を見つけたら、たちまちの捕まえて絶好の遊び相手にしていただろうが、亀を捕まえたことは数えるほどだったように思える。

この亀(ミドリガメらしい)は一目で外来種の亀であることがわかるが、凄い繁殖力を持っているものだ・・・と変に感心すると同時に、ペットとして人間に飼われていたものが逃げ出したと考えると、(人間が捕まえなくなったとはいえ)人前で無防備でいられるのは当たり前かもしれないと、妙な気分になる。

そんな埒もないことを思っていると、(話はまたまた古くなるが)先月の末に、朝日新聞の紙上に『工事のために水を抜いたため池で、干上がった池の底から、外来種の魚やカエルが次々に見つかった』という文面が、人並みに、外来種に関しては懸念を持っている私の目に留まる。

記事によると、この池は、芦屋市の郊外にあって、江戸時代に農業用のため池として作られたものだという。南北約130メートル、東西約80メートルというから相当な広さである。芦屋市はその一帯を公園として整備し、遊歩道などを通しているというからいわば市民の憩いの場であろう。

 芦屋市は、水位が下がった時期を見計らって、近所の小学生ら80人を集め、生き物の観察会を開いたそうだが、投網を打つたび、姿を現したのはブルーギルという外来の魚だったという。

 ブル-ギルという魚は実際に見たことはないが、写真から想像するに、タナゴの化け物のような魚らしい。一部の釣りの愛好家たちの中には、これも外来種であるブラックバスと共に釣果を競う標的にしているという話ももれ聞こえてくる。

 この池につながる川はないというから、これらの魚は、恐らく四季の森公園の亀と同様、当初はぺットとして飼われたものが、飽きたことも含めて何らかの理由で池に放したに違いない。繁殖力の大きな外来種が、瞬く間に在来種を駆逐して池の主に収まったというお馴染みの筋書きだろう。

 そこまでは良くある話だが、この池から、ワニのように鋭い口を持つ北アメリカ原産の巨大魚『アリゲーターガー』が捕獲されたという文面には驚く。『アリゲ-タ-ガ-』という魚も実際に見たことはないが、以前テレビでこの魚を紹介していたことが記憶にあり、こんな魚が実際に存在することに驚怖したことを思い出す。

 捕獲された『アリガケ-タガ-』は体長が1・3メートル、重さ16キロという。こんな魚が日本の池で生息しているというのも私には想像できない。しかも、芦屋にあるこの池では、カルガモの雛が消えてしまうことが度々起きているというから、こいつの仕業であることは間違いなさそうだ。

 平和な話題と書き出したが、これは平和どころではなさそうだ。芦屋市は今後どのような方針で池を管理するのかは知るよしもないが、土地柄、いろいろな趣味を持つ住民も多いだろう。第二、第三の『トンデモペット』の放流を監視しないと、それこそトンデモナイことになるのでは・・・。

今日は、そんなことを意識しながら、四季の森公園の蓮池を注意深く観察してみようと思っている。すでに亀たちは冬眠に入っているかもしれないが・・・。(田舎親父)

2013年12月 4日 (水)

最高裁と自民党とのデキレ-ス?・・・

 先月下旬のことである。この政権は司法までも、自分たちの思うがままに取り込んでいたのかと思わせるような『最高裁の判決』には愕然とさせられた。

 昨年衆院選の一票の最大格差は、千葉4区と高知3区の2.43倍で、09年選挙の2.30倍から拡大したという。千葉4区となっているが、恐らく首都圏の東京や神奈川など人口が集中している地区でも同じ程度の比率になっているに違いない。

 私は、日頃から『田舎が元気でなければ、この国の未来はない』という主義なので、現在のような、都市部への人口集中に批判的な考え方を持っている。だから一票の格差は、ある程度は仕方ないと思っているが、地方から選ばれる議員のほとんどが自民党に偏っている現状では、決して未来があるとは思っていない。

加えて、区割りされた地域では、得票数で一人だけが当選(しかも、比例代表などというわけのわからない制度を併用して、誤魔化しているが)するという小選挙区制について疑問を持っているので、選挙制度そのものの抜本的な改革を行うべきだと考えている。

 在の公職選挙法では、衆議院議員の総議員定数は475名のうち、295名が小選挙区選出議員に、180名が比例代表選出議員に配分されているという。そのことは別にして、人口の少ない地方を重んじてという理由なのだろうが、まず、各都道府県に1名ずつ配分した上で、残りの248を直近の大規模国勢調査の人口に応じて比例配分すると決められているというくだりには大きな疑念を持っている。

この既定がある限り、定数そのものを単に人口比で割り切って、小選挙区の区割りにするか、全てを比例制度にしない限り、人口比で2倍以下の格差に押さえられないのは小学生の算数力でも理解できる話。

以前にも書いたことがあるが、衆議院の定数である475人を人口比で単純に当てはめると、総人口を1億3千万人として大雑把な計算でも約27万人程度に一人を割り当てれば良いことになる。何も、まず都道府県に別枠で一人という変な決まりを作らなくても、人口が最も少ない鳥取県でも2人の衆院議員が確保できることになる。

このあたりも最高裁内では争点になったはずだろうが、一人別枠方式には手をつけずに、国会が解散直前に『0増5減』を行ったことを『人口格差を2倍未満に抑える見直しが行われた』と評価したとなると、まさに国会というよりも『自民党内閣』に土下座的な雰囲気さえ感じられる判決だと言っても差し支えない。

 もっとも、野党も含めて国会議員たちは『自分たちの既得権を守る』ことが、最大の目標にしている輩が多いだろうから、今回の最高裁の判決には、しばらくこの問題を議論しなくて済むと内心歓迎していることは想像に難くないが・・・。

 3月だったと記憶しているが、広島高裁と同高裁岡山支部で戦後初の『違憲・無効』の判決には、司法としての矜持を出したと大いにエ-ルを送ったものである。続いて、札幌高裁や名古屋高金沢支部でも、『区割りは可能な限り人口に比例してされねばならない』と断じ、国会の怠慢を激しく糾弾した。

しかし国会が行ったことは、たった5人の議員定数を減らしたことだけ。可能な限りどころか、人口比などお構いなしで、お茶を濁したと言っても差し支えない。

 誰もが(やり直しをする・しないは別にして)最高裁は先の衆院選挙に対しては『違憲』判断をすると信じていたのではないだろうか。しかし最高裁判決は『投票価値の平等は、選挙制度を決定する絶対基準でない』と述べている。

この文面を私なりに解釈すると、『現方法を決めたのは国会であり、その国会が努力して5減したことは評価できる。格差の大きなことは認めるが、これを司法がとやかく言うことではない』となるのではないだろうか。これでは、日本国憲法の根底になる三権分立を自ら放棄したと言っても言い過ぎではないようだ。

こんな腰砕けの判決に対してさえ、自民党の幹部たちは『国会が努力していないとは何事か・・・』とかみついているらしい。この連中は小学校では『三権分立』という意味を正しく習わなかったか、議員になってからの勝手な解釈で、国会が上位とあると思い上がっているようだ。

これで、しばらくは選挙制度の議論は進むことはないのでは・・・。(田舎親父)

2013年12月 3日 (火)

横浜のお粗末2題・・・

 以前にも書いたが、横浜の片田舎の保育園の増え方は半端ではない。数年前から『待機自動ゼロ』が市の主要な政策の一つになっているので当然だろうと思ってはいるが、こんなに増やして大丈夫なのとつぶやくことも稀ではない。

 先日、四季の森公園の入口付近で、6名の女性に引率された20人ほどの園児の一行に出会った。こんな風景は日常茶飯事なので驚かないが、普段出会う園児たちの集団には、必ずと言って良いほど、若い女性が混じっているのだが、この日の一行にはゼロ。それどころか、明らかに全員が50歳を軽く越えると思われ、中には私と同年配の人も混じる構成に違和感を覚える。

見るともなく見ていたら、リ-ダ-とおぼしき年配の女性が大声で『リサ そっちはダメでしょう』『アキ お隣のマ-と手をつなぎなさい』というように、子どもたちを全て呼び捨てにしていることに、今どきのお出かけ保育にしては珍しいと、こちらにも違和感を持つ。

しかし、園児たちはおそろいの帽子をかぶり、また大人もおそろいのエプロン姿なので、どこかの保育園であることは間違いなさそうだ。呼び捨てにするのも、この保育園の約束事なら特段目くじらを立てることはないが、乳母車に乳幼児を乗せている現代のママたちは、自分の子どもに対して『○○ちゃん』と呼んでいることを思うと、随分乱暴な保育園もあるものだと変に感心する。

変に書き出しが長くなったが、先月末に 横浜市で個人宅やマンションで少人数の子供を預かる家庭保育福祉員(保育ママというそうだが)の40歳代の女性が預かっていた1歳7か月の女児が、保育中に心肺停止の状態となり、死亡したというニュ-スに目が留まる。

横浜市の保育運営課(こんな課まであるのだと驚くが)によると、前日の午後4時頃、女性が保育室として借りている同市旭区のマンションで、寝ていた女児がぐったりしているのに、この女性が気付き119番したが病院で死亡が確認されたという。

記事には、当時、女児はうつぶせの状態で顔は横を向いていたとある。となると窒息死ではなさそうだが・・・。

保育室では、ほかに1~2歳の子供2人も預かっていたというが、横浜市はこのような保育ママが乳幼児を預かる制度を推奨?(容認)しているとなると、これも『保育園』としてカウントしているのではという疑念を持つ。

この女性は保育士の資格は持っているだろうが、この免許は一度与えられるとその更新は必要ないというから、あってないと同じだろう。私がたまたま目撃した保育士?たちの言動も根は同じところにありそうだ。

待機児童をゼロにするために、こんな保育園が増えつづけては、幼い命はいくつあっても足りなくなるのでは・・・とゾッとする。と同時に、ここまでしてわが子を他人に預けて働かねばならない社会の構造に言いようのない絶望感と疑問を持つ。

 話は変わるが、議会出席の交通費などの名目で自治体から議員に支払われている『費用弁償』について、朝日新聞が全国の20政令市を調べたそうだ。その結果、12市で廃止され、制度のある8市のうち7市で減額の方向に改めているのに、横浜市だけは、一度なくしたこの制度を、今年の10月から制度を復活させたという。

 記事によると、横浜市は2007年、日額一万円だった費用弁償を廃止したが、今年10月、議員の住んでいる区により、それぞれ千、二千、三千円を払う定額制で復活させたとある。総支給額は年約1200万円、一人当たりの支給額は年30~5万円とのことだが、こんなことが議会で行われていたことは初めて知る。

 9月の市議会で市長寄りの議員が提案し、自民、公明、民主の各党などが賛成したというから、国と同じで、横浜も完全に『数の力で何でもあり』という『翼賛体制』ができあがっているらしい。

 方や保育園ゼロのために姑息な手段で保育園を増やす。こなた、市長の独断を阻むためにという理由で、報酬の重ね取りを自分たちで決めてしまう。

 片田舎とはいえ、長年横浜に住み、穏やかな気候と争いの少ない風土だと信じ愛着を持っていたのに、二つのお粗末な話題には、何となく裏切られた感じがする。(田舎親父)

2013年12月 2日 (月)

点数が目標(その日が迫りくる足音が)・・・

 こんなことをしては、何の益になるのだろう。百害あって益はなし、むしろ『いじめ』を奨励すると言っても差し支えないものと、何度も何度も繰り返して危惧感を表していたが、文科省は従来の方針を180度変えて、学力テストの学校ごとの成績を公表しても良いと発表したのは先月の29日のこと。

 翌日の東京新聞の朝刊に、次のような記事が掲載されたが、これは読み物としてなかなか面白いので、そのまま引用しておこう。

(引用はじめ)文科省には、全国規模の学力テストをめぐる苦い経験がある。1950~60年代の全国学力テストは、一部の都道府県間で順位争いが過熱し、66年に中止に追い込まれた。/64年に「三年連続学力テスト日本一」を達成した香川県で当時、小学校教諭を務めた丸岡安さん(77)=同県琴平町=は「テストで成績を上げるための教育に日々、追われていた。紙7、8枚分の模擬テストのような宿題を出し、保護者から千本ノックだと言われたこともあった」と振り返る。/隣の愛媛県では、香川県に負けまいという雰囲気の中、テスト中に子どもの答案に間違いを見つけた試験監督の担任が、黙って二本指で押さえて間違っている所を指し示す「田植え」と呼ばれた不正も行われたという。/これまで学校別の成績公表を認めてこなかった文科省が一転して認めたことに、丸岡さんは、競争過熱が再現するのではと恐れる。「校長ら管理職は評価を気にして、現場の教員にテストのための教育をさせるようになる。点が取れない子は切り捨てられてしまう」/ 一方で文科省は、学校別成績の公表を区市町村教委の判断に委ねたが、最近でも静岡県の川勝平太知事が成績上位の学校長名を公表したように、全国学力テストの結果公表は、現状でも首長の意向が大きく影響している。(引用終わり)

 人名までは知らなかったが、このような学校教育とはおよそかけ離れ行為が日常茶飯事的に行われていたことは、数年後、富士通を退社し横国学芸学部に在籍していた関係で、教育行政学の授業で知って驚いたことを思い出す。当時の文部省の姿勢に疑問を持ち、それが引き金となって学生運動に走らせたことも・・・。

 テストの成績だけが一人歩きし、学校の順位や格差が固定化につながり、戦後の教育制度の一つの特徴であった『小学区制(地域の子どもたちは決まった高校へ)』が、(義務教育でないので)高等学校を選ぶ権利があるという理由で、どんどん崩れて、ついには一県一学区という、どの高校でも選択できるとする県まで現れはじめたのも、その頃のことではなかっただろうか。

 その後、高校入試に関しては、さすがにそこまでの固定格差は行き過ぎだとブレ-キがかったらしく、以後さまざまな改定が繰り返されて、現在では中学区制というのか、都道府県内をいくつかのブロックに切り分けて、複数の高校から選択できるようにしているようだ。

しかし、これとてブロック内の高校受験に対して『偏差値』という、テストの成績による厳格な足切りというか受験指導があり、高校に対して明確な格差が固定化していることは誰も目にも明らかである。

 これを当然と見るか、間違っていると捉えるかは意見の分かれるところだろう。しかし首長が『学力向上』と掛け声を出すのは理解するとしても『学力とは学力テストの成績』との考え方をしては、自治体内の小中学校序列化を加速させることになることは間違いない。

 これも何度も述べてきたが、序列化が固定してくると多少生活は苦しくとも、子どもの将来を思って、より優秀だとされる小中学校に進学させたいと思うのは人情だろう。私立へ進める経済的余裕のある家庭は家庭教師や塾に通わせ私立を目指すのが現在の風潮。

そこまでの余裕がない一般家庭のニ-ズに答えるためとは思いたくないが、公立であってもそれぞれの競争が必要という理由で、小学校でも学校を選択できるという『学校選択性』が広がり、そして塾へ通わねばという脅迫概念であることは、現状を見れば一目瞭然である。

 これまで文科省がテスト実施要領で(タテマエでは)学校別成績の公表を認めなかったのは、引用した文章にある通り、1960年代に廃止された旧学力テストで学校や地域間の競争が過熱し、対策補習や不正行為などで混乱した苦い歴史があるからだろう。

学力の実態を探るはずのテストが、競争のために取り繕いやごまかしを誘う皮肉な構図になったことに当時の官僚たちは、メンツを捨てざるを得なかったのだろうと推察している。

 現在の閣僚たちが先輩の苦労をすっかり忘れたのか、それとも権力に負けたのかは定かではないが、今回、文科相が『解禁』を宣言し、混乱を招かない手だてとして教委の判断を任せたことは、文科省ははじめから責任放棄であると言っても差し支えなさそうだ。

多くの教育委員会は公表を渋るだろうが、教育委員会の制度そのものが首長の諮問機関になる制度も進められているようだから、数年後には、全ての教育委員会は『公表』を義務づけられるのではないだろうか。

私は学力テストそのものに意義を見いだせないが、百歩譲って、学力テストを『是』としたとしても、子どもたちの得手不得手の傾向や特徴をつかみ、個別の指導に生かすということが学力テストの本来の目的であるはず。ならば、結果分析をどう指導に反映させ、先に向かって改善していくかが最も肝要であり、公表すればこの意義そのものを否定することになると強く言いたい。

今回も、タテマエとしては学校名と正答率だけの公表を認めず、結果の分析や改善策とともに示すよう求めているが、首長自らが『学力とは点数』という考え方を持っている以上、正答率で学校を順位付けすることを禁じても、数値が出れば、マスコミは争って全国の順位一覧表を作ることは間違いない。

また一つ、この国の滅亡の要因が増え、その日の迫りくる足音が聞こえてきそうな気がする。(田舎親父)

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