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2014年2月

2014年2月28日 (金)

『ベ-スロ-ド電源』とは・・・

 『福島県内の農業用ため池576カ所の底の土から、1キロあたり8千ベクレルを超える高濃度の放射性セシウムが検出されていたことが県などの調査でわかった』という記事に、思わず『今頃になって新たに発見とは・・・』と絶句する。

 うち14カ所は10万ベクレルを超えていたというから、なんという管理の杜撰さだろうと呆れるというより、近隣住民の健康が心配になる。国はため池をなどは視野に入っていなかったらしく、除染対象外としていることと、県もいままで調査を行っていないということに、一体どうなっているの・・・と新たな疑問がわいてくる。

農業用ため池は、横浜の片田舎でも時に見かけることがある、いわば日本の里山の原風景。近くに民家もある場所も少なくない。よほどの渇水時を除いては、底の土が直接流れ出ることは少ないだろうが放置しておいて良いはずがない。汚染土の農地流出や住民の健康被害を不安視する県は、国に汚染土の処理を求めているとのことだが、また一つ原発事故の未処理部分が新たに現れたというところ。

記事によると、福島県内には農業用のため池は3730カ所あるという。県と農水省東北農政局が、2012年2月~昨年12月、地域のバランスを考えて選んだ計1939カ所の底にある土壌を初めて調べたそうだが、その結果、原発事故で住民が避難した国の避難指示区域内では108カ所(調査対象の41・2%)、事故後も水田や畑にため池の水を供給している同区域外では福島市や伊達市などの中通り地方を中心に468カ所(同27・9%)から土1キロあたり8千ベクレル超のセシウムが検出されたとのことである。

また、10万ベクレルに達した池は区域内で9カ所、区域外で5カ所あり、最高は区域内にある双葉町の大南ため池の39万ベクレルだったというが、全てのため池を調べたわけではないことから、まだ凄い値が出るため池だってある可能性が残る。

農水省の担当者よれば、高濃度セシウムが見つかった池の中には、事故後も夏場に水位が下がり、底の土がむき出しになる所があり、渇水や大雨で濁った池で取水し、農地に汚染土が流れ込む恐れもあり、住宅街の池も多く、土が露出すれば周辺住民の健康被害の心配もあるという。ここまでわかっていても手を出さないとは変な話であるが・・・。

 ところが、環境省除染チームの担当者は『住民の健康に影響が出るほど周辺の空間放射線量は上がっていない』として、現時点では除染しない構えだというから、ここでも縦割り行政の欠陥が如実に表れ、住民の命などは心配の対象にはなっていないらしい。

農水省内でも見解が別れ、防災課は『除染は環境省の所管で、農水省の事業として検討対象にしていない』というから、省内でも縦割り、池の汚染状況を環境省に情報提供するにとどまるとのことだから、結局は、自分の守備範囲はできるだけ少なくしたいという思いが先に立ち、根本的な除染は先送りしている。

全ての原因である原発事故後、未だに新しい問題が、毎日のように起きているのも許せない話である。つい先日も、タンクからの約100トンの処理水漏れ事故で、処理水を送る配管の弁を開けたまま1年近くも放置していたことが明らかになったというから、東電は本気で事故収束に当たっているのかという疑問すら生まれてくる。

また、数日前に、福島第一原発で電源設備の異常を知らせる警報が鳴り、4号機の使用済み核燃料プールの冷却が止まったという記事もあった。東電は、この事故に対して、冷却が再開するまでに、水温が制限値を超えることはないとまるで他人事。構内の道路工事で誤って電源ケーブルを傷つけたのが原因だというから、緊張感の欠如は日常的になっているらしい。

 3年前に起きた事故原発の収束作業が遅々として進まないというのに、この政権は、新たなエネルギ-の基本本計画として、原発を『重要なベースロード電源』と位置づけ、安全性が確認された原発は『再稼働を進める』としたというから正気の沙汰とは思えない。

 『ベ-ス電源』ならば、私でもその意味は分かる気がするが、『ベ-スロ-ド電源』とは、意味不明の言葉で国民を煙にまいて、原発政策を維持どころかさらに進めという意図がありあり。すでに関係閣僚の調整は終わり、与党との協議を経て3月中の閣議決定をするとのことだから、この政権は奢りに奢っているとしか言いようがない。

『原発に頼らないエネルギ-』が政権を再び奪い返した衆院選の自民党の公約だったはずなのに、ここ数年、公約は選挙のためのもので、守らなくても良いという風潮が蔓延しているようだ。

『困ったものだ・・・』としかつぶやけない自分が口惜しいが・・・。(田舎親父)

2014年2月27日 (木)

教育の暗黒時代始まり・・・

 教育委員会制度について自民党は改革案をまとめ、公明党と協議に入ったという。公明党という宗教を支持団体とする政党は、リヘラルが売り物で、一部マスコミは、自民党の独走を押さえる役目を持つと期待されていると報じているが、実際は与党として美味しい部分をいただき過ぎて、すっかり押さえ役など放棄したらしいので、自民党案そのものが政府案として閣議決定されることは間違いなさそうだ。

 与党案の示す教育委員会制度は、首長の権限と国の関与の度合いを強める方向であることは明らかになっているが、このままで行くと、政治が前面に出過ぎ、教育現場を『支配する』事態になることは確実で、現場の混乱と、それに続く『無力化』によって、教育の暗黒時代の幕開けになることが懸念される。

 今更述べるまでもないが、政府が目論む新しい教育委員会制度とは、現在の教育委員長と事務方の教育長を一体化した新しいポストを作り、首長に任免件を与えるとのこと。元々が教育界のシステムについては分かりにくいことが多いので、一般国民には、教育委員長と教育長という2頭立ての仕組みは理解しにくいことから、一本化に対して、まあいいか・・・という雰囲気が流れているようにも思える。

 この数年来、イジメによる自殺が相次ぎ、その背景にある陰湿ないじめや、部活の指導者の体罰が発覚するたびに、教委の責任の曖昧さや動きの鈍さが露呈し、その無責任さが批判されて、教委は何のために存在するのだという声が大きくなっている。実際に、教委の対応を見ていると、都合の悪い情報を隠したり、身内を守ったりする従来の傾向が改まっていないことから、このような批判は当然だろう。

 現在の教委の持つ体質は、学校の自主性を尊重することではなく、むしろその逆であることが多く、学校が個性を発揮しようとしても、それを押さえて、全てが横並びにする方向で調整するきらいがあることは、私自身感じたことであり、多くの教育関係者が指摘するところ。

 もっとも、教委側の立場からみると、住民全てに平等な教育というタテマエがあるので全てを横並び(しかも、実現可能ということで低いレベルでの横並び)にならざるをえない面もあり、結果的にはことなかれ主義が前面に出ることもある意味仕方ないようだ。

しかし、こと事件が発生すると、この体質では動きが悪くなるのは当然で、情報を公開するのではなく徹底して隠蔽し、いつの間にか学校内で解決したかのごとく扱うのが得意技になっていることは否めない。

ところが最近は、その得意技を発揮する以前に、どこからか情報が漏れ、イジメによる自殺などが発生すると、原因究明や責任問題などに首長が関与することが多く、教委はただただ後追いというか、オロオロするだけという場が目立っている。

そして、とにかく謝ればということで、教育長がゴメンナサイする姿が当然にもなってきたことから、責任の所在をはっきりさせ、首長が危機管理に乗り出せる仕組みを取り入れる必要があるという考え方が広がってきたようだ。

責任の所在を明らかにして、原因の究明と、これ以上赤い命が奪われなくするという方向性には異論はないが、首長が代わると教育に対する考え方が変化するとなると、これはかなり危険な臭いがする。

 首長は選挙で住民が選ぶという、地方分権のシステムからは、首長の考え方は住民の意志であるという見方はできるかもしれないが、それ以前に、現在の首長と政治勢力、特に中央の政党や利益団体との結びつきが強く、首長の意見というよりも中央政党の政策に左右されることを見落としてはならない。

 さらに今回の改変で気になるのは、国が教委に是正の指導をしやすくするため法改正が進められていることである。沖縄県竹富町の教科書採択の問題などがその背景にあるのだろうが、中央統制を強め、地方の多様な教育の可能性を力で踏みつぶすやり方は、教育の中立性そのものを否定するものである。

 現在の教委制度は、憲法とともに、占領下にアメリカに押しつけられたという声も大きくなり、この考え方が改革の背景になっているようだが、中央集権体制で推し進められた戦前の軍国主義教育への反省に立って成立したことは教えられ、また教えてきた事実である。

教委制度に対して全て肯定するものではないが、地方を教育の担い手とし、政治を遠ざけ、地域住民の声を大切にする仕組みとして存在している制度を、根底からひっくり返す今回の政府の改革案は、明らかに時代に逆行している。

 時の権力が『右向け右』と言えば、国全体がその方向に向くような体制になったらどうなるか、歴史が証明しているはずなのに・・・。(田舎親父)

2014年2月26日 (水)

どうなるNHK・・・

 先月新しくNHK会長職になったモミイという男が記者会見の席上で、およそ無責任なしかも無教養で厚顔無恥な発言をしたことが伝えられ、国会でもいろいろ追求されたらしいが、あれば個人的な発言だと強弁。文句があるようだかち撤回するという、親分であるアホベ首相の顔を立てて、一応はゴメンナサイという姿勢で誤魔化したようだ。

首相の任命責任を徹底的に論じるかなと期待していたが、民主党ははじめから腰が引けている上に、他の野党も数が少なく追求する時間さえ十分もらえないとあっては、個人的な発言だと言われたら、それ以上追求もできない。結局、この男は国会の場からやすやすと逃げきり、終わってアカンベと舌を出していたらしい。

反省も何もなく、その後の経営委員会の席では『私は変なことを言ったでしょうか』と理事達に逆質問したと伝えられるが、こちらもアホベさまのお友達や子分たちが幅を利かせているらしく、『そんなことはありません。会長のおっしゃる通りですよ・・・』程度の雰囲気が流れたのではないだろう。

結局は、NHK会長として自分の意見は正しいと、タテマエの上では取り消した発言を、早速撤回、復活させているのだから、これは国会軽視というか、むしろ国会議員なんかチョロいもんだと嘗めきっていることは間違いなさそうだ。

そして、この男が、就任初日に理事たちに『あなた方は前の会長が選んだ。今後の人事は私のやり方でやる』と発言し、辞表を預けるよう出席者に求めたというから、何様のつもりなのだろうかと呆れ驚く。しかし、ここまで強引な言動をするのは、すでにNHKは俺さまがアホベから預かったものだという意識があるようだ。

そこまで言われて抵抗する理事が一人ぐらいはいると話は面白いのだが、まだ一人も辞任していないとなると、うっかりしたことを口にしたら、たちまち『辞任願いが出た』ということで、その段階でクビと宣告される恐怖で理事達の気持ちは凍りついているのではないだろうか。

となると、経営委員という人たちは何のために任命されて、集まってどんな話し合いをしているのか全くはかやの外。その内容が外に漏れることは殆どない。

ただ、初日の会合に新会長から辞表を要求されていても、汲々とそれに応じて辞表を預けるとなると、経営委員という肩書には、よほどうま味がある(利権といって良いのかは分からないが)何か大きな魅力があるに違いない。

そんな中で、このところ現内閣に批判的である『日刊ゲンダイ』という大衆紙が『人間のクズ』発言で批判されたヒャクタという経営委員の言動などを見ていると、NHKの経営委員会とは『何なのか?』と思ってしまうという記事を掲載していた。

一応、表向きはNHKの会長人事や予算の割り当て、事業計画などを議決する『最高意思決定機関』なのだが、その内実はほとんど明かされていないところから、過去に委員を務めていた女性にインタビュ-を試みて、その実態をさらけ出しているから面白い。

この方に経営委員の話があったのは、就任の約2カ月前、総務省からの1本の電話で、いきなり『次期、経営委員になってもらいたい』と言われたという。本人は驚いたそうだが『NHK全体の経営監督や会長の任命権がある』とか『VIP待遇です』と説明されたそうだ。恐らくこの御仁も、その魅力に納得して委員を引き受けたのだろうが、語っている実態は酷いものである。(長いインタビュ-なので一部のみ引用)

NHK職員から『御殿』と呼ばれる東京・渋谷の放送センター12階にある部屋で月2回、2時間ずつ定例会が行われるんです。当時、地デジ移行に伴う機材の入れ替えは大きなテーマでした。私が、今までの機材がゴミになることや高齢者は地デジに対応するのが難しいのではないかと意見したら、地デジ専門の理事からは『国策です。いまさら何言ってるんですか』と怒られましたね。委員会事務局からも『そのことは触れちゃいけません』と言われました。議題を用意するのはNHK側で、会議の1週間前に大量の資料が送られてきます。事前に目を通しますが、財務や放送の専門用語などがあり、内容を理解するのは難しい。しかし、直接、説明を受けられるのは定例会の2時間だけですから、皆が個人的意見を言っていたら時間がなくなってしまう。そう考えて、結局、『はい、聞き置きました』と答えることが多かったです。議題が差し戻されることはほぼなかったし、委員会は追認するための機関なのだと感じましたね。
 年収は2004年の不祥事以降徐々にカットされ、退任時はボーナスを加えて約500万円(現在は非常勤の場合、約495万円)。当初退職金もありましたが、当時経営委員は全員非常勤でしたから、私は常勤でないのに退職金はおかしいと意見しましたが、『もらって当たり前』という意見の委員もいました。黒塗りハイヤーの送迎もありますが、時間的にとても急ぐ場合以外、それは辞退して公共交通を使いました。そうしたのは、私と委員長だったJR東海会長くらいですね。委員や理事の入れ替わりなど節目には12階の『御殿』でパーティーがありました。今はどうかわかりませんが。高級ホテル顔負けの料理が並び、和服女性やタキシードの男性が給仕してくれます。委員会の運営費は相当、かかっているのではないでしょうか。(引用ここまで)

全てが真実だとはとても思わないが、それでもいやはや、凄いものである。早くモミイという会長を辞めさせないと、NHKは国民に思想信条に偏らない情報を発する『日本放送協会』ではなく、現政権のための、偏った情報のみを放送し、国民を洗脳するだけの『政府専用放送局』になることは時間の問題ではなかろうか。

 ますます、いつかきた道へ連れ戻す足音が大きくなってきたような気がする。(田舎親父)

2014年2月25日 (火)

帰還して大丈夫?・・・

 政府が福島原発事故で避難指示が出された福島県内11市町村では初めて、田村市都路地区の4月1日の解除を決めたというニュ-スを一昨日テレビが伝えていた。世代や職業などの条件によって環境が異なる市民の意見は『やっと帰れる』『まだ放射線が心配』と真っ二つだとも・・・。

 この方針は、政府・市による住民説明会で住民に伝えられたとのことだが、事故から3年、やっと戻れると期待が膨らむ引きの気持ちは十分理解できる。しかし、どこまで情報は遺漏なく伝えられているのだろうという疑念は消えない。

 除染が完了したとのことであるが、何をもって完了したのか、人々が住む周りの全てが除染され、日常生活に支障がないという安全が担保されているのだろうか。そして、これから10年、20年という長いスパンで放射能が原因でガンなどのリスクがなくなったのだろうか。そのあたりのことは記事にもない。

 説明責任者の原子力災害現地対策本部の本部長は『避難指示は憲法が保障する居住の自由を阻む命令。田植えを再開し、家を補修したい人の人生の再建を遅らせる権利は(政府には)ない』と話したとのことだが、その言い回し方に、何となく責任逃れの印象を受ける。

 さらに、『4月に解除になっても、帰還しなさい、ではなく個々の判断です』というくだりは、政府・行政として、やるだけのことはやったので、後は知らんぞというニュアンスが含まれているような気がしてならない。

 訪れたことがないので想像でした言えないが、この地域は恐らく、日本中どこにでも見られるような里山風景が広がった村だろう。過疎と高齢化も当たり前かそれ以上に進んでいるに違いない。しかし、人々はその日の平和な生活を過ごしていただろうが、原発事故によって何がなんだか分からないうちに避難を余儀なくされ、今日まで続いていた。

やっと、戻れるという喜びは十分に伝わってくる。直ぐにでも農業を再開すると意欲的な住民も多いようだが、作った作物が以前のように農協が集荷、販売できるのだろうか。農協がそこまで復興できているのだろうかという疑問も膨らむ。

会場でも、風評被害対策を求める声が多かったというが、対策をすれば『風評被害』が防げると思っているのだろうかと気の毒に思えてくる。安全かどうかは消費者が決めるもので、生産者が安全だと主張しても、消費者に疑問が残れば購入しないのは当たり前。これを『風評被害』という言葉で、消費者に責任を転嫁するのはいただけない。

全ての責任は原発事故にあり、それを引き起こした東電にある。東電は、風評被害だとのことで売れない作物は対価を支払って買い取る義務があり、買い取った作物が安全だと確信持つならば、東電ブランドとして首都圏で販売するなり、社員食堂で調理するなど、自前の販売消費ル-トを作る責務がある。

 国は『帰還したい人を全面的に支援する』と断言しているそうだが、全面的に支援するというのは、作った作物が安全で、しかも流通にも責任持つという意味が含まれてなくてはならないはず。しかし、肝心な部分は、いつもながらの我関せず・・・。

 自分の判断で、まだ戻らないと決める人も少なくないだろう。特に、子どもを持つ若い世代は、一般国民が普通に生活して年間に浴びる放射線量は1ミリシ-ベルト以下が望ましいと言われている中、その20倍の放射線量をわが子に与えて良いと思う親が存在するはずがない。

中には、諸事情が抱えて、それでも戻るという重い決心を強いられる人もいるかもしれない、その人たちへの将来的な補償はどうなっているのだろう。そして万が一、子どもに障害が発生した場合は・・・。

 4月に帰還可能となっても、どれぐらいの住民が戻るかも疑問符がつく。3年ぶりに我が家で暮らす権利は得られるだろうが、事故前に存在していたコミュニティーは絶対に戻らない。作った作物を東電が買い取ることも絶望だろうし、周りの豊かな自然を育む山林の除染は手つかず、観光地とし生きる術もない。

生活基盤そのものが存在しない、原発事故前から過疎化が進む地域に、国が帰還を促している。『解除は復興のスタートライン』という言葉で・・・。

なんだか、悪い夢を見ているようなやりきれなさが襲って来る。(田舎親父)

2014年2月24日 (月)

給料が42兆円も下がる・・・

 どうも最近の動きを見ていると、アベノミクスというよりサギノミクスと表現した方が良いのではないかという感じがするほど、表面だけは景気回復を本当らしく繕っているのだが、肝心な部分はベ-ルの中に包まれて、格差を広げているだけではと(素人ながら)思えることが多すぎる。

経済にはとんと不案内の私には、アベノミクスノと呼ばれている経済政策?の内容すら正直分からないのだが、専門家筋の共通した意見としては、アベノミクスが成功するかどうかは、労働者の『賃金』が上がるかどうかで評価できるということらしい。しかし、大企業が儲かっているとマスコミが大騒ぎする割りには、国民全体の給料が上がったという話はとんと聞こえて来ない。

さらに、この政権の目指している労働者の雇用形態は、正社員を増やすことではなく、大企業にとって都合の良い契約社員やアルバイトを増やすことだということは、私でもはっきりわかってきた現状からみると、国民の全体の懐が豊かになるなどあり得ないと思った方が間違いなさそうだ。

私のそんな素朴な疑問に、『日刊ゲンダイ』というネットの大衆紙が、アホベ政権の『雇用改革』が実現したら、なんと労働者の賃金は約42兆円も減ることが分かったと書いている記事を見つけて『我が意を得たり』という気持ちになる。

記事は、『成長戦略』の目玉に雇用改革にあると指摘。この政権の掲げる雇用改革の柱となるのが、『限定正社員制度』や『残業代をゼロにするホワイトカラーエグゼンプション』など、安くて使い勝手のよい労働力を大企業に提供するのが狙いであると歯切れが良い。

その上で、アホベ政権の雇用改革がすべて実現した場合、給料はどうなるのかという問題を『労働総研』という組織が試算したそうだが、その結果が42兆円も減じるというから一挙に背筋が寒くなる。

契約社員が増えはじめたのは、不景気が合言葉になるほど景気の停滞が当たり前になっていた90年代後半からだという。確かに、その頃から、規制緩和という言葉が大流行になったことを思い出す。労働規制を緩和することで、正社員でなくても雇用できるということになり、非正規の労働者を急増させたことも、一般論として記憶にある。

迂闊なことであるが、地方公務員だった私には、その実態が殆ど見えていなかったと、今ごろになって気づいているのだが、(記事にある)大企業は低賃金の非正規社員を使い、売り上げが伸びなくても利益を出せるようになったとのくだりは、いちいち納得できる。

記事は続く。財務省の〈法人企業統計〉によると人件費は98年度からの累計で131兆円も減少しているというから驚く。こんなことは始めて知る。一部の専門家は指摘していたのだろうが、この種の記事はまずマスコミは書かない。また書いたとしても、何かとセット記事となり、考える隙すら与えないのが常である。

131兆円も人件費が減っているとは、信じたくないが、全くのデタラメではなさそうだ。むしろ、世の中の動きなどから考えると間違いないように思える。そして、これまでは正社員は雇用改革のかやの外だったが、この政権は『限定正社員』や『ホワイトカラーエグゼンプション』などという名前を打ち出して、正社員の雇用に手をつけようとしているというから、ますます背筋が寒くなる。

『ホワイトカラーエグゼンプション』という言葉は以前も何度か使っている。自分で勤務時間を決められるという、バラ色のような触れ込みであるが、残業代を支払わなくても良いというから企業にとっては、その部隊が増える方が益は大きいことは間違いなさそうだ。

この制度の導入により、1人当たりの残業代は平均166万円、総額10.5兆円減少するとの試算である。また、正社員を転勤がないとか、特別な勤務条件という形の『限定正社員化』によって、賃金は1人当たり55万円、総額14兆円も減るというから、恐ろしい。

究極のねらいは、正社員を一握りの『エリート正社員』と、多数の『限定正社員』に二極化だと断言している。『規制改革会議雇用ワーキンググループ(いろいろな組織があるものだが)』の議論では、20代は『3割が無限定のエリート正社員』だが、少しずつ『限定正社員』の割合を増やし、50代は『1割だけが無限定のエリート正社員』という雇用社会がイメージされているとのこと。凄い話である。労働者を人間扱いではなく、まるで家畜のように扱っている。

日刊ゲンダイのこの記事を読む人は少ないだろうが、これが事実だとしたら(事実だろうが)、アベノミクスは当初からサギノミクスと呼ぶに値する、実体のない騙しのための虚構である。消費増税と同時に更なる不景気感が広がりそうな気配が濃厚である。

しかも、公共料金はじめ諸物価は上がり下がることはない。となると、一般国民はさらに悲惨な生活を強いられにことになりそうだ。それでも、政権の支持率が落ちないとしたら、地獄を見るしたしかないようだ・・・。(田舎親父)

2014年2月22日 (土)

『はだしのゲン』締め出しが東京でも・・・

 松江市教委が、小学校の子どもに読ませるのには不適切だとして『はだしのゲン』を学校図書館から締め出す(閉架というらしい)処置をとったことを東京新聞が伝えたのは丁度半年前の昨年8月のことであった。

友人からこのことを聞き、私も後追いで記事を読んだが、『いよいよ、ここまで露骨な思想干渉が始まったのか・・・』と暗澹たる気持ちになったことが思い出される。

時の権力が世論の動向を探るために、ある地域に限定して、このような一種の調査行動を起こすことは常套手段である。松江市教委は『はい分かりました』と言うだろうとのお墨付きがあったのだろうが、その通り、実際にこの措置を半年後の昨年8月まで隠し通した実績はたいしたものである。

当時、松江市教委とともに鳥取県教委も同じような措置をとったこともしばらく後で知るが、山陰地方は自民党の大票田、幹事長のお膝元となると、教育に対する干渉がもうここまでことは進んでいるのかと愕然としたことも、嫌な思い出として心の隅でくすぶっている。

マスコミが伝えたことで、鳥取県教委と松江市教委は、さっさと閉架処置を解除したと報じられたが、(これ以上騒ぎ大きくしないためだろうが)珍しく先に文科省が動き出したのも異例であった。そのタイミングが見事だったらしく、以後この話題についてマスコミが触れることはなかった。

文科相の『松江市教委の判断は違法ではなく問題ない。子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要だと思う』という松江市教委を擁護する発言に対して、私は『原発事故での放射能に関しては、意識的に情報の隠蔽や遅らせることが得意な役所としては対応が早すぎる』と皮肉ったものである。

さらに、文科相が使った『教育的配慮』という言葉は、実に曖昧で何となく騙されてしまう雰囲気を持ち、時に、都合が悪くなったり、その先の意見をストップさせるためには実に効果的で、この言葉で教委の責任追求の機運が薄れたような気がしたと述べたことも思い出す。

しかし、まさか身近な問題にはならないだろうと思っていたが、昨日の東京新聞が一面四段抜き二行の『はだしのゲン都内で撤去誓願』という大見出しで報じているのには正直驚かされた。

原爆投下後の広島を描いた漫画『はだしのゲン』を教育現場から撤去するよう求める請願や陳情が昨年9月以降、東京都と都内の区市の教育委員会・議会に計14件提出されていたとのことである。

現在のところ、東京以外の請願はないということだが、この動きは不気味である。松江や鳥取で世論のこの措置に対しての盛り上がりが薄いと判断し、一挙に首都で火種にできると(横の連携を保ちながら)このような行為を断続的に行っているように思えてならない。

請願は『旧日本軍の残虐行為を捏造している』とか『天皇に対する侮辱や国歌の否定が含まれる』などとの理由をつけて、学校図書館などからの撤去を求めているとのことであるが、本気でこんなことを考え行動する大人が存在するとは、私にはとても信じられないというか情けない限りである。

都教委は1月『幅広い知識を身に付けさせるため、さまざまな資料が必要』として、不採用にしたのは当たり前の話である。しかし、『一部に教育上の配慮が必要な暴力的表現がある』とも指摘したという文言が何とも気に入らない。

実際に、校長や教委関係者の会議で『適切な読書指導を行うよう周知した』という一文は、この作品は問題だぞという無言の圧力を学校現場にかけていることになる。これはまさに、請願を出した側の思う壺だろう。

区市教委の態度にもかなり温度差がある。『海外からも評価を得た作品』と門前払いは当然だとするが、校長が判断すべきこととして『一律の撤去には応じられない』という教委や都教委の方針に従って『適切な読書指導』を条件に不採択したというくだりは、区市教委の独自性を放棄しているようにも思える。

 ある区では『誤った歴史が事実かのように描かれている』とする議員と、『原爆や戦争の悲惨さを伝えている』とする議員の意見が対立し、約半年にわたり継続審査となっているともあるが、こんなことを区議会で延々と議論しているもの俄には信じ難い。ひょっとして(下手すると)数の理論で閲覧禁止となる可能性も薄くないのも恐ろしい。

『描写が過激』だとの意見がどこから出てくるのだろう。戦争とはもともと人間性を無視した過激なもので、戦争の悲惨さを表現するには過激になるのが当たり前。戦争を優しく描いては、決して『戦争を憎む気持ちや許さない心』など育つはずがない。

残酷で過激な描写をともなった書籍はいくらでもあるはずだ。それこそネットでは目を覆いたくなるほど残虐で、気持ちが悪くなるような表現はごまんとある。『はだしのゲン』を締め出そうという意見の持ち主たちは、このような有害図書やネットの負の部分には一切触れず、『はだしのゲン』だけに的を絞り、閲覧禁止とはっきりとした悪意が潜んでいる。

 こんな話題が広がると、校長が萎縮するのは当然だろう。記事にもあるが、一校だけの判断は怖いという校長も増えているとのこと。これではますます教育の質の低下(自主性の喪失)が避けられなくなりそうな気がするが・・・。(田舎親父)

2014年2月21日 (金)

ドイツ政府がヒットラ-に参拝・・・

 ドイツの首相がヒットラ-の墓所(存在するのか分からないが)に参拝する。あり得ない話である。ヒットラ-に心酔するドイツ人は存在することを想像することは難くないがドイツ政府の要人が墓所に参拝するなどという絵は誰も描くことはできないと断言しても良いだろう。

 しかし、この国はあの太平洋戦争を推進した戦犯を、神として靖国神社に奉じているばかりか、歴代の首相たちが靖国へ参拝することが終生の栄誉としているから困った話である。しかも、本来ならこんな理不尽なことに対して、文句の一つぐらい言わねばならない野党の中にも、靖国病にかかっている議員が数多いというから助からない。

 A級戦犯たちが裁かれた『東京裁判』は、戦勝国の主導で行われたもので、日本国民総体として、細かな点まで納得できるものではないという主張は分からないでもない。しかし、戦犯たちの考え方に多少の温度差はあるものも、またアメリカの誘導によって戦争常態に突入したことも考慮したとしても、日本を誤った道に誘った集団であることは歴史が証明している。その結果、300万人ともそれ以上とも言われる日本人が、尊い命を失ったことは誰もが否定できない事実である。そしてそこから始まる沖縄の悲劇も・・・。

最近『男たちの大和』という本を読んだ。海軍は陸軍と比べ、その規律が穏やかだったという印象を持っていたが、著者の大和への激しい思い込みはともかく、文中にある兵隊達の日常は完全な縦社会で、たった一つの星が増えるだけで、下の階級の兵隊達を奴隷扱する実状を鋭く描いている。

陸軍の過酷さは、以前何度も読み返した、『人間の条件』で、軍隊の持つ悲惨さと理不尽さは嫌というほど知った経験を持つ。時に、戦争体験者の話を聞く機会を持つが、その方々の重い口からも、階級が下の者を、まるでボロ切れのように扱い、殴る蹴ると言ったリンチが日常的に行われていたことも事実であったことは間違いない。

しかし、このようなリンチ行為は、明治政府の『富国強兵』が何にも優先するお題目の中で生まれた『近代的国家の軍隊』という特殊な組織として生み出されたものであるのだから、このような行為を行った者は、いわば『軍隊病』の犠牲者で、心底からイジメのためのリンチを楽しんだわけではないだろう。その意味で、戦争犯罪人とは決めつけられないことは当然であろう。

日常的に暴力行為を繰り返して、戦争の悲惨さを紛らわさせていた士官も含めた下級兵士を日本を戦争への道に誘い、戦争に至らしめたとして、東京裁判で裁かれた一部の幹部軍人とは明らかに異なる。そのために、彼らには『A級戦犯』という称号?を与え、戦勝国の法廷で絞首刑に処されたと理解している。

随分前に見た『私は貝になりたい』という映画を思い出す。こちらは『A級戦犯』どころか、B級、C級、いやいやもっと下のレベルの兵隊が、上官の命令を拒むことができず行った行為を『戦争罪戦』と指摘されて、苦しみもがき、甘んじて死刑を受ける筋書きだったと記憶している。

このように『戦犯』として死刑になった兵隊も多かったに違いないが、絶対に拒否できない『命令』に従った行為であり、決して戦争を遂行した責任など問うことはできないことは明らか。この人たちを靖国に奉じることについては反対する余地はない。

A級戦犯を最初から靖国に奉じたわけではない。しかし、その経緯は調べてみても、私には納得できないことも多く、ドサクサに紛れて合祀という表現も間違っていないほど靖国神社側の強い意図をもってなされたことは間違いなさそうだ。

それが、中国や韓国を刺激し、以後重要な外交問題になっていることは言うまでもない。なのに、歴代の首相は参拝にこだわっている。しかも、合祀の経緯を十分知った上であるにもかかわらず、『リ-ダ-として当然の行為』と平然とうそぶいてである。

戦没者に慰霊と哀悼の意を捧げることには異論がないが、靖国にこだわる政権の姿勢は異常も異常。先の戦争は正しい判断で行われたと主張、虐殺などなかったと否定し、東京裁判そのものが違法であって、俺達はこれを認めないと言っていることと同じである。

アメリカも我慢の限界がきたらしく、『参拝は辞めなさい』と言ったらしい。歴代首相ならば『はい分かりました』と自粛するところだろうが、この政権は、首相補佐官という変な名の役職を作り、子分達を配し、この子分達が親分の代行と何や賑やかなのも気になるところ。

補佐官達がその役名通り『戦没者慰霊所の建設を急ぎましょう』と首相を補佐するのなら良いのだが、慰霊は靖国神社一本で十分だと心底から思っているのだから、話がややこしくなって来る。

先日は、民主党のオバマ政権だからと名指しで反論して補佐官や、アメリカこそ難癖をつけていると動画で批判した補佐官も存在するのもバカな話。

話は飛躍するが、こんなつまらない(当事者にとっては重要問題だろうが)ことでアメリカを怒らせては、今、進められているらしいTPP交渉に悪い影響が出ることも確実だろう。

コメなど食品5項目の関税撤廃などが『国益にかなう成果』だと、大々的に報じられる日も近いような気がしてならない・・・。(田舎親父)

2014年2月20日 (木)

増えつづける就学援助?・・・

 高齢者の間では『就学援助』という言葉を聞いて、正確に理解できる人はあまり多くなさそうだが、現在の学校現場では、この『就学援助』を受ける家庭数が増えつづけているという。

『就学援助』とは、小中学校に通わせるために、給食費や遠足や修学旅行費の支払いが困難な経済的事情のある家庭に対する公的補助である。生活保護を受けている家庭は、当然この対象となり『要保護児童生徒』と呼ばれるが、一般家庭であっても、生活が苦しいと申請しそれが認められると『準要保護』という名でこの援助を受けることができる。

ここでは、主に『準要保護』についてとりあげてみるが、以前は、『保護』などというお情けを受けのは矜持が許さないという保護者が多かったが、給食費や学校生活上の全ての費用分が返還されるこの制度は、雇用制度や景気の低迷などが原因で給料が順調に伸びないこともあって、近年、申請することは恥ずかしいことではなく、むしろ当然の権利という風潮が広がり、全ての学校といっても差し支えないと思うが、入学式ではこの制度について詳しい説明がなされている。

この制度の援助額は自治体によって違うが、東京都においては、公務員(教員も含めて)でも、3子以上の家庭ではその対象になるはずなので、商売を営んでいたり、病人を抱えている家庭では、申請すればその殆どが受理されるのが現状である。

以前は『準要保護家庭』という偏見があり、該当保護者がPTAの役員になることは、影グチの対象だったが、役員になり手がないことも追い風?となり、今日では当たり前になっていると聞いている。

PTAの会長さえ準用保護を受けているとなると、申請しないと損だという風潮か広がるのは当然で、文科省の調査では、2012年度は全体の15・64%に上っているという。100人で15人程度。私が知る限り、そんなものではないだろ。

私が関係した都内の小学校では、クラスの半数とは言わないが、3分1程度は(はずれてモトモトという気持ちもあるだろうが)『修学援助(順要保護)』の申請の手続きをしていたと記憶している。

(現役を離れて10年)記事は、増えつづけているという表現で、『就学援助』を取り上げているのだから、もっと高い数値がでても不思議ではないのだが、文科省の調査では、要保護15万2947人(全体の1・54%)、準要保護139万9076人(同14・10%)。割合はいずれも前年度より0・03ポイント増えていた程度というから、私にはさほどの驚きなどない。

 一方、双方の合計人数は155万2023人で、前年度より1万5808人減ったそうだ。1995年度の調査開始以来、初めて前年度を下回ったのは、子どもの数が減ったからとのことであるが、(経験的に)どうしても納得できない数値に謎が残る。

 蛇足ながら、15%で約150万とあるから、小中学校に通う年代の6歳から15歳までの子どもの総数は約1000万人程度。私の同年代はかって200万人超と教えられたてきたものだが改めて子どもの数の少なさに驚く。

数値の謎は解けないが、都道府県別の就学援助の割合は、最高が大阪の26・65%だという。なるほど・・・。次いで山口(24・77%)、高知(24・38%)、北海道(23・57%)などと続き、34道県で前年度を上回ったとある。また、過去5年間では沖縄、鹿児島、広島、高知の4県で4ポイント以上増えたというから、今後も増えることはあっても減ることはないだろう。

それだけ、もらわなければ損だと言う考え方が広がったということだと思うのだが、これはあまり良い傾向だとは思えない。

これでは、ますます経済的に余裕のある人であっても、通れば儲け物という軽い気持ちで申請する人は増えるだろう。もうすでに本屋で並んでいるかもしれないが『修学援助を受けるのには』という、ノウハウの本が発行されることも間違いなさそうだ。

就学援助(準要保護)という、机上の金額計算上で決まる制度を作り、諸費用を代弁するシステムのために人的物的に莫大な予算を計上するよりも、教育費そのものを全て無償にする方が、人心の荒廃を招かないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年2月19日 (水)

安楽死について考えさせられる記事・・・

 3日間完全に倒れていた。こんなことはめったにないことであるが、起きていられず、しかも食べられない。そのわりに体重が落ちていないのが不思議だが・・・。ずっと横になっていたのだが、進められなければ食事さえとりたくない。

限りなくよく寝る。ビ-ルさえ飲みたくなく、風呂にも入りたくもないのは何年ぶりだろう。おかげで、体内のアルコ-ル分がすっかり抜けたらしい。

今朝は久しぶりで起き上がり、そろりそろりとやらねばならないことを始めている。ほぼ体調は戻ったことを実感しているが、今日明日は御身ご自愛とのんびり過ごしたい。

昨日一昨日は、書きおいていた文章をそのまま掲載したので、今日からはまた、推敲しながら書き進むことにする。

さて、先週のことであるが、 ベルギー下院が18歳未満の子どもにも『安楽死』を認める法案を、86対12(棄権12)という『圧倒的多数で可決した』というニュ-スに驚く。

オランダでは『安楽死』が合法化されていることは知っていたが、ベルギ-でも10年以上前からすでに合法化していることや、しかも今回、子どもにまでその範囲を広げたことは始めて知る。しかし同時に、なぜそこまで急いで踏み込まねばならないのだろうという違和感も覚えるが・・・。

この法案は、すでに昨年11月に上院を通過しており、後は、国王の署名を経て成立することになるのだそうだが、国王が署名を拒否することはないだろうから、間もなく、子どもの『安楽死』第一号の報道が世界を走ることになりそうだ。

ベルギーは2002年、国家としてオランダに次いで『安楽死』を合法化しているという。今回の法案では、死期が迫った子供が文書で明確に安楽死を希望し、親と主治医が同意するなど厳しい条件をクリアすると適用されるとのことである。

実際に適用されることは限られるだろうとの見通しらしいが、それにしても18歳未満の未成年までにも『死ぬ権利』を認めるというから凄い法案である。

しかし、実際に例え子どもが死を求めても、現在の倫理観では、同意する親が存在するだろかと思うと、この法案の持つ意味は、単純に死ぬ権利の年齢を廃しただけではないのではと思わないでもない。

実際にベルギ-国内でも、この法案に対しては強い批判の声も出ているという。法案が可決された後でも、175人の小児科医が連盟で、さらなる検討を求める公開書簡を発表したとある。

この公開書簡では、法案は『存在しない要求に応える』と分かりにくい表現だが、常識的に読み取ると、終末期の子どもの親が自発的な『安楽死』を求める例などめったにないとし、医学の進歩によって効果的な緩和ケアが可能になった今、終末期の子どもが苦痛にさらされる心配もないとしているというから、ベルギ-の小児科医たちの倫理観は極めて私たちに近く、反対の意味も理解できる。

また、この公開書簡のなかで、『死ぬ権利』を未成年者に拡大すれば家族をさらに苦しめるだけだと指摘しているが、これも分かるような気がする。さらに、子どもが『安楽死』をどれほど理解しているかを客観的に判断するのも困難だとの意見も付記しているが、確かに、十代の子どもの『死に対する覚悟』と、私のような老人が持つそれとは、同一に議論できないものがありそうだ。

当然のことながら、法案に賛成する専門家も多いという。記事にある、賛成している医師の一人は『これまでも子どもの安楽死は水面下で行われており、グレーゾーンだったものが合法化されるだけ』との意見は、荒っぽいが事実だとしたら、ベルギ-ではこれまでに、未成年の『安楽死』が常態化していることになりそうだ。これは捨ておけない問題発言である。

 安楽死の先進国であるオランダでは、12歳以上で『安楽死の利益を合理的に理解している』ことを条件に認めているという。安楽死の利益とは大変重い表現であるが、12歳というと、我が国においては小学校6年生、果たして理解できるのだろうか。

 ベルギーの安楽死は12年に1432件行われたという。09年の調査では40〜79歳が73%を占めており、それ以下の年齢で行われるのは『まれ』だとも紹介している。なのに今回、年齢制限の撤廃とは解せない点も多く、安楽死の先進性をオランダから奪うためとは思いたくないが、前述した通り疑念が膨らむ。

少年の安楽死については気になるところが多いが、我が国でも、老人のそれを真剣に議論する時期がきたのではないだろうか。今回のベルギ-の安楽死法案の改定をきっかけに安楽死についてより深く考える風潮が広がればと願っている。

 寝たきりになっても、遺漏(この漢字で良いのかいつも悩むが)を行ってでも、あるいは脳死常態の植物人間になったとしても生きていてほしいという家族の願いは理解できるつもりだが、家族の同意を得なくても、本人の意思が発病前にはっきりとしている場合は、医師の判断で安楽死という選択もあっても良いと思いたいが・・・。(田舎親父)

2014年2月18日 (火)

それでも原発にこだわる電力会社・・・

 先週の大雪の土曜日、中部電力が(再稼働を前提にした)浜岡原発の安全審査が申請されたという記事に、『電力会社の懲りない体質』に呆れてしまう。

 以前、何度取り上げたが、この地域はいわゆる『地震の巣』といわれている日本で一番危険な地域であることは、福島原発の事故後は小学校でも教えている事実である。

 しかも、人や物の流通の大動脈である新幹線や東海道本線、あるいは東名高速などがすぐ近くを走り、万が一事故発生となると、その影響は福島原発事故をはるかに超え、専門家でも予測不可能で、天文学的な被害と言うだけ。まさに日本そのものの消滅を意味していると表現しても過言ではないだろう。

 浜岡原発が建設された当時は、私は原発には興味がなかったというと語弊があるが、電力各社がマスコミを使って、連日『原子力の平和利用』というお題目と、原発は地球温暖化ガスは出さない『クリ-ンエネルギ-』という大キャンペ-ンを真に受けて、原発は安全で事故など起きないと信じていた気持ちがあったことは否定しない。だから、なぜこんな場所に原発を建設したのだろうという疑問も持たなかった。

さらに、こんなに安全なものならば、東京湾埋め立て地に原発を造れば良いと本気で思っていたこともあった。今思うと、浜岡原発の危険性には全く意識を持っていなかったことは情けない限りであるが・・・。

ところが3.11の大地震で原発の安全神話が根底から崩れ、安全そのものがウソだったことを徹底的に気づかされ、改めて、どうしてこんな危険な原発を、当時でも地震学者の間で、日本一危険な地域だということがわかっていたこの地に建設されたのかという強い疑念が浮かぶが、今日に至っても納得する答はない。

中部電力は、南海トラフ巨大地震を念頭に、地震の揺れの強さの想定を引き上げ、高さ21メートルの津波に備えて、長さ1.6キロにも及ぶ大堤防を築いているという。さらに、想定された津波の到達しない高台に発電機を設置したことも明らかにしている。

福島原発事故後に、浜岡原発を一度この目で見たいと思い、近くまで車で出かけたものであるが、立ち入り規制があって、遠望はできたが近づいてその姿も観ることができなかった。(その時の経験だが)御前崎の直下には、堤防らしい設備がなく太平洋の雄大な景色が広がっていたが、少し離れると、当時でも頑丈な鉄の固まりによって、海の近くなのに海を観ることができないという違和感に、なんとも嫌な気持ちにさせられた記憶が蘇る。

あの頑丈な堤防を数倍も嵩上げしたことにも驚くが、中部電力としては、今回の護岸工事の完成で、これ以上絶対に心配はないと胸を張っているに違いない。しかし、自然の持つ威力は、人間が考え出した科学ではとても太刀打ちできないことを福島原発事故で学んだはず。いかに堅固な堤防でも、基礎からも打ち崩す津波の破壊力は想像を絶するものがあり、『絶対安全』という言葉は使ってはいけないことも・・・。

 それでも、原子力規制委員会に新規制基準に適合するかどうか審査申請をした。中部電力は、再稼働とは無関係だと説明うしいるらしいが、誰もそんなことは信用しない。規制委が安全だと結論づけたら、すぐに再稼働に動き出すだろう。最近の規制委の姿勢では、恐らく合格という答をだすだろうことは容易に想像がつく。さらに、現政権は規制委が安全だという原発は動かすという明言しているから事態は深刻である。

この原発は、福島原発事故後、時の民主党政権の要請を受けて止めた経緯がある。地震の危険性があるからであるが、このことは、あの無責任なアホカン政権が唯一行った価値ある判断、善政である。

先日の新聞紙上には、中部電力は発電設備に占める原発の比率が10・6%と、他の大手電力より低いとあった。このため原発停止後の燃料費増を受けた電気料金の値上げ幅も小幅にとどまっているのだそうだが、このことを、中部電力の経営陣は『自分達の武器』とすべきではないだろうか。原発に依存しない分、大阪ガスとパイプラインを構築したり、東京電力管内での電力販売に名乗りを上げたり独自性を持った電力会社であるとも記事にある。

このことの意味は大きい。原発の再稼働は利潤という点からは魅力的には違いないことは私にでも分かることだが、取り返しのない事故のリスクを犯すより、この武器を生かす経営理念も持ってほしいものである。

国民が誰しも願う、持続可能なエネルギ-への転換に。原発と決別できる可能性が一番高い電力会社だと思っているのだが・・・。(田舎親父)

2014年2月17日 (月)

ビットコインの負の要素・・・

 もう、10年以上も前になるだろうが、『地域通貨』という言葉が流行った一時期があったことを知る人も多いのではないだろうか。市場に出回っている普通の貨幣ではなく、日銀通貨との互換性を持たない、その地域のしかも加入者限定で通用する通貨である。

 確か、当時の経産省の課長だった、(漢字が間違ったらゴメンナサイだが)加藤敏春氏が言い出したと記憶している。地域を豊かにするという意味での『ホットマネ-』という言葉に引かれて、加藤氏の講演会に何回か参加したことも懐かしい。

 最初に町をあげてホットマネ-に取り組んだのは、町の名前から、その単位を『クリン』とした北海道の栗山町であり、その町の複数の職員の方とも、加藤氏の会で意見交換をしたことも思い出す。

『クリン』に刺激されて、全国にいろいろな呼び名の地域通貨が生まれたが、いつの間にか、それらの名前の通貨は消え去り、未だに使われている地域は殆どないか、ごく限られているのではないだろうか。

変な書き出しになったが、インタ-ネット上で『ビットコイン』という通貨があり、それが流行しているということを(闊な話だが)最近知り、このことを話題にしようと思った時、(何の脈絡もないが)以前ほんの少しだけだが自分もかかわったことがある『地域通貨』という言葉が頭の中で思い浮かんだというわけである・・・。

ビットコインは、円やドルのような『国家』の後ろ盾がない、単なる暗号データなのだそうだが、私にはどうしてこんなことが考え出せるのかと、ただただ驚くことばかり。

ビットコインの発想は『中本哲史』という日本の若者の論文が元となり、2009年に流通し始めたそうだ。銀行やクレジットカードよりはるかに安い手数料で地球上のどこへでも送金や支払いができる便利さから人気を集め、あっと言う間にインタ-ネットを通して全世界に広がったという。

先日、何故だが分からないが新聞各紙がそろってビットコインを取り上げていた。殆どの紙面には、円換算の値打ちは登場当初の100円未満から、昨年11月末には一時12万円まで高騰したとあり、最近はネット通販だけでなく、街中でも受け取る店舗が増え、流通量は円換算で昨年1兆円を突破したとある。

経済音痴の私には理解できないことが多いが、この文章から、ビットコインの価値は刻一刻と変わるらしい。どうも、一種の株券のように思えるのだが、世界共通の株券(ビットコイン)が貨幣として通用するとなると、手数料も郵送料もかからない『便利な通貨』になることぐらいはなんとか理解できそうだ。

ただ、その価値が株式のように乱高下しては、毎日血眼でその動きに注視していなければ、たちまち大損をするだろうことも理解できる。となると、この精神的な負担は手数料や郵送料などと比べて数段大きくなるのではと思うと、私にはとても手が出る代物ではなさそうだ。

インタ-ネットを利用するというから、悪意を持った利用法が発生するのは当たり前でだろう。先日の新聞各紙がビットコインの負の側面をそろって取り上げていたのも、世界各国にかなり大きな負の影響が出はじめたからのようだ。

記事によれば、アメリカで、ビットコイン界(すでにこんな業界が生まれている?)の大物と目されてきた人物が違法薬物などのネット取引を助けたとして逮捕されたとある。東京に拠点を置くビットコイン専門の大手取引所が一部取引を停止するなどの混乱も広がっているらしい。

 こうした中、各国はそれぞれ対応に乗り出したそうだが、ビットコインは、国境や既存の規制の網目をぬって流通する無国籍通貨なので、その規制は一国での対応では限界があるだろう。よほどしっかりとした話し合いがなされなければ、国際な犯罪に利用されることも間違い。

昨年12月に、中国の金融当局が国内銀行にビットコインがらみの取引を禁じると、対ドルの価値は半減したというから、すでにここまで深くビットコインがその国の経済を左右する存在になっているのも不気味である。

ロシア政府は仮想通貨を一切禁止すると発表したが、アメリカではビットコイン自体は非合法とせず、犯罪利用を防ぐために取引所を免許制にする案が検討され始めているという。日本では、日銀が研究を進めているらしいが、『既存の法律の対象外(金融庁)』と、政府が積極的に動く気配はまだないとのことだから、下手すると意図的に犯罪者に日本を暗躍の場とされる可能性は大きいようだ。

日本の銀行が日曜日に預け入れする場合にさえ手数料をとることを先日始めて知り、その理不尽なことに呆れたので、ビットコインという便利さは評価できそうだが、匿名性がある限りこの種の犯罪を防止することは不可能だろうから、これ以上の流通は歓迎したくない。

犯罪利用を防ぐシステム作りに莫大な予算を組むよりも、銀行の手数料などを大幅に値下げすれば、ビットコインなどの存在理由がなくなるのではと思いたいが・・・。

もっとも、既存通貨の後ろ盾であるはずの国家が、経済優先という言葉に惑わされて、安易な金利引き下げ(引き上げ)などの、通貨の信用を落とす行為に明け暮れていることも改める必要がありそうだ。

書き出しの話題に戻るが、ビットコインというインタ-ネット上のバ-チャルな通貨より、人々の善意で狭い地域で通用していた『ホットマネ―』を統合して、広範囲で通用する地域通貨が生まれると、地域の活性化は劇的に進むのではと思いはじめている。

まだ、その仕組みの構想もなどは思いつかない段階であるが・・・。(田舎親父)

2014年2月15日 (土)

現場の声が聞こえて来ないわけだ・・・ 

 また大雪。しかも先週よりも積雪量が多い。今朝は雪は止んでいるが、風と雨が激しく雪かきもできない状態。雨を止むのを待つだけだが、前の老人施設では従業員の送迎のためのマイクロバスが雪をかき分け動いている。その轍の深さが大雪を実感させる。

 事故がないことを願うが、ここに入っている老人達は、こんな下積みの人たちの苦労がわかっているのだろうか・・・と、ふとわびしい思いが頭をよぎる。

ところで、先日の東京新聞に、『東京電力が、福島第一原発で働く作業員の待遇面など労働環境改善のために実施しているアンケートを、元請け企業を通じて回収していることが分かった』という一文を見つけ、思わず『エッ ウソだろう・・・』と叫んでしまった。

他紙には、類似の記事はないことから東京新聞の特ダネだろう。作業員への地道な聞き取りの成果だろう。よくぞ、我々が知ることができない、事故現場の暗部の一端を明らかにしてくれたと、大いに評価したい。

作業員たちの話では下請け企業の中には、作業員の回答を提出前にチェックしたり、回答の内容を指示したりするところもあり、作業員からは『こんなやり方では実態は分からず、改善につながらない』という声が上がっているとある。

酷い話である。アンケートは、東電が事故後に福島第一原発で働く作業員を対象に始めたそうだ。善意に解釈すれば、東電は作業員の生の声を聞いて、待遇改善はもちろん、事故収束のスピ-ドを上げるために始めたと思いたい。しかし、この会社の体質は、隠蔽することが底流に流れていることを考えると、善意などははるかかなた、というよりはなから持ち合わせて以内となると、こんな解釈など出来にはずがない。

記事によれば、作業員の立場は弱いため、回答者が特定されないよう、匿名で、通常は所属会社や元請け、年齢なども記載しなくていいことになっているという。東電はアンケートの記載内容に配慮しながら(どんな配慮なのかな)、回収する段階では元請け任せにしているのだそうだ。

回答用紙は『作業員所属する下請け上位下請け元請け』というように会社を通して回収し、東電へは元請けからまとめて郵送されるシステムになっているというから、匿名とは名ばかりで、個人名はともかく、どこに所属している作業員ということは、調べれば簡単に分かる仕組みである。

 記者が接触した作業員は『(上位下請けから)下手なことを書くなというプレッシャーがある。従業員の書いた内容を全部確認してから封筒に入れ、提出させられた』と話しているという。また、線量計の不正使用を目撃しても見なかったと書くよう指示された作業員もいるとのことでは、アンケ-トは東電のアリバイ作りの一つのようだ。

 東電の担当者は『回答用紙は作業員が記入して封筒の封をする。中身は(元請けなどに)見えないようになっている』と回収方法は適切だと言っているらしいが、下請けが全て縦関係でつながっており、上位の下請けの意向で下位の下請けの契約条件などが左右されている現状では、所属作業員が下手なことを書かないようにする動きが出ることは当たり前だろう。

作業員の身元を秘密して、生の声を聞き取りたいのであれば、郵便ポストではないが、作業場の一角に回収箱を用意して、一定期間ごとに回収する方法をとるとか、作業員が線量計を借りに立ち寄る東電が直接管理している施設があるというから、そこに回収箱を用意すれば良いと思うのだが・・・。

東電のアンケ-ト担当者も、そのことは十分承知しているだろうが、御身大切というか知らんふりをして自分の位置だけは守るという姿勢をとっているので、『回答は公正に扱われている』などというセリフが口に出るのだろう。

 放射能の被爆を覚悟しなければならないのだから、よほどの待遇が用意されているだろうと想像していたが、実際には、孫受けの下にさらに下請けが存在し、それぞれの会社がそれをピンハネするのが恒常化しているというから、このような過酷な条件の下でした働きの場がない人たちが仕方なく集まっているようだ。

 東電は作業員を安定的に確保するため、昨年12月の契約分から元請けへの支払いを増やし、日当をかさ上げすると発表したが、こんなシステムを『是』としていては、『ピンハネして良いぞ』と言っていることと同じ。

作業員に賃金が適切に行き渡っているかどうか、今後アンケートで確かめるというが、『会社にチェックされているかもしれないと思うと、変なことは書けない』というシステムでは、適切に行き渡っていることなど調べようがない。

東電は『適切』という言葉を、『適当』と言い換える必要がある。もちろん『適当』とは『会社の意向で・・・』という意味であるが・・・。(田舎親父)

2014年2月14日 (金)

値上げラッシュに思う・・・

 いよいよ4月から消費税が3%アップされるが、続けて2%アップは既定の事実だろうから、ごく近い将来、5%上がって10%になる。はじめから、5%値上げだと、相当な覚悟が必要だと思わせるから反発を招くので3% 、2%と小刻みに値上げするのは、値上げ感を少なく見せる政府の常套手段だろう。

いつものことながら、国民心理を巧みに利用する、この種のやり方には、敵ながら流石だと感心するが、こと物価の値上がりに関しては感心ばかりしていられない。

国は、そろそろ国民に値上げの覚悟が必要だと思わせる頃だと判じ、マスコミに合図を送ったらしく、このところめっきり、『消費税が8%になると・・・』という話題が多くなっている。特に、公共料金の値上げが徐々に、しかも具体的なその姿を表しているのが不気味である。

 電気料金は、原発が止まって発電のための燃料費がかさむからという、間違いなく実態はベ-ルに隠しての脅迫セリフで、すでに大幅な値上げがなされているが、消費税増税となると、堂々と値上げできるのだからこの機会を逃すはずがない。

すでに、大手電力10社は5月請求分の料金から増税分の3%を上乗せすると発表している。マスコミ発表では、東京電力管内で標準的な家庭の電気代(現行は月額7315円)が209円上がり、7524円になる計算らしい。ただ、標準家庭の電気料金(4人家族を想定しているらしい)が、どんな計算をすればこんな数値が出るのかは疑問に感じるが・・・。

世間知らずだと笑われそうだが、前回の値上げの時に、電気料金制度では消費税値上げとは別に、原油や液化天然ガス、あるいは石炭の価格変動を反映し、毎月の料金を調整する仕組みがあることを知ったことから、(原油などの相場はあがることはあっても下がることはないことを考えると)電気料負担はさらに重くなることは間違いない。

当然のことだろうが、NTTも加入電話は3月中の使用分が含まれれば基本料金、通話料ともに消費税率は5%のままだが、翌月の料金から増税分が反映するとして、公衆電話は10円で話せる時間を短縮。市内通話は従来の1分間が57.5秒になるほか、市外通話は距離に応じ0.5~2秒短縮するのだそうだ。公衆電話を使うことはまずないので、あまり影響はしないだろうが、60秒を57.5秒にするとは芸が細かいと、変に感心する。

それはともかく、むしろ一般家庭においては携帯電話の料金が膨らむことの方が影響く大きいだろう。今では子ども一人一人に持たせることが、一般的に普及しているらしいから、家計にはかなりの重圧になるのではないだろうか。

JR東日本や首都圏の私鉄、東京メトロなどは、増税分を正確に反映するため、IC乗車券での支払いは1円単位で値上げすると発表している。しかし、現金で切符を買うとなると、1円単位では煩雑になるとの理由から、10円単位の値上げとなるというから、こちらも重なればかなりダメ-ジになりそうだ。

JR東の場合、東京都心部などの『電車特定区間』の初乗り運賃(現在130円)は増税後、IC乗車券なら133円だが、現金払いは140円と、同一区間でも2通りの運賃となるとのこと。このシステム作りには莫大な費用がかかるだろうから消費税増税分などは吹っ飛ぶのではないかと、変に心配する。それも2度にわたってシステム変更が必要となると尚更らだろう・・・。

高速道路は料金の刻みを現行の50円から10円に変更。増税分は1円単位を四捨五入して上乗せするという。タクシーは増税分を1円単位で四捨五入し料金に反映させるか、値上げせず初乗りの距離を短くするかを各社が選ぶのだそうだが、心理的には距離を短くするだろうから、エッと思うことが多くなりそうだ。

 幸いなことに、暑さ寒さには鈍感で、めったに電車に乗ることもなくなった私には、この消費税値上げは、当面の影響はさほどではないと思っているが、公共料金に加えて、食料品などの値上げでは、やりくりが苦しくなるのは目に見えて来る。まして教育費もとなると、子育て家庭には相当な重荷になることは間違いない。

 この際、私立指向は諦めるということになれば、多少は面白い話になるだろうが、むしろ、ますます学力・学歴重点主義が激しくなるだろうと思うと、あまり期待できそうもない。

また、この機会に子どもからスマホを取り上げるという親が増えればと思うが、そんなことをすれば家庭ない戦争に発展しそうだから、強いてこの選択をする家庭はないのでは。

となると、ますます親の悲鳴が聞こえてきそうな気がする。

特に父親の・・・。(田舎親父)

2014年2月13日 (木)

不可解な誘拐事件が続いている・・・

 このところ女の子が行方不明になる事件報道が多い気がする。相模原の小学5年生の行方不明に続いて、先月末に札幌市で小学校3年生の女の子が行方不明になったと、テレビ各局は競って取り上げていたが、ほんの数百メ-トルの距離のアパ-トに監禁されていたということだった。

 女児は1月27日午後3時ごろ、ノートを買いに行くと母親に告げ一人で自宅を出たが夕方になっても戻らないため午後6時50分ごろ、母親が110番したという。誘拐事件となると、最悪の結果を考えて、慎重に捜査することは当然だろうが、身代金などの要求がないこともあって、2日後に公開捜査に切り換えたのだろう。

 その結果、市民からの目撃情報が自宅周辺に集中していることから、周辺にいる可能性が高いとみて捜査員を大動員し、近隣をしらみ潰しに調べ、2日になって、不審な人物がいるとの情報を元に、26歳の男が住んでいるアパ-トに踏み込み、女児を発見したという。その際、女児が居間にある、いすに座って元気な様子だったという。

 無事保護されたのでこれでお終いで良いのだろう。しかし、監禁されていたとのことだが、椅子に座って元気そうだったという文言に、何となく釈然としない不思議な感覚が頭に残る。

 誘拐には違わない。この男の行動は絶対に許されるものではないが。しかし、マスコミ報道からは、何となく女児は誘われるまま、アパ-トについて行ったように思われるような印象も受ける。女児に何らかの気持ちが働いて、ついふらふらとついていくことはあり得るようにも思える。しかし、よくぞ無事で保護されたと、改めて安堵する。

 犯人の26歳の男は、女児の関心を買うためにマンガ本を買ったことが、逮捕のきっかけになったとある。男が留守にしている間でも、女児は男の脅しによる恐怖心から、逃げる気持ちすら失われていたのでは・・・。

 それにしても、女の子に興味があり一緒に過ごしたいという身勝手な願望で、この少女を誘拐して、ずっといっしょに住めると思っていたのだろうか。そして自分が捕まらないと思っていたのだろうか。そのあたりの心理が不可解極まりない。こんな男が、近くに住んでいるとしたら、女の子を持つ家庭は一時も油断できない。

 数日たって、茅ヶ崎で無事保護されたという、相模原の事件も不可解である。この種の事件は、徹底して秘密にするのが常なので、事件の続報はないだろうと思っていたが、先日、犯人逮捕というニュ-スが報じられて、犯人のとった行動が少しずつ明らかになってきた。

 犯人は、町田市に住む30歳の男だという。この男が犬と散歩中の女の子の手首をつかんで、カッタ-で脅して無理やり車に連れ込んで、3日間自宅に監禁していたことがはっきりしたが、この男も、一人で住むのが寂しくて女の子を物色していたとのこと。なんという身勝手な男が日本中のあちこちに存在するものと、身の毛がよだつ。

 この事件には、さらに続報があり、犯人は車のナンパ-プレ-トを盗んで、レンタカ-につけていたというから、誘拐は計画的で悪質である。

 しかし、数日後の早朝に、茅ヶ崎の交番近くで女児を解放し、交番があることを教えたという心理は不可解である。さらに何食わぬ顔で会社に出勤したというのも・・・。

 女児は、交番に人がいなかったことから、警察署に電話して、自分の名前をはっきり伝えたというから、ごく普通の女の子だったことは明らか。小学校5年生の健常児に、黙ってろという脅し文句が通用すると思ったとしたら、この男こそ精神的に異常がある。

 一緒に住みたかったというわけの分からない身勝手な願望で、その餌食になった女の子は気の毒。家族の心配と安堵の様子が目に見える。この親子の今後が気になるが、周りの暖かい見守りを願いたい。犯人には厳罰は当然だが、事件が事件だけに、新しい事実が判明したとしても、マスコミは騒ぎ立ててほしくないもの・・・。

 命が奪われなかったことだけは救いだが、こんな心理の男がウロウロしていると思うと、なんともおぞましい。

 私には、世の中の仕組みや価値観などが狂い出したように思えてならない。模倣する男が出ないことを祈りたいが・・・。(田舎親父)

2014年2月12日 (水)

老人の住みにくい国・日本・・・

 土曜日から日曜日に書けての大雪にはビックリしたが、そんな雪の中や凍結した道路で年寄りのケガが多かったことに、なぜこんな天候の中、無理して出歩くのかと、(背景には、年寄りが外に出歩くことは良いことだという風潮があるのだろうが)ケガをした人には失礼ながら、自分の年や体力を考えない老人の多さに苦言を呈したくもなる。

ここ数年、急激に進む高齢化の中、その対策もあって、戸外で過ごすことを奨励するようになり、杖がなければ歩けない人でも戸外に出る人が多くなっているのも原因の一つに違いない。中には、電動車椅子に乗って出かける人も稀ではなくなったのも・・・。

そのことに文句はない。家の中で閉じこもっているよりは、外に出て体を少しでも動かすのは健康に良いことは間違いない。公園で年寄り同士がおしゃべりしている姿を見ると微笑ましくなり、聞くともなく聞いていると、かなり遠くからやってくる人も珍しくないらしい。もっとも私もその一人であるが・・・。

外に出ることは大賛成だが、このところ高齢者の踏み切り事故の報道が多いのが気になる。近くの踏切で事故があったこともあって、そんな記事を読むと胸が痛くなる。

 先日も、東京足立区の踏切で76歳の女性が電車にはねられて死亡する事故があった。記事によれば、踏切を渡り切れないと判断して引き返す途中の出来事だという。

 恐らく足が不自由な人だろうが、渡り切れないと判断して引き返したのだろうが、運悪くこちら側に電車がきたようだ。むしろ思い切って渡った方が良かったのかもしれないが気の毒な話である。

記事には、歩行者が安全に渡りきれるよう鉄道会社が踏切を設置する際の国の基準は、2002年施行の省令の解釈基準で『歩行者の歩く速度を時速5キロ』と想定しているとある。これは始めて知ることだ。

私が歩くスピ-ドと同じ程度である。自分では決して速いとは思わないが、私を追い越す人よりも、私が追い越す人の方が多いことから、遅いわけではなさそうだから、このスピ-ドを基準は年寄りには厳しい。

時速5キロメ-トルとは、秒速では1.39メートル。不動産広告で使われる徒歩速度が、健常者の平均の1.33メートルと決められているそうだから、健常者以上のスピ-ドで渡らないと渡り切れない場合が多くなるのも納得する。

横浜線の踏切は線路は上下2本だけ、極めて短い踏切であるので、具体的な事故を想像できなかっただけで、多くの線路が重なっている踏切では、事故が起きるのはもっともだろうことに気づく。

年寄りがますます増えて、しかも杖がないと歩けない人はそれ以上に多くなることは想像に難くないことから、踏切事故は増えることはあっても少なくなることはないことは間違いないところ。

このまま高齢者の外出を奨励する雰囲気が蔓延すると、踏切のこの基準を緩めるしか事故を減らす方法はないのだろうが、ピ-ク時には1時間に40分も閉まっている踏切が、全国では500ケ所もあるというから、年寄りの安全のために基準を緩和すると、開いている時間はもっと少なくなり、別のトンデモない事態になることも容易に想像できる。

もっとも、踏切をなくすことが一番の対策なのだろうが、高齢者に優しくは叫びながら、年寄りに対して優しい対策は殆ど無視されるこの社会では、高架化や地下化など予算の対象になることは殆どない。

買い物や病院に杖をついてでなければ行けない年寄りにとっては、踏切を渡るのは大冒険という気持ちを持って出かけなければならないようだ。

しみじみと、年寄りには住みにくい国になったものだと感じる昨今・・・。(田舎親父)

2014年2月11日 (火)

メダル・メダルの狂奏曲が・・・

 このところ、冬季オリンピックがニュ-スの主役を独占している。開催地が『ソチ』とカタカナ二文字で表されるので、言い易い・覚え易いこともあって、連日マスコミは『ソチ・ソチ』と賑やかなこと夥しい。

 9日の日曜日のことであるが、2時間ほどの雪かきで汗を流し、早めの昼食をとりながら、女子モ-グルという競技の録画放送を見ていた。丁度、予選で上村愛子が滑る場面だったが、いやはや凄い技術の持ち主だと唖然として画面を眺める。

かなり上位の成績だったが、後から滑る外国選手の技術はそれ以上らしく、たちまち順位が下がりはじめ、ようやく10人が選ばれる準決勝に7位の成績で進んだとのことである。録画というのは便利なもので、続けて準決勝・決勝の画面が流れ、結果的には4に入賞という成績だった。

スピ-ドは一番だったらしいが、途中の姿勢やアクロバット的な演技にミスがあったという。専門家にはミスが分かるのかもしれないが、私から見たら、そんなミスに気がつかず、時計的に一番だった上村選手が優勝者でも奇怪しくないと思いたい。

それ以前に、(体操競技でも感じることだが)人間業ではないような高度な技術を競うのは、近代オリンピック(最近のスポ-ツ界)では当然なのかもしれないが、それを評価する審判員が、どこまで客観的に正確に判断できるかという疑問が消えない。

ジャンプ競技でも距離だけではなく飛んでいる姿勢や着地のバランスも大事な評価要素になるのだが、これも、審判によっては、オヤッと思う点数が出るのも稀ではないことから、審判の好み?なども影響しているのではないだろうか。

私の考え方が古いのかもしれないが、スポ-ツはその起原を部族や民族間の争いだという説を採用したら、極めて分かりやすい判断基準があるべきだと思っている。陸上や競泳は、時間という絶対基準があるので実にわかり易い。幅跳びや高飛び、あるいは槍投げやハンマ-投げなどの競技は、メ-トル(センチメ-トル)という歴然とした基準で順位が決まる。

球技は、ル-ルに従った点数を取り合うことなので外野席で見ている人間にでも、はっきりと勝敗は理解できるが、審判が判断する競技となると、往々にして審判の恣意が影響する可能性があることが、私的にはひっかかり気になるところである。以前つぶやいた柔道などもその典型ではないだろうか。

審判の判断はともかく、最近のオリンピックは国を挙げてのメダル競争が先行していることも、オリンピック精神からするとそぐわない。ソチ大会は開催国ロシアのプーチン政権が威信をかけた国家事業になっているらしく、金メダルの獲得数とし、最低でも世界の3位に入ることが目標だとのこと、なんだかなあ・・・と思ってしまう。

そのために、メダルを獲得した代表選手に報奨金だすのだそうだが、金メダルを得た選手には約1240万円にはぶったまげる。ちなみに銀は約775万円、銅は約527万円だとのこと。この賞金金額は日本の5倍だというから半端ではない。これでは、スポ-ツを楽しむというより、国が金儲けの手段にさせてしまっているように思えて、何か汚らわしさすら感じるが・・・。

金額的にはそこまでは至らないが、日本もメダル獲得には熱心で、オリンピックが始まる前は、まさにとらぬタヌキの皮算用ではないが、マスコミは大騒ぎして、金がいくつだメダルは固いと、選手にプレッシャ-をかけることが大流行。そして、結果は・・・。今朝もスピ-ドスケ-トではメダルは無しと伝えているので、今回もそのたぐいが多いようだ。

そして、2020年の東京大会については、今から、メダル・メダルと大騒ぎ。今回のロシアではないが、世界3位以内の金メダル数を目標に掲げているのだそうだ。

先月末、大会組織委員会のモリ会長が強化費の充実を要望した際、アホベ首相は、12年ロンドン大会で英国が金メダルを29個獲得したことを挙げ、『英国は日本より人口が少ないのだから、日本はそれ以上取らないといけない』と激励したというニュ-スが流れていたが、これはもう激励というたぐいを通り越して、国家による関与・介入としか言いようがない。

 メダルの数は多いに越したことはないが、世界の強豪との戦いとなると、実力的にはよほど飛び抜けていなければ、なにがなんでもメダルをとのプレッシャ-に押しつぶされ、その瞬間に最高の集中力を凝縮することは難しく獲得はほど遠いようだ。

 参加して楽しめば・・・という気楽な気持ちが選手を応援したいものだが、メダル・メダルと、連日の加熱度を見ていると、なんだか観ることさえ気が引ける。(田舎親父)

2014年2月10日 (月)

都民の半数が棄権とは・・・

 一昨日の雪には驚いた。こんなに長時間降り続いたのも珍しいが、風の強さに圧倒される。静かに降る雪ではなく、風に煽られて横から激しく吹雪く。時には、下から舞い上がる猛吹雪に、一瞬、ここはどこなの・・・と思うことさえある。

明け方から降り出したにもかかわらず、一日中同じような激しさで降り続いては、そんな錯覚も仕方ない。新潟から横浜の中華街に遊びにきた人が、『まさか横浜で雪にあるとは思わなかった』とインタビュ-に答えていたテレビ画面も印象的。この方は、なんだか騙されたような気分になっていたに違いない。

ところで、昨日は都知事選の投票日、天気が回復したのが救いであるが、雪が残って歩き難いこと夥しい中、投票率が心配になる。お昼のニュ-スでは推定投票率4.1%とは酷すぎて口あんぐり状態になってしまう。

そして8時。投票の締め切りと同時に、ゾンビ当確のテロップに、都民の軽薄さに愕然とすると同時に、これで日本はますますアホベ閣下の天下になり、またきた道へ誘い込まれるかと思うと最大限の暗い気持ちになり、やけ酒を煽るという最悪のパタ-ン。

それにしても投票率が悪すぎる。昨夜の6時時点で、推定投票率が40%に満たないとのことに唖然とする。そして今朝のニュ-スで最終投票率が報じられたが、何と46.1%というから酷すぎる。有権者の半数が、知事選に興味を持っていない?・・・。こんなバカなことがあって良いはずがない。

選挙でしか自分の意志が表すことができないのに、その選挙に棄権とは。国のあり方や今山積している都としての諸問題は、どうぞご勝手にということに他ならない。脱原発も俺達には関係ない?。贅沢な生活を送るためには電力が必要だから、どんな電力でも良いからどんどん都に送ってくれればそれで良く、脱原発など興味がないらしい。

福島の原発事故も過ぎ去ったこと。未だに故郷に戻れない人たちの存在なども、俺達都民には関係ないというのでは、人間として、同じ日本人としてあまりにも情けないではないか。東京オリンピックのために、都民のオアシスである神宮の森の景観を壊すこともどうぞご勝手にとは・・・。

自民党政権が、オリンピックを隠し蓑に使った戦術の上手さだろうと思うが、あまりにも大マスコミの権力に迎合する体質に、今後のこの国の行方に寒々さを感じる。

ゾンビ・マスゾエ新知事は、お年寄りの住みよい東京にすると叫んでいるが、アホベの僕に加えてもらって知事の椅子も得た手前、国の方針以上のことはやれるはずがなく、年寄りに住みにくい国の方針にすり合わすしかないはず。数カ月過ぎたら、きっと巣鴨あたりから怨嗟の声が上がるのではないだろうか。

都の教育もアホベの思い通り。親分の考え方を知事として先取り、先兵として、学校現場への介入も容易に想像できる。イシハラ時代よりもさらに締めつけが厳しくなり、精神疾患の教師が倍増するのでは・・・。

東京に電力を送っていれば、都民が喜ぶとなると、東電の金儲け主義の原点である刈羽原発の再稼働も時間の問題となったと、東電幹部の高笑いも聞こえてきそうだ。

どうやら、都民とは自分が大災害に合わなければ目が覚めない体質の集団であることは間違いないが、大災害など無縁だと思い上がり、そのことすら見えなくなっているようだ。

今日は、あまりにも酷い結果に、大拙文のグチのオンパレ-ドになってしまった。このショックからしばらくは立ち直れそうもないが、ゾンビ氏にはカネの問題があるというから、ひょっとして・・・。(田舎親父)

2014年2月 8日 (土)

NHKの変質が恐ろしい・・・

 先日、NHKのラジオ番組で、大学教授が経済学の観点から脱原発について語ろうとして止められたことについてつぶやいた。都知事選の最中で、『より公平性』が必要だからというが、予定した発言は特定候補を応援するものではなかったという。

明らかに、『脱原発』という言葉に引っかかったに違いなかろう。これでは、原発を都知事選の争点から遠ざけるためとのそしりを受けても仕方ない。

 こんなに奇怪しいことかまかり通っては、公共放送という名に相応しくない。少なくとも、国民総体の幸せを考えるのがNHKの根底思想であると信じたい。あくまで、時の権力に屈伏せず、国民を間違った道には誘導することなく、いわば不偏不党という姿勢を貫いてほしいと願っているのだが、このところ、NHKの幹部達の不偏不党どころか、アホベ政権の僕になったのかと思われる言動が多すぎる。

その一つが、NHK経営委員であるヒャクタという男が、こともあろうに、今行われている東京都知事選で、右翼的発想で知られている元自衛隊の航空幕僚長のタモガミという候補者の応援演説をしているという事実には愕然とする。

普通の作家がやるのは、思想信条の自由という憲法の精神には全く抵触しないが、全ての国民の幸せを願っているはずのNHKの、しかも経営委員という要職にある人物が、特定の候補の応援演説は、誰が考えてもあってはいけないこと。

 この男は、『田母神さんは教育を通し、子供たち、若者に日本人の素晴らしさと誇り、日本に生まれた喜びを伝えてもらいたい』と語ったと報じられている。タモガミという人物は、都知事選ではオブラ-トにつつまれたような発言をして、何となく頼りになるお父さんという雰囲気を出した演出をしているが、本質は全体主義を肯定し、先の戦争をも聖戦と位置づけていると思われるような発言で知られている。

 そんな人物が説く教育とは、長幼の精神を基本とした旧来の道徳を『是』とする、大袈裟に表現すれば、富国強兵の考え方を押し進めて、日本を世界に通用する軍事大国にすることがその底流に流れていることは間違いなさそうだ。

そんな教育が良いはずがない。また、ヒャクタという男は、南京大虐殺について『そんなことはなかった』と明らかに否定している上に、『どこの国でも残虐行為はあった』と平然と語っているか、これは虐殺など当たり前で、今更取り上げる必要などないということを端的に表現している。

武力で他国を侵略した(いわば)強者が、征服された弱者を徹底的に痛めつけることは歴史的には事実であるが、それは事実であって、それを『是』として現代社会に当てはめたら、今、撲滅することがなによりも課題になっている『イジメ問題』などは、強い者が弱い者を従えるのは当たり前なので、イジメそのものが起きないという理屈に置き換えられそうだ。

 NHKの最高意思決定機関である経営委員会は『服務に関する準則』で、『放送が公正、不偏不党な立場に立って、国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資することを自覚する』と定めているそうだが、ヒャクタにすれば、こんな文言は、どうでも良いことなのだろう。

 もう一つ、とんでも委員が存在する。ハゼガワという女である。埼玉大学の名誉教授という肩書を持つこの女は、抗議に押しかけた朝日新聞社野応接室で拳銃自殺した、右翼団体元幹部について、この自殺を礼賛する追悼文を発表していたというから呆れる。

拳銃をもって押しかける、このこと自体『ジャ-ナリズムへの暴力による圧力』でありあってはならないことだが、それには全く触れず、右翼幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に『人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである』と礼賛していというからNHKの経営委員の資質はない。

この女の考えに従えば,朝日新聞を『人の死を受け取る資格に欠けた』新聞であり、存在を許さないということになる。こんな輩がNHKの経営委員だということが信じられないが、二人とも、アホベ首相のお友達で、昨年11月に任命されたことが強く引っかかる。

数の力で、NHK経営委員はもちろん、各種の有識者会議のメンバ-が、全てアホベのお友達や子分達となると、どんな国になるのか幼稚園児でも分かること。

まず、アホベの言っていることを全て否定することから考えないと、トンデモない社会の足音が大きくなり、取り返しのつかないことになってしまうことは明らかである。

その意味でも、アホベが応援するゾンビ知事を阻止することが今一番肝要なことであるが、このHNK経営委員の言動を批判しているのは、新聞の社説やコラムだけで、一般国民に最も影響力があるテレビはダンマリどころか、ますます総白痴化を進めるバカ番組のオンパレ-ド。都民・国民には知らせない、知らせてはならないという圧力でも働いているようだ。

となると・・・。(田舎親父)

2014年2月 7日 (金)

賞味期限は終わった・・・

 先日、毎度お騒がせのハシモトという大阪市長が辞任するとの記事に、相変わらず、劇場型というか、自分が主役にならないと気に入らない病気は治っていないと呆れる。これはこの男の体質なのだから仕方ないのかもしれないが、やり直し選挙には6億円という途方もない税金が使われるというから迷惑な話。しかし、この男を選んだのが大阪市民だから諦めるしか方法がなさそうだ。

辞めるのはどうぞご勝手にと言いたいところだが、その理由が、俺にたてつく奴が多すぎて、自分の考えがすんなり通らないというのでは、市民はやりきれないのではないだろうか。出直し選挙に立候補した俺を大阪市民は絶対多数で再任するはずとの奢りと、改めて市長に選ばれた俺に対して議会は跪くに違いないという思い上がりがあるようだ。凄い自信であるが、それにしても大阪市民は嘗められたものである。

自らが主張する『大阪都』構想に、維新の会以外の議員が反対したことで衝動的に辞任というカ-ドを切ったのだろうが、大阪市民のどれだけが『大阪都』という構想を理解しているかというと、その数値は殆ど絶望的に低いのではないだろうか。

 『大阪都』構想はハシモト市長が3年前の市長選で掲げた最大の公約だということは知っているつもりであるが、助平なお笑い芸人でも立候補すれば圧倒的多数で選出するほど面白屋が多い大阪府民・市民はこんな構想などそっちのけで、むしろ、『大阪都』なんてなんだか面白そうだという雰囲気が広がり、『大阪維新の会』という地方政党を応援すれば、大阪が注目されるというのが本音だったのでは・・・。

 しかし、本人は本気だから困ったもの。外野的にはそのいらだちが良く分かる。しかし、議会の抵抗でスケジュール通り進まなくなったからといって選挙に打って出る手法は乱暴というより政治を私物化していると言っても過言ではないだろう。

大阪市議会でどんな論争があったのかは知らないが、『大阪都』構想が、かなり曖昧なものであったことは、その構想には欠かせない堺市において、『都構想』に反対する人物が市長選では勝利したことが明らかだろう。そして、やっとその疑問が大阪府民・市民に広がっているのではないだろうか。

有権者によって選ばれた市議会議員も、当初はおこりのように『都構想』に従っていたのだろうが、堺市長選から流れが変わりり、疑問を出すようになったに違いない。議会ではその疑問をハシモト市長にぶつけたのだろうが、要を得ず、とにかく『大阪都』にすることが先決とばかりスケジュ-ルを最優先にしたというところだろう。

マスコミ報道によると、『都構想』は、政令市の大阪市を複数の特別区に分割して身近な行政サービスを担い、広域行政を府に一元化するもので、二重行政を解消する狙いがあるとして、ハシモト氏らは今秋までに大阪府議会と大阪市議会の承認を得たうえで、大阪市民を対象にした住民投票を実施し、15年春の移行を目指していたのだそうだ。

 都構想を実現可能とする新法は既に成立しているというから、ここまでは彼の思い通りに進んでいたようだ。しかし、昨年春から法に基づく協議会で特別区の区割りなどが審議されていたが、その区割りに議会は『時期尚早だ』反対したことから、今回の辞任騒動に発展したらしい。

出直し選挙で圧倒的な勝利を得て、住民投票への手続きを一気に進めたい考えのようだが、果たしてそんなに上手く事が進むとは思えない。議会を解散という荒技も視野に入れているのだろうが、そこまで大阪市民はハシモト教に洗脳されているとは思えない。

事実、大阪市議会の多数を占める自民党と公明党は、『どうぞご勝手に』という態度で、対立候補を立てないという。共産党が対立候補を立てるだろうが、面白がり屋が多い大阪市民は、際立った対立候補がいない選挙には、面白みを感じないだろうから投票率は極端に低くなることも容易に想像できる。

そして極端に低い投票率でハシモト市長が再選されたとしても議会の構成に変わりはなく、解散もできないとなると関係が修復する保証はない。

出直し選挙は来年度予算の編成時期とも重なり、市政停滞による住民生活への影響は避けられない。むしろ、市民の間にますます『大阪都』になる必要があるの?という疑念は大きくなることはあっても、小さくなることはないはず。

ハシモトさん、あんたの正味期限は切れたのだから、そろそろとお笑い弁護士に戻った方が良いのでは・・・という声が聞こえそうな気がする。(田舎親父)

2014年2月 6日 (木)

ネットの書き込みがなかったら・・・

 2月1日の夕方、のんびり話題探しにネットで遊んでいると、貧乏人の私にはおよそ関係ないことだが、『億ションがネットの書き込みで欠陥だということが分かり、販売中止になった』という記事を見つけ、これは面白いと飛びついてしまう。

三菱地所レジデンスが販売していた東京・港区青山の一等地に建設中の超高級マンション『ザ・パークハウス グラン南青山高樹町』が、工事の不具合が発覚して販売中止となったという書き出しである。

最近は『手抜き』とは書かず『不具合』と表現するのも、何だかなあ・・・と思うが、その不具合というのが、『スリーブ』といわれる、水道管などを設置するためのパイプを通す空間、いわゆる『孔(穴)』が開いていなかったためというから、なんともお粗末極まりない。

木造建築であっても、最近は床下をコンクリ-トで固める工法が主役になっているので基礎を立ち上げると真っ先に工事を始めるのが上下水道の配管であるが、鉄筋コンクリ-トのマンションともなれば、柱や壁の部分には鉄筋が縦横に入っているので、後からの工事は不可能。はじめから配管用に空間を作っておかねばならないことは建築の全くの素人でも分かること。

こんなことは、施工者は設計図を見たら明らかだろうに、この空間を作ることなく鉄筋が組み込まれ、コンクリ-トが流し込まれたらしいから俄には信じ難い。

『三菱地所』というマンション販売の会社は、最近業績を右肩上がりに伸ばしていることは聞いている。この会社が売る物件は、価格は高いが工事が丁寧で、高級感があって住み心地がよいとの評判が広がり大人気らしい。時に、この会社の物件が時に新聞折り込みが入っているが、そこには価格の記載がないことが多いく、希望者が直接出かけなければ教えないという方針らしい。何とも強気なことと驚くが・・・。

お隣(正確には一軒先)に住んでいた人が、バス便がないことに、老後を考えてずっと住みつづけることに不安を抱き転居したことは以前書いた。その方が見つけたのが三菱所の物件。マンションを探していたらしいが、偶然、この会社が手がけているマンションの工事現場を通りかったので、運良く購入できたと喜んでいたことを思い出す。そのマンションは間もなく完成するが、この記事を読んで、この会社の強気の販売方法を思い出し、それでもたちまちにうちに完売してしまという事実に感心する。

そんな大人気の会社が建てるマンションの工事を担当したのがゼネコンとして有名な『鹿島建設』、そして、配管設備を担当したのが『関電工』というこれも一流と評判の企業だというから、これは一体なんなのだろうと呆れより笑ってしまう。

このところ、4月の消費税アップやアベノミクスという虚構に踊らされて、東京都心のマンションは売れに売れているという。今回、不具合が見つかった超高級マンション『ザ・パークハウス グラン南青山高樹町』の販売価格は、超一等地とあって、売値の最高価格は3億5000万円、最多価格帯が1億4000万円台だそうだ。

年金生活者の私には、一体誰がこんなマンションを購入できるのか、不思議さが先に立つのだが、全86戸のうち83戸が契約済みだという。かたや、待遇の不満から農薬を混入する契約社員、こなた、最低でも1億円超のマンションを購入できる富裕層の人たち。この格差は半端ではない。

それはさておき、空間がなかったことがわかったのが、インターネット上にあったカキコミだというのも気になるところ。このカキコミを見た契約者が、会社を問い質したことで事実確認が始まったというから、もしこのカキコミがなかったら、はたしてこんな経過になっていただろうか・・・。

記事には、『スリーブ』といわれる、配管設備のための孔は、設計段階では6000あるはずなのだが、実際にはそのうち、1割にあたる600か所の孔がなかったり、位置が間違っていたりしたとある。そのうえ、配管を通そうと後から開けた孔が、鉄筋を切ってしまった個所が見つかったとある。

三菱地所は信用を売り物にしているというから、今回の処置をとったのだろうが、後半の『配管を通そうと後から孔を開けた・・・』という部分が引っかかる。まさか『鹿島建設』や『関電工』が誤魔化そうと思っていたとは思いたくないが、孔を開ける作業をしていたとなると疑いたくもなる。

今、仮住まいでマンションが完成するのを待っている転居したお隣の方の入居日は今月末と聞いている。

三菱地所は今回の事態を受けて、施工中や販売中の物件のすべてで問題がないことを確認したというから大丈夫だと思うが、無事入居できることを祈っている。(田舎親父)

2014年2月 5日 (水)

ヴビエ料理の普及を進めたいもの・・・

 節分が過ぎ、立春もあっと言う間に通り越して、暦の上では春が始まった。大寒の終盤は,3月下旬の頃の暖かい日が続き、梅の開花が進み、マンサクの花が満開になんている。しかし、今朝の冷え込みはどうだろう。『立春を境に寒さがやってきた』という表現が不思議でないほど冷え込んでいる。

超夏向きの我が家の寝室の朝6時の室温は、昨朝は12.7℃、そして今朝は2.9℃何とその差が10℃もある。暑さ寒さに鈍感な私でも、夜中に目が覚め、長袖のシャツを着込んだほどである。朝のNHKのニュ-スで、『観測史上最大の寒気』と報じていたが、なるほどと納得・・・。

 春はこんな寒さ・暖かさを繰り返して、桜の季節を迎えるのだが、今年はこのサイクルが始まるのが早すぎる感じがする。このままでは桜も去年以上に早く開花するのではないかと思えるが自然は気まぐれ。今後の気温変化はどうなのだろう・・・。

 春になると生きとし生きるものの活動が活発になり、民家の庭先にマンサクやサンシュウの黄色の花を見つけるのもこの季節の楽しみである。そんなある日、『野生動物の保護を担う鳥獣保護法の改正を環境省が目指している』という見出しに出会う。

自然保護という名をつけて、あまり歓迎したくない法律を作るのがこの役所の得意技なので、どうせまたいらぬおせっかいだろうと思いながら本文に目を通す。

記事によれば、この法律の改定は、各地で野生のシカやイノシシが急増し、農作物の食害や貴重な生態系への影響が広がっていることへの対策の一つらしい。野生動物については、従来の保護を前提とした個体数調整から、捕獲対策の強化を含めた積極的な管理へ転換するのだそうだ。

今通常国会に同法の改正案を提出する方針だというから、今年度中に野生動物の捕獲作戦が強化されることになりそうだ。いよいよ人間だけでなく、動物たちも(もちろん植物たちもだが)生きづらい世の中になることは間違いないところ。

 被害の深刻度を考えれば、政策転換はやむを得ないが、これとて人間の都合で野生動物の人里への侵入を許してきたことが原因だろうから、現在の世の中の仕組み、特に都会だけに焦点を当てて繁栄させるという発想を転換しない限り、根本的な解決にはほど遠いことはいままでにもつぶやいたこと。

 記事には法案の詳細はない。しかし、捕獲した野生動物の食肉利用を促進し、地域振興にもつなげてもらいたいという一文には興味がわく。

私がシカ肉と出会ったのは15年ほど前になる。友人に連れられて飯田市の遠山地区にある『島畑』という民宿に宿泊したとき、宿の親父さんから『シカ肉の刺身』を出してもらったことから始まる。まるで上質のマグロのトロ、いや舌に絡まる味わいはそれ以上の美味であったことに驚き、何故、こんな上手いものを都会で食べられないのかと強い疑問持ったほどである。また、シカ肉のミンチで作ったというハンバ-グも忘れられず、以後『島畑』には何度も足を運んでいる。

その後、保健所の強い命令があったらしく、今ではシカ刺が出なくなったことは残念だが、シカが常に人里に現れ、人間の食べた残りを食べるようになったことで、肝炎の蔓延が始まったらしいとの説明には不思議に説得力を感じ、仕方ないことだと諦めている。

その後は、今でも時々、飯田市の友人や鹿児島県の猟師の方から、冷凍のシカ肉をいただくこともあるが、薄切りにして鍋や焼肉として、またミンチにしてハンバ-グに加工して味わっている。

フランスなどヨ-ロッパ各国では、しかやイノシシなど野生鳥獣の肉は『ジビエ』と呼び、高級食材として知られている。日本でも最近ではジビエ料理が流行り出していると聞いているが、日本では自然観の違いで食することに抵抗感があって、シカやイノシシの肉を食べる文化は一般的になりにくいらしい。

その上、これらの野生動物の肉が町のス-パ-などで手軽に買い求められるようになれば、我が国でもジビエ料理が広がるのだろうが、猟師の高齢化が進み、年々その数を減らしている現状では難しいだろう。その上、山から下ろして解体処理するには労力やコストがかかることやし、販路の開拓も確立できてないのだから、急激な広まりを期待するのはかなり無理がありそうだ。

それでも、最近はシカ肉を流通ル-トに乗せられないかは真剣に考え行動している人もいる。数年前にお話を聞きおつきあいいただいている滋賀県の職員である松井さんもその一人。彼は、全国的に展開しているカレ-のチエ-ン店でシカ肉カレ-を人気メニュ-の一つにすることを成功し、京都など関西圏のフランス料理店に新鮮なシカ肉を、安定供給できるシステムを確立。彼が取り出したシカの脳味噌を食材にした最高級料理を出す店も増えはじめているとのこと。

積極的にシカやイノシシを駆除することには抵抗があるが、農作物被害がこれ以上進むと、さらに過疎化が進となると、何とかくい止めなければならないことは仕方ない。

必要悪とは言いたくないが、駆除した野生動物が、ゴミとして放置されることなく、食料として流通することによって、新たな価値観が生まれ、人間と野生動物との共存を考える良い機会になれば望むところである。(田舎親父)

2014年2月 4日 (火)

背景の景色は格差の波・・・

 かなり古い話だが、日本で製造された冷凍食品に農薬が混入していた事件にはビックリした。初めて、消費者から、アクリフ-ズの群馬工場で生産されたミックスピザから油の臭いがするという苦情がお客様相談室に寄せられたのは昨年の11月のことらしい。

 会社はたいしたことがないと判断したようだが、次々に苦情が持ち込まれたことで、約一月後、臭気成分の特定を目的に、外部検査機関に検査を依頼した結果、酢酸エチル、エチルベンゼン、キシレンほか3物質を検出したことから大騒ぎになり、ここから農薬の疑いが浮上する。今回の事件で、数年前に起きた中国での毒ギョウザ事件を思い出した人も多いのではないだろうか。

農薬が混入されたのではないかとの声が高まったことから、会社はそれを否定するために残留農薬検査を実施したのが約一月後の12月はじめ。結果は『マラチオン』という農薬を検出。以後の経過はマスコミが応じているので必要ないと思うが、会社の対応の遅れが被害を拡大させたことは間違いなさそうだ。

 それからさらに一月以上経った1月中旬になって、契約社員のアベという49歳の男が逮捕された。何度もこの男の逮捕時の映像が流れたが、何となく年齢より老けて見える風体が印象に残る。マスコミはこの男の日常の様子や家族構成など、興味本位で大々的に報じていた。

 当初は、覚えていないと犯行を否認していたらしいか、さまざまな証拠を出されたことで観念したのか、待遇に不満を持っていたので自宅にあった農薬を会社に持ち込み、仲間の従業員の目を盗んで混入したと供述しているとのことである。

 『こんな大事になるとは思わなかった。会社や同僚に迷惑をかけて申し訳ない』と謝罪しているらしいことから、この男は、日頃の不満がたまりにたまって、ある日突然、衝撃的に農薬を混入したに違いない。その行為によって何となく気分が晴れ、善悪の判断が吹っ飛び、以後、何回か農薬を混入し、愉悦感を味わっていたのではと想像している。

 アクリフ-ズ群馬工場は、群馬県大泉町にある。この町にはブラジル人が多く住んでおり、その住んでいる人たちの暮らしの様子は度々、テレビ各局が紹介しているので、現地には行ったことはないが、何となく想像できる程度の知識は持っている。

この町にはパナソニックや富士重工など大企業の工場が立ち並んでいるという。その労働力として、日本人従業員よりも人件費が安いブラジル人を雇用し始めたのが20年ほど前のことだという。以来、『地元の小学校では、クラスの3分の1はブラジル人』といわれるほど、ブラジル人が増えつづけ、現在は人口の1割を占めるというから考えさせられる。

そんな中で、アベという男は派遣社員として働いていた。派遣の月収は、ブラジル人の待遇に合わせているらしく、平均14万円というから、49歳の年齢ではあまりにも低すぎる。いくら地方都市で家賃が安いとはいえ、妻も子もいる(らしい)日本人としては日常的に不満が鬱積するのは当然だろう。

農薬を混入させたことは許し難いが、こんな状況を当たり前としている企業の姿勢も犯行に至った一因になったことは想像に難くない。

中国の毒ギョウザ事件も根は同じ。働きを正常に評価してもらえない不満がたまり、企業や社会への復讐の意味で、深く考えることもなく農薬を混入させる。あり得る話ではないだろうか。

企業は、待遇を根本的に改善して、不満を解消する方向で進むのなら、こんな大それた事件が起きる可能性は小さいだろうが、待遇改善よりも、従業員が農薬持ち込めないような監視体制を強化や、互いに監視し合うシステム、あるいは、それぞれのラインを完全に隔離するという、派遣社員を『物』扱いする体制が続けば、どこかで同じような事件が起きることも否定はできない。

決論は、この種の事件の根絶のためには、派遣社員の待遇改善、いや派遣という雇用形態をなくし、全てが会社に誇りを持つ正社員制度にするべきだろう。しかし、厚労相の諮問機関である『労働政策審議会』は、何と、現在3年となっている派遣受け入れ期間の上限を廃止するという、むしろ犯罪を引き起こさせるような結論とは・・・。

我が目我が耳を疑ってしまう。また一つ 安全で安心できる暮らしが遠くなってしまった感じがする。(田舎親父)

2014年2月 3日 (月)

また関係悪化進行・・・

 我が国が文字を持たない卑弥呼の時代から、すでに中国との関係があったことは、当時は世界の最先端の文化を誇っていた中国の『魏志倭人伝』という書籍に掲載されていることは小学校の6年の社会科の教科書に掲載され、大事な学習内容になっているので、いわば日本人の常識になっている。

やがて、日本人の柔軟な思考と感性、そして頭脳が、漢字を基本にして平仮名やカタカナを生み出したことはもちろん、今日の日本の文化伝統の殆どのル-ツは、中国のそれを日本の民族や風土に適応させて培い育んできたことも、これも誰もが知ること。

韓国との交流も古く、百済や新羅、あるいは高句麗という朝鮮半島に存在していた国々の名前が教科書に掲載され、中国から伝わり朝鮮流にアレンジされた文化や技術、あるいは人物が我が国に渡来したことから、その影響が加わり、現在の日本の伝統文化につながっていることも歴史が証明している。

両国との関係は、明治維新によって大きく変化。その後およそ80年は、我が国は信じられないほど急激に西洋化した武力にものを言わせて、朝鮮を併合し、さらに中国全土をも植民地化するという無謀な発想で太平洋戦争という悲しい歴史を背負いこんだことも、間違いない事実として小中学校で教えられ、教えてきた。

書き出しが長くなったのは、中国と朝鮮(韓国と北朝鮮)は、いわば隣人。一番仲良く付き合う存在でなければならないはずなのに、このところ両国との関係が冷え込んでいることを憂え、これ以上悪化してほしくないと思っているのに、わざわざ相手を刺激するような内容を、国は『史実として教え込め』という姿勢を打ち出したことに危惧を覚えるからである。

小中学校(高校もだが)で教える内容は、文科省の学習指導要領で決められていることは殆どの国民が知っていることだろうが、指導要領に付帯している文科省の刊行物である『解説書』という存在を知る人はさほど多くない。そして、指導要領で決めた学習内容について、具体的に教材を指定していることなどは、教育に携わっている者以外は、まず話題になることはないのではないだろうか。

しかし,教材の指定(例えば、『インゲンマメ』などを使うというふうに)は、思想的な背景はない教科でも問題があると思うのだが、自分の考えが出来上がっていない小中学校の教科書に『これこれはこうだ』と断定した文言が並び、それを教師に『是』とする授業が強制させられたら、殆ど全員の児童生徒は、この段階でそのことは『正しいこと』だと擦り込まれることは当然だろう。

 それが今急速に進んでいることに大きな危機感を抱いている。アホベ政権が進めている価値観を一方的に決めつけて、『国民はこうあるべき』という内容の教科書で指導する、道徳の教科化などはその典型だろう。

そのことはすでにつぶやき、またつぶやき続けるが、それとは別に、先月末に突如、中学社会科と高校の地理歴史、公民について、教科書を編集する際や学校での授業の指針となる学習指導要領の『解説書』を改訂し、全国の教育委員会などに通知(命令)したというニュ-スには愕然とする。

竹島や尖閣諸島を『日本の固有の領土』と教えるよう求める内容で、今年4月に始まる中学向けの教科書検定から適用され、中学は2016年度から、高校は17年度から使われる教科書に反映するとのことである。

指導要領そのものを改定せず、解説書で全国の教育委員会・学校、そして全ての教員に強要するとは、本末転倒そのものである。

竹島や尖閣諸島が『我が国の固有の領土』であることは、日本国民としては当然持つべき意識であることは否定しない。しかし、今までは曖昧にしていた、あるいは取り上げなくても良いとしていた事柄を、突如、授業で取り上げろとの命令はいただけない。

そして実際に韓国・中国との間で、領有についての主張の違いが明らかになり、紛争の種になっている今に、わざわざ『日本の固有の領土』と授業で取り上げろとは、教育に政治の駆け引きを持ち込むことになり、到底納得できることではない。

解説書改訂の後に指導要領を改定するのは、くりかえすが順番として『あべこべ』である。中国や韓国が猛反発するのは当たり前だろう。それほど、政府は中国や韓国と事を起こしたいのだろうか。この政権の持つ危険性にゾッとする。

政府がこの主張を通したいのなら、『武力を持ってでも領土を守る』という公約の元、国会を解散し、次の衆院選挙で国民の『是』を得、指導要領を改定した上で、解説書で徹底することが筋だろう。こと武力が背景に見え隠れしては、拙速は慎まねば、トンデモないことが起きる可能性はますます大きくなりそうだ。

アホベ政権の近視眼的な発想は、中国や韓国を必要以上に刺激し、ますますの関係悪化は間違いなく進むだろう。私には、我が国を滅びの道に踏み出させたとしかしか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2014年2月 1日 (土)

奇怪しいぞNHK・・・

 1月は昔からお正月気分の園長で、あっと言う間に過ぎ去るという意味で『行く』と言われていたが、その通り、まさに一舜のうちに過ぎ去り、今日から2月。いつも口にする『気がついたら棺桶の中』というセリフがジョ-クではなく現実になるような気がしないでもない。

さて、一昨日(先月末の1月30日)の夜8時前のことである。NHKのよる7時半から始まる『クロ-ズアップ現代』を注意深く視聴していたとき、ゲストの大学教授の話が佳境に入ったと膝を乗り出した瞬間、画面が消えてオリンピック(だったと思うが)の宣伝に切り替わる。

時間的には、7時55分間際だったので、善意に解釈すれば、時間通り打ち切ったという事なのだろうが、1秒も狂わせないというNHKの日頃の姿勢から鑑みると、明らかにこの打ち切りは不自然である。まさか、制作担当者がモニタ-で監視していて、これ以上は流したら会長からにらまれると恐れて、スイッチを切り換えたとは思いたくないが・・・。

先日新会長の、エッと思わせるほど信じられない政権ベッタリの記者会見の内容から、ひょっとしたら・・・という考えが頭をよぎる。

その日のテ-マが『東大紛争』で、大学自治に政治が介入したことを、もう少し深く掘り下げる雰囲気があったことがひっかかり、今でも喉に何かがつまっているような不快感がぬぐえない。

この不快感がもっと露わになる記事を昨日の朝日と毎日の朝刊に見つける。ここでは毎日新聞の記事をそのまま引用してみる。(引用はじめ)

東洋大の中北徹教授(62)=経済学=が出演を予定していたNHKのラジオ番組で、原発問題を取り上げようとしたところ、NHKから東京都知事選を理由にテーマ変更を求められ、出演を取りやめたことが30日、分かった。/番組は月〜金曜の午前5時からラジオ第1で放送中の「ラジオあさいちばん」。中北教授は「ビジネス展望」のコーナーに20年以上前から月に1度、出演してきた。30日も「原発再稼働のコストと事故リスク」をテーマに出演する予定だった。/だが、前日にNHKに原稿を送ったところ、担当者から「選挙期間中であり、投票行動に影響を与える可能性があるのでやめてほしい」と言われた。これに対し、中北教授は「特定の人を応援しているわけではない」と繰り返し主張。NHK側が問題視した「原発ゼロでも経済成長が実現できる」などの表現を変えればいいかただしたが、最後は「原稿を全部取り換えてほしい」とNHKから電話があり、出演を見送った。「選挙期間中だからこそ議論の素材を提供し、しっかりした選択を有権者に行ってもらうのが筋ではないか」と話した。/番組の同コーナーは休止となり、リスナーからのお便り紹介に差し替えられた。/NHK広報部は「都知事選では原発を巡る問題が争点の一つになっており、選挙期間中はより公平性を期す必要がある。今回は演出上、そうした対応を取ることが困難だったため、テーマの変更を求めた」としている。(引用終わり)

こんなことがまかり通るとなると、NHKのジャ-ナリズム精神は地に落ちたとしか言いようがない。

原発が都知事選の争点の一つとなっていることは事実だが、原発の是非は、稼働の経済的効果も事故リスクも、そして廃炉にするためのさまざまな問題点など、全てのデ-タを包み隠さず公表してと、その選択を国民に委ねるというのが民主主義の基本である。それを、はじめから、原発は国の施策だから、地方選挙で話題にしてはならないとは、まさに先日の新会長の話そのもの・・・。

放送が民主主義の発達に資するべきだというジャ-リズム精神が残っていたら、この期間中こそ有権者の判断に役立つ意見や情報を豊かに伝える必要があり、原発は意見が対立している問題だが、多角的な視点は番組を編成すれば良いこと。これをレギュラ-出演者をその期間でも取りやめるたことは、政治の圧力があり、それに降参した証だろう。

これではNHKはますますお笑いやバラエティ番組、あるいは過去を美化する発想での番組作りが進み、政治の『せ』の字すら見えなくなりそうだ。いよいよ国民総白痴化に力を貸している民放のチャラチャラ番組と大差なくなることは明らか。

国民から視聴料を集めている以上、国民が賢くなる方向で番組作りをするのがNHKに課せられた義務。このことを忘れてほしくないものである・・・。(田舎親父)

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