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2014年3月

2014年3月31日 (月)

それでも大阪都構想を進める?・・・

 

 今日で今年も4分の一が過ぎてしまった。昔から,1~3月はあっと言う間に過ぎ去ると言われているが、それにしても早すぎる。桜も満開期を迎えたことに加え、明日からは消費税が増税になり、しばらくはその話題が続くと思うと、今年の時の過ぎかたは例年以上に早くなりそうな予感がする。

さて、一週間前に行われた大阪市長選挙の結果は、予想通りとはいえ酷いものであった。ハシモト氏は、大阪都構想に市議会が協力しないと市長を辞任、出直し市長選で市民の圧倒的多数の信任を得て、市議会を従わせようと思ったようだが、結果は期日前投票分を合わせても、投票率が24%にも届かなかったというから、さすがのオモシロ好きの大阪市民もこの御仁の賞味期限を見限ったようだ。

 大阪都構想を進めるために大阪府知事を子分に譲ってまで、市長に立候補した前回は、大阪市民は例によって『オモシロそうやないけ』と、都構想の内容などおよそわからなくても投票所に足を向けた。投票率も60%を超え、圧倒的多数の支持で市長に選出されたことを考えると、その凋落ぶりは気の毒なほどである。

 ハシモトという御仁の頭の中には、市議会各派は、と構想に反対するからは対立候補をたてるだろうと想定したようだ。しかし、いつもは、いかなる地方選であっても立候補することが党の基本姿勢としている日本共産党までもが立候補を見送ったのも、あまりにも,今回の出直し選挙に対してバカバカしさを感じ、立候補したらかえって市民から批判が集まると踏んだとしか思えない。

 自民党も民主党も選挙には我関せずという姿勢で臨んだこともハシモト氏にとっては想定外だったらしく、選挙期間中、街頭演説で繰り返しそのことをなじっても、両党はもちろん、市民は笛吹けど踊らず、むしろ『都構想を進めたいのなら、もっと市議会と派手ややり合えや・・・』というのが本音だったようだ。結局、6億円の選挙費用を使いながら市政を空転させただけだったという話に落ち着きそうだ。

 今回の選挙で、際立ったのは『無効票』の多さである。投票総数のなんと13%超にも当たる、6万7千票余りというから半端ではない。ハシモト氏を除く、三候補の合計得票が5万4千票弱だというから、無効票がそれを上回っているのも今回の市長選の異常性を表している。

 選挙に興味と関心がなかったらわざわざ投票所には足を運ばないだろう。事実、有権者の4分の3は、『都構想なんて何のことかわからへん・・・』と棄権したにもかかわらず、白票を投じるためにわざわざ、投票所に出かけたのは、選挙に参加することは義務だという良識的な市民たちにちがいなかろう。投票所に出かけても、選びたい人物がいないのだから、白票となるのも仕方ない結果だろう・・・。

常識的にも、無効票(白票)はハシモト氏のやり方に対して明らかに『ノー』だと見るのが自然だろう。今回の、自分の主張が受け入れられないから選挙で決着する手法は『邪道』だと市民の多くが認識した結果に違いない。

ハシモト氏は相当ショックを受けたらしく、マスコミに対して恨み節は相当な物があるらしい。しかし、ここまで市民から『ノ-』を突きつけられても、この御仁は、市民から一定の理解を得たと発言、都構想を進めるというから、この御仁の神経の太さに呆れるよりも驚く。

大阪府と大阪市を統合再編し、二重行政を解消するという『都構想』は、この御仁の強い思いであり、自らが率いる、『大阪維新の会』の公約である。

しかし、今回の市長選で、市民がこの内容を理解していないことがはっきりした。となると、『維新の会』の存在そのものに疑問符が出てくるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2014年3月30日 (日)

『待機児童』という言葉には救いがあるが・・・

 

 先日は、保育園に入園を待ち望んでいる『待機児童』を取り上げたが、最近は、終の住まいとして『特別擁護老人ホ-ム(特養)』を選ぶ高齢者が多くなったことは、信じられないほどのスピ-ドで進む高齢化となると仕方ないのかもしれない。しかし、終の住と決めたこの『老人施設』にも即入所はとてもとてもの状態で、『待機』している人も多いという。

入所を待っている高齢者たちを、『待機者』と表現しているが、その実は『待機老人』でと呼んだ方が分かりやすい。『待機児童』という言葉にはまだ救いがあるが、『待機老人』となると、ただ死を迎えるだけの『収容所行き』を宣言されたようなイメ-ジなので、『待機者』と表現しているのだろうが、言葉で何となく『優しさ』を演出したい現政権の得意技が潜んでいるようだ。

私はあえて『待機老人』という言葉で話を進めることにするが、先日、厚労省が、特養への入所を希望しているのに入所できていない『待機老人』が、全国で52万人超存在すると発表したという記事を見つける。今年3月の集計結果だと言うから、この役所にしては実に手際が良いと感心する。

この数値は、2009年12月の前回集計の約42万人を5年間でおよそ10万人も増えているというから、いかに高齢化が急速に進み、老人たちの特養の需要が膨らむ一方、施設整備が追いつかない現状を端的に表している。

記事には、在宅の『待機老人』約25万8千人のうち、心身の症状が重く、特に入所を必要とする中重度の『要介護3~5』の老人たちは計約15万2千人で、軽度の『要介護1、2』のそれは計約10万6千人、あるいは、現在サービス付き高齢者住宅やグループホームなど自宅以外で暮らす『待機老人』は要介護1~5で約26万4千人というように、具体的な数字が並んでいる。

そんな数字はともかく、『待機老人』の増加率が約24%という物凄さに唖然とすると同時に、厚労省が来年から『新規入所者を原則として中重度の要介護3~5に絞る』という一文に、介護を受けるようになったら、『終の住まいは特養』にという風潮が蔓延するのではという気分にさせられる。

しかも、すべての要介護老人を施設に収容できるのであれば、それなりに評価できても、実際には、『特養』を運営する市町村などの財政難や土地確保が容易でないことから、新しく建てることは難しくなる一方だろうから、相変わらず言葉を弄んでいるような、国の無責任さが際立っている。

 要介護1、2の高齢者であっても、家庭で虐待を受けたり、認知症で徘徊したりする可能性があれば、特例として入所が認められるらしいが、空きがあればという条件付きが、入所を許可するのは特養の管理者というのも基準に曖昧さが残る。

 『特養はより困っている人に使ってもらう』との厚労省の説明にはもっともらしい。しかし、それ以前の段階の高齢者たちへの充実策が曖昧で、軽度の人は『自宅で受けられる介護サービスを充実させ、より長く暮らせるようにしたい』として自宅での生活を支える巡回サービスや在宅医療の充実、サービス付き高齢者住宅の整備などに取り組むと説明しているが、5年間で『待機老人』が24%も増加しているというのでは、とても高齢化の進展に追いつけるとは思えない。

 私も昨年8月で70歳を迎えた立派?な高齢者。幸いにして、現在のところ、血圧がやや高めだということ以外健は康には恵まれて、介護とは縁遠い生活を遅れている。そして、介護を受けず、 死ぬ前日まで歩きたいと思い日々鍛練しているのだが、時には、いつ何どき倒れても奇怪しくないと、弱気になることもないことはない。

 考えれば考えるほど、この老人問題は厳しく、極端な場合、人生の定年制も必要ではなどという不遜な思いが頭をよぎる・・・。(田舎親父)

 

2014年3月27日 (木)

このままでは人類の終焉・・・

 

環境省の呼びかけて、各大学や研究機関が集まり、コンピュータモデルによる気候変動予測を用い、今世紀末が20世紀末と比べて、分野ごとにどんな影響が出るか計算したという記事を見つける。

その結果は、温室効果ガスがこのまま増えると、わが国の平均気温は今世紀末に最大6.4度上昇するのだそうだ。平均気温が1℃上がるだけで、かなりの影響があることは過去のデ-タから明らかなのに、6℃以上も上がるとなると、トンデモないような自然現象が日常茶飯事になることは容易に想像できる。

降雨量は増え、洪水の被害額が20世紀末の3倍以上になるという。このことは、去年の大島での信じられないような土砂災害をはじめ、毎年のように全国各地で起きている洪水騒ぎなどから、(考えたくないことだが)3倍どころの話ではないのではと思ってしまう。今まで経験したことがない大雨などの異常気象は、わが国にとどまらず、世界中で起きているのも不気味である。

地球全体の平均気温が上昇するのだから、北極、南極の氷が融け、その結果、海面は上昇するのは当然だろうが、わが国の砂浜の85%が消失するというのもゾョとする話。折角世界遺産に登録された『三保の松原』も跡形もなく消えてしまうという。

平均気温が6℃以上も上がるのだから、このところ横浜の片田舎でも当たり前に見られるようになった柑橘類の栽培が、北海道が適地になるというのも悪い冗談ではなくなりそうだ。親しくしている長野県のリンゴ農家が、『ここ10年ほどの暑さは半端ではない。このような気象が続くとリンゴの栽培は難しくなる・・・』とつぶやいていたが、これも、今回のデ-タから現実であることに肝を冷やす。

農産物だけではなく、我々の日常生活でも当然のごとく深刻な影響を及ぼしそうだ。熱中症など暑さによる死亡リスクは13倍に増えるというから、高齢者は外にも出られなくなりそうだ。これらの数値は、最大予測であるのが救いではあるが、それにしてもトンデモない社会が間近に迫っていることは確実なようだ。

外の気温が上がることは、どんなに断熱材を使った建築物であっても、冷やさなければその内部の気温も上がることは当たり前、各部屋の冷房設備が今以上に必需品になりそうだ。

冷房のためには膨大なエネルギ-(電力)が必要になるが、日常的にク-ラ-の恩恵を受けていない発展途上の国々の人々も、今後エネルギ-を生み出し、より快適な生活環境を求めるだろうから、ク-ラ-の需要はこのままの気温を持続していても増え続けることは明らかな上に、気温上昇が加わるとなると、いやはや考えるだけで嫌になる。

こんな事態になることを防ぐ方法は、『温室効果ガス排出の抑制』しかないというのもうなずける話。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第五次評価報告書でも、温暖化の原因は人間活動が原因である可能性が『極めて高い(95%以上)』としていることから、人間の活動を抑制しなければ解決しないことは明白である。

繰り返すが、今後、開発途上の国々の人々が、『我々も先進国と言われている国々の人々と同じようにエネルギ-を使用する権利がある』と主張することは当然だろう。しかし、それを無制限に許容しては、ますます温暖化が進むことも明らかだとなると、温暖化と表裏一体のエネルギー政策は世界規模で転換しなければならなくなる。

今世紀に入り、CO2を出さないクリ-ンなエネルギ-ということで、原発がもてはやされてきたが、スリ-マイルやチエルノブイリ、そして福島の原発事故で、一度事故を起こしたら、その影響ははてがないことを学んだ現在、原発に頼るのはあまりにも愚かなこと。CO2を排出しない再生可能エネルギーの道を切り開かねば人類未来がないことはいうまでもない。

 先日の朝日新聞の『天声人語』に『温暖化の実態、影響予測、そして対応策。地球はがまん強い分、懐の深さに甘えていると手遅れになりかねない。天地のはざまの間借り人、ちと腰を低くする必要がある』という一文があったが、このことを人類全体で考え、行動しなければ、人類は今世紀末を迎えられないのではないだろうか。

もっとも、迎えられないように地球が動きだしているのかもしれないが・・・。(田舎親父)

 

2014年3月26日 (水)

改めて学校給食を考える・・・

 

 今更『学校給食を止めたら・・・』なんて言うと、総スカン食うほどの非難を浴びるだろうことは想像に難くないが、本来は親の義務であるはずの『子どもに食べさせる』という業務まで学校の重要な任務にしてしまったことに、現職時代からずっと疑問を持ち続け、 今でも時には『給食が諸悪の根源』とまで過激な発言をしている。

以前にも何度が述べた記憶があるが、成育歴が違う30数人の6歳児に、教室という狭い環境に慣れさせることは相当困難なことであるが、案外このことについて、深く考えようとしない保護者が多いのも事実である。

1年生の担任は、狭い環境に慣れさせるだけではなく、45分間椅子に座って立ち歩いてはいけないことも指導しなければならないのだが、これがかなり難しい。しかし、これを最初の10日間である程度徹底できないと、学級崩壊という聞きたくない言葉の状態になる可能性が大きくなる。

これに加えて、6月ごろから、『給食指導』という仕事が始まる。食事となると、その成育歴が大きく左右することはうだがいのないところ。このところめったに聞かなくなったが給食指導に熱心な師ほど、なんとしても給食に出されたものは全部食べさせなければと考えがちで、ついつい行き過ぎた指導になるケ-スもよく耳にしたものである。

最近では、子どもの数が少なくなり、しかも学校選択制度など広まるにつれて、学校給食の質で保護者の関心を呼ぼうとする戦術が大流行りで、当たり前になった小学校のホ-ムペ-ジを開くと、ほとんど例外なく、『今日の献立』などというコ-ナ-を設けて、映像入りで今日の献立はもとよりそのレシピなどを紹介している。

こんなサイトを見ると、何だか料理の競争になっているかのごとく錯覚するが、保護の関心が高いとなると、力が入るのもやむを得ないようだ。しかも最近は、アレルギ-という問題が加わって、その苦労も大変らしい。

以前も、調布市で乳製品アレルギ-の5年生の女の子が、自分から求めて食べたことが原因で、まもなく意識不明になり、病院に搬送されたが死亡したという事件を取り上げたが、結局は、担任の不注意というか、配慮が足りなかったということで、保護者に謝罪したと聞いている。

この事故で、保護者が提訴しているかは知らないが、多くの場合、裁判沙汰になるのだから、学校(教育委員会)も、毎日の給食には相当な気遣いをしているに違いない。

最近は、入学式の後で保護者へ向けての説明会では、『食物アレルギ-』についてかなりの時間を割いていると聞いている。そして、全保護者への食材アレルギ-についてアンケ-トも当たり前になっているとのことである。 また、この問題は各学校での対応には限界があのので、それぞれの自治体がマニュアルを作りそれに沿って周知徹底しているという。

しかし、この種のアンケ-トでは、例外なく過剰反応をする保護者がでて、今まで食べさせなかった食材には、念のためにという意味も含めて『アレルギ- あり』にチエックするのだそうだ。これでは学校は混乱するが、アンケ-トをとった以上仕方なく、担任はさらに神経を使わねばならないのだという。

ある地方都市の例であるが、学校からの要望もあって、保護者からの安易な申告をそのまま受け入れるのではなく、来年度からは医師の診断書の義務づける方針だという。いやはや大変な時代になったものだと思ってしまう。

 そこまでして、教室で全員が同じものを食べなければならないのだろうという従来の疑問が頭を持ち上げる。現在では小学校の給食は例外なく実施、中学出も当たり前になっているので、『廃止』という選択肢は考えられないが、アレルギ-問題も含めて、改めて給食を考える時がきているのではないだろうか。

アレルギ-食材がある子どもを持つ親は、私が思っている以上に心配しているだろうことは想像に難くない。そんな親たちの切実な願いとして、学校へ弁当の申請をすると、ほとんど例外なく却下されるというのも変な話である。

せめて、わが子に重度のアレルギ-がある親からの、弁当を持参したいという希望はすぐにでも認めるべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年3月25日 (火)

名前も知らぬ男にわが子を預けなければならない・・・

 

 インタ-ネットが当たり前の世界では、何が起きても驚かない習慣がついているが、それでも、ここまできたかという事件が発生した。一週間ほど前に、横浜の母親がネットで見つけたベビ-シッタ-にわが子を預け、その子が埼玉のマンションで遺体が見つかったという第一報に、今まで感じたことのないような大きな衝撃を受ける。

 ベビ-シッタ-を紹介する『保育に関する書き込みサイト』には、6000人にも及ぶ保育サ-ビス事業者が登録していることを知り、いまさらながら、インタ-ネットの恐ろしさに身が縮む思いと、こんなリスクをももろともしないで、(諸事情が重なり仕方ないことは多少なりとも理解できるつもりだが)平気?でわが子を預ける現代の若い親たちの子育て概念の変化にびっくり・・・。

今回、長男の命を奪われた20代の母親がわが子の預け先を探すために利用したのもこの種のサイトだったという。私も試しに『ベビ-シッタ-』で検索してみると、あるわあるは、困った時には実に便利だと思われるサイトがゴマンと出てくる。

 ある大手の紹介サイトには、こんな要望にも応えたという例がある。(一例を引用しておくと)『幼稚園からお迎えの電話がきたものの仕事から抜け出すのが難しいので、代わりにお迎えに行き、帰宅するまで自宅で見ててほしい(東京 34歳女性)』『観劇に行く間、フランス人のベビーシッターにホテルで子どもと遊んでいてほしい(フランス 42歳女性)』『日本に観光に来たが、買物をしている間だけ中国人保育スタッフに子供を見ていてほしい(中国 32歳男性)』などなど、雑多の必要性があるものだと感心する。それをこの業者は全て解決していたらしい・・・。なるほど、これを信じる限り頼もしい味方である。

 どんな理由かは詮索のしようがないが、今回子どもを亡くした母親が選んだサイトは、私がたまたま行き当たったこの業界大手ではなく、保育に困った人のための掲示板といわれるサイトだったらしい。母親は『<大至急お願いします><2児のシングルママ><夜勤なのでお泊まり保育で><やっぱり(子どもが)ふたりとなると苦しく>』と書き込んだという。

 新聞の第一報維持には、書き込みは初めてだったとあったから、よほど切羽詰まっていたのだろうと想像する。この書き込みを見た20代の保育サ-ビスをうたう業者が、女性のメ-ルに直接連絡、双方でやりとりがあって契約が成立したとのこと。

このあたりの情報はマスコミ各紙各局が、いろいろと報じているので、多くは省略するが、翌日になって、預かった20代の男が逮捕されたとのことだが、何ともやりきれない思いが残る事件である。

続報が次々と報道されている。最初の報道とは違って、この母親がこの種のサイトを利用したのは初めてではなく、以前にも逮捕された男に長男を預けたことがあるとのことや、その時顔にアザをツケ戻ってきたことなど、ギョッとするような事柄が並んでいる。

男は偽名を使って保育を引き受けていたらしいが、それに気づかず預けた母親の行為が悲しい。母親は男と待ち合わせ場所と時間を決めたが、実際には来たのは契約者とは違う男だったが、以前もこのサイトを通して預けたことがあるということで、安心して?預けたらしい。(顔にアザをつくっていたはずなのに・・・)

それにしても、保育の契約した20代の業者や、実際に子どもを預けた男の名前も住所も知らず、知っていたのはメ-ルアドレスだけというのは、超アナログ人である私にはとても理解できることではない。

こんな結果になって、改めて、切羽詰まってわが子を預けに方法が、これしかなかったのだろうかと考えてみるが、格差がここまで広がっている現代社会においてはやむを得ない選択だった思わざるを得ないのも悲しいことである。

核家族、しかもシングルマザ-が2人の子どもを抱え、契約やアルバイトで生活しているとなると、交遊関係も広くなく、いざとなった時にはインタ-ネットが唯一の頼りになるという理屈も理解できないこともない。そして、結局のところ、この母親がこの業者を選んだ理由は価格の安さだけだろうことに結論が落ち着く。

この母親のような経済弱者(だろうと想像しているが)の人間が利用できるとなると、リスクよりも価格を選ばざるを得ないのも仕方ないところ。経済原理とはいえ、弱者がすがるものは、リスクの高い個人業者しかないという現代社会の歪みが、今回の悲劇につながっていることが悲しい。

こんなことを許してはならないことは当然であるが、格差が広がり続けている現在社会では、単に、法律で規制したとしても、人の弱みにつけ込んだ、この種の犯罪行為は防げるとは思えない。(田舎親父)

2014年3月24日 (月)

XPのサポ-ト終了は迷惑な話・・・

 

 ウインドウズXPのサポ-トが4月9日に終わることを知ったのは、あまり過去のことではない。コンピュ-タを使い始めたのは、かなり古いのだが、何度も述べているようにワ-プロがその原点。しかも、最初から親指シフトキ-ボ-ド。

最初に手にしたコンピ-タ-が富士通の『FM7』だったが、それも親指キ-ボ-ドだったことも影響して、何度がロ-マ字入力に変える機会があったが、その都度、日本語をロ-マ字に変換し、それを打ち込むより、親指の操作を加えるだけで、発音通りに打ち込めるという魅力から逃れられず現代に至っている。

『ウインドウズXP』のマシ-ンと出会いは10年以上も昔になる。常識的には親指シフトキ-ボ-ドなど使えないはずだったものだが、たまたま『オアシス2002』というCDを持っていたものだから、それをインスト-ルすると、多少はワ-ドとの相性が悪くギクシャクするものの、普段使う分には何とかなる。

ところが、富士通のコンピュ-タが親指シフトキ-ボ-トを搭載することを断念すると富士通マシ-ンではかえって使いづらくなり、XP搭載機を使うようになってからは他社製のコンピュ-タを使っているが、こちらの方が親指シフトキ-ボ-トとの相性がよいのは皮肉な話。

XPが使えなくなるというのは私にとっては迷惑な話だが仕方ない。この際、親指から離れる良い機会だと思い、映像を加工するなど最新の技術を駆使することもないので中古で十分だと思い、先日横浜駅近くの『ソフマップ』に出かけてみた。すると、『ウインドウズ7』搭載の『FM-V ESPIMO』が、1.2~2万円の価格で数台並んでいた。

付属品は何もない。電源コ-ドすらついていないが、普通のキ-ボ-ドも持っているのでなんとかなりそうだと購入し、早速動かしてみると、動きはかなり鈍いながらなんとか使えそうだ。ただ困ったのは、メ-ル機能で、ずっと『アウトルック・エキスプレス』に慣れていたのにこの機能が全く使えない。

かなり苦労するのだが、その間の話は省略。『ウンンド-ズメ-ル』というプログラムをインスト-ルすることによって、使い勝手は悪いながら動きだしているので、こちらも、あとはウインドウズメ-ル機能に慣れるだけだろうホッとしている。

ここであっさりロ-マ字入力に切り換えたら良かったのだが、やはり、慣れというものは恐ろしく、ひょっとしたら『オアシス2002』をインスト-ルすれば親指キ-ボ-ドも使えるのではないかという誘惑に負けて早速挑戦。

その時は、結果的には失敗し、せっかく『オアシス2002』を消してしまうのだが、扱いが悪かったのではと思いなおし、改めてインスト-ルして、環境設定をいろいろといじくっているうちに、動くことを発見。折角のロ-マ字入力の機会を失ってしまったというより、親指キ-ボ-ドが使えると安堵する。

XPのサポ-トが打ち切られると、セキュリティ機能が丸裸にされるという。技術的にはほとんど理解できないが、XP機能で守られていた個人情報などは外から丸見えになるだろうことは想像できる。これは危険過ぎる。

『もったいない』とか『まだまだ、使える』とサ-ビス終了後にも使っていたら、トンデモないことになりそうだ。個人情報を盗むといったサイバー犯罪が日常的になっている昨今では、自分だけは大丈夫ということはあり得ない。今後もインタ-ネットを使うとなると、残る半月あまりの間に、パソコンを買い替える必要があることは間違いない。

今出回っている『ウインドウズ8』は、XPよりもはるかに高いウイルス阻止率を誇っているらしい。この際、『ウインドウズ8』と思ってもみたが、(繰り返しになるが)私の場合、今のような使い方をしている限りXPの機能で十分である。にもかかわらずサポ-トを一方的に打ち切られるのは、なんとも迷惑な話だとグチは尽きない・・・。 

今日は、ながながと駄文の見本のような拙文になってしまったが、XP問題でコンピュ-タの買い換える必要から、一挙に『ウインドウズ8』にレベルアップするには経済的にも、そして、マイクロソフトの戦術にほんの少しの抵抗をと思う方に参考になったら幸いである。 

ただ、『ウインドウズ7』が、果たしてどこまで信用できるかとなると、その自信はないが・・・。(田舎親父)

 

 

 

2014年3月22日 (土)

泉佐野市長はミニアホベ・・・

 大阪府にある泉佐野市という自治体は実ににぎやかな話題を提供してくれる。犬の糞害がひどいという市長の発案で、犬税を新しく設けるという、愛犬家には厳しい話題が報じられたのは去年のことではなかろうか。

 また、この市長は財政が厳しいことから、自治体が主導して建設した施設名を維持管理が難しくなったことから大企業に『命名権』の名で売ることにヒントを得たのだろうが、『泉佐野』という市の名前も大企業に売り渡すということを真剣に取り組んでいるらしいとの報道には、カネのためなら歴史や文化までも、市長は売ることができるというトンデモ思想の持ち主でもあるようだ。

  アホベ閣下と同じ穴のむじなというか、ミニアホベそのもの。思想的には中央集権的であり、市民にはお上のためには忠誠を求め、それを具体的に示すのは教育でということで、市長に就任するやいなや、教職員に入学式や卒業式での君が代の起立斉唱を義務づける条例を大阪府・市に続いて制定した人物。

  教育に関する行動はそれだけにとどまらず、府独自の学力テストの学校別成績を市教委の反対を押し切って公表したり、教育行政への首長の関与を明文化した条例を制定したりするなど、まさにアホベ閣下が進めている教育改革を先導する僕としての役割を果たしている。

  この市長が、またまたそのアホな実力を発揮する事件が報じられた。泉佐野市の小中学校図書室から、子どもたちの知らない間に『はだしのゲン』の撤去を教育長に命じていたというから見逃せない。

  教育長は市長の使い走りらしく、『はだしのゲンを学校図書館から追い出せ』という市長の命令に、早速、校長会を召集して、その旨を通達したらしい。驚いた校長の中には、ことの重大さに気づかず、学校に戻ってそのことを実行したというから、市の教育システムはまさに市長の思い通りになっているようだ。

  しかし、校長の中には骨のある人物もいたらしく、校長会を開いて『いかなる理由があっても、市教委が一方的に蔵書の閉架や回収を行うことは校長として違和感を禁じ得ず、到底受け入れられない』という、強い講義の意志を文章で教育長に突きつけたとというから痛快である。

  しかし,市長の走狗に成り果てている教育長は『何らかの指導が必要』と反論し、『閲覧記録を確認するなどして読んだ子を特定し、個別に指導しろ』と言ったらしいとなると、マンガの世界としか思えない。

  良識的な校長たちは、閲覧記録など到底不可能なことに加え、『不適切な表現があるからといって一律に閲覧制限をするのは教育になじまない』と一斉に批判し,『大量の蔵書から不適切な表現が含まれる作品を拾い出し、語句を逐一訂正指導するようなことは不可能』などとする文書を再び教育長に出して抵抗した結果、さすがの教育長も降参ということになったらしい。

  市長は、このことに対して記者たちから質問されても意気軒昂という報道に、教育長はかなりの叱責を受けることは想像に難くない。この市は、教育町のクビのすげ替えは、条例で市長の権限になっているとなると、今頃教育長は自宅謹慎でも仰せつかっているのでは・・・。

  『はだしのゲン』の内容については何度も述べているので繰り返さないが、戦争とは人権など全く考えない愚かしい行為であることは誰の目にも明らかで、当然、今の時代からみたら、人権を踏みにじる言動が日常茶飯事になっていたことは言うまでもない。

  このことに目を背けて、自分たちの都合の悪いことは『教育的に不適切な描写がある』という言葉で、日の丸・君が代に批判的な部分をことさら強調し、少しでもこんな場面を描写している書籍(マンガも含めて)を学校から取り除くという発想は許しがたい。

  泉佐野市民は、今回の問題を、『マンガ一つ』と考えず、ことの重大さに気づき、次の市長選の争点にすることを願ってやまない。(田舎親父)

 

2014年3月20日 (木)

ノ-リタ-ンル-ルはどこへ・・・

 この政権は、原発を『ベ-スロ-ド電源』などと意味不明の造語で、あたかも原発の稼働が日本経済の根幹であるがごとくの表現で、原発の再稼働に向けて遮二無二走り出し始めている。
 福島原発事故の教訓として、それまでは、経済産業省の所管であった、原子力の安全などを管理する保安院を廃止して、いずれの省庁にも属さない『原子力規制委員会』を設けたことは記憶に新しい。。
 国がこの組織の委員長に原子力ムラ出身者を任命したことから、その行方は何となくわかっていたが、このところ、政府の意を汲んでか,それとも命令なのかはわからないが、規制委自体が『再稼働ありき』と思われるような動きが多くなっている感じがする。
 それはさておき、規制委の発足にあたり、独立性を保つため、推進側の官庁に職員を異動させない『ノーリターンルール』を定めて、各省庁から職員を集めて事務局を組織したことはいまさら繰り返して述べることはないだろう。
 ルールができたのは、前身の旧経産省原子力安全・保安院(廃止)は組織上も予算上も推進官庁である経産省の強い影響を受けていたというより、むしろ原発を推進する側の立場だったことが福島原発事故では明らかになったことから、各方面から批判が吹き出したからに違いなかろう。
 原発をめぐるシンポジウムに推進派を動員するやらせに関与が明らかになったり、原発事故に備える区域の拡大を阻止するなど、任務に逆行する数々の問題を起こしたことは、事故直後に何度も話題になったものである。
 こうした反省の上にたって、原子力規制委員会ができたと報じられているが、悪弊を絶つ意味で、規制委設置法の付則で、事務局の全職員は原子力推進の事務を扱う行政組織への配置転換を禁じている。これが『ノ-リタ-ンル-ル』と呼ばれる制度であることを忘れてはならない。
 原子力を推進する行政組織とは、経産省と文科省であることは明らかなのに、発足してわずか一年半の間に、規制委事務局の職員の20%弱が経産、文科両省へ戻していたというから驚き怒りを通り越して呆れるしかない。
 先日の東京新聞がこのことを明らかにしている。記事によると、規制委事務局が発足した2012年9月19日から今年2月1日までの間に、経産省出身の315人のうち49人、文科省出身の80人のうち21人が出身の省に戻ったとのことである。
 合わせて約20%、5人に一人が元の省に戻っていることになる。どうやら『ノ-リタ-ンル-ル』などは、死語というよりはじめから存在していなかったと言っても差し支えなさそうだ。
 記事は続く。経産省に戻った職員の中には、原発が立地する地方局で原発関係の交付金手続きに携わる担当に就いたケースもあるというから、規制委での1年少しの経験を生かすための配属が明らかなようだ。
 経産省の人事担当者は『ルールはあくまでも規制委事務局の取り決めであり、こちらは関係ない』と説明しているらしいが、規制委が人事権の全てを握っているとは思えず、言い訳にしても下手過ぎる。
 文科省の担当者は『戻り先は科学技術や教育などの分野であり、原発推進の部署ではない』と、原発関係の部署への配属はないらしいが、この官庁には知恵ものが揃っているとの評判なので、この4月には『原発推進部署』への異動もかなりの確率で考えられそうだ。
 規制委事務局の担当者は『いずれも仕事への意欲や適性を考えての人事だが、個別の説明は控える』と口が重いらしい。
 法律成立の際には衆参両院が『(政府は)5年以内であっても、可能な限りノーリターンルールの趣旨にそった人事をするべきだ』との決議をしている。しかし、それが1年数ケ月で20%弱となると、5年も経たないうちに、両省から配属された職員は全て元に戻る?・・・。
 というよりも、原発推進のための理論武装をするために、規制委へ配属しているのではないだろうかという見方は、ずばりとは言わないが、全くの的外れだではなさそうだ 。

 また一つ、なんだかなあという暗澹たる気持ちになる・・・。(田舎親父

2014年3月19日 (水)

春闘までも政権主導とは・・・

 先週の春闘における『妥結相場』は、大手企業が中心だがベ-スアップとして『満額回答』やそれ地近い数値が並んでいた。

ここ20年、企業は業績が上がっても、社員に還元することはなく、将来に備えるためにという理由で企業が内部留保、あるいは株主の優遇措置を優先。時にボ-ナスが増えることがあっても、月給が増えるという話題は皆無だった。それどころか、人件費を抑えるために、正社員の数を減らし,派遣やアルバイトを増やして、それが企業の業績を押し上げていたことも忘れてはならない。

高度成長期だった私の現役時代は、給料はまさに右肩上がりで、年額で1万円アップなどは当たり前だった記憶が懐かしい。その意味では、労働者にとって長い間冬の時代が続いていたのだが、マスコミは揃って今年の春闘は、春の気配の到来だと大騒ぎしていたが、私には春闘とは名ばかりで、政府の筋書き通りの、前代未聞の珍事のように思えてならない。春闘までも政権の思いのままとは、この国はどこへ向かうのだろう。

 マスコミのいう通り、素直に消費税増税を前にして歓迎すべき流れと納得できれば良いのだが、ずいぶん前から、現政権は『景気回復のム-ド作り』に躍起になり、そのために目で見える成果をつくらねばと、給料をあげるように経済界に要請してきた。これをマスコミがことさらに取り上げるので、労働者にとってはアホベさまさまというム-ドが流れたことはいうまでもない。

しかし、政府が主導して政労使会議を何度も開催し、経営者団体に対しては、その見返りに賃金アップのための原資として、東北の復興を遅らせてまでも復興特別法人税の一年前倒しでの廃止も決めたのは許しがたい。本来ならば民主党始め野党は大反対しなければならないところだが、数の力によってその声を封じ込めた。

同時にこの政権は、一部賃上げを渋る大企業に対しては、企業名を挙げて公表すると圧力もかけ、渋々賃上げに応じさせたこと明らかになっている。マスコミはあまり報じないが、言うなれば政治が主導した『官製の賃上げ』と表現してもおかしくない。

 この背景には、(私にはまだよく理解できないが)『アベノミクス』という政策で、物価を上昇させデフレ脱却を目指す現政権には、4月からの消費税増税によって、物価ばかり上がって賃金上昇が伴わなければ景気が腰折れするという危機感があるようだ。

労組(労働者)にとっては賃金水準が20年ほど減少傾向にあったこともあり、いかなる手段であれ,賃金上昇が目的となり、政府の経営者に対する要請と握力を受け入れて、今回の大手企業の賃上げ回答を勝ち取った?が、政府の後押しがなければ何もできないのでは、今後に禍根を残したことは間違いない。どうやら『春闘』という言葉の意味も、本質的に変わってしまった感がある。

これまでの景気の良い回答は全て大企業で、今後中小企業の動きが注目されるが、大企業につながる一次的一時的な下請けの中小企業なら期待もできるが、孫請け、曾孫受けの小企業まで、この影響が及ぶかとなると『否』という雰囲気を感じる。

特に、派遣社員やアルバイトという非正規雇用の賃上げや待遇改善についてはここ数年目標に掲げながらほとんど成果を上げられていない。先日、NHKの特報番組で、そのほとんどが非正規社員に頼る大手ス-パ-の賃上げ問題を取り上げていたが、時給をわずか10円あげることは、全体の人件費が3億円あがると報じていた。

これでは、賃上げに応じられないのも当然だと思うが、それ以前に、非正規社員に頼る流通業界(だけでなく全業種だろうが)の歪みを何とかしなければ、この国はますますおかしくなるのではないだろうか。

現在わが国の非正規雇用は計約2000万と労働者全体の4割弱を占めるのだそうだ。労組がない企業が多いのでこれは当然かもしれないが、非正規社員の中で、労組に加入している人は80万人に過ぎないという。

本来は,労働条件の改善は、労使での話し合いで決めるものだろう。労働者の代表として労働組合が、労働者全体の待遇改善をはかる場が『春闘』だというのが今までの理解が、このことも、今回の政府主導の賃上げによって、かなりおかしくなることは否定できなくなってしまった。

大手企業の回答からはや1週間以上過ぎたが、中小企業の賃上や非正規社員の待遇改善の話題が報じられる頻度が少なくなったように感じられる。

ここは労組の全国組織である『連合』の出番だと思うのだが、政府と経営者の僕となってしまった現在の連合の幹部たちには期待する方が間違っているのかな・・・。(田舎親父)

2014年3月18日 (火)

大人の態度がとれないのだろうか・・・

 

 先日、文科相が記者会見で『これ以上、子どもたちにルールの大切さを教える教育現場で、このまま違法状態を続けるわけにはいかない』と発言し、文科省として竹富町に教科書の選び直しを求めたことに、法をたてにとれば、子どもたちに、『力は正義』だという誤ったメッセ-ジを示すことになるのでは何とも嫌な気持ちになる。

 この問題については数度つぶやいたことがある。教科書無償措置法というものがあり、児童生徒が学校で使う教科書を無償で配布することをうたっているが、その条件として、教科書とは文科省の検定に合格したもので、しかも採択地区で同じものを使うというしばりがある。

 一方、教科書の採択に関しては、地方教育行政法で、文科省の指導と助言は認めているが、教科書の選定などの権限は教育委員会にあるとしてことをうたう。これを根拠に、竹富町教委は、あくまで町が採択した教科書を使うと主張している。

何故,竹富町教委がこの問題に文科省に反旗を翻しているかといえば、自分たちのふるさと沖縄について、文科省が使えといっている『育鵬社』版と、竹富町が独自で配付している『東京書籍』版との記述が大きく違っていることに他ならない。

どう違うのか、二つの教科書を読み比べてみてはっきりする。『育鵬社』版の記述は、領土問題、特に尖閣諸島を日本古来の領土であると明記。そのことを子供たちに強く訴える内容になっている。一方、『東京書籍』は、領土問題よりも、太平洋戦争で戦場となった沖縄の事実と現在の沖縄におけるアメリカ軍の問題を大きく取り上げて、子供たちに沖縄おおかれた立場を考えるように構成されている。

どちらを選ぶかと問われたら、私なら躊躇なく『東京書籍』版を選びたい。恐らく、圧倒的多数の現場の教員も同じだろう。特に竹富町の中学校の教員は、その意志が強く発言してきたに違いない。竹富町教委はそんな学校現場の要望も踏まえて、文科省に楯突いてでも『東京書籍』版を採択していると解釈している。

文科省のいう教科書無償法と、竹富町が根拠にしている地方教育行政法とは、解釈の違いでどちらとも正しいようだが、どちらが上位にある法律となると、地方教育行政法が教育委員会の存在と権限をはっきりと打ち出しているのに比べて、教科書無償法は、国民の子弟に無償で教科書を配布するためのもの。(法律的には全く疎い私であるが)地方教育行政法が上位にあると捉えるのが妥当ではないだろうか。

 文科省がこの問題に対して強く介入し、はっきりと『育鵬社』の教科書を使うように沖縄県教委へ『竹富町を指導せよ』と指示したのは昨年11月のことである。今回は、年度末のこの時期に、一地方自治体にこのような命令は前代未聞で、従わないやつは許せぬというお上の発想だとしか思えない。

うがった見方だが、石垣市や与那国町が『育鵬社』版でなく、たとえば『教育出版』版であったとしたら、このような介入はなかっただろう。どうやら文科省の本音は全国規模で『育鵬社』版の教科書を採択させることではないだろうか。現政権の教育委員会制度の改定など動きから判断しても、この見方はさほど的外れではなさそうだ。

 竹富町は有志の寄付により検定に合格した教科書を無償で配っているのだから、教科書無償法の根拠からしても、基本的には『子どもの教育を受ける権利』は守られていると言える。

 この視点からも、教育界にとっては一番重要な問題が山積する年度末のこの時期に、強権を振るうべき緊急性は見当たらない。地元の話し合いによる解決に委ねるのが子どもたちに対する配慮からも望ましいのは誰の目にも明らかだろう。強引な中央統制的な動きは地方の主権を損うことも間違いなく、問答無用の頑迷な態度は教育の場にそぐわない。

 文科省は今国会に、いまは『市郡』単位とされている採択地区を『市町村』単位に緩める法改正案を出しているのだだそうだ。その根拠が『小さな自治体への目配り』だというが実に変な話である。ならば、なおさら竹富町の意思を尊重するべきで、言っていることとやっていることが全く違う。もっとも本当の狙いは教育委員会制度の改変と教育内容の国家統制にあることは明らかなようだが・・・。

 この際、竹富町には無償で『育鵬社』版を配り、寄付された『東京書籍』版とを学校の判断で、どちらかを副読本として使っても良いという措置をすれば、子どもたちにとっては両者の違いが明らかになり、ふるさと沖縄、ふるさと竹富の将来を真剣に考えるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

 

2014年3月17日 (月)

年金制度の先行きが怪しい・・・ 

  このところあまり騒がれなくなっているが、年金生活者になった私には、年金問題はごく身近に感じられるので、新聞紙上に『年金・・・』という見出しや言葉を見つけると、ついつい目が留まる癖がついたらしい。

 先日も、『国民年金の保険料を払わない人が増えているので、厚労省は4月から強制徴収を強化する』という記事を発見。年金がなければ生活が成り立たないことを実感しているので、そのためにも保険料の支払いは当然だと思うのだが、あれほど年金に対しての国民的な信用をなくすような不祥事は過去の話にして、強制的に徴収するというのは素直に『当然だ・・・』とうなずけないものがある。

 厚生・共済年金に未加入の20歳以上の人は国民年金に入り保険料を払うことが義務であり、その義務を果たして初めて年金を受け取ることができるという現在の年金制度は知っているが、記事にある、保険料納付率は2012年度で59%という数字には驚かされる。

 さらに、20年前には86%だった数値が年々減少しているというから、数年後には、支払う人が50%を割り込むことも十分予測できる。実際に2年以上滞納している人は加入者全体の16%、296万人もいるというから、今後が心配である。

 今でも日本年金機構は強制徴収をしているらしいが、人員不足などでほとんど実施されていないのが現状らしい。危機感を募らせた厚労省は、所得が年400万円以上あるのに、13カ月以上滞納している人を対象に、納付に応じない場合は督促状を送り、最後は財産を差し押さえる強制徴収を始めるのだそうだ。

 公的年金は、老後の生活を国民が広く支え合う重要な社会保障制度であり,高齢者になった時、収入がなくならないためにも、強制的に徴収しておかないと、社会保証制度そのものが崩れるという理屈はわかる。

 しかし、強制的に徴収するには人件費はかなりの負担増になることも明らか、この記事によれば、百円の保険料を徴収する諸費用を計算すると90円かかるというから、これでは何のための強制なのかわからなくなる。

  肝心なのは、国民年金のあり方や、加入する意義やメリットを周知して、自ら保険料を支払う意欲を高めることだろうが、そんな努力をしているのだろうかと問うと、恐らく私も含めて、国民の大多数は『否』と答えるに違いない。

  社会保険庁の一連の不祥事の責任のとり方の曖昧さも、年金制度に対する不信を高めたことも見逃してはならない。社会保険庁が消えて年金機構になっただけで、実態は旧態依然ではなかろうか。

  国民年金の支払額が、月に1万5千円であることは、迂闊なことに初めて知る。この額は派遣社員やアルバイトなど非正規労働者にとっては大変な負担だろう。これでは、74%を占めているという『経済的に困難』という滞納理由は理解できる。

 滞納どころか加入すらしない若者も激増しているというのも聞き捨てならない。未加入者は将来、制度が改まらない限り、無年金で生活保護受給者となるのだが、このことがいかに大変なことなのか,未加入の若者たちは知らないのではないだろうか。

 納付は国民の義務である以上やむを得ないが、強制徴収より以前に、加入を納得し、保険料の支払いを躊躇させないシステム作りを急いでほしい。

  この問題と直接関係はない言われているが、厚労省は、全国民に共通する基礎年金(国民年金)の保険料納付期間を、現在の20~59歳の40年間から延長する方向で検討に入ったというニュ-スも見逃せない。

 60歳を過ぎても働く人の増加にあわせ、64歳までの45年間に延ばすという案であるが、年金を受け取れる年齢が65歳になっているので、恐らく、さほどの抵抗もなく、近い将来64歳までの支払いが義務となることは間違いなさそうだ。

 厚労省は、『納付期間が延びると、もらえる年金額も増える。少子高齢化に連動した年金の減額をやわらげるねらいがある』と説明している。そのまま素直に受け止めたいのだが、ごまかしの前歴のあるこの役所のいうことを素直には信じられない。むしろ、底をついていると言われている国民年金の財源の一部にされるのではないのではという疑いが消えない。

 100円を徴収するために90円かかるコストを、なんとか改善しなければ、4年間の支払額に見合った年金額が受け取れるなどは夢物語では・・・。(田舎親父)

2014年3月15日 (土)

福島県立医大の矛盾・・・

 話がかなり古くなる。福島原発事故による放射線の影響を調べている福島県の『県民健康管理調査検討委員会』という組織が、甲状腺がんと診断が『確定した子ども』は26人、『がんの疑いがある子ども』が32人と発表したのは昨年の11月のことである。

 普通の生活をしている場合、子供に甲状腺がんが発見されるのは100万人あたり17人程度だと教えられているので、調査対象者の数の22万人超での59人という数字は、常識的に考えると多すぎて不気味さを感じる。改めて、福島の子供たちが心配になる。

 素人的には異常な数値なのだが、気にしなくても良い程度と判断する専門家も多いというのも私にはとても理解できないのだが・・・。特に、福島県当局が放射線関連の見解のよりどころとしている福島県立医大が、甲状腺の異常と原発事故による放射線との関連性はないとの立場をとっているのが何とも気がかり。

 この調査を主体的に担ったのも福島県立医大という。県立医大は、チェルノブイリ原発事故によるがんが見つかったのが、事故の4~5年後以降だったとして、今回は『放射線の影響は考えられない』と説明しているのも理屈にあわない。3年ですでにこの数字となると、4.5年経ったらもっと増えると予測するのが普通では・・・。

 子供たちにどのような検査をしているのか、その実態は伝わってこないが、調査主体が『原発事故の影響はない』という立場だとしたら、検査の方向も、それなりに導かれたものになっているに違いない。

 もっとも、福島県として現段階で『原発事故の影響で子供の甲状腺異常が増えている』と発表したら、たちまち県民の動揺が激しくなり、大騒ぎになりそうだということは理解できる。しかし、このまま放置していたら、かえって大変な事態になりかねないのは確実。ある程度の混乱はするだろうが、持てる情報は全て出して県民の判断にゆだねるべきだと思うのだが・・・。

 政府は、福島の復興は住民の帰還が前提だという姿勢で、対象住民のごく狭い生活圏を20ミリシ-ベルト以下まで除染し、早期帰還を進めているので、ここで子供たちの甲状腺異常が増えていることを容認したら、帰還どころの話ではなくなることを恐れているようだ。福島県立医大のヤマシタ某やスズキ某などという『偉い先生方』の言い分をよりどころとして、なんとしても急いで住民を帰還させたいのが本音のようだ。

 先日、その福島県立医大が、3月末に『福島でこそ日本一のがん教育が必要だ!』と銘打った子ども向けのがんセミナーを開くという記事を東京新聞紙上に発見。見出しから推測すると、放射線とがん発生の関係が相当深刻な事態になっていることを、県立医大そのものが認めたのではと勘繰りたくなる。ますます福島の子供たちが心配だ・・・。

 県立医大は、公には福島原発事故によるがんの多発を認めていないのだから、この時期に、こんなセンセ-ショナルな見出しでセミナ-を開くこと自体、危険を察知しているのはと思わせるはずなのに・・・真の狙いは何なのだろう。

 まさかとは思いたいが、原発の『安全神話』を復活させるために、あえて『日本一』と銘打って、子供たちを集めて『放射能の心配など必要ないのだよ』と宣伝するのが目的ではないだろうか。

 記事によれば、このセミナ-は3月29日開くという。対象は小学5・6年生で、すでに55人の応募を完了したというから、実に手際よい。先生役は県立医大の外科医で、がんの特徴や早期発見の必要性をつたえる講義、手術や検査の器具を手にとる体験を行うのだそうだが、放射線による発がんの仕組みには触れないというのもうさん臭い話である。

 県立医大は、『がん教育』は全国で行われているもので、今回はその一環だと説明しているらしい。そして『学ぶ内容が、あれもこれもと複雑になると、子供が理解できにくいので基本的な知識に抑えている』と釈明しているが、放射線の影響でがんは増えないと言っているのに、何故、今福島で『日本一のがん教育』をする必要があるのかと、ますます疑念が膨らむ。

 繰り返すが、県立医大の思惑は、発がんの仕組みから放射能を外して、がんの知識を子供たちや保護者に植えつけ、早期発見すれば、がんは恐れることはないということを強調することにより、がんと放射線との関係はないという考え方を刷り込みたい?のでは・・・。

 しかし、話を戻すが、実際には子供たちの甲状腺がんの発見は、疑いのあるものも含めて確実に増えていることから、県立医大はいつまで『放射線の影響はない』と強弁できのだろう。

 今回の原発事故で、情報を隠蔽したり事実を誤魔化せば、さらに影響が大きくなり、事態が悪い方向に進み、事態を悪化させたばかりが、収束が遅々として進まない結果になっていることを学習したはずなのに・・・。(田舎親父)

 

2014年3月14日 (金)

『関連死』とは嫌な響き・・・

 

 最近新聞紙上に『震災関連死』とか『原発事故関連死』という言葉が盛んに使われている。意味はそのものずばりだから、説明など全く必要はないが、なんとも嫌な響きを持つ文字列である。

 使いたくない言葉ではあるが、避難生活や原発事故のダメージが原因で、高齢者や障害を持つ人たち(いわゆる社会弱者)が命を落としているという事実は聞き捨てならない。

震災関連死は10都県で3千人超となったという記事が目に留まる。避難生活者27万人のうち14万人を占める福島が、全体の半数以上の1671人と突出していると報じているのは、原発事故がその原因である『原発関連死』の数が入っているのは誰の目にも明らか。

 原発からの避難生活や事故に起因した『原発関連死』の認定数は、最近の10ケ月の統計では、岩手、宮城両県の『震災関連死』の認定合計数の5倍近くにあがるというから、いかに『原発事故』が避難生活を圧迫し、事故から3年経っても人々の生活の改善が進んでいないことを物語っている。

 記事は、原発事故後、利用者は受け入れ先が決まらないまま転々とし、体育館など寒い場所で疲労や心労を重ねたのがボディブロ-のように利いて、体力を衰弱させてきたのが原因だと指摘している。

 別の新聞の『読者の声』の欄に、原発事故で仮設住宅に入居している人が、原発事故以前と現在の自分の生活について投稿していた。その人は、事故前の生活環境として、隣の家を訪れるのにさえ車で行くのが当たり前で、広い空間でのびのびと過ごし、どんなに大声を出そうと隣近所に迷惑をかけるという生活など想像できなかったと述べ、続けて、4畳半二間で、隣とは薄い壁一枚の現在の仮設住宅では、息が詰まるほど気を使わねばならないと訴えている。

よく分かる。しかも、限られた食材しか入手できず、料理も思うようにできない環境に加えて、医療機関に行くのも大変な時間と体力、そして交通費が必要となるなると、家にこもりきりの生活になるのも当然となると、ストレスに加えて持病を悪化も当たり前だろう。いまさらながら、原発事故さえなければと思わずにはいられない。

 記事にある、『震災から3年が過ぎるころ、心の問題はさらに深刻になることを、過去の大震災は物語る』という一文は何となく説得力がある。多くの事例で、3年間が我慢の限界で、地域コミュニティーから切り離された仮設住宅では孤立して引きこもりがちになり、アルコール依存やうつ、認知症の症状が増えるのだそうだ。

個人の資金力も大きく左右するのは当然だろうが、震災関連死の認定が、被災三県で差が出ているというのは納得できない。認定されると500万円を上限に見舞金が支給されるが、申請を却下されるケースが相次いでいるというのも引っかかる。

 認定率の最も高い福島が84%、宮城75%、岩手が最低の57%であるが、死亡が震災から6カ月を超えた場合の認定率は福島38%、岩手12%、宮城4%と激減しているのは『時間の壁』があるのだという。

この『時間の壁』というのは、新潟県中越地震後に『6カ月以上たてば関連死でないと推定する』とした『長岡基準』の影響だそうだが、現政権は、災害の質や規模という視点がないようだ。

 大津波から何とか逃れ、あるいは、放射能という目に見えない悪魔の存在によって、強制的に自分の住まいから追い出された人々が、仮設住宅や、見知らぬ土地での不自由な生活で苦境に追い込まれて命を落とすのはあまりにも理不尽である。

『人命は地球より重い』という言葉は、選挙の時にはよく聞くが、当選してしまえばすっかり忘れるらしく、被災者のための災害住宅の建設を、他の公共事業の何よりも優先しなければならないことは明らかなのに、経済が優先し、人手と物資が不足しているという話は聞きたくない。

これ以上『関連死』を増やさないためにも、政権は、緊急の事業を除き、他の都道府県の公共事業をストップして、震災復興住宅の建設に当たるという強い意志を示してほしいものである。(田舎親父)

 

2014年3月13日 (木)

PM2.5対策で、また学校の悩みが増えそうだ・・・

 今年はいつまでも冷え込みが続き、例年今頃になると大騒ぎされる『花粉』の飛び具合が抑えられているようだが、昨日あたりから温かさが戻っていることから、そろそろ例年どおり花粉症の話題が毎日のトップニュ-スになるのではないだろうか。

この時期になると、花粉症と共に『黄砂』という歓迎したくない大陸からのプレゼントで視界が悪くなる日が増加するが、今年は大気汚染源の微小粒子状物質、いわゆる『PM2.5』と呼ばれるやっかい者が加わりそうだ。いや未来形ではなく、すでに先月末には日本各地で濃度が上昇し、注意喚起情報を出す府県が相次でいるというから、今後が心配になる。

この物質は、国内でも焼却炉や自動車、船舶、火山などから直接排出されるほか、工場や火力発電所から出た汚染物質が大気中で化学反応を起こして二次的にできる場合があるらしいが、そのほとんどが黄砂と同じでその源は中国大陸にあると言われている。

それが偏西風に乗ってわが国にやってくるのだが、>黄砂と同じでその源は中国大陸であり、それが偏西風に乗ってわが国にやってくるのだが、直径が2.5マイクロメ-トル以下で、毛髪の太さの30分の一程度だとのことなので肺の奥深くまで入りやすく、ぜんそくや肺がんを引き起こす恐れがあるのだそうだ。となると、花粉以上に注意が必要になることは明らか。

中国の経済発達に伴い、増え続けている自動車や石炭をエネルギ-源とする工場群から出される排気ガスが原因だと言われている。大気汚染に国境は関係ないとはいえ、中国に文句の一つぐらいは言いたくなるが、日本でも高度成長期には、全国各地で大気汚染が大問題になったことから、この問題は人類が『便利で快適な環境』を求める一里塚だと考えると、中国政府に早く対策をと望むしか仕方ないのかもしれない。

韓国もこのやっかいものの扱いに困っていると聞く。韓国の大気汚もかなりのものとは聞こえてくるが、中国のそれとは雲泥の差だろう。日本は韓国と連携して、中国に一緒に考えようと呼びかけてほしいものである。

しかし、最近の情勢はすぐには国交断絶となることはないと思うが、両国との関係は最悪で、一発触発の危険性もあるらしいとなると、韓国との連携は難しく、3国で同じテ-ブルについての議論はさらに困難なようだ。

この問題は、それぞれの国の『国民の健康』のためという実に『平和な話題』であるはず。面子などにこだわらず、粘り強く協力を呼びかけてほしいものである。

PM2.5について、環境省は昨年2月、都道府県などが注意喚起情報を出す暫定指針値を1日の平均濃度で1立方メートル当たり70マイクログラム超と決め、この値を基に注意報や警報を出すという。

環境省は、注意喚起されたら、不要不急の外出を控え、窓の開閉や換気は最小限にとどめるのが望ましいと、騒がれているほどの危機感は持っていないらしい。そして、70マイクログラムという指針値を大きく超えない限り、運動会等の屋外行事を中止する必要はないとのことだが、これとて、持てる情報を全て公開しているとは思えないだろから、信じて良いものかどうだろう・・・。

最近はあまり騒がれなくなっているが、『光化学スモッグ』の注意報が発令されると、小中学校では戸外での運動を制限、体育の授業も打ち切ることが日常化していたことを思い出す。

『PM2.5』の注意報が出ても、さほどの対処をしないで良いとなると、喘息などが増える可能性がありそうだ。そんな事態になれば、この国の役所は、すぐに規制を持ち出すのが大好きなので、『PM2.5注意報(警報)』の対策として、全国の学校で、『光化学注意報(警報)』と同じようなことを求めるのでは・・・。また一つ学校関係者の悩みが増えそうだ。(田舎親父)

2014年3月12日 (水)

待機児童解消など眼中にないらしい・・・

 

 先日、待機児童と保育園の数合わせのイタチゴッコについてつぶやいた。東京都だけでも2万人超の待機児童がいるという事実。しかも保育園に預けることが、今や当たり前になっているようだから、保育園入園希望者は増えることがあっても減ることはないのは誰の目にも明らかであろう。

 私は常々保育園に預けるという選択肢だけではなく、その間は母親(父親でもかまわないが)が、常時子供と過ごせる環境を整え、子育て仲間の横の連絡を蜜にすべきだと訴えている。そして同じような意見の人も多いのではと思っている。

 この場合、ネックは子育て中の間、経済的にどうするかということに尽きるのだが、自分の子供を育てることも、社会全体からみると立派な職業だという世論を作り、国あるいは自治体が、それに見合う給料を支払うシステムができれば、保育園に預けたいという親は激減するに違いない。

 そんな世の中が出現したら、『待機児童』などという、まるで物扱いのいやな言葉もなくなるだろうと期待しているのだが、政府は夫婦のうち1人が働く世帯の税負担を軽くする『配偶者控除』を見直す検討に入ったというから、待機児童解消など眼中にないことがはっきりしてきた。

 現在の税制は『夫が働き、妻は専業主婦』という家庭像を前提にして整えられているのだそうだ。これが女性の社会進出の妨げになるという理由で、専業主婦の減税措置を縮小するとのことらしい。

 『配偶者控除』とは、夫が働き、妻が専業主婦の世帯の場合、夫の課税所得を38万円減らし、所得税を安くする制度(妻だけが働く場合は逆)であることや、減税額は年収によって異なり、妻の年収が103万円以下なら38万円の控除を受けられることも、超がつくほどの経済音痴の私でも知っている。また、103万円超~141万円未満も控除を受けられるが、年収が増えるにつれて控除額は少なくなることも理解している。

 我が家もそうだったが、専業主婦の中には、減税の恩恵を満額受けるために103万円を超えないよう仕事の量を調整する人も多いという。これは自衛のために当然なことなのだろうが、政府は、103万円を境に、夫が企業から受け取る『扶養手当』を打ち切られるケースもあり、これが女性の社会進出を阻む要因だと主張している。

 年収141万円を超えて働いても税負担が増えないようするならば異存はないが、そんな方法を政府が考えたり、実施するなどということは期待できず、103万円未満の主婦の年収の控除額(38万円)を減らしたら、否応なく、働きに出るだろうという発想のようだ。それが女性の社会進出のバロメ-タ-なるのだとしたら、こんな荒っぽい考え方は許せない。

 女性がもっと活躍できる世の中にすることは全くその通り。大賛成であるが、そのための社会のさまざまな制度を改革することが先決であり、自分は主婦として子育てに専念したいという選択肢を否定してほしくない。

 この国の指導者たちは、年収103万円以下の場合38万円を控除するというみみっちい考え方ではなく、子育てに専念する場合は、(せめて)年収103万円を手当として支給するという選択肢など頭からないらしい。

 現政権は、『成長戦略』の柱の一つに『女性の活用』を掲げ、そのため、1月に(これも意味不明の言葉だが)『産業競争力会議』が決めた成長戦略の検討事項に『働き方の選択に中立的な税制』を盛り込んだそうだが、『中立的な税制』などとの言葉の裏には、専業主婦を優先する税制をなくすという明らかな意図が潜んでいる。

 繰り返すが、税制を改めたら、女性の社会進出するだろうという荒っぽい論理がまかり通っては、ますます女性の格差を広げる結果につながり、子供を育てるよりもアルバイトやパ-ト出でも働くことが優先されることになる。

 今後、現在以上に少子化に向かう日本の社会では、子育ては何にも増して大切な事業である。保育園の規制を緩和して保育園を建設し、さらに大急ぎで養成した保育士に子育てを託すのではなく、親の愛情が優先する子育て環境をつくりたいものである。(田舎親父)

 

2014年3月11日 (火)

帰還させるためには手段を選ばず・・・

 

 あの日から満3年。またあの日が帰って来た。金曜日の午後2時42分。激しい揺れで思わず表に飛び出したが、地面が波打って立っていることすら難しく、この世の終わりを感じた瞬間は一生記憶に残るだろう。

 あの大地震による大津波。さらに加えて、福島原発の大事故はその収束のメドすら立たないのが現状である。しかし国は、そんなことはお構いなしに、福島事故原発から20キロ圏内の旧警戒区域の一部を、今春から避難指示を解除する方針で動きだした。

 先日も、田村市の都路地区への避難指示地区を解除したことに対して、『なぜ、そんなに急ぐの・・・』というつぶやきをしたが、国は原発処理が順調に進んでいることを内外に知らすことが何よりも優先するらしく、何が何でも帰還させてしまえという姿勢が読み取れる。

 『放射線理リスクコミニュケ-ション(略してリスコミ)』という言葉を知っている国民は果たしてどのぐらい存在するのだろう。原発事故で避難している住民の帰還を進めるためのものらしいが、政府は、14年度予算で関連事業費を計上したとのことである。

 この言葉を初めて聞いたのは、復興庁が環境省など11省庁の合作として『帰還に向けた放射線リスクコニュケ-ションに関する施策パッケ-ジ』と発表したというニュ-スであるが、またまた、訳のわからない造語で国民の目をくらまそうとするやり方が透けて見えるようだ。

 先日、東京新聞の『こちら特報部』という紙面が、このことを取り上げていた。その記事によると、この長ったらしい名前の施策集で強調していることは、住民は帰還後、自身で身の回りの線量を計ることになっているそうだが、その際、数値の理解の促進や、健康不安の疑問を解消するために、行政は保健師らによる『相談員』を地域に設置してコミ ニュケ-ションを深める場とすることだという。

 専門家を交えた少人数の座談会を開き、住民同士が不安を共有して心の負担を軽くさせるのだそうだが、相談員らは政府作成の『放射線リスクに関する基礎的情報』という冊子を基本に住民たちに助言するという。

 何のことはない。政府は国際原子力機関に基づて作成したととしている、『年間積算被放射線量が20ミリシ-ベルト』以下が避難指示解除の条件だとして、これ以下では『健康には全く問題はない』という考え方を、専門家とか相談員だとかが、あたかも住民の立場に立っているかのごとくに装いながら住民に押しつけて、その値を基に帰還を促す方針であることは明らか。

 私も含めて多くの人々は、原発事故後放射線量には敏感になり、日常生活を健康に過ごすためには、放射線量は年間1ミリシ-ベルト以下だということを知る。原発事故直後では、例外として20ミリシ-ベルトでもやむを得ないとなっていたが、普段の生活ではあくまで1ミリシ-ベルトであるべきだということは今や国民の常識になっている。

 なのに、『20ミリシ-ベルト』が『安全』だとの前提というのだから、最初からごまかしとしか表現できない。住民が不安を抱えて専門家や相談員と意見交換するといっても、はじめから『この数値なら大丈夫』間健康には全く影響はない』という答えが出ているのだから、意見交換などは意味のないのは分かりきった話。

 こんなバカな施策で帰還を急がされて、10年後、20年後に健康被害がでたらどうするのだろう・・・と、まさに無茶苦茶なやり方に憤りを覚える。

 しかもこの冊子には、原発事故の後に『放射能など恐れるに足りない』と放言し、20ミリシ-ベルトの放射線など住民の健康には全く問題ないとまで言い切った、悪名高いヤマシタ某をはじめ、事故後でも『放射能恐れるに足りず・・・』と放言する学者が、助言者として名前連ねているというから、これだけでも政府の姿勢は明らかであろう。

 なぜ、ここまで住民の健康など省みず、帰還を急ぐのは、早く原発事故の記憶をなくすためとしか思えない。しかし、現実は、事故収束どころか、毎日のように新たな汚染水漏れなどの事故が発生し、それすら抑えられていないとなると、誰が考えても帰還どころではない。

 帰還するか・しないかは避難住民本人が決めるもので、他人が口に出せるものではないことは十分承知しているが、帰還する意志のある人には経済的な支援は厚く、躊躇したり拒否したりする人には、補償打ち切りなどの脅しをかけて、帰還を迫るのは人の道ではないだろう。

 『放射線理リスクコミニュケ-ション』などと訳のわからない言葉を作り出す官僚たちの職場を、自分たちが決めた『帰還可能』地域に移転し、率先して移住させるべきだと思うのだが、彼らは東京のコンクリ-トで覆われた、いわば放射線のシェルタ-の中から出る気はなさそうだ。

 結局は、またまた、一番弱い立場の人たちが貧乏クジを引くことになるのだろうが、こんなことを許していては、福島の復興がますます遅れることは確実だろう。(田舎親父)

 

2014年3月10日 (月)

平和がどんどん遠のいていく・・・ 

 

今日3月10日は『東京大空襲の日』である。広島・長崎の原爆については、教科書でも掲載しているので、日本人なら誰でも知っているが、全国の都市がアメリカのB29爆撃機による焼夷弾の猛爆で焼け野原になったことは、どんどん記憶から消し去られようとしている。

中でも、この日の東京下町を中心にした猛爆は、現代に生きる人々には想像ができないほどものすごいものだったと体験者たちは今に伝えている。私も何度も体験者の人たちの話を聞いたが、まさに地獄絵。思わず耳をふさぎたくなるほどの光景が広がる。爆撃機の操縦士たちは、命令に従っただけという意味では責められないだろうが、どんな気持ちでボタンを押し続けたのだろうと考えると複雑な気持ちにさせられる。

当時のアメリカ軍は、まもなく日本を占領だろうことを確信し、占領軍としての価値観で、焼け野原にする場所と空襲しない場所を明確に分けていたことは間違いない。当時でも、日本を代表する大都市である京都には意図的な空襲がなかったのもその一つ。東京においても、皇居は空襲の対象からはずれていたとしか思えない。国会周辺も・・・。

そんなことは知らなくても、アメリカ軍のB29は、明らかに東京の下町を徹底的に焼き尽くすために、雨あられのごとく焼夷弾を投下し、この日、数十万人の人が家を失い、その中の多くの人たちが命を落としたことは忘れてはならない。

そして、終戦の日までに、日本中の都市が爆撃されて、数すらはっきりしないほど多くの人たちが命を落とし、家を奪われたことを・・・。さらに、沖縄の犠牲の凄まじさも記憶から消し去ってはならない。

このような犠牲を大切な教訓として、戦後日本人は、『二度と戦争はおこさない』という強い決意をし、占領軍から示された『戦争の放棄』をうたった『日本国憲法』を受け入れ、以来それを『国是』として受け継いでいると捉えている。3月10日を『平和の日』と決めて戦争の悲惨さを忘れないようにしているのもその一つである。

ところが、現政権は、占領軍から押しつけられた憲法は日本人が自主的につくったものではないという理由を全面に打ち出し、自主憲法の制定に軸足を移し、関連法案などの解釈を強引に変えようと遮二無二走り出している。

戦犯を神として奉った靖国神社への国の指導者の参拝、慰安婦の捉え方、自虐的歴史観という言葉、そして、しそう統一と、それらを未来を担う子供たちに押しつけようとする教育内容とシステムの改悪改悪などな。この国の歴史を一世紀ほど元に戻そうと企てている。

なぜこんなに『戦争をしやすい国』にしたいのだろう。首相はじめその取り巻き連中の頭の中には、戦前の翼賛的体制国家の姿を求めているとしか思えない。軍事力を背景に、国の持つすべてを集約した政府にしか世界と互角に渡り合えないと思い込んでいるのかもしれないようだが、こんな危険な考え方は国を滅ぼすに違いない。

経済がすべてに優先するという発想も私には許せない。安全神話が崩れた原発を外国に売り込んでいるのもその一つ。事故など存在しないという、神話を今でも信じきっているとは思えないのだが・・・。

今までの政権が武器輸出を禁止してきた『武器輸出三原則』を輸出容認にするというのもまたしかりである。歴代の政権は武器を輸出はしないと言い通してきた。実際は、武器につながるすべてを輸出禁止にはしているとは思えないが、タテマエはあくまで『国是』として『武器』や『関連技術』の輸出は禁止にしてきた。

このまま武器が輸出できる国になれば、新幹線などと同様、高い技術力を生かした輸出産業に成長し得るとの思惑が隠されているのだろうが、日本製や日本の技術でつくられた武器が実戦使用されれば、国際紛争を助長することだけは間違いない。

官民が足並みをそろえて武器輸出を拡大する姿は、戦後一貫して、武器輸出を慎むことで国際的な信頼を得てきた平和国家のイメ-ジは大きく崩れることは間違いない。

平和の日』から、つぶやきが思いがけなく大きな問題に触れてしまったが、目先の利益を優先して、日本の信頼を傷つけ、結果的に日本の平和と安全を脅かすことになるのではないだろうか。

『武器輸出』について、国民の反対の声が大きくなることを願う。(田舎親父)

2014年3月 8日 (土)

また居眠り運転で高速深夜バスの事故が・・・

 また高速深夜バスの痛ましい事後が起きてしまった。替えの運転手もいて、交代で運転してきたのにも関わらず、目的地近くのサ-ビススエリアに立ち寄ったところで、大型トラックに追突したという。

 そんなことがあるのかと首をひねったものだが、ブレ-キを踏んだ跡がないないというから、運転手の疲労による居眠りか、急な発作でも引き起し意識がなくなったものとしか思えない。

 この事故で、東北大震災の被害に遭って単身で金沢の高校に教員として赴任している男性が運転手とともに命を落とした。この方は、長男の卒業式に出席しての帰り立ったというから、気の毒としかいいようがない。長男の『親父と酒を酌み交わすこともなく逝ってしまったことが寂しい・・・』とのつぶやきが痛ましい。

 高速夜行バス事故で記憶に新しいのは一昨年4月、関越自動車道で金沢発のツアーバスが防音壁に激突し、石川、富山県の乗客7人が死亡、40人ほどの人が重軽傷を負った大惨事である。バスがガ-ドレ-ルに突っ込み、壊れたガ-ドレ-ルがバスの車体を貫いている映像には思わず目を覆ったものである。事故の原因は運転手の居眠り、睡眠時無呼吸症候群を患っていたというから、遺族や関係者の悔しさは想像に難くない。

この事故を教訓に、国は居眠りや過労による事故を防ぐため、一日当たりの夜間運転を原則4百キロ、高速道路の連続運転をおおむね2時間などに制限し、交代要員の配置基準を強化し、さらに旅行会社が貸し切りバス会社に運行委託するツアーバスを廃止、安全規制が厳しい乗り合いバスに運行形態を一本化した。

 このことによって、運転手の過労度などはずいぶん軽減されたと報じられていたが、今回も、この運転手は睡眠時無呼吸症候群と診断されていたというから、会社の運転手の健康管理に問題があったことは間違いない。

 亡くなった高校の先生は、バスの最前列の座席に座っていたらしい。この方は、バスの運転手の異常に気づき、『起きろ』とか『運転を代われ』と何度か叫んでいたという。この声で気づいた多くの乗客は、異常な気配を察知して、来るべき衝突に対する心づもりができたと証言しているが、声をかけた本人が亡くなっているのだからやりきれないだろう。

 会社の責任者は、お詫びの記者会見をしていた。その席で、睡眠時無呼吸症候群であったことは認めていたが、担当医から『運転業務には差し支えない』と言われたので、そのまま業務を続けさせたと発言していた。

事実なら、担当医の責任も免れないだろうが、それ以前に、会社は運転手に11日間休みを与えなかったというから、疲れがたまって眠くなっていた状態であったことは想像できる。ここでも会社として、人件費の削減という姿勢があったようだ。

『睡眠時無呼吸症候群』という病名から受ける感じでは、疲れたら眠り易くなり、いったん眠ってしまったら無呼吸上になるのでは、途中で気づくことがないほど深く眠る傾向があるのではなんだろうか。

 運転中に眠くなるということはよく聞くが、それは一瞬だという。しかし、いったん眠りに入ると目覚めない病気を持っているとなると、こんな人に車を運転させると、いかに注意をしていたとしても事故につながのは誰もが容易に想像できる。

 亡くなった高校の先生に対する補償は当然ながら、今回の事故では、運転手がいつどこで、そしてどんな経緯があって意識を失ったのかを徹底的に検証してほしいものである。そして何よりも、人命を預かる運転業務者には睡眠時無呼吸症候群の検査を義務づけ、少しでも疑いのある要経過観察者には精密検査を受けさせ、基本的には運転業務につかせないという措置が必要ではないだろうか。

 国は、今年11月以降に生産される総重量12トン超の大型バスに、衝突しそうになると自動でブレーキがかかる装置の設置を義務付けるというが、事故を防ぐためには人間より機械を信じるということには違和感がある。

 この『安全神話』作りは、何となく原発を連想させられる。やはり、基本にある『安全は人』ということを忘れてほしくない。

 さらに、今回、事故検証の重要な要因になるだろう産業医の判断に基準がないのも変な話である。このあたりにも焦点を当てて、二度とこの種の事故が起きないようにしてほしいものである。(杉)

2014年3月 7日 (金)

増税間近の世情は・・・

 消費税の値上げまで一月を切った。このところ新聞折り込み広告は、『消費税の値上げ前に買うのがお得』という文言がやたらに目立つ。折り込みだけではなく、社会全体が、増税前に駆け込み的に増える需要を狙った販売商戦一色という感じにさえなっている。

 この傾向は高額商品だけではなく、最近は少しでも保存がきく商品なら何でも良いらしく、以前のオイルショックの時によく見かけられた、大量のトイレットペ-パ-を抱えた人の姿がス-パ-やホ-ムセンタ-で目立つようになっている。

 トイレットペ-パ-ばかりではない。洗剤などもその例に漏れず、いわば日用品全般に及んでいるようだが、それぞれの家庭が4月以降数カ月間、日用品の購入の必要がないとなると、この『駆け込み需要』の盛り上がりが大きければ大きいほど、4月以降にその反動で消費が落ち込む『反動減』の谷も深くなることは間違いなさそうだ。

 いずれ、買いためた物がなくなれば、増税分値上がった(便乗値上げもあるだろうが)商品は買わねばならなるので、長期的に見たら元に戻る?とは思うが、当面の買い控えで、体力のない業界では、増税倒産という現象も起こり得そうだ。

 今業界・業者が一斉に『駆け込みセ-ル』をやっているのは、他社との競争に出遅れるわけにはいかないからだろう。しかし、買い替え需要の掘り起こしは良いとしても、消費を先取り進めるような宣伝をして、4月以降、ぱたっと商品が売れなくなってしまう可能性も大きい。そうなれば、困るのは業界・業者自身であることをわかっているだろうと思うのだが、そんなことを考えていてはその日の暮らしに差し支える中小の業者も多そうだ・・・。

 消費税が初めて導入されたのは、1989年というから25年も前のことになる。当時のことはすでに忘却の彼方、思い出すのも難しい状況であるが、当時はバブルと呼ばれる好景気の最中で、経済全体に大きな影響は出なかったような記憶がある。

 3%という数字も、大したことはないという雰囲気だったこともあったようだ。それでもレジで3%分上乗せされた金額に、損したような気分になったものである。

 ところが、97年に消費税率が3%から5%に上がった際は、5%という数値が庶民には厳しく、我が家でも、しばらくの間おかずの質が落ちたような気も記憶の隅に残っている。恐らく、世の中全体も同じで、消費増税による買い控えは長引いたのではなかっただろうか。当時は経済情勢も悪く、銀行や証券会社の破綻が相次いで不安が広がり、消費不振は以来ずっと続いて、デフレによる不景気の象徴となっている。

 さて今回はいかがだろう。マスコミ各紙・各局は『経済状況が当時とは大きく異なる』とぶち上げている。確かに、株価は当時と比べて安定した高値を続けている。大企業だけだが、賃上げのムードも出ているので、心配するほど影響がないという論調はわからない訳ではないが、私には本当に景気が回復しているとは思えないので、相当な影響が出るのではと推測している。

 家計への影響を抑えようと、税金の少しでも安いときに買いたいと消費者が考えるのは当たり前だろう。しかし、新聞折り込みの『今ならお得・・・』という宣伝文句に踊らされて、余計な買い物をしてはますます家計が傾き、何の節約にならない。

 繰り返しになるが、増税による『駆け込み需要』が、最近の購買力を高めているそうだ。確かに、増税前に何か買わねばいけないという雰囲気が充満しているが、ぐっと我慢ということも必要だろう。

 ところで、全く私的なことになるが、現在使っているウインド-ズXPが4月にはその運用が停止されるとなると、この買い換えは必定。先日、ウインド-ズセブン搭載の中古のパソコンを購入したが、これに慣れるのに苦労している。

 パソコンは仕方ないとしても、照明器具などもLEDに代えようと計画しているのだが、急がないと損するような気持ちになると同時に、LEDの普及の広がりによる値下げもあるのではとも思うと、急がなくても良いような気にもなる。

 いずれにせよ,4月からの経済の動向は、素人ながら気になるところである。(杉)

2014年3月 6日 (木)

社会の歪みと気持ちの荒みが・・・

 3日の深夜に起きた、千葉県柏市の路上での強盗殺人事件には、今まで感じたことがないような衝撃を受ける。

  深夜とはいえ、人通りのある都会の路上で、約10分間の間に、わずか50メ-トルという範囲で、ナイフを持った男に、男性4人が襲われ、そのうち一人が死亡するという異常も異常、こんなことが起きたとなると、帰りが遅くなる人たちにとっては恐怖以外何ものもない。  ナイフを突きつけて、『金を出せ』とか『一人殺している』という言葉で脅し、次々に襲ったとのことである。死亡した男性は近所に住む31歳の勤め人で、この男性の持っていたカバンはじめ財布などがなくなっているというから、物取りの犯行だろうが、それしても手口が荒っぽ過ぎる。
 車で通りがかった男性も二人襲われており、その一人は車を奪われ、その車は1.5キロメ-トル離れたコンビニの駐車場に乗り捨てられていたとのこと。最近のコンビニは防犯カメラが設置されているだろうから、警察は分析を急いでいるという。
 防犯カメラには、男とみられる人物が下車して立ち去る様子が映っていたことや、車内からは血痕が検出されていたとのことなので、まもなく犯人像が明らかになり、逮捕されると思いたい。
 また、近くにはタクシ-が止まっていたという証言もあるようだから、事実なら、こちらの方から確実な情報が示されるかもしれない。昨日、ここまで書いていた時点で、犯人逮捕という一報が入る。防犯カメラの映像から割り出したのだろうが、またこれで、防犯カメラの数が増えるのかと思うと、何となくすっきりした気分にはなれない。
 ところで、事件から一夜明けた昨日の朝は、柏市内の小学校ではパニック状態に陥っていたようだ。教職員が通学路に立ち、保護者付き添いで登校する子供たちの様子が画面に写っていたが、警戒する方も、どこから犯人が飛び出すのか予測できないとなると命懸けの様子がくみ取れていた。
 話は飛躍するが、先日30歳の男が、名古屋市内の駅前交差点の歩道に乗用車で突っ込み、男女13人をはねて重軽傷を負わせた事件があった。男は、誰でも良いから多くの人間を殺すつもりで突っ込んだというから、常識では信じられない。  この男は、『家族と折り合いが悪かった』と供述しているらしい。以前は、両親や祖母、弟と同居していたが、昨年五月ごろ、他の家族が引っ越してからは一人で暮らしていたそうだ。
 大学卒業後にコンビニや警備会社でアルバイトをした時期もあったらしいが長続きしないという記述に、大学はでたのだが思うような就職口がなく、人生に嫌気をきたしウツ症状が日常的になり、それが原因で家族とのトラブルになる。それに併せて、その場合は、両親が生活費を出しているという話はよく耳にする。
 数年前に秋葉原の交差点に車で突っ込み、刃物で無差別に刺して、たまたま通り掛かった人を死に至らしめたり、重傷を追わせる事件の記憶も生々しい。あの犯人も、自分の境遇に嫌気が差して、ウツ状態だったと伝えられていた。当時、同じような事件が続くのではとつぶやいたが、先日の冷凍食品に農薬混入事件といい、今回の2例も含めて、自分を正当に評価してくれないと不満を持つ、一部の人間の社会への誤った復讐心が自制の垣根を飛び越えて犯行に至ったようだ。
 いつからこんな精神的欠陥のある人間が表にでて犯罪を起こすようになったのだろうと振りかって見たとき、思い当たるのは、15年ほど前に起きた大阪教育大学付属の池田小学校に侵入、低学年児童や教員に無差別に包丁で切りつけて殺害した事件である。
 何の脈絡もないとお叱りの声が聞こえそうだが、私は何度も、事件の原因の解明よりも、社会的制裁が先だとばかり、本人の希望どおりにさっさと死刑に処したことによって、俺もあんなことをして死刑になりたい・・・と思った精神異状患者も多いのではないだろうかとつぶやいた。そして、私の心配が現実になり、『通り魔事件』とされる、動機がはっきりしない、思いつき的な凶悪犯罪が頻繁に起きるようになっている。
 同じつぶやきになるかもしれないが、社会の構造を根本的に改めないと、周りに不満を持ち、悶々とした気持ちで毎日を過ごしている異常行動予備軍達は、虎視眈々と犯行の機会を狙っているように思えてならない。(田舎親父)

2014年3月 5日 (水)

保育園と待機児童のイタチゴッコ・・・

  何度か取り上げている待機児童問題が、ここにきてまた深刻になんているらしい。横発でも、古希問題は一度は待機児童ゼロと解決したかのように伝えられていたが、実際は数値のマジックで根本的な解決にはほど遠いのが現状というから、都市部を中心に、ますます保育園の建設が進むことは間違いなさそうだ。

  先日の東京新聞は東京都の23区の現状を紹介していた。記事によると、東京23区で今年4月に認可保育所へ入れない子どもの数は2万1千人超になるという。この数は1年前の同じ調査より約2200人増えているというから深刻である。このままでは、保育園の建設と待機児童の数とのイタチゴッコが当分の間続くに違いない。

  認可保育所が足りない状況は、昨春から各地で起きた保護者らの訴えで社会問題化しており、整備や対策に力を注いでいる自治体も多いが、保育ニーズも伸びており、追いついていない現状が浮かび上がったと指摘している。

  認可保育所の四月入所申し込みについて各区が2月に行った第一次選考の状況を調べたところ、募集枠(人数)と申込者数を聞き、差し引きして入れない子どもの数を集計している。

  申し込んだ子どもは全体で55111人で、これに対し募集枠は33991人だとのことだから、はじめから保育園に入れない児童が2万人以上いることが明らか。この数は、昨年より募集枠は約3300人分増えたが、申込者数の増加がそれを上回る約5500人と、役所の予想よりはるかに多かったらしい。

  入れない人数が最も多いのは、世田谷区の3216人。昨年より625人増え、入れない児童の割合も最も高い60%となったという。次いで杉並区の1821人で、入れない割合は昨年より6ポイント下がったが、56%と依然として高いとのことである。目黒区も半数以上が入れない。

  いやはやすごい数字が並ぶものである。昨年の調査時点から最も認可保育所の定員を増やしたのは江東区だそうで、募集人数も750人分増えたとある。しかし、それに匹敵する申込者の増加があり、4割以上が入れない状態だというから、保育園の建設だけで住民サ-ビスが終わってしまうのではないかとさえ思ってしまう。

  この数値はグラフ化して掲載してあるので、区による差は歴然。さらに、解説が続き、調査では申込者数から募集枠を引いたが、実際に行政から『入れない』という不承諾通知をもらった子どもは、もっと多い場合があるのだそうだ。保育所に空きがあるにもかかわらず、申し込んだ『子どもの年齢』や『通える範囲』との不一致で、入れないことが起きるのだそうだ。

  なんと制約が多いことか。私のような無関係な素人からみたち、年齢や距離も大切な要素には違いないだろうが、もう少し、区同士で話し合い、融通がつけられるのではと思わないでもないが・・・。

  若いママさんバワ-から尻をたたかれている自治体の担当者は、必死で保育園建設に気合を入れているのだろうが、23区には保育園にふさわしい広さの区有地・都有地がほとんどなく、あったとしても、景気のてこ入れで建設業のテコ入れがあり、建設業そのものがてんてこ舞いの忙しさだそうで、保育園建設には人も資材も回ってこないのだそうだ。

  同じような悩みが、東日本大震災の復興現場でも抱えているので、弱いもの同士がパイの奪い合うとい現実だそうだから、ここでもアベノミクスの負の部分が表面化しているらしい。

  保育園を認可するにあたっては、国の基準があって、保育室の面積や配置する保育士数などをクリアしなければならないらしい。そのために、自治体によっては、基準を緩和したりしているというが、子供の命を預かる以上、保育士の質と数の確保は必要かつ重要な大問題。担当者は、保育士の確保は建設場所探しと同じように頭が痛い問題らしい。

  最近の親は、保育園に入れることが『絶対に必要』なことであり、自宅で子供と過ごすという選択肢は持たないようだ。仕事をする自由は否定しない。働かねば生きていけない現実も理解できるが、現在のように、誰でもが保育園に入れなければという脅迫概念があっては、イタチゴッコが終わるころには、子供の数がさらに減って、国の存亡に関わる大問題になることは目に見えている。

  やはり、子育ても主婦(主夫)の大事な社会的な仕事であり、それに見合った報酬を支払うというシステムにしなければ、本質的な解決にはほど遠いのではないだろうか。

  保育園に預けないで、自分が育てるという主婦(主夫)には、給料として月10万円ほど支払うとなれば、保育園に預ける野ではなく、お互いに協力して子育てをする人の和が広がると思うのだが・・・。(田舎親父)

 

2014年3月 4日 (火)

建設技能者不足が深刻・・・

 先日の国会の答弁でアホベ総理大臣閣下は、『高台移転や災害公営住宅の建設は計画の約7割以上で事業が始まった。いよいよ工事の段階に移っている』と大見得を切っていた。しかし、マスコミが伝える現状は、現政権の進めている公共事業の拡大によって、ゼネコンはじめ建設会社が、復興よりも率のよい仕事に向かい、被災地の復興は人手と資材の不足が原因で、遅々として進んでいないのだそうだ。

国内のとび職、左官、型枠工など建設業の技能労働者は、高齢化や長引く不況による離職などで減少しているという。私に言わせれば、建築そのものが徹底的にマニュアル化されて、素人に毛が生えた程度の人たちが家を建てているのが現実だから、数だけでなく質も問題にするべきだろうと思うのだが・・・。

それはともかく、1997年のピーク時に455万人だった技能労働者は、2012年末時点で4分の3の335万人に落ち込んでいることも影響しているらしく、被災地の建設業を対象とした東日本建設業保証の業況調査では、労働者の確保が困難との回答が激増し賃金水準も上昇しているという。そのため、被災地では、公共工事の落札業者が決まらない『入札不調』が相次いでいるというから、相当深刻な事態に陥っているようだ。

政府としても、そのことが明らかになるにつれて、このままでは自分の首を締めることになるので、そこで打ち出した施策が、外国人技能実習制度の緩和による外国人労働者の受け入れ拡大だだという。しかし、人手が足りなければ人件費の安い国からの労働力を持ってくるという発想は、将来的な展望という点からは、あまりにも安易すぎる。

そんな私の心配の声など届くはずがなく、政府はすでに、建設業の担い手として外国人に着目し、受け入れ拡大策を話し合う関係閣僚会議を発足させたとのこと。官房長官は初会合で『建設業は、担い手の急速な高齢化や若年労働者の減少といった構造問題に直面している。即戦力となり得る外国人の活用の拡大が極めて重要だ』と強調。3月末までに緊急対策を決定し、来年の春の実施を目指しているとのことである。

この背景にあるのが、2020年に行われることが決まっている東京オリンピックがあることは間違いない。インフラ工事が本格化し、形だけでも急いでいる様子を見せないと、支持率が落ちることが確実で、そのため、被災地での労働力確保が一段と難しくなる恐れがあるからだろうだが、これは私でも理解できそうだ。

現在、さまざまな分野で開発途上国から『研修生』を受け入れている。その目的は、日本の技術を学び、母国で生かしてもらう『国際貢献』だというが、実際には、比較的安い賃金での労働力確保というのが実態である。

しかし、政府は『研修生制度』の現状には目をつぶり、外国人技能実習制度を緩和して受け入れ人数を増やすと同時に、受け入れ期間も現在の最長3年から5年に延長するという計画を打ち出しているらしい。

外国人技能者が増えることによって、東北の復興速度が早まれば良いが、政府はもちろんゼネコンなどは、東北より首都圏に目がいっている周知のこと。オンリピック目的にこの制度の緩和が利用されることは明らかだろう。

制度が緩和されたら、かなり怪しい外国人が増えることも心配である。彼らの賃金は母国に比べたら高いだろう。我も我もと日本に『研修生制度』でやってくることも間違いない。そうなると、不法滞在者が増えることはもとより、日本人労働者の賃金の抑制につながるというトンデモない事態になることも十分予想できる。

目先の解決を急ぐあまり、気がつけば、日本人の働く場がなくなったなんてことになったら、今でもどんどん悪くなっている治安も心配。だから、治安維持法が必要だという論理にすり替えられそうだが・・・(田舎親父)

2014年3月 3日 (月)

誰が何の目的で・・・

 

 『アンネの日記』は全国の小中学校では当たり前に見つかる戦後の学校図書館のベストセラ-だと思っているが、最近は、何故か人気がないらしいことは、数年前のある教育関係者の会合で話題になったことを思い出す。

 その時は、最近の子ども達はアンネのおかれた環境など理解できなくなったのかと寂しく感じたものであるが、この本の持つ意味は大きく、子ども達に読ませたい本の一冊であることに疑いはなく、なんとか読ませる手だてを考えたいと思っている。

 その『アンネの日記』が今年1月以降になって、東京都内や横浜市の図書館を中心に、関連する本も含めて破られる事件が連続していることに、誰が何の目的でこんなバカバカシイ行為を繰り返すのかと憤慨し続けている。

 マスコミは、中国や韓国では日本が『右傾化』していると、大騒ぎになっていると伝えている。中国人民解放軍機関紙、解放軍報は、日本人の中に『アンネの日記は(事実ではなく)小説だ』とする言論が見られると、歴史否定の動きがあると批判しているという。

 そして。日記を破いても『記憶を消すことはできない』と、あたかも組織的な犯罪であるかのごとく報じているらしい。また。韓国メディアは、日本にはヒトラーに追随する勢力が少なくないと報じ、在日韓国人などへのヘイトスピーチに象徴される『病的な右傾化現象』と、日本全体が極右勢力に乗っ取られたとも伝えている。

 現政権が右傾化していることは事実である。先の戦争も、ある意味アジアの国々の独立解放のための『聖戦』だという歴史観が広がりつつあり、アメリカから押しつけられた憲法を改定する動きも露骨にしているが、まさかナチスのやったことを肯定し、ユダヤ人虐殺を史実から消そうという意図を持っているとは思いたくない。

 現政権に引きずられるように、日本全体が右傾化していることに心痛めてはいるが、だからといって『アンネの日記』を破るという、かえって世論から離反するような直接行動をとる日本人が存在することも信じたくない。まして組織的に・・・。

信じたくないが、先日も取り上げたが、『はだしのゲン』という、戦争の悲惨さを描いた世界的にも価値を認められているマンガが、学校図書館から締め出す動きが広がっていることが気になる。こちらは、明らかに組織的な行動である。

 つい先日横浜で、正しい歴史観(私にはそう思えないが)にたった教科書をと主張している『(教科書を)つくる会』という組織が、『はだしのゲン』を有害図書に認定するように横浜教委に申し入れたという報道にも愕然とするが、私の気持ちの隅では、こんな組織に属した、一部の跳ね上がり分子が、意図的に『アンネの日記』を破っているという可能性も(少なからず)否定できなくなっている。

 中国や韓国の右傾化批判に対してや、国内のこのような心配をなくすためにも、犯人が右翼思想とは関係ない、いわば自虐的な通り魔的心理を持った人間の仕業だと証明するためにも、一刻も早い犯人逮捕が必要である。

 そして、犯行がすべて一人の犯人によって行われたことと、その後ろに右翼的な組織の存在がないことをせつに願いたいが・・・。(田舎親父)

2014年3月 1日 (土)

間もなくあの日が・・・

 例年同じことを述べているような気がするが、年のはじめの数カ月は何がなんだか分からないうちに過ぎ去り、気がつくと桜の季節を迎えているという繰り返しになっているのは、心の中に、春を求めて、その日が速く過ぎことを願う心理が潜んでいるのかもしれない。

それが1月は行く、二月は逃げる・・と例えられる所以ではないだろうか。それにしても今年は速すぎると感じるのは、大雪が間に2回も入った影響も大きそうだ。

今日は、もう3月1日。3月は弥生と言われるように、その響きに何となく春を感じ、生きとし生けるものが活動を始める雰囲気を漂わせるが、ここ数年は、弥生3月という声が、あの大震災と原発事故の命日につながり胸を締めつける。

大津波と原発事故は東北3県(だけではないが)に想像に絶する被害をもたらした。津波でえぐられた様子は、私も石巻を歩いて見た。あの大津波の映像通りの惨状が目の前に広がっていることに、小雪のちらつく中、北上川の流れを眺めながら呆然としてしばし動くことができなくなったことが昨日のように思い出される。

信じられないほどの人々の命が奪われたが、中でも、何故か、子ども達の避難誘導を誤り、全校児童108人のうち74人の児童と教職員10人の計84人がなくなった石巻市立大川小学校の痛ましさは類を見ない。学校内で津波に遭い、助かったのはわずか児童4人と教員一人だけだったことが、教育に携わってきた一人として、何故こんなことが起きたのかと今でも信じることができない。

保護者の心の痛みは想像に絶するが、その原因究明が教委の壁に阻まれて、遅れに遅れて、つい先日、第三者委員会(外部検証委員会)による最終報告が明らかにされたが、その内容は、私が読んでも到底納得できるものではい。これでは、保護者に理解をえられるどころか、火に油を注ぐような結果になることは容易に想像できそうだ。

 検証委の最終報告書は『避難開始の決定が遅れたこと』と『津波を免れた(学校の)裏山ではなく、危険な河川堤防近くを避難先に選んだこと』の二つを、直接の要因と結論づけている。

しかしそんなことは、私でも直後につぶやいたように、今更検証委に原因だと言われなくても、はじめから誰もがわかっていたことである。

地震の発生から避難を始めるまでの約50分間、裏山がすぐ近くにあるのに、児童らは校内にとどまっていたことか『何故なのか』ということを究明できなければ、意味がない。誰が、どんな意見述べたのか、教師の生存者がたった一人だったこともあって、事実をつかむのが難しかったことは理解できるが・・・。当日、校長は管外出張だったとある。校長が存在していれば、全ての児童の命が助かっていたとは思いたくないが、少なくとも、避難までには50分はかからなかったに違いない。

そして、例え裏山を選択しないで、危険な避難路を選んだとしても、途中で誰かが危険に気がつき、引き返す時間的余裕ができて、助かる児童の数は増えていただろうことは想像に難くない。

校長が留守だったら、命令系統が全て失われる。そんなことは現場ではあり得ないのだが現実に起きてしまった。検証委はこのことを徹底的に洗い出す必要性がある。難しいことは分かるが、事実として、校長と教師一人だけだは生きているのだから。

生き延びた教師や校長に対する人権の壁が立ちふさがっていることは何となく理解できるが、84人の命の前でも、その人権が立ちふさがって良いはずがない。非情であるかもしれない、場合によって、校長や残った教員のうつ発生や自殺もあり得るかもしれないが、この部分を曖昧にしては、真相は明らかにならないだろう。

この被災事故後の石巻市教委の対応がひどすぎた。それが今日の現政権の教育委員会制度改革の絶好の理由に利用されているのも皮肉だが、遺族との間に溝をつくり、検証を遅らせてきたことは明らか。

 唯一の生還教諭の報告メールが削除されていたり、聞き取り証言の記録メモが廃棄されていたなどは信じられない。まさに教育委員会の隠蔽体質そのものである。遺族の指摘によって、市教委は渋々事実を認めたが、その説明そのものが二転三転。当時私も、子どもの命より、自分達の身分の方が大切なのかと激しい怒りを感じたものである。

 結局は、文科省も動かざるを得なくなり、その主導で、震災から約2年後に検証委が動き始めたのでは、誰が見てもその遅れは致命的である。

 一部の遺族は提訴するとのことだが、遺族全体としてまとまって提訴すべきである。そして、もう一度検証委を立ち上げて、『何故っ50分の間、学校にとどめたのか』ということに絞って、徹底的に検証してほしいものである。校長の日頃の言動も含めて・・・。

そして、この前例のない惨事の検証を、全国の今後の学校の防災に生かしてほしいと切に願っている。(田舎親父)

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