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2014年5月

2014年5月31日 (土)

少しは面白くなってきたようだ・・・

 例年は1月から3月は、本当にあっと今に過ぎ去るのだが、今年は、その動きが4月になっても納まらず、気がついたら5月は今日でおしまい。歳のせいだと笑われるかもしれないが、5月最後の日に、このままではどうなるのと不安になってくる。

それはともかく、集団的自衛権に並々ならぬ執着を持っているアホベ首相の指示で、自民党と公明党は、NO2と幹事長を中心にした安全保障法制整備の協議会を開催し、武力攻撃に至らない『レーゾーン』態をめぐる議論に着手したと、新聞テレビが大きく取り上げていた。

 その内容は、私がここで取り上げるまでもないが、結論の先送りを狙う公明党は慎重な議論を求め、話し合いは入り口から難航したようだ。

合意に至らなかったのは当然だろうが、慢心首相は公明党が連立離脱できるはずがないと思っているらしく、協議会を発足してしまえばこちらのものと早速、集団的自衛権の範囲を大幅に超える見解を明らかしはじめたようだ。

凄い鼻息である。戦後一貫して、憲法9条を日本人の誇りとして堅持。海外で軍事行動を『NO』としてきたのに、首相と内閣が、これまでの経緯を一切無視し、ほとんど国会審議もせずに閣議決定という動きは何なのだろう。

野党もバラバラで、例え、集団的自衛権を容認する立場であってとしても、一国会・一内閣だけの独断先行は許さないという主張は最低限の役割だと思うのだが、民主党のだらしなさはともかく、首相にヘラヘラとすり寄り、自分のカネ疑惑が発覚するとトンズラする党首まで存在しては、現政権が奢り高ぶるのは当然なのかもしれない・・・。

ところで、かなり以前のことになるが、集団的自衛権について、宗教界では天敵関係にある、創価学会と日蓮衆(日蓮正宗も含めて)が,集団的自衛権に反対という立場で一致する可能性があるらしいことを思わせる大変興味のある動きを伝える記事があった。

 『平和を作り出す宗教者ネット』という、僧侶や牧師、神父らが参加する組織があるのだそうだ。以前、『南無の会』という、仏教界を横断する組織の会合には何度か参加したことがあるが、これをさらに宗教全体に広げた組織があることに驚く。

 発端は、公明党のバックに控える創価学会が、『集団的自衛権反対』の立場を明らかにしたことにあるのだろうが、この組織が、集団的自衛権の行使容認に反対を貫くよう、公明党国会議員に激励のファクスを送ることを呼び掛けたというから、これはひょっとして面白い展開になるかもしれない。

組織の代表は『平和を守るという点では一致できるものはある』と強調し、『近いうちに創価学会を訪ね、話し合いをしたい』と明言しているから、創価学会と宗教各派との間で、(『集団的自衛権』に限ってだろうが)足並みが揃う可能性が、わずかでもでてきたというのは画期的。前代未聞である。

 私は宗教には全く興味がない。この根底には、神社仏閣が日本人の精神的支えになってきたことや文化伝統の発展に大きな貢献をしてきた事実は十分認めているが、なぜあれほどまでに豪華絢爛さを競うのだろうかとの疑問と、いつの時代でも、貧しい民衆からの収奪で栄えてきたという事実、いわば宗教の『金集め』の部分を理解したくないということがあるようだ。

 まして、新興宗教となると人の弱みにつけ込んで、言葉巧みに寄付をする仕組みを認めさせて、組織を大きくしていることに嫌悪感すら覚える。

しかし、集団的自衛権には絶対反対の立場を持っているので、この記事を読んで、集団的自衛権に反対の立場を明らかにした創価学会と、そして公明党の動きに注目しはじめている。

一昨日は、公明党の国会対策委員長が『連立離脱も選択肢の一つ』と発言したらしいから、少し雰囲気が変わり出しているような気がしないでもない。

『頑張れ』は私の好きな言葉ではないが、そしてめったに口にしないことだが、『公明党ガンバレ』とエ-ルを送りたい。(田舎親父)

2014年5月30日 (金)

残業代ゼロが目前に・・・

先日も話題にしたが、現政権は残業代ゼロ政策を本気で進める気らしい。先日、厚労省は管理職のみならず、基本的には、年収の高く、専門的な知識や技能が必要な職種に従事している人たちを『幹部候補(生)?』と規定し、仕事の成果だけに応じて賃金を払う新制度を導入する方針を固めたという記事が目についた。

文面にある『専門職を対象に、時間にしばられず成果を中心に給料を決める』というところから、以前、『ホワイトカラ-エグゼブション』と呼ばれ制度の導入を目指したが、『残業代ゼロ』との批判が大きく断念したことを思い出す。

記事によると、同省は労働時間に関係なく成果のみで賃金が決まる対象を管理職のほかに広げることには慎重だったらしいが、例の『有識者会議』と呼ばれる、政府の『産業競争力会議』が強くこの制度の導入を求めている方針を変えたとある。

厚労省は早ければ来年の通常国会に労働基準法改正案を提出し、再来年の4月から導入するらしいが、野党がバラバラの現状では、『残業代ゼロ』が確実に近づいているのは間違いなさそうだ。

それでも厚労省としては『管理職』と『年収1千万円』という文言にはこだわっていたらしいが、世界に通用する強い経済の実現という首相の至上命令で動いている『産業競争力会議』は、それを封じ込んで、一般社員を『幹部候補生』という言葉に変えた修正案を出し、これを厚労省が認めたのだそうだ。

額面通りに解釈すれば、ヒラ社員は残業代ゼロ法案の対象から除外されそうだが、そんな単純な話ではなさそうだ。

『幹部候補生』とは、事業計画策定の現場責任者、いろいろな分野のコンサルタントなどを指すとのことらしいが、対象が曖昧で、解釈次第で、かなり職種は広がるだろうことは、経済音痴の私でも十分想像がつく。

しかも、今まで厚労省がこだわっていた『1千万円以上』という年収制限が消えているのは、『幹部候補生』という言葉は目くらましで、対象を広げようとしていることはミエミエだろう。

管理職には残業代をゼロとしてもかまわないという項目が、労働基準法にあることは知っている。管理職には管理職手当がつくが、一般社員のように残業代がつかないのはこのためであることも・・・。

だからブラック企業の常套手段として、やたら管理職に任命し、ほんの少しの管理職手当をつけて、長時間労働は当たり前にして働か貸させる。この『名ばかり管理職』が社会問題になっているが、今回の『幹部候補生』という言葉が『名ばかり管理職』と妙に重なる。

労働基準法には、管理職の定義として『監督もしくは管理の地位にある者または機密の事務を取り扱う者』とあるらしいが、読み方を変えれば、社長に寄り添う社長秘書や幹部専用車の運転手なども『機密の事務を取り扱う者』と取れ、『管理職』を『幹部候補生』に拡大して、残業代ゼロの階層に広げる意図がアリアり。

この『名ばかり管理職』が、残業代支払いを求めて訴える事件が度々報道され、名ばかり管理職側の勝訴も多くなっている。今回、法案として『名ばかり管理職』も『管理職』あるいは『幹部候補生』として扱われたら、裁判の質が変化することは間違いなさそうだ。

産業競争力会議には財界の名門トップがズラリと名前を揃えている。なるほど、『幹部候補生』という言葉の裏には、合法的に『残業代ゼロ』が当たり前の就労条件にする狙いがありそうだ。

こんなことが実際になれば、今以上に自殺者とうつ症状を訴える人々が増えることは確実だろう。これは恐ろしい・・・。(田舎親父)

2014年5月29日 (木)

さらに一極集中が進むのでは・・・

 新聞を精読しているわけではないので、これに類する見出しを見たことはないと断言できる自信はないが、『羽が空港と川崎市を直結する橋の建設を政府が決めた』という文面は大手の新聞紙上にはなかったような気がする。この記事は神奈川新聞という地方紙にあった。

 カナコロというネット版には、この文章に続き、『羽田の国際化進展をにらみ、2020年の東京五輪開催までの供用開始を目指す』とある。

 川崎市や神奈川県は将来が見えてきたと大歓迎しているらしい。神奈川県民として羽田と直結することには反対する理由はないが、だからといって諸手をあげて賛成という気にはなれない。

 確かに、羽田空港に直結する橋ができれば、その先は、川崎と横浜鶴見区に続く大工業地帯が広がる、いわば日本の工業生産の一大拠点であり、経済発展が望まれることは理解できる。

 しかし、その潤いの影響は首都圏に限られ,地方の発展どころか,衰退につながってきたのは過去の歴史が証明していることから、ますます経済の一極化が進み、今以上に地方との格差が広がることは間違いないところ。

 過疎で悩む地方の話題が満ちあふれているのに、そんなことは関係ないとばかり、首都圏、特に東京都と神奈川県(それも東部だけだが)の利便性だけを追い求める政策には疑問符がつく。

 この記事が神奈川新聞のトクダネだとしたら、24日の神奈川新聞と官房長官との単独会見で明らかになったというから、官房長官が神奈川県東部選出ということとは無関係ではないのかもしれない。

 羽田から多摩川を越える連絡道路構想は、ずいぶん以前から存在していたことはおぼろげながら記憶があるが、成田が開港し、羽田が国内便専用と位置づけられたことで、この話は立ち消えになったと思っていた・・・。

 しかし、羽田が国際空港と方針が変更されてからは、この構想が蘇ったようだ。京浜臨海部の再活性化を目指す川崎市や県はその実現を要望してきたそうだが、空港を持つ東京都、特に大田区などは地域の衰退につながる可能性もあると慎重論が多く、調整がつかない状況が続いていたのだそうだ。

ところが、2020年の東京オリンピックが本決まりになり、しかも、現政権の経済産業のグロ-バル化という世界成長戦略の一環として、東京都9区と神奈川県内全域などが『国家戦略特区』に広域指定されたことも受け、羽田を玄関口とした国際ビジネス環境を整えという論理が慎重論を抑え、新たなインフラ整備が決まったらしい。

政府は3月、区域を限定して規制を大幅に緩和する国家戦略特区に、全国6カ所を指定したというニュ-スは知っているが、そのうちの『東京圏』という地域は、東京都9区と神奈川県全域にプラスして千葉県成田市で構成していることははじめて知る。

成田が入っているのは成田空港の存在を意識していることは間違いないだろう。しかし、両空港を中心に据えてのグロ-バル化ならば,千葉県の沿岸地域も入れるのであれば理解可能だが、神奈川県は全県で千葉県は成田だけとは納得できにくい。

この『東京圏』では、東京オリンピックをにらみ『世界で一番ビジネスのしやすい環境』の創出を目指すというのが政府筋の説明らしいが、ビジネスのしやすい環境とは、地方の切り捨てのようにしか受け止められないのは、私の思い過ごしだろうか。

 千葉県側から異論が出ることを期待しているのだが・・・。(田舎親父)

2014年5月28日 (水)

ブラック淘汰の始まり?・・・

 私には景気が回復したとは思えないのだが、政府筋の発表では、確実に回復傾向をたどっており、求人が増えたのがその証拠だと鼻息が荒い。

 確かに人手不足という言葉を最近よく耳にする。特に、東日本大震災の復興のための人手が極端に不足して思うように復興作業が進まないそうだ。これにはオリンピックのインフラ整備のために、ゼネコンが暗躍し大量の人員を確保しているのだそうだから困った話である。

建設業界から始まった人手不足は、現在では流通や外食産業などで深刻化しているという。この業界は、今まで、安い労働力に依存してきた経営で成り立っていたのだが、いまや若者が集まらず、規模縮小のうねりが起きているのだそうだ。

安い賃金で働かせ、経営者側の都合でポイと切り捨てる会社などをブラック企業と呼び、その東の横綱として、居酒屋チエ-ンの『和民』がよく知られている。実際に、その内容を知っているわけではないが、マスコミが伝える労働環境は信じられないほど劣悪で、よくぞこんな企業がのさばっているものと呆れてしまう。

先日、その『和民』が人手不足を理由に年度内に60店舗の閉店を決めたというニュ-スに喝采。自給をあげてもアルバイトが集まらないのだそうだから、ブラック企業の元祖もついにその経営方針を見直さねばならなくなったかと思うと実に愉快である。

こちらもブラック企業の代表の一つだと名指しされている牛丼大手『すき家』も100店舗以上が休業に追い込まれという。『すき家』といえば、強盗が狙い易いらしく、かなりの頻度で襲われているのは何となく分かるような気がする。

強盗といえばコンビニが被害にあうことは多く、首都圏に限らず都市部のコンビニが強盗に襲われることは日常茶飯事化していると言っても奇怪しくない。これもブラック企業の証の一つなのかもしれないが・・・。

一円の安さを競う価格競争が当たり前のコンビニや外食サービス産業の多くは、身分保障がいらず、使いやすいパートやアルバイトら非正規労働を採用してきた。働き口が少ないデフレ不況期にはそんな劣悪な雇用モデルでも通用したのだろうが、安い自給で長時間労働の上に、刃物で脅かされるとなると逃げ出したくなるのも道理だろう。

雇用環境が好転すれば働き手がいち早くそっぽを向き、人を人とも思わないような企業に将来はないことが明らかになり、ブラック企業も体質改善を迫られているようだ。

外食や流通業界では、それでも利益を上げるためには、人件費を徹底的に切り詰めるのがビジネスモデルとしてもてはやされ、自殺するのは本人の努力が足りないと切り捨ててきたのだが、ここにきて若者たちも働く場が広がったことで、そんなビジネスモデルは成り立たなくなるのも当然だろう。

 そんな中、やはりブラック企業だと一部から批判があった『ユニクロ』が、これまでパート待遇だった社員を大量に限定正社員化することを決めたというニュ-スがあった。限定という文字が付くのは気に入らないが、待遇改善を強調し,より人材の『囲い込み』を計る戦略なのだろうが、ユニクロに続く企業が増えそうだときことに、やっとまともな就業携が広がるのではと少しはホッとしている。

ただ気になるのが、もともと慢性的な人手不足に悩んできた介護や医療の関連業界では待遇改善が進まず、他の業種への人材流出で不足感が一層増しているということである。

確かに、老人や病人の世話を自分の身分すら保障されない上、低賃金で長時間拘束されるとあっては転職する若者が増えることは避けられない。早めに対策を打ち出さねば、老人施設という立派な建物は全国整えられているのだが、働く人がいなくなるという状態が迫ってくるだろう。

子ども保育ならば、将来が楽しみということもあり、ある程度我慢できることも多いだろうが、相手が老人となると終の間の世話。それも寝たきり老人の世話が毎日の仕事となると、よほどの人格者でなければ続かないのは当たり前。待遇改善が進まなければ逃げ出す若者が多いことは考えるまでもない。

介護や医療業界は、この動きを教訓に、若者らが働きたいと思える環境、働く人にきちんとした対価を払う真っ当な経営を目指してほしいものである。もちろん国や自治体の姿勢次第だろうが・・・。(田舎親父)

2014年5月27日 (火)

開戦前夜のような雰囲気・・・

 25日のことである。自衛隊の情報収集機と中国軍戦闘機が東シナ海で、わずか30メ-トルまで接近したという報道に、両国の関係がここまでの事態に悪化しているのかと、ゾッとした人も多いのではないだろうか。

 私もその一人である。ひたすらタカ派的な発言と行動を押し進めているアホベ首相とオタク幹事長を諫める部隊が閣内・党内に存在しない現在、アメリカの軍事力と自衛隊の過信を背景に、中国何するものぞという雰囲気が広まっていることを懸念している。

 この事件をマスコミはこぞって報じているが、現政権にベッタリの読売と産経両紙の取り上げた記事をそのまま引用してみることにする。

 (読売新聞)中国国防省は25日、東シナ海を飛行していた自衛隊機2機に対し、中国軍の戦闘機が異常に接近したことについて談話を発表し、「自衛隊機が中露の合同軍事演習の空域に勝手に侵入し、危険な行動を取った」として日本に抗議したことを明らかにした。
 談話は、中国が東シナ海に設定した防空識別圏に自衛隊機2機が侵入し、中露両国が実施していた合同海上軍事演習を偵察、妨害したため、中国軍用機を緊急発進させて必要な措置を取った、などと主張。日本に「一切の偵察と妨害活動を停止」するよう要求した。

 (産経新聞)小野寺五典防衛相は25日午前、中国軍の戦闘機が自衛隊機に異常接近したことについて「(自衛隊機は)普通に公海上を飛んでいるのに、あり得ない。常軌を逸した近接行動だ。あってはならないことだ」と述べ、中国側の対応を批判した。防衛省で記者団の質問に答えた。
 中国軍機の異常接近を公表した理由について「このような近接する中国戦闘機の航行はかつてはなかった」と説明。中国軍の戦闘機にミサイルが搭載されていたことも明らかにした。小野寺氏は24日夜に安倍晋三首相に報告、首相は「引き続きしっかりと態勢を取ってほしい」と指示した。
 小野寺氏は「わが国の領土・領海・領空をしっかり守っていくために、必要な警戒監視を行っていく」と述べた。(引用ここまで)

 中国側の主張を受け入れられないことは当然だが、中国とロシアの軍事訓練の情報を収集するために、自衛隊機がその近くを飛んでいたことは事実らしく、両国がそれぞれの航空識別県を主張している中、公海上とはいえ、中国が『ちょっと脅かしてやれ・・・』と考えることはあり得ないことではない。

 現政権が押し進めたい集団的自衛権の行使の対象は、国名はあげてはいないが、安全保障環境の変化として強調されるのが中国の軍事力と、影響力の増大であることは間違いないところ。

 特に尖閣諸島の国有化から顕著になった、中国艦船の恒常的な領海侵入などに脅威を感じる国民が増えていることは確か。今回の事件に対して、『だから集団的自衛権が必要なのだ・・・』と、中国に対抗するためにはしっかりとした安全保障が必要なことだと強調することは十分予測できる。

日本からみたら、常軌を逸する行為だろうが、中国は当たり前の行動だと捉えているのだから、外交ル-トを使って抗議したとしても、中国は蚊に刺されたほどのかゆみ程度で、まともに抗議を受け入れるはずがなく、何の進展もないことは素人の私でも分かる話。

外交上のわが国の切り札は『戦争を否定する国』。しかし、集団的自衛権の確立は、中国からみたら『日本は戦争ができる国を目指している』と捉えても決して間違いではないとなると、この切り札は役に立たないようだ。

 しかも、先日は中国とロシアの首脳会談において発表された『歴史の歪曲や戦後国際秩序を破壊するたくらみに反対する』という共同声明は、両国がすでに、日本を戦争ができる国だと認識していることに他ならない。

 さらに、昨日の読売新聞社説も気になるところ。見出しは、『中国機異常接近 習政権は常軌逸した挑発慎め』と、内容的には全てが中国に非があるという文章ではないが、読者は細かな文章ではなく『見出し』で、動かされるとなると、読売読者の多くは『中国けしからん・・・』という気持ちになるだろうことは容易に想像できる。

『中国けしからん・・・』という言葉を一人歩きさせたら、次の遭遇時、一人の兵士の指先が、一瞬変な動きをすることも想像できないことではない。

 これ以上、中国との軍事的緊張を広めないためにも、『戦争をしない国』という切り札を世界に認めさせることがが、遠いようで一番近い外交手段だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年5月26日 (月)

韓国沈没船の船長と同じでは・・・

 少し前の話になるが、5月20日の朝日新聞の一面トップに、福島第一原発の事故当時の所長だった吉田氏が、その年の7月に政府事故調査・検証委員会の調べに答えた『聴取結果書(吉田調書)』の内容を掲載していた。

よほど東電や政府筋の関係者を別にして、何が書かれているかなど想像もできなかっただろう。それ以前、吉田調書の存在すら知っている人などほんのわずかだったに違いない。しかし現実にこの調書が,朝日新聞がどのようなル-トで入手したのかは別にして、深い闇から姿を現し事故当時の生々しい現場の様子を明らかにしている。

記事にされているので、私が書くまでもないが、『東日本大震災の4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が所長の吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた』という文面にはビックリ。そんなバカなとショックを受ける。

瞬間的に、韓国の旅客船セノ-ル号が信じられないような初歩的な原因で沈没、乗客の救助などは俺達には関係ないとばかり、乗客のように見せかけて真っ先に逃げ出し、救助されている船長はじめ乗り組員たちの姿とダブル。

記事には、逃げ出したという表現は見当たらないが、『その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある』という文面からは、まさに近隣の住民などほったらかして,自分の命さえという韓国船の船長の逃げ出しかたと一致する。

韓国では、大統領が涙ながらにこの事件に対して、政府の対応に手落ちがあったことを認め、涙を流しながら謝罪しているが,吉田調書から見える、命令違反の東電の福島第一原発を預かっていた東電の正社員たちのことは徹底的に隠し通し、当時(現在も)の会長・社長以下幹部は、謝罪の記者会見すらもおろそかにしていたことに加え、東電と口裏を合わせるがごとく、この調書を徹底的に秘匿していたわが国の行政は,韓国以下だと言われても返答できまい

朝日新聞は翌日も吉田調書の記事を一面トップで掲載していたが、国と東電が徹底的にその存在すら国民に知らせないようにしていた『吉田調書』の(一部だろうが)内容が明らかになった以上、その全文を公開し、今まで隠蔽していたことを謝罪するべきだと思うのだが、現政権はそン名気にサラサラないらしい。

それどころか、官邸はこの報道にカンカンになっていると日刊ゲンダイという大衆紙が、面白奇怪しく報じている。

その記事によると、官邸では『一体誰が朝日の記者に吉田調書を流したのか』と『犯人捜し』が始まっているのだそうだ。官房長官は『(調書は絶対に)公開しない』と憤然とし、とくに首相の取り巻き連中は、朝日の記事にある『原発は過酷事故が起きれば、電力会社さえもコントロール不能に陥る・・・』という解説部分が気に入らないと息巻いていることに対して、ゲンダイの記者は『原発再稼働に突き進む現政権にとって、少しでも反原発につながる動きは許せないのでしょう』と書いている。

さらに、房長官の『(吉田調書は)政府として情報公開制度に対する扱いは不開示としている』と明確な発言は、『特定秘密に当たる』だということで、年内がメドとされる秘密保護法が施行されていたら、『吉田調書を入手した朝日の記者も、渡した役人も逮捕される事態になっていたでしょう』という、専門家筋の言葉を書き添えている。

この調書を原子力規制委の委員長が『読んでいない』と発言しているとのことだが、そんなことがあるのだろうか。事故調査もいい加減なのに、規制委が安全基準を作ると息巻いているなんて、ただただ信じられない・・・という気持ちにしかならない。

秘密保護法が施行されれば、国民にとって必要なほんの些細な情報でも、知られてはならないと政府筋の誰かが言い出したら、その場で特定秘密として隠されることになりそうだ。

肝心な情報を知らされず、経済発展だ・オリンピックだと踊らされているなんてゴメンだという声が高まらないと、この国はトンデモない方向に進んでいくのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2014年5月24日 (土)

ガソリン高値が止まらない・・・

 あまり車を転がすことがなくなったので、ガソリン価格は私の生活には直接影響しないが、ガソリンスタンドの前の『レギュラ-ガソリン 165円』という表示が4月以来あまり変化がない。

 消費税値上げの影響だろうが、ずいぶん高くなったものだ。これでは車がないと仕事ができない人は気の毒。1円でも安いスタンドを探している庶民の姿をテレビで報じているが、なるほどもっともなことである。それにしても高すぎる。

 数年前のガソリン価格はリッタ-あたり100円そこそこだったと記憶している。しかし、いつからかジリジリと上がりだし、140円程度で動きがストップしたのが、その期間はさほど長くなかった。円安が極端に進み、1ドル70円~80円で推移した頃でも、常識的に考えても輸入価格が下がっているはずなのに、なぜ?と感じたものであるが・・・。

先日、ネットニュ-スの『ガソリン価格高騰で、農畜産物を運ぶトラック業界が悲鳴を上げている』という記事に目が留まる。

記事には、レギュラーガソリンの全国平均は1リットル160円を突破、その後も下がらず、しかも、軽油価格も上昇、前年に比べて10円も高い水準で推移しているので、農畜産物の長距離輸送を請け負う流通業者は『農家や産地に価格転嫁することは難しい』と悲鳴を上げているとある。

なるほどもっともだ。経産省の統計では、レギュラーガソリンの小売価格は5月12日時点で全国平均165.4円、軽油は143.8円と、ガソリンと軽油は同様な変動傾向を見せ、前年度に比べていずれも10円以上も高く、原油価格が高騰した08年以来の高値水準だという。

しかも、ガソリン関係では、消費税増税に合わせて『地球温暖化対策税』として、1キロリットルあたり250円上乗せされたのだそうだ。そのことが大きな要因となって、急に高騰感を感じるのだろう。が、不思議なことに、わが国のガソリン価格は、他の輸入品のように円相場と直結しないようなので、今後も、高くなることはあっても下がる要素がないようだ。

ガソリン価格の高騰は流通業界を直撃しているようだが、近年は全国どの地方でも(消費者のニ-ズなのだろうが)季節を問わず野菜を生産するハウス栽培が当たり前になっているので、重油がなければ経営が成り立たない。

話は飛ぶが、横浜の片田舎には農家が曜日を決めて野菜を販売する店や無人販売所がある。農家が作り、余ったものを販売するのだから価格的には驚くほど安い。

このところ、私のお気に入りの野菜は『キヌサヤ』であるが、かなりぎっしり詰まった一袋が150円程度。一方、ス-パ-では『○○(比較的近場の関東各県からのものもあるが、多くは遠くの生産地)産』のキヌサヤも庶民でも手が届く価格だが、量は私の行く農家の出店の半分程度。となると、時間的に余裕のある人の特権かもしれない。

ス-パ-も努力も大変らしく,店頭に並べるとなると安価でしかも大量の商品が必要となり、より生産コストの安い遠隔地で買いつけることが重要な選択肢の一つになることも理解できる。地方の農家の立場は弱く買いたたかれるのも市場原理となれば、これも当然だろう。

その上にガソリン価格が高騰となると、農業経営そのものの困難さに加えて、消費地に運ぶ流通コスト重なっては、大消費地から遠くなればなるほど不利な立場になることは経済音痴の私でも理解できる。

強い農業という言葉をよく耳にする。付加価値をつけたり、大量生産することによって、取引を有利にすることだろうが、地方の個人の農家にとって、よほどの気力と体力と合わせて資本力がなければできるはずがない。

ガソリン価格について、流通業界は、国に緊急支援を要請しているとのことであるが、その支援が、現在のように一部大企業のためにだけに使われてはたまらない。

地方の衰退のスピ-ドをくい止めるためには、直ちに、ガメリン価格を値下げる政策を打ち出すべきである。(田舎親父)

2014年5月23日 (金)

小満の日の二つの判決・・・

私は日本人の本質とも思われる繊細さや優しさは、折々の季節の特徴を生活の中に巧みに取り入れ、独特の風習や文化を築き上げてきた歴史にあるのではないかと思っている。

その意味では季節感は日本人の心の支えだと捉えているのだが、最近の世情は、忙しさに心を奪われてしまったらしく、季節を感じる気持ちなどは経済にとって何の立たないとばかり、すっかり忘れられている感じさえ漂っている。しかし、それでも新聞の片隅に二十四節気の名前や、季節を取り上げるコラムがあることに、まだまだ季節感は生きていると、何か心がホッとするのは、私自身典型的な日本人なのかもしれない。

季節感を表す代表選手が二十四節気であるが21日はその一つ『小満』。小や大という名前が付くのは二十四節気のうち7つあるが゛小満をのぞいて全て『小○』『大○』というように対になっているが、『小満』の次は『大満』ではなく『芒種』となっているのは以前から気になるところ。

今更私が述べるまでもないが、二十四節気の名前は、立春から始まり、雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・甘露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒の24である。

季節を想像しながら漢字を見ると、読み方は分からなくても、大体はその意味は想像がつくが、小満と芒種だけは、漢字からはその意味が全く読み取れない。古の人はよほどこの季節が嫌いだったのでは・・・なんて思ってしまう。

書き出しが長くなったが、その意味不明の小満の日である一昨日『大飯原発の再稼働差し止め』と『厚着基地に置ける自衛隊機の夜間飛行禁止』という二つの判決を福井地裁・横浜地裁が出したというニュ-スは実に愉快で、これば『少し小さいが満足(小満)』だと拍手したものである。

今までの判例では、とてもこのような判決は期待できなかったが、裁判官たちも、現政権の右傾化と民主主義とは数の力だとばかり、国会議員の数を背景にした強引なやり方に危機感を持ち、ここは俺たちの役目だとばかり張り切ってくれたのではないだろうか・・・。

そんなことはあるまいが、この判決が高裁からの発信だとしたら政府や自民党、あるいは財界には衝撃が走るところだろうが、地裁ということもあって、翌日の新聞テレビは、彼らの強気な発言が目立っていたことに、改めて日本の社会には『三権分立』なんて存在しないのだと感じてしまう。

三権分立とは国会・行政・司法の3つの権力がそれぞれ独立し、互いに尊重するとともに、それぞれの権力の行き過ぎを是正する民主主義の根本的な仕組みであると教科書に記載され、それを元に子どもたちに教えてきたが、このところ司法は行政に従うような判決の多さに、小中学校の先生たちの苦労は並大抵ではないかと同情していた矢先だった。

時に地裁が、行政のやり方に『待った』をかけるような判決を出しても、高裁や最高裁で逆転するのが常、裁判官にも明確な序列があり、地裁の裁判官は上級職には立ち向かえない仕組みでもあるのではと勘繰ってしまうこともしばしば・・・。

特に現政権は、経済が第一とばかり、景気をよくするためには大企業優先は当たり前であり、国民の暮らしは二の次、三の次と考えている政策が続き、自分たちが選んだ原子力規制委のメンバ-が出す結論が『客観的な絶対安全』という変な言葉で国民を煙に巻いて再稼働をさせるのは規定の事実。地裁の判決などどこ吹く風といった姿勢である。安全とはどのレベルまでという範囲はあるが、客観性な安全などあるはずがないと教えたいものである・・・。

また、集団的自衛権という明らかに憲法をないがしろにするような発想法でアメリカさまの軍隊に追随する方針を閣議決定寸前の今、厚木基地の騒音で生存権すら脅かされている基地周辺の住民のことなど考えるはずがなく、アメリカ軍の夜間飛行は当然だという姿勢が一貫している。

三権分立の精神からしたら、例え地裁であっても、司法としての判断がでた以上、控訴するにしても、再稼働の動きはストップするのが筋だと思うのだが実態はその逆で、政府の方針は変えないと断言。原子力規制委のトップも我々の仕事は安全を審査するとの方針を堅持すると、変な笑いを口元に浮かべて語っているのは、司法軽視も甚だしく腹立たしい。

関西電力に至っては、再稼働ありきが前提になっているのだから、無条件にしかも直ちに控訴すると息巻き、実際に早速国控訴したというから,何をか言わんやという暗い気持ちに陥ってしまう。

一方、横浜地裁の自衛隊機の夜間飛行は禁止しても、日米安保によってアメリカ軍のやり方には口を出せないとの判断は、自ら、日本は独立国家ではないと言うのに等しいのではと悲しい気分にさせられる。

ただ救いは、今回の二つの判決は、日本人の良識を呼び起こす助けにはなるだろうから、今後の世論にほんの少し期待できそうだというところか・・・。(田舎親父)

2014年5月22日 (木)

記事はどこへ消えたのだろう・・・

20日の東京新聞朝刊の一面に『TPP すし会食で首相譲歩』という白抜き横文字見出しが踊っていた。縦の五段抜きの活字は『豚肉の差額完全撤廃検討』とある。サブタイトルは『海外参入で打撃』である。

 先日、オバマ大統領が国賓なのに何故か単身で来日。真偽はともかく、その背景に夫人との不仲が原因だと報じられているが、それでも『深夜で結構ですから、ぜひ、ぜひ・・・』といと頭を下げて来日を要請したとされる日本政府の姿勢が疑われる。

それはさておき、単身来日のアメリカの大統領が銀座の寿司屋でアホベ首相とすしを食べながらの会談を行ったという報道の内容は、マスコミは決して明らかにしないだろうが、これでTPP問題は終わったと思ったものである。

前日に、オバマは『日米安保条約のアメリカが防衛する範囲として尖閣湾は対象になる』と明言したそうだが、リップサ-ビスだとしても、ここまで踏み込んだ以上、最大の懸案になっているTPPで、日本が大幅に譲歩したのは明らかだろうと思ったからである。

しかし、政府筋はなかなか込み入った分かりにくいシナリオを作っているらしく、マスメディアは一斉に交渉は決裂と報道したのは序の口で、そのほとんどは『オバマはまじめ過ぎて冗談も通じなかった』という首相の談話を掲載したから、国民の多くは『首相はアメリカに負けず、きちんと交渉している』と受け止めさせるという目的は果たしたようだ。

 マスコミは、オバマ大統領は自らの浮気が発覚し、現在夫人と離婚交渉中で、『心ここにあらず』の心境だと面白奇怪しく報じているが、歴代のアメリカの大統領の浮気問題は,日本でもっとも人気があるとされるケネィディやクリントンでも前科があるほど、ある意味日常茶飯事のようだ。しかし、いかなる場合でも国家の利益は守るという使命は、どの国の指導者より強固に主張することはよく知られた話である。

 その後も、日本政府交渉団は、アメリカはじめTPP関連国との交渉を粘り強く交渉していると伝えられていたが、一昨日になって、急に『霧が晴れつつある』と言う表現で、解決に向かっている印象を与えたのも、何となく疑問が漂う。どうもすし屋での両国首脳の交渉のメンツというか妥協の引き延ばしの頃合いを図っていたのではと受け止めてしまう。

そして驚いたのが、書き出しの東京新聞の記事である。今゛この文章を気まぐれに駅で購入したその新聞を読みながら書いているのだが、記事には、日本が国内の養豚業者らを守るために安い輸入豚肉に高い関税をかけている『差額関税』を撤廃する方向で検討しているとある。

そして、4月23日に阿部信三首相とオバマ大統領が東京のすし店で会食した際に、首相がオバマ氏の提案に応じて譲歩したと続くのだが、東京新聞がここまではっきりと書いているのだからよほどの確証があるに違いない。

しかし、不思議なことに、この記事がネットにはない。このところ東京新聞のネット版には面白い記事が並んでいるので、チエックするのが日課になっているのだが、いくら探してもこの記事はない。

すぐに、朝日はじめ読売や毎日などのネット版を調べたが見つからないのは東京のトクダネなのだろうことは疑えないが、ネットには一面トップ記事なのに、その気配すら見いだせないのは信じがたい。

東京新聞の発行部数がどのぐらいなのか分からないが、朝日や読売に比べて一桁、あるいは二桁少ないことは想像に難くない。が、私のようにネットでチエックしている人間もかなり存在するはずだろう。となると、まさかネット規制ではないと思いたいが・・・。

ところがその日の夜、何気なく9時半ごろテレビの電源を入れた時、NHKニュ-スの最中らしく、キャスタ-が『豚肉の関税撤廃』という意味の発言をしていたのに驚き、しばし耳をそばだてる。

そこで、日本の豚の飼育数はアメリカの1.7倍で、1200万頭だということをはじめて知るが、肝心の関税撤廃の経緯はすでに終わっていたらしく、すぐに次の話題に移ってしまった。

翌朝のニュ-スで,多くのマスメディアが取り上げるのかなと期待していたが、かなり細かくチエックしていたつもりだったが見当たらない。東京新聞でさえ続報はない。当然のことながら大新聞は取り上げていない。

内容的には予測していた通りなので驚かないが、東京新聞(加えてNHKも)の豚肉の関税撤廃という、国内養豚業者にとって死活にかかわる重大なニュ-スなのに,この取り扱いは何なのだろう。

私の勘違いとは思えないのだが・・・。(田舎親父)

2014年5月21日 (水)

現代版『生かさず殺さず』政策・・・

 どの番組だったか思い出せないが、つい先日の近テレビが、『ゴマと百姓は絞れば絞るほど・・・』という文言を流していたことが妙に印象に残っている。その時、ふと小学校の歴史の時間を思い出してしまった。

小学校6年の教科書の『読み物』として、徳川家康の言葉がそのまま幕府の農民支配政策となり、身分的には武士階級の次に位置させながら、『百姓は生かさず殺さず・・・』と記載されていたような記憶がある。

教師はこのことについて、テレビで流れた『ゴマと百姓は・・・』というフレ-ズを絞れば絞るほど油(年貢)がとれるという意味を加えて、『餓死しない程度に徹底的に搾り取る・・・』と教えていたものである。

それが時代劇小説の共通の背景として筋書きに生かされている。特に悪徳商人と結託して私腹を肥やす悪代官を、幕府の影の組織が暴き、苦しめられている農民を救うというスト-リ-がよく知られている。

テレビから流れたフレ-ズを耳にして、昨日も述べたが、これでもかと庶民を苦しめる現政権のやり方に共通項を見いだし、ついついこのような書き出しになってしまった。

つい最近、庶民いじめ政策に加えても良い『格安運賃で営業する全国の29タクシー事業者に、国が値上げするよう勧告した』という記事に目が留まり、この政権は、さらに庶民の生活を苦しめるのかと気分が悪くなる。

運転手の賃金を上げることには疑義はないが、そのことをタテマエに、過当競争を避ける狙いで施行した法律に基づくという説明には首を傾げるどころか経済のためなら、消費者の暮らしなど・・・という本音を隠した規制強化と受け止めて間違いなさそうだ。

10年ほど前、『郵政民営化』という一点突破で国民の支持を得て、近年稀にみる長期政権を確立したコイズミ内閣は、自由競争の原理のためには『規制緩和』が必要とうたい、タクシ-業界に対して新規参入を原則自由化する規制緩和したことによって、一挙にタクシー台数が増えたことは記憶に新しい。

台数が増えたことで、以前は何かと話題になっていた乗車拒否や運転手の接客態度の悪さなどが改まり、消費者(乗客)には歓迎との声が多かったが、業界(経営者側)からは『台数が増えすぎ、価格競争が起きて運転手の過重労働や賃金低下、事故増加を招いいた』という責任転嫁的な不満の声が上がったことも記憶に残っている。

話は飛躍するが、我が家の前に3つの老人施設が存在することは何度も述べている。施設の送迎バスもひっきりなしに出入りしているが、従業員や関係者の出入りが多く、最寄りのバス停からは急坂を10分登らねばならないとなるとタクシ-を利用する人も多い。

おかげで、タクシ-に乗りたいと思えば、しばし待っていればタクシ-を拾えると表現しても大げさではないが、門前でタクシ-を待っている人の姿を見るたびに、何となく気の毒に思えて仕方ない。駅から近道すれば20分そこそこなのに、タクシ-を呼ぶとなると迎車運賃が請求されるので、約1500円かかるからだ。それでも利用するのだから、私がとやかく言う必要はないのかもしれないが・・・。

恐らく、庶民にとっての規制緩和の恩恵が横浜の片田舎には及んでいないのだろうが、今度の規制強化で、『せめて迎車運賃ぐらいは・・・』という庶民の願いは完全につぶされることは間違いなさそうだ。

国は公定幅運賃の義務化を求めているという。その下限を下回る運賃には国が勧告、従わなければ価格変更や業務停止を命令し、格安な運賃で運行している会社一掃するのだそうだ。タクシーが多すぎると『国が判断』した地域には強制的に減車できる規制できるというものらしい。

国がそこまで干渉するのも変な話である。資本主義経済は需要と供給のバランスで成り立っていると習ってきた。これが正しいとすると、人口密集地と過疎の地域では経営方針は根本から違うのは当然だろう。

この原則に従えば、地域の実情に応じてできる限り規制をなくすのは当然だろう。経営者は創意工夫を重ね競い合うことでサービス向上や価格低下など消費者にメリットをもたらすことは、他の業界では当たり前であるはず。

 首相は、『規制改革こそ経済発展の一丁目一番地』だとのたまうが、業界寄りの規制を強化するのは、悪代官と同じ発想。そろそろ、国民はこの男の本性を見抜き、NOを突きつける時に来たのでは・・・。(田舎親父)

2014年5月20日 (火)

二人以上の子どもを産むことが義務?・・・

 2050年には日本の総人口は8000万人となり、消滅可能性都市が続出。人口減少をくい止めないと、日本という国は消滅するという話題では、これを防ぐための手段として絶対実現不可能な『70歳以上の生存権否定』という世迷い事を並べたのはつい先日のこと。

 政治筋もかなりこの問題には危機感を持っているらしく、(このところ新聞紙上に載らない日がないほどお馴染みになっている『有識者会議』という御用機関の一つだろう)『経済財政諮問会議』の専門調査会という組織が、『50年後に人口1億人の維持』と打ち出したという報道があった。

 同じ内閣の『有識者会議』にあって、一方が人口減少に歯止めがきかない答申を出し、もう一方が、それをくい止めねばならないという答申を出す。それも具体性があれば良いのだが、精神論的な答申となると、まるで小学校の学級会を参観しているような気分にさせられる。

 この答申は、日本経済の持続的成長のためには労働力の維持が必要で、初めて出生率の向上において具体的な『数値目標』を設けて、6月に出す成長戦略に盛り込むというというから、ここでも経済(金儲け)がその前提にあり,個人の事情や主張など、基本的人権などどうでも良いという考え方が根底に流れている。

 現在、日本の人口は約1億2700万人。最近の統計ではでは、女性1人が産む子どもの数は1、41人であることは、しつこいほど報じられている。当然ながら、このまま出生率が回復しなければ、2050年には8700万人まで減少するということは、前述したが『違う有識者会議』が示している。

 この出生率を30年後に2.07まで回復させれば、50年の人口は1億545万人になるというのが、この『有識者会議』の考え方であるが、具体的な文言を(私だけかもしれないか)見いだすことができず、そのために出産・子育て政策を充実させる』と述べているが、そんなに簡単に出生率が上がれば,今頃こんな議論などしているはずがない。
 マスコミの調査では、夫婦が希望する子どもの数は2.42人だという。この話題は,巷でよく『子どもは何人ぐらい』という質問に『2人はほしい』という答えが圧倒的なことから納得できるが、経済的に余裕のある夫婦は高齢とあって不妊の悩みがなくても一人産めればそれで十分というところ。若い年代となると、例え多くの子どもを望んでいても理経済的に難しいというのが現実である。

 『子育てや教育にお金がかかりすぎる』という声が巷では溢れている。若年層で増えているのが非正規雇用で年収300万円以下が圧倒的だという。正社員だとしても、将来的に給料が上がる期待を持てるのは一部の大企業だけとあっては、この先出生率が改善するなど夢幻の世界では・・・。

 ところが現政権のやっていることは、さまざまな『有識者会議』という立ち上げ、それらを『錦の御旗』のごとく扱って、『専門家のお墨付き』という枕詞をつけて、消費増税は言うにおよばず、企業の都合で解雇できる〈限定正社員制度〉や、残業代や休日・深夜労働の割増賃金を支払わない〈残業代ゼロ制度〉、さらに、配偶者控除の廃止や若年層の医療負担総など、庶民の生活を著しく苦しくいることばかり。

 これで、子どもを増やせなんて、とても正常な神経では答申できにはずがないと思うのだが、そこが御用機関の御用機関らしいところだろう・・・な。

 教育費に関しては、憲法26条で『義務教育は、これを無償にする』と高々とうたっているのにもかかわらず、実際には、小中学校で無償なっているのは授業料と教科書代ぐらいで遠足などの諸費用全て個人負担。加えて、制服代はもちろん、子どもを差別する単元別・学期別テストまで市販テストまでもが当たり前になっていることから、その額は年額10万円は下らない。

 しかもその上、学習塾に通うことすら義務的になっている風潮があるが、塾代の負担はその限りではない。

 どの『有識者会議』でも良いが、その答申に、『幼稚園と高校を義務教育とし、基本的に無償にする』という一項が盛り込まれてあれば評価するが、今回の『有識者会議(御用機関)』の答申も、そのことに関しては、我々の与り知らぬという態度は全く変化なし。

 悲しいことだが、わが国は限りなく『消滅可能性国家』に近づくことだけは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2014年5月19日 (月)

3Dリンタ-の普及で・・・

 『3Dフリンタ-』という聞き慣れない言葉をはじめて聞いたのはつい数年前のこと。コンピュ-タにデ-タを入力しておけば、思いどおりの立体物が作れるというから驚くばかり。

 先日、通りがかりに家電量販店に立ち寄って店内をブラブラ歩いていると、この3Dプリンタ-が並んでいるコ-ナ-があったので立ち止まる。価格を見たら、安いものなら5万円程度ということから、私でも手がでそうだが、何を作るかというイメ-ジがないので、今のところは必要性は感じないが。

 先日、この3Dプリンタ-でプラスチック製の拳銃を造って所持していたとして大学(聞いたことがない名前だが)職員が逮捕されるという報道が大々的に報じられた。こんな危ない物まで素人(オタク族)が作れるとなると、刺激されるバカ者が続くのでは何とも嫌な気分にさせられる。

逮捕された男は、『弱いものが武器を持つのは基本的人権だ』とうそぶき、自分のやっていることを正当化しているらしい。銃の設計図はアメリカの団体がインタ-ネットに公開していたというから困ったものだ。

人民が武器を持つ権利を許容していることが、犯罪の温床となっているとして、オバマ大統領が銃の所持を規制する法案を議会に提案しているらしい。しかし、これが支持率を下げる要因になっているというのもアメリカらしい。

ネットに公開された設計図は、英語を読み取る能力とほんの少しの専門的な知識さえあればさほど難しいことではなく中高生でも可能らしいというのも信じがたい。逮捕された男の父親(声だけだったが)がインタビュ-に応じていた様子がテレビで紹介されていたが、その言い方はむしろ息子を応援しているような印象を受けたのは私だけだっただろうか。

早速、3Dプリンタ-の使い道を規制しなければという動きが始まったらしいが、プリンタ-は単なる道具で,入力したデ-タを解析し動かせる働きをするコンピュ-タそのものを規制しない限り全く意味がないことは明らかだが。

ところで、同じ3Dプリンタ-の使い方であるが、『夫の右肺の一部を、難病患者である妻の左肺として移植する世界で初めての生体肺移植に、京都大病院が成功した』という報道があった。記事によると、肺の表裏を回転させて移植するという複雑な手術なので、事前に3Dプリンターを用いて肺や血管の精密な模型を作り、手順を検討したことが成功につながったとある。

どんな手術なのかは全く理解できないが、3月上旬に実施した手術は想定通りに進行。ほぼ寝たきりだった妻は家事ができるまでに回復して今月退院し、夫も仕事復帰しているという。

この夫婦には、心から『良かったね』と声をかけ、後遺症などがでないことを祈り、執刀した医療チ-ムには『素晴らしい』と敬意を表したいが、技術的には、『方や拳銃・こなた医療』と、使う人の気持ち次第でその善悪が分かれるだけでは・・・と考えると妙な気分にさせられる。

今後もインタ-ネットでは、あらゆる知識・技術デ-タなどが公開され続けるに違いない。インタ-ネットの功罪は語り尽くされているように、『コンピュ-タ(ネット)は道具であって、使い方が問題』という結論は変わらない。

銃社会を肯定するアメリカはインタ-ネットの世界では先進的な立場であり、『アメリカがくしゃみをすれば日本は風をひく』と言われるほど、政治はもとより人々の生活全てがアメリカの影響が強いとなると、よほどしっかりと3Dプリンタ-の使い方を徹底しなければ、拳銃など困ったものが出回るのことは防げないだろう。

スマホ絡みで犯罪に巻き込まれる少年少女の話題が後を経たないが、これも今回の拳銃騒ぎと根は同じ。『負の部分を考えずわが子に与える』ことの恐ろしさをもう一度見つめなおしたい・・・。(田舎親父)

2014年5月17日 (土)

くる病がよみがえった?・・・

 先日の新聞に、『くる病が増えている』という記事を見つけて、思わず、なんとも懐かしい病名が目の前に現れたものだと驚くと同時に、何故今頃になって復活したのかと興味がわき、その文面に飛びつく。

私の幼い時にはこの病名をよく聞いたものである。主に栄養不足が原因で起きる病気で、戦後の食料難の混乱期だったこともあって、かかりやすいから気をつけろと教えられていた記憶がある。遊び友達の中でも『くる病』にかかった子どもがいたような気もするが・・・。

その予防として、とにかく太陽の光に当たっていたら問題ないということもしつこいほど聞かされていたの。我々の年代は『紫外線』などという言葉すら知らずに,ただ太陽の光は無条件に身体に良いものとして受け止めていたので、肌を焼くことが流行以前に必要不可欠なものとして、上半身はいつも裸で戸外を走り回っていたことを思い出す。

ところが最近は、太陽光(紫外線)はシミやソバカスの原因になるどころか皮膚ガンを引き起こす悪役にされて、日焼けは、美容はもちろん健康の敵とまで言われるようになり、日焼けを極端に嫌う風潮が広がっている。

日焼けブ-ムは一挙にしぼんだのは、オゾン層が破壊されオゾンホ-ルが広がったことで紫外線が直接肌に当たることによって皮膚ガンが増えるという話からだったのではなかっただろうか。

特に,肌が白い人種には紫外線は天敵のように扱われ、南極上空のオゾン層の破壊が広がっていることから、オ-ストラリアの人々の皮膚ガンが増加したという噂(事実だったかもしれないが)が影響したのではなかっただろうか。

こんなに飽食の時代なのに、栄養失調で発症する典型的な『貧乏病』が流行るとは俄に信じられないが、極端に直射日光を嫌うようになったことから、日焼け(紫外線)対策が当たり前になっているとなると、『太陽の恵み』を自ら断った現代人への警告かもしれないと変に納得する。

専門家によると、『くる病』は母乳で育っている子どもに多いという。医学的な知識はほとんどない私には、『くる病』が増えているのは、紫外線が敵だという意識が、特に女性の間では常識化し、子どもの頃から日傘や日焼け止めクリ-ムが必需品になっていることから、自ら『くる病』予備軍になり、その体質が子どもに受け継がれた結果ではと思っていたのだが、母乳が原意だとは意外な思いがする。

専門家の多くは、太陽光の不足も原因の一つと認めながら、母乳は赤ちゃんに大切な免疫物質が含まれるなど利点が多いものの、ビタミンDは人工乳に比べて極めて少ないと、母乳に頼る育児方法にも改善の余地があると指摘している。

素人的には、母乳ほど理想的な栄養はないと思っているので、何故母乳にビタミンDが不足しているのかという分かりやすい説明を求めたいところ。そして、例えその説明に納得できたとしても、日光にできるだけあたるような育児方法をすれば良いのではと思うのだが・・・。

さらに、もう一つの原因が偏食だという。一番手軽にビタミンDが摂取できる食品は鶏卵なのだそうだが、最近食物アレルギーで鶏卵を敬遠する子どもも多いということから、この説には納得できるものがある。

私の子どもの頃には、鶏卵アレルギ-などという言葉はもちろん、卵を食べ具合が悪くなるような体質を持った子どもなど存在しなかった。むしろ、卵は当時としてはやや高価だったが,入手可能な栄養満点の食物として、どの家庭でも日常的に食卓に登っていたのではないだろうか。

『くる病』から飛躍したが、この話題は、わが国の伝統的な育児方法と生活様式がいかに理に適ったものかを思い知らされ、先人たちの知恵に脱帽する思いを強くする。

しかし、紫外線はもとより放射線の影響もあって、太陽の光にあたることを避けるような風潮と、食物アレルギ-問題に加えて、食品添加物を無意識に摂取している母親の母乳も絶対に安全とは言えないとなると、『くる病』以外にも懐かしい病名が復活するような気もしないでもない。(田舎親父)

2014年5月16日 (金)

風評被害は筋違い・・・

 このところマンガのたぐいに全く興味を覚えないので、小学館の『ビッグコミックスピリッツ』と言われてもピンとこないのだが、この雑誌に掲載されている『美味(おい)しんぼ』というマンガがこのところ世の中を騒がしている。

 この記事を最初に見たのは一週間以上前である。東電福島第一原発を訪れたマンガの主人公らが原因不明の鼻血を出すなどの描写に抗議が殺到しているという内容だった。どんな描写なのか、実際に読んでいないの何とも言えないが、読んだ人に『事故原発と放射能被害』との関連を連想させる表現になっているとのことである。

 常識的に考えても、あれほどの大事故だったことを思うと、人々(特に子どもたち)の健康に重大な影響を与えていることは間違いないと思うのだが、タテマエを全面に出して避難住民を元の地域に帰還させることが復興だと主張している国や県は、徹底的に健康被害を否定し、関連するあらゆるデ-タは秘匿するという姿勢を崩していない。

 この姿勢に異議を唱える人々も多く、実際には現地で開業している医師などは、原発事故の影響だと思われる症例をネットで発信しているが、鼻血を出すことなどは日常茶飯事でそれ以上深刻な内部被爆症状を持っている人も多いという内容に驚かさせられる。私には、こちらの情報の方が正しいと思うのだが、国の政策を『是』とするマスコミは、一部を除いてほとんどこの話題を取り上げることはない。

 このマンガには、福島県双葉町の井戸川前町長や福島大の荒木田准教授ら実在の人物を登場させているというから、作者はさることながら前町長たちは相当な覚悟で『福島の真実』を知らせたいという意図を感じさせる。

 原発事故の放射能被害に関しては、国の情報を信じて(これもタテマエだろう)『影響はゼロ』という立場をとっている福島県は、『風評被害を広める悪質な表現』として、発行先の小学館に厳重抗議をしたのだそうだ。県はホームページにも抗議の文面を載せている。

 ある意味、県の抗議する意図は当然だろうという印象を与えるが、実際に鼻血を出したいる子どもや大人が存在することは事実であり、マンガの中で、実名で登場する前町長も自分も被爆が原因で鼻血を出したことがしばしばだと明言している以上、放射線の影響はあることは明らかだろう。

しかし、国や県は、『科学的な裏付けがない』というお決まりのセリフで、鼻血と放射線との関係を否定することに躍起になっているが、『裏付けがない』のではなく、意図的に『証明する努力をしない』という発想が根底にあるのだから、この抗議は筋違い。

 実名で関係者としてマンガに登場している人たちも納得しているらしいとあっては、この漫画の作者はかなりの時間をかけて丁寧な取材を続け、そして証言に見合った内容にしているに違いない。

 しかし、故郷に戻りたいと心から思っている人たちの気持ちは正常ではいられないだろうから、その意味で配慮が足りないという批判は否定できないが、これぐらいのインパクトを与えない限りこの問題に焦点があたり議論のきっかけにならない。折角のチャンスだから、国や県の発表する情報と違うからと否定して、折角の考える機会を失いたくないものである。

 事故当時を思い返すと、国は事故直後の情報を徹底的に秘匿し、放射線のより強い方向に避難誘導したことは事実。原発の爆発で大量の放射能を含んだ蒸気を大気中に放出するベント作業をした後も、住民にそれを知らせなかったことも事実。

住民は、そんなことを知らず知らされず、放射線を浴び続けたことも誰も否定することができない事実であり、以来、鼻血が出るようになったという前町長はじめ多くの住民の証言は、これらの被爆の事実を明らかにしている。

さらに、国策で『原発は絶対安全』だとの信じ込まされていたことが、事故によってことごとく崩れ、放射能汚染に対する決定的な疑念が起きたにかかわらず、国や東電は情報開示ではなく隠蔽しているという強い不信感が、いわゆる『風評』と一言で表現されている、何となくモヤモヤとした実態のない言葉の温床になっているのではなかろうか。

 国は相当なエネルギ-で小学館とマンガの作者、そして実名で登場した人物に対してプシャ-をかけるだろうことは想像に難くない。場合によっては、権力でもって強制的に発行禁止という措置に出ることも考えられないこともない。それ以前に、マスコミを大動員して、このマンガに抗議する動きを大きくさせるのではないだろうか・・・。

 しかし、マンガを読まない私でも、このマンガ(作者)が、原発について・放射能について考える材料を与えてくれたと評価したい。その意味でも、マスコミの今後の動きを批判の目で監視したいものである。(田舎親父)

2014年5月15日 (木)

この種の事故はどこでも・・・

 先日、鳥取県伯耆町宮原の国道181号で、軽自動車同士が正面衝突したというニュ-スにどれだけの人が関心を寄せただろう。ほとんどの人が、よくある話だと聞き流し、今ではこの事故を覚えている人は稀ではなかろうか。

 しかし、このところ高齢化を話題にしている私にとっては、両方の車を運転していたのが、80歳を超えるオバアチャンだとなると、単にバカだなあ・・・と見過ごすわけにはいかない。

事故が起きたのは11日の午後3時40分。現場は片側1車線で見通しの良い直線道路で、しかも天気は晴とあっては、常識的には一番事故が起こりにくい条件に当てはまる。

正面衝突しか考えられない状態なので、どちらかの車でセンタ-ラインをオ-バ-したに違いない。よほど興味を引く事態が発生しない限りマスコミは飛びつかないだろうから、この事故に関する続報は期待できない。しかし、片方はオバアチャンが一人で運転、もう一方が同年配のオバアチャンを助手席にのせていたという状況が引っかかる。

単独運転のオバ-チャンのセンタ-ラインオ-バ-が原因だとしたら、突発的な発作などの病気が原因だと思われるが、助手席にお友達を乗せたオバ-チャンの車が原因だとしたら、違う要因も考えられる。その一つが、おしゃべりに夢中になって、思わずハンドルを右手で強く引いてしまう場合であるが、これはおおいにあり得る。

高速道路を逆走する事故が多発しているが、この場合運転しているのは例外なくオジイチャン。これは私に言わせれば、男という奴は歳をとってもプライドを持ちたかるもので、『俺は大丈夫』という意識が強いためにおきる現象に違いない。いわば、単純ミスだが、巻き込まれる人にとっては大迷惑で腹立たしいことおびただしい。

一方、オバ-チャンは高速道路などの運転は、よほどの事情がない限り避ける意識があるらしく、私の少ない経験でも、オバアチャンが一人で高速道路を運転している姿を見かけることはまずない。気がつかなかっただけだと言われるかもしれないが・・・。

その代わり、オバアチャン(オバチャンも同じだろうが)は、いつも通っている道路は『自分のもの』という気持ちが強く、他の車など目に入らないという状態になるようだ。横浜の片田舎でも、オバアチャン一人で運転している車を見かけるのは日常茶飯事だから地方ではごく当たり前になっているのではないだろうか。

こんな姿を今回の事故に当てはめてみる。もしも二人乗りの車が事故に過失があったと仮定すると、助手席には気の置けないお友達のオバアチャンとの話が盛り上がり、ついつい右手に力が入ったという筋書きでは・・・。

私の想像が正しければ、これは恐ろしい。この種の事故は、今後全国どこででも(特に過疎の地域では)起こり得るのでは・・・と考えさせられる。

毎日さまよい歩くのがクセになっている私は、時にガラすきの日中の見通しの良い歩道のない直線道路を歩く場合もある。今回のような事故報道があると、車を見たら凶器が向かってくるというほどの注意が必要になりそうだ。

その意味では、この事故報道は私にとって、いろいろなことを想像させる貴重な教材である。亡くなったオバアチャンたちには気の毒だが、冥福を祈ることでお許しいただくことにしたい・・・。(田舎親父)

2014年5月14日 (水)

鉄道自殺願望者が減らないようだ・・・

 退職して毎日が日曜日(こんな表現をしたらお叱りがくるのは明らかだろうが)的な生活を過ごしている私は,交通機関を利用する機会は極端に減っているが、それでも最寄りのJRの駅に出かけると『人身事故による遅延』という表示に出会うことは稀ではない。

最近は情報がきわめて短時間でもたらされるので、横浜の片田舎のJRの駅の電光掲示板でも首都圏のJRの運航状況はもちろん、近隣の私鉄の情報もかなり詳しく表示されることも影響して『人身事故』という文字が目につくのだろうが,あまり目にしたくない文字列である。

さらに、『人身事故』という表現は、『飛び込み自殺』である可能性が大きいと教えられたこともあって、駅の掲示表示板のこの文字を目にする度に、暗い気持ちにさせられるのだが、こんな経験を持つ人も多いのではないだろうか。

確かに、ホ-ムの後ろ側に立っていて、かなりのスピ-ドで近づいてくる頑丈な車両に向かって身を踊らせれば、ほぼ確実に即死になるだろうから(不謹慎な表現になるが)自殺願望者にとっては大変便利?な機会になっているのだろう。踏切においても同じことが言える。

先日、新宿に所要があって、町田から小田急の快速急行に乗車。それも、現役当時との沿線景色の変化に興味があったので、一番前の車両の一番前の位置に立って運転席の窓ガラス越しに沿線の風景を見ていた。町田の次の停車駅は『新百合ケ丘』、ホ-ムに近づいた時に、もし自殺願望者がいたらと思うほどの溢れる人の凄さに一瞬目を覆ってしまった。

私の杞憂だと思うが、もしも後ろから少し押されたら、最前列の人は押し出されてしまうのでは・・・という恐怖心がおきる。当日は幸い無事停車して、何事もなく乗り降りを済まし発車したが、土曜日の午後のあの時間で、あの人の波となると、ラッシュを想像すると,とても以前のように運転席の後ろで風景を観る余裕などないだろうなと背筋が寒くなったものである。

飛び込みやホ-ムからの転落を防ぐためにホ-ムドアの設置が検討され、設置する動きが急になっているが、山手線などの人が溢れる狭いホ-ムに設置するとなると,別の問題がおきるのではと、若干懐疑的な考え方をしていたが、新百百合丘のあのホ-ムの人の山を目の当たりにしたら、たちまちホ-ムドア設置推進派に変身してしまった。

そんなことがあったので翌日の新聞にあった『鉄道での自殺が後を絶たない』という記事にいち早く反応する。記事には、国交省によると、輸送障害のうち自然災害や車両故障など鉄道会社内部の要因を除いた、自殺を含む『部外要因』の件数は増加傾向にあり、平成4年度は636件だったが、24年度は2千件を突破し、2231件に達したとあった。これは驚き、10年間で約3倍は凄い数値である。
 飛び込み自殺に限っては、平成24年度は全国で631件とのこと。ホ-ムドアの設置が進んでいるらしいにもかかわらず、前年度より30件も増えているのも気にいらないが・・・。

確かにホ-ムドアがなろうとなかろうと、鉄道自殺志願者は減らないらしく、ホ-ムからの飛び込みがダメなら踏切があるぞとばかり、踏切の遮断機をかいくぐっての飛び込みが増えているというから、『根本的な策は見えない』と鉄道関係者らは頭を痛めているとのことは想像に難くない。

全国の鉄道のホ-ムに全てホ-ムドアを設置し、しかも、踏切を完全になくせば、鉄道自殺は激減することは確かだろうが、こんなことは一部の人口密集地での願望であって、まさに夢物語となると、自殺志願者の意識を鉄道以外に向けるしか方法はない。 

話は飛躍するが、私鉄に就職した高校の同期生が、現場に配属された社員には人をはねた車両の処理の仕事があり、『周辺に漂う何とも表現のしようがない嫌な臭いの中で、車輪にこびりついた肉片を剥がす作業を想像してみな、数日間飯が喉を通らなくなることも一度や二度でないぞ・・・』と話していたことを思い出す。

今では処理方法はもっと合理化していると思いたいが、やることは変わらないだろうから、現場で作業している人たちの苦労は並大抵ではないはず。しかし、そんな苦労話が話題になる機会はほとんどなく過去50年間聞いた記憶はない。

関係者としては、おぞましいことで口を開きたくないかもしれないが、鉄道自殺願望者の意識を変えるために、テレビメディアはお笑い番組ばかりに力を入れるのではなく、時に自殺者の事故処理の大変さを、事故現場の真実の映像を隠すことなく、ドキュメンタリ-構成で番組作りをしてほしいと願っているのだが・・・。(田舎親父)

2014年5月13日 (火)

消滅可能性都市?・・・

 また少子高齢化の話になるが、ここ数日、『消滅可能性都市』という耳慣れない言葉をマスコミが競って取り上げている。

 発端は、やはり政府の有識者会議の一つなのだろうが、産業界や学界の有識者らで国のあり方を議論する『日本創成会議・人口減少問題検討分科会』が先日した発表した提言の中に盛り込まれた文言で、急速な人口減で自治体の機能そのものが成り立たなくなるという警告である。

提言の冒頭に、高齢者を優遇しがちな社会保障制度を改め、子どもの多い世帯を支援するなどの少子化対策を進め、25年の『合計特殊出生率』を12年の1.41を1.8へ引き上げるとある。

『合計特殊出生率』という言葉には解説がありって、『1人の女性が一生に産む子ども数に相当』するのだそうだが、わざわざ『合計特殊』という文言を頭にかぶせのだろう。また新しい言葉で内容をオブラ-トに包んでいる様な感もするのだが・・・。

それはさておき、従来の国の推計では、10〜15年、地方から大都市に毎年約6万〜8万人が流出するという。国はこの流れが20年には落ち着く(その根拠は示されていないのも奇怪しい噺だが)と想定し、40年に20〜39歳女性が5割以上減る自治体を373としていたが、同会議は6万〜8万人の流出が将来も続くと仮定し、計算をし直したのだそうだ。

その結果、40年に20〜39歳の女性人口が10年の5割以下となるのは896自治体で、国の推計の2.4倍に達したといからこれは凄いことになりそうだ。もっとも提言では男性も同様に減るだろうと推測しているのは、要は、出産可能人口に焦点を当てたというだけで、自治体を構成できるだけの住民が存在しないということだろう。

この有識者会議も政府の御用機関のひとつだろうから、頭から信じる価値があるかというと疑問も残るが、出生率を引き上げるのは容易なことではないく、しかも、地方から大都市への流出がこの先鈍るとは考えに悔いので、この会議の想定は決して誇張ではないことは確かだろう。

この896自治体が同会議のいう『消滅可能性都市』に当たるのだろう。さらにそのうち、40年の人口が1万人を割る523自治体(全体の約30%)は『消滅の可能性が高い』と、『可能性』という不確かな言葉を使いながらも、その実、このままでは消滅するという厳しい指摘をし、ご丁寧にも個別のリストを公表している。該当する住民たちの不安は相当なものに違いない。

その一覧表を見ると、凄い数値が並んでいる。一位の群馬県の南牧村では、2040年において゛20~39際の女性は現在より89.9%減少するのだそうだ。恐らく現在でも多くて100人程度だろうと推測すると、限りなくゼロに等しくなることだけは間違いなさそうだ。

表にある自治体の名前と省略するが、31位に位置づけられている高知県の大豊村まで、減少率が80%を超えているというから、極端に表現になるが、毎年高齢者が亡くなる数たけ人口が減少することになる。

青森、岩手、秋田、山形、島根の5県は『消滅可能性都市』が8割以上。24道県では5割以上を占め、トップの秋田は県内25市町村のうち24市町村が該当する。人口減とは全く無縁だと思われていた、東京23区の中の豊島区もそこに名前を連ねているのも不気味である。

それにしても凄い警告である。大都市(特に東京)では今後、いわゆる後期高齢者が激増し介護など要員ニーズなどが想定され、地方から大都市圏に若い世代が流出する要因となることは間違いない。出生率が低い東京への人口流入で、人口減少と地域社会の空洞化が一層加速することも間違いなかろう。

 繰り返しになるが、同会議は、口減少を緩和するため12年で1.41だった出生率は25年に1.8にまで上昇することが望ましいと提言しているが、今のままではこの数値 はムリ偏にムリと書くごとくであろう。

ますます東京一極集中を加速させる、『東京を世界一の都市に』とか『東京オリンピックを史上最高の大会に』なんて世迷い言はすぐに取り下げて、いまではすっかり忘れ去られた『首都機能の分散化』など思い切った政策で人口減のくい止め策を真剣に議論しなければ、世界から置き去りにされ、消滅の道を選ぶことになるのは間違いない。

今からでも遅くない。東京で全てを集約する発想を改め、例えば、16年オリンピックも開閉会式は観客席を仮設で増やした国立競技場で行うが、他の競技は競技毎に地方で分散することを提言したい。(田舎親父)

2014年5月12日 (月)

憲法を否定する動きが加速・・・

 現政権は、現行憲法はアメリカから押しつけられたもので、日本民族として自主的な憲法を持たねばならない・・・というタテマエを全面的に出して、国民の改憲意識を煽っているが、改憲の狙いは第9条の『戦争の放棄』にあることは今更述べにまでもない。

 このことと直接連動するとは思わせない様に装っているが、金持ち優遇をはっきり打ち出している本音は、貧乏人は権力の奴隷で良いと思っていることは明らかで、少数の富裕層と多数の貧困層に分断することに熱心である。

今のところはあからさまに、人間として最低限の生活を送る権利をうたった憲法第25条まで踏み込んでの改憲の動きはないが、格差を広めようとする現政権の意図が徐々に浸透している動きは不気味であり見逃すことはできない。

日本国憲法第25条は『全ての國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②國は、全ての生活部面について、社會福祉、社會保障、公衆衛生の向上および増進に努めなければならない』とある。

素晴らしい文章である。具体的に『最低限度の生活』のレベルの規定はないが、常識的には、夜露がしのげる住まいを持ち,食事を得るために必要な電気と水道はもとより、テレビや冷蔵庫などを生活必需品として身の回りに置ける環境は最低限必要だろう。

ところが、いつの世にも、病気で苦しみ、老齢で動けないなどのさまざまな条件が重なり自分では生活の糧を得ることが難しい人々が多く存在することも事実で、憲法第25条において、この人々に『最低限の生活』を保障するのが『国(行政)としての義務』であると規定している。

その具体的な政策が『生活保護』であるが、ここ数年、この生活保護を申請する人が増え続けて、地方自治体財政を圧迫していることが大きな問題となっている。確かに、生活保護費が全予算の30%も占めるとなるとこれは尋常ではないことは、よほどの経済音痴の人でも分かること。

そんな中、生活保護の仕組みを悪用して、資産や収入があるにもかかわらず、ゼロ・あるいは些少と申請し、審査をかいくぐったり病気を偽って受給している人も多いのも事実どころか年々多くなっているらしく、これらの不正受給に対して人々の怒りの声が高まっている。

反面、明らかに生活保護を受けるべきだと思われる環境にあっても、お上の情けにはすがりたくないという矜持を持つ人も多く、現在の様な飽食の世にあっても『餓死』という悲しい事実を時に聞くようになってきた。

一方では不正受給、他方では餓死となると、こんな不公平なことはない。本当に困っている人に手を差し伸べることが政治であるのだろうが、現政権はこのことについては、地方自治体の努力だと突き放しているように思えて仕方ない。

自治体としては、このまま手をこまねいていては他の住民サ-ビスがおろそかになると危機感をつのらしていることは想像に難くなく、不正受給を抑える対策を急いでいるという記事が、このところかなりの頻度で新聞紙上を賑わしている。

その一つが、生活保護費の不正受給に関する情報を住民から募る専用電話(ホットライン)が、少なくとも全国12市で開設されたことが分かった記事である。

ホットラインを開設した市の『生活保護申請と認可を低く抑えたい』という意図は理解できるつもりである。『不正受給が増え、行政だけでは発見できない事案もある』との主張も頭から否定するものではないが、この種の政策は、住民同士が互いに監視し合う『密告社会』を連想し、私としては歓迎したくない動きである。

 行政として、不正受給を事前に発見したい思いは分かるが、行政の最初の一歩である住民サ-ビスは、『困ったときは相談してください』という広報であるはず。住民の噂レベルを審査に反映するとあっては、ホットラインの存在は,かえって生活困窮者を窓口から遠ざける方向になるのではないだろうか。

本当に不正受給を減らしたいのならば、うわさレベルの情報に人数を割くのではなく、ケースワーカーを増やすべきだと思うと主張すると、『この程度の賃金では相応しい人がいない・・・』という反論が返ってくるのだろうか・・・。

生活保護という言葉には元々暗いイメ-ジがついて回っていることは事実だが、本当に困っている人には最後の砦として、何としても必要な制度である以上、堂々と申請することができる雰囲気を作ってほしいものである。(田舎親父)

2014年5月10日 (土)

少子化の現実(その3・絶望的な未来)・・・

 2日にわたって、横浜の片田舎で起きている、一見少子化とは逆の動きについて述べてきたが、この町は今後どのように変化するのだろう。

 横浜市は数年前から『緑化推進税』を市民から徴収している。一世帯600円程度らしいが全体としては莫大な収入になるのは自明。この税の目的は『樹木を伐らず緑を増やす』ことだと受け止めているが、現実には小開発が進み、散策途中に、よくぞまあこんなところに家が建つのと思うような崖地の樹木を切り倒して造成をしている現場を見るのが珍しくない。

 さらに目立つのは老人施設や知的障害者施設の建設である。こちらは市街化調整区域であってもお構いなく、堂々と森を伐採し田畑を埋めて・つぶして、あっと言う間に建物を完成させて営業を開始している。

 一体どこが緑化推進なのか、緑化推進税は緑化減少のために使われているのではと思うほど、日々緑の部分が少なくなっているように思えるが、市に言わせれば、切り倒した分の以上に公園などを整備を進め緑化に努めているそうだ。

『緑化推進税』は開発を規制するものではないという前提があり、横浜市の規則に明らかな抵触がない限り、業者の出していた『開発計画』に対して、NOとは言えないのだという。業者も市民だというタテマエがあり、仕方ないところがあるのだろうが、金儲け命の土建業者は、それを良い事にして、至る所・あらゆる方法で開発を続けているのが現実である。

そして、この地域が開発の嵐にさらされている根本に流れる背景にあるものは、首都圏への人口集中であり、通勤の可能性と土地価格の折り合いが業者にとってギリギリだからであろう。今後も、高齢者や障害者の受け入れは別にしても、首都圏に働く場を持っている子育て世代の流入は続くのではないだろうか。

ところで、旧街区に済んでいる私と同年代の住民はというと、子育てはすっかり終わり夫婦二人だけという住民がほとんどを占める。まだ車を運転できる年代ということでこの町にかじりついている人が多いようだが、後数年したら、仕方なしに老人人施設に入る道を選ぶのではないだろうか・・・。

子どもの世代が住むことを望む人も多いらしいが、子どもはすでにより便利な場所で所帯を持ち落ち着いていることが多く、結局は家を売るということになりそうだ。すでに、数年前から、大手の不動産などが、『自宅を売って下さい』というチラシが、毎日のようにポストに入ルようになっている。それに比例して転居をする人の噂が増えている。そして  そこには若い世代が入居するのでは・・・。かくいう私もどうなるのか分からないのが現実である。

現在、かろうじて存在するこの町のコミュニティは間もなく完全に壊れることは想像に難くないが、若年層と子どもの数が今以上増えるとなると、今とは違う新しいコミュニティが構築されるだろうから、こと『少子化』に限っては、深刻な影響はしばらく先に延ばされそうだ。

しかし、高齢者が住めない町が若年層に住みやすい町であるはずがない。入居してくる子育て中の人たちも、数十年後には、今の私たちの環境になり、同じような心境になるのは疑いのないところ。その時、この町を維持するエネルギ-が存在しているとはとても思えない。 

現在では若い世代が入居してくれるのだが、その頃には開発し尽くされ住宅を建てる場所さえなくなっているのではないだろうか。それ以前に、何よりも入居してほしい年代が激減しているだろうから、子どもの数は、ある年を境にして極端に減るのではと想像している。

これを裏付けるように、先日、東京都23区の一つである豊島区が自治体として消失する可能性があるという専門家筋の統計が発表された。豊島区といえば、池袋という都内でも有数の人口集中地域も持つことで知られている。そんな豊島区が消失などとは俄には信じられないが、行政の努力の遅れはさることながら、開発し尽くされて若者が住みたくても空間すらないと考えると、なるほどと納得する。まさに、わが町の近未来の姿を彷彿させているようだ・・・。

話は変わるが、以前東京杉並区が、時代のニ-ズとあわずに入園希望者が激減し閉鎖した南伊豆にある喘息などの病気を持つ児童のための健康学園を、特別養護老人施設として活用するという話題を取り上げたことがある。

続報がないので、現在の様子は分からないが、杉並区在住の高裁者は区内の老人施設に入所できないとあっては、南伊豆のここにすら入居待ちがでていることもあり得る。しかし、いずれ区内の高齢者が少なくなると、NHK特集で取り上げた瀬戸内海の島の施設の話はそっくり数年後の南伊豆に当てはまりそうだ。そして杉並区内もその通りに・・・。杉並区という超人気の都内ですらそうなるとなると、横浜の片田舎の状態は想像を絶するものがあるのでは・・・。

これまで何回も述べているが、自宅前には3棟の老人施設が存在している。人気が高いらしく、入居待ちだという噂があるが、横浜市でも高齢者の数が減るという統計が出ていることを思うと、民間企業であるこの施設の運営も厳しくなるに違いない。

このようにして、過疎の村から始まった少子化は都市部に深刻な影響を与え、現に都内の豊島区のように顕著になり始めていることから、首都圏の重要な課題に発展していくことは間違いない。間もなく首都圏でも子どもはもとより、高齢者すら減じるとなると、次の年代の生き残る術があるのだろうか。想像するだけで恐ろしくなる・・・。

逆説で不可能なことではあるが、高齢化と少子化という同質でありながら一部異質な問題をクリアするためには、中国の一人っ子政策ではないが、例えば、『70歳以上の生存禁止令』という法令を作り、意図的に高齢者を排除し、その間に出生率を上げる以外には有効な手だてがないように思えるが、いかに独裁的な現政権であってもさすがにこれは無理だろう。

しかし、よほど思い切った発想をしなければこの問題の解決にはほど遠いことだけは間違いない。そして、ムリムリに思いつくことは、初めから不可能な方法とあっては考えること自体疲れてしまう。

 この問題は一旦終わり、今後は不定期につぶやきたいと思っている。(田舎親父)

 

2014年5月 9日 (金)

少子化の現実(その2・高齢者の数も減少)・・・

 昨日は、横浜の片田舎の不可解な少子化の現実を述べたが、先日、厚労省が発表した、人口の統計予測には恐ろしさを感じる。

少子化は夫婦が二人以上の子どもを産み育たない限り進行する問題であるが、何でも学校という風潮にもかかわらず、この事だけはなぜか避けて通ってきた感じがある。社会的にも深刻に取り上げることもなく今日に至り、慌てているというのが現実の姿だろう。

中国共産党政府が40年ほど前からだろうか、人口を抑制するために、主に漢民族を対象にしているらしいが一人っ子政策(夫婦が一人しか生む権利を与えない)という、はなはだ人間性の欠如した方針を続けてきたことは、教科書でも取り上げていたが、その時でさえ、もわが国の将来的な少子化については教えていなかったことを思い出す。

中国は、結果的に人口の激増は抑制されているようだが、ここにきて、さまざまな社会的な歪みが大きくなったことに指導部は大慌てで政策の変更を急いでいると報じられている。すでに国是を変更したかどうかは別にしても、ごく近い将来には、わが国以上に高齢化の難問にぶつかることは想像に難くなさそうだ。

中国の問題は一人っ子政策だけではないので、ここではさておき、わが国の現状に話を戻すが、数年前から目立ち始めた政府の政策は、国民に対して『どうか多くの子どもを産んでください』とお願いするような文言が並んでいる。

しかし、その掛け声は大きいのだが、個人の価値観を尊重するという当たり前の考え方が、過去数十年間にわたって培われて定着していることに加えて、子どもを産みたくても育てる環境が伴わないこともあって、事実上一人っ子政策と変わらない様な結果になっており、子どもの数が激減していることはすでに述べた通り。それに焦ったのか、政府筋は出生児の数を数値化するという、よく理解できない的はずれの考えも浮上しているらしいから困ったものである。

 私は高校を卒業してすぐに富士通に就職した。しかし、能力の限界を感じ、2年後にある国立大にもぐり込んだのだが、その入学式での学長の『君たちの同じ年齢の青年は全国で220万人いるのだが、縁あって、そのうちのたった500人だけが,今日の入学式に集っている・・・』というセリフが不思議に魅力的な言葉として心に残り、後年、私も卒入学式などおしゃべりしなければならない場面でこのフレ-ズを使わさせていただいたものである。

 もっとも私の口から出るセリフは、220万人とはほど遠く、最初が160万人であり、そして140万人とどんどんと減少することに、ずいぶん生まれる子どもの数が減ってきたものだと思ったものだが、それに対しての危機感はさほどなかったというのが正直な気持ち。今思うと情けないことであるが・・・。

しかし、今回の統計では、ついに出生児が100万人を切ったという。私が大学にもぐり込んだのは50年前。個人としてはずいぶん昔のように思えるが、歴史から見たらわずか70年で、出生数は半分以下になった事になる。

ここにきて、その減少率の凄さに自分自身が驚き、日本の将来に絶望感すら感じているのだが、このことを30代以下の年代がどれほど深刻に受け止めてくれているのかと思うと、こちらの方がよほど大きな危機感として伝わってくる。

 さらに統計は、高齢者も少なくなることを明示している。50年後(存続していればだが)には、わが国の総人口は4000万人減少し、8000万人になるというから驚きであるが、高齢者の数が減るという部分は実感として十分納得できる。

少し話が飛ぶが、70歳を過ぎると誰もが身体に故障を発見し、気弱になるものだが、子ども世代と同居するという考え方がほとんど幻想になっていることもあり、老人施設が終の住まいになるような社会風潮が広がっている。

その老人施設が、若者たちの大きな雇用の場となっているのが現実。(視点は違うが)先日もNHK特集で、瀬戸内海の小島で老人施設で働く若者の生きざまを紹介していたように、都市部での生活に疲れた若者たちが、過疎地においては生計の糧を老人施設に求めることが珍しくない。

過疎地では高齢者の数が減少すれば老人施設に与える影響は大きく、テレビで取り上げていた島の施設も廃業に追い込まれる可能性は高い。折角、島の老人施設で働く場を与えられたあの青年は、これから何を生計の糧にするのだろうと心配になる。

働く場がないとなると、元々人口が少ない過疎地では、現在以上に若者たちは働く場を求めて少し遠い都市部へと流れ、そこでも働く場がないとしたら、結果的に首都圏や中京・関西圏に集中することは自然の成り行きだろう。特に,首都圏の人口集中はトンデモナイ事態になる。

ここ横浜の片田舎のわが町は、最寄りの駅から徒歩20分以上と、きわめて不便であっても首都圏に通勤可能。今起きている建築ラッシュは、周辺地域の人口減の引き金のような気がする。続く・・・。(田舎親父)

2014年5月 8日 (木)

少子化の現実(その1・横浜の片田舎)・・・

連休が終わり、子どもたちの登校する姿が戻ってきた。登下校する子どもたちの数を細かに数えた事はないが、私の住む横浜の片田舎のこの町では、最近子どもの数が確実に増えていることは間違いないようだ。

この町は、記録を読むと、もともとが東電の火力発電所から出るゴミ(石炭の燃えかす)の捨て場として山を切り開いた土地だったようだ。石炭が完全にお役目ごめんとなったので東電は『東電不動産』という子会社を作って住宅地として区画整理し、管理し計画的に売り出していた歴史を持つ。

全部で400区画超あるはずであるが一度には売り出さず、毎年20~40区画と数を限定して販売していたが、東電にとって利益を上げすぎると拙いのか、それとも値上がりを待っていたのか、あるいはバブルがはじけた上に、最寄りのJRの駅から徒歩20分以上かかる50坪超の宅地が時代に合わなくなったのか理由ははっきりしないが、20年ほど前から売り出しが途絶えていた。

ところが、3年前の福島原発事故で、東電の資産を整理する必要になったらしく、残っている3分の一ほどの宅地を全て民間業者に売り払ったものだから、最近はまさに建設ラッシュさながらの風景が日常的に繰り広げられ。周りの法面まで宅地化して売り出しているのだからその変化は言葉では表せないほど激しいものがある。

しかも、この民間業者は、早速東電の作った宅地を統合して切り刻み、元々は6区画だったのを10に分割するという荒技で、あっと今間に最近の流行りの家が建ち並ぶ町並みが出現している。

 私の住む区画(街区)は古いので、それぞれに生け垣と庭木が当たり前になり、落ち着いた雰囲気をかもし出しているが,今風の住宅は周りをコンクリ-トや玉石を敷きつめ、駐車スペ-スは広くとるのが流行りらしく、樹木を植えるなどという配慮はないのだから、同じ名前の住宅街であるのにもかかわらず、全く違う環境・雰囲気が違う町並みが並ぶのは落ち着かないものである。

駅から遠いので価格的にはかなり安いこともあり、今風の新しい住宅を購入するのはかなりの若年層。乳幼児から小中学生の子どもがいる年代が入居してくるので、当然のことながら子どもの姿を見かける機会は多くなる。

さらに、古い街区でも変化が起きている。最寄りのバス停まで徒歩10分以上という足の便の悪さに加えて、徒歩圏に商店がないという環境から、子どもに譲ったり転売したりして転居という住民も多く、その後にはやはり子ども連れの年代ということもあって、古い街区であっても子どもの数が増えている。

取り止めのない、しかも永い書き出しになったが、一作昨日の『こどもの日』には、マスコミ各紙各局は競うように少子化問題を取り上げていた。しかし、この住宅街の子どもたちが通う小学校は、横浜市内でも有数の大規模校で、校庭にならずプレセブ教室が減る事がなく増えているといのも時代とは合わない感じがする。

そんな事を思い出から連休中に何度か近くの県立四季の森公園に出かけたが、普段は、年寄りか保育士につれられた保育園児、あるいは知的身障者の団体にしか出会わないのだが、連休中は家族連れがほとんどだったことに、休みだから当たり前だろうが、微笑ましさを感じる。

少し注意して観察すると、子どもは乳幼児が多く、大きくても小学校の低学年止まりであるのは、場所がらそれなりに納得するが、子どもの数が一人か多く、二人連れがチラホラ、3人の子連れはめったに見かけない。その代わりというと語弊があるが、多くの場合祖父母が付き添っているのは不思議な光景である。

田舎から祖父母が訪ねたのか、あるいは,横浜の片田舎に住む祖父母の元に子連れで里帰りしたのかは判然としないが、一人の子どもに4人の大人が付いているのは考えさせられる。それも一組や二組だけではない・・・。

ここには間違いなく高齢化と少子化の姿がある。しかし、わが町に関しては、古い街区では高齢化と少子化は深刻化しているが、新しい街区では今のところ無縁のようにみえることは、日本の縮図を見るような気がしてならない。続く・・・。(田舎親父)

2014年5月 7日 (水)

トマトの自衛力・・・

特に印象に残る行動をしたわけではないが、あっと言う間に連休が終わってしまった。この国の首相はじめ閣僚たち、そして多くの国会議員たちが国外に出かけているとあって、全国各地で悲しい事件は数多く起きたが、政治的には大きな動きがなかったようだ。

海外で重要な会議があるわけではないのに、自ら首脳外交という名目でヨ-ロッパ各国を訪問しているアホベ閣下は、それでも相手国の首脳と会談できているので、何らかの成果があるのだろうが、閣僚たちの外国訪問は文字通り、国民からふんだくった税金を使っての『外遊』らしく、まもなく内閣改造があることを見越した『卒業旅行』と揶揄されている。しかし、悲しいことながらそれを諫める野党の力はない。

さて、久しぶりのつぶやきになるのだが、話は少し古くなる。先日、『トマト 香りで“集団自衛” 京大など解明』という見出しをネットで見つけた。今『集団自衛権』という言葉がマスコミを賑わしているので目についたのかもしれないが、トマトの世界でもかなり激しい生存競争があるらしい。

 記事によると、虫に葉を食べられたトマトから放出された香り成分で、周囲のトマトが『自己防衛』する仕組みを、京大や山口大の研究チ-ムが突き止め、アメリカの科学アカデミー紀要で発表したとのことである。

自然界には、昆虫の幼虫などに葉を食べられると、さまざまな香り成分を発することや、虫だけではなく、人間や動物のその一部に触れると強烈な香りを発する植物もかなたあることは体験を通して知っている。

よく知られているのが、春先にいち早く新芽を出すサンショウである。しかし、サンショウに限らず多くの場合は、彼らのこの性質を逆手にとって、食の脇役として利用しているからずるというから人間はずるいというかたくましい。

植物たちが香りを発するのは『自己防衛』だろうと教えられてきた。その事は何となく納得してきたものの、詳しい仕組みはと問われると全く答えられない。多くの科学者たちも同じらしく、この研究は注目されているという。

研究グループは、トマトの葉を、日本に広く生息するハスモンヨトウというガの幼虫に食べさせ、傷から放出される香りが別のトマトに届くような環境を作って実験を繰り返したという。その結果、香りにさらされたトマトに付着していた幼虫の死亡率が高まったのだそうだ。

そして、周りのトマトは、虫に食べられたトマトが傷口から出した香りのアルコール成分を取り込み、葉内部の糖を結合させて毒性のある物質に作り替えて蓄積していることを確認したとのこと。同様の仕組みは、イネやキュウリ、ナスにも備わっていることが分かったというから、これは面白そうだ。

この毒性のある香りを形成する物質が特定され作り出せたら、農薬(特に『殺虫剤』)は不要の時代が実現する可能性がありそうだ。チ-ムのリ-ダ-も『毒性のある物質は、農薬と比較すると微量で効く特徴がある』と、無農薬社会の実現に期待していると話しているというがら、ぜひ、早期にこの仕組みを解明してほしいものである。

 ところで、トマトということから話が飛ぶが、私は、ここ数年ブランタ-でトマトの栽培に挑戦している。毎年、間伐の杉板でつくプランタ-が増えて、今年は、設計上では44本のトマトを植える予定で3月恥から苗つくりをしているのだが、発芽が思いどおりにいかない上に成長が進まず苦労している。さらに、一度ほとんどの苗をダメにしてしまい、再度やり直しているので成長の遅さが目立っている。

連休前から、大型の花屋やホ-ムセンタ-では野菜の苗が大量に売り出されているが、そのほとんどは一番花がついているものや、間もなくつくものなので、ついつい焦りの気持ちが出るのも例年と違うところ。

果たして、遅れているトマト作りがどんな結果になるのか分からないが、葉が虫に食べられていることには無頓着だった事を反省し、トマトの自己防衛力を、私なりに受け止めて、注意深く成長を過程を見守ろうと思っている。

成長が悪いだけに、毎日丁寧に観察しているし、これからもそうするつもりでいる。その結果、何か新しい発見でできたら、またつぶやきの材料としてみたいものである。(田舎親父)

2014年5月 2日 (金)

全てゼネコンのための実施計画・・・

 南海トラフだけではインパクトにかけると思ったかどうかは別にして、より被害が大きくなるだろうと関東大震災を引き合いに出したと思わせる房総沖から相模湾を震源地とする首都圏を襲う大災害を想定して、配布は大規模災害に備える『国土強靱化』をさらに進める方針を決めたという報道が先月末に新聞に掲載されていた。

 記事によると、政府は、国土強靱化の目標年次を明記した『実施計画』を作成し、進み具合を毎年検証・公表するのだそうだ。防災に関して疑義を唱える気はないが『被害想定地域の鉄道は2017年度までに耐震補強をおおむね完了させ、全国の住宅の耐震化率は20年に95%まで引き上げる』という内容には、どこからこんな数値が出てくるのだろうと不信感が先にくる。

 『被害想定地域の鉄道』とあるが、内陸部でも大地震はしばしば発生し、その度に鉄道に甚大な被害を与えることなどから、地震列島を前提にしたら、全国全ての鉄道が被害想定と規定しなければ話にならない。

 どの程度の地震や津波に耐えられる構造にするのかは分からないが、全国全ての鉄道をその基準をクリアするためには、一体どれほどの予算が必要になるのだろう。想像するだけでも、ため息しかでてこない。まして、今までも例でも、手抜きをしたと思われるところから、思わぬ被害が拡大することを考えると、この工事完了で『絶対』だということはないことだけは『絶対』にない。

 3・11の大地震と大津波によって、三陸地方の鉄道の被害は、(私も実際に現地を見たが)とても信じられるものではなく、3年過ぎた現在でもまだ復旧できない区間があり、復旧をあきらめて線路部分を道路にしている場所もあるという。

首都圏の鉄道箇所には一部に土砂崩れで普通区間がでた程度で、それほどのダメ-ジはなかったが、東北大地震規模の大地震と大津波が襲ったら、湘南地方を走る東海道などは跡形もなく津波にさらわれるのではないだろうか。そればかりか、首都圏を走るJRと私鉄各線は鉄橋の崩落や土砂崩れなど寸断されることは誰もが想像できること。

それに耐える強靱化?。なんだかなあ・・・というしか言葉はない。災害に備えることは疑義はないが、頭でっかちの被害想定で、到底無理な強靱化をすすめるのではなく、被害がでたら直ちに直すという考え方の方がはるかに合理的だと思うのだが・・・。

さらに、政府の掲げる20年までに住宅耐震化率95%という計画案も現実性からかけ離れている。築40年近い超夏向きの我が家は、3.11で震度5に耐えられることは分かったが、震度7で持ちこたえられるかとなるとその自信はない。恐らく無理だろう。

全国的に見たらこんな住宅はゴロゴロしているに違いない。市からの耐震に対してアンケ-トすらこないところから、平均的な住宅と想定されているのではないだろうかとさえ思うが、このような住宅も耐震化を進めるのだろうか。進めるとしたら、政府がその費用を負担するのが筋だろうが、そんなことは絶対にない。

私は、費用を負担してまで耐震化を進める気持ちはない。大地震で倒れたら仕方ないと思っているからだが、周りを見ても同じような考え方の人が多いことから、これが現在の一般的な認識ではなかろうか。

どうやら政府が言う実施計画とは、ゼネコンを喜ばすだけのものになりそうで、その実現性について全く不透明。底に流れるのは、公共事業(住宅に関しては国民に強要)で景気対策という、昔ながらの考え方そのものである。

 ところで話は変わるが、先日、全国で唯一、砂浜を車で走れる石川県能登半島の『千里浜なぎさドライブウェイ』が危機にひんしているという記事を目にした。ここの砂浜は、砂粒一つ一つが小さくそろっているのが特徴で、きめ細かな砂が水分を含んで固く締まるため、自転車から大型バスまで埋まらずに走行できるのだそうだ。かなり以前になるが、私も実際に通ったことがあるが。こんな砂浜は世界でも珍しいという。

 私が通った約20年ほど前には、浜幅は50メートルあったという。車が何列にも駐車し、大型連休や夏休みは大渋滞。当時の利用者は年間百万人を超えていたが、現在では幅35メートルにまで狭まり、緩衝帯や駐車帯を含めれば走行の限界だという。波浪時の通行止めも日常的になり、利用は60万人程度に減少したのだそうだ。

 千里浜だけではない。白砂青松の海岸で浸食被害が深刻化しているという。砂浜がやせ細り、消滅した地点もあることを耳にする機会が増えている。その原因は、ダムや港を相次いで造ったことで、自然界の水の流れ(風や日照なども含めて)が変化したことは、科学者の説明を受けるまでもなく私でも分かる当たり前の理屈である。

 国土強靱化で、全国至るところで工事が進むとなると、自然に与える影響は以前の比ではなくなるだろう。だとすると、この方針が計画通りに進んだ2020年には、わが国の海岸線の白浜は昔話になり、そこに見えるのは防潮堤だけという風景になるのでは。

ゼネコンだけを喜ばす工事を進めるのではなく、日本の現風景である、美しい渚を思い出す美しい砂浜を取り戻す計画を本気で議論してほしいものである・・・。

明日から、世の中は4日間もお休みが続く。私もこの際、しばし一休みに・・・。(田舎親父)

2014年5月 1日 (木)

叱るのも難しい時代に・・・

さくらの季節もあっと言う間に終わり、4月が過ぎてしまい今日から5月。1~3月は、昔から『行く・逃げる・去る』と言われているように誰もが感じるらしいが、歳のせいかもしれないが、特に今年は4月もこの仲間になったように一段と速く過ぎてしまったような気がしてならない。

それはさておき、今年の2月に東京都大田区の蒲田警察署で44歳の地域課の男性巡査長がトイレで拳銃で自殺するという事件報道があった。蒲田は若かりし頃毎日のように乗り降りした駅で、当時蒲田警察署の職員とも何回かやりとりしたことがあったので、この事件は何となく身近に思えてよく覚えている。

 警察の職制は,外部の人に聞こえが良いように作られているのではと思うほど、名前だけを聞くとかなり上級職ではと思ってしまうことも稀ではない。推理小説でよく登場する部長刑事なる職名は、(実際には巡査部長と呼ぶらしいが)部長と名はつくが警部補よりも身分的には低いのも、初めて目にした時にはかなりの違和感を覚えたものである。

 巡査長も同じたぐいなのだろう。44歳の巡査長というのは、犯人逮捕なとという輝かしい活躍とは無縁で、目立たない存在だったらしく、警察組織としては年齢的にもただの巡査では可哀相だから、『長』でもつけておこうというところのようだ。本人もすっかり上級職への昇進などあきらめていたような気がする。

 小説の世界では、こんな役回りの人物は周りの雰囲気などどこ吹く風とばかり、我が道を行くという個性的な主人公に設定するのだろうが、現実はさにあらず,この巡査長は上司からの叱責に影で何度も悔し涙を流していたらしい。

 その内面の苦悩を表したものの一つが、家族に宛てた遺書にあるという。地域課の上司である52歳の警部補に対して、『許せない』という意味のこと書き残して板というから、日頃から、かなり激しい叱責を受けていたことをうがわわせる。

 警視庁の発表では、『許せない』と名指しされた52歳の警部補は、自殺した巡査長を含む数人に対し、前年の検挙実績が少ないことなどを理由に叱責し、2月中旬、巡査長らに『今後の身の振り方を考えろ。家族に相談しろ』と厳しく叱り付けたという。警部補は、自分の課の成績が上がらないことに、上司から厭味でも言われたのだろうが、その分部下にストレ-トに当たったというところだろう。

 それだけなら巡査長は自殺には至らなかったのだろうが、自殺前日の同月14日に、再び『家族と相談してきたのか。きょう必ず聞いて報告しろ』と迫ったというから、日頃から、よほどこの部下の態度に腹立たしく思っていたに違いなさそうだ。

 警視庁は、これが自殺の引き金になったと認定。パワ-ハラスメントとして所長が遺族に謝罪したとある。その上で、自殺の因を作ったといわれる警部補を、俸給の十分の一減給3カ月という処分にするとともに、監督責任を問うとのことで、地域課長だった54歳の警視を警務部長を訓戒、58歳の署長を口頭の厳重注意処分としたとある。

 報道記事から受ける印象では、警部補が巡査長に『辞めてしまえ・・・』という意味の言葉を日常的に浴びせていたようだとなると、自分の身分からして権限を大きく逸脱した越権行為。明らかにパワハラに当たるのは当然だろうが、『叱る・叱られる』ということは誰もが経験したことではないだろうかと、自分の現役のことを思い起こしてみる。

 あるある・・・。若いころ無茶をしていたことを自認しているので、現在では反省を込めて、当然だろうと納得しているが、当時の上司から『転勤せよ』といわれたことは再々。ついには、違う自治体へ体よく追い出された経験もあるが、後に、立場が変わると、『転勤した方があんたのために・・・』というセリフを何度も口にしたことを思い出し、つくづくと立場が変わると言うことも変わるものだと自嘲している。

 幸い、自殺に発展するケ-スにはならなかったが、もしも、私の一言でショックを受けて自殺していたらと想像するとゾッとする。もっとも、そこまでの暴言は排他覚えはないのが救いではなるが・・・。

 ところで、処分を受けた警部補は現在どんな気持ちでいるのだろう。周りからは『自殺させた』という見方(陰口)をされることは間違いなく、遺族からは犯人扱いにされるほど恨まれることも容易に想像できる。職場では自分の居場所を確保することも難しくなり、退職においやられないとも限らない。そして、この警部補の家族たちは・・・。

 現在社会は全てノルマが課せられた能力主義一辺倒となると、こんな現場はどこにでも転がっていそうだ。部下の無能ぶりにいらだっている人も多いだろうが、くれぐれも自分に与えられた権限を自覚して、その範囲内で許される言葉を使って叱責しなければ、我が身に降りかかってくることも稀ではなさそうだ。

難しい世の中になったものだ・・・。(田舎親父)

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