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2014年7月

2014年7月31日 (木)

悪いインフレが続くこの国の未来は・・・

 先日、総務省が6月の全国消費者物価指数を発表したが、それによると、価格変動の大きい生鮮食品を除く総合指数は前年同月比3・3%の高い伸びで、13カ月連続の上昇となったとのことである。

 このところの物価の値上げの凄さは私も実感している。好みのビ-ルであるサッポロの黒ラベルで例えて話を進めるが、知らない町でも無意識に,このビ-ルの価格を見るのがクセになっているらしく価格の比較だけはかなりの自信を持っている。

 消費税の値上げ前までは、全ての商品には税込み価格が表示。3月末までで(私の知る限り)最も安い値段は、500mlの缶6個入りで1480円だった。それが、4月1日には、1421円となっているのに、エッと思いながら習性としてレジに運ぶ。しかし、返ってきた答えは、1521円だったのでがっかり、消費税の3%がいかに大きいかを思い知らされたことを、今でも何となくすっきりしない気持ちが残る。

 それでも、その店ではつい先日まで1421(税抜き)円とどこよりも安いことから、もっぱらひいきにしていたのだが、先日、この価格が1556円(税込み1671円)となっているのにビックリ。

 1480円が1521円なら、消費税3%として納得(したくないが)するが、1671円となると、仕入れのル-トなどいろいろと事情があることは理解できるとしても、あまりにも消費者をバカにした話。許せるものではない。

 帰宅してその話を家内にすると、『あなたはビ-ルだけね』と軽蔑しながらも、『全ての商品がトンデモなく値が上がっている』と憤慨している。総務省のデ-タは、食料品はカウントしていないというが、実際には食料品の値上げは凄まじく、家計の繰りが大変だと悲鳴を上げているのは私たちだけではあるまい。

 デフレといわれたのも遠い昔? もう1年以上、物凄い物価上昇が続いているが、大新聞やテレビは大幅値上げという表現はなく、『物価の小幅な値上げが続いています』というようにサラリとした扱い。
 日銀が目標にする『2年で2%の物価上昇』の期限は来春ということもあり、現政権の広告塔のような立場の大マスコミは、このトンデモ値上げを大事とは見なさず数字をただ垂れ流しているだけのように感じてならないが、これでは庶民にとってはたまったもんではない。

 ある専門家の試算によると、上昇率が高いのは、ガソリン代の10・6%や電気代の9・9%、都市ガス代の7・4%だという。家電も大幅高になっていて、エアコンなどが8・5%、テレビやパソコンは8・0%の上昇だというから、庶民生活はひたすら我慢を強いられているといっても言い過ぎではない。

 ところで、インフレにも良い悪いがあって、物価が上がるだけがインフレではなく、良いインフレはその根底に給料が上がらねばならないそうだが、なるほどもっともと、この説は納得できる。給料が上がれば(年金も同じだが)、物価が多少値上がったとしても、生活レベルに影響がないことは、経済音痴の私でもわかる話。

 ところが、給料は、一部の大企業では上がっているらしいが、中小企業はその恩恵が少ないという。年金生活者は声も上げられず,ただただ我慢するのみ・・・。

 人手不足で、アルバイトなどの時給が上がったことで景気が回復している証拠だという説もあるらしいが、時間当たり50円上がったとしても、実際に手にする金額はたかが数百円。これでは、サッポロ黒ラベルの値上げに遠く追いつかないとなると、ビ-ルなどは貧乏人の飲む物ではないというところかもしれない。

 先の専門家は『4月以降の指数には消費増税分が含まれます。日銀の試算では増税による物価押し上げ効果は2・0%。つまり増税分を除いても6月の物価は1・3%も上昇していることになります。円安で相変わらずエネルギー価格は高い。個人だけでなく企業も含め、コスト高に苦しんでいる状態です』という。

 現在の物価だけが先行するのは、『悪いインフレ』であることは間違いない。賃金上昇に伴って消費が活発になることで需要が増え、物価が上がる『本来の良いインフレ』になる日が待ち遠しいが、現政権のやり方を見ていると、その期待は限りなくゼロ。

 早く現政権に消えてもらわないと庶民の暮らしは悪くなる一方なのに、近隣諸国との摩擦は大好きらしく、『暮らしより国力増強』という、いわゆる『勝つまでは・・・』というたぐいのキャッチコピ-が普通に出回る世の中になりそうだ。

 これだけは勘弁願いたいものだが・・・。(田舎親父)

2014年7月30日 (水)

沖縄県知事選は面白くなりそうだ・・・

 先日行われた滋賀県知事選挙は、自民党の奢りが滋賀県民の感情を逆撫で、当初の予想から大逆転で反自民の知事が誕生したこともあって、自民党は10月と11月に行われる福島県と沖縄両県知事選挙には何が何でも勝利しなければと必死になっているらしい。

福島県の現知事は現在二期目。原発大好きで、国との太いパイプを選挙公約にして再選されたことから、もともと自民党シンパで、自民党推薦候補だろうと思っていた。しかし念のためにネットで調べてみると、知事選では民主党と社会党の推薦を得て当選したということを知り、ヘェ-そうなのと違和感を覚える。

ただ、当時の自民党は、民主党系の参議院議員だったことを嫌って、すでに女性候補者を推薦したことから、民主党が担いだという経緯があったらしいとのことで納得。ここでも民主党のいい加減さが現れていることを改めて知る。

一期の途中から、『原発大好き病』を発症。当時でも悪名高く実用は無理だと言われていたプルサ-マルを容認して、二期目は『原発は絶対安全』と機会あるごとに発言。その原発信者の態度が評価され、自民党と公明との推薦を受けて圧勝したらしい。

そして、間もなくあの原発事故。当初は、『原発さえなければ・・・』と殊勝な発言をしていたが、すぐに東電に放射能の値を低くするようにと圧力をかけたことなどをはじめとして、原発の事故処理でもいろいろと気になる言動を繰り返している。

まだ立候補は表明していないそうだが、自民党はタマがなければ(沖縄もその動きになっているらしいから)消去法で担ぎ出すかもしれない。本人は、ひたすらそれを待ち望んでいるのではないだろう。福島県知事選は立候補者のメンツが揃った時につぶやくとして、今日は沖縄知事選について・・・。

現職のナカイマ知事は、先日立候補を表明。自民党本部は、この御仁では勝ち目がなさそうと判断して、もっと票が集まる候補を物色中らしいが、自民党の沖縄県連が担ぐことを決めたというから、本部も仕方なしに追随するのではとマスコミは報じている。

一方、辺野古移転反対を旗印に、那覇市のオナガ市長が立候補することは確実だと伝えられている。失礼な表現だが、オナガ氏は元自民党県連幹事長だったというからバリバリの自民党員に違いない。しかも、前回知事選でナカイマ現知事の選対本部長を務めたというから自民党同士の戦い。これは面白くなりそうだ。

二人の主張で唯一異なる部分は、普天間基地の辺野古移転を容認するか否か。現知事は二期目の公約は沖縄県内への移転には反対して当選。自民党沖縄県連も同じ態度だったと聞いているが、現政権お得意の『札束横っ面作戦』で辺野古移転容認。このことが保守の分裂を招いたことは間違いないところ。

沖縄自民党県連内でも意見が分かれ、辺野古移転に反対する自民党議員は、本部とケンカになっても、何としても辺野古移転を阻止するために、オナガ那覇市長に立候補を依頼したとのことらしい。

辺野古移転に反対している私としては、オナガ氏も、『札束横っ面作戦』に絶対に負けないという担保はないが、現知事の続投よりは辺野古移転が白紙(不透明)になる可能性はあるので、ここはぜひともガンバッテほしいものと期待している。

 沖縄知事選には、もう一つ面白い現象が重なっているらしい。地方の首長選挙では、負けるのは前提でも共産党は必ずといって良いほど党推薦候補者を立てている。ときには、共産党が候補者を立てなければ反自民の候補者が当選しただろうに・・・と思うことも稀ではない。前回の東京都知事選もその可能性はあったのではないだろうか・・・。

 ところが今回は、辺野古移転反対という一点で、保守候補であるオナガ氏を推薦?するというから、やっと共産党も大人になったのかと、選挙の公示が待ち遠しい。

 現政権は、必死になって首相はじめ全ての閣僚たちを沖縄へ応援に送り込むだろうことは想像に難くない。『札束横っ面作戦』の額は今まで以上になるだろうが、アベノミクスのインチキ性が露呈し、支持率が下がり始めていることに加えて、奢りだけは失っていないことから、十分以上にオナガ氏の当選が期待できる。

 繰り返すが、これは面白くなりそうだ。戦争で一番の犠牲を払った沖縄県民が、現政権が発信源となっている『戦争の足音』を遠ざけてくれると信じたい。(田舎親父)

2014年7月29日 (火)

この判決も ? ・・・

 裁判に対する話題が続く。今日は最高裁の話ではないが、徳山ダムの建設にいつの間にか付帯して計画に入った、木曽川への巨大導水トンネルの工事に対して、名古屋地裁が『国の適正な計画に基づいた支出で違法性はない』とする判決を出したが、これも『?』をつけざるを得ない。

890億円?(何だか少し少ないような気がするが)を投じ、全長43キロにも及ぶ地下トンネルを掘る導水路計画は、導水路がなければ愛知県などの下流域で徳山ダムの水が使えないという理由で計画されたのだそうだが、当時ですら、名古屋市長も愛知県知事も必要ないと明言。そのために,工事は凍結されているというのにもかかわらず、今回の地裁の判決は何なのだろう。

何の情報もない。うがちすぎだとお叱りを受けそうだが、コンクリ-ト大好きの現政権が工事を進めるために出させたのでは・・・とつぶやきたくなる。大急ぎで原発際稼働を焦っている手法と根は同じように思えて仕方ない。

 『徳山ダム』については以前つぶやいたことがあることを思い出し、過去の記録を調べてみた。それは2008年の5月、『ダムは誰のもの・・・』というタイトルで残っていた。当時、『総貯水量が国内最大の徳山ダムが本格運用を開始した』とのニュ-スに敏感に反応し、『今どきこんな巨大ダムが必要なのだろうか・・・』という素朴な疑問から始まっている。
 このダムは総貯水量が約6億6000万立方メートルという。浜名湖の約2倍で奥只見湖より大きいというから桁違いの巨大ダムである。『新しく地図に載るこのダムの工事の建設過程において、一体どのぐらいの人たちが故郷を追われたのだろう。そしてどのぐらいの村や町の名前が消えたのだろうか、と考えると何か割り切れない寂しさを感じる』という文面であるが、今でもその気持ちは全く変わらない。
 (このつぶやきの一部をコピペ)『徳山ダム』の建設計画が本格的に動きだしたのは高度成長期の1957年。当時の水需要は莫大だったらしいが、オイルショックを機に水需要は低迷し、現在ではほとんどこのダムの必要性はないというから、建設そのものが何となく不透明に感じてしまう。
 水事情と電力事情の変化に伴う必要性の疑問視と同時に、世論の公共事業の見直し論の高まりに押されて、一応は『長良川河口堰』とともに『徳山ダム』は再検討の対象としたようだが、治水が必要だという名目でそのまま、両方とも建設を強行したことは当時社会問題に発展したことが思い出される。
 国交省は強引に完全完成にこぎ着けようとしているが、当初予定されていた発電所の建設は中止となったとなると、完成はしたものの、ますますこのダムの必要性は薄れていることは確か。
 しかも、大きな建造物を建設する場合には周りの環境に対して『環境アセスメント法』で厳しく配慮が求められているのだが、何故かこのダム建設において網からもれているというから、恐らく信じられないような環境破壊があったのではないかと推察している。(引用終わり)

 当時でさえ、このダムそのものが『ムダの代表』だったようだが、発電所建設もなく、下流の水需要が極減しているにもかかわらず、ダムの水を木曽川に流すために地下導水路の建設は、ムダにムダを重ねるような話。

繰り返すが、下流域自治体すら不要とするこの巨大工事を、どうしても進めたいのは金儲け命(経済重視)の現政権以外には考えられない。集団的自衛権に慎重論を唱えていた歴代の内閣法制局長の首すら簡単にすげ替え、自分の思いどおりの答弁をさせるほど、目的遂行には手段を選ばぬアホベ首相閣下ならばあり得ない話ではなさそうだ。

 まさかいくら厚顔無恥な現政権の閣僚・官僚たちでも、『お墨付き』をいただいたばかり工事をすぐに再開するとは思いたくないが・・・。(田舎親父)

2014年7月28日 (月)

最高裁の狂気が止まらないく・・・

 このところ、最高裁は(ずぶのシロウトの私でも)首を傾げたくなるような奇怪しい判決を立て続けに出している。言葉は悪いが、最高裁の判事全体が何やら変なウイルスにでも感染し、脳の一部が、時代と逆する病気にでもかかったのではないだろうと変な気持ちにさせられる。

 先日、1歳8カ月の三女を虐待死させたとして傷害致死の罪に問われ、『裁判員裁判』で検察側求刑の1.5倍となる懲役15年の判決を受けた両親の上告審判決で、最高裁第一小法廷が、『甚だしく不当な量刑だ』として一審判決とこれを支持した二審判決を破棄し、父親に懲役10年、母親に懲役8年を言い渡したという記事に目が留まる。

 その判決の根拠は『裁判員裁判で過去の量刑傾向に従う必要まではないが、大まかな傾向を踏まえ、他の判決と公平性を保たなければならない』なのだそうだ。

よく、『子どもは親を選べない』という格言?を耳にするが、私の周りでは、親から食べ物を与えられないどころか、暴力を振るわれ命を奪われる子どもなど全く記憶がない。虐待などという話は例外中の例外というより小説の世界の話だと思っていたが、このところ、親からの虐待で命を落とす子どもの報道が巷に溢れているのは、日本人の優しさやモラルが完全に喪失したようにも思えてならない。

その背景に、政治の貧困というか、弱者切り捨てが当たり前の風潮がまかり通り、さらに、自分の享楽を優先する考え方が氾濫していることがあるのだろうが、自分の子どもの養育を放棄するとは動物以下。情けないとしか言いようがない。

(本題に戻るが)国民の中からくじ引きで裁判員を選び、否応なく難しい事例に裁判員(裁判官)として参加させるいわゆる『裁判員裁判制度』には、どちらかというと『否』という考え方を持っている私だが、タテマエ上だとしても、裁判に市民の気持ちを反映させるという目的だというから、まあ仕方ないか・・・というところ。

スタートから5年が過ぎた裁判員裁判では、求刑を大きく超える判決が増えているのだそうだ。最高裁は、このことに対して、過去の判例との違いが気になって仕方ないのかもしれない。しかし、プロの裁判官と異なる判決が出ることは、市民が裁くという趣旨からは当然で、はじめから予測できなかったとは思えない。

となると、最高裁の判決は、市民感覚の刑の判断を否定したと言っても奇怪しくない。プロの裁判官ならば、当然過去の事例にとらわれ、求刑を超える判決はほとんどないのがこれまでの常。最高裁が、求刑を超えてはならないというなら、裁判員制度そのものを最高裁が否定していることになる。

新聞解説によれば、裁判員裁判での求刑超え判決が、判決全体に占める割合は1%程度だが、裁判員裁判の対象になる事件で、過去に裁判官だけで行われた裁判では、求刑超え判決は0・1%ほどだという。数字からは、裁判員裁判の方が10倍ほど求刑超え判決が多くなっているが、求刑超え判決のほぼ半数は殺人や傷害致死事件。中でも今回のような幼児虐待事件には裁判員の眼は厳しいのだそうだ。

このことは、日本人が和の精神というDNAが働き、普通の市民である栽培員にとって、凶悪犯罪以上に、親子の絆を否定するような事件には生理的嫌悪感が働くのではと思っている。ある意味当然の心理ではないだろうか。

この裁判員制度が始まった当時は、最高裁は裁判員裁判の判決を尊重し、覚せい剤密輸事件をめぐる求刑超え判決では、『よほど不合理でない限り、裁判員裁判の結論を尊重すべきだ』との考えを鮮明に打ち出したことはぼんやりだが記憶している。

当時、マスコミは『裁判員の判断は刑事司法に新しい風を吹き込んだ』ともてはやしたことも思い出すが、今回の判決は、(最高裁自ら)その考え方を否定したことになる。

繰り返すが、市民感覚を取り入れた判決を、最高裁が『否定』するとなると、裁判員制度そのものの意味はなくなる。そればかりではなく、裁判員の判断を支持した地裁や高裁のプロの裁判官に対して、『お前らは裁判官として何故止められなかったのか』という強いプレッシャを押しつけることになりそうだ。

最高裁は前例に従うのが『是』であり、裁判員裁判で打ち出した求刑を超える判決は著しく平等性にかけるとして、これを葬ってしまう。しかし、裁判員裁判は今後も続けるという。

 こんな変な話があって良いはずがないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年7月26日 (土)

とりあえずでも停戦を願う・・・

 パレスチナとイスラエルとの内戦状態で、全く罪のない、戦争など御免だという市民(それも女性や子どもたちという戦闘弱者)が、戦闘に巻き込まれ、犠牲者が増えているという。その数は、昨日の段階で、1000名を超えるという報道に愕然とする。

宗教や民族の違いが憎しみに変化するという話はよく聞くが、相手の立場を理解さえできれば、完全に理解できなくても、『あんなものだろう・・・』とある意味無関心を装えば、殺し合いなどに発展しないと思うのだが、こんな私の思いは甘っちょろいらしく、世界各地で民族の違いが争いの種になっている例は枚挙につきない。

世界史には詳しくないが、中学校でエジプトも含めて、中東地域は世界で最初の文明の発祥地だと習った時、あんな砂漠の続く中で、よくぞ文明などが発生したものだ・・・という疑問を持ったことを思い出す。当時は現在のような完全な砂漠ではなく、乾燥した穏やかな気候だったことを後で知るが・・・。

その後、少しは知識が増え、ユダヤ教の聖地が、イスラムの聖地と同じエレサレムであることや、第二次世界大戦後、世界の経済を支配しているユダヤ人たちによって、この地に古くから住んでいるパレスチナ人たちとの領土争いを奪い、ユダヤ人によるイスラエルが建国されたことも知る。

私には全くいかなる宗教でも、その教典など理解できないが、ユダヤ教はキリスト教の原点だと言われていることから、当然、アメリカはじめヨ-ロッパのキリスト教国はイスラエル建国に援助を惜しまず、その後、対立するエジプトやアラブアドのイスラム教を信じる国々との度重なる戦争には、いつも後ろ楯になっていることは今では知らない人はいない。

何度かの戦争が繰り返され、イスラエルの領土は増え続けているという。イスラエルの指導者にとっては,この地はわれわれの祖先が、神から与えられた地であるから、この地を自国の領土とすることを当然と明言し、イスラエル人のためにさらに領土を広げることは使命と考え、入植という形で土地を占領していることはマスコミ報道でも明らか。

当然ながら、古からこちらもアラ-の神の御告げの下、この地を聖地と崇め、文化を培ってきたアラブの人たち(特にイスラエルと住処が競合するパレスチナの人々)にとっては、イスラエルの態度や行動は許し難いことは、誰でも容易に想像がつく。

領土問題は話し合いで解決できるほどヤワではない。わが国も、北方領土をはじめ尖閣諸島や竹島という領土問題を抱えているが、民族主義的な傾向を強く出す現内閣の出現で、関係諸国との間が何となくキナ臭くなり始めていることは周知のこと。

以前、パレスチナの開放を求めて『バレスチナ開放戦線(ファタファ)』が結成されて、アラファトという指導者が存在したと記憶している。彼の指導力で、争いを解決するためには国際的な組織の後ろ楯が必要ということで、パレスチナは国家としてではなく地域として国連に加入を認められたのではなかっただろうか。

そのアラファトが亡くなった後、(暗殺されたという説もある)現在のハマスというイスラエルに対して過激な武力闘争を『是』とする組織が台頭していると伝えられている。アラファトが生存していたら、ここまで悲惨な戦闘に発展しなかったのかもしれないが、歴史には、タラとレバは禁句。

本来なら国連がその仲介役を果たさねばならないのだろうが、アメリカはいつも無条件にがイスラエル側の立場を強力に支持、イスラエルに不利な決議が採択されそうになると、拒否権を発動するものだから、国連はほとんど実行力はないという。

しかし、これ以上破壊や殺戮が続けてはならないことだけは誰もがわかること。政治とは、人々の安全と財産、権利を守るためにあるはずなのに、やっていることはその逆。イスラエルとハマスという両陣営の思惑が優先され紛争が起こされ、市民が逃げ惑い、次々に命を落としているのは悲しいとしか言いようがない。

互いに話し合いの場に出ることすら簡単な話でないことはわかるが、少なくとも、軍事力はイスラエルが圧倒している現状で、その力の差を考えれば、紛争を収束させる主導権はイスラエルにあり、まずイスラエルが市街戦を収めるべきだと思いたい。

パレスチナの人たちには屈辱かせしれないが、これ以上イスラエル相手に戦争を仕掛けても勝ち目がないことは明らか。イスラエルの存続を許容して、アメリカに仲介を依頼し、まずは停戦にこぎ着けてほしいものである。それで事が納まるとは思えないが・・・。

それにしても,人間の欲望は限りを知らず、自分たちの利益のためには、反対勢力は駆逐しても良いというのが本能だとしたら、こんな悲しい動物が存在することが自然界(地球という星)にとって不幸である。(田舎親父)

2014年7月25日 (金)

また中国産・・・

 中国の『上海福喜食品』という企業が、組織ぐるみで期限切れの鶏の肉を混ぜた商品(チキンナゲットという人気商品らしい)を輸出していたことが大騒ぎになっている。わが国の外食チエ-ンの大手マクドナルドや、コンビニのファミリ-マ-トが輸入し販売していたからである。

 私は、昔の経緯があって、鶏肉を口にすることは少ないので、チキンナゲットという商品を食べたことがない。それ以前に、マクドナルドを利用したことがないので、実態は皆目見当がつかないが、常連の利用者はマック族と呼ばれ、いつも満員盛況だと聞いているので、かなりの人たちが口にしていることは間違いなさそうだ。その人たちの中には、ウッ-となった人も少なくないのでは・・・。

 その(チキンナゲット=毒物)量は厚労省の発表で、今月21日までの1年間に計5956トンだったとというから、原料はなる鶏の数は想像もできないほど大量だろう。内訳は、輸入業者への聞き取りではファミリーマートに約180トン、日本マクドナルドに残り全量が納められ、流通先はこの2社に限られるというが、数ある外食・コンビニの中でこの2社だけだとは引っかかるものがある。

 それはともかく、何故事が明らかになったのか今のところ明確な報道はない。内部からの告発でもったのか、ある日突然、テレビのニュ-スが製造ラインに入り、現場の様子を流していた。明らかに色の変わった食材や、従業員たちが地面に落ちたものを拾い上げてラインに戻している姿には『さすが中国』と変に納得。凄いの一言。中国製の食品はいかなる人気商品であろうとも絶対に口にできないことを改めて感じる。

 さらに、キャスタ-の『こんなことをして大丈夫なの・・・』との質問に、『食べても死ぬことはない・・・』という答えには、こちらも中国らしいといえばこれ以上中国らしい言葉はないと感心するが、これは見過ごしできる問題ではない。

この画面を見た時には、私にはこれがチキンナゲットというもので、マックやファミマの人気商品だとわからなかったが、すぐに国内世論は大騒乱。次々に新しい事実が明らかにされている。

 直ちにマクドナルドとファミリ-マ-トは販売中止という措置は当然だが、マクドナルドは23日に、一部店舗で中止していたチキンマックナゲットの販売を全店舗で再開したと発表したことに、さすがは金儲け命の経営だと、こちらも変に感心する・・・。

マクドナルドの説明では、ナゲットの2割が上海福喜食品製で、21日から最大約500店舗で販売を中止。タイや中国の別会社の工場で作ったナゲットを22日中に、販売中止中の店舗に納品したから大丈夫だとのことだが、『オイオイそんな問題ではないだろう・・・』という言葉がついつい口に出る。

 一方、大手コンビニのファマは、上海福喜食品から仕入れたガーリックナゲットとポップコーンチキンの販売を22日から中止しており、販売再開の予定はない社長自らが明言していた。

フアミマはやはりコンビニ大手のロ-ソンとセブンイレブンとは熾烈な競争を展開しているのはよく知られており、横浜片田舎でさえ、3つの店の距離はほんの数百メ-トルの距離にある。さらにその間に、違うコンビニもあるのだから、ほんの少しのマイナス情報が、たちまち他店に客が流れるという事情があるからだろう。

 『上海福喜食品』という企業は、アメリカの『OSIグループ』という世界敵に食材を供給している大手企業ということも引っかかる。アメリカ本社は『当局と協力し、原因を調査する』との声明を出したが、製造ラインのその先に見えるのが、中国国内や東南アジアであって、アメリカやヨ-ロッパ諸国でないようだとなると、どこまで本気で真相解明の努力をするのか疑わしい。

 話は少し変わるが、わが国の食料自給率はカロリ-べ-スで40%程度。先進諸国ではもっとも低い値であり、何とか改善しなければという掛け声は一時盛り上がったもの、このところ急激にしぼみ、耳にすることすら稀になっている。

 日本の農業を守れという声も日に日に小さくなり、TPPではすでにアメリカ産牛肉の関税引き下げが規定の事実になっているらしい。

 今度の事件から、改めて、日本の食の安心安全と、食料の自給率の改善を、国民全体の課題として見直したいものである。(田舎親父)

2014年7月24日 (木)

佐賀空港をオスプレ-の駐屯地?・・・

 アメリカ軍の垂直離着陸輸送機『オスプレイ』が厚木基地に着陸というニュ-スが流れたのは先週はじめのこと。そして翌日には、横田基地に飛来し、さらに(マスコミ情報はほとんどないが)札幌で行われた自衛隊のイベントで展示されたらしい。

 少なくとも新しい型の飛行機の配置には、『これこれこうで、安全対策は絶対なのでよろしく・・・』という打診があるはずなのに、日本政府は,はじめからこの問題に対しては後ろ向き。アメリカが安全だと言っている以上安全だろう?とい姿勢を貫いているのも変な話なのに、オスプレ-の配置を通達されたら、唯々諾々と受け入れるのは、主権国として恥ずかしい限り。

そして、実際に普天間基地に配置され、その凄まじさにビックリ仰天。これを100%容認したら、沖縄県知事は戦えない上普天間の移設話にも黄信号がともると、政府背真っ青になり、そこで生み出したのが『沖縄の負担軽減』という聞こえの良い誤魔化し言葉。

当初は『負担解消』だったらしいが、『解消』という言葉は誤解を招くということで『軽減』になったと聞いているが、『沖縄の負担軽減』とは、なるほど実にもっとな理由づけである。

アメリカ軍基地がびっしりと乱立する沖縄は、日本の主権はないに等しく、改善はいっこうに進んでいない。普天間基地の移転はアメリカと合意したらしいが、移転先はまたも沖縄。しかも美しい海岸を埋め立てて新たな滑走路を2本作るというから、何のための合意なのだろう。

日米地位協定という代物があって、アメリカ軍基地は日本の法律は一切及ばない完全な治外法権。地位協定は兵士にも適用されているので、よほどの現行犯でなければ逮捕権すらないというから、兵士の中には、沖縄の人たちの迷惑など与り知らぬとばかりやりたい放題という輩も多いと聞いている。

タテマエ上では迷惑をかけるということで、一応飛行計画などもアメリカ軍は沖縄県と日本政府と話し合って決められることになっているらしいが、実際には合意事項などあってないに等しいもの。深夜であろうが早朝であろうがそんなことはお構いなし、人の迷惑など知ったことかとばかり日六時中轟音が炸裂しているという。

こんなアメリカ軍上層部の日本を属国としか思わないような態度は、当然下級兵士に伝搬、俺たちのほんの少しのわがままぐらい当然見逃してもらえると思うのも無理ならぬことかもしれない。

繰り返しになるが、誰が筋書きを立てたのか、アメリカ軍のオスプレ-日本配置計画は実に綿密且つ巧妙である。はじめから、軍の司令部がある東京都の横田基地に配置すると反対の声が高いだろうと予測。そこで配置先に選んだのが普天間基地。

それに対して日本政府はただただ後追いの認可をするだけにとどまらず、沖縄の人々の迷惑を少しでも少なくするために、オスプレ-の訓練を本土でも・・・と言い出す始末。勝手に持ち込んで、後はお前らに任せるというアメリカの姿勢も腹立たしいが、『沖縄の負担軽減』という誰も反対しにくい言葉を生み出し、本土訓練を既成事実化してしまうとはなんとも情けない。

しかもマスコミは、当初の批判的な記事は陰を潜め、淡々と事実だけを述べに記事がほとんどとなると、日本中の空を我が物顔でオスプレ-が轟音を轟かせて飛び通うことは規定事実化したようだ。

もっと許し難いのは、自衛隊として正式にオスプレ-を導入するという決定。オスプレ-は安全に問題が残るという根本的な検証は全く無しにである・・・。

しかも、その駐屯地として、突如佐賀空港を指定し、佐賀県に防衛副大臣が乗り込み、知事との会談が行われたというから、事は風雲急を告げている。

佐賀空港は、10年ほど前、結婚式に招かれて一度だけ訪れたことがあるが、結構式場のある佐賀市中心部からは遠く(タクシ-で5千円ぐらいかかったのではないだろうか)、何故こんな場所に空港が・・・と不可解な思いをしたことを思い出す。

時代は進み、佐賀空港は格安航空(LCC)の拠点空港として生き残りをかけているというが、福岡空港や長崎空港とは目と鼻の先。隣接する熊本県には熊本空港もあることから、LCCの専用空港としても将来的に大きく発展するとは思えない。

誰が思いついた筋書きかはわからないが,政府はこのあたりを見越して佐賀空港を指定したのだろう。政府の方針がはっきりしたことから、佐賀県(知事)としては頭から反対しにくく、条件さえ整えば・・・という動きが加速、結局は札束攻勢に打ち勝つ言葉できず、県民を意思を封じ込める・・・。

また一つ、軍靴の足音が近づいてきたように感じると表現すると大げさ過ぎるだろうか・・・。(田舎親父)

2014年7月23日 (水)

動物の話題いくつか・・・

急速な高齢化で、近い将来消滅するだろう集落が2千を超えるという。確かに地方を歩いてみると、交通機関は『軽トラ』が主役という集落は稀ではなく、軽トラを運転できないと生活がすぐに困窮するという実態を肌で感じることが多い。

80歳を超えてまだまだ軽トラを乗りこなしている人も珍しくないが、10年後に運転できるかとなると、無理だろうと思わざるを得ない。そんな集落では、60代は数少ない若者。それ以下の年代は皆無となると、軽トラの運転ができなくなることは、即この集落では生活できないことを意味し、町に降りるより方法はない。

人間に飼われているペットも、最近は高齢化で進んでいるようで、実際に、超高齢と推察できるワンちゃんを乳母車にのせて散策している老人の姿を見ることが稀ではなくなっている。乳母車は極端としても、歩くのもおぼつかないワンちゃんを散歩させている高齢者の姿を実際に目撃したことがある人も多いのではないだろうか。

こんな光景を見るたびに、この老人と老犬はいつまで散歩を続けられるのだろうかと心配になるが、ペットを求める高齢者は増え続けているというから、ますます老人と老犬のペア散歩姿は増え続けるに違いない。

変な書き出しになったが、高齢化は動物園にも及んでいるらしく、先日、富山市ファミリーパークのグレビーシマウマ『キャサリン(22歳)』が雄の赤ちゃん1頭を出産し、日本国内の最高齢出産記録(19歳)を更新したというニュ-スに出会う。

シマウマの22歳は人間では60歳以上ナノだそうだ。現在日本中の動物園では、世界的に動物の価格が高騰し新たな動物を購入するのが難しくなっていることは情報として知っているから、動物園の努力には素直に敬意を表したい。

しかし、シマウマの赤ちゃんの父親は千葉市の動物園で生まれ、2年前にこの動物園に移籍した7歳の『キサラギ』というから、母親とは15歳年下ということになる。恐らく、野生ではこんな歳の差のあるカップルはないだろうから、何だか人間のご都合のようにも思え、どこかに引っかかるものを感じるが・・・。

動物園の役割として、希少動物を守り増やすことは重要なことは同感であるが、そのずっとずっと先には、数を増やして自然に返すという遠大な思想があってしかるべき。しかし現実は不可能だろう。このニュ-スには、動物園の動物たちも人間と同じで、超高齢社会の歪みが顕著になっていることを現しているようだ。

突然別の話に移るが、かつて『巣を作ると商売繁盛する』などと、身近な鳥として親しまれてきたツバメが、全国的な減少傾向にあるというニュ-スに、そういえば、横浜の片田舎でも近年、ツバメの姿が少なくなったことに気がつく。

つい数年前までは、私が利用するJRの駅ビルの軒下にも巣を見かけたものだが、駅ビルが改装されて、一階をコンビニが開店する時期に合わせて、その姿を見ることがなくなった。お客に迷惑をかかるという考えで、ひなが糞を落とすことから巣を取っ払ったからだろうと想像しているが、ここにも人間のご都合主義が顕著に現れているようだ。

本当に、『ツバメが巣を作ると商売繁盛する』かとうかはわからないが、昔の人たちは、本能的に自然の動物を愛し,多少の迷惑は我慢したに違いない。その結果、長い間ツバメと人間との良好な関係が続いたのだろうが、ツバメの減少は人間の気持ちに余裕がなくなってきたことを現している。

さらに、かつては子どもたちの遊び相手というか、身近な動物として親しまれてきたトノサマガエルが、環境省のレッドリストに『準絶滅危惧種』と指定されたという。乱獲が原因だという人もいるそうだが、そんなことはあるまい。その背景には、効率を重視し大量の農薬の使用という人間のエゴが絶滅に近づけていることは間違いない。

そのうち、トノサマガエルすら動物園でしか見つけられなくなる・・・。想像したくない未来図である・・・。(田舎親父)

2014年7月22日 (火)

この判決も?・・・

このところ、おやっと思う事が多い最高裁の判決。最高裁のそれは、この裁判に関しては最終であるとともに、今後、同様な事件・事故における訴訟の絶対的な判断基準となることは小学校の社会科でも必須の学習事項。しかし、張本人の最高裁の判事たちがどこまで自覚しているのだろと思うような不思議な判決が続いている。

特に先日、沖縄返還時の秘密文書について『国がないと主張しているのだからない』『それでも、開示を請求するのなら、その文書がある証拠を示さねばならない』という、常識的に信じられない判決を、事もあろうに『全員一致』で示したことについて、そんなバカなと怒りのつぶやき・・・。

今回の話は、『DNA型鑑定で血縁関係がないと証明されれば、法律上の父子関係を取り消せるのかどうか・・・』を争う裁判。こちらは全く個人的な、しかも特殊な形態の夫婦間の問題で生じた訴訟であるが、子どもの今後の生き方に大きくかかわりのあることとしてかなり注目されていた。

この夫婦の間でどんな経緯があったのかは知らないし、知ろうとも思わないが、マスコミ報道によれば、この裁判は、元妻からの訴えで、夫以外の男性との間で生まれた子どもについて、父子関係の取り消しを求めているのだそうだ。これに対して、夫は、例え血縁はなくても父子関係を維持したいというから、その背景には簡単に割り切れない複雑な事情が隠されているのだろう。

およそ私には縁のない話題であるが、血のつながりのない父子関係が存在することは良く聞く話。そして最近は、これに類する訴訟が、全国では数件あるというから、いよいよ,親子関係をDNAでその有無を調べなければならない時代になったのかと、何となく寂しい気持ちにさせられる。

今回の最高裁の判決は『取り消せない』というもの。1.2審では、実際に現在、DNA鑑定で父親だと認定された男性と一つの家庭を営んでいるのだから、それを大切にする方が良いという理由で、妻側の言い分を認めたのだが、最高裁は全くの逆。そして、これで結審。

この判決の解説で初めて知ったことであるが、民法772条は『妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する(嫡出推定)』と規定しているのだそうだ。そして、この『嫡出推定』の規定については、明治時代の1898年に作られたものがそのまま現代に残っているという。そんな古い法律が生きているのか・・・と驚く。

科学的な鑑定よりも、明治に作られた民法の『嫡出推定』の規定を優先した判断を下した裁判官が3人で、反対したのが2人だったそうだ。3人は全く『明治の民法』に疑問を持たなかったのだろうか?。科学的な要素を考えなかったのだろうか?。そして、それ以前に,こんな個人の(しかも特別な事情)微妙な判断まで、3対2という多数決で決めて良いのだろうか・・・。

最高裁の判例は重く絶対的である。男性はこれで娘と会えると喜んでいるらしいが、(私が気にすることではないだろうが)娘が素直に『父親』と認めるのだろうかという疑問が残る。現在は、5歳という娘だが、成長するにつれて気持ちも変化するだろうが、科学的に父親ではない男性を父親だと認める心境は、むしろますます『薄れる』ような気がしてならない。

父親だから会う権利だと主張し、会うことを強要する男性と、会いたくない娘と当然会わせたくない元妻とその夫(父親)。このような場面は小説では良くある設定。そして、今流行のスト-カ-行為に発展するという筋書きも・・・。

最近はあまり使われなくなったようだが、『事実は小説より奇なり』という諺があるように、女の子を取り巻く環境は小説以上に変化する可能性は大きくなるのではないだろうか。法律的に認められているとなると、警察にも相談できないし、相談しても何も対応できない(しない)ことは明らか。すると、想像したくない結末に・・・。

この『明治の民法』は、離婚や再婚が増え、多様な家族が存在する社会の実態に合っていないと、かなりの批判があるのだそうだが当然だろう。

それを、今回最高裁が適用したのも変な話である。裁判である以上どちらかとしなければならない最高裁の立場は理解できないこともないが、(そんな仕組みがあるのかどうかもわからないシロウト的発想ながら)判決を出す以前に、批判の強い『明治の民法』に対して検討する姿勢を持つべきではなかっただろうか・・・。

専門家である最高裁の判事が、こんなことは百も承知していると信じたい。そうし、この判決の重さも十分認識しているに違いない。さらに、当事者たちに与える影響の重大さも・・・。

しかし、最近何故?と思うような事件が急増している現状では、(想像したくないが)もし、週刊誌の飛びつくような最悪の結果になったとしたら、3人の裁判官の罪は重い。

誰が裁くのかは別としても・・・。(田舎親父)

2014年7月21日 (月)

すぐに停戦を願う・・・

 先週の金曜日、朝一番のNHKのテレビニュ-スは真っ先に『マレ-シア航空機撃墜』という、悲惨な事件を取り上げていた。

 場所はウクライナ東部、ウクライナ政府と親ロシア系住民とが互いの主張を繰り返して内戦状態になっている地域だという。ウクライナに行ったこともなく、ましてその国の国民性や風習など全く知らない私には、何故そこまで憎しみあわねばならないのか理解できないが、民族の違いという要素は何事にも替え難いものがあるのかもしれない。

 機体のトラブルなどなく順調に飛行していたが、突然空中で爆発・バラバラになって落下したということから、ウクライナ政府か親ロシア系住民の武装組織のどちらかが、何らかの手違いがあって、ミサイル発射ボタンを押したとしか思えないが、これでますます互いに対する憎しみが増すことだけは間違いないだろう。

 撃墜された旅客機の乗客乗員合わせて298人は、あの状態では生存者が存在するなととは到底思えない。亡くなった人たちは何がなんだか分からないうちに命がなくなっているのだろうが、家族や関係者はどんな思いで事件を見ているのかと想像するのもつらくなる。

マレ-シア空港機は、数カ月前にインド洋で行方を絶ち、未だその後の情報はなく、事態は迷宮化という不可解な事件を引き起こしている。全く関連がないような見えるが、同じ航空会社の飛行機となると、表明には現れないが関連する何かがあるのではと勘繰りたくもなる。

それぞれの言い分はあるだろう。門外漢の私には、どちらが正でどちらが悪など論じる資格はないが、(どちらの側の行為だとしても)上空を飛ぶ民間機に照準を向けてミサイルを発射したという事実は許し難く、手違いとか間違ったという言い訳は通じない。当然のごとく、国際的批判が沸騰しているが、もしどちらかに非があると明確になれば、世界の情勢が一変するだろうことは想像に難くない。

ウクライナ政府側には西側諸国、特にアメリカの後押し。一方、親ロ派勢力にはロシアが武器の提供など強力にテコ入れしていることは、クリミヤ問題からも明らか。ここにもアメリカ対ロシアという大国の利害問題が絡み、話をややこしくしている。

両陣営とも、その証拠となるフライトレコ-ダ-(ブラックボックス)の獲得に血眼になっているだろう。すでに親ロ派が抑えているとか、ミサイルの発射装置をロシア領内に運び込んだ、あるいは、国際調査団の立ち入りを親ロ派が阻止という情報もマスコミが賑やかに報じている。

真偽はさておき、どちらかの陣営が入手したとしても、内容が自派に都合が悪ければ発表はしないことは間違いない。反対に、有利な情報だとして発表したとしても、相手側は瞬時に『偽物』だと断言、その内容そのものを否定することも私でも読める今後の動き。

(直接武力衝突はしないという合意ができているだろう)アメリカとロシアは、互いに口先での批判合戦を繰り返しながら、問題の落としどころを模索しているように装い、時間を引き延ばすことによってウヤムヤにするのもこれまでの歴史が証明している。

 領空侵犯や交戦中の誤爆であれば、激しいやりとりがあったとしても、『戦争とは不可解なもの』という諦めが先に立ち、曖昧なままで時間が過ぎて、いつのまにか人の記憶が薄れていくのがこれまでの例であるが、今回はそのどちらでもなく、民間のしかも軍事的な関係人物が搭乗していない飛行機がミサイルに打ち落とされたとなると、国際世論の高まりで『停戦』が実現することを望みたい。

 こんな甘っちょろい筋書きで事が進展するとは思えず、双方の批判合戦は当面続くだろうが、瞬時に命を奪われた298人の哀悼の意を持つことは、人間として最低限の資質だと信じたい。

今回ばかりは、アメリカ・ロシア両国の首脳の人間としての情に訴え、一日でも早い停戦の実現と話し合いの始まりを心から願っている・・・。(田舎親父)

2014年7月19日 (土)

もう一度事故らないと懲りない・・・

 原子力規制委員会は、原発再稼働に慎重な委員に替えて、基本的には賛成派とされるメンバ-に入れ換えたと、最近報じられたので、ある意味予想通りではあるが、16日に規制委が『全員一致』で『川内原発は絶対安全』というお墨付きを与えたという報道には愕然とする。この連中は、あの原子力ムラでの優雅で楽しい生活が忘れられなかったのだろうが、厚顔無恥とはこの連中のためにある言葉のようだ。

 タナカという委員長は原子力ムラの有力住民。そんな人物が中心になっている規制委が原発の安全性など議論する資格がないのにもかかわらず、(お手盛りの委員会が)自分たちが作った安全性の『新基準』に適合したデ-タを、電力会社が提出したから『安全』だという論理は、人を不快にさせる出来の悪いマンガを見ているような気持ちにさせられる。

 もともと『原発は絶対安全』という安全神話(論理)が前提なのだから、事故など想定していないことは私でも分かる話。しかし、実際にはスリ-マイル島やチェルノブイリで事故が起きた段階で、この神話の定義を変えるべきだったにもかかわらず、事故は外国の話で、世界で一番安全な国・日本では事故は絶対に起きないと徹底的に宣伝。

学校でも『絶対安全』を絶対的なテ-マとして、教科書にも『原発は安全でクリ-ンなエネルギ-』と記載し、少しでも安全に疑問を持つ科学者は冷遇。その強引な手法で『安全神話』は絶対に崩れない強固なものとして、国民のほとんどが信じるところになったことは論を待たない。

しかし、福島原発のあの凄惨な事故によって、安全神話は根底からもろくも崩れさったことを『絶対に』忘れてはならないはずなのに、その大本を論じる『規制委』が真っ先に忘れて昔がえり・・・。

福島原発事故によって改めて『絶対』という言葉が存在しないことを教えられ,事故を教訓に当時の民主党政権は『2030年には原発ゼロ』という政策を公約として発表、自民党も含めた野党もこれに同調したことも忘れたくない事実である。

 それかわずか3年、民主党の無責任自爆が原因で国民からそっぽを向かれ、政権を奪い返した自民党は我が世の春とばかり言いたい放題・やりたい放題。国民の信を問うことなく、当初の『限りなく原発をなくす』方向から、『原発は安全安心のベ-スロ-ド電源』と、全く逆方向に転換。経済成長の柱と位置づけ再稼働に邁進している。

 『原子力規制委員会が安全だと言うのだから安全』という、責任をはじめから放棄した論理で、原子力規制委に原発容認派を送り込み、原発に順位をつけて再稼働できそうな原発から順番に審査するという、原発再稼働ありきでことを急いできた。

そして今回の『川内原発の安全宣言』。しかし、薩摩川内市内の住民の避難計画すらできていないのが現実で、周辺の自治体に至っては、事故が起きたら避難はお手上げ状態と報じられている。また、常時爆発を繰り返しているあの桜島に対する対策はないというのも信じられない。これで、『安全宣言』とは、到底規制委の委員たちは良心などとっくに悪魔(権力)に売り渡したとしか表現のしようがない。

アホベは『規制委の審査は世界で最も厳しい』と繰り返している。これと全く歩調を合わせたごとく、タナカは『(川内原発の安全性は)ほぼ世界最高レベルと思っている』と言い放っているのもうさん臭い。

 安全性を高めるため?に工事の様子がテレビで紹介されていた。映像を見る限り、非常用電源や冷却設備はそれなりに充実され、事故が起きる可能性は下がったよう思わせる演出である。

しかし、事故が起きたときに事故収束に当たる作業員を守る作業拠点は建設中だという。当面は代替の建物を使ううらしいが、そこは狭くて水道もなく、トイレも仮設、作業員が放射能を浴びた場合、シャワーで洗い流して除染するのが通常だが、川内原発ではウエットティッシュで拭く想定になっているのにもかかわらず、これで十分安全だと強弁。

 福島原発事故でも問題になった、格納容器内の水蒸気を抜いて圧力を下げるフィルター付きベント設備や、テロに備えて通常の制御室が使えなくなった場合に原子炉の冷却を続けられる第二制御室も未完成なのも信じられない。

もっと酷いのは、事故時に原発周辺の住民が安全に避難できることが最も重要な対策であるにもかかわらず、それを作るのは該当自治体の仕事と責任放棄。各自治体がつくる避難計画が妥当かどうかは、『権限外』として審査していないというから、無茶苦茶な話である。

政府と規制委両方が、肝心な(都合の悪い)部分は、『俺の責任ではない』と互いに責任をなすり合って逃げ、再稼働の方向ではばっちりと手を握る。

となると、40年としている原発寿命も、まさか、『もったいないから』とは言わないだろうが、安い電力のためにという理由で、古くて危ない原発も全て再稼働もあり得る。国民の命を守るなどとは空絵ごとであることは明らか。この国から逃げ出したくなるが、貧乏人である私も含めて圧倒的多数の国民はそれも不可能。

 日本最後の瞬間に立ち会えるかもしれないが、こんな虚しいことが、『希望?』であって良いわけはない。(田舎親父)

2014年7月18日 (金)

権力の狗に成り下がった最高裁・・・

すぐにこのことをつぶやきたかったのだが、何とも気持ちが悪くなって、しばらく時間をおいてしまった。しかし、どうしても最高裁の出した判決には納得できない。

最高裁の判事たちに対して、国民には知らされていない『国家秘密警察』が内閣総理大臣の密命を受けて、『命の保障はしない』というたぐいの重大な脅迫があったのではと推理小説まがいの筋書きでも存在・・・という思いが抜けきれない。

新聞に掲載されている判決文を読んだが、この種の文章は私のような世間知らずな人間にはあまりにも難解でとても詳細を理解する能力はもち合わせていない。

『いったん文書があると立証された場合、その後も行政機関が持っていると認められるかどうかは文書の内容や性質、作成の経緯などに応じて個別具体的に検討すべきだ』とか、『文書が作成されたとしても、文書が保有されていたことを推認するには足りない』などの部分は、もう少し分かりやすい日本語で述べてほしいと願いたい。

さまざまな解説文がネットで踊っている。それを元に、私なりの足りない知識で解釈すると、密約の存在も曖昧にしながら、『不開示と決めた』文章というシバリはあるものの『歴代政府が存在しないと主張する文書について、原告はその存在を明らかにする責任がある』ということになり、さらに踏み込むと、『原告は、このような文書が存在すると主張し、開示を要求するのなら、存在する証拠を出しなさい』ということになるのでは。

こんなバカな解釈が最高裁の判断となると、国(地方の役所でも同じ)が、始めから不開示とレッテルを貼り、『そんな文書は存在しない』とつっぱれば、情報公開を求める国民は『役所に文書が保管されている証拠』を明確に証明しない限り、門前払いにできることになり、情報公開という考え方を根本から否定されてしまう。

今でも情報公開請求をすれば、役所は、ほとんど黒く塗りつぶされた文章をシブシブ出すのが通例になっているが、この判決を根拠にすれば、始めから『そんな文章は存在しない』という一言で全てが終わってしまうことになる。

今回の判決で喜んでいるのは、石巻市の大川小学校で聞き取り調査の文面を、破棄したと開示請求を拒んでいる市教委や、東電事故当時の具体的な状況を書き綴っている当時の原発責任者である所長のヨシダ調書の公開を渋っている東電やアホベ内閣、あるいは全国至るところで、情報公開を求められている役所など。これで全て闇の中に葬れるとほそく笑んでいるのでは・・・。

『知る権利』としてはもとより、歴史を記録し総括する観点からも、『第一級の極めて重要な歴史文書』と裁判所が評価している今回の『沖縄返還時の密約文書』が、国際的には存在していることが明らかなのに、国内ではこの先も存在しないとは、全く納得できないし許しがたい変な話。他の国から笑われるのでは・・・。

政府が、見つからない・破棄した主張しているなら、アメリカ側から文書の写しを取り寄せることで存在が証明されるはずだと思いたいが、アメリカがすんなり提供することは自分で自分のクビを締めることだろうから、そんなことはとても期待できないとなると、この先この国はどうなるのだろうと暗澹たる思いになる。

 いずれにしても、アメリカの公開文書や外務省元局長の証言から、原告が密約文書の存在をはっきり立証したにもかかわらず、(『文書の性質』という文言がついている?)文書を破棄した以上存在しないという論理と、その後保管されなくても許容されるかのような判断を最高裁がしたことは、司法が行政の軍門に下ったことを意味しているのではないだろうか。

 そして、年内に施行されるだろう『特定秘密保護法』で、『特定文書』に指定されたら、いかなる文書であっても、権力側の判断で永久に闇に消え去ることになる。

 最近大流行の『閣議決定』という言葉でも、ここまでは公開するが、これ以上は『特定秘密文書』となり、閣議決定のほとんどが闇の部分となっては、知らない間に徴兵制を閣議決定、そして前途洋々たる若者が戦場で命を落とす愚を繰り返す・・・。

想像したくないが、戦争を知らない年代の首相はじめ軍事力を過信する取り巻き連中の手で司法までも身内(言いなりになる輩)で固め、大がかりに情報を隠蔽、気がつけば世界中で戦争を引き起こす国になっている。

 悪い夢を見ているような、そんな話は御免被りたい。(田舎親父)

2014年7月17日 (木)

やっと批判が票に現れた・・・

 13日の日曜日の夜に届いた『ミカヅキ氏当選確定』という一報は、人物的に気になる面もなくはないが、自民党と公明党が推薦し、閣僚始め大物議員がこぞって応援に駆けつけた、首相の覚えめでたき有力官僚候補をこの御仁が破ったということに、滋賀県民の良識が生きていた・・・と久々に心地良い思いを味わうことができた。

 当初は圧倒的に官僚候補が有利だったらしい。ところが、あのイシハラ環境相の『金目でしょう』という発言に世論が大ブ-イング。さらに、都議会に続いて国会でも自民党議員がバカなヤジ連発したことに加えて、国民の大多数が疑念を持っている『集団的自衛権』を、強引に閣議決定し、その説明もおろそかにしていることなど、あまりにも酷すぎるアホベ内閣と自民党の独断専攻の政治手法に、滋賀県民が敏感に反応,徐々にミカヅキ氏の票が伸び、ついには逆転に至ったらしい。

 新聞各紙が社説で述べている通り、結果的には『アホベ政権の奢り』である事は間違いないところだが、首相周辺には(十分認識しているはずだと思うのだが)この結果を、自分たちの奢りだと認めず、『集団的自衛権』とは関係ないという口調には呆れる。中にはコヤリというタマが悪かったという声まで聞こえてくるそうだが、このタマを選んだ責任など全く感じていないところは、まさに自民党らしい・・・。

 今年は,10月と11月に福島県と沖縄県の知事選がある。折角滋賀県知事選で勝利に導いた政権に対する批判票を両県の知事選にも集めて、『反原発』『反基地』の候補が圧倒的な得票差で当選することを願いたいものである。

 福島原発の事後処理は、汚染ドジョウやアホベが何度も『収束している』と宣言しているが、避難民の生活はズタズタ、高い放射線量にせかかわらず、『帰還ありき』の政策は続いている。事故原発からの汚染水を減らすことすらできないのが現状。

こんな状況を十分認識していながら、一国の最高指導者が,こんな口からでまかせのセリフを吐けるもの。人格欠陥者の烙印を押したくなるが、権力という魔物がとりついた人間は、人間としての尊厳すら悪魔に売り渡しているに違いない。

 沖縄県では普天間基地移転の気運が高まっているそうだが、県民の意思は、決して辺野古海岸への移転を容認するものではない。むしろ、国外・県外移転という意見が圧倒的多数であるが、反対派がいれば賛成派も存在するのは世の常。

現に、県外国内移転を選挙公約に掲げて、再選されたナカイマとい知事は、札束攻勢にコロリと県民を裏切り、辺野古海岸を埋め立ててV字型滑走路建設に前向きだと伝えられているから、この御仁が再選となれば、沖縄のアメリカ軍基地は永久化する事は間違いないところ。

戦争ができる国になっても良いと思っている国民が存在するとは信じたくないが、そんな国を目指しているアホベ内閣が、それでも50%近い支持率を集めている事実は恐ろしい。中東から石油入手が困難になれば、国の存在を脅かされる事態だと決めつけて、機雷除去に自衛隊を派遣すると公言しているこの人物にである・・・。

 話は戻すが、今回の結果がすぐに福島・沖縄両県民の琴線に触れて、反原発・反基地の候補が誕生すれば、すぐに時代が良くなるかと言えばそんなに簡単なものではなかろう。

 カダ前知事が掲げた『卒原発』をミカヅキ知事は踏えると明言しているが、この御仁は民主党衆院議員時代に原発輸出を可能にする『原子力協定承認案』に賛成したことを見逃してはならない。

カダ知事の推薦を得るために、『卒原発』路線の継承を明言し、脱原発票を取り込んだことが今回の勝利に結びついたのだろうが、滋賀県の発展には経済が第一と、政府が示す甘い政策に靡くことがないとはないと断言できない。

少なくとも,10月までは『卒原発発(決して脱原発ではない)』路線を維持するだろうと思いたいが、知事になったらこちらのものとばかり、カダ前知事と袂を分けることもあり得ない話ではない。想像したくはないが・・・。(田舎親父)

2014年7月16日 (水)

『熱中症』という言葉が氾濫・・・

台風8号が沖縄地方に特別警戒警報の連発と共に過ぎ去ったが、以来、暑さの質が変わったよな気がしてならない。今回の台風種来以前も、5月末から6月はじめにかけて猛烈に暑い日があった。

横浜の片田舎でも30℃を越す日が続いたが、2時間ほどの歩きで帰宅しても、体はさほどシャワ-を要求していなかったが、ここ数日は、必ずシャワ-を浴びることが必要になっている。

変な書き出しになったのは、このところ『熱中症』という言葉を聞いたり見たりしない日がないと言っても良いほど日本国中暴れ回っていることに対して、いつから『熱中症』という言葉が流行り出したのだろうと、ふと頭をよぎったからであるが、最近は社会全体が『熱中症症候群』に罹患しているだごとき感がする。

近年は、天気予報でも『熱中症』の危険を現す指標が示されている。そしてさほど日差しが強くない日であっても、湿度が高い日などは真っ赤な色で注意を呼びかけるのも稀ではない。

その際、アナウンサ-は『水分をこまめにとって、休息を頻繁に入れるように・・・』という決まり文句で注意を呼びかけているが、以前は運動中は『水分をとるとバテる原因』と事ある毎に言われ、運動途中での水分補給はタブ-視されていたことを思い出す。だからかもしれないが、運動後の一杯が実に美味かったことも・・・。

部活動など学校で『熱中症』を起こす子どもが年々増えているのだそうだが、バテる原因と言われ、体育の授業中にも水分を採らさなかった30年ほど前までの学校生活では、朝礼時に気分が悪いと訴える子どもはいても、体育の時間に、倒れたり保健室に運んだという記憶はほとんど残っていない。これも気になるところ・・・。

その後、しばらくして『水分が必要』という考え方が主流になり、一部の保護者から水道水は不味い(健康に悪い?)という不満の声とともに、水飲み場の数も不足していることもあって、ならば水筒持参を認めようという動きが広がり、最近では全国津々浦々の小学校では、ランドセルと共に魔法瓶型の水筒をぶら下げて登校する児童の姿が当たり前になっている。中には身の丈に添わないほどの大型の水筒を持ち歩いている児童もいるが・・・。

先日、ここ数年で『熱中症』の被害が増えているという記事を見つけた。『日本スポーツ振興センター』という学校で起きたケガや病気に医療費を給付している組織(以前は『学校安全協会』と言っていたように記憶しているが)のまとめによると、『熱中症が原因の給付』は2012年度は過去最多の4971件だったという内容である。

この数は05年度の約2倍だというから、7、8年で『熱中症』が急速に広がっている事ははっきりしている。しかも、死亡事故は約20年間に80件あったという事実には驚くが、教師たちにとって、夏場の児童生徒の健康管理は特に神経が必要になっているようだ。さらに、夏場だけでなく、今頃の梅雨の時期も体が暑さに慣れておらず、熱中症が起きやすいというのでは、今日も先生たちは教室でも授業中も神経は休まらないようだ。

解説書を読むと、『熱中症』は高温環境下で体内の水分や塩分のバランスが崩れて体温調整ができなくなり、吐き気や頭痛、めまい、顔のほてり、手足のけいれん、筋肉痛などが起きるとある。さらに、『熱中症』は、気付かないうちに進行して、症状が表れてきた時にはすでに深刻な状態に陥っていることが多く、重症の『熱中症』になって、適切な処置が遅れると高体温から多臓器不全を併発し、死亡率が高くなるとも・・・。

この解説は間違っていない。しかし、何故、近年になって児童生徒の体力が衰えたのだろうと疑問を持っている教師(私もその一人かもしれないが・・・)もいるに違いない。そんな疑問が頭の中に残っていると、バテた様子がわかっていても、子どもの演技ではと思う指導者も存在するのではないだろうか。特に体育系の教師に多そうだ。

『熱中症』という言葉がなかった時代には、あまり見向きもされなかったが、教師の持たねばならぬ資質・能力の中に『夏場の健康管理』が重要な項目として加わったように、教師に必要なの専門的知識はますます多岐にわたり広がっている。

 このことを文科省始め教育行政の担当者は理解し、現場の負担を少なくしようという議論があってしかるべきだと思うのだが、『熱中症事故』報道が増えているのは、有効な方針を示さずに、現場に依存する体質が根底にあるような思えて仕方ないのだが・・・。(田舎親父)

2014年7月15日 (火)

半永久的に一日49万円が消えていく愚・・・

諫早湾に巨大な水門を建設し、埋め立てて広大な農地をつくり食料増産という事業は食料難の時代(1950年代)に生み出されたと聞いているが、貿易産業や流通などの発達で食料事情が良くなっても一度決めたことと、その計画は生き続け、ようやく水門が完成したのは、1997年というからつい最近のこと。

当時は連日,あのドミノ倒しのように連続してバタバタと閉じられる水門の姿がテレビで流されたが、(実際には見たことはないが)ギロチンを連想する光景から、漁民の悲鳴の声が聞こえるような錯覚に陥ったことを今でも鮮明に記憶に残っている。

以来20年近く、漁業に携わっている人々と、新しく生まれた土地で農業を営む人たちとの争いが続いているという。が、3年前だったか、突如に時のアホカン首相が『開門する』と明言したことから、さらにこの争いが泥沼化したようだ。

佐賀県の主張を是とした、福岡高裁の『5年以内に調査のために開門』という判決に対して、アホカン首相は上告をすすめる閣僚を無視して、断念したことによってこれが確定。違反すれば制裁金として一日49万円が漁業者側に支払うことになった。これに対して、長崎県は農業を守るというタテマエでこちらも訴訟。これが、やはり高裁段階で確定したことから話が極端に絡み合う。

開門をしないと佐賀県側の漁業従事者に制裁金。かといって、水門を開ければ長崎県側の農業従事者に違約金。どちらにしても、一日49万円という国民から搾り取った税金が支払われる。まるで出来の悪いマンガのような話である。

そして、実際に先日農水省は佐賀県の49人の漁業者に、初回分として6月12日~7月9日の28日分計1372万円を漁業者側に支払ったというから、こんなバカなことが延々と続くのだと改めて知り、愕然とする。

この問題は1年、2年で解決できるものではない。10日で490万円、1000日払い続けるとして約5億円。恐らく、10年、20年たっても解決する見込みなどないだろう。となると、支払う無駄金はどれぐらいになるのか想像するだけでもゾッとする。しかも国と漁業者側が支払い方法などは話し合いの途中でまだ合意していなかったというから、ますます話が混乱する。

漁業者側としては、恐らく、どこからか制裁金の返還を求める訴訟起こすだろと考え、そして10年先か20年先かは分からないが、返還すべしという司法判断がでた場合、判断の確定から実際の返還までに発生する利子の扱いなども懸念しているのだそうだ。

漁業者側の気持ちは理解できる。国にとっては一日49万円などゴミのような金額だろうが、国民から見たら許せるものではない。間違いなく、不当だと訴訟が起きることは間違いなく、司法に良識があればの話だが、こんなバカバカしい話を『是』とするはずがなく、制裁金そのものが無効という判断を示すだろうことも想定できる。

その場合、利子の話が出ることは当たり前だろう。振り込まれた金額はどこかで保管しておくとして、利子分を含めて返還命令となると、何のための制裁金だか分からない。

ところが農水省の担当部署は『毎月10日の一括支払いを提案したのは国の方針にそって、開門できなかった9日までの分をとりあえず約束の日に振り込んだ』とまるで他人事のようなコメントである。

この問題で、『水門』を『原発』に置き換えて考えてみた。地元では原発の利益が大きく、反対の声を抑えてこれまで建設されてきたのだろうが、福島原発事故で、人々の考え方が大きく変わり、いつ何どき、今回の水門話のようになるのか分からない。実際に最稼働反対の訴訟も起きていることから、仮に、最稼働しても反対の立場に制約金、稼働しなくて逆に稼働賛成の立場に制約金ということも100%ゼロではないだろう。

水門さえ作らなかったら、こんなバカな話が実際に起きるはずがない。原発も同じで、これ以上愚かな行為を繰り返さないためにも、せめて新しく原発建設などという発想だけは封印したいものである。(田舎親父)

2014年7月14日 (月)

760万超の漏洩問題・・・

 先週の話である。教育関連の業界では最大手といわれている『ベネッセ』の社長が、深々と頭を下げている映像がテレビで流れた。教育関連のことなので、しばらく耳を傾けて聞いていたが、760万人にも及ぶ個人デ-タ-が流出したというから、これは大変なことになりそうだと予感が走る。

 その通り、翌日からマスコミは大騒ぎ。新聞各紙が同じ話題でこんなに長く報じ続けているのも珍しいが、それだけこの問題は国民の関心が高いと言えそうだ。また、各紙が社説でこの問題に対する自社の論説を展開しているが、集団的自衛権などでは表現の違いが目立っていたが、この問題ではほとんど同じ論調で,情報管理の甘さを指摘しているのも面白い。

 ここまでマスコミが騒いでいるところをみると、流れた情報の質が、業者にとって蜜のように美味しい内容だったに違いない。単に公立小中学校の担任が学級連絡網(今はすでになくしている自治体や学校もあるそうだが)を保存していた記憶媒体を、何らかの原因で失くしたという程度とはかなり違うことは間違いなさそうだ。

ベネッセが持っている個人情報の数は2000万件超だと言われている。今回、確実に流出したのが760万人超。これだけでもトンデモない数なのに、下手するとベネッセが管理する全て(2000万件超)が流れている可能性もなくはない。いや、その確率はかなり高そうだから、今後、これらの個人情報がどのような形で社会を混乱させるか心配である。

『住所・氏名・電話番号』程度(学校が管理する個人情報)なら、流れたとしても、知らない会社からダイレクトメ-ルが届く程度(それでも大被害)だろうが、ベネッセは乳幼児から大学・社会人までを対象にして通信教育分野での大手。また、大手の学習塾(予備校)も傘下に納めているとなると、親の職業はもとより肩書や地位、はてまた年収などまでもが個人情報に含まれ、それが流れているとみて間違いなさそうだ。

個人情報を売り買いしている業者が多数存在して、例え住所と電話番号程度の情報でさえ飛ぶように売れているという。そんな中、760万超の質の高い個人情報となると、その価値はまさに天井知らず、手にした御者は複数の業者にべらぼうな価格で転売、それらを得た業者はさらに値を上げて他へ転売と広がっていくのだろう。

マスコミ情報によれば、情報業界では私でもその名を知っているジャストシステムが、ベネッセが情報管理を委託している子会社から入手したと報じている。この管理会社は自社で全てを管理するのではなく、複数の会社に委託していたそうだから、どこで情報がもれても奇怪しくない。

また、管理会社では正社員だけでなく、派遣の社員にこの業務を任していたというから、これは単なる個人情報流失という問題にとどまらず、ベネッセそのものの経営方針までもが問われる事態に発展するのではなかろうか。

話は最初の社長の謝罪会見のシ-ンに戻るが、この社長の顔を見た時、偏見だと叱られるかもしれないが、教育を標榜している会社にしては、(言葉は悪いが)ずいぶんとやくざっぽい人物だという印象が強く残ったものである。そして、どこかで見たことがある顔だとも・・・。

翌日の新聞で、この社長は前マクドナルドの敏腕社長だったことを知るが、ブラック企業がひしめく外食産業でその経営手腕を買われて引き抜かれたとなると、ベネッセの経営方針がシロウトでもあらかた見当がつく。

そういえば、ブラック企業の一覧表の上位の一つにベネッセが入っていたことを思い出す。この社長は、金儲け命の外食産業で実績を残してきたことから、彼なりの経営方針を導入していたことは容易に想像できる。となると、ベネッセの中の相当数の社員、特に派遣社員からは良く思われてはいなかった(恨まれていた?)のではないだろうか。

通信を主流にした教育産業では、個人情報は経営の砦、それを効率という要素を重視して、自社管理ではなく下請けに委託した初歩的なミスに加え、下請けの会社がさらに下請けに委託していたことを黙認、しかも下請け会社には契約社員を仕事の中心に据えるという体制では流失も当然では・・・。

この問題で政府も慌てているらしく、官房長官などは、法改定も視野に入れて検討すると息巻いている。恐らく、個人情報の管理を強化するために、流失した者に重罪を科すことが念頭にあるのだろうが、これも秘密法案の発想そのものである。

この問題は、単に個人情報の流失というだけでなく、社会の仕組みそのものを考える良い機会にしなければならないと思うのは私だけだろうか・・・。(田舎親父)

2014年7月12日 (土)

ここでも国と東電のエゴが・・・

 福島原発事故で被災した人々を救済する制度として、訴訟にはとてつもない時間と費用がかかることから,被災者を守るというタテマエで文科省に『原子力損害賠償紛争解決センター』という組織を立ち上げたのはかなり以前のこと。

しかし、実際の動きは、あまり表沙汰になっていないこともあり、私のような特別に情報源を持たない庶民にとっては,この組織が上手く機能し、少しでも被災者が有利になる条件で話し合いが進んでいることを期待するしかない。さらに、これまで、住民が東電とどの程度の条件で手打ちになったかとなると、全くの蚊帳の外。

ところが、この国が仲立ちしている交渉について、先日、毎日新聞のネット版に『福島第1原発事故:裁判外解決手続き 賠償一律半額に』という見出しを見つけて、東電と政府は結託して、被災者いじめを繰り返していることことを確認。改めて怒りが込み上げてくる。

記事によると、『原発ADR』と呼ばれる、原発事故の賠償問題を裁判外で解決する手続きを担当する『原子力損害賠償紛争解決センター』が、避難中に死亡した人の遺族に支払う慰謝料を極端に低く押さえ込んで強引に判子を押させているというからやり切れない。

避難者が死に至った理由は、細かく調べたらいくつもの要因があることは私でも想像がつくが、そもそも原発事故がなければ避難ということ事態が生じることがないことから、さまざまな要因などは枝葉末節のごときもので、考える必要はないはず。

なのに、東電と政府は死亡の原因に、原発事故の与えた影響の度合いである『寄与度』という聞き慣れない言葉を導入し、しかも、その要因を一律『50%』として、ほとんどのケースで慰謝料を半額にしていたというから、こいつらには良心というものを持ち合わせていないとしか言いようがない。

しかもその言い分は『中には満額支払うべきケースもあったが、迅速な処理を優先』というから、人命より原発事故処理を最優先にするという、明らかな悪意が先に立つ。

 センターの実務を担うのは文科省の『原子力損害賠償紛争和解仲介室』という部署だという。原発ADRは被災者側の申し立てを受け、『仲介委員』と呼ばれる、全国から選ばれた260人の弁護士が和解案を作成するのだそうだ。

弁護士たちが被災者と東電の双方に提示し、両者が受け入れれば和解が成立するのだが、選出された弁護士が全国に散らばっているとなると、事故に対する認識によって、和解案の内容に違いがあることは当然。これでは正しい仲介にはならないことは小学生でも分かる理屈。

こんな方法で弁護士を選ぶ方が間違っていると思うのだが、文科省にいわせれば,『適切な弁護士』が不足しているからというに違いない。そして、弁護士たちへの根本的な研修などははなから考えず、事後処理を早めるためには,個々のケースでのばらつきが生じないことが早道ということで事前に仲介室案を示したに違いない。

その基本に『寄与度50%』があったことが、毎日新聞の取材で、今年3月までこの部署の責任者だった室長が証言したというからこれは見逃せない。

前室長の説明によると、原発事故翌年の2012年前半、『有力な仲介委員』をセンターに集め、『死亡慰謝料に関しては、十分な証拠調べをしていない点を考慮し、寄与度を大体50%としよう』と提案し了承を得たというから、この組織ははじめから被災者を守るという本来の設立目的は始めから放棄してとしか受け取れない。

記事には、まだまだ俄には信じられないような文言が続くが、この室長は『本当は寄与度が100%認められる事例もあるが、とりあえず(和解案では)50%とした。丁寧に審理したら、とても今の期間(1件につき平均約6カ月)が維持できない』迅速化が背景にあると言い放っているというから、まさに『金目でしょう』と言って顰蹙をかった環境相と根は同じ。とにかくカネでの解決が先だという発想である。

こんなことが明らかになっているのにもかかわらず、国は原発の再稼働にまっしぐら。それ以上に原発回帰へと動いている。

『再稼働はしない方がいいな。もうこんな思い、誰にもさせたくないよ』という、和解を受け入れた後で『50%ル-ル』を知ったという被災者の声を、私は何よりも重く受け止め、原発再稼働を阻止しなければと強く思う今日である。(田舎親父)

2014年7月11日 (金)

 『脱法』という言葉を死語に・・・

このところ殺人など凶悪事件が急速に増えているような気がしてならない。また、常識では考えられない交通事故が、毎日のように新聞紙上を賑わしているのも気になる。

頻発しているこれらの事件・事故(特に交通事故)の背景には、往々にして『脱法ドラック(脱法ハ-ブ)』という、普通に生活している人にはおよそ無縁な言葉が存在していることは、何か不気味な足音が聞こえてくるよう思えて仕方ない。

常識人が少なくなったのか、それとも、このような薬剤が蔓延するスピ-ドが勝っているのかは別にしても、『脱法ドラッグ』と呼ばれている、(私にいわせれば)明らかに違法な『麻薬』の乱用がますます増えているのは一体何なのだろう。

現行法では取り締まれないらしい。さすがにこの種の薬剤を人目のあるところで使用する輩はいないだろうから、誰が・いつ・どこで服用しているのかが分からないのがやっかいなところ。常習者を特定できないのも困った話だが、最近流行になっているといっても過言でないほどの、『脱法ドラッグ』による意識不明状態で運転されては良識ある市民はたまらない。

横浜の片田舎ですら,時には散策の途中に交通事故の現場に出会うことがある。車の運転手が心身ともに正常であれば、交通法規の遵守で、基本的には事故は起きないはずだが、『脱法ドラッグ』を吸引して、意識が朦朧となっているとなると話は別。極端な場合、信号など目に入らないのだから、事故が起きるのは当然で、その事故の規模は大きくなるのも当たり前だろう。

本人だけが何かに衝突して死亡する事故なら同情の余地はないが、100%といって良いほど、歩行者や他の乗用車を巻き込み、死傷者が発生するのが『脱法ドラッグ』絡みの事故・事件の特殊性となると、巻き込まれた被害者は不幸を呪うしかないのが現状。こんな理不尽なことはない。

解説によれば、『脱法ドラッグ』とは、植物片(ハーブやお香)に、ある種の化学物質を染み込ませた『脱法ハーブ』や、それを液体にした『脱法リキッド』と呼ばれる物があるらしい。その総称として『脱法ドラッグ』と一まとめにしているようだが、『脱法』とわざわざ、合法的なイメ-ジをだかせる言葉を頭につけるのが気に入らない。

この種の薬剤には、麻薬や覚せい剤に劣らぬ強い常習性、依存性を持つ商品がほとんどで、乱用者自身が身も心も病み、家族や周りの人まで苦しませるのは明らか、『脱法・・・』という名将は即刻死語にて、その名を聞くだけで厳罰に処せられるような気になるほどインパクトのある名前をつけたいものである。

私個人としては、なんでも法で規制するという発想は持たないつもりだが、この『脱法ドラッグ』ばかりは別で、直ちに、いかなる成分であっても全て網にかかる法規制をし、所持するだけでも覚醒剤やコカインなどの麻薬と同じように取り締まるべきだと思っている。いやむしろ、根絶するためには、それ以上の重罰を科す必要があるとも・・・。

マスコミ報道によれば、『脱法トラッグ』を扱う店は、はっきりしているだけでも都内に10店舗あるそうだ。なのに、現行法では成分に規制がかかっていない以上取り締まれないらしいというのも変な話。

国民の意向・判断などは全く無視し、国会での議論すら何一つせずに、戦争ができる国にしてしまう現政権なのに、この問題に関してと『法律があるので・・・』と逃げているのは、どこかでこの業界とつながっているとしか思えない。

国民の命など全く考えていない現政権にとっては、『脱法ドラッグ』関連の事故や事件に巻き込まれる国民などは一握りだという発想があり、利権を失うことにつながる法整備には消極的なのだろうが、このまま放置することは許されない。

まず、10軒の関連業者を徹底的に壊滅し、脱法ドラッグにかかわるリスクの大きさをこの業者たちに知らしめるべきだろう。そうしたとしても『脱法ドラック』そのものは簡単には壊滅できるとは思えず地下に潜るのは明らかだろうが、少なくとも、この強権発動と、いかなる薬剤であろうとも『違憲』という網をかぶせることによって、国民の意識は麻薬並になることは間違いないところう。

『脱法トラッグ』によるこれ以上の被害をだないためにも,いかなる利権を認めず、本気に『脱法ドラッグ』という言葉を死語にするための努力を示すべきである。

昨日・今日の新聞には、脱法ドラッグ一掃に『政府本気』という見出しが踊っていたが、最近のマスコミは簡単に政府のお先棒を担ぐ傾向があるので、本当かな・・・という気持ちは変わらない。(田舎親父)

2014年7月10日 (木)

真の決定権は地方に・・・

 先週の後半から、『50年に一度』という表現こそなかったものの、気象予報士たちは口を揃えて『史上空前』と表現していた台風8号について、マスコミは近年稀なほど大きく取り上げていた。

 一昨日の朝などは、一時は、どこまでこのニュ-ス一色なるのかと思うほど(NHKは連続テレビ小説の方が大切らしく、その間は、全く流していなかった)の大騒ぎ。昨年から出されるようになった災害に対する『特別警戒警報』が、これでもかというほどオンパレ-ド。

沖縄地方には、波浪や大雨,高潮や高波という項目全てに、警戒警報よりもはるかに凄い被害をもたらされる(おそれがある)と意味の『特別警戒警報』が、テレビ画面にずらりと並んでいた。

普通の感覚なら危険を知らせる『赤』を使うのだろゔが、警戒警報で使ってしまっているので、どす黒い『ピンク』だったことに違和感を覚えた人も少なくないと思う。それはさておき、気象庁の幹部たちの頭の中には、昨年の大島災害で、特別警戒警報を出さなかったことが被害が拡大したと批難されたことがトラウマになっているに違いなかろうが、ス-パ-の大売出しのごとくこんなに特別警報を連発して大丈夫なのかなあという疑念が頭をよぎる。

警戒警報は出して減るものではない。これによって住民が危機感を感じ、自主的に避難し、被害が最小限にとどまれば言うことはないので、出したことについて批判する気は全くないが、あそこまで広く出された『特別警戒警報』に沖縄県内の行政はこぞって呼応。

この情報と相前後したオスプレ-の東京の横田基地への避難という報道と、アメリカ軍普天間基地のある宜野湾市が市民全体に避難勧告を出したタイミングに、政治的な臭いを感じ、思わずフェイスブックに発信してしまったほどである。

お叱りをうけるかもしれないが、避難勧告が次々に発令されたことから、沖縄県は台風に備えて、普段からこんなにも大勢の人たちを受け入れる避難場所を確保しているのだと変な意味で感心する。いやむしろ、一体どこに避難するのだろうという方が正直な気持ちだったが・・・。

一夜明けた昨日の朝。台風の勢力が急激に弱まったこともあって、NHKは台風のニュ-スはほとんどなし。もっとも、民放のワイドショ-は『50年に一度』を連発し、各地の中継を強化していたが・・・。

沖縄県には、一旦解除された特別警戒警報が再び発令されたというニュ-スは流れたものの、これから襲来するだろう九州や四国中国地方にはない。気象庁はそれなりの情報を握っているのだろうが,もしも、強風はともかく大雨被害が出からどう言い訳するのだろうと変な心配をしてしまう。実際に長野県の南木曽町で土石流が起き、また若い人を失ってしまったが・・・。

話を戻すが、特別警戒警報で、自治体から避難勧告を受けた沖縄県の人々の行動は実に冷静で、県民の4割に当たる59万人にも及ぶ避難勧告に対して、応じたのは自主的に避難した人も含めて、わずか1000人にも満たなかったというから、(気象庁や自治体には申し訳ないが)、また一つ気象庁はオオカミ少年を作ってしまったなと,不謹慎ながら思わず笑ってしまった。

台風に慣れているというと適切でないかもしれないが、毎年のように台風の脅威にさらされている沖縄の人たちには、空の状態や海の変化に敏感に対応する能力が備わっているのではなかろうか。若者はともかく、その土地で生まれ育った古老たちにとっては、今回台風8号が、史上空前と騒がれていたとしても、避難に当たらない、いや避難所の方に移動する方が危険を伴い、むしろ避難所より自宅の方が安全だという判断したのではなかろうか。

沖縄では人々とのつながりは本土よりはるかに強いと言われているので、この古老の判断を市民が受け入れ、避難を躊躇し、結果的に気象庁のメンツを奪ったことになったのだろうと私なりに解釈しているが・・・。

唐突になるが、そろそろ気象庁が全ての情報を独占するばかりか、その判断も一方的に規制するために設定した『気象予報士』というシステムを改める時が来たのではと思えてならない。

気象情報は国の重要な秘密情報を含んでいることは十分認識しているつもりなので、気象庁が一元管理するのはある意味仕方ないとしても、少なくとも該当する自治体には、台風などの生の情報をそのまま遺漏なく伝え、警報や注意報の発令などの判断は、自治体の中のしかも各地域の支所や消防などが携わるという体制ができないのだろうか。

こんなことをつぶやくと、予算がないという一言で議論すらすることすら否定されることは明らかだが、全てか気象庁(国)の判断で、国民を動かすのはいかがなものだろう。全く脈絡がないと言われそうだが、これも一種の『翼賛体制』の一つではなかろうか。

地方自治の確立に大幅に予算をつけて、タレントではなく本職の気象(自然現象)専門職を置き、災害から住民の安全を守る体制を確立したいものである・・・。(田舎親父)

2014年7月 9日 (水)

この男だけではなさそうだ・・・

 地方自治体の議員の数の多さには呆れるが、最近はその質までも最悪になっているらしく、覚醒剤吸引はもとより、汚職・盗撮となんでもありの地方議員の愚行を報じる記事に出くわすことも稀では無くなった。

しかし、ここまで異様で、しかも不可解な議員が存在するのかと呆れさせられるのが兵庫県議会のノノムラという47歳の男。よくぞここまで何年もの間、議員としてやってこられたものと呆れを通り越して笑ってしまう。これはできそうだと思うと、自分に割り振られた政務活動費?に計上、その額が昨年度だけで300万円を超えると言うから凄まじい守銭奴ぶり。

日帰りの出張を繰り返して(行ったように偽装したのだろうが)その交通費を自分で勝手に活動費につけ回し、近隣地方へどころか、用件や結果などの記録は一切ないままに東京や九州まで、新幹線(しかもグリ-ン車)を利用したように見せかけていたというから恐れ入る。

この男の異常なことはそれだけにと止まらず、記者会見で疑問点を指摘されたら、号泣するだけで具体的なことは何一つしゃべらないで押し通す神経には恐れ入る。テレビニュ-スはこの様子の一部が映し出していたが、小学生でもここまで卑劣で馬鹿馬鹿しい姿をさらけ出すことは絶対にないと断言しても差し支えないほどの異様な光景がずっと続くのだから,気持ちが悪くなりこちらの神経が奇怪しくなる。

時に道端で、幼い子どもが自分の要求を親が理解してくれないことに対して、泣きわめいている姿を見ることがあるが、子どもなら説明できないからだという言い訳が成り立つが、大の大人(それも選挙で選ばれた議員)が訳もなく泣け叫ぶ姿は、赤んぼ以下の知能程度としか思えない。

県議会の議員の多くは、自分も似たようなことをしているのだろうから、何とか穏便に抑えようと考えていたらしいが、ここまで異様性が出てくると放置できなくなったらしく、一昨日になって、県議会執行部は、この男を参考人として招致し、各派の代表者会議を開いたとのことである。

ほとんどが非公開で行われたこの会議では、結論として、男に説明責任を果たすよう求め、説明できない支出は返還した上で議員辞職を促す勧告を全会一致で決定し勧告文書を手渡したそうだ。本人も覚悟したらしく、辞任する意向を示したというから、脛に傷持つ他の県議(特にこの男は同じ会派の自民党所属の議員)たちはホッとしているのではないだろうか。

 県議会が実態解明にあたるべきなのは当然だが、常軌を逸した公金支出が起きた背景には『政務活動費』という聞き慣れない(わけの分からない)金の支給制度のあり方が問題であることは誰の目にせ明らかだろう。

以前は、議員には政治活動をすすめるために、『政策調査費』という名目で何がしかの費用が議員各自に割り当てられていたが、往々にしてこの制度を悪用する議員が続出することから、領収書の添付はもちろん使徒もかなり限られるように20年ほど前に改定されたと記憶している。

ところが、この『政務調査費』は、2012年の法改正で使途に『その他の活動』も加えられ要請や陳情活動への支出も可能となり、『政務活動費』に改称されたという。何のことはない、議員たちの馴れ合いで、いつのまにか昔返りしていたようだ。

どんな項目でも(場合よれば領収書添付もなし)支給の有無や金額、支出項目の設定や例示は法律の範囲内で自治体に委ねられているというから、ノノムラというようなオバカ議員が存在するのもうなづける。

この男の行動は号泣こそ異常ながら、議員たちの間に『活動費』は自分の報酬の一つだという考え方があたり前として広がっているとしたら、『自分のカネを自分で使うのは、当然の権利・・・』という発想になるのも当然。号泣で誤魔化そうとするのも、議員が持つ共通な心理?なのかもしれない。

 兵庫県議会の場合、議員1人あたり月額50万円が支給され、使いきらなければ返納するというシステムをとっているという。県議会はすべての領収書の添付を義務づけるらしいが、乗車券などを自動券売機などで購入した際などは領収書添付は必要ないとの例外を認めているのだから、議員に不正を奨励しているといっても差し支えなかろう。

詳しく調べたわけではないが、全国の自治体の多くは兵庫県議会と大同小異。このシステムを改めない限り、第二・第三のノノムラが出るのは必定。異常性だけに注目して、こいつだけ辞職させてすませて終わらせてすむ問題ではない。

全国の地方会の関係者は、今回の事態を他人事ではなく、事前に活動費を一律支給し、余ったら返還するという方法を改めることはもちろん、使途の例示や限定など運用の厳格化などに努めることが最低限の責任であるが、果たして、そこまで議論する地方議会があるだろうか・・・。

このままでは地方議会など不必要という声が高まり、地方自治は縮小の一途。代わって台頭するのは国による集中管理システム。

想像するだけで恐ろしくなるが・・・。(田舎親父)

2014年7月 8日 (火)

やはり24時間バスは必要なかった・・・

 前都知事のイノセという男が東京オリンピック招致に成功して有頂天になっているころだったと記憶しているが、都バスの24時間運転を実現し、カジノを誘致して、東京を不夜城にするという構想を発表したことを思い出す。

その先陣を切るのが都バスで24時間運行し、次は都営地下鉄に広げれば、私鉄各線はもとより私バスも追随するに違いないという、奢れるものの発想である。

ベイエリアにカジノを誘致し、24時間人々が享楽的に過ごせる世界一の都市つくりだと胸を張って語り、そのためのアクセス整備として、手始めに都バスの24時間運行を実施。

このことについて『バカなことはお止めなさい』とつぶやいたが、そんなつぶやきが届くはずはなく、実際に、12月から、東京・渋谷と六本木を結ぶ都営バスが24時間運行していたようだ。

この運行がいつごろから始まったのかマスコミは報じたのだろうか。その後に起きたイノセのカネ問題で、辞任に追い込まれたこともあって、恐らくすっかり忘れられてしまい、マスコミ的には価値がないものとして、少なくとも大々的には報じられなかったのではないだろうか。

ところが、この24時間運行バスの人気が落ちて、乗客が激減し根本的に見直されそうだということから、再び都バスは不名誉な脚光を浴びているらしく、先日、久々にマスコミ各紙がこのことを取り上げていた。

記事によると、24時間バスの運行が開始された直後直後こそ上々の滑り出しだったが、乗客はじりじりと減少。当初もくろんだ『都市の24時間化』や『ライフスタイルの多様化』といった波及効果も今一つで、積極的に押し進めた関係部署でも、『これ以上やっても、乗客は増えない』との声が上がっているというから、近い将来方針転換は避けられない情勢らしい。

話は飛ぶが、このところ私は市バスの優待券をいただいているので、歩き疲れて、バス停を見つけ時刻表を見ることが日課になっているといっても差し支えないほど、バスに乗る機会が驚くほど増えた。

1時間に一本というバス便も稀ではないが、その場合は次のバス停まで歩きまだ時間があれば、その次と言うように、気持ちの中にずいぶんゆとりもできる。昼間の時間に走っているバスに乗っているのは、ほとんどが年寄り。少ないバスでも、タクシ-を利用するほど余裕のない庶民にとっては、このバスは高級乗用車に匹敵する素敵な乗り物に変身している。

バスのありがたさを身をもって感じているが、この図式を深夜の六本木や渋谷に当てはまるとは到底思えない。中には、快楽を得るためではなく、生活のために深夜働かざるを得ない人たちにとっては、24時間運行バスは、便数は1時間に一本でも素晴らしい贈り物と感じるだろうが、刹那的な快楽を求めて集まる人々にとって、どうしてもなければならない代物とはとても思えない。

むしろ、この種の人々にとっては、より簡単につかまえられるタクシ-をもっと増やす方向を望んでいるのではないだろうか。もう少し時間をつぶしていたら,地下鉄も動き出すとなると、次の24時間バスの到着予定時刻になるまで1時間はとてつもなく長い時間と感じ、利用者が減るのも当然の理だろう。

そんなことをつぶやいているうちに、東京都と横浜市の行政の違いに思考が発展する。東京都大田市なら神奈川県横浜市と同じだが、区として23の自治体がそれぞれ独立して存在しているのだからややこしい。こんなシステムが良いと大阪が狂騒しているのも変な話だが・・・。

繰り返しになるが、横浜市では70歳以上の人には、一定額を納めると優待乗車証を発行しているので、市内ではどのバス会社の路線でも、無料で利用することができる。

横浜市は人口が350万人を超える大都会であるが、地域によって人口の偏りは激しく、バスの時刻表にはその影響はもろに現れるので、先に述べた1時間に一本ところか、午前午後に一本ずつという地域も稀ではない。

そでもありがたいと思っているが、全て『都民』という言葉で一括りにされている東京都の多摩地域に住む都民にとって、このような恩恵が及んでいるのだろうかとふと立ち止まって考えてみる。

23区内に住む人と多摩の地区の交通インフラの格差は、神奈川県と比較しても月とスッポンほどの違いがありそうだ。横浜市の場合は、自治体が違うと言うタテマエがあるが、東京都の場合は、自治体が違ってもその全ての上に乗っかるのが『県民』よりはるかに格式の高い『都民』という共通の称号。

区内(特に特殊性のある狭い地域)の利便性だけを考える24時間運行バスなど最初から間違った発想。直ちに廃止して、同じ『都民』である多摩地域のインフラ整備にあてるべきだと強く主張したい。(田舎親父)

2014年7月 7日 (月)

制裁解除は報道操作の一つ・・・

 先週の後半は集団的自衛権の記事は、日朝交渉の北朝鮮側の調査団のメンバ-に焦点をあてた記事に圧倒されて片隅に追いやられた感じだった。秘密警察のトップが入っているから、調査チ-ムはあらゆる分野を強権的に調査できるお墨付きが与えられたという話題が沸騰。

 加えて、アホベ内閣もその噂?を利用して、何らことが運ぶ前に、北朝鮮に対する独自制裁の一部解除を発表したことなど、マスコミ報道は『北』一色だった。

日経新聞が『北朝鮮が生存者リストを提示』とスクープに対して、官房長官は、根拠がない話と打ち消したが、何か含みがあるような表情も気になるところ。スク-プの真偽はともかく、巷では『今回は何人帰ってくるのか』など、まるで,すぐにでも拉致問題が解決するかごとくに色めき立っている。

拉致被害者家族会も今回はその気になっているらしく、制裁解除には疑念を持ちながらも、『最後のチャンスが』とか『今回はこれまでと違う』というコメントが多く、その期待の大きさを裏付けている。中には『間違いなく、拉致問題はこれで動く』と、自身を持って語る家族会の幹部もいるようだが、もし空振りになったらどうするのだろうと、こちらの方が心配になっている。

しかし、何故この時期に急に拉致問題が浮上したのだろう。私のへそが曲がっているのかもしれないが、都合の悪い政策を強引に押し進めようとする場合には、それ以上のインパクトがある話題を意識的に流して、それらを包みと隠すことが、歴代政権の常套手段。

アホベ内閣はさらにその手法を協力に利用していることから推論すると、今回の特に『制裁解除』は、集団的自衛権の議論を押さえ込むためのシナリオだと断言できそうだが、マスコミがその動きに追随、まさに官邸の狙い通りになった感がする。

集団的自衛権に対する国民の反対の声が高まりに時期を同じくしたかのごとく、人気タレントの覚醒剤問題で逮捕されたが、そのタレントの釈放が北朝鮮制裁を解除すると発表した日にずれ込んだのもキナ臭く感じられる。この釈放劇には民放テレビ各局はもとよりNHKまでもが、終日そのことを伝えていたことも・・・。

ところが、制裁解除後に明らかになった翌日、北朝鮮が四日発足させた拉致被害者などを再調査する特別調査委員会について、北朝鮮側は紙に書かれた資料を出さず、口頭で日本側に説明していたことが明らかになったというから間抜けた話というより、日朝両国が仕組んだ犯罪的な行為だといっても差し支えなさそうだ。

 集団的自衛権の行使を閣議決定したその日、北京で開かれた日朝局長級協議で、北朝鮮側が特別委の構成や幹部の名前が書かれた紙を読み上げたそうだが、これを日本側がメモし質疑を行ったというが、国際協議の場でこんなことがまかり通るのだろうか。

 官邸側は、北朝鮮の朝鮮中央通信も、日本側のメモの内容に近いものを発表したから、これは本物だと説明しているが、こんなことはこれまでの北朝鮮のやり方を見たら、朝飯前、これで上手く制裁解除を引き出したのだから、そのしたたかさは言うに及ばない。

しかも、再調査に当たって設けられた四つの分科会を記述する順番が違っているというのも変な話である。日本側は『拉致被害者』が最初に書かれているが、北朝鮮側は三番目。逆に『日本人の遺骨問題』が北朝鮮側の発表では最初だだそうだが、両国が口車を揃えて互いの都合に合わせて並べ替えたとしか思えない。

一日千秋の思いで家族が帰還することを望んでいる拉致家族の皆さんに水を差す気はないが、口約束だけを信じて?制裁解除は、次の段階に進むためには新たな妥協が必要になることは歴史的にも明らか。

北朝鮮は、自分たちのメモにある『日本人遺骨問題』を、少し進展させて、新たな解除を要求することは、超がつくほどの世間しらずの私でも予測がつくこと。

マンギョンボウ号が新潟に入港し、それでも拉致問題が進まないと、(これも官邸のシナリオ通りだろうが)アホベ閣下が北朝鮮に突如訪問し、そして、何人かの拉致被害者(それも家族会議を混乱させるべき人を巧妙に選択して)を連れて帰国して日本中が大騒ぎする。

10年前の光景が見えるような感じがする。その時は、わが国は集団的自衛権はもとより、自衛隊法の改定までの法整備は終わり、完全に戦争ができる国に模様替えしていることも間違いないことだろうが・・・。(田舎親父)

2014年7月 5日 (土)

このところの世の動きに?・・・

 ここ数日、マスコミは北朝鮮の拉致問題調査機関が本気で動きだし、明日にで背拉致問題が解決するような書きっ振りであるが、なんとなく10年前に、時の首相が電撃的に北朝鮮を訪問し、5人の拉致被害者を連れて戻った光景が思い浮かぶ。

 当時の北朝鮮はこれでこの問題は終わりとしたかったに違いないが、遺骨のDNAが違うことなどが判明し振り出しに戻ったが、家族会の内部に微妙な雰囲気が生まれ、一部の人たちが去ったことも報じられている。帰国できた拉致被害者の消息が、日々疎くなっているのも気になるところ。

 ところで、ここ数日の新聞記事を読んでいくと、私には正直『何なの・・・』と思われる事件や行政の動きが多いのが気になる。

 その一つが、愛知県三河地方の公立小学校三年の教室内で、いじめられている同級生をかばおうとした女子児童が別の同級生三人から暴行を受け、一週間のけがを負ったという事件。

学級内で、複数の児童からたびたび悪口などを言われていた同級生を見かね、この女子児童が『いじめるなら、私をいじめろ』と口にしたところ、一人の女児と二人の男児が『いじめてもいいんだって・・・』と、殴る蹴るの暴行を始めたという。二人が女子児童を押さえつけ、一人が跳び蹴りする場面もあったらしいとの報道は俄には信じられない。

しかも、20代の男性担任教諭はその場にいたが制止できず、多数の児童らを分け入って止めようとしたが、暴行は担任の目前でも続いたとある。さらに学校は保護者に連絡せず、校長は『子どもが担任の指示に従わないなど、学級運営の問題は感じていたが、担任から相談はなく、様子を見ていた。担任は経験が浅く、学校の管理責任が問われる重大な問題とは考えられなかった』とまるで他人事。

こんなことが実際に小学校現場で起きているとは信じたくないし、私の経験からは絶対にあり得ない。恐らく、日頃から子ども同士のいさかいごとがあったことを担任が見逃していたとしか思えない。どうもマスコミのはしゃぎ過ぎというか、最初からボタンのかけ違いがあったと思いたい。

このことはもう少し取材してつぶやくことにするが、2020年東京オリンピックの主会場となる国立競技場の建て替え問題で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が、『批判を受け止める』という名目で行う説明会の対象を『建築団体』などに限定し、非公開にするという記事には我が目を疑う。

JSCは今の競技場を近く取り壊して、新しい競技場を建てる方針だが、計画案は『巨大すぎて明治神宮外苑の景観を壊す上、膨大な費用がかかる』と多くの建築家らから見直しを求める意見が相次いでいることは、私も、わずか築60年の歴史的な現在の国立競技場を取り壊さずに、改修することをはじめから議論しないのも変な話と繰り返しつぶやいている。

説明会には批判的な建築家の参加を呼びかけているらしい。そのことは疑義はないが、説明会自体が『秘密会』であるのは納得できない。招請された計画に批判的な建築家たちが『密室での議論は受け入れられない』とするのは当たり前。推進派としては、名前が公になることを恐れているのだろうが、そのこと自体裏にやましいことだと自覚しているに違いない。この問題も、もう少し調べてからつぶやくことにしよう。

さらにもう一つ、江戸川区がス-パ-堤防計画を進めるために、急に動きを加速したというニュ-スも昨日報じられている。

このス-パ-堤防計画は、2006年に国が決めた国土強靱化計画の一環だったが、民主党政権の数少ない目玉政策の『事業仕分け』で、緊急性がないとのことで計画自体が『廃止』となった曰くつきのものである。ところが、自民党政権に戻ると事情が一変、11年に江戸川区の単独事業として区画整理事業計画を決定したのだそうだ。

 ス-パ-堤防の模式図が記事に添えられている。それによると、従来の堤防の高さは変えず、内陸側を盛土して高台傾斜にするらしいが、図を見る限り、わざわざ巨額の費用をかけて、しかも反対を押し切ってまで強行する必要があるとは思えず、その意味では民主党政権がムダと決めたことは理解できる。

しかし区の態度は固くなで、何がなんでもス-パ-堤防を完成させる意気込みらしく、住民との立ち退き契約によって、すでに大多数の住民が移転完了し、空き家になった家を強制撤去になったというが、何かことを急ぎ過ぎているようにも思えてならない。

 反対住民の『嫁いでから60年、いっぺんも水害はない』との声は、200年の一度の大災害に備えるという大儀の前には無力なのかもしれないが、千年に一度の大災害は3年前に起きたにもかかわらず、それに耐えるためという名目で建設されようとしている巨大防潮堤と同じで、200年に一度の災害の時には老朽化していては笑えない笑い話。

盛土部分の液状化は大丈夫なのだろうかと、水害には強くなっても違う問題もあるだろう。そのあたり住民に説明したと思いたいが、そこには、お上の姿勢(脅しとアメとムチ)の姿勢があったに違いない。

そして、決めては『金目』だったと想像しているが、移転した住民は金目の受け入れを納得したのだろうか・・・。(田舎親父)

2014年7月 4日 (金)

精神病院病棟を居住施設へ・・・

 先日、新聞に『厚生労働省は1日、精神科病院の長期入院患者の退院を促すため、病棟の居住施設への転換を条件付きで認める方針を固めた』という文言を見つけた。精神障害者の地域生活復帰を図る対策を議論してきた有識者検討会(ここでも姿を現す)が同日、報告書をまとめ、多数意見として病棟転換の容認を盛り込んだのだそうだが、どうも分かりにくい文章である。

 そのまま読むと『病院を居住施設にする』のだから、形は代わっても入院を続けると受け止められるが、これがどうして『退院を促すため』になるのか、何度も読み返しても納得できない。

 理解力が乏しいと言われたらそれまでだが、どう捉えても、病棟に手を加えて居住できるようにするということなら、『単なる看板の掛け替え』だろう。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、病院が所有している病棟に『○○ホ-ム』という看板を掲げて精神患者を受け入れるとなると、従来の入院患者を囲い込み、精神障害者の隔離を続けるだけとしか思えない。

正直な話、私には『精神障害者』という定義が良く理解できていない。本当に精神が狂って、何をし出すか分からない患者であれば、これは精神病院に隔離することも必要だろうが、『精神障害者』という言葉で一括りにされてはいる中には社会復帰を望み努力している人も少なくないと思いたい。

そんな人たちにとっては、病院の敷地内ではなく、町の中で普通の人との交流ができる環境での生活を保障するのが最良の方法ではないだろうか。

医師が、近隣の住民に危害を与えることはないと判断した患者を、病院の敷地ではない場所に、それなりの施設を作り、そこで住まわせるなら、まだ理解できる余地はあるが、同じ敷地にある『病棟を居住施設』にという部分が、どうしても納得できない。

私は、今まで幸いなことに精神科とは縁がなく、まして精神病院に入院はもとより、見舞いでも足を踏み込んだことがないので、こんなことをつぶやく資格がないのかもしれないが、病気からの脱却に努力している入院患者にとっては、何よりも『精神病院に入院している患者』という特別な視線が気になり、それが,治癒の障害になっているような気がしてならない。

厚労省このあたりを考えて、入院患者を減らすためにいろいろと検討しているのだろうと善意に解釈したいが、実際に決めたことは全く正反対の、今回のような措置であることに失望する。

 この方針が実際に動きだし、厚労省の指導で精神病院が、病棟を居住区にしてしまったら、病院側としては、維持管理(利益本位)のを上げるため常時『満室』を求めることは当然の理。そのためには考えるまでもないだろう。

老人施設の場合は、需要が供給を上回っていることもあって、特に手だてを打たなくても満室になるだろうが、精神病患者となると、そんな図式は当てはまらないのではと推測しているが・・・。

 ある新聞の解説によれば、日本の精神病床は世界の2割を占める34万床に上がり、先進諸国からの批判を集めているのだそうだ。病床がこんなにあることも初めて知るが、『病棟の居住化』は,どうやら数的に『病床』を減らすという目論見が透けて見えてくる。なるほど、厚労省が考えそうなことである。

 今日はずいぶん場違いな話題になったが、世界の精神病床の2割を占めていることを恥じて、本気で病床を減らしたいと考えているのなら、『精神病』という定義を明確にし、本当に入院治療が必要かどうかを見分ける分かりやすい基準を、国民に分かりやすく説明することだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年7月 3日 (木)

電子たばこ?とは奇妙な命名・・・

現在ではたばこが健康に悪いということは常識になり、人前でたばこを吸うこと自体、犯罪に値する行為という考え方が普通になっている。

社会的な啓発も進んでいるらしく、人通りの少ない場所では、時々見かけることがあるが(若い女性が多いのは何故?)横浜の片田舎でさえ、駅前などの人が集まる場所では、くわえたばこ姿を見ることは稀になっている。

 私は20歳で止めた口なので、たばこの味は知らず、まして美味いものだとはとても思わないが、愛煙家に言わせれば、仕事疲れの一服は、何にもまして幸福感を味わうことができるのだそうだから、(周りの人には迷惑だろうが)その楽しみを奪うことは少し気の毒とさえ思う時もある。

一方、世の中の禁煙化が進むことに伴い、脱法ハ-ブとか覚醒剤を吸引して運転し、結果的に重大な事故を起こすケ-スが増えていることが引っかかる。これって、禁煙化と全く関係ないと言い切れるだろうか・・・。

はっきりとした因果関係はないと思いたい。しかし、たばこを吸ってはいけないという脅迫概念が強いストレスとなり、ついつい、脱法ハ-ブや覚醒剤の誘惑に負ける人も存在するのではという疑問はぬぐいきれない。

そんなことを思っている時に、『電子たばこ』という言葉にぶつかった。初めてこの言葉を聞いた時には、ついにインタ-ネットで、喫煙環境ができるようになったのかと錯覚してしまったが、実際には、味や香りのする溶液を蒸発させて吸う、きわめてアナログっぽい物だという。

私が知らなかっただけで、『電子たばこ』は、吸入器にニコチンや香料などの溶液を入れて電気で加熱し(だから電子?)、気化した蒸気を吸う仕組みで、欧米で急速に利用が広がっているのだそうだ。

ニコチンが含まれていることから、たばこの同じような香りがするのだろうが、ニコチンに加えて覚醒作用のあり物質を加えれば,たちまち脱法ハ-ブや覚醒剤などという、歓迎したくない代物に変身する可能性があるようだ。

いろいろな方面から,有害物質が含まれているという指摘があり、厚労省は調査に乗り出し、調査結果をふまえ規制も含め対応を検討するのだそうだが、現在、ニコチンが入っていても『たばこ』とは必ずしも言えず、未成年の利用も明確に禁じられていないというから、『電子たばこ』という言葉を生み出した輩は、またまた法の盲点を探し出したようだ。

 厚労省は今後、国内外の研究成果などを調べ、秋から有識者による委員会で安全性を検証するとのことだが,『未成年者への影響などを明らかにし、関係省庁と規制のあり方を検討していきたい』というコメントに少し引っかかる。

『未成年者への影響』という言葉はよく耳にするが、19歳と20歳との間で線引きすることに、はっきりとした科学的な根拠があるとは思えない。むしろ、この『電子たばこ』については、覚醒作用の有無を問題にし、そのような薬剤を規制する処置をするのが先決だろう。

 国内では10業者以上が製造・販売していることはわかっているらしいが、利用実態ははっきりしないという。専門機関が市販されているニコチンなしの電子たばこの蒸気を調べたところ、がんのリスクを高める有害物質が含まれる銘柄があったというのもあるそうだ。これも当然だろう・・・。

こんなものを放置すればトンデモないことになりそうだが、現在、『電子たばこ』の法的な位置づけはあいまいだとのこと。しかも、財務省はたばこ事業法の『たばこ』にはあたらないと放置、厚労省は、ニコチン入りの電子たばこは薬事法上、無承認医薬品にあたるとして、都道府県を通じて販売中止や回収を指導しているらしいが個人輸入が多く、ニコチンなしだと規制対象外だというから、縦割り行政の弊害がはっきり現れている。

 一つを規制すれば、また次の新たな手を編み出す。まさにイタチゴッコの典型だろうか、『電子』という言葉で、あたかもインタ-ネットを連想させる言葉を軽々しく使うマスコミの対応も批判されてしかるべきだろう。(田舎親父)

2014年7月 2日 (水)

教員の実態が少し浮き彫りに・・・

 何度もつぶやいているが、30年ほど前までは、放課後子どもたちと遊んだり、教員同士でテニスや野球などで汗を流す余裕があったものだが、最近は、ちょっと一杯というゆとりすらもない有り様。

夜8時・9時までの残業は当たり前、それでも終わらないと自宅に持ち帰るのも稀ではないという。疲れて、緊張感がなくなって、成績デ-タを電車やタクシ-に置き忘れ、思わぬ事件に発展するというニュ-スもかなりの頻度で報じられている。

教員が忙しすぎるということは、これまでにも幾度もマスコミは取り上げているが、ではどれほど忙しいのかとなると、よほど感心のある人でないと理解できない程度の記事が多い上に、教育委員会も実態調査には及び腰で、現実の姿はよく分からないというのが現状である。

ところが、先月末(6月26日)の朝日新聞の朝刊に『日本の先生、世界一多忙なのに指導には胸張れない』という見出しに、やっとマスコミもまともなことに取り組みはじめたようだと興味を競って読み進める。

 記事によると、経済協力開発機構(OECD)が、世界の国々の中学校教員を対象に勤務環境などの国際調査をした結果、日本の教員は指導への自信が参加国・地域の中で最も低く、勤務時間は最も長いことが分かったという。

加えて、理解が遅い子に合わせた指導をする割合やIT技術を利用する割合は低いということも明らかになったというから、(私がいつもつぶやく)雑用に追われる日常では、指導に集中できずにいる教員の実態をよく示している。

ことの始まりは、OECDの一分野だろうが、学校の学習環境と教員の勤務環境を国際的に調べ、教育政策に役立てることを目的にした国際教員指導環境調査(TALIS)という調査に、初めて日本が参加したことである。

今回はOECD加盟国を中心に34カ国・地域が参加。1カ国・地域当たり中学校約200校を無作為抽出し、各校から教員・校長約20人が、勤務状況や学級の環境、仕事への満足感といった内容の質問紙に1時間程度かけて回答したというから、それぞれの国の教育事情はかなり表に出ているようだ。

 この調査は2回目だという。3年前に実施したそうだが、今回は主にOACDに加盟国の先進国の34カ国・地域が参加。初参加の日本では、全国から抽出した国公私立中学校192校の教員3484人と校長だという。

タテマエ的には『無作為に抽出』とあるが、文科省が国際的な調査に動かないわけはない。多分、都道府県教委に割り当てがあり、教委はできるだけ文科省の望むような結果が出る学校に白羽の矢を立てるのが、今までの例。今回もそれに準じているのではないだろうか。

 その結果が、教科指導などについて、指導がどの程度できているか、自信の度合いを12項目4択で尋ねた質問や、教師として、ごく当たり前に持たねばならない資質を問う他の質問項目に対全てについて参加国・地域中、最低だったというから、文科省かの面目は丸潰れだろうが、私としてはさにあらんと変に納得する。

 傑作なのは研修に対する意識である。『担当教科の知識』について研修の必要性については『必要』との回答は参加国・地域で最高だったのは当然だとしても、過去1年以内に研修を受けた割合は、平均値を大きく下回ったというから、ここにもいかに多忙な毎日を過ごしていることが明らかである。

 ある程度選ばれた学校の教員でこれだから、一般的には想像を絶するような悪環境に耐えているようだ。

このことに対して文科省は『控えめな国民性もあるが、多忙で授業準備に時間が取れていないという意識や研修に出られないことが(自信の低さに)影響しているかもしれない』とまるで他人事。雑用を与えて忙しくている張本人だという自覚など露ほど感じていないから困ったもの。

いじめ問題が起きるたびに、教員の指導力不足が取り上げられるが、指導力をつけたくても、教員間の縦と横の関係が以前とは異なり、教員個々がそれぞれ孤立しているのが現実では、切磋琢磨などという言葉はもはや死語。教員だけを責めるのはお門違いといっても差し支えない。

無駄を省くということが何よりも大事な現在社会では、『ゆとり』そのものが『無駄』となっているが、『ゆとり』こそ、教員にとっては指導力を高めるための特効薬であると、経験から確信している。

 今回の国際調査を真摯に受け止めて、学校現場から『無駄』を一掃するという発想からの脱却を期待したいものである。(田舎親父)

2014年7月 1日 (火)

変わらなぬJR北海道・・・

 先月末から利尻・礼文のツア-に参加してきたのでしばしのご無沙汰。

 首都圏は天気があまり良くなかったらしいが、道北は連日快晴。最高気温が21℃程度と聞いていたので、寒さ対策をしていたが、日差しが強く横浜の片田舎よりもはるかに暑いので、窓を開けたままでで寝たというのは、帰宅して思うと自分でも信じられないほど。もっとも湿度が低いので、苦通には感じなかったが・・・。

 また、利尻や礼文、あるいは宗谷岬なども、風が強くて帽子を飛ばされたという話題も、なんだかウソのように聞こえるほど穏やかで、現地の人でも『こんな風がない日々が続くのはなんだろう』というほど、むしろ天変地異が起きるのではとの心配顔が気になるほどだった。

 旅を終えて自宅に帰着したら、湿度こそ高めで不快感はあるが、体感温度は稚内よりむしろ涼しく感じ、窓は閉め切って寝ているが、今朝などはうす寒さを覚えるほど。北海道がこのまま暖かくなるとは思えないが、なんだか騙されたような気になっている。

 ところで、帰宅して真っ先に目に飛び込んで来たのは『集団的自衛権の容認を閣議決定する』というニュ-ス。読売や産経などは政府寄りの記事が目立つが、朝日や毎日などは、将来に禍根を残すという論評を前面に出して、危機感を露わにしている。

 何度もつぶやいているが、『集団的自衛権』とは、軍事的に全くのシロウトの私であるが、現在世界各地で起きている紛争の中で、特にアメリカの干渉している地域に、アメリカの手下として自衛隊の参加を容認するということにあるのではと解釈している。アメリカの手下という言葉が不適性ならば、国連の要請という言い換えても良いのかもしれないが・・・。

 軍事オタクが揃う首相周辺は、中国の脅威に対抗するために集団的自衛権が必要と叫んでいるが、もし中国が攻め込んできたとしたら、これを防ぐのは明らかな自衛権であって憲法は否定していない。ここにきて集団的自衛権云々の狙いは自衛隊の国軍化そのものと行っても極論ではないだろう。言い換えると、戦争ができる国になったということに他ならない。

 これは怖い。敗戦から70年で国軍化。このスピ-ドから推測すると、軍事力を確保するための最終手段の『徴兵制』を敷くまでに30年程度?。

 現在小中高の社会科の教科書の記述が右傾化しているが、この教科書で学んでいる子どもたちはわが子を、法律の名において軍隊にとられるという悲劇に現在の親たちの年代が気付いてほしいものである。

 ところで、徴兵制に比べれば、大したことはないのかもしれないが、今回の旅では一度も利用していないJR北海道が繰り返し起こしている重大事故は見過ごすわけにはいかない。

 さすがの国交省もこれではかばいきれないと判断したらしく、大分以前のことになるが、事情聴取(推理小説言葉で表現したら『ガサ入れ』だろうが)までして、体質改善を迫ったという話題が広がったものである。

 JR北海道自身も真剣に体質改善をすすめていると伝えられているが、やっていることは人事ばかりらしく、責任をとって誰々が辞任したというたぐいのニュ-スばかりで、実際に安全基準の見直しや、改革に対する意欲などが伝わってこない。

 これもJR北海道の体質だと言われたらそれまでだが、その後も事故が絶えないのも、本当にやる気があるのかと叫びたいもどかしさを感じている。そんな中で、少し話は古くなるが、江差線・札苅駅近くで、貨物列車の脱線事故を起こしたというニュ-スに愕然とする。

 脱線した貨物車両の、車輪か線路半ばまで達している映像を流しているが、車両がレ-ルから大きく逸脱しているのにもかかわらず運転手は気付かなかったというのは信じがたいものの、レ-ルの幅が広がっていることを見落とした保守管理の手落ちだと考えなければ説明できない。

 今回の旅では、『最果ての終着駅』と人気があるらしい稚内駅を訪れたが、総ガラス張りの駅舎は『最果て』というキメ-ジとはほど遠い。確かに、ガラス越しに見える線路はここで終わっているが、そこに存在するのはたった一両の宗谷本線の客車。超近代的な駅舎とのギャップが大きすぎる。

 このあたりにJR北海道の持つ体質のチグハグ感を感じる。事故とこの違和感とを絡めるのは無理がありそうだが、全く無関係だと言い切れない何かが存在しているような気がしてならないのだが・・・。(杉)

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