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2014年8月

2014年8月30日 (土)

学力テストではじめてわかった?・・・

 親の収入や学歴と子どもの学力について、親の収入が多いほど学力が高いだろうということはずっと言われてきたが、『このたびはじめて』全国規模で調査した文科省の全国学力テストのアンケート結果によって、『親の年収や学歴が高いほど、子どもの学力が高い』ことがわかったのだそうだ。

小学6年生の算数の知識活用を問う問題を例に上げて、家庭の年収(共働き含む)が1500万円以上の子どもの正答率が71.5%であったのに対して、家庭の年収200万円未満は45.7%で所得の高低により最大26ポイントもの差が出ているとのことを根拠にしている。

これは事実だろう。しかし、こんなことが『このたびはじめて』わかった?・・・。細かい数値は別にして、教育現場では、知識量や理解力が親の経済力に大きく影響されることは、大昔から当たり前の事実として受け入れて、それを何とか解消しようと努力してきた歴史を持つ。

ところが世の中は、経済(金儲け)が第一との考え方が蔓延し、学校現場の努力をあざ笑うかのように拝金主義がまかり通り、景気の動向はともかく、経済的に勝ち組と負け組を生み出したばかりか、その差は年々大きくなっている。勝ち組の子弟は幼い年代から塾だ家庭教師だと学校とは別の機関で知識を増やし理解力を高めているのだから、小学校に入学当初から学力差は歴然とし、学年が進むとますます顕著になっている。

このことを、(情けない限りだが)文科省は今回の学力テストのアンケ-トではじめてわかったらしい。ならば、学力の底上げをするために何が大事かと言えば、経済格差を小さくすることは誰の目にも明らかだろうに、この役所は、それは俺たちの役目でないとはじめから手をつけず、財務省に頭を下げて、学力の低い親が多い学校に教員を加配するというから、なんともピントはずれ・・・。

来年度から10年かけて、2000人の教員を採用し、所得の低い家庭が多い(子どもの貧困率が高い?)児童生徒数が100人以上の公立小中学校に配置するのだそうだ。単純に計算すると1年で200人。全国の効率の小中学校は、正確な数値は把握していないが、少なくとも5万校程度あるだろうから、この数値はすずめの涙にもならないことは一目瞭然。

文科省の担当者は『塾に行けない子に放課後補習を行うことで貧困の連鎖を断ち切るのが狙い』だと明言しているらしいが、文科省は本気で、塾に通わなければ学力がつかないと考えているとしたら、自ら教育システムを否定していることになる。こんなバカな話は到底納得できるはずがない。

塾に行かなければ学力がつかないと言うなら、学校教育の基本として示している『学習指導要領』そのものが間違っていることを自ら認めていること。そちらをすぐに改定し、学校の努力で全ての子どもに学力をつけられるようにすることが肝要であることは論を待たない。

文科省が塾に通うことを前提という姿勢は、国民は敏感に感じ取り、収入にかかわらず『わが子を塾へ通わせないと』いう脅迫観念になり、そのことがますます家計を圧迫、結果的にさらに経済格差を大きくしていることに何故気がつかないのだろう・・・。

優秀な官僚たちがそんなことに気づかないはずはないと思いたい。彼らは、自分たちのテリトリ-を逸脱できないので、このような姑息な政策を打ち出しているのだろうが、たった一人の加配教員で、塾に通いたくても通えない、貧しい(この定義も難しいが)子の学力が向上すると考えているとしたら、こちらの方が恐ろしい。

できれば全国の小中学校へ数人の教員を増員してほしいと願っている私には、たった一人の加配でも異論はない。しかし、文科省のこのような考え方で加配された学校は地域からどのように見られだろう。

貧しい家庭が多いために学力テストの点数が悪いということを文科省が認めているのだから、加配された学校の悪い風評が広がることは像像に難くない。その結果、心ない富裕層の親たちは、この加配を素直に受け入れないこともあり得るだろう。場合によったら、転校の申し出が増えることも考えられないことではない。入学希望者も減るのではないだろうか。

加配された学校では別の問題が生じる可能性も否定できない。加配された教員が、学力向上のためではなく、いじめはもとより日常的な生活指導で駆けずり回る姿は想像したくないのだが・・・。(田舎親父)

2014年8月29日 (金)

諸悪の根源は寿命が延びたこと・・・

 先日、ネットで『人の寿命は、上限なく延び続けるのだろうか?』という一文を見つける。

 面白そうなので、斜め読みしたが、人類がずっと抱き続けてきた?この疑問に対する答えを出すためフランスのチ-ムが、長寿の人のグル-プと(アスリ-トが長寿だという仮説に基づいて)オリンピックに出場した人のグル-プを統計的に調べた研究結果だとのことで、素人的にもとても科学的な根拠はなさそうな代物のようだ。

 こんなことを真面目に研究と称してやっている人もいるのだという程度の感想しか持たなかったが、この記事で、ふと、以前もつぶやいたことがある、ドクタ-中松氏のことを思い出した。

 10年以上も前のことになるが、ある勉強会でこの御仁の話を聞いたことがある。主題がなんだったのか、またどんな内容だったかなどは全く記憶がないが、彼は本気で『人間は144歳まで生きられる』と語る言葉が何故か強烈に印象に残り、今でも高齢者問題を考える時にふと頭をよぎる。

 144歳というからには、彼は根拠も話したのだと思うが、そのことも全く記憶にない。ただ『自分は72歳。残り半分あるので、自分の意志で毎日プ-ルの中で仮死状態にしてエネルギ-のロスを省いている』という部分が頭にすり込まれている。仮死状態について誰かが質問したような気がするが、この御仁独特の話術で何となくウヤムヤ、私自身も納得しないまま今日に至っている・・・。

 フランスの研究チ-ムの結論は、寿命が延びる傾向が継続したのであれば、より多くの人がさらに長生きしている証拠が見つかるはずだったが、寿命が止まることなく延び続けるのを阻む『目に見えない壁』が存在すると、分かりにくい表現だがある一定でとまるだろうとのことである。ならばドクタ-中松氏の言っていた144歳の方がまだ説得力がありそうだ。

 しかし、仮に中松氏のいう144歳まで寿命が延びたとしたら、現代の人間社会のシステム構成は完全に崩壊し、逆説的になるが(論理の飛躍はあるだろうが)このことが人類の滅亡につながるのではないだろうか。

 現在の社会システム、特に年金制度などの基本は、紆余曲折がありながら、昭和40年代にできたのではなかっただろうか。先日もつぶやいたが、父親は昭和36年(1961)に65歳でなくなったが、当時では決して極端な短命ではなく、周りからは、世間的には普通だったと慰めを言われていたような記憶がある。

 当時の定年は、現在の公務員や一般的な会社と同じ60歳だったはず。定年後、数年で生涯の幕を閉じることを前提が年金制度の基本だと誰かに教えられ,なるほどと納得した記憶がある。

 当時は景気が良くなり右肩上がりに給料も上がる時代の幕開けだった。その後しばらくは好景気の傾向が続き、年金の積立額は増え続き、カネが余って仕方なく、その財源を使って全国に豪華な保養所を造りまくったことも今は昔。

 ところが、皮肉なことに、経済の発展で生活に余裕がでてきたのだろうが、その頃あたりから寿命が急速に伸び始め、気がつくと年金財源が底を尽き、保養所は全て負の遺産となり大慌てで整理、それがかえってマイナス要因になり、歴代政権はその場限りの制度改革を繰り返して今日に至っている。

 60歳という正規の制度はそのままに、年金支給年齢を65歳にしたことから、収入がない5年間を手当てするために嘱託という、なんとも奇妙な制度が常態化しているのもその一つ。

 5、60年前は、退職後5年程の生活保障として、この程度の金額を支給すれば何とかなるだろうと計算していた年金が、今では20年間支給が当たり前となれば、その制度そのものが成り立たなくなるのは当然のこと。なのに、先送りの連続が、今日のこのような現状を生んでいる。やってきたといったら、個人に渡す年金をできるだけ、問題にならない程度に引き下げてきたことだけ・・・。

 医療制度もしかり。この制度が発足した当時は,70歳まで生きる人は少ないだろうという前提。だからそれ以上生きてきたのだからご褒美という意味で、医療費一割負担にしたのだろうが、ここまで寿命が長くなった現在、そんなことをしていたら、制度そのものが破綻するのは火を見るより明らか。

 国は大慌てで、今年の4月から、新しく70歳になった人から2割負担という制度を始めたらしいが、たった数カ月(極端な場合は1日)出生時間が違うだけで、医療費が倍になるのも変な話である。

 このまま60歳定年の5年間嘱託という制度も、これからの寿命の延び方によっては,変えなければならないだろう。となると、ある意味,社会保障を妨げる諸悪の根源は、寿命の延びにあるといっても差し支えなさそうだ。

 もしも144歳まで寿命が延びたとしたら、私まで人生の折り返しにも到達しない。国は、産めや増やせやはまるで戦前のようなお題目を唱えているが、増え続ける高齢者を何とかしなければ,そんな政策は空絵ごと。

 そんなことを思っている私だが、先日、短時間のランニングにも長い距離を走るのと同程度の寿命を延ばす効果があるとの記事に、ランニングとウオ-キングとはあまり変わらないだろうから、無意識に私自身延命の手段をとっていると批判されているような錯覚を受けてしまう。

 私としては、寿命が尽きる一日前まで、介護を受けることなく『ありがとう』の一言を残して、静かにこの世と別れることを理想として日々努力しているつもりなのだが、それがかえって寿命を伸ばすことにつながるとは、何とも言えない変な気持ちにさせられる。(田舎親父)

2014年8月28日 (木)

原発がなければ無用なシステム・・・

3年半前の、あの福島原発事故で、『SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)』という言葉を初めて知った人は少なくないだろう。

私もその一人だが、先日朝日新聞紙上に『SPEEDI、予算大幅減へ・・・』という見出しを見つけ、原発事故ではこのシステムが全く役立たなかったどころか、かえって放射線量の高い地域に避難誘導をして、いたずらに混乱させたことは諸悪の根源にも等しかった事実を思い出し、事故から3年以上過ぎた現在でも、これに莫大な?予算を計上していたのかと驚きが先に立つ。

『SPEEDI』とは、原発から、時々刻々、どれだけの放射線量が出ているかを把握し、これを基に、天候や風向風力などの気象や、さらに地形を加えたのデータと合わせて計算。放射性物質が、いつどこへ、どれだけの濃さで届くかを即座に予測できるはずのシステムであることは3年前の原発事故直後に知ったこと。

加えて、住民避難に役立てるために開発されたと分かり、原発は絶対に事故は起こさないという神話とは裏腹に、こんなシステムを開発していることが明らかになったことことから、国と電力会社は事故が起こることを想定していたことに、怒りを感じたものであった。

現代のあらゆる技術、いかなる精密度を誇る機械類であっても、電気がなければ動かないことは、原発事故による計画停電のおかげで?いやというほど知らされたこと。

あの凄まじい福島原発事故は、原子炉を冷やすための電源装置が地震と津波で破壊され電力を喪失したことから起きたことははっきりしている。国と東電は、地震の規模を低く見積もり、さらに津波の高さを予測しながら、その対策をしなかったことから予備電源も破壊されたのが致命的になったことも・・・。

要は、その電力を喪失することから始まったのだから、『SPEEDI』が稼働しなくなるのは当たり前。原発にかかわる専門家たちが、このことを見落としていたとは思いたくないが、こんな矛盾が存在すること自体あってはならないこと。しかし事実は見落としていたのだからお粗末としか言いようがない。

なのに、事故後も莫大な予算がついていたのも変な話。SPEEDIを稼働させるための基本デ-タは、原子炉からどのぐらいの放射線量が吐き出されているかだろう。原発事故では電源が壊れてこの測定が不能になったのだから、端末での放射線量は測定できたとしてもその値は信憑性を欠くことになる。

確か福島原発事故当時は、桁違いの放射性物質がもれ出したという表現はあったが、具体的な数値は全て推定値。SPEEDIは動いていたらしいが、大本の数値が不明では、どんなに優れたシステムも役に立たず、刻一刻と変わる風向きを読み間違えて、危険な方向に避難誘導したのではなかっただろうか。

この3年半で,天文学的な量の放射性物質をどう測定するかという根本的な問題が解決されているとはとても思えない。デ-タを得るためには,原子炉に付帯して放射線測定装置を設置する必要があるのだろうが、原子炉さえ破壊するエネルギ-に耐えられるはずがない。百歩譲って、よしんば可能だとできたとしても、電源を原子炉の冷却電源と別にできるはずはなかろう・・・。

それでも関係する自治体は、SPEEDIに関心を寄せているらしい。そこには、事故時おける避難計画の作成が義務づけられていることから、こんな矛盾だらけのSPEEDIに期待し、科学的なデ-タとして住民に説得力のある説明ができるようにしたいという思惑だけ・・・。

担当者は避難を余儀なくされような原発事故の場合、SPEEDIの大本デ-タを得る装置の電源が、原子炉を冷やすための原発と別電源であることを、意識的に考えないようにしているとしたら、何だか気の毒にすら思えるのだが・・・。

今、国は何としても鹿児島県の川内原発の再稼働をしたくて仕方ないらしく、御用機関である原子力規制委員会に圧力をかけて、安全だという世論作りを急いでいる。鹿児島県も再稼働には前向きらしく,政府の意を受けるように、測定に使うモニタリングポストの数を22カ所から67カ所に増やし、さらに詳細な測定のため移動式のモニタリング車も用意し、SPEEDIの運用体制を固めているのだそうだ。

こんな矛盾のあるシステムを研究する以前に、事故が起きるような、そして起きたら取りかえしがつかない原発はいらない。作らない・動かさないという考え方をしたいものである。

ゴミ問題一つすら解決できていない、危険極まりない原発が存在しなければ、SPEEDIという、基本的には矛盾だらけの役立たないシステムは不要であことだけは、『絶対の真理』である・・・。(田舎親父)

2014年8月27日 (水)

術受難時代到来か・・・

先日もつぶやいたが、私は時に急に思い立って出かけることが日常になり、電車に飛び乗り、気が向くままに知らない駅に降り立つことも稀ではない。そんな時目にする風景は、以前は必ずといって良いほど見かけたパチンコ屋が影を潜め、代わって目立つのは『○○塾』という看板とその教室(校舎?)の存在。

これも学力テストの影響なのかも知れないが、小中学生が学校だけでは学力がつかないという風潮と、本来なら家族団欒の時間を削ってまで塾に通わせなければという一般市民の脅迫概念を苦々しく思っている私には、こんな風景は増えてほしくないもの・・・。

日頃から、そんなことを思っているので敏感に反応するのかも知れないが、数日前に、大新聞がこぞって掲載した『代々木ゼミの苦境』という記事は、我が世の春を満喫していただろうと思っていた予備校業界(塾とは性質が違うが)にも冬の足音が忍び寄っているらしいことを感じる。

代々木ゼミナ-ルといえば、駿大予備校と川合塾とともに3大予備校と言われている程度のことは知っている。一時は、その名前だけで人が集まったらしいが、最近は、学習塾ながら東京一部上場(例えば、首都圏の都バスや市バスはもとより私営のバスの車体でも、『東進』という文字の緑色の車体が目立つほど)に急成長している『東進ハイスク-ル』をはじめ、勢いのある塾の台頭とは裏腹に、予備校一本で生き抜くのには難しい時代になってしまったようだ。

記事によると、代々木ゼミナールは全国に27の校舎を持っているという。私はこの数字をみて、エッこんなに少ないの・・・と思ったが、今回29校の7割に当たる20の校舎を来春にも閉鎖する方針だというから、その経営基盤は風前の灯火と言っても差し支えないのでは・・・。

閉鎖される校舎は、仙台、大宮、横浜、京都、神戸、小倉、熊本など合わせて20校。これらでは来春以降募集は行わないことなど、講師らにはこの情報はすでに伝えられたという。

当然のことだろうが、閉鎖に伴い講師たちのリストラも始まるらだろう。すでに、40歳以上を対象に400人規模で希望退職を募りだしているという噂まで聞こえてくるほどから、看板講師(すでに引き抜き話があるだろうが)以外は、再就職のことで頭が一杯になっているのではないだろうか。

 ここまで有名予備校が追い込まれているのは、子どもの奪い合いが背景あることは誰の目にも明らか。さらに拍車をかけているのが、毎日のようにニュ-スになっている『少子化』という事実だろう。

 1960年代には、同じ年に生まれる子どもたち(同級生の数)は200万人を超えていたと記憶している。予備校としての機能が主力の代々木ゼミの対象は18~20歳。1990年代までは200万人代を維持していたが、今年度の18歳は約118万人と急減しているという。

ここ数年、大学進学率は横ばいらしいとなると、18~20歳の年代は予備校最盛期に比べ半減。しかも、推薦入試やAO入試での入学が増えているそうだから、大学入試対策中心に運営している予備校市場は少ないパイの奪い合い。まさに生き残りをかけた消耗戦の真っ只中というところ。

記事には、『3大予備校』と呼ばれる各校の集計によると、13年度大学入試の東大合格者数は、代ゼミの369人に対し、駿台予備学校は1257人、河合塾は1101人で、入試の実績でも引き離されていたとある。

予備校の内情には興味もなく、こんな数値を初めてお目にかかるが、これでは学生が敬遠したくなるのも理解できそうだ。そして、今回白旗を上げたのだろうが、残る7つの校舎では全国展開にはほど遠く、やがて消えていく運命にあるような気がしてならない。

ただ、多くの学生たちは、代々木ゼミのセンタ-試験の自己採点分析機能を利用しているとなると、混乱はさけられないだろう。そして、予備校と学習塾とは性質が違うということを承知しているつもりだが、今回の代々木ゼミの縮小は、学習塾にも少なからず影響を与えるのも間違いなさそうだ。

一昨日文科省が全国学力テストの結果を発表した。昨日の新聞にも掲載されたので、各教育委員会はここ数日、この結果の扱いで激論が飛び通っているのではないだろうか。特に下位に位置した首長の自治体では尚更・・・。

塾に通わなければ学力がつかないなんて社会が当たり前で良いはずがない。子どもの時代には何よりも実体験と遊びが、将来のためにも必要なことは誰もが認めるところ。それをわざわざお金を払って取り上げている。何とムダな行為なのだろう。

一つの予備校の経営縮小という記事が、『塾に通わなくては』『通わせなければ』・・・という脅迫概念と、点数だけで児童・生徒の人間性まで評価する時代のあり方を考えるきっかけになれば良いのだが・・・。(田舎親父)

2014年8月26日 (火)

成田の影が薄くなる・・・

先日、JR東日本が国交省の交通政策審議会鉄道部会に『羽田空港アクセス線構想』を提案したという記事に目が留まる。

記事によると、2020年東京オリンピック・パラリンピック開幕前に、羽田空港近くに暫定駅を開設するほか、東京貨物ターミナルと空港を結ぶ約5.7キロの地下新線を建設し既存の路線も活用して羽田へのアクセスルートを整備するという計画だそうだ。

詳しい内容は省略するが、この新線を作ることによって、羽田への到達時間は東京駅からが約18分、新宿駅からが約23分、新木場駅からが約20分となり、現在のルートから10〜23分短縮されるのだそうだ。

 その構想図も掲載してあるが、なるほど、現在の貨物タ-ミナルと羽田空港を地下で結べば、一部をのぞいて既存の路線に結ぶだけ。大幅な時間短縮は明らかである。さらに、来年春には常磐、高崎・宇都宮線が東京まで延伸されるとなると、その方面からの羽田への足の便は格段に速くなることは私でも容易に想像がつく。

 この計画に加えて、現在、浜松町が起点である東京モノレ-ルを東京駅まで延伸する計画があり、それも発表されている。実現すれば、東京駅から羽田空港まで乗り換えが無くなり所要時間は約6分短縮されるという。東京駅から羽田空港まで約20分で移動可能となり、空港への利用者は現在の1日約5万人から同8万4千人に増えると見込んでいるのだそうだ。

 浜松町・東京駅間のコ-スなどの詳しい説明はない。恐らく地下で結ぶのだろうが東京駅と直結となると、利用客が倍増する可能性も高くなるだろうから、この集客見込みを、とらぬタヌキ・・・と一蹴できないものがある。

JRだけではなく、京急はすでに京浜蒲田駅の高架が完成し、特急電車は京浜蒲田すら停車しないで、品川・羽田間のノンストップ運転を行っている。横浜方面からは、京浜蒲田でスイッチバックの必要性があるが、これも直行運転が当たり前。神奈川県の利用客の大半はこちらを利用しているのではないだろうか。

さらに加えて、JR蒲田駅と京浜蒲田駅を結ぶ計画も進んでいるという。JR蒲田には東急の池上線と多摩川線が乗り入れているので、実現したら目黒・五反田からも直行できることになる。

 凄いの一言に尽きる。数年後には、羽田を通して東京が世界と直接つながり、まさに日本の表玄関の完成だろうが、成田はどうなるのだろう。

 成田空港の開港計画の発表と同時に、農民の死に物狂いの反対闘争が繰り広げられた。当時、社会人になりたてだった私も、何度かデモに参加したことも今では懐かしくさえ思うが、あの闘争を契機として激しいデモが姿を消したことは、何となく寂しい事実として私の心に残っている。

 当初から、騒音問題で深夜・早朝の発着は無理だと言うことがわかっていた。国はそれでも強引に工事を進めて開港にこぎ着けたのだが、ハブ空港は韓国の仁川空港に奪われたことから、結局は成田ではだめだと言うことになり、羽田は国内線という基本的な約束を反故にし、羽田を拡張し国際線タ-ミナルにしたことを忘れたくない。そして、その動きは年々拡大し、成田を利用する人はじり貧だという。

 国は今更、成田を必要ないとは言えず、格安航空会社の乗り入れで問題をウヤムヤにしたいのだろうが、先日はスカイマ-クが成田からの国際線は難しいと、成田空港利用すら止めてしまう決定は、成田の今後の姿を現す象徴的な出来事だろう。

 今回の都心と羽田空港間のアクセスの増強は、国際競争のためにはやむ得ないことだとしても、あの成田闘争を経験した年代にとっては、ハイ・わかりました・・・と言えない複雑な心境になる・・・。(田舎親父)

2014年8月25日 (月)

大マスコミの猛省を促したい・・・

 広島市の大惨事から、早6日。警察と消防、自衛隊は3500人体制で連日最大限の努力をされていることは十分理解しているが、それでも被害の規模は拡大し、犠牲者の数は増えている。

 20日の午前3時から4時という時刻から想像を絶する大雨で一瞬にして崩落が始まったこの大規模な土砂災害。亡くなった方や行方不明の人たちの多くは、異変に気づき行動する前に土砂に飲み込まれたのだろう。

 どんな方法で情報を伝達することになっていたのかは知らないが、もし、個々の自宅に非常ベルなどがあって、それが鳴って目が覚めたとしたら、犠牲者の数はずっと少なくなっていたことは間違いなさそうだ。

その意味で、広島市の避難情報発信の遅れは被害を甚大にして原因であることは間違いないが、情報の伝達方法が徹底していなかったとしたら、真っ暗の中、慌てて外に飛び出す人もいただろう。すると、数年前の兵庫県佐用町のように、間違って用水路に落ちる人も少なくないとも考えられる。また、スピ-カ-で大音響の避難指示を出したとしても、雨音で届かなかったこともあり得る。

この情報発信の遅れはこれから検証されるとしても、この突然の大惨事に対し、我が国のトップの立場に君臨するアベという首相の危機意識の乏しさには呆れ、怒りを覚えてならない。

以前から長期休養に入ると明らかにしていたことは報じられていた。当日滞在していた山梨県の別荘から、すでにNHKテレビが現地の様子を映し出してから数時間過ぎた20日の午前7時20分ごろに出て、8時から『鮫の脳味噌老人』や、取り巻きの連中とゴルフに興じていたというから神経を疑う。

見るに見かねた常識的なブレ-ンから『不味いですよ』と諫められたのだろうが、1時間ほど過て、確かに不味いと思ったらしく、パトカ-に先導され、高速道路を時速130キロでスッ飛ばし、午前11時に官邸に到着したのだそうだ。

 官邸サイドは首相が午前6時半に関係省庁、機関に指示を出していたとして、危機対応に『問題なし』との姿勢だが、気象庁が広島市に土砂災害警戒警報情報を出したのは20日午前1時15分。市が避難勧告を出したのは午前4時20分ということから、速い段階で予測できる大災害、しかもそれをすでにテレビが報じているのにもかかわらず、ゴルフのほうが大事だったとはなんという不見識、被災者のことなど頭になかったのだろう。

 さらに酷く唖然とさせられたのは、その日の午後5時19分に内閣危機管理監から報告を受けると、午後6時前には公邸を出て、サッサとまた山梨県鳴沢村の別荘に戻ったという。1分単位の時刻まで報じられている。

その日(20日)、災害現場では夜になっても多くの行方不明者(その時は7人だったが時を過ぎるに連れて増えていった)がおり、自衛隊員のほか、大阪、兵庫など近隣の道府県警の警察官ら総勢1000人以上が徹夜で救助作業に当たっていたのにせかかわらずである・・・。

この首相、記者会見で、1000人体制を指示したと例によって自分の力を誇示する発言をしていたが、普段から『国民の命を守る』と言っているのが全くのでたらめで、ただカッコづけている中身のないうすっぺら人格であることは明らか。

その日、天皇が早々に静養を中止するという発表とは大違い。天皇の周りの知恵者が、こうでもしなければこの首相の非常識な行動が続くと考えたのかも知れないが、国民はこぞって天皇のこの静養中止を歓迎し、さすがと拍手を送ったに違いない。

これにはさすがのうすっぺら首相にも利いたらしく,ゴルフをあきらめて官邸に戻ったというから、これが一国の大将かと呆れて声も出ない。

誰が考えても、国民の生命、財産を本気で考えるのが宰相の最低限の資質だろう。災害の全容を把握するまで対策本部にとどまり陣頭指揮をしなければその資質がないことを自ら明らかにするのにもかかわらず、知らん顔して別荘に戻る感覚が許せない。

『俺なら何をしても良いのだ・・・』という驕りがあるのだろうが、この首相の馬鹿馬鹿しいまでも愚かな行動に大マスコミは批判一つすることなくダンマリを決めているのももっと恐ろしい。一部の夕刊紙を除いては・・・。

やり手の官房長官の睨み恐ろしいのだとしたら、そこには国民に真実を知らせるという、メディアとしての矜持などはもはや存在せず、権力の御用機関に成り下がってしまった姿しか残らない。

 北陸・東海・近畿を中心に局地的大雨が降り注ぎ、死者が出た17日も経団連会長ら親しい財界人とゴルフに興じていたことや、京都・福知山市では計2400棟以上が床上・床下浸水被害にさいなまれていた時も、そして同じく豪雨被害に遭った兵庫県知事が、復興費用の一部を国が支援する『激甚災害』の早期指定を政府に求めていることも知らぬげに平気でグリーンに繰り出していたらしいことも全てスル-・・・。

 首相のゴルフ三昧を、『安定政権の余裕の証し』などと書いているようだが、そんなバカな話がまかり通って良いはずがない。大マスコミの猛省を促したい。(田舎親父)

2014年8月23日 (土)

地方の水道事業が危機に・・・

 先日、知り合いの工務店から『横浜の水』という缶詰をいただいた。中身はただの水道水らしいが、賞味期限を見ると5年もある。味を確かめるために早速冷やして飲んでみたが、市販されている『アルプスの○○名水』などと比べても遜色はない。

これほど上質な水が,蛇口をひねると無尽蔵(水道代金払えばだが)に出てくるのだから、横浜の片田舎に満足しているのも当然かも知れない。ところが、このところ全国各地の水道事情が厳しいという記事に出会うことは稀ではないのが気になるところ。

日本の水道設備は地方自治体か、あるいは自治体から委託された公営企業が運営しているのが普通だという。当然ながら人口が多く地域が狭い都市部の自治体と、人口が減少ししかも面積だけは広い地方の自治体とでは、根本的に抱える問題の質が違うが、水道設備の老朽化などによる水道管の交換など設備の更新に必要な費用は2020~25年に年間1兆円規模に達し、25年には水道設備の更新に必要な資金が足りなくなる見通しだという朝日の記事が目に留まる。

過疎に悩む地方都市の例として埼玉県秩父市を取り上げている。秩父市は10月から、水道料金を17・5%値上げする方針を決めたのだそうだ。凄い値上げ率だ。標準世帯(大人2人、子ども1~2人)で月30立方メートル使うと、570円も上がって月4730円になるという。市長の『値上げしないと子孫代々、水道を経営できなくなる』との発言を理解できる市民でも、ここまでの値上げには何故?という疑問を持ち反対したくなるのはもっともなこと。

 秩父市の水道事業は、県内で最も早い90年前に始まったとある。その歴史は明らかにしていないが、市の面積(577平方キロ)は県の15%を占め、うち87%が森林。人口は6万6千人。山間部の集落の隅々に水を送るため、水道管の距離は593キロにもなり、相対的に水道管は老朽化し改修が追いつかず、浄水場から利用者に届くまで30%が漏れているという。

一方、東京都をはじめ首都圏の自治体の漏水率は3~5%。住宅密集地域に効率的に水を配っているため収益性が高く、東京で年は300億円ほどの黒字を生み出し、その資金で最新の管に取り換えているという。

 秩父市は水道管の交換や浄水施設の改修などで2030年ごろまでに160億円かかるとの見積りには驚くが,13年度の水道事業は1億5千万円の赤字で、一般会計からの繰り入れで穴埋めしてしのいでいるとのこと。

これでは他の様々な住民サ-ビスに支障が及ぶことは明らか。そこで、市は水道料金の35%アップも検討したそうだが、市民の反発が強く、値上げ幅を半分にすることで落ち着いたというから、こんなことも人口の首都圏集中と地方の過疎化の原因になるのかと改めて暗澹たる気持ちにさせられる。

 20年後の秩父市の人口は、現在より3割少ない4万7千人との予測。メ-カ-の技術が進み、トイレや洗濯機などの節水技術が進み、1人あたりの使用量が減っていることも水を『売ってなんぼ』の市の担当者としては痛し痒しと悩んでいるとのこと。一方、毎日水道がなければ生活できない市民からは,『節水するほど値上げが進むなんて本末転倒』という恨み節も笑えない笑い話。

 東京や横浜は自前の水をビジネスチャンスと捉えて、国内外で売り出したり、水道技術を東南アジアなどの国々に輸出し、その儲けで、水道管の取り替えはもとより、新たな漏水対策としてハ-ドやソフト面の充実。一方、秩父市などの地方都市は、30%(自治体によってはもっと酷いこともありそうだが)の漏水の損失分を市民から徴収とはなんともやり切れない話である。

 憲法は、国民は等しく、人間としての生活をする権利をうたっている。水と電気は最低限の生活にはなくてはならないもの。なのに、水道は電気とは違って、自治体にその全ての供給責任を課しているのは何なのだろう。歴史的な事情もあるのだろうが・・・。

電気と同じように独占電力会社に全て任せたら、原発のように違う問題は起きることは間違いないが、都市と地方との料金差には水道のような極端な差が生じることはないのではないだろうか。

 一昨日つぶやいたが、国は『まち・ひと・しごと創生本部』政策を『骨太の方針』とするなら、この問題を基本的な課題として、地方自治体が魅力的な政策で過疎化・少子化をくい止める努力の後押しをしてほしいものである。(田舎親父)

2014年8月22日 (金)

繰り返される自然災害?・・・

 19日夜から20日未明にかけて広島市北部を襲った局地的な大雨によ に被害の状況をテレビ各局は、競い合うように連日放映してきるが、その凄まじい光景には思わず目をそむけたくなる。

20日の朝、初めて惨状を伝える映像を見て、なだらかな丘陵地が続き、豊かな緑に囲まれた一見、土砂災害と無縁のような地形に何故なのという素朴な疑問が頭をよぎる。

このような場所なら横浜の片田舎ではごくありふれている。しかも人口は広島よりはるかに多いとなると、もしここに、わずか3時間足らずに8月一月分の雨が降ったら、その被害は信じられないほど広がるのではと愕然としたもの。

映像はメディアが現地に入れるようになってさらに酷く凄まじくなり、今朝の段階で、死者39人、行方不明者43名という大惨事になっている。まだ、全てが判明したわけではなく、道路が土砂に覆われている場所もあるらしいから、犠牲者はまだ増える可能性もありそうだ。

それにしても酷過ぎる。犠牲者の冥福を祈るとともに、被災者の方々へはお見舞いの言葉をつぶやくしか能がない私だが、毎年土砂災害が繰り返されているのに、何故またここで繰り返されたのだろうと胸が痛む。

午前3時ごろから急に羽目が激しくなったという。いわゆる丑三つ時、多くの住民はほとんど眠りについていたことだろうが、熱帯夜で寝苦しい上に、経験したことがないほどの大雨となると、その雨音で早くから異変に気がついた人も少なくないはず。

広島市が避難情報を出したのが4時過ぎで、その時間にはすでに被害が広がり、避難しようにもできなかったとなると、広島市の対応の遅れは致命的。結果的に、広島市当局の責任は重いが、果たして3時に避難情報を出していたとしても、その情報を耳にしすぐに避難できたかとなると疑わしい。

広島県は、花崗岩が風化した『まさ土』と呼ばれる地質が広がっていることを、迂闊ながら初めて知る。

花崗岩は火成岩が地中深くで冷えてできた岩石、大理石は花崗岩の一種であること程度の知識は常識だろうから、花崗岩はイメ-ジ的にはなめらかで堅い岩石という概念が一般的ではないだろうか。当然、花崗岩が広がる地質は強そうだと思いがち・・・。

しかし、地上で長い年月風雨にさらされていると、テレビで繰り返し紹介しているように、手で少し強く握る程度の力を加えるとボロボロと崩れ落ちるほどもろい土になる。この土が『まさ土』と呼ばれているとのこと、これ怖い・・・。

 この一帯では、1999年6月の豪雨でも32人の死者・行方不明者を出したというがその記憶も、今回のニュ-スで報じられるまで記憶はない。この時の土砂災害の被害も、今回と同じように、『まさ土』の地盤に造成された山裾の新興住宅地に集中したとあるから、住民の中には危険だという認識がある人も存在していたらしい。

なのに、あれほどまで人家が密集している。広島市の人口が増えるとともに、住宅が周辺に広がり、この『まさ土』の山間の地まで広がったのだろうが、宅地造成の会社はもちろん広島市の担当者にも『まさ土』の危険性の認識が薄かったようだ。

99年の広島豪雨災害をきっかけに、国は土砂災害防止法を制定し、土砂災害の恐れがある場所を、都道府県が特別警戒区域、警戒区域に指定するとのこと。警戒区域では避難態勢の整備と周知徹底が義務付けられ、特別警戒区域なら、宅地開発などが規制されるのだそうだが、今回、災害が発生した地域は、一部を除き、まだ、指定されていない場所だったという。

ここでも市の責任が問われるだろうが、すでにそこに住んでいる人も多いなにと一律に網かけするのも難しく、地価下落という現実にさらされて反対する住民の声も無視できないこともあり、市の対応を一概に責められないという声もあるだろう。

宅地がないから仕方ないのかも知れない。ある程度のリスクがあっても、自分の家を持ちたいと言う願望が強く、県営住宅も近くにあるとなると、そのリスクを無理に頭から遠ざけたくなる心理は分かるような気がする。

しかし、市当局は15年前と最近の経験があるのだから、その情報を正しく市民に知らせることはできたはず。99年以降に、『まさ土』の上に家を建てた住民に、そのリスクが正しく伝わったのかどうか。このあたりは検証する必要がありそうだ。

現場では何が起きたのだろう・・・と、マスメディアは『バックビルディング現象』なる聞き慣れない言葉などを使って原因説明をしているが、最近のこのような傾向は大きな自然災害(プラス人為的災害)の後追いが多いのも気になるところ。

全国の危ないヶ所はそれこそゴマンとあるはず。横浜の片田舎でも、シロウトの私が見ても危ないと思われる場所は数限りない。自然災害を人的災害としないためにも、行政は住民にリスク情報の徹底と同時に、『金儲け命』の建設業者ののさばりを規制してほしいものだが・・・。(田舎親父)

(追記)『アホベ閣首相下』は、広島の大災害で夏休みを中断されたくなかったらしく、災害が明らかになった20日の午前7時から、こともあろうに『えひめ丸』がアメリカ原子力潜水艦によって沈没させられたことを無視してゴルフをし続けていた、『鮫の心臓老人』を伴いゴルフに興じていたという。

 知恵者に『それはいかがか・・・』と諫められたらしく、9時ごろ、渋々ゴルフを切り上げて官邸に戻り、例のごとく『私が・・・』という得意のパフォ-マンス。これで俺の任務は終わったとばかり、すぐに別荘に戻ったと言うのも゛一国のトップとしては情けない。天皇は早々に静養を取りやめているのに比べて・・・。

夏休み中は自由だという弁護論もあろうが、国民の命には細心の注意を払うのは、昔から『宰相』の最小限の資質である。もっとも、こんな神経だから、戦争できる国になることをためらわないのだろうが、そんな国に生まれた国民は哀れである。(田舎親父)

2014年8月21日 (木)

地方創成に期待したいが・・・  

数年前に、昭和18年(1943年)に愛媛県南宇和郡御荘町の海岸べりのあばら家で生を受けたことが明らかになり、それまで京都出身と言う言葉を、現在では合併された愛南町に代えている私は今日で満71歳。

もう71歳と考えるのが良いのか、それともまだ71歳と思うのかは別にして、両親が早死にしたことと兄弟と年齢が離れ過ぎていることに加え、何らかの事情で出生の際の事情も知らされず、またそれを不思議だと思わずに、大きな病気にもならず今日に至っている。よくぞ70年以上もこの世に存在していると、自戒を込めての今日のつぶやき。

退職以来、何一つ生産的なことをせずに生きていることに情けないと思いながら、元来何事に対しても競争することが苦手なので、毎日をただのんべんだらりと過ごして毎日。それでもお声がかかると地方に出かけることも稀にある。

そんな時、必ずこんな良い田舎があるのに、(働く場がないという言い訳は理解しているつもりだが)どうして若い人たちは都会に憧れるのだろうという素朴な疑問を持ち続け、過疎化する一方の地方を危惧するとともに、良い方策はないものかと自問している私にとって、恐らくは選挙対策だろうとは思ってはいるものの、全閣僚が参加する『まち・ひと・しごと創生本部』を設け、『地方創生担当相』を置くというアホベ内閣の政策に目が留まる。

この内閣を支える知恵ものがいるらしく、日本創成会議という有識者会議が、現状で推移すれば、2040年には自治体が半減する可能性があるという衝撃的なデータを逆手にとって、『50年後に人口一億人を維持』というキャッチコピ-を作り、経済財政運営の(何のことかはっきりしないが)『骨太の方針』として盛り込み、地方創生がアベノミクス第二弾の柱にしたというから、敵ながらあっぱれというところ。

 異論はない。しかし、人口維持は相当長期の戦略で、9月に発足予定の『まち・ひと・しごと創生本部』に各省庁から官僚たちが集まって議論すれば、すぐに解決できる問題ではないだろう。

各省庁から出向するというから優秀な人材が揃うだろう。省庁を超えた大胆な発想、従来にない斬新なアイデアが生まれるのかと期待しているが、あくまで、優秀であればあるほど元の省庁に籍をおいての寄せ集めだろう。

ならば、自分の省庁の『利と理』に走り、下手すれば、15年度予算案では公共事業を削って、地域創生関連の特別予算が計上されるとなると、各省庁による予算の奪い合いが(優秀な出向官僚の)重要な任務となりそうだ。

さらに、現政権の出してくる政策の背景には来年の統一選挙があることはミエミエとなると、それに向けた予算のバラマキの恐れさえ出てくるのでは・・・。

国の動きに呼応するかのように、地方の動きも素早く、全国知事会は『少子化非常事態』を宣言し、地方から都会へ人口流出を食い止める具体策を提言しているようだが、その実、実現性となると?がつくのはやむ得ないところ。

それぞれの都道府県は対策チームを設けて、その地方の特殊性をアピ-ルして、若者が帰還できる政策作りに頭を悩ましているが、先立つものは『カネ』。その意味でも国の地方創成事業への期待は高まる一方であろう。

しかし、地方の期待と裏腹に、東京への一極集中の動きはますます加速している。一昨日発表されたJR東日本の羽田への新線建設構想などはその典型で、なかにはオリンピックに間に合わせるというから、ますます東日本大震災の復興はもとより、頻発している近年の土砂災害の手当てすら遠くなり、昨日は広島での大災害が明らかになり、その傾向はますます顕著になりそうだ。

あれほどまでの反対を力で押し切り強引に成田を開港させた反省もなく、最近の国のやり方は、成田は努力で生き抜けと突き放し、成田の存在理由すら疑りたくなるほど羽田一辺倒。都心から羽田へのアクセスを快適にという裏には、東京に人口を集める手段だと言っても過言ではなさそうだ。

安易に東京に憧れを持つ若者が多いことはさまざまな記事や文献から十分理解しているつもりだが、できれば故郷で腰を落ち着けたいと願う若者も多いことも知っている。地方では、上手く世代交代して家業を引き継げれば良いのだが、老後の生活を考えると、おいそれとは子ども世代に譲れないとなると、故郷でと思う若い世代の働きの場が狭くなることは容易に想像がつく。

またここも以前からの自論になるが、地方の創成は、東京一極集中化という発想を否定することからしか生まれない。一時よく議論されていた首都機能の分散という考え方はすっかり忘れられているが、今こそ、思い出して真剣に取り組まねば、故郷創成は絵に描いた餅になってしまう。

先日、石川県知事が『東京に本社機能を集中させず、地方に移管する企業の努力も必要』と語っていたが、まさにその通り。さらに、人件費が安い東南アジアなどへの工場移転という『金儲け命』の考え方から脱却し、地方の工場を恒久的に稼働すれば、その地方の活性化は明らかだろう。

政権の柱となると明言している以上、このような動きをする企業を優遇する政策をはっきり打ち出してほしいものである。(田舎親父)

2014年8月20日 (水)

『起訴相当』は当然だが・・・

少し話が古くなるが、東電旧経営陣(たった3人だけだが)に対して『起訴相当』という議決が下されたのは先月末の31日のこと。

その日、テレビニュ-スでこのことを知り、よし・・・と思わず叫んでしまった。しかし、次々と明らかになってくる東電の幹部たちの汚いやり方に対して、検察が起訴しなかったことが納得できなかったので当然の決定だと思うとと同時に、本当に起訴にもって行けるのだろうかという一抹の不安も生まれる。

翌日の大新聞各紙は社説でこのことを取り上げていた。当然だという論調と無理だろうという記述の違いはあるもののそれなりにかなりインパクトのある文章だったが、翌日にはテレビ各局も含めてマスコミ全体がすっかり忘れてしまったかのような扱いに・・・。以後、今日に至るまでほとんど取り上げることがない。

今回『起訴相当』と名指しされた3人を含めて、当時の東電幹部たちは、現在どこでどんな生活をしているのか、その後の消息は全く伝わって来ない。週刊誌(新聞広告にある週刊誌の見出し)もこの話題がないのは何なのだろうと、改めて、どこにどのようにぶつけるかも分からない不信感が沸いてくる。

新聞記事による事故審査会の報告には、事故以前に、当時の東電のカツマタという会長が出席した社内の会議で、高さ14メートルの大津波が福島第一を襲う可能性があると報告されていたことが証拠立てられたとのことである。

この時に、対処していれば、今回の事故は起きなかったことは確実だろう。想定外の津波の高さだと東電は今でも言い続けているが、何のことはない、すでにこの程度の津波が来ることを見越していたことになる。

東電の説明では、これまで(今でもだろうが)カツマタ会長は大津波の可能性を知らないとされ、本人も検察に同趣旨の供述をしていたそうだが、内部の記録を丹念に精査する中で、この内部会議のことが明らかになり、今回の検察審査会の『起訴相当』の決め手になったことは間違いなそうだ。

当時、政府の地震調査研究推進本部の長期評価では、マグニチュード8クラスの津波地震が『十年以内に20%程度の確率で発生する』予測されていて、東電内部では政府の資料を基に、この会議が行われた2008年の時点で、明治三陸地震をモデルに試算したところ、15.7メートルもの大津波が押し寄せると報告があったという新聞記事は記憶にある。

そして、この試算を国に報告したのは東日本大震災の直前だったことも・・・。東電幹部の危機管理(安全対策)がでたらめだったことは明確であり、この一事からでも、検察は起訴しなければ奇怪しいはずだという世論があったことも思い出す。

事故直後の私のつぶやきを見直してみたら、東北電力は政府の予測を社内で検討し、津波対策として30メ-トル嵩上げしたことで被災しなかったことに対して、両者の危機管理意識の違いだと述べている。

また、事故とは直接関係がないだろうが、過去に渋谷の歓楽街で東電の管理職の女性が殺害された事件について、この女性が夜は娼婦の顔を持っていたことと、女性の父親が東電の幹部で将来を嘱望されていたのに、原発に介して慎重な姿勢を持ち続けたために、ラインから外され、自殺(かとうかも疑わしいが)したというつぶやきも蘇る。

しかし、今はこのことを語る人や記事はない。いや、いるに違いないし、記事にしたい部隊も存在するに違いないが,メディアが全く取り上げないのだから、我々の耳に入らないだけだろうが・・・。

検察審査会の『起訴相当』とする議決は,近いところでは、小沢一郎の『陸山会』事件が思い出されるが、あの時とは随分扱いが違うものと不安が的中した感じ。

私にはむしろ、この東電幹部たちへの『起訴相当』という議決は、マスコミ全体が意識的に取り上げないようにしているのではと思いたくなる。

少し立ち止まって考えると、あのハイエナのごときマスコミにとって、こんなにインパクトのある(視聴率の稼げる)話題に背を向けるはずがないのに報じないとなると、背後で(私などがとても想像もつかない)得体の知れない何者かの強烈な圧力がかかっていることだけは容易に想像できる。

しかし、その何者かが、このまま知らん顔をして時間稼ぎをしていれば国民は忘れると薄笑いを浮かべているとしたら、この国は存在する意義すらないと言っても過言ではなさそうだ。(田舎親父)

2014年8月19日 (火)

学力テストの結果公表話が賑やかに・・・

 今年から、全国一斉の学力テストの学校別結果公表が可能になったことは以前にもつぶやいたが、25日に文部科学省が都道府県別の『平均正答率や分析内容』を公表すると発表していることから、結果を発表すると明言している首長たちの動きが賑やかになっているようだ。

 学校別の結果公表には積極的なのが大阪市と佐賀県武雄市であことは今までも何度がつぶやいてきたが、この二つの自治体に続いて、学校別の『平均正答率』を公表すると明らかにしている市町村が現段階で9つあるらしい。

 『平均点』あるいは『正答率』とすれば分かりやすいのだが、わざわざ『平均正答率』とはこれいかにというところだが、文字をそのまま解釈すると、正答に至るまでにどのぐらいの回数がかかるかということだろう。何となく分かるようだが、どのような採点方法をとるのかは、一般には知らされていないとなると、ここでも、文科省お得意の物事を分かりにくくするという体質が透けて見えそうだ。

 『平均正答率』のことはさておき、学力テストの数日後には、全国の小6と中2の児童生徒全員の回答用紙が届いているのだから、コンピュ-タでその全ての(考えられるあらゆる方法でも)採点は終了しているはず。

すでに、全国の平均点はもとより、都道府県や市町村、各学校毎の平均点も文科省は把握しているだろう。さらに、個人の点数も全て一覧表として集計済みかも知れないとなると、子どもたちの将来も国が決める?。これから先は想像したくないが・・・。

 これがそのまま明らかにしたら、全国の教育現場の混乱は修復不可能になりかねない。このために『平均正答率』なる言葉を編み出したのだろうが、どんな細工をしたとしても、数値で現すことには変わりない。

 その数値の公表は『学校の序列化につながる』と懸念する声が出るのは当然だろう。それぞれの教育委員会は、学校の序列化につながっては自分の首を締めることになりかねないが、首長からは、公表・公表と責められているとあっては、この夏は公表の仕方で担当者は大汗をかいたのではではないだろうか。現在でもそれか続いている自治体も少なくないのでは・・・。

 文科省から、どこまでのデ-タが教育委員会に届くのかは分からないが、少なくとも全国平均はその日のうちにマスコミが報じるだろうから、全国平均を超えた学校名だけを示す形で結果を公表するなどと、悩ましい議論が続いているようだ。

 青臭いと言われるかも知れないが、文科省の終極の任務は、次代を担う子どもたちの『心身の健やかな発達』であるはず。そのために学力テストが必要だと言う理由はともかく、そのことを棚上げして、テストの公表云々が議論されているというのは実に許し難い奇怪しな話。

 文科省は、子どもたちの得手不得手の傾向や特徴をつかみ、個別の指導に生かすために全国一斉の学力テストが必要だと言う。そのことが心身の健全な発達のためになると認めたとしても、学校別成績公表が必要だという理屈は無理ヘンに無理と書くごときのもの。

百歩譲って、文科省の趣旨を『是』としたとして、結果分析をどう指導に反映させ、先に向かって改善していくかが最も必要なことで、学校別の数値(それもたかだか数点だろうが)に振り回されては、子どもたちに取り返しのつかない悪影響が出ることは明らかである。

 一応、文科省は、学校名と正答率だけの公表を認めず、平均正答率に加え、分析や改善策を示すよう求め、正答率で学校を順位付けすることも禁じるというタテマエの歯止めは通達しているようだが、数値が出れば、都道府県・市町村別はもちろん、各学校別の順位などはすぐに出せる。

一週間たたず、このことを明らかにした週刊誌が飛ぶように売れそうだ。

 子どもの人格がテストの点数で現される社会が、『心身ともに健全』だとは思う人は誰もいないだろうに、大人たちが寄ってたかって、そんな社会にする方向で動いている・・・。

 夢ならすぐに覚めてほしいものだが・・・。(田舎親父)

2014年8月18日 (月)

原発被災地に増えるサルの遺伝子は・・・ 

当然予想されたことだが、福島事故原発事故で住民のほとんど避難しなければならなくなったの地域では、野生動物が増えていることはこれまで度々報じられていたが、先日、ニホンザルが急増しているというニュ-スに、いよいよサルに住まいを奪われる事態になってしまうかと驚きと恐怖感を覚える。

事故前にもニホンザルは存在していたのだそうだが、記事によると、南相馬市の小高地区から避難している人が、一時帰宅が許された際にサルの数を数えてみたら、少なく見積もっても500頭ほどが、わがもの顔でこの地域の空き家の人家の周りで動き回っていたそうだ。

これまでは、時に農作物にいたずらをすることがあっても、人間の気配が感じられる場所には近づかなかったとあるが、サルから見たら、人間が勝手にいなくなったのだから、(避難者の方には申し訳ない表現になるが)この地域は自分たちの勢力範囲だのさばるのは当然かもしれない。

話は突然飛ぶが、こんな凄い原発事故があったのだから、放射能が拡散し避難を余儀なくされていることは仕方ないとしても、人体に放射能が影響しないわけはないはずなのに、そんな情報は徹底的に抑えられているらしく、いつの間にか、帰還が前提になった話ばかりが全面に出ていることに強い違和感を覚える。

福島県の子どもたちに対する射能の影響は、県下の子どもたち全員体制で監視しているらしいが、異常があるという情報は全くない。本当だろうか・・・。

そのことは、専門的知識のない私が指摘しても、科学的根拠がないと一蹴されるだけだろうが、放射線値が高く人間が住めない地域でもニホンザルが繁殖しているとなると、サルへ影響は相当なものになるのでは・・・。

ここからは私の全く根拠のない想像(ある意味、与太話のたぐいになるだろうが)である。遺伝子的には人間にきわめて近いサルの体内に、高濃度の放射能入り込み続けたとしたらと考えると、遺伝子そのものに影響が出てくることも無視できないはず。

常識的には、ニホンザルも人間と同じで、強い放射線を浴びるとすぐに死亡するかがんを発症し短命になるだろうから、自然淘汰されるだろうという考え方は理解できる。しかし、(私の杞憂かもしれないが)人間が住んではいけない場所で、これほどニホンザルが増えているということが明らかになってくると、強い放射線に対して抵抗力があるサルが誕生することもあり得る。

また、突然異変で高放射能値に対応できる種が産まれることも考えられないことではない。放射能で生存本能が弱まる可能性は大きいだろうが、逆に、生存のための知能が異常に発達した種も誕生する可能性もゼロではないだろう。

人間にきわめて近い遺伝子を持つサルが、放射能のおかげで(こんな表現はしたくないが)知能的に人間をしのぐこともあり得るとすると・・・。これは想像したくない。

記事には、ニホンザルが異常に繁殖している地域で、地元猟友会の人がビニールハウスの上にいるサルの親子を見つけ、空砲で威嚇したところ、ポンという発射音の数秒後に破裂音が鳴り響くと、サルは山中に逃げ去ったとあるが、それは現在だからであって、数代の交配が続いた後では、空砲を見抜く知恵も持つのかもしれない。それどころか、人を襲うことも・・・。

この地域がいつまで人間が住めないのかによって、ニホンザルの交配の代数が変わるだろうが、長期間住めなくなった地域では、『人間そのものの存在すら許さないサル(遺伝子的に人間をしのぐ)』が誕生することもあり得そうだ。

今日は、『帰還ありき』の政策を危ぶむ気持ちが強いことから、幽霊に魂を抜かれたような与太つぶやきになってしまった。(田舎親父)

2014年8月16日 (土)

自治体総体が『右向け右』・・・

このところ自治体の動きが、現政権の顔色をうかがっているのでは勘繰りたくなるほどの右寄り傾向が気になる。

昨日の終戦の日には各紙が戦争特集を組んでいたが、戦争の遺跡というか、以前は二度と戦争をしてはならない堅い決意で残した建物や看板などが、理由はともかく、どんどん撤去しているという記事にも目が留まる。

その一つが、日本軍の大本営を移すために作られた松代の地下壕での『朝鮮の人たちを強制的に働かせてこの濠を作った』という意味の文面を、どこからかの抗議で、松代市当局はテ-プを張って、この文言を見えなくしたとのこと。看板を書き換えるならまだしも、抗議があったので・・・(誰からという説明も無し)にという理由で、テ-プで隠すとはお粗末限りない。

 先日は埼玉県が、憲法9条を話し合う会場として提供を拒否したという報道があったがこれに類する話が、全国のいたるところで起きている。その理由は、現在、憲法9条云々は『二分するような激論の最中』だから避けるのだそうだ。

 そんなことはない。現在現政府が強引お押し進めている『集団的自衛権』や、自主憲法の制定についてはかなりの議論が広がっていることは間違いないが、いずれの場合でもタテマエは『戦争はしない』という考え方。その意味で『憲法9条』を頭から否定する論理はない。

自治体にあるのは、現政権(お上・将軍家)の意向に逆らわない方が良かろうという、まさに江戸時代における封建制度の権力構造そのもので、現政権に媚びる姿と言っても差し支えなさそうだ。

こんなことを思っていると、山形新聞と言う地方紙の片隅に、花火大会の総合司会に次の衆院選挙に新しく山形3区から立候補する自民党の支部長を当てるという記事を見つけた。この花火大寒には、鶴岡市が1200万円の補助金を出しているとのことだが、こちらも自民党(現政権)の顔色をうかがった人選であることは疑うことができそうでない。

司会をする人物は、自民党県3区支部長に就いたカトウ某と言う女性だという。この御仁がどんな経歴の持ち主なのか知らないが、総合司会という役割は、そのイベントが実行委員会の意向にそってスム-ズに進行することにつきるはず。

 巨額の補助金を受け取っている実行委員会は、鶴岡市から『市民の娯楽』として依頼されたわけだから、普通の神経ならば、政治色のない県民に知名度があるタレントなどを起用するだろうに、次の衆院選挙で立候補する前提で自民党の地方組織の支部長に新しく就任した人物とは納得できる話ではない。

 記事には、共産党市議団がこの人選には反対、実行委員会に質問書を出したと言うから、これは何か背景がありそうだと、カトウ某という女性についてネットで調べてみた。すると、この女性は、今では全く存在感がないが、かっては自民党の幹事長をつとめ、一時は総裁候補と言われた加藤氏の3女だということを知って、なるほど、まだ地方では元幹事長の亡霊(権力)が生きているのかと変に納得する。

 しかし、こんなことが普通にまかり通るとは情けない。共産党市議団の『祭りを楽しみたいという市民の願いを損ない、県内外の人にも不信の念を抱かれる』との指摘はもっともで、こちらの方が正論である。むしろ、野党がこぞって批判することはもちろん、共産党本部が本気で抗議すべきだろう。

共産党市議団の質問に対して、実行委員長は『昨年は渋滞の影響で依頼した司会者が間に合わず、地元から選出しようという声が上がった』と説明し、『昨年も実行委員として運営に関わったカトウ氏が、6日の実行委員会で適任と決まった。台本を読むだけで、売名行為には当たらないと思う。変更は考えていない』と、そんな寝言などおらしらねえ・・・という態度だと言う。

昨年の混乱が事実なのか私には分からない。しかし、プログラムには総合司会の名前ははっきり書かれているだろう。そこには、まさか次回の衆院選挙に立候補するとは明記されていないだろうが、県民(特に鶴岡市民)には、元幹事長の3女であることはすぐに分かること。これを『台本読むだけ』とは、県民・市民をバカにしているとしか思えない。

 鶴岡市は私が好きな作家の一人である藤沢周平さんの出身地、また、詩人として日本の長女とも言われている茨木のり子氏の眠る地。私自身、この地を何度か訪れて、素晴らしい町だと記憶に残している。

鶴岡市のイメ-ジを落としてほしくないもの・・・。(田舎親父)

2014年8月15日 (金)

これは言論弾圧のはしり・・・

 今日は終戦の日。各地でいろいろな行事が計画されているだろうが、何よりも大切なことは、絶対に戦争はしない決意を改めて強く持つことだと自分に言い聞かしている。

 ところで、9日の長崎の原爆記念式典で長崎市長が『集団的自衛権』をめぐる議論に懸念を示す文言を加え、政府は国民の声を大事にと語りかけたくだりに、もう少し踏み込んだらもっと良かったにと思いながらも、市長のやる気と勇気が大拍手したものである。

 長崎市長は真っ向から現政権のやり方を否定したものではなく、被爆した長崎市を代表する市長としてのギリギリの言い回し。しかし、自民党の特に右寄りの思想を持つ輩には、この言葉がカンに触ったらしく、自分のブログで、『核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら、長崎市長を辞職して国政に出ることだ』と書き綴ったという。

 このブログの主は、ツチヤという議員。どこかで聞いたことがある名前だと思って、ネットで調べたら、武蔵野市長を長く勤め、コイズミ政権下の選挙で自民党から立候補し、第一次アベ政権では政務官。民主党が躍進した次の選挙では落選したが、先の衆院選挙で復活した人物である。なるほど、聞いたことがあると思ったはずである。

 というのは、15年も前のことになるが、武蔵野市はこの市長の下、市立の小中学校の全てに、自然体験が大事だという方針で、12泊13日の『自然体験のための宿泊学習』を実施していたことで、その方面で少し関係している私には、凄い市長がいるものだと驚いたことがあり、ツチヤという市長の思想などは考えることなく敬意を表したものである。

 武蔵野市は,この構想を実現するために、2億円と言う予算を組んでいたことも思い出す。当時は都内の小中学校の宿泊体験は,たかだか2泊三日。それも、全ては平等と言う発想で、校長会が計画運営するものが普通だったことから、武蔵野市のやり方は衝撃的で大きな話題となり、都内だけではなく全国の学校に宿泊学習に対する認識に新風を吹き込んだものである。

 当時の武蔵野市の凄いところは、宿泊日数や場所などをそれぞれの学校に任したことである。こんなことは当時絶対に考えられなかった。

 この宿泊体験学習が始まって2、3年したころだったと思うが、当時、市内でも最長の12泊13日の宿泊体験学習を行っていた武蔵野第二小学校(だったと記憶しているが)の宿泊地であった長野県の戸狩村の関係者と対談する機会を得たことがある。

 私としては興味津々。市教委が出している文書で概要は知ってはいたが、細部の、例えば教員の勤務などはどうしているのかということなどを、具体的に質問しかことがある。戸狩村としては、冬場はスキ-の民宿が夏場での利用客が少なくて困っていたところへのこの計画に、村人全員が賛同。協力体制が出来上がり、分宿と言う形で小学生を受け入れ実に生き生きと運営されている様子を目の当たりにし、参考させていただいたことが懐かしく思い出される。

 そんな素晴らしい、子どもの将来を見据えた教育方針を承認していた市長経験議員が、今後、徴兵制にまで発展しないと限らない(子どもの将来に暗い陰を落とす)集団的自衛権について、『長崎市長くんだりが我がアホベ首相閣下に糧つくとは何事ぞ・・・』受け取られても仕方ないような批判を自分のブログとは掲載するとは情けない。まさか、以前に政務官に抜擢してもらったことから『アホベ閣下いのち』的な信条になっているとは思いたくないが・・・。

 ブログでこの御仁は『長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威がある。集団的自衛権うんぬんという具体的政治課題に言及すれば権威が下がる』とも警告しているらしいが、自分の市長の実績を自慢しているように思える。

 それはともかく、長崎市長が原爆の悲惨に触れて、二度と戦争を起こしてはいけないと語り、そのために集団的自衛権に懸念を示すことは当たり前の感覚。それが首長として行き過ぎだと批判する感覚こそ奇怪しいのでは・・・。

 ひょっとして、武蔵野市での実績と教育分野、それに比べて、被爆地の長崎市長の発言は影響力が大きいから、ここで自分を売り込んで置かねばという下心もあるのかも知れない。

 こんな発言が自民党の議員が平気で始めたら、そしてそれをマスコミが追求するのではなく当たり前の記事として伝え続けたら・・・。言論統制という動きは、こんなことから始まるのではないだろうか。

 想像するだけで、これは恐ろしい。(田舎親父)

2014年8月14日 (木)

博打の是非が国会の主な論点とは・・・ 

 アホベ首相閣下は9月に内閣を改造すると明言しているが、それにつられたように自民党の大臣病患者たちがそわそわし出しているという記事が、最近の夕刊紙では度々取りあげられている。

 大臣になる資格は、明文化されていないが、大体のところ、衆院で5回、参院で3回の当選者だと言われているが、このところ歴代の内閣では、サプライズ人事と言う言葉がまかり通り、この条件にそぐわずに、初当選か2回目で大臣に任命する(特に女性議員)ことが大流行となると、大臣病患者は増え続け、現在、この有資格者が自民党には40人もいるのだそうだ。

すでに、今回の改造では、官房長官はじめ数人は留任ということも明らかになっているらしいが、女性管理職を3分の一以上と言う政府の指針すら発表しているとなると、女性大臣を3分の一にしなければ、公約(こんなことは公約とは思っていないか)違反だと騒ぎだす部隊もいるらしく,このことを実現しなければかなりの批判を集めることは間違いなさそうだ。

となると、全体では少ない女性議員の中から選ぶのもなかなか難しく、サプライズ人事の連発になりそうだが、割りを食う意味で、今回その病名が消える男性の大臣病患者は極少数、彼らにとってはなんともイライラが募るお盆になりそうだ。

 内閣改造の目玉は、集団的自衛権が今後議論されることを見込んで、戦争ができる国にするために必要な法整備を担当する安保法制担当大臣を設けるとのことで,この人選が賑やか・・・。

しかし、アホベ内閣があれほど『国民の命を守る責任』とことあるごとに繰り返し、解釈改憲の閣議決定を急いだにもかかわらず、集団的自衛権行使に関する法案の提出を来年の通常国会に先送りしたとい事実は、沖縄と福島県知事選への影響を抑えるためのものに他ならないことは明らか。

また、どんなに形では抵抗しているように見せかけても、与党の利権は手放さないのだから、さほど気にしなくても良さそうなのだが、創価学会の女性部の抵抗が激しく、自分たち(自民党議員)の選挙に影響が大だと判断しているらしく、公明党の抵抗感が小さいとみられる国連平和維持活動(PKO)協力法改正に加え、多国籍軍への後方支援を拡大する法制化を進めていることは疑いのない事実。

なるほど、安保法制担当大臣の役割は、来年の国会では重要になり、さらにその先には自民党総裁選が控えているとなると、今回の内閣改造の意味は、確実にイシバという幹事長を意識してることは間違いなさそうだ。

もう一つ、臨時国会において緊急に解決しなければならない問題は、少子化と過疎化であるが、こちらも人口減少問題などに対応するため新たに地方創生大臣を作り、女性を登用するということが話題になり,マスコミは待ち構えているらしい。

ところが、地方創生とはいうものの、新聞記事を見る限りその方針は基本的には限りなくゼロらしく、地域特産品の支援強化など各府省がこれまで検討している案件の抱き合わせにとどまりそうだとのこと。また、地方の人口減少問題に対する総合ビジョンの決定は年明けを想定しているというのでは、改造人事ばかりが宣伝されているが、サプライズ人事だけで、肝心の臨時国会の論戦は期待できそうもない。

そんな中で、臨時国会の目玉になるのが、地域を限定して特区でもって、『カジノ』を合法化し、民間運営を解禁する法案だという。この法案には、アホベ閣下は、これこそ経済成長戦略の柱だと積極的になっており、内閣に検討チ-ムまで立ち上げているという用意周到ぶり。しかも、自民党はもとより、民主党や維新の会なども乗り気だというから、作る方向で活発な議論になるのは明らか。

 いくら成長戦略とはいえ、内外に課題が山積する中で国会が最優先すべき課題がカジノとは情けない。カジノとはいわば『賭博=博打』だろう。カジノは品がよく高級だという声も聞こえそうだが、私の中ではバチンコやスロットを、あたかもグロ-バル(ここでもこの言葉が生きてくるようだが)化して、これで外国観光客を呼び込もうと言う魂胆はあまりにも卑し過ぎる。

カジノの負の側面は私でも分かることだが、このことを徹底検証することで、国会が盛り上がるならいらしらず、『成立ありき』では、国会議論すらアリバイ作りになってしまう。

 民主党は解釈改憲による集団的自衛権行使に反対であれば、個別的自衛権の範囲で対応がどこまで可能かの対案を国会に提出して論戦を挑むべきだと思うのだが、内部がガタガタで、閣議決定すら止む終えずと思っている輩も多いのではその期待すらゼロだろう。

 やはり、突然の公約違反で消費税増税を命にかけてもやると言い出し、上手く自民党の作戦にはまり、国民からそっぽを向かれ、政権をいとも簡単に奪還された上で、内部がガタガタになった民主党の稚拙さが情けなく悔しく思われてならない・・・。(田舎親父)

2014年8月13日 (水)

自衛隊派兵が現実に・・・

9日の長崎原爆の日の朝、『アメリカがイラク空爆に踏み切った』というニュ-スに、やはりアメリカは世界の警察と言う宿命から抜けきれないのだという思いと、イスラム過激派のやり方が、伝えられるような事態であるなら自分たちが蒔いた種、それなりに仕方ない選択なのだろうと思ったが、それ以上に、集団的自衛権云々が騒がしい昨今、アメリカの強い要請で、自衛隊の派兵が現実に起きるのでは・・・という危惧が一瞬頭をよぎる。

空爆は、8日に行われたという。前日に、テレビニュ-スでオバマ大統領が、『イラクに地上軍は戻さないが、限定的空爆で米国民の安全と利益を守る。避難民を救う人道支援も開始した』との緊急声明を発表したから、これはやるなと思ったものだが、さすがアメリカというべきなのか行動が速い。

複数のアメリカ軍機がイラク北部でイスラム過激派の移動砲台などをレーザー誘導弾で爆撃したそうだが、これまでのイスラム過激派という武闘集団がかかわってきた争いから推測するに、簡単に降伏するとは思えないので、むしろ戦禍は広がる一方という懸念がぬぐえない。

 オバマはブッシュが強引にイラク戦争を押し進めた結果、アメリカ国内の厭戦気分が拡大していることを踏まえて、『アメリカが再びイラクでの戦争に引きずり込まれることはない』との声明を出している。その上で、イラクの大規模な危機においてはアメリカ軍の軍事行動は解決にならないと述べている。これは先のイラク戦争に対してアメリカとしての反省だろう。ここまではその通りとうなずく。

また、イラク国内の融和とイラク政府軍の強化こそ『永続的な解決法』になるという大統領の認識には異論をはさむ余地はないが、限定的と言っていたことは裏腹に、翌日には『数週間で終わることはない』との見解に、いよいよブッシュの二の舞ではという心配すらしたくなる。

アメリカ軍機が攻撃したのは国際テロ組織アルカイダの流れをくむ『イスラム国』の攻撃拠点だそうだ。マスコミの情報を信じるとしたら、『イスラム国』は、復古的なイスラム主義を女性らに強制し、従わない人々の大量虐殺を行っているという。

 また、宗教的少数派を迫害し、ヤジディー教徒(初めて聞く宗教名)の女性を大勢略奪し、奴隷として扱っているとう情報や、やキリスト教徒の多くの人が北部の山中に逃れて飢えや渇きに苦しんでいる映像も紹介していることから、このまま『イスラム国』が膨張を続けると中東情勢がますます混沌とすることは確かなような気にさせられる。

その意味では、オバマの今回の決断は各方面からは好意的に見られているようだ。すでにイギリス首相とフランス大統領から、空爆についての協力を取り付けているとのことだが、(具体的なことは何一つ分からない私であるが)ブッシュのイラク戦争も同じような経緯をたどったのではなかっただろうか。

イギリスやフランスが『是』とするのは、ヨ-ロッパのかかわりが今日の中東の複雑な情勢を引き起こしたという認識だと解説されているが、現実には地下に眠る無尽蔵?石油資源に対する利権ではなかろうか。

事実、イラク北部ではアメリカ資本が中心になって、油田が掘削され新たな石油ブ-ムに沸いているらしいとなると、過激派がこれを標的にしないわけがない。オバマがここになって空爆と言う手段に出たのは、このことが大きな原因になっている気がしてならないのだが・・・。

唐突な予測だが、『原発が稼働していない今、石油は国家の命である』というセリフはすでに現政権は公然と打ち出している。イスラム国の過激派集団は石油施設の爆破を繰り返し計画している(一部実行するだろうが)となると、『日本の利益を著しく冒涜している』と言い出すのも時の問題。そしてマスコミが追認する・・・。

 アメリカの空爆だけで納まらないことだけは確実で、イギリス・フランスなどの国々はもとより、『イスラム国』の暴虐を世論が認めたら、国連での非難決議もあり得るだろう。そして『多国軍』という聞き慣れた言葉が氾濫し、集団的自衛権の行使というタテマエで自衛隊を派遣という最悪のシナリオが実際に起きる確率は決してゼロではない。

 戦争のできる国への歯止めは、最初の自衛隊員の派遣というタイミングを何としてでも防ぐことである。

いかに『イスラム国』の暴虐な情報が伝えられたとしても、それが自衛隊派遣のきっかけにしてはならない。(田舎親父)

2014年8月12日 (火)

小説の世界と思っていたが・・・

『代理出産』ということは以前にもつぶやいたことはある。しかし、その時は半分以上小説の世界だと思っていたが、その認識は間違っていたらしい。

オ-ストラリア人夫妻が、タイの女性の子宮を借りて、男女の双子の赤ちゃんを誕生させたとのこと。それだけでも私にとっては遠い世界の出来事であるが、双子の赤ちゃんの男の子がダウン症だったことから、引き取りを拒否、女の子だけつれて帰国したというニュ-スが話題になっている。オ-ストラリア国内では、この夫妻に対する非難が日に日に大きくなっているのだそうだ。

記事によると、代理母(この言葉も悲しい響きがあるが)はタイの貧しい21歳の女性だという。『仲介業者(まさに金儲け命)』を介したオ-ストラリアの夫婦との間で、報酬として約30万バ-ツ(98万円)で契約し、昨年12月、男女の双子を産んだことからこの話は始まる。

 妊娠7カ月の頃に、今流行の『出生前診断』の結果、男の胎児がダウン症だと医師と業者に告げられ、中絶を勧められたとのことだが、この女性は拒否したという。

タイという国は、このような貧しい女性でも『出生前検診』が受けられるようなシステムになっているのだろうかと言う素朴な疑問が浮かぶが、仲介業者が存在しているということから、何らかの複雑な裏事情があるのだろう。それはともかく、女性は自分の体内で息づく胎児を見捨てることができなかったと述べているそうだが、その気持ちは何となくだが理解できる。

恐らく、この女性と依頼主の夫妻と間でいろいろとやりとりがあったのだろうが、結局は慰謝料と言うのか、生まれてくるダウン症の男の子を育てるために、別に20万バ-ツを加算する金額で男の子を女性に押しつけて、夫妻は女の子だけを引き取って帰国したのだそうだが、この割り切り方も信じ難い。

 タイには『代理出産』の法律がなく、医師協会のルールで、金銭のやりとりがある営利目的の出産を禁じるのみだというが、そんなル-ルなどあってない等しいことは全くのシロウトである私でも想像がつく。

タイは医療技術も比較的高いことに加えて、庶民の生活レベルが低く、お金のために代理母を承諾する女性も多いことから、これを専門に扱う仲介業者も存在するとのこと。当然、費用も先進諸国と比べても安いだろうから、海外から不妊の夫婦らが殺到しているのも当たり前かもしれない。

 酷い話である。健常児の女の子だけを引き取った夫妻に非難が殺到しているというのは理解できる。オ-ストラリア国内では、代理母と男の子のために義援金が2000万円ほど集まり、すでに代理母の女性に手渡されたとのこと。

すぐに世論が動いたことから、夫妻への非難の凄さを物語っているようだが、記事は夫妻にはそれなりの理由もあったこともうかがわしている。また、代理母が『これで育てる自信ができた』と話している映像を先日NHKが取り上げていたことから、結局は、タイの女性の経済的貧困から始まる人間模様・・・。

オ-ストラリアでは、はっきりとした数値はないが、年間500人以上が海外の代理母から産まれているとの推計をあるというから、今回のようなトラブルが過去にもあったことをうかがわしている。これまで明らかになっていなかったのは、障害が発見された時点で、代理母と仲介業者の間で、何らかの妥協があったからではないだろうか。私が知らないだけで、今回のようなことは特異な話ではなさそうだ。

日本国内でも,子どもがほしくても何らかの理由で授からない夫妻も数多いことは知っている。不妊の専門医も存在しそのための医療技術が存在し、高額な費用をかけて受診する夫妻も数多いと聞く。

子どもができない夫妻には切実な問題であることは、心では理解しているつもりだが、だからといって、試験管?で受精させた卵子を他人の子宮を借りてまで出産させることが安易にまかり通って良いはずがない。

今回の報道で、オ-ストラリア人夫妻以上の数の日本人夫妻が、わが子を求めてタイ詣でしていることは想像に難くなく、タイの仲介業者はオ-ストラリア人以上に上客として扱っていることも想定できないことはない。

 日本には『代理出産』に関する法律はないとのこと。すぐに法整備という動きが急で、自民党のプロジェクトチームは、この秋の臨時国会で、代理出産を限定的に認める法案の提出を目指しているとのことらしいが、生命の誕生を法で規制する考え方はあまりにも稚拙で浅はかではないだろうか。それ以前に、規制できるはずがないことは、門外漢でも分かる簡単な理屈。

むしろ、生命の誕生は神のみが行うことでできる崇高な分野として、無理に授かる努力をしないと言う倫理観の確立以外、この問題の解決方法はないのでは・・・。(田舎親父)

2014年8月11日 (月)

懲りない政府の『横っ面札束』作戦・・・

 イシハラ環境相の『金目でしょう』発言は、福島県民を激怒させたことは伝えられているが、マスコミの怠慢もあって、責任問題はウヤムヤになってしまった。また国民全体の怒りに発展することなく、まして政治の世界では『当たり前・・・』という認識らしく全く反省する気配はない。

それどころか、自らの『金目』発言を現実化すかのように、イシハラが福島県の知事と2町長との会談で、国の政策として、中間貯蔵施設建設に関して、住民の生活再建や地域振興のため、2つ町への2500億円の一括交付を含めて、今後30年間総額3010億円の交付金を新たに出すと伝えたとの報道に、この男の辞書には『恥』とか『羞恥心』という言葉はないらしいことを改めて知り激しい怒りを覚える。

しかし、大マスコミは『金目』発言はすっかり忘れたらしく、大熊町と双葉町の町長はそろって『前進』と答え、福島県知事も『地元の意向を踏まえて検討していただいたと受け止めている』と応じ、『政府が目指す来年1月の一部供用開始に向けて自治体との協議は一歩前進した』と『横っ面札束』作戦を評価するがごとくの報道に、何なの・・・と大きな違和感を持つ。

一括交付される2つの小さな町にとって、2500億円という(私には想像もつかないが)莫大な金額は魅力に違いない。これで、町の復興が早まると判断したくなる気持ちも分からないわけではないが、もし、これで中間貯蔵施設の建設の話を進めたとしたら、まさにイシハラと言う男の『金目』発言を追認したことになる。間違ってもそんなことにならないことを祈りたいが・・・。

2500億円で原発事故が片づき、避難している人たちが元に戻れるなら、今回の『横っ面札束』政策を非難する人はいないだろうが、事故を起こした原発自体の状況すら分からず、汚染水処理すら全く手がつけられない現状では、一部の連中の利権のためのもの以外何ものでもなく、全てがウソ偽りのシナリオだと断言しても決して極論ではないだろう。

中間貯蔵施設は、福島県内の汚染土などを最長30年間保管するために、事故原発を取り囲む大熊・双葉の2町の計16平方キロを国有化し、2550万立方メートル(東京ドーム20杯分)の汚染物質を貯蔵すると施設を作る計画だったらしいが、住民の反対が強いので、全面国有化は断念したと聞いている。

対案として、30年後の県外最終処分も法制化した上で、希望する地権者には30年間を期限に地上権を設定し、所有権を残したまま国が土地を利用する方法を取り入れるということだが、30年後に『ではどこへ・・・』ということは全くの未知数。となると、この約束自体空手形であることは明らかだろう。

 原発事故で最も大きな影響を受けた福島県に手厚い財政支援が必要なのは当然で、だれも異論はない。しかし、その前提には、原発を一刻も早く収束させることであるのも衆目の一致すところ。

しかし現実は、原発内部の様子さえほとんど分からず、事故原因の調査すら東電任せ。しかも、当事者の東電が3年以上過ぎた今になって、メルトダウンは予想以上の速い時間で起きたなどと言い出す始末。要は、東電にはもはや事故解明能力はもちろん、原因解明の意欲も気力もないのが現状である。

政府はこのことを認め、(今となっては難しい問題だろうが)東電を国有化はもちろん、全国のそれぞれの電力会社が独占している送電線を自由化し,原発に頼らなくても電力の供給が可能な環境を作るという強い姿勢を示し、国民、特に被災者の信頼を得ることが先決であろう。

現政権は原発依存を変えようとしていないどころかむしろ拡大している。こんな政権に中間貯蔵施設など作らせたら、中間が恒久となり、その先には、行き場がなく溜まり続けている『原発ゴミ』の『最終処分場』となることは火を見るより明らか。

最悪の想像だが、原発を経済政策(金儲けの材料)の一つとして、輸出を進める姿勢の裏には、『福島最終処分場』が輸出先の原発ゴミも受け入れるという、絶対に知られてはならない筋書きもあるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2014年8月 9日 (土)

エボラ出血熱は他人事ではなさそうだ・・・

今日は69年前、長崎に原爆が投下された日。現地では台風の接近で準備が大変らしいが、記念式典では長崎市長が集団的自衛権に言及するとのこと。大いに注目し、期待している。

ところで、このところ『エボラ出血熱』という言葉を見たり聞いたりすることが多くなった。伝染性の強い病気で、治療方法がはっきりないので罹患すると90%以上の確率で死に至るというから恐ろしい。

『エボラ出血熱』について調べてみた。感染すると頭痛や発熱など風邪のような初期症状が出て、やがて激しい下痢や嘔吐に見舞われ、血液が凝固できなくなるのだそうだ。血が止まらないという意味で『出血』という言葉がついていることを初めて知るが、体内や体外で出血が続き、多くは平均10日で死ぬのだそうだ。

主に西アフリカで流行しているというので、日本ではマスコミが報じるほど深刻な問題にはなっていないようだが、治療をしていた医師が感染し、アメリカの特殊な施設に隔離されたとか、(先日のデ-タでは)すでに900人以上がこの病気で死亡と言う記事などから、(それでもまだまだ本気で心配するまでは至らないだろうが)、黒死病(ペスト)のことが頭をよぎる。

 当時、文明が進んでいたヨ-ロッパですらペストのウイルスは発見されなかったので原因不明の下痢や発熱で苦しみもがき多くの人が死亡したことと、その死体が黒く変色することから『黒死病』と名付けられたと何かの本で読んだ記憶がある。後にペストという病名がつき、その研究が進んだ結果、今ではほとんど絶滅しているというが、当時の人々の恐怖は想像に難くない。

『エボラ出血熱』のウイルスが発見されたのは1976年とつい最近。しかしその後の研究が進んでおらず、エボラ出血熱についての具体的な治療方法などははっきりしていないとのこと、そのために、認可されていない薬剤も使えるようにと世界保険機構は大騒ぎしているらしい。発病するとまず命は助からないというから、この病気が蔓延している西アフリカの諸国の人々は恐慌状態に陥っているようだ。

発病する地域が限られているというので一種の風土病には違いなかろう。しかし、黒死病ではないが,日本に伝搬することは考えられないことではない。いやむしろ、黒死病流行当時よりはるかに世界の交通機関は進化し、相対的に地球が狭くなった今、遠い世界のことと放置していたら大変なことになりそうだ。

 すでに国として防御体制ができていると信じたいが、原発事故でも明らかなように、当局の想定外の事態が起きることも稀ではないとなると、少し気になる。

 先日ネット記事にあったが、我が国は『エボラ出血熱』は第一種の危険感染症と位置づけて、万が一、発見された場合は、各都道府県に置く『第一種感染症指定医療機関』に隔離する防御体制をひいているとのこと。

 一見、しっかりした体制だが、逆に、こんなにたくさんの施設に、エボラ出血熱の専門医が配置されているのだろうという素朴な疑問が浮かぶ。かなり特殊な、しかも治療方法も確立していない病気では、専門医は極端に少ないのではないだろうか。  

さらに、国内にはエボラ出血熱のウイルスを研究している施設はないということが引っかかる。都道府県に施設はあり、そこに患者を隔離しても、治療ができず、結局は外国の施設に転送などと言うこともあり得ない話ではなさそうだ。

 西アフリカなど私にとっては遠い世界であるが、現在日本人が存在しない国や地域はないと言うから、ギニア、シエラレオネ、リベリアなどの国々の、流行している6000カ所にも、少ないながら日本人が生活しているに違いない。

この人たちが帰国することもあるだろう。また、心配して親族が見舞いに出かけることも十分あり得る。風土病は、昔からその土地で生活していない人には抵抗力がほとんどない場合も多いというから、日本人の罹患率は高いのでは。

逆に、世界の風土病の中には、ウイルスが日本人の体内に入っても、症状が現れない(現れにくい)病気も存在するという話も耳にする。となると帰国の際、水も洩らさぬ検疫体制をもかいくぐることも・・・。

私が心配することではないだろうが、騒がれている間は無事だが、『忘れたころに』がこの種の災いの通例となると、絶滅するまで『エボラ出血熱』という名前を、心の隅のどこかに存在させておかねばならないようだ・・・。(田舎親父)

2014年8月 8日 (金)

夏休み真っ最中なのに子どもの姿が・・・

立秋を過ぎて、暦の上ではもう秋。なのに、猛暑はいっこうにおさまらず、かえって暑さが増しているようにせ思える。それでも、日中、非生産的な歩きをしている時、ふと空を見上げると、秋らしい雲を見ることがあり、季節が確実に動いていること知る。

 夏休みは今が盛り、子どもたちは、暑さなんかには負けないで目いっぱい遊び、楽しんでいるだろうと思うのだが、私の視界に子どもたちが遊んでいる姿が入ることが少ないのは寂しい限り。

毎日その日の雰囲気で行き先を変えるのだが、その方針は、できるだけ自然が残る場所を歩くようにしていること。小川があり、カブトムシの森もあり、ときには田んぼの畦道なども好んで歩くようにしているが、そんな場所を好む人間は限られているらしく、すれ違う人はほとんどいない。 

昔は、こんな場所では子どもたちが群れ遊んでいたものだが、それも今は昔。私が子どもの頃には、どこにでも存在していた『川ガキ』と呼ばれる、半裸になって水遊びをしている男の子の姿は絶滅してしまったらしい。

虫取り網をもって雑木林を走り回っている姿もない。人目のある公園で遊んでいる子どもは少ないながら存在するのだが、そのほとんどが女の子。公園では野球やサッカ-が禁止されていることも原因だろうと思うのだが、男の子たちは、一体、日中どこでどんなことをして過ごしているのだろう。

私の散策コ-スの一つに、雑木林に囲まれ、近くに小川が流れる小さな公園がある。水曜日と土曜日は、夏休み中に限らず『プレイパ-ク』という幟が上がって、ボランティアの人たちが子どもたちが喜ぶようなイベントを行っている。

そこには、若い母親を中心に小さな子どもたちが大勢集まり、実に楽しそうな時を過ごしている。ボランティアの男性に見守られて,川遊びをしている姿も目にするが、大人の姿がなければ、まさに『川ガキ』そのものの姿。しかし平日、同じ公園を通っても、こんな姿にお目にかかることはまずない。いや絶対にないと言っても過言ではない。

時には違う川筋で、大人がついて川遊びをしている姿を見ることはあるが、不思議なことに、この場合も女の子の姿が多いのに、何なの・・・?という違和感を覚える。

本来、夏休みとは、友だちと交わり、家族のつながりを確かめ合う絶好の機会として存在している(いた)。だから、夏休み前、小学校高学年の担任は、例外なく『自己の世界を広げ、将来へのバネにしてほしい』という言葉を準備していた。(今でも?・・・)

 夏休み前の『学校だより』には、ニュアンスは多少違っても『長い夏休みには、学校や塾では体験できない活動にこそ目を向けてみましょう』とか『子ども時代に五感を通じて経験した出来事が豊富だったかどうかで、その後の人生が大きく左右されると言われています』という校長からのメ-セ-ジが今でも恒例になっている。

 夏休みに限らず、幼い時から自分の役割を決められて、自分でやるという習慣が身についた子どもは、相手を思いやる優しい心が自然に身についていると言われ、このことは、私も経験上、間違いない事実だと確信している。

また、育ち盛りに多様な体験をした大人はやる気や生きがいを持ち、自尊心やモラルが強く、人づき合いもうまいということは、文科省の外郭団体の研究レポ-トでも報告されている。文科省も、『自然体験活動』という言葉で、このことを肯定し、指導要領で推奨していることからも、折角の夏休みを利用しない手はないのだが・・・。

今『子育て』がキ-ワ-ド。普段忙しい父親たちは、夏休みには子どもをどこかに連れて行かねばならないということが脅迫概念になっているらしく、お休みの日の行楽地は家族ずれで超満員。父親はもちろん、子どもたちにとって充実した素晴らしい時を過ごしていると思いたいが、家族ずれの水の事故が続いているのは考えさせられる。

しかし、夏休みは平日も子どもたちはお休み。なのに、その平日に、子どもたちが、どこでどのように過ごしているのか、その姿を見ることはない。

こんなことが当たり前で良いわけはない。田舎であっても子どもたちの生活環境だけは 都市化が進んでいるらしく、遊びたくても少子化の上に、それぞれが塾だお稽古ごとだと忙しく、時にあっても電子ゲ-ム以外に遊びかたを知らないのでは、健全な心が育つはずがない。

佐世保の高校一年生の女子生徒が同級生を殺害した事件にマスコミが飛びつき、次々にこの少少女の育った生活環境を面白奇怪しく報じているが、大事なことは、幼い時の遊びや友人とのかかわりに焦点を当てることだと思いたい。この少女の場合は、周りの子どもたちと心許して遊んだことがなかったのではないだろうか。

 小中学生の子ども持つ世の親諸氏に伝えたいことは、お休み日に、わが子へのサ-ビスは当然だとしても、折角の夏休み、大金をはたいて塾通いだけではなく、普段から、外で遊べる友達の輪を広げる心配りを忘れてほしくないということにつきるが・・・。(田舎親父)

2014年8月 7日 (木)

大雨と猛暑で考えること・・・

 やっと台風12号の影響の大雨情報が一段落したかと思ったら、今度は台風11号がゆっくりと接近している。12号の影響で、未曽有の大雨になった四国(特に高知県)の人々にとって、また来そうな雰囲気、安心して眠れない夜が続いているのではないだろうか。

 3日の日曜日のことであるが、『台風12号などの影響で、ここ数日四国を中心に激しい雨が降り続き、高知市が市全域の約16万世帯約33万人に避難勧告を出すなど、各地で避難勧告・指示』というテレビニュ-スに、思わずお見舞いの電話をかけてしまう。

今にも堤防が決壊すような映像に固唾を飲む。高知県では人的被害はなかったらしいことに一安心するものの、物的な被害は相当なものだろう。被災者の方々には心からお見舞い申し上げる。

雨はその後も降り続き、降り始めからの雨量は、高知県の香美市繁藤では1300ミリを超えたという報道に驚くが、高知県のほとんどの地域では1000ミリをはるかに上回っているというから、想像することすら難しい。

数日間で、空っぽのプ-ルが満水なる量の雨が、高知県全体に降り続いたことを思うと、大雨に慣れているとはいえ、よくぞあの程度の被害ですんだものと思わざるをえない。もしも、首都圏に同じ量の雨が降ったとしたら、間違いなく交通機関はズタズタともちろん、トンデモ被害で大混乱に陥ったことは想像に難くない。

高知市の市民33万人全員をはじめ各市町村が出した避難勧告や避難指示にについて、どこに避難するのだろうという素朴な疑問を持ちながらもテレビの画像を注視するが、人々の動きは、さほど慌てていないように見えるところから、普段から水に対しての警戒と避難の準備はできていたことをうかがわせる。

台風12号の影響の凄い雨は、その後は四国に限らず、全く見当外れと思われる北海道や東北北部でも大暴れ。一昨日のテレビニュ-スは、腰まで水に浸かりながら歩いている北海道の名寄市(だったと記憶している)の様子を映していたが、水が泥色に濁っていないところは、さすが北海道だと変に感心してしまう。被害者の人には申し訳ないが・・・。

天気予報の、台風12号の雲の動きを見ると、確かに四国や中国地方にかかる雲と、北海道と北東北にかかる雲がはっきり分かるが、皮肉なことに関東地方には雲は全くなく、連日35℃を超える猛暑(酷暑)日が続いている。

(私もその一人であるが)一雨ほしいと思っている人も多いだろうが、もしも、高知で降ったような大雨になったら、繰り返しになるが、首都圏などはたちまち大混乱。大雨で大きな被害を受けた人々のことを思うと、この程度の暑さなどと、笑って耐えるしかない。

ところで昨日は、広島原爆の日、四国の雨のピ-クは過ぎたとはいえ、中国地方には激しい雨が降り続き、広島の平和記念公園の記念式典は、強い雨の中行われていた。雨の中の式典は43年ぶりとのことであるが、ここまでの大雨は初めてではないだろうか。

この映像見ながら、ふと6年後の東京オリンピックのことを思う。日程的には丁度同じ頃に開催となるらしい。もしも、今年と同じように関東地方だけが、ここ数日のような快晴の上猛暑となったとしたら、屋外での競技が可能なのだろう。

この時期になると、ここ数年同じような酷暑が続くことから私の杞憂とはとても思えない。選手たちは鍛えているので大丈夫だと組織委員会のお偉方が言うだろうが、こいつらに競技させてみたいと思うのは私だけではあるまい。選手たちも不安はいっぱいに違いない。それより、世界各地から訪れる観客が、この暑さに耐えられるわけはない。

逆に、この時期は台風の最盛期。ゆっくりと大型の台風が関東地方に近づくことも考えられないことはない。すると、今回の高知地方ではないが、数日間大雨が続き、降り始めて空の雨量が1000ミリところか、500ミリを超えるだけで・・・。

猛暑や大雨、こんな自然現象に対して、関係者ははっきりとした対策を持っているとはとても思えない。恐らく、『招致ありき』でそんなことは後回し。今頃になって、頭を抱えているのではないだろうか。

6年後の東京は現在より暑くなっているのは間違いなさそうだ。選手たちはともかく、世界各地から訪れた観光客が(国内のサポ-タも)バタバタと倒れることも、十分あり得る話。そうなったら、世界からは非難の嵐。

今更、開催日程の変更は無理ならば、オリンピックの開催そのものを一旦返上し、次の機会を待つのが最上の策だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年8月 6日 (水)

金儲け命主義を許さない思想を・・・

今日は広島原爆の日。恐らく、記念式典ではアホベ閣下が『永遠な平和のために・・・』なとと、自らの目的である戦争をできる国にすることを喪服に隠して、心にもない式辞を述べることだろう。毎年のことながら、小学生の言葉の方がはるかに心を打つという事実を思い知らされる空虚な式典を開く意義があるのだろうかと言うと、関係者はともかく遺族の皆さんに失礼になるのだろうか・・・。

そのことはともかく、最近アホベ閣下の『金儲け命』政策が世の中にはびこり、全ての分野で、下は小学生から上は間もなく人生の終焉を迎える年寄りまでが、○○ビジネスという言葉に踊らされた『金儲け命病』が大流行しているのは嘆かわしい。

先日、神奈川県の丹沢山塊の沢で起きた自動車が流されて母子3人が水に飲まれて死亡するという事件もそのたぐいである。

この記事で、ここ30年ほどは出かけることはなくなったが、大昔、『自然を楽しむ会』という集まりで、春と秋、年に二度は丹沢の沢筋で植物探索に名を借りてバ-ベキュ-をする催しが恒例になっていたことを思い出す。

当時、その会の幹事役を勤めたことから、候補地探しが任務の一つだった。今回の事故現場は、正確にこのキャンプ場だと断言できないが,中川という河川の名前から、あの辺りだろうという大体の見当がつく。

そこは、かなり大きな中州?があって、飛び石伝いにわたれるることから、絶好のバ-ベキュ-場と候補地に入れたことを覚えているが、集結地の田園調布からは少し遠すぎるという理由で採用しなかったので、その場所を知っているのは仲間うちでもほとんどいないのではないだろうか。

この事故を伝える記事によると、この『ウエルキャンプ西丹沢』と看板にあるキャンプ場は、長さが100m、幅が50mというからかなりの規模である。中州に渡るには浅瀬を車で行かねばならないという、いわばワイルドなイメ-ジを売りにしていたようだ。

事故に遭遇したのは、その日から2泊3日の予定でキャンプにきた、藤沢市の一家4人の家族ずれ。夜になって雨が激しくなったことから、父親が左岸にある案内所に情報収集に出かけた際に、避難を進められたので大急ぎで戻り、車で脱出しようとしたとたんに車で横転しのだという。

一家が使ったテントは無事だったことから、そのままテントで過ごしていたらこんな悲惨な目にあわなくて住んだことは間違いないが、それは結果論。父親は、実の危険を感じて脱出を試みたのだろうが、それは責められない。

父親は、車のガラスを破って家族を車の外に出すのには成功したのだが、その場所は水深が2mもあり、母子3人が溺れたという。すぐに通報して、警察や消防が徹夜で捜索したところ、母親と小学3年生の女の子と2年生の男の子の3人を下流で発見したが、すでに死亡していたとのこと。

第一報をテレビのニュ-スで知った時,まず疑問に思ったのは何故、こんな場所にキャンプ場が作られているのだろういうことである。しかし、ここを管理している会社があり、看板も出しているとのことだから、恐らく炊事場やトイレなどの設備も揃っているのだろう。そして有料・・・で、すなわち金儲けのためにわざわざワイルドなイメ-ジを作っているに違いない。それに引かれて、初心者の家族が、いざとなったら4輪駆動があると人気が高まっているという筋書きではないだろうか。

しかし、翌日の続報で、このキャンプ場は,小田原市の不動産業者が県の許可もとらずに川幅を広げ、元々あった小さな中州に土砂を運び込んで広くし、4輪駆動専用サイトのキャンプ場として作ったものだと知ってビックリ。やはり、ここにも『金儲け命病』にかかっている悪党業者が存在している。

工事を目撃していた近隣住民は『危険性とともに違法性を県に何度も指摘してきた。事故は人災だ・・・』と憤慨しているという。県も、この工事について危険性はともかく、違法性は知っていたらしく、少なくとも6回は是正指導を繰り返してきたそうだが、こんな事故につながるとは想定していなかったらしく、工事禁止という強い態度はとらなかったようだ。

またまた、『金儲け命病』の輩と、監督官庁の甘さの重なりが生んだ事故である。河川を管轄する県の県西土木事務所は『刑事告訴も視野に調査する』と言っているらしいが、今更流域を原型に戻せるものではあるまい。まして、亡くなった母子3人の命も・・・。

丹沢には多くの沢がある。全部を実地踏査したわけではないが、このキャンプ場的な雰囲気は、私の知る限りでもかなり存在する。

丹沢の沢は一様に短く、雨が降ると一気に増水するのはよく知られている。県はこのあたりに留意し、すぐに全域を調査し、事故が繰り返されないような適切な措置を願いたいものだ。(田舎親父)

2014年8月 5日 (火)

住宅の10%以上が空き家?・・・

このところ総務省や内閣府という役所が、少し気になる面白いデ-タを公表するようになってきた。先月、総務省が発表したデ-タを信じるとしたら、2013年10月1日現在の空き家の数は820万戸だという。

こんなにもあるの・・・驚くが、同時に明らかにした、住宅の全国総数は8083万戸という数値に、さらにビックリ。日本の総人口は1億2千万人超なのに、住宅の数があまりにも多すぎないだろうか。しかも、空き家数が、全体の実に、13.5%にも昇るというのは一体どうなっているのだろう。

こんなデ-タは信じられないと却下したい気持ちもある。しかし、最近、連日のように各地で出されている避難勧告や避難指示の情報には、必ず避難者の数と世帯数を報道するのが原則らしく、例えば300人に避難指示が出ましたという報道には、避難者の数の前に『世帯数は198』という数値が入っている。その場合例外なく、避難者数と世帯数の割合が、1対1.5程度以下であることから、なるほどもっとも。総務省の数値の信憑性を疑うことはできないようだ。

この数値は、08年の前回調査と比べ0.4ポイント上昇し、過去最高を更新したというが、気になるのは、数値上では有り余っているはずなのに、さらに305万戸増えたことに加えて、空き家数は62万戸も増えて過去最多になったという文言。

トンデモナイ矛盾を感じるが、ここ数年,横浜の片田舎で当たり前になっているエッと思うような場所ですら、家を建てている現場に出くわすことが多いことから、この数値は何となくわかるような気がする。

しかもその動きは急で、我が住宅地ですら周りの法面まで開発が進み、細かい区画にあっと言う間に一戸建ての住宅が建ち、そして知らない間に、若い年代の家族が住んでいることから、新築住宅が激増していることは事実なのだろうと実感させられる。

ここは都心にも1時間少しで行けるという立地条件がその背景にあるとも言えるが、反面、古家のついた住宅は敷地が60坪前後と分割するには中途半端で、売買が難しいらしく、売りに出している噂も聞くが、そのまま放置されている空き家の数も近年目立って多くなっているのも気になるところ。

中には、お隣のように、リホ-ムしたばかりなのに、何らかの事情で無住になり、数年過ぎた昨年に全て取り壊し、更地にした上に新築という例もあるが、もったいないね・・・というのが近所の声。

風の噂では、燐家では施設に入っている親が存命中は売りに出したくても出せず、今回の取り壊しは、両方の親の死亡がきっかけになっているという。恐らく子どもの勤め先がここからでは遠いこともあって、遺産相続絡みで売り出したのだろうと思われる。

若い世代の隣人ができたことは歓迎することだが、ずっと空き家で放置されている例も稀ではない。空き家率上昇の背景には、住宅を撤去して更地にすると固定資産税の軽減措置が受けられなくなるため、相続した住宅をそのまま空き家にしているケースが増えたこともあるらしいが、相続の難しさが問題を複雑にしていることは間違いなさそうだ。

加えて、地方では、若い世代は都市部に流れ、相続しても生活に困らないとしたら、別荘を持っているような気分になったり、あるいは、売るのも面倒だという理由で、そのままにしていることも多いらしい。

先日、ある新聞のコラムに『割れ窓理論』という言葉を見つけた。解説によると、空き家の窓ガラスが数枚割れていたとしたら、空き家であることは一目瞭然。放置すれば、窓ガラスはもっと割られ、その家や周辺には不審者がたむろする要因になり、やがてはその地域全体の治安が悪化するという理論だそうだが、なかなか言い得て妙と感心する。

放置された自転車の荷かごの中に空き缶が一個あったら、次の朝にはその荷かごは空き缶やごみでいっぱいになるのも同じ理論らしいが、これもよく目にする光景。

民間の調査機関の推計では、2040年には、空き家率は住宅総数の43%にまで達するという。すでに地方ではこれに類する光景がみられる地域もあるのだろうが、我が町でも架空の話と笑ってすませる話ではなさそうだ。

経済成長には新築工事は必要という国の政策があるのだろうが、邪魔なものは取り払ってまで、何が何でも新築という考え方はいただけない。

築30年の過ぎた木造建築は不動産価値はゼロに加えて、資産価値としてはマイナスだそうだ。現在のわが町では全てこれに類するが、実際は、中身をリホ-ムすれば立派に住める建物ばかり。

『もったいない』理論ではないが、経済という『錦の御旗』を振り掲げて、資産価値がないと決めつけて取り壊し新築という今までの考え方を捨て、大事に使って長く持たせるという発想が必要ではないだろうか。

その意味でも、日本人の考え方そのものをリホ-ムする必要がありそうだ。(田舎親父)

2014年8月 4日 (月)

男性も80歳超え・・・

 厚労省が先月末に発表した、『簡易生命表』というデ-タによると、2013年の日本人男性の平均寿命が初めて80歳を超え、80.2歳となったという。また、女性は86.61歳で12年に続き長寿世界一だとのこと。12年と比べて男性は0.27歳、女性は0.20歳延び、男女とも過去最高を更新したのだそうだ。

平均寿命が延びるということは,決して悪いことではないが、正直『また伸びたの』という声や『これ以上伸びてどうする気』という不安の声も巷では充満しているのではないだろうか。

かくゆう私も、間もなく71歳。デ-タから換算すると、後10年は寿命があり、この世で生活できることになるが、正直(少ないながら月々年金をいただき)社会にあまり貢献できていない現在の生活を思うと、申し訳ないという気持ちを強くする。

日本人の主要な死因であるがん、心疾患、脳血管疾患と肺炎による死亡状況が改善していることが要因だとのことだが、なるほどもっとも。時に出かける近所の総合病院には年寄りが多いこと多いこと。明らかに病気だとわかる人も少なくないが、どこが悪いのと思わせるような芸来な年寄りも数えきれない。『お前もだろう』という声が聞こえてきそうだが・・・。

私が出かけるのは、自分で作っている『桑の葉パウダ-』の効能を確かめる人体実験ととして、数カ月毎に行う血液検査であるが、おかげで特に悪い数値はない。しかし、恐らく悪い数値がでたとしたら、そのままにしておかずに、多分薬でも飲むのだろうと思うと、私のような年寄りが多いことも間違いなさそうだ。皮肉な見方をすれば私のやっていることは、早期発見を自主的に行っていることになり、ますます寿命が延びるのではないかと裏腹な心配をしてしまう。

以前にも記したことがあると思うが、母は私の15歳(中三)の正月に58歳で死亡した。病名は、不治の病といわれた結核であるが、今どき、結核が死亡原因になることはまず考えられない。

当時は、何故こんなに早く母親と別れなければならないのか天を恨み、一時的に横道に走ったこともあるが、それから3年過ぎ、今度は父親が、膀胱結石の手術後急死。恐らく今思うと手術ミスだろうが、享年65歳だった。母親の58歳はともかく、父親の65歳は、当時としてはさほど早死にといわれなかった記憶がある。

あれからほぼ50年。当時の父親の65歳が平均だとしたら、15歳以上も寿命が延びたことになる。たった50年と考えるか、それとも50年も過ぎたのだから当然と納得するかは人さまざまだろうが、(医療が進歩すれば、男女とも寿命は、まだまだ延びる可能性があるという専門家の意見は形の上では理解できるとしても)果たしてこんなに年寄りばかり増え、しかも子どもが少なくなるとなると・・・想像するだけでゾッとする。

最近、『平均寿命』とともに、介護を受けずに自立できるという意味での『健康寿命』という言葉が盛んに使われるようになっている。去年のデ-タはないが、10年度では男性は70.42歳、女性は72.63だそうだが、この数値が正しいとしたら、人生の最後のおよそ10年は、介護を受けて生き続けなければならないことになる。

数値からは、私も今日・明日あたりにでも『要介護』と宣告されて奇怪しくないのだろうが、介護される姿と想像したくないものである。介護している人、介護されている人には大変失礼な言い方になるが・・・。

暑さにやられたのか、なんとも締まりのない話題になってしまったが、『健康寿命70歳』という言葉の裏には、(私の周りを見渡しても)70歳をかなり過ぎても介護されることなく健康な生活を送る人が多い反面、さらに長い間、介護されなければ生き続けられない人も少なくないということになる。

今日のところは『考えさせられる・・・』という文言で終わりにするが、限りなく『健康寿命』が『平均寿命』が近づかないと、大変なことになることだけは間違いない。

そのためにも、後10年もあるらしい寿命がつきる寸前まで、自立した生活ができ努力は続け、今日も非生産的な歩きに出かける・・・。(田舎親父)

2014年8月 2日 (土)

今になって処分場とは変な話・・・

 先月末、栃木県における放射能汚染物質の最終処分場として、環境省の副大臣が塩谷町長に『国は最終処分場の候補地として、塩谷町寺島入にある国有林としました。公表する前に、まず町長であるあなたにそのことを伝えにやってきました』と挨拶したそうだ。

 町長のぶったまげた表情がテレビに映し出されていたが、町長が事前に何も知られなかったのだろうか。いくら現政権がお上意識が強くとも、こんなムチャクチャな話を突然言い出すとは思えないのだが・・・。

町長は絶対反対と良いながら、国の言い分は聞くという態度は、ある程度の情報はあらかじめあったことをうかがわせるが、それにしても、話が唐突過ぎる。

栃木県の処分場に関して、国は以前、地元に何ら連絡もなく、突如矢板市を指定したが、矢板市は当然として周辺自治体の首長や住民がこぞって反対したため、話は白紙に戻ったはず。それでも、栃木県はじめ、周辺の群馬・茨木・千葉の各県にそれぞれ最終処分場をつくる方針は不変らしく、選定作業を続けていた(いる)ようだ。

このことを伝える新聞記事によれば、国の候補地選びは、一定の面積を確保できる土地を抽出し、生活空間や水源との距離、自然度、指定廃棄物の保管量を点数化して決める方式で検討していたとのこと。私の乏しい知識ではとても点数化などできるはずがないと思うのだが、選定委員はムリムリでも点数で現すのことをお好き方が多いらしい。

選定が先行していた栃木県の場合、市町ごとに異なる指定廃棄物の保管量も考慮に入れて総合評価し、得点が最も高かった塩谷町寺島入に決めたとのことであるが、どこでどんな人物によって、どんな基準で・・・などは県民には一切知らされていなかったことだけは間違いないところ。

事前に何の情報もなく、テレビで副大臣(ここでもイシハラという大臣の顔はない)が町長に伝える映像で、このことを知った住民は反発。すぐに反対運動が起きたのは当然だろう。

私は塩谷町という名前すら初めて聞く。当然、この地域には全く土地勘はないが、候補地からわずか4km先には、1985年には環境庁(現環境省)の『名水百選』にも選ばれた『尚仁沢湧水』があるという。

基準場所選定会議の場で、このことが話題にならなったとは思えないが、基準には『名水』など入っていなかったのだろうか。もしも、議論の対象にならなかったとしたら、環境省は原発の『安全神話』と同じように、最終処分場は永久に安全だという、新しい且つ間違った『安全神話』を作ろうとしているとしか思えない。それとも、名水の存在など関係ないほど候補地の選定が先決なのかもしれないが・・・。

変な話である。原発から出るゴミがあることぐらい、今では小学生でも知っていること。専門家と言われる人々が知らなかったわけはなく、常識として、原発からでたゴミの処分は考えられていないはずがないと思うのだが・・・。

六ヶ所村に作っているという話を聞こえてくるが、実際には,原発が動き出して40年過ぎるのに、プルサ-マルを含めて、原発ゴミの処理サイクルシステムが動いているという情報はない。過去40年の原発ゴミの処分はどうなっているのかという話題もあまり耳にしない。

最終処分場は原発ゴミではなく、福島原発の(想定外の)事故によって生まれたゴミの話で、お前の言っていることとは筋が違うと言われるかもしれないが、事故の検証や住民の不安など無視して、再稼働を急いでいる現政権は、せめて今後出るゴミの行方を明確に説明する義務があると思うのだが。そんなことは現政権にとってはまさに『ゴミ』のような話なのだろう。

事故ででた原発ゴミはもちろん、今後再稼働するとしたら、ここから出るゴミを含めてどこか最終処分場が必要なことは当然で、国が急いでいるのも(したくないが)理解できる。

ならば、ここからは、私のいつもの論理になるが、原発ゴミの処分が永久に安全で安心というならば、場所を選ぶ議論など必要ない。一番、原発の恩恵を受けている都会でその処分を引き受けるのは当然ではないか。

東京のど真ん中、例えば国会議事堂周辺の地下深く、それこそどんな災害でも『永久に耐えうる絶対安全』な施設を作り、そこを最終処分場にすれば良い。

『絶対安全』ではないことは専門家たちでなくても今は明らか。政府は最初からこのことは折り込み済みで、安全でないから人が少ない場所に、『札束横っ面作戦』で作ってきたことは歴史が証明している。

 恩恵は都会に、被害は地方で・・・。こんなことがずっと続いているのだが、そろそろ真剣に考える時が来ているのではないだろうか。(田舎親父)

2014年8月 1日 (金)

京都の不安  なるほど・・・

京都新聞が伝えるところによると、長野新幹線の北陸方面へ延伸で、来春に金沢まで開業することに京都市が不安を覚えているのだそうだ。

兄弟が全て亡くなった今では、めったに行く機会がないが、京都は私が3歳ごろから高校卒業まで過ごした土地、愛着とはほど遠い気持ちではあるが、京都と活字を見ると、やはり何となく気になる部分があるらしく、この記事に強く目が留まる。

 北陸新幹線が金沢に伸びることは知っている。金沢はじめ沿線の人々にとっては、その日が待ち遠しく、指折り数えていることは想像に難くないが、京都が観光客を奪われるという心配をしているなんて考えてもいなかった。

 しかし、首都圏と金沢が2時間台で結ばれるとなると、首都圏からは、現在の京都のように気軽に出かけられるという印象が生まれることは間違いなさそう。『そうだ、京都に行ってみよう』というキャッチコピ-が、そのまま『ちょっと金沢に・・・』となっても奇怪しくない。

 大分以前のことになるが、上越新幹線の『越後湯沢』から『金沢』行きの特急列車に乗ったことがある。その時は、途中で下車したのだが、そのまま乗り続けたら、金沢に直行できることから、随分便利になったものだと思ったものである。

それでも東京からは4時間以上はかかる。それが、長野新幹線(名前に少し違和感があるが)の延伸により2時間半強で行けるとなると、観光客は増えるに違いない。沿線には、富山がある。富山は、剣や立山の最寄り駅。紅葉の季節のこの地の素晴らしさは、何度も訪れているので、観光客で溢れることも想像できる。

今までは、富山と金沢は一緒の地域だという考え方はなく、出かけるのはどちらかが目的の旅だった。金沢に出かける場合は、新幹線で米原に出て北陸本線か、羽田から飛行機で小松空港までというのが普通のル-ト。富山には、岐阜から高山線か、あるいは富山空港利用となるのが普通である。多くの人も、同じ日程の中で両方を訪れるという計画はあまり立てなかったのではないだろうか。

行政も同じだったらしく、これまでは石川県と富山県が一緒になっての誘致活動はなかったように記憶している。ところが、同じ線で結ばれるとなると、例えば一泊目を富山、二泊目を金沢(逆でも良いが)というコ-スがごく普通になり、気軽に両方を楽しむことができそうが。

両県はそのことはとっくにお見通しらしく、すでに、首都圏をターゲットに積極的な観光誘致を積極的に展開しているのだそうだ。これは京都が大変な問題だと頭を抱えていることは理解できる。

京都まで東京から2時間と少し、東海道新幹線の『のぞみ』に乗れば、わずか二駅で着いてしまうので、その気軽さが、ついつい暇が出来と何度でもという気持ちにさせるのだろうが、昨年には首都圏から1千万人超(全国からは5162万人)の観光客が訪れたらしいがというから驚きである。

私の過ごしていた50年前の京都でも、桜や紅葉の季節の説観光客の多さは凄いものがあったが、シ-ズンオフには静かたったことは経験として頭に焼きついている。しかし、現在は、年から年中人で溢れているという情報である。

京都にはリピ-タ-が多く、年に3、4回出かけるという人も私の周りでも珍しくないが、金沢のしっとり感は現在の京都の比ではないという情報が溢れたら、京都への3回のうち一回を金沢へという人も少なくないとなると、その焦りは半端ではなさそうだ。

京都が心配しているのは観光客の数だけではなく、大学生の確保などにへの影響もあるという。確かに、私の元同僚で、新潟県出身者は多いが、石川県や富山県のとなるとごく稀だったことを思い出す。

これは、両県(福井県も含めて)からは、首都圏の大学より距離的に、あるいは文化圏的にも京都・大阪(関西圏)が近く、当然就職も関西圏か地元。首都圏で勤めていた私の同僚に、北陸出身者が少ない訳だ。この心配も、なるほどもっとも・・・。

それが、時間的に同じとなると・・・。京都の焦りが手にとるように見え出してくる。(杉)

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