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2014年8月29日 (金)

諸悪の根源は寿命が延びたこと・・・

 先日、ネットで『人の寿命は、上限なく延び続けるのだろうか?』という一文を見つける。

 面白そうなので、斜め読みしたが、人類がずっと抱き続けてきた?この疑問に対する答えを出すためフランスのチ-ムが、長寿の人のグル-プと(アスリ-トが長寿だという仮説に基づいて)オリンピックに出場した人のグル-プを統計的に調べた研究結果だとのことで、素人的にもとても科学的な根拠はなさそうな代物のようだ。

 こんなことを真面目に研究と称してやっている人もいるのだという程度の感想しか持たなかったが、この記事で、ふと、以前もつぶやいたことがある、ドクタ-中松氏のことを思い出した。

 10年以上も前のことになるが、ある勉強会でこの御仁の話を聞いたことがある。主題がなんだったのか、またどんな内容だったかなどは全く記憶がないが、彼は本気で『人間は144歳まで生きられる』と語る言葉が何故か強烈に印象に残り、今でも高齢者問題を考える時にふと頭をよぎる。

 144歳というからには、彼は根拠も話したのだと思うが、そのことも全く記憶にない。ただ『自分は72歳。残り半分あるので、自分の意志で毎日プ-ルの中で仮死状態にしてエネルギ-のロスを省いている』という部分が頭にすり込まれている。仮死状態について誰かが質問したような気がするが、この御仁独特の話術で何となくウヤムヤ、私自身も納得しないまま今日に至っている・・・。

 フランスの研究チ-ムの結論は、寿命が延びる傾向が継続したのであれば、より多くの人がさらに長生きしている証拠が見つかるはずだったが、寿命が止まることなく延び続けるのを阻む『目に見えない壁』が存在すると、分かりにくい表現だがある一定でとまるだろうとのことである。ならばドクタ-中松氏の言っていた144歳の方がまだ説得力がありそうだ。

 しかし、仮に中松氏のいう144歳まで寿命が延びたとしたら、現代の人間社会のシステム構成は完全に崩壊し、逆説的になるが(論理の飛躍はあるだろうが)このことが人類の滅亡につながるのではないだろうか。

 現在の社会システム、特に年金制度などの基本は、紆余曲折がありながら、昭和40年代にできたのではなかっただろうか。先日もつぶやいたが、父親は昭和36年(1961)に65歳でなくなったが、当時では決して極端な短命ではなく、周りからは、世間的には普通だったと慰めを言われていたような記憶がある。

 当時の定年は、現在の公務員や一般的な会社と同じ60歳だったはず。定年後、数年で生涯の幕を閉じることを前提が年金制度の基本だと誰かに教えられ,なるほどと納得した記憶がある。

 当時は景気が良くなり右肩上がりに給料も上がる時代の幕開けだった。その後しばらくは好景気の傾向が続き、年金の積立額は増え続き、カネが余って仕方なく、その財源を使って全国に豪華な保養所を造りまくったことも今は昔。

 ところが、皮肉なことに、経済の発展で生活に余裕がでてきたのだろうが、その頃あたりから寿命が急速に伸び始め、気がつくと年金財源が底を尽き、保養所は全て負の遺産となり大慌てで整理、それがかえってマイナス要因になり、歴代政権はその場限りの制度改革を繰り返して今日に至っている。

 60歳という正規の制度はそのままに、年金支給年齢を65歳にしたことから、収入がない5年間を手当てするために嘱託という、なんとも奇妙な制度が常態化しているのもその一つ。

 5、60年前は、退職後5年程の生活保障として、この程度の金額を支給すれば何とかなるだろうと計算していた年金が、今では20年間支給が当たり前となれば、その制度そのものが成り立たなくなるのは当然のこと。なのに、先送りの連続が、今日のこのような現状を生んでいる。やってきたといったら、個人に渡す年金をできるだけ、問題にならない程度に引き下げてきたことだけ・・・。

 医療制度もしかり。この制度が発足した当時は,70歳まで生きる人は少ないだろうという前提。だからそれ以上生きてきたのだからご褒美という意味で、医療費一割負担にしたのだろうが、ここまで寿命が長くなった現在、そんなことをしていたら、制度そのものが破綻するのは火を見るより明らか。

 国は大慌てで、今年の4月から、新しく70歳になった人から2割負担という制度を始めたらしいが、たった数カ月(極端な場合は1日)出生時間が違うだけで、医療費が倍になるのも変な話である。

 このまま60歳定年の5年間嘱託という制度も、これからの寿命の延び方によっては,変えなければならないだろう。となると、ある意味,社会保障を妨げる諸悪の根源は、寿命の延びにあるといっても差し支えなさそうだ。

 もしも144歳まで寿命が延びたとしたら、私まで人生の折り返しにも到達しない。国は、産めや増やせやはまるで戦前のようなお題目を唱えているが、増え続ける高齢者を何とかしなければ,そんな政策は空絵ごと。

 そんなことを思っている私だが、先日、短時間のランニングにも長い距離を走るのと同程度の寿命を延ばす効果があるとの記事に、ランニングとウオ-キングとはあまり変わらないだろうから、無意識に私自身延命の手段をとっていると批判されているような錯覚を受けてしまう。

 私としては、寿命が尽きる一日前まで、介護を受けることなく『ありがとう』の一言を残して、静かにこの世と別れることを理想として日々努力しているつもりなのだが、それがかえって寿命を伸ばすことにつながるとは、何とも言えない変な気持ちにさせられる。(田舎親父)

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