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2014年9月

2014年9月30日 (火)

殺虫剤よりも良いだろうが・・・

代々木公園などを閉鎖したほど大騒ぎになったデング熱関連ニュ-スが、ここ数日、御嶽山の噴火という大自然現象でどこかにすっ飛んでしまったらしいが、その後も感染は徐々に拡大し、現在の時点で全国に42人が罹患しているという。

この数字を多いと見るか、大したことはないと判断するかは人それぞれだろうが、当局が未だに代々木公園などの封鎖を解除しないのは、どうしてもヒトスジシマカという蚊を都から完全に抹殺しないと気がすまないようだ。

しかし、そんなことが可能なのだろうか。そのガスに触れたら、たちまち死んでしまうほど強い殺虫剤を使えば、ヒトシズシマカは存在できなくなるかも知れないが、小さな昆虫などはひとたまりもなく死んでしまうだろうから、生態系の保護という観点からも、都の役人の中にも反対する人も多いはず。

結局は、蚊が生存できない気温に下がるまで閉鎖を続け、これ以上、感染者を出さないという作戦に出るしかないのかせ知れないが、ヒトスジシマカという蚊はなかなかしたたかで、卵の状態で越冬するというから、来年の5月になれば、またデング熱騒ぎがおきる可能性はゼロではない。

デング熱は日本ではたまたま70年ぶりで発症したが、熱帯の国々では毎年のように流行する、いわば当り前の伝染病だそうだ。

特に、2年後にオリンピックを開催するブラジルでは、昨年は約145万人が感染し、674人が死亡したというほど猛威を振るっているという。選手や外国人観光客にデング熱が感染しては国の面目も立たなくなることから、この対策は重要な課題らしく、様々な撲滅作戦がとられているらしい。

先日、その一つの作戦として、デングウイルスを媒介しない蚊を自然界に増やすことで、人間への感染拡大を防ぐという新たな試みが始まったというニュ-スに目が留まる。

ウイルスの免疫を持たせた約1万匹の蚊を放し、感染源の蚊と交配させる計画で、研究者は『画期的な予防法になる』と期待しているのだそうだ。

記事によると、リオデジャネイロの専門研究機関が、を『ボルバキア』と呼ばれる細菌に感染させると、体内でデングウイルスの増殖が抑えられ、人間への感染源にもならないことを突き止めたという。

この細菌に感染した蚊と別の蚊の間には、デングウイルスに免疫がある蚊しか生まれないため、将来的にデング熱の感染を抑制できる可能性があるのだそうだ。その方面の知識には疎いので、何故そうなるのかはわからないが、凄いことを研究している人や機関があるものと感心する。

 すでにこの実験は行われ、リオデジャネイロ北部で1回目の蚊を放出したという。今後3~4カ月かけて約1万匹を放し、細菌を持った蚊が自然繁殖するのを待つという。上手く効果がでればの話だが、殺虫剤で昆虫を皆殺しにする作戦よりは良さそうだ。

 ただ、この方法とて、自然界に対する人類の驕り的な作戦で、成功したら、デング熱は撲滅できるかも知れないが、自然界に新たな『種』を生み出すことになり、その影響となると未知数。手放しで歓迎できる話ではない。

 方法とともかく、全てが人間に害がある生き物を抹殺するか、形を変えてしか存在を許さないとなると、それで良いのだろうかと考えさせられる。(田舎親父)

2014年9月29日 (月)

自然からの痛烈な警告・・・

土曜日の昼ごろ、永青文庫の別館で、のんびりとコ-ヒ-をいただき、熊本銘菓の『加勢以多』を味わっていた時、タブレット端末を起動させた友人が『凄いことになっている』と声を出したので、画面を見ると御嶽山が噴火している映像。

 全くの突然のことだという。秋の週末、天気も安定していたので大勢の登山客がいたらしく、大変な騒ぎになっていることは想像できるが、その時は、噴火の規模もはっきりないことから、被害が少ないことを願うだけ。

 この時、瞬間的に思い浮かべたのが、もう20年ほど前になるのだろうか、私の親しい小学校の校長が阿蘇山で硫化ガスを吸い込み命を落としたという事故。彼は、ブロック単位の校長会の仲間と、研修旅行で阿蘇にでかけ、その難にあったのだが、当時、一緒に旅行していた校長の一人は、自分も一時意識不明になったと語っていた。

 彼女(女性校長)は、前を歩いていた彼が突然、金縛りにあったように動かなくなったが、同時に自分も倒れたのでその後はわからないという。後で判明したことだが、彼は立ったまま絶命したとのこと。

事故現場の検証で,当時硫化ガスはわずか1メ-トル程度の層で流れたらしく、それを吸い込んだ彼は一瞬で絶命、彼女は、倒れたために頭上のガスの帯から逃れられて助かったことを知る。

恐らく、御岳山の噴火の映像を見る限り、硫化ガスも噴出しているに違いないと思うと、火山灰を浴びて窒息状態になることに加えて、硫化ガスを吸い込む登山客もいるのではと心配が加わる。

 その日、友人を見送り帰宅してテレビをつけると、今場所は『逸ノ城』という若手の力士の活躍で盛り上がっている大相撲放送をEテレに追いやり、本来のNHKの1チャンネルは、噴火のニュ-ス一色。噴火の様子や何とか難を逃れて下山してきた登山客などへのインタビュ-が続いていた。

 噴火したのは27日の午前11時53分だというから、登山客の多くは、下界の紅葉の景色を味わいお昼の休息時間。その時突然大轟音とともに噴煙が上がり、火山灰や火山弾が降り注ぐ。あたりは真っ暗になっただろうから、大パニックに陥ったことは間違いない。

 その時点で、意識不明者が7人、山頂付近では取り残されている登山客も多いとのことだったが、翌日の朝刊は、岐阜・長野両県警によると、7人が意識不明の重体、27人が重傷。このほか、負傷者も多数いる。けがなどで登山者ら48人が山荘に取り残されているとあるが、確実な情報ではなさそうだから、山小屋などで救援を待っている人は増えそうだ。

 噴煙のためにヘリコプタ-が山頂に近づけず、日没になったこともあってその救援活動は打ち切られた。翌日曜日、注目してNHKの情報をチェックしたが、テロップには出るが、現場の様子を伝える映像は『のど自慢』を10分遅らしたものの定時のニュ-スでは大きく取り上げるが、広島の土石流被害とは桁違いに扱いが小さいのが少し引っかかる。

 御嶽山は、小学校の教科書では『死火山』という扱いだったが、1979年10月に突然大噴火。これが引き金となり、それまで、火山の種類分けの言葉になっていた『活火山』『休火山』『死火山』という区分を廃止させた記憶も蘇る。

 当時の噴火は『有史以来』という言葉が盛んに使われたことも思い出す。その後、小噴火はあったものの、現在では、気象庁も危険という認識がなく、特に、登山の制限などしていなかったようだ。

 安全なはずの御嶽山が突然噴火。最近の科学をしてでも予測できなかったとなると、日本国内にある、110とも言われている火山が、いつ『噴火』をするのか、誰もわからないことになる。その中には、トンデモない『大噴火』もあり得るだろう。

小学生でもわかるこんな簡単な原理を、経済の発展のため(実際は利権だろうが)と称して、火山の近くの原発を再稼働させる?。金儲け亡者たちは、噴火なぞに影響されないとはなんという良い草・・・。

今朝の時点で、死者4人、心肺停止27人とある。楽しみの登山が一転悲惨な結果になったことに心から同情するが、自分の意志で御嶽山に登ったのだから、誰かに責任を転嫁することはできないだろう。

今回の御嶽山の噴火は、自然からの痛烈な警告と受け止めたい。(田舎親父)

2014年9月26日 (金)

これでは復興が遅れるばかり・・・  

先日の朝日朝刊一面トップに『公共工事の未消化16兆円 発注増と人手不足で過去最高』という見出しが踊っていた。一瞬何のことなのかピンとこなかったが、未消化というからには、受注を受けても手が回らない事業だろうと見当がつくと、災害復興が進まないわけはこのあたりにありそうだと先を読み進める。

 『未消化工事高』という専門用語があり、国や自治体による公共事業で、建設業界が受注した工事がどれだけ残っているかを示す言葉だという。その意味は、建設土木業者が国や自治体から受注した公共工事額から終わった分の工事額を引いた金額だそうだ。

『契約』とは、いついつまでに確実に納入(完成)する約束事で、工事が完成できない場合は、契約違反になり、何らかのペナルティが課せられると思っていたが、現実はこんな言葉がまかり通っているらしい。

 この『未消化工事高』が、今年の7月に16兆7333億円と過去最高になったとのことであるが,16兆円とは巨額過ぎて、どれぐらいが未消化なのか皆目見当もつきかねるほど・・・。

現政権は景気対策という名目で、公共事業に力を入れていることは私でも知っている。ところが、最近は、人手不足や資材高騰で着工が遅れ、結果として完成そのものが先のばしになるのが日常的になっているようだ。これでは、本当に景気対策になっているのか危ないもの・・・。

ここ数年来、顔なじみになりよく話をするようになった工務店の社長がいるが、最近特に話題にするのが、人出が集まらないということ。募集をかけてもなかなか応募がなく社員不足に陥っているという。そのために、時には、工事の入札にすら参加できないのだそうだ。

入札でき受注しても、人員のやり国に四苦八苦し親会社から睨まれるのは日常茶飯事だというから、工務店経営も大変そうだ。睨まれたら、次には利益の上がる工事が回ってこないこともあり得るので、受けた以上約束の期限を守らねばならないのだが、これがとにかくきついとよく話している。

記事によれば、ここ数年の『未消化工事高』は10兆~12兆円台が多かったそうだ。こんなにある事も始めて知るが、この額が昨年から増え始め、7月には前述のように、ついに16兆円を超え、統計を取り始めた09年1月以来最も多いという。

 背景には、現政権が進める景気対策のための公共事業の急増があることは私でも想像できる。今年7月に建設業界が受注した公共工事額は前年同月より24・1%増の1兆7097億円だったのに対し、7月に進んだ工事は6・3%増の1兆4855億円分だったとのことだが、その額が大き過ぎて私にはよく理解できない。

 『未消化工事』は業者がすでに受注している工事であるが、それ以前に『入札不調』もあるという。国や自治体が業者を選ぶための入札をしても、人手不足や資材高騰で工事費用が想定よりも高くなっていて、落札する業者が現れないというから困った話。

大手ゼネコンは『人手が集まらず、工事のペースをこれ以上上げるのは難しい』と話しているというから、現政権の、景気対策ための公共事業の拡大が、かえって現場を混乱に陥れているようだ。

福島原発の汚染水対策の工事が進んでいない事は、時にマスコミが伝えている。各地の除染も、なかなか思うように進んでいない事も聞こえてくる。原発の事故処理工事よりもうま味のある仕事があれば業者はそちらに向くのは当然で、放射能相手の仕事にはますます人が集まらないのも当り前。

景気対策は間違っていないとしても、そのために原発処理工事に人や物が集まらないとなると、政策そのものを見直す必要もあるのではないだろうか。

タテマエは、景気の動きを見て、消費税10%にするかどうか判断するとのことであるが、その実はすでに消費税値上げは既定の事実になっているらしい。このまま10%にしたら、公共事業で押し上げてきた景気の伸びがポシャり、国民の生活は圧迫されることは間違いなさそうだ。

今ですら、公共事業の拡大で赤信号が灯り始めた福島の復興は、ますます遠のきそうな気がする。

『現場手いっぱい、こなせぬ公共工事 景気対策効果に疑問』という見出しに納得する。(田舎親父)

2014年9月25日 (木)

先へ進まない拉致問題・・・

また裏切られた。政府は、北朝鮮と『夏の終わりが秋のはじめには、しっかり調べて報告する』という約束をしたので、今回は間違いなく拉致問題は進展すると発表したが、秋分を過ぎた現在、未だに北朝鮮からの連絡はないらしい。

拉致被害家族は今度こそ・・・、最後の望みだ・・・と期待を込めて、夏の終わりを待ち続けたが日は過ぎ去るばかり。それでも、今度こそ・今度こそと、わずかな望みをもって秋のはじめを待ったが、やはり叶わなかった。

期待が大きいだけ落胆も倍加する。拉致担当相は秋の終わりごろにずれ込みそうだと発言しているらしいが、秋の終わりはすぐそこに迫っている。日本政府は、今回こそ北朝鮮は本気だと判断したのだろうが、どうやらこの認識は甘かったようだ。

今後、この問題はどうなるのか、素人の私には全く読めないが、このままずるずると日がたつ事だけは勘弁願いたいもの。しかし、一旦、北朝鮮の言い分を聞いて、制裁を緩和してしまった以上、この交渉は相手のペ-スで事が進んでいるぐらいは理解できる。

今頃、北朝鮮の独裁者は、どのぐらいのデ-タを示したら事が有利に進むのか見極めているのではないだろうか。全くデタラメな資料を出したら、すぐに制裁が再開される恐れがある。それは困る。かといって、全ての拉致被害者を返還すれば、今後の交渉はパイ不足になることは明らか。今、この兼ね合いを見極めているのではないだろうか。

 アホベ政権は,拉致を解決すると宣言した以上、下手な妥協をすれば命取り、かと言って、このまま誠意ある回答を待ち望んでいても、時間が過ぎるだけ。どうやら、この交渉は相手が一枚も二枚も上で、日本政府が交渉を打ち切れないことを見越して、わざと先のばしにかかっているようだ。

 拉致問題が解決不能となり、交渉打ち切りとなれば、たちまち現内閣の支持率は低下するに違いない。しかし、このままいつまでも待っていれば、拉致被害者の家族会が内閣不信任に陥る恐れがある。恐らく、政府内部では苦悩と焦りが混じり合っているのでは。

 すでに、アホベ内閣は、問題の根本的な解決は不可能という判断をしているのかもしれないが、それを言うと、たちまち大混乱。下手すると政権崩壊につながる恐れがある。

となると、何とか先のばしするしか方法がないのだが、夏の終わり、秋も過ぎ冬の到来も間近となると、次はどんな表現で国民の期待をつなぎ止めるのだろう。

 それとも、水面下で北当局と極秘の交渉し、ごく一部の、拉致被害者家族会幹部の対象者を返還し、政権の安定と家族会の分裂を誘う?こともあり得そうだが・・・。(田舎親父)

2014年9月24日 (水)

組体操の難易度競争・・・

 一昔前までは、運動会は秋の季語として定着していたが、秋は行事が重なり、児童生徒の負担が増えるという理由(実際は、教員の負担だろうが)で春に行う学校が増えている。しかし、秋にこだわっている学校も少なくないようだ。

 そんなことを思っていると、『ピラミッド崩れ4人けが 兵庫の中学、10段に挑戦中』という見出しに出会い、組体操の最近の難易度競争に『またやったか・・・』という思いが頭をよぎる。

事故が起きたのは、17日の昼前。兵庫県の公立中学校の校庭で組体操の練習中、男子生徒181人で10段を目指して作っていたピラミッドが崩れ、最下段の3年生3人と1年生1人の計4人が頭や胸などを打ち病院に運ばれたという。1年生が入っていることにホットするが、よほど体格がよくて抜擢?されたようだ。

いずれもけがの程度は軽いというから一安心だが、何も無理して10段のピラミットなどに挑戦させる必要があるとは思えず、教師というか、学校の一人よがりによる外へ向けてのアピ-ルする姿勢の加熱が背景にあったに違いない。

組体操は『運動会の華』とも言われている。私も現役時代、組体操を指導した事があるが、当時は、怪我は当り前という風習があり、完全に元に戻るような怪我は、怪我の内に入らないという気持ちが生徒にも保護者にもあり、かなり無茶な要求した事を、反省の意味も込めて思い出す。

幸い、大きな怪我をさせなかったが、私なりに専門家に教えを乞いながら勉強もして、小学校の5.6年生で作るピラミットは5段が限度という認識に至ったこともかなり明確に記憶にとどめている。

5段のピラミットでも壮観で校庭には割れんばかりの拍手の嵐が起きた事は言うまでもない。当時は、その事が他校にも知られることになり、翌年では近隣の小学校で5段ピラミッドが当り前になった事も懐かしい思い出である。

現役を離れて運動会など見る機会はなくなったが、組体操が『運動会の華』であることは生き続けており、その難易度が競われているらしい事と、怪我が絶えないことは時に報じられるニュ-スで知っている。

この事故の記事によると、兵庫県の中学校の組体操におけるピラミットの段数は9段が最高で、県下の2校が成功しているのだそうだ。5段でも一番簡単な構造では5人の背中に4人が乗り、順々に3人・2人は組上がり、最上段の子どもが立ち上がってポ-ズを作る。そこで大拍手歓声・・・。

9段・・・など想像もつかないが、当り前だったような記事に衝撃を受ける。同校は来年の合併で町の名前が消える事から、生徒会が『町立中学として最後の記念にしたい』と提案し、10段ピラミッドの記録に挑んでいたのだそうだ。これもあり得る。

校庭で教師22人の指導の元、総勢男子生徒約230人が参加して組体操を練習していて、うち181人が10段のピラミッドに挑戦していたという。単純に計算しても、10段組むのに、最低でも55人必要。おそらく、人数を増やして、生徒にかかる負担を少なくする工夫はしているのだろうが・・・。

今回の事故は8段目まで組上がった時に崩れたという。翌日に運動会を控えていたというから、最終的な練習だと推察している。それまでにも崩れては建てなおし、建て直しては崩れるという厳しい練習が(他の教科の授業時間をなし崩しても)重なったことも想像できる。

捻挫や打ち身は仕方ないという気持ちが生徒にも教師にも、そして保護者にもあったに違いない。だから、無理だから止めよう・・・と言う声を封殺して、ひたすら練習を繰り返す。学力テストの点数にこだわる一方で、こんな事が流行っている。何とも言えない気持ちにさせられる。

どうやら、今日では運動会では、組体操をやることが前提となり、難易度の高い派手さを競い、それで拍手喝采を求めることが『目的』となってしまっているようだ。

そろそろ『組体操を止めよう』という声が出てきても奇怪しくないと思うのだが、そんな声が出ないところが、今日の学校の持つ大きな課題の一つなのかも知れないが・・・。

それ以前に、『運動会(保護者の狂騒する)のあり方』を考える時期に来ているのではないだろうか。(田舎親父)

2014年9月23日 (火)

朝型就労を言い出す政府に違和感・・・

 20年間365日、毎日届く『daily-topics:』という、敬愛する友人が運営するメルマガがある。彼は、過去も含めて知り合った人たち(現在では総数5000人と聞いているが)に毎日配信しているのだが、どこからこんなエネルギ-があるのかというのが友人たちの共通の驚きである。

私も、いつの間にか彼のファンになり、拙文を送りつけ掲載してもらうようになっていると同時に、分野が多岐に渡っているために話題探しに大いに参考にさせていただいている。

 先日、そんな彼のメルマガの、■「朝型勤務」本格普及へ指針改定検討 残業削減「早く帰りやすい雰囲気」に・・・という見出しに目が留まる。

付帯している原文のサイトを開くと、政府は、長時間労働の見直しに向け朝型勤務を普及させようと『労働時間等設定改善法』の指針を改定する方針で、残業時間削減の手法として有効な朝型勤務の趣旨や取り組み事例を盛り込むことを検討するというニュ-スに出会う。

また、導入企業に助成金の取得を促したり、働き方の相談窓口となる専門コンサルタントを全国で増員したりして、朝型勤務の本格普及に乗り出すともある。

厚労省は、『労働時間等の設定の改善に関する特別措置法』に基づく指針で『労働時間等見直しガイドライン(通称)』を改定し、一定時刻以降の残業は禁止し、終わらなかった仕事を早朝にまわす朝型勤務を推奨することを検討しているのだそうだ。

時間の限られた朝の勤務で、効率的な働き方を促す狙いらしい。字面を見ると、なるほどもっともである。夜の残業時間を減らして『早く帰りやすい雰囲気』をつくり、男性が育児に参加しやすくするというから反論する余地はないようだ。素直に解釈すれば、これが当り前の社会になったら、世の女性たちは、育児や介護などの事情があってもフルタイム勤務を可能にするだろう。
 そのために、既存の『働き方・休み方改善コンサルタント』を来年度は、全国で10%以上増員するのだそうで、すでに15年度予算の概算要求に盛り込んだという。残業時間削減や年次有給休暇の取得率引き上げなどに加え、朝型勤務導入の相談にも応じるとのことである。

ワークライフバランスの推進に取り組む中小企業を支援する『職場意識改善助成金』で、朝型勤務の導入に向けたコンサルティング費用なども助成対象として周知すると、バラ色の政策が並んでいる。
 結構なことである。実際に、この朝型勤務は大手商社の伊藤忠商事が午後8時以降の残業を原則禁止、早朝(午前5~8時)業務の割増金を引き上げる制度を今年5月に正式導入して、残業時間が短縮され、会社が支払う残業代や電気使用量も減ったという事例も紹介している。

結構づくめではないか。いやはや凄い政府である。お世辞抜きで素晴らしいと拍手したいところだが、ちょっと待て。現政府が、これまで庶民にとって優しい政策をとってきただろうかと考えると、絶対に否。なのに、今回だけは庶民の見方?・・・。そんなことはまずない。こんな政策を打ち出した裏には、必ずもっと酷い収奪の論理が隠されているに違いない。

ふと、先日打ち出した、ホワイトエクゼブティだっただろうか、専門職や高額年収を得ている人に限るという条件をつけながらも、『残業代ゼロ』という法案を国会に上程するという話を思い出す。

方や、残業を少なくするために朝、早く出勤して仕事を片づける。こなた、残業代ゼロにして、能率給を導入・・・。相反するようだが、『遅くまで残業しても片づかないのなら、早く出てこい』という裏返しの論理のように聞こえるのは私だけ?・・・。

政府は『仕事と生活の調和した社会』を目指し、20年までに週労働時間60時間以上の雇用者割合を5%(13年で8.8%)に下げ、年次有給休暇取得率を70%(12年で47.1%)に上げる目標を掲げているらしいが、何だか絵に描いた餅のように思えるのだが・・・。

夜遅くまで働かされて、解決しないのは能力がないから、せめて、朝早く出勤して仕事をしなさいというのは反論しにくいが、残業代も出さず、帰宅が遅いのにもかかわらず、朝早く出勤させる社会では、ますます格差が広がると同時に、少子化に輪をかけるような気がしてならない。(田舎親父)

2014年9月22日 (月)

劇的に世界が変わっただろうが・・・

 日本国内でも大きな話題になり、連日、マスコミが狂騒していたイギリスからのスコットランド独立の是非をめぐっての住民投票が18日に実施され、結果は今更言うまでもないが、独立に反対が200万票あまり(約55%)、賛成が160万票あまり(約45%)となり、10ポイント差でスコットランドのイギリス残留が確定した。

詳しい歴史的知識はないが、スコットランドは約300年前にイギリス(イングランド)に併合されたという。テレビのおかげで、独特の民族衣装のことや、イギリスの国旗が当時のスコットランド国旗の一部を組み入れているということも始めて知る。

スコットランドはイングランドとは民族が違い、その文化や風習は独特のものがあるらしい。今回、独立を目指したのはイギリス政府から疎んじられてきた不満が、若者中心に爆発したのだと伝えられているが、どことなく我が国の沖縄の事情と似ているような気がしてならない。

イギリス政府は、独立運動がこれ以上広がることを恐れて、去年?の時点で、今なら住民投票で勝てると判断したらしく、首相は独立を目指す政党の党首と『一度キリ』という約束で住民投票を認め、いかなる投票率であっても一票でも多い方にという妥協案を示したそうだ。

首相としては余裕の提案だったに違いない。『一度キリ』という約束は、2度と独立を言い出さないという切り札。これでこの問題は片づいたと確信したことは疑いない。

ところが、独立賛成派はどんどん増え続け、いよいよ投票が近づくと、世論調査によれば、一時は賛成派が多数になった事から首相は大慌て、何度もスコットランドを訪れて、様々な懐柔作を打ち出したという。

翌日に、この投票を分析した解説をネットで見つける。まず、年齢層を24歳以下・25~39歳・40歳~59歳・60歳以上と、を4つに分けて投票率を調べたそうだ。日本流の言い方をすれば、若年層・壮年層・熟年層と高齢者層というところだろう。

終盤の世論調査によれば、25歳~39歳の年齢層がもっとも独立を支持し、賛成が反対を12ポイントも上回っていたのに対して、60歳以上の年齢層は反対が賛成を20ポイントも上回るほどイギリスに留まる選択をしたそうだ。

これに対して24歳以下と40歳~59歳の年齢層では、それぞれ独立への賛否が伯仲しており、いわば、高齢者の反対が壮年層の賛成を上回ったと分析している。

有権者に占める高齢者の割合が28%に対して、壮年層の割合は23%と、スコットランドにおいても老齢化が進んでいることに加え、その上、投票率でも高齢者層が圧倒したことが決定的な要因に違いない。

高齢者層にとって、独立を得ても、今の安定した生活がどう変わるのか、また資産をどう守るのかというのが大きな関心事になる事は想像に難くなく、イギリス政府が、独立という結果になった場合、『通貨ポンドは絶対ル使わせない』という強い態度は、決定的な脅しに聞こえたに違いない。

さらに、当初の世論調査では、スコットランド独立に対する支持については、一貫して女性の支持が男性よりも低く、終盤の世論調査でも、男性では独立賛成が9ポイント高かったのに対して、女性では逆に反対が12ポイント高くなっていたというのが面白いというか、もし、現在の日本だったらと想像したくなる。

そして、最終盤になってエリザベス女王が、やんわりと『独立反対』を口にしたことも結果に影響したのではないだろうか。女王のお出ましで、どちらかというと賛成に傾いていた人々が、はっきりと賛成を表明するのではなく『棄権』を選択したのではないだろうか。投票率がもう少し上がっていたら・・・と思わないでもない。

 一度キリの住民投票の結果は独立否決となったわけだが、半数近い人々がスコットランド独立を求めたという事実は重い。古くから民主主義の本場を自認しているイギリスのことだから、決定的な闘争には接点しないだろうと推測しているが、それでも、この数字は深刻で、夫婦や親子、兄弟など多くの家族の中に少なからず亀裂が起きるのではないだろうか。

我が国では、終わった事だとマスコミは一斉に報道合戦を終焉するだろうが、歴史的にも沖縄は琉球国という独立国家だった事から、沖縄の人たちの独立の気運が大きくなってほしいと願っている私には、今後のイギリスの動きに関心を持ち続けたいと思っている。

そのスタ-トを11月に行われる沖縄知事選に求めたい・・・。(田舎親父)

2014年9月20日 (土)

また一つ食文化が消える?・・・

 先日のテレビのニュ-スでアナウンサ-が、クジラの資源管理を話し合う国際捕鯨委員会(IWC)の総会がスロベニアで始まり、その会議で、国際司法裁判所から中止の判決を受けて今年度は見合わせていた南極海での調査捕鯨計画を来年度から再開する方針を主張するという話題を取り上げていた。

この会議では、反捕鯨国のニュージーランドは、日本の調査捕鯨の再開延期につながる決議案を提出して、調査捕鯨を中止に追い込む方針だそうだが、反対する国の数が多いらしく、日本の立場は相当苦しいとのこと。

その採決があり、ニュ-ジ-ランドの案が採択されたとのニュ-スが流れたのは一昨日の夕刻。予想されていたとはいえ、日本の捕鯨に対する批判は相当厳しいものがある。

普通に解釈すると、南極海での調査捕鯨は来年度できない事になるはずだが、この採決には法的拘束力がないことをいいことに、採決を無視して調査捕鯨を(頭数などは少なくするらしいが)再開する方針だと明言しているのはいただけない。

ニュ-ジ-ランドはじめ、捕鯨反対の欧米各国の反発はますます強くなり、より厳しい提案が出てくるのは当然だろう。

鯨肉を食するのは一昔前まではごく一般的に普及していた。私の子どもの頃には、鯨肉が魚屋の店頭にごく当り前に並び、庶民の夕飯のおかずになったもの。龍田揚げというのだろうか、パン粉をまずして油で揚げた一品が大変なごちそうだった事も記憶に残っている。

ところが、そんなことを懐かしむ年代は少なくなり、普段ス-パ-の魚肉売り場で鯨肉を見かけることはまずない。時にあっても、買い求めて調理したいと思うのは、かなり料理にこだわる人か、それ以外では、私以上の年代の人が、懐かしがって購入するだけで、若い人たちは一瞥すらしないで通り過ぎる。

鯨肉を見かける機会はほとんどないが、鯨肉を食する文化は地方の海岸線に残っていることは知っている。関東では千葉県の房総半島がよく知られており、以前、何度が旅行でこの地を訪れた時に、『くぢら』という幟を目にし、実際に鯨の肉を使った料理を食したことを思い出す。

現在の私には、決してお世辞にも美味いとはいえないが、昔食べた事があるなあ・・・という懐かしがなんともいわれない味を感じたものである。中には、鯨肉で町おこしという地域もあると聞いているが、その狙いは若者に鯨肉の魅力を伝え、この地の食文化の継承と同時に、観光資源として利用し、鯨肉を懐かしむ年代を呼び込むきっかけとしているようだ。

この手法はともかく、こんな文化の残る地方で食する鯨肉は、ミンククジラの捕獲が禁止されてからは、一部は調査捕鯨からの芸肉も混じっているらしいが、時に沿岸部に近づく小型のツチクジラを頭数を決めて捕獲していると聞いている。

話を戻すが、IWCの総会で『先延ばししなさい』という提案が通ったにもかかわらずそれに従わない日本の態度を、反捕鯨国の世論は許さないだろう。もっと圧力をかけるべきだという方向になるのは当り前の話。

法的拘束力をどのようにつけるのかは、シロウトの私にはわからないが、全ての国際会議は法的拘束力を加える方向で動いていることから、ニュ-ジ-ランドやオ-ストラリアなどは、アメリカやカナダはもちろん、ヨ-ロッパの反捕鯨諸国の賛同を得て、法制度を確立して、近い将来『南極海での捕鯨禁止』とする議案を採決すだろう。

さらに、北太平洋でも捕鯨禁止もその延長線上で出てくることも当然あり得る。そればかりではない、日本の捕鯨を目の敵にしているのだろうから、鯨の捕獲そのものが残虐で野蛮好意であるという国際世論づくりに発展し、挙句は、地球上の全ての地域での捕鯨禁止という決議にもなりかねない。

 沿岸での捕鯨を国際的に否定されないためにも、この際、南極海の捕鯨から撤退するという姿勢が必要な時だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月19日 (金)

基幹集落的な発想法では・・・

 以前も取り上げたが、このままでは消えてしまう自治体が数多いという有識者会議?の提言に対して、政府は、過疎地域の集落機能を維持するため、複数の集落を一つのまとまりにして活性化する『集落ネットワーク』のモデル事業に取り組む方針を固めたというニュ-スに、大きな違和感を覚えたのはつい先日のこと。

 その内容は、中心となる『基幹集落』に商店など地域のサービス拠点を集約し、周辺集落の住民の交通手段を確保するのだそうだ。人口減や高齢化が進み、集落単体では機能の維持が難しくなってきており、将来的に持続可能な集落づくりを目指すのだそうだが、『基幹集落』の外に住む人たちを切り捨てることになるのではという疑念が浮かぶ。
 過疎地域の集落は全国で約6万5000あるという。総務省が10年に実施した調査では、『10年以内に消滅する』とされた集落が454あり、『いずれ消滅する』とされた集落も2342。すでに消滅した集落の要因の多くは、人口減の加速によって最終的に住民がいなくなることによる『自然消滅』だったとある。

小さい集落が自然消滅したということは時に耳にする。全員離村という話題も聞く事もある。車を運転できなくなると、年寄りには生活の糧すら求める手段がなくなり、結局は、里に降りるより仕方ないという話は枚挙にいとまない。

こうした状況を踏まえ、政府は、戦略的に集落機能の『選択と集中』を進める必要があると判断したとのことだが、ここまではごく正当な話。集約集落以外の消滅は仕方ないと選択された集落の人々に取っては厳しい現実だろうが、現実に生きていけないとなると、政府の方針もわからないでもない。

しかし、『集約』した集落が、今後集落として維持できるかとなると心もとない。政府の案は、過疎地域内の複数の集落のうち、中心になる集落を『基幹集落』と位置づけ、商店やガソリンスタンド、高齢者福祉や健康づくりのサービス拠点など日常生活に不可欠な機能を集約化させるという。

政府案は、昔広い地域に分散していた『生活可能集落』を、形を変えて狭い地域にまとめて現在流で解釈する『生活可能集落』を作るだけで、将来的に持続可能かとなると、大きな疑問がわいてくる。

政府の考えている『基幹集落』の規模はわからないが、その集落からその地域の都会まで電車が走っているとは思えない。恐らく、一日数本というバス便があれば良いほうで、車がなければ人々の生活が成り立たないのではないだろうか。

ガソリンスタンドは必須だろう。しかし、横浜の片田舎でもガソリンスタンドの数は減る事は日常ながら新たにできる事はない。基幹集落の車の台数だけではとても経営が成り立つとは思えず、国にその運営を全額負担するという図面があるとは思えない。商店も住民の数が問題で、病院ともなればさらに多く住民数が求められる。全てが国の運営などとても考えていないだろう。

やがて、地域の中心都市から遠い基幹集落は、その集落の高齢化に合わせ、車も運転できなくなる住民が増えると消滅集落になることは容易に想像できる。

消滅集落は高齢化による人口減。これを防ぐには若者を移住させることしかないと以前から思っていたが、産業を呼び込む方法がなく、思考がそこで停滞している。

先日ある勉強会で、『自伐林業』という産業の起こし方を聞き、目からうろこ。基幹集落的発想は、消滅集落になる時間を少し伸ばす、いわば対処療法であることを改めて教えられた。

 『自伐林業』については、後日述べることにするが・・・。(田舎親父)

2014年9月18日 (木)

耕作放棄田が増えるのでは・・・

 横浜の片田舎の田んぼでは、稲穂が頭を下げ始め、あたり一面黄金色の季節の到来である。お彼岸過ぎには稲刈りが始まるのだろうが、ス-パ-には早々と各地から新米が届いているらしく、『○○県産コシヒカリ』などという袋を見かける機会が多くなった。

 ス-パ-だから、安売りは当然なのだが、(魚沼産は別格としても)コシヒカリブランドでも5kgで1500円前後の表示に驚き(普段は食品売り場を素通りする私でも)立ち止まって産地を確かめることも多い。そして、こんな値段で売っているとなると、一体いくらで仕入れるのだろうという素朴な疑問が頭をよぎる。

 そんな折り、先日の新聞に『今年の作付けは全国的に去年と同じかそれ以上』という見出しを見つけ、ホットすると同時に、ス-パ-で見た光景と重なり、米農家は豊作だからといって喜んでばかりいられないようだと気の毒になってしまう。

 実際に、この記事には、『現在のところ、農協が農家から買い取る新米の価格は、昨年より1割以上も下がった』という文面がある。高齢化と人口減でコメを食べる量も人も減っていく時代状況に加え、13年産米が多く余っていることも響いているのだそうだ。

 13年産米が、7月末時点で120万トンも倉庫に残っているという。そしてこの量は国内消費量の15%にあたるというから驚く。これでは新米が売れずに、価格が下がるだろうことは私でもわかる理屈。改めてコメ離れが進んでいることを感じる。

コメの消費量は最近、年約8万トン(全体の約1%相当)ペースで減少しているらしいが、この記事で、先日のある飲み会の場で、『減量のために夕食から炭水化物(コメ)を追い出した』という友人の話を思い出す。

話題の主は、コメを食べなくなったら体重が落ちて体が軽くなったという。そんな事はないだろうという声もあり、その場はコメの話題でしばし盛り上がった。コメがメタボの原因になっているのかはわからないが、私自身、ずっと以前からコメ離れの生活を送っているので、主の言い分が何となくわかるような気もするが・・・。

米消費量の減少要因の一つに、持ち帰り弁当などの中食と外食の『小盛り』もあるらしい。最近はほとんど外食をしないので、『小盛り』というメニュ-は見た事はないが、回転寿司では(こちらは経費削減のためだろうと思っているが)、『ネタも小さくなったが米の部分が随分と小さくなった感じがする・・・』という文章を何かで読んだ記憶があるので、あり得る話と納得する。

 話を記事に戻すが、近畿圏のあるスーパーでは、三重産の新米コシヒカリ5キロは昨秋より2割ほど安い1600円前後の価格をつけて『集客の目玉』として、特売を始めているそうだ。

また、福井産の新米ハナエチゼン5キロも1400円前後で、去年より1割以上安いのだそうだが、円安で輸入の乳製品や食肉が値上がりするなか、ほぼ国産のコメの安さが目立つとまとめている。

野菜の高騰も激しいが、私が一番感じるのは、ビ-ルの価格。今年の3月末までは(以前も取り上げた記憶があるが)500ml缶6本入りケ-スで1480円。この価格は消費税5%分が内税で入った価格。4月に入り、消費税の増税分3%が外税として上乗せされて1521円になっていた事は仕方ないとしても、最近は、定価として1580円と表示され、これに8%の消費税が加算された価格が横に小さく日表示。実際に支払う価格は1642円。何だか値上げ詐欺にかかっているような感じすらするのだが・・・。

それはともかく、値段が下がっている物はコメだけという記事に、私自身コメをあまり食べないので偉そうなことはいえないが、なんとも世知辛さを感じる。ここまでコメの価格が下がってはコメ農家の行く末が心配になる。

 国はコメの価格を維持するための減反(生産調整)を18年度からやめることを決めているらしい。コメを作らない農家には補助金を出すというこの制度は、農家の生産意欲を著しく失くすという批判があったが、この制度の恩恵を受けている農家も少なくない。

補助金はなし、作っても売れないとなると、その規模にかかわらず農家は困窮することは明らか。国としては、農家を追いこんで、飼料用米などへの転換をすすめ、主食用のコメを減らしたい考えらしいが、ただでさえ高齢化が進んでいる地方の農村では、国の狙いに反して、農業そのものを放棄する農家も多くなるのでは・・・と気がかり。

農政などかじったこともない私には、具体的な提言などできるはずがないが、これ以上耕作放棄田畑が拡大しない事を願うだけ・・・。(田舎親父)

2014年9月17日 (水)

避難所に管理人がいたら・・・

すっかり過去の話のようになってしまった広島の土砂災害。73人の死者と一人の行方不明者までは報道があったが、ここ数日テレビニュ-スの話題にはなっていない。73人目の犠牲者が発見された時には,あと一人の行方不明者を2400人体制で捜索していると報じていたが、その後、縮小したようだ・・・。

見つかれば取り上げるはずだから、まだ見つかっていないだろうと推察しているが、日が経つに連れて『まさ土』は固く締まるから発見は難しそうだ。重機で掘り起こすしか方法がないようだが、遺体を傷つけてはという配慮があるから、捜索はかなた難しいのではないだろうか。

一日も早い発見を祈りたいが、先日の新聞の『難勧告時に大半の避難所が開設できていなかった』という見出しが気になる。

 記事には、『8月20日午前3時半ごろ、安佐南区八木3丁目の女性(73)は、家に水が流れ込み始めたため、避難所に指定されている梅林小学校に逃げようと家族4人で外へ出た。外は泥水が滝のように流れ、学校まで100メートル弱の距離に30分ほどかかった。だが、学校の門は閉じたまま。はしごを見つけて校内に入り、校舎のそばで夜明けを待った』とある。

 73歳のおばあさんがはしごで校門を乗り越えたというのも凄い話だが、この小学校には警備員はもとより、異常を察知して駆けつける警備会社の職員もいなかったらしい。しかし、校舎のソバで雨風をしのいだという文言には最大級の違和感を覚える。

 さらに、午前6時ごろ、やはり近くの住民が梅林小学校に駆けつけたが、門は閉じたままだったという。午前7時過ぎに再び訪れ、門の前にいた校長と教頭に『お年寄りや子どもも多い。遠くの避難所まで歩くのは危険』と訴え、入れてもらえたとあるが、そこに避難しろと指示した誰?、なの。そして、校長と教頭が門の前で・・・私にはとてもこんな光景を想像できないが・・・。

避難勧告を出したのが4時30分、近隣の住民に梅林小への避難を呼びかけたが、周辺の冠水で鍵を持った職員が近づけず、別の公民館に避難所を変更したのだそうだ。

こんなバカな話があって良いのだろうか。広島市が梅林小の避難所開設を決めたのは午前4時10分ごろだという。『鍵を持っている職員』って誰なの?。警備員でもなさそうだとなると、普段から、誰が鍵を開閉を担当していたのだろう。市当局はこのような土砂災害を想定していなかったのだろうが、お粗末極まりない。

記事には、鍵が開かなかった理由が細々と記してあるが、事実を述べているだけで、管理態勢に対するコメントはない。

話は飛ぶが、『創立120周年』などという言葉をよく耳にするが、多くの場合、そのあとに続く文言が『今年度で廃校・・・』云々。寂しい限りだが、子どもが減少して、伝統のある小中学校が消えていくのが日常茶飯事。廃校を訪れると分かるのが、地形的に高台にあってしかも水の便が良い場所。村に一つしかない小学校などは間違いなくこれに当てはまる。

山間や海岸の平地の少ない地方であっても、学校だけにはそんな一等地を締めていることが多いのは、いかにこの国の先人たちが学校を大切にしてきたを序実に現している。そしてそこが地域住民の憩いの場となっていた古の風景を思い浮かべることができる。

つい5.60年前には宿直制度があり、男性教員が順番で泊まり込んだものである。それが教員の待遇改善の一つとしてなくなり,代わって警備員が夜間の警備を担当するようになったが、20年ほど前から、経費削減が主な理由となり、警備員制度を廃止して警備会社に委託するようになっている。異常があれば機械が関知し、警備会社の担当者が駆けつける仕組みである。

広島市も多分この方式を採用していたのだろうが、異常気象には対応していなかったようだ。というより、繰り返すが、市当局としては土砂災害そのものを予測していなかったので、警備会社との意思の疎通に反故があったのではないだろうか。もしも梅林小学校へ避難したが断られ、他の避難所に向かう途中で行方不明となり遺体で発見となった例があったら市の責任は重い。

今更言っても仕方ないが、他の避難所には人が常駐していたのですぐに対応できたという。もしも梅林小学校に警備員がいたら・・・。地方財政が厳しい折から、経費削減のために警備は機械。仕方ない選択かも知れないが、考えさせられる記事である。

梅林小学校の地形的な位置も気になるが、それは後日・・・。(田舎親父)

2014年9月16日 (火)

またアメリカの介入?・・・

 これこそ苦渋の選択だったと信じたいが、オバマ大統領は『イスラム国』を明確にアメリカの敵と位置づけ、その殲滅のために空爆を始めたと伝えられている。その根拠地の一つであるシリア国内の基地を空爆するために、シリア上空の偵察飛行を開始したというニュ-スに衝撃を受ける。

何故、過激派組織の名称に『国』という漢字を当てはめるのかわからないが、すでに『国』という形を持っているという意味で使っていたら、それを壊滅させるとなるとアメリカの主張する国際正義という言葉との矛盾を感じるのだが・・・。

この事は調べるとして、国際メディアは、イスラム教スンニ派過激組織イスラム国という武装集団の頭文字をとった『ISIS』としているらしいので、私も、普段は大嫌いなアルファベットの略称だが、『国』より抵抗感が少ないので、こちらを使う事にしたい。

『ISIS』の兵力について、あの悪名高い、世界一の規模を持つ諜報機関であるアメリカの中央情報局(CIA)が調べた限りでは、イラクとシリアで動員できる戦闘員は、2万~3万1500人程度というが、その中には、欧米の白人も多数混じっており、今後この数は増えるとの見方をしているのが不気味である。そして、この戦闘員は、全世界80ケ国超から集まっているというから、下手すると日本人も混じっているのではないだろうか。

13年前の9月11日に起きた、同時多発テロと呼ばれているイスラム過激組織アルカイダによって、ニュ-ヨ-クのツインビルが爆破された映像は強烈に印象に残っている。その、9月11日に、オバマ大統領は『ISISの勢力をそぎ、いずれ壊滅させる』と(今までにない強い口調で)宣言したと海外メディアは報じている。大統領は、あえてこの日に宣言すことによって、内外に、アメリカの本気度を示したようだ。

世界の警察を自認しているアメリカとしたら、『ISIS』の台頭は見逃すわけにはいかないだろう。まして、自国のジャ-ナリストがイギリス人だと思われる『ISIS』の 外人部隊戦闘員に首を切られて殺害される映像をネットで流され、国内からも手ぬるいと批判される事態になっていることも、この宣言の背景にある事は間違いなさそうだ。

アメリカ軍は、当初は、シリアに偵察機を飛ばして、『ISIS』の拠点を見つけることから始めるようだが、アメリカのことだから、確証が得られなくても、ここだと狙いをつけたら空爆を始めることは間違いなさそうだ。

国防総省報道官は『敵の戦闘能力を破壊すれば、命令系統や指揮系統も破壊される』と語っているように、オバマ大統領の目論見は、圧倒的な戦力を見せつけて、片っ端から空爆して戦闘能力を奪うという従来のアメリカ型の戦争を描いているようだ。

しかし、空爆の精度が上がり、ごく限られたピンポイントの空爆とはいえ、一つのビルや一軒の建物だけを破壊できわけはないだろう。必ずや周り数十メ-トルの建物は吹っ飛ぶに違いない。となると、『ISIS』とは全く無関係の民間人の死傷者が大勢でることは容易に想像できる。

被災者の怨嗟の声が世界中に聞こえるだろう。シリア国内はもとより,国際的な批判がアメリカに寄せられることも間違いなく、『ISIS』壊滅どころか、逆に、より多くの国々や地域から、『ISIS』に志願兵が集まるのではないだろうか。

アメリカとしてはシリアのアサド政権を倒したいという思いがあるらしい。しかし、多国籍軍という上手い手法を作り上げ、あっと言う間に当時のフセイン政権を壊滅させたやり方は難しいうだろうから、オバマの殲滅させるという強気の姿勢は空回りすのではないだろうか。

オバマは友軍として欧米諸国の参戦を呼びかけるだろうが、イギリスはともかく、ドイツやフランスが派兵するとは思えない。となると、オバマの狙いは我が国の自衛隊?。集団的自衛権を行使したくてたまらないアホベ政権が、沖縄の基地負担軽減というエサを与えられたら・・・。

 いよいよ戦争の足音が迫ってきた感じがする。(田舎親父)

2014年9月13日 (土)

巨大噴火は想定なし・・・

国民の多くは、即時全ての原発を廃炉にとまでは思っていなくとも、原発依存から抜け出したいと願っているのではないだろうか。絶対安全だと国が保障していたにもかかわらず、3.11の大地震と津波であっさり壊滅し、未だに燃料すら取り出せない大事故を目の当たりにしたのだから、これは当然だろう。

津波で電源が奪われた事が原因の一つだと言われているが、東電は津波が襲う事を想定しながら、コストの面から見送っていたことも明らかになっている。しかも、最高幹部たちの出席している会議で、この事を議論したというのにもかかわらず、『あれほどまでの大津波は想定できなかった・・・』となぜかウヤムヤ・・・

東電幹部の責任問題は、検察審査会が『起訴相当』という判断をして、現在、検察が改めて起訴するべきか審議中だというが、その動きは、時間稼ぎをしているのでは思わせるほど遅い。

故郷を追われ避難している人が多数いるもかかわらず、こちらも時間稼ぎをしているとしか思えないほど、国の救済は遅々として進まない。いやむしろ、時間とともに救済責任まで風化させようとしているように映ってしまう。

国民の原発に依存しない社会をという願いを頭から否定し、現政権は、原発を基幹エネルギ-と位置づけ、全ての原発の再稼働はもちろん新設までももくろみ、その手始めとして、川内原発を年内に再稼働させる動きを加速させている。

そのやり方が姑息過ぎる。まず、原子力委員会にその安全を審査させて、そこが安全だと保障をした原発を再稼働させるというのだが、原子力規制委員会そのものが、政府の方針に従うような御用機関である事は、その委員の人選からも明らか。

政府が『安全』と宣言し、事故の全ての責任をとると明文化するならまだしも、『原子規制委が安全だというから安全』という論理では、事故があった時の責任ははじめからとらないよと言っているのと同じだろう。

そして筋書き通り、先日、規制委は九州電力の川内原発再稼働申請を了承。九電はもちろん、政府はじめ推進派の自治体の首長たちは、これで外堀は埋まったとニタニタしている表情が想像できる。

 しかし、さすがの規制委の中にも、川内原発の位置からみて、火山の爆発に対しては危惧をもっている委員がいるらしく、紆余曲折があったらしいが、桜島や霧島・阿蘇といった周辺の火山の巨大噴火に備えた『基本的な考え方』の案を示したという。

その案というのが、前兆の可能性がある異常を検知したら、『空振りも覚悟の上』で原子炉の停止や燃料の運び出しを電力会社に求めることだというが、この基準をこれから、有識者を集め、検討を進めるというから、不謹慎ながら笑ってしまう。

規制委が審査の結果、新規制基準に適合していると判断した後で、川内原発は巨大噴火に襲われる危険性が全国の原発の中で最も高いから、これから基準を作る・・・。こんな話がまかり通って良いはずがないのだが、これが御用機関の御用機関たるところなのだろう。怒りを通り越して、呆れ情けなくなる。

 富士山でも活動の兆しがあるらしいが、具体的な兆候となると全くわからないのが現状だという。これに比べ桜島は常時噴煙を上げて、小爆発を繰り返しているのだから、巨大噴火の可能性は大きいのでは。

鹿児島市の目の前にある錦江湾は過去の大噴火で土地が沈降してできた地形だと、何かの本で読んだ記憶がある。

今は小中の噴火を繰り返しているが、噴火そのものは予測できないとなると、大噴火がいつ起きるか神のみぞ知るというところだろう。もし起きたら、原発など一発で吹き飛ばされ、放射能は垂れ流し。福島原発以上の惨劇になる事は誰の目にも明らか。

こんな危険な原発を、規制委が安全だと判定、それを待ってましたとばかり、受理し再稼働とは、キチガイ沙汰としか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月12日 (金)

今年の秋は・・・

(横浜の片田舎では)重陽の節句の9日は、ハレ日に相応しく、久しぶりに朝から晴れた一日になった。穂先に実をつけ始めた稲田を散策していると、秋のからっと乾いた風が頬に柔らかく、心地よい一日だったが、この晴れの日は続かない。

翌日からは,秋雨前線が太平洋に居座り、どんよりと曇った日が続き、一昨日は東京でも物凄い雨。さらに昨日は北海道の広範囲に猛烈な雨が降り続け、気象庁の担当者も、広島の土砂災害の経験からだろうが、かなり緊張した顔色で、避難安全を訴えていた。

8月20日以来、日照時間が6時間以上あった日が、3日間だけだったというから異例も異例。被災者の方が、生まれてはじめてという文言を口にするが、私自身、70年以上生きているが、こんな異常な夏は記憶がない。例年なら残暑があるはずなのに、あれほど続いた30℃という数値が懐かしくさえ感じる。

ここまで書いていたら、急に外が明るくなり、陽光が広がり始めた。久しぶりで、残暑を感じるかと思うと、何となく嬉しくなる。お彼岸前にこんな気持ちになるのは生まれて始めて、やはり今年の秋は異常なのだろう・・・。

雨冠に『淫』と書いて『霪(いん)』という見慣れぬ漢字があるという文章を、東京新聞のコラムに見つけた。訓読みは『ながあめ』という意味で、度を越した雨、十日以上も降り続くような雨を『霪』という漢字で表現するらしい。

まさに、今年の夏の後半は、この『霪の夏』というところ。去年はどうだっただろうと思い起こそうとするが、差し込めてきた日差しに、まあいいかといつもの怠け癖。記憶は曖昧だが、かなりの残暑で苦しめられて、改めて、『暑さ寒さは彼岸まで』という先人の知恵に感心したような気がする。

『異常な夏』というのがここ数年定着した表現であるが、夏に加えて、今年の大雪などから『冬』まで異常になってきた感じがある。さらに、秋には大島では大雨による土砂崩れの大災害。季節外れが当り前になったのも、専門家にいわせると、地球温暖化の影響だそうだが、私に言わせれば、人間の贅沢病と言い換えたほうが、説得力がでるのではと思えてならない。

原発事故当時、あれほど『節電』という言葉が流行り、一時的には生活を見直す雰囲気が広がったが、1年過ぎ、2年過ぎ、そして3年半ともなると、あの節電意識はなんだったのだろうと思うほど町は光で溢れている。

国は、経済成長のエネルギ-が必要だから、原発を再稼働が急務と叫び、原発事故は過去のものとして、その検証もせずに川内原発を安全だと宣言し、強引に再稼働させる動きが加速させているのだから、国民の節電意識をわざわざ失くしているようなもの・・・。

経済成長のため、24時間エネルギ-を大気に吐き出しているのだから、自然の環境が変わるのも仕方ないだろう。それを『温暖化』という言葉で現しているのなら、『温暖化の影響はこの先ますます顕著になる』ことは、私でも予測できることである。

日本だけの努力で、この『温暖化』をくい止めることなどできるとは思わない。まして一人の努力はなしに等しいかも知れないが、東日本大震災、原発事故、大規模な土砂災害などなどで、長期間の避難生活や経済的に打撃を受けた人々の苦労を自分に置き換え、多少は不便な生活をしてみようという意識を持ちたいものである。

『霪の夏』この言葉を忘れないようにしたいと同時に、さわやかな秋を期待したいのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月11日 (木)

民意を無視するな・・・

 写真で見ただけでも、美しい海が広がっているこの海域を埋め立てて、戦争のための軍事基地を造るという話など聞きたくないが、それを争点にした名護市の市会議員選挙が先日行われた。
 一度埋め立てたりコンクリ-トで固めた海岸は永久に戻らない。そこに住まなければならない人々にとっては、津波から身を守るための防潮堤や、あるいは生活のため港湾施設などの建設は必要だろうことも理解できる。しかし、原発や軍事基地となると話は全く別。およそ住民の役に立たないとわかっていても、国は必要だと強引に進める例は過去に枚挙に暇ない。
 その中心が時の政権を握る一部の権力者。この権力者が住民の一部とカネ絡みで手を握ると必ず話がややこしくなる。どの地域であっても、権力構造が出来上がっているので、施設を作ればおこぼれが得られる下心を持つ中間のリ-ダが存在すれば、おこぼれで地域の経済を豊にできるという論理が生み出される。

 人々が、先祖から守り通してきた美しい自然を守れと当り前のことを主張しても、結局は札束で横っ面を張られ、地域住民が二分。それぞれが憎しみ合うようになるのは歴史が証明している。
 名護市は市長が徹底的に反対している。その市長を市民の過半数が選び、今回の市議選では市長と同じ反対を明言している議員を定数27名の中で16名と過半数を選出したという事実は重い。
 選挙結果を報じる新聞記事によると、定数27に対して移設反対派が19人立候補し、16人が当選。このうち公明党の2人は、移設反対の市長に対して是々非々の立場だが、辺野古移設には反対しているという。19人の得票率の合計は58・1%。容認派の得票率(41・9%)を16・2ポイントも上回ったとある。
 さらに、これで、2010年以降、市長選と市議選は二度続けて辺野古移設反対派が勝利したことになり、地元の民意の根強さが鮮明になったと続けている。
 現政権は、(背景はドロドロしたものがあるのだろうが)地方活性のために担当大臣まで設けて『地方再生』を旗印に掲げている。普通に解釈すれば、地方の声を冷静に受け止め、地方と足並みを揃えた政策をするということだろう。
 例え国の考えと違ったとしても、時間をかけて話し合い、解決策を見いだす努力をすることが、地方を大事にすることだと思うのだが、名護市民の移設反対の民意を無視し、辺野古移転を強行する?。これが我が国の民主主義ではあまりにも悲しく情けない。
 選挙前に発足した改造内閣では、沖縄は別格として、沖縄の苦しみに寄り添うためにという理由で、親切の地方担当大臣とは別に,『沖縄基地負担軽減担当大臣』を新設し、官房長官に兼務させたはずだが,担当大臣である官房長官は、『推進派の議員が逆に一人増えている』と述べたという。
 これでは沖縄に寄り添うどころか、沖縄をさらに痛めつける本心が透けて見える。この御仁には、一月の市長選での現市長の得票率よりも、市議選で移設反対を求める有権者の割合は2ポイント以上増えているという人々の声が聞こえないらしい。
 翌日だったか、昭和天皇の業績を示す『昭和天皇実録』が公表されたが、(ある新聞記事には)その中に、自分に対する贖罪のため、沖縄の占領延長をアメリカにお願いしたという文面があるという。(何となく本当のような気がするが)事実だとしたら、あれほどの犠牲を強いられた沖縄を、終戦後も生贄にされたことになる。沖縄県民は二重三重に苦しめられ、今回、さらにもう一度の苦痛を与えられることになりそうだ。
 航空写真で見ると、横浜の片田舎近くの厚木基地同様、普天間基地の周りはびっしりと民家が囲んでいる。まさに市街地の真ん中に基地があると表現できるが、この基地に,恐らく厚木基地よりはるかに多くの軍用機が離着陸を繰り返しているに違いない。
 世界一危ない基地だと言われている普天間基地の固定化を避けるのは当然であるが、その代替えをよこせとのアメリカさまの要求に、こともあろうに同じ沖縄の土地を差し出すとは・・・。
 昭和天皇の贖罪で沖縄をという理屈も変な話だが、同じような精神構造が保守勢力に脈々と流れているのかもしれない。改めて、普天間の移転先を県外・国外と公約して再選された現知事が、(苦渋の決断だと信じたいが)あっさり公約を破棄し、辺野古の海の埋め立てを許可したことが悲しくなる。

 沖縄の方々の気持ちに寄り添い、これまで以上に全力で当たるために、『沖縄基地負担軽減担当相』を新設したのなら、それがタテマエであったとしたも、民意をくみ取り、国外移転を強くアメリカに求めるのが独立国日本の進む本筋だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月10日 (水)

このまま格差が広がり続けると・・・

アメリカでは、上位3%の高所得層に富の5割以上が集中しているというニュ-スを目にしたのはつい最近のこと。ふと、日本ではどうなのだろうと考えてみた。

『貧乏人は麦飯を食え』という、セリフを耳にしたのは随分昔の事。今日では、こんな事を口にしたら大変な騒ぎになるだろうが、当時は、『貧乏から逃れたいのなら、必死になって働け』というように捉えられていたらしく、(一部のメディアや政党を除いて)口にした当時の首相の弾劾などはなかったと記憶している。

当時は、確かに日本中の労働者が死に物狂い働いたが、その分給料も上がる。いわゆる経済が右肩上がりに飛躍、庶民は三種の神器などを手にして、余暇を楽しむ余裕も生まれ始めた・・・。そんな時代の幕開けではなかっただろうか。

時は進み、麦飯を食え・・・というセリフは忘れられたというより、その言葉が懐かしく思うほど生活が豊になり、『一億総中流』という言葉が生まれたが、最近ではこの言葉を聞くことが稀になっている。その気になったら、自分でもできる、才覚と努力があり、やる気になれば豊になれるという希望が日本人総体にあった時代だった。

アメリカの格差を伝えその記事には、現在のアメリカ社会の格差は凄まじく、才覚と努力次第で成功できた『アメリカンドリーム』は今は昔だという。『1%対99%』の格差が定着し、『金融街を占拠せよ』などの抗議運動が巻き起こっていると伝えている。金融街の占拠という声はともかく、記事を読む限り、格差をめぐる議論や抗議が広がっていることは間違いなさそうだ。

 ヨ-ロッパの国々でも、格差が確実に広がり、現状への不満から極右勢力が伸長していることは、度々テレビニュ-スが伝えている。欧米の政権はその動きを警戒し、国民の右傾化をくい止めるためにも貧困をなくす政策に熱心に取り組んでいるという。

ところが我が国となると、真剣に格差をなくそうという議論が聞こえて来ない。アホベ閣下は『努力すれば報われる社会』と口にするが、その日の生活に追いかけられて、努力したくてもできない、いわゆる貧困児童が16%も存在することは我関せず。解決の手だて一つ示さないとはなんとも情けない限り・・・。

スタ-トラインが同じなら『努力したら報われる』というセリフは決して間違っていないが、方や、生まれた時から贅沢三昧の英才教育。こなた、母親が昼夜を通して働いても満足に学費も払えない、あるいは借金苦や職場でのいじめで親が自殺し、残されたものがこれまで以上の貧困や社会からの冷たい目・・・とは酷過ぎる。

このような家庭環境の子どもたちが、社会に絶望し、覚醒剤やドラッグ、さらには犯罪に走るのも『意志が弱いから』とか『努力が足りない』という言葉で片づけて良いはずがない。 

国民生活の向上のためには経済成長が第一という現政権の論理は、一言で表現すると、『経済成長とは企業が儲かる』ことである。企業(国)が成長するためには、社員(国民)が汗水垂らして働く事だというところだろう。しかし,利益の大半を企業が独占し、社員にはごく一部しか分配されない。しかも、下に行くほど分配の率が下がるのだから格差は広がる一方。

超経済音痴の私でもわかるような基本中の基本をわからないふりをして、グロ-バルという言葉を武器に、世界に打ち勝つためには経済成長(企業の利益)が第一とばかり、法人税は大幅に減税。その穴埋のために国民には増税とは・・・。

このまま格差が広がったら、一億総中間層といわれた、ごく一般の中間の国民層が減少することは明らか。一部の富裕層と圧倒的多数の貧困層に区別された社会では購買力は下落するだろう(実際に落ちている)から、むしろ経済は停滞し、つぎに来るのはさらに悲惨な経済疲弊では・・・。

さらに、何度もつぶやいているが、所得格差は教育機会の格差に直結し、若者の可能性の芽を摘むことになる。生まれつきお金持ちの二世・三世議員が国会を牛耳り、霞が関の官僚が、贅沢三昧の生活経験の少ないバカボンばかり・・・とは想像したくない社会である。

もっと怖いのは、経済成長が第一という政策が行き詰まった時、劇薬として生まれるのが戦争特需。今、世界各地の民族や宗教が起爆になっている争いも、言い換えれば、先進諸国の行き詰まりが原因だろう。

わかっていながら、その愚を繰り返すとは・・・。(田舎親父)

2014年9月 9日 (火)

重陽の節句に想う・・・

 今日は重陽の節句。中国からの輸入文化であろうが、陰陽思想というものが我が国に伝えられて、何事にも『陰と陽』を擬似的に与える考え方が広がって今日に至っている。これは数字にも当てはまり、偶数を陰、奇数を陽と決め、陽が重なる月日は、ハレの日としてお祝いすることがいつのころからか伝統行事として伝えられてきた。

1月7日は人目(じんじつ)の節句と呼ばれている。本来は1月1日だろうが、この日は一年のはじめということで、ハレとするのは当り前という事でこの日にずれ込んだのだろう。何故1月5日ではないのかという疑問は残るが、その頃から春の青物がとれることから七草という行事になっている。

3月3日は上巳(じょうし)の節句と呼ばれ、別名桃の節句である。女の子のお祝いの日ということで、ひな人形が飾られることは全国的な風習として今に残っている。5月5日は端午の節句で、別名は菖蒲の節句である。この時期に菖蒲が咲くことから、男の子を菖蒲湯でお祝いし、武者人形を飾る。

7月7日七夕(ひちせき)の節句である。別名も七夕(たなばた)の節句であるが、本来は裁縫の上達を願う節句だというから、この日に限っては女性を慰労するという思想があっただのではと推測している。現在は、中国から伝わった七夕伝説が主流になっているが、その物語のヒロインを織り姫としているところは、本来の考え方が生きているのではないだろうか。

そして9月9日が陽数の極が重なるということから重陽(ちょうよう)の節句と名付けられたらしい。別名は菊の節句である。菊は大昔から、香りが高く高貴な花と位置づけているので、この日は菊酒を飲んで、長寿を祝う日になっている。後年、敬老という言葉が当り前に使われようになるとともに、この日中心にこの頃に敬老週間などという,長寿を祝う行事ができたようだ。

 これらは全て旧暦(太陰暦)を基にした月日である。それを現行の太陽暦に当てはめているので、季節がほぼ一月ほど早くなっていることを承知して、節句行事の持つ意義と伝統は引き継ぎたいものである。

 そんな能書きはさておき、重陽の節句で連想するのはやはり高齢者問題であろう。寿命が延びて、世の中に老人が溢れてくると、当然のことながら、年金や医療費が膨らむのは仕方ないこと。

私は(決して受け入れられないだろうが)『諸悪の根源は寿命の伸び』だと心の中で思っているのだが、為政者たちにとっては絶対に口にはできないセリフ、(貧乏人の年寄りは早く死ねと思っていたとしても)タテマエは老人を大事にする社会ということで、年金や高齢者医療が政治の重要問題の一つとして、果てしのない議論が続いている。

 それはさておき、先日もつぶやいたのだが、最近『健康寿命』という言葉がよく使われるようになっている。健康上の理由で日常生活が制限されることのない年齢という意味だそうだが、確かにこの『健康寿命』が伸びたら、詳しい数値はともかく、飛躍的に医療費は抑えられることは間違いないだろう。

 『健康寿命』とは世界保健機関(WHO)が2000年に提唱したものだという。日本は2010年の統計では、男性70.42、女性73.62と世界では一番高い数値を誇っているのだそうだ。

なのに、医療費の伸びが止まらないのが、平均寿命が健康寿命の延び以上に延びていることが原因らしい。厚労省の調査によると、この10年ほどで男女とも両寿命の差が約0.4年拡大していることから、この分介護や医療が必要な期間は延びていることになるのだそうだ。なるほど言われてみれば、要介護度が高くなることをこの数字が現している。

このため政府は近くまとめる健康・医療戦略に健康寿命を20年までに現在より1年以上延ばすことを盛り込むそうだ。同戦略で検討されているのは、40〜74歳を対象とした特定健診(メタボ健診)の受診率の向上だという。

現在は40%台にとどまっている受診率を80%まで高めることによって、自覚症状のない糖尿病や高血圧などの患者や予備軍を早期発見し、食生活や運動、喫煙、アルコール、ストレスなど生活習慣をしっかりと問い直す機会にするのだそうだ。

健康寿命の改善は莫大な費用軽減につながり、健康で働き続ければ年金だけに頼らなくても済むとのことらしい。何やら、この戦略の背景に、年金年齢を引き上げるという本音が隠されているような気もするが・・・。

そんな推察はともかく、健康で介護なしの老後は誰もが望む事。『諸悪の根源は・・・』などとうっかり口にしたら大変、ここは『健康寿命』という言葉をさらに広げ、高齢者が真剣に考え、長生きを喜べる社会にしたいものである。

 できれば,死ぬ前の日まで、介護なしの生活を送りたいという願望を、重陽の節句の今日、改めて強くしている私である・・・。(田舎親父)

2014年9月 8日 (月)

この提訴は考えさせられる・・・

『保育園の声うるさい』と近くの住民が提訴したという記事に、子どもの声まで騒音に感じて、訴訟に持ち込む時代になったかと愕然とする。

 神戸市の70代の男性が、隣(記事には10メ-トルとあるが)にある保育園の『子どもの声がうるさい』と、運営する岡山県の社会福祉法人を相手取り、防音設備設置や慰謝料100万円の支払いを求める訴えを神戸地裁に起こしたそうだ。

学校から出る音がうるさいという苦情はよくある話。確かに、全国ほとんどの公立の小中学校で行われている月曜日の全校朝礼時、担当の教師がマイクを通して『きおつけ まえへならえ・・・』と何度も大声の号令に続いて校長が登壇して講和を一席というのがお決まりのパタ-ン。これがお話し上手なら良いのならまだしも、およそつまらない話をこれでもかと聞かせるために音量を上げられては、近隣住民はたまったものではない。

まして、運動会前ともなると、まさしく騒音だと、教員自らも認めているらしく『もう少し音量を下げなさい』という主任や教頭の声がマイクを通して聞こえてくる。そんな風景が日常だからかも知れないが、(時に怒鳴り声の電話があるものの)目立った苦情が少ないのは、学校だから、子どものことだから・・・という気持ちがあるからに違いない。

『子どもの声がうるさい』という苦情も時にあったが、そのために子どもたちに注意をした記憶がないのは、苦情を持ち込む人も、校長や教頭からの『すみません』という一言があれば気がすむことが多かったらしく、同じ苦情が繰り返されたことは記憶にない。

私は、散歩の途中に小学校近くを通ると、無意識に子どもの声が聞こえてくることを楽しみにしているのだが、最近は、校庭で体育の授業にぶつかることすら少なくなっている。これも最近の少子化のせいなのかと寂しい思いにさせられることも稀ではない。

子どもの(しかも小さな)声は独特で、特に、狭い園地が狭いの保育園となると、無秩序にワイワイガヤガヤ、ギャ-とかキ-に加えて泣き叫ぶ声が錯綜し、近隣の子どもの実態に慣れていない住民にとっては騒音そのものに感じるだろうことも十分理解できる。

まして、後から隣近所に保育園ができて、ある日を境にして常時、あの無秩序に泣き叫ぶ声が聞こえてきたら、文句の一つもつけたくなる心境はわかる。

しかし提訴となると、生半可のことではない。恐らく、普段から静かさに慣れた生活が当り前の、孫もなく都会で一人暮らし(老夫婦だけ)の日常だったに違いない。保育園にも何度も通い、何とかしてほしいと訴えただろうと推測している。

 苦情を持ち込まれた保育園としたら、幼児のことなので、静かにしなさいと言って解決できることではない。社会福祉法人だというが、実情はビジネスであり、需要があると見越してここに開園したのだろうから、規模の拡大はあっても縮小や引き上げということにはならないだろう。

 提訴に至るまで、何度か話し合いがもたれただろうが、後からきた保育園に、解決の策がないとなると、裁判しかないと判断したのも仕方ないところ。

 保育園が足りないという声が日常的に満ちあふれている。横浜の片田舎でも、ある日突然保育園が出現していることはこれまでに何度もつぶやいたが、子どもの声が騒音と訴えることは想像もしなかった。

しかし考えてみれば,これも当り前かも知れない。今後、この種の提訴が増えるのではないだろうか。まして、保育園側に『非』という要素が入って判決になったら、認可した神戸市の責任も問われるだろうから、話はややこしくなりそうだ。

保育行政の専門家は『少子化で子供の声を聞く機会が減って、余計にうるさく感じてしまう傾向がある。全ての住民に100%良い環境などあり得ない。お互い譲れるところは譲り、気遣いや思いやりを持つ努力が必要ではないか』と指摘しているというが、この意見は、社会が必要としているのだから、先住民が我慢しなさいと聞こえてくる。

今日から歩くコ-スに保育園があったら、不審者と間違われない程度に、立ち止まり様子を見てみようと思っているが、新たな問題は次々生まれるものである。(杉)

(追記)ここに居を構えた当時は、散策コ-スの途中には養鶏場や養豚場があったもので、そばを通ると田舎大好きの私には気にならないが、都会の人には我慢できないだろうなと思っていた通り、数年後から開発が進み、近くに住宅が建ち並ぶと、新住民から、その種の苦情が区役所や市役所に持ち込まれたらしく、次々に姿を消し今では全く見られなくなっていることが頭によぎる。

当時は、後からきた人の苦情で先住民がその職業を止めざるを得ないとはなんという矛盾なのかと思ったものだが、社会のニ-ズにあった保育園の場合は先住民の意見など聞く耳持たぬというのだろうか。

原発のように大事故にはならないことだけは間違いないが・・・。考えさせられる話題である。(田舎親父)

2014年9月 6日 (土)

この反骨精神は面白いが・・・

 先月25日、文科省は全国学力テストの結果を発表した。と同時に、全国の教育委員会と首長には、学校別の正答率(点数)を伝えたが、その折り、文科省のル-ルに従うようにという一言も忘れずに通達したらしい。

 この10日ほどは、必ず発表すると明言していた大阪市や武雄市など、公表推進自治体の動きは聞こえて来なかったが、一昨日の夜のテレビは、静岡県のカワカツ知事が、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、小学六年国語Aの正答率が全国平均を上回った262校の校長名も公表というニュ-スを報じていた。

昨日の朝もこのニュ-スは続き、知事は『学力テストの結果は学校の責任で、成績の良かった学校に対するお礼だ』というような意味のことを、かなり自信ある態度で話していた。同時に、県内35市町の公立小学校の科目別平均正答率を公表したとも・・・。

文科省のル-ルでは、市町別の結果公表には各市町教育委員会の同意が必要なのだそうだが,知事は『学力テストは学力を上げるためにやっており、規則を守るためではない』と独断で公表したと報じられている。

これには文科省はカンカンらしく、前日の内閣改造で留任した大臣は、ぶら下がりインタビュ-で、『明確なル-ル違反だ』と怒り心頭の顔の映像が流れていた。文科省の官僚たちは、大臣の怒りをすぐに受け止めたらしく、ル-ルに罰則をつけると、何だか変な方向に話が進んでいる。

262名の小学校の校長名と小学六年国語Aの市町別の平均正答率は県のホ-ムペ-ジに掲載しているらしいから、時間はかかるが、その気にさえなれば学校は特定できる。となると、今頃、県内の教育熱心な保護者はかなり血眼で画面と格闘しているのではないだろうか。

また、こちらはIT技術を駆使して、県内の塾は直ちに学校名を特定し、そのランクづけも終わり、この結果をどのように我が塾拡大の糧にするかの議論も始まっているに違いない。

 知事は、『文科省は地域間の格差をなくすために都道府県別の結果を公表している。同様の理由で県が市町別の結果を明らかにした』との言い分は、知事の学力テストの考え方の主義主張は受け入れられないが、筋は通っている。

 テストの点数が上がったことを『教員たちがいろいろな努力をしたことをたたえる』という言い分も、テストの点数で教員を評価するという考え方はいただけないが、文科省の方針に真っ向から逆らっているとは思えない。

 県の教育長は取材に『テストの実施要領に基づいて判断してもらいたかったが、残念な結果になった』と話しているそうだが、元々県教委は、各市町村教委に、何らかの方法で市町別・学校別の結果を明らかにするよう通知し、最終的な判断を任せていたというから、知事の独断と批判できるものではなさそうだ。

 現行制度では、知事による公表はフライングかも知れないが、教育行政に対して首長の権限を大きくするというのは現政権の姿勢である。そして、来年度からは都道府県の教育長は知事が任命となると、全国に同じ動きが広がるだろうことは推測できる。

 静岡県知事は、当初全ての学校の点数公表という姿勢を持っていたようだが、周りから諫められたらしく、点数の良い学校の校長を公表するなら良いだろうと、昨年も点数が良かった学校の校長名を発表したと聞いている。

 このことに対して文科省はおとがめなかったとなると、今回の『ル-ル違反だ』『来年からは罰則を』などというセリフも白々しく聞こえてくる。

 何故小学校の国語Aだけなの?という疑問が残るが、この動きが全国に広がるのは間違いなさそうだとなると、地域格差はもとより学校間格差はさらに大きくなるだろう。貧困家庭の子弟の点数が悪いことが今回明らかになったことと合わせて、学力テストのあり方を根本的に考え直さないと、学校教育制度そのものが崩壊するのではないだろうか。

 それ以前に、私の持論であるが、点数で現せない学力(優しさや思いやりなど人間として一番大事なもの)を学力として語らず、子どもの人格までテストの点数で決めてしまうという動きが恐ろしい。(田舎親父)

2014年9月 5日 (金)

デング熱騒ぎが収まらない・・・

 70数年ぶりにデング熱感染が報じられてはや10日。感染経路はかなり明らかになっているらしいが、媒介が蚊であるだけに、秋が深まり、蚊が生きていけない気温になるまでは完全に終焉とはならないのでは・・・。

 最初の発症者は海外旅行歴のない埼玉県の10代女性だった。この女性と同じ学校に通う男女2人の『デング熱』感染が新たに確認されたと発表したのは翌日だったような気がするが、共通することは代々木公園でダンスの練習中に蚊に刺されたかららしいという発表に、その時はそんなこともあるだろう・・・という程度で聞き流していた。

 ところがこれが世間を騒がす一大事になったらしく、都は大慌てで代々木公園を完全装備の係員が大量の殺虫剤を散布する映像をこれでもかというほど流していた。すぐにこれは拙いと判断したらしく、殺虫剤散布は止めたようだが・・・。

 しかし、その後も患者は増え続け、全国に広がっているが、共通項は何らかの目的で、最近『代々木公園に出かけたことがある』ということから、どうやら代々木公園の蚊がウイルスを媒介しているらしい。都はこれを確かめるために蚊を捕獲し調べたところ、ウイルスが発見されたという。そして昨日には一部閉鎖したらしい。

 それはさておき、全国に広がっている患者(ウイルス保持者)が代々木公園で蚊にされたことは間違いないが、全員が、地元に戻って蚊に刺されたことがないと断言できるとは思えない。蚊に刺されやすい人もいるだろうから、地元でも刺されている可能性は高いのではないだろうか。

 医学的な知識はほとんどないが、ウイルス保持者の血液を吸った蚊が、違う人を刺すとウイルスはその人に伝搬するのではないだろうかという素朴な疑問が頭をよぎる。もしそんな心配がないのなら、代々木公園の蚊を退治すれば流行は終わるだろうが、その後の記事を読むと、私の気がかり通り全国に広がっているような感じを受ける。

 となると、代々木公園の大規模な消毒作業はあまり意味があるとは思えない。だから止めたのかも知れないが、一度限りだとはいえ、あれほど大規模に薬剤を散布したら、他の小さな生き物も一緒に死んでしまったのではのではという新たな疑問がわいてくる。都はもう散布はしないと言っているが・・・。それがどうも怪しく、閉鎖をした区域を殺虫剤散布をする動きが出始めている。

 デング熱を媒介する蚊はヒトスジシマカという種類だという。しかし、他の種類の蚊であっても、人の血を好んで吸うのだから、デング熱患者の力ウイルスをいただいているヒトスジシマカ以外の蚊が存在しても奇怪しくないのではないだろうか。

 この疑問は今後調べるとして、都は今後はしないと言っているが、あえて殺虫剤散布のことに話を戻す。小さな虫にも、それなりに存在する意義があり、そのことを『生物の多様性』という言葉で表現し、このことが大切なものと広めているのではなかっただろうか。

 蚊にも生きる権利があると、自分の腕から血を吸っている蚊を見つけても泰然として動かないという人もいるらしいが、普通の人は本能的に蚊に対して嫌悪感を持つようだ。特に、蚊を見つけて叩き殺し真っ赤な血を見て、おぞましさを感じた経験は誰もが持っているのではないだろうか。

 デング熱のウイルスを伝搬するヒトスジシマカを退治するための消毒を全面的に否定するわけではないが、代々木公園に存在する小さな虫の中には、(固有名詞は浮かばないが)人の生活に役立っている虫もいるはず。そんな虫を一緒に根絶させて良いとは思えない。

 また、直接役立っていないまでも、人を癒すためにかなり大きな役目を果たしている小鳥の餌になっている虫もいるだろう。その虫がいなくなったり、残留薬剤を持った虫を食べ続けていたら小鳥にも影響が出ることもあり得るだろう。

 そんな生物的な発想は別に、代々木公園にはブル-シ-トを張りめぐらせた一角があったはず。そこの住民に消毒剤散布の影響はないのだろうかという全く別の疑問が浮かんでくる。いや、それ以前に、その人たちも蚊に刺されている確率が大きいだろう。デング熱は人から人への感染はないというが、その人たちが近くの繁華街に出かけ、別の蚊に刺されることもあり得るだろう。この一角は閉鎖された北側ソ-ンになったはず、都は一時官日宿白書に移動してもらうというが、その扱いか少し気になる。

どうやら、デング熱騒ぎは、書き出しの文章のように、蚊が活動しなくなる気温まで続くようだが、ヒトスジシマカはかなり頑強で卵は越冬するというから、来春も警戒が必要らしいことは間違いない。

話は飛ぶが、蚕の煮汁が蚊除けになるということを知っている人は、ごく限られているに違いない。私はこの煮汁を化粧水として常時使うようになって10年になるが、蚊が寄りつかなくなる体質に変わったらしく、毎年7月まで蚊に刺されることはない。

しかし、全く見当がつかないが、不思議に8月中頃からは刺されるようになるので、この時期の野外仕事では蚊とり線香のお世話になっているが・・・。

もし、この文章を読まれた方で、このことについて興味を示されたら、ぜひ繭の煮汁を試してほしいもの。きっとその効果に驚かれると確信している。

 昨日、大幸薬品が新しく開発した蚊除けの薬剤の特許を取得したというニュ-スがあったが、(可能性としては少ないだろうが)もし繭が関係しているのなら、自分に拍手を送りたい。(田舎親父)

2014年9月 4日 (木)

本気度が感じられない貧困児童対策・・・

 『子どもの貧困度』という言葉を最近よく耳にする。この言葉は最近生まれたらしいが新聞解説によると、世帯収入から計算した所得が、全体の真ん中の半分に満たない18歳未満子どもとのことだという。そしてこの子どもの割合を示す『子どもの貧困率』は2012年で16・3%と、1985年の10・9%から増加しているのだそうだ。

 この数値が、わずか30年弱で1.5倍に増加しているということから、経済格差が広がっていることがはっきりと読み取れる。

平均的な所得の半分とは年収122万円だそうだ。月額にして10万円程度の家庭の子弟が、何と00人のうち16人超存在するというから驚きである。しかも、母子家庭(父子家庭も含めてひとり親)での貧困率は、54・6%というから俄には信じられない。そして、先進国(この定義も難しいが)の中では、もっとも大きいというから、我が国が先進国の一つなら恥ずかしい話である。

 この事実を突きつけられて、国会は、昨年6月に、珍しく全快一致で『貧困対策推進法』という法案を決めたとのこと。政府もここにきて、重い腰をあげざるを得なくなったのだろうが、先月末にその対策の閣議を開き、今後5年間の子どもの貧困対策の基本方針となる大綱を、現政権が大好きな『閣議決定』した。

その大綱の骨子が新聞に掲載されている。そのまま引用すると、○貧困が世代を超えて連鎖しないよう環境整備を図る・学校を拠点に福祉機関と連携した支援体制を構築する○子どもの貧困率など25の指標を設定し、改善に取り組む。数値目標は示さず○無利子の奨学金制度の充実を図り,幼児教育の無償化を段階的に推進する○大綱は約5年後ごとに見直しを検討する、というごく当り前のスロ-ガン?が並んでいる。

『世代を超えた貧困の連鎖を断つ』という文言は、私なりに素直に解釈すると、例え低所得の家庭の子弟であっても、高等教育を受けられる環境を与え、経済貧者の親の立場を乗り越えるという、次の世代に貧困を引き継がないことだろう。

結構なことである。そして当然なことであるが、そのためには、貧しい家庭の子弟に対しては、経済的な支援が絶対必要条件であることは誰の目にも明らか。なのに、こんな立派なスロ-ガンを受ける言葉が『数値目標は示さず』とあるのは、この政権の金持ち優遇の姿勢が明らかに見えてくる。この大綱(閣議決定)も結局は『言葉の遊び』としてしか意味がなさそうだ。

大マスコミが意図的に無視しているのかも知れないが、この問題を民主党はじめ野党が批判しているという声があまり聞こえてこないのも変な話。トドのつまりは、昨年全快一致で決めた『貧困対策推進法』は、さすがに国会議員の先生方(政治屋さんたち)も、この問題は放置できず、とりあえず手を組んで緊急に取り組む姿勢を国民に示した、いわば『皆で渡れば怖くない』というところなのかも知れないが・・・。

 それはさておき、この法案の成立を受けて、政府はお得意の『有識者検討会』を立ち上げたのだそうだ。この有識者会議が、25の指標に指標に改善目標を掲げ、具体策として、母子家庭(父子家庭)に満額で月約4万円を支給する児童扶養手当の拡充や、返済の必要のない給付型奨学金の創設をするなどの提言したことは、テレビのニュ-スで観たような記憶がある。

ところが政府は、この提言に対して、貧困率のデータには、『資産などが勘案されておらず、実態を反映していない』などの理由をつけて数値目標は出していない。この文言は、何かしら時代小説の悪代官が『百姓は叩けば叩くほど隠しコメを吐き出すものよ』とセリフを吐くシ-ンを連想させる。

すでに児童手当てなどで十分だという姿勢なのだろうが、児童扶養手当や給付型奨学金の拡充こそ貧困から脱出する有効手段だろうに、『施策の効果をよく検討しなければいけない』とわけのわからない理由でこれは見送り。

 要は財源がないから仕方ないということだろうが、方や武器の購入には莫大な増額。こなた、青少年の育成のためにというお題目で地方選挙目当ての補助金となると、口でこそ言わないが、貧乏人の努力が足りないという本心が透けて見える。

 不正受給している人間もいることは間違いないが、それは一握り。そのことばかりマスコミが取り上げるものだから、生活保護制度そのものの大事なことが霞んでしまい、圧倒的多くの貧困者が頼みにしている生活保護の基準が改悪したのも忘れたくない。

それに連動するかのように、経済的に苦しい家庭の子どもに給食費や学用品代を補助する『就学援助』も今年から多くの自治体が引き下げた。何だかやっていることは、子どもの貧困対策に逆行していることばかり・・・ではないか。

 『私が死んで保険金でももらった方が、子どもはお金の心配をすることなく大学に行ける』と綴った40代のシングルマザ-の声は重い。しかし、この声が政府には届かない現実が悲しい。

現在、児童手当として月額1万5千円(年収2千万円以下?)が全ての子どもを持つ家庭に配られていることは知っている。仮に、1千万円の収入のある家庭は,それを子どもの将来のために貯金し、大学進学に役立てることは十分可能だろう。800万円でも600万円でも、いや500万円でもできないことはない。

しかし、年収122万円の家庭に18万円の児童手当を支給して、その子の大学進学に役立つことは絶対にあり得ない。結局は、ますます格差が開いていくのは、経済には超音痴の私でも断言できる。本当に子どもの貧困を改善する気があるなら、経済格差に焦点を当てた、血の通った政策が必要である。

財源がないわけではなく、単に使い道を誤っているだけだろう。勝ち組負け組という言葉で格差を認めていては、いつまでも子どもの貧困度は改善されることはない。このことを強く訴えたいのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月 3日 (水)

借金を体で返す事態になりそうだ・・・

 今日、内閣改造があるらしい。私からみたら、自民党内の大臣病患者たちは、アホベ閣下の目指す『戦争のできる国』へ批判できるはずがなく、全てがおっしゃる通り・・・というのでは、誰が大臣になっても、この動きが変わるはずがなく、まさに茶番としか映らないのだが・・・。

 ところが、マスコミは内閣改造が世の中の動きを変えてしまうほど重大なことのように大騒ぎ。そこがマスコミというよりマスゴミと言われる所以かも知れないが、この10日ほどは、誰がどこのポストにとか、女性閣僚が何人とか、連日賑やかに報じている。その話題も間もなく終わり、明日の長官は、『新閣僚に期待する・・・』というたぐいの記事で埋まるのは間違いなさそうだ。

 ところで、話が少し古くなるが、先日、2015年度政府予算の各省庁の概算要求の一般会計の総額が初めて百兆円を突破したとのニュ-スに、財政建て直しと叫び、国民には大増税を強行しながら、そんなことは我関せずで、金額をでかくすれば国民は景気が良いと錯覚するだろうという思い上がりが背景にあるらしい。

 誰がどのような計算方法で出した数値なのか、経済音痴の私には全くわからないが、国と地方を合わせての借金が一千兆円を超えるのだそうだ。ちなみに私でもわかるように円で現すと『1000000000000000円』、ゼロが15も並ぶことになる、まさに天文学的な数字である。

 とてもこんな金額を想像することは不可能だが、この国の人口を計算しやすいように1億人と仮定して、一人当たりの借金額を出してみたら、何と1千万円にもなるから、本当の話なら、国民が知らないだけで,この国はまさに借金まみれの状態と表現しても差し支えない。

私には借金している実感がないので、どこからこんな莫大な金額を借りているのか想像もできないが、日本という国の保障で国債を発行、それを日本人も含めて世界の富裕層が金儲けの手段として買う仕組みらしいとなると、いつ何どき返済を求められるかわからないのでは・・・。なんて考え出すと、ますますわけがわからなくなる。

借金だから、当然、莫大な利子がつくだろう。少しでも借金を少なくする努力をしなければ、利子が利子をよび、そのうち『体で払ってもらう』という時代劇の筋書きのような事態になることは必然、ますます気持ちが萎えてくる。

 歴代政権は、必ず『財政を立て直し』を口にする。これだけの借金を背負っているのだから当り前だろうが、例外なく,そのセリフは口先だけで実行力が伴わない。この繰り返しが,ここまで国として借金が膨れ上がったことは疑いのない事実。

 財政の建て直しが重要課題と位置づけるなら、増税や経済成長による税収増ばかりでなく、予算の徹底した見直しが欠かせないはずだろうに、要求段階で前年度よりも2兆5千億円増の約101兆7千億円に達するというから、各省庁の大臣はじめ官僚たちには危機感も当事者意識もないようだ。

消費税を値上げから、この上乗せは増税分でまかなえと考えているようだが、全くの経済音痴の私でも、またまた莫大な国債を発行しなければならなること程度は理解できる。専門家の計算では、約4割を国債発行で穴埋めするとのことだから、この内閣は、来年度だけで40兆円の借金を前提にしているらしい。

政権が掲げるお題目は、例年通りの『成長戦略の具体化』『防災・減災』『国土強靱化』に加えて、『地方創生』と『人口減少の克服』が加わったらしい。

『地方創生』となると、来年度は地方自治体の統一選挙が大きく影響していることからも、地方へのカネのバラマキであるが必要らしく、交付金や公共事業の拡大のため国交省は17%増の約1兆円の増額を求めているという。『若者が元気に働き、子どもを育て、次世代へ豊かな暮らしをつないでいく地方創生の取り組みをインフラ整備の面から支える』というきれいごとを並べて・・・。

 防衛省も強気の要求。政権が力を入れる防衛予算の要求額は過去最高の5兆500億円超というのも危ない話。ますます『戦争ができる国』に近づいていることは間違いないようだ。国交省と防衛省を取り上げたが、各省庁も軒並みの増額要求。これが100兆円を越す予算につながっていることは私でも理解できる。

 現政権は『経済再生と財政健全化の両立』という対極の目標を掲げているが、どう見ても『財政健全化』に本気で取り組んでいるとは思えない。

 アホベ首相閣下はじめ自民党の議員や各省庁の官僚たちに、無意識的にせよ、消費税を10%にすれば当面は何とかなるだろうという考えが潜んでいるとしたら、近い将来『体で払ってもらう』という話が実現性を帯びてきそうだ・・・。(田舎親父)

2014年9月 2日 (火)

右へ右へ・・・アホベ閣下のお通りだ・・・

 このところ『ヘイトスピ-チ』という言葉を毎日のようにマスコミが賑やかに伝えているが、『ヘイトスピーチ』とは、人種や民族、宗教上の少数者に対する憎悪をかき立てるような汚い言葉のことらしい。このことは、一部の保守団体による在日韓国・朝鮮の人たちに対する憎悪表現から始まったのではなかっただろうか。

これが社会問題化し、国連人権委員会も改善勧告を出すなど、国際的な批判が強まっているようだが、背景に、何で背も『ヘスとスピ-チ』という言葉で片づけてしまえという発想を一部の輩が持っているように感じるのは私だけだろうか。

 こんな言葉が昔からあったのか知らないが、私には、最近政治的な分野で日韓関係が冷えきり、それにあおられた両国民衆が、相手のことを汚らしい言葉で罵り合うことが多くなったことから、急に『ヘストスピ-チ』と言うカタカナ英語が流行り出したように思えるが・・・。

 人種差別があってはならないことは十分理解できるが、国のトップ同士が、歴史観が違うと主張し、過去の忌まわしい事実を認めろ・認めないとやりあっている下でのサッカ-の試合では、相手国選手に汚いヤジを飛ばしたくなるのは、民衆心理として当然と言えば当然のこと。

人種差別や相手を侮蔑するような汚いヤジをなくすためには、国を動かしている政治家たちが、それぞれ自分の立場を認識して、相手を思いやる心をもって対応することだろうと思うのだが、実際にやっていることは、国の最高機関である国会であっても、相手を傷つけるヤジが飛び通っているというのでは、一人のサポ-タ-を出入り禁止にするなどはお門違いも甚だしい・・・。

 それはともかくとしても、『ヘストスピ-チ』を政治に巧みに利用する動きが始まったらしく、自民党はヘイトスピーチ規制策を検討するプロジェクトチーム(PT)を立ち上げ、人種差別的な街宣活動『ヘイトスピーチ(憎悪表現)』を規制する法案を立案するのだそうだ。

本来、こんなことまで法律で規制することではないと思うが、百歩譲って、そこまでは許すとしても、国会周辺のデモ活動も『ヘストスピ-チ』と同格にして、規制強化を検討し始めたというから,『ヘストスピ-チ』と言う言葉を使えば、民衆の抗議の声も聞かなくてもすむという思い上がった発想が底にあることは間違いない。思わず、こいつらに良識はおろか常識はないのか・・・叫びたくなる。

このPTのリ-ダ-のアホベ閣下お気に入りの女性政調会長が、国会周辺のデモや街宣について『(騒音で)仕事にならない』と発言し、『秩序ある表現の自由を守っていく観点から議論を進めてほしい』と求めたのだそうだ。

PTは今後、国会周辺での拡声器使用を制限する静穏保持法(悪法も甚だしい)などで対応が可能かを調べて、新たな法律が必要かどうかを判断するとのこと。この輩たちは、デモが、有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段ということなど全く理解せず、ただただ目障りなものに映るらしい。

 このことに対して民主党の幹事長は『ヘイトスピーチ(規制)とデモ規制は性格が違う。デモ規制が行き過ぎると民主主義のベースが壊れる』と批判しているらしいが、自分たちもかって政権を担当していた時、汚染ドジョウ首相が『大きな音だ』と表しただけに、自民党にとっては痛痒にも感じないだろう。

 ところで、国分寺市では毎年11月に開かれる『国分寺まつり』で、毎年ブースを出している護憲団体『国分寺9条の会』今年の参加を拒否されたとのこと。全国各地で、この種の動きが加速しているように感じる。

 今年はじめて出展申請を拒否するならいざしらず、毎年、このまつりにブースを出し、憲法九条に関するパネル展やシール投票をしているのだから筋が通らない。右寄り議員や地元民から自民党政権の代理としての圧力に、市当局は『なるほどごもっとも』と尻尾をまき、今年からという突如の拒否になったようだが、こんなことがまかり通ること事態危険なこと。

主催は実行委員会になっているが、市が多額の補助金を出しているので発言力は強いはず。いわば実行委員会には市の意思も反映していると考えても差し支えないと思うが、このところ、自治体当局は右寄りの一部の声をたてに、『内容が政治的』というわけのわからない型通りの言葉で、詳しい説明もなく一方的な結論を出すことが恐ろしい。

同じようなことをこれまでにもつぶやいてきたが、世の中全てが、『右へ~右へ・・・自民党(アホベ首相閣下)さまのお通りだ・・・』という動きを止めなくては、大変なことになることだけは間違いないのだが・・・。(田舎親父)

2014年9月 1日 (月)

さあ東電 どうする・・・

 先日、福島原発事故によって故郷を追われ避難生活中で自殺した58歳の女性をめぐる裁判で、慰謝料など約4900万円を遺族に賠償するよう福島地裁が東京電力に命じた判決に、まだ司法は死んでいなかったとホッとする。

ニュ-ス画像で、自殺した女性が住んでいた家と周りの環境を放映していたが、一見しただけで、この女性が自殺したくなる心境がいやと言うほど伝わってくる。丘の上に立つ白い我が家、そこに続く一本道と周りの風景。何と素晴らしい環境ではないか。

地震でゆがんだ家ではない。津波の影響も全くない。近くにはあの広島で起きた土石流の大惨状も見当たらない。そのまま人が住んで平和な生活を送っているかのような、のどかな風景が広がっている。

恐らく彼女は現在よりも便利で快適な暮らしなど望みはしなかっただろう。家族と平和な幸せを満喫していたに違いない。ところが、3月11日のあの災害で、突如、避難命令が出され、強引に我が家から追い出され避難所生活が始まった。そして、やっと4ケ月ぶりで一時帰宅が認められて、懐かしい我が家に戻り元の生活を思い起こして、二度と避難所に戻りたくないと泣き、一人首をくくったと言う話に涙し、今更ながら原発の持つ理不尽さに怒りが込み上げる。

避難生活の過酷さは、実際に経験していない私でも凡そは想像はできる。普通の神経では到底は耐えられないほど苦しく虚しいものに違いないことも十分理解できる。自然災害であるなら、そこに住居を構えたのは自分だという、納得できないまでもある意味あきらめもあるだろう。しかし、我が家から追い出した犯人が、五感では全く感じことができない放射能という魔物であることを到底受け入れられるはずがない。

全ての原因と責任は、東電と原発政策を進めてきた国にあることは明らかなのに、誠意すら見せない姿勢に絶望。ここで暮らしたい、死んでもここを離れたくないと言う気持ちはごく当り前ではないだろうか。

この女性は生まれてからずっとこの土地で暮らし、夫と子ども3人を育てて、ロ-ンを組んで、10年ほど前に、テレビ画面で見たあの家を新築したという。そこに原発事故が襲い、この地域は計画的避難区域に指定され、福島市内でアパート暮らしをせざるを得なかった。

 判決は、仕事も趣味も、そして何よりも家族や共同体としての地域の人々とのつながりも失った上に、住宅ローンの支払いも残り、帰還の見通しが立たないままの避難生活について、『ストレスは非常に強いものだった』『耐えがたい精神的負担を強いて女性をうつ状態にした』とはっきりと述べている。

そして東電に対して、『事故が起きれば核燃料物質などが広範囲に飛散し、居住者が避難を余儀なくされ、さまざまなストレスを受けて自死に至る人が出ることも予見できた』と文言は、過酷な避難生活をつぶさに調べ、裁判か自らが確信を持てたからここまで言い切ったに違いないと大拍手を送りたい。

内閣府が公表しているだけで『震災関連自殺者』は福島で56人だという。自殺者の数は11年に10人、12年に13人、13年に23人と、時がたつほど増え、今年に入ってすでに10人に達しているというから、まだまだ増えることが予測される。

ただ、この自殺者数は、国が『震災関連の中の福島県分』であって、原発との因果関係をはっきり認めたわけではなく、東京新聞の調査によれば、原発事故の避難中に病気や自殺などで亡くなった『原発関連死』は,少なくとも1000人を越すという結果を掲載している。全てが自殺ではないとしても、追い詰められストレスがたまりにたまり、うつ症状を発症、それが原因だということは像像に難くない。言い換えれば、自殺ではないが原発に殺されたと言っても差し支えなかろう。

このうち、どのぐらいの遺族が訴訟を起こしているのかわからないが、地裁といえ、司法が『原発事故との因果関係をはっきり認めた』ことは重く、他の訴訟にも大きな影響を与えるだろう。また、この判決に後押しされて、これから訴訟に踏み切る人も多くなる可能性もある。

 東電は『真摯に対応する』とコメントを出したが、これまでの言動から、東電が使っている辞書にある『真摯』という言葉は、一般常識の『真摯』とは、その定義そのものが違っているらしいので、このコメントを素直には受け止められない。

しかし、今度こそ、一般辞書にある『真摯』という言葉どおりに、すべての被災者に真摯な対応をしないと、さらなる怒りを買うことは間違いない。

 さあ、東電 どうする。東電の変化を期待したいが・・・。(田舎親父)

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