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2014年10月

2014年10月31日 (金)

右向け右の時代に・・・

何度もつぶやいているが、『多様』という言葉は、基本的にこの言葉がついていることに関しては『是』だという響きがある。『生物の多様性』とか、『多様な考え方』などは毎日のように耳に入り、決して悪い意味で使っていることはない。

特に『多様な考え方』いう言葉の意味は、考え方は人様々で、いかなる考え方があるのが当然で、それが犯罪につながらない限り許されるのが、民主主義の大原則だと教えられ、教えてきた。

大昔のことであるが、両親を早く失くした私にとって、親の存在は何よりもうらやましかった。ある時、友人が口にした『親に心配かけるのが親孝行』という言葉に、何ともったいないことを言うのだと食ってかかったことがある。

これに対して、彼は『親というのは、いつまでも子どものことが心配なのだから、安心させたらすぐにボケる。だから俺は少しの心配種を作っているのだ』という回答に、確かに、子どものことが心配なくなればホッとしてボケる親のいるかもしれない・・・と何となくそこで議論が終わったような記憶がある。

これも『多様な考え方』なのだろう。今どき、『親の言うことは全て正しい』と主張する人がいたらそれこそ変人だと思うが、中には『これが絶対的な真実だ』と一つの見方に固執する人も存在するらしい。それも『一つの考え方』だと思いたいが、この考え方を一方的に押しつけて、それ以外のことを『否』とする社会は想像するだけで恐ろしい。

北朝鮮が実際にどんな国なのかよく分からないが、一握りの人物が全ての権力を握っていることは事実だろう。そして、その人物に反対すると粛清されるらしいことも確かとなると、『多様な考え方』を否定するの国の民として生まれなかったこと喜ぶのだが、この気持ちは多くの日本人が共通に持っていると信じている。

しかし、権力という魔物は一度握ると決して手放したくなくなるらしく、国民をいかなる手段をとってでも、従わせたいという欲望が生まれるのも歴史が証明している。

『道徳』を正規の『教科』とするというのも、現政権の欲望そのもので、権力に唯々諾々と従う国民をつくりたいという意図がアリアリと見えてくる。

 文科相の御用機関である『中央教育審議会』が、小中学校の『道徳の時間』を『特別の教科(仮称)』にし、子供たちの成長などを評価するという答申を出したのはつい最近のこと。これを受けて、文科省は学習指導要領改定などを急ぎ、2018年度にも『検定教科書』で授業を始めるというから何とも嫌な気分にさせられる。

 『検定教科書』となると、文科省(国)の考え方と違う考え方は許されない。社会科の教科書に見るように、当初はかなり幅広い価値観や歴史観も許容していたが、徐々に一つの方向に進み、現在では一つの歴史観に集約されているが、道徳もその方向に進むのは間違いないだろう。

現在は道徳の時間は学校の裁量にされているので、複雑な問題や内面の問題とも向き合うことが多いのだが、検定教科書という、いわば押しつけ的な『規格化』では、一つの価値観を強要されて、しかも、一つの物差しで『評価』される。

 答申は、特定の価値観を押しつけたり、言いなりに行動するよう指導したりすることは『道徳教育』に全く反するとし、『多様な価値観と向き合い考える力が大事』だと強調しているが、どこに検定教科書との整合性があるのだろう。

 評価についても、点数化して成績序列を作ることは否定しており、総合的な観点での記述式と答申しているが、具体的なことは示していない。学校現場からの悲鳴が上がるのを待って、通知表の記述事例を示す、お得意の姿勢がかいま見られる。

 学習指導要領があり、それを検定教科書でしばるとなると、多様なテーマ設定や独自の取り組みは極端に制約されることも想像に難くない。

国定教科書を用いた戦前の『修身』は愛国心といった徳目を国民に植えつけ、軍国主義教育の中核を担ったことは忘れてはならない。戦後の道徳教育はその反省に立って行われてきたと信じたいが、今回の答申は、間違いなく時計の針を巻き戻そうとしていることは明らか。

国が決めた『良い子(国民)』にされてはたまらない。(田舎親父)

2014年10月30日 (木)

過疎化を加速させる財務省・・・

財務省は、全国約3万の公立小中学校をすべて標準的な規模に統廃合すると、5462校少ない2万5158校になるとの試算をまとめたそうだ。

本来ならば、財務省が行う調査ではないと思うのだが、約5000校減らすことによって、必要な教員数は小学校だけで今より約1万8千人少なくなるという。この試算をもとに、来年度予算案で教員の定員削減と人件費抑制を文部科学省に求めていく考えだというから、昨日もつぶやいたが、どうしても教員を大量に削減したいらしい。

財務省は『機械的試算』として、試算通りの統廃合を求めるものではないと弁解しているが、少子化のペースに比べて学校統廃合や教員数の削減が進んでいない状況を示すことで、文科省に対して教員の人件費に充てる予算をカットするよう求める狙いがあることはミエミエ。

学校教育法では、小中学校の標準学級数は1学校あたり12~18と定めている。しかし、12学級以上の小学校となると、全国的にみても、かなり人口が集中している地域でなければ存在できないのが現状。

文科省の統計をみても、全国3万校の小中学校の約半数が11学級以下だという。一応地域の実情により標準を下回る学校も認めているようだが、規定は生きているので、財務省はこの基準を元にしてことを進めたいのだろう。そこで、全国の学校が12学級以上になるよう機械的に統廃合することを前提に試算したとのこと。

どんな統廃合試案なのか、具体案は分からないが、小学校数は約16%、中学校数は約22%減るというからかなり大規模な統廃合を考えているらしい。約41万人いる小学校教員数は4%ほど減らせるという。事実、教員定数は今年度、少子化に合わせて約3800人減らしたとのこと。

今、地方の高齢化と少子化に加えて、若者の流失が急速に進み、地方の過疎化は深刻な段階になっている。このまま進めば30年後には消え去る自治体が800超との試算すらあるのが現実。

そのため、政府はわざわざ地方の活性化を図るために、地方活性化担当大臣をおいているが、アホベ首相は来年行われる予定の自民党総裁選対策で、対抗馬にその大臣職を押しつけたというのがもっぱらの噂。このことは当たらずとも遠からじというところだろうからどこまで地方活性に本気で取り組んでいるのか疑わしい。

子どもの数が少なくなるのだから、教員の数を減らすというのは、ある意味当り前の論理なので、『否』とは言いにくい。とにかく景気対策のために大企業優遇のために予算を回したい現政権ではあるが、もし本気で地方の過疎化をくい止めるという考えがあるのなら、この前提にとらわれず,どうすれば良いのかを議論するべきである。

全国に、児童数数人から10十数人以下の複式学級の小学校は相当数存在する。私もそのいくつかを訪問したことがあるが、そこには、担任(一般)教員とは別に、必ず校長と教頭(副校長)という管理職が存在している。彼らが一部授業を担当することがあるらしいが、統合すれば、管理職2人は確実に削減されるのだから、財務省が注目し統合へ圧力をかけているようだ。

実際に、毎年3月になったら、『最後の卒業式』とか,学校との『お別れ会』の話題がマスコミを賑わしているが、小学校は地域のコミュニティの基盤。小学校がなくなれば、たちまちに地域のコミュティは崩壊し地域の衰退が急速に進むことは、これまでいやというほど聞く話である。

村(町)の小学校は、地域住民の心の支えであり、しかも、古くから存在する小学校は、日当たりの良い高台で水の便も良い、地域でもっとも恵まれた場所に立てられていることが多い。ここにも、地域のまとまりの役目を小学校に求めた先人たちの強い思いを感じる。

本気で地方の衰退を危惧しているのなら、例え複式学級で、しかも児童数が数人であっても、小学校として存在させることが重要で、小学校が存在することによって、若い人たちが住める環境が生まれる可能性が残る。

地方活性化というお題目を掲げながら、一方で、全く相反する小中学校の統廃合という政策では、自ら掲げたお題目すら否定することになる。

 財務省の猛省を促すとともに、文科省には例え一人の児童であっても学校(分校でも良い)を存続させるという強い意思を示してほしいものであるが・・・(田舎親父)

2014年10月29日 (水)

教育の質より目先の財源?

昨朝の東京新聞一面トップの、『教育の質より目先の財源? 財務省「40人学級復活」提起』という見出しに愕然とする。

 記事を読むと、財務省は27日、財政制度等審議会(会長・吉川洋東大大学院教授)が公立の小学校一年生で導入されている35人学級を、従来の40人学級に戻すよう求める方針を提示したとのこと。

消費税の値上げを規定の事実としている財務省としたら、値上げ分だけではとても予算不足が補われず、とにかく、手段を選ばずというところだろうが、それにしても将来を託す子どもたちの教育環境を考えずに、こんな発想をする輩が存在するのは情けない。

しかも、それを言い出しているのが、一流と言われる大学教授たちの集まりである有識者会議という御用機関であるから、この国の将来は明るくないことだけは確かなようだ。

理由が何とも情けない。35人学級にする導入する以前の5年間(06~10年)と導入後の11年,12年のいじめの報告数を比べるると、1年生の『いじめ認知割合』は、導入前は10.6%に対して,導入後は11.2%と逆に増加し、いじめ防止などに目立った改善がみられないからだと主張しているらしい。

『いじめ認知割合』という言葉もうさん臭い。近年、いじめの報告数が増えているとはよく聞く話であるが、実際に、いじめの数が増えているのかとなると疑問符がつくのではないだろうか。

信じられないようないじめ(私に言わせれば犯罪だろうが)で、自殺に追い込まれる事件が増えていることは間違いなく、教育関係者に衝撃を与えている。そのため、10年以上前、文科省は『相手が嫌がる言動はいじめ』という指針を作った上で、各学校に調査を命じているが、最近は些細なことでもいじめとカウントするように指示しているとなると、数的には増加するのは当然だと思いたい。

それでも、報告される件数から判断して『いじめはかえって増えている』というならばわからないことはないが、『いじめ認知度割合』という、初めて聞くよな言葉で、35人学級の効果がないから40人学級に戻すというのは、『カネのためなら子どもを売る』という無茶苦茶乱暴な発想としか言いようがない。

現在の教育制度では、6歳になると小学校に入学するが、それまで、多様な生活環境で育てられた子どもたちは、6歳の4月1日を境にして、35人を最大数として、一日数時間は教室という空間で、同じ学習態度を強いられることになる。

学校という性質上、一定時間は椅子に座って教員からの指導を受けることが前提になることは仕方ないこと。そのことに『否』という発想は許されていないはずなのに、近年、躾けとは無縁の一部の子どもが、立ち上がったり、大声を出して他の児童の気持ちを混乱させ、それが学級崩壊という現象に発展していることは、教育現場では当り前なのだが、経済(利権?)だけしか頭にない、現在の政治の世界になるとこのこと論じられることはないようだ。

この傾向は(いわゆる有識者会議と呼ばれる)『財政制度等審議会』も同じらしく、『40人学級に戻した場合は、教職員数を4千人減らすことができ、義務教育費の国庫負担割合(国は三分の一)を86億円削減できる』との試算を財務相に答申するのだろう。

トンデモナイ話である。誰がみてもおよそ無駄だと思われる公共投資に湯水のごとく予算をつける中、たった86億円の削減が、莫大な無駄とは、国民を保護者を、そして子どもたちをバカにした話と一笑に付したいものであるが、『経済』という魔物が登場すると正論が封じられるのがこの世の常らしい。

文科省は大反対していると記事にある。当然である。カネ勘定だけではないと、財務省に対して一歩も引かない意思と行動を期待したいものである。

しかし、肝心の文科相は『きめ細かな指導という意味では、35人学級の方が望ましい』と心もとない。大将が本気で『35人学級どころか、複数の教員を』と強く主張してほしいところだが、望ましい・・程度では。

過度の期待は禁物だろう。(杉)

2014年10月28日 (火)

女性が輝く社会の本丸で反乱・・・

 暫く横浜の片田舎を離れていたので久しぶりのつぶやきになる。

でかける前のことであるが,『厚生労働省の女性係長が、18年間にわたり係長職に留め置かれているのは女性への差別だとして、国に謝罪と660万円余りの損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした』という記事に、面白いと拍手・・・。

この記事で、10数年前の話になるが、厚労省の女性係長が、子どもの農業体験のことで来訪されて、しばし歓談したことを思い出した。

名前は失念したが、年齢は30代後半か40代前半のこの女性の姿には仰天。ミニのタイトスカ-トに極彩色のブラウス、化粧もかなり濃いめで、イヤリングはもちろんネイルまでびしっと決めている。こんな派手な格好は、学校では自主禁制で、私の知る限りここまで派手な女性教員は存在しない。恐らく、これからもないだろうが、厚労省という役所は進んでいると本当に度肝を抜かれたという表現がぴったりだった。

しかし,話の内容はかなりしっかりしていた印象は残っている。こんな女性が、課長や局長になったら、厚労省は変わるだろうな・・・。とぼんやり思ったものだが、反面、お固い役所だけに、昇進するのはかなり難しいのではと思ったことを覚えている。

この女性とは翌年『オ-ライ日本』(だったと思うが)のフオ-ラムで再会して、言葉を交わしたが、その時も、濃い目の化粧で派手な服装は変わらず、よくこれで省内で通用するものだと感心する。名刺の部署は違っていたが、肩書は相変わらずの係長だった。

 この女性が、今回訴訟を起こした本人かどうかは全くわからないが、現職の国家公務員が男女の昇任差別を理由に提訴するのは極めて異例だと報じる記事によると、訴えたのは、同省統計情報部係長の50代の女性というから、年齢的にはぴったりする。

国家公務員II種試験に合格し、1989年、旧労働省に入省。96年に係長に就任したが、それ以降、担当業務は変わったが、昇任はなかったらしい。私がその女性とあったのは2000年のはじめの頃、ウ-ンいよいよ話が合ってくる。
 『同期の男性職員は2004~06年ごろ課長補佐級に昇任した。約10年後輩で課長補佐級になった男性もいる』と主張し、昇任していれば受け取れたはずの賃金などの支払いを求めているとのこと。本人はともかく、外野的には実に面白い話である。
 他部局と比べて統計情報部の女性だけが昇任が遅く、上司に訴えても無理だったので提訴したとのことだが、上司が、(私が出会った女性のようなタイフだと仮定すれば)厚労省として不謹慎だという気持ちを持っていたとすると、女性の訴えを無視することもわかるような気がする。

いやむしろ,上司としたら注意したかったに違いない。しかし、うっかり注意したら、逆にセクセラだと言われかねないご時世となると、怒りを抑えて業績でマイナス評価ということもあり得ない話ではない。

厚労省人事課の担当者は『訴状の内容を承知していないのでコメントできない。内容を確認して適切に対応したい』とコメントしているが、外見が派手だという理由で、昇進が遅れたなど絶対に口にできない言葉。

『女性が輝く社会』と看板にあげているアホベ内閣。『女性管理職を30%以上』とも言っていのなら、外見の派手さなどで評価を下げたとなると、本音は『男社会に従う女性』という言葉が隠れていることを露呈することになりそうだ。

 この裁判の行方を興味深く見守りたいが、マスコミが報道してくれるだろうか・・・。(田舎親父)

2014年10月23日 (木)

海外派兵が始まったぞ・・・

 我が国の安全保障上、『重大な危機となる事態』という、一見『強いシバリ(担保)』のように感じられる文言を付記して、自衛隊を地球上のいかなる地域にでも派遣できるようにしたことに強い恐怖感を覚えるとつぶやいたのはつい先日。

『重大な危機』という定義自体が曖昧で、政府が、アメリカに対する不利益が『我が国にとって重大な危機』だと受け止めているとなると、最初から歯止めなどないに等しく、アメリカからの要請があれば、ほいほいと海外派兵が始まりそうだと思っていた矢先に、防衛省はエボラ出血熱対策で、ドイツにある米アフリカ軍の司令部に、連絡要員として自衛隊員の派遣したというニュ-スが目に留まる。

またまた『エボラ出血熱』である。日本へ上陸させては大変なことになるということは疑いない事実。考えられる、あらゆる手段をとってエボラウイルスの侵入を阻止することは必要だが、『あらゆる手段』というのは、人と物への監視体制という意味での言葉であって、自衛隊員を海外に派遣することとは意味が全く違ってくる。

ドイツにアフリカで展開するアメリカ軍司令部があることすら知らなかったが、そこに防衛省の職員を派遣して、感染状況などについて情報収集を進めるのだそうだ。しかも今週中にも派遣というから、とってつけたような話。これは見過ごせない。

アメリカ軍の司令部の具体的なイメ-ジが浮かばないが、何となく、戦前、各国の制服組が集まる場で、日本軍将校がロビ-活動をしている様子を描いている小説や映画の場面を思い浮かべてしまう。そこでは、各国の制服組が一見和やかな雰囲気を作り出しながら、内情は自国の有利のために丁々発止の熾烈な情報合戦を繰り広げている・・・。

エボラ出血熱の情報収集となると、国内世論の反対を受ける可能性が小さいだろう。しかし、アメリカ軍が流行地域の西アフリカで、治療施設の建設などに当たるため、最大4000人規模で派遣を承認しており、既に現地で活動を始めているとなると、単なる情報収集とは大きくニュアンスが違ってくる。

(エボラ出血熱自体がアメリカの策略という情報もあるが)アメリカは、国内ではエボラ出血熱で死亡も確認され、かなり神経質になっているとニュ-スは伝える。まさに『アメリカの危機』である。自衛隊は同盟国の危機に対して支援するというのがガイドラインらしいから、自衛隊を海外に派兵したくてうずうずしている現政権にはわたりに船。

武器の使用はない医療での派遣であるからやりやすい。世論の動向を見るため、今回、数人の連絡員を派遣するのだろうが、反対が少ないと判断した段階で、規模は不明だが、アメリカ軍を支援するために、エボラ出血熱が流行している西アフリカへの部隊の派遣は規定の事実になっているのでは・・・。

派兵される隊員がエボラ出血熱に感染しないことを願うが、感染しない限り、この動きが止まらないとしたら、一人の犠牲が、今後多くの隊員を救うことになるかもしれないと思うと、(許されることではないが)この段階で犠牲者が出ることを願う気持ちもある。

今回のエボラ出血熱を口実にした自衛隊員のドイツ派遣によって、海外派兵の歯止めが崩れることを何よりも恐れているのだが・・・。(田舎親父)

2014年10月22日 (水)

社員の発明は全て会社のもの?・・・

 今年は3人の日本人がノ-ベル物理学賞を受賞したことは、日本人の一人として素直に喜びたい。

物理学賞といえば、まず頭に浮かぶのは湯川秀樹博士である。博士が受賞したのは昭和24年。当時宇治に住んでいた私は小学校の入学前だったが、ぼんやりだが、周囲の人が万歳万歳と大騒ぎしていたような光景が頭の隅に残っている。

後年、湯川博士が京都大学の教授だったことから、京都人が大喜びしたとのことを知って、なるほどあり得る話だと納得したものである。小中学校でも、たびたび湯川博士の話題が出て、教師たちも、いろいろな意味を含めて児童生徒に,末はノ-ベル賞と煽っていたことも思い出す。

それはともかく 今回の受賞者理由が、3人とも『青色ダイオ-ド』の発見や発展普及に対する業績が評価されたものだという。画期的な発明であることはわかるが、普及や量産の道を開いたという受賞理由は今までとは少しニュアンスが違うことから、ノ-ベル賞の選考基準が少し変わってきたように思える。

特に、中村氏は、民間企業で青色ダイオ-ドの量産に成功した人だと聞く。随分以前に、所属する会社が特許の権利を有すると主張し、(うる覚えだが)中村氏には数十万円の報奨金をということから中村氏が怒りの訴訟を起こし、一審では会社は200億程度の報奨金を出すべしという判決がでたのではなかっただろうか。その後、すったもんだの挙句、8億円超で和解したことが、今回のノ-ベル賞受賞のニュ-スで思い出す。

所属していた会社は、瞬く間に数兆円の売り上げの大企業に成り上がっていくのだが、中村氏は、あまりにも研究者を大事にしない我が国の現場に見切りをつけてアメリカに拠点を移し、現在はアメリカの大学で研究と後輩の指導に当たっているというから、当時の氏の怒りは想像に難くない。

アメリカメディアもそのことは良く知っていて、今度の受賞者を、二人の日本人とアメリカ人の3人と報じているのは、氏はすでにアメリカ社会が日本人ではなくアメリカ人として認識しているからだろう。

ところで、現政府は、日本の発展は世界と競争できるグロ-バル(よほどお好きらしいが)な経済成長と位置づけ、なりふり構わず『金儲け主義』を推進。大企業優先の政策に徹していることは、経済音痴の私ながらこれまでも何度もつぶやいてきた。

中小企業には見向きもせず、大企業が発展すれば雇用が促進し、賃金も上がる。そうすると日本経済は成長するというきれいごと並べ、法人税の大幅な減税など画策。マスコミも、このことを『是』と吹聴するものだから、世論として『そんなものだろう』という雰囲気が広がり、支持率維持につながっているようだ。

もっとも、今回、オブチという看板女性大臣がデタラメな収支報告書問題で辞任。加えて、選挙違反そのものを指摘されていた、マツシマという女性大臣は、このままでは内閣に及ぼう影響が大とみて罷免したことで、政治の潮目は変わりそうだが、この問題は別につぶやくことにしてここではパス。

話を戻すが、何としても企業の金儲けに加担したい現政権は、ノ-ベル賞の受賞で沸いている国内世論に対しても攻勢をかけて、先日、特許庁は、社員が仕事で行った発明(職務発明)の特許権について、社員への適切な報奨を義務づけることを条件に、『会社のもの』とする方針を固めたという。

中村氏の勝訴で、社員の発明による特許は『社員のもの』としていたはず。しかし、経済界から、『雇用している以上、仕事上得た、発明や発見は会社のもの』という発想で、制度の変更を強く求めていたことと連動する。

今回、この要請を受けた形で、政府は特許庁に、またまたお得意の『有識者会議』をつくり、御用答申を出させたのだろう。それを受けて、まってましたとばかり、早ければ開会中の臨時国会に特許法改正案を提出するというから、やり方はミエミエ・・・。

見直し案は、職務発明に関する特許は、初めから『会社に帰属』すると規定。その代わりに、特許の価値に見合った対価の支払いや、昇進や留学などの報奨が得られることを社員に保障し、研究開発意欲が低下しないようにするとのこと。具体的な報奨ルールは、労使の合意で決めるが、政府がガイドラインを設け、それを参考にさせるという。

これは怖い。労使の合意という言葉はあるが、『国のガイドライン』が優先することは明らかだろうから社員の要求は通るはずがない。中村氏の二の舞をしたくないという意味で、頭から『企業に帰属』との改定案は、『職務特許』などとは100%無関係の私であっても、これでは研究意欲の低下と、優秀な頭脳の海外流失が増えるだろうことは推測できる。

 ここにも、雇うものと雇われているものとの絶対的な格差を設け、2つに分けた階層を、さらに細かな階層に分けて格差を広げ、お上のお達しだけ守れば良いという、支配をし易くしたい政府・自民党の薄汚い意図を感じる・・・。(田舎親父)

2014年10月21日 (火)

体験することが大事なのだが・・・

 先日、文部科学省が昨年度の小・中・高校生の『問題行動調査』結果を公表したことを各新聞が大きく報じていた。

記事によれば、小・中学生の不登校が増えたほか、全体のいじめ認知件数は前年よりやや減ったものの高水準を維持。加えて、小学生の暴力行為が初めて1万件台となったとのこと。小学生の暴力行為という言葉には少し引っかかるものがある。

どんな方法で調査したは知らないが、経験から推測するには、文科省が都道府県教育委員会に、いつまでにこの項目で調査すべしという指示、都道府県教委は区市町村教委を通して各学校にこれを伝えるのだが、校長の考え方次第では、この種の調査結果は大きく変わることはあまり知られていないようだ。

小学生の暴力行為といっても、『うるせい・・・』などと教師に逆らう子どもは、昔からどの小学校にも存在していたことも事実だが、たいがいはその場の教師の指導で何とか収まり、あまり問題にならなかった。しかし、これを『暴力行為』と認識するかしないかによって、このデ-タの質は大きく変化する。

特に、小学校に入学した当初は、これまでの環境ががらりと変わることから、担任教師は厳しく躾けることが多く、最近の子ども特徴として、叱られたたことがないだけに、言葉による抵抗だけでなく、泣き叫び、教師に組ついたりする児童は多くなっている傾向があるようだ。

そのために、1年生担任を回避する教師も増え、ついつい新採教員(特に女性)を配置することが、子ども心に『御しやすい』という心理になるのかもしれないらしく、自分の意のままにならない時に、暴れたり、時に教師を蹴飛ばしたりすることが多いのだろう。近年このような児童が多いことは、現場の大きな負担になっている。

最近の校長は、これを『暴力行為』と認識する傾向が高いようなので、これをカウントし報告しているのではないかと推察している。このため、『小学校の暴力行為』が多くなっているのではないだろうか。

それを差し引いても、暴力の低年齢化現象は事実であることは否定しない。今回の調査で文科省が、なぜ暴力行為が増えたか都道府県教育委員会にアンケートしたところ、その回答が『感情コントロールがうまくできない児童が増えた』ということが一般的な答えが返っていたという。不登校増加においても『人間関係が構築できない』『家庭の教育力が低下し、基本的な生活習慣が身につかない』という回答が寄せられたらしいが、こちらも同じで、極めて具体性に欠ける。

文科省はこの調査結果を、表看板にしている『グローバル人材の育成』という、およそ意味不明のキャッチコピ-で教育制度改革を進めているらしいが、これらの課題のために一歩踏み込んで、『ではどうするか』という提言までは求めてないようでは、調査のための調査だと言っても差し支えない。

学校ではいろいろな問題を抱えているが、根本的な解決のためには、年齢に応じた子どもたちの心の成長の安定があることは論を待たない。これを論じず、現実の実態だけを調べてみても解決に至らないのは当然だろう。

しかも、解決は学校の問題だと突き放し、『グロ-バル』という大好きな言葉並べて、世界に通用する人材の育成が最重要課だととして、小学校の低学年段階から、学校に様々な困難を求めているのも気に入らない。

繰り返すが、『年齢に応じた子どもの心の成長の安定』とは、幼児から日常体験を通して自分でできることを知り、それを自分の意志で行うことが基本であるが、現代社会では、全てが大人が先回りして、幼児にさせては可哀相という間違った考え方で体験させない傾向が強く、小学校入学時であっても、日常生活体験度(こんな言葉があるのかどうか知らないが)は3歳程度では、低学年の暴力行為が増えるのは当然だろう。

文科省は『グロ-バル人材の養成』が日本の経済成長の成長戦略だという発想の片棒を担ぐのではなく、『子どもの心の成長』を最重要課題として位置づけ、具体策を示して学校を指導するという動きを見せてほしいと強く願うが、無理だろうなあ・・・。(田舎親父)

2014年10月20日 (月)

問答無用の血液検査?・・・

アメリカではエボラ出血熱の感染者が出て、一人が死亡し、新たに感染者が出たことでアメリカ国民の間に恐怖心が広がっているようだ。

この問題では、野党共和党は、オバマ大統領の責任を追及、アメリカ国内のマスコミも批判的な記事が目立っているらしいから、もし、これ以上感染が広がれば、どんな騒ぎになるか想像もつかなくなる。

メディアはこぞって、エボラ出血熱の対応は、大統領選挙の争点になると予測しているらしいが、確かに、ここで感染をくい止めなければ、オバマ大統領の責任が追求される事態になり、イスラム国の脅威云々よりも、とにかく止めろという声が大きくなることは想像できる。

実際に、野党共和党はオバマ政権に対し、エボラ・ウイルスのアメリカ国内への流入を防ぐため、西アフリカとの往来禁止措置を取るよう求めているというから、その動きは始まっている。かなりの国民もこの動きに賛同しているというから行き先は不透明・・・。
 大統領は、このことについて、第三国経由の入国も予想され、その場合、感染者を探知できないことから,『効果的ではない』と、現時点では共和党要求には応じないとのことだが、これは当然私でもわかる話。

世界各国は国内にエボラ出血熱のウイルスの侵入を阻止するために、徹底的な防御体制をとっていることは容易に推測できるが、潜伏期間が最大3週間ほどあるというから、発症していない感染初期の保菌者を、入国時に100%見つけ出すことは不可能なように思える。

その上、もしも自覚があったとしても、拘束される恐怖にはとても耐えきれず、ほとんどの人は、体調は良好だと答えるのでないだろうか。まさか、入国者全員に強制的に体温を計ったり、尿検査や血液検査などできるわけはないだろう。

そんなことを思っていると、現政権が、エボラ出血熱や結核、新型インフルエンザなど、国民生活に重大な影響を与える感染症の疑いがある場合に、患者が拒否しても強制的に血液などの検体を採取できる感染症法改正案を閣議決定し、臨時国会に提出したというニュ-スに、私の鈍いアンテナが反応する。

この法案が、期間を限定してエボラ出血熱にだけということなら、緊急性という点から反対できないが、結核や新型インフルエンザにも適用するというところが引っかかる。

現政権の中には、エボラ出血熱をも政権強化の『武器』として、自分の思いどおりの社会にするシナリオを作る『凄腕』の存在に、驚きを通り越して恐怖を感じる。このタイミングはどんぴしゃり。

重大な感染症の拡大防止に向けた情報収集体制の強化を図るという理由は、実に分かりやすく万人受けするから、よほど理論武装をしない限り反論はかなり難しい。

 改正案には都道府県知事の権限として、致死率が高いエボラ熱やペストなどの一類感染症、結核やH5N1型鳥インフルエンザなどの二類感染症、そして、新型インフルエンザなどについては、患者が検体の提供を拒んでも採取を実施できるとのこと。

 現代の医療技術は、血液でその人の持つ肉体的、精神的因子がほとんど判明するとなると、自分が知らないことも都道府県レベルで全て把握されることにもなりかねない。

 これは明確に反対の意思を示すことが必要だが、マスコミは今後この問題を大きく報じてくれるだろうか・・・。(田舎親父) 

2014年10月18日 (土)

教育委員会は気象庁が嫌いらしい・・・

 今週は免れたが、先週と先々週は、大型の強い勢力の台風18号・19号の襲来に日本列島が大揺れ。おまけに両台風とも上陸するまでは速度が極端に遅く、細かに進路変更を繰り返して気象庁を困らせ、人々に恐怖に与えた。

 気象庁は、このところ『50年に一度』という言葉がお好きらしく、それに習って新聞テレビニュ-スが続くものだから、各自治体も『50年に一度』という言葉が、市民に警戒呼びかける時の詞言葉のごとく用いる事が多くなった。

気象庁のこの警戒発信を受けて、進路に当たる自治体は、去年の大島に続き、先月の大雨で大きな被害を出した広島の土砂崩れの教訓から、とにかく出そう・・・という感覚が芽生えたらしく、物凄い人数に避難勧告や避難指示という警戒情報を出したわけだが、ある意味では、自治体の責任逃れのためのアリバイつくりではと思わないでもない。

『50年に一度の猛烈な風雨』だから、警戒を呼びかけるのは当然で、このことを深く追求するわけではないが、『市内全域、約○○世帯・○○万人に避難勧告』という文言が、当り前のように、しかも、またかと思うほどテレビニュ-スが流していた。

警戒を呼びかけるのだからこれで良いのかもしれないが、中には『避難勧告』という警報がでたら避難しなければならないと思っている市民もいるのではないだろうか。『避難勧告』と『避難指示』がどう違うのかがわからない人も多いのでは・・・。特に、高齢者にはその傾向が強そうだ。

市民全体を受け入れる避難所なんて不可能なことはわかるが、果たして、日頃からどの程度の人数を収容できるのか、またその場所までの避難経路など知らせているのだろうかという疑念が頭をよぎる。私自身は、ここが(横浜の片田舎の自宅)一番安全と勝手に決めているので、知ろうとする努力はしたことはない。きっとそんな人も多いのでは・・・。

こんな声が聞こえたのか、先日、気象庁の幹部職員が、『避難情報はあくまで危険度を知らせているので、出たからといって全員の避難を想定しているわけではない。それだけ押し迫った危険があるという情報なのだから、自分で判断して下さい』と発言していた。

なるほどもっともだと思いたいが、ここまで連発しては、市民の間には『なんだ、こんなものか』という、いわゆるオオカミ少年心理が働き、50年に一度がこの程度なら・・・と聞き流すことが当り前になり、折角の警報が仇になることもあり得る。これが怖い。

話が飛ぶが、最近の気象庁の台風情報はかなり細かく、しかも正確になっている。台風19号は、当初は13日の体育の日に関東に近づくとの見込みだった。この情報で予定を変更した人も多く、私もその一人。

ところが、9日には、確信を持って、台風の動きは上陸したとたんに速くなり、13日中には関東を通り過ぎて東北地方に向かい、その後温帯低気圧になると発表していた。私も同意見で、14日は台風一過だろうと確信していた。

ところが、この気象庁の自信満々の予報にも関わらず、都内の一部の区は、区立の小中学校を14日(火)を休校にする措置。また,都内全ての公立小中学校は始業時を遅らせる措置とのテレビニュ-スに、教育委員会は気象庁を信用していないのがと、思わず苦笑する。

そして事実、14日は予想通り,午前5時にはすっかり雨は上がり、本来の子どもの登校時には太陽の光がまぶしく感じたものである。登校時の危険度は、小中学校の学区内のごく狭い範囲でも、地形や保護者の考え方で大きく違ってくる。恐らく、いろいろな意味で、全校休校が迷惑だった保護者もかなり多かったのでは・・・。

避難勧告は市民の判断なら、登校も市民の判断でいけないのだろうか。危険だと考えて登校をさせなくても欠席扱いにはしないと連絡していれば、恐らく、何の支障もなく授業が行われたのでは・・・。

学校では、この強制的に奪われた授業時数をどう埋め合わすのか、今頃頭を痛めているのではないだろうかと思うと、何だか気の毒になるが・・・。(田舎親父)

2014年10月17日 (金)

やっとスマホ自主規制の風潮が・・・

先日の朝日新聞に『携帯電話やスマートフォンは夜9時まで・・・』という見出しを見つけた。

小中学生に時間制限を呼びかける取り組みが、全国の教育現場で広がっているのだそうだが、やっと保護者の間に,スマホのマイナス面を真剣に考える動きがでてきたのかと、その記事に興味がわいてくると当時に、以前もつぶやいたことがあるが、10年以上も前に、私も関わっていた、子どもたちとネット社会を考える活動を思い出す。

当時は、子どもの言うままに携帯電話を与える保護者が多く、ちょっとはリスクも考えましょうよという、我々の訴えは、うなづくだけで実態は頭の中で消えているというのが現実だった。

何度が集会を開いて会場からの意見を聞くことも多かったが、大体が、ある母親の『べらぼうな電話代を請求されたが何とかならないのか』という意見に代表されるレベル。ならば与えなければよいだろうにと思うのだが、この母親は、子どもに携帯電話を与えることがステ-タスだと明らかという態度が目立ち、自慢げだったことが特に印象に残っている。

当時は、今から思うと、携帯でできることは大したことはなかったはず。メ-ルが大流行となり、友だち同士の直接な会話が消え、極端な場合は、声が届く距離であってもメ-ルげ連絡することに危惧感を覚えていたが・・・。

そのことから生じるトラブルも聞こえてきたが、現在のように、ネット環境が整っていないことから、一瞬してグル-プに広がることがなく、深刻な問題にはなったが、二人の間で解決できることも多かった。

むしろ、有害サイトにアクセスすることや、ゲ-ムに時間を費やし、多額の通話料がかかることが大きな問題で、最近のように、『LINE』などという通信アプリなどなかったので、親の意識を高めれば解決できることが多かったという記憶がある。

世の中が進み、スマホなるものが出現すると、これ自体がインタ-ネットの端末(最近ではネット機能を完備したコンピュ-タ)なので、事は複雑。

あまり機能が多過ぎて、私のような老人には使いこなせないと敬遠していたが、最近になり、GPS(位置識別)機能は便利だと思いスマホを持つようになったのだが、使いこなせずウロウロするだけ。しかし、若い世代では、いまやスマホがない生活は考えられないのが現状らしい。

世の中が物騒になっていることもあって、安全面でも通信機能を備えたインタ-ネット端末の必要性が増し、今では、小学生であっても半数は旧携帯(ガラケ-というらしい)を含めて、最新機能を持ったスマホやタブレットの類を持っているという。中学生では75%、高校生にいたっては90%が所持しているというから驚きである。

特に『LINE』というアプリは、手軽な操作でしかも無料で、メッセ-ジのやりとりができることが人気で、いまや青少年の間では使わない人がないほど大人気だという。しかし、仲間同士は当然として、見知らぬ人たちが勝手にメ-セ-ジを読み、書き込めるとなるとちっとしたことから問題が複雑になることや、興味半分に深入りして、思わぬトラブルに巻き込まれることが多くなり、最近の青少年が絡む事件(殺人事件など)の影には、必ずスマホの存在があると言っても極論ではないようだ。

無料とあって、深夜までこれにはまる子どもたちが多く、これもまた保護者の悩みであり、相談を受けた学校も対策に頭を痛めているのは10年前の我々と同じだが、子どもたち自身にまで、悩みが広がっているのが最近の特徴らしく、スマホの規制は、むしろ子どもも必要と思っているらしいところが違うようだ。

 記事には、福岡県の『スマホに係る家庭教育宣言』を玄関に張っている中学校を取り上げている。この中学校のPTAは,昨年11月『スマホ等の自宅での使用はリビングに限定し、夜10時から朝六時までは、保護者に預けるようにする』という約束を、学校と協力して作ったのだそうだ。

 それから1年、かなりの効果が生まれているという。LINEにはまってしまった生徒はメッセ-ジをやりとりすることが義務となる場合が多く、これがトラブルの一因になっていたので、時間を決められると打ち切りやすいとのこと。なるほどもっとも・・・。

 この中学校の実践に刺激されたのか、今年に入り、各地の自治体でスマホや携帯電話への接触時間を制限する動きが広がっているのだそうだ。そして、共通することは、児童・生徒に強制はせず、PTAが中心となって家庭への『介入色』を薄めているのが特徴だという。

 10年前とかなり違う動きである。やっとここまできたかという思いと、ぜひ,この動きが全国の学校・家庭に広がり、条例などで規制ではなく、子どもと正面から向かい合って、スマホの適正な使い方とマイナス面を話し合い、家庭(学校)内での自主規制を進めてほしいものである。(田舎親父)

2014年10月16日 (木)

インドとパキスタン・・・

少し話が古くなるが、今年度のノ-ベル平和賞の受賞者の一人が、17歳のパキスタンの少女だった。

マララ・ユスフザイという名前のこの少女は、イスラム過激派から頭に銃弾を受けながら奇跡的に復活し、身の安全のためイギリスに留学しているらしいが決して怯むことなく、女性の権利、特に教育を受ける権利を訴えているという。

国連でも演説しているが、実に自信に満ちた態度で,堂々と自分の意思を伝え、なみいる各国の国連大使は、立ち上がって拍手をしている映像が世界を感動させ、ノ-ベル賞選考委員の魂を捉えたに違いない。

 もう一人が、カイラシュ・サティヤルティという『子供の人権・教育』に長く取り組んできた60歳のインド人男性というのも実に考えた人選である。

昨日に続いてここでも話がそれる。20年も以上前のことになるが、ビンズ-教徒とイスラム教徒のそれぞれの子どもと関わったことがある。

ヒンズ-教徒のインド人の男の子とイスラム教徒のパキスタン人子どもが、その年、同時に入学希望があった。両方の親が、日本語はほとんど理解できないとのことなので、二人を一緒に、英会話ができる担任のクラスにしたことがある。

日本の公立学校に入学する以上、学校の経営方針には従ってもらうという条件を両方の親が受け入れたことで,二人の学校生活が始まった。確か、インド人の父親は大手商社のエリ-ト社員、パキスタン人の父親はパイロット(逆だったかもしれないが)という能力の高い職種についていたことと、両方が日本の公立学校入学を強く望んだことも、私には幸いしたのだろうが・・・。

当初はお互いが意識していたらしく、顔を見ないようにしていたが、子どもの持つ柔軟性なのだろうが、担任の指導力も優秀だったこともあり、徐々に違和感がとれて、クラスの仲間と楽しそうに過ごす姿を目撃し安堵したことも記憶が蘇る。

入学当初はイスラムの民族衣裳だった女の子は、親は日本の学校にという強い希望があったのだろうが、間もなく日本人と変わらぬ服装に変化した。インド人の男の子も同じである。

知能が高かったので、みるみる日本語を吸収して、また1年生ということで、わからない言葉があったらしいが、授業について行けるまで上達したことも思い出す。ただ一点、担任が相談したことは、給食のことである。

今、イスラムの人々を受け入れるために、豚肉を使わない料理の話題が広がっているが当時は給食の選別なんて考えられなかったので、イスラムにとっての豚とヒンズ-の牛を肉の扱いを親にどう説明したらよいのかという内容だった。

そこで両方の両親を呼び、担任同席で、給食の食材を分ける環境ではないので、全員に『同じものを出すから了解してほしい』と投げかけたところ、両方の親は『大丈夫。うちの子どもは出される肉が何なのかわかるから、それを食べないで残すことを了解してくれればそれで良い』とのことで全て解決。今だからいえるが、私が観ている限り、残したことがないのことを思い出し自然に顔がほころんでくる。

話を戻すが、ヒンズ-とイスラム(しかも現在も国境紛争が続く)。インドとパキスタンから選んだ選考委員の背景には、若い世代に教育を与えなければ、世界に広がる暴力や過激思想を止められないとの強い危機感があるに違いない。その見識の高さに心からの大拍手を送りたい。

二人とも受賞式には、それぞれの首相を招待したいと発言しているのも素晴らしい。実現したら、平和賞に相応しい場面になるだろう。

ぜひ実現してほしいもの。そして、このことがきっかけとして、少しでも世界に平和の気運が開けることを期待したいが、イスラムの過激派は『マララを殺す』という声明を(あたかも神の声だとして)出しているというから、前途は多難である。

過去に中東を勝手に分割し、争いの原因を今日まで続けさせている、欧米各国の首脳の責任は重い。

特にノ-ベル平和賞を受賞したオバマ大統領のアメリカは・・・。(田舎親父)

2014年10月15日 (水)

市民の声をきかなくっちゃ・・・

 大阪市がまたまた賑やかに話題を振りまいてくれている。ハシモトという市長は、競争が大好きで、『競争こそ人生・・・』という価値観を持っているのだろうが、教育の場においても学力テストの点数を上げることが最重要課題と位置づけて、各学校の競争を煽っていることは何度がつぶやいた。

 しばらく、維新の政党業務が忙しかったらしく、教育行政に対して目立った動きをしていなかったが、つい先日は,国家戦略特区制度をうまく使って『公設民営学校』と呼ばれる新しいタイプの学校づくりを進めると発表。

先日、どちらかというとこの御仁とは肌が合わない朝日新聞がこのことについて報じていたが、今の臨時国会で関連法案が通れば、大阪市は18年度にも、公設民営の中高一貫校を立ち上げるとのこと。海外の大学入学資格を認める『国際バカロレア』の認定を受けるコースのほか、理数系や英語に特化した学科を併せ持つ学校を検討していると伝えている。

英語の発音通りにカタカナ表記をしているのだろうが、『バカロレア』とは面白い。英語音痴の劣等生の私が受ける感じは,『バカはいらない』と聞こえるから、なるほどこの御仁好み。成績優秀な人物にとっては、実に耳障りが良い言葉なのかもしれない。

『公設民営学校』は、普通の私立学校と違い、校舎や校地は自治体が用意し、教職員の給与も税金でまかなうのだそうだ。今後、具体案を示して経営者を募集するのだろうが、確かに、この種の事業に秀でたノウハウを持つ人物が、優秀な人材を集めることによって大きな資金がなくても教育に参入できる仕組みであることは理解できる。

子どもや親にとっても、公立並みの学費で、『バカはいりません』とうたった学校に入学できるとなると、これは魅力だろう。恐らく、いかにレベルが高くとも入学するぞとばかり熾烈な争いが起き、この学校の入学を目指した塾が繁盛することは間違いなさそうだ。しかし、貧乏人はそんな塾とは無縁となると、考えさせられる。

市長が想定している『公設民営学校』の数はわからない。しかし,このタイプの学校が簡単にできるとは思っていないだろうから、たかだか各区に1校か、あるいは全市で数校に違いない。これでは、どんな入学テストをするかは別にして、富裕層以外の一般市民は、自分の子どもを差別してもらうために税金を払っていることになるのでは・・・。

話はそれるが,ふと、全国津々浦々の小学校で行われている市販テストが頭をよぎる。単元が終わると、理解度を確かめるという名分で(実際は通知表の○位置決めるため)市販テストを行うのがごく普通であるが、そのテスト類は,親から徴収していることにマスコミが疑問を投げかけないことが気になっている。私は昔からこのやり方に異議を唱え、一人抵抗し、自分のテストでしかも100点以外つけない主義を通してきたが・・・。

教師が自分の教えたことを自分の作ったテストで理解度を調べることは当然だと思うのだが、現実は、客観性がないとの理由で、このような教師の存在を許さず、市販テストを使うのが当り前になっている。

公費で購入してテストをするならまだしも、保護者から徴収しているのだから、出来の悪い子どもの親からしたら、『うちの子の頭の悪さを証明するため』にお金を払っているということになる。こんなバカなシステムが成り立っているのだから変な話。しかも、その市販テストが簡単に入手できるのだから困ったものである。

話を戻すが、日本の公教育の強みは、どの地方に住んでも『同じ水準』の授業が受けられることは、私も十分理解している。文科省は、これが平等性だと一貫して主張し、はみ出さないように学習指導要領で教員を縛ってきた。

画一的であるがゆえに、勉強が苦手の子や不登校の子、あるいは日本語がうまく話せない外国人など、特別な支援が必要な子のニーズにこたえきれていないという声が大きくなり、最近は,従来の公立校では十分に対応できなかった分野を、外部の専門家に委ねることも可としている。一番身近なのが英語の補助教師(ELT)であるが、そのことと、大阪市が目指している『公設民営学校』とは本質が違う。

『国際バカロレア』の認定校を目指すのも結構だが、公教育への民間参入を促すことで、経済成長をとなるとまさに、現政権と同じレベル。いや政権のお先棒を担ぐことに他ならない。

ハシモトさんに一言。広く市民の意見を聞かなくちゃあ・・・。(田舎親父)

2014年10月14日 (火)

福島知事選が始まったが・・・

 先週から始まった福島県知事選、本来なら『原発』が主要な争点にならねばならないはずなのに、マスコミ報道では『原発』の是非そのものは争点にならず、主力候補者の口からは『復興』という言葉が連発しているのだそうだ。

 そんなことはないはずだと思いたい。共産党の推薦を受けて、『脱原発』を公約として立候補した熊坂氏は、今頃県内各地を周り、再び原発事故を起こさないために,そして福島県民の不幸を繰り返してはならないと絶叫している想像している。

また、全住民避難という事態になり、ただ一つ県外・埼玉県に行政の拠点を置いた双葉町の前町長である井戸川氏も、自らの経験を元に、必死で『脱原発』を訴えているに違いないと信じている。

福島県の現知事は(以前もつぶやいたことがあるが)ゴリゴリの原発誘致推進派という印象を持っていた。しかし、自民党から推薦されて当選したのではなく、民主党の地方議員から知事になった人物だというから、途中から原発誘致に熱心になったようだ。前回の知事選は自民党からも推薦を得て当選。原発事故後は県内の原発の全てを廃炉とする方針に転換していると聞く。

当然だろうが、原発を誘致してきた罪は重い。国がどんどん事故処理に背を向けている現実を受け止めて、県民に対する贖罪のためにも、国に対して福島県内の原発の廃炉ともとより、エネルギ-政策の転換を求め、どうすれば福島が復興できるのか先頭に立って知事選に立候補してほしいところだが、残念ながら、辞めるという責任のとりかたを選択したようだ。

 そして、はっきりとは指名していないらしいが、事実上の自分の後継者として副知事に託したとのこと。立候補を表明した副知事に対して、現知事も民主党推薦だったことから、民主党としてはわたりに船とばかりすぐに推薦?・・・。

自民党県連は、当初独自の候補を決めたが、党本部は、滋賀県での『卒原発』知事の誕生と、11月の沖縄知事選の不利な形勢を見て、独自候補では敗北すると判断。それ避けるために、副知事推薦に切り換えたという。

なんという姑息さだろう。選挙に立候補した以上、何としても当選したいと思うのは当り前だろうが、副知事はすぐに推薦を受け入れて『相乗り』したというから、原発の再稼働はもとより、原発政策は選挙の争点にならなくなったことは明らか。

県民のほとんど、特に現在避難を余儀なくされている人々にとって、『脱原発』は共通の思いだと信じたい。なのに、原発が選挙の争点にならないのだから、その悔しさは余りある。

知事選には6名が立候補している。6人とも福島県の原発は全て廃炉にするとの公約を掲げているが、再稼働に明確に意思表示をしているのは、前述の2氏だけで、副知事候補にいたっては、『国の問題だから、私は知らん』との態度。原発事故で県民が難儀している時に、自民党の推薦を受けるからといって、他県で事故があっても仕方ないとは情けない。

 現在、避難解除された地域は2つ、早く原発事故収束をしたい思惑を持つ国は、強引な方法で安全だと決めつけて、今後どんどんその地域を増やすだろう。本当に安全が担保されているなら、これは喜ばしいことだが、国の安全基準が曖昧なものだから、戻りたくても戻れない人が多も多い。

 現政権のやり方は、安っぽい小説的に表現すると、『俺が安全だと判断したから,戻るか戻らないかはお前らが決めろ。しかし、俺に逆らって戻らないといういうならば、今後は援助がないものは覚悟しろ』というところ。従来の脅迫型アメとムチ。

住民同士の争いの因を生み出し、反発させて国の方針に従わせるやり方である。そして、その向こうには、原発ゴミの(中間ではない)最終処分場を(さすがの国でも安全だといえない)事故原発周辺に造ることも・・・。

 選挙公約を読むと、一番知事に相応しいのは熊坂氏だと思うのだが、せめて、民主党以外のオ-ル野党が推薦すれば別だが、共産党が推薦母体となると、当然の目はないことはこれまでの歴史が証明している。

 結局は、県民不在の福島県の復興計画が進められることになるのだろうが、現政権のやり方を見ていると、その責任は全て住民の判断。アメを選択した人々が、将来的にはしごを外されることにならないことを願うだけ・・・。

困ったものだという、また同じことのつぶやきが口からもれる。(田舎親父

2014年10月13日 (月)

テロ資金法 これは恐ろしい・・・

 台風18号に続いて、19号がまたまた列島を襲いそうだ。今日の昼頃には四国に上陸という情報に、我が故郷、愛南町はもとより四国各地、そして台風の進路に当たる地域に被害がないことを心から願う。

 それにしても、自然災害が多過ぎる。かって中国では天変地異が続くと、民衆の不満が皇帝に集中し、時の朝廷が転覆するの当然だという思想があったらしいことを何かの本で読んだことがある。

真理だとは思わないが、ここまで自然災害が続くことと、現政権の悪行と関連させて、民衆の不満が爆発し、政権交代をひたすら望みたくなるが、支持率が落ちないことにいらだちを感じる今日この頃。今日も、その一つ・・・。 

先日、『テロリスト財産凍結法案(テロ資金法)』という言葉を初めて聞く。言葉から受ける印象は、テロリストの財産を没収できる法案のようだが、テロリストという定義がされていないで、これを取り締まるというのは、例によって現政権の非常に陰険な悪巧みを感じる。

すでに閣議決定したというから、このままだと『俺がテロだと思った奴はテロに違いない』という、現政権の得意のご都合主義の、まず法案を通してしまえという乱暴な手法。

国会周辺で政府に批判的なデモでも、テロと決めつけている輩が閣僚に名を連ねている政権で、こんなことが合法化されれば、まさにこれは戦前の共謀罪や治安維持法と同じたぐいになりそうだ。

国会で論戦があったのだろうかという疑念がよぎる。このところ、ニュ-ス記事はある程度目に通している。政治の動きにもかなり反応しているつもりだが、閣議決定されたというニュ-スの前に、国会で激しい議論がなされたとの記事を読んだ記憶がない。

私でも,瞬間的に危険だと思うほどだから、人々の将来を託されている国会議員、特に現政権に批判的な野党の議員の中には、どんな内容なのか、政府の意図は何なのかということを見抜いている人物もいるだろうに・・・。

発言の機会がなかった?。いかなる少数政党であっても、質問ぐらいできるはずだと思いたいが、誰も声を上げなかったのだろうか。

政府には、中東の『イスラム国』への志願兵問題や2020年東京オリンピックの治安対策などと治安対策が必要だという世論の追い風があることは明らかだろう。

しかしこのままこの動きを認めてしまったら、(繰り返しになるが)『デモをテロ』だという現政権は、いずれ何らかの理由でデモを呼びかけた人物を拘束、デモに参加しただけで逮捕されるという風潮を蔓延させて、『もの言えば唇寒し・・・』という世論を作り上げることになりかねない。 そんなバカなことにはならないと一笑に付す国民も多いだろうが、間違いなく国会周辺のデモは完全に排除され、それが当り前の社会になるような予感がする。

こんな国が民主主義国家でとは思えない。せめて、野党には、テロリストの範囲を明確にさせる程度の国会論争を期待したいが・・・。(田舎親父)

2014年10月11日 (土)

日本でも無差別テロが横行?・・・

 凄いことになりそうだ。北海道大学を休学中の26歳の男子学生が、イスラム国(この表現は気に入らないが、ISISではもっと分かりにくいので、仕方なく使うことにするが)の戦闘員になるためにシリアにでかけるつもりだったことが判明し、警視庁が動き出しているという。

 マスコミ報道なので、どこまでが真実なのかはわからないが、この学生は、イスラム教に入信していたというから、イスラム国がイスラム原理主義(どんなものか理解不可能だが)を掲げているとなると、本気にシリアにわたり戦闘員になるつもりだったようだ。

 イスラム国の兵士がドイツ人ジャ-ナリストの首を切って殺害する映像がインタ-ネットを通じて全世界に配信されているという。首を切り落とす瞬間のシ-ンはないものの、顔を隠した戦闘員が、相手を膝まづかせて、まさに殺害しようとしている映像は何度もテレビニュ-スで流しているから、残虐なシ-ンが流れているのは事実だろう。その気になったら、こんな映像が見つかるようだが、とても見る勇気もなく、見たくもないが・・・。

戦闘員がイギリス人だったというのも恐ろしい。先日もつぶやいたが、このイギリス人とは別に、全世界からイスラム国に戦闘員として雇われている外国人は多いらしく、オバマ大統領に言わせれば、80ケ国から1万5千人以上だというから、何が彼らをイスラム国に向かわせるのだろうと、こちらの方が気になる。

 イスラム国はネットを通じて広報を行うとともに、組織への参加を積極的に呼びかけているという。実際に、その募集要項がネットで流れていたが、給料が特別に高いわけではなく、何か他の要素が若者たちの心を動かしているようだ。

 私には、イスラム教そのものが全く理解できないが、オウム真理教といういかがわしい組織が、東大はじめ日本の超一流大学の学生たちの心をとらえ、アサハラという(私に言わせれば)汚らしいオッサンの僕となり、簡単に人間を殺すことを厭わなくなるのだから、人間の心理が一度動き始めると、その先どうなるのかわからない。

それが宗教だという人もいるが、もしそれを『宗教』と呼ぶものであったら、『宗教』と呼ばれる『もの』の恐ろしさがわかるような気がするが・・・。

 随分昔のこと、日本赤軍だったと記憶しているが、イスラエルからイスラムの人々が虐げられ、領土が奪われていることに対して、『聖戦』に共鳴すると叫び、イスラエルの空港で銃を乱射し、大勢の人を死傷させた事件を思い出させる。

すっかり記憶が薄らいでいるが、日本赤軍と称する組織もやはり中心は大学生だった。世の中に不満を持っている若者の心の中には,何かに・誰かに呼びかけられたら、首を切り落とすシ-ンに共感し、自分もやってみたいという心理が潜んでいるのかもしれない。

 私は、世界の若者達がイスラム国に流れていることと、イスラム国の『植民地時代の国境はもはや無効だ』との宣言とがシンクロしているのではと推測している。

紛争が絶えない中東地域の国境線は第一次世界大戦後に英仏露で好き勝手に地図に引かれたものだと世界史の授業でなかったことを思い出す。これはアフリカの国々と同じである。争いが絶えないのは、民族を分断した結果であることは歴史が証明している。

さらに、そこに、アメリカはじめヨ-ロッパ諸国の後楯を武器にイスラエルが建国したことからますます話がややこしくなり現在に至っている。

 数々の非人間的な行為にもかかわらず、若者を中心に参加者が後を絶たないのは、この『イスラムの民衆は米欧などに抑圧されてきた』といった意識があるからだろう。正直私にもその気持ちは存在する。

これを、『現体制が格差を生み出し、自分か認められない社会』と読み換えると、共感する若者も多いことは疑えない。これは考えさせられる・・・。

イスラム国はイスラム過激派の組織であるが、こんな組織が日本に入ってきて、オウムのように無差別テロが横行してはたまらない。

今のうちに、イスラム国の求心力を弱める手だてを考えないと大変なことになりそうだ。(田舎親父)

2014年10月10日 (金)

給与体系を変える動きが不気味・・・

 『政労使会議』という、政府と経営者・労働組合が同じテ-ブルについて話し合う場があるのだそうだ。そのことについては異論はないが、その席上で、アホベ首相が『年功序列の賃金体系を見直し、労働生産性に見合った賃金体系に移行することが大切』と訴えたという記事を毎日新聞のネットで見つける。

 これはこの御仁が以前から主張していることであることは知っていて、かなり気になっている。経済界ではこの方向で動き始め、日立製作所は管理職の給与で年功序列をやめ、成果主義にするとのこと。日立は、売上高に占める海外の比率は45%で、グループ会社を含めて社員の約4割が海外採用だというから、わからないでもない。しかし、首相の発言をわたりに船とばかり,この方向で進む企業が出ることを懸念する。

経済界からの要請があったことは想像に難くない。その要請を、首相があたかも自らの経済政策を成功させるためには、何よりも経済の成長が前提という自論として、金儲けが第一、そのためには、人件費をいかに削減できるかという観点からこんなことを言い出したのでは・・・。

利益も従業員も外国に依存する大企業ともなると、国際競争に負けないための人材確保を考えれば、賃金体系の変更は理解できないこともないがが、こんな会社はごく一部で、圧倒的多数の日本の労働者環境は、年功賃金が普通な社会である。

何故、こんな体系が出来上がってきたのかという歴史的な背景などを検証せず、この時期での見直しを急ぐのは明らかな思惑があるに違いない。

年齢や勤続年数とともに賃金が上がる年功賃金は日本特有の制度であることは理解している。最近は、民間会社はもちろん、公務員の社会にまで、『能率』が求められるようになり、成果主義が取り入れられているが、それでも、原則は年功序列になっていることは変わりない。

 諸外国、特に先進国という呼ばれている国では、具体的な職務内容が雇用契約で決められ、職務ごとに賃金が定められているという。これを『同一労働・同一賃金』と呼ぶのだそううだが、確かに、はじめから自分のやることが決まっていれば、能率が要求され、成果で給料が決まってくるのも当然かもしれない。

しかし、日本の場合、『同一労働』という職場は少なく、正規雇用で採用された社員の職務は様々で、しかもその年度に配置転換が普通。さらに、突然の異動で地方や外国に赴任ということも稀ではなく、拒否することはほとんど不可能となると、単に能率だけを求められたら、それこそ職場はメチャクチャな混乱に陥るのではないだろうか。

日本が年功序列賃金体系をずっと敷いているのは、このようなことが背景にあるに違いない。このシステムを改めるならば、『同一労働・同一賃金』でなければ、上司の恣意的な判断が入り込み、不公平がまかり通ることもあり得る。

ふと、50年以上も前の職場を思い出した。当時、東北の中学校を卒業した少年少女たちは、『金の卵』ともてはやされていた。当時私は電話交換機の設計に従事していたが、時にその製造現場に足を運ぶこともあった。そこには何列ものラインが並び、少年少女たちは機械的に配置されて、自分の前に流れてくる部品の一部に、ただひたすらハンダ付けをする仕事を続けていたことがアリアリと目に浮かぶ。

まさに同一労働である。今思うと、仕事を軽くこなす人と、ぎりぎりでストレスがたまる人がいたはずだがが、ノルマをこなしている限り同一賃金ではなかっただろうか。現在は全てロボットがこのような仕事をこなしているのだろうが、もしも、現代風に能率を求めるなら、軽くこなす人たちのグル-プを集めて、ラインのスピ-ドを上げ、給料をほんの少し加算するということになりそうだが、想像したくない。ひょっとして当時もそれが現実だったかもしれないが・・・。

このあたりを詳し研究して、能率主義を打ち出している企業もあるかもしれないが、多くは、その仕事の内容は多岐にわたり、職種で賃金を決めることなど不可能ではないだろうか。自分の適正でない職種に配属されて、しかもノルマを課せられたらストレスは半端ではない。

『能力がないのだから辞めなさい』ということが、社会的に『是』となったら、たちまち世の中には失業者が溢れるだろう。能力の認められない人や、認められる機会の場がない、いわば運の悪い人たちが増えれば結果的には、非正規社員が当り前になる。今でも大流行の鬱病がさらに蔓延し、自殺願望者が増えることは間違いない。

年功序列を改める動きは広がっているようだが、進める企業は、それなりに努力をしていると信じたい。ただ流行だとか、首相の意向だからといって、制度をいじってはトンデモない混乱が起きるのは,超経済音痴の私でもわかること。

 それ以前に、民間企業の給料体制に国が干渉するのはお門違いだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年10月 9日 (木)

また一歩戦争への道が近づいてきた・・・

 現政権は、『集団的自衛権』に続いて、『日米防衛協力の指針(ガイドライン)』の見直しをすすめているという。

その主要な項目が、役割分担の中の『周辺事態』という文言を消して、自衛隊が地理的制約を受けずにアメリカ軍への後方支援を可能にするという記事に目が留まる。

朝鮮半島有事など地理的概念に制約されずに、自衛隊の活動範囲を広げるのが狙いらしい。なし崩し的に自衛隊を海外に派兵してきたが、ここにきて、アメリカ軍の支援という大儀のない言葉で、全世界に派兵できる法整備を目指していることは間違いない。そのため、現行の『周辺事態法』を廃止し、『対アメリカ支援新法』を制定する動きせあるというから恐ろしい。

軍事的にはほとんど知識も、そして考えたこともないが、現行ガイドラインは(1)平時(2)周辺事態(3)日本有事・・・の3つキ-ワ-ドで、自衛隊とアメリカ軍の役割分担(詳しい内容は知らないが、戦闘はアメリカ軍、自衛隊は後方支援だと受け止めている)を規定している程度の知識は持っている。

現政権はこの『周辺事態』を削除して,お決まりの『わが国の平和と安全に重要な影響を与える場合』などという飾り文句をつけて、自衛隊の派遣範囲を拡大する検討に入っているという。

自衛隊の『グローバルな対アメリカ支援』という言葉でことを進めているらしい。政府・自民党は、よほど『グロ-バル』という言葉がお好きなようだが、この言葉は、一般には『国際的視野・・・』などと解釈され、何となく『是』と思いがちにさせることを知っているのだろう。しかし、アメリカ支援が何故必要なのか、よほどしっかり見極めなければ、トンデモないことになりそうだ。
 記事によると、政府はこのことに伴い、『周辺事態法』の廃止も視野に入れているという。『周辺事態法』は朝鮮半島や台湾海峡を『周辺』と位置づけて、有事の時、自衛隊は戦闘するアメリカ軍の後方支援ではみっともないと考えたのか、それとも、それだけでは従属的だと解釈したのかは別にして、日本の地位向上には、アメリカ軍と一緒に戦うことこそ日本の自立と捉えているようだ。

『周辺』という言葉も、歴代の自民党政権は拡大解釈し、アメリカでの同時多発テロを受け2001年に成立した『テロ特措法』で、自衛隊によるインド洋での給油活動を行い、03年には、フセイン政権崩壊後のイラク『復興支援』のため『イラク特措法』を制定し、自衛隊を派遣してきたことはよく知られている事実。

繰り返すが、現政権は,海外派兵を合法とするために、『対アメリカ支援新法』を新たに制定し,アメリカ軍への支援範囲を拡大させ、現行では禁止している武器弾薬の提供や発進準備中の戦闘機などへの給油・整備も可能とする方針だという。
 要は、アメリカ軍の要請があれば、地球上どの地域へでも派兵できることを目指しているようだが、これではまさに、『天皇の命令』という誰もが反対できない言葉で、目的もわからず、どこに行くのさえ知らずに運ばれて、そこで戦い命落とした、戦前の『軍隊』制度そのものでは・・・。

こんなことを画策している輩どもは、絶対に戦わず自らは身の安全を担保。命を落とすのは、若い自衛隊員(恐らく近い将来『国防軍』、あるいは『日本国軍隊』という名称になるのだろうが)であるから、これらの法整備と平行して『徴兵制』を目指しているだろうことは想像に難くない。しかし、すぐに徴兵制を打ち出しても世論が許すはずがない。そこで、自衛隊員の増強が緊急の課題になることは、私でもわかる理屈。

そんなことを思っていると、東京新聞の6日朝刊トップに『自衛官募集に個人情報 自治体71% 積極提供』という見出しを見つけ背筋が寒くなった。

記事の前文に、防衛省が自衛官募集のダイレクトメール(DM)を郵送するため、住民基本台帳に記載されている適齢者の名前、生年月日、性別、住所の四情報の提供を求めたのに対し、全国の1742市町村・特別区(3月末現在)のうち、約71%に当たる1229市町村・特別区が積極的に情報提供していたことが分かったとある。

全文を紹介するまでもないだろう。国民が知らないままに、ここまでことが運んでいるのかと愕然とする。(田舎親父)

2014年10月 8日 (水)

困窮老人が溢れているそうだ・・・

 65歳以上の人が支払う介護保険料の滞納が急増しているのだそうだ。厚労省の調べでは、2012年度に徴収できなかった額(未収額)は過去最高の272億円で、前年度と比べ約29%増だという。

主に『年金額が少ない低所得者』が支払えないケースが広がっており、介護保険開始時より平均で7割増しとなった保険料負担が重くのしかかっているのが原因らしい。

介護保険制度には最初から疑問を持っていたが、こんなことが今になって明らかになるとは当初の制度計画に緻密性が足りなかったとしか思えない。しかし、このままだと、介護サービスが使えずにますます困窮する高齢者が増えることになるのは、誰でもがわかること。介護サ-ビスという言葉の意味すら変わってしまうかも・・・。

 滞納が明らかになっているのは、年金天引きによらず市町村からの通知により個別に納める普通徴収分だそうだ。しかし、横浜市の場合は、毎月の介護保険料として約6千円が年金から天引きされているから、何となく記事の文言は引っかかる・・・。

介護とは無縁の生活をしている私には、この額が多過ぎると思わないでもない。もう少し、公金の無駄遣いを戒めれば、低く抑えられるに違いないと憤慨しながらも、まあ、いつ何時お世話になることになるかも知れないと無理に納得させている。加えて、市民税を支払っている階層の一番低いランクに位置するとの説明に、なのにこんな高額な・・・と憤慨しながらであるが・・・。

保険料を『減額なし(この意味がよくわからないが)』に通年で徴収するようになった02年度は、普通徴収の見込み額1600億円に対し、未収額は129億円、収納率は92%だったらしいが、以降、収納率が下がる一方だという。

そして、未収額は膨らみ続け、12年度に収納率は87%の279億円と2倍余になったのだそうだ。高齢者増や保険料引き上げに伴う徴収見込み額の増加は、3割にとどまっており未収額の拡大が速いというから、この制度の先行きはきわめて不透明。

 介護保険料は、00~02年度に全国の加重平均の基準月額が2911円だったのに、12~14年度は4972円とおよそ倍になっている。このことも未収額の増加に拍車をかけていることは間違いなさそうだが、社会保障の充実のためという名目で消費税を値上げしたはずなのに、このあたりは、国民を騙すことが実に上手いアホベ政権の本質なのだろう。

 しかし、さすがにこれ以上値上げすれば、滞納はますます増えることは間違いなく、制度そのものが崩壊することは明白となると、簡単には値上げできまい。

 滞納者の多い自治体として、東京・大阪が上位に並んでいるというのも面白いデ-タである。これは、都市部の高齢者層に貧困が広まっていることになるが、人数的に圧倒的に都市部に年寄りが多いとなると問題は深刻。今後、さらに都市部で滞納者(活困窮者)が増えることも間違いなさそうだ。

 過疎化がますます進み、そこでは高齢者が住めないとなると、年寄りも都市部に集まらざるを得なくなり、ますます地方の過疎化が進む。何とかしないと、トンデモナイ社会が到来することは明確なのに、アホベ政権は集団的自衛権だ、安全保障だということにしか頭にないらしく,この問題は増税ありきの先送り。

 若者が本能的にこのことを察知し、政治に興味を持てなくなり、無気力・無関心になることが一番恐ろしいことだが、それを止める手だては思いつかない。

女性が輝く社会を作ることには異論はないが、年寄りの半数以上は女性であことを忘れてほしくないもの。一部の高学歴の女性を形だけをタ-ゲットにして、管理職を増やすことはともかく、高年齢の女性の貧困をくい止める政策も打ち出してほしいものだが、こちらも全て先送り。

 困った話である・・・。(田舎親父)

2014年10月 7日 (火)

児童生徒の自転車使用禁止?・・・

先日、ネットで新潟県加茂市は、交通事故防止のため、自転車に乗らないよう呼びかける文書を市内の全小中学生約2000人に配ったというニュ-スを見つけ、思わず我が目を疑った。

 8月に市内で自転車に乗っていた男子中学生が乗用車にはねられ、死亡した事故を受けたものだとのこと。中学生が事故に巻き込まれて死亡という事故ショックで、一時的には、我が子には自転車を避けさせたくなるのは親の本音かも知れないが、自治体が学校を通して、こんな通達をすることは異常も異常。信じられない。

 市長は『あんな悲しい出来事があってはならない。命を守るためにこの程度は言わせてほしい』と訴えているそうだが、危険は自転車だけではないだろう。車が多いから自転車に乗るなというのは本末転倒。

 文書では、車が走る道路は危険なので、なるべく自転車に乗らないようにし、どうしても乗る場合はヘルメットをかぶることなどを求めているという。このことは、市内の小中学校の校長からの賛同を得て、児童・生徒とその保護者向けに2種類の文書を作成し、全校で配布したのだそうだが、私には、校長が賛同・・・という部分が信じられない。

 市長は、記者会見で『車にヒヤヒヤしながら走らねばならず、非常に危険だ。今や自転車に乗ることは楽しいことではない』と趣旨を説明し、代わりに市営バスの利用を勧めたというが、記者からの質問はなかったのだろうか。

 ここは記事にないかが、そんなわけはあるまい。記者は一般市民よりかなり鋭い社会感覚を持っていると信じたい。その記者達が、市長のいうことがご無理ごもっともと聞いていたとは思えないのだが・・・。

 もし、私がその席にいたとしたら、『それは奇怪しい。危険というのは身の回りには数限りなくあり、歩いていれば安全だというのも行き過ぎである。自転車は人間にとって便利な道具として、その扱いが大切であって、自転車そのものに責任があるような通達は理屈に通らない』と疑義を唱えるところ。

 市長は、自転車の代わりに市営バスの利用をと呼びかけているらしいが、一地方自治体が運営する公営バスが、市民を満足させられるほど、路線を広げ、しかも安価な運賃で頻発させているとは思えない。

 横浜市内ですら、片田舎では路線がない地域が多く、時刻表には1時間に一本という記述を見るのも珍しくないことから、地方都市では、多くの地域にはバス路線そのものがないか、あっても午前午後に一本というところではないだろうか。となると、市長は市営バスの経営面からこんな通達を出したのではと、うがちたくもなるが・・・。

 私は、今、子どもたちに必要なことは、できるだけ多くの『実体験』をすることだと信じている。その意味では、自転車に乗れる、自分の意志で自転車を思いのままに安全に乗りこなすことは大切なこと。子どもの成長過程に応じて、安全性を教えることが親や社会の義務だと考えている。 そのことを通り越して、自転車自粛という発想はいただけない。

この記事で、もっとも引っかかるのは、校長の賛同を得て学校を通して過程に配布したという部分。この市には、市長の言うことは何でも『ご無理ごもっとも』という人物しか校長にさせないのだろうか・・・。

学校を通して児童生徒に配布したとなると、例え文面には『自粛』であっても、限りなく禁止に近いと受け止める保護者も多いだろう。自転車の取り扱いに、家庭や子ども間に温度差が生じれば、いじめの原因となることすら心配になる。

 市長はじめ教育委員会、そして現場の校長の猛省を促すと同時に、これ以上、子どもたちの体験の場を奪ってほしくないものである。(田舎親父)

2014年10月 6日 (月)

アベノミクスの正体が見え出したようだ・・・

 台風18号の影響で昨日は終日雨。雨音を聞きながら浅い眠りから覚めると、雨は止んでいたが、しばらくすると雨足は強まり、今は叩きつけるような強い雨が降り続いている。しかも強風が加わっているとなると、大変な一日になりそうだ。

幸い、我が家は雨木心配はゼロだが、低い土地に住んでいる人々にとって、この雨は恐怖に違いない。被害の少ないことを祈って止まない。 

 さて、超経済音痴の私がこんなつぶやきをするのは珍しいが、最近の円安傾向は間違いなく異常だという信号が頭に届いてくる。

アホベ政権は円安で経済が発展した強弁しているようだが、先日、日銀が発表した9月の短観で、非製造業の景況感が悪化したというから、とても経済が成長している進行形たとは思えないのだが・・・。

短観とは、今更私が口にすることではないが、日銀が3カ月に1度、全国の約1万社を対象に景況感や設備投資計画、雇用の状況などを聞く調査だそうだ。どんな企業がその対象になっているのか、理解できていない部分が多いが、規模の大きい会社が選ばれているのではないだろうか。

その最新版によると、自社にとっての景気が『良い』と答えた企業の比率から『悪い』と答えた企業の比率を引いた数字が、非製造業の大企業で前回調査より6ポイント下がったという。前回尋ねた『3カ月後の見通し』は、横ばいというものだったというから、アベノミクス(私には意味不明だが)の綻びが目立ち始めたことは間違いなさそうだ。

円安ということは、市場で円がドルに対して力が弱くなり、一時は、1ドル70円台で換金(購入)できたのに比べて、現在は110円も払わなくてはならなくなったことと私なりに受け止めている。

これは、例えば、海外(特にアメリカ)に観光旅行する人にとって、つい2、3年前前までは、75円だせば、買えるお土産が、110円出さねば買えなくなること。わずか、数年で4割も観光旅行の費用が割高になるのだから、ますます貧乏人にとって海外観光旅行は、夢のまた夢のような遠い世界になったようだ。

観光旅行だけでなく、輸入に頼る石油はもちろん、食料品はじめ全ての輸入価格が高くなるとなると、特に製造業にとってはその痛手は大きいことは想像に難くない。何故か石油だけは、円高でも下がらないのも変な話だが・・・。

大企業は、そのコストを中小企業に負担させれば、自分の腹は痛まないが、負担させられる中小企業にとってはたまったものではあるまい。

 私には、巷には不景気感が漂っているように見えるが、どこかで、株価の操作でもしているのではないかと思うほど、大企業の株価が高騰しているのも解せない話。庶民の間では、消費増税の影響が続いているのに・・・である。

さらに,ここにきて異常気象による野菜の値上がりが激しく、キュウリが1本100円という価格表示にびっくりする。核家族が進み、大量の野菜が必要なくなっているとはいえ、ハクサイなども8分の1の切り売りでも150円もするのには驚きを通り越す。

元から、農家の努力に比べて、野菜の値段が安過ぎると言っているので、野菜の高値には文句をつけたくないが、これで農家の収入が増えるかとなると、むしろ、輸入に頼る飼料や肥料などが高くなっているので収入に反映しないというから、こちらも納得できない。特に、コメ農家の悲惨な現状はいうまでもない。

家電業界も消費税の値上げが足かせになって売れ行きが延びないとのこと。夏の天候不順によって、ク-ラ-や冷蔵庫の落ち込みが激しいというが、季節は秋真っ盛り、冬物の暖房器具などはまだ売り上げに貢献していない。家電業界の冬の時代は続きそうだ。あの世界のソニ-の落ち込みなども、円安と決して無縁ではないだろう。

円安は多くの輸入品の価格を押し上げ、製造企業にとってコスト上昇要因に違いない。販売価格に転嫁しなければ、経営を圧迫するが、賃金が大企業以外延びていないとなると購買力は下がる一方。これでは日本全体の景気が回復するはずはない。

それでも、円安が脱デフレの特効薬とばかり、それに向かって誘導している現政権と日銀。その結果は、諸物価の急激な高騰で庶民を苦しめるだけだろう。国民をいじめて、株価だけが高騰する社会がいつまでも続いてはたまらない。

先週末あたりから株価の急速な値下がりが続いているが、この傾向が今後も続けば、不景気感はさらに大きくなり、アベノミクスが奇怪しいという人も多くなるのでは・・・。

その意味でも、株価の変動に注目している。(田舎親父)

2014年10月 4日 (土)

桜島の大噴火でしか・・・

 原発を基幹エネルギ-と決めた政府自民党は、様々な方策で、原発依存へ舵を切る方向で動いているが、太陽光発電など再生エネルギ-による電力買い取り価格を、今年の4月から値下げしたことは、以前にもつぶやいたことがある。

 このことによって、国が認定した業者からの再生エネ関連の事業の駆け込み申請が重なったらしく、九州電力が『全量を買い取った場合、管内の電力需要を上回る時間帯や季節が生じる可能性があり、大規模な停電を起こす恐れがある』という理由で、今後の対応方針が決まるまで『数カ月間』は受け入れ保留することにしたという。

 原発再稼働に最も近づいたとみられる九電が、まず再エネを拒絶し再稼働への地ならしというところ。このことは、たちまちのうちに他の電力会社に普及し、北海道、東北、東京、関西、四国、九州の電力六社に続き、原発がない沖縄電力も8月8日から新たな受け入れを中断していたことが明らかになったというニュ-スが流れたのは先月の末のこと。

 先日の東京新聞に、太陽光発電を計画する東京都内の事業者は『国は、電力会社の受け入れ態勢が整っていないまま次々と事業計画を認定していたので不安は感じていた。国の政策は無責任だ』と憤っているという記事があった。

当然だろう。特に九州電力に受け付けを拒否された福岡に本社のある会社は、『九州電管内で太陽光発電設備の施工ができなくなり、その影響で、九州以外への人員配転や採用計画の見直しなどのリストラ策に着手する』と発表したとのことだが、転勤はまだしも馘首される社員も出るだろう。気の毒としかいえない。恐らく影響は、この会社に留まらず全国に広がることは間違いない。

 確かに、太陽光発電は天候や昼夜によって発電量が大きく変わるため、電力が余った場合はほかの電力会社に流したり、蓄電池に充電しておいて夜間に送電したりするなど、電力を安定させるための調整が必要になることは、私でも理解できる。

しかし、そんなことをお見通しで政府はは再生エネ業者を認定したからには責任もって電力会社に買い取らせる義務がある。どうやら、全国の原発の再稼働にひた走る政府自民党の、太陽光発電をはじめとする再生可エネ事業を進めたくない腹のうちが丸わかり。

酷い話である。電力会社と結託し、全国をまたぐ送電網の整備や蓄電池の開発などの受け入れ態勢は後回しにして、国民には『再生エネは不安定で高くつく』と思い込ませ、認定業者には事業から撤退させる作戦だろうが姑息過ぎる。

経産省は今月学識者5人程度の部会を設置、受け入れのあり方を再検討するらしいが、川内原発に対して火山の影響について問われた原子力委の委員長が、官房長官と口裏を合わせる発言からみて、完全に御用機関になっていることは既定の事実。

全てが『原発再稼働ありき』のシナリオで動いていることから、この有識者会議のメンバ-選びと、選ばれた有識者?がどんなことを答申するのか、私でも間違いなく言い当てられる。

 今回の電力会社の買い取り拒否で、太陽光発電の広がりは鈍くなることは間違いない。そして次には、経済発展のため、電力が足りないと言い出し、原発を受け入れなければ『料金値上げ』という天下の宝刀を抜くシナリオだろう。

社説で『再稼働を急げ』と主張している大新聞は、完全に政府の代弁者に成り果てていることから、多くの国民も電気料金が値上がりするなら・・・と原発再稼働に異を唱えなくなり、近い将来、全国の(耐用年数を過ぎているものも含めて)原発が動き出す。新設される原発もあるだろう・・・。

ドイツでは、2025年までに電力消費量の約半分を再エネで賄う計画を打ち出しており、その裏付けとして、再エネによる電力を、第三者機関の監視下で優先的に送電網へ送り込む仕組みを築いているという。

地域間で融通し合えば、より安定的に供給できることは誰が考えても明らか。しかも、再エネ市場が形成されて、価格も安くなっているのが現状なのに、日本では電力会社が国の方針で送電線の開放なハナから考えないとは・・・。

逆説になるが、この国においては、川内原発が再稼働した直後、桜島の大噴火が起きてくれるしか、脱原発の気運が高まらないことが情けない・・・。(田舎親父)

2014年10月 3日 (金)

平和な話題だが、一つ間違えば・・・

 一昨日の10月1日は、東海道新幹線の開業50年を迎える記念日。関係各地では華やかな記念行事が行われたことを当日のニュ-スは大きく取り上げていた。

1964年といえば,東京オリンピックが開催された年。新幹線はもとより,都内の高速道路が一挙に完成し、首都高としてデビュ-したことも記憶に新しい。以来半世紀、東海道新幹線が走った距離は地球5万周分の累計20億キロというから、ちょっと簡単には想像できない

そして、運んだ乗客は延べ56億人という。その全てが日本人だという無茶な前提で単純計算をすると、国民一人当たり50回ほど新幹線を利用したことになる。今までそんな計算など考えてもみなかったが、私自身に当てはめてみると、50どころか100回近く利用しているのでは・・・となると、こちらの数字には納得できるものがある。

走行距離や利用人数も凄いが、たまに、大雨や大雪という気象条件によって、遅延や運転身見合せというニュ-スは耳にするが、人身事故による・・・というたぐいの事故はとんと耳にしないのも新幹線の大きな特徴として世界に誇る『新幹線の安全神話』になっている。時に、線路に人が立ち入ったというニュ-スは耳にするが・・・。

それだけ、安全だというイメ-ジがすり込まれているのだろうが、先月末のことだが、山陽新幹線(東海道新幹線と同じだと考えて)が運転を見合わせているというテレビのニュ-スのアナウンサ-の声が耳に入った。

線路に白い布団が落ちていることに気づいた運転手が、とっさにブレ-キをかけて緊急停止し、乗客にはけが人も出ず、異常なしだったとのことであるが、何かがパンタグラフに引っかかったことはあっても、布団が線路にとは今まで聞いたことがない。

テレビニュ-スは一過性なので、その時は聞き流してしまったが、翌日の新聞でその概要を知る。記事によれば、9月28日午後1時50分ごろ、兵庫県加古川市別府町別府の山陽新幹線西明石-姫路間で、上りの線路に白い敷布団(長さ約2メートル、幅約1メートル)が落ちているのが発見されたという。

連絡を受けた広島発東京行き『のぞみ130号(16両編成、乗客約500人)』が、150メートル手前で緊急停止し、けが人はなかったとのことだが、もし数秒連絡が遅ければ、相手が布団だけに脱線転覆という大惨事につながっていたのでは・・・と想像すると恐ろしい。
 同日午後1時40分ごろ、線路から北に約10メートル離れたマンション8階に住む男性から、『(干していた)布団が飛んだ』という110番通報があったというから、この布団が風の影響で線路に落ちたことは間違いなさそうだが、よくぞこれまで同じようなことが起きなかったものだ・・・。

確かに、新幹線に乗っていると、10メ-トルはともかく、線路すれすれに建っているマンションにも驚くが、さほど気にすることなく今まで過ごしていた。当然、布団が落ちることなど想像もしなかった。

しかし、十分あり得る話である。最近では、布団乾燥機が普及しているとはいえ、天気の良い日には、ベランダに布団が並ぶ風景は珍しくない。特に、私の散歩コ-スにある、古い団地などでは、この風景は日常茶飯事。5階から布団が飛んだという話も聞いた記憶がある。

 布団が飛ぶという平和な話題ながら、一つ間違うと、新幹線の『安全神話』が根底から覆される。JRの関係者は、どのように受け止めているのだろう。そして、どのような方策を立てるのか興味がわいてくるが・・・。(田舎親父)

2014年10月 2日 (木)

繰り返される女児殺害事件・・・

 一番嫌なニュ-スは幼い子どもの命が奪われるというもの。同じ殺人事件でも、80才の爺さんや婆さんが殺害されるというニュ-スには、気の毒だと思いながら、あまり関心を示さない私だが、5才とか10才の幼稚園園児や小学生の児童となると、思わず、涙するほどガッカリする。

今回起きた、神戸市長田区の住宅街で行方不明になっていた小学1年生の女児が無残な姿の遺体で見つかったという事件も、激しい怒りが沸いてくる。逮捕されたのは、近所に住む、47才の男だというが、取り調べに対しては、未だにのらりくらりとした態度で、警察は死因すら断定できないという。こんな輩が世にのさばっていては、いつ同じような事件が起きるかわからない。

この事件は、幼い命が奪われる事件をどうすれば防げるのか。児童生徒の安全対策の難しさを改めて社会に突きつけているが、具体的な対策となると、個々人の人権というか、プライバシ-の問題もあって、全く進んでいないのが現実らしい。

マスコミは、警察の発表をそのまま記事にしているのだろうが、記事によると、女児は今月11日、下校後に1人で外出し、午後5時半ごろ公園近くを歩いているのを最後に目撃が途絶えたという。県警は翌日公開捜査に踏み切ったが、女児の足取りはわからず、23日、自宅に近い草むらでポリ袋に入った遺体を捜査員が発見したとのことだが、10日間も目撃情報がなかったのだろうか?・・・。

神戸市の長田区という環境が良くわからないが、映像を見る限り、女児の住まいのあたりは、住宅が無秩序に立ち並んでいるように見える。しかも、発見された場所は管理がされていない樹木が茂り、雑草が覆っている場所なのに、そこに行くのは細い階段を上るしか方法がないという。女児の行動半径には、小中学校はもとより高校も存在するというから、無計画に開発が繰り返された地域のように思える。

ということは、私の住む横浜の片田舎にも、これと類似する地域がないでもない。そんなことを思いながら、私が想像する遺体遺棄現場と似ているような場所を歩いてみた。そこは、生活道路は階段状になっているので車は入らない。車の通る道路は大回りに作られているようだ。

私の歩く時間帯は午後で、出会う人は年寄りと学校帰りの子どもたちにほぼ限られている。当日もこの時間、階段が多いこともあり年寄りたちの姿はなく、時に下校途中の小学生が通るだけ。3年生ぐらいの数人ずれの女の子たちが歩いている姿を見たので、素知らぬ振りして後を追いかけてみた。しばらくすると、友達同士は別れて自宅に向かうのだが、最終的には、一番家の遠い子どもが一人で歩くことになる。

うっかり声をかけると、不審者に間違われる恐れがあるので、その日はそこまでにしたが、確かに、変質者にとっては、このあたりは絶好の『狩場』だと思える。

毎年のように繰り返されている変質者による、女児の誘拐事件・殺害事件から想像することだが、子どもを狙う変質者は、独特の雰囲気をもち、子どもの警戒心を失くすような何かを持っているのではないだろうか。特に、小学1年生の女児にとって、この雰囲気を敏感に感じ取るようだ。その結果、ついつい声をかけられたら不用意についていき、事件に巻き込まれてしまうのでは・・・。

 防犯対策もかなり進んでいるようで、多くの町では、午後2時ごろから4時ごろまで、地域のボランティアの人が通学路に立って子どもたちを見守っているのだが、私が実験として歩いた道にはそんな大人はいなかった。その人たちを発見したのは、むしろ人通りが多く、こんな場所には必要ないと思われる地点。このあたりいつも疑念を感じている。

 今回の自分勝手な実験で、防犯対策と女児の意識に何かずれがあるのではという考えに至る。通学路の点検も必要だろう。年寄りボランティアの見守り活動も大流行。全国の小学校では、見通しが悪かったり、人通りが少なかったり、草やぶや空き家など隠れやすかったりする場所を洗い出し、ハザ-ドマップを作ることも行われていると聞く。

いずれも大事なことだろうと思うが、最初は、真剣だったこのような活動が、時間が経つに連れて、マンネリに陥っているのではないだろうか。絶えず、真剣に見守るという視点が不足しているような気がしてならない。さらに、狙われるのが小学1、2年生の女の子が多いことから、この年代の女児の心理にも視点を当てた研究をしていくべきではないだろうか。

最近のこの年代の女児は、男児に比べて好奇心が大きいことが特徴であり、外で遊んでいる子どもたちの圧倒的多数は女児であるのも、ここ10数年来気になるところ。要は、女児の意識の方が男児に比べて外に広がっているように思えてならない。

散歩の途中に出会う小学校低学年の女児の行動形態などを研究してみようと思うが、悪意が全くなくても、気づかれると不審者というレッテルを張られそうな気もするとなると、積極的な気持ちがなくなり、ついつい先のばしにしてしまう。

 このあたりに、この種の犯罪を防ぐ手だてが立てにくい背景があるのかも知れない。(田舎親父)

2014年10月 1日 (水)

『配偶者控除』廃止が現実に・・・

 このところ聞かなくなったので、あきらめたのかなと思っていたら、先日、朝7時台のNHKニュ-スで、政府税制調査会は、所得税の負担を軽減する『配偶者控除』の見直しに向けて本格的な議論が始まったと伝えていた。

『配偶者控除』については以前もつぶやいたことがある。この制度は,夫が妻を扶養する世帯で妻の給与収入が年間103万円以下の場合、夫の所得から38万円を差し引くことで所得税の負担を軽減する措置で、現在約1400万人が適用を受けてことは、その時に得た知識である。

政府の本音は、とれるところからむしり取るという、いわば手段を選ばすと表現しても差し支えないほど、とにかく税収を増やすこと。しかし、あからさまに増税となると、世間の風当たりが強いので、様々なタテマエを作るのが現政権の得意技。消費税の増税はもちろん、ありとあらゆる物事に税金をかけることや、既存する税であっても、論理をオブラ-トで包み、増税のためのシステムの改修に血眼になっている。

『配偶者控除』があるため、妻の仕事の量を抑えるほうが得だと考える世帯も多いことは事実だろう。この制度を失くしてしまえば、否応なく、38万円分以上の収入を上げるために長時間働かざるを得なくなる女性は多くなるだろうことは、経済音痴の私でも想像ができる。

しかし、育児のために時間を使いたい主婦や、要介護の両親を抱えている女性も、間違いなく多いことから、この人たちの救済手段を講じないまま、『配偶者控除』を失くしてしまえというのは、弱いものいじめの典型だとしか思えない。
 『女性の地位向上』ために、『
配偶者控除』を廃止するという議論は、乱暴過ぎて到底理解できるものではない。女性が就労すれば、それが『地位向上』するという発想は、まさに男社会の『女をもっと働かせる』ということ以外なにものでもない。38万円の所得税控除がなくなれば、間違いなく圧倒的多くの家庭では、大増税として家計への打撃が大きくなるのは火を見るより明らか。

『103万円の壁』という言葉がある。サラリーマンの妻がパート勤めで年収が103万円を超えると、本人に所得税がかかるうえ、夫には配偶者控除が適用されなくなって所得税額が増えるため、妻が103万円を超えないよう労働時間を抑え、それが女性の勤務形態の『壁』になっていることを指すことは、前述した通り。

 政府は過去に、この『壁』の解消をねらって『配偶者特別控除』を追加し、141万円未満までは、夫の年収が一千万円以下であれば一定の控除が受けられるようにしたが、特別控除による恩恵はそれほど大きくないため、『百三万円の壁』が依然として高いことも、以前つぶやいた時、知識として得たこと。

政府は、『配偶者控除』の適用者は約1400百万人で、税収入の落ち込みは約6000億円に上り,さらに『配偶者特別控除』約100万人、300億円と推計しているらしい。詳しい計算方法は理解できないが、『配偶者控除』が廃止になると、年収500万円の家庭で約7万円の増税になるとのこと。さらに消費税率8%への引き上げと、すでに廃止された年少扶養控除を合わせれば年間負担増は25万円を超えるのだそうだ。

 女性の社会進出を阻んでいる大きな要因は、安心して働けるための保育所や介護施設の充実が不可欠。『子どもを預けられず、介護も女性任せ』という現状では、とても安心して働きには出られるはずはない。

しかも、女性の就労促進といいながら、実際に就労できるのは、パート勤務など低賃金労働の選択肢しかない状況を全く放置しているのだから許し難い。地位が向上する女性は高学歴のごく限られた階層で、圧倒的多数の女性は、国のために『ひたすら働け』という政策と言っても差し支えない。いわば国の奴隷になれということに等しい。

 これもまた以前につぶやいたことであるが、自民党は昨年の参院選、一昨年の衆院選で『配偶者控除の維持』を公約として掲げていたはず。1年あまりで公約を公然と違反。金のためなら、何でもありとは情けない。

 こんな暴挙を繰り返す政権を許してはならない。(田舎親父)

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