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2014年11月

2014年11月29日 (土)

一票の格差について・・・

先日、最高裁が、参院選の『一票の格差』について、『違憲状態』だという判決を出したことを受けて、翌日の新聞各紙は、共通して『何とかせよ』という論調の記事を掲載していた。昨年行われた、一票の格差は最大格差が4.77倍だったそうだ。これは、選挙の区割りが、『いくら広げても県を跨がない』という基本的な考え方があるのだから当然といえばこんな当然な話はない。

しかし、鳥取県のようにわずか50万人程度の人口しかなくても、3年毎に半数改選という参議院議員の選出方法が生きている限り、最低2人の議員が必要なのだから、人口700万人と言われている東京23区や首都圏との格差について、今更、最高裁の判断を仰ぐまでもないだろう。

憲法は等しく一人一人の公平さを保障するとうたっている。ある新聞の社説は、『民意を的確に反映させる選挙制度は民主主義社会の基本であり、参院でも憲法上、投票価値の平等が要請されるのは言うまでもない。選挙区間の定数振り替えだけで格差是正は難しいとして、最高裁は07年参院選の判決以後、選挙制度の抜本改革を国会に求めてきた』と、国会の怠慢を指摘して、改革を急げと主張している。

 正論だろう。最高裁の姿勢に批判的な新聞もある。そこには,最高裁は、選挙制度の決定は国会の裁量だとし、『投票価値の平等は唯一、絶対の基準ではない』として、是正を国会の取り組みに任せてきた姿勢では生ぬるく、明らかに『憲法違反』という判決を出すべきだとの論調である。

こちらも納得できる。しかし、国会議員は選挙区をへたにいじると自分の身が危うくなるのだから、議論そのものが及び腰。議員定数の問題は国会議員に任せておけば、恐らく半永久的に解決策を見いだすことはできるはずがない。

現に、自民党の参議院幹事長が、県単位の選挙区を改めるべきだと発言したとたんに、トンデモナイと反発され、それ以後、この幹事長の名前が聞かれなくなったことで、議員たちだけでは無理なことは火を見るより明らか。

私は以前もつぶやいたことがあるのだが、県単位という選挙区割を失くすことには基本的に反対である。県という単位は、このところ少子高齢化問題が賑やかなことから、人口に脚光が浴びられる傾向があるが、県民性とか特産品などという言葉が生きているように、県独特の文化や伝統が息づいていることはだれも否定できない。

鳥取県と島根県を合わせて、一つの選挙区にしても、たかだか100万人超。ここに2人の参議院議員が存在させたとしても、現状の議員定数を是とするならば、都内の選挙区との格差を同じにできるはずがない。

道州制を引いて中国地方を一つの州とする考え方で、議員を2人するなぱ、何とか得票数からだけの格差は是正できるかもしれないが、そんなことをしたら、ますます都会と地方の格差が広がることは論を待たない。

同じ県内であっても、東と西、あるいは海側と山側とでは人々の文化や伝統は違ってくるのは当り前。気質まで違うのも仕方ないことだろう。まして4つも5つもの県を合わせて一つの選挙区などにするという考え方は乱暴そのものである。

私は,むしろ最高裁の『投票価値の平等は唯一、絶対の基準ではない』という考え方を広げるべきだと考えている。具体的には、鳥取県も東京都も一つの自治体という単位で権利を与えるべきで、そこには2人(4人)の議員をおけば良いという主張である。

参議院と衆議院はその役割が違う。参議院に党の利害よりその地方の文化や伝統、あるいは人々の生活習慣を生かすという性格を加えて、参議院に限って、定数94人(188人)として、その区割りは県とすれば、一票の格差は限りなく広がるが、地方の価値は逆に高まるはず。都会に住んでいる人は、それだけで『便利で快適』という基本的な生活において莫大な恩恵を受けているのだから、票が軽くなるのは当然ではないだろうか。

一票が軽いと不満を持つ人は地方に移住すれば良い。都会から立候補しても当選できないと言う人は、地方から立候補すれば良い。地方にはしがらみがあって難しいなら、それをうち破る努力をすれば、それが地方の活性化につながるはず。

こんな発想を持つ議員が与党から出てくれば面白いのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月28日 (金)

英語が水泳を上回る・・・

 親の収入によって子どもの能力に大きく差がつくことは誰もが仕方ないとあきらめている傾向があるようだ。最近はピアノなどの音楽関係やバレ-、あるいはフィギィアスケ-トやゴルフなどのスポ-ツ分野で若い人の活躍が目立つが、この分野で活躍できるのは幼い時からの特別な訓練の賜物だといっても決して言い過ぎではないだろう。

天才少年・少女と世の中にもてはやされているが、その実は親の経済力によることが背景にあるのだが、これらの特別秀でた才能は、義務教育で教えなければならないこととして位置づけられてなことが教育関係者にはホッとするところ。

指導要領は、様々な能力の拾得や知識理解力つけなさいという指示をしているが、中程の能力の子どもを対象にしていることから、簡単にクリアする子どももいれば、苦手だと感じる子も数多いことは誰もが認めることである。

親としたら、簡単にクリアできる子どもにはさらに高い能力をつけさせたいと思うのは当残だろうが、そのためには経済的な背景が絶対条件となり、そこに子ども間に大きな格差が生まれることは今更言うまでもない。

指導要領に基づいて、普通の能力の子どもが当り前に学校に通い、ごく普通に学べばつくはずだと思うのだが、なかなかつきにくい能力・技能があるもので、その第一が小学校における水泳だということは案外知られていない。

指導要領では特に高いレベルを要求しているわけではないが、一斉に泳ぐことが多いプ-ルの時間では、子どもの泳力格差は一目瞭然。型通りで速く泳ぐ児童は100%と言っても差し支えないほどスイミングスク-ルに通っている事実も、社会的にはあまり話題にはならないが教育関係者の間では常識になっている。

 当然である。小学校の教員はその道のプロはいない。特に水泳に限っては、得意だという教員を見つけることすら必難で、教員採用試験の実技で、ギリギリ25m泳げればそれで良しとしなければならないレベル。

このことを社会が問題にしないのは、水泳が一流大学の受験には大切な要素でないからであることは明らか。我が子が小学校6年生の段階で、何とか25m泳げればと思っていることと、学校が水着姿(特に女子)を隠すのを当然としていることから実態が知られていないことだろう。

 水泳は仕方ない(本当は問題にしなければならないのだが)と見過ごされている傾向があるが、英語が小学校の必須教科となり、指導要領で学習内容と評定することが義務づけられるとなると、世の中全てが英語ブ-ムの今日、親の焦りは目に見える。

すでに、子供向けの英会話スクールや英語塾が多様な取り組みを始めていることは、マスコミが賑やかに伝えるところ。それに合わせて、英語を学ぶ小学生や就学前の子供の数も着実に増えていることも見逃せない事実であろう。

先日ある全国で展開している大手英語塾の経営者の話が新聞に掲載されていた。その塾は、1歳から中学生までを対象としているが、ここで学ぶ子どもの数は、10年前は3万人程度だったのが今年度は5万人強、約7割ほど増加しているという。

以前はおけいこ感覚で子供に英語を学ばせる親が多かったが、平成23年度から小学校5、6年生の外国語活動が必修化されたことで状況が激変、はっきりと上達の結果を求める親が増え、英語検定など資格取得のニーズが増えてきたとのことである。

親のニ-ズを調べて、去年からは3、4年生と5、6年生を対象にした『文法コース』も導入して、英検5~3級に対応する内容にしたとところ『聞いて話せるという音の学習に加え、読んで書けるという英語の基礎力が身に付くので、驚くほど人気が出ている』とのことである。

こんな傾向を大手学習塾が見逃すはずがない。算数や理科などの授業を全て英語で行う塾も生まれているというから、小学校3年生で初めて英語に接する子どもはとても太刀打ちできなくなるのは当り前。水泳以上の格差になることは間違いない。

さらに、水泳とは違って社会的にオ-プンにされることが普通になるのだから、これは親として、何としてでも英語塾に通わせなければという脅迫概念が生まれることは想像に難くない。

 英語が大事だということは理解しているが、ますます経済格差を増長させるとなると、この対策を抜きにしての、小学校の英語教育の義務化には『時期尚早』と声を大にして叫びたい。

しかしそれでも、英語の教科化は規定の事実。困った話である・・・。(田舎親父)

2014年11月27日 (木)

信じられない事件が続く・・・

 最近、殺人事件報道が多過ぎる。女性には違いないが婆さんといったほうが分かりやすい67歳の老女が、一月前に結婚した夫を青酸カリで毒殺したという事件には、男女間の問題には歳は関係ないことを改めて知らされるが、夫婦や親子による殺人事件が日常茶飯事的に報じられる社会は異常だとしか表現のしようがない。

こんな事件が続いてほしくないが、(少し話が古くなる)北海道南幌町で高校2年の女子生徒が74歳の祖母と47歳の母親の2人を殺害した事件も、私の常識を超え、びっくりしたというより、こんなことがあって良いはずがないという恐怖心が先にたつ。

新聞報道では,殺人容疑で逮捕された女子生徒が『しつけが厳しく、今の状況から逃れたかった』と供述しているのだそうだが、この記事で瞬間的に頭に浮かんだのは、佐世保で同級生を殺害した女子高生のこと。

さらに,同じ佐世保で10年前に起きた、小学6年生の女児が、こともあろうに学校内で同級生をカッタ-で殺害した事件の記憶も蘇る。これらの事件の加害者(3人の女子児童・生徒)は、いずれも成績優秀だったというから考えさせられる。

今回、殺害された祖母と母親には首や頭など複数カ所に刺し傷や切り傷があり、別々の場所で刺されたとのことだから、明らかな殺意を持って衝動的に殺害したようだ。この少女は、間もなく生徒会の委員長に就任する予定だったという・・・。

女子生徒の家庭環境も引っかかる。家族は、祖母、母、と23歳の会社員である姉の4人暮らし。しかも,何故か、この少女は離れに住んでいるとのこと。経済的には裕福だったに違いないが、決して恵まれた生活環境ではなかったように思える。

マスコミ報道だが、女子生徒は夕方になると走って帰宅する姿が目撃されており、『門限が厳しく、時間を守らないと怒られる』と漏らしていたという近所の住民がいたらしいから、(この情報が正しいとするとだが)今どき珍しいほど、母親や祖母から監視が厳しかったことがうかがえる。なのに、離れに住まわされているのかが分からないが・・・。

しかも,児童相談所によると、女子生徒が幼稚園児だった2004年2月、家庭内で虐待を受けているとの通報があったという。当時、児童福祉司が身体的虐待の痕があることを確認し、児童福祉法に基づく指導措置を決定して、数年間,自宅の訪問や面談を重ねていたというから、かなり厳しいしつけが行われていたことをうかがわせる。

さらに、犯行後帰宅した姉が、妹とともに、凶器である包丁や返り血を浴びた衣料品などを自分の車で山の中に捨てたというから、姉も日頃から祖母や母親に対して、良い関係を結んでいなかったようだ。

同級生を殺害した佐世保の女子生徒は、母親の死亡と父親の再婚が背景にあるのだろうが、父親をバットで殴り大怪我をさせたということから、マンションに独り暮らしさせられていたそうだ。

小学生の場合は、別居ではないが、幼い時から友達がインタ-ネットという環境だったというから、家族と良好な関係が結ばれなかったことをうかがわせる。

この種の事件は、個人情報の関係もあって、家族構成や幼い時の育て方など、公開されることはごく限られている。大新聞が取り上げるのは事件直後だけで、数日経つと、関係者以外は事件の記憶が薄れ、世間的には闇の中に消え去っていくのが現状だが、このまま忘れ去ってしまったらまた繰り返されるのではないだろうか。

あくまで想像に過ぎないが、3人に共通することは、幼い時に、父親や母親、あるいは祖母や祖父の強い意志が働き、その価値観での育てかた(しつけ)がなされたか、全くその逆で、子どもの意思を尊重するという放任の子育てだったではないだろうか。

経済的には裕福であっても、自主性もなく達成感もわかない環境では、相手のことを考えるゆとりが育つとは思えない。そしてある日・ある時切れてしまった・・・。

この3つの事件だけではなく、最近はおよそ今までの常識では考えられない少年少女の犯罪が目立つ。いずれも、相手のことを考えず、瞬間的に理性を失うことから犯行に及ぶというパタ-ンだろう。

またいつものつぶやきになるのだが、今後こんな事件が起きないようにするためには、幼い時から、ある程度の不便さを経験させ、日常的に、自分で考えて行動できる子に育てることにつきる。

そのためになにより大切なことは、基本的な生活習慣をつけさせることだが、これは、日常的な生活体験の場を多く与えることが何より有効。これは経験上知っている。

しかし、世の中全てが『便利で快適な生活』が『是』となり、我が子に『当り前のことを当り前にさせること』すらさせないという風潮が蔓延しては、幼い時の実体験の場は限りなく少なくなる。

もう一度、身の回りの見つめて、子どもにやらせることがないか、親があまりにも過干渉になっていないか見つめなおす必要がありそうだ・・・。(田舎親父)

2014年11月26日 (水)

原発を語らぬ選挙・・・

公示前だが、実際には衆議院選挙が始まっている雰囲気は全国に広がり、連日、新聞テレビは賑やかに、誰がどうしたとか、〇〇党にはこんな動きがあるなどという、およそ愚にもならないことを面白奇怪しく報じている。

衆議院選には700億円という途方もない税金が投入されるという。このお金を社会福祉に使えば、相当な人々が救われるはずなのに、国会議員には自分の腹を痛めないからだろうが、金銭感覚は限りなくゼロ。カネは国民から絞りとれば良いという感覚が、与野党ともに共通しているらしい。

衆議院任期は4年と決められている。たた、総理大臣には解散権というトンデモない権力が与えられているので、歴代の総理大臣は、自分の都合が悪くなったり、あるいは与野党の駆け引きから解散権を行使する傾向がある。

『国民に信を問う』というのが、解散の大儀なのだろうが、今回の場合、アホベは2年前に言い出した『アベノミクス(国民の多くは何のことか分からない)』による経済成長が思いどおりに進まず頓挫したことを隠すために、『アベノミクスをこのまま進めるのか、それともやめるのか、また別の方法があるのかを国民に問いたい』というのがこの御仁の解散の大儀だとのたまう。

そんなバカな話はない。自分が言い出して、順調に進んでいると口にしているのだから、今ここで国民の信を問うこと自体意味があるとは到底思えない。責任を全て国民に転化して、これで自民党が多数を維持すれば、アベノミクスが国民から指示を得たと高笑いすることは間違いなさそうだ。

しかし,アホベと自民党の本当の狙いは、アベノミクスの失敗はどうでもよく、国民から支持を得たという結果が目的で、勝てば、(争点にしたくない)原発問題や、集団的自衛権、あるいは普天間の辺野古移転問題などなどを含めて全て信任されたと強弁するに違いない。定数問題は野党も含めてその罪は同じだろうが・・・。

 今回の選挙ではいろいろな争点があるが今日は原発問題を取り上げてみたい。民主党は事故当時の政権担当だったこともあって、原発自体を問題にしたくないのかもしれないらしく、公約には『30年には原発ゼロ』と打ち出しているだが、具体的な政策となると全く見えない。

現在、原発は一基も動いていない。電力会社の思惑はともかく、原発がなくても国民生活は成り立っているのだから、ここは高らかに『原発の再稼働はしない』と打ち出せばすっきりするのに、公約文面からは、再稼働もあり得るととれるのはいただけない。

原発過酷事故から3年8カ月を経て、なお、事故原発をどのように廃炉にするのかすら分からない全くの闇の中。この2年間のアホベ政権のエネルギー政策を一言でいえば、事故を忘れたかのような『原発回帰』であることは明らか。野党は、原発問題をもっと全面に出して国民に訴えるべきだろう。

そればかりではない。アホベ政権は、今年4月に政府が閣議決定した『エネルギー基本計画』は、『原発依存度を可能な限り低減する』といいつつ、原発を『重要なベースロード電源』と位置づけたのは、明らかに前回の衆院選での公約違反。本来なら、この時点で『国民に信』を問わねばはずなのに、そんなことは知らぬ存ぜぬ・・・。さらに、原発を含めた電源の構成比率についても全て先送り、というよりやる気すらない。

 もし、本気で『原発に依存しない社会』をめざすなら、その道筋をきちんと示した上で、電源構成を含めた目標を持ち、総合的に政策を打っていくのが政治の役割だろうが、そこにあるのは、ただひたすらに全ての原発を再稼働という電力会社や大企業の代弁のみでは情けないとしか言いようがない。

民主党はじめ野党は、このあたりを選挙の争点にしなければならないはずなのに、アベノミクスという、一般国民にとってわけの分からない経済政策の是非という土俵に引きずり込まれている。

今の状態では、巨大な自民党の壁をほんの少し壊せる(議員数を減らせる)かもしれないが、過半数我に追い込むのは難しそうだ。その結果、辺野古移転同様に『原発問題は過去のこと』とうそぶく姿勢がはっきり見える。

『再稼働絶対反対』をはっきりと打ち出す候補者がほとんどいないのも、私にはとても理解できないのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月25日 (火)

公設民営の危なさ・・・

 来月14日の衆院選の開票結果にもよるが、余程の事がない限り(自民党の大負けでアホベ首相の退陣はあったとしても)政権交代に至るとは思えないので、今しばらく、『経済成長』という言葉が消える事はないだろう。

そして、その切り札の一つに経済的要素の『特区』がある。公立学校の管理運営を民間に委ねる『公設民営学校』もこの一つ。国家戦略特区制度という名で、この構想を進めようとしているらしいが、公教育までをも『経済成長』という流行言葉で、市場主義に飲み込まれては大変なことになりそうだ。

 国家戦略特区法の見直し構想では、国際理解や外国語などの教育に力を入れる中高一貫校や高校、中等教育学校が対象となるばかりか、小中高一環校も含めて、あらゆる教育制度を対象に、産業の国際競争力(経済成長)の強化に役立つ人材の育成が主眼だという。

 具体的には、自治体が校地や校舎を提供し、学校法人やNPO法人といった非営利団体に管理運営を任せるというが、『非営利』という言葉が曲者で、経済の成長という言葉との整合性がないばかりか、国家の方針に100%従う前提に恐ろしさを感じる。

教職員の身分は民間人のままだが、公立校と同様に給与には税金を充てるとあっては、塾や予備校などにとってこんな美味しい話はない。いや、現在の教育関係ばかりではなく、あらゆる産業分野からもこぞって参入するに違いない。

とにかくグロ-バルという言葉を全面に立てて、(経済という枠の中で)世界に通用人材を育成するというスロ-ガンがあれば認可されるだろうから、(体制には絶えず批判的に捉えること信条にしている私には)人間性などが二の次三の次にされるのではという懸念が消えない。

校舎などの施設設備も教員の給料も税金から支払われることも問題に感じるが、それ以前に、『営利を求めない』という運営組織には『?』は消えない。

公教育は機会均等の考え方が大切なことは大前提。個々の子どもの能力に応じて、親の経済力に左右されることなく、等しく保障されねばならないことが憲法の精神でもあるのだが、教育特区そのものがこの憲法の精神とは合致しないのでは・・・。

公設民営という概念を素直に解釈すれば、公立並みの安価な学費で、民間の特色のある教育を施すと捉えることができる。これは、貧しい家庭の子どもにとっても才能を伸ばす道が広がろうが、底流に『経済優先』という発想がある以上、新たな経済格差の温床になることは否めない。

現実の教育現場を見ると、十把一絡げの教育から抜け出せていないことは認める。指導要領という強制されたバイブルが存在し、学年(年齢)に応じた知識理解が求められる以上、学習内容を理解できない子もいれば、飽き足りない子も出てくることは仕方ないこと。しかし、公設民営の学校が指導要領の内容理解に苦手な子ははじめから拒否するとあっては、今の私立と本質的には変わらないのでは・・・。

 大阪市がこの構想の先取りして、中高一貫校づくりを検討しているというニュ-スが先日報じられた。海外の大学入学資格『国際バカロレア』の取得コースや、理数系や英語に特化した学科の開設を目指すという内容である。

 公立校とは違い、校長ら管理職に民間人や外国人を登用したり、優秀な教職員を手厚く処遇したりすることも可能になるだろう。専門性の高い教育環境を柔軟に整えられることも理解可能だが、市場原理によって管理職も含めて教員にとって、その実績が評価されるとなると、子どもの立場に立って物事を考える立場の教員は限りなく存在できにくくなることは間違いなさそうだ。

 本来、産業を担う人材の養成ばかりが公教育の役割ではないことは誰もが認めているところ。成果追求や効率主義の発想のみで運営されては、学力偏重に陥り、全人的教育がおろそかになることは今から十分予測できる。

それでも現在の公教育の限界を取り除き、純粋に子どもの学ぶ権利を底上げするという狙いであれば、教育特区を設定し、公設民営方式を試してみる価値はあろうが、そこに群がる子どもたち(実際には保護者)が多くなることは想像に難くない。

となると、この学校を受験のための学力や技術を指導するという二次・三次組織の出現を許し、能力があるが家計が許さない子どもたちは、ここでも門戸を閉ざされる・・・。

この構想も、現在以上に格差を広げる結果になりそうなので、『是』と言いたくない代物であることは確かだろう。(田舎親父)

2014年11月24日 (月)

白内障手術の薦め・・・

白内障の手術のためしばしご無沙汰。
 視界の歪みを感じ始めたのはもう30年も前になるだろうか。それまで、眼科とは無縁だったが、知人を頼ってある有名医科大学付属病院の眼科の診察を受けたが、白内障など眼の障害は見つからず、その時は、ただ眼鏡の調整に終わった。
 それでも、歪みはかなり改善したような気がしたので、そのままにして現役を終えたのだが、その後、気になって近所では評判の眼科医に定期的に通うようになってから、かれこれ5年ほどたつだろうか。

その眼科医の所見は、『便利な眼』とのこと。はじめは意味不明だったが、右と左の視力が極端に違うために、遠くは左目で、また近くは右目で見て脳が調整しているので、眼鏡の調整で、かなりの視力を保てるという説明を聞いて何となく納得する。
 確かに、眼鏡がなくても室内では何地支障がなく、さらに遠近両用の眼鏡着用で、日常生活に不便はない。ただ、白内障の症状があるので、定期検査が必要だとのことである。それ以来、3ケ月に一度の検査に出かけているのだが、診断は『安定しています。あなたの白内障は進度が遅いのでしばらく様子を見ましょう』という診断の連続。

当初は納得していたが、どうも歪みが激しくなるような気がして、今年3月に思い切って『白内障の手術をしていただけますか』と問うと、『手術にはリスクがあります。白内障の手術のリスクは極めて小さいですが、ゼロではないので、現時点の手術は薦められません』とのことで、応じてもらえず眼鏡レンズの調整を薦められる。
 指示に従ってレンズを変えたが、歪みが解消されないので思い切って眼科医を変更し、手術が必要かと問うてみた。曰く『どうしても必要だとは言えないが、これだけ左右の視力が違うとコンピュ-タを見たり、細かい文字を読むことが多いのでは疲れるでしょうね。白内障は手術をしても奇怪しくない程度には進んでいる』とのこと。
 その場で、この医師は信頼できると判断できたので手術日を決めて、先日その手術を受けてきた。その日、白内障の手術を受けるのは10人とのこと。事前に詳しい説明があったものの、その日集まった10人の患者と実際に接すると多少の不安が生まれるが、今更やめますとは言いにくい。
 手術の前には、10数回の点眼薬を5分ごとに繰り返され、手術の緊張が高まる。手術は10分ほどで終わる。そして、『手術は全て順調に終えました。明日眼帯がとれた時が楽しみですよ』という医師の言葉で医院を後にする。

その日は、眼帯をつけたまま布団に入るが、さほどの不安もなく熟睡。翌日、眼帯を外したとたんに周りの明るさが飛び込んでくる。歪みは全くない。医師も『全く問題はありません』とのことで、視力検査の結果゛裸眼で1.2。いままでは0.2程度だったことから格段の改善である。
 ただ、手術前から言われていたことだが、老眼が進んでいるらしく近い細かい字などは見えにくくなるのは仕方ないのだそうだ。これは老眼鏡で強制するしかないとのことだから新聞などを見るためには老眼鏡が必需品になることは仕方ない。
 そして術後、ほとんど毎日医師の診断を受けているのだが、経過は順調。しかし、暫くの間は眼の保護のために保護眼鏡は寝る時も着用せねばならなので、拡大鏡を用いて細かい字を見るようにしているが、新聞雑誌の文字解読やキ-操作に不自由があり、こんな短い文章を作るのにもかなりの時間を要している。しかし、間もなくその苦労も解消するだろう。
 何より手術によって、何年も悩んでいた歪みが消えた喜びは大きい。近い将来、普段の生活では眼鏡も必要としなくなるのではないだろうか。(老眼鏡をかけて新聞を読む自分を想像すると、少し情けない気もするが・・・)

私の受けた医院での手術費用は、保険適用なしで10万数千円。3割適用の70際未満の人で4万円弱、70歳以上は1割適用なので、1万数千円と、当初私が想像した以上に安価である。
 数カ月前に、改めて作った眼鏡が4万円弱。これは今回の手術でムダになるが、長年の悩みが解消するとあっては惜しくない。
 歪んだりぼんやりするなど、見えにくくなったと悩む人は、まず白内障を疑ってみてはいかがだろう。相談した医師からはなりの確率で白内障と診断されるのではないだろうかと推察している。
 そして、その医師が信頼できるなら、手術をされることを薦めたい。必要があれば、私の受けた医院を紹介するが・・・。(田舎親父)

2014年11月19日 (水)

処分場は東京都心に作るべき・・・

福島原発事故で生じた放射性汚染物質を保管する処分場の場所選定が難行しているという。当然である。放射能で汚染された物質を、どうぞここへ持ってきて下さいなんて言う人がいるはずがない。

自分が出したゴミならいらしらず、誰がどのように動き福島に原発が第一と第二の2ケ所、合計9個も作られたのかも全く知らされていない上、国が絶対に安全だというお墨付きを与えていたにも関わらず、地震と津波であっさりメルトダウン(いやメルとスル-)してしまったことから出るゴミ。

周辺の自治体・住民は大迷惑どころか、国から核の汚染ゴミを回収して保管せよと命じられたのだから、筋違いだと憤るのは当然のこと。

環境省はお上意識丸出しで、(去年だったか)栃木県の最終処分場は『矢板』と発表。これには地元は反対で完全一致。すぐに反対のうねりが生じたのは周知のこと。栃木県知事も反対と表明しなければ治まらない事態になり、国の計画はあえなくダウン。最初からやり直しになっていた。

そして、今年になって(恐らく事前に,栃木県知事にはそれを匂わす連絡があったのだろうが)外野から見たら、突如『塩谷町』を指名。地元は情報が入った時点で町長以下住民は大反対、町長は先日『最終処分場は、福島県の事故原発の敷地で引き受けるべき』と発言、大騒ぎになり、今もなお収まらない。

原発事故で大変な被害を受けている福島県の自治体や住民にとっては、この町長の発言はトンデモ意見と大顰蹙であることは十分理解できるが、他の組長はもとより、住民たちの思いは、よくぞ言ってくれたと歓迎しているのではないだろうか。

国は、原発事故による放射能ゴミの最終処分場を、大量のゴミがでた5県にそれぞれ一カ所作ると決めた。しかし、福島県だけは、最終処分場とはいわず、中間貯蔵場と称して、今後30年以内に他県に最終処分場を作りそこに移すという案を、得意の『顔面札束』作戦でほぼまとまる気配になったと報じられているが、誰が考えても30年以内で他県に移すことなど不可能だろう。よくぞこんなでまかせを言えるもの・・・。

宮城県の指定された3つの自治体は市町村町会議で、知事と組長は調査の受け入れを容認しているらしいが、住民たちは大反対。環境省は、ここにきて来年3月の処分場建設は無理だと判断したとのニュ-スは当り前だろう。

改めて原発の事故さえなければ・・・と思うが、人間が作るものに事故を完全にゼロにすることは不可能。これが、全ての基本なのに、利権という欲に勝てないらしく、国と電力会社は安全性を高めるという言葉でリセット、全国の全ての原発再稼働を進めている。それを大企業が後押し・・・これでは3.11日前と全く変わらない。

テレビニュ-スなどで、放射能ゴミが黒い袋に包まれて放置されている映像をよく目にするが、その都度、こんな程度で大丈夫なのかと強い疑念が頭をよぎる。地元の人たちは大迷惑に違いないが、為す術がないので仕方なく放置しているのだろう。しかし、このままで良いはずがない。

塩谷町長の『原発敷地で・・・』というのももっともだと思うが、福島県民のトンデモ話ということも当然理解できる。茨城、群馬、千葉3県では候補地の提示もできていないのも当然と言えばこんな当然なことはない。

しかし、行き場がないゴミはどこかで最終処分しなければならないことも緊急の課題で先に延ばせない。最終処分場は放射能が絶対にもれ出さない設計だから心配ないと国は地元を説得していることは想像に難くない。

本当に絶対安全な施設など可能だとは思えないが、国がそこまで安全を保障するなら、霞が関(都心)の地下深くに処分場を建設するべきだろう。技術的に難しいなら、せめて東京湾の埋め立て地に・・・。都民の多くは反対するだろうが、その時初めて地方の痛みが分かるのではないだろうか。

危険があるから地方にという論理が間違いだと分かった今日、それこそ国が言う『絶対安全』な原発ゴミの最終処理場なら大都会が受けもてばよい。こんな簡潔明瞭な答えはないと思うのだが・・・。

都民(首都圏民)の中には不安を覚える人も多いだろう。その人たちが地方に移住すれば、東京一極集中を解消する一つの策にもなるのでは・・・。(田舎親父)
 (追)今日の午後、白内障の手術を受けることになったので、数日間休載・・・。

2014年11月18日 (火)

それでも読売は辺野古移転を・・・

『辺野古への移転問題は過去のもの』と、沖縄県知事選の争点から辺野古移転を切り離そうとした政府の思惑は完全に裏目となり、どんな手段に訴えても普天間飛行場の名護市辺野古への移設を阻止すると県民の心を揺さぶった長翁長氏が現職を大差で破った沖縄知事選は、久々に心がすっきりした。

翁長氏は以前沖縄の自民党県連の会長を務めた人物というところが凄い。除名されても時節を曲げず、『沖縄の基地は決して沖縄人は認めていない。もし辺野古に新しい基地を建設したら、自ら基地を認めることになる。沖縄人の心は絶対にこのこと反対する』という強い意思で立候補。そして多くの沖縄の人たちの心をとらえた。

この方の論理はすっきりしている。その通りである。日本全国に作られた原発は、反対の人も多かったにも関わらず、時の県知事が設置に合意したことは明確な事実。県知事を選んだのは県民であるから、県民の合意という言い方に反論できない面がある。

しかし,沖縄の基地は違う。日本各地にあるアメリカ軍基地も決して日本人が認めていることではないが、沖縄の、特に普天間の場合は戦後間もなく、富士山周辺に駐屯していたアメリカ軍海兵隊が普天間に住む住民を銃で脅しブルで建設した事実は、アメリカ軍が羽田周辺の広大な土地を3日以内に退去せよという命令デモって追われた住民の話を聞いた時に同時に学んだことである。

羽田周辺は日本が独立を認められた時点で返還されたが、その後日本政府が普天間基地の変換を本気で交渉した気配はない。それどころか、普天間にアメリカ軍が駐屯することが日本の安全にとって必要だという論理で、事をすり替えてきた。

沖縄県民の普天間の返還を求める声に対して、私流で表現するならば、『代替地を差し上げますのでどうぞお移りください』との姿勢で、辺野古の美しい海を埋め立てて基地にすることを提案したという筋書き・・・。

そんなバカな話はないのだが,それでもアメリカは移転を渋っていたようだが、国民には知らせない秘密の交渉で、そこまで言うのなら移転してやろう・・・という話がまとまり、『札束横っ面作戦』で現知事に埋め立てを承認させたのが昨年の暮れ。県民は、この時点で怒りが爆発。翁長氏の主張に動かされ今回の結果につながったのだろう。

そして、さらに注目しなければならないことは、翁長氏の後任を決める那覇市長選も、自民と公明が推薦する元副知事を、辺野古移転反対の副市長が当選した事実。このことで沖縄の民意は、辺野古の海を埋め立て新しく基地を作ること反対という強い意思を示したことになる。

辺野古移設を最大の争点にした選挙でこれだけ明確な民意が示された以上、政府が移設を推進することは、政治的にも道義的にも不可能だと思いたい。政府は移設計画を白紙に戻し、アメリカ政府と粘り強い再交渉を始めるべきだと強く訴えたいが、原発反対の声を騒音と切り捨てるどころか、テロとさえと表現する輩が閣僚として君臨する内閣ではあまりというより全く期待できる話ではなさそうだ。

 政府が今回の選挙結果を無視し、移設を強行すれば、本土と沖縄の溝はますます深まること明らか。亀裂決定的になり沖縄が不当に差別されているという感情がどこかで爆発、このことが今後の日米安保体制を確実に不安定化させる事は間違いない。

 大新聞はこの問題をどう捉えているのかと思い、昨日(選挙翌日)の社説を丁寧に読んでみた。朝日と毎日は,それぞれ『沖縄県知事選―辺野古移設は白紙に戻せ』『辺野古移設に審判 白紙に戻して再交渉を』との見出しで、まず白紙で戻すべきだと訴えている。

 現在でも、まだ一番ジャ-ナリズム精神を失って以内と評価している東京新聞は『新基地拒否の重い選択 沖縄県知事に翁長氏』と、事実を淡々と伝えるだけの見出しながら、主張はむしろ朝日・毎日以上に痛烈に現政権を批判している。

 これに比べて読売は『沖縄県知事選 辺野古移設を停滞させるな』と、選挙の結果に影響されず、辺野古移転を進めよ、選挙の結果は沖縄の民意ではないとも受け止められる見出しに、さすが読売というか、あるいはやはり・・・・と言ったほう適切なのかは別にしても呆れが先にたつ。読売の読者には、ぜひ他新聞の社説を読んでほしいものだが・・・。

 さて、解散総選挙。果たして本土の人間に、沖縄の怒りがどう伝わるのか注意深く見守りたい。そして、できれば沖縄知事選挙の結果が反映することを期待している。(田舎親父)

2014年11月17日 (月)

変な訴訟と女性の輝く社会・・・

結果は間違いないと確信していたが、昨夜、9時前にテレビで翁長氏の当選確実のテロップが流れると、思わず良かった・・・と口から喜びのつぶやきを漏らしてしまった。
 今朝の新聞では投票率が64%とのこと。できれば、80%以上の人が投票所に橋を運び、圧倒的な割合で辺野古移転反対の意思を打ち出してほしかったと願うのは、沖縄の人たちの複雑な思いを理解できない人間の欲目かもしれない。このことは、改めてつぶやくとして今日はこんな話題について・・・。

土曜日の朝刊の記事だが、公立福岡女子大(福岡市)に入学願書を受理されなかった福岡市の20代男性が、大学の対応は不当な性差別に当たり違憲だとして、不受理処分の取り消しや慰謝料などを求め福岡地裁に提訴するという、今までの常識では考えられないような内容に目が留まる。
 男女同権意識が浸透し、ほとんどの分野で女性の進出が当り前になっているので、訴えを起こすという男性は、『ならば男だから女子大に入学できないのは逆差別』という考え方なのかもしれないが、素直に当然だと賛同の声は上げかねる。
 男性の代理人弁護士は『かつて女子大には、教育機会を得にくかった女性を優遇するという側面があったが、その意味は失われている。国公立の女子大の存在が憲法上許される根拠はない』と主張しているらしい。
 確かに、女子大の存在は教育機会の得にくかった面があることは理解できるが、それだけではないはず。女性に限って入学を許し、その大学の明確な理念でカリキュラムを作り女性が活躍できる社会作りの教育を行い今日に至っていると思いたい。
 この女子大志願の男性が、代理人の弁護士同様、女性だからと言って入学試験を拒否する大学は今日的に存在が許されるものではないと信じ、だから、女子大そのものが憲法違反だと主張しているなら分からないことはないが、そこまで明快な論理を持っているとは思えない。

 話はトンデモなく飛ぶが、女性専用車両が生まれて10年以上過ぎる。生まれた背景には、男の性的な暴力から守るという発想があることは確かだろうが、隔離という手段の前に、もう少し『女性の働き方そのもの』を考えてほしいものとの思いを持ち続けている。
 現実的でないことは十分わかっているつもりだが、東京にすべての機能を集中するものだから、人々は溢れ通勤という苦痛が始まる。そこには常軌を逸したほどのラッシュが必然となり、けしからん男から身を守るために女性専用という車両が必要となってくるというスト-リが生まれる。
 

 もしも、身体を密着しないですむ程度の混雑ならこんな列車を存在させる意味がない。
 地方の活性化は観光客を誘致すれば解決する問題ではなく、働く場があれば若い人たちの多くはそこに留まり、子どもを産み育てることは誰の目にも明らかな大原則。
 なのに、歴代政権は東京一極に集中した政策をとり、地方の都市とは単なる物流のためのインフラ開発をしてきた結果が今日の姿。地方都市は東京と時間的な利便性が増しただけで、そのために文化や伝統を犠牲にしてきたことは今更私がいうまでもないだろう。

 また、現政権の『すべての女性が輝く社会』とは『すべての女性が働く社会』そのものだろうから、ラッシュに揉まれても外で働くことが輝きにつながる?・・・。これでは、経済成長のために女性を労働力として扱っていることになり、しかも、安い賃金で働かそうという思惑がアリアリ・・・。
 女性はそれぞれの立場で輝いているとどうして考えられないのだろう。何も通勤ラッシュに『女性専用列車』に守られて都心にでかけることが働くのが全てではない。家事も働き、子育ても働きであり、その場その場で、その時その時多様な形で働き、生き生きと輝いているではないか。

女性の輝きかたは様々、その輝き方を女子大で学ぶという選択肢があっても良いのではないだろうかと思いたい。男性がそこに入学して何を学ぶのだろう。
 こんな変な提訴に、女性の輝く社会の意味を重ね合わせてみる・・・・。(田舎親父)

2014年11月15日 (土)

将来につながる無駄なら・・・

 文科省の調査で、全国の公立学校のうち平成24年度に598校、25年度に482校が廃校になったことが分かったというニュ-スに衝撃を受ける。

24、25両年度とも5月1日現在の状況を調査という。両年度に廃校になったのは、小学校765校・中学校221校・高校など94校というから凄まじい。少子化の勢いはますます地方を襲っていることから、今年度で統廃合になる学校はさらに上回りそうだとなると、ますます暗い気持ちにさせられる。

地方にでかけると、子どもに出会うことはめったにないことは確かだが、時に大勢に出会うことがある。学校帰りのスク-ルバス遭遇する時である。こんな時、いつも口に出るのは、一人でも子どもがいたら学校の火は消してはならないというつぶやきである。

分校でも良い。場合によったら分教場でも良いではないか。一人の子どもに一人、あるいは二人の教員がどうして配置できないのか。こんな環境を希望する教員がいても奇怪しくないと思うのだが・・・。

随分昔の話になるが、徳島県の海に面した小さな集落を訪ねたことがある。100人足らずの住民の大半は高齢者であるが、同じ敷地に建てられた小中学校では、20数人だったと思うが複式学級で学んでいたことに、なぜ、こんなに大勢の子どもたちが存在するのだろうとびっくり仰天。

すぐに校長に質問したところ、移住者の子どもだとのこと。その時は、こんな辺鄙な集落に移住する人もいるものだと感心したが、その答えはその夜の懇親会で明らかになる。ほとんどの住民が参加してくれたのではと思うほど、集会場は大盛り上がり。

そこで、学校の先生夫妻とおしゃべりするのだが、昼間見た子どもたちの中にお二人の子どもたちが二人いたことを初めて知る。来年は、もう一人入学するので3人は私たちの子どもですと笑って話してくれた。日頃は教育委員会の悪口をいうことが多い私だが、その時は、徳島県の教育委員会は粋な計らいをするものだと感心したことは今でも忘れられない。

さらに驚いたことは、大阪で開業していた医師一家が移住、この集落で開業しているということ。この医師ともお話しできたが、子どもが喘息で,都会では住めないと考え、たまたま医者を求めている町の要望と一致したので、小学生の子どもと一緒に移住したとのことである。町営の住宅で医院を開いているので、集落のお抱え医師というところ、カネ計算を捨てれば、魚は美味いし、ほとんど生活費がかからないから極楽だよと高笑い。

何人かの移住者の人とも話ができたが、その人たち全ては、女性はこの集落の網元が開いている活魚店で働き、男性は漁師の見習いをしているという。その日、昼飯に立ち寄った街道では大人気店の評判の店である。そこで昼間訪れた私たちの顔も覚えているとのことに、変な注文をしなかっただろうかと思わず顔を見合わせてしまう。

この集落の人は学校の統廃合は絶対にしない・させないという思いで一致しているという。もっと砕けた話では、隣の学校にいくのは車で1時間以上かかるので通学バスの運行など不可能だから、教育委員会は子どもの数がゼロになるまで待っていると知って、ならば、何としてでも子どもを確保する作戦を立てたという。

そこでまず実行したのは、子育て中の教員を赴任させてもらうこと、これは希望する教員がいればということですんなりまとまったというが、二人の子どもが高校生になる前に子どもを集めるために移住者募集を始めたのだそうだ。

その作戦は子どもだけ集めることではなく、一家での移住が原則。そのために生活費を稼げる職が必要なので漁師の見習いや魚料理の店員の仕事を与えるという。これには目から鱗状態。凄い集落だと改めて感心。

このことは以前にも述べた記憶があるが、統廃合をすればその集落は消える運命にあることは歴史が証明している。地方の活性化のために担当大臣まで任命し省庁横断で取り組むと宣言した現内閣の方針は支持するが、その一方で統廃合を進めるのは納得できない。

例え分校であっても、一人でも子どもが存在する限り、特に小学校は廃校にしないという明確な方針を持ってほしいもの。その上で、私が訪れた徳島県の海辺の小さな集落のように,明確な移住方針を打ち出すのが自治体や国の任務だと声を大にして叫びたい。

一人の子どものために教員をつけるのは経済的には無駄であることは言われるまでもないが、子どもが宝だというなら、経済だけが全てではないだろう。

 認するならば、現時点の無駄が、将来につながる無駄は惜しくないという夢を持って天下国家を語ってほしいものである。(田舎親父)

2014年11月14日 (金)

富裕層優遇の政治を変えるためには・・・

 厚労省は、2001年に生まれた子ども約5万人を選んで『21世紀出生児縦断調査』とい名称をつけて追跡調査しているのだそうだ。どこまで本気でやっているのかはさておき、対象者が同年に生まれた子ども全体の約5%に当たるというからかなり大がかりな調査のようだ。

 この調査によると、低所得家庭の子どもほど入院割合が高く、一度入院したあとの再入院割合も低所得家庭ほど高いことがわかったという。

 厚労省の定義に従うと、低所得者とは世帯の年収が300万円以下だという。厚労省の専門官は、低所得家庭では、住環境や食事のバランスが悪いことから病気になりやすく、回復力が低い可能性があると分析。生活に追われる親は子どもの体調悪化や変化に気付かず、入院するほど悪化する前に医師に受診させる時間的・経済的な余裕すらないのではないかと考えているようだ。こんなことを5万人もの子どもの追跡調査をしなければ分からないのかと言いたくなるが・・・。

 2001年出生の子どもというから現在中学2年生。この歳になれば自分で病院に行けるだろうが、小学校の低学年までは親が付き添うのが当り前。低所得と言われる人々はほぼ間違いなく、パ-トや契約で働いているだろうから、付き添うためには休みをとらなければならず、即給料に響くとなると、我が子であっても病院にでかけにくい。そして気がついたら,病気が重くなり入院につながることも想像に難くない。

 現在は、小学生までの医療費を自治体が負担することは当り前になっているようだが、入院となると、その費用は相当なもの。自治体側からみたら、なぜここまで放置していたのかと言いたくなるだろうが、親側からは休んでまで連れて行けない事情がある。

 その結果、自治体は膨大な治療費を負担することになり、これが自治体機能の維持に影響。まさに悪循環の見本のようなもの・・・。

 これを断ち切るのは、世帯の所得を上げるしかないのだが、現政権のやっていることは、富裕層を増やすことが経済発展だという考え方だから、この人たちを切り捨てる政策ばかり。困った話である。

 さあ、解散総選挙。このまま現政権が続けば、この流れを変えることは絶対に無理。自民党政権が続くことは間違いないが、せめて、低所得階級に少しでも目を向けさせるためにも、議席数を大幅に減少させたいものであるが・・・。(田舎親父)

2014年11月13日 (木)

また 騙されるのかな?・・・

 マスコミは一斉に、解散風が永田町周辺には吹き出し、与野党ともにその準備に入ったと大々的に報じている。12月解散は以前からささやかれていたが、ここにきて、支持率の低下や閣僚の不祥事が重なったことから、俄に真実性がでてきたようだ。

12月2日解散、14日投票と日程までが決まっているらしい。解散は首相にのみ与えられている専権であるのに、ここまでまことしやかに報じるところから、首相に近い人物からかなり確実な情報がリ-クされているのだろう。政治に全くの素人の私でも解散は確実で、あり得る話だと受け止めている。

あれほど誇っていた支持率がここにきて急落しているというから面白い。内閣の目玉だともてはやされていた2人の女性閣僚閣僚が、およそ信じられないような『政治とカネ』問題での解任。政府御用機関である大メディアの調査でも支持率の低下が明らかと報じるようになったことは今更述べるまでもない。

特にオブチ経産相の辞任は、すべての原発の再稼働を狙っているアホベ政権には想定外だったらしい。さらに、身体検査も十分にしないまま、後任に就任させたミヤザワという大臣が東電株の所持者で大儲けをしているというから政権にとっては頭痛の種だろう。

しかも、原発には全く興味がないらしく、あれほど話題になっている川内原発を『カワウチ原発』と発言し、それがネットで流れている。さらにさらに、『政治とカネ』の問題でも限りなくブル-となると、誰がみても大臣失格は間違いない。

野党にもう少しやる気と能力があれば、すぐにでも解任に追い込めるのだろうが、その力がないのが口惜しい。しかし、このままではさらなるボロが出て、具体的な話になる前にクビにしなければ、川内原発を先兵に、すべての原発の再稼働という首相の悲願は夢幻に消えることになりそうだ。

アホベ首相もすぐにでもミヤザワ経産相をクビにしたいに違いないが、同じように『政治とカネ』の問題が明らかになる閣僚が次々と出てきては、一人をクビにして収まらないどころか、任命責任を追及されて内閣そのものが吹っ飛んでしまうとなると、おいそれとはクビにできないことは私でも察しがつく。

加えて、(私には得体的によく理解できない)アベノミクスなる経済政策も、ここにきて株価だけは上昇するも景気が落ち込んでいる現状から、誰の目にも行き詰まったように映るようになり、ここで消費税の値上げを言い出したら、国民の納得が得られるはずがない。

となると残る道は、解散しかなさそうだ。本当は、追い詰められているにも関わらず、問題を消費税増税にすり替え、自分で判断すると明言したことなど忘れたかのように装い、値上げ時期の判断に当たって国民の声を聞きたい、そのために国会を解散して信を問うという形をとるのではないだろうか。

その背景には、汚染ドジョウ内閣が大敗したのは消費税増税が原因だと読んでいるに違いない、ここで『消費税増税凍結』と打ち出せば、例え、政治のカネの問題に批判的な国民が多くとも、何とかなると思っているようだ。

また、『原発再稼働や集団的自衛権の関連法整備が控える来年に衆院選を戦うのは厳しい』という読みもあるだろうが、決定的な理由は、今選挙をすれば,野党の選挙準備が整っていないから、前回のようなお化け的な大勝利は望めないとしても、政権維持の過半数は十分確保できるという計算をしているのでは・・・。

 まさに党利党略。風を読むというゲ-ム感覚で国の運営をされてはたまったものではない。こんな解散に大義があるとは思えない。

しかし、民主党に期待できず、維持の党やみんなの党も内部抗争に忙しいとなると、すでに準備を整えている与党に利があることも確実だろう。

もしも、解散総選挙、自民党の勝利となると、国民からの信を得たと態度はますます大きくなり、増税の道を突っ走ることは間違いない。そしてさらにその先に待つのは、暗くおぞましい社会だろう。

 それだけは何としても避けたいものである。(田舎親父)

2014年11月12日 (水)

牛乳は毒 その2・・・

 先日『牛乳が害?』というつぶやきをしたら、友人から、『なぜ牛乳が良くないか?について書いてあるブログを紹介するので開いてみて』というメ-セ-ジが届いた。

 早速、http://saigaijyouhou.com/blog-entry-828.htmlにアクセス。『真実を探すブログ』というサイトである。

ハナから牛乳は害という文言が並んでいるが、前半部分は『朝食』について、とらないほうが良いとのことを強調しているが、朝食の問題に関しては、情緒が不安定な子どもたちの多くが朝食を食べないという事実を経験上知っているだけに、この論理にはも納得しかねる。しかし、牛乳に関しては思い当たる部分も多い。

このブログの著者の出典は新谷弘実という米国で活躍されている大腸の専門医の『病気にならない生き方』という本らしい。私は読んだことがないが、この中で、新谷先生は『牛乳を飲むと骨粗鬆症になる』と断言されている。

これまではカルシウム不足が骨粗鬆症の原因だからカルシウムを豊富に含む牛乳をたくさん飲むと良いという常識とは全く異なる意見である。これは、一読の価値はありそうだ。

日本人医師がすでに以前からこんな結論を出していることに驚く。荒谷先生のアメリカで育った親戚の子どもたらが、生後6、7ケ月でアトピー性皮膚炎を患い、その原因を探ることから、この研究が始まったようだ。

字数の関係で詳しくは省略するが、子どもたちが普段からよく食べている食物を調べた結果、彼らがアトピーを発症した時期が、医師の指導のもとに授乳を打ち切り、牛乳を与えるようになった時期であったことがわかり、食事から、すぐに牛乳と乳製品をすべてカットしたところ、体調は良くなりアトピーも治ったとのことである。

新谷先生はこの経験から、患者に食歴のアンケートに、牛乳・乳製品をどれぐらいとっているかという項目を設けたとところ、その後の臨床データから牛乳や乳製品の摂取はアレルギー体質をつくる可能性が高いことが明らかになったという。

『日本ではここ30年ぐらいの間に、アトピーや花粉症の患者が驚くべきスピードで増えたのは、1960年代初めに始められた学校給食の牛乳にあると考えています』という部分には、学校給食を批判している私にとっても刺激的で思わずドキリとさせられる。

人間の血中カルシウム濃度は一定しているが、牛乳を飲むと、血中カルシウム濃度は急激に上昇する。そのため、体は血中のカルシウム濃度をなんとか通常の状態に戻そうというコントロールが働き、血中の余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄してしまう。

つまり、カルシウムをとるために飲んだ牛乳は、かえって体内のカルシウム量を減らしてしまうという皮肉な結果を招くとのこと。医学についての知識は乏しいものの、言われていることは何となく納得できる。

牛乳を毎日たくさん飲んでいる世界四大酪農国であるアメリカ、スウェーデン、デンマーク、フィンランドの各国で、股関節骨折と骨粗鬆症が多いのはこのためだというから先日のスエ-デンチ-ムの研究結果とピタリと一致している。恐らくアメリカでも同じ結論が出るのではないだろうか。
 そして、日本人が昔からカルシウム源としてきた小魚や海藻類に含まれるカルシウムは血中カルシウム濃度を高めるほど急激に吸収されることはないことから、牛乳を飲む習慣のなかった時代の日本には、『骨粗鬆症はなかった』と結論づけている。確かに一昔前には骨粗鬆症などという言葉も症状自体考えられなかったことからも石器苦慮区はある。

こんなことを思っていると、先日東京新聞が『牛乳飲み過ぎ 危険?』というタイトルで、このことを取り上げているニュ-スがあったので熟読する。

記事によると、牛乳に関してその捉えかたは千差万別だが、日本人の牛乳摂取量は、スエ-デンなどと比べて比較にならないほど少ない指摘。なるほどその通り。

どうやら、摂取量が問題であって、『牛乳が害』と決めつけるのではなく、『牛乳の飲み過ぎが危険』というところらしく、現在の一般的な日本人が飲む牛乳量程度ならば、さほど問題がなさそうだ。

酪農問題は、地方の活性化と微妙にリンクするので、あまり牛乳のマイナスイメ-ジを強調したくはないが、この話題は、多くの日本人がすっかり忘れ去ってしまっている『日本食の良さ』を考える良い機会だろうと捉えることにする。

このことについては、荒谷先生の本を含めて、いろいろな文献を読み、私なりに勉強し、酪農との関連も考えていこうと思っている。(田舎親父)

2014年11月11日 (火)

地方創生の特効薬は・・・

地方の活性化が緊急の課題であることは誰の目にも明らかだから,現政権が担当部署を作り大臣まで任命して、事に当たることに疑義をはさむものではないが、人気とりの政策であるばかりか、党内の権力闘争や選挙目的の臭いが強く漂ってくるとなると、一言つぶやきたくもなる。

 アホベ閣下は先週、閣僚や有識者でつくる『地方創生会議』を開き、今後5カ年の方向性をまとめる国の総合戦略の基本的視点として『人口減少と地域経済の縮小の悪循環を断ち切る』と明示し、地方へ人の流れを生み出す方向性を打ち出すという骨子を提示、今年度中の正式決定に向けて今後具体策を詰める方針を決めたとのことだが、これがかなりうさん臭い代物のようだ。

 毎日新聞記事の記事をそのまま引用してみよう。
 若者世代が地方で安心して働けるような雇用の確保に重点を置いた。人口減少対策に取り組む自治体に対して、企業取引や人口動態などの膨大な「ビッグデータ」を活用して地域経済動向を分析するシステムの整備などを盛り込んだ。自治体ごとにとりまとめる「地方版」総合戦略の策定などを支援するため、官僚らを人口5万人以下の市町村に派遣する制度も進める。
 このほか、50年後を見据え、人口の将来像を示す「長期ビジョン」の骨子案を示した。人口減少は今後も「加速度的に進む」と分析。女性が生涯に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」(2013年1.43)に関して、まず目指すべき水準として、1.8程度への改善を示した。(引用ここまで)

 この記事を読んで、偉い・これならやれそうだ・・・などと思った人はまずいないのではないだろうか。むしろ机上の空論だと断言できるほど全く具体性はなく、現政権の得意技である、あたかも本当らしく見せ掛けの言葉で輪郭をぼかした表現としか言いようがないというのが一般国民の正直な気持ちでは・・・。

 地方を活性化する特効薬は、現在の全てが『首都圏(東京)への一極集中』という現象を根本的に断ち切ることだということは多くの人が認めている。しかし、国がやっていることは全くその逆で、霞が関近辺に建つ超近代的なビルの中で、地方を捨てた?役人たちが支援してやるという姿勢ではこの問題が改善できるはずがない。

コンピュ-タ社会の到来で、コンピュ-タを使えば地方にいても同じことが可能だという考え方が一時大流行した。事実だったのかは不問にするが、『日本生命』が東名高速の御殿場インタ-近くにに素晴らしいビルを新築し、本社ごと移転したというニュ-スが流れたのはかなり昔だったが、今は元も木阿弥になっているらしい。

東京(大都市)に本社をおきたいのは当然だろうが、経済の成長のために大企業を無条件に優遇するのではなく、法人税減税という優遇措置を、本社や主力工場を地方に移転する企業に限るという条件をつけたら、大企業のみ優遇しているという国民の怨嗟の声も少なくなるに違いない。

今回地方創生会議は骨子が具体性のないまま、何を来月決定するのだろう。各自治体は、交付税を得るために必死の努力をしていると聞いているが、基本的に『東京一極集中』を否定する方向の努力をしているとは思えず、出てくる案は、急場しのぎの(極端に表現すれば)カネ欲しさの案ではかえって疲弊を進める恐れがありそうだ。

話は飛ぶが、リニア新幹線についてはいろいろな考え方がある。今日はその議論は省略するが、活性化に期待する駅のできる地域もある反面、かえって迷惑な沿線住民も多く存在し批判は日毎高まっているようだ。

その通りだろう。東京と名古屋・大阪を結ぶためのものだけなら、地方の活性化どころか、ますます大都会中心のための『モノ』になってしまう。これでは、地方の活性化どころか疲弊化を進めることは間違いない。

リニアの駅予定地は各県一カ所で、品川と名古屋の間には、神奈川県の橋本、山梨県の甲府、長野県の飯田、岐阜県の中津川の、それぞれ在来線の周辺に作ることが決まっているが、JR東海のホンネはそんな駅を作らず、直接東京都名古屋を結びたいのは明らかだろう。このことについては、別の機会につぶやきたいが・・・。

折角のリニア構想なのだから、大企業の本社を首都圏から移転という地方活性化の特効薬する考え方がほしいものである。神奈川県の橋本周辺は、人口集中という意味では例外として、新たに作られるという甲府や飯田、あるいは中津川の駅付近の地域に本社を移転すれば大幅な交付税の減税という案はいかがだろう。

品川と甲府が20分、飯田が40分だという。交付税減税に加えて、1時間に一本ではなく数本の停車を決めたら、名乗り出る大企業があるのではないだろうか。

それ以前に、国全体の地方への権限委譲が先決だろうか・・・。(田舎親父)

2014年11月10日 (月)

避難計画も無茶苦茶なのに・・・

何としても日本中の原発を再稼働したい現政権は、川内原発をその先兵として、原子力規制委員会に『世界一厳しい基準に合格している』と言わせて、強引にことを進めているが避難計画などは周辺自治体に丸投げ状態。なのに、官房長官は平気な顔で『避難計画の作成は終わった』と発言。まさに『蛙の面にション便』としか言いようがない。

確か、重大事故が起きた場合は、福島原発事故の教訓から、半径30kmは避難の対象になったはずだが、現政権は『再稼働ありき』が前提になっており、周辺住民の命など二の次・三の次。原発のある薩摩川内市だけに絞って、お得意の『札束顔面張り倒し』作戦で議会や首長の合意を取り付けているのは許し難い。

先週は、その作戦で鹿児島県議会はもとより鹿児島県知事まで、再稼働にGOという言質を導き出したことで、『もう山は超えた、後は原発の稼働スイッチをONにするだけだ』という態度がありありである。

県知事は,『命の問題は再び起きない』と明言。札束の誘惑(悪魔)に魂を売りわたし弁解として、こんなセリフを口にしたのだろうが、未来永劫原発事故はないとどうして言えるのか神経を疑ってしまう。3・11の前日まで為政者や東電は『絶対安全』と強調していたが、それは全く同じパタ-ンに成り果てている。  

このことは、改めてつぶやくとして、原発再稼働だとの騒ぎの中、周辺の自治体は手さぐり状態で住民の避難計画を作成する努力をしているようだが、自治体に示されて原発関連の情報すらどこまで信じて良いのか分からないとなると、実際に役立つ計画など作れるはずはない。

特に、避難者を受け入れる側の自治体は、上からの強い命令で作成者自ら机上の空論と知りながら作ったと分かるほど、受け入れ先に指定した施設に避難所となることを知らせておらず、施設側も把握していないというから呆れる。ありそうな話だが・・・。

東京新聞が川内原発の事故時に、5~30km圏内からの避難者を受け入れることになっている15自治体(熊本県含む)に、対象施設との話し合いや物資の備蓄などの状況をヒアリング。さらに学校や公民館などいくつかの避難所を訪ねるなどして、当事者意識などについて取材したそうだ。

記事によると、12の自治体では、避難先に指定されていることを施設に知らせていなかったという。また、知らせたという3つの自治体も、伝えた内容は避難者の予定数程度で、避難所の立ち上げや食料など物資の調達・負担について、避難元と避難先の自治体のどちらが行うのか、具体的に決めた事例は皆無だったというからちょっと酷い話。

知らせていない理由について『各施設は地元の災害時の避難所に指定されており、あらためての通知は不要と考えている』と回答する自治体が多く、中には『こちらは場所を提供するだけ。食料などは避難元が準備すると認識』とまるで他人事、福島原発事故の検証も反省も生かされていない。

原発事故の避難所に指定されている施設の職員は、一様に『水害などの避難所になっていることは知っているが、原発事故の避難所になっていることは知らない』と回答し、そのことを聞くと驚きの表情を浮かべたという。戸惑いは当然だろう。

原発事故と台風や大雨による風水害や土砂崩れなどの自然災害とは全く質が違うことは、福島原発ですべての国民はいやというほど思い知らされたのに関わらず、当該の自治体がこの程度の認識しかできていないのに、再稼働するというのはまさにキチガイ沙汰。

再稼働を容認した鹿児島県の担当者は『避難所になる施設に対して、事前に周知するのが望ましい』と認めつつも、指導するかどうかは決まっていないというから、まさに他人事。ハナから事故など起きるはずがないという姿勢で、国の方針を追認するだけ・・・。

この国の為政者たちの目には、福島原発事故から3年と8ケ月すぎた現在でも、故郷に戻りたくても戻れず、仮設住宅や全国に避難し、耐え忍んで生活している人々の姿は見えないらしい。いや見えても見えない振りをしているというところだろう。

 こんなはずがないと信じたいのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月 8日 (土)

明らかな自殺だろうにに・・・

 末期の脳腫瘍を患って余命4ケ月と宣言された29際のアメリカの女性がソーシャルメディアに『私は尊厳を持った死を選択し、今日がその日です。世界は美しく、旅は多くのことを教えてくれ、親友や仲間たちは多くの物を与えてくれた。さようなら』などと投稿し、本人が明言した通り、11月1日、オレゴン州の自宅で支援者に看取られて自ら命を絶ったというニュ-スが大々的に報じられたのは先週のこと。

その様子がネットで公開されたというから考えさせられる。さらに、このことをアメリカの有力誌が表紙に掲載したからだろうが、『尊厳死?』をめぐる議論が世界中で大きな話題になっているらしい。これもネット社会の特徴だろうが、何か引っかかる。

 いかなる治療でも回復が無理だと宣言されたら、『死』を選びたくなるのは理解できる。私自身、死ぬ前の日まで歩きたい、そして周りの人にありがとうと一言って息をひき取りたいと強く願い、そのために日々鍛練しているつもりである。

そんな私でも、健康にいくら注意していても、病魔に侵されることもあるだろう。寝たきりの不治の病になったらどうしようと考えることも稀ではない。寝たきりでは死にたいと思ってもその方法すらないことに、冗句ながら、何らかの薬物「以前から『婆コロリ(3倍薄めて爺コロリ)』」の必要性を述べている。

今回のアメリカ女性は、自らの意志と周りの理解があって、薬物を服用して『安らかな死』を選択したようだが、このことはさておき、『支援者に看取られて』というくだりに強い違和感を覚える。オレゴン州では安楽死や尊厳死は合法とされているというから、医師が立ち会ったとしても自殺幇助にはならないらしいが・・・。

私の『婆コロリ』は、楢山節考の世界観を元にして、自分の存在がこの世に不用となった場合は、自ら死を選ぶ権利があるという発想から生まれている。従って、明確に自殺である。周りに迷惑がかからないように一人で服用するのが大原則であるが、アメリカの女性の場合は支援者が存在し看取られたとなると、私の感覚では、明らかな自殺であり、周りの人たちは自殺を幇助したことになる。我が国では認められない行為である。

話は飛ぶが、随分以前のことであるが、あまりにも苦しむ患者からの依頼で医師が薬物を与えたことが殺人かとうかを争う裁判を思い出す。そして今回、アメリカ女性の明らかな自殺を『尊厳死』として扱う報道に、何か違うぞと強い違和感・・・。

29歳という年齢から、余命が半年という宣言があったとはいえ、半年後確実に死亡するとは限らない。世の中不思議なことが多くあって、末期のガンであっても、何らかの効果がある植物に出会ったり、医療技術の急激な発展・向上もあるかもしれない。と考えると、今回の場合、緊急に死を選ぶ必要には?がつく。

これを『尊厳死』という言葉で表現して良いのだろうか。『尊厳死』という言葉の定義は、患者の意志を尊重して延命装置を使わずに死に至らせることだと理解している。尊厳死と似て非なる言葉に『安楽死』があるが、こちらは、回復の見込めなくなった患者を医師が何らかの薬物で瞬時に(苦しむことなく)死を迎えさせることでなかっただろうか。

尊厳死はもとより安楽死を認める法律は国内にはない。私の場合は、医師の協力が得られないことから、前述した『婆コロリ』という発想があるのだが、今回の女性の場合は、自身で薬を飲んだとなると、『尊厳死』どころか、『安楽死』にも値しない明らかな自殺であり、ネットで命の尊厳を弄んでいるようにも思えるのだが・・・。

安楽死が合法とされる州へ引っ越してまで死を選び、自分で生活をコントロールできるうちに死にたいと願う人の存在は理解するとしても、それをネットで公開する人がでてきたことに脅威を覚える。このまま日本に当てはめると,トンデモ事件が起きることは間違いない。

私は、『尊厳死』や『安楽死』は基本的には認めるべきだと思っているが、法整備に関しては議論を重ね、犯罪に利用されてはならないことが絶対の大前提になることは今更言うまでもない。

ネットで流れるのが当り前の社会になってしまった現在、どちらかというと、面白半分で『是』と勘違いし、同じようなことを考え行動する人も多くなっている。

 こんな風潮が広がれば・・・。想像するとゾッとするのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月 7日 (金)

待機児童解消の特効薬・・・

 何度かつぶやいているが、このところ保育園が(例えば悪いが)雨後のタケノコのように町中に溢れている。それに伴い、先住民とのトラブルも増えて、先日、都内の保育園で迎えにきた保護者に手斧を見せて脅したという近隣住民の男が逮捕されるという騒ぎが報じられた。

 記事によると、この男は子どもの声がうるさいと日頃から市に苦情を寄せ、『対応しないと園児の首を切る』と職員を脅していたというから逮捕は当然だろうが、これでオシマイとい問題ではなく、今回の逮捕によって、第二、第三の過激な動きを封じることができるとは思えない。

 都は騒音防止を目的とした条例を敷いているのだそうだが、その規制の対象には例外がないという。うるさいと感じたら騒音で、音量を数値で表されては、カラオケであろうが工場から出る音であろうが全て騒音と規定、例外を認めないのだから、当然子どもの声も騒音となる。となると、手斧を見せる行為は許せないとしても、訴訟を起こすのは何ら非難される筋合いではなさそうだ。

 確かに子どもの声は甲高く、日頃から静かな環境に慣れている住民、特に年寄りたちにとって、ある日突然保育園ができて、大勢の子どもたちと保育士たちの交雑した無秩序な声を日常的に聞かされてはたまったものではあるまい。

しかも、散策中に見かける新設保育園のほとんどは、エッこんな場所によくぞ・・・と思うほど狭く、外で遊ぶ場所などまさに猫の額ほどとなると、園児たちはストレスは大きくなりますます泣き叫ぶことは間違いなさそうだ。

保育士たちはこれを補うように、雨でない限り、大勢の子どもたちを運ぶ(運搬車と呼ぶ方が相応しい)乳母車に乗せたり手を引いて、近所の公園まで連れて行く姿が日常的になっている。横浜の片田舎では公園が多いが、都内では連れだす場所も少ないだろうから、近隣住民とのトラブルは日常的になっているのではと想像している。

先日東京新聞が社説でこのことを取り上げ、『都条例では、騒音規制の対象に例外がないとはいえ、子どもの声がカラオケや工場の音などと同列に扱われていいのだろうか』と投げかけ,『静かに暮らす環境を守りたい住民の気持ちは切実だとしても、このままでは子どもは町から締め出されてしまうのでは・・・』と問題提起している。

 また、ドイツでは2011年、『子どもの声は騒音ではない』する法改正をしたことを紹介し、『外で思うように遊べない、歌えない、楽器も鳴らせない。それは子どもの生活ではない。笑ったり、泣いたり、感情を表に出すのは成長の証しである』と述べ、都が検討している規制から外すことに理解を示しているが、『保育所建設の際には地域と十分な対話を重ねたい』と述べるだけで留まり、トラブル解決の具体策には踏み込んでいない。

 話は少し飛躍するが、『待機児童』という言葉が、これほど問題になるのは『女性が外で働くのは当り前』という風潮が広がったことだろう。それ自体に異議はない。働きたいという意志があり、それに見合う職場があれば当然である。

 が、『生活のために』となると話は別。本当は、我が子と過ごす時間を多くほしいと思っている女性も多いに違いない。しかし、働かねば食べていけない(特にシングルマザ-)の人たちにとっては、我が子を保育園に預けるしか方法がない。

現政権は、この根本的な問題の解決に何ら努力しないで、『女性が輝く時代』などと、美辞麗句を並べ、あたかも『働かない女性は輝いていない』かのような概念を広めるものだから、世の女性に、我が子を預け外で働かねばという強迫観念が起きるのは当然だろう。

そして、結果的には待機児童が増え、そのために保育園の新設。このいたちごっこが繰り返され、劣悪な環境の保育園が生まれる。困った話である・・・。

繰り返してつぶやくが、家事も立派な職業である。外で働くと同等に評価し、103万円の配偶者控除額と同等の金額を『家事賃金』として女性(男性でもかまわないが)に支払えば、保育園そのものの需要は激減すると思いたい。

このような議論が広がれば・・・と思う今日この頃であるが、現政権は、専業主婦はけしからんと思っているらしく、配偶控除制度すら不公平と言い出し、共稼ぎ世帯が有利なように見直す方向に進めているという。

これでは、強引に働かされ心身に異常をきたす女性が増えるに違いない。こんな社会が良いはずがないのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月 6日 (木)

正社員にしないための法へ?・・・

 先月末、労働者派遣法改正案』が衆議院で本格的に審議入りしたと伝えられたが、同時に与党の公明党の委員から、修正案が出されたことを野党が批判。審議がストップしていたが、政府は修正案を取り下げた上で審議を始める筋書きを立てているらしい。

 審議入りする前から、政府・与党から修正案を出すなど普通は考えられないが、公明党の内部でも、この法案の危うさに批判があるからだろう。それにしても、現政権のやり方を見ていると、数を頼りに何が何でも『俺たちの言うことを聞け』という姿勢が浮かび上がってくる。

 法律音痴の私には、詳しい内容を理解する能力はないが、派遣社員は正規社員と比べて、劣悪な労働環境にある程度のことは知っている。その原因として、企業は雇用条件を簡略できることから、できるだけ派遣社員を増やした方がはるかに利潤は上がることだということも理解している。

 現政権は『経済成長が全て』という発想で動いているのだから、全てにおいて大企業が儲かるような法整備を進めている。このため、いかなる法案であっても、労働者が有利になる方向は100%ゼロということだけは間違いないの事実。派遣社員を増やすのもその通り・・・。

 現行の『労働者派遣法』そのものもおおいに気になるところだが、このことはもう少し勉強してつぶやくことにして、この法律は、派遣労働の固定化を避けるため、一般事務など大半の仕事は派遣労働者を3年と規定しているのが私の知るところでは大きな特徴になっている。

しかし、企業として需要が高い、特別な専門性が必要な26の業務には、この適用がないという。改正案では、この規制がなくなり、すべての業務を3年が限度とするのだそうだ。

政府はこの部分を強調して、『派遣労働者の能力向上を図り、正社員への転換を促す』と説明しているようだが、企業が儲けるのが最優先されるとなると、この説明は、正社員を増やすのではなく、派遣社員を増やすための『誤魔化し』であることは誰の眼にも明らかだろう。

『3年を限度』となる文言がまず怪しい。政府は、特定の社員に同じ職種を続けさせるためには、正社員として雇用することしかないと言い繕い、だから正社員になれるから、派遣労働者にとって有利だという論理らしいが、本当に必要な専門職はすでに正社員として存在しており、26の専門職などという区分けは、当初からの今回の改定を見据えた誤魔化しのためのタテマエにすぎない。

複数の派遣社員を同じような業務につかせておけば、法律の後ろ楯があるので、入れ換えは自由となるばかりか、不必要な人材であれば、問答無用でクビにできることになる。言い換えれば、労働者を3年ごとに入れ替えれば、どんな仕事でも永久に派遣社員に任せられるようになるのだから、企業にとってこれほど美味しい話はない。

労働組合は、『生涯派遣、正社員ゼロ法案』と強く反発しているそうだが、労働者の声を聞くはずの『連合』が、むしろ現政権の言いなりになっていることが多いとなると、この反対は掛け声だけ?・・・。

民主党も、何としても廃案にと威勢が良いが、内部の批判合戦を繰り返しているばかりか、幹事長自身の『政治とカネ』問題がささやかれ、どうやら『撃ちかたやめ』という汚い妥協が影で行われているような雰囲気をマスコミが伝えているのでは、その本気度も怪しくなる。

今はまだ綱引き段階らしいが、審議入りは時間の問題だろうから、圧倒的な数の力で、衆議院で強行採決という流れも十分予測できる。

現政権の思惑通りことが進むと、また一つ、格差拡大の決定的な要因となることは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2014年11月 5日 (水)

牛乳は毒?・・・

 学校給食が児童の体力の増強という名目で始まったのは、終戦の混乱から少し落ち着き人々の暮らしも少し安定し始めた、昭和26、7年ではなかっただろうか。始まった頃は、脱脂粉乳にコッペパンが定番で、時に鯨の龍田揚げなどついていたが、『脱脂粉乳』などという言葉は今や死語、分かる人は65歳以上のいわゆる高齢者の世代だけになったのでは・・・。

当時の『脱脂粉乳』の強烈な味がしたことを覚えているが、小学校の教師たちは、こぞって『滋養になる』とか『脂肪分が体力増強になる』と、一滴残さず飲むことを強要していたことも思い出す。

私は、鈍感だったらしく、あまり気にすることはなく飲み込めたが、涙を流しながら必死に喉に流し込んでいた同級生の姿もぼんやりながら記憶に残る。一旦社会人を経験して昭和43年に、都の教員なったが、その頃には『脱脂粉乳』はなく、紙パック(テトラパック)の『牛乳』に変わっていたことにホッとしたものである。

脱脂粉乳はともかく、牛乳は栄養があると信じていたので、学生時代には飲みたくても暮らしに余裕がなく、飲めなかったこともあって、毎日出る牛乳を喜んで飲んだものだが、中には、牛乳が嫌いな児童がかなり存在することを初めて知り、何ともったいないという思いをしたことははっきり覚えている。

当時の教師たちは、牛乳は栄養の宝庫だと教え込まれ、そのことを信じていた上に、学校給食の目的が児童の体力増進だとの大義名分なので、牛乳は一滴残らず飲みきるようにという考え方が学校全体に充満していたので、かなり強引な方法で飲ませていた。

ある年配の女性教師が担任する学級では、飲みきるまで給食時間を終わらせなかったようで、『〇〇ちゃんのおかげで、皆が迷惑しているのよ』という責め言葉が毎日の日課だったことも、後で笑い話のネタにしたものである。今では即いじめと問題になるのだろうが・・・。

私は、当時飲めない児童がいたら、内緒で持ち帰らせていたが、親子揃って嫌いな家庭がいなかったらしく、親からは持ち帰りがおおむね好評、他の教師にはバレず、口うるさい校長からは、いろいろと厭味を言われたものだが牛乳に関してはなかった。このことが、私のズルさの原点になり、上から強く言われても適当にあしらい、上手く誤魔化す技術を向上させたものである。

さらに時が進み、『米あまり』という社会状況が背景にあり、『ご飯給食』が大流行になる。この時すでに私は『給食の時代は終わった』という考え方になっていたこともあって、ご飯になっても味噌汁ではなく、必ず牛乳というアンバランスに嫌気がさして、どうせ利権が絡んでいるのだろう・・・とニヒルな思いで牛乳と対峙。

しかし、今更給食を失くすことは不可能なほど日本人の心の中に入ってしまった上に、牛乳の消費(日本の酪農の維持)に学校給食が大きく関わっていることも事実とあって、給食の話題にはできるだけ関わらない姿勢を持ち続け現在に至っている。

ところがつい先日、牛乳はむしろ長寿には無用なものという研究結果が発表されたというニュ-スにびっくりする。スェーデンのチームが実施した調査は、39~74歳の女性6万1000人を対象にした約20年にわたる観察記録と、45~79歳の男性4万5000人以上を対象にした11年間の観察記録に基づいたものだという。

詳しい内容は省略するが、牛乳の摂取量が多くなっても骨折の危険性は低下せず、むしろ『死亡率の増加と関連する可能性がある』ことが分かったという。また、女性が股関節部を骨折する割合は、牛乳摂取量が多い人の方がむしろ大きいというから、俄には納得したくない。

こんなデ-タをマスコミが大々的に広げたら、今でも悲鳴を上げている酪農家には大打撃。廃業に追い込まれる人も多くなる可能性すら出てくることは間違いなさそうだ。ただでさえ最近、バタ-不足が問題になっているのに、これ以上牛乳離れが進んでは、日本の酪農の前途が危ぶまれる。

私個人としては、牛乳は栄養豊富だと信じているので、今回の、牛乳の摂取量と死亡率・骨折頻度との関連性については、スエ-デン人のたかだか10万人強の対象者と、数的にも少ないことから、偶然の結果だと思いたいのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月 4日 (火)

うさん臭い『女性が輝く(活躍できる)社会』・・・

先日、何気なく朝日新聞の声の欄を眺めていたら、58歳の女性看護師の「『すべての夫』の給料が先だ」という見出しが目に留まる。

字数のこともあって、全文引用は控えるが、男性は若者から中高年まで゛正社員になれず、安い給料で普通の生活すらできずに、生きることに苦しんでいる人も多い。夫や息子、恋人が苦しんでいる社会で『全ての女性が輝ける社会』などあるはずがないという一文は考えさせられる。

『全ての女性が輝ける社会』イコ-ル『全ての女性が就職する社会』ならば反論すると続き、出産する女性にとって、子育ては最高に輝ける時であり、子どもにとっても、自立まで母親は重要な存在だと主張して、一例として、赤ちゃんや幼児は『ママにいてほしい』と思っても、泣くことしかできないというくだりはなるほどもっとも。

中略するが、終わりに、国がやらなくては行けないことは『すべての夫』が親子できちんと生活を送れるだけの,ちゃんとした給料を取れる社会にすることだと結んでいるが、主婦を職業として認めるべきだという私の考え方に共通するものを感じる。

『女性が輝く(活躍できる)社会』という言葉に異論を述べるつもりはないが、何だか、今は活躍していないから活躍させてやるという奢った響きがあるよう思えてならない。今だって、十分活躍していることは、PTAや地域のコアになる部分を支えているのはほぼ女性だという事実からも明らか。活躍しているが、周りが・社会がその活躍に見合う評価をしてこなかったというだけのことである。

社会の意識の方がはるかに問題が大きいのに、その解決などには全く触れず、『女性の活躍』が不足しているからというのはまさに押しつけ。政府が後押しするから『もっと頑張れ・・・』というのでは、これ以上の負担を女性に求めているということに他ならないという投書の主の意見はその通り。

今更『女性が活躍できる』という言葉で後押ししてくれなくても、自分たちは真剣に活躍しているのだと思っている女性も少なくないはず。恐らく、主婦業を職業として認め、103万円という所得税控除額と同等の給料を別途支払われたら、たちまち、もっともっと女性が活躍する社会になるのは明らか。

『女性が活躍できる社会』にするための法案には、2020年までに『指導的地位にある者に占める女性の割合を3割にすること』を目指すと明記されているそうだが、これに勇気づけられたと諸手をあげて喜んでいる女性はごく少数の正規社員だけでは・・・。

『貧困』という言葉の定義は曖昧だが、働く女性の約6割が非正規雇用で、単身女性の3人に1人が貧困だと言われている。シングルマザーなど1人親世帯の貧困率は5割を超え、65歳以上の単身女性の半分が貧困に苦しんでいるのが現実であることは、かなりの頻度でマスコミが取り上げている。

私も何度もつぶやいているが、投書の女性も述べているように、政府がまずやるべきことは、一番弱い立場の人たちの底上げをはかることである。しかし、この法案が示す『活躍する女性』の対象の女性像は、高学歴で正社員で時間のやりくりも上手で健康で、子育てにも前向きなスーパーウーマンとしか思えないのが悲しい。

 これを自分のための法律だって思える女性が何人いるのだろう。むしろ、切り捨てられた思いになった女性が多いはず。

『弱者として不利益を被ってきた女性のための法律なのに、実はその法律の枠からも私は漏れる』と感じさせる女性が圧倒的だとしたら、多くの女性が活躍する社会の実現などできるはずがないのだが・・・。(田舎親父)

2014年11月 1日 (土)

『大幅な値下げ』という言葉に違和感・・・

 先月末に、経産省資源エネルギー庁という役所が『27日時点のレギュラーガソリンの全国平均小売価格が1リットル当たり161円80銭となり、前回調査(20日)に比べて2円10銭と大幅な値下がりになった』と発表したが、大きな違和感を覚えた人は多いに違いない。

マスコミはこの発表を受けて、『値下がりは15週連続となり、2円超の値下がりは、リーマン・ショック後にガソリン価格が大幅に下落した2009年1月5日時点(前回から3円80銭下落)以来、約5年9カ月ぶり』との言い回しで、『大幅な値下げ』を印象づけているが、肝心のリ-マンショック時の価格がないのも変な話。

退職してからは、ガソリンスタンドにめったに行かない私なので、当時の正確な価格は全く覚えていないが、現在のような160円という高値でなかったような気がする。それ以前は140円台だったのではなかっただろうか。さらにその前は120円台だったことをぼんやりながら記憶している。

新聞の記事によると、ガソリン価格の大幅な値下がりは、原油価格の下落が原因で、ニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は、指標となるアメリカ産標準油種(WTI)が27日には一時1バレル=79.44ドルと2年4カ月ぶりの安値を付けたとある。

経済音痴の私にとって、ほとんどチンプンカンプンな文言の連続であるが、各国は競って経済成長路線をとっているにも関わらず、世界的には景気がむしろ後退していることから、石油の需要が減少している程度のことは理解できる。

さらに、景気の後退に加えて、アメリカのシェールオイルの増産による世界的な供給過剰感から、原油価格の下落は加速しているのだそうだ。中東などの産油国で作る石油輸出国機構(OPEC)にも減産に向けた積極的な動きがなく、原油値下がりに拍車をかけているとのこと。

 ガソリン価格を調査している『石油情報センター』という機構があるらしい。担当者によれば、『原油下落が続いていることから、来週も値下がりの見通し』だそうだ。

ガソリン価格にはさほどの興味を覚えないが、日常的な生活に必要な物資を流通されるには車は必需品。ガソリン価格が下がることによって、人々の生活が少しでも向上することは当然だろうから,このまま下がり続けることを願いたい。

しかし、これからの季節は圧倒的多くの国では冬場に向かうことを考えれば、暖房用の燃料需要が拡大するだろうから、今後も値下げが続くとは思えない。全くの当てずっぽうの推測だが、何となく、160円前後で落ち着くような気がする。

10円程度寝下げるならば『大幅』という表現も納得できるが、2円程度を『大幅な値下げ』というのも、私には変な話に覚えてならない。そして、私の推測通り160円前後に落ち着くとなると、この『大幅』という言葉使いは世論作りとしか思えないのだが・・・。

現政権に幻滅をしながら、そのやり方を観ていると、世論操作に長けていることは認めざるを得ないところから、誰か知恵者が存在し、『大幅な値下げ』を強調して、国民をその気にさせている。140円台など絶対にならないとあきらめさせるためにである。そんなことを覚えてならないのだが・・・。

円安でもガソリン価格は思ったほど安くならなかったことから、石油価格に政治の影がうごめいていることだけは間違いなさそうだ。(田舎親父)

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