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2014年12月

2014年12月30日 (火)

原発へ・原発へと草木(組長)をなびかせる・・・

 3年前の3月12日、福島原発の水素爆発。誰も予想すらしていなかった大事故になったのだが、目に見えない放射能に日本中が大パニック。その反省と教訓から、『原発に頼らない社会』が今後の日本が目指す姿として、日本人全員が『異議なし・・・』だった。

 自民党も2030年には原発に依存しない社会という公約を発表したほど、世の中全て、再生可能エネルギ-にシフトしたもの。当時の民主党政権は、電力会社に対して太陽光などで発電した電力は全て買い取ることを義務づけたことは記憶に新しいが、自民党も反対していなかった。

 ところが、民主党政権が勝手に崩壊し、待ってましたと再登場したアホベ自民党は、最初のうちは、この考え方を鎧の下にしまい込んでいたが、もう民主党の目がないと判断したのだろうが、突如、原発を『ベ-スロ-ド電源』という、まことに意味不明な日本語を浸かって再稼働することを決め、同時に、再生可能エネルギ-の買い取りを規制する方向にスタンスを移し始めた。

 その動きが加速している。経産省は再生可能自然エネルギ-の買い取りル-ルを変えるという。例によって、御用学者を集めて『新エネルギ-小委員会』という有識者会議が、電力会社が買い取る枠を決めるシステムにするとの提言をしたそうだ。

 それぞれの電力会社から出された発電計画は、全て原発の再稼働はもとより、建設中の大間原発まで含めて発電量を計算しているという。それを経産省は『是』とし不足する分を買い取らせるのだそうだ。当然のことながら、原発が全て再稼働すれば再生可能エネルギ-の必要性は限りなく小さくなる。

 発電した電力は全て電力会社が買い取るという前提で、再生可能エネルギ-、特に太陽光発電は一挙に広がり、莫大な補助金がついていることによって、この事業にあらゆる業界が参入したのだろうが、まさに梯子を外された状態で、これから、倒産する業者が続出するに違いない。

 このことは、改めてつぶやくことにするが、現政権は原発の再稼働をより速く確実に進めるためだろうが、『原子力発電所など原子力関連施設を抱える地方自治体向けの電源三法交付金の配分方法を見直す方針を固めた』というニュ-スが目に留まる。
 その内容が酷い。再稼働した原発の自治体には2016年度以降、重点配分する一方、運転停止が続く場合は交付金を減らすとのこと。まさにアメとムチの使い分け、これまでの原発政策の復興である。

 川内原発を来年、何が何でも再稼働させるという決意なのだろうが、電源三法交付金の総額は年間約1000億円という莫大な金額。この金額を原発が供給できる最大の発電量に対する実際の発電量の割合に応じ、配分する仕組みだそうだが、これではまさに、原発へ・原発へと草木(組長)もなびかそうとしていること・・・。

 しかも原子力規制委は、関西電力高浜原発に対して、安全対策が新規制基準を満たしたと認定し、それを受けて、早速福井県知事は『容認』したというから、原発を抱えた他の自治体の組長さんは、カネ計算を急いでいるのではないだろうか。

 組長さんの発言を聞いていると、新潟県の泉田知事だけは東電の刈羽原発の再稼働に関して、明確に『否』と唱えている。この姿勢にエ-ルを送りたいが、経済のためという錦の御旗のもと、様々な圧力がかかるだろうと思うと暗い気持ちにさせられる。(田舎親父)
 明日から1月4日まで、人並みにお休み。

2014年12月26日 (金)

介護職の待遇を改善しなければ・・・

何回もつぶやいているが、しばらくご無沙汰している道を歩くと、必ずといってよいほどぶつかるのが新しく建てられた保育園と老人施設だが、それぞれ特徴がある。

保育園は、駅に近い場所に開設されるのは、送り迎えの保護者の便を考えて当然なのだが、老人施設となると、場所はお構いなく『こんな山の中に・・・』と驚くのも稀ではない。しかも、新しい道路を作ってまでだからびっくりする。

この業界は審査が甘いらしく、老人介護施設をうたうと、簡単に法人資格が取れるらしいのが影響して、老人施設を運営する一般法人が雨後のタケノコのように新しく生まれているというが、横浜の片田舎でもそれを実感できる。

しかも、自治体の後押しもあって、市街化調整地区であろうとお構いなしなので、(前述のように)昨日までは畑だった場所は言うに及ばず、森の中であっても重機が入り樹木を伐採、あっと言う間に造成し建物が建ち、『特別介護老人ホ-ム』だとか『有料老人施設』あるいは『グル-プホ-ム』などという一般名に続いて『さわやか』とか『こもれび』という、何となく癒しを感じさせる看板が上がるのが定番になっている。

それだけ、需要が多いのだろうが、そこで働く職員の大半が契約やアルバイトで、正規職員であっても、他の業界よりも待遇が悪いことは今や常識。職員の給与は、介護保険で大部分が賄われていることから、非正規の職員の多くが残業も含めて年収200万円以下というから俄には信じられない。

老人施設は増える一方、当然ながら人手不足は慢性的で、引き抜きなどは日常茶飯事だという。そんな中で、介護保険サービスの対価として事業者に支払われる介護報酬が来年4月に見直される?(引き下げられる)のだそうだ。

介護保険は3年に一度見直しされることが決まっているので、厚労省は当り前のことだとしているらしいが、(高齢化は進む一方なのだから)老人施設は限りなく増え続け、介護職員の確保が絶対的な急務にもかかわらず待遇が悪いのだから人が集まるはずがない。まさに負の連鎖・・・。

職員を増やすためには賃金の引き上げが必要条件になっていることは誰もが認めるところなのに、わざわざ介護報酬を下げるとは納得がいかない。賃上げを模索しながら職員の給料の総額を減らせという、全くムリムリな発想、これでは、介護の質が限りなく低下することは明らか。

 話は飛躍するが、最近、求人状況が改善されたという話題をよく耳にする。求人が増えたことはそれだけ景気が回復したように感じるが、実際は、求人が増えている業種は介護関係だけで、その他は頭打ちらしい。

先日、このことをNHKテレビが取り上げていた。介護職の離職率は他の業界に比べて格段に高いとという。原因は待遇の悪さに加えて、より条件のよい老人施設屁への転職が多いのだそうだ。

ハロ-ワ-クには職を求める人が多く集まっているのだが、求人カ-ドのほとんどが介護職で、求職者の希望とは隔離、実際に就職できる人は少ないのが現状だという。老人施設としては、求人カ-ドを出しても人が集まらないとなると、さらにカ-ドを提出するばかりではなく、来春の退職者を見込んで、その分増やして出すので、求人カ-ドは膨らんでくるのだそうだ。

これでは、求人数と景気回復が比例しているどころか、かえってマイナス要因としか思えないが、それでも厚労省は、介護保険制度を導入した2000年度に比べて、約3倍になっている10兆円の老人福祉予算を何としても減額しなければと(どこからかの圧力がかかっているのだろうが)シャカリキになっているようだ。

私も来年には72歳。6度目の年男になるのだが、間もなく後期高齢者の仲間入り。その後にはいわゆる『団塊の世代』が続々と仲間入りすることになる。私は、今のところは幸いにも介護保険のお世話にならなく済んでいるが、今後は(死ぬ前日までは自分で歩きたいと思いながらも)何時、介護される立場にならないとも限らない。

先日聞いた、『女房の認知症が進んで仕方なく介護施設に預けたが、おむつを頻繁に替えてもらえず、カブレが可哀相だ』という友人の話が頭に引っかかっている。

おむつをされていることすら認知できなくなっている老人が多いそうだが、友人の奥方もその一人。そんな老人に対して、施設としては、常時おむつをさせておいたほうが楽だということは分からないでもないが、これが介護なのだろうか・・・。

マララさんのセリフを借りるわけではないが、富裕層(勝ち組)には限りなくやさしいのに、弱者(負け組)には極めて冷たいこの国の政治の流れを変えたいものだが、驕り高ぶっている現政権の数の力に対抗できないとなると・・・。

今日も限りなく寂しいつぶやきになってしまったが、せめて、介護保険のお世話になる時季を先のばしにするために、ひたすら歩くことしかないようだ。(田舎親父)

2014年12月25日 (木)

また一方的に解除・・・

先日、政府の原子力災害現地対策本部が福島第一原発事故によって、放射線量が局所的に高い『ホットスポット』に指定されている福島県南相馬市の特定避難勧奨地点を、今月28日に指定解除することを決定したというニュ-スに大きな違和感を覚えた。

まず、『特定避難勧奨地点』という言葉自体がよく理解できていない。放射線量による避難については、随分いろいろな言葉が生まれては消え、そして変更が繰り返されてたのでこの言葉もその一つに違いない。

 この言葉の意味を調べると、『原発事故で設定された避難指示区域外で、局所的に年間被ばく線量が20ミリシーベルト(毎時換算3・8マイクロシーベルト)を超えると推定される場所』だという。避難は強制されないが、避難指示区域と同様に医療費の自己負担免除などの生活支援や、精神的損害に対する月10万円の慰謝料が支払われているという記述もある。

 この『特定避難勧奨地点』は事故後、福島県の伊達市や川内村にも指定されたが、2012年12月に解除され、現在では南相馬市だけに142地点、152世帯が残っているのだそうだ。そういえば、そんな報道があったことを思い出す。

記事には、簡単ながら地図が掲載されている。事故当時は、かなり位置関係を頭に入れたものだが、初めて聞く自治体名ばかりで、しかも複雑に入り込んでいるので、日が経つにつれてその位置関係が曖昧になっているが、南相馬市というのは事故原発の北にある自治体であることは何故か記憶に残っている。

改めて地図で確認すると、大熊町と双葉町の境にある事故原発から、双葉町と北に接する浪江町を経てすぐに南相馬市。改めて、南相馬市の危うい位置関係に注目する。

事故直後に南東の風が吹いていたことから、放射線汚染は原発の北西側に広がり、浪江町を襲いその先の飯館村に高濃度放射線汚染地帯が伸びている。両自治体は、全員避難というから、当然南相馬市の一部もそれに類する『高濃度汚染地帯』であっても奇怪しくないのに、何故かその指定はなく『特定避難勧奨地点』が点在しているのは、何とも奇妙な感じを受ける・・・。

この『特定避難勧奨地点』の解除に当たっての住民説明会が、先日行われたそうだが、出席した住民のほとんどは『納得できない』と反対しているという。

現地に出かけたことがないので、実際にどの地点でどんな測定をしているのか分からないが、住民は国のこれまでの姿勢からできるだけ放射線量を低く押さえたい姿勢がミエミエなのだろうから、納得できないのは当然だろう。

説明会後、出席した経産省の副大臣は『線量が低下しているという事実を県内外に伝える必要がある。風評被害の脱却という観点からも(解除は)重要』と述べたとのこと。何としても、原発事故の処理が進んでいることを見せたいのだろうが、風評被害という言葉を持ち出しては論点のすり替えとしか思えず、苦しい言い訳のように聞こえる。

解除の根拠には、除染で放射線量が指定の基準である年間20ミリシーベルトを下回っていることをあげている。事故から3年9ケ月。放射線量の基準がどんどん曖昧になっているが、本来20ミリシ-ベルトという数値は、当時の政権が広がりを恐れたために言い出した一時的な数値で、日常的にこの量の放射線浴びて安全なはずはない。

さらに発表数値そのものも疑わしい。線量計そのものの精度が問題だという指摘もあるばかりか、住民に測定させているわけではないだろう。測定地点の選定も住民の意見を聞いて決めたわけでもなさそうだ。できるだけ低い値を見越せる場所を選んだとも思えるが・・・。

医療費の負担免除などの生活支援を『当面継続』すると説明があったそうだが、当面という一文が曲者で、いつの間にか生活支援の範囲が狭まってくるのは、これまで幾度も繰り返されたこと。

政府の目論見は、今回もまた住民の理解を得ることなく解除して、解除したのだから、帰還する・しないは勝手だが、指示に従わないのであれば『支援は必要ない』ということだろう・・・という脅しが隠されていることは想像に難くない。

 恐ろしい国になったものだが、抵抗する武器がないのが情けない。(田舎親父)

2014年12月24日 (水)

選挙権を行使しない国民の将来は・・・

 衆院選挙からはや10日。予測できたことだとはいえ自民党の圧勝に愕然としたが、それ以上にガッカリしたのは、あまりにも国民の関心の無さである。投票率は小選挙区で約52%というから、有権者の半数が棄権したことになる。

前回の2012年の衆院選挙が戦後最低だったが、それでも60%近かった。これは、民主党のアホカン内閣の原発事故に対する無責任さと、それに続いた汚染ドジョウ内閣の公約とは真反対の消費税増税という、気が狂ったとしか思えない国民をバカにした結果が、数値に現れたのだろうが、その最悪からさらに7%弱の落ち込んでいるのだから、酷いとしか言いようがない。

 民主主義の原則は『多数決』だと小学生の頃から教えられ、小選挙区制の是非はともかく、代表を選挙で選ぶことに対して仕方ない方法だと思って今日に至っているが、このままでは、選挙そのものの意味がなくなり、結局は民主主義もを否定することにもなりかねない。

今回の衆院選挙は、まさにアホベ首相の取り巻きが仕掛けた、内閣の基盤を強くするための全く大儀がない解散と選挙。盛り上がりを欠く急な選挙だった事情もあって国民はシラけ切った結果だろうと思いたいが、この低投票率傾向は国政選挙以上に、地方選挙全般を通じて進行しているというから極めて深刻な問題である。

従来の国政選挙は、『大都市圏よりも地方は投票率が高い』というのが常識で、そのため各党は都会の浮動票を集めることに腐心をしていたのだが、今回は、投票率が50%に満たなかったのが、青森、宮城、富山、石川、愛媛、徳島、福岡、宮崎の8県もあったというから、従来の常識はすでに過去のもの?・・・。

国や各自治体の選挙管理委員会は、人気タレントを選挙啓発の顔としてテレビに登場させることや、新聞の折り込みで投票を呼びかけている。横浜の片田舎のJRや私鉄の駅前では、高校生まで動員して投票を呼びかけるデザインのティシュを配ったりとそれなりの努力は評価するとしても、こんなことでどこまで投票率が伸びるのか疑わしい。

若者の選挙離れが問題になっている。20代の投票率を見ると、地域によっては30%を切るというから唖然とする。選挙権を18歳に引き下げる案が真剣に議論されていると聞く。悪くないが、現在の選挙制度をそのままにして、年齢だけを引き下げても、初めての選挙には出かけるものの、2回、3回と選挙結果に虚しさが募っては、足が遠くのは十分予測できるので根本的な解決にはならないだろう。

学校教育の現場での模擬投票や討論の学習など、これまで以上に選挙に親しむ場面を増やすべきだという意見もあるが、今でも目一杯の学校にこれ以上の負担は無理だろう。その前に、政権に批判的な意見を押さえようとしている現状では、恐らく自由な討論学習などできるはずがない。

現行の選挙制度で投票率を高めるために、投票しやすい環境の整備も大切だろう。具体的には、期日前投票をより活用するために投票時間の延長を認めたり、投票所を増設したりする案もあるが、予算的にも難しそうだ。

また、超高齢化が進み、投票所に足を運べない有権者も年々多くなっていることも指摘されている。さらに、市町村合併などの影響で投票所が減少したこともよく耳にする。ならば、選挙違反が発生するリスクはあるが、各戸を回って投票用紙を回収する方法も考える必要がありそうだ。最近は、高齢者でも携帯やスマホが当り前になっているというから、ネット投票など、今の技術を持ってしたら、明日にでもできるのではないだろうか・・・。

国政選挙における小選挙区制度そのものにも問題がありそうだ。比例復活というわけの分からない当選者もいるが、選挙区で一票でも多い候補者が一人勝ちとなる現制度では、はじめから結果がわかっていることが多く、有権者心理として今更投票しても・・・という気持ちになることも当然だろう。

これを改めるためには、選挙区を大きくして複数当選者にすることだろう。以前は、この制度だった。だから、社会党という『平和と叫ぶだけの政党』と批判されてはいたが、その言葉に共鳴する人も多く、社会党議員が誕生することも稀ではなかった。

その結果、自民党の政策実行に支障が来したこともあるだろうが、少なくとも現在のように、国民の多数が反対している特定秘密法案や終端的自衛権、また原発再稼働など、一党(その中の一部だろうが)独裁にはブレ-キがかかるはず。

投票率を上げることが本当に大切だと思っているのなら、根本的な選挙制度改革の議論を進める時だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年12月22日 (月)

また大学入試テストを変えるらしいが・・・

 最近の新聞の折り込み広告で目立つのは、墓地に加えて学習塾や進学塾。
 先日、どのぐらいあるのか数えて見たら、その日、20枚の折り込み広告中、墓地が5枚、ス-パ-が6枚だったに比べて、何と塾関係が8枚。横浜の片田舎にでも、よくぞこんなに折り込みを出すような塾があるものと驚くが、墓地やス-パ-を追い抜いたことに、いかに塾が儲かる業種になっていることを痛感した。

唐突な書き出しになったが、これは、大学入試の方式がまた変わるという記事に目が留まったからである。

文科省は、早ければ5~6年後からの導入が見込まれる大学入試の『新テスト』について、作問や採点の試験業務を民間業者に委託する検討を始めたとのことだが、塾の折り込み広告の多さと無関係ではなさそうだという気持ちにさせられる。

 新しい入試テストは2種類あり、ともに年複数回実施を想定しているという。このため国の業務負担が大幅に増え、コスト増から受検料値上げの恐れもあり、ノウハウがある民間業者の活用が必要だと判断したとのことだが、この動きを大歓迎しているのは、委託される民間業者はもちろん、進学塾の経営者であることは論を待たない。

確かに、現行の共通入試センタ-テストですら、莫大な予算がかかっているのだから、年に複数回行うとしたら、トンデモナイことになることは理解できるが、だからといって民間に預託となると、作問などは公正性や機密保持の課題もあり、ハイ分かりました・・・とは言えない気持ちにさせられる。

新テストは『高校基礎学力テスト』と『大学入学希望者学力評価テスト』(いずれも仮称)と2つに別れるという。『基礎学力テスト』は、高校生の基礎学力の定着度をみる目的で、現行の推薦入試の提出資料に使い、『学力評価テスト』は、現行の大学入試センター試験を衣替えし、大学側が受験生の学力を評価するために導入するとのことだが、何か現在小中学校で強引に進めている全国共通の『学力テスト』の高校版を作りたいのではと思えるのだが・・・。
 現在の大学入試方式は、『大学入試センター』という独立行政法人(天下り機関だろう)が作問や採点を担当し、多くの国公立や私立の大学がこの試験を利用して、合否の判断基準にしている程度のことは知っている。

記事には、文科省が進めている新テストは、同センターを改組した新組織が実施主体になる予定だが、2種類に増える上に、ともに年複数回実施するため、すべてを新組織が担うには『かなり人員を増やさないと実現は困難』になるという文科省の担当者の談話が掲載されている。

増員でコスト負担が増せば、受検料(センター試験は3科目以上なら1万8000円)の大幅引き上げも想定せざるを得ないので、模擬試験実施などで実績がある民間業者に、作問や採点、問題輸送、試験場管理などを委託して、コスト削減を図るというらしいが、まるで、民間業者のためにわざわざ複数回行うような感じを受ける。

特に英語は『読む』『書く』『聞く』『話す』の4技能一体の試験を目指しており、作問も含めた外部組織への委託が不可欠な状況だという一文にも引っかかる。

かなりの反対を押し切って、英語を小学校段階から教科にしたのだから、この4つの技能を一体化したカリキュラムは作成済みだと思っていたのだが、すでに省内ではお手上げで、民間に任せているらしい・・・。

私は、次代を担う子どもたちに本当に必要な学力は、単に知識の量ではなく、課題にぶつかった時に、それを自らの力で解決していこうとする姿勢であり、その時友達と協働して解決策を探る力だとは考え、常々つぶやいている。

だから、莫大な予算をかけて、全国一斉に『学力テスト』と称してベ-パ-テストで計れるような知識を調べることに反対しているのだが、今回の文科省の姿勢は、高校版『学力テスト』を年に数回行い、それを各大学が利用する?・・・。これでは、どう考えても本末転倒としか思えない。

 『知識偏重』から『多面的総合評価』への転換が必要だとは、昔から言われていたことだが、これが進まない。このことは『大筋賛成各論反対』の典型で、理念には賛成でも実施となると、それぞれの利害が絡み足並みが乱れることは歴史が証明している。

 それぞれの大学には理念があるはずなので、それを尊重し、大学が独自で入試システムを作れば、ビジネスと称した『進学塾』の乱立もなくなるのではないだろうか。

地方再生というならば、地方の大学にこそ特色を作り、返済義務がない奨学金制度を設けて学生が集まりやすくするなどの工夫をしてほしいものだが・・・。(田舎親父)

2014年12月20日 (土)

新基準で安全神話復活・・・

 先日、原子力規制委が福井県にある高浜原発3、4号機が、原発の『新しい規制基準』に適合しているとの結論を出したというニュ-スに、規制委は衆院選で大勝した自民党に完全に牛耳られ御用機関に成り下がってしまったと、そんなものだろうと諦めてはいたが、改めて憤りを感じてならない。

全てが再稼働ありきのシナリオ。『新しい規制基準』の内容はマスコミが伝える程度にしか理解していないが、それをクリアするために関西電力は、耐震設計の目安となる地震の揺れの想定を当初から2割程度引き上げ、配管などの補強を実施したという。また、想定する津波も海抜2.6メートルから6.2メートルに引き上げ、津波は6.5メートルの高さまで到達するとし、8メートルの防潮堤建設にも着手したのだそうだ。

 福島原発事故の教訓から、漏れた水素が建屋内で爆発を起こさないよう、水素濃度を低減させる装置も設置、万一の事故に備え、休日や夜間でも、構内には作業員ら70人を常時勤務させる体制をつくり、追加の資材や人員を輸送する道路を確保する方針も示しているとの説明を、規制委は了解し再稼働にGOサインを出した。

 福井県知事も何がなんでも再稼働したくてたまらないらしく、安全は確保できたと発言しているようだが、高浜原発周辺の地図を見ると、原発に通じる道路は一本。新たに道路を確保するとの文言に全くの担保はなく、まず再稼働してから、必要なら考えるという程度にしか聞こえない。

さらに、福井県に何故こんなに原発が集中しているのかと首を傾げるほどの原発が並んでいる。そのほとんどが30~40年ほど前に建造されたものだという。当時の事情は理解していないが、日本館側に海岸線を持つ関西電力の供給範囲である京都府や兵庫県にはないところから、福井県が経済的な理由から誘致したものだろうと想像している。

その結果、高浜原発からわずか20キロ圏内に大飯原発、50キロ圏内に美浜原発、さらに少し先には、日本原子力発電の敦賀原発があり、いわば原発銀座と異名があるほどの賑やかさ。その発想を現知事は引き継いで、何としても高浜原発を再稼働したいらしい。

今はそれらの全ての原発が停止しているが、可能だと判断したら再稼働するという政府の方針では、強引に再稼働が進むだろうことは想像に難くない。しかも、この地方の海岸線はリアス式海岸、日本海沖で大地震が発生すると、素人でも大津波の危険にさらされることが分かる。

福島第一原発事故でも第二原発であわやという事態になったことから、例え、高浜原発のみの再稼働時であったとしても、核燃料がそこにある以上、高浜原発に大事故が発生したら、同時に大飯や美浜・あるいは敦賀原発も危険にさらされるのは、ほんの少し立ち止まって考えれば当然のこと。

ところが原子力規制委のタナカという委員長は『大規模破断が起きれば別だが、新基準を満たしていれば各号機で対応できる』と、『大規模破断など起きるはずがない』と、全く意に介していないから驚きである。この御仁のいう『大規模破断』とは何を指しているのか理解できる人がいるのだろうか・・・。

規制委の審査担当者も『新基準は7日間、外部支援なしで事故対応を求めている。個々に審査すればよい』と委員長に追随。まるで『新基準』があれば『絶対に安全』とは、再稼働を急げという政府の命令にひれ伏したとしか言いようがない。

 さらに酷いのは、福島原発事故後、避難計画の策定を義務付けた地域が原発の半径30キロに拡大したのにもかかわらず、避難については規制委の範囲外と先の川内原発の再稼働でも議論すらしなかったというから何を規制するための委員会なのだろう。今回も、薩摩川内市と鹿児島県が同意すれば良いという姿勢を踏襲するというから、近隣の自治体にとって許し難いことである。

 アホベ内閣は、これで条件は整ったとばかり、再稼働を急ぐだろうが、高浜原発の周辺には、舞鶴市はじめ福井、京都、滋賀の三府県の計12市町が含まれ、18万人超の人々が住んでいることを忘れているような感じすらする。

そして、30キロ圏のすぐ外側に『近畿の水がめ』と呼ばれる琵琶湖を抱え、万一大事故が発生した場合、被害規模は想像を絶するものがあることなど想定外なのだろうか。

『新しい規制基準』を『新しい安全神話』と読み返させては、取り返しのないことになることは明らかなのに、経済のためにはこの程度の犠牲はいたしかたない?・・・。

こんなアホベ内閣を信任したのだから、国民も同罪なのだろうか。アホベ内閣が再稼働などといい出さないためには、他の原発を再稼働させる前に、川内原発か高浜原発の大事故が条件なのかと考えるとやり切れなくなる。(田舎親父)

2014年12月19日 (金)

間もなく未年・・・

学生時代、ほんの少し天文学をかじったことがあり、その発達の歴史は『暦』の作成と深く関与していることから、一時『暦』に大変興味を持ったことがある。

当時の知識はほぼ完全に忘却の彼方になっているが、五行思想と十干十二支という言葉は未だにほんの少し頭に残っている。五行思想とは大昔から不思議な動きをしている星を惑星と名付けて、その動きに人間の宿命をリンクさせる考えらしいことはぼんやりと記憶している。

水星・金星・火星・木星・土星の五つである。さらに、古くから順序?を表す記述としてという十の言葉(十干)と、の十二の動物をモチ-フにした(支)とを組み合わせて、人間の運命を予測する学問?であったらしい。

この考え方は現在にも伝えられて、年末になると『〇〇神社』や『××易断』というところから、いわゆる『暦』が発行されて、もっともらしい運勢が記載されている。この本は全国の書店の店頭に並ぶのも恒例になっているので、誰もが、中身は何が書いてあるのか理解できなくても目にしたことがあるのではないだろうか。

中でも、現在でも当り前に通用しているのが、その年を表す『干支』と呼ばれるもので、特に年賀状ではお馴染みであると同時に、その年に生まれたことを表すのに一番よく使われるものになっている。

しかし、最近は干支は『支(12の動物で表す表記)』だけが表されて、もう一つの10の『干(甲乙丙丁・・・の序数)』がまったく忘れられている。その年を10の『干』と12の『支』で表しているので、それが繰り返し一回りする60年を一つの単位として『還暦』という行事は誰もが知っているのだが、その意味を知る人も少なくなったようだ。

今更こんな解説など必要ないだろうが、古今東西干支は必ず順番にならんでおり、飛んだり抜かされたりは絶対にない。だから、西暦年代と干支は連動するのだろうが、その順番では来年は『未(ひつじ)』となる。

12年ごとに同じ干支がやってくるわけだから、来年生まれるだろう子どもをはじめ、現在の11歳、23歳、35歳、47歳、59歳、71歳、83歳、95歳がこの干支を持つ人たちである。

本来ならば、年齢が高くなれば生存人数は少なくなるので、理想的には来年生まれる子どもが一番多くなれば良いのだが、最近言われている少子化の影響で、未年の人も59歳と71歳が多く、11歳の年齢人口は71歳の半分程度らしいから困った話。

かくゆう私もその71歳。来年は6度目の『年男』になる。よくぞ長生きしたと思うものだが、戦中に生まれ極端な食料難の時代に少年時代を過ごしたので、共通しているのは物事を前向きに考えて生きる力がたくましいようだから、もう少しは生きそうだ。

今日も散漫なつぶやきになっているが、先日、『未年に設立された会社』というユニ-クな調査結果の記事に目が留まった。
 記事によると、全国239万7355社のうち、未年生まれは16万5370社で、全体の6・9%。十二支では酉年(16万3401社)に次いで3番目に少なかったとのことである。
 有名どころでは、三菱東京UFJ銀行(1919年)や帝国ホテル(1907年)、キリンホールディングス(1907年)、キユーピー(1919年)、そして慶応義塾(1907年)などだというが、何となく同じ干支というだけで身近ではない企業が親しくなるから不思議である。最も設立年が古いのはオフセット印刷の大阪国文社で、1883(明治16)年だという。

起業ブ-ムだから当然かもしれないが、12年前の未年(2003年)に設立された企業が最多で、約6万4000社もあるという。この年は、株価がバブル崩壊後の最安値7607円と景気はドン底。自殺志願者サイトで知り合った男女の集団自殺が相次いだり、サクランボ『佐藤錦』ドロボーが話題になるなど、世相も暗かったという世相だったことを紹介している。

そんなことがあったなあと思い出すが、03年設立の会社はバブル経済を経験していないので、無謀な不動産投資や財テクに走る企業が少ないので、堅実経営の会社が多いのだそうだという文言が面白い。

回り合わせなのだろうが、未年というのはこんな世相が多いらしく、来年も、経済的には厳しいことが予測できそうだから、そんな中で生まれる起業は、きっとより堅実な経営を心がけるのではないだろうかと結んでいる。

 この記事で、暦書の冒頭にある、未年生まれの人の特徴が『勤勉』という一文が浮かんでくる。もっとも,私が勤勉だとはいうわけではないが・・・。(田舎親父)

2014年12月18日 (木)

ガソリンの価格は下がってるらしいが・・・

原油安に歯止めがかからないとのこと。ガソリンの価格は安売りのスタンドでは1リットルあたり140円を切る数字を見受けられる。一時は160円台だったことを見ると、かなり安くなったことは納得する。

11日の新聞記事には、米ニューヨーク市場の原油先物相場は、国際指標となるアメリカ産標準油種(WTI)の1月渡し分が2009年7月以来5年5カ月ぶりに1バレル=59ドル台に下がったという記事とグラフが掲載されていた。

(その内容を詳しく理解できているわけではないが)ヨ-ロッパ諸国や中国の景気減速懸念や、アメリカが盛んに開発している原油の一種『シェールオイル』の増産が続いていることから、『世界的な原油のだぶつきが長期化する』との見方が広がっているためだという文章に、これまでなら中東の産油国を中心にした石油輸出国機構(OPEC)が、生産調整をしていたのに、今回はそのままというのが不思議な気がしてならない。

国際情勢などには、私にはその知識も情報もないので、語るなどという大それたことはできないが、アメリカで盛んに掘り出されているシェールオイルの生産量は過去4年で約5倍に増えたことと関係があるらしい。

シェ-ルオイルを掘り出し、原油として市場に出すためのコストは1バレル当たり50〜80ドル程度かかるそうだ。これでは、原油価格が59ドルとなると採算が合わなくなる業者も出てくることを見越して、OPECの狙いはアメリカのシエ-ルオイルを根底から揺るがせる狙いがあるのではないだろうか。アメリカの11月の主要産地の採掘認可は前月比35%減ったというから、あながちこの予想は当たっているのかもしれない。

OPECとしては、50ドル程度でも十分潤っているとしたら、円安に喘ぎながらでも我が国の石油価格がこのまま推移してくれるのではないかという期待も生まれてくる。

記事には、原油価格の下落で暮らしに対するメリットとして、7月ではガソリンが1リットル160円だったのが、現在は150円になっていると示している。庶民にとって暖房に欠かせない灯油も、1950円から1800円になっているという。

下がっていることは間違いない。しかし私がつい最近見たガソリン価格は138円。しかし、灯油販売者業者から自宅で購入する価格は18リットルで1880円。ガソリンスタンドで1800円だとしても、ガソリンの値下げ幅とのギャップがあり過ぎるのではないだろうか。

10年ほど前、ガソリン価格が1リットル130円程度だった頃には、販売業者から購入する灯油は1200円前後だったではなかっただろうか。この数値が、記憶違いでないとしたら、灯油価格は1300円程度にならないと奇怪しいのでは・・・。

それはともかく、火力発電に使う液化天然ガス(LNG)価格は原油価格に連動しており電気料金(当然ガス料金も)は下がっているという。東電の発表で12月の電気料金(平均的な使用量の家庭)は7月から2%低下し、しかも、9月以降の原油安は来年2月の料金から反映されるので、今後も安くなりそうだとのことだが、暮らしが良くなったという実感がないのは私だけなのだろうか。

 これから原油価格がどう推移するのか予測もつかないが、もしもこのままの価格で推移してくれれば申し分ないのだが。換算に便利だというだけの理由だが、私の願いは1ドル100円。この願いが叶ったら、庶民の生活は大分改善されるのではと期待を込めて国際的な原油価格の推移を見守っていきたいものである。

 しかし、昨日もつぶやいたが、異常気象の背景には地球温暖化があるのは間違いなさそうだとしたら、経済的には恩恵を受けるとしても、安易に石油に頼った便利で快適な生活は、ますます異常気象が頻発し自然災害の確率は高まることも明らかだろう。

石油に頼らないエネルギ-が必要なことは論を待たないが、3分の2以上の議席を確保した自民党政権が進める道は『原発』。このままでは、全ての原発の最稼働される日が刻々と近づきつつある。

 異常気象と核のゴミとの因果関係は解明されていないが、核の利用は、石油による地球温暖化以上に自然環境に悪影響を及ぼすだろうことは疑いないところ。

 太古から、自然の恵みを享受し穏やかな生活を築いてきた日本人の誇りを取り戻し、自然の恵みを、暮らしを豊にするエネルギ-に変えるシステムを生み出すための知恵を絞り出したいものである。(田舎親父)

2014年12月17日 (水)

天気予報は見事にはずれたが・・・

 (昨日は体調を崩し完全休養)投票率が低くなれば現政権が有利になることはははじめからわかっているが、まさか、解散総選挙という道を選択したアホベ首相の取り巻き連の中に、気象予報に超かつくほどの専門家がいて、この日を選んだのではないかと思うほど、前日までの予報は、今冬一番の寒波到来で、全国的に大荒れの天気という情報が流され続けていた。

投票日当日、太平洋側の地域の天気予報は見事にはずれた。今回の選挙に関して、前日までの天気予報から、『天も見放した』と表現したが、快晴の朝に、『まだ天は見限ったわけではない』と一縷の望みを託したものである。それでも、投票率が伸びなかったのは、政治に対する諦めや不信が広く根付いているからだろう。

選挙のことはもはや仕方ないとして、予報が見事に外れた気象についてつぶやいてみたい。今年は異常気象の連続だった。今年に限らないという人も多いだろうが、私には(3年9ケ月前のあの大津波は別にして)特にという言葉をつけて、『今年』は突然と思わせる(短時間での)天候の激変があり過ぎた感じがする。

 つい10日ほど前には、徳島と愛媛の県境に、12月初旬としては前代未聞の積雪があり、今でも孤立に近い集落があると報じられている。その数日前には、長野県北部に、進度6弱という大地震が発生しテレビが伝えるその惨状には思わず眼をそむけたくなる。

 9月には広島市の郊外を襲った局的な大雨では70人以上もの人が亡くなっている。台風による異常な大雨で、自然災害がほとんどない横浜の片田舎でも(人為的なものだろうが)崖崩れがあり、いよいよこの地も怪しくなってきたと感じたもの。また、2月に首都圏を襲った大雪も今まで経験しなかったほど凄く、8月には、中央線沿線では、卓球ボ-ル大の大量のヒョウが降ったことも思い出される。

 地震は現在の科学技術をしても予測は不可能なことは明確だが、ここまで気象観測技術が進歩し、それを解析するコンピュ-タの精度が上がっているのに、何故、大雨や大雪が予測できないのかと気象庁に不審を抱く人も多いのではないだろうか。

かくゆう私もその一人。大昔の話になるが、現在のようにテレビが普及していなかった(天気予報などという番組も少なかったが)こともあって、天気を予報するためには天気図を描くことから始めねばならなかった。

その場合、(午前10時と午後4時だったと記憶しているが)一日2回のNHK第二が報じるラジオの天気概況が頼りだったことを懐かしく思い出す。安物のラジオの雑音に悩まされながらもアナウンサ-の声を一言も聞き漏らすまいと耳をすまし、同時に、天気図用紙に各地の気象状況を記入したものである。

聞き終わって、高気圧や低気圧の位置や各地の気圧を参考にして等圧線を引くのだが、これが慣れないと難しい。当初は何ともまあ陳腐な天気図が出来上がったが、上達すると風向きなども考慮できるようになり、新聞と同じような天気図が描けるようになる。

それに基づき、自分のいる場所の天気を予測するのだが、深い山中となると、少しの判断ミスでも命の危険もある。今思うと、大変な仕事だったが素晴らしい経験ができたものだと懐かしんでいる。

現職時代、移動教室など宿泊を伴う校外学習では天気には恵まれ、現地で雨に降られることはめったになかったのは、ひょっとして、天気図を描き続けた努力を天が認めてくれたのではと思いたくなる。今でも旅行先で雨に降られることが少ないことも・・・。

時は移り、最近のテレビはチャンネルを回すとどこかで天気予報の番組に当たると言っても差し支えないほど、お天気キャスタ-が全国はもとより地方の天気を予報している。

特にNHKとなると、その回数は多く、お天気キャスタ-の顔ぶれも週日と週末、あるいは時間帯に応じて、また全国担当と地域担当に別れて、一体何人いるのだろうと思うほどのお天気キャスタ-を登場させている。

それだけ天気予報の需要が高いのだろうと思うが、押し並べて同じような天気予報になるのは、コンピュ-タ分析を頼りにしているのだから仕方ないとしても、個性のないのにガッカリすることも多い。

悪く予報した場合、予報が狂ってもさほど非難がないことは想像に難くないが、中には、自分なりの天気図を描き、それを読み取って、他のお天気キャスタ-とは違う予報を出す人物がいても奇怪しくないと思いたい。

しかし、悪い予報が当たれば信頼されるだろうが、外れた場合とは、そのお天気キャスタ-ばかりか、出演させているテレビ局に対する非難が殺到することも考えられないことはない。恐らく、テレビ局としては契約を更新しないだろうと想像すると、予報が金太郎アメになることも仕方ないのかもしれない・・・。

選挙結果の恨み節として、当日の気象予報の外れを引っかけて、天気図のことやお天気キャスタ-へ話が飛び、散漫なつぶやきになってしまったが、最近は、ニュ-スのツマになっているのか思うほど、お天気キャスタ-は(中にはオジサンも存在するが)、圧倒的に若い見栄えの良い女性が多い。

テレビ局としても、明るく活発で若くて美人を起用したほうが視聴率は上がるから当然だろうが、大胆な予報が走れた場合は、『ゴメンナサイ』と素直に誤り、その後『私の描いた予報はこうだったのです』と解説する気概を持った気象予報士の出現と、それを許す社会の到来を期待したい。

このことに日を改めてつぶやくことに・・・。(田舎親父)

2014年12月15日 (月)

晴天だったのに・・・

 昨朝、前日の疲れがあり8時に起床。雨戸を開けると、快晴。しかも風もない。気温は少し低めで、辺り一面霜で真っ白だが、天気予報の『今冬第一の寒波で、首都圏も降雪の恐れ・・・』は見事にはずれた。
 お天気キャスタ-は、そんなことはお構いなしに、非常に強い寒波が日本列島を覆っているので、北陸から東北にかけては雪が降り続くと報じていたが・・・。

思わず、『天はまだこの国を見限ったわけではない』という言葉が口からもれる。

一昨日の土曜日、区役所前には、期日前投票の人で長蛇の列。昨日朝の段階で、期日前に投票した人は1000万人を超えたというから、有権者の1割以上が、すでに投票を終えたらしい。
 私も数日前に済ませたが、その時には出口調査らしい雰囲気はない。全国の期日前投票所が全てそうなのかは分からないが、期日前投票にはマスコミの調査は入っていないのではと思いたい。となると、ひょっとして、このまま自民党を勝たせてはいけないと思う人が多いのではと淡い期待を持っていた。
 しかし、夜の衆院選挙速報には愕然として言葉を失。午後8時の開票開始と同時にマスコミの予測通りとはいえ、次々と当確候補者が現れる。そのほとんど(100%と言っても差し支えない)が自民党の候補者である。

中でも、あの政治とカネ問題で辞任した女性大臣などは、圧倒的な支持を得て当確という報道に、この女性議員は自民当党内においては、もはや過去の人の扱いだろうから、この地方の活性化について発言権は限りなくゼロでは・・・。
 この議員の選挙区は、間もなく消えるだろうと言われている最右翼の自治体もあるとなると、有権者自らが自治体の未来を放棄したと思わざるを得ない。もっとも『地域活性』などという言葉など、第3次アホベ内閣においては、経済成長という言葉に埋没し、本気で議論することもなく、忘れ去られてしまうのだろうが・・・。

開票報道は続き、時がすぎるに従い、自民党当選者が増え続けることに対して、私がこの時点でできる唯一の抵抗としてテレビの電源を切る。有権者の常識を疑いたくなるが、これしか選択の余地がなかったとなると、悲しいことだがこの国の政治の貧困さを嘆くしかない。
 今日は後が続かない・・・。(田舎親父)

2014年12月13日 (土)

老人いじめが大好きらしい・・・

 今日も暗いつぶやきになりそうだが、先日、ネットのニュ-ス記事に『年金:減額幅拡大は現役世代賃金ダウン重視 厚労省検討』という見出しを見つける。

 年金問題は、あまりにも急速に進む高齢化に対して政治の対応が追いつかないようだ。かなり古い話になるが、年金のための積み立金を国民のための保養所と称して、華美な箱ものの建設に湯水のごとく浪費し、その多くを消してしまったことを、国民の多くはすっかり忘れてしまっているようだ。

 善良な圧倒的多数の高齢者には全くその責任はないのに、この反省などどこ吹く風とばかり、年金を所管する厚労省は、公的年金改定率の算定方法を見直し、デフレ下で現役世代の賃金が下がった場合、年金の減額幅を拡大する検討に入ったというから随分勝手な話である。

早ければ2015年度中に関連法を見直すという。この見直しには、年金の伸びを物価や賃金の伸びより抑制する『マクロ経済スライド』という、またまた難解な言葉で本質をオブラ-トにくるむ常套手段が用意されており、デフレが続いても機能するよう改めるのだそうだが、アベノミクスでデフレは改善されたと宣伝しているのに、どうやら実態はその逆らしく、その責任を全て国民に押しつける思惑がありそうだ。

厚労省は『年金財政の健全化』だというが、減額幅は今より相当拡大することは想像に難くない。『アベノミクス』とは、その一つの柱に『年寄りいじめ』があることは当初からわかっていたが、いよいよ本性を表したというところか・・・。

 記事にある厚労省の試案では、年金改定率は原則、物価と賃金の増減に連動させるという。既に受給している人の改定率は前年の物価に、新たに受給し始める人の改定率は過去3年の現役世代の賃金動向に連動させ、インフレ局面で物価の伸びが賃金を上回る場合は、ともに上昇率の小さい賃金に連動した年金改定率となるという。

 相変わらずお役所の出す文章は、私のような超がつく経済音痴には難解だが、デフレ下で物価より賃金の下げ幅が大きければ、賃金減少率に合わせて年金を減らし、物価がプラスで賃金がマイナスならば年金は据え置かれる現行を、賃金に合わせて年金をカットする仕組みに変えるということらしい。

いずれにせよ本音は、支給する年金額を減らそうというものであり、例え世の中がインフレ傾向になり、現役世代の賃金が上昇したとしても、増やそうという考え方でないことだけは間違いなさそうだ。ここにもアベノミクスの本質が一部の富裕層だけのもので、アベノミクス効果が現れず現役世代の賃金が上がらなくても、年金額は減らすという姿勢がミエミエである。

記事には次のような文言がある。『物価がマイナス1%、賃金がマイナス2%の場合、現在の年金の減額幅はマイナス1%だが、改定率の見直しで賃金連動のマイナス2%となる。さらにマクロ経済スライド分が加われば、年金額はマイナス3.1%となる』

どうやら、再来年度あたりから、年金が3~5%減ることは覚悟しなくてはならなくなりそうだ。妻が夫と同じだけの年金を支給されない(現役時代共稼ぎでない)私のような者には厳しい時代になることだけは間違いないようだ。

『女性の輝く』政策とは、定年後年金をいただけるように、妻も現役時代は必死で働けという意図があるならば、これではとても『輝く』とは言い難く、むしろ、年金制度を後ろ楯に、安価な労働力確保のためとしか思えない。

それでも明日の投票では、自民党と書く年寄りが多いのだろうか・・・。(田舎親父)

2014年12月12日 (金)

6人に一人の子どもが貧困な国・・・

『子どもの貧困』という言葉を最近よく耳にする。この割合を厚労省は1985年から調べ始めているらしいが、悪化が続き、2012年には国民1人あたりの平均所得の半分(12年は122万円)にも満たない家庭で暮らす子どもたちの割合が、過去最悪の16・3%になったという記事を見て驚く・・・。

およそ6人に一人が、このような貧しい家庭の子どもである。このような環境の子どもたちが増え続けているにもかかわらず、このデ-タを公表したのは、民主党政権になった直後の09年秋だったというから、それまで政府は意識的でないとは信じたいが、結果的には隠していたことになる。

昨年、現政権は、貧困の連鎖に歯止めをかける対策を国の責務とする『子どもの貧困対策法』を成立させたことは知っている。今年8月には、学校を支援の拠点に位置づけるなどの重点施策を示した『子供の貧困対策大綱』も制定したことも記憶の片隅に残っている。

 しかし、法律にも大綱には子どもの貧困率をどれだけ削減するかという数値目標については全く盛り込まれていないというのでは、アホベ政権お得意の、体裁だけを整えて中身はなしというこれまで通りのやり方としか言いようがない。

しかも、(現政権が大好きな)『有識者会議』が提言した児童扶養手当の増額や返済のいらない奨学金の創設などの対策も見送られたというから、政府の本気度は限りなくゼロに近いと言って間違いなさそうだ。

 厚労省は、家庭の所得を元に貧困率を算出しているが、都道府県別や年齢別などのくわしい調査は進んでいないという事実も気になるところ。詳しく調査すれば、地方では仕事がないので仕方なく都会に出てきて働く人たちの極端な実態が明らかになるのではないだろうか。

 そんなことを考えている矢先、9日の朝日新聞朝刊に「夕食は『おにぎりパーティー』 子どもの貧困6人に1人」という見出しを見つける。あまりにも悲しく切ない文章なので、一部をそのまま引用してみたい。

 (引用はじめ)給料日前の月末になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。/都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。/「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」/母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。/週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万~13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。/長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。/夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。/7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。/長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」/国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。(引用はここまで)

貧困な家庭の子どもは、私の現職時代も存在していた。しかし、それはごくわずかで、学年に数人というレベル。準用保護という学校で必要な費用を補助する制度(正確には、『就学援助』)があり、年々申請する保護者が多くなっていることに違和感を覚えてはいたが、ここまで貧しい家庭環境は、私の記憶する限り2例を数えるだけ。それも、父親の酒乱や賭け事に狂い生活補助を食いつぶしていた場合で、記事にある母親がしっかりしている家庭では皆無だったことは断言できる。

記事にある貧困家庭の実態は、信じたくないが事実だろう。こんな家庭の子どもが、6人に1人という国の首相が、『先進国でござい』と偉そうな顔をして、やたら『国際会議』という場に出かけ、『日本はこんなに国際協力をしている・・・』と言っているのだから、外国からみたら、『日本ってどうなっているの・・・』と思うのは当然だろう。

しかし、肝心の国内からの批判が聞こえてこない。ないわけではなく、マスコミが伝えないだけだけだろうが・・・。国民は批判するにも具体的な資料は示されず、綺麗ごとを並べている政策を、マスコミが一斉に、首相はよく頑張っていると報じるのだから、何だか笑えないマンガを見ているような気がする。

子どもの貧困の解消は、我が国が抱える緊急且つ最重要な課題である。保護者の働く場の確保は当然だが、低賃金の非正社員が増える雇用の問題、教育への支援など、具体的な対策を対策が急がれ、政治のリーダーシップが問われているが、今回の選挙では直接の争点になっていないのが悔しい限り。

 せめて、この課題解決の足掛かりとして、70%程度の投票率を望みたいのだが、それすら絶望だとしたら、この国の将来は、限りなく暗く貧しい社会になることだけは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2014年12月11日 (木)

気がつくと、酪農家はいなくなっていた・・・

先日、NHKテレビのニュ-スが信じられないような映像を流していた。都内のス-パ-での出来事として、バタ-不足で買い占めを防ぐために、バタ-売り場のケ-スには一つしか置かず、なくなった時点で一つ追加するのだそうだが、『ここまでやるか』と驚き、何とも切ない思いにさせられる。

『グラタンを作ろうと冷蔵庫を開けたらバターが切れていた。近所のスーパーを3軒はしごしたが、ない、ない、ない! あるのはホテル仕様の高級商品だけ』という新聞の見出しも目に留まる。それほどバタ-不足が深刻になっていたのだそうだ。

過去形を使ったのは、選挙の真っ最中とあって、現政権は『これは危ない』と思ったのかどうかはともかく、緊急に乳業大手各社に増量を要請(指示だろうが)し、輸入を3割増加する処置をとったことで、これから年末にかけてバタ-が大量に必要なケ-キ業界は一息入れていると報じられているからである。

近所のス-パ-に現状を確かめに出かけたが、なるほど、バタ-売り場には普段と同じ程度の量が並んではいる。しかし、いつも我が家で使う国産メ-カ-の商品は少なく、それに代わる初めて目にする品々が並んでいた。このことから推測すると、国産牛乳から作るバタ-の品不足は解決していないような感じを受ける。

何故、バタ-がここまで不足する事態になったのかを、農水省の担当部署の係官は『原因は国内の生乳生産量の減少』と一言でまとめているが、バタ-は生乳から作ること程度は小学生でも知っている知識、そんなことをわざわざ農水省のお偉方から言われるまでまでもない。

しかし、『国内で生産された生乳の半分は牛乳となる。牛乳は保存性がなく、国民に不可欠な飲料なので最優先で確保する。牛乳需要を満たしてから生クリーム、チーズに割り当て、最も保存の利くバターや脱脂粉乳は後回し。生乳の需給調整役なのだ』というコメントには、なるほどと納得する。

 牛は涼しい気候を好む動物であることはよく知られている。だから、北海道や東北で酪農が盛んなのだが、昨夏の北海道は近年にない猛暑に見舞われたことから、乳牛の体力や免疫力が落ち、多くの牛に乳房炎という病気が蔓延し、それが今回の不足の原因になったと農水省の係官は分析しているようだ。

 乳房炎にかかった乳牛には抗生物質を投与するため、回復後もしばらく生乳を出荷できず、体力の落ちた牛は種付けも難しくなり、猛暑の影響はその後1年以上引きずることが多く、事実、北海道の生産量は昨夏から今春の多くの月で前年より3、4%も減っているというデ-タ-を示し説明している。

 しかし、そんな一時的な問題ではないことぐらいは私でも想像がつく。以前から、酪農家の多くからは『将来が見越せない』という声が大きくなっていることはよく聞く話。今回のようなバタ-不足を解消するためには、酪農の将来的な展望を示し、酪農家の減少をくい止めることが最重要課題であることは論を待たない。

 北海道では毎年200戸の酪農家が消えているという。しかも若い人、経営力のある人からやめていくのが現実となると、このままでは離農は止まらず、生乳生産量は減少し続ける恐れがあるというから、ことは想像以上に深刻である。

 離農の原因は高齢化や後継者不足だろうというのが一般的な見方らしいが、最大の原因は経営が大変だからだろう。現政権の円安政策によって、円が急落していることはしばしばつぶやいているが、このことが原因で、輸入に頼る餌の代金が昨年、今年と1割ずつ値上がりしているのだそうだ。

 乳価は各地の農協連合会などの生産者団体と乳業メーカーとの交渉で決まるのだそうだが、圧倒的に乳牛メ-カ-の力が強く、生乳販売価格はほとんど上がらないという。これでは将来の展望が開けないのはよく分かる。

今年は1キロ90円程度というから驚き。ミネラルウオーターより安いとは信じられない。これでは酪農家が減るのは道理だろう。事実、この10年で約1万戸減り、13年、とうとう2万戸を割り込んだとのこと。これではこの先が心配である。

TPPによって、バタ-などの乳製品の関税が撤廃されたら、現在の試算でも85%程度が輸入品に置き換わるという。都市部の消費者にとっては『バターが安く買える』から、歓迎という声があるそうだが、少し立ち止まって考えると、子育てには欠かせない乳製品を、全て輸入に頼っては、食の安全などか守れるはずがない。足りないなら輸入すればいいという発想は危険極まりない。

 専門家は、『アメリカではでは、生産コストと市場価格との差額を政府が補填する制度があり、カナダでは酪農家の生産コストをカバーできる水準の買い上げ価格を政府機関が提示して、酪農家の経営を支えているのだが、日本では、飲用牛乳には生産コストが膨らんでも収入がカバーされる保障がない』と政府の無策を批判しているが、その通りだろう。

 政府は、『グロ-バル化』という言葉の下、国際競争に勝たねばならないという考え方で経済成長を進めているが、現在のように酪農家だけに努力を強要していたら、気がつくと、北海道や東北では酪農家がいなくなって、乳製品は全て輸入・・・という事態になりかねない。

安いから輸入品という考え方を『是』としてばかりでは、将来的に泣きを見るのは自分たちだということを、今回の『バタ-が消えた』ことが警告しているようだ。

その意味でも、国民が知らない間に関税が撤廃され国産牛乳が消える可能性さえあるTPP交渉は危険このうえない代物であることだけは間違いない。(田舎親父)

2014年12月10日 (水)

さらに遠ざかる福島復興・・・

先日の話である。2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる国立競技場の建て替えに向けた解体工事の再々入札で、施設を管理・運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が開札したというニュ-スに目が留まる。

『開札』という言葉の意味が分からないので広辞苑で調べてみると、『封を開いて入札の結果を調べること』とある。要は、入札の結果が分かったということなのだろうが、北と南に分けた両工区とも最も安い業者の価格は、JSCが設定した最低基準価格を下回っていたため落札決定を保留し、低入札価格調査を実施することになったというから、私には難解な話である。

常識的に考えると、JSCに限らず発注の設定価格は厳重な秘密だろうから、入札業者は知らないはずなのに、低いからといって問題になるのが私には理解できない。談合汚職がはびこるのは、この設定価格の秘密が洩れることから始まることは想像に難くなく、今回も、その業者が知り得たのだろうか・・・。

業者の名前はない。JSCがこの入札業者の過去の実績などを調査し、工事実施に問題がないか判断するのだそうだが、JSCは『調査期間は1週間から数週間』と見ており、当初7月だった着工は年内も厳しい情勢となってきたのだそうだ。

大手のゼネコンならばこんな調査はするはずがないだろうから、この業者は少し規模が小さいのだろう。最初の5月は予定価格を上回って不調に終わったというのに、入札価格が低いので、調査するというのは、はじめから大手ゼネコンに落札させる意図でもあったのでは勘繰りたくもなる。

大手ゼネコンが嫌がっているという話も聞こえてくるから、わざと高い価格を付けて逃げたことも考えられないこともないが・・・。

それはともかく、新国立競技場の建設計画は、当初の壮大な案からすでに段階的に縮小されているそうだ。3000億円ともされた総工費に国が難色を示し、鉄道線路をまたぐアプローチや付帯設備などは削られ、床面積は2割以上減ったとのことだが、未だに最終的な基本設計案がでていないという。

設計変更の大きな原因は、今年2月の東京での大雪が想定外だったとのこと。そのため開閉式屋根の耐久性などを再検討する必要が生じたからだというのも、俄には信じられない。確かに予想を超える大雪だったが、福島原発と同じで、基本的な設計上の想定条件があまりにも低過ぎたしか言えないようだ。

 このままでいけば、さらに工事費が高くなりそうだが、土建工事は経済成長の原動力とばかり、日本中あらゆる場所で公共工事が進み、工事の材料の高騰が進んでいることはたびたび報じられている。

 道路工事業を営む知人が、会うたびに、『人が集まない。去年の暮れから職安に求人案内を出しているのに、応募したのはたった2人。それも、年金をもらいながらアルバイトでという年寄りではやってられない・・・』と愚痴るが、それほど現場の作業員が不足しているようだ。

 仕事は腐るほどあるという。しかし、美味しいところは大手にとられるので、儲けは以前と変わらないどころか、作業員の手当てを上げなければアルバイトでも集まらない現実では、70歳の身でダンプの運転で追い回されているというから気の毒な話。

その彼が、つぶやく『これでは、東北・特に福島の復旧が進まないわけだ』という言葉の意味は重い。

東京で仕事が山ほどあるのだから、不便で寒さの厳しい東北に稼ぎに出かける人が少ないのは当然どころか、むしろ首都圏(特に都内)の賃金が上だとなると、津波被害の復興はもちろん、事故原発の処理作業が進まないのは当り前である。

この上、国立競技場の解体、そして新設となったら、さらに人集めが難しくなるのは誰の目に背明らか。恐らく、資材もさらに高騰するだろうから、工事費は膨らみ続けるのではないだろうか。

(真偽のほどは分からないが)当初はJSCは現競技場の大規模改修を検討していたという。設計会社に詳細な耐震補強調査を依頼し、7万人収容規模の改修工事でも4年の工期で総工費770億円と見込んでいたのだそうだから、改修に舵をきる可能性もありそうだが・・・。

『福島の復興失くして日本の未来はない』と政府は大見得を切っているが、現実は、首都圏の工務店にも人が集まらないのでは、福島の復興はまさに空手形。

 ほんの少し立ち止まって考えてみても、オリンピックが被災者の暮らしより優先される社会が存在して良いはずがないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2014年12月 9日 (火)

1ドル360円だった頃を思い出す・・・

 このところの円安の勢いは物凄い。超経済音痴の私にはこんな話題は相応しくないが、つい2年ほど前は、1ドルが(下手すると)70円を割り込むのではと専門家が心配していたことが懐かしくさえ感じるほど。

 特に最近の動きは異常な下落を続け、ついこの間110円を超えたと思ったら、数日前からは『軽く120円超え』という報道に、こんなに激しい動きで、日本経済は大丈夫なのだろうか・・・と、真相は分からないままに心配になる。

 専門家筋の解説では、アメリカ経済に景気回復の兆しがあることに加えて、アメリカと日本の金利差が拡大するだろうとという思惑から円売り・ドル買いが進み、円相場が2007年7月以来、約7年4カ月ぶりに1ドル=120円の節目を超えたとのこと。

 その後もニューヨーク外為市場でも、先日発表されたアメリカの雇用統計が好調だったことを受けてドル高・円安が加速し、昨日などは、円は1ドル=121円台後半まで下落している。

  アメリカの金利が上がれば、ドルが買われるということ程度は理解できるが、それにしても、人々の金儲けに対する貪欲さは、貧乏生活を楽しんでいる私には到底理解できるものではない。

 これで、巷で噂されているように、自民党が300議席も獲得したら、いよいよ自民党政権は『アベノミクスが国民から支持された』と鼻高々。日銀も、このまましばらくは金融緩和政策を続けるだろうから、ますます円安に進むことだろうことも予測できる。

 昨日も、東京株式市場では、円安を受け収益増が期待できる輸出関連銘柄を中心に買いが集まり、日経平均株価の終値は前日比約15円高の1万7935円強と7営業日続伸し今年最高値を更新したというから、自民党が景気回復と驕り高ぶるのは当然だろう。

 しかし、東京市場に上場している企業は大企業が多いことを忘れては、今後の日本の経済の動きを誤るのではないかと素人ながら心配になる。

 先日の記事に、『日産自動車は、ドルに対して1円円安が進むと、本業の儲けである営業利益を120億円押し上げる』という一文があった。たった1円でこの数字。日産でこの利益となると、世界のトヨタとなるとまさにウハウハ状態。自動車業界が円安を歓迎する理由がよく分かる。

 自動車だけでなく、輸出企業は海外での価格を円に換算する際に膨らむのだから、円安は大歓迎に違いないが、逆に、原料を輸入に頼る製造業、特に中小企業はたまったものではない。

 日産やトヨタなど大企業の下には、下請けや孫請け、さらにその下請けなどを含めると信じられない数の企業や人々がつながっていることは私でも十分理解できることだが、頂点に立つ大企業の膨大な利益が、これらの中小企業やそこで働いている人々を潤しているという話は聞いたことはない。

 そればかりではなく、頂点企業ですら、社員に還元することを渋っているらしいことは十分想像可能。それでも、ちょっぴり(中小企業から見るとトンデモない額だろうが)の賃上げが実現されているので、賃金が上がったと大騒ぎ・・・。景気が良くなったのは一部の大企業と、雀の涙ほどのお恵みを受けているその企業の正社員だけのようだ。

 円安の急激な進みは、食料品の価格を押し上げていることは何度もつぶやいている。様々な分野の輸入に頼る食材が高騰していることは連日マスコミが大きく取り上げているが、さらに、年明け以降も、即席麺やアイスクリームなど輸入食材を使う食料品が相次いで値上げが決まっているとなると、今年4月の消費増税で負担が増している家計をさらに圧迫することは間違いない。

 この円高がどこまで進むのか、私には予想もつかないが、私の子どもの頃には1ドル360円だったことを思い出す。まさか、そこまで進むことはないだろうが、もしも、さらに加速して、(可能性としては限りなくゼロだろうが)200円にまで落ち込んだとしたら、単純に計算しても、輸入品の価格は今の二倍。ス-パ-に並ぶ、輸入バラ牛肉が100gあたり500円~ということも考えられないことはない。

 円安のおかげで、外国人観光客が増えたことは間違いない。中国はじめ東南アジアの富裕層が大挙して、デパ-トで高級ブランド品を買いあさっている姿をテレビがよく流しているが、こんな映像を見せられて喜んでいる日本人はごく限られているのではないだろうか。

 円安が進めば外貨は落ちるだろうが、子どもの頃に見かけた『ギブミ- チョコレ-ト』とという光景は、次代を担う子どもたちに味わさせたくない・・・。(田舎親父)

2014年12月 8日 (月)

福島が聞こえてこない・・・

 今日は73年前に日本海軍航空部隊が真珠湾に集結しているアメリカ艦隊に奇襲攻撃をかけた日、いわゆる、太平洋戦争が勃発した日であるが、このことは、マスコミの取り上げかたが小さくなるに連れて人々の記憶が薄れることは仕方ないとしても、今年は選挙の真っ最中とあってすっかり忘れ去られていると言っても過言ではないほど・・・。

 あの無茶な開戦から始まった太平洋戦争が、今日の沖縄のアメリカ軍基地、(そして、核の平和利用と称しているが)福島原発の大事故という大きな問題につながっているはずなのに、今回の選挙では『沖縄』と『福島』という言葉が聞こえてこないことに、大きな違和感と危機感を覚えている。

 沖縄の沖縄基地問題について、存在そのものが許せないのだが、都市部の基地を返してもらうために、(移転と称して)新たに美しい海をコンクリ-トで固めて、新しい基地を造ってアメリカさまに差し上げるとは、独立国家であることを自ら否定していること。この国の指導者たちは、どこまでアメリカさまに土下座したら気がすむのだろう。

 しかも、沖縄の人々は、この問題では一歩も引かないことを知事選挙で示したはずなのに、政府は『基地移転は過去のこと』とは許し難い。さらに、選挙で敗北した知事は『飛ぶ鳥後を濁さず』とは全く反対に、政府のおっしゃる通り、現在は俺が知事だとばかり、新知事が埋め立て反対できないように政府案に確約するという暴挙に、多くの人は憤りを通り越して情けなさを感じているのではないだろうか。

 そのことは別の機会につぶやくとして、もう一つの『福島』が、選挙の争点から忘れ去られ、放射性物質に汚された福島県の行く末が全く見えないことと、あれほどの事故を起こしながら、国際会議で恥ずかしげもなく、『事故は収束した』と言い放ち、ここでも『事故は過去のもの』として、原発を新基準を基にした安全神話を作り出し、再稼働を既定のこととして進める政府のやり方に激しい憤りを覚える。

 再稼働問題は何度もつぶやいているが、原発事故から3年9カ月。12万人(県民の16人に1人)以上の人々が、未だに住み慣れた土地と家に戻れず、不自由な避難生活を送るっているという現実を絶対に忘れてはならない。

そのうちの約4万6000人は県外への避難者だという。政府は、2町村の避難指示地域に対して帰還可能まで除染して、帰還できる環境を作ってやったのだから帰還すれば良いとの理屈で、東電と口を合わせて『勝手に避難しているのだから、賠償の範囲外』とは、悪魔ですらこんな発想ができないと思いたい。

除染など遠い世界のような高い放射線量に覆われ、全村避難が続く飯舘村では先月、住民の約半数2800人余りが賠償の増額を求めて政府の原子力損害賠償紛争解決センターに、裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てたというニュ-スに、仮設住宅で『難民生活』を送らざるを得ない人々の怒りが伝わってくる。

解決センターは政府機関だが、はたしてどこまで調停能力を持っているのか疑わしい。以前にも、浪江町民1万5000人が申し立てた事案で、解決センターが示した精神的賠償額を月額5万円増額する和解案に東電は今も応じていないことから、今回も東電の姿勢は想像するまでもないだろう。

当初政府は、『福島の復興失くして日本の復興はない』と内外に明言。そこには、『全員の帰還が完了』という考えを前面に出していたが、いつの間にか、復興を加速するという表現で、全員帰還という当初の目標を断念し、長期間、避難指示の解除が見込めない地域があると方針を変更。これには仕方ないこととある程度は許すとしても、帰還できない人々に対して、新たな生活の基盤を築くために方向を示す義務がある。

故郷に戻れないとしたら、新生活が可能なだけの常識的な物的な補償はしなければならないはず。新たに働く場所や住まいの確保など、一定の賠償が必要なことは誰でもが理解で当り前のこと。政府は住民の意思を尊重して、東電に強い指導力を発揮しなければならないのに、現実は全てを東電にまる投げ・・・。

 福島を第一声の地に選んだ党首もいたそうだが、今回の選挙で福島の救済・復興策を具体的に語る党首はもとより、候補者は見当たらない。

政府は、避難指示が解除された地域も含めて、全ての情報を公開して、いつになったら帰れるのか・帰れないならどこに定住するのか・避難者が漂流せざるを得ない状況を食い止め、一刻も早く生活再建の道筋を示すべきだろうが、動きはむしろその逆・・・。

 私のすむ横浜の片田舎では、候補者の演説や外宣車から聞こえる声からは、『福島』という言葉はない。全くの無関心なのか、それとも『福島』と発音することが得票につながらないと割り切っているのだろうか。いずれにせよ、あまりにも自己中心的で悲しいことである。

 本気で『福島』を熱く語る人に投票しようと思って、その言葉を待っている市民も多いだろうと信じたいのだが・・・。(田舎親父)

2014年12月 6日 (土)

大阪市の『ふりかけ』論争の行方は・・・

 今日もまた大阪の話題になるが、業者が作って各学校に届ける、いわゆるデリバリと言われる方式の大阪市の給食献立が『冷たくておいしくない』と生徒たちから不評なのだそうだ。

そのことについて、教育委員会は教員も交えて議論を始めているらしいが、その席に、ハシモト大阪市長が参加したというニュ-スに興味がわく。

その席で、ある教員が『ご飯を残す子が多くて困っているが、ふりかけがあれば食べるかもしれない・・・』と発言したらしい。それを聞いて、この御仁は、『そんなことは校長判断だろう・・・』と、びっくりしたとのこと。日頃から、この御仁の言動には批判的な私だが、全くその通り、当然だろうと賛同したくなる。

その場で、校長裁量でふりかけを認めたというなら、マスコミが取り上げるはずがないが、ご多分にもれず、『教育内容にかかわるものだから』という声があったのか、10分間の議論でも結論が出ず先送りになったという。

ハシモト市長お得意の『お前らバカか。そんなことは校長の判断にしてしまえ』と一喝して議論を打ち切らなかったのも面白いが、この御仁は、こと給食問題は下手すると、市民からの批判が大きいことを知っているのだろう。

これは取り上げたくなる話題である。私は現役時代から『学校給食が戦後教育の諸悪の根源』と言い続けているのだが、社会の動きが、学校給食失くして家庭が成り立たないということで、『給食が本当に必要か考えよう』と発言しても、取り上げられることはないどころか、それだけで非難される時代になっているので、肩身が狭い思いをしていることはたびたびつぶやいている。

横浜市では、『中学校の完全給食』という運動が市民の間では常識として盛り上がっているが、市の教育委員会は、まずその要求を『是』としながらも、市の予算規模では、おいそれとその要求に答えられないとして、先日、業者による弁当制度で当面しのぐという方向が決められたと聞いている。

学校給食に疑念を持つ教育関係者も存在していると信じたいが、『本当に給食が必要か議論を・・・』などと言い出せば、社会進出を認めない保守反動主義者だと決めつけられて、人格までも否定される恐れさえあり、議論などできる雰囲気にはならないだろう。結局、この声は、市の財政事情が許さないという大勢に埋没、聞こえて来ないのは仕方ないことのようだ。

大阪市は、市民からの給食をという要求には逆らえず、今年度から市立中学校に導入したらしいが,(予算の関係だろうが)業者が弁当を届けるデリバリー方式だという。食中毒防止などの理由から、冷蔵保存された弁当に『おいしくない』と生徒から不満が噴出し、学校によっては多いときに4割近くが残飯になるらしい。

しかし、私にはこんなことははじめからわかっていたことだと思いたい。特に最近は、安易な外食が当り前になり、教育関係者が求める栄養とのバランスのとれた味と、普段から当り前に食している子どもたちとの味のキャップが食い違い、食べ残しを招いているのだろうが、ハシモト市長としては実施が早過ぎたと悔やんでいるのでは・・・。

横浜市も余程腹を据えてかからないと、来年の今頃はマスコミの格好の餌食になるのではないだろうか。

話を戻すが、(私も初めて知ることだが)学校給食での塩分は1食あたり3グラム前後と、国の栄養摂取基準で法的に決められているのだそうだ。この規定が壁になって、塩分が多いふりかけを給食につけると、塩分過多になるためダメなのだという。

現在の技術では、塩分の少ないふりかけなどすぐできそうだが、そこは超保守的な教育界のこと、ハシモト市長の『ふりかけの判断ぐらい学校現場に委ねられなければ、中央集権そのものだ』という主張すら、すんなり通らず、今後、専門家の意見を踏まえて協議を続けることになったという。

全国的に中学校の給食実施が主流になり、多くの自治体では様々な形態で給食を実施しているが、共通する悩みは、いかにして残滓を残さないようにすること。

 給食では栄養を考えることは必須だろうが、食べ物はその子(家庭だろうが)の嗜好で『美味しい』と感じることが必要条件。食べることを強制するだけでは、この問題の解決にはならないことは当り前。

 どうしても配達弁当は無理だというなら、種類を多くして子どもたちに選ばせることも選択しに加える必要があるだろうが、その手間と時間は膨大になるだろう。食事は家庭の責任だと思っている私としたら、給食問題でこれ以上学校の負担を重くしてほしくないものだが・・・。

さて、大阪市の学校給食における『ふりかけ』議論の行方が楽しみである。(田舎親父)

2014年12月 5日 (金)

鎌倉 お前までもか・・・

 鎌倉には学生時代2年あまり暮らしたことがある。およそ信じられないようなオンボロの学生生活だったが、私にとって充実した時だったと懐かしく思い出される。

 鎌倉駅近くから『段葛』と呼ばれ、他の街では見かけることができない、道路の真ん中を突き抜けて鶴丘八幡宮に至る参道の四季折々の姿をふと思い出すことも多く、そんな時ふらりと出かけたくなる雰囲気のある街である。

 現在の横浜国大付属小中学校の敷地の一番奥にあった寮(蒼翠寮)には学生運動の活動家が多く生活していたことから彼らから大きな影響を受けたものである。酒を酌み交わし政治や社会のあり方や国の将来の理想を語り合うと同時に、酔っぱらって八幡宮境内の静御前の舞い殿に登って踊ってみたり、バス停を勝手に移動させたりなど狼藉三昧、今思うと市民にとって迷惑な話だったと反省しているが・・・。

 原因は今だ不明だが、同じ構内にあった大学(学芸学部)の木造校舎が全焼した当時、寮の執行委員をしていたが、湘南地方の消防車が全て集まったと言っても良いほどの膨大な数が出動し、火事現場の大学構内を埋めつくした。しかし、その全てが八幡宮の森に放水、大学の木造校舎など見向きもしなかったのも、今思うと、鎌倉周辺の社会全体が日頃の迷惑を快く思っていなかったかもしれない。

 そんな青春の思い出がある鎌倉であるが、毎年続けてきた平和をテーマにした市民団体のイベントへの後援を、今年は自治体として、『政治的な主張が含まれる』として断ったというニュ-スに、『鎌倉・お前までもか・・・』と叫びたくなる。

 理由は、イベント告知のチラシに、原発再稼働に反対する表現などがあったからだと言う。市の担当者は『原発再稼働は国民の意見が分かれる問題。中立を保つため、一方だけを後押しできない』とのことだが、そこには明らかに政治の影、具体的には自民党アホベ政権の圧力を感じる。

 今回の衆議院選挙に際しても、マスコミに対して『公平な報道』を要求したとのことだが、この政権の言う『公平』とは、『自民党政権にとって不利なことは報じてはならない』と同義語。この要求に対して、すっかり政治ごとに批判精神をもがれている大マスコミですら、こぞって反論するのだから余程のことではないだろうか。

 『当り前のことを当り前に表現する』ことは憲法にも保障されている市民として一番大事な基本的人権である。原発再稼働推進派(鎌倉市民には少ないだろうが)にとっては、反対集会は目障りに違いないが・・・。

 一緒に考えましょう・・・という呼びかけは、市民の意識を高めるために絶好の機会である。だからこそ、今まで市は後援を続けていたのではないだろうか。原発が絶対に必要だと信じている(鎌倉市民では限りなくゼロだろう)のなら、原発再稼働を進める集会を開き、市に後援を求めたら良い。そこで討論すれば面白いのだが、そのたぐいの集会の存在は近隣自治体からは聞こえてこない。

 なぜ、聞こえて来ないのかは明らか。集会で市民の一人が質問で『原発のゴミについてどう思いますか』という素朴な疑問にすら、主催者側は経済のためとしか答えられず、社会的道義を否定せざるを得ないからである。

 最近は、後援どころか施設の使用すら拒否する自治体の話が続いているが、鎌倉市の場合は、施設使用は許可しているところに救いがある。市民団体との話し合いで、この溝を埋めてほしいと願っている。

 話の舞台は鎌倉から大阪に大きく飛ぶが、労働働組合に便宜供与しないと規定した、ハシモト市長サイドで強引に制定した労使関係条例を根拠に、教育研究集会の会場として大阪市教職員組合に市立小学校を貸さなかった市の処分は、裁量権を逸脱し違法であるとの大阪地裁が判決したというニュ-スに、最近の自治体の右よりな姿勢に対して危惧を感じている私にはおおいに溜飲が下がる。妥当な判断だと歓迎する。

 判決はさらに、違法な処分を正当化するために、この規定を適用することは職員の団結権を保障する憲法28条に違反すると踏み込んでいることは注目に値する。

 市側は『団結権侵害の意図はない』と控訴するとのことだが、お上の権力で、長年の風習を一方的に破り押さえ込むというのはいただけない。それを今回、司法が違憲と断じた意味は重く、控訴ではなく、組合に便宜供与を一切認めないという強引に作った条例を見直す方向で労使の話し合う場を作るのが先決ではないだろうか。

 市民の動きを力で押さえ込もうとする風潮が大流行だが、市民が考える場は多ければ多いほど社会は成熟する。自治体はむしろ市民の様々な動きを支援する方向で、議論できる場を多く作り、多様な人々が同居できる環境を整えるべきだろう。(田舎親父)

2014年12月 4日 (木)

地方のガンバリにエ-ル・・・

一月ほど前、飯田の友人から、飯田市にある下伊那農業高校の生徒たちが、蓼科にあるオ-ベルジュ エスポワ-レという有名なフランス料理店のオ-ナシェフの指導の下、ジビエ料理を作って、それをお客さんに料金をいただいて提供するイベントをするから良かったら・・・というメ-ルが届く。

飯田とは現職時代から縁があり、特に、市内からかなりの距離がある(合併する前には南信濃町と称した)遠山という地域が大好きで、そこの四季折々の美しい風景や美味しい山肉料理、民宿の人々とのふれあいが気持ちよく、何度も出かけている私には、大変魅力がある誘い。すぐに、是非参加するという返事を出すが、時を同じくして日頃からお世話になっている先輩からも一緒にという嬉しい連絡。

高校生たちが作って、料金をとってお客に出すという企画は、日頃から、子どもたちの可能性を信じて何にでも挑戦させるべきだと主張している私には、どんな料理を食べさせてくれるのか以前に、彼らの活躍の場を与えた高校や地域社会に大感激。どんなドラマが起きるのかという期待が膨らむ。

この企画はマスコミにとっても魅力だったらしく、特に東京新聞が大々的に報道したものだから、あっと言う間に午前30人、午後30人という定員は埋まってしまったという。

昨日12月3日がその当日である。数日前に、担当の班長という生徒から葉書を届き、当日は10時50分までに会場に来てほしいとのことなので、遅れてはならじとばかり、急いで自宅を出て、10時半には会場に到着。

会場は銀座5丁目に最近オ-プンした『銀座NAGANO』という長野県のアンテナショップとのことだが、地図で調べると何と銀座のど真ん中。銀座4丁目の交差点のすぐ近く。長野県の気合の入れ方の半端でない雰囲気が伝わってくる。

銀座の大通りから一本中に入った並木通りというところなので人通りはそれほどでもなく、圧倒されるほどの派手さはないが、斬新なデザインの素敵な建物。入ってみると長野県の全てと言っても差し支えない産物が実に機能的に並べてある。オ-プンしたばかりなので、このアンテナショップの課題は、いかに人を呼び込むことであるらしいが、この雰囲気なら口コミで十分多くの人が集まるのではないだろうか。

まだ、知らない人(私も初めてなので偉そうなことはいえないが)は、一度のぞきに出かけられることをおすすめする。2階の料理をいただく場所の前には、準備の整うのを待っている(やはり熟年の方が多いが)の好奇心に満ちた顔が並んでいる。

テレビ局のカメラが忙しく、リハ-サルを続けている高校生と先生たちの動きを追いかけているが、緊張して指導している先生の様子に、下伊那農業高校の教職員の真剣さがもろに伝わってくる。

11時過ぎ、準備が整いましたとの案内で4千円の会費を支払い指定された席につく。代金には1ドリンクの料金が含まれているとのことで、ヤマブドウジュ-スかワインをオ-ダ-できる。当然、私はワインだが、先輩はジュ-スをオ-ダ-。何でも前夜銀座で午前様、二日酔いだとのこと。

4人掛けテ-ブルの私たちの前には初対面の熟年女性とその娘さんらしい2人づれ。挨拶と杯をかわしながら、どちらからと聞くと鎌倉からとのこと。東京新聞でこのイベントを知って、すぐに応募したたというから最近の女性の行動力に敬意を表する。

料理は、シカ肉のステ-キをメインとして、前菜・ス-プ・パンなど、全てが南信州でとれたものを高校生が料理したという。その一つ一つに、担当の生徒たちが説明するのだが、緊張して詰まるところなどは実に初々しい。田舎の子どもたちはこのようにシャイなのですと弁解していた先生も実際には生徒以上に緊張しているようだ。

シエフの本格的な指導があったのだろうが、味もしっかりして美味しい。私が見つけた課題は友人に伝えたので、下手な文章は差し控えるが、『地方の再生』と大した策もないのに,お題目だけはもっともらしいアホベ政権の幹部たちに、下伊那農業高校の生徒たちと教員集団たちのこのガンバリの姿を見せたいものと皮肉りたくなる。

地方再生について、昨日つぶやいた『地方の大学のあり方』を、このイベント終了後に先輩に案内していただいた、(こんな喫茶店が実際にあるのと驚いたが)信じられないような素敵な雰囲気の喫茶店で、熱く語ったことは言うまでもない・・・。

『銀座NAGANO』で開かれる南信州の食材を使ったイベントは、今日明日と続く時こと。改めて、地方のガンバリにエ-ルを送りたい・・・。

高校生諸君はじめ関係者の方々には、大変有意義な楽しい一時を与えていただいたと感謝している。(田舎親父)

2014年12月 3日 (水)

文科省式地方活性法?・・・

文科省は、大都市圏の私立大学について、入学定員を超過して学生を集めた場合のペナルティーを厳しくする方向で検討に入ったという新聞の見出しに、水増し入学を今まで見逃していたのか思いながらも、今更何なの?と違和感を覚える。

私立大学がどのぐらいあるのか正確な数は知らないが、テレビニュ-スに専門家と称して、聞いたことがない名前の大学の教授や助教授(最近は准教授というそうだが)が登場するたびに、こんな大学があったのかと、私立大学の数の多さに驚くばかり・・・。

首都圏に本社を持つテレビ局が、わざわざ余程の専門家でない限り、北海道や沖縄の私立大学の教授に登場させることはないだろうから、その先生たちの肩書にある私が初めて聞く大学は首都圏にあるのではなかろうか。

実際に記事には、千葉、神奈川の4都県の私立大、短大、大学院は全国の学生数の48%を占めるというから、私の推測は当たっている上に、大阪、京都、兵庫の3府県と愛知県を加えた3大都市圏でみると、総人口比47%に対し、学生数は75%になるというから、いかに大都市に私立大学が集中していることが分かる。

 そのため、これらの私大が定員を大きく超えて学生を集めることで、地元への就職が比較的多い地方大学に通う学生が減り、地方企業に人材が集まらない悪循環に陥っているというから困った話である。

記事によると、文科省が今回打ち出した方針は、このような首都圏に集中している大学が、定員以上の学生を入学させている現状を変え、地方の過疎化に歯止めをかけるのが狙いだそうだ。

 文科省では私学助成金の交付要件を変えて学生の都市部への集中を防ぐために、現在の入学者が定員の130%以上、全体の定員が8千人以上なら120%以上だと助成金を交付しないという案が検討されているという。

私大にとって助成金は収入の1割を占めるそうなので、この案が通って規制が始まると、事実上30%もの超過して入学させた学生の諸費用が削減になり経営にもかなりの影響が出ることは間違いなさそうだ。

定員自体は現在、私大の経営判断である程度自由に設定ができのだそうだが、ならば、始めから定員を多く設定すれば良いと思いたくなる。しかし、認可の段階で、施設や設備などの要件をクリアしなければならないとなると、私大側からみたらカネをかけずに定員はそのままで、規制をかいくぐりたくなるのも利益第一の風潮から当然か?・・・。

文科省としては、原稿の法規ではこの規制を強制することはできないとは、こちらも変な話である。細かな基準を押しつけていながら、認可してしまえばそれで終わり、その後はご勝手にというシステムそのものに疑問を感じる。

高学歴が当り前という社会になり、富裕層の子弟は幼い時から、お稽古事はもちろん学習塾だ進学塾だというのが当り前。公立学校で学ぶ知識や理解力では一流大学には合格どころか、はじめから『無理だよ』と拒否されては、庶民はたまったものではない。

それでも大学を諦めきれない親と子は、無理を承知で二流三流と言われる大学の門を叩くしか方法がないが、その大学が大都市圏に偏っているのは何とも矛盾。それを今まで容認していた文科省の責任は・・・と問いただしたくなる。

現在、都内では定員110%以上の超過部分だけで学生数は約1万2千人にものぼるのだそうだ。文科省は、その学生を削減することによって、一定の数の学生が地方に流れることを想定しているというが、この程度では、地方の高校生や浪人生たちの都会指向が低くなるとはとても思えないのだが・・・。

 本当に地方の再生を考えているなら、例えば、三大都市圏以外の地方の、現住所から通える大学に入学する学生には奨学金の規定をゆるめて、貸与ではなく返済義務のない給付にするとともに金額も増やしたり、『地方の(国公立はもちろん)私立大学』に交付する補助金額の大幅に引き上げ、さらにそれらの大学の教員の待遇を改善して人材を確保し、大学の質の向上を促進するなど抜本的な解決策が必要だと強く提言したい。

 昨日から選挙戦が始まっているが、特に地方から立候補している候補者は、地方の活性化に本気で取り組み、大学改革においても踏み込んだ政策を立てて、公約にうたったらかなりの票は期待できるはずだが、地方を地盤にしている与党幹部たちは素知らぬ顔・・・。

その連中が言う『地方再生』が、まるで中身のない念仏のように聞こえるのも当然だろうが、このままでは、この国の行く末が真っ暗ということは私でも十分想像がつく。

本気で、『地方の活性化(再生)』についての具体案を、緊急に立案し実施しなければ大変な事態になることがわかっているはずなのに・・・。(田舎親父)

2014年12月 2日 (火)

停車中の新幹線車両まで自殺に利用とは・・・

 半月ほど前の話であるが、朝のテレビニュ-スで『東海道新幹線の新横浜駅構内で男性が感電。そのために始発から運転を見合わせています』と報じていた。常識的に考えたら、構内で感電など起きるはずがないのだが、このところ変なことが起きるものだと、何とも言えぬ違和感を覚えたものである。

 新横浜はいつも利用する駅なので、その構造も大体のところわかっているつもりだが『停車中』と『感電』という言葉の関連がよく分からない。ネットでも調べてみたが、その時には、私の違和感を取り除いてくれる情報はなかった。

 しばらくして、感電した男は新幹線の車両の上に乗って、架線に近づいて感電したらしいという続報に、二つの言葉に対する私の疑問は解けたが、電車の上に乗ろうとすることが私の想像の域を超えて、信じられない・・・という言葉がもれる。

 新幹線の車両は、一番先頭と一番最後尾の先端部が細長く前に突き出している。確かにあの部分から登れないことはなさそうだが、普通の感覚を持つ人なら、とても登ろうなどと思うはずはない。あの車体のツルツル感を知っていれば、そんな思いなど持てるとは思わないからである。

 しかし、この25歳の男は『自殺しようと思った』と話しているとのこと。今回の事件報道で(迂闊なことながら)新横浜発の始発列車があることを初めて知る。この電車が防御柵のついていない4番線から出るとしたら、始発前、長時間をずっと停車していた上に駅員もホ-ムにはいなかったのかもしれないと考えると、確かに登ることに挑戦する時間的余裕があったことも理解できる。

 もっとも、例え駅員がホ-ムにいたとしても、まさか車両の上に登る男がいるなんて想像もできなかっただろうから、変な動きをしているなという程度の認識ですぐには止めようとしなかったのかもしれないが・・・。

男は実際に架線に触れて全身に火傷を負っているらしいが、数万ボルトという電圧がかかっていることから、よくぞ感電死しなかったものである。駅員が止めようと行動していたら、駅員も感電するところ。その意味では止められなかったことが良かったのかもしれない。

この事故で、始発から7時過ぎまで新横浜と小田原間が運転見合せ。この朝、大混乱を引き起こしたことは想像に難くないが、自殺者の心理は周りのことなど全く考えない・考えようとしないらしいとなると、何とも迷惑千万な話である。

飛び込み自殺やホ-ムからの転落事故防止の保護柵をつけることが進んでいるが、新横浜は昭和39年開設当初から、1番線と4番線にはこの保護柵がつけられていない。その頃の新横浜駅の設計発想は停車しない列車は、保護柵のある2番・3番線を通過させるというものだっただろうが、全ての電車が停車するようになってもそのまま。

私自身、京都方面に出かける時に利用する3・4番線ホ-ムの片方の4番線には保護柵がないのに少なからず違和感を覚えていたことは事実。この自殺願望者は、この新横浜の構造的欠陥?を知っており、ここならばという確信犯に違いない。

今回の自殺未遂騒ぎは、新横浜の構造的な欠陥を明らかにしたと同時に、新横浜始発にしなければならなかったダイヤ作成理論を根本から揺るがせたとなると、JR東海は新横浜始発列車を考え直すか、あるいは4番線ホ-ムに保護柵を作るはず。後者だとしたら、いつから工事が始まるのか注目しておこう。

しかし、それにしても公共交通機関が自殺に利用されてはたまらない。鉄道会社は、これまでも莫大な迷惑料(補償金)を要求していることが、時に報じられるが、その額を見て、自殺志願者の家族が自殺志願者になるという笑えぬ笑い話になることもあったに違いない。

最近の自殺志願者は人に知られず一人で静かに死ねないらしく、電車に飛び込むことはもとより、何ら関係のない人までも道連れ(通り魔も含めて)にする傾向があるようだが、こんな意志薄弱な人間には自殺など許すべきではない。

自殺をするなと言っても効果は限定され、逆にますます自殺を煽る傾向にもなっていると聞く。ならば、『自殺するならどうぞご勝手に、しかし、一人静かに死ぬように』というキャンペ-ンはいかがだろう。

そして、自殺志願者限定の死に場所を用意して、死体はそのまま手つかずにしておけば、その雰囲気に負けて自殺を思い止まるのでは・・・。

新幹線の車両までも自殺の手段に選ばれるとなると、世間の批判は覚悟して、こんなことを考えたくなる。(田舎親父)

2014年12月 1日 (月)

投票率が高くなることを願うだけ・・・

明日衆議院選挙が公示され、14日までは選挙期間に入るが、その間は、例え一般人でも、ネットで立候補者の悪口など書くと、選挙違反に問われる可能性があるとのことなので、しばしこの話題は封印しなければならなくなりそうだ。

しかし、今日はまだ公示前。民主党の情けなさについてつぶやいてみることにしよう。アホベ一家の無法ぶりは今更触れるまでもない。しかし、民主党の幹部たちは今頃になって『アベノミクスは崩壊した』と盛んにキペ-ンを張っているが、汚染ドジョウが首相として率いていた当時の民主党政権が消費税反対派を追い出し、党を分裂させてまで強行した消費税の二段階増税を自民党と合意し、実施したことは全く口にせず、反省の弁もない。

アベノミクスの失敗は当然とはいえ、肝心のアホベ首相は、現在進行中だと強弁、アベノミクスを続けるのか続けないのかを問う選挙だと叫んでいることに対して、民主党は、ただ、アベノミクスが破綻したとか景気が回復していないなどと、アホベとその取り巻きが作り出した『アベノミクスの是非』という土俵にわざわざ乗っかってしまっている。

アベノミクスというわけの分からない言葉と政策が生まれた背景は,繰り返しになるが汚染ドジョウ政権が強引に進めた消費税の増税であることは、私のような経済音痴でも想像がつく。

消費税増税を言い出さなければ、当時、即解散もなかっただろう。例え、他の政策で行き詰まりになって解散したとしても、これほどの敗北はなかったはず。経済問題を偉そうに語る前に、消費税増税自体が誤りだったと自己批判し、国民にお詫びするのが筋ではないか。猛省が足りないとしか言いようがないのだが・・・。

今回の衆院選で、民主党はマニフェストでアホベ一家の主張するアベノミクスの転換の必要性を訴え、『厚く、豊かな中間層』を復活させると強調し、そのための『柔軟な金融政策』『人への投資』『成長戦略』という、『3つの柱』を主張している。

しかし、これではアベノミクスの内容はともかく、国民の大多数にとって、『3本の矢』を『3つの柱』と言い換えただけで、アベノミクストとの違いなど分からないだろう。むしろ、同じようなものに映るのではないだろうか・・・。

 2015年10月からの消費税再増税は『延期』するということに対しては、その通りだと自民党を評価しているが、あれほど消費税増税を主張し、実行してきたのに、今更延期に賛成しているのは整合性が全くない。

延期の理由として、アホベ内閣の経済政策による国民生活の悪化や、社会保障の充実・安定と議員定数削減が果たされていないことを挙げている。事実だろうが、2年前に消費税を増税すれば、個人消費が冷え込み、国内総生産(GDP)が落ち込むのは、私でも予想できたこと、今頃になって何をのたまっているの・・・というところ。

 増税判断自体は正しかったと言いながら、再増税は延期すると言われても違和感だけが大きくなり、ますます不信感が増大するばかり。増税延期で不足する財源はほかで捻出するのか、事業を削るのか、国民が納得するような具体案が全くと言ってよいほど示していないのも気にいらない。

 しかも、汚染ドジョウはじめ、民主党政権だったころの閣僚たち主流派(消費税増税反対勢力を追い出した連中)は雲隠れ、表に出ているのは原発事故のA級戦犯一人だけ。恥ずかしくて表に出てこられないのなら理解でできるが、時に伝えられる情報では、今の執行部に対してネチネチ批判しているというのでは、なにをか言わんや・・・というところ。

 マニフェストの一つには『30年代原発ゼロに向け、あらゆる政策資源を投入する』と書かれているが、『再稼働』には極めて曖昧で、反対とは読み取りにくい。

あの重大な原発事故からすでに3年8ケ月。収束の気配すら全く見えないのにもかかわらず、当時の汚染ドジョウは『収束した』とのたまい、アホベは『コントロ-ルされている』と国際会議で明言している。多くの人たらが悲惨な避難生活を余儀なくされているのに、この話題はまるで終わったかのように日々疎くなっている。

原発の大きな争点にしなければ、今回の選挙の意味は薄れ、野党の価値根は限りなく小さくなるように思えるが、それを明言しているのは共産党と、コイズミ・ホソカワ連合だけで、両者は火と油、連携など100%ゼロとなると期待はすぼむばかり・・・。

 このままでは、急に大声で『軽減税率』を言い出した公明党の台頭を許すのではないかという懸念もあるが、公明党というのはヌエのような党だけに、選挙が終わったら、自民党と綱引きをしているように見せながらも、自民党に押し切られるのも規定の筋書き。また国民は騙されるかと思うと情けなくなる。

 ともあれ、明日から型通り選挙が始まる。アホらしくて投票に出かけない人も多いだろうが、このままアホベ政権が続いたら、トンデモ国家になることだけは間違いない。

12月早々、何だか意味不明で支離滅裂なつぶやきになったが、私には、ひたすら投票率が高くなることを願うしかできないのが悲しくやり切れない・・・。(田舎親父)

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